「貴女、傾国の美女とか呼ばれていたわね」
それは唐突であった。
たまには式と二人きりで呑むのも悪くは無い。
そんな主の一言で始まった、二人きりの酒の席で。
八雲紫は同席者である八雲藍へと、確認するかのように言葉を投げかけた。
一瞬眉をひそめる藍であったが、この主が唐突なのはいつもの事。
手元の酒をゆっくりと飲み干すと、双眸を閉じたままで主の疑問へと答える。
「そういう時期もありましたね」
「と言う事はそっちの経験も豊富?」
それなりに、と藍は首を縦に振る。
普段自分を謙遜する事の多い彼女が、肯定の意を示すと言う事は相当に自信満々であると言う事だ。
しめた、と紫は思った。
これでこそ、この席を用意した甲斐があった。
すぅっ……と。
愛用の扇子で口元と、その本心を隠しながら、紫は藍にしなだれかかる。
「ふふふ、是非一度お相手願いたいわね。最高の一時になりそうだわ」
「はぁ」
「気のない返事。私では不満と言いたいのかしら」
生返事を返す自分の式に向かって、紫はくいっと酒を呷りながらその妖艶な笑みを向ける。
ほのかに紅潮したその艶めかしい表情は、どこまでも妖しく魅力的で。
このような瞳で射抜かれようものならば、男でなくても魅了されてしまうであろう。
身内贔屓を抜きにしても、そのように藍が評してしまう程であった。
しかし、流石は傾国の美女と言われるだけの事はある。
艶めかしい主の誘惑など意に介さないようにうっすらと笑むと、『私では不満』と言う言葉を否定するべくゆっくり首を振った。
「とんでもない。ただ……いいのですか?」
そしてきっぱりと一言。
「紫様、処女でしょう」
ぷー。
紫の酒が綺麗な虹を架けた。
―――――紫様が藍様に食べられちゃう話―――――
「しょ、しょ、しょ、処女ちゃうわ!」
だん!
先程までの妖艶な雰囲気など何処へやら。
酒のせいなどではなく顔を真っ赤にしながら、紫は酒瓶をちゃぶ台に叩きつける。
そんな彼女の反応を予想していたのだろう。
やれやれと言わんばかりに、藍はその双眸を閉じた。
「すいません。私は相手の目元で生娘かどうかくらいわかるのですよ」
「嘘っ!?」
「嘘です」
「……」
紫の恨めしそうな視線が藍を襲うが、藍はそれを右から左へと受け流す。
「ぶっちゃけ吸血鬼とかにはバレバレですよ? 彼女達は処女の血が好物ですからね」
「うぐ……」
まぁ、あの吸血鬼も御同類なんですが、と藍はあえて口にはしない。
紫の反応を肴にして、手元のお酒を楽しんでいる。
これくらいの図太さがないと、スキマ妖怪の式は務まらないのである。
対する紫はもう主の威厳なんてあったもんじゃない。
顔を真っ赤にして下を俯いたままぷるぷる震えている。
「しょ、処女じゃないもん……けいけんほうふなれでぃーだもん」
「あー、はいはい。それじゃあそう言う事にしておきましょう。油揚げ三枚で」
スキマから油揚げが取りだされ、藍の中で紫はけいけんほうふなれでぃーと言う事なった。
みんなも間違えないように気をつけよう!
