その日も、あたいは舟の上にいなかった。
いや、あたいの名誉のために言えば、決してサボっている訳じゃあない。
この瞬間は、直属の上司公認のものだからだ。
あたいは是非曲直庁、裁判所の隣に併設されている執務室のソファーに腰を下ろしている。
扉には『四季映姫』と木製の名札が掛けられていたが、今は『入室禁止』の札を上から掛けている。
もちろん、鍵を掛けるのも忘れていない。
さて肝心の部屋の主こと地獄の最高裁判長、四季映姫・ヤマザナドゥ様は、凛とした佇まいで正面に仁王立ちし、あたいを睨みつけている。
この構図は、十中八九これからお説教が始まると皆考えるだろうね。
しかしお説教なら、むしろ四季様が此岸にまでお見えになられることが多い。
それに官給品のソファーに座るなんて贅沢どころか立ちっぱなしで、場合によっては正座もありえる。
何よりも大きな違いは、四季様の瞳が切なげに揺れ、手が小刻みに震えているということだ。
「まだ、慣れませんか?」
自分の部屋でガチガチに緊張しておられる四季様に、あたいは苦笑いで話しかける。
対する四季様は
「あ、当たり前です。そんなに……私は軽い人間ではありません」
うつむきながら悔悟の棒をぎゅっと握り締め、しどろもどろといった具合で言葉を紡ぎだす。
私生活でもハキハキと喋り、うじうじした霊共にはしゃきっとしなさい、と喝を入れる四季様を知る者は目を丸くするだろうね。
これは、あたいしか知らない四季様。あたいだけに見せる本当の四季映姫という姿。
「そんな軽いとか思っていませんよ。さぁ、こちらへどうぞ」
そう優しく言って、あたいはソファーに座ったまま両手を前に差し出す。
胸元に専用の空間を作って、来訪者を受け入れる体勢だ。
映姫様は、ん、と声にならない返事をされて、あたいの胸に飛び込んできた――
――◇――
「小町、そこに座りなさい」
2ヶ月ほど前か、あたいは執務室に呼び出された。
何度か呼び出しは食らったことがあるのだが、総じて重大なミスを犯した場合に限られる。
何かやらかしたっけなぁ、とため息交じりで扉を開けた。
それで開口一番、執務机の四季様はそうおっしゃった訳だ。
だがその時の四季様は、手を前に組んで口に当て、眉間にしわを寄せてこっちをギロリと睥睨していた。
そして体全体から発するオーラが、重罪を犯した霊に地獄行きを宣告するときの様な、鋭い氷を連想させるそれだった。
あたいは座れと命じられたので、そこの床に土下座した。
それぐらい怖かった。本気で怒った四季様はこうなのだと冷や汗と共に心に焼きついたくらいだ。
とりあえず反省の意を見せねば、今にもその仕置き棒で百叩きにされると思ったのだ。
「違います、そこではなくてそこです。まったく、私はいつも怒っている訳ではありません」
四季様は頭を片手で抱えながらソファーを指差す。
予想外だ。てっきり低い声で怒鳴られるのを覚悟していたのだが、その声色はややしょんぼりなさっている。
とりあえず指示通り、何回も腰を下ろしたことがないソファーに座る。
「小町、言いたいことがあります」
対面のソファーに腰掛けた四季様が、真剣な表情でこうおっしゃる。
「はぁ、何でしょう?」
「…………」
「……あの、四季様?」
「……小町」
「はっ、はい」
説教以外では簡潔な物言いを好む四季様が、たっぷり溜めるなんて珍しい。よほど言いにくいことなのだろうか。
……自主退職してくれ、とか?
いかん、泣きそうだ。
「実は相談したいことがあるのです。これは、あなたにしか頼めないことで、かつ私の成すべき業務の効率に関することです。私はなるべくならこのような問題を私個人で解決したいと思っています。しかし、そうとはいかない問題も多々あるのです。それを全て一人で解決しようとすることは驕りに他なりません。第一に私のような立場の人間がこのようなことを軽々しく頼むことに対して若干の抵抗があることは否定しませんが、しかしながら私にはこれしか思いつきません。できれば心して聞いて欲しいのですが、私が途中で羞恥の念にかられて忘れてくださいというかもしれません。それは部下とはいえ呼んでおいて大変失礼にあたるのですが、どうかその時は決して理由を聞かずすぐさま忘却の彼方へ」
「ストップスト~ップ四季様。ご用件は何なのですか。
いつもの四季様らしくありません。ハッキリ要点をお願いします」
こんなに一本調子で喋れるんだ、四季様って。
ともかくラチが明かないので、恐れながら区切りを入れさせてもらった。
するとどうだ。みるみる四季様のお顔が彼岸花のように赤くなられた。
長口上をすることで堰き止めていた顔の血が一気に決壊したみたいだ。
それと挙動もおかしい。
急に頭を垂れたと思ったらこっちを見て、あたいと目が合った瞬間、あさっての方角に首を曲げられてしまう。
しばらくそんな所作を続けて、四季様はついに覚悟が決まったかのように小さく口を開いた。
「……てください」
「はい? 何ですって」
「ぎゅ、と……してくれませんか」
「すみません、もっと大きな声で」
「わっ、私のことを力強く抱きしめてください!」
――◇――
「あの後冷静になって、心臓が止まるかと思いました」
そう四季様は、あたいの腕の中でおっしゃる。
胸が湿ったように温かいのは、ピタッと密着しながらお話になるからだ。
あたいは座ったままだけど、体のバランス上四季様が立ったままでちょうど正面から抱擁できる。
四季様の体はどこもかしこもガラス細工みたいに細くて、ガサツなあたいは折ったりしないよう慎重に、丁寧に力をこめる。
「それはあたいのセリフです。いきなり大声で核心をグッサリ刺されて、平常心が吹き飛びました」
「それは、仕方なかったのです。あの時は、私も激しく動揺していました。
なるべく平静を装っていたのですが、成程客観的に見ると衝撃ですね」
そんな理知的な言葉を紡ぎながら、四季様は靴を脱いでソファーの背もたれ近くに膝を落とす。
