「わっ、私っ! あのっ……姫様のことが好き、なんです」
膝の上でこぶしをきゅっと握って、ついでに目までぎゅっと瞑って、大げさに正座までして、恥ずかしくなるぐらいに全身ガチガチに強張ってて。
私、一世一代の告白をしてるくせに、まともに姫様の顔を見ることすらできなかったんです。
予め練っておいた計画なんて姫様の顔を見た瞬間に破綻してしまって、今の私はいわば破れかぶれ、それも現在進行形で。
次にふたりきりになったら告白しようって決めていたはずなのに、どうしてだらだらと雑談を三十分も続けちゃったんでしょう、そしてどうして何の前振りもなく突然に告白しちゃったんでしょう。
告白を済ませた今になって反省点が次から次へと浮かび上がってきます。
この反省点をできれば次に活かしたい所なのですが、結果がどうであれ次なんか無いのが人生。
時間を巻き戻す能力など持っていない私は、もはやまな板の上の兎よろしく、返事という名の刃が振り下ろされるのを待つことしか出来ません。
「好きっていうか、愛してます。
それはもう、年がら年中、絶え間なく姫様のことしか考えられないぐらいに愛してるんですっ」
ですが、気持ちに嘘は無いんです、”好き”も”愛してる”も紛れも無く私の本心なんです。
頭は混乱しきっていますが、自らの想いまで見失ったつもりはありません。
こんな言葉を躊躇いなく言えてしまうほどに、焦がれているのです。
昨日今日で突然に惹かれ始めたわけではなく、『鈴仙の姫様好きは病気だよねー』と言う言葉がてゐの口癖になってしまうほど、以前からベタ惚れでした。
厳密に言えば出会ったその瞬間から、月から逃げてきた私に救いの手を差し伸べてくれた姫様の姿が女神のように見えてしまったのですから仕方ありません、そりゃ惚れますって。
それからは、廊下ですれ違うだけでドキドキして、食事中なんかご飯を食べるその口元を見ているだけで不埒なことを考えちゃって、私ったら何を変な想像しちゃってんのよ馬鹿馬鹿って自己嫌悪しちゃうぐらい大好きになってしまいました。
そりゃあ私と姫様が吊り合わないってことぐらいわかってますよ、だって月人と玉兎ですから、月人にとっては私達なんてペットか奴隷か、その程度の存在でしかありませんから。
人間に例えて言うと、家で飼われている犬って所でしょうか。
飼ってる犬に本気で告白されたらどう思います?
ドン引きしますよね? 受け入れよう、番になろうと思える人間はとんでもないマイノリティですよね?
だからわかってるんですって、自分の身の丈ぐらい。
でもですよ、私だって好きになりたくてなったわけじゃありません、姫様があんなに可愛いから、不可抗力で好きになってしまったのです。
姫様が私のタイプど真ん中の姿をして生まれてきてしまったのが悪いんです、だったらその責任はそんな姫様を産みだした誰かにあると思いませんか?
つまり責められるべきは私ではなく、姫様のご両親か神様かそのあたりが妥当なわけで。
それでも我慢しろ! と言われましても、それは理不尽ってもんですよ。
一度走りだした恋は、成就するか壊れるまで止まりません。
師匠ほど完成した生き物であれば我慢も出来るのかもしれませんが、半端者の私はあらゆる不可能を可能にすることは出来ないのです。
出会いから数十年、どんなに抑えこんでも気持ちは膨らむばかり。
私のキャパシティはとっくに限界ギリギリでした、どうにかして発散しなければ過ちを犯してしまいそうなほどに。
頭の中はただでさえ姫様と姫様と姫様に埋め尽くされていたのに、笑顔を見るたびに、声を聞くたびに、触れられる度に、さらにさらに姫様と姫様で溢れて、パンクしそうになってしまって。
破裂したら私、きっと姫様を襲ってたと思います。
がばぁっ! って、寝てる姫様に漫画みたいにダイブして、口では言えないこと沢山しようとしたと思います。
でもそれは叶わなくて、私はきっと返り討ちにあって死んじゃうんです。
姫様にボコボコにされて、師匠にもズタズタにされて、心も体もノックアウトされるに決まってるんです。
姫様はもちろん、師匠のことだってそれなりには好きな自分にとっては最悪のバッドエンドです、それだけは絶対に嫌でした。
だったら、取る手段は一つだけ。
花は散るから美しく、ならばいっそのこと、まだ美しいうちに、惜しまれるうちに散ってしまえと。
非業の死を遂げるぐらいなら、せめて姫様に散らせて欲しい、そう考えての告白でした。
常識非常識なんて知ったこっちゃありません、犬扱いされてようがなんだろうがクソ食らえですよ、世の中に一人ぐらいペットと恋する飼い主が居たっていいじゃありませんか、アブノーマルばっちこいです。
要するに、当たって砕けろ。
進むも地獄、戻るも地獄、姫様を好きになってしまった時点で、私には回避という選択肢は残されていなかったのです。
「……?」
突然に告白された姫様は、鳩が豆鉄砲を食ったようにきょとんとしていました。
でしょうね、もし姫様と私の立場が逆だったら、私だって同じような顔をすると思いますよ。
私が正座をして真面目な顔になったあたりから何やら重大発表があることは察していた様子でしたが、さすがに告白までされるとは思ってもいなかったのでしょう。
予め告白することがわかってたら、「どうしたの、急に似合わない顔しちゃって」なんて茶化しつつ、私の真似をしてお茶目に正座なんて出来ないはずですもんね。
おかげでシリアスなシーンのはずなのに、何やらシュールな絵面になってしまいました。
ですが悔しいかな、姫様はふざけていても、ただ正座をするだけで絵になってしまうのです。
オーラがあるといいますか、ロイヤル感溢るるといいますか、さすがお姫様としか言いようがありません。
そこに首をかしげる仕草を加える事で、ロイヤルとキュートの相乗効果が生まれ、私のハートは返事を聞く前からブレイク寸前でした。
いや、ブレイクしちゃ駄目でしょうよ私。
成就が難しいことはわかってますが、失恋はお断りです、結果が出るまでは一片の奇跡を信じてみようじゃありませんか。
「えっと、それは愛の告白?」
姫様は今更過ぎる確認をしてきます。
妙な解釈をされないために、わざわざ愛してるって言ったのに。
やはりペットから告白されるというのは、それほどまでに信じられない出来事だったのでしょう、ですから私は率直に返答します。
「イエスです」
「友情ではなくて、愛情?」
「はい、狂おしいほどラブなんです」
「そう、なんだ。
えっと……その……」
私の言葉の真意を完全に把握した姫様は、何やら困った顔。
自分の両手を頬に当てながら、何やらきょろきょろと視線を彷徨わせています。
けれども頬はちょっぴり桜色に染まっていて。
ほんのちょびっとですが、手応えを感じちゃったりして。
『期待したって裏切られるだけだぞ』と語りかけてくる冷静な私は、この際無視することにします。
「どうしましょう?」
私に聞かれても困ります。
「ごめんなさい、急に言われても困りますよね、何も返事は今でなくともっ」
「違うの、そういう困ったじゃなくってね、その……」
なら、どういう”困った”だって言うんでしょうか。
ちなみに私は困った姫様が可愛すぎて困ってますよ、どうしてくれるんですかこのときめき。
「鈴仙のことは、もちろん好きなのよ?
いつもお話したり、お散歩したり、鈴仙が隣に居るといつだって私は楽しくって、幸せだったわ。
だからね、私は鈴仙のことを大切なお友達だと思っていたの」
「それは……」
思わず耳がしわくちゃにしおれてしまいます。
玉兎ごときが姫様に友達扱いしてもらうだけでも十分に幸せすぎるのですが、おこがましくも私が求めたのはさらにワンステップ先。
しかし、姫様はお友達だと言います。
つまるところ、所詮は友達止まりだと、そういうことなのでしょうか。
「思っていた……はず、なのだけど」
すっかり意気消沈していた私でしたが、姫様の言葉はまだ終わっていなかったのです。
九回裏ツーアウト、逆転満塁サヨナラホームランの可能性はまだ残っていたのです。
「どうやら、それが思い込みだったみたいね」
「お、思い込み?」
想像もしていなかった言葉に、思わず声が上ずってしまいます。
落ち着きなさい私、ここで取り乱して台無しになったらどうするのよ。
「鈴仙に対する好意は友情だと思っていたの、だから自分の反応に、自分自身で戸惑ってしまって。
私の想像では、告白を聞いても冷静で居られるはずだったのよ?
なのに――まさか、あなたの言葉がこんなにも胸に響くなんて考えてもいなかったから」
姫様はこちらに手を伸ばし、私の手の甲に指先で触れました。
私にとって姫様の手は宝石のようなもので、自ら触れることすら憚るほどなのですが、まさか姫様から触れてもらえるなんて。
ただそれだけで、飛び上がりたいぐらい幸せだったんです。
なのに、私の幸せはそれだけじゃ終わりそうにありません。
姫様は、それが私の聞き間違いでなければ、それが行き過ぎた愛が引き起こした幻聴などではないとするのなら、私の告白を”嬉しい”と言っているような気がするのですが。
やっぱり聞き間違いですかね? これは私の、夢なのでしょうか。
「ただ言葉を交わすだけで楽しくて、姿を見るだけで嬉しくて、手に触れるだけで体が熱くなって、視線が重なると張り裂けそうなほどに胸が高鳴る。
ふふ、考えてみればこれで友達止まりなわけないものね、鈴仙もそう思うでしょう?」
絹のように滑らかで、やわらかな感触が私の手のひらを包みました。
私だって一緒です、手を握られただけで死んじゃいそうなぐらい体が熱を帯びて、心臓がドキドキしてます。
手の感触が、すぐそこにある姫様の顔が、香りが、温もりが、すべて私の弱点なんです。
あらゆる方向から一番弱いとこを責め立てられて、私は今にも幸せに溺れて窒息して死んでしまいそう。
現在進行形でこんなにも姫様のことを愛しく思う気持ちが膨れ上がっているのですから、仮に運良く生き残ったとしても、私は姫様のこと以外何も考えられないポンコツ兎に成り下がってしまうのでしょう。
ああ、なんて幸福な。
幸せ過ぎて、胸が詰まって、この幸せを姫様に伝えたいのに、高ぶる感情が言葉を紡ぐことすら許してくれません。
姫様は深く澄んだ瞳で私の方をじっと見つめて、返事を待っているのに。
困りに困って、困り果てて、末に私がたどり着いた結論は、言葉が駄目なら行動で示せばいいじゃないかっていう、兎らしい安直な判断でした。
「れ、鈴仙!?」
姫様の手を握り返し、その手を私の胸に導きます。
恥ずかしいとかそういうことを考える正常な脳なんて残っていなくて、ただ今は、これしか出来ないって、そう思ったからそうしただけのこと。
思えば、言葉で伝えるよりもずうっと恥ずかしいことをしてるんですけど、それすら判断出来ないほど私の脳はオーバーヒートしていました。
その手を私の胸の谷間に沈ませて、心臓の一番近い部分にまで導きます。
姫様の顔は今まで見たこと無いぐらい真っ赤になっていて、緊張のあまり唇を一文字に結ぶその姿を、この網膜に焼き付けられただけでも生きててよかったと思えるほどでした。
「姫様、わかりますか?」
「え、ええ、とても柔らかくていい感触だわ」
「……いや、そうではなく」
揉んだ感想を聞かされても恥ずかしいだけです、思わずエロチックな気分になってしまいます。
いい感触って言われたのは嬉しいですよ、何ならもっと触ってもらってもいいぐらいです、いっそダイナミックに揉みしだいてもらっても。
お望みなら生でもカモンです、むしろウェルカムで。
ですが私たちはまだ恋人としての階段を登り始めたばかり、そんなピンクでハレンチでセクシュアルなコミュニケーションはまだまだ早いと思うんです。
そもそも、私は揉んで欲しくて胸を触らせたわけじゃありませんから。
「心臓ですって! 私の胸がドキドキ言ってるの、手のひらに伝わっていませんか?」
「ああっ、そっち、そっちね! そうよね、鈴仙がいきなりそんな大胆な真似するわけないものね!」
姫様、実はむっつりさんなんでしょうか。
案外、”姫様が可愛すぎてつい襲いそうになった”とカミングアウトしても、むっつりな姫様だったら許してくれるかもしれません。
姫様イコール清楚という方程式が脳内世界の常識になっていたのですが、今のでちょっと揺らいでます。
黒髪ぱっつんですよ、着物美人ですよ、なのに清楚じゃないなんて、とんでもない背徳感じゃありませんか。
むっつり姫様もアリなんじゃないですかね、いやアリですね、むしろそっちの方がそそる!
……って、そんなこと考えてる場合じゃありません、今はもっとプラトニックに、気持ちを伝え合う時間なんですから。
「ええ、よくわかるわ。とても強く……私と同じぐらいに高鳴ってる」
「これが私の気持ちです、姫様を想う分だけ鼓動してるんです」
「ということは、私もそれと同じだけ、鈴仙のことを好きってことなのね」
姫様は空いた方の手を自分の胸に当て、私の鼓動と自分の鼓動とを比べているようです。
好きの尺度なんて人それぞれ、鼓動が同じだからって同じだけ好きとは限りません。
想いの大きさを知る術なんてありません、私にできることは信じることだけ。
なので、私は馬鹿正直に姫様の言葉を信じようと思います。
私を喜ばせるための社交辞令かもしれませんが、そんな可能性、ご都合主義的に無かったことにしてしまいましょう。
姫様と私は同じだけ想い合って、世界中の誰もが嫉妬するぐらい相思相愛、それが真実なのです。
「その、鈴仙?」
「どうしたんですか、姫様」
「私達これで……恋人になったのよ、ね」
「改めて言うと恥ずかしいですが、そういうことだと思います」
自分でもいまいち自信が持てないのは、姫様が私の告白を受け入れてくれた、という事実がどこか現実離れしているからかもしれません。
いっそ夢と言ってくれた方が、もしくはどこからともなく”ドッキリ大成功”の札をてゐがが出てくるとか、そっちのが納得してしまうほどの夢物語。
「なんだか、現実味がないわ」
姫様もちょうど私と同じことを考えていたようで、触れ合う手をじっと見つめながら、白昼夢でも見ているようにぼおっとした表情をしています。
どこかふわふわとした、地に足がつかない気分。
『落ち着け私!』という自己暗示も、のらりくらりと躱されてしまいます。
夢心地といえば聞こえはいいのですが、実際は蜃気楼のようにおぼろで、瞬きの刹那に風に吹き飛ばされそうなほどに不確かな物。
せっかく恋が成就したのに、そのあまりの儚さに、幸せ一色だった気分にほんの少しの不安が混じって、波紋を広げ、白を灰色に染めていきます。
誰よりも現実だと言うことを知っているのは私自身のはずなのに、色々と上手く行きすぎて自分ですらその現実を信じられないのですから困ったものです。
「まるで夢みたいにふわふわしてる」
姫様も私と同じく、夢心地のようで。
この場にいるのは私と姫様二人だけ。
つまり現実が成立しているのは私達の認識があるからこそ。
その二人が夢だと認めてしまったら、本当に夢になってしまうではありませんか。
「……私は、そんなのやです」
だから、私は否定することにしました。
夢なんて。
幻なんて。
私は確かな物が欲しいんです、儚いものを愛でられるほど達観しちゃいません。
浅はかだと笑ってくれてもいい、目に見えるものが全てじゃないと説教してくれてもいい、ですが私の心には、そんな綺麗事は届きません。
結局のところ、信じられるのは確かな感触だけじゃないですか。
言葉だけじゃ足りず、手のひらだけじゃ満足出来ないから不安が消えないんですよ。
もっと強く、浅ましく、姫様を求めたってバチは当たらないはずです。
だって私達、もう恋人なんですから。
「こんなに幸せなんです、夢でたまるもんですか。
私は姫様を好きで、姫様も私を好きで、それが絶対不変の現実なんです」
どうせ胸は触られたんだ――と私はやけくそ気味に、勢いに任せて姫様の体をぐいっと引き寄せました。
姫様は小さく「きゃっ」と驚嘆の声をあげましたが、さして抵抗せずに私の胸に飛び込みます。
あれほど遠く、天の上の存在だった姫様は、こうして抱きしめてみると思っていた以上に小さくて、女の子らしくて。
普段は妹紅さんと殺し合いなんてしているくせに、その体は深窓の令嬢みたいに細く柔らかなんです。
姫様より弱くて臆病者のくせに、柄にもなく思っちゃいましたよ。
この人のこと、一生守りたいって。
「もうっ、前言撤回するわ。やっぱり鈴仙は大胆だわ」
姫様は甘えた口調でそう言うと、私の背中に腕を回しさらに体を密着させました。
体のラインが全身でわかるぐらいに押し付けられて、否が応でも不埒なことを考えてしまいます。
姫様だって十分大胆じゃないですか、ここまで密着されて、抱き合うだけで我慢できる兎なんてそうそういませんよ?
「そうですか? ……いや、そうですね、きっとそうなんでしょう。
私はこれでも兎です、獣なんですから、我慢なんて利かないのが当然なんです。
想った分だけ求めます、触れます、抱きしめます。
こうなったら、姫様が困っちゃうぐらいベタベタしてやるんですから」
そう言いつつも、襲いかかりたくなる欲求を必死に抑える私。
相手が私で良かったですね、私以外の兎なら姫様はこの場でインスタントに食べられていたでしょうから。
「あら怖い。
ここまで情熱的だと、じきに食べられてしまいそうね」
「もちろん、いずれそうするつもりです」
私の大胆な宣言に姫様は一瞬だけ驚きましたが、すぐに優しく笑ってくれました。
何も急ぐことは無いのです。
私は妖怪で、姫様は不老不死、時間なんて腐るほどあるのですから。
さすがに千年後まで我慢できる自信はありませんが、少しずつ恋人っぽいコミュニケーションを重ねていって、いずれそこにたどり着くのが私の目標です。
理想は三ヶ月? これは長過ぎますかね、だったら一ヶ月……いや、ひょっとすると一年ぐらいがいいんでしょうか。
とにかく、大事にしたいんですよ。
だって私、本気ですから。
出来れば永遠に、この気持ちを守って、抱いて、育てていきたいと思っていますから。
「……怖くないかと言われれば、嘘になるわ」
実は私も怖かったります。
だって姫様を傷物にするなんて、ここが月なら、想像しただけでも即打首だと思いますよ。
月でなくとも、師匠にバレたら私どうなっちゃうんでしょう。
「けど相手が鈴仙だと思うと、不思議と恐怖が失せてしまうの。
だから私はその日を――鈴仙が私に触れてくれる日を、楽しみにして待ってるから」
もはや手を出してもオーケーと言っているようにしか聞こえないのですが……我慢する必要あるのかな、私。
いやいや、ここは誠意を見せないと、姫様だって”いずれ”と言ってましたからね。
せっかく奇跡的に姫様と恋人になれたのに、ここで事を急いて姫様を傷つけるようなことがあったら、たぶん私は私を許せなくなってしまいます。
一生守りたいと言っていたくせに、たかが数十秒ですらその誓いを守れないのか、と。
それだけではありません、姫様を泣かせたりしたら、自分自身を許せないの以上に、師匠が絶対に許してくれないでしょうから。
説教とかお仕置きなんてレヴェルではなく、鈴仙優曇華院イナバという存在がこの世から消え去ってしまうような、筆舌に尽くしがたい罰を下されるに決まっているのです。
つまりこれは私の決意でもあり、私の自己防衛でもあるわけですよ。
情けない話ではありますが、おかげでこうして姫様と密着しても我慢出来ているんです、つまり結果オーライということで。
それに抱き合ってるだけでも、これはこれで良いものです。
満たされていくんです。
もちろん、性的な意味じゃありませんよ。
姫様の気持ちが伝わってきて、私の気持ちも伝えられて、私達両想いなんだってことが体全体で感じられますから、心が満たされていくんです。
もう夢だなんて疑う必要もありません。
温もりが、柔らかさが、そしてこの鼓動が、痛いぐらいに現実なんだって教えてくれていますから。
翌朝、目を覚ました私は真っ先に枕元を確認しました。
昨日起きた出来事すべてが夢だったんじゃないか――あまりに出来過ぎた展開に、思わずそう疑わずにはいられなかったのです。
枕元には、姫様から貰った手作りの香り袋が置かれていました。
顔を近づけると、姫様を連想させる気品のある爽やかな香りが鼻を通り抜けていきます。
『鈴仙のことを考えながら作っていたから、この香りになったのかもしれないわね。
でも今は従者じゃなくて恋人だものね、侍従の香り袋を渡すのも変かしら?』
もちろんすぐにもらいました、姫様の贈り物だったら私は何だって喜んで貰って、一生大事にしますから。
私は香り袋を手に取ると、それを胸のあたりでぎゅっと握りしめました。
物に固執しているわけではありませんが、こうしていると姫様と繋がっていられる気がしてくるんです。
姫様は同じ柄の香り袋をもう一つ作っていて、そちらは自分用とのことでしたから、ひょっとすると今頃姫様も私と同じようにこの袋を見て私のことを思い出してたりするんでしょうか。
以前の私なら、そんな偶然ありえないと一蹴していたでしょう。
ですが私はすでにとんでもない奇跡を起こしているわけで、だったらこの程度の偶然なら簡単に起きてしまうかもしれないと、妙な自信を持っていました。
目を閉じて姫様への思いを馳せます。
「姫様……」
昨日の温もりを思い出し、思わず頬が緩んでしまいます。
しばしその状態を維持していた私ですが、ふと重大な事実に気付いてしまいました。
「……別に思いを馳せなくても、会いに行けばいいだけじゃない」
同じ屋敷に住んでることを忘れてどうするのよ。
離れた場所で想い合うのも悪くはありませんが、結局は触れ合いに勝るコミュニケーションは無いのです。
思い立ったが吉日、私は大急ぎで布団を片付け、身なりを整え、自室を後にしました。
昨日は興奮のあまり遅くまで眠れなかったせいかいつもより随分と遅い時間に目覚めてしまったようで、部屋を出てすぐ空を見上げると、太陽は思った以上に高く昇っていました。
この時間なら姫様はとっくに起きていることでしょう。
ひょっとすると姫様は私を待っているかもしれない――
そんな都合のいい妄想に駆られた私は、はやる気持ちを抑えて早歩きで……いや、やっぱり無理だったので軽い小走りで姫様の部屋へと向かいます。
「お、鈴仙。おはよー」
その途中、庭で兎たちと戯れるてゐと遭遇しました。
頭の中が姫様でいっぱいだった私は、予想外の出会いにちょっぴり驚いてしまいます。
そうだった、永遠亭には私と姫様以外の住人も居るんだったわ、私としたことがうっかりうっかり。
「そんなに急いでどしたの?」
「ん? いや、別に急いでるわけじゃないんだけど」
つい誤魔化してしまいましたが、別に悪意があったわけではありません。
考えても見て下さいよ、素直に『私、姫様と恋人になったんだ』と話した所で誰が信じるでしょう。
私自身でも信じられなかったぐらいなのですから、正直に話した所で『まーた鈴仙の妄想が始まったよ』と笑われるのがオチです。
「うっそだぁ、どう見ても急いでたじゃないか。
あやしーなあ、何か良いことでもあったんじゃないの?」
「そう見える?」
「うん、見える見える。
いつもより生き生きしてるっていうかさ、顔に生気が満ち溢れてるよ」
自分でもいつもと同じで居られるとは思っていませんでしたが、まさか他人から見てもそこまでとは。
てゐが気付いたということは師匠も気付くでしょうし、これは誤魔化すのは難しそうです。
言うべきでしょうか。言うべきなんでしょうね。
絶対に信じてくれないでしょうけど、全財産賭けたっていいぐらいです。
「実は、さ」
「うんうん、実は?」
面白そうな話を聞けそうな気配を察したのか、てゐは興味津々と言った感じで私の話に耳を傾けています。
次の瞬間にはがっかりしてるてゐの顔が容易に想像出来てしまいます。
「私ね、姫様とお付き合いすることになったの」
「……あー」
ほらね、見ての通りです。
見飽きた顔、そして続くのは聞き飽きた台詞。
「まーた鈴仙の妄想が始まったよ、期待して損しちゃった。
ここは現実だよ? もしかしてまだ寝ぼけてる? 都合のいい夢でも見てる?」
聞きましたか今の、私の予想と一語一句違わないてゐの反応を。
我ながら恐ろしい予知能力です、自分で自分が怖くなるほどですよ。
ほんっと、わかってたこととはいえ、嫌気が差してきますね。
疑うにしても、1%ぐらいは信じてくれたっていいじゃありませんか。
「てゐ、今回ばかりは妄想なんかじゃないのよ。
姫様は私に好きって言ってくれたし、昨日なんて一日中抱き合ってたわ」
「うわぁ、鈴仙の妄想もついに五感を支配するまでになったかあ、早く現実に帰ってこないと大変なことになるよ。
私たちこっちに帰ってこれなくなった鈴仙の介護なんてまっぴらごめんだから」
周囲に居る兎たちも、てゐの言葉に同意するように首を縦に振りました。
いや、確かに私はてゐほど古参の兎じゃないけどさあ、もう少し信じてくれたっていいんじゃないの?
「最初から現実しか見てないですー! 信じられない気持ちもわかるけど、本当に本当なのよ」
私の必死の訴えも虚しく、てゐの表情は変わりません。
こりゃ私が言った所で無駄かな、と諦めかけていると、廊下の向こう側から誰かが近づいてくる音が聞こえてきます。
現れたのは、文字通り救いの女神様。
その名も蓬莱山輝夜。
ああ、寝起きの姫様もこれまたキュート、まさに女神と呼ぶに相応しいとは思いませんか?
本当に私なんかの恋人になっちゃっていいんでしょうか、引き立て役としては十二分に仕事を果たせている自信はありますが、恋人としては赤点どころの話じゃありません。
「お、姫様だ。
ちょうどよかったじゃん、姫様に聞けば全部わかるだろうしね」
てゐがニヤニヤと笑っているのは、否定されて私が赤っ恥をかくと思い込んでいるからでしょう。
それほどまでに、私と姫様が恋人同士になることを”ありえない”と頑なに決めつけているのです。
ふふん、残念だったわねてゐ、いつもやられてばかりだけど、今日に限っては恥をかくのはあんたの方よ。
「おはようござ……」
てゐが足取り軽く姫様に駆け寄り、元気に話しかけます。
しかし、どこかぼんやりとした表情の姫様は、そんなてゐを見事にスルー。
よく見ると、姫様の頭はいつもよりボサボサで、寝癖まで立っている始末。
こんな有様で出歩くなんて姫様のプライドが許すとは思えません、つまりまともな状態では無いということです。
それでも可愛いのがすごいんですが。
「……あれ?」
姫様はそのままてゐの前を通り過ぎると、私の方へと一直線で向かってきます。
いくら姫様の機嫌が悪いと言っても今までてゐを無視するようなことはありませんでした。
これには、さすがのてゐも戸惑い気味です。
しかし戸惑うてゐをよそに、姫様は私の方へと近づいてきます。
一直線で、私にぶつかりそうな距離になっても全く減速せずに。
「姫様!?」
私は大慌てで体制を整え、衝撃に備えます。
ぼふん、とそこそこの勢いで私の胸に飛び込んできた姫様の体を、私はよろめきながらもどうにか受け止めることに成功しました。
私の戸惑いもよそに、姫様はそのまま私の胸に顔を埋めると、服をぎゅっと握りながら肩を震わせました。
「れーせん……れえせん……っ」
「ちょ、ちょっと姫様、どうしたんですか!?」
私の名前を呼ぶ姫様の声は弱々しく、まるで母親に甘える子供のようで、抱きしめて支えてあげないと今にも崩れてしまいそうです。
寝起き早々に姫様に泣きつかれるなんてはっきり言って滅茶苦茶嬉しいんですが、どうやら手放しで喜べるイベントでも無いようで。
だってあの姫様が泣いてるんですよ、これは非常事態です。
喜んでる場合でもなければ戸惑ってる場合でもありません、恋人としてやるべきことは、まず姫様を慰めること。
私は両手で姫様の体を抱き寄せると、優しく声をかけながら背中を撫でました。
「姫様……大丈夫です、何も不安になることなんてありませんから」
何が大丈夫なのかは知りませんが、それで姫様の不安が解消できると思ったのです。
幸いにも私の言葉は姫様の心まで届いたようで、服を握る姫様の拳から少しだけ力が抜けていきます。
しかし姫様は相変わらず私の胸に顔を埋めたままで、まだまだ予断を許さない状況。
まあ、今の私の顔を見たらきっと姫様は呆れてたと思いますけどね。
姫様に抱きつかれたせいで、デレッデレに緩んでますから。
そんな私達のやり取りを、てゐは少し離れた場所で唖然としながら見ていました。
いつもは一方的にやられてばっかりですから、思わず心のなかで小さくガッツポーズしてしまいます。
「鈴仙、鈴仙……」
姫様は冷静さを取り戻してきたのか、たどたどしかった口調も少しずつ元の、品のある口調に戻っていきます。
それでも完全に元通りとは言い難く、姫様は絶えず私の名前を呼び続けていて、その不安が完全に解消されたわけではないことはすぐにわかりました。
こうやって抱きしめるだけで姫様の傷が癒えるって言うんなら、私は喜んで抱きしめ続けましょう。
一時間でも、夜までだって、いっそ永遠でも構いません。
「そう何度も呼ばなくとも私はここに居ますよ、これから先もずーっと傍にいますから」
「うん、うん……」
泣き顔が見れないのが残念、なんて思っちゃう私は間違いなく恋人失格ですよね。
でも思っちゃうんです、思って当然なんです、だってあの姫様の泣き顔なんですから。
「ごめんなさい、急に泣いたりして」
私から体を離した姫様は、苦笑いしながら手の甲で目の周りをごしごしと擦ります。
その目は真っ赤に腫れていて、先ほどの涙が演技では無かったことを証明しているようでした。
私は慌てて表情筋に力を込め、情けなく緩んだ顔を強引にシリアスモードへと切り替えます。
「構いません、私の胸で良かったらいつでも貸しますから、辛いことがあったらいつでも使ってください。
けど……どうして急に、泣いたりなんて」
恋人になった私の前でならともかく、ここにはてゐだって居るのに。
プライドの高い姫様が他人の前で泣くなんて、よっぽどの理由があるに違いありません。
命の危機とか、月が落ちてくるとか、世界が滅びるとか、きっとそんな規模のとんでもない理由が。
「夢を見たのよ。
あなたがいつか、いなくなる夢を」
しかし姫様の口から語られたのは、想像してたよりもずっと小さな……と言うより私が勝手に期待しすぎただけなのですが、それにしたって意外なぐらい普通の理由でした。
期待値が大きすぎてどう反応していいのかわかりませんが、姫様が私ごときが居なくなっただけで泣いてくれると言うのですから、ここは素直に喜ぶべきなのでしょう。
「本当にごめんなさい、急にあんなことしたんじゃ誰だって困るわよね。
大切な人が出来るといつもこうなの。
いずれ訪れる別れを想像して、急に不安になってしまって、とっくに慣れてもいいはずなのに」
やけに人間らしい、と言うと姫様に失礼かもしれませんが、そういう感情表現が私のイメージしている姫様と噛み合わなかったものですから、戸惑ってしまったのはそれが原因です。
私が姫様を好きになったきっかけは、おそらく”憧れ”だと思うんです。
高嶺の花を見上げながら、あの人と一緒に生きられたらどんなに幸せだろう、と想像することが楽しくて。
姫様とお付き合いするなんて、『一生遊んで暮らせるぐらいのお金を拾ったらどうする?』という馬鹿げた問答に似ていて、万が一にも実現するとは思っていませんでした。
そんな姫様が急に私とそう変わらない感情表現をしてみせるから、イメージとの齟齬に対応しきれなかったんです。
だからといって、がっかりしたってわけじゃないんですが。
確かに姫様は高嶺の花ではありましたが、私は高嶺の花だから姫様を愛したわけじゃないんです。
愛したからこそ高嶺の花だったんですよ。
問答無用で愛してしまうほど魅力的だったからこそ、高嶺の花なのだと、自分には見合わないのだと、そう勝手に思い込んでしまったのですから。
つまりですね、姫様が身近な存在だってことがわかって、私はうれしいんですよ。
今よりさらに、昨日よりずっと、今日の姫様のこと、愛せる気がするんです。
「ひゃっ!?」
慰めようとか考えるよりも先に、体が動いていました。
一度離れた姫様の手を気持ち強めに掴むと、強引に引き寄せます。
姫様を驚かせてしまいましたが、構いやしません。
私、昨日言いましたから、想った分だけ求めて、触れて、抱きしめるって。
姫様はそれを理解した上で私を受け入れてくれたんです、だったら多少驚かせた所で何が悪いっていうんですか。
過保護な師匠がそれを咎めるっていうんなら、そんなお説教は私が一笑に付してやりますよ。
「迷惑なもんですか!
長い時間を生きてきた姫様の全てを、ほんの一日や二日で理解できるとは思ってません。
隠したいことだってあるでしょう、聞きたくないことだって沢山あるでしょう。
でも、それでも愛せると思ったから、沢山のマイナスがあったって構うもんかって、そんなものは姫様への愛情で全部包み込んでやるって、そう決めたからこそ、私は姫様に想いを伝えたんです。
一方的に私の気持ちを押し付けるために告白したんじゃありません、あらゆる感情を受け入れる覚悟がなきゃ、最初から告白なんてしてませんよ」
「鈴仙……」
「だから、今は大人しく抱きしめられててください、せめてその涙が乾くまでは」
「……うん」
少しナルシズムなセリフになってしまいましたが、私の気持ちは生半可な物じゃないって伝えたかったんで仕方ありません。
シラフなら笑って終わりでしょう。
けど今の私たちは恋に酔っているんです、装飾過多でも過ぎることはありません。
それでも私の台詞を笑うっていうんなら、姫様を見て下さいよ。
私に抱きしめながら、瞳をうるませて――こんなにも心に響いてるじゃありませんか。
私の言葉は姫様に向けたもの、その姫様が満足してくれたのなら、他の誰の評価も必要無いんです。
「愛されてるわね、私」
「ええ、愛してますね、私」
「ふふ……ありがと、もう怖くないわ」
それは、社交辞令じみた嘘でした。
私を想ってくれている証拠でもありますから嬉しいといえば嬉しいのですが、やはり私が有限の命である限りは、姫様の恐怖が完全に消えることは無いのでしょう。
私に出来ることなんて、その不安を限りなく小さくしてあげることだけ。
抱きしめて、愛して、愛されて、常にあなたの隣りにいますと、命の証明をすることだけ。
「そうそう、加えて言っておきますが、私はこれでも妖怪なんです。
伊達に玉兎はやってません、人間みたいにお行儀よくあっさりと死んでやるもんですか。
仮に死神がお迎えに来たとしても、姫様の隣に寄り添う限りは、どんな方法を使ってでも追い返してみせます」
「頼もしいわね、馬鹿げた話だとわかっているのに、今の鈴仙の言葉なら何だって信じてしまいそう」
「信じてください、たぶん私、姫様のためならどんな不可能だって可能に出来ると思いますから」
もちろん気のせいでしょうが、けどやってみないとわからないじゃないですか。
「おーい」
愛の力って、私自身ですら計り知れるものではないのですから。
「二人とも、誰か忘れてない?」
それに、これで姫様が笑ってくれるんなら、例え他人にビッグマウスって笑われたって構いやしません。
「ねえ、さすがにそれは酷くない? そこまで無視するわけ?」
第三者の笑顔を千人分束ねたって、姫様のこの笑顔には叶わないのですから。
「……はぁ、蚊帳の外にも程が有るよ」
抱き合って二人の世界に入り込んできた私達の耳に、誰かさんの呆れかえった声が聞こえてきました。
完全に忘れてました、そういえばここにはてゐも居たんでしたね。
「これは普段の意趣返しと受け取ってもいいのかな?」
「て、てゐっ!? 嘘でしょう、居たの? 今の見てたの!?」
「姫様、そりゃあないよ……」
てゐの存在に初めて気づいた姫様は、慌てて私から離れました。
しかし、さすがのてゐもこれにはしょんぼりのようで。
てゐの耳がしわくちゃになってる姿なんて、見るの何年ぶりでしょう。
姫様ったらてゐの挨拶を無視するなんて酷いなあと思ってましたけど、存在にすら気づいてなかったんですね。
つまり私に首ったけ、貴女だけしか見えないって状態だったわけですよね、いやあ照れちゃうなあほんと。
「ねえてゐ、さっきのやりとり見てたでしょ?
