「結婚、しようと思うんだ」
魔理沙がなんでもないようにそう告げるものだから私はうっかりティーカップを落としてしまった。
否、自分がティーカップを落としたことにすら気づけないほど私は狼狽していたのだが。
ジューンブライドにおいてけぼり
それから一秒くらいして、がしゃんという音が響いた。けれどそれがなんの音か私にはよくわからず、でもひたひたと足元が濡れていくのでやっとそこで私は自分がその手にティーカップを握ってないことに気付いたのだった。
床を拭くための布巾をとろうと立ちあがろうとしたが、それより魔理沙の次の一言が気になる。仕方なく私は浮かせかけた腰を下ろし、テーブルに頬杖をついた。
フローリングだから平気よと自分に言い聞かせたりして。
神社のように畳だったら悲惨だけれども。霊夢なんて、お茶をこぼすとわりとマジギレするのだ。早苗は困り顔で許してくれるわけだが、それはそれで申し訳ない……いや、そんなことは今は関係ない。
「ええと、結婚ってやっぱり……彼と?」
「それ以外いないだろ? まだ式とかは、決めてないんだけどさ」
呆れたように微笑んで、魔理沙は腰ほどまで伸びた金色の髪をかきあげた。少し傾けた額に揺れる前髪、その向こうで黄金色の瞳が優しく細められている。
「いや、確かに私もいきなりのことで悪いと思ってるんだけどね。そこまでパニくるなよ」
「いえ……パニくってるわけじゃ」
と言い訳しようとして、それは無いなと自分で思った。ティーカップを落とすなんて、驚きの表現としてベタすぎる。というかあのティーカップ割とお気に入りだったのだが。
仕方なく額に手を当て私はゆるく首を振った。ふう、と一つだけため息をついて、
「それにしても、少し、早すぎないかしら?」
私の言葉に「そうかぁ?」とあっけらかんとした声で魔理沙が答えた。ぽりぽりと頭をかき、視線を天井まで向け、ううむと何やらうなっている。
ごきごきと首を鳴らして(身体に悪いと思うからやめた方がいいと思うのだが)軽い調子で答えた。
「そうはいっても、私もう24だしなぁ。早くは無いよ、うん、早くはない早くはない」
身体に電撃が走ったような気がした。え、という前置きを作って、
「もう、そんなになるのね」
うんうんとひとりうなずく魔理沙に、私はぼんやりとそう返すことができなかった。
かたかたと体が震えそうだ。ティーカップを持っていなくてよかった。持っていたらかちゃかちゃうるさくて、きっと気付かれていた。
対する魔理沙は、私のそんな様子になど気付きもしないで、太陽のような笑顔を見せている。
「ああ、大人になっただろ?」
自分自身を見せびらかすように、手を広げるその身は、立てば私よりも背が高い。髪も長くなったし、その上にはもう魔女帽子は乗っていない。
服装も随分落ち着いたものを選ぶようになった。顔立ちも随分と大人びてきている。昔は魔理沙が妹のようだったのに、もし今隣に並べば私の方が妹に見えるかもしれない。
外見だけではない――中身も随分大人になった。昔みたいに、考えるより早く動くこともなくなった。無意味な嘘もつかないし、からかいもしない。人に優しい。
勝手に物をとっていくこともなくなったし、昔取ったものも少しずつだが返してくれている。男言葉は抜けないが「だぜ」と言うことは最近あまりない。
そう、魔理沙は余すことなく大人になった。
私と出会ったときから、もう十年がたっている。魔理沙は人間なのだ。人間は、十年もたてば変わる。つまり、魔理沙も。
じろり、と頭の先から魔理沙を見て、私はぽつりとつぶやいた。
「でも胸は成長してないわね」
「なななそれは関係ないだろ!?」
真っ赤になって胸元を隠す様子に、十四歳の彼女を見たような気がして、私はほっと安堵のため息をついた。
けれどもしかしたらそれも私の勘違いなのかもしれない。だって私には、未だに魔理沙が大人になったことが信じられないのだから。
ずっと魔理沙と一緒にいた。一時期など、ほぼ毎日魔理沙に会っていた。
なにか事件が起これば、情報交換をして、場合によっては一緒に行くことだってあった。
そうでなくとも、ずっと一緒にいた。用事がなくても、魔理沙は私の家に来たし、用事がないからと言って私が追い返すこともなかった。
少し背が伸びれば、胸を張って自慢し、けれどそれでも私にかなわない時はいじけていた。はじめて私を身長で抜いたことに気づいた時は、赤飯を炊けなどと言われた。私は洋食派なのでパンにあずきを練りこんだわけだが。
そんなふうに、彼女の成長期を共に過ごした。
彼女の青春の日々の中に私はいて、私は彼女が大きくなるのを毎日毎日見ていたのに。
私の脳内には、未だに14歳の彼女が焼き付いて離れないのだ。
◇ ◇ ◇
魔理沙が、好きな人が出来たと言ってきたのはいつだろうか。14歳か、15歳か、まだ、少女という形容詞がよく似合う年頃だったのは確かだ。
彼女の特徴でもあった魔女帽子で恥ずかしそうに顔を隠して、普段ははきはきしているくせにやけにもごもごとした、歯切れの悪い感じにまずはじめに私に打ち明けてきたのだった。
『あっ、あのさぁ……アリスって、人を好きになったこと、ある?』
いやまあ、あの時の魔理沙は本当にかわいかったと言わせていただこう。
そのあと根掘り葉掘り魔理沙から詳細を聞いて、普段は夜になったら嫌がっても絶対返すのだが、その日だけは無理にひきとめて、女どうしのお泊まり会を開催したりして。
次の日の朝、魔理沙は顔を真っ赤にして「絶対他の人にはいうなよ! 約束だぞ!」と念を押してきて、私は約束を守ったのだがなぜか次の週には知り合い全員に知れ渡っていた。
魔理沙は泣きながら「なんで!? なんでだよ!?」と叫びまくっていたのだが、それはまあ、皆の方が一枚上手だったということか。
というより魔理沙、分かりやすすぎである。嘘をつくのは得意なくせに、隠し事は苦手だと、魔理沙はそういう人種だ。
それに加えて、魔理沙がそれだけ周りから愛されていると、そういうことでもあるのだろう。
だから初めに魔理沙に思い人が出来たと知れた時、本当に大変だったのだ。
「いやあ、どんな男なんでしょうね。これは天狗総力挙げて調べなくては」「え? 男なの? 魔理沙なら女じゃないの?」「あらあら魔理沙さんってば罪な女ですね」「どうせなら一回相手殺してみる!? きゅっとしてドカンる!?」「いやいや、ここは私がちょっと相手の家に盗聴器を送って調査をだね」以下略。どれが誰のセリフかは推測にお任せしよう。
ともあれ、最初はみんな、反対していたのだ。ほとんどみんな、保護者である。
そしてその一方で心の底では思っていた。どうせ魔理沙のことだ、すぐに冷めるだろう、と。
だけどそんなことは無かった。時間がたてばたつほど、魔理沙の恋心は燃え上がっていった。何度も何度も、私にアドバイスを乞いに来た。私だけじゃない、知れ渡ってふっきれたのか、色々な人に色々な事を聞いて回っていた。
そして、その恋は実った。
この過程について詳しく描写しようとは思わない。知りたければ本屋に行って一番売れている恋愛小説を手にとって読んでみればいい。その内容と大差ないだろうから。
まさしく、嘘みたいに二人は魅かれあって、夢みたいに二人は結ばれた。
一つだけ、エピソードを紹介しておこうか。
魔理沙が彼と付き合い始めたころのある日、魔理沙はやけに朝早くに私の家に来た。その段階で既に魔理沙の様子は随分とおかしかったわけだが。