どうやらお腹の辺りに空いたスペースを埋めたかったようだ。
こうすると真っ先に視線を奪われるのは、四季様の手入れされた白い肌だ。
四季様の透き通るような象牙色のキメ細かい柔肌は、深窓の姫君を連想させる。
ペロッと舐めたら、甘い味とかしそうだな……じゅる。
対するあたいは日に焼け、手入れなんかは自然の成り行きに任せる放任主義な肌だ。外勤で鍛えられた豪快な表皮だろう。うりうりぃ。
でも2人寄り添うと見事なコントラストになってしまい、四季様がちょっぴり羨ましい。
ちょっと前にそんなことをポツンと話したら、四季様は「私は小町の肌の方が健康的で魅力を感じますよ」とあっさり褒めてくださった。
その日の晩は、その言葉が延々頭をループして寝るのが大変だったなぁ。
あと、体の抱き心地。これがたまらない。
これくらいの体格の子供はぷにぷに丸っこい柔らかさだけど、四季様はしなやかで弾力がある。
食べ物に例えるのもアレなんだが、はんぺんとコンニャクの中間くらいで、指をむにゅんと跳ね返してくる。
その不思議で飽きない感覚がたまらなくて、つい楽器を弾くみたいに指を波打たせて堪能してしまう。
四季様はその度に「あっ」とか「ふうっ」って声を漏らして体をピクンと硬直なされる。
わかるかい? この殺あたい的な愛らしさと、ここで理性を保つ大変さが。
とにかくあたいと四季様はしばらくそうやって抱き合っていたが、四季様があたいのふとももの上でモゾモゾ移動する。
足を横にそろえて手はあたいの首にまわす、所謂お姫様抱っこを膝上で行っている形だ。
この体勢が四季様のお気に入りらしい。
もちろん、あたいも四季様の背中に腕をまわし、密着度合いを変えないようにする。
すると四季様は頭をスリスリと二の腕にこすり付けてこられる。
それに答えるようにあたいは四季様の後頭部を優しく撫でる。
四季様の髪の毛は絹糸のように柔らかで、清潔ないい匂いがする。ついでに「んふふ~」というしまりのない笑顔も頂戴した。
甘える仔猫と戯れるとこんな感じになるな、とつい想像してしまう。
黒い猫耳と尻尾を生やした四季様が、そのちっちゃな体を丸めてゴロゴロゴロ~とのどを鳴らす。
普段はつんけんして愛想がないけれど、構って欲しい時は上目づかいで「小町~、遊んで欲しいにゃ~」と袖口をつかんでおねだりする四季様。
……おぉう、鼻血が出そうだ。首筋を軽く叩いてごまかそう。
――◇――
四季様はこうして時々あたいに『抱かれる』ため、ここに呼び出す。
大抵は四季様のご都合が空いた時で、近頃は呼び出す日の間隔がやや狭まってきた。
誤解がある表現だが、断じてふしだらな行為はしていないし、あたいも四季様も逆衆道的な趣味はない。
ただきゅっと服越しに肌を重ねたり、今のように膝抱っこをしたり、子の熱を測る親のように額や頬をくっつけたりしているだけだ。
ひたすら無言で抱き合うこともあれば、他愛もない世間話をすることもある。
こうして互いの時間が許す限り体温を分かち合うだけの関係。
四季様は、それを望んだ。
「小町の体はいつも温かいですね」
「四季様こそ手先が冷え切っておいでですよ。ちゃんとご飯食べてますか?」
四季様の日本人形みたいに小さい白魚の様な手は、氷水に漬けたように冷たい。
あたいはさする様にして四季様の手を温める。
近頃は体重も軽くなったように思えるし、体には不釣合いな骨ばった棒状の硬い感触も目立つ。
「あら、私が健康管理ひとつできないと思っているのですか」
「あたいは部下として心配なんです。最近はまたお忙しくなられて、こうした時間も取りづらいのではありませんか」
む、と四季様の表情が強張る。
ようやく彼岸に送られる霊の数も落ち着きを見せたが、それでも閻魔様の激務に終わりはない。
特に急ごしらえの組織は、運営の諸々を四季様の様な真面目で忍耐強い、不平不満を言わない人員に甘えている節がある。
図体のでかい樹は、無数の縛られた細い添え木に寄りかかって立っているもんだ。
「やはり迷惑でしたか」
「そんなことは言ってません。あたいもこうしているのが、一番好きですから」
「……そうですか」
嘘を見破ることに長けた相手に嘘は言わない。だいたい嘘をつく道理がない。
そりゃ定期的に何度も呼び出しされては同僚の死神にアレコレ噂をされるけど、今更のことだから全然気にしちゃいない。
そんな思考が通じたのか、四季様は安心したようにあたいの鎖骨あたりに顔を寄せる。
が、それを二つの山に阻まれて、軽くジト目で見られてしまった。
……すみません、大きくて。
「それに迷惑なら丁重にお断りしていますよ。最初の頃、こちこちに固まった四季様を抱きすくめる前に、です」
「う……だからあれはまだ葛藤が続いていたからで」
「でも、そんな初々しい四季様も可愛らしかったですよ」
「かっ、可愛いなんてそんな。あま、あまり人をからかわないでください」
わたわたと何故か慌てる四季様。セリフを噛む四季様も可愛いなぁ。
あたいはニヤニヤしながら、四季様の背中をぽんぽんと赤ん坊をあやすように軽く叩く。
これを初めてやった時は、子供扱いしないでください、と唇をとがらせて文句をおっしゃられたが、今はこれをしないと肩を揺らして催促してこられるのだ。
――◇――
四季様がこんな願望を持つようになったきっかけは定かではないらしい。
ただあたいはご機嫌取りのために肩をお揉みしたり、酔った四季様を介抱しおんぶして家まで送ってさしあげたり、とにかく四季様と触れ合う機会が案外多い。
そして四季様はあたいと触れ合う度に、胸の辺りがモヤモヤしていたそうだ。
触れていたところがじんわり熱い。かと思えば、パッと離れた途端耐え難い程の寒さ、寂しさを感じる。
もっと小町と触れ合っていたい。気が付いたら四季様はそんなことばかり考えるようになっていた。