私は何度も言ったわ、事実だって、夢なんかじゃないって。
なのに”嘘だ、信じられない”なんて、挙げ句の果てには妄想呼ばわりまでされて、謝罪の一言も無いなんて酷い兎もいたもんね」
私はこれ以上無いぐらいのしたり顔でてゐに言ってやりました。
ええ、言ってやりましたとも。
いつもの復讐ですよ、やられてばっかりってのは私の性に合わないんです。
「くぅ……わかったよ、ごめんってば。
今日ばっかりは私の負けを認めるよ、てっきり鈴仙の病的な片思いだと思ってたのに」
病的って何だ、せめて一途とか言いなさいよ。
「てゐ、その言い方だと、まるで以前から鈴仙が私を好いているのを知ってたように聞こえるのだけれど?」
「もちろん知っていましたよ姫様、顔を合わせれば姫様姫様と、こちらが聞かなくても聞かされてたぐらいです。
鈴仙の話に対して、”はいはい妄想お疲れ様”と言うのがお決まりのパターンになってしまうほど、昔から姫様に夢中でしたから。
本当は今だって姫様に抱きつかれたのが嬉しくて、幻想郷中を叫びながら駆けまわりたいぐらい有頂天外な気分でしょうよ」
さっすがてゐ、私の事よくわかってるわ。
昨日の夜だってほとんど眠れず、ようやく寝付けたのは空が白みかけた早朝のこと。
なのにこの時間に目が醒め、その上全く眠くないと言うのですから、姫様と恋人になったその時から、興奮はこれっぽっちも冷めていないのでしょう。
「鈴仙ったら、そこまで私のことを……」
「一応は、私なりの言葉で全部伝えたつもりだったんですが」
「本人から聞くのと他人から聞かされるのとでは違うわ。
もちろんあなたの言葉も信じているし、とても嬉しい。
嬉しすぎて、昨日は夜遅くまで眠れなかったぐらいよ」
考えてみれば、姫様は起きて一番に私のところに来たわけですから、目を覚ましたのは私と同じぐらいの時間ってことですよね。
夜更かしした私と同じってことは、姫様も私と同じだけ目が冴えていたってこと。
つまりは同じぐらい好きってことで……ってこの同じぐらいってくだり、昨日もやった気がします。
でも、嬉しい物は嬉しいんで。
どうしましょうこれ、昨日から嬉しいことばっかりで、わざわざ駆け回らなくても体が勝手に浮き上がりそうなぐらいテンション上がっちゃってます。
姫様の前でみっともない姿は見せられないのに、耳がこんなに立ち上がってたんじゃバレバレに決まってるじゃないですか。
「けれど他の人から聞くと、一つ一つ確証を得て、愛情が世界から認められていくようで、また違った嬉しさがあるの。
もちろん二人の世界も大切にしたいけれど、私たちはこんなに素敵な恋をしてるぞー! って世界中のみんなに自慢したいし、私達の恋の成就をみんなに祝福して欲しいじゃない?」
「なんとなく、分かる気がします」
他人の評価なんて気にしてるつもりはありませんが、どうせなら好意的に迎えられたいですもんね。
それに、本人から”好き”って聞くよりは、他の人から聞かされたほうが信憑性がありますし。
「あー……あっつぅー……」
再び置いてけぼりにされたてゐが、わざとらしく襟元をパタパタさせながら言いました。
しまった、一瞬だけどてゐの存在を完全に忘れてた。
姫様もてゐの存在をすっかり忘却の彼方に追いやっていたようで、気まずそうな顔をしています。
「えっと……とりあえず、また後でお話しましょう」
「そうですね、今度は二人きりで」
姫様は私に軽く手を振ると、そそくさと自室へと戻っていってしまいました。
案外姫様は恥ずかしがり屋のようで、てゐが居る前でいちゃいちゃするのは本望ではないようです。
私も出来れば誰の目も無い方がいいかな、特にてゐの目の前だとからかわれてまともにコミュニケーション出来ないでしょうし。
「行っちゃったか」
「行かせたんでしょう」
「そうとも言うかな」
ついさっきまで悔しがっていたてゐはすっかり元の様子に戻り、去っていく姫様の方をじっと眺めています。
そして姫様が居なくなったことを確認すると、私の方を向き、両手を頭の後ろに回しながら喋り始めました。
「しっかしさ、鈴仙も相当変わってるよね」
「変わってる? 姫様は誰から見ても美しい人だと思うけどね、好きになるのは当たり前よ」
「そうじゃなくって、私はてっきり姫への想いはただの憧れなんだと思ってたよ。
まさか本当に告白して、つがいになっちゃうなんてさ」
つがいと言うほど深くつながったつもりはありませんが、要は恋人になったことを言っているのでしょう。
しかし変わっているとは、憧れと恋心は隣接した感情ですから、同時に抱いていたとしても妙な話では無いハズです。
「鈴仙は月が嫌になってはるばる逃げてきたわけじゃん?
それこそ命がけで、裏切り者の汚名を背負ってでも逃げ出したかった。
なのに、わざわざお姫様のつがいなんて面倒な役割を自分で背負い込むなんて、私にゃ正気とは思えないけどね」
「てゐにとっては、姫様の恋人って役割はそこまで重い物なんだ」
「違う?」
確かに、例えば同じ種族である兎相手なら、もっと気楽に関係を持てたかもしれません。
寿命についても悩まなかったろうし、師匠にどう話そうとか、余計な悩み事を背負う必要も無かったのでしょう。
でも――
「些細なことよね、それって」
要は、そういうことです。
てゐの言うとおり、同種族を恋人に選んだ時よりは多くの困難を背負うことになるのでしょう。
でも姫様と恋人になるって事実を天秤にかけた時、もう確認するまでもなく結果は出ちゃってるんですよ。
困難など所詮は有限でしかありません、対して愛情は無限、比べるまでもありません。
「わお、かっこいいこと言ってくれるね」
てゐは茶化し気味に、しかしほんの少しだけ本気で驚きながらそう言いました。
思えば、私自身にとってもそれは意外なことだったのかもしれません。
生まれ故郷である月を守るという役目に対してもそこまで夢中にはなれなかったし、ましてや命を賭けようだなんて思うことも無かったというのに、姫様一人にここまで心を奪われているのですから。
てゐの言うとおり、変わっている――いえ、変わってしまったのでしょう。
「重責が些細ねえ、よっぽど好きじゃないとそこまでは言えないよ。
憧れ程度だと思ってた私の目が節穴だったってことか、あーあ、まだまだ修行が足りないなあ」
「私程度も見破れないようじゃまだまだね」
「それ、自分で言ってて虚しくならない?」
「師匠や姫様、それに加えてあんたみたいなのを相手にしてるのよ?
自虐程度で虚しくなってたんじゃ生きていけないっての」
言っておきますが、相手が悪すぎるだけで、妖怪としての力だけなら私だって平均値よりずっと高い力を持ってるはずなんですよ。
……たぶん、ですが。
頭だって、世間一般の平均に比べれば悪くないはずなんです。
本来なら自虐なんて必要ないはずでした、同居人が彼女たちでさえなければ。
問題は能力だけではなく、彼女たちの性格にもあります。
誰も彼もがサディスティックな性格をしていて、必然的にカースト最下層に位置する私が虐げられることになるんです。
特に師匠は勘違いしてそうですが、私は決してマゾヒストではありませんし、虐められて喜んでるわけじゃありませんからね!
そこだけははっきりと宣言させてもらいます。
「なるほど、鈴仙がここまで強くなれたのは、私達のおかげってことだね」
「仮にそれが事実だとしても、口が裂けても感謝はしないけどね」
それを強さと呼ぶのなら、私は弱いままでいたかった。
おかげで姫様と恋人になれたって言うんなら、まあ受け入れないでもないですが。
「話が逸れちゃったね」
「軌道修正してもそんなに話すことは無いわよ」
「私はもう少し聞いてみたいかな、姫様とお付き合いするにあたっての鈴仙の覚悟とかさ」
「聞いてどうするのよ、言質にでもする?」
「後学のためだよ、悪いようには使わないから」
”自分にとっては”悪いようには使わないってだけとしか思えません。
どうせ数十年経って私が忘れた頃に、『鈴仙はこんなに恥ずかしいことを言ってたんだぞー』とか言いふらして、私を笑い者にするんでしょうね。
ふん、上等じゃあないですか。
だったら私は、今日の自分の言葉を恥じなくていいように、十年後も百年後も姫様のことを愛し続けてやりますよ。
今と同じに、いいや今以上に、あの頃の私はその程度だったのかって、逆に私が鼻で笑えるぐらいに強く、大きく。
「月並みな言葉になるけど、私は姫様のためなら命だって賭けられると思ってるわ」
「月のためには命を掛けられなかったのに?」
「比べるまでもないわね、冷たいと思うなら思ってくれて構わないわ。
けどね、事実なのよ。
姫様のために今すぐ死ねと言われたら死ねるし、姫様のために永遠に死ぬなと言われれば生き続けてみせる、一切の躊躇無しにね」
「熱いなあ、里心よりも恋心、か。
それ聞いたら、月の仲間たちが泣くよ?」
「その涙に姫様の涙の何万分の一の価値があるって言うのかしら」
それに、どうせ泣いてくれる仲間なんて居ないでしょうし。
いや、まあ一人か二人ぐらいは泣いてくれるのかな、でも月と地上の距離を埋められやしないじゃありませんか。
所詮私は脱走兵、裏切り者、今の私の居場所は姫様の隣しか無いのですから。
「だめだこりゃ、すっかり恋に狂っちゃってるね」
「悪くない気分よ、てゐも相手を探してみたら?」
「やめとく、私にゃそういうのは似合わないね」
ごもっとも、てゐが素直に恋をする姿なんて想像できません。
尤も、私と姫様が恋に溺れる姿というのも、実際にそうなるまで想像できなかったのですが。
案外、てゐもいざ恋をするとドハマりするタイプかもしれませんね。
「そういやさ、お師匠様にはこのこと話したの?」
急な話題転換、自分の恋愛事情はよっぽどてゐにとって都合の悪い話題だったのでしょうか。
てゐの弱みを握れそうなので追求したい所ですが、藪蛇を突くのも嫌なのでやめときましょう。
「姫様が自分で話すって言ってたわ」
「なるほど、それで……」
「何がなるほどなのよ」
「んー……実際に見たらすぐにわかると思うけど」
どのみち師匠との対話は避けられない壁になるとは気付いていましたが、そういう言い方をされるとさすがに怖気づいてしまいます。
いっそはっきりとどうなっていたのか話してくれたほうが……いや、聞いたら聞いたでそっちの方が怖い気もしますし、聞かないならそれもそれで恐ろしいですし。
……どっちにしたって怖いのに変わりはないんですよね、私にはどちらがマシか選ぶことしかできないと。
「知らないより知ってる方がマシだわ、聞かせてよ」
「鈴仙が望むような情報は持ってないんだけど、勝手にがっかりしないでよね。
朝見かけた時に、顎に手を当てて神妙な顔して、ずっと何かを考えこんでたんだよ。
すっかり自分の世界に入り込んで、私が挨拶しても全く気付かないほどさ」
てゐはふてくされたようにそう言いました。
なるほど、挨拶を無視されたのは姫様だけじゃなかったわけね。
朝だけで二回も挨拶を無視されるなんて可哀想だとは思いますが、普段の行いが悪いだけに相応の報いとしか言いようがありません。
ざまあみろ、と心のなかで二、三度大笑いしてやりました。
「でもこれで原因がはっきりした、要は鈴仙と姫様がつがいになった話を昨日の夜にでも姫から聞いたんだろうね」
「ということは――」
「十中八九、呼び出されるんじゃないかな」
そんな話をしていた矢先、何者かの足音が廊下の向こう側から聞こえてきました。
噂をすれば影がさすといいますが、まさか本当に現れるとは。
心の準備をする時間ぐらい与えて欲しいですよ、師匠。
「優曇華、ちょっと面を貸しなさい」
しかもそれ、ゴロツキが路地裏に女子を連れ込む時の台詞じゃないですか。
「鈴仙がんばれー」
「応援するならせめて少しだけでもそれっぽい顔しなさいよ!」
さっきの復讐と言わんばかりに、わざとらしくにたりと笑いながら煽ってくるてゐ。
少なくとも私にとって良い話じゃないのはわかりきってるわけですから、そりゃあもうてゐにとってはたまらなく楽しいシチュエーションでしょうね。
先ほどてゐが言っていた通り、師匠は何やら神妙な顔をしていて、怒っているのかすら判別できません。
師匠は私の返事を聞くよりも早く踵を返し、自分の部屋のある方へと戻っていきます。
問答無用でついてこいと、そういうわけですか。
傍若無人なのは今に始まったことではありませんが、今日の師匠からはいつも以上の不気味さを感じてしまいます。
はてさて、一体どんなお説教を受けるのやら。
見慣れた師匠の部屋へと入った私は、促されるままに椅子に座りました。
師匠はデスクの傍にある椅子に座り、位置関係はちょうど医者と診察を受ける患者と同じように。
これじゃ診察ってより、気分は尋問を受ける敗残兵って感じですけど。
いっそ先手を取って謝ってしまおうかとも思いましたが、そもそも私は悪いことはしていないのですから、謝る必要はありません。
姫様と愛し合うこと自体には何の問題もありませんし、私には非など無いのです。
そう、もしも師匠が私達が恋人になったことを糾弾すると言うのなら、私は真っ向から戦ってみせようじゃありませんか。
……出来る限り、ですけど。
いやだって相手が悪すぎるんですもん。
「はい、これ」
椅子に掛けて最初に言われたのはそんな一言で、同時に私の手のひらには薬包紙に入った粉薬がのせられました。
はい、と言われましても私にはこの薬が何なのか全く知らされておらず、もちろん師匠と違って見ただけで判別するほぼ超能力に近い力は持っていません。
となると、師匠は私が情況証拠からこの薬が何なのか、答えを導き出せるだろうと判断して渡したのでしょう。
しかし師匠は無言のプレッシャーを私にかけてきて、今すぐにでも飲まないと潰すと言わんばかりの、殺意の篭った視線を私に向けています。
考える間もなく、私には飲む以外の選択肢はないのでは。
けど、何の薬かもわからずに師匠の薬をいきなり飲むのはあまりにリスクが高すぎるし、これはさすがに……。
「あの、師匠」
「あら飲めないの? 飲めないのならそれでも構わないけれど」
「いえ、そういうわけではないんですが、これは一体」
「だったら躊躇してないで早く飲みなさい、ほら」
「し、師匠?」
いつもより強引な、というかどこか子供じみた様子で薬の服用を私に強要してきます。
はっきりしているのは、これが碌な薬じゃないってことです。
今の師匠はどこからどう見ても冷静じゃありません、姫様が私を選んだという事実はそれほどまでに師匠にとってショッキングな出来事だったのでしょうか。
だとすれば、これは毒薬?
いや、師匠が姫様の悲しむようなことをするとは思えません、私が傷つけば姫様が心を痛めることぐらい、容易に想像できるはずなんです。
したがって、師匠は何があっても私に危害を加えることは許されません。
だったら、この薬は――
思考の間にも師匠から発せられる殺気から逃げ場を失った私は、時間稼ぎをするように薬包紙の包みを少しずつ少しずつ開いていきます。
師匠は私を傷つけられない。
しかし師匠は、おそらく私を傷つけたいのです。
師匠の今の表情をストレートに受け取るとするのなら、姫様を奪った下賤の輩をこらしめたいと、そう考えているように思えました。
少なくとも弟子に向ける顔じゃありません。
だとすれば、私を傷つけず苦しめる方法なんて、ひとつしかありません。
いや、師匠ならそういった手段をいくつか持っているかもしれませんが、私の思いつく方法は一つしか無かったのです。
ならば、何もためらうことなんてありません。
ですが一つだけ、どうしても私だけでは解決できない問題がありました。
「やっぱり飲めないのね」
「いや、と言うか……」
「言い訳は聞きたくないわ、あなたがどういう覚悟で輝夜と想いを通じ合わせたのか、よくわかったから。
あえて薬の正体を明かさずにいたけれど、その薬が何なのか、察しの悪いあなたでもとっくに気付いているはずよね」
「蓬莱の薬、ですか」
そう、私に渡されたのはおそらく本物の蓬莱の薬。
私がどれだけ頼み込んでも絶対に見せてくれなかった、師匠の功績であり罪でもある、何もかもの元凶。
わかってるんですよ、要するに師匠はこれを飲むことで、姫様の人生を背負う覚悟を見せてみろと、そう言いたかったのでしょう。
師匠は過保護な人ですから、いわば結婚相手の父親みたいなポジションで、うちの娘はお前にはやれんと言った心境なのだと思います。
理解できます、把握もしました、そして覚悟も済ませています。
いいでしょう、飲みましょう、飲んでやろうじゃないですか、それで姫様の永遠分の愛情を受け取れるっていうんなら、容易く飲み込んでみせましょう。
でも、ですよ。
「その程度の覚悟では、あの子の人生は預けられない」
「ですから、私の話聞いてくだ」
「嫌よ言い訳なんて聞きたくないわ。
そんな無責任さで、どうして輝夜のことを支えられると思ったの?」
うわあ、この人いつもにも増して面倒くさいぞお。
元から私の話を聞いてくれる人じゃありませんでしたが、今日は輪にかけて酷いです。
完全に自分の世界に入り込んで、出題から結論まで全て自己完結しちゃってます。
仮に私が豪快にこの薬を飲み干したとしても、これじゃあ許してくれるか怪しいものですよ、何かと文句をつけてさらなる条件を要求してくるかもしれませんから。
勢いに任せて飲まなくてよかったのかもしれません。
まあ、今のままじゃそもそも飲めないんですけどね。
「師匠」
「永遠ってのはそんなに簡単な物じゃないわ」
「師匠!」
「とても重い物なの、辛いものなの、それを一時の恋心でどうにかしようなんてっ」
「……あの、だから」
「甘いわ、甘すぎる、師匠として恥ずかしいわ、どうしてこんな考えの浅い弟子に育ってしまったのか……。
少しでもあなたに見込みがあると思ったのが間違いだったのね、一時の感情に流されて過ちを犯すなんて、所詮あなたは獣畜生でしか無かったのよ!」
「……」
ああ、もういいや。
イライラはとっくに最高潮で、相手が師匠だろうが我慢できる限界を超えています。
言ってやりましょうよ、ええ、好き勝手言われたんなら好き勝手言ってやるしかないんですから、言ってやろうじゃありませんか。
この際上下関係なんて関係なしです。
人の話も聞かないで、気持ちも知らず、聞かず、言いたい放題ボロクソ言ってくれて――!
「八意永琳ッ、話を聞けええええええええぇぇぇぇぇぇっ!」
勢いに任せて立ち上がり、永遠亭全体に響くほどの大声で私は叫びました。
初めてですよ、師匠のことを呼び捨てで読んだの。
いつもの師匠相手なら、呼び捨てで呼ぼうものならこっぴどく叱られて、その後のお仕置きで私は一週間は寝こむことになるでしょう。
もはや、お仕置きと呼ぶより拷問と呼んだほうが相応しいのかもしれません。
想像するだけで体が震えます。
それほどまでに恐れていたはずなのに、不思議と今の私には一切の恐怖はありませんでした。
「……うどん、げ?」
だって師匠ったら、ぽかんとした間抜けな顔で私を見上げてるんですもん。
いつもの聡明な師匠なんて跡形もありません。
そんな顔を見て怯えるわけがないんです、恐怖どころか、むしろ下克上を成し遂げた満足感で気分が高揚するほどで。
でも、これで満足してちゃあ駄目なんですよね、実に下らない本題はこれからなんですから。
どうして私が薬を飲まなかったのか、その理由を師匠にも分かるように説明してやろうじゃありませんか。
「はぁ……はぁ……い、いいですか師匠っ、あなたは人の話も聞かずに好き勝手言ってましたけどね、飲めって言うんなら私だって飲みますよ!
姫様のためだって言うんなら、それが師匠が許してくれるんなら、それはもう簡単に飲めちゃいます、不老不死だろうが永遠だろうがなんだって来やがれってもんですよ。
私だって生半可な覚悟で告白したつもりはありませんから!
ええ、飲んでやりますとも! こんな物一口で……そう、飲めるもんなら」
師匠の眼前に薬を突き付け、私は強く主張します。
考えても見てください、これ、粉薬なんですよ。
私に渡されたのは粉薬を包んだ薬包紙のみ、しかもオブラートもなければカプセルに入っているわけでもないんです。
「ねえ師匠、これでどうやって飲めって言うんです!?」
「それは……」
普段の師匠なら一目で気付くはずですよ。
それをじっと見て考えこんで、これが何よりも師匠が冷静じゃない証拠です。
「……あっ」
「そうです、そうですよ!」
どうやら師匠はようやく気付いたようです。
単純な話なんですよ。
医者じゃなくても、ただの人間でも、すぐに気付く致命的な欠落。
ねえ師匠――粉薬を、どうやって水も無しに飲めと言うのですか?
「私は最初から水をくれって言いたかったんです、それを遮って、私の話も聞かずにペラペラと自分のことばかり!
人の話はよく聞くようにって、こんな子供みたいなこと弟子に指摘されるなんて恥ずかしくないんですか!?
事が事ですから、師匠の気持ちもわからないでもないですが、それでもあんまりですよ!」
ほら下らないでしょう、笑えないぐらい下らないでしょう、でも言わせなかったのは師匠ですからね。
むしろ下らないからこそ私は怒ったんですよ、勝手に独りよがりに私の気持ちを否定してくれちゃって、それが条件だって言うんなら蓬莱の薬だろうが何だろうが飲んでやるっての。
水無しでも飲める人はいるかもしれません、でも私は無理です。絶対にむせます。
薬が胃まで到達しない可能性だってありますし、肺に入り込むと肺炎の恐れもあって結構危ないんですよ。
蓬莱の薬がどういった形で私の体に不老不死を与えるのか想像もつきません、ひょっとすると口に含んだだけで不思議パワーで不老不死を得られる薬なのかもしれませんが、師匠の反応を見る限りそれは無さそうです。
そもそも蓬莱の薬って粉薬でしたっけ……確か壺に入ってたはずですよね、わざわざ飲みやすいように粉末にしてくれたんでしょうか。
そこで気を使うなら水ぐらい用意して欲しかったです、師匠。
まあ、師匠は姫様に対してかなり過保護でしたから、そんな姫様が急に弟子と恋人になったなんて聞いたら、混乱してしまうのも仕方無いことなのかもしれません。
師匠に一言も相談せずに告白してしまったことに関しては、私にも非があるのでしょう。
ですが、だからといってこんな理不尽はあんまりです。
「なんてこと……私としたことが、冷静さを失っていたみたいだわ」
ため息吐きたいのはこっちですよ、まったく。
俯きながら額に手を当て、大きく息を吐く師匠はようやく普段の聡明さを取り戻しつつあるように見えました。
これなら、まともに話も出来るかもしれません。
「姫様から聞いたんですよね、私とのことを」
「ええ、惚気話をたっぷりとね、おかげで今日は朝から酷い目眩だったわ」
「そこまでですか……」
「そうよ、そこまでよ、そこまでなのよ!?
信じられるわけがないわ、あの可愛い可愛い輝夜が、よりによってこの優曇華と懇ろな間柄になるなんて!」
てゐの”つがい”と言い、師匠の”懇ろ”と言い、どうしてうちの住人は微妙に聞こえの悪い言葉を使うのでしょう。
言っておきますが私達、まだ肉体関係どころかキスすらしてませんからね。
しかも”よりによって”だの”この”だの、私を何だと思ってるんですか。
私だって恋ぐらいしますよ。
それに姫様が惚れてくれるぐらいなんですから、それなりに魅力はあるってことですよね。
ってことは私、自信持ってもいいんはずなんですよ、なのにこんな言われ方されたら自虐的にもなるってもんです。
「その薬、返してもらってもいいかしら」
「飲まないと認めてくれないんじゃないですか?」
「私が認めなかった所で、輝夜があなたを愛している以上はどうしようもないじゃない。
それに昨日の今日でこんな薬を飲ませるわけがないわ、千年経っても輝夜のことを愛していたら、その時に考えなさい」
そう言うと、師匠は私の手から薬をひょいと取り上げてしまいました。
少し残念なような。
さっきと言ってることが正反対ですしね、それだけ我を失ってたってことなんでしょうけど。
でも、今の言い方だと、千年後になら考えてもいいってことですよね。
千年なんて、姫様と二人ならきっとあっという間です、抱き合ってキスとか色んなことしてたら一瞬ですよ。
ただ師匠からしてみれば、私が何を言った所で”口でならどうとでも言える”としか思えないでしょうから、自信があるなら実行してみろと、そういう師匠からの挑戦状として受け取っておきます。
「限りある生命でなければ、あの子の心に傷跡は残せない」
「……急にポエムですか?」
電波でも受信したんでしょうか、まともな精神状態とは思えません。
まだショックから抜け出せてないんですかね。
「違うわよ、どうして私がこんなにも冷静さを欠いてしまったのか、その理由を言っただけよ。
たぶん私は、妬んでいたのでしょうね。
私にはどう足掻いても手に入れられない物――”死”を持つあなたが羨ましくて仕方なかった、だから嫉妬で感情を制御できなくなってしまった」
「私、まだまだ死ぬつもりはありませんよ」
「けれど死の可能性がある、ただそれだけで輝夜の心を揺さぶることが出来る。
絶対に消えない物より、いつか消えてしまう物を愛おしく思うのは当然のことだもの」
さっき姫様が泣いてたのも、たしかそんな理由でしたね。
だとすれば、私は余計に永遠の命が欲しくなります。
姫様の心を不安にするぐらいなら、有限の命なんて簡単に捨ててやりますよ。
それに、私を好きになった理由が”死ぬかもしれないから”なんて、そんなの嫌に決まってます。
私自身を好きになってほしい、そうじゃなきゃ恋とは呼べません。
「不安があるから心安らぐ瞬間が存在するの、揺らがない感情はただの無でしかない。
死なない私は、あの子に不安を与えることすら出来なかった。
天才なんて呼ばれてる私がどんなに頭を捻っても、有限の命を持つ優曇華には及ばなかった」
「姫様にとって師匠は家族みたいなものじゃないですか、わざわざ頭を使わなくても、姫様にとって師匠は大切な人ですよ」
一番や二番なんて関係なしに、私だって師匠のポジションが羨ましいと思いますから。
恋人にはなれても、家族にはなれませんからね。
「嬉しい言葉ね。
けど、あなたに敵わないという事実は変わらないわ。
何よりも現実がそれを証明してるじゃない、私から輝夜を奪ったのはどこの誰だったかしら?」
師匠は、たぶん姫様と恋をしたかったわけではないのだと思います。
ただ一番大事な人でありたかった、誰よりも優先される存在でありたかった、そんな独占欲を満たしたかっただけの話。
今まではその場所に自分が立っていました、二人は私が生まれるより前から一緒に居たのですから、その場所が誰かに奪われるなんて想像すらしていなかったのでしょう。
しかし、師匠が最も恐れていたであろうその瞬間は、何の前触れもなくやってきてしまった。
実際の順序付けなんて姫様にしかわかりません、実は今だって私より師匠の方を大事に思っているかもしれませんし。
でも重要なのは姫様がどう思っているかではありません、師匠が私の方が上だと、そう認識してしまったという事実なのです。
「ああ……ごめんなさい、これじゃまるで八つ当たりよね、今日の私はてんで駄目だわ、まるで使い物にならない」
師匠は頭を抱えながら、自分を諌めるように顔を伏せました。
「優曇華は何も悪くないのに。
選ぶのは輝夜で、もう答えは出てるのよ。
それでも納得出来ないなんて、これじゃまるで駄々をこねる子供ね」
「それもそれで、人間らしい感情だと思いますよ」
人間離れした師匠相手にこの言葉がフォローになるかはわかりませんが。
「似合わないでしょう?」
「感情に似合うも似合わないもありませんよ、たまにはらしくなくてもいいんじゃないですか」
「……優曇華に励まされるなんて、ますます自信が無くなってきたわ」
「師匠、実は意外と余裕ありますよね?」
師匠らしいと言えばらしいんですが、これならさっきまでのしょんぼり師匠の方が良かったです。
何度もいいますが、私は決してマゾヒストじゃないんです、、虐げられて悦んでるわけじゃないんですってば。
折角励ましたんですから、今ぐらいは素直にお礼を言ってくれたっていいじゃないですか。
私だって下心から励ましたわけじゃないんですから。
「ま、なんにせよ結果はもう変わらないんですもの、輝夜があなたを選んだ以上は、どうやったら二人が幸せになれるかを考えていくしかないわね」
「応援してくれるんですか?」
「しないと姫が悲しむじゃない」
あくまで姫様が第一なんですね、わかってましたけど。
知ってますよ、私なんてどーせただの実験動物なんです、姫様に比べれば塵芥みたいなものなんです。
「昨日の話を聞いて、輝夜がどれだけ本気なのか十分に理解したわ。
私が説得した所で引き裂くことなんてできるはずもない、不可能ではないでしょうけどあの子を悲しませることになってしまう、だったら私のやることはひとつよ。
もちろん、あなたがあの子を幸せにするために尽力することが前提だけどね」
「そんなの言われなくたってそうするつもりです」
他人に言われるまでもなく、私は自分の命をそのために使うと誓ったのですから。
「だったら問題無いわ」
良かった、絶対に許さないって言われたらどうしようかと心配してましたから、師匠が応援してくれるんなら百人力ですよ。
私が安心して胸をなでおろしていると、すぐに師匠は一言付け加えました。
「ただし――輝夜を泣かせたりしたら絶対に許さないから、それだけは理解しておいてね?」
とびきり意地悪に笑いながらそう言うものですから、私は思わず体をぶるっと震わせてしまいます。
しかも、表面上は笑っているように見えるのですが、目だけは完全に笑っていません。
と言うかこの師匠から発せられるピリピリとした感じ、これ殺気ですよね。殺す時の目ですよねそれ。
私、姫様から想われてなかったら今すぐにでも殺されるんじゃないかな……。
蛇に睨まれた蛙の気持ちが痛いほどわかります。
一筋縄では行かない人なのは身を持って体験してきましたが、これって本当に応援してくれてるんですかね?
どうやらまだ、手放しで喜ぶには早過ぎる状況のようで。
私のこめかみを冷や汗がつぅと流れて行きました。
どうして私の周囲には素直に祝福してくれる人が一人もいないんでしょう、泣きたくなってきますよ。
私としては、師匠との話が終わったらすぐにでも姫様と二人きりになりたかったのですが、そうは問屋が卸してくれません。
師匠ったら、応援してくれると言ったくせに面倒事ばっかり押し付けてくれちゃって。
結局、私は師匠に命じられるままに人里まで用事を済ませに行かなければならなくなり、寂しそうに私を見送る姫様の視線を背中に受けて、罪悪感の中、永遠亭を離れなければなりませんでした。
私が師匠の命令に逆らえるわけがありませんからね、姫様が拗ねずに、むしろ私の境遇を憂いてくれたのは不幸中の幸いでした。
一応、永遠亭を発つ前にほんの少しの間だけ姫様とお話したのですが、手を繋いで見つめ合ったからって、それだけで満足できる恋心ではないのです。
もちろん、幸せな時間ではありましたが。
師匠の用事を済ませ、永遠亭に戻れたのは日も傾き始めた夕方のこと。
すぐにでも姫様の部屋で二人きりになってやろうと意気込んでいたのですが、私が帰ってくる頃には夕食の準備もかなり進んでいて、どうやらさらにお預けになりそうな雰囲気でした。
迎えてくれた姫様は不満そうな顔をしています。
ですが私を責めたりはせず、なぜか背中から抱きついてきて、ぐりぐりと額を押し付けてくるだけでした。
姫様なりの不満アピールなのでしょうか、そんな可愛らしい事されても私に出来ることなんて愛情表現ぐらいしかありませんよ。
私だって自分が悪いと思っているわけではありませんが、さすがにここまでタイミングが悪いと、姫様に対して申し訳ない気持ちが湧き上がってきます。
会えなかった時間を埋められるような、心の篭ったお詫びをしたい――ここで私のポケットから登場するのがこちら、シルバーのティアドロップネックレス。
どうしてこんな物を持っているのかと言うと、人里で半ば押し付けるように買わされてしまったのです。
うっかり耳が見えてしまったのが運の尽き、買わなかったら妖怪だってバラすって言うんですよ、あー人間怖い。
ですが物自体はそう悪いものでは無いようで、値段も本物の銀を使っているのなら相応なのでしょう。
勢いでポケットから取り出してしまったものの、果たしてこんなハイカラなアクセサリーを、いかにも和風なファッションを好む姫様が気に入ってくれるかどうか。
それに、まず姫様相手にアクセサリーを買ってくること自体が間違ってるんじゃないかとも思うんですよね、だって姫様って、私がいくら身売りしても買えないようなお宝いっぱい持ってるじゃないですか。
……いや、渡す前から自信を失くしてちゃ駄目ですよね、値段は大した問題じゃありません、大切なのは気持ちなんですよ。
そう、気持ちが大事、気持ちさえあればどうにかなる、頑張れ頑張れ! と自分を勇気づけつつ、私は姫様の手にそっとプレゼントを握らせました。
姫様は金属の冷たい感触に気付くと背中から額を離し、ネックレスを肩口あたりまで持ち上げます。
どうやら肩越しに何を握らされたのか確認しているようです。
本来なら振り返って姫様の反応を見るべきなのでしょうが、怖くて見られませんでした。
なんだかんだ言ってもやっぱり自信は無いんです、姫様に似合うネックレスなんて私のセンスで選べると思えませんから。
ただ、もう不安で涙を流さないで欲しいと、そう思ったからあのネックレスを選びました。
その気持ちだけは本物なんです、それを姫様が汲み取ってくれれば、あるいは、万が一にでも。
「……」
背中を向けたままで何らかの反応を待っていたのですが、待てども待てども姫様は一言も言葉を発せず。
しばらく待っていると、なぜか再び私の背中に顔を埋めてしまいました。
拗ねてるんですかね。
やっぱり、こんな物じゃ満足出来なかったのでしょうか。
「姫様?」
不安に駆られた私は、恐る恐る呼びかけましたが反応ナシ。
こんなタイミングでプレゼントを渡した私も悪いのですが、夕食の準備はこうしている間も着々と進んでいるのです、あんまり時間をかけていると、てゐか師匠が見に来てしまうと思うのですが。
「ずるいわ」
待ちに待った姫様の第一声は、そんな言葉でした。
私、何かずるいことなんてしましたっけ?
「こんなことされたら、もっと好きになってしまうに決まってるじゃない」
そう言うと、姫様はさらに強く、痛いぐらいに私の体を抱きしめました。
その力は私が苦しくなるほどで、どこか八つ当たりをしているようでもあります。
しかしそれ以上に苦しいのは私の胸の方で。
そんな、”もっと好きになる”なんて言われたら、私のほうがもっと好きになっちゃいます。
「しばらくこのままで居なさい」
「でも夕食が」
「あなたに拒否権は無いの、これは私からの命令よ。
それに……大丈夫よ、少しぐらいなら永琳だって大目に見てくれるわ」
確かに、師匠が姫様を咎めることはないでしょうね。
……私がどうなるかは知りませんが。
「せっかくですし、前から抱き合っちゃダメですか?」
抱きついてもらえるのは嬉しいのですが、せっかくだったら互いにハグしたいじゃないですか。
「だめ」
「そう言わずに」
「だーめ」
「どうしても姫様の顔が見たいんです」
「っ……そうやってまた誑かすんだから」
誑かすとは人聞きの悪い、素直に自分の気持ちを伝えてるだけですよ。
「おかげで変な顔になってしまったわ、だから余計にダメ。
これは鈴仙のせいよ、だから大人しく言うことを聞きなさい」
「はあ」
姫様の変顔は是非とも記憶に収めておきたいのですが。
とはいえ姫様の機嫌を損ねては元も子もありませんから、今日は我慢しておくことにしましょう。
「甘く見ていたわ、もっと初心で不器用な子だと思っていたのに」
プレゼント自体は喜んでくれているはずなのですが、姫様の口調はなぜだかご機嫌斜めな雰囲気。
顔が見えないのではっきりとは言い切れませんが、なぜか拗ねているように感じられます。
どうしてこうも永遠亭の住人は素直じゃない人ばかりなんでしょう、姫様の場合はそれが可愛いので許しちゃいますが。
「案外、狡猾なのね」
「私はただ必死で……さっきのプレゼントだって私のセンスで選んだ物ですから、姫様が喜んでくれるか不安でたまらなかったんですよ」
「むしろそっちの方が困るわ。
いっそ狙ってくれれば私だって対処のしようがあるのに」
「対処しないでください、私は姫様に喜んでもらいたいだけなんです」
「だからそれが困るって言っているのよ!」
何がどう困るのか言ってくれないと、私も対処しようがありません。
それとも言わずともわかるだろうと、私を試しているのでしょうか。
それはとんだ難問ですよ、無茶にも程があります。
しかし姫様は、過去に五人の男性にお付きあいする条件としてとんでもない難問を出したそうではありませんか。
つまり、すでに付き合ってる私に対して難問が突き付けられるのは仕方のないことなのかもしれません。
いいでしょう、この鈴仙が見事にその解を導き出してみせようじゃありませんか。
「姫様は、今の顔を見せたくないんですか?」
「見せたくないってわけじゃ……」
「泣き顔は見せてくれたじゃありませんか」
「あれはっ……その、不可抗力よ、見せたくて見せたわけではないの。
今だってそうよ、鈴仙が余計なことをしなければ顔を隠す必要は無かったんだから」
結局見せたくないんじゃないですか。
要するに、普段は見せない表情をしている自分の顔を見せたくないと言うことなんでしょう。
しかし隠されると余計に見たくなるといいますか、私は姫様を幸せにしたいわけですから、おそらく今の姫様の表情こそ私が求めている物だと思うのです。
「姫様、言っておきますが私、これから先も今日みたいなこと続けるつもりですから。
恥ずかしげもなく、自分の気持ちをありったけの言葉と行動で姫様に伝え続けます」
「今日だけじゃないってこと?」
「千年先も姫様の隣に寄り添ってるつもりですよ」
何なら万年先だって、それ以上だって、胸を張って宣言できます。
「千年後も今日と同じようにしてくれるの?」
「千年分想いが強くなってるんです、今日どころじゃ済みません」
「……それってつまり、遠回しに表情を隠したって無駄だと言っているのよね」
伝わったようで幸いです。
今日より明日の方が、明日より明後日の方が、より強く姫様のことを想っているのですから、想いの表現は日々エスカレートしていくしかないんです。
なのに、姫様は毎度私の背中に抱きついて、顔を隠し続けるっていうんですか?
