天正十(一五八二)年二月十四日。
松尾城の小笠原信嶺、織田軍に寝返る――その報は、信濃守矢城主・東風谷大和守実重の元にも届いた。
「何ということだ……」
次々ともたらされる悪い情報に、再び城内が重い空気に包まれる。織田の先鋒隊は着々とこの小さな山城に迫りつつあった。
諏訪地方の一部を領地とする東風谷氏は武田家に従っていた。しかし長篠の戦いによって武田家は衰退を始め、ついに天正十(一五八二)年二月一日に福島城の木曽義昌が織田家に寝返ると織田信長は本格的な武田打倒を命じる。そして三日に岐阜城を出発した森長可ら先鋒隊は六日には信濃に侵入すると、南信濃の諸豪族らは戦わずして次々と織田軍に降っていった。
「殿、我らも降りましょうぞ」
「某もそう思いまする。信玄公の恩はあれども、勝てぬ戦にまでついていく義理はございませぬ」
「しかし……」
次々と投降を進言する家臣達。しかし、当の実重は目を閉じ、下を向いたまま言葉を詰まらせていた。簡単には裏切れない理由があったのだ。
その時、また伝令が駆け込んできた。
「申し上げます! 諏訪越中守様、御館様と共に織田軍と一戦交えるつもりとの由!」
「何と……!」
城内に再び動揺が走る。しかしそれは先程までの悲劇的なものとは少し違った。どちらかといえば、困惑の感情の方が強かった。何故、武田家からあまり好遇されていない諏訪家は戦うなどと言ったのか、と。
「……越中殿が言うのならば仕方がない。儂も戦おう」
「殿!」
「案ずるな。少し戦って、武田への忠誠心と我らの意地を示しておくだけでよい」
前に出る家臣たちを、僅かに笑って宥める実重。そして、首を横に振りながら言った。
「それに、諏訪が戦い、我らが降る理由など無いではないか」
「殿……」
その言葉に、騒然としていた場は静まり返る。
「総十郎」
「はっ」
そう呼ばれて正面を向く最前の若者は、実重の嫡男・総十郎実昌である。
「守矢城並びに神社の守りはおぬしに任せる。……神奈子様と諏訪子様のこと、頼む」
「父上……お顔をお上げ下され」
重々しくそんなことを言ってその白髪交じりの頭を下げる父に、実昌は不吉な予感を感じた。まるで、先程の言葉とは逆にこれから死地に赴く者のようで。
◇
諏訪家の当主は諏訪大社の大祝、東風谷家の当主は守矢神社の風祝を代々務めていた。武士と神職の両方を兼ね、聖俗両面からその地を支配していたのである。
神職の仕事は祭祀だけではない。妖怪退治などもまた大事な仕事だ。人間と戦う武士と、妖怪と戦う神職。東風谷家当主はいわば右手に刀を、左手に大幣を握っているようなものだった。
このように領主が聖俗両面の役目を兼ねることは珍しくなかった。この二家の他には九州の宗像氏や阿蘇氏などがその例である。また、古くは天皇や殷王朝、エジプトのファラオなどにも共通する。彼らは人間の身ながら神と呼ばれ、現人神となっていた。
東風谷家はかつて諏訪家の家臣だった。時に内紛などで対立することなどもあったが、両者の関係は概ね良好だった。
そこに攻め込んで来たのが武田信玄である。長い戦いの末諏訪本家は滅亡して諏訪頼重は自害、叔父の満隣は降伏した。諏訪越中守頼豊はその息子であり、頼重の従弟に当たる。若き日の東風谷実重もまた、その時武田に降った。
武田家の支配の下では諏訪家は冷遇されたが、東風谷家は厚遇された。実重はそのことに罪悪感を感じ、諏訪家と共に戦うことにしたのだろう。また、武田信玄の跡を継いだ勝頼の母は頼重の娘だった。信玄は諏訪の支配を強固なものにするために諏訪家の人間を側室とし、その子を跡継ぎとしたのだ。それによって諏訪の諸豪族は武田を裏切ることができなかった。信玄の計略は、諏訪侵攻から四十年経ったこの時にまで効力を保っていたのである。
◇
西日が、城内にある守矢神社の本殿に差し込んでいる。そこに一人籠り、僅かに肩を震わせる少年。その眼には涙が浮かんでいたが、顔を真っ赤にしながらも必死に堪えているようだった。
その手にあるのは、白髪交じりの遺髪――実重のものだ。
実重は戦死した。武田軍は、鳥居峠で大敗を喫した。諏訪頼豊は甲斐へ落ち延びたが、一度抵抗した以上捕えられ殺されるのは時間の問題だろう。
今の実昌には父を失った悲しみと、家督を継いだことによる重責の二つが重くのしかかっていた。まだ元服したばかりの、二十歳にも満たない少年は今にも押しつぶされそうだった。覚悟が無かったわけではない。だが、突然の悲劇は彼の心を大いに揺さぶった。