でも四季様はそういう感情の制御をよく知らなくて、これは恥ずべき情欲でよろしくない、と胸の奥底に抑え込んだ。
けど、それは逆効果だった。その欲求はますます心の中で増大して、一日中ポーっとしていることもあったらしい。
結果、仕事に身が入らなくなられた。四季様は大層悩んで悩んで悩みぬいて、ついにあたいに相談してみようと決心した。
でも、ありったけの自制をかき集めて執務室であたいと向き合った瞬間、胸の高鳴りが一気にのど元までせり上がってきたそうだ。
それが件の情緒不安定な呼び出しと、感情の発露となった顛末だ。
あたいはとにかく驚いた。
良く言えば品行方正、悪く言えば堅物の四季様がこのような願望を心に秘めているなんて考えもしなかった。
だからしばらく放心して黙っていたら、落ち着きを取り戻した四季様が突然顔色を一変させてボロボロと涙をこぼされた。
何事かと思ったが、理由はその泣き顔を見て悟った。
色濃く出ていたのは、焦燥と怯え。
言ってしまった。やっぱりあきれられてる。嫌われてしまう。
どうしよう どうしよう どうしよう……
言葉はいらなかった。
あたいはすぐさま四季様をギュッと、これでもかと抱きしめる。
腕を、胸を、お腹を、体全体を通してあたいの心が伝われと念じた。
四季様も最初は何が起きているかわからないようだった。
でもあたいの服の首元がしっとりしてきた頃、すん、と洟をすすった音が聞こえて、ゆっくりと四季様の腕が背中に絡みつく。
そこで小さく、ほぅ、と息をつかれて体重をあたいに委ねてこられた。
普段颯爽として大人びている四季様は、見た目よりもずっとずっと小柄なお人だった。
あたいはぎゅっと服の背中を握り締める四季様を間近に感じて、そう思った。
――◇――
「ようやくですよ」
あたいは、あたいの膝を枕にソファーへ寝そべる四季様に話しかける。
冠と悔悟の棒は、邪魔になったり力いっぱい挟まれて壊れたりしないよう目の前のテーブルに安置されている。
権威を脱ぎ捨て、あたいの問いかけに少し首をかしげて反応するそのお姿は、まるっきり普通の少女と大差なかった。
「四季様がようやく肩の力を抜いてリラックスなされるようになった、ってことです」
「……そうですか?」
「そうですよ。初めて抱っこした時なんか、木偶を抱いているのかと思うくらい体が強張ってました」
「緊張していたのはお互い様でしょう。小町も体から伝わる鼓動が早鐘の様でした」
「それは……しょうがないんです。今でもたまにドキッとしますし……」
そこまで言って、あたい達は恋仲でもないのにとんでもないこと喋っているなと気づき、気まずくなって目を逸らす。
そう、あたい達は恋人同士ではない。家族でもない。友人とも違う。
上司と部下。その線引きを間違えちゃいけない。
だから余計な誤解を生まないよう人払いの完了した執務室でこっそりと、なのだ。
そして四季様は、この時間以外はまったく平素通りに接してこられる。
それこそ素っ気ないと物足りなさを感じるくらいだ。
こんな調子では、モヤモヤするのはあたいだって同じ。
四季様はあたいと抱き合うことくらい、どうとも思っていないのだろうか。
もしかして、こんな中途半端な関係は、白黒はっきりつけたがる四季様の感性に合わないのかもしれない。
「四季様、あたいのことどう思ってます?」
つい口を滑らす様に尋ねてしまった。
しまった、と焦ったけど四季様は「んー」と考え込む。
すると、あたいをまたぐ様にソファーへ膝立ちの体勢となって、あたいの顔を真っ直ぐ至近距離で見られた。
そしてこう例えられる。
「充電器、ですかね」
「じゅ、充電器?」
一応知ってはいる。
たまに中有の道の屋台で遊んでいる河童が持っている小型機械が、たしか充電器とやらで動力を蓄えて動かしているらしい。つまり
「……あたいは機械仕掛けの回路まみれってことですかい」
「何でそうなるのですか。隠喩法の言葉を額面通りに受け取らないでください。
小町が私に力を充填してくれる、という意味です」
「えっ、あたい四季様にご飯なんてお作りしましたっけ?」
「ああもう、どうして貴方はこうも朴念仁なのですか」
むぐ、何か怒られた。というか呆れられた。
でも、ぷーっと頬をリスみたいに膨らます四季様も大変可愛いくて、あたいの口元も緩む。
そんなしまりのない顔が気に障ったのか、四季様があたいのほっぺを両手でぐにぐにと餅をこねる様に弄ばれる。
「ひゃい!? ひきしゃま、らめてふだしゃい」
「まったく。小町にはデリカシーが無い。そーれ、断罪断罪」
「にゃにゅにぇにぇー!」
途中から四季様はあたいの顔を伸び縮みさせるが楽しくなってきたのか、しばらく嗜虐心に火が付いた様にいじり続けた。
「ふぅ、でもどうしてですかね。小町と一緒に過ごしていると、とても癒されます」
ふと、四季様はあたいのほっぺを弄るのではなく撫でながら、そうしんみりとした声音で独り言の様におっしゃった。
「私は時折霊を、人を裁くやるせなさを感じてしまいます。
一向に減らない罪人。効果の上がらない訓告。形式的な制度。
私は無駄なこと、間違ったことをしているのでしょうか?
そんな呪いの言葉がまるで真っ黒な染みみたいに脳へ広がって、どんなに振り払おうとしてもまとわりついてきます。
笑えますよね。死神と獄卒を統べる長は、こういう思惑ひとつで精神がざわつくのです」
四季様は自嘲気味に笑われた。
四季様は融通の利かないお人だ。とても真っ直ぐで、自分に嘘がつけない。
だから罪を決定する責任も、地獄に引っ立てられる霊共の怨嗟、悲哀、そして諦観のこもった眼も、全て我が身一人で受け止める。
自分が泣きたいのを封じて心が悲鳴をあげ、冷徹になろうと努めて魂が疲弊する。
それでも組織は四季様が必要で、四季様もこれが務めですと華奢な体をピンと伸ばして死者と対峙する。
大樹は無数の添え木に寄りかかる。
じゃあ、その添え木はポッキリ折れる前に何に寄りかかればいい?
