夢だと思った。
今日は、大学の講義が再開される日であり、出かけなくてはならない日である。
秘封倶楽部の、年明け最初の活動予定日であるからだ。
新年限定の大福パフェを食べるという、崇高な目標を達成するという計画を、我々は絶えず見直し続けると共に完璧な物へと昇華させた。
そう、今日は敗北は許されない。
前日、実家から帰ってきた私は決意を新たにしながら眠りについたのである。
何もない夜だった。
何も起こり得ない夜だった。
ブラウン管の向こう側の芸人は、面白いとは思えない漫才を披露していたし、液晶の向こうには無機質な天気の情報しか存在していなかった。
いつも通り、本当にいつも通りの現実だったはずなのだ。
ならば、目覚めた私の目の前にある光景は一体何に分別すれば良いのだろう。
朝食を済ませ、身支度を整え、テキストを鞄に入れ、財布をバッグにねじ込んだ。
いざ出陣と、私は兜とも言うべき愛用の帽子に手を伸ばして……そこで初めて気付いたのだ。
帽子に、触覚が生えている。
「由々しき事態ね」
彼女が言った。
「全くもってその通り」
私が言った。
ここは、私の部屋。
安アパートの一室である。
早々に大学を切り上げた私は、笑って蹴ったメリーを拉致したのだ。
オカルトサークルに相応しい……かどうかはさておき、初めて目の当たりにした超状現象。
どんとこい、とは言えなかった。
もう私の頭には、興奮の二文字しかなかったのだ。
ここからが、本題。
この帽子を、どう解明すべきか。
我々は、オカルトサークルの一員なのだ。
この現象を! 解明し! 世に知らせねばならない!
なんか、初めてサークル活動をしている気分がする!
「ふぁぁ」
「そこ! あくびをしない!」
生理現象にケチをつける私である。
まったく、メリーは緊張感が欠けている。
触覚に触れてみたところ、人工物とは思えない手触りだ。
まさか、本当に生きているのか。
さらに謎なところは、結構な長さであるにも関わらず直立しているのだ。
うわっ。
動いたわこれ。
「それは、触覚だもの」
メリー、貴女いつの間にこんなに心が強くなったの?
私は、未だ戦々恐々としているのだけれど。
ああ、メリーは天然物の竹林を見たのだものね。
化け物に追いかけられるよりは、よっぽど平気なのかもしれない。
それが、夢でなければの話だけど。
……。
はっ!
これは夢?!
柱に頭をぶつけてみた。
痛いじゃない。
つまり、これは現実!
この触覚もまた、現実か……。
これで、逃げ場はなくなった。
秘封倶楽部は、この自体に厳然と立ち向かわなくてはならない!
「ところで、大福パフェはどうするの?」
メリー、今大事なところよ。
……そうだ! 大福パフェだ!
完全に忘れていた。
私たちは、去年の末から計画を立てていたのだ。
触覚が怪しい動きをしているが、出かけなくてはならない。
……これ、放置するわけにはいかない気がする。
私は、意を決して帽子に手を伸ばした。
これを身に着けなければいけないような気が、したのだ。
……。
カポッとな。
ものすごい、じゃすとふぃっと!
吸い付くような、頭部を完全につかまれた感覚がある。
同時に沸き起こる、謎の衝動。
こう、ポーズを取りたくなるような。
これ、やばいんじゃない?