やがて戦死の報を受けてから十日以上が経った。そしてその間ずっと、実昌は時々神社に籠っては俯いてそうしていた。何故神社だったのかは分からない。ただ、時々顔を上げてはじっと睨むように祀られた銅鏡を見て、その度に映し出された自分の歪んだ顔が目に入ってきて、また俯くのだった。
そうしている間にも、飯田城主保科正直、さらに武田家の当主勝頼の叔父である信廉ですら大島城を放棄して逃亡した。織田の軍勢は高遠城にまで迫っている。甲斐国への道で残っている城はその高遠城と、そして守矢城だけだ。
勝頼は既に諏訪での抵抗を諦め、甲斐へ撤退した。最早、守矢城に織田の軍勢が迫るのも時間の問題だ。家臣たちも、降伏派と抗戦派の間に溝ができつつある。
それでも、実昌は降伏という選択肢に踏み切れなかった。それは父と同じか――それ以上に重い理由があったのだ。
◇
十年前――実昌がまだ梅千代という幼名の頃のことだった。当時まだ存命だった武田信玄は、ついに織田信長を討伐せんと甲斐を発し、西上の途上にあった。そして遠江に攻め込む途中、諏訪大社へ立ち寄った。
東風谷家は諏訪での留守居を命じられていたが、梅千代も父や他の家臣たちと共に信玄を迎えるべく、参道の脇に控えていた。そして参拝を終えた帰り、信玄は梅千代の前で立ち止まった。
『大和(実重)、おぬしの倅か?』
『ははっ。我が嫡男、梅千代にございまする』
『そうか。面を上げよ』
恐る恐る地面から顔を上げる梅千代。彼はその時見た信玄の顔をよく覚えていない。単に逆光のせいだったのか、それとも存在そのものに圧倒されていたせいかは分からない。それほど梅千代にとっては信玄がとても大きく見えたのだ。しかし、その表情は僅かに笑っていたと記憶している。大きな器を持った人物特有の、包み込むような笑みだった。それはかつての主家である諏訪家を攻め滅ぼした人物とは思えなかった。
『大きゅうなったな。前に見たときは、物心もつかぬ赤ん坊であったか』
『梅千代は今年で七つになりましてございまする』
『そうか、そうか。やがては我が武田家を支える立派な武将、そして風祝となろう。よし、元服したら昌の字を与える故、実昌と名乗れ。これからもよろしく頼むぞ』
はい、とやや小さな声ながらもはっきりと返事をした。そして、頭に乗せられた暖かな感覚は信玄に撫でられたものだと気付いた。その時の感覚を、今でも実昌ははっきりと覚えている。大きな手だ、と思った。
信玄は、気に入った家臣には名前に『昌』の字を与えた。高坂昌信、真田昌幸などがその例である。信玄の本名、晴信は室町幕府十三代将軍の足利義晴より貰い受けたものだったので容易に『晴』の字を与えることができず、代わりに信玄の曾祖父で武田家の地盤を築いた信昌から取ったのだ。
つまり、実昌は信玄からも期待され、信頼されていたのである。そして彼は、その恩に報いようと奮闘した。
五年ほど前。勝頼の嫡男で信玄の孫にあたる信勝(当時は武王丸といった)が病に倒れたことがあった。熱が数日間にわたって下がらず勝頼や乳母が大いに心配する中、病の正体が妖怪によるものであることを暴いたのがまだ元服前の実昌だった。彼は当時十三歳という幼さにもかかわらず見事な弾幕捌きで病魔を退治せしめ、家中にその名を響かせたのだった。
◇
麓の諏訪湖に、また赤く染まり始めた空が反射してきらきらと輝いていた頃。
腰の脇差を取る。鍔のところ刻まれているのは、武田菱。これは信勝を病魔から救った後、勝頼から直々に賜ったものだった。主君から刀を賜るということは、武士にとって大変に名誉のあることだ。もっとも、実昌の場合は武士としてではなく風祝としての功績ではあったのだが。
三月二日、高遠城は落城した。徹底抗戦の末、城主仁科盛信(勝頼の弟)は自害、兵士もほとんど討死した。他の武田勢がことごとく逃亡する中、唯一の大規模な抵抗だった。
守矢城に包囲の手が伸びる。城の麓、諏訪湖の沿岸は永楽通宝の描かれた織田の黄色い旗印で埋め尽くされた。その数、三万。
実昌はついに抑えきれず、両目から静かに涙を流した。悔しかった。主君の恩に報いきれなかったことが。現人神と呼ばれても、それを戦には何の役にも立てることができないことが。
人間同士の戦において、神としての力を振るうことは決して許されない。もしこの乱世において日本中の八百万神が一斉に戦に介入し始めたら、そのあまりにも強大な力によって日本列島は焦土と化してしまうだろう。だから、神はせいぜい戦勝祈願に応えてわずかに力を与えてやることしかできない。そういう暗黙のルールがあるのだ。