あたいは四季様を抱き寄せた。
できるだけ隙間がないように、目尻の涙を見せなくて済むように肩に頭を乗せる。
急に四季様が、そうしないと壊れそうなくらい儚げに思えた。
「……小町、貴方は少し優しすぎる。でも、だからでしょうか。
小町を見ていると、私の中で荒れる心が凪いでいきます。小町と話をすると、心に澱の様に積もった嫌な塊が溶けて流れ出していきます。
そして、小町に抱っこしてもらうと、懸念が抜けて空っぽになった心がとても温かいもので満たされるのですよ」
そう耳元でおっしゃる四季様。
吐息がとても熱くて、痺れた様にくすぐったかった。
「小町。貴方は私の充電器。また明日から職務にまっさらな気持ちで励むためのエネルギーを与えてくれる存在。
小町がどう感じているかわかりませんが、私は小町を頼りにしているつもりですよ。
それとも、こんな関係はやはり気に入りませんか?」
つ、と離れてあたいの両目をじっと見つめる四季様。
その相貌は切なげに揺れていて、でも期待しているのかキラキラと輝いていた。
……もう、ずるいです。
「あたいは、四季様の充電器がいいです。いや、四季様を攻撃から庇う盾でも、糾弾を代わりに浴びる傘でもいい。
あたいは四季様が心身共に健やかにおすごしくださるのが本望です。
そのためなら、あたいは三途の川の水を全部飲み干すことだって厭いません」
「それは、いくら何でも不可能でしょう」
「例えです。隠喩法ですよ」
あたいはケラケラと笑ってみせる。それにつられたのか、四季様も無邪気に微笑まれる。
うん、やっぱり四季様はそのお顔が一番似合ってらっしゃいます。
――◇――
「小町、今日もありがとうございました」
「いーえ、いつでもどうぞ。何だったら一日中でも」
「それとこれとは別です」
うーん、やっぱりいつもの四季様だ。
凛々しくて威厳があって、公私の切り替えが早い。
でも、冠を被り悔悟の棒を構えた四季様の雰囲気は晴れやかで、その装備の重さも苦になられていないご様子だった。
さて、上司のご機嫌が良いことだし、あたいも思う所を洗いざらい言ってみようという気になった。
あたいは最後に見送ろうと立ち上がる四季様の両肩をつかみ、真面目な顔で大事なことを伝える。
「四季様、貴方は間違っていません。無駄なことでもありません。全世界の与太郎共が四季様を否定しても、あたいが肯定します。
だから、さっきみたいな悲しいことはもう言わないでください。
それでも憂鬱になったら、いつでもあたいを呼んでください。四季様がご満足されるまで存分に抱きしめて差し上げます。
だから、その……これからも、ずっと傍に置いてください。
あ、あたいも、こういう関係は嫌いじゃない、と言うかかなり好きと言うか……」
あああ、もう! 舌が全然回らない。
顔は熱いし、心臓が口から出そうなくらい暴れている。さっきから呆けた表情で見られる四季様と目も合わせられない。
四季様も初めはこんな気持ちであたいに頼みをしたんだ。
よく耐えられたなぁ、としみじみ感じ入る。けど、言い終わると達成感からくる安堵と言っていいのか、とにかく満更悪い気分じゃない。
だけど、四季様の表情筋は微動だにしない。
あちゃ、線引きを誤ったのかな……
「すみません、部下なのに差し出がましいことを……」
あたいは素直に反省の意をこめて頭を下げる。
それでも返事はない。
むすっとした不興顔を想像しておそるおそる頭を上げる。
「小町、あなたに部下という表現は不適切です」
あたいの立っている地面が崩壊して無くなった方がマシな程、ズタズタに傷つくその発言。
でもあたいは、胸の繊細な部分を矢で射抜かれたらしい。
「小町は、私の最高のパートナーですよ」
目を細めて、はにかむ様に満面の笑みを見せ付けながら、ハッキリとストレートにおっしゃるのだから敵わない。
あたいは死神なのに天にも召されそうなほど呼吸が苦しくて、ほとんど無意識に四季様をソファーに押し倒してしまう。
「あっ!? な、何をするのです小町! ってあっ、やっ……
はぁ、あ……ダメ。……こんな所で、あっ……やあぁ……ダメなの……
あぁぁ、らめらからぁ……
って何やらせとんのじゃこの怠慢船頭はあぁぁ!!!」
結局お手元の棒で3発殴られて、執務室から叩き出されてしまったのだった。
……前後不覚になって、すいません。
――◇――
明くる日も、あたいは舟の上にいなかった。
まさか、こんなに早くお呼び出しがかかるとはね。
ほんの1日前の出来事が頭をよぎり、かなり気まずい。
今度こそお説教だな、と覚悟を完了して扉を開ける。
目の前には腕を組んで直立不動。背景にゴゴゴという効果音を貼り付けた四季様が控えてらっしゃる。
「小町」
「……はい、四季様」
あ~あ、この時間もお終いかぁ。
あたいも四季様の温もりを直に感じて、すごく気持ち良かったし、大切なひと時になっていたんだけど仕方ない。
せめて、もうちょっと味わうように触れ合っていたらよかった……
「小町。
き、昨日はその、ごめんなさい。
あの、突然だったからびっくりして、その……怒っていませんか?
あれから嫌われたのかな、って思ったら、だんだん視界が滲んで仕事にならなくて……
それで急に呼び出してしまったのですが、その……ま、また私を慰めてくれますか?」
大丈夫、もうちょっと続くみたいだ。
ほらほら四季様泣かないで。今日もたっぷり可愛がってあげますから。
そんな、あたいと四季様の秘密のカンケイ。
【終】
いや、あたいの名誉のために言えば、決してサボっている訳じゃあない。
この瞬間は、直属の上司公認のものだからだ。
あたいは是非曲直庁、裁判所の隣に併設されている執務室のソファーに腰を下ろしている。
扉には『四季映姫』と木製の名札が掛けられていたが、今は『入室禁止』の札を上から掛けている。
もちろん、鍵を掛けるのも忘れていない。
さて肝心の部屋の主こと地獄の最高裁判長、四季映姫・ヤマザナドゥ様は、凛とした佇まいで正面に仁王立ちし、あたいを睨みつけている。
この構図は、十中八九これからお説教が始まると皆考えるだろうね。
しかしお説教なら、むしろ四季様が此岸にまでお見えになられることが多い。
それに官給品のソファーに座るなんて贅沢どころか立ちっぱなしで、場合によっては正座もありえる。
何よりも大きな違いは、四季様の瞳が切なげに揺れ、手が小刻みに震えているということだ。
「まだ、慣れませんか?」
自分の部屋でガチガチに緊張しておられる四季様に、あたいは苦笑いで話しかける。
対する四季様は
「あ、当たり前です。そんなに……私は軽い人間ではありません」
うつむきながら悔悟の棒をぎゅっと握り締め、しどろもどろといった具合で言葉を紡ぎだす。
私生活でもハキハキと喋り、うじうじした霊共にはしゃきっとしなさい、と喝を入れる四季様を知る者は目を丸くするだろうね。
これは、あたいしか知らない四季様。あたいだけに見せる本当の四季映姫という姿。
「そんな軽いとか思っていませんよ。さぁ、こちらへどうぞ」
そう優しく言って、あたいはソファーに座ったまま両手を前に差し出す。
胸元に専用の空間を作って、来訪者を受け入れる体勢だ。
映姫様は、ん、と声にならない返事をされて、あたいの胸に飛び込んできた――
――◇――
「小町、そこに座りなさい」
2ヶ月ほど前か、あたいは執務室に呼び出された。
何度か呼び出しは食らったことがあるのだが、総じて重大なミスを犯した場合に限られる。
何かやらかしたっけなぁ、とため息交じりで扉を開けた。
それで開口一番、執務机の四季様はそうおっしゃった訳だ。
だがその時の四季様は、手を前に組んで口に当て、眉間にしわを寄せてこっちをギロリと睥睨していた。
そして体全体から発するオーラが、重罪を犯した霊に地獄行きを宣告するときの様な、鋭い氷を連想させるそれだった。
あたいは座れと命じられたので、そこの床に土下座した。
それぐらい怖かった。本気で怒った四季様はこうなのだと冷や汗と共に心に焼きついたくらいだ。
とりあえず反省の意を見せねば、今にもその仕置き棒で百叩きにされると思ったのだ。
「違います、そこではなくてそこです。まったく、私はいつも怒っている訳ではありません」
四季様は頭を片手で抱えながらソファーを指差す。
予想外だ。てっきり低い声で怒鳴られるのを覚悟していたのだが、その声色はややしょんぼりなさっている。
とりあえず指示通り、何回も腰を下ろしたことがないソファーに座る。
「小町、言いたいことがあります」
対面のソファーに腰掛けた四季様が、真剣な表情でこうおっしゃる。
「はぁ、何でしょう?」
「…………」
「……あの、四季様?」
「……小町」
「はっ、はい」
説教以外では簡潔な物言いを好む四季様が、たっぷり溜めるなんて珍しい。よほど言いにくいことなのだろうか。
……自主退職してくれ、とか?
