命のいぶき豊かなる幻想郷にも、締めくくりの季節が訪れた。
幻想郷の冬。役目を終えた山々の景色達。葉を落とした野原の木々は、冬仕度にせわしい動物達を優しく見下ろしている。
窓から表を眺めれば、積もる事無い粉雪が風に舞っていた。広々とした野山の凍てつく様は、景色に不思議な静寂をもたらしてくれる。
そんなしんとした世界の端っこに、とある食いしん坊なお嬢様のお屋敷が、のんびりとそびえていた。
「はーい。ちーずふぉんでぃゆー」
「素敵だわぁ。紫」
白玉楼。いつにも増して、のどかな午前中。
お屋敷にある和室の中でも、ここほど団欒の似合う部屋は無い。
外から柔らかな陽光差して、年中あんどんを必要としない。開放感ある障子窓からは、季節ごとに違う景色を眺める事ができる。
壁にも襖にも飾り気は無し。広々とした炬燵に脚を伸ばして、時折、寂しい色の天井を見上げては空っぽの感慨に浸るのだ。
素晴らしきかな。幻生。
「素敵なお土産ありがと。紫ってば本当に趣味のわかる人なんだから」
ほくほくとした笑顔。西行寺幽々子のいつもどおりさに、客人、八雲紫も笑みを返した。
「家の式神は猫舌ばっかりなんですもの。一人でするものでもないし」
「おいしそ~。初めてだけど、見た目からして思うもん」
おこたの真ん中で、クリーム色のおなべがクツクツと愉快な音を立てている。
チーズとミルクの柔らかな香り。並べられたパンやマシュマロが、漆色の机に明るい彩を添えた。
「ちょっと作りすぎたかしら。まぁ、お野菜なりお肉なり、何を付けて食べてもおいしいから」
「わくわくするな。この"ましょまろ”だって高級なものでしょう」
「流石、御目がが高い」
高そうな小振りマシュマロがお皿に並んでいる。厳選品なのだろう。
小さな切り餅にいたっては、一つ一つ和紙で包んである。山積みの餅をしげしげと眺める幽々子。紫はくすくすと笑った。
「お餅が気になる? これが以外に合うの」
「おいしそう……これ、普通に食べたいなぁ」
「こらこら。せっかく作ったんだから浸してお食べなさいな」
「まぁ、そうなんだけどね」
お嬢様、ちょっと残念そうにする。
「それにしても、二人分にはやっぱり多いわよ」
山と並べた具材を眺めながら、紫が言う。
「妖夢も呼んであげなさい。たくさん食べたい気持ちはわかるけれど」
「あ、失礼しちゃう。応接でいないだけだもん」
「あら。お客さん? 幽々子」
「ううん。プリズムリバーの三姉妹よ」
今度はパンを取る幽々子様。これまた高級そうな焼け色をしている。
「妖夢と、企画の話し合いで来たんだって」
「合奏会の?」
「そう。演奏会の」
紫の顔がほころぶ。
「来たわ」
「来たわね紫。延期に延期を重ねて」
「今年はどんな曲が選ばれるのかしら。やっぱりこれが無いと、年明けた気がしないわ」
「ひゃのしみほうねぇ。ぁ、熱ッ」
「何?」
楽しみそうね。であった。
プリズムリバー三姉妹の予定表には、毎年、大晦日に決まった予約が始めに記入される。
白玉楼で催される、『四季をテーマにした4曲』によるクラシックコンサートだ。
プリズムリバーの趣向によって選ばれた、春夏秋冬、たった4曲の演奏会。
客人は気の知れたいつもの面々。皆、その演奏を聴きながら、去る年の四季に思いを馳せるのである。
そして年越し……と、なるはずなのだけれど、今年はどういう訳か、一月の末まで延期されている。
練習中の曲がどうしても納得いかない出来なのだ。という事らしい。
「何処の部屋? 幽々子」
「二つ隣の客間だけど。紫も用事があるの?」
「ちょっと文句つけてこようかしら」
紫は後ろに手を突いて、廊下に向かって身を乗り出した。
と、ここぞとばかりに、幽々子がお餅の山を掴み取って、たっぷり懐にしまい込んだのは内緒である。
「文句って紫。あなたに怒られたりしたら萎縮しちゃうよ」
「別に取って喰う訳じゃないわ。切り良く節分の夜中にしてもらおうかと思って。明けたら立春、みたい……なね……」
ずでっ。と腕を崩す紫。
やはり、こたつの温かみが魔力となって彼女の脚を絡め取る。
「幽々子。廊下は絶対寒いわよねー」
「ほらほら。こっちはこっちで暖まりましょう。全部無くなっちゃうわよ」
「え、早くない? その台詞」
呆れ顔の紫もフォークを取った。
暖かく、のんびりした時間。これ以上何もいらないという心地よさ。
時刻はやっと11時ごろになったけれど、窓の外は、相変わらずぼんやりした明るさのままだった。
眠くなるまで温まる頃。紫はふと、何処かから、不思議な旋律が響くのを聞いた。
◇◇◇
柔らかな、パイプオルガンに似た管楽が聞こえる。
追いかけるように、肌を撫でる強い響きが重なった。その音色はとても濃い。
旋律を合わせて、透き通るような笛の音が織り込まれる。
うつらうつらとしていた紫は、響きあう雅の音に目を覚ました。いつぞやの記憶が蘇る。
「和楽器、か」
廊下の奥から聞こえる微かな音に、目を閉じて聞き入るのだった。
昨年の秋、博麗神社にて、盛大な観月祭が執行された。
その折、プリズムリバーは伶人として参加した。これはその時の一曲である。
選ばれたのは、
れる1尺程の横笛であった。
遥か古、大陸より極東の島国に伝えられた音楽の文化が、この幻想郷にも、いつからか伝わっていた。
楽譜も、その魅力も、少しづつ忘れられていく。けれど、一度その世界に触れれば、魅了される者は数知れない。
幻想郷の麗人、八雲紫もその一人であった。
そういえば、三人とも笛という事は、二人は得意分野を捨てて臨んでいるのだな。
そんな事に気が向き始めた頃、寝そべっていた幽々子が目を覚ました。
「ん……」
「起きちゃったかしら」
「うん……この音は?」
「お祭の時の曲ね。かわいいお客さん達が演奏してるみたいよ」
うっとりとする紫。
刹那、ふと。
……何かに気付く。少し興の冷めた顔で、幽々子に尋ねた。
「どうかしたの。幽々子」
「いえ、別に」
何であろうか。ほの明るい和室に、二人の声が妙に響いた。
けれど紫は、何に気付いた様子も無く呟く。
「きっと、次の演奏会で披露してくれる曲だわ。今から楽しみ。そうでしょう」
言いながら、その視線は幽々子の顔を捉えて離さない。
けれど当の相手は、目を虚ろにしたまま、心をこちらによこさなかった。
「ねぇ。聞いているの」
「ごめんね。私、ちょっと外の空気吸ってこようかしら。なんだか、あったか過ぎて息苦しいな」
