■ここまでのあらすじ
●秘封軸
・多次元宇宙の調整者“八雲蓮子”の調整により、
宇佐見蓮子は宇宙学者になる道を諦め、秘封倶楽部に尽力する事を決める。
・また同時に、学者となった蓮子(通称“教授”)と、メリーの一人娘である“紫”が、
10数年後の別パラレル世界よりこちらへトラベルし接触してくる。
・教授達の目的は、メリーが博麗大結界の人柱として選ばれると言う八雲蓮子の予言を回避する事だった
・蓮子とメリーは幻想郷京都支部の賢者と接触。人柱の予定は無い事を知る。
・人柱の予言は調整の内の一つであり、これからの未来へ確たることは言えないと、八雲蓮子から返答を得る。
・現段階では人柱は不要だが、それが必要になる未来もあると言う。
はたしてどのような未来分岐により必要になるのか?
秘封倶楽部はメリー人柱化を回避する事が出来るのか?
●幻想郷軸
・幻想郷我らが主人公、博麗霊夢と霧雨魔理沙は、ある仕事を紫から任されていた。
・仕事の内容とは、賢者会の能力により時間旅行を行い、結界の外へ出て、
外の世界に取り残された幻想を回収すると言うものだった。
・今回確保対象である結界資源は、1300年前に構築されたという強力な結界、“知楽結界”だった。
・知楽結界の構造は博麗式と酷似していた。
“結界の設計者は初代博麗の巫女様かも”という霊夢の勘は当たっているのか?
・また、霊夢は幼い時代に、師が霊夢へ一人前の許しを与えずに姿を消したことが、深い悩みの種になっていた。
実は先代はメリーにより秘封倶楽部の時代へ飛ばされていたのだった。
・知楽結界確保の折、先代より一人前の許しを得た霊夢。
・精神的に自立した霊夢は、幻想郷へ迷い込んだメリーを利用し、
教授達が居る時代のパラレルへ飛んできていた。
・人間やめましたを、先代の許しにより更にやめましたレベルになったスペシャリスト霊夢。
通称マッチョマン霊夢が未来へ飛び、教授たちに接触した狙いとは?
●補足資料
・霊夢の時系列(読者視点)
(8.魔理沙「霊夢が眠りっぱなしだから起きるまで縁側に座って待ってみた」(作品集184))
(11.魔理沙「蓮子とメリーのちゅっちゅで私の鬱がヤバい」(作品集185))
(15.メリー「結界資源を奪い合って魔理沙と結界省たちが弾幕勝負を始めた」(作品集187))
(14.メリー「幻想郷から拉致してきた先代巫女に拉致られて幻想郷京都支部に滞在する事になった」後篇(作品集187))
(16.メリー「霊夢を信じた私がバカだった」(作品集187))
・霊夢の時系列(霊夢視点)
知楽結界の資源の回収を紫からお願いされる
→教授から“実はあなた、私たちのパラレルに来てるのよ”と聞く
→メリーが夢で神社へ迷い込んだところを捕獲。脅してパラレルタイムトラベル
→霊夢が教授のパラレルへ行った目的とは?←今作からの主軸はここ!
注意! シリーズものです!
以下の作品を先にご覧いただくことをお勧めいたします。
1.メリー「蓮子を待ってたら金髪美女が声をかけてきた」(作品集183)
2.蓮子「メリーを待ってたら常識的なOLが声をかけてきた」(作品集183)
3.蓮子「10年ぶりくらいにメリーから連絡が来たから会いに行ってみた」(作品集183)
4.蓮子「紫に対するあいつらの変態的な視線が日に日に増している」(作品集184)
5.メリー「泊まりに来た蓮子に深夜起こされて大学卒業後のことを質問された」(作品集184)
6.メリー「蓮子と紫が私に隠れて活動しているから独自に調査することにした」(作品集184)
7.メリー「蓮子とご飯を食べていたら金髪幼女が認知しろと迫ってきた」(作品集184)
8.魔理沙「霊夢が眠りっぱなしだから起きるまで縁側に座って待ってみた」(作品集184)
9.メリー「未来パラレルから来た蓮子が結界省から私を救い出すために弾幕勝負を始めた」(作品集185)
10.メリー「蓮子と教授たちと八雲邸を捜索していたら大変な資料を見つけてしまった」 (作品集185)
11.魔理沙「蓮子とメリーのちゅっちゅで私の鬱がヤバい」(作品集185)
12.メリー「幻想郷から拉致してきた先代巫女に拉致られて幻想郷京都支部に滞在する事になった」前篇(作品集186)
13.メリー「幻想郷から拉致してきた先代巫女に拉致られて幻想郷京都支部に滞在する事になった」中篇(作品集186)
14.メリー「幻想郷から拉致してきた先代巫女に拉致られて幻想郷京都支部に滞在する事になった」後篇(作品集187)
15.メリー「結界資源を奪い合って魔理沙と結界省たちが弾幕勝負を始めた」(作品集187)
16.メリー「霊夢を信じた私がバカだった」前篇(作品集187)(←今ここ!)
17.メリー「霊夢を信じた私がバカだった」中篇(作品集188)
秘封倶楽部活動拠点第53号室、またの名をカフェトートル京都駅前店。
世間一般的には後者の名前が周知されている。
その日蓮子は7分遅刻した。帽子を団扇かわりにして階段を上ってきた。
別にいつも通りだったので、まず何か飲み物を注文するように勧めた。
夕方ごろまで会話をして、帰路についた。
「ねえメリー」
「あいよ?」
「今日の夕飯って何にする予定?」
「これから買い物に行って適当に決める予定」
「じゃ、今日そっちに泊まってもいいかな?」
「いいともー!」
スーパーに行き、買い物を済ませる。
食材を買い揃え、お酒も買った。
蓮子に梅酒、私にジントニック。
荷物を二等分し半分を蓮子に持ってもらった。
私の部屋は何の変哲もないワンルームマンションである。狭い台所で夕飯の準備を始める。
牛肉、ジャガイモ、糸こんにゃくをすき焼きのタレで味付け。
レタス、トマト、キュウリをガシガシ切って大皿に盛り付け、ドレッシングを掛ける。
あとは白飯を二合半炊いて出来上がりである。
「いただきまーす」
「いただきまーす」
余ったご飯は冷凍する予定。
「あ、蓮子、明日の講義の予定は?」
「一日休みだよ。メリーも休みだね」
「なぜ知ってるし」
ご飯を食べて、風呂は蓮子を先に入れ、私はついでに風呂掃除。髪を乾かして歯を磨いた。
蓮子と一緒に酒を飲みながら、レンタルしていた映画“ワイルド・ワイルド・ウエスト”を見た。
映画が終わると22時だった。もうだんだん眠くなってきていた。
寝る前にもう一度歯を磨いていると、蓮子が髪を縛って私のベッドに寝転がっていた。
あのポニーテールは、どうせこの後私が解くことになるのである。無駄なあがきだ。
うがいをして洗面用具を片付けて、リビングへ。照明を完全に消す。
遮光カーテンだから、手の平を目の前に持ってきてその輪郭が分かる程度に、真っ暗だ。
私は手探りで蓮子を見つけ、両腕で捕獲してかぶりついた。
――――――。
――、何時間、寝ただろうか。
まどろみの中、目を開ける。まだ暗い。深夜だ。
顎の下に蓮子の頭がある。私は蓮子を抱いたまま、携帯端末で時間を確認した。
そうして、メールを受信している事に気が付いた。
登録が無いアドレス。件名は、“THE KILLING FIELDS”
はっとした。蓮子は、私の胸に顔を押し付けて眠っている。
盗み見られる心配は、無い。私はメールを開いた。本文はたった一文。
“7日後10時15分、21号室”これだけだった。
何の憂いも無く蓮子と抱き合えるまで、あと7日間だった。
7日後。
その日、朝起きると蓮子は部屋にいなかった。
大学に行ったのだろう。単位は足りているのに、ご苦労なことだ。
メールがあった。蓮子からだった。
“今日はどこ集合にする? 昼飯に天丼でも一緒に食べに行かない?”
“ごめん、今日はちょっと用事があるの。夕方になると思う”
“あいよわかった、それじゃあまた今度ね”
また今度。この言葉がぐさりと心に刺さり、少し泣いた。
「今までありがとう蓮子、少しだけ、お別れよ」
独り言。涙を振り払い、身支度を始めた。
10時10分、21号室。とりあえず入口が見える位置に座る。
数分もせずに、背後から声を掛けられた。
「こんにちは。マエリベリー・ハーンね?」
「そうよ。THE KILLING FIELDSのメール、ありがとう」
「マエリベリー様、そんなまどろっこしいこと言わずに、身分証明書見せればいいじゃないですか」
「あ、ごめんなさい。グラボス切るの忘れちゃってて」
「いいわよ。グラボスがあった方が、隠し事をせずに会話できるでしょ?」
グラボスが勝手に話を始めるので参ってしまった。
女性は私の向かい側に腰をおろし、携帯端末を取り出して身分証明書を表示させた。
「太田霊夢よ。霊夢でいいわ。よろしくね、ハーンさん」
「さんは要らないよ。ハーンでいいわ。こちらこそよろしく」
しっかり握手を交わす。
「それでハーン、あなた八雲家の情報が欲しいんだって?」
「ええ、圭に目をつけてる」
「目的は?」
「子供が欲しいの。私の血を継いだ子供が」
「あなた分かってると思うけれど、普通の女性じゃ相手にされないわよ」
「だから情報が欲しいの。何でもいいわ。子供が産めれば」
「なんで子供が欲しいの?」
「そんなこと、分かってるでしょ?」
私はメールを表示させて霊夢につき出した。
「ここを21号室って言うくらいだもの。倶楽部の事、調べたんだ?」
「宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーンの二人で活動を続ける秘封倶楽部。
あなた達、京都じゃかなり有名よ。結界暴きのプロフェッショナルだってね。
結界省の捜査の目を盗んでかなり派手にやってるみたいじゃない?
ハーンの入院とか、結界の向こう側で負った怪我だって噂よ。ホントなの?」
「ちょ、ストップストップ。グラボスの前でよくもまあなた」
「ああそのことなら心配ないわ。グラボスは味方よ。あくまでも私の、だけど」
「? グラボスは政府の物でしょ? 結界省にチクられるわよ?」
霊夢がもう一度、端末の画面を見せてくる。
霊夢の身分証明書の表示が変わっていた。
“マエリベリー・霊夢”って誰だ。
「あなた、グラボスを使って住民票をハッキングしたの? この短い時間で?」
「半分正解。グラボスが、住民票をハッキングしたのよ」
「いったいどうやって?」
「ふふふ、営業秘密」
「情報屋さん、手練れね。いやあなたもしかしたら、結界省の人間?」
「いいえ、違うわ。と言ったところで信用は無いわね」
「マエリベリー様、私も保証しますが、霊夢様は結界省の人間ではありません」
「あんたらが全員グルだってことも考えられるのよ。ねえ証拠を見せて」
「いいわよ。むしろそのために今日ここに来たんだけどね。ねえグラボス、今の時刻は?」
「あと20分ほどで、10時30分です」
「よしそれじゃあ、ちょっと移動しようか」
霊夢に連れられて女子トイレに入った。
個室の中を全て見て、人が居ないことを確認した後、霊夢が私に向き直る。
「結界文化財って分かる?」
「ええ分かるわ。結界によって保護された遺跡の事でしょ」
「今私たちが居るこの知楽ビルの地下に、結界文化財があるわ」
「え? 本当に?」
「知楽ビルのオーナーの趣味なのね。ハーンは人の死体とかを見ても大丈夫?」
「大丈夫。あんまり残酷な背景があるとちょっとだけど、ぐちょぐちょな死体を見るだけなら別になんとも思わないわ」
「大昔の遺体だから、もう完全に白骨化してるわね」
一番奥の個室トイレに二人で入り、霊夢が壁に札を四枚貼る。
なにやらごにょごにょと呪文を唱えると壁に穴が開く。
そして私に印を結び、防護結界を張ってくれた。
「さあ行くわよ。先に入るから、ついてきて」
次から次へと驚くべきことをほいほいやって見せる。
感覚がマヒしてきて、いちいち驚かなくなってきた。
霊夢の後に続き亜空穴をくぐる。
どうやら大きな柱の陰にいるようだ。
霊夢が小声で言う。
「こっちへ来て。ここに座って。いい? 死にたくなければ、合図するまで動かない事ね」
「おい出てこいよ! ばれてるぜ!」
怒鳴り声が鳴った。
霊夢が私を置いて、柱から出て行く。
「な!? 霊夢だと!? おいこりゃ、どういうことだ!?」
「い、いやだこいつ、先代の式を持ってるわ!」
「お前は後ろにいろ! 私が前衛だ! 援護頼む!」
「戦ったらダメよ! 逃げなきゃ、」
「黙って援護しろ! さあショウタイムだぜ!」
爆風、爆音、熱風、怒声と悲鳴。
ぴたりと、静寂が訪れる。
「ハーン、もう良いわよ。出て来なさい」
柱から出る。先ほどの連続した爆音の通り、めちゃくちゃな様相だった。
床にはあちこちにクレーターが空き、柱には細かな穴が数えきれないほど。
紛争地帯の廃墟を連想した。爆弾と銃弾で煉瓦壁が崩れ、ぼろぼろになっている感じ。
傍らに、私服を着た女性二人、倒れている。
気絶しているようだ。呼吸はしている。
手足を縛られうつ伏せに寝かせているので、顔は分からない。
そして霊夢が立つ傍らに、2メートル四方の結界が一つ。
「ハーン、こっちへ、早く」
霊夢に急かされ小走りで接近すると、結界が割れた。
ぴしりとひびが入り、あとは音も無く消失。
後には二人分の白骨が残された。
霊夢は、私が隣についたことを確認してから、いきなり誰もいない空間へ声を上げた。
「クソ調整者! 出て来なさい! 3秒以内に出てこないと柱ごとぶっ飛ばすわよ!」
「わ、わわわ! 出るから撃たないで! えへへ、なんでここにいるのよ霊夢?」
「会話をする気はない。あの二人を返してあげなさい。半日も寝かせれば気がつくわ」
「霊夢、あなたを探して、みんなが大騒ぎしてるよ。今からでも帰る気は、」
「会話をする気はない! この資源はいただくわよ。それとも、力づくで奪う?」
「ムリっす。どうぞ持って行ってください。えへへ、じゃあ、しつれいしまあす」
「早く行け。目障りよ」
調整者と呼ばれたOL風の女は、手足を縛った少女二人を引きずって、柱の陰に戻って行った。
霊夢は、気配が完全に無くなるのを待ってから、言った。
「ハーン、今私がやったこと、わかる?」
「結界文化財を奪い取った。それも、力づくで」
霊夢が白色10センチ四方の結界を生成。
人骨を全てそこへ吸い込ませてゆく。
「大学を卒業したら、これを持って八雲邸に行きなさい。
きっと門前払いされるだろうけれど、この結界を小間使いに渡して、圭に見て貰うのよ。
そうすれば邪険にはされないはず。あとはあなたに任せるわ」
霊夢が結界を差し出してくる。両手で、受け取る。
テニスボールみたいな触感。長持ちしそうだ。
「結界省の潜入捜査?」
「ハーンを逮捕するだけにこんな労力使わないわよ。
もし私が結界省だったら、あなたの首根っこ捕まえて引っ張ればいいだけだわ」
「これから倶楽部活動なんてしないわよ?」
「泳がせて尻尾を捕まえようって訳でもないって」
「この保存用結界だって、大学卒業後八雲邸に持って行くまで使わないし」
「だから私は、結界省の人間でもなければ、ハーンを捕まえようとしてる訳でもないって」
私は保存用結界をタオルにくるみ、バッグにしまった。
「霊夢、あなたの実力を見込んでもう一つだけ、お願いしたいことがあるんだけど」
「いいわよ。なに?」
「大学を卒業したら私は相棒からを晦ませたいの。そうしたら蓮子が私を探すわ。
私の居場所がばれない様に、グラボスをハッキングしてほしいの。お願いできる?」
「お安い御用ね。っていうか連絡先を交換しましょ、何かあったらすぐに連絡してね」
「あ、今回の報酬は、」
「要らないわ。これから末永くよろしくねハーン」
それから度々、霊夢と会う様になった。
霊夢は長野の方の神社の一人娘らしい。
結界術を幼いころから学び、身に付けたのだと言う。
妖怪の生態を調査したくて京都へ来たのだ。いっぱしの結界師である。
私が蓮子の誘いを断り、霊夢と会う回数が増えてくると、時々に尾行された。
霊夢の尾行回避技術とその知識は高度なレベルだった。探偵技術にも精通していたのだ。
蓮子は霊夢を見つけられなかった。私が霊夢の下へ向かう間に、霊夢から連絡が来るのだ。
「あなた、蓮子に尾行されてるわ。指示の通りに歩いて、尾行を撒くのよ」
回数を重ねるにつれて、徐々に蓮子の程度が上がってきた。
私の体に盗聴器を仕掛けた。
友人を率い、人数を揃えて私の調査を始めた。
有料の衛星カメラをレンタルして私を追跡した。
ついには四六時中べったり私にくっ付いて見張った。これはご褒美だった
蓮子はあらゆる手を講じて、私が何をしようとしているか調べた。
だが、霊夢の方があらゆる面において、優秀だった。
結界術とハッキング技術と探偵知識は、蓮子が用意したあらゆる脅威を即座に排除した。
蓮子は不安を表情に出さない。いつも通りの様子で会話をする。
夜に抱き合ってもやはり分かるようで、蓮子が昔の様に燃え上がることは無かった。
私は蓮子へ、子供を作ろうとしている旨を話していない。
蓮子からしたら、私は他の誰かと倶楽部活動をしているように見えた事だろう。
結局、蓮子の調査が功を奏すことは一度も無かった。
大学卒業後、私は行方を晦ますことに成功した。
霊夢の指示通りに動いただけだった。それで十分だったのだ。
大学を卒業して自室を始末し痕跡を消すのに一週間かかった。
私は八雲邸を訪れた。正門に続く私道で小間使いが応対してきた。
「マエリベリー・ハーン様ですか。アポはありますか?」
「無いわ」
「圭様と面識は?」
「無いわ」
「本日は一体どのようなご用件で?」
「言えない。ただ、八雲圭に会わせてほしいの」
「お引取り下さい」
「――じゃあ、用件を言うわ。これを見せに来たの」
私はバッグから、霊夢に貰った保管用結界を取出し、小間使いへ見せる。
だが反応は薄かった。これが結界だと分かっていないようだ。
ガラス細工か何かだと思っているのだろう。はあ、とだけしか言わない。
「あなた、携帯端末くらい持ってるでしょう?」
「ええ、まあ、持ってますけど」
「カメラ機能でこれを撮影して、圭に見せてよ。それくらいならいいでしょ?」
無線装置へ向かって何かぼそぼそと喋った後、私の保管用結界を撮影。
メール機能で送った。数分その場で待機。
そこからの私の待遇の変化は面白いものだった。
屋敷の奥から年配の小間使いが走って出てきて、門をあけろと強い口調で言う。
恭しく屋敷の中へ通され、客間に案内され。
五分ほどすると、また同じ小間使いが来て、圭の書斎へ案内すると言う。
階段を上がり、重厚な扉を通り、そこに圭が立っていた。
「マエリベリー・ハーン、だね?」
「そうよ。あなたは、八雲圭ね。京都結界師を代表する八雲家の、次男」
「うん。この屋敷には兄の徹と住んでるんだけど、兄さんは今出張中だ」
「それは、知らなかったわ」
「ハーンが結界を持って現れたと聞いて、戻ってくるそうだ。少し、待ってほしい」
「え? いつ戻ってくるって?」
「今だよ」
圭の傍らから成人男性が生えてきた。にょっきり。
霊夢が知楽地下に飛んだ時と同じトンネルを、八雲徹も作れるらしかった。
徹は圭を見て、私を見て、そして言った。
「見せてくれ」
私はバッグから保管用結界を取出し、徹に手渡した。
「亜空間を利用した保管用結界だ」
「なんて高度な技術だ」
「これは、ハーンが作ったのか?」
「まさか、ちょっとした協力者が居てね」
「今の結界省にはとても作れない物だ」
「中に、人骨が入っているようだが」
「この結界を開けても構わないな?」
「その骨を圭に渡すために来たのよ、私はね」
徹と圭が結界を解除し、人骨を調査する。
床へビニールシートを広げて骨を並べて一つ一つ手に取り観察している。
「1300年前の遺骨だ」
「二人分ある」
「片方が成人男性」
「片方は女性だが、人間の物ではないな」
「妖怪だ」
「この男、結界師みたいだ」
少し離れた所に立ち二人の調査を見ていた私だったが、立ちっぱなしで段々疲れてきた。
飛び込みで何のアポも取らずに来たのだから少しくらいは我慢するべきだろう。
そう考えて太腿を揉んだり足踏みをしていたら、圭がその様子に気づいてくれた。
小間使いを呼ぶ。喫茶室へご案内しろ客人だ丁重にもてなせと指示を出す。
喫茶室? なんだその部屋?