だから、かつて病魔を打ち払ったように弾幕で敵兵を薙ぎ倒すようなことはできない。たとえ三万の妖怪を倒そうとも、三万の軍勢を倒すことはできない。弾幕には弾幕で、武器には武器で対抗しなくてはならないのだ。代々受け継いできた『奇跡を起こす程度の能力』も、第六天魔王の圧倒的な勢力の前には無力だった。
選択肢は三つ。他の城のように無血開城するか。高遠城のように城を枕に討ち死にするか。あるいは、自分一人だけ腹を切って降伏するか。
脇差を抜く。ギラリと光る刀身に、涙に濡れた頬が映った。彼は結局三番目を選ぼうとしたのだろう。鎧を脱ぎ捨て、陣羽織の紐を解こうとして――
「やめなさい」
唐突に、声がした。女の声だった。恐る恐る顔を上げる。
そこには、夕日に照らされて一人の女性が立っていた。小袖に赤い打掛を羽織った姿は、間違いなく当代の武家の女性の服装だ。しかし背中に背負った巨大な注連縄と、思わず身を伏せてしまいそうな神々しさが、彼女が人間ではないことをはっきり示していた。
「神奈子……様?」
実昌は、実際にその姿を見たことはなかった。ただ、亡き父が会ったことがあるということだけはよく聞いていた。神は、本当に重要な時しか姿を見せない。
「総十郎(実昌)、お前は武士である前に風祝であることを忘れるな。今、東風谷家の人間はお前しかいない。もしここでお前に死なれると、それは東風谷家の滅亡を意味するばかりじゃないんだ」
神奈子は、訴えるように、それでいて強く叱るように言う。
「東風谷家が滅亡したら、誰が私たちを祀る? 誰がこの地を妖怪の手から守る? ……お前しかいないんだ、総十郎」
「……ならば」
静かに口を開く実昌。目の前に突然顕れた神に畏怖し肩を震わせながらも、キッと睨みつけるように見上げる。
「ならば、どうすれば! 今更腹を切らずに、おめおめと降伏せよと仰せにございまするか!」
「……四十年前。武田が諏訪に攻めてきた時、お前と同じぐらいの歳だった伝兵衛(実重)に降伏するよう言ったのは私だ」
「――っ!」
唐突に告げられた真実に、言葉を失う。そんな話は一度も聞かされないままだった。生前の父は何度も、あれは我が独断であった、神奈子様諏訪子様に合わせる顔が無い、と語り聞かせていたのだ。
神奈子は毅然と腕を組んだままただ黙って見下ろしていた。しかししばらくすると、実昌は恨めしげに、声を絞り出すように言葉を発した。
「……何故、その時諏訪を見捨てたのですか。何故、今度は武田を見捨てるのですか。何故、父上の命を見捨てたのですか!」
「……っ!」
分かってはいた。そうするしか無かったのだと。神は人間の争いに介入できない。僅かに加護を与えることしかできない。しかし、それも本人次第。本人が破滅への道を突き進めば、どんな強い加護でも無駄になってしまう。だから四十年前の諏訪家も、今の勝頼も、頼豊も、そして父も、救われることは無かった。
それでも、責めずにはいられなかった。そうでもしないと、自分の悔しさと怒りと悲しみを抑えることはできなかった。顔を真っ赤にくしゃくしゃにして、今までため込んでいた理不尽な怒りを赤子のようにぶつける。ひどい風祝だ、と心の中でつぶやいた。
神奈子は咎めもせず、そのまま口を閉ざしていた。答えることができなかった。その目は少し悲しそうだった。
その時だった。
「やめなよ」
もう一つの声。実昌が振り返ると、そこには大きな目玉のついた市女笠をかぶった童女の姿。
「諏訪子……」
「神奈子だって、辛いんだよ。なのに神奈子も伝兵衛も変な意地張っちゃってさあ。何お互い自分が悪役を引き受けようとしてるの。別に神奈子が気に病むことなんて無いんだよ。私たちにとっては仕方のないことなんだから」
「諏訪子!」
諏訪子と呼ばれた童女――否、もう一人の神は、神奈子の言えなかったことをズバズバと言い放った。その言葉にためらうような様子は感じられない。
実昌にとっては、確かにグサリとくる言葉だった。しかし逆に、むしろその方が気は少しだけ楽になった。腹を突き破って手を入れられ、胆石を強引に取り出されたような気分だ。
神奈子は諏訪子を制止しようと叫んだが、諏訪子はそれにも構わず話し続けた。
「ついこの前――出陣の前夜、伝兵衛は私たちのところに訪ねてきたんだ。使い古した陣羽織に身を包んでね。それはもう、死ぬ気満々な顔だったよ。だから流石に私たちも姿を現して、必死に止めようとしたさ。
でもね、あいつの意志は固かった。今度こそ主家への忠義を貫かせて下され、とか言って、いくら言っても聞かないんだ。で、私たちもさ、四十年前のことであいつに負い目があるわけなんだよ。
四十年前の伝兵衛も、ちょうど今の総十郎と一緒だった。同じぐらいの歳だったし、同じような目をしてた。この父にしてこの子あり、だよ」
