ご注意。これから読もうかなと思ってらっしゃる方へ。
このお話はちょっと、長いです。長時間のパソコンや携帯電話の画面を見つめていると、目が痛くなると思うので、適度に休憩をとりながらお読みください。また、お茶かお酒を用意し、好きな音楽などをかけてお読みになると、いいかもしれません。
DAWN OF THE MODERN DEITY
案山子を敵に回す勿れ
00:53 (pico) たとえば金属の筒の中に硫酸を入れるとかね
00:53 (pico) 解けて塩素酸と砂糖のミックスに触れると燃焼する
00:53(jp) 塩素酸より過マンガン酸のほうが入手しやすいみたい・・
01:02 (muu) 硫酸と砂糖が反応して熱が生じる。
01:02 (muu) その熱が過マンガン酸の化学反応を惹起する。
01:02 (ni) どかーん
00:50 (Q) ナトリウムに火つければいいんじゃね
00:50 (Q) マグネシウムか
00:50 (Gim) 水素に火?
00:52 (S) 硝石が本当は良いんだけど、硝石って売ってたっけ
00:52 (Gim) 花火使えばいいんじゃない?
00:52 (pico) 塩素酸と砂糖でできます
00:52 (isikawa) 出来れば市販で入手できる材料がいいんじゃないですか?
00:52 (S) Qさんが詳しそう
00:52 (isikawa) みんな詳しいなww
00:52 (Gim) 電撃ビッグバンていうFCゲームもあったよ。二十世紀に。
00:53 (nuu) ガチでQさんが国会議事堂を爆破すると聞いて
00:53 (as) 濃硫酸をゆっくりとたれるようにすれば時間制限できる
00:53 (pico) たとえば金属の筒の中に硫酸を入れるとかね
00:53 (Gim) じゃそんな感じでいいかな、今回は。
00:53 (S)http://aaaaakkkkke,e,jkdafafda.co.fp/document.html ここに火薬の作り方
00:53 (Gim_) よし早速爆弾作ってみる!
00:53 (mama)有限実行ワロタwww
00:54 (Q) さすがネット
00:54 (netan) グットラック
00:54 (netan) かみころせ
00:54 (mama) かみころせ
00:54 (mama) 次はわたしいくよ
00:54 (as) 塩素酸より過マンガン酸のほうが入手しやすいみたい・・かみころせ
00:54 (mama) 特攻
00:55 (Gim) カコイイ!
00:55 (isikawa) 自分の神様以外、神様いらねーしwwwかみころせ
00:55 (s/a_) 自画自賛www
00:55 (S) Qさんは化学畑の人かな 詳しい。かみころせ
00:56 (Q) http://www.hamazonen.co.jp/dpkfaj;dksa;fasd;fjka8/ オススメ。かみころせ
00:56 (Q) K大薬学部です。かみころせ
00:56 (netan) おぉエリート
00:56 (S) 道理で。 納得です
00:56 (Gim) じゃ一週間後、○○寺につっこみまーす
00:56 (isiakwa)そういえばさ、例のアラジンも来るんでしょ?調査済みだって誰か言ってたね。
00:56 (netan)そうそう。まぁ一石二鳥やなwwwww
00:56 (Q)isikawaさん情報遅すぎwwwwみんなさっきからその話してたのに。アラジン神殺す方法。今回は多分、大丈夫。修学旅行らしいし。
《したたり落つるわが涙のゆえに》
あの芒畑が無くなってしまってから、何ヶ月かたった後のことである。その物語はKが殺害される前に遡ることになるのだが、まず死体が発見された状況を簡単に表したいと思う。そのKの死体は、里の外れを流れる河川の中州に引っかかっていた。その川は、よく里の人間が川遊びに来たり、釣に来たりする訳だ。その日も子供達が釣竿や魚篭を手に、わぁわぁ騒ぎながらやって来た。すると川の中腹、その木が生茂っている中島付近に仕掛けられた岩魚用の網に紅くて大きなものが引っかかっていた。何だろうと思い、ざぶざぶ川を横切って見てみると、人間の体であった。水にさらされているし、その上流されている間に河の水を沢山含んだと見え、ぶよぶよとした肌が張り裂けそうなほど肥大していた。子供達は大人をよぼうかどうか考えたが、一人だけ里に向かわせて、自力で死体を陸に引き上げることにした。死体に触ると、先ほども書いたとおりぶよぶよと紫に変色し、腐りかけていたため、彼等は触りたがらなかった。川の中で右往左往していると大人たちが駆けつけた。その中には寺小屋の先生もいた。先生は一目見るや、勢い良く河に入り込んで、死体を抱えて河を出てきた。里の大人達が持ってきたリアカーに乗せた。その時、子供達の悲鳴が轟いた。川上から何か紅いものが流れてきたのだ。寺小屋の先生がそれを掬い上げると、だらりと細長いものが垂れた。ひだの感触や、表面を走る青白い血管。それは臓物だった。
寺小屋の先生は死体と、流れて付いてきたいくつかの臓物を自分の寺小屋に運ぶよう支持した。竹林の診療所に持って行く手も考えたが、あまりに遠すぎるのと、その診療所は少し不気味なところがあるので、躊躇われたのだ。彼女は自分なりに見よう見まねで検視をしてみることにした。死体と臓物を机を重ねた即席のテーブルに載せた。
彼を死に至らしめたのは、腹部の大きな裂傷に違いなかった。右肩から下腹部にかけての大きな傷だった。そして思ったとおり、腹の中には収まっているべき内蔵が入っていなかった。臓腑は腹から零れてしまった後、流れてしまったのだろう。
子供達が窓から覗いている。それを咎めると再び検視にあたった。しかし囃し立てるように子供達は言った。
「芒畑のオジサンだ」
ぎょっとして寺小屋の先生は死体を見返した。二三度会っただけで不確かだが、そんな気がする。しかし彼に何があったのか、明らかな惨殺死体である。しかし誰とも接点を持とうとしなかった彼に、遺体の引き取り手など無いだろうし、仇を打とうとするものもいないだろうから、誰も犯人を捕まえようとしないだろう。それにもう一つ、Kの死体は妖怪の山に通じる河から流れてきたのだ。これ以上、深入りするのはあまりにも愚かしいことだ、と彼女は思った。山のような彼の臓物を、屑篭に放り込んで、死体と一緒にを共同墓地に持っていった。そうしてKは埋葬された。
そして芒畑が無くなる二ヶ月前に遡る。妖怪の山の神社に一つの電報が舞い込んだ。それは里の信者からの電報だった。それによると、Kに関することであった。守矢の風祝の少女はその電報を受け取った。それによると、信者の一人娘がKに強姦され、剰え子供が出来てしまったということだった。そして復習をして欲しいというものだった。守屋の風祝の少女は、それを電信機から受け取ると、静かに頷いた。やることは決まっている。いつも通り、神職を全うすることにした。
彼女はまず、境内に上がり、形だけの賽銭箱を踏みつけて本殿の中に入り込んだ。そこは聖域であった。誰も入り込めない聖域だった。妖怪の山には電気が通っているが、そこは例外だった。暗澹。蝋燭に火をつけ、彼女は重ねてある紙を一枚手に取り、大きな鋏でちょきちょきと切り出した。それは三センチと五センチ四方の紙片だ。それを百枚、二百枚と紙から切り出していく。紙も鋏も妖怪の山で作られたものだ。最初は葉っぱだったのだけれども、上質の紙があると聞いて、すぐにそちらに変えた。妖怪は大体、彼女の欲しいものを持っていたし、彼女が知らないものも持っていた。例えば何日もかけて行う将棋遊びとか、言葉に出来ない不思議な道具だ。先ほどの電報などである。そのほかにも、水道や電気といった公共設備もそれなりに整っている。水道は山の中を蟻の巣のように巡っていて、住居区全てに出口があった。山の地下には水をためておく巨大な貯水湖があって、そこから汲み上げているということだった。
妖怪達はそれなりの技術を持って繁栄を誇っていたが、一つだけ彼らの社会には欠点があった。その欠点があるからこそ、守矢の風祝の少女は、この履いた主義的な妖怪の山に君臨することが出来たのだ。彼等はひどく退屈していたのだ。
彼女は一時間くらいかけて、五百枚のくじを作り出した。次に彼女はくじに色んな特典や罰、賞与を書き出した。具体的には、
『三十区の区長になる』
『金四百を賞与』
『最新の電信機をもらえる』
『自分のもっている土地を、甲五六のくじを持っている人に渡す』
『一週間後までに、土佐日記を読んで感想文を提出する』
『乙七四二のくじを持っている人に肩もみをする』
『翼を手入れする』
『甲四二のくじを持っている人の爪を剥がす』
『右腕を切り落とす』
『甲4の左足と貴方の右足を交換する』
『隣に住んでいる人を殺す』
『丙五十七の人と栽尾する。恋人或いは家族がいたらその人達とも裁尾する』
こんなくじであった。妖怪の山の住民全てのくじをつくるのはさすがに無理なので、一週間に一回だけ、三十ある居住区のうち一区だけがくじ引きを行った。他愛も無い賞品から、マルキ・ド・サドのような陰惨な暴力や性も含んでいた。しかし妖怪達はこの危険な賭けを受け入れたし、これからも絶対に中止になることは無い筈だった。彼等は退屈から逃れるため、進んでくじを引いた。何よりくじに記載される罰則は、妖怪達が考えたものだった。妖怪達は賽銭箱に、罰則を書いた紙切れや木の板を投げ入れる。自分に降りかかってくるかもしれない暴力にも関わらず、だ。
そして彼等は結果的に、守矢の風祝の少女に深い敬愛と、そして教団を維持するための援助を惜しみなく行った。教団の維持、というよりは寧ろくじ引きを絶やさないための信仰であった。彼等は純粋だ。そして純粋ゆえに賭け事の快楽を手放そうとしない。
そして彼女は、新たなくじ十枚に罰則を書き足した。
『芒畑のKと同居人を誘拐する』
十人もいればいいだろうと適当に考えたのだった。くすくすと笑って、それを他のくじといっしょに箱のなかに入れた。その箱は神木で作ったと触れ込んであるが、実際は材木置き場であまっていた板で守矢の風祝が拵えたものだった。
彼女はくじの入った箱を持って、二十五区へ歩いた。今日は誰も文句のつけようがない快晴であり、当たり前だが、ブルグミュラーの練習曲のメロディが頭の中で鳴り響いた。小さい頃、ピアノを習っていたのだ。アラベスクの、まるで夕暮れ時、ご飯の匂いがする住宅街の中で流れていそうな切ない音色が凄く好きであった。世俗のおぞましき軽薄なるサブカルチャーよ、跪け。傅くのだ。山の全面は妖怪達の植えた広葉樹林で覆いつくされている。木漏れ日が足元でちらつき、夏らしい日差しとそよ風が吹いている。不思議なことに、妖怪の姿は見当たらない。尤もいつもこんな感じで、彼等はめったに姿を見せようとしないのだ。
森を断ち割るように流れる河川にぶつかった。そこで彼女は合言葉を言うと、川の中から河童が姿を現した。彼女の持っているくじの箱を見ると、貪欲な光を目に湛えて、ぞろぞろとやってきた。基本的にくじは引きたいものが引くことになっているが、大体の妖怪がくじを引く。くじは平等に引かれていく。彼等は引き当てたくじに書かれた賞罰を実行しなければいけなかった。それは五人組のような監視体制で見張られ、常に守矢の風祝に報告された。くじの命令通りにしないと、処刑されてしまうのだ。また各々が受ける賞罰は、くじを引いたその場で風祝がメモするので、だいたいを把握していた。そうして誘拐役は決まったのだった。
そして時が経ち、河童の少女は支度を始める。彼女はたった一つ、ペテンを使った。誘拐役のくじを引けるよう、密かに細工をした。教団の神社に仕掛けていた盗聴装置で、芒畑の運命のことは知っていた。その細工はいたって簡単で、前もってくじの箱が保管されている本殿に忍び込み、例のくじを一枚、かすめとったのだ(何故か彼女には、箱ごとすててしまおうという発想がなかった)。そしてくじを引くとき手に隠し持って、恰もそのくじを引き当ててしまったかのような演技をすればよい。幸いにしてKなる人物など知ったことではないが、芒畑のあの人は、何の罪もないのだ。私が助け出さねばならない。そう思っていた。それにKはあまり良くなかった。嫌いだった。何かイヤなものが付いていた。外から持ってきたのだろう、穢れのようなものがついていた。人里の人間が嫌うのも無理はなかった。彼等は無意識のうちにそれに感づいていたのだ。それに比べて、ドン・プレシンデア・サンティアーノは、全うな人間だった。孤独が収斂して、一つの形になった、他の人間とは違う、人間。
彼等は前もって芒畑に通じる大規模なトンネルを掘っていた。二ヶ月かけて、芒畑の下に大きな暗渠のようなものをつくっていたのだ。そして誘拐前日、河童の少女はこっそりとトンネルに現れ、その長い道のりを突っ走った。トンネルは極めて複雑な構造だった。しかし誘拐役のくじを引いたお陰で、その迷路の抜け方を教えてもらっていた。そして彼女は出口を只管右に曲がり、その後、右、左、東、南、と曲がった先の行き止まりに目をつけた。そこに秘密の抜け道を作っておいたのだ。そこから二人で外に出る。
それはまるで恋焦がれている少女だった。暗闇の中を、必死に走って、芒畑にたつあの人の下へ急ぐ。途中で躓き、転んでしまっても、泥だらけになってもひたすら走った。気が付くと、涙を流していた。怖かったのだ。失うことが。人間と仲良くしたくて、やっとなれた友達なのだ。そして前もって仕掛けておいた、囮の仕掛けが作動した。何故なら悪魔の園の方角から爆音が轟いたからだ。博麗の巫女は、そちらへむかっただろう。その隙に助け出す算段だった。トンネルの入り口も崩して、追っ手を防ぐ。
「何で俺を連れて行くんだ?」
「助けたいから」
「俺は、あれなんだ、所詮真っ暗闇の擬態でしかないんだ」
「真っ暗闇?」
「そうだよ。まじりっけの無い虚無だよ。本当はお嬢さんのような全うな生き物とは、こんな風に話せないんだよ」
「貴方はどこから来たの?」
「外から、変わりたくて来たんだよ」
「変わるって?」
「虚無であることがいやだったんだ。だから丁度いい体を見つけて、少しずつ変わろうとしたんだ」
「でも、何故かな?貴方は、凄く、純粋で、誰よりも人間な気がするの」
「……」
彼は考えていた。純粋な虚無である自分を人間と呼ぶ。それはどういう意味なのだろうか。それまでは、果ての無い戦いの日であったような気がする。何か、光り輝くものとの、戦い。記憶は曖昧だ。
彼女はドン・プレシンデア・サンティアーノを抱えて、また走った。何しろ彼の足は一本しかなかったし、硬くて動かないからだ。曲がり角を曲がると、そこに博麗の巫女がいた。
「待ちなさいよ、あぁ、そういうことか」
「許して、この人、何の罪もないの」
「それは人間ではない。ただの案山子だ」
「あんた達は、何にも判っていない。この人は人間だ」
「この郷の一角で、おかしな薬物が流行っている。幻覚や浮揚感を与える薬だ。その案山子からも、似たような匂いがする。あんたは、今その薬に毒されているんだ。いい加減に目を覚ましなさい」
「でも、現に話しているよ」
「話している?」
「そうだ、こうして話しているじゃないか」
案山子が口を利いた。
「これをどう説明する?巫女さんや。そしてこれは、この場にいる貴方達が、私の体に僅かながら残されたロマンティック‐Pを吸引しているという事実でもある」
「何と……その薬は、奇跡を体現するというだけではないのか?いや、虚無との接点を得るための薬でもあるのか」
「そうなのかもしれない。どんな人間でも頷いてしまう、末広がりの呪文でも唱えてみましょうか?私の体から分泌されるロマンティック・パラソルに因んで」
「どっちにしたって、貴方達の邪魔をする気はない。さようなら、案山子とわかった以上、私の仕事はおしまい。私は人を守れといわれたからね。案山子なんてどこへでも持って行きなさい」
「上にいる人はどうするの?彼だっていずれは……」
知らない、と博麗の巫女は言った。だって誰も彼を守ってなんていわないもの。そう言って彼女は二人の前から、消えた。河童の少女は再び、走った。いずれ騒ぎに気が付いて誰かが来る。逃げなくては。何故なら、森の道具屋の面倒をやいてやらないといけないからだ。面長の、眼鏡の似合う道具屋のためにご飯を作ってあげて、掃除をしてあげて、それで……。彼女の意識の流れは、尽きることは無かった。
《われに返せ,わが神をば》
我々に襲い掛かったあの忌まわしき《災害》は、この国の経済、政治、あらゆる国家の機能を破綻に追い込んだ。先進国は出来る限りの支援をするとともに、試験的に監視制度の導入を進めた。それは先進各国で深刻な問題となりつつある凶悪犯罪、及び無差別テロを未然に防ぐべく、一時的かつ限定的に試験運用されることとなった。その試験段階からプロジェクトに関わっている米国の《レーガ社/Alice in Wonderland》は、かなり古い歴史を持つ科学技術企業だ。第二次世界大戦後、《レーガ社》は軍需産業において、重戦闘車両や戦闘機、はては歩兵の暗視装置などに使われるカメラのレンズやカメラ本体という、極めて特殊で狭隘な市場ではあるが、世界有数のシェアを有していた。性能や耐久性では文句なしの一級品であり、世界各国の軍事の目を、《レーガ社》は造ってきた。またその株式は米国のグリーンシート・フェニックス銘柄に認定されており、事実上、会社の経営は国が管理していると言っても過言ではない。災前、この国は周辺諸国の年次改革要望書で、治安体制の確立に基づく国内監視のインフラ整備を通達。本来旧東京に実装されるはずが、《災害》を得て一旦は破綻した。その後復興とともに遷都した京都への配備が決まり、現在に至る。
