わたしのすんでいるじんじゃには、ちいさなようかいさんがいます。
なまえはケロちゃん。かえるのようかいさんだけど、わるいことはなんにもしません。ケロちゃんはよく、わたしといっしょにあそんでくれます。いっしょにおかしをたべたりもするし、おひるねしたりもします。
かなこさまは、ケロちゃんとはあんまりあそんじゃいけないよっていいます。でも、わたしはそんなのいやです。だってケロちゃんは、やさしくて、しかもすごくつよいから。
わたしは、ケロちゃんのことがだいすきです。
KERO KERO HERO
昔から手先が器用で、物覚えのいい子だった。折り紙を教えれば私よりも綺麗に折りはじめる。あやとりを教えれば一度説明しただけでも正確に指を運ぶことができる。成績も上々、正義感が強いため、教師からの評価もいい。そして何より、優しい子だった。
そんな早苗がヒーローごっこなるものに興味を持ち始めたのは、当然といえば当然だったのかもしれない。困っているひとを見ると放っておけない質なので、強いちからで人々を救ってゆくヒーローという存在に、憧れを抱いたのだろう。早苗はあまりテレビを観るほうではなかったけれど、当時流行っていたヒーローもののアニメだけは、毎週欠かさずに観ていたようだ。
日曜日の朝、テレビの前でちょこんと正座しながら、ヒーローの活躍に目を輝かせる早苗。私はその姿を微笑ましく思っていたのだけれど、神奈子は違うようだった。
「行動力とは、精神力だ」
お茶を啜りながらも、生真面目な顔をしている神奈子。向かいに座りこんだ私は、ポットにお湯を注ぎつつ尋ねる。
「どういう意味?」
「早苗は確かに、まっすぐな精神を持って成長してくれている。しかし圧倒的に行動力が足りない。どんなに強い意志を持った者でも、行動力を伴わなければ、精神力を高めることなど到底為し得ない。憧れるだけなら誰にでも出来るだろう」
「強い存在に憧れるなら、相応の努力をしてみせろって? たしかに早苗は正義感がある割に、自分の思ったことを堂々と実行するような積極性には、欠けているかもしれない。でもあの子はまだ八つになったばかりなのよ、足りないものなんてこれからいくらでも……」
「諏訪子!」
神奈子は少々乱暴に、湯のみを卓袱台の上へと置いた。その衝撃で、ほんの数滴だけお茶がこぼれる。
睨みつけるような表情だった。神奈子は不機嫌になると、蛇のように目を細めるから分かりやすい。
「あの子は、……普通の人間とは、違う」
吐き捨てるようにそう言うと、神奈子は立ち上がり、目も合わせないまま部屋を出ていった。
*
焦っているのだ、神奈子は。
理由は痛いほどよく分かる。ここ数十年の間、私たちの神社は信仰をどんどん失い続けている。そんな折に久しく生まれた、巫女としての才能に溢れた逸材。今後の神社を命運を握っていると言っても過言でない、大切な存在である早苗に、神奈子が大きな期待と希望を抱くというのは、ごく当たり前の流れだと思う。
しかし大きすぎる期待は、逆にあの子の心を潰してしまいかねない。だから神奈子がああいう態度をとっているぶん、私は、せめて早苗に巫女としてのちからが身につくまで……そうね、基準としては空を飛べるようになるまで、かしら。それまで自分の正体は明かさないし、早苗のことも巫女として扱わないと、そう決めていた。
あの子はたしかにこの神社の巫女だ、けれどそれ以前に。
ひとりの、人間の女の子なのだ。
「ただいま、かなこさま!」
玄関のあたりから声が聞こえてくる。早苗が学校から帰ってきたらしい。どんなに疲れて帰ってきたときでも、あの子は元気いっぱいに挨拶をしてくれるから嬉しい。
ほどなくして、ランドセルを背負ったままの早苗が、裏庭にいた私のところにも駆け寄ってきた。
「ただいま、ケロちゃん!」
私よりもずっと背の低い、ちいさな女の子の明るい笑顔。毎日使っている蛇の形の髪飾りが、陽に照らされて白く光る。
早苗は私のことをケロちゃんと呼んでいた。洩矢諏訪子という名前はまだ明かしていないし、神奈子にも、早苗の前では私を諏訪子と呼ばないよう協力してもらっている。
そんな面倒なことをするくらいなら、早苗に巫女としてのちからが備わるまで、大人しく姿を消していればいいのに。神奈子はそう言うけれど、私はそれをしたくなかった。自分の名も名乗れず、もどかしい思いをすることがあっても、それでも早苗と一緒にいたかった。
私は神社に出入りしている蛙の妖怪、ケロちゃん。
神奈子の昔からの知り合いで、早苗のお友達。
「おかえり、早苗ちゃん。……あれ?それはなに?」
早苗の手には、くるくる丸めた新聞紙で作られた、輪っかのようなものが。
早苗は誇らしげにそれを掲げると、「あのね!」と説明してくれた。
「これはね、ベルトなの!ここにテープがはってあってね、はずしたりそうちゃくしたりできるの」
「へえ、よく出来てるなあ。ヒーローごっこで使うの?」
「うん! ベルトをつけてヒーローにへんしんするんだよ!」
へんしーん! と、目の前で新聞紙ベルトを装着してみせる早苗の姿は、本当にいきいきとしていた。楽しそうで、私もつられて笑顔になってしまう。