姫様が喜んでくれればそれでいいんです、でもどうせなら姫様の喜んでいる顔を網膜に焼き付けたいと、恋人としてそう願うのはおかしなことではないはずですよね。
「ああ、なんて嘆かわしい。
こうやって、少しずつ垣根は壊されていくのね。
でも……きっと、それが恋をして、あなたを受け入れるってことなんだわ」
私はとっくに姫様に染められていましたから、姫様が望むのなら何もかもを受け入れる準備はできています。
しかし姫様が望んでくれるようになるためには、私が姫様の心を染めるしかないのです。
こうして少しずつ、今までタブーだった壁を壊して、侵食して、私という存在を姫様に流し込んでいく。
……いえ、決して卑猥なことを想像しているわけではないのですが。
「あなたを受け入れて塗りつぶされる瞬間の、この抵抗感すらもいずれ消えてしまうほど夢中になってしまうのかしら。
恋は素敵な物だけれど、さすがにそれは少し怖いわね、私が私で無くなってしまうようで」
まだ恋に慣れない私たちですから、一つ一つの行為に抵抗感があるのは仕方のないことなのでしょう。
ですが姫様がそれを望まなかったとしても、そのうち姫様が自分から求めるようになるほどに好きにさせてみせますから。
「姫様がそうなってくれるよう頑張りますね」
「頑張らなくていいの!
地上に居る今でも私は姫なのよ、相応しい立ち居振る舞いって物があるの」
それは割と今更だと思うんですが、世のお姫様たちは夜な夜な殺し合いなんてしませんし。
「鈴仙相手だったらある程度は許していいとは思うけれど、それでも私が色恋沙汰に溺れて我を忘れるなんてこと――」
姫様が互いに適度な距離を保った恋をしたいと望んでいるのなら、それでもいいのでしょう。
ですが姫様、私の理想はその程度では満足しないのですよ。
情熱が、一歩間の距離を”まどろっこしい!”と拒むのです。
考えても見て下さいよ、恋を許し、体を許し、しかし溺れず威厳を保ちたいなどと、そのような都合の良い恋、私が許すとお思いですか?
「私が好きなのは蓬莱山輝夜という女性です、姫がどうとか関係ありません。
私はあなたに溺れたい、あなたを私に溺れさせたい、我を忘れて求め合いたい、そう望んでいます」
「ま、またそういうっ」
姫様の体温がまた一段と熱くのなるのが背中越しにわかりました。
なんとなくですが、姫様がどんな顔をしているのか、私には想像がついているのです。
師匠に察しが悪いと称される私ですら想像できるぐらいなんですよ、そもそもこれで隠せる気になってる時点で姫様の理論は破綻してるんです。
いつもの姫様だったらそれぐらいとっくに気付いているでしょうに。
「あれ、姫様ったらまた変な顔になっちゃいました?」
「……っ、あんまりからかわないでよ」
悪意は無かったのですが、ついついからかうような口調になってしまいました。
これも姫様の言動が可愛すぎるのが悪いんですよ。
しかし私の言葉は姫様は怒らせてしまったらしく、私に抱きついていた腕を離すと、二、三歩ほど私から距離を取ります。
愛しき感触が無くなった寂しさに思わず振り向いてしまった私でしたが、幸いと言うべきか不幸にもと言うべきか、姫様は俯いておりその表情を見ることはできませんでした。
「すぅぅ……はぁぁ……」
離れた勢いでそのまま逃げられてしまうのかと思っていたのですが、姫様はそこで立ち止まると、何故か大きな深呼吸を繰り返しました。
どうやら気合を入れているようで、深呼吸を止めると小さく「よしっ」と掛け声をかけます。
「あ、すいません姫様、さすがに今の軽薄すぎました、決して悪意があったわけではっ」
掛け声を聞いて嫌な予感がした私は慌てて弁明しましたが、姫様の耳までは届いていないようです。
気合を入れた姫様が拳を握ると同時、次の瞬間の衝撃を予見した私は思わず目を閉じます。
ですがそれが良くありませんでした、だって目を瞑ったらいつ殴られるかわからないじゃありませんか。
鋭敏になった聴覚に、一歩、二歩と静かな足音が聞こえてきます。
視覚で認識する以上の恐怖に、私は思わず体をぶるりと震わせました。
「どうして目を瞑るのよ、こっちを見なさい、怒ってないから」
「ほ、本当ですか? ぶったりしませんか?」
「恋人の言うことを信じてくれないのかしら」
卑怯ですよそれは、逆らえるわけがないじゃありませんか。
私は恐る恐る目を開きます。
待つのは修羅か般若か――虐げられ続けた私の性根は、姫様の言葉を聞いてもなお信用できずにいたのですが、私を待っていたのは悪鬼の類ではなく、それとは真逆の女神なのでした。
そう、そこには、私がしつこく見たがっていた、念願の姫様の赤面した顔があったのです。
「……何か、言いなさいよ」
何かと言われても、浮かぶ言葉なんてそう多くはありません。
過ぎた装飾はむしろ無粋ですから。
単純に、純粋に、思ったことを言葉にするのが最も相応しい評価だと思いました。
「姫様、可愛いです」
「そ、そういうことじゃなくって!」
他にどう言えと。
「姫様、綺麗です」
「だからそういうお世辞じゃなく!」
そう言われましても、他に言いようが無いのですが。
まず前提として、姫様は自分の容姿がどれほど私に対して凶器足りうるか、その価値をわかっていないんです。
怒った素振りを見せるくせに頬は緩んでいて、表情の端々に時折見せる喜びを隠しきれておらず、こんなの可愛い以外に言いようがないじゃありませんか。
深い瑠璃色の眼は私を睨みつけているくせに微妙に潤んでいて、こんなの綺麗以外に表現のしようがないじゃありませんか。
ただ立っているだけで絵になる姫様にそんな感情のスパイスを加えたら、魅力のメーターなんて容易に振りきってしまうに決まってます。
「いっそ笑ってよ、じゃなきゃ恥ずかしすぎて死んでしまうわ」
笑えるもんですか、私は今にも暴走しそうな感情を抑えるので精一杯なんですから。
笑顔なんて物を自在に出せるほど精神的に余裕は無いんです。
私は無言のまま姫様を見つめ、姫様も何かを堪えるように下唇を噛みながら、真っ赤な顔のまま私の方を睨みつけています。
なんですかこれ、にらめっこですか?
こんなにもアンフェアなにらめっこがかつてあったでしょうか、卑怯ですよ姫さま、こんなの私が勝てるわけありません。
「な、なんでそっちまで赤くなってるのよお!」
「だって、姫様がこんなにも可愛いんですよ!? 仕方ないじゃないですかっ!」
「そういうわざとらしいお世辞をやめてって言ってるの!」
「私は本気で思ってるんです!」
「わかったわ、百歩譲って鈴仙が本気でそう思っているとしましょう。
それでも構わないわ、けれど言葉にするのをやめて欲しいの」
「どうしてです?」
「言われる度に私の心がかき乱されて、色んな物が崩れてしまうのよ。
私が、私でいられなくなるっていうか、垣根を壊すにしても急すぎるの」
姫様は姫様です、それは崩れているわけではなく、殻を剥いでるだけだと思うのですが。
「自分でも知らない自分を誰かに見せるなんて怖すぎるわ。
相手が鈴仙だからなおさらよ。
私、あなたにだけは嫌われたくないのよ、だからお願い」
私の見たことのない、どんな姫様でも絶対に愛してみせると誓っても、きっと姫様は納得してくれないんでしょうね。
私が”大丈夫”と言っても中々安心できない、そんな人なんでしょう。
まだ付き合い始めて一日目ですから、手放しで信頼されるほどの関係は築けていません。
いずれ、とは思いますが今の姫様にそこまで求めるのは無茶ってものでしょう。
だったら違うアプローチで姫様に訴えかけてみましょうか。
あまりやりたくはありませんが、姫様の都合ではなく、私の都合を押し付ける形で。
「どんなに姫様に拒まれても、そればかりは聞けないお願いです」
「なっ、どうしてよ、あなたが我慢したらいいだけじゃない!」
恋人になっても私たちは月人と玉兎、その上下関係が完全に無くなったわけではありません、
その驚きぶりを見る限り、姫様は私が命令に背くなんて全く考えていなかったのでしょう。
「簡単に言ってくれますが、私だって姫様を困らせるのは本意ではありません、できるなら最初からそうしています」
私にだって羞恥心はあるんです。
恥ずかしいことを言っている自覚はありますよ、姫様以外には絶対に言えない言葉ばかりです。
それでも言ってしまうのには、相応の理由があるということです。
「ねえ姫様、今の私が何を考えているのかわかりますか?」
「私を説得したい?」
「いいえ、姫様に触れたいと思っています」
「へっ?」
姫様の顔がまた一段と赤くなりました。
このままどこまで赤くなるんでしょう、最終的にはゆでダコみたいになっちゃうんですかね。
「姫様を抱きしめたい、姫様の唇を奪いたい、いっそ姫様を抱き上げて私の部屋まで連れ去って押し倒して、体中を弄んでしまいたい。
そんなことばかり考えているんです」
「待ちなさいっ、確かに楽しみとは言ったけれど、まだそれは早いんじゃ……」
「わかってますよ、私だって少しずつ姫様の距離を縮めたいと思っているんです。
けど膨れ上がる欲がそれを許してくれない。
彼らは今すぐにでも姫様の全てを私の物にしたいって、私の中で強く叫び続けているんです。
他の方法で発散しなければ、すぐに溢れ出てしまうほどに」
私の意図がこれで姫様に伝われば良いのですが。
「脅迫よね、それ」
「違いますよ、ただの現状認識です」
「はぁ……つまり、仕方ないことだって言いたいのね」
「はい、てっきり私とお付き合いを決めた時点で覚悟した物だと思っていました」
私、最初にきっちり宣言したはずですよね。
想った分だけ求めて、触れて、抱きしめるって。
急なスキンシップで姫様を驚かせてはいけないと思って、今は手加減して言葉だけで済ませているというのに。
なのに姫様の方から抱きついてきて、私がどれだけ必死に耐えてると思ってるんですか。
でも、これから先も今と同じってわけじゃありませんよ、姫様が慣れてきたら少しずつエスカレートさせていくつもりですから。
それこそ、てゐや師匠が呆れてしまうぐらいに。
「私、あなたの気持ちを少し甘く見てたみたいだわ。
思えば鈴仙にリップサービスなんて器用な真似できるはずがないものね、全部言葉通りだったのよ」
少し馬鹿にされてる気もしますが、概ね姫様の言うとおりです。
「私、姫様の前では事実しか話しませんから」
「嬉しい言葉のはずなのに、今は少しだけ怖いわ」
愛が重すぎるってやつですかね。
てゐも似たようなことを言っていましたが、世間一般と比べて自分が特別だと思ったことはありませんけどね。
姫様もてゐも恋に夢中になったことが無いから知らないんだけなんですよ。
もっとも、姫様は今から夢中になってしまうわけですが。
私、そうなるように頑張っちゃいますからね。
「……わかった、無駄な抵抗はもうやめにしましょう。
あなたの言葉も、行動も、想いも、全部素直に受け止めることにするわ」
「そうして頂けると助かります、姫様の顔が幸せそうにとろけるところ、ずっと見ていたいぐらいですから」
「と、とろけてた? そこまで?」
「はい、見てるこっちが幸せになるぐらいゆるゆるになってましたよ。
姫様のあの顔見てると、私までとろけちゃいます」
表情だけじゃなく頭の中まで蕩けてしまって、思考なんて意味を成さなくなるんです。
愛おしさだけしか認識できなくなって、私は純度100%の姫様で埋め尽くされてしまいます。
「あ……」
「どうしました?」
「いや……そっか、可愛いってそういうことだったのね。
鈴仙の気持ちが少しだけわかったわ」
「もしかして私の顔、とろけてました?」
「ええ、もうデレデレになっていたわ、見てる方が幸せになるくらいにね。
確かに、可愛いだったり綺麗だったり、そんな単純な言葉しか出てこなくなるわね」
想像しただけで緩んでしまうとは、少し気持ちを引き締めないと。
姫様の前ならともかく、師匠やてゐの前で顔を緩ませていたのでは何を言われるかわかりませんからね。
「ねえ、鈴仙。
もう一回、私の顔を見た時の言葉を言ってくれないかしら?」
「可愛いとか、綺麗とかですか?」
「そうそう」
姫様は今度はうつむくこと無く、まっすぐに私と視線を絡めあいます。
相変わらず顔は真っ赤ですが、私を睨みつけていた時とは大違いの、穏やかな笑顔が顔には浮かんでいました。
「姫様、可愛いです」
「……うん」
「姫様、綺麗です」
「うん、うん」
「姫様、愛しています」
「私もよ、愛してるわ」
こそばゆい言葉の応酬に、私たちは思わず顔を突き合わせて吹き出すように笑いました。
特に面白いことを言った覚えも無いのですが、なぜだか無性におかしくて、なぜだか無性に愛おしくて。
笑いながら私たちは自然と距離を詰めていました。
一歩ずつお互いに歩み寄ると、自然と姫様の腕が私の首の後ろに回されます。私は姫様の細い腰を抱き寄せました。
背中から抱きしめられて一方的に頼られるのも悪くありませんが、やはりこうして抱き合って、お互いに支え合うのが一番だと思うんです。
「鈴仙」
「姫様」
鼻の先を触れ合わせながら、お互いの名前を呼び合います。
またそれが何故かおかしくって、私たちはまたくすくす笑うのです。
その後も何度か「鈴仙」、「姫様」と呼び合い、それはまるで引力を増す呪文のように作用して、唇と唇の距離を近づけていきます。
「れいせん」
「ひめさま」
姫様は鼻にかかった声で、私にしなだれるように密着していました。
あの姫様が私に甘えている、媚びている、その事実が私の熱をさらに増大させていくのです。
もはや私達を遮るものは何もありません。
姫様も拒むことをやめたのです。
ですからあとは、求めるがまま、求められるがままに、思い描いた結果が待っているだけ。
少し湿った、やわらかな感触が私の唇の先に触れました。
一度触れ、一瞬だけ躊躇うように離れると、再び唇の先に暖かく柔らかな感触。
次は躊躇することなく、さらに強く、深く、姫様の唇が押し付けられました。
首に回された腕に少し力が篭もり、私の頭が引き寄せられます。
私も釣られて、腰に回した腕に力が入ってしまって、唇だけでなく体までぴたりとくっついてしまいました。
喋っている姫様を見ている時、思わず唇を見てしまうことがありました。
食事をしている時もそう、私は姫様の唇を見て、あの唇と触れ合えたらなあ、なんて不埒な想像をしていたのです。
想像するだけで唇に甘い痺れが走って、きっと実際の唇はこんなもんじゃないぐらい柔らかくて、気持ちいいんだろうなあなんて考えていたのですが。
――甘かった。
私の考えも、そして姫様の唇も。
舌を這わせたわけでもないのに甘くて、そして溶けるようにして私の唇に密着して、しっとりと絡んでくる。
ただ唇を触れ合わせているだけなのに、官能すら感じさせるほどに、甘美な感触。
癖になる、なんてもんじゃない。
もう一瞬たりとも離したくない、出来ることならこのまま一つになってしまいたい、そう望むほどに虜になっていました。
気持ちが昂ぶって、次第に息が荒くなっていきます。
姫様も私と同じようで、吐息が私の頬をくすぐりました。
これで、もっと深く触れ合ったらどうなってしまうのでしょうか。
唇をあわせているうち、そんな考えに至ってしまうのは仕方のないことだと思います。
いつもの臆病な私なら考えるだけで終わりなのでしょうが、今日の私が理性のタガが外れてしまっているのです。
信じられないほど自分の欲求に正直に、私たちは唇を擦れ合わせ始めていました。
最初は動いているのかも定かではないほど微かに。
動きは次第に大胆に、情熱的に、天井知らずに高まっていくのです。
もはや唇同士の情交とでも呼ぶべきなのかもしれません。
心音を高鳴らせながら甘い快楽に酔う私たちは、それでも足りないと、さらに先を求めようとしていました。
開いた唇、その奥にある湿ったむき出しの感覚器を。
「っ、あ……」
私の舌先に、ぬめりとした感触。
それと同時に、反射的に漏れる濃艷な声。
どちらの声かはわかりません、ひょっとすると二人共、だったのかもしれません。
とにかく未体験の感覚に私たちは驚いてしまって、舌先が触れると同時に慌てて唇を離してしまったのでした。
「はっ、はっ、はぁっ、はぁっ、はあぁっ……ぁ……」
我を忘れ唇を求めてしまった気まずさに、私たちは視線を合わせようとはしません。
しかし抱き合う腕はそのままに、距離は変わらず、吐息が聞こえるほどに近いままでした。
二人の荒い吐息が玄関に響きます。
「れい、せん……あの、ごめんね」
「こ、こちらこそ、ごめんなさい」
いつか”食べる”と言っておきながら、キスだけでこの有様です。
結局のところ、その段階までたどり着くまでには、いくつもの手順を踏んでいくしか無いのでしょう。
今日はその、第一歩ということで。
……第一歩にしては進みすぎた気もしますが。
「あんなに、止まらないものなのね」
「私もびっくりしました」
たかがキスだ、前座だと、完全に舐めてました。
「でも……あの感覚、嫌いじゃ無かったわ」
感覚だけでも、記憶だけでもなく、たった数十秒キスを交わしたという事実が、私達の関係を劇的に変えてしまったような気がします。
ただのペットから恋人にランクアップできたのだという、確かな実感があるのです。
姫様が私を見る目も少し変わったような気がします。
もう元には戻れないと、ある意味無常で、そして至上なる、境界線を超えた感覚。
唇を合わせて確かめて、舌を触れ合わせて、線の先に踏み入れて。
恋人という関係性を確固たる物にするための儀式としては、先ほどのキスで十分なはずでした。
ですがどうしてでしょう、私はもっと後戻りできなくなりたいと望んでいるのです。
いや、私だけではないのかもしれません。
姫様は指先で自分の唇に触れ、先ほどのキスの感触を確かめつつ、熱のこもった視線を私の唇に向けているのですから。
「その……姫様」
「ええ、わかっているわ」
私が呼びかけると、姫様は私の目を真っ直ぐに捉えました。
この時、キスをしてから初めて私達の視線が絡みあったのです。
狂おしく私を求めるその視線に、私はなぜか既視感を覚えていました。
誰かに向けられた覚えも、姫様以外に向けた覚えもないはずだというのに。
そこで気付きました、だったら答えはひとつしかないじゃないか、と。
つまり姫様が私に向けるその視線は、私が姫様に向けていた物と類似していたのです。
そう、私が”不埒”だと呼称した、お世辞にも上品とは呼べないアレと。
でしたら、姫様も私と同じように、不埒に私を求めてくれているのだと、そう判断するのが妥当だと思うのです。
私は思わず、ごくりと生唾を飲み込みました。
「もう一度、鈴仙の唇を頂戴な」
求められている、求めている、あの姫様が、私を。
夢や妄想より妖艶で、それでいて姫らしいお誘いに乗らない理由など無く。
姫様の頬に手を当て顔を近づけると、再び、私たちは唇を交わしたのでした。
ちなみに、その時点で私たちは夕食のことをすっかり忘れてまして。
痺れを切らし呼びに来た師匠に、キスシーンをがっつり見られてしまい、長々と説教を受けることになってしまいました。
でも師匠、いくらなんでも姫様だけ五分で解放するのは甘すぎると思うんです……あと私の二時間も長過ぎます。
ご飯すっかり冷めちゃったじゃないですか、もう。
師匠の説教から解放された私は、甘えるように少し離れた場所で見ていた姫様の胸に飛び込みました。
その時ばかりは一切の下心はありませんでした、とにかく姫様に甘えたくて、慰めて欲しくて。
姫様も私の気持ちを察してくれて、「よしよし」と優しく撫でてくれて、私は至福のひと時を過ごしたのです。
しかし、実は私、師匠の説教でそこまで傷ついたわけじゃなかったんです。
直前まで姫様とキスしてたんですから、頭の中はすっかりピンクに染まってたんです。
その結果、師匠の説教なんてこれっぽっちも頭に入ってきてませんでした。
そんな私が、いつまでも姫様の胸に顔を埋めて何を考えていたかと言うと――恩を仇で返すような悪巧み、でした。
傷心状態の私に同情している姫様なら、多少無理なお願いも聞いてくれるかもしれない。
その場の思いつきではありましたが、我ながら良い考えだと思います。
心の底から私を心配してくれた姫様を騙すようで心が痛みますが、背に腹は変えられません。
どうせ、いずれ壊すべき壁なのですから、壊すなら早い方がいいに決まっています。
「ねえ姫様」と呼びかけると、姫様は「なあに?」と優しく応えてくれます。
その優しさが、今だけは痛い。
裏切りの痛みはよく知っています、後に悔いることだって計算に入れた上で、それでもやらなければならないことなのです。
意を決して、私は本題を切り出しました。
「今夜、私と一緒に寝てくれませんか?」
――さあ、ここからが本番だぞ、私。
私がまだ永遠亭に来て日も浅かったある夜のことです。
ふと夜中に目を覚ましてしまった私は、永遠亭の縁側から遠くの空を眺めていました。
視線の先にあるのは、半分に欠けた月。
いつもは月を見ても何も感じないのですが、その日は少し様子が違っていて、月を見ているだけで胸がきゅっと締め付けられるような痛みが走ります。
寂しさ、とでも呼ぶべきでしょうか。
本当はもっと複雑で面倒な感情だったのですが、言葉で表すのならそれが一番無難な表現でしょう。
こんな私にも故郷を想う気持ちがあったのかと、当時は随分と驚いたものです。
普段は無いことでしたから、ほんの気まぐれのようなもので。
一時的な、いわゆる軽いホームシックだったのでしょう。
――自分で捨てたくせに、なんて都合の良い。
情けなさに居てもたってもいられなくなった私は、草木も眠る丑三つ時に、一人ふらりと散歩に出ることにしたのです。
自室にあったオイルランプを手に、淡く照らされた道を歩いていきます。
獣の声どころか虫の声すら聞こえず、不自然に静かな竹林に不気味さを感じながらも、それでも妙な感傷に耽るよりはマシだと自分に言い聞かせ先へと進んでいきました。
しばらく歩いていると、静寂の中、微かに何かの音が聞こえるようになってきました。
人里にはまだ遠い場所でしたから、人工的に鳴らされた音とも考えられません。
不審に思い、音の鳴る方の空を見上げてみると、微かに光っているのが見えました。
私はそこでようやく思い出します、姫様と妹紅さんが夜な夜な殺しあっている、という話を。
――この先に、憧れの姫様が居るんだ。
私の足は自然と音の方へと向き、そのスピードも次第に早くなっていきました。
今になって思えば、余計なことに首を突っ込むべきではなかったのです。
知らないままの方がいいことだってあるのですから。
結論から言えば、恋は冷めませんでしたが、私は大きなショックを受けることになりました。
なんたって、姫様は全身に返り血を浴びながら、時にハラワタまでむき出しにしながらも、それでも笑いながら殺しあっていたのですから。
単純にグロかったですし、それに姫様は見たこともない醜い表情をしていて、私には憧れていた姫様とそれが同一人物とは思えませんでした。
数十年が経過した今でも、あの時の姫様の姿を忘れることはできません。
例えどんなに愛おしさが膨れ上がっても、上書きすることすら叶わないのです。
ああ、私がまっとうな妖怪で居る限りは二人の関係に割って入ることはできないのだな、と。
私がどんなに頑張ろうと、あそこまで感情をむき出しにさせることはできないのだろうな、と。
当時は――そして今までも、途方も無い無力感に苛まれ続けてきました。
都合の悪い現実から目を背け、ただただ綺麗な姫様だけを愛で、好意を募らせていったのです。
憧れだけならそれでも十分でした。
そして、憧れでは終われないと決断したのは私自身。
そう、今の私は姫様の恋人なのです。
多く物を得た一方で、より強い責任を背負わなければなりません。
永遠の命と向き合うこともその一つ、師匠と話を付けることもその一つ、そして目を背けていた現実と向かうことも、その一つ。
おそらく姫様は、今晩も妹紅さんとの殺し合いをするつもりでいたのでしょう。
夜中に永遠亭を抜けだして、竹林のいつもの場所へ行って。
ですが、隣に私が居たらどうなるのでしょう。
恋人でも何でもない妹紅さんを選ぶのか、それとも恋人である私を選んでくれるのか。
私は姫様を信じています。
私に愛してると言ってくれた姫様を、私とキスをした姫様を、必ず私を選んでくれるのだと、強く、強く。
――なーんて、気合を入れて望んだ夜だったわけですが。
「ぷっ……それで、結局は何もできずに負けたってわけ?
因果応報ね、姫様にとってあなたは所詮その程度の存在でしかなかったのよ、ふっ、ふふっ」
師匠のこんな楽しそうな顔、初めてみました。
私は苛立ちながらも言葉を返せず、無言のまま夜空を仰いだのですが、無駄に明るい小望月の光が私の気分をさらに逆撫でするのでした。
そこまで光るならいっそ満月になりなさいよ、と憤った所で現実が変わるわけではありません。
「師匠言ってましたよね、私はいつ死ぬかもわからないから姫様に好かれたんだって」
「それは事実でしょう?」
「だったらこれはどういうことなんですか」
「あなたがどれだけ命を賭けられても、輝夜にとっては命を賭けるに値しない、そういうこと……ふふっ……じゃないの?」
いちいち笑わないでくれませんか、傷つくんで。
「あの子はね、藤原妹紅と殺しあうことで自分が生きているという実感を得ているのよ」
「よくわかりません」
「命の価値観なんて人それぞれだものね、ましてやただの妖怪であるあなたと、蓬莱人である輝夜とでは価値観が合致しないのも当然のことだわ。
一つだけ間違いなく言えることは、優曇華と一緒に過ごす時間より彼女との殺し合いの方が重要だった、ただそれだけ。
それ以上の意味なんて無いわ、深く考えるだけ無駄よ」
師匠に聞かされるまでもなく、その現実を一番痛感しているのは私でした。
彼女よりも私を優先してくれるはずだと勝手に思い込み、そして勝手に傷ついて。
こうなるってわかってたくせに、それでも強行したのは私なのですから、きっと悪いのは私なのでしょう。
それでも憎まずにはいられないのが私の性なのです。
憎き彼奴の名は、藤原妹紅。
姫様が私と一緒に眠ることを拒んだのは、彼女と殺し合いをするため。
私が姫様を騙してまで同衾したがったのは、私が彼女以上なのだと証明するため。
そして突きつけられた結果は、ご覧の有様。
「輝夜を奪われた私が味わった痛みが少しはわかったかしら」
「こうなるって予想してたんですか?」
「自尊心の強い優曇華は自分の優位を証明したがるだろう、とは思っていたわ。
まさかこんなに早く実行するとは思わなかったけどね、そこに関しては評価してるわよ、私が思ってるより輝夜への気持ちは強かったのね」
「てゐにも同じこと言われましたよ、みんな私が本気だってわかってくれないんです」
てゐや師匠が想像した程度の想いだったのなら、ここまで辛い気分を味わうこともなかったのでしょうか。
「けど、だったらどうしてこんな遅い時間まで起きてるんです? いつもならとっくに寝ているはずですよね。
本当は私が今夜実行するだろうってことに気付いてたんじゃないですか?」
「誰かさんのせいで色々考えてしまって、眠れなかっただけよ。
おかげでこうして優曇華の情けない顔を見れたのだから、結果的に良かったんでしょうけど」
以外です、師匠ってばまだ立ち直れてなかったんですね。
もっとドライな性格だと思っていたのですが、姫様に関しては例外なのでしょうか。
それとも、表に出さないだけで実は情に厚かったりするんでしょうか、だったら普段からもっとそういう部分を見せて欲しいものですが。
「で、少しは諦める気になった?」
今日の敗北は認めるしかありません。
しかし、姫様も開き直って無言で出て行ってくれれば諦めもついたのですが、布団をぬけ出す寸前に耳元で「ごめんね」なんて囁かれたら、往生際も悪くならざるを得ません。
ほんとタチ悪いですよね、とんだ魔性の女ですよあの人。
「あの子、面倒でしょう?」
「それを師匠が言いますか……」
「私だから言えるのよ。
甘える時は輝夜の方から来るくせに、こちらから手を出すと見向きもせずに避けてしまうのよね」
まさにその通りで。
嫌な夢を見たからって私に泣きついてきたのが今日の朝。
そして私を置いて出て行ったのが同じ日の夜。
「心当たりあるって顔してるわね」
「まさに今の状況がそれですから」
「私は悪意だけであなたと輝夜の関係を否定してるわけじゃないのよ、ほんの少しだけど優曇華が苦労しないようにって善意も混ざっているの」
「九割九分が悪意のくせによく胸を張れますね」
「一分の善意に感謝しておきなさい」
師匠から見習うべき事はたくさんありますが、その不遜さだけは見習いたくないものです。
「そもそも、師匠は勘違いしてるんですよ」
「私が輝夜のことに関して何を勘違いしてるって?」
「面倒だから諦めると、師匠はそう言っていましたが――」
「むしろ面倒だから良い、でしょう?」
それはまさに私が言おうとしたことでした。
心を読まれたのでしょうか、私は驚いて反射的に師匠の顔を見ました。
師匠は「それぐらいわかるわよ」と言いながら物憂げに笑います。
「師匠も、だったんですか?」
「だからこそ魔性の女なのよ、あの子は」
「……本当に面倒ですね」
その面倒臭さすら魅力にしてしまうなんて。
「まったくよ、魅入られた方はたまったものじゃないわ。
そのくせ、結局は私に見向きもしてくれないんだもの」
こちらを向いてくれただけ、私は幸せものなのでしょう。
考え方によっては、傍に居られるだけ師匠だって勝ち組なのかもしれませんよ。
世の中には難題をふっかけられて苦労した挙句、こっぴどく振られた男どもがいるそうですから。
「明日、妹紅さんに会いに行こうと思います」
「そうね、いずれは話さなければならない相手でしょうし、いいんじゃない」
「もし勝つようなことがあったら、姫様は妹紅さんのこと忘れてくれますかね」
「真っ向勝負した所で、あなたが忘れられる可能性の方がはるかに高いと思うわよ」
「師匠、少しは弟子を励まそうとは思わないんですか?」
「飴と鞭ってやつよ」
「師匠の場合は飴だって投げつけてくるじゃないですか!」
喩え話ではなく、本当に投げつけてくるんですから恐ろしい人です。
そもそも物理的な飴は要りませんから、あれ例えだってわかってます? もっと優しさを、心の温もりをください。
私、師匠に傷めつけられるたびに、見た目以上に傷ついてるんですからね。
「はぁ……そうね、真面目な話をすると、もしあなたが消し炭になったとしても、あの子が優曇華のことを忘れることはないと思うわよ」
「さっきと言ってること逆ですけど」
「さっきのはジョーク、これは本当。
あの子の教育係である私が言うんだから間違いないわ。
財産も権力も容姿も性格も、ありとあらゆる要素を満たした人間が束になっても輝夜が興味を持つことなんて無かったのに、一体あなたのどこが良かったのかしら」
今のはまさに飴と鞭ですね。
普段は鞭ばっかりなんですから、一度ぐらい素直に褒めてくれたっていいと思いますよ。
「知ってますよ、なんでも過去に五人の男に言い寄られたとか」
「たまたまあの時の話が逸話になってるってだけで、合計したら五人じゃ桁が一つも二つも足りないわよ」
一流の、誰もが羨むような人間が束になっても姫様は一切靡かなかったわけです。
そうなると、確かに師匠の言うとおり。
「……なんで私、告白成功したんですかね」
正確には”私ごとき”ですかね。
師匠の話を聞いていると、つくづく奇跡だったんだなあと思い知らされます。
「でしょう? 結局、輝夜以外には誰にもわからないのよ。
あの子は昔から変わっていたわ、ずっと付きっきりだった私だってわからないことだらけだもの。
既存の尺度で測ること自体が無駄なんでしょうね、そういう意味では、今回のあなたの行為も一概に自信過剰とも言い切れないわ」
「何を信じたらいいのかわからなくなってきました」
「あまり無責任なことはいいたくなけど、他人を信じられないのなら自分を信じるか無いんじゃないかしら」
「早速裏切られてるんですが」
「じゃあ諦めるの?」
『いいえ諦めません』と言わせて私を発奮させる、師匠なりの励ましたいのだと思いたいのですが。
師匠、そこで嬉しそうな顔しちゃうと台無しですってば。
「諦める気なんてありません、とりあえずの第一目標は千年なんですから、それまでには私しか見えないぐらいに惚れさせてみせますよ」
「あら生意気ね」
「師匠の言い付け通りに自分を信じることにしましたから、生意気に見えるって言うんならそのせいだと思いますよ」
「私としたことが、余計なことを言ったかしら」
「はい、おかげさまで」
皮肉には皮肉で返すぐらいがちょうどいいのです、師匠の機嫌がいい時に限りますが。
私の根拠の無い自信に安心したのか、師匠は満足気に笑いました。
諦めて欲しいんだか応援してるんだかさっぱりわかりません、姫様も大概ですが師匠も師匠です。
「さてと、そろそろ部屋に戻らないとまずいことになるわね」
「まずいって、何がです?」
「実は起きてたことがわかったら、輝夜はどんな顔をすると思う?」
「あー……」
今の姫様なら泣いちゃうかもしれませんね、しかも元凶が私となると慰めることもできません。
「でも姫様、さっき出かけたばっかりですよ? まだまだ帰ってこないんじゃないですか」
「念には念を、よ。
それに、先に寝ていたはずのあなたが寝不足になっていたんじゃ輝夜も怪しむでしょう」
「なるほど」
バレるのはもちろん、疑われることも回避しないといけないわけですから、慎重すぎるぐらいでちょうどいいのかもしれません。
ここは師匠の言うとおり、寝た振りでもいいので布団に潜り込んでおくことにしましょう。
「それじゃ、おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい師匠」
部屋に戻るように促した師匠自身がそこに留まっていたのが気になりましたが、師匠の考えてることなんて私が想像するだけ無駄なのです。
気にせずに振り向くこと無く、私は自室へと戻って行きました。
翌朝、目を覚ました私の隣には、気持ちよさそうに眠る姫様の姿がありました。
上体を起こし、見下ろす形で私は無防備な姫様をじっと見つめています。
凄惨な殺し合いをしてきた後にもかかわらず、服にも顔にも汚れ一つありません。
姫様は、不自然なほどに今日も綺麗でした。
胸がきゅっと締め付けられます。
別に妹紅さんと逢引をしたというわけでもないのに、理屈では納得できない感情が私の心臓に居座っています。
そいつはいっちょまえに被害者面して、姫様は浮気をしたんだと主張しているのです。
浮気なんかじゃない、ただの殺し合いじゃないですか。
私なんて抱き合ってキスしたんですよ、わかります? キスですよ、キス。
殺し合いがなんだって言うんですか、私達の愛に敵うわけがないんです、反論があるならかかってこいって話ですよ。
――じゃあどうして、姫様は『ごめんね』と言ったの?