実昌は目を見開いてじっと聞いていたが、神奈子は口を開けて右手を伸ばしたまま、呆然と静止していた。どうしても、知らせないまま責任を負うつもりだったらしい。
「それでね、あいつは最後に額を床につけてこう言ったんだ。
『愚息を、御頼み申し上げまする』
――あいつはね、総十郎の気持ちを全部引き受けて死んでいったんだよ。武田家への恩義も、諏訪家への負い目も、全てね」
全てを知った。それと同時に、父の最期の想いを理解できなかった自分が悔しくなった。視界がぼやける。そして初めて、実昌は声を上げて号泣した。
そこに武将としての貫録は無い。あるのは、親を亡くした子の嘆きだけだ。俯いた先に床をポタポタと水滴が濡らしてく。そして、ふわり、と暖かなものに包まれる感触。
「許しておくれ、総十郎。私たちが不甲斐ないばかりに……」
冷酷な神を演じきれず、先ほどまで黙っていた神奈子は、思わず総十郎を胸に抱きしめていた。自分だけ責任を負おうという目論見を外された結果、そうやって許しを請い、慰めてやることしかなかった。そしてその目尻にも、光る物が。
胸に顔をうずめられながら首を横に振る総十郎。自分の仕える神に慰められるなど、本当は情けなかった。だが、そのせっかくの情を無碍にはしたくなかった。先ほどまで冷徹な神として顕現していた神奈子は、抱きしめられるとまるで母のように暖かかった。
彼は母の顔を知らない。物心つく前に、流行病で亡くなっていたからだ。だから、もし母が生きていたなら、同じように自分を慰めてくれたのだろうかと想像した。そして両親を二人とも失ったという事実に改めて気づかされると、また涙があふれ出してくるのだった。
「本当は、伝兵衛にもこうしてあげたかったね」
総十郎の背中を撫でながら、しんみりと言う諏訪子。夕日が飛騨山脈の向こうに沈み、諏訪湖が深い宵の色に染まるまで、彼らはそうして悲しみを分かち合っていたのだった。
◇
三月四日。東風谷総十郎実昌は守矢城を無血開城し、織田軍に降伏した。領地こそ半分以下に減らされたものの、城主実昌以下兵士全員の命は赦された。
三月九日。織田軍に攻められ笹子峠まで落ち延びた武田勝頼は小山田信茂の裏切りにあい、嫡男信勝と共に天目山で自害した。ここにかつて甲信を席巻した武田家はその終焉を迎えたのである。
しかしその武田家を滅ぼした第六天魔王・織田信長もまた、その年の六月二日に明智光秀の謀反により本能寺で自害した。そしてその混乱に乗じて諏訪頼豊の弟・頼忠が諏訪高島城に入って諏訪家再興を果たすも、その後信濃に侵攻してきた徳川家康に敗れ、臣従した。
実昌は頼忠が入城すると、残った領地も僅かな社領を残してほとんど返上してしまった。家臣たちも、ほぼ全員諏訪家へ出仕させた。実昌は武士を辞めたのだ。もう二度と、悲劇を繰り返さないために。そして、戦災で焼失した諏訪大社の復興に頼忠と共に尽力したという。
諏訪家は後に小田原征伐後の家康の関東移封に従って諏訪を離れ、武蔵、次いで上総に転封になるも、関ヶ原の戦いの後高島藩二万七千石として諏訪に帰ってきた。東風谷家は守矢神社風祝として諏訪に害を為す妖怪と弾幕を交わし続けると共に、廃藩置県に至るまで諏訪家による篤い信仰を諏訪大社と同様に受け続けたのである。
◇
「……あれ?」
平成二十X年、幻想郷。
蔵の整理をしていた東風谷早苗は、細長い箱を見つけた。蓋を開けると、そこにあったのは一本の脇差。とうに錆び果てて鞘から抜くことすらできないが、よく見ると鍔のところには四つに分かれた菱型が刻まれていた。
「ん? どうしたんだい、早苗?」
「あ、神奈子様……これは?」
そこへたまたま蔵の前を通りがかったのが、神奈子だった。そしてそんな早苗の様子が気になって入口から覗き込むと、その箱の中身を見て、はっとした。
「……随分と懐かしいものね。総十郎め、刀を外してもやっぱり武田への恩は忘れたくなかったのか。あいつらしいといえばあいつらしいけど」
「……えっと、何の話ですか?」
対して早苗は、突然神奈子の口から漏れ出した人名に戸惑い、頭に巻いた三角巾を直すことしかできなかった。
「ああ、早苗にはまだ話してなかったね。あれはもう、四百年以上昔のことだ――」
そんな早苗の問いに、神奈子はしみじみと遠い目をして語りだした。その昔、東風谷家に何があったのかを。
松尾城の小笠原信嶺、織田軍に寝返る――その報は、信濃守矢城主・東風谷大和守実重の元にも届いた。
「何ということだ……」
次々ともたらされる悪い情報に、再び城内が重い空気に包まれる。織田の先鋒隊は着々とこの小さな山城に迫りつつあった。
