プロローグ
晴れても雨が降っても、お日様のときでもお月様のときでも、霧が立ちこめることからそこは霧の湖と呼ばれた。森が、周りをぐるりと守るように囲んで、ギザギザした葉っぱやまるっこい木の実は枝の先でも地面でもこまかいひんやりした雫で包まれている。こもれびが差してひだまりがたまにのぞいて、あざやかな花、落ち葉のすき間を走ってくトカゲ、ここでみんな思い思いに暮らしている。夏にはセミの大合唱、冬には枝に寝転がる粉の雪、吹けば春風は生まれたばかりの草と木をゆらし、来たる秋色は幻想郷のどこよりも濃くなる。湖は、そのまんなかに静かにあって、霧とともにこのあおい森を写す大きな大きな鏡になる。
湖で遊びまわるときは注意しておいたほうがいいよ。走ってたら木が腕を伸ばして首を引っかけてくるし、根っこで足を払ってくる。そうじゃなくたって、地面が急に消えて湖にどぼんなんだから。
でも、アタイは大好き。
幻想郷のどこに遊びに行くことになっても、最後に帰ってくる場所はいつもここ。アタイの世界の中心はゼッタイここ以外にありえない。楽園はただひとつ、ここにある。
──でもいつからか、湖の周りの森は消えた。湖は、大空ばかり写すようになった。
ズドン、ズドン。
相手の弾幕が飛んでくる。湖にはった氷にいくつも穴があく。アタイは攻撃をすり抜けて接近し、おもいっきりなぐりかかった。
「ねえ、チルノ」
こぶしを受けとめながら問われる。
「強いって、どういうことか分かる?」
なんて? 答えているヒマはない。姿勢をかがめて足をすべらせる。うまくすくって相手を転ばせた。数えられっこない色とりどりの弾幕を浮かばせ、まとめて相手に放火する。
相手の尻もちつく湖の面の氷に触れたとたん、はじける。何万の氷の破片が飛びちって水しぶきが高く舞う。そこで瞬間冷却して閉じこめてしまう。あられが降る。
「勝ったッ……」
両手をかかげて特大の一球を生み出す。「くだけちゃえ」全身を使って思いっきり投げた。
反動で湖の氷上をすべる。いっしゅんだけできた氷の山はこなごなにくだけちった。光って、爆風がして体勢をくずし、おしりをついたままさらにつつつとさがって中央から岸の方まで来た。目の前にかぶせていた両腕をはずす。
「う、ぐ」
のど元に熱が走った。
「投降か、死か」
白く、赤く、黒く、かがやく槍のきっさき、見下すひとみ。──あー、負けた。
「し」
アタイが言うと、アタイはしんだ。
「ヨシ」とか「アシ」とかって言う丈夫な草がゆれているところから視界はあけた。手をにぎにぎとして動くのをたしかめてから草を引きよせ、かみちぎって寝たまんまはしっこをくわえた。
「回復が遅くなっているわ」
相手、彼女は膝を折ってアタイのそばに丸くすわっていた。
「大地の力が弱まっているのね。いずれアナタは復活すらできなくなるでしょう」
「ぷー」
息を吹きとおすと高い音がした。
「でもきっと、霊夢たちが何とかしてくれるわ。今回の〈異変〉は、やりすぎだもの。総力を込めて元凶を根絶やしにしてくれるはずよ」
「ぷうー、ぷ」
「だからアナタがこうまでして強さに固執する必要はないの」
アタイは強くなりたいんた。彼女に戦いを挑んで、彼女にまけて、彼女に殺された回数は両手の指が足りなくなったときから数えてない。
「ぷぷぷー、ぷぷ」
と鳴らしたら取りあげられた。アタイが吹いているのを見てほしくなったみたい。
「チルノ」彼女はきいた。「強いって、どういうことか分かる?」
「アタイは強くないっていうこと」
「質問と噛み合ってないわ。アナタにとって『強い』とはどういうことなのかを訊いているの」
「アタイにとって強いのはオマエだぞ」
「はあ……もう」
草の笛を指のあいだでするすると回しながら、とんちんかん、って言われた。「ん」がいっぱいだと思った。けど、たぶんアタイは馬鹿にされているから、何を馬鹿にされているのか考えるのにいっぱいで言いだせなかった。
「質問を変えるわ。どうしてアナタは強くなりたいの」
「アタイが強くないから」
「本当に? アナタ以外の妖精はまずそんなこと考えないわ。どうしてアナタだけ」
「だって」アタイは言った。「アタイは馬鹿だから」
こんどはどんな言葉が返ってくるんだろう。アタイは馬鹿だって認めちゃったんだから、そうとう馬鹿にされるに違いない。
──だけど、彼女は何も言わなくて、なっとくしたみたいな声をもらした。ふーん、だって。それから指で回していた草の笛を吹いたけど、空気だけスカってもれた。
りりりって、草むらから氷みたいにすずしい音色がきこえてきた。
一
「ごらあぁ! なあにサボってんだあぁ!?」
どなり声がした。
川べりにいたアタイが振り向くと、大ちゃんが明かりをひっさげた業者のおっちゃんにしかられていた。
「すみません。げっこうよくしていると、きもちがよくてつい」
木の切り株から立ち上がってあわあわしている。
ペシンッ、ほっぺたをたたかれてその場にたおれた。
「お前はただ黙々と荷車の荷台にあの氷精が作った氷を運んで積んでいけばいいんだ。たった一晩だけだ。そのぶんの賃金はやっているだろ」
「はい、そうでした。きをつけます」
「そこの氷精もだ」
おっちゃんがいかつい顔をしてこっちに来た。アタイよりずっと背が高くて大きな体で、アタイは見上げる。
「休憩している場合じゃないぞ。夜が明けるまでできるだけ天然氷を作れ」
「でもアタイ、めんどくなってきた」
「文句垂れんじゃねえ!」
ツバが飛んできた。イヤなにおい。
「いいか。近頃は温暖化に加え人口が爆増し、製氷業の需要も爆上がりしている。特にこの夏はくそ暑いからな。かき氷やアイスや冷たい飲みモン作るのとか、冷蔵保存用や冷房用にも質のいい氷塊を幻想郷中に提供したいわけだ。お前が氷を作れば作るほど、たくさんの人妖が救われるんだぞ」
「それはいいことだな」
「おまけに売れれば売れるほどお賃金も高くつく!」
「いいことづくしだ!」
アタイはなんだか嬉しくなった。おっちゃんもにんまりと笑みを浮かべた。
「その通りだ。分かったならサボってないさっさと働け」
「うんっ」
アタイは振りむいてまたお仕事に戻った。
別の妖精が四角い金属の箱に川の水をくんで、アタイがそれをいっしゅんで凍らせる。箱の底のしるしがはっきり見えるくらいよくすきとおっていれば純粋で質がいいみたい。また別の妖精ができた氷を、さきがピンととがった金属の棒でひとさしして、引き出してたらいの上に置く。あるていどできたらそれを大ちゃんたちが道路に何台かとめてある荷車まで運んでおろす。
これをずっとくり返していく。
気がつけば、お日様の光が川の上の山のうしろからぼんやり出てきていた。
「ようし! お前ら、今日はもう上がりだ。荷車のとこまで集合しろ」
その言葉をみんな待っていた。いっせいので仕事道具を放りだして道路まで行くと、今日もおっちゃんたちは用意してくれていた。
「やったー! かき氷!」
アタイが叫んだと思ったら、みんなも同時におなじ歓声を上げた。荷台では、まだ用意しきれていない妖精のぶんを他のおっちゃんがゴリゴリと削りだしている。急いで自分のぶんのかき氷を確保して他の妖精とシロップの容器を取りあった。
「んー、おいしー!」
自分で作った氷にそのまんまシロップをかけてもそんなにおいしくはならないのにかき氷ににするとなぜかおいしく感じる。親友の大ちゃんとかんぱいしてあっという間に食べつくした。こっそり二杯目を受けとったのは大ちゃんとアタイだけのヒミツ。
そうしてお賃金だけ渡されて、おっちゃんたちの荷車は走りだした。ひもでつながれたお馬さんがヒヒンと暑くるしく鳴く。
お仕事が終わって他の妖精たちはばらばらに飛んでいって、アタイと大ちゃんはいっしょに道路のまんなかを歩きだした。
空が明るくなるころには人の街に着いていた。二杯目のかき氷は大ちゃんと分けあってそっこーでなくなった。
街の中心の高いでんぱとーが見えてくる。ちょうど街のガス灯が消えた。
「なにしてあそぶ?」
大ちゃんがきいてきた。
「てきとーにお店まわろー」
「いいね!」
お仕事があった日は、仕事場から近いからだいたいいつも街に来てそこらを歩きまわっている。
服屋さんとかアクセサリー屋さんでこれが似合いそうあれが似合いそうっておたがいに言いあったり、おだんご屋さんの店先で三色だんごとかみたらしだんごを手に何時間もしゃべったりした。
『──ここでカラス速報です。今日正午ごろ、博麗参道の一部で大きな土砂災害が発生しました。怪我人は今のところ確認されておりません。土砂の撤去作業のため参道は一時通行止めとなり、作業ボランティアの方の話によりますと作業は今夜まで続く見込みとなっております──』
おだんご屋さんの店内から聞こえるこれはラジオって言うみたい。少し前まではなかったような。だいたいアタイたちとかんけいないことばっか流れてるんだけどね。
ごちそうさましたあとは、おもちゃ屋さんに行って棚のあいだをぐるぐるまわったり、駄菓子屋さんに行ってちょこっと買い食いしたり。楽しい時間はあっという間にすぎていく。気がつけば夕方、カラスが鳴いて、街灯がつく。
「ここ、いつも工事してるよね」
大ちゃんが指さして言う。
柵で大きく土地が囲われ中に作業服を着た人間や妖怪や妖精がたくさんいる。材料の鉄や木や、ドロドロとした灰色の液体のプールが見えた。
「たしかに。なにつくってるんだろ?」
「看板にかいてあるよ……えっと」
柵の一部に立てかけてあった看板を大ちゃんは読みとろうとした。
「むずかしい漢字がいっぱいでよくわかんないなあ。これ〈学校〉ってなんだろ」
「さあ。でもこんなに大きいならきっとものすごく楽しいところだよ」
「公園みたいにゆーぐがたくさんあってみんなであそべるのかな」
「湖みたいにしてみんなで水あそびできる場所になるかも」
「こんだけあついしね。そういえば、こんど霧の湖にあそびに行っていい?」
「いいよー! あしたもあさっても休みだし」
「やったあ。じゃああしたあそびに行くね! ほかにも何人かさそっとく」
「楽しみー」
工事現場にすっかり興味をなくしちゃって、アタイと大ちゃんは振りかえってあしたを期待しながら歩きだした。
「〈学校〉は人間がお勉強するところだよ」
「えっ」
女の人の声に呼びかけられて首をまわした。特徴的なぼうしをかぶった背の高い女性だった。カバンを持っている。どこかで見たことがあるような、ないような。
「こんばんは。と、思ったが、うちの生徒じゃなかったか」
「あ、てらこやでよく見る先生だ」
大ちゃんが反応してようやく思いだした。
この近くの寺子屋のししょー(教師)で、名前はけーね先生って言ったと思う。今はちょうど寺子屋から帰るとちゅうだったみたい。
「てらこやがあるのに、ほかにお勉強するところがいるんですか」大ちゃんがきく。
「ああ。人間の人口が増加してきたからな。うちのような妖精と人間をひとつどころに集めた学び舎は少々手狭になってきた。そこで新しく、人間のための校舎を建てることにした。それが学校だ」
「ふーん」
手に持っていた駄菓子屋のせんべいをバリっと食べた。
けーね先生は真顔のままきいた。
「ところで気になっていたんだが」
「なに?」ごくんと飲みこんだ。
「その目元のクマはなんだ? 二人とも、相当疲れ切っているように見える」
「クマ?! どこ? どこにいるの?」
「違う」
先生は自分の目の下を指して言う。
「ここが青くなってできる疲労の証拠だ。昨日はいつ寝た?」
「えっと、ねたのはおとついの昼だぞ」
「わたしはおとついの朝で、そのあとチルノちゃんをおこしに行ったんだよね」
と大ちゃんが言うと、先生は信じられないって顔をした。
「たしかに妖精は疲れ知らずとは言うが……しかし近頃の経験から言わせてもらうと妖精も疲労はしっかり溜まるものだと思うぞ」
「そんなわけないじゃないか! アタイたちはこれからまだまだあそぶぞ! ね、大ちゃん」
「うん、そだね」
あれ、あんまし乗り気じゃない。
先生はため息をついた。
「不安だな。君たちも寺子屋に通ってみてはどうだ。来年度から人間の籍を学校に移すから枠が多く余るんだ。生活のリズムを整えるのにもいいし、それに通い詰めていればこんな漢字も読めるようになるぞ」
さっき大ちゃんが読み取れなかった看板を指さす。
──なんだか腹が立ってきた。このおせっかいおばさんめっ!
「うっさい! かよってなんかやるか。べーっ、だ!」
食べきったせんべいのふくろをポイッと捨てて大ちゃんと飛びだした。
うしろから大声がしたけどしらんぷりだ。こころのなかでも舌を出した。
街のはしっこの方まで飛んできて着地する。アタイはひらめいて、迷いの森が近くにあるからめずらしいキノコでもさがしに行かないかと言った。
「ごめんチルノちゃん。わたし、あの人の言うとおりちょっとつかれちゃったかも。きょうははやいけど、かえっちゃっていい?」
「えー」
とぶうたれて見せたけど、実はアタイもあんまり体を動かしたいキブンじゃなくなっちゃっていた、かもしれなかった。たぶん暑さのせい。だから、飛んでいくのをアタイはとめなかった。
アタイも、自分の湖に戻ることにした。あそこがいちばんすずしくてここちいい。それに息がしやすい。
カラスのむれに囲まれて、鳴きまねをしながら赤い空を飛んでいった。
二
あしたときょうの境目を感じなかった。ついこのまえまでは。眠らなくたっていっしょうあそんでいられたから。だからちょっとまえまでは、トモダチと約束するときは「あした」とか「あさって」じゃなくて「このあとの朝」とか「つぎのつぎの昼」って言って小指をかわしていた。
でも最近は、眠りたくなることが増えてきた。自分からじゃなくて、かってに体が寝たがっちゃう。それはアタイだけじゃなくて、ほかのみんなもおんなじみたい。
お仕事に能力をいっぱい使っちゃうからかな。でも使ってないときでもやっぱり眠っちゃう。
──ぼんやりと目が覚めてくる。湖のほとりの森の木の枝に横になってギザギザの葉っぱのすき間から見えるお日様を見上げる。これが「きょう」ってはっきりわかる。
セミのここちいい鳴き声が耳もとでしていると思ったら、きのう頭をあずけて寝た木の幹に何匹かとまっていた。
「あんまりアタイのそばにいちゃうとヤケドしちゃうぞ」
つかまえてそうしかりつけてやって木から飛びおりた。別の木の幹にひっつけようとしたら指から飛びだしておしっこをかけられた。
湖で顔をあらったりしていると、霧にまぎれて湖の上をちょうちょやトンボがたくさん飛びまわっていたからつかまえようと追いかけた。
「あっ」
と言ったらもうおそい。──どぼんっ。
全身が水にいきおいよくしずんだ。足がそこにつかない。けっこう深いところみたい。水の中で目をあけると小さな魚が泳いでいたから追いかけた。でも息がもたなくなって岸に上がった。
湖の上ではまだたくさんのちょうちょとトンボがアタイを馬鹿にして笑うみたいにふらふらっと飛んでまわっていた。「こんにゃろ」って思ったけどぬれていると重くてうまく飛べないから、追いかけるのはあきらめた。
──こーん。こーん。
知らない音が森の方から届いてきた。リズムよくひびいて、楽器みたい。
足もとの草をちぎって笛にして「ぽー、ぽー」と鳴らしながら音のする方に行ってみた。
人が見えた。はたらく妖精も見えた。アタイはくわえた笛をこぼした。
「おいおめ! なんしーちょっとら!」
妖精たちは斧を持っていた。それで森の木のねもとを打って、打って、いくつも斬りたおしていた。たおされた木ははんぶんこにされ木材で組まれたレールの上のそりにのせられ、人の街につづく道路のおくに二人がかりで運ばれていく。
アタイは一人から斧を取りあげた。けっこう重い。文句が飛ぶ。
「ちゃってけ、かえしなさんね。おしごとしでけぇら」
「こんたち木はくれちゃんたらん!」
「なぁでいかんち。わぁんとあんでなん」
「たらんたらたらん!」
顔をつきあわせてにらみあう。すると、取りあげた斧がさらに取りあげられた。
「あっ」
「なんだぁ、びしょびしょの小娘。もしや水の精か?」
低くてがらがらとした声。作業着の知らないおじちゃんがうしろにいた。顔は目と目がはなれ肌がウロコみたいにぶつぶつしてて、声もあわせると地上にあがったひからびた魚みたいなおじちゃんだった。
「アタイはひょうせーだぞ。いますぐ木をきるのやめないとみんな氷づけにしちゃうから! されたくなきゃおとなしく散れい!」
「あ? お主に止める『権利』があるのかい」
アタイは冷気をまき散らすかまえを取ったけど、おじちゃんは動じないで言った。
「ここら一帯は我が社が買い取った土地だ。権利書も、ここにはないが発行されておる。邪魔される筋合いはない」
「なんだと? だけどここはアタイの家だぞ」
「ただ一介の妖精が棲みついただけであろう。こちとら土地権利書がある。わかるか? ここらの土地は我が社がどう扱ってもいいという権利を認《したた》めた書のことだ」
「え、でも」
かまえがくずれる。ケンリ? 聞きなれないけど、すごく重みのある言葉。
おじちゃんはにんまりと笑った。
「『でも』はなし、散るのはそっちのほうだ」
「だけどっ」
「……『だけど』なら通用するんじゃない」
「つっても!」
「ええいっやかましい! とにかく、お主に反駁《はんばく》する権利はない!」
手でしっしってされて、弱気になったアタイはまだ無事な木のかげにまで引きさがった。アタイたちのやりとりに注目していた妖精たちはまた活動しだした。
クワガタみたいにまるっこい幹を抱きしめて、トカゲみたいにひょこって顔を出す。歯と歯を合わせて音を出す。
ダメだ。ここはアタイの湖と森のなのに。
土地を自分の物にするためにはケンリショが必要らしい。でも、ケンリショなんて、どこで拾えるんだろう。あのおじちゃんにきいたらわかるかな。
「おい」
アタイはもういちど飛びだした。
──メキメキメキ。
「たおれるよー」
のんきな声がしたときにはおそかった。頭上を闇がおおって──
「うわあぁ! ……あぁ……あ?」
木が地面にたおれた音はもう少し先の方でした。
アタイはその場にちぢこまったままおそるおそる見上げた。
そしたら、やっぱり闇だ。
だけど、それは木がたおれてきてお日様の光をさえぎっているんじゃなくてあたりをまるまるおおっている。
まるで湖からただよってくる霧が闇属性になったみたいに。
──帰れ。
闇からゆうれいみたいなささやきが聞こえた。
──帰れ帰れ帰れかえれかえれかえれカエレカエレカエレカエレカエレ……
「ぎゃー! なになに!?」
「にげろにげろ!」
はたらいていた妖精たちは大混乱して飛びだした。
「まさか、さっきの氷精!? ひぃ殺されるっ、ご勘弁を!」
さっきのおじちゃんも。アタイがおどしてもびくともしなかったのにこんどはびっくりするぐらいおびえて走って消えちゃった。もちろんアタイがやったんじゃない。でもアタイはそれほどおどろかなかった。
その小さな姿が見えていたから。
「お前、だれだ?」アタイはきいた。
「……」
ふゆふゆ浮いて、アタイのそばに着地した。見えづらいけどアタイとおなじか、それより低い背。
「……ルーミア」
ほそい声。雪の結晶みたい(っていうのはおかしいかな。でもそう感じたからしかたないじゃん)。
「そうか。ルーミア、お前」
アタイは闇の中、その少女に飛びかかった。
「どうしてこんなことしたんだ! あのおじちゃんにケンリショのことききたかったのに!」
「つめたっ! え権利書、え?」
「はやくこの闇消してよ! 見失うまえに追いかけてつかまえないと!」
アタイはあのおじちゃんが言っていたことをそのまんまルーミアに話した。
「落ち着いて。たぶん、それ、はっデタラメ」
「そーなの?」
「うん。聞いたこと……ない、から。人の街のルール、かな。だけど、こんな人の手のつかない、幻想郷のはしっこじゃっ、あ、っと……適用、されようない」
ルーミアはなんだかしゃべりづらそうだった。話し声がふるえている。
「凍っ、ちゃう……離して」
「あ、ごめん」
肩から手をはなす。ルーミアは口からはく息で手をあっためて両うでをすりすりとこすった。
この近くにルーミアのすむ岩のどうくつがあるらしい。案内してくれたけどめちゃくちゃ暗い。きいてみると、アタイが「冷気」なところをルーミアは「闇」をあやつる〝妖怪〟で(おっかない!)、暗いところが好きなのだそう。さっきの闇の霧もそういうタチだからだった。ただ、体力を使うから本当はあまりしたくない。さっきは、どうくつで昼をこそうと眠りかけていたところに木を斬りたおす音が飛びこんできたから、闇をつくってから飛びだしたんだって。
「森が伐採されちゃ、ここの生態系が、崩れちゃう。そしたら……困る」
「だよねー、セイタイケーがくずれちゃよくないもんねー」
うんうんとうなずいた。むずかしい言葉知ってるんだなあ。
「ほっといたら、危なかった。ニンゲンの言うこと、何でも鵜呑みにしちゃ、ダメ。アイツら……ウソつく」
急にワルグチ。
どうくつの入り口からこぼれる光がほんのりと、ルーミアのちいさな体が岩にちいさく座る姿をてらす。
「なんで、ウソつくの」
「……それが美学だから?」
「えっと。どーゆーこと?」
「ごめん……会話、下手だよね」
急に反省。自分のひざを見つめている。
「誰かと話すの、久しぶりで……何なら、妖精と話すの、なんて当分、なかった。妖精に合うように、話さなきゃダメ、だよね」
「どーゆーイミ? アタイにはむずかしい言葉がわからないでしょってこと?」ちょっと腹が立った。
「生態系が崩れるって、分かった?」そしたらききかえしてきた。
「んっと、あれだな。『セイ・タイケー』って森のカミサマみたいなのが体調をくずしちゃうってことでしょ」
指をおでこにあてて言い、反応をたしかめてみた。
その指を胸についた。
「いたっ」
「笑うな! アタイを馬鹿にしたら氷づけにしちゃうぞ」
「クスクス。ジョークとしてはっ、……面白いから、いいと思う」
「ほんと?」
ほめられたのに、ほめられた気がしない。
「……ごめん、馬鹿にした」
わ、サイアクだ! ルーミアに馬鹿にされた。馬鹿はイヤだ!