ぐうの音も出ないクリティカルな反論に、威勢の良かったポジティブな私は言葉を失ってしまいました。
そうなんですよね、姫様自身が悪いことだと認識していなければ、謝罪の言葉なんて出てこないはずなんです。
ただの殺し合い以上の意味があるからこそ出てきた一言。
キスよりも価値のある殺し合いがこの世に存在するのかと言われれば、私の価値観で言えばノーです。
しかし彼女たちの、蓬莱人の価値観ではイエスである可能性は、十二分にある。
「ぁ……鈴仙」
姫様の瞼が薄っすらと開き、私の姿を捉えました。
私の名前を読んで、頬を緩めて、幸せそうに笑ってみせます。
嘘なんて、無いはずなのに。
その笑顔を素直に喜べない私が居ました。
「おはようございます、姫様」
誤魔化すように、不安を微笑みの仮面で隠してしまいます。
姫様は私の頬に手を伸ばして、感触を確かめるように指先で何度か撫でました。
仮面を剥がそうとしているのでしょうか。
いや、姫様は私を疑っている様子はありません、純粋に触れたくて手を伸ばしたのでしょう。
「おはよう、鈴仙」
本来なら祝福すべき初めての朝になるはずだったのに、このもやもやは何なんでしょうね。
私、思い知らされました。
後回しでもどうにかなると考えていましたが、悠長にしている暇は無さそうです。
これは姫様の問題ではなく私の問題。
やはり私は、すぐにでも彼女という壁を乗り越えなければならないようです。
行商を口実にしていつもの格好に着替え永遠亭を離れた私は、付いてきたがる姫様をどうにか説得して引き剥がし、とあるぼろ小屋の前へとやって来ました。
永遠亭から人里に向かう途中、少し寄り道するだけでたどり着ける場所ではあるのですが、私がここに足を運ぶことは滅多にありません。
姫様を通して間接的に知り合いではありますが、積極的に関係を持つほど親しい間柄でもありませんから。
こんなことでもなければ、私から訪れることはないでしょう。
久しぶりに見た小屋は前に見た時以上に植物が生い茂り、外壁もボロっちくなっていて、あたりの暗さも相まってとても人が住んでいるようには思えませんでした。
私は玄関に近づくと、少し乱暴に扉を二度叩きます。
ノックの音に反応して、中からごそりと何かが動く音がしました。
どうやら、目当ての人物は幸いにも外出していなかったようです。
小屋の主によって内側から扉が開かれると、薄暗い屋内から気だるげな少女が顔を覗かせました。
「おはようございます、妹紅さん」
「誰かと思えば、朝から珍しい客だな」
藤原妹紅。
彼女こそが、姫様の心に巣食う厄介者、そして私が乗り越えるべき壁でもあります。
本来なら他人の家に訪れるには早過ぎる時間なのですが、妹紅さんは何かと安請け合いをして外出をしている事が多いお人好しらしいので、この時間が家にいる可能性が一番高いと踏んだのです。
予想は見事に大当たり、場合によっては日をまたぐことも覚悟していたのですが、存外に早く決着を付けることができそうじゃありませんか。
「姫様のことで話があるのですが、できれば中で話せませんか?」
「ちょうど良かった、私も永遠亭の連中に聞きたいことがあったんだ。
さあ入ってくれ、大した物は出せないけどな」
招かれるがままに妹紅さんの家へと足を踏み入れます。
屋内も外観と変わらずボロボロで、置かれている家具も最低限の物しかありませんでした。
『無駄に質素に生きてる』とは姫様の弁ですが、まさにその通り、ひょっとすると必要最低限すら満たせていないのではないかと思ってしまうほど、あまりに寂しい部屋です。
姫様の話を聞く限りではそう貧乏というわけでもないようですし、意図的にストイックな生活をしているのでしょう。
行商に行った時、よく慧音さんが妹紅さんの事を心配して嘆いているのを聞くのですが、今はその気持ちがよくわかります。
お人好しなら、せめて友人に心配かけない程度の生活水準を保てばいいのに、妙な所で抜けてるんですね。
「じろじろ見てどうしたんだ、特に何もないだろう?」
「何もないから驚いてるんです、こんな寂しい家でよく生きていけますね」
暇つぶしの道具すら無さそうですし、私はここじゃ生きていけません。
「酷い言われようだな、まあ言われ慣れてるがな」
慣れるほど言われても変わらないということは、本人に変える気がさらさら無いということです。
私がこれ以上言った所で機嫌を損ねるだけですし、私の言葉で妹紅さんが変わるとも思えませんから、触れるのはやめておきましょう。
本題は別にあるのです、時間を無駄にしている場合ではありません。
私がちゃぶ台の近くに腰を下ろすと、ヒビの入ったお湯のみに入った緑茶が運ばれてきました。
「……うわあ」
地味な嫌がらせですかね、それとも素でやってるんでしょうか。
私がまじまじと湯のみを凝視していると、妹紅さんは申し訳無さそうに口を開きました。
「気分を害したんならすまなかったな、使えるものは使い続ける主義なんだ。
それに、普段はこんなぼろ小屋に客が来ることも無いからな、応接用の道具なんて用意してないんだよ」
なるほど確かに、人を呼ぶ造りじゃありませんよね、この家。
最初から呼ぶつもりが無いと言うのなら、まあ納得出来ないこともありません。
よくよく見てみると座布団はおろか寝具すらないみたいですし、この人どうやって生活してるんでしょうね。
「ちなみに、どうしてもお客さんを呼ばなきゃならない時はどうしてるんです?」
「慧音に場所を借りてるかな」
「……それでいいんです?」
「め、滅多に無いんだから別にいいだろ」
まあ本人が良いって言うんなら私は何もいいませんが、最低限の見栄ぐらいは張ったほうがいいと思うんですよね。
と言うか、妹紅さんだったらその気になれば自力で家ぐらい建てられる気もしますし、この人実はストイックなわけじゃなくてただの面倒くさがりなんじゃ……。
「それで? 輝夜の話ってのは一体なんなんだ」
「妹紅さんの方も聞きたいことがあるって言ってましたよね」
「ああ、私の方も輝夜の話なんだがな。
今日来たってことは、昨晩に私と輝夜がやりあった事は知ってると思っていいんだよな?」
知ってるも何も、それが直接的な原因ですから。
「知らなければ来ませんよ」
「だったら、たぶんお前さんの話こそが私の疑問の答えなんだろうさ。
昨晩の輝夜はいつにも増して様子がおかしかったからな、その理由を知ってるんだろう?」
「具体的に、どうおかしかったのか先に聞かせてもらってもいいでしょうか」
「殺し合いの途中だってのにぼーっとしやがって、終始心ここにあらずって感じだったな。
情けない話だが、いつもなら戦いは輝夜有利で進むんだよ。
だけど昨日は違った、これっぽっちも手応えを感じないぐらい、一方的に私が優勢だったんだ。
さすがにここまでやる気が無いと勝っても全く嬉しくない、むしろ相手にされてないみたいでムカついてきてだな、やる気が無いなら帰れって怒鳴りつけたんだ、そしたら……」
「どうなったんですか?」
「本当に帰りやがったんだよ! ほんの二十分か三十分程度しかやりあってないってのに」
「そんなにすぐ!?」
「ああ、さんざん煽ってやったから激昂してくれるかと期待してたのに、拍子抜けしたよ」
待ってくださいよ、もし姫様が妹紅さんと別れて真っ直ぐに永遠亭に帰ってきたのだとしたら、私が寝た直後に姫様が帰ってきたってことになりませんか?
確かに昨日は部屋に戻るとすぐに布団に潜り込んで、自分でも驚くぐらいあっさりと眠ってしまいましたが、そのすぐ後に姫様も布団に入ってきたのだとしたら――
あれ、そういえば確か、師匠は私が去った後もしばらく外を眺めていたはず……。
もしかすると、あれは師匠が姫様が戻ってきているのに気付いていたからでは無いでしょうか。
だとすると、師匠があのタイミングで部屋に戻るように言ってきた理由も納得できます。
「どうした、随分と驚いてるようだが」
「驚くというよりは、自己嫌悪ですね」
姫様が上の空だった原因は、間違いなく私にあると思います。
姫様も姫様なりに悩んでくれていたのでは無いでしょうか。
悩んで、悩んで、その結果、最終的に選んだのは私の方だった、だからこそすぐに帰ってきてくれた。
なのに私ったら、身勝手に裏切り者扱いして、姫様を疑って。
そんな自分が、恥ずかしくてたまりません。
姫様だって私のこと同じぐらい想ってくれてるんですもの、だからこそ恋人同士になれたんです。
それを私が疑ってどうするんですか、こんなんじゃ千年先まで愛せるなんて口が裂けても言えませんよね。
「んん? さっきの話のどこにお前が自己嫌悪するような要素があったんだ」
「少し複雑な話になってしまうのですが。
まず前提として、私と姫様はお付き合いしてるんですよ」
「へえ、お前と輝夜が」
てっきりてゐや師匠と似たようなリアクションを取られると思っていたのですが、妹紅さんはあっさりと信じてくれました。
唯一素直に信じてくれる人が怨敵である妹紅さんだなんて、ちと皮肉が利きすぎてませんか。
これじゃ喜ぶべきか嘆くべきか判断つきませんよ。
「……って、はぁ!?」
……と思ったのですが、やっぱりそうですよね、信じてくれませんよね。
一応、私と姫様は同居しているんですから、恋人になることだって可能性としてはありえるわけじゃないですか。
でも、それを一番傍で見ていた永遠亭の住人ですら信じてくれないのですから、部外者である妹紅さんが信じてくれるわけがないんです。
「言葉通りです、恋人ってことですよ」
「ほ、本気で言ってるのか?」
「冗談でこんな話を広めたら師匠に何されるかわかりません」
「しかしな、いくらなんでも……」
「何か困ることでも?」
殺し殺されるだけの仲なら、そんなに焦る必要も無いはずなんですが。
それとも、憎んでいるのも好意の裏返しで、実は姫様のことが好きだったとか、そんなふざけたことを言い出すつもりじゃないでしょうね?
「困ると言うか、困惑してる」
「だから何でそうなるんです?」
「いや、だってお前……趣味悪すぎるだろ」
そこですか。
想像だにしていなかった反応に、むしろ私の方が困惑してます。
「姫様って、輝夜だろ? 間違いなく、あの蓬莱山輝夜のことを言ってるんだよな?」
「それ以外に私の姫様なんていませんよ」
「つまり、あれか。
普段酷いことをされすぎて洗脳されたとか、そういう」
「どうしてそうなるんです!? 違いますよっ、私は純粋に姫様のことを愛しているんです!」
「怪しげな薬を使われたんじゃ」
「紛れもなく私自身の感情です!
妹紅さんは殺し合いの時の姫様しか知らないからそういう風に考えちゃうんですよ」
妹紅さんも姫様も、殺し合いの時は性格がまるっきり変わってしまうんです。
普段は表に出さない悪意をむき出しにして、お互いのどす黒い感情をぶつけあうわけですから、性格が変わってしまうのもやむを得ないことなのかもしれません。
ですが私は、あれが姫様の本性だとは思いません。
「いいですか、姫様は明るくて優しい素敵な人なんです」
「それ言わされてないか?」
「信じないなら勝手にしてください、妹紅さんが姫様の魅力に気付かないって言うんならそっちのが都合いいんですから」
「あー、すまんすまん、私だって出来れば疑いたくは無いんだが、頭の中にある輝夜のイメージとお前の話す輝夜のイメージが一切一致しなくてなあ。
常日頃から一緒に暮らしてるお前がそう言うんなら、間違ってるのは私の方なんだろう」
「そうなんです!」
ようやく理解してくれたようです。
まあ、納得はしてくれてないみたいですけど。
別に、姫様の魅力を知らないなら知らないままでも構いません、ライバルは少ない方が良いに決まってますからね。
「となると、だ。
昨日の輝夜の様子がおかしかったのは、お前さんのせいってことか?」
「たぶん、そうだと思います。
一緒に寝ていた恋人を置いて、こっそり妹紅さんに会いに行ったわけですから」
「……い、一緒に寝てたのか?」
「いかがわしいことはしてませんからね!」
「い、いや、別に良いんじゃないか、恋人なんだし」
良いって言うくせに、なんで微妙に引いてるんですか。
そもそも重要な部分はそこじゃありません、私より妹紅さんを取ったって所なんですから。
「つまり、あれは恋人を置いてきたことによる罪悪感のせいだったってわけか。
ふうん……あの輝夜が、罪悪感ねえ」
妹紅さんの知る姫様のイメージと合致しないのはもうわかりましたから。
重要なのはそこじゃないんです。
「この際、妹紅さんが信じようが信じまいがどちらでも構いません。
私が言いたいことは一つだけです、姫様との殺し合いをやめてもらえませんか」
「なるほどね、それがお前の話ってわけか」
私の言葉を聞いて、妹紅さんから先ほどまでのちゃらけた雰囲気は消え失せました。
あまり良い反応ではありませんね、すんなりと私の要求を受け入れてくれそうな雰囲気では無いようです。
姫様と同じく、妹紅さんもあの殺し合いに生きる歓びを見出しているのかもしれません。
お互いに嫌い、憎しみ合いながらも、二人は求め合っているのだと。
それが事実ならば、余計に捨て置くわけにはいきませんね。
どんなに姫様が私を愛してくれても、その心の片隅には常に妹紅さんっていう異物が居座り続けるわけでしょう?
そんなの、私は許せません。
ワガママと言われようが譲る気はありません、姫様は私だけの物なんです。
「なあ、もしその要求を私が飲んだとして、何の得があるって言うんだ?」
「厄介な兎に付きまとわれないで済みます」
「お前、もしかしなくても面倒な奴だろ」
「それが愛情ってやつです、愛は例外なく面倒な物なんですよ」
私の返答に妹紅さんはすっかり毒気を抜かれてしまったようで、大きくため息を吐いて苦笑いしています。
しかし妹紅さん、それ以外にどんな答えを期待していたのでしょうか。
ひょっとして本当に私が見返りを用意しているとでも思ってたんですかね?
ぶっちゃけた話、師匠やてゐはまだしも、妹紅さんがどうなろうと知ったこっちゃ無いですから。
必要なら手段なんて選びません、私と姫様の関係を邪魔する輩なんぞ、困るならいくらでも困っちまえって感じです。
「はぁ、見返りを求めるだけ無駄ってことか。
まあ、どちらにしろ私だけが続けた所でじきに終わってただろうけどな」
「どういうことです?」
「私も輝夜も一方的な殺戮をやりたいわけじゃないんだ、なのにあの有様で、殺し合いなんて続けられるわけがないだろ。
夜な夜な私と会うのを恋人さんが許可してくれるなら、免罪符を得た輝夜は今までどおりに私に会いに来るかもしれないけどな」
「それは嫌です」
「だろ?」
つまりこれって、放っておけば問題は解決してたってことですよね。
もしかしなくても、私が妹紅さんに会いに来たのって丸々無駄な行動だったんじゃ。
わざわざ姫様を寂しがらせてまで出てきたっていうのに、とんだ無駄足でした。
「露骨に”無駄足だった”って顔するなよ、言っておくが私は巻き込まれた方だからな、輝夜の恋愛事情なんざに全く興味は無いんだ」
「それは知ってますけど、世間一般じゃ”興味無い”なんて言い訳は通用しませんよ。
事情を知らない誰かが、夜な夜な家を抜けだして人気のない竹林で二人きりで会ってる、なんて聞かされたらどんな想像すると思います?」
「私と輝夜に限ってんなこと考えるわけが……」
そこまで言った所で、妹紅さんの表情が急に凍りつきました。
どうやら思い当たる節があったようです、ざまーみろ。
「浮気者」
「ち、違うぞっ、実際は浮気なんてしてないんだ、私は何も悪く無い!」
「女たらし」
「待て、その理屈だと私と輝夜が本当にそういう関係だってことになるぞ、いいのか!?」
「甲斐性なし」
「濡れ衣だ、人間関係はきちっと整理してるからな!」
「ヒモ」
「ぐごっ……」
最後の一言が見事にクリティカルヒットしたようで、妹紅さんは額に冷や汗を滲ませながら黙り込んでしまいました。
自覚、あったんですね。
そりゃそうですよ、いくら質素な生活をしてるからって、客人を呼ぶときに慧音さんの家を借りるってどういう関係性ですか。
「慧音さんの家を使うのは、客人を呼ぶ時だけですか?」
「いや……食事も厄介になってる」
「どれぐらいの頻度で?」
「夕食は、ほぼ毎日」
道理で生活感のない家だったわけです。
不老不死でも腹は減るらしいですからね、見渡す限り食料の欠片もないこの家で暮らせるわけがありません。
「なるほど、夕食だけ食べて、慧音さんが恥ずかしそうに”今日は泊まっていかないのか?”って聞いてくるのを毎回スルーしてるわけですね」
「今は、もう聞かれてない」
慧音さんも無駄って気付いたんですね。
そのくせ夕食だけは振る舞ってると、泣けてきますよ。
「その、生活費は、入れてるからな」
これまた見事な言い逃れですね。
「だったら余計に、毎晩別の女と逢引してるのは酷いですね。
慧音さん何回ぐらい泣かせたんです?」
「泣かせてないって!
あいつはそういうの理解してくれてる……はず、だから」
やだやだ、典型的なダメ人間の台詞じゃないですか。
追い詰められるごとに顔も情けなくなっていってますし。
さっき一瞬だけ見せた威圧感は何だったんです、ハリボテですか?
「これって、もしかしてお互いにとって良い機会なんじゃないですか?」
「だから私が辞めなくとも輝夜の方が……」
「ですけど、妹紅さんはまだ名残惜しいんですよね?
本当は私に許可を出して欲しかった、慧音さんを泣かせてでも姫様との逢引を続けたかったんでしょう?」
「お前、輝夜に似て嫌なやつだな」
「姫様に似てるなんて、そんなに褒められたら照れちゃいますよう」
「加えて面倒だ……入れるんじゃなかった」
姫様に似てるって言われたのは嬉しいですけど、心ない言葉に傷ついてないわけじゃないですからね。
図星を突かれたからって、嫌なやつ呼ばわりは酷くありません?
妹紅さんより私を選んでくれた姫様と違って、妹紅さんは慧音さんより姫様を選んだ、それは紛れも無い事実じゃないですか。
私はそんな妹紅さんの行いを、素直に軽蔑すべきだと思いますよ。
「ちなみに、妹紅さんと慧音さんはお付き合いしてるんですか?」
「親しくはしてるがそういう関係じゃないよ」
「なるほど、愛が足りなかったわけですね」
「ああ、お前みたいに頭が茹だってるわけじゃないからな」
親しいだけなら、まあわからないでもないですね。
とは言え、慧音さんがどう考えてるかは私にはわかりませんが。
でも、妹紅さんがうろたえてたって事は、多少は悪いことをしている自覚があったってことですよね。
恋人ではない、親しくしているだけの相手なのに、どうして罪悪感を抱く必要があるんでしょう、すごく不思議ですねー。
「茹だってみるのも悪く無いですよ、そうやって姫様は殺し合い以外の生きがいを見つけたんですから」
「慧音相手にか?」
「他に相手がいるのならそれでもいいんじゃないですか。
ただ、いつまでも言い訳を続けていても碌な結末にならない事だけは確かだと思いますよ」
まあ、これはあくまで常識内の話ではありますし、不老不死にとっての常識はまた別にあるのかもしれませんが。
「……私はさ、あいつほど悟れちゃいないんだよ。
永遠の命ってのは思ってた以上に厄介なんだ、千年ちょっと生きた所で理解できる物でもない。
そんな私がようやく見つけた”生”を実感できる方法が殺し合いだったんだ。
血肉を撒き散らしながら命を奪い合うその瞬間だけ、私はかつて普通の人間だったあの時のように自分の命を感じることができる。
それを簡単に辞めるなんて――千年以上かけてやっと見つけた方法なんだぞ、次の方法がそう簡単に見つかるものかよ。
違う方法を見つけられたのは、長い時間を生きて広い世界を見てきた輝夜だからだろ」
「んー、そうでしょうか?」
蓬莱人で無い私が何を言った所で妹紅さんに通じるとは思えません。
ですが、生への欲求と慧音さんへの想いの狭間で揺れている等身大の人間相手なら、多少は偉そうな口をきけるかもしれません。
「恋は盲目ですよ、妹紅さん」
「何を言いたいんだか」
「無理に広い視野を持とうとするから、一つのことに夢中になれないんじゃないですか?
浅く広くもいいですが、狭く深く潜り込んでみると、案外違う物が見えてくるかもしれませんよ」
一般論で言えば広い視野を持つことこそが正しいのでしょうが、私はそうは思いません。
妹紅さんと私の中にある姫様のイメージがまったく異なるように、角度次第で見える世界って違うものですから。
「深入りするほど、いずれ後悔するとわかりきってるのにか?」
「先の後悔を考える前に、まずは心の底から悔やめるぐらい夢中になってみるべきだと思います」
「……」
そんな苦虫を噛み潰したような顔をされましても。
「……ちっ、なんで感心してるんだよ私はっ」
心のどこかで中途半端な自分に嫌気が差してたからじゃないですかね。
私よりもずっと正義感の強いはずの妹紅さんが、ヒモ呼ばわりされてもしょうがない現状に満足してるのはおかしいと思ってたんですよ。
まあ、それほどに姫様との関係が魅力的だったからなんでしょうが、私が干渉した以上は現状維持なんて許すわけがありません。
妹紅さん的には、姫様が私を選んで殺し合いの場には来なくなり二人の関係は自然消滅ってことでケリを付けるつもりだったんでしょうが、私はそれじゃ満足しませんから。
アドバイスは決して善意からではありません。
芽は、徹底的に潰さないと。
「さて、妹紅さんの決意も固まった所で、私はおいとまさせてもらいますね」
残ったお茶を一気に飲み干すと、私は立ち上がり早々に出口へと向かいます。
まさかここまで言われておいて、いつもの場所で姫様を待つほど情けない人ではないはずですから、私の目的はこれで達成されたはずです。
だったらこれ以上長居する必要はありません。
「結局、お前はなにをしにきたんだよ」
妹紅さんは私の背中に向けて、不機嫌そうにそう言いました。
「さあ、人生相談ですかね?」
もちろん冗談ですが。
私は妹紅さんと違い、見返りも無しに他人にお節介を焼ける善人ではありませんから。
実際の所、私の都合の良い方向に誘導しただけです。
「相談のふりしてかき乱しただけだろ」
「停滞は淀みの原因ですよ、たまにはかき乱さないと腐ってしまいます」
「逐一言い負かしてくれるな」
言い負かされてる自覚あったんですね。
でも、今日の妹紅さんがしょぼすぎるのが悪いんですよ。
「伊達に永遠亭で暮らしてませんし」
「はっ、結局はお前もあの伏魔殿の住人だったってわけだ。
油断して招き入れた時点で私の負けだな」
伏魔殿とは言い得て妙です、少なくとも二人は悪魔が住んでいますから。
しかし住めば都といいますし、伏魔殿もそう悪い場所ではありませんけどね。
たちが悪い分だけ頼もしさはありますから。
それに今は姫様だっていますし、少なくとも私にとっては天国みたいな場所ですよ。
「永遠亭に戻ったら輝夜に伝えておいてくれ、私はもうあの場所には行かないってな」
「言われなくとも」
それに、わざわざ言わなくても姫様は二度とその場所には行かないと思いますから。
私が生きてる限り――つまりは永遠にね。
永遠亭に戻った私を最初に出迎えてくれたのは、以外にもてゐでした。
玄関前で壁に背中を預けながら退屈そうに竹の葉が揺れるのを眺めてましたが、私の姿を見つけるやいなやお決まりの小悪魔な笑顔で私の方に近づいていきます。
あの顔をしてる時は大体ろくな事を考えてないんですよね、さて何を言われるのやら。
「鈴仙、おかえりっ」
「ただいま、もしかして私を待ってたの?」
「うんうん、そろそろ帰ってくると思ってたからね。
で、最後のボスはどんな感じだった? やっぱり殺されかけた?」
「楽しそうに物騒なこと言うんじゃないの」
怒りながら握りこぶしを突き出すと、なぜかてゐは楽しそうにはにかみました。
全然反省してないな、こいつめ。
てゐの言う最後のボスってのはつまり、妹紅さんのことでしょう。
姫様と恋人になるにあたって、話をしておくべき相手と言うのはそう多くはありません。
てゐなら私が行商のフリをしていたことは見抜いているはずですし、姫様と恋人になった私がどこへ向かったかの予想も容易だったのでしょう。
「まあ、はっきり言えば拍子抜けだったわ、大したことなかった」
「鈴仙も強くなったもんだねえ」
「と言うより、あちらが勝手に弱ってったのよ」
「もしかしてあの人里の先生絡み?」
「何だ、ほとんど把握してるんじゃない」
「あの二人の仲が良いのは有名な話だしね、そこに姫様が絡むとなれば想像するのは簡単だよ。
でも……そっか、その路線で責めたんだ、鈴仙にしてはえげつないやり方だね」
「姫様と引き離すには別の方に目を向けさせるのが得策だと思ったからよ。
結果的には妹紅さんのためにもなったんだし、そう悪いことをしたとは思ってないわ」
「悪いことをしたと思ってないあたりが悪いんだってば」
そう言いながらも、てゐはやけに上機嫌でした。
まるで私が悪事に手を染めた事を祝福しているかのように。
伏魔殿って言われてたけど、それじゃまるっきり悪魔そのものじゃない。
「あ、そうだ。
姫様のことなんだけど、鈴仙が出てってから部屋に閉じこもって出てこないんだよね、早く行ってあげた方がいいんじゃない?」
閉じこもると言っても、私がでかけていたのはせいぜい二時間程度のことですから、そう不自然なことではありません。
しかし状況が状況なだけに長時間離れるのは不安ですし、なにより私自身が早く姫様の顔を見たいのです。
てゐと別れ、玄関の入口あたりに荷物を置いた私は、真っ直ぐに姫様の部屋へと向かいました。
行儀が悪いとはわかりながらも、思わず駆け足になってしまいます。
師匠に見られたら咎められるのは間違いないのですが、今だけは勘弁して下さい、姫様に会いたい気持ちの表れなんですから。
部屋の前までたどり着いた私は、間髪入れずにふすまを勢い良く開きました。
「ただいま戻りました!」
部屋の中で座りながら書物を読んでいた姫様は、私の声に反応してびくんと体を震わせます。
しまった、部屋の前で声かけとけばよかった。
親しき仲にも礼儀ありといいますし、いくら恋人になったとは言え今のは不躾でしたね。反省反省。
「れ、鈴仙?」
「あ、あはは……ごめんなさい、姫様に早く会いたくてつい力んじゃいました」
「もう、そういう言い方されたら怒れないじゃない!
本当にびっくりしたのよ、今度からは気をつけなさい」
「はい、反省しています」
「ならいいでしょう。
というわけで……おかりなさい、私も鈴仙が帰ってくるのをずっと待ってたわ」
「姫様……!」
いやあ、相思相愛って良い物ですね。
私はその言葉にデレデレになりながら、両手を広げて私を待ち受ける姫様の方へと近づいていきます。
とりあえず傍に座ろうと思ってたのにいきなりハグですか、姫様ったら飛ばしてますね。
私は求められた通りに姫様の胸に飛び込みます。
姫様の腕が私の体をぎゅっと抱き寄せ、私も姫様の方に体重をかけながら背中に腕を回します。
「鈴仙の体、柔らかくて暖かくて心地よくて、ずっとこのまま抱きしめていたいぐらいよ」
「姫様の体だって抱き心地がよくって……今日はもう離れたくありません」
「だったらそうしましょう」
姫様は私の背中に腕を回したまま、背中から畳の上に体を倒しました。
つまり姫様が下で、私が上で、まるで押し倒したような形になってしまったのです。
「ふふふ、鈴仙ったら大胆ね」
「姫様には敵いませんよ」
ほんと、私を惑わすのが上手な人です。
「今日はずっとこのままでいい?」
「抱き合うだけじゃ足りないと思います」
「それより少しだけ先なら、許してあげる」
少しだけで済むのならいいんですけど。
私はもちろん、姫様だって息が荒くなってるじゃないですか。
それっぽっちじゃ我慢出来ないのは姫様の方だったりして。
ですが、盛り上げるより前に言っておくべきことが有ります。
姫様は私の頬に手を当て、のぼせたようにぼんやりとした瞳で私を見つめています。
キスぐらいなら何回だって許してくれそうな雰囲気です。
今すぐいちゃつきたいのはやまやまなんですが、全て終わらせるまでは、心の片隅にある靄は晴れないままなのです。
後回しにすべき話ではないでしょう。
「姫様」
「なあに?」
「私、妹紅さんの家に行って来たんです」
「……え?」
私の言葉によって突如現実に引き戻された姫様は、目を見開いて私の方を見ました。
その頬からは赤みが消え、徐々に青ざめていきます。
姫様には敵いませんが、この罪悪感もなかなかのものです。
「昨日のこと、これからのこと、全部ケリをつけてきました」
「待って! 昨日のことって、まさか――」
「ええ、姫様がすぐに戻ってきてくれたことも教えてもらいました」
寝てる場合じゃないと思ったのか姫様は慌てて私を押し戻し起き上がろうとしたのですが、そうはいきません。
姫様の手首に手をかけ、今度こそ本当の意味で私の方から押し倒します。
「やっ、離しなさいっ!」
「今日はずっとこのままでいるんですよね?」
「今はそんな場合じゃないの!」
「そんな場合ですよ、大した話じゃありませんから」
「大した話じゃないって……私、鈴仙のこと裏切ったのよ!?」
やっぱり、そう思ってたんですね。
「姫様が夜中に抜け出すだろうってことぐらい最初から知ってましたよ、ひょっとしたら私の方を選んでくれるかもしれないって期待してただけです」
嘘です、本当は私を選んでくれるって確信してました。
だからあれだけショックを受けたわけですし。
でも、私が傷ついたって知ったら姫様もっと泣きそうな顔になってしまいそうですから、この痛みは胸の奥にそっと閉まっておくことにします。
「やっぱり期待してたんじゃない、がっかりさせたのは紛れも無い事実よ」
「勝手にがっかりしただけですから」
「それでもっ!
……ああ、もうっ、こんな時ぐらいは怒ってよ、そんなに優しい顔されたら余計に辛いわ」
姫様は私から目を背けてしまいました。
少しでも姫様が楽になってくれればと思ったのですが、逆効果だったようです。
それでも、私が姫様を怒るなんてことありえないんですが。
「むしろ悪いのは私の方です、実際は殺し合いなんてせずにすぐに帰ってきてくれたのに、それに気づかなかったんですから」
「こそこそと抜けだした時点で裏切った事実は変わらないわ」
「だったら、私が姫様を許してる事実も変わりません。
悪いと思うのは勝手ですが、私を選んでくれた事を他でもない私自身が喜んでいるのに、姫様がそんな風じゃ心から笑えませんよ」
「あなたがどう言おうと、私が私を許せないのよ。
謝った所で私の間違いが消えるわけではないけれど……一度はきちんと言わせてもらうわ、ごめんなさ……っ!?」
謝罪の言葉なんて聞く気はありません。
姫様が言い終えるよりも前に、私は強引に唇を塞ぎました。
急ぎすぎて少し歯があたってしまいましたが、まだ慣れてないってことで大目に見てくださいな。
「っはぁ……はぁ……きゅ、急に何てことするのよおっ!」
「姫様が謝ることなんて何もありませんから、前もって阻止したまでです」
「だからって、いきなり……っ」
「これで、昨日のことはお互い様ってことにしましょう、それなら姫様だって不満は無いでしょう?」
「無いわけ無いじゃない!」
私にはてんで理解できませんが、まだ不満があるようで。
「……でも、どうせこれ以上言ったって無駄なんでしょう?
逆らっても口を塞がれて、無かったことにされてしまうんですもの。
だったら、鈴仙に従うわ」
姫様は諦めたように、それ以上は謝罪したり、自分を責めたりはしませんでした。
未だ心の中では納得できずに自省を続けているようですが、どうせこれから考える余裕も無くなるのですから、問題視する必要も無いでしょう。
「それにしても、まさか昨日の今日で妹紅に会いに行くなんて思いもしなかった」
「憂いは早いうちに取り除いておきたいですから、おかげで妹紅さんも諦めてくれたようですし」
「あいつ諦めたんだ……」
「諦めたというか、慧音さんに相手を絞ったと言いますか。
姫様は私を選んでくれたわけですから、わざわざ会いに行く必要もなかったんですけどね」
「別に、私とあいつはそういう関係でも無いわよ」
「姫様が”あいつ”って呼ぶような相手を放って置けませんよ」
「あ……」
別に呼んで欲しいわけではありませんが、姫様が私のことを”あいつ”と呼ぶことはないのだと思うと、何だか複雑な心境です。
「特別な相手、だったんですよね」
「まあ、ね」
否定しても無駄だと悟ったのでしょうが、認められるとそれはそれでショックだったりして。
私の手で断ち切ったのですから、気にする必要も無いはずなんですけどね。
「その唯一無二ってのが気に食わなかったんです」
師匠だって姫様にとって特別な相手のはずなんですが、不思議とこちらには嫉妬心がわかないんですよね、何が違うんでしょう。
二人の関係に明確な呼び方が存在しないことが不安だったのでしょうか。
「鈴仙、少し目が怖いわ」
「私って、実は独占欲が強い方なのかもしれません」
虚勢と言ってもいいのかもしれません。
こうして触れ合っている今ですら姫様の存在はどこか遠くて、離せばすぐ手の届かない場所に行ってしまいそうだから。
強がらないと、不安で仕方ないんです。
「かも、じゃなくて強いのよ。
でも……あなたにだったら、縛られるのも悪くはないわね」
そう言うと、姫様は再び私の首の後ろに手を回し、そのまま私の顔を引き寄せました。
今度は優しく、慈しむようなキス。
「ねえ、鈴仙。
今晩も一緒に寝るの?」
唇を離すと、姫様は潤んだ目で私をみながらそんなことを聞いてきました。
……それ、もしかして誘ってます?
「姫様が拒まなければ」
「嫌、とは言わないんだけど……」
「何か都合の悪いことでも?」
「その……思った以上に早く、堪えきれなくなりそうだから」
何を? なんて無粋なことを聞いたりはしません。
我慢していたのは私だけではなかったと言うことです。
「はしたない私を、嫌いになったりしない?」
「それで嫌いになるなら最初から求めたりしませんよ、どうしてそんな発想になるんですか」
「ペース分配とか、私なりに色々考えてたのよ。
今度の週末にでも一緒に人里に出かけて手を繋いでみようとか、一週間ぐらいしたらキスをしようかな、とか。
勝手に計画を立てて、一人でそわそわして……子供みたいでしょう?」
「そんなことありません、かわいいですよ」
姫様の顔が一気に紅潮します。
それもまた可愛くて、思わず次の言葉が出そうになってしまう所を、私は何とか抑えました。
これ以上やったら、姫様とまともにお話できなくなりそうですから。
「はぁ、鈴仙相手だとそうなってしまうのよね」
「私の好かれたのが運の尽きですね」
「好きになってしまったのも運の尽きだったのよ。
気付けば計画なんて無かったことになって、二日目でキスまで済ませてしまったわ。
このままじゃ……」
姫様は次の言葉を躊躇うように体をよじらせると、甘い吐息を漏らしました。
私の心臓は破裂しそうなほど強く脈打ち、呼吸すら上手くできないほどです。
震える喉を無理やり動かして、口内に溜まっていた生唾を無理やり飲み込みました。
仮に姫様がその先の言葉を言わなかったとして、すでに出来上がっているこの状況を変えることはできないでしょう。
続きがなければ事は強引に始まるでしょうし、続きがあるのならその瞬間、歯止めは効かなくなってしまいます。
どちらにしろ、未来は確定したようなものなのです。
求めて、求められて、遮る理性も状況を応援してくれているのですから。
「今夜にでも、あなたに体を許してしまいそう」
今更になって、姫様の胸元が少しだけはだけているのに気付きました。
首から鎖骨にかけての肌はほんのりと汗ばんでいて、光を浴びて白く輝いています。
胸は呼吸の荒さに連動していつもより早く上下し、膨らむ度に微かに見える谷間が私を誘っているようです。
いや、実際に誘っているのでしょう。
じゃなきゃ、体を許すなんて言葉使わないはずですから。
「姫様、知っていますか」
ぐつぐつに煮立った脳はまともな思考を放棄し、すでに姫様の体にどう触れるかしか考えていませんでした。
その証拠に、意識しないうちに私の手は姫様の耳へと動いていて、耳の縁を愛撫するようにゆっくりと撫でています。
私の指が動くたび、耳に走るぞくぞくとした甘い感触に、姫様は大きく息を吐きました。
「今宵は、満月なんですよ?」
だから何なんだ、と思うかもしれませんが、要するにちょうどいい言い訳を見つけたのだと言いたかったのです。
月の狂気に照らされて、気持ちを抑えきれなくなってしまったのだと。
それなら、理由としては及第点ぐらいはもらえる気がして。
「そう、満月なのね」
「はい、満月なんです」
「なら……仕方ないわね」
てゐはおろか、師匠にだって通用しない、穴だらけの言い訳。
でも、それでいいんです。
これは自分で自分の背中を押すための、自己暗示のようなものなのですから。
「ほら、好きに触って」
姫様は私の視線がちらちらと胸元に向いているのに気付いていたのでしょう。
”仕方無い”、そう言った直後に、自らの手で襟元に手をやり、自らの胸元をさらに露出させました。
見えるか見えないかのギリギリのラインで止め、次に私の手をにぎると、肌と服の間に導きます。
「ひめ、さま……」
ぷつりと、理性の糸が切れる音が聞こえました。
虚勢も、言い訳も、建前も、何もかも欲望の前には無意味なんです。
まだ満月すら出ていないのに、私たちの理性は、強く互いを求め合うことによる狂気に飲み込まれていきました。
「夕食、呼ばなくてよかったんですか?」
「あれを私に止めろっていうの?」
「お師匠様なら止めるんじゃないかって思ってました」
「止められる物なら止めてやりたいわよ。
けどね、輝夜が違う方法で自分の生きる意味を見つけ出したことを、私は好ましく思っているのよ」
「殺し合いは不健全ですからね。
でも……相手が鈴仙じゃなくて妹紅さんだったら素直に祝福してたのに、ってことですよね?」
「そんな仮定に意味なんて無いわ。
輝夜は、貴族でも、帝でも、神様にだって靡かなかったのよ?」
「すごい自虐ですね」
「うるさいわね。
そんなあの子の心を掴んだんですもの、きっと鈴仙にしか出来ない芸当だったんでしょう」
「でも、嫉妬してますよね?」
「当たり前じゃない」
「神様みたいなお師匠様でも、感情に流されることはあるってことか」
「神様だろうが何だろうが関係ないわ。
見てみなさい、今宵の月はあんなに騒がしく輝いている。
二人の恋を見せられて、月だって嫉妬しているのよ――」
膝の上でこぶしをきゅっと握って、ついでに目までぎゅっと瞑って、大げさに正座までして、恥ずかしくなるぐらいに全身ガチガチに強張ってて。
私、一世一代の告白をしてるくせに、まともに姫様の顔を見ることすらできなかったんです。
予め練っておいた計画なんて姫様の顔を見た瞬間に破綻してしまって、今の私はいわば破れかぶれ、それも現在進行形で。
次にふたりきりになったら告白しようって決めていたはずなのに、どうしてだらだらと雑談を三十分も続けちゃったんでしょう、そしてどうして何の前振りもなく突然に告白しちゃったんでしょう。
告白を済ませた今になって反省点が次から次へと浮かび上がってきます。
この反省点をできれば次に活かしたい所なのですが、結果がどうであれ次なんか無いのが人生。
時間を巻き戻す能力など持っていない私は、もはやまな板の上の兎よろしく、返事という名の刃が振り下ろされるのを待つことしか出来ません。
「好きっていうか、愛してます。
それはもう、年がら年中、絶え間なく姫様のことしか考えられないぐらいに愛してるんですっ」
ですが、気持ちに嘘は無いんです、”好き”も”愛してる”も紛れも無く私の本心なんです。
頭は混乱しきっていますが、自らの想いまで見失ったつもりはありません。
こんな言葉を躊躇いなく言えてしまうほどに、焦がれているのです。
昨日今日で突然に惹かれ始めたわけではなく、『鈴仙の姫様好きは病気だよねー』と言う言葉がてゐの口癖になってしまうほど、以前からベタ惚れでした。
厳密に言えば出会ったその瞬間から、月から逃げてきた私に救いの手を差し伸べてくれた姫様の姿が女神のように見えてしまったのですから仕方ありません、そりゃ惚れますって。
それからは、廊下ですれ違うだけでドキドキして、食事中なんかご飯を食べるその口元を見ているだけで不埒なことを考えちゃって、私ったら何を変な想像しちゃってんのよ馬鹿馬鹿って自己嫌悪しちゃうぐらい大好きになってしまいました。
そりゃあ私と姫様が吊り合わないってことぐらいわかってますよ、だって月人と玉兎ですから、月人にとっては私達なんてペットか奴隷か、その程度の存在でしかありませんから。
人間に例えて言うと、家で飼われている犬って所でしょうか。
飼ってる犬に本気で告白されたらどう思います?
