Coolier - 新生・東方創想話

心が壊れた橋姫と、"ソレ"と呼ばれた呪精の話

2011/03/06 17:34:24
最終更新
サイズ
23.89KB
ページ数
1
閲覧数
1392
評価数
4/29
POINT
1460
Rate
9.90

分類タグ


 妬ましい。妬ましい。妬ましい。
 あの子が妬ましい。この子が妬ましい。その子が妬ましい。どの子も、妬ましい。
 私だって本当は報われてないわけではないんだろう。少ないながらも友人だっているし、もっと下の境遇の妖怪もいるはずだ。
 でも、この感情を抱いてしまう。本当に妬ましいのか?この溢れんばかりの嫉妬心はどこから来るのか?本当にこの気持ちを抱いてもいいのか?わからない、だから至極どうでもいい。

 目の前に、飢えで苦しむ"ニンゲン"がいたとしよう。もし私が"ニンゲン"だったら憐憫の情を抱くのが普通である。もし私が普通の妖怪なら、食欲が出てくるに違いない。しかし、私はそんな"ニンゲン"を見てもただただ「妬ましい」としか感じなくなってしまった。何が妬ましい?わからない。何故妬ましい?わからない。どうすれば、他人が妬ましくなくなるか?わからない。

 私が嫉妬を感じるのは、他人に対してのみだ。物を妬ましいと思うことはない。ただ、その物の所有者が妬ましくなる。
 隣の芝生は青い、という。私から見ると、すべての"芝生"が"青く"映る。しかし、妬ましいのは"芝生"ではない。"芝生"を"青く"できるのが妬ましいのだ。だから、結局は"芝生"も妬ましくなるけど。矛盾してるのは、知っている。そして、妬ましいから他人の"芝生"を壊し、妬ましいから他人まで壊し、妬ましいから自分の"芝生"も壊す。私自身は、とっくに壊れている。壊れたまま、治らない―――



 私は一人旧都を歩いていた。ここは、妖怪が多く喧騒に包まれた道。いたるところで陽気に酒を飲みかわし、騒がしいざわめきが聞こえる。でも、私はこの道はあまり好きではなかった。忌み嫌われた爪弾き者の妖怪たちが集まって仲良くしてるのに、そんな妖怪たちにも私は爪弾きにされる。でも、別に悲しくも悔しくもない、ただただ妬ましいだけ。人が多いほど、妬ましくなる。だから、この道は好きではない。
 果たして、私に好きなものがあるのだろうか。よく考えてみても、そんなものは見つからない。おいしい食べ物?妬ましい。凛々しい人?妬ましい。好き、嫌い、じゃない。そう考えると、皆が妬ましくなって、もっと気が狂いそうになる。だから、妖怪たちを避けるように私は暗くて狭い路地に入った。誰とも会わなければば、妬ましいなんて思うこともないだろう。
 表の喧騒が妬ましくなるが、逆に言うとそのくらいしか妬ましくない。一人、そう、他には誰もいない。安らかな孤独に包まれながら私は自宅へ向かっていた。
 
 ふと、足を何かにぶつけた。石か何かか―――いや、それにしては大きすぎる。それに、感触は柔かかった。何だろう、と足元に目を向けると、そこには血を流して呪精が倒れていた。私は"ソレ"を冷たい目で見降ろした。思うことはなにもなかった。仮にあるとしても、それはただの嫉妬の念のみである。"ソレ"が死ぬことがない呪精だからかもしれない。でも果たして私が死にかけた生物を見て嫉妬以外の感情を思うことはあるだろうか。いや、ないだろう。
 死なないなんて妬ましいわ。そう思いながら私は"ソレ"を無視して、歩きだそうとした。どうせ一日そこらで蘇るだろう。こんな呪精に構う気はない。
 しかし、私は歩みを止めざるを得なかった。なぜなら、その呪精が私の足首を掴んでいたからである。どこにこんな力があるのか、というくらいの力で私の足首を掴んで離さない。
 しかたない、と私はかがんでその呪精の指をほどこうとする。振り返って蹴り飛ばしてもよかったが、妬ましいとは言えどなんの恨みもない呪精を蹴り飛ばすなんて言う趣味はない。昔は誰それ構わず殺していたが、もう心が壊れてしまったから。
 "ソレ"の死ぬ前の最後の力だったんだろう、少し触れただけで指がほどけた。力なく、地面に落ちる呪精の腕。虚しく響いたその死の音が、何故だか私の心に衝撃を与えた。理由はわからない。多分、死んだことによって"ソレ"が呪精から死体になったからなんだろうが、嫉妬ではないなにか別の感情が一瞬だけ芽生えた気がした。懐かしい感情、これは……なんだったか。今の私には、わからない。
 もしかしたら、この子をきっかけに私も変われるかもしれない。豊かな感情を取り戻すなんて希望は、ずっと前に捨てたけど。でも、一筋だけ光が見えた気がした。
 私は"ソレ"を持ち上げる。苦痛にゆがんだ死体の顔から目をそらし、ゆっくりと抱きかかえて、そしてまたそのまま歩き始めた。

