Coolier - 新生・東方創想話

スキマ妖怪の事件簿

2009/07/16 23:54:13
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 まえがきなのです。

 この物語は全てフィクションであり、登場する人物、
団体、弾幕、地名、商品名、ともかくいろいろは、実
在の人物、団体、以下略と関係ありません。もし一致
していたとしても偶然によるものです。
だから偶然ですってば。偶然だぞっ♪

         ──幻想小説家 射命丸文──
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 月明かりの下で、6人の少女が風変わりな遊戯に熱中している。彼女たちは博麗神社の座敷で酒宴を開いていたが、酒の勢いで縁側にはみ出し、さらに境内へと繰り出していた。

「なにがでるかなっ。なにがでるかなっ」
 少女達は声を合わせて、一辺が三尺もある大きなサイコロを回す。赤に黄色に青に白に、色とりどりに輝くサイコロは、夢に出そうな美しさだ。

 しかし、少女達の目は血走り、歯を食いしばってサイコロを見つめ、叫んでいる。それもそのはず、サイコロは弾幕で転がされていたのである。

 赤い球弾。黄色い星弾。青い鱗弾。無数の弾幕がサイコロを蹴り転がし、白いレーザーが押し転がした。普段は幻想郷の少女がその技量と度胸を競うために撃ち合うその弾幕が、今宵は全く違う遊戯に使われているのであった。

「そこまで!」
 司会役の少女が笛をぴぃと吹く。金の髪に白磁の肌、青い目の映える端正な顔立ち。彼女は人形のような人形遣い、アリス・マーガトロイドだ。

 アリスは、6体の人形達を操って参加者の肩をぐいぐい引っ張る。しかし、誰もなかなか射撃を止めようとはしなかった。アリスが笛を三度吹いて、少女達の熱狂はようやく静まった。

──なあ、何か面白い余興はないか。
 誰からともなくこぼれた一言。その顛末がこの酔狂である。


 博麗神社は幻想郷の東のはずれにある。人里から訪れるためには、うら寂しい松林や虻だらけの葦原を抜け、半日がかりで歩き通さなければならない。足の疲れを休めるまもなく、膝が泣き出すほどの急な石段を一段一段踏みしめて、ようやく神社の鳥居をくぐれるのであった。

 にもかかわらず、名高い神が祀られているわけでもなく、霊験あらたかな破魔矢やお札をもらえるわけでもない。なにしろ、祀られている神が誰なのか巫女を務める博麗霊夢すら知らないというのだから呆れるばかりだ。

 ただ一人で神社を守る霊夢だが、日課は茶飲みと昼寝であり、巫女の職分を果たすつもりは微塵もない。それでも、数年前までは賽銭箱がいつも空なのを気に病むなど、まだ巫女らしさが残っていた。

 しかし、今では賽銭箱に自ら蓋をかけ「小銭お断り。大口祈祷要相談」などと恥知らずな立て札を掲げている。参拝客に小銭で勝手な願掛けをされても、それを神様に伝えるのが面倒だということらしい。

 里の人間は、そんな巫山戯た神社を妖怪神社と呼んでいた。名は体を表すとはよく言ったもので、博麗神社の客はそのほとんどが人間ではなかった。妖怪、魔女、吸血鬼に亡霊と、魑魅魍魎の見本市のような来客は、十日と空かずに集まっては夜通し酒宴を開くのだった。

 神社に妖怪が群れ集う、その有様はどのようなものか。里の人間は地獄絵巻か百鬼夜行を心に描いていたが、その実態は可愛らしい少女達の賑やかな酒盛りであった。

 少女達はその日も銘々が持ち寄った酒を飲み比べ、とりとめもない話をし、何人かは寝息を立てていた。そこで先の一言が出てきたのである。

 面白い余興と言われて、少女達はたちまち会議を始めた。日々の労働に追われる里の人間とは異なり、人外の少女達は毎日遊び暮らしている。

 しかし、それは言葉を変えれば時間をもてあましているということでもあり、少女達はいつでも娯楽に飢え乾いているのであった。

──やっぱり弾幕だな。どうせなら、みんなでいっぺんにやったらどうだ?
──お酒が入っていると危ないんじゃないかなー。
──罰ゲームはいかがかしら。私が罰を受けるわけはないけれど。
──ねえ。私の心を返しなさいよぉ。これはどういう罰ゲームなのよぅ。

 会議とはいえ、所詮は酔っぱらいの放談である。話せば話すほど本筋を見失い、結局何も決まらない──かと思いきや、何故かまとまってしまった。外の世界に詳しい紫が、「お昼のトーク番組」という伝統芸能に軽くアレンジを加え、風変わりな遊戯に仕立てたのだ。


 「サイコロトーク」と何のひねりもない名前を付けられた遊戯は、このようなものであった。まず全員でひとつ話題を決める。話題は「恋の話」「最近のビックリ」など、誰もが聞きたがるが自分から話すのは遠慮するようなものを選ぶ。

 そして話題を決めたらサイコロを振る。参加者はそれぞれサイコロの好きな一面を選ぶが、自分の目が出たら話をしなければならない。外の世界では単に運に任せて自分の目が出ないのを祈るだけだが、この遊戯では自分の目が出ないように弾幕で押し合うことが許されている。

 押し合う時間はちょうど一分。そして、一分が経過した時点で出ていた目の参加者が話をさせられる。

 弾幕、集団戦、罰ゲーム。一応、会議で出た要素をひととおり取り込んではいるものの、こんな珍妙なゲームに少女達が夢中になるはずがない────いや、あった。


「六の目、八雲紫!」
 司会を勤めるアリス・マーガトロイドは、彼女から見て一番遠くに立つ女、もとい少女を指さす。人形達は紫の周りをぐるりと囲み、小さな手でけんめいに拍手する。

「最後のレーザー1発が効いたな。やはりサイコロはパワーだぜ」
 二の目は普通の魔法使い。霧雨魔理沙が二の腕をぽんと叩いてにかっと笑う。サイコロは二の目で止まりかかったが、魔理沙が得意のレーザーで押し切り、六の目に変えた。

「サイの目は神様もあずかり知らぬ、よ。運がいいだけでしょ」
 六の目の真裏は壱の目。今回のサイ振りでは安全圏にいた霊夢が鼻で笑う。

「そう。運命からは誰も逃れられない。観念して話すがいいわ」
 五の目は五百歳の幼い吸血鬼。レミリア・スカーレットは腰に手を当て可愛らしくえばる。

「あー? 私じゃないんだ? じゃいーや」
 参の目は疎と密を操る酒呑童子。伊吹萃香は宴の半ばから前後不覚に酔っぱらい、もはや心ここにあらずといった様子である。

「あらあら。 紫は何を宣言してくれるのかしらねぇ」
 四の目は死を操る亡霊の姫君。西行寺幽々子は扇で口元を隠して笑う。

 今回のお題は「私のスペカ宣言!」であった。決意や公約をスペルカード風味に宣言するというものだが、宣言を破った場合の罰などは特に定めていなかった。しかし、噂が風より早く広まる幻想郷では、何を宣言したかは翌朝には全員の知るところとなる。そのため、宣言すること自体が罰のようなものだった。

 弾幕の熱でサイコロは真っ赤に焼けている。今宵の参加者は弾幕ごっこの腕なら十指に入る強者ばかりである。彼女たちが全力で弾幕を浴びせれば、鉄塊でも灰になりかねない。

 しかし、サイコロは全ての弾幕を受け止めてなお、割れも砕けもせずただ白煙を立ち上らせているだけだった。この驚異の耐久力は、超合金ヒヒイロカネ製サイコロなればこそであった。

 このサイコロは河城にとりが開発主任となり、河童の科学力を結集させて作りあげた大傑作だった。もっとも、その使い道はこの遊び以外にない。河童は勤勉で向上心に満ちているのだが、時間をもてあましているという点では同じであった。

「は~ぁぃ」
 アリスに名を呼ばれて、紫は返事ともため息ともつかない甘ったるい声を出した。

「わかったわよ~。すごい宣言をしちゃうんだからね~」
 紫の装束は「私は怪しいものですよ」という看板をしょって歩いているようなものだった。

 ヴィクトリア朝の貴婦人が着るような、フリルで飾った真っ白いドレスの上に、太極と八卦をあしらった大きな前掛けを無造作に羽織っている。洋の東西を軽く飛び越えた無理な組み合わせにもかかわらず、不思議とどこにも破綻を感じさせない。

 境界を操る能力のためにスキマ妖怪と呼ばれる紫は、本気を出したら幻想郷を消し去ることが出来ると言われるほどの実力者である。

 その実力が余裕を生み、余裕から生まれる圧倒的な存在感はどんな装束にも説得力を持たせてしまう──はずなのだが、今宵の紫は単なる悪酔い美女、もとい美少女であった。

 紫はまるで夢見る少女のように、いや実際少女なのだが、人差し指を口元に当て、やや上目遣いになり、そして、右手を真っ直ぐあげて満面の笑みで宣言した。

『禁酒 ロックとストレートの誘惑』
「私禁酒するの! お酒やめる! すごいでしょ!」

 境内から音が消えた。にわかに月に雲がかかり、少女達の顔に影が差した。夏とは思えないような冷風がさっと境内を吹き抜けた。山から下る深夜の冷気がサイコロを冷やし、こきんと間抜けな音を出させた。

「わ、わぁすごい。すごいですよ紫さん。ほんとに禁酒……しちゃうん、です、か? ど、どうしてまた?」

 アリスは冷え切った空気を察して、わざとらしくうなずきながら驚いてみせる。しかし、司会者らしい舌の滑らかさはどこかに忘れてきたようだ。

 6体の人形達は参加者の前に散り、うんうんとアリスの動きをなぞって同意を促した。しかし幽々子は雲間に消えそうな月を眺めるばかりだし、レミリアは従者に帰り支度を始めさせている。

「ねえみんな! 聞くだけ聞いていきましょうよ。詳しいお話を。ねぇ……」
 アリスも自分を奮い立たせるのがもう限界に近いらしい。次第に声が小さくなり、胸の前で力なく組んだ手はわずかに震えている。

「来年の話をすると鬼が笑うらしいけど」
 どこに隠していたのか、霊夢はつまみの残りのあたりめをかじりながら横目で萃香を見る。

「紫が禁酒するって話じゃ、酔いも一発で冷めるよねー」
 萃香は先ほどまでの酩酊もどこへやら、地べたにあぐらをかいて口元を歪める。

「ふう、ちょいと夜遊びが過ぎたぜ。後片付けよろしくな、アリス」
 魔理沙はすでにホウキにまたがっていた。後は飛ぶばかりと背中を向けて手を振った。もはや、誰も紫の話を聞こうとはしていなかった。

