たとえそれが主食だとしても、同じ味では飽きてしまう。
紅魔館、門前。
「・・・・・・ということなの、って聞いてるの美鈴?」
「へ? あ、はいはい聞いてますよ聞いてますですからナイフだけは勘弁してください本当にお願いします」
紅き館の門番はそれはそれは腰が低いという。むしろ低すぎて立ったまま額を地面にこすりつけられそうなほどだ。そんな雑技団もびっくり――というより見ていて引きそうな光景を目の当たりにして、溜め息をつきながら紅魔館のメイド長、十六夜咲夜はナイフをしまった。
「貴方って本当に妖怪なのかどうか、何時も不思議に思うわ」
「嫌だなぁ、ちゃんと妖怪ですよ――きっと」
何時もの――妖怪らしくない――人を安心させるような笑みを浮かべながら門番、紅美鈴はそんな言葉を返した。
彼女は何時もどおり門番の仕事をしていた。シェスタも早い内に済ませ、紛れ込んできた小妖怪にはお引取り願い、何時もの氷精は適当に相手をしてから保護者(大妖精)に引渡し、それから先は昼食以外はずっと立ちっぱなしだ。門にもたれかかってすらいない。
だというのに何時の間にか現れた咲夜に美鈴は内心――これまた妖怪らしくない――びくついていたのだ。妖怪といえナイフで刺されるのはやはり痛いものがある。
「まぁ良いわ。もう一度言うけど、お嬢様に――」
「ああ、分かってますよ。夜になったらお嬢様のお部屋に行けば宜しいんですよね?」
「・・・・・・ちゃんと聞いてるじゃない。貴方、私をおちょくってたの?」
「そんなことありませんよ」
またしてもナイフを取り出しかけた咲夜に幾分焦りながら美鈴は否定する。本人にそんなつもりはないが、美鈴の絶やさない笑顔は時として挑発とも取られてしまう。曰く強者の余裕だ、とかなんとか。人の良い笑みもこういった場合は困りものだ。
「まぁ良いわ。今日の夜、粗相のないようにね」
「もちろん、分かってますよ」
本当かしら、そう言いたげな表情を浮かべて咲夜は“消えた”。残像すら残さず消えた彼女の後姿を思い浮かべながら、なぜ自分は心ここにあらずといった状況だったのか美鈴は自問する。
数秒で答えは見つかった。というより、思い浮かべた後姿で思い至った。
(首筋・・・・・・)
うなじはエロイ、という話ではない。
去り際、いやそれ以前から見えていた咲夜の首筋、メイド服で隠れるか否かといったぎりぎりな箇所にうっすらと浮かんだ赤い痕。下世話な者はキスマークを連想するかもしれないが、紅魔館の住人である美鈴は全く違うことを思い浮かべた。
(直接、吸われてるんだろうな)
館の主であるレミリア・スカーレットとその妹であるフランドール・スカーレットは吸血鬼である。血を好み、十字架を鼻で笑い、日傘を差して外出する・・・・・・それでも吸血鬼である、一応。
そんな主の赤き眼を美鈴は思い浮かべる。魅了の魔眼などといわれているが、その眼はまるで宝石のように美しい。その妹の眼もまた、同様に美しい。
まるでルビーとカーネリアンのようだと、そんな感想を彼女は抱いた。
門番の仕事を終え、夜勤組と交代し、夕食を取っていたら時間が来てしまった。仕事を終えた後なのでシャワーでも浴びたいと美鈴は思っているが、気まぐれで高慢なところのある主の機嫌を損ねる訳にはいかないので彼女は仕方なく着替えもせずに部屋に向かった。
「・・・・・・あまり気乗りしないんですけどね」
主の部屋の扉の前まで来て、美鈴の足は止まっていた。腕を組んで考え込む。この体勢は一部のメイド妖精に“胸を強調するポーズ”として人気があるが、知らぬは本人ばかりなり。この場所にも彼女しか居ないから何ら問題はない。
(やっぱり・・・・・・されるんだろうなぁ)
過去の経験からもこの後何が待っているか、彼女は良く知っていた。だからこそ足が止まっているのだ。だが相手は主、不敬を働く訳にはいかない。レミリアはちょっとした冗談なら笑って許す余裕の持ち主だが、度が過ぎればその限りではない。
つまり、最初から選択肢は一つしかないというわけで。
コンコン
「お嬢様、美鈴です」
目の前の扉を二回ノックしてから名乗り、返事が来る前に扉を開ける。向こうから呼ばれてのことだし、ささやかな反抗のようなものだ。