「かっこいいなあ、早苗ちゃんは。強い子だねえ」
「わたしはまだまだつよくないの。だからこれをつけてつよくなるんだよ!」
「成る程ね。これさえ着ければ、私も強くなれるのかな?」
「もちろん!そうだ、ケロちゃんもヒーローごっこしようよ!」
「お、いいね! 早苗ちゃんがヒーローで私は悪者役かな?」
「ううん、ふたりともヒーローやく!」
「ふたりとも? 悪者役がいなきゃヒーローごっこなんて出来ないんじゃ」
「ううん、いいの」
気のせいだったのだろうか。
そのとき、ほんの一瞬だけ、早苗の表情が翳ったように見えたのは。
「わるものやくはね、いいの。……ほら、じゃあケロちゃんもベルトをつくろう!」
はやくはやく、と私の手を引っぱり、自分の部屋へと向かいたがる早苗。すぐにいつもの調子へ戻ったものの、たった今感じた違和感を拭えないまま、私は裏庭から屋内に上がりこんだ。
どうしてこのとき、気付いてやれなかったのだろう。
早苗の体にちいさな痣や擦り傷が増えていったのは、ちょうどこの頃からだったというのに。
*
『名乗るほどの者じゃあない。けれど、聞かれたからには答えよう。私は、地球を守るヒーローだ!』
戦闘シーンの前に必ず流れる、主人公が決め台詞を叫ぶ場面。この台詞を早苗はとっくに覚えているらしく、テレビの前で毎回一緒に叫んでいた。
このアニメの特徴は、主人公に名前やコードネームがないところ、らしい。ヒーローはただヒーローであり、特定の名前なんてない。キャラクターとしてのヒーローになりきるのではなく、誰だって本物のヒーローになれる、誰にでもヒーローとしての素質があるのだということを、暗に表現している……そう、新聞の番組紹介欄に書かれていた。
カラフルな広告で作られたベルトを腰に装着したまま、私は早苗の隣でそのアニメを見ていた。薙ぎ倒され逃げて行く、黒い衣装の悪者たちを見送ってから、被害を受けた一般市民たちに微笑みかけるヒーロー。
エンディングテーマにさしかかると、早苗は興奮冷めやらぬ様子で、今回の話の感想を述べ始めた。あの新技はすごかったとか、まさかあそこで助っ人が現れるとは思わなかった、とか。
相槌を打ちながら聞いていると、部屋の外から早苗を呼ぶ声がした。振り向くと、襖の隙間から、神奈子が早苗に手招きをしていた。
「済まない、早苗。ちょっと御使いを頼みたいんだが」
はあい! と立ち上がり、神奈子のもとへばたばたと駆け寄る早苗。説明を受けて買い物リストを受け取ると、ごめんねケロちゃん、またあとでね、と私を振り返ってから玄関に向かう。
扉が閉まる音を確認し、早苗の姿が境内の外に消えるのを見送ってから、神奈子は部屋へ入ってきた。
テレビの電源を消し、私のそばに腰掛ける。
「……なあに? 神奈子」
居間で胡座をかいている姿からは想像出来なくても、その表情で、すぐに察知出来た。
神奈子は何か重要な話をしに、ここへやって来たのだ。早苗を買い物という名目で、わざわざ外に出してまで。
「限界だ、諏訪子」
重々しい声色で、神奈子は切り出す。
「このままでは本当に、神社が危ない。状況を打開するには巫女の働きが不可欠だ。巫女としての自覚を持たせ、早苗には一刻も早く、協力してもらう必要がある」
「あの子はまだ子供よ。巫女としてどころか、人間としてもまだまだ未熟」
「だからそれを成熟させる為にも、今から準備が必要なんだ。分かるだろう?」
ええ、分かるわよ。あなたの言いたいことくらいね。
つまりこういうことでしょう、
「……"ケロちゃん"をやめて、早苗に、神として洩矢諏訪子を名乗れ、と?」
ゆっくりと頷く神奈子。
「そういうことだ。……私とお前、二柱の神の力で早苗を立派な巫女に育て上げる。小物妖怪ごっこもそろそろ飽きてきただろう? 茶番は終わりだ、諏訪子」
「飽きてきた、ねえ。ケロちゃんとしての生活も、なかなか気楽でいいものだけれど」
「諏訪子」
少しおどけただけなのに、神奈子はとんでもない眼力で戒めてくる。
ああ、これはどうしようもないな。私は即座に諦め、腹をくくった。神奈子の方針には基本的に従うことにしているし、神奈子も間違ったことは何も言っていない。
早苗のためにと思い始めた"妖怪ごっこ"だったけれど、これも神社のためなのだ。
早苗の住む神社を守ることも、結果的には早苗を守ることと同義。形は違えど、早苗を思ってのことなのだから。
「……分かったよ。それで、いつ? 早苗が帰ってきたらすぐにでも正体ばらせばいいの?」
「それは任せる。ただ、今まで通りの態度で接するのは今日までにしてくれ。神として改めて対面するのは、そうだな……一年以内程度に済ませてくれればいい。だからそれまでは、早苗の前には姿を現さないように……」
神奈子の話を聞きながら、私は、だったら一年間は姿を消していよう、と決心していた。
いなくなった蛙の妖怪がすぐに別の名前で、しかもこの神社の神として現れれば、早苗も混乱してしまうだろうから。淋しくなるけれど、こうなってしまったならば、離れている時間は長いほうがいいような気がした。
「おい諏訪子、どこに行く」
神奈子が呼び止めるので、最後の挨拶に行くんだよ、と答える私。