ん? わたし? 私はここで立ちっぱでOKですよ?
優秀な小間使いは客人へそんな言葉を紡ぐ余裕さえ与えない。
半ば強制的に連れられて書斎を出る。
庭園を眺められる小洒落た部屋に通された。
コーヒーと紅茶、どちらが良いでしょうか。コーヒーで。
アイスとホット、いかがしましょうか。ホットで。
そして出てくる絶品コーヒー。私は吐血しながら飲んだ。
クッキーが出た。あ、これ駅前の店で買えるすげぇ高いクッキーだ。
チーズケーキが出た。あ、これ駅前の店で買えるすげぇ高いチーズケーキだ。
絶品である。私は喀血しながら飲んだ。
そんな風に寛いで、30分ほどが経った頃である。
小間使いが来て私に言った。丁寧過ぎて日本語に聞こえないけれど――。
何かこれから予定はありますかと聞いているらしい。
こういう時って、なんて答えるのが礼儀なのだろう。
良く分からなかったので正直に答える。
「私、縁談を持って来たの」
「縁談、でございますか。どなたとでしょうか」
「圭とよ」
「圭様と? 縁談を?」
「うん。縁談よ」
「ハーン様の、ご家族でしょうか?」
「いいえ、私よ」
「ハーン様自身でございますか」
「そうよ」
「ようするに、圭様へ求婚しているのですね?」
「あら求婚、良い言葉があったわね。それよ。プロポーズしてるの」
「かしこまりました。少々お待ちください」
私は椅子に座り直し、コーヒーを一口。
そして、チーズケーキを口に含んで、咀嚼。
手入れが行き届いた庭を鑑賞していると、喫茶室の入り口の扉が勢いよく開かれた。
血相を変えた圭がそこに立っていた。
「君は、正気か」
「正気も何も、大真面目よ」
「結婚と言う物がどういう事か、分かっているのかい?」
「したこと無いから、そんなに詳しくは知らないけれど」
「世間一般的には、愛を育んでから行う物だ。分かってるよね?」
「ええ、愛なんて微塵も無いわ。私、男ダイッキライだし」
「なるほど、理由があるのか」
圭が喫茶室に入ってくる。
私と向かい合う位置に腰掛けた。
「あんな結界と骨を持ってくるくらいだ。重大な事なんだろう。話を聞こう」
私は何も隠さず全て洗いざらい話した。
私の家系は代々、境界や結界を視認する事が出来る能力を持って生まれてくる。
目の能力の話、夢で別の空間へ跳躍する事から始まり。
大学で秘封倶楽部なる物を組織し、宇佐見蓮子と倶楽部活動をした事。
この能力を子へ継承させなければならないと思った事。
30分ほど話し続けた。私はふうと息をついた。
「ざっとこんな感じよ」
「それだけかい? まだあるだろう」
「まだまだあるけれど、長くなるから」
「全部話せばどれくらいになる? 30時間くらいかな?」
「まあ、それくらいにはなるだろうし、それ以上必要だろうけど」
「全部聞くよ。じゃあ10分休憩したら、続きを話してくれ」
圭が離席し、10分後戻ってきた。
アイスコーヒーとホットコーヒーを持っていた。
どちらが良いと聞かれたので、冷たい方を頂いた。
次は90分喋り続け、10分休憩。
120分喋り続け、10分休憩。
120分喋り続けて、日が暮れ始めた。
「また明日にしよう。部屋を用意させるから、泊まって行ってくれ」
夕飯を頂いた。部屋にいくつか候補を示された。
小間使いさんたちが常駐している部屋の隣をお願いした。
これは徹と圭を信用していないと言う訳ではなく。
単に呼んでから来るまでが早い方が良いと思ったからだ。
翌日からは午前に二時間、午後に一時間、寝る前に二時間、圭と喋る時間が用意された。
会話をするときは喫茶室に行き、コーヒーと菓子を貰いながら喋るのだった。
外出は基本的に許可されず、敷地内の小間使いの目が届く範囲で運動が許された。
それと屋敷内にあるトレーニングルームも使わせてもらった。プールがあった。
私は水が嫌いだったけれど、練習していたらずっと長い距離を泳げるようになった。
清潔な衣服、温かい部屋、豊かな食事、とても快適な暮らしだった。
私は八雲邸の居候として扱われた。
圭と話していて、男に恋を抱けない私の夫として、最適な人だと分かった。
ごくごく一般的大多数の男は、女の体を観察する時、とても特徴的な目つきをする。
頭の先から顔と胸と足を経由し、もう一度顔を見て、笑うのだ。最低である。
だがもっとも、そういった目つきが出来ない男は、むしろ尚更気持ち悪いと思う。
圭の視線がまさにそれである。視線に色欲が無いのだ。
たったその目の動き方だけで分かるのだ。女性に性欲を抱かないのだろう。
女性が形容する“気持ち悪い”を全て体現した視線だった。
発する言葉にも最低限の配慮を残すのみで、他人以上友人以下という感じ。
対して私も、圭を異性として見られなかった。
一目見た時から気づいたことである。――仕草が垢抜けていないのだ。
これは、異性との交流が少ないまま成人した男性に共通するものである。
いわゆる、貧弱な感じがする。虚弱で頼りない感じがする。
女はこういう男に、生理的な嫌悪感を抱く。
圭に対して恋愛感情を抱くことは、この先絶対に無いだろう。言いきれる。
居候生活が始まってから五日が経った時のことだった。圭が言った。
「オレはゲイだ」
「うん、知ってる」
「オレは女が苦手なんだよ」
「女性に相手をしてもらった事、ないでしょ?」
「だから、接触の心配はしなくていいよ」
「もし事故でも、あなたの肌に触れないよう注意するわ」
「ああそうしてくれ」
世界には二種類の同性愛者が居る。
一つは、性を超えた愛に気付けた人。
もう一つは、異性に相手をされなかったために、同性へ性欲を向ける人。
圭は明らかに後者だった。シリアスな言い方だとこうだけど。
ぶっちゃけると、男として問題がある男だった。大問題である。
このような背景と要素があり、私はなおさらこの男を夫に選ぼうと決意したのだった。
一週間経って、私は半生を語り終えた。
圭が頷き席を立ち、着いて来てほしいと言って席を立った。
私がどこへ行くのかと聞いてから初めて、書斎へ行くと言った。
こういう配慮が足りないから、女性に相手をされないのだ。
書斎へ行くと机上に様々な資料が拡げられていた。
まず、京都の地図へ画鋲が刺さっており、その画鋲に様々な書類がぶら下がっていた。
そのうちの一つを取出し、私に差し出した。40枚ほどの紙の束だ。
手に取り書かれているものを見て、驚愕した。
資料は秘封倶楽部の活動を記録したものだった。
細かく、時系列に。そして分かり易く詳細に。
“13時12分、昼食。”
“その後、露店でバニラアイスを購入。”
蓮子と私が塀に腰掛けて笑いあいながら、ソフトクリームを頬張っている写真。
結界を暴く瞬間の証拠とかは山ほどあるのに、この写真が最初に目に入ったのは偶然ではないと思う。
写真の蓮子をじっと見つめてから圭を見る。その魅力の無さにげんなりとした。
「四年間、秘封倶楽部をマークしてきたんだ。いつでも、逮捕できた。
だけどそれをしなかったのは、秘封倶楽部の実力を見極める為だった。
大学を卒業しても秘封倶楽部を続けるようだったら結界省にスカウトするつもりだったんだ。
それが途中でハーンが倶楽部活動を放棄するようになった。
宇佐見の尾行を回避し、オレ達の追跡さえも振り切って、時間を過ごすようになった。
ハーンが一人で倶楽部活動をしている訳ではないと分かった。ではいったい何をしているのか。
その謎が、八雲邸に持って来たこの結界に集約されるわけだ」
圭が保管用結界を手に持ち掲げて見せた。
「宇佐見を傷付けない為に、ハーンは一人でずっと準備をしてきたんだ。想像を絶する忍耐力だ。
そして能力を継承したいという話が大真面目だとは、最初の30分の話で分かっていたよ。
ただこの一週間、考えたかったんだ。ハーンが八雲家婦人となるならば、知らなくちゃいけないことがある。
その事実を全て話す用意が、オレにあるのかどうかってね。そうして今決心がついた。
これから話す事はすべて真実だ。全てが現実に起こっている話。今も継続している事象だよ」
圭が話し始めた。
結界省の秘密についてだ。
結界省は結界の技術を集めている。
何百年、何千年も前から残り続ける結界資源を確保し、軍事技術に応用している。
魑魅魍魎の類は隠れ里を作り、現代の日本を生きている。
妖怪達は隠れ里の外へ脅威を及ぼす気は毛頭なく、静かに暮らす用意が出来ている。
隠れ里の中にも人間が居る。妖怪と共に助け合い平和な暮らしを続けている。
隠れ里を、幻想郷と言う。
幻想郷は多数の支部がある。妖怪達が暮らしている。
場所に見当はついている。京都の地下にも存在が確認されている。
ただ双方ともに互いを黙認している。協定を結んでいる訳ではない。
これは大規模な戦闘になれば国を揺るがす紛争に発展するという、国家側の都合と。
協定を結んで存在を認められると幻想郷を形作る結界が弱まってしまうという、幻想郷側の都合が一致したからである。
幻想郷を作る境界には主に、二つの要素がある。
一つは、博麗大結界。常識と非常識を分け、幻想郷を構成している。
もう一つは、幻と実体の境界。妖怪達を保護し幻想郷に呼び込む力がある。
妖怪達は度々、幻想郷から外の世界へ出てくることがある。
外の世界の情勢や動向を調べる為である。
結界省はそうした妖怪達を捕まえ、結界技術を奪い取り、兵器を開発している。
この八雲邸にも、先祖が残した結界資源が隠してある。
外界に残る結界資源を結界省が軍事転用する事を、幻想郷はよしとしない。
度々結界資源をめぐって、紛争が起こっている。
結界省は主にその紛争へ勝利するために組織された、特殊部隊である。
幻想郷の妖怪達は、一定周期でごくごく少数の人間を拉致する。
幻想郷には人食い妖怪も住んでおり、人肉が必要なのだ。
ただしこの拉致はとても巧妙に隠蔽される。
また、本人の意思を尊重して、幻想郷の管理者が接触しに来ると言う。
行方不明者の何割かがこうして幻想郷の妖怪達の血肉になる。
「ここからはオレ個人の秘密になるんだけれど」
「あ、じゃあ聞かなくていいかな」
「まあそう言わず聞いてくれ。結婚ってのは、秘密を作っちゃいけないものだから」
私が持って来た保存用結界を片手に持つと、同じものがもう片手に生成された。
「オレも、能力者なんだ。模倣する程度の能力を持つ。これで、幻想郷の技術を盗んできた。
触れなくてもできるが、実際に手に取った方が忠実に再現できる。
ただ模倣する前の物を上回る物は生成できなくて、精度としては5割減の完成度の物が出来る」
「5割減? それってかなり致命的じゃない?」
「大抵は粗製品だね。でも、確実に似たような物を作れるんだ。
ハーンの能力も真似できるよ。やってみようか?」
「いや、いいわ。気持ち悪いから。ところでその結界」
私は霊夢が作った保存用結界を指差して言った。
「その結界って相当すごいものだよね?」
「ああ、結界の中に亜空間を作って、あらゆるものを保存できるようにしてる」
「何でも持ち運べるの? 重さはどうなるの? どれくらい保存してくれるの?」
「物質以外も保存できるよ。例えば妖力を保存したりもできるし。
ゴム風船みたいなものだね。時間で劣化して、入れられる量が減っていく。
最後は結界そのものが維持できなくなって、割れて終わりだ」
「なんかそれ、かなりオーバーテクノロジーのような気が」
「だからハーンがこれを持って来たとき、驚いてたんだよ。これを作った協力者とは?」
「もう連絡を取り合ってないけれど、どこかで私をモニタリングしてると思う」
「名前を教えて欲しいな。オレ達にも紹介してくれよ」
「向こうの許可が出たらね。次にいつ会えるか分からないけれど」
徹と圭には、霊夢の事を秘密にした。
当然結界省からしたら、霊夢は犯罪者だからである。
世間体があるから、という事で正式な入籍は一年間待たされた。
それから私は八雲の名を名乗ることになり。
体外受精、体外妊娠の措置で、紫が生まれた。
育児はとても楽しかった。全く苦を感じなかった。
世間一般的に言われる子育ての苦労が、紫に当てはまらないという点も、あったと思う。
紫は夜泣きをせず、体調も崩さず、そして大人びていた。
発音を覚えるよりも早く読み書きを習得した。
四則演算は学ばずとも理解していた。
ひたすらに結界技術と境界の在り方に興味があるようで、勤勉だった。
あっと言う間に大きくなり、小学校に入学した。
ある日小学校の先生が話をしたいと、連絡を取ってきた。
授業中にベクトルの計算方法を質問したそうである。
教師が質問に答えると、どうやら参考書の記載が間違えていたようだった。
「やっぱりママに教材を選んでもらわなきゃダメだなー、これポイしよっと」
既に学力が高水準の高校卒業レベルに達していると言った。
うん、知ってたけどね。
文科省の役員さんが来て、飛び級が許可された。
さて大学受験、どこの大学に入れるべきか。むしろ、国外へ行かせてもいいのではないか。
何を学びたいかと聞いたら、私が学ばせたいことを学びたいと言ってきた。
紫を観察しながら、何が一番ためになるか考えている時だった。
小間使いからの連絡で、客人が玄関まで来ていると言う。私に用事があるらしい。
なんとなく、第六感が働いた。この来客は手厚くもてなさなければならない。
文科省の人かしらと思った。丁度今私が悩んでいることが紫の事だから――。
真っ先に思い付いたのは、紫を何かしらのプロジェクトに参加してほしいとかかしらん?
「名前は? なんて人?」
だが、この予想は大きく外れることになった。
「太田霊夢様です」
「すべて、霊夢のお蔭よ。ありがとう。もっと早く連絡を取りたかったんだけど」
「いいのいいの。こっちも色々とやってたからね。こんにちは紫、最近どう?」
「ママが霊夢のお蔭だって毎日言ってるよ。私は元気」
「勉強は楽しい?」
「結界式の教材が無くってね。困ってるんだー」
「あら、あなたのパパじゃダメなのかしら?」
「圭は子育てを完全に私へ一任しているの。だから、ちょっと期待できないかな」
というのは物の言い様だ。私が提案したのである。
紫の教育は私に全て一任してほしい、と。
そもそも紫を生んだのは、私の責任であるし私の願望である。
圭自身には父親としての責任感があるらしいが、圭の結婚相手を私が奪ってしまったという形になる。
もし私が圭を選ばなければ、もっとほかの相応しい血筋の相手と関係が出来たことだろう。
いわば私は、八雲家のイレギュラーなのである。そのように圭に相談したのである。
“考えすぎだよ”と圭は笑った。
“だけど、マエリベリーらしいね。わかった、紫のことは任せよう”
“でも何かしらの困ったことがあったらすぐに言ってくれよ。オレだって父親だから”
“それと、子育てはオレが無責任な感じになってると言う筋書きにしよう”
“そうすればオレは『研究に没頭するゲイ』で、マエリベリーは『変人に寄り添う良き妻』になるからさ”
紫は結界の勉強を続けているが、近頃ついに私の手が届かない領域に行こうとしていた。
それで圭に相談しようか否か、という時分だったのである。
「じゃあ、私が先生になってあげようか」
「え? ほんとうに!?」
「え? ほんとうに!?」
霊夢が結界の先生をやると言い出してくれた。
これは闇夜に提灯、渡しに船、旱に雨、紫に霊夢である。
ゆかりにれいむ、略してゆかれいである。
神は言った。蓮メリ、れいまり、まりありも良いが、ゆかれいも良いぞと。
ただ近頃は、某作家さんの作品を呼んでゆかてんにも目覚め始めたぞ。ゆかてん! ゆかてん!
ごほん、何を言っているんだ。
興奮のあまり取り乱してしまったらしい。
「私は世界トップレベルの結界師よ。不足は無いでしょ?」
「ほんと!? やったー! じゃあちょっと質問なんだけどさー」
と端末へ式の入力を始める紫。
紫の質問へ片手間で答えつつ、私の方へ向く霊夢。
「マエリベリー、話を聞こうかしら。相談したい事あるんじゃない?」
「え、うーん、まあ特にないかな。それよりも霊夢の話を聞くべきだと思うんだけど」
「第一に、紫に通わせる大学をどこにするか悩んでるんじゃない?」
「げげ、当たってるわ」
「第二に、宇佐見蓮子に会いたいんじゃないの?」
「参りました。やっぱり霊夢には敵わないな。大学はどこがいいと思う?」
「宇佐見はね、母校の大学で教授をやってるわ」
「へえすごーい。しっかりキャリア詰んでるんだね」
「それと、JAXAの宇宙開発科で研究職を掛け持ちでやってる」
「まあそれくらいの頭脳を持ってると思ってたけれど、やっぱりすごいね」
「さらに宇佐見、ずっとあなたを探してる。沢山の探偵を雇ってね」
これには少なからず、ぐっと来た。
「あなた、宇佐見から黙って姿を消したことに罪を感じてるでしょ」
「まあ、そりゃあ、ね」
「でも宇佐見が大学の教授をやってるって聞いて、会おうとするのを諦めたでしょ」
「当然よ。そんな忙しい人が、私になんて会う時間がある訳無いわ」
「宇佐見は一人で秘封倶楽部を続けてるわよ。あなたが居なくて全く進んでないけどね。
それに、大学時代あなたと一緒に貯金していた口座へ、ずっと振り込みを続けてるわ。
あのお金は手切れ金のつもりだったんでしょう? でも、宇佐見はそう考えていないわ」
私から視線を外し、コーヒーを一口すする霊夢。
「宇佐見の講義を受けるために世界中から優秀な人が集まってる。世界レベルの講義よ。
もし大学で迷ってるんだったら、宇佐見に教鞭を取って貰う以上の条件は無いと思うけれど?」
紫の結界の勉強はメールのやり取りで行うことになった。
霊夢自身が忙しいと言うが、課題の量と質は紫が満足する物だった。
大学入試、飛び級での試験なので、広い講義室で紫がただ一人、問題を解く。
時間を余らせ、試験監督に提出。もちろん試験監督はリアルタイムで問題を解くのを見ていた。
問題用紙を受け取り、一言言ったという。
「満点だ。天才美少女、君は天使か」
アニメの見過ぎだこのロリコンが!