 路地から出て、また大きな道に出た。沢山の妖怪たちが目につく。私の中の嫉妬心が疼き始めた。ああ、妬ましい。"ソレ"を抱えてるからか、どこか好奇の目で見てくる妖怪たちを無視しながら、私は家を目指す。途中何度か呼びとめられたが、それを軽くいなしてそのまま大股で歩み去る。私に構わずに酒でも飲んでればいいじゃない。いつもは私なんか目にも留めないくせに。本当に、妬ましいわ、と若干悪態をつきながら、その道を抜けた。



 橋のふもと。橋姫―――瀬織津比売は川の神で、信仰されていたりもする。私は妖怪としての橋姫だけど、それでも橋のふもとに瀬織津比売が祀られるように私の家も橋のふもとにある。本当に小さな家。私が住むだけだから、大きな家は必要ではない。大体橋もしくは地上と地下を結ぶ縦穴あたりにいるし、実際は寝るだけのような家だ。
 ひび割れた壁、くすんだ窓、そして歪んだドア。まるでそれは私の心を表しているようにも見える。錆ついた鍵穴に鍵を乱暴に入れ、回す。ガチャリ、という音を立て開錠、そして私はそのひどく重いドアを開いた。
 
 自分で言うのもなんだが、本当にこじんまりとした部屋だ。きれいに整っている。ぱっと見ただけなら普通の部屋にも見える、しかし、そのさまざまなところに私が私であるためのものが置いてあった。
 戸棚の中には五寸釘や藁、櫛、丸鏡、化粧道具そして数珠が、部屋の隅には鉄輪が黒ずんだ松明と一緒に置いてあり、箪笥の中にはいつもの服とともに何着かの白装束と一反の白い木綿がかかっている。昔私が使ったもので、どうも捨てられないのだ。その箪笥を開けて、一着だけ白装束をだして"ソレ"を乗せた。床は汚れないし、ある意味呪精にあった置き場所とも言える。蘇るまでは放置しておこう、そして蘇ったら"ソレ"とはおさらばだ。
 呪精の血で汚れた服を脱ぎ捨て、生まれたままの姿になる。しきっぱなしだった布団に寝そべり、天井に手をかざして、ふと思った。私は、一体何なんだ、と。何のために、今ここにいるのか、と。だが、それは思うだけにすぎなかった。

