序
戯れから蓬莱の薬を飲み、永遠の命を得た輝夜姫は、その罪のために月から追放され、穢れた地上で生きねばならぬこととなりました。
しかしながら輝夜姫は、持って生まれた宿命から、人の良い老夫婦に拾われ、何一つ不自由のない生活を送ることができました。それをかえって退屈に思った輝夜姫は、あれやこれやと無茶を言って、己を不幸にしようと努力しますが、どういう因果でしょうか、かえって幸福は増すばかりであります。
遂には月の民からもかつての罪を赦されてしまい、地上から月へと帰ることができるようになってしまいます。思い切って輝夜姫は、迎えに来た月の民を皆殺しにしました。そうすれば、今度こそは自分を不幸にすることができると思ったのです。
ですが、彼女を迎えに来た月の民の一人で、月の世界で一番の大賢者が、彼女の言葉にすっかり従い、輝夜姫と一緒になって、月の民を皆殺しにしてしまいました。
結局輝夜姫は、得ようと思っても得ることのできない大変な人物を従者に持つことができましたので、幸せな因果からは逃げられなかったのであります。
それでも姫は、この穢れの多い地上で長く生きていれば、きっと不幸になることもあるだろうと思い、期待しておりましたので、落胆いたしませんでした。
ところが、大賢者のはからいで、月の煌びやかな宮殿生活とは趣が異なるものの、四季の移ろいを肌身に感じることのできる、清楚で安穏とした風情のある生活が送れるようになりましたから、全く不快はございませんでしたので、やっぱり幸せなままなのであります。
「これはどうしたものかしら。これも天命と、諦めるより他にはないかしら」
そう思って、己の宿命を受け入れ、不幸になることは諦めて幸福な毎日を送ろうかと思い始めていた輝夜姫ですが、なんと落ち延びた先の幻想郷で、彼女を不幸にしようと努力してくれる、藤原妹紅と出会うのであります。
「なんて嬉しいことかしら。まだ彼女のように、私を不幸にしようとしてくれる人がいる限り、諦めてはならないわ」
輝夜姫は、すっかり勇気百倍されて、今度こそ不幸になれるように頑張ろうと、決意を新たにしたのであります。
一
「さぁ、今日は大掃除よ。あれをこうして、これをああして、私の言う通りにして頂戴」
そうしてテキパキと指示を出すのは、永遠亭の主である、蓬莱山輝夜です。
「みんな、急いで頂戴。一時でも早く運気を逃して、一時でも早く貧乏神様にお越し頂くのよ」
彼女はこれから新年を迎えるにあたり、良い運は外に逃げて、悪い運が内にこもるよう、縁起の良いものは何でも外に出してしまい、縁起の悪いものを家内に持ち込むように、従えております兎たちに命令しているのです。そんなわけで、ウサギたちがせっせと溜め込んだ大黒神の作り物はすべて外に出してしまって、離れのお屋敷に放り込み、その代わりとして貧乏神の絵像をむやみやたらに整えているのであります。
「ふふふ、良い感じになって来たわね。これから毎日、一日も欠くことなく、貧乏神様を拝み倒すといたしましょう」
前途多難なこれからを思い、意気揚々として己の不幸を期待しております輝夜姫は、すっかり得意になって高笑いをします。
そこに、彼女を恨みに思っております、藤原妹紅が通りがかりました。
「おい、輝夜。一体これは何をしているんだ」
「何って、見た通りよ。大掃除をしているのよ」
「大掃除? 大掃除って、ただの大掃除なら、こんなにやたらと家の中の物を出してしまったりはしないだろう。ホラ、お前の屋敷の中、すっかりがらがらになってるじゃないか」
「うん。実はね、私の家には大変価値のあるものしかなくって、これはどうにも縁起が良いから困ってね。まぁ、本当は全て捨ててしまいたいのだけれども、兎たちがどうしてもと言うから、とりあえず倉の中に全部しまってしまうことにしたの。そうしたら、ホラ、この通り。風通しが良くなったってわけ」
「はぁ? そりゃまた、一体なんでそんなわけの分からないことをしているんだ」
「あのね、どうにも私は生まれ持っての因果があってね。私の方ではな~にも求めていないのだけれども、金も人も寿も、その他何でも溢れて溢れて困るくらいに恵まれちゃってね。こんなツマラナイことはないから、一つ本気で不幸になって、苦しみ悶える日々を送ってみたいと思ってね、幸運を呼びそうなものは全部外に出して、不幸の風が家の中に入りやすいように工夫したの」
「……一体、お前は何を言ってるんだ?」
「これも全部貴方のお陰よ、妹紅。感謝してるわ」
「もしかして、喧嘩売ってるのか?」
「いいえ、そんなことはないわ! あぁ、でも! えぇ、そうやって私を殺してくれるというのなら、そうね、これは大変不幸な話だわ。でも、生憎と死んでも死ねない身体だから、殺し合いはしても仕方ないの。それよりも妹紅、貴方は大変苦労して生きて来たのでしょう? 羨ましいわ。是非とも貴方の不幸話を聞かせて頂戴。縁起が悪いから」
「あぁ、お前が私のことをどれだけ舐め腐ってるのか、よ~く分かった! 今すぐぶっ殺してやる!」
そうして輝夜姫は、炎で焼かれて炭になってしまいましたが、じきにもとに戻ってしまいます。しかし、その顔は希望に溢れています。
「うん、これは幸先が悪いわ。楽しみ楽しみ」
二
「新年明けましておめでとうございます。今年は悪い一年でありますように、健康・金運・人の運。どれもこれも、廃れてか細く有りますように」
「姫様、新年の挨拶にそれはひどいですよ」
「あら、何を言うの鈴仙。そんな殊勝な心構えじゃ、縁起がよくってありはしないわ」
「そうだよ、鈴仙。鈴仙も私を見習って、真っ黒な衣装に着替えなよ」
「本当に、貴方は気の利く良いイナバね。ほらほら、鈴仙。貴方もてゐを見習って、貧乏神様や死神様の好まれる、黒の服装に着替えてらっしゃい」
「そんなぁ。せっかく皆で初詣に行くからって、振袖を着てきたのに……」
「おや、これは縁起が悪い。新年早々、鈴仙が泣いているわ。嬉しい限りね。おっほっほっほ……」
「ところで姫様、初詣には何処へ行きましょうか?」
「そうね、やっぱり霊夢のところに行くのが良いかしらね。金運が吹っ飛びそうだもの」
「それよりも良い案がございますよ、姫様」
「おや、何かしら」
「博麗神社は妖怪が多く、人がおりませんから縁起が悪くてようございます。しかしながら、神はおりませんから、そこまで多くの御不幸を望むこともできません。ですからそれよりも、竹林の中でも特に人の寄り付かなさそうな、風水の運気が悪いところ、じめじめして夏にカビなどが生えて困りそうな、そうした貧乏神様のお住まいになりそうなところを捜し求めまして、貧乏神様のお社をお建てなさいな。そうして、足しげく通いましょう。きっとご不幸がございます」
「これは名案! 流石は月の頭脳ね、永琳。さぁ、早速取り掛かりましょう」
そうして竹林をくまなく歩き回り、貧乏神様の好みそうな場所を探し回ってみたところ、藤原妹紅の屋敷こそ、貧乏神のお好みになられるところと相成りまして、新年早々、永遠亭の一同ここに参じました。
「お供え物は何が良いかしら?」
「ゴミに勝るものはないかと」
「丁度、大掃除をしたばかりで、家にはゴミがたんまりありますよ」
「それでは、鈴仙! 持って参りなさい。さぁ、私たちはお邪魔して、悪運を身にまとって帰ることに致しましょう」
「貧乏神様のお社にしては、家の造りはたしかだから、もう少し風通しを良くしてはどうかな、姫様」
「それは名案。流石はてゐね。気が利くわ」
三日後、里から戻って来た藤原妹紅は、もの凄まじく荒れ果てた我が家を見て、驚き呆れて魂が抜け出てしまいました。
「せ、せっかく……慧音と一緒に大掃除したのに……」
翌日、鬼の形相で殺しに来る藤原妹紅を見て、姫様は大喜びをいたしまして、貧乏神様のご利益があったことに感謝して死にました。
三
今日は節分の豆まきの日。輝夜姫は、この日を逃してはならないと、永遠亭の一同を引き連れて、幻想郷を練り歩きます。
しかし、はてさて。一体姫様は何処に行こうというのでしょうか。人里からも、竹林からも遠ざかって、どことも分からぬところへ向かって歩いております。
「ねぇねぇ、鈴仙。姫様は何処に行くのかな」
「さぁ、何処だろう? てゐも行き先、聞いてないの?」
「うん。私も聞いてないよ」
「それじゃ、師匠は知っているのかな」
「いいえ、私も知りませんよ」
「え! それじゃ、姫様はどこに行こうとしているのでしょうか……」
「別に、どこでもいいんじゃなくって?」
「そんなものでしょうか」
「そんなものかも知れないね」
「てゐは気楽ね」
「長く生きているからね」
そんなことを皆でお話しながら歩いていると、向こうのほうから、「おろろろ~ん、おろろろ~ん。」と、女の子の泣く声がします。
「おや、あれは誰かしら」
姫様がそう呟くと、すぐに永琳が答えます。
「あれは、萃香です」
「まぁ、博麗の巫女が飼っているペットの?」
「はい、ペットの鬼です」
「ペットなんですか……」
鈴仙の突っ込みはスルーして、お姫様とお師匠様はお話を続けます。
「ふむ。まぁ、何で泣いているのか事情は知らないけど、これは縁起が悪いわね。今日は節分だもの。福は~そと、鬼は~うちってね。よし。あの鬼を永遠亭に連れて帰りましょう」
「えぇ、確かに縁起が悪いですわ。節分に鬼を招き入れるなんて、これは不幸になれそうです」
そう言うと、永琳はサッと鬼のところへ行き、あれこれ話をして、彼女を連れて行列に戻って来ました。
「良くやったわ、永琳。褒めて遣わす」
「ははぁ。恐縮でございます」
「うんうん、この飴美味しいね」
「飴で鬼が釣られちゃうのか……」
「まぁ、そんなもんだよ、鈴仙」
そうして賑やかになった行列は、相変わらず行方も知れずぞろぞろと歩き回るのでありました。
それはさておき。
ここは幻想郷の中でも辺境にある山深い森。
そこにひっそりと暮らしております妖怪の親子がおりました。
「おっとう、おっとう。しっかりしておくれ」
「うぅ、おらはもうダメだ。太郎や、おっとうはもう長くねぇから、花子のことは、おめぇがしっかり守るんだぞ」
「いやだ、おっとう。そんな悲しいことを言わないで」
「ああ、花子や。おっかぁがお前さんを産んでから、もう5年経ったなぁ。おっかぁさんは、そりゃ大変なべっぴんさんじゃった。だからおっとうはもう、毎日毎日、一生懸命仕事さがんばって、帰って来て、おっかぁの顔を見ることだけが楽しみだったくらいだよ。
それが、産後の肥立ちが悪くてな。花子を産んだら、おっかさんは死んじまった。
でもな、おっとさんはすぐに分かった。
花子や、おまえさんは、おっかさんの生まれ変わりだ。きっと大きくなったら、おっかさんみたいなべっぴんさんになるに違いねぇ。だからきっと、将来は誠実で妖怪の良い旦那さんのところにお嫁へ行って、しあわせになるんだよ」
「あぁ、おっとうさん! おっとうさん」
「ふふ……おっとうさんは強い男だから、死ぬことなんてちっとも怖くねぇ。でも、花子の花嫁姿を見られなかったのは、残念……だな……」
「「おっとうさ~ん!!」」
ガラガラガラガラ、ピシャ!
玄関の引き戸が急に開いたと思ったその切羽、
「福は~そとぉ!」
掛け声とともに、一斉に大判小判が投げ放たれたのであります。
「な、何だこりゃ!」
あまりのことに、おっとさんもびっくりして跳ね上がります。
「鬼は~うちぃ!」
するとまた、ジャラララララっと大判小判が家の中に投げ込まれました。
「さぁ、みんな! この家にぜ~んぶ投げ入れてしまいなさい!」
そう指示を出すのは、輝夜姫です。
「さぁさぁ、鬼さんも一緒に! 福は~そとぉ! 鬼は~うちぃ!」
「福は~そとぉ! 鬼は~うちぃ! ハッハッハ、いいぞ~、これ。楽しいぞ~」
鬼さんは大変楽しそうで、満面の笑みで大判小判を家の中に投げ入れます。
あまりにも意外なことでしたから、おっとさんも太郎も花子も、ぽかぁんっとして呆れていますと、どうやらお金も尽きてしまったらしく、永遠亭の一同は帰って行きます。
あれは一体なんだったのかとか、このお金はどうしたものだろうかとか、そんなことは思う余裕もなく、ただただ唖然としていましたら、何だかおっとさんの悪い病気も何処かに飛んで行ってしまったようで、それからは嘘のように、すっかり元気になりました。
そうして三人はお金持ちになりましたが、元々親子三人で、仲良く平和に生きられたらそれで良いと思っておりましたから、余計なお金があってはかえって不幸の種になると思い、輝夜姫様の知らぬ間に、こっそりと永遠亭に忍び寄って、お金を全て倉に入れて戻してしまいました。
四
まずは何事も、お金があるから幸せなのだと気がついた姫様は、永遠亭の財産を浪費するための作戦会議を開くことにしました。
「月のイナバに地上のイナバ。賢者に鬼と、私が揃って話し合うなら、文殊の知恵どころじゃないわよね。今日は名案が出るに違いないわ。さぁ、どうやったらお金を使い切って、身を滅ぼすことができるかしら」
「あの、単純に、お金を何処かに捨ててしまったらどうでしょうか?」
「ダメよ、鈴仙。捨てても兎が拾ってくるだけだから」
「霊夢にあげたら喜ぶよ~」
「ダメよ鬼さん。折角縁起の悪い神社に、福の神が宿ってしまうわ」
「そうですね。素人が事業を起こすと大概失敗しますから、ベンチャーキャピタルをやればあっという間にお金がなくなりますよ」
「これぞ名案! やっぱり月の頭脳は、頼りになるわね!」
そうして姫様は、鬼に頼んで、新しい仕事を起こしたいけれども、お金のない人を萃めさせました。
「アタイね、お店を開くのが夢だったの!」
「へぇへぇ、どんなお店でございやしょう」
「アタイの店だから、アタイ屋!」
「いや、こりゃ結構。きっと失敗いたします。さぁさぁ、これだけお貸ししましょう。大判小判もざっくざくで、ひと山ふた山、さんの山。ろくの山まで、盛りやしょう」
「姫様、言葉遣いが卑しいですよ」
「分かってないわね、鈴仙。こういう卑しい言葉遣いをするからこそ、貧乏神様もお越しくださるというものよ」
「チルノ! アンタには絶対負けないからね! どちらがたくさんお金を稼ぐことができるか、勝負よ!」
「ん~、てゐ? お前さんはどう思うね?」
「チルノのライバル三妖精。三人寄っても、見込みがないよ」
「うん、合格! さぁさぁ、この調子でお金を貸しまくるわよ」
そうして意気込み、袖をまくって気炎を上げる姫様たちの前に、申し訳なさそうにやってくる女性がおりました。
「すまないが、話だけでも聞いてもらえないだろうか?」
「おや、これは寺子屋の先生。どうしたのですか?」
「あぁ、お医者様。聞いてください。寺子屋の財政が厳しいのです。私はどうにも経済が分からないから、困って困って仕方ありません。お金のことを考えると、それだけでなんだか気持ちが悪くなります」
「あらあら。それは大変良いことですね。私たちも見習わないと。さぁさぁ、どうぞお持ちください」
「あぁ、ありがとう! ありがとう! 何とお礼を言ったら良いか分からないよ」
「お礼を言われちゃ縁起が悪ぃや。おい、お前さん。千両やるから、とっとと帰ってくれや」
「あぁ! 神様!」
「お祈りするなら、是非ともこの貧乏神様の像に向かってやってくださいな」
「うんうん、鈴仙も気が利くようになったもんだね」
「えへへへへへ……」
そうして幸先よくムダ金を使っておりますと、何やら金運の薄そうな男が寄ってまいりました。
「すまないが、僕にもお金を貸してくれないか?」
「おや、これは香霖堂の亭主さんじゃぁ、ありゃしませんか。金を貸すにゃ、かまわねぇが、お宅さんの店は、一体全体、商いが、いかほどありやすかね」
「商いも何も、赤字だよ。僕が半分妖怪じゃなかったら、飢えて死んでいるくらいだ」
「そいつは結構な話でさぁ! いやぁ、あやかりたいねぇ」
「実はこのあたりで心機一転して、事業を拡大して、もっと真面目に商売をしようと思ってね」
「姫様。これは典型的な失敗のパターンですよ」
「よぉし! 持ってけ泥棒! ハハハハハ……」
気分上々、姫様は用意した限りの千両箱を明け渡し、晴朗な笑い声をあげて帰って行ったのでありました。
五
それから一か月。姫様はすっかり生き帰った心地で、毎日アルコール中毒で死ぬまでお酒を呑む生活を送っておりました。
「いやぁ、今日も不幸でお酒がうまい! 死ぬために呑み、呑むために死ぬ。そんな名言が、どっかにあったっけ」
「ちょっと違いますよ。食べるために吐き、吐くために食べる。古代ローマの風刺ですわ」
「同じようなものよ、永琳。しかし、みんなのおかげで、財産があっという間にとけたわね! 倉にいっぱいあった千両箱が、もうすっかりなくなったわ。あとは毎日、酒を呑みながら事業失敗の朗報を聞くばかり」
「姫様! 姫様! 大変です!」
「どうしたの、鈴仙。そんなに慌てて。貧乏神様が驚かれるわよ? もっとゆっくりしてちょうだい」
「あ、はい。ごめんなさい」
「うんうん、分かれば宜しい」
