物部様は可愛いお方。
春の陽気に誘われて、散歩などをしてみる。
まだ冷たさの残る風は陽に照らされる体にいい塩梅で心地良い。
芳香を連れてこれればよかったのに。一緒に散歩でも、なんて。
逃げちゃうのよね。あの子、陽の光が苦手だから……何のダメージも負わないくせに。
やっぱり、一緒に観たあの映画の影響かしら? あなたはあの映画のキョンシーとは違うって何度も教えたのに聞かないんだから。思い込みが激しいのよね、あの子は。
任務だと告げればそのことは忘れてしまうから、散歩を任務とすればよいのだけど。
……流石に、ねえ。大人気ないというか、なんというか。
あの子の個性を尊重したいし、あまり、縛りつけるのも、ね。
「青娥殿ーっ」
名を呼ばれ振り返る。
視線の先では、布都――物部様が手を振りながら駆け寄ってきていた。
外見相応の、童女染みた仕草。彼女は千数百年眠っていた仙人なのだということを忘れてしまう。
「どうされました? 物部様」
「いや、青娥殿をお見かけしたのでな。なんとなく追いかけてみた!」
犬かおまえ。
っと、危ない危ない……思わず口走ってしまうところだった。
彼女の望む霍青娥は、青娥娘々はそんなこと言わぬだろう。
物部布都が望むのは何事もそつなくこなす、博識で有能なる『仙人』。
笑顔を作る。それらしく、振る舞おう。
「ふふ、お元気ですわね物部様は」
もっとも、全てが彼女の望むまま、などではないのだけど。
「どこかに行かれる途中だったのですか?」
「いや散歩だ。日差しが心地良いからの」
おや意外。私と同じだったとは。
私自身は彼女のことを気に入っているけれど、気が合うとは思っていなかった。
なにせ彼女のことを知っているとはとても言えないほどに付き合いが浅い。
千年以上前、私が唆し肩入れしたのは豊聡耳神子ただ一人。布都はおまけのようなものだった。
有能であると神子から聞き及んではいるが、その程度である。詳しい話は聞いていないし、知ろうともしなかった。私と彼女はたまに会話するくらいの関係でしかない。
それでも彼女が豪放磊落なる好人物であることは窺い知れたが……
「おおそうだ、折角会えたのだし……青娥殿」
好ましい気配を、隙を感じ顔を上げる。
布都は人好きのする笑顔を私に向けていた。
「また話を聞かせてもらえぬか? 我はあなたの話が好きなのだ」
「それは光栄……では何をお話しましょうか?」
「ふむ、そうだな」
ああ、悪い癖が出てしまう。
そんな隙だらけの笑顔を見せられてしまっては我慢が利かない。
駄目ではないですか物部様――私などをそう簡単に信じてしまっては。
「青娥殿は最近まで外におられたそうだな。今の世はどうなっておるのだ?」
「そうですねぇ……まずは今の都をお教えしましょうか」
そんな心の内を微塵も漏らさずに微笑む。
「今の都は東京と申します。異国の神話に語られた罪深き街バビロンに勝るとも劣らぬ富と権力、欲望が渦巻く正に魔都。故に人々はこう呼びます。東京バビロンと――」
私が語るは嘘八百。真実の中に少々の嘘を混ぜるが上手な嘘のつき方と云うがそんなことは知らぬ。
青娥娘々は知識人だと信じて疑わぬ布都に思い付きの出鱈目を吹き込む遊び。戯れが真面目に勝るは必定というものだ。積もったばかりの雪を踏み荒らすに等しい背徳感。無垢なる少女を騙くらかす快感は春の風などよりも心地良い。
「ほうほう。今の世は乱れておるなぁ!」
目を輝かせて知識欲を満たす布都が微笑ましい。
騙されているとも知らず私を慕うその姿を、霍青娥は心底愉しんでいる。
これが私と彼女の関係。詐欺師と被害者。悪党と善人。
暇を持て余した邪仙は、真白な少女の心を穢して悦んでいる――――
我ながら。
悪趣味。
ころりと舌の上でキャラメルを転がす。
幻想郷の外から持ち込んだ物。いくらか豊聡耳様に献上してしまったから残り少ない。
ここの菓子も悪くないけれど――これをもう味わえぬとなるのはいささか寂しい。
無くなってしまえば諦めはつくのだけれど。
「ふぅ」
人の通わぬ獣道。脇に置かれた岩に腰掛け嘆息する。
さて、今日はどうしようか。
甘味で頭の働きを促しても妙案は浮かばない。
幻想郷は兎角平和で……刺激が足りない。何か暇潰しを見つけねばならぬのに。
陰謀や政争の一つも無い。騒がれるのが台風くらいだというのだからとんでもない。
極稀に、異変と呼ばれる騒動はあるらしいのだけれど……
「異変――」
数少ない異変。上手くやれば幻想郷中の猛者たちと矛を交えれる機会。
それを起こすのはどうだろう? もちろん、表立ってはやらない。誰かを唆し焚き付けて――だ。
異変を起こさせ高みの見物。そうね……うん、楽しそう。
手間はかかるけれど、候補に入れておきましょう。
今はそういう気分ではないからやらない。お手軽なのがいいわね。
手帳を開き、幻想郷に来てから得た情報を斜め読み。
ふむ? 紅魔館、か。随一の蔵書量を誇る大図書館があるらしい。
前々から気になってはいたし、知識の蒐集というのも悪くない。
聞き及ぶ噂では閉鎖的らしいのだが……どうやって入れてもらおうかしら?