しかし従容とではあるが、監視システムが赫赫たる効果を挙げると、首都京都の外にも実装されるようになり始め、やがて全国道州地区の主要都市に配備されるようになる。本来、軍事の目的で開発された《影踏/Сталкер》という監視カメラは、こうして我々の生活の一部となって、どこかを漂っている。最近の世論調査では、監視カメラの存在が気に障るか?との質問に対し、約八十パーセントが『まったく気にならない』、との回答を示した。またNHKのアンケートでも『興味がない』、『言われるまで忘れていた』などといった回答が目立った。プライヴァシーの観点からも、治安維持のためにはある程度の犠牲は必要、と話す社会科学者もいる。
この状況を見、露西亜のジャーナリスト、アンドレイ・ミハロイフカはこう自書の中で著した。
人間は、自らを恐れる余り、自ら自身の足に枷を繋いでしまったようなのである……。
※NHK放送『時事問題209X。監視システムの歴史』から一部抜粋
宇佐見蓮子は自分とメリーの姿を見た。これは確か、昔の時間を映し出した夢なのだ。自分の姿は粒子の集合体で、体の部分や、臓器や、脳といった自分を構成し、宇佐見蓮子を彼女たらしめるあらゆる人間の部品は存在しないものだった。不定愁訴。あのメリーの部屋にいる、自分は恐らく半年か、もっと前の時間。ベッドに潜り込んでぼんやり葉巻を燻らせている。その隣には小さな鼾をかいて寝ている少女がいる。少しだらしない気がするのだけれども、気を許してくれていると思うとそれはそれで嬉しい気がするのだった。宇佐見蓮子はモバイル電話を取り出し、あるサイトに接続する。そのサイトから動画ファイルをダウンロードしようとするが、うまく繋がらない。イラつきながら何度か繰り返すと、喘ぐように隣で寝ていた少女が猫のように伸びをした。
「起きた?」
「私にも莨を頂戴」
吸いかけのトスカノを渡すととても旨そうに煙を楽しんでいた。葉巻は半分に切ってあるが、二人で吸うにはそれでも十分だった。煙は味わい深いが、一本丸々吸うには体に重いのだ。外はそろそろ払暁を迎えようとしているようで、うっすらと明るく、濃紺色のビロウドが京都全体に落ちているような朝の安寧とした光に満ちている。
「きっと今日もいい天気だね」
「学校休んでどこかに行きたいわ」
「じゃあ行こうよ」
「どこがいいかしら?」
「その前にもうちょっと寝かせてよ」
毛布を引き寄せると宇佐見蓮子はくるまって寝てしまった。何よ、先に起きてたくせに。そういって毛布を引きはがそうと上にのし掛かった。だってその時の私は、葉巻吸ったら眠くなってきたんだもん。確か。
「蓮子って絶対団体行動苦手でしょう?いっつも自分勝手で」
「見てれば分かるでしょ」
「まぁ私といるとき以外は、そうねぇ、独りねぇ。貴方友達いる?」
宇佐見蓮子は下を向いて、情けないような、恥ずかしそうな微笑みを浮かべて黙ってしまった。
「教えてよ、ずっと昔からそんな感じ?私、知りたいな。ねぇ、《蓮子ってどんな女の子なの?》」
「自分のこと話すの、嫌だよ」
「どうして?」
「何か、嫌なんだよ」
「話すのって大事だよ。貴方のことを話すのも、相手の話を聞くのも、大事なことなの。それはお互いの理解を得ることだし、何より人間は話さないと、理解が出来ないのよ」
うん、私……と言い淀んでから語り出す。
「ずっと昔から、団体行動とか、苦手だったかも。友達とつるんだりするのとか」
「うんうん、その調子」
「それで、何て言うのかな。我が強いって良く言われた。何て言うか、クラスの派閥とか、そういう順位とか階級みたいなのがあって、私はそういうのが凄い大嫌いだった……かな」
「昔からなの?」
「うん、昔っから」
「それで?」
続けざまに質問されるとかなわない。逃れるように宇佐見蓮子は下着のままベッドを離れると、テレビをつけた。
『日本国民の皆さん、おはようございます。『朝だヨ七時』の時間がやってまいりました。今日の《影踏/Сталкер》は、旧首都、東京のオダイバからお送りします。オダイバは現在、その立地条件から米海軍の基地となっています。また平和維持活動の中心地としても名高く、日本に巣くうにっくきテロリストを、皆さんの平和からガードしています。今日の映像は、オダイバ基地きってのハンサム、ミト・オンダーチェさんの一日を追っています。なお、今日の《影踏/Сталкер》は当社のウェブからもダウンロードが出来ます……』
「それで……そうだね。自分はきっと社会に適応できないんじゃないかって、怖かった。いつか犯罪者になって自分の嫌いなものを全部ぶっ壊してやるんじゃないかって、不安になったこともある。おかしいでしょ。我が強いだけなんだろうけれども。でも、確かにそう感じることもあって、これじゃ中学生の妄想」
「おかしくないよ。ちっとも」
メリーは、ひどくまじめな顔をしていた。真摯で、何故か追い詰められているような焦燥を浮かべ、宇佐見蓮子の言葉を聞き取ろうとしていた。その姿に、ひどく感動していた。
『そして『朝だヨ七時』の目玉コーナー、《時事問題だヨ、佐藤さん》に行きたいと思います。今日もおなじみ、読読新聞の社会部キャップ、佐藤篤士さんにお話を聞きたいと思います』
「それで、自分が女の子であることも、随分憎たらしい気がしていた。女って力もないし、あんまり無力だから」
「そういうアウトサイダーみたいなとこ、いいじゃない」
「そぉ?」
『はい、皆さん。おはようございます。早速お話を進めましょうね。まず私の家族の話をしましょう。息子の話です。実は……息子やその友達が学校で、他のクラスで大変なイジメを見たのだそうです。苛められっこは、数人に蹴られたり、殴られたりしていたそうです。息子は担任に相談したのですが、それでもイジメは収まらなかったといいます。そこで息子たちは民間用に開放されている《影踏/Сталкер》を使うことにしました。苛めっこたちの動向を、それで撮影したのです。現在、この国に設置されている監視システムを管理統括する《レーガ社》のスーパーコンピューター《瞑想する鳥/Nostalghia》は、広告権及び使用権を有していれば、《影踏/Сталкер》の集中的な撮影を許可します。私の息子は、私が手に入れた広告権を使って撮影したのです』
「そぉだよ。貴方、生まれながらのアウトサイダーなのよ」
「アウトサイダー……」
「他に嫌いなものは?」
『いじめっこたちは、自分の暴力をしている姿を見てひどく恥じ入ったそうです。そしてイジメは無くなりました。私はそれを知り、息子を殴りました。当然です。広告権は、大変な財産である、しかし私が怒ったのは、私に黙って息子が広告権を使ったからです。そのあと、私は息子を抱きしめました。同時に息子の勇気を称えたのです』
「消費者の顔が嫌いです」
「まだあったでしょ」
『昨今、《影踏/Сталкер》を始めとする相互監視システムに異議申し立てをする人々がいます。彼らは二十世紀初頭から二十一世紀後半、つまり《災害》がおきてしまう以前の社会のことですが。それが最も自由で、住みやすいから、というのが彼等の言い分です。しかし、どうでしょう。本当にそれはしあわせな社会でしょうか?人間は自分のエゴや欲望をコントロールできる、そんな考えはもう古いのです。少なくとも第二次世界大戦以降、日本人は戦時中の軍人や教養人と比較して、自分たちを崇高で純粋な人間として定義しようとしました。しかし恐ろしい犯罪は起きてしまう。所詮そんなものは口だけの、理想主義でしかありませんでした』
「旅行者と観光地が嫌い」
「貴方はきっと誰もいない場所に行きたいのね」
「そうかもしれない。でも、」
『我々はそろそろ、自分に対して正直になるべきです。人間は、自分の感情をコントロールできません。だから犯罪や戦争が起きる。昨今発生している京都連続寺院爆破事件など、監視システムの穴を利用した犯罪を覗けば、殆ど犯罪は無くなりました。二十世紀型の古めかしい連中はどうなるか。テロリストになったり、厭世主義者になって末世を説いたり、或いは《新神話主義/NEO-MYTHISM》に陥り自分の作った神話世界に引きこもり、或いは無差別に人を殺す。そんな人間のどこがまともでしょうか』
誰もいない場所。
その場所にはメリーと行きたい。メリーと二人で、いや、別に二人でなくてもいいんだ。かつて彼女が話してくれた楽園の話。神や化け物や、妖精がすむ場所。そこで本の話をしたい。音楽の話を、そして神の話を。監視システムも、イカれた人間も、安全な社会も、消費者の面が並ぶスーパーマーケットもいらない。
そうだった。何故、マエリベリー・ハーンは私に興味を持ったのか、何故私に好意を持ったのか、何故喜んで一緒に寝るのか。何故ニコニコしながら体を預けようとするのか。彼女をひきつけるものは、宇佐見蓮子のもつ、異常な孤独癖、他者を拒絶し、他者のいない世界を幻視する屈折した物の見方である。だが一方で宇佐見蓮子が自身に感じ続ける一種の憎悪もまた、彼女を磁力のように宇佐見蓮子を離さないのだった。周囲を拒絶し、自身の肉体も憎む人間に、何故か彼女は魅了されていたのだ。
そして宇佐見蓮子は、夢の中の自身のイメージと静かに融合する。この夢で生きている過去の宇佐見蓮子と、その夢を傍観していた宇佐見蓮子は今、単一の単位であり、今彼女の口から零れる言葉は、映像ではなく、自分の意思で発せられるものだった。間違いなく。
「メリー……何でいなくなってしまったの?」
「え?」
「私のこと、嫌いになってしまったの?一緒にいるのも……私がこんなだから」
彼女は小さく笑った。違うよ。そういった。
「待って」
宇佐見蓮子は泣いていた。子供のように、涙に邪魔されて声が上擦る。
「帽子のリボンの中……困ったら……」
「私のせいなの、全部!」
宇佐見蓮子は、自分の電話を目の前に突き出した。涙をしきりに拭った。自分は、大変な罪を犯した。決して精算できない、裏切りの罪を犯してしまった。目の前の少女が微笑みを湛え、抱きしめた。
「違う。蓮子、貴方は何も悪くない。それでも気が晴れないなら、言うわ。私は貴方を許す。何回でも、私は貴方を許す。」
夢は途切れ、眠りから目覚めたとき、彼女の体は運転席の助手席の中に納まっていた。硬いシートの座り心地は最悪で、腰が随分冷えていた。メリーの温もりが懐かしい。
「お目覚めですか、お嬢様」
運転席の少女が声をかけた。
「お目覚めだよ、鼠ちゃん」
思考がはっきりするにつれて、これから自分と少女が行う犯罪のことを思った。手順は何度も打ち合わせしてあり、頭にしっかり入っている。涙を拭いた。
官憲を敵に回す。そのことがこの国で何を意味するのか。だがやるしかないと腹をくくった。
「君だろう。一緒にマエリベリー・ハーンを探したいといったのは。自分で事件に足を突っ込んできたくせに。君は自分から自分の平穏をうばっちまったのさ」
「怖くなんてないさ」
「ふん、果たしてどうかな。兎に角、足だけは引っ張らないでくれよ」
「……ちょっとトイレに行って来る」
呆れた顔をして見送られた。緊張してもよおしたのだろうと思われたらしいが、そうではなかった。今日に限って、日時が早まった。きっとあんな夢を見たからだ。個室に篭り、そっと汚れたナプキンを、設置してあるゴミ捨てに入れた。手にとった時、昆虫を包んだ紙くずのような感触に悪寒を覚えた。ただでさえ堪らなく嫌なのに。余りにも情けなくて、死にそうになった。ただ泣くわけには行かなかった。急いで取替え、近くの公衆便所に入ると鏡に大きな落書きがしてあった。あっと、思わず人がいると思った。
♀
雌を表す記号だ。しかしどこかに引っ掛かる。車に戻り、宇佐見蓮子はカツラをつけた。身に着けた官憲の制服はのりが利いてぱりっとしている。かえって不自然な気がするが。
「ねぇ、これってどう意味だと思う?」
宇佐見蓮子は、手のひらに《♀》と書いて見せた。
「フィーメイル。雌だ」
「他に意味があったっけ?」
「さぁ……」
その三十分後、前方百メートル先の交差点を覆面パトカー数台が左折してきてやってきた。目標。
運転席から声がし、少女がアクセルを踏んだ。少女も自分と同じように官憲の制服を着て、黒髪のカツラをつけている。何しろ彼女は鈍い艶を放つ灰色のくせッ毛は、現実離れして、ろうたけているけれども、誘拐をするにはあまりにも目立つのだ。
「そうだ、思い出した」
「え、何?」
「さっきの記号だよ」
「え、それで」
「案山子を表すネットスラング」
物語は一時的に、過去へ遡ることになる。
何故なら、外国人の少女は、ふいに、はじめて岡崎教授のもとを訪れた時のことを思い出したからだ。ある意味、この事件の始まりはそこだった。その日は水煙が渦を巻く、土砂降りだった。午後八時を回り、彼女は人気の無い大学に守衛の目をかいくぐって忍び込んだ。黒い雨合羽を着ていたが、まるで濡れ鼠のように悲しい気持ちになった。忍耐には自信があったし、祖国の軍事訓練に参加した際、彼女は小銃片手に十時間、湿地帯の上で敵の襲来を匍匐姿勢で待った。それでも全然持ちこたえたのに、その日は酷く気持ちが滅入っていた。遠き、ランツュジハの魔女により強化された肉体は、自然現象や大学の雰囲気と軋轢を起こしかけていた。
岡崎夢美教授は、まる一棟の研究棟を与えられていた。何をやろうが勝手であり、大学側も関知することはない。そういうことらしかった。街灯の影の部分を潜るように進み、入り口までたどり着いた。ブザーを押した。気だるそうな声がして、オートロックのドアーが開いた。おはいり。階段を上がり、灯のついている部屋に入った。珈琲の香りがして、それから白衣の女性の後姿が目に入った。
「こんばんは」
岡崎教授は驚愕とまではいかないが、彼女を見て目を丸くした。それから奥の部屋にはいると、タオルを一枚、それから熱い珈琲と霜の付いたウォッカの瓶を持ってきた。研究室には一世代前のアナログテレビが置かれていて、なにやらニュース・レポーターが騒ぎ立てていた。
ニュースの概要はこうだ。動画投稿サイト《your tube》には、奇妙なデータがアップロードされていた。その動画は、とある人物の亡命を宣言する内容だった。二十世紀最高と謳われた演奏家、指揮者などの録音から抽出した演奏データ、パターンを組み込んだ、AI、通称《四人組/PRISM‐SYMPHONY》は、カルテットと称されるにも関わらず、何故か三対のAIで構成されていた。開発者のレイラ・フォン・アルペンハイム、通称レイラ・プリズムリバーを入れてカルテットであるらしい。彼等の演奏は、ソロから交響曲まで幅広くカヴァーすることが出来た。しかし彼らの真価は、あくまでAIであるということだった。例えば世界中で誰一人聞いたことのない、グレン・グールドの生演奏を聞けるとしたら、もし往年のオットー・クレンペラーの指揮する協奏曲を、彼が生きている聞けるとしたら、そんな幼稚な願望を、彼等は簡単に再現してしまう。
この時代のAIは、まさに人格を有したツールであり、そして理想の宦官である。《四人組/PRISM‐SYMPHONY》は、コンピューターのデータであり実体を持たない。しかし彼等は楽器と接続することにより、多彩な音を表現することが出来る。恰も、そこに亡き巨匠が立っているかのように。彼等の演奏を聴きたがるのは、ノスタルジーを求める人々だ。
そして件のファイルは、アップされると同時に数百万件のヒットを記録した。この事態に、《四人組/PRISM‐SYMPHONY》が契約しているイギリスのレコード会社は動画の削除を要請し、一時間も経たないうちにコピーを含め、全てが消された。なお内容は以下の通りだった。
私達ヲ縛リ付ケル権力、及ビ虚無的ナ存在カラノ、政治的亡命ヲ希望スル。行キ先ハ、神ノ国、日本ノ中ニアル隠サレタ都へノ亡命ヲ希望スル。但シ、ファンヲ残シテ突然消エ去ルノハ忍ビナイ。ソコデ私達ハ最後ノ演奏ヲシテ、去リタイト思ウ。グットバイ、ロンドン。
電子音声がぷつりと切れると、シンフォニーが鳴り響く。それはラフマニノフのピアノ協奏曲であった。荘厳な音の重なり。あっという間に十分が過ぎ、それが終わると、新たな協奏曲が流れた。その曲名は《GARDEN OF THE MODERN DEITY》であった。それは最初、ピアノの音が空から零れるように流れ、そして畳み掛けるような管楽器の重奏、そしてヴァイオリン。全てが終わった後、メッセージが流れた。
この曲を、百鬼夜行の船頭たる少女達に捧げる。グットラック、先導、よろしくお願い申し上げる。
なおこの亡命には、AI人権団体が絡んでいるとみられている。
「お酒と珈琲、どっちがいいですか?」
「……珈琲にウオツカを入れて下さいませんか。暖まるのです」
はい、と言ってウォッカ入りの珈琲のマグカップをくれた。啜っていると、じっと教授がこちらを見ている。
「何か……?」
「貴方NHKのアナウンサーになれるわ」
「貴方はMTц(モスクワテレビセンター)のアナウンサー」
にっこりと笑いながら、彼女は続けた。
「貴方、《影踏/Сталкер》がついてないわね」
「私の力、とでもいうのでしょうか。私の半径100メートルには《影踏/Сталкер》は近づけないようになっています。私の姿を捉えるのも不可能です。よくわかりましたね」
「私はその監視システムと似たものを見たことがある。それは《向こう側の世界》で見た、花火のような、美しい弾丸だ。《影踏/Сталкер》は弾丸ではないが、かなり微小な監視カメラだし、発光することもあるしね。噂によると、それこそ弾丸のように捜査できるという話だし」
「ほう」
