外にはどこか寂しげな雪がちらちらと降る。ちらちらと振る雪も外気の冷たさのせいか、溶けることなく地面を埋めていく。
そんな様子を小悪魔は紅魔館にある数少ない窓から眺めていた。
何となく儚げなその外の様子に目を捕らわれ、数分後に背後で妖精メイドの声が聞こえ、ハッと我を取り戻した。
今は小悪魔は自らの主であるパチュリー・ノーレッジに、紅茶を淹れる命令を受けている最中である。
普段からパチュリーや小悪魔がいる大図書館にも、紅茶を淹れるくらいの設備はあるのだが、設備がいくらあったとしても今回は紅茶の葉が切れていた。
いつもなら葉が切れる前に、館のメイド長である十六夜咲夜が足しを持ってきてくれるのだが、年末の忙しさがあってかどうやら忘れていたようだった。
悪魔の館に年末年始の忙しさも何もない。と、館主のレミリア・スカーレットは語るのだが、人間である咲夜には年末年始というものは無視できる期間ではないらしかった。
おかげでいつもよりも掃除を張り切るメイド長によって、レミリア秘蔵の危ない漫画が見つかったりして少し騒がしくなったりもした。
閑話休題。
兎にも角にも、葉がないことに気づいた小悪魔は、一度パチュリーに少し時間がかかる。と伝えてからレミリアのもとへと向かった。
紅茶の葉は基本的に咲夜が管理しているために、それを貰い受けるには勿論咲夜に会うしかないわけである。
そこいらで咲夜を見つけることができればレミリアのもとに向かう意味はないのだが、いかんせんこの館は広い。
それならば、仕事をこなしながらいろいろな場所を移動している咲夜を探すより、いつも部屋かテラスにいるレミリアの場所へ向かった方が早いのだ。
咲夜は館内ならどこにいても、レミリアの声にだけは反応してすぐに姿を現すからである。
道中に咲夜に会うということもなく、小悪魔はレミリアの部屋へ辿り着く。
コンコンコンと三回ノックをする。二回で十分ではないか、と思いがちだが、二回ノックは咲夜専用である。
「入れ」
特に間もないうちに部屋の中から声が聞こえてくる。
悪魔の館の館主。という肩書きにはそぐわない様な高い声だが、何も不思議はない。
紅魔館の館主、レミリアは吸血鬼であり、長寿であるがその分身体の成長が遅いために、生を受けてから五百年近く経った今でも人間の少女のような体躯と声をしているのである。
小悪魔は失礼します。という一言と同時に部屋の中へと入る。
「どうした」
「咲夜さんに紅茶の葉を頂きたいので、咲夜さんを呼んでくれないでしょうか」
「ああ、わかった。……しかし、この時期になると毎回何か忘れてるわね、あの子は」
若干呆れたように小さく溜息をつきながら、レミリアは言う。
しかし、すぐに普段の顔に戻って咲夜の名前を呼ぶ。
「咲夜」
「お呼びでしょうか、お嬢様」
透き通ったレミリアの声が部屋に小さく響いて、数秒と経たぬうちに咲夜がレミリアの隣に現れた。
「小悪魔が紅茶の葉がほしいって」
「あら、うっかりしてましたわ。すぐに持ってくるから待ってて」
後半は小悪魔に向けた言葉だろう。
それに対して小悪魔が返事する前に既に目の前から咲夜の姿は消えていた。
そして数秒後、何の前触れもなくまたも咲夜がレミリアの隣に現れる。
館の住人は慣れたものだが、経験したことのない者が目の当たりにすると心臓に悪いかもしれない。
「はい、これね」
「ありがとうございます。それでは失礼します」
「パチェにちゃんと休憩をとるように言っておいてね」
「はい。承知しました」
咲夜に手渡された紅茶の葉が入った入れ物を抱えて部屋を出る。
部屋を出る際にレミリアが小悪魔に言ったことは毎度のことで、小悪魔はそれをしっかりとパチュリーに伝えているのだが、本人は聞いても守るつもりはないようだ。
曰く、倒れるまでは無理しないから大丈夫。だそうだ。
その事を小悪魔は以前レミリアに伝えたのだが、それでも一向にレミリアは言い続けている。
美しき友情と言うべきか心配性と言うべきか。
ともあれ小悪魔は、咲夜から譲り受けた紅茶の葉の入った入れ物を大事に抱えて、大図書館へと戻る。
「わりと遅かったじゃない」
大図書館へ戻ってきた小悪魔を迎えたのは、本から顔を上げないパチュリーの言葉だった。
いつもの事なので、それに不快感を覚えることもなく、小悪魔は紅茶を淹れる為に設備がある方へと向かう。
基本的に大図書館には、パチュリーが本を読むときに使う椅子、三日月形のテーブルと大量の本だけで埋め尽くされている。
時にプール等が出現したりするがそれは稀な出来事であって、今は存在していない。