「あー馬鹿にした! いーけないんだーいけないんだ! どーなってもしらないんだっ!」
アタイはかまえて目をつぶりやけくそに能力を発動した。
──ちーるのちゃんっ! あーそびーしらんっ!
外から何人かの声が呼んだ。
やった、やっと大ちゃんがきた。ほかのトモダチもいっしょみたい。
「いまいぐらー!」
外にむかってさけぶとぐわんぐわんって中でひびいた。何か忘れものをしたみたいな感覚があったけど「それじゃあね」ってウッキウキで出口にむかった。
「死ぬかと思った! ちょっと、待って!」
バキンって割れる音がして、どうしてか止められた。
「ん、なに? あ、あ、ねえねえ! ルーミアもアタイのトモダチといっしょにあそばない!?」
「……へ? ……いや。──あー……もいいや」
と思ったらあきらめたようすで、なぜか「名前は?」ときいた。
「アタイ? チルノ」
「チルノはチルノのままがいい、ゼッタイ。『自分通り』がいい」
「んあ?」
──ちーるのちゃんっ! もーいーちょろっ?
「もーいーちゃらっ!」
もういちどさけんで振りかえる。
そしたら、そこの岩には誰もいなかった。氷が、暗い口の中の舌の上で、とけてなくなったみたいに。
三
霧の湖に流れる川をちょっとのぼっていったところにある河原。ここは霧がかかっていなくて見はらしがいい。今日は天気がちょっとあやしいけど、河原には風が吹いてきてきもちがいい。
「あーっ、かりかったー!」
「へーい、チルノちゃんのびぃ!」
キャハハ、やーいやーい、とトモダチのサニーがあおってきた。サニーは赤毛の元気な子。
「せんやいせー……いまんは風のばとーた!」
お山からくずれちゃった砂利を拾ってまたお山をつくろうとする。
「わー、イイワケしぃチルノちゃん、わぐるっち子―」
と言ったのはスター。黒いおかみのおっとりした子。
「コンガレったれじゃなんなんっ。わーぐるっ子は風らもんっ」
「そなしたれわっちぃ子は大ちゃん?」とスター。
「……え、わたし?!」
アタイたちからちょっとはなれて、川の方につきだした大きな岩の上であしをぶらさげてひとやすみしていた大ちゃんがびっくりしている。
「らって、なんとなし風みぃつってっぽらし」
「たしかにー、大ちゃん、〝風っぽらてー〟」
なんたって、大ちゃんは黄緑のおかみをかたほうに結んでて、空色のワンピースを着てて、さらに黄色いかみどめと胸のリボンをつけてるんだから。なんだか風っぽい。うん、ゴウリテキだ。
大ちゃんはあしを浮かせて近よってきた。
「風っぽきとーってなん? 見たきがそこぉらしかも、わたしはぜんゆぃよんトクベツな能力かりかとばなんし」
「ウソらめ! らって、アタイ、能力きゅーしなん妖精、見たことなんな。ほのいはかくしてったら!」
アタイは冷気をあやつれるし、サニーは光のくっせつ(?)をあやつれるし、スターは見ないで生きものの気配をさぐれるし、そこの川のどまんなかのポツンとある岩でぽーっとくもり空を見上げているルナは周りから音を消せる。だけど大ちゃんだけ、そういうのがなんにもない。
サニーが言った。
「もんたっ。ゆいちょるまんで気づからんちか、たしかにぜんば能力ましとーから大ちゃんにも能力まっとぉずじゃっ。チルノちゃん、てんさいっ!」
「へへんだ!」
得意げになって鼻の下をこする。
「ようし! 大ちゃんをジンモンらめ!」
それからアタイとサニーとスターは三人がかりで大ちゃんを問いつめた。でも何をきいたらいいか三人ともよく分かってなかった。じゅうしょは? ねんれいは? しょくぎょうは? 最近あったうれしいことは? ……ラチがあかない気がする(最近あったうれしいことは、あるけどアタイにはナイショだって。なしに?!)。とちゅうで「どんな能力がにぎりったか」って話になったりもした。アタイは炎があやつりたいと言った。それでけっきょく大ちゃんはあやつるなら「風」がいいらしくて、すでにあるんじゃないかってみんなで言いあったけど、大ちゃんはただただ顔と片手をぶんぶん振って「なんなん」と言いはるだけだった。
スターが言った。
「らったらあれじゃなん? めんそーしんきゃいけなんとか」
「めいやん! あんね大ちゃん、近くにガラガラがーすっと、そこしにって──ん?」
アタイが提案しようとしたとき、顔にしずくがいくつもついた。見上げるとまっくろな空。
ピカッ。
「はねた!」
──ピシャンッ! 耳ごとくだけてしまいそうなほどの大音量。足の下の地面がゆれるのと同時に頭の上からどしゃぶりの雨がふってきた。
みんなくちぐちにさけぶ。
「あけんまに?! ろーおろーごろせんきゃ!」
「うぎゃはーっ! めぐろぅっちどこに!?」
「下の湖の方! はやびゃ、ひくいこんとこすっと!」
みんな走りだす。妖精はぬれていると重くて飛べないから、走るしかない。
「まーまれ」
だけどアタイはとめて、大ちゃんのうでを引いた。
「なん? チルノちゃん」
「大ちゃん、こんたれチャンスっちゃん」
キョウレツな音がしてあたりがいっしゅん明るくなる。キツネの親子があれくるう川のむこう岸をかける。
「流れごっつぉなったこん、モーレツなガラガラにすったれば、ゼッタイ大ちゃんにも能力ありたれっぞ! さば、きない!」
大ちゃんの手を引っぱって、スターたちが行くのとは反対方向に走った。
「といやいなんしやん?!」
「あっ。しゃんだら、ルナは?」
サニーが気づいて言う。
川はすでに水かさをましていて、色もにごって、元いた川のまんなかにルナはいなかった。流されちゃったか、それかかってにどこかに飛んでいったか。
スターが雨つぶを口にしながらさけんだ。
「カラカラのずっとあまぎにいったぐる!」それでもギリギリとどく声量。能力を使ったんだ。
アタイはきいた。
「てこちゃガラガラの方?」
「うんぐるは……らけんど」
「ばてど?」
「いとりじゃなんっぽちか。とい反応がある」
「はれた! さば、すっとと!」
みんなでまとまってかけだした。びしゃびしゃと雨が打ちつけてみんなみんなびしょびしょ。空にはお日様やお月様の気配がすこしもしない。夏の大入道さまがただただおいかりの空モヨウ。もうすぐ夜になるころでまわりが見えなくなってきたけど、そこはサニーが能力を使ってあたりの残った明かりとか鳴りやまないかみなりの光をかき集めて自分ごとランプになった。
ちょっとしたがけの下にきた。たきの水がその前をとばとばと流れおちている。ルナは、このたきの「ウラ」のくうどうにダレカといるみたい。
さけぶ。「ルナあー! 出てきよれー!」
スターが言う。「うんぐれはとどいてなんよ。こなガミガミに」
大ちゃんがうなずく。「流れがごらんたんじゃなんうちに行っちゃれたん? ゴラゴラがぴぃすぐてくうどうかっち見えなんよ」
「ふんだれば大ちゃんがさ、ガラガラにすったるついでにふぅってみんたい」アタイはひらめいた。「だばぁルナをカクニンしっちゃれ能力も使っちゃれっちゅっちょろーし、いっちょーにっせき……にっせきいっちょー? いっせきにっちょーらんたい!」
「馬鹿言わなんでよ!」
「なんじゃればー?! アタイは馬鹿じゃなんたい! シンケンにこなりくるしんだとらっ」
大ちゃんがシンケンにアタイの言うことを受け入れないから腹が立ってつかみかかった。大ちゃんは何かをかばうみたいに片手だけでタイコウしてきた。アタイなんち片手でじゅうぶんらっちか。そう思うともっと腹が立った。
「──あ、ルナ!」
「え?」
取っ組みあいにむちゅうになっていると、サニーとスターがいっせいので言った。
見ると、いつのまにかいたルナがたきつぼでおぼれていた。白いぼうしといっしょに流されている。きっと、ウラから飛びだして〝しゅんかんたきぎょう〟でずぶぬれになってから、たきつぼにまっさかさまになったんだ(もう能力があるのに! それだったらふたつ目の能力がうまれるのかな)。
「まれよーまれ! アタイかごるよ!」
能力を発動し、ルナの流れてくる手前で氷をはる。
だけどルナは手をぶんぶんと振りまわしてアタイのつくった氷のかたまりにのぼろうとしなかった。しかたないから川の上を「すべって」いってすくいあげようとする。
「チルノちゃん!」声はスター。「なんか、いてる!」
「え?」
水をすって重くなったルナの体をがんばって引きあげようとして、さらに川べりからスターが呼びかけているのを見ると、たきの方を指さしているみたいだった。
──ザバンッ。
ルナを川から氷の上にのせた。それと同時だった。
たきのウラから現れたのは、目の下にいるのとはちがうほうの……
「クマだー!」
──ウガアアアッ!
でかい! くろい! バケモノ!
かみなりの光に反射して黒いツメと目がキラリとした。
みんなゼッキョウしていちもくさんににげだした。アタイは立ちむかおうと思った。クマがたたかいたそうにしていたから。だけどサニーというランプが森の中に消えようとしているし、ルナがまだ氷の上でぐったりしたままだ。これじゃあうまくたたかえない。
ほんとうに?
「やれるよ。アタイッ」
巨大な黒いかげにむけてかまえる。暴風とまじって「ぐおお」と吠えちらす。
「うおおー! これでもくらえ!」
まっくらやみな前方にキンッキンのビームを発射した。着弾音がして、その光でうっすらとクマのどてっぱらをつらぬいているのが見えた。なのに、でかい図体がものすごいスピードでかけだしていた。こっちのほうがレーザーみたい。
「きた!」
川の流れにのって全力とっしんだ!
動きがとめられないかとも思いつつ、明かりがわりの弾幕を放ちながらクマの足もともかためる。だけど、想像以上のかいりきだった。ピキンといった氷はすぐに割れて板がアタイの方に飛んできた。
回避は間に合わない。氷の板がぶつかる前に攻撃の弾幕を目の前に集中させた。──そのいっしゅんのスキをつかれた。
「っずあッ!」
とんでもないスピード。アタイですら見のがした。わきに入られて、いっぱつ、ごくぶとのツメではたかれた。ふっとばされた先、はどこ? 河原っぽい。砂利がへこむぐらいアタイの体を打つ。ツバと砂をはく。なんだか「ガマンできないような感覚」におそわれていた。それのせいか、うまく起きあがれない。
そして何も見えない。
あおむけになっていると顔面が雨つぶに打ちつけられて、それもガマンできない。でも、わかった。それいじょうにガマンできないと感じるところがあった。
背中だ。
「あ……とれてる」
それは〝冷たかった〟。もうアタイのじゃなくなっていた。いびつな形をしたただの氷のかたまりが手にあった。
「────ルナぁ! チルノちゃーん! どこになしよぅ?!」
「大ちゃん……」
雨風にまぎれてトモダチの声が聞こえる。ぼんやりとした明かりが近づいているようだった。そうだ、ルナをおいてけぼりにしちゃったんだ。助けないと。
──グオオッ!
「え?」
手をついて起きあがろうとした、その、目と鼻の先でなまあたたかい吐息がふれた。ルナはターゲットにされなかったんだ。
「あ、ああ……」
「チルノちゃん!」
ダン、ダンッとクマの体に光るごうそっきゅうが直撃する。ちょっと体勢をくずした。あたたかい色、かおり。サニーの明かりも近づいてきている。
その間に大ちゃんがきてくれた。
「たてる? 行くったら!」
「大ちゃん、ぜんはどこんちょ?」
「しりなん。どぜんはぐれっちゃた」
アタイを抱きしめるみたいに肩を持って歩く。
知らないの? え、
「うだら、こんあかりはなん?」
──だあんっ!
「……っ」
こんどはなに? 弾幕? かみなり?
──キャイーン……
クマが悲鳴をあげていた。雨のいきおいがいっしゅん大きくなる。ん、いや、赤い? クマはそっぽむいて森の闇に消えた。
「ちっ、外したか」
がびがびなうめぼし声(って感じがする)。そう言ってかわりばんこで木のかげから顔を出した。ナニカぼうきれのようなモノをこっちへむけながら。どうしてかな。その「穴」と目をあわすのがコワくてたまらない。
「なるほど。クマを一撃で退避させるとは、威力は確かなようだ。ならばアヤツも」
あのときのウソつきのおじちゃんだ。アタイはてっきり助けてくれたのかと思った。その言葉でオモイは霧になったけど。腰には小さなランプが下げられていた。
大ちゃんがおびえるように小声で言った。
「〝りょーじゅー〟だよ」
うまくヘンカンできない。でも分かるのは、たぶん、それはおそろしいモノ。むけているのはテキイということ。
アタイはきいた。「それっていいモノ?」
大ちゃんはこたえた。「うんによる」
そのしゅんかん──ばあんっ。お星様は見えないのに。
四
アタイにとって、知っているけどむずかしい言葉がある。
それは、し。
しっていっぱい言うと「うしし」って笑ったみたいだけど、そんなあたたかい色とかにおいはしてない。カンタンに言えて、ずっと、ずうっと、冷たい言葉。アタイが分からないのは、どうしてそんなものが存在するのかってこと。
なんでしはあるのかってこと。しはみんなにとってイヤなこと。しなんてなくなっちゃえばいい。もしもしもあってしかるべきだとぴしゃりって言う人がいるならいいけど、みんなしにたくないって言うでしょ。
なのに、いつかしがおとずれるしくみになっている。高いところにのぼってもムダ、「バリア」してもムダで、体がおとろえたりちめいしょうをおったりしてしにいたる。しがこないしくみにしたらいいのに。
ただ、アタイたちは〝逸脱〟していた。たぶん、トクベツってこと。
「だい……ちゃん」
妖精だけは、しなない。
体はおとろえない。ちめいしょうをおったら間をおいて回復する。回復できないくらいひどいキズだったら体ごと消えちゃって、いちにのさんでもとどおり。──そのはずでしょ。
「なしに消えなん?」
大ちゃんのそれはゼッタイに〝ちゅうしゃ〟じゃなくて〝こうしゃ〟だった。
りょーじゅーが火を吹いたとき、大ちゃんはアタイをつよくおした。じゅんばんは逆だったかもしれない。
そしたら「プチッ」っていって、アタイのアタマの上でアタマがちゅうをまった。流れ星みたいにキラキラしていた。ときがなんじゅうにもかさなったような感覚。今も、見えているような。
『また損ねた。だがもう外さんぞぉお主さえ死せば……』
──今も見えて、聞いているような。
「起きろっ」
「……んあ!」
はく。すう。はく……
空はウソみたいなお天気。小鳥がちちちと鳴いている。
魔法使いの少女が見おろしていた。大きなほうき。上から下にながめたら、
「大ちゃん……」
横たわる、し体──ねむっているだけかもしれない。アタイのお腹の上にころがっている。
アタマは見つけだした。激流にながされてかなり下の方まで行っちゃってたけど、生きて呼吸するみたいに光ってたからそんなに苦労しなかった。〝風っぽい〟粒子があふれ出る首と首をはめてみて、なおるまで見守った。
粒子の出はやんだ。首のつなぎ目もイワカンない。だけど、まだ目覚めない。
「おいおい、あたしに礼もなしか? まったく……近頃の妖精はこれだから、いや、元からこんなもんだった気もするなあ」
「おはよーござあます」
「挨拶しろってことじゃない」
なんだこのツッコミ魔法使い。うるさいし、黒ネコを連れているなんて……シュミが悪い、じゃなくてあれ、エンギが悪い!
「なんだその目」魔法使いは次々に口を出す。「暗くてよく見えなかったってんなら昨夜のことを思い出させてやる。嵐の中、争う音がしてたまたま通りがかったあたしが飛んで来たらちょうどお前の友達の首がはねてた。お前は放心状態だったが、もう一人が銃を構えていた。あと一秒でも遅かったらおんなじになってたかもな。あたしが割り込んでそいつを滅多打ちにして消し炭にしてやったぜ」
黒いとんがりぼうしをおさえ撃つマネをして「ひゅー」と口を鳴らす。
「ま、ホントはどっかにぶっ飛ばしちまったんだけど。そんで、お前に『無事か』って訊いたら急に『アタマをさがす』とか言うから辺りを照らして一緒に探してやったんだぞ」
思いだした。思いだして、どろをかけられたみたいにイヤな気分になる。
「もういい。───ありがと」
「そうだ。それでいいんだ」
魔法使いは満足したみたい。肩に乗ったネコののどをいじって、ネコは魔法使いのおかみのむすびめをいじっている。
「マリサってんだ」
きいてもないのに。たぶん黒ネコの名前だ。
背中のハネの調子をかくにんして、ついでだからきいてやった。
「オマエは?」
「魔理沙だ」
──ん?
