目が覚めると世界は静寂だった。
深い深い静寂だった。
どうやら私の眼は潰れてしまっているようだ。
それにも関わらず痛みは無くて、私は少し首をひねりながら食堂へ向かおうと思った。
しかし誰の姿も見当たらない。私はなんだかよくない気がして地霊殿の踊り場へと足先を変える。
「こいしー! お燐ー! お空ー! どこにいるのー?」
「どうしたの? お姉ちゃん?」
「どうかしましたか? さとり様?」
「あ、おはようございますさとり様!」
私が叫んだその言葉はぴちょんぴちょんと跳ね回り、嘲うかのように私のもとへと返ってくる。
開けた地霊殿の踊り場はシャンデリアの光を受けて、私を惑わすかのように妖しく輝いている。
おかしいな、どうして誰もいないんだろう。
ああ、なんて嫌な場所なんだ。
私は愛しの我が家のことを生まれて初めてそう考えた。
もしかして私は嫌われてしまったのだろうか。また、元のように独りになってしまったのだろうか。
独りなんて怖くないと思っていた。
いつでも独りなのだと思っていた。
でも、そうではないのだということを知ってしまった。
失いたくないものがあるということを悟ってしまった。
嫌われることの恐ろしさをまた、思い出してしまった。
嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。怖い。怖い怖い怖い怖い。私を独りにしないで。私を見捨てないで。私の傍に居て。もう寒いのは嫌だ。誰か、私を抱きしめて。
嫌だ。
寒い。
ここは、寒い。
誰か私を助けて。
「誰か、誰か私を助けてよ!!」
「ここに居てもいいんだって! 私は生きていていいんだって!」
「壊れるくらいに私を愛して……」
私は走っていた。
何故? 何故だろう。
ただ、何かを求めて走っていた。
急いでそれを見つけ出さなければならない気がしていた。
忘れないうちに見つけ出さなければならない何かだった。
何を? 何だったっけ。でも、忘れちゃいけない何か。
私はそれを覚えている。
見つけなきゃいけない大事なもの、だから。
きっと、それはすぐ近くにあるはずだから。
きっと、それは暖かい温もりのはずだから。
きっと……それは私がなくしたものだから。
だから私はそれを見つけなければいけないのだ。
トットットットッと後ろから足音がする。何よりも大切な妹の足音の気がした。
カッカッカッカッと後ろから足音がする。頼りになるペットの足音の気がした。
タッタッタッタッと後ろから足音がする。愛くるしいペットの足音の気がした。
私は額から吹き出る液体が目に入るのも厭わず一心不乱に走り続けた。
何かに追われているような焦燥感から走った。
頭の中はぐちゃぐちゃだった。
ただ、一刻も早く安心したくて、一刻も早く閉じこもりたくて、私は書斎へ逃げ込んだ。
気付くと私は書斎の隅でペーパーナイフを両手で握ってガタガタガタガタ震えていた。
どうしてナイフを持っているのかすらわからなかった。
でも芯まで凍る寒さだけははっきりとわかっていた。
それだけで私は怖かったんだ。温もりを知ってしまったから怖かったんだ。この寒さが怖かったんだ。
誰も私を気にかけない。
誰も私に気が付かない。
誰も私を愛さない。
そんな言葉が私に突き刺さる。
「さとり様! それを置いてください!」
「お姉ちゃん! 何してるの!?」
「大丈夫ですか!? さとり様!」
「……うるさい」
聞きたくなくて耳を塞いだ。
「うるさいうるさいうるさい!!」
誰も私をわかってくれない。
「何で誰も愛してくれないの!? 何で私を認めてくれないの!? 何で私を独りにするの!?」
私は世界の嫌われ者じゃない。
「さとり様! あたいは……あたいはさとり様のことを尊敬しています! 愛しています! だからどうかあたいの声を聞いて下さい!」
叫んで直後震えが止まった。
得体の知れない何かがまとわりついてくるようだった。
私はそれが末恐ろしくて押しのけるように両手を突き出す。
突き出したナイフは見覚えのある双尾の少女に刺さってずるりと抜けた。
突き出した手が温かかった。
求めていた温もりのようだった。
「うぅ……ぅ」
少女は呻く。
ナイフの刺さった傷口からは赤黒い縄のようなものが押し出されるようにでろりと顔を覗かせている。
もっと、もっと欲しい。
温もりが欲しい。
私はその温もりを求めてむやみやたらにナイフを振り回す。
一つは緑目の少女の頭に刺さり、赤い汁を噴きながらピンク色のどろどろしたものを溢した。
一つは黒翼の少女の体を上から下へ縦に走って赤を盛大に撒き散らした。
辺り一面赤だった。
目が痛くなる赤だった。
三人の少女が倒れていた。
三人の少女が倒れていた。
三人の女が倒れていた。
見知ったような顔の女だった。
私はこの三人を知っている。
女は温かかった。
この人達は大切なものがこぼれ落ちていた。
私はこの人達が好きだった。
これは私のことを愛してくれた。
私はこれを愛していた。
これはいつでも私の傍に居てくれた。
私はこれを抱きしめた。
これからあふれた中身は私のことを温めてくれた。
満たされる気がした。
私はこれをずるいと思った。
ずるいと思った。
私も一緒になりたいと思った。
ずるいと思った。
ああ、思い出した。
ずるいと思った。
この子達の名前。
ずるいと思った。
ありがとう、お燐。
ずるいと思った。
ごめんなさい、お空。
ずるいと思った。
愛してるわ、こいし。
ずるいと思った。
私は結局何も失ってはいなかったのね。
ずるいと思った。
私も、すぐ行くからね。
ずるいと思った。
首に当てたナイフが私の皮膚を裂く。
赤だけが残った。
深い深い静寂だった。