晴れて合格。
入学が決まった。
霊夢に蓮子の連絡先を聞き、蓮子を呼び出した。
「私は、院に行ってね。JAXAの宇宙開発科で研究職と、母校の大学教授を掛け持ちでやってる」
「へー! 大学かぁ! あたしも来年から大学に行くんだぁ! 今は結界の勉強してるところー!」
「あ、へえ、メリーも大学に行くんだ? ふーん。一体どうしてまた大学へ?」
「だって小学校つまんないんだもーん。大学に行きたいって言ったら、ママが良いよってね!」
「え? 小学校? それに、ママ?」
「うん! ママ! 今日は宇佐見に会いに行くから早く起きなさいって言ってさ!」
「ふむ? それで? 早く起きてからはどうしたの?」
「朝はママが焼いてくれた目玉焼き食べたんだ! ベーコンのが好きなんだけどねー!」
「うん、じゃあちょっと耳をふさいでてくれる? おっきな声出すからね」
「分かった! はい! いいよ!」
「メリー! 出て来なさい! これどういう事よ!」
はいバレた。速攻でバレた。
まあ仕方ないよね。
私は蓮子に会えて歓喜した。もうここで押し倒してちゅっちゅしたかった。我慢した。
フレンズのママさんに迷惑をかけられないし、粒子線により大量出血者が出ると第六感が働いたからだ。
教授職に就いた蓮子は大分痩せて、学生時代の風貌とは別人のようになっていた。
だけど、両手の使い方、視線の動かし方、歩き方、息の仕方、その全てが蓮子だった。
「蓮子、痩せたわ。ちゃんと食べてる?
学生時代のあなたが会ったら、きっと驚くわ」
「メリーは、変わらないね。相変わらずメリーだよ」
新生秘封倶楽部を組織した。
活動の目的は、蓮子のリクエストにより、結界省の秘密暴きという事になった。
活動の根幹が失われてしまうので、結界省の秘密に関しては、蓮子に秘密にした。
「良いわね紫、蓮子には結界省の秘密をばらしちゃダメよ?」
「えー? じゃあどうすればいいの?」
「秘密が分からない程度に、秘密を明かすのよ。あなたが誘導するの」
「なるほど。えへへ、ママはやっぱり宇佐見が大好きなんだね」
私は、倶楽部活動さえできればあとは何でも良かったのだ。
「はい、この人が太田霊夢。宇佐見蓮子は、知ってるか」
「こんにちは太田さん」
「霊夢でいいわよ。私もあなたの事、蓮子って呼んでもいい?」
「もちろん良いよ。いやあでもあなたの探偵技術、手も足も出なかったわ」
「蓮子の尾行技術と捜査の発想も高い水準だったけどね。ちょっと危ない事が何度かあったかな」
蓮子に霊夢を紹介した。
霊夢が結界を使えるという事は、秘密にした。
結界省の秘密につながる知識だからである。
「へえじゃあ霊夢、たった一人で、私達で言う所の秘封倶楽部みたいなことをやってたんだ」
「偶然にもそういう知識をつけられる環境にいたからね。興味もあったから」
「もっと別の形で会いたかったわ。そう思わないメリー?」
「そうね。ところで蓮子、霊夢と仲良くやってくれてよかったわ」
「なに言ってんの、私は別に蓮子のことが嫌いであなたの事を隠したわけじゃないし」
「霊夢が私と敵対したのも、メリーが仕方なくそれを選択したからでしょ。いがみ合う必要はないよ」
因縁があったから、仲良くやってくれるかと心配したが、杞憂だったようである。
「あ、ところで霊夢、良ければ秘封倶楽部に入らない? 今絶賛部員募集中なのよ」
「あら、部員は何人いるのかしら?」
「あたしが部長で、宇佐見とママの三人だよ」
「うーん、これから4年くらい、ちょっと会う機会が減ると思うのよね」
「そう? まあ無理にとは言わないけれど」
「でも私たちは気にしないわよ? 蓮子とまた会えたのも、霊夢のお蔭だしね」
「本当に? じゃあ、私も仲間に入れて貰おうかしら」
太田霊夢が秘封倶楽部に仲間入りした。嬉しかった。
これでやっと何の憂いも無い倶楽部活動ができる。
順風満帆、私は日々の暮らしに満足していた。
そうして日々の充実した時間を過ごしていて、ちょっとした趣味を始めていた。
私は、毎日の日記をつけることを、学生時代から惰性で続けている。
日記の内容は基本的に、蓮子との接触の記録だった。
会話の記録、身体的接触の記録、蓮子の癖、蓮子の魅力、蓮子の匂い、蓮子の、味。
私は完全に蓮子に惚れていた。蓮子と一緒に居たくて秘封倶楽部に癒着していた。
私にレズっ気があると蓮子も理解してくれていたし、受け入れてくれていた。
学生時代は、短い間隔で触れ合えることが出来た。
手を繋いで、頬を密着させて、抱き合って眠ることが出来た。
毎日溜まり続ける欲望を解消する事が出来ていた。
それが、十年間の隔たりをあけたのだ。
大学卒業後の蓮子と私、二人で願いを成就させられる、最適解だった。
溜まりに溜まる十年間、果てしない忍耐だったが、私は耐えてみせた。
蓮子と体を密着し眠れる。蓮子に体を抱いてもらえる。
この十年間を耐えれば、またその生活に戻ることができる。
姿を晦ませて過ごした十年間はそれだけを楽しみに過ごしてきたのだ。
ところで、愛する一人娘の紫の成長に有害なものは徹底的に排除しなければならないと、私は考える。
免疫をつける為にある程度は触れさせるべきだという考えは、絶対に許せない。
当然、母親の性的な接触の痕跡など言語道断である。
子育てにここまで拘束されるとは思ってもみなかったのである。
ましてや蓮子は日本を代表する学者であり、毎日が繁忙な日々の連続である。
なんとか時間をやりくりして八雲邸に来てくれるが、それで精一杯の様子だ。
この蓄積を続けた膨大な欲望は、吐きだす先を失ってしまっていた。
そして欲求不満は、病的な性癖を生み出してしまっていた。
私を必要とさせたい。
必要とされたいのではなく、させたいのだ。
母親として倶楽部部員として、ではない。
もっと病的に、執拗に、私だけに固執して。
私が居なければ何もできなくなるほどに。
強く強く、私の吐息まで全てを、である。
それにはまず、二人を精神的に追い込ませなければならない、と考えた。
健常者は自立してしまう。だから、自殺一歩手前まで追い詰めるのだ。
人間は精神的なダメージを負うと防衛機制が働く。
種類は多々あるが、共通して言えることは、最も容易に手に入る防衛を選ぶことが多い。
蓮子に取ったら私は、長い時間を共にした倶楽部パートナー。肌を見せ合った関係。
紫に取ったら私は、母親であり、あの歳ならばコミュニティも少ない。行動原理の根幹と言っても良い。
条件は、クリアしている。あとはどのようなストレスを与えるか、である。
誰か人を雇って、二人の手足を拘束し全身の骨を折って痛めつけ逃げられないようにし。
そこを私が助ける。二人は後遺症で生活がままならず、私を頼るしかなくなる。
こんなことを考えたが、やはり日頃聞く犯罪のニュースから知るリスクを鑑みた。
妄想の中だけで楽しむことにした。
もっと私自身が努力をして苦労をしたものの方が良い。きっと、その方が興奮する。
長い時間をかけて人生を費やし膨大な労力を掛け高尚な次元まで積み上げ矜持として抱えているもの。
それをぶち壊してしまうのが良い、と結論が出た。
私の計算上の事故でぶち壊れ、嘆いているところに、私が現れるのだ。
身体をそっと撫でて励ます瞬間を妄想して、私は興奮した。よしこれにしよう。
二人が既に持っているものを見つけても良いし、今から作らせても良い。
10年間、禁欲してきた私なのだ。それくらいの忍耐は耐えられよう。
私は専業主婦である。趣味で結界の資料を読む以外に、やることは無い。
時間は山ほどある。
計画を練って秘密の日記に纏めて行くことにする。
「いい加減、お手伝いさんの見張りも付かなくなったようね」
「そうだね、やっとフェーズ2へ移行だ」
そうしてややあってから帰ってきたときである。
紫がただ無言で近づいてきて、黙って私に抱きついたのだ。
私の快感神経は反応しなかった。
ただ抱きつかれるだけじゃダメなのだ。
紫がこうやって甘えるとき、大抵は蓮子が補足を加える。
しかし今回はその蓮子の補足が無かった。
「お年寄りの荷物を持ってあげたのよ」とか。
「道中でかわいい猫を見つけたの」とか、些細な事だったが。
ただ今回はわずかに眼を細め、紫を見るだけだった。私は不審に思った。
「何かあったの? 紫、大丈夫?」
「ねえママ、なでなでして」
「蓮子、どうしたの? 怪我とかしたり?」
「ごめんなさいメリー、あのね、」
蓮子が謝った。私は戦慄した。
後に続く言葉が恐ろしかった。
私が潰すよりも早く潰れてしまっては、計画がおじゃんだからだ。
「曲がり角で私が脅かしたの。わっ! ってね、そうしたら紫が怖がっちゃって」
「え? なに? そんなこと?」私は肩透かしを食らってしまった。
「あと、私が隠れて本棚から本を落としたり、携帯端末でホラーな音を鳴らしたり」
「どんな音?」
蓮子が端末から、不協和音を鳴らした。
オオオォォォと男性の悲痛な唸り声の様にも聞こえる。
あとは、女性の金切声。あれくらいならば、私がやった方が上手い。
確かに不安になる嫌な音だった。だが、それだけだ。
子供は感受性が豊かだから、大人にとっては何ともない事でも、心にダメージを残す。
「もう蓮子、あんまり紫を怖がらせないでね。ほらこっちで牛乳でも飲もっか」
私は気合いを入れて紫を抱きあげた。
近頃大きくなったからだっこするのも一苦労だ。
近い将来、私が抱えてあげることもできなくなるだろう。
紫は震えていた。強く四肢に力を込めて抱きつき、無言で恐れていた。
だが、その様子がとても愛おしかった。
この、感覚である。私を必要とする、この状態が望ましい。
少し一緒にいて喋ってあげたら元気を取り戻した。
私は計画の続行を決意した。
その一件があってから、目に見えて紫の様子がおかしくなった。
明らかに蓮子と二人で、私に隠れて何かをやっているようだった。
紫が大学で過労に倒れた後は、毎日必ず一緒に寝ることにした。
ベッドの中、紫の髪の毛を弄りながら夢現でいたら、紫がこんなことを聞いてきた。
「もし10年前に戻れるとしたら、何を変えたい?」
「私は満足よ。今のこの状態にね」うつらうつらしている状態だったので、本音が出た。
「何もしないの? 10年前から一度やり直せるんだよ?」
「あなたが居れば、幸せ。急がなくていいから、色んなことを経験して、立派に育ってね」
11歳である。そろそろ、甘えには拒否を示したほうが良いだろうか?
いや、ひょっとしたら私が子離れできていないのかもしれないね。
睡眠時間をきちんと摂るようにしたら、紫は安定をしてきた。
全身の引っ掻き傷も治り、綺麗な肌を取り戻した。
私は、少しずつ距離を取ることにした。子離れの準備だ。
そして同時に我慢の限界だった。
蓮子と紫がやっていることを、私は暴くことにした。
蓮子と紫は、五次元の壁を突破し、並行世界へ跳躍する装置を開発しているようだった。
私は能力を使用し二人の研究室へ忍び込んだ。そこで、見つけた計算式を解いた。
なるほど、私が博麗大結界の人柱に選ばれるパラレルが存在する様である。
蓮子と紫はそれを回避するために、跳躍装置を研究しているようだ。
とても複雑な式ではあるが、計算さえできれば足し算と一緒である。
要素も出揃っている。知楽結界、幻想郷戦力、結界省戦力、事実と誘導と、嘘。
それらを全て計算式に当てはめると、どのように結果へ作用するかが分かった。
理解した。蓮子と紫は、誤解しているのだ。
この旅は、並行世界の私を救う事にはならないと。
決定的な発想が足りていないのだ。
二人の旅は時間の浪費に終わるだろう。
“13代目博麗の巫女”は、理不尽に奪われた先代巫女との過去を取り戻すつもりだ。
そうして秘封倶楽部に接触し、過去に飛ばしてくれと懇願する。
同情した私は“13代目博麗の巫女”の願いを聞き入れ、過去へ飛ばす。
12代目は、13代目が過去へ執着し職務を放棄した事実を聞いて、教育意識を改める。
幼少の13代目巫女を再教育する事になる。
誤算だったのは、13代目の巫女が、意識を改めた12代目の教育に耐えられなかった点だ。
12代目は13代目を甘やかし過ぎたと自覚してしまうのだ。
あまりに激烈な指導に13代目は倒れてしまう。
12代目は愛した弟子を傷付けたショックで巫女の力を失う。こうして、人柱が必要になる。
私は博麗大結界の中で人体をバラバラにされ、精神のみの生物となる。
ざっといえばこんな感じ。だから蓮子と紫がどのように努力をしようと無意味である。
正すべきは12代目の行動だろう。12代目の教育方法を早い時期から改めさせることだろうか。
そんなことは不可能である。12代目は弟子を溺愛しているし、13代目もそれに癒着している。
別の回避法としては、 13代目に同情してはならないと説得することだろう。
向こうの私はやたらと同情的である。人のダメージを見ると心が弱り、直情的に行動してしまう。
こちらも不可能だ。真実を告げた所で、13代目に泣きつかれ懇願されたら、断れないだろう。
病的なほどに精神が弱いのだ。
向こうの蓮子はさぞかし苦労しているだろうと思った。
そもそも、である。13代目がどうして外の世界に呼び出されてしまったかという点だ。
これは、私が心的に不安定になり、12代目を八雲邸に呼び出してしまう事から始まる。
八雲家の事実を知ったことによるショックが原因だ。
結界省の真実を聞いて不安定になるのだ。
蓮子は頭が良い。結界省の真実を想像し、予想しているから、ダメージは少ない。
ただし私は、卒業後に秘封倶楽部が解散する事になるのかと、頭がいっぱいだ。
蓮子を頼れず、不安を一人抱えて、12代目を呼び出してしまうのである。
ふむ、と思った。こんなパラレル、捨て置けばいいのだ。
IFストーリー、三流小説、脳内妄想、趣味のSS執筆。
それを脱しない酷い出来である。鼻で笑い飛ばせる世界構成だ。
パラレルなんて秒間数千兆と発生しているのだから、相手にするだけ無駄である。
残念だったねまた来世で頑張ってね、くらいで十分なのだ。
どうやってこのパラレルの存在を知ったかはわからないが、紫が放っては置けないと駄々をこねたんだろう。
子供は感受性が豊かだから、大人にとっては何ともない事でも、心にダメージを残す。
蓮子も11次元宇宙の研究に没頭しているから、ついつい乗ってしまったのだと予想できる。
跳躍装置はあと一歩で実装できる。
式が間違えているから、それを正す必要がある。
現段階からこの式を解くには、ほんの少しのひらめきが必要だ。
それこそ蓮子の頭脳ならばごくごく単純な発想で得られるものだ。
たったそれだけのひらめきなのだが、――蓮子は近頃十分に休息を得ていない。
疲労した頭脳は機能しない。一度ぶっ倒れてまとめた休息を取らない限り、ひらめきは得られないだろう。
もちろん体調管理をきちんと身に付けている蓮子はそんなへまはしない。
だから、完成は不可能である。
このままでは、蓮子と紫は跳躍装置を完成させられない。
そして挫折して諦めて、努力が報われなかったことに意気消沈するだろう。
弱った二人を慰め、よしよしするのもそそられる。
まだたった数年の蓄積だが、私の計画の達成も幾分か期待できるかもしれない。
紫とも近頃距離を取ってるし――。
紫がいるから、蓮子とはご無沙汰である。
これはとても、とても魅力的なことだ。
――だが、と思う。
このパラレルの話も興味深い。
違う、興味深いのは、跳躍したパラレルへ干渉できる点だ。
どのような無責任な行動をとっても、責任を問われることが無いのだ。
自分の愛する物をめちゃくちゃに破壊する魅力は、誰しも一度は妄想する事だろう。
いやもちろん現実世界じゃそんなことできないけどね?