「あ・・・・・・ようこそ、美鈴」
その程度のことで怒るようなレミリアではない。何時ものように――美鈴にはむしろ良すぎるようにも思えたが――どこか楽しそうな機嫌の良い声が出迎える。少々俯きながら美鈴は部屋の中に足を踏み入れる。離した扉がしっかりと閉まらなかったような気もしたが、それよりも目の前の主をどうするかが美鈴には気になっていた。
「少々遅れてしまいました、申し訳ありません」
「別にそんなの――じゃなかった、別に構わないわよ、暇だから」
俯きぎみだから美鈴にはベッドに腰掛けているレミリアの下半身しか見えないが、声の調子からどのような表情をしているかはすぐに分かった。主に対して視線を合わせないというのはいろいろと不味い気もするが、これも立派な防衛手段である。
「それで、今夜はどのようなご用件で?」
「あのね、吸わせて欲しいのよ」
「はぁ・・・・・・」
美鈴の視界で細い足がパタパタと揺れる。彼女としては分かりきっていたことだが、それでも溜め息のような物がもれ出るのを止めることはできなかった。
主語がないようにも思えるが、吸血鬼が“吸わせて”といったらそれは血液を指す以外にはまず有り得ない。
「そういったことは咲夜さんに頼まれては?」
「ん~、たまには違う味も楽しみたいのよ」
パタパタパタパタパタ。まるで振り子のように揺れているな、と僅かながら現実逃避を美鈴は始めていた。主の命令とはいえ、美鈴は血を吸われる感覚を嫌っていた。血液と共に力が抜けていくような感触が嫌だったのだ。
「お断りさせていただきたいのですが」
だから返事は拒否。たとえ雇用主が相手でもこればかりは譲れない。だいたい、吸いたいのならメイド長が、ただ飲みたいのなら保存された血液がいくらでもあるのだ。わざわざ門番ごときの血液――というのが美鈴の考えである。
「断れる、とでも思う?」
「思いません」
「だよね~」
どこか軽い口調のレミリアに違和感を感じながらも、美鈴は状況の確認と対応策を考える。雇用主である以前に、歴然とした力の差がある。その気になれば美鈴は簡単に取り押さえられてしまうだろう。というより取り押さえられたことは良くあった。
(それに・・・・・・)
主と眼を合わさない理由。それは魅了の魔眼を回避するため。力の差と同様に魔力の差もまた歴然としたものがある以上、一秒でも眼を見てしまえばすぐに美鈴は屈服させられてしまうだろう。そうなってしまえば吸血でも何でもできる。
故に美鈴は視線を下方向に固定せざるをえない。万が一の場合は足や腰周りの動きと“気”を読むことで戦闘を行うことは可能だが、その選択肢は否定されている。
つまり・・・・・・
「すみませんが、失礼させていただきます」
主の返事も待たずに美鈴は踵を返した。口でも力でも敵わないのなら、残された手段は逃走のみ。後々御仕置きが待っていようと、美鈴にとっては吸血よりも遥かにマシだ。
扉へと歩み寄る間に背後の気配が何もしてこないことに若干の違和感と安堵を感じながら美鈴は未だ開いたままだった扉に手をかける。
「あら、どこに行くつもりなの?」
「――え」
上方から降ってきた声に美鈴は驚きの声をあげ、顔を“上げてしまう”。驚きの理由が“背後に居たはずのレミリアの声が上から降ってきた”というものだからその行動は間違いだったのだがもはや後の祭り。
宝石のように紅く光る眼――扉に腰掛けたレミリアの眼を、美鈴は真正面から見てしまった。
(ああ――)
急速に抜けていく力。だが膝を屈することもできない。体の主導権が奪われていく独特の感覚を味わいながら、
(だから扉が閉まらなかったのか)
そんなことを美鈴は考えていた。
「それじゃあ、ベッドまで下がりなさい」
意識が途切れる訳ではないから美鈴としては聞くわけにいかない命令だったが、身体が勝手に反応して後ろに向いてしまう。その視界に、にやにやと笑いながらベッドに腰掛けるレミリアの姿が――
(いや違う――)
視線を合わせないために顔をはっきりと見なかったのが不味かったのだろう。ベッドに腰掛けているのはレミリアの姿をしているが、気配もオーラも、ましてや表情が明らかに違う――
(い、妹様!?)