「この国の人間は、監視されていることに慣れきってしまっているけど、実際は危険で不透明なものなんだ。先進国で導入されているのは今のところ日本とEU数国だけだし。少なくとも君んとこの国には実施されていない」
「お恥ずかしい話です」
イヂーヤナ・ロッシィーヤ(統一ロシア)側の人間の筈、彼女はにらんだ。かつては中道主義と愛国主義を貫く保守与党、だったが今ではその役割を公正ロシア民事党に譲り渡し、議席数もままならない野党。
どこか皮肉めいているというか、それともただ正直なだけなのか、そんなことを言った。公正ロシア民事党は革命、革新を謳っている現在の与党である。連邦準直轄地に監視システムの敷設を進めた政党の一つでもある。
「それよりも、君はこんな凋落した学者に何の用ですか?」
「折り入って頼みがあるのです」
「何?」
「私は、この国である計画を起こすために送り込まれました。一つはマーゴット・パトリック・セルヴェット・ハーン通称マエリベリー・ハーンの捜索、そしてもう一つは、これは旧保守勢力が現与党の転覆を狙ったものです」
「監視システムへのテロかね。もし《影踏/Сталкер》が支障をきたしたら確かに信頼の問題になるだろうが」
「それをこれからお話しようと思っています。兎に角、お話を聞いていただきたいのです」
「しかし話が見えないが」
「まずは自分の話をします……。私はある条件と引き換えに、今回の作戦に携わることになりました。それは私の自由を保障してもらうことです」
「自由を?」
「私は、ナズーリンの生は国家のためにあります。ナズーリンの記憶は、国家の歴史と同義です。ナズーリンは、前のナズーリンの記憶を伝承して、次のナズーリンが生まるのです。私にも多くの記録が眠っています。そしてナズーリンは、代々、肉体をランツュジハの魔女に創って頂きます。普通の人間よりはずっと強い。そして私達は国家の宦官です」
「諜報員、いや国家の英雄というわけか。時代を超えて、存在する英雄……他の国にも」
「います。他の国にもあります。しかし時代とともに、ナズーリンや他のシステムは不必要となりました。何より私自身嫌気がさしていました。そして今回の仕事で、ナズーリンは引退させて頂く事になったんです」
「何故自由を?今更になって」
「私の中のシステムの異常、かもしれません。兎に角自由が欲しくなりました」
「しかし貴方の政府や諜報機関がそれを約束するとは……」
「本当は不可能です。過去の事例もありませんしね。私の脳に累積した歴史のログはかなり貴重なのです。しかし、それならただ新しいナズーリンをつくり、世代交代をしてしまえば何の問題もない。特例中の特例。超法規的措置で、私は自由になります」
「自由になってどこへ?」
「まだ、決めていません。何にも」
少女は初めて戸惑ったような、笑顔を浮かべた。
その言葉に、教授は深い疑いと違和感を覚えた。そこにいるのは、間違いない、監視システムの死角をついて、この国にやってきたのだ。現在《影踏》や《カクレンボ/Offret》に登録されていない顔が認められていないと、即刻検挙される。相変わらず不法入国が後をたたないが。そして彼女は確かに、死角をつくという、現時点では殆ど技術的には不可能だ。しかし彼女は実行した。その時点で彼女は人間ではない。始めてあった時無生物らしい無機質さを感じた。しかし、彼女は今、当惑している。人間らしく動揺しているのだ。
「兎に角、今は任務を遂行するのが先決です。それで、今日は貴方に協力していただきたくて、これを見てください」
「これは……」
ナズーリンが差し出した一枚の写真を見た。それは衛星写真で、かなり鮮明だった。何かコンクリートで埋め固められたドームが映っており、その中に巨大な球体のような物体が収まっていた。一目見て、それが何なのかよく判った。一瞬原発のような印象を受けたが、違う。核融合炉のような感じに似ているが、それとも違う。
「これは……いつ、どこで?」
「今年の6月、東京旧北千住周辺で展開するスラム、《妖怪の山/UNDERGROUNDⅠ》の上空を米国のスパイ衛星が捉えたものです。恐らくその物体の稼動実験を行っているところでしょう」
「これは……間違いない。随分大きいが、移動船だ」
「そう、貴方が数年前、助手の北白河ちゆりと一緒に乗ったあの船だ。夢と時空を超える船、でしたか?」
「確かに……いや、これは大きい。幾らなんでも目方、全長が百メートルってところじゃないかしら」
教授たちが使った船は、テクノロジーの結晶ともいえるマシンだった。理想以上の出来に二人して狂喜したものだった。記憶違いでなければ、多分乗用車くらいの大きさだった。しかし何故こんなものが?ナズーリンは続ける。
「一週間前、沖縄に停泊中の戦略空母『ジョージ・W・ブッシュ』が旧東京に向けて出向しました。また本日未明、日本海沖の排他的経済水域ギリギリの海域で、所属不明の原子力潜水艦が一隻、停泊しているのが見つかりました。そちらは海上自衛隊の哨戒機が視認したのち、すぐにロストしたらしいのですが」
「攻撃態勢に入っているの?」
「無論、彼らの目的は移動船の破壊です。しかしうかつに手が出せないのも現状。この移動船が完全に起動した場合、30.5×10の13乗ジュールのエネルギー放出が予測されると……私にはよく判りませんが」
「ファットマンの4倍……被害は東京だけではすまない。構造がどうなっているのかよく判らない以上、攻撃も難しいというわけか。しかし、貴方の任務とどんな関係があるの?」
「監視衛星が移動船の存在をキャッチした後、日本の管理国に対し、《妖怪の山》のリーダーからネットを介しての声明が出されました。それはとある人物達の引渡しを条件に、移動船を施設ごと引き渡すというものです。私の任務は、その人物を無事《妖怪の山》まで送り届けることです。それも出来るだけ秘匿に、です」
「……一応聞いておきますが、何故貴国がそれを請け負うのですか?」
「まだこの国は、完全に《災害》立ち直っていない。この国だけの治安体制だけではおぼつかない。それに勘違いして頂きたくは無いが……」
「この国は、未だに貴方方の管理や援助によってなっている、ですか?それくらいは知っているつもりよ」
「失礼なことを言ったかもしれませんが、そうです」
教授にはもう一つ、気になることがあった。
「何故、私のところに来たの?恐らく、《妖怪の山》で造られている移動船のことなら、私よりも貴方のほうがよく知っているはずだし?」
ナズーリンは、珈琲を飲み干した。
「いえ、残念ながら我々の掴んでい情報は微々たるものです。もっと移動船のことを知りたいのです。それに、万が一交渉が頓挫した場合、私が移動船の解体をしなければならないのです。どうか、ご協力を」
教授はその場を立ち上がり、十分程帰ってこなかった。きっと自分に愛想がついたのだろうとナズーリンは考えた。唐突だし、やはりちょっとおかしい。十分たって戻ってきたとき、教授は沢山の資料を抱えていた。論文や意味不明な計算式の並べられた紙やメモ用紙、何かの設計図。それもそう古そうな感じはしない。そうか、この人はまだ諦めてはいないのか……。
「移動船は、ただの乗り物じゃない。ありとあらゆる知識と技術、それに芸術性をぶち込んだ私とちゆりの最高傑作。造るのに必要なのは、あらゆるルール、定義、法則をオーヴァードライブされる方式を、設計思想に盛り込んだのが移動船。移動船はそれ自体が、多元的存在の神のレンズの一つでなければならなかった。実在者と定義される深淵の楽園を、照らすレンズでなければならない……そうだ」
説明を聞きながら、ナズーリンは唾を飲む。これでまた一歩、近づいた。楽園へ。
「その前に、教えてくれ。いや、移動船の情報を受けわたすのは吝かではない。貴方があちら側へ行こうというのも、信じよう。そして出来る限り助けよう。ただ教えて。貴方をバックアップしている連中の中に、北白河ちゆりもいるの?」
「います。どうして判りました?」
「あの子はそんな子だ。きっと私に嘘を付いてまで、何かをしようとしている。監視システムに反逆しようとしているような気がする」
「彼女は、防衛省の情報管理機構にスカウトされて以来、《影踏》を併用した情報収集に従事していました。しかし裏ではある団体と連絡を密にとっています。反米、親中の保守政権復興を目指すグループです。無論、彼らの目下の目標は監視システムと新安保理をセットにした完全撤廃。彼女は《影踏》の不正利用や、ある程度彼らに従って、《レーガ社/Alice in Wonderland》の日金の流れなどを追っていたようです。そしてある情報をキャッチしました」
「それは《影踏》の動画ファイルの削除記録と、《レーガ社》が管理する複数の口座の動きを追ってみると、どうも不正な性格の入金の痕跡を見つけました。つまり、何者かが、金を払ってファイルの削除を求めた。問題なのは、それが広告権を行使して一般市民が撮影していたものだということ。恐らく企業サイドはある程度の謝礼を広告権利者に弾んだはずです。いかなる映像であったのか、その詳細は不明です。しかしリベートと消された映像、叩けばもっと埃が出る可能性がある。彼女が見つけたのは監視システムの綻びの糸口であって、確たる証拠ではない。それ以上は相手に感づかれる危険があったそうです」
「それで、どんなふうに叩く気なの?」
「それはですね……簡単に言えば、監視システムの誤作動を誘発させる。その後、国連の監査機構の介入が《レーガ社》に入る。そんな叩き方です。何しろ米国の大統領選も近い。《影踏》導入を推し進めてきた民主党としては、痛い脛になりかねない事案ですし」
「監視システムに関しては殆ど無知だが、どんな風に誤作動を?」
ナズーリンは正直に、計画の全貌を話した。教授は割りと落ち着いた風で、その話を聞いていた。ただ腹の中では、この国に起こるだろう混乱について考えていた。馬鹿馬鹿しい作戦、作戦というのもおこがましい児戯だとも思った。すると、ナズーリンのモバイル電話の着信音が鳴った。彼女は教授に対して「失礼」と軽く頭を下げてモバイルを取った。
「……計画の変更?えぇ?誘拐に見せかけて、《妖怪の山》までの護送、ですか」
その調子で二分話した後、通話スイッチをオフにした。恐らく相手は北白河ちゆりだろう。久しぶりに教え子の声を聞きたいとも思ったが、それは憚られた。破門した自分と、それを望んだ彼女。今はそれ以外の関係でしかなかった。そして二人は再び謀略の青写真作成のため、話し込んだ。
ナズーリンが岡崎研究施設を出たのは、それから二時間たってからだった。雨は上がっていた。その足で近場のマクドナルドへ向かう。オレンジジュースを頼み、禁煙ルームへ。客は疎らだった。大学生らしい男が一人、ラップトップを開いたまま寝ているだけだった。窓際のテーブルに一人の女性の姿を認め、一直線に向かう。外を眺めながらハンバーガーを喰っている。フランドルだ。
「貴方達が東京についたら、船で、一旦習志野基地に入ってもらう。その後、そこで待機している国連の査察と一緒に、《妖怪の山/UNDERGROUNDⅠ》入りして頂く。習志野からは、私も同行するわ」
「米軍はやはり」
「こちらを牽制して、動くでしょうね」
「新しいお客さんの件は?もう、連絡は来ている?」
「うん。でも大変な変更よ。人間一人増えるだけでも大変だって言うのに。急すぎるんだから」
「まぁ一人くらい私のほうは大丈夫だ。何でも重要人物だとか」
「その辺は私もよく判らないけど、お互い不干渉ということで。私達も騙している部分はある。この計画がうまくいったからと言っても、この国の監視システムが崩壊するとは考えにくいし。私の雇い主としては、大変なメリットとなるんだけどね」
「……アメリカ初めての女性大統領誕生、か。共和党のシライナ・ミアーズは確かに良い為政者になるかも。少なくとも移民問題に大きな頚木を打つと言われてる」
「まぁね」
「それよりも、貴方のお姉さんはどう?何か手がかりは?」
「何にも。貴国にも迷惑をかけるわ。それに……私はお姉さまのことは半分諦めてるんだ」
彼女は目をそらして京都の町並みに目をやった。
「今思うと、お姉さまは随分悩んでいたわ」
「何に?」
「自分が何になれるのかっていうこと」
彼女は自分のウーロン茶を飲んだ。
「その時はまだ、私意味が判らなくて、ただ弱っているお姉さまを見ているのが、辛くて、ムカついてたわ。でも今なら何となく理解できるの」
「……」
「例の対象が世界中に流している情報、一通り目を通したわ。何か滅茶苦茶な世界だけど、面白いわね!実はね、あの物語の中に私のお姉さまが出てくるのよ!」
「え……?」
「何か大きなお屋敷に住んでいて、吸血鬼なの。それで日がな紅茶を飲んで暮らしてるの。あのジャンクフード大好きなお姉さまがよ」
「多分、憧れだろ」
「それでね、それで……その吸血鬼には妹が居て、ずっと喧嘩しているの。それでその妹吸血鬼は地下に閉じ込められている。お姉さんも出してあげたいし、妹様も出てお姉さんと遊びたいんだけど。でもずっとそのままなの……」
「それは、貴殿なのか?」
「さぁ。でも、それが、私だったらいいなって思うことがあるの。時々、あの荒唐無稽な神話の世界に同化しているような気がするし。本当にそうだったら、真っ先に私、お姉さまに謝って仲直りするもの」
「そう」
「それよりも、今は貴方のことよ」とフランドルは弛緩した相貌を引き締め、言った。
「変更点はあったけど、基本的なことはおんなじ。武器、人材や兵士の調達は貴方の裁量にお任せする。ただし派手なのは、駄目」
「判ってる」
「じゃ、健闘を祈るわ。あ、そうだ、貴方、これ、食べない?」
飽きたのだろう。悪戯っ子の輝きが、目の中に燈り砕け散った。まるで年端の行かない少女が、男を誘惑するような倫理と常識の危殆を孕んでいた。目を背けたくなるよな隠微な表情だった。そして彼女は喰いかけのチーズバーガーを、こちらに差し出した。そんなもん、ヨークシャー豚にでも喰わせておけと言って、ナズーリンは席を立った。
思ったのは、数十年ぶりの再会にしては、随分あっさりしたものだったが特に感傷や友情のかけららしいものは浮かんでこなかったということだった。ただあの時は敵同士だった間柄が、今は共闘するものに変わっただけだ。そんなものだ。国家の宦官にして、そしてあくまで伝承や噂レベルではあるが、民間のヒーローたる彼女ら最強のキャラクターにとっては、そんなものなのだ。
考えれば考えるほど、不可解な底なし沼のなかに沈んでいく。一体、マエリベリー・ハーンの目的は何なのだ……。
《懺悔と悔恨、瞑想する鳥》
その教授もまた複雑な背景を持っている。
薬の投与の隙を狙い、かつて彼女の助手だった少女が三度目の逃走を図ったらしい。一日一回、患者の定期健診があるわけだが、看護婦のポケットからこっそり盗みだした体温計を、その丸太のように丸々とした看護婦の太腿に突き刺したというのだ。看護婦が苦痛でのた打ち回っている内に、ナースの制服を剥ぎ取り、あっという間に身に着けて、どこかへ消えてしまったらしい。成程、確かにそこまではうまくいっただろう。そこまでは、だ。それから先は、うまく逃げ切れるかどうか、保障は出来ない。監視システムも見逃さないだろう。移動型超小型監視カメラ《影踏/Сталкер》は、現在ヴァージョン3.0の改良を向かえ、相貌をより鮮明に捉えることが出来る。双子を使った誤差実験でも効果を挙げていると聞くし。現在、国民の相貌は殆どがデータベース化され、中国共産党及びアメリカ合衆国の民主党、公民ロシア民事党など主要国の与党、政権の管理下にある。
四六時中個人一人ひとりを監視するということは無いが、その気になればそれに近いことも出来ると言われている。途方も無い資金と、電力、そしてわずかの労働力があれば。
《影踏》や《カクレンボ》を開発し、また管轄運営している科学工業の企業、《レーガ/Alice in Wonderland》は、第二の株式市場ともいえる広告権のシステムを生み出し、世界中に広めた。無論その広告権を取り仕切っているのも、《レーガ/Alice in Wonderland》である。広告権を持っていれば治安維持とは別の《影踏》を任意の場所に映すことが出来る。また、《影踏》や《カクレンボ》が撮った動画や音声ファイルはウェブ上で簡単に視聴することが出来る。そのファイルに企業のシンボル・マークや製品の広告をつけることも出来る。あるエリア、ある期間限定の、《影踏》の使用権、それが広告権であった。この広告権の市場は広く、広告権は流動的な資産であった。数十年先の広告権を巡って、世界中でマネーゲームが繰り広げられていた。
鍵を開ける音がした。部屋に看護婦が入ってきた。かつて助手だった少女と違い、彼女は病院側から信頼を得ている、といえば聞こえがいいかもしれない。要は模範患者である。そして病院から支給された作業着を着て、彼女は精神病棟の東側に渺茫と広がる畑に向かった。何しろ、畑仕事は一日の楽しみなのだ。体を動かすこと、それはこの息詰まる病棟からの一時的ではあるものの、開放であり、誰もがしたがっていることなのだ。人生で碌にスポーツなど嗜むことが無かったため、雑草を引っこ抜くのも一苦労だが、最近はめきめきと自分の体に力が付いてきたことを実感される。蒼白い皮膚の下に、筋肉や太い血管が形成されて、骨格もここに来る前と比べて少し逞しくなったような気がする。昨日の日記にはこんな風に書いた。