「どうしたのよ、こんなに早く」
私が問うと、魔理沙は答えた。
「えっ、な、なんでもないぜ!? いや、その、強いて言えば、うん、なんでもないっ、うん、なんでもない!」
その赤い顔では、嘘でしかないのは丸わかりだ。
だがここで追及するのは少しかわいそうだ。そう、と信じたふりをして紅茶を注いであげた。だが、魔理沙は口をつけようともしない。スカートの裾を押さえて、もじもじと、こちらをたまにうかがっている。
これは、あれだ。
私に聞いてもらうのを待っているパターンだ。
しかし聞くのもなんだか癪に障る。というか少しいじめたくなる。紅茶に角砂糖を一つ落として、私は素知らぬ顔ですすった。
目を伏せていても、視線を感じる。だがこちらが視線をあげると、魔理沙は下げる。だるまさんが転んだにも似たやり取り。
何度目かにタイミングを逃したのか、魔理沙とついに目があった。
「本当に、どうしたのよ、あなた」
「いや、だから、なんでもないって!」
視線を明後日の方に向けて言われても困るのだが。
「なら、なんでもないふりをなさい」
魔理沙の顎をつかんで、こちらを向かせる。ごまかすようにかわいくてへへと笑って、ぺろりと舌を出したところで私は騙されない。
目を合わすと、きょろきょろとあわただしく黒目が動く。だがじきに、あきらめたのか、小さく息をついた。
「……アリス、料理、得意?」
か細い声だった。
ぽそぽそと告げた後、魔理沙は顔を真っ赤にしふてくされたようにうつむいてしまった。並べられた単語の意味を一瞬遅れて私は理解する。
「まあ、それなりには、ね」
一人暮らしする程度にはできる。……この言い方だと同じく一人暮らしをしている魔理沙も料理が出来なくてはおかしいわけだが、それについては言及しないでおく。
私の返答に、魔理沙は安堵したような表情を浮かべた。私の手をさっと握って、やや上目遣いで、
「……じゃあ、教えて」
少しうるんだ瞳で、頼まれて、断るのは鬼だろう。いや、鬼でも承諾すると思う。でも料理を教えられる鬼を私は知らないわけだが。
だが、ここですぐに了承するのもありがたみがないだろう。
「理由を聞いておこうかしら」
流石に料理を利用した新手の魔法とか作られたら困るので一応聞いておく。まあもちろん、その理由は薄々気づいているわけだが。魔理沙の口から聞きたいのだ。あら、もしかして、これが羞恥プレイとかいう奴だろうか。初体験。
私の質問に、あわわわとよくわからない擬音をあげながら、再びかぁっと赤くなる魔理沙。少し視線をきょろきょろと動かして、どうにかごまかそうとしているが、以下略。
じっと見つめるとしぶしぶ魔理沙は口を開いた。やばい、なにかに目覚めそう。
「あの、あのね、今度の日曜日にね、彼と、ピクニックに行くの」
あまりに恥ずかしいのか、普通の女の子みたいになっている魔理沙。アイデンティティ崩壊の瞬間である。魔理沙はそのまま消え入りそうな声で、続けた。
「だからね、……おべんと……」
う、の時点でその声は消え入った。真っ赤な顔で口をパクパクさせている。漫画的な表現ならば、頭から煙が出ていることだろう。
そのかわいさと必死さに免じて許してあげることにした。
しぶしぶ、という雰囲気を身にまとわせながら私は立ちあがって、エプロンを身に付けた。予備の物を一つ、魔理沙に投げ渡す。
「……仕方ないわね、なら冷めてもおいしい物の方がいいかしら」
「……アリスっ?」
がばっ、と魔理沙が顔をあげる。
信じられない、という表情。どういう意味だ。少しは私を信じて頼みに来なさい、と言いたいのを抑える。
「ほら、早くしなさい。特別レシピを教えてあげるわ」
「あ、ありがとアリス!!」
――まあ、この日の料理の出来については深く言及しないでおこう。
魔理沙はがんばってメモをとっていたようだし、練習を重ねれば魔理沙は器用な方だ、絶対にうまくなるし、いざとなれば当日は愛情補正がかかることだろう。
その日の私は、そんな風にほほえましく思ったものだった。
ついでに後日談を付け加えておくと、ピクニックに、なぜか彼もお弁当を作って持ってきていたらしい。
食べきれないね、とかいいながら二人で半分こしたとかなんとか。
ごちそうさま、としかいうことが出来ない。
これで魔理沙と彼のラブラブエピソードその1はおしまい。オチなんてない話である。私が多くを語る気になれない、というのもわかってもらえることだろう。
というか途中から魔理沙が可愛いエピソードにすり替わりかけていた気もするのだが。
それにしたって、いつもこんな風にバカップルっぷりを前面に押し出されるものだから、文句を言う人は一人一人と減っていった。妨害してやろうとする輩も最初はいたが、みんなすぐにあきらめた。
いや、彼女たちもなにもせずにあきらめたわけではない。きちんと妨害を何度か果たして、それからあきらめたのだ。あきらめざるを得なかった、と皆言う。
「あんなふうにされたらさぁ、もう祝うしかないわよ」
そう言ったのが誰だか私はもう覚えていない。何人かから同じようなことを聞いたような気がする。
そして私も、私も同じようなことを誰かに言ったことがあるのだから。
◇ ◇ ◇
「へぇ……貴方が……物好きねぇ」
じろじろと私が眺めて呟くと、その青年は身を縮こまらせて、ハイ、と小さく答えた。
どこにでもいそうな青年だ。よく言えば優しそうな、悪く言えば「それくらいしか褒めるところがない」ような青年である。
正直言って意外だった。
「そんなに委縮しないでも、アリスはいきなり食ったりしないぜ」
青年の隣に座る魔理沙が、彼の脇腹をつついて小さく笑う。あ、うん、と困ったようにうなずくが、青年の視線はいまだにまっすぐこちらへ来ない。本当に魔理沙とは正反対の気の弱さだ。
そう、魔理沙の彼氏である。
場所は私の家。無理を言って魔理沙に連れてこさせた。机の上には三人分の紅茶、しかしそのうち一つはちっとも減っていない。
呼び出しなんて、少しいじわるが過ぎたかしら。しかし、冷たい微笑を浮かべてみせるくらいは許してほしい。
ついでだから、と指先で角砂糖をつぶして紅茶にふりかけると、彼はさっと顔を青ざめさせたようだった。
それにしても、あきれる。
魔理沙があれだけ入れ込むくらいだから、魔理沙よりも強いのだろうと勘違いをしていた。それがなんだ、吹けば飛びそうな、ひ弱なただの人間ではないか。
軽く流し眼でにらめば、悲鳴をのみこむようなそぶりを見せる。美少女相手になんて反応だろうか。自分で言うのもどうかと思うが。
「魔理沙ってば、おてんばでしょう?」
私の質問に先に反応したのは、魔理沙だった。
顔を赤くし眉を立てて、椅子を倒しかねない勢いで立ち上がり、私をびしっと指差す。
「なな、なんでそんなこと言うんだよ!」
「あら、これでも過小評価した方だと思うけど」
私の言葉に、魔理沙はうぅ、とうなって椅子に座りなおした。
身をちぢこませるようにして、隣の彼のことを視線だけでうかがう。彼がそれに返すのは、ほほえみだ。
その子供に向けるような笑みに、おおかた二人の力関係が把握できる。事実、魔理沙はなにも言わずに、もじもじとし始めてしまった。
ううん、華奢なようでいて思ったよりやるようだ。
いや、あるいは魔理沙がひたすらにぞっこんなだけかもしれない。恋は盲目、一寸先は闇、だ。
「それにしても大変じゃないの、魔理沙は人気者だから」