まるで心を読んだかのように――美鈴の視線のさきでにやりと笑った“レミリア”が煙に包まれた。それが晴れた後には、いつもの服に宝石のような羽を広げたフランドールの姿があった。
「パチュリーに教えてもらった変身魔法よ。フランでも簡単に扱いこなせるなんて、ほんと驚きね・・・・・・この程度の魔法すら見破れない門番も驚きだけど」
それは緊張していたのと眼を合わせられなかったせいです、と答えようにも口を開くどころか声帯を使うことすらできない。恐るべき魅了の魔眼。息と思考が何時もどおりなのが美鈴にとってのせめてもの救いだろう。
「どうだったお姉様? 結構似てたでしょ」
どこか非難がましげな声を出すレミリアと違い、フランドールは嬉しそうな様子だった。それが変身魔法を上手く使いこなせたことか、はたまたこれからの吸血に期待してのことかは今の美鈴には判断できなかった。
「姿形は確かに似てたわ。でも、雰囲気・オーラ・カリスマ、これはさすがに真似できなかったようね。節穴の門番は騙せても咲夜辺りは騙せないわよ」
「えぇ~、良いもん良いもん、美鈴が騙せるなら何時だって外に出られるから」
主に対する弁解と良からぬことを企んでいそうな妹君に対する注意の言葉が美鈴の頭の中を駆け巡るが、悲しいかな声に出すことができなければ意味が無い。
そんなことを考えている間にも、操られた身体は勝手に動き、何時の間にかベッドの端に腰掛ける姿勢になっていた。このまま身体を倒せば広いベッドを独り占めできる体勢だが、何時もなら羨むそんな状況も今は逆に恨めしい。
そして・・・・・・吸血鬼姉妹二人の顔が、揃ってこちらに向いた。
「ということで美鈴・・・・・・ちゃんと痛くないように吸ってあげるから」
(痛みはまだ良いですから吸いすぎと零しすぎに気をつけてください本当に)
二つ名の由来が、まさか吸血の際に零しすぎた血液が原因だとは誰も思わないだろう。
「め~りん、わたし、ちゃんと頑張るからね」
(出来れば控えめにお願いしたいです)
吸血経験自体が少ない妹君。その能力と相まって、下手をすればスプラッタ&スクラップ。
しかも、片方だけならまだしも今夜は両方。美鈴が当初心配していた貧血等より危険度は遥かにグレードアップ、もはや命に関わるレベルにまで達した。
だが、もはや手遅れ。
美鈴の右肩にフランドールの右手が、左肩にレミリアの左手がかかる。そのままゆっくりと力が込められ、美鈴の身体はゆっくりとベッドに倒れこむ。
「それじゃあ」
幼い容姿に似合わぬ鋭い犬歯が覗くほどに大きく開けられたレミリアの口。
「いただきま~す」
可愛らしい笑顔に不釣合いな発達した犬歯が覗くフランドールの口。
二人の顔が美鈴の視界を横切り、肩口へと消えていく。
(・・・・・・もうどうにでもな~れ~)
いろいろと癪な気持ちもあるので――美鈴は自分から意識を手放すことにした。
「さぁて美鈴、これから貴方の血を――美鈴?」
「どうしたのお姉様?」
嗜虐的な笑みを浮かべていたレミリアが呆けた声を出したからフランドールはそう聞いたのだが、レミリアは苛立たしげに爪を噛んで吐き捨てた。
「抗えない運命に抗おうともがく様が面白いのに――意識を手放されたんじゃおもしろくないじゃない!」
「うわぁ・・・・・・」
夜の王に相応しき傲慢な物言いのレミリアに、妹ながらフランドールは引いた。ドン引きした。こういうのをサディスティック・クリーチャーというのだろうか、と図書館の主に教えてもらった呼称を今更ながらにフランドールは思い出した。
そんな妹の思考に気づくわけもなくレミリアは爪を噛み続けていたが、やっとそれを口から離して溜め息を吐いた。