穴を開けて不法侵入、ではゆっくり読書なんて出来はしなかろうし。
何か餌で釣ってみましょうか。懐から小瓶を取り出す。中でゆらりと蠢く血色の物体。
「賢者の石なら、釣れるかしら?」
随分昔に創った未完成品だけれど、魔法使いや錬金術師からすれば垂涎の品だろうし。
ああでも、門番とか居たら厄介よねぇ。賢者の石に興味を示すような人を呼んでもらわなければならないし。その人が偉くなければ図書館への立ち入り許可なんて貰えないだろうし。
これもボツね。お手軽を欲しているのに面倒過ぎる。
大祀廟の封印が解けそうだと、慌ててこちらに来たけれど――失敗だったかしらね?
ああ……暇で暇で、しかたない――――
ふと、足音が聞こえた。
獣道に敷き詰められた枯れ枝を踏み折る乾いた音。
顔を上げれば、布都が獣道を歩いてくるところだった。
「物部様」
「おや、こんなところで奇遇だな青娥殿」
にっこりと応じる彼女に違和感。
いつも走っているような印象があったから……こんな風に落ちついているのは変な感じがする。
布都とて歩きもするだろう、犬だって走ってばかりではない。と、わかってはいるのだけど。
「ええ――お帰りですか?」
この獣道の先には神子の道場の入り口があるばかり。
質問というより相槌だ。失礼なことを考えていたのを隠す詐術である。
「うむ。里で将棋を打っておった」
そんなことには微塵も気づかずに布都は訊いてもいないことまで答えた。
「将棋……?」
「里の年寄り共が強敵に飢えておったのでな、我が一手指南してやったのよ」
誇らしげな笑みからして実際に圧勝だったのだろう。
ふぅん。彼女は将棋が強いのか……
「連戦連勝であったぞ! 近頃の年寄りは弱くていかんな!」
フゥーハハハーと高笑い。まあ、つい最近覚えたばかりの将棋でそこまで強いのなら自慢したくなるのもわかるというもの。将棋がこの国に広まったのは彼女が眠りについた大分後だった筈だし。
でもまあ、一応忠告しておこうか。
「流石ですわ物部様。ですが……あまり御老人を馬鹿にされるのはいかがなものかと」
「む? だが我の方がはるかに年上であるぞ?」
ああややこしい。彼女は千年以上昔の人間だからなあ。
だが外見が子供そのものである布都が増長しては色々と問題が出てくるだろう。
「とはいえほとんど眠っておられたでしょう? 人生経験、という意味では彼らの方が先達ですわ」
「む……確かに。礼を失するのはいかんな。御忠告、痛み入る」
相変わらず己の非をあっさりと認める。物事の判断基準こそ彼女独自のものだが、彼女はその判断に素直だ。どれだけ劣った相手が指摘しようと己が間違っているのならそれを認め改める。
本当に、好人物だこと。
「怒られたりはしなかったのですか?」
先程と同じく相槌代わりに問う。
それに返ってきたのは意外――でもない答えだった。
「いや、生意気だとは言われたが菓子を振る舞われた」
目に浮かぶ。きっと孫娘のように可愛がられたのだろう。
そうか……布都のようなタイプは怒られるより可愛がられるのか。得だなあ。
「青娥殿には礼をせねばなるまいな。危うく折角の遊び相手を失うところであったわ」
からからと笑いながら彼女は言う。
「礼など……当然のことをしたまでです」
彼女が元気を無くせばからかい甲斐が無くなってしまうのだから。
「何がいいかな」
「お気になさらず」
とは言ったが、布都のことだ。ごり押ししてくるだろう。
さてどう断ろうか。彼女と親しくなるのは、正直困る。
私の本性を知られてはからかい難くなってしまう。
「いやいやそういうわけにはいかん。ふむ……そうだ、今度茶でも馳走しよう」
「はい?」
「里にいい茶屋があってな、是非とも青娥殿にも味わっていただきたい!」
……なんというか、存外にスマートな御誘いだった。
もっと仰々しい、貴族趣味な礼でもされるかと身構えていたのに。
布都は世間知らずだと思っていた。そこに付け込んで断ろうと思っていた。
なのに、こんな、遠慮し難い――意外、だ。
「青娥殿?」
「っあ、いえ、その……」
どうしよう。どう断ろう。
このままでは私の本性がばれてしまう。
騙し切ってしまえば、いいのだろうけど……
「おっと」
妙な声に目を向ければ、布都の肩に小鳥がとまっていた。
彼女は小鳥を飼ってはいない筈だが……野生の小鳥が? 珍しいこともあるものだ。
「これこれ、髪を引っ張るでない」
じゃれつかれている。随分と人に慣れた小鳥だ。
「ん? どうした、腹が減ったか。よしよし、家に着いたら何か食わしてやろう」
彼女の言葉に眉を顰める。
「……その鳥が、何を言っているのかおわかりに?」
「ああ、なんとなくな」
仙人は仙術で動物を操る。会話も難しくない――だが、それは仙術あってこそだ。
彼女は、そんな術を使ったそぶりさえ見せてない。私も教えた覚えはない。そもそも布都は仙術をあまり得意としておらず、使うことは少ないのだ。なのに、当たり前のように……警戒心の強い筈の小鳥が、自ら彼女の肩に乗った。さらには小鳥の欲求までもわかるだなんて。
神子のようにそういった天性の能力を持っているのなら話は別だが、彼女は違う。
これは、才覚と呼ぶべきか、それとも……
「――いえ」
そんな言葉にしてしまうのは無粋。仙術なんかに頼らずとも、彼女の魅力だけで成してしまう。
獣さえも魅了する朗らかさ。これが物部布都だということなのだろう。
先程のお誘いといい、今日は随分と彼女に驚かされる。
「……ふむ」
視線。何時の間にやら、彼女は私を見ていた。
いやこの視線は、見るというより……眺める……鑑賞する類の。
「あなたには薔薇が似合うな」
「え?」
話が飛んだ――いや、布都と話している時には珍しいことではない。
彼女は興味が移り変わるのを隠さない。故に話がころころ変わる。
もう慣れたこと、だけど……薔薇、だって?