しかし、この純情スキマ妖怪は何がしたかったのか。
はもはもと油揚げを頬張りながら、藍は自分の疑問を主へと投げかける。
「それで、私を誘惑して何を企んでいたのですか?」
「別に。ただ傾国の美女というのがどれ程の物か、試してみたくなっただけよ」
紫の目のそらし方を見て、藍はティンと来た。
「ああ、霊夢を落とす秘訣を知りたいんですね」
「ちちちちちがいますっ!」
「やれやれ、九尾の狐は匂いで相手の考えている事がわかるんですよ?」
「嘘っ!?」
「嘘です」
「……」
妖怪の賢者はアドリブに弱かったのである。
自分のあまりの愚かしさに、ちゃぶ台に突っ伏す紫。
嘲笑するわけでも無く、無表情のまま目の前で酒を呷り続ける自分の式が心底恨めしい。
しかし、彼女は八雲家の主。
式には威厳を見せつけなければいけない。
ましてや、式に恋のアドバイスをもらおうとしている等と思われるなどもっての他だ。
そこ、もう遅いとかいわない。
兎にも角にも誤解を解こうと決心した紫は、コホンと小さく咳払いをして居住まいを正す。
「別に貴女の助言なんてもらわなくても、私にかかれば霊夢なんてイチコロよ。私の魅力の前には空を飛ぶ巫女さえ飛ばなくなる」
「へぇーほぉーふーん」
「そ、それに……! 私達は元々結界組というパートナーだし」
「確かに二人とも生まれてこの方、固く結界を守り続けてますからねぇ」
「?」
どうやら千年処女には今のジョークは理解できなかったらしい。
頭上にクエスチョンマークを浮かべる紫に、藍は「気にしないでください」と手をひらひら振る。
「まぁ、つまり霊夢を落とすための助言はいらないと」
「あ、貴女がどうしても教えたいって言うなら、秘訣を教わってもいいかな?」
ちらっ、ちらっ。
露骨に助言を求めてくる……いやらしい。
横目で何かを訴える紫に大きく溜息を吐く藍だが、主の力になるのが式の務めである。
彼女が助言を求めているのであれば、それを与えない訳にはいかなかった。
「まぁ、秘訣と言えるかはわかりませんが、私がよく使っていた手をば」
そう口にするや否や、紫の肩を掴むとそのまま自分の胸元へと抱き寄せる。
余りに唐突な抱擁にあたふたする紫だが、藍は真剣な表情で目の前の主の瞳を覗き込んだ。
経験豊富な九尾の狐による、相手を落とすためのレクチャーはすでに始まっているのだ。
「まず、真剣な表情で相手の目をじっと見つめます」
「う……」
「相手が耐え切れなくて目を逸らしたらチャンスです。耳元で愛をささやきます」
「ううううっ……!」
「そして、顔が紅潮して思考が働かなくなったタイミングを見計らって……」
藍は立ち上がると、くたっと力をなくした紫の身体を抱き上げる。
そしてそのまま数歩進むと、見計らったかのようにぴたりと止まり。
「あらかじめ仕込んであった落とし穴まで運びます」
紫を穴に突き落とした。
「誰が落とし穴に落とすって言ったあああああああああ!」
そんな断末魔を叫びながら、紫は深々とした暗闇へと落ちて行った。
「藍……アンタさっきから私をからかってるでしょ」
紫は戻ってくるや否や、キッと鋭い視線で藍を睨み付ける。
その身体は穴から落ちた際の被害で泥にまみれていた。
主のみすぼらしい姿を見て、流石の藍もやりすぎたと思ったのか。
直ちに姿勢を正すと、深々と頭を下げて謝罪の意を示す。
その声はとても小さく、微かに震えていた。
先程まで怒っていた紫ですら、自分の式の弱々しい姿に動揺を隠せない。
「申し訳ありません……。私はただ、紫様に……」
「藍?」
「本当は妬いていたんです。だって紫様、霊夢の事ばかり気にして……」
この九尾のこれ程までに意地らしい姿は初めてみた。
詰まる所、傾国の美女はやきもちを焼いていたと言うのだ。
どきん、と紫の心臓が跳ねる。
嗚呼、やはりこの子には私がいなくてはいけないのだ。
他ならぬ私でなくてはいけないのだ。
そんな言いようのない充足感が紫の胸を満たしていた。
紫は先程までの怒りをすっかり忘れたように、目の前で頭を下げる愛しい式へと優しく手を伸ばす。
しかし、そこで紫の笑顔が時が止まったかのように固まる。
紫の伸ばされた手を掴んだ藍が、にっこりと笑みを浮かべていたからだ。
「……と、このように相手の母性に訴えかける方法もあるので覚えておくといいでしょう」
「はいはいはいはい! そうですねぇーっ!」
この式神は何処まで……何処まで……っ!
