何にも無い殺風景な部屋で畳の上に座った輝夜様が麗らかな声を響かせた。
「それじゃあ、そろそろ読み始めるわよ」
輝夜様が膝の上に準備していた本を広げると、周りに座るイナバ達が嬉しそうに姿勢を前かがみにする。輝夜様の日課となった朗読会が始まる。
「今日の本はこれ。みんな読める?」
一月程前から、輝夜様は子供のイナバ達に子供向けの本を読まれる様になった。どうして急にそんな事をし始めたのか、私には知り得ぬ事だけれど、お話を聞く子供達は実に楽しそうだし、笑顔の子供達に囲まれた輝夜様は実に嬉しそうだ。言葉を覚え始めた小さなイナバ達が拙い言葉で輝夜様と話しているのも愛らしく、それに応える輝夜様には無辺の母性を感じる。私はそれを傍から見ているのが好きだ。穏やかな時間の流れる幸せな空間が心を温める。
「そう。読めた子は偉いわね。今日のご本はじゅんれんぽるの。それじゃあ読むわよ」
輝夜様が小さくを息を止めて溜めを作ると、喋り合っていた子供達は一瞬の内に静まり返って部屋の中が微かな緊張に包まれる。時が凍り付き永遠に浸された様な須臾の間を置いて、輝夜様の軽妙な読み声が流れてくる。その場に居る誰もが物語に引きこまれていく。
輝夜様が語るのはとある学校での話。サッカー部に所属し将来を有望視されている主人公と、元エースで怪我によって夢破れた先輩の話。子供達は学校というものがどういうものか分からずしきりに質問を繰り返し、輝夜様はそれに一つ一つ丁寧に答えていく。物語と質問が交互に繰り返されながら、やがて二人の関係は進んでいき、部室に残る主人公を先輩が押し倒した。
「や、止めて下さい!」
「誘っておいてそんな気が無いとは言わせないぜ」
「別に誘ってなんか」
輝夜様が声音を使い分けて、二人の人物に息を吹き込む様に迫真の演技を交えながら、読み進めていく。二人がそっと口を近づけていく。子供達に何読んでるんだ、この人。
「あの、輝夜様」
私が声を掛けても、演技にのめり込んだ輝夜様は気が付かない様子で、少しずつ唇を近づけていく二人を濃密に描写している。子供達に向けて。
輝夜様の頭が本気で心配になった。
「輝夜様! ちょっと読むのを止めて下さい!」
私が立ち上がると、皆の目が私に向いた。皆、あどけない不思議そうな目で私を見つめてくる。こんな子達に汚れた話を聞かせてはいけない。
「どうしたの、鈴仙?」
「どうしたのじゃありません! ちょっとこっちに来て下さい」
輝夜様は怪訝そうな顔をしていたが、私が部屋の外に出て手招きすると、辺りの子供達に待っててねと言って、本を置いて外に出てきた。私は輝夜様を連れて、子供達に声が聞こえない場所まで歩いてから振り返り怒鳴る。
「どうしてあんな話を読んでるんですか!」
「え? あんなって?」
「子供に聞かせる様な話じゃないでしょ!」
「そうかしら? ああいう話こそ子供に聞かせるべきだと思うけれど」
阿呆か! と怒鳴りたくなるのをこらえる。何だか目眩がした。
「ああいうのは子供の教育に良くありません」
輝夜様が幾分考える様な表情になったので、もしかして分かってくれたのかと期待したが、やっぱり分かってくれなかった。
「確かに言わんとする事は分かるけれど、デフォルメされている訳だし。それに子供向けの話ってああいうの多いじゃない?」
何がデフォルメだ。キスの実況までしようとしていた癖に。それに私は知っている。あの後の展開はもっともっと過激になるのだと。
「あんなの読んだ事ありません!」
私がぴしゃりと言い放つと、輝夜様は落胆した様子で俯いたのに向けて、私は追い打ちをかける様に言った。
「良いですか。あのお話は駄目ですからね! 読むなら別の話を」
「でも他の話は練習していないし」
輝夜様が俯きながら沈んだ声を出すので、私は胸を引き裂かれる思いだったけれど、子供達の未来の為に心を鬼にする。
「なら今日のお話の会は中止です。みんなは家に帰します!」
「そんな!」
縋りついてくる輝夜様を無視して、子供達の待つ部屋に戻ると、皆が期待の籠もった眼差しを向けてきた。また酷い罪悪感を感じたけれど、私は子供達に向かって言った。
「今日のお話の会は中止」
子供達が悲鳴に似た抗議の声を上げてくる。
「輝夜様は今日これ以上、読めないみたいなの。残念だけど、今日はお家に帰りましょう」
「嘘だ! 輝夜様元気そうじゃないか!」
子供の一人が輝夜様を指さしてそう叫ぶと、他の子供達も同調して叫びだす。私は何とか言い訳を重ねて辛抱強く子供達を説得していき、結局朗読会はお開きとなった。帰る子供達が私の事をきつく憎む様に睨んでくるのが辛かった。輝夜様は明日の練習をすると言って、朗読を行った部屋に篭ってしまい、夕飯の時になっても現れなかった。