いかん、泣きそうだ。
「実は相談したいことがあるのです。これは、あなたにしか頼めないことで、かつ私の成すべき業務の効率に関することです。私はなるべくならこのような問題を私個人で解決したいと思っています。しかし、そうとはいかない問題も多々あるのです。それを全て一人で解決しようとすることは驕りに他なりません。第一に私のような立場の人間がこのようなことを軽々しく頼むことに対して若干の抵抗があることは否定しませんが、しかしながら私にはこれしか思いつきません。できれば心して聞いて欲しいのですが、私が途中で羞恥の念にかられて忘れてくださいというかもしれません。それは部下とはいえ呼んでおいて大変失礼にあたるのですが、どうかその時は決して理由を聞かずすぐさま忘却の彼方へ」
「ストップスト~ップ四季様。ご用件は何なのですか。
いつもの四季様らしくありません。ハッキリ要点をお願いします」
こんなに一本調子で喋れるんだ、四季様って。
ともかくラチが明かないので、恐れながら区切りを入れさせてもらった。
するとどうだ。みるみる四季様のお顔が彼岸花のように赤くなられた。
長口上をすることで堰き止めていた顔の血が一気に決壊したみたいだ。
それと挙動もおかしい。
急に頭を垂れたと思ったらこっちを見て、あたいと目が合った瞬間、あさっての方角に首を曲げられてしまう。
しばらくそんな所作を続けて、四季様はついに覚悟が決まったかのように小さく口を開いた。
「……てください」
「はい? 何ですって」
「ぎゅ、と……してくれませんか」
「すみません、もっと大きな声で」
「わっ、私のことを力強く抱きしめてください!」
――◇――
「あの後冷静になって、心臓が止まるかと思いました」
そう四季様は、あたいの腕の中でおっしゃる。
胸が湿ったように温かいのは、ピタッと密着しながらお話になるからだ。
あたいは座ったままだけど、体のバランス上四季様が立ったままでちょうど正面から抱擁できる。
四季様の体はどこもかしこもガラス細工みたいに細くて、ガサツなあたいは折ったりしないよう慎重に、丁寧に力をこめる。
「それはあたいのセリフです。いきなり大声で核心をグッサリ刺されて、平常心が吹き飛びました」
「それは、仕方なかったのです。あの時は、私も激しく動揺していました。
なるべく平静を装っていたのですが、成程客観的に見ると衝撃ですね」
そんな理知的な言葉を紡ぎながら、四季様は靴を脱いでソファーの背もたれ近くに膝を落とす。
どうやらお腹の辺りに空いたスペースを埋めたかったようだ。
こうすると真っ先に視線を奪われるのは、四季様の手入れされた白い肌だ。
四季様の透き通るような象牙色のキメ細かい柔肌は、深窓の姫君を連想させる。
ペロッと舐めたら、甘い味とかしそうだな……じゅる。
対するあたいは日に焼け、手入れなんかは自然の成り行きに任せる放任主義な肌だ。外勤で鍛えられた豪快な表皮だろう。うりうりぃ。
でも2人寄り添うと見事なコントラストになってしまい、四季様がちょっぴり羨ましい。
ちょっと前にそんなことをポツンと話したら、四季様は「私は小町の肌の方が健康的で魅力を感じますよ」とあっさり褒めてくださった。
その日の晩は、その言葉が延々頭をループして寝るのが大変だったなぁ。
あと、体の抱き心地。これがたまらない。
これくらいの体格の子供はぷにぷに丸っこい柔らかさだけど、四季様はしなやかで弾力がある。
食べ物に例えるのもアレなんだが、はんぺんとコンニャクの中間くらいで、指をむにゅんと跳ね返してくる。
その不思議で飽きない感覚がたまらなくて、つい楽器を弾くみたいに指を波打たせて堪能してしまう。
四季様はその度に「あっ」とか「ふうっ」って声を漏らして体をピクンと硬直なされる。
わかるかい? この殺あたい的な愛らしさと、ここで理性を保つ大変さが。
とにかくあたいと四季様はしばらくそうやって抱き合っていたが、四季様があたいのふとももの上でモゾモゾ移動する。
足を横にそろえて手はあたいの首にまわす、所謂お姫様抱っこを膝上で行っている形だ。
この体勢が四季様のお気に入りらしい。
もちろん、あたいも四季様の背中に腕をまわし、密着度合いを変えないようにする。
すると四季様は頭をスリスリと二の腕にこすり付けてこられる。
それに答えるようにあたいは四季様の後頭部を優しく撫でる。
四季様の髪の毛は絹糸のように柔らかで、清潔ないい匂いがする。ついでに「んふふ~」というしまりのない笑顔も頂戴した。
甘える仔猫と戯れるとこんな感じになるな、とつい想像してしまう。
黒い猫耳と尻尾を生やした四季様が、そのちっちゃな体を丸めてゴロゴロゴロ~とのどを鳴らす。
普段はつんけんして愛想がないけれど、構って欲しい時は上目づかいで「小町~、遊んで欲しいにゃ~」と袖口をつかんでおねだりする四季様。
……おぉう、鼻血が出そうだ。首筋を軽く叩いてごまかそう。
――◇――
四季様はこうして時々あたいに『抱かれる』ため、ここに呼び出す。
大抵は四季様のご都合が空いた時で、近頃は呼び出す日の間隔がやや狭まってきた。
誤解がある表現だが、断じてふしだらな行為はしていないし、あたいも四季様も逆衆道的な趣味はない。
ただきゅっと服越しに肌を重ねたり、今のように膝抱っこをしたり、子の熱を測る親のように額や頬をくっつけたりしているだけだ。
ひたすら無言で抱き合うこともあれば、他愛もない世間話をすることもある。
こうして互いの時間が許す限り体温を分かち合うだけの関係。
四季様は、それを望んだ。
「小町の体はいつも温かいですね」
「四季様こそ手先が冷え切っておいでですよ。ちゃんとご飯食べてますか?」
四季様の日本人形みたいに小さい白魚の様な手は、氷水に漬けたように冷たい。
あたいはさする様にして四季様の手を温める。