彼女は懐から、一輪の薔薇を取り出した。
「それ、は……」
「ん、里で買ったのだ」
「買ったって、まだ、早いでしょうに」
まだ春先。薔薇は夏の花である。
幻想郷で温室栽培など、それほど普及してなかろうに。
「花の妖怪がたまに売りに来るそうだぞ? ははは、花の妖怪とは「ふぁんしぃ」ではないか」
疑問は解消されたが、私の混乱は深まるばかり。
薔薇――真紅の、薔薇。それが、差し出される。
「礼というわけではないが、あなたに贈りたい。受け取ってもらえぬか?」
「――……っ」
受け取ればいい。いつもの作り笑いで礼を告げれば彼女も満足するだろう。
それだけでいいのに、私の手はぴくりとも動かない。
「……物部、様」
顔を、逸らす。
「すみません。薔薇は、苦手なのです」
赤い薔薇。何よりも豪奢で、気品溢れる花の王者。
そんなもの、私に似合う筈がない。豊聡耳神子や、博麗霊夢のような者にこそ似合う花だ。
力ある者。真に強き者の傍らでこそ光る花。ただ美しいだけで、強さなど。
強者の傍で、美しさだけを誇るなど――醜い。
「そうか? ふむ……赤は……あなたに似合わぬだろうか?」
色、だけではないのだけれど。私は、薔薇そのものが。
「あなたに似合うのは青い薔薇、かな?」
青?
「物部様、青い薔薇は――」
「知っておる。存在しないのであろう?」
軽く、驚いた。
「なんでも掛け合わそうにも薔薇という種に青を生む要素が無いそうだな。花屋で聞いた」
彼女も色々と学んでいるのか。そういう努力とは無縁と思っていた。
「存在しないが故にその花言葉は「不可能」――だとか」
顔が歪むのを抑えるのに必死だった。自覚はなかろうが――彼女は、私の本質に近づいている。
意識して忘れようとしている、私の心の奥底に土足で踏み込んできている。
わかっている。ここまで言われてしまえば逃れられない。
薔薇の在り様は、私に似ているのだ。自己嫌悪に近い。
強者に縋り己を良く見せようと――同じ、だ。
不可能を意味する青い薔薇。それほど私に相応しい花もあるまい。
「だが」
つんと香る薔薇の香気。
鼻先に、真紅の薔薇が差し出されていた。
「色など関係無くこの華やかさはあなたを飾るに相応しい」
心が乱れた、気がした。
嫌いな筈の薔薇を差し出されているのに、嫌悪を感じなかった。
朗らかに笑う布都に――ああ――薔薇の香気に、酔ったのかもしれぬ。
薔薇の香りは、強いから。
「どう、も」
受け取ってしまった。嫌いな、薔薇を。
……苦手と言ったのに。ごり押ししてくるなんて……
「ふふ」
笑い声に、反射的に文句を言おうとして、彼女の笑顔に口を噤む。
「思った通りだ。この花はあなたの美しさを引き立てる」
褒められて文句を言うなど憚られる。何も、言えない。
たまに、こうなる。布都は私にからかわれるだけの筈なのに、たまに、逆に、私が。
「意地悪ですわ……物部様」
こんなことしか言えない己が情けない。
「我はまだまだあなたのことを知らぬからな。贈り物も我の感性に偏ってしまう。今回は許してくれ」
そこで呵々と笑われてはなおのこと付け込めぬ。少しでも罪悪感に苛まれればよいものを。
普段は隙だらけなくせに、こんな時だけ……腹立た、しい。
肩に小鳥を乗せたまま微笑む姿が、小憎らしい。
返事をするのも嫌になって顔を背けた。
苛ついて、口の中の異物感を思い出す。ああ、キャラメル、まだ舐めていたんだっけ。そうだ、この甘さで判断が鈍っているのだ。甘い薔薇の香気と、キャラメルの甘さ。これだけ甘ければ酔いもする。
口の隅に追いやっていたキャラメルを飲み込む。まだ硬さを残していたキャラメルを嚥下する――喉を撫でられる感触。大きな錠剤を飲んだような気持ち悪さ。
気は晴れない。
「ん、青娥殿。何を食べておられるのだ?」
「これは……」
懐から箱を取り出そうとして、ほんの一瞬だけ手が止まる。
ああ、また思い付いてしまった。
「薬です」
悪い癖が鎌首をもたげる。
もう幾度目か。彼女たちが目覚めてからの僅かな時間で、両の手でも数え切れぬほど。
だけど、私の所為じゃない。布都が悪いのだ。私を妙な気分にさせた、報いなのだ。
薄ら暗い感情の全てを笑顔の裏に隠して布都に歩み寄る。
「薬? 仙人の……なんであったか、丹とかいうあれか?」
「いいえ。これは仙人ではなく人の作りしもの」
キャラメルの箱を取り出し、布都に見せる。
物珍しそうな視線。やはり彼女はこれを知らない。
ならば決まり。これで嘘を成してからかおう。
「物部様はキャメル……駱駝という生き物を御存じで?」
「らくだ? ……ああ! 起きてから読んだ書物で見たぞ! えらく珍妙な生き物だったのでよく憶えておる! 背中にこぶがある細い馬のような奴であろ?」