ドン引きしますよね? 受け入れよう、番になろうと思える人間はとんでもないマイノリティですよね?
だからわかってるんですって、自分の身の丈ぐらい。
でもですよ、私だって好きになりたくてなったわけじゃありません、姫様があんなに可愛いから、不可抗力で好きになってしまったのです。
姫様が私のタイプど真ん中の姿をして生まれてきてしまったのが悪いんです、だったらその責任はそんな姫様を産みだした誰かにあると思いませんか?
つまり責められるべきは私ではなく、姫様のご両親か神様かそのあたりが妥当なわけで。
それでも我慢しろ! と言われましても、それは理不尽ってもんですよ。
一度走りだした恋は、成就するか壊れるまで止まりません。
師匠ほど完成した生き物であれば我慢も出来るのかもしれませんが、半端者の私はあらゆる不可能を可能にすることは出来ないのです。
出会いから数十年、どんなに抑えこんでも気持ちは膨らむばかり。
私のキャパシティはとっくに限界ギリギリでした、どうにかして発散しなければ過ちを犯してしまいそうなほどに。
頭の中はただでさえ姫様と姫様と姫様に埋め尽くされていたのに、笑顔を見るたびに、声を聞くたびに、触れられる度に、さらにさらに姫様と姫様で溢れて、パンクしそうになってしまって。
破裂したら私、きっと姫様を襲ってたと思います。
がばぁっ! って、寝てる姫様に漫画みたいにダイブして、口では言えないこと沢山しようとしたと思います。
でもそれは叶わなくて、私はきっと返り討ちにあって死んじゃうんです。
姫様にボコボコにされて、師匠にもズタズタにされて、心も体もノックアウトされるに決まってるんです。
姫様はもちろん、師匠のことだってそれなりには好きな自分にとっては最悪のバッドエンドです、それだけは絶対に嫌でした。
だったら、取る手段は一つだけ。
花は散るから美しく、ならばいっそのこと、まだ美しいうちに、惜しまれるうちに散ってしまえと。
非業の死を遂げるぐらいなら、せめて姫様に散らせて欲しい、そう考えての告白でした。
常識非常識なんて知ったこっちゃありません、犬扱いされてようがなんだろうがクソ食らえですよ、世の中に一人ぐらいペットと恋する飼い主が居たっていいじゃありませんか、アブノーマルばっちこいです。
要するに、当たって砕けろ。
進むも地獄、戻るも地獄、姫様を好きになってしまった時点で、私には回避という選択肢は残されていなかったのです。
「……?」
突然に告白された姫様は、鳩が豆鉄砲を食ったようにきょとんとしていました。
でしょうね、もし姫様と私の立場が逆だったら、私だって同じような顔をすると思いますよ。
私が正座をして真面目な顔になったあたりから何やら重大発表があることは察していた様子でしたが、さすがに告白までされるとは思ってもいなかったのでしょう。
予め告白することがわかってたら、「どうしたの、急に似合わない顔しちゃって」なんて茶化しつつ、私の真似をしてお茶目に正座なんて出来ないはずですもんね。
おかげでシリアスなシーンのはずなのに、何やらシュールな絵面になってしまいました。
ですが悔しいかな、姫様はふざけていても、ただ正座をするだけで絵になってしまうのです。
オーラがあるといいますか、ロイヤル感溢るるといいますか、さすがお姫様としか言いようがありません。
そこに首をかしげる仕草を加える事で、ロイヤルとキュートの相乗効果が生まれ、私のハートは返事を聞く前からブレイク寸前でした。
いや、ブレイクしちゃ駄目でしょうよ私。
成就が難しいことはわかってますが、失恋はお断りです、結果が出るまでは一片の奇跡を信じてみようじゃありませんか。
「えっと、それは愛の告白?」
姫様は今更過ぎる確認をしてきます。
妙な解釈をされないために、わざわざ愛してるって言ったのに。
やはりペットから告白されるというのは、それほどまでに信じられない出来事だったのでしょう、ですから私は率直に返答します。
「イエスです」
「友情ではなくて、愛情?」
「はい、狂おしいほどラブなんです」
「そう、なんだ。
えっと……その……」
私の言葉の真意を完全に把握した姫様は、何やら困った顔。
自分の両手を頬に当てながら、何やらきょろきょろと視線を彷徨わせています。
けれども頬はちょっぴり桜色に染まっていて。
ほんのちょびっとですが、手応えを感じちゃったりして。
『期待したって裏切られるだけだぞ』と語りかけてくる冷静な私は、この際無視することにします。
「どうしましょう?」
私に聞かれても困ります。
「ごめんなさい、急に言われても困りますよね、何も返事は今でなくともっ」
「違うの、そういう困ったじゃなくってね、その……」
なら、どういう”困った”だって言うんでしょうか。
ちなみに私は困った姫様が可愛すぎて困ってますよ、どうしてくれるんですかこのときめき。
「鈴仙のことは、もちろん好きなのよ?
いつもお話したり、お散歩したり、鈴仙が隣に居るといつだって私は楽しくって、幸せだったわ。
だからね、私は鈴仙のことを大切なお友達だと思っていたの」
「それは……」
思わず耳がしわくちゃにしおれてしまいます。
玉兎ごときが姫様に友達扱いしてもらうだけでも十分に幸せすぎるのですが、おこがましくも私が求めたのはさらにワンステップ先。
しかし、姫様はお友達だと言います。
つまるところ、所詮は友達止まりだと、そういうことなのでしょうか。
「思っていた……はず、なのだけど」
すっかり意気消沈していた私でしたが、姫様の言葉はまだ終わっていなかったのです。
九回裏ツーアウト、逆転満塁サヨナラホームランの可能性はまだ残っていたのです。
「どうやら、それが思い込みだったみたいね」
「お、思い込み?」
想像もしていなかった言葉に、思わず声が上ずってしまいます。
落ち着きなさい私、ここで取り乱して台無しになったらどうするのよ。
「鈴仙に対する好意は友情だと思っていたの、だから自分の反応に、自分自身で戸惑ってしまって。
私の想像では、告白を聞いても冷静で居られるはずだったのよ?
なのに――まさか、あなたの言葉がこんなにも胸に響くなんて考えてもいなかったから」
姫様はこちらに手を伸ばし、私の手の甲に指先で触れました。
私にとって姫様の手は宝石のようなもので、自ら触れることすら憚るほどなのですが、まさか姫様から触れてもらえるなんて。
ただそれだけで、飛び上がりたいぐらい幸せだったんです。
なのに、私の幸せはそれだけじゃ終わりそうにありません。
姫様は、それが私の聞き間違いでなければ、それが行き過ぎた愛が引き起こした幻聴などではないとするのなら、私の告白を”嬉しい”と言っているような気がするのですが。
やっぱり聞き間違いですかね? これは私の、夢なのでしょうか。
「ただ言葉を交わすだけで楽しくて、姿を見るだけで嬉しくて、手に触れるだけで体が熱くなって、視線が重なると張り裂けそうなほどに胸が高鳴る。
ふふ、考えてみればこれで友達止まりなわけないものね、鈴仙もそう思うでしょう?」
絹のように滑らかで、やわらかな感触が私の手のひらを包みました。
私だって一緒です、手を握られただけで死んじゃいそうなぐらい体が熱を帯びて、心臓がドキドキしてます。
手の感触が、すぐそこにある姫様の顔が、香りが、温もりが、すべて私の弱点なんです。
あらゆる方向から一番弱いとこを責め立てられて、私は今にも幸せに溺れて窒息して死んでしまいそう。
現在進行形でこんなにも姫様のことを愛しく思う気持ちが膨れ上がっているのですから、仮に運良く生き残ったとしても、私は姫様のこと以外何も考えられないポンコツ兎に成り下がってしまうのでしょう。
ああ、なんて幸福な。
幸せ過ぎて、胸が詰まって、この幸せを姫様に伝えたいのに、高ぶる感情が言葉を紡ぐことすら許してくれません。
姫様は深く澄んだ瞳で私の方をじっと見つめて、返事を待っているのに。
困りに困って、困り果てて、末に私がたどり着いた結論は、言葉が駄目なら行動で示せばいいじゃないかっていう、兎らしい安直な判断でした。
「れ、鈴仙!?」
姫様の手を握り返し、その手を私の胸に導きます。
恥ずかしいとかそういうことを考える正常な脳なんて残っていなくて、ただ今は、これしか出来ないって、そう思ったからそうしただけのこと。
思えば、言葉で伝えるよりもずうっと恥ずかしいことをしてるんですけど、それすら判断出来ないほど私の脳はオーバーヒートしていました。
その手を私の胸の谷間に沈ませて、心臓の一番近い部分にまで導きます。
姫様の顔は今まで見たこと無いぐらい真っ赤になっていて、緊張のあまり唇を一文字に結ぶその姿を、この網膜に焼き付けられただけでも生きててよかったと思えるほどでした。
「姫様、わかりますか?」
「え、ええ、とても柔らかくていい感触だわ」
「……いや、そうではなく」
揉んだ感想を聞かされても恥ずかしいだけです、思わずエロチックな気分になってしまいます。
いい感触って言われたのは嬉しいですよ、何ならもっと触ってもらってもいいぐらいです、いっそダイナミックに揉みしだいてもらっても。
お望みなら生でもカモンです、むしろウェルカムで。
ですが私たちはまだ恋人としての階段を登り始めたばかり、そんなピンクでハレンチでセクシュアルなコミュニケーションはまだまだ早いと思うんです。
そもそも、私は揉んで欲しくて胸を触らせたわけじゃありませんから。
「心臓ですって! 私の胸がドキドキ言ってるの、手のひらに伝わっていませんか?」
「ああっ、そっち、そっちね! そうよね、鈴仙がいきなりそんな大胆な真似するわけないものね!」
姫様、実はむっつりさんなんでしょうか。
案外、”姫様が可愛すぎてつい襲いそうになった”とカミングアウトしても、むっつりな姫様だったら許してくれるかもしれません。
姫様イコール清楚という方程式が脳内世界の常識になっていたのですが、今のでちょっと揺らいでます。
黒髪ぱっつんですよ、着物美人ですよ、なのに清楚じゃないなんて、とんでもない背徳感じゃありませんか。
むっつり姫様もアリなんじゃないですかね、いやアリですね、むしろそっちの方がそそる!
……って、そんなこと考えてる場合じゃありません、今はもっとプラトニックに、気持ちを伝え合う時間なんですから。
「ええ、よくわかるわ。とても強く……私と同じぐらいに高鳴ってる」
「これが私の気持ちです、姫様を想う分だけ鼓動してるんです」
「ということは、私もそれと同じだけ、鈴仙のことを好きってことなのね」
姫様は空いた方の手を自分の胸に当て、私の鼓動と自分の鼓動とを比べているようです。
好きの尺度なんて人それぞれ、鼓動が同じだからって同じだけ好きとは限りません。
想いの大きさを知る術なんてありません、私にできることは信じることだけ。
なので、私は馬鹿正直に姫様の言葉を信じようと思います。
私を喜ばせるための社交辞令かもしれませんが、そんな可能性、ご都合主義的に無かったことにしてしまいましょう。
姫様と私は同じだけ想い合って、世界中の誰もが嫉妬するぐらい相思相愛、それが真実なのです。
「その、鈴仙?」
「どうしたんですか、姫様」
「私達これで……恋人になったのよ、ね」
「改めて言うと恥ずかしいですが、そういうことだと思います」
自分でもいまいち自信が持てないのは、姫様が私の告白を受け入れてくれた、という事実がどこか現実離れしているからかもしれません。
いっそ夢と言ってくれた方が、もしくはどこからともなく”ドッキリ大成功”の札をてゐがが出てくるとか、そっちのが納得してしまうほどの夢物語。
「なんだか、現実味がないわ」
姫様もちょうど私と同じことを考えていたようで、触れ合う手をじっと見つめながら、白昼夢でも見ているようにぼおっとした表情をしています。
どこかふわふわとした、地に足がつかない気分。
『落ち着け私!』という自己暗示も、のらりくらりと躱されてしまいます。
夢心地といえば聞こえはいいのですが、実際は蜃気楼のようにおぼろで、瞬きの刹那に風に吹き飛ばされそうなほどに不確かな物。
せっかく恋が成就したのに、そのあまりの儚さに、幸せ一色だった気分にほんの少しの不安が混じって、波紋を広げ、白を灰色に染めていきます。
誰よりも現実だと言うことを知っているのは私自身のはずなのに、色々と上手く行きすぎて自分ですらその現実を信じられないのですから困ったものです。
「まるで夢みたいにふわふわしてる」
姫様も私と同じく、夢心地のようで。
この場にいるのは私と姫様二人だけ。
つまり現実が成立しているのは私達の認識があるからこそ。
その二人が夢だと認めてしまったら、本当に夢になってしまうではありませんか。
「……私は、そんなのやです」
だから、私は否定することにしました。
夢なんて。
幻なんて。
私は確かな物が欲しいんです、儚いものを愛でられるほど達観しちゃいません。
浅はかだと笑ってくれてもいい、目に見えるものが全てじゃないと説教してくれてもいい、ですが私の心には、そんな綺麗事は届きません。
結局のところ、信じられるのは確かな感触だけじゃないですか。
言葉だけじゃ足りず、手のひらだけじゃ満足出来ないから不安が消えないんですよ。
もっと強く、浅ましく、姫様を求めたってバチは当たらないはずです。
だって私達、もう恋人なんですから。
「こんなに幸せなんです、夢でたまるもんですか。
私は姫様を好きで、姫様も私を好きで、それが絶対不変の現実なんです」
どうせ胸は触られたんだ――と私はやけくそ気味に、勢いに任せて姫様の体をぐいっと引き寄せました。
姫様は小さく「きゃっ」と驚嘆の声をあげましたが、さして抵抗せずに私の胸に飛び込みます。
あれほど遠く、天の上の存在だった姫様は、こうして抱きしめてみると思っていた以上に小さくて、女の子らしくて。
普段は妹紅さんと殺し合いなんてしているくせに、その体は深窓の令嬢みたいに細く柔らかなんです。
姫様より弱くて臆病者のくせに、柄にもなく思っちゃいましたよ。
この人のこと、一生守りたいって。
「もうっ、前言撤回するわ。やっぱり鈴仙は大胆だわ」
姫様は甘えた口調でそう言うと、私の背中に腕を回しさらに体を密着させました。
体のラインが全身でわかるぐらいに押し付けられて、否が応でも不埒なことを考えてしまいます。
姫様だって十分大胆じゃないですか、ここまで密着されて、抱き合うだけで我慢できる兎なんてそうそういませんよ?
「そうですか? ……いや、そうですね、きっとそうなんでしょう。
私はこれでも兎です、獣なんですから、我慢なんて利かないのが当然なんです。
想った分だけ求めます、触れます、抱きしめます。
こうなったら、姫様が困っちゃうぐらいベタベタしてやるんですから」
そう言いつつも、襲いかかりたくなる欲求を必死に抑える私。
相手が私で良かったですね、私以外の兎なら姫様はこの場でインスタントに食べられていたでしょうから。
「あら怖い。
ここまで情熱的だと、じきに食べられてしまいそうね」
「もちろん、いずれそうするつもりです」
私の大胆な宣言に姫様は一瞬だけ驚きましたが、すぐに優しく笑ってくれました。
何も急ぐことは無いのです。
私は妖怪で、姫様は不老不死、時間なんて腐るほどあるのですから。
さすがに千年後まで我慢できる自信はありませんが、少しずつ恋人っぽいコミュニケーションを重ねていって、いずれそこにたどり着くのが私の目標です。
理想は三ヶ月? これは長過ぎますかね、だったら一ヶ月……いや、ひょっとすると一年ぐらいがいいんでしょうか。
とにかく、大事にしたいんですよ。
だって私、本気ですから。
出来れば永遠に、この気持ちを守って、抱いて、育てていきたいと思っていますから。
「……怖くないかと言われれば、嘘になるわ」
実は私も怖かったります。
だって姫様を傷物にするなんて、ここが月なら、想像しただけでも即打首だと思いますよ。
月でなくとも、師匠にバレたら私どうなっちゃうんでしょう。
「けど相手が鈴仙だと思うと、不思議と恐怖が失せてしまうの。
だから私はその日を――鈴仙が私に触れてくれる日を、楽しみにして待ってるから」
もはや手を出してもオーケーと言っているようにしか聞こえないのですが……我慢する必要あるのかな、私。
いやいや、ここは誠意を見せないと、姫様だって”いずれ”と言ってましたからね。
せっかく奇跡的に姫様と恋人になれたのに、ここで事を急いて姫様を傷つけるようなことがあったら、たぶん私は私を許せなくなってしまいます。
一生守りたいと言っていたくせに、たかが数十秒ですらその誓いを守れないのか、と。
それだけではありません、姫様を泣かせたりしたら、自分自身を許せないの以上に、師匠が絶対に許してくれないでしょうから。
説教とかお仕置きなんてレヴェルではなく、鈴仙優曇華院イナバという存在がこの世から消え去ってしまうような、筆舌に尽くしがたい罰を下されるに決まっているのです。
つまりこれは私の決意でもあり、私の自己防衛でもあるわけですよ。
情けない話ではありますが、おかげでこうして姫様と密着しても我慢出来ているんです、つまり結果オーライということで。
それに抱き合ってるだけでも、これはこれで良いものです。
満たされていくんです。
もちろん、性的な意味じゃありませんよ。
姫様の気持ちが伝わってきて、私の気持ちも伝えられて、私達両想いなんだってことが体全体で感じられますから、心が満たされていくんです。
もう夢だなんて疑う必要もありません。
温もりが、柔らかさが、そしてこの鼓動が、痛いぐらいに現実なんだって教えてくれていますから。
翌朝、目を覚ました私は真っ先に枕元を確認しました。
昨日起きた出来事すべてが夢だったんじゃないか――あまりに出来過ぎた展開に、思わずそう疑わずにはいられなかったのです。
枕元には、姫様から貰った手作りの香り袋が置かれていました。
顔を近づけると、姫様を連想させる気品のある爽やかな香りが鼻を通り抜けていきます。
『鈴仙のことを考えながら作っていたから、この香りになったのかもしれないわね。
でも今は従者じゃなくて恋人だものね、侍従の香り袋を渡すのも変かしら?』
もちろんすぐにもらいました、姫様の贈り物だったら私は何だって喜んで貰って、一生大事にしますから。
私は香り袋を手に取ると、それを胸のあたりでぎゅっと握りしめました。
物に固執しているわけではありませんが、こうしていると姫様と繋がっていられる気がしてくるんです。
姫様は同じ柄の香り袋をもう一つ作っていて、そちらは自分用とのことでしたから、ひょっとすると今頃姫様も私と同じようにこの袋を見て私のことを思い出してたりするんでしょうか。
以前の私なら、そんな偶然ありえないと一蹴していたでしょう。
ですが私はすでにとんでもない奇跡を起こしているわけで、だったらこの程度の偶然なら簡単に起きてしまうかもしれないと、妙な自信を持っていました。
目を閉じて姫様への思いを馳せます。
「姫様……」
昨日の温もりを思い出し、思わず頬が緩んでしまいます。
しばしその状態を維持していた私ですが、ふと重大な事実に気付いてしまいました。
「……別に思いを馳せなくても、会いに行けばいいだけじゃない」
同じ屋敷に住んでることを忘れてどうするのよ。
離れた場所で想い合うのも悪くはありませんが、結局は触れ合いに勝るコミュニケーションは無いのです。
思い立ったが吉日、私は大急ぎで布団を片付け、身なりを整え、自室を後にしました。
昨日は興奮のあまり遅くまで眠れなかったせいかいつもより随分と遅い時間に目覚めてしまったようで、部屋を出てすぐ空を見上げると、太陽は思った以上に高く昇っていました。
この時間なら姫様はとっくに起きていることでしょう。
ひょっとすると姫様は私を待っているかもしれない――
そんな都合のいい妄想に駆られた私は、はやる気持ちを抑えて早歩きで……いや、やっぱり無理だったので軽い小走りで姫様の部屋へと向かいます。
「お、鈴仙。おはよー」
その途中、庭で兎たちと戯れるてゐと遭遇しました。
頭の中が姫様でいっぱいだった私は、予想外の出会いにちょっぴり驚いてしまいます。
そうだった、永遠亭には私と姫様以外の住人も居るんだったわ、私としたことがうっかりうっかり。
「そんなに急いでどしたの?」
「ん? いや、別に急いでるわけじゃないんだけど」
つい誤魔化してしまいましたが、別に悪意があったわけではありません。
考えても見て下さいよ、素直に『私、姫様と恋人になったんだ』と話した所で誰が信じるでしょう。
私自身でも信じられなかったぐらいなのですから、正直に話した所で『まーた鈴仙の妄想が始まったよ』と笑われるのがオチです。
「うっそだぁ、どう見ても急いでたじゃないか。
あやしーなあ、何か良いことでもあったんじゃないの?」
「そう見える?」
「うん、見える見える。
いつもより生き生きしてるっていうかさ、顔に生気が満ち溢れてるよ」
自分でもいつもと同じで居られるとは思っていませんでしたが、まさか他人から見てもそこまでとは。
てゐが気付いたということは師匠も気付くでしょうし、これは誤魔化すのは難しそうです。
言うべきでしょうか。言うべきなんでしょうね。
絶対に信じてくれないでしょうけど、全財産賭けたっていいぐらいです。
「実は、さ」
「うんうん、実は?」
面白そうな話を聞けそうな気配を察したのか、てゐは興味津々と言った感じで私の話に耳を傾けています。
次の瞬間にはがっかりしてるてゐの顔が容易に想像出来てしまいます。
「私ね、姫様とお付き合いすることになったの」
「……あー」
ほらね、見ての通りです。
見飽きた顔、そして続くのは聞き飽きた台詞。
「まーた鈴仙の妄想が始まったよ、期待して損しちゃった。
ここは現実だよ? もしかしてまだ寝ぼけてる? 都合のいい夢でも見てる?」
聞きましたか今の、私の予想と一語一句違わないてゐの反応を。
我ながら恐ろしい予知能力です、自分で自分が怖くなるほどですよ。
ほんっと、わかってたこととはいえ、嫌気が差してきますね。
疑うにしても、1%ぐらいは信じてくれたっていいじゃありませんか。
「てゐ、今回ばかりは妄想なんかじゃないのよ。
姫様は私に好きって言ってくれたし、昨日なんて一日中抱き合ってたわ」
「うわぁ、鈴仙の妄想もついに五感を支配するまでになったかあ、早く現実に帰ってこないと大変なことになるよ。
私たちこっちに帰ってこれなくなった鈴仙の介護なんてまっぴらごめんだから」
周囲に居る兎たちも、てゐの言葉に同意するように首を縦に振りました。
いや、確かに私はてゐほど古参の兎じゃないけどさあ、もう少し信じてくれたっていいんじゃないの?
「最初から現実しか見てないですー! 信じられない気持ちもわかるけど、本当に本当なのよ」
私の必死の訴えも虚しく、てゐの表情は変わりません。
こりゃ私が言った所で無駄かな、と諦めかけていると、廊下の向こう側から誰かが近づいてくる音が聞こえてきます。
現れたのは、文字通り救いの女神様。
その名も蓬莱山輝夜。
ああ、寝起きの姫様もこれまたキュート、まさに女神と呼ぶに相応しいとは思いませんか?
本当に私なんかの恋人になっちゃっていいんでしょうか、引き立て役としては十二分に仕事を果たせている自信はありますが、恋人としては赤点どころの話じゃありません。
「お、姫様だ。
ちょうどよかったじゃん、姫様に聞けば全部わかるだろうしね」
てゐがニヤニヤと笑っているのは、否定されて私が赤っ恥をかくと思い込んでいるからでしょう。
それほどまでに、私と姫様が恋人同士になることを”ありえない”と頑なに決めつけているのです。
ふふん、残念だったわねてゐ、いつもやられてばかりだけど、今日に限っては恥をかくのはあんたの方よ。
「おはようござ……」
てゐが足取り軽く姫様に駆け寄り、元気に話しかけます。
しかし、どこかぼんやりとした表情の姫様は、そんなてゐを見事にスルー。
よく見ると、姫様の頭はいつもよりボサボサで、寝癖まで立っている始末。
こんな有様で出歩くなんて姫様のプライドが許すとは思えません、つまりまともな状態では無いということです。
それでも可愛いのがすごいんですが。
「……あれ?」
姫様はそのままてゐの前を通り過ぎると、私の方へと一直線で向かってきます。
いくら姫様の機嫌が悪いと言っても今までてゐを無視するようなことはありませんでした。
これには、さすがのてゐも戸惑い気味です。
しかし戸惑うてゐをよそに、姫様は私の方へと近づいてきます。
一直線で、私にぶつかりそうな距離になっても全く減速せずに。
「姫様!?」
私は大慌てで体制を整え、衝撃に備えます。
ぼふん、とそこそこの勢いで私の胸に飛び込んできた姫様の体を、私はよろめきながらもどうにか受け止めることに成功しました。
私の戸惑いもよそに、姫様はそのまま私の胸に顔を埋めると、服をぎゅっと握りながら肩を震わせました。
「れーせん……れえせん……っ」
「ちょ、ちょっと姫様、どうしたんですか!?」
私の名前を呼ぶ姫様の声は弱々しく、まるで母親に甘える子供のようで、抱きしめて支えてあげないと今にも崩れてしまいそうです。
寝起き早々に姫様に泣きつかれるなんてはっきり言って滅茶苦茶嬉しいんですが、どうやら手放しで喜べるイベントでも無いようで。
だってあの姫様が泣いてるんですよ、これは非常事態です。
喜んでる場合でもなければ戸惑ってる場合でもありません、恋人としてやるべきことは、まず姫様を慰めること。
私は両手で姫様の体を抱き寄せると、優しく声をかけながら背中を撫でました。
「姫様……大丈夫です、何も不安になることなんてありませんから」
何が大丈夫なのかは知りませんが、それで姫様の不安が解消できると思ったのです。
幸いにも私の言葉は姫様の心まで届いたようで、服を握る姫様の拳から少しだけ力が抜けていきます。
しかし姫様は相変わらず私の胸に顔を埋めたままで、まだまだ予断を許さない状況。
まあ、今の私の顔を見たらきっと姫様は呆れてたと思いますけどね。
姫様に抱きつかれたせいで、デレッデレに緩んでますから。
そんな私達のやり取りを、てゐは少し離れた場所で唖然としながら見ていました。
いつもは一方的にやられてばっかりですから、思わず心のなかで小さくガッツポーズしてしまいます。
「鈴仙、鈴仙……」
姫様は冷静さを取り戻してきたのか、たどたどしかった口調も少しずつ元の、品のある口調に戻っていきます。
それでも完全に元通りとは言い難く、姫様は絶えず私の名前を呼び続けていて、その不安が完全に解消されたわけではないことはすぐにわかりました。
こうやって抱きしめるだけで姫様の傷が癒えるって言うんなら、私は喜んで抱きしめ続けましょう。
一時間でも、夜までだって、いっそ永遠でも構いません。
「そう何度も呼ばなくとも私はここに居ますよ、これから先もずーっと傍にいますから」
「うん、うん……」
泣き顔が見れないのが残念、なんて思っちゃう私は間違いなく恋人失格ですよね。
でも思っちゃうんです、思って当然なんです、だってあの姫様の泣き顔なんですから。
「ごめんなさい、急に泣いたりして」
私から体を離した姫様は、苦笑いしながら手の甲で目の周りをごしごしと擦ります。
その目は真っ赤に腫れていて、先ほどの涙が演技では無かったことを証明しているようでした。
私は慌てて表情筋に力を込め、情けなく緩んだ顔を強引にシリアスモードへと切り替えます。
「構いません、私の胸で良かったらいつでも貸しますから、辛いことがあったらいつでも使ってください。
けど……どうして急に、泣いたりなんて」
恋人になった私の前でならともかく、ここにはてゐだって居るのに。
プライドの高い姫様が他人の前で泣くなんて、よっぽどの理由があるに違いありません。
命の危機とか、月が落ちてくるとか、世界が滅びるとか、きっとそんな規模のとんでもない理由が。
「夢を見たのよ。
あなたがいつか、いなくなる夢を」
しかし姫様の口から語られたのは、想像してたよりもずっと小さな……と言うより私が勝手に期待しすぎただけなのですが、それにしたって意外なぐらい普通の理由でした。
期待値が大きすぎてどう反応していいのかわかりませんが、姫様が私ごときが居なくなっただけで泣いてくれると言うのですから、ここは素直に喜ぶべきなのでしょう。
「本当にごめんなさい、急にあんなことしたんじゃ誰だって困るわよね。
大切な人が出来るといつもこうなの。
いずれ訪れる別れを想像して、急に不安になってしまって、とっくに慣れてもいいはずなのに」
やけに人間らしい、と言うと姫様に失礼かもしれませんが、そういう感情表現が私のイメージしている姫様と噛み合わなかったものですから、戸惑ってしまったのはそれが原因です。
私が姫様を好きになったきっかけは、おそらく”憧れ”だと思うんです。
高嶺の花を見上げながら、あの人と一緒に生きられたらどんなに幸せだろう、と想像することが楽しくて。
姫様とお付き合いするなんて、『一生遊んで暮らせるぐらいのお金を拾ったらどうする?』という馬鹿げた問答に似ていて、万が一にも実現するとは思っていませんでした。
そんな姫様が急に私とそう変わらない感情表現をしてみせるから、イメージとの齟齬に対応しきれなかったんです。
だからといって、がっかりしたってわけじゃないんですが。
確かに姫様は高嶺の花ではありましたが、私は高嶺の花だから姫様を愛したわけじゃないんです。
愛したからこそ高嶺の花だったんですよ。
問答無用で愛してしまうほど魅力的だったからこそ、高嶺の花なのだと、自分には見合わないのだと、そう勝手に思い込んでしまったのですから。
つまりですね、姫様が身近な存在だってことがわかって、私はうれしいんですよ。
今よりさらに、昨日よりずっと、今日の姫様のこと、愛せる気がするんです。
「ひゃっ!?」
慰めようとか考えるよりも先に、体が動いていました。
一度離れた姫様の手を気持ち強めに掴むと、強引に引き寄せます。
姫様を驚かせてしまいましたが、構いやしません。
私、昨日言いましたから、想った分だけ求めて、触れて、抱きしめるって。
姫様はそれを理解した上で私を受け入れてくれたんです、だったら多少驚かせた所で何が悪いっていうんですか。
過保護な師匠がそれを咎めるっていうんなら、そんなお説教は私が一笑に付してやりますよ。
「迷惑なもんですか!
長い時間を生きてきた姫様の全てを、ほんの一日や二日で理解できるとは思ってません。
隠したいことだってあるでしょう、聞きたくないことだって沢山あるでしょう。
でも、それでも愛せると思ったから、沢山のマイナスがあったって構うもんかって、そんなものは姫様への愛情で全部包み込んでやるって、そう決めたからこそ、私は姫様に想いを伝えたんです。
一方的に私の気持ちを押し付けるために告白したんじゃありません、あらゆる感情を受け入れる覚悟がなきゃ、最初から告白なんてしてませんよ」
「鈴仙……」
「だから、今は大人しく抱きしめられててください、せめてその涙が乾くまでは」
「……うん」
少しナルシズムなセリフになってしまいましたが、私の気持ちは生半可な物じゃないって伝えたかったんで仕方ありません。
シラフなら笑って終わりでしょう。
けど今の私たちは恋に酔っているんです、装飾過多でも過ぎることはありません。
それでも私の台詞を笑うっていうんなら、姫様を見て下さいよ。
私に抱きしめながら、瞳をうるませて――こんなにも心に響いてるじゃありませんか。
私の言葉は姫様に向けたもの、その姫様が満足してくれたのなら、他の誰の評価も必要無いんです。
「愛されてるわね、私」
「ええ、愛してますね、私」
「ふふ……ありがと、もう怖くないわ」
それは、社交辞令じみた嘘でした。
私を想ってくれている証拠でもありますから嬉しいといえば嬉しいのですが、やはり私が有限の命である限りは、姫様の恐怖が完全に消えることは無いのでしょう。
私に出来ることなんて、その不安を限りなく小さくしてあげることだけ。
抱きしめて、愛して、愛されて、常にあなたの隣りにいますと、命の証明をすることだけ。
「そうそう、加えて言っておきますが、私はこれでも妖怪なんです。
伊達に玉兎はやってません、人間みたいにお行儀よくあっさりと死んでやるもんですか。
仮に死神がお迎えに来たとしても、姫様の隣に寄り添う限りは、どんな方法を使ってでも追い返してみせます」
「頼もしいわね、馬鹿げた話だとわかっているのに、今の鈴仙の言葉なら何だって信じてしまいそう」
「信じてください、たぶん私、姫様のためならどんな不可能だって可能に出来ると思いますから」
もちろん気のせいでしょうが、けどやってみないとわからないじゃないですか。
「おーい」
愛の力って、私自身ですら計り知れるものではないのですから。
「二人とも、誰か忘れてない?」
それに、これで姫様が笑ってくれるんなら、例え他人にビッグマウスって笑われたって構いやしません。
「ねえ、さすがにそれは酷くない? そこまで無視するわけ?」
第三者の笑顔を千人分束ねたって、姫様のこの笑顔には叶わないのですから。
「……はぁ、蚊帳の外にも程が有るよ」
抱き合って二人の世界に入り込んできた私達の耳に、誰かさんの呆れかえった声が聞こえてきました。
完全に忘れてました、そういえばここにはてゐも居たんでしたね。
「これは普段の意趣返しと受け取ってもいいのかな?」
「て、てゐっ!? 嘘でしょう、居たの? 今の見てたの!?」
「姫様、そりゃあないよ……」
てゐの存在に初めて気づいた姫様は、慌てて私から離れました。
しかし、さすがのてゐもこれにはしょんぼりのようで。
てゐの耳がしわくちゃになってる姿なんて、見るの何年ぶりでしょう。
姫様ったらてゐの挨拶を無視するなんて酷いなあと思ってましたけど、存在にすら気づいてなかったんですね。
つまり私に首ったけ、貴女だけしか見えないって状態だったわけですよね、いやあ照れちゃうなあほんと。
「ねえてゐ、さっきのやりとり見てたでしょ?
