近頃めっきり冷え込むようになった。
日射しがあって汗ばむ日中はともかく、明け方なんて、油断して薄着でいるとすぐ風邪を引いてしまうから、寝るときは首まで布団をすっぽり被らないといけない。ついこの間まで、団扇が片時も離せなかったというのに。縁側を全開にした部屋の中で、芋虫よろしく溶けていたのが嘘みたいだ。
そろそろ、冬服を出すべきか迷う頃合いになったらしい。毛布も干さないといけないかな。
これからの時期、文さまは寝る時にしっかり抱きついてくるので、きっと私は布団の中で身動きがとれなくなる。
寝苦しいこともあるから控えて欲しいのだけど、背中を見せれば今度は後ろから胸なんかを触ってくるので、このセクハラ天狗を相手にするなら正対するしかない。何が「もみじもみもみ~」か。
朝の涼しげな空気の中、ちゃぶ台に向かって書き物をしている私に、今日も文さまは布団から這い出ると後ろから抱きついてくる。
私は筆を休めて一言。
「あの」
「んー?」と文さま。
「何してるんですか文さま」
「椛にくっついてる」
私の背中に頬ずりして、言わずもがなのことを口にする主に私は呆れる。
「わかってますよ、そんなの。そうじゃなくて、もう――くっつかないでって言ってるんです。お仕事中なんだから離れてください」
「いーじゃん、これくらい。別に減るもんじゃなし」
大事な報告書を仕上げているのに、こうなっては気が散って仕方ない。私よりずっと女らしい文さまの肢体が背中に感じられて、実に恥ずかしい。まったく、少しはひとのコンプレックスのことも汲んで欲しいものだ。
「減りますよ。私の棒給が減ります。あなたの生活費が減ります」
「だってー、椛の体って温いんだもん。人肌恋しい季節っていうか。ほら、私冷え性だし。朝弱いし。もふもふ」
そう言って、いよいよ頬ずりをやめない文さまに、私は少しだけ苛立つ。
「理由になってないですよね」
「ねー、だからもうちょっとだけー」
「ダメです」
尚も駄々をこねる口をぴしゃりと遮り、私が身じろぎすると、文さまは頭から畳に落ちた。
「あいた! 椛のけちんぼ」
「つまらないこと言ってないで、文さまも早く出かけないと他の記者にネタ取られますよ」
額をさすり、目尻に涙を浮かべて憎まれ口を叩く文さまに、私も言ってやる。
こういうときの文さまに甘くすると、骨の髄までとことん甘えてくるのだ。放っておけば自堕落で由とする文さまの世話係として、そんなことを許すわけにはいかない。
私がいないと本当に何もできないんだから。多少はこうして突き放して見せないと。
「いけずー」
頬をふくらませた文さまはのろのろと布団を畳み、ようよう朝の支度をはじめる。
同時に、お勝手でご飯の炊き上がる気配がして、それを合図に、私もようやく朝の仕事を切り上げた。
†
せっかく出した報告書が、こてんぱんにダメ出しを食らった。
たかが誤植くらいでわざわざ突っ返すなら、自分で訂正すればいいじゃないか。仕事ができないくせに文句だけは一丁前。そんなタチの天狗が上司にもいる。
そんなわけで、今晩の私は実に、真に、非っ常に機嫌が悪い。
おまけに感情に任せて筆を持つものだから、さっきから何度も何度も書き損じを繰り返している。ひと並み以上に忍耐強いと自負している私の我慢も、そろそろ限界だ。大声で喚き、吠え回りながら、一晩中山中を駆けまわりたくなってきた。
だのに、だ。
それなのに、蒸気機関みたいにプンスカと憤る私のイライラもお構いなしで、我が主は今晩もスキンシップをご所望だ。寝間着の浴衣に着替えた文さまが、戸からひょっこり顔を出す。
「もーみじ。寝よっ」
「――先、寝てください」
私なりに精一杯自制して、放っておいてもらえるように伝えたつもりだ。いま邪魔されたら、抑え切れないのが分かっている。
「なんでー、もう寝ようよ」
眠そうに目をこすり、また駄々をこねるような文さまの言い方が今の私には癇に障る。空気の読めない鴉天狗じゃあるまいし。
「わかりませんか。私が今何やってるか」
「わかるけど」
「じゃあ!」
「だって、椛ってば帰ってきてからずっと机にかじりついてるんだもの。忙しいのも分かるけど、そろそろ休んだら」