「流石は物部様。これはキャラメルと言いまして…駱駝の西洋での呼び名、キャメルから訛った名の薬なのです」
「ほう、きゃらめる……外の世界の薬か」
「物部様は一で十を知る方ですねぇ。その通り、これなるは幻想郷の外なる世界の産物。駱駝のこぶを煎じて固めた薬で、滋養強壮の効果があるのです。ですが、良薬口に苦しと申しまして――ほら、箱に一粒三百メートルと書いてあるでしょう? 三百メートルとは百六十五間。一粒口に含んだだけで百六十五間もの距離を走ってしまうほど苦いのですよ」
「なんと、それでは折角の滋養強壮も無駄になるではないか」
「いえいえ、それがこの薬の凄いところで……その程度、走っても苦にならぬ力を得られるのです」
「おお……外の薬とは凄いものだな」
「ふふ、服してみますか? ちなみに、飲み込んではなりません。口に含んで、舐めて融かさねば十全の効果を発揮できませんので……苦味は融け切るまで続きます」
「そ、それは遠慮しておこう」
流れるように嘘を吐く。
甘味が大好きな布都を騙して遠ざけてやった。
私を信じて疑わぬ布都のこと、当分は真実に至れまい。至った頃にはキャラメルは在庫切れ。今から落胆する布都の顔が楽しみでしょうがない。
「っと、これ、痛い」
悪計に耽っていたら、布都はまた小鳥にじゃれつかれていた。
「おや、待ちきれなくなったのでしょうか?」
「そのようだな……痛っ、迂闊に約束などするものでないなぁ」
髪を引っ張られながら苦笑する。小鳥は布都がくれると言った食事が待ち遠しいらしい。
「失礼するとしよう。今日も勉強になったぞ」
礼を告げ布都は歩み去る。形ばかりのお辞宜をしたところに、その言葉が届いた。
「機嫌を損ねたようですまなかった。その花は好きに処分してくれ」
薔薇を握る手が固まる。否、手だけではない、体が丸ごと動かない。
布都の姿が見えなくなるまで私は俯いたままだった。
今更――好きにしろなどと。傍若無人なままでおればよいものを。
冷静になってしまう。頭に上っていた血が一気に落ちていく。
残るのは罪悪感。
――ああ、またやってしまった。
もうやめようなんて殊勝なことを考えてなどいないけれど、罪の意識は積み重なる。
布都に振り回された時よりも、遥かに嫌な気分。最近は、全然思い通りにならない。
ただ遊んでいただけの筈なのに、退屈を紛らわすいい玩具でしかない筈なのに。
手にした薔薇を見下ろす。押し付けられた時は握り潰してやろうとか捨ててやろうなんて思ったのにいざそうしようとすると手が動かない。何なのだ、これは……
そもそも、花を受け取る時だってなんで私は躊躇った。いつもの嘘で済ませただろうに。
今更、布都に嘘を吐くことに何の感慨もないというのに、どうして。
思い通りにならない。歯車が噛み合わない。
楽しむための嘘が、どうして私を苛む。
布都の笑顔を思い出す度に、苦しくなる――悪趣味とわかった上で、遊んでいた、筈なのに。
苦しい。苦しい。
何かで紛らわせねば息も出来ない。
何か、何かないのか、考えるのをやめたい。罪悪感を忘れたい。
この苦しみから逃げ出したい。早く、早く何か、熱中させるものを――
「――――」
何かの気配。
振り返るもそこには誰も居ない。
否、居なくとも……誘っている。只人ならば気づきもしなかろう殺気。
ちくりちくりと、袖を引くような弱さのそれが、私に向いている。
殺気。明確な敵意。歴然とした害意。つまり、戦いが待っている。
ふむ? たまにはこういう誘いに乗るのも悪くないだろう。
なにせ私は、暇で暇で困っているのだから。
笑顔を作り背筋を伸ばす。手にした薔薇を胸ポケットに差し込み歩き出す。
方向は里側。布都が去ったのとは逆。誰か、など考える必要もない。誰であろうと倒してしまえばそれで済む。普段の私なら考えもしないだろう暴力的な思考に身体は衝き動かされる。
冷静な部分がただの八つ当たりだと告げてくるが構わない。八つ当たりでいい。
この苦しみを忘れられるのならなんだっていい。
まっすぐに殺気目掛けて進む。やがて、その姿が見えてきた。
木漏れ日の中で私を待っていたのは人間ではなかった。
濃緑の衣裳を纏いし亡霊――蘇我屠自古。
真昼に幽霊とは、風情の無い。
口に出したわけではない。それを察して、というわけでもなかろうが、睨まれる。
強い敵意の籠った視線。私を誘ったのは彼女で間違いないだろう。
なら睨み返すのは無粋。笑顔で応じよう。
「あらあら蘇我様……何かご用でしょうか?」
「察しているだろう。いい加減――目に余る」
雑談を楽しむ気は無いらしい。
それは困る。もっともっと、全てを忘れられるくらい興じたいのだから。
「何が、でしょう」
「とぼけるのも大概にせよ。私は幾度も見てきたぞ」
冷たい視線は揺らがない。
「甦ったばかりの者を騙すのはそんなに楽しいか青娥娘々」