「まぁいいわ・・・・・・フラン」
「ん」
肯定の返事は一文字で済む。これからやることなど一つしかないから。
美鈴から見て左側の首筋にレミリアが、右側の首筋にフランドールがゆっくりと顔を近づけていく。開いた口から覗く犬歯はそれを見慣れぬ者に恐怖と威圧感を与えるが、ここに居るのは吸血鬼とそれに雇われる門番――しかも気絶中――だから何の心配も無い。
お互いの顔も見えていないのにまるで示し合わせたかのように二人の吸血鬼は同時に首筋をペロッと舐めた。意識は失っているはずなのに、美鈴の身体がピクリと震える。整理的なその反応に笑みを深めながら、レミリアがその鋭く尖った犬歯を首筋へと近づけていく。反対側ではフランドールも同様に。
そして犬歯が首筋を突っつき――ゆっくりと皮膚に埋没していく。
「・・・・・・ん」
痛みからか美鈴はまたピクリと身体を震わせる。
吸血に慣れていない者や吸血する側の吸い方が下手な場合は、麻酔効果も持つ唾液をたっぷりと患部に塗りこめてから吸血するのが筋だが、幸か不幸か体質か美鈴にはその唾液の成分が効かない。
だが、例え効いたとしてもレミリアがその手間をかけたかどうかは怪しい。何百年生きようと、いやむしろ長い時を生きる妖怪だからこそご馳走を前にして余計な手間はかけたくない。
(・・・・・・ほんと、上質ね)
皮膚を突き破った穴から、どくどくと血液があふれ出してくる。吸血鬼を魅了する、まるで“持ち主”の名前を表しているかのように綺麗な紅い液体。
“命”を吸うという行為が背徳的な感情を盛り上げていくが、レミリアの内で湧き上がるのはそれだけではない。純粋に“美味”な血液を、しかも新鮮な内に吸血する、これほどの贅沢、これほどの至福が他にあるだろうか。
吸いきれずに零れていく血液がシーツを汚していくが、勿体無いと思う前にもっと吸いたいという感情がだんだんと支配していく。これが咲夜を相手にしている時だとこうはいかない。仮にレミリアが満足するほど血を吸ってしまえば、それは即失血死に繋がってしまう。
妖怪である美鈴にとっては――これまた幸か不幸か――大した問題ではないが。
(あの時を、思い出すわ・・・・・・)
湧き上がる感情と――まるで麻薬のような――美味な血液のせいで熱に支配されていく頭の中、遥か過去をレミリアは懐かしんでいた。
まだ、紅魔館に時を操る能力者が居なかった頃。
「飽きた」
館の奥に位置する部屋で、レミリアはそんなことを呟いて手に持っていたグラスを机に戻した。中に入っている紅い液体がチャプンと揺れる。
「申し訳ありませんお嬢様。すぐに替えをお持ちします」
「結構よ。貴方が選ぶ血液はいつも最高だったわ・・・・・・つまり、他の血液も似たり寄ったりというところでしょうし」
「重ね重ね申し訳ありません」
歳を食った相貌に眼鏡の似合うメイド長が頭を下げる。そんな彼女を横目に見ながら、レミリアは深い溜め息をついた。
彼女が飽きたのは、目の前のグラスに入っている液体――“血液”の味である、ややこしい取り決めや契約の果てに、彼女は定期的に血液を仕入れることに成功している。だが、その味に代わり映えがしなくなってしまった。
「貴方の血液も深みがあっていいけど、たまには違う味も飲んでみたいのよね」
「いっそフランドール様に手を出されてみては」
「・・・・・・危ないわね、画的にも私の命的にも」
その能力故に地下室に引き篭もる毎日を送る妹と自分との“絡み”を想像してレミリアは渋い顔をした。妹が嫌いなわけでもないし、嫌われているわけでもない――とレミリアは思っている。だがフランドールの能力や性格、ついでに姉妹間という禁忌が間に立ち塞がっている。