どうやら私の眼は潰れてしまっているようだ。
それにも関わらず痛みは無くて、私は少し首をひねりながら食堂へ向かおうと思った。
しかし誰の姿も見当たらない。私はなんだかよくない気がして地霊殿の踊り場へと足先を変える。
「こいしー! お燐ー! お空ー! どこにいるのー?」
「どうしたの? お姉ちゃん?」
「どうかしましたか? さとり様?」
「あ、おはようございますさとり様!」
私が叫んだその言葉はぴちょんぴちょんと跳ね回り、嘲うかのように私のもとへと返ってくる。
開けた地霊殿の踊り場はシャンデリアの光を受けて、私を惑わすかのように妖しく輝いている。
おかしいな、どうして誰もいないんだろう。
ああ、なんて嫌な場所なんだ。
私は愛しの我が家のことを生まれて初めてそう考えた。
もしかして私は嫌われてしまったのだろうか。また、元のように独りになってしまったのだろうか。
独りなんて怖くないと思っていた。
いつでも独りなのだと思っていた。
でも、そうではないのだということを知ってしまった。
失いたくないものがあるということを悟ってしまった。
嫌われることの恐ろしさをまた、思い出してしまった。
嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。怖い。怖い怖い怖い怖い。私を独りにしないで。私を見捨てないで。私の傍に居て。もう寒いのは嫌だ。誰か、私を抱きしめて。
嫌だ。
寒い。
ここは、寒い。
誰か私を助けて。
「誰か、誰か私を助けてよ!!」
「ここに居てもいいんだって! 私は生きていていいんだって!」
「壊れるくらいに私を愛して……」
私は走っていた。
何故? 何故だろう。
ただ、何かを求めて走っていた。
急いでそれを見つけ出さなければならない気がしていた。
忘れないうちに見つけ出さなければならない何かだった。
何を? 何だったっけ。でも、忘れちゃいけない何か。
私はそれを覚えている。
見つけなきゃいけない大事なもの、だから。
きっと、それはすぐ近くにあるはずだから。
きっと、それは暖かい温もりのはずだから。
きっと……それは私がなくしたものだから。
だから私はそれを見つけなければいけないのだ。
トットットットッと後ろから足音がする。何よりも大切な妹の足音の気がした。
カッカッカッカッと後ろから足音がする。頼りになるペットの足音の気がした。
タッタッタッタッと後ろから足音がする。愛くるしいペットの足音の気がした。
私は額から吹き出る液体が目に入るのも厭わず一心不乱に走り続けた。
何かに追われているような焦燥感から走った。
頭の中はぐちゃぐちゃだった。
ただ、一刻も早く安心したくて、一刻も早く閉じこもりたくて、私は書斎へ逃げ込んだ。
気付くと私は書斎の隅でペーパーナイフを両手で握ってガタガタガタガタ震えていた。
どうしてナイフを持っているのかすらわからなかった。
でも芯まで凍る寒さだけははっきりとわかっていた。
それだけで私は怖かったんだ。温もりを知ってしまったから怖かったんだ。この寒さが怖かったんだ。
誰も私を気にかけない。
誰も私に気が付かない。
誰も私を愛さない。
そんな言葉が私に突き刺さる。
「さとり様! それを置いてください!」
「お姉ちゃん! 何してるの!?」
「大丈夫ですか!? さとり様!」
「……うるさい」
聞きたくなくて耳を塞いだ。
「うるさいうるさいうるさい!!」
誰も私をわかってくれない。
「何で誰も愛してくれないの!? 何で私を認めてくれないの!? 何で私を独りにするの!?」
私は世界の嫌われ者じゃない。
「さとり様! あたいは……あたいはさとり様のことを尊敬しています! 愛しています! だからどうかあたいの声を聞いて下さい!」
叫んで直後震えが止まった。
得体の知れない何かがまとわりついてくるようだった。
私はそれが末恐ろしくて押しのけるように両手を突き出す。
突き出したナイフは見覚えのある双尾の少女に刺さってずるりと抜けた。
突き出した手が温かかった。
求めていた温もりのようだった。
「うぅ……ぅ」
少女は呻く。
ナイフの刺さった傷口からは赤黒い縄のようなものが押し出されるようにでろりと顔を覗かせている。
もっと、もっと欲しい。
温もりが欲しい。
私はその温もりを求めてむやみやたらにナイフを振り回す。
一つは緑目の少女の頭に刺さり、赤い汁を噴きながらピンク色のどろどろしたものを溢した。
一つは黒翼の少女の体を上から下へ縦に走って赤を盛大に撒き散らした。
辺り一面赤だった。
目が痛くなる赤だった。
三人の少女が倒れていた。
三人の少女が倒れていた。
三人の女が倒れていた。
見知ったような顔の女だった。
私はこの三人を知っている。
女は温かかった。
この人達は大切なものがこぼれ落ちていた。
私はこの人達が好きだった。
これは私のことを愛してくれた。
私はこれを愛していた。
これはいつでも私の傍に居てくれた。
私はこれを抱きしめた。
これからあふれた中身は私のことを温めてくれた。
満たされる気がした。
私はこれをずるいと思った。
ずるいと思った。
私も一緒になりたいと思った。
ずるいと思った。
ああ、思い出した。
ずるいと思った。
この子達の名前。
ずるいと思った。
ありがとう、お燐。
ずるいと思った。
ごめんなさい、お空。
ずるいと思った。
愛してるわ、こいし。
ずるいと思った。
私は結局何も失ってはいなかったのね。
ずるいと思った。
私も、すぐ行くからね。
ずるいと思った。
首に当てたナイフが私の皮膚を裂く。
赤だけが残った。
何があったのか、いろいろ解釈が分かれそうですね……。
二回楽しめる