深夜になって眠りについていた私はふと目が冴えた。深々と影の降りた暗闇に夜鳥の物淋しい声が聞こえている。部屋の外に出ると空には小望月が浮かんでいて、竹林を昼間の様に照らしている。いつもより夜鳥の声が速く高い。まるで狂っているかの様に。輝夜様もそうなのだろうかと思った。満月よりも狂おしい十四夜だから、輝夜様はおかしくなってしまったのだろうか。夜鳥の鳴き声に混じって、微かな声音が聞こえてくる。誰の声だろうと、声音に導かれる様に歩いて行くと、声音は段々と良く聞こえる様になり、外では夜鳥が鳴いていて、床を踏みしむ音が交じり合って、何だか思考がとろけ落ちる様な不思議な気分になった。
曲がり角を曲がると、朗読会を行なっていた部屋が見えて、声はどうやらそこから聞こえてくる様だった。誰かと誰かが話し合っている様な声は間違いなく輝夜様のものだ。近付こうとすると、声が止まる。驚いて立ち止まると、襖が開き輝夜様が出てきて、私に気が付いた。
「あら、どうしたの? こんな遅くに」
「輝夜様こそ」
「私はちょっと練習してただけよ。明日のお話し会のね」
もしかしてこんな遅くまで、ずっとずっと練習していたんだろうか。それだけ朗読会を大事になさっているのだろうか。
今日の朗読会を潰してしまった事に更なる罪悪感が湧いた。
でもあれは間違った事じゃない。自分は正しい事をしたんだ。
「輝夜様、明日はあんな話読まないで下さいね」
輝夜様は微笑みを浮かべた。
「分かったわよ。あんまり刺激の無い話にするから安心なさい」
嘘を言っている様には見えなかった。
良かった。私の思いが伝わったんだ。
輝夜は微笑みを残したまま、もう遅いんだから早く寝なさいと言って、去って行った。
部屋の中を覗くと、相変わらず殺風景な部屋だったが、真ん中辺りに何冊かの本が積まれていた。輝夜様が練習していた本だろう。何日か前に、家の中にある本はもうみんな読んでしまったからと、私も付いて行って、子供用の絵本や童話を十冊も二十冊も買って帰った。子供達に読み聞かせるんだと張り切るうれしそうな輝夜の顔を思い出し、和やかな気分になる。
さて寝ようと、自分の部屋に戻ろうとして何だか嫌な予感がした。
本当にこの積まれた本は、輝夜様と私で買った本だろうか。
まさかと思う。まさかこれが全部いかがわしい本だなんて事は無いと思う。けれど昼の輝夜様を思い出すと否定する事が出来ない。でも、まさかそんな事。きっと違うだろうと信じている。信じています輝夜様。
念じながら、積まれた本の表紙を見ると、寝転がった男性とそれに圧し掛かる男性が描かれていた。
「信じた私が馬鹿だった!」
思わず手にとって引き裂くと、その下にまた同じ様な本。何だか自制がきかなくなって、それも手に取り引き裂くと、下には更にもう一冊。一冊一冊破りながら次へ次へ積まれた本を確認し確認次第破っていく。結局全部そういう本だったと分かった時には、全てがばらばらの紙くずになって辺りに雪の様に散っていた。
何だかどっと疲れが来て、私は部屋を出て、自室へ戻る事にした。外には相変わらず綺麗な小望月が爛々と下界を照らし、その光を浴びている内に何だか体中が真っ白に染まっていく様な気がした。体の中が白く染まると、やがては脳までが白に浸されて、全てがぼんやりとぼやけだし、まるで全てが夢の様に思えた。
夢だったんじゃないかと思う。今日の事が全部。輝夜様があんな本を読む訳が無い。春初の陽気に中てられた夢なのだろう。それはとても確からしい事だと思った。
翌朝、起きてみるとまだ体がふわふわとしていて、頭は茫洋と現実味が無かった。部屋の本棚を見ると、その中程がごっそりと抜かれてぽっかりと本の無い部分があるのを見て、突然に目が冴え不安がやってきた。不安は次第に大きくなって、居ても立ってもいられなくなり、私は朗読会の部屋へ向かった。あの朗読会も夜の事も全部夢だったんだろうと思うのだけれど、本当にそうなのか今一つ自信が無く、一秒経つ毎に不安が増大していく。
朗読会の部屋の襖が開いていた。昨日閉めなかっただろうか。嫌な予感が加速する。部屋に近づく毎にどんどんと不安が増していく。どうしてだろうと思う。どうして襖が開いているんだろう。昨日閉めなかっただろうか。覚えていない。けれど閉めた気がする。閉めた筈だ。
早足となる。部屋の中が見える。まるで雪でも降ったみたいに畳の上が白い。何故白いのか分からない。どうやら紙の様だった。畳中に千切れた紙くずが散らばっていた。心臓の鼓動が凄まじい勢いで胸を叩いてくる。急かされる私の精神がどんどんと不安に苛まれていく。
何故こんなにも心が張り裂けそうなのか自分でも分からない。ただその部屋はとても嫌な何かがわだかまっていて、放っておけば自分が酷く嫌な目に遭う事が何となく分かっていた。
