※この作品は、
作品集129「彼女たちの聖戦」
の続編となっております。
「シチリア亡び、ペルシア、マケドニアも倒れ、今またカルタゴも廃墟と化す。次に滅ぶは、さて、ローマか」
――スキピオ・エミリアヌス。第三次ポエニ戦争にて。
八雲紫は重々しくいった。
「というわけで、霊夢。あなたは乙女としての修行を積みなさい」
博麗霊夢は端的に答えた。
「昆虫サイズの脳みそがとうとう糸を引き始めたの、あんた?」
――社に、冷たい風が吹いた。
「だから! そーゆーのを止めなさいっつってるのよ、私はぁぁぁぁぁぁぁ!」
夕暮れの境内に、境界の支配者と謳われる大妖の悲痛な叫びが響いた。
周囲の妖怪たちが、悼むようにそっと目を伏せ、幾人かは紫をなだめるように、あるいは慰めるようにその肩をぽんぽんと叩く。
――後代、「乙女異変」とも称された事件の直後。今回は勝者の側に回ったはずの満身創痍の妖怪たち。彼女らはひたむきですらある眼差しで、敗者である(はずではある。まったくの無傷だが)霊夢を見つめていた。
「とはいってもねぇ。そもそも、乙女の定義って何よ?」
霊夢は肩をすくめる。
別にふてくされているわけではない。むしろ、彼女はそれなりに素直に、紫の言い分を聞く気になっている。何しろ彼女は、異変を起こし(いまいち自覚はないが)、そして負けたのだ(何故に紫たちがあそこまで必死だったのかはまったく理解に苦しむ)。不条理は禁じえないにせよ、負けは負けだ。もともと大したこだわりがあったわけでなし、要はちょっとした好みの問題で映画や絵物語の言動を真似てみただけなので、それを矯正するのにさほどの抵抗はなかった。
それでも、余りに厄介そうな課題やつまらなさそうな要求を押しつけられれば、いささかの反論もしたくなる。
紫はしかし、霊夢のそうしたわずらわしさをまるで関知した様子もなく、むしろ「よくぞ聞いてくれた」とばかりに豊満な胸を張った。
「よくお聞きなさい、霊夢。乙女の定義、その本分とは――」
隙間妖怪は周囲の同志たちを見渡し、うなずき合った後、堂々と答えた。
「貞淑、健気、純粋、美麗、博愛、慈悲、無垢、可憐、一途、仁愛、礼節、そして優しさ美しさに慎ましさに愛くるしさ、こうした美質すべてを兼ね備え、かつ、それらすべてを超越する。其は徳にあらず、業にあらず、思想にあらず言動にあらず行動ですらない。強いていうならば生き様であり、存在そのもの。それが乙女というものなのよ!!」
暮れなずむ太陽よりも眩しく神々しく、ノンブレスで八雲紫は言い切った。
「いや、そんな生物いるの?」
「いるべきなのよ! 外の世界ではいざ知らず、ここは幻想郷なのよ!?」
だからどうしたというのだ、というツッコミを、博麗霊夢は慎ましく呑み込んだ。脳にボーフラでも湧いたのかしらこのスキマ野郎――とは、彼女の偽らざる本音であった。
だがしかし。
「ふっ……さすがは八雲紫。さすがは我が戦友。私はお前に敬意を表する……!」
と、レミリアが感嘆もあらわにのたまい、
「素晴らしい……私たちの求めていた理想を、彼女はたった一分で完全な言葉としたのです」
文は目を潤ませながら手元のメモに何やら書きこんでいる。
「……私たちの理想……私たちの乙女……」
幽香に至っては、感極まったように天を仰ぎ、眼の端に涙をにじませている。
他の連中も大なり小なり似たような感じで、とにかくも霊夢に同調しそうな輩は見当たらない。ただ一人、神社の軒先に腰かけて酒をあおっていた霧雨魔理沙が、よーやるわとばかりにため息をついていたりもするが。
「あんたらねぇ……」
とっさに、神とか運命とか公衆道徳に対する冒涜的な表現を用いた罵詈雑言をダース単位で思いつきかけた霊夢であったが、とりあえずは口に出すのを控えた。
「……で、とにかく何をさせたいのよ、私に? いっとくけど、私、修行とか努力って苦手よ? むしろ不倶戴天の敵よ?」
「安心なさい。ここにいる全員、それは百も承知よ」
随分と失礼な表現をされた気もしたが、ぐっと堪える。
「そもそも貴女は土台は悪くないの。というより最上の資質を持っているわ。今回のように、どこぞの呪われた血族に悪い影響を受けなければ、聖母マリアも裸足で逃げ出す清純な乙女に成長したはずなのよ」
呪われた血族って私らのことかい。と、守矢神社の祟り神が据わった眼をして呟いた。
それは宣戦布告ですねそうですね。と、守矢神社の風祝が世紀末覇者の如く拳を鳴らす。
お願いだから黙って落ち着いて。と、守矢神社の祭神(ただし表向き)が泣きそうな顔で二人を押さえた。
「貴女に必要なのは、つまるところは環境なのよ。人里離れた社での純粋培養というのも萌える……もとい、よい環境だと思っていたけれど、それは悪しき影響も受けやすいということと同義だったのね。こればかりは私の不覚だったわ」
萌えるって何だ萌えるって。と、黒白の魔法使いが心底うんざりした顔で呻いた。紅白の巫女もまったくの同感であった。
「故に、貴女に申し渡します」
八雲の大妖は毅然として言った。まさに幻想郷の賢者に相応しい堂々たる物腰であった。賢者がこんなアホらしいことに真面目になってどうするというツッコミは、誰もが当然の如く無視していた。
「これからしばらくの間、紅魔館、白玉楼や妖怪の山、あるいは私の家で順繰りに暮らしなさい。雅な暮らしというものを体験し、骨身に染み込ませるの。さすれば貴女は真の、至高の、最高の、神聖なる乙女になる。誰もが敬い、尊び、崇め奉る乙女に! 専門用語でいうところのエルダー。あるいはエルデスト。ロサ・キネンシスでもいいわね。私、実はロサ・フェティダ派なんだけど」
興奮のあまりわけのわからないことをほざいている八雲紫。初代稗田阿礼が著した幻想郷縁起にも記されし、幻想郷最強の一角であった。いいじゃない、女はいつまでも少女なの(本人談)。
紫の演説じみた説明はなおも続いたが、この場では省略する。というより、王政ローマ末期のルクレツィアから中世のジャンヌ・ダルク、前田利家の愛妻たるお松の方などについての詳細な解説、隙間を通じて愛読しているらしい現代少女小説に関する深遠な考察、ついでに何故か萌えやら蕩れやらと異次元にまで発展しまくる弁舌など、本人とその同志たち以外に理解することは不可能であった。
当然ながら博麗霊夢もその九割九分を聞き流し、霧雨魔理沙と明日の天気について語り合っていたのだが、八雲紫は止まらない。
都合、一時間近くも語り続けた八雲紫が、
「――すなわち! イエス・乙女、ノー・タッチ! これこそが真理なのよ! 英語で言うところのトゥルース! あえていおう、他はすべて瑣末であると! 立てよ同志! 立てよ乙女! 幻想郷は諸君らの力を必要としている! ジーク・ユングフラウ! ガールズ・フレー! 一心不乱の乙女力で、鉄風雷火の清楚を打ち立てよ!」
と、意味不明の結論を打ち立て(鉄風雷火の清楚って何だ、という霊夢の言語学的な疑問は例によって無視された)、レミリア他一同が万雷の拍手と「ジーク・ユングフラウ!」「ガールズ・フレー!」という歓声をもって応えたところで、ようやく場は収束した。
「つまり、あんたたちの家に持ち回りで泊まりこめってことね」
長々とした演説を十秒で要約してのけ、博麗霊夢は肩をすくめる。脳裏にはもちろん、目の前の莫迦どもの七代前の先祖にさかのぼる罵倒が万単位で渦巻いているのだが、賢明にも口は出さない。明日の天気や今日の夕ご飯といった話題でまた一時間以上を費やすのはさすがに辛いものがある。
それに、食費その他の面倒を見てくれるというのなら、それほど悪くない取引だろうとすら思う。乙女の定義やら何やらを講釈されるかもしれないが、いざとなれば目を開けて眠るという特技を披露してやればいいだろう。
八雲紫はしかし、満足げにうなずき、
「順番はもう決まっているわ。後で書面にして渡すから、貴女はそのスケジュールに沿って泊まり込むだけでいい。その間、私たちも手の空いた者でいろいろ動くから」
それはまるで、夢見るような声音であった。
「すべてが終わった時、幻想郷は黄金の時代を迎えるのよ」
それはきっと、ろくでもない、嫌な時代だろう。――という確信は、博麗霊夢、霧雨魔理沙に共通していた。
第一話「ローマは一日にして成らず」
「というわけで、最初は我が紅魔館よ。初っ端からクライマックス、というのもアレだけどね」
霊夢を館に迎え入れながら、レミリア・スカーレットは満足げにうなずいた。熾烈なジャンケンの末に勝ち取った初陣だ。いくら気合を入れても足りぬということはないのだろう。
「まずは、服装ね。――咲夜!」
「御意」
吸血鬼が指を鳴らすと同時に、どこからともなく瀟洒なメイドが出現する。
「これより霊夢は客人ではなく、我が血族に準ずる者として扱え。スカーレットの家名に相応しい処遇を心がけなさい」
「イエス マイ・ロード。すべては御心のままに」
スカートの裾を両手でつまみ、咲夜は瀟洒に一礼する。
そのまま彼女は霊夢に歩み寄り、
「では、こちらに。お召し物をご用意させていただいております」
「は、はあ。どうも」
らしくもなく狼狽しつつ、霊夢はうなずいた。紅魔館には幾度となく訪れたが、咲夜にこれほど丁重な態度を取られた記憶はない。なるほど、血族に準ずる扱いというわけか。
咲夜はしかし、わずかに眉をひそめつつ口を開いた。
「まことに僭越ながら、霊夢お嬢様」
げ。こいつ今、霊夢お嬢様とかいった。――いまだかつて聞いたことのない呼称に、思わず鳥肌となった霊夢を誰が責められよう。
「『はあ』『どうも』といった物言いは、お嬢様に相応しくはありません。堂々とお命じください。この館にある限り、我ら従僕は貴女の手足であり所有物なのですから」
凛とした表情を崩さずに、咲夜はいう。あんた正気か、というツッコミは、とてもではないが入れられる雰囲気ではない。
そういえば、と霊夢は思い出した。先日の決戦では紫やレミリアなどの大物ばかりが目立っていたが、この瀟洒なメイドもまた主に付き合うという以上の熱心さで参加していたのだった。やや天然気味な部分はあるが十六夜咲夜もまた完全なる瀟洒で知られた娘。さらに持ち前の面倒見の良さもあり、霊夢の変貌にえらく心を痛めていたらしい。
「よい、咲夜。いずれ霊夢も馴れる」
レミリアは鷹揚に言う。
見れば、美鈴は王侯に対するが如く拝跪しているし、パチュリーの態度も常の気だるいものからある種の敬意を含んだ直立になっている。誰もが忘れているが、スカーレット家はかつて欧州の闇にその名を轟かせた貴族であり、妖の世界における名門なのだった。
余りといえば余りに勝手の違う雰囲気に流されるままに、霊夢は奥に通され、やはり流されるままに衣装を変えさせられた。それも自分で着替えようとしたのを、やんわりと、しかし断固として断られ、下着から何から何まで咲夜及び衣装係の妖精メイドたちの手で着替えさせられたのだ。