だからそれを試す意味も兼ねて、軽くテーブルから身を乗り出して、にこりと笑って問いかけた。多分、まだ周りからの妨害はあるはずだ。
簡単に暴力に訴えかけるような、そんな短絡的な輩はいないであろう。けれど人ならざるものから敵意を向けられることに耐えられる人間は少ない。ましてや、これほど線の細い、神経の弱そうな青年となると。
哀れみかに似た笑い声が小さく漏れた。頬杖をつき、軽く首をかしげる。私の挙動一つが彼に威圧感を与えているのだろうな、と少し優越感を感じる。
しかし彼は初めて顔をあげた。決して強気の表情で、とはいかなかったけれど、
「魔理沙のことを、愛してますので」
きっぱりと言い切った。
「……あら、そう」
いやはや、なんというか恥ずかしい男だ。第三者の私の方が照れてしまう。当の本人は顔色一つ変えないのだから、すごい。
しかしまあ、一番照れているのは当然魔理沙だった。顔を真っ赤にして、フリーズしている。もごもごとなにかを口ごもった後、抗議しようとするがそれより早く、彼が動いた。
自然な動きで、ティーカップをわきにどける。いい手をしている、と思った。家業は何だったか、確か八百屋とかなんとか。
私がそんなことを考えているうちに、彼は次の動きに入っていた。
テーブルに両手をつけて、頭を下げる姿勢へ。あまりに唐突で、止めることが出来なかった。
「お願いします」
震える声。
だがしかし、透き通った声だ。
「魔理沙を、僕にください。絶対に、幸せにします」
いきなりね、と思うより早く、私は理解した。言う相手を間違っている、とか、そんな野暮なことは口にできなかった。
魔法使いとしての直感と、女のしての勘が、同時に同じことを告げていた。
魔理沙は彼と一緒に、きっと幸せになる。周囲に笑顔を撒き散らすような、そんな素晴らしい夫婦になる。
その予感に、一片の曇りもない。
◇ ◇ ◇
そんな夢を見た。
懐かしいな、いつのころだろうと思いながら身を起こす。私はテーブルに突っ伏して眠っていた。頬のあたりがひきつるような感覚があって、そういえば寝る前に珍しく泣いたのを思い出す。
私にとって、数年などたった一瞬にしか過ぎないというのに、ずいぶんと昔のことのような気がする。
思い出にしたい過去、ということだろうか。あるいは過去にしたい思い出なのかもしれない。
窓の外を見れば真っ暗だ、魔理沙が帰ってから数時間が経ったくらいだろうか。
「……おなかすいた」
魔理沙が私の心に大きな爆弾を落としてから、私は夕食も取らずに、しばらく泣いていた。
悲しいとか虚しいとかより、信じられないといった感が強かった。14歳の魔理沙を返して。これが一番近い。
ひたすらむせび泣き、慣れないことをして体力を使い果たした末、私はゆるやかに眠りに落ちた。
その末に見た夢が、あれか。自分で自分を説得する気でいるのだろうか。認めたでしょう、とでも。
『また結婚式の日取りとか決まったら、招待状だすね』
にこにこと幸せそうな笑顔で、魔理沙はそう言って帰っていった。
テーブルの上、視線をうつせば、一冊の本が置いてある。古びた魔導書だ。何度も開いたのか、横から見るとページがやや浮いている。
ずいぶんと昔に魔理沙に貸した本だ。いつ貸したのかも覚えていないが、それを今日魔理沙が持ってきた。長く借りててごめん、という謝罪の言葉つきでだ。昔だったら信じられないような、そんな出来事だ。
貸した頃は、絶対に帰ってこないと、そう思っていた。その時点で、もうすでに何冊もの私の本が魔理沙の家にあった。
返しなさい、と言っても、いつかね、と笑うだけだった。いつものことだった。
「ずっと、そうだったのにね」
本を手元に移し、視線を落とす。
ずっと? そんなことはない。魔理沙と出会ってまだ10年ほどしか立っていないのだ。私にとって、それはずっとでもなんでもない。一瞬にしか過ぎない。
ならば私はなぜそんなことを思うのだ。
っは、と意図せずに息が漏れた。何故かむやみに苦しくて、胸を抑える。
ぼろぼろと、目から涙があふれた。続いて、嗚咽が響く。あ、と声にならない叫びが次々と口をついて出た。テーブルに爪を立てる。かり、とかすかな音を立てて、テーブルに薄く傷がつく。指先が痛んだが、気にならない。
気づきたくなかった。
今ここで気づいたら、立ち直れないような気がした。でも、そんなことお構いなしに涙は次々にあふれてくる。
「いやよ……」
本当は、本なんか返してもらわなくたっていい。そのことで本当に怒ったことなんてない。
魔理沙のずぼらなところに、腹が立ったことはあろうとも、そんな魔理沙が好きだったのだと自信を持って言うことができる。
あのままでいたかった。
馬鹿をやる魔理沙を叱って、お姉さんぶりたかった。走り出した魔理沙に連れられて、愚痴をこぼしながらも彼女のサポートをしてやりたかった。
「いや、私を置いて、大人になんてならないでよ」
どうしようもなく、本音だった。
言ってしまった、という後悔と、ほんの少しの解放感。
本を返されたら、まるで私とあなたのつながりがなくなってしまうみたいで。悪態をついたり、からかったりすることももうできなくなってしまう。
二人の間が対等に、違う、魔理沙がどんどん先に進んでいってしまう。
どうして私は人間じゃないんだろう。
どうして私は魔理沙とずっと一緒にいられないのだろう。
どうして私じゃ彼女を幸せにしてあげれないのだろう。
それでも構わないと、彼女をそれでも引き留めようとするほどに、私は吹っ切れることはできない。
◇ ◇ ◇
そして何のアクションを起こすこともできないまま、ついに魔理沙の結婚式の日がやってきた。
式場は「人里の南の草原」。アバウトだな、と思ったが行ってみればそれ以外に表現することのできないような場所だった。
見渡す限りの緑色。空は六月にしては珍しく、雲ひとつなく晴れ上がっている。辺り一面がきらきらと輝いているのは、前日までに降った雨で芝生が濡れているからだろうか。
そこに、点々と木のベンチとそして一つ大きな手作り感あふれる十字架が置いてある。知らなければ、ここで結婚式を行うとは思えないだろう。青空式場にもほどがある。
だが、その手作り感に目をつぶってみれば、なかなかにいい雰囲気である。あふれる解放感が魔理沙らしいといえば魔理沙らしい。
地面がやや濡れていて、ドレスの端が湿ってしまうだろうが、おそらく彼女ならば気にしないことだろう。
いざ始まると、式はやけに騒がしい物となった。
身内だけで静かにやりたい、と魔理沙は言っていたはずだったがよく考えるとそもそも魔理沙には身内が多い。身内だけでも、静かになるはずは無かった。
それに加えて、どこかから聞きつけた妖怪どもが、次々と集まってきたのだから、騒がしいにもほどがある。フォーマルな格好をしているものなど、ほとんどいない。
当然、結婚式の礼儀など、皆知ったこっちゃないようだた。
指輪交換のときにはやじが飛んだし、誓いのキスの瞬間にはヒューヒューという口笛があちこちから聞こえた。神聖さなど、どこにも見てとれない。
というよりそもそも、十字架が立っているのに霊夢と早苗が取り仕切っている時点でなにかがおかしいのだ。
「みんなでたのしく」というのが人生のモットーの魔理沙的には、これくらいがちょうどいいのかもしれないが。
新郎の家族はといえば、当然のように次々と集まる魑魅魍魎に、最初は少し、いや、かなり戸惑っていたようだった。
