「結婚をしとうございます」
その娘はそう告げると、眼前に居るこちらに向けて色々な感情の混ざった目を遣った。
ぴしゃん、と障子が勢いよく閉じるかの様に言い告げられたその言葉は、静寂を破るのには充分過ぎる。
襖と障子で区切られた部屋、畳のへりで境を引かれた二人。一体一で対峙して目と目を覗き合う。
突拍子も無く。されどもどこか予感していたその口上。人としての幸せを求める為にそれが選ばれるのは不思議な事では無い。
希望、祈願、畏れ、そして若干の謝罪。娘の瞳にはその一つ一つが溶けて混ざり合い、飴細工の様に虹色の輝きを放っている。
この瞳を見るのは何年ぶりだろう。毎度毎度同じ様な目を携えて、同じ様に幸せを希っていた。
中には癇癪を立てて断わらせた事もある。今となっては申し訳無さも募るが、あれから幾年経ったのか覚えてすらいない。
それでももう、ああ終ぞこの日が来たか、という諦観しか今は抱けない自らがここに居る。
もう他人事に近いぐらいの感情だけが置き去りにされて。
引き止められる程の冷徹さなんてもう残っていないのだ。
「それで、相手は?」
「……!旧両津の漁師の方で――」
すぐさま示された承諾の意に娘は驚くと共に爛然と目を輝かせ、一点の曇りなく初恋に心を躍らせる少女の様に語りだした。
娘の告げる婿相手の情報を聞き逃さぬようにと耳を傾げる。馴れ初めからここまでの経緯。出会ってから感じた想い。
全てを詳らかに吐き尽くさんとする必死さも、幾度と見た光景で今となっては最早懐かしいとまで思えてくる。
それでも、個々の想いや思い出はその全てが千差万別。それだけは一緒くたには出来まい。
懐古に浸りながらもじっと聞いていると、娘の話も終わりを迎えていた。
語り終えた先に残ったのは部屋の中の登場人物、そして流れている澱みを含んだ空気。昔と今は違うという事実が重くのしかかる。
澄んでいた空気も段々と体を押さえ付けるような濁りを湛えている。気付けば土地を二分する舗装路が引かれたのも何年前か。
もう昔の権力で睨みを効かせられる時代は終わったのだ。今は若い衆がしたい事をすれば良い。
それに、ここまで話を聞いたのに無下にするなんて事は到底出来やしない。
「それじゃあ今度はその婿殿も連れて来て貰いたいのう」
「すみません、本当にありがとうございます……!」
深々と頭を下げると、娘は襖をそろりと開けて部屋を出て行く。後には古き良き時代から変われないモノだけが部屋という箱の中に残る。
こうなってしまえばいずれこの箱の中だけでなく、屋敷全体が一人だけになるのだという事実。
昔の賑わっていた時代を思えば、こんな日が来るなんて決して思いもしなかったハズだ。
分かっていた話だが、それでもどうしても受け入れ難い物を感じてしまうのは年のせいか気分のせいか。
家の外を見遣ると晩に降った雪は未だに溶けずに軒先に積もっていて、雨水を過ぎてもまだ冬は冬だとどこか安堵する。
春というのはどうしても若さと繋げて考えてしまうものだから、こんな自身にはどちらかと言えば苦さを感じずにいられない。
一人晩酌で体を温めて微睡みの中に居たいと思ってしまったのは変遷を嫌う年寄りそのもので滑稽でもあった。
今日は外で呑んでくるから夕餉は無くてええ、と娘に伝えて草履を履く。
家を出る前に、折角じゃから婿殿と一緒に食べてきなさい、と言ってしまったのは親心と老婆心のどちらか、考えても分からなかった。
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
屋敷から少し離れた獣道。針葉樹犇めく森で雪に踏み締められた一対の足跡を付ける人物のその姿。
臙脂色のどこかレトロな長スカートに紋付羽織という服装もさながら、顔は廃れた農村に置くには勿体無い程には若い女性である。
しかしその歩みを進めている足取りは普通なのに、それ以外においては目を疑う様な光景を引っ提げている。
前へ進む度に肌に浮かんだ微細な皺は消え失せ、肌色には活気が戻り、そして遂には頭頂の獣耳と後方の巨大な尻尾が姿を現す。
人の姿を解くと共に暴風を発生させ、木々はそれに揺らされて葉に積もらせた雪を続け様に大地に落としている。
一歩、また一歩と藁の音を鳴らしていくにつれて、次第にその女性自身の体躯が変動しているのは疑いようのない現実であった。
目の錯覚でもない。しかし、黄昏時の茜色に溶け込み、丸眼鏡以外も怪しい光を放つその姿がヒトであるはずがない。
ミレニアムをも越えて幻想を喪いつつある世界で居場所を失くし、存在出来るハズが無くなった怪異。
古くからこの佐渡の地の覇権を握っていた妖狸という種族の僅かな生き残りにして、団三郎狸として後世に伝わる佐渡の長。
彼女こそが二ッ岩マミゾウ。
今やヒトの世に溶け込み静かに暮らす、過去の佐渡の総大将であった。
人に化けてそのまま戻って来れなくなった者達がどれほど居ただろうか、とマミゾウは静かに思う。
昔は腑抜けだの妖狸の恥だのと散々罵ったが、今となってはそれも無理のない事だと知っていた。
国のお偉い方さんが国道建設だ、やれ高度成長期だ、等と佐渡の土地を侵害してその幻想のチカラを弱められたのも契機の一つだった。
が、それ以上に多かったのは人の世で生きていくにつれて、そこで妖怪としてでない幸せを享受していった者達。
妖怪の身で人間としての幸せを掴んで、妖怪に戻れずに人間として寿命で死んでいく。
アイデンティティを満たせない妖狸は朽ちて滅びる宿命だと知っていても、誇りを投げ打ってでもその身を焦がし命を燃やすのか。
時代が更に経てしまえばいずれスマートフォンとやらで妖狸の変化が簡単に見破られる時が来てしまうかもしれない。
マミゾウには今の今まで分からなかったし、これからも分からないだろうとしか思えない。
起業に成功して本州に渡って、都会の荒波に揉まれて次第に誰かを化かす暇さえ無くなった末に過労で亡くなった者。
芸を磨きたいと言って日の本でない場所に出向き、大成したものの妖狸として何かをする事が出来なくなった者。
島の外を見てみたいと言って海を越えて、発展の光に目を惹かれて終ぞ佐渡に帰ってこなかった者。
中でも多かったのが、人間と契りを交わして結納を果たし配偶者として人間に最後まで寄り添う事を決めた者。
そうなった者達には特に厳しい言葉を投げた事もあった。人間なんぞに身を窶して何が妖狸だと憤った事もあった。
だが、今では彼らの事を決して責められまい。
妖力を失って妖狸からただの狸に身を落としてしまう者も多くなってしまった以上、最後に一時の幸せを求めるのは何も間違っていないだろう。
人語も喋れなくなって寿命が普通よりも幾分か長いだけの狸ばかりとなってしまい、もう佐渡に居る力のある妖狸はマミゾウのみ。
それならばいっそと命を賭してまでその幸せを繋ぎたいという想いは、彼らの中では崇高な物だったはずなのだ。
配下の中で特に優秀だった四天王も、時代という牙に次々と蝕まれていった。
日に日に弱まって遂に一介の狸となってしまったその内の一体から介錯を頼まれた時には人間を憎んだ事すらあったというのに。
妖狸として比類無き力を振るっていた四天王さえもそうなってしまうのだから、人間の発展は妖怪よりも悍ましい。