諏訪地方の一部を領地とする東風谷氏は武田家に従っていた。しかし長篠の戦いによって武田家は衰退を始め、ついに天正十(一五八二)年二月一日に福島城の木曽義昌が織田家に寝返ると織田信長は本格的な武田打倒を命じる。そして三日に岐阜城を出発した森長可ら先鋒隊は六日には信濃に侵入すると、南信濃の諸豪族らは戦わずして次々と織田軍に降っていった。
「殿、我らも降りましょうぞ」
「某もそう思いまする。信玄公の恩はあれども、勝てぬ戦にまでついていく義理はございませぬ」
「しかし……」
次々と投降を進言する家臣達。しかし、当の実重は目を閉じ、下を向いたまま言葉を詰まらせていた。簡単には裏切れない理由があったのだ。
その時、また伝令が駆け込んできた。
「申し上げます! 諏訪越中守様、御館様と共に織田軍と一戦交えるつもりとの由!」
「何と……!」
城内に再び動揺が走る。しかしそれは先程までの悲劇的なものとは少し違った。どちらかといえば、困惑の感情の方が強かった。何故、武田家からあまり好遇されていない諏訪家は戦うなどと言ったのか、と。
「……越中殿が言うのならば仕方がない。儂も戦おう」
「殿!」
「案ずるな。少し戦って、武田への忠誠心と我らの意地を示しておくだけでよい」
前に出る家臣たちを、僅かに笑って宥める実重。そして、首を横に振りながら言った。
「それに、諏訪が戦い、我らが降る理由など無いではないか」
「殿……」
その言葉に、騒然としていた場は静まり返る。
「総十郎」
「はっ」
そう呼ばれて正面を向く最前の若者は、実重の嫡男・総十郎実昌である。
「守矢城並びに神社の守りはおぬしに任せる。……神奈子様と諏訪子様のこと、頼む」
「父上……お顔をお上げ下され」
重々しくそんなことを言ってその白髪交じりの頭を下げる父に、実昌は不吉な予感を感じた。まるで、先程の言葉とは逆にこれから死地に赴く者のようで。
◇
諏訪家の当主は諏訪大社の大祝、東風谷家の当主は守矢神社の風祝を代々務めていた。武士と神職の両方を兼ね、聖俗両面からその地を支配していたのである。
神職の仕事は祭祀だけではない。妖怪退治などもまた大事な仕事だ。人間と戦う武士と、妖怪と戦う神職。東風谷家当主はいわば右手に刀を、左手に大幣を握っているようなものだった。
このように領主が聖俗両面の役目を兼ねることは珍しくなかった。この二家の他には九州の宗像氏や阿蘇氏などがその例である。また、古くは天皇や殷王朝、エジプトのファラオなどにも共通する。彼らは人間の身ながら神と呼ばれ、現人神となっていた。
東風谷家はかつて諏訪家の家臣だった。時に内紛などで対立することなどもあったが、両者の関係は概ね良好だった。
そこに攻め込んで来たのが武田信玄である。長い戦いの末諏訪本家は滅亡して諏訪頼重は自害、叔父の満隣は降伏した。諏訪越中守頼豊はその息子であり、頼重の従弟に当たる。若き日の東風谷実重もまた、その時武田に降った。
武田家の支配の下では諏訪家は冷遇されたが、東風谷家は厚遇された。実重はそのことに罪悪感を感じ、諏訪家と共に戦うことにしたのだろう。また、武田信玄の跡を継いだ勝頼の母は頼重の娘だった。信玄は諏訪の支配を強固なものにするために諏訪家の人間を側室とし、その子を跡継ぎとしたのだ。それによって諏訪の諸豪族は武田を裏切ることができなかった。信玄の計略は、諏訪侵攻から四十年経ったこの時にまで効力を保っていたのである。
◇
西日が、城内にある守矢神社の本殿に差し込んでいる。そこに一人籠り、僅かに肩を震わせる少年。その眼には涙が浮かんでいたが、顔を真っ赤にしながらも必死に堪えているようだった。
その手にあるのは、白髪交じりの遺髪――実重のものだ。
実重は戦死した。武田軍は、鳥居峠で大敗を喫した。諏訪頼豊は甲斐へ落ち延びたが、一度抵抗した以上捕えられ殺されるのは時間の問題だろう。
今の実昌には父を失った悲しみと、家督を継いだことによる重責の二つが重くのしかかっていた。まだ元服したばかりの、二十歳にも満たない少年は今にも押しつぶされそうだった。覚悟が無かったわけではない。だが、突然の悲劇は彼の心を大いに揺さぶった。
やがて戦死の報を受けてから十日以上が経った。そしてその間ずっと、実昌は時々神社に籠っては俯いてそうしていた。何故神社だったのかは分からない。ただ、時々顔を上げてはじっと睨むように祀られた銅鏡を見て、その度に映し出された自分の歪んだ顔が目に入ってきて、また俯くのだった。