だが、いつのまにやらなじんでいた。そういう家系なのだろうな、と思う。懐が広いというかなんというか。
自分の息子がこんなおてんば魔法娘と結婚するのを許す時点で、ある程度それは見てとれるわけだが。
新郎本人も、やっかみ交じりの祝福の言葉に、困ったような、人のいい笑みを浮かべて、にこにこ顔の魔理沙と腕を組んでいる。お似合いの夫婦。
とにかく、幸せ、という言葉を体現したような光景。
だけど、私には耐えられなかった。
だから光を離れて、離れたところに一人で立っていたのに。
「アリス! 来てくれたんだな!」
明るい笑顔で、彼女は駆けてきた。
白いウェディングドレスが風に翻る。慣れないであろうヒールに一瞬体制を崩しながらも、その勢いのまま、私の目の前まで。
膝に手を当てて息をつくその姿は、今日がハレの日であることなど関係がないというように見える。いつも通り。そう、いつも通りだ。
その『いつも』が私の胸には深く突き刺さってしまうわけだが。
「えへ、どうかな? 似合う?」
軽くクロスさせた足を少し曲げ、おまけにちょこんとドレスの端をつまんで、魔理沙は首をかしげる。
お嬢様のつもりだろうか。少しぎこちない。
「……見かけだけはね」
嘘をついたつもりはない。
事実、魔理沙にそのドレスはよく似合っていた。ひらひらしすぎているようであるが、その幼さが彼女の雰囲気とよく調和している。
もともと、素材がいいというのもあるだろう。そんなこと、口にしてあげる義理もないが。
「それにしても、まさか本当に結婚しちゃうなんてねぇ」
「なっ、なんだよその言い方。そんなにおかしいか」
ちょっと拗ねたように、歯を見せて反論しようとする魔理沙。その様子がすでに「新婦」らしからぬと気づかないのか。
私はからかうように、うっすらと口元に笑みを浮かべてその額をつつく。
「そうね、うん、魔理沙を知っている人だったらみんな薄々思ってるでしょうね」
「そっそれはっ……」
と魔理沙は一瞬怒ったようなそぶりを見せたが、
「そうかもなぁ……」
次の瞬間には、逆に納得しているようであった。
うーん、と魔理沙は一人うなる。ひらひらとした白い服を指先でちょいとつまんで、首をかしげる。
「いやはや、昔の私も予想してなかっただろうしなぁ」
うむ、とうなずく魔理沙。
そこで私は、一つ気になっていたことを聞いた。
「ところで魔理沙、あの、お父さんは?」
本当はもう少し遠まわしに聞きたかったのだけど、うまい表現が見つからなかったし、変に気を遣いすぎない方がいいかと思って、こんな聞き方になってしまった。
今、この式場に、魔理沙の家族らしき人物は見当たらない。一応、婚約前、報告にはきちんと言ったという話は聞いていたのだが。
魔理沙は一瞬目を丸くしたようだったが、すぐにその表情を困ったような、眉尻を下げた笑みに変えた。
「さすがに、来てはくれなかった」
「…………そう」
申し訳ないという感情を抱きそうになって、どうにか抑えた。今望まれているのは、そういう感情ではない。
だが、やはり複雑そうな顔をしていたのだろう。「でも」と魔理沙があわてたように付け加えた。
「手紙くれたんだ」
その頬をうっすらと赤く染め、照れ隠しにも似た表情で、
「うまくやりなさい、って」
「……よかった」
本当に、よかった。自分のことのようにうれしくなる。
みんなが魔理沙の結婚を祝福している。本当に、良かった。そうでなくては、ならない。魔理沙は幸せにならなくては、意味がない。
ほう、とため息をついたことらの方を、魔理沙が軽くたたいた。笑みで、ご苦労様、とでもいうふうに。違うか、そんな上から目線の感情ではない。
感謝、だ。多分これは。
「でも、どれもこれも、アリスのおかげだよ」
にっこり、と魔理沙が美しく笑った。どきり、と私の胸が高鳴る。背中を伝うのは、冷や汗だろうか。
いやだ、聞きたくない。
「アリスがいたおかげで私は」
「魔理沙」
とん、とその肩を軽く押していた。
そんなみじめな現状を知らされたくはない。わかってる。自分で自分の首を絞めているのは。
うつむいていたから、多分私の表情を魔理沙は読み取れなかったんじゃないかと思う。だから、その間に無理やり笑顔を作った。
顔をあげて、魔理沙の背後を指差す。
「天狗が、呼んでる。写真、撮るんじゃない?」
「えっ、あっほんとだ!」
私の言葉に魔理沙が振り返る。少し遠くで、文がぶんぶんと勢いよく手を振っている。その顔がにやにやと、やけに見透かしたように見えるのは、きっと気のせいだろう。
見透かされてたまるものか。自分でもよくわからないのだから。この感情は、悲しみともまた違う。
「またあとで、アリスも一緒に写真撮ろうな!」
念を押すように私の手を魔理沙はぎゅっと握った。
そのぬくもりだけを残して、魔理沙はこちらに背を向けてかけ出す。
そこで、私は、とてつもなく美しい物を見た。
金色の髪の一本一本が陽光を受けて輝いている。無邪気に走る姿に合わせて、白いフリルが揺れて、天使の羽のようにさえ見えた。美しい花嫁だ。六月の女神の加護を受けている。彼女が地面に足をつくたびに、輝きが舞う。
あ。あぶない、と思った。悲しくもないのに、涙があふれてしまいそうだった。
そのかわりに、私は叫んだ。口の横に手を添えて、まだ魔理沙はすぐそばにいるのに、まるで遠くにいる誰かに向けるかのように、私は叫んだ。そうしないと、嗚咽があふれてしまいそうだったから。
「魔理沙――! あなた、大人になって、本当に綺麗になったわ!!」
返ってきたのは、太陽のような笑顔。視界がにじんで、よく見えなかったけれど、ただ、美しくって。
私は彼女を祝福したいと、素直にそう思ったのだ。
魔理沙が、私と同じように、口の端に手を添えて、叫ぶ。あっけらかんと、何事もないかのように。
「なーんにも変わってないぜ!!」
きっと、あなたにとってはそうなのでしょうね。あなたはきちんと歩いているから。まるで何も変わっていないように思えるのでしょう。
けれど、うずくまって、過去にしがみついている私には、もう全てが変わっていってしまった。
あなたはこれまで、そしてこれからもたくさんの人に出会い、たくさんの人に愛され、たくさんの素晴らしい思い出を作って生きていくことでしょう。
そこに、私はいらないのだ、多分。あなたの思い出の中に私はいればいい。
もう、今のあなたは、あまりにも遠い。
「……き、だったのよ、魔理沙」
無理矢理、自分の気持ちを過去系の中に押し込めた。
泣けはしない。魔理沙の足を引きとめる権利は、私にはない。だから、せめて叫ばせてよ。
「お幸せにね! 魔理沙!!」
――せめて、この祝福の言葉があなたに届きますように。
魔理沙がなんでもないようにそう告げるものだから私はうっかりティーカップを落としてしまった。
否、自分がティーカップを落としたことにすら気づけないほど私は狼狽していたのだが。
それから一秒くらいして、がしゃんという音が響いた。けれどそれがなんの音か私にはよくわからず、でもひたひたと足元が濡れていくのでやっとそこで私は自分がその手にティーカップを握ってないことに気付いたのだった。
床を拭くための布巾をとろうと立ちあがろうとしたが、それより魔理沙の次の一言が気になる。仕方なく私は浮かせかけた腰を下ろし、テーブルに頬杖をついた。
フローリングだから平気よと自分に言い聞かせたりして。