そして人間社会に溶け込む為に母娘の関係として、形以上に情を感じていた最後の四天王も、先程の瑣末である。
変化の術すら薄まって、見た目が人間の生娘のソレになってしまっても自慢の娘なのだから、そうした方が幸せならそれでもう良い。
もう妖怪の出る幕は無くて、妖怪の天下なんてモノは明治の維新と共に終わっていて。
妖怪としての尺度で見ればまだ自分なんて現役と片隅で思っていても、やはり自分が年寄りである事を痛感していて。
それで良いと、今は人間の時代だと心の中で納得していても。
「残るのが儂一人だけというのも堪えるのぅ……」
やはり、残される者は寂しいのである。
しかし人間の時代と言えど、昔は金山でぶいぶい言わせていたこの旧相川町も今となっては寂寥とした地方都市でしかない。
江戸が栄えていた頃などは将軍の御膝元としてゆうに数万は人間が居たのに、佐渡市に合併された今では万を切っている。
モノカルチャー経済はそれを維持できなくなったら潰れてしまうだけだし、職に溢れるよりは島外の方が食い扶持も持つだろう。
マミゾウはそれを分かっていたし、だからこそ定職であった金貸しも昔の様に極道めいた取立てをする事が無くなって久しい。
人それぞれの困窮と脱却というドラマを見れる程この土地には夢を抱いた若者も、それどころか夢も若者も存在しなくなっていた。
あるのは細々と暮らす老体と先祖代々の第一次産業従事者とそれから自らという人外ぐらい。
妖狸がヒトを俯瞰して楽しむ職業としての金貸しはとっくに終焉を迎えていた。
日本海の時化た風と手付かずの森だけが今も変わらず心地良い。
人間としての擬態を維持しながら、マミゾウは役所近い町の中心部に辿り着く。
目当ての店の前に歩を進めると、そこには一ヶ月前に一身上の都合で閉店した事を告げる張り紙が一つのみ。
思えば屋敷から店までの道のりを人間に化け続けて来られる程に力が残っていた配下も残り一人だけになってしまったから、最近は外で呑む事も無かった。
加えて変化しないコミュニティでは人間が短命であるという事実を時折忘れてしまうのだ。
今となっては呑み屋すらも観光客向けの小洒落た店ばかりで、昔馴染みと一晩を明かせる様な店がその一軒しか無かったと言うのにその唯一すらも無くなってしまうと思うと、もう妖怪の知っている古来よりの佐渡島なんて存在しないのかもしれない。
それに昔馴染みすらもじきにゼロになってしまうのだから、どうしても一匹ぽつんと取り残された様な気がしてならない。
どうしたものか、と考え倦ねていると遠くに新装開店を告げる花束が見えるのに気付く。
そういえば最近新聞に新装開店を告げる広告が挟まれとったな、と一人納得。興味本位、物は試しにと足先を向けて歩き出す。
近付くにつれて廃屋を利用したであろう店の外見が浮き彫りになっていく。新築ではない、昔ながらの雰囲気を醸した二階建て。
バーといった風体の洋酒ばかりを取り揃えた場所でない事を祈っていると、店前には店主の手書きであろうメニュー立て。
丁寧な字体で書かれた海鮮と日本酒の銘柄が期待に添っていた事に及第点を付けて、内心上機嫌で暖簾を潜った。
「いらっしゃいませ」
店主は四十路そこらの企業ドロップアウト勢だと決めつけていたからか、三十路及ぶか及ばないかの女性の声で面食らった。
厨房には店主が一人のみで、従業員も配偶者も見受けられない。どうやら一人で切り盛りしていく店のようだ。
内装はカウンター席数個にテーブル席数個の、如何にもなどこにでもある居酒屋のそれ。
照明も暗くも明るくも無い白色蛍光灯で、どちらかと言えば自宅を改装したかの様な普通の雰囲気。
しかし店主のその瞳その髪その一挙一動全て、どれを取ってもこの世の者とは思えぬ程の妖艶さがやけに場違いで。
老い先僅かな寂れた町に新しく店を構えた若い女性という事実も相まって、不気味ささえも漂わせている。
「一先ず、隠岐誉を二合冷で戴こうかの」
思いかけた危うい想像を払拭するかの如く、初めから決めていた注文を声に出す。
日本酒なんていつもは一斗ぐらい呑みたい物だが、人間に擬態している以上強い事は到底言えない。
店主は畏まりました、と笑顔で告げると慣れた手つきでカウンター裏手から一升瓶を取り出し、徳利に注ぎ変えていく。
トクトク、と店内音楽も無く静かな店内に酒を満たす音だけが響いている。飲む前から既に酔わせてくる程の鮮やかさには感服物だ。
こちらの驚きを察したのか店主は笑顔にウィンクも添えて、徳利を御猪口と一緒にカウンターに置いた。
「あとこちら、お通しの大角豆のゴマ和えでございます」
そして続け様に置かれた小鉢のなんとも色鮮やかな事か。これでは食欲がそそられない訳がない。
どうやら佐渡に店を構える物好きにしては中々に腕の立つ人間らしい。
他の料理も美味しければたまに通うのを今後の楽しみにしても良いかもしれない、と思うとお品書きに手が伸びるのも早かった。
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
「こちらお客さんにサービスの一品でございます」
大層呑んだ食ったとご機嫌のまま酒をちびちびとやっている間に、不意に投げかけられたのは店主の言葉。
厨房の方を目で伺おうとしていると、店主はお通しの時と同じ様に小鉢を目の前に静かに置いてきた。
上に乗っけてあるのは端整に切られた冷奴と、そこに掛かった赤茶色のソースの様な物。
白と赤の対照的な色合いに、みずみずしさを直接的に訴えかけてくるのは素材が良いからなのか。
注文していないにしても、開店直後なのだからサービスで何かを出してきてもおかしくはない。
寧ろサービス精神のある店なのだから、きっと次回も来る価値は存分にあるのだろうという納得も心の中で生まれている。
だが、それとは別に食欲を掻き立たせる何かが視界に映るソレに秘められているのをマミゾウは本能的に感じていた。
妖怪としてのサガ。決して常時では満たされぬ、人間社会では禁物とされる行為。とうの昔から我慢していた臓腑の空腹。
それらがまた衝動的にぶり返して来ているのを肌で感じざるを得ない。逸る気持ちをなんとか理性で閉じ込めるのが精一杯。
何故我慢しているのか、こんな街中でソレに及んでいいのかという自問自答も脳には殆んど届かない。
今に箸を持とうとしている手を一瞬一瞬の一コマの度になんとかして膝の上で留め置いている。
ごくりと喉を鳴らす程に気圧されたのは自らの妖力が薄まっているのかそれとも――。
「なあ店主さんよ、コイツは一体……なんじゃ?」
「冷奴の霊天蓋がけですわ。佐渡の団三郎、いえ二ツ岩マミゾウさん?」
「なっ……!?お主、い……一体何者じゃ……?」
佐渡の二ツ岩が聞いて呆れよう、今にも震えそうな声でやっと紡げた言葉。
どうにかして質問の体は保てたというだけで、驚きと獣性が入り乱れてグチャグチャな思考回路はこれ以上待ってくれそうに無い。
人間としての名前では無く、妖怪という個としての名前を知られていたという驚きもあるが、それ以上は目の前の料理。
霊天蓋、薬食いとしてのヒトの脳髄を指す言葉。即ち人肉食であり、畏れられる為の妖怪の本懐の一つ。