文さまもだんだん不機嫌になってきたようだけど、もう止まらない。
「それが分かるんだったら、何か忙しそうだし今晩はそっとしといてあげようとか、そう思いませんか? 空気くらい読んでください!」
「不備があったから、駄目だしなんかされるんでしょうが。昨日、向こうでちゃっちゃと仕上げなかった椛の要領が悪いんでしょ。なに八つ当たりしてんの」
あったまきた。
「それができるなら、持ち帰ったりなんかしませんよ! あなたが邪魔するから、こうしてミスしたんでしょう。一体どの口が言うんですか!」
「――あっ、そ。じゃあ私は作業場で寝るから。家で仕事なんかしてさ。せいぜい、いい報告書を仕上げたら?」
つん、と冷たい視線でそっけなく言い捨てた文さまは、ぷいと自分の布団を畳むと、隣室へ行ってしまう。無情にもふすまが閉じられて、私は独り居間に取り残される。文さまのほうも怒ったらしい。
冷や水を浴びせられたような、言いようのない間の悪さに気が萎えていくのが感じられたけれど、モヤモヤとした気持ちがすぐイライラへと変換されて、怒りのほうがテンションを取り戻す。
なに、今の態度。
要領が悪い。だから、何だ。相手の必死さを嘲笑うと自分に跳ね返ることも知らないで。いつも自分から私に突っかかってくるくせに。あとで謝ったって許さないんだから。
ああもういいや、知らない! 怒りに任せて書いたおかげで、ひどく勇ましい字体になった気もするけど、もうこれでいい。
寝る。
†
なんだか寝付けない。
一体、どれくらい時間が経っただろう。目を瞑れば瞑るほど、意識がはっきりしてくるのだから、天邪鬼の神様もここに極まれりだ。
さすがに、今はもう怒りも落ち着いて、なぜか普段より広く感じる寝室の真ん中に、私は身体を横たえている。
思えば、年がら年中文さまと添い寝していたのだ。こうしてひとりぼっちで眠ることなどいつ以来だろう。広く感じるのは、もしかしなくてもそのせい。
何か嫌だな。落ち着かない。
私も文さまも我が強いから、こうしてすぐ、つまらないことで意地を張るんだ。また、いつもの失敗。ため息一つ。
でも、あの言い方もないと思う。なんだかまた腹が立ってきて、それから急に虚しくなる。思い返せば、まぁ何とも、狗も食わないような痴話喧嘩。
文さまはもう寝たかな。そんなことが気になってくる。自分の天邪鬼さに少し呆れながら、私も作業場へ行くべきか迷う。と、背後で襖が開く気配がして、私は身を強張らせた。
文さまだ。気配でわかる。もっとも、この家には私たち以外いないハズだけど。座敷童子だってそうだ。
お花摘み、かな。
ん、なんで私は緊張してるんだ。文さまが夜中に起きようが関係ないじゃないか。もう、バカ、馬鹿、莫迦。
私が脳内で誰かと戦っているのを知ってか知らずか、頭の上で囁くように、自信無さげな文さまの声がする。
「椛、起きてる?」
私は少しだけ迷ってから目を開けて、
「起きてます」
「良かった」
恥ずかしそうに笑う文さまを見て、一体何が良かったのか疑問に思ったけど、すぐに愚問だと気がついて私も苦笑する。
今度はいたずらっぽい口調になった文さまが頬をつついてくる。
「椛もアレでしょ。ひとりで寝るのが寂しいんでしょ」
「別に寂しくなんか……寂しいです」
「素直でよろしい」
私が降参の意を示すと、文さまは暗闇の中で勝ち誇った笑みを浮かべた。
「もう、先に折れたのは文さまのほうじゃないですか」
「えへへー、我慢は体に毒だからね」
そう言って、照れた文さまは私の布団にもぞもぞと潜り込んでくる。彼女なりに遠慮しているつもりなのか、ぴとっとくっつくだけで抱きつくことはしない。
その様子がなんだかもどかしくて、盛大にため息をついた私が、仕方なく、仕方なく抱きすくめるハメになった。腕の中で文さまがくすぐったそうに身じろぎする。
ひとり分の布団が窮屈だけど、今晩はこれでいい。
今日の文さまは、いつもより温かかった。
日射しがあって汗ばむ日中はともかく、明け方なんて、油断して薄着でいるとすぐ風邪を引いてしまうから、寝るときは首まで布団をすっぽり被らないといけない。ついこの間まで、団扇が片時も離せなかったというのに。縁側を全開にした部屋の中で、芋虫よろしく溶けていたのが嘘みたいだ。
