Coolier - 新生・東方創想話

誰も一人で死んでいくけど、一人で生きていけない

2010/10/23 10:02:16
最終更新
サイズ
158.06KB
ページ数
1
閲覧数
2000
評価数
11/34
POINT
1810
Rate
10.49

分類タグ

1.
 風もなく穏やかな春の昼下がり、博麗神社ではその静安を打ち払うように、人妖問わずの花見の宴会が盛大に行われていた。
 例年、この時期の宴会は規模が大きいのだが、地底の開放や命蓮寺の建立など、新しい幻想郷の住人を交えたこともあり、宴は三日置きの百鬼夜行以来の盛り上がりを見せていた。
 そんな中、一人その喧噪を避けるようにして、桜並木の一角に腰を下ろしている少女がいた。少女は、宴の馬鹿騒ぎを聞き流しながら杯を傾けていた
 その少女――いや貴婦人と言っても差し支えない雰囲気を醸し出している彼女は、癖のある緑のショートボブを一つ掻き上げながら、どこか憂いのある視線を花々へ注いでいた。
 そこには、愛らしさと大人っぽさが同居しており、見る者にどこか危うい印象を与えていた。
 また、赤を基調とした彼女の装いは、野に咲く一輪の薔薇を思わせ、孤高と呼ぶにふさわしい気高さを強く感じさせるものだった。
 少女は名を風見幽香といった。幻想郷でも指折りの大妖の一人でもある。またの名を四季のフラワーマスターといい、花を愛し、花に愛される妖怪であった。
 こうして独りで飲んでいるが、幽香は決して宴自体を嫌っているわけではなかった。彼女とて幻想郷の住人である。お祭り騒ぎを好まないはずがないのだ。しかし、持って生まれた気質というのは、そう簡単に抑えられるものではない。和気藹々とした雰囲気の中で語らいながら飲むことは、彼女の性には合わなかった。
 そのため、このような宴の時には、自然と独りで一献を傾けながら、春酔を楽しむのが常であるのだった。
 それでも、普段は彼女の周りには、毒人形や蟲の女王、妖精達の姿が見られ、彼女の意に反してそれなりに賑やかになるのだが、今日はその傍らには誰もいなかった。
 だからと言って、幽香は特に感傷的になるでもなく、桜の森をぼんやりと眺めながら杯を傾けるのだった。
 幽香のいる場所は、少し小高くなっており、境内の桜並木が一望できた。それだけでなく、遠くには妖怪の山が見通され、まさに桜花爛漫たる幻想郷の春の眺めを見渡せるのだった。
 そのような光景を肴に、幽香は手酌で杯を傾け続けているのだった。麗らかな午後の陽射しが陰り、薄紅の花を茜色に染め上げていく光景は、ほんの僅かの間でも千金の価値があると言わざるを得なかった。
 目の前に広がる美しい春の景物のためか、それとも先程からの酒精のためであろうか、幽香の口の端からは、我知らず歌が零れ落ちていた。
「花ざかり梢にさそう風なくてのどかに散らす春にあはばや」
 そうして流れ出た言霊が、桜花を散らす風に乗って霧散していくのを眺めながら、幽香が再び杯に口を付けた時だった。
「へえ、意外だわ。あんたがそんな歌を歌うなんてね」
 不意に死角から声を掛けられて、思わず幽香は杯を落としてしまうところだった。夢現の中、心の赴くまま詠んだ歌だったので、よもや反応が返ってくるとは思っておらず、突然の闖入者に対して少なからず驚きを感じていたのだった。
 幽香が、そんな内心の動揺を悟られぬように振り返ると、そこには、春風に抱かれるようにして、紅白の花がゆらゆらと揺れていた。
 いや、それは花ではなかった。逆光を透かすようにして見返すと、そこには一人の少女が立っていた。
 白磁のようなすらりとした手足に、つややかな黒髪、そして印象的な腋の開いた巫女服を風にたなびかせている少女こそ、楽園の素敵な巫女こと博麗霊夢であった。
 呆れたような、それでいて慈しむような表情を浮かべながら、霊夢は幽香を見下ろしていた。

2.
 幽香は声を掛けられたことよりも、その場に霊夢がいたことに強く驚きを感じていた。だが、そんな様子はおくびにも出さずに、彼女は余裕たっぷりに悠然と霊夢を見つめ返した。
 その態度を幽香からの挑戦とでも受け取ったのか、霊夢の方も負けず劣らずの尊大な笑顔を浮かべると、幽香の正面に向き直るのだった。
 二人して無言のまま見つめ合うこと一刻、痺れを切らしたのだろう、先に口を開いたのは霊夢の方であった。
「何よ、その顔は。私がここにいちゃ悪いって言うの?」
「そうね、悪いわ」
「……!」
 あっさりとそう言いきられて、流石の霊夢も口ごもったのを一瞥すると、幽香は勝ち誇ったように微笑んだ。
「冗談よ。でも貴女がここにいると、あの婆だとか、鬼だとかが来てしまうからね」
 幽香が馬鹿にしたような声で軽口を叩くと、霊夢は若干ムッとしたような表情を浮かべた。
 しかし、彼女はすぐに気を取り直すと、幽香から酒瓶を引ったくった。そして、幽香が止める間もなく煽るようにして喇叭飲みをするのだった。
「……もったいない。あんまり酒の味が分からないような飲み方をするものではなくてよ」
 それなりに上等な日本酒だったこともあり、幽香が恨みがましい目をすると、霊夢はまるで返事をするかのように一つゲップを吐いた。そして、不快さを押し殺す幽香をよそに、悪びれもせず袖で口を拭うのだった。
「汚いわね」
「うるさいわよ。……それはそうと心配いらないわよ」
「何がよ?」
 全く気を遣わない霊夢の態度に、流石の幽香でさえ言葉の端々に棘を生やし始めていた。
 しかし、霊夢は全くそんなことに頓着した様子もなく言葉を続けた。
「紫達の話。だってついて来たら、二度と博麗神社の鳥居はくぐらせないから、って言ってきたから」
「は?」
 霊夢の言葉の意味が普通に理解できず、幽香は思わず間の抜けた返事を返していた。
「冗談よ」
 意趣返しのつもりだったのだろう。そう言った霊夢の顔には、不敵な笑みが浮かんでいた。
 その表情がとても癪に障ったが、何か嫌みを言ったところで、負け惜しみ臭くなるのが目に見えていたので、何事もなかったように、幽香は話題を変える事にした。
「ところで、そんなに私が詠んだ歌は意外だったかしら?」
「そうよ。だってあんただったら『花散らす風の宿りは誰か知る我に教へよ行きてうらみむ』って感じじゃない?」
 霊夢がさらりと詠んだ歌を聞き、初めて幽香は大きく表情を変えた。多分幽香にとって今日一番の驚きだっただろう。それほど霊夢の反応は意外なものだった。
「本当に今日は驚かされることばかりだわ。貴女から素性の歌を聞かされるなんてね。あの嫌らしい婆ならいざ知らず、まさか貴女がねえ」
 幽香は心底感心したように感嘆の言葉を漏らすと、惚けたように相貌を崩すのだった。
「あんたがどんな風に私を見ていたかよく分かったわ」
 霊夢はいかにも気分を害したと言わんばかりに、不機嫌そうな声を発したが、目は笑っていた。
 そして、それも仕方ないけどねと小さく呟きながら、肩を竦めるとボリボリと頭を掻いて、渋面を浮かべたのだった。

3.
「そのあたりは修行の時に叩き込まれたのよ、教養だ何だとね」
 さもうんざりしたような霊夢の口ぶりは、いかにその修行が彼女に合っていないかを物語っていた。
 しかし、そんな霊夢の苦労話を幽香は既に聞き流していた。顔は霊夢の方を向いてはいたが、既に霊夢の姿は幽香の瞳の中にはなかった。幽香の視線は、遠く博麗神社の境内の方に向いていたのだった。
 幽香は、しばらく黙然と博麗神社を透かすように見ていた。そして、傍目には分からない程度だったが、いぶかしげに眉をつり上げると、再び霊夢の方に視線を戻しながら声を掛けた。
「ところで、あそこで甲斐甲斐しく給仕をしている娘は誰かしら?」
 そう言いながら、幽香は再び博麗神社の方へ視線を戻した。その先には、宴席の中、熱心に酒を注いでまわる少女がいた。それは、霊夢と同じように腋の開いた巫女服を着た少女であった。
 先程から幽香が博麗神社の方を見ていたのは、この少女のことを観察するためだった。気が付けば幽香は、その少女の一挙手一投足から目を逸らすことが出来なくなっていたのだった。
「ん、早苗のこと?」
 そんな幽香の変化に気付いているのかいないのか、霊夢は脳天気に質問に答えていた。
「そう……、あの娘は早苗って言うのね」
 その呟きに、流石に霊夢も剣呑な気配を感じたのだろう、口を尖らせて幽香へ詰め寄った。
「ちょっとちょっと、妙なちょっかいを掛けるつもりだったらやめてよね。面倒ごとは御免被るわよ」
 さも面倒くさげに話す霊夢をよそに、幽香は心外だと言わんばかりに口を開いた。
「貴女こそ私をどういう眼で見てるのよ」
 幽香の質問に待ってましたとばかりに霊夢は答えた。
「ん、究極加虐生物。三度の飯より戦いが好きないじめっ子。座右の銘は、『先んじて撃て、しこたま撃て、すかさず撃て、背中から撃て、それから話をきいてやれ』って感じ? まだまだあるわよ――」  
 霊夢が幽香の特徴を論っていくうちに、幽香の表情はうんざりしたものになっていった。まさに、霊夢が語ったのは、ごく当たり前に広まっている幽香の悪評の数々であった。大なり小なり誇張したものばかりであったが、大体合っているだけに、否定する必要もなかったし、する気もなかった。
 そもそもそのような悪評を好んで立てさせたのは幽香自身なので、別に何の痛痒も感じることはなかった。ただ、そのまま受け入れるのは癪なので、幽香はわざとよよよと泣き崩れる真似をして見せるのだった。
「はいはい分かったわよ。私が悪うございました。……それにしても、どこの白い悪魔よ。本当に酷いわ、霊夢ったら。ただの花を愛する乙女を捕まえてそんなことを言うなんて――」
「おいコラ、色々言ってきたけど、その乙女ってのが一番酷いな。紫の少女並に酷い」
 そんな幽香の小芝居を遮って、霊夢は呆れたように嘆息するのだった。
「あの婆と一緒にしないでくれるかしら? まあ、いいわ。誰もあの娘を取って喰おうとは思ってないわよ。ただ、何となく……、そうそう、気になっただけなのよ。格好は似ているけれど、どこか貴女と違う雰囲気を覚えたから……。それと、乙女は嘘じゃないわよ……」
 いつになく覚束無い口ぶりでそう言った幽香の態度は、通常とは異なるものだった。

4.
 幽香の態度は、明らかに平素とは異なるものだった。傍目にはいつものように鷹揚な姿に見えるのだが、霊夢には会話の端々に違和感を覚えていた。
「幽香、あんたさ――」
「――ところで、あの早苗っていう娘はどんな子なの?」
 霊夢の疑問の声を遮るようにして、先に幽香の方から問い掛けてきた。霊夢はそんな態度が腑に落ちなかったが、幽香に促されて早苗の説明をすることにした。
「妖怪の山に新しい、と言ってもそれなりに前にだけど、神社が出来たじゃない」
「守矢神社だったかしら? では、あの娘はそこの巫女なのね」
「ん、早苗は巫女じゃないわよ」
 霊夢は納得するような幽香の呟きをすかさず否定した。
「あら、そう? でも貴女みたいなおめでたい衣装を着ているじゃない」
 幽香は、不思議そうな顔をしながら、霊夢の頭の先からつま先まで舐めるように眺めてからそう言った。
「どこかのお空じゃないんだから、見た目だけで判断しないでよ。えっと……、そうそう、確か風祝とか言ってたわね」
「烏? 風祝? なんなのそれは」
 聞き慣れない言葉に幽香は思わず鸚鵡返しに問い直していた。そんな反応がさも面倒くさいという態度で、頭を一つ掻きむしると言葉を続けた。
「あー、ごめん烏の方は忘れて。えっと、風祝の方だけど、私もよく知らないわよ。確か、現人神が何とかかんとか言ってたわね。まあ、それこそ直接聞きなさいよ」
 霊夢の言葉に幽香は納得したように頷いた。その態度からは、先程まで幽香が醸し出していた違和感を窺うことは出来なかった。だが、それでも霊夢には何か引っかかるものがあった。
「そうね、それは貴女の言う通りかもね。でも……、ふーん、現人神ねえ、現人神……」
 幽香は幽香で何か引っかかるものがあるのか、先程から同じ単語を何度も繰り返していた。
「あ、でもあの子最近妖怪退治にはまってるから、間違って退治されたりしないようにね」
 そんな軽口を霊夢が叩くと、幽香はふふんと一つ鼻を鳴らすと、傲然と胸を張った。
「誰にものを言っているのかしら? ……あ、もしかして霊夢ったら私のこと心配してくれているのかしら?」
「そんなわけないじゃない。あそこの神様達はそれなりに力を持っているからねえ、あんたが無謀な挑戦なんかして面倒事に巻き込まれたくないのよ」
 艶っぽい声を出し科を作る幽香の態度を霊夢は一笑に付し、心底面倒くさそうにそう言ったのだった。
「ま、貴女はそう言う人間よね」
 幽香は達観したようにそう呟いた。そこには、僅かだが残念そうな色を含まれていた。そのことに霊夢は気づかずに、分かってるじゃない、と言わんばかりの笑みを浮かべたのだった。
「んじゃ、そろそろ私は宴会に戻るけど、あんたもいい加減こっちに来なさいよ」
「善処するわよ」
「はぁ、やれやれ……。それと一つだけ忠告。面倒事は許さないけど、あんたはちゃんとしたやり方で迫りなさいよ。同じ事を繰り返すのは馬鹿のやることよ」
 それだけ言うと霊夢は、後ろ手に手を振りながら、本殿の方へ戻っていった。
 その姿が花霞の中消えていくのを、幽香は身じろぎもせずにただ見つめるだけであった。

5.
 夜を徹して行われてきた宴会も、差し込んできた曙光を合図にして、漸く終わりを迎えていた。
 参加した者たちは、それぞれ三々五々散り散りになると、好き勝手に家路につくのだった。
 気がつけばあれほど盛況だった境内に人気はなくなり、凛とした静寂の中、かすかに竹箒が石畳を掃く音だけが響いていた。
 宴の後の境内はどこか物寂しい。
 時折、春風が吹き込んでは、先ほどまで境内に溢れていた熱気を散らしていく。大勢の者が宴席を囲んでいたときには感じられなかった冷気が、今では鋭く身を刺すように感じられるようだった。
 まさに祭りの後と言った風情であった。
 しかし、そのような境内にも数名の人影が見える。紅魔館のメイドに白玉楼の庭師、八雲の式、そして早苗だった。彼女たちは、自分の主人たちがとうに家路につく中、ここ博麗神社に残り、宴会の後片付けをしていたのだった。
 久しぶりの大宴会である。その片付けも簡単ではなかった。更にそれを指示するはずの博麗の巫女も、今はその大事な賽銭箱を抱きかかえるようにして酔いつぶれて寝ていたので、各々の判断で掃除をするほかなかった。
 それでも幻想郷でも名高い有能な従者達は、それぞれが仕事を分担し、手早く片付けていったのだった。
 現在、早苗が境内の掃き掃除をしているのは、慣れ親しんでいる仕事の方が効率も良かろうという、八雲の式の取り計らいだった。
 掃きながらふっと拝殿の方に目をやれば、本来の神社の主が、桜の花びらに埋もれながら、酔いちくれて鼾をかいて寝ていた。百年の恋も冷めそうなみっともない姿に、早苗の口からは自然と溜息も零れてしまう、そんな時だった。
「あら貴女、掃除はお嫌い?」
 不意に声を掛けられて早苗は総毛立った。先刻まで一緒に後片付けをしていた面々は、今は社務所のある母屋で、洗い物やゴミの整理をしており、外には誰もいないはずだった。だから、こうして声を掛けられて、驚かずにはいられなかったのだ。
「いえ、そんなことはありません。私たちで汚したんですから、片付けないと霊夢さんに悪いですし。……それに、もし万が一そのままにして帰ったりしたら、後が面倒臭いですから」
 早苗は動転のあまり、目の前にいる相手も見ずに返答していた。そうして、早苗が声の方に向き直ると、そこには見覚えのない女性が立っていた。
 上下共に赤いチェックの入った洋装に緑の髪、桃色の日傘を差している女性、この時の早苗はまだ知らなかったが、紛う事なき風見幽香であった。
 赤い服が緑色の髪に映え、この寒々しくなった境内に、まるで花が咲いたような印象を早苗に与えていた。
 そして、その早苗の返事を聞いて、幽香は花が綻ぶような笑顔を浮かべた。
「では、何故溜息を吐いていたのかしら?」
 幽香がそう尋ねると、早苗は恥ずかしそうに苦笑いを浮かべるとギュッと箒を握りしめた。
「見られていたんですね、恥ずかしい……。あれを見て下さい」
 そう言って早苗が指さした方向を見ると、寝汚く酔いつぶれた霊夢の姿がそこにはあった。思わず頭を抱えながら、得心したように幽香は早苗の方を見た。
「確かに、あれを見れば溜息も吐きたくなるわ」
 その言葉に、早苗はホッとしたような表情を浮かべたが、すぐに小さく首を振った。
「そうでしょう。でも、溜息の理由はそれだけじゃないんです。時々考えるんです。この世界に桜の花なんか無かったら良かったのにって――」
 早苗の言葉に幽香の柳眉がぴくりと吊り上がった。

6.
 幽香の変化に気付かない様子で、早苗は言葉を続けた。
「――そうすれば、桜が散ることに心を悩ませることもないですし、きっと春を愛する気持ちも穏やかになると思うんですよね」
 早苗の言葉に幽香は少なからず驚きを感じていた。やはり遠くで見ているだけでは、その人の人となりというのは分からないものだなと、幽香は改めてそう思わされた。幽香もまた先程の早苗と同じように小さく首を振ると、早苗の方に向き直った。
「確かに花が散るのは悲しいわ。だけど、それが自然の理なのよ。数多の命がいつかは滅んでいく中で、永遠にとどまるものなどありはしない――」
 幽香はそうして一つ言葉を切り、早苗から視線を外して、憂えを含んだ視線を境内に巡らせると、再び口を開いた。
「――だから、僅かな期間かもしれないけれど、桜の華やかさを愛して欲しいわね」
 そう言って、幽香は慈母のような微笑みを早苗に向けたのだった。笑顔を向けられた早苗は恥ずかしそうに顔を赤らめ、下を向くのだった。
 ふと、幽香は早苗が何か言いたげにもじもじしていることに気がついた。
 後悔先に立たずとは言ったもので、今更悔やんでもしょうがないことだが、幽香は自分が舞い上がり過ぎていたことを感じていた。
 そして、調子に乗ってペラペラと喋りすぎて、早苗に引かれてしまったんじゃなかろうかと、少なからず不安を覚えていた。
 そんな風に顔色を窺っていると、早苗が恐る恐る口を開いた。
「えっとですね、あー、……んっと、私はこちらに来てから日が浅いもので、あんまり人の顔と名前が一致しないんですよ。だからですね――」
「だから?」
「――お名前を教えていただきたいなあと思いまして」
 それなりに勇気を持って早苗は言ったのだろう。両手には力が籠もりすぎていて、握りしめられた竹箒からは軋むような音がしていた。
 幽香は、そんな早苗の肩の力を抜かせようと改めて声を掛けた。
「気にしなくても良いのよ。だって私はあまり宴会にも参加しないし、貴女が分からないのも無理はないわ」
「それでも、お話ししている相手のことを知らないというのは、失礼ですから」
 若々しさに満ちた早苗の生真面目さが心地よくて、思わず幽香は相好を崩した。
「ふふ、真面目なのね。何だか聞いていた話とは違うわ」
「え、私のことを知ってるんですか?」
 幽香の何気ない言葉に、早苗は意表を突かれたようだった。その反応に満足したように目を細めると幽香は言葉を続けた。
「ええ、知っているわよ、守矢神社の風祝、だったかしらね。最近は妖怪退治に精を出しているとか。もしかして、私も退治されちゃうのかしら?」
 茶目っ気たっぷりにそう言った幽香の言葉に、早苗はぶんぶんと勢いよく首を振って否定した。
 そして、小鼻を膨らませながら、霊夢への苦情を述べるのだった。
「どうせ霊夢さんがあること無いこと吹き込んだんでしょ。別にそんな誰彼かまわずに喧嘩売ったりはしませんよ。するとしても異変の時だけです。あなたみたいな落ち着いた方ならなおさらです」
 真摯な表情で早苗に褒められて、幽香はどこかこそばゆい思いだった。
「あら、お世辞でも嬉しいわ」
「そんな、お世辞なんかじゃ……」
 そう言って早苗は顔に紅葉の葉を散らしたのだった。

7.
 ふと幽香は先程の霊夢との話を思い出していた。相も変わらず惚けたような早苗に次のように切り出した。
「ところで、貴女、守矢神社の風祝って言うそうだけど、風祝って何なのかしら? 巫女とは違うのよね」
 その言葉に早苗は大きく頷いた。
「そうですね、もう最近では説明することもなくなりましたけど、巫女とは違いますよ。簡単に言えば風を鎮める役割を持った神職ですね。風神、すなわち守矢神社の大神である八坂神奈子様を祀るのがお役目です」
 少し誇らしげに語る早苗に、まだ納得できない事があったのか、幽香は再び問い直したのだった。
「でもそれって、巫女とどう違うのかしら? 神を祀ると言う意味では変わらないでしょうに」
 幽香の言葉にもっともだという風に頷いたのだった。
「確かにそう思われるでしょうね。でも違うのは神を祀り、神の力を借りていたはずの風祝自体が、人々に信仰されるようになったのです。こちらでは風の力を操ったりすることは別に普通のことかもしれません。ですが、外の世界ではそれだけで奇跡のように思われたんですよ――」
 そう言って一つ言葉を切ると、早苗は複雑な苦みのある表情を浮かべた。そして、寂しそうに一つ笑みを浮かべると再び口を開くのだった。
「――前にレミリアさんにも言われたことがあります。『へえ、風を吹かしたりするだけで神様になれるんだね』って、そうなんです。外の世界では風を操るだけで神様になれるんですよ」
 そう言いきったときの早苗の表情は、何処か吹っ切れたような印象を与えるものだった。それでも、一言だけ早苗に伝えたい。幽香はそう思った。
「そうね、でもその風によって、五穀豊穣を支えていたんでしょう? 民草にしてみれば、それはまさに奇跡のように思えたのは当然ではなくて? それに、花だってそう優しい風であるならば、いつでも吹かせて欲しいと思っているわ」
 その言葉を聞いて、早苗は本当に嬉しそうな表情を浮かべた。口では卑下して見せても、早苗が自分の力に誇りを持っているのは明らかだった。
 だからこそ、幽香は早苗の自尊心を刺激するような言葉を掛けたのだった。
「そんな風に言っていただけるなんて、……少しだけ自信が出てきました。本当にありがとうございます」
「いいのよ、だって貴女は自分が神の力を借りているだけって言うことはよく分かっているんでしょう?」
「はい、それはもちろん」
 幽香の言葉に早苗は即答した。全く曇りのないその声には、早苗の神への篤い信仰心が手に取るように感じられた。
「まるで、ベロニカの花のようね、貴女の心は」
 ベロニカとは、十字架を背負って歩く受難のキリストに、ハンカチを差し出した聖女ベロニカにちなむ花である。その花言葉は忠実。ある意味で早苗にふさわしい花であるといえる。
 ただ、そのような花言葉の意味が分からない早苗は、幽香の言葉に首を捻るだけであった。あまり芳しい反応が帰ってこなかったことに、思わず苦笑しながら幽香は、話を戻すのだった。
「でも、それにしては貴女自身、ただ借りているだけには見えないけれど」
「それは、……まだ未熟ですけれど修行しているので」
 おずおずとだが、早苗はきっぱりと言い切った。
「ふぅん……、そうなの?」
「もう誰にも負けたくありませんし、出来ることなら八坂様や諏訪子様には迷惑を掛けたくないですから!」
 先程より強い口調で、意を決したように早苗は語るのだった。