人と共存する道を選び、長らく食らっていなかったソレが目の前で食べられるのを今か今かと待っているのだ。
どうして儂が妖怪と知っている、とも言えずにただただ自らの正体が割れていた事への恐れ。
名前だけなら偽名とでも通せたが、隠し通せぬは妖怪としての本望か。それを看破したのか、否何故これが出せるのか。
続きの言葉はいくら待てども出てこない。それ以上に目の前の女への恐怖が勝っているという事実を受け入れざるを得ない。
質問の答えを期待して店主の方を恐る恐る見ると、女は美しく笑っている。目元を妖しく輝かせながら、笑みを浮かべている。
老体のあられもない姿を見ている店主のその顔全体のなんたる恐ろしい事か。唇も頬も視線さえもが奇々怪々。
まるで小動物を狩る猛禽類を見て漁夫の利を狙う肉食獣の様に、怯え惑う人間を夜道で見付けた妖怪の様に。
ただただそこに在るだけで良い、紛れもない強者としての表情。
「あら、怯えさせてごめんなさい?別にそうするつもりは無かったのだけれど」
悪びれた様子も無く、眼前のナニカは頭の後ろで纏めた金髪を下ろす。
婀娜にして畏憚すら感じさせる程のそれを長く煌びやかに棚引かせるにつれ、部屋の中の妖力が桁違いに跳ね上がっていく。
空間が軋む。空間が硝子かのように裂罅を走らせている。相手はヒトだと決め付けていたのは余りにも甘過ぎた。
よく言えば佐渡というぬるま湯に浸かり過ぎて毒も牙も抜かれたのかもしれないが、それにしても相手の雰囲気は重厚さが全く違う。
こんな世の中になっても未だにこれ程までの力を維持させている妖怪が居るなんて考えもしなかった。
いや、それどころか全盛期の自身と比肩―――するどころかそれ以上のチカラ。
今や老耄して木っ端の田舎妖怪となった身で敵う相手な訳が無い。
気付けばソレは隣のカウンター席に悠然と座って二つ目の御猪口を手にしていた。
清酒を注いでくれと言わんばかりに微笑みを向けているが、その妖怪が何なのかすら分からない所もまた不気味。
それどころか店主として見せた顔となんら変わらない表情を見ているはずなのに、今は貼り付けただけの笑顔としか思えない。
「そこまで畏まらなくても宜しくて?今宵は無礼講、別に姿を偽るまでもございませんわ」
突然ボンッ、と煙を焚いたかの様な音が鳴り、一拍置いた時には頭頂部と後方に慣れ親しんだ感触。
変化の術が解けたのでは無く明らかに外的要因に解除されたという事実にマミゾウが戸惑いを隠せずにいると、隣に居座っている妖怪はこほんと一つ咳払いをして話し始めた。
「八雲紫と申します、以降お見知り置きを」
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
「それで儂に何の用じゃ……?」
「あら、そう怖い顔されては照れてしまいますわ。
今日はお誘いがあってこちらに招かせて戴きましたの」
「誘い……というと、もしや噂に聞こゆ幻想郷とやらか」
そう、噂程度にしか思っていなかった妖怪達の楽園郷がどこかにあるという話。
曰く隙間に潜む妖怪がある日突然目の前に現れては、忘れられて消え行く宿命の妖怪をその幻想郷という名前の土地に招待するなんて都合の良い筋書き。
佐渡の妖狸で会った者の話は聞いていなかった故に精々ノアの方舟の様な物だと思っていたし、そもそもが眉唾物だった。
しかし、こうも実物が現れると違う。空気も、誘惑も、何もかも。
「話が早いのは良い事ですわ。
実は日本三名狸とまで謳われた内の一角が現存しているという話を受けてこちらまで向かいまして」
「それで、絶滅を危惧して一人になった儂を誘拐しようとしているという訳じゃな」
「いえいえ。配下の妖狸と相談して一緒に連れて来て戴いても構いませんことよ?
外からの適度な変化こそが必要なのは今も昔も変わっておりません故」
「……そう、かの」
マミゾウは枯れ木も山の賑わいかと反論しようとした自分に気付き、慌ててグッと堪えた。
つまらない物も無いよりはマシ。
そんな意味で、目の前の妖怪が絶滅に瀕した自らを保護しようとしたのでは無いかとふと思ってしまったから。
もう佐渡の山には枯れ木すら残っていない。あるのは多くを失い過ぎた老木のみだと言うのに。
古くからの二ッ岩マミゾウという個を知る者も今や一人。たった一つの数値すらもいずれはゼロになってしまう。
それを見逃せぬ頭領であってはならぬのに、見過ごすしか出来なかったのだ。
「――幻想郷というのは、何も終末医療の現場ではございません」
八雲紫が御猪口を置く。
「外の禍根、感傷、思い入れ。それら全てを持ち込んで、自らの為したい事を規範の中で為していく妖怪の世界。
死という滅びを待ってただ呆然と過ごすだけでは決して楽園には成り得ないのです」
気付けば一升瓶の中身も既に空になっていた。
「何も外での一切を忘れて捨てろ、とまでは言いません。
抱えている物が何かは類推しかねますが……それにほら、昔からよく言うでしょう?
何にでもなれるのは化け狸の特権、って」
「抱えている物、か……昔の話になる。儂には大勢の子分がおったが、その中でも特に優秀な四人を四天王と呼んでおった。
だが、時代の寄る波には勝てず……四天王もその他子分も、皆纏めて妖力を失っていったよ。
ある者は人間に化けたまま、ある者は元の狸の姿に戻り……その全てが寿命で命を散らしたんじゃ」
マミゾウの眼にはただ、痛心の表情を浮かべた様に見える顔が映っている。
その姿はどこか悲しげで、憂いを含み、居もしない誰かに謝っているのかとさえ思わせていた。
しかし、それはまたマミゾウと一緒。眼前の妖怪にもまた、自身が全く同じ様に映っているとさえ感じる。
「ここ十数年近く、この佐渡には……儂と最後の四天王の二人しか、妖狸は残っておらんかった。
だからこそ儂はアイツと頭と部下としてだけでなく、人間社会に混じる上での形だけ以上の母娘として接しておった……」
隙間の妖怪は、答えようとしない。
「そんな娘がとうとうな、人間の男と結婚したいと切り出してきた。
当然断れまい。最後の部下の、もしかしたら最後になるかもしれない頼みじゃからな。
けれどもそうなればアイツは人間として死ぬ事になる、佐渡の妖狸は儂一人のみになる!
これでは余りにも、儂は、儂は……」
押し黙るマミゾウを他所に、紫は自慢のスキマから別の清酒の入った徳利を取り出す。
御猪口に注がれれば液面から仄かながらに湯気が立ち込め、それが熱燗であるのは一目瞭然。
そしてその徳利をマミゾウの御猪口にも注ぐと、また紫は語りだした。
「外の宗教では"悲しむ人は幸いである、その人たちは慰められる"とも言われます。
それは幻想郷でも同じ事。何が起きるか分からない、実り多い物となる事を保証致しましょう」
「……」
それでもまだマミゾウは口を噤んでしみったれた表情のまま座している。
設楽焼きの置物と比べても良い勝負が出来そうな様子に痺れを切らしたのか、堅苦しい雰囲気を水に流そうとしているのか。
確かにマタイの福音書なんて日本じゃ有難味なんてケレン味程も無いけど、とでも言いたげに紫は席を立つと独り言の様に口を開く。
「あぁそれと、私がここまで場を整えているのは実はとある妖怪に頼まれたからでしてね?
