Coolier - 新生・東方創想話

東京行脚

2012/02/22 23:23:15
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 蓮子宅に投函された一通の手紙、あるいは小包がこのお話の発端である。
 基本的に、この時代でも電子転送などという物は無く荷物は直で届く。変な手間で手間を減らすより普通の手間を享受しましょうというのが建前ではあるが果たして、本音とは当たらずも遠からずと言った所か。
 この荷物を受け取った時蓮子は奇妙な表情をした。いわば、いい事を思いついた、笑みである。中の手紙を読んでそれはますます深くなった。
 相方に向けて電話をかけようとして、止めた。これは、寝かせて成り行きを見るのも悪くは無い。むしろ、これで少し奴らに自分の仕事っぷりを見せ付けてやるのも、良いではないかと思う。
 それに何より、機を計りたかった。かねてから狙っていたヤマと、ともすれば一挙両得も、有り得るのだから。

 いきなりではあるが、それから数ヶ月が経った。いや、数ヶ月ではない、半年である。丸半年、蓮子はその贈り物を無視し続けた。
 当然のように度重なる催促。受け取ったのが秋口なので、冬は丸々、涼しい時期も丸々、無くなった事になる。半年後の春休みの終わり頃、ようやっと蓮子はその重い腰を上げたのだった。



~秘封倶楽部鉄の掟~

・体調管理は万全に
・どんなネタにも全力投球
・探索費用はなるべく折半
・(空欄)
・なお、死して屍拾う物なし




~本編~


 東京。
 その名の通り東にある京を指す。かつて明治維新の折、皇居が移された事による命名だが、皇居が再び京都に戻った今もこの呼称が使われていた。
 神亀の遷都が行なわれたのは二人が生まれる遥か前。今の東京は、かつての面影を色濃く残しながら、流れ行く時の中旧都として存在を続けている。

 京都から東京まで、五十三分。ヒロシゲが地下を走る。
 日本国が誇る技術の結晶カレイドスコープは、今世紀最大の芸術作品と呼んでも良いかも知れない。
 綿密な時代考証と計算によって描きこまれた風景は、遥か1833年、天保四年の東海道を忠実に再現した。
 毎朝、毎晩、時間によっても表情を変えるその景色は人々を飽きさせず、通勤通学の方々からは概ね好評を頂いている。
 蓮子は、これに乗って京都へ来た。その時の感想は、「思った以上に普通」だったらしい。
 メリーはと言えば、今日初めてこれに乗る。勿論、それは今日初めて、東京の地に立つという事でもある。東京へ行くという話になったのは何故だったろうか。確か、気付いたら盆の里帰りに付き合わされていたのだ。伝手があるから活動は心配しなくていい、といわれて。

 ヒロシゲのために新設された卯東京駅を出ると、大抵の京都人は度肝を抜かれる。
 見渡す限りに塔が乱立するアスファルトの樹海は、京都には存在しない物だからだ。
 都市であった名残。これらのビル群は年々修繕を繰り返しながら文化財として保存され、使う者も居ないまま日々を過ごしている。
 もう、土地の上にまた土地が必要なほどに人が存在しないのだ。いまや日本の人口はピーク時の半分程度にまで減少してしまっている。その上で京都には人が流れ込み、世界有数のメガロポリスであった東京はその役目を終えた。今は国政にもあまり関係の無い、一地方都市としてのみ存在している。

 メリーも、大方の京都人の例に漏れず、駅の出口で立ち尽くしてしまった。まず、そう、視界が違うのだ。
 正確には視界の使い方が違うというべきか。なるほど壁が多いだけあって、それが効果的に使われている。端々には看板の跡が見え隠れするから、きっと人の多い所はさぞ賑やかしいものだろう。
 ただ、その分この壁の名残も多く残っていると思う。それはもはや、空の見える地底都市の様相を呈しているのではないか。

 郊外もやはり広くなっている。人が減るに連れて周辺部から徐々に徐々に閑散として行き、遷都がなった後は急速に主要なそれぞれが京都へ流れて一年足らずで都市としての圏域はかつての何分の一にまでなってしまった。どこまでだろう。あの境とあの境。丁度、最初期の頃と同じくらいか。
 台場と呼ばれるものがあった。成田空港、ディズニーランド。それらはもう存在しない。文献に記された栄光と、それを物語る跡地があるのみである。事前に役場から許可を貰い、係りの者を同行させる事で初めて見学が可能になる。

 蓮子は、生粋の東京人だ。
 生まれも育ちも、こののんびりとした、だけど何処か狂騒の面影が残る街で過ごした。

 ね、メリー。良い所でしょう

 蓮子は言う。
 それと裏腹に、メリーにはまるで異世界のように感じられた。
 街を歩いても通りを見ても、目に映る人数は三、四人程度で、少しビルの向こうを越えればもう草の生えている所が見える。草原のように。いや、もう半ば草原と化している。
 遠くにいかにも前時代的な、古びた軽トラックが走っている。京都ではとっくの昔に見なくなった物だ。
 ふと、この街の別名を思い出した。

 東京外では、この街を若者の街と呼ぶ事がある。

 昔も、一部はそう呼ばれていた事がある。今よりずっと活気があった頃の話。だが、その時分の若者とは、少し言葉の意味を異にしている。
 今は東京の、全域を指してそう呼ばれているのだ。表向きの理由は、昼夜を問わず界隈全域に出没する若者グループによるものだが、本質は違う。
 彼らは奇妙な格好をして、歌って、踊って、そして何処とも無く帰って行く。何をしているのか。何のためにしているのか。
 彼らを見て一般の、良識のあると自分ではそう思っている大人達が口を揃えて叫ぶのだ。エタイの知れない奴らだと。そして侮蔑の意味を込めて呼んだ。この街を、“若者の街”と。
 この街は隔絶している。若者は隔絶の言葉だ。
 蓮子の家への道すがら、メリーはそんな事を感じながら歩いていた。

――

 宇佐見家は、相応に広々としていた。
 二階建て一軒家。駅からは少し歩いた住宅地に、紛れ込むようにして存在している。
 玄関を開けると蓮子の母が出迎えてくれた。一通りの挨拶を済ませ蓮子の部屋へ向かう。
 階段を登って右の部屋。荷物を置くと、そのまま作戦会議へ移行した。鞄から取り出される雑誌。コーヒーが淹れられる。

「なに、それが今回のネタ元かしら?」

 蓮子のネタの仕入先は、半分が雑誌だ。眉唾物の三流誌から、マニア向けの二流誌まで。集められたネタは主に蓮子の勘によって処理され、メリーに回される。これは、マニア向けの二流誌の方だろう。名前に見覚えがある。

「ええ、割と困難なミッションよ。今回はね、なんと……」

 大仰に手を振る。

「この東京全域を歩き回ります!」

 その手は広さを表していたのかと思うのもつかの間、さりげなくミルクを手元に持ってきたメリーが反問する。

「全域って、嘘でしょ?」
「うん、まあ、そうなんだけど」
「でしょうね、幾ら縮小されたとは言え東京は東京よ。この地域の活動を一週間ちょいで済ますなんて、フィールドワークどころか修行の域だわ。それこそマラソン選手か何かの」
「ちっちっ、今は電車という便利なモノがあるのですよメリーくん。それに、あちこち歩き回るのは本当よ? 色々と細かなネタが入っててね。でかいのは無いんだけど、一気に済ませちゃいたいなあって。後はメリーの観光? 確か来た事無いでしょ。おいでませ東京」
「まあ、豪華な詰め合わせプランね。最後の辺り、取って付けたような感じが特に」

 そしてコーヒーを一口。一般家庭の割には、良い豆を使っている。妙に美味い。
 思わずもう一口を啜るメリーに、蓮子が雑誌を差し出した。

「さ、さ、まずはこちらをご覧のこと。今から説明を始めましょう」

 蓮子が、すっくと立ち上がった。


――


「東京は、霊都です」

 いきなり立ち上がったと思いきや、蓮子が演説を始めた。

「ずーっと昔、ここに都が作られた時からそうでした。なので当然……と言うのもなんだけど、そこかしこにその残光がある……と巷では言われています。それは、霊的な処理の施される事が無くなった現在でも。と言うわけで、まずはどうメリー、来る途中に何か見つけた?」
「え、いきなり振らないでよ。そうねえ、一応ある事にはあったけど、普段見てる物と大差ないわよ。そこら辺にあるのと同じ。霊的だから云々、とはまた違う気がする」
「あれ、そうなの? やっぱそう簡単には行かないのかな」

 うむむと首をかしげる。

「まあいいや、私達はこの旧東京を回るのよ。まずはお手元のお雑誌を確認のこと。そうそれ。付箋つけてあるから。よろしい? よし。そもそも発端は――」

 メリーの目の前に広げられた雑誌。表紙に江戸時代特集と銘打たれたそれは、ページも後半一番最後になって、少し趣を異にしてくる。
 載せられた写真に映る一棟の建物。和の面影は無いが、紛れも無く日本人の手によって建てられた物だ。写真下の説明には、1886年築と書いてある。
 この時代を何と呼ぶかは、揉めに揉めた。当時、近代への芽をつけたばかりのこの時代は、年号を用いて暫定的に呼称していただけに過ぎなかった。十分意味は通ったし、それ以上は必要なかった。
 だが百年、二百年と時代が過ぎるにつれ、この、高々五十年にも満たない時代区分が煩わしくなって来た。しかし遠くなり過ぎてしまったその時代。今まで通り年号で呼ぶか、それとも新しく大きな分け方に入れてしまうか。散々話し合った挙句結局決める事が出来なかった。
 最終的に統合がされないまま、便宜的に東京時代、戦前、開国時代などの呼称が使われるようになった。そして、それまでの呼称も。
 この時代は、古い呼び方で明治時代と言った。彼女達には遠い遠い、異国のような昔の出来事。

 ざっと記事に目を通す。なるほど江戸と称しながら最後に割り込ませて来る、相応には大きなネタであるらしい。
 記事には、当時流行ったカルト宗教の事が書かれている。
 もう、何百年も昔のものだ。当時起こった怪現象と、その関連性。蓮子によるものだろう、文章の所々に赤く線が引かれている。最後、一際目立つよう「江戸城」の文字が丸く囲まれていた。
 蓮子はなおも演説を続けている。それに適当に相槌を打ちながら、ページをめくる。
 奇妙な動物の死骸。それがこの記事の要のようだった。この動物が怪異の元締め、なのだそうだ。なんとも旧時代的な話だが、面白いのはそれを関連付けるための資料が豊富に存在している所にある。
 古来より動物は様々なものに見立てられてきた。他より違った特徴を持つと尚良い。それは吉兆凶兆どちらにも転び、時によって使い分けられてきた。そう、使われてきたのだ。明治の初期ともなればまだ旧習因習は豊富で、その類の迷信じみた話にも事欠かなかった。
 だが迷信としては必要以上に、不自然なまでに関連事項が存在したのだ。
 蓮子が目を付けたのもここだろう。引用された事柄が多すぎる。だが、蓮子がどの程度まで信じているかとなると、疑わしくもあった。大きなネタは無いと言った。噂の元になる程度の何か、としか見ていないのだろうと思う。
 ページをめくる。どうやら、これで最後のようだ。後ろには何も無い。胡散臭い広告と、奥付を残して。蓮子が部屋を歩き回る。コーヒーを啜りながら、暫し蓮子の話に耳を傾けた。