部屋の中に入って屈みこむ。昨日の夢を思い出す。昨日自分はこの部屋で何をした。本を破いた。ここにあった本をびりびりに破いて紙吹雪にした。輝夜様の読んでいた本を。
けれどと、自分の心の中で自分が反論した。けれどそこにあった本は悪い本だった。捨てられて当然の悪い本がそこにあったから、破いたのだ。自分は正しい。叱られる謂われはない。そう考えると、ふつふつと苛立ちが湧いてくる。
こんな本を読もうとする輝夜様が悪いんだ。
そう思いながら、屈みこんで紙切れの一つを手に取ると、そこには可愛らしい絵柄の童話が書かれていた。理解が出来ずに一瞬思考が飛んだ。恐る恐る別の紙切れを拾い上げると、やはりそこには子供向けの童話が書かれている。昨日見た様な男性同士のいかがわしい本ではない。総毛立って辺りに散らばる紙切れを一切合切検めてみると、そのどれもが昨日の夢の中で見た様な本では無く、以前輝夜様と一緒に二人で買いに行った童話達だった。
思考が追いつかない。何が何だか分からない。分かるのは、今自分の周りに広がっているのが、子供達の為に買った本がびりびりに破かれているという、とてつもなく悲惨な状況だという事だけだ。誰かに今見られたら、この悲惨な状況を生み出した犯人は、間違いなく自分になる。
何とかしないと。そう思った時背後から声がやって来た。
「何しているの、鈴仙」
振り返ると、輝夜様が立っていた。
表情の抜け落ちた顔をしていた。
「輝、夜様」
「何しているの、鈴仙」
感情の抜け落ちた声音だった。
そこら中の桜が満開だった。風に枝が揺れて木々達が紅桃色の花弁を擦れ合わせて鳴動している。ひらひらりと桜の花弁が風に乗って舞い踊る。桜の花が風に合わせて規則正しく空を踊っている。花弁の舞踏会が私達を頭上に広がっている。
息を止めて空を見上げていると、輝夜様が静かに言った。
「桜の木の下には死体が埋まっているの」
「梶井基次郎ですか?」
「いいえ、本当の事よ」
「怖い話は止めて下さいよ」
輝夜が笑う。
「私の本を滅茶苦茶にしちゃった罰よ」
「うう、すみませんてば」
私は肩を落とし落ち込んで怯えている様に見せながらも、心の中では安堵していた。
輝夜様は怒っていない様だった。
私が輝夜様の本を破ってしまった事もすぐに許してくれた。私の所為でまた朗読会は中止になってしまったのに、輝夜様は怒らなかった。それどころか疲れているんだろうと、急遽私の為にお花見を催してくれた。何だか優しすぎて、怒りを溜めているんじゃないかと恐ろしかったけれど、今の輝夜様を見ると本当に怒っていない様だ。輝夜様の懐の深さに改めて心が感じた。
「でも本当よ。本当に桜の木の下には死体が埋まっているの。噂だと、白玉楼のお化け桜の下にも埋まっているんだって」
「だから怖い話は止めてくださいって! ただでさえ暗くて怖いのに!」
暗くて怖い?
何故?
今は宴の最中では無かったのだろうか。それなのに暗くて怖い? 空を見上げると満月が照っている。けれど桜の木々が邪魔をして、こちらへ届く月光は極わずかだ。こんな暗い中で私達は宴をやっていたんだろうか。良く見ればお花見だと言うのに私達は何も持っていない。お酒も食事も敷物も。たった二人で私達は何をやっている?
二人きり?
他の皆は?
辺りを見回すと、桜の木々が林立するだけで、私と輝夜様以外には誰も居ない。確か皆でお花見をしようという話だったのに。他の皆は何処だろう。
私が辺りを見回していると、突然背後から抱きしめられた。
「桜の木の下に埋まった死体見てみたくない?」
その言葉が耳朶を打った瞬間、甘美な電流が体を走った。輝夜様の言葉が私の脳をとろかそうとしている。聞いていては正気を失ってしまう気がした。だから耳を塞ぎたいのに、輝夜様に抱きしめられている所為で両腕が自由にならない。
「ねえ、見てみたくない」
輝夜様の意図が分かった気がした。
やっぱり輝夜様は怒っていた。許してなどいなかった。ずっと罰を考えていたんだ。きっと輝夜様は桜の木の下に死体が埋まっているという話を本当にしたいんだ。私を桜の木の下に埋めようと。
「輝夜様」
喉がひりついていて、上手く言葉が出てこない。皆は何処だ。どうして皆まだ来ていない。
「どうしたの、鈴仙? もしかして本気にしちゃった? やだ。冗談よ、冗談」
唐突に輝夜様が死体の事を否定し始めた事が引っかかる。どうして急に言葉を翻した? どうして他の皆はまだ来ない? 櫻の木の下には埋まっているのは? 一体、輝夜様は何を隠そうとしている?
突然地面に触れているのが恐ろしくなった。けれど輝夜様に抱きしめられている所為で立ち上がる事が出来ない。もしかして逃さない様に? どうして輝夜様は私を捕らえている? 他の皆が来れば逃げられるのに。他の皆は何処に居る? 輝夜様は桜の木の下に何が埋まっていると言った?