──泣き声がした。

 初恋が敗れた少女のように、紫が顔を押さえて泣いていた。指から肘までの手袋は濡れて腕に張り付き、そのか細い輪郭を一層際だたせている。

「何でみんな聞いてくれないの? 私のお話聞くのイヤ?」
 泣き声の合間に紫のつぶやきが聞こえる。

「そりゃあンたが──」
 レミリアは小さな体が後ろに倒れそうなほどふんぞり返り、悪魔らしい厭味を言おうとした。しかし、従者の咲夜が唇に人差し指を当てて制した。レミリアは一瞬不満げな表情を浮かべ、咲夜の指を甘噛みしながら顔を見上げる。

「聞いてさしあげても、宜しいのではないでしょうか」
 一本で足りないのでしたら二本どうぞ、と言わんばかりに、咲夜は中指までをレミリアに差し出す。咲夜ならではの懐柔に、さすがの悪魔も毒気を抜かれたようだ。レミリアは外套のボタンを留めながら、紫が話し出すのを待った。

 紫は涙に濡れた手袋で顔を覆ったまま、訥々と喋り始めた。普段の勿体付けた流暢な話し方とは全く違う。

「私ほら、飲むと泣いちゃうでしょ?」
「泣き上戸でしょ? 泣いて絡むでしょ?」
「泣くし。謝るし。謝らなくていいって言われて、また泣くし。暗いし」
「飲まない方が楽しい宴会ができるって、わかってるのに飲むし。飲むと泣くし」
「だから私もう飲まない。お酒はやめるの」

 涙が一滴、手袋を伝って境内の白砂に染みた。

「何細かいこと言ってんのかなー。紫が泣いてるの、面白いよ?」
 萃香はあぐらをかいたまま、膝をぽんと叩いて笑った。

「酒は百薬の長。やめる方が不健康だよー」
 そう言って腰の瓢箪をぐいと煽った。

「酒は百毒の長、とも言うぜ?」
 とっくに飛び去ったと思われていた魔理沙だが、まだホウキにまたがったままだった。相変わらず紫に背中を向けてはいたが、首だけを後ろに回して一言つぶやいた。

「霊夢? 霊夢はわかってくれるわよね? 親友だもの」
 紫は手袋で覆った顔から目だけをのぞかせ、霊夢を見る。

「あー。んぐ。 えっと? 好きにしたら?」
 もうあたりめは噛むところが無くなったらしい。霊夢は名残惜しそうにあたりめを飲み込むと、とりつく島もないと言った態度で返事をした。

「れぇいむぅ……。ひどぉぉい……。ぅぇぇえ……」
 紫は霊夢に抱きつくと、涙の海に溺れていった。霊夢は視線で周囲に救助を求める。しかしレミリアはにやけ、幽々子は星を見、萃香は代わりのあたりめをくれただけだった。

 魔理沙は──もうどこにもいない。どうやらさっきの一言が別れの挨拶だったようだ。

「あーはい。わかった。わかったからもう今晩はこれでお開きね」
 霊夢は肩に紫を乗せたまま、宴を強引に終わらせようとした。

「締めの挨拶……。あれ、藍も妖夢もいないのか。じゃ咲夜ね」
 乾杯の音頭を取るのが霊夢、締めの挨拶が誰かの従者、というのが博麗神社の宴会のしきたりだった。

 宴会場を提供した霊夢が乾杯の音頭を取るのは順当だが、なぜ従者が締めの挨拶なのか。それは主が今日のようにたちの悪い酔い方をしたときに、失礼のない別れの挨拶をするためだった。

 では、従者を持たない者ばかりのときはどうなのか。場を壊すほどの悪酔いをしたり我が儘を通す面子は特にいないので、誰が締めの挨拶をしようと構わなかった。必要のない決めならば、作らない方が揉め事を起こさない。

 ちなみに、このしきたりを作ったのは霊夢本人である。日頃の霊夢はお気楽にぐうたらに生きており、生産性のかけらも感じさせない。しかし、スペルカードルールの制定から宴会の取り仕切りまで、決めごとを作る段になると天才的なカンの良さを発揮する。

 だからこそ、紫も幻想郷の大結界の要に霊夢を配しているのであった。
──もっとも、今はその紫が霊夢に大迷惑をかけているのだが。

 それでは、と咲夜がスカートを広げてお辞儀をするのに構わず、幽々子が話し出した。
「ええと。じゃあこうしましょうね」

 霊夢が一瞬非難のまなざしを送った。しかし幽々子は、起きていても寝ているようだと言われる目つきもそのままに、一言一言を並べていった。

「紫はね、お酒を飲まないように、頑張るの」
「だから、みんなは、紫に、お酒を飲ませるように、頑張るの。わかるかしら」

 幽々子の話す速度はごく普通である。しかし、言葉の節々に読点を挟み、まるで子供に言い聞かせるような話し方をする。

 噛んで含めるとでも言うのだろうか。幽々子の話し方が気にくわない者はレミリアのような子供や、魔理沙のようなせっかちの連中であった。霊夢もどちらかと言えばその連中の一人だった。

 たたんだ扇を徳利か瓶に見立ててくいっと煽ると、幽々子は目をつぶってくぅと唸った。

「焼酎、ブランデー、ウヰスキー。できれば、きっつーいお酒が、いいわね。うん」
「一番先に、お酒を飲ませた人に、白玉楼から、賞品を出しちゃうわよ」

 博麗神社の宴会は、だらだら時間を潰すことこそ、その本懐である。よく飲まれるのは清酒、麦酒、たまにワインやどぶろくといったところで、度数のきつい蒸留酒は敬遠されていた。

「書画刀剣や壺皿茶碗ならご遠慮するわよ。余ってるし」
 冥界の白玉楼に湖畔の紅魔館。幻想郷に並び立つ大邸宅の主が、遠回しな自慢を口にする。背後に立つ従者も軽くうなずいた。

「ええ。紅魔館にも、無いものよ。それだけは、お約束するわ。だからいいでしょう──紫も」

 幽々子が霊夢にもたれっぱなしの紫の手を取る。紫はうつむいたままうなずいた。

「んーと。要するに弾幕ごっこじゃなくて禁酒ごっこ?」
 萃香は幽々子の話の間、あぐらをかいたまま鼻提灯を膨らませていた。寝ていたようにしか見えなかったが、話は聞いていたようだ。

「あンた。話が終わりかけたところでまた面倒なこと言い出して──」
「まあまあ、これでも飲みなよ。霊夢」

 とうとう怒り出した霊夢に、萃香は迎え酒とばかりに腰の瓢箪を投げて渡す。霊夢は受け取るが早いか飲むが早いかといった動きで一口飲んだ。

「ええ、禁酒ごっこ。新しい遊びよ」
 まだ感傷にむせんでいる紫の背中をさすりながら、幽々子は一同を見渡した。

 霊夢もレミリアも萃香も、もう何も言わなかった。反論が無いのを了解と受け取り、幽々子はたたんだ扇でぽんと手を叩いた。

「はい。なんかよくわからないけどそういうことで! 解散!」

 酒と涙で二倍の重さになった紫を投げ捨てるように幽々子に預けると、霊夢が解散を宣言した。

 レミリアは腕組みをしたまま後ろ向きに飛び、咲夜はその後を追った。泣き止まぬ紫に幽々子が肩を貸し、蜻蛉のように頼りなく飛んでいった。

 巨大なサイコロを角に挟んだ萃香は、酔いでふらついているのか重さでふらついているのかわからなかったが、とにかくふらふらと歩いて帰った。

 残された霊夢は、とぼとぼと神社の座敷に戻る。出しっぱなしのはずの食器や酒器は、なぜか綺麗に片付けられていた。

「──あ、咲夜か。どうもね」
 霊夢は後ろ手にふすまを閉めると、そのまま畳に大の字になった。


 □ □ □ □


 宴の参加者全員に忘れられた、哀れな司会者を覚えているだろうか。

 もはや月も沈みかけ、日の出までは一刻ほどだ。夜の終わりが近づいている。神社の境内に一人残ったアリスは、鳥居に背をもたれて目を閉じている。アリスは今夜の出来事をぼんやりと思い返していた。

──紫がいきなり泣き出すから、司会が出来なくなっちゃった。
──魔理沙はいつのまにかこっそり帰っちゃうし
──霊夢は紫にたかられても全然動じないのね。凄いわ。
──レミリアと咲夜は二人の世界よね。見ている方が恥ずかしいっての。
──ああ、そういえばさっき霊夢が解散って言ってた。
──何しに来たんだろう。今晩の私。

 我が儘も言わず悪酔いもせず、なまじ良識と節度があるために、アリスは宴会ではまったくの空気になってしまうことが往々にしてある。自分が楽しむより人を楽しませることをよしとする彼女は、そんな状況をも楽しんでいた。

 しかし、今宵は何もかもが彼女を置き去りにして、嵐のように過ぎ去っていった。司会役として演出に努めていたアリスは、さすがに少々落ち込まざるをえなかった。

「解散って言われたから、帰っていいのよね」
 同意を求めるかのように、アリスは足下を見た。先ほどまでアリスと一緒に演出係を担当していた、6体の人形達がいた。

 彼女達はみな身の丈五寸ほどで、小さな背中をぴたりとつけてぐるりと輪を描いていた。目を閉じてかすかに首を揺らしているので、まるで眠っているかのように見える。

「じゃ、帰るわよ。お入りなさい」
 アリスが人形に声をかけると、人形達は慌てて飛び起きる。そして行儀良く一列に並び、袋の中に行進していく。

 人形達はアリスの声を聞いて動いているわけではなく、あくまでも目に見えない魔力の糸で操られているにすぎない。だから声をかける必要などないし、ましてやその声に驚くはずもない。

 つまり、全てはアリスの操作であり演技なのだ。しかし、アリス本人にすら操っている意識はほとんどなかった。いや、操るという意識がなくなるまで修練を積んでいるのだ。それがアリスの人形達にまるで生きているかのような動きを与え、見る者の感嘆と賞賛を集めるのであった。

 6体の人形達はみなエプロンとリボンで飾られており、髪は栗色で腰まで伸びている。遠目には彼女たちの区別はつかないだろう。だが、並べて見れば髪型もリボンも、そして表情もわずかに差を付けてあるのがわかる。

 一つとして同じ人形は作らない。それがアリスの細やかな気遣いであり、人形遣いとしての自負でもあった。しかし、人形の繊細さとはまったく不釣り合いに、それを入れる袋はホコリまみれの麻袋だった。人形には惜しみないこだわりを注ぎながら、その入れ物にはまったくこだわらないのであった。

 アリスの美意識はどこか間が抜けていたが、それもまた魅力の一つであった。もしアリスがどこもかしこも完璧であったのなら、ただの近づきがたい美少女であっただろう。

 騒がしいところが嫌いなくせに、宴会には必ず参加する。そしてつまらないことでからかわれては、顔を真っ赤にして隅に下がる。自分についての話が途切れたところで、また宴の輪に戻ってくる。

 数少ない親友の魔理沙は、アリスを評して「雀のような奴」だと言った。いつでも目につくところにいるし、誰からも好かれる。しかし滅多に親しく付き合わない。誰かを従わせることも飼われることもない。今日のアリスも雀であった。