「って、それどころじゃないんです! 実は、香霖堂なんですけど、新しく経営コンサルティングの仕事を始めたらしくて、そこにお金を貸した人たちがこぞって通っているんです!」
「へぇ! それは悪い知らせね! きっと、みんな大失敗するに違いないわ」
「そ、それが! 経営コンサルティングの担当者が、霖乃助さんじゃなくって、咲夜さんらしいんです!」
「え? 咲夜って、紅魔館の従者の? なんで?」
「そ、それが……近々お二人は結婚されるそうで、今回の事業拡大も、結婚に際してのことらしいです」
「えぇ! な、なんてこと……あんなまともな人間がコンサルタントをしたんじゃ……下手したらみんなビジネスが成功しちゃうじゃないの!」
「しかも、香霖堂は今度から、人里と妖怪の山にもお店を構えて、妖怪と人間の仲立ちとして広く交易をしていくつもりらしいです。あと、スキマ妖怪と協力して、外の世界の商品も揃えるとか……」
「き、聞いただけでも成功しそうなビジネスじゃないの……あぁ、貧乏神様!」
その後、貸したお金は五倍になって返って来ました。
絶望した姫様は首を吊って生き帰りました。
六
「姫様姫様! 聞いてください!」
「どうしたの鈴仙。そんなに慌てて。また誰かお金を返しに来たの? もうそんな話は聞きたくないわ」
「違うんですよ、姫様! 私、どうしたらお金がなくなって破産するか、色々と勉強したんですけど、やっぱり花魁さんとにゃんにゃんするに如くものはなしです!」
「そ、そっか! その手があったか! 傾城買いとも、呼ばれるだけあるものね。ふふふ、よし! いっちょ、青楼の遊びと、志しますか!」
「はい!」
その翌日。白玉楼を舞台にして、城を落とさんと意気込んで、幻想郷中の美少女たちを寄せ萃めて、にゃんにゃんパーティーと洒落込みました。
「はい、魔理沙さん。これを付けてくださいね」
「ん? なんだこれ?」
「猫耳ですよ。今日は、にゃんにゃんパーティーですからね」
「へぇ、なるほどね。どうだ? 似合ってるか?」
「えぇ、かわいいですよ」
「お前も似合ってるぜ、鈴仙」
「いつものウサ耳と違って、なんだか落ち着かないですけどね」
「しかし、ずいぶんとたくさんの猫がいるんだな。あっちもこっちも、猫だらけだ。いったい、どこから連れてきたんだ?」
「マヨヒガから連れて来たんですよ。どの子も人懐っこくて、かわいいです」
「うん。なんか、さっきから歩くと足元に寄ってきて、すりすりしてくるから、歩き難くて困るくらいだぜ」
「ハハハハ……でも、この子達、みんな元々は、捨て猫だったんですよ」
「へぇ、そうなのか?」
「えぇ。外の世界では、捨て猫の多さが社会問題になっているらしくて、毎年たくさんの猫さんたちが殺処分されているらしいのです。それを藍さんから聞いた橙ちゃんが、一念、紫さんを拝み倒して、受け入れることにしたのだそうです」
「へぇ、そうだったのか……それは、感心だなぁ」
「でも、こんな数の猫さんたちを飼うなんて、とてもじゃないけど無理な話ですよ。だから、里親を探しているらしいのですが……」
そうして魔理沙と鈴仙が見る先には、必死に里親を探す橙の姿があるのでした。
「どうですか! アリスさん! この子、大人しくていい子ですよ! 三毛猫で、かわいいでしょう? ちゃんと去勢手術もしてありますから! 予防接種だって!」
「う~ん、そうね。猫ちゃんも飼いたいけど、うちには先住の上海や蓬莱。他にも沢山人形がいるから……」
「あ~、そっかぁ。もう、先住さんがいるんですね……」
「そうなの。ごめんね」
「いえ、それじゃ仕方ないです!」
肩を落としたのは束の間で、気を取り直して次へとすぐに声をかける橙の姿を見て、魔理沙も鈴仙も胸が熱くなるのを覚えた。
「……頑張ってるな」
「はい、頑張ってます」
「いいな、こうやって、頑張ってる奴がいるって」
「励まされますね。私も、姫様がご不幸あらせられるように頑張らなきゃ!!」
「相変わらず変な連中だぜ……おや、あの黒猫。ふぅん、なかなか良い面してるな。あれなら、ツチノコに負けたりしないでやっていけそうだぜ」
そう言うと魔理沙は、橙のそばへと駆け寄りました。
「おい、橙。ちょっといいか」
「あ、魔理沙さん! どうです、魔法使いのお供に、猫さんは一匹どうですか? カッコイイですよ! ナウでハイカラですよ!」
「難しい言葉を知ってるんだな、橙」
「はい! 紫様に教わりました!」
「そ、そっか。それは良いとして、そうだなぁ……それじゃ、あの樹の上でムスッとしてる、いかにもふてぶてしくて不吉そうな猫とか、どうだ」
「え! あ、あの子はダメですよ。どの猫たちも怖がって近づかないくらいなんです」
「へぇ。オスか?」
「はい、オスです」
「名前は?」
「それが、分からないんです。気難しくって、教えてくれなくって」
「なるほど、そうか。ふふふ。ちょうど家にも先住がいるからな。それっくらいふてぶてしそうなのがちょうどいいぜ」
「そ、そうですか? でも、全然懐かないですよ?」
「なぁに。大丈夫さ。ちょっと待ってろ」
魔理沙はひょいっと軽やかに樹を登ると、猫に目線を合わせて語り掛けます。
「おい、お前。名前は何て言うんだ」
「キシャー!!」
「なるほど、『キシャー!!』っか。強そうだな」
そのとき、猫はサッと爪を立てて、魔理沙の頬を引っ掻きました。が、間一髪。魔理沙はギリギリで爪を避けます。
「ふむ。強そうじゃなくて、実際に強いって言いたいんだな。分かった。お前さんの自尊心を傷つけちまったことは謝るぜ」
「……」
「だがお前さん。何時までこんな、猫山の大将を気取っているつもりだい? この世界は広いぜ。まだまだ強い猫が、たくさんいるハズだ。猫だけじゃないぜ。蛇や犬、鳥なんかにも、名立たる手誰がどれだけもいる。それが何時までも、こんなところで燻っていて、ただ老いて死ぬだけってのかい? そいつは勿体無いぜ」
「……」
「どうだい? 私と一緒に来ないかい? 私と一緒に来て、天下を取ろうぜ」
猫はおもむろに立ち上がると、力強く跳ね上がり、魔理沙の肩に飛び移りました。
「お? へへへ。そうかい。気に入ってくれたか。ようし。それじゃ、ちょっくら空の散歩と行こうか」
そうして、魔理沙は箒を魔法で呼び寄せると、そのままぎゅいっと空へと飛びあがりました。並の猫ならば、腰を抜かしてしまうところですが、この雄猫は僅かにも心を乱すことなく、平然と魔理沙の肩に乗って、眼下に諸衆を見下ろすのであります。その瞳の奥には、燦々と輝く野心が潜んでいることを、果たしてどれほどの猫が知るところでありましたでしょうか。
(次におれが帰って来るときは……天下一番の猫になったときさ)
そんな雄猫の決意を、少なくとも見上げる橙ばかりは理解して、心の中で、この雄猫の新しい門出を祝福いたします。
(ようし、私も負けないぞ。頑張って里親をたくさん見つけて、すべての猫を幸せにしてあげるんだ)
元気百倍した橙は、早速猫を抱きかかえて遊んでいる、地底の主のところへと向かうのでありました。
七
「いやぁ、この前の傾城買いは、最高だったわね。鈴仙」
「はい、ねこさんたち、かわいかったです」
「黒猫の、特に病弱そうでしかも幼いのを四九匹もらって来たから、大変縁起も悪くなったわね。白玉楼を貸しきるのに、宴席の準備をするのに、遊女を集めるのに、大分お金もかかったから、倉も少しは風通しが良くなったわ。それに、巨大なキャットハウスを建てるのに、一万両ほど寄贈したから、いやぁ、傾城買いが身を滅ぼすってのは本当ね。ハハハハハハ……」
「お~い、かぐや~」
「この間の抜けた声は萃香ね。鬼が来るとは縁起が悪いわ。歓迎してあげなくちゃね。な~に、すいか~?」
「お~。これ、紫から、かぐやに渡してくれって」
「ふぅん? 何かしら」
「橙からだってさ」
「あぁ、あの猫を用意してくれた子ね。お礼かしらね。何々、手紙と、これは……首輪? あぁ、猫のね。気が利くわね」
「何て書いてありますか?」
「ちょっと待ちなさいね。え~っと」
拝啓
蓬莱山輝夜様
先日は、素晴らしいチャリティーイベントを開いていただき、ありがとうございます。蓬莱山様のお陰で、多くの捨て猫たちが、新しい飼い主を見つけることができました。みんな、これからの生活に胸をときめかせて、巣立って行きました。本当に、私のもとに来たときは、あんなに怯えきって、絶望していたのがウソみたいに! 私は、あの子達の、あの嬉しそうな鳴き声を聞いたときに、自分が何のために生まれてきたのか、その理由を見つけたような気がしました。本当に、本当にありがとうございます。
そうして、まさか一万両も、私の活動のために寄付をしてくださるなんて! 月並みな言葉ですけど、心から感謝します。本当に、本当にありがとうございます。私、きっと蓬莱山様のお気持ちに応えることができるように、精一杯頑張りますね。
最後に、きっと、蓬莱山様に良いことがありますようにとの祈りを込めて、紫様と藍様とレミリアさんと霊夢さんと白蓮さんにお願いして作りました、災厄万難、悉く払い除け、幸運千倍、ご利益の確かなお守りといたしまして、家内安全間違いなし。幸運の猫の首輪を四九つと、キャットフードを一粒入れると、お皿一杯に増えます、マヨヒガの不思議な餌皿を贈呈いたします。
蓬莱山様と猫たちの、末永い幸せを、お祈り申し上げます。
八雲 橙
橙の手紙を読むや、輝夜姫は顔面蒼白にしてがっくりとうなだれました。
「うわぁ……なんてことなの。こ、こんな気持ちのこもった贈り物を貰ってしまっては、使ってあげないわけにもいかないわ。でも、でも……」
「う~ん。これは、ご利益がありそうですね」
「ん? 八雲橙? そうか、橙のやつ、八雲の姓を名乗っても良くなったのか。成長したものだなぁ」
「え? 八雲さんのところの式ですよね、橙ちゃんって。だったら、普通に八雲橙じゃないですか? 今までは、違ったんですか?」
「うん。まだ半人前だったし、八雲の姓は名乗っちゃいけなかったんだよ」
「そっかぁ。出世? したんですね」
「橙のことを小さい頃から知っている身としては、何だか感慨深いね……」
そうして、己の因果を恨み袖を濡らして泣き腫らす姫様を尻目に、鈴仙と萃香は、猫にキャットフードをやりながら、談笑して過ごしました。
「あ、すごいこれ。本当に、キャットフードがドンドン増える」
「マヨヒガの家財は、どれもこれもこんな感じだよ」
「不思議で便利ですね」
八
「さぁ、米を買い集めなさい。商人の言い値で、次から次へと持ってらっしゃい」
「姫様、今度は何をするおつもりですか?」
「ふふふふ、私がどうしても幸せになる因果というなら、きっと米を買い集めれば、酷い凶作になって、米価は高騰するに違いないわ。そこを逆手にとって、米を安値で売り払うのよ。そうすれば、きっと差額で大損するわ」
「なるほど。幸福になる因果に逆らうのではなくて、むしろそこを逆手に取るわけですね」
「そうよ、鈴仙。さぁ、分かったら、ドンドン米を買ってらっしゃい」
ところが、その年は稀に見る大豊作で、米価は全然上がることがなく、倉の中は俵で一杯の有様です。
「ふむ。まぁ、別に、これはこれで構わないわね。ただ、米がこのままだと、古米になって、死蔵して、遂には食べられなくなってしまうわ。それは流石に、もったいないわね」
「それだったら、お酒でも造りませんか? たまには、月の酒を飲むのも良いものですよ。師匠なら、お酒だって作れるに違いありません」
「なるほど、そうね。私も久しぶりに飲みたくなったわ。それじゃ、永琳。月の酒造技術で、とびっきりのお酒を造りなさい」
これが永遠亭の銘酒「月の光」が誕生するに至った経緯であります。
現在、「月の光」は、多くの人間・妖怪・妖精の憧れの酒として、知らぬものはないほどで、その限られた販売期間である元旦と展覧会には、幻想郷中から「月の光」を買い求めて大変な行列ができるほどです。
「う~ん、思わず儲けになってしまったけど、まぁ、美味しいからいっかなぁ」
「月の酒造技術に鬼の技術もあわせたら、もっと美味しいのができるんじゃないか?」
「なるほど……それは妙案ね、萃香!」
こうして、抜群の透明感に程好い辛口、吟醸香の高らかさで冷酒に最適な「月の光」に加え、透明感はそのままに・燗をして美味しい・甘みの強い「酔月」が誕生することになりまして、こちらは一年を通じて販売しておりますから、是非とも竹林に起こしになった際は、お土産に御一つお買い求めくださいませ。
現在、「月の光」を日常的にもっと楽しみたいという、多くの方々のご要望にお応えするために、「月の光」のレギュラー酒として、「兎后の月」(うごのつき)を鋭意開発中であります。
こちらは、香霖堂様への専売とさせていただきますので、発売となりましたら、是非ともお近くの香霖堂にて、お問い合わせくださいませ。
酒蔵 月の郷 杜氏 八意永琳
九
てゐ:「さぁ、半か丁か!」
輝夜:「丁よ!」
博徒一:「半!」
博徒二:「半!」
博徒三:「半!」
博徒四:「半!」
博徒五:「半!」
てゐ:「丁方いねぇか!」
一同:「……」
輝夜:「いや、だからさ! あんた達さ! わざとやってるわけ? さっきから、何でみんな、雁首そろえて半だ丁だって、私と違う方ばかり、張りが偏りすぎでしょう!」
博徒一:「そんなこと言われたって、半だと思ったから半に張ったんだ。文句言われる筋合いわねぇやい」
博徒二:「そうだそうだ! おい、そんなことより、とっとと開けねぇか」
てゐ:「……丁です」
輝夜:「ほら! やっぱり丁じゃない!」
博徒三:「かぁ~、またか! 何だコイツは、いかさまじゃねぇか」
輝夜:「ふぅ……これじゃ埒が明かないわ。よし、こうしましょう! 半にも丁にも賭けてよし。あたれば三倍返しでいいわ。さぁ、これで張った張った!」
博徒一同:「丁!」
輝夜:「あんた達、私の話を聞いてたわけ!」
博徒四:「半にも丁にも張れってか? そんな面白くねぇ勝負、おりゃ勘弁だ」
博徒五:「そうだそうだ!」
十
好きな四桁の数字を書いて、あたれば万倍のくじをやれば、流石に一人は知恵者があって、損をするに違いないと思い付きました姫様は、さっそく宝くじを企画し、販売いたしましたが、十万口もくじが売れて、一等はおろか二等三等、五等に入る当りが1つもなければ、銭は倉に入りきらず、小金山が庭に出来るほどの大商いでございます。
「博徒が意固地で偏屈なのは仕方ないけど、まさか一人として儲け話に気がつかないとは、人間も妖怪も、脳味噌はまるで妖精と変わらないわね……」
呆れるのを通り越して、なんだか悲しくさえなってきた輝夜姫。泣くにも泣けず、悲観に暮れる姫をそばで慰めるのは八意永琳。
「それにしたって、当たりくじの一つくらいは出ても良さそうなものですけどね。こうまで思うままにならないのは、どうしたことでしょうかね。姫様のご心境、お察し申し上げます」
十一
「ふふふ、全く金持ちは無防備でいけないわね。庭先に小金を積み上げるなんて、泥棒に入ってくださいって言っているようなものじゃないの」
「全くね、サニー。しかも、私たち三妖精の能力があれば、決して盗みがばれることはないわ」
「そうよ、ルナ。人生ってのは分からないものね。商売で失敗して、借金ばかりが残ってどうしようかと悩んだからこそ、チルノの成功から学んで、能力を活かした仕事をすることにしたのだもの。しかしチルノ、考えたわね。氷屋さんとは……妙案ね! きっと大妖精の入れ知恵に違いないわ!
でも、今考えてみれば、私たちの天職は泥棒より他にないのは明らかよね。音もなく、姿も見えず、見張りの場所はお見通し。これで失敗するわけがないわ」
「間違いないわ、スター。しかも幻想郷の人間は、警戒心が微塵もないもの」
そうしてしばし三妖精は、盗人家業に勤しむ勤しむ。
「ふわぁ……ちょっと眠くなって来たかも」
「ん……実は私も。御夕飯、食べすぎたかな?」
「ちょっと、サニーもルナも、気がゆるんでるよ? 二人ともしっかりしてよね」
「「うん。分かってる分かってる」」
しかし、眠気は我慢できても、宵のおかしな頭の働きは御し難く、思考はおぼえず明後日に向かいます。
「……ねぇ、ふと思ったんだけど、一度だけでも良いから、こう、お金の山にダイブしてみたいと思わない?」
「何よ唐突に。このとおり、お金なんてたっくさん手に入れたんだから、これでもう充分……いえ、そうね。実はね、スター。私もその気持ち分かるんだ」
「あれ、ルナも? 私もそう思ってたところなのよ」
どうやら三妖精は一致して、黄金と宵闇に魅了されたご様子です。
「……やってみない?」
「……やってみようか?」
「よ~し! そうと決まれば、ホラ! ざぶ~ん!」
「ざぶ~ん!」
「うわ、ナニコレ! う、埋もれる!」
「お、重いよこれ! しかも崩れてきて、息が!」
「うわぁぁぁぁぁぁ!」
………
……
…
ピチューン!!
………
……
…
チュンチュン! チュンチュン!
