※
「うーん。少し火の勢いが弱まってきたかな?」
霊烏路空はそう言うと、隆々と積み重なった死体の山より、その頂点に君臨している私の死装束をぐいと引っ張って、無造作に眼前のぽっかりと空いた穴へと放り投げました。
ぐるぐると縦回転し、更に放物線を描いて、やがて私の躯体は急降下。
真下で『弱まって』いる割には轟々と燃え盛っている灼熱へと真っ逆さま。
普通なら凄絶に熱いのでしょうが、私、ひとえに死体であります。”ただ”の炎など、熱くも何ともないのです。
ありますのは、体内に残留した魂のみ。かくしてこの劫火に身は焼かれ漸く、私は魂として成仏することが出来るのです。
ごうっ、と耳鳴りがして、私は炎の中へ浸されました。
上も下も、まっかっかです。
手を見れば皮膚が焼け爛れていました。痛みは当然ありません。ただ些か気持ち悪い。
私は目を瞑って、この体が焼き尽くされ骨になるのを、魂だけとなってこの灼熱の中から不死鳥の如く飛び出るのを、ただ黙として待ち続けているのでした。
※
死体がアクロバティックに大回転しながら劫火に落ちていくのを、俺はうず高く積み上げられた死体の山の中間より、上方から押し潰され、また下方を押し潰しながら見ていた。
綺麗な回転だった。
俺も投げ込まれる際は、ああやってダイナミックに投げ込まれたいものだ、と思う。
ちゃんと落ちて行ったかどうかを確認する間もなく、空は死体の山へ手を突っ込むと、死体を引きずり出してぽいぽい放り投げていく。俺はその様をじっと眺めていた。
飛び込みの要領で、頭上で頭部を覆うように肘をぴんと伸ばし、両腕を重ねて落ちていく死体もあれば、何のモーションもなしに、ただ落ちていく死体もあった。
そうした、皆の落ち様を横目に、俺は日々模索しているのだ。自分なりの落ち様を。
「後一つくらい入れたら丁度いいかな……」
呟きながら、空の手が俺の方に伸びる。それから、俺の装束を掴んで、死体の山から引きずり出した。
待ってくれ!
俺は叫ぶ。おおとりを飾るのは嬉しいのだが、まだどうやって飛ぶのか、そのポージングが決まっていないのである。
しかし空は気付かない。
死人の声を聞けるのは、彼女の友人であるお燐くらいだ。空に自分の声は届きはしない。
思いとは裏腹に、俺は穴の前までずるずると連れて来られて、平生のようにぶん投げられた。
終わった。
落ちるのならば、周りの奴等の目に焼きつくくらい鮮烈な落ち様を見せてやりたいという、俺のかねてからの願いは、俺が決断するのを余りにも躊躇い続けていたが為に、水泡と帰してしまったのである。
最早投げ込まれてしまった以上、どうにもなりはしない。俺はただ燃えるだけだ。さすれば、今の内に、来世での安寧を祈っておいた方が時間の使い方として建設的かなと、俺は両手を胸元で合わせて仏に祈った。
――畜生。この野望は、来世に持越しである。
※
神々しくて涙が出そうになった。
これがお前の出した答えなのかと、感極まって私は独りごちた。
「カッコいい落ち方を探す」なんて、何につけてもカッコよさとか求めやがって最近の若衆は、などと思った自分が恥ずかしい。
あの胸元で合掌し、さながら即身仏のように落ちていく様は、確かに、私の目に焼きついた。
そしてそれは私達残された死体を、やがて浄土に招き入れる仏様のような神々しさがあって、私は思わず胸中で拝した。なむなむ。
穴を覗き込んで、霊烏路さんはうんうんと頷くと、満足げにどこかへ飛び立ってしまわれた。
きっと灼熱地獄跡の炎の勢いが、丁度良くなったのだろう。
劫火の火力はなかなか衰えない。再び弱まって死体が投げ込まれるようになるのには、数十日ほどかかる。
その間、非常に暇である。何せ私達は死体だから、満足に動くことが叶わないのだ。あの若造の言う『落ち様』を見せるくらいならば、何とかなるのだが。
ただ、死体同士で話は幾らでも出来るから、私等はそうやって談笑をして、和やかに余暇を過ごしている。
「急な落盤だったよ。痛いと感じる暇も無かった」
そう語るのは、近頃お燐ちゃんに運ばれてここにやって来た死体である。
聞くに、三日前の落盤で命を落としたのだとか。享年にして四十。先刻の若造が二十三であったから、それから見れば年配だが、長命な妖怪の界隈におければ、いやはや短命である。
彼は、落盤が起きた場所からそのままお燐ちゃんに運ばれてきたようだった。
彼の身に纏っているのが死装束ではないのが、それを物語っている。
家内に看取られずに死ぬのは、溜飲の下らぬ思いだろうにと私が言うと、男は口惜しそうに肯んじた。
「娘が二人いてね。まだ十にも満たない。それにまた、子供が産まれるんだ。だから俺が尚のこと、女房を、家族を支えていかなきゃいけないと言うのに……こうも死んでしまっては……」
「大丈夫ですよ。地底の妖怪は情に厚い。きっと貴方の代わりに、皆が残された家族を手助けしてくれますよ」