「――という事で、ここで私の伝手が役に立ってくるのです」

 ようやく蓮子の話が終わった。コーヒーを一気に飲み干し、手でメリーを外へと招く。

「外で何かするの?」
「そら、秘封倶楽部は実働がモットーですもの。よく食べよく寝てよく動く、活動はその三つでしかないのよ」
「私まだコーヒーしか飲んでない……」
「良いじゃない、後でそこら辺の店に入れば。東京は名産とか無いから、逆に選びやすくて良いわよ? もう選り取りみどり」
「それ京都でも同じじゃないの」
「じゃあ今度はうどん食べに四国でも行く?」
「うーん、考えとく」

 階段を下りて玄関へ。外から重く、何かの吼えるような音が聞こえてくる。

「そう言えば、結局伝手って何なのよ。今聞こえてきたのがそうなの?」
「ま、そうね。いわゆる裏表ルートってやつよ」

 裏表ルート。蓮子の、蓮子による、蓮子のためのルート。何度か名前は聞いていた。活動に使われるオカルトアイテム、そしてネタのもう半分の仕入先だ。大体そこから入ってきた物で、蓮子はよくこのルートの存在を自慢げに話している。
 こちらに来てからというもの、蓮子がしばしば携帯端末で何処かに連絡を取っているのをメリーは目にしていた。

「裏表ルートはね、私独自のルートなの。私が築いた人脈が色々な所から私を助けてくれる」

 ドアが開けられ、メリーは目を見張った。
 青いボディの三輪トラック。煙を吐き出し体を振るわせている様が、何やら古典的で、しかし頼もしく思える。
 こんな古い乗り物を間近で見る経験は、メリーには初めてのものだった。教科書に、少し載っている程度の、京都ではとっくの昔に廃れてしまっている代物。

「さ、メリー。行くわよ。おじさん、まずはあの家の方に向かって」

 蓮子が荷台に飛び乗り、運転席から威勢の良い返事が返ってきた。


――


 蓮子は昔から行動力がある方で。物心付いた時から、つまりはオカルトに興味を持ち出すようになった頃から、目に付く所あちらこちらを駆け回っていたらしい。
 近所の子供、商店街のおじさんおばさん、果てはタイマンで泣かせた他校の生徒……。妙に広く集まった人望は蓮子のオカルト好きである事を覚えていて、しばしばネタを送ってくれる。
 それが、裏表ルートの正体であった。たまに蓮子をいぶかしんだ他サークルが京都市内でルートの存在を暴こうとするが、見付かったためしは無い。当前だ、県外から、郵送で送られてくるのだから。
 ちなみに、時々蓮子は裏表ルートで手に入れたと言ってメリーに食材を披露する事もあるが、あれは何の事は無い、俗に言う仕送りである。

「あの、白いのは、道路の残骸……?」

 トラックに揺られながらメリーが訊ねる。
 遠く、田んぼの向こう。倒壊した高架橋と、大部分が草に覆われてしまったアスファルトの塊、が広がっている。
 アスファルト、だろう。正確には見えない。草は一面を埋め尽くし、延々と続いている。

「ありゃあ昔の高速道の成れの果てだなあ」

 また、運転席から答えが来た。

「誰も使う奴が居ないから放置されてんのさ。あんなになって崩れても、そもそもあの辺りまで行く奴が居ないから誰も片付けやしない。たまに若いのがたむろったりしてるみたいだがね、もっと他に良い場所があるってんですぐ離れて行っちまう」

 そう言って豪快に笑い出した。
 走っている間、何度もそのような光景を見かけた。およそ人の気配のしない場所。
 あえて街の外周を回っているように感じる。

「蓮子、何処に向かっているの? なんだか、随分大きく動いてるみたいだけど。江戸城に行くんじゃなかったの?」
「ありゃ、蓮子ちゃんこの子に説明してないのか?」
「もうすぐよ、目当てのポイントその一。江戸城はね、もうちょっと後なの」
「後って、何処に向かっているのよ」
「大丈夫よ、今日中にちゃんと行くから」
「だから何処に向かっているのか教えてって言ってるのに……」

 暫く行くと、また打ち捨てられた、廃墟同然の住宅街が姿を現した。人の波が引いていく中、動く事も出来ずに取り残されたモノ達。
 哀愁を誘う、とでも言おうか。東京に来てから、そんな風景ばかりを見ている。顧みられる事も無い、取り壊しても貰えなかった残骸ばかりを。

「今回の活動場所はね、えーっと、あれ。おじさん何処だっけ」
「もうちょい先だよ。この間ボヤ出した所あったろう」
「あー、分かった。メリー、大体あの辺りにあるわ」

 そう言って右前方を指差す。

「分かんないわよ」
「ま、着けば分かるわ。そこはちょっとばかり曰く付きの所でね、この間正月に帰ってきた時に依頼が来たのよ」
「なら最初から……って、は? 依頼? 何それ、明治がどうとかじゃなかったの?」
「勿論それもやります。でもまずはこっち。近いし。いやあ、霊能者サークルだって言いふらしてたからね、妙に期待されちゃって」
「私達お払いっぽい事とか一度もやったことないじゃない」
「そこはほら、安心を売ると言いますか。それに私達だって探求サークルではあるのよ? 怪奇現象の一つにでも出会えたら儲けものじゃない」

 メリーが天を仰ぐ。これでは無計画にも程がある。楽観思考も悪ではないが、過ぎて食う割はメリーにも被さってくるのだ。ちなみに、比は四対六である。主に蓮子が、駆けずり回った分を駆けずり回った分で埋めている。
 揺られつつ、程なくして右手に他より少しだけ大きな家を見せ、車が止まった。人が居なくなって久しい筈なのに目立った汚れも、崩れ荒れた様子も無いのは元が頑丈に造られているからだろうか。

「じゃ、気をつけなよ。そっちの可愛い子にもよろしく」

 運転席からの声を背に荷台から飛び降り、軽く挨拶を済ませる。去っていく車を見送りながら、蓮子が咳払いをした。
 目の前の廃屋が、心なしか威圧感を滲ませているように思う。

「この家はね、見ての通り穴一つ無くて雨風も入らないってよく若い子のグループに使用されてたの」
「グループ?」
「そう言うのが居るのよ。東京は特に多い。まあその辺りの風俗事情はまた今度にしておいて」
「じゃあ、周りの家と比べて小奇麗なのはそのせい?」
「そうかもね。で、結構長い間ちまちまと修繕を繰り返しながら使ってたんだけど、半年前かな? あるグループの一人がここに近寄りたくないって言い出したの」
「何故?」
「何か気配がするんだって。そうこうしてる内に他のグループにも似たような事を言う人が出てきて」
「それでまずは現地調査と。それじゃあ手早く済ませちゃいましょう。こんな人気の無い場所に女の子二人は危険よ」

 門から玄関までは、石が敷き詰めてある。草が隙間から顔を出しているが、人も通るからかそれほど目立ってはいない。
 反面ふと脇に目をやり庭を見てみると、そちらはかなり雑然としている。荒れに荒れた庭は、名も知れぬ草が地肌を見えないほど覆い隠している。
 きしむドアを開けて中に入ると少し埃っぽい。あまり掃除はされてない様だったが、少なくとも何十年も放置された家のそれではなかった。

「なんと言うか、意外と持つものなのね、家って……」

 とはメリー。

「そりゃまあ、今時築何十年なんて無いもんねえ。一応東京の保存物とかはそれ以上行くけど、あれは改修工事だって定期的にやってるし。本気出せばこれくらい軽いって事なんじゃない? 何の本気かは知らないけれど」

 どうやら家具は家を捨てるときに殆ど持って行かれたようだが、所々、少し新しめのテーブルや本棚などがある。これは利用者によって持ち込まれた物か。
 台所にはガスコンロまで持ち込まれていた。もはや半ば共有キャンプ場と化している。奥には、冬に備えて簡素なストーブが置いてある。布をかけて、埃が積もらない様にしている。本来ならば数週間前まで使用されていたのだろう。この冬はここに誰も来なかったようだが。
 全体的に生活感が漂っていた。一体幾つのグループがここを利用していたのかは分からないが、きっと大分長い間、この家はこの近辺の拠点として重宝されてきたのだ。

「あ、見て蓮子、掃除用具まであるわよ。ちょっと手を加えればこのまま住めそう」
「はあー、本格的ねえ。これは手放したくもない訳だわ。ここばかりは即座に連絡が来たもの、蓮子助けてくれ~って」
「連絡? まさか、伝手って」
「うん、まあ、協力料も込みではある」

 メリーが眉根を寄せてうつむいた。なるほど確かに、タダで借りられる伝手とは少々都合の良すぎる考えである。だが、これでは。

「この案件、解決しないと協力貰えないって事? こんな、専門外っぽいのを?」
「いやさ、そこはその、頼めばどうにかなるよ。放って帰ったら流石に怒られるだろうけど」
「呆れた。それで、他にこっちでやるのは何があるの」
「さっき言った、江戸城だけだよ」

 言葉は平静を装っていたが、蓮子の目がかすかに泳ぐのをメリーは見逃さなかった。

「ふうん、まあ良いわ。ところで、この部屋で最後みたいだけど」

 足で小突くと、乾いたバケツが音を立てる。ついぞメリーの眼に反応は無かった。怪現象以前のただの廃屋である。

「やだメリー、素行が悪い」
「何言ってんのよ。それより専門外も専門外ね。ねえ蓮子、ここで本当にあってたの? 何も出てくる気配無いんだけど」
「おっかしいなあ、実際に話を聞いた時は真に迫ってたんだけど」

 蓮子が首をかしげる。メリーも、首を傾げたい気持ちでいっぱいだった。

「こんな、随分と昔のなのに一つも無いとはねえ。もしかして他の家も同じなのかしら」
「外から見える限りではそうね。……もしかしたら、ただ時間が経過するだけでは何も無いのかもしれない」
「ほお」

 それは新見地かもしれない、などと言って蓮子が手帳へペンを走らせる。もう一度、メリーは部屋の中を見渡した。経年劣化した壁紙、床。どこかから運ばれてきたような家財。どれもこれもただ、物質であった。

「何の変哲も無い……」

 ぼそりと呟く。この家に何を怯える要素があるのか、メリーは甚だ疑問であった。メリーはその眼の性質上、そこがヤバいかどうかはすぐに分かる。メリーの基準に照らせば、この家はむしろ、安全とも呼べる部類だった。
 だが、おそらく。ここで気のせいという言葉に逃げてしまうのは、また違うのだろう。何かしらの理由があるのだ、きっと。彼らにしか分からなかった何かが。