「ふわぁぁぁ、よく寝たわ。あら? 黄金山が崩れているわ。どうしちゃったのかしらね。鈴仙」
「あんまり高く積み過ぎたのでしょうか? やっぱり、倉を作って、しまっておかなくてはいけませんよ」
「う~ん、放っておけば、誰か泥棒に入ってくれると思ってたのだけどね。どうにも、幻想郷の人たちは、欲がなくって困るわね」
十二
輝夜姫は以前の成功を反省し、利益を求めない事業に対してのみ出資をすると決めて、再度ベンチャーキャピタルを行うことにしました。
「あの、私、最近外の世界から来た人間なので、誰も保証人がいないですし、担保もないんですが、やっぱりそれじゃ、お金を貸していただけないのでしょうか?」
「いえいえ、全く事業次第です。どんな事業を、計画されていますか」
「幻想郷の妖精さんたちに、お勉強を教えてあげようと思って」
「へぇ、それは面白いですね」
「なにぶん、妖精ですから、楽しみながら学べるように配慮しなくっちゃなりません。ですから、お勉強ばかりじゃなくって、遊びも所々取り入れながらということになります」
「何と! 遊びを取り入れるのですか!」
「やっぱり、ダメですか? でも、私は思うのですが、学を修めるということは、学ぶことを楽しいと思えるようになることなのです。そうして学校で修めるべき学は、お話をしたり、運動をしたり、お勉強をしたりすることだと思うのです」
「いえいえ、斬新で良いと思います。しかも妖精相手ですね。うん、どうでしょうか、姫様。あまり見込みがなさそうですよ」
「大いに結構。融資なさい」
「あぁ! ありがとうございます! やったね、メリー♪」
「うん、やったね! 蓮子! これで、学校が作れるよ☆」
「お次でお待ちの方」
「私です」
「おや、地底の主ね。これは珍しいわ。どうしたのかしら?」
「実はついこの間のことなんだけど、地底の妖怪たちが、たまには地上に出たいということで私のところまで懇願に来たの。でも、それには地上の妖怪たちから許しを貰わなくてはなりませんし、地上に出て来て旅行するには、沢山お金も必要になります。そこで、名士として名高い蓬莱山輝夜様のお力添えをいただけないかと思い至った次第であります」
「なるほど。ところで、その旅行には、どのくらいのお金が必要になるかしら?」
「色々とこういうことにはお金がかかりますから、大体このくらい。誰もかれも地上を空気を吸いたいとうるさくて、希望する妖怪も千から数えますので」
「まぁ! これなら、倉が五つは空になるわね。えぇ、良いわ。私が何とかしてあげるから、安心して頂戴」
「あぁ! 輝夜様! 何てお優しい方でしょうか! 貴方様はきっと、阿弥陀如来の生まれ変わりでございます。いえいえ、そんなご謙遜なさらず。これほどに偉大な御方でありながら、なんという陰徳でしょうか。私は感動いたしました。涙が出て来ました。いえいえ、そんな、私には分かります! あなたは全くの無欲でいらっしゃる。このご恩は地底の民一同、決して忘れません」
「私は何も言ってないのに、独り言をして、勝手に満足して帰るのだから、本当に地底の主は、噂以上の変り種だわ。ぶつぶつ……」
「あのう、姫様」
「ん? 何? 鈴仙」
「実は私も、お金を貸して欲しいのですけど……」
「あら? それなら、いくらでも持って行って良いわよ。でも、一体何をするつもりなの?」
「僭越ですが、師匠の下から独立して、里で開業しようかと思いまして。もちろん、子供年寄りからは御代を取りませんから、ずっと赤字続きでやるつもりです。師匠からもお許しをいただいています」
「それは良いわね。医は仁とも言うくらいだから、きっと滅私奉公で、貧しい生活になると思うわ」
「貧乏神様の縁起が悪い縦看板を大いに掲げて開業いたします。そうして場所は、暮らしにくくて土地が安い、乞食の多いところで開業します。ナメクジ長屋というところなどは、まっとうな人はいないと噂の悪い場所で、目をつけているところです」
「なんとも孝行な鈴仙イナバ。月のイナバの鑑だわ。是非ともそうしてちょうだいな」
十三
地底の民のために、あれこれと奔走した輝夜姫と永琳は、その甲斐があって、千両箱でひき詰められておりました倉も、五つほどからになりまして、ようやく少しは財産が減ったと、安堵の溜息。
「ふぅ、永琳。こうやって、穏やかな気持ちでお茶を飲めるのも、久しぶりね」
「そうね、輝夜。毎日毎日、どうやってお金を減らすかに苦心して、生きた心地がしなかったものね」
「もうこんなに、苦労するのも、嫌になってきちゃったわ」
「そう弱気にならないでください。一念発起して、為せぬことはございませんから」
そうして二人談笑していると、遠くから景気の良い掛け声が木魂してきます。
「あら、何か聞こえるわ。どうしたのかしらね、永琳」
「そうですわね。竹林でこんな騒ぎ。珍しいことだわ」
さてさて、次第に声も明らかになりますと、輝夜姫も永琳も顔を青ざめて目を見合わせました。
「かぐや~さまの~、ご恩に報いる~、ために~ほら」
「地下の~、財宝~、地上にゃ~ないもの、月にも~なさそなものを~、さぁ、ほいさ」
「鬼を~頭に~、力~自慢のあやかしたちが~、車を~曳いて~、まいり~そうろ~」
そう、地底の妖怪たちが、こぞって輝夜姫にご恩返しをするために集ってきたのです。
「あわわわ! 何の因果かしら。助けてあげた地底の妖怪たちが、どうしてこうやって、私に仇をなすのかしら。あぁ、やめて! 持ってこないで! そういう、お金になりそうなものは!」
「世の中は、本当に思うままにならないわね。月の頭脳の面目がないですわ」
十四
この日は鬼の萃香がやって来て、永琳と輝夜姫の三人で、まったりとお茶をしながら歓談しておりました。
「生まれ持っての因果というのが、これほど強いとは思わなかったわ。何をしても、全然不幸にはなれないのだもの」
「そっかぁ。それは大変だね~」
「こればっかりは、私の知恵も役に立ちません。誠に、申し訳がない限りです」
「はぁ、嫌だ嫌だ。どうにかして萃香、不幸を集めてくれないかしら?」
「輝夜の頼みなら、仕方ないから、私も一肌脱ごうかな」
そう萃香が約束してからしばし、永遠亭を訪れる者が二人おりました。
「だからあんた、いい加減泣きやみさないよ。こっちまで気が滅入るじゃないの」
「うう、そう言われても、悲しいものは悲しいのです。いよいよ、聖まで怒らせてしまって」
「……私だって、泣きたいくらいよ。はぁ……なんだろう。何があっても、衣玖だけは私の味方だと思ってたのにな……」
この二人は、命蓮寺の寅丸星と、天人の比那名居天子です。
寅丸星は、眠っていたところを起こしに来てくれた、ナズーリンの飼いネズミを寝ぼけて食べてしまい、その咎で命蓮寺を勘当されてしまい、行き場がないのでふらふらと歩き回っておりましたところ、同じように行き場がなくて困っておりました比那名居天子と出会ったのであります。
比那名居天子は、あまりにも自分勝手が過ぎるものですから、父親から勘当されてしまい、仕方なくいつも腐れ縁で良くしてくれる永江衣玖のところへ居場所を求めて行ったのですが、彼女にも冷たくされてしまい、どこにも行くところがなくて困っていたのであります。
そうして、似たような境遇の二人が出会うと、何となく、竹林のほうへと足が向いて、遂に永遠亭に到着したというわけであります。
「泣きっ面とは、縁起が悪いわね」
「でも、天人に毘沙門天の弟子……運気と黄金律はすごく良いよ?」
「ええ。そうですね。ですからお二人には、早々にお帰りいただくべきかと思います」
「そう? それなら、仕方ないわね。まぁ、帰ってもらうにしても、お茶の一つも出してあげて、話を聞いてあげて、少しくらいは力になってあげましょうか。さぁさぁ、早く準備して」
「はい、ただいま用意いたします」
そうして、寅丸星と比那名居天子は、己が身の上を洗い浚い話しまして、どうしたものかと溜息を吐いて肩を落とす次第であります。それを見ると、哀れがひどく募ってまいりまして、姫様もどうにかしてあげたくなってまいりました。
「世の中はどうにも、ままならないことが多いようね。私も天命が意に沿わなくて、悪戦苦闘しているから、貴方たちを他人事として放ってはおけない気持ちになるわ」
「それでは、お二人にはしばらく、永遠亭に留まっていただくことにいたしますか?」
「そうね。でも、あんまり長くいられると、運気が良くなって困るわ。だから、何とか骨を折って、少しでも早くもとの居場所に帰してあげましょう」
そうして、輝夜姫と永琳は、あれこれと人に手紙を出し、頭を下げ、二人のために惜しみなく働きました。その二人の献身に、すっかり感動した星と天子は、己の不徳を深く恥じました。そうして、心機一転いたしますれば、全く別人のようになって、不思議な品性を感じる、立派な人物になりました。
素直な人は、歯車のかみ合わせが悪いときには、悪く悪くなっていってしまいますが、巡り合わせが良い場合には、善が善を呼ぶのだそうですが、この二人は全くそういう、素直な人なのでありましょう。あるいは、輝夜姫もまた、そういう素直な人なのかもしれません。
十五
幻想郷中に知らぬ人がいない高徳の輝夜姫が仲裁人となれば、大事な家来を喰われたナズーリンも、はらわたいっぱいの怒りを抑えて、会うだけは会おうと納得いたしました。
「ナズーリン。本当にごめんなさい。うっかりで済むことじゃないですよね。反省しています」
「小太郎は、本当に頼れる、良いネズミでした」
「はい……謝って済む問題ではないと分かってます」
「じゃぁ、何でこうやって戻ってきたんだ?」
「しっかりと謝ることもせず、供養することもせず、中途半端にして、逃げているのが一番良くないと思ったからです。あなたがどうしてもと言うのでしたら、私はもう、金輪際命蓮寺には近づきません。ですがどうかせめて、小太郎のために、念仏だけでも唱えさせていただけないでしょうか」
「ほら、こう言っていることだし。ね? 許してあげてよ。私のためだと思ってさ。ホント、このとおり! コイツがいると、何をやっても、お金が増えて困るのよ!」
「私からも、お願いいたします。我々は皆、不完全なものです。過ちはあるものです。それを咎めることもまた、同じ過ちにございます」
「どうかしら、ナズーリン。星もこの通り、深く反省しているようだし、輝夜様や慧音さんも、このように星のために頭を下げてくださっているわ」
「……皆さんがそうまで言うなら、私だって、やっぱりご主人と一緒が良いですし」
「ナズー! また、私のことをご主人と呼んでくださるのですか!」
「……もう、うっかりは止めてくださいよ。つうか、食べちゃったってうっかり超えてる気がするんですけどね。あと、無くし物して恥ずかしいから皆にはナイショだとか、気持ちは分かるりますけど、何か私が情けなくなるから、そういうくだらない隠し事も無しですからね」
「ハイ!」
そうして、命蓮寺に戻ることになった寅丸星ですが、しかしその前に、もう一悶着。輝夜姫が抗議しております。
「ちょっとアンタ! せめて自分で稼いだ分くらいは持って帰りなさいよ」
「いえいえ、その財宝は、せめてものお礼ですから、受け取ってください」
「ちょ~、迷惑だっての! ツベコベ言わず、持って行けって」
「あぁ! 輝夜さんは、本当に尊いお方です。生き仏です。これほどまでに無欲であらせられて。ありがたやありがたや」
「コイツ、話にならないわ……そうだ! ちょっと、貴方! 聖さん! これ、寄進するから、受け取りなさい。使い道何ていくらでもあるでしょ?」
「しかしこれは、星がお世話になったお礼ですから……」
「いいから持って行けって!」
「しかし……」
聖と輝夜姫。おいそれとどちらも引っ込みがつきません。
「ちょっといいですか? 白蓮殿、これは受け取っておくべきですよ。輝夜姫は、大変徳の深いお方で、ご自身の功績をできるかぎり面に出ないようにつとめておられるのです。また、今回、輝夜姫が寅丸殿のために尽力されたのは、富のためでも、名誉のためでもありません。ただ、寅丸殿の境遇を哀れまれてのことです。今、こうしてお礼を受け取ってしまえば、どうなるでしょうか? 大切な気持ちが、お金に代わるものであるということを、示すことになりはしませんでしょうか? 輝夜姫は、それを恐れているのです」
聖「何と深いご配慮でしょうか。まさしく、輝夜姫こそ、生き仏でございます。ありがたやありがたや」
それから毎日、決して欠かすことなく、星は輝夜姫の御威徳を讃えて念仏を唱えるのでありました。
また、命蓮寺の裏手にあります崖を自力で削り、大変大きな輝夜観音像を造りまして、以降は命蓮寺一門、毎日その観音像を拝み申し上げました。すると、それを見ていた里の人間たちもまた、一緒にありがたがって敬拝いたします。このことが地底にまで伝わりますと、地底の妖怪は、かつての恩がございますから、この観音像を大変ありがたがりまして、地上に出て参りましたときには、必ず命蓮寺を訪れ、百拝して後に帰るのが常になったとのことでありますが、それはまた、別の話であります。
十六
寅丸星の次は、比那名居天子です。
「ふぅ。何とか虎っ子は、片付いたわね。財宝もちゃんと持って帰せたし、ようやく一息つけるわ。あ、天人。あんたも、すぐに何とか帰れるようにしてあげるから、もうちょっと待ってなさいよ」
「ありがと、輝夜。ごめんね、迷惑かけて」
「別に、あんたたちがずっと居たんじゃ、うちだって困るからね。自分のためよ。お礼なんていらないわ」
輝夜姫はそう言いますが、天子は少しも信じません。
(そんなの、嘘だわ。だって、私たちが来てから、良いことはあっても、悪いことなんて一つもないもの。この前だって、星と弾幕で遊んでたら、何故か金銀の財宝が見つかったり、てゐと一緒に落とし穴を掘っていたら、温泉が湧き出たし。そうしてそれは、独り占めすることなく、みんなで分かち合うようにしなくちゃいけないんだって教えられた。私、すっかり感心しちゃった。
そうよ。きっと輝夜は、すごく良い人なんだわ。
この前の財宝は全部お寺に返しちゃうし、温泉は、湯治に使ったら良いって言って誰でも使えるように開放しちゃうし。自分のことよりも、他の人のことが大切だから、こうやって私にも優しくしてくれるに違いないわ。そうして、恩着せがましくないように、あれこれと憎まれ口を叩いたり、変な人であるかのように振舞ったりするのよ。輝夜は、そうじゃないって否定するけど、私には分かるわ。輝夜は、自分以外の人のことを思いやれる、優しい人なのよ。私には、ちゃんと分かるわ。
……そんな輝夜に比べると、私は本当に、自分勝手で、ダメな子だな。これじゃ、家から追い出されて、衣玖に見放されるのも、当然よね。反省、しなくっちゃ)
そう、天子が考えておりますと、輝夜姫は、疲れ切った様子でこう言いました。
「まぁ、それにしても今日はちょっと疲れたわ。一服したら、もう寝ることにするわ」
天子は、少し躊躇った後に、思い切ってこう言いました。
「あ、輝夜……あの、今日は、一緒に寝るのって、嫌かな?」
「ん? 別にいいけど。なんで?」
「ちょっと、お話したいことがあって」
「そう。まぁ、好きにしたらいいんじゃないの」
そうして、輝夜と天子は、一緒の部屋で寝ることにしました。
十七
「ねぇ、輝夜? 私、天界に帰らないでおこうかなって思うの」
「え? そうなの? ん~……まぁ、いいんじゃないの」
「そう思う?」
「うん」
「私なりに、よく考えてみたんだけどね。私、いつまでも天界にいるんじゃなくて、地上に降りて、色々と勉強して、もっと大人にならなくちゃいけないと思うんだ。私が自分勝手で、子供だったから、家族からも、衣玖からも見放されちゃったんだと思う。だから、これは良い機会だから、ちゃんと自分の悪いところを直そうと思って。輝夜は、どう思う?」
「……ん、あぁ。いいんじゃない?」
「でもね、だからといって、ここにずっと居たんじゃ、いけないと思うの。やっぱり、何か仕事をして、人の役に立って、はじめて大人になることができると思うから。天人だから、私はすごい力があるし、生活するのに苦労することはないわ。でも、そうやって、自分の才覚に頼って、独立して生きていることが、大人になるということじゃないと思う。人の輪の中で、自分の役割を見つけることができて、その役割を果たすことを通じて誰かに貢献できて、それが認められて、はじめて大人になったって、言えるんじゃないかな。そうして、そうやって大人になったら、きっとお父様たちも、私のことを認めてくれると思うの。どうかな?」
「……うん」
「でもね、私、ちゃんとやっていけるかな? それに、私って、結構嫌われ者だから、受け入れてくれる人がいるかな? 心配だな」
「……ん~、あぁ。大丈夫じゃない?」
「本当に?」
「大丈夫よ。私がいるんだし」
「!! そ、そうよね! 輝夜がいるから、大丈夫よね」
「そそ。じゃ、もう寝ましょう。今日は疲れたから、もう眠くて眠くて」
「そうね。ごめんね、輝夜。眠たいのにつき合わせて」
「ん~、気にしなくていいわよ。じゃ、おやすみ」
「おやすみ、輝夜」
そうして輝夜姫は、安らかな寝息を立てて眠る天子を横目に、一人思うのであります。
(そうよ。どうせ、どうあがいても、悪いようにはならないのが私の人生なんだもの。それならいっそのこと……まぁ、安心しなさい。私が、なんとでもしてあげるわよ)
そうして、輝夜姫も眠りにつくのでありました。
十八
朝餉の折、輝夜姫はお茶を飲みつつ、天子にこう語り掛けました。
「ところで、あんたの言ってた衣玖って、確か龍宮の使いだったっけ? アイツ、今はどこにいるの?」
天子は口に含んだお味噌汁を飲み込むと、ちょっとばかり考えて答えました。
「衣玖? 衣玖は今、水晶宮に帰っているよ」
「水晶宮? あぁ、深海にあるっていう、海の冥府ね。漢書の……なんだったかしらね。詳しく書いてあるのを覚えているわ。確か、海人たちの、お役所なのよね」
「うん。何か、しばらくは帰って来ないって行ってたわ」
「そっか……まぁ、おあつらえ向きね。永琳! ちょっと、スキマ妖怪を呼んで来てちょうだい」
「はい、かしこまりました。しかし、どうしてですか?」
「まぁ、考えがあってのことよ。さぁ、天人。今日は私に付き合ってもらうわよ」
「うん、何処に行くの? 輝夜?」
「人里よ、人里。あんたの居場所に、心当たりあるの」
「本当!」
「そ。本当。だから、ご飯食べたら、行くわよ」
「うん!」
十九
人里に着いた輝夜姫と天子は、一直線に寺子屋へと向かいました。
「お~い、もこ~! ハクタクいる~?」
「あぁ! お前! じゃなくて、輝夜! 何しに……来たんですか?」
「そんな丁寧な言葉使わなくていいから。まぁ、それより、ハクタクは?」
「えっと、慧音は今日、紅魔館に行ってる」
紅魔館とは、慮外なところ。輝夜姫は少し驚いて問い返します。