 私はいつまでそうしていただろうか。ふと衣が擦れる音がして、そちらの方を振り返る。"ソレ"が蘇り、きょろきょろとあたりを見渡していた。そう言えばまだ服を着ていなかった。最低限布団を足にかけているし、別にそうでなくとも何とも思わないだろう。大体呪精含め妖精の類は雌。仮に雄がいたとしても、恥なんて感情はとっくの昔に捨てた。まあ、襲われるのは面倒だが、呪精程度に負ける気はない。
 "ソレ"はこちらに気付いて、そして笑顔を見せた。笑顔、あんな風に笑っていた時期もあったはずだ。ああ、妬ましい。その笑顔が、妬ましい。そして、物珍しそうな眼をしてこちらに近づいてくる。好奇の目で見られるのは慣れているが、"ソレ"の眼はどこか違った雰囲気を持っていた。どこか、違う。理解はできないけれども。私は"ソレ"と眼を合わせた。緑色の眼をしたなにかが"ソレ"の蒼い眼に映る。そして、また"ソレ"は笑った。でも、私は無表情だった。
 白い髪、濃い紫を基調とした服に二対の羽、頭には環と揺らめく魂。なぜか私は、なにかにとりつかれ、そして魅了されたように"ソレ"を見つめた。私がそうしてるうちに、"ソレ"が手を伸ばし、私の露わになっていた胸を―――胸を?ポン、と触った。笑顔のまま、である。私も、この時ばかりは笑顔を作ったのかもしれない。作り方は一応覚えていた、でも数十年ぶりだったので本当にぎこちないものになっていただろう。

 そして、強烈な膝蹴りを"ソレ"の笑顔に叩きこんだ。
 
 鈍い感触、骨が砕ける音、吹き飛ぶ小さな体。私の足にも痛みが残った。そう、体が反射的に動いていたのだ。何故?既に失ってしまったはずの恥じらいや嫌悪感なのか。少なくとも、妬ましさではないことは確かだった。
 顔を押さえてうずくまる"ソレ"。そういえば、こんな話を聞いたことがある。地霊殿の火焔猫が使う呪精はただのノリのいい妖精、だと。"ソレ"もその一員なんだろう、だから呪精なのに笑顔を見せた。そして、ノリで私の胸をつついた、ということになる。私は"ソレ"のもとにすっと歩み寄った。それを感じてか、"ソレ"はビクッと震えた。"ソレ"の持つ強い恐怖心を感じたが、私は"ソレ"の頭に手を伸ばし髪の毛に触れた。
 すっと通るきれいな髪。何故だか無性に心をくすぐられて、気付けば私は"ソレ"の頭をなでていた。恐る恐る顔を上げた"ソレ"は、痛みを感じて血を流しながらもなぜかまた私に笑顔を見せた―――
 

 "ソレ"はしゃべらなかった。いや、唖なんだろう。普通の呪精やノリのいい妖精たちがハキハキとしゃべるのを聞いたことがあるので、何らかの事情があるに違いない。しかし、そんなものに興味はなかった。唖の呪精、だからどうした。私は"ソレ"については何も知らなかったがしかし、生活を共にすることを選んだ。そう、何回か一瞬だけだが心が揺れたのだ。希望が見えたら縋るのは誰だって同じ。今まで誰と居ても見えなかった光が、私には見えた気がしたのだ。
 "ソレ"も、私と共にいることは苦痛ではないらしい。何も話していないし、何も聞いてこない。まあ、口がきけないから当たり前なのだけど。そう、私は"ソレ"を利用している。でも、何も思っていない。感情が戻れば何か特別な念を抱くのだろうか?わからない。今わかっているのは、もし見えた光が幻想だったとしたら私は"ソレ"を捨てるだろう。利用してることにも、捨てることにも一切の罪悪感はなかった。
 いかなる時でも"ソレ"は私に笑顔を見せた。その顔からは一切の邪気を感じない。私は覚り妖怪ではないが、その能力故嫉妬心の有無はわかる。"ソレ"はまったく嫉妬心を持っていなかった。そこが、私が"ソレ"に光を見た理由かもしれない。そして、少しずつ感情が戻っていくような気がした。まだ形のないなにかでしかないけれど、私はそれをとても懐かしく感じていた。ただ、まだそれは完全なものではないし、一部の感情は抜け落ちている。
 あと、私は"ソレ"に愛着を抱いてはいない。しかし、"ソレ"に対する嫉妬は和らいでいるようだった。一緒にいて感じる安心感、他の数少ない友人たちと共にいる時とも違う、なにか。私がそのなにかに気づけるのはまだまだ先、しかしいずれたどり着けるような気がした―――