不意に輝夜様の拘束が解かれて私は自由になった。急いで桜の木の下を手で引っ掻いて掘ろうとするが、手だけでは硬い地面に微かな跡を残しただけで、掘り返すなんて土台無理だった。何か掘る道具を探さないといけない。
「鈴仙、何を探しているの?」
輝夜様が薄っすらと微笑んでいる。一帯を支配している女王の様だ。囚われの身になった気がして、もう逃げられそうになかった。
「残念ながらあなたの捜し物が埋まっているのはそこじゃないわ」
夢なら覚めてくれと私は思った。
「もう見つけるのは無理よ」
必死で覚めろ覚めろと願っているのに一向に夢は覚めない。
いつまでも覚めそうにない。
ずっと覚めない。
やがて師匠達がやって来て、あっという間に準備が整ってお花見が始まった。
皆が思い思いのグループを作り思い思いの場所で飲んで食べて騒いでいる。私は輝夜様と二人きりで一際大きな桜の木の下に居る。いつもであれば、皆競う様に輝夜様の下へ集まるはずなのに、どうしてか今日は誰もやって来ない。その代わり何だか視線を良く感じた。輝夜様を見ているのだろうが、近くに居る私とも目が合う事頻りだった。てゐが音楽を掛けると言って、サラサーテのツィゴイネルワイゼンを流し始めた。お花見には不似合いな曲だと思った。それに何だか曲とは全く別の、良く聞き取れない声が混じっていて、不気味だった。皆不評な様だったが、誰も代わりの曲は持っておらず、てゐに文句を言う事も出来ない様で、結局その曲が繰り返し繰り返し流された。
お酒が進む内に、私は妙な事に気が付いた。何故か皆が私に視線をくれる。輝夜様を見ているのだと思っていた視線が、実際は私の事を見ているらしかった。その証拠に、辺りを見回す度に誰かと目が合い逸らされる。勘違いの様には思えない。何だか言い知れない困惑を覚えて段々と気分が悪くなってきた。
「顔色が悪いわよ、鈴仙」
輝夜様が私の顔を間近で覗きこんできたので、慌てて仰け反ると、そのまま勢い余って地面に倒れて頭を打った。大丈夫? と心配そうな表情の輝夜様に助け起こされて、あっという間に体調が悪い事にされた私は永遠亭に戻る事になった。一人で帰ると言い張ったが、私が送ると輝夜様が言い張って聞かない。他の者達が代わりを申し出てもやはり輝夜様は首を縦に振らず、お花見を中止する事も許さなかった為、結局私は輝夜様と二人で帰る事になった。どうしてそんなに二人きりで居ようとするのか、不気味なものを感じたけれど、だからと言ってどうする事も出来ない。永遠亭へ帰る道中、輝夜様は妙に黙りこくってまるで話さないのが居心地悪かった。私が何か放さなければと辺りを見回すと、苔むした岩の影に隠れる様にして花が咲いているのが見えたので、
「あれは何の花でしょう」
と聞いてみた。けれど輝夜様は
「オダマキね」
と言ってまた黙ってしまった。それからも何度か話しかけてみたけれど、結局話は実らず、永遠亭に帰るまでほとんど無言で、やっぱり輝夜様は怒っているのかなと悲しい思いで一杯になった。ところが永遠亭に着くなり急に輝夜様が話しかけてきた。
「鈴仙、悪かったと思ってる」
「え?」
「あなたの大切な物を捨ててしまったのは本当に申し訳なく思ってる。永琳もきっとそう」
大切な物?
最近自分の物を捨てられた覚えなんて無い。一体何の事を言っているのかまるで分からない。輝夜様がじっと私の目を見つめてくる。私の言葉を待っている様だが何の事を言っているのだか分からないので何とも答え様が無い。戸惑っている内に、輝夜様が倦み疲れた様な溜息を吐いた。
「そう。あなたがあくまで許さないというのなら甘んじて受け入れるわ。時は不可逆だもの」
何だか深刻な様子に恐ろしくなる。このままでは取り返しの付かない事になる様な気がした。
「あの、すみません! 私、輝夜様が何の事を仰られているのか分からなくて」
すると輝夜様は妙に力の無い笑みを見せた。
「あなたがあくまでそういう態度であれば、私は何も言わない。言えない」
そう言って輝夜様は一人で家に上がり行ってしまった。私はそれを追いたかったけれど追えなかった。何が何だか分からない。自分が悪い様なのに、それを謝る事すら出来ない。やっぱり輝夜様の本を破ったのが尾を引いているのだろうか。あるいは別の何かなのだろうか。全然分からず、けれどそれが分からなければ、永遠に自分はこの奇妙な違和感に囚われたままの様な気がして思わず涙が流れ出た。夜鳥の声が物寂しく聞こえてくる。その向こうから微かなツィゴイネルワイゼンが聞こえてくる。空を見上げると満月が照っている。黄色い光に照らされて自分の体がどんどん白く脱色されていく様な気がして怖かった。
怖くて家の中に駆け込み、自室に戻るとそこにも月光が満ちていて、窓から入り込んだ月の光で青白く照らされ、妙にのっぺりとして、生気を感じられなかった。何だか全てが失われていく様な気がして恐ろしく、私は本棚のそこだけがごっそりと抜き取られた中段に頭を差し入れた。深々と冷えた木板に包み込まれるのが気持ち良く、目を閉じると夢の中に居る様な心地になった。
「それじゃあ、そろそろ読み始めるわよ」
輝夜様が膝の上に準備していた本を広げると、周りに座るイナバ達が嬉しそうに姿勢を前かがみにする。輝夜様の日課となった朗読会が始まる。