まんまと狐に化かされた紫は、ちゃぶ台に乗っていた一升瓶をヤケクソで一気にかっくらう。
その瞳には余りの恥じらいからうっすらと涙が浮かんでいた。
しかし、この恥も霊夢を落とすテクニックを得る為である。
少なくとも藍の技術で、あわや自分は骨抜きにされてしまう所であった。
このテクニックを応用すれば、あの初心な巫女ならばたちまち落とす事が出来るだろう。
紫はそうポジティヴに捉えると、気を取り直したようにうんうん、と頷いた。
「とにかく、これで霊夢は落ちたも同然。次はデートね」
「取らぬ狸の皮算用」
「何か言った?」
いえ、何も。
そう答える代りに、藍はふるふると首を横に振る。
釈然としない紫だが、恋愛の先生の機嫌を損ねてはたまらない。
何も聞かなかった事にして、先を進める。
「それで肝心のデートプランだけど……」
「まずは紫様なりのデートプランを言ってみて下さい」
またもやちらりと横目で藍にアドバイスを求める紫に対して、藍はあえて彼女自身の意見を求める。
なるべく依頼主の希望に沿った形で理想のデートプランを作る。
それこそがデートプランナー八雲藍のスタイルであった。
ちなみに本日の依頼主は相当な初心らしく、たかだかデートの妄想程度で、顔を赤くしながらもじもじしている。
「えっとね、まずは神社で待ち合わせ。その後二人でお洋服を探した後に、喫茶店に入るの。大きいパフェを二人で食べたら、その後は公園で愛について語り合うのよ」
「そしてそのままホテルへ、と」
「勝手に追加しないでよ!」
「何と、野外がお好きでしたか」
「何が!? 何が野外なの!?」
デートプランナー八雲藍は些か過激なのだ。
「いきなりホテルは言いすぎだったとしても、今日びキスの一つもしないのはどうかと」
「ええ!? だってその日の二人は納豆パフェ食べてたのよ!?」
「いや、そんな脳内設定知りませんから」
デートプランナー八雲藍は些かドライなのだ。
紫の妄想を一刀両断して、キスをデートプランへと入れる事を勧める藍。
しかし、それを受けた紫はと言えば少々渋り気味に顎に手を当てて何かを考えている。
キス【KISS】
―――カップルが互いの唇を合わせながら、どちらかが倒れるまで舌で格闘を続ける愛と死の競技。
そうユカペディアに記されている通り、『けいけんのほうふなれでぃー』である紫を持ってしてもそう簡単には行う事の出来ない行為、それがキスである。
それを藍はデート中に行えと言うのだ。
危険にも程がある。
しかしそれを勧めているのは他ならぬ傾国の美女だ。
伊達や酔狂でキスを提案している訳ではない。
最高ランクE難度の技を決めてこそ、素晴らしいデートが完成するという事だろう。
「成程。キスは確かに過酷。だけどその中でこそ真の愛が育まれるという訳ね」
「知ったような口を」
「何か言った?」
いえ、何も。
そう答える代りに、藍はふるふると首を横に振る。
先程も同じようなやり取りがあったように思うが、八雲家では日常茶飯事である。
八雲家では藍が主人に暴言を吐くと言う幻覚が度々見られるので気をつけよう。
兎にも角にも、課題はキスだ。
紫に不可能な行為だという訳ではないが、相手はあの霊夢。
傾国の美女と名高い藍と練習をする事で、さらにキスレベルを高めておく必要があるだろう。
べ、別にやり方を知らない訳じゃないんだからねっ!