与えられたのは、絶対にレミリアの趣味であろう、真紅を基調とした優雅なドレスであった。いや、咲夜の趣味も入っているのは間違いない。そうでなければ、霊夢の体型にぴったりの衣装など、昨日の今日で用意できるわけがなかった。もしかしなくてもこのメイド、いつか自分を着せ替え人形にすることを夢見てドレスを繕っていたのではなかろうか。深く考えると非常に怖い結論が出そうだったので、霊夢は思考を打ち消した。
ただし、そうした恐怖の想像を度外視するならば(それが一番重要な気がするが)、紅いドレスは霊夢の趣味にも決して外れてはいなかった。豪奢でありながらも決して派手さを主張せず、可憐と清楚という要素を引き出している。もともと霊夢も、博麗の巫女装束を洋風にアレンジしていたし、紅色も好きな部類に入る。
「よくお似合いですわ、霊夢お嬢様」
「ありがとう。なかなかいいセンスだわ」
霊夢は満更、社交辞令でもなくうなずく。
一応、先ほど注意されたこともあるので、堂々たる(=無意味に偉そうな)物言いを心がけたのだが、咲夜にとってもその態度は満足いくものであったらしい。
咲夜は感謝するように一礼し、
「恐懼の極み。――では、こちらへ。お茶の用意ができております」
咲夜に促され、廊下へ出る。
数人のメイドが恭しく立ち止まり、一礼してくる。紅魔館のメイドといえば、咲夜を除けば質より量を地で行くお莫迦な妖精ばかりというのが評判だが、さすが貴族の邸宅だけあって礼儀作法は徹底しているらしい。いや、あのレミリアがただ騒がしいだけの妖精をメイドとして雇うはずもない、ということか。
見かけよりもはるかに広い(咲夜の能力で拡張されているので当然だが)廊下を歩き、テラスにたどりつく。
日傘の立てられたテーブルに、すでにレミリアとパチュリーがついており、傍らには珍しいことに美鈴が従っていた。
「改めてようこそ、我が家へ。霊夢、先に伝えたとおり、ここにいる間は客人ではなく我が血族としての処遇を約束するわ」
まさしく紅魔館の当主に相応しい声音と物腰であった。
とてもではないが、「ジーク・ユングフラウ!」「ガールズ・フレー!」とわめいていた幼女(約500歳)には見えない。
「堅苦しいところもあるかも知れないけれど、貴女は堂々として振る舞えばいい。貴族たるものの証は見せかけの礼法ではなく、その誇りと生き様。従えることを当然とし、それに報いる義務を当たり前に背負う日常こそがノブレス・オブリージュ。貴女はもともと、博麗の巫女としての責務を当然に果たし続け、何物も畏れぬ物腰が身に付いているから、決して難しいこととは思わない。品格や威厳は後から付いてくるわ」
立ちあがってそう述べた後、レミリアは咲夜と美鈴に目をやり、
「咲夜、しばらくは霊夢につきなさい。暫定的だが、その間の私の身の回りの差配は美鈴に任す。門番役は、適当なメイドを割り当てて。まあ、八雲紫が外で動き始めるはずだから、うちに忍び入る莫迦もまずいないでしょう」
「かしこまりました」
「御心のままに」
咲夜はスカートの裾をつまんで一礼し、美鈴は恭しく拝跪。
その様子を微笑と共に眺めてから、レミリアはいった。
「さ、霊夢。かけなさい。紅茶にミルクと砂糖はいる?」
間話「我々は進撃する」
「そもそも今回の異変の原因は」
と、情報幕僚の肩書を正式に与えられた射命丸文が、手元の資料をめくりながらいった。
「我らが幻想郷に相応しくない、公序良俗に反する文物が流れ着いたことにあります。乙女の良識を汚し、風紀を乱すこれらの概念は、断固として否定すべきなのです」
曲がりなりにもジャーナリストたる者のいうべき台詞ではないような気がするが、誰もツッコミを入れない。そもそもジャーナリズムとは何ぞやという事柄を理解している者が存在しなかった。
何より文は、いまや正しき乙女道の伝道者たらんと実に傍迷惑な志に身を焦がしていた。
「流れ着いてしまうものは仕方がない。だが、その存在を放置しておくことは許されない。そういうことね」
伊吹萃香が重々しくうなずいた。レミリアとともに、先の異変で真っ先に被害(?)をこうむった彼女の台詞には、皆が黙して賛同した。
「ならば私たちがなすべきことは」
因幡てゐが確認するようにいった。永遠亭からの唯一の出席者であり異変の当事者である彼女は、いつの間にやら迷いの竹林の良識代表とでもいうべき地位を認められている。従前と比べてえらく落差のある地位ではあった。
「乙女の良識に反する悪しき事物、そしてその影響の徹底的なる排除」
村紗水蜜が力強く断言した。愛しき姐さんがあのときの霊夢のような物言いをするなどという光景は、彼女にとり想像すらしたくない未来図であった。この点に関する限り、命蓮寺一同の意見は完全に一致している。無垢なる大地を守り抜かんとする彼女らの決意は巌より堅い。
――そこからの流れは一方的で、逡巡も容赦もなかった。
「巡回、捜査、尋問、そして教育。ことに最後の其れこそが肝要」
「専門の施設が必要ですね。聞き分けの悪い不心得者に、懇々と乙女の何たるかを教育するには、一朝一夕ではなかなか」
「場所なら私の向日葵畑を提供するわよ。ちょうど、いくらか荒れ地を開墾して花を植えたいと思っていたの。清々しい肉体労働と空いた時間の説得を連続させれば、下らぬ妄想など飛んで消えるでしょう。衣食住も最低限だけど保障してあげるし、私を前に逃げ出そうとする莫迦もいないでしょう」
「素晴らしい。では、巡回の割り当ては」
「まずは自分たちの馴れた場所から始めましょう。ちょうどここには幻想郷の主だった区域でそれなりの地位にある者が揃っている」
「当面はそれでいいかと。後日の会合で、【汚染度】の高い区域に集中して人員を投入し、教育を進めましょう」
「押収した品はどう扱いますか? その場で焼き捨てても構わないとは思いますが」
「私有の財産だ何だと小理屈をこねられると面倒だわ。一時保管と名目をつけて、私の隙間に永久保存しておきましょう。何かいわれたら調査のために預かっていますとでも返答しておきなさい」
「納得しないようならば?」
「ここにいる面子全員で取り囲んで【説得】すればいいだけのことよ」
実に恐ろしい事柄があっさりと決定されていく。余談ではあるが、外の世界の組織論には次のようなものがある――閉ざされた集団の内部においては、どれほど英明な人間も巨大な石頭になる、と。
一応、末席の方には「あまり過激なことは……」と尻込みしている上白沢慧音のような穏健派もいることはいるのだが、会議の大勢に影響を与えてはいない。威勢が良くて声の大きい者が主導権を握るのが世の常である。
それに、慧音自身も何だかんだ言って「風紀の乱れ」という言葉には弱い。この場にいる面子が、無用な暴力の禁止、逮捕や尋問においても相手に傷つけるなどもっての外、物品の押収についても極力理解と協力を求めること――などを当然の前提としていたことも大きかった。
問題があるとすれば、この場にいる面子が冗談抜きで幻想郷の覇権を握りかねない実力者である事実を忘却していたことであろうが。あと、おそらくもっとも重要な事実として、極端から極端へと走る暇人どもであることも。
暫定的な行動方針、役割分担、組織編成といった事柄をつつがなく決定した後、八雲紫は一同を眺めまわしてこう宣言した。
「此は私闘にあらず、聖戦である。いざ我ら、これより乙女道を駆ける修羅となり、血肉をもって乙女を守る御楯とならん。悪鬼ともいえ畜生ともいえ、唯ひたすらに乙女の何たるかを己に問い、求め続けよ。我らはここに誓約し、誇り高きその名を紡ぐべし」
……かくして成立した武装集団を、少女守護隊と呼ぶ。
後代に知られた略称は、SS。
なお、いくらなんでもその略称はヤバくないかいという指摘は、外の世界の歴史に疎い幻想郷の住人からは為されなかった。
後に稗田阿求が頭を抱えながらその概要を記したと伝えられる乙女異変、その第二部が開始された。
第二話「ただ鉄と血のみが解決する」
紅魔館における霊夢の生活は、一週間ほどで終わりを告げた。
レミリア・スカーレットをはじめ紅魔館の主な面々は、どうやらかなり本気で霊夢を紅魔館の住人に――つまりスカーレット家の血族に加えるつもりがあったようだが、水面下で何やらあったらしい。
「我々もSSとして従軍せねばならないからね。残念だけれど、仕方がない。司令部からも催促が来ているし、頃合ではあるのかも知れない」
と、紅魔館の扉の前まで見送りに来たレミリアは、実に残念そうに語った。
SSって何だ、司令部って誰よ。――とは、当然にして霊夢が浮かべた疑問であったが、それについて質問することは差し控えた。一度、紫たちが始めているという活動について質問したこともあるのだが、何故か中世欧州におけるレディの定義から説明を開始され、そのまま四時間に及ぶ長口舌を拝聴させられた経験から、「余計なことは訊かない方がいい」との結論に達している。勘ではあったが、具体的な内容を聞いたが最後、絶対にろくでもない気分になるであろうことは確信が持てた。
それに、純粋に紅魔館の生活を考えた場合、事前の想像よりはるかに丁重で手厚い扱いを受けていたことも大きい。
レミリアの側付を一時的に離れてまで霊夢専属となった咲夜は、まさにパーフェクト・メイドに相応しい従者ぶりを見せ、博麗霊夢をスカーレット家の令嬢の一人として扱い続けた。食事だろうがお茶だろうが風呂だろうが読書だろうが、何かしようとした瞬間にはすでにその用意が整っているという厚遇である。放っておけば箸の上げ下げまで手伝いかねないその献身は、人を使うことに馴れていない霊夢にとっては脅威ですらあった。
「その気があるなら、いつでも戻ってきなさい。博麗の巫女の責務を終えた後でもいいわ。スカーレット家に連なる者として、喜んで迎えよう」
そりゃどうも――と、素で答えかけ、慌てて自重する。この一週間で面倒であったのは、貴族らしからぬ物言いや振る舞いをするたびに、咲夜や美鈴、さらには妖精メイドたちからまで、丁寧だが断固たる調子で矯正されたことだ。暇つぶしに行ってみた図書館でも、パチュリーから礼法の基礎やら一般教養やらを懇切丁寧に解説された。
どうやら紅のドレス姿の霊夢に感銘を受け、一人のレディとして自立させることに無意味なまでの情熱を抱いたらしい一同は、その点に関する限り妥協がなかった。実はこいつらかなりの少女趣味なのかしら、と感じた霊夢の直感は、実はかなりの勢いで正しかったりする。
「そうね。ティベレの川面が澄んだ頃にでも、また来るとしましょう」
まあ、一応は世話になった礼というものだ。霊夢は優雅なまでの所作で一礼した。
レミリアは苦笑したようだった。「貴女らしいわ」とつぶやき、そしてその表情のまま手を振る。
「霊夢お嬢様、ご出立である! 一同、最大の敬意をもって送礼せよ!」
咲夜の号令が響く。紅魔館の扉から門前まで、ずらりと並んだ妖精メイドたちが一斉に頭を垂れた。何というか、良くも悪くもレミリアたちは徹底するつもりであるようだった。