 アリスは繕いだらけの麻袋を背負うと、飛びもせずにとぼとぼと石段を下りていく。人形達は袋の中でおとなしく揺られていた。

 飛んで帰れば夜明け前に帰れた自宅に、アリスは日が昇ってからかえってきた。その家は魔法の森の奥深く、オークに囲まれた小さな洋館だ。

 湿度の高い森の中でもその壁はいつでも白く、窓には一点の曇りもない。清掃と警戒を担当する半自律人形が、毎日屋敷を手入れしているのであった。

 その掃除人形が、玄関の脇で眠っていた。
「……あら。一晩は持つはずだったのに」

 半自律人形は、アリスから魔力の供給と簡単な命令を受けて動く。稼働時間は半日から一日の間で、決まり切った行動しかできない。しかし、余計なことをしない分だけ、留守番としてはかえって便利であった。もし魔力が切れそうになったときには、回収しやすいように玄関前で座るように指示されていた。

──急いで宴会に出かけたから、魔力が少なかったのかしら。
 アリスは袋に7体目の人形を入れ、ドアノブに手をかける。誰かの体温が残っているような気がして、鍵を取り出すのをためらった。

──侵入者? まさか。
 魔法の森は朝の冷気で深々と冷えている。たとえ本当に誰かがドアノブに触れていたとしても、一分と経たずに冷えてしまうはずだ。しかし、目に見えぬ数百の糸で幾多の人形を自在に操るその指先は、ときに常軌を逸した鋭敏な触覚を発揮するのであった。

 アリスは鍵がかかっていることを確認してから錠前を開け、ドアに通っている魔力を確認する。錠前は器用な子供でも外せる程度の簡単なものだ。しかし、ドアには魔力錠が2段に掛けられ、並大抵の侵入者は受け付けない。

 多少魔術の心得があれば1段目の鍵を外すことは造作もない。しかし同時に2段目の鍵が発動し、警備担当の人形が総動員で迎撃に出動する。同時に鍵はアリス本人以外には解除できなくなる。

 邸内に保管されている人形は、全てアリスが心血を注いで作り上げたものだ。しかし、単に盗難を防ぐだけなら、丈夫な金庫に放り込めば事足りる。ここまで複雑な仕掛けを作るのは、ひとえにアリスの凝り性ゆえであった。

──魔力錠も異常なし、ね。
 アリスはドアを開け、麻袋をおろす。玄関の右側の壁にはビロードの敷かれた棚があり、日常使う人形達の指定席であった。袋の口を開けると人形達はふわふわと棚に収まり、壁を背にして眠りについた。

──お風呂は? いいわ。起きてからで。
 アリスは二階の書斎に向かおうと階段を上りかけたが、寝酒を取りに台所に降りてきた。

 アリスが屋敷に求めるのは、人形達の保護と快適な眠り、そしてたまの来客に失礼がないことだけだった。ゆえに間取りも最小限の構成になっている。一階は居室と台所と水回り、後は客が来たときに通す予備の寝室兼物置。二階は人形部屋と書斎兼寝室。それがアリスの屋敷の全てだった。

 どの部屋も華美を配した実用本位の作りであったが、柱に刻まれた小さな花の彫刻や、壁を飾る鳥の絵などが彩りを添え、決して無骨な感じは与えない。

 アリスが自宅で飲む酒はブランデーである。人形のような可憐な少女が嗜むものとしては意外に思われるような強い酒だが、一つ一つの理由は全く納得のいくものであった。

 第一に、夏でも冬でも戸棚の中に放っておいても痛まない。ワインを管理しようとすれば紅魔館のように地下にワイン倉を作るしかないが、酒のためだけに部屋を作るのはアリスの合理性が許さなかった。
 第二に、お菓子の香り付けに欠かせない。たびたび宴会に持って行く焼き菓子には、決まってブランデーが甘い香りを添えているのであった。

 そして、今日のように心労が溜まって寝付けなさそうなときには、ブランデーが優しい眠りに誘ってくれるのであった。アリスは戸棚を空け、一番手の届きやすいところを見て──気づいた。

「魔理沙っ……」
 アリスは結論を口に出してから、その思考過程を逆になぞっていく。

──警備人形が所定の位置より右にずれていたのはやはり侵入者ね。
──魔力錠が外せて監視人形を騙せる奴は。
──そして、今晩ブランデーを盗む理由があった奴は。

「そんな奴は、魔理沙しかいないじゃないの」
 アリスはようやく自分の結論に思考を追いつかせると、ふっと息を吐いて笑った。

──先に帰ったのはムダになったわよ。魔理沙。

 紫の禁酒ごっこがいつ行われるか決まったのは、霊夢が解散を宣言した直後だった。先にとんずらしていた魔理沙には、それを知るよしはない。

「え? いつ? じゃ来週の今日でいい? 場所はまたここね。各自適当な酒をもってきなさい。はい解散解散。とっとと解散。いますぐ解散」

 それが、霊夢の昨夜最後のセリフだった。一同を追い出すようにぱんぱんと手を叩く霊夢を、アリスは境内の隅で見ていた。

 紫に飲ませなければいけない以上、魔理沙にブランデーを預けておいても飲みはしないだろう。いや、アリスは飲まれても構わなかった。どうせ瓶底に一杯か二杯分が残っていただけの残り酒だったのだから。

「贅沢な寝酒になっちゃうわね。まあいいけど」
 アリスはブランデーが有るはずだった場所の隣から、キルシュヴァッサーを取り出した。サクランボから作られた貴重な蒸留酒はストレートで飲むとむせるほどの甘い香気があふれており、アリスが特に料理の腕によりをかけるときに使うものだった。

 アリスはキルシュヴァッサーを倍量に割り、寝室へと上がっていった。最後の一口を含んだまま、ベッドに入って目を閉じる。眠りに落ちる寸前、おそらく朝一番に紫の屋敷に押しかけて門前払いに面食らっているであろう魔理沙の顔がありありと浮かんで、また笑った。


 □ □ □ □


 地底の数少ない楽しみの一つが酒である。月も星も愛でられず、虫の声も鳥の声も聞こえない地底の住民は、酒を助けにかつて見た風流を思い出しては懐かしむのであった。

 薄暗い地底でも碧く輝く瓦屋根、白塗りの壁に朱の柱。ここは絵巻物にしか出てこない平安朝の屋敷だ。屋敷の主は、かつては地上にもその名を知られた鬼の大物、星熊勇儀である。

 勇儀は板張りの大広間の一角に畳を置き、豪快にあぐらをかいていた。両脇に置かれた灯火が左手に持つ大杯に映って揺れる。だが、部屋の広さゆえ、灯りはその端までは届かない。

 四隅の暗がりはかすかに妖気を漂わせ、何かがうごめいているような気配がある。常人なら物の怪に怯えずにはいられないその闇も、四天王と称された鬼の中の鬼である勇儀には、酒の肴に過ぎなかった

「あのさー。なんか凄いの欲しいんだけど。勇儀」
 暗がりの妖気が、ようやくその正体を現した。それは一匹の小鬼であった。手のひらに乗りそうなほどのその大きさは、鬼というより一寸法師を思わせる。

「なんだい藪から棒に。まあ飲みな」
 とことこと走り寄る二本角の小鬼を右手に乗せると、一本角の大鬼は左手の酒をくれてやる。小鬼は自分の体より大きな杯をたちどころに飲み出し、息を吐いた。

「ぷはぁ~。 んー。これもいいんだけど、もっと凄いのが欲しいな」
 大酒飲みの小鬼は萃香である。密と疎を操る程度の能力を使い、自分の一部を地底に使いによこしたのであった。

「話が見えないよ。でもまあ、良く来たねぇ。届けは出してきたのかい」
 地底から間欠泉と幽霊が吹き出した異変は、もう一年も昔のことだ。異変は例のごとく霊夢が解決し、地底も地上も平穏を取り戻していた。

 地底と地上の妖怪達の行き来は、永らく厳しく禁じられていた。しかし、異変を機に地上にも地底好みの連中、つまりは霊夢や魔理沙のような剛の者がいることが知れ渡った。すると、主に地底の住民から地上と行き来したいという要望が上がってきたのだ。

 そこで、異変の責任を取るという名目で、地霊殿の主である古明地さとりが地底と地上の行き来を管理することになった。妖怪達はさとりの許可を取ってから出入りすることになっていた。

「うんにゃ。面倒だから勝手に来た。こんなちっこいのが入ってきたところで、何ができるわけでもないしねー」

 建前はあくまで建前である。一部の妖怪は勝手に地上と地底を行き来していたが、さとりもそれを咎めることはしなかったし、特に問題も起きなかった。

 力のあるものは分別もあるのが幻想郷である。地底の異変は、神様の悪戯によってその例外が生じたために起きた事故であった。

「あはは。ま、酒を飲むぐらいしかできないよな。確かに」
 勇儀が再び大杯を満たすと、萃香は一口飲んでもういいとばかりに杯を戻す。さすがにその小さな体では限界のようだ。

「えっと、これ以上飲むと忘れるから、先に用事を言っとくね。きついお酒頂戴。きつーいの」

 勇儀は手のひらの萃香を見つめながら、当惑の表情を浮かべた。
「なんだい。これじゃ足りないのかい?」
「いやえーと。そうじゃなくて。紫に飲ませなきゃいけないんだよね。きついのを」

 萃香は禁酒ごっこの概要を勇儀に語った。勇儀は萃香が紫の泣き真似をするのに笑い転げ、幽々子のぼんやりした話し方を真似るのにまた笑い転げた。萃香の話が終わった時分には、もう四半時も過ぎていた。

「あっはっはっは……。いやぁ笑った。笑わせてもらったよ。じゃあ、私からもお礼をしないとな」

 勇儀は後ろを振り向くと誰かを呼びつける。
「おーい! 蔵からアレを持ってこい!」

 しばしの間があって、一匹のゾンビ妖精がやってきた。地底の異変の直後、はぐれていたのを勇儀が拾い、使用人として雇っていたのである。

 勇儀の館の住民は、みなこのような地底の流れ者やはみ出し者ばかりであった。それでも、その全員から主と慕われているのは勇儀の度量のためである。

 ゾンビ妖精はふくさに包まれた何かを持ってきた。勇儀は珍しく丁重な手つきでに包みを解く。

 すると、瑠璃色に釉のかかった壺が現れた。大きさは茶碗ほど、形は裾が広がり口が極端に狭い。その口には壺の小ささに不似合いなほどの大きな木栓が差し込まれ、上からきつく縄で封をされているのであった。

「『地獄巡り』だ。度数がいくらかはわからないが、地底で一番きつーい酒なのは間違いない」

 勇儀はその酒の作り方を語って効かせた。灼熱地獄の強烈な火力で仕込み樽十個分の原酒を蒸留し、地底の天井まで舞い上がらせる。それが鍾乳石を伝ってぽたりと垂れて、地獄の妖気を存分に吸ったところを地下666階で受け止めると、この壺一つ分しか残らない。