「"ケロちゃん"と早苗との、お別れの挨拶にね」
*
帽子をかぶり、私は神社をあとしにた。
蛙を模したこの大きな帽子は、神としての私、洩矢諏訪子の象徴だった。これから私は早苗に会って、最後の別れを告げる。けれどそれは、ただの私の自己満足で、早苗には一言も聞かせてはやらないのだ。
早苗はすぐに見つかった。買い物はもう全部終わったらしく、ビニール袋をぶら下げながらはなうたを歌っている。愉快そうに、スキップなんかもして。
「早苗ちゃん」
話しかけてみる。こんなにも近くにいるのに、私の声は早苗に届かない。姿も、声も、気配も全て、早苗には知覚出来ないようにしているのだから当然だ。
「ごめんね。私、しばらく神社から出ていくね」
何も知らない早苗は、歩みを止めずまっすぐと、神社へ向かってゆく。
「そんなに遠くまでは行かないだろうし、時々神社の様子を見に帰ってくるつもりだけど。……でも、早苗ちゃんに話しかけるようなことは、しないよ」
自分の腰に手を遣ると、そこには着けたままベルトがあった。早苗と一緒に作った、ヒーローの証。
「ヒーローごっこ、結局一回しか出来なかったね。でも、早苗には私以外にも友達がいる。普通の、人間のお友達と一緒に……」
そのときだった。
ひゅん、と、私の身体を通り抜けたものがあった。それは弧を描いて飛んで行き、早苗のふくらはぎに直撃する。
そのまま地面に落ちていったそれは、小石だった。
「わるものがいたぞ!」
振り返ると、そこには早苗と同じくらいの背格好をした子供たちの姿があった。
男女合わせて六、七人くらいだろうか。全員腰に紙で出来たベルトのようなものを巻いていて、仁王立ちをして立っている。
早苗と観ていたあのアニメの、ヒーローの登場シーンに、そっくりだった。
早苗は慌てた様子で走り出す。けれど荷物を持ったままではすぐに追いつかれてしまい、リーダー格と思われる大柄な男の子に肩を掴まれた拍子に、前へつんのめって転んでしまった。
「わるものめ! せいばいしてやる!」
男の子が早苗に拳を突き立て、皆で早苗を取り囲む。殴るような真似はしないようだったけれど、転んで膝を擦りむいている早苗を前にしても、誰も手を貸そうとはしない。
怪我した部位が痛いのだろう、涙を浮かべながら、早苗は膝を抱えている。倒れた衝撃で地面に落ちたビニール袋から、キャベツやトマトが転がり出す。
「やだ、…いたい……」
「うるさい、わるもの! おまえはわるものだからばちがあたったんだ! いつもにげてばっかりのくせに! いまからたおしてやるからな!」
一歩引き下がり、鞄から何やら小さな袋を取り出す子供たち。
透明な袋を持っていた子がいたから分かった。あれは、砂だ。公園の砂場にあるような、じゃりじゃりとした砂がたくさん、袋のなかに詰め込んであるのだ。
その砂を皆で一斉に、早苗に、投げつけるつもりなのだ。
「じゅんびはいいか、みんな!」
……ああ、神奈子。
「はっしゃようい!」
私たちはたしかに神で、巫女であるあの子を守るべき存在だわ。
「カウントダウン、3!」
でも、全然出来ていなかった。あの子がこんな風に追いつめられていたことに、全く気づけなかったんだから。
「2!」
私はそれが、神として、以前に。
「1!」
あの子の友達として、本当に恥ずかしい。
ぱあん、という音と共に、全ての砂袋が破裂した。
自分たちの顔の前で破裂した袋、そこから舞い上がる砂埃に、子供たちは咳き込んでいる。何が起こったのか分からないまま、目を開け、そこに立っている人物を見た。
目をこすりながら、だれだ! と叫んだ子がいた。私は服についた砂を払い、帽子をかぶり直しつつ答える。
「名乗るほどの者じゃあない」
それは、早苗が憧れてやまなかった、とあるヒーローの台詞。
「けれど、聞かれたからには答えよう」
背後にいる早苗がどんな顔をしているのかは、振り返らなければ確認出来ないけれど。
「私は」
けれど振り返りはしない。
「早苗を守る、ヒーローだ!」
ヒーローとは、そういうものだから。
子供たちはきょとんとした顔で、突然現れた私を見つめていた。いつから私がここにいたのか、理解出来ず戸惑っているのだろう。子供たちがカウントダウンを終え砂埃から手を出そうとするまで、私は人の目に見えない存在だったのだから、当然のことなのだけれど。
彼らの目には、見知らぬ人物がいきなり瞬間移動してきたように見えたに違いない。初めはぽかんとしていたが、徐々にその表情は恐怖で歪んだものになっていき、おばけだー! と、一目散にその場から逃げ出した。
「罰があたったんだね。悪者だから」
さっき男の子が言っていた台詞を、そっくりそのまま返してやった。
小さくなってゆく子供たちの後ろ姿に、べーっと舌を突き出していると、後ろからか細い声が聞こえた。
「け、ケロちゃん……?」
振り向くと、腰を落としたまま目をまんまるしている早苗が、驚きに満ちた表情でこちらを見上げていた。血の滲んだ膝小僧が痛々しい。
「たすけにきて、くれたの?」
「うん、そんなところ。……ああ、せっかく買ってきたものが台無しだね。事情を説明すれば神奈子も怒らないはずだから、今日はこのまま帰ろう。立てる?」