神社のように畳だったら悲惨だけれども。霊夢なんて、お茶をこぼすとわりとマジギレするのだ。早苗は困り顔で許してくれるわけだが、それはそれで申し訳ない……いや、そんなことは今は関係ない。
「ええと、結婚ってやっぱり……彼と?」
「それ以外いないだろ? まだ式とかは、決めてないんだけどさ」
呆れたように微笑んで、魔理沙は腰ほどまで伸びた金色の髪をかきあげた。少し傾けた額に揺れる前髪、その向こうで黄金色の瞳が優しく細められている。
「いや、確かに私もいきなりのことで悪いと思ってるんだけどね。そこまでパニくるなよ」
「いえ……パニくってるわけじゃ」
と言い訳しようとして、それは無いなと自分で思った。ティーカップを落とすなんて、驚きの表現としてベタすぎる。というかあのティーカップ割とお気に入りだったのだが。
仕方なく額に手を当て私はゆるく首を振った。ふう、と一つだけため息をついて、
「それにしても、少し、早すぎないかしら?」
私の言葉に「そうかぁ?」とあっけらかんとした声で魔理沙が答えた。ぽりぽりと頭をかき、視線を天井まで向け、ううむと何やらうなっている。
ごきごきと首を鳴らして(身体に悪いと思うからやめた方がいいと思うのだが)軽い調子で答えた。
「そうはいっても、私もう24だしなぁ。早くは無いよ、うん、早くはない早くはない」
身体に電撃が走ったような気がした。え、という前置きを作って、
「もう、そんなになるのね」
うんうんとひとりうなずく魔理沙に、私はぼんやりとそう返すことができなかった。
かたかたと体が震えそうだ。ティーカップを持っていなくてよかった。持っていたらかちゃかちゃうるさくて、きっと気付かれていた。
対する魔理沙は、私のそんな様子になど気付きもしないで、太陽のような笑顔を見せている。
「ああ、大人になっただろ?」
自分自身を見せびらかすように、手を広げるその身は、立てば私よりも背が高い。髪も長くなったし、その上にはもう魔女帽子は乗っていない。
服装も随分落ち着いたものを選ぶようになった。顔立ちも随分と大人びてきている。昔は魔理沙が妹のようだったのに、もし今隣に並べば私の方が妹に見えるかもしれない。
外見だけではない――中身も随分大人になった。昔みたいに、考えるより早く動くこともなくなった。無意味な嘘もつかないし、からかいもしない。人に優しい。
勝手に物をとっていくこともなくなったし、昔取ったものも少しずつだが返してくれている。男言葉は抜けないが「だぜ」と言うことは最近あまりない。
そう、魔理沙は余すことなく大人になった。
私と出会ったときから、もう十年がたっている。魔理沙は人間なのだ。人間は、十年もたてば変わる。つまり、魔理沙も。
じろり、と頭の先から魔理沙を見て、私はぽつりとつぶやいた。
「でも胸は成長してないわね」
「なななそれは関係ないだろ!?」
真っ赤になって胸元を隠す様子に、十四歳の彼女を見たような気がして、私はほっと安堵のため息をついた。
けれどもしかしたらそれも私の勘違いなのかもしれない。だって私には、未だに魔理沙が大人になったことが信じられないのだから。
ずっと魔理沙と一緒にいた。一時期など、ほぼ毎日魔理沙に会っていた。
なにか事件が起これば、情報交換をして、場合によっては一緒に行くことだってあった。
そうでなくとも、ずっと一緒にいた。用事がなくても、魔理沙は私の家に来たし、用事がないからと言って私が追い返すこともなかった。
少し背が伸びれば、胸を張って自慢し、けれどそれでも私にかなわない時はいじけていた。はじめて私を身長で抜いたことに気づいた時は、赤飯を炊けなどと言われた。私は洋食派なのでパンにあずきを練りこんだわけだが。
そんなふうに、彼女の成長期を共に過ごした。
彼女の青春の日々の中に私はいて、私は彼女が大きくなるのを毎日毎日見ていたのに。
私の脳内には、未だに14歳の彼女が焼き付いて離れないのだ。
◇ ◇ ◇
魔理沙が、好きな人が出来たと言ってきたのはいつだろうか。14歳か、15歳か、まだ、少女という形容詞がよく似合う年頃だったのは確かだ。
彼女の特徴でもあった魔女帽子で恥ずかしそうに顔を隠して、普段ははきはきしているくせにやけにもごもごとした、歯切れの悪い感じにまずはじめに私に打ち明けてきたのだった。
『あっ、あのさぁ……アリスって、人を好きになったこと、ある?』
いやまあ、あの時の魔理沙は本当にかわいかったと言わせていただこう。
そのあと根掘り葉掘り魔理沙から詳細を聞いて、普段は夜になったら嫌がっても絶対返すのだが、その日だけは無理にひきとめて、女どうしのお泊まり会を開催したりして。
次の日の朝、魔理沙は顔を真っ赤にして「絶対他の人にはいうなよ! 約束だぞ!」と念を押してきて、私は約束を守ったのだがなぜか次の週には知り合い全員に知れ渡っていた。
魔理沙は泣きながら「なんで!? なんでだよ!?」と叫びまくっていたのだが、それはまあ、皆の方が一枚上手だったということか。
というより魔理沙、分かりやすすぎである。嘘をつくのは得意なくせに、隠し事は苦手だと、魔理沙はそういう人種だ。
それに加えて、魔理沙がそれだけ周りから愛されていると、そういうことでもあるのだろう。
だから初めに魔理沙に思い人が出来たと知れた時、本当に大変だったのだ。
「いやあ、どんな男なんでしょうね。これは天狗総力挙げて調べなくては」「え? 男なの? 魔理沙なら女じゃないの?」「あらあら魔理沙さんってば罪な女ですね」「どうせなら一回相手殺してみる!? きゅっとしてドカンる!?」「いやいや、ここは私がちょっと相手の家に盗聴器を送って調査をだね」以下略。どれが誰のセリフかは推測にお任せしよう。
ともあれ、最初はみんな、反対していたのだ。ほとんどみんな、保護者である。
そしてその一方で心の底では思っていた。どうせ魔理沙のことだ、すぐに冷めるだろう、と。
だけどそんなことは無かった。時間がたてばたつほど、魔理沙の恋心は燃え上がっていった。何度も何度も、私にアドバイスを乞いに来た。私だけじゃない、知れ渡ってふっきれたのか、色々な人に色々な事を聞いて回っていた。
そして、その恋は実った。
この過程について詳しく描写しようとは思わない。知りたければ本屋に行って一番売れている恋愛小説を手にとって読んでみればいい。その内容と大差ないだろうから。
まさしく、嘘みたいに二人は魅かれあって、夢みたいに二人は結ばれた。
一つだけ、エピソードを紹介しておこうか。
魔理沙が彼と付き合い始めたころのある日、魔理沙はやけに朝早くに私の家に来た。その段階で既に魔理沙の様子は随分とおかしかったわけだが。
「どうしたのよ、こんなに早く」
私が問うと、魔理沙は答えた。
「えっ、な、なんでもないぜ!? いや、その、強いて言えば、うん、なんでもないっ、うん、なんでもない!」
その赤い顔では、嘘でしかないのは丸わかりだ。
だがここで追及するのは少しかわいそうだ。そう、と信じたふりをして紅茶を注いであげた。だが、魔理沙は口をつけようともしない。スカートの裾を押さえて、もじもじと、こちらをたまにうかがっている。
これは、あれだ。
私に聞いてもらうのを待っているパターンだ。
しかし聞くのもなんだか癪に障る。というか少しいじめたくなる。紅茶に角砂糖を一つ落として、私は素知らぬ顔ですすった。