8.
「そうね、負けるのは私も好きではないわ。やっぱり貴女も霊夢にやられた口かしら?」
「はい、こちらに来てすぐに」
 幽香の言葉で嫌な記憶が蘇ってきたのだろう、早苗は苦虫を噛み潰したような顔になった。年相応の負けず嫌いな部分が見え、その様子がなんだかとても微笑ましかった。幽香は、笑ってはいけないと思いながら、込み上げてくる笑いを抑えることが出来なかった。
「もう、酷いですよ……、って『貴女も』ってことは」
「ふふ、ごめんなさい。さあ、どうかしらねえ。まあ、あれは通過儀礼だから仕方がないのよ。でも、そのおかげで得たものもたくさんあったのではなくて?」
 諭すような幽香の言葉に早苗は大きく頷いた。
「はい、それはもちろん。こうしてあなたみたいな方とお話しできるのも、そのおかげだと思っていますし」
 そう言って早苗は、太陽のような笑顔を浮かべたのだった。本来であれば心地良いはずのその輝きが、胸をちくりちくりと刺すのを幽香は感じていた。
 自らの有り様に疑いも持たず、かといって衒いもない早苗の態度というのは、幽香にとって眩しくもあり、また唾棄すべきものだった。そして、それが盲信とも取れる信仰によるものと言うことが、幽香をよりいっそう複雑な気持ちにさせていた。
 そうは言っても、幽香はその痛みの本当の理由をはっきり分かっていたわけではなかった。しかし、だからこそ幽香の心はざわついているのだった。
 内心の迷いを振り払うようにして、幽香は過剰なまでの笑顔を浮かべると、何気ない風を装って幽香は言葉を掛けた。
「ところで、貴女は人間なのよね」
「はい、そうですよ」
 だいぶ打ち解けてきたのか、早苗の返答も気安いものになっていた。これなら聞ける。そう思って幽香は言葉を繋いだ。
「じゃあ貴女は――」
 だが、幽香はその『貴女は』の後に言葉を続けることが出来なかった。その理由は幽香自身よく分かっていた。目の前にいる早苗の気持ちを推し量ればどういう答えが返ってくるか、容易に想像が出来てしまったからだ。
 だから、幽香は唇を強く噛むと、小さく俯いたきり口籠もってしまった。
 突然黙り込んでしまった幽香を、早苗は心配そうに覗き込んだ。しばらく、落ち着かなさげに様子を窺っていたが、やおら馬鹿みたいに明るい声で話しかけた。
「あ、そういえば、まだお名前を伺っていませんでした」
「ああ、そうだったわね。じゃあ――」
 早苗の気遣いを感じ取り、幽香はわざとらしくはたと手を打つと、いきなり自らのスカートの端を切り取ったのだった。
 そして、早苗が呆気にとられているのをよそに、どこからともなく筆を取り出すと、何事かを書き始めたのだった。
「――これを貴女にあげるわ」
 幽香は満足したように一つ頷くと早苗にそれを手渡した。早苗が、戸惑いながらそれを受け取ると、そこには美しい手でこう書かれていた。
「かぎろひの燃ゆる春にて雪消せばこほれる心いつかとかまし」
 手渡されたものを見て、早苗はまるで意味が分からなかった。その意味を問うために、幽香の方を振り仰ごうとした時、ただの布の切れ端だったそれは、黄色い花片へと形を変えていた。
「えっ……? これは……、あら? どちらに?」
 目をぱちくりさせながら早苗が顔を上げると、そこには既に幽香の姿はなかった。
 残っているのは、微かな花の香気と、早苗の手元にある向日葵の花片だけだった。

9.
 幽香が消えた後、早苗はキョロキョロと周りを見回したが、そこにはやはり幽香どころか、鼠一匹見あたらなかった。
 早苗はしばらく惚けたように、手のひらの中にある向日葵の花片を見つめていたが、母屋の方から呼ばれたのだろう、忙しなく懐に花片を収めると、ぱたぱたと急ぎ足で拝殿の前を後にするのだった。
 こうして境内いるのは酔いつぶれて寝ているだけの霊夢だけになったかと思われた。
 だが、春風が石畳の桜の花を巻き上げると、そこには、先程消えたはずの幽香が立っていた。そして、早苗が立ち去った方を見返すと、その逆の鳥居の方へ歩き出したその時だった。
「おい、そこの馬鹿!」
「きゃっ」
 不意に尻を蹴り上げられ、思わず幽香は可愛らしい叫び声を上げていた。
「誰よいったい……て、霊夢!?」
 振り返るとそこには先程まで賽銭箱を抱きかかえながら眠りこけていたはずの霊夢がいた。
「何がきゃっよ、カマトトぶっちゃって。それはそうとさっきのは何よ?」
 先程まで酔いつぶれていた人間とはとは思えないほどの勢いに幽香は圧倒されっぱなしだった。
「別に……、何か問題でもあったかしら」
 何食わぬ顔で霊夢の言葉を受け流そうとする幽香だったが、虚勢なのは完全に明らかだった。そんな幽香の態度に本気で呆れたと言わんばかりに霊夢は目を眇めたのだった。
「もし本気で言ってるなら、あんたの正気を疑うわ」
「……わかってるわよ、私が駄目だって事ぐらい」
 霊夢のジト目の圧力に耐えかねたのか、流石に誤魔化しきれないと思ったのだろう、幽香は渋々自分の非を認めたのだった。
 その言葉に満足したように頷くと霊夢は、腰に手を当ててさも嫌みったらしく長広舌を始めたのだった。
「本当に分かってるの? あんたねえ、ああ言うやり取りは相手が分かってて通じるものでしょう。それをよりによってつい最近こっちに来たような奴にやるなんて……、あんた馬鹿でしょ。大体、引かれなかっただけ運が良かったと思いなさい。ほんとにもう何処の紫かと思うくらい胡散臭かったわよ。別に私はああ言う胡散臭いのは嫌いじゃないけどさ。まあ、あの子もちょっと変わったところがあるからねえ、基本的に常識ないし。もしかしたら受け入れるのかもしれないけど」
「……だったらいいじゃない」
「何?」
「……いいえ、何にも」
 ひとしきり喋り倒して満足したのか、霊夢の勢いは少しだけ緩んでいた。
 そこを見計らってぼそりと幽香は呟いたのだが、それは再び霊夢の勢いに火を点けただけであった。
「まったく、ほんとに分かってるのかしら……。だいたい、さっき口ごもったのも何を言おうとしたんだか……。言いたくなかったけど言わせてもらうわよ。あの子は、早苗は、あんたとは違うのよ」
先程までとはガラリと打って変わった口調で霊夢はそう言った。それまでの激しくてもどこかふざけた様子はまるでなかった。そこにはまさに博麗の巫女とも言うべき真摯な態度をした霊夢がいるだけであった。
「分かってるわよ、言われなくてもそんなことぐらい……」
 そう言って俯いた幽香の声は、その平然とした態度に似合わず、弱々しいものだった。

10.
 幽香は、霊夢が何を言わんとしているかよく分かっていた。だが、分かっていたからと言ってその言葉を受け入れるかどうかは別だった。
 幽香は聞きたくないとばかりに目を逸らした。
 しかしそんな態度を許す霊夢ではなかった。がっしりと幽香の頭を掴むと、無理矢理自分の方に顔を向けさせるのだった。
「ちゃんと人の話は聞きなさい」
 霊夢によって強引に向けられた幽香の視線の先には、黒曜石の双眸があった。吸い込まれそうなほど深く澄んだ瞳にじっと凝視され、幽香は身動きが取れなかった。
「ねえ幽香、あんたはいつまで孤高の花を咲かせ続けるつもりなの? 別にそれはそれであんたの勝手かもしれないけど、一歩を踏み出さなければ何も変わらないのよ」
 童女に語りかけるように、一言一言噛み砕くように話す霊夢を見ながら、幽香は目の前の少女が本当に博麗霊夢かどうか不審を抱いていた。
 そうだ、この胡散臭い口調、目の前にいる少女はまるでどこぞの隙間妖怪のようではないかと。幽香の頭の中には、そのような疑念が首を擡げてきたのだった。
 そう考えれば、先程まで動かなかった体にも力が湧いてくる。幽香は、なおも言葉を続けようとする霊夢を振り払うと、眦を決して大きく声を張り上げたのだった。
「五月蠅いわね、分かっているわよ!」
そこには、先刻まで見せていた余裕などまるでなかった。幽香は肩で息をしながら、霊夢をじっと睨み付けるのだった。
 いつになく感情を露わにした幽香に、霊夢は一瞬キョトンとした顔を見せた。だが、すぐに頬を緩め、どことなく懐かしげな視線を向けていた。
 それは霊夢にしては珍しくとても優しいものでもあった。
「何よ、その顔は」
「別にぃ」
 冷やかすような表情を咎める幽香に対して、霊夢は鬱陶しい烏天狗のような笑みを浮かべるのだった。
「まあ、いいわ。好きにすればいいわ。なんか私らしくないことをしちゃったから疲れた。……やっぱり紫の口車に乗るんじゃなかったかなあ」
「は? 今なんて――」
 何か霊夢が聞き捨てならないことを口にしたような気がしたが、それを問い質す前に霊夢が口を開いたので、それは有耶無耶になってしまった。
「――お節介ついでにもう一つだけ言わせてちょうだい。これは私の正直な気持ちね。あんたがどう受け取るかは別としてね。早苗はあんたとは違う。でもね、あいつらとも違うのよ。わかるわよね。ま、せいぜい頑張りなさいよ、ただし、あいつらと一緒で、とっても怖い保護者が控えているからね。これが私からの最後の忠告。後はあんたの好きにしなさい」
 それだけ言って、どこぞの小鬼のように、幽香のお尻をパンパンと叩いて霊夢は母屋の方へ足を向けた
「もう一眠りするわ。あんたもいい加減帰ったら」
 欠伸をかみ殺すようにしてそう言うと、霊夢は幽香の方を振り返ることなく歩いていった。どうやら本格的に寝直すようだった。
 一人取り残されてしまった幽香は、呆然と霊夢の後ろ姿を見送るほかなかった。既に、朝日は高く昇っており、背中に降り注ぐ陽光が心地良かった。
 さっさと帰って寝よう。幽香はそう思った。好き放題霊夢には言われてしまったが、花に囲まれてゆっくり眠ればきっと良い考えも浮かんでくるはずだ。
 そして、今度こそ上手くやる。幽香は朝日に輝く鳥居に向けて誓うのだった

11.
 博麗神社の花見の宴から数日後のことである。人間の里では小さな変化が起こっていた。それは何かと言えば、風見幽香が頻繁に里を訪れるようになったと言うことである。
 別に幽香が人里に姿を見せること自体は珍しいことではなかった。平時は穏和で無闇に人を襲う事はなく、買い物に来ては普通に挨拶も交わす等、見た目からはおよそ強い妖怪と思えない態度を取っていたため、特に危険視されることなく人里に出入りをしていたからだ。
 しかし、そのような以前の様子と比べても、明らかに幽香が人里を訪れる回数というのは増えていたのだった。
 しかも、傍目には何か目的があって訪れているようには見えなかった。幽香は、ただぶらぶらと里の中を歩き回っているだけなのである。時には壁際にずっと佇んでいたり、またそわそわと落ち着かない様子で周りを巡らすなど、はっきり言って挙動不審であった。
 では幽香が何をしていたのか、その答えは簡単である。彼女は東風谷早苗を追い求めていたのだった。決して気付かれないようにして、遠巻きに後を付けては、早苗の人里での日常をひたすら観察するのだった。
 観察は当然人里だけではなかった。幽香は姿消しの魔法を用いると、出来うる限り早苗に接近し、その生活を覗いていた。唯一、直接覗くことが出来なかったのは守矢神社の敷地内だけであった。
 ここは入ることは出来たとしても、神の目を盗んで早苗に接近するのは至難の業であったので、幽香は自らの持つ花を操る程度の能力を存分に活用し、早苗の行動を逐一把握するに留めていたのだった。
 こうして早苗の日常を観察してきて分かったことだが、彼女の日常はかなり味気ないものだった。
 基本的には、掃除、修行、食事の準備、また掃除の繰り返しであった。たとえ外に出たとしても、こうして人里に来ては買い物をしたり、信仰を増やすための活動を行ったりと、年頃の娘にしては地味と言っても良いだろう。
 ただ、そういう中にあってもも、少女らしい喜怒哀楽が零れるような場面や、霊夢や魔理沙達とのやり取りなどでムキになったりする様子などが見られたりすることは、幽香にとってたまらなく愛おしいものだった。
 今日もまた幽香は、人里の小さな路地を利用して、早苗の後を付けている真っ最中であった。早苗は幽香に付けられていることなどつゆ知らず、てくてくと買い物を続けていたのだった。
 ふと早苗が花屋の前で立ち止まった。そこは、幽香の贔屓にしている花屋の前であった。そこで買い物をするなんて、なかなか目が高いわね、などと思ってると、早苗は突然店先でしゃがみ込んだ。具合でも悪くなったのではなかろうかと、心配して角度を変えて見ると、そこには、可愛らしさの桃源郷が待っていた。
 何のことはない、早苗は野良猫とおちゃらかほいをやっていたのだった。幽香はその光景を見て鼻血を吹き出しそうだった。
 早苗ちゃんまじ天使などと、妄言が自然と頭の中に湧いてきて、幽香の頭は沸騰寸前であった。表面上は平然としていたが、幽香は口元のにやつきを抑えるので精一杯であった。
 どう好意的に見ても、幽香はただの出歯亀でしかなかった。だらしなく開いた口から涎が零れそうな時だった。
「おい、そこの不審者!」
 不意に、幽香は路地の奥から罵声を受け、袖を引っ張られた。
「ちっ、何よ」
 目の保養を邪魔されたことへの不満を抑えきれぬ様子で、幽香は舌を鳴らして振り返った。そこには、人間の里で寺子屋の教師をしている上白沢慧音が、厳しい目で睨んで立っていた。

12.
「で、何をしとるんだお前は」
 声色からして慧音の機嫌が悪いのは明らかだった。少しでも幽香の態度が悪ければ、無理矢理正座をさせて、お説教を始めそうな勢いだった。
 しかし、それを分かっておきながら幽香はぞんざいな返事を返すだけだった。
「……別に」
「ああん?」
 柳眉を逆立て、慧音がもの凄い目で幽香を睨み付けた。だが、幽香はまったく怯む様子を見せなかった。
「おお、こわいこわい……。ん、別に見てただけよ」
「だから何を」
 気色ばむ慧音をよそに、幽香は落ち着いたものだった。
「別に、貴女に言う必要はないでしょう?」
「たしかにそうだな」
 含みのある声で慧音はそう言った。
「ところで、何か用なの?」
「とりあえず、その頓狂な姿勢を何とかしたらどうだ」
 失笑しながら慧音がそう言ったのももっともであった。
 幽香が改めて自分を見直すと、ヘデラの蔦のように壁に張り付いている様は、確かに慧音に指摘された通りあまり人に見せられたものではなかった。
「そうね」
 そう言って、幽香は何事もなかったように居住まいを正すと、少し外を窺うようにしてから路地を出ようとしたのだった。
「おい、ちょっと待ちなさい。ところでな、風見。一つ聞きたいことが――」
「嫌よ」
 慌てて幽香を引き留める慧音に面倒くさそうに幽香はそう答えたのだった。
「用件を言う前から即答しないでくれないか?」
「どうせ貴女のことだから、またお説教でしょう。そんなのを好んで聞くのはあの蓬莱人くらいよ」
「……んっ、妹紅のことは関係ないだろう――」
 慧音は、急に妹紅の話が来たので、思わず返答に窮してしまった。
「ええ、関係ないわ。白沢と蓬莱人の関係なんて私にはどうでも良いし」
「関係ないって何がだ。まったく……」
 にやにやと思わせぶりに言う幽香の態度に、ついつい慧音は反応してしまう。これが幽香のあからさまな煽りだと言うことぐらい慧音も気がついてはいるのだが、やはり妹紅の名前には弱かった。それでも、少し顔を赤らめながら一つ咳払いをし何とか立て直すと、慧音は改めて口を開いた。
「人の話を聞かんのは、お前が心にやましさを持っているからではないのか?」
「そんなことはないわよ」
「まあいい。話というのは、早苗の件だ」
 臆面もなく言い放つ幽香を無視して慧音は話を続けた。どうやら、このまま幽香に付き合っていても話が進まないことに気が付いたのだろう。
「早苗? ……ああ、あの娘のことね」
 今度は逆に幽香が戸惑う番だった。まさか、慧音から早苗の名前が出てくるとは思っていなかった。
 一瞬、逆襲かと思い、少し構えて次の言葉を待っていると、慧音は真面目な顔をしてこう告げた。
「最近相談されたんだが、どうやら最近つきまといの被害に遭っているらしい」

13.
 慧音の言葉に少なからず幽香は衝撃を覚えたが、まるで興味がないと言わんばかりに、一つ欠伸をするのだった。
「……ふぅん。で、そんなこと私に話をしてどうしようというのかしら?」
 動揺を表に出さないように、さり気ない風を装ってはいたが、幽香が気にしていたのは明白だった。
「別に、何か気になるならと思ってな」
「いいえまったく。そもそも、何故貴女がそんな話をするのか分からないわ」
 さも白々しい慧音の物言いに、ムッとしながらも幽香は顔色一つ変えずそう言いはなった。
 ぬけぬけとそんな風に嘯く幽香に、思わず肩をすくめると慧音は幽香に背を向けた。
「邪魔したな」
「ええ、本当に」
 慧音は哀れむように目を伏せると、一つ大きな溜息を吐き、立ち去ろうとした。だが、一歩踏み出そうとして振り返った。
「余計なお世話かもしれんが、思ってることがあったら、直接言わないとわからないぞ」
「ほんとに余計なお世話。そんな人生訓は貴女の生徒だけにしてちょうだい」
「……それはやってる」
 悪態を付く幽香に、慧音は少しだけ眉を曇らせ、どことなく抑えめな声色で慧音はそう言った。それは憐憫とも同情とも慨嘆とも片付けられない、不可思議な口調だった。
「あ、そう。どうでもいいわ」
「ほんとにそうだな」
 にべもない幽香の返答に、慧音は一つ大きく溜息を吐いた。そして、再び背を向けるとその場から立ち去ろうとした。
「ちょっといいかしら?」
 だが、今度は逆に幽香が引き留め返したのだった。
「なんだ? もう私には用はないぞ」
「別に、私にもないわよ」
「だったらいいだろう」
 幽香の声を振り払うように立ち去ろうとしたが、やはり制された。どうやら幽香は文句を言いたくて仕方がないようだった。
「良くないわよ。邪魔されたんだから」
 やれやれと嘆息しながら、慧音は再び幽香へと向き直った。
「お節介な貴女に、優しい幽香お姉さんから忠告」
「お姉さんって何だよ……」
 慧音は、ちょっと面倒臭いこいつ、と言わんばかりのジト目を幽香に向けたが、一顧だにされなかった。
「貴女さっき、『思ってることがあったら、直接言わないとわからない』とか言ってたわね」
 何も言わずに頷くだけの慧音に、幽香は言葉を重ねた。
「でも、貴女にだけは言われたくないわ。貴女の方こそ、はっきり言うべき女がいるのではなくて?」
 慧音はその言葉に答えなかった。返答する代わりに背を向けると、幽香が制する間もなくその場から立ち去った。
 肩すかしを食らってしまった幽香は、気の抜けたように慧音が立ち去った方を見ていた。だが、すぐに早苗のことを思い出し、先程まで早苗がいた店の方に向き直った。
 だが、既に早苗の姿はなかった。
 あの馬鹿白沢。あいつのせいで見失ったじゃない。幽香は内心で慧音を罵ったが、言っても詮無きことなので、気を取り直して里を彷徨くことにした。
「それにしても、こうやって私が観察してるって言うのに、早苗が付きまといの被害に遭ってるって……、気になるわね」

14.
 人里の路地でそんなやり取りが行われていたことなど、早苗は知るよしもなかった。現人神とて未だ人の子である。自らの認知する範囲のことしか理解できないのは当然のことだった。
 だが、そんな早苗であっても気が付いていた変化があった。それは、あの花見の宴以来、どこからか視線を感じていると言うことだった。特に人里に来るたびにその視線が強くなっていたのは言うまでもない。何かの折に慧音に相談したこともあったが、だからといって解決することはなかった。
 それともう一つ、早苗は気になることがあった。あの宴会の最後に向日葵の花片をくれた女性のことである。こちらも人里で目に付くようになった気がしていた。ただ、はっきりとその姿を確認したわけではなく、飛蚊症のように目の端に常に映るようなもので、おぼろげな印象を受けるのだった。
 こちらについても慧音に相談をしたのだが、なぜか慧音の口が重くなったので、それ以上追求をすることは出来なかった。
 そんな早苗の安息の地は、ここ守矢神社しかなかった。
 御柱の立ち並ぶ参道を掃きながら、早苗は自然と心が落ち着いてくるのを感じていた。
 幻想入りしてから早いもので既に一年以上がたっていた。早苗も、幻想郷に慣れてきたとはいえ、こうして慣れ親しんだ石畳の上を掃いていると落ち着くのは、ここだけが生まれ育った頃から親しんだ土地の残り香を持っているからであろうか。
そんなことをぼんやりと考えながら掃き掃除をしていると、後ろから声を掛けられた。
「ご苦労さん。精が出るね」
 振り返ると市女笠の上に二つ並んだかわいらしい目玉が早苗を見ていた。
「あ、諏訪子様。お帰りなさい」
 そこにいたのは、いつものようにそぞろ歩きから帰ってきた洩矢諏訪子だった。
 諏訪子は腕を後ろで組むと前屈みになりながら、早苗の方を見て首をかしげた。青と白を基調とした壺装束に包まれた胸が強調される姿勢だったが、そこにはなだらかな丘陵が続くだけで、山も谷もなかった。
「早苗さ、なんかあった?」
「え、どうしてですか?」
 気が付くと諏訪子の顔は、触れそうなほどの距離にあって、早苗は驚いた。諏訪子は背伸びをして、早苗の顔を見上げるような姿勢で早苗の顔をじいっと見つめていた。
「うん、顔色も良くない」
 どこかの厄神のように、くるくると回りながら離れると、諏訪子はそう言った。市女笠をくるりと回すと、ふと何かを思い出したように止まって、また早苗の方を向いた。
「そう言えば、こないだの宴会からだよね」
 諏訪子様には敵いませんねなどと言いながら、早苗は竹箒を納屋に片付けるのだった。そして、諏訪子の方に向き直るとその通りだという風に微苦笑を浮かべたのだった。
「だいたい、何で早く言わないのさ」
 諏訪子は自分の予想が当たったことに満足げだったが、すぐに色をなして早苗を問い詰めるのだった。
「最初は気のせいだと思っていたんですよ」
「でも――」
「申し訳ありません。あまり迷惑を掛けたくなかったんです」
 諏訪子の言葉を遮ってそう言うと早苗は頭を下げた。そこまで早苗にされれば、諏訪子の方もそれ以上追求できるはずがなかった。
「水臭いなあ、お前は私の子供みたいなもんなんだから、頼るときは頼っても良いんだよ」

15.
「で、宴会で何があったんだい? やっぱり、後片付けなんかに残すんじゃなかったかなあ。それともあれかい、霊夢にやられたとか?」
 すでに諏訪子の頭の中では宴会で早苗が何かをされたという物語ができあがっているようだった。
「そんなことはありませんよ」
 諏訪子の想像に、苦笑しながら早苗は手を振って否定した。
「いえ、宴会自体は楽しかったのですよ」
「じゃあ――」
「おかしいと思うようになったのは宴会が終わってからのことなんですよ」
 諏訪子の言葉を制するようにして、済まなそうな顔をして早苗はそう告白した。そして、少し逡巡したが、思い切ってここ最近悩んでいたことを諏訪子に切り出した。
「諏訪子様、最近どこからか視線を感じたりしませんか?」
「そうなの? んー、文じゃなくて?」
 諏訪子はよく分からないと首を捻ると、一羽の烏天狗の名を上げるのだった。
「それはないんじゃないですかね。文さんだったら、これだけ長い間見続けていて、何のリアクションもないなんてあり得ないですし。それに、わざわざ気配を感じさせるような真似はしないでしょ」
 早苗の言葉に同意見とばかりに諏訪子は頷いた。
「そうだね、あの子だったら。どこかのタイミングでネタにするはずだからね」
「そうなんですよね……」
 早苗は、かつて数々の不名誉な逸話を文に暴き立てられたことを、不意に思い出していたのだった。
「でも、神社ではまったく感じないんだけどなあ。いくら何でも私や神奈子の眼をかいくぐってそんな真似が出来る奴がいるもんかねえ」
 狐に摘まれたような顔をしてそう言った諏訪子を、早苗は一瞬きょとんとして見つめると、すぐにはたと手を打った。
「あ、神社のことではないんですよ」
「そうなの?」
 早苗の意外な言葉に、諏訪子はがっくりと肩を落とした。
「はい。感じるのは、特に人里でが多いですね。それとその行き帰りでしょうか」
「それだと難しいねえ」
 残念そうに諏訪子はそう言った。
「慧音さんにも聞いてみたんですが、よく分からないそうです」
「そうか、人里であの白沢が分からないとなると、少しやっかいだねえ」
 諏訪子は困ったように腕を組むと、眉間に皺を寄せながら唸り声を上げるのだった。その姿を見て早苗は、心配を掛けさせないためだろう、精一杯の空元気を見せるのだった。
「別に害が有るわけではないので大丈夫ですよ。まあ、ちょっと気味が悪いことは悪いのですが」
 早苗の配慮は思いっきり逆効果だった。血相を変えて詰め寄る諏訪子に、早苗は落ち着いてくださいと言うのだが、全く通じていないようだった。
 諏訪子は露骨にぷりぷりと怒りを見せながら、怒りが治まらないという風に地団駄を踏むのだった。
「そりゃそうだよ。外の世界だったら、そいつはストーカーじゃないか」
「……久しぶりに聞きましたね、その言葉」
 諏訪子は真剣に言っているのだが、懐かしい言葉の響きに早苗は思わず笑いが込み上げていた。
 実際には自分がそういう目に遭っているのだから、笑い事ではなかったのだが。