そうしている間にも、飯田城主保科正直、さらに武田家の当主勝頼の叔父である信廉ですら大島城を放棄して逃亡した。織田の軍勢は高遠城にまで迫っている。甲斐国への道で残っている城はその高遠城と、そして守矢城だけだ。
勝頼は既に諏訪での抵抗を諦め、甲斐へ撤退した。最早、守矢城に織田の軍勢が迫るのも時間の問題だ。家臣たちも、降伏派と抗戦派の間に溝ができつつある。
それでも、実昌は降伏という選択肢に踏み切れなかった。それは父と同じか――それ以上に重い理由があったのだ。
◇
十年前――実昌がまだ梅千代という幼名の頃のことだった。当時まだ存命だった武田信玄は、ついに織田信長を討伐せんと甲斐を発し、西上の途上にあった。そして遠江に攻め込む途中、諏訪大社へ立ち寄った。
東風谷家は諏訪での留守居を命じられていたが、梅千代も父や他の家臣たちと共に信玄を迎えるべく、参道の脇に控えていた。そして参拝を終えた帰り、信玄は梅千代の前で立ち止まった。
『大和(実重)、おぬしの倅か?』
『ははっ。我が嫡男、梅千代にございまする』
『そうか。面を上げよ』
恐る恐る地面から顔を上げる梅千代。彼はその時見た信玄の顔をよく覚えていない。単に逆光のせいだったのか、それとも存在そのものに圧倒されていたせいかは分からない。それほど梅千代にとっては信玄がとても大きく見えたのだ。しかし、その表情は僅かに笑っていたと記憶している。大きな器を持った人物特有の、包み込むような笑みだった。それはかつての主家である諏訪家を攻め滅ぼした人物とは思えなかった。
『大きゅうなったな。前に見たときは、物心もつかぬ赤ん坊であったか』
『梅千代は今年で七つになりましてございまする』
『そうか、そうか。やがては我が武田家を支える立派な武将、そして風祝となろう。よし、元服したら昌の字を与える故、実昌と名乗れ。これからもよろしく頼むぞ』
はい、とやや小さな声ながらもはっきりと返事をした。そして、頭に乗せられた暖かな感覚は信玄に撫でられたものだと気付いた。その時の感覚を、今でも実昌ははっきりと覚えている。大きな手だ、と思った。
信玄は、気に入った家臣には名前に『昌』の字を与えた。高坂昌信、真田昌幸などがその例である。信玄の本名、晴信は室町幕府十三代将軍の足利義晴より貰い受けたものだったので容易に『晴』の字を与えることができず、代わりに信玄の曾祖父で武田家の地盤を築いた信昌から取ったのだ。
つまり、実昌は信玄からも期待され、信頼されていたのである。そして彼は、その恩に報いようと奮闘した。
五年ほど前。勝頼の嫡男で信玄の孫にあたる信勝(当時は武王丸といった)が病に倒れたことがあった。熱が数日間にわたって下がらず勝頼や乳母が大いに心配する中、病の正体が妖怪によるものであることを暴いたのがまだ元服前の実昌だった。彼は当時十三歳という幼さにもかかわらず見事な弾幕捌きで病魔を退治せしめ、家中にその名を響かせたのだった。
◇
麓の諏訪湖に、また赤く染まり始めた空が反射してきらきらと輝いていた頃。
腰の脇差を取る。鍔のところ刻まれているのは、武田菱。これは信勝を病魔から救った後、勝頼から直々に賜ったものだった。主君から刀を賜るということは、武士にとって大変に名誉のあることだ。もっとも、実昌の場合は武士としてではなく風祝としての功績ではあったのだが。
三月二日、高遠城は落城した。徹底抗戦の末、城主仁科盛信(勝頼の弟)は自害、兵士もほとんど討死した。他の武田勢がことごとく逃亡する中、唯一の大規模な抵抗だった。
守矢城に包囲の手が伸びる。城の麓、諏訪湖の沿岸は永楽通宝の描かれた織田の黄色い旗印で埋め尽くされた。その数、三万。
実昌はついに抑えきれず、両目から静かに涙を流した。悔しかった。主君の恩に報いきれなかったことが。現人神と呼ばれても、それを戦には何の役にも立てることができないことが。
人間同士の戦において、神としての力を振るうことは決して許されない。もしこの乱世において日本中の八百万神が一斉に戦に介入し始めたら、そのあまりにも強大な力によって日本列島は焦土と化してしまうだろう。だから、神はせいぜい戦勝祈願に応えてわずかに力を与えてやることしかできない。そういう暗黙のルールがあるのだ。
だから、かつて病魔を打ち払ったように弾幕で敵兵を薙ぎ倒すようなことはできない。たとえ三万の妖怪を倒そうとも、三万の軍勢を倒すことはできない。弾幕には弾幕で、武器には武器で対抗しなくてはならないのだ。代々受け継いできた『奇跡を起こす程度の能力』も、第六天魔王の圧倒的な勢力の前には無力だった。
選択肢は三つ。他の城のように無血開城するか。高遠城のように城を枕に討ち死にするか。あるいは、自分一人だけ腹を切って降伏するか。