返す幽々子はただ、静かに笑った。腰を上げて、そのままどこかへ行ってしまおうとする。
「……どうして、そんなに嫌いなの」
紫は背中に向かって尋ねた。
返事は無かった。沈黙に、朧気な和楽の旋律だけが響く。
「お祭の日も、あなた途中から一人で帰ったでしょう。妖夢にも黙って」
軽く笑う声が聞こえた。
「あの子は楽しそうだったもの。つれて帰ったら悪いわ」
「あの後三姉妹をここに連れてきてあげたのに、その時も聞こうとしなかったわね。寝たふりなんかして」
「あぁ、バレてたんだ」
ゆっくりと振り返る幽々子。その力ない笑みは、話題を拒絶していた。
「幽々子。あなた
「そんなんじゃないから。気にしないで」
「無理よ」
「紫。お願いだから……」
「納得行かないわ。何を理由にそんな」
「あっちが」
声が震えた。
「私の事、キライなんだもの」
痛切とも言えない、感情のない答えだった。
二人の間を、経験した事の無い沈黙が隔てる。
張り詰めた空気の中、その重さに溶けてしまうように、遠くからの調べが止んだ。
「きっと彼女達、慣れない楽器の練習で頑張っていたのよ」
紫はゆっくりと切り出した。
「次の演奏会、今の曲が演奏されるとしたら、やっぱりあなたは聞かないの?」
「聞きたくは、無い」
返事は簡単なものだった。
のそりと立ち上がる紫。更に何か言おうとする幽々子の肩を、否応なく掴んだ。
「悪いけれど、そうはさせないから」
◇◇◇
静かに止む調べを聞いて、妖夢はゆっくりと目を開いた。
「どうだった?」
奏者の長女、ルナサ・プリズムリバーがおずおずと尋ねる。
妖夢は返事より先に、賛美の拍手を鳴らした。
「いつもながら素晴らしい」
彼女らしい心からの微笑み。奏者達はほっと胸をなでおろした。
白玉楼の客間。掛け軸のほかに飾りのない、ちゃぶ台だけの四畳半である。
「どう? 流石姉さんでしょ。慣れない笛もすっかり板についちゃってさ」
「やめてよメルラン。まだまだ納得行く出来じゃないんだ」
「姉さん達はこだわり過ぎなんだよ。こんな特殊なリズムで、ズレたりしないだけ凄いって。ねえ妖夢」
「お三方とも笛での演奏は珍しいですね。だけど、とっても素敵です」
昨年秋からの習得状況としては、流石、人で無いだけある。と言える程の上達ぶりであった。
四人はそれぞれ、ぬるくなったお茶を葉っぱごと飲み干した。
「けれど、珍しいね。お嬢様方ならいつものことだけど、控えめなあなたからリクエストってのは」
お茶を入れなおす妖夢に、ルナサが話しかけた。
姉妹らは今日、延期の謝罪と、企画の簡単な打ち合わせに来たのである。人の良い妖夢は毎年、大道具スタッフ扱いなのだった。
とは言え、ごめんで済ますのも良くないと思って、「せっかくだから一曲披露してください」という要望に答えることになったのだ。
聞くに、妖夢の曲に対する思い入れは、なかなか熱い様である。
「ただの音楽では無い。……と、思います」
妖夢は自らもお茶を取り、自らの半霊に軽く触れた。
「奮わされるんです。血の通っていないはずの魂まで、私の中で高揚しているのがわかるんです」
声には熱がこもっている。妖夢は、ただ名曲を聴いているだけでは起こり得ない変化を、彼女自身の身体で感じていた。
「きっと神楽だからだよねっ。姉さん達っ」
「リリカ。ドヤ顔」
自慢げに無い胸を張る三女を、メルランがたしなめた。
「どういう事ですか?」
尋ねる妖夢に、ルナサが笑って答えた。
「あぁ、いいよ気にしなくて。実は結構ほんとに不調でさ。餅は餅屋ってんで、例の山頂の神社へ一つお説教をもらいに行ったんだ」
「カグラ、についてですか」
「そーゆーこと」
混同されがちではあるが、雅楽と神楽には、その語彙にやや違いがある。
端的に言えば神楽は「神様のための音楽」全般を指し、雅楽は「大陸から伝わった、貴人のたしなみ」的な音楽ジャンルの事を言うのである。
直球なイメージとしては、神楽には「ピーヒャララ」という触りの曲が多い。雅楽というと「ぷわーん」だろうか。
けれども、一概にはなんとも言えない物だったりもするのである。
今演奏された曲は、幻想の里の地方神楽ながら、しっとりと重厚な曲で、雅楽に近いものがあった。
楽器も雅楽で使われるものであり、プリズムリバーの苦労が伺われる。
「音楽とはこうだ! みたいな改まった話しは、今まであんまり聞いてこなかったんだけどね。普通に面白かったよ。昔の人間の信仰とかさ」
とリリカは語る。
と、その時、その話に唐突に割って入る声がした。
「上等だわリリカ。そんなに面白いお話だったら、幽々子も聞いてくれるかもしれないわね」
振り返る妖夢。
「紫様! いらしてたんですか」
部屋の入り口に紫が仁王立ちしていた。肩から幽々子をぶら下げて、ではあるが。
抵抗する駄々っ子を半ば引きずるような形で、廊下をのしのしと歩いてきたようである。
「は、離してよ紫!」
「だーめ。いい事思いついてしまったもの」
「ど、どうしたんですか!? 喧嘩でもされたのでは」
「妖夢。あなたにこの娘の子守を指令するわ。お遣いがあるの」
「へ?」
◇◇◇
「これでよし。と」
お話しの続きは、幽々子様のぐるぐる巻きから始まる。
こんなに長いロープなど、何用にスキマへしまっておいたのやら。
「――という訳なの妖夢。ね。私はどうしても次の演奏会で和楽の曲を聴きたい」
「はぁ」
「この子は聞きたくない」
「はい……」
「そして例の神社には、和学の美学を余すところ無く語れる、お餅屋さんがいると」
「そうですね」
「行くわよ」
「行くんですかっ?」
伶人、八雲紫の行動力と執念により、そういうこととなった。
「お嬢様をぐるぐるロープから開放してくださいっ」
「だーめ、逃げるから。このまま境界に放り込む。その後はあなたに任せますからね」
「初対面の巫女さんに、ぐるぐるお嬢様を見せる気ですか?」
「いいじゃない。おでこのぐるぐると合っててファッショナブルですわ」
口までロープで巻かれて恨めしそうな幽々子様。紫はやさしい瞳でなでなでした。ドの付くアレである。
「あなたがお勧めしたんだから、神社の座標をお教えなさい。可愛いリリカちゃん」
「そんなSFな能力でしたっけ……ここから見て真西の山の山頂ですよ。通称妖怪の山です」
妙に活き活きとした紫に追い立てられ、(そして人質を取られ、)妖夢は出かける仕度を始める。
「なんだか心配です。ろくでもないことが起きそう」
消沈気味の妖夢。ルナサが慰めをかける。