さすがに紅い絨毯が敷かれているわけではなかったが、咲夜に付き添われて歩く妖精メイドたちの花道は、非常に居心地が悪い。それでも涼しい顔で通り抜けられたのは、この一週間の経験と、最後の最後で説教を食らうのが面倒であったからに他ならない。
正門の側では、やはり美鈴が拝跪している。そしてさらに門の外には、次なる逗留先の使者が待ち受けていた。
「――ええと、何といっていいものか」
使者は、いかにも貴族的な仰々しい出立の様子にいささか引きつった顔でいる。霊夢が久しく見ていなかった、まことに常識的な反応である。
どうやらまともな庶民的感性を持ち合わせた世界に立ち返ることができそうだ。霊夢は内心で安堵した。あと一カ月も紅魔館で令嬢教育を受けていたら、レミリアを「お姉さま」と呼んだり通りすがりの知り合いに「ごきげんよう」とたおやかに挨拶したりする価値観に矯正されていたかも知れない。
「この場合、お勤め御苦労さまでした、というべきでしょうか……?」
あたしゃ刑務所帰りのヤ○ザか。というツッコミを、霊夢はかろうじてこらえた。最後まで霊夢をお嬢様として扱うつもりらしい咲夜と美鈴が、殺人的なまでの視線をその使者――背中と腰に刀を吊るした使者に向けていたもので。
次の目的地は白玉楼。魂魄妖夢の世話になることが決定していた。
「……何とも。苦労したようですね」
「あれを苦労の一言で済ませるのは一種の暴力に近いわね。洗脳に近かったような」
白玉楼までの道中、紅魔館の生活についての愚痴をこぼした霊夢に対し、妖夢は気の毒そうな視線を向けた。
「まあ、新鮮な体験でもあったけどね。レミリアが咲夜を大事にするのもわかるわ。上げ膳据え膳っていうのかしら、ああいうのは」
「ほほう」
妖夢は興味深そうに眼を細める。紅魔館の暮らしに、霊夢が否定的なばかりではない感情を抱いていることに、面白味を感じているようだった。
「西洋の貴族も、日の本の武家も、本質において共通する部分は多いですよ。十六夜咲夜――あの人の忠誠には、私も感じ入るところがあります」
「……あんたももしかして、私の着替えを手取り足取り手伝うつもり?」
「いやまさか」
妖夢は苦笑した。
「通ずるところはあれど、貴族と武家はやはり違いますよ。政を本分とするか武に生きるか、というところですが。西行寺家はもともと武士の家系ですし、我が魂魄家はその刀であることに誇りを持っています」
自分で身支度もできない武士などいない、ということらしい。
「一応、今のうちに言っておきましょう。白玉楼では、私の稽古相手を務めていただくことになりますが、それ以外では自由に過ごして下さい。まあ、亡霊が相手では会話のしようがありませんし、幽々子様は今回の一件に関して中立を宣言しておられますので、私と稽古する他にはそれこそお茶を呑むくらいしかできないでしょうが」
「稽古って、剣の? 私、素人よ」
「軽い運動くらいに考えてもらって構いませんよ。修練を課すことで心身が引き締まるのは、ただの素振りでも乱取りでも変わりません」
妖夢は期待に満ちた表情でいう。どうやら彼女は、稽古仲間ができることに濁りない喜びを覚えているらしい。たしかに、あの広大な白玉楼で、一人で黙々と剣術の修練をするというのは、世捨て人でもない限り心楽しい日々とは言い難い。一応は幽々子の剣術指南役でもあるはずだが、あの亡霊嬢が武芸に熱心であるとは到底思えないし。いかにも純朴な剣術娘といった表情を見ていると、反論するのも気が引けてくる霊夢であった。
前言通り、白玉楼についてからの生活は、実に質実剛健と称するのが相応しいものとなった。
どうやら霊夢を着せ替え人形にしたがる傾向は、幽々子や妖夢にもあったらしく、巫女装束の代わりに普段着として数種類の着物、稽古着としては木綿の胴着が与えられた。
早朝に起きだしてまずは屋敷の掃除を手伝い、朝餉の後から剣術の稽古。昼前に軽く沐浴をして、昼食を取った後は、日が暮れるまでまた稽古。その後は夕食の支度を手伝ったりまったりと茶を呑んだりと。夕食後、風呂へ入った後は、日中体を動かした疲れもあってぐっすり寝込んでしまう。まったく、絵に描いたような健康的な生活であった。
一連の事件を完全に楽しむ側に回ったらしい幽々子は、初日の挨拶のときに「妖夢と仲良くしてあげてね」といった他には、霊夢にまったく干渉しようとしない。
ただ、庭先で妖夢と二人並んで素振りをしたり、軽い乱取りをしたりする際には、常に縁側で茶をすすりながら見物していたりする。微笑ましいものを見るようなその表情はまことに母性的で、妖夢が慕うのもわかるような気がした。
そしてその妖夢はといえば、実に溌剌と霊夢との剣術の稽古に打ち込んでいた。
ただ一緒に素振りをするだけでも楽しくて仕方がないという風情である。
紅魔館とはまったく趣は違うが、ここまで歓迎されると霊夢もやはり悪い気はしない。努力も修行も嫌いだが、もともと体を動かすこと自体は嫌いではないのだ。ついつい剣術の稽古にも身が入ってしまい、何くれと妖夢に教えを請うたりしてしまう。またそれが妖夢には嬉しいらしく、彼女の指導はまったく丁寧で、厳しい中にも親愛の情が感じ取れた。師弟関係というより同門の弟子仲間が出来た心境なのだろう(もっとも、修行嫌いの霊夢の性格からして、あからさまな師弟関係を示されれば拒絶反応が出たことは疑いない)。
「いや、感心しました。素晴らしい上達ですよ、霊夢。わずか数日でここまでになるとは」
白玉楼に泊まり始めてから四日目の昼、妖夢は讃嘆もあらわにそういった。
「体術なら嗜みていどに覚えがあったからね」
霊夢は木刀を弄びながらいう。
さもありなん、と妖夢はうなずいた。博麗の巫女の役目の一つは妖怪退治。あるていどの武芸の心得がなくては始まらない。そもそも霊夢は、剣術を弾幕ごっこにも応用している妖夢と幾度か対決しており、その都度優れた体術をもって勝利しているのだ。
「貴女なら、ゆくゆくは濃尾無双を超えるほどの剣豪になれるかも知れません。いえ、無明逆流れを破ることすら」
「あいにくだけど私、痛くしてまで覚えたくないから」
嬉しさの余りか、妖夢もどこか高揚しているらしい。まあ、乙女がどうだと熱弁をふるわれるよりはまだマシだが。
「午後からは、二刀の扱いを始めましょうか。貴女なら、御神流を極めることも不可能ではないはずです。もしかしたら、あの二天一流大神派の奥義、震天動地にも手が届くかも」
霊夢の言葉を聞いてか否か、妖夢は一人で盛り上がっている。
「素晴らしい……嗚呼、素晴らしい……! おじい様、妖夢はこの天才と共に、魂魄が剣の真髄にたどりついて見せます……地上最強の生物と言われた貴方も、霊夢とならば超えられる! 待っていなさいゴッドハンド! 例え隻腕隻眼になろうとも、我が刃は貴方に届く! そしていつかは十二本の完成形変体刀を……!」
前言撤回。こいつはこいつで剣に狂っていやがる。しかもいろいろ混ざってやしないか。これが刀の毒とでもいうのだろうか。
「そうと決まれば(←何も決まってないだろ、という霊夢のツッコミは無視された)まごまごしてはいられません! 呼吸するように剣をふるい、歩くように斬りましょう。一日に三十時間の修練という矛盾! 信仰が暴挙を生み、暴挙こそが奇跡を生むのです! 水よりも空気よりも剣を求め、その血その肉その骨すべてを一個の刀に仕上げましょう! 嗚呼、今こそ私は完成する……!」
霊夢はこめかみを押さえつつ、縁側にいるこの剣術莫迦の主人へと視線を向けた。
幻想郷屈指の実力者にして死を操る亡霊の支配者は――
このとき、きっぱりと頭を抱えていた。のほほんとした態度を崩さない亡霊嬢だが、これはこれで悩みを抱えているらしい。
巫女の見守る中、西行寺幽々子は頭痛をこらえる表情で顔をあげ、
『妖夢と、仲良くしてあげてね? 比較的切実に』
唇だけを動かして、そう懇願してきた。
「――Jesus.」
天を仰いでそういったが、あいにくとここは冥界であった。
間話「三千世界の鴉を殺し」
史上稀にみる莫迦げた理由で成立した少女守護隊――SSの当初の活動は、比較的大人しいものから始まった。
妖怪の山、人間の里など、比較的大規模な勢力の中での奉仕活動がその初期の主体であった。
自由気ままな妖怪、そしてそれに付き合うことを決めた人間たちでも、集団生活の中では自ずと規律が求められる。高度に組織化された山はもちろん、人間の里にも自警団があり、規律を乱す犯罪行為の取り締まりにあたっていた。
SSが最初に持ちかけたのは、それに対する部分的な協力であった。
もとよりSSには、幻想郷でも指折りの実力者が揃っている。
密と疎を操り小人サイズに分身もできる萃香の能力は、力仕事にも犯罪捜査にも縦横に応用できたし、河城にとりの技術力は人間の里で特に歓迎された。射命丸文の情報網も優れていたし、さらには楽園の審判こと四季映姫・ヤマザナドゥが法令関係の監修を行ってくれるとあれば断る者はいない。
何より、彼女たちに追われて逃げおおせる犯罪者など、幻想郷でもいたかどうか。
当初、本来の自警団の臨時の手伝い、ボランティアの名目で始まった活動は、劇的な成果を上げた。それまで迷宮入りしかけていた事件も次々と解決し、細かな犯罪についてもすぐさま逮捕が行われるようになり、治安は飛躍的に向上した。
さらにはそれと並行して、幻想郷の各勢力に、外の世界から流入したという最新の絵物語や小説などが安価でばら撒かれた。いずれも、清楚な少女が儚くも美しく生きる姿を描いたものだった。これもまた、かなりの好評をもって迎えられた。
SSの名声は高まった。各勢力の指導者たちにも、彼女らのシンパが増えつつあった。
頃合いを見計らい、SS最高指導者たる八雲紫は次なる一手を打つ。
それまでは牢に拘置されていた一部の犯罪者を、SSの保有している施設で預かり、再犯の可能性がなくなるよう指導と矯正を行うことを提案したのである。
もともと、妖怪の山にせよ人間の里にせよ、その種の施設は慢性的に予算不足であったから、この提案もさしたる抵抗もなく受け入れられた。何せ、施設の維持費から預かる犯罪者の食費その他まで、一切合切をSSが負担してくれるというのだから、傍目にはまったく損はない。
それまでは各勢力、各共同体のれっきとした独立自治の下で行われていた治安維持活動が、少しずつ、しかし確実にSSに浸食されつつあるという事実に、注意を払う者はごく少なかった。
巧妙に支持を集めるプロパガンダと、合法を装った緩やかな浸透。少しずつ積み重ねられる既成事実に、目に見える形での派手な成果。それを行うのは名だたる大妖ばかり。
見る者が見れば実にあこぎな手法でもって、SSは急速に勢力と権限を拡大していった。
第三話「愛さぬならば通り過ぎよ」
白玉楼での暮らしも、一週間で終わりを告げた。