脇差を抜く。ギラリと光る刀身に、涙に濡れた頬が映った。彼は結局三番目を選ぼうとしたのだろう。鎧を脱ぎ捨て、陣羽織の紐を解こうとして――
「やめなさい」
唐突に、声がした。女の声だった。恐る恐る顔を上げる。
そこには、夕日に照らされて一人の女性が立っていた。小袖に赤い打掛を羽織った姿は、間違いなく当代の武家の女性の服装だ。しかし背中に背負った巨大な注連縄と、思わず身を伏せてしまいそうな神々しさが、彼女が人間ではないことをはっきり示していた。
「神奈子……様?」
実昌は、実際にその姿を見たことはなかった。ただ、亡き父が会ったことがあるということだけはよく聞いていた。神は、本当に重要な時しか姿を見せない。
「総十郎(実昌)、お前は武士である前に風祝であることを忘れるな。今、東風谷家の人間はお前しかいない。もしここでお前に死なれると、それは東風谷家の滅亡を意味するばかりじゃないんだ」
神奈子は、訴えるように、それでいて強く叱るように言う。
「東風谷家が滅亡したら、誰が私たちを祀る? 誰がこの地を妖怪の手から守る? ……お前しかいないんだ、総十郎」
「……ならば」
静かに口を開く実昌。目の前に突然顕れた神に畏怖し肩を震わせながらも、キッと睨みつけるように見上げる。
「ならば、どうすれば! 今更腹を切らずに、おめおめと降伏せよと仰せにございまするか!」
「……四十年前。武田が諏訪に攻めてきた時、お前と同じぐらいの歳だった伝兵衛(実重)に降伏するよう言ったのは私だ」
「――っ!」
唐突に告げられた真実に、言葉を失う。そんな話は一度も聞かされないままだった。生前の父は何度も、あれは我が独断であった、神奈子様諏訪子様に合わせる顔が無い、と語り聞かせていたのだ。
神奈子は毅然と腕を組んだままただ黙って見下ろしていた。しかししばらくすると、実昌は恨めしげに、声を絞り出すように言葉を発した。
「……何故、その時諏訪を見捨てたのですか。何故、今度は武田を見捨てるのですか。何故、父上の命を見捨てたのですか!」
「……っ!」
分かってはいた。そうするしか無かったのだと。神は人間の争いに介入できない。僅かに加護を与えることしかできない。しかし、それも本人次第。本人が破滅への道を突き進めば、どんな強い加護でも無駄になってしまう。だから四十年前の諏訪家も、今の勝頼も、頼豊も、そして父も、救われることは無かった。
それでも、責めずにはいられなかった。そうでもしないと、自分の悔しさと怒りと悲しみを抑えることはできなかった。顔を真っ赤にくしゃくしゃにして、今までため込んでいた理不尽な怒りを赤子のようにぶつける。ひどい風祝だ、と心の中でつぶやいた。
神奈子は咎めもせず、そのまま口を閉ざしていた。答えることができなかった。その目は少し悲しそうだった。
その時だった。
「やめなよ」
もう一つの声。実昌が振り返ると、そこには大きな目玉のついた市女笠をかぶった童女の姿。
「諏訪子……」
「神奈子だって、辛いんだよ。なのに神奈子も伝兵衛も変な意地張っちゃってさあ。何お互い自分が悪役を引き受けようとしてるの。別に神奈子が気に病むことなんて無いんだよ。私たちにとっては仕方のないことなんだから」
「諏訪子!」
諏訪子と呼ばれた童女――否、もう一人の神は、神奈子の言えなかったことをズバズバと言い放った。その言葉にためらうような様子は感じられない。
実昌にとっては、確かにグサリとくる言葉だった。しかし逆に、むしろその方が気は少しだけ楽になった。腹を突き破って手を入れられ、胆石を強引に取り出されたような気分だ。
神奈子は諏訪子を制止しようと叫んだが、諏訪子はそれにも構わず話し続けた。
「ついこの前――出陣の前夜、伝兵衛は私たちのところに訪ねてきたんだ。使い古した陣羽織に身を包んでね。それはもう、死ぬ気満々な顔だったよ。だから流石に私たちも姿を現して、必死に止めようとしたさ。
でもね、あいつの意志は固かった。今度こそ主家への忠義を貫かせて下され、とか言って、いくら言っても聞かないんだ。で、私たちもさ、四十年前のことであいつに負い目があるわけなんだよ。
四十年前の伝兵衛も、ちょうど今の総十郎と一緒だった。同じぐらいの歳だったし、同じような目をしてた。この父にしてこの子あり、だよ」
実昌は目を見開いてじっと聞いていたが、神奈子は口を開けて右手を伸ばしたまま、呆然と静止していた。どうしても、知らせないまま責任を負うつもりだったらしい。
「それでね、あいつは最後に額を床につけてこう言ったんだ。