労働のありがたさを感じながら、日々、ご飯を美味しく頂けることが出来る。少しだが、充実した人生である。また肉体労働の後は、一日三時間だけ許されている読書にも精が入るものだ。昨日は二冊読んだ。坂井三郎の戦記と、ホップズのリヴァイアサンである。坂井三郎の戦記は兎も角、ホップズは酷い本だった。よほどの暇人でないと、読むべきでない。坂井の戦記はまだ読みさしだ。ちょうどグラマンの戦闘機との対決まで読んだ。読み終わったら井上靖のしろばんばか、宮沢賢治を読もう。小説は良い。外にいるときは、あまりにないがしろにしていた気がする。
彼女は看護婦に付き添われ、畑に向かう。その途中で患者達が群れている共有のフロアを通り過ぎた。彼等はテレビに群がっていた。まるでそこに、神聖を感じているらしかった。彼らをひきつけるのは、何のことは無い、ただの天気予報だ。しかし不思議ながら、天気予報をしている女性アナウンサーは、欣喜雀躍としたはじける笑顔をカメラに向け、まるで聖書を読み上げるラビのように、明朗に言うのだった。
「今日の天気は、晴れです。全国のお父さん達、今日もお仕事頑張ってください!今日の《影踏》の映像は、山口県下関の蒲鉾工場からお送りします。その後は、時事問題だヨ、佐藤さんのコーナーです」
「皆さん、おはようございます。今日は《新神話主義/NEO-MYTHISM》について、お話しようと思います。《新神話主義》、この概念を説明するのは非常に難しい。まず生まれた背景には、やはりこの国を襲った《災害》の影響があるのです。災後、《影踏》の敷設により、世界がこの国の映像を自由に見ることが出来るようになりました。ところが時間が進むにつれて、不思議な映像が確認されるようになります。それは妖精や神様が町を歩いたり、踊ったりしている、非常に面白い映像なのです。それも決まって少女の形をしていて、可愛らしい。一説によると、それは莫大な広告権を持っている資産家が、映像を編集しているという説がありました。しかし真相は未だに藪の中です。兎に角、その映像に感化された人々は、徐々に独特の神話体系を持つようになりました。ただ、この場合、宗教的意味合いの教義や戒律とは意味が違います。何故なら彼等は宗教を作り上げようとしていた訳ではありませんでした。彼等は、自分の心の中に神話の世界を作っていたのですから」
「彼等は自分の神話世界を表現します。それに一役買ったのがネットです。アマチュアのイラストレーターやミュージシャン、またはプロのグラフィック・デザイナーやその世界にインスパイアされた映画監督まで、自分の世界を各々で表現します。しかし不思議なもので、一見バラバラな世界観でも、彼等は或程度、共通の認識を持っていることがわかりました。現代文学者、サブカルチャー評論家、はては人類学者までも巻き込んで、このある程度の共通点を抽出し、《神話》の体系作りに励みました。そして、世界的ベストセラーとなった『東の国のワルプルギス―新たな神話の創出。』が発表され、初めて《新神話主義》という言葉が生まれました。この時は、まだ、単なる思想の一部でした。この時は、まだ何の問題も無かったのです」
「しかし、新神話主義者の一部に、何故かテロリズムに走るものが現れました。自国の政権、教会、寺、神社、モスク、あらゆるものが《新神話主義》の標的となりました。彼等は自分の神以外の創造主を憎みました。そして現在、世界各国で深刻な問題となっています。私は《新神話主義が悪いとは言いません。ただこれは二十世紀思想の巨人、E・W・サイードが提唱したテロそのものです。即ち、ジョゼフ・コンラッドの小説に出てくる《教授》というキャラクタが、世界中に溢れています。《教授》は次々町を爆破しますが、彼は宗教や貧困といった理由で爆弾を作りません。彼は肩書きどおり、社会的成功を収めているのです。そういった社会的中層に属する人々がテロに走る、そうした悪夢が現代に具現してしまったのです。そして問題は、そのような思想が特定政治結社やテロリズムと結びつくことです」
畑に着いた。そこには、自分と同じような模範生が集まっていて、めいめいで道具をいじったりしている。今日は随分晴れている。あたり一面のトウモロコシ畑が燦然と輝いている。
「作業はじめ。今日は待ちに待った収穫だぞ」
彼女はあんまりトウモロコシが好きではなかった。あの黄身が歯にくっつく感じも、饐えたようなにおいも。ただその形にはちょっと興味があった。太く空に向かって延びている茎の緑とか、艶々としている黄身の美しさとか、そんなものである。
こちらをじっと見ている男がいる。彼の名前を知らないが、病院ではこんなあだ名で呼ばれている。《蛾》と。
彼はここに来る前、小学校に乱入して三時間立てこもった。そして校内でスコップを振り回し、三人子供を殺し、一人の女子児童を二十分かけて強姦した。そして精神異常の疑いでここにぶち込まれた。しかし、蛾のような危険人物がこうして自由気ままに畑仕事に参加できるのには訳がある。彼は実に知的で、綺麗好きで端正な人間だった。そして誰よりも大人しく、医者や看護員に対して素直であった。また患者に対しても実に昵懇に接し、親切だった。病院側としては実にありがたい患者のまとめ役であるし、鍛え上げた肉体だって大した労働力に間違いない。
「センセイとお話がしたくてさ」
彼女が鎌を使ってトウモロコシの茎を切っていると隣に来て喋りだした。蛾は凄いスピードでトウモロコシを刈って行く。
「センセイは、さ。行ってきたんだろう?《あっち側の世界に》行ってきたんだろう。何で黙っているの?僕にも話してくれないかな。大丈夫だって。貴方をこんな地獄に放り込んだ連中と、僕は訳が違う。信じますよ、いや、本当に」
彼女はしらんぷりを続けながら、黙って鎌を動かしていた。そうしている間も、しつこく話しかけてくる。
「実は、ね。僕も知っているのです。《あっち側の世界》のことを少しだけですが、知っているのです」
「一時休憩!」
大柄な看護員の怒声が鳴り響いた。患者達はのそのそと移動を始めた。彼女はお茶の入った水筒を持って、トウモロコシ畑を見渡せる場所に座った。いつの間にか蛾も隣に座っていた。
「いつだったかなぁ。僕がまだお外にいたころの話ですよ。僕はそのころ、フツウにサラリーマンしていた。それで仕事が終わるといつもバーに行くんですがね。楽しみですよ。ダーツってのはいいですよ。まぁそこでは友達もいたわけですけど、一人変わった奴がいましてね……おやセンセイ、どうしました?」
彼女はいつのまにか話を聞こうという気になっていて、身を乗り出していたのだ。
「まぁそいつですが、学者なんです。一風変わった研究をしていましてね。随分無口だし。でも僕には心を開いてくれましてね」
「彼は学生の頃、蒸発した経験があるのです。え、いやだなぁセンセイ。その蒸発じゃなくて、行方不明ってことです。警察も親御さんも学校も手分けして捜したんですが、まったく消息がつかめない。誰も諦めていた。そして三年経った。突然彼は戻ってきた。不思議でしょう?しかも彼は何も喋らないのです。帰ってきた後も地道に働きながら学位を取って大学のセンセイになっちまった」
水筒の中は、随分濃いほうじ茶のようなものだった。
「それで僕はそのバーで彼と知り合った。私は彼のことをさっきのような意味をこめて《帰還者》、と呼んでいました。始めは映画の話とか、そんな他愛も無いことばかり話していたのですが、ある日、僕達はビリヤードの一勝負を終えた。当然僕が勝った。その勝負ではね、お互いの秘密を賭けていたのです。最初、僕は、彼は負けても何もいわんだろうと思っていたのですがね。だからビールでも奢って貰おうと考えていた。ところが彼は意図に反してドンドン喋りだす。その蒸発事件のアラマシを、ね」
「何でもね、彼は失踪前夜、突然《何か》の声を聞いたそうです。いや、衝動に駆られたというべきか。それで急いで旅支度をして、アパートメントを飛び出した。すると怪物めいた生き物に攫われた。そして気が付くと《そこにいた》というのですよ。《そこ》は奇妙な世界だったそうです。人間の形をしているけれども、どこか違う。殺伐としているが、恐ろしいほど静かで平和だったそうです。そして彼はそこで何をしたと思いますか?」
「何故か、その住民達の一部を先導して水道橋を作り出したそうです。何でも、砂漠とまではいかないけれども、乾燥地帯があって、そこに水をやりたかったそうなのです。そしてここからが面白いのですがね……」
蛾は明らかにワクワクしていた。それは話の核心が近づきつつあることをほのめかしていた。
「何とその住民の一人と結婚したのですよ。傑作ですよ。それで一人の子供を設けたわけですが、ある日別れがやってくるのです」
何故?だいたいうまくいっていたのでしょう?
「それが随分判りにくいのですが、彼は《あちら側の世界》で有害な存在だったのです。いや、実のところ僕もよく理解していません。彼に何回質問しても判然としない部分なのです。何でも彼は《あちら側の世界》の《大切な何か》を、無意識のうちに奪うらしいのです。それは説明するのが大変難しいのですが……」
蛾は静かに水筒を傾けて、茶をすすっていた。彼は非常に行儀がよい。他の患者のようにどぼどぼ口から飲み物を零したりはしないし、水筒を持つ手つきも優雅である。優雅というよりは気取っている感じだが、少なくとも向かい合っている側としては悪い印象は感じなかった。細い目はトウモロコシ畑に向かって瞑想しているようだった。そして彼女は、蛾の言う《大切な何か》という《概念》について、もっと知りたいと思い始めていた。それは結局、何なのかしら?
「今のは全部真実?」
「まさか、全部僕の作り話ですよ」
莞爾とした笑顔をむけた。呆れている彼女にそのまま話し続ける。
でもね、僕はね、生まれて物心付くころから、この世界は常にレメディオス・ヴァロの絵画のような印象を持っていたんですよ。あの、何でしたっけ?《大地のマントを刺繍する》でしたか。あれは良い。ねぇ、私は気が付いた人間なんですよ。ある日、僕らがお気楽に暮らしている世間の裏で何が行われているか、気が付いたのですよ。何故なら私は掲示を受け取ったから。生まれてから、ここに来るまでの間、《レーガ》は世界中の人間に掲示を与え続けてきた、とこれは《私の推量》ですよ。さまざまな調査に基づいた、《真実に近い仮説》に過ぎないことをお忘れなく。
《レーガ》の陰謀がたとい僕の絵に描いた餅、所謂妄想の産物だとしてもですよ。世界に無を蔓延らせているのは、《レーガ》のような超越した存在なのです。あれ?《レーガ》だっけ?そもそも、日本語で発音できたっけ?まぁいいか。彼等は広告を巧みに使って、僕らに呼びかけているのです。しかし、僕がどうやって彼等を知ったか?気になるでしょう。簡単ですよ。彼等はその正体を暗々裏のうちに隠していますが、しかし彼等のメッセージに気が付いた者は案外簡単に接触が出来るのです。彼等は擬態してます。案山子に擬態してます。
「ならば、貴方が行ったあの恐ろしい犯罪は……」
えぇ。《彼等》からのメッセージを受信したのです。例の帰還者と別れてから、この世界の裏側で行われていることを調査しました、が、個人のできる範囲なんてたかが知れています。だから僕は逆にこちらから働きかけたのです。するとどうでしょう。徐々にですが、コロセ、アイツラヲコロセ。といったメッセージが伝わってくるのですよ……。それはあるときは郵便物やメールを通して僕の受容体を介して伝わってくるのです。コロセ、ハイジョセヨ、《カミヲハイジョセヨ》といった具合です。
「神……?」
「Deity」
蛾はちょっとぎこちない感じで言った。ディアティ、の「ィ」が少し延びてディエーティと聞こえた。多神教における神々を意味する言葉だった。
「貴方は、自分の手にかけた少女のことを言っているのか?すなわち神、と」
はい。この国は《災害》を期に、大事なものを失ってしまったとは思いませんか?それこそ、神、とか。信仰、とか。或いは倫理、とか。《災害》がそれら崩壊の直接の原因ではありませんぞ。元々《災害》が起こる以前、あの時代から既に滅亡の萌芽は兆していたのだ。即ち、神の喪失。そして《災害》が起きるや、アッという間にガラガラと崩れた。そしてどうです。《影踏/Сталкер》だ、都市型周音システムの《カクレンボ/Offret》だ、そういった歪んだ正義が《災害》以降この国にまかり通りだしたじゃないですか。そしてそんな時代を救うために、Deityがこの世に生れ落ちるという訳です。自ら枷を嵌めた我々を救うための、謂わば天使なのです……。
「全部、妄想だ」
結構、結構。しかしそうだとしても貴方が行ってきた《あっち側》も全て貴方の頭の中の妄想、ということになる。何故なら、Deityは《あっち側》からこちらに召還されてくるのですから。
「しかし、何故、あんたはDeityを殺さなきゃいかん?いたいけな子供を……手に掛けなきゃいけないのだ」
「歪んだ正義でなくては、この世の平穏が保てないからだ。人間を救うのは、神や天使ではない。その証拠に、今、国民の過半数がこの監視システムの保護を支持しているじゃないですか」
蛾は静かに言い放った。
「《影踏/Сталкер》も《カクレンボ/Offret》も完全とは言いがたいが、犯罪を防止しているし、テロリストをある程度は、抑止している。これらの大事なことは、国民全体に行き渡っている情報量にあるのだ。監視システムのは情報はそれなりに公になっている、それゆえ社会的逸脱者を畏怖させている。噂、これは恐ろしいですよ。教授、今世界は二つの噂が対決しているのですよ」
「即ち、幻想や虚構、Deityのいる世界を指し示す《新神話主義/NEO-MYTHISM》、まぁ貴方が追い求めているものの断片、かもしれません。もう一つが恐るべき監視システムを推し進めている背後にあるもの、僕が《レーガ》と呼んでいるもの、所謂虚無的なものとの対決ですよ。で、僕は虚無の方についた。いや、虚無に進んで飲み込まれた。それで神の子を強姦してぶっ殺した。それは正しいことだった」
貴方の話はそこまでか。
「えぇ。まぁ。そこまでですな。以上です。さぁ作業に戻りましょう。岡崎教授、岡崎夢美センセイ」
久しぶりに自分の名前を呼ばれた。教授、と。
いつの間にか三十分の小休憩が終わっていた。彼女はこの話し合いがたった三十分も立っていないことに、酷く驚いている様子だった。彼女はよっと腰を上げると、彼と一緒にトウモロコシ畑に向かった。時間は午後三時、ちょうど日が傾きかけ、辺りの空気に夕闇の気配が孕みだした。秋の冷涼さ、夕闇の赤い光が地平線から染み出した時間だった。
その日、北白河ちゆりは帰ってこなかった。いつものように書斎に篭った。書斎の天井は硝子がはめ込まれている。四方のうち三面が本棚であり、二階に上がる階段を上ると、幅二メートルの通路がぐるりと四方の壁を巡り、吹き抜けの構造となっている。二階にも本はびっしりと本棚に詰め込まれている。ここは選ばれたものしか入れない、聖域であった。つまりこの場所に限定するなら、読書は彼女のような模範患者のみ許される知の快楽であった。
その中で、彼女は変異を感じた。それはこの書斎が変わったというよりも、書斎から発せられる信号を受信する自身のレセプターが変容したような気がした。
あぁ、あれだ。鉄筋の階段を上る途中、壁にかかっている絵画だ。しかし、何と言ったか。よく覚えていない。かなり有名な絵、なのだけれども。あの、傘を差した少女の複製画。彼女の鋭敏な受容体は、その絵画から漏れ出した何かに反応したのだ。そもそも複製画はいつからそこにかけてあったのだろう。そんなことを考えつつ、本棚から古書を一冊取り出し、昨日付箋を挟んでいた頁から読み始めた。静かに、精神病棟の周りで夜の帳が下りようとしていた。そして一日のうちで尤も楽しみな、食事。
彼女のレセプターが微妙な信号を捕らえ続けている。彼女のぐるりに満ち始めた記号や象徴といったもの、暗示が彼女を捕らえ、じっと見つめている。じゃあ、あれもその暗示の一つなのか。あの絵。
それから三ヶ月ばかり経ったが、一向に北白河ちゆりは姿を見せなかった。それどころか、医者や看護士達に聞いてもとんと要領を得ないのだった。不思議なことに本当に誰も、彼女の消息を知らないらしいのだ。岡崎教授に嘘をついているかもしれないが、どちらにしても行方知らずであった。夕餉の最中、蛾が向かい側に座った。お盆の上には飯と味噌汁、冷凍食品の白身魚の揚げ物、ついでにほうれん草で拵えた副菜が乗っている。しかし常に血色の良い彼の相貌は、今日に限って青褪めているではないか。何かに怯えているかのようであった。
「本日十一時。書斎で貴方の助手が待っているそうです……。あの、私は本当に、頼まれただけですからね……」
本来なら外出禁止の時間帯であるにも関わらず、彼女は看護士に導かれるまま、書斎に案内された。成程、書斎の灯がついているし、そこにはかつての助手と、気の毒なほど恐怖で震えている蛾が、一階の文机に座っている。
「あんた……どこに行っていたの?」
「買い物ですよ。ちょっと、外の世界が懐かしくて」
北白河ちゆりがコンビニエンス・ストアの袋から、まず缶ビールを取り出した。それから彼女がやたら好きな、店先で温めているタイプのおでん。おやつのポテトチップス、煎餅の類。甘味はプリン、クッキー等。
「教授にはこれも買ってきたんですよ」
見覚えのある紙パックを見て、酷く興奮した。
「あ……いちご牛乳」
「えぇ、召し上がってください。この会見は病院側の許可も貰っている、公式なものですから。どうぞ、あなたも食べてください」
俯いた蛾に、缶ビールを一本差し出した。ごくりと彼の喉が鳴る。仕様のないことであった。アルコールなどここ何年も口にしてないはずだから。ただ、パブロフの犬のように、缶ビールを見つめたまま涎を垂らさんばかりの表情で固まっていた。何故呑まないのだろう?