「藍、霊夢とキスする前に、一度練習でキスしてみない?」
「いいんですか? ファーストキス」
「ファ、ファーストキスちゃうわ! ……私はこれまで人間達をさんざん喰い物にした八雲紫よ?」
それは物理的にでは……と藍は思ったが口にはしない。
何故なら油揚げ三枚で、藍の中の紫は『けいけんほうふなれでぃー』になっていたのだから。
れでぃーに礼節を払うように、藍は物腰柔らかに立ちあがり、紫へと向き直る。
「かしこまりました。……それでは僭越ながら」
「いつでも来なさい」
ふふん、と紫は胸を張る。
言うまでも無く虚勢である。
内心心臓が飛び出そうなほどに緊張していたが、主の威厳を保つためには堂々とした所を見せなければいけないのだ。
そこ、だから今更遅いとか言わない。
そんな主に対して、ついに本気を見せるのか。
藍はその顔を傾国の美女モードへと変えると、すぅっと紫の顎に手を滑らせた。
ぞくり、と紫の背筋にうすら寒い物が走る。
主導権は早くも完全に藍の物となっていた。
大丈夫、落ち着け八雲紫。
私はこれまで外の世界のちゅっちゅ本をこれでもかと読んで来たではないか。
その中にはキスなど足元にも及ばないほどの、恐ろしい行為すら記されていた。
いかに藍が傾国の美女と言えども所詮は井の中の狐、たかが知れている。
と、紫は心の中で願望にも似た暗示を繰り返す。
予習の成果を活かす事が出来ればこんな九尾の狐など―――――
「目、閉じて下さい」
「はひっ!」
この通りである。
「紫様、行きますよ」
「ば、ばっちこーい……!」
藍の声に、紫はびくりと反応する。
いよいよと覚悟を決めたように、耐えるように歯を食いしばった。
「いや、食いしばったら出来ませんから」
「そ、そうよね! キスをするんだものね!」
「……そんなに唇を突きださなくてもいいですから」
愛の言葉とは言い難いが、耳元で囁かれる藍の声に、紫はきゅっと目を瞑る。
ばくんばくん。
心臓が、物凄い勢いで跳ねた。
藍の顔が少しずつ近付いてくるのがわかる。
小刻みに震える肩。
物凄い勢いで乾いていく唇。
紫はまるで死刑執行を待つかのように、永遠のような長い時間の中、その時を待ち続けた。
そして――――――
ふっと。
紫の唇の先に何かが触れた。
え……?
これで終わり……?
最初紫が抱いた感想はそれだった。
散々引っ張られ、脅されていたが、終わってみればこんな物か。
紫の身体の中にそびえ立っていたキスの牙城が崩れ落ちて行くのがわかる。
結局自分は虚像に捕らわれていただけなのだ。
実際にやってみればどうだ、キスも傾国の美女も恐るるに足らず。
何故か勝ち誇ったように一つ頷くと、紫は目を開いて眼前の藍の顔を見つめようとして―――――
そして絶句した。
「ああ、失礼。ゴミがついてましたので」
藍はそう言って、小さな白い物がついた指先を紫に見せる。
……今、彼女の唇に触れたのは、ただの指だったのだ。
しかし、紫が絶句したのはそれが原因ではない。
彼女の視線の先―――――傾国の美女が何処までも妖艶に嗤っていたから。
まるで獲物を捕えた肉食動物のように舌なめずりをしながら、である。
わざとだ。
こいつ、わざと私に一瞬の安堵を与えやがった。
紫の脳内がそのように警鐘を鳴らした刹那、藍の瞳が怪しく光る。
「じゃ、いただきます」
!!!!!!!!!!!!
まるで口内のミキサー車やー!