『愚息を、御頼み申し上げまする』
――あいつはね、総十郎の気持ちを全部引き受けて死んでいったんだよ。武田家への恩義も、諏訪家への負い目も、全てね」
全てを知った。それと同時に、父の最期の想いを理解できなかった自分が悔しくなった。視界がぼやける。そして初めて、実昌は声を上げて号泣した。
そこに武将としての貫録は無い。あるのは、親を亡くした子の嘆きだけだ。俯いた先に床をポタポタと水滴が濡らしてく。そして、ふわり、と暖かなものに包まれる感触。
「許しておくれ、総十郎。私たちが不甲斐ないばかりに……」
冷酷な神を演じきれず、先ほどまで黙っていた神奈子は、思わず総十郎を胸に抱きしめていた。自分だけ責任を負おうという目論見を外された結果、そうやって許しを請い、慰めてやることしかなかった。そしてその目尻にも、光る物が。
胸に顔をうずめられながら首を横に振る総十郎。自分の仕える神に慰められるなど、本当は情けなかった。だが、そのせっかくの情を無碍にはしたくなかった。先ほどまで冷徹な神として顕現していた神奈子は、抱きしめられるとまるで母のように暖かかった。
彼は母の顔を知らない。物心つく前に、流行病で亡くなっていたからだ。だから、もし母が生きていたなら、同じように自分を慰めてくれたのだろうかと想像した。そして両親を二人とも失ったという事実に改めて気づかされると、また涙があふれ出してくるのだった。
「本当は、伝兵衛にもこうしてあげたかったね」
総十郎の背中を撫でながら、しんみりと言う諏訪子。夕日が飛騨山脈の向こうに沈み、諏訪湖が深い宵の色に染まるまで、彼らはそうして悲しみを分かち合っていたのだった。
◇
三月四日。東風谷総十郎実昌は守矢城を無血開城し、織田軍に降伏した。領地こそ半分以下に減らされたものの、城主実昌以下兵士全員の命は赦された。
三月九日。織田軍に攻められ笹子峠まで落ち延びた武田勝頼は小山田信茂の裏切りにあい、嫡男信勝と共に天目山で自害した。ここにかつて甲信を席巻した武田家はその終焉を迎えたのである。
しかしその武田家を滅ぼした第六天魔王・織田信長もまた、その年の六月二日に明智光秀の謀反により本能寺で自害した。そしてその混乱に乗じて諏訪頼豊の弟・頼忠が諏訪高島城に入って諏訪家再興を果たすも、その後信濃に侵攻してきた徳川家康に敗れ、臣従した。
実昌は頼忠が入城すると、残った領地も僅かな社領を残してほとんど返上してしまった。家臣たちも、ほぼ全員諏訪家へ出仕させた。実昌は武士を辞めたのだ。もう二度と、悲劇を繰り返さないために。そして、戦災で焼失した諏訪大社の復興に頼忠と共に尽力したという。
諏訪家は後に小田原征伐後の家康の関東移封に従って諏訪を離れ、武蔵、次いで上総に転封になるも、関ヶ原の戦いの後高島藩二万七千石として諏訪に帰ってきた。東風谷家は守矢神社風祝として諏訪に害を為す妖怪と弾幕を交わし続けると共に、廃藩置県に至るまで諏訪家による篤い信仰を諏訪大社と同様に受け続けたのである。
◇
「……あれ?」
平成二十X年、幻想郷。
蔵の整理をしていた東風谷早苗は、細長い箱を見つけた。蓋を開けると、そこにあったのは一本の脇差。とうに錆び果てて鞘から抜くことすらできないが、よく見ると鍔のところには四つに分かれた菱型が刻まれていた。
「ん? どうしたんだい、早苗?」
「あ、神奈子様……これは?」
そこへたまたま蔵の前を通りがかったのが、神奈子だった。そしてそんな早苗の様子が気になって入口から覗き込むと、その箱の中身を見て、はっとした。
「……随分と懐かしいものね。総十郎め、刀を外してもやっぱり武田への恩は忘れたくなかったのか。あいつらしいといえばあいつらしいけど」
「……えっと、何の話ですか?」
対して早苗は、突然神奈子の口から漏れ出した人名に戸惑い、頭に巻いた三角巾を直すことしかできなかった。
「ああ、早苗にはまだ話してなかったね。あれはもう、四百年以上昔のことだ――」
そんな早苗の問いに、神奈子はしみじみと遠い目をして語りだした。その昔、東風谷家に何があったのかを。
やっぱ歴史に東方の要素やキャラが入っていると面白くなりますね。
できればその後の早苗の感想とかも聞きたいですが、想像だけに留めておきます。
またこのような作品が投稿されるのを楽しみにしております。
それではまたいつか。
>>4、5様
満点評価大変ありがとうございます。早苗は……そうですね、皆さんのご想像にお任せしましょう。
近々、自分のサイトを立ち上げてそこで長編でも書こうかなとも思っております。ご期待いただけると嬉しいです。