宥めながら、私は自分の発言を恥じた。
母子を残して先立ったのだ、しかも死して間もない。機微が感傷的になっているのは分かっている筈だ。
なのに、こうしてそんな気概に抵触するような話題を振ってしまって。何か嫌な予感が、私の頭をもたげた。
「……訊きたいのだが」
嫌な予感はますます質量を増して私に襲い掛かってくる。
男の語勢にはカンダタがいた。一抹の希望に無我夢中にむしゃぶりつくカンダタが。決して生き返ることの出来ない死者が。
「ここで俺達は燃料として投げ込まれるんだよな? だとしたら、投げ込まれる前にこの体から抜け出せば、まだ”俺”としてここに留まることが出来るんじゃあ――」
「余計なことを考えるのは、止めなさい」
案の定だった。私は言う。
「止めなさい」
二度言う。彼の激情を凍らせるように、出来るだけ情の篭らない、冷徹な声で。
私は亡者となって、極楽より伸びる蜘蛛の糸を、カンダタの最後の希望をぶち切った。
ひっ、と男は悲鳴を上げた。
「如何なる事情があろうとも、この世の理に背いてはいけない。この世は諸行無常。常に事物は流動変化し、行く川の流れの如く。流れに逆らうなど叶わぬこと。この猶予の間に世俗へ戻ることが出来るのではないかなどと、変な妄想を抱くのは止めて、ただ死を享受しなさい」
一息に捲くし立てる。
口を挟む余地など微塵も与えない。男は何も言わず、黙りこくってしまった。
その閉口が、もうどうすることも出来ないと悟っての沈黙なのか、または納得出来ず、でも反論も出来ないので黙っているのかは、私には分からない。
ただ、分かってもらうしかないのである。ここに来た以上、それが男の為でもあり、またここにいる死体全員の為なのでもある。
※
「いずれにしても」長きの沈黙の後、老人は口を開いた。「数十日後、再び死体が投げ込まれるときに分かるだろう。そのような感情を、ここで持ってはいけない、ということを」
俺は応とも否とも言わず、黙ってその言葉を聞いていた。
老人の言うことは正鵠を射ている。確かに、死んでしまった以上俺にはどうすることも出来ないのだ。
仮にこの体から抜け出したとしても、ただ残した女房と娘を見ることしか出来ない。両手足は透けて使い物にならなくて、俺は自らの運命を嘆くことであろう。
今ここで灼熱地獄跡の糧となるよりも、憂き目に遭わされるだろう。しかし、このままでは、愛しい母子の姿を見届けないままでは、成仏したくてもしきれないのである。
そう思えば思うほど、私の願いは徐々に膨らみを増していく。老人に一喝されても尚、私の意志の芽は折れることなく萌えていた。
けれど顧みるに、老人の語調は何かを只ならず怖れているようだった。
彼が、ここの死人達が怖れるようなことが、数十日後に起こるとでもいうのだろうか。
そしてそれが、俺の意志を食い止める障害となる。一体どんなことであろうか。
何にせよ、その時に起きる事柄を見届けて、それでもこの意志を貫き通す。そうすれば、あの老人だって何も文句は言えまい。
俺は家族に思いを馳せながら、俺と同じように劫火の弱まる日を待つ死人達に埋もれて、その日――灼熱地獄跡の炎が弱まる日――を待ち続けたのだった。
※
「そろそろ燃料補給が必要かな? ――うん、必要だね。これいじょう炎を小さくさせたらさとり様に怒られちゃう」
そうやって灼熱地獄跡の管理人、空が劫火へ続く大穴を覗き込んでは踵を返し、俺達の方へ向かってくると分かると、俺はいよいよか、と思った。
俺ならず誰もがそう思ったことだろう。今度こそ自分が成仏するのだと、輪廻転生を得るのだとただ一心に彼女へ訴えかけながら。
けれども俺は違う。まだ成仏する気など皆目ない。老人が言っていた”ある事物”の正体を見極め、そして、彼を黙らせる為に、自らの強靭な意志を見せ付ける為に、今日という今日を今か今かと待ち続けていたのである。
「今日だな」
俺は老人に言った。
既に死体は投げ込まれ始めている。空は無造作に死体の山へ手を突っ込み、情け容赦なく投げてはそれを淡々と繰り返している。
老人は何も答えない。
彼が見せたかったのはこの様なのであろうか? だとしたら拍子抜けだ。
こんなただ死人が投げ込まれていく様子を見せられて、俺が戦慄するとでも思ったのだろうか。
馬鹿馬鹿しい。
「君は」俺がのうのうとしていると、老人が口を開いた。「不思議には思わないかい? どうして皆、大人しくしているのか。幽霊として世俗に生き残ることが出来る猶予を与えられているのに、君のようにそうしようと思わないのか」
そう老人に指摘されて、俺は確かに、と思った。
確かに、この数十日間、魂を体から離し、幽霊となる時間は十二分にあった筈だ。
なのに、ここの連中はそうしなかった。ただ淡々と積み上げられていた。
これ程の死体があるのだ、俺のように、現世に未練を残したままここにいる奴もいるだろうに。なのに音沙汰も無かったのは……何故だ?