……ふぅん。それが理由か。覗き見でもしていたか蘇我屠自古。
忌々しい。忘れる為に態々出向いたというのに、よりにもよって。
付き合う義理も無い。あしらって去るとしよう。
「あら、何を以って」
「その菓子」
指差されるのは懐に収められたキャラメルの箱。
「薬などではなく菓子であろう。忘れてはおらぬぞ、それは太子様に美味なる甘露として献上した品だろうが。……あいつは席を外していたが、私はその場に居たからな」
「あらあら……これはうっかり」
苛々し過ぎたか、こんな初歩的なミスを犯すとは。
布都をからかうにしても神子たちへと繋がらぬ手段でなくばならなかったのに。
無策に近い悪手を打つとは我ながら不様に過ぎる。私としたことが……
「何がうっかりか」
さっさとあしらいたいのに、あしらえない。気分の悪さが増してくる。
作った笑顔は崩さずに、腹の内を包み隠したままにこにこと応じる。
「布都はあれでも尸解仙――ということになっている。軽んじられては具合が悪い。長じれば、太子様にもご迷惑がかかるのだからな」
「ふふ、では豊聡耳様の御命令で?」
「私の独断だ。このようなこと、太子様のお耳に入れることではないだろう」
「ふ――豊聡耳様の耳に聞こえぬことなどあるのでしょうかねぇ」
軽い揚げ足取りのつもりだったのだが、屠自古は元々つり上がっている目をさらにつり上げる。
「なればこそ、早いうちに正しておくのがよかろうよ」
「仕事熱心ですこと……」
「そうでなくとも、悪趣味に過ぎるだろう」
今度は、私がぴくりと反応する番だった。
「布都の無知を利用して弄ぶなど、仙人の……人の所業ではない」
――そんなこと、私が一番理解している。悔いているとも。自嘲しているとも。
反省などしないがこうして最悪の気分となっている。今更言われるまでもない。
だが、それがどうしたというのか。
笑顔は張りつけられたまま。私はまだ動揺さえしていない。
舞台に引き摺り上げるには足りぬぞ、屠自古。
「そう目くじらを立てずとも……単なるお遊びですわ」
「遊びでは済まぬと言っている!」
怒鳴られる。
あらあら蘇我様……一人激怒しても私は動きませんよ?
「澄ました顔をしおって……! 何をしても許されるとでも思っているのか!」
「そのような驕りは流石に……仙人といえど所詮人だと弁えてますわ」
「とてもそうは思えんな。その美貌の下に何を隠しているのやら」
「何を……」
「その顔で布都を誑かしたのではないのか?」
……っ、どこで、どこまで見ていたのだこいつは。
私に、美しいなどと……! 布都のことをいちいち思い出させて……!
表情を、維持する。この程度で怒ってたまるか。貴様なんぞを相手にするものか。
劣等感を刺激された程度で私は揺らがぬ。私の顔のことなど、それこそ今更だ。
舌戦で私に勝てると思うな。貴様は私を勝負の舞台に上げることさえ叶わぬのだ。
「私は物部様に色目など使っておりません。考えすぎかと」
「どうだかな。利用できるものは何でも――そう見える」
ふん。その通り。使えるのなら躊躇わない。目的の為なら手段など選ばない。
疎ましいこの顔だって使えると判じれば策に織り込み有効活用するだろう。
――この、磨き上げた私の仙術を霞ませる、無駄なだけの整った顔だって利用してやる。
技術への誇りを知らぬ貴様には理解出来んだろう葛藤さえも呑み込んで、使い切ってやる。
にこりと、微笑む。
「悪戯が過ぎたことは詫びましょう。以後は控えます。これでよろしいでしょうか?」
「口約束など信用できん。布都との接触を一切断つぐらいはしてもらわねば」
「困りましたね……それでは豊聡耳様にご助力出来なくなってしまいます」
「私としてはそれで構わんと思うのだが、な」
「なんですって?」
私の力より、布都への害の方が重いと?
そんなに軽んじられるほど私の仙術はどうでもいいと?
……結局、こいつも「私」を見ないか。私を外見だけで求める連中と同じか。
私が磨き上げた仙術に、価値無しとほざくか。
作った笑みが剥がれ落ちる。
殺気を感じ取ったか、屠自古は身構えた。
目をつり上げたまま――凶暴な笑みを浮かべる。
「――ふん。そういう顔の方が似合うぞ、仙人殿」
「あなたの減らず口は聞き飽きました」
手に十枚は下らないお札が収められる。
屠自古は、紫電を散らせることでそれに応えた。
調子に乗り過ぎだ滅びし一族の亡霊。私を誰だと思っている?
我こそは死霊を操る術など知り尽くした邪仙――霍青娥ぞ。
「趣味ではありませんが……飼い殺して差し上げましょう」
「貴様にそれが出来るか? 低俗な死人遣い」
やってやろうではないか。貴様が見縊った我が仙術で塵と消えろ……!
まずは御自慢の雷から打ち砕いてくれる――!