「オマエが?」
「魔理沙だ」
「ソイツは?」
「マリサだ」
「馬鹿じゃん」
ペットに自分とおんなじ名前をつけるなんて、魔理沙は魔法使いの中でもとびっきり馬鹿な魔法使いだ。
「そんなこと言うなよ。自分の分身みたいで案外気に入るぜ」
「いいや、馬鹿! ただの馬鹿じゃない、ぶぅわあーか、ぶぅわあーッケホッケホ……!」
「……大丈夫かよ」
馬鹿度をあらわそうとしてのどが変なことになっちゃった。
魔理沙がせきこむアタイのせなかをしばらくなでた。いっぽう〝マリサ〟は砂利の上でナゴナゴしてて、ふと大ちゃんの首もとでスンスンと鼻を動かした。「ダメッ」アタイは追いはらった。抱えるお腹は、ちょびっとずつ上に下に動く。
「これ言っていいのか分かんないんだが……お前、泣かないんだな。そんなにも大事な親友みたいな奴がえっぐいことになって目覚めないのに」
魔理沙がやさしい声で言った。
「ナカって何?」
でも、その理由と、その物をアタイは知らなかった。
「ないとダメなの?」
「ナカ? なんだよそれ」
「そっちがきいたんじゃん。『ナカないんだな』って」
すると、背中から手がはなれてスーッと息をすう音がして、とおざかった。
「なるほど、な。すまん、野暮なことを訊いたらしい。そうだ。妖精は泣かない。見たことないしな」
「む、いまアタイを馬鹿にした?」
「してない」
魔理沙は改まってきく。
「それで、何があったんだ?」
「さっき自分でせつめいしてたじゃん。馬鹿だからわすれたの?」
「それはあたしが来てからのことだ。あたしが来る前に何があったのか、どうしてあの狩人に狙われたのかを教えてくれ」
魔理沙と出会うまえのことを思いだす。
「──きのうのきのうのきのうのよるにね、アタイと大ちゃんはおしごとをしてたんだ。おしごとがおわったらかき氷をもらって、人の街でおだんご屋さんとか駄菓子屋さんとかに行って、寺子屋のししょーに会ったりして──」
「説明下手か! 昨日の昨日の昨日っていつからの話だよ!」
「三日前でしょ。馬鹿だから計算もできないの?」
「んなこた知ってんだッ!」
口をばっこりあけてツバを飛ばす。おっちゃんのよりかマシ。
昨日の嵐の夜のことを語れって言われた。魔理沙はそれをきくためにわざわざ(ってすっごく強調して)アタイが起きるのを待ってたんだって。けっきょく起こされたけど。
アタイはクマのこととウソつきのおじちゃんのことと、大ちゃんのこととサニーのこととスターのこととルナのことを魔理沙に話した(「そこはいらねえから」とかっていちいち口出しされて話しづらいったら!)。
魔理沙はマジメな顔して聞いてたけど、だんだんと顔が変にこわばって、話しおわるころに大きくうなずいて口をひらいた。
「やっぱりな。クマはともかく、そのジジイは黒だったってわけだ。ま、だとしたら……ちょっちしくったかもなあ」
「んあ? おじちゃんがアタイたちをねらった理由がわかるのか?」
「はっきりしたことは言えねえが、予測はつくぜ。だが、その前に作戦タイムだ」
魔理沙はそう言ってほうきをブンブン振りまわし、浮かせてその上に飛びのった。マリサがおくれてはしっこにちょんってのる。星のかけらがほうきからキラキラとフンシュツしている。
「お前も来い、チルノ」
「えっ、でも大ちゃんが」
「妖精なんだからそのうち回復するんじゃあねえか?」
「しないの! だからずっとずうっとまってるのに、ぜんぜん目を覚ましてくれないの! だからずっとここにいるの!」
魔理沙と話している間もずっと大ちゃんに目をむけて、今か、今か、ようすをうかがっていた。ざんねんだけど、動きだすケハイはない。ただ、あたたかい。
「じゃあそいつも連れて行こう。あたしの肩に乗っけてくれ」
「どこに行くの?」
「あたしの友達んち。博麗神社だ。そこが今回の〈騒動〉を解決するチームの拠点になっててな。行って、今の話をしてほしい」
そうどう? きょてん? 大ちゃんの体調をただ気にしているアタイにとっちゃどうでもいいけど、なんのことだろ。
「それ、アタイが行くイミある?」
「警戒の強い妖精だなあ。あたしは覚えるのがニガテだから本人を連れてったほうが丸いんだ。それにその大ちゃんって子、今すぐ目覚めるのかも分からないんだろ? だったら安全な場所に移したほうがいい。しかもあそこにゃ博識でツテの多い『鬼巫女』がいるから、ひょっとしたら眠りから救い出す手立てが見つかるかもしれねえぜ」
どうやらいい話みたい(おにみこは気になるけど)。だからついて行くことにした。だけど意地でも大ちゃんは自分で持ち上げて運んだ。そよかぜが体じゅうの水滴をやさしくもんでかわかしてくれる。飛んでくにつれてずいぶんとかるくなった。
神社は川をずっとさかのぼったお山のウラにあった。着くころにはお日様がかたむいてむこうの、こっちよりさらに大きなお山のおくにかくれそうになっていた。
星くずをまき散らさない普通のほうきで地面をはいている巫女が一人、外にいた。
「おいっす、霊夢ぅ―!」
魔理沙は星くずをまき散らすほうのほうきから飛びおりて霊夢という巫女に抱きかかった。けいだいにうじゃうじゃといるセミみたいにがっしりと。ふうりんの門がかわいくチリンチリン鳴る。
「んもう。すぐ抱きつく」
「へへへ」
そんなやりとりの後ろにおりてくると、霊夢はこっちを見た。
「ひんやりしてる。氷精をつかまえてきたの? この夏には欠かせないわね」
せかっこうは魔理沙とおなじくらいの少女だ。でもふしぎなオーラがある。
人をひきつけて、寄せつけないみたいな、ムジュンした目線、つらがまえ。近づかれると、知らずアタイの足はあとずさった。これがおにみこ?
──好きじゃない。
「お名前は?」
霊夢はビショウしてていねいにきいた。
「……チルノ」
「その抱えている妖精はどうしたの?」
「……アタイの、トモダチ。大ちゃん。えっと」
「ちょっと訳あって今回の騒動に巻き込まれちまったみたいなんだ」
魔理沙がそう説明した。
「オカンはいるか? 集まって情報を共有したい」
「社務所にいるわ」
「よし。チルノ、行こうか」
案内されるままに大ちゃんを両手にかかえて歩く。イヤな汗をかいていた。よくない予感がずっと、さいきんのお日様がてりつけるみたいに身をさしていた。
──ニンゲンの言うこと、何でも鵜呑みにしちゃ、ダメ。アイツら……ウソつく。
記憶の底、どうくつの暗闇でのルーミアの発言がアタマのうちがわをたたいていた。
「お邪魔するぜー!」
──ガラガラガラッ。
威勢のいい声に呼びさまされる。
中は思ったほど広くなかった。お料理するところとちゃぶ台を囲んでわいわいするところと寝るところに分かれていて、どこもせまい。カミサマにつかえるならもっとキラキラしてごうかなのかなって思ってた(みこって大したことないのかも)。
「へえ。氷の妖精を連れて来るなんて、魔理沙、やぁるじゃないか!」
魔理沙とはなかよしっぽい。霊夢のおかあさんらしい。
ちゃぶ台のあるまんなかの部屋でねっころんでいた。今はすわってアタイを〝だんろの逆〟に見立てて手をそえている。大ちゃんをひざの上に寝かせ、アタイと霊夢のおかあさんと魔理沙の三人でちゃぶ台をはさんでむかいあった。霊夢はユウゲノシタクでとなりの部屋にいるみたい。
「──ふーん、なるほどね。妖精の生態にも騒動の影響が出始めているってことだ。しかも幻想郷の草深き辺境にまで被害が及んでいると──」
魔理沙が事情をわかりやすく説明すると、霊夢のおかあさんはうなずいた。アタイが言いくわえることもなかった。かわりに質問をする。
「ねえ、れいむのおかあさん。大ちゃんを目覚めさせることはできないの?」
間があく。
──シーンと、音が鳴るみたいなしずけさ。
「さあ、私の専門外だ」
さっぱり、いや? あっさりと言われた。
「じゃあれいむは知ってるの?」
「私の知らんことを霊夢が知っているとは思えんな」
「え、ウソ。ここに住んでるおにみこは大ちゃんを救いだすテダテを見つけられるって、まりさが」
おにみこがどっちなのか知らないけど。
「あたしは言っちゃねーぞ! ただ──」
「言った言った!」
「ただ!」魔理沙はアタイにズンと顔を寄せて言った。
「『かもね』って言っただけだ」
「それでもっ……だけど……えぇー」
それだったらたしかにウソをついたことにはならない。けどなんか、ズルい。
「まあまあ落ち着きたまえ」ひきょうな魔法使いが言う。「根っこにある騒動が解決すりゃあいい話だ。だろ? そこはあたしら『騒動解決チーム』に任せておけ」
「そうどうかいけつちーむ?」
まずアタイは〈そうどう〉っていうのが何を言っているのかさっぱり分からない。でもとにかくそうどうがうまいこといったら大ちゃんが助かるみたい。しくみはさっぱりだけど、だったらてつだいたいと思った。
「じゃあアタイもそのチームにいーれーてっ!」
「却下だ」
霊夢のおかあさんは横からまたすっぱりと言った。
「オカン……そんな邪険にすることないだろ。あたしはアリだと思うぜ」
「こんなガキンチョ入れちゃあお遊びだ。私たちは真剣に騒動と向き合わねばならん」
霊夢のおかあさんはきびしい声と視線で言った。つららみたいになんだかとげとげしくて、霊夢とおんなじで寄りつけない。トモダチとのおしゃべりって感じじゃない。
そう思ったけど、いいかげん気になることがあったからさらに口を出す。
「ねえ、さっきから〈そうどう〉ってなんのことなの? 妖精がねらわれるのがそうどう? それとも妖精がかいふくしなくなるのがそうどう?」
──また、間。だけど今度は短い。
「それはあくまで今日以前より発生し出した〈騒動〉による副次的な現象に過ぎない」
霊夢のおかあさんは回りくどい言い方をして棚から何かを取りだした。まきもの? ひもをといて空中にばららっと広げると、ずらあっと文字がならんでいた。
「これでも読んどけ。我々は作戦会議をせねばならん」
まきものをにぎらされて、アタイはえんがわにつまみだされた。
なんて馬鹿力! これが「モジドオリ」ってやつ? 一日ぶりのお月様が鳥居のかげからこんばんはしていた。
五
「読めないッいや、読める! アタイッ」
自分のアタマをなぐりつけてもういちどながめてみる。ダメだ、読めない。
えんがわからあしを放りだして、さっきからずっとこんな調子でまきものとにらめっこしている。あきらめなければいつか読めるようになるかもしれないと信じて。アタイが草をかんで鳴らせるようになったのだって、なんどもなんども吹く練習をしてきたからなんだから。あきらめなければ人間の文字だろうが妖怪の文字だろうが読みとおせるに決まってる。
「読むのにいつまでかかってんだ?」
うしろのひきどが急にひらいてビクッとする。魔理沙がえんがわに出てきた。さくせんタイムは終わったのかな。
おゆうはんはてんぷらとそうめんだったみたい。霊夢と霊夢のおかあさんがちゃぶ台を囲んでたのしそうにおしゃべりしている。そうめんのうつわに乗っている氷──
「なんだ、腹が減ったのか? 天ぷらはほとんど食っちまったがそうめんならゆでればまだあるって霊夢言ってたぞ」
「ちがう! アタイは腹なんかすかしたことないんだぞっ」
ムキになっちゃったけど、ちょっとうれしいキモチにもなった。
それより、大ちゃんはどこに行っちゃたんだろう。
魔理沙はアタイのこころを読んだみたい。
「お前のお友達は寝室に寝かしておいたぜ。それよりさ、一割でも読めたか? まず何に関する読み物なのかも分かってないんじゃないか?」
「うっさい! もう少しで読めるところだったの!」
「だあ、うるっせー!」
ひきどをスッとしめる。赤みのある光がうすれて景色が青白く、かげがこくなる。
「どうせ読めなかったんだろ。あたしは読んだことあるからちょっと解説してやるよ、貸せ」
むう。
しぶしぶ魔理沙のひざを上にころがした。「ちゃんと渡せって」コロコロのびるまきものを止めて言われる。どこからか明かりを取りだした。ぼわっと浮かびあがる文字から明かりの方に目をうつすと、それは取りだしたんじゃなくて生みだしたんだと分かった。サニーと似た能力だ。──そういえば、サニーたちは今ごろどこにいるんだろ。
考えようとしたとき、魔理沙が話しはじめた。
「ムジーこと書いてっから分かりやすく言うとな、まずこれは今回の〈騒動〉について霊夢のオカンが書いたモンだ。ざっくり要約すると、幻想郷の自然がぶっ壊れかかっているからどうにかしないとまずいぞって書いてる」
「自然がこわれそうなの? いつもどおりじゃない?」
「数年前の夏は夜でもこんなに暑くはなかったぞ。昨日の嵐だって、雷があんなにはしゃぎまわってたの初めて見たぜ。てっきり雷おこしの妖怪が現れたのかと思ったがいたのはお前らだった」
妖怪と言われて一人を思いだすけど、たぶんかんけいない。
「じゃあどうやってどうにかするの? くろまくをたおすとか?」
「倒せたらいいんだけどなー」
「んあ?」
魔理沙はえんがわにねころんでとおくの方を見上げた。
「むずかしいの? 敵がてごわいってこと?」
「二つの意味でな」
とことこ。どこからか黒ネコのマリサがアタイと魔理沙の間にあらわれた。口に箱のような物をくわえて、アタイのことをじっと見る。よく見れば、違うひとみの色をしている。かたほうがふかい緑、もうかたほうが──むらさきのような青のような、見たことない暗めの色。
「ひとつが単純な強さ、もうひとつが倫理的な意味で」
「どういうこと?」
「自然破壊の元凶となったのは河童たちの技術だ。一四、五年前か、あたしがちょうど生まれたころぐらいに人間に友好な河童たちが色々と自分たちの技術を教えたんだ。産業革命だな。電話にラジオ、水道設備、えー……(まきものをベラッとのぞく)……街灯や電動玩具、時計、食糧保存技術、娯楽施設、建築様式の刷新、薬学の進歩などなど、導いたのはすべて河童たちであり、近年の人口爆発と人の街の中心にある電波塔は産業革命の象徴と言っていいだろう」
「じゃあおかっぱたちをたたけばいい!」
「ところがどっせぇーい!」
魔理沙はあおむけのまま両手をいきおいよくかかげ、にぎりしめていたまきものを放りなげた。魔理沙こそランボウだなあって思ったけど、地面に落ちるちょくぜんでマリサがうまく背中に乗せた。
さっきの箱はどこにやったんだろう。
「河童はつよい! 未知の装備を身に着け、戦闘はもちろん、逃走にも長けているッ──」
魔理沙が力強く話すそば、きょろきょろしてみるとそれはすぐ、アタイのひざの上に見つかった。
「だが問題はそこじゃない。実力はあたしたちのほうがむしろ上手なはずなんだ。一気に叩けばあっちゅうまにこーさんするはずだぜ? だが問題は人間との関係がひどく密接なものになってしまったっつーことで」
箱はプレゼントみたいなかざりつけがしてある。何が入っているんだろう。
テープをほどきあざやかな紙をやぶいて、パカッとふたをあけてみる──、と、体のうちがわがはねた。
「大ちゃんの……におい」
「ん? あれっ、チルノ、もう開けちまったのかよ」
「大ちゃんのにおいがする! ナニコレ! ナニコレ!」
魔理沙の生みだした明かりにかざすと、中からは晴れた日の湖のにおいと色の……ふろしき? きんちゃくぶくろ? まくらカバー? なんだろうなんだろう? だけど、ゼッタイにトクベツなものに違いない! アタイはおおよろこびして飛びはねた。
「ねえっねえっ、コレ、なんだと思う?」
その布っぽいのを魔理沙に見せつけると、どうしてか魔理沙はかぶっているとんがりぼうしをおさえてちらっとしか見てくれなかった。けど、教えてくれた。
「それはたぶんリボンだ。さっきのことなんだが、お前の友達を寝室に寝かしたとき左手に違和感があってな。〝光系の術〟が仕込まれていた。不可視化されていたらしい。あたしの力で解いてやったらそのプレゼント箱が握られていたっつーわけだ。ビックリだぜ。ここに運ばれるまでずいぶん飛んだはずで、それでも気を失ったまま取り落とさず握ってたんだから。よほど大事なリボンだったんだろうぜ」
「リボン……あっ」
『ねえ、このリボンとか、チルノちゃんゼッタイにあうよ!』
『おっき! アタイのおかおとおなじくらい?! これじゃあどっちが〝おかおのしゅやく〟かわかんなくなっちゃうよ。だめッ、しゅやくはアタイだぞっ』
『……ゼッタイにあうのになあ』
おとつい、アクセサリー屋さんで言ってた。
────
『え、大ちゃん、もっとおだんごたのまないの? せっかくおかねあるのに』
『うん。きょうは、あんまり、いっぱいたべるキブンじゃないし』
『ほんとう? ──アタイはいっぱいたべたいキブンだからもっとたのもーっと。おばちゃん! みたらしやっぱり二コ多くして!』
『そんなにたべられるの?』
『さあ? のこしちゃうかも。のこしちゃったらいけないから、そのときは大ちゃんがたべちゃっていいよ』
『チルノちゃん……』
なぜか、お金をケチってた。
────
『ごめんチルノちゃん。わたし、あの人の言うとおりちょっとつかれちゃったかも。きょうははやいけど、かえっちゃっていい?』
飛ぶ方角がいつもと違った。アタイがいつも霧の湖に帰るのとは違って大ちゃんは帰るところにこだわったりはしないけど、アタイといるときはだいたい湖の近くの森にいっしょに帰って休むのに。
ぜんぶアタマのなかでつながっていくような、ただの思いすごしのような……いや、つながっている。
「大ちゃん!」
リボンをにぎりしめて霊夢たちのお食事しているよこの寝室に行く。おんなじにおいがした。
──アタイは言わなきゃいけない。
そばでひざをついた。
──だけど、それは目が覚めているときじゃないとダメだよ。大ちゃん。
ふとんの上で、大ちゃんはせかいいちしあわせそうに呼吸していた。寝室は暗いけどとなりから明かりがさして、黄緑のおかみが真夏にゆれる草むらみたいに光る。かたっぽのかみむすびは黄色いお花みたい。どうやってむすぶのか、アタイは知らないんだ。
何よりも〝いのち〟を感じた。
眠っているのに。
眠るって、しんじゃうみたい。人間やどうぶつを見てそう思うことがあった。でも大ちゃんの眠りは、眠っている気がしなかった。
ホントはいしきを取りもどしていて、あとはまぶたいちまいをひらくだけなんじゃないか(それって……なんて言うんだっけ)。アタイは顔をのぞきこんだ。まぶたにそっとふれようとした。
「安易に触れて眠りを妨げるものじゃないぞ。とくに、それが永遠の眠りだった場合は冒涜なる行為だ」
霊夢のおかあさんだ。
「ねむりは〝さたまげない〟といけないじゃん。おきてほしいん……ッだから」
のどがいっしゅんつまった。変なキブン。
ほっぺたの上を、ナニカが〝ころがった〟。
あ。
ちいさくてかたくて青白いかけらがなんつぶかおちて大ちゃんのほっぺたについた。ほんとうに変。でもこの名前が分からない。
つよいあたりだったと思うけど、やっぱり反応はない。めやにじゃないそのよくわからないものは、大ちゃんのほっぺたの上でとけた。
たぶん、どうしたって起きやしないんだ。
「れいむのおかあさん。大ちゃんはそのそうどうがかいけつすれば目を覚ますんでしょ」
原因をなくすまでは。
「入れて、オマエのチームに」
「却下だ」
となりのとなりの部屋でお皿をながしにおとしたみたいな音がした。霊夢のおかあさんの方を見たけど、キャッカだっていうのは少なくとももちろんだって意味じゃなさそうだった。
「なんで! 言っとくが、アタイはつよいぞ! くろまくのおかっぱたちなんか、アタイにかかればいちもーだじんだからな!」
「おかっぱ? ……ハッ。何も分かってないじゃないか。なあ魔理沙」
「いや、しっかり最後まで説明しようと思ったんだが、飛び出しちまった。ああ、でも、ちゃんとマジメに聞こうとする姿勢はあったぜ。こいつぁそこらの妖精の連中とは一味違うに決まってる……」
魔理沙はアタマの後ろのたばになったおかみをいじりながら言う。けど、霊夢のおかあさんは「却下だ」って。もう一回ダメおしした。
「文字は読めない。空気も読めない。聞く話じゃそれほど強くもない。丁寧な説明を受けて理解するだけのお頭《つむ》もない。分からなければすぐに訊く。そしてその質問は的外れ。すぐに激情する。落ち着きのない、じゃじゃ馬。おてんば娘。引き入れたところで何のメリットもなかろう。だいたい。お前がもう少しマシだったらその妖精も助かっていたんじゃないか」
「……!」
「お前がもう少し強ければ、冷静な判断を下せたら。──そう、それは証だ。非力と罪を証明する質種《しちぐさ》だ」
あの光景が浮かぶ。河原に、目の下にいないほうのクマ、棒が火を吹きだして……
考えたくない。考えたくない。
「だまれっ!」
気づけば口にはきだしていた。
寝ている大ちゃんをおひめさまだっこしてそのまま────ひきどをつきやぶってお外に飛びだした。外の冷たい闇は、出たしゅんかんアタイのはだをさすみたいだった。
「……妖精は、あんな暗い、とこ、じゃ寝かすの、あんまり良くな、いと思う」
「でもおそとはキケンだから。おねがい」
霧の湖に帰ってきてからアタイはまず、妖怪のルーミアのどうくつにおじゃました。だけどルーミアはいなかった。
帰ってきたのはお日様がおはようしだしたころだった。どうしてかぬれていたけど、きいたら湖におっこちちゃったんだって(アタイのなかまだ)。妖怪って思ったよりもマヌケなのかも。あいかわらずしゃべり方はちいさくてよくつまってて、じっさいは「あ、あああんまっり良くな、いととと……もう」って感じ。
事情はぜんぶ話した。大ちゃんのこと、トモダチのこと、クマのこと、おじちゃんのこと、魔法使いの魔理沙のこと、黒ネコのマリサのこと、霊夢と霊夢のおかあさんのこと、〈そうどう〉のこと、プレゼントのリボンのこと。
ルーミアはあのツッコミ魔法使いとちがっていちいちツッコミをいれてこなかった。ひとつだけざんねんだったのは、リボンの使い方を知らないことだった。ルーミアも赤いリボンしてるから分かると思ったのに、知らない間についてたんだって。
ずっと手に持っているわけにもいかないから首にまくことにした。
「だけど、岩の上、寝かすの、痛そう」
「じゃあアタイ、そのへんの草とってくる。ちょっと見てて」
大ちゃんをルーミアに任せて飛びだした。もうお日様が赤い空におやすみしそうにかたむいていた。
氷の包丁を使ってそこらじゅうのほそながくてやわらかい草をかってもどり、どうくつにソクセキのベッドを作る。どうくつの奥の方が少しだけ日がもれるところがあるらしいから、そこに作って大ちゃんをゆっくり寝かした。
「まだねんぐるて。そろさら、ねんぐれ、あきんとなん?」
見ていると、アタイも眠りたくなってくる。となり横たわっていると、まぶたがかってにフタをしようとする。
「寝るの? ……そろそろ、出るけど」
「うん。いってらっしゃい……」
「抱いちゃ、いけないよ」
「んー……」
なにか言っているけど、たえられない。
大ちゃんと手をつないで、肩をあわせて、それからひとつだけケツイをにぎって──いっしょに眠った。
六
炎があやつりたかった。
炎って、明るいし、目立つし、温かくて暑くて、強いし、きっとクマにだって勝てる。
がんばればできるかもしれない。がんばって修行すればいつかは──そう思ってせかいいち暑いお日様にむかっていっちょくせんに飛んだ。
でもムダだってすぐ分かった。
アタイの弱点は炎。暑さ。夏の暑さはもうすでにアタイにとっては修行みたいなもの。冷気をうまく身にまとって暑さにとかされないようにすることはできるけど、最近になって能力を使いすぎるせいか前の夏よりも今の夏がずっとどんどん暑くなっていっているせいか、冷気で暑さをおさえきれなくなる。それなのに炎をあやつっちゃったらお水になって川にながれちゃうね。
じゃあ強くなるにはどうすればいい?