「まぁいいわ。飽きたからって命に関わるわけでもないし」
手をひらひらとさせて、レミリアはメイド長を下がらせる。
飽きたからと命に関わるわけでもない――これは半分正しく半分間違いだ。妖怪のように長く生きる存在は“精神”が“生命”に直結している面がある。退屈は猫を殺すが妖怪も殺すのだ。
(といっても、どうしようもないことだし)
扉から出て行くメイド長の背中を見ながら彼女はそんなことを考える。有能な部下が出来ないことが主に出来るわけも無い。だがこのままにしておく訳にもいかない。
さてどうしようか、と彼女が思案にふけっていた頃。
紅魔館に侵入する影が一つ。
その服はとある民族衣装に良く似ていた。スリットから覗く足が健康的なその女性は、良く映える紅い髪をしていた。長身に膨らむところは良く膨らみ絞れるところは絞られているそのプロポーションは人間離れしていて――実を言うと本当に彼女は人間ではなかった。
星一つない暗闇だというのに高い塀を手際よく乗り越えて進入する辺り、その片鱗が良く現れている。
そんな彼女がこの吸血鬼の館に侵入する理由は、もちろん主の命を狙って――
「・・・・・・お腹、空いた」
ではない。彼女はこの館の主のことすら知らない。ただ単に空腹が過ぎて判断能力を失ったところに羨ましいほどの豪勢な紅い館が見えたから、食料を奪うか盗むなりしようと思っているのだ。
手際が良いのか運が良いのか、彼女は――館の大きさに反比例して数が少ない――小さな窓から侵入することに成功した。誰にも見咎められることなく彼女は廊下をしのび足で歩き、食料がありそうな場所を探していく。
(地下に・・・・・・食料庫でもないかな)
そして彼女はそういう判断をして――もとい、“させられて”地下への階段へとたどり着いた。
彼女が知る由もないことだが、この館の主であるレミリア・スカーレットは吸血鬼であり、運命を操る程度の能力を持ち合わせていた。そんな彼女が日常生活に直結している部分でその能力を使っていることがある。
それは防犯対策だ。
妖精メイドが侵入者対策として役に立たなかった場合には、彼女の能力で侵入者は運命を狂わされ、思考に関係なくとある場所へとたどり着くことになっている。
そこは階段を降りた先にある暗い地下室であり――そこにはそんじょそこらの侵入者が歯も立たない存在が居る。
「・・・・・・ん?」
突如感じた力の奔流にレミリアは訝しげな顔をするが、すぐにその可能性に思い至った。彼女の力を使った防犯対策はかなり前から行われているが、最近では大抵の妖怪が恐れを成しているのであまり意味を成さなくなっていたのだ。
つまり、久々の侵入者。
「お嬢様、今のは・・・・・・」
「久しぶりの侵入者ね・・・・・・同情するわ」
扉を開けて入ってきたメイド長にレミリアはそういった。ここで同情の対象になっているのは、もちろん侵入者の方である。久しぶりの、が頭につくということは、運命によって導かれた先の地下室の住人――フランドールにとっても久しぶりの外からの来客、ということだ。五体満足で済むはずもなかろう。
「それじゃあ私は一分以内、それに賭けるわ」
「お嬢様、それでは賭けになりません・・・・・私も一分以内、と予測しております」
一分以内、とは力の奔流がどれだけで収まるか、ということであり裏を返せば“侵入者が何分持つか”という恐ろしい賭けである。ただし、大抵は賭け自体が不成立に終わるのだが。
そうしている間にも力の奔流は留まるところを・・・・・どころかそれ以上に強くなっている。
「・・・・・・上機嫌、いやむしろ機嫌が悪いのかしら」
「先ほどお食事をお持ちしましたが、何時もどおりに完食なさいましたよ?」