 そんな、地獄を底から天井まで目一杯に使った、呆れるほどに無駄で壮大な仕掛けで作られたのがこの酒、『地獄巡り』なのだという。

 いいか萃香、これは何千丈もの上り下りで雑味の一切が消し飛び、純粋な旨味だけが凝縮された焼酎なのだぞ──と、勇儀は拳を振り上げて講釈を垂れた。

「──それが『地獄巡り』なんだなぁ。わかったか?」
 いくら飲んでも酔わない勇儀が、話をしただけで顔を赤らめる。どうやらその味と度数は想像を絶するものであるらしい。

「よくわかんないけど、とにかく凄いんだねー」
「うん。ありがたくもらっておくよ」

 目の前で熱弁を振るわれても、小さな萃香はいつもの調子で軽く受け流した。ひょいと壺を頭に乗せると、そのまま飛んで帰ろうとする。

「おいおい。もうちょっと丁寧に扱ってくれよ。洒落にならないぐらい貴重なんだからさぁ」
 勇儀は苦笑し、ふくさで壺を萃香に縛り付けた。なんとか落とさずに持って帰れよ、と願いながら、勇儀は旧友がふらふらと飛んでいくのを見守った。


 □ □ □ □


 それは、五百年かけて作り上げた我が儘の完成形だった。

 吸血鬼らしく日暮れに起き出す紅魔館の主は、パジャマのままで起き抜けから豪勢な朝食を喰らう。食べ終わると食堂にパジャマを脱ぎ捨て、下着姿でシャワーに向かう。流水は吸血鬼の弱点のひとつのはずだが、入浴はその数に入らないというのがレミリアの持論だ。

 朝食の残骸は無残きわまる。色とりどりのソースに、紅茶にワイン、そして果汁。わざとかと疑ってしまうほど食べこぼしのシミだらけのテーブルとパジャマが後に残される。それを片付けるのは、主の朝食と同じテーブルで夕食を取っていた従者の咲夜の仕事だ。彼女は、まあまたお汚しになられてお嬢様と形だけ困ったふりをしながら目を細め、手つきも鮮やかに芸術的な後片付けの妙技を見せる。

 咲夜が片付けを終える頃には、レミリアがシャワーから上がってくる。主の着替えと身支度を手伝うのも、無論咲夜の仕事である。咲夜の技術と奉仕精神は、ここでも遺憾なく発揮される。そうして綺麗なお嬢様が出来上がる時分には、夜は深々と更けているのが常であった。

 レミリアは自室で咲夜に髪を梳かせている。銀髪は五百年の時を経てわずかに青味を帯び、錬金術でも作り出せない魔性の美しさを備えていた。咲夜はその髪に櫛を入れ、時折肩にかからぬように短く整えるのを従者の役得としていた。

「例の紫のアレだけど。何か適当なのが有るわよね。咲夜」
 レミリアは小柄な体躯に似合わぬ宝飾だらけの大椅子にちょこんと座り、足をばたつかせている。

「それが、あまり──」
 咲夜は楽しい仕事が終わるのを惜しむかのように、見事に整えた主の髪を櫛で撫でた。銀の海に青い波が立ち、咲夜に向かって打ち寄せてくる。

──この瞬間のために、私はお嬢様に仕えている。
 咲夜は主の髪に見とれ、返事の続きを忘れていた。

「らしくないわよ咲夜。どうしたの。ぼうっとして」
 主の声にふと我に返ると、咲夜はいつも通りの瀟洒な従者に戻ることにした。

「いえ、問題が少々あるのです」
「髪は?」
「終わりましたよ。お嬢様」

 レミリアは椅子からぴょんと飛び降りると、お気に入りのキャップが置いてある鏡台に歩く。キャップの角度が決まらず鏡の前で試行錯誤する主の背中に、咲夜が説明を始めた。

「ワインなら地下の倉にいくらでも銘酒がありますが、今回は度数の高いお酒が必要なのです。ワインはどんなに熟成させても十五度程度。今回の趣旨にはそぐわないかと」

 レミリアはようやくしっくりくる角度を見つけたようで、鏡の中の咲夜に向かってにっと笑った。かすかにのぞく牙以外は、本当にただの幼いレディといった趣であった。満足した主を見て、咲夜も目を細めた。

「ですから、お屋敷にある度数の高いお酒というと、まともなものはブランデーぐらいです。あとは土産に集めた蕎麦焼酎やら芋焼酎やらと品のないものばかりで、とても紅魔館の酒として持って行けるようなものではありません」

 珍品収集は咲夜の趣味であり、酒に関しても例外ではなかった。単なるコレクションとなっている酒瓶が倉庫の一角に積まれていた。

「私がいくつか選んでお持ちしますから、お嬢様が決めた一つを紅魔館のブランデーとして持って行く……ということで宜しいでしょうか」

 咲夜の説明を聞きながら、レミリアはさもつまらなさそうに鏡台に腰掛けていた。そして返事の代わりに鏡台にきぃと爪を立てた。

「ブランデーは誰かが持って行ったわ」
「そうですか。では変えなければいけませんね」

 幽々子が禁酒ごっこを提案してから、まだ一日も経っていない。誰が何の酒を持っていくかを知る手段などレミリアにはなかった。それでもなお、彼女は持って行った、と断定し、咲夜も異を唱えなかった。

 運命を見、それを操る能力。レミリアはその能力ゆえに近い将来を直接観ることができるのだった。

「ブランデーならアリスですか?」
「アリスのところによくいる、アレ」

 レミリアは爪で空気を切り、頭の上に三角を作った。咲夜にはそれだけで三角帽子をかぶった魔理沙とわかった。

「アレですか。なら仕方ありませんね」
 気心の知れた主と従者が、声を合わせて笑う。

 そこに、弱々しいノックの音がした。
「パチェ? いいわよ。お勝手にどうぞお入り遊ばせ」

 ノックの相手が名乗るのも待たずに許可を出し、レミリアはまた爪で三角を作ると笑い声を上げた。どうやら魔理沙を表す仕草がよっぽど気に入ったようだ。

 レミリアの部屋の扉は、黒く、ぶ厚く、重い。そこに自分が通れる隙間だけを空けて入ろうとする青白い顔の魔女が、パチュリー・ノーレッジである。

 彼女は紅魔館の食客にしてレミリアの親友であり、屋敷の一部を借り受けて作った大図書館で、日夜何かの研究に明け暮れているのであった。

 パチュリーはドアノブに寝間着のようなフワフワした服のフリルを引っかけてしまい、こてんとつまずいた。レミリアは転んだ親友を見て屈託なく笑う。

「あはははは! 死んじゃう! 笑いすぎて死んじゃうわ、今日は!」
 咲夜は手もつかずにばったりと倒れたパチュリーを抱き起こすと、乱れた服を手早く直した。パチュリーに大事はなかったようだが、いつもまぶたが重そうなその目でまだ笑い続けているレミリアをにらんでいた。

「あらそう。日の光に当たっても死なない吸血鬼が笑い死ぬとしたら、本当にお笑いだわね。じゃ、これ以上笑わせないようにもう図書館に帰ろうかしら」
 パチュリーはレミリアに背中を向け、様子をうかがう。

「御免なさいパチェ。怒らないで頂戴。ちょっと間が悪かっただけよ」

 レミリアはまだ笑いすぎた余韻を引きずり、時折肩をひくつかせていた。それでも謝罪の言葉があったことをよしとして、パチェは鏡台に座るレミリアに一本の小瓶を渡した。

「なあにパチェ? 香水?」
 透明な小瓶には何のラベルもなく、かすかに褐色がかった液体が三分の一ほど入っている。

「レミィ。ちょっと飲んでみてくれるかしら」
「だからなあに? お薬なの?」
「いいから。飲んで頂戴」

 レミリアは瓶を光に透かしたり振ってみたりと疑っているが、パチュリーは飲むようにしきりに勧めた。自分から話しかけること自体が少ないパチュリーが、これほど強引に何かを勧めるのは滅多にないことだった。

 主に危険が迫れば即排除するのが咲夜の仕事である。だが、今回はただ見守っていた。咲夜はレミリアの後ろの窓際で柱の一本になったかのように静かに立ち、親友同士の砕けた会話をうらやむような目で見ているのであった。

 レミリアはついに観念したようで、コルク栓を抜くと一気に飲んだ。パチュリーはあっと声をあげ、レミリアは目を見開いた。

「──ッなにこれッ。焼けるッ!」
「咲夜、お水、お水」

 パチュリーが頼むより速く、咲夜の手にはコップが握られていた。レミリアはひったくるようにして水を取ると、一気に飲み干して喉を洗った。

「……まさか、一気に飲むとは思わなかったわよ」
「やっぱりお薬だったのね。今度は何? 犬になるの? 火を吐くの?」

 別にパチュリーがレミリアを人体実験に使ったことがあるわけではないが、レミリアが勝手に罪状を追加した。

 何かの匂いがした。蜜のような甘い匂いに燻したような深みが加わり、エーテルに乗って部屋中に広がっていた。

「ああ、実験成功じゃないの。良かったわ」
「何が成功……。あら、いい匂い」

 レミリアはどこから匂いが出ているのかわからず、部屋の四方を見渡した。微笑んでいる咲夜と、うなずいているパチュリーがいるだけだった。

「これは、バーボンですわね」
「バーボン……ってお薬なのね。今飲んだいい匂いのやつが」

 レミリアはようやく自分が飲んだ液体が匂いの元だと気づいたが、やはりそれが酒だとは思えなかった。

「いえ、お酒です」
「本当なの? パチェ」
 咲夜の解説を聞いても、レミリアは納得しなかったようだ。

「ええ本当。バーボンよ。お望みの蒸留酒」

 パチュリーはレミリアから空瓶を受け取ると、大椅子に深く腰掛けた。レミリアに負けず劣らずの小柄な体のために、膝をきちんと折れずに足がやや伸びているのがご愛敬である。

 パチュリーは空瓶を教鞭代わりにして、講義を始めた。

 何から話せばいいかしら。バーボンは仏蘭西のブルボン王朝をその名の由来とする蒸留酒で、私たちが幻想郷に来る少し前に亜米利加で発明されたものなの。あそこはトウモロコシとインディアンしかない辺境だから、あり合わせの材料で適当なお酒を造ったのね。トウモロコシを主原料とするこのお酒は、二段階の蒸留の後に樽に詰めて熟成させるのだけれど、その樽が火事にあって焦げたのに無理矢理使ったら偶然その焦げがいい風味を生んだらしいわ。まったく亜米利加はとんでもない国よね。私も錬金術の初心に帰ろうと思って植物素材の蒸留を一度追求してみたいと思っていたところに、今回の禁酒ごっこの話が来たでしょう?渡りに船と思ってトウモロコシを蒸留したら、何か良さげなモノが出来たから持ってきたの。そのままじゃやはり喉を痛めるから何かで割らないといけないわね。炭酸水かしら。地底にわき出しているところがあったような気もするけど──