そう思って森の木をひたすらなぐったりけったりする日もあった。たまにボロボロの服を着てそうやって修行する人を見かけたことあったから、まねっこしてみて。
だけど手の先も足の先もすーぐにジンジンしてきちゃって、つづけられなくなる。能力を使えば木なんかカンタンにたおせるけど(ビームとかうって。かわいそうだからしないよ?)、クマはたおせないし、りょーじゅーもよけられない。
攻撃もそうだけど、防御とか回避もきたえなきゃ。
どんだけはやい攻撃がきてもシュッシュッってよけて反撃できるように修行しなきゃ……そうっ、カエルみたいに!
そうしてカエルとかちょうちょをまねっこしながらキビンに動きまわって追いかけたときもあった。
できるかぎりの修行をした。
────
「ぴぃーうーぴゅぃー……」
けっきょく、アタイががんばってできるようになったのは、この笛ぐらいなんだ。
どれだけがんばって、がんばって、がんばっても……がんばったのに。もうつづけられない。だって、あきちゃったもん。
「良い音が出るなあ。だがここで吹くにしちゃあ、風もするしちょ寒くないか? あれっ、お前ってここの水の精だったっけ」
「氷の精! さむさなんてへっちゃらだぞっ!」
昼間は暑いのに夜は寒いらしい。
夜の霧にまぎれてあらわれた魔法使いは真顔でも笑顔でもなくて、じゃあなんていうお顔なんかって言ったら、たぶんアタイは知らなくてどうにか言うとしたら、あっさりしててまとまりがあってそれでいてまいるどで人差し指をピンとつきだしてきそうな感じがするお顔。
「なにしにきたの」
アタイはそっぽむいてまた「ぴゅるるー」と草の笛に息をとおした。体をかたむけたさきで、マリサが演奏をきいていた。
「……何を怒ってんのか知らねえけどよ」魔理沙はアタイのはいごに回りこんだ。「未来の英雄を育てに来たって魂胆だな」
「ぴぃーるるーぴーぃ」
今日の草はいっこだけ穴があいていて、指でおさえると音が低くなる。こうごにおさえてはなしてすると「ぴるぴるぴるー」。風が強くなってきた。
「ああ、そうだな。嘘をついた。何を怒ってんのかは理解してる」
聞いた? ウソついたんだって。またついた。いけないんだ。ウソは、人間の、なんだっけ。
「この前の友達は元気か?」
「サニーとスターとルナはげんきだったぞ。だけど大ちゃんはルーミアのどうくつでずっとねむったまんま。ルーミアはまあまあかな。アタイといっしょにはたらいてたみんなはしばらく会ってないから知らない。ウソつきのおじちゃんとはたらいていたほうのみんなのことも知らないけど、たぶん元気だと思う」
「まぁた一人増えたな……まあ。そうか。大ちゃんはまだ戻らないんだな」
「魔理沙、あのね、でもね。大ちゃんったらすごいんだぞ」
むかしから、だれにでも、話したいことがあったら口にあふれてこぼれちゃう。それがどんなにだいっきらいな子だったとしても、けんかちゅうの子だったとしても、ウソつきの魔法使いだったとしても。ほっぺつつかれたみたいにアタイはしゃべる。
「大ちゃんはねむってるのに、ねむってる気がしないの。〝いのち〟があるの。くっついてねると、あったかくて、なにかのものすごいちからが手のひらとかかたとかうでとかあしかはグングン流れこんでくるみたいで、アタイ好き。それでね、さいきん気づいたんだけど、大ちゃんのために草のベッドをつくったんだけど、それがのびてきて、どうくつのかべとかてんじょうにまでのびちゃったんだ! すごいよ! セイメイをヤドしているんだ! たぶん大ちゃんののうりょくとかんけいあるとおもう。ねえ、すごくない? 大ちゃんにものうりょくがあったんだよ!」
「……」
魔理沙はなぜか、アタイのうしろのおかみに手の指をすべらせていた。
「すごくない?!」アタイは振りむいた。うしろのおかみがからさらっと抜ける。
「んああ、すごいな。大ちゃんは」
首をもとの位置にもどした。そしたらしばらくしないうちにまた手のかんしょくがした。
「大ちゃんがすごいんじゃなくて、いまのは大ちゃんにものうりょくがあったってわかったことがすごいの! ……それでね、大ちゃんはウソついてたってことだからアタイはムカムカしてるんだけど、でも大ちゃんはプレゼントくれたから、アタイゆるすんだ。『ありがとう』って言いたいんだ。言いたいから──もうなんでもゆるすから──おねがいだから目をさましてほしいんだ。でも、〈そうどう〉のせいで、さめない。アタイが強かったらよかった! 強かったらたすかってた! でもッ! アタイは馬鹿だから! 強くないから、アタイはなんにもできないんだ……!
────まりさ」
砂つぶみたいな氷のこつぶがひざをこちょばした。やっと分かった。これが魔理沙の言ってたことで、アタイは〝ナカある〟んだ。
「大ちゃんとお話したいよ」
あふれてきたのは言葉だけじゃなかった。
氷のつぶと、しゃっくりよりもずっとつらい苦しさと、むねのなかのキモチがぜんぶ、弾幕がぶつかりあってはじけるみたいに体のうちがわをあばれた。
魔理沙はアタイのおかみのうしろをただただ、とかした。氷のつぶがぽろぽろとして、青白い湖にとけた。氷あめがあまくとけるみたいに。それはぶくぶくとあわだっていた。マリサがそのうちのひとつを口でつまんだ。よく分からない味らしかった。
「申し訳ないが、実は解決にはまだほど遠い。──あたしたちには別のヒーローが必要なんだ」
そう言って、魔理沙はアタイのおかみをひっつかんでぐるぐるとしだした。ちぎられるんじゃないかって思った。首にまきつけていた大きな深い青色のリボンがほどかれた。すると、さらにうしろがキュウクツになった。
そして────魔理沙は手をはなした。
そのとき風がピタッとやんだ。
ちがう。ふしぎだ。
風の流れが、ぬくもりが、アタイの体になじむかのように──いったいになったみたいに──吹いてきたんだ。とてもここちよくて、アタイのほっぺたやめもとをやさしくなでた。
湖のギリギリのさかいめに立つ。ホタルの光がたくさんわいていた。
「痛いか」
魔理沙がきいた。
そっか。〝いたい〟ってそういうことなんだ。ガマンできないことを言うんだ。
「いたいよ。でも、言ってらんないんだぞ」
自分の姿がうつっている。かたまでかかってたのに、首のうしろがスッキリして、おっきなリボンがついたまったく知らない自分。ひだりむいて、みぎにふってみて──ちゃんとついてる!
「霊夢のオカンが言ってた」魔理沙が言った。「憶測に近いが、妖精は自然と共鳴した姿だ。妖精は自然に作用するし自然も妖精の生態に影響を与える。つまり、幻想郷の自然そのものが人間に傾いている今、『妖精も人間らしくなっていく』んだ。チルノの友達の『死』──いや一応『仮死』としておくが、それもこうすると説明がつく。チルノ。その涙も後悔も痛みも、前まで知りもしなかっただろ。遅かれ早かれこれからさまざまな未知の体験がお前に降りかかってくるんだ。よろこびやたのしさ、あかるさだけで満たされていた肉体に悲しみや憎しみのような負の感情が足され、思わず複雑な思考の渦に囚われ、ありとあらゆる痛みが心身を蝕むだろう。何より『死』への恐れが生まれる。大多数の妖精はこの現象のために憶病になり委縮し活気を失くし、そうなれば母なる大地は生気を失いやがて──幻想郷は枯れる。これはそういう〈騒動〉だ。本来妖精は崇高な存在なんだ。人間が安易に関わっちゃいけねえし、労働力として使役するたあひどい話だぜ。──あたしはな、あたしの愛した幻想郷が枯れ落ちる姿なんか夢にも見たかない。そうだろ。だからな、チルノ。ヒーローが要る。一番星の勇気が必要なんだ」
長い長い言葉の最後で「できるか?」魔理沙は短くきいた。
アタイはおおいによろこんだ。
「それって、チームにいれてくれるってこと?!」
「残念ながらそこまでは、霊夢のオカンは言っちゃいない。だが感謝してくれよーあたしが推薦しといたんだから。チャンスをやれる」
アタイが強くなれば考える。霊夢のおかあさんはそう言ったんだって。
「勘違いするな。強くなるというのは一概に戦闘能力だけのはなしに留まらない。体も、頭も、心もだ。一朝一夕で身に着くもんじゃない。霊夢のオカンはできるわけがないつもりで言ったらしいが、あの人はウソはつかないからな。チルノ! やれるな?」
魔理沙はもう一度きいた。
「うんっ!」
むきあってアタイは力強く言った。あしもとの草がゆれて、ホタルが目のまえをまった。
まって。
「──ねえ、いま」
「馬鹿にしたかって言うのか?」
ほうきの先ではたきおとすみたいにアタイの言葉をさえぎった。どうして読むのがそんなにうまいんだろ。
「前にも思ったが、ちょっとでも『馬鹿にされた雰囲気』が出たときの察知能力がチルノは過剰なんだよ」
「てことはアタイのこと馬鹿にしたの?」
「チルノの思った通りだ」
アタイが思ったとおり。アタイは馬鹿にされた気がしたからようするにアタイは馬鹿にされたってことだ! ゆるせない! 「いけないんだ!」アタイは能力を構えた。
すると。
──パアンッ!
「馬鹿が馬鹿だとかいちいち気にしてんじゃねえ!」
魔理沙はほんとうにアタイのことをはたきおとし、見下ろした。
「……いたい」
「馬鹿の何がそんなに気に食わない? 人よりとろくて、不器用で、要領が悪くて、考えがぶっ飛んでて、悪目立ちしてて、うるさい。それのどこが気に入らない?」
「え?」
いたいほっぺたを気にして聞いてなかった。
「なんとなく……」
「気に入れ! 馬鹿は『権利』だぜ。それも、皆が持つことはできない権利だ。通常、挑戦事には不安や恐怖、焦りや諦めなどがつきまとうが、馬鹿はそれを簡単にはねのけることができる。後先を考えないという特大の強みがあるからだ。その挑戦は結果どうなってしまうのか、何十年とかかってしまうのか、余計なことを考えない才能で、選ばれた者にのみ赦された権利だ」
「ケンリ……ほんと? ホントに馬鹿はいいの?」
アタイはちょっと信じられなかった。だって、この魔法使いはウソつきというか逃げ道のあるウソをつく人だから。
「あたしは馬鹿が羨ましい。だから、たまに『馬鹿になる』」
「ちょうせんがあるの?」
「手に入れたい〝モノ〟があるんだ」
魔理沙はぼうしでおかおの上をふさいだ。くちびるの先をまるめて。
「ま、あたしの話はいいぜ。とにかく、チルノ。さっき自分は馬鹿だからなんにもできないと嘆いていたが、大きな間違いだ。ただ『やろう』という意志さえ強く持てば戦闘も、頭脳も、覚悟も、馬鹿力がおのずと鍛え上げてくれるだろう」
ほんとうに自分にそんな力がひめられているのかな。アタイはいっかい修行をあきらめた。でも、もっともっと馬鹿になりきれれば、しぜんとうまくいくのかな。でも、馬鹿になりすぎちゃったらアタマがわるくなっちゃわないかな。
「その顔は疑《うたぐ》ってるな? そうだな。不安になる気持ちは分かる」
魔理沙はそう言って、いっぽ前、湖の岸に進んだ。
「そんなときは『魔法の言葉』を唱えるんだ」
まほうの言葉……トクベツなじゅもんなのかな。アタイはわくわくして、センサイでマカフシギな言葉をそうぞうした。
だけど、魔理沙のじゅもんはそんなそうぞうとはほどとおかった。
「あたしってば最強《さいっきょー》だあああああああっ!!」
「っ!?」
ぜんしんのはだがさかだつようなここちがした。
しかもまだおわらない。
「あたしってば天才《てんっさい》だああああああああああっ!!!! ────」
霧を突きやぶり、月にすらとどいちゃいそうなくらいの大声。湖の上できゅうけいしていた鳥たちは飛びだして、森がほんのすこしさわさわとさわぎたてた。
「ほら、言ってみな」魔理沙は指さした。「爽快だぞ」
「……う、うん」
まだ耳の中でキンキンと声がする。ひどいじゅもんだと思う。
でもさけんでからは、まほうにかけられたみたいに、すぐ好きになった。
「アタイったら最強ねえええええっ!! (すうっ)アタイったら天才ねええええええええっ!!!!!!!」
はぁ。
はぁ。
ふう。
──トモダチと湖をかけっこ三周したときくらい息がきれていた(なんども足をふみはずしておぼれたのはたのしい思い出。「こんどはルナがかぶりってらー!」って)。でもこの息ぎれはつかれがあるものじゃなくて、ふしぎ。キブンがたかぶって、あらぶってる。アタイのなかでナニカがひとつになった。
「最高だろ。不安なんかミリも立たねえぜ」
「ねえ、馬鹿なのに、天才ってさけんでいいのか?」
「ああ。だって、馬鹿が叫ぶから余計に馬鹿に見えるだろ」
なるほど、てことはいいってことだ。
魔理沙はふしぎなじゅもんをおしえてから、結びのとかれた〝金ッ金〟のながぁいおかみをなびかせて、湖を波だたせ空高くの闇に飛んでいった。おしごとがあるんだって。こんな夜おそくに? アタイは「うん!」と返事しちゃったけど、見上げながらなんだか急にキュウクツな思いがした。
考えることが多かったからかな。その場にすわって休めることにした。
「ぴゅーいーううーぴぃ」
あれ、けっきょく何すればいいの、アタイ。考えて、アタイ。
アタイは大ちゃんをすくいたい。
そのためにはいま幻想郷をとりまいている〈そうどう〉をおかたづけしなきゃいけない。
そのためには〈そうどう〉のゲンキョウをよく知ってカイケツしなきゃいけない。
そのためには霊夢のおかあさんの指にとまらなきゃいけない。
そのために、強くなるんだ。
「そうだ! 修行しなくちゃ! ──────ぴぃぃ」
でもまってよ。
体も、アタマも、こころも、どう修行したらいいの。おてほんがないと、いくらアタイが天才だからってうまくいかないと思う。体のししょーとアタマのししょーとこころのししょーがみんないる。
「ぴぃぴぴっぷぴー」
どこをさがしたらいいんだろ。
流れ星をさがさなくちゃ。でもめったに見つからないし……「流れ星をちょうだい」って流れ星にたのまなくちゃ。でもその流れ星はなかなか来ないものだから、「『流れ星をちょうだい』ってたのむための流れ星がほしい」って流れ星にねがわないとね。──それじゃあ、いつ「ししょーに会わせて」ってねがいをとどければいいんだろ。
アタイが思考のうずになやまされていた、そのときだった。
「嗚呼、この美しく妙なる奏でりはどこから囀《さえず》りになって? はっ(と息を呑んで)……そこにおわすのは何者?」
濃い霧さえ突きやぶって、むこうにひとすじあらわれる。
女の人はそばまで来て、炎のように星のようにかがやくまっかなひとみを見せた。
アタイは草からくちびるをはなした。
「アタイはチルノ」
──幻想郷最強の妖精さ。
(中編へ続く)
晴れても雨が降っても、お日様のときでもお月様のときでも、霧が立ちこめることからそこは霧の湖と呼ばれた。森が、周りをぐるりと守るように囲んで、ギザギザした葉っぱやまるっこい木の実は枝の先でも地面でもこまかいひんやりした雫で包まれている。こもれびが差してひだまりがたまにのぞいて、あざやかな花、落ち葉のすき間を走ってくトカゲ、ここでみんな思い思いに暮らしている。夏にはセミの大合唱、冬には枝に寝転がる粉の雪、吹けば春風は生まれたばかりの草と木をゆらし、来たる秋色は幻想郷のどこよりも濃くなる。湖は、そのまんなかに静かにあって、霧とともにこのあおい森を写す大きな大きな鏡になる。
湖で遊びまわるときは注意しておいたほうがいいよ。走ってたら木が腕を伸ばして首を引っかけてくるし、根っこで足を払ってくる。そうじゃなくたって、地面が急に消えて湖にどぼんなんだから。
でも、アタイは大好き。
幻想郷のどこに遊びに行くことになっても、最後に帰ってくる場所はいつもここ。アタイの世界の中心はゼッタイここ以外にありえない。楽園はただひとつ、ここにある。
──でもいつからか、湖の周りの森は消えた。湖は、大空ばかり写すようになった。
ズドン、ズドン。
相手の弾幕が飛んでくる。湖にはった氷にいくつも穴があく。アタイは攻撃をすり抜けて接近し、おもいっきりなぐりかかった。
「ねえ、チルノ」
こぶしを受けとめながら問われる。
「強いって、どういうことか分かる?」
なんて? 答えているヒマはない。姿勢をかがめて足をすべらせる。うまくすくって相手を転ばせた。数えられっこない色とりどりの弾幕を浮かばせ、まとめて相手に放火する。
相手の尻もちつく湖の面の氷に触れたとたん、はじける。何万の氷の破片が飛びちって水しぶきが高く舞う。そこで瞬間冷却して閉じこめてしまう。あられが降る。
「勝ったッ……」
両手をかかげて特大の一球を生み出す。「くだけちゃえ」全身を使って思いっきり投げた。
反動で湖の氷上をすべる。いっしゅんだけできた氷の山はこなごなにくだけちった。光って、爆風がして体勢をくずし、おしりをついたままさらにつつつとさがって中央から岸の方まで来た。目の前にかぶせていた両腕をはずす。
「う、ぐ」
のど元に熱が走った。
「投降か、死か」
白く、赤く、黒く、かがやく槍のきっさき、見下すひとみ。──あー、負けた。
「し」
アタイが言うと、アタイはしんだ。
「ヨシ」とか「アシ」とかって言う丈夫な草がゆれているところから視界はあけた。手をにぎにぎとして動くのをたしかめてから草を引きよせ、かみちぎって寝たまんまはしっこをくわえた。
「回復が遅くなっているわ」
相手、彼女は膝を折ってアタイのそばに丸くすわっていた。
「大地の力が弱まっているのね。いずれアナタは復活すらできなくなるでしょう」
「ぷー」
息を吹きとおすと高い音がした。
「でもきっと、霊夢たちが何とかしてくれるわ。今回の〈異変〉は、やりすぎだもの。総力を込めて元凶を根絶やしにしてくれるはずよ」
「ぷうー、ぷ」
「だからアナタがこうまでして強さに固執する必要はないの」
アタイは強くなりたいんた。彼女に戦いを挑んで、彼女にまけて、彼女に殺された回数は両手の指が足りなくなったときから数えてない。
「ぷぷぷー、ぷぷ」
と鳴らしたら取りあげられた。アタイが吹いているのを見てほしくなったみたい。
「チルノ」彼女はきいた。「強いって、どういうことか分かる?」
「アタイは強くないっていうこと」
「質問と噛み合ってないわ。アナタにとって『強い』とはどういうことなのかを訊いているの」
「アタイにとって強いのはオマエだぞ」
「はあ……もう」