16.
「まあ、お前が向こうにいた頃はよくやっつけたもんだよ」
 一頻りがなりたてたことで少し落ち着いたのだろう、諏訪子は昔を懐かしむように遠い目をすると、そう呟いた。
「は? もしかして……」
「過ぎた話だよ」
 穏やかでない言葉に思わず早苗が聞きとがめたが、諏訪子は肉食獣のようにふてぶてしく笑って流すのだった。
「はぁ、そうですか」
「ところで、話はそれだけじゃないんだろう?」
 まさか、それ以上追求されるとは思っていなかったので、早苗は大いに驚いた。そんな早苗を見返して、諏訪子は会心の笑みを浮かべた。
「よく分かりましたね」
「お前のことで、分からないことがあるはずがないよ」
 本当に諏訪子様には敵わないなあ、と早苗は思いながら、がさごそと懐から巾着袋を取り出し封を解くと、中身を慎重に手のひらの上に乗せるのだった。
「これを見て下さい」
 そう言って早苗が差し出したのは、向日葵の花片だった。
「ん? 向日葵の花片かい。……あれ?」
 一目見たところで、諏訪子の視線は花片の上に残された墨跡に向けられていた。
「気付かれましたか」
「ああ。何々、……ふーん、なかなか古くさい奴もいるもんだ」
 顎に手を当てながら、馬鹿にしたように、それでいて感心したように諏訪子は嘆賞するのだった。
「やっぱり、これの意味がお分かりになるのですね。ちょっと私では読んでもよく分からなかったもので……」
「ちゃんと向こうにいるとき古典を勉強しとかないからだよ」
 申し訳なさそうにそう呟く早苗に、諏訪子は嗜めるように言うのだった。
「すみません……」
「いやいや、冗談だから。気にしなくて良いよ――」
 謝る早苗に、諏訪子は問題ないという風に手を振った。
「――だって歌だし。そこまで理解できてる高校生がどこまでいるんだか」
「ですよねえ」
 諏訪子の言葉に追従しながら、ぶんぶんと頭を振る早苗の横にはいつの間にか三人目の人影があった。
「そうはいっても、風祝としては歌ぐらいは分かって欲しいんだがな」
 そう言って、突然会話の中に残念そうな呟きが混じってきた。不意の闖入者に、早苗と諏訪子はとても驚いたが、それは見知った顔だった。
「「神奈子!」様!」
 ハモった二者の驚きの声を受けて、神奈子は少し不満そうな表情を浮かべた。
「なんだいなんだい二人して私を除け者にして」
「「別にそんなつもりじゃ」」
 相も変わらず仲良くハモる二人の反応に、少し胸の内をざわつかせながら、神奈子は再び興味深そうに早苗の手のひらを覗き込むのだった。
「はいはい。で、これはなんだい」
 その質問に諏訪子は馬鹿にしたように唇の端を吊り上げた。
「あんた見てわかんないのかい?」
「別にその中身の事じゃないよ、馬鹿蛙。で、早苗、これはどこで貰ったんだい?」
 そう言った神奈子の顔は真剣そのものだった。

17.
 早苗は神奈子の鬼気迫る表情に気圧されていた。
「あ、はい。宴会の最後で頂きました」
「ふーん、そうかい」
 早苗の答えに、神奈子は未だ納得がいかないというような素振りを見せていた。思ってもみなかった神奈子の態度に、早苗が困ったように諏訪子の方に目線を送ると、諏訪子は気を利かせてくれたのだろう、あたかも前々から思っていましたという風に手を打った。
「それはそうと、掃除は終わったのかい、早苗」
「あ、はい」
 その諏訪子の誘い船に乗るように、間髪入れず返事を返した。
「じゃあ、そろそろ家に戻らない? お茶でも飲みながらゆっくり話そうじゃないか。どうだい、神奈子?」
 そう言って諏訪子は神奈子の方を向いた。神奈子はしばらく何か考え込むような素振りを見せたが、特に異存はないらしく諏訪子の言葉に重々しく頷いたのだった。
 屋内に入り、腰を下ろすと諏訪子は行儀悪く脚を伸ばす。例のごとく神奈子にそのことを咎められるのだが、気にした様子はなかった。
 やれやれと神奈子がぼやくのを横目に、早苗がお茶を淹れに立ち上がろうとしたときだった。
「そうそう、人里でお饅頭を買ってきたんだった」
 そう言って諏訪子は竹皮の包みを帽子の中から取り出すと、早苗に手渡したのだった。
「あんた何処に直し込んでるんだい」
 神奈子が半ば呆れたように呟くが、相変わらず諏訪子には馬耳東風であった。
 早苗の好きなお饅頭だったらしく、嬉しそうにそれを受け取ると、うきうきと早苗は台所へお茶を淹れに向かうのだった。
「じゃあ早苗、よろしく頼むよ」
 ぱたぱたと遠ざかる早苗の背中に諏訪子はそう声を掛けると、改めて神奈子に向き直った。
「で、あんたは何の話があるんだい」
 早苗が完全に台所に入ったのを見計らって、諏訪子はそう神奈子に切り出した。
 神奈子の方でも話を持ち出す機会を窺っていたのだろう、そそくさと諏訪子の方に顔を近づけると、そっと耳打ちをするのだった。
 そうして、早苗がお茶を淹れている間、神奈子と諏訪子はひそひそと何事か話していたのだった。
 当たり前の話だが、台所にいる早苗はそのことを知るよしもなく、うきうきとお茶を淹れて居間に戻ったときには、既にその密談も終わっており、二柱は何事もなかったかのように振る舞っていたのだった。
 早苗の淹れたお茶は美味しいねえなどと、二柱が呟くのを見ると、早苗はそれだけで幸せな気持ちになるのだった。
 当然、好物のお饅頭の影響も大ではあったのだが。
 お茶とお菓子で一息ついたところで、改めて神奈子は先程の一件を切り出したのだった。
「で、さっきの質問の続きなんだが、ところでこれ、誰にもらったんだい?」
 神奈子が極めて落ち着いた口調で尋ねてきた。先程までは蚊帳の外だった諏訪子も、どこか期待した視線を送ってくるものだから、早苗は返答しようとして言い淀んでしまった。
「それが、誰か分からないんです」
 だから、早苗はそう答えることしかできなかった。答えがないものに答えられるはずがなかったのだ。
「「は?」」
 当然、二柱の反応は困惑以外の何者でもなかった。
 この時、二人にはある覚悟があったのだが、まさかの早苗の回答に見事なまでの肩すかしを食らったのだった。

18.
 しかし、先程の早苗の説明では二柱が納得しなかった。
 そのため早苗は、より詳しい状況の説明をする羽目になっていた。
「――宴会なんかであまり姿をお見かけしたことがない方だったので、……そう言えば紫さんが差していらっしゃるような日傘を差されてましたね」
 一通り容姿の説明までさせられたところで、ようやく早苗は質問地獄から解放されたのだった。
「日傘ねえ、八雲以外に日傘を差している奴か、レミリアだったら早苗だって知ってるし、それ以外となると……、うーん、私らにもあんまり心当たりがないなあ」
 結局、詳しく説明を聞いたところで、あやふやな情報からでは、誰か特定することは出来なかったようだ。
「まあいい。で、そいつから貰ったんだな」
「はい。そういえば吃驚しましたよ」
 肝心なことを話していなかったことを早苗は思い出した。
「何がだい?」
「今はそれ向日葵の花片ですよね」
 手のひらの中の花片を二柱の目の前に差し出しながら、至極当たり前なことを言う早苗の真意を掴めずに、二柱は不審そうに顔を見合わせた。
「でも、それ元々は布の切れっ端だったんです」
「「は?」」
 相変わらず仲良く驚きの声を上げると。早苗に続きを話すように二柱は促すのだった。
「それを貰ったと思ったら――」
 ここまで来てようやく二柱にも早苗の言いたいことが伝わったようだった。
「――花片に変わっていたと」
 早苗の言葉を引き継ぐような諏訪子の言葉に、早苗は大きく首を縦に振った。
「そうなんですよ」
 その時の驚きを、隠すことなく告白する早苗に、二柱は明らかに殺気だった表情を浮かべたのだった。
「ということは、そいつさスカートの端を切り取って歌をよこしたんだ」
 そして早苗が説明していないような状況まで、ずばりずばりと当て始めたのだった。
「はい、そうです」
「へえ」「ほぉ」
 二柱は思い思いの感嘆の言葉を上げたのだったが、それはある意味で最上級の嘲りの声でもあった。さらに言えば、どこか穏やかならざる空気が含まれていた。
「お二方ともどうかなされたんですか?」
「「いや、別に」」
 息もぴったりにそう答える二柱は、明らかに胸に一物のあるような顔つきだった。
 その理由が分からず不安そうな顔を見せる早苗に、神奈子は安心させるように、豪放な笑顔を向けるのだった。
「気にすることはないよ、なあ諏訪子」
 そう言いながら目が据わっているのだから、早苗が安心するはずがなかった。
 声を掛けられた諏訪子に至っては、ひたすらドス黒い気配を発し、返事すら返さなかった。
「えっと……、お二人ともどうされたんですか?」
 少し怯えながら早苗はそう呟くのが精一杯だった。
「大丈夫、大丈夫。……しかし誰か分からないのは困ったねえ」
「じゃ今度、博麗神社に行ったときにでも、霊夢さんか魔理沙さんに聞いてみることにします」
 早苗は、雰囲気を変えるように明るくそう告げるのだった。
「まあ、あの二人だったら知らない奴はいないだろうね。……そうだな、分かったら私たちにもちゃんと教えるんだぞ」
 そう言った神奈子の目は怪しく光ったのだった。

19.
「ところで、この歌ってどんな意味なんですか?」
 二柱の目が怖かったが、早苗はどうしてもまだ解消されていなかった疑問について答えが欲しかった。そのため、勇気を振り絞って問いを発したのだった。
「そうか、分からなかったんだったね」
 想像していたより、二柱の反応は穏やかなものだった。それどころか、早苗の言葉に何故か二柱とも嬉しそうな様子だった。その理由が分からず腑に落ちなかったが、また機嫌を損なっても拙いので、早苗は早々のご教授願うことにした。
 差し出された向日葵の花片をじっと見ながら、神奈子は逆に早苗に問い掛けるのだった。
「それはそうと、早苗。お前さ、この歌を貰ったとき緊張してただろ?」
 予期しない神奈子の指摘に早苗は泡を食いかけた。
「え、何で分かったんですか?」
 反射的に言葉を返した早苗に、当然と言わんばかりに神奈子は講釈してみせるのだった。
「ん、歌の中に『こほれる心』ってのがあっただろう? 読んで字のごとく、凍れる心ということだよ」
 言われるまで早苗は気付いていなかったが、こうして説明を受ければ、もっともな話であった。
「確かにそうですね」
「それを『とく』わけだから、お前の緊張を、溶かして解きほぐしたいって事なんだろう。お前が学校の勉強を覚えているかどうか知らないけれど、『とく』ってのは、掛詞になっていて、『溶く』と『解く』が掛けられているんだよ」
「はあ、そういえば学校で習った気はします……」
 自信なさそうに記憶をたどる早苗を、困ったように眺めている神奈子に代わり、その続きの説明は諏訪子が請け負った。
「そしてこの歌は、夜明け前のころに貰ったんだろう」
 流石にここまで来ると、早苗も驚かなかった。あのときの状況通りの歌だとすれば、その指摘は当然のことだったからだ。
「かぎろひというのは陽炎のことでね、夜明け前の陽の光を表す言葉なんだよ」
「なるほど」
 こうやって解き明かして貰うと、その時の雰囲気が思い出され、早苗は胸がほんのりと温かくなった気がするのだった。
「その上で歌の意図を解釈すれば……、そうだな『もし陽炎が燃え上がるように輝く春になって雪解けするならば、硬く凍っている心を解きほぐし、溶かすことが出来るだろうに』と言ったところになるのかな?」
 歌の意味を分かってから見れば、それは見事なまでにその時の早苗の状況を現していた。そして、詠み手の気持ちというのも十分に詠み込まれていたのだった。。
「まあ、そこそこの歌だったね。技巧を凝らし、何よりも当意即妙に長けているから」
 何か含みのあるような物言いで諏訪子は歌の評価を断じたのだった。解くに神奈子の方も異論はなく、ただうんうんと首を縦に振るばかりであった。
「それにしても流石お二方です。全然分かりませんでしたよ」
 賞賛の声を上げる早苗に対し、二柱とも苦笑とも困惑とも付かない表情を浮かべたのだった。
「そりゃまあね、古より歌とは神に捧げるものだったんだよ。理解できて当然のものだからねえ」
「それに、かつてはこれが教養だったんだよ。人妖問わず詠えたものさ」
 気取った様子もなくさらりとそう言いはなった二柱は、早苗から見て本当に敬愛できる存在だった。
「もしこの歌い手に会ったなら、連れてきて欲しいものだね」 二柱は、何処か含みのある物言いをするのだった。

20.
 早苗が二柱に謎の視線のことを相談してから数日が経った。相談したからと言って、特に早苗の身の上に変化が起きたわけではなかった。
 ただ、その日より降り出した春雨のために、早苗は神社の外へ出ることがなく、結果、件の視線に悩まされることはなかった。そう言う意味では、久方ぶりの快適な生活を送ることが出来ていた。
 とはいえ、早苗も年頃の娘である。雨のせいで神社に押し込められ続けることにそろそろ飽きを覚えていた。神奈子の薦めもあって、自室にて手慰みに習字をしていたのだが、流石にこれだけ室内に籠もりきりだと気が塞いでくる。
 早苗は、気分転換に縁側に出ると、しとしとと降り続ける春雨を何をするでもなく眺めていた。
 早苗自身、決して雨の日が嫌いということはないのだが、それでも物事には限度というものがある。いい加減晴れ間が恋しくなっていたのは事実だった。
 早苗はふと両の手を見て、すぐに空を見上げた。どんよりとした雲が、人里を越えて博麗神社の方まで延びていた。一瞬、奇跡の力で吹き飛ばしてやろうかという、非常に魅力的だが邪な欲望がむくむくと湧き上がってくるのを感じていた。
 ぶんぶんと頭を振って、その考えを自分の心から追い出す。
 早苗の奇跡の力を持ってすれば、この程度の雨雲など風で押しのけることは容易かった。だが、自然は自然のままであるのが良い、という幼い頃より受けてきた薫陶が、まだ早苗の中で生き続けており、自分の歓楽のために奇跡の力を使う事を許さなかった。
 早苗は恨めしげに空を見上げると、一つ溜息を吐き、すっきりしない気持ちを抱えたまま早苗は自室に戻るのだった。
 それから雨は一昼夜降り続け、ようやく明かった。
 早苗は、久方ぶりに人里へ買い物に出かけることにした。思えば、先日の相談以来、神社から出ていなかったのだから、当然、守矢神社の食糧事情は芳しくなかった。
 幸い、どこぞの貧乏神社と異なり、お米や味噌など最低限のものはあったので飢えに苦しむ事はなかったのだが、やはり嗜好品、特に肉や魚などを欠かすことになり、少し物足りなさを感じていたのだった。
 二柱にちょっと行ってきますと告げると、すぐに早苗は幻想郷の春の空に飛び込んだのだった。
 そして改めて、早苗はその美しさを感じていた。春雨が景物を流しきったのではないかと心配していたのだが、そんなことはなかった。むしろ、花片や若葉の上に少しずつ貯まっていた塵を春雨が洗い流し、いっそうその美しさを際だたせていたのだった。
 こうして景色を落ち着いて見ることが出来るのはいつ以来でしょうか。そんなことを思いながら早苗は、人里への道筋を翔るのであった。
 ここ最近は、外に出るたびに視線のことが気に掛かり、何も見えていなかったのだなあと、改めて早苗は感じていたのだった。
 そうこうするうちに、ようやく人里が見えてきた。少ししか間が空いていないはずなのに、早苗は随分長く来ていなかったように感じられた。街並みが新鮮に感じられ、道行く人々の表情も、
 いつもより明るく見えたのは気のせいではないだろう。雨が降っていたのは守矢神社だけではなく、ここも同じなのだ。家に振り込められた人々が、久方ぶりの晴れ間の下、出歩く事の楽しさをきっと思い出しているに違いない。早苗はそんな風に思っていた。
 春雨は、早苗の心のもやもやも洗い流してくれただけでなく、幻想郷全体を元気づけてくれたのだろう。
 そんな風に考えるとちょっと前には恨めしく思えていた雨が、再び良いもののように思えてくるのだった。

21.
 早苗は人里につくと、早速肉屋や魚屋、八百屋などが建ち並ぶ大通りへと向かうのだった。
 さて今日は何にしましょうか、そんな風に日々の献立を考えるのが早苗にとっては娯楽の一つであった。
 外の世界にいた頃の早苗は、日々の忙しさにかまけて料理などをほとんどすることもなかった。しかし、幻想入りして以来、それは早苗の仕事になっていた。
 初めの頃は、食べられないことはないが、決して美味しいわけではない料理しか作れなかった。だが、謙虚に教えを請い、経験を積んだことで、めきめきと料理の腕は上達していた。
 それは、二柱が師として長けていたと言うことの証明にもなったが、何よりも早苗自身が料理に限らず、日々の家事を楽しんでいたことが上達した所以であった。
 だから、こうして並べられている商品を吟味するのは本当に楽しいことだった。しかし、こうしていると時折だが、早苗は外の世界にいた時の事が思い出してしまうのだった。
 便利だったんだなあ、と今更ながら早苗は思う。いざ無くなってみると分かることだが、食品の数や種類、また見た目など、外の世界のスーパーやコンビニは本当に便利だったなと。しかし、無い物ねだりをしていてもしょうがないと、一つ気を入れ直すと、店先に並ぶ商品と睨めっこするのだった。
 今日は、久々に諏訪子様が食べたがっていたハンバーグにしよう、そう決めると早苗は肉屋の店主に一声掛けた。
「お、早苗ちゃん、いらっしゃい。今日は何にするかい?」
「牛肉の挽肉が欲しいんですが、ちょうどありますか?」
 早苗の言葉に店主は満面の笑みを浮かべた。それは、自分の仕事に誇りを持った男の表情だった。
「早苗ちゃん運が良いねえ、ちょうどさっき挽いたところだったんだよ」
「じゃあ、それをお願いします」
「あいよ」
 ふと、早苗は視線を感じてキョロキョロと周りを見回した。
「どうしたんだい、早苗ちゃん。何かあったのかい?」
 肉屋の店主は、手際よく挽肉を竹皮の包装紙に包みながら、早苗の方を心配そうに眺めていた。それに気付いた早苗は、心配を掛けまいと無理矢理愛想笑いを浮かべるのだった。
「いえ、何でもありません。あ、おじさん、やっぱそれはもう少し多めに貰えませんか?」
 気まずさを誤魔化すように早苗は別の注文をするのだった。
「あいよ。じゃあ、こっちはおまけしといてあげるよ」
「いつもすみません」
「博麗様もあんたみたいにもう少し愛嬌がありゃあねえ……。ちっとばっかしあの御方はおっかないからねえ」
 そんな風に愛想よく振る舞う早苗を見て、店主はぼやくようにそう言った。
「霊夢さんですか?」
「そうそう、今日は久々に買い物に来てくださったんだけど、ちょっと近寄りがたいというか、畏れ多いというかよくわかんねえんだけど、声を掛けづらくてねえ」
「そうなんですか……、確かにちょっとぶっきらぼうなところはあるからそう見えるかもしれませんが、優しい人ですよ」
「そうかい? でもやっぱり俺っちらみたいな連中からすれば、なかなか難しいんだよ」
「そんなもんですかねえ。ありがとうございました」
「おう、また贔屓にしてくんな」
 一通り早苗が買い物を済ませて、里の広場を通り過ぎようとしたときだった。広場の中心から円を描くようにして人だかりが出来ていた。

22.
「あれは何でしょう?」
 人が集まっていれば自然とそちらの方に足が向くのは、やはり現代っ子としては当然のことで、その誘惑には抗いがたいものがあった。早苗の行くところ奇跡有り、まさにモーセの開海である。早苗が進んだ方は自然と隙間が空いていき、気が付くと中程まで進むことが出来ていた。遠目に見たときにはあまり分からなかったが、近づいてみるとその多くが子供だった。そして、そこまで進んで、なぜ子供が多いのかも理解できた。
「ああ、人形劇ですね」
 人々の衆目の中心にいたのは一人の年若い乙女だった。白い洋服に水色のスカートを身に纏い、人形を操るたびに揺れる金髪のショートボブと、洋服の各所を飾っているリボン。理知的な金眼が印象的なその乙女は、七色の人形遣い、アリス・マーガトロイドであった。
 アリスは時折、人里に出てきては人形操作の訓練の一貫として人形劇を行っているのだった。どうやら今日はたまたまその日に当たったらしい。望外の幸運に喜びながら、早苗は周りの子供達の邪魔にならないようにそそくさと腰を下ろした。
 今、アリスが演じている題目は古典劇ではなく、どうやら昔話をアレンジした新劇のようだった。
 大筋としては、悪い魔女によって撫子の花に変えられた恋人を元の姿に戻すために、詩人が旅をしながら困難を乗り越えていくというものらしい。悪い魔女によって恋人を変貌させられるお話というのは、古くからよく取り扱われたテーマであるが、そこに様々な物語のエッセンスを加えることによって、飽きさせない作りになっていた。
 ちょうど目の前では、詩人の人形が魔女の塔を攻めている騎士達を鼓舞するようにトランペットを吹き鳴らしていた。水色の明るい髪の色の人形が、見ているこちらも高揚しそうなほど気持ちよくトランペットをかき鳴らしていた。
 早苗ですらそう思ったのである。より没頭している子供達ならばなおさらだった。盛り上がりすぎた子供などは、周りの制止を押し切り立ち上がって、応援し始める始末だった。
 観衆の雰囲気をアリスは敏感に感じ取ったのだろう、生演奏をしている水色の髪の女性に横目で合図を送った。だが、そのトランペット奏者自体も演奏に没頭していて、アリスの気遣いをまったく意に介した様子がなかった。アリスの目の奥に一瞬火が灯ったのを早苗は見過ごさなかった。もし衆目がなければ間違いなく舌打ちをしていただろう。しかし、この場をどう治めるか、そのことに頭を悩ませているようだった。
 このままでは劇自体が駄目になってしまうじゃないか、と早苗が違う意味ではらはらし始めたとき、どこからともなくヴァイオリンの音色が聞こえてきた。あたかも初めからいたかのように、トランペッターの横にすっと立つと、演奏し始めるのだった。それは、人々の心を落ち着け、それまでの狂乱を治めるように響き渡ったのだった。
 ちょうど人形劇の舞台の上でも、妖精の女王に支えられながら、よろよろと金髪の王子の人形が現れ、詩人の人形の傍らで演奏し始めたのだった。
 早苗は安堵すると共に、今更ながらその人形達が演奏者にそっくりであるということに気が付いた。詩人はトランペット奏者に、王子の人形はヴァイオリニストに、そして、妖精の女王でさえ、早苗の側で劇を見ている緑髪の妖精にそっくりだった。
 こうして、危うく破綻を迎え掛けた人形劇も無事にラストシーンを迎えていた。そしてクライマックスの詩人の恋人が撫子の花から人間に戻るシーンを見て、早苗はもう一つ驚くことになった。それは、その恋人の人形はどう見ても、今舞台で人形を操っているアリスにしか見えなかったのだった。

23.
 カーテンコールでは、人形と一緒に、人形がそのまま大きくなったような操者たちが挨拶をしていた。当然、劇を破綻に導きかけたトランペット奏者は、アリスに周りから見えないようにして抓られていた。その様子を微笑ましく眺めていると、唐突に肩を叩かれた。
「えらく熱中していたな」
 驚いて後ろを振り返ると、そこには、黒い帽子に、黒いドレス、その上には白いエプロンドレスを羽織っっている、まさにそれこそ先程の話で懲らしめられた魔女そのものという出で立ちの少女、いわゆる普通の魔法使い、霧雨魔理沙が立っていた。
「何だ魔理沙さんですか、もう息が止まるかと思いましたよ」
「ああ、すまんすまん」
 口ではそう言いながら、魔理沙の態度はまったく済まなさそうに見えなかった。早苗はいつものことだと一つ苦笑すると、話題を変えた。
「それはそうと魔理沙さんも見られてたんですね」
「まあな。私はアリスの保護者みたいなものだからな――」
 そう言った瞬間、魔理沙は頭をはたかれていた。はたいた人物は当然、もう一人の魔法使い、アリスであった。七色の人形遣いと渾名されるだけあって、魔理沙の横に並ぶとその華やかな装いはいっそう際だつようだった。
「誰が保護者よ。むしろ私の方が貴女の面倒を見ることの方が多いじゃない」
 アリスは煩わしそうな口ぶりであったが、決して嫌だというような雰囲気は見られなかった。むしろ、どことなく嬉しそうに見えるほどだった。
 ははあ、これがツンデレって奴ですね、と感心したように早苗は二人の様子を窺っていた。
「そんなことはないぞ、自分の面倒ぐらいは自分で見てるじゃないか。なんと言っても私は一人前の魔法使いなんだからな」
 その言葉にきらりとアリスの瞳が光った。
「じゃあ、もうご飯を食べさせてあげなくても良いわよね」
 意地悪な口調でアリスはそう告げた。泡を食ったのは魔理沙の方である。強がっては見たものの、せっかく気軽に食事をたかれる場所があって、それを簡単に失いたくはなかった。
「おい、それは困る」
「だって、魔理沙は一人前で、何でも出来るんでしょ? そんな人が人の家でご飯をたかるなんて真似をするはずはないじゃない?」
「いや、国士無双だって若い頃は人から面倒を見てもらってたじゃないか、それで立派になったんだから良いじゃないか」
 言い訳にならない言い訳をしながら、魔理沙はとにかく何とか誤魔化そうという気がありありだった。
「何でそんな話が出てくるのよ。いやよ、出世払いなんて」
「というか私も煮られたくないし」
 人事のように話し始めた魔理沙の様子を見て、アリスは最後通牒とばかりに冷徹な態度を取って見せるのだった。
「ふーん、で」
 アリスは何か催促するように魔理沙の方を見た。何を求めているかを気付いていながら、魔理沙は敢えてそれを無視するように振る舞った。
「なんだよ、それ」
 アリスはただジト目で魔理沙を見るだけだった。
「ごめんなさいは?」
「う……、ああもう、私が悪うございました」
 誠意の欠片もない謝り方をする魔理沙に、いつのまにかアリスの背後に立っていた背の高い少女がこらえきれないという風に、大笑いをしていた。