目を伏せていても、視線を感じる。だがこちらが視線をあげると、魔理沙は下げる。だるまさんが転んだにも似たやり取り。
何度目かにタイミングを逃したのか、魔理沙とついに目があった。
「本当に、どうしたのよ、あなた」
「いや、だから、なんでもないって!」
視線を明後日の方に向けて言われても困るのだが。
「なら、なんでもないふりをなさい」
魔理沙の顎をつかんで、こちらを向かせる。ごまかすようにかわいくてへへと笑って、ぺろりと舌を出したところで私は騙されない。
目を合わすと、きょろきょろとあわただしく黒目が動く。だがじきに、あきらめたのか、小さく息をついた。
「……アリス、料理、得意?」
か細い声だった。
ぽそぽそと告げた後、魔理沙は顔を真っ赤にしふてくされたようにうつむいてしまった。並べられた単語の意味を一瞬遅れて私は理解する。
「まあ、それなりには、ね」
一人暮らしする程度にはできる。……この言い方だと同じく一人暮らしをしている魔理沙も料理が出来なくてはおかしいわけだが、それについては言及しないでおく。
私の返答に、魔理沙は安堵したような表情を浮かべた。私の手をさっと握って、やや上目遣いで、
「……じゃあ、教えて」
少しうるんだ瞳で、頼まれて、断るのは鬼だろう。いや、鬼でも承諾すると思う。でも料理を教えられる鬼を私は知らないわけだが。
だが、ここですぐに了承するのもありがたみがないだろう。
「理由を聞いておこうかしら」
流石に料理を利用した新手の魔法とか作られたら困るので一応聞いておく。まあもちろん、その理由は薄々気づいているわけだが。魔理沙の口から聞きたいのだ。あら、もしかして、これが羞恥プレイとかいう奴だろうか。初体験。
私の質問に、あわわわとよくわからない擬音をあげながら、再びかぁっと赤くなる魔理沙。少し視線をきょろきょろと動かして、どうにかごまかそうとしているが、以下略。
じっと見つめるとしぶしぶ魔理沙は口を開いた。やばい、なにかに目覚めそう。
「あの、あのね、今度の日曜日にね、彼と、ピクニックに行くの」
あまりに恥ずかしいのか、普通の女の子みたいになっている魔理沙。アイデンティティ崩壊の瞬間である。魔理沙はそのまま消え入りそうな声で、続けた。
「だからね、……おべんと……」
う、の時点でその声は消え入った。真っ赤な顔で口をパクパクさせている。漫画的な表現ならば、頭から煙が出ていることだろう。
そのかわいさと必死さに免じて許してあげることにした。
しぶしぶ、という雰囲気を身にまとわせながら私は立ちあがって、エプロンを身に付けた。予備の物を一つ、魔理沙に投げ渡す。
「……仕方ないわね、なら冷めてもおいしい物の方がいいかしら」
「……アリスっ?」
がばっ、と魔理沙が顔をあげる。
信じられない、という表情。どういう意味だ。少しは私を信じて頼みに来なさい、と言いたいのを抑える。
「ほら、早くしなさい。特別レシピを教えてあげるわ」
「あ、ありがとアリス!!」
――まあ、この日の料理の出来については深く言及しないでおこう。
魔理沙はがんばってメモをとっていたようだし、練習を重ねれば魔理沙は器用な方だ、絶対にうまくなるし、いざとなれば当日は愛情補正がかかることだろう。
その日の私は、そんな風にほほえましく思ったものだった。
ついでに後日談を付け加えておくと、ピクニックに、なぜか彼もお弁当を作って持ってきていたらしい。
食べきれないね、とかいいながら二人で半分こしたとかなんとか。
ごちそうさま、としかいうことが出来ない。
これで魔理沙と彼のラブラブエピソードその1はおしまい。オチなんてない話である。私が多くを語る気になれない、というのもわかってもらえることだろう。
というか途中から魔理沙が可愛いエピソードにすり替わりかけていた気もするのだが。
それにしたって、いつもこんな風にバカップルっぷりを前面に押し出されるものだから、文句を言う人は一人一人と減っていった。妨害してやろうとする輩も最初はいたが、みんなすぐにあきらめた。
いや、彼女たちもなにもせずにあきらめたわけではない。きちんと妨害を何度か果たして、それからあきらめたのだ。あきらめざるを得なかった、と皆言う。
「あんなふうにされたらさぁ、もう祝うしかないわよ」
そう言ったのが誰だか私はもう覚えていない。何人かから同じようなことを聞いたような気がする。
そして私も、私も同じようなことを誰かに言ったことがあるのだから。
◇ ◇ ◇
「へぇ……貴方が……物好きねぇ」
じろじろと私が眺めて呟くと、その青年は身を縮こまらせて、ハイ、と小さく答えた。
どこにでもいそうな青年だ。よく言えば優しそうな、悪く言えば「それくらいしか褒めるところがない」ような青年である。
正直言って意外だった。
「そんなに委縮しないでも、アリスはいきなり食ったりしないぜ」
青年の隣に座る魔理沙が、彼の脇腹をつついて小さく笑う。あ、うん、と困ったようにうなずくが、青年の視線はいまだにまっすぐこちらへ来ない。本当に魔理沙とは正反対の気の弱さだ。
そう、魔理沙の彼氏である。
場所は私の家。無理を言って魔理沙に連れてこさせた。机の上には三人分の紅茶、しかしそのうち一つはちっとも減っていない。
呼び出しなんて、少しいじわるが過ぎたかしら。しかし、冷たい微笑を浮かべてみせるくらいは許してほしい。
ついでだから、と指先で角砂糖をつぶして紅茶にふりかけると、彼はさっと顔を青ざめさせたようだった。
それにしても、あきれる。
魔理沙があれだけ入れ込むくらいだから、魔理沙よりも強いのだろうと勘違いをしていた。それがなんだ、吹けば飛びそうな、ひ弱なただの人間ではないか。
軽く流し眼でにらめば、悲鳴をのみこむようなそぶりを見せる。美少女相手になんて反応だろうか。自分で言うのもどうかと思うが。
「魔理沙ってば、おてんばでしょう?」
私の質問に先に反応したのは、魔理沙だった。
顔を赤くし眉を立てて、椅子を倒しかねない勢いで立ち上がり、私をびしっと指差す。
「なな、なんでそんなこと言うんだよ!」
「あら、これでも過小評価した方だと思うけど」
私の言葉に、魔理沙はうぅ、とうなって椅子に座りなおした。
身をちぢこませるようにして、隣の彼のことを視線だけでうかがう。彼がそれに返すのは、ほほえみだ。
その子供に向けるような笑みに、おおかた二人の力関係が把握できる。事実、魔理沙はなにも言わずに、もじもじとし始めてしまった。
ううん、華奢なようでいて思ったよりやるようだ。
いや、あるいは魔理沙がひたすらにぞっこんなだけかもしれない。恋は盲目、一寸先は闇、だ。
「それにしても大変じゃないの、魔理沙は人気者だから」
だからそれを試す意味も兼ねて、軽くテーブルから身を乗り出して、にこりと笑って問いかけた。多分、まだ周りからの妨害はあるはずだ。
簡単に暴力に訴えかけるような、そんな短絡的な輩はいないであろう。けれど人ならざるものから敵意を向けられることに耐えられる人間は少ない。ましてや、これほど線の細い、神経の弱そうな青年となると。
哀れみかに似た笑い声が小さく漏れた。頬杖をつき、軽く首をかしげる。私の挙動一つが彼に威圧感を与えているのだろうな、と少し優越感を感じる。
しかし彼は初めて顔をあげた。決して強気の表情で、とはいかなかったけれど、
「魔理沙のことを、愛してますので」
きっぱりと言い切った。
「……あら、そう」