草の笛を指のあいだでするすると回しながら、とんちんかん、って言われた。「ん」がいっぱいだと思った。けど、たぶんアタイは馬鹿にされているから、何を馬鹿にされているのか考えるのにいっぱいで言いだせなかった。
「質問を変えるわ。どうしてアナタは強くなりたいの」
「アタイが強くないから」
「本当に? アナタ以外の妖精はまずそんなこと考えないわ。どうしてアナタだけ」
「だって」アタイは言った。「アタイは馬鹿だから」
こんどはどんな言葉が返ってくるんだろう。アタイは馬鹿だって認めちゃったんだから、そうとう馬鹿にされるに違いない。
──だけど、彼女は何も言わなくて、なっとくしたみたいな声をもらした。ふーん、だって。それから指で回していた草の笛を吹いたけど、空気だけスカってもれた。
りりりって、草むらから氷みたいにすずしい音色がきこえてきた。
一
「ごらあぁ! なあにサボってんだあぁ!?」
どなり声がした。
川べりにいたアタイが振り向くと、大ちゃんが明かりをひっさげた業者のおっちゃんにしかられていた。
「すみません。げっこうよくしていると、きもちがよくてつい」
木の切り株から立ち上がってあわあわしている。
ペシンッ、ほっぺたをたたかれてその場にたおれた。
「お前はただ黙々と荷車の荷台にあの氷精が作った氷を運んで積んでいけばいいんだ。たった一晩だけだ。そのぶんの賃金はやっているだろ」
「はい、そうでした。きをつけます」
「そこの氷精もだ」
おっちゃんがいかつい顔をしてこっちに来た。アタイよりずっと背が高くて大きな体で、アタイは見上げる。
「休憩している場合じゃないぞ。夜が明けるまでできるだけ天然氷を作れ」
「でもアタイ、めんどくなってきた」
「文句垂れんじゃねえ!」
ツバが飛んできた。イヤなにおい。
「いいか。近頃は温暖化に加え人口が爆増し、製氷業の需要も爆上がりしている。特にこの夏はくそ暑いからな。かき氷やアイスや冷たい飲みモン作るのとか、冷蔵保存用や冷房用にも質のいい氷塊を幻想郷中に提供したいわけだ。お前が氷を作れば作るほど、たくさんの人妖が救われるんだぞ」
「それはいいことだな」
「おまけに売れれば売れるほどお賃金も高くつく!」
「いいことづくしだ!」
アタイはなんだか嬉しくなった。おっちゃんもにんまりと笑みを浮かべた。
「その通りだ。分かったならサボってないさっさと働け」
「うんっ」
アタイは振りむいてまたお仕事に戻った。
別の妖精が四角い金属の箱に川の水をくんで、アタイがそれをいっしゅんで凍らせる。箱の底のしるしがはっきり見えるくらいよくすきとおっていれば純粋で質がいいみたい。また別の妖精ができた氷を、さきがピンととがった金属の棒でひとさしして、引き出してたらいの上に置く。あるていどできたらそれを大ちゃんたちが道路に何台かとめてある荷車まで運んでおろす。
これをずっとくり返していく。
気がつけば、お日様の光が川の上の山のうしろからぼんやり出てきていた。
「ようし! お前ら、今日はもう上がりだ。荷車のとこまで集合しろ」
その言葉をみんな待っていた。いっせいので仕事道具を放りだして道路まで行くと、今日もおっちゃんたちは用意してくれていた。
「やったー! かき氷!」
アタイが叫んだと思ったら、みんなも同時におなじ歓声を上げた。荷台では、まだ用意しきれていない妖精のぶんを他のおっちゃんがゴリゴリと削りだしている。急いで自分のぶんのかき氷を確保して他の妖精とシロップの容器を取りあった。
「んー、おいしー!」
自分で作った氷にそのまんまシロップをかけてもそんなにおいしくはならないのにかき氷ににするとなぜかおいしく感じる。親友の大ちゃんとかんぱいしてあっという間に食べつくした。こっそり二杯目を受けとったのは大ちゃんとアタイだけのヒミツ。
そうしてお賃金だけ渡されて、おっちゃんたちの荷車は走りだした。ひもでつながれたお馬さんがヒヒンと暑くるしく鳴く。
お仕事が終わって他の妖精たちはばらばらに飛んでいって、アタイと大ちゃんはいっしょに道路のまんなかを歩きだした。
空が明るくなるころには人の街に着いていた。二杯目のかき氷は大ちゃんと分けあってそっこーでなくなった。
街の中心の高いでんぱとーが見えてくる。ちょうど街のガス灯が消えた。
「なにしてあそぶ?」
大ちゃんがきいてきた。
「てきとーにお店まわろー」
「いいね!」
お仕事があった日は、仕事場から近いからだいたいいつも街に来てそこらを歩きまわっている。
服屋さんとかアクセサリー屋さんでこれが似合いそうあれが似合いそうっておたがいに言いあったり、おだんご屋さんの店先で三色だんごとかみたらしだんごを手に何時間もしゃべったりした。
『──ここでカラス速報です。今日正午ごろ、博麗参道の一部で大きな土砂災害が発生しました。怪我人は今のところ確認されておりません。土砂の撤去作業のため参道は一時通行止めとなり、作業ボランティアの方の話によりますと作業は今夜まで続く見込みとなっております──』
おだんご屋さんの店内から聞こえるこれはラジオって言うみたい。少し前まではなかったような。だいたいアタイたちとかんけいないことばっか流れてるんだけどね。
ごちそうさましたあとは、おもちゃ屋さんに行って棚のあいだをぐるぐるまわったり、駄菓子屋さんに行ってちょこっと買い食いしたり。楽しい時間はあっという間にすぎていく。気がつけば夕方、カラスが鳴いて、街灯がつく。
「ここ、いつも工事してるよね」
大ちゃんが指さして言う。
柵で大きく土地が囲われ中に作業服を着た人間や妖怪や妖精がたくさんいる。材料の鉄や木や、ドロドロとした灰色の液体のプールが見えた。
「たしかに。なにつくってるんだろ?」
「看板にかいてあるよ……えっと」
柵の一部に立てかけてあった看板を大ちゃんは読みとろうとした。
「むずかしい漢字がいっぱいでよくわかんないなあ。これ〈学校〉ってなんだろ」
「さあ。でもこんなに大きいならきっとものすごく楽しいところだよ」
「公園みたいにゆーぐがたくさんあってみんなであそべるのかな」
「湖みたいにしてみんなで水あそびできる場所になるかも」
「こんだけあついしね。そういえば、こんど霧の湖にあそびに行っていい?」
「いいよー! あしたもあさっても休みだし」
「やったあ。じゃああしたあそびに行くね! ほかにも何人かさそっとく」
「楽しみー」
工事現場にすっかり興味をなくしちゃって、アタイと大ちゃんは振りかえってあしたを期待しながら歩きだした。
「〈学校〉は人間がお勉強するところだよ」
「えっ」
女の人の声に呼びかけられて首をまわした。特徴的なぼうしをかぶった背の高い女性だった。カバンを持っている。どこかで見たことがあるような、ないような。
「こんばんは。と、思ったが、うちの生徒じゃなかったか」
「あ、てらこやでよく見る先生だ」
大ちゃんが反応してようやく思いだした。
この近くの寺子屋のししょー(教師)で、名前はけーね先生って言ったと思う。今はちょうど寺子屋から帰るとちゅうだったみたい。
「てらこやがあるのに、ほかにお勉強するところがいるんですか」大ちゃんがきく。
「ああ。人間の人口が増加してきたからな。うちのような妖精と人間をひとつどころに集めた学び舎は少々手狭になってきた。そこで新しく、人間のための校舎を建てることにした。それが学校だ」
「ふーん」
手に持っていた駄菓子屋のせんべいをバリっと食べた。
けーね先生は真顔のままきいた。
「ところで気になっていたんだが」
「なに?」ごくんと飲みこんだ。
「その目元のクマはなんだ? 二人とも、相当疲れ切っているように見える」
「クマ?! どこ? どこにいるの?」
「違う」
先生は自分の目の下を指して言う。
「ここが青くなってできる疲労の証拠だ。昨日はいつ寝た?」
「えっと、ねたのはおとついの昼だぞ」
「わたしはおとついの朝で、そのあとチルノちゃんをおこしに行ったんだよね」
と大ちゃんが言うと、先生は信じられないって顔をした。
「たしかに妖精は疲れ知らずとは言うが……しかし近頃の経験から言わせてもらうと妖精も疲労はしっかり溜まるものだと思うぞ」
「そんなわけないじゃないか! アタイたちはこれからまだまだあそぶぞ! ね、大ちゃん」
「うん、そだね」
あれ、あんまし乗り気じゃない。
先生はため息をついた。
「不安だな。君たちも寺子屋に通ってみてはどうだ。来年度から人間の籍を学校に移すから枠が多く余るんだ。生活のリズムを整えるのにもいいし、それに通い詰めていればこんな漢字も読めるようになるぞ」
さっき大ちゃんが読み取れなかった看板を指さす。
──なんだか腹が立ってきた。このおせっかいおばさんめっ!
「うっさい! かよってなんかやるか。べーっ、だ!」
食べきったせんべいのふくろをポイッと捨てて大ちゃんと飛びだした。
うしろから大声がしたけどしらんぷりだ。こころのなかでも舌を出した。
街のはしっこの方まで飛んできて着地する。アタイはひらめいて、迷いの森が近くにあるからめずらしいキノコでもさがしに行かないかと言った。
「ごめんチルノちゃん。わたし、あの人の言うとおりちょっとつかれちゃったかも。きょうははやいけど、かえっちゃっていい?」
「えー」
とぶうたれて見せたけど、実はアタイもあんまり体を動かしたいキブンじゃなくなっちゃっていた、かもしれなかった。たぶん暑さのせい。だから、飛んでいくのをアタイはとめなかった。
アタイも、自分の湖に戻ることにした。あそこがいちばんすずしくてここちいい。それに息がしやすい。
カラスのむれに囲まれて、鳴きまねをしながら赤い空を飛んでいった。
二
あしたときょうの境目を感じなかった。ついこのまえまでは。眠らなくたっていっしょうあそんでいられたから。だからちょっとまえまでは、トモダチと約束するときは「あした」とか「あさって」じゃなくて「このあとの朝」とか「つぎのつぎの昼」って言って小指をかわしていた。
でも最近は、眠りたくなることが増えてきた。自分からじゃなくて、かってに体が寝たがっちゃう。それはアタイだけじゃなくて、ほかのみんなもおんなじみたい。
お仕事に能力をいっぱい使っちゃうからかな。でも使ってないときでもやっぱり眠っちゃう。
──ぼんやりと目が覚めてくる。湖のほとりの森の木の枝に横になってギザギザの葉っぱのすき間から見えるお日様を見上げる。これが「きょう」ってはっきりわかる。
セミのここちいい鳴き声が耳もとでしていると思ったら、きのう頭をあずけて寝た木の幹に何匹かとまっていた。
「あんまりアタイのそばにいちゃうとヤケドしちゃうぞ」
つかまえてそうしかりつけてやって木から飛びおりた。別の木の幹にひっつけようとしたら指から飛びだしておしっこをかけられた。
湖で顔をあらったりしていると、霧にまぎれて湖の上をちょうちょやトンボがたくさん飛びまわっていたからつかまえようと追いかけた。
「あっ」
と言ったらもうおそい。──どぼんっ。
全身が水にいきおいよくしずんだ。足がそこにつかない。けっこう深いところみたい。水の中で目をあけると小さな魚が泳いでいたから追いかけた。でも息がもたなくなって岸に上がった。
湖の上ではまだたくさんのちょうちょとトンボがアタイを馬鹿にして笑うみたいにふらふらっと飛んでまわっていた。「こんにゃろ」って思ったけどぬれていると重くてうまく飛べないから、追いかけるのはあきらめた。
──こーん。こーん。
知らない音が森の方から届いてきた。リズムよくひびいて、楽器みたい。
足もとの草をちぎって笛にして「ぽー、ぽー」と鳴らしながら音のする方に行ってみた。
人が見えた。はたらく妖精も見えた。アタイはくわえた笛をこぼした。
「おいおめ! なんしーちょっとら!」
妖精たちは斧を持っていた。それで森の木のねもとを打って、打って、いくつも斬りたおしていた。たおされた木ははんぶんこにされ木材で組まれたレールの上のそりにのせられ、人の街につづく道路のおくに二人がかりで運ばれていく。
アタイは一人から斧を取りあげた。けっこう重い。文句が飛ぶ。
「ちゃってけ、かえしなさんね。おしごとしでけぇら」
「こんたち木はくれちゃんたらん!」
「なぁでいかんち。わぁんとあんでなん」
「たらんたらたらん!」
顔をつきあわせてにらみあう。すると、取りあげた斧がさらに取りあげられた。
「あっ」
「なんだぁ、びしょびしょの小娘。もしや水の精か?」
低くてがらがらとした声。作業着の知らないおじちゃんがうしろにいた。顔は目と目がはなれ肌がウロコみたいにぶつぶつしてて、声もあわせると地上にあがったひからびた魚みたいなおじちゃんだった。
「アタイはひょうせーだぞ。いますぐ木をきるのやめないとみんな氷づけにしちゃうから! されたくなきゃおとなしく散れい!」
「あ? お主に止める『権利』があるのかい」
アタイは冷気をまき散らすかまえを取ったけど、おじちゃんは動じないで言った。
「ここら一帯は我が社が買い取った土地だ。権利書も、ここにはないが発行されておる。邪魔される筋合いはない」
「なんだと? だけどここはアタイの家だぞ」
「ただ一介の妖精が棲みついただけであろう。こちとら土地権利書がある。わかるか? ここらの土地は我が社がどう扱ってもいいという権利を認《したた》めた書のことだ」
「え、でも」
かまえがくずれる。ケンリ? 聞きなれないけど、すごく重みのある言葉。
おじちゃんはにんまりと笑った。
「『でも』はなし、散るのはそっちのほうだ」
「だけどっ」
「……『だけど』なら通用するんじゃない」
「つっても!」
「ええいっやかましい! とにかく、お主に反駁《はんばく》する権利はない!」
手でしっしってされて、弱気になったアタイはまだ無事な木のかげにまで引きさがった。アタイたちのやりとりに注目していた妖精たちはまた活動しだした。
クワガタみたいにまるっこい幹を抱きしめて、トカゲみたいにひょこって顔を出す。歯と歯を合わせて音を出す。
ダメだ。ここはアタイの湖と森のなのに。
土地を自分の物にするためにはケンリショが必要らしい。でも、ケンリショなんて、どこで拾えるんだろう。あのおじちゃんにきいたらわかるかな。
「おい」
アタイはもういちど飛びだした。
──メキメキメキ。
「たおれるよー」
のんきな声がしたときにはおそかった。頭上を闇がおおって──
「うわあぁ! ……あぁ……あ?」
木が地面にたおれた音はもう少し先の方でした。
アタイはその場にちぢこまったままおそるおそる見上げた。
そしたら、やっぱり闇だ。
だけど、それは木がたおれてきてお日様の光をさえぎっているんじゃなくてあたりをまるまるおおっている。
まるで湖からただよってくる霧が闇属性になったみたいに。
──帰れ。
闇からゆうれいみたいなささやきが聞こえた。
──帰れ帰れ帰れかえれかえれかえれカエレカエレカエレカエレカエレ……
「ぎゃー! なになに!?」
「にげろにげろ!」
はたらいていた妖精たちは大混乱して飛びだした。
「まさか、さっきの氷精!? ひぃ殺されるっ、ご勘弁を!」
さっきのおじちゃんも。アタイがおどしてもびくともしなかったのにこんどはびっくりするぐらいおびえて走って消えちゃった。もちろんアタイがやったんじゃない。でもアタイはそれほどおどろかなかった。
その小さな姿が見えていたから。
「お前、だれだ?」アタイはきいた。
「……」
ふゆふゆ浮いて、アタイのそばに着地した。見えづらいけどアタイとおなじか、それより低い背。
「……ルーミア」
ほそい声。雪の結晶みたい(っていうのはおかしいかな。でもそう感じたからしかたないじゃん)。
「そうか。ルーミア、お前」
アタイは闇の中、その少女に飛びかかった。
「どうしてこんなことしたんだ! あのおじちゃんにケンリショのことききたかったのに!」
「つめたっ! え権利書、え?」
「はやくこの闇消してよ! 見失うまえに追いかけてつかまえないと!」
アタイはあのおじちゃんが言っていたことをそのまんまルーミアに話した。
「落ち着いて。たぶん、それ、はっデタラメ」
「そーなの?」
「うん。聞いたこと……ない、から。人の街のルール、かな。だけど、こんな人の手のつかない、幻想郷のはしっこじゃっ、あ、っと……適用、されようない」
ルーミアはなんだかしゃべりづらそうだった。話し声がふるえている。
「凍っ、ちゃう……離して」
「あ、ごめん」
肩から手をはなす。ルーミアは口からはく息で手をあっためて両うでをすりすりとこすった。
この近くにルーミアのすむ岩のどうくつがあるらしい。案内してくれたけどめちゃくちゃ暗い。きいてみると、アタイが「冷気」なところをルーミアは「闇」をあやつる〝妖怪〟で(おっかない!)、暗いところが好きなのだそう。さっきの闇の霧もそういうタチだからだった。ただ、体力を使うから本当はあまりしたくない。さっきは、どうくつで昼をこそうと眠りかけていたところに木を斬りたおす音が飛びこんできたから、闇をつくってから飛びだしたんだって。
「森が伐採されちゃ、ここの生態系が、崩れちゃう。そしたら……困る」
「だよねー、セイタイケーがくずれちゃよくないもんねー」
うんうんとうなずいた。むずかしい言葉知ってるんだなあ。
「ほっといたら、危なかった。ニンゲンの言うこと、何でも鵜呑みにしちゃ、ダメ。アイツら……ウソつく」
急にワルグチ。
どうくつの入り口からこぼれる光がほんのりと、ルーミアのちいさな体が岩にちいさく座る姿をてらす。
「なんで、ウソつくの」
「……それが美学だから?」
「えっと。どーゆーこと?」
「ごめん……会話、下手だよね」
急に反省。自分のひざを見つめている。
「誰かと話すの、久しぶりで……何なら、妖精と話すの、なんて当分、なかった。妖精に合うように、話さなきゃダメ、だよね」
「どーゆーイミ? アタイにはむずかしい言葉がわからないでしょってこと?」ちょっと腹が立った。
「生態系が崩れるって、分かった?」そしたらききかえしてきた。
「んっと、あれだな。『セイ・タイケー』って森のカミサマみたいなのが体調をくずしちゃうってことでしょ」
指をおでこにあてて言い、反応をたしかめてみた。
その指を胸についた。
「いたっ」
「笑うな! アタイを馬鹿にしたら氷づけにしちゃうぞ」
「クスクス。ジョークとしてはっ、……面白いから、いいと思う」
「ほんと?」
ほめられたのに、ほめられた気がしない。
「……ごめん、馬鹿にした」
わ、サイアクだ! ルーミアに馬鹿にされた。馬鹿はイヤだ!
