「恋って、なんだろうなあ」
宴会の席、赤らんだ顔の魔理沙が、私の隣に座って突然、言った。
「さあ、あまり楽しそうではなさそうだけど」
そんな事、考えたことも無い。思いつきに答えておく。
「そうか。霊夢は、そう思うか」
独り言のように言って、魔理沙は、また立ち上がると、ふらふらとどこへともなく歩いていった。
何だったのだろう。まあ、酔っていたに違いない。こんな昼間から酔いつぶれたくない、私はちびちびと舐めるように飲む程度で抑えていた。
花見酒。誰が言い出したのか、とにかく、普段は夜からが多いのに、珍しく昼間の神社に大勢の人妖が集まり、珍しくもなく酒を飲んで騒いでいた。
魔理沙の言葉を頭の片隅に追いやりながらふと横を向くと、なにやら思案顔のメディスン・メランコリーがいた。聞き耳を立てていたらしい。
彼女は、最近になってからよく宴会に顔を出すようになった。ずっと鈴蘭畑に引っ込んでいたと聞くが、どうやら外の世界を知ろうと努力はしているらしかった。
そのメディスンが、恋だなんだと呟きながら、とことこ歩いてゆく。向かった先は、私と同じくちびちびと飲んでいたアリスの所だ。
知り合いは増えても、積極的に話しかけることのできる相手はまだ少ないようだった。彼女の場合は、おそらく、永遠亭の連中か、アリスか。詳しくは知らないが、そんなものだろう。
アリスの座っている場所はさほど遠くない。二人の会話が、風に吹かれる花びらに交じりながら聞こえてくる。
「ねえ、アリス」
「あらメディ、どうしたの」
「恋って、なにかしら」
「ふむ、なかなか難しい質問ねえ。まあ、なんといいますか、そうだ」
アリスは手を伸ばし、空いた皿の上に落ちていた桜の花びらを摘みあげた。
「きっと、こんな感じでしょう」
なかなか、詩的な答え方をする奴だ。おや、いつのまにか魔理沙も、二人の会話に耳をそばだてている。
「花びら。それと恋と、いったいどんな関係が?」
「散りゆくもの。まな板の上の恋、って言葉を知ってる?」
「うん、でも意味までは」
それは、鯉、じゃなかろうか。
「つまり、恋って、まな板の上で包丁に下ろされてしまう運命なのよね。あと、恋の滝登りって言葉もあるの。そんなの、登れるわけないでしょう?滝壺に落ちて、砕かれちゃうわね。そういうものよ、恋って。たぶん」
「へえ、恋って、あまりいいものでもなさそうね。なんだか、がっかり」
それも、鯉だ。わたしだって恋だの恋愛だのはさっぱりだが、少なくとも魚ではないことは知っている。アリスは、酔った様子でもない。大真面目に語っている。
メディスンは、どうやら、聞く相手を致命的に間違えたようである。こんな問いに完璧に答えられる奴はいないだろうが、もっと気の利いた言い方はできるだろう。
「ところで、アリスは、恋をしたことがあるの?」
「あら、そういえば、無かったわ」
「なのに、ずいぶん知った風なことを言っているのね」
「だって、知っているもの」
「恋を、したことないのに?」
「本で読んだの。おおむね、多くの若者は恋に破れるわ」
つまるところ、知らないのだろう。
「ふうん。あ、そういえば。前に川で、永琳達に釣りを教えてもらったの」
「それで?」
「いろいろ釣れたわ。鯉とか」
「へえ、恋が。きっと、ほろ苦い青春の味とやらがするのでしょうね。そうだ、今晩、晩御飯を御馳走しましょう。ほろ苦い恋料理を作ってあげるわ」
「ほろ苦くはないほうがいいけど」
「努力はするわ」
「うん、じゃ、楽しみにしてるね」
「何言ってるの、これから釣りに行くのよ」
二人は立ち上がり、私に退席する旨を告げた。いつも片付けを手伝ってくれるアリスが先に帰ってしまうのは、残念なことだった。鯉料理のレシピについて話し合いながら、二人揃って階段を下りて行く。
結局、恋ってなんなんだろう。まあ、どうでもいい。おや、魔理沙。
「恋は、恋ってのはなあ、そんな、ものじゃないんだよぉ!」
二人の去った方向へ、大きく叫んだ。そしてまた、ふらふらと歩いて、誰ともなく話を交え、酒を飲む。どう見ても、酔っていた。
予想通り、片付けは私一人でやることになった。魔理沙は、帰り際、酔いもすっかり醒めた様子で、箒に跨っていた。難しい顔をしていたので、おおかた恋がどうのこうのと考えていたのだろう。
すっかり日も暮れた。境内も元の静けささを取り戻し、片付けも終わり、相変わらずひらひらと舞い落ちる桜の花びらを眺めながら、私は夕飯の献立を考えていた。お米は炊けているけれど、おかずはどうしよう。