「まぁ妖夢。そう気を落とさないで。きっと話を聞けばあなたも面白いと感じるさ」
「準備できたかしら?」
再び幽々子を担いで、紫が声を掛ける。スキマは既に開き、別の景色に繋がっていく最中であった。
「そんなに焦らないで下さい。今行きますから」
「早く。寒いのは御免なの」
◇◇◇
「む」
早苗の焼いた亀甲は、粉々に砕けて床に舞った。
「あるんですか?こんなこと」
「あるんじゃない」
寒さでそれどころでは無い神奈子。
「趣味で
「だいたい神ならここにいるでしょう? 間接的に聞く意味無いじゃない」
「あーうー」
「ほら、あーうーだって」
守矢神社の、日ごろのまったりぶりに余念は無かった。
「暇ですねー。たくさんのご参詣たまわれば、御二柱も少しはお元気でいられますのに」
「来ない来ない。ここん所、雪続きだもの」
「あーうー」
諏訪子の様子がおかしい他は、なんとものびのびとした平日である。
神職と言えば、掃除が一番大事な仕事なのだけど、この雪では掃くに掃けない。
「でも亀甲コナゴナは不吉な予感ね。吹雪でもお客に来るんじゃないかしら」
幻想郷ならあり得る話だ。
と、神奈子が危惧したちょうどその時、機を狙ったように社務所の扉を叩く音が聞こえてきた。
「あーうー?」
「ほら見なさい」
ちょっとでも暇をすれば、トラブルからやって来る。そんな幻想郷の土地柄に、彼女達もすっかり慣れていた。
「この雪の中に客人。よほどの事だわ」
ため息混じりに笑う神奈子。
「早苗。悪いけれど」
「えぇ、私だけで応対します。この部屋は閉めたままにしておきますから」
「この時期は世話をかけるわ。よろしくね」
「冬ですから」
そういうと早苗は、羽織を掛けて玄関へ向かった。
暦の上では、幾日かで春が訪れる時期であるが、暗い木造の廊下は、さながら凍てつく夜道を渡る心地である。
このような日に、わざわざ現れる客人とは誰であろう。用事がよほど急なのか。よほど短気な輩なのか。
ともあれ早苗は、鏡に向かって神職モードの笑顔を整え、社務所の引き戸を開いた。
「はい、どちらさまでしょうか」
「御機嫌よう、山頂の巫女さん。突然お邪魔してご無礼申し上げますわ」
紫色の傘に、雪を積もらせた麗人の微笑み。いよいよ面倒への条件は揃った。
◇◇◇
「妖夢。私ここで寝るわ」
「お嬢様。お願いですから駄々をこねないで下さい」
言いながら妖夢は、境内の紫に目をやった。
アポだけは自分で取ってくるそうだ。確かに、断るとめんどくさそうな彼女、適任者とみえる。
一方のお嬢様。着けば着いたでふてくされてしまった。
口の縄をほどいてやれども、「巻かれたままここで待つ」と言い張って鳥居に向きもしない。
滑らかな石の階段に、ぐるぐる巻のままの転がっているのである。
「お風邪を引きますよ」
「そうすれば帰してくれるもん」
「……お嫌いなんですね」
「キライ~」
こんなに頑なに何かを嫌うだなんて、いつものお嬢様らしくない。
そんな主の姿に、妖夢はすっかりしょげていた。
それに、妖夢自身は、あの「和楽」の文化に引き込まれているのである。このままでは寂しい。
「アポは取れたわ、お二人さん。妖夢、後はよろしくね」
紫はいつの間にか戻っていた。
「あ、はい。わかり……えっ紫様、お帰りになるおつもりで?」
「寒い所に出たらすっかりまいっちゃった。お部屋で寝てくるから、後はよろしくね」
「ま、待ってください。幽々子様が駄々を」
「いいこと。必ず、必ず幽々子を説得して見せなさい。じゃ、後はよろしくね」
「紫様!」
叫んでも聞いてくれない。まぁわかってはいるのだが。
紫はハンカチをひらひらさせてスキマの向こうへと消えていった。
振り返れば、幽々子は本当に寝付こうと努力している。
初めて来るところに、一人ぽつんと取り残されてしまった。おまけに寒い。
けれど妖夢は泣かないのである。どんな理不尽な環境でも、諦めずにみょんみょん頑張ってきたのだ。
さても、世の中勝手な人ばっかりである。そんな彼女を気の毒そうな目で見る者がいた。
「……あのー」
「! はい!」
「あの、あなたが妖夢さん?」
「はい!」
「あの、初めまして。当社の宮司で、東風谷早苗と言います。紫さんからお話しは伺いまして」
「あぁ、えぇと、妖夢と言います。魂魄妖夢です。突然お邪魔して申し訳ありません!」
「い、いえいえ」
「この度は貴重なお話をうかがわせていただけるそうで、あの」
「いえいえ、その、お気を楽に」
「いえ、ありがとうございます!」
従者どうし、お互いに一通りぺこぺこするの図。
そうするうち、二人は互いの様子から、それぞれの苦労を垣間見た。
振り回される庭師と、やたら面倒に出会う巫女。奇妙な友情が生まれた瞬間である。
「まぁ、外は寒いですから、どうぞ客間の方へ」
早苗が忘れていたように促した。
「お茶も入れてありますから。えと、そちらのお嬢様は……」
こちらのお嬢様は頭の位置が落ち着かない様子である。
「置いて行きます」
妖夢は言い放ってみた。幽々子は小さくリアクションを取ったが、結局そっぽを向いたままだった。
「お嬢様。私が代わりにお話しをうかがって参ります。後で私から話せば、きっと聞いて下さいますよね?」
返事は無かったけれど、妖夢はそう信じる事にした。
「行きましょう。早苗さん」
「わ、わかりました」
関係性を知らない早苗は「こうゆうもんなんだろうな」と思って幽々子を放置する事にした。
◇◇◇
妖夢の通された広めの客間は、内装まで全て木造の和室であった。石にはない、柱や畳の温かみ溢れる場所である。
白玉楼に暮らす中で培われた美意識から言っても、申し分の無い落ち着きだった。
「どうぞ。妖夢さん。少しは温まります」
きちんと正座する妖夢に、早苗から緑茶が差し出される。庭師にとっては慣れないもてなしである。
「なんともご立派なお社ですね。博麗神社とは雰囲気が全然違います」
部屋の隅々まで行き届いた清潔さに、妖夢は感嘆した。苦笑いする早苗。
「まぁ、あちらにはあちらの趣向があるんでしょう。全て宮司の采配ですから」
あちらもこちらも、神職は一人しかいないのだから、ずぼらであれ何であれ、必然、社長さんとなってしまう。
博麗の巫女が寒さにくしゃみをした。
「神楽のお話しでしたね」
早苗はこたつの向かい側に座って、早速話を切り出す。
「私でよければ簡単にご説明します。妖夢さん」
「恐縮です。急に押しかけてしまって申し訳ありません」