「あー馬鹿にした! いーけないんだーいけないんだ! どーなってもしらないんだっ!」
アタイはかまえて目をつぶりやけくそに能力を発動した。
──ちーるのちゃんっ! あーそびーしらんっ!
外から何人かの声が呼んだ。
やった、やっと大ちゃんがきた。ほかのトモダチもいっしょみたい。
「いまいぐらー!」
外にむかってさけぶとぐわんぐわんって中でひびいた。何か忘れものをしたみたいな感覚があったけど「それじゃあね」ってウッキウキで出口にむかった。
「死ぬかと思った! ちょっと、待って!」
バキンって割れる音がして、どうしてか止められた。
「ん、なに? あ、あ、ねえねえ! ルーミアもアタイのトモダチといっしょにあそばない!?」
「……へ? ……いや。──あー……もいいや」
と思ったらあきらめたようすで、なぜか「名前は?」ときいた。
「アタイ? チルノ」
「チルノはチルノのままがいい、ゼッタイ。『自分通り』がいい」
「んあ?」
──ちーるのちゃんっ! もーいーちょろっ?
「もーいーちゃらっ!」
もういちどさけんで振りかえる。
そしたら、そこの岩には誰もいなかった。氷が、暗い口の中の舌の上で、とけてなくなったみたいに。
三
霧の湖に流れる川をちょっとのぼっていったところにある河原。ここは霧がかかっていなくて見はらしがいい。今日は天気がちょっとあやしいけど、河原には風が吹いてきてきもちがいい。
「あーっ、かりかったー!」
「へーい、チルノちゃんのびぃ!」
キャハハ、やーいやーい、とトモダチのサニーがあおってきた。サニーは赤毛の元気な子。
「せんやいせー……いまんは風のばとーた!」
お山からくずれちゃった砂利を拾ってまたお山をつくろうとする。
「わー、イイワケしぃチルノちゃん、わぐるっち子―」
と言ったのはスター。黒いおかみのおっとりした子。
「コンガレったれじゃなんなんっ。わーぐるっ子は風らもんっ」
「そなしたれわっちぃ子は大ちゃん?」とスター。
「……え、わたし?!」
アタイたちからちょっとはなれて、川の方につきだした大きな岩の上であしをぶらさげてひとやすみしていた大ちゃんがびっくりしている。
「らって、なんとなし風みぃつってっぽらし」
「たしかにー、大ちゃん、〝風っぽらてー〟」
なんたって、大ちゃんは黄緑のおかみをかたほうに結んでて、空色のワンピースを着てて、さらに黄色いかみどめと胸のリボンをつけてるんだから。なんだか風っぽい。うん、ゴウリテキだ。
大ちゃんはあしを浮かせて近よってきた。
「風っぽきとーってなん? 見たきがそこぉらしかも、わたしはぜんゆぃよんトクベツな能力かりかとばなんし」
「ウソらめ! らって、アタイ、能力きゅーしなん妖精、見たことなんな。ほのいはかくしてったら!」
アタイは冷気をあやつれるし、サニーは光のくっせつ(?)をあやつれるし、スターは見ないで生きものの気配をさぐれるし、そこの川のどまんなかのポツンとある岩でぽーっとくもり空を見上げているルナは周りから音を消せる。だけど大ちゃんだけ、そういうのがなんにもない。
サニーが言った。
「もんたっ。ゆいちょるまんで気づからんちか、たしかにぜんば能力ましとーから大ちゃんにも能力まっとぉずじゃっ。チルノちゃん、てんさいっ!」
「へへんだ!」
得意げになって鼻の下をこする。
「ようし! 大ちゃんをジンモンらめ!」
それからアタイとサニーとスターは三人がかりで大ちゃんを問いつめた。でも何をきいたらいいか三人ともよく分かってなかった。じゅうしょは? ねんれいは? しょくぎょうは? 最近あったうれしいことは? ……ラチがあかない気がする(最近あったうれしいことは、あるけどアタイにはナイショだって。なしに?!)。とちゅうで「どんな能力がにぎりったか」って話になったりもした。アタイは炎があやつりたいと言った。それでけっきょく大ちゃんはあやつるなら「風」がいいらしくて、すでにあるんじゃないかってみんなで言いあったけど、大ちゃんはただただ顔と片手をぶんぶん振って「なんなん」と言いはるだけだった。
スターが言った。
「らったらあれじゃなん? めんそーしんきゃいけなんとか」
「めいやん! あんね大ちゃん、近くにガラガラがーすっと、そこしにって──ん?」
アタイが提案しようとしたとき、顔にしずくがいくつもついた。見上げるとまっくろな空。
ピカッ。
「はねた!」
──ピシャンッ! 耳ごとくだけてしまいそうなほどの大音量。足の下の地面がゆれるのと同時に頭の上からどしゃぶりの雨がふってきた。
みんなくちぐちにさけぶ。
「あけんまに?! ろーおろーごろせんきゃ!」
「うぎゃはーっ! めぐろぅっちどこに!?」
「下の湖の方! はやびゃ、ひくいこんとこすっと!」
みんな走りだす。妖精はぬれていると重くて飛べないから、走るしかない。
「まーまれ」
だけどアタイはとめて、大ちゃんのうでを引いた。
「なん? チルノちゃん」
「大ちゃん、こんたれチャンスっちゃん」
キョウレツな音がしてあたりがいっしゅん明るくなる。キツネの親子があれくるう川のむこう岸をかける。
「流れごっつぉなったこん、モーレツなガラガラにすったれば、ゼッタイ大ちゃんにも能力ありたれっぞ! さば、きない!」
大ちゃんの手を引っぱって、スターたちが行くのとは反対方向に走った。
「といやいなんしやん?!」
「あっ。しゃんだら、ルナは?」
サニーが気づいて言う。
川はすでに水かさをましていて、色もにごって、元いた川のまんなかにルナはいなかった。流されちゃったか、それかかってにどこかに飛んでいったか。
スターが雨つぶを口にしながらさけんだ。
「カラカラのずっとあまぎにいったぐる!」それでもギリギリとどく声量。能力を使ったんだ。
アタイはきいた。
「てこちゃガラガラの方?」
「うんぐるは……らけんど」
「ばてど?」
「いとりじゃなんっぽちか。とい反応がある」
「はれた! さば、すっとと!」
みんなでまとまってかけだした。びしゃびしゃと雨が打ちつけてみんなみんなびしょびしょ。空にはお日様やお月様の気配がすこしもしない。夏の大入道さまがただただおいかりの空モヨウ。もうすぐ夜になるころでまわりが見えなくなってきたけど、そこはサニーが能力を使ってあたりの残った明かりとか鳴りやまないかみなりの光をかき集めて自分ごとランプになった。
ちょっとしたがけの下にきた。たきの水がその前をとばとばと流れおちている。ルナは、このたきの「ウラ」のくうどうにダレカといるみたい。
さけぶ。「ルナあー! 出てきよれー!」
スターが言う。「うんぐれはとどいてなんよ。こなガミガミに」
大ちゃんがうなずく。「流れがごらんたんじゃなんうちに行っちゃれたん? ゴラゴラがぴぃすぐてくうどうかっち見えなんよ」
「ふんだれば大ちゃんがさ、ガラガラにすったるついでにふぅってみんたい」アタイはひらめいた。「だばぁルナをカクニンしっちゃれ能力も使っちゃれっちゅっちょろーし、いっちょーにっせき……にっせきいっちょー? いっせきにっちょーらんたい!」
「馬鹿言わなんでよ!」
「なんじゃればー?! アタイは馬鹿じゃなんたい! シンケンにこなりくるしんだとらっ」
大ちゃんがシンケンにアタイの言うことを受け入れないから腹が立ってつかみかかった。大ちゃんは何かをかばうみたいに片手だけでタイコウしてきた。アタイなんち片手でじゅうぶんらっちか。そう思うともっと腹が立った。
「──あ、ルナ!」
「え?」
取っ組みあいにむちゅうになっていると、サニーとスターがいっせいので言った。
見ると、いつのまにかいたルナがたきつぼでおぼれていた。白いぼうしといっしょに流されている。きっと、ウラから飛びだして〝しゅんかんたきぎょう〟でずぶぬれになってから、たきつぼにまっさかさまになったんだ(もう能力があるのに! それだったらふたつ目の能力がうまれるのかな)。
「まれよーまれ! アタイかごるよ!」
能力を発動し、ルナの流れてくる手前で氷をはる。
だけどルナは手をぶんぶんと振りまわしてアタイのつくった氷のかたまりにのぼろうとしなかった。しかたないから川の上を「すべって」いってすくいあげようとする。
「チルノちゃん!」声はスター。「なんか、いてる!」
「え?」
水をすって重くなったルナの体をがんばって引きあげようとして、さらに川べりからスターが呼びかけているのを見ると、たきの方を指さしているみたいだった。
──ザバンッ。
ルナを川から氷の上にのせた。それと同時だった。
たきのウラから現れたのは、目の下にいるのとはちがうほうの……
「クマだー!」
──ウガアアアッ!
でかい! くろい! バケモノ!
かみなりの光に反射して黒いツメと目がキラリとした。
みんなゼッキョウしていちもくさんににげだした。アタイは立ちむかおうと思った。クマがたたかいたそうにしていたから。だけどサニーというランプが森の中に消えようとしているし、ルナがまだ氷の上でぐったりしたままだ。これじゃあうまくたたかえない。
ほんとうに?
「やれるよ。アタイッ」
巨大な黒いかげにむけてかまえる。暴風とまじって「ぐおお」と吠えちらす。
「うおおー! これでもくらえ!」
まっくらやみな前方にキンッキンのビームを発射した。着弾音がして、その光でうっすらとクマのどてっぱらをつらぬいているのが見えた。なのに、でかい図体がものすごいスピードでかけだしていた。こっちのほうがレーザーみたい。
「きた!」
川の流れにのって全力とっしんだ!
動きがとめられないかとも思いつつ、明かりがわりの弾幕を放ちながらクマの足もともかためる。だけど、想像以上のかいりきだった。ピキンといった氷はすぐに割れて板がアタイの方に飛んできた。
回避は間に合わない。氷の板がぶつかる前に攻撃の弾幕を目の前に集中させた。──そのいっしゅんのスキをつかれた。
「っずあッ!」
とんでもないスピード。アタイですら見のがした。わきに入られて、いっぱつ、ごくぶとのツメではたかれた。ふっとばされた先、はどこ? 河原っぽい。砂利がへこむぐらいアタイの体を打つ。ツバと砂をはく。なんだか「ガマンできないような感覚」におそわれていた。それのせいか、うまく起きあがれない。
そして何も見えない。
あおむけになっていると顔面が雨つぶに打ちつけられて、それもガマンできない。でも、わかった。それいじょうにガマンできないと感じるところがあった。
背中だ。
「あ……とれてる」
それは〝冷たかった〟。もうアタイのじゃなくなっていた。いびつな形をしたただの氷のかたまりが手にあった。
「────ルナぁ! チルノちゃーん! どこになしよぅ?!」
「大ちゃん……」
雨風にまぎれてトモダチの声が聞こえる。ぼんやりとした明かりが近づいているようだった。そうだ、ルナをおいてけぼりにしちゃったんだ。助けないと。
──グオオッ!
「え?」
手をついて起きあがろうとした、その、目と鼻の先でなまあたたかい吐息がふれた。ルナはターゲットにされなかったんだ。
「あ、ああ……」
「チルノちゃん!」
ダン、ダンッとクマの体に光るごうそっきゅうが直撃する。ちょっと体勢をくずした。あたたかい色、かおり。サニーの明かりも近づいてきている。
その間に大ちゃんがきてくれた。
「たてる? 行くったら!」
「大ちゃん、ぜんはどこんちょ?」
「しりなん。どぜんはぐれっちゃた」
アタイを抱きしめるみたいに肩を持って歩く。
知らないの? え、
「うだら、こんあかりはなん?」
──だあんっ!
「……っ」
こんどはなに? 弾幕? かみなり?
──キャイーン……
クマが悲鳴をあげていた。雨のいきおいがいっしゅん大きくなる。ん、いや、赤い? クマはそっぽむいて森の闇に消えた。
「ちっ、外したか」
がびがびなうめぼし声(って感じがする)。そう言ってかわりばんこで木のかげから顔を出した。ナニカぼうきれのようなモノをこっちへむけながら。どうしてかな。その「穴」と目をあわすのがコワくてたまらない。
「なるほど。クマを一撃で退避させるとは、威力は確かなようだ。ならばアヤツも」
あのときのウソつきのおじちゃんだ。アタイはてっきり助けてくれたのかと思った。その言葉でオモイは霧になったけど。腰には小さなランプが下げられていた。
大ちゃんがおびえるように小声で言った。
「〝りょーじゅー〟だよ」
うまくヘンカンできない。でも分かるのは、たぶん、それはおそろしいモノ。むけているのはテキイということ。
アタイはきいた。「それっていいモノ?」
大ちゃんはこたえた。「うんによる」
そのしゅんかん──ばあんっ。お星様は見えないのに。
四
アタイにとって、知っているけどむずかしい言葉がある。
それは、し。
しっていっぱい言うと「うしし」って笑ったみたいだけど、そんなあたたかい色とかにおいはしてない。カンタンに言えて、ずっと、ずうっと、冷たい言葉。アタイが分からないのは、どうしてそんなものが存在するのかってこと。
なんでしはあるのかってこと。しはみんなにとってイヤなこと。しなんてなくなっちゃえばいい。もしもしもあってしかるべきだとぴしゃりって言う人がいるならいいけど、みんなしにたくないって言うでしょ。
なのに、いつかしがおとずれるしくみになっている。高いところにのぼってもムダ、「バリア」してもムダで、体がおとろえたりちめいしょうをおったりしてしにいたる。しがこないしくみにしたらいいのに。
ただ、アタイたちは〝逸脱〟していた。たぶん、トクベツってこと。
「だい……ちゃん」
妖精だけは、しなない。
体はおとろえない。ちめいしょうをおったら間をおいて回復する。回復できないくらいひどいキズだったら体ごと消えちゃって、いちにのさんでもとどおり。──そのはずでしょ。
「なしに消えなん?」
大ちゃんのそれはゼッタイに〝ちゅうしゃ〟じゃなくて〝こうしゃ〟だった。
りょーじゅーが火を吹いたとき、大ちゃんはアタイをつよくおした。じゅんばんは逆だったかもしれない。
そしたら「プチッ」っていって、アタイのアタマの上でアタマがちゅうをまった。流れ星みたいにキラキラしていた。ときがなんじゅうにもかさなったような感覚。今も、見えているような。
『また損ねた。だがもう外さんぞぉお主さえ死せば……』
──今も見えて、聞いているような。
「起きろっ」
「……んあ!」
はく。すう。はく……
空はウソみたいなお天気。小鳥がちちちと鳴いている。
魔法使いの少女が見おろしていた。大きなほうき。上から下にながめたら、
「大ちゃん……」
横たわる、し体──ねむっているだけかもしれない。アタイのお腹の上にころがっている。
アタマは見つけだした。激流にながされてかなり下の方まで行っちゃってたけど、生きて呼吸するみたいに光ってたからそんなに苦労しなかった。〝風っぽい〟粒子があふれ出る首と首をはめてみて、なおるまで見守った。
粒子の出はやんだ。首のつなぎ目もイワカンない。だけど、まだ目覚めない。
「おいおい、あたしに礼もなしか? まったく……近頃の妖精はこれだから、いや、元からこんなもんだった気もするなあ」
「おはよーござあます」
「挨拶しろってことじゃない」
なんだこのツッコミ魔法使い。うるさいし、黒ネコを連れているなんて……シュミが悪い、じゃなくてあれ、エンギが悪い!
「なんだその目」魔法使いは次々に口を出す。「暗くてよく見えなかったってんなら昨夜のことを思い出させてやる。嵐の中、争う音がしてたまたま通りがかったあたしが飛んで来たらちょうどお前の友達の首がはねてた。お前は放心状態だったが、もう一人が銃を構えていた。あと一秒でも遅かったらおんなじになってたかもな。あたしが割り込んでそいつを滅多打ちにして消し炭にしてやったぜ」
黒いとんがりぼうしをおさえ撃つマネをして「ひゅー」と口を鳴らす。
「ま、ホントはどっかにぶっ飛ばしちまったんだけど。そんで、お前に『無事か』って訊いたら急に『アタマをさがす』とか言うから辺りを照らして一緒に探してやったんだぞ」
思いだした。思いだして、どろをかけられたみたいにイヤな気分になる。
「もういい。───ありがと」
「そうだ。それでいいんだ」
魔法使いは満足したみたい。肩に乗ったネコののどをいじって、ネコは魔法使いのおかみのむすびめをいじっている。
「マリサってんだ」
きいてもないのに。たぶん黒ネコの名前だ。
背中のハネの調子をかくにんして、ついでだからきいてやった。
「オマエは?」
「魔理沙だ」
──ん?
