僕は気が狂っているのかもしれない。
朝、起き抜けに初めてこの目で見たモノ、この能力で視たモノは踊り狂う道具達。
比喩じゃない。幻覚でもない――ああ、気が狂っているのなら幻覚が見えているかもね。
まあ、兎も角、僕は踊る道具達をミタ。それも全部。僕の店のモノ全部。古い小針一本から、果てはあの草薙の剣まで全部!
アタマが痛くなった。ワカラナイことは考えない事にした。ソコから逃げ出した。
朝霧を抜けて里まで逃げて来た。親父さんに頼ろうと思った。
…年下に頼ろうとまでする癖はどうにかして治さないといけないな。僕ももう随分生きているんだ、そこそこの事は見てきただろう?
但し、今回の事は見た事が無い。このそこそこ永い半人半妖生で初めて見た物だ。
頭が痛くなる。判らないことは考えない様にした。其処から進み出した。
霧に包まれた里の中、急に人混みが出来た。つい、好奇心に駆られて近寄ってしまった。
好奇心はネコを殺す。そして好奇心はボクをも殺す。
道具が踊っていたのをミタ。カサの九十九のあの少女や面霊気の少女が狂った様に踊っていた。踊っていた。
マタ、アタマがイタクなった。ダカラ、ワカラナイことはカンガエナイことにした。ソシテ、ソコからニゲだした。
逃げ出した。只、恐怖を感じた。只々怖かった、逃げ出したかった。…恐ろしかった。
…されど感じるのはあの子達への謝罪。
済まない、本当に済まない。僕の所為でああなったのだとしたら少なくとも僕が責任を取るべきはずなのに。…済まない。
自分の弱さに頭が痛くなった。兎も角、判らない事は考えない様にした。一先ず其処から進み出した。
現実かどうか、もう分からない。タクサン歩いた気だけはする。
頭が痛い。アタマガイタイ。
ナニカを見つけた。近寄ってくるナニカを見つけた。
アタマガイタイ。モウ、ナニモカンガエルコトガデキナイ。ソコカラ、ニゲダシタカッタ。
「君は?」
――古“道具”屋の店長さん。一緒に踊りませんか?
「あぁ、そうだね。喜んでご一緒させて頂こうかな。」
おそらく、作者さんが思っている以上に読者は、「何が起こってるか」を読み取れないと思います。
例えば、霖之助の能力は「道具の名前と用途が判る程度の能力」のはず。その彼の能力をして「踊り狂う道具達」を見た、とはどんな状況なのか、とか。
霖之助が道具に謝罪する理由も。
書きたかったものに対して、容量が追いついてないのかなぁという印象です。
歌詞のような言葉回しや繰り返しは、好みが分かれそうなところですが私は好きです。
・「狂気=カタカナ」ではない。それに、こうも溢れているとただ単にクドいだけになる。用量を守って使用するべき。
・タイトルの「沈静」要素が欠けているように思った。
・他の方の意見にもあるが、場面を描写しきれていない。おそらく余白による描写を上手く使えていないから、話が通じないのであろう。
・「年下に頼ろうとまでする癖」とあるが、少し不自然な印象を受けた。「年下をも頼ってしまう癖」ではないか?「癖」という言葉には習慣性が伴うことを忘れずに。
・「分かる」「解る」「判る」の区別。細かいことかもしれないが、できているか?
・狂気を醸し出すには、もっと内容で勝負した方が良い。たとえば、霖之助が自分の狂気に無自覚であるがゆえに周囲が狂って見えているだとか、霖之助の想像の世界を引き伸ばして現実と妄想の境界を曖昧にするとか__ありふれた例で申し訳ない。