その妖怪、帰依している場所がピンチに陥ったからってわざわざ外から貴女を呼び寄せようと結界に穴を開けかけたのよ。
それはつい昨日私が懲らしめましたけれど、まぁ成り行きで」
「儂なんかを呼ぼうとする妖怪……?」
「あら、心当たり無いかしら。封獣ぬえ、正体不明の妖怪」
「……は?」
「うんと昔に帝にちょっかい掛けて討伐されたと思ったら地底に逃げ果せてて、気付けば妖怪寺の一員になっててねえ」
封獣、ぬえ。随分と懐かしい響きのする名前であった。
平安の世だったか、宮廷貴族が世の覇権を握っているつもりに己を肥やしていた時代からの旧知の仲だったはずだ。
地を駆け能力を合わせ、人間に掛けたちょっかいは数知れず。時の帝さえも罠に掛けた時は心が躍ったものである。
しかし関係はぬえの征討を以て終わりを告げてしまい、後は墓参りを十数年に一回しているぐらいしか繋がりは無かった。
それ程までに昔の事なのに、顔も声もやった悪戯もどんな性格だったかさえもありありと脳裏に浮かぶ程の相手。
そんな妖怪の名前が、まさかこんな場末の居酒屋で出てくるなどとは想像も出来なかった。
屋島の太三郎や淡路の芝右衛門ぐらいだったらここまで驚くことも無かっただろう。
「っくく……はっはっは!!!そうか!!ぬえの奴、くたばってなかったか!!!」
妖狸達の事を思うと素直に喜べない、そんな虚勢さを背負って。
されど本心から喜ぼうとして。
マミゾウはただただ笑うしかないのだ。
さて、勘定を済ませて店の外に出てみれば夜もたけなわ、すっかり満点の星空が広がっている。
寒天でかつ佐渡という田舎だからこそまだ星の煌きは昔よりほんの少し見劣る程度だが、それでも変化はしている。
この星々も見納めになるのかと思うと、やはり少し物哀しいと一人白い吐息を零せずにはいられない。
それでも満ち足りた物を感じるのは、腹に収まった糧と腹を決めた気分の両方に由来していそうで。
「すっかりご馳走になったし、少しは元気にもなった。全く感謝してもしきれんわい」
「いえいえ、そう言われれば店を出して待ち構えた甲斐もあったもの」
お、おぅと驚くマミゾウににこりと返しながら、紫は続ける。
「それで、幻想郷への入植は何時にするかお決めにならして?」
「ぬえのピンチだと聞く、なるべくすぐには行かねばな」
しかしどうしてもマミゾウにとって気掛かりなのは、この佐渡の地に一人残す娘の事。
幻想郷に連れて行く、なんてのは明後日に向いても出来やしないという事を何よりも分かっていた。だからこそ辛かった。
親という物は子の結納を心待ちにする物だし、実際旦那になるであろう男を一目見ずに離れるというのは若干の後悔を残す。
それに一生に一度の晴れ舞台すらおちおち見れる程、待っていられる期間も無いという事実も後を引いている。
この先無事でやっていけるだろうか、娘にもう会えないのなら何か言っておくべき事はあるのだろうか。
それでも佐渡で妖狸達を従えるよりもずっと昔に、幾世紀は一緒につるんだ仲を放っておく事も出来ない。
「……。少し、頼まれて貰ってもええものかの」
「ふふふ、出来る程度の事でしたら」
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
妖怪達の時間が終わるのが早いのは、冬場の夜の長さを差し置いてもきっと楽しまなきゃいけない事が多いからだろう。
朝日がゆっくりと海の向こうから顔を出して、橙色と水色を空の上で混ぜ合わせては雲を走らせている。
もう啓蟄にも後僅かとは言えまだ冬の残滓は大量に根を張っているのだから、桜が舞うのはまだまだ先の話だ。
巡航船が湾から出るにはまだ早い時刻。だが旅の始まりには心地良く晴れやかで、何よりも澄み切った空気がそこにある。
マミゾウは何百年と住み慣れた自らの屋敷の前で、静かにその全てを眺めていた。
幾重にも交換し続けた瓦屋根や柱の木材、子分の狸共が爪で引っ掻いた床の跡、配下と酒に酔って皆で一斉に吐いた庭の池。
どれもが愛おしく、かけがえの無い思い出だった。それを心の奥に仕舞い込んで新天地へ行く心境に翳りが無いかと言えば嘘になる。
但し、後悔だけは絶対にしてはならないと心に決めていた。
昨晩は旧友の窮地だからとも言ったが、本当はそれだけでは無かったのを今更になって思い返している。
抱いた感情で一番近かった物は恐らくだが、このまま諦観して消滅を待つのならば一念発起しようという自棄。
この人間の世になった今でも最後まで妖狸としてあれたのだから、逆に幻想郷とやらでも上手くやれるだろうとも思いつつ。
驕りなのかもしれないが、それでもこちとら佐渡の頭領をやっていた身。易易と潰れてやらないぞという宣戦布告も込めている。
「これで宜しいので?」
無が突然形を成したかの様に、マミゾウの隣に紫が現れた。
乾いた空気に放たれた言葉は風に乗り、それを意に介さない様にとその言葉の受け手はただ開けた視界を凝らすのみ。
夜が開ける暁の空の下、まだ寝ているだろう配下を一人残してここを去ろうとしているのだ。
今ここで顔を合わせてしまえば、一言二言交わしてしまえば、きっと心の底から引き止められてしまう。長居は出来ない。
「うむ、それでは頼むぞ」
玄関先に置いてきた御祝儀の金一封と直筆の手紙。そして、せめての親心としての白無垢。
これで良いと何度も確認しながら屋敷を、これまでを振り返らない様に一歩ずつ踏み締めて門を出る。
丸眼鏡の奥が霞むのを気に留めず、幻想郷へと推参する道のりを辿る。
一陣の風が頬を撫でるかの様に吹き抜けていく。
今日も朝日が眩しい。
その娘はそう告げると、眼前に居るこちらに向けて色々な感情の混ざった目を遣った。
ぴしゃん、と障子が勢いよく閉じるかの様に言い告げられたその言葉は、静寂を破るのには充分過ぎる。
襖と障子で区切られた部屋、畳のへりで境を引かれた二人。一体一で対峙して目と目を覗き合う。
突拍子も無く。されどもどこか予感していたその口上。人としての幸せを求める為にそれが選ばれるのは不思議な事では無い。
希望、祈願、畏れ、そして若干の謝罪。娘の瞳にはその一つ一つが溶けて混ざり合い、飴細工の様に虹色の輝きを放っている。
この瞳を見るのは何年ぶりだろう。毎度毎度同じ様な目を携えて、同じ様に幸せを希っていた。
中には癇癪を立てて断わらせた事もある。今となっては申し訳無さも募るが、あれから幾年経ったのか覚えてすらいない。
それでももう、ああ終ぞこの日が来たか、という諦観しか今は抱けない自らがここに居る。
もう他人事に近いぐらいの感情だけが置き去りにされて。
引き止められる程の冷徹さなんてもう残っていないのだ。
「それで、相手は?」
「……!旧両津の漁師の方で――」
すぐさま示された承諾の意に娘は驚くと共に爛然と目を輝かせ、一点の曇りなく初恋に心を躍らせる少女の様に語りだした。
娘の告げる婿相手の情報を聞き逃さぬようにと耳を傾げる。馴れ初めからここまでの経緯。出会ってから感じた想い。
全てを詳らかに吐き尽くさんとする必死さも、幾度と見た光景で今となっては最早懐かしいとまで思えてくる。
それでも、個々の想いや思い出はその全てが千差万別。それだけは一緒くたには出来まい。
懐古に浸りながらもじっと聞いていると、娘の話も終わりを迎えていた。
語り終えた先に残ったのは部屋の中の登場人物、そして流れている澱みを含んだ空気。昔と今は違うという事実が重くのしかかる。
澄んでいた空気も段々と体を押さえ付けるような濁りを湛えている。気付けば土地を二分する舗装路が引かれたのも何年前か。
もう昔の権力で睨みを効かせられる時代は終わったのだ。今は若い衆がしたい事をすれば良い。
それに、ここまで話を聞いたのに無下にするなんて事は到底出来やしない。
「それじゃあ今度はその婿殿も連れて来て貰いたいのう」
「すみません、本当にありがとうございます……!」