「オマエが?」
「魔理沙だ」
「ソイツは?」
「マリサだ」
「馬鹿じゃん」
ペットに自分とおんなじ名前をつけるなんて、魔理沙は魔法使いの中でもとびっきり馬鹿な魔法使いだ。
「そんなこと言うなよ。自分の分身みたいで案外気に入るぜ」
「いいや、馬鹿! ただの馬鹿じゃない、ぶぅわあーか、ぶぅわあーッケホッケホ……!」
「……大丈夫かよ」
馬鹿度をあらわそうとしてのどが変なことになっちゃった。
魔理沙がせきこむアタイのせなかをしばらくなでた。いっぽう〝マリサ〟は砂利の上でナゴナゴしてて、ふと大ちゃんの首もとでスンスンと鼻を動かした。「ダメッ」アタイは追いはらった。抱えるお腹は、ちょびっとずつ上に下に動く。
「これ言っていいのか分かんないんだが……お前、泣かないんだな。そんなにも大事な親友みたいな奴がえっぐいことになって目覚めないのに」
魔理沙がやさしい声で言った。
「ナカって何?」
でも、その理由と、その物をアタイは知らなかった。
「ないとダメなの?」
「ナカ? なんだよそれ」
「そっちがきいたんじゃん。『ナカないんだな』って」
すると、背中から手がはなれてスーッと息をすう音がして、とおざかった。
「なるほど、な。すまん、野暮なことを訊いたらしい。そうだ。妖精は泣かない。見たことないしな」
「む、いまアタイを馬鹿にした?」
「してない」
魔理沙は改まってきく。
「それで、何があったんだ?」
「さっき自分でせつめいしてたじゃん。馬鹿だからわすれたの?」
「それはあたしが来てからのことだ。あたしが来る前に何があったのか、どうしてあの狩人に狙われたのかを教えてくれ」
魔理沙と出会うまえのことを思いだす。
「──きのうのきのうのきのうのよるにね、アタイと大ちゃんはおしごとをしてたんだ。おしごとがおわったらかき氷をもらって、人の街でおだんご屋さんとか駄菓子屋さんとかに行って、寺子屋のししょーに会ったりして──」
「説明下手か! 昨日の昨日の昨日っていつからの話だよ!」
「三日前でしょ。馬鹿だから計算もできないの?」
「んなこた知ってんだッ!」
口をばっこりあけてツバを飛ばす。おっちゃんのよりかマシ。
昨日の嵐の夜のことを語れって言われた。魔理沙はそれをきくためにわざわざ(ってすっごく強調して)アタイが起きるのを待ってたんだって。けっきょく起こされたけど。
アタイはクマのこととウソつきのおじちゃんのことと、大ちゃんのこととサニーのこととスターのこととルナのことを魔理沙に話した(「そこはいらねえから」とかっていちいち口出しされて話しづらいったら!)。
魔理沙はマジメな顔して聞いてたけど、だんだんと顔が変にこわばって、話しおわるころに大きくうなずいて口をひらいた。
「やっぱりな。クマはともかく、そのジジイは黒だったってわけだ。ま、だとしたら……ちょっちしくったかもなあ」
「んあ? おじちゃんがアタイたちをねらった理由がわかるのか?」
「はっきりしたことは言えねえが、予測はつくぜ。だが、その前に作戦タイムだ」
魔理沙はそう言ってほうきをブンブン振りまわし、浮かせてその上に飛びのった。マリサがおくれてはしっこにちょんってのる。星のかけらがほうきからキラキラとフンシュツしている。
「お前も来い、チルノ」
「えっ、でも大ちゃんが」
「妖精なんだからそのうち回復するんじゃあねえか?」
「しないの! だからずっとずうっとまってるのに、ぜんぜん目を覚ましてくれないの! だからずっとここにいるの!」
魔理沙と話している間もずっと大ちゃんに目をむけて、今か、今か、ようすをうかがっていた。ざんねんだけど、動きだすケハイはない。ただ、あたたかい。
「じゃあそいつも連れて行こう。あたしの肩に乗っけてくれ」
「どこに行くの?」
「あたしの友達んち。博麗神社だ。そこが今回の〈騒動〉を解決するチームの拠点になっててな。行って、今の話をしてほしい」
そうどう? きょてん? 大ちゃんの体調をただ気にしているアタイにとっちゃどうでもいいけど、なんのことだろ。
「それ、アタイが行くイミある?」
「警戒の強い妖精だなあ。あたしは覚えるのがニガテだから本人を連れてったほうが丸いんだ。それにその大ちゃんって子、今すぐ目覚めるのかも分からないんだろ? だったら安全な場所に移したほうがいい。しかもあそこにゃ博識でツテの多い『鬼巫女』がいるから、ひょっとしたら眠りから救い出す手立てが見つかるかもしれねえぜ」
どうやらいい話みたい(おにみこは気になるけど)。だからついて行くことにした。だけど意地でも大ちゃんは自分で持ち上げて運んだ。そよかぜが体じゅうの水滴をやさしくもんでかわかしてくれる。飛んでくにつれてずいぶんとかるくなった。
神社は川をずっとさかのぼったお山のウラにあった。着くころにはお日様がかたむいてむこうの、こっちよりさらに大きなお山のおくにかくれそうになっていた。
星くずをまき散らさない普通のほうきで地面をはいている巫女が一人、外にいた。
「おいっす、霊夢ぅ―!」
魔理沙は星くずをまき散らすほうのほうきから飛びおりて霊夢という巫女に抱きかかった。けいだいにうじゃうじゃといるセミみたいにがっしりと。ふうりんの門がかわいくチリンチリン鳴る。
「んもう。すぐ抱きつく」
「へへへ」
そんなやりとりの後ろにおりてくると、霊夢はこっちを見た。
「ひんやりしてる。氷精をつかまえてきたの? この夏には欠かせないわね」
せかっこうは魔理沙とおなじくらいの少女だ。でもふしぎなオーラがある。
人をひきつけて、寄せつけないみたいな、ムジュンした目線、つらがまえ。近づかれると、知らずアタイの足はあとずさった。これがおにみこ?
──好きじゃない。
「お名前は?」
霊夢はビショウしてていねいにきいた。
「……チルノ」
「その抱えている妖精はどうしたの?」
「……アタイの、トモダチ。大ちゃん。えっと」
「ちょっと訳あって今回の騒動に巻き込まれちまったみたいなんだ」
魔理沙がそう説明した。
「オカンはいるか? 集まって情報を共有したい」
「社務所にいるわ」
「よし。チルノ、行こうか」
案内されるままに大ちゃんを両手にかかえて歩く。イヤな汗をかいていた。よくない予感がずっと、さいきんのお日様がてりつけるみたいに身をさしていた。
──ニンゲンの言うこと、何でも鵜呑みにしちゃ、ダメ。アイツら……ウソつく。
記憶の底、どうくつの暗闇でのルーミアの発言がアタマのうちがわをたたいていた。
「お邪魔するぜー!」
──ガラガラガラッ。
威勢のいい声に呼びさまされる。
中は思ったほど広くなかった。お料理するところとちゃぶ台を囲んでわいわいするところと寝るところに分かれていて、どこもせまい。カミサマにつかえるならもっとキラキラしてごうかなのかなって思ってた(みこって大したことないのかも)。
「へえ。氷の妖精を連れて来るなんて、魔理沙、やぁるじゃないか!」
魔理沙とはなかよしっぽい。霊夢のおかあさんらしい。
ちゃぶ台のあるまんなかの部屋でねっころんでいた。今はすわってアタイを〝だんろの逆〟に見立てて手をそえている。大ちゃんをひざの上に寝かせ、アタイと霊夢のおかあさんと魔理沙の三人でちゃぶ台をはさんでむかいあった。霊夢はユウゲノシタクでとなりの部屋にいるみたい。
「──ふーん、なるほどね。妖精の生態にも騒動の影響が出始めているってことだ。しかも幻想郷の草深き辺境にまで被害が及んでいると──」
魔理沙が事情をわかりやすく説明すると、霊夢のおかあさんはうなずいた。アタイが言いくわえることもなかった。かわりに質問をする。
「ねえ、れいむのおかあさん。大ちゃんを目覚めさせることはできないの?」
間があく。
──シーンと、音が鳴るみたいなしずけさ。
「さあ、私の専門外だ」
さっぱり、いや? あっさりと言われた。
「じゃあれいむは知ってるの?」
「私の知らんことを霊夢が知っているとは思えんな」
「え、ウソ。ここに住んでるおにみこは大ちゃんを救いだすテダテを見つけられるって、まりさが」
おにみこがどっちなのか知らないけど。
「あたしは言っちゃねーぞ! ただ──」
「言った言った!」
「ただ!」魔理沙はアタイにズンと顔を寄せて言った。
「『かもね』って言っただけだ」
「それでもっ……だけど……えぇー」
それだったらたしかにウソをついたことにはならない。けどなんか、ズルい。
「まあまあ落ち着きたまえ」ひきょうな魔法使いが言う。「根っこにある騒動が解決すりゃあいい話だ。だろ? そこはあたしら『騒動解決チーム』に任せておけ」
「そうどうかいけつちーむ?」
まずアタイは〈そうどう〉っていうのが何を言っているのかさっぱり分からない。でもとにかくそうどうがうまいこといったら大ちゃんが助かるみたい。しくみはさっぱりだけど、だったらてつだいたいと思った。
「じゃあアタイもそのチームにいーれーてっ!」
「却下だ」
霊夢のおかあさんは横からまたすっぱりと言った。
「オカン……そんな邪険にすることないだろ。あたしはアリだと思うぜ」
「こんなガキンチョ入れちゃあお遊びだ。私たちは真剣に騒動と向き合わねばならん」
霊夢のおかあさんはきびしい声と視線で言った。つららみたいになんだかとげとげしくて、霊夢とおんなじで寄りつけない。トモダチとのおしゃべりって感じじゃない。
そう思ったけど、いいかげん気になることがあったからさらに口を出す。
「ねえ、さっきから〈そうどう〉ってなんのことなの? 妖精がねらわれるのがそうどう? それとも妖精がかいふくしなくなるのがそうどう?」
──また、間。だけど今度は短い。
「それはあくまで今日以前より発生し出した〈騒動〉による副次的な現象に過ぎない」
霊夢のおかあさんは回りくどい言い方をして棚から何かを取りだした。まきもの? ひもをといて空中にばららっと広げると、ずらあっと文字がならんでいた。
「これでも読んどけ。我々は作戦会議をせねばならん」
まきものをにぎらされて、アタイはえんがわにつまみだされた。
なんて馬鹿力! これが「モジドオリ」ってやつ? 一日ぶりのお月様が鳥居のかげからこんばんはしていた。
五
「読めないッいや、読める! アタイッ」
自分のアタマをなぐりつけてもういちどながめてみる。ダメだ、読めない。
えんがわからあしを放りだして、さっきからずっとこんな調子でまきものとにらめっこしている。あきらめなければいつか読めるようになるかもしれないと信じて。アタイが草をかんで鳴らせるようになったのだって、なんどもなんども吹く練習をしてきたからなんだから。あきらめなければ人間の文字だろうが妖怪の文字だろうが読みとおせるに決まってる。
「読むのにいつまでかかってんだ?」
うしろのひきどが急にひらいてビクッとする。魔理沙がえんがわに出てきた。さくせんタイムは終わったのかな。
おゆうはんはてんぷらとそうめんだったみたい。霊夢と霊夢のおかあさんがちゃぶ台を囲んでたのしそうにおしゃべりしている。そうめんのうつわに乗っている氷──
「なんだ、腹が減ったのか? 天ぷらはほとんど食っちまったがそうめんならゆでればまだあるって霊夢言ってたぞ」
「ちがう! アタイは腹なんかすかしたことないんだぞっ」
ムキになっちゃったけど、ちょっとうれしいキモチにもなった。
それより、大ちゃんはどこに行っちゃたんだろう。
魔理沙はアタイのこころを読んだみたい。
「お前のお友達は寝室に寝かしておいたぜ。それよりさ、一割でも読めたか? まず何に関する読み物なのかも分かってないんじゃないか?」
「うっさい! もう少しで読めるところだったの!」
「だあ、うるっせー!」
ひきどをスッとしめる。赤みのある光がうすれて景色が青白く、かげがこくなる。
「どうせ読めなかったんだろ。あたしは読んだことあるからちょっと解説してやるよ、貸せ」
むう。
しぶしぶ魔理沙のひざを上にころがした。「ちゃんと渡せって」コロコロのびるまきものを止めて言われる。どこからか明かりを取りだした。ぼわっと浮かびあがる文字から明かりの方に目をうつすと、それは取りだしたんじゃなくて生みだしたんだと分かった。サニーと似た能力だ。──そういえば、サニーたちは今ごろどこにいるんだろ。
考えようとしたとき、魔理沙が話しはじめた。
「ムジーこと書いてっから分かりやすく言うとな、まずこれは今回の〈騒動〉について霊夢のオカンが書いたモンだ。ざっくり要約すると、幻想郷の自然がぶっ壊れかかっているからどうにかしないとまずいぞって書いてる」
「自然がこわれそうなの? いつもどおりじゃない?」
「数年前の夏は夜でもこんなに暑くはなかったぞ。昨日の嵐だって、雷があんなにはしゃぎまわってたの初めて見たぜ。てっきり雷おこしの妖怪が現れたのかと思ったがいたのはお前らだった」
妖怪と言われて一人を思いだすけど、たぶんかんけいない。
「じゃあどうやってどうにかするの? くろまくをたおすとか?」
「倒せたらいいんだけどなー」
「んあ?」
魔理沙はえんがわにねころんでとおくの方を見上げた。
「むずかしいの? 敵がてごわいってこと?」
「二つの意味でな」
とことこ。どこからか黒ネコのマリサがアタイと魔理沙の間にあらわれた。口に箱のような物をくわえて、アタイのことをじっと見る。よく見れば、違うひとみの色をしている。かたほうがふかい緑、もうかたほうが──むらさきのような青のような、見たことない暗めの色。
「ひとつが単純な強さ、もうひとつが倫理的な意味で」
「どういうこと?」
「自然破壊の元凶となったのは河童たちの技術だ。一四、五年前か、あたしがちょうど生まれたころぐらいに人間に友好な河童たちが色々と自分たちの技術を教えたんだ。産業革命だな。電話にラジオ、水道設備、えー……(まきものをベラッとのぞく)……街灯や電動玩具、時計、食糧保存技術、娯楽施設、建築様式の刷新、薬学の進歩などなど、導いたのはすべて河童たちであり、近年の人口爆発と人の街の中心にある電波塔は産業革命の象徴と言っていいだろう」
「じゃあおかっぱたちをたたけばいい!」
「ところがどっせぇーい!」
魔理沙はあおむけのまま両手をいきおいよくかかげ、にぎりしめていたまきものを放りなげた。魔理沙こそランボウだなあって思ったけど、地面に落ちるちょくぜんでマリサがうまく背中に乗せた。
さっきの箱はどこにやったんだろう。
「河童はつよい! 未知の装備を身に着け、戦闘はもちろん、逃走にも長けているッ──」
魔理沙が力強く話すそば、きょろきょろしてみるとそれはすぐ、アタイのひざの上に見つかった。
「だが問題はそこじゃない。実力はあたしたちのほうがむしろ上手なはずなんだ。一気に叩けばあっちゅうまにこーさんするはずだぜ? だが問題は人間との関係がひどく密接なものになってしまったっつーことで」
箱はプレゼントみたいなかざりつけがしてある。何が入っているんだろう。
テープをほどきあざやかな紙をやぶいて、パカッとふたをあけてみる──、と、体のうちがわがはねた。
「大ちゃんの……におい」
「ん? あれっ、チルノ、もう開けちまったのかよ」
「大ちゃんのにおいがする! ナニコレ! ナニコレ!」
魔理沙の生みだした明かりにかざすと、中からは晴れた日の湖のにおいと色の……ふろしき? きんちゃくぶくろ? まくらカバー? なんだろうなんだろう? だけど、ゼッタイにトクベツなものに違いない! アタイはおおよろこびして飛びはねた。
「ねえっねえっ、コレ、なんだと思う?」
その布っぽいのを魔理沙に見せつけると、どうしてか魔理沙はかぶっているとんがりぼうしをおさえてちらっとしか見てくれなかった。けど、教えてくれた。
「それはたぶんリボンだ。さっきのことなんだが、お前の友達を寝室に寝かしたとき左手に違和感があってな。〝光系の術〟が仕込まれていた。不可視化されていたらしい。あたしの力で解いてやったらそのプレゼント箱が握られていたっつーわけだ。ビックリだぜ。ここに運ばれるまでずいぶん飛んだはずで、それでも気を失ったまま取り落とさず握ってたんだから。よほど大事なリボンだったんだろうぜ」
「リボン……あっ」
『ねえ、このリボンとか、チルノちゃんゼッタイにあうよ!』
『おっき! アタイのおかおとおなじくらい?! これじゃあどっちが〝おかおのしゅやく〟かわかんなくなっちゃうよ。だめッ、しゅやくはアタイだぞっ』
『……ゼッタイにあうのになあ』
おとつい、アクセサリー屋さんで言ってた。
────
『え、大ちゃん、もっとおだんごたのまないの? せっかくおかねあるのに』
『うん。きょうは、あんまり、いっぱいたべるキブンじゃないし』
『ほんとう? ──アタイはいっぱいたべたいキブンだからもっとたのもーっと。おばちゃん! みたらしやっぱり二コ多くして!』
『そんなにたべられるの?』
『さあ? のこしちゃうかも。のこしちゃったらいけないから、そのときは大ちゃんがたべちゃっていいよ』
『チルノちゃん……』
なぜか、お金をケチってた。
────
『ごめんチルノちゃん。わたし、あの人の言うとおりちょっとつかれちゃったかも。きょうははやいけど、かえっちゃっていい?』
飛ぶ方角がいつもと違った。アタイがいつも霧の湖に帰るのとは違って大ちゃんは帰るところにこだわったりはしないけど、アタイといるときはだいたい湖の近くの森にいっしょに帰って休むのに。
ぜんぶアタマのなかでつながっていくような、ただの思いすごしのような……いや、つながっている。
「大ちゃん!」
リボンをにぎりしめて霊夢たちのお食事しているよこの寝室に行く。おんなじにおいがした。
──アタイは言わなきゃいけない。
そばでひざをついた。
──だけど、それは目が覚めているときじゃないとダメだよ。大ちゃん。
ふとんの上で、大ちゃんはせかいいちしあわせそうに呼吸していた。寝室は暗いけどとなりから明かりがさして、黄緑のおかみが真夏にゆれる草むらみたいに光る。かたっぽのかみむすびは黄色いお花みたい。どうやってむすぶのか、アタイは知らないんだ。
何よりも〝いのち〟を感じた。
眠っているのに。
眠るって、しんじゃうみたい。人間やどうぶつを見てそう思うことがあった。でも大ちゃんの眠りは、眠っている気がしなかった。
ホントはいしきを取りもどしていて、あとはまぶたいちまいをひらくだけなんじゃないか(それって……なんて言うんだっけ)。アタイは顔をのぞきこんだ。まぶたにそっとふれようとした。
「安易に触れて眠りを妨げるものじゃないぞ。とくに、それが永遠の眠りだった場合は冒涜なる行為だ」
霊夢のおかあさんだ。
「ねむりは〝さたまげない〟といけないじゃん。おきてほしいん……ッだから」
のどがいっしゅんつまった。変なキブン。
ほっぺたの上を、ナニカが〝ころがった〟。
あ。
ちいさくてかたくて青白いかけらがなんつぶかおちて大ちゃんのほっぺたについた。ほんとうに変。でもこの名前が分からない。
つよいあたりだったと思うけど、やっぱり反応はない。めやにじゃないそのよくわからないものは、大ちゃんのほっぺたの上でとけた。
たぶん、どうしたって起きやしないんだ。
「れいむのおかあさん。大ちゃんはそのそうどうがかいけつすれば目を覚ますんでしょ」
原因をなくすまでは。
「入れて、オマエのチームに」
「却下だ」
となりのとなりの部屋でお皿をながしにおとしたみたいな音がした。霊夢のおかあさんの方を見たけど、キャッカだっていうのは少なくとももちろんだって意味じゃなさそうだった。
「なんで! 言っとくが、アタイはつよいぞ! くろまくのおかっぱたちなんか、アタイにかかればいちもーだじんだからな!」
「おかっぱ? ……ハッ。何も分かってないじゃないか。なあ魔理沙」
「いや、しっかり最後まで説明しようと思ったんだが、飛び出しちまった。ああ、でも、ちゃんとマジメに聞こうとする姿勢はあったぜ。こいつぁそこらの妖精の連中とは一味違うに決まってる……」
魔理沙はアタマの後ろのたばになったおかみをいじりながら言う。けど、霊夢のおかあさんは「却下だ」って。もう一回ダメおしした。
「文字は読めない。空気も読めない。聞く話じゃそれほど強くもない。丁寧な説明を受けて理解するだけのお頭《つむ》もない。分からなければすぐに訊く。そしてその質問は的外れ。すぐに激情する。落ち着きのない、じゃじゃ馬。おてんば娘。引き入れたところで何のメリットもなかろう。だいたい。お前がもう少しマシだったらその妖精も助かっていたんじゃないか」
「……!」
「お前がもう少し強ければ、冷静な判断を下せたら。──そう、それは証だ。非力と罪を証明する質種《しちぐさ》だ」
あの光景が浮かぶ。河原に、目の下にいないほうのクマ、棒が火を吹きだして……
考えたくない。考えたくない。
「だまれっ!」
気づけば口にはきだしていた。
寝ている大ちゃんをおひめさまだっこしてそのまま────ひきどをつきやぶってお外に飛びだした。外の冷たい闇は、出たしゅんかんアタイのはだをさすみたいだった。
「……妖精は、あんな暗い、とこ、じゃ寝かすの、あんまり良くな、いと思う」
「でもおそとはキケンだから。おねがい」
霧の湖に帰ってきてからアタイはまず、妖怪のルーミアのどうくつにおじゃました。だけどルーミアはいなかった。
帰ってきたのはお日様がおはようしだしたころだった。どうしてかぬれていたけど、きいたら湖におっこちちゃったんだって(アタイのなかまだ)。妖怪って思ったよりもマヌケなのかも。あいかわらずしゃべり方はちいさくてよくつまってて、じっさいは「あ、あああんまっり良くな、いととと……もう」って感じ。
事情はぜんぶ話した。大ちゃんのこと、トモダチのこと、クマのこと、おじちゃんのこと、魔法使いの魔理沙のこと、黒ネコのマリサのこと、霊夢と霊夢のおかあさんのこと、〈そうどう〉のこと、プレゼントのリボンのこと。
ルーミアはあのツッコミ魔法使いとちがっていちいちツッコミをいれてこなかった。ひとつだけざんねんだったのは、リボンの使い方を知らないことだった。ルーミアも赤いリボンしてるから分かると思ったのに、知らない間についてたんだって。
ずっと手に持っているわけにもいかないから首にまくことにした。
「だけど、岩の上、寝かすの、痛そう」
「じゃあアタイ、そのへんの草とってくる。ちょっと見てて」
大ちゃんをルーミアに任せて飛びだした。もうお日様が赤い空におやすみしそうにかたむいていた。
氷の包丁を使ってそこらじゅうのほそながくてやわらかい草をかってもどり、どうくつにソクセキのベッドを作る。どうくつの奥の方が少しだけ日がもれるところがあるらしいから、そこに作って大ちゃんをゆっくり寝かした。
「まだねんぐるて。そろさら、ねんぐれ、あきんとなん?」
見ていると、アタイも眠りたくなってくる。となり横たわっていると、まぶたがかってにフタをしようとする。
「寝るの? ……そろそろ、出るけど」
「うん。いってらっしゃい……」
「抱いちゃ、いけないよ」
「んー……」
なにか言っているけど、たえられない。
大ちゃんと手をつないで、肩をあわせて、それからひとつだけケツイをにぎって──いっしょに眠った。
六
炎があやつりたかった。
炎って、明るいし、目立つし、温かくて暑くて、強いし、きっとクマにだって勝てる。
がんばればできるかもしれない。がんばって修行すればいつかは──そう思ってせかいいち暑いお日様にむかっていっちょくせんに飛んだ。
でもムダだってすぐ分かった。
アタイの弱点は炎。暑さ。夏の暑さはもうすでにアタイにとっては修行みたいなもの。冷気をうまく身にまとって暑さにとかされないようにすることはできるけど、最近になって能力を使いすぎるせいか前の夏よりも今の夏がずっとどんどん暑くなっていっているせいか、冷気で暑さをおさえきれなくなる。それなのに炎をあやつっちゃったらお水になって川にながれちゃうね。
じゃあ強くなるにはどうすればいい?