 "ソレ"と生活を始めてから数日がたった。私は"ソレ"を肩に乗せ食材を買いに旧都まで出てきた。周りの目は呪精を連れた橋姫を見て、さぞかし好奇の目で見ているに違いない。いや、全くの無関心か。どっちにしろ、妬ましい。
 そう、私も"ソレ"食べなくても生きてけるが、毎日の暇を考えると物を食べる、という行為は悪くはなかった。何を食べても、他の料理を作る人や食べる人に対して嫉妬を覚えるのだが、食べていないとそれはそれで妬ましくなる。しかし、私が料理を作るようになったのにはほかにも理由があった。それは、"ソレ"だった。料理を作ったとして、評価されると妬ましいし評価されなくても妬ましい。だが"ソレ"は何も言わずに笑顔を見せるだけなのだ。その表情に嘘偽りは欠片も感じなかった。
 私は、その表情を見るのが楽しみになっていた。そう、"楽"。この数日間の中で、私の中に"楽"が戻ってきた。一般的に"喜""怒""哀""楽"、と呼ばれるのもの中で私が持っているのは今のところは"楽"だけだ。嫉妬は一体どこに入るのだろうか?考えはしたが、すぐにどうでもよくなった。どこにも属さない感情、まるで嫉妬は私みたいな存在に違いない。

 食材を"ソレ"と一緒に買い終わって帰路につく最中、後ろから威勢のいい声をかけられ、背中を強く叩かれた。これだけでもそれが誰だかわかるというものだ。星熊勇儀。鬼の四天王の一角。単純な力だけなら勝てるものはそうはいない、私の数少ない友人の一人である。
 そして、細かいことは気にしないおおらかさ、弱いものに見せる姐御肌から、交友関係も広く、沢山の地底の妖怪から信頼されている妬ましい奴でもあった。
 一言挨拶を交わし、そしてすぐさま勇儀の興味は"ソレ"に移った。妬ましさを感じながら、私は仕方なくこれまでのことを離そうと。しかし、勇儀に対しての"ソレ"の異常な行動に驚き、それどころではなくなってしまった。
 "ソレ"は勇儀の腕に掴みかかった。勇儀の気迫にも動じずに、だ。なにか思うところがあるなら弾幕を打てばいいのにとも思う。一瞬勇儀の動きが止まったが、すぐに我に帰り、"ソレ"を引っぺがして私に投げ返した。それを私はキャッチする。一体、"ソレ"は何を考えたんだろうか。もし、相手がもっと気性の荒い妖怪、もしくは機嫌の悪い時の勇儀ならば、鬱憤を晴らされていただろう。
 私は"ソレ"を抱きかかえながら、勇儀にここ数日のことを手短に話した。何度か"ソレ"は動こうとしたが、そのたびに強く押さえつけた。勇儀は黙ってそれを聞いていた。
 話が終わり、一言問われた。楽しいか、と。勇儀は、その問いかけの重さを知っている。でも、私はこう答えた。楽しいわ、と。唖然とした様子を見せる勇儀。そんな勇儀の姿に別れを告げ、私は"ソレ"を抱えたまま家まで戻った。


 家の鍵穴に鍵を入れる。ガチャ、という開錠の音、そして私はその重たいドアを開けた。ふと、何気なく"ソレ"に目を落とすと、なぜだかわからないが"ソレ"は私の胸に縋り泣いていた。
 いつも見せる"ソレ"の笑顔を見ることはできない。じわり、と服が暖かくなっているのは"ソレ"の涙のせいだ。このまま、というのも面倒だから引き剥がそうとする。しかし、"ソレ"はしがみついて離れなかった。
 私が手を下におろしても"ソレ"は私にしがみつく。服を脱ごうにも、"ソレ"がいるせいで私は何もできない。でも、"ソレ"が浮遊してるせいか重くもないし、他に不具合も特になかったので私は"ソレ"を暫く放っておくことにした。