「そう言えばこんな住みやすそうな場所があるのに、例えば浮浪者とか、そんな心配は無いの?」
「あんまり無い、かなあ。幾つもグループがあるって言ったじゃない? あれ、見回りも兼ねてるのよ。夜中とかにぶらぶらうろついたりなんだったりで、ついでに不審者の通報もするっていう」
「なんか、割とゆるいのね? そのグループ」
「そりゃ不良集団って訳でもないからねえ。時々はあるみたいだけどね、そういうのも。基本は遊んでるだけよ、てきとーに」

 不審者でも、なさそうだ。

「もうわっかんない。手詰まりね、これは」
「だよねえ。一度、ご飯食べに行こっか」

 気付けばもう一時間ほどが経過していた。陽も高く登っており、腹の虫も、鳴り出すのを待ちわびているように見える。

「そう、ね。お腹空いてきたしね。なに、どこか近くに食べる所でもあるの?」
「いや、歩きで、駅まで行って」

 無言で、蓮子の肩に拳が飛んだ。


――


 東京の地下を縦横無尽に走り回る鉄道は、土地勘のある者を連れて来なかった不注意な旅行者を、容易に遥か彼方へといざなってくれる。
 メリーも、蓮子が居なければ危なかった。なにせ東京は、京都と違い都市整備がされる前の、旧時代の路線をそのまま使っているのだ。その複雑さは他の比ではない。
 地下をひた走る。車内から外の様子は知れないが、中心部に向かっている事は確かだ。段々と駅が豪華になっていき、人の乗降も多くなる。

 地上に出て、メリーはなるほどと思った。
 ビルが立ち並んでいる。右を見ても、左を見ても。上に見上げれば何やら感覚が狂って目を回しそうになる。
 地方都市東京。京都とは全く趣を事にした街。蓮子は田舎だと言っていたが、まさかそんな事がある筈も無い。全国で三番に入る大きな街だ。
 なのに何故か頑なに、街は旧世代の意匠のまま変わろうとしない。ある種の古都と言われるのも頷ける。一体これは、何年前の光景なのだろう。きっと東京は、遷都のあったその時から何も変わっていないのだろう。
 入り組んだ都市区画に道の名を示す看板が散見する。蓮子はそれなりに慣れているようで、周りを見回しては標識頼りにすいすいと進んでいった。

 件の、いわゆる倶楽部活動の本命は江戸城にある。
 旧皇居であり、東京、引いては江戸の中央部に位置する城。
 現在では天守閣も再建され、観光地として賑わっている。入場料は大人三百円子供二百円。各階には皇室や将軍家の歴史などが展示されており、人気は高い。
 江戸城なのだから江戸や東京の、文化面の展示は無いのかという声もたまに出るが、そちらの方面は江戸東京博物館が別にある。こちらも開館は平成になるので歴史ある博物館である。

 といってもまずは腹ごしらえだ。江戸城が一望できると評判のレストランだった。蓮子は、こんな所もちゃっかり調べを付けて来ている。既に昼食と呼ぶには少しばかり遅い時刻になっているが。
 
「やっぱりヒロシゲって速いのねえ、やっとご飯にありつけたわ。まだ東京の半分も横断してないのに、一時間以上もかかっちゃった。お腹空いちゃったわよねえ、蓮子? あなた時間配分間違ってたんじゃないの」

 メリーの口から容赦ない嫌味の言葉が射たれる。蓮子が、苦悶の表情を作った。

「ううん、久しぶりの東京は勝手が……。ま、まあ良いじゃない。その分店も混んでなくて良い席取れたんだし」

 確かに、良い席ではある。ビルの十階、窓際の二番席。眼下の江戸城は、観光客でごった返している。
 人の流れも、全体図も、丸見えだ。事前会議にはまたとない場所といえよう。

「江戸城……流石の人気ね。蓮子は前に来た事あるの?」
「いや、全く。地元民ほど観光地には行かないものよ。それにしてもこう、格好良いわね。特に天守」
「江戸期全体から見れば無いのが普通じゃない、天守なんて」
「良いのよ、本来は天守があるのが完全体なんだから」
「ところで、まさかとは思うんだけどね、蓮子。忍び込もうなんて考えちゃいないわよね?」
「ははは、何を仰いますやら。ところで、閉館は六時よ」

 そう言って軽くウインクして見せる。

「本気……?」
「まさか、そんな事したら行動しにくくなっちゃうじゃない。前科持ちなんて嫌よ」
「結界暴きなんてしてる時点で今更だと思うけどねえ」
「それはそれ、よ。でもなんなら、いっそ忍び込んでみるのも悪くないかもね。夜ならメリーの目にも何か映るんじゃない? 特にコメントが無い所を見るに、今見た限りでは何も感じないんでしょう?」

 む、とメリーは唸った。
 実は、全く何も見えていない訳ではないのだ。眼下の江戸城に、確かに眼は反応している。ただ、どれも今までと比べて薄ぼんやりとしていた。
 見えない事が見えている。白く、もやのかかった様な。断定が出来ないから蓮子にはまだ話していなかった。
 眼を凝らしてみても、ますます見えにくくなるだけだった。これは、普通に視ようとしても意味は無いのではないかと思った。江戸城の周辺だけが、妙な物から、例えばメリーのような、守られているように感じるのだ。守られている、というのも本当は違うのかも知れない。“結界”が薄くなっていて、守られているも何もあるものか。
 しかし現実としてそう感じるのだ。

 昼食を終えて二百円払い、江戸城内に入ってみると、思いのほか雰囲気が壊されていない事に気付いた。
 この辺りは苦心の賜物だろう。柵も、ショウケースも、それぞれ内装に見合った物を特注して作られている。ここに来れば時代劇の気分に浸れる、とはキャッチコピーながら良く言ったものだ。
 中に入って、メリーは何となくだが得心したような気がした。
 やはり感じた事は間違いではなかった。結界は薄くなってなどいない。むしろ、より濃く、強く残っている。
 薄く見えるのはこの結界が、あたかも曇りガラスのように他の景色を覆い隠しているからに過ぎなかった。それが他の、管理不行き届きに寄る物だろう、細かな結界の切れ端を力づくで押さえ込んでしまっているのだ。
 すかさず蓮子にその事を伝えた。発生源は不明だが、相当に強力な結界だ。少なくともメリーは、今までの活動でこの規模の結界を目にした事は無い。
 蓮子は、隣でメリーの言葉をメモしている。結界の濃淡、切れ目の場所。それらを簡単な内部図と共に手帳に書き収める。書く事で見えて来るものもある筈だった。

 ただ、その作業は、今日終わらせるには些か時間が遅すぎた。
 展示物やその解説も眺めながら進んでいた結果、三分の一と見る事が出来ずに閉館。急いで歩きぬけたので一通り周ることまではできたが、それだけだった。やはり今日一日であれもこれもとは、少々欲張りすぎだったらしい。城の門は閉じられてしまった。
 六時。日が伸びてきたとは言え、空はもう暗くなってしまっている。道を照らす街灯が眩しい。ふと振り返って城に眼をやってみるが、

「やっぱり、変わりは無いわね」
「そりゃそうでしょ、お城の結界なんだから。時間によって変わったりしたら困るじゃない」

 確かに、その通りである。夜に薄くなる結界に魔除けの効果は無いだろう。強くなる結界なら別ではあるが、

「なんか、弾かれそうなのよねえ」

 そんな気が、少ししていた。この結界は、拒絶の結界だ。言い換えると、抵抗力が強い。張られている、と言うよりも、斥力が働いている、と言った方が妥当なようなのだ。

「じゃあメリーは登城できないね。殿様仕えは無理かー」
「無理してコメントしなくて良いのよ」
「……うん」

 話している内に駅まで着いた。車内では運良く座る事が出来た。二人とも思いのほか疲労がたまっていた様で、そのまま蓮子の家に帰るまで、殆ど寝入ってしまっていた。


――


 ドラム缶から炎が燃え出ている。
 周囲には男女があわせて六人ほど。みな好き勝手に杯を傾けたり、楽器を鳴らしたりしている。
 空は晴れ。満天の星空。時刻は、

「午後九時二十一分、えー……ジャストよ」

 近くに居た男性が囃し立てる。それに向かって蓮子もポーズを決める。
 二日目、今日も城を見に行くかそれとも城は逃げる物でなし、適当に観光でもするかとごろついていた最中、蓮子がガバと起き上がった。
 そしておもむろに手帳をめくり出したかと思うと、そのまま壁にかけてあるカレンダーへと向かっていった。この間、メリーは寝転がりながら蓮子の右往左往する様を眺めている。
 何度か視線が手帳とカレンダーの間を往復し、ちょっとした計算も済んだのだろう、手帳は閉じられ、蓮子は元の位置へと戻っていった。
 何かあったのかとメリーが訊ねる。ちょっと良い事を思い出したと蓮子が答える。実物を見た方が早い、と付け加えて。
 かくして夕食後、夜の帳の中にメリーは連れ出されていったのである。
 そう、帳の中。目の前に燃えているドラム缶以外、辺りに明かりは存在しない。
 いま秘封倶楽部は蓮子の旧友の、いわゆる“若者グループ”の集会に参加している。東京に来たのならば一度は参加しなければと、蓮子が半ば強引にメリーを引っ張って来た形だ。
 随分といきなりな事だとメリーは思ったが、この旅行の予定は蓮子に一任している。あらかじめ聞かされて居ようが居まいが、赴く先に変わりは無い。はなから文句など言えない立場だった。
 注をつけると、このグループの起源は数世代前にまで遡る。今でこそ大らかな集団だが、当時はそれは物々しい、薄暗い一群だった。
 勿論、今のように大勢でも多極化もしていなかった。今は数え切れない若者がこの都市の全域に散らばっているが、当時のそれは十数人程度の小さな集まり。奇しくも、それが結成されたのは遷都の企画が出てきたのと時を同じくする。
 無関係ではなかったのだ。遷都のなされた今、東京がその流れを汲んだ若者で溢れかえっているのもまた、無関係ではない。だが、それはこの際どうだって良い事だった。蓮子はともかく、メリーはその文化的背景など知りはしない。興味を持つ事も無いだろう。
 それに、どこか排他的な臭いがある。異文化。メリーはその臭いをひしひしと感じていた。友人の友人と言う事で、数ある悪意に満ちた前情報の割に特段妙な印象は持ってなかった物の、それでもやはり少しばかり奇異の眼差しを向けざるを得ない。
 見ると、彼らはまた、取り留めの無い服装をしているのだ。統一感が無いと言い替えても良い。
 ある者は懐古趣味的なレザーに身を固めており、またある者は何処から持って来たのか、遠く山岳地帯における民族衣装のような物を着ている。
 これはこの町に住む若者の伝統だ、と蓮子は解説した。とかく彼らの服装は、派手であったり、個性的である事が好ましいとされているらしい。
 ふと、蓮子はどうなのだろう、という考えがよぎる。
 昔の蓮子の姿を、メリーは知らなかった。