「え? 紅魔館? 接点とかなさそうなんだけど。なんで?」
「吸血鬼の妹に、勉強を教えてるんだ。あそこの家庭教師って、儲けになるからな」
吸血鬼の妹、それはつまり、紅魔館の主であるレミリア・スカーレットの妹として噂される人物のことです。たしか、名前はフランドール・スカーレットだったと思い出して、輝夜姫は了解し、二度三度と頷きました。
「そっか。……それにしても寺子屋、大きくなったわね」
「うん。古い民家を借り入れてたのも、すっかり新築して、キレイになった。机も椅子も、揃ったし。寺子屋に通わせてくれる親も増えて、おかげで私も、手伝いで大変だ。まぁ、手伝いっていうか、正直勉強は、ほとんど私が教えてるんだけどな」
「そうなの?」
「慧音の授業、すっごい不評でなぁ。私がやったほうが、うまく行くんだ」
「それは……ちょっとかわいそうね」
「まぁ、でも、吸血鬼には好評らしいけどな。慧音の授業。たぶん、慧音は、人里の先生よりも、名家の家庭教師をするのが、あってたんだと思うよ。言葉遣いとか、雰囲気とか、教養とか。何よりも、慧音の話は、庶民には興味がないことが多すぎるんだよね。立派なことを言ってるんだけど、皆はそういう話を聞いて立派な人間になるよりも、毎日楽しく過ごしただけだし」
「なるほどね。まぁ、やっぱり、おあつらえ向きね」
「どういうことだい?」
「こっちの話。それより、単刀直入に言うけど、この子。アンタのところで、雇ってあげてちょうだい」
「本当にいきなりだなぁ。まぁ、人手は確かに欲しいけど……えっと、確か、天子っていったけっか? 天人の娘さんなんだよね」
そういう妹紅は、なんだか怪訝な表情です。それもそうでしょう。比那名居天子という名前からは、あまり良い噂を聞きません。傲慢不遜で、人を見下すとのことです。
天子はちょっと緊張した面持ちですが、しかし背筋をびしっと真っ直ぐにして、元気よく答えました。
「は、はい! 私、比那名居天子って言います! 宜しくお願いします!」
その様子に、妹紅は感心した様子です。
「へぇ、元気がいいんだね。なるほど、なるほど。これなら子供たちに馴染めそうだ。私は藤原妹紅。こちらこそ、宜しくお願いします」
「じゃ、採用ってことでいいかしら?」
「いいかしらって、そう決まりつけられても困るけどな。そもそも、あなた。どんな仕事をするか分かっているの?」
「えっと……子供たちに、勉強を教える仕事ですか?」
「いや、それは私がするからいいよ。どちらかというと、子供と一緒に遊んだり、雑用したり、そんな感じかな」
「分かりました! 私、何でもします。一生懸命頑張ります!」
明朗快活に答える天子を、妹紅はいたく気に入りました。
「天人ってのは、意外に真面目で素直なんだな。もっと、お高くとまって、付き合いにくい奴らかと思ってたよ。うん、アンタなら、文句ないよ。天子、でいいよな? 私は、妹紅でいいから」
「はい! これから宜しくお願いします!」
天子も自分が認められて、嬉しさのあまり自然と笑みがこぼれます。
なんだかこの二人は、うまくやっていけそうです。
「じゃ、これで一件落着ね。私、帰るから。ハクタクによろしくね~」
「おう。じゃ~な~」
「輝夜~! ありがと~ね~」
そうしていつまでも手を振っておさまらない天子を、苦笑いしながら手を振って返す輝夜姫の姿がございました。
二十
「あら、お帰りなさい、輝夜。スキマ妖怪、来てるわよ」
「こんにちは、輝夜姫。お久しぶりね。貴方のおかげで、幻想郷も大変住み良いところとなりました。ご高名は、妖怪の世界はおろか、冥界にまで遍く轟き渡っておりますわ」
「それはどうも。で、今日はそんなお世辞を聞きたいわけじゃなくってね。貴方に頼みがあって呼んだのよ」
「私が力になれることでしたら、何でもしますわ」
「外の世界と、スキマでつなげて欲しいの」
「まぁ! 外の世界にご興味がおありなのですか? 確かに、私の力をもってすれば、容易なことではありますが……見て楽しいものではありませんよ?」
「えぇ、そうらしいわね。でも、構わないわ。そもそも、私は物見遊山に外界へ出たいと思うのではないんだから」
「そうなのですか?」
「えぇ。私はただ、海に行きたいだけなのよ」
「なるほど。つまり、海へバカンスに行きたいということですね。そういうことでしたら、分かりました。確かに、少なくはなりましたが、外の世界にもまだ、美しき海の世界は残っております。水着や洋服、宿の手配も必要になりましょうから、それらもあわせて私がお世話いたします」
「いえ、その必要はないわ」
「あら? それはまた、どうしてですか?」
「私はね、海に潜って、潜って、潜って、深海にまで落ちるつもりなの」
「まぁ! なんてことを! そんな、どうして……」
「体にありったけの錘をつけて、浮いて上がれないようにしてしまって、入水すれば、きっと死ねるわ。生き返ろうったって、深海ではそうもいかないでしょう?」
「そんな……確かに、死は蓬莱人の念願かも知れません。ですから、貴方がどうしても望むというのでしたら、私も強いて止めることができないことです。ですけれども、どうか我々のことを慮って、ご再考願いませんでしょうか? 今や多くの幻想郷の民が、輝夜姫様の御威徳を慕い、心の支えとしております。幻想郷は、私にとって実の子のようなものであります。この幻想郷に住む、全ての存在を、可愛く思っている次第です。貴方がいなくなってしまえば、多くの民が悲しみます。それは、私にとっても、大変悲しいことです。何卒、何卒、ご再考くださいませ」
そうして、八雲紫は、膝を折り、深々と輝夜姫に懇願して申すのでありました。
その姿を見るに、八意永琳も感極まって、涙ながらに姫へ懇願し、再考を求めます。
すると、輝夜姫は、大変穏やかな様子で、こう仰いました。
「どうか二人とも、私を信じてちょうだい。私にも、考えがあってのことなのよ」
そう、輝夜姫に言われては、もう二人は何も申し上げる術がございませんから、ただただ、輝夜姫を信じ、その御心に沿うように、万事お尽くし申し上げる次第にございました。
二十一
輝夜姫は、その身に八つの重い金の石を結びつけ、準備万端、入水の準備を整えました。今生の別れを惜しみ、八意永琳も八雲紫も、涙が絶えません。
「まぁ、もし私が、本当に死ねることになったら……最後まで希望を失わなかったら、願いは叶うっていう、そういうことよ。これ、遺言にしておいて。じゃ、スキマ……いえ、紫。お願いできるかしら?」
「はい。全ては御心のままに」
そうして、輝夜姫は、海の底へと沈んで行きました。
二十二
輝夜姫が幻想郷よりいなくなったことは、瞬く間に広まり、半月後には、すべての幻想郷の民が、その在りし日を名残惜しんで溜息をつく次第となりました。一人、また一人と溜息をつきますと、なんだか幻想郷そのものが溜息をついているようです。
溜息をつくのは、なにも哀れな民草のみではありません。
幻想郷にあって、一つの勢力として認められるほどの主であっても、輝夜姫のことを思って溜息をつく毎日であります。
「最近、こころが溜息ばかりで。私もすっかり気がめいります。はぁ」
「私も、フランが溜息ばかりで。ハクタク先生も、フランの様子を心配して溜息をつかれていました。はぁ」
「そういうレミリアさん。あなたも溜息をつかれていますよ」
「そういうあなたも。溜息をついていましたわ」
「う~む。そうですか。太子として政をいたしておりましたときにも、溜息などはしませんでしたのに」
ここは紅魔館。春の日差しのうららかな時節に、ゆったりとくつろいで楽しむお茶の一時。色とりどりの西洋菓子に、野菜スティックやサンドイッチまで用意され、気の向くままに手を伸ばし、味を楽しむ貴族のたしなみは、その髄をイギリスのアフタヌーンティーに見ることができます。紅魔館のはまさにそれで、世の人はこの贅沢を涎を垂らしてうらやましがることでしょう。
それが、どうしたことでしょうか。まるで和やかな雰囲気はありません。華やかさもありません。ただ溜息ばかりの、鬱屈とした雰囲気があるばかりです。
「最近、こころになんというか、感情の起伏が乏しくなったというか、溜息ばかりでふさぎ込んでいるように見えて仕方がありません。はぁ」
「こころちゃんは最初から感情の起伏が乏しかったと思うのだけど……気のせいじゃないかしら? それよりも、うちのフランが、なんというか、感情の起伏が激しくなったというか、すぐに怒ったり落ち込んだりして安定しないように見えて仕方がないわ。はぁ」
「……フランちゃんは最初から、躁鬱の気が激しかったように思えるのですが。きっと、気のせいですよ。病は気からと言いますから。はぁ」
そんな溜息ばかりの二人を遠目に見て、首をかしげるのはフランドール・スカーレットと秦こころ。
「最近、お姉さまが溜息ばかりでおかしいの」
「あの人もそう。ずっと溜息ばかり」
「どうしたのかな?」
「輝夜姫がいなくなったから、らしい」
「ああ、輝夜姫ね。ハクタクも、この世の終わりってくらいに嘆いてたわ」
「大人は大変」
「そうね。お姉さまもあんなに溜息ばかりついて……空気の抜けた風船みたいになってるわ」
「うちのお姉ちゃんといっしょ。お姉ちゃんも、死にかけのナマケモノみたいになっちゃってた」
「あ、こいしちゃん。来てたんだ? ハロハロ~」
「ハロハロ~」
「はろはろ~」
どこからともなく現れたのは、古明地こいし。神出鬼没の彼女は、ぬっと現れたと思うと、サッといなくなる地底の妖怪です。地底の主をしている彼女は姉は、以前、輝夜姫に大恩を感じて心動かされたことがありました。その姉はきっと、こいしの言葉どおり、輝夜姫がいなくなってしまって、「死にかけのナマケモノ」同然に失意で満身創痍になっているに違いありません。
しかし、そんなことは彼女には関係ありません。いや、彼女たちと言うべきでしょう。黄金の小娘たちは、今日も仲良し三人組で集って、遊び惚ける算段です。
「ハクタクも、お姉さまも元気がないのは好都合カモ。こうやって三人で、仲良く遊べるんだからね」
こころもこいしも、頷きます。
「でも、少し物足りない」
こころがそうつぶやくと、こいしもまた、物足りないと感じているらしく付け足します。
「お姉ちゃんのお小言がないと、なんだか張り合いがなくって拍子抜けしちゃう。どこかに行くなら、一言行き場所くらい教えて言ってほしいって、何度も言ってるじゃな~い……って」
フランドールも思い当たる節があるようです。
「……そうだね。それもそうだね」
そうして少し、間があったのちに、三人は一緒に、「はぁ」っと溜息をつきました。
二十三
ここは深海の淵の淵。真っ暗闇の世界の中で、一つ際立って威厳を放つ宮廷があります。名は、水晶宮。冥府の宮で、司るのは偉大な龍神様です。そうして龍神様にお仕えするのは、人の形を持つに至った深海魚の妖怪たちでございまして、一般には海人と呼ばれております。
この水晶宮で最近、新しく龍神様にお仕えすることになった妖怪がおります。名前は永江衣玖。リュウグウノツカイの妖怪です。
しかしどうも、彼女は水晶宮に来てからというもの、溜息ばかりで気もそぞろなようで、仕事ぶりが不熱心だと、あまり評判がよくありません。
今日も今日とて、さっそく溜息がでてしまいます。
「はぁ……総領娘様、どうしているかしら? 忙しかったから、よそよそしくしちゃったけど、もっとしっかり、お話を聞いてあげるべきだったわ。でも、そうやって、甘くしちゃうから、いつまでたっても、大人になってくださらないのかな? とも思うし、やっぱり、少しは突き放すことも必要よね。あぁ、でも、総領娘様は、お友達がいな……少ないし、寂しい思いをされてないかしら。はぁ……心配だわ」
「あらあら、あなたはいつも上の空ね。そうして同じことばかり、何度も何度も独り言。いったいどうしたの? そんな様子では困ってよ。龍神様に申し訳がないでしょう?」
「あぁ、申し訳ありません。マッコウクジラの海人さん。今日もたいそう、お元気そうですね。見事な恰幅。羨ましいです。私はすっかりしょげてしまって、薄っぺらになってしまいました」
「いや、そうでもないのよ。それが、昨日丸呑みした魚の骨が喉に引っかかっちゃって、少しも元気じゃないのよ。顔が大きくて、目がぱっちりしてるものだから、そう見えるのかしら」
「あら、そうなのですか? それは失礼致しました。きっと、体が大きいから、いつも元気そうに見えるのですわ」
「そうね。貴方の三倍くらいは、大きな体をしているものね」
「ところで、何のお話でしたっけ?」
「さぁ、忘れてしまったわね」
「困りましたね」
「えぇ、本当に」
「「はぁ……困ったなぁ」」
そうして、海人二人で困っていると、ドシドシと勢いのある足音が聞こえて来ました。
「おや、この足音は、きっと深海に生息するオンデンザメの鮫人に違いないわ。何かしら、今日はいつになく陽気な感じね」
「あの人が陽気なのは、いつもどおりという気もしますけれども」
「そうだったかしら?」
「えぇ、そうですよ」
「そういわれると、いつもどおりな気がするわね」
「でも今日は、いつもより元気がいいですよ」
「やっぱりそうかしら?」
「えぇ、そうですよ」
そうして、二人で終わりそうにない会話をしておりますと、オンデンザメの鮫人は、大きな声で二人に話しかけます。
「おおい! 二人とも。えらいものを手に入れたぞ! う~む、重い! よっこらせ、よっこらせ。ふぅ。ようやく着いたぞ」
全身血まみれのオンデンザメの海人は、体に沢山の金塊を結びつけた、人間の女性を抱えており、その光景は大変異様でありますから、滅多に慌てたりしないマッコウクジラの海人も、永江衣玖も、すっかり驚き呆れてしまいました。
「あわわ、一体全体、どうしたというのですか?」
「いや、珍しく人間が落ちてきたものでな。大変美味しそうな匂いがしたから、食べたのだ」
「なるほど、それで全身血まみれなのですね」
「うむ。しかし、この人間は、実に便利な人間でな。半分は食べて、半分は仲間にお土産として持って行こうと思い、とりあえず上半身だけ食べたのだが、なんと気がつけば、上半身が再生しているのだ。おや? これはどういうことかと思い、最初は困惑したのだが、まぁ、そういうこともあるかと思い、また上半身を食べたのだ。すると、やはり元通り再生するではないか。いやぁ、なんとも有難い人間だ。結局、道中、何度も何度も食べてだな、まぁ、二十回くらいは食べたのではないかな? おかげで、お腹一杯さ。ハッハッハッハ……」
「おやまぁ。それはけったいな人間だわ。でも、私は生憎、人肉を食べないから」
「私も、人の肉は……おや? この人、どこかで見た覚えがある気が……あぁ! この人は、月人の蓬莱山輝夜さんですわ! まぁ、なんてこと! しかし、なんでこんなところに……」
「ほぉ、これがあの、阿弥陀如来の生まれ変わりと言われる、蓬莱山輝夜さんかね。へぇ、これはありがてぇ。阿弥陀如来の肉なんて、滅多に食べれるものじゃないからな」
「う~ん。見たところ、どうやら入水して、本当に仏様になろうとしたのかしら? こうやって、幾重にも錘をつけているところを見ると、そんなふうに思われるわ」
そうして、海人三人で話をしておりますと、輝夜姫も次第に意識を取り戻し始めます。
「う~ん、ここは?」
「おや、目を覚ましたよ。すごいなぁ。食っても食っても死にはしない。本当にこのお方は、阿弥陀如来の生まれ変わりだ」
「うお、何あんたら! でっか。海人ってのは、みんなこんなものなの? 私の倍以上あるじゃないの、あんたら」
「私みたいに、普通の人間サイズもいますよ」
「あ、アンタ。良かったわ。すぐ会えて。永江衣玖よね? ちょっと、アンタに用事があって来たのよ」
「え? 私にですか?」
「そう、アンタによ?」
「もしかして私に会うためだけに、入水したのですか?」
「まぁ、そんなところよ」
「それは……ご苦労様です。ところで、一体どうしました? よっぽど、大切な用事がおありなのでしょう」
「えぇ、天子のことについて、ちょっとお願いしたいことがあってね」
「まぁ、総領娘様のことですか?」
「えぇ、そうよ。アイツ、人里で寺子屋の……用務員? 子供たちの世話係? まぁ、そういう仕事をして、生活することに決めたから。ちゃんと大人として生きていけるようになるまで、天界には帰らないからってさ。でも、色々と大変なこともあるだろうし、アイツ、アンタのこと大分気にしてたしさ。まぁ、幻想郷に帰ったら、顔を見せてやってちょうだい。きっと、喜ぶと思うしね。話はそれだけよ」
「それだけ?」
「そう、それだけ」
「それだけですか!」
「うん。それだけよ」
「まぁ! あぁ、なんと言ったら良いか……総領娘様が、そんな立派なお考えをお持ちになったなんて……それに、貴方様も……あぁ、何と言うことでしょう! 嬉しい! 衣玖は嬉しゅうございます」
そう言って、ぽろぽろと流れ落ちる永江衣玖の涙は、血でありました。その血涙、一度水晶宮の透明なフロアに落ちたと思うと、瞬く間に紅蓮の輝きを見せ、燃え上がるように色を深めると、次第次第に固まっていき、価も知れぬ尊い宝玉と化したのであります。
海人は、心から感動したときしか泣かないものです。そうしてその涙は、宝玉と化すのであります。
同僚の涙を見た二人の海人も、その心震える様に感極まります。そうして、一瞬悶えるような奇声をあげると、わっとその場に泣き崩れました。そうして三人は、輝夜姫を囲み、ギュッと強く抱きしめて離しませんでした。そうしてマッコウクジラの海人からはアメジストの涙が、オンデンザメの海人からは琥珀の涙が零れ落ち、輝夜姫は瞬く間に宝石の海に埋もれてしまいました。
「く、苦しい……」
そんな姫様の悶える声には無頓着で、三人はおいおいと、泣き止むことを知らぬ勢いで涙を溢すのでありました。
二十四
人里の中でも荒れ果てて廃墟同前の家屋が連なるものすさまじい一角を、似つかわしくない端正な歩みで進む女性がおります。はたから見れば女人が一人、このようなところを歩き回るとは危険極まりないことですが、どうして、この地は案外平和です。あちらにもこちらにも、貧しいながらに木彫りの輝夜如来像をこしらえて、拝み倒してございます。
そんな、貧民たちの輝夜姫のご威光にすがる姿を、この女人、八意永琳は思い深げに見ております。きっと、輝夜姫と一緒に過ごした日々を思い返しているのでしょう。
そうしてしばしそぞろに歩くと、不思議に掃除の行き届いた、清潔な家が見えてまいりました。ここに、弟子の鈴仙の診療所がございます。
「うどんげ? 元気にしてた?」
「あ、お師匠様! お久しぶりです!」