「たくさんの人に神社に触れてもらうのは良いことです!」
風祝、東風谷早苗。自意識過剰の気がある故、自身の携わる神道への情熱も強い。
一方の妖夢の方も、彼女からどんな話を聞けるのだろうかと、わくわくとしていた。
幻想郷では稀に見る、生真面目同士の対談が始まろうとしているのである。
「多少難しい話ですし、長くなりますよ。覚悟はいいですか?」
「はい! お願いします」
「あ、いえ。液晶の向こうでご参詣の方々に……」
「みょ?」
「……いえ、独り言です。あなたがやる気を出して下さると助かります」
はてさて、神社のお話しと東方。如何様に結ばれるやら、見物である。
◇◇◇
――凡て迦微とは、(中略)
(中略)
さて又 海山などを神と云ることも多し、
そは其ノ御霊の神を云に非ずて、直に其ノ海をも山をもさして云えり、
此らもいとかしこき物なるがゆゑなり、
(中略)
大かた 一むきに定めては論いがたき物になむありける
本居宣長 『古事記伝』より
「それじゃあ、行きますよ!」
第二回・早苗先生の神社講座 ~神楽の回~ (※一説です)
神楽が行われる時期は、全国的に見て冬が圧倒的である。
民俗学の研究によれば、その理由は、神楽の目的が越冬に関するものであったからだとされている。
単刀直入に、その目的とはつまり、「神々の再生」である。
「神様の……再生?」
「そうです」
早苗は穏やかな笑みで答えた。
「神様は、死ぬんですか?」
「外を見てください。このような冬の景観を見て、先祖様たちは『死』そのものを感じ取ったのでしょう」
春に芽吹き、夏に栄え、秋に実り、そして冬に尽きる。
個性豊かな四つもの別世界が、この地に何度でも環り、訪れる。人の業に真似のできぬ事である。
古代東方の人々にとって、季節の節目節目は全て奇跡であり、奇跡とは即ち、神であった。
殊に、冬という死の季節から、春という再誕を迎える感動は、現代の私達には計り知れない。
「神が蘇らなければ春が来ない。これは一大事です。当然ですよね」
そういった考え方から生まれた民俗の一つが、神楽であると言える。
死に伏した神の魂に寄り添い、音楽と舞いによってその力を揺らし、振るい、暖め、再び生まれ変わるを待つ。
神楽の、地域ごとに違う雰囲気は、地域ごとに違う信仰の色をそのまま表しているのである。
「これが神楽です、妖夢さん。あの演奏家さん達のこだわる理由もここにあります」
話す内に早苗の微笑みは自然な表情になっていた。
不思議なものを信じる時、人は少しだけ、優しくなる。
「……そう、ですか」
刹那、早苗はその語気に冷たいものを感じた。
「くだらないですね」
驚いて、妖夢の顔を伺う。
そこにあるのは落胆と失望であった。
◇◇◇
「妖夢さん?」
早苗の中で熱くなっていたものが、一気にはじけ飛んでしまう。
信仰の世界に生きる人間にとって、最も恐ろしい物。「思想への落胆」。
「くだらないです」
顔を上げる妖夢の表情は凍てついている。
「外は見ましたよ。こんなの死でもなんでもありません。ただの冬です」
声から伺えない失せた感情に、早苗は少しだけ触れることができた。
「……あなたは毎日、死の世界の隣で生きているのでしたね」
妖夢にある、死というただの現象。ただ、取り返しのつかない終焉の様。
その死に比べれば、早苗の語る、観念の上での死などは、綺麗事めいた妄言の他、映りようも無い。
「ただの一度でも、死を越えて蘇った人の心をあなたは見たことがありますか?
ただの一度さえ、息づく身体には戻れずに、冥界へ消えていく心を見たことがありますか?」
早苗は、投げつけられた問いから目を背けた。
「神職は、死から遠ざけられる必要があります」
「あなたは何も知りません」
死や病は、穢れと呼ばれ、神社の世界観で最も忌み嫌われるものである。
親類が死ねば、しばらく鳥居をくぐることも許されない。まして死体や骨に立ち会う事などは、大いなる忌みである。
「それを、なんでしょうか」
妖夢は嘲笑して見せようとした。けれど、別の感情が鼻を熱くするのに阻まれてしまった。
「神だか知りませんけれど、年がくる度に死んだり戻ってきたりするだなんて」
爆発しそうな感情が、何であるかも解らずに、掌で強く握り潰した。
「まったくお笑いです」
早苗には、妖夢の憎しみの意味はわからなかった。ただ宗教者として、彼女の禁忌に触れてしまった事だけを知るのみだ。
けれど、妖夢は怒った。
意味不明な迷信なんかに、馬鹿にされたとしか思えなかった。死の悲劇を負って、日々営む自分、そして主を。
そして、「蘇ったモノ」の儚さは、彼女が一番よく知っていた。また、目を背けてきた。
その不確かな在り方のままで、大切な人は、いつまでも傍に居てくれるのだろうか。
蘇りとは、それほど切なく、苦しく、忘れていたいものであった。
人として生を受けた早苗に、返す事のできる言葉はないのだった。
さて、では神道は単なる迷信であろうか。
そう思われては、こちらも黙ってはいられない。というものである。
「話は聞かせてもらった!」
唐突に、早苗に代わって、妖夢に迎え撃つ鋭い声が一つ上がる。
辛らつな空気に直撃されて、巫女と客が、心臓ごと跳ねたのは言うまでも無い。
「早苗。開けなさい」
間髪入れずに第二声が上がる。襖を隔てた隣の部屋からであろうか。
早苗の表情は冷や汗めいている。けれどややあってから、何も言わずに立ち上がった。
呆気に取られる妖夢。それを尻目に、早苗の手で正面の襖が左右に開かれる。
そこには。
「元気なお嬢さんだわ。気に入った」
「すわー」
こたつから飛び出す二つの頭があった。
「……」
初めてみた顔二つ。うつ伏せの身体を、首から上だけ持ち上げて、謎のドヤ顔でこちらを見ている。
声が出ない妖夢。
早苗がなんとか言葉を搾り出した。
「こちら、うちの御祭神です」
「神奈子さん、でいいわよ」
「すわー」
いや、自己紹介をされても、吹き飛んだ感情が帰ってこない。
そんな妖夢を、神社側は無視して進行する。
「早苗。あなたは表の桜色の子をなんとかしてきなさい」
「なんとか、ですか」
「貴女を信用しているわ。こっちの子は私達とお話しするんだから。さ、おいで。お嬢さん」
神奈子が右手を出して、こちらに手招きをしている。妖夢は少しづつ我を取り戻した。
次第に自分の立ち居地がわかって来る。なんとまぁ、本物の神様を目の前にして「くだらない」などと言ってしまった。