手を差し伸べると、ちいさくてやわらかい早苗の手が、ぎゅっと握りしめてくる。
「うん、だいじょうぶ」
「良かった。でもやっぱり痛そうだし、神社まで私がおぶっていってあげるよ」
ほら、としゃがんで促すと、背中に飛びついてくる早苗。落ちた野菜も袋に戻して早苗に持ってもらい、私は立ち上がって、歩き始めた。
早苗を最後におぶってあげたのはいつだったか。まだまだちいさいと思っていたけれど、意外に重さが感じられて驚いた。
「そのぼうし、かっこいいね」
早苗が笑う。ありがとう、かぶってみる? と返事をすると、早苗はひょいっと帽子を持ち上げた。見えないけれど、多分自分の頭にのせてみたのだろう。
さっきの子供たちについて尋ねようと、何度も口を開きかけた。男の子の口調からして、早苗が日常的にああいう目に遭っているのは確かだ。早苗は優しくて抵抗出来ないような子だから、悪者役にされているのだろうか。あるいは、妖怪だの神だのとあれこれ口走ってしまったことで、変わり者扱いされているのだろうか。
気になったけれど、早苗が自分から言わないのならばと、訊かないことにした。
今回は助けることが出来たけれど、明日からはもう、それが出来ないから。
"普通"だろうが、そうでなかろうが、乗り越えるべきものを持たない人間なんていない。
早苗が自分で、強くなるしかないのだ。
「はい、着いたよ」
ほんの十数分間の間だったのだけれど、早苗は寝てしまっていたらしい。寝ぼけなまこをこすりつつ、自分の両足で地面に立つ。
「じゃあ、傷口をよく洗ってから玄関に上がるんだよ。落として傷んだ野菜をどうするかは、神奈子と相談してね」
「ん……? ケロちゃんおうちにあがらないの……?」
眠そうな顔で尋ねてくる早苗のことを、私はぎゅうっと、ちから一杯抱き締めた。
「ごめんね、早苗ちゃん。ケロちゃんね、もう早苗ちゃんとお別れなんだ」
「おわかれ……?」
「そう。でもね、絶対、帰ってくるから。それまで神奈子と、いい子でお留守番しててね」
「いつかえってくるの?」
早苗に預けていた帽子を、取り返し、再びかぶり直した。神社の境内を名残惜しく見渡しながらも、私はふわりと、空へと飛び上がる。
「早苗ちゃんが強くなったら、帰ってくるよ」
そしてそのまま、空に溶け込んで。
"ケロちゃん"は、消えていった。
*
「あら、懐かしい」
押入れを整理していた早苗がぱらぱらと捲り始めた冊子を、私も横から覗き込んでみた。
「お、文集?」
「ええ、小学校のときの。……ふふ、そんなに見ないで下さいよ諏訪子さま、恥ずかしいです」
そう言いつつも冊子を開いたままにしている早苗。その頁に載っていたのは、他でもない早苗の直筆作文だった。余ったスペースには、子供向けアニメに出てくるような、ヒーローらしきキャラクターまで描かれている。
「へえ、成る程。昔からヒーローものやらロボットやら好きだったものね、早苗」
「クラスで流行っていたんです。あの頃は男の子も女の子も、皆ごっこ遊びに夢中だったわ、本当に懐かしい……」
穏やかな表情で、その頁を眺める早苗。長く伸びた髪は綺麗に結われており、結び目には蛙の形をした髪飾りが括りつけられている。
「人間っていうものは、誰もが一度は強いヒーローに憧れるものなのかもね。早苗もそうだった、普通の人間と同じように」
「ええ。空を自由に飛ぶことができて、不思議なちからで人々を助けていくスーパーヒーロー。憧れでしたよ」
「空を飛べて、不思議なちからを持っている……か。それじゃあ早苗がヒーローみたいなものだね。本物のヒーローも立場がなくなっちゃうねえ」
「いいえ、違います」
きっぱりと否定されたので少し驚いた。しかし早苗は、変わらず優しい表情をしている。
その目にはたしかに、人間としての、強さが宿っていた。
「……ヒーローは、いつまでも私のヒーローであり続けるんです」
わたしのすんでいるじんじゃには、ちいさなようかいさんがいます。
なまえはケロちゃん。かえるのようかいさんだけど、わるいことはなんにもしません。ケロちゃんはよく、わたしといっしょにあそんでくれます。いっしょにおかしをたべたりもするし、おひるねしたりもします。
かなこさまは、ケロちゃんとはあんまりあそんじゃいけないよっていいます。でも、わたしはそんなのいやです。だってケロちゃんは、やさしくて、しかもすごくつよいから。
わたしがけがをしたとき、ケロちゃんがてあてをしてくれると、すぐにいたくなくなります。
おもいものをもっていると、すぐにかけつけて、てつだってくれます。
やねにひっかかってとれなくなったおもちゃも、がんばってとってくれます。
ケロちゃんはまるで、テレビにでてくるヒーローみたいです。
わたしは、ケロちゃんのことがだいすきです。
ケロちゃんは、いままでも、これからも、ずっとわたしのヒーローです。
2ねん3くみ こちや さなえ
なまえはケロちゃん。かえるのようかいさんだけど、わるいことはなんにもしません。ケロちゃんはよく、わたしといっしょにあそんでくれます。いっしょにおかしをたべたりもするし、おひるねしたりもします。