24.
「なんだよメルラン」
「だって魔理沙ったらおかしいだもん」
 メルランと呼ばれた少女が笑うたびに、明るい水色の髪の上で、銀色の太陽が揺れていた。
 そう言えば、先程トランペットを吹いていたのはこの少女だったなと、早苗がぼんやりと考えていると、先程ヴァイオリンを弾いていた金髪の女性が、メルランを遠くから呼んでおり、その横ではキーボードを持った少女がつまらなそうに遠くを見ていた。
「おい、メルラン次が控えてるんだから、早くこっちに来い。いちゃつくのは今日の演奏が全て終わってからだ」
「はいはーい、分かったわよ姉さん。……自分はいつも恋人同伴でいい気なもんでしょうけど、こっちはそうもいかないのよ」
 ああ、と遅まきながらようやく早苗は気が付いた。人形劇の時に演奏していた彼女たちが、プリズムリバー三姉妹であったことに。我ながらいくら何でも気付かないにもほどがあると思わないでもなかった。
 しかし、何故気付かなかったのだろうか、早苗はそれが不思議でならなかった。
 三名揃ってなかったからか、いやあの赤い子がいようがいまいが、普通気が付くはずだ。それが駄目だったのは何故だろうか。早苗は答えを出せずにいた。
 そんな風に早苗が悩んでいる中、メルランはなかなかその場を離れようとしなかった。傍目にはわかりにくいが、ルナサの苛立ちが高まっていくのを、周りの者は徐々に感じ始めていた。
 アリスがなだめるようにメルランの頭を撫でてやりながら、言うのだった。
「また夜に来ればいいじゃない。私の家の鍵は貴女のために開けてあるのだから」
 その言葉にメルランは満面の笑みを浮かべるのだった。
「ありがとうね、アリス」
 そう言うとメルランは、人目があるにも関わらずアリスの頬に口づけをした。
 流石に恥ずかしくはあったのだろう、頬を紅潮させると、アリスに向かって小さく手を振りながらルナサ達の所へ向かうのだった。
 突飛なメルランの行動に、アリスは羞恥のあまり蝋人形のように固まってしまった。何とかメルランに手を振り返すものの、出来の悪い人形のようなぎこちなかった。
「おうおう、お熱いことで」
 例の如く魔理沙が冷やかすのだが、今度は頭をはたかれえることはなかった。あるべきものがないことに、意外に思ってアリスの方をまじまじと見たときだった。
「刺すわよ、……上海が」
 重低音を響かせてアリスはそう言った。
「シャ、シャンハーイ?」
 その迫力に、人形も突っ込みづらそうに同調の声を上げるよりほかなかった。
「おう怖い怖い。……って早苗どうした鳩が豆鉄砲を食ったような間抜け面さらしてさ」
 衝撃を受けていたのは早苗も同じだった。だが、その衝撃の所以はアリスとは異なっていた。
「じゃ、アリスまた夜にね―」
「はいはいメルラン行くよ。じゃあアリスさん、失礼します」
「ん、ルナサもしっかりね」
 アリスの言葉にルナサは改めて感謝の意を表すのだった。
「ありがとうございます。またこういう機会が有ればよろしくお願いします。それと……この愚妹もよろしくお願いします」
「よろしくされてるのは、アリスかもしれないがな」
 そんな風に横で軽口を叩いて、やはり魔理沙はアリスから頭をはたかれていた。

25.
 頭を押さえながら魔理沙が早苗の方を振り返った。
「どうする、お茶でもしていくか」
 魔理沙の提案に、早苗は一も二もなく乗ることにした。二人にどうしても聞きたいことがあったからだ。アリスの方も異存がないようで、無言で頷くと、先導するようにさっさと広場を離れたのだった。
「お、おい待ってくれよ」
 いつになくアリスの素早い行動を見て、置いて行かれないように早苗も急いで後を追った。結局言い出しっぺの魔理沙が一番最後に広場を後にしたのだった。
 無表情で先を行くアリスの後を早苗はついて行っていたのだが、その背中を見ながら、何故か違和感を感じていた。
 何というかあるべきものがないような気がしていたのだ。そしてはたと気が付いた。
 そうだ、件の視線を今日はほとんど感じていなかった。具体的に言えば、人形劇を見終わってプリズムリバーの姉妹と別れた辺りから、ぷっつりと消え失せていたのだった。
 思わず早苗がキョロキョロと周囲を見回すと、後ろを歩いている魔理沙と目が合った。当たり前のことだが、早苗の動作を不思議そうな顔をして眺めていた。
「どうしたんだ早苗、憑き物が落ちたような顔をして」
「いえ、お気になさらず」
 早苗は、恥ずかしくて笑って誤魔化そうとしたのだが、魔理沙に対してはそれはまるで逆効果であった。
「何だよ、気になるじゃないか、教えろよ」
 もともと、お茶の時に相談しようと思っていた中身の一つなので、別に今歩きながら言ってもさして問題はないように思われた。ただ、ゆっくり腰を落ち着けて話したいと思っていたので、どうするべきかと思案していると、アリスの足が止まった。
「着いたわよ」
 そして、二人の方を振り返るとそう言った。
 早苗は、物を考えながら歩いていたのであまり意識していなかったが、それなりの距離を歩いていたのだった。気が付くと人里の小高い丘の一角まで登ってきていた。
 目の前には、幻想郷には珍しい西洋風の建物が立っていた。早苗にしてみれば、久々に目にする建物であった。それは、外の世界で言う、所謂喫茶店そのものというものだった。
 懐かしさに早苗が物珍しそうに見ていると、アリスに早く入るように促された。
「ほら、早苗入るぜ」
 魔理沙から押されるようにして門をくぐると、そこには小さいながらも風景式庭園の粋を極めたような庭が造られていた。如何にも西洋的なその庭造りはまるでおとぎの国に迷い込んだような気分になるのだった。
 しかしそれだけではなかった。丁寧に観察していけば、一見欧風にガーデニングされた庭園の中には、和風の花が印象的に並べられているのが分かる。
 例えば、生け垣の中には連翹の花の植え込みがあった。ちょうど時期の花とはいえ、これだけガーデニングされた門構えの中にそれがあるとバランスを壊しそうな物だが、まったくそのようなことはなかった。
 むしろそれが、和と洋が一体となっている風景を作りだしており、早苗は興味深く眺めていた。
「どうかしら、満足していただけたかしら?」
 アリスは満更でもないような口ぶりでそう言った。
「はい。何というか人里にあるのは、和のお茶屋さんという印象があったものですから、こういうお店があるとは意外でした」
 早苗の言葉にアリスは会心の笑みを浮かべたのだった。
「さ、庭を見るのはそこまでにして中に入りましょう」
 アリスに促されて店内に入ると、そこは人形の国だった。

26.
 店は、外から見ても十分欧風の雰囲気を湛えていたが、中に入るとよりそれは徹底されていた。
 店内に入ってまず目につくのは、陶器人形やセルロイドの人形を中心とした数々の西洋人形である。その他の調度品も、骨董品を基調とした物で、非常に洗練されている雰囲気を与えていた。
 また古いボンボン時計の音色が心地よく、癒しの音があちこちから響いていた。
 木をたくさん使い、灯りもほんわかした色のランプを使っているせいか、暖かいぬくもりのある雰囲気を醸し出していた。
 花冷えのこの時期だと、まるで吹雪の中から暖炉を焚かれたロッジに入ってきたかのような錯覚を覚えたのだった。
 席に着く。このテーブルも骨董品なのだろう、古めかしいがしっかりとした材質で、細部に金色の飾りが施されており、上品な印象を与えていた。
 メニューも当然のように本格的な英国式に準じており、当然ティースタンドに乗って出されてきたのは、ハーフサンドにスコーン、当然添えられたクリームはクロテッド、それにジャム。そして、種類が豊富なケーキだった。
「本当に徹底されていますね、ちょっと、いや、かなり驚きました」
 早苗が素直に感じた気持ちをアリスに伝えると、アリスもまた非常に満足そうに頷いたのだった。そして、その後茶目っ気たっぷりに、指を口元に当てていった。
「種明かしをすれば、ここのお店は私のプロデュースが入っているの」
「そうなんですか?」
 予想はしていたが、はっきりそうだと聞くと、改めて驚きを覚えるのだった。
「ええ、ここの店主の方が私の人形劇を見て、色々と参考意見を聞いてくるから、こっちもついつい趣味が昂じてね、このお店に並んでいる人形は、全部そのためだけに私が作ったのよ」
「え、全部ですか?」
 早苗は店内の人形を見たときに、アリスが作ったのだろうと予測はしていたが、このためだけに一から全てを準備したとまでは、流石に思っていなかった。
「確かに人里にはこういうお店はあんまり無いし、というか紅茶を専門的に出す所自体が無いじゃない。だから、どうせなら徹底的にやろうと思ったのよ」
「こいつ凝り性だからさ、」
 そう言って魔理沙は呆れたように笑って、ずるずるとまるで日本茶のように音を立てながら紅茶を啜ったのだった。
 早苗はそれを見て、自分が紅茶に手を付けていないことを思い出した。いそいそと一口含んで目を見開いた。
「うちで飲んでるのと全然違います」
 早苗の反応を見て、待ってましたとばかりにアリスは頷いた。
「そう言って貰えると指導してきた甲斐があったわ」
 アリスは、自慢げに形の良い胸を張るのだった。
「ところで守矢神社って和風の印象が強いけど、紅茶を飲むこともあるのね」
「まあ、ティーパックなんですが」
 早苗の言葉にアリスはがっくりと肩を落とした。その様子を見て、魔理沙がキシシとにやついて、またアリスに頭をはたかれていた。
「おい、あんまり叩かないでくれ。パーになったら責任取って貰うぜ」
「元々パーのくせに、それ以上悪くなることは無いでしょ」
「酷いぜ」
 その二人の漫才のようなやり取りを見て、早苗は先程メルランが笑っていた理由がよく分かる気がした。

27.
 ふとメルランで思い出したのだが、早苗は昼間の一件以来ずっと気になっていた事を聞いてみようと思った。
「ちょっとつかぬ事をお聞きしたいのですが、宜しいですか?」
 怖ず怖ずと申し出た早苗の態度に不思議の感はあったが、店やお茶を褒められて気分が良かったのだろう。あっさりと了承していた。
「何? 別に良いけど」
 それを良いことに早苗はずけずけと聞きにくいであろう質問を開始した。
「えっと、さっきの人形劇のですね、トランペットを吹いていた人形のモデルってメルランさんですよね」
「ああ、あれ? そうよ」
 歯切れの悪い早苗の言葉に対し、アリスの返答はやけにあっさりしたものだった。
 そこには逡巡も何も感じられなかった。
「で、恋人の人形は」
「ああ、私ね」
 ここまであっさりと答えが返ってきていたので、これならば本題の方も気楽に聞ける雰囲気かと思って、いよいよそちらの方に話を向けようとしたその時だった。
「ということは、もしかして」
「想像通りよ……」
 そう言ったアリスの表情は、それまでとは異なり、明らかに意気消沈したものだった。
 どうやら先程までの気楽さは何とか頑張ってそう答えていたようだった。
 その落差に、早苗が意外そうな表情を浮かべると、か細い声でアリスは次のように答えたのだった。
「ちなみに話を考えたのは私じゃないわよ」
「そうなんですか!?」
 ノリノリでやっていたものだから、そうだと思っていたのだ。
「流石に自分から喧伝するほど露出狂じゃないわよ」
「でも結局やってますよね」
 早苗の言葉にいちいちうなだれるアリスを見ながら、早苗は外界にいた頃に見た野球選手の首振り人形を思い出していた。
「それは言わないでちょうだい……」
「カードで負けた罰ゲームなんだよ」
 思い出して項垂れるアリスの横から魔理沙が正解を教えてくれた。
「そうなのよ!」
 珍しく魔理沙の発言にアリスは強い勢いで同意した。
「あの話を考えたのはパチュリーっていうか、小悪魔だな」
「え、あの司書さんがですか」
 詳しい話を聞いていくと、どうやらあの話の原案は図書館の主であるパチュリーであるらしい。
 だが、それをここまでアレンジして、人形劇に仕立て上げたのはその従者である小悪魔だと言うことだ。
 そして、そもそも何故アリスが自分を題材にしたような人形劇をやる羽目になったのか、それは紅魔館の図書館で、レミリアたちとやったカードゲームの罰ゲームだということだ。
 その話を聞いて思わず早苗は絶句した。
「それは……」
「分かってるわよ。自業自得って言いたいんでしょ」
 運命操作に時間操作、気を操る能力に魔法の大家、誰が見ても不利は明らかだった。
「反省してるわ……」
 そう言ってアリスが黙り込んでしまったので、早苗は本当に聞きたかったことを聞けずじまいだった。
 それは、簡単に言えば恋愛に関することだった。
 幻想郷に来て早苗が一番衝撃を受けたことが、女同士で仲睦まじくしている光景だったのだ。

28.
 早苗が、俯いてしまったアリスをどうしたものかと眺めていると、魔理沙とふと目があった。
 特に何か訴えかけたわけではなかったが、魔理沙は任せとけとでも言いたげにウインクすると、アリスに声を掛けた。
「アリス、多分早苗が聞きたい事って、そういう事じゃないと思うぜ」
 アリスは魔理沙の言葉に不思議そうに顔を上げた。それを確認すると、魔理沙は早苗の方へと向き直るのだった。
「だろ?」
 まさか魔理沙に気持ちを察されるとは思っていなかった早苗だったが、ここはチャンスだと思って大きく頷いた。
「はい、そうです」
「じゃあ、どういうこと?」
 アリスは苦虫を噛み潰したような顔をしてそう言った。その反応に一瞬怯みかけたが、言わばもろともということで、思いきって早苗は尋ねてみることにした。
「いえ、お二人とも女性なのに恋人なんだなあって……」
 ちょっと末尾が尻すぼみになってしまったが、早苗は勇気を出して質問することが出来たのだった。
 だが、早苗が考えていたほど、魔理沙とアリスにとってその話題は深刻な物ではなかったらしい。
 二人顔を見合わせると、早苗がここまで口籠もったということがよく分からないという風に首をかしげたのだった。
「なんだ、そんなことね」
 そして、拍子抜けしたようにアリスはそう言った。
「そんな事って」
 あっさりと言い切られたことが、早苗にとって意外以外の何ものでもなかった。
「だって、貴女相手の性別を見て恋愛しているの?」
 しかし続けて出てきた発言には流石に驚かされた。
「いや、見るでしょ、普通」
 こちらに来てから大分破壊されてきたと思ったが、それでも自分の持っている常識がまだまだ外の世界に準拠していることに早苗は改めて感じていた。
「そうかしら? 好きになってしまった相手がいれば、それがどんな存在であっても、別に良いと思うわよ。もしかして、貴女は違うのかしら?」
 そうアリスから同意を求められたが、流石に首を縦に振ることは出来そうになかった。
 それでも、少し考えることがあったので、横に振って否定もしなかった。
 それを見てアリスは、少し納得し、少し不満げな表情を浮かべながら述懐するように言うのだった。
「まあ、別にこれが普通だとは思ってないわよ。でも幻想郷では珍しい考え方ではないと思うんだけどね」
 なんと言うこともなく、良い具合に力を抜いたその言葉は、確かにアリスの本音そのものであるように早苗には感じられるのだった。
「というか、そもそも二人とも人間じゃないしな。一人は種族魔法使いで、一人は騒霊。そこからすれば性別なんて小さいこっだ」
 そんな風にあっさりと言ってのけて、豪快に笑う魔理沙の態度に早苗は絶句していた。
 確かに、種族から考えればアリス達の恋愛というのは、すでに前提条件からして違うのは分かる。
 だが、同じ人間であるはずの魔理沙がこうも達観した考え方をしているとは意外であった。
「やはり、この幻想郷では常識にとらわれてはいけないのですね……」

29.
 早苗が思わず呟いた言葉を聞いて、少しだけ魔理沙は眉間に皺を寄せた。
「何だ早苗、私が非常識だとでも言いたいのか?」
「別にそう言うことでは」
 穏やかならざる口調で早苗に噛み付く魔理沙をなだめるようにしてアリスが口を開いた。
「まあ、あんたが非常識なのは確かじゃない。すぐに人のもの盗むし」
「だからあれは借りてるだけだって」
 弁明するように魔理沙が言うのだが、誰もそのことを信じてはいなかった。
 ただ、そんな扱いには慣れているのか、魔理沙は居直り強盗のように踏ん反り返った。まさに名は体を現すを地でいくのだった。
「確かに私は常識にとらわれてはいないな。でもそれは外の世界の常識にとらわれていないって事だ」
 そのことは早苗自身も了解していることだった。そして、分かってるならいちいち怒らないで欲しいとも思った。
「というか、さ、お前んとこの神さんたちだってそうだろ?」
 突然自分の所の神様たちの名前を出されて、早苗は咄嗟に答えられなかった。
「は?」
 間の抜けた返事を返す早苗に、さも当然のように魔理沙は断定するのだった。
「いやだから、お前んとこの神奈ちゃん、諏訪ちゃんも同じって事だよ」
 こんな風にあっさり言われたときなど、思わず頭を抱えてしまうのだった。
「どこかのマスコットみたいな呼び方はやめてください」
 カリスマの欠片もない呼び方をされて、少しだけ早苗は不満そうに口を尖らせた。
 それと変な誤解をされているようだから解かねばならない。そう思って口を開くのだった。
「お二人は確かに仲が良いですけれど、別に、その、えっと恋人じゃありませんから」
 やはりその言葉に慣れないのか、どもりながら早苗は言うのだった。
「そーなのかー」
 魔理沙は両手を水平に広げると、間の抜けた声でそう言った。
「どこの妖怪ですか、真面目に話してるんですよ」
「ああ、すまんすまん。でも、よく考えてみな、お前のとこの神さんだって昔は生け贄を求めてたんだろ。その時の生け贄は男だったか、女だったか?」
「え? ああー」
 魔理沙の話の意図に気付いて思わず、早苗は手を叩いていた。
「だろ? 別に変じゃない」
 魔理沙は早苗の反応を見てしてやったりと、口元を上げるのだった。
「というかさ、別に同性はここのスタンダードって訳じゃないぞ」
 魔理沙の言はこれまでの流れを逆転させるものだった。先程までと全く趣旨の違う言葉に、自然と早苗の目が疑わしいものに変わっていた。
「だったらどうして私はここにいるんだよ」
「まあ、そうですが」
 言われてみれば確かにその通りだった。
「お前の知り合いにそう言う奴が多いのは事実だけど、別にそれが常識じゃないんだよ。難しく考えすぎなんだって。好きだから好き、それでいいじゃないか」
 そう言って、魔理沙はにこやかに笑うのだった。
「あんたの話はぶっちゃけすぎなのよ。まあ、でも、そういうことよね」
 アリスもまたそれに強く同意するのだった。

30.
「というか普通の人間まで私たちみたいなのばっかりだったら、とっくの昔に幻想郷は滅んでるわよ」
 確かにアリスの言うとおりだった。幻想人類がこうして繁栄しているのは、少なくとも一般的に言う人の営みというのが行われてきた
「ただ、私みたいのが多かれ少なかれいるのがこの世界だから、外の世界みたいに、きっちりとした観念はないのは確かね――」
 と、そこでアリスは一つ言葉を切った。
「――それにあいつらが結界の管理をしてるんだからいい加減になるに決まってるじゃない」
 アリスは、さも当然という風に腕組みをすると、うんうんと頷気ながらそう言ったのだった。
「あいつらって霊夢さんと――」
「紫の事よ」
「ああ、なるほど」
 とても納得できる結論だった。
「ところで、疑問が晴れたのに浮かない顔をしているけれど、まだ何かあるの?」
 ふとアリスは思案顔になって、早苗を問い質すのだった。
 確かにそのことを相談しようと思っていたのに、別の大きな問題にかまけていて、そちらの方が疎かになっていた。
「え? なんでですか?」
「人形劇の時から思ってたけど、見るからに悩んでますって顔をしているわよ」
 アリスの指摘に、思わず早苗は顔をなで回していた。
「諏訪子様にも言われましたし、そんなに分かりやすい顔をしてますかね?」
 シュンとして頭を垂れながら、早苗は自分の頬を撫でるようにするのだった。
「そうね、そこでスコーンを頬張ってる意地汚い奴並みには、分かりやすい顔をしているわよ」
 そう言ってアリスが目線を魔理沙の方に向けると、そこにはガツガツと食べ物に集中している魔理沙の姿があった。
 しばらく何も話さないなと思っていたら、こうやって自由気ままに食べているのである。
 早苗は、改めて霧雨魔理沙という女の子はマイペースなんだと思わされるのであった。 
 そうして眺めていると、早苗は魔理沙と自然に目があった。すると、目が合うと何だか肉食獣のように威圧してきた。
「あん、何だってアリス?」
「もう、全部食べてから話しなさいよ、品性を疑われるわよ」
「へいへい」
 魔理沙は、アリスの言葉を聞き流すようにして、頬張っていたスコーンを流し込むようにして、お茶を一気に啜るのだった。
 その姿を見てアリスがもの凄く渋い顔になった。
 ただ、その気持ちは早苗もよく分かるのだった。流石に魔理沙の行動は、がさつな男の子という形容にふさわしいものだった。
 そんな風に、二人から見られてるなどつゆ知らず、魔理沙は相変わらずの姿を見せるのだった。
「で、何の話をしようとしてたんだ?」
 そう言って快活な表情を浮かべたのだった。

31.
「先日これを頂いたんです」
 そう言って、早苗は懐から巾着袋を取り出すと、その中に入っている件の向日葵の花片を二人に見せるのだった。
 それを見た瞬間、二人の表情がさっと変わった。理由は分からなかったが、明らかにこの場の雰囲気が重くなっていた。血相を変えて魔理沙が口を開いた。
「早苗、これはどうしたんだ?」
「はい、先日の宴会の時に貰ったんです。ですけど、くれた方に心当たりがなくて、魔理沙さん達ならどなたかご存じかな、と思いまして」
「……ところで、それを聞いてどうする気だ?」
 先程までの剽軽な様子とはうってかわって、魔理沙はドスのきいた声でそう問い返した。
「え? どうされたんですか、二人して何だかおかしいですよ」
「答えて、早苗」
 魔理沙の変貌に戸惑う早苗に、アリスが急き立てるように言うのだった。そこには何故か焦りのようなものがうかがえるのだった。
「はあ、せっかく歌を頂いたので、もう少しお話ししてみたいなあ、と思ってたりするのですが」
 無邪気にそう言う早苗に、二人の表情はいっそう渋面になっていった。
「悪いことは言わん、それはやめときな」
「そうね、魔理沙の言葉に賛同するのは癪だけど、私もそう思うわ」
 いつも以上に息のあった連携で二人は早苗の行動を否定するのだった。
「ちょっと、お二人ともどうしたんですか?」
「わざわざ怪我をする必要はないって事だ。」
 そう断言する魔理沙の言葉に、早苗は理由が全く分からず首をかしげていた。
「でも、そんなに悪い人には見えなかったんですけど。宴会の後にも一度ここで会いましたが、別に何もされませんでしたよ」
 早苗は見たままの正直な印象を、二人に告げたのだが、その反応は全く良くなかった。
「別にのべつくまなく襲ってくるような危険な奴じゃないのは確かよ。でもね、決して安全な奴ではないの」
 どこか遠い目をしながら、アリスは昔話でも語るように、そう言った。
 二人の態度が明らかにおかしいのは、確かだった。この件に関しては、素直に聞いても答えてもらえるとは思っていなかったが、早苗はまずは直球勝負に出ることにした。
「お二人とも何かあったんですか?」
「「ノーコメント」」
 結果は、見事なまでの即答だった。
「はあ、まあお二人がそう言うのなら、しょうがないですね」
 だから引き際も早かった。
 早苗の言葉に、魔理沙とアリスが明らかに胸をなで下ろしたのは明らかだった。
「ですが、せめてお名前だけでも教えてもらえないでしょうか?」
 油断しかけたところに再び切り込んできた早苗に、同反応を返そうか二人とも迷っているような素振りを見せていた。そこにつけ込むより他はなかった。
「もし、お二人のおっしゃるように、それをくれた妖怪が悪い奴だとしたら、次に会って名前を知らないというのは拙いのではないですか?」
 そこまで言ってようやく二人は重い口を開いた。
「貴女にその花をくれたのは、風見幽香と言う妖怪よ」
「……風見、幽香さん」
 一言一句を確かめるようにして早苗は名前を呼ぶのだった。