途端に、真面目な彼女はもちろん恐縮する。けれど、当の神様は、別段咎めるような様子は無いのである。
「さ、早くおいで。あったかいぞ」
うんしょ、と身体を起こす神奈子。妖夢は言われるがまま、ぽむぽむと手で示された対側に、おずおず腰を降ろす。
「えーと、魂魄妖夢ちゃん、だっけ?」
「は、はい」
「あーうー」
「よしわかった。それじゃあ、妖夢」
びくつく妖夢をなだめるように、独特の優しさを持った声で言った。
「腹を割って話そう」
◇◇◇
――すべてカミとは、(中略)
単なるモノならぬ、優れた見えない力があり、恐れ多さを放つ物を、『カミ』と言うのである。
(中略)
さてまた、海や山などを神と呼ぶことも多い。
それは、そこに宿る"魂的な何か”では無くて、ただ単に素直に、海や山を指して言う。
これらも、非常に恐れ多さを放つ物であるが故である。
(中略)
おおかた、定義を一つに定めて「こうだ」とはいいにくい物なのである。
本居宣長『古事記伝』より(桃等 訳)
「ほら諏訪子、あなたもしっかりなさい。帽子潰しちゃうわよ」
ぽすっ
「すわー」
「ほれ、諏訪子」
ぽすっ ぽすっ
「すわー すわー」
「あら」
ぽすっ ぽすっ ぽすっ
「すわー すわー すわー」
「うふふ。すわーぼたん、だ」
「寝かしてー」
守矢神社の祭神、二柱のやり取りを、妖夢はただ見つめていた。
彼女には、目の前の祭神たちが自分をどうしたいのか、見当が付かない。黙って事の成り行きを待っているのである。
「ごめんなさいね。お行儀悪いところ見せちゃって」
神奈子の目が妖夢に向いた。うな垂れて軽く首を振るだけの、子供のような返事をする。
「私も身体に来てるんだけどね。諏訪子は直で農業の神様だから。秋に使い切ってしまうの」
ミシャクジ様と言えば、もっとも古い農耕信仰の一つである。
その信仰形態に幾説かある(要は原初的なアニミズムに基づく諸説)中、『東方風神録』においては、祟り神説が諏訪子の設定に採用されている。
而して、古来より祟り神は「斎まつろふ」事によって、むしろその祟りから人を護る神に転じる、と言う信仰がある。
彼女の統べる祟りは主に農業関係。当然、その力は収穫の秋に爆発する。
早苗の講釈に当てはめるなら、使い果たされた、エネルギー切れの彼女はまさしく、
「すわぁ……」
力尽きているのである。コタツに亀さんなのも、致し方ないと思ってやってほしい。
「春を迎えようと思ったら、ぬくぬくと温まって魂を元気にしないとね」
神奈子にしても、こんな威厳を失う姿は、極力表に見せたくない。と言って、今となっては手遅れである。
話し方もフランクそのもの。そうまでして妖夢を説得したいと思うのは、神の性なのであろうか。
さてしも、神奈子の言葉は相変わらず独り言の様である。諏訪子をおもちゃに弄ぶばかりだ。
威勢良く現れたはいいけれど、実は神奈子自身、どのように妖夢を納得させたものか案じかねていたのである。
だから話は突拍子も無い切り出しを繰り返す。
「その刀、貴女の代の古さでは無いわね」
「……祖父から受け継いだ物です」
妖夢の方は少しづつ声は取り戻した。
「よし妖夢、その刀に例えてみようか」
「何を、ですか?」
「小難しくて、あなたが拒絶してしまった話をね」
身を乗り出す神奈子。妖夢は言葉が浮かばなかったが、背筋を伸ばしてこれに答えた。
「とても簡単よ。神を蘇らせようとする事と、あなたが今、その刀を持っているのは、同じ事」
面食らった妖夢の顔をご想像いただけるだろうか。
先ほどの早苗の話にくらべれば、なるほど突拍子もない。
突拍子も無いが故に、否が応にも、聞く側の聞く姿勢ができてしまう。聞かずには済まないからである。
その様子をみて神奈子は微笑んだ。
「あなたに到るまで、たくさんの魂魄さんが生まれて来て、後を継ぎ、奈保留(死ぬ)を繰り返して来た事でしょうね。
その身体は大地に還って、生き物を育むのに不可欠な土となる。その恵みを受けて貴女が生まれる。同じ事の繰り返し。
そして代々の心が受け継がれて消えない限り、
――ここでは刀や剣術かしら。
新たな命は、新たな芽となることができる。その繰り返しは、永遠になっていく」
大地を思わせる雄大な語り口で説かれていく。そして最後に。
「これって素敵な事よね」
と付け足した。
「神楽の心も同じところにあるって事よ。おわかり?」
季節が死に、花や草木、動物達は息を潜め、ある者は土へと帰る。
さて、土が出来たならば、あとは心の継承さえ失われなければ、「新たな四季」の芽が生えてくるはずだ。
その『心』を揺り起こすべく、人々は音楽を奏で、そして神楽舞い、ひたすらに春という奇跡を待つのである。
その心もその奇跡も、人々は等しく迦微と呼んだ。神の生き返りとはこういう事だ。
「諏訪子にも神楽の一つも聞かせてあげたいものだわ」
「……少女
古来東方の国には、神の御霊とその湧き上がりを指す「
源である。
◇◇◇
――我が『神道』は"不有不無”。むしろこの有と無の"間を語る”ものなのだろう。
"間”とはつまり、四季のそれぞれがまさに相うつる、その間の事である。
(中略)
春と夏が交って草木が栄え、夏と秋の交わりで稲穂の成るなどの。
これは自然の事であるから、人力人心の巧みとは無縁の、『天地自然の巧み』である。
この『自然』を心得ぬまま、神道の心得などをするのは、あってはならない事であるぞ。
――明和五年六月 加茂眞淵の齋藤信幸宛の書簡より(桃等 訳)
時刻は正午となった。
舞う雪の粒は細かになり始め、雲から透けて陽の明かりも窺える。
ほの明るさが、石畳の参道を柔らかく照らし、寒々とした空気と相まって、いよいよ清清しい。
雪は、榊のたくましい葉を縁取って張り付く他、境内を水浸しにして、解けて流れた。
さて、手足を不自由に縛られたお嬢様をお忘れではあるまいか。
雪解け水に水浸しにするわけにもいかず、しかしまた、お嬢様自身は境内に背を向けると聞かない。
ならば鳥居に立てかけてしまえ、というのが早苗の回答であった。
「お話しはわかりましたが……穢れという響きだけでそこまでお嫌いだったんですか?」
早苗の呆れたような声色を感じて、幽々子はさらに頬をぱんぱんにする。
「だってひどいじゃないっ。死に関係あるってだけで、穢れてる!だなんて」
「それは……そんなこと言われましても」
「人種差別とか大嫌い。そう思わない?」
人種?