「今日の本はこれ。みんな読める?」
一月程前から、輝夜様は子供のイナバ達に子供向けの本を読まれる様になった。どうして急にそんな事をし始めたのか、私には知り得ぬ事だけれど、お話を聞く子供達は実に楽しそうだし、笑顔の子供達に囲まれた輝夜様は実に嬉しそうだ。言葉を覚え始めた小さなイナバ達が拙い言葉で輝夜様と話しているのも愛らしく、それに応える輝夜様には無辺の母性を感じる。私はそれを傍から見ているのが好きだ。穏やかな時間の流れる幸せな空間が心を温める。
「そう。読めた子は偉いわね。今日のご本はじゅんれんぽるの。それじゃあ読むわよ」
輝夜様が小さくを息を止めて溜めを作ると、喋り合っていた子供達は一瞬の内に静まり返って部屋の中が微かな緊張に包まれる。時が凍り付き永遠に浸された様な須臾の間を置いて、輝夜様の軽妙な読み声が流れてくる。その場に居る誰もが物語に引きこまれていく。
輝夜様が語るのはとある学校での話。サッカー部に所属し将来を有望視されている主人公と、元エースで怪我によって夢破れた先輩の話。子供達は学校というものがどういうものか分からずしきりに質問を繰り返し、輝夜様はそれに一つ一つ丁寧に答えていく。物語と質問が交互に繰り返されながら、やがて二人の関係は進んでいき、部室に残る主人公を先輩が押し倒した。
「や、止めて下さい!」
「誘っておいてそんな気が無いとは言わせないぜ」
「別に誘ってなんか」
輝夜様が声音を使い分けて、二人の人物に息を吹き込む様に迫真の演技を交えながら、読み進めていく。二人がそっと口を近づけていく。子供達に何読んでるんだ、この人。
「あの、輝夜様」
私が声を掛けても、演技にのめり込んだ輝夜様は気が付かない様子で、少しずつ唇を近づけていく二人を濃密に描写している。子供達に向けて。
輝夜様の頭が本気で心配になった。
「輝夜様! ちょっと読むのを止めて下さい!」
私が立ち上がると、皆の目が私に向いた。皆、あどけない不思議そうな目で私を見つめてくる。こんな子達に汚れた話を聞かせてはいけない。
「どうしたの、鈴仙?」
「どうしたのじゃありません! ちょっとこっちに来て下さい」
輝夜様は怪訝そうな顔をしていたが、私が部屋の外に出て手招きすると、辺りの子供達に待っててねと言って、本を置いて外に出てきた。私は輝夜様を連れて、子供達に声が聞こえない場所まで歩いてから振り返り怒鳴る。
「どうしてあんな話を読んでるんですか!」
「え? あんなって?」
「子供に聞かせる様な話じゃないでしょ!」
「そうかしら? ああいう話こそ子供に聞かせるべきだと思うけれど」
阿呆か! と怒鳴りたくなるのをこらえる。何だか目眩がした。
「ああいうのは子供の教育に良くありません」
輝夜様が幾分考える様な表情になったので、もしかして分かってくれたのかと期待したが、やっぱり分かってくれなかった。
「確かに言わんとする事は分かるけれど、デフォルメされている訳だし。それに子供向けの話ってああいうの多いじゃない?」
何がデフォルメだ。キスの実況までしようとしていた癖に。それに私は知っている。あの後の展開はもっともっと過激になるのだと。
「あんなの読んだ事ありません!」
私がぴしゃりと言い放つと、輝夜様は落胆した様子で俯いたのに向けて、私は追い打ちをかける様に言った。
「良いですか。あのお話は駄目ですからね! 読むなら別の話を」
「でも他の話は練習していないし」
輝夜様が俯きながら沈んだ声を出すので、私は胸を引き裂かれる思いだったけれど、子供達の未来の為に心を鬼にする。
「なら今日のお話の会は中止です。みんなは家に帰します!」
「そんな!」
縋りついてくる輝夜様を無視して、子供達の待つ部屋に戻ると、皆が期待の籠もった眼差しを向けてきた。また酷い罪悪感を感じたけれど、私は子供達に向かって言った。
「今日のお話の会は中止」
子供達が悲鳴に似た抗議の声を上げてくる。
「輝夜様は今日これ以上、読めないみたいなの。残念だけど、今日はお家に帰りましょう」
「嘘だ! 輝夜様元気そうじゃないか!」
子供の一人が輝夜様を指さしてそう叫ぶと、他の子供達も同調して叫びだす。私は何とか言い訳を重ねて辛抱強く子供達を説得していき、結局朗読会はお開きとなった。帰る子供達が私の事をきつく憎む様に睨んでくるのが辛かった。輝夜様は明日の練習をすると言って、朗読を行った部屋に篭ってしまい、夕飯の時になっても現れなかった。
深夜になって眠りについていた私はふと目が冴えた。深々と影の降りた暗闇に夜鳥の物淋しい声が聞こえている。部屋の外に出ると空には小望月が浮かんでいて、竹林を昼間の様に照らしている。いつもより夜鳥の声が速く高い。まるで狂っているかの様に。輝夜様もそうなのだろうかと思った。満月よりも狂おしい十四夜だから、輝夜様はおかしくなってしまったのだろうか。夜鳥の鳴き声に混じって、微かな声音が聞こえてくる。誰の声だろうと、声音に導かれる様に歩いて行くと、声音は段々と良く聞こえる様になり、外では夜鳥が鳴いていて、床を踏みしむ音が交じり合って、何だか思考がとろけ落ちる様な不思議な気分になった。