直後、紫の理解を遥かに超える事態が彼女を襲う。
その日、幻想郷は20度ほど傾いた。
それは唐突であった。
たまには式と二人きりで呑むのも悪くは無い。
そんな主の一言で始まった、二人きりの酒の席で。
八雲紫は同席者である八雲藍へと、確認するかのように言葉を投げかけた。
一瞬眉をひそめる藍であったが、この主が唐突なのはいつもの事。
手元の酒をゆっくりと飲み干すと、双眸を閉じたままで主の疑問へと答える。
「そういう時期もありましたね」
「と言う事はそっちの経験も豊富?」
それなりに、と藍は首を縦に振る。
普段自分を謙遜する事の多い彼女が、肯定の意を示すと言う事は相当に自信満々であると言う事だ。
しめた、と紫は思った。
これでこそ、この席を用意した甲斐があった。
すぅっ……と。
愛用の扇子で口元と、その本心を隠しながら、紫は藍にしなだれかかる。
「ふふふ、是非一度お相手願いたいわね。最高の一時になりそうだわ」
「はぁ」
「気のない返事。私では不満と言いたいのかしら」
生返事を返す自分の式に向かって、紫はくいっと酒を呷りながらその妖艶な笑みを向ける。
ほのかに紅潮したその艶めかしい表情は、どこまでも妖しく魅力的で。
このような瞳で射抜かれようものならば、男でなくても魅了されてしまうであろう。
身内贔屓を抜きにしても、そのように藍が評してしまう程であった。
しかし、流石は傾国の美女と言われるだけの事はある。
艶めかしい主の誘惑など意に介さないようにうっすらと笑むと、『私では不満』と言う言葉を否定するべくゆっくり首を振った。
「とんでもない。ただ……いいのですか?」
そしてきっぱりと一言。
「紫様、処女でしょう」
ぷー。
紫の酒が綺麗な虹を架けた。
―――――紫様が藍様に食べられちゃう話―――――
「しょ、しょ、しょ、処女ちゃうわ!」
だん!
先程までの妖艶な雰囲気など何処へやら。
酒のせいなどではなく顔を真っ赤にしながら、紫は酒瓶をちゃぶ台に叩きつける。
そんな彼女の反応を予想していたのだろう。
やれやれと言わんばかりに、藍はその双眸を閉じた。
「すいません。私は相手の目元で生娘かどうかくらいわかるのですよ」
「嘘っ!?」
「嘘です」
「……」
紫の恨めしそうな視線が藍を襲うが、藍はそれを右から左へと受け流す。
「ぶっちゃけ吸血鬼とかにはバレバレですよ? 彼女達は処女の血が好物ですからね」
「うぐ……」
まぁ、あの吸血鬼も御同類なんですが、と藍はあえて口にはしない。
紫の反応を肴にして、手元のお酒を楽しんでいる。
これくらいの図太さがないと、スキマ妖怪の式は務まらないのである。
対する紫はもう主の威厳なんてあったもんじゃない。
顔を真っ赤にして下を俯いたままぷるぷる震えている。
「しょ、処女じゃないもん……けいけんほうふなれでぃーだもん」
「あー、はいはい。それじゃあそう言う事にしておきましょう。油揚げ三枚で」
スキマから油揚げが取りだされ、藍の中で紫はけいけんほうふなれでぃーと言う事なった。
みんなも間違えないように気をつけよう!
しかし、この純情スキマ妖怪は何がしたかったのか。
はもはもと油揚げを頬張りながら、藍は自分の疑問を主へと投げかける。
「それで、私を誘惑して何を企んでいたのですか?」
「別に。ただ傾国の美女というのがどれ程の物か、試してみたくなっただけよ」
紫の目のそらし方を見て、藍はティンと来た。
「ああ、霊夢を落とす秘訣を知りたいんですね」
「ちちちちちがいますっ!」
「やれやれ、九尾の狐は匂いで相手の考えている事がわかるんですよ?」
「嘘っ!?」
「嘘です」
「……」
妖怪の賢者はアドリブに弱かったのである。
自分のあまりの愚かしさに、ちゃぶ台に突っ伏す紫。