近頃は体重も軽くなったように思えるし、体には不釣合いな骨ばった棒状の硬い感触も目立つ。
「あら、私が健康管理ひとつできないと思っているのですか」
「あたいは部下として心配なんです。最近はまたお忙しくなられて、こうした時間も取りづらいのではありませんか」
む、と四季様の表情が強張る。
ようやく彼岸に送られる霊の数も落ち着きを見せたが、それでも閻魔様の激務に終わりはない。
特に急ごしらえの組織は、運営の諸々を四季様の様な真面目で忍耐強い、不平不満を言わない人員に甘えている節がある。
図体のでかい樹は、無数の縛られた細い添え木に寄りかかって立っているもんだ。
「やはり迷惑でしたか」
「そんなことは言ってません。あたいもこうしているのが、一番好きですから」
「……そうですか」
嘘を見破ることに長けた相手に嘘は言わない。だいたい嘘をつく道理がない。
そりゃ定期的に何度も呼び出しされては同僚の死神にアレコレ噂をされるけど、今更のことだから全然気にしちゃいない。
そんな思考が通じたのか、四季様は安心したようにあたいの鎖骨あたりに顔を寄せる。
が、それを二つの山に阻まれて、軽くジト目で見られてしまった。
……すみません、大きくて。
「それに迷惑なら丁重にお断りしていますよ。最初の頃、こちこちに固まった四季様を抱きすくめる前に、です」
「う……だからあれはまだ葛藤が続いていたからで」
「でも、そんな初々しい四季様も可愛らしかったですよ」
「かっ、可愛いなんてそんな。あま、あまり人をからかわないでください」
わたわたと何故か慌てる四季様。セリフを噛む四季様も可愛いなぁ。
あたいはニヤニヤしながら、四季様の背中をぽんぽんと赤ん坊をあやすように軽く叩く。
これを初めてやった時は、子供扱いしないでください、と唇をとがらせて文句をおっしゃられたが、今はこれをしないと肩を揺らして催促してこられるのだ。
――◇――
四季様がこんな願望を持つようになったきっかけは定かではないらしい。
ただあたいはご機嫌取りのために肩をお揉みしたり、酔った四季様を介抱しおんぶして家まで送ってさしあげたり、とにかく四季様と触れ合う機会が案外多い。
そして四季様はあたいと触れ合う度に、胸の辺りがモヤモヤしていたそうだ。
触れていたところがじんわり熱い。かと思えば、パッと離れた途端耐え難い程の寒さ、寂しさを感じる。
もっと小町と触れ合っていたい。気が付いたら四季様はそんなことばかり考えるようになっていた。
でも四季様はそういう感情の制御をよく知らなくて、これは恥ずべき情欲でよろしくない、と胸の奥底に抑え込んだ。
けど、それは逆効果だった。その欲求はますます心の中で増大して、一日中ポーっとしていることもあったらしい。
結果、仕事に身が入らなくなられた。四季様は大層悩んで悩んで悩みぬいて、ついにあたいに相談してみようと決心した。
でも、ありったけの自制をかき集めて執務室であたいと向き合った瞬間、胸の高鳴りが一気にのど元までせり上がってきたそうだ。
それが件の情緒不安定な呼び出しと、感情の発露となった顛末だ。
あたいはとにかく驚いた。
良く言えば品行方正、悪く言えば堅物の四季様がこのような願望を心に秘めているなんて考えもしなかった。
だからしばらく放心して黙っていたら、落ち着きを取り戻した四季様が突然顔色を一変させてボロボロと涙をこぼされた。
何事かと思ったが、理由はその泣き顔を見て悟った。
色濃く出ていたのは、焦燥と怯え。
言ってしまった。やっぱりあきれられてる。嫌われてしまう。
どうしよう どうしよう どうしよう……
言葉はいらなかった。
あたいはすぐさま四季様をギュッと、これでもかと抱きしめる。
腕を、胸を、お腹を、体全体を通してあたいの心が伝われと念じた。
四季様も最初は何が起きているかわからないようだった。
でもあたいの服の首元がしっとりしてきた頃、すん、と洟をすすった音が聞こえて、ゆっくりと四季様の腕が背中に絡みつく。
そこで小さく、ほぅ、と息をつかれて体重をあたいに委ねてこられた。
普段颯爽として大人びている四季様は、見た目よりもずっとずっと小柄なお人だった。
あたいはぎゅっと服の背中を握り締める四季様を間近に感じて、そう思った。
――◇――
「ようやくですよ」
あたいは、あたいの膝を枕にソファーへ寝そべる四季様に話しかける。
冠と悔悟の棒は、邪魔になったり力いっぱい挟まれて壊れたりしないよう目の前のテーブルに安置されている。
権威を脱ぎ捨て、あたいの問いかけに少し首をかしげて反応するそのお姿は、まるっきり普通の少女と大差なかった。
「四季様がようやく肩の力を抜いてリラックスなされるようになった、ってことです」
「……そうですか?」
「そうですよ。初めて抱っこした時なんか、木偶を抱いているのかと思うくらい体が強張ってました」
「緊張していたのはお互い様でしょう。小町も体から伝わる鼓動が早鐘の様でした」
「それは……しょうがないんです。今でもたまにドキッとしますし……」
そこまで言って、あたい達は恋仲でもないのにとんでもないこと喋っているなと気づき、気まずくなって目を逸らす。
そう、あたい達は恋人同士ではない。家族でもない。友人とも違う。
上司と部下。その線引きを間違えちゃいけない。
だから余計な誤解を生まないよう人払いの完了した執務室でこっそりと、なのだ。
そして四季様は、この時間以外はまったく平素通りに接してこられる。
それこそ素っ気ないと物足りなさを感じるくらいだ。
こんな調子では、モヤモヤするのはあたいだって同じ。
四季様はあたいと抱き合うことくらい、どうとも思っていないのだろうか。
もしかして、こんな中途半端な関係は、白黒はっきりつけたがる四季様の感性に合わないのかもしれない。
「四季様、あたいのことどう思ってます?」
つい口を滑らす様に尋ねてしまった。