「なら――久しぶりに楽しめそうな侵入者、ということかもね」
館全体を覆わんとばかりにあふれ出る力の渦に妖精メイドはそこかしこで震えているが、主と従者は慣れたものだった。
そんな会話をしている間にも時間が過ぎ――すぐに一分は過ぎた。
「・・・・・・この場合、賭けはどうなるのかしら」
「胴元の勝ち――といっても誰もおりませんが」
他愛も無い会話をしている間にもまた時間が過ぎ、それでも力は収まるところを知れず――ようやく数分ほど経ってから、ふっとかき消すように力が消えた。
「今日は良く持つ侵入者だったわね・・・・・・それじゃあ私は休ませてもらうわ」
「かしこまりましたお嬢様、それではベッドの支度を――」
出来なかった。
突然、轟音と共に床が落ち――いや砕け散り、そこから砲弾のように何かが飛び出してくる。だが砲弾は山形に落ちてくるものだ。床を突き破って昇る砲弾などあるはずもない。
だからそれは砲弾ではない。
「お姉様~!」
むしろ砲弾よりも質が悪い。
「フラン・・・・・・床を突き破って出てきちゃ駄目でしょ」
「ごめんなさ~い」
姉からの叱責にもフランドールは屈しない。手をブンブンと振り回しながら反省しているのかいないのか怪しい態度で謝る。そんな妹の態度に溜め息をついて、レミリアは毅然とした態度で続けた。
「そうよ、貴方の可愛い顔が埃だらけじゃない」
「お嬢様、それは違います」
主の間違いを正すのも従者の役目。この場で言うべきことはそれではない。だからメイド長は正した。
「顔は洗えば何とかなりますが、髪はすぐにでも痛んでしまいます」
「それもそうね。フラン、後で顔を洗ってきなさい」
「は~い」
ある程度の常識を持ち合わせたものならツッコミたくなる会話だが、残念ながらその存在は図書館で引き篭もり続けている。ちなみにこの床を直すことになるのもその常識ある引き篭もりだが、この場の三人は誰もそんなこと気にしていない。
と、ここで主と従者はフランドールが何かを握っていることに気づいた。何か、というにはあまりにも大きなそれは、小さく可愛らしいフランドールの手によって暴力的に振り回され、何かの液体が辺りに飛び散っている。
その液体が紅いことから、主と従者はそれが何なのかに思い至った。
「フラン、侵入者はお外へ捨ててきなさい」
「え~」
それが“何か”と形容するしかなかったのは、元が何であるか分からないほどに破壊され尽くしていたから――ではなく、単にフランドールが振り回す速度が速すぎただけだ。現にフランドールが手を止めて、レミリアとメイド長は侵入者の容姿を見ることが出来た。
この地域では珍しい服、殺人的なプロポーション、そして何よりも目をひく紅い髪――今は体中を流れる血液によってあまり目立たないが。
「だけどお姉様、結構てこずったよ。痛かったなぁ、あの蹴り」
ケロリとした表情で言うものだからメイド長はその言葉が正しいのか判断できなかったが、レミリアはすぐに妹の言葉が正しいことに気づいた。フランドールの力を持ってすれば、例え妖怪であろうと基が何であるか想像できないほどに破壊されてしまう。このように形を保っていることの方が珍しいのだ。
かといって、唯一の存在というわけでもない。
「強い、といっても貴方ほどではないでしょう。良いから捨ててきなさい」
「それにさ、それにさ、こいつの血、美味しかったよ」
その言葉に、ピクリとレミリアが反応した。
何時の間にか自分の肌にまで飛び散っていた血液を長い爪の先ですくい、それを自分の口へと持っていく。ぺろりと、舌が紅い液体を捉えた。
訝しげだった表情が、みるみる内に笑顔になっていく。だがそれは快いものではない、いわば悪魔が浮かべるに相応しいような笑み。