 一人の女性が近づいてきた。

「ハァイ蓮子、久しぶりね」

 こちらもまた形容しがたい格好をしている。ルーツはアイヌの民族服だろうか。手にはグラスを二つ持っている。

「久しぶりって、正月に会ったばかりじゃないの」
「もう春よ。それでこっちがメリーさんね? はじめまして、お近づきの印にこれどーぞ」

 そう言ってグラスを渡す。中はなみなみと地酒で満たされている。こちらの酒は奇を衒った物が多い。

「蓮子からよく話聞いてるわよ。戦果も上げてるんだって? お陰でこっちもネタの送り甲斐があるってものよ。知ってる? こいつ、こっちに居た頃はぶいぶい言わせててね、事ある毎に――」
「わ、わ、ちょっと待った、ストップ。私の暴露話をする流れじゃないでしょう今は。メリーでしょう主役は」
「なに、蓮子不良だったの? ……いや、今も不良だけど」
「違うわよそんな意味じゃなくってね、ホラ良いじゃないもう、聞いたって楽しくないわよそんなの」
「ふふ、こいつこっちに居た時も凄いオカルトマニアでね、会う奴会う奴ネタは無いかって強請ってたのさ。京都に行く時も私らにねえ、良い物があったら送ってくれってしつこくて。こっちには闇市があるからね、京都にもある?」

 蓮子が真赤にした顔を手で覆っている。よほど恥ずかしかったのだろう、連れてこなけりゃ良かったと、呻く様に呟いたのが漏れた。

「いや、京都には無いわ。闇市?」
「そ。闇って程じゃないけどね、決まった店舗も持たずに物を売っている奴らの、溜まり場みたいなのがあるのさ。ちょっち奇妙な店もいくつかあって、蓮子に送るネタは殆どそこで仕入れている。あたしらも別の店で漁ったりするから、そのついでにね」
「それは……」
「見れば分かるさ。場所は蓮子が知ってるから、後で行ってみると良い。いや、連れて行かれるかな、わざわざあなたを連れて来たって事は。不思議な目、持ってるんでしょ?」

 白い歯が覗く。メリーは、少し虚を突かれた思いがした。まるで何でもない事のように彼女は言うのだ。

「え、ええ、まあ。……驚いたな、普通に聞いて来るんですもの」
「そりゃ、目くらいならね。流石に空を飛ぶ人間ともなれば別だけど、小さい頃からこいつとはつるんでたんだ。慣れもするさ」

 な、蓮子。そう言って彼女は立ち上がる。

「こいつの事頼むよメリーさん。何だかんだで危ない奴だ、誰か見てないとすぐ暴走する。そう、あれは確か五年前だったか――」
「ちょ、ちょっと! これ以上恥ずかしい事言わないでよ! それに五年前なんて時効でしょ!?」

 さっきまでぶつぶつ言いながら蹲っていた蓮子が慌てて止めにかかる。

「落ち着け、どうどう、落ち着きなさいって。分かってるよ、んじゃね」

 そう言って手を振り、彼女はまた別の人の所へと向かっていった。

「全く、油断も隙もありゃしないわ……」
「あら、私は楽しかったわよ? 昔の話なんて普段しないし、新鮮で」
「勘弁してよもう……」
「ところで」
「あー、いい、皆まで言わなくても。闇市の事でしょう? 確かに本命も本命、ド本命よ。あいつめ、やたら勘は良いんだから」
「何で教えてくれなかったのよ。まあ、なんとなく察してはいたけど」
「う……。ま、まあ、サプライズって事で。それに、時間も取れないと思ってたのよ。江戸城にかかりっきりで。こっちも相当でかいと思ってたから」
「サプライズも良いけど、程々にしてくれないとこっちも疲れるのよね。ただでさえ知らない土地であなたに任せっきりなのに」
「ぐ、ごめん」
「良いわよ、もう。で、どうするの? まだ帰るまで間があるし、図書館通いなら京都でもできるけど」
「行けるなら、闇市の方行っちゃいたいなー、なんて」
「はいはい、じゃあそれで決まりね。江戸城は必要があったら再検証と。というかそもそも闇市ってどんな所なのよ」
「凄い所よ。知らない人が見たらビックリするくらい。例えば――」


――


 中央街を少し東にそれた所、駅前通りの中に一つぽつんと地下街への階段がある。
 中はそう広い訳でもない。進んで行くと雑多な店が立ち並ぶ奥に、一人、警備員のような男性が立っているのが見える。その脇の通路が入り口だ。
 長い通路。一番向こうには地上への出口があり、そこにはもう一人の警備員が立っている。そして、通路の両脇に所狭しと並ぶ露天商。この一角を通称して「闇市」と呼ぶ。
 闇市の呼び名は、ひとえに売られている物の雑多さに由来する。
 特に品物を検査される事も無く各々が好き勝手に場所を取るこの通路では、当然ながら出品者も一貫しない。混沌とした市場は、不慣れな余所者をしてさながら暗黒街のように感じさせる事だろう。
 だが、流石にそれだけでは闇市と呼ばれるには薄い。決して治安も悪くは無い。あくまで、国が認可を与えた市場なのだ、ここは。下手に禁制品に手を付けようものならマークされるし、お上もそれを狙っている節がある。
 本質はもう少し違う所にある。この通路、出店の簡単な所もあってか当初は普通の品物も売られていた。近所の主婦が子供の古着を売りに来る、そんな光景もしばしば見られた。しかしそれらは次第に別の場所へと移って行き、今では時たま、変わり者が処分を面倒臭がりここに持ってくるのみとなってしまっている。
 他にもっと楽な手段がある事に気付いてしまったのだ。わざわざ足を運ぶ必要の無い、便利な文明の利器が。代わりに増えてきたのが、実物をその目で確かめる方が都合の良い、少々ニーズも出品も癖のある品物の数々。
 そういった、少しばかり怪しげな物を売り、それを求める人でごった返している。それが「闇市」の名の本当の由来であった。

 そんな中でも一際珍妙な物を売っている所の一つが、前述した裏表ルートの主な仕入れ先であった。
 冥界の写真。それが郷里の友人から送られてきた時、蓮子は幾らなんでも冗談だろうと思った。封筒に一枚、写真とメモ書きのみ。メモにはこう書いてあった。「冥界が写ってるんだってさ」
 大仰な桜色の冥界。大方性質の悪い模造品を掴まされたのだ、と思った。全く期待はしていなかったが、一応言葉巧みに相方を連れ出し、顛末を見守ってみた。幸い写真には顕界の夜空も一緒に写っていたため、位置を知る事が出来たのだ。
 結果どうなったか。そこは最初ただの寂れた墓場だった。相方は目的の墓石を弄くり回しているも、何も起こらない。当然だろうと蓮子は思っていた。何よりそう簡単に冥界への道が開かれては危ないではないか。
 ただ、もし。もしも何か起こるならこの時だろうと当たりを付けた丑三つ時。数えていたのだ、夜空を見上げながらその時が来るのを三秒、二秒、一秒と。
 瞬間、周囲には季節外れの桜が咲き誇り、二人は数歩後ずさる。めでたく写真は一級のオカルトアイテムと認定されるに至った。
 その後もしばしば、裏表ルートからは簡素な説明と共に何かしらの曰く物が送りつけられ、その度に二人は活動を広げ、一定の成果をその眼に見てきた。

「ここが闇市の入り口よ」
「へぇ、ここが。なんと言うか、随分、普通の地下街みたいなのね?」
「そりゃ大部分は普通の地下街だからね」

 二人が階段を下りていく。蓮子が、迷わないようになどと茶化している。

「それで、例によって例の如く私は何も聞いてないんだけど、この闇市で何をするの? 観光だけ?」
「えーっと、それはねえ……」

 メリーには言っていなかったが、蓮子はこの流れがあまり好きではなかった。不満を感じていた。いや、もっと端的に言おう、屈辱だったのだ。
 自分で発見した訳でもない、誰かの二番煎じ品を、ただ追いかけるだけの活動。相方の前では見せないが、家ではいつも歯噛みしていた。何故、それを見つけたのが自分達ではないのか。
 いつか覆そうと思っていた。いつか。どの時期に挑んでも、自分達の力量は遠く及ばないのではないかと思えた。なにせ相手は、そのネタのオリジナル、秘封倶楽部の先駆なのだから。
 そして、東京でのネタが、見つかってしまった。やれるか、やれないか。メリーから許可は貰ってしまった。この東京、居るのなら、やるしかないと思った。
 この闇市での目的、それは――

「私の裏表ルートの仕入先を暴く事、よ」

 今まで数多の部外者がその謎に挑み、そして敗れてきた裏表ルート。それに自身が挑む。
 皮肉を感じる。だが同時に、こうも思うのだ。決して不足は無い活動だと。

 雑踏に紛れる事は容易かった。一つ一つ、流れるようにして出店を見ていく。
 蓮子は未だ件の出店者を見た事が無かったが、あらかじめ仲間内から情報は集めておいた。

「どう蓮子、欲しい物は見付かった?」
「駄目ね、今日の所は出直してきた方が良さそうかしら」

 あくまでも世間話の風に。それでも視線は間断なく周囲に注がれている。
 少なくとも件の店の主は一般の人物では無いと、二人は確信していた。
 自分達を見れば分かる。何時の世も、オカルトに手を染めるのは決まって逸脱者だ。逸脱は、その規模が大きくなればなるほど、大元から居場所を失っていく。
 再び通路を見回す。こうして見ると、流石に闇市と呼ばれるだけはあると感じられた。何人かに一人、鋭い目で店を選んでいる人が居る。そこにも、ほら、あそこにも。

「あのペンダントとか良さそうじゃない?」
「駄目よ、柄じゃないわ。それよりもあの――」

 半分以上、ただの観光客のふりをして過ぎた所で、ござとカバンを抱え、薄汚れたコートに身を包んだ男が、入り口から入ってくるのが見えた。
 茶色のコート。年の頃は三十代程度だろうか。背は、平均より少し高い。どこか適当な場所を見繕い、男が腰を下ろす。
 あれか、と蓮子は直感した。本物の臭いがする。メリーも同様に頷く。
 少し近くに寄り、さりげなく視線を男の持ち物に移す。古びたカバンだ。革の、収納だけを考えたような。無骨と言い換えても良い。
 ふと男が顔を上げた。二人は慌てて視線を外し、どこか別の店を見る。さも、今まさに目当ての物を探している最中なのだと言わんばかりに。何を買うかもまだ決めてないと。
 何か感じ取ったか。男は暫く辺りを見回していたようだったが、その内また品物を広げる作業に戻っていった。
 秘封倶楽部の二人が一度外に出る。

「どうメリー、何か見えた?」
「分からない。私の所からだと陰になっていて、辛うじてござの端が見えたくらいだったわ」
「そう……。私はね、写真機と、あと何か木の棒みたいな物が見えた」
「他には?」
「無かった、んじゃないかな。その二つだけだったと思う」
「じゃあ……」
「ええ、多分あれね。外見も一致するし、物にも一見して価値が無さそう。昨日聞いた通りだわ」
「どうする、すぐ行く?」
「いえ、少し時間をおきましょう。流石にすぐ戻るのは怪しまれるかもしれない」
「じゃあ、私は地上側の入り口に回るから蓮子は地下街側に……逆の方が良いかしら? 蓮子は夜空が見えた方が」
「いや、それで良いわ。あまり空を見上げるのも不自然だし。四十分経ったら中に入りましょう」
「了解」