縁側でぶらぶらしながら考えていると、アリスがやって来た。両手に、大鍋を抱えている。そばの人形にも、(人形のサイズを考えれば)大きなタッパーを持たせていた。
「どうも、霊夢」
アリスが近づくにつれ、いい匂いが漂ってくる。そばで挨拶された時には、味噌の匂いだとわかった。
「どうしたの。こんな時間に、珍しい」
「おすそわけ。メディと一緒に鯉を釣りにいったのだけど、ぱんぱか釣れちゃってね。それも全部を料理した上に、私もメディも別に食べなくてもいいもんだから小食で、沢山余ってしまったの。二人で食べたわけじゃないけど、それでもね」
鍋の蓋を開けてみる。鯉こくだ。汁も、あふれんばかりに入っている。
「晩御飯が済んでるなら、保存できるよう魔法をかけておくけど」
「いえ、これからだから助かるわ。それにしても、そんな魔法も使えるのねぇ。地味だけど、便利そうね」
「ただの氷の魔法だけど。ま、一日くらいならわざわざ冷凍しなくてもよさそうね。じゃ、これ」
人形に、タッパーごと渡された。ありがたいが、私一人には多すぎるような気もする。
「じゃあね、霊夢。…さて、次はどこへ行こうかしら」
アリスは、そのまま大鍋を抱え、飛び去っていった。私も、ご飯にしよう。
「こんばんは、霊夢」
また、来客らしい。部屋の中にいるのに突然、声をかけられるのには、不本意ながら、なれっこだ。
「玄関から入ってよ、紫」
「固いこと言わず。あら、鯉こくね」
普段なら追い返すところだが、この量をどうしようと考えあぐねていたところだったので、ありがたい。
「さっき、アリスにもらったの。そうだ、たまにはあんたと食べてみてもいいわよ」
「おや、珍しいこと。でも残念、それなら出来たてを御相伴に与って来たところですわ」
さっき二人で食べたわけじゃないとか言っていたけど、どうやら紫が一緒にいたようだ。
それにしても、アリスは、やはり鯉こくばかりを鍋一杯に作っていたのだろうか。今日のお礼に、レパートリーを増やしてあげてもいいかもしれない。
「鯉こく食べに来たわけじゃないなら、何しにきたのよ」
「いえ、別に何も。…ところで、それ、もう食べたかしら?」
紫が、味噌の香りの方へ指を向けながら言った。
「ん、味見程度に、ちょっとだけなら」
「どうかしら、ほろ苦い青春の味はした?」
「…別に。ただ、おいしいなあ、とだけ」
「あら、そう。…いえね、あの子達、恋だの青春だのと言っていたのだけど、何のことやらさっぱりで。おいしいのに、これは苦くないと、とぐちぐち言っているのよ」
そりゃあ、アリスは料理は上手いのだから、普通に作れば苦くはならないだろう。普通に作らなくても、間違いなく料理にはなるに違いない。レシピを無視した勝手なアレンジは、たいてい失敗するものだが。
青春の味。恋の味。鯉の味。苦くはならない、鯉の味。
「そうだ、紫。アリスの家にいたんでしょう?そこに、魔理沙は居た?」
「魔理沙?いえ、私と、人形遣いさんと、毒人形さん。魔法使いさんは居なかったわねえ。あら、そういえば、人形遣いさんも魔法使いさんでしたわ」
「とにかく、魔理沙はいなかったのね?じゃあ、アリスは魔理沙の家にも分けに行ったか、知ってる?」
「ふむ、近いからと一番最初に行ったみたいだけど、例の、恋の味云々と聞いたら魔理沙、怒ってね。アリスってば、追い返されてたわ」
「何よ、ずっと見てたのね」
予想通り、魔理沙はこれを食べていないのだ。
「おや霊夢、こんな時間にお出かけかしら?」
「うん、ちょっとね。あんたも、つまみ食いとか考えずに帰りなさいよ」
「あら、失敬な。それじゃあ、私は失礼しますわ」
紫は、来た時の巻き戻しのようにして、体をスキマへ潜り込ませていった。私も、出かけよう。お腹がすいたが、我慢だ、我慢。
魔法の森。夜には、あまり来たくはないところだ。魔理沙の家を目指して、勘を頼りに突き進む。しばらく進むと、明かりが見えてきた。
ドアの前に立つ。ノックなどいらんわい、とう。ガチャリ。
「だ、誰だ?なんだ、霊夢か。珍しい」
いつもの格好をした魔理沙が、ばたばたと玄関にやって来た。
「魔理沙。夕飯は食べたかしら?」
「いや、まだだけど。それがどうしたんだよ」
「そう。何も言うな、一緒に来なさい」
「うわ、なんだ。離せ、離せって!ちょっと、霊夢!」
「はあい」
目の前に、スキマ。こういう時には、便利なものだ。魔理沙を引きずって、飛びこむ。
「うわ、ここはどこだ?なんだ、神社じゃないか」
「なんだとは失礼ね。いいからいらっしゃい」
「わかった、わかったから。服を引っ張るなよ」