稽古仲間が出来たという歓喜の余り、理性がどこかに飛んで行ってしまったらしい魂魄妖夢であったが、さすがに根本から真面目なことはあり、一時期本気で逃亡を考えた霊夢が想像していたほど無茶な修練は課されなかった。
空の徳利に指だけで横穴を穿つ訓練をさせられたり、巨大な木刀を数刻かけて振り下ろす修練に挑戦させられたのも、終わってしまえば、まぁ珍しい経験ではあったと思える(一応全部クリアしたが)。それにしても魂魄家の剣術ってこんなのだったかしら、と首を傾げたのも、瑣末な疑問であったと思いたい。
「本当に充実した、楽しい一週間でした。霊夢、たまにでいいですからまた一緒に稽古しましょう」
主従揃って白玉楼の門まで見送りに来た妖夢は、あのときの憑かれたような表情が嘘のように清々しい顔で霊夢の両手を取った。妙なところで暴走しなければ、皆が顔をほころばせるであろう爽やかな剣術娘ではある。
霊夢としては、そのすぐ後ろで「ありがとうありがとう」と頭を下げる幽々子の態度の方が気になったが。この亡霊嬢が剣術に興味を示さないのは、従者の方にこそ多大な問題があるのではなかろうかと思う霊夢であった。
「充実した生活で何よりです」
と、これは、例によって迎えに来ていた次なる訪問先の住人。
「半月前と比べても、物腰がずいぶんと落ち着いていますよ。見違えるようです」
にこやかに、魂魄妖夢とはまた違った意味で裏表のない――純粋な善意で形成された温厚な表情で、微笑する。
命蓮寺のご本尊、寅丸星は、太陽のような朗らかな笑みを浮かべて言った。
「それでは参りましょう。我らが命蓮寺に」
「人が暮らすには、立って半畳、寝て一畳で十分。後はよき同胞と、質素であっても心のこもった糧と、たまに般若湯があれば(←このフレーズだけ、何故かこそっと呟くように付け足していた)、人生はそれだけで最上といえるわ」
寺の客間に案内しながら、霊夢の世話役を任せられた雲居一輪は重々しくいった。
「まあ、私たちの場合はそこに、仏法への帰依が含まれるけどね。御仏の掌は常に我らが傍にあり。悪鬼羅刹と恐れられし外道とて、御仏は決して見捨てない。悪人正機、悪人をこそ御仏は導き救いたもう。まあ、本来の教義では、末法の世で善悪の区別もつかぬ凡俗を悪人と呼んでいるのだけど――そのあたりの細かいニュアンスはいいでしょ。この国は良くも悪くもおおらかだし、多少の解釈の違いなど御仏も笑って許してくれるわ」
何せ外の世界では、立川のロン毛とパンチという芸人が一世を風靡しているらしいし。と、微妙に訳のわからないことを言う一輪は、棚から真っ白な着物と袴を取りだした。村紗の着替えの一つだ、と付け加える。
「ここではそれを着てちょうだい。ここにいる間、貴女は寺の住人として皆と区別なく扱われるけど、さすがに博麗の巫女に仏門の法衣を着せるわけにもいかないでしょう? といって、巫女装束を着た人間に雑用をさせるというのも外聞が悪いし。我々は八雲紫の同志ではあっても、幻想郷の宗教的均衡を崩したいわけではないからね」
むろん、貴女が本格的に仏門に入る気になったならば、そのときは万難を排して心から歓迎するわ――と補足して、一輪は微笑む。これはこれで、いろいろ気を使ってくれているらしい。命蓮寺では星に次ぐほどに熱心で真面目な人柄で知られるだけに、このあたりはさすがだ。幻想郷では珍しい純朴な善人揃いとされる命蓮寺、そのもっとも忠実な信徒が彼女である。
「で、ここで私はどういう扱いになるわけ?」
「私たちと同じ修行をしろとはいわないわ。巫女に念仏を唱えさせるなんて洒落にならないし。その代わり、家事や雑用を手伝ってはもらうけど」
ただ、よければ姐さんの話し相手になってほしい、と一輪はいった。千年も封印されていたので今の幻想郷について詳しい人間と話したいらしいし、何より立場的に同等の相手と日常を過ごすというのは久しい経験のはずだからね。
あと、これはいうまでもないだろうけど――と、一輪は肩をすくめ、
「ここでは生臭は禁止で、般若湯も大っぴらには飲めない。少人数でひっそりと呑む分には、皆黙って見逃してくれるけど」
つまりは、白玉楼とはまた違った意味での質実剛健な――質素かつ清貧な生活を営め、ということらしい。
宿泊先も三軒目になって、いい加減霊夢も今回の計画のコンセプトが実感として理解できていた。
紅魔館では優雅な令嬢としての気品を、白玉楼では爽やかな剣術少女としての健全さを、そしてここ命蓮寺では楚々とした寺娘としての素朴さを、それぞれ体験学習させる腹積もりらしい。
「そんなに難しく考えることはないんじゃないかなー」
縁側から笑いを含んだ声がした。封獣ぬえが、いかにも享楽的な態度でくつろいでいる。博麗の巫女が訪れたということで、早速見物に来たらしい。彼女は一応、命蓮寺の住人ではあるし、それなりの仲間意識も抱いているものの、といって仏法に帰依する気はさらさらないと聞く。
「それに、暇だったら私ともお話してよ。『でーぶいでー』だったっけ、あんたが見て影響を受けたっていう代物には、私も興味が……」
いかにも気楽な調子でぬえがそういった瞬間、霊夢の眼前にいた一輪が疾風と化した。
天狗の機動も見逃さない霊夢が、思わず瞠目するほどの凄まじい速度であった。
気付いた時には、にこやかな笑顔でぬえの首を締めあげる尼の姿がそこにあった。
「あはははー、封獣ぬえさん? 世には、触れてはならない、否、寺に住まう身としてあるいは年頃の娘として、決して近寄ってはならぬものがあると、どうして貴女はわかってくれないのかしらぁ……?」
「え、えと、とりあえず私もあんたたちも千歳以上……」
「乙女に歳は関係ないのよぉ? 姐さんが、悪い影響を受けてしまったら……果たして貴女は、どのようにして責任を取ってくれるのかなぁ? その身を寸刻みにされたところで贖いきれぬ罪というのは、たしかに存在するのよぉ……?」
眼がマジであった。
命蓮寺の門番、雲居一輪。白蓮に対する敬愛は、かなりヤバいレベルに達していた。何せ、脅しが脅しに聞こえない。この女はマジでやる――傍で聞いていた霊夢もそう確信できる口調であった。
封獣ぬえ。平安の伝承に語られし、日本史上でも最も高名な妖怪の一つに数えられる誇り高き少女(約1000歳)は――
「じょ、ジョーク! イッツ・ア・ジョーク ネ! HAHAHA!」
目茶目茶びびっていた。しかも何故エセ外人風。
「あら、よかった。もう、ぬえったら、冗談がわかりにくいんだから」
途端に慈母の如き表情を取り戻し、穏やかに笑う雲居一輪。見事なまでの切り替えというか二面性に、命蓮寺の奥深さを見た気がする霊夢であった。
解放されたぬえは、HAHAHAと陽気に笑いながらムーン・ウォークで霊夢に近寄り、
「ニポーン ノ 尼サン、ベリー・ベリー・ファナティック ネ! ワタシ、フジヤマ ゲイシャ ネ! ハラキリ、ノー・サンキュー ネ!」
意味不明である。しかもまだエセ外人風。
しかし、いわんとするところは何となくわかるあたりが痛々しい。いや、笑った形で無理やり凝固したような顔もかなり痛々しいが。
よしよしとその頭を撫でてやりながら、霊夢はあらぬ空を見上げた。
「――『主よ、何処へ行きたもう?』」
紅魔館と白玉楼での生活を思い出す。そして、そこに連なる一連の騒動の発端も。
嗚呼、もしも時が巻き戻せたなら、あの莫迦どもとの決闘にどのような手段を使っても勝利したものを。
「――『汝が民を見捨てなば、我はローマにて今一度十字架にかからん』」
嗚呼、しかし時は無常。時計の針は戻らない。こぼれたミルクは汲み戻せない。壊れた壺は治らない。
諸々の後悔と不安を押し殺し、博麗霊夢は(巫女にあるまじきことに)十字を切った。このあたり、霊夢の宗教観は一輪が気を使うまでもないほどにアバウトで、鷹揚である。実に日本人的ともいえるが。
ともあれ、相変わらず片言の日本語と英語を喋り続けるぬえの頭を撫でてやりながら、霊夢は誓った。
とりあえずやり過ごそう。そしてすべてが終わったら浴びるほど酒を呑んで忘れよう、と。
間話「賽は投げられた」
活動開始から半月を経た頃から、SSの活動は徐々に変質していた。
当初は自警団(あるいは各共同体でそれに類する者)に混じって捜査や取り調べの手伝いをしていたのが、次第にSS単独での治安維持活動が目立つようになったのだ。
それに文句をつけようとした者たちは、治安に関わる規律を定めた文書すべてに、SSの独断専行を許可する旨が補足として追加されていることに気づいて愕然とした。
「はいはい、ちょーっと捜査にご協力下さいねー」
とある一日、里にある一軒の本屋に、白のワンピースのウサ耳娘が訪れた。
その右腕に燦然と輝くのは、えらく達筆な墨で描かれたSSの腕章。
「竹林の兎の嬢ちゃん……? 何だね、また」
娘――因幡てゐの姿を認めた店主が、訝しげに訊ねる。
「いやー、ちょいとした捜査なんです。善良なる市民の皆様のご迷惑になることは決して」
まったく慇懃な態度で、てゐはいう。何かの聞き込みだろうか、と判断した店主は、若干警戒を解いた様子で「はあ、ご苦労さまで」と答える。
てゐはにっこりと笑い、
「鬼のねーさん、協力してもらえるってさ。ほら、入って入って」
店の軒先に、霧がかかったような気配がした。それはすぐに形を取り、掌サイズの伊吹萃香がわらわらと店内に入ってくる。
「……へ?」
呆然とした店主の眼の前で、てゐは次々と店の中の本をめくり、
「これはダメ。これも表現が下品。うーん、これは微妙かな。でも一応ペケで。こっちは……ぼーいず・らぶ……? け、けしからん、実にけしからんけどこれはこれでよし」
ダメ出しされた本のことごとくが、小型萃香たちの手によって外に運び出されていく。
都合、七割近い本が運び出された後になって、ようやく店主は我に返った。
「ど、どういうことですかい!?」
「ですから」
本を抱えつつ空を飛び始めていた萃香の群れは止まらない。ただ、因幡てゐだけが、実に親しげな笑顔のまま説明した。
「捜査のためにお預かりします。先ごろ制定された法規により、問題がある、あるいは問題があるかも知れないと思われる書物は、一度SSが預かり、その内容を確認することになりまして」
「あっしの売ってる本のどこに問題があると!?」
「それを確認するためにお預かりするんです。ご心配なく、問題ありにせよなしにせよ、要は中身を確認するだけですからね。それが終われば返却します」
てゐは嘘は言っていない。ただ、いつ確認とやらが終わるかを明言していないだけのことだった。まさしく詭弁そのものの台詞であったが、あいにくと外の世界の人間ほどにスレていない幻想郷の人里の店主は、それに対する反応が遅れた。
「さ、さいですか……」
「さいです」
「しかしですね、こんなにうちの商品を持ってかれちゃ、あっしの商売が……」
「それについてもご心配なく。補償というわけではありませんが、代わりの商品は用意してますんでー」
にこにこと述べるてゐ。
その言葉を合図にしたかのように、真新しい本の山を抱えた萃香(小)の群れが入店してくる。