今ではすっかり、人里に解けこんだ鈴仙は、毎日里の貧しい人や、お年寄りのためにお薬を作ってあげています。報酬は、農作物だったり、お煎餅だったり、手作りのお人形や草鞋や傘だったり。家の掃除や、障子の張替えを報酬としていただき、お薬を作ってあげることもあります。子供からはお金を取りませんし、動物のためにもタダで薬を作ってあげます。ですから、全然自由なお金などはありませんが、何一つ不自由することなく、鈴仙は幸せな毎日を送っております。
「順調そうね。患者さんも、一杯来てくださるようだし」
「おかげさまで、忙しくって困ってしまいますけど……」
そういう鈴仙の顔には、生命の充実が満ち溢れていて、永琳は愛弟子のことを思うと、大変幸せな気持ちになりました。
「お師匠様? あの、姫様はまだ、帰られていないのですか?」
そう、鈴仙に問われると、永琳の顔が少し陰りました。
「えぇ。まだ、帰っていないわ」
「そうですか……早く帰って来てくださるといいですね」
「……そうね」
そう、永琳は答えましたが、実は内心では、
(もしかすると、このまま一生、帰って来ないほうが、彼女にとっては幸せなことなのかも知れない)
とも思うのでありました。
あれほど不幸を望み、それでも叶わぬ歯がゆさを思えば、永遠に海の底に沈んで、思うことも感じることもできないようになってしまうほうが、輝夜姫の希望に沿うのではないかと思われるのです。
しかしやっぱり、長く連れ添った間柄ですから、また一緒に過ごすことができたら良いなとも思うのであります。
その気持ちが何だか察せられるような気がして、鈴仙の心も陰ってしまいましたから、自然と二人、言葉少なげになります。
折角久しぶりに、師弟の歓談と相成ったというのに、残念です。
と、そのとき。何処からか、鈴仙と永琳を呼ぶ声が聞こえて来ました。
「おや? もしかして、誰か呼んでいるのかしら?」
「えぇ、どうもそうらしいですよ、師匠」
「誰かしら?」
「さぁ? 患者さんでしょうか?」
そうして二人、外に出ると、何と里の上空に、大きな龍が一匹、渦巻いているではありませんか。
「お~い、鈴仙! 永琳! 私よ~。輝夜よ~。帰ったわよ~」
その龍の背中に乗って、こう、大声で呼びかけるのは、間違いありません。輝夜姫です。
「永遠亭に、最初は行ったんだけど! 永琳がこっちに来てるからって、てゐが言ってさ!」
鈴仙も永琳も、まさか姫様が龍に乗って来るとは思いませんでしたから、呆気に取られて声も出ません。
「じゃ、もう着いたから、ここでいいわよ。ありがとね、龍神様♪」
そういうと、龍の背から降りて、姫様は里中へと降り立ちます。
「いやぁ、龍ってのは、本当にすごいのね。スピードといい、神通力の強大さといい、驚いたわ。あ、あれが、龍神ね。そうそう、アイツすごいのよ。涙を流すと、その涙が私くらいの大きさの金剛石になってね、ズシン! ズシン! て、地面に落ちるの。一つ持って来たかったくらいだけど、重たくて仕方ないから諦めたわ。
あ、これ、お土産。海人の涙って、宝石になるのよ。ね? どう? キレイでしょう? しかも、こんなに大きいの。そうだ、鈴仙。今度、この宝石を加工して、ブローチ作ってあげる。貴方も、たまにはオシャレしないとね」
鈴仙も永琳も、未だにぽかんとして、まともに言葉が出てきません。
ようやく、永琳が気を取り直して、姫様に尋ねます。
「姫様、あの……良いのですか? こんな尊い宝石をもらいましては、きっと幸せになってしまいますよ?」
そう問われると、姫様はふっきれた顔でこう答えました。
「まぁ、色々やってみたけどね。どうせ、不幸にはなれない宿命なんだから、諦めたわ。それに、私は私の幸せには、やっぱり興味がないし、こんな幸せな人生はツマラナイけど、案外私って、私以外の人たちの幸せには、興味があるみたいなのよね。
まぁ、皆が幸せであるってのは、案外悪い気持ちはしないわ。ただ、それだけよ。どう? 自分勝手でしょう? まぁ、何せ私は姫様だからね。これっくらい当然よ♪」
そう、答える姫様を見て、永琳も鈴仙も、嬉しくて涙が止まらないのでありました。
戯れから蓬莱の薬を飲み、永遠の命を得た輝夜姫は、その罪のために月から追放され、穢れた地上で生きねばならぬこととなりました。
しかしながら輝夜姫は、持って生まれた宿命から、人の良い老夫婦に拾われ、何一つ不自由のない生活を送ることができました。それをかえって退屈に思った輝夜姫は、あれやこれやと無茶を言って、己を不幸にしようと努力しますが、どういう因果でしょうか、かえって幸福は増すばかりであります。
遂には月の民からもかつての罪を赦されてしまい、地上から月へと帰ることができるようになってしまいます。思い切って輝夜姫は、迎えに来た月の民を皆殺しにしました。そうすれば、今度こそは自分を不幸にすることができると思ったのです。
ですが、彼女を迎えに来た月の民の一人で、月の世界で一番の大賢者が、彼女の言葉にすっかり従い、輝夜姫と一緒になって、月の民を皆殺しにしてしまいました。
結局輝夜姫は、得ようと思っても得ることのできない大変な人物を従者に持つことができましたので、幸せな因果からは逃げられなかったのであります。
それでも姫は、この穢れの多い地上で長く生きていれば、きっと不幸になることもあるだろうと思い、期待しておりましたので、落胆いたしませんでした。
ところが、大賢者のはからいで、月の煌びやかな宮殿生活とは趣が異なるものの、四季の移ろいを肌身に感じることのできる、清楚で安穏とした風情のある生活が送れるようになりましたから、全く不快はございませんでしたので、やっぱり幸せなままなのであります。
「これはどうしたものかしら。これも天命と、諦めるより他にはないかしら」
そう思って、己の宿命を受け入れ、不幸になることは諦めて幸福な毎日を送ろうかと思い始めていた輝夜姫ですが、なんと落ち延びた先の幻想郷で、彼女を不幸にしようと努力してくれる、藤原妹紅と出会うのであります。
「なんて嬉しいことかしら。まだ彼女のように、私を不幸にしようとしてくれる人がいる限り、諦めてはならないわ」
輝夜姫は、すっかり勇気百倍されて、今度こそ不幸になれるように頑張ろうと、決意を新たにしたのであります。
一
「さぁ、今日は大掃除よ。あれをこうして、これをああして、私の言う通りにして頂戴」
そうしてテキパキと指示を出すのは、永遠亭の主である、蓬莱山輝夜です。
「みんな、急いで頂戴。一時でも早く運気を逃して、一時でも早く貧乏神様にお越し頂くのよ」
彼女はこれから新年を迎えるにあたり、良い運は外に逃げて、悪い運が内にこもるよう、縁起の良いものは何でも外に出してしまい、縁起の悪いものを家内に持ち込むように、従えております兎たちに命令しているのです。そんなわけで、ウサギたちがせっせと溜め込んだ大黒神の作り物はすべて外に出してしまって、離れのお屋敷に放り込み、その代わりとして貧乏神の絵像をむやみやたらに整えているのであります。
「ふふふ、良い感じになって来たわね。これから毎日、一日も欠くことなく、貧乏神様を拝み倒すといたしましょう」
前途多難なこれからを思い、意気揚々として己の不幸を期待しております輝夜姫は、すっかり得意になって高笑いをします。
そこに、彼女を恨みに思っております、藤原妹紅が通りがかりました。
「おい、輝夜。一体これは何をしているんだ」
「何って、見た通りよ。大掃除をしているのよ」
「大掃除? 大掃除って、ただの大掃除なら、こんなにやたらと家の中の物を出してしまったりはしないだろう。ホラ、お前の屋敷の中、すっかりがらがらになってるじゃないか」
「うん。実はね、私の家には大変価値のあるものしかなくって、これはどうにも縁起が良いから困ってね。まぁ、本当は全て捨ててしまいたいのだけれども、兎たちがどうしてもと言うから、とりあえず倉の中に全部しまってしまうことにしたの。そうしたら、ホラ、この通り。風通しが良くなったってわけ」
「はぁ? そりゃまた、一体なんでそんなわけの分からないことをしているんだ」
「あのね、どうにも私は生まれ持っての因果があってね。私の方ではな~にも求めていないのだけれども、金も人も寿も、その他何でも溢れて溢れて困るくらいに恵まれちゃってね。こんなツマラナイことはないから、一つ本気で不幸になって、苦しみ悶える日々を送ってみたいと思ってね、幸運を呼びそうなものは全部外に出して、不幸の風が家の中に入りやすいように工夫したの」
「……一体、お前は何を言ってるんだ?」
「これも全部貴方のお陰よ、妹紅。感謝してるわ」
「もしかして、喧嘩売ってるのか?」
「いいえ、そんなことはないわ! あぁ、でも! えぇ、そうやって私を殺してくれるというのなら、そうね、これは大変不幸な話だわ。でも、生憎と死んでも死ねない身体だから、殺し合いはしても仕方ないの。それよりも妹紅、貴方は大変苦労して生きて来たのでしょう? 羨ましいわ。是非とも貴方の不幸話を聞かせて頂戴。縁起が悪いから」
「あぁ、お前が私のことをどれだけ舐め腐ってるのか、よ~く分かった! 今すぐぶっ殺してやる!」
そうして輝夜姫は、炎で焼かれて炭になってしまいましたが、じきにもとに戻ってしまいます。しかし、その顔は希望に溢れています。
「うん、これは幸先が悪いわ。楽しみ楽しみ」
二
「新年明けましておめでとうございます。今年は悪い一年でありますように、健康・金運・人の運。どれもこれも、廃れてか細く有りますように」
「姫様、新年の挨拶にそれはひどいですよ」
「あら、何を言うの鈴仙。そんな殊勝な心構えじゃ、縁起がよくってありはしないわ」
「そうだよ、鈴仙。鈴仙も私を見習って、真っ黒な衣装に着替えなよ」
「本当に、貴方は気の利く良いイナバね。ほらほら、鈴仙。貴方もてゐを見習って、貧乏神様や死神様の好まれる、黒の服装に着替えてらっしゃい」
「そんなぁ。せっかく皆で初詣に行くからって、振袖を着てきたのに……」
「おや、これは縁起が悪い。新年早々、鈴仙が泣いているわ。嬉しい限りね。おっほっほっほ……」
「ところで姫様、初詣には何処へ行きましょうか?」
「そうね、やっぱり霊夢のところに行くのが良いかしらね。金運が吹っ飛びそうだもの」
「それよりも良い案がございますよ、姫様」
「おや、何かしら」
「博麗神社は妖怪が多く、人がおりませんから縁起が悪くてようございます。しかしながら、神はおりませんから、そこまで多くの御不幸を望むこともできません。ですからそれよりも、竹林の中でも特に人の寄り付かなさそうな、風水の運気が悪いところ、じめじめして夏にカビなどが生えて困りそうな、そうした貧乏神様のお住まいになりそうなところを捜し求めまして、貧乏神様のお社をお建てなさいな。そうして、足しげく通いましょう。きっとご不幸がございます」
「これは名案! 流石は月の頭脳ね、永琳。さぁ、早速取り掛かりましょう」
そうして竹林をくまなく歩き回り、貧乏神様の好みそうな場所を探し回ってみたところ、藤原妹紅の屋敷こそ、貧乏神のお好みになられるところと相成りまして、新年早々、永遠亭の一同ここに参じました。
「お供え物は何が良いかしら?」
「ゴミに勝るものはないかと」
「丁度、大掃除をしたばかりで、家にはゴミがたんまりありますよ」
「それでは、鈴仙! 持って参りなさい。さぁ、私たちはお邪魔して、悪運を身にまとって帰ることに致しましょう」
「貧乏神様のお社にしては、家の造りはたしかだから、もう少し風通しを良くしてはどうかな、姫様」
「それは名案。流石はてゐね。気が利くわ」
三日後、里から戻って来た藤原妹紅は、もの凄まじく荒れ果てた我が家を見て、驚き呆れて魂が抜け出てしまいました。
「せ、せっかく……慧音と一緒に大掃除したのに……」
翌日、鬼の形相で殺しに来る藤原妹紅を見て、姫様は大喜びをいたしまして、貧乏神様のご利益があったことに感謝して死にました。
三
今日は節分の豆まきの日。輝夜姫は、この日を逃してはならないと、永遠亭の一同を引き連れて、幻想郷を練り歩きます。
しかし、はてさて。一体姫様は何処に行こうというのでしょうか。人里からも、竹林からも遠ざかって、どことも分からぬところへ向かって歩いております。
「ねぇねぇ、鈴仙。姫様は何処に行くのかな」
「さぁ、何処だろう? てゐも行き先、聞いてないの?」
「うん。私も聞いてないよ」
「それじゃ、師匠は知っているのかな」
「いいえ、私も知りませんよ」
「え! それじゃ、姫様はどこに行こうとしているのでしょうか……」
「別に、どこでもいいんじゃなくって?」
「そんなものでしょうか」
「そんなものかも知れないね」
「てゐは気楽ね」
「長く生きているからね」
そんなことを皆でお話しながら歩いていると、向こうのほうから、「おろろろ~ん、おろろろ~ん。」と、女の子の泣く声がします。
「おや、あれは誰かしら」
姫様がそう呟くと、すぐに永琳が答えます。
「あれは、萃香です」
「まぁ、博麗の巫女が飼っているペットの?」
「はい、ペットの鬼です」
「ペットなんですか……」
鈴仙の突っ込みはスルーして、お姫様とお師匠様はお話を続けます。
「ふむ。まぁ、何で泣いているのか事情は知らないけど、これは縁起が悪いわね。今日は節分だもの。福は~そと、鬼は~うちってね。よし。あの鬼を永遠亭に連れて帰りましょう」
「えぇ、確かに縁起が悪いですわ。節分に鬼を招き入れるなんて、これは不幸になれそうです」
そう言うと、永琳はサッと鬼のところへ行き、あれこれ話をして、彼女を連れて行列に戻って来ました。
「良くやったわ、永琳。褒めて遣わす」
「ははぁ。恐縮でございます」
「うんうん、この飴美味しいね」
「飴で鬼が釣られちゃうのか……」
「まぁ、そんなもんだよ、鈴仙」
そうして賑やかになった行列は、相変わらず行方も知れずぞろぞろと歩き回るのでありました。
それはさておき。
ここは幻想郷の中でも辺境にある山深い森。
そこにひっそりと暮らしております妖怪の親子がおりました。
「おっとう、おっとう。しっかりしておくれ」
「うぅ、おらはもうダメだ。太郎や、おっとうはもう長くねぇから、花子のことは、おめぇがしっかり守るんだぞ」
「いやだ、おっとう。そんな悲しいことを言わないで」
「ああ、花子や。おっかぁがお前さんを産んでから、もう5年経ったなぁ。おっかぁさんは、そりゃ大変なべっぴんさんじゃった。だからおっとうはもう、毎日毎日、一生懸命仕事さがんばって、帰って来て、おっかぁの顔を見ることだけが楽しみだったくらいだよ。
それが、産後の肥立ちが悪くてな。花子を産んだら、おっかさんは死んじまった。
でもな、おっとさんはすぐに分かった。
花子や、おまえさんは、おっかさんの生まれ変わりだ。きっと大きくなったら、おっかさんみたいなべっぴんさんになるに違いねぇ。だからきっと、将来は誠実で妖怪の良い旦那さんのところにお嫁へ行って、しあわせになるんだよ」
「あぁ、おっとうさん! おっとうさん」
「ふふ……おっとうさんは強い男だから、死ぬことなんてちっとも怖くねぇ。でも、花子の花嫁姿を見られなかったのは、残念……だな……」
「「おっとうさ~ん!!」」
ガラガラガラガラ、ピシャ!
玄関の引き戸が急に開いたと思ったその切羽、
「福は~そとぉ!」
掛け声とともに、一斉に大判小判が投げ放たれたのであります。
「な、何だこりゃ!」
あまりのことに、おっとさんもびっくりして跳ね上がります。
「鬼は~うちぃ!」
するとまた、ジャラララララっと大判小判が家の中に投げ込まれました。
「さぁ、みんな! この家にぜ~んぶ投げ入れてしまいなさい!」
そう指示を出すのは、輝夜姫です。
「さぁさぁ、鬼さんも一緒に! 福は~そとぉ! 鬼は~うちぃ!」
「福は~そとぉ! 鬼は~うちぃ! ハッハッハ、いいぞ~、これ。楽しいぞ~」
鬼さんは大変楽しそうで、満面の笑みで大判小判を家の中に投げ入れます。
あまりにも意外なことでしたから、おっとさんも太郎も花子も、ぽかぁんっとして呆れていますと、どうやらお金も尽きてしまったらしく、永遠亭の一同は帰って行きます。
あれは一体なんだったのかとか、このお金はどうしたものだろうかとか、そんなことは思う余裕もなく、ただただ唖然としていましたら、何だかおっとさんの悪い病気も何処かに飛んで行ってしまったようで、それからは嘘のように、すっかり元気になりました。
そうして三人はお金持ちになりましたが、元々親子三人で、仲良く平和に生きられたらそれで良いと思っておりましたから、余計なお金があってはかえって不幸の種になると思い、輝夜姫様の知らぬ間に、こっそりと永遠亭に忍び寄って、お金を全て倉に入れて戻してしまいました。
四
まずは何事も、お金があるから幸せなのだと気がついた姫様は、永遠亭の財産を浪費するための作戦会議を開くことにしました。
「月のイナバに地上のイナバ。賢者に鬼と、私が揃って話し合うなら、文殊の知恵どころじゃないわよね。今日は名案が出るに違いないわ。さぁ、どうやったらお金を使い切って、身を滅ぼすことができるかしら」
「あの、単純に、お金を何処かに捨ててしまったらどうでしょうか?」
「ダメよ、鈴仙。捨てても兎が拾ってくるだけだから」
「霊夢にあげたら喜ぶよ~」
「ダメよ鬼さん。折角縁起の悪い神社に、福の神が宿ってしまうわ」
「そうですね。素人が事業を起こすと大概失敗しますから、ベンチャーキャピタルをやればあっという間にお金がなくなりますよ」
「これぞ名案! やっぱり月の頭脳は、頼りになるわね!」
そうして姫様は、鬼に頼んで、新しい仕事を起こしたいけれども、お金のない人を萃めさせました。
「アタイね、お店を開くのが夢だったの!」
「へぇへぇ、どんなお店でございやしょう」
「アタイの店だから、アタイ屋!」
「いや、こりゃ結構。きっと失敗いたします。さぁさぁ、これだけお貸ししましょう。大判小判もざっくざくで、ひと山ふた山、さんの山。ろくの山まで、盛りやしょう」
「姫様、言葉遣いが卑しいですよ」
「分かってないわね、鈴仙。こういう卑しい言葉遣いをするからこそ、貧乏神様もお越しくださるというものよ」
「チルノ! アンタには絶対負けないからね! どちらがたくさんお金を稼ぐことができるか、勝負よ!」
「ん~、てゐ? お前さんはどう思うね?」
「チルノのライバル三妖精。三人寄っても、見込みがないよ」
「うん、合格! さぁさぁ、この調子でお金を貸しまくるわよ」
そうして意気込み、袖をまくって気炎を上げる姫様たちの前に、申し訳なさそうにやってくる女性がおりました。
「すまないが、話だけでも聞いてもらえないだろうか?」
「おや、これは寺子屋の先生。どうしたのですか?」
「あぁ、お医者様。聞いてください。寺子屋の財政が厳しいのです。私はどうにも経済が分からないから、困って困って仕方ありません。お金のことを考えると、それだけでなんだか気持ちが悪くなります」
「あらあら。それは大変良いことですね。私たちも見習わないと。さぁさぁ、どうぞお持ちください」
「あぁ、ありがとう! ありがとう! 何とお礼を言ったら良いか分からないよ」