そんな本だらけの大図書館のどこに紅茶を淹れるだけの設備――つまり湯を沸かしたりする設備があるのかというと、実のところ、厳密にいうと大図書館にはない。
大図書館の端。気をつけていなければ見落としてしまいそうな薄暗い所にある扉を潜った先にそれはあった。
その部屋の用途はパチュリーの自室、及び小悪魔が紅茶を淹れるのに使う程度だ。
その部屋へと小悪魔は入り、慣れた手つきで紅茶の準備を始める。
まだまだ普通の紅茶を淹れた時の咲夜の腕前には及ばないものの、小悪魔は小悪魔で十分上手い。
主へ美味しい紅茶を提供しようと、良くも悪くも洗練され続ける咲夜の紅茶もパチュリーは好んでいるが、それと同じくらいにも小悪魔の淹れる紅茶の平凡な美味しさもかなり気に入っていた。
「お持ちしました」
「そこに置いて」
相変わらず本から顔をあげずに言うパチュリー。
そこに置いてと言われてもどこかも指してくれないので、置く場所に毎回困ってしまう。
積んである本が崩れないように、そっと脇に寄せ、やっと紅茶を置けるようなスペースができたころには紅茶は温くなっていた。
「温い」
「当たり前です」
眉間に薄い皺を浮かばせて、やっとのことで顔をあげて小悪魔を見ながら言葉を放つパチュリー。
その言葉に対して小悪魔は即答する。
パチュリーは自分が本をテーブルの上に積みすぎていたことが、温くなった原因だとは思っていないらしい。
「悲しいわ。こうやって貴女の心も冷めていくのね」
「紅茶が冷めたのはパチュリー様のせいです」
珍しく、パタンと本を閉じて紅茶と会話だけに集中しようとするパチュリー。
「珍しいですね」
小悪魔の言葉には返さず、紅茶を一口飲む。
まだまだ紅茶が中に残っているカップを一度置き、座る姿勢を僅かに楽なものにして椅子ごとその場で浮いて、九十度ほど方向転換をする。
小悪魔と正面同士にはなったが、どうやらそれで終わりなようである。
余っている椅子を小悪魔に勧めることもない。
仕方なく小悪魔は立ったままパチュリーと向き合うことになるのだが、珍しくパチュリーの方から正面向かいになったので話でもあるかと思えばそうではないらしい。
ただ、じっと小悪魔を見つめるばかりである。
「何でしょう?」
パチュリーの視線に耐え切れなくなって小悪魔は僅かに首を傾けて訊く。
その訊き方は主従の関係というよりは、どちらかというと友人同士のふざけあった時の訊き方に見える。
「特に何もないわ。ただ、今年も何も貴女は変わらなかったと思って」
そんな小悪魔を全く意に介さない様子でパチュリーは言葉を発する。
小悪魔は僅かに表情を揺らすが、すぐに普段通りに答える。
「ええ、わたしは大きくはなりませんよ。ずっと小悪魔です」
「貴女は大きくなりたいと思っているの?」
「わたしは小食ですのでなれません」
「それならうちの館主も小さいままね」
そこまでで、パチュリーは紅茶を飲む。右手の位置にあった紅茶は、方向転換をしたせいで左手の位置にある。
更に冷めて、温かさの欠片も感じられなくなっている。
「冷たい」
「当たり前です」
先程と似たようなやりとりをする。
一息ついてパチュリーがカップを元の場所へ戻す。
まだカップの中には冷えた紅茶が少量残っている。
「この一年――」
言いながら、パチュリーは右手の人差し指を動かしてテーブルを挟んだ向かい側にあった椅子を浮かべて移動させ、小悪魔の後ろへ下ろす。
座れと言うことだろうと小悪魔は認識してありがたく腰を下ろさせてもらうことにした。
僅かに座り心地が悪いが悪い。そう思って小悪魔は一度立ち上がって椅子を見下ろすと、本が一冊載りっぱなしになっている。
――正しい毒薬の作り方。本の題名からして全く話には関係ないのだろう。
小悪魔はその本をテーブルの上の山の一員に加えてから座りなおした。
「この一年――」
小悪魔が座りなおしたのを確認してパチュリーは言い直す。
「何もなかった」
確かに何もない。そう思ったが、この間図書館にいた白黒から異変の話を聞いたことを小悪魔は思い出す。
ただ、それは今年の出来事ではないような気がしなくもないが、パチュリーにとっては今年なのだろうと思って小悪魔は提示する。
「あると言えばあったのではないですか? ほら、宝船とか」
「私は実際に見てないからね。どうでもいいわ。だから何もなかった一年なの。貴女も何も変わらないし」
先程から自分に関して、変わっていないと言うパチュリーに対して小悪魔は僅かにむっとする。
自分が変わっていないから何だというのだろうか?