そして、没収した本のスペースを綺麗に埋める形で、新たな本を積み、並べていく。
気圧されっ放しの店主は、うろたえながらも何冊かのタイトルを確認した。
【サフィズムの車窓】
【姉と十二人の妹姫】
【乙女はあたしに恋してる】
【弁天さまがみてる】
【こみっく りりぃ・ぷりんせす】
【こみっく りりぃ・しすたーず】
タイトルの時点からしてヤバかった。特に一見で内容の推測が出来てしまうあたりが。
だが、その疑問を店主が口に出す前に、てゐはさっさと踵を返し、
「では、以後のお問い合わせは八雲のねーさんまでお願いしますねー」
「へ? 八雲のねーさんって……あの八雲!?」
「多分その八雲です。いつでもお気軽にどうぞ。我々SSは、善良なる市民の皆様へは、いつでも扉を開いていますんで」
あっはっは、と軽やかに笑いながら、因幡てゐは今度こそ、振り返らずに次の獲物のもとへと去って行った。
同時刻、「SS 思想矯正施設」との立札が立てられた太陽の畑では、過酷な光景が展開されていた。
「一つ掘っては乙女のためー、二つ掘っては乙女のためー、三つ掘っても乙女のためー」
訳のわからない歌を唱和しつつ、鍬や鋤を手に荒れ地を開墾しているのは、年齢も種族もばらばらな若い男たち。
立札にもある通り、彼らはSSにより「思想」を「矯正」する必要ありと見なされ、山や里から連れてこられた連中である。
朝から夕刻まで労働させられ、夜は夜で勉強会と称した少女小説の朗読を強いられているる彼らの表情には憔悴が濃い(いい歳こいた男が、皆の前で声を出して少女小説を読むというのは、もはや拷問である)。
一応、食事については、幽香が手配した新鮮な野菜や、紫がどこからか調達してきた肉、魚介類を与えられているし、風呂や寝床の設備も意外なほど整っているため、見た目ほど劣悪な環境にいるわけではないのだが。だがしかし、ことあるごとに「乙女とは何ぞや」を教育されている彼らの眼は、有体にいえば死んだ魚のそれに近かった。
やがてその歌が、「千二百掘っても乙女のためー」の部分にまでさしかかったとき、たまりかねた様子の男が一人、鋤を放り出して頭を抱えた。身なりからして、天狗族の男らしい。
「ああもう勘弁してくれぇぇぇぇ! 俺が一体何をしたっていうんだぁぁぁぁ!」
男の苦悩に満ちた叫びは続く。周囲の男たちは、同調こそしなかったが、それぞれに目頭を押さえたり鼻をすすったりしている。
と、それらの男たちの中を悠然と、日傘をさした風見幽香が歩いてくる。
「騒がしいわね、囚人番号ホの参拾壱番? 何か不満でもあるの?」
「あるさ! 大ありだとも! お、俺がこんな扱いをされる理由がどこに……」
素晴らしい勇気というべきであろう。危険度極高、機嫌の悪いときに出会ったら諦めましょうと評される花の大妖に、天狗族の男は食ってかかったのだ。
対する幽香は、腰に下げていた帳面にざっと目を通し、
「ホの参拾壱番。貴方には酒に酔った勢いで白狼天狗の女の子に卑猥な言葉をかけた容疑がかかっているわね。ちなみに現行犯だったため争点の生じる余地はなし。SSの即決裁判により思想矯正三カ月の判決……」
「ひ、卑猥って……たしか俺、通りすがりの姉ちゃんに、一緒に一杯引っかけないかと誘った程度で……そりゃ、『おっぱいでかいねー』くらいの冗談はいったけど」
「おっぱ……!?」
途端に真っ赤になる花の大妖。憤怒ではなく恥じらいの表情だ。しかも無意識であろうが、自分の胸を隠すように腕を組んでいる。
「そ、そ、そんな卑猥な表現を、今になっても……! ええい、あんたのノルマは二割アップよ!」
「ンな無茶な!」
「――文句があるなら聞くわよ。さあ、いって御覧なさい? この風見幽香の耳に、しっかりと! はっきりと! 聞こえるように!」
相変わらず赤らんだ顔で、しかし日傘の先端を男の顔面に向けながら、風見幽香はいった。日傘の周囲に、青白い燐光が弾けるような音を立てているのは気のせいではあるまい。
山をも砕く砲口を突き付けられてなお抵抗できる者は、勇者ではなく無謀と評される。天狗族のその男も、必要以上の勇気は持ち合わせていなかった。
「……し、失礼しました、サー」
何故かサーの敬称付きであった。まあ、この状況で動揺するなというのも無理な相談だが。
「声が小さい」
「失礼いたしました、サー!」
「まだ小さいわ」
「問題など欠片もありません、サー!」
「よろしい。大いによろしい。理解してもらえてうれしいわ」
相変わらず日傘を突き付けたまま、風見幽香はそれこそ花が開いたような笑みを浮かべた。
周囲の男たちは一斉に目を伏せ、やけになったような声を張り上げた。
「千二百と一回掘っては乙女のためー」
第四話「栄華を極めたソロモンも、この花の一輪ほどにも着飾ってはいなかった」
博麗霊夢の日々は、実に平穏に過ぎ去っていった。
とりあえずの傾向を呑みこめた霊夢は、さすがの順応性の高さを示し、親愛なる家主一同への対処の術を学んだからだ。より端的な表現を試みるならば、地雷をかぎわけるようになった、ということになるだろうが。
命蓮寺では、質素ではあっても和やかな団欒が楽しめたし(白蓮との雑談中、「そういえば××とは一体……」と問いかけられた際、障子を叩き壊してなだれ込んできた弟子一同の泣き声喚き声に閉口させられたことはあったが)、初日以来ぬえが妙に懐いてくれた(時々、ガタガタ震えながら片言のエセ外人風になっているのを見かけたが。ナズーリン曰く「フラッシュバックだね」ということらしい)。
若干の瑣末な騒ぎ(それがもっとも重要ではないのだろうかという直感の囁きは気付かないふりをした。もちろん地雷を避けるためだ)を度外視すれば、ここもまたなかなかの待遇であったとはいえる。
次の一週間は、天界の比奈那居邸で暮らした。
訪問した初日、比奈那居一族の当主夫妻が何やら感極まった顔で「娘が始めて友達をウチに……!」と揃って涙を流していたが、これも気にしないことにする。
天界の名門、比奈那居家での生活は、優雅というよりも享楽的で、華美というよりも長閑であった。一日中ぐーたらして、気が向くままに楽師の歌や曲に耳を傾け、酒を呑んでいればよかったのだから。
比奈那居天子は相変わらず偉そうではあったが、終始嬉しそうにそわそわしていて、酒を呑むにも食事をするにも何かにつけ霊夢の側にいたがった。
風呂や寝床も一緒にしようというあたりは少々アレではあったが、
「と、ともだ……いえ、そう、お客様! お客様への対応って、こうするんでしょ?」
と、真っ赤な顔でいわれては、反論よりもまず何か生温かい気分になる。まあ、例えば魔理沙あたりとならば、風呂や寝床が一緒というのもそう珍しくはなかったので、霊夢の方にも抵抗はなかった。
なお、比奈那居当主夫妻及び永江衣玖が、ことあるごとにハンカチを目元に当てて何度も頷く光景が見られたのは謎という他はない。
一週間が経ち、次なる宿泊先に向かう際に、比奈那居の当主が両手を取って「娘を、頼む……!」と懇願してきた事実については、意味を深く考えること自体が無益といえよう。というより、考えたくない。
それに応じてではあるまいが、天子が祈るような仕草をしながら「ま、また来てくれてもいいから……」といじらしく呟いたのに至っては、論評することすら危険な予感がする。
ともあれ。すべてをスルーすることに決めた博麗霊夢は、その後も順調に予定を消化していった。
迷いの竹林では藤原妹紅の世話になった。
「皆で莫迦騒ぎして楽しく呑む酒もいいが、こうして月を肴に静かに呑む酒というのも、また格別なものさ。静寂の醍醐味を知ったとき、酒は最高の友になる」
そこらの男よりも漢らしい娘、とされる藤原妹紅。彼女との共同生活は実に風流で、日本的な侘び・寂びに満ち満ちていたといえよう。蓬莱人故の世捨て人じみた暮らしではあったが、それはそれで霊夢の性にも合っていた。
妖怪の山では射命丸文と暮らした。
年頃の少女をメインの顧客層とする【文々。新聞】の執筆者たる文の部屋は、少女小説やら文芸誌やらが山積みになっていた。普段は慇懃無礼を絵に描いたような烏天狗であるところの射命丸文――その実体は幻想郷屈指の少女趣味愛好家。
「私には似合いませんが、霊夢さんならばっちりです!」
との言により、一日どころか半日ごとに衣装を変えさせられたのは面倒だったという他はない。外の世界の「せーらー服」やら「ぶるまぁ」やらと、おそらくは香霖堂から流れてきたであろう珍しい服の数々は、目新しくはあったが限度というものがある。つくづくと先日の敗北が悔やまれた。
四季映姫・ヤマザナドゥのもとでは、青を基調とした是非曲直庁の制服を与えられた。ちょうど、映姫の衣装から飾りを若干省いたような代物だ。
その服装で一週間、映姫の秘書の真似ごとをさせられた。いわれるままに書類の作成やら整理やらをしていたのだが、ほとんど勘だけで大抵の事務をさっさと片付ける様が映姫にいたく気に入られたらしく、
「博麗の巫女の勤めが終わったら、是非とも彼岸に来なさい。何でしたら小町を博麗神社に差し出しますが」
などと勧誘された。ちなみに小町はさめざめと泣いていた。自業自得だが哀れではある。
このように、紅魔館から始まるすべての宿泊先にいえることだが、とりあえず地雷の回避さえ心に留めておけば、まずまずよい生活ではあった。基本的に、整った環境で最低限のルールを守ることを求められるのみで、あとは自由にさせてくれるのだ。
根本的に努力を嫌う霊夢の性格からして、少女らしい物腰をつけさせるに厳しい教育やら何やらを押しつけられれば反発したはずだが、このていどなら十分に許容範囲であった。企画立案したであろう八雲紫の先見を評価すべきかも知れない。
博麗霊夢の日々は、かくして平穏に過ぎ去っていった。それはまさにコップの中の平和といえたであろう。
だが、コップの外では恐るべき暴風が生じつつあったのである。
間話「勇気が。さらに勇気が。さらなる勇気が必要なのだ」
SSの誕生から一カ月――
幻想郷では、恐るべき粛清の嵐が吹き荒れていた。
ことの起こりは、妖怪の山の天狗たちが、SSに対し公の場で対立を深めたことにある。
従前から、ささいなことで(例えば道端で「ねーちゃん、いい尻してんな、HAHAHA!」とからかっただけでも)山の住人が連行される事実について、苦々しく思っていた天狗も少なくなかったのだが、この時期にはそれが深刻なレベルに達していた。連行された連中がどうにか戻ってきたとき、「乙女ばんざーい……」と虚ろな顔で呟き続ける有様になっていた事実もそれに拍車をかけた。
だが、何より決定的だったのは、SSが【幻想郷宣伝部】なる部署を設け、天狗たちが営んでいる各種新聞に対する検閲を開始したことにあった。
『欄外の一文字すら見逃さない』と恐れられた徹底的な検閲により、山で発行されていた新聞の実に八割までが発行停止の処置をなされ、残る二割も「SSの適切な助言と指導」に従うことが定められたのだ。