――


 大通りに人が増える。
 みな家に帰るのだ、とメリーは思った。会社員や塾帰りの子供達が、足を急いて道を行く。突入まで五分弱、緊張に少し鼓動が早くなるのを感じる。
 実の所、この先のプランはまだ定まっていない。後をつけるか捕まえて締め上げるか。見てから決めれば良いと考えていた。流石に直接聞くような間抜けな事はしないだろうが。
 かといってそれ以外でも、犯罪一歩手前を攻める事になる。警察沙汰になるかも知れない。いや、もっと悪ければ危ない人と邂逅の可能性もある。
 そっと、鞄に忍ばせたスタンガンに手をやる。防犯のための道具で、一体何を考えているのかと、一人苦笑が漏れた。
 あと三分。入り口に、これと言った変化は無い。

 そろそろ行くかと動き始める。今まで階段から出てきた中にはあの男は居なかった。少なくともまだ、外には出ていない筈だ。
 ポケットの中の携帯が鳴った。蓮子からだ。

「メリー、あの男が出てきたわ。少し後を尾けてみる。なるべく早くこっち来て。……地下街を出るまでに追い付けそうになかったらその場で待機してて頂戴。この街は迷いやすいわ」

 動きが出た。どうやら尾行に決定したらしい。
 通路を突っ切るべく、急いで階段を下りる。途中、人とぶつかりそうになった。萎びたコートを羽織って、カバンを一つ手に持っている。慌てて身を翻し、地下へと駆け抜ける。
 ふとした違和感に襲われた。すれ違って二、三歩。思わず立ち止まる。振り向くとその男は今にも夜の街へ姿を消そうとしている。
 通話は、まだ切れていない。

「蓮子、蓮子ちょっと」
「なに、私を見失った? 今三番出入り口に向かっているわ。あいつ中々足が速い、メリーの事待ってられないかも」
「そうじゃなくて、こっちにも現れたのよ! その男!」
「へっ?」
「へっ、じゃないわよ。とにかく私もこっちで後を尾けるからね。急がないと見失っちゃう」
「えっ、あっ、あまり深追いはしないでね!?」
「気をつけるわ。そうだ、そっちの男は手に何か持ってる?」
「カバンと、ござを持ってるわ。来た時と殆ど変わらない格好よ」
「わかった。ちなみにこっちはカバンだけ。通話は、そのままにしておく?」
「それが良いわね。あー、それじゃメリー、頑張って」
「そっちこそ」

 イヤホンの無線を有効にし、携帯を無造作にポケットへ突っ込む。尾行などは初めての経験だ。映画や小説のワンシーンを思い浮かべながら、相手の背中を追う。
 周りがスーツ姿の男性ばかりの中、前を歩く男の姿は浮いたように見えるし、その少し離れた後ろを行く自分はそれ以上なのだろうと感じる。
 男は悠々と歩く。サラリーマンの波をすり抜け、音も無く路地を曲がる。
 何処に向かっているのか? メリーには分からない。やはり蓮子に任せたほうが良かったかという気がしてきた。自分は、あまりにもこの街に疎い。
 しかし蓮子は、別方面で男の姿をした“何か”を追っている。何を追っているのか。男は目の前に居るのに。いや、もしかすれば、メリーの追っている男こそが“何か”なのかも知れない。
 メリーにはせめて道々で何か目印になりそうな物を探しておくのが精一杯だった。はじめは通りの名前を見ていたが、その内何度も角を曲がるようになったため覚えているのが困難になった。
 また、ビルの角を曲がる。かれこれもう三十分以上は歩いている。そう、歩いている。
 ……駅は使わないのか。
 ふと頭をよぎる。彼の住処は、ここから遠くないのだろうか。あくまでここは都市部の中であるのだから、もうとっくに、何処か最寄の駅には着いていて良い頃合だ。彼は一体何処に向かっている?
 そもそもここは一体何処なのか。周りに高いビルが立っているのは同じだが、人通りが少なくなってきている。住宅地、とはまた違うようだ。
 男は一度も振り返らない。ここは、オフィス街では無いかとメリーは思い至る。男は尚も人の流れに逆らうようにして進んでいく。そして、

「メリー、メリー聞こえる?」

 蓮子から連絡が入った。

「ええ、聞こえるわ。どうしたの?」
「ごめんなさい、男を見失ったわ。そっちはどう、まだ行けそう?」

 その言葉に、ハッと顔を上げる。嫌な予感がした。前方の空間、続く道路の向こう。

「…………」
「どうしたの?」
「ごめんなさい。こっちも今、見失ったわ……」

 男の姿はビルの闇に忽然と消えていた。


――


 そして、蓮子が地図を片手にメリーと合流したのはそれから二時間後となる。
 通話料金はバカにならない。幸い、場所自体は人に聞けば済むのですぐに分かったのだが、いかんせん二人の場所が遠すぎた。
 殆ど正反対の方向に誘導されていたのだ。東京での本拠地である蓮子の実家に戻ってきたのは0時を回ってからだった。
 着の身着のままに布団へ倒れこみつつ、二人は考える。あれは結局、どちらが本命だったのか。

「ね、メリー……ってあれ」

 メリーはもう寝息を立てている。流石に疲れが溜まっていたのだろう。歩いた距離は蓮子の方が多いのだが。
 蓮子も、早々に寝てしまう事にした。明日も早い。彼岸が、つまりこちらへの滞在が終わってしまえばすぐに大学が始まってしまう。
 目を閉じる。意識が波に揺らいでいくのが分かる。思念の波に。
 蓮子は道々自らの位置を確認しながら進んでいた。こんな時、この眼は本当に役に立つ。例えば相手が関係ない道を通ったとしてすぐに分かる。その点で見れば尾行に気付かれた節は無かったのだ。彼は殆どまっすぐに歩いていた。
 では、メリーはどうか。メリーは分からなかったはずだ。もし、本命か、本命でないかの違いが有るとすればそこだ。メリーは果たして撒くための行動を取られたのか?

「だからメリー、思い出して。途中の道筋、できるだけ全部」
「えーっと……」

 朝食もそこそこに部屋に駆け込み地図を広げる。昨日メリーを探す時に使った地図だ。手近の本屋で買った。
 メリーが唸る。地図の上からでは連想させにくいのだろう。この小さな紙の束にはせいぜいビルの名前や店の名前くらいしか書いていない。電飾の付いた看板や通りの向こうに見える景色は地図として不要なのだから。
 辛うじて書き出したルートは、やはり蓮子のものと同じくほぼ直線状に動いているものだった。ただ、

「あれ、メリー。ここ、真ん中辺りの、どうして蛇行してるの?」

 一箇所だけ、建物の間を縫うように動いている場所がある。線で結ぶ事が出来ない。

「知らないわよ。私だって今蛇行してるって知ったんだもの。尾けてる時なんか必死でそれどころじゃなかったし。でも確かに、よく曲がるなと思った時はあった。だから覚えてるの、このビルとこのビル」

 地図上の点と点を指差す。

「あとここの本屋の横も通ったわね、間違いない」
「……ここ、怪しいわね」
「ズバリそのものって感じね。今からもっかい行ってみる? 時間的にまだ店は出してないでしょうけど」
「うん……。でも、昨日の今日で行っても成果は薄そうだし、先に江戸城の方済ませちゃいましょ。あっちも中途半端で終わっちゃってるでしょ」
「強行軍ねえ。やれやれ、出費がかさむわ。本当に一週間で終わるのかしら」

 手早く仕度を整え家を出る。
 この頃ではメリーも大分東京の街並みに慣れてきたもので、複雑な駅の構造も、その間を縫って進む乗り換えにも、さしたる苦を感ず目的地に着く事が出来た。
 旧国会図書館。京都にある新国会図書館がデータベースに特化した貸し出し専門の図書館なのに対し、こちらは紙媒体の書籍を保管する事を目的として作られている。かつての蔵書を一手に引き継いでいるため、建物自体も相当に大きい。
 実の所、文章を読むだけならば携帯端末から京都の図書館へアクセスするだけで事足りる。一般にはあまり知られていないが、そういったサービスがあるのだ。
 それを、わざわざ足を運ぶのは、媒体そのものに興味があるからと言ってよい。
 その古さを見たいのだ。文章はその言葉以外を伝えてはくれない。最終的な判断は、自ら出張って行ないたかった。秘封倶楽部はオカルトサークルであり、真偽は実物の中にこそある。
 建物の中は割合小ざっぱりとしている。広く取られた読書スペースと受付。殆ど全ての本は受付で司書に取って来て貰う形になっている。
 当時の新聞、ある程度当たりを付けた物を片端から注文した。かなり古いためか、それなりに時間がかかる、と言われた。
 受け取った新聞は、品質保護のため薄いシートに包まれていた。年代別に、順を追って関係の有りそうな事件を洗い出していく。

「あの記事のネタ元になったのはこれかしらね」

 メリーが一枚、新聞を手渡してくる。奇怪な動物の死体。大きく取り沙汰されていた。それだけ、話題性があったという事だろう。
 二時間もすると、欲しい情報は粗方手に入った。端的に、死体の存在は間違いないようだ。それ以上の断定は出来ない。これは、と思うものはあるが、推測の域を出ない物だった。
 蓮子からすれば意外なほど、メリーは熱心にこの作業を行なっていた。いつもより気の入りが違う。後半は殆ど、メリーに任せるようになっていた。蓮子は細かい情報を整理する事につとめた。そして少し離れた位置で沈思しているメリーが、そのメモ書きを時々持っていく。
 口に出すよりも、内心では気になっていたのかと思った。メリーは蓮子と違いその眼で結界を見ている。当然、近くにも感じて居たのだろう。届きそうに見える時ほど、手を伸ばしたくなる。蓮子にもその経験はあった。
 うつらうつらとしていた。メリーが立ち上がったのを感じた。何か、それなりの結論を出したのだろうなと思えた。表情が明るい。
 蓮子も、立ち上がって伸びをした。


――


 蓮子が携帯端末の電源を切ったのと、電車が次の駅に着いたのはほぼ同時だった。人の流れに沿いながら二人が降りる。
 闇市のあった、ここでは便宜上「闇市駅」としておくが、そこに今、蓮子が知り合いを数人送り込んだ。
 送り込んだ、と言ってもそう大した事はしていない。携帯端末の相互補完機能により居場所を検索し、近場に居た者に頼み込んだだけだ。
 昨日の今日である。おそらく男は出てこないだろうと二人は考えていた。尾行は察知されているのだ。
 ただ、もしもという事もある。酒瓶二本でそれが頼めるのなら安い物だった。

 少し冷えてきた。もうすぐ男の出る時間帯になる。空はもう暗くなってしまっている。
 蓮子が前方を指差した。駅前には大きく通りが出来ていて、その向こうに壁のようにして建物が鎮座しているのが見える。
 道は人で溢れていた。この駅で降りたのは、倶楽部活動のためではない。