いやはや、なんというか恥ずかしい男だ。第三者の私の方が照れてしまう。当の本人は顔色一つ変えないのだから、すごい。
しかしまあ、一番照れているのは当然魔理沙だった。顔を真っ赤にして、フリーズしている。もごもごとなにかを口ごもった後、抗議しようとするがそれより早く、彼が動いた。
自然な動きで、ティーカップをわきにどける。いい手をしている、と思った。家業は何だったか、確か八百屋とかなんとか。
私がそんなことを考えているうちに、彼は次の動きに入っていた。
テーブルに両手をつけて、頭を下げる姿勢へ。あまりに唐突で、止めることが出来なかった。
「お願いします」
震える声。
だがしかし、透き通った声だ。
「魔理沙を、僕にください。絶対に、幸せにします」
いきなりね、と思うより早く、私は理解した。言う相手を間違っている、とか、そんな野暮なことは口にできなかった。
魔法使いとしての直感と、女のしての勘が、同時に同じことを告げていた。
魔理沙は彼と一緒に、きっと幸せになる。周囲に笑顔を撒き散らすような、そんな素晴らしい夫婦になる。
その予感に、一片の曇りもない。
◇ ◇ ◇
そんな夢を見た。
懐かしいな、いつのころだろうと思いながら身を起こす。私はテーブルに突っ伏して眠っていた。頬のあたりがひきつるような感覚があって、そういえば寝る前に珍しく泣いたのを思い出す。
私にとって、数年などたった一瞬にしか過ぎないというのに、ずいぶんと昔のことのような気がする。
思い出にしたい過去、ということだろうか。あるいは過去にしたい思い出なのかもしれない。
窓の外を見れば真っ暗だ、魔理沙が帰ってから数時間が経ったくらいだろうか。
「……おなかすいた」
魔理沙が私の心に大きな爆弾を落としてから、私は夕食も取らずに、しばらく泣いていた。
悲しいとか虚しいとかより、信じられないといった感が強かった。14歳の魔理沙を返して。これが一番近い。
ひたすらむせび泣き、慣れないことをして体力を使い果たした末、私はゆるやかに眠りに落ちた。
その末に見た夢が、あれか。自分で自分を説得する気でいるのだろうか。認めたでしょう、とでも。
『また結婚式の日取りとか決まったら、招待状だすね』
にこにこと幸せそうな笑顔で、魔理沙はそう言って帰っていった。
テーブルの上、視線をうつせば、一冊の本が置いてある。古びた魔導書だ。何度も開いたのか、横から見るとページがやや浮いている。
ずいぶんと昔に魔理沙に貸した本だ。いつ貸したのかも覚えていないが、それを今日魔理沙が持ってきた。長く借りててごめん、という謝罪の言葉つきでだ。昔だったら信じられないような、そんな出来事だ。
貸した頃は、絶対に帰ってこないと、そう思っていた。その時点で、もうすでに何冊もの私の本が魔理沙の家にあった。
返しなさい、と言っても、いつかね、と笑うだけだった。いつものことだった。
「ずっと、そうだったのにね」
本を手元に移し、視線を落とす。
ずっと? そんなことはない。魔理沙と出会ってまだ10年ほどしか立っていないのだ。私にとって、それはずっとでもなんでもない。一瞬にしか過ぎない。
ならば私はなぜそんなことを思うのだ。
っは、と意図せずに息が漏れた。何故かむやみに苦しくて、胸を抑える。
ぼろぼろと、目から涙があふれた。続いて、嗚咽が響く。あ、と声にならない叫びが次々と口をついて出た。テーブルに爪を立てる。かり、とかすかな音を立てて、テーブルに薄く傷がつく。指先が痛んだが、気にならない。
気づきたくなかった。
今ここで気づいたら、立ち直れないような気がした。でも、そんなことお構いなしに涙は次々にあふれてくる。
「いやよ……」
本当は、本なんか返してもらわなくたっていい。そのことで本当に怒ったことなんてない。
魔理沙のずぼらなところに、腹が立ったことはあろうとも、そんな魔理沙が好きだったのだと自信を持って言うことができる。
あのままでいたかった。
馬鹿をやる魔理沙を叱って、お姉さんぶりたかった。走り出した魔理沙に連れられて、愚痴をこぼしながらも彼女のサポートをしてやりたかった。
「いや、私を置いて、大人になんてならないでよ」
どうしようもなく、本音だった。
言ってしまった、という後悔と、ほんの少しの解放感。
本を返されたら、まるで私とあなたのつながりがなくなってしまうみたいで。悪態をついたり、からかったりすることももうできなくなってしまう。
二人の間が対等に、違う、魔理沙がどんどん先に進んでいってしまう。
どうして私は人間じゃないんだろう。
どうして私は魔理沙とずっと一緒にいられないのだろう。
どうして私じゃ彼女を幸せにしてあげれないのだろう。
それでも構わないと、彼女をそれでも引き留めようとするほどに、私は吹っ切れることはできない。
◇ ◇ ◇
そして何のアクションを起こすこともできないまま、ついに魔理沙の結婚式の日がやってきた。
式場は「人里の南の草原」。アバウトだな、と思ったが行ってみればそれ以外に表現することのできないような場所だった。
見渡す限りの緑色。空は六月にしては珍しく、雲ひとつなく晴れ上がっている。辺り一面がきらきらと輝いているのは、前日までに降った雨で芝生が濡れているからだろうか。
そこに、点々と木のベンチとそして一つ大きな手作り感あふれる十字架が置いてある。知らなければ、ここで結婚式を行うとは思えないだろう。青空式場にもほどがある。
だが、その手作り感に目をつぶってみれば、なかなかにいい雰囲気である。あふれる解放感が魔理沙らしいといえば魔理沙らしい。
地面がやや濡れていて、ドレスの端が湿ってしまうだろうが、おそらく彼女ならば気にしないことだろう。
いざ始まると、式はやけに騒がしい物となった。
身内だけで静かにやりたい、と魔理沙は言っていたはずだったがよく考えるとそもそも魔理沙には身内が多い。身内だけでも、静かになるはずは無かった。
それに加えて、どこかから聞きつけた妖怪どもが、次々と集まってきたのだから、騒がしいにもほどがある。フォーマルな格好をしているものなど、ほとんどいない。
当然、結婚式の礼儀など、皆知ったこっちゃないようだた。
指輪交換のときにはやじが飛んだし、誓いのキスの瞬間にはヒューヒューという口笛があちこちから聞こえた。神聖さなど、どこにも見てとれない。
というよりそもそも、十字架が立っているのに霊夢と早苗が取り仕切っている時点でなにかがおかしいのだ。
「みんなでたのしく」というのが人生のモットーの魔理沙的には、これくらいがちょうどいいのかもしれないが。
新郎の家族はといえば、当然のように次々と集まる魑魅魍魎に、最初は少し、いや、かなり戸惑っていたようだった。
だが、いつのまにやらなじんでいた。そういう家系なのだろうな、と思う。懐が広いというかなんというか。
自分の息子がこんなおてんば魔法娘と結婚するのを許す時点で、ある程度それは見てとれるわけだが。
新郎本人も、やっかみ交じりの祝福の言葉に、困ったような、人のいい笑みを浮かべて、にこにこ顔の魔理沙と腕を組んでいる。お似合いの夫婦。
とにかく、幸せ、という言葉を体現したような光景。
だけど、私には耐えられなかった。
だから光を離れて、離れたところに一人で立っていたのに。
「アリス! 来てくれたんだな!」
明るい笑顔で、彼女は駆けてきた。
白いウェディングドレスが風に翻る。慣れないであろうヒールに一瞬体制を崩しながらも、その勢いのまま、私の目の前まで。