深々と頭を下げると、娘は襖をそろりと開けて部屋を出て行く。後には古き良き時代から変われないモノだけが部屋という箱の中に残る。
こうなってしまえばいずれこの箱の中だけでなく、屋敷全体が一人だけになるのだという事実。
昔の賑わっていた時代を思えば、こんな日が来るなんて決して思いもしなかったハズだ。
分かっていた話だが、それでもどうしても受け入れ難い物を感じてしまうのは年のせいか気分のせいか。
家の外を見遣ると晩に降った雪は未だに溶けずに軒先に積もっていて、雨水を過ぎてもまだ冬は冬だとどこか安堵する。
春というのはどうしても若さと繋げて考えてしまうものだから、こんな自身にはどちらかと言えば苦さを感じずにいられない。
一人晩酌で体を温めて微睡みの中に居たいと思ってしまったのは変遷を嫌う年寄りそのもので滑稽でもあった。
今日は外で呑んでくるから夕餉は無くてええ、と娘に伝えて草履を履く。
家を出る前に、折角じゃから婿殿と一緒に食べてきなさい、と言ってしまったのは親心と老婆心のどちらか、考えても分からなかった。
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
屋敷から少し離れた獣道。針葉樹犇めく森で雪に踏み締められた一対の足跡を付ける人物のその姿。
臙脂色のどこかレトロな長スカートに紋付羽織という服装もさながら、顔は廃れた農村に置くには勿体無い程には若い女性である。
しかしその歩みを進めている足取りは普通なのに、それ以外においては目を疑う様な光景を引っ提げている。
前へ進む度に肌に浮かんだ微細な皺は消え失せ、肌色には活気が戻り、そして遂には頭頂の獣耳と後方の巨大な尻尾が姿を現す。
人の姿を解くと共に暴風を発生させ、木々はそれに揺らされて葉に積もらせた雪を続け様に大地に落としている。
一歩、また一歩と藁の音を鳴らしていくにつれて、次第にその女性自身の体躯が変動しているのは疑いようのない現実であった。
目の錯覚でもない。しかし、黄昏時の茜色に溶け込み、丸眼鏡以外も怪しい光を放つその姿がヒトであるはずがない。
ミレニアムをも越えて幻想を喪いつつある世界で居場所を失くし、存在出来るハズが無くなった怪異。
古くからこの佐渡の地の覇権を握っていた妖狸という種族の僅かな生き残りにして、団三郎狸として後世に伝わる佐渡の長。
彼女こそが二ッ岩マミゾウ。
今やヒトの世に溶け込み静かに暮らす、過去の佐渡の総大将であった。
人に化けてそのまま戻って来れなくなった者達がどれほど居ただろうか、とマミゾウは静かに思う。
昔は腑抜けだの妖狸の恥だのと散々罵ったが、今となってはそれも無理のない事だと知っていた。
国のお偉い方さんが国道建設だ、やれ高度成長期だ、等と佐渡の土地を侵害してその幻想のチカラを弱められたのも契機の一つだった。
が、それ以上に多かったのは人の世で生きていくにつれて、そこで妖怪としてでない幸せを享受していった者達。
妖怪の身で人間としての幸せを掴んで、妖怪に戻れずに人間として寿命で死んでいく。
アイデンティティを満たせない妖狸は朽ちて滅びる宿命だと知っていても、誇りを投げ打ってでもその身を焦がし命を燃やすのか。
時代が更に経てしまえばいずれスマートフォンとやらで妖狸の変化が簡単に見破られる時が来てしまうかもしれない。
マミゾウには今の今まで分からなかったし、これからも分からないだろうとしか思えない。
起業に成功して本州に渡って、都会の荒波に揉まれて次第に誰かを化かす暇さえ無くなった末に過労で亡くなった者。
芸を磨きたいと言って日の本でない場所に出向き、大成したものの妖狸として何かをする事が出来なくなった者。
島の外を見てみたいと言って海を越えて、発展の光に目を惹かれて終ぞ佐渡に帰ってこなかった者。
中でも多かったのが、人間と契りを交わして結納を果たし配偶者として人間に最後まで寄り添う事を決めた者。
そうなった者達には特に厳しい言葉を投げた事もあった。人間なんぞに身を窶して何が妖狸だと憤った事もあった。
だが、今では彼らの事を決して責められまい。
妖力を失って妖狸からただの狸に身を落としてしまう者も多くなってしまった以上、最後に一時の幸せを求めるのは何も間違っていないだろう。
人語も喋れなくなって寿命が普通よりも幾分か長いだけの狸ばかりとなってしまい、もう佐渡に居る力のある妖狸はマミゾウのみ。
それならばいっそと命を賭してまでその幸せを繋ぎたいという想いは、彼らの中では崇高な物だったはずなのだ。
配下の中で特に優秀だった四天王も、時代という牙に次々と蝕まれていった。
日に日に弱まって遂に一介の狸となってしまったその内の一体から介錯を頼まれた時には人間を憎んだ事すらあったというのに。
妖狸として比類無き力を振るっていた四天王さえもそうなってしまうのだから、人間の発展は妖怪よりも悍ましい。
そして人間社会に溶け込む為に母娘の関係として、形以上に情を感じていた最後の四天王も、先程の瑣末である。
変化の術すら薄まって、見た目が人間の生娘のソレになってしまっても自慢の娘なのだから、そうした方が幸せならそれでもう良い。
もう妖怪の出る幕は無くて、妖怪の天下なんてモノは明治の維新と共に終わっていて。
妖怪としての尺度で見ればまだ自分なんて現役と片隅で思っていても、やはり自分が年寄りである事を痛感していて。
それで良いと、今は人間の時代だと心の中で納得していても。
「残るのが儂一人だけというのも堪えるのぅ……」
やはり、残される者は寂しいのである。
しかし人間の時代と言えど、昔は金山でぶいぶい言わせていたこの旧相川町も今となっては寂寥とした地方都市でしかない。
江戸が栄えていた頃などは将軍の御膝元としてゆうに数万は人間が居たのに、佐渡市に合併された今では万を切っている。
モノカルチャー経済はそれを維持できなくなったら潰れてしまうだけだし、職に溢れるよりは島外の方が食い扶持も持つだろう。
マミゾウはそれを分かっていたし、だからこそ定職であった金貸しも昔の様に極道めいた取立てをする事が無くなって久しい。
人それぞれの困窮と脱却というドラマを見れる程この土地には夢を抱いた若者も、それどころか夢も若者も存在しなくなっていた。
あるのは細々と暮らす老体と先祖代々の第一次産業従事者とそれから自らという人外ぐらい。
妖狸がヒトを俯瞰して楽しむ職業としての金貸しはとっくに終焉を迎えていた。
日本海の時化た風と手付かずの森だけが今も変わらず心地良い。
人間としての擬態を維持しながら、マミゾウは役所近い町の中心部に辿り着く。
目当ての店の前に歩を進めると、そこには一ヶ月前に一身上の都合で閉店した事を告げる張り紙が一つのみ。
思えば屋敷から店までの道のりを人間に化け続けて来られる程に力が残っていた配下も残り一人だけになってしまったから、最近は外で呑む事も無かった。
加えて変化しないコミュニティでは人間が短命であるという事実を時折忘れてしまうのだ。
今となっては呑み屋すらも観光客向けの小洒落た店ばかりで、昔馴染みと一晩を明かせる様な店がその一軒しか無かったと言うのにその唯一すらも無くなってしまうと思うと、もう妖怪の知っている古来よりの佐渡島なんて存在しないのかもしれない。
それに昔馴染みすらもじきにゼロになってしまうのだから、どうしても一匹ぽつんと取り残された様な気がしてならない。
どうしたものか、と考え倦ねていると遠くに新装開店を告げる花束が見えるのに気付く。
そういえば最近新聞に新装開店を告げる広告が挟まれとったな、と一人納得。興味本位、物は試しにと足先を向けて歩き出す。
近付くにつれて廃屋を利用したであろう店の外見が浮き彫りになっていく。新築ではない、昔ながらの雰囲気を醸した二階建て。
バーといった風体の洋酒ばかりを取り揃えた場所でない事を祈っていると、店前には店主の手書きであろうメニュー立て。