寸毫の恐怖が、脳裏を過ぎる。老人は一息吐いて続けた。
「そもそも私達は今、”死”と”解放”の合間にいる。”死”の枠内における”生”と言ってもいい。人が死に、荼毘に付せられる、あの合間だ。火葬にされ、坊主の手を借りることで”解放”――私達はそこで初めて、肉体からの脱却を果たすことが出来るのさ。故に未だこの期間において、肉体と魂は不即不離。一本の糸で繋がれているんだよ」
この期間において、肉体と魂は不即不離。一本の糸で繋がれている。老人の言葉を脳内で反芻する度、何故、彼が俺の願いを全力で阻止しているのかが、何となく分かったような気がした。
つまり――俺がそう言おうとした瞬間、耳をつんざく程の悲鳴が聞こえた。
死体が喚いていた。
装束を空に掴まれて、助けを求めていた。
やめろ! おれはまだじにだぐない! だずげで、だずげでぐれ!
濁音を撒き散らして、男の悲痛な叫びが灼熱地獄跡一帯に響き渡る。空には聞こえない。
彼女は鼻歌交じりに大穴へその男を引きずっていく。
最初は辛うじて聞き取れた彼の言葉も、最早淀みきった濁声と化し、それから半狂乱になっているものだから、ただの叫喚にしか聞こえなくなってしまっていた。
「彼は、長らくここに居続けたせいで、自分は生きているんだと思い込むようになってしまったんだ。死人には肉体も魂もあるから、死を受け入れないままでいると、そうして生きていると錯覚するようになる」
地獄と称すに相応しい、余りにも聞くに堪えない苦痛の叫びの中、俺は心臓を鷲掴みにされたかのような気持ち悪さに硬直していた。
だが老人は何事も無いように淡々と、この黒々とした淀みの中に浮かぶ純然な露の如く俺に話しかけた。
「ここの炎は非常に熱い。でも、私達死人はそれを感じないんだ。ここの炎は、”ただ”の炎だからね。”死”の枠組みの中にいる死人には痛くもなんとも無い。だから楽に成仏することが出来る。ところが、生きたいとか、”生”の境界へ思いを馳せたり、足を踏み入れるようなことがあれば――」
男が大穴に落とされた。叫びながら、あづい、あづいと喚き散らしながら、男は世界を濁す。
視界から彼の姿が消えても、閉ざされた空間に男の叫びが残響していた。
脳内で反響していた。一生忘れることの出来ないような、今まで聞いたことの無い痛烈にして胸を抉られるような、そんな男の断末魔に、俺は何も言うことが出来なかった。
「忽ち体に劫火の灼熱が走り、皮膚の焼け爛れていく痛みに苦悶しながら、それこそ地獄を見るようにして”解放”される」
劫火に燃やされたからと言って、幽霊になる可能性が潰えるわけではないのである。
俺達は死人。”死”と”解放”の合間にある存在。別に、”解放”されてからでも十分に幽霊になることは可能なんだ。
しかし早まって、俺のように、或いはあの男のように、死人の最中で”生”を振り返ってしまえば、炎へ落ちる際に、地獄の苦痛に苛まれることになる。灼熱を全身に受けて、ゆっくりと全身が爛れ、臓物が焼け落ちていくその痛みを感じながら。
もし、今、俺が灼熱地獄の燃料に選ばれ、投げ込まれていたのなら、きっとあの男と同じ末路を辿っただろう――彼の姿と自分の姿を重ねて、俺は身震いした。
『ただ死を享受しなさい』と老人が言ったのはこのことだったのだ。
死人という最中において、生を考えるのは地獄を見たがる物好きのやるようなこと。
痛みも苦痛も感じず、安らかに成仏したいのなら、この合間は何も考えずただ死と言う己の境遇を受け入れろと、そう老人は言いたかったのだろう。
「これでも、君がすぐに幽霊になりたいというのなら、私は止めないよ。灼熱地獄跡の苦しみを永遠に受け入れる覚悟があるのなら、ね」
老人はそれを最後に、俺に言葉をかけなくなった。一本の糸で繋がれている、ということはこのことを示唆していたのだろう。
魂が体から抜け出したとして、体は必ずやこの灼熱の中に投げ込まれる。死人の体と魂は不即不離、繋がっている。体が味わう灼熱、苦痛は、魂にも行き届くのである。
俺は悄然としていた。まだ男の叫びが反響している。
”生”に拘泥しないなど、今の俺に出来るだろうか?