「お礼を言われちゃ縁起が悪ぃや。おい、お前さん。千両やるから、とっとと帰ってくれや」
「あぁ! 神様!」
「お祈りするなら、是非ともこの貧乏神様の像に向かってやってくださいな」
「うんうん、鈴仙も気が利くようになったもんだね」
「えへへへへへ……」
そうして幸先よくムダ金を使っておりますと、何やら金運の薄そうな男が寄ってまいりました。
「すまないが、僕にもお金を貸してくれないか?」
「おや、これは香霖堂の亭主さんじゃぁ、ありゃしませんか。金を貸すにゃ、かまわねぇが、お宅さんの店は、一体全体、商いが、いかほどありやすかね」
「商いも何も、赤字だよ。僕が半分妖怪じゃなかったら、飢えて死んでいるくらいだ」
「そいつは結構な話でさぁ! いやぁ、あやかりたいねぇ」
「実はこのあたりで心機一転して、事業を拡大して、もっと真面目に商売をしようと思ってね」
「姫様。これは典型的な失敗のパターンですよ」
「よぉし! 持ってけ泥棒! ハハハハハ……」
気分上々、姫様は用意した限りの千両箱を明け渡し、晴朗な笑い声をあげて帰って行ったのでありました。
五
それから一か月。姫様はすっかり生き帰った心地で、毎日アルコール中毒で死ぬまでお酒を呑む生活を送っておりました。
「いやぁ、今日も不幸でお酒がうまい! 死ぬために呑み、呑むために死ぬ。そんな名言が、どっかにあったっけ」
「ちょっと違いますよ。食べるために吐き、吐くために食べる。古代ローマの風刺ですわ」
「同じようなものよ、永琳。しかし、みんなのおかげで、財産があっという間にとけたわね! 倉にいっぱいあった千両箱が、もうすっかりなくなったわ。あとは毎日、酒を呑みながら事業失敗の朗報を聞くばかり」
「姫様! 姫様! 大変です!」
「どうしたの、鈴仙。そんなに慌てて。貧乏神様が驚かれるわよ? もっとゆっくりしてちょうだい」
「あ、はい。ごめんなさい」
「うんうん、分かれば宜しい」
「って、それどころじゃないんです! 実は、香霖堂なんですけど、新しく経営コンサルティングの仕事を始めたらしくて、そこにお金を貸した人たちがこぞって通っているんです!」
「へぇ! それは悪い知らせね! きっと、みんな大失敗するに違いないわ」
「そ、それが! 経営コンサルティングの担当者が、霖乃助さんじゃなくって、咲夜さんらしいんです!」
「え? 咲夜って、紅魔館の従者の? なんで?」
「そ、それが……近々お二人は結婚されるそうで、今回の事業拡大も、結婚に際してのことらしいです」
「えぇ! な、なんてこと……あんなまともな人間がコンサルタントをしたんじゃ……下手したらみんなビジネスが成功しちゃうじゃないの!」
「しかも、香霖堂は今度から、人里と妖怪の山にもお店を構えて、妖怪と人間の仲立ちとして広く交易をしていくつもりらしいです。あと、スキマ妖怪と協力して、外の世界の商品も揃えるとか……」
「き、聞いただけでも成功しそうなビジネスじゃないの……あぁ、貧乏神様!」
その後、貸したお金は五倍になって返って来ました。
絶望した姫様は首を吊って生き帰りました。
六
「姫様姫様! 聞いてください!」
「どうしたの鈴仙。そんなに慌てて。また誰かお金を返しに来たの? もうそんな話は聞きたくないわ」
「違うんですよ、姫様! 私、どうしたらお金がなくなって破産するか、色々と勉強したんですけど、やっぱり花魁さんとにゃんにゃんするに如くものはなしです!」
「そ、そっか! その手があったか! 傾城買いとも、呼ばれるだけあるものね。ふふふ、よし! いっちょ、青楼の遊びと、志しますか!」
「はい!」
その翌日。白玉楼を舞台にして、城を落とさんと意気込んで、幻想郷中の美少女たちを寄せ萃めて、にゃんにゃんパーティーと洒落込みました。
「はい、魔理沙さん。これを付けてくださいね」
「ん? なんだこれ?」
「猫耳ですよ。今日は、にゃんにゃんパーティーですからね」
「へぇ、なるほどね。どうだ? 似合ってるか?」
「えぇ、かわいいですよ」
「お前も似合ってるぜ、鈴仙」
「いつものウサ耳と違って、なんだか落ち着かないですけどね」
「しかし、ずいぶんとたくさんの猫がいるんだな。あっちもこっちも、猫だらけだ。いったい、どこから連れてきたんだ?」
「マヨヒガから連れて来たんですよ。どの子も人懐っこくて、かわいいです」
「うん。なんか、さっきから歩くと足元に寄ってきて、すりすりしてくるから、歩き難くて困るくらいだぜ」
「ハハハハ……でも、この子達、みんな元々は、捨て猫だったんですよ」
「へぇ、そうなのか?」
「えぇ。外の世界では、捨て猫の多さが社会問題になっているらしくて、毎年たくさんの猫さんたちが殺処分されているらしいのです。それを藍さんから聞いた橙ちゃんが、一念、紫さんを拝み倒して、受け入れることにしたのだそうです」
「へぇ、そうだったのか……それは、感心だなぁ」
「でも、こんな数の猫さんたちを飼うなんて、とてもじゃないけど無理な話ですよ。だから、里親を探しているらしいのですが……」
そうして魔理沙と鈴仙が見る先には、必死に里親を探す橙の姿があるのでした。
「どうですか! アリスさん! この子、大人しくていい子ですよ! 三毛猫で、かわいいでしょう? ちゃんと去勢手術もしてありますから! 予防接種だって!」
「う~ん、そうね。猫ちゃんも飼いたいけど、うちには先住の上海や蓬莱。他にも沢山人形がいるから……」
「あ~、そっかぁ。もう、先住さんがいるんですね……」
「そうなの。ごめんね」
「いえ、それじゃ仕方ないです!」
肩を落としたのは束の間で、気を取り直して次へとすぐに声をかける橙の姿を見て、魔理沙も鈴仙も胸が熱くなるのを覚えた。
「……頑張ってるな」
「はい、頑張ってます」
「いいな、こうやって、頑張ってる奴がいるって」
「励まされますね。私も、姫様がご不幸あらせられるように頑張らなきゃ!!」
「相変わらず変な連中だぜ……おや、あの黒猫。ふぅん、なかなか良い面してるな。あれなら、ツチノコに負けたりしないでやっていけそうだぜ」
そう言うと魔理沙は、橙のそばへと駆け寄りました。
「おい、橙。ちょっといいか」
「あ、魔理沙さん! どうです、魔法使いのお供に、猫さんは一匹どうですか? カッコイイですよ! ナウでハイカラですよ!」
「難しい言葉を知ってるんだな、橙」
「はい! 紫様に教わりました!」
「そ、そっか。それは良いとして、そうだなぁ……それじゃ、あの樹の上でムスッとしてる、いかにもふてぶてしくて不吉そうな猫とか、どうだ」
「え! あ、あの子はダメですよ。どの猫たちも怖がって近づかないくらいなんです」
「へぇ。オスか?」
「はい、オスです」
「名前は?」
「それが、分からないんです。気難しくって、教えてくれなくって」
「なるほど、そうか。ふふふ。ちょうど家にも先住がいるからな。それっくらいふてぶてしそうなのがちょうどいいぜ」
「そ、そうですか? でも、全然懐かないですよ?」
「なぁに。大丈夫さ。ちょっと待ってろ」
魔理沙はひょいっと軽やかに樹を登ると、猫に目線を合わせて語り掛けます。
「おい、お前。名前は何て言うんだ」
「キシャー!!」
「なるほど、『キシャー!!』っか。強そうだな」
そのとき、猫はサッと爪を立てて、魔理沙の頬を引っ掻きました。が、間一髪。魔理沙はギリギリで爪を避けます。
「ふむ。強そうじゃなくて、実際に強いって言いたいんだな。分かった。お前さんの自尊心を傷つけちまったことは謝るぜ」
「……」
「だがお前さん。何時までこんな、猫山の大将を気取っているつもりだい? この世界は広いぜ。まだまだ強い猫が、たくさんいるハズだ。猫だけじゃないぜ。蛇や犬、鳥なんかにも、名立たる手誰がどれだけもいる。それが何時までも、こんなところで燻っていて、ただ老いて死ぬだけってのかい? そいつは勿体無いぜ」
「……」
「どうだい? 私と一緒に来ないかい? 私と一緒に来て、天下を取ろうぜ」
猫はおもむろに立ち上がると、力強く跳ね上がり、魔理沙の肩に飛び移りました。
「お? へへへ。そうかい。気に入ってくれたか。ようし。それじゃ、ちょっくら空の散歩と行こうか」
そうして、魔理沙は箒を魔法で呼び寄せると、そのままぎゅいっと空へと飛びあがりました。並の猫ならば、腰を抜かしてしまうところですが、この雄猫は僅かにも心を乱すことなく、平然と魔理沙の肩に乗って、眼下に諸衆を見下ろすのであります。その瞳の奥には、燦々と輝く野心が潜んでいることを、果たしてどれほどの猫が知るところでありましたでしょうか。
(次におれが帰って来るときは……天下一番の猫になったときさ)
そんな雄猫の決意を、少なくとも見上げる橙ばかりは理解して、心の中で、この雄猫の新しい門出を祝福いたします。
(ようし、私も負けないぞ。頑張って里親をたくさん見つけて、すべての猫を幸せにしてあげるんだ)
元気百倍した橙は、早速猫を抱きかかえて遊んでいる、地底の主のところへと向かうのでありました。
七
「いやぁ、この前の傾城買いは、最高だったわね。鈴仙」
「はい、ねこさんたち、かわいかったです」
「黒猫の、特に病弱そうでしかも幼いのを四九匹もらって来たから、大変縁起も悪くなったわね。白玉楼を貸しきるのに、宴席の準備をするのに、遊女を集めるのに、大分お金もかかったから、倉も少しは風通しが良くなったわ。それに、巨大なキャットハウスを建てるのに、一万両ほど寄贈したから、いやぁ、傾城買いが身を滅ぼすってのは本当ね。ハハハハハハ……」
「お~い、かぐや~」
「この間の抜けた声は萃香ね。鬼が来るとは縁起が悪いわ。歓迎してあげなくちゃね。な~に、すいか~?」
「お~。これ、紫から、かぐやに渡してくれって」
「ふぅん? 何かしら」
「橙からだってさ」
「あぁ、あの猫を用意してくれた子ね。お礼かしらね。何々、手紙と、これは……首輪? あぁ、猫のね。気が利くわね」
「何て書いてありますか?」
「ちょっと待ちなさいね。え~っと」
拝啓
蓬莱山輝夜様
先日は、素晴らしいチャリティーイベントを開いていただき、ありがとうございます。蓬莱山様のお陰で、多くの捨て猫たちが、新しい飼い主を見つけることができました。みんな、これからの生活に胸をときめかせて、巣立って行きました。本当に、私のもとに来たときは、あんなに怯えきって、絶望していたのがウソみたいに! 私は、あの子達の、あの嬉しそうな鳴き声を聞いたときに、自分が何のために生まれてきたのか、その理由を見つけたような気がしました。本当に、本当にありがとうございます。
そうして、まさか一万両も、私の活動のために寄付をしてくださるなんて! 月並みな言葉ですけど、心から感謝します。本当に、本当にありがとうございます。私、きっと蓬莱山様のお気持ちに応えることができるように、精一杯頑張りますね。
最後に、きっと、蓬莱山様に良いことがありますようにとの祈りを込めて、紫様と藍様とレミリアさんと霊夢さんと白蓮さんにお願いして作りました、災厄万難、悉く払い除け、幸運千倍、ご利益の確かなお守りといたしまして、家内安全間違いなし。幸運の猫の首輪を四九つと、キャットフードを一粒入れると、お皿一杯に増えます、マヨヒガの不思議な餌皿を贈呈いたします。
蓬莱山様と猫たちの、末永い幸せを、お祈り申し上げます。
八雲 橙
橙の手紙を読むや、輝夜姫は顔面蒼白にしてがっくりとうなだれました。
「うわぁ……なんてことなの。こ、こんな気持ちのこもった贈り物を貰ってしまっては、使ってあげないわけにもいかないわ。でも、でも……」
「う~ん。これは、ご利益がありそうですね」
「ん? 八雲橙? そうか、橙のやつ、八雲の姓を名乗っても良くなったのか。成長したものだなぁ」
「え? 八雲さんのところの式ですよね、橙ちゃんって。だったら、普通に八雲橙じゃないですか? 今までは、違ったんですか?」
「うん。まだ半人前だったし、八雲の姓は名乗っちゃいけなかったんだよ」
「そっかぁ。出世? したんですね」
「橙のことを小さい頃から知っている身としては、何だか感慨深いね……」
そうして、己の因果を恨み袖を濡らして泣き腫らす姫様を尻目に、鈴仙と萃香は、猫にキャットフードをやりながら、談笑して過ごしました。
「あ、すごいこれ。本当に、キャットフードがドンドン増える」
「マヨヒガの家財は、どれもこれもこんな感じだよ」
「不思議で便利ですね」
八
「さぁ、米を買い集めなさい。商人の言い値で、次から次へと持ってらっしゃい」
「姫様、今度は何をするおつもりですか?」
「ふふふふ、私がどうしても幸せになる因果というなら、きっと米を買い集めれば、酷い凶作になって、米価は高騰するに違いないわ。そこを逆手にとって、米を安値で売り払うのよ。そうすれば、きっと差額で大損するわ」
「なるほど。幸福になる因果に逆らうのではなくて、むしろそこを逆手に取るわけですね」
「そうよ、鈴仙。さぁ、分かったら、ドンドン米を買ってらっしゃい」
ところが、その年は稀に見る大豊作で、米価は全然上がることがなく、倉の中は俵で一杯の有様です。
「ふむ。まぁ、別に、これはこれで構わないわね。ただ、米がこのままだと、古米になって、死蔵して、遂には食べられなくなってしまうわ。それは流石に、もったいないわね」
「それだったら、お酒でも造りませんか? たまには、月の酒を飲むのも良いものですよ。師匠なら、お酒だって作れるに違いありません」
「なるほど、そうね。私も久しぶりに飲みたくなったわ。それじゃ、永琳。月の酒造技術で、とびっきりのお酒を造りなさい」
これが永遠亭の銘酒「月の光」が誕生するに至った経緯であります。
現在、「月の光」は、多くの人間・妖怪・妖精の憧れの酒として、知らぬものはないほどで、その限られた販売期間である元旦と展覧会には、幻想郷中から「月の光」を買い求めて大変な行列ができるほどです。
「う~ん、思わず儲けになってしまったけど、まぁ、美味しいからいっかなぁ」
「月の酒造技術に鬼の技術もあわせたら、もっと美味しいのができるんじゃないか?」
「なるほど……それは妙案ね、萃香!」
こうして、抜群の透明感に程好い辛口、吟醸香の高らかさで冷酒に最適な「月の光」に加え、透明感はそのままに・燗をして美味しい・甘みの強い「酔月」が誕生することになりまして、こちらは一年を通じて販売しておりますから、是非とも竹林に起こしになった際は、お土産に御一つお買い求めくださいませ。
現在、「月の光」を日常的にもっと楽しみたいという、多くの方々のご要望にお応えするために、「月の光」のレギュラー酒として、「兎后の月」(うごのつき)を鋭意開発中であります。
こちらは、香霖堂様への専売とさせていただきますので、発売となりましたら、是非ともお近くの香霖堂にて、お問い合わせくださいませ。
酒蔵 月の郷 杜氏 八意永琳
九
てゐ:「さぁ、半か丁か!」
輝夜:「丁よ!」
博徒一:「半!」
博徒二:「半!」
博徒三:「半!」
博徒四:「半!」
博徒五:「半!」
てゐ:「丁方いねぇか!」
一同:「……」
輝夜:「いや、だからさ! あんた達さ! わざとやってるわけ? さっきから、何でみんな、雁首そろえて半だ丁だって、私と違う方ばかり、張りが偏りすぎでしょう!」
博徒一:「そんなこと言われたって、半だと思ったから半に張ったんだ。文句言われる筋合いわねぇやい」
博徒二:「そうだそうだ! おい、そんなことより、とっとと開けねぇか」
てゐ:「……丁です」
輝夜:「ほら! やっぱり丁じゃない!」
博徒三:「かぁ~、またか! 何だコイツは、いかさまじゃねぇか」
輝夜:「ふぅ……これじゃ埒が明かないわ。よし、こうしましょう! 半にも丁にも賭けてよし。あたれば三倍返しでいいわ。さぁ、これで張った張った!」
博徒一同:「丁!」
輝夜:「あんた達、私の話を聞いてたわけ!」
博徒四:「半にも丁にも張れってか? そんな面白くねぇ勝負、おりゃ勘弁だ」
博徒五:「そうだそうだ!」
十
好きな四桁の数字を書いて、あたれば万倍のくじをやれば、流石に一人は知恵者があって、損をするに違いないと思い付きました姫様は、さっそく宝くじを企画し、販売いたしましたが、十万口もくじが売れて、一等はおろか二等三等、五等に入る当りが1つもなければ、銭は倉に入りきらず、小金山が庭に出来るほどの大商いでございます。
「博徒が意固地で偏屈なのは仕方ないけど、まさか一人として儲け話に気がつかないとは、人間も妖怪も、脳味噌はまるで妖精と変わらないわね……」
呆れるのを通り越して、なんだか悲しくさえなってきた輝夜姫。泣くにも泣けず、悲観に暮れる姫をそばで慰めるのは八意永琳。
「それにしたって、当たりくじの一つくらいは出ても良さそうなものですけどね。こうまで思うままにならないのは、どうしたことでしょうかね。姫様のご心境、お察し申し上げます」
十一
「ふふふ、全く金持ちは無防備でいけないわね。庭先に小金を積み上げるなんて、泥棒に入ってくださいって言っているようなものじゃないの」
「全くね、サニー。しかも、私たち三妖精の能力があれば、決して盗みがばれることはないわ」
「そうよ、ルナ。人生ってのは分からないものね。商売で失敗して、借金ばかりが残ってどうしようかと悩んだからこそ、チルノの成功から学んで、能力を活かした仕事をすることにしたのだもの。しかしチルノ、考えたわね。氷屋さんとは……妙案ね! きっと大妖精の入れ知恵に違いないわ!
でも、今考えてみれば、私たちの天職は泥棒より他にないのは明らかよね。音もなく、姿も見えず、見張りの場所はお見通し。これで失敗するわけがないわ」
「間違いないわ、スター。しかも幻想郷の人間は、警戒心が微塵もないもの」
そうしてしばし三妖精は、盗人家業に勤しむ勤しむ。
「ふわぁ……ちょっと眠くなって来たかも」
「ん……実は私も。御夕飯、食べすぎたかな?」
「ちょっと、サニーもルナも、気がゆるんでるよ? 二人ともしっかりしてよね」
「「うん。分かってる分かってる」」
しかし、眠気は我慢できても、宵のおかしな頭の働きは御し難く、思考はおぼえず明後日に向かいます。
「……ねぇ、ふと思ったんだけど、一度だけでも良いから、こう、お金の山にダイブしてみたいと思わない?」
「何よ唐突に。このとおり、お金なんてたっくさん手に入れたんだから、これでもう充分……いえ、そうね。実はね、スター。私もその気持ち分かるんだ」
「あれ、ルナも? 私もそう思ってたところなのよ」
どうやら三妖精は一致して、黄金と宵闇に魅了されたご様子です。
「……やってみない?」
「……やってみようか?」
「よ~し! そうと決まれば、ホラ! ざぶ~ん!」
「ざぶ~ん!」
「うわ、ナニコレ! う、埋もれる!」
「お、重いよこれ! しかも崩れてきて、息が!」
「うわぁぁぁぁぁぁ!」
………
……
…
ピチューン!!
………
……
…
チュンチュン! チュンチュン!