さておき、神社を始め信仰とは、言うまでも無く現実世界で生まれたものなのだ。
死を操る本物の幽霊さんに「ヒドい」と言われてもボークというものである。
「幽々子さん、私、人づてに聞いた事があります」
返事しかねた早苗は、明後日を向いて話を切り出した。
「とある、お庭の綺麗な大お屋敷に、食いしん坊のお嬢様が御住まいでいらっしゃると。
しかもその方は、なかなかにわがままで、マイペースで、なぜか自分の事に人を巻き込んでばかりだとか」
早苗は、鳥居の柱をはさんで、幽々子と背中合わせのところに寄りかかる。語気は明るく柔らかだった。
「巻き込まれたみんなは振り回されて、気を使って、時々疲れてしまうと
だけど、お嬢様の屈託の無い朗らかさに触れて、最後にはみんな、一緒に笑ってしまうと」
昔話でも話すような語り口だった。聞き手は特に返事をしないままだ。
「私、そんな元気に溢れた、気枯れの無い方にお会いしたら、引っ張ってでもお参りして頂きたいと思ってしまいます。例え人で無くても」
穢れ、とは即ち、気枯れである。と言えば、今日いくらか有名になった話であろうか。
燃料がからっぽになれば、それは器を巻き込んで淀み、濁り、行く行くは死を迎える。
この感覚は、神社に大切な、清き循環の妨げとなるからこそ、忌み嫌われるのである。
枯れた心をそのまま放っておくべきではない。そこを土とすれば、新たな芽生えがあるのだから。
早苗はため息を一つついて、くだらないからと幽々子の縄を手早く外した。
はて、気持ちは届いたやら届かなかったやら。
お嬢様は、なんとも取りがたい虚ろな表情で、ぼんやりと、ゆっくりと、早苗の方に向き直った。
早苗を見、鳥居を見上げ、そしてその奥にある景色へ心が向けられていく。
巫女は、その顔に儚く浮かんだ感情を伺い損ねた。
「お嬢様。早苗さん」
雪解けの静寂に響いて、向こうからの声が近くに響く。
その方を振り返れば、妖夢がぬかるんだ土の上を軽く跳ねるようにしてやってくる。
「あぁ、妖夢さん。慌てると足元が――」
「妖夢ー! やっと還って来たわね。このかいしょー無しー!」
「!?」
妖夢もさることながら、先にびっくりしたのは早苗だった。
さっきまでコントのような格好で転がっていたかと思えば、急に、真面目な深刻な顔もするし、ここに来て抜けた発言を放つ。
日頃から従者として奉仕する早苗の身にも、この主人の、不可思議な魅力は窺い知れない事を悟るのだった。
なんだかよくわからないが、あっけに取られたままでは悔しい。何か言い返してやろうと構えてみれば、先手を打ったのは幽々子の方だった。
「なんだ。こんな事で良かったの?」
やれやれと言わんばかりな顔で、あっけらかんと言っている。
ように見えて、その響きには独特の支配力を感じた。
勝てない。そう思った。
「ええもちろん。守矢神社ようこそ。幽々子さん」
せめてもの見栄に、飛び切りの神職スマイルを浴びせてやるのだった。
「お、お待たせを致しました」
二人は改めて振り返る。滑る参道に足をとられながら、妖夢はそこまで来ていた。
「おかえりなさい」
早苗は朗らかに呼びかけた。幽々子もそれに倣う。
「妖夢ってば、ほっぺた真っ赤よ。あったかいところはどうだった?」
駆け寄るなり、そんな事を言われてしまった。妖夢はさらに顔を赤らめて、俯きそうな目を、ぐっと二人に向けた。
「私、お二人に謝らなければいけません」
「うん。許します」
「そうね」
「みょ!?」
いま一度、がばっと二人を見る妖夢。
見れば、お嬢様と巫女さんは、なんだか意気投合してる様子である。自分のいない間、どんな濃いやり取りが繰り広げられたのだろう。
ひとしきり妖夢の反応を楽しんで、早苗の笑顔が八の字まゆげに変わる。そして丁寧に頭を下げた。
「妖夢さん、私、お話が到らなくてごめんなさい。幽々子さん。よく考えたら、お茶ぐらい持ってきても良かったですね」
「もういいよ。基本的に私が火種なんだもの。私も二人に謝らなくちゃ。ごめんね妖夢」
「さ、さ、早苗さん」
妖夢が手を突き出して制止する。すごいテンパってる。
「どうしました」
「どうやってお嬢様を説得されたんですかっ?」
「えぇまあ、別段」
満面の笑みで幽々子を見る。
「軽くおだてさせて頂いた程度です」
「ま、失礼しちゃう!」
「でも、本当の事ですよね」
少し、やり返した。
それにせよ、生真面目な庭師にしてみれば、神様二人に沢山お話しを聞いて、蓋を開けてみれば輪になって朗らか。
勝手な人々の空気に振り回されるは妖夢ばかりである。
嗚呼。おろおろさせたらこの庭師の右に出る物はいない。そんな事を思いながら、巫女とお嬢様は笑顔を交わした。
「さ、帰ろっか。妖夢」
「い、いいんですか? こんな感じで」
「うん。私もう大丈夫。ありがと」
行為にしてみたら、なんとも簡単なところで満足してしまったな。と幽々子は思った。
早苗は残念そうである。
「あら、そうですか……やっぱりお参りはして行かれないんですか?」
「うーん。まだちょっと抵抗があるかなー」
引き止める早苗に、幽々子は正直なところを返した。
濡れた砂利道を始め、境内の景観には心惹かれる所がある。といって、嫌いと言い張っていたものを忘れ去ったわけでも無かった。
けれどもこのまま帰るのも、なんだか勿体無いとも思う。
「神社って言えばお賽銭かなぁ。代行で箱に入れてもらうのって出来る?早苗ちゃん」
「箱と言わず、直接神前にお持ち致しますよ。あくまでもお金という形でのお供え物ですから」
「お金を手渡しってどうかな…… 神様って言うけど、フォルム的には私達と変わんないようなイメージあるし」
祭神とは会っていないはずの幽々子の想像力に、早苗は笑顔の裏でぞっとした。
「そ、そうですか。まぁ本義は稲穂ですからね。ちょっとお菓子か何かでも」
「ある?妖夢」