私は何度も言ったわ、事実だって、夢なんかじゃないって。
なのに”嘘だ、信じられない”なんて、挙げ句の果てには妄想呼ばわりまでされて、謝罪の一言も無いなんて酷い兎もいたもんね」
私はこれ以上無いぐらいのしたり顔でてゐに言ってやりました。
ええ、言ってやりましたとも。
いつもの復讐ですよ、やられてばっかりってのは私の性に合わないんです。
「くぅ……わかったよ、ごめんってば。
今日ばっかりは私の負けを認めるよ、てっきり鈴仙の病的な片思いだと思ってたのに」
病的って何だ、せめて一途とか言いなさいよ。
「てゐ、その言い方だと、まるで以前から鈴仙が私を好いているのを知ってたように聞こえるのだけれど?」
「もちろん知っていましたよ姫様、顔を合わせれば姫様姫様と、こちらが聞かなくても聞かされてたぐらいです。
鈴仙の話に対して、”はいはい妄想お疲れ様”と言うのがお決まりのパターンになってしまうほど、昔から姫様に夢中でしたから。
本当は今だって姫様に抱きつかれたのが嬉しくて、幻想郷中を叫びながら駆けまわりたいぐらい有頂天外な気分でしょうよ」
さっすがてゐ、私の事よくわかってるわ。
昨日の夜だってほとんど眠れず、ようやく寝付けたのは空が白みかけた早朝のこと。
なのにこの時間に目が醒め、その上全く眠くないと言うのですから、姫様と恋人になったその時から、興奮はこれっぽっちも冷めていないのでしょう。
「鈴仙ったら、そこまで私のことを……」
「一応は、私なりの言葉で全部伝えたつもりだったんですが」
「本人から聞くのと他人から聞かされるのとでは違うわ。
もちろんあなたの言葉も信じているし、とても嬉しい。
嬉しすぎて、昨日は夜遅くまで眠れなかったぐらいよ」
考えてみれば、姫様は起きて一番に私のところに来たわけですから、目を覚ましたのは私と同じぐらいの時間ってことですよね。
夜更かしした私と同じってことは、姫様も私と同じだけ目が冴えていたってこと。
つまりは同じぐらい好きってことで……ってこの同じぐらいってくだり、昨日もやった気がします。
でも、嬉しい物は嬉しいんで。
どうしましょうこれ、昨日から嬉しいことばっかりで、わざわざ駆け回らなくても体が勝手に浮き上がりそうなぐらいテンション上がっちゃってます。
姫様の前でみっともない姿は見せられないのに、耳がこんなに立ち上がってたんじゃバレバレに決まってるじゃないですか。
「けれど他の人から聞くと、一つ一つ確証を得て、愛情が世界から認められていくようで、また違った嬉しさがあるの。
もちろん二人の世界も大切にしたいけれど、私たちはこんなに素敵な恋をしてるぞー! って世界中のみんなに自慢したいし、私達の恋の成就をみんなに祝福して欲しいじゃない?」
「なんとなく、分かる気がします」
他人の評価なんて気にしてるつもりはありませんが、どうせなら好意的に迎えられたいですもんね。
それに、本人から”好き”って聞くよりは、他の人から聞かされたほうが信憑性がありますし。
「あー……あっつぅー……」
再び置いてけぼりにされたてゐが、わざとらしく襟元をパタパタさせながら言いました。
しまった、一瞬だけどてゐの存在を完全に忘れてた。
姫様もてゐの存在をすっかり忘却の彼方に追いやっていたようで、気まずそうな顔をしています。
「えっと……とりあえず、また後でお話しましょう」
「そうですね、今度は二人きりで」
姫様は私に軽く手を振ると、そそくさと自室へと戻っていってしまいました。
案外姫様は恥ずかしがり屋のようで、てゐが居る前でいちゃいちゃするのは本望ではないようです。
私も出来れば誰の目も無い方がいいかな、特にてゐの目の前だとからかわれてまともにコミュニケーション出来ないでしょうし。
「行っちゃったか」
「行かせたんでしょう」
「そうとも言うかな」
ついさっきまで悔しがっていたてゐはすっかり元の様子に戻り、去っていく姫様の方をじっと眺めています。
そして姫様が居なくなったことを確認すると、私の方を向き、両手を頭の後ろに回しながら喋り始めました。
「しっかしさ、鈴仙も相当変わってるよね」
「変わってる? 姫様は誰から見ても美しい人だと思うけどね、好きになるのは当たり前よ」
「そうじゃなくって、私はてっきり姫への想いはただの憧れなんだと思ってたよ。
まさか本当に告白して、つがいになっちゃうなんてさ」
つがいと言うほど深くつながったつもりはありませんが、要は恋人になったことを言っているのでしょう。
しかし変わっているとは、憧れと恋心は隣接した感情ですから、同時に抱いていたとしても妙な話では無いハズです。
「鈴仙は月が嫌になってはるばる逃げてきたわけじゃん?
それこそ命がけで、裏切り者の汚名を背負ってでも逃げ出したかった。
なのに、わざわざお姫様のつがいなんて面倒な役割を自分で背負い込むなんて、私にゃ正気とは思えないけどね」
「てゐにとっては、姫様の恋人って役割はそこまで重い物なんだ」
「違う?」
確かに、例えば同じ種族である兎相手なら、もっと気楽に関係を持てたかもしれません。
寿命についても悩まなかったろうし、師匠にどう話そうとか、余計な悩み事を背負う必要も無かったのでしょう。
でも――
「些細なことよね、それって」
要は、そういうことです。
てゐの言うとおり、同種族を恋人に選んだ時よりは多くの困難を背負うことになるのでしょう。
でも姫様と恋人になるって事実を天秤にかけた時、もう確認するまでもなく結果は出ちゃってるんですよ。
困難など所詮は有限でしかありません、対して愛情は無限、比べるまでもありません。
「わお、かっこいいこと言ってくれるね」
てゐは茶化し気味に、しかしほんの少しだけ本気で驚きながらそう言いました。
思えば、私自身にとってもそれは意外なことだったのかもしれません。
生まれ故郷である月を守るという役目に対してもそこまで夢中にはなれなかったし、ましてや命を賭けようだなんて思うことも無かったというのに、姫様一人にここまで心を奪われているのですから。
てゐの言うとおり、変わっている――いえ、変わってしまったのでしょう。
「重責が些細ねえ、よっぽど好きじゃないとそこまでは言えないよ。
憧れ程度だと思ってた私の目が節穴だったってことか、あーあ、まだまだ修行が足りないなあ」
「私程度も見破れないようじゃまだまだね」
「それ、自分で言ってて虚しくならない?」
「師匠や姫様、それに加えてあんたみたいなのを相手にしてるのよ?
自虐程度で虚しくなってたんじゃ生きていけないっての」
言っておきますが、相手が悪すぎるだけで、妖怪としての力だけなら私だって平均値よりずっと高い力を持ってるはずなんですよ。
……たぶん、ですが。
頭だって、世間一般の平均に比べれば悪くないはずなんです。
本来なら自虐なんて必要ないはずでした、同居人が彼女たちでさえなければ。
問題は能力だけではなく、彼女たちの性格にもあります。
誰も彼もがサディスティックな性格をしていて、必然的にカースト最下層に位置する私が虐げられることになるんです。
特に師匠は勘違いしてそうですが、私は決してマゾヒストではありませんし、虐められて喜んでるわけじゃありませんからね!
そこだけははっきりと宣言させてもらいます。
「なるほど、鈴仙がここまで強くなれたのは、私達のおかげってことだね」
「仮にそれが事実だとしても、口が裂けても感謝はしないけどね」
それを強さと呼ぶのなら、私は弱いままでいたかった。
おかげで姫様と恋人になれたって言うんなら、まあ受け入れないでもないですが。
「話が逸れちゃったね」
「軌道修正してもそんなに話すことは無いわよ」
「私はもう少し聞いてみたいかな、姫様とお付き合いするにあたっての鈴仙の覚悟とかさ」
「聞いてどうするのよ、言質にでもする?」
「後学のためだよ、悪いようには使わないから」
”自分にとっては”悪いようには使わないってだけとしか思えません。
どうせ数十年経って私が忘れた頃に、『鈴仙はこんなに恥ずかしいことを言ってたんだぞー』とか言いふらして、私を笑い者にするんでしょうね。
ふん、上等じゃあないですか。
だったら私は、今日の自分の言葉を恥じなくていいように、十年後も百年後も姫様のことを愛し続けてやりますよ。
今と同じに、いいや今以上に、あの頃の私はその程度だったのかって、逆に私が鼻で笑えるぐらいに強く、大きく。
「月並みな言葉になるけど、私は姫様のためなら命だって賭けられると思ってるわ」
「月のためには命を掛けられなかったのに?」
「比べるまでもないわね、冷たいと思うなら思ってくれて構わないわ。
けどね、事実なのよ。
姫様のために今すぐ死ねと言われたら死ねるし、姫様のために永遠に死ぬなと言われれば生き続けてみせる、一切の躊躇無しにね」
「熱いなあ、里心よりも恋心、か。
それ聞いたら、月の仲間たちが泣くよ?」
「その涙に姫様の涙の何万分の一の価値があるって言うのかしら」
それに、どうせ泣いてくれる仲間なんて居ないでしょうし。
いや、まあ一人か二人ぐらいは泣いてくれるのかな、でも月と地上の距離を埋められやしないじゃありませんか。
所詮私は脱走兵、裏切り者、今の私の居場所は姫様の隣しか無いのですから。
「だめだこりゃ、すっかり恋に狂っちゃってるね」
「悪くない気分よ、てゐも相手を探してみたら?」
「やめとく、私にゃそういうのは似合わないね」
ごもっとも、てゐが素直に恋をする姿なんて想像できません。
尤も、私と姫様が恋に溺れる姿というのも、実際にそうなるまで想像できなかったのですが。
案外、てゐもいざ恋をするとドハマりするタイプかもしれませんね。
「そういやさ、お師匠様にはこのこと話したの?」
急な話題転換、自分の恋愛事情はよっぽどてゐにとって都合の悪い話題だったのでしょうか。
てゐの弱みを握れそうなので追求したい所ですが、藪蛇を突くのも嫌なのでやめときましょう。
「姫様が自分で話すって言ってたわ」
「なるほど、それで……」
「何がなるほどなのよ」
「んー……実際に見たらすぐにわかると思うけど」
どのみち師匠との対話は避けられない壁になるとは気付いていましたが、そういう言い方をされるとさすがに怖気づいてしまいます。
いっそはっきりとどうなっていたのか話してくれたほうが……いや、聞いたら聞いたでそっちの方が怖い気もしますし、聞かないならそれもそれで恐ろしいですし。
……どっちにしたって怖いのに変わりはないんですよね、私にはどちらがマシか選ぶことしかできないと。
「知らないより知ってる方がマシだわ、聞かせてよ」
「鈴仙が望むような情報は持ってないんだけど、勝手にがっかりしないでよね。
朝見かけた時に、顎に手を当てて神妙な顔して、ずっと何かを考えこんでたんだよ。
すっかり自分の世界に入り込んで、私が挨拶しても全く気付かないほどさ」
てゐはふてくされたようにそう言いました。
なるほど、挨拶を無視されたのは姫様だけじゃなかったわけね。
朝だけで二回も挨拶を無視されるなんて可哀想だとは思いますが、普段の行いが悪いだけに相応の報いとしか言いようがありません。
ざまあみろ、と心のなかで二、三度大笑いしてやりました。
「でもこれで原因がはっきりした、要は鈴仙と姫様がつがいになった話を昨日の夜にでも姫から聞いたんだろうね」
「ということは――」
「十中八九、呼び出されるんじゃないかな」
そんな話をしていた矢先、何者かの足音が廊下の向こう側から聞こえてきました。
噂をすれば影がさすといいますが、まさか本当に現れるとは。
心の準備をする時間ぐらい与えて欲しいですよ、師匠。
「優曇華、ちょっと面を貸しなさい」
しかもそれ、ゴロツキが路地裏に女子を連れ込む時の台詞じゃないですか。
「鈴仙がんばれー」
「応援するならせめて少しだけでもそれっぽい顔しなさいよ!」
さっきの復讐と言わんばかりに、わざとらしくにたりと笑いながら煽ってくるてゐ。
少なくとも私にとって良い話じゃないのはわかりきってるわけですから、そりゃあもうてゐにとってはたまらなく楽しいシチュエーションでしょうね。
先ほどてゐが言っていた通り、師匠は何やら神妙な顔をしていて、怒っているのかすら判別できません。
師匠は私の返事を聞くよりも早く踵を返し、自分の部屋のある方へと戻っていきます。
問答無用でついてこいと、そういうわけですか。
傍若無人なのは今に始まったことではありませんが、今日の師匠からはいつも以上の不気味さを感じてしまいます。
はてさて、一体どんなお説教を受けるのやら。
見慣れた師匠の部屋へと入った私は、促されるままに椅子に座りました。
師匠はデスクの傍にある椅子に座り、位置関係はちょうど医者と診察を受ける患者と同じように。
これじゃ診察ってより、気分は尋問を受ける敗残兵って感じですけど。
いっそ先手を取って謝ってしまおうかとも思いましたが、そもそも私は悪いことはしていないのですから、謝る必要はありません。
姫様と愛し合うこと自体には何の問題もありませんし、私には非など無いのです。
そう、もしも師匠が私達が恋人になったことを糾弾すると言うのなら、私は真っ向から戦ってみせようじゃありませんか。
……出来る限り、ですけど。
いやだって相手が悪すぎるんですもん。
「はい、これ」
椅子に掛けて最初に言われたのはそんな一言で、同時に私の手のひらには薬包紙に入った粉薬がのせられました。
はい、と言われましても私にはこの薬が何なのか全く知らされておらず、もちろん師匠と違って見ただけで判別するほぼ超能力に近い力は持っていません。
となると、師匠は私が情況証拠からこの薬が何なのか、答えを導き出せるだろうと判断して渡したのでしょう。
しかし師匠は無言のプレッシャーを私にかけてきて、今すぐにでも飲まないと潰すと言わんばかりの、殺意の篭った視線を私に向けています。
考える間もなく、私には飲む以外の選択肢はないのでは。
けど、何の薬かもわからずに師匠の薬をいきなり飲むのはあまりにリスクが高すぎるし、これはさすがに……。
「あの、師匠」
「あら飲めないの? 飲めないのならそれでも構わないけれど」
「いえ、そういうわけではないんですが、これは一体」
「だったら躊躇してないで早く飲みなさい、ほら」
「し、師匠?」
いつもより強引な、というかどこか子供じみた様子で薬の服用を私に強要してきます。
はっきりしているのは、これが碌な薬じゃないってことです。
今の師匠はどこからどう見ても冷静じゃありません、姫様が私を選んだという事実はそれほどまでに師匠にとってショッキングな出来事だったのでしょうか。
だとすれば、これは毒薬?
いや、師匠が姫様の悲しむようなことをするとは思えません、私が傷つけば姫様が心を痛めることぐらい、容易に想像できるはずなんです。
したがって、師匠は何があっても私に危害を加えることは許されません。
だったら、この薬は――
思考の間にも師匠から発せられる殺気から逃げ場を失った私は、時間稼ぎをするように薬包紙の包みを少しずつ少しずつ開いていきます。
師匠は私を傷つけられない。
しかし師匠は、おそらく私を傷つけたいのです。
師匠の今の表情をストレートに受け取るとするのなら、姫様を奪った下賤の輩をこらしめたいと、そう考えているように思えました。
少なくとも弟子に向ける顔じゃありません。
だとすれば、私を傷つけず苦しめる方法なんて、ひとつしかありません。
いや、師匠ならそういった手段をいくつか持っているかもしれませんが、私の思いつく方法は一つしか無かったのです。
ならば、何もためらうことなんてありません。
ですが一つだけ、どうしても私だけでは解決できない問題がありました。
「やっぱり飲めないのね」
「いや、と言うか……」
「言い訳は聞きたくないわ、あなたがどういう覚悟で輝夜と想いを通じ合わせたのか、よくわかったから。
あえて薬の正体を明かさずにいたけれど、その薬が何なのか、察しの悪いあなたでもとっくに気付いているはずよね」
「蓬莱の薬、ですか」
そう、私に渡されたのはおそらく本物の蓬莱の薬。
私がどれだけ頼み込んでも絶対に見せてくれなかった、師匠の功績であり罪でもある、何もかもの元凶。
わかってるんですよ、要するに師匠はこれを飲むことで、姫様の人生を背負う覚悟を見せてみろと、そう言いたかったのでしょう。
師匠は過保護な人ですから、いわば結婚相手の父親みたいなポジションで、うちの娘はお前にはやれんと言った心境なのだと思います。
理解できます、把握もしました、そして覚悟も済ませています。
いいでしょう、飲みましょう、飲んでやろうじゃないですか、それで姫様の永遠分の愛情を受け取れるっていうんなら、容易く飲み込んでみせましょう。
でも、ですよ。
「その程度の覚悟では、あの子の人生は預けられない」
「ですから、私の話聞いてくだ」
「嫌よ言い訳なんて聞きたくないわ。
そんな無責任さで、どうして輝夜のことを支えられると思ったの?」
うわあ、この人いつもにも増して面倒くさいぞお。
元から私の話を聞いてくれる人じゃありませんでしたが、今日は輪にかけて酷いです。
完全に自分の世界に入り込んで、出題から結論まで全て自己完結しちゃってます。
仮に私が豪快にこの薬を飲み干したとしても、これじゃあ許してくれるか怪しいものですよ、何かと文句をつけてさらなる条件を要求してくるかもしれませんから。
勢いに任せて飲まなくてよかったのかもしれません。
まあ、今のままじゃそもそも飲めないんですけどね。
「師匠」
「永遠ってのはそんなに簡単な物じゃないわ」
「師匠!」
「とても重い物なの、辛いものなの、それを一時の恋心でどうにかしようなんてっ」
「……あの、だから」
「甘いわ、甘すぎる、師匠として恥ずかしいわ、どうしてこんな考えの浅い弟子に育ってしまったのか……。
少しでもあなたに見込みがあると思ったのが間違いだったのね、一時の感情に流されて過ちを犯すなんて、所詮あなたは獣畜生でしか無かったのよ!」
「……」
ああ、もういいや。
イライラはとっくに最高潮で、相手が師匠だろうが我慢できる限界を超えています。
言ってやりましょうよ、ええ、好き勝手言われたんなら好き勝手言ってやるしかないんですから、言ってやろうじゃありませんか。
この際上下関係なんて関係なしです。
人の話も聞かないで、気持ちも知らず、聞かず、言いたい放題ボロクソ言ってくれて――!
「八意永琳ッ、話を聞けええええええええぇぇぇぇぇぇっ!」
勢いに任せて立ち上がり、永遠亭全体に響くほどの大声で私は叫びました。
初めてですよ、師匠のことを呼び捨てで読んだの。
いつもの師匠相手なら、呼び捨てで呼ぼうものならこっぴどく叱られて、その後のお仕置きで私は一週間は寝こむことになるでしょう。
もはや、お仕置きと呼ぶより拷問と呼んだほうが相応しいのかもしれません。
想像するだけで体が震えます。
それほどまでに恐れていたはずなのに、不思議と今の私には一切の恐怖はありませんでした。
「……うどん、げ?」
だって師匠ったら、ぽかんとした間抜けな顔で私を見上げてるんですもん。
いつもの聡明な師匠なんて跡形もありません。
そんな顔を見て怯えるわけがないんです、恐怖どころか、むしろ下克上を成し遂げた満足感で気分が高揚するほどで。
でも、これで満足してちゃあ駄目なんですよね、実に下らない本題はこれからなんですから。
どうして私が薬を飲まなかったのか、その理由を師匠にも分かるように説明してやろうじゃありませんか。
「はぁ……はぁ……い、いいですか師匠っ、あなたは人の話も聞かずに好き勝手言ってましたけどね、飲めって言うんなら私だって飲みますよ!
姫様のためだって言うんなら、それが師匠が許してくれるんなら、それはもう簡単に飲めちゃいます、不老不死だろうが永遠だろうがなんだって来やがれってもんですよ。
私だって生半可な覚悟で告白したつもりはありませんから!
ええ、飲んでやりますとも! こんな物一口で……そう、飲めるもんなら」
師匠の眼前に薬を突き付け、私は強く主張します。
考えても見てください、これ、粉薬なんですよ。
私に渡されたのは粉薬を包んだ薬包紙のみ、しかもオブラートもなければカプセルに入っているわけでもないんです。
「ねえ師匠、これでどうやって飲めって言うんです!?」
「それは……」
普段の師匠なら一目で気付くはずですよ。
それをじっと見て考えこんで、これが何よりも師匠が冷静じゃない証拠です。
「……あっ」
「そうです、そうですよ!」
どうやら師匠はようやく気付いたようです。
単純な話なんですよ。
医者じゃなくても、ただの人間でも、すぐに気付く致命的な欠落。
ねえ師匠――粉薬を、どうやって水も無しに飲めと言うのですか?
「私は最初から水をくれって言いたかったんです、それを遮って、私の話も聞かずにペラペラと自分のことばかり!
人の話はよく聞くようにって、こんな子供みたいなこと弟子に指摘されるなんて恥ずかしくないんですか!?
事が事ですから、師匠の気持ちもわからないでもないですが、それでもあんまりですよ!」
ほら下らないでしょう、笑えないぐらい下らないでしょう、でも言わせなかったのは師匠ですからね。
むしろ下らないからこそ私は怒ったんですよ、勝手に独りよがりに私の気持ちを否定してくれちゃって、それが条件だって言うんなら蓬莱の薬だろうが何だろうが飲んでやるっての。
水無しでも飲める人はいるかもしれません、でも私は無理です。絶対にむせます。
薬が胃まで到達しない可能性だってありますし、肺に入り込むと肺炎の恐れもあって結構危ないんですよ。
蓬莱の薬がどういった形で私の体に不老不死を与えるのか想像もつきません、ひょっとすると口に含んだだけで不思議パワーで不老不死を得られる薬なのかもしれませんが、師匠の反応を見る限りそれは無さそうです。
そもそも蓬莱の薬って粉薬でしたっけ……確か壺に入ってたはずですよね、わざわざ飲みやすいように粉末にしてくれたんでしょうか。
そこで気を使うなら水ぐらい用意して欲しかったです、師匠。
まあ、師匠は姫様に対してかなり過保護でしたから、そんな姫様が急に弟子と恋人になったなんて聞いたら、混乱してしまうのも仕方無いことなのかもしれません。
師匠に一言も相談せずに告白してしまったことに関しては、私にも非があるのでしょう。
ですが、だからといってこんな理不尽はあんまりです。
「なんてこと……私としたことが、冷静さを失っていたみたいだわ」
ため息吐きたいのはこっちですよ、まったく。
俯きながら額に手を当て、大きく息を吐く師匠はようやく普段の聡明さを取り戻しつつあるように見えました。
これなら、まともに話も出来るかもしれません。
「姫様から聞いたんですよね、私とのことを」
「ええ、惚気話をたっぷりとね、おかげで今日は朝から酷い目眩だったわ」
「そこまでですか……」
「そうよ、そこまでよ、そこまでなのよ!?
信じられるわけがないわ、あの可愛い可愛い輝夜が、よりによってこの優曇華と懇ろな間柄になるなんて!」
てゐの”つがい”と言い、師匠の”懇ろ”と言い、どうしてうちの住人は微妙に聞こえの悪い言葉を使うのでしょう。
言っておきますが私達、まだ肉体関係どころかキスすらしてませんからね。
しかも”よりによって”だの”この”だの、私を何だと思ってるんですか。
私だって恋ぐらいしますよ。
それに姫様が惚れてくれるぐらいなんですから、それなりに魅力はあるってことですよね。
ってことは私、自信持ってもいいんはずなんですよ、なのにこんな言われ方されたら自虐的にもなるってもんです。
「その薬、返してもらってもいいかしら」
「飲まないと認めてくれないんじゃないですか?」
「私が認めなかった所で、輝夜があなたを愛している以上はどうしようもないじゃない。
それに昨日の今日でこんな薬を飲ませるわけがないわ、千年経っても輝夜のことを愛していたら、その時に考えなさい」
そう言うと、師匠は私の手から薬をひょいと取り上げてしまいました。
少し残念なような。
さっきと言ってることが正反対ですしね、それだけ我を失ってたってことなんでしょうけど。
でも、今の言い方だと、千年後になら考えてもいいってことですよね。
千年なんて、姫様と二人ならきっとあっという間です、抱き合ってキスとか色んなことしてたら一瞬ですよ。
ただ師匠からしてみれば、私が何を言った所で”口でならどうとでも言える”としか思えないでしょうから、自信があるなら実行してみろと、そういう師匠からの挑戦状として受け取っておきます。
「限りある生命でなければ、あの子の心に傷跡は残せない」
「……急にポエムですか?」
電波でも受信したんでしょうか、まともな精神状態とは思えません。
まだショックから抜け出せてないんですかね。
「違うわよ、どうして私がこんなにも冷静さを欠いてしまったのか、その理由を言っただけよ。
たぶん私は、妬んでいたのでしょうね。
私にはどう足掻いても手に入れられない物――”死”を持つあなたが羨ましくて仕方なかった、だから嫉妬で感情を制御できなくなってしまった」
「私、まだまだ死ぬつもりはありませんよ」
「けれど死の可能性がある、ただそれだけで輝夜の心を揺さぶることが出来る。
絶対に消えない物より、いつか消えてしまう物を愛おしく思うのは当然のことだもの」
さっき姫様が泣いてたのも、たしかそんな理由でしたね。
だとすれば、私は余計に永遠の命が欲しくなります。
姫様の心を不安にするぐらいなら、有限の命なんて簡単に捨ててやりますよ。
それに、私を好きになった理由が”死ぬかもしれないから”なんて、そんなの嫌に決まってます。
私自身を好きになってほしい、そうじゃなきゃ恋とは呼べません。
「不安があるから心安らぐ瞬間が存在するの、揺らがない感情はただの無でしかない。
死なない私は、あの子に不安を与えることすら出来なかった。
天才なんて呼ばれてる私がどんなに頭を捻っても、有限の命を持つ優曇華には及ばなかった」
「姫様にとって師匠は家族みたいなものじゃないですか、わざわざ頭を使わなくても、姫様にとって師匠は大切な人ですよ」
一番や二番なんて関係なしに、私だって師匠のポジションが羨ましいと思いますから。
恋人にはなれても、家族にはなれませんからね。
「嬉しい言葉ね。
けど、あなたに敵わないという事実は変わらないわ。
何よりも現実がそれを証明してるじゃない、私から輝夜を奪ったのはどこの誰だったかしら?」
師匠は、たぶん姫様と恋をしたかったわけではないのだと思います。
ただ一番大事な人でありたかった、誰よりも優先される存在でありたかった、そんな独占欲を満たしたかっただけの話。
今まではその場所に自分が立っていました、二人は私が生まれるより前から一緒に居たのですから、その場所が誰かに奪われるなんて想像すらしていなかったのでしょう。
しかし、師匠が最も恐れていたであろうその瞬間は、何の前触れもなくやってきてしまった。
実際の順序付けなんて姫様にしかわかりません、実は今だって私より師匠の方を大事に思っているかもしれませんし。
でも重要なのは姫様がどう思っているかではありません、師匠が私の方が上だと、そう認識してしまったという事実なのです。
「ああ……ごめんなさい、これじゃまるで八つ当たりよね、今日の私はてんで駄目だわ、まるで使い物にならない」
師匠は頭を抱えながら、自分を諌めるように顔を伏せました。
「優曇華は何も悪くないのに。
選ぶのは輝夜で、もう答えは出てるのよ。
それでも納得出来ないなんて、これじゃまるで駄々をこねる子供ね」
「それもそれで、人間らしい感情だと思いますよ」
人間離れした師匠相手にこの言葉がフォローになるかはわかりませんが。
「似合わないでしょう?」
「感情に似合うも似合わないもありませんよ、たまにはらしくなくてもいいんじゃないですか」
「……優曇華に励まされるなんて、ますます自信が無くなってきたわ」
「師匠、実は意外と余裕ありますよね?」
師匠らしいと言えばらしいんですが、これならさっきまでのしょんぼり師匠の方が良かったです。
何度もいいますが、私は決してマゾヒストじゃないんです、、虐げられて悦んでるわけじゃないんですってば。
折角励ましたんですから、今ぐらいは素直にお礼を言ってくれたっていいじゃないですか。
私だって下心から励ましたわけじゃないんですから。
「ま、なんにせよ結果はもう変わらないんですもの、輝夜があなたを選んだ以上は、どうやったら二人が幸せになれるかを考えていくしかないわね」
「応援してくれるんですか?」
「しないと姫が悲しむじゃない」
あくまで姫様が第一なんですね、わかってましたけど。
知ってますよ、私なんてどーせただの実験動物なんです、姫様に比べれば塵芥みたいなものなんです。
「昨日の話を聞いて、輝夜がどれだけ本気なのか十分に理解したわ。
私が説得した所で引き裂くことなんてできるはずもない、不可能ではないでしょうけどあの子を悲しませることになってしまう、だったら私のやることはひとつよ。
もちろん、あなたがあの子を幸せにするために尽力することが前提だけどね」
「そんなの言われなくたってそうするつもりです」
他人に言われるまでもなく、私は自分の命をそのために使うと誓ったのですから。
「だったら問題無いわ」
良かった、絶対に許さないって言われたらどうしようかと心配してましたから、師匠が応援してくれるんなら百人力ですよ。
私が安心して胸をなでおろしていると、すぐに師匠は一言付け加えました。
「ただし――輝夜を泣かせたりしたら絶対に許さないから、それだけは理解しておいてね?」
とびきり意地悪に笑いながらそう言うものですから、私は思わず体をぶるっと震わせてしまいます。
しかも、表面上は笑っているように見えるのですが、目だけは完全に笑っていません。
と言うかこの師匠から発せられるピリピリとした感じ、これ殺気ですよね。殺す時の目ですよねそれ。
私、姫様から想われてなかったら今すぐにでも殺されるんじゃないかな……。
蛇に睨まれた蛙の気持ちが痛いほどわかります。
一筋縄では行かない人なのは身を持って体験してきましたが、これって本当に応援してくれてるんですかね?
どうやらまだ、手放しで喜ぶには早過ぎる状況のようで。
私のこめかみを冷や汗がつぅと流れて行きました。
どうして私の周囲には素直に祝福してくれる人が一人もいないんでしょう、泣きたくなってきますよ。
私としては、師匠との話が終わったらすぐにでも姫様と二人きりになりたかったのですが、そうは問屋が卸してくれません。
師匠ったら、応援してくれると言ったくせに面倒事ばっかり押し付けてくれちゃって。
結局、私は師匠に命じられるままに人里まで用事を済ませに行かなければならなくなり、寂しそうに私を見送る姫様の視線を背中に受けて、罪悪感の中、永遠亭を離れなければなりませんでした。
私が師匠の命令に逆らえるわけがありませんからね、姫様が拗ねずに、むしろ私の境遇を憂いてくれたのは不幸中の幸いでした。
一応、永遠亭を発つ前にほんの少しの間だけ姫様とお話したのですが、手を繋いで見つめ合ったからって、それだけで満足できる恋心ではないのです。
もちろん、幸せな時間ではありましたが。
師匠の用事を済ませ、永遠亭に戻れたのは日も傾き始めた夕方のこと。
すぐにでも姫様の部屋で二人きりになってやろうと意気込んでいたのですが、私が帰ってくる頃には夕食の準備もかなり進んでいて、どうやらさらにお預けになりそうな雰囲気でした。
迎えてくれた姫様は不満そうな顔をしています。
ですが私を責めたりはせず、なぜか背中から抱きついてきて、ぐりぐりと額を押し付けてくるだけでした。
姫様なりの不満アピールなのでしょうか、そんな可愛らしい事されても私に出来ることなんて愛情表現ぐらいしかありませんよ。
私だって自分が悪いと思っているわけではありませんが、さすがにここまでタイミングが悪いと、姫様に対して申し訳ない気持ちが湧き上がってきます。
会えなかった時間を埋められるような、心の篭ったお詫びをしたい――ここで私のポケットから登場するのがこちら、シルバーのティアドロップネックレス。
どうしてこんな物を持っているのかと言うと、人里で半ば押し付けるように買わされてしまったのです。
うっかり耳が見えてしまったのが運の尽き、買わなかったら妖怪だってバラすって言うんですよ、あー人間怖い。
ですが物自体はそう悪いものでは無いようで、値段も本物の銀を使っているのなら相応なのでしょう。
勢いでポケットから取り出してしまったものの、果たしてこんなハイカラなアクセサリーを、いかにも和風なファッションを好む姫様が気に入ってくれるかどうか。
それに、まず姫様相手にアクセサリーを買ってくること自体が間違ってるんじゃないかとも思うんですよね、だって姫様って、私がいくら身売りしても買えないようなお宝いっぱい持ってるじゃないですか。
……いや、渡す前から自信を失くしてちゃ駄目ですよね、値段は大した問題じゃありません、大切なのは気持ちなんですよ。
そう、気持ちが大事、気持ちさえあればどうにかなる、頑張れ頑張れ! と自分を勇気づけつつ、私は姫様の手にそっとプレゼントを握らせました。
姫様は金属の冷たい感触に気付くと背中から額を離し、ネックレスを肩口あたりまで持ち上げます。
どうやら肩越しに何を握らされたのか確認しているようです。
本来なら振り返って姫様の反応を見るべきなのでしょうが、怖くて見られませんでした。
なんだかんだ言ってもやっぱり自信は無いんです、姫様に似合うネックレスなんて私のセンスで選べると思えませんから。
ただ、もう不安で涙を流さないで欲しいと、そう思ったからあのネックレスを選びました。
その気持ちだけは本物なんです、それを姫様が汲み取ってくれれば、あるいは、万が一にでも。
「……」
背中を向けたままで何らかの反応を待っていたのですが、待てども待てども姫様は一言も言葉を発せず。
しばらく待っていると、なぜか再び私の背中に顔を埋めてしまいました。
拗ねてるんですかね。
やっぱり、こんな物じゃ満足出来なかったのでしょうか。
「姫様?」
不安に駆られた私は、恐る恐る呼びかけましたが反応ナシ。
こんなタイミングでプレゼントを渡した私も悪いのですが、夕食の準備はこうしている間も着々と進んでいるのです、あんまり時間をかけていると、てゐか師匠が見に来てしまうと思うのですが。
「ずるいわ」
待ちに待った姫様の第一声は、そんな言葉でした。
私、何かずるいことなんてしましたっけ?
「こんなことされたら、もっと好きになってしまうに決まってるじゃない」
そう言うと、姫様はさらに強く、痛いぐらいに私の体を抱きしめました。
その力は私が苦しくなるほどで、どこか八つ当たりをしているようでもあります。
しかしそれ以上に苦しいのは私の胸の方で。
そんな、”もっと好きになる”なんて言われたら、私のほうがもっと好きになっちゃいます。
「しばらくこのままで居なさい」
「でも夕食が」
「あなたに拒否権は無いの、これは私からの命令よ。
それに……大丈夫よ、少しぐらいなら永琳だって大目に見てくれるわ」
確かに、師匠が姫様を咎めることはないでしょうね。
……私がどうなるかは知りませんが。
「せっかくですし、前から抱き合っちゃダメですか?」
抱きついてもらえるのは嬉しいのですが、せっかくだったら互いにハグしたいじゃないですか。
「だめ」
「そう言わずに」
「だーめ」
「どうしても姫様の顔が見たいんです」
「っ……そうやってまた誑かすんだから」
誑かすとは人聞きの悪い、素直に自分の気持ちを伝えてるだけですよ。
「おかげで変な顔になってしまったわ、だから余計にダメ。
これは鈴仙のせいよ、だから大人しく言うことを聞きなさい」
「はあ」
姫様の変顔は是非とも記憶に収めておきたいのですが。
とはいえ姫様の機嫌を損ねては元も子もありませんから、今日は我慢しておくことにしましょう。
「甘く見ていたわ、もっと初心で不器用な子だと思っていたのに」
プレゼント自体は喜んでくれているはずなのですが、姫様の口調はなぜだかご機嫌斜めな雰囲気。
顔が見えないのではっきりとは言い切れませんが、なぜか拗ねているように感じられます。
どうしてこうも永遠亭の住人は素直じゃない人ばかりなんでしょう、姫様の場合はそれが可愛いので許しちゃいますが。
「案外、狡猾なのね」
「私はただ必死で……さっきのプレゼントだって私のセンスで選んだ物ですから、姫様が喜んでくれるか不安でたまらなかったんですよ」
「むしろそっちの方が困るわ。
いっそ狙ってくれれば私だって対処のしようがあるのに」
「対処しないでください、私は姫様に喜んでもらいたいだけなんです」
「だからそれが困るって言っているのよ!」
何がどう困るのか言ってくれないと、私も対処しようがありません。
それとも言わずともわかるだろうと、私を試しているのでしょうか。
それはとんだ難問ですよ、無茶にも程があります。
しかし姫様は、過去に五人の男性にお付きあいする条件としてとんでもない難問を出したそうではありませんか。
つまり、すでに付き合ってる私に対して難問が突き付けられるのは仕方のないことなのかもしれません。
いいでしょう、この鈴仙が見事にその解を導き出してみせようじゃありませんか。
「姫様は、今の顔を見せたくないんですか?」
「見せたくないってわけじゃ……」
「泣き顔は見せてくれたじゃありませんか」
「あれはっ……その、不可抗力よ、見せたくて見せたわけではないの。
今だってそうよ、鈴仙が余計なことをしなければ顔を隠す必要は無かったんだから」
結局見せたくないんじゃないですか。
要するに、普段は見せない表情をしている自分の顔を見せたくないと言うことなんでしょう。
しかし隠されると余計に見たくなるといいますか、私は姫様を幸せにしたいわけですから、おそらく今の姫様の表情こそ私が求めている物だと思うのです。
「姫様、言っておきますが私、これから先も今日みたいなこと続けるつもりですから。
恥ずかしげもなく、自分の気持ちをありったけの言葉と行動で姫様に伝え続けます」
「今日だけじゃないってこと?」
「千年先も姫様の隣に寄り添ってるつもりですよ」
何なら万年先だって、それ以上だって、胸を張って宣言できます。
「千年後も今日と同じようにしてくれるの?」
「千年分想いが強くなってるんです、今日どころじゃ済みません」
「……それってつまり、遠回しに表情を隠したって無駄だと言っているのよね」
伝わったようで幸いです。
今日より明日の方が、明日より明後日の方が、より強く姫様のことを想っているのですから、想いの表現は日々エスカレートしていくしかないんです。
なのに、姫様は毎度私の背中に抱きついて、顔を隠し続けるっていうんですか?