32.
「教えていただいてありがとうございます」
 早苗は深々と二人に向かって頭を下げた。
 魔理沙もアリスも、その反応を見ながら自分たちの行動が本当に正しかったのか、まだ少し悩んでいるような気がしていた。
「で、感謝ついでにもう一つ」
「ん、まだあるのか?」
 魔理沙が少し構えた声で聞き返した。
「はい、女の子にはたくさん秘密があるものですよ」
「それじゃあ、仕方ないな。私もそうだしな」
 いけしゃあしゃあと嘯く魔理沙をアリスが冷たく見下ろしていた。
「今度は何かしら? 前の話を詳しくってのは無しよ」
「ああ、それでも良かったですね」
「早苗!」
 アリスが早苗の言葉に反応して声を上げた。やはり、先程の幽香の話が尾を引いているのだろう。弾幕はブレインと称する者とは思えないほど冷静さを欠いていた。
 早苗は出来るだけ自然感じを装って、それこそ何でもないことのような口調で話すのだった。
「どうも最近、誰かに見られているような気がして仕方がないんです」
 そう言って切り出した話は、先日から慧音や二柱に相談した中身と同じものであった。
「貴女自身には何もないの?」
「はい、特段直接の被害はなくて、ただ見られてるといった感じがずっと続いているだけです」
「うぅむ、そういうことが……」
 早苗の状況を聞いて、二人は一つ思案顔をして困ったように唸るのだった。
 意外とあっけらかんとした様子で、早苗は二人に説明するのだった。
「ん? 一つ聞くが早苗さ、それは何処でそんな気になるんだ?」
「そうですね、基本的には神社以外の全ての場所でしょうか。どうも神社にまでは入ってこないみたいです。まあ、だからこそ神奈子様たちが気付かないのでしょう」
 思い出し思い出ししながら、訥々と説明する早苗の言葉を聞いて、アリスは魔理沙に何事か小さく耳打ちしていた。
 そして、魔理沙は早苗を安堵させるように、頼りがいのある引き締まった表情を見せた。
「ま、視線についてはこっちでも何とかしてみるぜ」
「ええ、心当たりはあるから……」
 その魔理沙とは対照的に、苦虫を噛み潰したような声を出すアリスの顔は暗いものだった。
「そうなんですか!? よろしくお願いします」
 夜の九時を告げる時計の鳴る音がした。女三人寄ればかしましいとも言うが、美味しいお茶と楽しいお喋りがありさえすれば、時間などあっという間に過ぎていってしまうのだった。
「では、そろそろ私は……」
「そうね、あの二柱が私たちの所に怒鳴り込んできてもいけないからね。『うちの早苗をたぶらかすな』って」
 茶目っ気たっぷりにそう言ったアリスに、早苗は何を言ってるんですかと苦笑するほかなかった。
 そうして、早苗は二人にお別れの挨拶をしてから、喫茶店の玄関を出た。
 すると、玄関と門の間にあるこんもりとした連翹の一株が、早苗の行く手を塞ぐように、夜陰の中に枝を張っていた。早苗はふんわりとしたその香りを匂うと、春酔いのあの一件を思い浮かべていた。あの一件と花の香りとは切り離すことが出来なかった。
 偶然この連翹の木の前に立って、思いを馳せたとき、街灯がついてその黄色い花を照らすのだった。まだ残って駄弁っているであろう二人を残し、早苗は一人暗い表に出ると、守矢神社への帰途につくのだった。

33.
 ここで話は数時間前に遡る。
 早苗が視線を感じなくなったのは、アリスの人形劇を見出してからであった。
 では、何故そこからだったのか、それは幽香がアリスと魔理沙を警戒して、その場から離れたためだった。決して、アリスたちを恐れたわけではなかったが、過去の因縁もあり、気付かれる可能性が高い場合は、幽香は避けるようにしていた。たとえば守矢神社然りである。
 そのため、早苗は視線を気にすることなく、喫茶店でのお茶会まで堪能することが出来たのである。
 結果論ではあるが、アリスや魔理沙に相談したというのは、早苗にとっては幸運なことであったのだろう。
 しかし、一端その場から離れたものの、幽香はアリスと魔理沙が早苗から離れたら、再び観察に入ろうと企てていた。
 だが、それは実際には行われなかったのは、夜分に一人守矢神社に帰って行く早苗が視線を感じなかったことでも明らかであろう。
 では、何故幽香は戻ってこなかったのか、それはひとたび戻った太陽の畑で足止めされていたからに他ならなかった。
 幽香は早苗が人形劇の後、きっとアリスや魔理沙と共にお茶会をするだろうと踏んでいた。もしかしたらその場で自分の名前が出てくるかもしれない。そこまで考えていた。
 それでも、実際に姿を見られて確認されなければ、知らぬ存ぜぬで突っぱねられるとも考えていた。
 だから、今のところは太陽の畑でこちらも、お茶を楽しんだ後、頃合いを見計らって戻ればよいと思っていた。
 しかし、幽香の考え通りうまく事は運ばなかったのである。
 幽香が人里に戻るため、家を出ようと扉を開けたときであった。
「バカジャネーノ」
 突然片言の罵声が幽香を襲った。
 反応してにらむが、その目線の先には人影はなかった。不思議の感がして目線を下ろしていくと、そこには一体の人形がいた。
 サラサラの金髪に赤い服を着て、妖精のような羽根をつけた小さな人形は、剣を持って幽香を威嚇しているのだった。
「あらあら」
 フッと幽香は自嘲するように薄笑いを浮かべた。しかし、如何にも愉しそうな様子だった。
 蹴散らしていくのは容易かったが、幽香はそうしなかった。
 それは、事ここに至っては焦ったところで、無駄だと言うことは分かっていたし、それよりもいざ事を構えるときに、わざわざ相手の気分を害す用件を増やす必要もなかろうと思っていたからである。
 なので、幽香は上海人形を強引に部屋の中に招き入れると、改めてお茶を入れ、その時が来るのを待つのだった。
 結構な時間がたち、流石の幽香でさえ待ちくたびれ始めた頃、家の扉をノックする音がした。
「開いてるわよ」
 幽香が中からそう声を掛けたが、扉が開くことはなかった。
「やれやれ、心配性ね」
 一つ溜息を吐くと、幽香は上海人形の方を向いた。
「貴女の大切なご主人様がお待ちよ、開けてきなさい」
 そう言うと、扉の方へ行くように促した。
「シャンハーイ」
 ふわふわと扉の方へ上海人形は飛んでいくと、全身を使って扉を開けた。
 その向こうには、厳しい目のアリス・マーガトロイドが直立不動で立っていた。

34.
「シャンハーイ!」
 上海人形はアリスの姿を見つけると、嬉しそうにその胸に飛び込んでいった。それを優しく受け止めると、愛娘を可愛がるようにアリスは上海の頭を撫でてやるのだった。
「ご苦労様、上海」
「シャンハーイ」
 そして改めて幽香の方に向き直ると、柳眉を逆立ててじっと睨み付けるのだった。
「そんなところに立っていないで、中に入ったらどう?」
 そんなアリスの怒気を受け流すようにして、幽香はのんびりとした調子で言った。
「結構よ」
 アリスの返答はつれないものだった。
「あらご挨拶ね、アリス。でも私は家から出る気はないから、もし貴女が私に何か話があるなら、その扉を開けて入っていらっしゃい」
 冷たい態度を見せるアリスに、一切流されることなく幽香はきっぱりとそう言うのだった。しばらく玄関越しに見つめ合う二人だったが、先に折れたのは、攻め手側であったはずのアリスだった。
「……分かったわよ」
 そう言って、アリスは幽香の家に入るのだった。
 入ってみてアリスは少し驚いた。それは、現在の幽香の家はこぢんまりとしており、かつて夢幻館という名の屋敷に住んでいたとは思えないほど簡素な建物だった。
 それでも緑に囲まれた木造の建物で、室内はやや狭めの印象だが、木製家具を配した温かみのある雰囲気にまとめられていた。
 チラチラと室内に目線をやるアリスの態度を見て、幽香は余裕たっぷりの声で語りかけるのだった。
「お眼鏡にかなったかしら?」
「別に」
 アリスの返答は素っ気ないものだった。
「久しぶりに二人っきりで話すのに、つれないわねえ」
「別に馴れ合うつもりはないわ」
 棘のあるアリスの言葉に、幽香はいたく傷ついたというポーズを取ってみるのだが、完全に看破されていたようだった。
「ところで、あんた何考えてるの?」
「何のことを言っているのかしら」
「早苗の事よ」
 いつまでもはぐらかすような態度をとり続ける幽香の態度に、アリスが焦れているのは明らかだった。
「別に、貴女には関係なくてよ」
 幽香の物言いも決して親愛な雰囲気を作り上げるようなものではなかった。アリスの気をさらに逆立てるように、わざと素っ気ない態度を取るのだった。
「そうね、確かに関係なかったわね.だけど、早苗の友人として、貴女にもの申しても良いでしょう」
 予想外の長広舌に幽香は意表を突かれていた。
 しかし、それ以上に幽香の心を揺さぶったものがある。
 それは、おかしさだった。
 アリスの言葉を聞いて、幽香は思わず笑いがこみ上げてくるのを抑えきれなかった。
「ククッ、おもしろい、おもしろいわねアリス。まさか貴女がそんな言葉を吐くようになるとはねえ。やはり年は取ってみるものね――」
 本当に面白いと言わんばかりに、幽香は腹を抱えながら笑うのだった。そして、落ち着いたところで続けた。
「――あのぼっちのアリスがお友達呼ばわりとはねえ、魔法使いにも歴史有りだわ。いえ〝オトモダチ〟はたくさんいたわね」
 そう言って、幽香は如何にも馬鹿にしたような態度を見せるのだった。
 だが、そんな幽香の嘲弄にアリスは、一切傷ついた様子を見せなかった。

35.
「言いたいように言えばいいわ」
 激することなくそう告げるアリスを見ながら幽香は、つまらなさそうに呟いたのだった。
「本当に大人になっちゃってまあ、ママの背中に隠れていた小さな女の子はこんなに大きくなりました。神綺の奴も鼻が高いことでしょう」
「さあ、どうかしら。神様の考えることなんか、私には分からないわ」
 あまり触れたくなかった話題にお互い触れてしまったのか、部屋は水を打ったように静まりかえってしまった。
 しばらく、無言でお互い様子を窺っていたのだが、やはりここでも口火を切ったのはアリスの方だった。
「それにしても何で早苗にちょっかい掛けてるのよ」
 アリスからしたら当然の疑問であったのだが、幽香は鼻であしらっただけだった。
「あら、貴女に説明する義務でもあるの?」
 そして、厳然たる調子で尋ね返した。
「別にそんなことはないけど……」
 その幽香の切り返しに、自然とアリスの返答は尻すぼみになってしまうのだった。
「だったらいいじゃない。貴女にとって〝お友達〟かもしれないけれど、貴女のお好きな〝人ごと〟でしょ?」
 幽香はもっともらしい口調で、かつてのアリスの人となりから詰るのだった。
「……そうね」
 口ごもるアリスに、幽香は追い打ちを掛けた。
「それともあれかしら、妬いてるのかしら?」
 アリスにとっては思いも寄らなかった事なのだろう、頭に血が上り、憤懣やるかたないといった風だった。
「馬鹿じゃないの? あんた頭わいてるんじゃない。そんなことしなくても、私には大事な霊がいるから間に合ってます」
 やはり恋は盲目という所だろうか.先程まであれだけ冷静だったアリスが、少しその道の方に方向を変えてやるだけで、簡単に崩れてしまっていた。
「だったら、私の邪魔をする必要はないわよね。それこそ、人の恋路を邪魔する奴は何とやらよ」
 幽香は冗談めかしてそう言ったのだが、アリスの返しは簡潔で明瞭だった。
「そりゃ、あんたじゃなかったら止めないわよ」
「なによそれ、無茶苦茶ね」
 そう言いながら、幽香は何故かしっくり来るものがあった。それは論理立てた問題への解答でなく、感情の分野に当てはまるものだったからであろう。
 あの、アリスをここまで崩せたのだから、これはこれで満足していたからでもあった。
「無茶苦茶で結構。とにかくあんたみたいな奴の言葉なんて信用できるはずが無いじゃない」
「酷い言われようね」
「自業自得よ。とりあえずこれ以上早苗にああいう付きまとい方をするのはやめなさい」
 アリスはきっぱりと幽香に宣言するのだった。
「今なら、私と魔理沙の胸の内に留めておくわ。でも、そうじゃなければ……」
「分かってるわ、もう今のやり方はやらないわ」
「それは結構」
 幽香の返事にアリスは満足げに頷くのだった。
「じゃあ、私は帰るわね」
 言いたいことを言って気が済んだのだろう.アリスは幽香の返答など待たずに立ち上がった。
「あら、お帰り」
「ええ、もう用はないから」
「あ、そうそう。それでも貴女が本気ならば止めはしないわよ。ただし、こう言うのはやめなさいよ。はっきり言って逆効果だから」
 こうして言いたい放題言って、アリスは幽香の家を後にするのだった。

36.
 そんな遣り取りがアリスと幽香の間にあったことなど、早苗はまったく知らなかった。
 ただ、彼女に分かっているのは件の謎の視線が消えたと言うことと、自分の中にある風見幽香という妖怪への興味が強くなったと言うことだけであった。
 それは先日のお茶会以来、ずっと早苗の心の中でひそかに暖められていったことだった。アリスたちは、かなり悪評を連ねたが、早苗からしてみればそこまで悪い妖怪には見えなかったのだ。むしろ、あれならば霊夢などの方がよっぽど凶暴な気がするのだった。
 しかし、考えたところで答えが出るはずはなかった。やはり直接会う他はない、というのが早苗の中での結論だった。
 しかしここで致命的な間違いを犯していることに気が付いた。それは早苗が、幽香の居所のことをまったく聞かなかったことである。
 それだけでない。アリスや魔理沙が酷い目にあったと言うことや、性格に難がありそうなことは、曖昧にだが感じられた。だが、どんな妖怪で、どこの場所に住んでいるかなどは、まったく分からなかった。
 今にして思えば、それは巧妙に伏せられていたのだろう。かといって悔やんでも仕方がないので、次善の策を考えねばならなかった。
 早苗が出した結論は、やはり話を聞きに行くことだった。しかし、その相手は慎重に選ばねばならないだろう。以前と異なり、名前と容姿が分かっているので、大抵の者に聞いても答えは返ってくるように思われた。
 だが気をつけなければならないことが二つあった。
 それはまず、にあの二柱に気付かれないと言うことである。どうやら、以前相談して以来、少々のことにも過剰反応しすぎているきらいがあった。当然のことだが、先日のお茶会で遅くなったときには、相当に心配をされた。
 もし早苗が危険かもしれないと思われる妖怪を調べている上に、しかもその対象が例のストーカーまがいの事をしていたと知られたら、結果は火を見るよりも明らかだろう。それこそ、春雨ではなくて血の雨が降るに違いない。想像するだに恐ろしかった。
 そしてもう一つは、話を関係ない者に知られないと言うことだった。知らない者に相談すると言うことは、それなりの危険を伴うことでもあるし、不慮の事態を招きやすくする要因にもなる。それは、前の問題点にもつながると言うことであった。
 つまり、この時点で相談する相手というのは限られてきていた。アリス、魔理沙、慧音、そして霊夢ぐらいで留めておくのが良いだろうと思う。
 この中でまず消えるのはアリスだろう。あの時早苗が話したときに最も強く反発したのはアリスだった。まず聞きに行ったところで、教えてくれるはずがないだろう。
 そう言う意味では霊夢もやめておいた方が良いかもしれない。この四人の中では最も二柱に近いというのも危険を感じられた。
 では慧音か.信頼できるという点では一番、頼りになりそうだが、問題は件の因縁を知らないというのが、少し引っかかるのだった。最終的には、直接会ってその人となりを確かめるつもりではあるが、完全に前情報が欠落するのも良くない気がしていた。
 そうなると、やはり魔理沙に頼むほかないのだろう。決して他の三名と比べても低い壁だとは思わないが、彼女の性格を考えれば、やはり一番与しやすい相手だと早苗は思っていた。
 そうと決めたら善は急げである。早苗は身支度を調えると自室を出、二柱への挨拶もそこそこに境内を飛び出そうとした。
「早苗、そんなに急いでどこに行くんだい」
 拝殿にて一人花見酒に興じていた神奈子から呼び止められたのは、まさにその時だった。

37.
 まさかそんな場所に鎮座しているとは思っていなかったので、早苗は慌てふためいてしまった。
「どこか後ろ暗いところがあるんじゃないだろうね。危険なまねをすると言うのなら、許さないよ」
 件の視線のことを相談して以来、外出の際にこうやって色々聞かれることが増えてきていた。
 確かに心配してもらえるのは有り難いことなのだが、流石に風祝としてそれなりに独り立ちしてきたつもりになっていた身としては、流石に過保護すぎるような気がしていた。
 それだけでなく、やはり自分がまだまだ頼りなく思われているような気がして、少し複雑な気がしていた。
 そしてもう一つだけ言うならば、年頃の娘としては息が詰まる思いがしていたのだった。
「ちょっと魔理沙さんの所に行ってきます.先日、相談にも乗っていただきましたし、別に何かなされたわけではないんでしょうが、言われていたとおりぱったり視線も消えましたので、お礼でもしに行こうかと」
 魔理沙の名前を出したことで、多少なりとも神奈子の表情は緩んだのだが、それでも眉間に寄った皺が取れるたわけではなかった。
「霧雨の所は良いが、あいつは少しだらしがないところがあるからなあ。ゴミ貯めにお前をやるのもどうかと思うんだが」
 流石にその物言いは失礼かと思い早苗は口を開いた。
「神奈子様。それはあんまりですよ」
「すまんすまん、ちょっと口が滑ってしまったよ」
 自分でも失言したことに気がついていたのだろう.軽く頭を掻くと、後ろめたそうにそう言うのだった。
「じゃあ、参りますね」
 早苗はその隙を見て、神奈子にそう言うと背を向けて飛び立とうとした。
「あ、ちょっと待ちなさい早苗.霧雨に伝言をして欲しいことがあるんだ」
 自分を引き留めるための方便かと思わないではなかったが、早苗は一端立ち止まり振り返った。
「何でしょう?」
「いや、簡単なことだ.以前霧雨の奴がうちの分社を、家に造ったことがあっただろう」
 懐かしい話を出されて、少し早苗は逡巡したが、そう言えばそんなこともあったなと手を打って思い出した。
「思い出したようだね」
「で、あれがどうしたというのですか? というか機能しておりましたっけ」
 思い出したのは良かったが、どうも問題があるような気がしてならなかった。どうやら神奈子の伝言もそこについてらしかった。
「それだよ。あやつは造るだけ造ってほったらかしにしてるもんだから、まったく機能しとらん」
「やっぱりそうなんですね」
 予想通りと言えば予想通りの展開に、早苗は呆れたように溜息を吐いた。
「だから、あいつの所に行くのだったらそこを何とかしてきてはくれんか?」
「何とかと言いますと?」
 いきなりの振りに流石に真意が読み取れず、早苗は、鸚鵡返しに尋ね返してしまっていた。
「そこはお前に任せる」
 さらなる無茶ぶりに早苗は困惑していた。
「任せられても困るのですが……。まあ、分かりました。ひとまず使用に耐えられるようにはしておきます」
「頼むよ」
 神奈子の願いを聞くと、改めて早苗は霧雨邸に向かって飛び立ったのだった。

38.
 やはり神奈子の言うように、久方ぶりに来た霧雨邸はゴミの山だった。正確にはゴミと言うよりはガラクタなのだが、その価値が分からない早苗にとっては、やはりそれはゴミ以外の何物でもなかった。
「ごめんなさい神奈子様、あなたの言われることは正しかったです」
 そう思わず口に出して謝ってしまうほど、霧雨邸の惨状は酷かった.それは一言で言えば、外の世界にいた頃にニュースで見たゴミ屋敷そのものであった。
「これは人選ミスだったかもしれませんね……」
 思わず、頭がクラクラとしてしまい、自分の決意に対して疑いを持ってしまう早苗であった。
 しかし、このまま門の前で立ち止まっていても埒が空かないので、とりあえず呼びかけてみることにした。
 それにしても、門から玄関まですらゴミに溢れてどこが道かすら分からなくなっているというのは、本当にすごいとことだと思った。
 何とか、道なき道をかき分けて玄関にたどり着くと、樫の木の扉を力強く叩いたのだった。
「早苗です。魔理沙さーん、いらっしゃいますか?」
 しかし反応が非常に薄かった。何度もどんどんと扉を叩く.いっそ壊れろと言わんばかりに叩いていると、ようやく内側から扉が開いた。
落ち窪んだ瞳にこけた頬、埃まみれでぼさぼさに乱れた金髪を直しもせずに、魔理沙は明らかに不機嫌そうに早苗を睨んでいた。
「何の用だよ、こんな朝早くから」
 思わず早苗は空を見上げてしまった。太陽が頂点から徐々に下がっている時間である。それを指して、こんな朝早くとは、一体全体どうしたわけだと。
「あー、もしかしてもう昼か?」
 不思議そうに自分を眺める早苗の視線に気付いたのだろう。魔理沙は恥ずかしそうに頭を掻くとそう言った。
「もう昼過ぎですよ、どうしたんですか? そんなくたびれてしまって――」
「ちょっと研究が行き詰まっててな。まあ、そんなとこで立ち話も何だ.上がりな」
 そう言って魔理沙は、早苗に家に上がるように促した。外の様子を見ているので、少し躊躇ったが、目的を思い出して思い切って入ることにした。
 客間は他の部屋に比べれば、比較的人間が息を出来る空間であった。魔理沙がシャワーを浴び、着替えている間、早苗は古いがしっかりとした革製のソファに座り、出されたコーヒーの香りが部屋の中に充満していた。
「魔理沙さんってコーヒー飲まれるんですね」
 さっぱりと身支度を調えてきた魔理沙に、開口一番早苗はそう尋ねた。
「ん、まあ研究の時だけだがな。寝れなくなるから」
 魔理沙の如何にも子供っぽい理由に、早苗はちょっとおもしろく思っていた。しばらく魔理沙の研究の話や、コーヒー談義をしていたのだが、ふといたときに魔理沙が表情を変えて言った。
「で、そう言う話をしに来た訳じゃないんだろう?」
「はい。話というのは――」
「こないだの件なら却下だ」
 やはり予想していたのだろうにべもなく断られた。だが、早苗にも考えがあった。もしこのまま教えてもらえなくても、自分で勝手に調べますとまで言った。
 そのような遣り取りを何度か繰り返した結果、魔理沙はとうとう折れてしまった。
「分かったよ.だが、最低限だ。幽香は花の妖怪だよ.だから向日葵の花をくれたんだと思う.理由は、まあ考えれば分かる。ちなみに、私らがあまりあいつに良い印象を持っていないのは、過去に色々あったからだ」
 それだけ言い切った魔理沙に、まだ不満げな早苗の表情を見て、魔理沙は立ち上がって言うのだった。
「ちょっと外に出ないか?」

39.
 早苗は魔理沙と並んで、空を飛びながら、魔理沙の口から出る次の言葉を待っていた。いやむしろ、待ち伏せするかのように期待をしていたのだった。
 その時の早苗の気持ちとしては、魔理沙をだまし討ちにしてでも幽香のことを聞き出したいと思っていたのだった。
 しかし、早苗にもそれなりの良心があると自負していたので、もし誰かが側にやってきて、今の自分を見て醜いと言われれば、そうだと言うくらいの自覚はあった。
 それが横にいる魔理沙であったとしてもその気持ちは変わらないと思っていた。
「早苗さ、どうしてそんなに幽香のことが気になるんだ?」
 だが、魔理沙はやはり魔理沙だった。かの少女は真っ直ぐで、どこまでも素直な少女だったのである。
 自分のことばかりを考えていた早苗はその真っ直ぐさにつけ込むようにして、魔理沙から幽香のことを聞き出そうとしたのだった。
「多分、きっと幽香さんに惹かれているからだと思います」
「そうか」
 早苗の返答に魔理沙は簡潔に答えるだけであった。
 なおもしばらく、二人は幻想郷の空をただ行くだけであった。
 魔理沙はしばらくして、早苗の名を呼んでそちらを見た。今度は早苗の方から止まり、しばらくその場で浮遊していた。すると、魔理沙の方も止まった。
 早苗はその時初めて魔理沙の目を見ることになった。常の時であれば、魔理沙は早苗よりも背が低いので、地上であれば見下ろすことになり、例の魔女の帽子のために目線を遮られることになる。しかし、幸いにもここは空中のため、真向かいで相対することが出来たのである。
「もうこの話はやめにしないか?」
 魔理沙の眼にも言葉にも変に悲痛なところがあり、早苗はそれを見てちょっと返事が出来なかった。
「もうやめてくれ」
 と魔理沙は今度は頼むように言い直したのだった。
 早苗はその魔理沙の様子を見て、完全と反論を述べるのだった。それは、猛禽が隙を見て小動物に襲いかかるように。
「魔理沙さんが、やめろっておっしゃるのであればやめてもかまいませんよ。ですが、ただ口先だけでやめたとしても意味はありませんよ。これは、私の気持ちの問題でもあるのですから。もし教えていただかなくても、私は自分で何とかしてみます.そのための覚悟が私にはありますから」
 早苗がそう言いきったとき、元々背の小さな魔理沙が一段と小さくなったように早苗には感じられた。魔理沙は知っての通り、頗る強情な少女だったのだが、一方では人一倍真っ直ぐな少女でもあった。
 そうであったので、このように自分の力が足りないときに人からそれを指摘されるとなると、決して平気でいられない性格だったのである。
 早苗はその様子を見て、このままだったら、何か聞き出せるんじゃないだろうか、そう思っていたところ、魔理沙は突然「覚悟?」と聞いてきたのだった。
 そして、早苗がまだ何も答えないうちに、
「そうか、じゃあ、お前の覚悟を試そうか」
 と付け加えたのだった。魔理沙の調子は独り言のようであり、また夢の中の言葉のようでもあった。
 早苗と魔理沙はそれきり話を切り上げて、再び霧雨邸の方に踵を向けたのだった。割合に風のない麗らかな日であったが、時折薄暗い森の中を通ると冬の名残のような冷気が肌を切るようだった。
 霧雨邸に戻ると、魔理沙は早苗から、神奈子の伝言を受け取ると、そそくさと家の中に引き取ってしまったのだった。