理性が働くし、社会的に抹殺されるリスクを考えて、そんな発想すぐにおじゃんだ。
むしろそんなことを考えてしまった自分を恨んで勝手に落ち込むレベルだ。
実践する決断はサイコパスくらいにしか出来まい。
私は、計算式を訂正した。
そして、少しだけ、パラレルへ干渉する事にした。
向こうの私がほんのちょっぴり精神ダメージを負う様に、調整するのだ。
私というファクターを加えたらどのように作用するか。すこし楽しみだったのだ。
人の生を蔑ろにして責任を取る必要が無い、これは神に匹敵する力である。
一人の人間の生を無価値に扱う事が出来る体験、――きっと最初で最後だろう。
向こうのパラレルに干渉している背徳。私は心底興奮した。
体温が5度くらい上昇した。呼吸も荒かっただろう。目だって血走っていたかもしれない。
興奮のあまり、蓮子のキャミソールを持って帰ってきてしまった。
翌日、機器が動作した報告を受けた紫が歓喜した。
八雲邸に乱入してきた蓮子と抱き合って喜んだ。
あと、なぜか小間使いも一緒になって喜んでいた。なんでお前も一緒なんだ。
それから数日が経った時である。
蓮子と紫が、リビングで寛いでいる私へ接近してきた。
「ねえメリー」「ねえママ」
「うん? なによ二人してニコニコして、可愛いわね」
「協力してほしい事があるの」「協力してほしいんだ」
「なにに? 言っておくけれど、断る理由なんてないわよ」
「“境界の揺らぎ”ってあったじゃん?」
「うんあったね」
学生時代の秘封倶楽部で遠征に出かけた時に、度々見かけたものである。
境界が不安定になり、他の境界を巻き込んで吸い込む現象のことである。
感覚的には、気圧が高い方から低い方へ空気の流れが発生するような感じ。
境界の揺らぎは辺りの物を吸い込むだけ吸い込むと安定しまた元の確固とした境界に戻る。
ただその吸い込まれたあとにどこへ行くかは、分かっていない。
人の思念が作用して緩ませているという事は分かるのだが。
――多分巻き込まれたら境界の一部になるのだろうと想像する。
この境界の揺らぎは、いわばブラックホールみたいなものだ。すっごく危ない。
吸い込まれたらタダじゃすまないだろうなーという事で。
見つけたら基本的に倶楽部活動は中止にするのが通例である。
あれに吸い込まれて私か蓮子どちらかが失踪するパラレルも存在するんだろうなーと思う。
「境界の揺らぎを探しに行きたいの。手伝ってくれる?」
「別に構わないわよ。じゃあ紫、野山に入るから道具揃えに行きましょうか」
時刻がもう夕方だったので日を改めることにする。
圭に一言、明日紫と蓮子と一緒にハイキングに行ってくるね、と伝える。
そうしたらGPS装置を持って行くように言われた。
まあ仕方のない事だね。同行すると言われないだけよしとする。
翌日、蓮子は背中に重そうな機械を背負ってきた。
映画に出てくる、通信兵が背負っている無線機器みたいな感じだ。
あれが先日に私が弄って動かした並行世界跳躍装置である。
境界の揺らぎを利用して五次元空間へ移動する事は、もう私は知っている。
「ねえ蓮子、その機械が何かは分からないけれど、これからの山に入るんだよ?」
「いいのいいの。これは私がずっと持つし、迷惑はかけないから安心して」
ハイキングはとても楽しい時間になった。
基本的にはずっと屋敷の中に引き籠ってばかりだし。
運動は八雲邸内にあるトレーニング設備で終わらせてしまうのだ。
実際に野山に入って体を動かし森林浴を楽しむ。とても快適である。
蓮子と紫が、野鳥の鳴き声を聞いて、生態を解説した。野草の話も色々と聞いた。
幸せな時間だった。なんら変わらない、秘封倶楽部活動だった。そして見つけた。
掃除機の口が空中に固定され、無茶苦茶に首を振りながら吸引しているような感じだ。
その場で辺り構わず吸い込みまくっている。やっぱ、実際に見ると怖いね。
30メートルほど距離がある。距離を維持すれば大丈夫だ。
蓮子は了解し、背中の機器をその場に下ろした。
ハイキング用のシートを広げ、三人でそこに座る。
蓮子、若干緊張をはらむ様子で。
「メリー、この機械はね、」
「ええ、知ってるわ。並行世界を移動する機械でしょ」
「え? 知ってるの?」
「紫、あなたがあまりにも苦しんでたからね。研究室に忍び込んで、計算式を直させてもらったわ」
「ありゃりゃ、どうりで唐突に不具合が直った訳だ。おかしいと思ったんだよ」
「それじゃあママ、もう向こうの世界に行ったんだ?」
「一足先にね。若い私はやっぱり蓮子と仲良しだったわ」
「この実地試験で失敗したら揺らぎに吸い込まれて戻って来れないからね。
一応、その危険をメリーに伝えようとしたんだけど」
「大丈夫。その機械は、とてもよくできてたわ。でも今回は、すぐに戻ってくるんでしょ?」
「うん。数分だけ向こうを観察して、終わりにするよ」
「私は、ここで待ってる。蓮子と紫だけで行ってきなさいな」
二人は変装を始めた。帽子と眼鏡で顔を隠した。
シートに寝転がり、目を閉じて、数分後戻ってきた。
すっかり興奮した様子だった。興奮の種類は私とは違うけれどね。
「計算通り、10年前のパラレルよママ」
「大学時代ね。メリーあなた、一人でコーヒー飲んでたわ」
「コーヒーショップの窓際の席でね、アイスクリームとコーヒーを飲んでた」
「やっぱりメリーは今も昔も変わらないね。コーヒー好きなんだね」
「ママ綺麗だったよ。コーヒーはブラックだったよ」
「二人してコーヒーコーヒー言い過ぎよ。分かったから、帰りましょうか」
私は二人と森林浴が出来て、二人の寝顔と喜ぶ顔が見れて、もう満足だった。
そうして後片付けを始めようとした時だ。足音が、近づいて来ていた。
三人で手を止めて道の方向を見る。登山道を抜けて現れたのは。
「実験は成功したようだな。ならばその機器は没収だ」
徹と圭だった。
機器はその場で没収。二人は亜空穴で帰ったようで、姿を消した。
私たち三人は無言で帰路に付いた。
私は疲れてうとうととしてしまったが。
蓮子と紫は無言で虚空を見詰め、何か感情的な思考を続けているようだった。
もう暗くなり始めていた。
屋敷が見え始めた所で、蓮子が口を開いた。
「悔しい」
一言、たったその一言だった。
私は蓮子へ、屋敷へ泊って行くことを提案した。
目を離したら爆弾でも作って八雲邸を吹っ飛ばしに来そうだと思ったからだ。
蓮子はそれに首肯で返事をした。紫は無言だった。
小間使いへ、私の部屋へエキストラベッドを追加してもらうように頼んだ。
屋敷で夕飯を食べた。蓮子は無言で素早く平らげると、風呂へ入りに行った。
私はこの後の快楽を予感していた。
ぞくぞくとしていた。欲望が背筋を絶えず撫でていた。
二人は数年間の努力を突然蔑ろにされ、消耗している。
私は、二人が弱っているのを心配している。そのフリをするだけである。
降ってわいた様な好機だ。
存分に、愛でることができる。
紫が座っている私に近づいてきた。来た、と思った。
10年以上の蓄積を吐きだせる瞬間が、近づいている。
もうこの予感だけで、絶頂間近だった。
紫が私の手を取り、言った。
「ママ、取り返してくれるよね?」
「考え中」
「どうして?」
「救えないものもあるって事を知るには、良い機会だからよ」
「救えるものは手を差し伸べたいよママ」
「場合による」
「ママが、向こうで酷い目に会うんだよ?」
「別パラレルの別人だから」
「あたし、放っておけないよ」
「それを学ぶ良い機会なのよ」
私は、紫の頬へそっと手を伸ばした。ここから、始まるのだ。
だが触れる直前で、その手を紫に振り払われた。
魅惑の褒美を眼先につるされ、ちらつかされているような気分だった。
「ママは達観しすぎだよ。そんなの、おかしいよ」
「紫、こっちに来なさい」
「いやだよ。そんなの気休めだよ。何の解決にもならないじゃん」
私は立ちあがり、紫に歩み寄った。
紫は後退りをして私から距離を取る。
「努力は実らない事もあるのよ。人生というのはそういう物だから」
「実らないって言ったら実らないよ。成果を出すために努力を続けるんだよ」
私の脳は論理的な思考の一切をかなぐり捨てていた。
産毛も生えそろわない柔和な白い肌。目じりから顎先にかけての、曲線美。
精神的に弱っている人間の肌。格別の手触り。
実の娘だと言うならば尚更である。
それを愛でたい衝動を拒否されて私はイライラとしていた。
黙って私に甘えればいいのに、変に大人ぶっている。
「あなたは努力に固執しているのよ」
「違う、そんな事無い。ただ私は、私はママを救いたいだけだよ!」
「どうにもならない事もあるの」
「まだだよ! 全然、まだだよ! 手立てはあるもの!」
紫を部屋の壁に追い詰めた。
私の影が、紫にかかっている。
涙を双眸に貯めこちらを見上げる顔が、より一層私を高ぶらせた。
紫を愛でたい。頬擦りしたい。あの頬へ舌を這わせたい。
「紫、感情的にならず、考えなさい。かなわない事もあるの」
「諦められないよ! そんな、ここまで来て! ここまで来たのに!」
大声を出して激しくかぶりを振る。
もう後は無い。あとは、抱きしめるだけだ。
「あなたはよく頑張ったわ。さあおいで」
そう言って両手を広げると、紫はぼろぼろと涙を流し始めた。
もうひと押しだ、と思った。いや、もう、走り寄って抱きしめても良いだろう。
積み上げた巨大なトランプのタワーの支柱に手を掛ける、まるでその瞬間。
崩れる刹那、快楽の予感、勝利。私の、勝ちだ。あとは、容易い。
しかし紫が、か細い声で一言、こう言った。
「私が手遅れになったら、ママはそう言って諦めるんだ」
私ははっと我に返った。
しまった、そっちに転がってしまうか。
この計画は、私が二人にとってかけがえのない存在であることが大前提である。
ここで紫に軽蔑され見損なわれてしまっては元も子もないのである。
私は思考を巡らせた。
もはや手の届く距離の快楽。
私も共に涙を流して、紫の努力を称えてやりながら愛でるのも良い。
紫はとてもよく頑張った、だからもう休んでいいのよと泣きながら宥めて良い。
そうすれば紫の不満は解消されるだろう。しかしこの場合、恒久的な官能を得ることは難しい。
この先に冷静を取り戻して自らが行う事を思考し、そして機器を取り戻すべく立ち上がるだろう。
そうなれば私を必要とするが、精神的には健常かつ行動的である。
精神的な完成度はずっと劣る。その肌を愛でても快楽は得られまい。
欲望を消化するためには、条件を完全に達成する官能的な環境を安定供給しなければならない。
結論は出た。
私は、目を見開き、はっと息を吸った。瞬き数回。沈黙を守る。
驚きと気付きを示すエモーションである。情動だ。
蓮子相手ならばもっと計算した動作が必要だが――。
「ママ、気付いてくれた?」
この後も、沈黙。
「気づいてくれたんだねママ」
――紫が相手ならばこれで十分だ。
「ごめんなさい紫。私が、間違えていたわ」
「ううん、いいんだよ。分かってくれれば」
壁を離れ接近してくる紫を、そっと抱きしめてやる。
これで軽蔑されることは避けられた。信頼の失墜も避けられた。
現状維持。いや、一つ谷を越えたことで、苦労の歴史が追加された。
潰して崩すときの落差がより一層、大きくなった。全て、計算通りだ。
紫の背中を撫でてやっていると、蓮子が風呂から出てきた。
私が紫を抱きしめているのを見て部屋から出て行こうとする。私はすかさず呼び止めた。
「蓮子、私から徹と圭に話をしてみるわ」
「ありがとう」
「結果は、期待しないでね」
「いいよ、大丈夫。もしあなたが失敗しても、」
タオルを首にかけ、私を見詰めてきた。
蓮子の双眸に光が無かった。
「私が徹と圭を殺しに行くだけだから」
こりゃ失敗は許されないな、と思った。
今晩中に結果は出ないと思われる為、蓮子と紫に今日はもう休む様に言っておく。
風呂に入り、髪を乾かして身なりを整えた。小間使いへ空き部屋を用意してもらう。
芳香浴をするから朝まで誰も入れるなと伝える。
アロマポットを用意し、睡眠薬を嚥下し、ヒーリングミュージックを流す。
部屋の照明を消し、全裸になり、ベッドへ横になる。目を閉じた。
疲労も相まって良い状態になった。妖怪状態。眠る私のすぐ隣に着地。
部屋は暗闇だが、妖怪の探知能力を持ってすれば、室内の様子が手に取るようにわかる。
全裸で眠る私を観察する。
栄養状態は良い。程よく肉も付いているし、健康体だ。
顔のパーツも均衡がとれている。乳房だって平均よりずっと大きい。
全身へ平均的に皮下脂肪がついており、皮膚の状態も良好。触れれば柔らかそうだ。
かぶりつけば美味しそうだ。
特に、二の腕とか。もう今すぐにでもしゃぶりつきたい。
――私って蓮子の時と言い、二の腕の肉が好きらしい。
ふむ、と思う。夫にゲイを選んでよかったと心底思った。
自分の肉体を見てこんなことを考えるのもどうかと思うけれど。
美しい身体だ。
全裸で無防備に寝ている美女。呼吸で規則正しく上下している胸部が扇情的である。
今自分自身が妖怪の肉体でなかったら、きっと衝動を抑えきれなかっただろう。
見惚れてしまうほどに均衡がとれている。
今度蓮子を誘惑してみよう、と思った。
化粧をして、香水をつけて、体を撫でながら甘い言葉を囁いてやろう。
下着はつけずに体を密着させて、蓮子の弱点を刺激してやろう。
この肉体があるならば、きっと受け入れてくれるはずだ。
いや、そんな誘惑に耐えられるのならば、それは仏か聖人ぐらいだろう。
だがそれをする前に、機器を取り返さなければならない。
蓮子は人殺しになり、太陽の下を歩けなくなってしまう。
観察は一時中断。
本体の隣へ腰掛け、少し考える。
徹と圭が跳躍装置を強奪したという事は、パラレルへ用事があるという事だ。
何をしに行こうと言うのだろうか。もしくは、勘違いしているのだろうか?
あの機器は、蓮子が設定したパラレル以外へ跳躍することは出来ない様になっている。
それに、向こうの物質をこちらに持って帰ってくることは不可能である。
私は境界を裂き、そこへ隠した物を取り出した。
蓮子のキャミソールである。
――私の能力を使わない限りは。
私は空間を繋げ、徹の書斎を見た。居ない。
圭の書斎も同様だ。ふむ、隠れ家を用意していたらしい。
どこにいるか、検索をかけた。すぐに見つけた。
やはり別館の研究室で跳躍装置へ結界を掛け、中身を弄っているようだ。
徹と圭は、跳躍装置の式を解読しようとして必死になっているようだった。
これから何年かかるだろうか。蓮子が命を狙っていることに、二人は気付いているのだろうか。
悠長にも程がある。
私はため息をついた。
ただ私は、趣味を愛でる環境を達成したいだけなのだ。
それがどうしてこんなめんどくさい事になるのだろう。
解決手段はある。だけど、どれもめんどくさい。
徹と圭の目的を聞きだし、跳躍装置の機能を説明して証明しなければならない。
口で言ってコードを見せても納得しないだろうから、実際に稼働させる必要もあるだろう。
私は、徹と圭の目的などどうでも良いのだ。
ただ単に、蓮子と紫を精神的に追い詰め、私の物にしたいだけなのだ。
八雲兄弟を殺してしまおうか?
いや、そうすると今の八雲家婦人の生活を辞めることになってしまう。
紫だって、父親が居なくなったら、中途半端なところで気骨を折ることになるだろう。
機器の説明などせずに、もっと即時的に解決する手段は無いものだろうか。
人間はめんどくさい。みんな私みたいに物わかりが良ければいいのに。
まあその物わかりの悪さが、愛でる材料になるんだけどね。
「ねえ霊夢、あなたの意見を聞きたいんだけど?」
「ありゃ、ばれてた?」
「この妖怪状態なら、あなたに肩を並べられるようね」
床板をぐるりと裏返し、霊夢が隠し通路から出てきた。
目はつぶっている。当然である、部屋は暗闇だ。生身の人間には何も見えまい。
しかし別の感覚で周囲が分かるらしい。椅子を掴み引き寄せると、そこに腰掛けた。
「あなたの身体、綺麗よ。モデルデビューすれば?」
「私は、楽をしたいの。全てにおいてね。だからモデルさんにはなれないわ」
確かに私の肉体は美しいが、モデルのプロポーションには敵わない。
食生活を改め、体を鍛え、美に対して努力をしなければならない。
それは嫌だな。辛いのはイヤだ。それに、今手に入っているもので十分である。
蓮子と紫の肌を手に入れる下地は出来ているのだから。
これ以上肉体の美しさを要求しても、得られる利点は努力に見合わない。
私は手袋を取り、傍らで眠る自分の身体の臀部をそっと撫でた。
やはりだめだ。肌は滑らかで肉付きも良いが、それだけである。全く興奮できない。
これで私の快楽が得られれば自炊できたのにね。世の中よく出来ているものだ。
霊夢を観察する。彼女もダメだな、と思った。
意思が健康すぎる。頑丈過ぎる。完全に自立した志がある。
なにより、精神ストレスに対して屈強な耐性がある。
痛めつけたら極上な質になるだろうが――。
その労力がハンパないだろうな。そこまでの忍耐は私には無い。
「あんた今、私を値踏みしたでしょ」
「うん。でも大丈夫、あなたは不合格だから」
「ぶっ飛ばすわよ」
霊夢ならば妖怪状態の私でも普通にぶっ飛ばせるだろうから困ったものだ。
「ねえ霊夢」
「あいよ」
「なんか良い案があるんでしょ?」
「あるよ」
「おしえて」
「いやだ」
「何でもするから」
「何でもする?」
「うん」
「言ったわね?」
「言ったわ」
「何でも、してくれるのね?」
「一個だけね」
「約束よ?」
「あんましめちゃくちゃな内容だったらぶっ飛ばすけどね」
「よしそれじゃあ、これを見てほしい」
霊夢が懐から保存用結界を取出し、投げ渡してきた。
展開すると膨大な量の式が出てきた。
これは一体――、この式をくみ上げるのに何人月、何人年の工数が必要だろうか?
蓮子と紫が作り上げた機器の、何億倍もの工数の式があった。
「これ、あなたが組んだの?」
「うん」
「ウソでしょ」
「ウソよ」
「まあいいやどちらでも。それでこの式をどうしろって言うの?」
「解読してみればわかるわ」
「こんな難解の式の意味が分かる訳、――いや、分かる」
「分かる?」
「分かる。へぇ、なるほど、よくできてる」
「この式を使って、この結界と札で――、」
霊夢が霊力をぎっちぎちに凝縮した二重結界が二つ。
そして大出力の結界破断札も二つ。
私は境界を開き、その二つを霊夢から奪い取った。
「分かった。良く分かった。ありがとう霊夢」
「理解速すぎだ! これだから妖怪は嫌なのよ!」
「それで、代わりに私は何をすればいい?」
「私の仕事に、協力しなさい」
「何の仕事?」
「私が指示したパラレルの、私が指示した時間軸へ飛ぶ」
「パラレルの移動なんて無理よ。この式を科学面で実装しないと」
「できるでしょ? 式よく読んでよ」
「いや出来ないでしょ。――いや、出来るわ」
「移動する時間範囲は、プラスマイナス200年くらいかな」
「うん、ぎりぎり出来るって感じかな」
「それじゃあよろしくね」
そう言って霊夢は亜空穴を開き姿を消した。
私は境界を操作して後を追った。
駅裏の路地に着地して――。
「見んなヘンタイ!」
結界を張られて遮断されてしまった。
まあ、仕方ないよね。
私は徹と圭の研究所へ空間跳躍した。
「うお!?」
「わっ!? ってなんだ、ハーンか。また夢でうろついているのかい?」
「お仕事ご苦労様。ところで蓮子から奪い取った機器の機能は、解読できた?」
「明日の朝までなら」
「徹兄ちゃん、嘘はダメだよ。もう数年はかかりそうだね。やっぱり、取り返しに来たんだね?」
「いいえ、まあその機器は返してくれなくてもいいから、これを見てほしいの」
私は最初に二人へ、霊夢が用意してくれた式を見せた。
当然、理解できるはずがない。
そして次にこの世に一つしかないユニークなものを用意させる。
圭が、自身で大事にしている60年持続する結界を指定した。
それに、サインをさせる。八雲紫のイニシャル、Y.Yと掘りたいそうだ。
最初の二画だけ掘って別のパラレルに飛ばす。
「どうやって飛ばすんだ?」
「式を使って、結界のリバウンドを応用するわ。見てて」
結界破断札を発動させる。まるで剣の様に火花が伸びて、黄金色の刃になった。
それで二重結界を切断。式が作動し、60年結界が別パラレルに飛ばされた。
そして同時に、こちらへ飛ばされてくる結界がある。
テーブルに反応光が現れる。オーロラに例えると想像しやすいだろうか。
現れたのもまた、圭の60年結界だった。すぐに戻ってしまうから、急いで圭に手渡す。
「別パラレルの私たちと結界を交換したのよ。サイン、違うでしょ?」
「そうだね。こっちはYの一画目しか掘られていない」
「多分20秒ほどで向こうに戻っちゃうわ」
戻る時もまた、オーロラのような光に覆われて、霧になって消えた。
「蓮子と紫が作ったその機器は、境界の揺らぎを応用してるの。
省エネで効率的だけど、その分動作が不安定で大事故の危険がある。
だけどこっちの理論ならもう大分研究が進んでて、学会の理解も得られるんじゃない?」
「リバウンドに伴う時空の捻じれだな。オレはその理論を支持してる」
「ええ。あなたがこの式を科学的に実証したら、相当の地位が得られるはず」
「ところで理論上は証明されてる現象で、試してみたいものがあるんだが」
「同じものが同じ空間に飛ばされたらどうなるか、ね?」
「理論と同じ現象が発生するはずだ」
「わかった。でもその実験は、明日でも良い?」
「ああ。だがその式、誰が組んだんだ?」
「ヒミツよ。それでこの式は、あなた達にあげる。その代わりに」
「宇佐見の機器か」
「そうよ。返してくれるかしら」
「別に構わないが……」
「マエリベリーは、どうしてオレ達が機器を奪ったのか、気にならないのかい?」
「全く。ぶっちゃけどうでもいいわ。私はね――、」
私は、機器を小脇に抱えて振り返る。
「蓮子の悲しむ顔が見たくないだけよ」
うん、嘘は言ってないね!
一度寝室に戻り、人間状態に戻る。
服を着てしっかり身なりを整える。
機器を持って行こうとしたが、重くてとても運べなかった。
蓮子ったらすごいな。こんなのを担いで山に登ったんだ。
電話で呼び出す。1コールもせずに蓮子が出る。
そうして廊下にあわただしい足音が響く。
部屋の扉が乱暴に開かれた。
蓮子がドアノブを掴み、私を見て、私の足元に置かれた機器を見て。
紫が追い付き、やはり同様に機器を見て。
「取り返したわよ蓮子。もう取り上げられる心配は無いわ」
人間が繰り出す、感極まった時のタックルである。今回は二人分。
そのうち私の身体が持たなくなるんじゃなかろうか。
嬉しいっちゃあ嬉しいんだけれど。
だけどやっぱり、弱った人間の肌の方が良いな、と思った。
●秘封軸
・多次元宇宙の調整者“八雲蓮子”の調整により、
宇佐見蓮子は宇宙学者になる道を諦め、秘封倶楽部に尽力する事を決める。
・また同時に、学者となった蓮子(通称“教授”)と、メリーの一人娘である“紫”が、
10数年後の別パラレル世界よりこちらへトラベルし接触してくる。
・教授達の目的は、メリーが博麗大結界の人柱として選ばれると言う八雲蓮子の予言を回避する事だった
・蓮子とメリーは幻想郷京都支部の賢者と接触。人柱の予定は無い事を知る。
・人柱の予言は調整の内の一つであり、これからの未来へ確たることは言えないと、八雲蓮子から返答を得る。
・現段階では人柱は不要だが、それが必要になる未来もあると言う。
はたしてどのような未来分岐により必要になるのか?
秘封倶楽部はメリー人柱化を回避する事が出来るのか?