姫様が喜んでくれればそれでいいんです、でもどうせなら姫様の喜んでいる顔を網膜に焼き付けたいと、恋人としてそう願うのはおかしなことではないはずですよね。
「ああ、なんて嘆かわしい。
こうやって、少しずつ垣根は壊されていくのね。
でも……きっと、それが恋をして、あなたを受け入れるってことなんだわ」
私はとっくに姫様に染められていましたから、姫様が望むのなら何もかもを受け入れる準備はできています。
しかし姫様が望んでくれるようになるためには、私が姫様の心を染めるしかないのです。
こうして少しずつ、今までタブーだった壁を壊して、侵食して、私という存在を姫様に流し込んでいく。
……いえ、決して卑猥なことを想像しているわけではないのですが。
「あなたを受け入れて塗りつぶされる瞬間の、この抵抗感すらもいずれ消えてしまうほど夢中になってしまうのかしら。
恋は素敵な物だけれど、さすがにそれは少し怖いわね、私が私で無くなってしまうようで」
まだ恋に慣れない私たちですから、一つ一つの行為に抵抗感があるのは仕方のないことなのでしょう。
ですが姫様がそれを望まなかったとしても、そのうち姫様が自分から求めるようになるほどに好きにさせてみせますから。
「姫様がそうなってくれるよう頑張りますね」
「頑張らなくていいの!
地上に居る今でも私は姫なのよ、相応しい立ち居振る舞いって物があるの」
それは割と今更だと思うんですが、世のお姫様たちは夜な夜な殺し合いなんてしませんし。
「鈴仙相手だったらある程度は許していいとは思うけれど、それでも私が色恋沙汰に溺れて我を忘れるなんてこと――」
姫様が互いに適度な距離を保った恋をしたいと望んでいるのなら、それでもいいのでしょう。
ですが姫様、私の理想はその程度では満足しないのですよ。
情熱が、一歩間の距離を”まどろっこしい!”と拒むのです。
考えても見て下さいよ、恋を許し、体を許し、しかし溺れず威厳を保ちたいなどと、そのような都合の良い恋、私が許すとお思いですか?
「私が好きなのは蓬莱山輝夜という女性です、姫がどうとか関係ありません。
私はあなたに溺れたい、あなたを私に溺れさせたい、我を忘れて求め合いたい、そう望んでいます」
「ま、またそういうっ」
姫様の体温がまた一段と熱くのなるのが背中越しにわかりました。
なんとなくですが、姫様がどんな顔をしているのか、私には想像がついているのです。
師匠に察しが悪いと称される私ですら想像できるぐらいなんですよ、そもそもこれで隠せる気になってる時点で姫様の理論は破綻してるんです。
いつもの姫様だったらそれぐらいとっくに気付いているでしょうに。
「あれ、姫様ったらまた変な顔になっちゃいました?」
「……っ、あんまりからかわないでよ」
悪意は無かったのですが、ついついからかうような口調になってしまいました。
これも姫様の言動が可愛すぎるのが悪いんですよ。
しかし私の言葉は姫様は怒らせてしまったらしく、私に抱きついていた腕を離すと、二、三歩ほど私から距離を取ります。
愛しき感触が無くなった寂しさに思わず振り向いてしまった私でしたが、幸いと言うべきか不幸にもと言うべきか、姫様は俯いておりその表情を見ることはできませんでした。
「すぅぅ……はぁぁ……」
離れた勢いでそのまま逃げられてしまうのかと思っていたのですが、姫様はそこで立ち止まると、何故か大きな深呼吸を繰り返しました。
どうやら気合を入れているようで、深呼吸を止めると小さく「よしっ」と掛け声をかけます。
「あ、すいません姫様、さすがに今の軽薄すぎました、決して悪意があったわけではっ」
掛け声を聞いて嫌な予感がした私は慌てて弁明しましたが、姫様の耳までは届いていないようです。
気合を入れた姫様が拳を握ると同時、次の瞬間の衝撃を予見した私は思わず目を閉じます。
ですがそれが良くありませんでした、だって目を瞑ったらいつ殴られるかわからないじゃありませんか。
鋭敏になった聴覚に、一歩、二歩と静かな足音が聞こえてきます。
視覚で認識する以上の恐怖に、私は思わず体をぶるりと震わせました。
「どうして目を瞑るのよ、こっちを見なさい、怒ってないから」
「ほ、本当ですか? ぶったりしませんか?」
「恋人の言うことを信じてくれないのかしら」
卑怯ですよそれは、逆らえるわけがないじゃありませんか。
私は恐る恐る目を開きます。
待つのは修羅か般若か――虐げられ続けた私の性根は、姫様の言葉を聞いてもなお信用できずにいたのですが、私を待っていたのは悪鬼の類ではなく、それとは真逆の女神なのでした。
そう、そこには、私がしつこく見たがっていた、念願の姫様の赤面した顔があったのです。
「……何か、言いなさいよ」
何かと言われても、浮かぶ言葉なんてそう多くはありません。
過ぎた装飾はむしろ無粋ですから。
単純に、純粋に、思ったことを言葉にするのが最も相応しい評価だと思いました。
「姫様、可愛いです」
「そ、そういうことじゃなくって!」
他にどう言えと。
「姫様、綺麗です」
「だからそういうお世辞じゃなく!」
そう言われましても、他に言いようが無いのですが。
まず前提として、姫様は自分の容姿がどれほど私に対して凶器足りうるか、その価値をわかっていないんです。
怒った素振りを見せるくせに頬は緩んでいて、表情の端々に時折見せる喜びを隠しきれておらず、こんなの可愛い以外に言いようがないじゃありませんか。
深い瑠璃色の眼は私を睨みつけているくせに微妙に潤んでいて、こんなの綺麗以外に表現のしようがないじゃありませんか。
ただ立っているだけで絵になる姫様にそんな感情のスパイスを加えたら、魅力のメーターなんて容易に振りきってしまうに決まってます。
「いっそ笑ってよ、じゃなきゃ恥ずかしすぎて死んでしまうわ」
笑えるもんですか、私は今にも暴走しそうな感情を抑えるので精一杯なんですから。
笑顔なんて物を自在に出せるほど精神的に余裕は無いんです。
私は無言のまま姫様を見つめ、姫様も何かを堪えるように下唇を噛みながら、真っ赤な顔のまま私の方を睨みつけています。
なんですかこれ、にらめっこですか?
こんなにもアンフェアなにらめっこがかつてあったでしょうか、卑怯ですよ姫さま、こんなの私が勝てるわけありません。
「な、なんでそっちまで赤くなってるのよお!」
「だって、姫様がこんなにも可愛いんですよ!? 仕方ないじゃないですかっ!」
「そういうわざとらしいお世辞をやめてって言ってるの!」
「私は本気で思ってるんです!」
「わかったわ、百歩譲って鈴仙が本気でそう思っているとしましょう。
それでも構わないわ、けれど言葉にするのをやめて欲しいの」
「どうしてです?」
「言われる度に私の心がかき乱されて、色んな物が崩れてしまうのよ。
私が、私でいられなくなるっていうか、垣根を壊すにしても急すぎるの」
姫様は姫様です、それは崩れているわけではなく、殻を剥いでるだけだと思うのですが。
「自分でも知らない自分を誰かに見せるなんて怖すぎるわ。
相手が鈴仙だからなおさらよ。
私、あなたにだけは嫌われたくないのよ、だからお願い」
私の見たことのない、どんな姫様でも絶対に愛してみせると誓っても、きっと姫様は納得してくれないんでしょうね。
私が”大丈夫”と言っても中々安心できない、そんな人なんでしょう。
まだ付き合い始めて一日目ですから、手放しで信頼されるほどの関係は築けていません。
いずれ、とは思いますが今の姫様にそこまで求めるのは無茶ってものでしょう。
だったら違うアプローチで姫様に訴えかけてみましょうか。
あまりやりたくはありませんが、姫様の都合ではなく、私の都合を押し付ける形で。
「どんなに姫様に拒まれても、そればかりは聞けないお願いです」
「なっ、どうしてよ、あなたが我慢したらいいだけじゃない!」
恋人になっても私たちは月人と玉兎、その上下関係が完全に無くなったわけではありません、
その驚きぶりを見る限り、姫様は私が命令に背くなんて全く考えていなかったのでしょう。
「簡単に言ってくれますが、私だって姫様を困らせるのは本意ではありません、できるなら最初からそうしています」
私にだって羞恥心はあるんです。
恥ずかしいことを言っている自覚はありますよ、姫様以外には絶対に言えない言葉ばかりです。
それでも言ってしまうのには、相応の理由があるということです。
「ねえ姫様、今の私が何を考えているのかわかりますか?」
「私を説得したい?」
「いいえ、姫様に触れたいと思っています」
「へっ?」
姫様の顔がまた一段と赤くなりました。
このままどこまで赤くなるんでしょう、最終的にはゆでダコみたいになっちゃうんですかね。
「姫様を抱きしめたい、姫様の唇を奪いたい、いっそ姫様を抱き上げて私の部屋まで連れ去って押し倒して、体中を弄んでしまいたい。
そんなことばかり考えているんです」
「待ちなさいっ、確かに楽しみとは言ったけれど、まだそれは早いんじゃ……」
「わかってますよ、私だって少しずつ姫様の距離を縮めたいと思っているんです。
けど膨れ上がる欲がそれを許してくれない。
彼らは今すぐにでも姫様の全てを私の物にしたいって、私の中で強く叫び続けているんです。
他の方法で発散しなければ、すぐに溢れ出てしまうほどに」
私の意図がこれで姫様に伝われば良いのですが。
「脅迫よね、それ」
「違いますよ、ただの現状認識です」
「はぁ……つまり、仕方ないことだって言いたいのね」
「はい、てっきり私とお付き合いを決めた時点で覚悟した物だと思っていました」
私、最初にきっちり宣言したはずですよね。
想った分だけ求めて、触れて、抱きしめるって。
急なスキンシップで姫様を驚かせてはいけないと思って、今は手加減して言葉だけで済ませているというのに。
なのに姫様の方から抱きついてきて、私がどれだけ必死に耐えてると思ってるんですか。
でも、これから先も今と同じってわけじゃありませんよ、姫様が慣れてきたら少しずつエスカレートさせていくつもりですから。
それこそ、てゐや師匠が呆れてしまうぐらいに。
「私、あなたの気持ちを少し甘く見てたみたいだわ。
思えば鈴仙にリップサービスなんて器用な真似できるはずがないものね、全部言葉通りだったのよ」
少し馬鹿にされてる気もしますが、概ね姫様の言うとおりです。
「私、姫様の前では事実しか話しませんから」
「嬉しい言葉のはずなのに、今は少しだけ怖いわ」
愛が重すぎるってやつですかね。
てゐも似たようなことを言っていましたが、世間一般と比べて自分が特別だと思ったことはありませんけどね。
姫様もてゐも恋に夢中になったことが無いから知らないんだけなんですよ。
もっとも、姫様は今から夢中になってしまうわけですが。
私、そうなるように頑張っちゃいますからね。
「……わかった、無駄な抵抗はもうやめにしましょう。
あなたの言葉も、行動も、想いも、全部素直に受け止めることにするわ」
「そうして頂けると助かります、姫様の顔が幸せそうにとろけるところ、ずっと見ていたいぐらいですから」
「と、とろけてた? そこまで?」
「はい、見てるこっちが幸せになるぐらいゆるゆるになってましたよ。
姫様のあの顔見てると、私までとろけちゃいます」
表情だけじゃなく頭の中まで蕩けてしまって、思考なんて意味を成さなくなるんです。
愛おしさだけしか認識できなくなって、私は純度100%の姫様で埋め尽くされてしまいます。
「あ……」
「どうしました?」
「いや……そっか、可愛いってそういうことだったのね。
鈴仙の気持ちが少しだけわかったわ」
「もしかして私の顔、とろけてました?」
「ええ、もうデレデレになっていたわ、見てる方が幸せになるくらいにね。
確かに、可愛いだったり綺麗だったり、そんな単純な言葉しか出てこなくなるわね」
想像しただけで緩んでしまうとは、少し気持ちを引き締めないと。
姫様の前ならともかく、師匠やてゐの前で顔を緩ませていたのでは何を言われるかわかりませんからね。
「ねえ、鈴仙。
もう一回、私の顔を見た時の言葉を言ってくれないかしら?」
「可愛いとか、綺麗とかですか?」
「そうそう」
姫様は今度はうつむくこと無く、まっすぐに私と視線を絡めあいます。
相変わらず顔は真っ赤ですが、私を睨みつけていた時とは大違いの、穏やかな笑顔が顔には浮かんでいました。
「姫様、可愛いです」
「……うん」
「姫様、綺麗です」
「うん、うん」
「姫様、愛しています」
「私もよ、愛してるわ」
こそばゆい言葉の応酬に、私たちは思わず顔を突き合わせて吹き出すように笑いました。
特に面白いことを言った覚えも無いのですが、なぜだか無性におかしくて、なぜだか無性に愛おしくて。
笑いながら私たちは自然と距離を詰めていました。
一歩ずつお互いに歩み寄ると、自然と姫様の腕が私の首の後ろに回されます。私は姫様の細い腰を抱き寄せました。
背中から抱きしめられて一方的に頼られるのも悪くありませんが、やはりこうして抱き合って、お互いに支え合うのが一番だと思うんです。
「鈴仙」
「姫様」
鼻の先を触れ合わせながら、お互いの名前を呼び合います。
またそれが何故かおかしくって、私たちはまたくすくす笑うのです。
その後も何度か「鈴仙」、「姫様」と呼び合い、それはまるで引力を増す呪文のように作用して、唇と唇の距離を近づけていきます。
「れいせん」
「ひめさま」
姫様は鼻にかかった声で、私にしなだれるように密着していました。
あの姫様が私に甘えている、媚びている、その事実が私の熱をさらに増大させていくのです。
もはや私達を遮るものは何もありません。
姫様も拒むことをやめたのです。
ですからあとは、求めるがまま、求められるがままに、思い描いた結果が待っているだけ。
少し湿った、やわらかな感触が私の唇の先に触れました。
一度触れ、一瞬だけ躊躇うように離れると、再び唇の先に暖かく柔らかな感触。
次は躊躇することなく、さらに強く、深く、姫様の唇が押し付けられました。
首に回された腕に少し力が篭もり、私の頭が引き寄せられます。
私も釣られて、腰に回した腕に力が入ってしまって、唇だけでなく体までぴたりとくっついてしまいました。
喋っている姫様を見ている時、思わず唇を見てしまうことがありました。
食事をしている時もそう、私は姫様の唇を見て、あの唇と触れ合えたらなあ、なんて不埒な想像をしていたのです。
想像するだけで唇に甘い痺れが走って、きっと実際の唇はこんなもんじゃないぐらい柔らかくて、気持ちいいんだろうなあなんて考えていたのですが。
――甘かった。
私の考えも、そして姫様の唇も。
舌を這わせたわけでもないのに甘くて、そして溶けるようにして私の唇に密着して、しっとりと絡んでくる。
ただ唇を触れ合わせているだけなのに、官能すら感じさせるほどに、甘美な感触。
癖になる、なんてもんじゃない。
もう一瞬たりとも離したくない、出来ることならこのまま一つになってしまいたい、そう望むほどに虜になっていました。
気持ちが昂ぶって、次第に息が荒くなっていきます。
姫様も私と同じようで、吐息が私の頬をくすぐりました。
これで、もっと深く触れ合ったらどうなってしまうのでしょうか。
唇をあわせているうち、そんな考えに至ってしまうのは仕方のないことだと思います。
いつもの臆病な私なら考えるだけで終わりなのでしょうが、今日の私が理性のタガが外れてしまっているのです。
信じられないほど自分の欲求に正直に、私たちは唇を擦れ合わせ始めていました。
最初は動いているのかも定かではないほど微かに。
動きは次第に大胆に、情熱的に、天井知らずに高まっていくのです。
もはや唇同士の情交とでも呼ぶべきなのかもしれません。
心音を高鳴らせながら甘い快楽に酔う私たちは、それでも足りないと、さらに先を求めようとしていました。
開いた唇、その奥にある湿ったむき出しの感覚器を。
「っ、あ……」
私の舌先に、ぬめりとした感触。
それと同時に、反射的に漏れる濃艷な声。
どちらの声かはわかりません、ひょっとすると二人共、だったのかもしれません。
とにかく未体験の感覚に私たちは驚いてしまって、舌先が触れると同時に慌てて唇を離してしまったのでした。
「はっ、はっ、はぁっ、はぁっ、はあぁっ……ぁ……」
我を忘れ唇を求めてしまった気まずさに、私たちは視線を合わせようとはしません。
しかし抱き合う腕はそのままに、距離は変わらず、吐息が聞こえるほどに近いままでした。
二人の荒い吐息が玄関に響きます。
「れい、せん……あの、ごめんね」
「こ、こちらこそ、ごめんなさい」
いつか”食べる”と言っておきながら、キスだけでこの有様です。
結局のところ、その段階までたどり着くまでには、いくつもの手順を踏んでいくしか無いのでしょう。
今日はその、第一歩ということで。
……第一歩にしては進みすぎた気もしますが。
「あんなに、止まらないものなのね」
「私もびっくりしました」
たかがキスだ、前座だと、完全に舐めてました。
「でも……あの感覚、嫌いじゃ無かったわ」
感覚だけでも、記憶だけでもなく、たった数十秒キスを交わしたという事実が、私達の関係を劇的に変えてしまったような気がします。
ただのペットから恋人にランクアップできたのだという、確かな実感があるのです。
姫様が私を見る目も少し変わったような気がします。
もう元には戻れないと、ある意味無常で、そして至上なる、境界線を超えた感覚。
唇を合わせて確かめて、舌を触れ合わせて、線の先に踏み入れて。
恋人という関係性を確固たる物にするための儀式としては、先ほどのキスで十分なはずでした。
ですがどうしてでしょう、私はもっと後戻りできなくなりたいと望んでいるのです。
いや、私だけではないのかもしれません。
姫様は指先で自分の唇に触れ、先ほどのキスの感触を確かめつつ、熱のこもった視線を私の唇に向けているのですから。
「その……姫様」
「ええ、わかっているわ」
私が呼びかけると、姫様は私の目を真っ直ぐに捉えました。
この時、キスをしてから初めて私達の視線が絡みあったのです。
狂おしく私を求めるその視線に、私はなぜか既視感を覚えていました。
誰かに向けられた覚えも、姫様以外に向けた覚えもないはずだというのに。
そこで気付きました、だったら答えはひとつしかないじゃないか、と。
つまり姫様が私に向けるその視線は、私が姫様に向けていた物と類似していたのです。
そう、私が”不埒”だと呼称した、お世辞にも上品とは呼べないアレと。
でしたら、姫様も私と同じように、不埒に私を求めてくれているのだと、そう判断するのが妥当だと思うのです。
私は思わず、ごくりと生唾を飲み込みました。
「もう一度、鈴仙の唇を頂戴な」
求められている、求めている、あの姫様が、私を。
夢や妄想より妖艶で、それでいて姫らしいお誘いに乗らない理由など無く。
姫様の頬に手を当て顔を近づけると、再び、私たちは唇を交わしたのでした。
ちなみに、その時点で私たちは夕食のことをすっかり忘れてまして。
痺れを切らし呼びに来た師匠に、キスシーンをがっつり見られてしまい、長々と説教を受けることになってしまいました。
でも師匠、いくらなんでも姫様だけ五分で解放するのは甘すぎると思うんです……あと私の二時間も長過ぎます。
ご飯すっかり冷めちゃったじゃないですか、もう。
師匠の説教から解放された私は、甘えるように少し離れた場所で見ていた姫様の胸に飛び込みました。
その時ばかりは一切の下心はありませんでした、とにかく姫様に甘えたくて、慰めて欲しくて。
姫様も私の気持ちを察してくれて、「よしよし」と優しく撫でてくれて、私は至福のひと時を過ごしたのです。
しかし、実は私、師匠の説教でそこまで傷ついたわけじゃなかったんです。
直前まで姫様とキスしてたんですから、頭の中はすっかりピンクに染まってたんです。
その結果、師匠の説教なんてこれっぽっちも頭に入ってきてませんでした。
そんな私が、いつまでも姫様の胸に顔を埋めて何を考えていたかと言うと――恩を仇で返すような悪巧み、でした。
傷心状態の私に同情している姫様なら、多少無理なお願いも聞いてくれるかもしれない。
その場の思いつきではありましたが、我ながら良い考えだと思います。
心の底から私を心配してくれた姫様を騙すようで心が痛みますが、背に腹は変えられません。
どうせ、いずれ壊すべき壁なのですから、壊すなら早い方がいいに決まっています。
「ねえ姫様」と呼びかけると、姫様は「なあに?」と優しく応えてくれます。
その優しさが、今だけは痛い。
裏切りの痛みはよく知っています、後に悔いることだって計算に入れた上で、それでもやらなければならないことなのです。
意を決して、私は本題を切り出しました。
「今夜、私と一緒に寝てくれませんか?」
――さあ、ここからが本番だぞ、私。
私がまだ永遠亭に来て日も浅かったある夜のことです。
ふと夜中に目を覚ましてしまった私は、永遠亭の縁側から遠くの空を眺めていました。
視線の先にあるのは、半分に欠けた月。
いつもは月を見ても何も感じないのですが、その日は少し様子が違っていて、月を見ているだけで胸がきゅっと締め付けられるような痛みが走ります。
寂しさ、とでも呼ぶべきでしょうか。
本当はもっと複雑で面倒な感情だったのですが、言葉で表すのならそれが一番無難な表現でしょう。
こんな私にも故郷を想う気持ちがあったのかと、当時は随分と驚いたものです。
普段は無いことでしたから、ほんの気まぐれのようなもので。
一時的な、いわゆる軽いホームシックだったのでしょう。
――自分で捨てたくせに、なんて都合の良い。
情けなさに居てもたってもいられなくなった私は、草木も眠る丑三つ時に、一人ふらりと散歩に出ることにしたのです。
自室にあったオイルランプを手に、淡く照らされた道を歩いていきます。
獣の声どころか虫の声すら聞こえず、不自然に静かな竹林に不気味さを感じながらも、それでも妙な感傷に耽るよりはマシだと自分に言い聞かせ先へと進んでいきました。
しばらく歩いていると、静寂の中、微かに何かの音が聞こえるようになってきました。
人里にはまだ遠い場所でしたから、人工的に鳴らされた音とも考えられません。
不審に思い、音の鳴る方の空を見上げてみると、微かに光っているのが見えました。
私はそこでようやく思い出します、姫様と妹紅さんが夜な夜な殺しあっている、という話を。
――この先に、憧れの姫様が居るんだ。
私の足は自然と音の方へと向き、そのスピードも次第に早くなっていきました。
今になって思えば、余計なことに首を突っ込むべきではなかったのです。
知らないままの方がいいことだってあるのですから。
結論から言えば、恋は冷めませんでしたが、私は大きなショックを受けることになりました。
なんたって、姫様は全身に返り血を浴びながら、時にハラワタまでむき出しにしながらも、それでも笑いながら殺しあっていたのですから。
単純にグロかったですし、それに姫様は見たこともない醜い表情をしていて、私には憧れていた姫様とそれが同一人物とは思えませんでした。
数十年が経過した今でも、あの時の姫様の姿を忘れることはできません。
例えどんなに愛おしさが膨れ上がっても、上書きすることすら叶わないのです。
ああ、私がまっとうな妖怪で居る限りは二人の関係に割って入ることはできないのだな、と。
私がどんなに頑張ろうと、あそこまで感情をむき出しにさせることはできないのだろうな、と。
当時は――そして今までも、途方も無い無力感に苛まれ続けてきました。
都合の悪い現実から目を背け、ただただ綺麗な姫様だけを愛で、好意を募らせていったのです。
憧れだけならそれでも十分でした。
そして、憧れでは終われないと決断したのは私自身。
そう、今の私は姫様の恋人なのです。
多く物を得た一方で、より強い責任を背負わなければなりません。
永遠の命と向き合うこともその一つ、師匠と話を付けることもその一つ、そして目を背けていた現実と向かうことも、その一つ。
おそらく姫様は、今晩も妹紅さんとの殺し合いをするつもりでいたのでしょう。
夜中に永遠亭を抜けだして、竹林のいつもの場所へ行って。
ですが、隣に私が居たらどうなるのでしょう。
恋人でも何でもない妹紅さんを選ぶのか、それとも恋人である私を選んでくれるのか。
私は姫様を信じています。
私に愛してると言ってくれた姫様を、私とキスをした姫様を、必ず私を選んでくれるのだと、強く、強く。
――なーんて、気合を入れて望んだ夜だったわけですが。
「ぷっ……それで、結局は何もできずに負けたってわけ?
因果応報ね、姫様にとってあなたは所詮その程度の存在でしかなかったのよ、ふっ、ふふっ」
師匠のこんな楽しそうな顔、初めてみました。
私は苛立ちながらも言葉を返せず、無言のまま夜空を仰いだのですが、無駄に明るい小望月の光が私の気分をさらに逆撫でするのでした。
そこまで光るならいっそ満月になりなさいよ、と憤った所で現実が変わるわけではありません。
「師匠言ってましたよね、私はいつ死ぬかもわからないから姫様に好かれたんだって」
「それは事実でしょう?」
「だったらこれはどういうことなんですか」
「あなたがどれだけ命を賭けられても、輝夜にとっては命を賭けるに値しない、そういうこと……ふふっ……じゃないの?」
いちいち笑わないでくれませんか、傷つくんで。
「あの子はね、藤原妹紅と殺しあうことで自分が生きているという実感を得ているのよ」
「よくわかりません」
「命の価値観なんて人それぞれだものね、ましてやただの妖怪であるあなたと、蓬莱人である輝夜とでは価値観が合致しないのも当然のことだわ。
一つだけ間違いなく言えることは、優曇華と一緒に過ごす時間より彼女との殺し合いの方が重要だった、ただそれだけ。
それ以上の意味なんて無いわ、深く考えるだけ無駄よ」
師匠に聞かされるまでもなく、その現実を一番痛感しているのは私でした。
彼女よりも私を優先してくれるはずだと勝手に思い込み、そして勝手に傷ついて。
こうなるってわかってたくせに、それでも強行したのは私なのですから、きっと悪いのは私なのでしょう。
それでも憎まずにはいられないのが私の性なのです。
憎き彼奴の名は、藤原妹紅。
姫様が私と一緒に眠ることを拒んだのは、彼女と殺し合いをするため。
私が姫様を騙してまで同衾したがったのは、私が彼女以上なのだと証明するため。
そして突きつけられた結果は、ご覧の有様。
「輝夜を奪われた私が味わった痛みが少しはわかったかしら」
「こうなるって予想してたんですか?」
「自尊心の強い優曇華は自分の優位を証明したがるだろう、とは思っていたわ。
まさかこんなに早く実行するとは思わなかったけどね、そこに関しては評価してるわよ、私が思ってるより輝夜への気持ちは強かったのね」
「てゐにも同じこと言われましたよ、みんな私が本気だってわかってくれないんです」
てゐや師匠が想像した程度の想いだったのなら、ここまで辛い気分を味わうこともなかったのでしょうか。
「けど、だったらどうしてこんな遅い時間まで起きてるんです? いつもならとっくに寝ているはずですよね。
本当は私が今夜実行するだろうってことに気付いてたんじゃないですか?」
「誰かさんのせいで色々考えてしまって、眠れなかっただけよ。
おかげでこうして優曇華の情けない顔を見れたのだから、結果的に良かったんでしょうけど」
以外です、師匠ってばまだ立ち直れてなかったんですね。
もっとドライな性格だと思っていたのですが、姫様に関しては例外なのでしょうか。
それとも、表に出さないだけで実は情に厚かったりするんでしょうか、だったら普段からもっとそういう部分を見せて欲しいものですが。
「で、少しは諦める気になった?」
今日の敗北は認めるしかありません。
しかし、姫様も開き直って無言で出て行ってくれれば諦めもついたのですが、布団をぬけ出す寸前に耳元で「ごめんね」なんて囁かれたら、往生際も悪くならざるを得ません。
ほんとタチ悪いですよね、とんだ魔性の女ですよあの人。
「あの子、面倒でしょう?」
「それを師匠が言いますか……」
「私だから言えるのよ。
甘える時は輝夜の方から来るくせに、こちらから手を出すと見向きもせずに避けてしまうのよね」
まさにその通りで。
嫌な夢を見たからって私に泣きついてきたのが今日の朝。
そして私を置いて出て行ったのが同じ日の夜。
「心当たりあるって顔してるわね」
「まさに今の状況がそれですから」
「私は悪意だけであなたと輝夜の関係を否定してるわけじゃないのよ、ほんの少しだけど優曇華が苦労しないようにって善意も混ざっているの」
「九割九分が悪意のくせによく胸を張れますね」
「一分の善意に感謝しておきなさい」
師匠から見習うべき事はたくさんありますが、その不遜さだけは見習いたくないものです。
「そもそも、師匠は勘違いしてるんですよ」
「私が輝夜のことに関して何を勘違いしてるって?」
「面倒だから諦めると、師匠はそう言っていましたが――」
「むしろ面倒だから良い、でしょう?」
それはまさに私が言おうとしたことでした。
心を読まれたのでしょうか、私は驚いて反射的に師匠の顔を見ました。
師匠は「それぐらいわかるわよ」と言いながら物憂げに笑います。
「師匠も、だったんですか?」
「だからこそ魔性の女なのよ、あの子は」
「……本当に面倒ですね」
その面倒臭さすら魅力にしてしまうなんて。
「まったくよ、魅入られた方はたまったものじゃないわ。
そのくせ、結局は私に見向きもしてくれないんだもの」
こちらを向いてくれただけ、私は幸せものなのでしょう。
考え方によっては、傍に居られるだけ師匠だって勝ち組なのかもしれませんよ。
世の中には難題をふっかけられて苦労した挙句、こっぴどく振られた男どもがいるそうですから。
「明日、妹紅さんに会いに行こうと思います」
「そうね、いずれは話さなければならない相手でしょうし、いいんじゃない」
「もし勝つようなことがあったら、姫様は妹紅さんのこと忘れてくれますかね」
「真っ向勝負した所で、あなたが忘れられる可能性の方がはるかに高いと思うわよ」
「師匠、少しは弟子を励まそうとは思わないんですか?」
「飴と鞭ってやつよ」
「師匠の場合は飴だって投げつけてくるじゃないですか!」
喩え話ではなく、本当に投げつけてくるんですから恐ろしい人です。
そもそも物理的な飴は要りませんから、あれ例えだってわかってます? もっと優しさを、心の温もりをください。
私、師匠に傷めつけられるたびに、見た目以上に傷ついてるんですからね。
「はぁ……そうね、真面目な話をすると、もしあなたが消し炭になったとしても、あの子が優曇華のことを忘れることはないと思うわよ」
「さっきと言ってること逆ですけど」
「さっきのはジョーク、これは本当。
あの子の教育係である私が言うんだから間違いないわ。
財産も権力も容姿も性格も、ありとあらゆる要素を満たした人間が束になっても輝夜が興味を持つことなんて無かったのに、一体あなたのどこが良かったのかしら」
今のはまさに飴と鞭ですね。
普段は鞭ばっかりなんですから、一度ぐらい素直に褒めてくれたっていいと思いますよ。
「知ってますよ、なんでも過去に五人の男に言い寄られたとか」
「たまたまあの時の話が逸話になってるってだけで、合計したら五人じゃ桁が一つも二つも足りないわよ」
一流の、誰もが羨むような人間が束になっても姫様は一切靡かなかったわけです。
そうなると、確かに師匠の言うとおり。
「……なんで私、告白成功したんですかね」
正確には”私ごとき”ですかね。
師匠の話を聞いていると、つくづく奇跡だったんだなあと思い知らされます。
「でしょう? 結局、輝夜以外には誰にもわからないのよ。
あの子は昔から変わっていたわ、ずっと付きっきりだった私だってわからないことだらけだもの。
既存の尺度で測ること自体が無駄なんでしょうね、そういう意味では、今回のあなたの行為も一概に自信過剰とも言い切れないわ」
「何を信じたらいいのかわからなくなってきました」
「あまり無責任なことはいいたくなけど、他人を信じられないのなら自分を信じるか無いんじゃないかしら」
「早速裏切られてるんですが」
「じゃあ諦めるの?」
『いいえ諦めません』と言わせて私を発奮させる、師匠なりの励ましたいのだと思いたいのですが。
師匠、そこで嬉しそうな顔しちゃうと台無しですってば。
「諦める気なんてありません、とりあえずの第一目標は千年なんですから、それまでには私しか見えないぐらいに惚れさせてみせますよ」
「あら生意気ね」
「師匠の言い付け通りに自分を信じることにしましたから、生意気に見えるって言うんならそのせいだと思いますよ」
「私としたことが、余計なことを言ったかしら」
「はい、おかげさまで」
皮肉には皮肉で返すぐらいがちょうどいいのです、師匠の機嫌がいい時に限りますが。
私の根拠の無い自信に安心したのか、師匠は満足気に笑いました。
諦めて欲しいんだか応援してるんだかさっぱりわかりません、姫様も大概ですが師匠も師匠です。
「さてと、そろそろ部屋に戻らないとまずいことになるわね」
「まずいって、何がです?」
「実は起きてたことがわかったら、輝夜はどんな顔をすると思う?」
「あー……」
今の姫様なら泣いちゃうかもしれませんね、しかも元凶が私となると慰めることもできません。
「でも姫様、さっき出かけたばっかりですよ? まだまだ帰ってこないんじゃないですか」
「念には念を、よ。
それに、先に寝ていたはずのあなたが寝不足になっていたんじゃ輝夜も怪しむでしょう」
「なるほど」
バレるのはもちろん、疑われることも回避しないといけないわけですから、慎重すぎるぐらいでちょうどいいのかもしれません。
ここは師匠の言うとおり、寝た振りでもいいので布団に潜り込んでおくことにしましょう。
「それじゃ、おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい師匠」
部屋に戻るように促した師匠自身がそこに留まっていたのが気になりましたが、師匠の考えてることなんて私が想像するだけ無駄なのです。
気にせずに振り向くこと無く、私は自室へと戻って行きました。
翌朝、目を覚ました私の隣には、気持ちよさそうに眠る姫様の姿がありました。
上体を起こし、見下ろす形で私は無防備な姫様をじっと見つめています。
凄惨な殺し合いをしてきた後にもかかわらず、服にも顔にも汚れ一つありません。
姫様は、不自然なほどに今日も綺麗でした。
胸がきゅっと締め付けられます。
別に妹紅さんと逢引をしたというわけでもないのに、理屈では納得できない感情が私の心臓に居座っています。
そいつはいっちょまえに被害者面して、姫様は浮気をしたんだと主張しているのです。
浮気なんかじゃない、ただの殺し合いじゃないですか。
私なんて抱き合ってキスしたんですよ、わかります? キスですよ、キス。
殺し合いがなんだって言うんですか、私達の愛に敵うわけがないんです、反論があるならかかってこいって話ですよ。
――じゃあどうして、姫様は『ごめんね』と言ったの?