かなこさまは、ケロちゃんとはあんまりあそんじゃいけないよっていいます。でも、わたしはそんなのいやです。だってケロちゃんは、やさしくて、しかもすごくつよいから。
わたしは、ケロちゃんのことがだいすきです。
KERO KERO HERO
昔から手先が器用で、物覚えのいい子だった。折り紙を教えれば私よりも綺麗に折りはじめる。あやとりを教えれば一度説明しただけでも正確に指を運ぶことができる。成績も上々、正義感が強いため、教師からの評価もいい。そして何より、優しい子だった。
そんな早苗がヒーローごっこなるものに興味を持ち始めたのは、当然といえば当然だったのかもしれない。困っているひとを見ると放っておけない質なので、強いちからで人々を救ってゆくヒーローという存在に、憧れを抱いたのだろう。早苗はあまりテレビを観るほうではなかったけれど、当時流行っていたヒーローもののアニメだけは、毎週欠かさずに観ていたようだ。
日曜日の朝、テレビの前でちょこんと正座しながら、ヒーローの活躍に目を輝かせる早苗。私はその姿を微笑ましく思っていたのだけれど、神奈子は違うようだった。
「行動力とは、精神力だ」
お茶を啜りながらも、生真面目な顔をしている神奈子。向かいに座りこんだ私は、ポットにお湯を注ぎつつ尋ねる。
「どういう意味?」
「早苗は確かに、まっすぐな精神を持って成長してくれている。しかし圧倒的に行動力が足りない。どんなに強い意志を持った者でも、行動力を伴わなければ、精神力を高めることなど到底為し得ない。憧れるだけなら誰にでも出来るだろう」
「強い存在に憧れるなら、相応の努力をしてみせろって? たしかに早苗は正義感がある割に、自分の思ったことを堂々と実行するような積極性には、欠けているかもしれない。でもあの子はまだ八つになったばかりなのよ、足りないものなんてこれからいくらでも……」
「諏訪子!」
神奈子は少々乱暴に、湯のみを卓袱台の上へと置いた。その衝撃で、ほんの数滴だけお茶がこぼれる。
睨みつけるような表情だった。神奈子は不機嫌になると、蛇のように目を細めるから分かりやすい。
「あの子は、……普通の人間とは、違う」
吐き捨てるようにそう言うと、神奈子は立ち上がり、目も合わせないまま部屋を出ていった。
*
焦っているのだ、神奈子は。
理由は痛いほどよく分かる。ここ数十年の間、私たちの神社は信仰をどんどん失い続けている。そんな折に久しく生まれた、巫女としての才能に溢れた逸材。今後の神社を命運を握っていると言っても過言でない、大切な存在である早苗に、神奈子が大きな期待と希望を抱くというのは、ごく当たり前の流れだと思う。
しかし大きすぎる期待は、逆にあの子の心を潰してしまいかねない。だから神奈子がああいう態度をとっているぶん、私は、せめて早苗に巫女としてのちからが身につくまで……そうね、基準としては空を飛べるようになるまで、かしら。それまで自分の正体は明かさないし、早苗のことも巫女として扱わないと、そう決めていた。
あの子はたしかにこの神社の巫女だ、けれどそれ以前に。
ひとりの、人間の女の子なのだ。
「ただいま、かなこさま!」
玄関のあたりから声が聞こえてくる。早苗が学校から帰ってきたらしい。どんなに疲れて帰ってきたときでも、あの子は元気いっぱいに挨拶をしてくれるから嬉しい。
ほどなくして、ランドセルを背負ったままの早苗が、裏庭にいた私のところにも駆け寄ってきた。
「ただいま、ケロちゃん!」
私よりもずっと背の低い、ちいさな女の子の明るい笑顔。毎日使っている蛇の形の髪飾りが、陽に照らされて白く光る。
早苗は私のことをケロちゃんと呼んでいた。洩矢諏訪子という名前はまだ明かしていないし、神奈子にも、早苗の前では私を諏訪子と呼ばないよう協力してもらっている。
そんな面倒なことをするくらいなら、早苗に巫女としてのちからが備わるまで、大人しく姿を消していればいいのに。神奈子はそう言うけれど、私はそれをしたくなかった。自分の名も名乗れず、もどかしい思いをすることがあっても、それでも早苗と一緒にいたかった。
私は神社に出入りしている蛙の妖怪、ケロちゃん。
神奈子の昔からの知り合いで、早苗のお友達。
「おかえり、早苗ちゃん。……あれ?それはなに?」
早苗の手には、くるくる丸めた新聞紙で作られた、輪っかのようなものが。
早苗は誇らしげにそれを掲げると、「あのね!」と説明してくれた。
「これはね、ベルトなの!ここにテープがはってあってね、はずしたりそうちゃくしたりできるの」
「へえ、よく出来てるなあ。ヒーローごっこで使うの?」
「うん! ベルトをつけてヒーローにへんしんするんだよ!」
へんしーん! と、目の前で新聞紙ベルトを装着してみせる早苗の姿は、本当にいきいきとしていた。楽しそうで、私もつられて笑顔になってしまう。
「かっこいいなあ、早苗ちゃんは。強い子だねえ」
「わたしはまだまだつよくないの。だからこれをつけてつよくなるんだよ!」
「成る程ね。これさえ着ければ、私も強くなれるのかな?」
