私は台所で試行錯誤を繰り返していた。
別に錬金術に傾倒したわけではない。私は魔法使いを廃業して錬金術師になったというわけでもない。
有名な語句に錬金術は台所から生じた――というものがあるけれど今回は関係なかった。
まあ今回に限れば、近いモノはあるのかな。研究のようなものだし。
とは言っても遠いわよね、やっぱり。真面目な研究とは一線を画す出鱈目さだわ。
無理もない、目的を絞り切らずに作っているのだからこれは研究というより逃避だ。
逃げ込んだ先がたまたま未知に挑む作業だっただけで、とても研究と呼べたものではない。
と、そろそろ時間ね。
鍋つかみを手にはめ、オーブンを開けてプレートを取り出す。
焦げ目はいい感じ。食欲をそそる色を出せたと自賛できる。
それでも納得がいくというわけではない。
焼き上がったクッキーを一つ手に取り、齧る。
初めて作った割には、我ながらいい出来だとは思う。
思う、けれど――
「やっぱり、あそこには向いてないわよね」
こういう手が汚れそうなものは好まないだろう。
そうなると皿やフォークの必要なケーキも、さらには食べ物全般がアウトだろう。
もとよりあそこはモノを食べる空間ではない。
いや、もとよりと言うのなら、食べ物自体がナンセンスね。
あいつは食事も睡眠も不要な人種なのだから。
その辺は、あまり共感できない感覚だった。
お菓子は美味しいし、疲労とは別のところで睡眠を求めてしまう。
私がまだ人間を捨て切れていないから、そう思うのかしら。
ああ、今は余計なことを考えている暇はないわ。
これ以上迷うのも時間の浪費だし、そろそろ結論を出さなきゃ。
食べ物はダメ。服は趣味がわからないからダメ。魔導書はあげられないからダメ。
それなら、やっぱり……
クッキーをそのままに台所を出る。
部屋を移り生地を収めた棚を探る。
あの生地は――あまり使わないから残っていたかしら。
――あった。
これで決定としよう。少々少女趣味な嫌いがあるけれど――
私は裁縫道具を手に取った。
図書館。
薄暗い書棚の間を歩いていく。
気分を落ち着かせる紙とインクのにおい。
だけれど、今の私にはあまり効果がないようだ。
一歩一歩、彼女に近づく度に帰りたい衝動に駆られてしまう。
しかしそれを阻むのもまた感情的なものだった。
折角作ったのにお蔵入りなんてかわいそうだ。人形師として、認め難い。
やがて見えてくる大きな机に山と積まれた本。
およそ生活感というものを感じさせない少女がそこに居た。
座っているのを差し引いても私と比べたら随分と小柄な少女。
背の高さに多少のコンプレックスを抱いている私から見れば羨ましい可愛らしさだ。
「――あら、アリス」
半開きの目が向けられる。薄い紫色の瞳は硝子に覆われていた。
眼鏡をかけた、少女である。
声を掛ける前に気付かれるのは珍しい。
彼女は大体読書に夢中で、自分から他人に関わることは殆ど無い。
「パチュリー、これ」
歩み寄り、包みを渡す。
気恥ずかしさからちょっとつっけんどんになってしまった。
案の定、パチュリーはきょとんとしている。
硝子越しの目が、開けてもいいのと問い掛ける。
頷くと、がさがさと包装を解いていった。
「……ぬいぐるみ?」
「ん」
一応、受け取ってもらえた。
でも、まじまじと見られると恥ずかしい。
かちゃりと眼鏡を外してまで眺めなくても。
満足したのか、再び彼女は眼鏡を掛けた。
「かわいいくまさんね」
表情を変えずに少女はぬいぐるみの手をふりふりと動かす。
そう言うパチュリーの方がかわいいと思うけど――口には出さない。
気取られたかのように眼鏡越しの視線が私に向けられる。
「でもどうしたの? 急に」
当然の質問だった。
だから、用意しておいた答えを返す。