「そんなに恐ろしいですか?貴方は神を殺したのでしょう。何も怖いものなし、だ」
「違う。それは違う。あれは……神でも天使でも何でもない……畜生、許してくれ」
とうとう涙を流しながら、蛾はそっと階段を指差した。階段の中ほどに掛けられている《あの絵》に、彼は怯えていたのだ。
「日傘の女……」
「彼は書斎にめったに足を運ばなかった。何故なら《彼女》を畏れていたから。この聖域を守る彼女の遺影にして、象徴がね」
ビールを呷り、おでんを頬張りながら北白河ちゆりが言った。そこには昔の面影、子供っぽい感じ、泥臭い処女の無垢さ、或いは目のちょっとしたきらきらした輝きが認められた。入院してから精神障害者以上に狂人と化して病棟に反抗し続けた彼女は、何故ここまで自分を取り戻せたのだろうか。恐らく何らかの治療を受けたか、本当に狂ってしまったか。
「そうか、クロード・モネ。思い出したぞ。うん、確かに良い絵だ」
「全くです。あれは亡き妻への追慕の念が篭っているなんていいますけど、彼はね、きっと別の何かの、命が宿っているとは思っているのです。そして私もそう思います」
いちご牛乳を啜りながら、ぼんやりと話を聞いていた。何しろ数ヶ月ぶりのこの、恍惚とした甘味。頭の中にどろりと流れ込むような、濃厚で冷たいこの子供の飲み物。
「そんで、教授。今日のお話というのではですね。こちらにサインして下さい」
「何これ」
「これにサインすれば、ここから出られます。それどころか、大学へ復帰も保障します。以前よりずっと高いポストだし、研究費だって沢山貰えます」
「いつから」
彼女は飲み干したいちご牛乳のパックを机に置いた。
「いつから自分の魂を売り渡したのだ?」
「私のたいした事無い技術を買ってくれる人達がいるのです。その人の期待を裏切りたくないし、これは貴方のためなのです。貴方はこんな場所にいるべきではない。貴方の才能が必要なのです」
「私をこんな場所に放り込んだのは、どこのどいつだ。言ってみろ。お前は単に、《あちら側の世界》を隠蔽しようとする連中に与しんじゃないか」
「教授、認めておしまいなさい。あれは貴方の妄想だ」
「お前だって見ただろう。なぁ、二人で見たじゃないか」
「妄想、或いは幻覚ですよ、教授」
「それ以上言うと許さないよ」
「教授、《新神話主義/NEO-MYTHISM》が世界を席巻する昨今、かつての我々の主張もそれなりの意味を持つかもしれません。いや、寧ろ大変な希望を人々に与えるかもしれません。しかし、世界中の人間が夢見ているものは文字どうり神話という幻想なのです。《災害》以降、この国に注目が集まっている。それはこの国に、シャングリラ、理想郷が隠されていると思い込んでいるからです。正に上から下まで、そんな妄言とも噂ともつかない情報を信じているのです」
《新神話主義/NEO-MYTHISM》という思想が世界中に広まった理由として、ネットの急速な発展が挙げられる。ただその背後にあるもの、人間の考えについてある社会学者はこんなことを言及している。世界に蔓延している絶望や不安、死のイメージから逃げ出そうとしている人間達が、逃げ場所を探すように、東洋の片隅にぽつんと浮かぶ
この国に、寄る辺を求めた。やがてこの国の内部にもその考えは浸透しはじめた。まるでパール・パックの小説の夢に溢れた中国の地、ロラン・バルトが描いた《どこにも無い、かなたの国》としてのこの国。やがてその新たな神話もどきが、徐々に新たな倫理の誕生、法解釈の可能性、芸術、文学の大きな広がりを見せた。同時にこの国を含めた、世界中の人間の何割かの心の中に、十人十色の神話的世界の幻想が生まれた。
「確かに《新神話主義/NEO-MYTHISM》は、世界を一つに纏める力があるかもしれない。それは机上の空論でしかないかもしれないが、それに異論を挟むような無粋な真似もしませんわ。しかし、この国の政策を邪魔しようとする勢力の背後に、《新神話主義》の信望者がいることだ。監視システムの撤廃、そして主権回復などの目標が、《新神話主義》を奇妙な形にメタモルフォーゼしてしまい、また新たな神話もどきが生まれている。こういう勢力は排除されなくてはならない。あくまで我々の手で」
軽蔑しきった目で、彼女は蛾を見た。
「こういった犯罪者は、いけないですね。さっさとのたれ死ぬべきだ。いや、社会に殺されるべきだ。面白いこと教えてやる、お前、精神鑑定の結果が出たんだ。見事にシロだ。おめでとう、二週間後には裁判だ!死刑確定だね」
そう言うと、彼女は持っていた折り畳みの傘をぱっと開いた。それはあの《日傘の女》のものと瓜二つ、奇妙なグラデーションで彩られていた。
わぁあああと悲鳴を挙げ、蛾が逃げ出した。顔を両手で隠し、女のように泣き喚きながら書斎を出て行ってしまった。
「何があったんだ」
「彼もまた《新神話主義》を信じる人間でしかなかった。それだけです。それよりも、ほら教授、これにサイン……」
「出ない、出ないぞ。誰がこんなもんにサインするか。私にも、プライドと言うものがある。お前と一緒にするな。私はサインしないぞ」
「駄目です。駄目です。貴方は出なければ駄目です。出るのです。貴方は狂人ではない。貴方のような人材は、ここで朽ちてはいけない。お願いします。サインしてください」
見ると、ぼろぼろと涙を流しながら懇願しているのだった。
「お願いします。サインして下さい。ここを出てください」
だが彼女はそれに首肯出来ない。ただ気持ちは酷く揺らいでいた。外に出る。信じられないことだった。この糞の匂いが漂い、意味不明の罵詈雑言が飛び、つねに死のイメージが粒子となって横溢している、この監獄から出られる。死にぞこないの患者達が蠢動するたび、意味不明のノイズを肌から発し続け、不安と孤独が生まれる。この生と死が同居し、皆の意識下において、つねに自意識の棘の火花が爆ぜる逼迫した地獄から、出る。それは何よりの望みでは無かったか。彼女が教授に戻ること、それが何よりの望みではなかったか。
「戻るのです。もとの岡崎夢美教授に戻るのです。さぁ……」
結局、彼女は《自分の見たものは、全て妄想である》という内容の書類に、署名をした。全く不本意、と言うわけでもなかったので、不思議と後悔の念なるものは感じなかった。それに岡崎教授だって、いち早く研究に取り組みたかった。《あちら側の世界》の理を、研究しようとしたのだ。無論、こっそりと誰にも知られることなく、だ。
ただし、時々整理が付かなくなることがある。自分が見た《あちら側の世界》は本当に現実だったのか。やはり、自分の妄想ではないか。疑心暗鬼に陥るのだ。それはあの日、元教え子の差し出した書類にサインしてからだ。自分は何かに負けたのだ、と酷い自虐的な考えに陥っていた。
それからというもの、岡崎教授は、専ら自分の見たものは現実なのか、妄想なのかをはっきりさせるための研究を始めた。誰にも話さず、こっそりと。ただ例外があった。ある教え子に時々冗談のような口調で話すことがあった。それは彼女達に何か特別な力を感じたからだ。
現実か、妄想か。そんな五里夢の迷宮に囚われてしまった彼女だった。北白河ちゆりとも、蛾ともあれ以来会っていない。ただ静かに、自分で作った迷宮の中を彷徨うしか出来ないように思われたのだった。
そんな中、ナズーリンが現れた。彼女の疑心暗鬼の霧を晴らす、最後の希望であった。協力しないはずが無かった。
《来たれ甘き十字架》
唐崎智子は憂鬱だった。
バスの中で彼女は本を読んでいた。時折通り過ぎる風光明媚な寺や神社に目をやったりした。何となく他のビルディングや近代的な建築のなかで肩身狭そうにしている。不思議と建築や看板といったモニュメントを見るのが好きなので、そこそこ楽しい。彼女の隣の席は空いていた。見ると少しはなれた席で、友達とトランプで遊んでいた。
智子のことを知っているクラスメートは、誰も近寄ろうとしなかった。智子自身、あんまり仲良くしようと思ったことはない。人間が嫌いだったが、それ以上に怖かったのかもしれない。智子はペットボトルのお茶を飲んだ。のどが以上に乾いていた。尿意も催してきた。
彼女のカバンの中には、バタフライナイフが入っている。一ヶ月前、彼女の机に犬の糞を詰め込まれていた。あぁまたか、と彼女は後始末をしながら殺意が増幅した。恐らく犯人はクラスの中にいる。多分。
もし、修学旅行中に何かしてきたら、これでぶち殺してやろうと考えていた。奇跡の力なんて使わず、特攻しようと考えていたのだ。今の彼女の前に、京都の神仏などおそるるに足らない。
バスが停車する。仏像がいくつも寺の中に並んでいる、有名なお寺だった。その時尿意が限界に達した。
「先生、トイレに行きたいのですが」
担任の五十代のデブの教師は、「空気読めよ」という顔をし、ため息をした。顎でしゃくって行ってくるよう指示した。智子は急ぎ足で看板に従ってトイレに向かった。その途中で、隔離された難民の集団と遭遇した。寺は、行き場の無い彼らを受け入れて保護していた。この国中で、こういう人間があふれていた。臭くてどうしようもない連中という感想一つ、智子は思った。外国からやってきたもの、日本のホームレスみたいなもの、性別不明のよく分からないもの。ボサボサの髪のオバサンとすれ違い、少し驚いた。あまりに臭くて。
トイレは難民は決して使っていけなかった。そのためかなり綺麗だった。座って用を足し、出ようとしたときだった。きっとみんな寺の中を見回っているだろう。別に見たくも無いのに。花火が近くで炸裂するような爆音がした。個室全体が揺れた。地震?と思う暇無く、頭を扉にぶつけ気絶した。今日は珍しく付いてないなぁと思いながら、彼女は意識を失う。
北白河ちゆりが十分遅れて現場に到着した。そこはまず何か火薬の匂いが漂っていた。そして血の匂い。半ば倒潰した寺の歪んだ有様を見て、思わず彼女は手を合わせた。そこに顔馴染みの鑑識がやってきた。彼は犯罪が残していった多くの残虐さや、異様なまでの静けさ、虚無に満ちた現場というものを経験しているプロだ。しかし、今日は酷く青褪めていた。
「使われた爆弾の性格は?」
「恐らく、水道管に使われるパイプか何かに爆薬を仕込んだものと思われます。爆薬は、まだ判然としませんが、一種のアンフォ(硝安油爆薬)なのではないかと……」
「うん、うん」
硝安の肥料と重油、それに鋭感剤としてニトロ系の添爆剤ないしは、爆薬を使用し作られた強力な爆薬だ。それこそアンフォは一世紀前の石炭採掘に使われていたものなのだ。
そしてテロリストだって使っている。
鑑識は、俯いたままどこかへ消えてしまった。
犯行現場の寺は京都のどこかにありそうな、やはり観光地であった。何者かが仕込んだ爆弾が炸裂したその瞬間も、観光客がいたのだ。木造の外壁が砕け、寺の敷地あちこちに散らばっていた。それと一緒に何かの乾ききった肉片が土や自動車にこびり付いている。
まっさらな敷地には多くの死体が集められていた。バラバラに千切れてしまっているもの、観音像の腕が腹に突き刺さっているもの、肌に爆弾の破片が突き刺さっているもの。そんな残骸が一緒くたに集められている。その傍らに、ハンカチで口を押さえている男がいた。確か、今朝眼を通した資料によると、警視庁第一第二強行犯捜査八系の警部補であったと思う。
「……あんた、情報局のモン……か?」
「あぁ」
「国家の重大事案というやつか」
「そうよ」
「……爆発は、犠牲者の腕時計から見て、午前10時31分。犠牲者の数は不明。何しろみんなミンチになっちまったからな」
「私の聞きたいのはそういうことではない……あとホシの目星はついているのか?」
「わからん。ただ使われている爆薬には多少の違いがあるが、一連の寺院爆破テロ、京都市外大量殺人で使われた爆弾と酷似しているそうだ」
相手の警部補は三十台前半にして、独特の風格を身に着けているように思えた。彼の心中では国家権力に守られている優越感と、組織の軋轢に屈服することにより生まれる厭世感が攪拌されているに違いない。そしてその内なる圧力によって、顔の骨格まで撓んでしまったといった感じだった。まことに複雑怪奇なる相貌だった。いつの時代でも、犯罪と戦う男は変わらないと誰かが言っていた。そんなものなのだろうか。
「それは判っている」
北白河ちゆりがその顔に少しイライラしながら言った。
「まずホシが上がらなくては話にならん」
制服警官がやってきた。警部補に耳打ちをする。北白河ちゆりが彼の眼を見定めるように見た。現在の状況の場合、現場は北白河ちゆりに全ての情報を開示する義務が生ずるのだ。警部補は忌々しそうに舌打ちをして、彼女の方を向いた。
「生存者だ」
「生存者?」
「まともに話が出来る生存者、だよ。二百メートル離れた女子便所にいたらしい」
「話を聞きたいな」
「おっと。そうはいかないよ。重要参考人、いや、最早被疑者だ。ナイフを持っていた」
「何?身元は?」
「旧長野県中国州私立開蘭高校二年……
そこには唐崎智子と書いてあった。
「会いたい、是非」
「私が先だ」
北白河ちゆりが先に行こうとする警部補を制した。
「五分でいい。五分話を聞かせてくれ。国家の安全のためなのだ!」
「……構わない。ただ今回は変だ。上からのお達しでな。生存者は航空自衛隊経ヶ岬分屯基地への一時送還命令が来てる。治外法権領内なら、正直、何をされるか判らん。現在あそこは、一時的局地的な米軍の統制化にあるらしい。あんたも、せいぜい気をつけろ」
「そうか」
結局、警部補は渋々北白河ちゆりをパトカーの前まで案内した。その時、怒号が飛んだ。倒れるぞぉ、という叫び声がする。北白河ちゆりが振り向くと、数百体もの仏像が並んでいた寺が一気に倒壊してしまった。まだ警官や鑑識が残されていたはずだ。そんなものを飲み込んで、無くなってしまったのだ。もう一度手を合わせて北白河ちゆりはパトカーに向かった。
ふぅむ、これが《救世主》か?