これからも長い間生き続けるのであるなら変わらない年があってもいいだろう。
変わり続けていられるのはせいぜい人間くらいなものである。
「それを言えば、パチュリー様も何も変わってないのではないですか」
「そう?」
「はい。わたしから見ればそう思います」
反撃だと言わんばかりに僅かに語気を強める小悪魔。
「そう、それは喜ばしいことね」
返ってきた言葉が予想外な言葉だったために拍子抜けする。
それと同時に、はやりこの方の考えはよくわからない。と改めて認識する。
パチュリーが、残った紅茶を全て飲み干して、空になったカップをカチャと小さな音をたてて皿の上に置く。
「変わらないと言う事は、経験が少なかったということよ」
「それは悪いことのように聞こえますが」
「ええ、経験が少ないのは悪いことかもしれないわ。何せ経験がなければ知識は育たないのだからね」
「それならば何故変わらないことが喜ばしいのですか?」
小悪魔の言葉に僅かに微笑して空になった紅茶のカップを手に取るパチュリー。
それをそのまま小悪魔の方へと突き出す。
ようはおかわりなのだろう。
問いかけの答えを聞くにもまずは紅茶を淹れなければならないらしい。
小悪魔はゆっくりと椅子から腰をあげて、パチュリーの手にあるカップを受け取る。
ふよふよと僅かに浮きながら、パチュリーの部屋のほうへと向かう。
紅茶を淹れる間、色々と自分なりに答えを考えてみてもそれらしい答えは思いつかなかった。
結局諦めて、普段より少し濃くなってしまった紅茶を持ってパチュリーのもとへ戻る。
「お持ちしました」
さっきは温いと言われたので、なるべく急ぎ足でパチュリーのもとへと戻り、早々に手渡しする。
「熱い」
「当たり前です」
主の目にはカップの中で朦朦と立つ湯気が見えないのだろうか。
「何故かというと」
湯気が立つカップを先程と同じ場所に置いて、パチュリーは話し始める。
小悪魔も先程と同じ椅子に腰を下ろす。
「もう経験する物もないくらいに知識を蓄えた。と思えるからよ」
パチュリーの答えに小悪魔は納得する。
それと同時に何となく、それほど大きな理由でもなかったことに結局拍子抜けする。
もう少しパチュリー様なら奇想天外な答えを持ってきそうだが。と小悪魔は思う。
「まぁ、わたしは昔からそうなんだけどね。貴女も変わってないようでよかったじゃない」
「何だか歳をとったみたいで嫌なんですが」
「その分知識があるのよ。いいじゃない」
そう言って、僅かに冷めた紅茶を口につけるパチュリー。
若干気分が悪くなったような気がしなくもない小悪魔はその様子を静かに見守る。
「パチュリー様なら、もっと奇想天外な答えを擁していると思いましたが」
「わたしが変人みたいな言い方しないでほしい」
実際、この館で一番の変人はパチュリー様なのではないか……と小悪魔は考える。睡眠も特に必要ではないとか言い出してしまうし。
そんなのだから日付感覚が狂ってしまったりするのだ。七曜の魔女の癖に……と小悪魔は心だけに留めておきながら思う。
「小悪魔」
不意にパチュリーが小悪魔を呼んだ。
その声に僅かな温かみが含まれていたことに小悪魔は気づかない。
「何でしょう?」
折角いつもよりは優しく呼びかけたつもりだったのに、普通の返答をされるパチュリー。
小悪魔の様子を見ても全く何も思っていないようである。
それを見て、この子は経験することがないところまで知識を積んだのではなく、気づかないことが多いから経験が積めてないのではないかと思ってしまう。
そう思うと先程、よかったじゃない。と言った自分の言葉が悔やまれる。
パチュリーは気づかれないように小さな溜息をついて、もう一度紅茶を飲んだ。
呼ばれた小悪魔はこの間も静かにただ座って、待っている。
「やっぱりまだまだね」
「小悪魔ですから」
若干拗ねた様子で答える小悪魔。
その様子を見て何となく微笑ましく思い、パチュリーは思わず頬が緩んでしまう。
ただ、それにも小悪魔は気付かなかったようで、まだ拗ねている。
「そうね、まだまだでいいわ。小悪魔は」
「どういう意味ですか?」
「その方が色々と教え甲斐があるでしょ。来年も覚悟しなさい」
残った紅茶を飲み干すパチュリー。
小悪魔の返答がないことは特に気にしていないらしい。
僅かに顔が笑っていることにも気づかないらしい。
飲み干し、カップを置いたと同時に咲夜が突然二人の近くに現れる。
「パチュリー様。お節料理の準備ができましたので食堂のほうまでよろしくお願いします」
「お節? それは年明け頃じゃないの」
「そうです。今は一月二日です。今年はお嬢様と軽い騒動がありまして、一日、お節の用意が遅れてしまいましたが、その分いつもよりも手塩にかけて用意しました」
「え?」
「あけましたおめでとうございました。パチュリー様。今年もどうぞよろしくお願いします。しっかり寝ないから日の感覚がなくなるのです。今年は――って二日しか経ってないのに変われるはずがないじゃないですか」
小悪魔が夫のあしらい方に長けた妻のようだ
ところでおぜうはどんな漫画を……?