丁寧な字体で書かれた海鮮と日本酒の銘柄が期待に添っていた事に及第点を付けて、内心上機嫌で暖簾を潜った。
「いらっしゃいませ」
店主は四十路そこらの企業ドロップアウト勢だと決めつけていたからか、三十路及ぶか及ばないかの女性の声で面食らった。
厨房には店主が一人のみで、従業員も配偶者も見受けられない。どうやら一人で切り盛りしていく店のようだ。
内装はカウンター席数個にテーブル席数個の、如何にもなどこにでもある居酒屋のそれ。
照明も暗くも明るくも無い白色蛍光灯で、どちらかと言えば自宅を改装したかの様な普通の雰囲気。
しかし店主のその瞳その髪その一挙一動全て、どれを取ってもこの世の者とは思えぬ程の妖艶さがやけに場違いで。
老い先僅かな寂れた町に新しく店を構えた若い女性という事実も相まって、不気味ささえも漂わせている。
「一先ず、隠岐誉を二合冷で戴こうかの」
思いかけた危うい想像を払拭するかの如く、初めから決めていた注文を声に出す。
日本酒なんていつもは一斗ぐらい呑みたい物だが、人間に擬態している以上強い事は到底言えない。
店主は畏まりました、と笑顔で告げると慣れた手つきでカウンター裏手から一升瓶を取り出し、徳利に注ぎ変えていく。
トクトク、と店内音楽も無く静かな店内に酒を満たす音だけが響いている。飲む前から既に酔わせてくる程の鮮やかさには感服物だ。
こちらの驚きを察したのか店主は笑顔にウィンクも添えて、徳利を御猪口と一緒にカウンターに置いた。
「あとこちら、お通しの大角豆のゴマ和えでございます」
そして続け様に置かれた小鉢のなんとも色鮮やかな事か。これでは食欲がそそられない訳がない。
どうやら佐渡に店を構える物好きにしては中々に腕の立つ人間らしい。
他の料理も美味しければたまに通うのを今後の楽しみにしても良いかもしれない、と思うとお品書きに手が伸びるのも早かった。
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「こちらお客さんにサービスの一品でございます」
大層呑んだ食ったとご機嫌のまま酒をちびちびとやっている間に、不意に投げかけられたのは店主の言葉。
厨房の方を目で伺おうとしていると、店主はお通しの時と同じ様に小鉢を目の前に静かに置いてきた。
上に乗っけてあるのは端整に切られた冷奴と、そこに掛かった赤茶色のソースの様な物。
白と赤の対照的な色合いに、みずみずしさを直接的に訴えかけてくるのは素材が良いからなのか。
注文していないにしても、開店直後なのだからサービスで何かを出してきてもおかしくはない。
寧ろサービス精神のある店なのだから、きっと次回も来る価値は存分にあるのだろうという納得も心の中で生まれている。
だが、それとは別に食欲を掻き立たせる何かが視界に映るソレに秘められているのをマミゾウは本能的に感じていた。
妖怪としてのサガ。決して常時では満たされぬ、人間社会では禁物とされる行為。とうの昔から我慢していた臓腑の空腹。
それらがまた衝動的にぶり返して来ているのを肌で感じざるを得ない。逸る気持ちをなんとか理性で閉じ込めるのが精一杯。
何故我慢しているのか、こんな街中でソレに及んでいいのかという自問自答も脳には殆んど届かない。
今に箸を持とうとしている手を一瞬一瞬の一コマの度になんとかして膝の上で留め置いている。
ごくりと喉を鳴らす程に気圧されたのは自らの妖力が薄まっているのかそれとも――。
「なあ店主さんよ、コイツは一体……なんじゃ?」
「冷奴の霊天蓋がけですわ。佐渡の団三郎、いえ二ツ岩マミゾウさん?」
「なっ……!?お主、い……一体何者じゃ……?」
佐渡の二ツ岩が聞いて呆れよう、今にも震えそうな声でやっと紡げた言葉。
どうにかして質問の体は保てたというだけで、驚きと獣性が入り乱れてグチャグチャな思考回路はこれ以上待ってくれそうに無い。
人間としての名前では無く、妖怪という個としての名前を知られていたという驚きもあるが、それ以上は目の前の料理。
霊天蓋、薬食いとしてのヒトの脳髄を指す言葉。即ち人肉食であり、畏れられる為の妖怪の本懐の一つ。
人と共存する道を選び、長らく食らっていなかったソレが目の前で食べられるのを今か今かと待っているのだ。
どうして儂が妖怪と知っている、とも言えずにただただ自らの正体が割れていた事への恐れ。
名前だけなら偽名とでも通せたが、隠し通せぬは妖怪としての本望か。それを看破したのか、否何故これが出せるのか。
続きの言葉はいくら待てども出てこない。それ以上に目の前の女への恐怖が勝っているという事実を受け入れざるを得ない。
質問の答えを期待して店主の方を恐る恐る見ると、女は美しく笑っている。目元を妖しく輝かせながら、笑みを浮かべている。
老体のあられもない姿を見ている店主のその顔全体のなんたる恐ろしい事か。唇も頬も視線さえもが奇々怪々。
まるで小動物を狩る猛禽類を見て漁夫の利を狙う肉食獣の様に、怯え惑う人間を夜道で見付けた妖怪の様に。
ただただそこに在るだけで良い、紛れもない強者としての表情。
「あら、怯えさせてごめんなさい?別にそうするつもりは無かったのだけれど」
悪びれた様子も無く、眼前のナニカは頭の後ろで纏めた金髪を下ろす。
婀娜にして畏憚すら感じさせる程のそれを長く煌びやかに棚引かせるにつれ、部屋の中の妖力が桁違いに跳ね上がっていく。
空間が軋む。空間が硝子かのように裂罅を走らせている。相手はヒトだと決め付けていたのは余りにも甘過ぎた。
よく言えば佐渡というぬるま湯に浸かり過ぎて毒も牙も抜かれたのかもしれないが、それにしても相手の雰囲気は重厚さが全く違う。
こんな世の中になっても未だにこれ程までの力を維持させている妖怪が居るなんて考えもしなかった。
いや、それどころか全盛期の自身と比肩―――するどころかそれ以上のチカラ。
今や老耄して木っ端の田舎妖怪となった身で敵う相手な訳が無い。
気付けばソレは隣のカウンター席に悠然と座って二つ目の御猪口を手にしていた。
清酒を注いでくれと言わんばかりに微笑みを向けているが、その妖怪が何なのかすら分からない所もまた不気味。
それどころか店主として見せた顔となんら変わらない表情を見ているはずなのに、今は貼り付けただけの笑顔としか思えない。
「そこまで畏まらなくても宜しくて?今宵は無礼講、別に姿を偽るまでもございませんわ」
突然ボンッ、と煙を焚いたかの様な音が鳴り、一拍置いた時には頭頂部と後方に慣れ親しんだ感触。
変化の術が解けたのでは無く明らかに外的要因に解除されたという事実にマミゾウが戸惑いを隠せずにいると、隣に居座っている妖怪はこほんと一つ咳払いをして話し始めた。
「八雲紫と申します、以降お見知り置きを」
▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
「それで儂に何の用じゃ……?」
「あら、そう怖い顔されては照れてしまいますわ。
今日はお誘いがあってこちらに招かせて戴きましたの」
「誘い……というと、もしや噂に聞こゆ幻想郷とやらか」
そう、噂程度にしか思っていなかった妖怪達の楽園郷がどこかにあるという話。
曰く隙間に潜む妖怪がある日突然目の前に現れては、忘れられて消え行く宿命の妖怪をその幻想郷という名前の土地に招待するなんて都合の良い筋書き。
佐渡の妖狸で会った者の話は聞いていなかった故に精々ノアの方舟の様な物だと思っていたし、そもそもが眉唾物だった。
しかし、こうも実物が現れると違う。空気も、誘惑も、何もかも。
「話が早いのは良い事ですわ。
実は日本三名狸とまで謳われた内の一角が現存しているという話を受けてこちらまで向かいまして」
「それで、絶滅を危惧して一人になった儂を誘拐しようとしているという訳じゃな」
「いえいえ。配下の妖狸と相談して一緒に連れて来て戴いても構いませんことよ?