嘲笑するわけでも無く、無表情のまま目の前で酒を呷り続ける自分の式が心底恨めしい。
しかし、彼女は八雲家の主。
式には威厳を見せつけなければいけない。
ましてや、式に恋のアドバイスをもらおうとしている等と思われるなどもっての他だ。
そこ、もう遅いとかいわない。
兎にも角にも誤解を解こうと決心した紫は、コホンと小さく咳払いをして居住まいを正す。
「別に貴女の助言なんてもらわなくても、私にかかれば霊夢なんてイチコロよ。私の魅力の前には空を飛ぶ巫女さえ飛ばなくなる」
「へぇーほぉーふーん」
「そ、それに……! 私達は元々結界組というパートナーだし」
「確かに二人とも生まれてこの方、固く結界を守り続けてますからねぇ」
「?」
どうやら千年処女には今のジョークは理解できなかったらしい。
頭上にクエスチョンマークを浮かべる紫に、藍は「気にしないでください」と手をひらひら振る。
「まぁ、つまり霊夢を落とすための助言はいらないと」
「あ、貴女がどうしても教えたいって言うなら、秘訣を教わってもいいかな?」
ちらっ、ちらっ。
露骨に助言を求めてくる……いやらしい。
横目で何かを訴える紫に大きく溜息を吐く藍だが、主の力になるのが式の務めである。
彼女が助言を求めているのであれば、それを与えない訳にはいかなかった。
「まぁ、秘訣と言えるかはわかりませんが、私がよく使っていた手をば」
そう口にするや否や、紫の肩を掴むとそのまま自分の胸元へと抱き寄せる。
余りに唐突な抱擁にあたふたする紫だが、藍は真剣な表情で目の前の主の瞳を覗き込んだ。
経験豊富な九尾の狐による、相手を落とすためのレクチャーはすでに始まっているのだ。
「まず、真剣な表情で相手の目をじっと見つめます」
「う……」
「相手が耐え切れなくて目を逸らしたらチャンスです。耳元で愛をささやきます」
「ううううっ……!」
「そして、顔が紅潮して思考が働かなくなったタイミングを見計らって……」
藍は立ち上がると、くたっと力をなくした紫の身体を抱き上げる。
そしてそのまま数歩進むと、見計らったかのようにぴたりと止まり。
「あらかじめ仕込んであった落とし穴まで運びます」
紫を穴に突き落とした。
「誰が落とし穴に落とすって言ったあああああああああ!」
そんな断末魔を叫びながら、紫は深々とした暗闇へと落ちて行った。
「藍……アンタさっきから私をからかってるでしょ」
紫は戻ってくるや否や、キッと鋭い視線で藍を睨み付ける。
その身体は穴から落ちた際の被害で泥にまみれていた。
主のみすぼらしい姿を見て、流石の藍もやりすぎたと思ったのか。
直ちに姿勢を正すと、深々と頭を下げて謝罪の意を示す。
その声はとても小さく、微かに震えていた。
先程まで怒っていた紫ですら、自分の式の弱々しい姿に動揺を隠せない。
「申し訳ありません……。私はただ、紫様に……」
「藍?」
「本当は妬いていたんです。だって紫様、霊夢の事ばかり気にして……」
この九尾のこれ程までに意地らしい姿は初めてみた。
詰まる所、傾国の美女はやきもちを焼いていたと言うのだ。
どきん、と紫の心臓が跳ねる。
嗚呼、やはりこの子には私がいなくてはいけないのだ。
他ならぬ私でなくてはいけないのだ。
そんな言いようのない充足感が紫の胸を満たしていた。
紫は先程までの怒りをすっかり忘れたように、目の前で頭を下げる愛しい式へと優しく手を伸ばす。
しかし、そこで紫の笑顔が時が止まったかのように固まる。
紫の伸ばされた手を掴んだ藍が、にっこりと笑みを浮かべていたからだ。
「……と、このように相手の母性に訴えかける方法もあるので覚えておくといいでしょう」
「はいはいはいはい! そうですねぇーっ!」
この式神は何処まで……何処まで……っ!