曲がり角を曲がると、朗読会を行なっていた部屋が見えて、声はどうやらそこから聞こえてくる様だった。誰かと誰かが話し合っている様な声は間違いなく輝夜様のものだ。近付こうとすると、声が止まる。驚いて立ち止まると、襖が開き輝夜様が出てきて、私に気が付いた。
「あら、どうしたの? こんな遅くに」
「輝夜様こそ」
「私はちょっと練習してただけよ。明日のお話し会のね」
もしかしてこんな遅くまで、ずっとずっと練習していたんだろうか。それだけ朗読会を大事になさっているのだろうか。
今日の朗読会を潰してしまった事に更なる罪悪感が湧いた。
でもあれは間違った事じゃない。自分は正しい事をしたんだ。
「輝夜様、明日はあんな話読まないで下さいね」
輝夜様は微笑みを浮かべた。
「分かったわよ。あんまり刺激の無い話にするから安心なさい」
嘘を言っている様には見えなかった。
良かった。私の思いが伝わったんだ。
輝夜は微笑みを残したまま、もう遅いんだから早く寝なさいと言って、去って行った。
部屋の中を覗くと、相変わらず殺風景な部屋だったが、真ん中辺りに何冊かの本が積まれていた。輝夜様が練習していた本だろう。何日か前に、家の中にある本はもうみんな読んでしまったからと、私も付いて行って、子供用の絵本や童話を十冊も二十冊も買って帰った。子供達に読み聞かせるんだと張り切るうれしそうな輝夜の顔を思い出し、和やかな気分になる。
さて寝ようと、自分の部屋に戻ろうとして何だか嫌な予感がした。
本当にこの積まれた本は、輝夜様と私で買った本だろうか。
まさかと思う。まさかこれが全部いかがわしい本だなんて事は無いと思う。けれど昼の輝夜様を思い出すと否定する事が出来ない。でも、まさかそんな事。きっと違うだろうと信じている。信じています輝夜様。
念じながら、積まれた本の表紙を見ると、寝転がった男性とそれに圧し掛かる男性が描かれていた。
「信じた私が馬鹿だった!」
思わず手にとって引き裂くと、その下にまた同じ様な本。何だか自制がきかなくなって、それも手に取り引き裂くと、下には更にもう一冊。一冊一冊破りながら次へ次へ積まれた本を確認し確認次第破っていく。結局全部そういう本だったと分かった時には、全てがばらばらの紙くずになって辺りに雪の様に散っていた。
何だかどっと疲れが来て、私は部屋を出て、自室へ戻る事にした。外には相変わらず綺麗な小望月が爛々と下界を照らし、その光を浴びている内に何だか体中が真っ白に染まっていく様な気がした。体の中が白く染まると、やがては脳までが白に浸されて、全てがぼんやりとぼやけだし、まるで全てが夢の様に思えた。
夢だったんじゃないかと思う。今日の事が全部。輝夜様があんな本を読む訳が無い。春初の陽気に中てられた夢なのだろう。それはとても確からしい事だと思った。
翌朝、起きてみるとまだ体がふわふわとしていて、頭は茫洋と現実味が無かった。部屋の本棚を見ると、その中程がごっそりと抜かれてぽっかりと本の無い部分があるのを見て、突然に目が冴え不安がやってきた。不安は次第に大きくなって、居ても立ってもいられなくなり、私は朗読会の部屋へ向かった。あの朗読会も夜の事も全部夢だったんだろうと思うのだけれど、本当にそうなのか今一つ自信が無く、一秒経つ毎に不安が増大していく。
朗読会の部屋の襖が開いていた。昨日閉めなかっただろうか。嫌な予感が加速する。部屋に近づく毎にどんどんと不安が増していく。どうしてだろうと思う。どうして襖が開いているんだろう。昨日閉めなかっただろうか。覚えていない。けれど閉めた気がする。閉めた筈だ。
早足となる。部屋の中が見える。まるで雪でも降ったみたいに畳の上が白い。何故白いのか分からない。どうやら紙の様だった。畳中に千切れた紙くずが散らばっていた。心臓の鼓動が凄まじい勢いで胸を叩いてくる。急かされる私の精神がどんどんと不安に苛まれていく。
何故こんなにも心が張り裂けそうなのか自分でも分からない。ただその部屋はとても嫌な何かがわだかまっていて、放っておけば自分が酷く嫌な目に遭う事が何となく分かっていた。
部屋の中に入って屈みこむ。昨日の夢を思い出す。昨日自分はこの部屋で何をした。本を破いた。ここにあった本をびりびりに破いて紙吹雪にした。輝夜様の読んでいた本を。
けれどと、自分の心の中で自分が反論した。けれどそこにあった本は悪い本だった。捨てられて当然の悪い本がそこにあったから、破いたのだ。自分は正しい。叱られる謂われはない。そう考えると、ふつふつと苛立ちが湧いてくる。
こんな本を読もうとする輝夜様が悪いんだ。
そう思いながら、屈みこんで紙切れの一つを手に取ると、そこには可愛らしい絵柄の童話が書かれていた。理解が出来ずに一瞬思考が飛んだ。恐る恐る別の紙切れを拾い上げると、やはりそこには子供向けの童話が書かれている。昨日見た様な男性同士のいかがわしい本ではない。総毛立って辺りに散らばる紙切れを一切合切検めてみると、そのどれもが昨日の夢の中で見た様な本では無く、以前輝夜様と一緒に二人で買いに行った童話達だった。