 布団の上に私は座る。"ソレ"は暫く時間がたち、やっと私の胸元から離れた。赤く充血し、素の蒼さが消えてしまったような眼。それでも"ソレ"は笑っている。しかし、その右手は私の服の裾をしっかりとつかんでいた。
 何故泣いているのか?何故私から離れないのか?何故?何故?気がつけば、疑問を口にしていた。何故、と一言その言葉がこぼれ出た。気にしていなかったはずの沢山の疑問を含んで。
 "ソレ"は悲しげなものに表情を変えた。笑顔でいることはやめなかったが、その表情は今までとは違うものだった。作られた笑み。隠された感情。今まで見たことのない"ソレ"の一面が垣間見える。
 私は立ち上がった。慌てて、"ソレ"も浮かび上がる。"ソレ"が私の裾から手を離す気はないように見えた。

 調理。配膳。食事。"ソレ"は一時も私から離れなかった。いつの間にか元の様な笑顔を取り戻せていた、が、ふとしたときに見せる寂しげな表情は一体何なんだろうか。嫉妬なら分かりやすいのに。
 左手で食べにくそうに湯豆腐を食べる"ソレ"。漬物をかじりながら、時たま私の方に笑顔を見せる。どこか、顔色を窺うように。何故?私には見当もつかない。しかし、聞いたところでわからないだろう。それに、こうなった原因はあの"何故"にあるかもしれないのだ。
 戻り始めた私の心に、強い好奇心が現れた。9つの魂を持つと言われる猫をも殺す、危険な感情。周りの嫉妬よりは数段マシな感情だが―――
 


 "この子"はあの日からより私に寄り添うようになった。そして、日に日に強くなっていく好奇心。
 知りたい。"この子"のことを。"この子"が何を考えていることを。"この子"がどうしてあんなことをしたのかを。すべて、知りたい。
 私と"この子"は家を出て、とあるところに向かっていた。そう、地霊殿。地霊殿の主である覚り妖怪ならば、心を読むことができる。"この子"の思いを読んでもらうことに対する罪悪感の様なものは一切感じなかった。私にとって"この子"は都合のいい存在にすぎない。"この子"のことを知れば、いつか見えた光がより一層強くなる、と思っていた。

 旧都の大路を歩いていく。今日はあたりの喧騒も耳には入らなかった。ただただ無言で、歩を進める。呼び止められることもあったが、生返事で軽くあしらう。今の目的は、地霊殿に向かうことだけ。時間は無駄にしたくなかった。気持ちが先走る。いつの間にか私は少しだけ早足になっていた。そんな中、"この子"は、今までどおり私の後をついてくるだけだった。

 大路を抜け、地霊殿が見えてきたころのことだった。なにかの背中を強く引っ張られた。それは"この子"であった。笑顔を止め、顔色を変え、必死に私を引っ張って動きを止めさせようとする。その尋常じゃない様子に私は驚いた。心が、驚きを取り戻したことに気付く間もなく、私はずるずると引っ張られた。
 何が"この子"を突き動かすのか。私はどうしても気になっていた。だから、私は"この子"の意思に反して地霊殿へと向かおうとする。それでも、"この子"はなりふり構わずに私を引っ張る。服が、悲鳴を上げていた。地霊殿について何か悪い印象、もしくはトラウマがあるのかもしれない。トラウマ―――強いトラウマは障害を引き起こすこともある。もしかしたら、"この子"の唖の原因はここにあるのかもしれない。ならば、なおさらだ。
 "この子"と私のやり取りの最中、誰かに声をかけられた。"この子"と一緒に、声のした方向に振りかえると、そこには私の目的の妖怪が佇んでいた。覚り妖怪、古明地さとり。さとりも、忌み嫌われた爪弾き者の妖怪たちに爪弾きものにされる妖怪だ。そのため、多少の親交はある。友人、といってもいいかもしれない。このまま行っても留守だったのだ。本当に都合がよかった。
 さとりはまず、驚きの表情を見せた。感情が戻ってきている、という呟きがその驚きの理由を告げている。そう、覚り妖怪に対して、こちらからは言葉は必要でない。心で、疑問を口にすればいいのだ。ここに来た理由。そして、感じた数々の疑問。それを見てるだろうさとりの表情からは何も読みとれなかった。
 少し考えるそぶりを見せた後、さとりは頷いた。それをみて了承だと判断し、私は"この子"を前に出す。"この子"はどこか安心したような笑顔を見せていた。