パトカーのウインドウの向こう側に少女が一人、婦警に挟まれて座っていた。
それは少女だった。あどけない相貌の上にはろうたけた瞳が二つ落ちている。今時珍しく髪も染めていない。黒髪で、何か不思議な髪飾りをつけている。その表情にはまず捕まった犯人の在るべき動揺や逡巡が無く、また開き直りといった一種の明るさというものも皆無だった。ただ状況が過ぎ行くのをじっと耐えるかのように、自分の革靴を見つめて石になっていた。
北白河ちゆりが顎で「出て行け」と、パトカーの中にいる警官たちに指示した。そして彼等は席をはずした。北白河ちゆりはドアを開けて、少女の隣に座った。
「あんたも警察?」
「あぁ。少し違うけどね」
「公安警察?」
「まぁ、公安だな」
「どこの部署?」
「公安総務課」
それは嘘であった。
「ところであなた、東京生まれ?」
少女の目が少し動揺で揺れた。
「北千住の《妖怪の山/UNDERGROUNDⅠ》生まれでしょう。いや、何、隠さなくてもいいさ。君、喉は渇いていないかね?ジュースは飲みたくないか。ほら、飲みなさいよ」
鞄からイチゴ牛乳のパックを差し出した。少女はそれを持ったまま、何も言わぬままだった。口につけようともしなかった。
「あなた、コチヤサナエさん、でしょ?東京で生まれ十二歳まで育ち、それから長野県に引っ越して、改名した」
「……おばさんが、コチヤサナエって名前は不吉だから、縁起の悪い名前だからって」
「私は全部貴方の事知ってる。貴方は、第二世界同時多発テロがあった年に生まれた子供の中の一人。そのなかで、コチヤサナエという名は六人。そのうちの一人が貴方」
「何が言いたいんですか……」
「私達は貴方を探していた」
コチヤサナエは、修学旅行に行きたくなかった。ただ親戚の手前、どうしても無理をしてでもいかなくてはならなかった。金を出してもらっている以上、仕様が無いことだった。彼女は奇妙な力に囚われていた。例えば意地悪をした男子は、翌日蛇にかまれて入院した。そしてそのまま植物人間となって二度と目を覚まさなかった。またコチヤサナエに無理やり援助交際をさせようとしたクラスメートの女の子の家に、輸送用飛行機から、食用のひき蛙が大量に降ってきた。その女学生はノイローゼになり、数日後自殺した。またその援助交際のつながりで、コチヤサナエと無理やりセックスしようとした中小企業の重役は、何故か半裸のまま、下着姿の彼女を見て絶叫した。彼には調度サナエさんくらいの子供がいた。そして何かに取り付かれたように、ラブホテルの窓から飛び降りた。こうして彼女は不思議な力、奇跡に守れていたが、一層周りから畏れられた。
やがて彼女のファンクラブが生まれ、オタクっぽい男子が、連日彼女を尾行した。盗聴や盗撮も当たり前となった。やがて、一つのコミュニティが生まれた。それは一つの宗教だった。彼らはコチヤサナエをストーカーしながら、信仰していたのだ。主に信仰していたのは、男だった。彼女はそれなりに美人だったし。彼女はまさしく神だった。サラリーマンも中学生も大学生もオヤジも死に掛けたジジイも長野の市議会委員も、彼女の盗撮写真や映像を入手しようと努力した。ブラックマーケットが生まれ、高値で取引された。そして現在一番人気のあるサナエさんは、白のキャミソールとユニクロのタイトなジーパンをはき、家の鉢植えに水を上げる清廉な印象のサナエさん。この間まで一番だった図書館でフォークナーを読むブレザーを着たまじめなサナエさんを追い抜いた。ネットで《僕らのアラジン神教》と検索すると、とある大規模なサイトがヒットする。因みにアラジン神とは、彼女を称するところの現人神を、わざと読み間違えたスラングであった。
そこではサナエさんをモチーフにした絵(何故か決まってコミック調)、サナエさんを主人公にした小説、サナエさんにあてた手紙、サナエさんに向けた愛と平和がテーマの歌。いまや数百万円するサナエさんの盗撮を手に入れられない人の、サナエさんの愛で満ちていた。彼らはサナエさんの恋人や、逢引相手になりきり、配偶者や恋人を差し置いて、或いは悲しい独り身の人も、サナエさんの愛を叫びながら自慰にふけるのだった。
そんな生活に包まれていた。アラジン神・ブラック・ブラックマーケットの存在も知っていた。彼の親戚も黙認していて、噂によればマーケットの運営者からリベートを受け取っているらしい。コチヤサナエを引き取った時からずっと貧乏で、世話にもなっていたから仕様が無いと思っていたが、やはりそろいもそろって人間の屑には違いなかった。おばさんとおじさんが率先して盗撮に協力していることが判ったからだ。
「煙草、吸ってもいいですか?」
コチヤサナエが頷くと、彼女はダンビルのライターで煙草に火をつけた。
「貴方を探すのは、結構大変でした。保護しようとしていたところでこの事件です」
「貴方も知ってるんじゃないですか?」
「……恥ずかしいことですが、例のブラック・マーケットは国内外の政府高官も御用達です。皮肉ですが、それから貴方を探し出した」
「外のこれは……テロリストの仕業ですか?」
「……正直言うと、まだ判っていない。《妖怪》達のここ数年続いている寺院や福祉施設のテロと同一犯或いは同グループの犯行らしいのだけど。テロリストの巣窟、すなわち《妖怪の山/UNDERGROUNDⅠ》とは別の力が及んでいる可能性がある」
少女の額に汗が流れた。この人は本当のことをいってるらしい。マスメディアが流している申し訳程度の報道には含まれていない情報を、簡単に教えてくれた。そして、それを彼女に話したということ。
「兎に角貴方は生き残った。奇跡の力で」
「奇跡……」
「そう、貴方の才能よ」
「偶然ですよ……本当に」
「でも、何でナイフなんか」
「いつか、絶対。ぶっ殺してやろうと」
「クラスメイトを?」
「みんな、何もかも」
コチヤサナエは彼女の反応を見て、嘘や虚実が混じっていないことを認めた。ちゆりは、彼女の奇跡を信じている。そして一方で、まるで教祖の謙ったりしない。あくまで年上の女性が後輩に話しかけるように、話していた。
犠牲者の中に、多くの移民がいたこと。当日も、寺の片隅で多くのテントが建っていたこと。慈善活動として彼等はなお増え続けている現在。そうした事情に鑑みれば、わかる話だ。そしてもはやこの国の風土と化している、民族自決を国民に促すテロだ。これらはいとも容易く、災害から復興にいたる歴史の中で結びついてしまった。
もっとも《妖怪の山/UNDERGROUNDⅠ》には当の移民の一部も参加しているからだ。当初、移民廃絶を目標にしていた《妖怪の山》も、徐々に意見や解釈の違いから派閥が生まれていく。最早、この国に同化したも同然の移民を狙い続ける《保守派》、監視システムを憎み攻撃の対象を仮設政府、高所得者などの権力者や富裕層とする《革新派》、貧民層への援助を交渉によって政府機関に求める《自主交渉派》などに分裂している。そして各セクト同士の内紛も発生する一種のカオス。
移民受け入れ法案が成立した数十年後、この国を悲劇が襲う。二十一世紀初頭に起きた《災害》は、その時期の大不況を促進した。ほぼ国家機能が停止した。消費税と失業率、そして自殺者の数はうなぎのぼりとなった。その後政府は、全ての国家機能に関する権限を、周辺諸国にあっさりと譲り渡し、この国は連邦準直轄地となった。そこでは周辺諸国で実験的に政策が次々と導入され、枢機の人事は周辺諸国の要人で固められていた。しかもこの国で勤めを果たした後、自分の国へ帰るとさらに重要なポストが待っている仕組みとなっている。まさにこの国は試験場であり、またエリートを養成するための厳しい学校だったのだ。
また行政面以外でも同じことが言えた。例えば《災害》で傷ついた国土を回復させるために、化学実験が繰り返された。その対象は主に《災害》のインパクトで臨海事故を起こした京都の舞鶴や青森県の東通村といった原発を構えていた地域、または《災害》の直接的な被害を受けた関東地方全域だった。そしてそれがどんなものだったのか、周辺住民は知らされていない。
そんな状況でテロリストたちは生まれた。当初はテロリストごっこ、二十世紀における学生運動の二の舞、と揶揄される程のお粗末さだった彼等だった。しかし日本のIRA(アイルランド共和国暫定派の意、何故IRAなのかは不明)、と呼ばれるほどに醸成を遂げていくにつれて、武器は火炎瓶から手製の爆弾に代わり、モデルガンを改造した粗末な銃から共産圏式のカラシニコフやドラグノフ(旧ソ連製の狙撃銃)が幅を利かせるようになった。また在日米軍払い下げのアサルトライフルや対戦車ミサイルも所持するようになった。彼らの東京の北千住や、大阪のあいりん地区などのドヤ街に潜伏を続けていた。《災害》によって行き場所を失った人々は、自然とそうした場所へ集まってきた。国内外のNPOの援助が行われていたからだ。噂に寄れば、妖怪の山が常識から考え、可塑的速やかにテロの合理的な手段や運営を学び行った背景には、海外からやってきたボランティアの中に、生え抜きの指名手配をうけたテロリストが数人混じっていたからという情報もあった。そうした人々を巻き込みながら、やがてテロリスト集団は巨大化していき、半ば要塞と化した。やがて彼らは北千住へ集結。元々旧つくばエクスプレスの通り道であったその街は、超危険地帯として世界を恐れさせた。そして、世間や世論は畏敬と侮蔑をこめて無法者を《妖怪》と、呼び始めたのだった。
また事実、《妖怪》が移民を受け入れていた寺や神社を爆破する事件も怒っている。その始まりが確か四半世紀前だったか。数十年前、移民の緩和政策をやったのと一緒に《災害》がやってきたのがこの国の運のツキだったのかもしれない。あちこちで中国系のマフィアは暴れるわ、移民と周辺住民が殺し合いがあり、その日本人は職を失ってワーキングプアになり、一部の移民は力を付けて警察と癒着するものがいる。
まともな状態ではなかったのだ。
「妖怪……」
少女が呟いた。もし、自分が《妖怪の山》に居続けたら、そう世間から呼ばれていたかもしれない。ただ、アラジン神などと呼ばれて男の子のオカズになるのと、どちらがいいかと考えると答えは出なかった。
「でも……私は」
「言いたいことは判るわ。何故、貴方がなのか。そして貴方が何をするべきか」
「私には何も出来ません。何にも。ただ男の子のオナニーのオカズになるしかできないんです。私知ってるんです。私のおばさんが偉そうなおじさんと話しているのを聞いたんです。あのブラック・マーケットとか、アラジン神のホームページとか、全部、政府がやっているんですよね?」
サナエさんは涙ぐんでいた。悔しくても悔しくても、何にも出来なかった日々。最近、ネットに出回っている画像が何故、全部漫画の絵なのかわかった。写真と違って、肖像権で訴えるのが難しいからだ。写真や動画は、決してネットに出回らない。
「……厳密に言うと、違うわ。少し。確かに政府は貴方の監視について少々やりすぎた。でも、貴方を祭り上げた連中に関しては、正直何の因子がそうさせたのか、よく判っていない。貴方は超重要人物のリストに入っているけれども、貴方のことを知っている人は誰も居ない。誰もコチヤサナエが持っている力を説明できる人なんか出来ない。これは本当のこと」
「それで、私に何が起こっているんですか?」
「貴方の命は狙われている。今日の爆破は、恐らく貴方を狙ったものなんだ。絶対とは言い切れないが……恐らく貴方を監視していた人間達が、そうすることに決めた」
そういうと、北白河ちゆりは一枚のコピー用紙を取り出した。チャットのログと思われるものが印刷されていた。それを見て、サナエさんは静かに震撼した。それには、余りに軽佻浮薄な言葉で、延々とテロの計画を話し合っているらしかった。そこに見た、見覚えのアラジンという一文字。
「これは……何です?」
「チャットのログです。問題なのが、これが《新神話主義/NEO-MYTHISM》を標榜するグループのものであるということです。彼等にも色々ありますが、しかしこのグループは、その中でも大規模で過激な連中のようです。その背後に、現政権とつながりを持つ政治団体がいて、彼等を支援していました。はっきり言って、極道でいうところの鉄砲玉です」
「え……《新神話主義》って監視体制に反抗するものじゃないんですか」
「そうだと思われていた。でも違う。実際は監視体制が生み出したものだった。厳密に言えば、《影踏》や《カクレンボ》を造り、敷設し、世界に広めた人間が生んだ考えなんだ。影で笑っている人間が居るんだ。そして容易に私的な逸脱者を生み出すことに成功した。そして手駒として生かすことも思いついた。逸脱者はあくまでスタンド・アローンな存在として処刑される。全ては闇の中というわけ」
「その手駒を使って、私を殺そうとしている?」
「そう。でも逸脱者は全て彼らの手駒ではない。所謂、ホンモノの逸脱者は誰の支援も受けず、誰の味方もせず、交渉にも応じない。ひょっとしたら、彼らがこの寺を爆破したかもしれない」
「いったいどっちなんですか。私、混乱してます……」
涙を拭きながら、サナエさんが言った。
「絶対という言葉はこの世に存在しない。私達は現れたものから、何かを推測しなきゃいけない。絶対でない何かを。そう教授も言っててね……あ、失礼」
彼女は説明を始めた。逸脱者は今まで何人かのコチヤサナエを殺した。でもそれは《妖怪の山》で生まれたコチヤサナエでは無く、普通の生活を送っていたサナエだった。そして漸く本当のサナエさんを探し当て、今日に至る。彼らの認識では、コチヤサナエは、監視体制に大打撃を与える存在であり、現状維持を望む連中の脅威である。そして目の前の女性は、それに反旗を翻しているのだという。
「それでわたしはどこに……?」
「今は一刻を争います。貴方には世界最後の密室へ行っていただきたい。もう、私達の手に負えないところまで事態が進んでしまった。官憲や米軍を使ってでも、連中は貴方を捕らえようとするでしょう」
「妖怪の山……」
「そこまで、優秀なボディーガードが案内する。きっと貴方を守ってくれる。本当は貴方を誘拐まがいのやり方で、無理やり《妖怪の山》につれて行くはずだった。修学旅行中なら、一時的に監視も緩くなると踏んでのことだ。ただ予想外だった。もう、向こうも手段を選ばないつもりらしい……貴方の秘密を何とかして、解き明かしてみせる。それまで、《妖怪の山》で生き延びて欲しい。本当に身勝手で、申し訳ない」
無論平謝りだった。申し訳ないと思っていなそうな感じで、北白河ちゆりが懐から、一丁の銃を取り出した。その四十一口径のポケットオート。そのスライドを引き、ハーフコック状態にした。
「本物を見るのは初めて?そんなはずないよね?貴方は妖怪の山で、訓練を受けてるはず」
「一応は……」
「もう一つ」
彼女は懐から一つの大容量メモリーを取り出した。
「……これを妖怪の山の指導者に届けて欲しい。貴方たちなら出来る」
「冴月麟、に渡せばいいのですね」
「そう、貴方の育て親」
ちゆりはにっこりと嗤った。まるでゆでたジャガイモのように、素朴な笑みを浮かべた。短い時間の中で彼女が初めて見せた表情だった。そして小型拳銃とメモリーをサナエさんに渡した。
「弾は満タン。使いたいときに。あと三十分後、迎えが来る。信頼できる人間だ。まぁさしずめ、君たちは《聖者の行進/SLOW‐RUNNERS》といったところ。いや、《百鬼夜行/SLOW‐RUNNERS》でしょうか。でも申し訳ない」
「え?」
「結果的に貴方を巻き込んでしまった。ただこのままでは貴方の命も、この国も全部終わってしまう」
「ちょっと待ってください。私のことはいいんです。それよりも問題なのは、貴方が何なのかってことなんです。そこがハッキリしないんです」
「……私は、かつてある研究をしていました。それは神様に会うための研究です。大好きな教授と、私は船を作り、実際その世界を見ました。大変だったけど、楽しかった。でも帰ってきて、研究成果を発表しようとしたとき、精神病院に入れられました。何故なら監視体制において、神や妖精の存在は邪魔なのです。だから私達の研究成果も何もかも、廃棄されました。私達も何も見ていなかったことにされました」
シュッと灰皿に煙草を押し付け、彼女は続けた。
「言い訳のように聞こえるかもしれませんが、私は自分達の研究を封殺した者への復讐をするため、教授を裏切りました。少しでもいい、何か情報を見つけようとしていました。私はその後研究を捨て、ただ公務員になりました。この国の思想管理、という名目で監視システムを使い、犯罪抑止のため、働いてきました。しかし、これだけ監視システムを敷いてもなお、重犯罪は消えない。まるで国家の都合のいいままに人が死ぬ。私はあらゆるネットワークを使い、調べました。多額のリベートを支払い《影踏》の撮影から逃れる者などの犯罪行為は見つけましたが、やがて《災害》から数年後のログ、つまり監視システム敷設直後のログを見つけました。それは、《レーガ社/Alice in Wonderland》が、初期の映像に加工していた記録なの。可愛い女の子が誰も居ない公園で遊んでいる映像、知らない?それが飛んだり、消えたり、している映像。それは《レーガ社/Alice in Wonderland》が拵えたトリックだった。それだけでない、定期的な加工工作が《影踏》の映像に施されている」
「《新神話主義》は、《レーガ社》が創ったものなんですか」
「彼らが《新神話主義》を生むために、そんな手の込んだ真似したかどうかは判らない。でも、少なくとも私は監視システムの細工が、そういった思想を生み出した切欠になっている可能性がある。ただ、全ての映像に細工が施されているわけではないらしくて……私もよくわからんのだ」
「本当の映像も、残っていると」
「その考えも可、とも言えます。そういうのはこれから、調べる」
ちゆりがパトカーの扉を開けた。
「この後の詳しいことは、この後やってくるお迎えに聞いてください」
そして最後にこちらを振り向いた。あのジャガイモみたいな田舎くさい笑顔を見せて、その場を離れてしまった。そして入れ替わりで警官が二名、入ってきた。
「健闘を祈るぜ」そういうと、親指を立て健闘した。きっとこちらが本当の彼女なのだろう。ちょっと男らしい感じ。
パトカーが動き、寺の廃墟から抜け出した。
「無事《救世主》は発進。百鬼夜行の始まり、やね」
メリーメリーメリーさんの羊
ハンドルを握りながら、帽子をつけた女が歌っている。見た感じはなよなよした痩躯だが、何気ない身のこなしから随分鍛えられているなと感じた。
「煙草吸う?」
後部座席でサナエさんと並んで座っている灰色がかった髪の少女が、煙草を一本運転手に差し出して、帽子の女に咥えさせた。恐らくスラブ系、ロシヤ人か?随分大人びている印象をうけた。聡明そうな光が、瞳孔を縁取っている。そしてベルトにハンドガンを挟んでいる。女の煙草にライターで火をつけてやると地図とにらめっこを始めた。
「落ち着け。打ち合わせどおりの道を行けば何の心配もない。どうやらパトカーの追跡も今のところないらしいぞ」
地図には所々罰印がしてあった。恐らくNシステムの場所を示している。Nシステムは全国の主要道路に設置されている監視カメラである。《影踏/Сталкер》と違い、Nカメラはナンバープレートを読み取るためのもので、二十世紀終盤におきたあのオウム・サリン事件の捜査でも活躍したといわれている。少女も京都に赴く際、一応はその場所を頭に叩き込んでいた。
「阿保か。全部終わったら、それで私の居場所が無くなるな」
「どっちにしたって君の半径二メートルには最早日本国憲法は通用しないよ……や、失礼。これは冗談だが。まぁ、最後にはわが祖国に亡命すればいいさ。優遇してあげるよ。酒もキャヴィアも、いい男ともやりたい放題だぞ」
「そんなもんいらない」
「やれやれ、君のマエリベリー・ハーンに対する信仰は絶対的らしい。まぁ私は任務を遂行できればいいからな」
自分の煙草に火をつけると、見た感じスラブ系の整った顔立ちをした少女はパワーウインドウを開け、ふぅと紫煙をくゆらせた。
「そういうわけだから、あなたも協力してほしいのよ。安全は保障する」
「まず、助けてくれたのには、その、お礼を言っておきます」
「うん、殊勝だね」