母子を見届けずに逝った、生に多大なる未練を残した俺が、生から目を背け、ただ死に向かって邁進することは可能なのだろうか?
今はただ、時がそうさせてくれることを願うしかない。この世界に身体髪膚が同調してくれるのを待ち続けるしかない。
俺は目を閉じた、幾多の死体に身を合わせながらそれらに溶けようとする。何も考えず、ただ眼前の死という事実を、曲がりなりにも受け入れながら。
※
「これでお終いねっ!」
最後の死体を軽やかに放り投げて、霊烏路空はやや煤けた両手を払った。
ぱん、と小気味の良い音が、灼熱地獄跡に簡素に響き渡る。相変わらずここは、劫火の轟々と燃える音以外は何も聞こえない。実に、静かな場所であった。
死人を放り投げるのは、実に単調な仕事だが、空は退屈だとは思わない。
こうして灼熱地獄跡の炎をきちんと管理しておけば、主人である古明地さとりに褒めてもらえるからだ。
また、仕事場は常に空と、話し相手にもなりはしない死人達だけ。
実質独りぼっちで寂しくもあるが、友人のお燐が時々遊びに来てくれるし、さとりのいる地霊殿へはひとっ飛びだし。
孤独とか、そういったものも際立って感じず、ただ悠々と空は自らの職務をこなしていた。
ちょっと死体が散らかっちゃったかな、と空は死体の山を見て思う。
色んな箇所から引っ張り出したせいで、折角お燐がひと纏めにしておいた死体の山が、やや平坦な丘になりつつあった。
以前に、死体の散らかった様を見てお燐に怒られたことがあったので、そこで空は散らかった死体を集めることにした。
片手でひょいと持ち上げて、仕事と同じように死体を放る要領でぽいぽいと投げていく。
どんどん死体は再び積み上げられ、数分としないうちに死体は元のように山へと変わった。
さてこれでバッチリである。
暫くの間は大丈夫だから、お燐と遊んでこようかななどと、空の心は早速遊び気分。
彼女は本来の姿――地獄烏の姿になり、自慢の真っ黒な翼を広げると、そのまま灼熱地獄跡を去るのだった。
ごうごう、ごうごう。ただ劫火が燃えるのみ。
灼熱地獄跡は静謐に包まれ、かつ、今日も平和である。
また、文章は堅苦しいものの、それが「哲学」というものをよく表していてプラスに働いているのも素晴らしい。決して読みにくくもありませんしね。
特に気に入ったのが2番目の若い男のエピソードです。
死してなお野望を持つ。悔しい、まだ成仏したくない。なんて不思議な感情なんだろうか。
自分もこんな風に死ねたらなあ……なんて思ってしまいました。
魂を生きたいという願いは、死んでいたとしてもなんら生きている人間達と変わりないもので、だからこそこういった姿は、文章であってもやはり美しい。
心からそう思いました。思わされました。
だから、感服しましたという意味も込めて、名前も入れて点数をつけさせて頂きます。
いいお話でした。
面白かったです。ただ欲を言えばもう少し長かったほうが。
実はぶっ飛んだギャグやらオチやらが来ると思ってたんですが、それより遥かに印象に残る作品でした。
真面目な話かと思って、実際そうだったんだけど、「俺」のエピソードではちょっと笑わされましたw