まんまと狐に化かされた紫は、ちゃぶ台に乗っていた一升瓶をヤケクソで一気にかっくらう。
その瞳には余りの恥じらいからうっすらと涙が浮かんでいた。
しかし、この恥も霊夢を落とすテクニックを得る為である。
少なくとも藍の技術で、あわや自分は骨抜きにされてしまう所であった。
このテクニックを応用すれば、あの初心な巫女ならばたちまち落とす事が出来るだろう。
紫はそうポジティヴに捉えると、気を取り直したようにうんうん、と頷いた。
「とにかく、これで霊夢は落ちたも同然。次はデートね」
「取らぬ狸の皮算用」
「何か言った?」
いえ、何も。
そう答える代りに、藍はふるふると首を横に振る。
釈然としない紫だが、恋愛の先生の機嫌を損ねてはたまらない。
何も聞かなかった事にして、先を進める。
「それで肝心のデートプランだけど……」
「まずは紫様なりのデートプランを言ってみて下さい」
またもやちらりと横目で藍にアドバイスを求める紫に対して、藍はあえて彼女自身の意見を求める。
なるべく依頼主の希望に沿った形で理想のデートプランを作る。
それこそがデートプランナー八雲藍のスタイルであった。
ちなみに本日の依頼主は相当な初心らしく、たかだかデートの妄想程度で、顔を赤くしながらもじもじしている。
「えっとね、まずは神社で待ち合わせ。その後二人でお洋服を探した後に、喫茶店に入るの。大きいパフェを二人で食べたら、その後は公園で愛について語り合うのよ」
「そしてそのままホテルへ、と」
「勝手に追加しないでよ!」
「何と、野外がお好きでしたか」
「何が!? 何が野外なの!?」
デートプランナー八雲藍は些か過激なのだ。
「いきなりホテルは言いすぎだったとしても、今日びキスの一つもしないのはどうかと」
「ええ!? だってその日の二人は納豆パフェ食べてたのよ!?」
「いや、そんな脳内設定知りませんから」
デートプランナー八雲藍は些かドライなのだ。
紫の妄想を一刀両断して、キスをデートプランへと入れる事を勧める藍。
しかし、それを受けた紫はと言えば少々渋り気味に顎に手を当てて何かを考えている。
キス【KISS】
―――カップルが互いの唇を合わせながら、どちらかが倒れるまで舌で格闘を続ける愛と死の競技。
そうユカペディアに記されている通り、『けいけんのほうふなれでぃー』である紫を持ってしてもそう簡単には行う事の出来ない行為、それがキスである。
それを藍はデート中に行えと言うのだ。
危険にも程がある。
しかしそれを勧めているのは他ならぬ傾国の美女だ。
伊達や酔狂でキスを提案している訳ではない。
最高ランクE難度の技を決めてこそ、素晴らしいデートが完成するという事だろう。
「成程。キスは確かに過酷。だけどその中でこそ真の愛が育まれるという訳ね」
「知ったような口を」
「何か言った?」
いえ、何も。
そう答える代りに、藍はふるふると首を横に振る。
先程も同じようなやり取りがあったように思うが、八雲家では日常茶飯事である。
八雲家では藍が主人に暴言を吐くと言う幻覚が度々見られるので気をつけよう。
兎にも角にも、課題はキスだ。
紫に不可能な行為だという訳ではないが、相手はあの霊夢。
傾国の美女と名高い藍と練習をする事で、さらにキスレベルを高めておく必要があるだろう。
べ、別にやり方を知らない訳じゃないんだからねっ!
「藍、霊夢とキスする前に、一度練習でキスしてみない?」
「いいんですか? ファーストキス」
「ファ、ファーストキスちゃうわ! ……私はこれまで人間達をさんざん喰い物にした八雲紫よ?」
それは物理的にでは……と藍は思ったが口にはしない。
何故なら油揚げ三枚で、藍の中の紫は『けいけんほうふなれでぃー』になっていたのだから。
れでぃーに礼節を払うように、藍は物腰柔らかに立ちあがり、紫へと向き直る。
「かしこまりました。……それでは僭越ながら」
「いつでも来なさい」
ふふん、と紫は胸を張る。
言うまでも無く虚勢である。
内心心臓が飛び出そうなほどに緊張していたが、主の威厳を保つためには堂々とした所を見せなければいけないのだ。
そこ、だから今更遅いとか言わない。
そんな主に対して、ついに本気を見せるのか。
藍はその顔を傾国の美女モードへと変えると、すぅっと紫の顎に手を滑らせた。
ぞくり、と紫の背筋にうすら寒い物が走る。
主導権は早くも完全に藍の物となっていた。
大丈夫、落ち着け八雲紫。
私はこれまで外の世界のちゅっちゅ本をこれでもかと読んで来たではないか。
その中にはキスなど足元にも及ばないほどの、恐ろしい行為すら記されていた。
いかに藍が傾国の美女と言えども所詮は井の中の狐、たかが知れている。
と、紫は心の中で願望にも似た暗示を繰り返す。
予習の成果を活かす事が出来ればこんな九尾の狐など―――――
「目、閉じて下さい」
「はひっ!」
この通りである。
「紫様、行きますよ」
「ば、ばっちこーい……!」
藍の声に、紫はびくりと反応する。
いよいよと覚悟を決めたように、耐えるように歯を食いしばった。
「いや、食いしばったら出来ませんから」
「そ、そうよね! キスをするんだものね!」
「……そんなに唇を突きださなくてもいいですから」
愛の言葉とは言い難いが、耳元で囁かれる藍の声に、紫はきゅっと目を瞑る。
ばくんばくん。
心臓が、物凄い勢いで跳ねた。
藍の顔が少しずつ近付いてくるのがわかる。
小刻みに震える肩。
物凄い勢いで乾いていく唇。
紫はまるで死刑執行を待つかのように、永遠のような長い時間の中、その時を待ち続けた。
そして――――――
ふっと。
紫の唇の先に何かが触れた。
え……?