「いや、わかったわ。要するにこれはお酒なのよね? パチェ」

 レミリアが制さなければ、パチュリーはいつまで話し続けていたかわからない。放っておけば何時間でも黙って本を読んでいるパチュリーだが、決して無口なのではない。単に話すことが無いから話さないだけなのだ。その証拠に、なにか語りたいことがあると小声に早口で延々と語り続けるのであった。

「まあ、一気に飲んだときは喉が焼け死ぬかと思ったけど、後味はなかなかいいじゃないの。割って飲めば面白いんじゃないかしら。使えるわよ。これ」

 レミリアは息を自分に吐きかけ、バーボンの香りを確かめていた。トウモロコシが酒になるだけでも意外なことであったが、この糸を引くような甘い香りはクセになりそうだと感じていた。

「本当にいいものを作るには熟成が必要なの。だから──」
「咲夜。手伝ってあげて」
「かしこまりました」

 また長話をされては構わないと、レミリアは早々に咲夜をあてがう。まだまだ話し足りない雰囲気のパチュリーだったが、咲夜に促されて図書館へと戻っていった。

 パチュリーが語りたかったのはバーボンの熟成に要する時間と、その風味付けの難しさについてである。しかし、数年から十数年を要するその作業も、時間を操る咲夜の能力があれば一時間で十分だ。

 肝心の風味についても、実験好きなパチュリーの試行錯誤と毎日主を唸らせる料理を作る咲夜の舌があれば、最適な熟成条件を見いだすのにそう時間はかからないだろう。

──そうよ。あとはそのバーボンとやらを二人で頑張ってお作りなさい。主の仕事は大局を見据えて決断を下すことなの。細かい技術論はどうでもいいわ。

と、レミリアはパチュリーを追い返してから急いで後付けの理由を探し、自分を納得させた。

「賞品は頂いたわ幽々子。つまらないモノを見せないで頂戴ね」

 レミリアは不敵に笑ったが、バーボンで喉が焼けていたのを忘れていた。主の咳き込む声が聞こえ、咲夜が慌てて戻ってくる。

「大丈夫ですかお嬢様!」
「……お水」

 かくして、魔理沙はブランデーを盗み、萃香は焼酎を貰ってきた。レミリアはバーボンの製造を命じた。禁酒ごっこの開催日は、早くも明日に迫っていた。


 □ □ □ □


 梅雨は明けたが紫の屋敷は湿っていた。まだ夜も浅いのにどの部屋にも灯りはなく、時折鈴虫の声が聞こえるだけである。

 紫は昼から伏せっていた。昼寝していただけならむしろ彼女の日常であるが、昼も夜もとなればこれは尋常ではない。隣室に控える式の藍が茶や食事を運んでくればわずかながらも口にするのだが、すぐまた伏せってしまうのであった。

 そんなことが数日続き、藍はとうとう永遠亭を尋ねた。永琳の私室では、永琳と藍が差し向かいに座っている。紫が病んでいるのではと心配した藍が、永遠亭の薬師に往診を依頼したのであった。

 八意永琳は非情な診断を下した。
「それはただの欝ね。酒でも飲んで治しなさい」

 診断書のつもりか、永琳は手近な紙に『欝』と画数の多い字を大きく書くと藍に押しつけた。藍が一向に帰ろうとしないので、永琳はもう少し説明してやる必要があった。

「あなたは自分が式だということをさっぱり忘れているようね。あなたの式としての力は紫さんの力を分けて貰ったものでしょう。そのあなたがぴんぴんしているというのに、主だけが病に伏せることはあり得ないの。わかった?」

 藍はしばらくぽかんと口を開けていた。が、ぱくんと口を閉じると今度は首を左右に振り、膝をとんと叩いてみた。体の動きに特に意味はなく、何がどうなっているのか全く理解できないということを表現しただけだった。

「ちょっと思い出してご覧なさい。紫さんはいつからおかしくなったの」

 藍の記憶に、幽々子の肩を借りて帰宅する紫の姿が浮かんだ。

──その日、紫は珍しく一人で博麗神社の宴会に出かけた。
 気兼ねなく酔い潰れられるように、という迷惑な理由で、紫は酒の席には必ず藍を連れて行く。だから、その日も藍は重ねて念を押したのだった。

「藍。今日は一人で行くわ。たまには橙に構ってあげなさいな」
「あの、本当に宜しいのですか紫様? 今まで神社での宴会には四十九回連続で私がお供しているのですが」
「なぁに? そんなことを覚えてるの? しょうのない式だこと」

 紫は藍の額をつんと指で突くと、どろりとスキマに消えていった。藍も追いかけるようなまねはせず、橙を呼んで話をした。

 話題は、最近の異変で幻想郷にやってきた面子のことだった。あいつは年甲斐もなく子供のようだというと、橙も私の方がよっぽど大人ですと相槌を打った。藍は橙の頭を撫でてやった。

 あいつは常識にとらわれて面白みがないというと、橙は藍様もよくそう言われますねと答えた。藍の顔が曇り、橙は慌てて謝った。

 二人が話に夢中になっている間に、夜明けが近づいていた。戸を開ける音が聞こえたので、二人はそろって主人を迎えに行った。

 幽々子に肩を借りて敷居をまたいだ紫は、何も言わずにただ泣き濡れていた。藍は何も言わずに寝支度を整え、紫は布団に溶けるように眠っていった。

 紫が眠るのを見届けた幽々子は、帰り際に藍に伝えた
「紫ね、ちょっと思うところがあって、お酒は、お休みしたの」
「だから、クセで、つい飲もうとしちゃう、かもしれないけど、あなたが頑張って、飲ませないように、してあげてね。それが、紫のため、だから。」

 紫のため、と言われては、藍に選択の余地はない。

 翌朝。さっそく寝起きの一杯を飲もうとする紫から、藍が杯をむしり取った。
 その夕方。風呂上がりの一杯を飲もうとしたので、藍が徳利を叩き割った。
 その夜。紫が寝酒を飲まないように、藍は隣室で一晩中監視を続けた。紫は寝言で飲ませてと繰り返していた。

 心根が優しく忠義に厚い藍には、主を苦しめるのは身を切られるよりも辛かった。それでも藍は断腸の思いで禁酒を手伝った。熱に浮かされたように酒を求める紫を見て、涙を流したのも二度や三度ではない。

 三日ほどして、紫は酒を欲しがらなくなった。藍はほっと一息ついたが、今度は昼も夜も起きてこない主に頭を悩ますことになった。そして永琳に救いを求め、欝と診断されるに至ったのである。

「要するに、紫様は酒を我慢しすぎて心の均衡を失ったということでしょうか」
 永琳は藍に背中を向けたまま、薬棚からなにかを探している。

「おそらく演技だったのでしょうね。最初の三日は。だから式であるあなたに禁酒の手伝いをさせた。自分を無理矢理酒から引きはがすためにね」

 藍は別れ際の幽々子の顔を思い出す。いつもの眠たげな目がやや大きく開き、その中に何かを期待するような輝きが確かにあった。いつもの聡明な藍であれば、その真意を探ることはたやすいことのはずだった。

 しかし、紫のため、と言われた瞬間、藍は紫に酒を飲ませないことしか考えられなくなっていた。目の裏でかちりと何かがつながるようなあの感覚は、式がかかった時のものだった。

──紫様が私の額をつついた時に、式を打たれていたのか。
──そして、「紫のため」という幽々子様の言葉で式がかかったのだろう。

 藍の心を読んだかのように、薬袋を手にした永琳が語り始めた。

「どうせ、しばらく酒を断ったらもっと美味しい酒が飲めるとか、馬鹿なことを考えたんでしょうね。酒を飲めずに起きているのが辛いから、飲みたくならないように寝てばかりいた。そして、今度は起きる気力が無くなったのよ。まったく因果なものね」

 永琳は「無気力の発生機序に関する一考察」とでも題を付けたくなるような持論をよどみなく語った。ただの推測としては余りに真実味が入りすぎている。身近に無気力に関する研究材料でもなければこうはいかないだろう。

「そういえば、紫様を幽々子様がお連れになられた翌朝、魔理沙が屋敷に酒を持ってきました。禁酒ごっこがどうとか言っていましたが、紫様に酒を飲ませるわけにはいかないので追い返しました。あれは……」

「ああ。じゃあそういうことでしょう。酒を美味しくいただくためのニセ禁酒。それが行きすぎて欝になった。簡単ね」

 永琳はよほど合点がいったのだろう。体の他の部分を固定したまま、首だけでかたかたと妙なうなずき方をした。麗人がこんな動作をしたら可笑しいものだが、藍にはそれを笑う余裕すらなかった。

「あッ、あの御方はッ……!」
 藍は珍しく顔を赤らめ、膝の上で拳を固く握った。

 紫は時に無理難題を言って藍を困らせるが、それは藍を鍛えるためだった。少なくとも藍はそう思うようにしていた。しかし、今回紫がしたことは、単に自分の禁酒を手伝わせるために藍を騙しただけだった。

──私は紫様の道楽のために泣いたのか。
 そう思うと、藍は拳の震えが止まらなかった。

「あまり難しく考えるものではないわよ。ただの気まぐれなのだから。幻想郷はみんなそう」
 永琳は袋のなかから薬を取り出した。黒飴のような錠剤が見えた。

「じゃあ、帰ったらこれを飲んで。あとはゆっくりお休みなさい」
 永琳が手渡したのは胡蝶丸、まるで夢のような夢を見られると評判の睡眠薬である。元々は自分が永すぎる夜を眠って過ごすために作った薬を、哀れな式に処方してやったのであった。

 藍は落胆と怒りの入り交じった複雑な顔のまま、丁重に礼を述べて胡蝶丸を受け取った。おそらく飲むことはないでしょうが、と一言添えたのは、藍の気丈さゆえだろう。

「あなたもここでは生きにくい性格ね──」

 藍が部屋から去った後、永琳は一人つぶやいた。


 □ □ □ □


 月は厚い雲に隠れて見えず、山から吹く風もない。
 紫の禁酒宣言から、丁度一週間が経った。幽々子が提案した禁酒ごっこをするために、続々とあの日の参加者がやってくる。

「よっ! 一番乗りだね。縁起がいいや」
 萃香は腰にいつもの瓢箪ともう一つ、小さな壺をぶらさげている。

「順番なんてどうでもいいわ。要は勝つか負けるかよ」

 レミリアは真っ暗な境内に紅い目を光らせる。一歩下がって控える咲夜の手には、トルコ風に切り子が入った瓶が握られていた。

「なんで真っ暗なところで見栄を切ってるのよ。あンたたちは」

 アリスは人形にランプを持たせて境内の四方に配置した。蛍のような緑がかった明るい光が境内を照らす。どうやら魔力で照らすランプのようだ。

「真打ちは最後に上がるものだぜ」

 そんなセリフを言いながら、魔理沙が真っ逆さまに急降下してきた。白砂に墜落する寸前にえいと反転すると、派手な砂埃を立てて着地する。魔理沙は一同のひんしゅくを浴びながら帽子を取って挨拶した。