座布団を二枚用意して、片方に座らせる。私は玄関まで靴を置いてから、台所へ向かった。
ふむ、少し冷めているか。手早く鯉こくを温めなおし、茶碗に白米をたっぷり盛って、座敷へ戻った。
「さあ、たんと食らうがいいわ」
「おい、これは、アリスの」
「ええ、そうよ。まったく、あんたのせいで、私が食べるのまで遅くなってしまった。私はお腹が空いているの。早く食べなさい」
「何、勝手な事を。悪いが、私はお前ほど餓えちゃいない。ほろ苦い鯉こくなんて、食べられるか」
ええい、いつまでもまどろっこしい魔理沙め。
「こいつめ、私の酒が飲めないっていうの」
「酒じゃないし、霊夢のものでもないじゃないか。うわ、何をする」
鼻をつまんで、口を開かせる。くずれないよう慎重に、かつ迅速に、鯉を口へ放り込んだ。
「むぐむぐ」
「ほら、ほら、米も食った、食った」
「わあ、多すぎだ。むぐ、ほひゅふふ…」
さあ、たんと噛め。噛みしめるがいい、恋の味。
さて、そろそろ私も。
「うん、やっぱりおいしい。どう、魔理沙」
「…ああ、うまいぜ」
「苦くはないでしょう」
「…ああ。…なあ、霊夢」
ちょびちょびと米と鯉こく、交互に手をつけながら魔理沙は口を開いた。
「どういう風の吹きまわしだ、霊夢らしくもない」
「あら、私らしさなんて、勝手に私が決めたっていいじゃない」
「…そうだけどさぁ」
まったく、失礼な話だ。人をなんだと思っていたのか。
「そもそも、らしくなかったのは魔理沙の方。宴会の時だって、まあ乙女ちっくなことを恥ずかしげもなくぺらぺらと」
魔理沙は、黙ったまま話そうとしない。
「恋だのなんだの、なんて、私にはわからないわよ。悔しいけど、まだ子供だからね。大人になれば分かるのかどうかなんて知らないけど。とにかく、難しいことは考えるだけ、無駄無駄。食って、歯磨きして、寝る。これに尽きるわよ」
「…ふん、随分枯れた巫女だぜ」
ようやく、笑ったか。うん、このほうが、『らしい』わね。
「あんたが恋をしようが、しなかろうが、恋に破れようが、鯉を食べようが、知った事ではないわ。でも、あまり私の前で陰気な顔をさらすのは勘弁してよね」
「ああ、肝に銘じておくぜ」
「うん、わかったみたいね。なら、もっと、米を、恋を、食らいなさい。全部噛み砕いて、飲みこんで。笑ってられるわ、そうすれば」
よく食べ、よく眠り、よく遊べ。まんま子供みたいだが、それが楽園の素敵な巫女さんの仕事なのだ。
夜更け、清々しいように澄んだ夜空へ飛び立つ魔理沙を見送って、私の一日は終わる。さあ、歯を磨いて、よく眠ろう。
借りっぱなしは癪だ。翌日、私は昨夜のお礼をすべく、アリスの家へ遊びに来ていた。そこにはメディスンもいた。
「遂に完成したわ、メディ。これが『ほろ苦い鯉の甘煮』よ。ささ、一口どうぞ」
「ほろ苦いのに、甘煮?もぐもぐ、うわ、ほんとに苦い。これが、青春の味?」
「青春?ああ、そういえば最初はそんなスタンスだったわねえ。すっかり忘れてた」
「ちょっとアリス、それじゃあこれは、ほろ苦いだけで青春の味でもなんでもないじゃない。あーあ、普通の味のがたべたかったわ」
「ふふ、そう言うだろうと思って、ちゃんとした鯉の甘煮も作っていたのよ。さあ、どうぞ」
「もぐもぐ、うん、とってもおいしいわ。でも、それじゃあそっちのはどうするの」
「これは、私が食べるわ。もぐもぐ、うぇっ、苦っ」
駄目だ、こいつらは。魔理沙が恋を馬鹿にされたと怒るのも、無理はない。
「霊夢、これ、食べる?」
「いらない」
こういう本気か冗談か分からないアリスは珍しいかも。
変な方向に可愛くて実に宜しいです。
霊夢さんは実に彼女らしいし、アリスのちょっとボケた所も良い。
魔理沙はやっぱり乙女で、メディの純真なところが可愛い。
のんべんだらりとした幻想郷素敵です
僕も座布団一枚差し上げたいぜ
× 私に対席する旨を告げた
○ 私に退席する旨を告げた
きっと魔理沙は「恋とは何ぞや。愛とは何ぞや」と悩むんでしょうね……w
悩める乙女な魔理沙、真っ直ぐな霊夢も良いですねえ。
さっぱりした作風がとっても好みです。
ごちそうさま、たいへんおいしゅうございました。
ついでに言うと恋告もそんなもんだよね!
すんげえおもしろかったです。鯉の洗い食べたい。
ただ本作品では作品の主題をアリスが喰らい過ぎって気もしますね。
でも面白い。お見事!
なんでアリスとメディは一緒にいるのかな、と思って
たどってみました。最初から、作者さんワールドの中では
このふたりはセットだったのですね。