●幻想郷軸
・幻想郷我らが主人公、博麗霊夢と霧雨魔理沙は、ある仕事を紫から任されていた。
・仕事の内容とは、賢者会の能力により時間旅行を行い、結界の外へ出て、
外の世界に取り残された幻想を回収すると言うものだった。
・今回確保対象である結界資源は、1300年前に構築されたという強力な結界、“知楽結界”だった。
・知楽結界の構造は博麗式と酷似していた。
“結界の設計者は初代博麗の巫女様かも”という霊夢の勘は当たっているのか?
・また、霊夢は幼い時代に、師が霊夢へ一人前の許しを与えずに姿を消したことが、深い悩みの種になっていた。
実は先代はメリーにより秘封倶楽部の時代へ飛ばされていたのだった。
・知楽結界確保の折、先代より一人前の許しを得た霊夢。
・精神的に自立した霊夢は、幻想郷へ迷い込んだメリーを利用し、
教授達が居る時代のパラレルへ飛んできていた。
・人間やめましたを、先代の許しにより更にやめましたレベルになったスペシャリスト霊夢。
通称マッチョマン霊夢が未来へ飛び、教授たちに接触した狙いとは?
●補足資料
・霊夢の時系列(読者視点)
(8.魔理沙「霊夢が眠りっぱなしだから起きるまで縁側に座って待ってみた」(作品集184))
(11.魔理沙「蓮子とメリーのちゅっちゅで私の鬱がヤバい」(作品集185))
(15.メリー「結界資源を奪い合って魔理沙と結界省たちが弾幕勝負を始めた」(作品集187))
(14.メリー「幻想郷から拉致してきた先代巫女に拉致られて幻想郷京都支部に滞在する事になった」後篇(作品集187))
(16.メリー「霊夢を信じた私がバカだった」(作品集187))
・霊夢の時系列(霊夢視点)
知楽結界の資源の回収を紫からお願いされる
→教授から“実はあなた、私たちのパラレルに来てるのよ”と聞く
→メリーが夢で神社へ迷い込んだところを捕獲。脅してパラレルタイムトラベル
→霊夢が教授のパラレルへ行った目的とは?←今作からの主軸はここ!
注意! シリーズものです!
以下の作品を先にご覧いただくことをお勧めいたします。
1.メリー「蓮子を待ってたら金髪美女が声をかけてきた」(作品集183)
2.蓮子「メリーを待ってたら常識的なOLが声をかけてきた」(作品集183)
3.蓮子「10年ぶりくらいにメリーから連絡が来たから会いに行ってみた」(作品集183)
4.蓮子「紫に対するあいつらの変態的な視線が日に日に増している」(作品集184)
5.メリー「泊まりに来た蓮子に深夜起こされて大学卒業後のことを質問された」(作品集184)
6.メリー「蓮子と紫が私に隠れて活動しているから独自に調査することにした」(作品集184)
7.メリー「蓮子とご飯を食べていたら金髪幼女が認知しろと迫ってきた」(作品集184)
8.魔理沙「霊夢が眠りっぱなしだから起きるまで縁側に座って待ってみた」(作品集184)
9.メリー「未来パラレルから来た蓮子が結界省から私を救い出すために弾幕勝負を始めた」(作品集185)
10.メリー「蓮子と教授たちと八雲邸を捜索していたら大変な資料を見つけてしまった」 (作品集185)
11.魔理沙「蓮子とメリーのちゅっちゅで私の鬱がヤバい」(作品集185)
12.メリー「幻想郷から拉致してきた先代巫女に拉致られて幻想郷京都支部に滞在する事になった」前篇(作品集186)
13.メリー「幻想郷から拉致してきた先代巫女に拉致られて幻想郷京都支部に滞在する事になった」中篇(作品集186)
14.メリー「幻想郷から拉致してきた先代巫女に拉致られて幻想郷京都支部に滞在する事になった」後篇(作品集187)
15.メリー「結界資源を奪い合って魔理沙と結界省たちが弾幕勝負を始めた」(作品集187)
16.メリー「霊夢を信じた私がバカだった」前篇(作品集187)(←今ここ!)
17.メリー「霊夢を信じた私がバカだった」中篇(作品集188)
秘封倶楽部活動拠点第53号室、またの名をカフェトートル京都駅前店。
世間一般的には後者の名前が周知されている。
その日蓮子は7分遅刻した。帽子を団扇かわりにして階段を上ってきた。
別にいつも通りだったので、まず何か飲み物を注文するように勧めた。
夕方ごろまで会話をして、帰路についた。
「ねえメリー」
「あいよ?」
「今日の夕飯って何にする予定?」
「これから買い物に行って適当に決める予定」
「じゃ、今日そっちに泊まってもいいかな?」
「いいともー!」
スーパーに行き、買い物を済ませる。
食材を買い揃え、お酒も買った。
蓮子に梅酒、私にジントニック。
荷物を二等分し半分を蓮子に持ってもらった。
私の部屋は何の変哲もないワンルームマンションである。狭い台所で夕飯の準備を始める。
牛肉、ジャガイモ、糸こんにゃくをすき焼きのタレで味付け。
レタス、トマト、キュウリをガシガシ切って大皿に盛り付け、ドレッシングを掛ける。
あとは白飯を二合半炊いて出来上がりである。
「いただきまーす」
「いただきまーす」
余ったご飯は冷凍する予定。
「あ、蓮子、明日の講義の予定は?」
「一日休みだよ。メリーも休みだね」
「なぜ知ってるし」
ご飯を食べて、風呂は蓮子を先に入れ、私はついでに風呂掃除。髪を乾かして歯を磨いた。
蓮子と一緒に酒を飲みながら、レンタルしていた映画“ワイルド・ワイルド・ウエスト”を見た。
映画が終わると22時だった。もうだんだん眠くなってきていた。
寝る前にもう一度歯を磨いていると、蓮子が髪を縛って私のベッドに寝転がっていた。
あのポニーテールは、どうせこの後私が解くことになるのである。無駄なあがきだ。
うがいをして洗面用具を片付けて、リビングへ。照明を完全に消す。
遮光カーテンだから、手の平を目の前に持ってきてその輪郭が分かる程度に、真っ暗だ。
私は手探りで蓮子を見つけ、両腕で捕獲してかぶりついた。
――――――。
――、何時間、寝ただろうか。
まどろみの中、目を開ける。まだ暗い。深夜だ。
顎の下に蓮子の頭がある。私は蓮子を抱いたまま、携帯端末で時間を確認した。
そうして、メールを受信している事に気が付いた。
登録が無いアドレス。件名は、“THE KILLING FIELDS”
はっとした。蓮子は、私の胸に顔を押し付けて眠っている。
盗み見られる心配は、無い。私はメールを開いた。本文はたった一文。
“7日後10時15分、21号室”これだけだった。
何の憂いも無く蓮子と抱き合えるまで、あと7日間だった。
7日後。
その日、朝起きると蓮子は部屋にいなかった。
大学に行ったのだろう。単位は足りているのに、ご苦労なことだ。
メールがあった。蓮子からだった。
“今日はどこ集合にする? 昼飯に天丼でも一緒に食べに行かない?”
“ごめん、今日はちょっと用事があるの。夕方になると思う”
“あいよわかった、それじゃあまた今度ね”
また今度。この言葉がぐさりと心に刺さり、少し泣いた。
「今までありがとう蓮子、少しだけ、お別れよ」
独り言。涙を振り払い、身支度を始めた。
10時10分、21号室。とりあえず入口が見える位置に座る。
数分もせずに、背後から声を掛けられた。
「こんにちは。マエリベリー・ハーンね?」
「そうよ。THE KILLING FIELDSのメール、ありがとう」
「マエリベリー様、そんなまどろっこしいこと言わずに、身分証明書見せればいいじゃないですか」
「あ、ごめんなさい。グラボス切るの忘れちゃってて」
「いいわよ。グラボスがあった方が、隠し事をせずに会話できるでしょ?」
グラボスが勝手に話を始めるので参ってしまった。
女性は私の向かい側に腰をおろし、携帯端末を取り出して身分証明書を表示させた。
「太田霊夢よ。霊夢でいいわ。よろしくね、ハーンさん」
「さんは要らないよ。ハーンでいいわ。こちらこそよろしく」
しっかり握手を交わす。
「それでハーン、あなた八雲家の情報が欲しいんだって?」
「ええ、圭に目をつけてる」
「目的は?」
「子供が欲しいの。私の血を継いだ子供が」
「あなた分かってると思うけれど、普通の女性じゃ相手にされないわよ」
「だから情報が欲しいの。何でもいいわ。子供が産めれば」
「なんで子供が欲しいの?」
「そんなこと、分かってるでしょ?」
私はメールを表示させて霊夢につき出した。
「ここを21号室って言うくらいだもの。倶楽部の事、調べたんだ?」
「宇佐見蓮子とマエリベリー・ハーンの二人で活動を続ける秘封倶楽部。
あなた達、京都じゃかなり有名よ。結界暴きのプロフェッショナルだってね。
結界省の捜査の目を盗んでかなり派手にやってるみたいじゃない?
ハーンの入院とか、結界の向こう側で負った怪我だって噂よ。ホントなの?」
「ちょ、ストップストップ。グラボスの前でよくもまあなた」
「ああそのことなら心配ないわ。グラボスは味方よ。あくまでも私の、だけど」
「? グラボスは政府の物でしょ? 結界省にチクられるわよ?」
霊夢がもう一度、端末の画面を見せてくる。
霊夢の身分証明書の表示が変わっていた。
“マエリベリー・霊夢”って誰だ。
「あなた、グラボスを使って住民票をハッキングしたの? この短い時間で?」
「半分正解。グラボスが、住民票をハッキングしたのよ」
「いったいどうやって?」
「ふふふ、営業秘密」
「情報屋さん、手練れね。いやあなたもしかしたら、結界省の人間?」
「いいえ、違うわ。と言ったところで信用は無いわね」
「マエリベリー様、私も保証しますが、霊夢様は結界省の人間ではありません」
「あんたらが全員グルだってことも考えられるのよ。ねえ証拠を見せて」
「いいわよ。むしろそのために今日ここに来たんだけどね。ねえグラボス、今の時刻は?」
「あと20分ほどで、10時30分です」
「よしそれじゃあ、ちょっと移動しようか」
霊夢に連れられて女子トイレに入った。
個室の中を全て見て、人が居ないことを確認した後、霊夢が私に向き直る。
「結界文化財って分かる?」
「ええ分かるわ。結界によって保護された遺跡の事でしょ」
「今私たちが居るこの知楽ビルの地下に、結界文化財があるわ」
「え? 本当に?」
「知楽ビルのオーナーの趣味なのね。ハーンは人の死体とかを見ても大丈夫?」
「大丈夫。あんまり残酷な背景があるとちょっとだけど、ぐちょぐちょな死体を見るだけなら別になんとも思わないわ」
「大昔の遺体だから、もう完全に白骨化してるわね」
一番奥の個室トイレに二人で入り、霊夢が壁に札を四枚貼る。
なにやらごにょごにょと呪文を唱えると壁に穴が開く。
そして私に印を結び、防護結界を張ってくれた。
「さあ行くわよ。先に入るから、ついてきて」
次から次へと驚くべきことをほいほいやって見せる。
感覚がマヒしてきて、いちいち驚かなくなってきた。
霊夢の後に続き亜空穴をくぐる。
どうやら大きな柱の陰にいるようだ。
霊夢が小声で言う。
「こっちへ来て。ここに座って。いい? 死にたくなければ、合図するまで動かない事ね」
「おい出てこいよ! ばれてるぜ!」
怒鳴り声が鳴った。
霊夢が私を置いて、柱から出て行く。
「な!? 霊夢だと!? おいこりゃ、どういうことだ!?」
「い、いやだこいつ、先代の式を持ってるわ!」
「お前は後ろにいろ! 私が前衛だ! 援護頼む!」
「戦ったらダメよ! 逃げなきゃ、」
「黙って援護しろ! さあショウタイムだぜ!」
爆風、爆音、熱風、怒声と悲鳴。
ぴたりと、静寂が訪れる。
「ハーン、もう良いわよ。出て来なさい」
柱から出る。先ほどの連続した爆音の通り、めちゃくちゃな様相だった。
床にはあちこちにクレーターが空き、柱には細かな穴が数えきれないほど。
紛争地帯の廃墟を連想した。爆弾と銃弾で煉瓦壁が崩れ、ぼろぼろになっている感じ。
傍らに、私服を着た女性二人、倒れている。
気絶しているようだ。呼吸はしている。
手足を縛られうつ伏せに寝かせているので、顔は分からない。
そして霊夢が立つ傍らに、2メートル四方の結界が一つ。
「ハーン、こっちへ、早く」
霊夢に急かされ小走りで接近すると、結界が割れた。
ぴしりとひびが入り、あとは音も無く消失。
後には二人分の白骨が残された。
霊夢は、私が隣についたことを確認してから、いきなり誰もいない空間へ声を上げた。
「クソ調整者! 出て来なさい! 3秒以内に出てこないと柱ごとぶっ飛ばすわよ!」
「わ、わわわ! 出るから撃たないで! えへへ、なんでここにいるのよ霊夢?」
「会話をする気はない。あの二人を返してあげなさい。半日も寝かせれば気がつくわ」
「霊夢、あなたを探して、みんなが大騒ぎしてるよ。今からでも帰る気は、」
「会話をする気はない! この資源はいただくわよ。それとも、力づくで奪う?」
「ムリっす。どうぞ持って行ってください。えへへ、じゃあ、しつれいしまあす」
「早く行け。目障りよ」
調整者と呼ばれたOL風の女は、手足を縛った少女二人を引きずって、柱の陰に戻って行った。
霊夢は、気配が完全に無くなるのを待ってから、言った。
「ハーン、今私がやったこと、わかる?」
「結界文化財を奪い取った。それも、力づくで」
霊夢が白色10センチ四方の結界を生成。
人骨を全てそこへ吸い込ませてゆく。
「大学を卒業したら、これを持って八雲邸に行きなさい。
きっと門前払いされるだろうけれど、この結界を小間使いに渡して、圭に見て貰うのよ。
そうすれば邪険にはされないはず。あとはあなたに任せるわ」
霊夢が結界を差し出してくる。両手で、受け取る。
テニスボールみたいな触感。長持ちしそうだ。
「結界省の潜入捜査?」
「ハーンを逮捕するだけにこんな労力使わないわよ。
もし私が結界省だったら、あなたの首根っこ捕まえて引っ張ればいいだけだわ」
「これから倶楽部活動なんてしないわよ?」
「泳がせて尻尾を捕まえようって訳でもないって」
「この保存用結界だって、大学卒業後八雲邸に持って行くまで使わないし」
「だから私は、結界省の人間でもなければ、ハーンを捕まえようとしてる訳でもないって」
私は保存用結界をタオルにくるみ、バッグにしまった。
「霊夢、あなたの実力を見込んでもう一つだけ、お願いしたいことがあるんだけど」
「いいわよ。なに?」
「大学を卒業したら私は相棒からを晦ませたいの。そうしたら蓮子が私を探すわ。
私の居場所がばれない様に、グラボスをハッキングしてほしいの。お願いできる?」
「お安い御用ね。っていうか連絡先を交換しましょ、何かあったらすぐに連絡してね」
「あ、今回の報酬は、」
「要らないわ。これから末永くよろしくねハーン」
それから度々、霊夢と会う様になった。
霊夢は長野の方の神社の一人娘らしい。
結界術を幼いころから学び、身に付けたのだと言う。
妖怪の生態を調査したくて京都へ来たのだ。いっぱしの結界師である。
私が蓮子の誘いを断り、霊夢と会う回数が増えてくると、時々に尾行された。
霊夢の尾行回避技術とその知識は高度なレベルだった。探偵技術にも精通していたのだ。
蓮子は霊夢を見つけられなかった。私が霊夢の下へ向かう間に、霊夢から連絡が来るのだ。
「あなた、蓮子に尾行されてるわ。指示の通りに歩いて、尾行を撒くのよ」
回数を重ねるにつれて、徐々に蓮子の程度が上がってきた。
私の体に盗聴器を仕掛けた。
友人を率い、人数を揃えて私の調査を始めた。
有料の衛星カメラをレンタルして私を追跡した。
ついには四六時中べったり私にくっ付いて見張った。これはご褒美だった
蓮子はあらゆる手を講じて、私が何をしようとしているか調べた。
だが、霊夢の方があらゆる面において、優秀だった。
結界術とハッキング技術と探偵知識は、蓮子が用意したあらゆる脅威を即座に排除した。
蓮子は不安を表情に出さない。いつも通りの様子で会話をする。
夜に抱き合ってもやはり分かるようで、蓮子が昔の様に燃え上がることは無かった。
私は蓮子へ、子供を作ろうとしている旨を話していない。
蓮子からしたら、私は他の誰かと倶楽部活動をしているように見えた事だろう。
結局、蓮子の調査が功を奏すことは一度も無かった。
大学卒業後、私は行方を晦ますことに成功した。
霊夢の指示通りに動いただけだった。それで十分だったのだ。
大学を卒業して自室を始末し痕跡を消すのに一週間かかった。
私は八雲邸を訪れた。正門に続く私道で小間使いが応対してきた。
「マエリベリー・ハーン様ですか。アポはありますか?」
「無いわ」
「圭様と面識は?」
「無いわ」
「本日は一体どのようなご用件で?」
「言えない。ただ、八雲圭に会わせてほしいの」
「お引取り下さい」
「――じゃあ、用件を言うわ。これを見せに来たの」
私はバッグから、霊夢に貰った保管用結界を取出し、小間使いへ見せる。
だが反応は薄かった。これが結界だと分かっていないようだ。
ガラス細工か何かだと思っているのだろう。はあ、とだけしか言わない。
「あなた、携帯端末くらい持ってるでしょう?」
「ええ、まあ、持ってますけど」
「カメラ機能でこれを撮影して、圭に見せてよ。それくらいならいいでしょ?」
無線装置へ向かって何かぼそぼそと喋った後、私の保管用結界を撮影。
メール機能で送った。数分その場で待機。
そこからの私の待遇の変化は面白いものだった。
屋敷の奥から年配の小間使いが走って出てきて、門をあけろと強い口調で言う。
恭しく屋敷の中へ通され、客間に案内され。
五分ほどすると、また同じ小間使いが来て、圭の書斎へ案内すると言う。
階段を上がり、重厚な扉を通り、そこに圭が立っていた。
「マエリベリー・ハーン、だね?」
「そうよ。あなたは、八雲圭ね。京都結界師を代表する八雲家の、次男」
「うん。この屋敷には兄の徹と住んでるんだけど、兄さんは今出張中だ」
「それは、知らなかったわ」
「ハーンが結界を持って現れたと聞いて、戻ってくるそうだ。少し、待ってほしい」
「え? いつ戻ってくるって?」
「今だよ」
圭の傍らから成人男性が生えてきた。にょっきり。
霊夢が知楽地下に飛んだ時と同じトンネルを、八雲徹も作れるらしかった。
徹は圭を見て、私を見て、そして言った。
「見せてくれ」
私はバッグから保管用結界を取出し、徹に手渡した。
「亜空間を利用した保管用結界だ」
「なんて高度な技術だ」
「これは、ハーンが作ったのか?」
「まさか、ちょっとした協力者が居てね」
「今の結界省にはとても作れない物だ」
「中に、人骨が入っているようだが」
「この結界を開けても構わないな?」
「その骨を圭に渡すために来たのよ、私はね」
徹と圭が結界を解除し、人骨を調査する。
床へビニールシートを広げて骨を並べて一つ一つ手に取り観察している。
「1300年前の遺骨だ」
「二人分ある」
「片方が成人男性」
「片方は女性だが、人間の物ではないな」
「妖怪だ」
「この男、結界師みたいだ」
少し離れた所に立ち二人の調査を見ていた私だったが、立ちっぱなしで段々疲れてきた。
飛び込みで何のアポも取らずに来たのだから少しくらいは我慢するべきだろう。
そう考えて太腿を揉んだり足踏みをしていたら、圭がその様子に気づいてくれた。
小間使いを呼ぶ。喫茶室へご案内しろ客人だ丁重にもてなせと指示を出す。
喫茶室? なんだその部屋?