 そして、さとりは"この子"を見つめた後、顔をしかめて口を開く。その瞬間のことだった。

 唐突に表れた数体の呪精が、"この子"を取り囲んだ。そして、じゃじゃーん、という台詞。さとりのペットの中の一匹で、たしか名前は―――そう、火焔猫燐。やっと見つけた、とお燐は口にする。どうやら"この子"を探していたようだった。私に礼をいい、さとりに一礼した後に、"この子"を連れてどこかへ走り去ってしまった。本当に唐突だった。引き止める暇もなかった。少し呆然とするが、よく考えてみると、あるべきところに"この子"はあるべきなのだ。私に一部の感情を取り戻させてくれただけでも、ありがたい。今までの私は高望みをしていたんだ。
 さとりはなにか言いたそうな顔をする。しかし、もう私にその言葉はいらないだろう。いつの間にか好奇心はなくなっていた。というよりも、何も感情を抱いていなかった。そのままさとりに別れを告げ、家に向かう。後ろから声をかけられたが、無視し、そして私は走り去った。


 私の家。鍵穴に鍵を刺そうとして、気付く。手が震えてることに。左手で右手を支えながら、やっとのことで開錠した。
 部屋。もともとこじんまりとした部屋だったが、その部屋がやけに大きく感じる。いや、すかすか、というべきか。"あの子"は私の中で大きかったのか?そうに違いない。私は気づけなかった。"あの子"が私の心と感情を戻してくれたんじゃない。"あの子"が私の心と感情を埋めていてくれたんだ。
 この短い間で戻った感情はまた失われた。いや、隠されただけかもしれない。嫉妬心すら、もう私の中にはなかった。代わりに、強い感情が襲ってくる。
 懐かしいこの感情、それは、哀しみ。昔、愛しい人を手にかけたときとはまた違う哀しみが、洪水のように襲ってきた。宇治川を思い出させるその感情の洪水。気がつけば私は膝をつき、涙を流していた。私は、今初めて"あの子"を大切な存在だと認識した。
 でも、これでよかったに違いない。心が壊れてる、緑眼の怪物なんかと一緒にいるよりも、仲間達と一緒にいた方が―――
 
 違いますよ、と否定する誰かの声とともに、強く扉を叩く音が聞こえた。何が違うのか、わからない。そんなことはどうでもいい。私が怪物じゃない、とでもいいたいのだろうか?いや、私は明らかに嫉妬に狂った怪物である。"あの子"が幸せなら、別段たった一体の橋姫がどうなろうと関係はない。しかも、こちらは感情が戻ってきている。私はその恩に対して何も返せていないのではないか。しかも、"あの子"が望んでないのに、勝手に心を読ませた。恩を仇で返すことになってしまったという罪悪感も、襲ってくる。あとは、私一人でも何とかしなくてはいけない。
 だから、今は一人で泣きたい。扉を叩く音と話を望む声は暫く響いたが、誰だったか、と考える間もなくそのうち消えていった。そして、私は完全に一人となる。
 私は動き出すことができなかった。立ち上がろうにも足が震えてすぐにへたり込んでしまう。止むこともなく流れる涙は、床にしみ込んでいったが、私はそれを拭う気にもなれなかった。罪悪感と哀しみ。喪失感と苦しみ。それらに苛まれ、私はどんどん暗い暗い穴へと落ちて行った。
 いつまでそうしていたのだろうか。とっくに涙は枯れてしまい、廃人の様にぼんやりと虚空を見つめる。もう、すべてがどうでもいい。今日は、このまま、休もう。そして、私は、力なく、床に、倒れ、そ、し、て。

 刹那、扉が吹き飛んだ。 

 ひしゃげた扉が宙を舞い落下、大きな音を立てる。倒れたまま、潤滑油の切れた歯車みたいにゆっくりと振り返る私。そして、私の目に、鎖が、そして少しすけた青いスカートが映った。顔を上げると、そこには勇儀が、その後ろにはさとりが立っていた。そして、矢継ぎ早に、私が知らなかった"あの子"のことを聞かされる。"あの子"が唖になった理由が聞けた。笑顔でいる理由が聞けた。死にかけで倒れていた理由が聞けた。
 それを聞いて、私は気付けば湧き上がる感情に包まれていた。体が震えてくる。あそこで追いかけていれば、さとりの話を聞いていれば、もっと早く気付くことができたのに。哀しみ、に続いてまたしても懐かしい感情、そう、怒りだ。突き上げるような怒りが、私を狩りたてた。
 そして、私は二人と一緒に家を飛び出していた―――