「勅令――我雷公旡雷母以威声――」
「やれやれ。何の喧嘩だ?」
闖入者に、私も屠自古も虚を突かれ殺気が散ってしまう。
反射的に見れば、そこに――小柄な少女が、布都が、立っていた。
「布都――」
「物部様……」
鷹揚とした態度を崩さず、薄い笑みをたたえる布都は、この場に相応しくない程にいつも通り。
「殺気が向こうの方まで漏れておったぞ? 鳥たちが怯えてしまうではないか」
先程の小鳥がまだ彼女の肩にとまっていて、怯えるように彼女の髪に頭を隠している。
違う、そんなことはどうでもいい。……いつから――彼女は……
「……おまえには、関係無い。先に帰っていろ」
屠自古が口を開く。声は硬く、ぎこちない。実直な屠自古らしい態度だ。
真実を告げるよりはと嘘を選んだのだろう……
「嘘が下手だなあ屠自古」
呆れるような声。それに、言葉が詰まる。
屠自古に続こうと思っていた。彼女は敵だが、布都を巻き込むよりはましだ。
利用できるものは敵でも利用する……筈だった、のに。
「聞いて、いたのか」
「いや。ここに着いたのはついさっきだ。我は何も聞いてない」
「だったら」
「それでもその程度の嘘は見抜ける」
いっそ冷酷と言ってしまえる声だった。
普段の彼女からは想像もできない冷たさ。
それに、屠自古は屈した。
「……帰ってくれ。このような諍い、見せたくはない」
「我が関係している、と言っているようなものだな」
こうなってしまっては誤魔化すことも出来ない。将棋で言う詰みだ。
まだ挽回のチャンスはあったろうに、何をしているのか。
しかし屠自古を口下手と罵ることも出来ない。
私は、黙っていただけなのだから。
……頭に上っていた血が、いつの間にか引いていた。
「教えてもらえんか。このままでは判断も出来ん」
屠自古は暫し黙っていたが、退路は断たれたと察したのか、口を開いた。
「告げ口をするようで、気に食わないが……」
重苦しい口調のまま彼女は告げる――私の罪を。
「青娥殿はおまえをからかって遊んでいた。おまえに吹き込んでいたことは殆どが嘘だろう。一度二度なら笑って済ませようが、十重二十重となれば見過ごせん。あまりにも……」
「あっ――」
布都の肩から、小鳥が飛び去る。彼女はそれを見上げたまま視線を戻さない。
当然屠自古は二の句を継げなかった。
「ほれ、そんな怖い顔をするから逃げてしまったではないか」
「布都!」
「わかっておるわかっておる」
食ってかかる屠自古を制して、彼女は気だるげに肩を竦めた。
「青娥殿が我を騙していた。聞いておったよ」
「理解したのなら」
「まあ待て屠自古。この一件、我が預かろう」
驚いた様子もなく、気だるげなまま彼女は告げる。
それに不信感を抱いたのか、それとも布都を信じ切れぬのか……屠自古の表情は険しいままだ。
「だが……」
「よい。ここは我に任せてくれ。なに、悪いようにはせんよ」
言って浮かべるのはいつもの笑顔。
明るく騒がしい、日常での布都の顔だった。
「これは、我の問題であろう?」
「……当事者のおまえが言うのなら、信じる」
「うむ。では後でな」
布都が鷹揚に手を振ると、屠自古の姿は薄れて消えていく。
気配も霊力も感じない。彼女は本当に去ったのだろう。
そして、太古の亡霊は失せて、私と布都だけが残された。
「――――」
何かを言おうとして、口を噤む。
今更、なんと取り繕うと無駄であろう。
私などより遥かに近くにいる蘇我屠自古の諫め。
仲がよろしくないといっても、彼女たちは強い絆で結ばれた仲間なのだ。
所詮部外者でしかない私が敵う筈もない。……信じられる筈がない。
足掻くだけ見苦しい。素直に負けを認めて立ち去ろう。
元より縁者など一人もいない。か細き縁の一つくらい切れたところで痛くも痒くもない。
また、芳香と共に流れるだけだ。
「……物部様」
「屠自古がな」
別れの言葉は遮られる。
「あやつの殺気を感じた気がして、気になって戻ってみたのだ」
顔を背けたまま彼女はそう告げた。
……屠自古も詰が甘い。私にだけ殺気を向ければよかったものを。
「殺気を放つほどの喧嘩は、よろしくないぞ。青娥殿」
「そう……ですね」
「どうも、我が原因のようだから……強くは言えんがな」
それは違う。ことの原因というのなら彼女ではなく私だろう。
何故布都は迂遠な物言いをするのか。すぐに私を責めればよかろうに。
責められるのも、嫌われるのも慣れている。如何様に罵られても構わない。
なのに、何故。これでは決意が鈍ってしまう。早く……彼女の元から去りたいのに。
「物部様……私、は……」
「我は」
重い口を開いたのに、また遮られる。
思わず未だこちらを見もしない布都を睨んだ。
何度も何度も邪魔をして、何がしたいと、
「あなたのことが、好きなのだ」
表情が消えたのを自覚する。
好き、って。なんとなしの好意は、感じていたけれど……
そうじゃない、違う。なんでこんな場面で、告白など。
「ははは、流石の青娥殿も知らなかったようだな? 驚いてくれたか。今日は二度目……薔薇の時のような、嫌な驚きは嬉しくないが……こう素直に驚いてくれると楽しいものだな!」
あまりにも自然な笑みを浮かべる横顔に、からかわれたのではないかと疑ってしまう。
だが、それは考えるまでもない。この少女が、物部布都が、そのような真似をするわけがない。そんな確信がある。私のような、嘘ばかりなんてことはないという確信が。
でも今は、それよりも、疑心を費やすべきなのは、違うところに。
「な……何を仰るのですか。あなたが、何故、私などに……」
違う。問いたいのは、そんなことじゃない。
混乱しているのか。まさか、こんなことで今更、私が。
「眠っていたので自覚に欠けるが……」
だから、そんな問いに答えられても――
「千数百年間、想い続けておったよ」
再び言葉を失う。