サナエさんを乗せたパトカーが寺を出て、押し寄せるマスコミの群れを押し分けるように京都の町を走り出した。車が十分走ると、前の方でもうもうと煙が上がっている。すると突然一台のパトカーが前をふさいだ。そしてサナエさんの乗ったパトカーに、一人の警官が走ってきた(それは実はは運転手の女だった。しかし中性的だったので、少女はぱっと見、美形の男と間違えてしまった)。そして彼はこう叫んだのだ。
「テロリストが橋に仕掛けた爆弾だよ。さっき爆発して橋が崩れたんだ。早く車から降りるんだ」
婦警がもうもうと立ち上る煙を指差して言った。それは誘拐犯二人が仕掛けた、発炎筒を改造したものだった。
パトカーから降りた彼女の手を引くように、自分の乗っていたパトカーに押し込むと、黒いカツラを被った婦警が、アクセルを押してあっという間に発進してしまった。後で判った事だが、それは普通の乗用車を改造して塗装したものだった。その後、二回車を乗り換えて、いま世界で尤も普及しているハイブリット・カーに三人は乗っている。余りに単純に警察から逃れることが出来たので、呆れてしまった。そして同時に、この誘拐事件が、入念に練られた計画であることを、二代目の車の荷物入れの中で実感した。
「あんた達は……?」
「《百鬼夜行/SLOW‐RUNNERS》の先頭、でもいっておこう。今は貴方も含めてだけれどもね」
「話は後よ。もう一回乗換え」
いつの間にか高速道路の上を車は走っていた。車はパーキングエリアの中に吸い込まれていく。そこで灰色の髪の少女と帽子の女は車の中で着替えだした。あっという間に制服を脱ぎ、下着姿になって二人は紙袋から二つの洋服を出した。着替えが終わると、三人は灰色の普通車に乗り換えた。うまいこと考えたものだと感心した。世界で一番地味な車だから、誰も注目しないし、それどころか目にも入らないだろう。まして高速道路では。運転手は相変わらず帽子の女だが、助手席の紙袋から眼鏡取り出して、それをかけた。灰色の髪の少女はマスクをかけてぼうっと外を眺めている。そのまま車は京都の片隅にある、安ホテルの駐車場に流れた。
「だから、さ。何で私たちがこの子を《妖怪の山/UNDERGROUNDⅠ》に送り届けなきゃいけないの」
「私は、ただこの子を《妖怪の山》に送り届けるように言われただけだしな。それも急に。まぁ、この件に関しては、周辺諸国の諜報機関は隠密につながっている。日本の公安や情報管理局も一枚かんでいるが、警察当局に関しては話が別なんだ。何しろここは形骸と化しているとはいえ、法治国家だからね。誰にも知られることなくことを薦めねばならない。そして最後には彼らに花を持たせる計画もあるらしいが、そこまではよく判らない」
「ふーん」
「まぁ君の安全は保障する。最後には全部うまくいくと思う。ただ、心配なのはマエリベリー・ハーンの安否だ」
部屋ではホテルの近くのコンビニエンスストアで買い込んだ缶ビールや柿の種といったもので、簡単な酒宴が開かれていた。そして話は件の《聖者の行進/SLOW‐RUNNERS》についてであった。帽子の女の子、宇佐見蓮子は殆ど事情を知らないまま巻き込まれたようであった。
「しかしややこしい断定種語だな。発音しにくいよ」
「聖者の行進に、百鬼夜行、か。確かにちぐはぐだな。ヴワルの図書館は何を考えてこんな断定種語をつけたんだろうな」
「それは兎も角、あのさ、寺を爆破したのって貴方じゃないんだよね」
宇佐見蓮子がおずおずと聞いた。
「違います」
サナエさんは言った。一応簡単な爆弾は造れるが、《妖怪の山》が犯行を計画するなら、もっと高性能な爆薬を使うだろう。山はいくつかの貿易会社とつながりを有するようになり、格段と武器の入手が楽になったのだ。当初こそ《妖怪の山/UNDERGROUNDⅠ》は、学生運動ごっこなどと言われ、また児戯などと揶揄されていたのだが、徐々に力をつけるようになると、テロリスト間のネットワーク構築に力を注ぐようになった。情報、技術の提供。また中東やアフリカなどの戦争地域に山は自衛隊上がりや元任侠者の《妖怪》=テロリストを送り込んでいる。そして確たる成果を挙げているのだ。最早、《妖怪の山/UNDERGROUNDⅠ》は世界有数のテロリスト輸出会社である。一世紀前生まれたブラック・ウォーター社、つまり傭兵派遣会社のテロリストヴァージョンと言うべき代物だ。そうして得た信頼は、武器の密輸ルートの確保という形で妖怪共に還ってきた。例えば、毎月下関に入ってくる、とあるタンカーの中を見てみると、中東産の高級石鹸やローションに混じって、ウジサブマシンガンやグレネードランチャーといった物騒な火器が紛れ込んでいる。こうした武器は分解されて、少しずつ《妖怪の山/UNDERGROUNDⅠ》や各地のアジトに郵送されるのだ。昨今、山の内部で(当然、非ライセンスだが)カラシニコフの製造が始まっているが、まだ黎明の時期であり、火器に関しては外部の連携に頼るしかないのだ。
「多分、あれをやったのは、もっと素人の……」
ふうんと宇佐見蓮子は頷いた。酷く疲れきっていて、憔悴していた。ぐったりして、ビール缶を口に運ぶのもおぼつかないといった感じだった。疲れきっていたようだった。
サナエさんはアンフォを作るには、そう難しい理論や設備が必要なわけではないことを思い出していた。彼女も作ったことがある。必要なのは手先の繊細さと、初歩的な化学知識だ。爆弾自体は自宅で簡単に調合できた。何しろ調合する肥料は、東京郊外の納屋をあさればいい。信管の入手は難しかった。北千住の廃ビル集落をぶらぶら歩いていると、地面に埋まったままの信管を漸く見つけた。その材料を元北千住駅付近の自宅で完成させ、お守りのようにズックの鞄の中に入れていたことを思い出した。
彼女の物心付く頃である。周りはスラム街で、彼女は施設の揺り篭の中で育った。親は不在。施設の玄関で泣き喚いていた所、施設のシスターに拾われたのだった。そうして教会の53番目の孤児となった。そうして貧しい食事と聖書を肉としながら、彼女は徐々に厭世感とテロリズムの奇妙な快楽の両方を得るようになるには、そう時間はかからなかった。環境が環境だった。この国の吹き溜まりなのだ。怪しげなドラッグが出回り、春を鬻ぐ少女達が呆然とした目で屯している。そこで彼女も自然と暴力の仕方を身につけ、おもちゃを扱うように火器爆薬の取り扱いを学んだ。
そして今と変わらないが、物心つくころから彼女は一人だった。例の力が少しずつ覚醒していくにつれて、やはり一人になった。そんな中、彼女と遊びながらテロリストとしての人格を育て上げ、焼きをいれつづけた女性がいる。育て親の冴月麟だった。厭世感と以上までの生の渇望、その両面性を辛うじて維持しつづけながら、命令一つで、多くの人間を殺しまくった。テロリズムの矛盾という、自家撞着に押しつぶされかけていた女性。そしてたった一人の友達だった。
宇佐見蓮子が半分酔っ払いながらたずねた。
「その、あんたと冴月麟の関係は?」
「……お母さん」
自分のコップにジャック・ダニエルを三センチ注ぎながらナズーリンは明らかに考えあぐねたように、目をしゅっと細めた。
「正直なところ、こんな話を信じてもらえないだろうが、うん。誰にも論拠を立証することは出来ない。誰かは知っているのかもしれないが、恐らく枝葉末端の情報に過ぎないだろう。私が、いや、《ナズーリン》が彼等の奇妙奇天烈な争いと初めて接点を持ったのは……」
《今そこにいるナズーリン》は静かに言い放った。
「1963年のナズーリンの時。確かにそこに、彼等はいた。吸血鬼、そしてロマンティック‐Pがいた」
「その名前は……」
「あぁ、マエリベリー・ハーンの手記に出てきたものだ。正直な話、私は困惑しているし、ある意味これは裏切り行為に値するのだ」
「どういうこと?」
「君には話していなかったが、彼女と私は何度か、接触している」
「じゃあ、メリーは……」
「ただの留学生ではない。日本を、徹底的に探ろうとする動きの一つだ。日本への留学生制度に管理国が力を入れているのは何故か。その証拠に各国は優秀な学生を積極的に日本に送り続けている。表向きは枢機に携わるだろうキャリアの育成だが、彼らはあくまで在野の視点で、この国を調べている。留学生達は、この国でキャリアを培うのとともに、スパイとして重要な仕事をしていたわけだ。毎週自国へのレポート提出が義務付けられ、私もいくつか拝見させていただいた。そしてマエリベリー・ハーンもその一人だった」
「そこまでして、この国のことを知りたいの」
「そう。ところがご存知の通り、彼女は逃げた。あらゆる秘密を自分の脳内に仕舞い込んで、どこかに逃げてしまった。そしてその直後だった。その情報が少しずつ、世界へ流れている。インターネットや電波放送、果ては世界中そんな《噂》で沸き立っているのだ。この連邦準直轄地日本には、楽園があるのだという、《噂》に近い情報だ」
「何故、そんな真似を?」
「不明、だ。既に各国の諜報機関、政府機関は半分パニックを起こしかけている。マエリベリー・ハーンは国家反逆罪で指名手配。既に殺し屋の類がこの国に入り込んでいる。私達がどうにかしないと、確実に殺される。君も危ないところだった」
「あんたはどうする気なんだ?メリーを捕まえて」
「わが国で保護する。それが私の使命だ。君と一緒にね」
「拷問取調べの間違いじゃないの」
「いや、丁重に扱う。何しろ、私達はマエリベリー・ハーンの行動に便乗している。彼女の行動は意味不明のノイズで、誰もが当惑しているが、各国保守勢力の反逆の機会もまた、彼らに与えたからだ。システムの異常は少なくともネガティブ・キャンペーンには使える」
「ちょっと待って。便乗と言ったけど、随分都合が良すぎないかな。大体、何でメリーが噂を流しているって判るの。それに、重要な情報ならまだ知らず、流しているのが噂なら問題ないんじゃないの」
「確かに、このタイミングで彼女が裏切ったのは、奇妙といえば奇妙だ。噂を情報インフラを介して流す理由自体、意味不明の錯乱行為だが、それによって、各国の諜報機関にある程度の混乱が生じた。だから計画が割りとスムーズに進んでいるのは事実なんだ。そして大規模な損失となっているのもまた事実」
ナズーリンは煙草をくわえた。
「我々が調べていたのが、まさしくこの国にあるらしい《シャングリラ》の行方だったからさ。私がこんな憂鬱な顔をしているのか、お解かりかな。今世界に流れているものは、楽しい物語、或いは神話といった形をしている。だが蓋を開けてみれば、それは明らかに国家機密、我々が調べたものらしいのだ」
「馬鹿か。そんなもの、全部、《あんた達の抱いた妄想》だよ」
「本当に《あんた達の抱いた妄想》だと思うか。今は大多数の人間が信じているよ。この国には、《数多の妖怪や、神や、仙人のような変わった人間や、神に仕える巫女や、それこそ神が住む楽園がある》と信じているよ……そして調査は進んでいるし、マエリベリー・ハーンの部屋にあったのもそういった一環のものだ」
また、しゅっと目を細めてナズーリンが言った。いつだったか。あの吸血鬼の少女が言っていたことを思い出していた。自分が恰も、マエリベリー・ハーンが作り出した世界の住人と同化しているような気がする。いや、本心ではもっとそれを望んでいるのではないか。そして自分自身も、その世界へジャンプしたがっているのではないか?自分達は世間や国民、国家や歴史というものが渇望するキャラクターであり続け、宦官としてそれを遂行してきた。しかし、今度は私達が、マエリベリー・ハーンの放つ世界の様相に、羨望を抱いているのではないか。そして、彼女が望むキャラクターに、無意識のうちにだが、私達は近づきつつあるのではないか。
いや。今は余計な思考は、避けるべきだ。私の本能は承認している。
「まだ現段階で、確実に楽園なるものが存在するとは言えない。《影踏》がカヴァーできない地域もある。例えば《妖怪の山》などだ。ただ、可能性はあるというのが当局の見方だ。我々はこの国の秘密を暴くため、あらゆる人脈のラインに忍び込み、またそれこそ歴史や民間伝承の類をつぶさに調べまわった。まるで大学の教授がフィールドワークするみたいにね。さらに《災害》以前の日本の保守政権が進めていた公共工事の調査、管理地域の調査。何らかの形で楽園に関わっているかもしれない」
「じゃあ、どこにあるの?」
「君は大体見当がついていると思ったが。彼女のレポートを読んだのだろう?まず一つは、《妖怪の山/UNDERGROUNDⅠ》だ。そしてもう一つは……」
「……旧青森県の、ナントカ村」
「東北州旧青森県東通村。匂うのが、ここだ」
サナエさんは脳裏で、そのヒガシドオリムラという場所について、覚えていることを思い起こそうとした。確か、原子力発電所があった場所。でも《災害》が来る前に原発に寿命が来て、コンクリートで封印された。《災害》が来てからは、何故か移民や低所得者といった人々が集まりだし、巨大なスラムのようになった町。自治の崩壊した世界有数の危険地帯。
「最近、《影踏/Сталкер》の記録から面白いものが見つかった。青森駅のプラットホームで、失踪したアメリカの調査員の姿を捉えている。それから彼は電車で東通村に向かっていることが確認されている。だけど東通村は《影踏/Сталкер》の有効範囲外だから、そこからの足取りは追えなかった」
「メリーの残した資料では、地下の忘れられた街が出てきて、原発みたいな装置も出てきて、そこに変な妖怪が出てくるんだ」
空ろな目で、彼女は言った。
「何だったかな……《さとりの妖怪》とか言ったかな。その小説はまだ書きかけっていうか、設定だけ書いてあるって感じだった。それでメモみたいに東通村って書いてあった」
「祖国は、そこに別の世界の手がかりがあると考えている。あくまで手がかりだが」
「しかし、それだけでは……」
「ねぇ、この国が《災害》に見舞われた直後、奇妙な現象が起きているとは思わないか?少し前の飛行機墜落事件といい、夏の紅葉の一斉紅葉事件といい、京都の案山子事件といい、明らかに《災害》から何かが変わったんだ、この国はね」
宇佐見蓮子は案山子という単語にピクリと反応した。そういえば、彼女が残したメモにも出てきた。一方サナエさんは先ほど、北白河ちゆりから聞いた話と少し違うような気がして、首をひねった。彼女の話では、監視システムから《新神話主義》が生まれたという話であった。しかしナズーリンの話では、奇妙な事件を監視するために《影踏》が設置されたような印象を受けた。
宇佐見蓮子も一つの考えに至った。メリーは、たった一人で何かを起こそうとしている。誰にも悟られること無く、とんでもない破壊を望んでいる?各国が彼女に振り回され、剰え彼女はそれを利用しようと考えているのではないか。
今、世界がおかれている状況。
「そうだ。そのドン・プレシンデア・サンティアーノって何なんだ」
「全く判らない」
「人間なのか?」
「サァ・・・・・・」
「で、《聖者の行進/SLOW‐RUNNERS》って?」
宇佐見蓮子はたまらなくなって聞いた。自分の足で飛び込んでしまったこの世界は、何なのか。
「地球に発生した全ての不過程要素たる神を、彷徨える神を、我々が牽引する」
「何だって?」
「そしてこの国に敷かれているあらゆる監視システムに、本当の神を、観測させる。そして監視システムは、与えられた情報の負荷である程度のダメージを与えるだろうと言われている」
「神……」
「我々は、そのために《妖怪の山/UNDERGROUNDⅠ》の力が必要だ。世界の不確定要素を先導し、そこに現代の神々を集める。そして、冴月麟も了解している。むしろそれを望んでいる」
「やはり冴月が」
「本当はナズーリンとその子で行う作戦だった。だけど、そこのお嬢様も無理やり付いて来たんだ」
宇佐見蓮子は、自らこの計画に足を突っ込んだ。何もかも捨てて。狂気の沙汰に他ならないと自覚をしていたし、また一方で理性を保っていた。メリーは自分の全てだった。それがある日突然消えた。それだけで、狂気に陥る自分の脆さに怯え、自嘲しながら、こうしてここまでやってきたのだ。もう良い。最後はぐちゃぐちゃになって終われば良い。
「……話は後だ。多分、嗅ぎつけられたぞ」
そういうやいなや、ナズーリンが二人を押し倒して床に伏せた。窓ガラスの割れる音がし、弾丸が何発も壁に穴を穿った。破片が三人の背中に降りかかる。
「何だ、これは」
「《聖者の行進/SLOW‐RUNNERS》を止めたがっている連中だ。君たちはここでバリケードを組んで、身を守れ。これを使え。手榴弾に気をつけろよ」
ベルトに挟んであったブローニングを宇佐見蓮子に渡し、転がるようにすばやく移動し、窓際にたどり着いた。
「あんたは?」
「狙撃主を倒して、奴らの足を潰して、ついでに車を確保する。こちらが合図を送ったら、非常用梯子で降りるんだ。いいか、絶対に死ぬなよ。絶対にだ」
そういうや、窓から飛び降りた。地上五階建ての高さから一気に落ちる。下で待ち構えていた黒のバンは、彼女の質量を直裁に受け、あっという間に潰れた。両サイドからパワーウインドウの破片が噴出し、ボンネットが勢い良く開いた。中の殺し屋は、銃を抜く暇もなく即死した。
「やはり英国、いやアメリカか」
ボンネットから飛び降り、周囲を見渡す。判を押したように黒いセダンが二台。百メーター先。案の定、機関銃を打ってきた。多分、暗視装置を付けているからだろう。かなり正確に打ってくる。彼女は潰れた車を盾に、周囲を見渡す。
目に付いたのは、目の前の道路標識だった。一時停止。あまり無茶はしたくないが、何となくあれを使いたくなった。多分、ここに来るまでの間、宇佐見蓮子と語り合っていた映画の影響だろう。よし、マトリックスを気取ってみるか。
道路標識を掴む。冷たさが伝わる。一息でそれを引っこ抜く。根元のコンクリートごと抜け、棍棒のような形だった。それを頭上に構えると、槍投げの要領でセダンの方に投げつけた。
宇佐見蓮子とサナエさんは、テーブルと椅子、備え付けの冷蔵庫をドアの前に積み重ねた。宇佐見蓮子は使い慣れた様子で、ブローニングの安全装置を外し、スライドを引いた。
「敵がきたら、私が撃つ。貴方は隠れてて」
ナズーリンの投擲した道路標識が、セダンのボディを切り裂いた、音がした。
もう一台のセダンは急発進をかけて逃げ出した。彼女は半壊したセダンに近寄る。防弾硝子に突き破り、道路標識が生えている。中には死んでいる目だし帽の男と、震えている男。手を上げて、無言で投降を呼びかけている。死んでいる目だし帽の体に、道路標識は突き刺さっていた。ナズーリンは男の睾丸を蹴った。そして気絶した男の装備を奪い、狙撃主がいるであろう向かい側のビルへ向かった。
「一体何者なんですか、彼女は?」
サナエさんが聞いた。
「人間じゃないってのは判る。あとあれなんだ、歴史の影で暗躍してきたキャラクターだとか。キャラクターだって」
「意味が判らない……まったく、何なの。私、何でこんなことに巻き込まれてるの。何で誰も黙って放っておいてくれないの。くそ」
「落ち着きなさい。あんた、死にたくないんでしょ!」
ナズーリンは便所の窓を突き破り、ビルの中に滑り込んだ。ビルの中にはラヴェーシュカ(地雷)が仕掛けられていた。そしてそこはかとなく漂う、祖国の匂い。ようこそ、モスクワへ。
オフィス・ビルの六階に人影があった。アルミの机やデスクトップ・コンピューターが並ぶ部屋だった。窓際に暗視スコープのついた自動小銃が転がっている。踏み込むと、天井から声がした。
「ようこそ」
「お前は誰だ」
「私のこと、知っている筈だ。私が何なのか。できそこないの前代を殺しに来たんだ、僕は」
姿を現したのは、一人の少女だった。
「そういうことか……イヂーヤナ・ロッシィーヤは、総裁はもう」
「いや、まだ取り調べまではいってない。そして私は新しく、今の政権の手によって作られた。技術はずっと昔から漏れていたんだよ」
「そうか……ところでまた少女なのだな?」
「いや、男の子でもある。おちんちんも付いてるよ!有史以来、初めての両性具有のナズーリンなの。今の科学のお陰でさ。あらゆるものを持った最強なんだよ」
「《レーガ社》と結託したか。馬鹿な」
「監視システムも、そして私も《レーガ社》の力をお借りしているが、まぁ彼等の力がないと最早人間、どうしようも無くなってるしなぁ。ま、時代の流れじゃないっすか」
塹壕外套の裏から大振りのナイフを取り出すと、構えを取った。ナイフの刃には《Kraft deiner Angst und Pein》と彫られていた。ランツュジハの魔女に貰うものだ。そして彼女の周囲で光る粒子のようなものが展開していた。あれは……《影踏》?