 さとりによると、呪精達はお燐が休んでいるときは小さな広場の様な所に集まっているらしい。そこに向かって、三人で全速力で飛ぶ。"あの子"のために。"あの子"を護るために。"あの子"を助けるために。"あの子"と今後も一緒にいるために。私を駆り立てる気持ちは、まさに愛情だった。失われた感情は、もうほとんど戻ってきていた。
 私は"あの子"の為、勇儀は友人としての義理の為。そしてさとりはペットの部下の不始末の為、"あの子"の元へと飛んでいく。早く、速く、急いで。私に出せる、本当の全力を、今ここに。昔のように、狂ったように、進むしかない。昔も今も愛情の為、そして殺しの為に。

 ちょうど現場につけたようだ。沢山の呪精が、一体の呪精を取り囲み、そして悪口雑言を投げかけ、蹴り飛ばしている。よく見なくてもわかる、それは"あの子"だ。いじめ。そう、これの発端はすべていじめにある。元はただのどこにでもいるノリのいい妖精だった、という。しかし、弾幕が打てなかったのだ。そのせいで、いじめられて、そして唖になってしまった。
 唖。しゃべれなくなった"あの子"へのいじめは止まず、さらにエスカレートした。そこで、"あの子"は必死になって考えたのだ。笑顔でいれば、まだいじめを受けない、と。だからいつでも笑顔を見せた。笑顔で、あり続けた。笑顔なら、もういじめられないと信じていたから。度が過ぎたいじめは、ついに殺しの域まで達してしまったのだ。命からがら逃げた"あの子"は、暗く小さな路地で倒れ込んだ。それを拾ったのが、私。
 ここからは私の推測である。私に助けられた、そう思った呪精はいじめることをしない私に懐き、そして、そんな私の背中を叩いた勇儀に対して敵対心を抱いた。しかし、歯が立たない悔しさと恐怖、それに涙を流す。いつか別れが来てしまうんじゃないか、とその時に呪精は思ったのだろう。
 そして、かつて自分たちをいじめた呪精のいる地霊殿へと連れて行かれそうになる。だから、引っ張って抵抗した。"あの子"のことだから、自分の為じゃなくて、私の為だったのかもしれない。さとりが来たときに少し安心したような表情を見せたのも、それが呪精、そしてお燐ではなかったからだろう。
 私があの時守れなかったからこそ、今この現場がある。それを見て、もう私は私で居られなくなってしまった。いや、かつての私らしくなった、というべきか。今すぐにでも殺戮を開始したい。そんな私を、勇儀が止めた。あいつらをやる前に、まずはあの子を助けろ。その言葉を聞いて、ハッとした。あの子に危害が加わってしまえば元も子もない。勇儀の言葉にうなずいて、私はその呪精達の輪の中へと飛び込んだ。