そう思って森の木をひたすらなぐったりけったりする日もあった。たまにボロボロの服を着てそうやって修行する人を見かけたことあったから、まねっこしてみて。
だけど手の先も足の先もすーぐにジンジンしてきちゃって、つづけられなくなる。能力を使えば木なんかカンタンにたおせるけど(ビームとかうって。かわいそうだからしないよ?)、クマはたおせないし、りょーじゅーもよけられない。
攻撃もそうだけど、防御とか回避もきたえなきゃ。
どんだけはやい攻撃がきてもシュッシュッってよけて反撃できるように修行しなきゃ……そうっ、カエルみたいに!
そうしてカエルとかちょうちょをまねっこしながらキビンに動きまわって追いかけたときもあった。
できるかぎりの修行をした。
────
「ぴぃーうーぴゅぃー……」
けっきょく、アタイががんばってできるようになったのは、この笛ぐらいなんだ。
どれだけがんばって、がんばって、がんばっても……がんばったのに。もうつづけられない。だって、あきちゃったもん。
「良い音が出るなあ。だがここで吹くにしちゃあ、風もするしちょ寒くないか? あれっ、お前ってここの水の精だったっけ」
「氷の精! さむさなんてへっちゃらだぞっ!」
昼間は暑いのに夜は寒いらしい。
夜の霧にまぎれてあらわれた魔法使いは真顔でも笑顔でもなくて、じゃあなんていうお顔なんかって言ったら、たぶんアタイは知らなくてどうにか言うとしたら、あっさりしててまとまりがあってそれでいてまいるどで人差し指をピンとつきだしてきそうな感じがするお顔。
「なにしにきたの」
アタイはそっぽむいてまた「ぴゅるるー」と草の笛に息をとおした。体をかたむけたさきで、マリサが演奏をきいていた。
「……何を怒ってんのか知らねえけどよ」魔理沙はアタイのはいごに回りこんだ。「未来の英雄を育てに来たって魂胆だな」
「ぴぃーるるーぴーぃ」
今日の草はいっこだけ穴があいていて、指でおさえると音が低くなる。こうごにおさえてはなしてすると「ぴるぴるぴるー」。風が強くなってきた。
「ああ、そうだな。嘘をついた。何を怒ってんのかは理解してる」
聞いた? ウソついたんだって。またついた。いけないんだ。ウソは、人間の、なんだっけ。
「この前の友達は元気か?」
「サニーとスターとルナはげんきだったぞ。だけど大ちゃんはルーミアのどうくつでずっとねむったまんま。ルーミアはまあまあかな。アタイといっしょにはたらいてたみんなはしばらく会ってないから知らない。ウソつきのおじちゃんとはたらいていたほうのみんなのことも知らないけど、たぶん元気だと思う」
「まぁた一人増えたな……まあ。そうか。大ちゃんはまだ戻らないんだな」
「魔理沙、あのね、でもね。大ちゃんったらすごいんだぞ」
むかしから、だれにでも、話したいことがあったら口にあふれてこぼれちゃう。それがどんなにだいっきらいな子だったとしても、けんかちゅうの子だったとしても、ウソつきの魔法使いだったとしても。ほっぺつつかれたみたいにアタイはしゃべる。
「大ちゃんはねむってるのに、ねむってる気がしないの。〝いのち〟があるの。くっついてねると、あったかくて、なにかのものすごいちからが手のひらとかかたとかうでとかあしかはグングン流れこんでくるみたいで、アタイ好き。それでね、さいきん気づいたんだけど、大ちゃんのために草のベッドをつくったんだけど、それがのびてきて、どうくつのかべとかてんじょうにまでのびちゃったんだ! すごいよ! セイメイをヤドしているんだ! たぶん大ちゃんののうりょくとかんけいあるとおもう。ねえ、すごくない? 大ちゃんにものうりょくがあったんだよ!」
「……」
魔理沙はなぜか、アタイのうしろのおかみに手の指をすべらせていた。
「すごくない?!」アタイは振りむいた。うしろのおかみがからさらっと抜ける。
「んああ、すごいな。大ちゃんは」
首をもとの位置にもどした。そしたらしばらくしないうちにまた手のかんしょくがした。
「大ちゃんがすごいんじゃなくて、いまのは大ちゃんにものうりょくがあったってわかったことがすごいの! ……それでね、大ちゃんはウソついてたってことだからアタイはムカムカしてるんだけど、でも大ちゃんはプレゼントくれたから、アタイゆるすんだ。『ありがとう』って言いたいんだ。言いたいから──もうなんでもゆるすから──おねがいだから目をさましてほしいんだ。でも、〈そうどう〉のせいで、さめない。アタイが強かったらよかった! 強かったらたすかってた! でもッ! アタイは馬鹿だから! 強くないから、アタイはなんにもできないんだ……!
────まりさ」
砂つぶみたいな氷のこつぶがひざをこちょばした。やっと分かった。これが魔理沙の言ってたことで、アタイは〝ナカある〟んだ。
「大ちゃんとお話したいよ」
あふれてきたのは言葉だけじゃなかった。
氷のつぶと、しゃっくりよりもずっとつらい苦しさと、むねのなかのキモチがぜんぶ、弾幕がぶつかりあってはじけるみたいに体のうちがわをあばれた。
魔理沙はアタイのおかみのうしろをただただ、とかした。氷のつぶがぽろぽろとして、青白い湖にとけた。氷あめがあまくとけるみたいに。それはぶくぶくとあわだっていた。マリサがそのうちのひとつを口でつまんだ。よく分からない味らしかった。
「申し訳ないが、実は解決にはまだほど遠い。──あたしたちには別のヒーローが必要なんだ」
そう言って、魔理沙はアタイのおかみをひっつかんでぐるぐるとしだした。ちぎられるんじゃないかって思った。首にまきつけていた大きな深い青色のリボンがほどかれた。すると、さらにうしろがキュウクツになった。
そして────魔理沙は手をはなした。
そのとき風がピタッとやんだ。
ちがう。ふしぎだ。
風の流れが、ぬくもりが、アタイの体になじむかのように──いったいになったみたいに──吹いてきたんだ。とてもここちよくて、アタイのほっぺたやめもとをやさしくなでた。
湖のギリギリのさかいめに立つ。ホタルの光がたくさんわいていた。
「痛いか」
魔理沙がきいた。
そっか。〝いたい〟ってそういうことなんだ。ガマンできないことを言うんだ。
「いたいよ。でも、言ってらんないんだぞ」
自分の姿がうつっている。かたまでかかってたのに、首のうしろがスッキリして、おっきなリボンがついたまったく知らない自分。ひだりむいて、みぎにふってみて──ちゃんとついてる!
「霊夢のオカンが言ってた」魔理沙が言った。「憶測に近いが、妖精は自然と共鳴した姿だ。妖精は自然に作用するし自然も妖精の生態に影響を与える。つまり、幻想郷の自然そのものが人間に傾いている今、『妖精も人間らしくなっていく』んだ。チルノの友達の『死』──いや一応『仮死』としておくが、それもこうすると説明がつく。チルノ。その涙も後悔も痛みも、前まで知りもしなかっただろ。遅かれ早かれこれからさまざまな未知の体験がお前に降りかかってくるんだ。よろこびやたのしさ、あかるさだけで満たされていた肉体に悲しみや憎しみのような負の感情が足され、思わず複雑な思考の渦に囚われ、ありとあらゆる痛みが心身を蝕むだろう。何より『死』への恐れが生まれる。大多数の妖精はこの現象のために憶病になり委縮し活気を失くし、そうなれば母なる大地は生気を失いやがて──幻想郷は枯れる。これはそういう〈騒動〉だ。本来妖精は崇高な存在なんだ。人間が安易に関わっちゃいけねえし、労働力として使役するたあひどい話だぜ。──あたしはな、あたしの愛した幻想郷が枯れ落ちる姿なんか夢にも見たかない。そうだろ。だからな、チルノ。ヒーローが要る。一番星の勇気が必要なんだ」
長い長い言葉の最後で「できるか?」魔理沙は短くきいた。
アタイはおおいによろこんだ。
「それって、チームにいれてくれるってこと?!」
「残念ながらそこまでは、霊夢のオカンは言っちゃいない。だが感謝してくれよーあたしが推薦しといたんだから。チャンスをやれる」
アタイが強くなれば考える。霊夢のおかあさんはそう言ったんだって。
「勘違いするな。強くなるというのは一概に戦闘能力だけのはなしに留まらない。体も、頭も、心もだ。一朝一夕で身に着くもんじゃない。霊夢のオカンはできるわけがないつもりで言ったらしいが、あの人はウソはつかないからな。チルノ! やれるな?」
魔理沙はもう一度きいた。
「うんっ!」
むきあってアタイは力強く言った。あしもとの草がゆれて、ホタルが目のまえをまった。
まって。
「──ねえ、いま」
「馬鹿にしたかって言うのか?」
ほうきの先ではたきおとすみたいにアタイの言葉をさえぎった。どうして読むのがそんなにうまいんだろ。
「前にも思ったが、ちょっとでも『馬鹿にされた雰囲気』が出たときの察知能力がチルノは過剰なんだよ」
「てことはアタイのこと馬鹿にしたの?」
「チルノの思った通りだ」
アタイが思ったとおり。アタイは馬鹿にされた気がしたからようするにアタイは馬鹿にされたってことだ! ゆるせない! 「いけないんだ!」アタイは能力を構えた。
すると。
──パアンッ!
「馬鹿が馬鹿だとかいちいち気にしてんじゃねえ!」
魔理沙はほんとうにアタイのことをはたきおとし、見下ろした。
「……いたい」
「馬鹿の何がそんなに気に食わない? 人よりとろくて、不器用で、要領が悪くて、考えがぶっ飛んでて、悪目立ちしてて、うるさい。それのどこが気に入らない?」
「え?」
いたいほっぺたを気にして聞いてなかった。
「なんとなく……」
「気に入れ! 馬鹿は『権利』だぜ。それも、皆が持つことはできない権利だ。通常、挑戦事には不安や恐怖、焦りや諦めなどがつきまとうが、馬鹿はそれを簡単にはねのけることができる。後先を考えないという特大の強みがあるからだ。その挑戦は結果どうなってしまうのか、何十年とかかってしまうのか、余計なことを考えない才能で、選ばれた者にのみ赦された権利だ」
「ケンリ……ほんと? ホントに馬鹿はいいの?」
アタイはちょっと信じられなかった。だって、この魔法使いはウソつきというか逃げ道のあるウソをつく人だから。
「あたしは馬鹿が羨ましい。だから、たまに『馬鹿になる』」
「ちょうせんがあるの?」
「手に入れたい〝モノ〟があるんだ」
魔理沙はぼうしでおかおの上をふさいだ。くちびるの先をまるめて。
「ま、あたしの話はいいぜ。とにかく、チルノ。さっき自分は馬鹿だからなんにもできないと嘆いていたが、大きな間違いだ。ただ『やろう』という意志さえ強く持てば戦闘も、頭脳も、覚悟も、馬鹿力がおのずと鍛え上げてくれるだろう」
ほんとうに自分にそんな力がひめられているのかな。アタイはいっかい修行をあきらめた。でも、もっともっと馬鹿になりきれれば、しぜんとうまくいくのかな。でも、馬鹿になりすぎちゃったらアタマがわるくなっちゃわないかな。
「その顔は疑《うたぐ》ってるな? そうだな。不安になる気持ちは分かる」
魔理沙はそう言って、いっぽ前、湖の岸に進んだ。
「そんなときは『魔法の言葉』を唱えるんだ」
まほうの言葉……トクベツなじゅもんなのかな。アタイはわくわくして、センサイでマカフシギな言葉をそうぞうした。
だけど、魔理沙のじゅもんはそんなそうぞうとはほどとおかった。
「あたしってば最強《さいっきょー》だあああああああっ!!」
「っ!?」
ぜんしんのはだがさかだつようなここちがした。
しかもまだおわらない。
「あたしってば天才《てんっさい》だああああああああああっ!!!! ────」
霧を突きやぶり、月にすらとどいちゃいそうなくらいの大声。湖の上できゅうけいしていた鳥たちは飛びだして、森がほんのすこしさわさわとさわぎたてた。
「ほら、言ってみな」魔理沙は指さした。「爽快だぞ」
「……う、うん」
まだ耳の中でキンキンと声がする。ひどいじゅもんだと思う。
でもさけんでからは、まほうにかけられたみたいに、すぐ好きになった。
「アタイったら最強ねえええええっ!! (すうっ)アタイったら天才ねええええええええっ!!!!!!!」
はぁ。
はぁ。
ふう。
──トモダチと湖をかけっこ三周したときくらい息がきれていた(なんども足をふみはずしておぼれたのはたのしい思い出。「こんどはルナがかぶりってらー!」って)。でもこの息ぎれはつかれがあるものじゃなくて、ふしぎ。キブンがたかぶって、あらぶってる。アタイのなかでナニカがひとつになった。
「最高だろ。不安なんかミリも立たねえぜ」
「ねえ、馬鹿なのに、天才ってさけんでいいのか?」
「ああ。だって、馬鹿が叫ぶから余計に馬鹿に見えるだろ」
なるほど、てことはいいってことだ。
魔理沙はふしぎなじゅもんをおしえてから、結びのとかれた〝金ッ金〟のながぁいおかみをなびかせて、湖を波だたせ空高くの闇に飛んでいった。おしごとがあるんだって。こんな夜おそくに? アタイは「うん!」と返事しちゃったけど、見上げながらなんだか急にキュウクツな思いがした。
考えることが多かったからかな。その場にすわって休めることにした。
「ぴゅーいーううーぴぃ」
あれ、けっきょく何すればいいの、アタイ。考えて、アタイ。
アタイは大ちゃんをすくいたい。
そのためにはいま幻想郷をとりまいている〈そうどう〉をおかたづけしなきゃいけない。
そのためには〈そうどう〉のゲンキョウをよく知ってカイケツしなきゃいけない。
そのためには霊夢のおかあさんの指にとまらなきゃいけない。
そのために、強くなるんだ。
「そうだ! 修行しなくちゃ! ──────ぴぃぃ」
でもまってよ。
体も、アタマも、こころも、どう修行したらいいの。おてほんがないと、いくらアタイが天才だからってうまくいかないと思う。体のししょーとアタマのししょーとこころのししょーがみんないる。
「ぴぃぴぴっぷぴー」
どこをさがしたらいいんだろ。
流れ星をさがさなくちゃ。でもめったに見つからないし……「流れ星をちょうだい」って流れ星にたのまなくちゃ。でもその流れ星はなかなか来ないものだから、「『流れ星をちょうだい』ってたのむための流れ星がほしい」って流れ星にねがわないとね。──それじゃあ、いつ「ししょーに会わせて」ってねがいをとどければいいんだろ。
アタイが思考のうずになやまされていた、そのときだった。
「嗚呼、この美しく妙なる奏でりはどこから囀《さえず》りになって? はっ(と息を呑んで)……そこにおわすのは何者?」
濃い霧さえ突きやぶって、むこうにひとすじあらわれる。
女の人はそばまで来て、炎のように星のようにかがやくまっかなひとみを見せた。
アタイは草からくちびるをはなした。
「アタイはチルノ」
──幻想郷最強の妖精さ。
(中編へ続く)
これからのチルノの雄姿が見られるのはうれしい。
頑張ってください
この解釈が出てくる(嘘を付く人間でも区別をしている)あたり、チルノがちゃんと表面的な部分以外でも人を見ているのが印象的でした。
面白かったです。
中編以降も期待してます
したっけねー!
何が起きてるのか断片的にしかわからない中で、それでも友達のために奮い立つチルノがカッコよかったです
これは傑作の予感がします
た、ただそれはそれとしてチルノの地の文は全然よくてもちょっと方言部分が一部何言ってるかわかんねぇ……すまねえ……実力不足……。
とにかくチルノの解像度の高い心情描写とその表現、明るく(今のところ?)無知な視点で描いていても誤魔化しきれない世界の閉塞感。とても素敵でした。
あくまで個人的な意見ですが、特に強いこだわりがないのであれば、本サイトは傾向として前中後編で分けて投稿するよりは、1作にまとめた方が好まれる傾向にあるように感じます。
(小出しにすると追うのが大変だったり、途中で筆を折る方もいるために完結を待つ人がいたり等の理由から)
余計な口出しを失礼しました。続きを楽しみにしております。