「あなたはもう憶えていないかもしれぬが……太子様の紹介であなたに会い、様々な知識を授けていただいた時に――惚れたのだろうな」
尸解仙の術……眠りにつく、前? 確かに、その頃から面識はあるが……その程度だ。
私は何も憶えていない。記憶に残るようなことは何も無かった。いくらかの仙術を教えたくらいしか思い出せぬ。その記憶だって、決して多くは……
「……不出来な、生徒でしたね」
「はは、耳に痛い。今でも使いこなせておらぬからなあ」
こんな返事しか出来ぬ思い出。
「だが、不出来なりに……あなたに憧れておったのだよ」
なのに彼女はさらさらと語りだす。
「博識で美しい――あなたは我の理想像だった。どのような問いにも答えてくれて、あなたが知らぬことなど無いとさえ思った。あなたに導かれて我の世界は広がったのだ」
知らない、そんなことは、知らない。
私は、ただ彼女の望みに応えていただけで、それがどういう意味を持つかなんて考えもしなかった。
だって、彼女は、布都は、いつも真面目に修行をして、私を、なんて邪念はどこにも――……
「物部、様――」
――ああ、そうか。彼女だけは、純粋に私の智を求めていた。
仙術ではなくとも……私が努力して手に入れたものを認めて、求めてくれたのだ。
願い通りではなくとも、私が望んだ、本当の私を求めてくれる人だった。
何の努力もせずに始めからあったこの顔でなく、血を吐く思いで手に入れた私の智を。
その果てに、私を、求めてくれた――それを、私はどれだけ望んだだろう。
この顔とこの身体だけを求められて、醜い欲で求められてばかりで、誰も信じられなくなって。
だから、私は彼女に構い続けた。だから、弄ぶという名目で彼女に近づき続けた。
布都。彼女こそが、私の求めた欲の形だった。
なんて――――滑稽。
私は、私が求めた人を、騙して、玩弄して、馬鹿にして――……
自ら……彼女を遠ざける、こんな結末を招いてしまって。
「ふ――はは」
彼女は私を好いてくれていると言った。
だから、尚更、許せない。傍に居続けるなんて不様、認められない。
「――潮時のようですね」
突き放そう。思い出を汚そう。
彼女が私を忘れられるように。
私が求めた人が不幸にならぬように。
愚かな私が――これ以上この人を傷つけぬように。
「青娥殿……?」
再び笑顔を作る。場にそぐわぬ、華々しい毒花の笑みを。
「蘇我様の仰られる通りですわ物部様」
真実を毒々しく装飾する。
「実は私、大嘘吐きなのです。あなた様がお目覚めになられてからお教えしたことは殆どが嘘。博識のふりをして騙して遊んで弄んで楽しんでおりました」
必要の無いところは語らない。
「無知なあなたを虚仮にするのはとてもとても面白かったのです。蘇我様に戒められても、やめられぬ程に。挙句逆上して蘇我様に手を上げるところでした」
最後に、皮肉を差し込むのを忘れない。
「あなた様は気づいておられなかったでしょう?」
これだけ言えば私への好意など消えて失せるだろう。
尊敬か、恋慕か、未だわからぬ彼女の感情だって壊れて消える。
嫌ってくれればいい。そうすれば彼女は私のような悪女に騙されることは二度と無い。
悲痛な視線が今は喜ばしい。私を蔑め。私を呪え。そうしなければ、私はあなたの想いに報えない。
「――我を騙していた、か」
そうだ。屠自古が正しい。私が間違っている。
その認識を心に刻め。そうすれば――
「知っておったよ」
――驚いた。
素直に、心の底から、驚いた。
今日だけで幾度も驚かされたけれど、一番、驚いた。
気づいていた? 知った上で、騙されたふりをしていただと?
そんなそぶりは一度も見せなかった。あれが演技だなんて今でも思えない。
子供のように純粋なお方だと、思っていた。信じ込んで、いた。
騙された……気分だ――そんなの、私の勝手な、期待にすぎなかったのに。
「はは、これでも陰謀策謀計略の坩堝、物部氏の末裔ぞ? この物部布都が、この我が、あなたの可愛い嘘など見破れぬ筈がなかろう」
……ああ、そうでしたね物部様。かつての宗教戦争で辣腕を振るったあなただ。
策略にかけては豊聡耳神子も及ばぬ怜悧さ。どれだけ子供のように見えても、あなたは一流の戦略家だった。あなたの頭脳は私如きが量れるものではなかったのに。
「などと言ってはみたが、全てではないがな。どれが嘘だったかまではわからなかった。ただ、あなたは嘘をついていると、ぼんやりわかっておっただけだ」
「それでも……見透かすと言うに不足はありますまい。お見事です」
何もかも上を行かれていたか……さてどうすればいいのだろう。
脱力してしまって、考えることさえ難しい。
ここからどう動けばいいのか、わからない。
作った笑みが、剥がれてしまいそうだ。
「あなたの嘘はとても可愛らしい」
「……可愛い嘘など。嘘は――罪でしょう」
「その理由によるであろう。身を、心を守るための嘘を罪と言うのなら……人は生きられぬ」
身を心を守る……?
「なに、を」
彼女が何を言っているのかわからない。
「守る? この、青娥娘々が? それは、いささか飛躍し過ぎでしょう」
「そうかな」
否定にも彼女は揺らがない。
「昔からあなたは誰にも心を許さなかった。ある程度以上は踏み込ませなかった。人を惹き付ける可憐な笑みは、同時に人を掃う盾と矛でもあった――あなたから見れば、近寄る我らは火に群がる羽虫のようであったのだろうな。あなたという火に焦がれ、そして身を焼かれ離れていく……」
違う、そんなこと、考えていなかった。
なのに何故、否定の言葉を重ねられない。
何故私は口を噤んでしまうのか。
「裏切られる前に裏切る。嘘で心を鎧って人を寄せ付けぬ。我はそれを罪とは思わんよ」
だから、そんなことはないと……!
「あなたの嘘は罪ではない。我が保証しよう」
「勝手なことを……」
「我の言葉が信じられぬかな?」
当然だ。謀って、いたではないか。
私の悪意に気づいていたくせに、騙されたふりをして……!