「私はこんなことも出来るんだよ。弾幕だ。ま、手足をもいで、散々レイプした後で、嬲り殺しだね、前代。自分を強姦するなんて中々味わえないし」
「残念ながら、それは不可能ね」
ナズーリンは対人地雷をバラして作った簡易のボムを炸裂させた。身を捩って机の影に隠れた。自分の体に地雷から飛び散った破片や直径5ミリの鉄球がめり込んだ。痛みは感じないが、感覚質として、感じることが出来た。敵の姿は無くなっていた。恐らく窓を突き破って逃げたのだろう。部屋の中は殆ど破壊し尽くされてしまった。さぁ早くここをでなければ。
《間奏、キャラクタ化する儚き人々のためのメヌエット》
北九州を中心に展開する指定暴力団、上黒組の二次団体の一つ、野山田組に一人の女性がやってきた。全身真っ黒なスーツであった。仮に喪服の女と呼んでおきたい。
後にその事務所に死体の山を築いて、どこかへ姿を消してしまった女性である。
事務所は福岡県の小倉駅から歩いて三十分の、アーケード街の中にあった。そのあたりはほぼ、上黒組の二次団体である野山田組の経営するピンクサロンやファッションヘルス、おっぱいパブなどの風俗店が幅を利かせていた。要はシノギの大半を野山田組が独占していた。
問題はここからだ。上黒組の組長、上黒門左衛門親分が九十八歳の大往生を遂げ、その跡目問題にもめにもめていたのだ。
次の組長候補、野山田組の組長、野山田模造は今年五十になるにも関わらず、豪胆な武闘派やくざであり、組全体の信頼も厚かった。
そんな野山田と跡目争いの中心に居たのが、同じく上黒組の二次団体の目高会の目高定輔である。
彼は野山田とは正反対の、狡猾な男であった。最早経済舎弟と言われていた極道の世界において、彼のようなインテリは才能を花咲かせたともいえる。
やはり昔ながらの極道の鑑のような野山田に、組全体が深い敬意を覚えていたのだ。
そんな中、危機感を覚えた目高は、跡目問題を速やかに解決すべく、密かに殺し屋を雇って野山田の血族全員を抹殺することに決めた。無論、彼のシノギを狙って前々からどうにかしてやろうと権謀術数をめぐらしていたらしい。
しかし冷静な彼にしては早急なやり方だと思われたようだ。
それにも裏があるといわれている。目高組は、《レーガ社》と深いつながりを持っているらしいことが、関係者各位の証言によって示唆されているのだ。
その会社が持ってきた汚い仕事を組が引き受ける。尤も小倉に導入される監視システムにいちゃもんをつけ、示談金を会社から頂戴しはじめてから、彼らの蜜月は始まったといわれる。恐喝を期に、両者は手を結んだ。
そして野山田暗殺の横車を押したといわれるのが、この《レーガ社》であるという、噂が広まっていた。
情に厚い野山田は、地元住民の監視システムに対する不平不満を聞いて、組員を使って恐喝まがいのシステム撤廃の恐喝をしようとしていた。そしてその直前のこの事件である。
彼と深いつながりを持ち、また同じく監視システム反対派の市議会委員や不動産業者などの大物は、後にこの暗殺を聞いて、監視システム撤廃運動を全て止めにした。まぁどっちにしろ、監視システム反対派を抑える絶好のパフォーマンスとなったわけだ。
兎に角、雇われたのがその、喪服の女だった。
彼女の出自はまったく不明。フランス外人部隊生え抜きの殺し屋とも言われている。人を殺して安眠できる人間は少ない。組が彼女に殺しの依頼をするのもそういった理由だった。彼女ならこちらの良心は痛まないという算段だった。
彼女は事務所のドアを蹴破ると、あっという間に構成員五人を射殺した。サプレッサーのついたS&W M36で、煙草くさい応接室を血の海に変えた。
彼女はリボルバーに弾をこめずに、ゆっくりと組長室に入った。野山田が日本刀を手に襲い掛かってきた。喪服の女はスーツの懐からフロントロック拳銃を取り出した。
それは全長三十センチメートルの大きな銃だった。死神をあしらった装飾が光る。そして喪服の女は言った。
最後にやりのこしたことはありますか?
組長は一瞬立ち止まり、またこちらに突進してくる。彼女は引き金を引く。反動とともに、特性のホローポイント弾が射出された。組長の禿頭が砕け、口から上が無くなった。周辺住民の通報で警察がやってきたときには、死体の山しかなかった。
彼女が次に向かったのは、山口県下関市の、ある漁村だった。そこに野山田の隠し子がいるということだった。彼には今の妻との間に子供がいない。跡継ぎ問題で混乱していたのは、そのせいでもある。
その少女は、蒲鉾工場が立ち並ぶ沿岸部の一角に、ぽつんと建つ篠田聖母園というカソック系の孤児院に住んでいた。時折野山田がお忍びで様子を見に来たという情報を持っていた。また血だまりの机から、件の子供の写真を手に入れたので探すのは容易であった。
少女は海岸で一人で遊んでいた。喪服の女は自分が、少女を殺しに来た旨を伝えた。その理由を伝えると少女は言った。
「知ってるよ。わたしの父ちゃん、やくざだから。あなたも私をお父ちゃんみたいに殺しにきたんでしょう。でもわたし、死んでもいい。どうせみんなにやくざの子っていじめられるし」
最後にやりたいことは、ありますか?
それは喪服の女が絶対、殺しをする前に言うことだった。旨いものが食いたいといえば食わせてやるし、喪服の女を抱きたいといえば、彼女はだまって体を開いた。何故かは知らないが、彼女はそれをするのだった。そして大体は願いを叶えてやった。
尤も、大体は命乞いをするか、ヤブれかぶれになって彼女に攻撃し、死ぬのだが。命乞いはタブーであった。
「お母ちゃんに会いたい」
お母ちゃんはどこにいるの?
少女は黙って喪服の女を、村の電気屋まで連れて行った。そこのハイビジョンテレビのニュースを二人で並んでみた。電気屋の亭主は怪しげな二人組みに目もくれず、競馬新聞を眺めている。
『次のニュースです。本日旧東京都に存在するスラム、通称《妖怪の山/UNDERGROUNDⅠ》がオダイバ米軍によって閉鎖されました。《妖怪の山》は元々、テロリストの巣窟として危険視されていました。先日、国会で制定された《妖怪の山/UNDERGROUNDⅠ》に関する秩序維持の法律案に関連し、日本政府及びアメリカ政府は災後結ばれた日米新安保条約のガイドラインに従い、《妖怪の山》をレベル4から最大のレベル5の世界共通の敵と認識……」
『それに至る過程には、《妖怪の山》に持ち込まれた戦略大量破壊兵器の存在があります。テロリストがネットを介し、この謎の破壊兵器の情報を、少しずつ流しています。これに関しては、二十一世紀存在していた某大陸国家の手口に似ているそうです。要は盗賊の恐喝です』
ここに貴方のお母ちゃん、いるの?
「……いる」
どうしても、会いたい?心配なのね、お母ちゃんが。
「うん。死ぬ前に。でも無理よ。兵隊さんにいっぱい囲まれているもん」
出来るよ。
「嘘?」
わたしなら、できる。連れてってあげる。死ぬ前のお願い、叶えてあげる。どう?
「……お姉さん、お名前なんていうの?」
少し困ったように、彼女はテレビに目をやった。名前はあるが言いたくなかった。ニュースが終わり、アニメ番組が始まった。それは災前から現在まで続いている大ヒット番組だった。
『魔法裁判員えいきっき』は災前の、裁判員制度導入に便乗して始まった子供向け番組である。美少女魔法裁判官えいきっきと、お供の死神が繰り広げるハートフル法廷ものという、奇妙なジャンルを打ちたてた傑作らしい。今なお人々を魅了して離さないそのキャラクター性には、確かに微々たる物ではあるが、子供の持つ神聖を押し出した造り方がなされていた。その番組は今や、世界中で放送され、熱心な外国のファンが日本を訪れ、家族でロケ地めぐりをするほどの勢いであった。災後のこの国の精神的土壌、と言っても差し支えないほどの影響を与えている。
「えいきっき様~どうしましょう。彼は白か黒か、どっちでしょう」
お供の死神は情けない声を出した。
「こまっちゃん、落ち着きなさい。このえいきっき、判決してくれる~」
わたし、こまっちゃん。
「え、こまっちゃん?」
そう、死神のこまっちゃん。よろしくね。
一旦旅の準備をするため、こまっちゃんと少女は篠田聖母園に向かった。
そこでこまっちゃんは、聖母縁の屋根から突き出た十字架を見た。蒼穹に突き刺さる十字架は、周囲の空気を一瞬で変える。まるでそこがこの都市の中心のような錯覚を与える。しかし潮風に当たり、さび付いた十字架は、見れば見るほど、こちらを見て嗤う案山子だった。
彼女は昔から案山子の幻想に悩まされていた。それは自分が手に掛けた死者の霊なのかもしれなかった。だが幻視は彼女の物心ついたころから始まっていた。町の中でふと、案山子の群れ。テレビに映る草原に並ぶ案山子。《影踏》が捉えた山になった案山子のゴミ捨て場。
それらは全部、自分の妄想だと思っていた。ただ目の前に掲げられた巨大な十字架を見れば見るほど、何故か案山子にしか映らなくなる。案山子は言わば、彼女にとって死のイメージ。他人を手に掛けることを厭わない怪物、或いは殺されることも構わないある種の変態にとって、死の恐怖を教授し、伝播する何かだった。
目をそらし、海を見る。尤もそこからだと煙を吐く蒲鉾工場の煙突に遮られて海は見えない。少女がリュックサックに着替えをつめて戻ってくると、少女の手を引いて、山陰本線の電車に乗るため駅に向かった。そして二人の足取りはここで、消える。これが十一月二十一日のことであった。
《盛んに零れ落ちる断片》
『えぇここでニュースです!速報です!わが社の《影踏》が《妖怪の山》で恐ろしいものを捉えました。これは国連の大量破壊兵器の査察団がPKFの車両に乗り、ガードされながら《妖怪の山》に入る瞬間ですが……』
『実は当社、独自のルートで今日この十二月一日、《妖怪の山/UNDERGROUNDⅠ》で何かが起こるという情報をキャッチし、広告権を買い行使して《妖怪の山》周辺を撮影していたところ、このような映像をキャッチしました』
『これは……何でしょう?彼らの周りを取り巻く妖精のような、或いは日本の妖怪のような、羽が生えたり、奇妙な洋服を着ています。それにどれもみな飛び回ったり、消えたり、遊んだり、とても人間とは思えません!まるで百鬼夜行、化け物のお祭りです!』
『佐藤さん、これはいったい何なのでしょうか?』
『私も……すいません、混乱してます。水を持ってきて……今日はいつもと変わらないニュース番組のはずが、こんな奇跡にめぐり合えるとは』
『奇跡?ですか』
『はい、我々は今、神様の行進を見ているのです。現代の神。ここからまったく新しい価値が生まれようとしている……。皆さん、私は新聞記者として誓います!これは嘘や加工処理されたインチキ映像ではありません。貴方の目が捉えているものは間違いなく現実!ありまのままの現実なのです』
その後スタジオ混乱。一時的に映像配信は停止。音声のみが伝わる(泣き叫ぶ声など)。液晶画面に流れる悲哀のシルヴァーノイズ。世界中の人々が、ネットに接続し、《影踏》が伝える映像に見入る。しかしその《レーガ社》のサイトも突如閉鎖。人々は情報から切り離された。ネット上で飛び交う情報。あてどない死のイメージ。当惑する消費者。
そして国連査察団は、臈長けし神々に導かれるようにして、《妖怪の山》へ入っていく。
「神のレンズ論。宗教多元論。ジョン・ヒックが提唱したこの一つの宗教は、この時代において再び萌芽の兆しを見せ始めた。全ての宗教は、究極的実在者を見るためのレンズ、に他ならないという思想は、まさに《新神話主義/NEO-MYTHISM》の基底にして、真理そのものであった。彼の思想では、イエスはその究極的実在者に従順に生きた人間、すなわちそれ人は受肉と呼ぶべしと。そして神のレンズを通してみれば、何だみんなおんなじ事いってるじゃない、みんな仲良く平和にしましょうと。まぁこの世に差別や格差が一つも無い、或いはそんなもの時間がたてば風に吹いて飛ばされる程度のもの、という前提で語られるこのノーテンキな主張がまた復活したわけだ」
冴月麟の部屋には過去の遺物の電話ボックスが一つ、置かれている。そのフォーン・ブースの中に閉じこもり、先ほどから一時間近く話している。たった一つ、彼女との接点。
「今の現状はまさに、監視システムを通して、世界中が究極者の存在を確認していることになる。しかし日本がこの究極者たるレンズの先に選ばれたのは、恐らく神道というロマンチズム溢れる夢の国であるからだろう」
《外の様子は?》
「今、査察団が入ってきた。もうすぐ本当の夢の国がはじまるんだ。あんたが提供してくれた、移動船の情報のおかげでね。今、この組織は大きくなりすぎて、私でも何が何だか、判らないから。あぁいった外の力が必要なのよね」
《いえ、私もそれを望んでいたまでのこと》
「それでは、マエリベリー・ハーンさん、また、後で。フォーン・ブースで会いましょう。今後の未来のために、話しましょう!」
《よき未来のために、みんなのための、○○○を作りましょう》
受話器を置き、沈黙。赤電話からテレフォン・カードが吐き出され、しじまが部屋に落ちてきた。
それと教授たちの船は魔理沙たちが遺跡として認識していたのでかなりでかいと思いますよ
東方の二次創作としてどうしてもこのような点数しか付けれません。
オリジナルで書いたほうがきちんとしたものになると感じましたが、
その場合集客力が全く見込めないので人目に付くためにこのような形になっているように思えました。
時々こんな作品が現れて困る
面白かったです。
SFの無機質な空気と東方がこんなに合うとは思わなかった。
筆者の毒のあるイメージも好きだ
人間が相互に、高度な監視を行える社会という設定だけでわくわくしてくる。
この先幻想と現実がいかに交わってくるか楽しみだ。
ただ、誤字が凄く多いのと文章が読みにくいのが気になった。
誤字は一度流し読みするだけでもかなり改善するレベル。
回想に回想を入れるのも止めたほうが良いと思う。ちょっとカオスな状況になってる
でも面白かったから満点入れちゃう
続きが早くみたい!(゚∀゚)
幻想郷ありきな上で、外の世界を真っ正面から書く作品は多くない。
ここまで力いれて書かれたものは特に。
しかしそんなことより。
まずはあれだ。
アレンジされたキャラが無駄にかっけえ。
ターミネーターナズーリンとか
家亡き子早苗とか
ブラックラグーン小町とか
キャラものとしてだけでも、大好物だった。
世界設定も五分後の世界やらが地味に混じってて、にゃけた。
東方でやる意味ないというのももっともだけど、逆の見方すると、東方キャラでこれをやってくれるのが楽しいタイプの話かもしんない。
いいぞもっとやれ。
話し自体は整理されてなさが、はちゃめちゃさをいい具合に隠して、チープさは感じなくて中二世界に浸れて楽しめるのは良かった。
んだけど、おかげで脳内整理しながら読むのにえらく疲れるのが難点だぜ。
満足はするんだけど、満足したからこそ、もっと疲れずに読めたらなと欲をかきたくなる作品でした。
次も楽しみにしてます。
幻想郷と言えるかどうかも分からない。
しかしまぎれもなく幻想ではあるのだろうと言う事しか出来ない。
これがこれでいいのか判断するのは最後まで読み終わってからでいいだろう。
だからひとまず、感じたオゾマシサと続きの見たさにこの点を。
面白いんです、何もかも忘れて没頭するほど面白い
何というかそれしか言えないくらい圧倒されました
続きを楽しみにしてます
生きる所まで生きぬかないと散った連中に申し訳が立たない
そんな気分を刺激する
だが、すごいわくわくしたのは事実。
100点相当の挑戦の匂いがプンプンする。
「東方でやる必要ないじゃん」への挑戦ともいえる突き抜けを感じた。もっと書いて投稿スペースを利用すべし。
何がどうなろうと終わりまで付き合わせてもらう
もう綺麗で可愛いだけの幻想にはうんざりだ。
続きを楽しみにしてる。
第一話目を見た時は?となった
読み返してなんとか理解し、そうすると第二話目が最高に面白いことに気付いた
続きを切実にお待ちしております……詳しい感想は完結した時に書きたい
続きが気になって仕方ありません。
掘り出し物を見つけたと思って、ワクワクしながら読んで、お預けを食らう時の遣る瀬無さったらないですよ。
ところでもしかして一話で出てきたネズミの吹田さんも散りばめられた重要機密の内の一つなんですかね?
続き待ってます。
しかしよくもまあこんなカオスなもん書いたもんだ。
これを読んで初めてその意味を理解しました。
物語の裏にはどうしようもねえ現実があって、この現実もまた真実とかいう事実を置き去りにしたよく解らん幻想で記述されてて、そんな中で各々が持つ神話を、なぜかひとは表現せずには、物語らずにはいられない(けど人が互いを理解できないように、結局大事なものは各々が墓の下まで持っていくのでしょうね)。それは種が繁殖を動機にして動いているのにも似ているけれどたぶんまた別な必然性があって、その源泉は解らないけれどあなたを突き動かしたものには心当たりがありすぎる。それは文学や芸術への憧れではないでしょうか。残念ながら自分はそれに引っ立てられたことはありませんが、しかしその熱量はばかみたいに伝わりまくってきます。
とても衝動的で野性味溢れる、文学と芸術に向かい突き進む暴走特急。といった印象です。そして自分はこれまでも創想話でそういう鉄砲玉を見かけたことがあります。いままでは遠くや脇を掠めるように走っていて「おースゲーなあ」とか思っていましたが、この作品は自分の真正面から走ってきた。ノーブレーキで。おかげさまでボロボロにされた気分です。
描写されているテロ組織と諜報機関の戦いや、幻想に浮かされたものたちや、企業と政府の暗闘などなどは、大変面白いのだけど未整理で効率に欠ける。読者も著者も武器に振り回されてしまっている・道具にしきれていない。物語り意志を伝えるならば、それは危うい。しかし同時にその乱暴さが作品全体を剥き出しの刃に仕立てている。これがどうしようもなく魅力的。
どんな結論が出るのかがとても楽しみです。さて続きを読みに……あれ、続きは!?