「よう、今日は勝ちに来たぜ! とっておきの一本がある!」
「幻の秘酒『プラスチックマインド』これなら負けはありえないぜ!」
 魔理沙が高く掲げた銀製の瓶に、アリスは見覚えがあった。

「え? 魔理沙がなんでそれを? あのブランデーは?」
「甘いなアリス。私があんな調理酒の残りで満足して帰るか?」

 当惑するアリスを前に、魔理沙は心底うれしそうに白い歯を見せた。

 魔理沙がアリスの屋敷から盗み出したのは、台所のブランデーだけではなかった。すぐバレる台所の盗みはアリスを安心させるためのおとりであり、魔理沙の本当の狙いは書斎の金庫にしまってある魔界の秘酒だった。

「あンたがパチュリーのところで散々使ってきた手口よね……。警戒を怠った私が甘かったわ」

 アリスはがっくりと肩を落とす。すぐバレるようにつまらない物を盗んで油断させ、厳重に保管されているお宝を盗んだことを気づかせない。それが魔理沙が得意とする盗みのトリックだ。言われてみればどうということはない単純な仕掛けだが、それゆえに策を巡らす相手にはかえって通用しやすい。

 アリスが魔界を出るときに持ってきた数少ない荷物の一つ、それが魔界の超高級ブランデー「プラスチックマインド」であった。これは魔界では単なる酒を超えた伝説の存在である。

 すでに製造技術は失われているとも、二千年の間封を切られていないとも伝えられ、虚実の見境もつかぬほどに様々な風説が一人歩きしていた。

 アリスはその酒を実際に飲むつもりなどさらさらなかった。古色蒼然と黒くくすんだ銀の瓶は、いつでも金庫に放り込まれたままだった。

──その色はルビーのようかしら。
──その香りは薔薇のような、いえ、蜂蜜よ。きっと。

 アリスは、瓶の中に満たされているであろう至高の色と香りを想像しては、手近な酒を飲むときの肴にしていた。酒そのものを飲んでしまうより、それを想像する方が何倍も美味しいように思っていたのだ。すでに酒の存在そのものはアリスに必要なかったし、だからこそ盗まれたことにも気づかなかった。

──もし魔理沙が盗んでくれなかったら、一生あの瓶を見ることもなかったかもね。

 そう思うと、アリスはなぜか怒る気にもなれなかった。そして、大泥棒相手にご丁寧な忠告をしてやるのであった。

「あの、わざわざ盗んでいただいたところ悪いんだけど。味の保証はできないわよ。魔理沙」

 アリスは魔理沙の持つ瓶を指さした。魔理沙は相変わらず笑っていた。

「一口飲ませるかどうかの勝負なんだ。要するにハッタリが大事なんだろう?」

 魔理沙のセリフには一理あった。今回の勝負は飲んだ量は関係ない。たとえ一滴でも、紫が最初に口を付けた酒を持ってきた者が勝者なのだ。興味を引くことが最優先で、うまい酒であるかどうかは二の次と言えないこともないのである。

 魔理沙はただの人間の身でありながら、異変が起きるたびに妖怪変化に命知らずの勝負を挑み、勝ち負けを本気で競ってきた。そんな彼女だからこそ、この勝負にも独自の着眼点で挑んできたのであった。真っ向勝負の奇襲とでも呼びたくなるような、横合いからの一撃だった。

「あーなるほどねぇ。人間は面白い! わっはっは!」
 度数を求めて地底に行った萃香は、豪快に笑った。

「咲夜、負けないわよね?」
 香りを求めて実験を繰り返させたレミリアは、後ろを振り向いた。

「ええ。ご心配なく」
 咲夜に何の動揺もないのを見ると、レミリアは再び胸を張った。

 魔理沙と萃香とレミリア。その三者のちょうど中間にスキマが開く。しかしスキマにはいつものリボン飾りがついておらず、頼りなげに閉じたり開いたりを繰り返している。

「失礼する」
 まず藍が現れた。その両手をいっぱいに伸ばし、スキマを広げる。

「あら。もうお揃いだったの」
 次に幽々子が現れた。今日の着物は薄茶か朽葉かといった地味な色遣いだが、桜色の帯で彩りを添えてあり、三分咲きの桜のような趣があった。

 そして紫が現れた。いつもの帽子はかぶっておらず、普段はまぶしいほどの金髪が錆びたようにつやを失っていた。部屋着のような簡素なワンピースには何の装飾もなく、厚ぼったい紫紺の布地が体を覆っていた。

「こんばん、は」
 挨拶すら一息に言えないほど、紫は憔悴しきっていた。立っているのも辛いのか、二の句を継がずに床几(しょうぎ)に深々と腰を落とすと、それきり動く気配すら見せなかった。

 紫のあまりのやつれように場の一同が凍り付く。それを見て、幽々子が藍に一言声をかけた。途端に藍が忙しく働き始めた。

 藍は神社の物置に走ると、盆栽でも乗せるような木の台を持って帰ってきた。それを紫の前に置くと、屋敷から持ってきた鮮やかに紅い緋毛氈(ひもうせん)をかける。急ごしらえには違いないが、紫の前だけは貴族の宴のような雰囲気が漂った。

「はい。禁酒ごっこの、はじまりはじまりー」
 ぱちぱち。幽々子はまだ呆然としている一同に拍手を求める。最初にアリスが、次に咲夜が、そして全員が拍手をした。それが開会の合図となった。

 場の雰囲気で、今日の司会は幽々子になった。
「はーい。こんばんわ。みんなは、なんのお酒を持ってきたのかしらね。お酒を紹介してから、紫に注いであげてね」

 藍は、台と同じく神社の物置から借りてきた、質素なぐい飲みを三つ並べた。どうやら紹介した酒はここに注げという意味らしい。

 萃香とレミリアが我先にと手を挙げたが、どちらも譲らなかった。二人は結局その手でジャンケンをした。レミリアは小さな手を一杯に開いていたが、萃香の手は握られたままだった。

 レミリアは咲夜に目で合図を送る。咲夜はバーボンの封を切ってぐい飲みに注ぐ。細長い首を琥珀の液体が通るとき、ぽんぽんと小さな鼓を叩くような音がした。

 ぐい飲みの七分ほどに品よく注ぐと、咲夜は一礼して栓を閉めた。一瞬間があって、境内に未体験の香りが漂った。

 初めに広がったレンゲの花の香りに誘われて、つい深く香気を吸い込む。それが、鼻を抜ける時にはシェリー樽の焦げた木目すら感じられるほどの濃厚な薫香へと変わり、目の裏に染みる。そして口中にわずかな甘みを残して、儚く消えていくのであった。

 萃香と魔理沙は二度三度とその香りを吸い込み、感心しきりといった表情で目を見合わせていた。

「どう? えも言われぬこの香りは」
「このバーボンは、名付けて『プライベートスクウェア』」
「魔法と科学の交差点に立つ、高貴な楼閣といったところかしら」
「そこの小鬼とそこの魔法使い。今勝負から降りれば、今宵の恥は最小限で済むわよ」

 レミリアはオーケストラの指揮者のように、中空に紅い爪を舞わせながら満足げに語った。

「相変わらずネーミングセンスが微妙だな。咲夜のスペルカードみたいだぜ」
「どうせ作ったのは咲夜でしょ? あ、パチュリーもかな?」
「まあ、どっちにせよ、レミリアがえばるのは筋違いだよな」

 勝利宣言のつもりのレミリアのセリフも、二人には全く効いていなかった。肝心の紫は酒が注がれた瞬間だけわずかに肩を動かしたが、それきりうつむいたまま動かなかった。

 レミリアは目を見開いて紫を見ていたが、その目がだんだん細くなり、ついににらむようなまなざしになった。

「お嬢様。紫が選ぶのは、三つのお酒が出そろってからですよ」
「じゃあ、そういうことに、してあげる」
 余りに険のある主の表情を見て、咲夜がなだめた。レミリアの言葉にはまだ強気が残っていた。

「はい。紫も、もうちょっと我慢してね」
 紫がいつ酒を選ぶのかは特に決められていなかったが、幽々子は咲夜の言葉に合わせた。レミリアは手近な狛犬に寄りかかり、萃香と魔理沙の酒を見物することにした。

「じゃ、今度は私の番だよね」
 萃香は壺の封を切ると、思いも寄らぬ奇行に出た。

 ぐっと中身を口に含むと、両手にぶら下げた三角と四角の錘を打ち合わせる。ばちんと火花が散ったところに、萃香はぷぅと酒を吹きかけた。

 まるで大道芸人のように、萃香は黄色い炎を吐いた。炎は萃香から一間ほど伸びて紫に迫り、その顔を炙りそうだった。しかし紫は机の上で手を組んだまま、座禅のように動かなかった。伏せた目は眠たげにも哀しげにも見えた。

「ほ、ほらっ! よく燃えたでしょ。この酒は度数が凄いんだ!」
 萃香は前髪を数本焦がしながら、目を白黒させていた。どうやら想定していたより大火力になってしまったようだ。

「いや、アルコールに点火すれば燃えるのは当然だろ。酒の味とは全く関係ないぜ」
 白黒の魔法使いから、的確なツッコミが飛んだ。

「まーまーまーまー。お客さーん。ちょっと味見もしてみてよ」
 萃香はあーんと口をあけると、魔理沙もつられて大口を開けた。萃香は壺から直接一滴の酒を口に垂らしてやった。

──来るか? 来るのか?
 度数が高い酒なのは、先ほどの炎でわかりきっている。魔理沙はさぞ強烈な刺激が来ると予想して目をつぶって身構えていたが、いつまで経っても酒焼けの熱さが来なかった。

「──おい萃香」
 もう一口、と言おうとした瞬間、魔理沙の顔が真っ赤になった。

「──ぉぉおおお? おおお? おおぅ」
 魔理沙は何かの音頭のような節回しで唸った。まるで腹の中に囲炉裏ができたようだった。舌でも喉でも胃袋ではなく、体全体が炭火のような暖かな熱を帯びている。

 燃料のような度数でありながら、その口当たりは蜜のように滑らかだった。つきたての餅のような旨味が舌に広がり、いつまでも味わっていたくなる余韻が長く長く続いている。

「凄い、凄いぜアリス。凄いのぜ」
 感動のあまり、魔理沙はアリスを捕まえて肩を何回も何回も叩く。人形の制御が乱れるのか、四方に配した人形の持つランプがちかちかと点滅した。

「これが『地獄巡り』だよ。地底で最高にキツくて最高に旨い酒ときたもんだ」
 萃香はつかつかと紫に歩み寄り、残った酒を壺から注ぐ。大道芸に酒を使いすぎたのが祟って、ぐい飲みの半分も残っていなかった。