 私が飛び込んできたからか、蜘蛛の子を散らすように呪精達は離れ、そして一つに集まった。呪精達に対する殺しの衝動にかられながらも、それを"あの子"のために理性で抑え込む。そして"あの子"に寄り添い、抱きかかえた。
 体中傷だらけで、服は破け、いたるところから血を流している。生きているのか、死んでいるのか。ふと見ただけではそれが分からないような、ひどい状態。だけれども、呪精達がこんな状態にしたのは事実だろう。呼びかけながら強く揺さぶって、眼を開けた"あの子"は、うっすらと弱々しく笑い、安心したような顔をして。そしてまた眼を閉じた。"あの子"の腕が力なく垂れ下がった。
 "あの子"が何をしたというのだ。ふざけるな。私は耐えがたい怒りに襲われ、そして立ち上がる。呪精達の方を睨みつけるが、しかし、その私の目の前には、呪精が打ったと思われる大量の弾幕が飛び込んで来た。かわす暇は少しはあっただろうが、かわすなんて言う考えは今の私にはなかった。"あの子"をかばってその衝撃を待つだけで精一杯だ。沢山の呪精が同時に打つと、弾幕の威力もすさまじいものになる。それなりの痛みは耐えなければいけない。
 しかし、私にその弾幕が届くことはなかった。勇儀の"力業「大江山颪」"を宣言する音、そして呪精達の悲鳴が聞こえた。勇儀は私の方を振り返って笑顔を見せ、そして呪精の方へと走っていった。このまま放っておいてもあとは勇儀が何とかしてくれるに違いない。しかし、私もなにかしなければ気が済まなかった。ただ蹂躙し、殺すだけでもいい。説教だの、そんなことはいずれ勇儀かお燐に任せるのが一番だ。私は、"あの子"を抱えたまま前へ、前へと突き進んでいった―――


 それからのことは詳しくは覚えていない。"あの子"を勇儀に預け、そして五寸釘を片手に呪精たちに殴りかかった。一発で命を落とさせれば呪精はすぐに復活するから、何度も何度も刺し、殺す。弾幕なんて、生ぬるかった。血で血を洗うような一方的な殺戮。血飛沫何ぞには気を取られず、ただただ刺し、殺した。恐怖に震えた呪精に腕を振り下ろす、その瞬間のことだったか。ただ、血にまみれ、まさしく鬼のようになった私を"愛すべき同居人"が引き止めたことだけは覚えていた。また会えたことへの喜びが、私の心を完成させた。
 今は私と"愛すべき同居人"、そして勇儀とさとり、そのペット数匹と呪精達で家を造り変えているところだった。大きな家にしよう、と勇儀は提案したが、それを私は断った。私の家は、小さくていい。ただ、今までよりも鮮やかなものにしたかった。そう、今の私の心のように。
 呪精達が、私の顔色を窺うのが見える。まあ、私が殺戮をしたのは確かだし、それも仕方がない。まだ彼女らを許したわけじゃなかったが、いじめられた当本人が笑顔を見せてるのを見ると、もう許してもいいのかもしれない、とも思う。
 木材を運んでいたさとりが、肉体労働は向かない、とぼやく。それをみて、私達は笑った。私も、心から笑えるようになった。嫉妬を感じることは多々あるけれど、ね。


 そして、家が完成した。小さい、というところは前と変わらないが、何より外装がきれいになった。今の私らしい家、ではないだろうかと思う。
 ほとんど泊りこみで作業をしていた皆は帰る支度をする。その中で、"愛すべき同居人"とお燐、そして呪精達がどこか期待した眼でこちらを見つめてきた。おおよそ、"愛すべき同居人"をどうするのか、と思っているに違いない。だから、私は皆の前で宣言した。この子の居場所は私の隣よ、それ以外は譲らないわ、と。それを聞いて、皆が頷く。それは、了解を表しているとしか思えなかった。そう、私の"愛すべき同居人"は、私が遠い昔に失った"家族"になったのだ。
 二人で、扉の前に立つ。新しい鍵を差し込みひねると、カチリ、という心地の良い音が響いた。そして私達は、新しい家の中へと入っていった。その扉はとても軽かった―――
呪精ってかわいいと思うんですよ。やっぱり。

追記:誤字訂正しました
沢田
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.1110簡易評価
2.100奇声を発する程度の能力削除
>このまま言っても留守だったのだ
行っても?
うん、ゾンビフェアリーは可愛い
3.70鈍狐削除
興味深く拝見させてもらいました。内容は短いながらもまとめられており、中々に読みやすかったです。ですけど、こういう作品ならばもう少し癖を感じさせる一捻りが欲しかったと贅沢を言ってみます。
17.100名前が無い程度の能力削除
後半少し急ぎすぎだなと感じましたが全体的に綺麗にまとまっていていい話でした。
22.80名前が無い程度の能力削除
後半、パルスィがひとりで家に戻ってからの展開がちょっと急に感じた。いい話でした。