思考が追いつかない。何が何だか分からない。分かるのは、今自分の周りに広がっているのが、子供達の為に買った本がびりびりに破かれているという、とてつもなく悲惨な状況だという事だけだ。誰かに今見られたら、この悲惨な状況を生み出した犯人は、間違いなく自分になる。
何とかしないと。そう思った時背後から声がやって来た。
「何しているの、鈴仙」
振り返ると、輝夜様が立っていた。
表情の抜け落ちた顔をしていた。
「輝、夜様」
「何しているの、鈴仙」
感情の抜け落ちた声音だった。
そこら中の桜が満開だった。風に枝が揺れて木々達が紅桃色の花弁を擦れ合わせて鳴動している。ひらひらりと桜の花弁が風に乗って舞い踊る。桜の花が風に合わせて規則正しく空を踊っている。花弁の舞踏会が私達を頭上に広がっている。
息を止めて空を見上げていると、輝夜様が静かに言った。
「桜の木の下には死体が埋まっているの」
「梶井基次郎ですか?」
「いいえ、本当の事よ」
「怖い話は止めて下さいよ」
輝夜が笑う。
「私の本を滅茶苦茶にしちゃった罰よ」
「うう、すみませんてば」
私は肩を落とし落ち込んで怯えている様に見せながらも、心の中では安堵していた。
輝夜様は怒っていない様だった。
私が輝夜様の本を破ってしまった事もすぐに許してくれた。私の所為でまた朗読会は中止になってしまったのに、輝夜様は怒らなかった。それどころか疲れているんだろうと、急遽私の為にお花見を催してくれた。何だか優しすぎて、怒りを溜めているんじゃないかと恐ろしかったけれど、今の輝夜様を見ると本当に怒っていない様だ。輝夜様の懐の深さに改めて心が感じた。
「でも本当よ。本当に桜の木の下には死体が埋まっているの。噂だと、白玉楼のお化け桜の下にも埋まっているんだって」
「だから怖い話は止めてくださいって! ただでさえ暗くて怖いのに!」
暗くて怖い?
何故?
今は宴の最中では無かったのだろうか。それなのに暗くて怖い? 空を見上げると満月が照っている。けれど桜の木々が邪魔をして、こちらへ届く月光は極わずかだ。こんな暗い中で私達は宴をやっていたんだろうか。良く見ればお花見だと言うのに私達は何も持っていない。お酒も食事も敷物も。たった二人で私達は何をやっている?
二人きり?
他の皆は?
辺りを見回すと、桜の木々が林立するだけで、私と輝夜様以外には誰も居ない。確か皆でお花見をしようという話だったのに。他の皆は何処だろう。
私が辺りを見回していると、突然背後から抱きしめられた。
「桜の木の下に埋まった死体見てみたくない?」
その言葉が耳朶を打った瞬間、甘美な電流が体を走った。輝夜様の言葉が私の脳をとろかそうとしている。聞いていては正気を失ってしまう気がした。だから耳を塞ぎたいのに、輝夜様に抱きしめられている所為で両腕が自由にならない。
「ねえ、見てみたくない」
輝夜様の意図が分かった気がした。
やっぱり輝夜様は怒っていた。許してなどいなかった。ずっと罰を考えていたんだ。きっと輝夜様は桜の木の下に死体が埋まっているという話を本当にしたいんだ。私を桜の木の下に埋めようと。
「輝夜様」
喉がひりついていて、上手く言葉が出てこない。皆は何処だ。どうして皆まだ来ていない。
「どうしたの、鈴仙? もしかして本気にしちゃった? やだ。冗談よ、冗談」
唐突に輝夜様が死体の事を否定し始めた事が引っかかる。どうして急に言葉を翻した? どうして他の皆はまだ来ない? 櫻の木の下には埋まっているのは? 一体、輝夜様は何を隠そうとしている?
突然地面に触れているのが恐ろしくなった。けれど輝夜様に抱きしめられている所為で立ち上がる事が出来ない。もしかして逃さない様に? どうして輝夜様は私を捕らえている? 他の皆が来れば逃げられるのに。他の皆は何処に居る? 輝夜様は桜の木の下に何が埋まっていると言った?
不意に輝夜様の拘束が解かれて私は自由になった。急いで桜の木の下を手で引っ掻いて掘ろうとするが、手だけでは硬い地面に微かな跡を残しただけで、掘り返すなんて土台無理だった。何か掘る道具を探さないといけない。
「鈴仙、何を探しているの?」
輝夜様が薄っすらと微笑んでいる。一帯を支配している女王の様だ。囚われの身になった気がして、もう逃げられそうになかった。
「残念ながらあなたの捜し物が埋まっているのはそこじゃないわ」
夢なら覚めてくれと私は思った。
「もう見つけるのは無理よ」
必死で覚めろ覚めろと願っているのに一向に夢は覚めない。
いつまでも覚めそうにない。
ずっと覚めない。
やがて師匠達がやって来て、あっという間に準備が整ってお花見が始まった。
皆が思い思いのグループを作り思い思いの場所で飲んで食べて騒いでいる。私は輝夜様と二人きりで一際大きな桜の木の下に居る。いつもであれば、皆競う様に輝夜様の下へ集まるはずなのに、どうしてか今日は誰もやって来ない。その代わり何だか視線を良く感じた。輝夜様を見ているのだろうが、近くに居る私とも目が合う事頻りだった。てゐが音楽を掛けると言って、サラサーテのツィゴイネルワイゼンを流し始めた。お花見には不似合いな曲だと思った。それに何だか曲とは全く別の、良く聞き取れない声が混じっていて、不気味だった。皆不評な様だったが、誰も代わりの曲は持っておらず、てゐに文句を言う事も出来ない様で、結局その曲が繰り返し繰り返し流された。