「いえ、御座いません。あの、神社嫌いは?」
「そうよね。普段、なかなかそんな、程よい食べ物なんて常備……」
紙幣か何か見つからないかと、ポケットをまさぐるお嬢様。と、指にかさりと触れる物があった。
◇◇◇
――世の中にあるかたち何事も、
互にうつりもてゆく理をさとるべく――
本居宣長『古事記伝』より
こたつから飛び出す頭二つ。今度は対面に一柱づつ突き出ている。
「プリズムリバァよりは手ごわかったねー。神奈子」
「まともに喋れんなら手伝ってくれればよかったのに」
「すわすわ」
神奈子は諏訪子の足を蹴っ飛ばした。
「元気出てきたの?」
「ん。だいぶ」
「そっか」
――かつて、カミという響きには
「迦微とは迦微という意味であり、迦微と言う一言で表せるものである」
とだけ言っておけば充分なはずだった、その言葉。
その意味は、時代の中で、様々な他国の神と交わる事で、次第に忘れられてしまった。
今日のカミの語は、聞く人の耳に、すっかり胡散臭く、また陳腐に聞こえる事だろう。
幽々子や妖夢のように、パッと聞いては、拒絶するほうが、確かに健全な人ではあろうか。
けれどいま一度、聞きかじりの迷信などを綺麗に洗い清めて、古代の人の自然な『大和心』に耳を傾けてはもらえないだろうか。
「近いね。春」
「そうだねー」
彼女らのこんな台詞であれ、深い感慨の下に聞こえてくるような気がするのである。
「お二柱とも、ぐったりですね」
襖を開けながらの、早苗の声がちくちく飛んでくる。
「ちょっと早苗。今、元気出てきたって話ししてたのよ?」
「でも緩みきってらっしゃいます」
「そだよ。早くお昼ごはん食べたいな!」
ぴょん。と軽快に跳ね上がる諏訪子に、早苗が不適な笑みで答える。
「今日は久々にお雑煮でも作りましょう。きっとご馳走になりますよ」
「あら早苗。後ろ手に大事そうに持っているそれは何かしら」
「あーうー?」
「一級品ですよー」
もったいぶる早苗。芝居がかって差し出された両手には、小さな七、八包みの切り餅が、白く映えていた。
「本日のご奉納です」
◇◇◇
「妖夢、今日のお話はあなたの中で大事に取っておきなさい」
帰り道。しばらく黙っていた幽々子は、いつもの声色で妖夢に話しかけた。
時々見せる、お母さんのような柔らかい声。
妖夢自身にも思う所はあったが、普段のお嬢様に戻ってくれたのであれば、それ以上は別にいい。
「わかりました」
とだけ答えた。
「……お嬢様。演奏会の件は、いかがなされるおつもりですか」
「ん? もう大丈夫よ。最初から周りを巻き込む気はなかったんだけどなぁ」
なんでだろう。という顔をした。
「聞いて、下さいますか。演奏を」
「ねぇ、どうして紫もあなたも、そんなに聞かせたがるのかなぁ。何かよっぽどの事でもあったの?」
「聞いていただきたいという、それだけの事です」
「あなたがそこまで言うなら、まぁ、じっと聞いてはあげる」
「何よりです。お嬢様」
妖夢の微笑みは、いつもの彼女らしい清廉さと、他のなにかを見せた。
彼女が、幽々子と早苗のいたずらな笑顔の理由を量りかねたように、幽々子にも、妖夢の笑顔の意味する所を知る由はない。
ただ、今日はそれぞれに何かを思う日であった。と、互いに納得するのみ。
けれど、それならそれでも、二人には充分なのであった。
木々の静まる林の向こうに、白玉楼が見えてきた。
早く温まりたい幽々子には気付かれなかったが、眼下の木々の梢には、雪解けの雫に濡れた蕾が、ちらほらと色づき初めていた。
やがてふと気が付く頃には、少し気の早い春風に急かされて、野原いっぱいにその花を満たす日が来るだろう。
もう、その季節は近い。
◇◇◇
現実世界。
平成二十一年の発掘調査の際、奈良県の
その地が栄えていたのは、カミと人とが共にあった頃。つまりは、日本最古の都があったとされる場所である。
その建物側から遥か三輪山を眺めれば、ちょうど冬の明ける立春の頃、朝日がその頂から昇るそうである。
冬から春へ。死から再生へのプロセス。
それは恐らく、遥か古代から、東方の地の人々にとって、もっとも神秘的で、幻想的な時間であったに違いないのである。
ちなみに、日の神様への信仰は、お日様が東から昇り来る事から、『東方祭祀』と呼ばれる。
幻想郷。
白玉楼の一室にて。
「さぁ、可憐なる妹諸君。楽器の準備はいいかな?」
「ばっちりよ。姉さん」
「私も!」
かくして、演奏会の当日がやってきた。
後一時間もすれば立春を迎えようかという、静かな真夜中である。
今宵の舞台は白玉楼の大広間であった。障子窓から見渡せる木々は、未だ黙して花開かない。
春の兆しは、ほのかにしか見えないけれど、この寒い時期に、わざわざ表に出る事も無いので、好都合であった。
げにも元日の、外の空気を辛いと感じさせないみょんなのテンションの妖しき事か。
それもまた一つの、節目の妙味である。
「それじゃあ、開幕しますよ。お客さんの心にたくさんの綺麗なお花を咲かせましょう。てことで」
「それと、私達にもね」
「うん!」
彼女ら三姉妹にも、かつてこの大地へと還った大切な人がいた。
たくさんの、大切な人たちの遺してくれた心に、根を張っている限り、彼女達の奏が揺らぐ事は、永遠にないのである。
「さ、ステージに上がりましょう」
ルナサの掛け声と共に、三人の小さな演奏家達が、控え室から、行灯をつけただけの暗い部屋に現れた。
拍手をおくるのは、白玉楼近くで、共に四季を過ごす、いつもの面々である。
「あ、妖夢見つけた!始まっちゃうよ。台所で何しているの?」
「お嬢様。すみません、今参ります」
「ほらほら、飛び入りの子のお茶なんてほっとけばいいから」
「わ、引っ張らないでください。あぶないですよ?」
「もー。いいから早く早く!」
「はは、わかりました」