「もちろん!そうだ、ケロちゃんもヒーローごっこしようよ!」
「お、いいね! 早苗ちゃんがヒーローで私は悪者役かな?」
「ううん、ふたりともヒーローやく!」
「ふたりとも? 悪者役がいなきゃヒーローごっこなんて出来ないんじゃ」
「ううん、いいの」
気のせいだったのだろうか。
そのとき、ほんの一瞬だけ、早苗の表情が翳ったように見えたのは。
「わるものやくはね、いいの。……ほら、じゃあケロちゃんもベルトをつくろう!」
はやくはやく、と私の手を引っぱり、自分の部屋へと向かいたがる早苗。すぐにいつもの調子へ戻ったものの、たった今感じた違和感を拭えないまま、私は裏庭から屋内に上がりこんだ。
どうしてこのとき、気付いてやれなかったのだろう。
早苗の体にちいさな痣や擦り傷が増えていったのは、ちょうどこの頃からだったというのに。
*
『名乗るほどの者じゃあない。けれど、聞かれたからには答えよう。私は、地球を守るヒーローだ!』
戦闘シーンの前に必ず流れる、主人公が決め台詞を叫ぶ場面。この台詞を早苗はとっくに覚えているらしく、テレビの前で毎回一緒に叫んでいた。
このアニメの特徴は、主人公に名前やコードネームがないところ、らしい。ヒーローはただヒーローであり、特定の名前なんてない。キャラクターとしてのヒーローになりきるのではなく、誰だって本物のヒーローになれる、誰にでもヒーローとしての素質があるのだということを、暗に表現している……そう、新聞の番組紹介欄に書かれていた。
カラフルな広告で作られたベルトを腰に装着したまま、私は早苗の隣でそのアニメを見ていた。薙ぎ倒され逃げて行く、黒い衣装の悪者たちを見送ってから、被害を受けた一般市民たちに微笑みかけるヒーロー。
エンディングテーマにさしかかると、早苗は興奮冷めやらぬ様子で、今回の話の感想を述べ始めた。あの新技はすごかったとか、まさかあそこで助っ人が現れるとは思わなかった、とか。
相槌を打ちながら聞いていると、部屋の外から早苗を呼ぶ声がした。振り向くと、襖の隙間から、神奈子が早苗に手招きをしていた。
「済まない、早苗。ちょっと御使いを頼みたいんだが」
はあい! と立ち上がり、神奈子のもとへばたばたと駆け寄る早苗。説明を受けて買い物リストを受け取ると、ごめんねケロちゃん、またあとでね、と私を振り返ってから玄関に向かう。
扉が閉まる音を確認し、早苗の姿が境内の外に消えるのを見送ってから、神奈子は部屋へ入ってきた。
テレビの電源を消し、私のそばに腰掛ける。
「……なあに? 神奈子」
居間で胡座をかいている姿からは想像出来なくても、その表情で、すぐに察知出来た。
神奈子は何か重要な話をしに、ここへやって来たのだ。早苗を買い物という名目で、わざわざ外に出してまで。
「限界だ、諏訪子」
重々しい声色で、神奈子は切り出す。
「このままでは本当に、神社が危ない。状況を打開するには巫女の働きが不可欠だ。巫女としての自覚を持たせ、早苗には一刻も早く、協力してもらう必要がある」
「あの子はまだ子供よ。巫女としてどころか、人間としてもまだまだ未熟」
「だからそれを成熟させる為にも、今から準備が必要なんだ。分かるだろう?」
ええ、分かるわよ。あなたの言いたいことくらいね。
つまりこういうことでしょう、
「……"ケロちゃん"をやめて、早苗に、神として洩矢諏訪子を名乗れ、と?」
ゆっくりと頷く神奈子。
「そういうことだ。……私とお前、二柱の神の力で早苗を立派な巫女に育て上げる。小物妖怪ごっこもそろそろ飽きてきただろう? 茶番は終わりだ、諏訪子」
「飽きてきた、ねえ。ケロちゃんとしての生活も、なかなか気楽でいいものだけれど」
「諏訪子」
少しおどけただけなのに、神奈子はとんでもない眼力で戒めてくる。
ああ、これはどうしようもないな。私は即座に諦め、腹をくくった。神奈子の方針には基本的に従うことにしているし、神奈子も間違ったことは何も言っていない。
早苗のためにと思い始めた"妖怪ごっこ"だったけれど、これも神社のためなのだ。
早苗の住む神社を守ることも、結果的には早苗を守ることと同義。形は違えど、早苗を思ってのことなのだから。
「……分かったよ。それで、いつ? 早苗が帰ってきたらすぐにでも正体ばらせばいいの?」
「それは任せる。ただ、今まで通りの態度で接するのは今日までにしてくれ。神として改めて対面するのは、そうだな……一年以内程度に済ませてくれればいい。だからそれまでは、早苗の前には姿を現さないように……」
神奈子の話を聞きながら、私は、だったら一年間は姿を消していよう、と決心していた。
いなくなった蛙の妖怪がすぐに別の名前で、しかもこの神社の神として現れれば、早苗も混乱してしまうだろうから。淋しくなるけれど、こうなってしまったならば、離れている時間は長いほうがいいような気がした。
「おい諏訪子、どこに行く」
神奈子が呼び止めるので、最後の挨拶に行くんだよ、と答える私。
「"ケロちゃん"と早苗との、お別れの挨拶にね」
*
帽子をかぶり、私は神社をあとしにた。