ぐうの音も出ないクリティカルな反論に、威勢の良かったポジティブな私は言葉を失ってしまいました。
そうなんですよね、姫様自身が悪いことだと認識していなければ、謝罪の言葉なんて出てこないはずなんです。
ただの殺し合い以上の意味があるからこそ出てきた一言。
キスよりも価値のある殺し合いがこの世に存在するのかと言われれば、私の価値観で言えばノーです。
しかし彼女たちの、蓬莱人の価値観ではイエスである可能性は、十二分にある。
「ぁ……鈴仙」
姫様の瞼が薄っすらと開き、私の姿を捉えました。
私の名前を読んで、頬を緩めて、幸せそうに笑ってみせます。
嘘なんて、無いはずなのに。
その笑顔を素直に喜べない私が居ました。
「おはようございます、姫様」
誤魔化すように、不安を微笑みの仮面で隠してしまいます。
姫様は私の頬に手を伸ばして、感触を確かめるように指先で何度か撫でました。
仮面を剥がそうとしているのでしょうか。
いや、姫様は私を疑っている様子はありません、純粋に触れたくて手を伸ばしたのでしょう。
「おはよう、鈴仙」
本来なら祝福すべき初めての朝になるはずだったのに、このもやもやは何なんでしょうね。
私、思い知らされました。
後回しでもどうにかなると考えていましたが、悠長にしている暇は無さそうです。
これは姫様の問題ではなく私の問題。
やはり私は、すぐにでも彼女という壁を乗り越えなければならないようです。
行商を口実にしていつもの格好に着替え永遠亭を離れた私は、付いてきたがる姫様をどうにか説得して引き剥がし、とあるぼろ小屋の前へとやって来ました。
永遠亭から人里に向かう途中、少し寄り道するだけでたどり着ける場所ではあるのですが、私がここに足を運ぶことは滅多にありません。
姫様を通して間接的に知り合いではありますが、積極的に関係を持つほど親しい間柄でもありませんから。
こんなことでもなければ、私から訪れることはないでしょう。
久しぶりに見た小屋は前に見た時以上に植物が生い茂り、外壁もボロっちくなっていて、あたりの暗さも相まってとても人が住んでいるようには思えませんでした。
私は玄関に近づくと、少し乱暴に扉を二度叩きます。
ノックの音に反応して、中からごそりと何かが動く音がしました。
どうやら、目当ての人物は幸いにも外出していなかったようです。
小屋の主によって内側から扉が開かれると、薄暗い屋内から気だるげな少女が顔を覗かせました。
「おはようございます、妹紅さん」
「誰かと思えば、朝から珍しい客だな」
藤原妹紅。
彼女こそが、姫様の心に巣食う厄介者、そして私が乗り越えるべき壁でもあります。
本来なら他人の家に訪れるには早過ぎる時間なのですが、妹紅さんは何かと安請け合いをして外出をしている事が多いお人好しらしいので、この時間が家にいる可能性が一番高いと踏んだのです。
予想は見事に大当たり、場合によっては日をまたぐことも覚悟していたのですが、存外に早く決着を付けることができそうじゃありませんか。
「姫様のことで話があるのですが、できれば中で話せませんか?」
「ちょうど良かった、私も永遠亭の連中に聞きたいことがあったんだ。
さあ入ってくれ、大した物は出せないけどな」
招かれるがままに妹紅さんの家へと足を踏み入れます。
屋内も外観と変わらずボロボロで、置かれている家具も最低限の物しかありませんでした。
『無駄に質素に生きてる』とは姫様の弁ですが、まさにその通り、ひょっとすると必要最低限すら満たせていないのではないかと思ってしまうほど、あまりに寂しい部屋です。
姫様の話を聞く限りではそう貧乏というわけでもないようですし、意図的にストイックな生活をしているのでしょう。
行商に行った時、よく慧音さんが妹紅さんの事を心配して嘆いているのを聞くのですが、今はその気持ちがよくわかります。
お人好しなら、せめて友人に心配かけない程度の生活水準を保てばいいのに、妙な所で抜けてるんですね。
「じろじろ見てどうしたんだ、特に何もないだろう?」
「何もないから驚いてるんです、こんな寂しい家でよく生きていけますね」
暇つぶしの道具すら無さそうですし、私はここじゃ生きていけません。
「酷い言われようだな、まあ言われ慣れてるがな」
慣れるほど言われても変わらないということは、本人に変える気がさらさら無いということです。
私がこれ以上言った所で機嫌を損ねるだけですし、私の言葉で妹紅さんが変わるとも思えませんから、触れるのはやめておきましょう。
本題は別にあるのです、時間を無駄にしている場合ではありません。
私がちゃぶ台の近くに腰を下ろすと、ヒビの入ったお湯のみに入った緑茶が運ばれてきました。
「……うわあ」
地味な嫌がらせですかね、それとも素でやってるんでしょうか。
私がまじまじと湯のみを凝視していると、妹紅さんは申し訳無さそうに口を開きました。
「気分を害したんならすまなかったな、使えるものは使い続ける主義なんだ。
それに、普段はこんなぼろ小屋に客が来ることも無いからな、応接用の道具なんて用意してないんだよ」
なるほど確かに、人を呼ぶ造りじゃありませんよね、この家。
最初から呼ぶつもりが無いと言うのなら、まあ納得出来ないこともありません。
よくよく見てみると座布団はおろか寝具すらないみたいですし、この人どうやって生活してるんでしょうね。
「ちなみに、どうしてもお客さんを呼ばなきゃならない時はどうしてるんです?」
「慧音に場所を借りてるかな」
「……それでいいんです?」
「め、滅多に無いんだから別にいいだろ」
まあ本人が良いって言うんなら私は何もいいませんが、最低限の見栄ぐらいは張ったほうがいいと思うんですよね。
と言うか、妹紅さんだったらその気になれば自力で家ぐらい建てられる気もしますし、この人実はストイックなわけじゃなくてただの面倒くさがりなんじゃ……。
「それで? 輝夜の話ってのは一体なんなんだ」
「妹紅さんの方も聞きたいことがあるって言ってましたよね」
「ああ、私の方も輝夜の話なんだがな。
今日来たってことは、昨晩に私と輝夜がやりあった事は知ってると思っていいんだよな?」
知ってるも何も、それが直接的な原因ですから。
「知らなければ来ませんよ」
「だったら、たぶんお前さんの話こそが私の疑問の答えなんだろうさ。
昨晩の輝夜はいつにも増して様子がおかしかったからな、その理由を知ってるんだろう?」
「具体的に、どうおかしかったのか先に聞かせてもらってもいいでしょうか」
「殺し合いの途中だってのにぼーっとしやがって、終始心ここにあらずって感じだったな。
情けない話だが、いつもなら戦いは輝夜有利で進むんだよ。
だけど昨日は違った、これっぽっちも手応えを感じないぐらい、一方的に私が優勢だったんだ。
さすがにここまでやる気が無いと勝っても全く嬉しくない、むしろ相手にされてないみたいでムカついてきてだな、やる気が無いなら帰れって怒鳴りつけたんだ、そしたら……」
「どうなったんですか?」
「本当に帰りやがったんだよ! ほんの二十分か三十分程度しかやりあってないってのに」
「そんなにすぐ!?」
「ああ、さんざん煽ってやったから激昂してくれるかと期待してたのに、拍子抜けしたよ」
待ってくださいよ、もし姫様が妹紅さんと別れて真っ直ぐに永遠亭に帰ってきたのだとしたら、私が寝た直後に姫様が帰ってきたってことになりませんか?
確かに昨日は部屋に戻るとすぐに布団に潜り込んで、自分でも驚くぐらいあっさりと眠ってしまいましたが、そのすぐ後に姫様も布団に入ってきたのだとしたら――
あれ、そういえば確か、師匠は私が去った後もしばらく外を眺めていたはず……。
もしかすると、あれは師匠が姫様が戻ってきているのに気付いていたからでは無いでしょうか。
だとすると、師匠があのタイミングで部屋に戻るように言ってきた理由も納得できます。
「どうした、随分と驚いてるようだが」
「驚くというよりは、自己嫌悪ですね」
姫様が上の空だった原因は、間違いなく私にあると思います。
姫様も姫様なりに悩んでくれていたのでは無いでしょうか。
悩んで、悩んで、その結果、最終的に選んだのは私の方だった、だからこそすぐに帰ってきてくれた。
なのに私ったら、身勝手に裏切り者扱いして、姫様を疑って。
そんな自分が、恥ずかしくてたまりません。
姫様だって私のこと同じぐらい想ってくれてるんですもの、だからこそ恋人同士になれたんです。
それを私が疑ってどうするんですか、こんなんじゃ千年先まで愛せるなんて口が裂けても言えませんよね。
「んん? さっきの話のどこにお前が自己嫌悪するような要素があったんだ」
「少し複雑な話になってしまうのですが。
まず前提として、私と姫様はお付き合いしてるんですよ」
「へえ、お前と輝夜が」
てっきりてゐや師匠と似たようなリアクションを取られると思っていたのですが、妹紅さんはあっさりと信じてくれました。
唯一素直に信じてくれる人が怨敵である妹紅さんだなんて、ちと皮肉が利きすぎてませんか。
これじゃ喜ぶべきか嘆くべきか判断つきませんよ。
「……って、はぁ!?」
……と思ったのですが、やっぱりそうですよね、信じてくれませんよね。
一応、私と姫様は同居しているんですから、恋人になることだって可能性としてはありえるわけじゃないですか。
でも、それを一番傍で見ていた永遠亭の住人ですら信じてくれないのですから、部外者である妹紅さんが信じてくれるわけがないんです。
「言葉通りです、恋人ってことですよ」
「ほ、本気で言ってるのか?」
「冗談でこんな話を広めたら師匠に何されるかわかりません」
「しかしな、いくらなんでも……」
「何か困ることでも?」
殺し殺されるだけの仲なら、そんなに焦る必要も無いはずなんですが。
それとも、憎んでいるのも好意の裏返しで、実は姫様のことが好きだったとか、そんなふざけたことを言い出すつもりじゃないでしょうね?
「困ると言うか、困惑してる」
「だから何でそうなるんです?」
「いや、だってお前……趣味悪すぎるだろ」
そこですか。
想像だにしていなかった反応に、むしろ私の方が困惑してます。
「姫様って、輝夜だろ? 間違いなく、あの蓬莱山輝夜のことを言ってるんだよな?」
「それ以外に私の姫様なんていませんよ」
「つまり、あれか。
普段酷いことをされすぎて洗脳されたとか、そういう」
「どうしてそうなるんです!? 違いますよっ、私は純粋に姫様のことを愛しているんです!」
「怪しげな薬を使われたんじゃ」
「紛れもなく私自身の感情です!
妹紅さんは殺し合いの時の姫様しか知らないからそういう風に考えちゃうんですよ」
妹紅さんも姫様も、殺し合いの時は性格がまるっきり変わってしまうんです。
普段は表に出さない悪意をむき出しにして、お互いのどす黒い感情をぶつけあうわけですから、性格が変わってしまうのもやむを得ないことなのかもしれません。
ですが私は、あれが姫様の本性だとは思いません。
「いいですか、姫様は明るくて優しい素敵な人なんです」
「それ言わされてないか?」
「信じないなら勝手にしてください、妹紅さんが姫様の魅力に気付かないって言うんならそっちのが都合いいんですから」
「あー、すまんすまん、私だって出来れば疑いたくは無いんだが、頭の中にある輝夜のイメージとお前の話す輝夜のイメージが一切一致しなくてなあ。
常日頃から一緒に暮らしてるお前がそう言うんなら、間違ってるのは私の方なんだろう」
「そうなんです!」
ようやく理解してくれたようです。
まあ、納得はしてくれてないみたいですけど。
別に、姫様の魅力を知らないなら知らないままでも構いません、ライバルは少ない方が良いに決まってますからね。
「となると、だ。
昨日の輝夜の様子がおかしかったのは、お前さんのせいってことか?」
「たぶん、そうだと思います。
一緒に寝ていた恋人を置いて、こっそり妹紅さんに会いに行ったわけですから」
「……い、一緒に寝てたのか?」
「いかがわしいことはしてませんからね!」
「い、いや、別に良いんじゃないか、恋人なんだし」
良いって言うくせに、なんで微妙に引いてるんですか。
そもそも重要な部分はそこじゃありません、私より妹紅さんを取ったって所なんですから。
「つまり、あれは恋人を置いてきたことによる罪悪感のせいだったってわけか。
ふうん……あの輝夜が、罪悪感ねえ」
妹紅さんの知る姫様のイメージと合致しないのはもうわかりましたから。
重要なのはそこじゃないんです。
「この際、妹紅さんが信じようが信じまいがどちらでも構いません。
私が言いたいことは一つだけです、姫様との殺し合いをやめてもらえませんか」
「なるほどね、それがお前の話ってわけか」
私の言葉を聞いて、妹紅さんから先ほどまでのちゃらけた雰囲気は消え失せました。
あまり良い反応ではありませんね、すんなりと私の要求を受け入れてくれそうな雰囲気では無いようです。
姫様と同じく、妹紅さんもあの殺し合いに生きる歓びを見出しているのかもしれません。
お互いに嫌い、憎しみ合いながらも、二人は求め合っているのだと。
それが事実ならば、余計に捨て置くわけにはいきませんね。
どんなに姫様が私を愛してくれても、その心の片隅には常に妹紅さんっていう異物が居座り続けるわけでしょう?
そんなの、私は許せません。
ワガママと言われようが譲る気はありません、姫様は私だけの物なんです。
「なあ、もしその要求を私が飲んだとして、何の得があるって言うんだ?」
「厄介な兎に付きまとわれないで済みます」
「お前、もしかしなくても面倒な奴だろ」
「それが愛情ってやつです、愛は例外なく面倒な物なんですよ」
私の返答に妹紅さんはすっかり毒気を抜かれてしまったようで、大きくため息を吐いて苦笑いしています。
しかし妹紅さん、それ以外にどんな答えを期待していたのでしょうか。
ひょっとして本当に私が見返りを用意しているとでも思ってたんですかね?
ぶっちゃけた話、師匠やてゐはまだしも、妹紅さんがどうなろうと知ったこっちゃ無いですから。
必要なら手段なんて選びません、私と姫様の関係を邪魔する輩なんぞ、困るならいくらでも困っちまえって感じです。
「はぁ、見返りを求めるだけ無駄ってことか。
まあ、どちらにしろ私だけが続けた所でじきに終わってただろうけどな」
「どういうことです?」
「私も輝夜も一方的な殺戮をやりたいわけじゃないんだ、なのにあの有様で、殺し合いなんて続けられるわけがないだろ。
夜な夜な私と会うのを恋人さんが許可してくれるなら、免罪符を得た輝夜は今までどおりに私に会いに来るかもしれないけどな」
「それは嫌です」
「だろ?」
つまりこれって、放っておけば問題は解決してたってことですよね。
もしかしなくても、私が妹紅さんに会いに来たのって丸々無駄な行動だったんじゃ。
わざわざ姫様を寂しがらせてまで出てきたっていうのに、とんだ無駄足でした。
「露骨に”無駄足だった”って顔するなよ、言っておくが私は巻き込まれた方だからな、輝夜の恋愛事情なんざに全く興味は無いんだ」
「それは知ってますけど、世間一般じゃ”興味無い”なんて言い訳は通用しませんよ。
事情を知らない誰かが、夜な夜な家を抜けだして人気のない竹林で二人きりで会ってる、なんて聞かされたらどんな想像すると思います?」
「私と輝夜に限ってんなこと考えるわけが……」
そこまで言った所で、妹紅さんの表情が急に凍りつきました。
どうやら思い当たる節があったようです、ざまーみろ。
「浮気者」
「ち、違うぞっ、実際は浮気なんてしてないんだ、私は何も悪く無い!」
「女たらし」
「待て、その理屈だと私と輝夜が本当にそういう関係だってことになるぞ、いいのか!?」
「甲斐性なし」
「濡れ衣だ、人間関係はきちっと整理してるからな!」
「ヒモ」
「ぐごっ……」
最後の一言が見事にクリティカルヒットしたようで、妹紅さんは額に冷や汗を滲ませながら黙り込んでしまいました。
自覚、あったんですね。
そりゃそうですよ、いくら質素な生活をしてるからって、客人を呼ぶときに慧音さんの家を借りるってどういう関係性ですか。
「慧音さんの家を使うのは、客人を呼ぶ時だけですか?」
「いや……食事も厄介になってる」
「どれぐらいの頻度で?」
「夕食は、ほぼ毎日」
道理で生活感のない家だったわけです。
不老不死でも腹は減るらしいですからね、見渡す限り食料の欠片もないこの家で暮らせるわけがありません。
「なるほど、夕食だけ食べて、慧音さんが恥ずかしそうに”今日は泊まっていかないのか?”って聞いてくるのを毎回スルーしてるわけですね」
「今は、もう聞かれてない」
慧音さんも無駄って気付いたんですね。
そのくせ夕食だけは振る舞ってると、泣けてきますよ。
「その、生活費は、入れてるからな」
これまた見事な言い逃れですね。
「だったら余計に、毎晩別の女と逢引してるのは酷いですね。
慧音さん何回ぐらい泣かせたんです?」
「泣かせてないって!
あいつはそういうの理解してくれてる……はず、だから」
やだやだ、典型的なダメ人間の台詞じゃないですか。
追い詰められるごとに顔も情けなくなっていってますし。
さっき一瞬だけ見せた威圧感は何だったんです、ハリボテですか?
「これって、もしかしてお互いにとって良い機会なんじゃないですか?」
「だから私が辞めなくとも輝夜の方が……」
「ですけど、妹紅さんはまだ名残惜しいんですよね?
本当は私に許可を出して欲しかった、慧音さんを泣かせてでも姫様との逢引を続けたかったんでしょう?」
「お前、輝夜に似て嫌なやつだな」
「姫様に似てるなんて、そんなに褒められたら照れちゃいますよう」
「加えて面倒だ……入れるんじゃなかった」
姫様に似てるって言われたのは嬉しいですけど、心ない言葉に傷ついてないわけじゃないですからね。
図星を突かれたからって、嫌なやつ呼ばわりは酷くありません?
妹紅さんより私を選んでくれた姫様と違って、妹紅さんは慧音さんより姫様を選んだ、それは紛れも無い事実じゃないですか。
私はそんな妹紅さんの行いを、素直に軽蔑すべきだと思いますよ。
「ちなみに、妹紅さんと慧音さんはお付き合いしてるんですか?」
「親しくはしてるがそういう関係じゃないよ」
「なるほど、愛が足りなかったわけですね」
「ああ、お前みたいに頭が茹だってるわけじゃないからな」
親しいだけなら、まあわからないでもないですね。
とは言え、慧音さんがどう考えてるかは私にはわかりませんが。
でも、妹紅さんがうろたえてたって事は、多少は悪いことをしている自覚があったってことですよね。
恋人ではない、親しくしているだけの相手なのに、どうして罪悪感を抱く必要があるんでしょう、すごく不思議ですねー。
「茹だってみるのも悪く無いですよ、そうやって姫様は殺し合い以外の生きがいを見つけたんですから」
「慧音相手にか?」
「他に相手がいるのならそれでもいいんじゃないですか。
ただ、いつまでも言い訳を続けていても碌な結末にならない事だけは確かだと思いますよ」
まあ、これはあくまで常識内の話ではありますし、不老不死にとっての常識はまた別にあるのかもしれませんが。
「……私はさ、あいつほど悟れちゃいないんだよ。
永遠の命ってのは思ってた以上に厄介なんだ、千年ちょっと生きた所で理解できる物でもない。
そんな私がようやく見つけた”生”を実感できる方法が殺し合いだったんだ。
血肉を撒き散らしながら命を奪い合うその瞬間だけ、私はかつて普通の人間だったあの時のように自分の命を感じることができる。
それを簡単に辞めるなんて――千年以上かけてやっと見つけた方法なんだぞ、次の方法がそう簡単に見つかるものかよ。
違う方法を見つけられたのは、長い時間を生きて広い世界を見てきた輝夜だからだろ」
「んー、そうでしょうか?」
蓬莱人で無い私が何を言った所で妹紅さんに通じるとは思えません。
ですが、生への欲求と慧音さんへの想いの狭間で揺れている等身大の人間相手なら、多少は偉そうな口をきけるかもしれません。
「恋は盲目ですよ、妹紅さん」
「何を言いたいんだか」
「無理に広い視野を持とうとするから、一つのことに夢中になれないんじゃないですか?
浅く広くもいいですが、狭く深く潜り込んでみると、案外違う物が見えてくるかもしれませんよ」
一般論で言えば広い視野を持つことこそが正しいのでしょうが、私はそうは思いません。
妹紅さんと私の中にある姫様のイメージがまったく異なるように、角度次第で見える世界って違うものですから。
「深入りするほど、いずれ後悔するとわかりきってるのにか?」
「先の後悔を考える前に、まずは心の底から悔やめるぐらい夢中になってみるべきだと思います」
「……」
そんな苦虫を噛み潰したような顔をされましても。
「……ちっ、なんで感心してるんだよ私はっ」
心のどこかで中途半端な自分に嫌気が差してたからじゃないですかね。
私よりもずっと正義感の強いはずの妹紅さんが、ヒモ呼ばわりされてもしょうがない現状に満足してるのはおかしいと思ってたんですよ。
まあ、それほどに姫様との関係が魅力的だったからなんでしょうが、私が干渉した以上は現状維持なんて許すわけがありません。
妹紅さん的には、姫様が私を選んで殺し合いの場には来なくなり二人の関係は自然消滅ってことでケリを付けるつもりだったんでしょうが、私はそれじゃ満足しませんから。
アドバイスは決して善意からではありません。
芽は、徹底的に潰さないと。
「さて、妹紅さんの決意も固まった所で、私はおいとまさせてもらいますね」
残ったお茶を一気に飲み干すと、私は立ち上がり早々に出口へと向かいます。
まさかここまで言われておいて、いつもの場所で姫様を待つほど情けない人ではないはずですから、私の目的はこれで達成されたはずです。
だったらこれ以上長居する必要はありません。
「結局、お前はなにをしにきたんだよ」
妹紅さんは私の背中に向けて、不機嫌そうにそう言いました。
「さあ、人生相談ですかね?」
もちろん冗談ですが。
私は妹紅さんと違い、見返りも無しに他人にお節介を焼ける善人ではありませんから。
実際の所、私の都合の良い方向に誘導しただけです。
「相談のふりしてかき乱しただけだろ」
「停滞は淀みの原因ですよ、たまにはかき乱さないと腐ってしまいます」
「逐一言い負かしてくれるな」
言い負かされてる自覚あったんですね。
でも、今日の妹紅さんがしょぼすぎるのが悪いんですよ。
「伊達に永遠亭で暮らしてませんし」
「はっ、結局はお前もあの伏魔殿の住人だったってわけだ。
油断して招き入れた時点で私の負けだな」
伏魔殿とは言い得て妙です、少なくとも二人は悪魔が住んでいますから。
しかし住めば都といいますし、伏魔殿もそう悪い場所ではありませんけどね。
たちが悪い分だけ頼もしさはありますから。
それに今は姫様だっていますし、少なくとも私にとっては天国みたいな場所ですよ。
「永遠亭に戻ったら輝夜に伝えておいてくれ、私はもうあの場所には行かないってな」
「言われなくとも」
それに、わざわざ言わなくても姫様は二度とその場所には行かないと思いますから。
私が生きてる限り――つまりは永遠にね。
永遠亭に戻った私を最初に出迎えてくれたのは、以外にもてゐでした。
玄関前で壁に背中を預けながら退屈そうに竹の葉が揺れるのを眺めてましたが、私の姿を見つけるやいなやお決まりの小悪魔な笑顔で私の方に近づいていきます。
あの顔をしてる時は大体ろくな事を考えてないんですよね、さて何を言われるのやら。
「鈴仙、おかえりっ」
「ただいま、もしかして私を待ってたの?」
「うんうん、そろそろ帰ってくると思ってたからね。
で、最後のボスはどんな感じだった? やっぱり殺されかけた?」
「楽しそうに物騒なこと言うんじゃないの」
怒りながら握りこぶしを突き出すと、なぜかてゐは楽しそうにはにかみました。
全然反省してないな、こいつめ。
てゐの言う最後のボスってのはつまり、妹紅さんのことでしょう。
姫様と恋人になるにあたって、話をしておくべき相手と言うのはそう多くはありません。
てゐなら私が行商のフリをしていたことは見抜いているはずですし、姫様と恋人になった私がどこへ向かったかの予想も容易だったのでしょう。
「まあ、はっきり言えば拍子抜けだったわ、大したことなかった」
「鈴仙も強くなったもんだねえ」
「と言うより、あちらが勝手に弱ってったのよ」
「もしかしてあの人里の先生絡み?」
「何だ、ほとんど把握してるんじゃない」
「あの二人の仲が良いのは有名な話だしね、そこに姫様が絡むとなれば想像するのは簡単だよ。
でも……そっか、その路線で責めたんだ、鈴仙にしてはえげつないやり方だね」
「姫様と引き離すには別の方に目を向けさせるのが得策だと思ったからよ。
結果的には妹紅さんのためにもなったんだし、そう悪いことをしたとは思ってないわ」
「悪いことをしたと思ってないあたりが悪いんだってば」
そう言いながらも、てゐはやけに上機嫌でした。
まるで私が悪事に手を染めた事を祝福しているかのように。
伏魔殿って言われてたけど、それじゃまるっきり悪魔そのものじゃない。
「あ、そうだ。
姫様のことなんだけど、鈴仙が出てってから部屋に閉じこもって出てこないんだよね、早く行ってあげた方がいいんじゃない?」
閉じこもると言っても、私がでかけていたのはせいぜい二時間程度のことですから、そう不自然なことではありません。
しかし状況が状況なだけに長時間離れるのは不安ですし、なにより私自身が早く姫様の顔を見たいのです。
てゐと別れ、玄関の入口あたりに荷物を置いた私は、真っ直ぐに姫様の部屋へと向かいました。
行儀が悪いとはわかりながらも、思わず駆け足になってしまいます。
師匠に見られたら咎められるのは間違いないのですが、今だけは勘弁して下さい、姫様に会いたい気持ちの表れなんですから。
部屋の前までたどり着いた私は、間髪入れずにふすまを勢い良く開きました。
「ただいま戻りました!」
部屋の中で座りながら書物を読んでいた姫様は、私の声に反応してびくんと体を震わせます。
しまった、部屋の前で声かけとけばよかった。
親しき仲にも礼儀ありといいますし、いくら恋人になったとは言え今のは不躾でしたね。反省反省。
「れ、鈴仙?」
「あ、あはは……ごめんなさい、姫様に早く会いたくてつい力んじゃいました」
「もう、そういう言い方されたら怒れないじゃない!
本当にびっくりしたのよ、今度からは気をつけなさい」
「はい、反省しています」
「ならいいでしょう。
というわけで……おかりなさい、私も鈴仙が帰ってくるのをずっと待ってたわ」
「姫様……!」
いやあ、相思相愛って良い物ですね。
私はその言葉にデレデレになりながら、両手を広げて私を待ち受ける姫様の方へと近づいていきます。
とりあえず傍に座ろうと思ってたのにいきなりハグですか、姫様ったら飛ばしてますね。
私は求められた通りに姫様の胸に飛び込みます。
姫様の腕が私の体をぎゅっと抱き寄せ、私も姫様の方に体重をかけながら背中に腕を回します。
「鈴仙の体、柔らかくて暖かくて心地よくて、ずっとこのまま抱きしめていたいぐらいよ」
「姫様の体だって抱き心地がよくって……今日はもう離れたくありません」
「だったらそうしましょう」
姫様は私の背中に腕を回したまま、背中から畳の上に体を倒しました。
つまり姫様が下で、私が上で、まるで押し倒したような形になってしまったのです。
「ふふふ、鈴仙ったら大胆ね」
「姫様には敵いませんよ」
ほんと、私を惑わすのが上手な人です。
「今日はずっとこのままでいい?」
「抱き合うだけじゃ足りないと思います」
「それより少しだけ先なら、許してあげる」
少しだけで済むのならいいんですけど。
私はもちろん、姫様だって息が荒くなってるじゃないですか。
それっぽっちじゃ我慢出来ないのは姫様の方だったりして。
ですが、盛り上げるより前に言っておくべきことが有ります。
姫様は私の頬に手を当て、のぼせたようにぼんやりとした瞳で私を見つめています。
キスぐらいなら何回だって許してくれそうな雰囲気です。
今すぐいちゃつきたいのはやまやまなんですが、全て終わらせるまでは、心の片隅にある靄は晴れないままなのです。
後回しにすべき話ではないでしょう。
「姫様」
「なあに?」
「私、妹紅さんの家に行って来たんです」
「……え?」
私の言葉によって突如現実に引き戻された姫様は、目を見開いて私の方を見ました。
その頬からは赤みが消え、徐々に青ざめていきます。
姫様には敵いませんが、この罪悪感もなかなかのものです。
「昨日のこと、これからのこと、全部ケリをつけてきました」
「待って! 昨日のことって、まさか――」
「ええ、姫様がすぐに戻ってきてくれたことも教えてもらいました」
寝てる場合じゃないと思ったのか姫様は慌てて私を押し戻し起き上がろうとしたのですが、そうはいきません。
姫様の手首に手をかけ、今度こそ本当の意味で私の方から押し倒します。
「やっ、離しなさいっ!」
「今日はずっとこのままでいるんですよね?」
「今はそんな場合じゃないの!」
「そんな場合ですよ、大した話じゃありませんから」
「大した話じゃないって……私、鈴仙のこと裏切ったのよ!?」
やっぱり、そう思ってたんですね。
「姫様が夜中に抜け出すだろうってことぐらい最初から知ってましたよ、ひょっとしたら私の方を選んでくれるかもしれないって期待してただけです」
嘘です、本当は私を選んでくれるって確信してました。
だからあれだけショックを受けたわけですし。
でも、私が傷ついたって知ったら姫様もっと泣きそうな顔になってしまいそうですから、この痛みは胸の奥にそっと閉まっておくことにします。
「やっぱり期待してたんじゃない、がっかりさせたのは紛れも無い事実よ」
「勝手にがっかりしただけですから」
「それでもっ!
……ああ、もうっ、こんな時ぐらいは怒ってよ、そんなに優しい顔されたら余計に辛いわ」
姫様は私から目を背けてしまいました。
少しでも姫様が楽になってくれればと思ったのですが、逆効果だったようです。
それでも、私が姫様を怒るなんてことありえないんですが。
「むしろ悪いのは私の方です、実際は殺し合いなんてせずにすぐに帰ってきてくれたのに、それに気づかなかったんですから」
「こそこそと抜けだした時点で裏切った事実は変わらないわ」
「だったら、私が姫様を許してる事実も変わりません。
悪いと思うのは勝手ですが、私を選んでくれた事を他でもない私自身が喜んでいるのに、姫様がそんな風じゃ心から笑えませんよ」
「あなたがどう言おうと、私が私を許せないのよ。
謝った所で私の間違いが消えるわけではないけれど……一度はきちんと言わせてもらうわ、ごめんなさ……っ!?」
謝罪の言葉なんて聞く気はありません。
姫様が言い終えるよりも前に、私は強引に唇を塞ぎました。
急ぎすぎて少し歯があたってしまいましたが、まだ慣れてないってことで大目に見てくださいな。
「っはぁ……はぁ……きゅ、急に何てことするのよおっ!」
「姫様が謝ることなんて何もありませんから、前もって阻止したまでです」
「だからって、いきなり……っ」
「これで、昨日のことはお互い様ってことにしましょう、それなら姫様だって不満は無いでしょう?」
「無いわけ無いじゃない!」
私にはてんで理解できませんが、まだ不満があるようで。
「……でも、どうせこれ以上言ったって無駄なんでしょう?
逆らっても口を塞がれて、無かったことにされてしまうんですもの。
だったら、鈴仙に従うわ」
姫様は諦めたように、それ以上は謝罪したり、自分を責めたりはしませんでした。
未だ心の中では納得できずに自省を続けているようですが、どうせこれから考える余裕も無くなるのですから、問題視する必要も無いでしょう。
「それにしても、まさか昨日の今日で妹紅に会いに行くなんて思いもしなかった」
「憂いは早いうちに取り除いておきたいですから、おかげで妹紅さんも諦めてくれたようですし」
「あいつ諦めたんだ……」
「諦めたというか、慧音さんに相手を絞ったと言いますか。
姫様は私を選んでくれたわけですから、わざわざ会いに行く必要もなかったんですけどね」
「別に、私とあいつはそういう関係でも無いわよ」
「姫様が”あいつ”って呼ぶような相手を放って置けませんよ」
「あ……」
別に呼んで欲しいわけではありませんが、姫様が私のことを”あいつ”と呼ぶことはないのだと思うと、何だか複雑な心境です。
「特別な相手、だったんですよね」
「まあ、ね」
否定しても無駄だと悟ったのでしょうが、認められるとそれはそれでショックだったりして。
私の手で断ち切ったのですから、気にする必要も無いはずなんですけどね。
「その唯一無二ってのが気に食わなかったんです」
師匠だって姫様にとって特別な相手のはずなんですが、不思議とこちらには嫉妬心がわかないんですよね、何が違うんでしょう。
二人の関係に明確な呼び方が存在しないことが不安だったのでしょうか。
「鈴仙、少し目が怖いわ」
「私って、実は独占欲が強い方なのかもしれません」
虚勢と言ってもいいのかもしれません。
こうして触れ合っている今ですら姫様の存在はどこか遠くて、離せばすぐ手の届かない場所に行ってしまいそうだから。
強がらないと、不安で仕方ないんです。
「かも、じゃなくて強いのよ。
でも……あなたにだったら、縛られるのも悪くはないわね」
そう言うと、姫様は再び私の首の後ろに手を回し、そのまま私の顔を引き寄せました。
今度は優しく、慈しむようなキス。
「ねえ、鈴仙。
今晩も一緒に寝るの?」
唇を離すと、姫様は潤んだ目で私をみながらそんなことを聞いてきました。
……それ、もしかして誘ってます?
「姫様が拒まなければ」
「嫌、とは言わないんだけど……」
「何か都合の悪いことでも?」
「その……思った以上に早く、堪えきれなくなりそうだから」
何を? なんて無粋なことを聞いたりはしません。
我慢していたのは私だけではなかったと言うことです。
「はしたない私を、嫌いになったりしない?」
「それで嫌いになるなら最初から求めたりしませんよ、どうしてそんな発想になるんですか」
「ペース分配とか、私なりに色々考えてたのよ。
今度の週末にでも一緒に人里に出かけて手を繋いでみようとか、一週間ぐらいしたらキスをしようかな、とか。
勝手に計画を立てて、一人でそわそわして……子供みたいでしょう?」
「そんなことありません、かわいいですよ」
姫様の顔が一気に紅潮します。
それもまた可愛くて、思わず次の言葉が出そうになってしまう所を、私は何とか抑えました。
これ以上やったら、姫様とまともにお話できなくなりそうですから。
「はぁ、鈴仙相手だとそうなってしまうのよね」
「私の好かれたのが運の尽きですね」
「好きになってしまったのも運の尽きだったのよ。
気付けば計画なんて無かったことになって、二日目でキスまで済ませてしまったわ。
このままじゃ……」
姫様は次の言葉を躊躇うように体をよじらせると、甘い吐息を漏らしました。
私の心臓は破裂しそうなほど強く脈打ち、呼吸すら上手くできないほどです。
震える喉を無理やり動かして、口内に溜まっていた生唾を無理やり飲み込みました。
仮に姫様がその先の言葉を言わなかったとして、すでに出来上がっているこの状況を変えることはできないでしょう。
続きがなければ事は強引に始まるでしょうし、続きがあるのならその瞬間、歯止めは効かなくなってしまいます。
どちらにしろ、未来は確定したようなものなのです。
求めて、求められて、遮る理性も状況を応援してくれているのですから。
「今夜にでも、あなたに体を許してしまいそう」
今更になって、姫様の胸元が少しだけはだけているのに気付きました。
首から鎖骨にかけての肌はほんのりと汗ばんでいて、光を浴びて白く輝いています。
胸は呼吸の荒さに連動していつもより早く上下し、膨らむ度に微かに見える谷間が私を誘っているようです。
いや、実際に誘っているのでしょう。
じゃなきゃ、体を許すなんて言葉使わないはずですから。
「姫様、知っていますか」
ぐつぐつに煮立った脳はまともな思考を放棄し、すでに姫様の体にどう触れるかしか考えていませんでした。
その証拠に、意識しないうちに私の手は姫様の耳へと動いていて、耳の縁を愛撫するようにゆっくりと撫でています。
私の指が動くたび、耳に走るぞくぞくとした甘い感触に、姫様は大きく息を吐きました。
「今宵は、満月なんですよ?」
だから何なんだ、と思うかもしれませんが、要するにちょうどいい言い訳を見つけたのだと言いたかったのです。
月の狂気に照らされて、気持ちを抑えきれなくなってしまったのだと。
それなら、理由としては及第点ぐらいはもらえる気がして。
「そう、満月なのね」
「はい、満月なんです」
「なら……仕方ないわね」
てゐはおろか、師匠にだって通用しない、穴だらけの言い訳。
でも、それでいいんです。
これは自分で自分の背中を押すための、自己暗示のようなものなのですから。
「ほら、好きに触って」
姫様は私の視線がちらちらと胸元に向いているのに気付いていたのでしょう。
”仕方無い”、そう言った直後に、自らの手で襟元に手をやり、自らの胸元をさらに露出させました。
見えるか見えないかのギリギリのラインで止め、次に私の手をにぎると、肌と服の間に導きます。
「ひめ、さま……」
ぷつりと、理性の糸が切れる音が聞こえました。
虚勢も、言い訳も、建前も、何もかも欲望の前には無意味なんです。
まだ満月すら出ていないのに、私たちの理性は、強く互いを求め合うことによる狂気に飲み込まれていきました。
「夕食、呼ばなくてよかったんですか?」
「あれを私に止めろっていうの?」
「お師匠様なら止めるんじゃないかって思ってました」
「止められる物なら止めてやりたいわよ。
けどね、輝夜が違う方法で自分の生きる意味を見つけ出したことを、私は好ましく思っているのよ」
「殺し合いは不健全ですからね。
でも……相手が鈴仙じゃなくて妹紅さんだったら素直に祝福してたのに、ってことですよね?」
「そんな仮定に意味なんて無いわ。
輝夜は、貴族でも、帝でも、神様にだって靡かなかったのよ?」
「すごい自虐ですね」
「うるさいわね。
そんなあの子の心を掴んだんですもの、きっと鈴仙にしか出来ない芸当だったんでしょう」
「でも、嫉妬してますよね?」
「当たり前じゃない」
「神様みたいなお師匠様でも、感情に流されることはあるってことか」
「神様だろうが何だろうが関係ないわ。
見てみなさい、今宵の月はあんなに騒がしく輝いている。
二人の恋を見せられて、月だって嫉妬しているのよ――」
うどんちゃんの観察力と口のうまさの鍛えられ方が半端じゃないですね…。
初恋の盲目や力加減のできない独占欲が
読んでて赤面するほど伝わってきました
学生のような青春の恋というか。
青臭いです
こんなことを思いながら恋をしていたなぁと
自分自身に思わず苦笑いをしてしまうような、
そんな作品でした。
あっ、コーヒーのエスプレッソ
タブル、ブラックで。
頬の筋肉がニヤニヤで引きつったまま戻りませんが私は元気です(重症)
ついでにうどんげと妹紅のやりとりで腹筋がやられましたがやっぱり元気です(瀕死)