「ふわぁぁぁ、よく寝たわ。あら? 黄金山が崩れているわ。どうしちゃったのかしらね。鈴仙」
「あんまり高く積み過ぎたのでしょうか? やっぱり、倉を作って、しまっておかなくてはいけませんよ」
「う~ん、放っておけば、誰か泥棒に入ってくれると思ってたのだけどね。どうにも、幻想郷の人たちは、欲がなくって困るわね」
十二
輝夜姫は以前の成功を反省し、利益を求めない事業に対してのみ出資をすると決めて、再度ベンチャーキャピタルを行うことにしました。
「あの、私、最近外の世界から来た人間なので、誰も保証人がいないですし、担保もないんですが、やっぱりそれじゃ、お金を貸していただけないのでしょうか?」
「いえいえ、全く事業次第です。どんな事業を、計画されていますか」
「幻想郷の妖精さんたちに、お勉強を教えてあげようと思って」
「へぇ、それは面白いですね」
「なにぶん、妖精ですから、楽しみながら学べるように配慮しなくっちゃなりません。ですから、お勉強ばかりじゃなくって、遊びも所々取り入れながらということになります」
「何と! 遊びを取り入れるのですか!」
「やっぱり、ダメですか? でも、私は思うのですが、学を修めるということは、学ぶことを楽しいと思えるようになることなのです。そうして学校で修めるべき学は、お話をしたり、運動をしたり、お勉強をしたりすることだと思うのです」
「いえいえ、斬新で良いと思います。しかも妖精相手ですね。うん、どうでしょうか、姫様。あまり見込みがなさそうですよ」
「大いに結構。融資なさい」
「あぁ! ありがとうございます! やったね、メリー♪」
「うん、やったね! 蓮子! これで、学校が作れるよ☆」
「お次でお待ちの方」
「私です」
「おや、地底の主ね。これは珍しいわ。どうしたのかしら?」
「実はついこの間のことなんだけど、地底の妖怪たちが、たまには地上に出たいということで私のところまで懇願に来たの。でも、それには地上の妖怪たちから許しを貰わなくてはなりませんし、地上に出て来て旅行するには、沢山お金も必要になります。そこで、名士として名高い蓬莱山輝夜様のお力添えをいただけないかと思い至った次第であります」
「なるほど。ところで、その旅行には、どのくらいのお金が必要になるかしら?」
「色々とこういうことにはお金がかかりますから、大体このくらい。誰もかれも地上を空気を吸いたいとうるさくて、希望する妖怪も千から数えますので」
「まぁ! これなら、倉が五つは空になるわね。えぇ、良いわ。私が何とかしてあげるから、安心して頂戴」
「あぁ! 輝夜様! 何てお優しい方でしょうか! 貴方様はきっと、阿弥陀如来の生まれ変わりでございます。いえいえ、そんなご謙遜なさらず。これほどに偉大な御方でありながら、なんという陰徳でしょうか。私は感動いたしました。涙が出て来ました。いえいえ、そんな、私には分かります! あなたは全くの無欲でいらっしゃる。このご恩は地底の民一同、決して忘れません」
「私は何も言ってないのに、独り言をして、勝手に満足して帰るのだから、本当に地底の主は、噂以上の変り種だわ。ぶつぶつ……」
「あのう、姫様」
「ん? 何? 鈴仙」
「実は私も、お金を貸して欲しいのですけど……」
「あら? それなら、いくらでも持って行って良いわよ。でも、一体何をするつもりなの?」
「僭越ですが、師匠の下から独立して、里で開業しようかと思いまして。もちろん、子供年寄りからは御代を取りませんから、ずっと赤字続きでやるつもりです。師匠からもお許しをいただいています」
「それは良いわね。医は仁とも言うくらいだから、きっと滅私奉公で、貧しい生活になると思うわ」
「貧乏神様の縁起が悪い縦看板を大いに掲げて開業いたします。そうして場所は、暮らしにくくて土地が安い、乞食の多いところで開業します。ナメクジ長屋というところなどは、まっとうな人はいないと噂の悪い場所で、目をつけているところです」
「なんとも孝行な鈴仙イナバ。月のイナバの鑑だわ。是非ともそうしてちょうだいな」
十三
地底の民のために、あれこれと奔走した輝夜姫と永琳は、その甲斐があって、千両箱でひき詰められておりました倉も、五つほどからになりまして、ようやく少しは財産が減ったと、安堵の溜息。
「ふぅ、永琳。こうやって、穏やかな気持ちでお茶を飲めるのも、久しぶりね」
「そうね、輝夜。毎日毎日、どうやってお金を減らすかに苦心して、生きた心地がしなかったものね」
「もうこんなに、苦労するのも、嫌になってきちゃったわ」
「そう弱気にならないでください。一念発起して、為せぬことはございませんから」
そうして二人談笑していると、遠くから景気の良い掛け声が木魂してきます。
「あら、何か聞こえるわ。どうしたのかしらね、永琳」
「そうですわね。竹林でこんな騒ぎ。珍しいことだわ」
さてさて、次第に声も明らかになりますと、輝夜姫も永琳も顔を青ざめて目を見合わせました。
「かぐや~さまの~、ご恩に報いる~、ために~ほら」
「地下の~、財宝~、地上にゃ~ないもの、月にも~なさそなものを~、さぁ、ほいさ」
「鬼を~頭に~、力~自慢のあやかしたちが~、車を~曳いて~、まいり~そうろ~」
そう、地底の妖怪たちが、こぞって輝夜姫にご恩返しをするために集ってきたのです。
「あわわわ! 何の因果かしら。助けてあげた地底の妖怪たちが、どうしてこうやって、私に仇をなすのかしら。あぁ、やめて! 持ってこないで! そういう、お金になりそうなものは!」
「世の中は、本当に思うままにならないわね。月の頭脳の面目がないですわ」
十四
この日は鬼の萃香がやって来て、永琳と輝夜姫の三人で、まったりとお茶をしながら歓談しておりました。
「生まれ持っての因果というのが、これほど強いとは思わなかったわ。何をしても、全然不幸にはなれないのだもの」
「そっかぁ。それは大変だね~」
「こればっかりは、私の知恵も役に立ちません。誠に、申し訳がない限りです」
「はぁ、嫌だ嫌だ。どうにかして萃香、不幸を集めてくれないかしら?」
「輝夜の頼みなら、仕方ないから、私も一肌脱ごうかな」
そう萃香が約束してからしばし、永遠亭を訪れる者が二人おりました。
「だからあんた、いい加減泣きやみさないよ。こっちまで気が滅入るじゃないの」
「うう、そう言われても、悲しいものは悲しいのです。いよいよ、聖まで怒らせてしまって」
「……私だって、泣きたいくらいよ。はぁ……なんだろう。何があっても、衣玖だけは私の味方だと思ってたのにな……」
この二人は、命蓮寺の寅丸星と、天人の比那名居天子です。
寅丸星は、眠っていたところを起こしに来てくれた、ナズーリンの飼いネズミを寝ぼけて食べてしまい、その咎で命蓮寺を勘当されてしまい、行き場がないのでふらふらと歩き回っておりましたところ、同じように行き場がなくて困っておりました比那名居天子と出会ったのであります。
比那名居天子は、あまりにも自分勝手が過ぎるものですから、父親から勘当されてしまい、仕方なくいつも腐れ縁で良くしてくれる永江衣玖のところへ居場所を求めて行ったのですが、彼女にも冷たくされてしまい、どこにも行くところがなくて困っていたのであります。
そうして、似たような境遇の二人が出会うと、何となく、竹林のほうへと足が向いて、遂に永遠亭に到着したというわけであります。
「泣きっ面とは、縁起が悪いわね」
「でも、天人に毘沙門天の弟子……運気と黄金律はすごく良いよ?」
「ええ。そうですね。ですからお二人には、早々にお帰りいただくべきかと思います」
「そう? それなら、仕方ないわね。まぁ、帰ってもらうにしても、お茶の一つも出してあげて、話を聞いてあげて、少しくらいは力になってあげましょうか。さぁさぁ、早く準備して」
「はい、ただいま用意いたします」
そうして、寅丸星と比那名居天子は、己が身の上を洗い浚い話しまして、どうしたものかと溜息を吐いて肩を落とす次第であります。それを見ると、哀れがひどく募ってまいりまして、姫様もどうにかしてあげたくなってまいりました。
「世の中はどうにも、ままならないことが多いようね。私も天命が意に沿わなくて、悪戦苦闘しているから、貴方たちを他人事として放ってはおけない気持ちになるわ」
「それでは、お二人にはしばらく、永遠亭に留まっていただくことにいたしますか?」
「そうね。でも、あんまり長くいられると、運気が良くなって困るわ。だから、何とか骨を折って、少しでも早くもとの居場所に帰してあげましょう」
そうして、輝夜姫と永琳は、あれこれと人に手紙を出し、頭を下げ、二人のために惜しみなく働きました。その二人の献身に、すっかり感動した星と天子は、己の不徳を深く恥じました。そうして、心機一転いたしますれば、全く別人のようになって、不思議な品性を感じる、立派な人物になりました。
素直な人は、歯車のかみ合わせが悪いときには、悪く悪くなっていってしまいますが、巡り合わせが良い場合には、善が善を呼ぶのだそうですが、この二人は全くそういう、素直な人なのでありましょう。あるいは、輝夜姫もまた、そういう素直な人なのかもしれません。
十五
幻想郷中に知らぬ人がいない高徳の輝夜姫が仲裁人となれば、大事な家来を喰われたナズーリンも、はらわたいっぱいの怒りを抑えて、会うだけは会おうと納得いたしました。
「ナズーリン。本当にごめんなさい。うっかりで済むことじゃないですよね。反省しています」
「小太郎は、本当に頼れる、良いネズミでした」
「はい……謝って済む問題ではないと分かってます」
「じゃぁ、何でこうやって戻ってきたんだ?」
「しっかりと謝ることもせず、供養することもせず、中途半端にして、逃げているのが一番良くないと思ったからです。あなたがどうしてもと言うのでしたら、私はもう、金輪際命蓮寺には近づきません。ですがどうかせめて、小太郎のために、念仏だけでも唱えさせていただけないでしょうか」
「ほら、こう言っていることだし。ね? 許してあげてよ。私のためだと思ってさ。ホント、このとおり! コイツがいると、何をやっても、お金が増えて困るのよ!」
「私からも、お願いいたします。我々は皆、不完全なものです。過ちはあるものです。それを咎めることもまた、同じ過ちにございます」
「どうかしら、ナズーリン。星もこの通り、深く反省しているようだし、輝夜様や慧音さんも、このように星のために頭を下げてくださっているわ」
「……皆さんがそうまで言うなら、私だって、やっぱりご主人と一緒が良いですし」
「ナズー! また、私のことをご主人と呼んでくださるのですか!」
「……もう、うっかりは止めてくださいよ。つうか、食べちゃったってうっかり超えてる気がするんですけどね。あと、無くし物して恥ずかしいから皆にはナイショだとか、気持ちは分かるりますけど、何か私が情けなくなるから、そういうくだらない隠し事も無しですからね」
「ハイ!」
そうして、命蓮寺に戻ることになった寅丸星ですが、しかしその前に、もう一悶着。輝夜姫が抗議しております。
「ちょっとアンタ! せめて自分で稼いだ分くらいは持って帰りなさいよ」
「いえいえ、その財宝は、せめてものお礼ですから、受け取ってください」
「ちょ~、迷惑だっての! ツベコベ言わず、持って行けって」
「あぁ! 輝夜さんは、本当に尊いお方です。生き仏です。これほどまでに無欲であらせられて。ありがたやありがたや」
「コイツ、話にならないわ……そうだ! ちょっと、貴方! 聖さん! これ、寄進するから、受け取りなさい。使い道何ていくらでもあるでしょ?」
「しかしこれは、星がお世話になったお礼ですから……」
「いいから持って行けって!」
「しかし……」
聖と輝夜姫。おいそれとどちらも引っ込みがつきません。
「ちょっといいですか? 白蓮殿、これは受け取っておくべきですよ。輝夜姫は、大変徳の深いお方で、ご自身の功績をできるかぎり面に出ないようにつとめておられるのです。また、今回、輝夜姫が寅丸殿のために尽力されたのは、富のためでも、名誉のためでもありません。ただ、寅丸殿の境遇を哀れまれてのことです。今、こうしてお礼を受け取ってしまえば、どうなるでしょうか? 大切な気持ちが、お金に代わるものであるということを、示すことになりはしませんでしょうか? 輝夜姫は、それを恐れているのです」
聖「何と深いご配慮でしょうか。まさしく、輝夜姫こそ、生き仏でございます。ありがたやありがたや」
それから毎日、決して欠かすことなく、星は輝夜姫の御威徳を讃えて念仏を唱えるのでありました。
また、命蓮寺の裏手にあります崖を自力で削り、大変大きな輝夜観音像を造りまして、以降は命蓮寺一門、毎日その観音像を拝み申し上げました。すると、それを見ていた里の人間たちもまた、一緒にありがたがって敬拝いたします。このことが地底にまで伝わりますと、地底の妖怪は、かつての恩がございますから、この観音像を大変ありがたがりまして、地上に出て参りましたときには、必ず命蓮寺を訪れ、百拝して後に帰るのが常になったとのことでありますが、それはまた、別の話であります。
十六
寅丸星の次は、比那名居天子です。
「ふぅ。何とか虎っ子は、片付いたわね。財宝もちゃんと持って帰せたし、ようやく一息つけるわ。あ、天人。あんたも、すぐに何とか帰れるようにしてあげるから、もうちょっと待ってなさいよ」
「ありがと、輝夜。ごめんね、迷惑かけて」
「別に、あんたたちがずっと居たんじゃ、うちだって困るからね。自分のためよ。お礼なんていらないわ」
輝夜姫はそう言いますが、天子は少しも信じません。
(そんなの、嘘だわ。だって、私たちが来てから、良いことはあっても、悪いことなんて一つもないもの。この前だって、星と弾幕で遊んでたら、何故か金銀の財宝が見つかったり、てゐと一緒に落とし穴を掘っていたら、温泉が湧き出たし。そうしてそれは、独り占めすることなく、みんなで分かち合うようにしなくちゃいけないんだって教えられた。私、すっかり感心しちゃった。
そうよ。きっと輝夜は、すごく良い人なんだわ。
この前の財宝は全部お寺に返しちゃうし、温泉は、湯治に使ったら良いって言って誰でも使えるように開放しちゃうし。自分のことよりも、他の人のことが大切だから、こうやって私にも優しくしてくれるに違いないわ。そうして、恩着せがましくないように、あれこれと憎まれ口を叩いたり、変な人であるかのように振舞ったりするのよ。輝夜は、そうじゃないって否定するけど、私には分かるわ。輝夜は、自分以外の人のことを思いやれる、優しい人なのよ。私には、ちゃんと分かるわ。
……そんな輝夜に比べると、私は本当に、自分勝手で、ダメな子だな。これじゃ、家から追い出されて、衣玖に見放されるのも、当然よね。反省、しなくっちゃ)
そう、天子が考えておりますと、輝夜姫は、疲れ切った様子でこう言いました。
「まぁ、それにしても今日はちょっと疲れたわ。一服したら、もう寝ることにするわ」
天子は、少し躊躇った後に、思い切ってこう言いました。
「あ、輝夜……あの、今日は、一緒に寝るのって、嫌かな?」
「ん? 別にいいけど。なんで?」
「ちょっと、お話したいことがあって」
「そう。まぁ、好きにしたらいいんじゃないの」
そうして、輝夜と天子は、一緒の部屋で寝ることにしました。
十七
「ねぇ、輝夜? 私、天界に帰らないでおこうかなって思うの」
「え? そうなの? ん~……まぁ、いいんじゃないの」
「そう思う?」
「うん」
「私なりに、よく考えてみたんだけどね。私、いつまでも天界にいるんじゃなくて、地上に降りて、色々と勉強して、もっと大人にならなくちゃいけないと思うんだ。私が自分勝手で、子供だったから、家族からも、衣玖からも見放されちゃったんだと思う。だから、これは良い機会だから、ちゃんと自分の悪いところを直そうと思って。輝夜は、どう思う?」
「……ん、あぁ。いいんじゃない?」
「でもね、だからといって、ここにずっと居たんじゃ、いけないと思うの。やっぱり、何か仕事をして、人の役に立って、はじめて大人になることができると思うから。天人だから、私はすごい力があるし、生活するのに苦労することはないわ。でも、そうやって、自分の才覚に頼って、独立して生きていることが、大人になるということじゃないと思う。人の輪の中で、自分の役割を見つけることができて、その役割を果たすことを通じて誰かに貢献できて、それが認められて、はじめて大人になったって、言えるんじゃないかな。そうして、そうやって大人になったら、きっとお父様たちも、私のことを認めてくれると思うの。どうかな?」
「……うん」
「でもね、私、ちゃんとやっていけるかな? それに、私って、結構嫌われ者だから、受け入れてくれる人がいるかな? 心配だな」
「……ん~、あぁ。大丈夫じゃない?」
「本当に?」
「大丈夫よ。私がいるんだし」
「!! そ、そうよね! 輝夜がいるから、大丈夫よね」
「そそ。じゃ、もう寝ましょう。今日は疲れたから、もう眠くて眠くて」
「そうね。ごめんね、輝夜。眠たいのにつき合わせて」
「ん~、気にしなくていいわよ。じゃ、おやすみ」
「おやすみ、輝夜」
そうして輝夜姫は、安らかな寝息を立てて眠る天子を横目に、一人思うのであります。
(そうよ。どうせ、どうあがいても、悪いようにはならないのが私の人生なんだもの。それならいっそのこと……まぁ、安心しなさい。私が、なんとでもしてあげるわよ)
そうして、輝夜姫も眠りにつくのでありました。
十八
朝餉の折、輝夜姫はお茶を飲みつつ、天子にこう語り掛けました。
「ところで、あんたの言ってた衣玖って、確か龍宮の使いだったっけ? アイツ、今はどこにいるの?」
天子は口に含んだお味噌汁を飲み込むと、ちょっとばかり考えて答えました。
「衣玖? 衣玖は今、水晶宮に帰っているよ」
「水晶宮? あぁ、深海にあるっていう、海の冥府ね。漢書の……なんだったかしらね。詳しく書いてあるのを覚えているわ。確か、海人たちの、お役所なのよね」
「うん。何か、しばらくは帰って来ないって行ってたわ」
「そっか……まぁ、おあつらえ向きね。永琳! ちょっと、スキマ妖怪を呼んで来てちょうだい」
「はい、かしこまりました。しかし、どうしてですか?」
「まぁ、考えがあってのことよ。さぁ、天人。今日は私に付き合ってもらうわよ」
「うん、何処に行くの? 輝夜?」
「人里よ、人里。あんたの居場所に、心当たりあるの」
「本当!」
「そ。本当。だから、ご飯食べたら、行くわよ」
「うん!」
十九
人里に着いた輝夜姫と天子は、一直線に寺子屋へと向かいました。
「お~い、もこ~! ハクタクいる~?」
「あぁ! お前! じゃなくて、輝夜! 何しに……来たんですか?」
「そんな丁寧な言葉使わなくていいから。まぁ、それより、ハクタクは?」
「えっと、慧音は今日、紅魔館に行ってる」
紅魔館とは、慮外なところ。輝夜姫は少し驚いて問い返します。
「え? 紅魔館? 接点とかなさそうなんだけど。なんで?」
「吸血鬼の妹に、勉強を教えてるんだ。あそこの家庭教師って、儲けになるからな」
吸血鬼の妹、それはつまり、紅魔館の主であるレミリア・スカーレットの妹として噂される人物のことです。たしか、名前はフランドール・スカーレットだったと思い出して、輝夜姫は了解し、二度三度と頷きました。
「そっか。……それにしても寺子屋、大きくなったわね」
「うん。古い民家を借り入れてたのも、すっかり新築して、キレイになった。机も椅子も、揃ったし。寺子屋に通わせてくれる親も増えて、おかげで私も、手伝いで大変だ。まぁ、手伝いっていうか、正直勉強は、ほとんど私が教えてるんだけどな」
「そうなの?」
「慧音の授業、すっごい不評でなぁ。私がやったほうが、うまく行くんだ」
「それは……ちょっとかわいそうね」
「まぁ、でも、吸血鬼には好評らしいけどな。慧音の授業。たぶん、慧音は、人里の先生よりも、名家の家庭教師をするのが、あってたんだと思うよ。言葉遣いとか、雰囲気とか、教養とか。何よりも、慧音の話は、庶民には興味がないことが多すぎるんだよね。立派なことを言ってるんだけど、皆はそういう話を聞いて立派な人間になるよりも、毎日楽しく過ごしただけだし」
「なるほどね。まぁ、やっぱり、おあつらえ向きね」
「どういうことだい?」
「こっちの話。それより、単刀直入に言うけど、この子。アンタのところで、雇ってあげてちょうだい」
「本当にいきなりだなぁ。まぁ、人手は確かに欲しいけど……えっと、確か、天子っていったけっか? 天人の娘さんなんだよね」
そういう妹紅は、なんだか怪訝な表情です。それもそうでしょう。比那名居天子という名前からは、あまり良い噂を聞きません。傲慢不遜で、人を見下すとのことです。
天子はちょっと緊張した面持ちですが、しかし背筋をびしっと真っ直ぐにして、元気よく答えました。
「は、はい! 私、比那名居天子って言います! 宜しくお願いします!」
その様子に、妹紅は感心した様子です。
「へぇ、元気がいいんだね。なるほど、なるほど。これなら子供たちに馴染めそうだ。私は藤原妹紅。こちらこそ、宜しくお願いします」
「じゃ、採用ってことでいいかしら?」
「いいかしらって、そう決まりつけられても困るけどな。そもそも、あなた。どんな仕事をするか分かっているの?」
「えっと……子供たちに、勉強を教える仕事ですか?」
「いや、それは私がするからいいよ。どちらかというと、子供と一緒に遊んだり、雑用したり、そんな感じかな」
「分かりました! 私、何でもします。一生懸命頑張ります!」
明朗快活に答える天子を、妹紅はいたく気に入りました。