しまった、と焦ったけど四季様は「んー」と考え込む。
すると、あたいをまたぐ様にソファーへ膝立ちの体勢となって、あたいの顔を真っ直ぐ至近距離で見られた。
そしてこう例えられる。
「充電器、ですかね」
「じゅ、充電器?」
一応知ってはいる。
たまに中有の道の屋台で遊んでいる河童が持っている小型機械が、たしか充電器とやらで動力を蓄えて動かしているらしい。つまり
「……あたいは機械仕掛けの回路まみれってことですかい」
「何でそうなるのですか。隠喩法の言葉を額面通りに受け取らないでください。
小町が私に力を充填してくれる、という意味です」
「えっ、あたい四季様にご飯なんてお作りしましたっけ?」
「ああもう、どうして貴方はこうも朴念仁なのですか」
むぐ、何か怒られた。というか呆れられた。
でも、ぷーっと頬をリスみたいに膨らます四季様も大変可愛いくて、あたいの口元も緩む。
そんなしまりのない顔が気に障ったのか、四季様があたいのほっぺを両手でぐにぐにと餅をこねる様に弄ばれる。
「ひゃい!? ひきしゃま、らめてふだしゃい」
「まったく。小町にはデリカシーが無い。そーれ、断罪断罪」
「にゃにゅにぇにぇー!」
途中から四季様はあたいの顔を伸び縮みさせるが楽しくなってきたのか、しばらく嗜虐心に火が付いた様にいじり続けた。
「ふぅ、でもどうしてですかね。小町と一緒に過ごしていると、とても癒されます」
ふと、四季様はあたいのほっぺを弄るのではなく撫でながら、そうしんみりとした声音で独り言の様におっしゃった。
「私は時折霊を、人を裁くやるせなさを感じてしまいます。
一向に減らない罪人。効果の上がらない訓告。形式的な制度。
私は無駄なこと、間違ったことをしているのでしょうか?
そんな呪いの言葉がまるで真っ黒な染みみたいに脳へ広がって、どんなに振り払おうとしてもまとわりついてきます。
笑えますよね。死神と獄卒を統べる長は、こういう思惑ひとつで精神がざわつくのです」
四季様は自嘲気味に笑われた。
四季様は融通の利かないお人だ。とても真っ直ぐで、自分に嘘がつけない。
だから罪を決定する責任も、地獄に引っ立てられる霊共の怨嗟、悲哀、そして諦観のこもった眼も、全て我が身一人で受け止める。
自分が泣きたいのを封じて心が悲鳴をあげ、冷徹になろうと努めて魂が疲弊する。
それでも組織は四季様が必要で、四季様もこれが務めですと華奢な体をピンと伸ばして死者と対峙する。
大樹は無数の添え木に寄りかかる。
じゃあ、その添え木はポッキリ折れる前に何に寄りかかればいい?
あたいは四季様を抱き寄せた。
できるだけ隙間がないように、目尻の涙を見せなくて済むように肩に頭を乗せる。
急に四季様が、そうしないと壊れそうなくらい儚げに思えた。
「……小町、貴方は少し優しすぎる。でも、だからでしょうか。
小町を見ていると、私の中で荒れる心が凪いでいきます。小町と話をすると、心に澱の様に積もった嫌な塊が溶けて流れ出していきます。
そして、小町に抱っこしてもらうと、懸念が抜けて空っぽになった心がとても温かいもので満たされるのですよ」
そう耳元でおっしゃる四季様。
吐息がとても熱くて、痺れた様にくすぐったかった。
「小町。貴方は私の充電器。また明日から職務にまっさらな気持ちで励むためのエネルギーを与えてくれる存在。
小町がどう感じているかわかりませんが、私は小町を頼りにしているつもりですよ。
それとも、こんな関係はやはり気に入りませんか?」
つ、と離れてあたいの両目をじっと見つめる四季様。
その相貌は切なげに揺れていて、でも期待しているのかキラキラと輝いていた。
……もう、ずるいです。
「あたいは、四季様の充電器がいいです。いや、四季様を攻撃から庇う盾でも、糾弾を代わりに浴びる傘でもいい。
あたいは四季様が心身共に健やかにおすごしくださるのが本望です。
そのためなら、あたいは三途の川の水を全部飲み干すことだって厭いません」
「それは、いくら何でも不可能でしょう」
「例えです。隠喩法ですよ」
あたいはケラケラと笑ってみせる。それにつられたのか、四季様も無邪気に微笑まれる。
うん、やっぱり四季様はそのお顔が一番似合ってらっしゃいます。
――◇――
「小町、今日もありがとうございました」
「いーえ、いつでもどうぞ。何だったら一日中でも」
「それとこれとは別です」
うーん、やっぱりいつもの四季様だ。
凛々しくて威厳があって、公私の切り替えが早い。
でも、冠を被り悔悟の棒を構えた四季様の雰囲気は晴れやかで、その装備の重さも苦になられていないご様子だった。
さて、上司のご機嫌が良いことだし、あたいも思う所を洗いざらい言ってみようという気になった。
あたいは最後に見送ろうと立ち上がる四季様の両肩をつかみ、真面目な顔で大事なことを伝える。
「四季様、貴方は間違っていません。無駄なことでもありません。全世界の与太郎共が四季様を否定しても、あたいが肯定します。
だから、さっきみたいな悲しいことはもう言わないでください。
それでも憂鬱になったら、いつでもあたいを呼んでください。四季様がご満足されるまで存分に抱きしめて差し上げます。
だから、その……これからも、ずっと傍に置いてください。
あ、あたいも、こういう関係は嫌いじゃない、と言うかかなり好きと言うか……」
あああ、もう! 舌が全然回らない。
顔は熱いし、心臓が口から出そうなくらい暴れている。さっきから呆けた表情で見られる四季様と目も合わせられない。
四季様も初めはこんな気持ちであたいに頼みをしたんだ。
よく耐えられたなぁ、としみじみ感じ入る。けど、言い終わると達成感からくる安堵と言っていいのか、とにかく満更悪い気分じゃない。
だけど、四季様の表情筋は微動だにしない。
あちゃ、線引きを誤ったのかな……
「すみません、部下なのに差し出がましいことを……」