「あれは……?」
「ショッピング・モールよ。連れてくって言ったじゃない」
「はあ、あれが……。と言うか、随分いきなりね。私はてっきり、」
「小さく見えるでしょ。だいぶ大きいのよ、あれ」
「話を聞きなさいよ」

 長く続く通りは遠近感を狂わせる。
 この道がどれ程続いているのか、一目には分かりにくい所があった。
 何故、車も廃れ人口も少なくなった東京で未だショッピングモールが残り続けているのか、メリーは気になった。この通りも、今でこそ車は走っていないが車道であった面影がある。
 道中蓮子が言うところによれば、むしろだからこそなのだ、そうだ。

「確かに人は居なくなったけど、本当に居なくなったのはここじゃないのよ」

 遷都の後中心部の人間は京都へ移った。そしてその後、そこが寂れるより早く今度は周辺部の人間が中心街へと流入してきた。
 この大型の、半ば集積所じみた物は便利だったのだ。そこにあるのなら使えば良い。東京のインフラは、主に旧時代の物を流用して整備されている。お陰でいつまで経っても中古インフラから抜け出せないでいるのは皮肉な話だが。

「と言うわけで、この田舎都市東京にショッピングモールは変わらず重宝されているのでありました」
「へえ、良く知ってるのね。十分観光案内でもやっていけるんじゃない?」
「そりゃお勉強しましたから。ちなみにあの建物、奥行きも相当な物よ。前行ったとき迷子になりかけた私が言うんだから間違いない」

 ふいに、蓮子の携帯端末が鳴った。ついさっき連絡をしたばかりなのに、随分返事の早いものだ。
 ちょっと待ってと言って蓮子が中身を確認する。瞬間、その表情が強張った。

「蓮子? どうしたの?」
「あ、うん、ごめん。……メリーさ、ショッピングモール、また今度じゃだめ?」
「え、別に良いけど、なんで?」
「あの男さ、出たんだって。今連絡が入って。昨日と同じように闇市で店を出してるって」
「なら、早く行きましょうよ。チャンスじゃない。昨日逃して今日また会えるなんて、運が良いわ」

 言って、メリーは、蓮子の腕が震えているのに気付いた。

「ええ、行きましょう、メリー」

 ハッとして顔を見る。もう後ろを向いてしまって表情は掴めない。手に持っていた端末が無造作にポケットへ戻された。
 蓮子の足取りは速い。いつもよりも、ずっと。駅へ真っ直ぐに歩いていく。

「舐めやがって……」

 一言だけ、たしかにそう呟いたのが聞こえた。


――


 男は、いつも同じコートを着て現れる。出店は不定期。一週間に数度来る事もあれば、一ヶ月姿を見せない事もある。
 夏の間は別の者が来る。秋も。年末、冬至から彼岸の終わりにかけて、彼は物を売りに来る。
 市に顔見知りは数名居るが、彼が何処で物を仕入れ、何処から市にやって来るのか誰も知らない。季節が変わった、他の者もそうだ。親か兄弟か、いずれにしろそんな連中の集まりだろうと、噂好きは囁いている。
 買いに来る客のほとんどは、商品を見て首をかしげ、説明を聞いてまた首をかしげる。それでもたまに買っていく者は居るが、数日と持たずにしまい込まれるか、あるいは例えば玄関先のオブジェクトとして埃を被っているのが関の山だろう。その中に紛れるほんの一握りの常連に対して、彼は店を開いている。

 蓮子は。道中メリーになだめられ、どうにか落ち着きを取り戻した蓮子は、闇市から少し離れた場所でこれからの打ち合わせをしていた。
 五人、集まった。赤の他人の尾行に付き合う、奇特な友人連中だ。それぞれに通信を開かせる。
 今日で決めようとしていた。
 尾行とは本来、数日をかけて行なうものである。長い時は数週間から数ヶ月に及ぶ。人が増えたとしてもその鉄則は変わらない。
 だが、今日で決めると思った。蓮子は何故自分達が撒かれたのか、あの囮はどうやって用意されたのか、正直な所皆目見当もついていない。それでも。
 屈辱だった。前日に尾けられながら店を出す意味。この、いつでも来れる様な場所で。眼中に無いと言われたのだ。
 宇佐見蓮子は自分達の未熟を理解している。長い活動の中に、自身の力が及ばない事も当然あると思っていた。だが。
 わざわざ顔を出してくるその性根が許せなかった。尾行を撒ける実力があるのならば、他に、幾らでも、あるのだ。方法が。それを敢えて、あの男は顔を出してきた。
 拳を叩き込まねばならない。その安心しきった鼻面に。今まで、侮辱にはそうやって返礼してきた。それはこれからも変わらない。蓮子は、必要と思った行動を辞さない。

 地図を広げ入念に作戦を練った。
 人数が少ないため完全な網を張ることが出来ない。配置はなるべく安定するようにしたつもりだが、残りは運だった。
 男は自分達を歯牙にもかけないつもりなのだろう。上等だと思った。冷静を取り戻した今、それも存分に利用してやる。
 蓮子から簡単な指示がされた後、各々が散らばっていく。一人、蓮子の傍に残っていたメリーも、いくつかの打ち合わせを済ませ、夜の街へと姿を消した。

 一人になった。帽子を深く被りなおす。
 身体を屈伸させ、息を大きく吸い込んだ。どこかの関節が鳴った気がした。


――


 あまり、捻った作戦は立てなかった。
 所詮尾けるのは素人である。複雑な事はできないし、やったとしても粗が出る。だから単純に、至極単純に持ち場を決めた。即ち、後を尾けないのである。
 前日の尾行は無駄ではなかった。男の帰路は、ある程度まで推測できていたのだ。周辺に幾つかある駅の内のどれか、だと見ていた。流石に、尾行を撒くほど用心深い男が市の近くに居を構えるとは思えない。
 それを絞り込むための人員だった。
 携帯端末を介し、イヤホンから音声が聞こえてくる。

「あ、あー。聞こえてる?」

 最初の動きが出たようだ。そう思っている間に次々とチャットから繋がっている旨の返事が聞こえてくる。少し遅れて、慣れない声に戸惑ったのだろう、メリーの返事が聞こえた。

「聞こえてるわ」
「あー、その声は、メリーさん?」
「ええ、そうよ」
「ふーん、何となく分かってきた。まあいいや、こちら闇市前、今ターゲットが出て行ったわ。バッチリそっち向かってるわね。んじゃ、次の人よろしく」

 何が分かったのだろう。およそ自分に関係した事だろうな、と蓮子は思った。二人の仲の良い事は知れ渡っているのだろうから。
 次、の出番まではまだもう少しある。昨日メリーが撒かれたと思しき地点。メリーが撒かれたのは、十中八九蛇行のあった場所である。ここを仮にA点と呼んだ。そこから殆ど直進する形でメリーは男の影を追い、そして見失った。
 蛇行の後、メリーも、蓮子と同じく囮を使われたのだ。本物はどこか別の方向に進んでいた。

 そこで、些か乱暴だが男の進んだ方向を確かめるため作戦を立てた。まず七人のうち四人、A点を中心として円形に配置する。そして二人、蓮子とメリーはA点の何処か建物の中、通りの見下ろせる位置から双眼鏡で男の姿を探すのだ。最後の一人は闇市前で待機し、その後万が一に備え別の駅へ移動する。

 手頃なビルを見付け、メリーが中に入った。蓮子も、少し離れたビルへ。双眼鏡を取り出し景色を確かめる。暫く後に通信が入った。男はA地点に入りそのまま進んでいるらしい。
 人の波に目を凝らす。メリーは大きな、交差点を見下ろせる位置に取っていた。蓮子は別の分岐路に。男の歩く速さは知っている。距離と方角を計算して、虱潰しに視線を走らせていく。
 男の風貌は変わっていない。色を見るのだ。色を。その動き。茶色のコート、ビジネスマンには持ち得ない鞄、足の運び……。
 程なくして捕捉した。悠々と歩いている。こちらの存在を、微塵も感じていないようだった。

「メリー、居た。降りて来て」

 簡潔に伝え男の後ろへ付く。程なくしてメリーも合流した。
 男は、交差点を右に曲がっていった。少し距離を開けながら二人もそれを辿っていく。
 男の背中は変わらず視界に収まっている。数分ほどそうやって尾けていた所で、蓮子が足を止めた。

「……そろそろ良いかな?」
「良いと思う。それなりに歩いたし」

 男の姿が離れていく。二人はそれに見向きもせず、携帯端末を取り出す。丁度通信が入った。

「ハイ、蓮子、聞こえてる?」
「聞こえてるわ、どうぞ」
「男を見つけた。凄いわ、あなたの読み通りよ」
「方向は? 駅に近づいてる? それともどこかその辺の建物に入りそう?」
「うーん、大方は駅に行ってる様に見えるなあ。でも分かんないよ。このまま尾けてみる?」
「いや、バレるとまずいからそこで切り上げて良いわ。あんがと」
「了解」

 上手く行ったようだった。
 男には、わざと見付かるように尾行した。姿を現したと言っても良い。男に二人の存在を確認させる事が今回の作戦の肝だった。
 二人は顔が割れている。当然、気付くだけの力はあるだろう。そこからは読みあいだった。相手が裏を読む程度なら勝てる。裏の裏まで読まれれば、きっと、負ける。裏の裏の裏までは、考えなかった。袋小路に嵌ると思ったからだ。しかしそうだったならば、多分勝っただろう。
 勝ちとは、相手を騙す事である。
 蓮子とメリーの行き先は携帯端末により他に送られている。それに応じて、三人が反対方向の各道に待機するという形だった。そして読み通り、男は本来の帰り道と違う方向へ進んだ。
 最後の一人は、本命の駅へ向かっている。そこで何食わぬ顔をして男と同じ車両に乗り、同じ駅で降りるのだった。秘封倶楽部は別の車両に潜り込み、そこから先はその場の判断で行なう。新しく人を集めても良かった。夜遅くなってからの方が動きやすくなる知り合いも、それなりに居る。

「じゃ、引き返しますか。歩きで追っ付くのは難しいから、タクシー使いましょう」
「タクシー?」
「お雇い送迎車よ。あれ、高校で習わなかったの?」
「そこまで細かい所はやらなかったわ。入試にも出ないし」
「じゃあ東京だけなのかな……。こっちじゃまだ走ってるし。とにかく、場所教えるからこっち来て。駅まで先回りするわよ」

 通信が入った。

「ねえ」
「あ、ゴメン。なに?」
「いや、そろそろ門限なんで帰りたいんだけど」
「え、えー……?」
「それに流石にこっから徒歩で向かってとかは嫌よ、面倒臭いし。何より遠い」
「う、まあ、駄目なら仕方ないけどさ……」
「ゴメンね」

 通話が途切れた。相方が顔を覗き込んでくる。

「残念でした」
「うっさいわね。それより急がないと、結構駅まで遠いんだから。とっととタクシー捕まえましょう、タクシー」
「どこにいるのよ」
「そこら辺走ってるわよ、多分」