40.
 早苗は一人、霧雨邸の前に取り残されて、どうしようかと思案していたときだった。
「あら、早苗じゃない」
 空を見上げれば、魔法の森のもう一人の魔女が、空の上から見下ろしていた。
「あ、アリスさん……」
 別に悪いことをしていたわけではないのに、後ろめたい感じがして、目をそらしてしまった。そんな不審な様子を見逃してくれるアリスではなかった。
「早苗、ちょっとお話しようか」
 アリスらしからぬざっくばらんな物言いに、何故か逆らうことが出来ず、早苗はアリスに付き従うほかなかった。そうして、早苗はアリスの家まで連れてこられていた。こちらは久しぶりでもその外観を損なうことなく、相変わらず可愛らしい家で、如何にもお伽話に出てきそうな欧風の建物であった。
 しかし、何故かアリスは真っ直ぐ家に入らなかった。
「早苗、こっちよ」
 そう言うと、アリスは庭の奥の方に入っていった。不思議なアリスの行動に首をかしげながら、早苗はただ着いていくだけだった。
 そして、アリスは風の吹きだまりのようになっている一角で立ち止まった。いや、それは巧妙にカモフラージュされていて吹きだまりのように見えたが、欧風の東屋だった。
 アリスはその中に入り、奥に座ると早苗にも早く入って来るように言った。
「こんな所があったんですね、全然知りませんでした」
 感心したようにそう言う早苗に、アリスはどこか自嘲的に呟いた。
「まあ、ね。ここはいつもは人払いをしてあるし、滅多に誰かを招く場所じゃないからね」
 その言葉に頷きながら東屋に入った瞬間、早苗はうっと鼻を押さえた。嫌な匂いが鼻をついて、少し気持ちが悪くなったのだ。しかし、園に甥は以前どこか嗅いだことがあるような気がした。
「あら、外の世界の暮らしが長い割には苦手なのね」
 そう言いながらアリスが懐から取り出したものを見て、早苗は驚愕に目を見開いた。それは煙草だった。驚く早苗をよそに、アリスは手慣れた様子で火をつけると、深く吸い込むと、美味しそうにあ煙を吐いた。それが思いの外決まっていて、思わず見とれてしまった。
「意外って顔をしてるわね」
 早苗はただ頭を縦に振るしかなかった。
「まあ、別に言うことでもないしね。それはそうと、魔理沙のところで何をしてたのかな?」
 早苗の動揺が治まらないのを見計らってか、アリスは単刀直入に用件を切り出した。
「……幽香さんのことを聞きに行ってました」
「そう、で、魔理沙は?」
 無表情でそう聞き返すアリスの内心を、早苗は全く読み取れなかった。
「幽香さんが花の妖怪だって事は教えてくれました。でも他のことは結局……」
 早苗の言葉を聞きながらアリスは、少し考え込むような素振りをすると、紫煙をくゆらせていた。早苗が灰皿を見ると、既に四本目に突入していた。
「もし貴女が本気なら覚悟を決めた方が良いわ。私が言いたいのはそれだけ。後、幽香は太陽の畑にいるわ」
 また覚悟という言葉が出てきた。何故、魔理沙もアリスも覚悟を問うのだろうか、そこが早苗には分からなかった。
 しかし、アリスはそんな早苗の表情を窺って、分からなくて良いのよ。とばかりに八本目の煙草に火をつけると、煙を吐くのだった。
 こうして早苗は幽香の居場所を漸く知ることが出来たのだった。

41.
 そのころ幽香の方はどう日々を過ごしていたのであろうか。アリスから、釘を刺されて以後、幽香は早苗の観察は控えていた。
 その結果だろうか、どうしてももやもやした気持ちが抑えられずに、鬱屈した日々を過ごしていた。
 そのため、何をするでもなくただ漫歩するのが、最近の日課となっていた。
 この日は、気が付くと幽香は博麗神社の前まで来ていた。折角だから霊夢の顔でも拝んでやるとしましょうか。そう思って、幽香は鳥居をくぐり抜け、拝殿の前まで行ったがそこには霊夢の姿はなかった。
 珍しいこともあるものだ。大体この時間は掃除をしていると思ったのだけど。そう思って周囲を巡らしたが、影も形もなかった。
「それにしても相変わらず寂れた神社ね」
 宴会の時とは全く違うひっそりとした様子に、幽香はそう呟いた。よく言えば神域としての静けさなのだが、これほど妖怪たちが跳梁跋扈する現状を顧みれば、ただ寂れている神社にしか過ぎないのである。
 普段であればこのまま帰る所だが、何故か今日はどうしても霊夢と会わねば気が済まない気がしていた。
 なので、常になく母屋の方に向かってみた。そこで、霊夢が拝殿の方にいなかった理由が良く分かった。
 縁側には古びた書物が陰干しされており、中からはガタゴトと整理をする音が聞こえていた。
 何か手伝わされても嫌だったので、霊夢に声も掛けずにその場を離れようと背を向けた時だった。
「ちょっと、待ち、なさいよ」
 息も絶え絶えの霊夢が煤まみれの顔で出てきた。
「酷い顔。洗ってきたら?」
 幽香の言葉に霊夢は脱兎のごとく走り出すと、井戸の水を頭から被って、猫のようにぶるぶると体を振った。もう既に人間離れをした野性を発していた。
「あら。何か用?」
 少し落ち着いたのだろう。さも取り繕った様子で幽香の方まで戻ってくると、霊夢はそう言った。
「別に、ぶらっと来ただけだから、帰るわね」
 見るからに掃除要員をつかまえたという雰囲気が漂っていたので、幽香は厄介事に巻き込まれてはたまらんと、すぐに踵を返そうとした。
「何のつもり?」
 しかし、スカートの裾を掴まれ身動きが取れなかった。
「まあ、待ちなさいよ。そろそろ休憩しようと思ってたから、お茶を入れるわ。折角だから飲んでいきなさい」
 妙に愛想の良い霊夢に違和感を覚えて、やはり帰ろうと改めて幽香は思うのだった。
「気持ち悪い。どういう風の吹き回しかしら?」
 そう皮肉るが、全く堪えていないようだった。
「別に、私がお茶を飲みたいだけだから、気にしないで良いわよ」
 そうは言っても、いつもがいつもだからあまり信用はおけなかった。いつ何時お茶代を払えと言い出すか分かったものではない。
 とはいえ、今日の所は幽香が折れてやることにした。どちらにしても暇な身の上である。いざとなれば霊夢をからかいの相手にして、時を過ごすというのも悪くない。そんなことさえも思っていた。
「それじゃあ、頂くわ」
 その言葉に待ってましたとばかりに、霊夢は手を打つのだった。
「じゃあ、そこで待ってなさい。今淹れてくるから」
 と言って、縁側を離れようとして再び幽香の方に振り返って言うのだった。
「後、そこいらのものは別に触っても良いけど、ちゃんと片付けてよね」
 それだけ言い残して霊夢は台所の方へ引っ込んでしまった。

42.
 幽香は、待っている間退屈だったので、陰干しされていた本に手を伸ばしていた。
 そこには、和歌の歌論書から始まり、古いものから新しい本まで、大小様々な種類のものがあった。
 幽香は、その中の一冊を何気に手に取ってみた。すると、その本の表紙には『聊斎志異』と刻印されていた。幽香は懐かしいわね、と思いながらぱらぱらと目を通していた。かつて、この怪異譚をまとめていた人物とは浅からぬ因縁があったことを久々ながら思い出していた。
 妖怪の身でありながら怪異譚を読むことの不思議さ思いながら、幽香は流し読みではあったが読み続けていた。
 そして、ふとあるページで目が止まった。
 その章段を見て、幽香はそれまでのように流し読みではなく、一言一句を逃さぬように精読し始めた。
 そして、時間としては僅かだったが、幽香の頭の中に新しい道筋が湧いてきたのだった。
「何あんた読んでるのよ」
 頭の上から霊夢に声を掛けられ、幽香は少なからず驚いていた。本に集中していたため、霊夢が近づいてきていたことに全く気が付いていなかったのだ。
「いけなかったかしら?」
 差し出されたお茶を受け取って一口啜ると、幽香は霊夢に尋ねた。お茶のほどよい温さが舌に優しく心地良かった。
「別に悪くはないけど。妖怪のくせに怪異譚読むとか、悪い冗談よね」
 呆れたように肩をすくめる霊夢に、多少同意しつつ幽香は気になっていたことを尋ねた。
「それよりもこんな本があることの方が驚きなんだけど」
「何代か前の巫女が本の虫だったって聞いたこともあるけど、紫が置いていったんじゃないのかしら」
 どうでも良さそうに答える霊夢を見て、安心すると同時に、幽香は気勢をそがれていた。
「なによ、いい加減ねえ」
 軽口を叩くが、霊夢はまるで気にした様子もなかった。
「別に興味ないし」
「貴女だったらそうでしょうね」
 予想通りの霊夢の答えに、幽香はつまらなそうに伸びをするのだった。
 すると、ふと気になったことがあった。
「で、そんな貴女が何でこんな丁寧に陰干しなんかしてるのよ」
「別に良いじゃない」
 プイと明後日の方を向くと霊夢はお茶を啜ったのだった。
「どうせあの婆にでも叱られたんでしょう」
 幽香の言葉に霊夢は無言だったが、その反応こそが正解であることを雄弁に物語っていた。
「まあ、良いわ。それとこの本をちょっと借りてくわね。別に貴女は読まないでしょうから」
 そう言って、本を持ち出しそうとすると、霊夢に慌てて止められた。
「ちょっとちょっと。勝手に持っていかないでくれるかしら?」
「別に死ぬまで借りていくとか言っている訳じゃないから良いじゃない」
 霊夢のよく知っている人物の言い回しをもじって、幽香はそう言った。
「当たり前よ。私の方が先に死んじゃうわよ。……まったく。まあ、いいわ」
「じゃあ、借りてくわね」
 そう言うと、幽香はすぐさま博麗神社をあとにするのだった。
「しまった、手伝いが逃げた」
 霊夢がそう言って悔やんでも既に手遅れだった。

43.
 幽香は霊夢の所を後にするとそのまま人里へと向かった。
 すでにアリスとやり合った衝撃など完全にどこかに消え失せてしまっていた。それよりも、先刻霊夢のところで見つけた鍵をうまく生かすために算段をするので頭が一杯だった。
 幽香は人里に着くと、稗田阿求にとある願い事をするために、真っ直ぐ稗田邸を目指した。
 稗田家は人里の中でも最も長い歴史を誇ると言っても過言ではない。『幻想郷縁起』の編纂を司り、千年以上にわたって発行し続けている一族だった。当然、そのような一族の住むところであるので、人里の中でも有数の大きさを誇っていた。当然門構えからして異なっていた。
 この扉を見るたびに、極太レーザーで吹っ飛ばしたい衝動に駆られるのだが、今日の所も自重して、幽香は門扉を叩くのだった。
 どこかの紅い屋敷みたいに門番が居てくれれば、手間が省けるのにと思わないではなかったが、いないものに愚痴を言っても詮無きことだった。
 ややあって通用門の方から、しかめ面をした真面目そうな年若い女が顔を出した。幽香が見たことがない使用人であった。
「当家に何かご用でしょうか?」
 使用人の方も幽香の顔を知らなかったのだろう。如何にも見下したような視線を向けてくるのだった。
 それを真っ向から受け止めると、私を知らないなんて不勉強ねと言わんばかりに、幽香はフフンと鼻を鳴らすと、その女に用件を伝えるのだった。
「ちょっと阿求に用があって来たのだけど、いるかしら?」
 ざっくばらんに阿求の名前を呼び捨てにしたことが気に触ったのだろうか、その使用人はあからさまに不快感を示した。
「ところで貴女はどなた様でしょうか? 見たところ妖怪のようにお見受けしますが、当家では礼儀を知らないような方をお上げしたりいたしません。お引き取り願えませんか」
 どうやら、本格的に追い返そうと決めたらしい。ことさらに慇懃無礼にそう言うと、問答無用とばかりに門を閉ざそうとするのだった。
 しかし、間髪入れず幽香は締まりかけた木の扉を掴んだ。驚愕して女は幽香の方を見返した。それもそのはずである。掴んだと言っても、幽香は小指一本で扉を支えていたのだった。
 だがそれでも、女は相も変わらず門を閉じようと精一杯力を入れ続けたのだった。
 人間の力では間違いなく抗えないことを見せてやって威圧したつもりだったが、まだ女の心は折られていないようだった。なかなか大したものね、幽香は少しだけ感心していた。でも、そろそろ飽きてきたわねと、さらに力を加えようと、身構えたときだった。
「そこまでにしないか、風見」
 門の奥から幽香の行動を咎める清冽な声が飛んできた。
「慧音先生!」
「また貴女?」
 門の奥、稗田邸の中から現れたのは、上白沢慧音だった。それを見た二人の反応は好対照だった。ホッとしたように声を上げる女に対して、幽香はさもうんざりした風にぼやいたのだった。
「お前は昔から真面目だったが、もう少し相手を見ないとな」
 そう言って慧音は女の頭を撫でてやった。どうやら昔の教え子だったらしい。
「ああ、こいつは通してやってくれないか。私の知人でもあるし、確かに阿求の客でもあるから」
 そう言って慧音は幽香の方に目をやるのだった。

44.
「それにしても風見よ、もう少し普通に入っては来られないのか?」
 稗田邸の廊下を共に歩きながら、慧音は心底呆れたような声を出して言うのだった。それを幽香が黙殺すると、三倍くらいの勢いで横から説教の声が聞こえてきた。鬱陶しかったので聞き流したのだが、それがいっそう気にくわなかったのか、油を注がれた火のように慧音はいっそうに燃え上がるのだった。
 そんなやり取りをしているうちに、先導をしていた女が立ち止まった。そして、障子戸の外から部屋の中に声を掛ける。
「阿求様、お客様をお連れしました」
「どうぞ」
 女がそっと障子を開き二人に中に入るように促した。涼やかな畳の感触を味わいながら室内に入ると、書物に埋もれるようにして稗田阿求が出迎えたのだった。
「珍しい顔が並んでますね。風見さんはご無沙汰しています」
 そう言って稗田阿求は書き物の手を止めると、恭しく頭を下げた。そして座に着くように勧めると、女にお茶を淹れるように指示をするのだった。
「ご苦労様です、下がって貰って結構ですよ」
 阿求の言葉を受け女は、一つ黙礼すると部屋から退室するのだった。
「では風見さん、本日はどのような御用向きで、わざわざ我が屋敷までいらっしゃったンですか?」
 馬鹿丁寧な物言いで阿求は、幽香に来訪の真意を問うのだった。物静かながらそこには有無を言わせぬ迫力があるのだった。
「用件というのはこれよ」
 そう言うと、幽香は一冊の本を取り出した。
「これは『聊斎志異』ですね――」
「珍しいな、風見がこんな本を持っているなんて」
 本当に珍しいと思ったのだろう。慧音は、思わず阿求の言葉を遮ってそう言ったのだった。
「別に霊夢の所から借りてきただけよ」
 にべもなくそう言い放つ幽香に、なおも慧音は不思議そうな顔を浮かべたのだった。
「え、あの巫女の所から持ってきたのか?」
「ええ、そうよ。別にあの黒いのみたいに死ぬまで借りていくとかは言ってないわよ。丁重に借りてきましたよ」
 しれっとした顔でそう言った幽香に、慧音は奥歯に物が挟まったような言葉遣いを掛けるのだった。
「いや、そうでなくてな――」
「慧音さんはこう言いたいンでしょう。『あの博麗の巫女のところにまさかこの本があるとは思わなかった』と」
 慧音の気持ちを代弁するように阿求はそう言った。
「まあ、そう思うでしょうね」
 なかなか本題に辿り着かないことに、幽香は徐々に焦れてきていた。それを見越したように、阿求がようやく核心に触れるのだった。
「で、風見さんはそンな本を持ち出して、私に何をさせようというのですか?」
「ちょっと貴女には代筆して貰いたいものがあるの」
「何をですか?」
「その本の中に『花神』という話があるのは知っているわよね」
「はい、それがどうしたンですか」
 阿求の態度はあからさまに分からない振りをしている人のそれであった。しかも、それを相手に悟られないようにするのではなく、あえて悟られるようするというたちの悪いものだった。
「皆までいわなければ分からないのかしら?」
 苛立ちを隠すことなく幽香は阿求にそう告げるのだった。
 その幽香の感情の揺れを愉しむように、阿求は不敵な笑みを浮かべていた。

45.
「いえ、分かりますよ」
 並の人妖であれば震え上がるような雰囲気を醸し出していたのだが、阿求はそんなことは何処吹く風で返すのだった。
「だったら――」
「で、何をすればいいンですか?」
 幽香を制すると、臆面もなく阿求はそう言いきった。思わず幽香はギリギリと歯噛みをして阿求を見返していた。
 温和そうな顔をしていても、やはりこいつは稗田の当主だ。本当に良い性格をしている。怒りで暴発しそうだったが、すんでのところで幽香は何とか抑えることが出来た。
「冗談ですよ」
 そうぬけぬけと嘯く阿求は大概良い性格をしていると、横にいた慧音でさえ思うのだった。
「ただですね、一つ分からないことがあるのです」
 芝居がかった口調で阿求はそう言った。
「何よ」
 今度は何を言い出すのかと、喧嘩腰で幽香は返答した。
「そう構えないでください風見さん。簡単で単純な話です――」
 そう言うと阿求は一つためを作ると続けた。
「――何故、代筆を頼まれるンですか?」
「答えが必要かしら?」
 幽香は阿求の質問の真意を正確に読み取ってはいたが、敢えてはぐらかすようにそう答えた。頼んでいる立場であったが、幽香は真面目に答えるつもりは毛頭なかった。
「質問に質問で返さないで欲しいンですが、まあ、必要ですね」
 至極もっともなこととでも言わんばかりに阿求はそう言うのだった。阿求もまた、幽香が真意を話すなどとは全く思っていなかった。だからこの質問もただの嫌がらせである。
 蚊帳の外になってしまった慧音は、二人の陰険漫才を横目に、何故風見幽香がこれほどまでに阿求の麗筆を求めるのか、それが気掛かりでしょうがなかった。
 いや、心当たりはあった。だが、どうしてもそれとこの一件を結びつけることが出来なかったのだ。
「どうしても言わないといけないのかしら?」
「ええ、是非」
 そんなことを慧音が考えている間も、未だ幽香と阿求の間では綱引きが続いていた。
「まあ、貴女にお願いする理由は簡単よ。貴女の手が美しいからに決まっているじゃない」
「それを言ったら風見さンだって、十分だと思いますが。それとも貴女が直接書いては拙いことでもあるンですか?」
「別に……、ただ、より良いものを求めようとするのは、当たり前ではなくて?」
 阿求の言葉に、一瞬幽香は痛いところを突かれたというように顔色を変えたが、すぐに取り繕ったように言葉を続けた。
「お褒めいただいて光栄ですが、期待に添えそうにはないですよ」
 阿求はさんざん渋って、幽香の気を揉ませた挙げ句、あっさりと了承した。そしてすぐに取りかかったと思えば、僅かな時間で頼まれたものを書き上げるのだった。
「出来上がりましたよ、風見さん」
 阿求は会心の笑みを浮かべると、筆を置くのだった。
 差し出された紙を、幽香はまじまじと眺めて言った。
「流石ね」
「満足していただいて何よりです」
 幽香は、受け取ったものを大切に懐に収めると、そそくさと阿求邸を後にしたのだった。それこそ脱兎のような勢いであった。

46.
「阿求、何で風見の申し出を受けたりしたんだ?」
 上機嫌で稗田邸を後にする幽香を見送った後、慧音は少し怒ったような顔をして阿求に詰め寄った。
「おもしろいからに決まってるじゃないですか。それに――」
 少し棘のある慧音の言葉に、阿求は平然とそう答えた。あまりと言えばあまりの返答に鼻白む慧音をよそに、阿求は言葉をつないだ。
「――あんなに真剣な風見さんを見るのは久方ぶりでしたから」
 そう言った阿求の言葉に、慧音は軽く眉をひそめた。
「真剣? 風見のどこをどう見たらそんな風に見えるんだ」
「そうですね、私本人ではなく稗田阿弥の頃の記憶ですが、大結界成立以前に、一度だけ風見さんが訪ねてきたことがあったンです。その時も今日のような顔をしていたンですよ。……確か、あの時は大切な妹分が亡くなろうとしていたか何かだったンでしょうか。どちらにしても、今日の風見さんのように余裕がなかったのは確かでしたよ」
 まったく持って愉快そうではない慧音を横目に、阿求は鈴を鳴らすようにコロコロと笑うのだった。
 慧音が、阿求が能弁な語りを聞いてもまだ納得しがたいような表情を浮かべていたので、阿求は次のように続けるのだった。
「考えてもご覧なさい、あの風見幽香が人間を頼っているンですよ、それこそがあの方の真剣みを能弁に語っているンじゃないですか?」
 阿求の言葉に漸く慧音は得心したようだった。
「なるほどな、そう言われてみれば、確かにそうかもしれないな。だが、やはり分からないことがある」
 阿求のまだあるンですか、と言うような視線を無視して、慧音はさらに言葉を繋ぐのだった。
「それは、何故、風見のやつは、あれほどまでに早苗に執心なんだろうってことだ。そして、それを早苗が決して嫌がっている訳ではないってことだな」
 耳慣れない固有名詞に、阿求は微かに眉を顰めたが、すぐに合点がいったようで、慧音の問いに答えた。
「きっかけは風見さんの方かもしれませんが、その、えっと早苗さんでしたっけ、その早苗さんの気持ちも分からないではないンですがね」
「そうか?」
 何気なく呟いた阿求の言葉に慧音は驚かされていた。
「慧音さんは感じませンでしたか、風見さんの雰囲気について」
「何のことだ?」
 おかしいとは感じていたが、だからといってそれが、色恋に発展するようなものとは思えなくて、慧音は即座に疑問の言葉を述べたのだった。
「まあ慧音さんは、妹紅さん一筋だから、分からないかもしれませンね。これだけ枯れている私ですら感じましたよ。匂い立つほどの香気とはああいうことを言うンでしょうね。まさに花盛りだったじゃないですか。とはいえ、私には香りが強すぎるンですがね」
 阿求の口ぶりに、慧音はよく分からないという風に見返すだけだった。その慧音の態度に、しょうがないですよと言うと阿求は再び自分の書き物に戻るのだった。
 その様子を見て、もう聞いても無駄だと思った慧音だったが、最後に一つだけどうしても気になっていたことがあったので、阿求に尋ねるのだった。
「ところで、結局お前は何を書いたのだ?」
「恋文ですよ。とびきり上等のね」
 そう言って阿求は、まさに異変の黒幕と呼ぶにふさわしい表情をして、口元を歪ませるのだった。