あたいは素直に反省の意をこめて頭を下げる。
それでも返事はない。
むすっとした不興顔を想像しておそるおそる頭を上げる。
「小町、あなたに部下という表現は不適切です」
あたいの立っている地面が崩壊して無くなった方がマシな程、ズタズタに傷つくその発言。
でもあたいは、胸の繊細な部分を矢で射抜かれたらしい。
「小町は、私の最高のパートナーですよ」
目を細めて、はにかむ様に満面の笑みを見せ付けながら、ハッキリとストレートにおっしゃるのだから敵わない。
あたいは死神なのに天にも召されそうなほど呼吸が苦しくて、ほとんど無意識に四季様をソファーに押し倒してしまう。
「あっ!? な、何をするのです小町! ってあっ、やっ……
はぁ、あ……ダメ。……こんな所で、あっ……やあぁ……ダメなの……
あぁぁ、らめらからぁ……
って何やらせとんのじゃこの怠慢船頭はあぁぁ!!!」
結局お手元の棒で3発殴られて、執務室から叩き出されてしまったのだった。
……前後不覚になって、すいません。
――◇――
明くる日も、あたいは舟の上にいなかった。
まさか、こんなに早くお呼び出しがかかるとはね。
ほんの1日前の出来事が頭をよぎり、かなり気まずい。
今度こそお説教だな、と覚悟を完了して扉を開ける。
目の前には腕を組んで直立不動。背景にゴゴゴという効果音を貼り付けた四季様が控えてらっしゃる。
「小町」
「……はい、四季様」
あ~あ、この時間もお終いかぁ。
あたいも四季様の温もりを直に感じて、すごく気持ち良かったし、大切なひと時になっていたんだけど仕方ない。
せめて、もうちょっと味わうように触れ合っていたらよかった……
「小町。
き、昨日はその、ごめんなさい。
あの、突然だったからびっくりして、その……怒っていませんか?
あれから嫌われたのかな、って思ったら、だんだん視界が滲んで仕事にならなくて……
それで急に呼び出してしまったのですが、その……ま、また私を慰めてくれますか?」
大丈夫、もうちょっと続くみたいだ。
ほらほら四季様泣かないで。今日もたっぷり可愛がってあげますから。
そんな、あたいと四季様の秘密のカンケイ。
【終】
どう考えても恋人同士です。本当に(ry)
素敵な甘さのお話、ごちそうさまでした。
これでまた明日から頑張れます。
甘さと温かさにとても癒されました。幸せ。
これで微糖なら作者が本気の甘甘話を書いたら…
俺は…名前の通りになって…しま…う…
(返事が無い。ただの砂糖の塊のようだ)
さぁ、猫耳カチューシャ+猫しっぽ装備のえーき様で糖分増量の続編を書く作業に戻るんだ!
それなら作者が本気甘々を書いたら俺のランゲルハンス島は爆発するな。
ぜひ爆発したいです。
あそ~れ、断罪断罪~
いやお話はおもしろいけどね?なんか明らかにだんだん慣れていって
る様な気がする・・ お嬢様
筆フル回転でいちょいちょフルオープンですわ。多糖話も見てみたいと
思う今日この頃です。 冥途蝶
う・・ぅおおぅぅ・・ 超門番
奇声を発する程度の能力様
それが四季様の本当のお姿なんじゃないかな~、と私は思うのです。
ワレモノ中尉様
いえいえ、2人は上司と部下。ただちょっとビジネスライクより上目の関係、を表現しようとしたらこうなりました。
10番様
なんと、毛穴から……えーと、お大事に。
11番様
ええ、彼女はいい人です。私の理想です(カミングアウト)
14番様
それは素晴らしい。私も嬉しいです。
15番様
私はそのお言葉で、明日からまた頑張れます!
18番様
お褒めのお言葉、ありがとうございます。幸せ。
19番様
それではお口直しにミルクセーキはいかがでしょう? ……え、ダメ?
クリスマスケーキの上のサンタさんになりそうな人様
た、大変だ。迂闊に甘い話書けないぞ……。ってあれ、もう砂糖になられている。なら遠慮なく――(オイ)
名前を忘れた程度の能力様
私も作業したい! しかし、血液がカルピスの原液になりそうだ……
23番様
爆発しちゃらめえぇぇぇ!!
24番様
そんな、あっしはまだまだ未熟者でござんす。
27番様
へえ、甘さは飲むヨーグルトといった所でござんす。
32番様
私もまぜて! もういっちょ、断罪断罪~
34番様
四季様の肌、美味しッ! ……失敬、取り乱しました。
35番様
2人の歯車が気持ち良いくらいぴったりはまっている。そんなこまえーき最高!
お嬢様・冥途蝶・超門番様
四季様が心の鎧を脱ぐのはなかなか大変。だけど、小町の前だと一人の少女に戻ってしまう。
そこの恥じらいといいますか、微妙な距離感を演出したかったのです。
まぁ、当初の目的はイチャラブしまくるこまえーきをひたすら書きたいだったんですけどね(台無し)
45番様
ええ、また妄想が満タンになったら書きます。気長にお待ちいただけると幸いです。
46番様
大柄な女性は懐も広いイメージです。そりゃ四季様も首ったけになりますよ(表現古い)
50番様
どういたしまして。ミルクココアもいかがですか? ……え、ダメ?
ケーキは一人でホールを食う、甘いもの大好きがま口でした。
最上級の褒め言葉、誠にありがとうございます。
ご感想ありがとうございます。こまえーきは私のアブソリュートジャッチメント。
ありがとうございます。ええですなぁ。
がま口先生の次回作に期待してますwwwww
こちらこそ、ご感想ありがとうございます。
投稿はこれからもゆるゆると続けていく所存ですので、どうぞよろしくお願いします。
映姫様可愛すぎる!
こんな初期の作品に、ご感想ありがとうございます。
創想話に投稿し始めだった頃の作品だけに甘さの感覚がつかめず「……これくらいなら微糖かな」と思ってタグに書き込んだ次第です。
しかし改めて読み直してみると、当時の私は相当な甘党だったのかと思うほどスイートな作品でしたね(汗)