これで終わり……?
最初紫が抱いた感想はそれだった。
散々引っ張られ、脅されていたが、終わってみればこんな物か。
紫の身体の中にそびえ立っていたキスの牙城が崩れ落ちて行くのがわかる。
結局自分は虚像に捕らわれていただけなのだ。
実際にやってみればどうだ、キスも傾国の美女も恐るるに足らず。
何故か勝ち誇ったように一つ頷くと、紫は目を開いて眼前の藍の顔を見つめようとして―――――
そして絶句した。
「ああ、失礼。ゴミがついてましたので」
藍はそう言って、小さな白い物がついた指先を紫に見せる。
……今、彼女の唇に触れたのは、ただの指だったのだ。
しかし、紫が絶句したのはそれが原因ではない。
彼女の視線の先―――――傾国の美女が何処までも妖艶に嗤っていたから。
まるで獲物を捕えた肉食動物のように舌なめずりをしながら、である。
わざとだ。
こいつ、わざと私に一瞬の安堵を与えやがった。
紫の脳内がそのように警鐘を鳴らした刹那、藍の瞳が怪しく光る。
「じゃ、いただきます」
!!!!!!!!!!!!
まるで口内のミキサー車やー!
直後、紫の理解を遥かに超える事態が彼女を襲う。
その日、幻想郷は20度ほど傾いた。
たぶん!
というか誰かと思ったら手負いさんかよwww なんか妙に納得。
ゆかりんかわぇぇぇ藍しゃま鬼畜www
ゆかりんかわいいよ
藍様は男前!
橙を使わなきゃ勝てないな
藍しゃま素敵すぎwww
藍ゆかいいよ藍ゆか
普段の苦労人ぶりからは想像も付かないカリスマでした
で、四天王の続編マダー?(ヲイ
『はじめての結界破り講座』藍様だけでは実演できないのでぜひアシスタントとして私を……
>神奈子 永琳 幽々子
リアクションを見るにどんぐりの背比べちゃうんかとww
あのコメンテーターじゃないんだからwwwwww
流石藍さま!
そのうち陰陽鉄のSSも書くのかなw
もう揃って藍様に奪われてしまえばいいと思うよ!ww
それと永琳はあの年でまさか・・・まさか過ぎるだろw
すごく面白かったw
そして四天王オチにクソワロタwwwwwww
やられたwwwwwwww
あとがきはソードマスターならぬキスマスターかw
藍様かっこよす!!
自分も、いつか、こういう話が書けるように精進していきたいと思います。
もっとやれもっとやれ
後書きが一番面白いと感じたのですが、個人的に後書きは作品のうちには含まれないと考えておりますので、この点数をお送りさせていただきます。
面白かったです。電車で読まなくて良かった。
つか藍様のすべてが強いwwww
( 罪)<紫様はヴァージンに決まってるだろう!
描写がうまくて憧れます