ぐいぐいと袖を掴む幽々子に急かされて、妖夢はコンロの上にやかんを戻した。
小走りで廊下を渡る幽々子の目は嬉々としている。なんだかんだあれ、とても楽しそうにしているではないか。
二人とも、もうすっかり心のつかえは無かった。楽しみで楽しみで、つっかえる庭師に構わず廊下を駆けていく。
そんなに見逃すのが嫌なら、座して妖夢を待っていればいいのに。
広間が近づき、幽々子はやっと、足を忍ばせる。
襖をこっそり開ければ、ちょうど前口上の終わった模様である。頭を下げる姉妹らに、暗がりからの拍手が送られていた。
「ギリギリセーフ」
こしょこしょと言う幽々子。既に、特等席に座す紫と式神の後ろに腰を降ろした。
「ギリギリまでごねたんじゃありませんわね」
からかう紫。幽々子は澄ました顔を返して、お嬢様らしく、お上品に正座して見せた。
演奏家は、大事なお客様の揃ったのを確かめる。すると、表情は少し鋭いものとなって、楽器を持つ白い手がそれぞれ持ち上げられた。
楽しく美しい、幻想世界の始まりである。
◇◇◇
ねかはくは はなのもとにて 春しなん そのきさらきの 望月の比 西行
ルナサの、
その音に、心の場所ごと沈み込まれてゆくのを、誰もが感じた。
描かれた調べが、やがて世界の背景となるように空気に馴染む頃、リリカの竜笛が続く。
暗闇の向こうに、鋭く澄み渡る、かつ声のような霞んだ震えを持つ、不思議な音色。
竜笛は笙の彩る雅な色彩の内に、一筋の広い流れが、跡を描く様に闇を渡る。
やがてその世界に響き始める、
それぞれがそれぞれに、織り、織られ。
やがては、心の全てを景色ごと飲み込んで、無限の宇宙の只中に人々の心を閉じ込めてゆく。
「ほう」
眼を閉じたまま紫が声を漏らした。そして小さな声で呟く。
「……今年は冬から始まるのね」
その瞳は、遥か奏楽の綾の世界を見ていた。従者の耳打ちが聞こえる。
「藍しゃま。今、何か言っていましたけど、そうなのかな」
「紫様が言うなら、そうなのだろう。わからなくても、ただ静かに聴いておればいいさ」
紫の求める美は、いよいよ孤高である。
式神たちは、彼女らなりに、そこに寄り添い、己が感ずるところの雅に浸ることにした。
音楽に込められた古の思いは、聞く人の心栄えにより、様々な姿を現す。言葉では伝えられないものを遺す為に、何度でも命を吹き込まれる。
それは時として、聞く者の命に直接揺さぶりをかけた。
「ああ、この感じ」
妖夢が心の中で息を漏らした。
音楽の美しさもさることながら、彼女の半霊にかかる揺さぶりは、これまで以上のものであった。
その高ぶりは、止むことなく彼女を捕らえ続け、一種の怖さを感じるほどであった。
ふと、妖夢は傍らのお嬢様を見上げる。
さればその姿は、声も無く、身じろぎもしていない。
けれど、濃い暗がりに向けられた幽々子の頬は大粒の涙に濡れていた。
幽々子の、内に秘めた傷跡が源泉となって、とどまる事が無かった。
永久に失った、暖かな生の亡骸を、決して、その手に触れる事の出来ない神楽の音色に、見つけてしまった。
それは、ただ暖かいだけに在らず。命に色づき、命に燃え上がる。生きる事の、確かな肌触り。
思い出す事さえ出来なくなっていた、その温かみに襲われて、彼女は震えた。
魂はその揺さぶりに、ただ、揺れるだけ。そこに燃え上るはずの何かが無くなっている。
果ての土さえ、根を張る草木に、確かな脈を与えるこの世界に、自分は一人、暖かさから切り離されてしまっていた。
その事に、気付いてしまった。
「お嬢様」
演奏の中、幽々子の心が、もとの暗闇に着地した。
涙を拭うのも忘れた両手に、暖かく重ねられた、か細く、小さな手。
ともし火に照らされながら、妖夢はそこに、凛とした瞳で自分を見ていた。
その眼に隠した微かな震えが、手を伝って感じられる。
「あなたの笑顔に、私は癒されます」
確かな決意に命を与えられた言霊は、幽々子の下にだけ、確かに届く。
「妖夢」
声が、漏れた。
幽々子の伸ばした手は、暗がりの向こうから剣士の手を伝う。
その手から伝わる覚悟を見失う前に、目の前の大切な人を、小さな魂ごと、きつく抱きしめた。
「妖夢」
鼓動は早鐘のように脈を打つが、妖夢の凛々しい表情は、微塵も揺らがない。
その優しさに触れるだけで、幽々子の気枯れは、何処か心の隅に溶けていくのだった。
「あなたがいれば、私でいられるね」
その夜、幻想郷に一陣の春風が訪れた。
僅かな温かさを乗せたそれは、遥か白玉楼まで登り、小さな春の香りを、一足先に人々へ届ける。
その力に雲は流れ、いつかと同じ、さやけき月の光が露になった。
明るさは障子の向こうから、あの日見ること叶わなかった幽々子を、その従者ごと優しく包み込んだ。
雲晴れて 身にうれへなき 人の身ぞ さやかに月の かげはみるべき 西行
ちょうどその頃。
風の柔らかな温かみに触れて、闇に閉ざされた西行妖の枝が、ほの明るく光る。
蕾すら死に包まれたはずの西行妖に、たった一輪、小さな桜の花が咲いた。
半ば幻の様に、淡く儚いその花弁は、誰に気付かれることも無く、刹那に散り、木の根付く土へと舞い降りる。
やがては土となり、その命はいつか、桜とまた一つになるだろう。
遥か東方。豊かな四季の織り成す、環りと永遠の地。
その地の人々にいつまでも、大和心の受けつがれる限り、誰の心にも
春は、必ず。
投げつけられた なのかもしれないです
相変わらずの作風でまたしみじみ東方知って良かったなあと
確かに前作よりとっつきにくいのでこの点で
挟まれる説明が冗長に過ぎて、話の流れを
阻害しているように感じられました
結末に至るためには必要なのだと思いますが
話し手・聞き手の出番を増やす、説明を細かく
分けるなりすると読みやすくなるかもしれません
妖夢や幽々子様の死生観には説得力があり
楽しめました。ありがとうございます