――


 車が走っていく。男は今どの辺りを歩いているだろうか。
 駅へと着いた。そのまま女子トイレへと駆け込み身を隠す。個室の中だ。この場所が、一番隠れるのに適していた。占領するわけにも行かないので、一つの個室に二人で。少し狭い。
 概算して、あと十数分ほどで男は来る筈だった。それまでは、地図を開いて次の当たりを付けていようかと思った。幾らかの素案はできている。後は、詰めるだけの材料があれば良かった。

「蓮子」

 通信が入る。駅の外で待機している、最後の一人からだ。

「ん、どうした、まだ来るには早いはずだけど?」
「なに悠長なこと言ってんのよ。もう来たわよ。……うん、間違いない。目立つもの、あの男」

 信じがたい言葉だった。まさか、読みに負けたのか、と思った。

「それ、本当?」
「ええ、随分早く歩いてるのが見える。あんた、相当警戒されたんじゃないの?」

 蓮子の表情に焦りの色が浮かぶ。狭い個室の中の、相方に動揺を悟られたと思った。

「どうする、続ける?」

 通話が、容赦なく決断を求めてくる。時間が欲しかった。ここから幾らでも巻き返せる手を、方策を、それを考える時間が。
 だが男はすぐ傍まで迫っている。逡巡している余裕は無い。

「……続行、よ。ここまで来て、止める訳にもいかないでしょう。当初の予定を押し切るわ」
「分かった。じゃ、先に下行ってるからね」

 返って来る言葉の力強い事が、これほど恨めしく思えた日は無かった。それは否応なしに蓮子を引き込んでいく。
 メリーが蓮子の肩に手をやった。

「落ち着きなさい蓮子、まだ私達の居所は割れてないわ。それまで、負けは無いんじゃないの?」
「落ち着いてる、落ち着いてるわよ。でも、警戒なんてされて、きっと次は無い。そんな甘い見通しは許されないの。なら今日やりきるしかないのよ。……私は、やれるつもりだった。いけると思ってたのよ、メリー。でも、こんな」
「はあ、一度深呼吸でもした方が良いかしらね。あなた、相当てんぱってるわよ。今日やるしかないなら、なおさら冷静にならないと。まだ完全に撒かれた訳じゃないんだから私達は。予定が崩れたのなら、要は相手に見付かる前に立て直せれば良いのよ。蓮子の立案なんだから、蓮子がしっかりしてなきゃ出来る事も出来ないわ」

 言葉に詰まる。確かにその通りだと思った。
 素案は崩されてはいないのだ。メリーの言うとおり、二人はまだ動ける。ただいつもよりも慎重に行動をすれば、良い話だ。
 人が入ってくる気配がする。いつまでもこうしては居られない。即興で取りあえずの案を組み立てて個室のドアを開けた。車中の間に人手を集めるか、あるいは最悪、二人が別行動を取るか。
 ふと、連絡はまだ入らないのだろうかと思った。中に居たのは短いが男は駅のすぐ傍に居た。時間からすれば、もう入っていても良い頃合だ。
 直後、その理由に納得が行き、同時に蓮子の頬が引き攣った。後ろから、メリーが小さく声を上げたのが聞こえる。
 コートの男が、まさに目の前に立っていた。女子トイレ内の、この場所で。


――


 相手の、目を見開いているのが見えた。驚いているのか。手の届く距離にそれは居た。
 束の間、声を上げるべきだろうかと思った。悪漢がこの状況で、一番困るのはそれだろう。そして、一番楽なのがそれだ。
 逃げられる可能性があった。声を上げた瞬間、糸のように初動が遅れ、そのまま手が届かない位置に離れられる。
 考える前、踏み込んでいた。この動きは体に染み付いている。個室を飛び出し、連なる洗面台の前へ。男が後ずさろうとしたのが視界の端に見えた。少し、口の端がつられる。遅いのだ。先手は取った、もう自分のものだ。
 完全に入った、と思った。懐に潜り込むと同時に、両手が引き絞られる。気合。裂帛。響く掛け声と共に、両腕が男の腹部を貫いた。
 そして、蓮子はその行動を後悔した。拳に伝わった手応えが肉のものではない。何かゴム鞠のような物をぶっ叩いた手応え。
 伝わる。肉へ、叩き込んだ手応え。だが。蓮子は違う。これは、肉の手応えではない。
 常人なら胃液を吐いてのた打ち回る筈の拳を受け、男は、平然とそこへ立っていた。見下ろしている、目と合った。蓮子は思わず飛び退っていた。
 途端に、蓮子にはこの男がとても奇妙な何かに思えてきた。自分が追っているこの何かは、今自分を見下ろしている何かは、想像していた以上に自分達とかけ離れていたのではないか、と。
 数瞬の対峙だった。呼吸にして二つほども無い。男の腕の筋肉が、ほんの少し、動いたと感じた。本当は動いてなかったのかもしれない。だが蓮子は耐え切れなかった。
 無造作に右腕を出した。弾かれる。体を捻り、勢いのままもう一度右腕を叩き付けた。掠りもしなかった。どこにも当たらない。嘘だと思った。左腕が、絡め取られるのを感じた。
 洗面台に腹から押さえ付けられる。身動きが取れない。力が加えられ、肩の関節が軋むのが分かった。肺腑から、声が漏れる。
 完敗だ。自分から手を出してこれでは、見せる顔も無い。押さえられつつ、相方の事が気になった。メリーは、逃げた方が良いのではないか。不安だった。この上、共倒れは避けたかった。ただ、自分が押さえ付けられている間はメリーに危害が及ぶ事は無い。
 鏡ごしに、相方の姿が見える。逃げていない。男を正面に捉えている。背中の気が、そちらの方を向いたのが分かった。
 逃げろ、と叫びたかった。なのに押さえつけられた体は上手く声が出ない。メリーと男が対峙した。目が合っているのが分かる。

「それ、離して」

 メリーが言った。男は答えない。
 にらみ合いが続いた。ふいに、力が緩んだ。メリーが道をあける。
 蓮子を突き飛ばし、男は駆け去っていった。すれ違うように、メリーが倒れこむ蓮子へと駆け寄っていく。

「蓮子、蓮子大丈夫?」
「なんとか……。腕、折られるんじゃないかってヒヤヒヤしてたわ。仕掛けたのはこっちだし」
「私だってビックリしたわよ。何いきなり殴りかかってんの?」
「いや、本能が、その、反応して。だって、見知らぬ男が女子トイレ内に居たら、誰だって驚くでしょうが」

 立ち上がり埃を払う。男は何処に逃げただろうか。連絡の入らない所を見るに、電車は避けたか。

「あーあ、とにかく、取り逃したわね。ここまで大きく失敗すると、逆に清々しいわ。もう流石に、ここまで迫られるヘマはしないでしょう」
「蓮子はさ」
「ん?」
「これで満足、した? できた? 多分次は、本当に危ないと思う。今日は、騒ぎを大きくしたくないから退いただけよ」

 メリーの目が見つめてくる。聞かれるだろうとは思っていた。本当の本当に必要だと思ったとき、メリーはこうやって問いかけてくる。答えは決まっている。見つめ返した。

「してない。当然よね、当初の目的は何も達成出来てないし、結果は動きを起こす前より悪くなった。でも、受け止めるわ。私は負けた。それだけよ」

 苦い思い出だ。後は、心の中にしまっておく。メリーはそれで、一応は納得したようだった。
 戻ろうと、どちらかが言った。夜も更けてきている。何より、疲れていた。

「ねえ」

 通信が入る。

「あの男まだ来ないんだけど、どうすれば良いの? 待機続けるの?」

 ああ、そうだ。二人が顔を見合わせる。そして笑って、もう一人の協力者に事情を説明に行った。


――


 二人が家に着いたのは大分遅くなってからだった。疲労は極値に達している。蓮子は、時間を確認するのも嫌だと言って頑なに上を向こうとしない。
 最低限、風呂だけ済ませて、すぐに布団へ倒れこんだ。泥のように眠れる、とメリーは呟き、実際そうなった。蓮子も似たようなものだ。
 毎日この調子では身体が持たない。その点、口には出さないが二人とも、活動が粗方終了した事を内心喜んでいた。少なくともこれ以上、夜半まで歩き回るような事はないだろうから。
 異音で目が覚めた。いつの間に寝たのかも、今が何時なのかも、二人には分からない。窓から薄く明かりが漏れる。また音がした。二人とも完全に目を覚ました。音は窓から聞こえている。
 蓮子がそっと窓に忍び寄る。また音が聞こえた。乾いた音。

「石だ」

 メリーが呟いた。そんな気がした。頷いた蓮子が身を隠す。気付かれないように窓の外を覗く。誰かが居る。
 身支度を調えるよう、蓮子が合図をした。その間も、音は幾らかの間隔をあけて鳴り続けている。部屋を出ようとした所で、蓮子が静止した。押入れから木刀を取り出し、メリーにも渡した。メリーは目を丸くしていたが、無いよりはマシだと言って押し付けた。
 廊下は暗かった。階段を降りて玄関へ。蓮子が先導する。

「いい、メリー。走って、後ろに回るのは私がやるから、あなたは反対側で抑えてて」
「わかった」

 音を立てないように鍵を開けた。
 曲者の居る位置は大体分かっている。何者かは気にならなかった。押さえて問い詰めれば済む事だ。
 ドアを開けとばし、蓮子が走る。後ろをメリーが追従する。道路に出て左手に、かすかに相手が居るのが見えた。
 走りながら木刀を持ちなおす。あと三歩、相手の、うろたえたのが見えた。右にすり抜け様、横なぎに腕を払う。推定無罪だ。避けられる様にはした。そのまま反転し切っ先を突きつける。メリーは蓮子と反対側に、余裕を持って構えている。
 降参だと言わんばかりに相手が手を上げる。街灯が顔を照らした。二人とも、見覚えの無い顔だった。
 長い金髪、華奢な体付き。年齢は自分達と同等か少し上くらいか。一人の少女。不敵に笑って、ため息でもつくように二人を見回した。

「物騒な奴らだな。私は、ただ話をしに来ただけだってのに。それとも窓に傷が付くのが嫌だったか? それなら悪い事をした。でもお前らも私に酷い事をしたから、それでおあいこだな」

 妙に、圧される気配があった。年恰好は似ているのに、どこか異質な感覚。
 その正体が、蓮子には分からなかった。メリーはどう感じているのかと視線をやったが、相方は目が据わっていた。

「流石に、こんな時間にいたずらっ子が出たら、誰だって怒り狂うと思わない? 蓮子、今何時よ」

 若干のイラつきを見せながら、メリーが確認を促す。蓮子が夜空を見上げる。

「午前二時二十一分。なるほど深夜も良い所ね」
「おいおい落ち着けよ、なるべく人目につかないようにしたかったんだ。こっちだって辛かったんだぞ? お前らが出てくるまで延々石を投げ続けてたんだから。流石にまだ夜中は寒い」
「なら、早く用事を済ませましょうよ。何の用で来たの」