これに反発する天狗たちは、SSの総司令部が置かれたマヨヒガに大挙して押しかけ、激烈な抗議活動を開始――
そして、八雲紫や伊吹萃香らを筆頭とするSSの警備部隊に、完膚なきまでに返り討ちにされた。
捕縛された天狗たちは、漏れなく太陽の畑の矯正施設へと放り込まれ、抵抗の芽はまさにその芽のうちに叩きつぶされたかに見えた。
だが、潜在的な反感の予兆をかぎ取ったSS総司令部は、これを機に全面攻勢に出ることを決断。
妖怪の山のみならず、人間の里、地底など、幻想郷の各所に方面軍司令部を配置し、本格的な弾圧を開始した。
それは、おそらく幻想郷が成立以来初めて体験する、単一思想による独裁・弾圧であった。
【霧の湖】方面 集団指揮官 レミリア・スカーレット(総合戦略室 室長を兼任)、
【地底】方面 集団指揮官 伊吹萃香(治安警備部 部長を兼任)、
【妖怪の山】方面 集団指揮官 射命丸文(統合情報局 局長を兼任)、
【人間の里】方面 集団指揮官 因幡てゐ(幻想郷宣伝部 部長を兼任)、
【太陽の畑】方面 集団指揮官 風見幽香(思想矯正室 室長を兼任)、
以上の五名が最高幹部として大権を振るい、その下には数名の大隊指揮官がつけられ、これを補佐する。さらに、【マヨヒガ】に置かれた中央総司令部は、八雲紫が上級集団指揮官として君臨する。
いずれも名だたる大妖で占められたSS実戦部隊の武力は、まさに恐るべきものであったという他はない。
その武力が同時に、幻想郷の各区域で牙を剥き出しにしたのだ。
特に、弾圧の契機であり最大の激戦区ともなった妖怪の山において、SS実戦部隊は字義通り猛威を振るい、幻想郷で名を馳せた天狗たちの実に三割を拿捕、太陽の畑へと送り込んだ。
残る天狗たちの大半はSSの傘下で屈従の日々を送るが、一部は地下に潜伏し、地下新聞をしぶとく発行する。
ちなみに余談ではあるが、このように妖怪の山が――より正確には天狗たちの新聞が――大打撃を受けた事実について、幻想郷の住人の大半は「そりゃめでたい」という反応であったらしい。大半が根も葉もないデタラメだらけであるという天狗たちの新聞、その悪評がものの見事に裏目に出た形であった。
幻想郷最大のマスメディア(何せ他にそれらしいものが存在しない)たる天狗の新聞はかくして壊滅したが、それよりもはるかに洒落にならなかったのは、SSによる治安維持活動であったろう。
密告が奨励され、術や能力による監視網が全土に張り巡らされた。
卑猥な――と、SSが判断した――言葉を口にした人間は、どこからともなく現れたSSの隊員によって連行され、乙女の尊厳を汚す――と、SSが認識した――書物の類は「確認のため」として根こそぎ持ち去られた。
代わりに、乙女の清純を高らかに讃えるプロパガンダが各地域に溢れた。人里の本屋は、今や大半が百合やらエスやらサフィズムやらお姉様やらBLやらで占有され、店主は連日頭を抱えていた。
抵抗勢力はすべて実力によって叩き潰され、反抗した人妖の数だけ太陽の畑の住人が増えた。なお、「太陽の畑に連れて行く」という表現は、後代において「泣く子も卒倒する」とまで評される最強最悪の脅し文句となる。
屈従と忍耐の日々の中、いたいけな幻想郷の人妖たちは救世主を待ち望んだ。というか、この余りに莫迦らしい弾圧――清純なる乙女の美徳がそこら中に満たされた現実に、皆が頭を抱えていた。力だけは有り余っているあの暇人ども(←SSのこと)を誰か何とかしやがれ、というのが嘘偽りない本音であったろう。
かくして、最後の火種は出揃った。
第五話「その家、二つに分かれて争わば存続はかなわじ」
博麗霊夢は久方ぶりに娑婆へ戻っていた。もとい、人間の里を訪れていた。
もはや幻想郷名所巡りの観がある今回の企画について、彼女は完全に物見遊山の気分になっている(実態もそれほど間違ってはいない)。
昨日までは、永遠亭で世話になっていた。
月の姫が君臨する竹林の邸宅は、今回の一件についてほぼ完全な傍観者に回っている。唯一、因幡てゐがSSの最高幹部に名を連ねているが、その他の永遠亭の主要メンバーは完全な部外者だ。むしろ、事の発端である博麗霊夢の変貌について、肯定的な評価を下していた数少ない面子の一つでもある。
だが、そうした経緯はともかくとして、永遠亭は本来、実に日本的な情緒に溢れた屋敷であった。
絶世の美貌と優美な物腰を誇る月の姫様、それに従うは齢九桁に達すると噂される知識人。戦闘部門を束ねる月兎も、元軍人という経歴が似つかわしくない可憐な娘だ。
博麗霊夢を一週間預かってほしい、永遠亭ならではの日本的情緒に満ちた生活を経験させてほしい――という、てゐを介した八雲紫の頼みを、珍しいこと大好きな蓬莱山輝夜は二つ返事で受け入れたのだった。
結論から言ってしまえば、そこでの暮らしも実に満足いくものであったといってよい。
霊夢を迎えた輝夜は、レミリアと同様の対応を示し、さながら王侯貴族の如き待遇を保証したからだった。恒例行事のように渡された着替えは古典的な十二単で、ときには鈴仙のものであろうブレザーを着せられることもあった。
霊夢が泊まり込んできた幻想郷の各所の経験談は、輝夜のみならず永琳にとっても興味深いものであったし、鈴仙は白玉楼で仕込まれた日本の剣術を見せてほしいと頭を下げてきた。泊まった者と泊めた者、双方にとって満足な時間が過ごせたといえよう。
かようにして永遠亭での暮らしを終えた頃、霊夢はてゐを通して紫に一時帰宅を申し入れたのだ。
何せ、博麗神社を二カ月近くも留守にしていた。結界の維持や野良妖怪の退治については紫たちが責任を負うと事前に明言されていたが、それでも本来の寝床をずっと放置しているというのは落ち着かない。
霊夢の申し出を、紫の代理人として現れた八雲藍は了承した。自分の式である橙が怯えるから、という親莫迦丸出しの理由で先の決戦にも参加した藍は、実のところ主ほどに乙女なる概念についてこだわっているわけではなかったのだ。今の霊夢は、あのときのハート○ン軍曹の如き罵声を慎んでいる。決戦に敗北した際に、それを慎む旨を明言している。ならば一時帰宅くらい問題ない、というのが藍の判断であった。どの道、幻想郷の主だった区域は軒並み回ってしまったため、スケジュールを再設定する必要もあった。
久方ぶりの自由を満喫しつつ神社に戻る際、人間の里で買い出しをしておく必要を霊夢は覚えた。
数日とはいえ帰宅するのだ、せっかくだから新しいお茶を入れたいし、ご飯も炊きたい。
何より、しばらくぶりの人間の里の空気を吸って置くのも悪くない。
そのような次第で人間の里へと舞い降りた霊夢であったが、懐かしい街並みを見た瞬間、反射的に顔をしかめた。
――何だか妙ね。
率直にそう感じる。
道行く人々はどこかこそこそとしていて、何かに怯えるように時折周囲を見回す。
元気いっぱいなのは子供たちくらいで、大人たちは何やら憔悴した顔の者ばかりだ。
通りを歩きながら、霊夢は茶屋の前に知己を認めた。時折団子をおごってくれる、その茶屋の主だ。壮年の、実年齢よりは幾分老けた顔つきの男だが、今はさらに疲れたような印象がある。
「どうも、お久しぶりで」
通りすがりに、霊夢はぺこりと会釈する。
「…………!!」
茶屋の店主は一瞬、呆然としたようだった。次いで、何かを訴えるように口を動かしかけた後――諦めたようにうなだれる。
「あ、あの……何か……?」
「い、いや、いいんだ、霊夢ちゃん……何もない、何もないんだ……」
市場に売られる子牛の如き表情でいわれても、説得力というものがない。
霊夢はさらに問いを重ねようとしたが、茶屋の店主の顔が余りに悲痛なものであったので、かえって口をつぐむ。ただ事でないのは理解できたが、博麗の巫女とて理由もわからず踏み込むわけにはいかない。
それに、もし踏み込んだ場合、ここ二カ月ほどの間回避し続けていた地雷に触れてしまうのではないかという予感が(何故か猛烈に)した。とりあえず、ろくなことにはならない。そう確信できる。
何も買わずにとりあえず神社に戻ろうかしら――
そう考えつつ、茶屋の主人に別れを告げた霊夢であったが、あいにくと運命は彼女を手放さなかった。
「!」
角を曲がったとき、唐突に腕を掴まれて一軒屋に連れ込まれた。有無を言わさぬままに質素な土間に引きずられ、音を立てて戸が占められる。
――強盗の類か。
とっさに御幣を握りしめた霊夢であったが、押し殺したような囁きがそれを制した。
「手荒ですまない、霊夢……! だが、私の話を聞いてくれ……!」
聞きなじんだ声に、霊夢は思わず目を丸くした。
幻想郷の人妖の中では際立った人格者として知られる上白沢慧音がそこにいた。一軒家の中で灯りもつけず、息をひそめている様子でもある。
霊夢は眉をひそめて訊ねた。
「何かあったの?」
「……落ち着いて聞いてほしい。この里は、いや、幻想郷は、現在『奴ら』の圧政下にある」
悲痛な声で、慧音は答えた。
「『奴ら』?」
「……八雲紫たちだ。あの日、お前を負かした連中のほぼすべてといえばわかるか」
「……あんたもその一人じゃなかったっけ?」
素朴な疑問を覚えて霊夢は問いかける。この寺子屋の教師も、「子供たちの教育に悪い」というもっともな理由で、二カ月前に霊夢の前に立ちはだかったはずだった(おそらく、あの連中の中ではもっともまともな動機であった)。
慧音はほろ苦く笑った。
「その通りだ。……だが、私は誤っていた。いや、あの時点で誤っていたとは思わないが、それ以降は間違いだらけだったよ」
心からの悔恨もあらわに、ハーフハクタクは肩を落とす。その背中を、いつの間にか側にいた妹紅がぽんぽんと叩いた。慧音とともにこの家の中に隠れていたらしい。つい一カ月ほど前には霊夢と共同生活を送った蓬莱人だが、どうやら久闊を叙する余裕はないようだった。
妹紅は沈んだ顔で霊夢を見やり、
「私たちは、SSから離脱したんだ」
疲れたように、そういった。
霊夢は首を傾げ、
「ちょっと待った。SSって何?」
「少女守護隊――例の一件以来、私たちが名乗っていた組織名だよ」
「はあ。で、離脱って?」
疑問符ばかりを飛ばす霊夢に、慧音と妹紅は順を追って説明した。
二カ月前に霊夢を負かした後、開かれた会合。結成された組織。掲げられた誓約。
静かに開始された浸食と、その成果。
天狗たちの反動――それを契機とした弾圧の加速。
SSの中ではもっとも穏健な良識派であった慧音は、それを止めようとした。もともと慧音を心配して二カ月前の決戦にも参加し、以後もSSに付き合っていた妹紅も、当然の如く行動を共にした。
二人の良識はしかし、SS軍法会議への呼び出しという形で報われた。
慧音は当初、それに応じようとした。軍法会議の場で、自分たちの過ちを、SSの非を、高らかに主張するつもりだった。