「ありゃ。勿体ないことしたかな。ま、こいつはキツすぎるから一口が限界でしょ。二口飲んだら生きて帰れないよ! わっはっは!」

 二口飲んだら生きて帰れない、というのは、どうやらはったりではないらしい。その証拠に、萃香は所構わず白砂の上にどすんとあぐらをかいた。その仕草は、もう立っていられないと言わんばかりであった。

 そのほとんどを炎にして吐きだしたとはいえ、萃香は口いっぱいに地獄巡りを含んでいた。地獄巡りの強烈な余韻が萃香を揺さぶり、首はぶらぶらと左右に揺れ、上体はぐらぐらと前後に揺れていた。酒呑童子の萃香をここまで酔わせるのだから、並大抵の酒ではない。

「さて、真打ちの登場でございときたか」
 いよいよ自分の出番とばかりに、魔理沙が右腕をぐるぐる回した。その手に握られていた銀の瓶がすっぽ抜けて宙に飛んだ。

 その瞬間、糸が走った。魔力の糸はアリスの意識より速く動く。アリスが糸を飛ばして空中の瓶を受け止めると、瓶は花を訪れる蝶のように緋毛氈の上に舞い降りた。

──まあ、私が飲みたいわけじゃないけど。魔界の銘酒を砂に飲ませたんじゃ勿体ないわよね。
 弾幕ごっこでも見せたことがないほどの自分の俊敏な糸さばきを、アリスはそう解釈した。

「──ッと。萃香のお酒で手元が狂ってるわよ。魔理沙」
「いや、ちゃんと紫の所に着地するように投げたんだけどな」

 はいはい、と魔理沙の減らず口を受け流して、アリスは手元の人形に目を向ける。持ってきた6体の内、4体はランプを持たせて境内の隅に配している。アリスは手元の2体になにやら言って聞かせると、紫の方へ歩いていった。

 2体の人形はアリスが元いた場所に立ち、ランプを持った人形に向かって凧揚げのような動作をしている。アリスは人形同士を魔力の糸でつなぎ、人形に人形を操らせることもできる。どうやら照明の管理を人形に任せたらしい。


「おっと、そう簡単に封を開けて貰っちゃ困るんだぜ」
 紫は相変わらず仏像のように動かなかったが、魔理沙は構わず口上を述べた。

「この『プラスチックマインド』はただの酒じゃない。魔界の伝説なんだぜ。確かな筋からの情報によると、五万年前から一度も封を切られたことがないし、この酒を巡って戦争が五十回起きているらしい。歴代の魔界の支配者がその瓶を寝台の下に隠していたし、栓を抜くことが出来る者がいればそれは魔界の王となることが約束されているんだぜ。ときたもんだ!」

 魔理沙は聞いた話の二十倍のハッタリをこめた啖呵を切った。そして紫の前に歩み寄り、どうぞとばかりに瓶とぐい飲みを並べてやる。紫は一瞬顔を上げた。だがその半分も開いていない目から、底なし沼のように深く暗い瞳がのぞいた。それを見た魔理沙は一瞬固まり、すごすごと後ろに下がっていった。

「さ、お気に入りは、あったかしら。紫」
 幽々子は紫の隣に立ち、扇でひらひらと酒をあおぐ。緋毛氈の上に並んだ三人の酒に目もくれず、紫は白砂の向こうを見つめていた。


 魔理沙の放り投げた瓶を離れ業で拾ったアリスは、人形に後を託して歩き出した。その進路に座っていた紫には目もくれずに通り過ぎ、後ろに控える藍の前で会釈をした。藍は深々と腰を折る。

「あのね──」
 アリスは一度言葉を飲み込み、藍から視線を外した。アリスと藍が差し向かいで話したことなどなかった。目の前の九尾の式をどう呼ぶべきか、アリスが逡巡していると、藍の方から話しかけてきた。

「紫様のことでしたら大丈夫です。ご心配いただき恐縮です」
 藍は左右の袖口をぴたりと合わせ、中華風に礼をした。その柔らかな九尾のように、いつも穏やかな笑顔を浮かべている藍だが、時として無機質な冷たさを見せる。

「いや、紫のことじゃない、というわけでもないけど、まあ聞いて」
──これは、怒ってるのかしら。
 誤解を解こうと、アリスは急いで言葉を並べる。

「えっと。まだ一人足りないのよ。一週間前は境内に七人いたの」
「魔理沙でしょ。紫でしょ。幽々子でしょ。萃香、レミリア、私、そしてもう一人──」

 藍の尻尾がぴんと伸びた。
「──霊夢さん以外いませんね。ありがとうございますアリスさん。今すぐお連れしてきます」

 計算なら式の得意分野だ。藍は瞬く間に引き算の答えを導き出し、それがこの場を打開できる唯一の存在であることも理解した。
 
「話が早いわね。藍──さん」
 藍はすでに社殿に向かって歩き出している。アリスはその背中につぶやいた。ようやく藍の呼び方を決めたようだ。

「藍で結構ですよ」
 その返事にアリスがうなずいた頃には、藍はもう社殿の向こうに消えていた。


 紫は相変わらず酒を飲まずに、白砂の向こうを見つめている。視線の先には賽銭箱があり、大きな破風を頂いた社殿がある。その向こうには霊夢がいる。

 霊夢は境内の騒ぎに気づいていたが、一人で渋茶をすすっていた。ちゃぶ台の上には茶請けの一つもない。

 誰かが雨戸を開けて縁側から入った。さして長くない廊下をとつとつと歩いてきた足音が襖の向こうで止まった。

「急ぎなので縁側から失礼いたしました。藍です。禁酒ごっこに霊夢さんも是非参加して頂きたいと、紫様からの言付けがございまして」

 藍は襖の向こうから不作法を詫びる。霊夢は返事の代わりにずっと茶をすすった。
「先週は紫様がご迷惑をおかけいたしました。だからこそ、お詫びも兼ねて是非出席して頂きたいとおっしゃられております」

「ほんとに紫がそう言ったの?」
 霊夢のカンは一切の演技を見破ってしまう。霊夢は藍に入れとは言わず、一口残した茶碗を見ていた。

「そうでしたね。霊夢さん相手に、体面を取り繕っても無駄なことでした」
 世辞は無用と悟った藍が、襖を開けて入ってきた。霊夢の前に正座すると、深々と頭を下げる。

「もはや霊夢さん以外に頼る人がいないのです。紫様を、なんとかして元に戻して頂きたいのです」
 畳に頭を擦りつけんばかりに、平身低頭となって藍が頼む。霊夢は茶の最後の一口をずっとすすると、無造作に茶碗を置く。茶の間にゴトリと重い音がした。

「もうどうでもいいわよ。あんな悪ふざけばかりのスキマ妖怪は」
「ですから、非礼は重ねてお詫びいたします。是非ご助力を」

「あンたもあんなのの式辞めたら? コキ使われるばかりでロクな──」
 霊夢はもう二言三言藍を虐めてから話を聞いてやるつもりだった。だが、違和感を感じて言葉が途切れた。いつも薄衣のように藍を覆っている紫の気配が、ほとんど感じられなかった。

「あれ? ほんとに式が外れかけてんじゃないの。あンた」
 霊夢は思わず藍の肩を触って確かめる。その服にはしっとりと霧を吸ったようないつもの手触りはなく、手はただ乾いた絹の上を滑るだけだった。藍がその手にすがりつく。目には大粒の涙をたたえていた。

「霊夢さんならわかるでしょう。紫様の心がもう限界なのです。紫様の存在は幻想郷そのものに限りなく近い。なら、紫様の異変は幻想郷の異変です。違いますか?」

 紫様、と藍は何度も繰り返し、霊夢の手を強く握る。その霊夢は聞いているのかいないのかといった顔をしたまま、空いている手で藍の頭やら背中やらを撫で回していた。しかしようやく藍の手を握り返したので、藍の顔にも安堵の色が見えた。

「……ああ、これは異変ね。異変解決なら私の仕事だわ。たしかに」
 墨で塗ったような真っ黒な瞳にわずかに朱がかかり、だらしなく着崩した袖が糸でつられたように浮き上がる。多くても年に一度か二度、霊夢が本気で博麗の巫女を務めるときの構えが出来上がっていた。

「じゃ、とっとと解決しちゃうわよ。お代は後でたんまり頂くから、覚悟しなさいよね」
 藍が感謝を述べようとするのにも取り合わず、霊夢は部屋を飛び出した。

「──やはり、霊夢さんしかいませんでしたね。アリスさん」
 藍は、手がかりをくれた人形遣いに感謝していた。


 その電光石火の解決劇を目撃した瀟洒な従者は、後に人に聞かれる度にこう語った。

「ええ。一分とかからなかったわ。パンって何かの破裂音がしたから、何かと思って音のする方を振り向いたら、霊夢が本殿の戸を弾き飛ばしてこっちに飛んでくるのよ。弾幕ごっこの最中にも見せたことがないぐらい、そりゃぁもう殺気に満ち満ちた表情だったわ。だから、私も思わずレミリア様を背中に隠してナイフを構えてしまったのよ。
 でも、よく見ると手には御幣でもお札でも針でもなくて徳利を持っているじゃない。そして、紫の目の前の台にどかっと座って、挨拶も何も無しにいきなり紫の口に徳利をねじ込んだのね。『飲め飲めっ。この駄目スキマっ』って言いながら。
 英語の例文風に言うと、『紫が欝なのは、チルノが馬鹿なのと同じぐらい一目見てわかることだった』でしょ。この訳で九十六点。だから、私もさすがにアレは無謀だろうと思って止めようとしたの。
 でも、ゴクッって音がするじゃない。しちゃったのよ。飲んだのね。あれだけの銘酒を並べられても一滴も口にしなかった紫が、霊夢のただの安酒を。拍子抜けもいいとこよ。
 そこからの時間の流れが、これまた速かったわ……。私でも止められなかったぐらい。
 まず、『大変永らくお待たせいたしましたッ! まことに恥ずかしながらッ! みなさまの八雲紫が戻って参りましたァッー!』って、盆と正月とクリスマスと節分と誕生日が一緒に来たかのようなおめでたい顔で言うじゃない。紫が。
 で、お嬢様が持ってきたバーボンをラッパ飲みして『目ッ! いい酒は目に来るのヨこれがッ!』って目をつぶってぷはぁって息を吐いたと思ったら、今度は萃香のあの二口飲んだら死ぬとかいう無茶な酒を一気飲みじゃない。
 死んだな。と思って、私も一瞬ニヤっとしちゃったんだけど、『アッたかぁ~いぃ。これでもう三年はコタツが要らないワぁ~』とか謳っていやがるじゃないの。でも『水!水!』とか叫んでるから、私もまだ望みはあるなと思ったの。さすがにこれで魔理沙の酒を飲んだら本当に死ぬな。死ぬんだなって。
 そう思ってニヤニヤを再開してたら、魔理沙の酒をこれまた一気に飲んで……平然としてるのね。あら良いお水、とかおっしゃりやがって。
 どうやら、魔理沙の──まあホントはアリスの酒なんだけど、アレの中身はただの水だったみたいね。魔界の誰かがどこかで水とすり替えたけど、お宝扱いされすぎて誰も飲まなかったから気づかれなかったんでしょ。ま、魔界にはよくあることよ。手元の時計では霊夢が戸を弾き飛ばしてからここまで、きっかり五十八秒だったわ」