そろそろ、冬服を出すべきか迷う頃合いになったらしい。毛布も干さないといけないかな。
これからの時期、文さまは寝る時にしっかり抱きついてくるので、きっと私は布団の中で身動きがとれなくなる。
寝苦しいこともあるから控えて欲しいのだけど、背中を見せれば今度は後ろから胸なんかを触ってくるので、このセクハラ天狗を相手にするなら正対するしかない。何が「もみじもみもみ~」か。
朝の涼しげな空気の中、ちゃぶ台に向かって書き物をしている私に、今日も文さまは布団から這い出ると後ろから抱きついてくる。
私は筆を休めて一言。
「あの」
「んー?」と文さま。
「何してるんですか文さま」
「椛にくっついてる」
私の背中に頬ずりして、言わずもがなのことを口にする主に私は呆れる。
「わかってますよ、そんなの。そうじゃなくて、もう――くっつかないでって言ってるんです。お仕事中なんだから離れてください」
「いーじゃん、これくらい。別に減るもんじゃなし」
大事な報告書を仕上げているのに、こうなっては気が散って仕方ない。私よりずっと女らしい文さまの肢体が背中に感じられて、実に恥ずかしい。まったく、少しはひとのコンプレックスのことも汲んで欲しいものだ。
「減りますよ。私の棒給が減ります。あなたの生活費が減ります」
「だってー、椛の体って温いんだもん。人肌恋しい季節っていうか。ほら、私冷え性だし。朝弱いし。もふもふ」
そう言って、いよいよ頬ずりをやめない文さまに、私は少しだけ苛立つ。
「理由になってないですよね」
「ねー、だからもうちょっとだけー」
「ダメです」
尚も駄々をこねる口をぴしゃりと遮り、私が身じろぎすると、文さまは頭から畳に落ちた。
「あいた! 椛のけちんぼ」
「つまらないこと言ってないで、文さまも早く出かけないと他の記者にネタ取られますよ」
額をさすり、目尻に涙を浮かべて憎まれ口を叩く文さまに、私も言ってやる。
こういうときの文さまに甘くすると、骨の髄までとことん甘えてくるのだ。放っておけば自堕落で由とする文さまの世話係として、そんなことを許すわけにはいかない。
私がいないと本当に何もできないんだから。多少はこうして突き放して見せないと。
「いけずー」
頬をふくらませた文さまはのろのろと布団を畳み、ようよう朝の支度をはじめる。
同時に、お勝手でご飯の炊き上がる気配がして、それを合図に、私もようやく朝の仕事を切り上げた。
†
せっかく出した報告書が、こてんぱんにダメ出しを食らった。
たかが誤植くらいでわざわざ突っ返すなら、自分で訂正すればいいじゃないか。仕事ができないくせに文句だけは一丁前。そんなタチの天狗が上司にもいる。
そんなわけで、今晩の私は実に、真に、非っ常に機嫌が悪い。
おまけに感情に任せて筆を持つものだから、さっきから何度も何度も書き損じを繰り返している。ひと並み以上に忍耐強いと自負している私の我慢も、そろそろ限界だ。大声で喚き、吠え回りながら、一晩中山中を駆けまわりたくなってきた。
だのに、だ。
それなのに、蒸気機関みたいにプンスカと憤る私のイライラもお構いなしで、我が主は今晩もスキンシップをご所望だ。寝間着の浴衣に着替えた文さまが、戸からひょっこり顔を出す。
「もーみじ。寝よっ」
「――先、寝てください」
私なりに精一杯自制して、放っておいてもらえるように伝えたつもりだ。いま邪魔されたら、抑え切れないのが分かっている。
「なんでー、もう寝ようよ」
眠そうに目をこすり、また駄々をこねるような文さまの言い方が今の私には癇に障る。空気の読めない鴉天狗じゃあるまいし。
「わかりませんか。私が今何やってるか」
「わかるけど」
「じゃあ!」
「だって、椛ってば帰ってきてからずっと机にかじりついてるんだもの。忙しいのも分かるけど、そろそろ休んだら」
文さまもだんだん不機嫌になってきたようだけど、もう止まらない。
「それが分かるんだったら、何か忙しそうだし今晩はそっとしといてあげようとか、そう思いませんか? 空気くらい読んでください!」