だが、妹紅がそれを制した。どのような意味においても、SSは民主的な組織ではないからだった。軍法会議などとは名ばかり、言い分を述べる間もなく太陽の畑に放り込まれるに決まっている。
かくして二人は逐電した。一カ月近く前――霊夢が妹紅の庵で世話になった、まさにその数日後のことである。
幸いにして、幻想郷でももっとも中立的な区域である人間の里に対しては、SSとて強硬な手段はとれなかった。人里を守り続け、寺子屋で教鞭を取っていた慧音を純粋に慕う人間も数多い。急病人を永遠亭に運び込む妹紅の姿を明瞭に記憶している者も少なくなかった。
以来二人は、SSに対抗するレジスタンスのもっとも有力な指導者として、地下活動を継続していたのだ。
「……はあ、私があちこちで寝泊まりしている間にそうなっていたとはねぇ」
しみじみと、霊夢はいう。
慧音は重々しくうなずき、
「今や幻想郷中がSSの猛威に怯えている。雑談すら気軽にできなくなっているのだ。奴らに捕まったが最後、太陽の畑、つまり風見幽香の元へ連れ去られ――」
「――幽香に!? それで、どうなったの!?」
「萌えと貞淑の美徳について叩き込まれて戻ってくるのだ」
大真面目な顔で、上白沢慧音は告げた。
思わず体が傾いた博麗霊夢を、誰が責められよう。
「貞淑の美徳はともかく……萌えって何よ、萌えって」
「外の世界から流入した、可憐な物や愛らしい概念に対する、理屈や感性すら超越した情念らしい。私もそれほど詳しいわけではないが」
詳しくなりたくない。言葉の意味はわからねど、博麗霊夢は心から感じた。何というか、それこそ乙女として。
「笑い事ではないのだぞ。戻ってきた男たちは皆、憑かれたように『乙女』という単語を繰り返しているのだ。中には始終壁に向かって萌えの定義を論じている者もいるくらいでな」
いや、笑い事にすらなっていねぇ。霊夢は心の中でツッコミを入れた。
「……その他の被害は?」
「以前はモヤシの如くひ弱だった者が、毎日の畑仕事とバランスのとれた食生活で健康になって戻ってきたが」
「それって悪いこと?」
「何を言う。小麦色に日焼けした筋肉質の男どもが、そこかしこで乙女と萌えについて語っているのだ。恐ろしい事態ではないか」
それはまぁたしかに。悪夢的な光景とすらいえよう。見たくねぇ、心の底から霊夢は思った。
先ほど挨拶した、茶屋の店主の態度も理解できた。SSの弾圧云々もそうだが、むくつけき男どもの暑苦しい談義を日常的に見せつけられるとあっては、さぞかし精神が削られているだろう。説明すらしたくないに違いない。誰だってそーする。霊夢だってそーする。
「人間の里はまだいい方だ。妖怪の山では、さらに苛烈な弾圧が行われていると聞く。新聞屋の天狗たちが、今では少女小説や乙女の絵物語を延々と刷っているのだ。地下に潜って旧来の新聞を続けている者もいるのだが」
慧音はそこで少し言いよどんだ。首を傾げた霊夢に、妹紅が代わって説明した。
「はっきりいって、新しく刷られている小説や絵物語の方が面白いと評判になっててさ。つか、地下新聞の方が相変わらずのデタラメだらけのゴシップなんで、わざわざ読みたがる奴もいないんだ」
「……地下新聞の意味、わかってんの? そいつら」
「外の世界の概念なんて、山の天狗たちが知ってるはずないだろ? もともと連中の道楽でやってる新聞業なのに」
妹紅は当然のように応えた後、「そういえば現物がどっかに……」と周囲を見回した。
「慧音、今朝の【日刊 幻想郷スクープ】はどこにやったっけ?」
「味噌汁を温めるときに薪代わりにしたじゃないか」
「あ、そうだっけ」
ぽりぽりと頭をかく藤原妹紅。危険を冒して発行されている(のであろう。おそらく)地下新聞が薪代わりとはあんまりな話だが、【日刊 幻想郷スクープ】なる新聞名もあんまりな気がする。名称からしてゴシップ紙だと宣言している。ある意味潔いというか何というか、まことに幻想郷らしい話ではあるが。
気を取り直した様子の慧音が、
「ともあれ、山の新聞は壊滅状態に追い込まれ――悲しんだ者は特にいないが――、太陽に畑に連れて行かれた者もかなりの数に上る。これは噂だが、あの天魔が直々に、守矢神社へ外の世界の『少女まんが』の在庫はないかと問い合わせたらしくてな」
「楽しんでない、天魔?」
「莫迦をいえ! 里の男や山の天狗のみならず、こともあろうに天魔がその種の小説や絵物語のマニアになってしまったら――」
「特に困らないんじゃない?」
「――困らない、かも知れんな。いやしかし、そんな天魔を見たいと思うか?」
「関わり合いになりたくない」
博麗霊夢はきっぱりと断言した。
「ともかくだ、SSは当初の志を忘れ、暴走している。少なくとも、そこかしこに監視と密告の網を張り巡らせ、反対者を容赦なく連れ去る連中を認めるわけにはいかん」
「それはたしかに」
やってることはとてつもなくアホらしいが。
それにしてもアレか、幻想郷の住人はシリアスを五秒以上続けられない宿命でも背負っているのか。何故にどいつもこいつも斜め上の方向にばかり猪突するのだ。体は酒で出来ていて、血潮は水で心は麹、幾度の宴会を越えて酔っ払い、ただの一度もシリアスはなく、ただの一度も真面目でないのか。彼のアホは常に集団で斜め上に暴走し、故にその主張に意味はなく。その体は、きっと酒で出来ていた。
「私たちは、SSを倒す。倒さねばならぬ。これは贖罪であり、義務なのだ」
慧音はしかし、至極真顔でいった。
あ、こいつもまごうことなく幻想郷の住人なのね、と霊夢はつくづくと考えた。
で、この流れから行くと――
「頼む、霊夢。お前に頼める筋合いではないのかもしれない。だが、頼む。すべてが終わったら、私をいくらでも糾弾してくれて構わない。だが、頼む。SSを滅ぼすため、過ちに満ちた歴史を正すため、私たちに力を貸してくれ」
嗚呼、浴びるほど酒が呑みたい。
博麗霊夢は率直にそう思った。痛切に自棄酒したい気分など、久方ぶりであった。
間話「神よ、帝国を失う皇帝を許したまうな」
反乱の火種は、瞬く間に燃え上がった。
博麗霊夢がSSの保護監督下から抜け出した三日後、まずは地底において反SS運動が表面化する。
地底の住人にも大量にばら撒かれていた、清純なる乙女の小説や絵物語――氾濫する川の如く溢れかえった少女趣味な妄想の数々に、地霊殿の主たる古明地姉妹がとうとうブッ倒れたのが直接のきっかけであった。無意識が感じ取れる、心が読めるという姉妹の能力が、物の見事に仇になったのだ。一日中、地底の住人たちの少女趣味で塗り込められた意識を知覚させられるというのは、まさに拷問に等しかったのであろう。
これにより、姉妹の元にいたペット一同が暴徒と化した。
にゃーにゃーかーかーわんわんと鳴き喚く、猫やら烏やら犬やら何やらの愛らしい動物たち、その群れを留められる者は(主に心理的な意味で)存在しなかった。
いい加減、少女趣味に飽きがきていた地底の住民たちも、大挙してこれに乗った。
同日のうちに、人間の里、妖怪の山、霧の湖といった各地域において、上白沢慧音を頭にいただく反乱軍が決起。太陽の畑でも、囚人たちが暴動を起こしていた。
「乙女とは愛でるもの、強いられるものにあらず。オール・ハイル・ファンタジア!」
という一文から始まる慧音の激文を、いちいち理解した者など皆無であったが、とりあえずノリだけは伝わったようだ。何より、いい加減あの暇人どもをどうにかしようという想いは完全に一致していた。
「オール・ハイル・ファンタジア! 慧音様に続け!」
「オール・ハイル・ファンタジア! 自由を我らに!」
「オール・ハイル・ファンタジア! 二日酔いも大概にしてくれこの暇人どもが!」
「オール・ハイル・ファンタジア! エロ本くらい読ませてくれよ!」
「オール・ハイル・ファンタジア! もう少女漫画も百合小説も勘弁してくれ!」
「オール・ハイル・ファンタジア! 巨乳には浪漫が満ちているよね」
「オール・ハイル・ファンタジア! 貧乳には夢が詰まってるよね」
「オール・ハイル・ファンタジア! つまりおっぱいに貴賎はないんだ」
圧倒的少数に転落した(初めからそうだったが)SSは、各地で敗退を繰り返す。
各地の反乱軍は勢いを増し、それぞれの区域からSSの軍勢は追い払われた。
反乱勃発から半日後には、マヨヒガに立てこもるSSのメンバーを、完全包囲化に置くまでに進展したのだ。
ちなみにこのときまでに、八雲藍、紅美鈴、パチュリー・ノーレッジ、星熊勇儀、河城にとり、四季映姫・ヤマザナドゥ、寅丸星といったメンバーが、反乱軍へ投降していた。いずれも、最近のSSの活動についていけないものを感じていた面子だった。まだしも常識が残っていた面々という表現もできよう。
なお、魂魄妖夢は「光が! 光が見える! これが剣の道の頂なのか!」と叫びつつ冥界で修業に明け暮れていたため、とうにSSから離脱している。力の限りあさっての方向へ突き進むその姿に、頭を抱えている亡霊嬢の姿が傍らにあったともいわれるが、それはささやかな余談である。
だが、逆説的に言うならば、反乱軍の包囲下で頑強な抵抗を続けるSS残党こそは骨の髄までの少女趣味愛好家。乙女の道を信じる求道者たちであるはずだった。
戦闘は膠着状態のまま推移した。
皆が莫迦騒ぎ(←文字通りの意味である)の終わりを予感しつつ、さりとて決定打と呼べるほどの決定打もなく。
時刻は夜を迎えようとしていた。
終話「我来たり、我見たり、我勝てり」
「淑女諸君」
マヨヒガに置かれたSS中央総司令部――いまや唯一の、そして兵なき総司令部――に、八雲紫の声が響き渡った。
「淑女諸君。我々は敗北した。その挫折を認めよう。その現実を受け入れよう。花火は消え、祭は終わった。我々の戦争は終わったのだ。
淑女諸君。我々は急ぎ過ぎた。そのことを認めなければならない。悔いはあろう。無念でもあろう。だが、それはたしかに事実なのだ。
淑女諸君。我々は誤った。歴史には敗者として記録され、愚者として忘却されるであろう。夢見た黄金の時代は、取るに足らぬ一夜の夢として消え去るだろう。
淑女諸君。我々は破綻した。もはや天地に逃げ場はなく、いまや敵手に抗う術はない。繰り返し言おう。我々の戦争は終わったのだ」
紫は、そこで言葉を切った。
レミリア・スカーレット、十六夜咲夜、伊吹萃香、比奈那居天子、村紗水蜜、雲居一輪、風見幽香、射命丸文、因幡てゐ――SSに最後まで残った乙女たちは、黙然と耳を傾けている。
皆が理解していた。この状況と、そこに至った理由とを、まったくの誤差なく了解していた。
彼女たちは敗残者であり、敗残兵であった。その立場を、まったく完全に自覚していた。
だが――
「淑女諸君。親愛なる最後の戦友諸君。
私はあえて問おう」
――だが。
その眼に宿る輝きを、一体どうすれば説明できよう。
絶望には程遠く、諦観からは縁遠い。
すべてを失いつつある少女たち(異論は認めない)の眼は、いまだ輝きを失ってはいなかった。
「淑女諸君。誇るべき同志諸君。
諸君は後悔しているか?