「メイド長・・・・・貴方は下がってなさい」
「お、お嬢様?」
「良いから下がってなさい・・・・・・すぐに済むわ」
いきなりそんなことを言うものだからメイド長は少し慌てたが、主の浮かべた笑みにまた違う焦りが浮かんできた。なにせこのような表情を見るのが久しぶりだったのと、この表情を見た後は決まって厄介ごとに巻き込まれているのだから、それは仕方のないことかもしれない。
「分かりました、何かあれば及びください」
そう頭を下げて、メイド長は部屋から出て行く。
後に残ったのは吸血鬼姉妹と、未だ目覚めぬ侵入者だけだった。
彼女の意識を覚醒させたのは、両腕の軽い痺れだった。
(・・・・・・ああ、そういえばあの時もこんな風だった)
力が抜け、意識が闇に落ちていく中で美鈴は自分が紅魔館に来た時のことを思い出していた。今と同じように、吸血鬼姉妹二人に血を吸われ、意識を取り戻しても尚吸われ、挙句の果てには「血が美味いから雇ってやる」という有難くて涙が出そうな言葉。いったいこの吸血鬼はどういう神経をしているのだろうかと彼女が疑ったことは一度や二度ではない。
(それで雇われちゃってる私も私なんですけどね)
苦笑しながら彼女は身体を起こそうとする。だが、左右に広げられた両腕に何やら重石が乗っかっているようで、身体を起こすことができない。まだ吸血の後遺症が残っているのか下半身には力が入らないし、動かせるのは首だけ。
重石が何であるのか確かめようと首を左右に動かして、美鈴は一瞬呆けた顔をした。が、すぐに満面の笑みが広がる。
そこには、仲良く美鈴に腕枕されている(させている?)レミリアとフランドールの姿。
(これを見れるのが唯一のご褒美、ですかね)
本当に嫌がっているのなら吸血してこないのだろう、と美鈴は考える。レミリアは傲慢であるが暴君ではない。少々機微に疎いこともあるが、従者が何を考えているのか分からない裸の王様ではない。
つまり、美鈴は心の底から吸血を嫌がっている訳ではなくて。
(・・・・・・あまり認めたくはないんだけどな)
腕を抜こうか、と身じろぎしたところでレミリアが何やら呻いたから美鈴はそれも諦めて、全身の力を抜いた。血を吸われすぎたせいかまた思考を覆いつくしていく闇を受け入れ、ただ意識を遠のくままに任せる。
(寝顔は本当に可愛いんだから)
普段の態度や実年齢にそぐわない可愛らしい寝顔を二つ同時に堪能できるのは、おそらく美鈴だけの特権だろう。こればかりはたとえ咲夜でも真似できない。血の量が足りなくなってしまう。
吸血鬼姉妹の吸血に耐え切れる自分の身体に感謝と僅かばかりの恨みを感じながら、美鈴はその眼を閉じた。
(明日ぐらいは休ませて欲しいなぁ)
きっと叶わないだろう、そんな願いを抱きながら。
この時のシーツを洗濯する際に零れ(すぎ)た血液に咲夜が閉口するのは、また別のお話。
なので新鮮な感じがしましたし、内容も面白かったです。
レミリアたちにとっては美酒などと同じなのでしょうかね?
まあ勝手な想像ですけど。
美鈴の血もそうですが、咲夜さんの血ってどんな味がするんでしょ?
そして血を吸うレミリアと、血に反応するレミリアいいよぉb
なによりそう思ったのは、血を吸う場面の描写が秀逸だったからかも。
誤字報告
>「分かりました、何かあれば及びください」
> そう頭を下げて、メイド長は部屋から出て行く。
何かあればお呼びください。 ではないですか?
人間の自分には血液の上手い不味いなんて分かる筈もないけど、吸血鬼ならそれで採用を決めるってのはあり得るね
レミリアがあまりにも美味しそうにしてるせいで美鈴の血を味見したくなってきたw