47.
 数日後、守矢神社に差出人不明の一通の手紙が届けられた。正確には差出人の欄には、書かれていたのだが、事実上それは差出人不明とまったく変わらなかった。
 そこには、古の花の神よりと記されていた。
 その手紙を前にして、守矢神社の面々は無言で見つめ合っていた。
「神奈子様、諏訪子様どうしましょうか?」
 思い詰めたように早苗は二柱に尋ねたのだった。
「どうしましょうとは?」
 その問いをはぐらかすように、神奈子は答えた。
「分かってらっしゃるのでしょう、お二方とも」
 何故か腰が重い二柱に対して、苛立ったような口調で早苗は吐露したのだが、二柱は早苗の進言にまったく相手をするつもりはなさそうだった。
「八坂様、諏訪子様、これは守矢神社に対する挑戦です。すぐに打って出ましょう」
 早苗はいい加減苛立ちを抑えきれないというように、声を荒げたのだった。
 そもそも、何故早苗がこのように激高しているのか、それは届けられたこの手紙のせいだった。
 手紙の内容を一言で言えば、それは檄文だった。
 ざっとした内容としては次のようなものである。
『これまで花々は、無慈悲な風の力によって虐げられてきた。それは神としても心を悩ませているところであった。そのため、ここで戦を行い、風の神を討ち果たそう』
 といったものであった。この内容を知って、早苗は今怒りに燃えているのであった。その反面、当事者である神奈子の方は落ち着いたものだった。
「まあ、落ち着け早苗。そう焦るんじゃない」
 しかし、神奈子が宥めようとしても、早苗は落ち着く気配はなかった。いや、むしろ神奈子のその態度そのものが、早苗の神経を逆撫でていたのだった。
「このどこの馬の骨だとも分からない輩が、恐れ多くも軍神を婢女呼ばわりしたんですよ。それは許せません」
 高ぶった感情を鎮めるように早苗は一呼吸置いた。
「それだけじゃありません。私たちがこの地に来たのは何のためですか.信仰を得るためです。霊夢さんに負けて、初めての異変に失敗した後でも、頑張って信仰を積み上げてきたじゃないですか」
 早苗の長広舌を二柱は無表情で黙って聞いていた。
「エネルギー革命や、諏訪子様の非想天測にしたって、信仰の獲得に役立ってきました。ですが、ここで舐められたら一貫の終わりじゃないですか」
 そう言って拳を固く握る早苗の手を、そっと上から包みこむと、神奈子は優しげに言葉を掛けるのだった。
「ありがとう。お前の私を敬愛する気持ちはよく分かったよ。だがな、それこそ何処の神だかも分からないのに、軽挙妄動するわけにはいかんのだ.捨て置くことも、また信仰の道だと心得てくれ」
 だが、穏やかに諭す神奈子の言葉は届かなかった。
 早苗は、「私は許せません」と捨て台詞を残し、飛び出して行ってしまった。とっさにその後を追おうとする諏訪子を、制して神奈子は言うのだった。
「放っておきな」
「神奈子あんた何を考えているんだい?」
 諏訪子はその言葉に訝しげな表情を浮かべた。
「私たちまで動いてみろ、本当に大事になる」
「流石政治家だねえ」
 だが、にやにやと神奈子を見る諏訪子に向かって、神奈子はこうも宣言した。
「だがもし早苗が傷つけられたときは……、生まれてきたのを後悔するくらいこの御柱が突き立つことになるだろうね」
「ああ、そうだね十万億土の彼方に逃げようとも祟り殺してやるよ」
 そう言った二柱の表情は、まさに異名に相応しいものであった。

48.
「おっと、お嬢さんそんなに急いでどちらにお向かいかな?」
 早苗が息せき切って、手紙に指定された場所に向かおうと飛翔していると、不意に芝居がかった声に呼び止められるのだった。
「別にどこに行こうと魔理沙さんには関係ないですよね」
 早苗は声を掛けてきた方に振り返ると、そんな風に啖呵を切った。そして、魔理沙に背を向けると、すぐにその場を離れようとした。
「あらら、嫌われたもんだな」
「私、急いでるんですけれど」
 顔だけ後ろに向けた早苗は、言葉尻は丁寧だが、言葉の端々には苛立ちを隠せずにいた。そのような早苗の態度などどこ吹く風で魔理沙は
「まあ、話を聞けって」
 魔理沙が引き留めようとするが、早苗はまるで聞く耳を持たなかった。
 気が急いている早苗の様子を一別すると、魔理沙は居住まいを正すと、いっそう芝居がかった口調で早苗の前に立ちはだかるのだった。
「早苗、お前はこの幻想郷で一番妖怪退治が出来るなんて思っているかもしれないが、この幻想郷では二番目だぜ」
 突然の魔理沙の宣言に、早苗は意図が分からないまま反駁していた。
「何を急に言い出すんですか? それに何ですって。ふん、どうせ霊夢さんとでも言うつもりなんでしょ」
 鼻息荒く息巻いている早苗をよそに、魔理沙は飄々とした様子でちっちっちと指を振ると、人を食ったような笑みを浮かべて自分を指したのだった。
「ふっ、この私だぜ。ああしかし確かにそうだな。霊夢も数えればお前は三番目かもな」
 自信満々で言い放った魔理沙の言葉が気に障ったようで、早苗は語弊を構えると魔理沙に向き直った。
「ふぅん……だったら試してみますか? 急いでいますが、肩慣らしに軽く体を動かしてみたくなりましたよ」
「へえ、奇遇だな私も何だかそんな気になったところだったんだよな」
 早苗の言葉に白々しく魔理沙はそう答えると、早苗の方に近づいてきた。
「スペルカードは一枚。それで問題ないですね――」
「いや、二枚だ。そこは譲れない。……まあ、弾幕ごっこがお上手な風祝様だったら一枚でも十分でしょうが、私のような普通の魔法使いには荷が重いですわ」
 馬鹿丁寧な言葉遣いが如何にも軽んじているように聞こえて、早苗はいっそう苛立ちを覚えるのだった。
「戯れを……、でも良いでしょう。ハンデ付きで私が勝てば、幻想郷一は私って事になりますしね」
 挑発に乗る形になったが、早苗は不敵に笑うとそう言った。
「じゃあ、同意と受け取って良いんだな.後悔するなよ」
 魔理沙はしてやったりといった様子で、スペルカードを収めると、早苗から距離を取るのだった。
 口火を切ったのは早苗の方だった。惜しげもなく札を飛ばす。大盤振る舞いも良いところだった。
 先にスペルカードを宣言したのは魔理沙の方だった。
「先手必勝。恋符『マスタースパーク』!」
 例のごとく宣言したスペルは、魔理沙の代名詞とも言える『マスタースパーク』であった。
「相も変わらずそれですか。しかし、心なしか威力がいつもより強いような……」
 早苗の感じ方というのは間違っていなかった。
 今日のマスタースパークは明らかに太かった。圧倒的な極太レーザーが早苗を追い回すのだった。辛うじて掠りながらかわすのだが、零れ出る星屑も常のものより大きく、徐々に早苗を追い詰めていた。
 だが、それでも早苗の表情は極めて冷静であった。

49.
「巫女に同じ技は通じない。もはやこれは常識です」
 そう言うと、自らのスペルカードを宣言することなく、お札の乱れ撃ちと、星の形をかたどる光弾だけで捌ききったのだった。
 自らの代名詞的なスペルカードが破られても、魔理沙の顔には幾分もショックは見られなかった。それどころか傲然と笑うと、懐からスペルカードを取り出し、更に宣言した。
「恋心『ダブルスパーク』改!」
 そう宣言しながら魔理沙は八卦炉を早苗の方へ投げつけたのだった。魔理沙の意図が分からず思わず避けた早苗だったが
「降参するつもりですか」
 得物を投げ捨てた魔理沙ならば、赤子をひねるより簡単に墜とせるだろうとでも思ったのだろう.早苗は無防備に近づいていった。
「それは油断だぜ」
 不敵に笑う魔理沙からは、まるで諦めたような雰囲気は窺えなかった。眼があった瞬間、おかしいと早苗が思ったときである。早苗の背後に投げられた八卦炉から、マスタースパークが放たれた。
 死角からの砲撃に、早苗は辛うじて掠りながら避けることが出来た。だが、後一歩遅かったら確実に墜とされていただろう。
 しかし、それも不意を打たれたからだ。次は容易に避けることが出来るだろう.それどころか、獲物をなくした魔理沙の方を先に墜としてしまえばよい.そんな風に思っていたときだった。
「なん……ですって……」
 目の前の魔理沙の姿勢を見たとき、早苗は驚愕した。それは、目の前の魔理沙自身もマスタースパークを撃つ体勢になっていたからだった。
 相変わらず早苗の後方からはマスタースパークが押し寄せてきている。何故そんな真似が出来るのか、そこが分からなかったが、そのような疑問はさておいて、今は前後から襲ってくる極太レーザーを何とか捌く方法を考えねばならなかった。
 避けるのはほぼ不可能。では、撃っている相手を先にやるか。しかし、それでも一度はどうしても至近距離で捌かねばならない。ではどうすればよいだろうか、流石にお手上げかと思った時ふと気がついた。それぞれ受け止めてから、すぐに速攻で接近するスペルで逆襲すれば良いということに。
 そのことに気付いてからの早苗の行動は迅速だった。御幣を持っていない手にお札を持つと、霊力を集中し簡易的な結界の代わりをさせマスタースパークを受け止めた。想像以上に軽い一撃に疑念を持ちつつも、すぐにスペルカードを発動させた。
「開海『モーゼの奇跡』」
 次の瞬間、魔理沙の頭上から御幣を振り下ろし、あっさりとこの弾幕ごっこにけりを付けたのだった。
「これで、私の勝ちですね。通らせて貰いますよ」
「ああ、かまわないぜ」
 サバサバと頭を掻く魔理沙に対して、早苗は素直に感想を述べるのだった。
「しかしまさかマスタースパーク二本とは驚きました」
「驚いて貰えたなら何よりだぜ」
 そう言って魔理沙は、不敵に笑ったのだった。
「でも、片方は弱くありませんか?」
「ああ、気付いたか。そうなんだよ。如何せん私が使う時のこのスペルカードの欠点は、どちらかの出力が、とても弱くなるって事だな。やっぱり一人じゃ厳しいな、せめて同じ力を持った存在が撃ってくれれば話は別なんだが、人の身である私には難しい話だからな」
 そんな風にブツブツと呟く魔理沙に一瞥をくれると、早苗は振り返ることなく目的の場所、そう太陽の畑へと向かうのだった。

50.
 早苗が太陽の畑にたどり着くと、そこには季節外れの向日葵の花に囲まれ、独り佇んでいる風見幽香がいた。
「やっと来てくれたのね」
 待ちくたびれたというように幽香はそう言うと、寒気がするほど慈愛に満ちた表情を早苗に向けるのだった。
「幽香さん!」
 早苗は指定された場所が、太陽の畑だったと言うことで、かすかに予想はしていた。それでも実際に幽香の姿を目にするまでは信じたくなかった。しかし、今目の前に幽香が立っていると言うことは、早苗の不安が的中したことを証明するものだった。
「あら、名前を覚えてくれたのね、嬉しいわ」
 早苗の悲痛な叫びに幽香は目を細めた。
「何でこんなものを!?」
 そう言って早苗は、複雑な表情のまま、守矢神社に届いた手紙を幽香に突きつけたのだった。
「届いたみたいで何よりだわ。理由? 理由は――」
 幽香は一つ言葉を切ると、唇の端を持ち上げて宛然と微笑んだ。
「――スペルカードで聞きなさい」
 そしてそう言葉を続けると、幽香は愉快そうに早苗に向けて日傘を構えたのだった。
「弾幕ごっこは遊戯だけど、相手のことを知るのには最も長けている遊びよ、もし私のことを知りたいのなら、本気でぶつかってきなさい」
 幽香から突然弾幕ごっこをふっかけられ、早苗は困惑していた。真っ直ぐ幽香のことが見られないほどであった。そもそも、何故争わねばならないのか、それが分からなかった。だが、何か言葉を返そうとしても、全く気の利いた台詞の一つも出てこなかった。
 その時、ふとアリスと、魔理沙の言葉が不意に思い出された。そうだ。彼女達はなんと言っていたか、覚悟を持てと言っていたじゃないかと。早苗は漸くそのことを思い出すことが出来た。
「……わかりました。そこまで言われるのであれば私も覚悟を決めましょう」
 そう言って、再び幽香を見たとき、早苗の目には全く迷いはなかった。凛とした早苗の姿に幽香は、頬を緩ませるのだった。
「では、行くわよ」
 幽香がクルリと日傘を振ると、幽香を中心にして三百六十度全方向に花片が舞い広がった。密度の濃い花弾幕は、放射線状に広がって、早苗の逃げ場を防ぐように、迫ってくるのだった。
「噂通りの凶悪な弾幕ですね、でも甘いです」
 そう言うと早苗は距離を取って。お札をばらまいて全て撃墜すると、幽香の上を取るようにして、星形の光弾を天空より無数に降り注がせるのだった。
「ふふ、なかなか綺麗ね」
 汗一つかかずに幽香はあっさりと処理した。それどころか全てわざと掠らせるというおまけ付きだった。
 通常弾幕の撃ち合いでは、幽香に分がありそうだと気付いた早苗は、少しでもその余裕を崩すために、先にスペルカードを宣言するのだった。
「奇跡『ミラクルフルーツ』!」
 その宣言に合わせて、早苗は赤い楕円方の光弾を幽香に向けて放った。
「こんな密度の薄い弾でどうしようというのかしら?」
 幽香がそう嘲った瞬間、楕円形の光弾が炸裂、拡散した。それが繰り返し行われることで、周囲が見えなくなるほどの濃厚な光の奔流が幽香を取り囲むのだった。だが、幽香はあっさりとそれらを全て日傘でなぎ払った。
「ふふ、思った以上にやるわね」
 口ではそう言いながら幽香の表情からはまだまだ余裕が窺えるのだった。
「では、こんなのはどうかしら?」
 幽香はそう言うと、指をぱちっと鳴らして、種の弾幕を飛ばした。早苗は最初は驚いたが、密度の薄い弾幕は当たる気がしなかった。最初は避けていたのだが、途中では御幣を振って打ち落としていたりもした。
「ふふ、油断大敵」
 幽香がぱちりと再び指を鳴らした時だった。周囲から一気に夏蔦が伸びてきて、早苗の体を絡め取ろうと迫ってきたのだった。驚いて何とか避けようとしたが、蔦はまるで意志を持っているかのように早苗の体を追いつめ、とうとう脚にからみつかれた。
「く、こんなものに!?」
「無駄よ、それはそう簡単に離れないわ。……それどころか、暴れれば暴れるほど……」
 幽香の言うとおりであった。早苗が抗うほど、蔦は絡み付いていき、気が付けば早苗は全身を縛られていた。
「ふふ、良い格好ね。ちょっとそそるわね」
 幽香は艶やかな目を早苗に向けると、自分の太ももから腰の方へなぞるように触るのだった。
 その行動を見てゾッとしたように、早苗は体をよじるが、締め付けはいっそう厳しくなるだけだった。それでも微かに、懐からお札が一枚顔を出していた。
「名残惜しいけれどこれでおしまいね」
 そう言って、幽香は日傘の先端を早苗に向けた。
「マスター、スパーク」
 魔理沙の十八番である極太レーザーのスペルカードを宣言すると、幽香は身動きの取れない早苗へ撃ち放った。「あらあらぁ、あっけない。買いかぶりすぎたかしら」
 着弾し、もうもうと立ちこめる黒煙を見ながら、幽香は嘲るように呟くのだった。
「ご生憎様です。まだまだやれますよ」
 黒煙が晴れるとそこには、御幣を上下左右に振る早苗の姿があった。間髪入れず幽香の体に衝撃が走る。気を抜いていた間に格子状の結界が幽香を取り囲んでいた。
「どんな奇跡を見せてくれたのかしら?」
 結界に苛まれながらも、優雅さを失わずに悪態を付く幽香の視線は、早苗のかんばせに注がれていた。そこには焦げたような跡がしっかりと残っていたのだった。
 早苗が、危機一髪のあの状況をどうやって回避したのか。それは、紙一重の状態での好判断によるものである。
 僅かに懐から出ていたお札を、唯一動く顔を伸ばして口で咥えると、そのまま御幣を持つ利き手に付けて爆発させる。顔の焦げ跡はその時に付いたものである。そして、空いた利き手で、秘法『九字刺し』を宣言すると、幽香のマスタースパークを何とか受け止めたのだった。
「駄目よ、女の子は顔が命、大切にしないと。……でも良いわぁ、その形振り構わない姿、やっぱり弾幕ごっこはこうじゃないと」

51.
「じゃあ、本気を見せようかしら」
 そう言うと、幽香は動きを止めると背中に力を込めた。禍々しい光が幽香の体を包み込み、結界を破壊する。それだけでなく、肩胛骨の辺りから下にかけて、幽香の背中が蠢いていた。どうやら、そこには何かが生えようとしているのだった。
「戦隊物のお約束ですが、それを許すほど私は優しくないですよ!」
 変身中は敵であれ味方であれ、待つのが鉄則だった。だが、早苗はそんな暗黙の了解を無視するように、スペルカードを取り出し、間髪入れず宣言するのだった。
「秘術『グレイソーマタージ』!」
 宣言と共に早苗は御幣を振って五芒星の形を模るのだった。その動きに合わせるようにして、光弾が生じて強大な光の五芒星を作っていく。そして最後に早苗が一降りすると、五芒星は弾け飛び、数多の光弾となって未だ動きを止めている幽香に襲いかかったのだった。
 当然のことながら、幽香は避けることも出来ず、光弾は全弾命中した。流石の幽香であってもあれだけの弾を受けて無事であろうはずがない。そう思って早苗は勝ちを確信していた。これで終われる、と。
 だが、それは早計だった。
 もうもうと立ちこめる弾煙が徐々に晴れていく。余裕の感さえ見せていた早苗の表情が微かに曇った。そして、驚愕に彩られていった。完全に煙が晴れたそこには、何事もなかったかのように、傲然と幽香が浮遊していた。
「くっ! ……その姿は」
 幽香の背中には、所謂『天使』と呼ばれる存在が身につけているような羽根と、それとまったく対極に位置する悪魔のような羽根、そして猛禽類の羽根の計三種六枚が生えていた。
 それぞれが異なる印象を早苗に与えていたのだが、それよりもまさか幽香が全くの無傷だとは思っていなかったので、早苗にとってはその落胆は大きかった。
「余裕がないわね。だから貴女は霊夢どころか、魔理沙にだって勝てないのよ」
 嘲るような口調で幽香はそう言った。
「魔理沙さんだったら、さっき倒してきましたよ」
「へえ、手を抜いてもらっての勝利で嬉しいのかしら?」
 早苗は強がってみせるが、幽香には早苗の内心はとうに看破されていた。先程の魔理沙との一戦を呆気なく偽りだと断定し、見透かすような言葉を掛けるのだった。
「じゃあ、本当の恐怖を教えて差し上げますわ」
 そう言うと、幽香は早苗に一瞥をくれ、口元に無慈悲な笑みを浮かべた。
「見せてあげましょう。花よ猛れ、そして輝きなさい。花符『幻想郷の開花』!」
 早苗の周囲一体が、蕾を閉じたままの花々によって覆われていった。いや、そうではない。それは早苗の周りだけでなく、この世界の全てを覆い尽くすような勢いで広がっているのだった。
 そして、見渡す限りが花に覆われたと思ったとき、全てが一斉に開花した。一瞬、その花の美しさに早苗は見惚れたが、次の瞬間にはそんな余裕は完全になくなっていた。
 猛烈としか言いようのない花々の乱舞が完全に早苗を追い込んでいた。大輪の向日葵が早苗を襲い、通りすぎていく花の光弾が早苗を傷つけていったのだった。
「このままでは……」
 負ける。まさにその言葉が早苗の頭に浮かびそうになった。だが、二柱への思い、過去の苦い思い出、そして幽香への感情、様々なものが早苗を支えていた。
「準備『サモンタケミナカタ』……」
 諦めきれない早苗は、息も絶え絶えに、奇跡を信じて残り二枚のスペルカードのうち一枚を切った。
 しかし、その効果は全くないように幽香は余裕の表情を崩さなかったのである。

52.
「ここまで愉しかったわよ。昔、霊夢達と初めてあったときのことを思い出すくらい。でも、名残惜しいけれど、ここまでにしましょうか。じゃあ、お逝きなさい。『デュアルスパーク』!」
 そう言うと、幽香は日傘を構え、マスタースパークを撃つ姿勢へと入った。それを見て早苗は、これを避けて最後の一撃に賭ける。そう思っていた。
 だが、何か引っ掛かる。本当にこれはマスタースパークと同じような単純な砲撃なのだろうか。そんな疑念が早苗の頭の中をよぎっていた。
 しかし悩んでいる時間はない。幽香のチャージは既に始まっている。どう転んでも後数秒のうちには行動に移らねばならない。今の体力からすれば、受けるにしても避けるにしても、一発だけなら何とかなりそうだった。
 その時、早苗の脳裏に稲妻に撃たれるような啓示があった。あの時の魔理沙はなんと言っていた。そうだ、『同じ力を持ってくれる相手がいてくれたら……』と言っていたはずだ。
 そして、今幽香はなんと宣言した。スペルの名前は『デュアルスパーク』。とすれば、魔理沙の『ダブルスパーク改』のようにどちらか一方の威力が弱いなんて事はあり得ない。それこそ同じ威力のマスタースパークが、自分を襲ってくるのだろう。
 早苗は気付いてしまった。このままでは受けるも避けるも不可能。ではどうすれば良いのか。混乱する早苗には、逆転の策など無いように思われるのだった。それは、幽香も如実に感じ取っていたのだろう。
「せっかくの魔理沙のヒントが台無しになったわね」
 そう幽香は、魔理沙が早苗にヒントを残していることなどお見通しだった。だからこそ最後に追い込むまでは使わなかったのだ。このように幽香の戦運びの妙が出た形にはなったのだが、それでも無策な早苗の様子を見て、少しがっかりした気持ちになっていた。
「花よ爆ぜよ、そして極光よ貫け」
 幽香の写し身が早苗の背後に回る。そして、本体と同時に発射した極太のレーザーが、為す術ない早苗のみを焦がすかに思われた。
 だが、そうはならなかった。早苗は両腕を広げると、両方のレーザーを受け止めていたのだった。
 その光景を見て、幽香は我が目を疑った。それは、一本ならいざ知らず、二本を同時に受け止める力は今の早苗には残っていないはずだからだ。しかし、どんな魔法か奇跡を使ったかは定かではないが、現に受け止められたという事実だけは確かだったのだ。
 それでも、受け止められただけだった。あと一押しすれば、完全に押し潰すことが出来る。幽香はそう思っていた。
「よく頑張ったわね、早苗。でも結果は変わらないわ」
 幽香の言葉には、余裕綽々という雰囲気があった。
「油断大敵です。勝負は下駄を履くまで分かりませんよ」
 絶体絶命に追い込まれているはずなのに、早苗の心は折れていなかった。それどころか、ここが好機というように、瞳の色が燃えていた。
「油断……? ふふ、これは余裕という物よ。だけど貴女が早く負けたいというのであれば、そうしてあげましょう」
 そう言って幽香は、腕に力を込め、レーザーを後押しするために一歩前に出ようとして、出られなかった。
「何故?」
 更に力を込めるが、まったく動かない。それどころか、幽香は身動きすら難しくなっていたのだった。
「一体何故? ……風!?」
 幽香の動きをとどめていたのは、早苗の方から流れてくる気流による物だった。

53.
「これが、『サモンタケミナカタ』の真の力です。八坂の神徳をこの身に降ろす前のそよ風であっても、貴女の動きを止めることは容易いのです。だから――」
 そう言って早苗は唇を噛んで言葉を止めて、幽香を一度見るのだった。
「だから、何?」
 早苗が何を言いたいのか、それを理解していながら、いやむしろ理解しているからこそ、突っぱねるような口調で言い放つのだった。
「――もうやめませんか、幽香さん」
「ふふふ、あはは、……ふん、馬鹿にしているの? それとも大馬鹿者なのかしら?」
 幽香は早苗の言葉に怒りを通り越して呆れてしまっていた。
「それにね――」
 幽香はそう言いながら、動かないと思われた腕に力を入れる。すると、早苗に向かうレーザの強さが上がるのだった。
「――こんなそよ風ごときで私を止めようなんて千年早いわ」
 そう言って全身にも力をみなぎらせようとするのだった。
「まさか、『サモンタケミナカタ』の中でここまで動くなんて。流石最強の名は伊達じゃないですね」
 早苗は口ではそういったものの、『デュアルスパーク』の波に辛うじて耐えながら、自分の形成が依然不利なままであることを自覚していた。それに対し、幽香の方は明らかに勢いを取り戻していた。
「さあ、このまま守ってばかりでは、ではジリ貧なのは分かっているはずよ。どうするつもりなのかしら?」
 しかし、不思議なことに幽香は暗に早苗に最後のスペルカードを宣言するように迫ってきたのだった。早苗はその言葉の意図を理解することが出来なかった。
 そのままでいれば確実に勝てるはずなのである。それなのに万が一にでも危うくするような言葉を吐いてくる幽香の心情は、早苗には理解することが出来なかった。確かに、敢えて相手に宣言させ、その上でそれを破るというのは、相手の心を折るという意味においては一番確実であろうが、それは危険に対して見返りが少ないように早苗には思われたのだった。
 それに早苗は幽香とこれ以上戦いたくなかったし、負けるのは当然嫌だが、勝ちたくもなかったのである。
「何故です。何故なんです。私と幽香さんがこんな戦いをする必要なんてないはずです」
 その言葉に幽香は蔑みの視線を向けたのだった。
「たとえ貴女になくても、私にはあるの。だから、このまま何もせずに負けるか、それとも何かをして負けるか。どちらか好きな方を選びなさい」
 そう言った幽香は誇り高く早苗の目に映った。その姿はまさに孤高の花と呼ぶに相応しい物だった。
「わかってないのは幽香さんです。『八坂の神風』は、今の物とは全然違います。風は嵐となって、貴女をきっと引き裂いてしまうでしょう。私はそんなことしたくありません」
 どれだけ幽香が言っても、あくまで早苗は宣言する気がないような口ぶりであった。
「……甘い、甘すぎるわ。言ったはずよ、貴女のように甘い人間がそのままで神になれるとでも思っているのかしら? 貴女の敬愛する二柱のことをよく考えてご覧なさい。かたや軍神、かたや祟り神の頂点。もし、貴女が共に歩もうと考えているなら、私に手心を加えるなどという甘い考えは捨てなさい」
 凛とした表情で幽香はそう断を下すのだった。
「……だけど、嫌な物は嫌なんです。私は幽香さんと戦いたくない。だって、だって、きっと私は幽香さんのことを――」
 泣きじゃくりながら早苗は訴えかけるのだった。