「早くいこー」
メリーさんメリーさん、もうちょっとリアクション豊かなほうがいいと思うの。
大通りは、相変わらず人で溢れている。
しかし、小道に逸れるとガラリと変わる。
暴走するタクシーと石畳の道だ。
外国人のメリーはともかく、私は新京都でもあまり浮く服装ではなかった。
それが、今に限ってはとても周囲の眼が気になる。
何せ、頭には未確認生命体か妖怪か知らん触覚がついている。
海底の揺らぐ昆布のようにうにょうにょする触覚は、突然捕食を開始したりしないだろうか。
私の心配をよそに、すれ違う人は触覚に目もくれない。
私とメリーにしか、見えない物なのか。
もしや、いつの間にか触覚が外れて消えたのか。
帽子を取ってみた。
三倍速で、動く触角。
ぶっちゃけきもい。
「メリー、どうしようこれ」
「何が?」
メリー、おまえもか。
さっきまでは、ノリよく付いてきてくれてなかったのに。
食人触覚なら、一番危ないのはメリーなのに。
「……」
若干、メリーが足を速めた。
逃げないで!
私まで不安になる!
触覚が何かをするわけでもなく、大福パフェには辿りつけた。
ポールに掛けた帽子が、触手の回転によってヘリコプターのように浮遊したりもしていたが、被害はない。
オカルトが、こんなにも面倒で恐怖を誘うものだったとは……。
先までの私は、どうやら興奮していたようだ。
冷静になれば、どうしてあれに興味をそそられたのか。
厳然と立ち向かう?
無理無理。
そんなものは、テレビにでも任せておけばいい。
「なら、さっさと帽子を取ればいいのに」
なんか、落ち着いてきちゃった。
「……蓮子が未確認なものになっちゃった」
えっ。
わたしこわい?
怪談「うさみれんこ」の誕生である。
歴史的瞬間。
「おいしかったわね、大福パフェ」
山盛りの大福の上に、ホイップがあっただけだったり。
抹茶美味しかったです。
ちなみに、落ち着いてきたというこの触角帽子。
実は、取れなかったりする。
……キャトられた?
もしくは、憑依。
あれ?
私、危ない?
「ところで、私これかぶった時から衝動的にやりたいことがあるの」
別に、食人に目覚めたわけじゃないから離れないで。
「こう、なんていうかポーズとらなきゃいけない気がするっていうか」
「犬神家?」
「何でよ」
それよりは、まともな体勢であると信じたい。
少なくとも、自分の部屋で上半身を床に埋めて下着を露出させたくはない。
「こう、腰に手を当ててさ」
アキレス腱を伸ばすように、足を広げて。
自身評価で控えめな胸をピンと張り。
天に向けて人差し指を――!
「……何のポーズ?」
「……トラボルタ?」
わからない。
触覚の命ずるままだ。
そのポーズを取った瞬間、触手が暴れだした。
見えないけれど、ものすごく頭が振られる。
なんなのなんなの。
逃げないでメリー!
私このポーズ解けないの!
見捨てないで!
メリーが、私の部屋から逃げ出した瞬間……雷鳴のような爆音と光が部屋の中に満ちて――!
虚ろな意識の中、時計を見る。
角度は直角。
布団の中から考える。
カーテンの向こうからして、おそらく午前だ。
携帯が鳴った。
メリーだ。
「もしもし?」
「大丈夫?」
「何が?」
「……いえ、大丈夫ならいいのよ」
何のことだろう。
何故か節々が痛い。
風邪でもひいたのか。
新年の、この時期に……。
「……メリー、パフェって今日の約束だったかしら」
「昨日食べたじゃないの……」
そうだっけ。
ちらりと、帽子に眼を向ける。
……いつもの姿だ。
夢を見た気がするが、どうにも内容が思い出せない。
思い出せないほうが、好都合なんだっけ?
呪い的に。
「あー、今日の講義だけど体調不良で休むことにする」
「そう」
「うん」
「じゃあね」
無碍に電話を切られてしまった。
なぜ、声色が怯え気味だったのか。
頭も痛い。
二度寝をしよう。
耳元で大声を出されたことを思い出すほどに、グラグラする。
ふと、天井を指差してみた。
意図はない。
もちろん、何も起こらない。
気の迷いだったのか。
それとも、誰かの仕業だったのか。
とにかく、布団を頭までかぶって寝る。
どうせ夢を見るなら、混沌よりも幻想のほうがいい。
おやすみ!