外からの適度な変化こそが必要なのは今も昔も変わっておりません故」
「……そう、かの」
マミゾウは枯れ木も山の賑わいかと反論しようとした自分に気付き、慌ててグッと堪えた。
つまらない物も無いよりはマシ。
そんな意味で、目の前の妖怪が絶滅に瀕した自らを保護しようとしたのでは無いかとふと思ってしまったから。
もう佐渡の山には枯れ木すら残っていない。あるのは多くを失い過ぎた老木のみだと言うのに。
古くからの二ッ岩マミゾウという個を知る者も今や一人。たった一つの数値すらもいずれはゼロになってしまう。
それを見逃せぬ頭領であってはならぬのに、見過ごすしか出来なかったのだ。
「――幻想郷というのは、何も終末医療の現場ではございません」
八雲紫が御猪口を置く。
「外の禍根、感傷、思い入れ。それら全てを持ち込んで、自らの為したい事を規範の中で為していく妖怪の世界。
死という滅びを待ってただ呆然と過ごすだけでは決して楽園には成り得ないのです」
気付けば一升瓶の中身も既に空になっていた。
「何も外での一切を忘れて捨てろ、とまでは言いません。
抱えている物が何かは類推しかねますが……それにほら、昔からよく言うでしょう?
何にでもなれるのは化け狸の特権、って」
「抱えている物、か……昔の話になる。儂には大勢の子分がおったが、その中でも特に優秀な四人を四天王と呼んでおった。
だが、時代の寄る波には勝てず……四天王もその他子分も、皆纏めて妖力を失っていったよ。
ある者は人間に化けたまま、ある者は元の狸の姿に戻り……その全てが寿命で命を散らしたんじゃ」
マミゾウの眼にはただ、痛心の表情を浮かべた様に見える顔が映っている。
その姿はどこか悲しげで、憂いを含み、居もしない誰かに謝っているのかとさえ思わせていた。
しかし、それはまたマミゾウと一緒。眼前の妖怪にもまた、自身が全く同じ様に映っているとさえ感じる。
「ここ十数年近く、この佐渡には……儂と最後の四天王の二人しか、妖狸は残っておらんかった。
だからこそ儂はアイツと頭と部下としてだけでなく、人間社会に混じる上での形だけ以上の母娘として接しておった……」
隙間の妖怪は、答えようとしない。
「そんな娘がとうとうな、人間の男と結婚したいと切り出してきた。
当然断れまい。最後の部下の、もしかしたら最後になるかもしれない頼みじゃからな。
けれどもそうなればアイツは人間として死ぬ事になる、佐渡の妖狸は儂一人のみになる!
これでは余りにも、儂は、儂は……」
押し黙るマミゾウを他所に、紫は自慢のスキマから別の清酒の入った徳利を取り出す。
御猪口に注がれれば液面から仄かながらに湯気が立ち込め、それが熱燗であるのは一目瞭然。
そしてその徳利をマミゾウの御猪口にも注ぐと、また紫は語りだした。
「外の宗教では"悲しむ人は幸いである、その人たちは慰められる"とも言われます。
それは幻想郷でも同じ事。何が起きるか分からない、実り多い物となる事を保証致しましょう」
「……」
それでもまだマミゾウは口を噤んでしみったれた表情のまま座している。
設楽焼きの置物と比べても良い勝負が出来そうな様子に痺れを切らしたのか、堅苦しい雰囲気を水に流そうとしているのか。
確かにマタイの福音書なんて日本じゃ有難味なんてケレン味程も無いけど、とでも言いたげに紫は席を立つと独り言の様に口を開く。
「あぁそれと、私がここまで場を整えているのは実はとある妖怪に頼まれたからでしてね?