ん? わたし? 私はここで立ちっぱでOKですよ?
優秀な小間使いは客人へそんな言葉を紡ぐ余裕さえ与えない。
半ば強制的に連れられて書斎を出る。
庭園を眺められる小洒落た部屋に通された。
コーヒーと紅茶、どちらが良いでしょうか。コーヒーで。
アイスとホット、いかがしましょうか。ホットで。
そして出てくる絶品コーヒー。私は吐血しながら飲んだ。
クッキーが出た。あ、これ駅前の店で買えるすげぇ高いクッキーだ。
チーズケーキが出た。あ、これ駅前の店で買えるすげぇ高いチーズケーキだ。
絶品である。私は喀血しながら飲んだ。
そんな風に寛いで、30分ほどが経った頃である。
小間使いが来て私に言った。丁寧過ぎて日本語に聞こえないけれど――。
何かこれから予定はありますかと聞いているらしい。
こういう時って、なんて答えるのが礼儀なのだろう。
良く分からなかったので正直に答える。
「私、縁談を持って来たの」
「縁談、でございますか。どなたとでしょうか」
「圭とよ」
「圭様と? 縁談を?」
「うん。縁談よ」
「ハーン様の、ご家族でしょうか?」
「いいえ、私よ」
「ハーン様自身でございますか」
「そうよ」
「ようするに、圭様へ求婚しているのですね?」
「あら求婚、良い言葉があったわね。それよ。プロポーズしてるの」
「かしこまりました。少々お待ちください」
私は椅子に座り直し、コーヒーを一口。
そして、チーズケーキを口に含んで、咀嚼。
手入れが行き届いた庭を鑑賞していると、喫茶室の入り口の扉が勢いよく開かれた。
血相を変えた圭がそこに立っていた。
「君は、正気か」
「正気も何も、大真面目よ」
「結婚と言う物がどういう事か、分かっているのかい?」
「したこと無いから、そんなに詳しくは知らないけれど」
「世間一般的には、愛を育んでから行う物だ。分かってるよね?」
「ええ、愛なんて微塵も無いわ。私、男ダイッキライだし」
「なるほど、理由があるのか」
圭が喫茶室に入ってくる。
私と向かい合う位置に腰掛けた。
「あんな結界と骨を持ってくるくらいだ。重大な事なんだろう。話を聞こう」
私は何も隠さず全て洗いざらい話した。
私の家系は代々、境界や結界を視認する事が出来る能力を持って生まれてくる。
目の能力の話、夢で別の空間へ跳躍する事から始まり。
大学で秘封倶楽部なる物を組織し、宇佐見蓮子と倶楽部活動をした事。
この能力を子へ継承させなければならないと思った事。
30分ほど話し続けた。私はふうと息をついた。
「ざっとこんな感じよ」
「それだけかい? まだあるだろう」
「まだまだあるけれど、長くなるから」
「全部話せばどれくらいになる? 30時間くらいかな?」
「まあ、それくらいにはなるだろうし、それ以上必要だろうけど」
「全部聞くよ。じゃあ10分休憩したら、続きを話してくれ」
圭が離席し、10分後戻ってきた。
アイスコーヒーとホットコーヒーを持っていた。
どちらが良いと聞かれたので、冷たい方を頂いた。
次は90分喋り続け、10分休憩。
120分喋り続け、10分休憩。
120分喋り続けて、日が暮れ始めた。
「また明日にしよう。部屋を用意させるから、泊まって行ってくれ」
夕飯を頂いた。部屋にいくつか候補を示された。
小間使いさんたちが常駐している部屋の隣をお願いした。
これは徹と圭を信用していないと言う訳ではなく。
単に呼んでから来るまでが早い方が良いと思ったからだ。
翌日からは午前に二時間、午後に一時間、寝る前に二時間、圭と喋る時間が用意された。
会話をするときは喫茶室に行き、コーヒーと菓子を貰いながら喋るのだった。
外出は基本的に許可されず、敷地内の小間使いの目が届く範囲で運動が許された。
それと屋敷内にあるトレーニングルームも使わせてもらった。プールがあった。
私は水が嫌いだったけれど、練習していたらずっと長い距離を泳げるようになった。
清潔な衣服、温かい部屋、豊かな食事、とても快適な暮らしだった。
私は八雲邸の居候として扱われた。
圭と話していて、男に恋を抱けない私の夫として、最適な人だと分かった。
ごくごく一般的大多数の男は、女の体を観察する時、とても特徴的な目つきをする。
頭の先から顔と胸と足を経由し、もう一度顔を見て、笑うのだ。最低である。
だがもっとも、そういった目つきが出来ない男は、むしろ尚更気持ち悪いと思う。
圭の視線がまさにそれである。視線に色欲が無いのだ。
たったその目の動き方だけで分かるのだ。女性に性欲を抱かないのだろう。
女性が形容する“気持ち悪い”を全て体現した視線だった。
発する言葉にも最低限の配慮を残すのみで、他人以上友人以下という感じ。
対して私も、圭を異性として見られなかった。
一目見た時から気づいたことである。――仕草が垢抜けていないのだ。
これは、異性との交流が少ないまま成人した男性に共通するものである。
いわゆる、貧弱な感じがする。虚弱で頼りない感じがする。
女はこういう男に、生理的な嫌悪感を抱く。
圭に対して恋愛感情を抱くことは、この先絶対に無いだろう。言いきれる。
居候生活が始まってから五日が経った時のことだった。圭が言った。
「オレはゲイだ」
「うん、知ってる」
「オレは女が苦手なんだよ」
「女性に相手をしてもらった事、ないでしょ?」
「だから、接触の心配はしなくていいよ」
「もし事故でも、あなたの肌に触れないよう注意するわ」
「ああそうしてくれ」
世界には二種類の同性愛者が居る。
一つは、性を超えた愛に気付けた人。
もう一つは、異性に相手をされなかったために、同性へ性欲を向ける人。
圭は明らかに後者だった。シリアスな言い方だとこうだけど。
ぶっちゃけると、男として問題がある男だった。大問題である。
このような背景と要素があり、私はなおさらこの男を夫に選ぼうと決意したのだった。
一週間経って、私は半生を語り終えた。
圭が頷き席を立ち、着いて来てほしいと言って席を立った。
私がどこへ行くのかと聞いてから初めて、書斎へ行くと言った。
こういう配慮が足りないから、女性に相手をされないのだ。
書斎へ行くと机上に様々な資料が拡げられていた。
まず、京都の地図へ画鋲が刺さっており、その画鋲に様々な書類がぶら下がっていた。
そのうちの一つを取出し、私に差し出した。40枚ほどの紙の束だ。
手に取り書かれているものを見て、驚愕した。
資料は秘封倶楽部の活動を記録したものだった。
細かく、時系列に。そして分かり易く詳細に。
“13時12分、昼食。”
“その後、露店でバニラアイスを購入。”
蓮子と私が塀に腰掛けて笑いあいながら、ソフトクリームを頬張っている写真。
結界を暴く瞬間の証拠とかは山ほどあるのに、この写真が最初に目に入ったのは偶然ではないと思う。
写真の蓮子をじっと見つめてから圭を見る。その魅力の無さにげんなりとした。
「四年間、秘封倶楽部をマークしてきたんだ。いつでも、逮捕できた。
だけどそれをしなかったのは、秘封倶楽部の実力を見極める為だった。
大学を卒業しても秘封倶楽部を続けるようだったら結界省にスカウトするつもりだったんだ。
それが途中でハーンが倶楽部活動を放棄するようになった。
宇佐見の尾行を回避し、オレ達の追跡さえも振り切って、時間を過ごすようになった。
ハーンが一人で倶楽部活動をしている訳ではないと分かった。ではいったい何をしているのか。
その謎が、八雲邸に持って来たこの結界に集約されるわけだ」
圭が保管用結界を手に持ち掲げて見せた。
「宇佐見を傷付けない為に、ハーンは一人でずっと準備をしてきたんだ。想像を絶する忍耐力だ。
そして能力を継承したいという話が大真面目だとは、最初の30分の話で分かっていたよ。
ただこの一週間、考えたかったんだ。ハーンが八雲家婦人となるならば、知らなくちゃいけないことがある。
その事実を全て話す用意が、オレにあるのかどうかってね。そうして今決心がついた。
これから話す事はすべて真実だ。全てが現実に起こっている話。今も継続している事象だよ」
圭が話し始めた。
結界省の秘密についてだ。
結界省は結界の技術を集めている。
何百年、何千年も前から残り続ける結界資源を確保し、軍事技術に応用している。
魑魅魍魎の類は隠れ里を作り、現代の日本を生きている。
妖怪達は隠れ里の外へ脅威を及ぼす気は毛頭なく、静かに暮らす用意が出来ている。
隠れ里の中にも人間が居る。妖怪と共に助け合い平和な暮らしを続けている。
隠れ里を、幻想郷と言う。
幻想郷は多数の支部がある。妖怪達が暮らしている。
場所に見当はついている。京都の地下にも存在が確認されている。
ただ双方ともに互いを黙認している。協定を結んでいる訳ではない。
これは大規模な戦闘になれば国を揺るがす紛争に発展するという、国家側の都合と。
協定を結んで存在を認められると幻想郷を形作る結界が弱まってしまうという、幻想郷側の都合が一致したからである。
幻想郷を作る境界には主に、二つの要素がある。
一つは、博麗大結界。常識と非常識を分け、幻想郷を構成している。
もう一つは、幻と実体の境界。妖怪達を保護し幻想郷に呼び込む力がある。
妖怪達は度々、幻想郷から外の世界へ出てくることがある。
外の世界の情勢や動向を調べる為である。
結界省はそうした妖怪達を捕まえ、結界技術を奪い取り、兵器を開発している。
この八雲邸にも、先祖が残した結界資源が隠してある。
外界に残る結界資源を結界省が軍事転用する事を、幻想郷はよしとしない。
度々結界資源をめぐって、紛争が起こっている。
結界省は主にその紛争へ勝利するために組織された、特殊部隊である。
幻想郷の妖怪達は、一定周期でごくごく少数の人間を拉致する。
幻想郷には人食い妖怪も住んでおり、人肉が必要なのだ。
ただしこの拉致はとても巧妙に隠蔽される。
また、本人の意思を尊重して、幻想郷の管理者が接触しに来ると言う。
行方不明者の何割かがこうして幻想郷の妖怪達の血肉になる。
「ここからはオレ個人の秘密になるんだけれど」
「あ、じゃあ聞かなくていいかな」
「まあそう言わず聞いてくれ。結婚ってのは、秘密を作っちゃいけないものだから」
私が持って来た保存用結界を片手に持つと、同じものがもう片手に生成された。
「オレも、能力者なんだ。模倣する程度の能力を持つ。これで、幻想郷の技術を盗んできた。
触れなくてもできるが、実際に手に取った方が忠実に再現できる。
ただ模倣する前の物を上回る物は生成できなくて、精度としては5割減の完成度の物が出来る」
「5割減? それってかなり致命的じゃない?」
「大抵は粗製品だね。でも、確実に似たような物を作れるんだ。
ハーンの能力も真似できるよ。やってみようか?」
「いや、いいわ。気持ち悪いから。ところでその結界」
私は霊夢が作った保存用結界を指差して言った。
「その結界って相当すごいものだよね?」
「ああ、結界の中に亜空間を作って、あらゆるものを保存できるようにしてる」
「何でも持ち運べるの? 重さはどうなるの? どれくらい保存してくれるの?」
「物質以外も保存できるよ。例えば妖力を保存したりもできるし。
ゴム風船みたいなものだね。時間で劣化して、入れられる量が減っていく。
最後は結界そのものが維持できなくなって、割れて終わりだ」
「なんかそれ、かなりオーバーテクノロジーのような気が」
「だからハーンがこれを持って来たとき、驚いてたんだよ。これを作った協力者とは?」
「もう連絡を取り合ってないけれど、どこかで私をモニタリングしてると思う」
「名前を教えて欲しいな。オレ達にも紹介してくれよ」
「向こうの許可が出たらね。次にいつ会えるか分からないけれど」
徹と圭には、霊夢の事を秘密にした。
当然結界省からしたら、霊夢は犯罪者だからである。
世間体があるから、という事で正式な入籍は一年間待たされた。
それから私は八雲の名を名乗ることになり。
体外受精、体外妊娠の措置で、紫が生まれた。
育児はとても楽しかった。全く苦を感じなかった。
世間一般的に言われる子育ての苦労が、紫に当てはまらないという点も、あったと思う。
紫は夜泣きをせず、体調も崩さず、そして大人びていた。
発音を覚えるよりも早く読み書きを習得した。
四則演算は学ばずとも理解していた。
ひたすらに結界技術と境界の在り方に興味があるようで、勤勉だった。
あっと言う間に大きくなり、小学校に入学した。
ある日小学校の先生が話をしたいと、連絡を取ってきた。
授業中にベクトルの計算方法を質問したそうである。
教師が質問に答えると、どうやら参考書の記載が間違えていたようだった。
「やっぱりママに教材を選んでもらわなきゃダメだなー、これポイしよっと」
既に学力が高水準の高校卒業レベルに達していると言った。
うん、知ってたけどね。
文科省の役員さんが来て、飛び級が許可された。
さて大学受験、どこの大学に入れるべきか。むしろ、国外へ行かせてもいいのではないか。
何を学びたいかと聞いたら、私が学ばせたいことを学びたいと言ってきた。
紫を観察しながら、何が一番ためになるか考えている時だった。
小間使いからの連絡で、客人が玄関まで来ていると言う。私に用事があるらしい。
なんとなく、第六感が働いた。この来客は手厚くもてなさなければならない。
文科省の人かしらと思った。丁度今私が悩んでいることが紫の事だから――。
真っ先に思い付いたのは、紫を何かしらのプロジェクトに参加してほしいとかかしらん?
「名前は? なんて人?」
だが、この予想は大きく外れることになった。
「太田霊夢様です」
「すべて、霊夢のお蔭よ。ありがとう。もっと早く連絡を取りたかったんだけど」
「いいのいいの。こっちも色々とやってたからね。こんにちは紫、最近どう?」
「ママが霊夢のお蔭だって毎日言ってるよ。私は元気」
「勉強は楽しい?」
「結界式の教材が無くってね。困ってるんだー」
「あら、あなたのパパじゃダメなのかしら?」
「圭は子育てを完全に私へ一任しているの。だから、ちょっと期待できないかな」
というのは物の言い様だ。私が提案したのである。
紫の教育は私に全て一任してほしい、と。
そもそも紫を生んだのは、私の責任であるし私の願望である。
圭自身には父親としての責任感があるらしいが、圭の結婚相手を私が奪ってしまったという形になる。
もし私が圭を選ばなければ、もっとほかの相応しい血筋の相手と関係が出来たことだろう。
いわば私は、八雲家のイレギュラーなのである。そのように圭に相談したのである。
“考えすぎだよ”と圭は笑った。
“だけど、マエリベリーらしいね。わかった、紫のことは任せよう”
“でも何かしらの困ったことがあったらすぐに言ってくれよ。オレだって父親だから”
“それと、子育てはオレが無責任な感じになってると言う筋書きにしよう”
“そうすればオレは『研究に没頭するゲイ』で、マエリベリーは『変人に寄り添う良き妻』になるからさ”
紫は結界の勉強を続けているが、近頃ついに私の手が届かない領域に行こうとしていた。
それで圭に相談しようか否か、という時分だったのである。
「じゃあ、私が先生になってあげようか」
「え? ほんとうに!?」
「え? ほんとうに!?」
霊夢が結界の先生をやると言い出してくれた。
これは闇夜に提灯、渡しに船、旱に雨、紫に霊夢である。
ゆかりにれいむ、略してゆかれいである。
神は言った。蓮メリ、れいまり、まりありも良いが、ゆかれいも良いぞと。
ただ近頃は、某作家さんの作品を呼んでゆかてんにも目覚め始めたぞ。ゆかてん! ゆかてん!
ごほん、何を言っているんだ。
興奮のあまり取り乱してしまったらしい。
「私は世界トップレベルの結界師よ。不足は無いでしょ?」
「ほんと!? やったー! じゃあちょっと質問なんだけどさー」
と端末へ式の入力を始める紫。
紫の質問へ片手間で答えつつ、私の方へ向く霊夢。
「マエリベリー、話を聞こうかしら。相談したい事あるんじゃない?」
「え、うーん、まあ特にないかな。それよりも霊夢の話を聞くべきだと思うんだけど」
「第一に、紫に通わせる大学をどこにするか悩んでるんじゃない?」
「げげ、当たってるわ」
「第二に、宇佐見蓮子に会いたいんじゃないの?」
「参りました。やっぱり霊夢には敵わないな。大学はどこがいいと思う?」
「宇佐見はね、母校の大学で教授をやってるわ」
「へえすごーい。しっかりキャリア詰んでるんだね」
「それと、JAXAの宇宙開発科で研究職を掛け持ちでやってる」
「まあそれくらいの頭脳を持ってると思ってたけれど、やっぱりすごいね」
「さらに宇佐見、ずっとあなたを探してる。沢山の探偵を雇ってね」
これには少なからず、ぐっと来た。
「あなた、宇佐見から黙って姿を消したことに罪を感じてるでしょ」
「まあ、そりゃあ、ね」
「でも宇佐見が大学の教授をやってるって聞いて、会おうとするのを諦めたでしょ」
「当然よ。そんな忙しい人が、私になんて会う時間がある訳無いわ」
「宇佐見は一人で秘封倶楽部を続けてるわよ。あなたが居なくて全く進んでないけどね。
それに、大学時代あなたと一緒に貯金していた口座へ、ずっと振り込みを続けてるわ。
あのお金は手切れ金のつもりだったんでしょう? でも、宇佐見はそう考えていないわ」
私から視線を外し、コーヒーを一口すする霊夢。
「宇佐見の講義を受けるために世界中から優秀な人が集まってる。世界レベルの講義よ。
もし大学で迷ってるんだったら、宇佐見に教鞭を取って貰う以上の条件は無いと思うけれど?」
紫の結界の勉強はメールのやり取りで行うことになった。
霊夢自身が忙しいと言うが、課題の量と質は紫が満足する物だった。
大学入試、飛び級での試験なので、広い講義室で紫がただ一人、問題を解く。
時間を余らせ、試験監督に提出。もちろん試験監督はリアルタイムで問題を解くのを見ていた。
問題用紙を受け取り、一言言ったという。
「満点だ。天才美少女、君は天使か」
アニメの見過ぎだこのロリコンが!
晴れて合格。
入学が決まった。
霊夢に蓮子の連絡先を聞き、蓮子を呼び出した。
「私は、院に行ってね。JAXAの宇宙開発科で研究職と、母校の大学教授を掛け持ちでやってる」
「へー! 大学かぁ! あたしも来年から大学に行くんだぁ! 今は結界の勉強してるところー!」
「あ、へえ、メリーも大学に行くんだ? ふーん。一体どうしてまた大学へ?」
「だって小学校つまんないんだもーん。大学に行きたいって言ったら、ママが良いよってね!」
「え? 小学校? それに、ママ?」
「うん! ママ! 今日は宇佐見に会いに行くから早く起きなさいって言ってさ!」
「ふむ? それで? 早く起きてからはどうしたの?」
「朝はママが焼いてくれた目玉焼き食べたんだ! ベーコンのが好きなんだけどねー!」
「うん、じゃあちょっと耳をふさいでてくれる? おっきな声出すからね」
「分かった! はい! いいよ!」
「メリー! 出て来なさい! これどういう事よ!」
はいバレた。速攻でバレた。
まあ仕方ないよね。
私は蓮子に会えて歓喜した。もうここで押し倒してちゅっちゅしたかった。我慢した。
フレンズのママさんに迷惑をかけられないし、粒子線により大量出血者が出ると第六感が働いたからだ。
教授職に就いた蓮子は大分痩せて、学生時代の風貌とは別人のようになっていた。
だけど、両手の使い方、視線の動かし方、歩き方、息の仕方、その全てが蓮子だった。
「蓮子、痩せたわ。ちゃんと食べてる?