「いつも本を見せてもらってるから。なにかお礼をしようと思って」
言いながら彼女の真正面に座る。
机に積まれた本の一冊を手にとって視線を逸らす。
これは以前借りたことのある本だ。
「お礼」
ぬいぐるみを膝に抱いて少女は呟く。
目を逸らしたのだけど、完全には逸らせずに視界の隅で彼女を捉えていた。
硝子を通した紫色の瞳が、私を見据える。
「クッキーも焼いてみたんだけど、パチュリーはいつも図書館に居るから……
手が汚れないのがいいかなって。あ、クッキー焼くのを失敗したわけじゃないわよ?」
視界の隅で、彼女が笑っているのが見えた。
……なんでにやにや笑うかな。
普段は無表情な癖に、こういう時だけ魔女らしい。
含みがあるような、とても素直に受け取れない笑い方だ。
「恩を受けてばかりじゃ落ち着かないし、当然の対価だと思う。足りないかもしれないけど」
「対価、ねぇ。――いいわ、そういうことにしておく」
にやにや笑いが深まった。
毎度のことながら――この悪そうな笑顔だけは苦手だ。
「そのクッキーも食べてみたかったのだけれど」
にやにや笑いながらそんなことを言う。
「……あなた食事は不要なんじゃなかったの?」
「必要ない、というだけで出来なくはないわ。甘いお菓子は好きよ」
持ってくるべきだったろうか。いやこいつのことだ、その場の思いつきかもしれない。
からかう為なら嘘くらい平気で吐く魔法使いなのだし。性悪だから、と言い換えてもいい。
「それじゃあこの子の名前考えないとね」
ぬいぐるみを掲げて呟く少女に、思わず視線を戻した。
気に入ってもらえたようでなによりだけど、何か嫌な予感がする。
考えるふりだけしてるようで、私を見ながらにやにやしてるだけのようで――
「意外と少女趣味ね。人形に名前をつけるだなんて」
「だって、私が一人で居ても寂しくないようにくれたんでしょ?」
ぬいぐるみをいじりながら、彼女は笑い方を変えた。
とても意地の悪い笑み。とても、苦手な笑み。
じい、と私の目を真っ直ぐに見ている。
ぬいぐるみの鉱石で出来た目ではなく私の青い眼を――見ている。
「空色の目。エンジェライトかしらね。うーん、咲夜、って名前にしようかしら」
どう? と紫色の目が問うている。
本当に、意地が悪い。私の浅はかな狙いなんて見抜いているだろうに。
くすくすと笑い彼女はぬいぐるみの目に触れる。
「そうだ。この目をルビーに換えてレミィと名付けようかしら」
――魔女、め。
意地が悪いにも程がある。
そこまでされたら、さすがに私だって、
「嘘よ、アリス」
言って、また悪そうな笑み。
苦手なのに、目が離せない。
苦手だけど、嫌いになれない。
「綺麗な空色の目をしたこの子の名前はアリス。他の名前なんてつけないわ」
素直じゃないうそつきなあなたへのお返しよと彼女は笑った。
それはとても優しい微笑み。
滅多に見せない彼女の素顔。
「まぁ、あなたの狙いは外れて――アリスが居てくれてもまだ寂しいけれどね?」
私を捉えて離さぬ紫色の瞳。
「ねぇ、もう一人のアリス?」
私を縛って逃さぬ素直な笑み。
なんともパチュリーらしく、魔女らしい。
優しくても素直でも、それは魔性の悪い笑み。
一度捕まってしまってはもう逃げられない。
「二人のアリスで両手に花ね」
肩を竦めて、そんな上手くもない言葉を聞き流した。
【魔女とぬいぐるみ《alice in witchcage》...closed】
糖分補給完了、ごちそうさまでした。
だがそこがいい
面白かったです
マリアリが、正義なんだ。
だからこの点で。
二人とも可愛いです。パチュアリ支持者もっと増えないかなぁ。
かわいらしい小柄な魔女がたいへん魅力的でした。
パチュリーもアリスもどっちも可愛いよ!
S魔女だー!