「まあ、短くまとめてあげると、勝ったのは霊夢だったということね」

 誰かにその話をするたびに、咲夜は心底残念そうにため息をつくのであった。



 霊夢の徳利と三人の持ち寄った酒をたちどころに飲み干した紫は、あっけにとられる面子の前にスキマを開いた。古今東西の見たこともないような瓶、壺、缶、樽。その全てに酒が満ち満ちていた。

「はーい。ちょっと禁酒のしすぎで欝に入ってたけど、すっかりすっきり元通りよ~。みんありがとう。さ、お返しに飲んで飲んでー」

 紫が言い終わらないうちに、7つか8つに分かれた萃香が酒に群がって品定めを始めた。宴会乞食だこと、と馬鹿にしながら、レミリアも小走りにやってきてラベルを見比べた。

「魔理沙。あなたが言ったとおり真打ちは最後に来たわね」

 そう言いながら、アリスは隣にいたはずの魔理沙を見る。しかし、魔理沙はすでに飲み比べの輪に加わっていた。空振りになった視線の先に、しずしずと歩いてくる藍が見えた。

 藍はアリスを見つけると走り寄ってきた。
「お役に立てたかしら」
 藍はアリスの手をしっかと握り、何度も首を縦に振った。
「どうやらあなたのことを誤解していたようです。本当にすみません。アリスさん」

 アリスはあまりの握力の強さに、やや引きつった笑みを浮かべた。
「誤解ってなによもう……まあ、良かったみたいね。色々と」

「魔理沙から聞いた話では、『アリスは性格が悪すぎて友達のいない可哀想な奴だから、私だけが友達ごっこに付き合ってやっているんだ。百歳になって私が死ぬときに、看取りに来たアリスに、本当はお前は友達でも何でもなかったんだぜ、と言って泣かしてやるのが私の最高の楽しみだな』 ……ということだったので、先ほども気遣いは無用とばかりに無礼な態度をしてしまいました。本当に申し訳ありません」

 そう、まあ、良いのよと、アリスが軽く受け流すと同時に、魔力の糸が魔理沙に飛んでいた。酒の争奪戦に夢中になっている魔理沙は、ちょうど特上物のブランデーをレミリアから引きはがしたところだった。それをアリスの糸が絡め取り、手元に引き寄せる。

「お。ちょうど良い。預かっといてくれよ。アリス」
「駄目よ。これは慰謝料に貰っておくわ」

 魔理沙はアリスの言葉を聞いているのかいないのか、再び争奪戦に加わった。
「そんなに悪くはないのよ」
 藍はアリスの台詞の主語を尋ねず、そうですかと相槌を打った。


 風が雲をわずかにずらし、スキマから月がのぞいていた。霊夢は五十八秒の解決劇で力を使い果たし、呆然とその月を眺めていた。

 月から桜色の雪が降る。音もなく左右に揺れながら、夏にはありえない風物詩が夜空を舞った。

「はーい。結局、優勝者は霊夢ね。白玉楼からの賞品よ」
 幽々子が花咲爺の真似をして、何かを木に撒くふりをした。杉も欅も銀杏も、全て桜の花に飾られてしまった。

「ちょっと前に、集めた春なの。ほとんどは、お返ししたんだけど、まだすこーし、残っていたのを見つけたから。お返しついでに、賞品にしようかなと、思ったのよ」

「春を夏に返しに来てどうすんのよ。ま、ありがたく受け取っておくわ」
 争奪戦の輪から、一本の缶が転がってきた。霊夢は季節外れの桜を肴に、外の世界の麦酒を飲むことにした。

「……原材料、米? コーンスターチ? なにこれ?ほんとうに麦酒?」
 霊夢は一口飲んでは原材料を確認し、二口飲んでは首をひねりながら、外の世界の麦酒のような何かを飲んでいた。

「まあ、多少怪しげでも旨ければいいのよね。酒なんだから」
 とりあえずの麦酒が終わると、霊夢も銘酒争奪戦に加わった。

 飲んでは語り、比べては唸り。ちらちらと降る季節外れの桜の下、少女達は立ち飲みのまま次々と酒を空けていった。酒好きの無礼講ここに極まれりというべきだったが、酒を提供した紫の姿はどこにもなかった。

 本殿の方角から、突然エレキギターが聞こえてきた。何かの曲が流れている。

 それは騒霊のリリカが得意とするような、外の世界の電子楽器を主体としたノリのいい曲だった。鈴のような音がシャカシャカとやかましいが、よく見ればアリスの人形の一体が懸命にタンバリンを振っていた。芝居小屋の客寄せのように、残りの人形達が手招きしている。

「んー? まあ宴会なら音楽があっても良いんだけど。何で境内でやらないの」
 霊夢は飲みかけのスコッチの瓶を芋焼酎の樽に突っ込み、罰当たりなカクテルを作ってから本殿に向かう。他の面子もそれぞれ手に酒を持って霊夢に続いた。

「みんなー! 今日は私のコンサートに来てくれてありがとう!」

 上はヘソ出し肩ふんわり。下はミニスカフリルいっぱい。金髪ツインテールのこのひとだぁれ。
 そんな、絶対に解きたくないなぞなぞのような格好で、紫がマイクを握っていた。いつもの賽銭箱はどこかに片付け、スピーカー代わりのスキマが屋根にぶら下がっている。

 博麗神社は勝手に紫専用のライブステージに改造されていた。銘酒をがぶ飲みしてすっかり出来上がっている面々は、ただノリだけで拍手したり紫の名前を連呼している。この状況にも何の違和感も感じていないらしい。

 先ほどの前奏がもう一度始まり、紫が叫んだ。
「飲み過ぎて! 今夜も朝まで!」

 アリスの操る人形が走らせる赤白青の光線をバックに、スポットライトを浴びた紫が軽快なステップで踊る。どうやら本気でコンサートをするつもりらしい。

 飲み始めるのが一番遅かった霊夢は、まだこの理不尽に身を任せられるほど酔ってはいなかった。
「ねえ。なんなの。アレ」
 手近なところでぼんやりしていた幽々子をとっつかまえて事情を聞くと、珍しくはきはきと解説してくれた。

「ご存じ、ないのかしら?」
「禁酒の欝から立ち直り、幻想郷への愛を歌うアイドルとして人気急上昇中の、超スキマ少女ゆかりちゃんよ」

 幽々子がふわりと扇を開くと、境内の木々から春が吹き寄せられてきた。紫の後ろを花吹雪が埋め尽くし、もはや神社の面影はない。紫は右手にマイクを握り、左手の一升瓶を振り回しながら歌い始めた。


 ♪酒乱飛行♪
  作詞:八雲紫
  作曲:やくもゆかり
  編曲:YAKUMO YUKARI

  (一番)

  カリスマが揺らぐ 酒の輪が広がる
  馴れ合いの大好きな 紅い連中

  やつめうなぎだけ 姑息な夜食とか
  一瞬で食い尽くす 小骨が好きよ

  靴下を履くのがいやで 宙に浮く輝夜 (カグヤ)
  世間体は構わない 五つの難題 (キャハッ☆)

  要石またがって あなたに急降下
  恋乙女星空に ミサイルは花火みたい
  そこらが一体 焼け野原


  (二番)

  会話など無しに 洞穴に潜って
  考えが読み取れる 幼女に会う

  八つ橋は名前似てても 人気のスイート (スイート)
  妬ましくて藁人形 釘を打ってみる (パルッ☆)

  体ごと透き通り 無意識に漂う
  裏ボスの妹でも 私たち輝いてる
  地下室と地底 まあ似てる?

  雷雲にまたがって あなたは大フィーバー
  大江戸が散り際に 「私たち花火みたい」
  ところがどっこい 生きている

  結局は同じこと 私たちまた飲んでる
  弾幕の銀河 流れてく
  弾幕の銀河 流れてく



 歌い終わると紫は一升瓶を放り投げ、マイクをぶつけて粉々に砕いた。一瞬会場が悲鳴に包まれたが、砕けた瓶は星屑のように空中に漂っている。小粋な演出に、割れんばかりの拍手が巻き起こった。


「……まあ、幻想郷を、愛しては、いるわよね」
 そうつぶやいて、霊夢はぽんぽんと二つだけ拍手してやった。

 結局、紫はぶっ続けで12曲歌い、喉が潰れたのでコンサートはお開きとなった。

 いまはもう宴の後。いつものように主人達は軽口をたたき合い、従者達は片付けに勤しんでいる。その全員が満足げな表情を浮かべているのを確認すると、霊夢は例の罰当たりなカクテルを口に含んだ。

「じゃ、寝るわね。紫」
「おやすみなさい。霊夢」
 馬鹿騒ぎの仕掛け人が、餞別にあたりめを投げてくれた。あたりめを旗のように振りながら、霊夢の背中が遠ざっていく。

 早くも白んできた空に、沈みかけの月がひときわ光った。

 幻想郷に、いつもの朝が来る。



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あとがき

※この作品は「文々。教育新聞」に第六十四号から
第七十九号にかけて連載された小説です。表現上の
問題のあった箇所に加筆修正を加え、今回の再公開
に至りました。なお、修正箇所に関してのお問い合
わせには絶対にお答えできかねます。ご了承ください。
==================================================
こっちが本当のあとがきです。
しぇとらんどです。二作目は好き放題書いてみました。

作品集80に収録された一作目「寺子屋の校歌ができました」の中に出てきた新聞連載小説を再編集したものが今作という設定ですが、タイトルからして大嘘をぶっこいているので、実際の関連は薄いです。

内容ですが、よくわからないルールのゲーム、長ゼリフ、馬鹿歌と、私の手癖で書いてしまったような要素ばかりの話です。長々と読むのがめんどうなら最後のギャグパートだけ読んで笑い飛ばしてくだされば幸いです。

あ、主人公? アリスでしたが何か?
しぇとらんど
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コメント



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6.100名前が無い程度の能力削除
かっわいっいよかっわいいよゆーかりーんりーん
10.90名前が無い程度の能力削除
霊夢はほんとにけちっつーか貧乏性っつーか
16.80名前が無い程度の能力削除
アリスが雀…何故か納得してしまった
17.80名前が無い程度の能力削除
やべえ面白かった。暴走ゆかりんと、異変解決に飛び出す霊夢。カッコ良かったです。
惜しむらくは長すぎることかなぁ。なんか無駄な部分が多すぎた印象。でも、気にならずに読めたので氏の腕は本物なのでしょう。
次も期待してます!