時を巻き戻せたならば、二度と同じことは繰り返さない、と。そう思い、省みているか?」
「否」
「否」
「否」
少女たち(平均年齢1000歳くらい)は口々に答えた。迷いのない即答であった。
紫は大きくうなずいた。
「淑女諸君。乙女の美徳を信じ、殉じた同胞諸君。
そう、否だ。断じて否である。
我々は敗北した。我々は急ぎ過ぎた。我々は誤った。我々は破綻した。
だが、理想は。
我々の理想は、決して滅びない。朽ち果てない。錆びつかない。裏切らない。
それはいつか蘇り、それはいずれ舞い降りる。人々の記憶に風紋を残し、やがてうねりとなって現れる。それは我々の約束の地だ。
幾千億の時を経て、我々の夢見た黄金は果されるだろう」
「ジーク・ユングフラウ!」
誰かが叫んだ。
「ガールズ・フレー!」
誰かが応じた。
哀れなほどに数を減らし、衰えた少女の守護者たち(自称)は、今や確固たる希望の下に、敗北に至る戦へ赴かんとしていた。
八雲紫は満足げにうなずき、彼女らの指導者として、最後の責務を果たそうとした。
「淑女諸君。
いざ往かん、我らの最後の戦場へ――」
「――というわけにもいかないの。残念だけれど」
年若い少女の声が、割って入った。
「霊夢――」
八雲紫の声が、初めて震えていた。
感動、と呼べるのかも知れない。
他の連中も皆同じ表情だ。
彼女たちは驚愕し、そして仰ぎ見るかの如き表情で、彼女を――博麗霊夢を見つめていた。
「素晴らしい……」
村紗が呆けたように呟いた。
「私たちの理想は、間違っていなかった」
レミリアが涙ぐみながらうなずく。
「生きていて、よかった……」
紫は、懸命に震えを堪える表情だった。
――コレがそんなに嬉しかったのかしらねぇ……
博麗霊夢は心からうんざりした気分で独りごちた。
幻想空想穴で転移してきた彼女は、常の巫女装束ではない。
先刻、八雲藍から渡された服を着用している。
フリルやら何やらがそこかしこに施された可憐なワンピース。色は白とピンク。胸元には白銀のネックレスをつけ、ついでに大きなリボンも装備している。時折髪をかき上げる仕草もまことに優美で、表情は若干物憂げな微笑。
まさしく、何処に出しても恥ずかしくない清楚な乙女であった。
『紫様は……霊夢が我が家に来たなら、この服を着せて一緒に暮らそうと、ずっと楽しみにしておられた。SSの総責任者としての仕事が忙しくて、ついにその機会はなかったのだがね。……今回のことは、弁解の余地もない。だが、霊夢。どうか、どうかお願いする。紫様に、あの方に、夢見た理想の欠片を見せて上げてくれ……』
藍は、滂沱の涙を流しながら哀願してきたのだ。余りといえば余りに哀れであったので、霊夢はうなずく以外になかった。一体何が、あの式にそうさせるのだろううか。
そして困ったことに、霊夢個人についていえば、今回の一件についてまったくといっていいほど被害を受けていないのだ。意図的に地雷を回避し続けてきたのもたしかだが、二カ月にわたって暖衣飽食させてくれたのだから、むしろ礼をいってもいいくらいである。
普段なら問答無用に突入し、しばき倒して終わりにするところはずが、ついつい仏心を出してしまったのはそれが理由だった。
「博麗の巫女として、告げる」
霊夢はとりあえず、威厳を込めた声を造った。それほど難しくはない。この二カ月の間に学んだことだ。
「貴女達の敗北は、もはや決した。我が下に降り、罪に服しなさい。……博麗霊夢の名において、幻想の秩序に則った処遇を約束します」
降伏しなけりゃ四分の三殺しにするわよバカども。――という本音を、百枚単位のオブラートに包んで言い渡す。
「霊夢……」
紫がゆっくりと、その名を呼んだ。反論の響きはない。ただ、まさに夢見るような声音であった。
「……一つだけ、最後の望みをかなえてくれない?」
「……いってみなさい」
紫は微かに頬を赤く染め、ちらちらと霊夢の表情を伺った後、
「あのね……その……」
切実な期待に震えながら、八雲の大妖は懇願した。
「『ごきげんよう、お姉さま』って言ってみて欲しいの」
補記「パクス・ロマーナ」
後代において、幻想郷の歴史上最悪の暗黒時代と称された二カ月の異変は、かくして終息した。
博麗の巫女の突入からに十数分後、SS残党はマヨヒガでの抵抗を完全に放棄。すべての武装を解除し、反乱軍へ降伏した。
証言によれば、このとき八雲紫以下幻想郷屈指の大妖揃いである彼女たちは、何故か一様に鼻血を流しつつ幸せそうな顔であったと云う。
一体何をしたのか、とは、上白沢慧音が発した当然の問いであったが、当の博麗霊夢は実に嫌そうな顔でこう答えた。
「お姉さま。マイ・レディ。おねーちゃん。おかーさん。天ちゃん。先輩。姐さん。ママ。姉上。ウサちゃん。……それぞれのリクエストに応じて呼んだ上で、皆で仲良くしましょう的な提案をしてみただけよ」
それ以上を、霊夢は語らなかった。語ることすら嫌そうであった、とその場にいた霧雨魔理沙(まったく出番はなかったが、一応反乱軍に野次馬として参加していたのだ)は後に記している。
余人には何が何やら理解不能な返答であったが、霊夢自身も理解したくなさそうであったので、仕方ないといえばその通りなのだろう。
そのため、一般の記録には「博麗の巫女の説得により、暴虐な妖怪たちは矛を収めた」とのみ記されることとなる。歴史の真実とはこのようなものかも知れない。多分。きっと。おそらく。maybe.
事後の会合により、SSは当然ながら即日解散。
太陽の畑からは思想矯正施設の看板が外され、囚人たちはそれぞれの故郷に戻された。
「乙女ー乙女ー乙女ー乙女ー乙女ー」
「貞淑! 清純! 無垢! これに勝る価値などあろうか!」
「そもそも萌えとは原初の衝動であり本能の猛りでありこれを明文化することはそもそも無益にして愚かといえようがしかして何に萌えるかと問われればその共通項を形而学的観点から判定することも吝かではなく唯物論的解釈も試みられるべきかと思われ」
等とのたまい続ける、洗の……もとい心に深い傷を負った犠牲者も数多かったが、彼らについては永遠亭の八意永琳が精神科治療を申し出た。それも、無料である。
後に人間の里や妖怪の山が謝礼を申し出ても、永琳は一切受け取ることがなかった。
善意の医師として、薬学に加えて精神医学の権威として、八意永琳はこれまで以上の名声を集めることとなる。なお、当の八意医師が、各患者のカルテを眺めながら「何て貴重なデータかしら……」とうっとり呟いていた事実は、ごくわずかな関係者が知るに留まった。期せずして、今回もっとも利益を得たのは永遠亭といえたかも知れない。
多大な迷惑を被った各所には、SS元メンバーより相応の賠償(具体的には新鮮な野菜や米、穀物などの食料数年分)が支払われ、押収されていた書物の類も返還された。
既に蔓延していた少女小説や絵物語の類については、「これはこれでいいものだ」という意見がそこかしこから出たため、そのまんまである。
日本人的機会主義の発露というか、良くも悪くも幻想郷の住人は「楽しければよし」的な価値観であった。
後年、この暗黒時代の二カ月を――ことの発端である博麗霊夢の変貌も合わせれば、計三カ月を――、「乙女異変」として記録した稗田阿求は、その末尾に次のように記した。
「力と頭脳と時間を持て余した酔っ払いが、その全精力を尽くして斜め上に爆走する。つまりはこれが幻想郷である。
だがそれがいい」
開き直ったような筆致で記されたこの一文こそは、幻想郷の本質を何よりも端的に表わすものとして、後代に伝わることとなる。
もうゴールしてもいいよね……?
――霧雨魔理沙。一連の事件が終わった後に。
可愛いは正義だけど、やっぱり強制されると萎えるよね。言論の自由が無いと、文化は増えないって事か。
そんな御託はさておき。幽々子様……ドンマイ!
>おかーさん
萃香ッ!?
すごく面白かったです!!
乙女チックな霊夢も良いが、ハー○マン軍曹の方がしっくりくるのは何故なんだぜ?
次も楽しみに待ってます。
いつも通りのすらすらと読める文章でよかったですw
常識にとらわれない良い妖夢でした。
にやにやが止まりませんでした。
御神の単語に目を引かれてしまったのはきっと俺だけだろう…。
妖夢の立場的にも近しいものがあると思うし…w
話も面白かったです。
また待ち続けます。超期待。
↑しかり、えーき様ん所しかりあなたの霊夢のチートっぷりが大好きですw
YR1! YR1!
>ママ
幽香安定。
部分部分の日常パートをもっと読みたいと思わされました。
たぶん間違いない。