学生時代のあなたが会ったら、きっと驚くわ」
「メリーは、変わらないね。相変わらずメリーだよ」
新生秘封倶楽部を組織した。
活動の目的は、蓮子のリクエストにより、結界省の秘密暴きという事になった。
活動の根幹が失われてしまうので、結界省の秘密に関しては、蓮子に秘密にした。
「良いわね紫、蓮子には結界省の秘密をばらしちゃダメよ?」
「えー? じゃあどうすればいいの?」
「秘密が分からない程度に、秘密を明かすのよ。あなたが誘導するの」
「なるほど。えへへ、ママはやっぱり宇佐見が大好きなんだね」
私は、倶楽部活動さえできればあとは何でも良かったのだ。
「はい、この人が太田霊夢。宇佐見蓮子は、知ってるか」
「こんにちは太田さん」
「霊夢でいいわよ。私もあなたの事、蓮子って呼んでもいい?」
「もちろん良いよ。いやあでもあなたの探偵技術、手も足も出なかったわ」
「蓮子の尾行技術と捜査の発想も高い水準だったけどね。ちょっと危ない事が何度かあったかな」
蓮子に霊夢を紹介した。
霊夢が結界を使えるという事は、秘密にした。
結界省の秘密につながる知識だからである。
「へえじゃあ霊夢、たった一人で、私達で言う所の秘封倶楽部みたいなことをやってたんだ」
「偶然にもそういう知識をつけられる環境にいたからね。興味もあったから」
「もっと別の形で会いたかったわ。そう思わないメリー?」
「そうね。ところで蓮子、霊夢と仲良くやってくれてよかったわ」
「なに言ってんの、私は別に蓮子のことが嫌いであなたの事を隠したわけじゃないし」
「霊夢が私と敵対したのも、メリーが仕方なくそれを選択したからでしょ。いがみ合う必要はないよ」
因縁があったから、仲良くやってくれるかと心配したが、杞憂だったようである。
「あ、ところで霊夢、良ければ秘封倶楽部に入らない? 今絶賛部員募集中なのよ」
「あら、部員は何人いるのかしら?」
「あたしが部長で、宇佐見とママの三人だよ」
「うーん、これから4年くらい、ちょっと会う機会が減ると思うのよね」
「そう? まあ無理にとは言わないけれど」
「でも私たちは気にしないわよ? 蓮子とまた会えたのも、霊夢のお蔭だしね」
「本当に? じゃあ、私も仲間に入れて貰おうかしら」
太田霊夢が秘封倶楽部に仲間入りした。嬉しかった。
これでやっと何の憂いも無い倶楽部活動ができる。
順風満帆、私は日々の暮らしに満足していた。
そうして日々の充実した時間を過ごしていて、ちょっとした趣味を始めていた。
私は、毎日の日記をつけることを、学生時代から惰性で続けている。
日記の内容は基本的に、蓮子との接触の記録だった。
会話の記録、身体的接触の記録、蓮子の癖、蓮子の魅力、蓮子の匂い、蓮子の、味。
私は完全に蓮子に惚れていた。蓮子と一緒に居たくて秘封倶楽部に癒着していた。
私にレズっ気があると蓮子も理解してくれていたし、受け入れてくれていた。
学生時代は、短い間隔で触れ合えることが出来た。
手を繋いで、頬を密着させて、抱き合って眠ることが出来た。
毎日溜まり続ける欲望を解消する事が出来ていた。
それが、十年間の隔たりをあけたのだ。
大学卒業後の蓮子と私、二人で願いを成就させられる、最適解だった。
溜まりに溜まる十年間、果てしない忍耐だったが、私は耐えてみせた。
蓮子と体を密着し眠れる。蓮子に体を抱いてもらえる。
この十年間を耐えれば、またその生活に戻ることができる。
姿を晦ませて過ごした十年間はそれだけを楽しみに過ごしてきたのだ。
ところで、愛する一人娘の紫の成長に有害なものは徹底的に排除しなければならないと、私は考える。
免疫をつける為にある程度は触れさせるべきだという考えは、絶対に許せない。
当然、母親の性的な接触の痕跡など言語道断である。
子育てにここまで拘束されるとは思ってもみなかったのである。
ましてや蓮子は日本を代表する学者であり、毎日が繁忙な日々の連続である。
なんとか時間をやりくりして八雲邸に来てくれるが、それで精一杯の様子だ。
この蓄積を続けた膨大な欲望は、吐きだす先を失ってしまっていた。
そして欲求不満は、病的な性癖を生み出してしまっていた。
私を必要とさせたい。
必要とされたいのではなく、させたいのだ。
母親として倶楽部部員として、ではない。
もっと病的に、執拗に、私だけに固執して。
私が居なければ何もできなくなるほどに。
強く強く、私の吐息まで全てを、である。
それにはまず、二人を精神的に追い込ませなければならない、と考えた。
健常者は自立してしまう。だから、自殺一歩手前まで追い詰めるのだ。
人間は精神的なダメージを負うと防衛機制が働く。
種類は多々あるが、共通して言えることは、最も容易に手に入る防衛を選ぶことが多い。
蓮子に取ったら私は、長い時間を共にした倶楽部パートナー。肌を見せ合った関係。
紫に取ったら私は、母親であり、あの歳ならばコミュニティも少ない。行動原理の根幹と言っても良い。
条件は、クリアしている。あとはどのようなストレスを与えるか、である。
誰か人を雇って、二人の手足を拘束し全身の骨を折って痛めつけ逃げられないようにし。
そこを私が助ける。二人は後遺症で生活がままならず、私を頼るしかなくなる。
こんなことを考えたが、やはり日頃聞く犯罪のニュースから知るリスクを鑑みた。
妄想の中だけで楽しむことにした。
もっと私自身が努力をして苦労をしたものの方が良い。きっと、その方が興奮する。
長い時間をかけて人生を費やし膨大な労力を掛け高尚な次元まで積み上げ矜持として抱えているもの。
それをぶち壊してしまうのが良い、と結論が出た。
私の計算上の事故でぶち壊れ、嘆いているところに、私が現れるのだ。
身体をそっと撫でて励ます瞬間を妄想して、私は興奮した。よしこれにしよう。
二人が既に持っているものを見つけても良いし、今から作らせても良い。
10年間、禁欲してきた私なのだ。それくらいの忍耐は耐えられよう。
私は専業主婦である。趣味で結界の資料を読む以外に、やることは無い。
時間は山ほどある。
計画を練って秘密の日記に纏めて行くことにする。
「いい加減、お手伝いさんの見張りも付かなくなったようね」
「そうだね、やっとフェーズ2へ移行だ」
そうしてややあってから帰ってきたときである。
紫がただ無言で近づいてきて、黙って私に抱きついたのだ。
私の快感神経は反応しなかった。
ただ抱きつかれるだけじゃダメなのだ。
紫がこうやって甘えるとき、大抵は蓮子が補足を加える。
しかし今回はその蓮子の補足が無かった。
「お年寄りの荷物を持ってあげたのよ」とか。
「道中でかわいい猫を見つけたの」とか、些細な事だったが。
ただ今回はわずかに眼を細め、紫を見るだけだった。私は不審に思った。
「何かあったの? 紫、大丈夫?」
「ねえママ、なでなでして」
「蓮子、どうしたの? 怪我とかしたり?」
「ごめんなさいメリー、あのね、」
蓮子が謝った。私は戦慄した。
後に続く言葉が恐ろしかった。
私が潰すよりも早く潰れてしまっては、計画がおじゃんだからだ。
「曲がり角で私が脅かしたの。わっ! ってね、そうしたら紫が怖がっちゃって」
「え? なに? そんなこと?」私は肩透かしを食らってしまった。
「あと、私が隠れて本棚から本を落としたり、携帯端末でホラーな音を鳴らしたり」
「どんな音?」
蓮子が端末から、不協和音を鳴らした。
オオオォォォと男性の悲痛な唸り声の様にも聞こえる。
あとは、女性の金切声。あれくらいならば、私がやった方が上手い。
確かに不安になる嫌な音だった。だが、それだけだ。
子供は感受性が豊かだから、大人にとっては何ともない事でも、心にダメージを残す。
「もう蓮子、あんまり紫を怖がらせないでね。ほらこっちで牛乳でも飲もっか」
私は気合いを入れて紫を抱きあげた。
近頃大きくなったからだっこするのも一苦労だ。
近い将来、私が抱えてあげることもできなくなるだろう。
紫は震えていた。強く四肢に力を込めて抱きつき、無言で恐れていた。
だが、その様子がとても愛おしかった。
この、感覚である。私を必要とする、この状態が望ましい。
少し一緒にいて喋ってあげたら元気を取り戻した。
私は計画の続行を決意した。
その一件があってから、目に見えて紫の様子がおかしくなった。
明らかに蓮子と二人で、私に隠れて何かをやっているようだった。
紫が大学で過労に倒れた後は、毎日必ず一緒に寝ることにした。
ベッドの中、紫の髪の毛を弄りながら夢現でいたら、紫がこんなことを聞いてきた。
「もし10年前に戻れるとしたら、何を変えたい?」
「私は満足よ。今のこの状態にね」うつらうつらしている状態だったので、本音が出た。
「何もしないの? 10年前から一度やり直せるんだよ?」
「あなたが居れば、幸せ。急がなくていいから、色んなことを経験して、立派に育ってね」
11歳である。そろそろ、甘えには拒否を示したほうが良いだろうか?
いや、ひょっとしたら私が子離れできていないのかもしれないね。
睡眠時間をきちんと摂るようにしたら、紫は安定をしてきた。
全身の引っ掻き傷も治り、綺麗な肌を取り戻した。
私は、少しずつ距離を取ることにした。子離れの準備だ。
そして同時に我慢の限界だった。
蓮子と紫がやっていることを、私は暴くことにした。
蓮子と紫は、五次元の壁を突破し、並行世界へ跳躍する装置を開発しているようだった。
私は能力を使用し二人の研究室へ忍び込んだ。そこで、見つけた計算式を解いた。
なるほど、私が博麗大結界の人柱に選ばれるパラレルが存在する様である。
蓮子と紫はそれを回避するために、跳躍装置を研究しているようだ。
とても複雑な式ではあるが、計算さえできれば足し算と一緒である。
要素も出揃っている。知楽結界、幻想郷戦力、結界省戦力、事実と誘導と、嘘。
それらを全て計算式に当てはめると、どのように結果へ作用するかが分かった。
理解した。蓮子と紫は、誤解しているのだ。
この旅は、並行世界の私を救う事にはならないと。
決定的な発想が足りていないのだ。
二人の旅は時間の浪費に終わるだろう。
“13代目博麗の巫女”は、理不尽に奪われた先代巫女との過去を取り戻すつもりだ。
そうして秘封倶楽部に接触し、過去に飛ばしてくれと懇願する。
同情した私は“13代目博麗の巫女”の願いを聞き入れ、過去へ飛ばす。
12代目は、13代目が過去へ執着し職務を放棄した事実を聞いて、教育意識を改める。
幼少の13代目巫女を再教育する事になる。
誤算だったのは、13代目の巫女が、意識を改めた12代目の教育に耐えられなかった点だ。
12代目は13代目を甘やかし過ぎたと自覚してしまうのだ。
あまりに激烈な指導に13代目は倒れてしまう。
12代目は愛した弟子を傷付けたショックで巫女の力を失う。こうして、人柱が必要になる。
私は博麗大結界の中で人体をバラバラにされ、精神のみの生物となる。
ざっといえばこんな感じ。だから蓮子と紫がどのように努力をしようと無意味である。
正すべきは12代目の行動だろう。12代目の教育方法を早い時期から改めさせることだろうか。
そんなことは不可能である。12代目は弟子を溺愛しているし、13代目もそれに癒着している。
別の回避法としては、 13代目に同情してはならないと説得することだろう。
向こうの私はやたらと同情的である。人のダメージを見ると心が弱り、直情的に行動してしまう。
こちらも不可能だ。真実を告げた所で、13代目に泣きつかれ懇願されたら、断れないだろう。
病的なほどに精神が弱いのだ。
向こうの蓮子はさぞかし苦労しているだろうと思った。
そもそも、である。13代目がどうして外の世界に呼び出されてしまったかという点だ。
これは、私が心的に不安定になり、12代目を八雲邸に呼び出してしまう事から始まる。
八雲家の事実を知ったことによるショックが原因だ。
結界省の真実を聞いて不安定になるのだ。
蓮子は頭が良い。結界省の真実を想像し、予想しているから、ダメージは少ない。
ただし私は、卒業後に秘封倶楽部が解散する事になるのかと、頭がいっぱいだ。
蓮子を頼れず、不安を一人抱えて、12代目を呼び出してしまうのである。
ふむ、と思った。こんなパラレル、捨て置けばいいのだ。
IFストーリー、三流小説、脳内妄想、趣味のSS執筆。
それを脱しない酷い出来である。鼻で笑い飛ばせる世界構成だ。
パラレルなんて秒間数千兆と発生しているのだから、相手にするだけ無駄である。
残念だったねまた来世で頑張ってね、くらいで十分なのだ。
どうやってこのパラレルの存在を知ったかはわからないが、紫が放っては置けないと駄々をこねたんだろう。
子供は感受性が豊かだから、大人にとっては何ともない事でも、心にダメージを残す。
蓮子も11次元宇宙の研究に没頭しているから、ついつい乗ってしまったのだと予想できる。
跳躍装置はあと一歩で実装できる。
式が間違えているから、それを正す必要がある。
現段階からこの式を解くには、ほんの少しのひらめきが必要だ。
それこそ蓮子の頭脳ならばごくごく単純な発想で得られるものだ。
たったそれだけのひらめきなのだが、――蓮子は近頃十分に休息を得ていない。
疲労した頭脳は機能しない。一度ぶっ倒れてまとめた休息を取らない限り、ひらめきは得られないだろう。
もちろん体調管理をきちんと身に付けている蓮子はそんなへまはしない。
だから、完成は不可能である。
このままでは、蓮子と紫は跳躍装置を完成させられない。
そして挫折して諦めて、努力が報われなかったことに意気消沈するだろう。
弱った二人を慰め、よしよしするのもそそられる。
まだたった数年の蓄積だが、私の計画の達成も幾分か期待できるかもしれない。
紫とも近頃距離を取ってるし――。
紫がいるから、蓮子とはご無沙汰である。
これはとても、とても魅力的なことだ。
――だが、と思う。
このパラレルの話も興味深い。
違う、興味深いのは、跳躍したパラレルへ干渉できる点だ。
どのような無責任な行動をとっても、責任を問われることが無いのだ。
自分の愛する物をめちゃくちゃに破壊する魅力は、誰しも一度は妄想する事だろう。
いやもちろん現実世界じゃそんなことできないけどね?