「不備があったから、駄目だしなんかされるんでしょうが。昨日、向こうでちゃっちゃと仕上げなかった椛の要領が悪いんでしょ。なに八つ当たりしてんの」
あったまきた。
「それができるなら、持ち帰ったりなんかしませんよ! あなたが邪魔するから、こうしてミスしたんでしょう。一体どの口が言うんですか!」
「――あっ、そ。じゃあ私は作業場で寝るから。家で仕事なんかしてさ。せいぜい、いい報告書を仕上げたら?」
つん、と冷たい視線でそっけなく言い捨てた文さまは、ぷいと自分の布団を畳むと、隣室へ行ってしまう。無情にもふすまが閉じられて、私は独り居間に取り残される。文さまのほうも怒ったらしい。
冷や水を浴びせられたような、言いようのない間の悪さに気が萎えていくのが感じられたけれど、モヤモヤとした気持ちがすぐイライラへと変換されて、怒りのほうがテンションを取り戻す。
なに、今の態度。
要領が悪い。だから、何だ。相手の必死さを嘲笑うと自分に跳ね返ることも知らないで。いつも自分から私に突っかかってくるくせに。あとで謝ったって許さないんだから。
ああもういいや、知らない! 怒りに任せて書いたおかげで、ひどく勇ましい字体になった気もするけど、もうこれでいい。
寝る。
†
なんだか寝付けない。
一体、どれくらい時間が経っただろう。目を瞑れば瞑るほど、意識がはっきりしてくるのだから、天邪鬼の神様もここに極まれりだ。
さすがに、今はもう怒りも落ち着いて、なぜか普段より広く感じる寝室の真ん中に、私は身体を横たえている。
思えば、年がら年中文さまと添い寝していたのだ。こうしてひとりぼっちで眠ることなどいつ以来だろう。広く感じるのは、もしかしなくてもそのせい。
何か嫌だな。落ち着かない。
私も文さまも我が強いから、こうしてすぐ、つまらないことで意地を張るんだ。また、いつもの失敗。ため息一つ。
でも、あの言い方もないと思う。なんだかまた腹が立ってきて、それから急に虚しくなる。思い返せば、まぁ何とも、狗も食わないような痴話喧嘩。
文さまはもう寝たかな。そんなことが気になってくる。自分の天邪鬼さに少し呆れながら、私も作業場へ行くべきか迷う。と、背後で襖が開く気配がして、私は身を強張らせた。
文さまだ。気配でわかる。もっとも、この家には私たち以外いないハズだけど。座敷童子だってそうだ。
お花摘み、かな。
ん、なんで私は緊張してるんだ。文さまが夜中に起きようが関係ないじゃないか。もう、バカ、馬鹿、莫迦。
私が脳内で誰かと戦っているのを知ってか知らずか、頭の上で囁くように、自信無さげな文さまの声がする。
「椛、起きてる?」
私は少しだけ迷ってから目を開けて、
「起きてます」
「良かった」
恥ずかしそうに笑う文さまを見て、一体何が良かったのか疑問に思ったけど、すぐに愚問だと気がついて私も苦笑する。
今度はいたずらっぽい口調になった文さまが頬をつついてくる。
「椛もアレでしょ。ひとりで寝るのが寂しいんでしょ」
「別に寂しくなんか……寂しいです」
「素直でよろしい」
私が降参の意を示すと、文さまは暗闇の中で勝ち誇った笑みを浮かべた。
「もう、先に折れたのは文さまのほうじゃないですか」
「えへへー、我慢は体に毒だからね」
そう言って、照れた文さまは私の布団にもぞもぞと潜り込んでくる。彼女なりに遠慮しているつもりなのか、ぴとっとくっつくだけで抱きつくことはしない。
その様子がなんだかもどかしくて、盛大にため息をついた私が、仕方なく、仕方なく抱きすくめるハメになった。腕の中で文さまがくすぐったそうに身じろぎする。
ひとり分の布団が窮屈だけど、今晩はこれでいい。
今日の文さまは、いつもより温かかった。
題名も良い感じですね
あやもみ最高です。この2人をもっと詳しく!と鼻息荒くなる前に言おう…取り敢えず一生痴話喧嘩してろや!
また作者さんの作品がこちらで読めることを期待してます。
とても素晴らしかったです
いい加減あやもみ分が不足してきてたからちょうどよかったかな
次は椛の期限がいいverでもっとちゅっちゅを。
タイトルにもスルーできない魅力がありました。