その妖怪、帰依している場所がピンチに陥ったからってわざわざ外から貴女を呼び寄せようと結界に穴を開けかけたのよ。
それはつい昨日私が懲らしめましたけれど、まぁ成り行きで」
「儂なんかを呼ぼうとする妖怪……?」
「あら、心当たり無いかしら。封獣ぬえ、正体不明の妖怪」
「……は?」
「うんと昔に帝にちょっかい掛けて討伐されたと思ったら地底に逃げ果せてて、気付けば妖怪寺の一員になっててねえ」
封獣、ぬえ。随分と懐かしい響きのする名前であった。
平安の世だったか、宮廷貴族が世の覇権を握っているつもりに己を肥やしていた時代からの旧知の仲だったはずだ。
地を駆け能力を合わせ、人間に掛けたちょっかいは数知れず。時の帝さえも罠に掛けた時は心が躍ったものである。
しかし関係はぬえの征討を以て終わりを告げてしまい、後は墓参りを十数年に一回しているぐらいしか繋がりは無かった。
それ程までに昔の事なのに、顔も声もやった悪戯もどんな性格だったかさえもありありと脳裏に浮かぶ程の相手。
そんな妖怪の名前が、まさかこんな場末の居酒屋で出てくるなどとは想像も出来なかった。
屋島の太三郎や淡路の芝右衛門ぐらいだったらここまで驚くことも無かっただろう。
「っくく……はっはっは!!!そうか!!ぬえの奴、くたばってなかったか!!!」
妖狸達の事を思うと素直に喜べない、そんな虚勢さを背負って。
されど本心から喜ぼうとして。
マミゾウはただただ笑うしかないのだ。
さて、勘定を済ませて店の外に出てみれば夜もたけなわ、すっかり満点の星空が広がっている。
寒天でかつ佐渡という田舎だからこそまだ星の煌きは昔よりほんの少し見劣る程度だが、それでも変化はしている。
この星々も見納めになるのかと思うと、やはり少し物哀しいと一人白い吐息を零せずにはいられない。
それでも満ち足りた物を感じるのは、腹に収まった糧と腹を決めた気分の両方に由来していそうで。
「すっかりご馳走になったし、少しは元気にもなった。全く感謝してもしきれんわい」
「いえいえ、そう言われれば店を出して待ち構えた甲斐もあったもの」
お、おぅと驚くマミゾウににこりと返しながら、紫は続ける。
「それで、幻想郷への入植は何時にするかお決めにならして?」
「ぬえのピンチだと聞く、なるべくすぐには行かねばな」
しかしどうしてもマミゾウにとって気掛かりなのは、この佐渡の地に一人残す娘の事。
幻想郷に連れて行く、なんてのは明後日に向いても出来やしないという事を何よりも分かっていた。だからこそ辛かった。
親という物は子の結納を心待ちにする物だし、実際旦那になるであろう男を一目見ずに離れるというのは若干の後悔を残す。
それに一生に一度の晴れ舞台すらおちおち見れる程、待っていられる期間も無いという事実も後を引いている。
この先無事でやっていけるだろうか、娘にもう会えないのなら何か言っておくべき事はあるのだろうか。
それでも佐渡で妖狸達を従えるよりもずっと昔に、幾世紀は一緒につるんだ仲を放っておく事も出来ない。
「……。少し、頼まれて貰ってもええものかの」
「ふふふ、出来る程度の事でしたら」
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妖怪達の時間が終わるのが早いのは、冬場の夜の長さを差し置いてもきっと楽しまなきゃいけない事が多いからだろう。
朝日がゆっくりと海の向こうから顔を出して、橙色と水色を空の上で混ぜ合わせては雲を走らせている。
もう啓蟄にも後僅かとは言えまだ冬の残滓は大量に根を張っているのだから、桜が舞うのはまだまだ先の話だ。
巡航船が湾から出るにはまだ早い時刻。だが旅の始まりには心地良く晴れやかで、何よりも澄み切った空気がそこにある。
マミゾウは何百年と住み慣れた自らの屋敷の前で、静かにその全てを眺めていた。
幾重にも交換し続けた瓦屋根や柱の木材、子分の狸共が爪で引っ掻いた床の跡、配下と酒に酔って皆で一斉に吐いた庭の池。
どれもが愛おしく、かけがえの無い思い出だった。それを心の奥に仕舞い込んで新天地へ行く心境に翳りが無いかと言えば嘘になる。
但し、後悔だけは絶対にしてはならないと心に決めていた。
昨晩は旧友の窮地だからとも言ったが、本当はそれだけでは無かったのを今更になって思い返している。
抱いた感情で一番近かった物は恐らくだが、このまま諦観して消滅を待つのならば一念発起しようという自棄。
この人間の世になった今でも最後まで妖狸としてあれたのだから、逆に幻想郷とやらでも上手くやれるだろうとも思いつつ。
驕りなのかもしれないが、それでもこちとら佐渡の頭領をやっていた身。易易と潰れてやらないぞという宣戦布告も込めている。
「これで宜しいので?」
無が突然形を成したかの様に、マミゾウの隣に紫が現れた。
乾いた空気に放たれた言葉は風に乗り、それを意に介さない様にとその言葉の受け手はただ開けた視界を凝らすのみ。
夜が開ける暁の空の下、まだ寝ているだろう配下を一人残してここを去ろうとしているのだ。
今ここで顔を合わせてしまえば、一言二言交わしてしまえば、きっと心の底から引き止められてしまう。長居は出来ない。
「うむ、それでは頼むぞ」
玄関先に置いてきた御祝儀の金一封と直筆の手紙。そして、せめての親心としての白無垢。
これで良いと何度も確認しながら屋敷を、これまでを振り返らない様に一歩ずつ踏み締めて門を出る。
丸眼鏡の奥が霞むのを気に留めず、幻想郷へと推参する道のりを辿る。
一陣の風が頬を撫でるかの様に吹き抜けていく。
今日も朝日が眩しい。
また「幻想郷というのは、何も終末医療の現場ではございません」から続く紫の台詞もとても好きな幻想郷観です。とても良かったです。
とても良かったです
第一幕で狸の影が一切ないため人間の娘の話かと思って読み進めたのですが、読者にそう思わせるあたり、妖狸がいかに人間としての生活に傾倒しているか端的に表現できているのだなと感心しました。
聖書からの引用は、それ単品だとセリフとして浮きそうにも思えるのですが、直前に方舟云々の件があるので流れとして滑らかに繋がっていたと思います。
寂れた町の描写が丁寧で、そこから滲み出る情緒が本作の雰囲気を形作っているのだろうと感じられました。また、作品公開のタイミングや隠岐誉というワードに考えさせられるものがありました。。
総じて素敵な作品でした。ありがとうございます。
「旧両津」や「旧相川町」の表現は佐渡を舞台にしているなら少し違和感を覚えました。
平成16年に合併した説明を添えてから「両津」「相川」と表現した方が自然な気がしました。
自らの幸福を掴み取った妖狸達はきっと満足だったのでしょうけど残されたマミゾウの寂しさは計り知れないです。それでも何処か希望を見つけられた姿に救われました。紫さまはやっぱり可愛かったな。
実に良い作品を読ませてもらいました。有難うございます。
失っていく悲しみに耐えるマミゾウとまだまだ負けてないというマミゾウの両方が感じられました
とてもすばらしかったです
文章が大変上手く、重い文章ながらすんなりと読めました。
マミゾウがどうやって結界を抜けて幻想郷にやってこれたのか? という点の解釈として、シンプルながらも説得力のある話でした。
有難う御座いました。
そんな中で、このまま消えてなるものか、と一念発起するマミゾウさんの力強さ。そういう強さがあるからこそ、妖狸の親分になったり、妖狸として現代まで生き残ることが出来たのかなあ、と想像しました。『娘』との別れを辛く思いつつも決断をする姿は、ある種、別れに折れず前進を望む若々しさのようにも感じられました。
さりげなく登場する隠岐誉も良いですね。素敵な作品ありがとうございました。
マミゾウさん自身は能動的に現状を変えようと働きかけていた訳ではなかったので、救いの手が差し伸べられたのは運が良かったといえば確かにその通りでしょう。とは言えその機会が巡ってきたのは、この状況下でもなお彼女が誇り高い妖怪として有り続けようとしていたからに他ならないもの事実です。作品名の「劫﨟は経れたのか」という問いを「老獪になることができたのか」という意味で捉えるのなら、少なくともこの作品を読んだ上では私は、少し不器用で頑固だったマミゾウさんは「劫﨟は経れなかった」のではないかと思います。しかし、その不器用さも頑固さも彼女という存在の美徳であり、結果として彼女自身を助ける1つのピースであったように感じました。
後半まで「斜陽」という言葉を想起させる展開――日の沈むさまを想起させる展開――であったゆえに、最後の「今日も朝日が眩しい。」という一文が、希望に満ちた彼女のこの先を暗示しているようで、どこか暖かい気持ちになりました。
素敵な作品ありがとうございます。
旧友の存命を知った喜び、新天地へ赴く希望と不安、家族を置いて行く寂しさ。どれに振り切るわけでもなく、すべてを背負ったうえでの「選択」。実に人間臭くて良い。紫様もかわいい。
書籍ではマミゾウは、強者のイメージですが、この前日譚では自分の勢力や配下の土地も含めて、弱々しい事情が生々しく描かれていてかつ、幻想郷に至る自然なストーリーな細かく説明されて、だからこそ幻想郷に置いて強者である理由が紐付けされていて、頷く作品でした。
また別な形で読んでみたいです。
幻想郷に至るまでの物語としてすごく素敵だと思いました。
時代の流れに消えていく怪異が物寂しいノスタルジックな雰囲気で描かれている世界観がいいなと。
勧誘するために色々準備して芝居がかった真似する紫様はかわいい