蛙を模したこの大きな帽子は、神としての私、洩矢諏訪子の象徴だった。これから私は早苗に会って、最後の別れを告げる。けれどそれは、ただの私の自己満足で、早苗には一言も聞かせてはやらないのだ。
早苗はすぐに見つかった。買い物はもう全部終わったらしく、ビニール袋をぶら下げながらはなうたを歌っている。愉快そうに、スキップなんかもして。
「早苗ちゃん」
話しかけてみる。こんなにも近くにいるのに、私の声は早苗に届かない。姿も、声も、気配も全て、早苗には知覚出来ないようにしているのだから当然だ。
「ごめんね。私、しばらく神社から出ていくね」
何も知らない早苗は、歩みを止めずまっすぐと、神社へ向かってゆく。
「そんなに遠くまでは行かないだろうし、時々神社の様子を見に帰ってくるつもりだけど。……でも、早苗ちゃんに話しかけるようなことは、しないよ」
自分の腰に手を遣ると、そこには着けたままベルトがあった。早苗と一緒に作った、ヒーローの証。
「ヒーローごっこ、結局一回しか出来なかったね。でも、早苗には私以外にも友達がいる。普通の、人間のお友達と一緒に……」
そのときだった。
ひゅん、と、私の身体を通り抜けたものがあった。それは弧を描いて飛んで行き、早苗のふくらはぎに直撃する。
そのまま地面に落ちていったそれは、小石だった。
「わるものがいたぞ!」
振り返ると、そこには早苗と同じくらいの背格好をした子供たちの姿があった。
男女合わせて六、七人くらいだろうか。全員腰に紙で出来たベルトのようなものを巻いていて、仁王立ちをして立っている。
早苗と観ていたあのアニメの、ヒーローの登場シーンに、そっくりだった。
早苗は慌てた様子で走り出す。けれど荷物を持ったままではすぐに追いつかれてしまい、リーダー格と思われる大柄な男の子に肩を掴まれた拍子に、前へつんのめって転んでしまった。
「わるものめ! せいばいしてやる!」
男の子が早苗に拳を突き立て、皆で早苗を取り囲む。殴るような真似はしないようだったけれど、転んで膝を擦りむいている早苗を前にしても、誰も手を貸そうとはしない。
怪我した部位が痛いのだろう、涙を浮かべながら、早苗は膝を抱えている。倒れた衝撃で地面に落ちたビニール袋から、キャベツやトマトが転がり出す。
「やだ、…いたい……」
「うるさい、わるもの! おまえはわるものだからばちがあたったんだ! いつもにげてばっかりのくせに! いまからたおしてやるからな!」
一歩引き下がり、鞄から何やら小さな袋を取り出す子供たち。
透明な袋を持っていた子がいたから分かった。あれは、砂だ。公園の砂場にあるような、じゃりじゃりとした砂がたくさん、袋のなかに詰め込んであるのだ。
その砂を皆で一斉に、早苗に、投げつけるつもりなのだ。
「じゅんびはいいか、みんな!」
……ああ、神奈子。
「はっしゃようい!」
私たちはたしかに神で、巫女であるあの子を守るべき存在だわ。
「カウントダウン、3!」
でも、全然出来ていなかった。あの子がこんな風に追いつめられていたことに、全く気づけなかったんだから。
「2!」
私はそれが、神として、以前に。
「1!」
あの子の友達として、本当に恥ずかしい。
ぱあん、という音と共に、全ての砂袋が破裂した。
自分たちの顔の前で破裂した袋、そこから舞い上がる砂埃に、子供たちは咳き込んでいる。何が起こったのか分からないまま、目を開け、そこに立っている人物を見た。
目をこすりながら、だれだ! と叫んだ子がいた。私は服についた砂を払い、帽子をかぶり直しつつ答える。
「名乗るほどの者じゃあない」
それは、早苗が憧れてやまなかった、とあるヒーローの台詞。
「けれど、聞かれたからには答えよう」
背後にいる早苗がどんな顔をしているのかは、振り返らなければ確認出来ないけれど。
「私は」
けれど振り返りはしない。
「早苗を守る、ヒーローだ!」
ヒーローとは、そういうものだから。
子供たちはきょとんとした顔で、突然現れた私を見つめていた。いつから私がここにいたのか、理解出来ず戸惑っているのだろう。子供たちがカウントダウンを終え砂埃から手を出そうとするまで、私は人の目に見えない存在だったのだから、当然のことなのだけれど。
彼らの目には、見知らぬ人物がいきなり瞬間移動してきたように見えたに違いない。初めはぽかんとしていたが、徐々にその表情は恐怖で歪んだものになっていき、おばけだー! と、一目散にその場から逃げ出した。
「罰があたったんだね。悪者だから」
さっき男の子が言っていた台詞を、そっくりそのまま返してやった。
小さくなってゆく子供たちの後ろ姿に、べーっと舌を突き出していると、後ろからか細い声が聞こえた。
「け、ケロちゃん……?」
振り向くと、腰を落としたまま目をまんまるしている早苗が、驚きに満ちた表情でこちらを見上げていた。血の滲んだ膝小僧が痛々しい。
「たすけにきて、くれたの?」
「うん、そんなところ。……ああ、せっかく買ってきたものが台無しだね。事情を説明すれば神奈子も怒らないはずだから、今日はこのまま帰ろう。立てる?」
手を差し伸べると、ちいさくてやわらかい早苗の手が、ぎゅっと握りしめてくる。
「うん、だいじょうぶ」
「良かった。でもやっぱり痛そうだし、神社まで私がおぶっていってあげるよ」