「天人ってのは、意外に真面目で素直なんだな。もっと、お高くとまって、付き合いにくい奴らかと思ってたよ。うん、アンタなら、文句ないよ。天子、でいいよな? 私は、妹紅でいいから」
「はい! これから宜しくお願いします!」
天子も自分が認められて、嬉しさのあまり自然と笑みがこぼれます。
なんだかこの二人は、うまくやっていけそうです。
「じゃ、これで一件落着ね。私、帰るから。ハクタクによろしくね~」
「おう。じゃ~な~」
「輝夜~! ありがと~ね~」
そうしていつまでも手を振っておさまらない天子を、苦笑いしながら手を振って返す輝夜姫の姿がございました。
二十
「あら、お帰りなさい、輝夜。スキマ妖怪、来てるわよ」
「こんにちは、輝夜姫。お久しぶりね。貴方のおかげで、幻想郷も大変住み良いところとなりました。ご高名は、妖怪の世界はおろか、冥界にまで遍く轟き渡っておりますわ」
「それはどうも。で、今日はそんなお世辞を聞きたいわけじゃなくってね。貴方に頼みがあって呼んだのよ」
「私が力になれることでしたら、何でもしますわ」
「外の世界と、スキマでつなげて欲しいの」
「まぁ! 外の世界にご興味がおありなのですか? 確かに、私の力をもってすれば、容易なことではありますが……見て楽しいものではありませんよ?」
「えぇ、そうらしいわね。でも、構わないわ。そもそも、私は物見遊山に外界へ出たいと思うのではないんだから」
「そうなのですか?」
「えぇ。私はただ、海に行きたいだけなのよ」
「なるほど。つまり、海へバカンスに行きたいということですね。そういうことでしたら、分かりました。確かに、少なくはなりましたが、外の世界にもまだ、美しき海の世界は残っております。水着や洋服、宿の手配も必要になりましょうから、それらもあわせて私がお世話いたします」
「いえ、その必要はないわ」
「あら? それはまた、どうしてですか?」
「私はね、海に潜って、潜って、潜って、深海にまで落ちるつもりなの」
「まぁ! なんてことを! そんな、どうして……」
「体にありったけの錘をつけて、浮いて上がれないようにしてしまって、入水すれば、きっと死ねるわ。生き返ろうったって、深海ではそうもいかないでしょう?」
「そんな……確かに、死は蓬莱人の念願かも知れません。ですから、貴方がどうしても望むというのでしたら、私も強いて止めることができないことです。ですけれども、どうか我々のことを慮って、ご再考願いませんでしょうか? 今や多くの幻想郷の民が、輝夜姫様の御威徳を慕い、心の支えとしております。幻想郷は、私にとって実の子のようなものであります。この幻想郷に住む、全ての存在を、可愛く思っている次第です。貴方がいなくなってしまえば、多くの民が悲しみます。それは、私にとっても、大変悲しいことです。何卒、何卒、ご再考くださいませ」
そうして、八雲紫は、膝を折り、深々と輝夜姫に懇願して申すのでありました。
その姿を見るに、八意永琳も感極まって、涙ながらに姫へ懇願し、再考を求めます。
すると、輝夜姫は、大変穏やかな様子で、こう仰いました。
「どうか二人とも、私を信じてちょうだい。私にも、考えがあってのことなのよ」
そう、輝夜姫に言われては、もう二人は何も申し上げる術がございませんから、ただただ、輝夜姫を信じ、その御心に沿うように、万事お尽くし申し上げる次第にございました。
二十一
輝夜姫は、その身に八つの重い金の石を結びつけ、準備万端、入水の準備を整えました。今生の別れを惜しみ、八意永琳も八雲紫も、涙が絶えません。
「まぁ、もし私が、本当に死ねることになったら……最後まで希望を失わなかったら、願いは叶うっていう、そういうことよ。これ、遺言にしておいて。じゃ、スキマ……いえ、紫。お願いできるかしら?」
「はい。全ては御心のままに」
そうして、輝夜姫は、海の底へと沈んで行きました。
二十二
輝夜姫が幻想郷よりいなくなったことは、瞬く間に広まり、半月後には、すべての幻想郷の民が、その在りし日を名残惜しんで溜息をつく次第となりました。一人、また一人と溜息をつきますと、なんだか幻想郷そのものが溜息をついているようです。
溜息をつくのは、なにも哀れな民草のみではありません。
幻想郷にあって、一つの勢力として認められるほどの主であっても、輝夜姫のことを思って溜息をつく毎日であります。
「最近、こころが溜息ばかりで。私もすっかり気がめいります。はぁ」
「私も、フランが溜息ばかりで。ハクタク先生も、フランの様子を心配して溜息をつかれていました。はぁ」
「そういうレミリアさん。あなたも溜息をつかれていますよ」
「そういうあなたも。溜息をついていましたわ」
「う~む。そうですか。太子として政をいたしておりましたときにも、溜息などはしませんでしたのに」
ここは紅魔館。春の日差しのうららかな時節に、ゆったりとくつろいで楽しむお茶の一時。色とりどりの西洋菓子に、野菜スティックやサンドイッチまで用意され、気の向くままに手を伸ばし、味を楽しむ貴族のたしなみは、その髄をイギリスのアフタヌーンティーに見ることができます。紅魔館のはまさにそれで、世の人はこの贅沢を涎を垂らしてうらやましがることでしょう。
それが、どうしたことでしょうか。まるで和やかな雰囲気はありません。華やかさもありません。ただ溜息ばかりの、鬱屈とした雰囲気があるばかりです。
「最近、こころになんというか、感情の起伏が乏しくなったというか、溜息ばかりでふさぎ込んでいるように見えて仕方がありません。はぁ」
「こころちゃんは最初から感情の起伏が乏しかったと思うのだけど……気のせいじゃないかしら? それよりも、うちのフランが、なんというか、感情の起伏が激しくなったというか、すぐに怒ったり落ち込んだりして安定しないように見えて仕方がないわ。はぁ」
「……フランちゃんは最初から、躁鬱の気が激しかったように思えるのですが。きっと、気のせいですよ。病は気からと言いますから。はぁ」
そんな溜息ばかりの二人を遠目に見て、首をかしげるのはフランドール・スカーレットと秦こころ。
「最近、お姉さまが溜息ばかりでおかしいの」
「あの人もそう。ずっと溜息ばかり」
「どうしたのかな?」
「輝夜姫がいなくなったから、らしい」
「ああ、輝夜姫ね。ハクタクも、この世の終わりってくらいに嘆いてたわ」
「大人は大変」
「そうね。お姉さまもあんなに溜息ばかりついて……空気の抜けた風船みたいになってるわ」
「うちのお姉ちゃんといっしょ。お姉ちゃんも、死にかけのナマケモノみたいになっちゃってた」
「あ、こいしちゃん。来てたんだ? ハロハロ~」
「ハロハロ~」
「はろはろ~」
どこからともなく現れたのは、古明地こいし。神出鬼没の彼女は、ぬっと現れたと思うと、サッといなくなる地底の妖怪です。地底の主をしている彼女は姉は、以前、輝夜姫に大恩を感じて心動かされたことがありました。その姉はきっと、こいしの言葉どおり、輝夜姫がいなくなってしまって、「死にかけのナマケモノ」同然に失意で満身創痍になっているに違いありません。
しかし、そんなことは彼女には関係ありません。いや、彼女たちと言うべきでしょう。黄金の小娘たちは、今日も仲良し三人組で集って、遊び惚ける算段です。
「ハクタクも、お姉さまも元気がないのは好都合カモ。こうやって三人で、仲良く遊べるんだからね」
こころもこいしも、頷きます。
「でも、少し物足りない」
こころがそうつぶやくと、こいしもまた、物足りないと感じているらしく付け足します。
「お姉ちゃんのお小言がないと、なんだか張り合いがなくって拍子抜けしちゃう。どこかに行くなら、一言行き場所くらい教えて言ってほしいって、何度も言ってるじゃな~い……って」
フランドールも思い当たる節があるようです。
「……そうだね。それもそうだね」
そうして少し、間があったのちに、三人は一緒に、「はぁ」っと溜息をつきました。
二十三
ここは深海の淵の淵。真っ暗闇の世界の中で、一つ際立って威厳を放つ宮廷があります。名は、水晶宮。冥府の宮で、司るのは偉大な龍神様です。そうして龍神様にお仕えするのは、人の形を持つに至った深海魚の妖怪たちでございまして、一般には海人と呼ばれております。
この水晶宮で最近、新しく龍神様にお仕えすることになった妖怪がおります。名前は永江衣玖。リュウグウノツカイの妖怪です。
しかしどうも、彼女は水晶宮に来てからというもの、溜息ばかりで気もそぞろなようで、仕事ぶりが不熱心だと、あまり評判がよくありません。
今日も今日とて、さっそく溜息がでてしまいます。
「はぁ……総領娘様、どうしているかしら? 忙しかったから、よそよそしくしちゃったけど、もっとしっかり、お話を聞いてあげるべきだったわ。でも、そうやって、甘くしちゃうから、いつまでたっても、大人になってくださらないのかな? とも思うし、やっぱり、少しは突き放すことも必要よね。あぁ、でも、総領娘様は、お友達がいな……少ないし、寂しい思いをされてないかしら。はぁ……心配だわ」
「あらあら、あなたはいつも上の空ね。そうして同じことばかり、何度も何度も独り言。いったいどうしたの? そんな様子では困ってよ。龍神様に申し訳がないでしょう?」
「あぁ、申し訳ありません。マッコウクジラの海人さん。今日もたいそう、お元気そうですね。見事な恰幅。羨ましいです。私はすっかりしょげてしまって、薄っぺらになってしまいました」
「いや、そうでもないのよ。それが、昨日丸呑みした魚の骨が喉に引っかかっちゃって、少しも元気じゃないのよ。顔が大きくて、目がぱっちりしてるものだから、そう見えるのかしら」
「あら、そうなのですか? それは失礼致しました。きっと、体が大きいから、いつも元気そうに見えるのですわ」
「そうね。貴方の三倍くらいは、大きな体をしているものね」
「ところで、何のお話でしたっけ?」
「さぁ、忘れてしまったわね」
「困りましたね」
「えぇ、本当に」
「「はぁ……困ったなぁ」」
そうして、海人二人で困っていると、ドシドシと勢いのある足音が聞こえて来ました。
「おや、この足音は、きっと深海に生息するオンデンザメの鮫人に違いないわ。何かしら、今日はいつになく陽気な感じね」
「あの人が陽気なのは、いつもどおりという気もしますけれども」
「そうだったかしら?」
「えぇ、そうですよ」
「そういわれると、いつもどおりな気がするわね」
「でも今日は、いつもより元気がいいですよ」
「やっぱりそうかしら?」
「えぇ、そうですよ」
そうして、二人で終わりそうにない会話をしておりますと、オンデンザメの鮫人は、大きな声で二人に話しかけます。
「おおい! 二人とも。えらいものを手に入れたぞ! う~む、重い! よっこらせ、よっこらせ。ふぅ。ようやく着いたぞ」
全身血まみれのオンデンザメの海人は、体に沢山の金塊を結びつけた、人間の女性を抱えており、その光景は大変異様でありますから、滅多に慌てたりしないマッコウクジラの海人も、永江衣玖も、すっかり驚き呆れてしまいました。
「あわわ、一体全体、どうしたというのですか?」
「いや、珍しく人間が落ちてきたものでな。大変美味しそうな匂いがしたから、食べたのだ」
「なるほど、それで全身血まみれなのですね」
「うむ。しかし、この人間は、実に便利な人間でな。半分は食べて、半分は仲間にお土産として持って行こうと思い、とりあえず上半身だけ食べたのだが、なんと気がつけば、上半身が再生しているのだ。おや? これはどういうことかと思い、最初は困惑したのだが、まぁ、そういうこともあるかと思い、また上半身を食べたのだ。すると、やはり元通り再生するではないか。いやぁ、なんとも有難い人間だ。結局、道中、何度も何度も食べてだな、まぁ、二十回くらいは食べたのではないかな? おかげで、お腹一杯さ。ハッハッハッハ……」
「おやまぁ。それはけったいな人間だわ。でも、私は生憎、人肉を食べないから」
「私も、人の肉は……おや? この人、どこかで見た覚えがある気が……あぁ! この人は、月人の蓬莱山輝夜さんですわ! まぁ、なんてこと! しかし、なんでこんなところに……」
「ほぉ、これがあの、阿弥陀如来の生まれ変わりと言われる、蓬莱山輝夜さんかね。へぇ、これはありがてぇ。阿弥陀如来の肉なんて、滅多に食べれるものじゃないからな」
「う~ん。見たところ、どうやら入水して、本当に仏様になろうとしたのかしら? こうやって、幾重にも錘をつけているところを見ると、そんなふうに思われるわ」
そうして、海人三人で話をしておりますと、輝夜姫も次第に意識を取り戻し始めます。
「う~ん、ここは?」
「おや、目を覚ましたよ。すごいなぁ。食っても食っても死にはしない。本当にこのお方は、阿弥陀如来の生まれ変わりだ」
「うお、何あんたら! でっか。海人ってのは、みんなこんなものなの? 私の倍以上あるじゃないの、あんたら」
「私みたいに、普通の人間サイズもいますよ」
「あ、アンタ。良かったわ。すぐ会えて。永江衣玖よね? ちょっと、アンタに用事があって来たのよ」
「え? 私にですか?」
「そう、アンタによ?」
「もしかして私に会うためだけに、入水したのですか?」
「まぁ、そんなところよ」
「それは……ご苦労様です。ところで、一体どうしました? よっぽど、大切な用事がおありなのでしょう」
「えぇ、天子のことについて、ちょっとお願いしたいことがあってね」
「まぁ、総領娘様のことですか?」
「えぇ、そうよ。アイツ、人里で寺子屋の……用務員? 子供たちの世話係? まぁ、そういう仕事をして、生活することに決めたから。ちゃんと大人として生きていけるようになるまで、天界には帰らないからってさ。でも、色々と大変なこともあるだろうし、アイツ、アンタのこと大分気にしてたしさ。まぁ、幻想郷に帰ったら、顔を見せてやってちょうだい。きっと、喜ぶと思うしね。話はそれだけよ」
「それだけ?」
「そう、それだけ」
「それだけですか!」
「うん。それだけよ」
「まぁ! あぁ、なんと言ったら良いか……総領娘様が、そんな立派なお考えをお持ちになったなんて……それに、貴方様も……あぁ、何と言うことでしょう! 嬉しい! 衣玖は嬉しゅうございます」
そう言って、ぽろぽろと流れ落ちる永江衣玖の涙は、血でありました。その血涙、一度水晶宮の透明なフロアに落ちたと思うと、瞬く間に紅蓮の輝きを見せ、燃え上がるように色を深めると、次第次第に固まっていき、価も知れぬ尊い宝玉と化したのであります。
海人は、心から感動したときしか泣かないものです。そうしてその涙は、宝玉と化すのであります。
同僚の涙を見た二人の海人も、その心震える様に感極まります。そうして、一瞬悶えるような奇声をあげると、わっとその場に泣き崩れました。そうして三人は、輝夜姫を囲み、ギュッと強く抱きしめて離しませんでした。そうしてマッコウクジラの海人からはアメジストの涙が、オンデンザメの海人からは琥珀の涙が零れ落ち、輝夜姫は瞬く間に宝石の海に埋もれてしまいました。
「く、苦しい……」
そんな姫様の悶える声には無頓着で、三人はおいおいと、泣き止むことを知らぬ勢いで涙を溢すのでありました。
二十四
人里の中でも荒れ果てて廃墟同前の家屋が連なるものすさまじい一角を、似つかわしくない端正な歩みで進む女性がおります。はたから見れば女人が一人、このようなところを歩き回るとは危険極まりないことですが、どうして、この地は案外平和です。あちらにもこちらにも、貧しいながらに木彫りの輝夜如来像をこしらえて、拝み倒してございます。
そんな、貧民たちの輝夜姫のご威光にすがる姿を、この女人、八意永琳は思い深げに見ております。きっと、輝夜姫と一緒に過ごした日々を思い返しているのでしょう。
そうしてしばしそぞろに歩くと、不思議に掃除の行き届いた、清潔な家が見えてまいりました。ここに、弟子の鈴仙の診療所がございます。
「うどんげ? 元気にしてた?」
「あ、お師匠様! お久しぶりです!」
今ではすっかり、人里に解けこんだ鈴仙は、毎日里の貧しい人や、お年寄りのためにお薬を作ってあげています。報酬は、農作物だったり、お煎餅だったり、手作りのお人形や草鞋や傘だったり。家の掃除や、障子の張替えを報酬としていただき、お薬を作ってあげることもあります。子供からはお金を取りませんし、動物のためにもタダで薬を作ってあげます。ですから、全然自由なお金などはありませんが、何一つ不自由することなく、鈴仙は幸せな毎日を送っております。
「順調そうね。患者さんも、一杯来てくださるようだし」
「おかげさまで、忙しくって困ってしまいますけど……」
そういう鈴仙の顔には、生命の充実が満ち溢れていて、永琳は愛弟子のことを思うと、大変幸せな気持ちになりました。
「お師匠様? あの、姫様はまだ、帰られていないのですか?」
そう、鈴仙に問われると、永琳の顔が少し陰りました。
「えぇ。まだ、帰っていないわ」
「そうですか……早く帰って来てくださるといいですね」
「……そうね」
そう、永琳は答えましたが、実は内心では、
(もしかすると、このまま一生、帰って来ないほうが、彼女にとっては幸せなことなのかも知れない)
とも思うのでありました。
あれほど不幸を望み、それでも叶わぬ歯がゆさを思えば、永遠に海の底に沈んで、思うことも感じることもできないようになってしまうほうが、輝夜姫の希望に沿うのではないかと思われるのです。
しかしやっぱり、長く連れ添った間柄ですから、また一緒に過ごすことができたら良いなとも思うのであります。
その気持ちが何だか察せられるような気がして、鈴仙の心も陰ってしまいましたから、自然と二人、言葉少なげになります。
折角久しぶりに、師弟の歓談と相成ったというのに、残念です。
と、そのとき。何処からか、鈴仙と永琳を呼ぶ声が聞こえて来ました。
「おや? もしかして、誰か呼んでいるのかしら?」
「えぇ、どうもそうらしいですよ、師匠」
「誰かしら?」
「さぁ? 患者さんでしょうか?」
そうして二人、外に出ると、何と里の上空に、大きな龍が一匹、渦巻いているではありませんか。
「お~い、鈴仙! 永琳! 私よ~。輝夜よ~。帰ったわよ~」
その龍の背中に乗って、こう、大声で呼びかけるのは、間違いありません。輝夜姫です。
「永遠亭に、最初は行ったんだけど! 永琳がこっちに来てるからって、てゐが言ってさ!」
鈴仙も永琳も、まさか姫様が龍に乗って来るとは思いませんでしたから、呆気に取られて声も出ません。
「じゃ、もう着いたから、ここでいいわよ。ありがとね、龍神様♪」
そういうと、龍の背から降りて、姫様は里中へと降り立ちます。
「いやぁ、龍ってのは、本当にすごいのね。スピードといい、神通力の強大さといい、驚いたわ。あ、あれが、龍神ね。そうそう、アイツすごいのよ。涙を流すと、その涙が私くらいの大きさの金剛石になってね、ズシン! ズシン! て、地面に落ちるの。一つ持って来たかったくらいだけど、重たくて仕方ないから諦めたわ。
あ、これ、お土産。海人の涙って、宝石になるのよ。ね? どう? キレイでしょう? しかも、こんなに大きいの。そうだ、鈴仙。今度、この宝石を加工して、ブローチ作ってあげる。貴方も、たまにはオシャレしないとね」
鈴仙も永琳も、未だにぽかんとして、まともに言葉が出てきません。
ようやく、永琳が気を取り直して、姫様に尋ねます。
「姫様、あの……良いのですか? こんな尊い宝石をもらいましては、きっと幸せになってしまいますよ?」
そう問われると、姫様はふっきれた顔でこう答えました。
「まぁ、色々やってみたけどね。どうせ、不幸にはなれない宿命なんだから、諦めたわ。それに、私は私の幸せには、やっぱり興味がないし、こんな幸せな人生はツマラナイけど、案外私って、私以外の人たちの幸せには、興味があるみたいなのよね。
まぁ、皆が幸せであるってのは、案外悪い気持ちはしないわ。ただ、それだけよ。どう? 自分勝手でしょう? まぁ、何せ私は姫様だからね。これっくらい当然よ♪」
そう、答える姫様を見て、永琳も鈴仙も、嬉しくて涙が止まらないのでありました。
ガチ貴族で、なおかつ不老不死の業だからこそ成し遂げれる偉業だな
ただ、この輝夜はマゾな気がしないでもない
龍に乗って帰って来るって、もう神様とか英雄のサーガじゃないすか姫様
地味に過去作のレミケネ要素まであるんすね〜
面白かったです
いや、面白いっつーより読んでて気持ち良かった、かな
龍の上から笑顔で手を振りながら帰還する姫様が容易に想像できるのであります
普通に面白かった。
記憶に残るお話でした。
ラッキーマンを輝夜でやってるだけって言えば、それまでなんだけど、
輝夜のキャラにマッチしてて上手くネタになってるのがグッド。
西欧的な愛を一部蛇蝎の如く嫌う日本人にマッチしてるのかも
かぐや姫と言えば道教で道教と言えば無為自然で無為自然と言えば足掻かない方が
逆にいい結果になるみたいな哲学
そう考えればこの輝夜は道教的な仙道の目指すべき理想のタオのヒーローと言えるかもですね
実際の道教や無為自然思想は人工人工そして人工って感じの歴史でしたのでまあ単純じゃないというか目指すほど逆を向くというか
全体的にうまくまとまっており、各章のつながりも楽しく読めました。
ただ少々落ちが弱かったかな、と思います。
今まで読んだそそわの小説の中で一番笑った気がする。
言い回しとテンポが本当に楽しかった。
登場人物の描写もいちいちおかしくて笑ってしまう。
シュールさの密度がケタ違いで終始笑える。
こんな陽気な作品、本当に読めてよかった。
黄金律すごすぎて姫様が特技:お金持ちなどこぞの金ピカみたいだ