お酒が進む内に、私は妙な事に気が付いた。何故か皆が私に視線をくれる。輝夜様を見ているのだと思っていた視線が、実際は私の事を見ているらしかった。その証拠に、辺りを見回す度に誰かと目が合い逸らされる。勘違いの様には思えない。何だか言い知れない困惑を覚えて段々と気分が悪くなってきた。
「顔色が悪いわよ、鈴仙」
輝夜様が私の顔を間近で覗きこんできたので、慌てて仰け反ると、そのまま勢い余って地面に倒れて頭を打った。大丈夫? と心配そうな表情の輝夜様に助け起こされて、あっという間に体調が悪い事にされた私は永遠亭に戻る事になった。一人で帰ると言い張ったが、私が送ると輝夜様が言い張って聞かない。他の者達が代わりを申し出てもやはり輝夜様は首を縦に振らず、お花見を中止する事も許さなかった為、結局私は輝夜様と二人で帰る事になった。どうしてそんなに二人きりで居ようとするのか、不気味なものを感じたけれど、だからと言ってどうする事も出来ない。永遠亭へ帰る道中、輝夜様は妙に黙りこくってまるで話さないのが居心地悪かった。私が何か放さなければと辺りを見回すと、苔むした岩の影に隠れる様にして花が咲いているのが見えたので、
「あれは何の花でしょう」
と聞いてみた。けれど輝夜様は
「オダマキね」
と言ってまた黙ってしまった。それからも何度か話しかけてみたけれど、結局話は実らず、永遠亭に帰るまでほとんど無言で、やっぱり輝夜様は怒っているのかなと悲しい思いで一杯になった。ところが永遠亭に着くなり急に輝夜様が話しかけてきた。
「鈴仙、悪かったと思ってる」
「え?」
「あなたの大切な物を捨ててしまったのは本当に申し訳なく思ってる。永琳もきっとそう」
大切な物?
最近自分の物を捨てられた覚えなんて無い。一体何の事を言っているのかまるで分からない。輝夜様がじっと私の目を見つめてくる。私の言葉を待っている様だが何の事を言っているのだか分からないので何とも答え様が無い。戸惑っている内に、輝夜様が倦み疲れた様な溜息を吐いた。
「そう。あなたがあくまで許さないというのなら甘んじて受け入れるわ。時は不可逆だもの」
何だか深刻な様子に恐ろしくなる。このままでは取り返しの付かない事になる様な気がした。
「あの、すみません! 私、輝夜様が何の事を仰られているのか分からなくて」
すると輝夜様は妙に力の無い笑みを見せた。
「あなたがあくまでそういう態度であれば、私は何も言わない。言えない」
そう言って輝夜様は一人で家に上がり行ってしまった。私はそれを追いたかったけれど追えなかった。何が何だか分からない。自分が悪い様なのに、それを謝る事すら出来ない。やっぱり輝夜様の本を破ったのが尾を引いているのだろうか。あるいは別の何かなのだろうか。全然分からず、けれどそれが分からなければ、永遠に自分はこの奇妙な違和感に囚われたままの様な気がして思わず涙が流れ出た。夜鳥の声が物寂しく聞こえてくる。その向こうから微かなツィゴイネルワイゼンが聞こえてくる。空を見上げると満月が照っている。黄色い光に照らされて自分の体がどんどん白く脱色されていく様な気がして怖かった。
怖くて家の中に駆け込み、自室に戻るとそこにも月光が満ちていて、窓から入り込んだ月の光で青白く照らされ、妙にのっぺりとして、生気を感じられなかった。何だか全てが失われていく様な気がして恐ろしく、私は本棚のそこだけがごっそりと抜き取られた中段に頭を差し入れた。深々と冷えた木板に包み込まれるのが気持ち良く、目を閉じると夢の中に居る様な心地になった。
己の国語力が低すぎて、
一体どうなってんだか…
解説して下さい…ヒント下さい
お宝が捨てられちまって、現実を認められず現実逃避、でも頭の中はBLでいっぱいで、童話が勝手に変換されてしまう。理不尽な怒りは物や子どもに向けられて、そして桜の木の下を掘り返すほどに往生際が悪い。なんていうかほとんど麻薬中毒者の反応というか・・・。
何が嫌かって客観的に見たときのうどんげのゲスっぷりです。
つまり、BL本マニアのうどんげの趣味を快く思わない姫と師匠が、彼女の秘蔵本棚を処分し、その衝撃で心のバランスを崩したうどんげは、求めるあまりに全ての書物がBL本に見える、のか。更にはそれら全てを忌まわしき記憶として忘却しており、無自覚に狂ってきている。周囲はそれを腫れ物に触るように……という感じですかね。
周囲からは価値を理解してもらえないお宝を捨てられてショックでおかしくなった話ってネットで良く観ますけど、趣味をもつものとして鈴仙に同情してしまうな。
輝夜たちは謝っても鈴仙はその罪を認識していないから許しようがない。
なんとも後味の悪いというか救いのない話ですね。解決のしようがない。
ほのぼのを書こうとしてこうなっちゃうってある意味才能ですね。
「何を言っているのか、何度聴いても分からないんだ」
ですね
泣けばいいのか笑えばいいのか。最後は幸せうさぎを彷彿と……。
ストーリーだけ見ればかろうじてほのぼのなのに叙述でやらかしてしまう作者さんが悪い。
理解できないって怖いですよね。
居心地が悪い筈なのにこの空気に浸っていたい奇妙な中毒性を自覚しました