ほら、としゃがんで促すと、背中に飛びついてくる早苗。落ちた野菜も袋に戻して早苗に持ってもらい、私は立ち上がって、歩き始めた。
早苗を最後におぶってあげたのはいつだったか。まだまだちいさいと思っていたけれど、意外に重さが感じられて驚いた。
「そのぼうし、かっこいいね」
早苗が笑う。ありがとう、かぶってみる? と返事をすると、早苗はひょいっと帽子を持ち上げた。見えないけれど、多分自分の頭にのせてみたのだろう。
さっきの子供たちについて尋ねようと、何度も口を開きかけた。男の子の口調からして、早苗が日常的にああいう目に遭っているのは確かだ。早苗は優しくて抵抗出来ないような子だから、悪者役にされているのだろうか。あるいは、妖怪だの神だのとあれこれ口走ってしまったことで、変わり者扱いされているのだろうか。
気になったけれど、早苗が自分から言わないのならばと、訊かないことにした。
今回は助けることが出来たけれど、明日からはもう、それが出来ないから。
"普通"だろうが、そうでなかろうが、乗り越えるべきものを持たない人間なんていない。
早苗が自分で、強くなるしかないのだ。
「はい、着いたよ」
ほんの十数分間の間だったのだけれど、早苗は寝てしまっていたらしい。寝ぼけなまこをこすりつつ、自分の両足で地面に立つ。
「じゃあ、傷口をよく洗ってから玄関に上がるんだよ。落として傷んだ野菜をどうするかは、神奈子と相談してね」
「ん……? ケロちゃんおうちにあがらないの……?」
眠そうな顔で尋ねてくる早苗のことを、私はぎゅうっと、ちから一杯抱き締めた。
「ごめんね、早苗ちゃん。ケロちゃんね、もう早苗ちゃんとお別れなんだ」
「おわかれ……?」
「そう。でもね、絶対、帰ってくるから。それまで神奈子と、いい子でお留守番しててね」
「いつかえってくるの?」
早苗に預けていた帽子を、取り返し、再びかぶり直した。神社の境内を名残惜しく見渡しながらも、私はふわりと、空へと飛び上がる。
「早苗ちゃんが強くなったら、帰ってくるよ」
そしてそのまま、空に溶け込んで。
"ケロちゃん"は、消えていった。
*
「あら、懐かしい」
押入れを整理していた早苗がぱらぱらと捲り始めた冊子を、私も横から覗き込んでみた。
「お、文集?」
「ええ、小学校のときの。……ふふ、そんなに見ないで下さいよ諏訪子さま、恥ずかしいです」
そう言いつつも冊子を開いたままにしている早苗。その頁に載っていたのは、他でもない早苗の直筆作文だった。余ったスペースには、子供向けアニメに出てくるような、ヒーローらしきキャラクターまで描かれている。
「へえ、成る程。昔からヒーローものやらロボットやら好きだったものね、早苗」
「クラスで流行っていたんです。あの頃は男の子も女の子も、皆ごっこ遊びに夢中だったわ、本当に懐かしい……」
穏やかな表情で、その頁を眺める早苗。長く伸びた髪は綺麗に結われており、結び目には蛙の形をした髪飾りが括りつけられている。
「人間っていうものは、誰もが一度は強いヒーローに憧れるものなのかもね。早苗もそうだった、普通の人間と同じように」
「ええ。空を自由に飛ぶことができて、不思議なちからで人々を助けていくスーパーヒーロー。憧れでしたよ」
「空を飛べて、不思議なちからを持っている……か。それじゃあ早苗がヒーローみたいなものだね。本物のヒーローも立場がなくなっちゃうねえ」
「いいえ、違います」
きっぱりと否定されたので少し驚いた。しかし早苗は、変わらず優しい表情をしている。
その目にはたしかに、人間としての、強さが宿っていた。
「……ヒーローは、いつまでも私のヒーローであり続けるんです」
わたしのすんでいるじんじゃには、ちいさなようかいさんがいます。
なまえはケロちゃん。かえるのようかいさんだけど、わるいことはなんにもしません。ケロちゃんはよく、わたしといっしょにあそんでくれます。いっしょにおかしをたべたりもするし、おひるねしたりもします。
かなこさまは、ケロちゃんとはあんまりあそんじゃいけないよっていいます。でも、わたしはそんなのいやです。だってケロちゃんは、やさしくて、しかもすごくつよいから。
わたしがけがをしたとき、ケロちゃんがてあてをしてくれると、すぐにいたくなくなります。
おもいものをもっていると、すぐにかけつけて、てつだってくれます。
やねにひっかかってとれなくなったおもちゃも、がんばってとってくれます。
ケロちゃんはまるで、テレビにでてくるヒーローみたいです。
わたしは、ケロちゃんのことがだいすきです。
ケロちゃんは、いままでも、これからも、ずっとわたしのヒーローです。
2ねん3くみ こちや さなえ
でもヒーロー諏訪子かっこよかったぜ!!
すべてを語ればいいってものでもないのは重々承知ですが、
ちょっとこれでは足りなすぎかと思われます。
色々と唐突すぎるからでしょうか。話は好きなだけに残念です。
でも、めりえるらんどさんの、行間のふくよかさ、柔らかさはとても好きです。
優しいお話は大好きです。
ただ、ほんわかしますが中々コメントするのが難しいです