理性が働くし、社会的に抹殺されるリスクを考えて、そんな発想すぐにおじゃんだ。
むしろそんなことを考えてしまった自分を恨んで勝手に落ち込むレベルだ。
実践する決断はサイコパスくらいにしか出来まい。
私は、計算式を訂正した。
そして、少しだけ、パラレルへ干渉する事にした。
向こうの私がほんのちょっぴり精神ダメージを負う様に、調整するのだ。
私というファクターを加えたらどのように作用するか。すこし楽しみだったのだ。
人の生を蔑ろにして責任を取る必要が無い、これは神に匹敵する力である。
一人の人間の生を無価値に扱う事が出来る体験、――きっと最初で最後だろう。
向こうのパラレルに干渉している背徳。私は心底興奮した。
体温が5度くらい上昇した。呼吸も荒かっただろう。目だって血走っていたかもしれない。
興奮のあまり、蓮子のキャミソールを持って帰ってきてしまった。
翌日、機器が動作した報告を受けた紫が歓喜した。
八雲邸に乱入してきた蓮子と抱き合って喜んだ。
あと、なぜか小間使いも一緒になって喜んでいた。なんでお前も一緒なんだ。
それから数日が経った時である。
蓮子と紫が、リビングで寛いでいる私へ接近してきた。
「ねえメリー」「ねえママ」
「うん? なによ二人してニコニコして、可愛いわね」
「協力してほしい事があるの」「協力してほしいんだ」
「なにに? 言っておくけれど、断る理由なんてないわよ」
「“境界の揺らぎ”ってあったじゃん?」
「うんあったね」
学生時代の秘封倶楽部で遠征に出かけた時に、度々見かけたものである。
境界が不安定になり、他の境界を巻き込んで吸い込む現象のことである。
感覚的には、気圧が高い方から低い方へ空気の流れが発生するような感じ。
境界の揺らぎは辺りの物を吸い込むだけ吸い込むと安定しまた元の確固とした境界に戻る。
ただその吸い込まれたあとにどこへ行くかは、分かっていない。
人の思念が作用して緩ませているという事は分かるのだが。
――多分巻き込まれたら境界の一部になるのだろうと想像する。
この境界の揺らぎは、いわばブラックホールみたいなものだ。すっごく危ない。
吸い込まれたらタダじゃすまないだろうなーという事で。
見つけたら基本的に倶楽部活動は中止にするのが通例である。
あれに吸い込まれて私か蓮子どちらかが失踪するパラレルも存在するんだろうなーと思う。
「境界の揺らぎを探しに行きたいの。手伝ってくれる?」
「別に構わないわよ。じゃあ紫、野山に入るから道具揃えに行きましょうか」
時刻がもう夕方だったので日を改めることにする。
圭に一言、明日紫と蓮子と一緒にハイキングに行ってくるね、と伝える。
そうしたらGPS装置を持って行くように言われた。
まあ仕方のない事だね。同行すると言われないだけよしとする。
翌日、蓮子は背中に重そうな機械を背負ってきた。
映画に出てくる、通信兵が背負っている無線機器みたいな感じだ。
あれが先日に私が弄って動かした並行世界跳躍装置である。
境界の揺らぎを利用して五次元空間へ移動する事は、もう私は知っている。
「ねえ蓮子、その機械が何かは分からないけれど、これからの山に入るんだよ?」
「いいのいいの。これは私がずっと持つし、迷惑はかけないから安心して」
ハイキングはとても楽しい時間になった。
基本的にはずっと屋敷の中に引き籠ってばかりだし。
運動は八雲邸内にあるトレーニング設備で終わらせてしまうのだ。
実際に野山に入って体を動かし森林浴を楽しむ。とても快適である。
蓮子と紫が、野鳥の鳴き声を聞いて、生態を解説した。野草の話も色々と聞いた。
幸せな時間だった。なんら変わらない、秘封倶楽部活動だった。そして見つけた。
掃除機の口が空中に固定され、無茶苦茶に首を振りながら吸引しているような感じだ。
その場で辺り構わず吸い込みまくっている。やっぱ、実際に見ると怖いね。
30メートルほど距離がある。距離を維持すれば大丈夫だ。
蓮子は了解し、背中の機器をその場に下ろした。
ハイキング用のシートを広げ、三人でそこに座る。
蓮子、若干緊張をはらむ様子で。
「メリー、この機械はね、」
「ええ、知ってるわ。並行世界を移動する機械でしょ」
「え? 知ってるの?」
「紫、あなたがあまりにも苦しんでたからね。研究室に忍び込んで、計算式を直させてもらったわ」
「ありゃりゃ、どうりで唐突に不具合が直った訳だ。おかしいと思ったんだよ」
「それじゃあママ、もう向こうの世界に行ったんだ?」
「一足先にね。若い私はやっぱり蓮子と仲良しだったわ」
「この実地試験で失敗したら揺らぎに吸い込まれて戻って来れないからね。
一応、その危険をメリーに伝えようとしたんだけど」
「大丈夫。その機械は、とてもよくできてたわ。でも今回は、すぐに戻ってくるんでしょ?」
「うん。数分だけ向こうを観察して、終わりにするよ」
「私は、ここで待ってる。蓮子と紫だけで行ってきなさいな」
二人は変装を始めた。帽子と眼鏡で顔を隠した。
シートに寝転がり、目を閉じて、数分後戻ってきた。
すっかり興奮した様子だった。興奮の種類は私とは違うけれどね。
「計算通り、10年前のパラレルよママ」
「大学時代ね。メリーあなた、一人でコーヒー飲んでたわ」
「コーヒーショップの窓際の席でね、アイスクリームとコーヒーを飲んでた」
「やっぱりメリーは今も昔も変わらないね。コーヒー好きなんだね」
「ママ綺麗だったよ。コーヒーはブラックだったよ」
「二人してコーヒーコーヒー言い過ぎよ。分かったから、帰りましょうか」
私は二人と森林浴が出来て、二人の寝顔と喜ぶ顔が見れて、もう満足だった。
そうして後片付けを始めようとした時だ。足音が、近づいて来ていた。
三人で手を止めて道の方向を見る。登山道を抜けて現れたのは。
「実験は成功したようだな。ならばその機器は没収だ」
徹と圭だった。
機器はその場で没収。二人は亜空穴で帰ったようで、姿を消した。
私たち三人は無言で帰路に付いた。
私は疲れてうとうととしてしまったが。
蓮子と紫は無言で虚空を見詰め、何か感情的な思考を続けているようだった。
もう暗くなり始めていた。
屋敷が見え始めた所で、蓮子が口を開いた。
「悔しい」
一言、たったその一言だった。
私は蓮子へ、屋敷へ泊って行くことを提案した。
目を離したら爆弾でも作って八雲邸を吹っ飛ばしに来そうだと思ったからだ。
蓮子はそれに首肯で返事をした。紫は無言だった。
小間使いへ、私の部屋へエキストラベッドを追加してもらうように頼んだ。
屋敷で夕飯を食べた。蓮子は無言で素早く平らげると、風呂へ入りに行った。
私はこの後の快楽を予感していた。
ぞくぞくとしていた。欲望が背筋を絶えず撫でていた。
二人は数年間の努力を突然蔑ろにされ、消耗している。
私は、二人が弱っているのを心配している。そのフリをするだけである。
降ってわいた様な好機だ。
存分に、愛でることができる。
紫が座っている私に近づいてきた。来た、と思った。
10年以上の蓄積を吐きだせる瞬間が、近づいている。
もうこの予感だけで、絶頂間近だった。
紫が私の手を取り、言った。
「ママ、取り返してくれるよね?」
「考え中」
「どうして?」
「救えないものもあるって事を知るには、良い機会だからよ」
「救えるものは手を差し伸べたいよママ」
「場合による」
「ママが、向こうで酷い目に会うんだよ?」
「別パラレルの別人だから」
「あたし、放っておけないよ」
「それを学ぶ良い機会なのよ」
私は、紫の頬へそっと手を伸ばした。ここから、始まるのだ。
だが触れる直前で、その手を紫に振り払われた。
魅惑の褒美を眼先につるされ、ちらつかされているような気分だった。
「ママは達観しすぎだよ。そんなの、おかしいよ」
「紫、こっちに来なさい」
「いやだよ。そんなの気休めだよ。何の解決にもならないじゃん」
私は立ちあがり、紫に歩み寄った。
紫は後退りをして私から距離を取る。
「努力は実らない事もあるのよ。人生というのはそういう物だから」
「実らないって言ったら実らないよ。成果を出すために努力を続けるんだよ」
私の脳は論理的な思考の一切をかなぐり捨てていた。
産毛も生えそろわない柔和な白い肌。目じりから顎先にかけての、曲線美。
精神的に弱っている人間の肌。格別の手触り。
実の娘だと言うならば尚更である。
それを愛でたい衝動を拒否されて私はイライラとしていた。
黙って私に甘えればいいのに、変に大人ぶっている。
「あなたは努力に固執しているのよ」
「違う、そんな事無い。ただ私は、私はママを救いたいだけだよ!」
「どうにもならない事もあるの」
「まだだよ! 全然、まだだよ! 手立てはあるもの!」
紫を部屋の壁に追い詰めた。
私の影が、紫にかかっている。
涙を双眸に貯めこちらを見上げる顔が、より一層私を高ぶらせた。
紫を愛でたい。頬擦りしたい。あの頬へ舌を這わせたい。
「紫、感情的にならず、考えなさい。かなわない事もあるの」
「諦められないよ! そんな、ここまで来て! ここまで来たのに!」
大声を出して激しくかぶりを振る。
もう後は無い。あとは、抱きしめるだけだ。
「あなたはよく頑張ったわ。さあおいで」
そう言って両手を広げると、紫はぼろぼろと涙を流し始めた。
もうひと押しだ、と思った。いや、もう、走り寄って抱きしめても良いだろう。
積み上げた巨大なトランプのタワーの支柱に手を掛ける、まるでその瞬間。
崩れる刹那、快楽の予感、勝利。私の、勝ちだ。あとは、容易い。
しかし紫が、か細い声で一言、こう言った。
「私が手遅れになったら、ママはそう言って諦めるんだ」
私ははっと我に返った。
しまった、そっちに転がってしまうか。
この計画は、私が二人にとってかけがえのない存在であることが大前提である。
ここで紫に軽蔑され見損なわれてしまっては元も子もないのである。
私は思考を巡らせた。
もはや手の届く距離の快楽。
私も共に涙を流して、紫の努力を称えてやりながら愛でるのも良い。
紫はとてもよく頑張った、だからもう休んでいいのよと泣きながら宥めて良い。
そうすれば紫の不満は解消されるだろう。しかしこの場合、恒久的な官能を得ることは難しい。
この先に冷静を取り戻して自らが行う事を思考し、そして機器を取り戻すべく立ち上がるだろう。
そうなれば私を必要とするが、精神的には健常かつ行動的である。
精神的な完成度はずっと劣る。その肌を愛でても快楽は得られまい。
欲望を消化するためには、条件を完全に達成する官能的な環境を安定供給しなければならない。
結論は出た。
私は、目を見開き、はっと息を吸った。瞬き数回。沈黙を守る。
驚きと気付きを示すエモーションである。情動だ。
蓮子相手ならばもっと計算した動作が必要だが――。
「ママ、気付いてくれた?」
この後も、沈黙。
「気づいてくれたんだねママ」
――紫が相手ならばこれで十分だ。
「ごめんなさい紫。私が、間違えていたわ」
「ううん、いいんだよ。分かってくれれば」
壁を離れ接近してくる紫を、そっと抱きしめてやる。
これで軽蔑されることは避けられた。信頼の失墜も避けられた。
現状維持。いや、一つ谷を越えたことで、苦労の歴史が追加された。
潰して崩すときの落差がより一層、大きくなった。全て、計算通りだ。
紫の背中を撫でてやっていると、蓮子が風呂から出てきた。
私が紫を抱きしめているのを見て部屋から出て行こうとする。私はすかさず呼び止めた。
「蓮子、私から徹と圭に話をしてみるわ」
「ありがとう」
「結果は、期待しないでね」
「いいよ、大丈夫。もしあなたが失敗しても、」
タオルを首にかけ、私を見詰めてきた。
蓮子の双眸に光が無かった。
「私が徹と圭を殺しに行くだけだから」
こりゃ失敗は許されないな、と思った。
今晩中に結果は出ないと思われる為、蓮子と紫に今日はもう休む様に言っておく。
風呂に入り、髪を乾かして身なりを整えた。小間使いへ空き部屋を用意してもらう。
芳香浴をするから朝まで誰も入れるなと伝える。
アロマポットを用意し、睡眠薬を嚥下し、ヒーリングミュージックを流す。
部屋の照明を消し、全裸になり、ベッドへ横になる。目を閉じた。
疲労も相まって良い状態になった。妖怪状態。眠る私のすぐ隣に着地。
部屋は暗闇だが、妖怪の探知能力を持ってすれば、室内の様子が手に取るようにわかる。
全裸で眠る私を観察する。
栄養状態は良い。程よく肉も付いているし、健康体だ。
顔のパーツも均衡がとれている。乳房だって平均よりずっと大きい。
全身へ平均的に皮下脂肪がついており、皮膚の状態も良好。触れれば柔らかそうだ。
かぶりつけば美味しそうだ。
特に、二の腕とか。もう今すぐにでもしゃぶりつきたい。
――私って蓮子の時と言い、二の腕の肉が好きらしい。
ふむ、と思う。夫にゲイを選んでよかったと心底思った。
自分の肉体を見てこんなことを考えるのもどうかと思うけれど。
美しい身体だ。
全裸で無防備に寝ている美女。呼吸で規則正しく上下している胸部が扇情的である。
今自分自身が妖怪の肉体でなかったら、きっと衝動を抑えきれなかっただろう。
見惚れてしまうほどに均衡がとれている。
今度蓮子を誘惑してみよう、と思った。
化粧をして、香水をつけて、体を撫でながら甘い言葉を囁いてやろう。
下着はつけずに体を密着させて、蓮子の弱点を刺激してやろう。
この肉体があるならば、きっと受け入れてくれるはずだ。
いや、そんな誘惑に耐えられるのならば、それは仏か聖人ぐらいだろう。
だがそれをする前に、機器を取り返さなければならない。
蓮子は人殺しになり、太陽の下を歩けなくなってしまう。
観察は一時中断。
本体の隣へ腰掛け、少し考える。
徹と圭が跳躍装置を強奪したという事は、パラレルへ用事があるという事だ。
何をしに行こうと言うのだろうか。もしくは、勘違いしているのだろうか?
あの機器は、蓮子が設定したパラレル以外へ跳躍することは出来ない様になっている。
それに、向こうの物質をこちらに持って帰ってくることは不可能である。
私は境界を裂き、そこへ隠した物を取り出した。
蓮子のキャミソールである。
――私の能力を使わない限りは。
私は空間を繋げ、徹の書斎を見た。居ない。
圭の書斎も同様だ。ふむ、隠れ家を用意していたらしい。
どこにいるか、検索をかけた。すぐに見つけた。
やはり別館の研究室で跳躍装置へ結界を掛け、中身を弄っているようだ。
徹と圭は、跳躍装置の式を解読しようとして必死になっているようだった。
これから何年かかるだろうか。蓮子が命を狙っていることに、二人は気付いているのだろうか。
悠長にも程がある。
私はため息をついた。
ただ私は、趣味を愛でる環境を達成したいだけなのだ。
それがどうしてこんなめんどくさい事になるのだろう。
解決手段はある。だけど、どれもめんどくさい。
徹と圭の目的を聞きだし、跳躍装置の機能を説明して証明しなければならない。
口で言ってコードを見せても納得しないだろうから、実際に稼働させる必要もあるだろう。
私は、徹と圭の目的などどうでも良いのだ。
ただ単に、蓮子と紫を精神的に追い詰め、私の物にしたいだけなのだ。
八雲兄弟を殺してしまおうか?
いや、そうすると今の八雲家婦人の生活を辞めることになってしまう。
紫だって、父親が居なくなったら、中途半端なところで気骨を折ることになるだろう。
機器の説明などせずに、もっと即時的に解決する手段は無いものだろうか。
人間はめんどくさい。みんな私みたいに物わかりが良ければいいのに。
まあその物わかりの悪さが、愛でる材料になるんだけどね。
「ねえ霊夢、あなたの意見を聞きたいんだけど?」
「ありゃ、ばれてた?」
「この妖怪状態なら、あなたに肩を並べられるようね」
床板をぐるりと裏返し、霊夢が隠し通路から出てきた。
目はつぶっている。当然である、部屋は暗闇だ。生身の人間には何も見えまい。
しかし別の感覚で周囲が分かるらしい。椅子を掴み引き寄せると、そこに腰掛けた。
「あなたの身体、綺麗よ。モデルデビューすれば?」
「私は、楽をしたいの。全てにおいてね。だからモデルさんにはなれないわ」
確かに私の肉体は美しいが、モデルのプロポーションには敵わない。
食生活を改め、体を鍛え、美に対して努力をしなければならない。
それは嫌だな。辛いのはイヤだ。それに、今手に入っているもので十分である。
蓮子と紫の肌を手に入れる下地は出来ているのだから。
これ以上肉体の美しさを要求しても、得られる利点は努力に見合わない。
私は手袋を取り、傍らで眠る自分の身体の臀部をそっと撫でた。
やはりだめだ。肌は滑らかで肉付きも良いが、それだけである。全く興奮できない。
これで私の快楽が得られれば自炊できたのにね。世の中よく出来ているものだ。
霊夢を観察する。彼女もダメだな、と思った。
意思が健康すぎる。頑丈過ぎる。完全に自立した志がある。
なにより、精神ストレスに対して屈強な耐性がある。
痛めつけたら極上な質になるだろうが――。
その労力がハンパないだろうな。そこまでの忍耐は私には無い。
「あんた今、私を値踏みしたでしょ」
「うん。でも大丈夫、あなたは不合格だから」
「ぶっ飛ばすわよ」
霊夢ならば妖怪状態の私でも普通にぶっ飛ばせるだろうから困ったものだ。
「ねえ霊夢」
「あいよ」
「なんか良い案があるんでしょ?」
「あるよ」
「おしえて」
「いやだ」
「何でもするから」
「何でもする?」
「うん」
「言ったわね?」
「言ったわ」
「何でも、してくれるのね?」
「一個だけね」
「約束よ?」
「あんましめちゃくちゃな内容だったらぶっ飛ばすけどね」
「よしそれじゃあ、これを見てほしい」
霊夢が懐から保存用結界を取出し、投げ渡してきた。
展開すると膨大な量の式が出てきた。
これは一体――、この式をくみ上げるのに何人月、何人年の工数が必要だろうか?
蓮子と紫が作り上げた機器の、何億倍もの工数の式があった。
「これ、あなたが組んだの?」
「うん」
「ウソでしょ」
「ウソよ」
「まあいいやどちらでも。それでこの式をどうしろって言うの?」
「解読してみればわかるわ」
「こんな難解の式の意味が分かる訳、――いや、分かる」
「分かる?」
「分かる。へぇ、なるほど、よくできてる」
「この式を使って、この結界と札で――、」
霊夢が霊力をぎっちぎちに凝縮した二重結界が二つ。
そして大出力の結界破断札も二つ。
私は境界を開き、その二つを霊夢から奪い取った。
「分かった。良く分かった。ありがとう霊夢」
「理解速すぎだ! これだから妖怪は嫌なのよ!」
「それで、代わりに私は何をすればいい?」
「私の仕事に、協力しなさい」
「何の仕事?」
「私が指示したパラレルの、私が指示した時間軸へ飛ぶ」
「パラレルの移動なんて無理よ。この式を科学面で実装しないと」
「できるでしょ? 式よく読んでよ」
「いや出来ないでしょ。――いや、出来るわ」
「移動する時間範囲は、プラスマイナス200年くらいかな」
「うん、ぎりぎり出来るって感じかな」
「それじゃあよろしくね」
そう言って霊夢は亜空穴を開き姿を消した。
私は境界を操作して後を追った。
駅裏の路地に着地して――。
「見んなヘンタイ!」
結界を張られて遮断されてしまった。
まあ、仕方ないよね。
私は徹と圭の研究所へ空間跳躍した。
「うお!?」
「わっ!? ってなんだ、ハーンか。また夢でうろついているのかい?」
「お仕事ご苦労様。ところで蓮子から奪い取った機器の機能は、解読できた?」
「明日の朝までなら」
「徹兄ちゃん、嘘はダメだよ。もう数年はかかりそうだね。やっぱり、取り返しに来たんだね?」
「いいえ、まあその機器は返してくれなくてもいいから、これを見てほしいの」
私は最初に二人へ、霊夢が用意してくれた式を見せた。
当然、理解できるはずがない。
そして次にこの世に一つしかないユニークなものを用意させる。
圭が、自身で大事にしている60年持続する結界を指定した。
それに、サインをさせる。八雲紫のイニシャル、Y.Yと掘りたいそうだ。
最初の二画だけ掘って別のパラレルに飛ばす。
「どうやって飛ばすんだ?」
「式を使って、結界のリバウンドを応用するわ。見てて」
結界破断札を発動させる。まるで剣の様に火花が伸びて、黄金色の刃になった。
それで二重結界を切断。式が作動し、60年結界が別パラレルに飛ばされた。
そして同時に、こちらへ飛ばされてくる結界がある。
テーブルに反応光が現れる。オーロラに例えると想像しやすいだろうか。
現れたのもまた、圭の60年結界だった。すぐに戻ってしまうから、急いで圭に手渡す。
「別パラレルの私たちと結界を交換したのよ。サイン、違うでしょ?」
「そうだね。こっちはYの一画目しか掘られていない」
「多分20秒ほどで向こうに戻っちゃうわ」
戻る時もまた、オーロラのような光に覆われて、霧になって消えた。
「蓮子と紫が作ったその機器は、境界の揺らぎを応用してるの。
省エネで効率的だけど、その分動作が不安定で大事故の危険がある。
だけどこっちの理論ならもう大分研究が進んでて、学会の理解も得られるんじゃない?」
「リバウンドに伴う時空の捻じれだな。オレはその理論を支持してる」
「ええ。あなたがこの式を科学的に実証したら、相当の地位が得られるはず」
「ところで理論上は証明されてる現象で、試してみたいものがあるんだが」
「同じものが同じ空間に飛ばされたらどうなるか、ね?」
「理論と同じ現象が発生するはずだ」
「わかった。でもその実験は、明日でも良い?」
「ああ。だがその式、誰が組んだんだ?」
「ヒミツよ。それでこの式は、あなた達にあげる。その代わりに」
「宇佐見の機器か」
「そうよ。返してくれるかしら」
「別に構わないが……」
「マエリベリーは、どうしてオレ達が機器を奪ったのか、気にならないのかい?」
「全く。ぶっちゃけどうでもいいわ。私はね――、」
私は、機器を小脇に抱えて振り返る。
「蓮子の悲しむ顔が見たくないだけよ」
うん、嘘は言ってないね!
一度寝室に戻り、人間状態に戻る。
服を着てしっかり身なりを整える。
機器を持って行こうとしたが、重くてとても運べなかった。
蓮子ったらすごいな。こんなのを担いで山に登ったんだ。
電話で呼び出す。1コールもせずに蓮子が出る。
そうして廊下にあわただしい足音が響く。
部屋の扉が乱暴に開かれた。
蓮子がドアノブを掴み、私を見て、私の足元に置かれた機器を見て。
紫が追い付き、やはり同様に機器を見て。
「取り返したわよ蓮子。もう取り上げられる心配は無いわ」
人間が繰り出す、感極まった時のタックルである。今回は二人分。
そのうち私の身体が持たなくなるんじゃなかろうか。
嬉しいっちゃあ嬉しいんだけれど。
だけどやっぱり、弱った人間の肌の方が良いな、と思った。
過去の話といちいち整合が取れているのがまたすごい。蓮子と紫が10年前パラレルに飛んだときは、1回目はすぐ帰って、その後本格的に接触していたのでした。
次々明らかになる真相。メリーが八雲家に取り入ったのも霊夢の介入によるもの。人柱候補メリーに強烈なトラウマを植えつけたのも、やりすぎだろと思っていたら本当に悪意に満ち満ちていて。あのシーンの裏にこんな思惑。ハラハラどきどきスペクタクルです。次回が楽しみでなりません!
さてさて、最後に残った145億年後の時間軸のキャラクターたちは、どんな役割を持つのでしょうか。霊夢はなぜ妖怪メリーを裏切ったのか、賢者会の正体とは、などなど、謎がいっぱいです。
それでも怖いもの見たさという言葉が有りまして。
後篇も楽しみにしてます。
蓮子を弱らせて食べたい気持ちは分からんでもないけど実行するのはちょっと…
どんな破滅が待ち受けているのか逆に楽しみです。
あと、こっちのメリーがいつどうして妖怪になってしまったのかが気になりました。
蓮子かわいいよprprが行き過ぎて食べたくなっちゃったとかじゃないよねw
今までで出てきた疑問がこの回で大分解消されてスッキリしました。
人間やめ過ぎました霊夢さんとマエリベリー・八雲さんが強すぎて恐ろしいし変態すぎる。これは勝てない。
後篇も楽しみにしてます。後篇に限らずこのシリーズの続きならいつも楽しみです。
ところであとがきの
→(でもマエリベリー・八雲の邪悪な誘惑に負けちゃう霊夢とか見てみたいかも)
は全力で同意したい。負けてるとこが想像つかないだけに。
そしてこのメリー怖い。欲望に正直過ぎる。
誤字
「あ、へえ、メリーも大学に行くんだ? ふーん。一体どうしてまた大学へ?」
メリー→紫