膝に手を当てて息をつくその姿は、今日がハレの日であることなど関係がないというように見える。いつも通り。そう、いつも通りだ。
その『いつも』が私の胸には深く突き刺さってしまうわけだが。
「えへ、どうかな? 似合う?」
軽くクロスさせた足を少し曲げ、おまけにちょこんとドレスの端をつまんで、魔理沙は首をかしげる。
お嬢様のつもりだろうか。少しぎこちない。
「……見かけだけはね」
嘘をついたつもりはない。
事実、魔理沙にそのドレスはよく似合っていた。ひらひらしすぎているようであるが、その幼さが彼女の雰囲気とよく調和している。
もともと、素材がいいというのもあるだろう。そんなこと、口にしてあげる義理もないが。
「それにしても、まさか本当に結婚しちゃうなんてねぇ」
「なっ、なんだよその言い方。そんなにおかしいか」
ちょっと拗ねたように、歯を見せて反論しようとする魔理沙。その様子がすでに「新婦」らしからぬと気づかないのか。
私はからかうように、うっすらと口元に笑みを浮かべてその額をつつく。
「そうね、うん、魔理沙を知っている人だったらみんな薄々思ってるでしょうね」
「そっそれはっ……」
と魔理沙は一瞬怒ったようなそぶりを見せたが、
「そうかもなぁ……」
次の瞬間には、逆に納得しているようであった。
うーん、と魔理沙は一人うなる。ひらひらとした白い服を指先でちょいとつまんで、首をかしげる。
「いやはや、昔の私も予想してなかっただろうしなぁ」
うむ、とうなずく魔理沙。
そこで私は、一つ気になっていたことを聞いた。
「ところで魔理沙、あの、お父さんは?」
本当はもう少し遠まわしに聞きたかったのだけど、うまい表現が見つからなかったし、変に気を遣いすぎない方がいいかと思って、こんな聞き方になってしまった。
今、この式場に、魔理沙の家族らしき人物は見当たらない。一応、婚約前、報告にはきちんと言ったという話は聞いていたのだが。
魔理沙は一瞬目を丸くしたようだったが、すぐにその表情を困ったような、眉尻を下げた笑みに変えた。
「さすがに、来てはくれなかった」
「…………そう」
申し訳ないという感情を抱きそうになって、どうにか抑えた。今望まれているのは、そういう感情ではない。
だが、やはり複雑そうな顔をしていたのだろう。「でも」と魔理沙があわてたように付け加えた。
「手紙くれたんだ」
その頬をうっすらと赤く染め、照れ隠しにも似た表情で、
「うまくやりなさい、って」
「……よかった」
本当に、よかった。自分のことのようにうれしくなる。
みんなが魔理沙の結婚を祝福している。本当に、良かった。そうでなくては、ならない。魔理沙は幸せにならなくては、意味がない。
ほう、とため息をついたことらの方を、魔理沙が軽くたたいた。笑みで、ご苦労様、とでもいうふうに。違うか、そんな上から目線の感情ではない。
感謝、だ。多分これは。
「でも、どれもこれも、アリスのおかげだよ」
にっこり、と魔理沙が美しく笑った。どきり、と私の胸が高鳴る。背中を伝うのは、冷や汗だろうか。
いやだ、聞きたくない。
「アリスがいたおかげで私は」
「魔理沙」
とん、とその肩を軽く押していた。
そんなみじめな現状を知らされたくはない。わかってる。自分で自分の首を絞めているのは。
うつむいていたから、多分私の表情を魔理沙は読み取れなかったんじゃないかと思う。だから、その間に無理やり笑顔を作った。
顔をあげて、魔理沙の背後を指差す。
「天狗が、呼んでる。写真、撮るんじゃない?」
「えっ、あっほんとだ!」
私の言葉に魔理沙が振り返る。少し遠くで、文がぶんぶんと勢いよく手を振っている。その顔がにやにやと、やけに見透かしたように見えるのは、きっと気のせいだろう。
見透かされてたまるものか。自分でもよくわからないのだから。この感情は、悲しみともまた違う。
「またあとで、アリスも一緒に写真撮ろうな!」
念を押すように私の手を魔理沙はぎゅっと握った。
そのぬくもりだけを残して、魔理沙はこちらに背を向けてかけ出す。
そこで、私は、とてつもなく美しい物を見た。
金色の髪の一本一本が陽光を受けて輝いている。無邪気に走る姿に合わせて、白いフリルが揺れて、天使の羽のようにさえ見えた。美しい花嫁だ。六月の女神の加護を受けている。彼女が地面に足をつくたびに、輝きが舞う。
あ。あぶない、と思った。悲しくもないのに、涙があふれてしまいそうだった。
そのかわりに、私は叫んだ。口の横に手を添えて、まだ魔理沙はすぐそばにいるのに、まるで遠くにいる誰かに向けるかのように、私は叫んだ。そうしないと、嗚咽があふれてしまいそうだったから。
「魔理沙――! あなた、大人になって、本当に綺麗になったわ!!」
返ってきたのは、太陽のような笑顔。視界がにじんで、よく見えなかったけれど、ただ、美しくって。
私は彼女を祝福したいと、素直にそう思ったのだ。
魔理沙が、私と同じように、口の端に手を添えて、叫ぶ。あっけらかんと、何事もないかのように。
「なーんにも変わってないぜ!!」
きっと、あなたにとってはそうなのでしょうね。あなたはきちんと歩いているから。まるで何も変わっていないように思えるのでしょう。
けれど、うずくまって、過去にしがみついている私には、もう全てが変わっていってしまった。
あなたはこれまで、そしてこれからもたくさんの人に出会い、たくさんの人に愛され、たくさんの素晴らしい思い出を作って生きていくことでしょう。
そこに、私はいらないのだ、多分。あなたの思い出の中に私はいればいい。
もう、今のあなたは、あまりにも遠い。
「……き、だったのよ、魔理沙」
無理矢理、自分の気持ちを過去系の中に押し込めた。
泣けはしない。魔理沙の足を引きとめる権利は、私にはない。だから、せめて叫ばせてよ。
「お幸せにね! 魔理沙!!」
――せめて、この祝福の言葉があなたに届きますように。
女の子ってこうなるんだな、と改めて思いました
こういう未来がないって訳ではなし、ありと私も思います。
でも個人的にはオリジナル男よりは香霖の方が好きかな。
しかし、東方で料理が出来ると明記されているのは霊夢・魔理沙・咲夜・スターくらいなのに、
魔理沙は料理出来ない扱いになること多いですねw
魔理沙の相手の男が記号的過ぎて魅力や存在感に欠けるかも。
ま、記号で十分なのかもしれないけど、私的にはそこが不満でした。
人を選ぶ終わり方というか設定からして人を選ぶけど、俺は応援してるという意味を込めて100点
描写が巧い分けでも心理描写が卓越してる分けでもなく、最低限に近い情報しかでてこない。
それにも関わらず心が動かされる。
アリスが自分の心を悟られまいとする一方で、どうしても溢れ出てしまう感情というものが綺麗に描かれてると思う。
ただね、魔理沙の胸は将来有望なタイプだと思うんですよ、はい
表現の仕方もユニークでセンスを感じました。
アリスから見た魔理沙の魅力がよく伝わってきます。
ただ、魔理沙の立場からしたら、幸せいっぱいで素敵な人生を送れて
いるけれど、アリスはまた同じことを繰り返しそうでちょっと可哀相かも…。
でも、これはこれで一つのストーリーとして完成度の高いものが出来上がっ
ていると思いました。
次はぜひ、魔理沙を引き止めるほどの思い切りを持ったアリスと魔理沙の
ハッピーエンドを読んでみたい。