「青娥殿、我はあなたを傷つけたりせん。あなたを裏切ったりせん。怯える必要など無い」
脱力感は苛つきに変わっていた。
怒鳴り付けぬよう自制するのがひどく難しい。
「あなたに――私の何がわかるのです」
「わからんよ。あなたが嘘をついていたことはわかってもどれが嘘かなんてわからぬように、嘘に隠された本心までは読み切れぬ」
「――ならっ」
「それでも」
偽りなど無い、真摯な視線。
「我が青娥殿を好きだということに嘘は無い」
信じ、られない。信用なんか、できない。
あなたの好意を受け入れるなんて、そんな勇気は、私には無い……
「私の……どこを好きになると、いうのです。騙してばかりで、嘘ばかりで……」
「そうだな。きっかけはあなたの智だが……惚れたのは、あなたの優しさに、だな」
優しさ? そんなもの、彼女に向けた覚えはない。
口実としか思えない。戯れ言だとしか思えない。
「その薔薇」
胸元に差した、一輪の花が指差されていた。
「え……」
「嫌いだと言ったのに、事実気分を害しておったのに、捨てないでくれたのだな」
顔が熱くなった、気がした。
捨てようと思った。握り潰そうと思った。なのにまだ、胸元に差したまま。
だけど――だけど、私は……優しく、なんて。
「そういう優しさを知っているから、我はあなたに惚れたのだ」
言い返す言葉が見つからない。
否定しなければならぬのに。彼女を傷つけたくないから突き放さねばならぬのに。
だって私は信じられない。これからもきっとあなたに嘘をつく。
視線を逸らす。彼女の真っ直ぐな眼差しを見ていられない。
「……この花が私に相応しいとあなたは仰った。その通りです。その姿で、その香気で人を惑わせ身に纏う棘で傷つける……それが私なのです。優しくなど……ありません」
「そうだな。だがその棘に毒は無い。必要以上に傷つけることは無いだろう。それを優しいと言わずして何とする? 毒ではどうしようもないが、棘ならばあると知っていれば傷つかずに愛でられよう」
詭弁だ。そうそう上手くいくものか。
布都が如何に優れていようと間違いは犯す。完璧など在り得ない。
私が優しいというのなら、理解して。私はもうあなたを傷つけたくない。
認めます。私は心の底からあなたを求めている。あなたが私を理想だと語ったように、あなたこそが私の理想だった。それに気づかずあなたを弄び続けてしまった。私は汚れているのです。こんな私ではあなたの想いに報いれない。罪を償わせてください。
あなたから離れることを許してください。
いつの間にか、作った笑みは剥がれ落ちていた。
「青娥殿。勘違いされては困るのだ」
話しかけられても顔を上げられない。
「かん、ちがい?」
「そうよ。我は仙人、物部布都ぞ? 諧謔のわからぬ小娘と一緒にされるのは屈辱である」
屈辱というのなら……私のしたことの方が。
口は重く、返事も出来ない。そんな私に構わず彼女は続ける。
「あなたの話は面白い。あなたの嘘に騙されるのも一興よ。だからな」
だらりと下げられたままの手を握られた。
「これからも我にどんどん嘘をついてほしい」
下から覗き込んでくる布都の顔を見下ろす。
晴れやかな笑顔、自信満々の笑みで、己を騙せだなんて。
きっと。
あなたは……私の弱さを察している。どうであれ変われないということに気づいている。
甘えていたのだと、あなたの純粋さを利用して、この醜い心を癒していたのだと。気づいて。
だから、こんなお芝居を。こんな、拙いお芝居を。私を追い詰めぬ為に。私を救う為に。
物部様……あなたは、どうして、こんなにも。
「……私が本気を出したら、あなた様は幾千幾万騙されるか知れたものではありませんよ」
「構わぬ。むしろそれだけの労力をあなたから引き出せたのだと誇れるではないか」
「いつか必ずあなたは傷つきます」
「我を見縊るでない。その方が傷つく」
「あなたのことを嫌いだとさえ言うでしょう」
「それは、うむ、なんだ……か、覚悟しておこう」
「そもそも……私は、仙人では……ありません」
「初耳だ。ではなんなのだ?」
「邪仙です。穢れた悪党の成れの果て」
「今の今まで隠していたということは、黙っていた方が良いのか?」
「そうしていただけるのなら……でもお好きになさってください。私は……」
「ならば黙っていよう。この秘密であなたを脅し我の元に繋ぎ止める」
言葉とは裏腹に、彼女は晴れやかな笑みを深めた。
「これで我も悪党だ」
――もう、言葉もございません。
懐からキャラメルを取り出す。
「――ふふ」
それでは手始めに。
「では、この苦いお薬を一粒。服していただけたらあなた様を信じましょう」
軽い嘘でからかってあげましょう。
シリアスって言うほどシリアスでもないかな
布都ちゃんが純真無垢なのに頭良くてなにこの子超カッコ可愛い…!
なぜ今までなかったのか疑問を持たざるをえない出来だ
文章の流れがとても綺麗でした。
って言葉を聞いた事がある。
せいふと流行れ
しかしこれは美しい
邪仙にゃんにゃんも素敵です
このイケメンな物部様にほだされていく青娥様を是非見たいものです。
いやしかし青娥様邪悪清楚美しい。素敵なお話を有難うございました。
長文コメ失礼しました。
嘘で自分を守ろうとする娘々がかわいくて受け青娥もっと増えて欲しいと思いました!
布都め良い格好しやがって! 若干謀略家らしいところが見えて、それがまたかっこよさを際立たせる。
純真でありながら知恵者に相応した落ち着きのある物部さんが素敵でした。
こりゃ娘々も惚れるわ…