54.
 その言葉を幽香は最後まで言わせなかった。
「ありがとう、早苗、貴女の気持ちは嬉しいわ。私も貴女のことを愛しているわ。……だからこそ、私は貴女を撃たなければならないの」
 真っ直ぐに早苗のことを見据えてそう言った幽香にはまったく迷いがなかった。
「さあ、これが最後よ選びなさい。はああ、弾けよ花よ!」
 強引に風に逆らい、デュアルスパークの最後の詰めをするために、気合いを入れなおす幽香の横顔は、とても愛おしかった。
「馬鹿な女……。何で、分かってくれないんですかー!」
 早苗は絶叫すると、天を仰いでスペルカードを宣言するのだった。
「大奇跡『八坂の神風』!!」
「そう、それでいいのよ」
 早苗の宣言に満足したように幽香は穏やかな微笑みを浮かべたのだった。
 早苗の宣言に呼応するように、風は嵐へとその様相を変えるのだった。
 デュアルスパークの光の波をかき消して、暴風が幽香の身体を完全に我が物としていた。そして、数多の光弾が奔流となって幽香に降り注いだのだった。
「終わりましたね」
 上空に残っていたのは今や早苗だけになっていた。だが、早苗ももはやぼろぼろだった。全ての力を使い果たし、浮き続けることすら出来なかった。脱力しそのまま真っ直ぐに大地に向かって落下していった。
「あ、いけない。……でも、もういいや」
 早苗は抗うことをしなかった。幽香との戦いに勝ってしまった以上、もうどうでも良くなっていたのだった。
 大地が微かに目に入れば、そこには一面の向日葵があった。
「向日葵……、幽香さんの花ですね」
 向日葵に抱かれて死ぬのなら、それも悪くないですね。早苗はそんなことすら思っていた。覚悟を決めたように、瞳を閉じると、ただ自由落下に身を任せるのだった。
 しかし、いつまで経っても大地に打ち付けられることはなかった。それどころか、柔らかい感触に抱きかかえられ、芳香を早苗の花は捉えていたのだった。
「貴女、やっぱり馬鹿でしょ?」
「幽香……さん」
「そんな不思議な顔をしないでくれるかしら? 弾幕ごっこごときで妖怪が死ぬわけ無いじゃない。それに比べて貴女達人間はか弱いんだから、もっと生き汚くなりなさい」
 抱きかかえられて、早苗の顔の近くにある幽香の力強い表情は早苗を安心させてくれるのだった。
 そして、幽香は早苗をお姫様だっこしたまま向日葵畑に降り立った。その間早苗は、自然と幽香に抱きつくような姿勢に変わっていた。
「どうしたの、降りないの?」
「もう少しこのままじゃ駄目ですか?」
 早苗は甘えるような声を上げ、上目遣いに幽香を見つめるのだった。そんな早苗に仕方がないわねえと苦笑をすると、幽香はしばらくの間そのまま早苗を抱きかかえ続けるのだった。
 断られなかったのを良いことに、早苗は幽香の肩に腕を回し、しばらく幽香の眼を見つめると、不意に瞳を閉ざした。
 その意図は明らかだった。一瞬幽香は思案顔を浮かべたが、求められて断るほど欲がないわけでもなかったので、そのまま早苗の顔に自分の顔を近づけていくのだった。
 しかし、この甘い雰囲気に水を差すような風切り音がしたかと思うと、次の瞬間には幽香が立っていた場所には、巨大な御柱が突き立っていた。

55.
「これは――」
「――御柱」
 目の前に突き立った御柱は、紛う事なき八坂神奈子の御柱だった。じっくりとそれを眺めている余裕は、二人にはなかった。第二、第三の柱が幽香目掛けて降り注いできたからだった。
「おいこらー、そこの不良妖怪、うちの早苗を離せやコラー!」
 そしてこの怒号である。その横には困ったような、それでいて腹を立てたような複雑で暗い表情を浮かべた諏訪子がいた。
「神奈子、キャラ変わりすぎ。どっちが不良なんだか、わからないよ。それにそんな見境無しに御柱を投げつけて、早苗ごと殺すつもり?」
 諏訪子のぼやきを聞いて、神奈子は漸く冷静さを少しだけ取り戻した。相変わらず厳しい表情を浮かべてはいたが、無差別に柱を投げつける事だけは止めたのだった。
 相も変わらず幽香は早苗をお姫様だっこ押したまま、二柱と対峙していた。どうやらそのこと自体からして、神奈子は気に入らないらしく、もの凄い眼で幽香のことを睨んでいるのだった。
「いい加減早苗を降ろせ、この下賤な妖怪風情が。早苗も、早くそいつから離れてこっちに来なさい。」
 神奈子が必死な表情で訴えかけるのだが、その結果はまったく芳しくなかった。
「嫌です」
「そう嫌ですって……、どうしたんだ早苗。諏訪子どうしよう早苗が反抗期だよ……」
 神奈子は早苗の言葉がまったく信じられないようだった。愕然として諏訪子の方に泣きそうな目を向け、あたふたとするのだった。
「あー、もうあんたはちょっと黙ってて」
 諏訪子にまで冷たくあしらわれて、呆然とする神奈子を眺めて、一つ呆れたように溜息を吐いた。
「ま、早苗が選んだことだから、私らが色々言うことじゃないさ。そういうのはちょっとアレだからねえ。でもね、過保護かもしれないけど、早苗は私の大切な後裔なんだ。だからそいつが本気かどうか、その覚悟試させてもらうよ」
 そういうと、いつの間にか諏訪子の手には洩矢の鉄の輪が握られていた。
「諏訪子様まで……、幽香さん、どうしましょう」
「貴女はどうしたい、早苗」
「私は、わかりません。確かに幽香さんは大好きですし、離れたくないという気持ちに偽りはありません。でもあの方達を大切に思う気持ちというのも、嘘ではないんです。だから、正直に言えば大切な方々が争うのは見たくないです。やっぱり甘いって笑われるかもしれませんが……」
 そう言って、寂しそうな表情に変わった早苗に対して、幽香は一つ柔らかく笑いかけてやると、諏訪子の方に向き直った。
「覚悟、覚悟ねえ。まあ、無いことも無いわ」
 そんな風にきっぱりと幽香が告げたとき、場には新たな闖入者が乱入してきた。それは、慌てて高速で飛んできた魔理沙と、それを無理矢理追いかけてきたのだろう、息も絶え絶えな慧音である。
「神奈子、諏訪子、ちょっと落ち着け」
「落ち着けって、これが落ち着いていられるか霧雨よ」
「大体私は冷静だよ。神奈子と一緒にしてもらった困る」
 そんな風に口々に言う面々を見ながら、早苗は驚いたようにその光景を眺めていた。
「魔理沙さんたちまで……」
「大体、私がお前達を呼びに行ったのは、別に戦わせるためじゃないぜ」
 魔理沙は困ったように言うのだが、二柱はまったく聞き耳を持つ気がなさそうだった。

56.
「ギャラリーも多くなってきたわね。うーん、……ん!? そろそろ頃合いかしらね」
 そう言うと幽香は対峙している者達を一瞥した。その行動に、やはり息巻く二柱、そして警戒する魔理沙と慧音。そして、最後に腕の中にいる早苗の方を向いた。
「ごめんなさいね」
 それだけ言うと、幽香は突然早苗の唇を奪った。呆気にとられる観衆をよそに、幽香が唇を話したところに、早苗の方から求め、しばらく二人は濃厚な口づけを交わし合ったのだった。
 どうしようもない沈黙が場を支配していた。身動き一つ取れないような空気の中、それを破ったのはやはり魔理沙だった。
「流石ゆうかりん。保護者の見ている前で愛娘の唇を奪ってみせるなんて、私たちに出来ないことを平然とやってのけるっ、そこに痺れる!憧れるぅ!」
 思わず馬鹿な冗談を言ってしまうくらい、その場の空気は凍っていたのだった。
 しかしある意味で凍らせて止めたままでおいた方が良かったのかもしれない。魔理沙の傍らでは、どす黒い気配が大きく膨らんでいくのを誰もが感じていた。
「お、おい、神奈子、諏訪子まで……」
「「殺す!」」
 そう二柱が叫んだときだった。
「やれやれ穏やかじゃないわねえ」
 そんな風に緊張感のない声がしたかと思うと、巨大な陰陽玉が、幽香達と対峙する神様達のちょうど中間点ぐらいに落ちてきた。
「はいはい、終了よ。物騒な話はやめなさい」
 そう言って陰陽玉の上に博麗霊夢が降り立った。
「霊夢、何でここに」
 魔理沙の驚きの声への答えは上空から返ってきた。
「私が連れてきたのよ」
 そう言って霊夢の後ろに立ったのは、アリス・マーガトロイドだった。
 霊夢は高いところから一望すると、まず神奈子と諏訪子の方を睨み付けた。
「何をしてるのよ、あんた達は。いい年して恥を知りなさい、恥を」
 よっぽど理不尽に感じたのだろう。神奈子は明らかに不満げな態度を見せて霊夢に答えを返した。
「何を言うか、こんな事をされて私たちが治まるはずがないだろう。それと年は関係ないだろう、年は」
 この馬鹿親どもが、と言いたげに頭を抱えながらも、霊夢は一喝した。
「だからって、本気の殺し合いに移るって言うのであれば、許さないし、私にも考えがあるわよ。もし弾幕ごっこをしかけるにしても、先まで早苗と死力を尽くしてやった相手にすぐに行くなんて、常識がないわよ。だから、今日の所は引きなさい」
 きっぱりと霊夢はそう言った。だが神奈子の方は未練たらたらで引き下がるつもりはなさそうだった。
「しかしなあ、博麗の……」
「だまらっしゃい、今日はうちで宴会よ。文句があるなら、その場で潰すなり何なりすればいいじゃない」
 それだけ言うと、神奈子の返答も待たずに霊夢は幽香の方に向き直るのだった。
「あんたも異存はないわよね」
「はい」
 早苗が元気よく返事をするのを、霊夢は馬鹿にしたように首を振り、幽香を睨み付けた。
「あんたじゃないわよ。私が聞いてるのはそっちの馬鹿の方」
 そう言って霊夢は冷たい目をして、幽香の方を眺めやったのだった。
 霊夢と早苗の二人の視線を受けて、幽香はさも驚いたように自分の方を指さしたのだった。

57.
「私も異存はないわ、それにしても遅かったわね」
 霊夢の言葉に大仰に頷くと、幽香はさも意外そうな声で質問を返したのだった。
「五月蠅いわよ。大体頃合いを見計らってた奴が何を言うんだか。まあ、良いわ話もまとまったことだからとっとと神社に行くわよ」
 霊夢が宣言すると、それまで黙っていた慧音が意外そうな声を上げた。
「まあ、それはそれで構わんのだが、そんな急に決めて大丈夫なのか?」
 その言葉を受けても、霊夢はやけに自信たっぷりな様子を崩さなかった。
「大丈夫。紫!」
 霊夢がそう叫び声を上げた瞬間、全員を隙間が飲み込んだのだった。そして次の瞬間、皆神社に降り立っていた。
「やれやれスキマツアーとはね。そして準備が良いことで」
 そう魔理沙がぼやいたのも当然だった。神社の境内は、先日の花見の宴と同じように、既に宴会場としての趣が出来ていたのだった。
 霊夢達の姿を見た、鬼や吸血鬼達の早く飲むぞというコールが、今晩の宴会の開始を告げる合図となるのだった。
 そうして再び大宴会が始まったのだった。
 しかし、その主役の一人でもある幽香は、相も変わらず、人気のない桜の場所で飲んでいた。
「来たわね」
 幽香が顔を上げると、それぞれが一斗樽をかついで、二柱が目の前にたっていた。幽香を挟むようにしてどっしりと座ると、鏡を開くのだった。そして、升や柄杓で掬うことすら事すら億劫と言うように、大杯をそのまま樽の中に突っ込み、なみなみと汲み上げると幽香に差し出した。
「まさか飲めないとは言わんだろう?」
「ええ、いただくわ」
 幽香は全く怯んだ様子もなく、神奈子は酒杯を受け取る、ひと息に飲み干した。そして、同じように酒樽に杯を突っ込んで汲み上げると神奈子に差し返すのだった。
「おお、すまんな」
 幽香の杯を受け取った神奈子もまた、一気に飲み干すと、ニヤリと唇を吊り上げるのだった。
「良い飲みっぷりね」
 そう言って表情を緩めると、幽香はさらに諏訪子にも差しだそうとした。
 だが、その杯を神奈子は、引ったくるようにして受け取るとさらに二杯目を飲み干した。
「こいつは、下戸ではないが弱いからな。あたしが飲ませて貰うよ」
 諏訪子は自分用の小さなお猪口で、ちびちびと樽から酒を掬っていたのだった。
 こうしてしばらくの間、特に何か話をするでもなく。三者三様で飲み交わし続けるのだった。
「で、何か話があるのではなくて?」
 いいかげん飲み干した樽の数が、四荷を超えようかという頃になって、漸く二柱に向けて幽香が口を開いた。
 ほんのり桜色に染まった頬と、熱っぽいその声は、それなりに酒精が回っていることを感じさせるのだった。
「そうだな、色々と聞きたいことがあるが……、何故早苗なんだ?」
 神奈子もまた酒の影響だろう、顔を赤らめ、常よりも豪快な口ぶりで幽香に尋ねるのだった。
 その横では、顔を真っ赤に染め上げた諏訪子が同意とばかりにコクコクと頭を振っていた。
 幽香は、さらに杯の酒に口を付けてから一頻り考え込むような様子を見せると、不意にその手の中に花を咲かせるのだった。

58.
「では昔の話をいたしましょう。私にとっては昨日の出来事だが、貴女達にとってはこれからの話でしょうから。……そうですね、あれは今から百七十年前、いえ二千年以上も前の話です」
 遠い目をしながら、幽香はそう語り出したのであった。
「昔、一人の少女がいました。彼女は生まれながらにしてある能力を持っていたのです。それは……、花の声を聞く能力でした」
 そこまで話して幽香は手に持った花に目を落とした。
「彼女は、花の声を聞くことで、幸せな一生を送れるはずでした。それはそうでしょう、美しい花をより美しく感じることが出来る。そんな力だったからです」
 幽香はうっとりしたような表情で花を抱きかかえるとそう語るのだった。
「ですが、決してそれは優れたものだけではなかったのです」
 それまでと表情を一転させると、無表情のまま幽香は話を続けた。
「そのうち、彼女は人の世から自然と離れていくようになりました。それは、花の声が楽しいものばかりではなかったからでした。人に踏まれ、潰され、傷つけられた花たちの悲痛な叫びが、彼女を苛むようになったのです」
 昔語りの少女へ同情的な気持ちになっていたのだろうか、幽香の瞳には悲痛な光があった。
「少女が鈍感であれば幸せな生涯を送れたのでしょうが、そうではありませんでした彼女は花の痛みを自らの痛み、花の憎しみを自らの憎しみとするようになったのです。そうなってしまえば、人という種に対する恨みしか残りません。こうして彼女は、人でありながら人あらざるものへと変貌していったのでした」
 そうして、一つ言葉を切ると
「心を病み、人あらざるものとなった彼女がその後どうなったかは、今では誰も知られておりません。……私の話はこれで終わりです」
 しばらくの間、その場は水を打ったように静まりかえったのだった。その静寂を破ったのは諏訪子だった。
「その少女はどうなったんだい?」
 諏訪子が興味深そうに聞いたが、幽香は一つ首を横に振るのだった。
「さあ、わかりませんわ。天に昇ったか、それとも地に沈んだか、はたまた再び現世に舞い戻ったか。それは定かではありません――」
 そう言って幽香は遠い目をしながら、杯の酒を呷るようにして飲むと、一息吐いて続けるのだった。
「――つまらない昔話ですわ」
「なるほど、だから早苗か……」
 得心したように、神奈子はしんみりとそう呟いた。
「お前の詠んだ歌を早苗から見せて貰った。氷れる心というのは、早苗が私たちへ傾倒しすぎていて、自分の力で立って歩けないって事を意味していたんだろう?」
 神奈子の問いに幽香は答えなかったが、その沈黙こそが答えであった。
 それを見て、神奈子と諏訪子は顔を見合わせて言った。
「理解はした。だが、許すかどうかは別問題だ」
「ああ、そうさ、うちの可愛い娘を持っていくならそれ相応の覚悟はしてもらういよ」
 そう言ってスペルカードを構えたのだった。
 その姿を見て、幽香は苦笑しながらやはり日傘を構えた。
「やはりこうでなくては面白くありませんわ。良いでしょう、その挑戦受けましょう」
 三者は博麗神社の上空に浮かぶと、弾幕ごっこを始めたのだった。
 境内では、その様子を見ながら酒の肴にするもの、賭けの対象にするもの、ただ美しさにも惚れるもの、多種多様であった。ただ分かっていたことは皆が楽しんでいたと言うことである。

59.
 早苗は幽香たちの弾幕ごっこをハラハラと見上げていた。すると、その両脇を挟むようにして、霊夢とアリスが並ぶのだった。
「あんたもまた難儀なのに惚れられたわね」
 そう呆れたように言ったのは霊夢だった。
「ま、良いなじゃないの。人の気持ちなんてそれぞれだし。悔いが残らないようにすればいいのよ」
 アリスの言葉に霊夢は
「そうねえ、後悔しなければいいわねえ、ねえアリス」
「あなたもね、霊夢」
 早苗を挟んで二人は睨み合うのだが、それを遮るようにして早苗が言うのだった。
「でも私も幽香さんのことが大好きだから良いんですよ」
 早苗のあまりに真っ直ぐな言葉に霊夢は鼻白んだように、頭を掻くとふわりと浮かび上がった。そしてアリスに手伝えという風に手招きしながら言った。
「じゃ、あたしはちょっとあいつらを止めてくるわ。このままだと神社の建物に被害が出そうだし。乗りかかった船よ、アリス、あんたも来なさい」
 その言葉にアリスは嫌そうな顔を浮かべたが、諦めたように溜息をつくと霊夢に従うのだった。
 そうして、霊夢とアリスは弾幕ごっこに飛び込んでいったのだが、結果は逆効果だった。それを見たレミリアや、萃香らがさらに殴り込みを掛け、混迷の度合いはより深まっただけであった。
「あらら大変ですねえ」
「本当に付き合いきれないわ」
 誰にともなく呟いた早苗の言葉に、予想外の返答があったが、早苗は驚かなかった。先程まで上空で弾幕ごっこを繰り広げていた幽香が、そこにいたのだった。
「良いんですか?」
「もう良いと思うわ」
 そんなやり取りをしながら、二人は桜並木の方へと歩いていった。花盛りは過ぎてしまったが、未だその美しさを絶やすことなく咲き誇っていた。
「綺麗ですね」
「そうね、そう言えば今でも早苗は桜の花はない方が良いかしら?」
 幽香が思い出したようにそう聞いた。
「いえ、そうは思いません。だって、散るからこそ桜は素晴らしい、そうですよね?」
「そうね」
 早苗の返答に満足したように、幽香は頷くのだった。
 気が付けば天上に昇った月すらも翳ろうかという頃合いであった。
 それでも遠く境内の方からは、未だに宴の喧噪が絶えることなく続いていた。
「よくやるわね、あいつらも」
 幽香は、そんな風にぼやきながらも、どこか穏やかな雰囲気を漂わせているのだった。
「幽香さん、手、繋いでもらえますか?」
「ん? 良いわよ」
 繋いだ手からお互いの体温を感じ合うと、気恥ずかしいが、しっくりと馴染むような心地がするのだった。
「何だか、名残惜しいです。出来ればこの夜がずっと続いて欲しい、そんな気持ちがしています」
 そう言って、早苗は隣にいた幽香に笑いかけた。その言葉に幽香は、そうね、と鈴が鳴るような声を返すと、遠く山に沈もうとする月を見ながら、詠うのだった。
「花ざかり梢にさそう風なくてのどかに散らす春にあはばや」
「その歌はどんな意味なんです?」
「貴女が私の側にいてくれるから、私は美しくあり続けられる。そんな歌よ」
 幸せそうな笑顔を浮かべた幽香の顔を昇ってきた朝日が照らすのだった。
 寄り添う二人を見守るのは桜の木だけであった。
読んでいただいてありがとうございます。
予想以上の長編になってしまいました。
幽香と早苗、二人のパートナー探しというのがメインテーマだったりしますが、あまり上手くいきませんでした。
一応、サブテーマとして異物への変化、同性愛への意識というのもありますが、
後半駆け足になってしまい、上手く表現できなかった気がします。
もう少しゆとりを持って書ければなあ、でもそうすると完成しないという。
とりあえず、また読んでいただける日がありましたらということで。
では。
久我暁
http://bluecatfantasy.blog66.fc2.com/
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.1010簡易評価
4.70名前が無い程度の能力削除
前半いいなぁと思ったのだけど、バトル辺りからちょっとなぁ。
仰るとおり駆け足な所為か、必要だからこういう事を言うって感じで、キャラの感情が薄っぺらく感じられてしまいました。
和歌を使った表現が幽香に合ってて綺麗でした。

後、私の読解力不足かもわかりませんが、あっきゅんに代筆させた意味って・・・?
6.60誤字報告をする程度の能力削除
園に甥→その匂い
阿求の台詞全ての中 ン だけがカタカナに
位置を忘れましたが 、 であろうところが . になってました

前編後編というふうにつくってもよかった気がします
上の方も言っているように、前半がよかっただけに後半が少し残念
10.80名前が無い程度の能力削除
途中から駆け足になっていたのは残念でした。
けれど、話はとても面白かったです。
14.90爆撃削除
花に風。
形式がいいですね。短いパラグラフ毎に分けているので、長くとも要約しながらすらすらと読めました。
長文だと、読んでも読んでも進んでいないように感じて恐怖ですが、番号がふってあるので安心しますし。
でも、せっかくだからもう1パラグラフで、花映塚にちなんだ60あると「おおう」ってなりました。
中身も中々、読みやすくも捻りのある、親しみやすいテイストでした。
早苗がどうして幽香を好きになったのか、というのがもうちょっとほしかったですが。
15.90幻想削除
>非想天測
>「ま、良いなじゃないの。人の気持ちなんてそれぞれだし。悔いが残らないようにすればいいのよ」←良いな、が余計です。
阿求のンは何かしらの意図を感じましたが結局分かりませんでした・・・

読みやすかったけど分割したほうが読みやすかったかもしれません。
会話文が多いですがだからといって背景描写が手抜きなわけでもないところが良かったです。
内容も存分に楽しめました!
そして親御さんの前で濃厚なkissをするゆうかりん本当に男前!
20.100夜空削除
詩や花の形容が美しい……艶やかで魅力的な文章が素敵ですね
個々の段落毎の内容も小ネタ盛り沢山で、非常に読み応えある長編として楽しめました
各々のキャラも非常に生き生きとして、感情がひしと伝わって来て良かったです
個人的には主軸にある幽香と早苗のやりとりをもっと読みたかった!
23.60名前が無い程度の能力削除
バトルのところまでは丹念に描写されていて満点つけようと思ったんですが…
本当に駆け足気味で少し残念でした。
でもまた作品を投稿なさるなら読みたいと思うぐらい良い作品でした。
24.100名前が無い程度の能力削除
甘々なゆうさなktkr!
ドSな幽香も良いけど、ド親切(?)なゆうかりんも大好きです!

しかし、一方○行(?)とエ○シャダイネタとか東方と全く関係ないですなw
26.20名前が無い程度の能力削除
物語の途中で、話そのものが変わったように感じました。具体的に言えば、所謂ほのぼの系の2次創作によくある「皆仲良し」幻想郷から、ZUNさんが創りだしている、自己を至高の存在と考える阿求、自信過剰な早苗といった「現実の」幻想郷にすりかわっていました。また、幽香が阿求に代筆を頼んだ意図が感じられませんし、この運びでは幽香が直筆で書いても最後は変わらなかったかと。
もう1点。一部「こころ」など昔の名著から丸ごと表現を引用したのは如何なものかと…。
久我さんとしては「甘い」描写だったなという感じがしました。
27.50名前が無い程度の能力削除
前半と後半でまるで別の物語を読んでいるように感じてしまった。
あと阿求の ン だけど、どうして彼女だけ?って不思議に思った。
あの個性づけは必要なかったんじゃないかなー。
33.80名前が無い程度の能力削除
百合は常識的じゃない、という会話は面白そうでした。
レズビアンの幽香に怯える作品になったら共感できただろうに、両想いになってしまって肩透かしをおぼえました。