 言葉に棘がある。先程から、メリーの機嫌が悪い。寝てないからか、と蓮子は思った。蓮子は前に、それではたかれた事がある。
 少女が首をすくめる。調子の良い奴だと感じられた。いい加減とも言える。

「まあ待て。まず言っとくが、良いか、私の素性については質問なしだぜ。で、別に悪い話を持って来てるわけじゃないと前置きしてだな、お前ら、今追ってるのがあるだろう、あれから手を引け」

 何を言っているのか。メリーの木刀を握る手に力が込められた。それを少女が両手で制する。蓮子の方へも向き返り、なだめる姿勢を取る。

「落ち着けと言うに。お前ら何でそんな暴力的なんだ。女の子だろうが、もうちょっとおしとやかにしてろよ。いや、私が言えた義理じゃないんだが、まあ良い。あれな、あの露天商、あまり探られると困るんだよ。正直あそこまで特定されるとは思わなかった。これ以上やられると折角の家をな、移動しなけりゃならなくなる。そいつはこっちとしても勘弁して貰いたいんだ」
「あなた、あの男の何なのよ?」

 言った後に、蓮子は我ながら凄い台詞だと思った。

「そいつは秘密だ、お譲ちゃん。なに、好きなように考えれば良いさ。愛人だってのでも、私は全然構わないぜ?」
「本人だったりして」

 何気ないメリーの言葉に、一瞬少女の身体が震えたのが分かった。

「え、まさか」
「おい、待て、私の素性は聞くなって言っただろう。この話はこれで終わりだ。とにかく、タダで手を引かせるのも虫が良いから、何かしらな、私の知ってるネタでも提供してやろうかと思ってな、そういう次第なんだよ。いらないなら帰るぞ」
「あ、待って、欲しい、欲しいから」
「じゃあ、手は引くな?」

 少女がニヤリと頬を歪ませた。思わず蓮子が言葉に詰まる。諦めろと言われて、簡単に頷けるものではないのだ。損益勘定が、上手く働かない。
 それを遮ったのはメリーだった。

「分かった、手は引く。だから代わりに情報をちょうだい」
「よし、交渉成立だな。何が良い? サービスだ、知ってる限りなら話してやるぜ」

 言い募ろうとする蓮子をメリーが押し留める。

「蓮子、ここが落とし所よ。これ以上良い条件は望めそうもない。不満があるなら後でゆっくり聞いてあげるから、今はこっちに集中して」
「……分かったわ。でも何聞くのよ。何でも良いから教えてったって、多分録なの教えてくれないわよ」
「酷い言い様だな。でも、間違っちゃいない。私なんていったらもうネタの宝庫だからな、パッとすぐには思いつかないぜ。自分で言うのもなんだけど」
「なら、そうね、蓮子は何か聞きたい事ある?」
「いや、特には。丁度今追っかけてるのが終わっちゃった所だし。後は、江戸城とか?」
「奇遇ね、私もそれにしようと思ってたのよ。ね、と言うわけなんだけど、江戸城で何かネタになる物は無い?」
「江戸城? また渋い所を来るね。あそこで言えば結界が有名だけど……わざわざ聞くって事はそこまでは調べてるんだろう」

 メリーは少し逡巡した。直に聞いて良いものか分からない。この機会は希少だ、と思う事にした。

「ええ、その先の、城内で怪異が起こったかについて知りたいのよ」

 死体の事は、あえて伏せた。出来る限り、自分達の力のみで辿り着きたい。それは最早、二人にとっての共通認識となっている。
 そう前置くと、そこが、メリーの一番知りたい情報であった。半ば、蓮子を誘導した形にもなる。
 死体は、あったと仮定した。江戸市街の怪異も、調べた限りでは、少なくとも人々の口端にしばしばのぼる程度には、あった。
 記事の内容は認めたのだ。記事、「動物の死体があり、怪異があり、それら二つは関係している」これを信用した。それを裏付けるための資料も集めた。
 この時、どこに注目するかが鍵だった。死体、怪異、そのどちらでもない。
 このネタは、一体どうすれば秘封倶楽部の活動として成功したと言えるのか。予測を立てながら考えていた。結界ではないのだ。結界の向こう側は誰でも知っている建物で、あの結界は、隠すための結界ではない。あれは、秘封倶楽部の結界ではないのだ。
 そこに気付かなければならなかった。あの結界はブラフであり、そしてまた、事実の確認に意味は無い。過去の事だ。もう相互に干渉すら出来ないほど、昔の。
 何故、死んでいたのか。
 それを組み立てるためにまだ一つ、ピースが足りない。

「城内だと? ……時代にもよるが、いつの話だ」
「強いて言うなら、明治初期」
「おいおい、そりゃ無理だ。一度外から見た事があるけど、あの結界は相当強い。それこそ基盤が緩むような事でもなければ、悪さなんかできないよ」
「本当に?」
「ああ、無い。そんな話も聞いた事がないしな。何かあるとしてもまず城下町からだ。お前達が何を探してるのか知らんが、江戸城の読みはハズレって考えた方が良い」

 死体の話を、聞かなくて良いのか。
 そんな思いが掠めた。城内には潜めない。それは、期待していた答えと違った。
 ピースが剥がれていく。あの死体は、殺されたものだ。何故か。殺される理由があったからだ。人知れず殺されていたのだ。そして死体は捨てられた。
 何故、城の外に。何故、堀に。疑問だった。あんな場所で死んでいるものか。置くとして、あんな場所に置くものか。
 死んだ場所ではない、発見された場所自体が伝えられているものと違うのだ。そこまでいった。その時、一番理由としてしっくりくると思ったのが江戸城内だった。
 だが、違うのだと言う。

「信じられないで調べるのも勝手だが、確実に徒労に終わるぞ。ま、それだけ強力なスポットが近場にあるんだ、オカルトサークルならそれだけで万々歳だろ。本当にあるだけだが」

 そう言って他人事のように、少女は笑った。途端に、それを認めてしまっては、という気持ちが襲ってきた。何か無いのか。携帯端末に手が触れた。

「ただまあ、そういう熱意に免じて私から少しプレゼントをやろう。ほれ」

 少女は懐から何か球状の物を取り出すと、それをメリーに向け放り投げた。

「特製魔力爆弾だ、きっと役に立つぜ」
「ば、爆弾!?」
「おっと、誤解するなよ。別にそう危険なもんじゃない。点火すると一瞬だけでかい妖力が溢れる、ただそれだけの代物さ」

 さらりと出てきた、聞きなれない単語。何か言いたくなる気持ちをぐっと抑えた。下手な事を言って機嫌を損ねるのはよくない。

「別に、取り扱い注意ってわけではないのね?」
「まあ、物理的にはな」

 尤も、それ以外は知らないが。そう意味深長な言葉を後に付けられた。少女が不敵な笑みを浮かべる。

「さて、用も済んだし私はこれで帰るとしようかね」
「ま、待って! あなた、名前は何て言うの?」

 追い縋るようにして、呼び止めていた。呼び止めざるを得なかった。
 この、自分達よりも遥かに多くの知識を持っている、何者かに。本当は何を聞いているのでも無かったのかもしれない。手放したくなかった。この時間を。

「秘密、秘密だよお嬢さん。私はただの普通の……オカルトマニアだ。少し、お前達より先輩だがな。それだけだ。それだけだと思うと良い。もう会わない事を祈ってはいるが、さて、どうだろうな。もしも会えたら、その時は改めて名乗らせて貰うよ」

 言葉を続ける事が出来なかった。飄々とした足取りで少女は去って行く。それを二人は見つめ、見えなくなった後に、どちらからともなく家へ入る事を促した。


――


「行くか……」

 目が覚め、半ば憔悴した表情で蓮子が呟いた。
 昨晩起きた事については、敢えて何も語らないと決定した。むずがる蓮子に、メリーが首を振った。
 どこから来てどこへ行ったのか。何者なのか。推測する材料はあったが、全て捨てた。
 それが礼儀だと思ったのだ。蓮子にも懇々と話した。目的は達成したと。相手に自ら出向かせただけで、上々とすべきだと。
 だが蓮子の中で、この案件は失敗に終わった。残ったのは良く分からない、おそらく使い捨てのアイテムと、探索するには何とも分の悪い情報だけ。
 だがこの眼で、全てを確かめていないからには行かざるを得なかったのだ。何の収穫もナシ、というのは、蓮子は嫌だった。メリーだって、それは同じ気持ちだ。
 メリーの方は、なまじ結界が視えているだけに始末が悪かった。いつの間にか、持ち出して来た相方よりも意識をのめり込ませていたのだ。何かあって然るべき。むしろ、なければいけないというような思いにもなっていた。

 爆弾を鞄の中に抱え、前回貰っておいた見取り図を電車の中に広げる。堀と、庭と、建物と。
 城内だけではなく、外周も重要なのだと蓮子が言った。中に入るのではなく、まず外をまわろうと。
 言われてみればそんな記述もあった。死体が発見されたのは堀の傍だった。見ておかなければならないものの一つには入るだろう。
 江戸城は、広い。外周の全長はおよそ5km。外を歩くだけで一時間かかる計算であるからして、それを調べ尽くすのは並大抵の事ではない。
 付いて早速、何故かわざわざ一度正門前に向かったのだが、外周を歩き始めた。堀には藻が浮いている。元が外敵に備えられた物だ。幅も深さも、相応程度にはあった。

「お堀か……」

 少し、気にかかる事があった。蓮子がどうしたのかと尋ねてくる。

「いえね、お堀でその例の死体が発見されたって言ってたじゃない。どうやって発見されたのかなあって。水に浮いてたのかしら」
「流石に堀のそばって事じゃない? 今歩いてるこの辺りとか。いわゆる道」

 そう言って足元の辺りをぐるりと指し示す。道は広い。何かあったとして、見つける事は容易そうであった。
 しかし、今度は当の蓮子が頭を抱えだす。

「でも、どうやって死んでたのかしら。野生動物がこんな中途半端なところでゴロンと死んでたりする?」
「それは……。どうだろう、そもそも病死か老衰か外傷かも分からないものね、この記事だと」
「他殺だったりして」

 蓮子がメリーへと向き直る。

「良い線いってると思わない?」
「誰が殺したのよ。それも、こんな場所で」
「それはまだ分からないけど、考えの一つに入れても良いと思う。第三者が居たって」

 ほどなくして一周してしまった。顔を見合わせる。仕方が無いのでまた城内に入った。前回と合わせて、これで二回目となる。
 今回は、余裕を持って全体を回れそうであった。
 やはり木材の組まれ方が目新しい。木で出来た家などは最早絶滅種だ。勿論、石で出来た垣根も。ただ、結界は変わらず存在を主張している。それがメリーの眼には少しうっとうしく感じられた。眼は、否応なしにその存在を感知させるのだ。

「例えばさ」

 蓮子がショウケースを見つめたまま呟いた。

「陰謀的に、どこか別の場所で殺されたのがこの近くまで運ばれたとしたらどうよ」

 中々鋭いのではないか? と言わんばかりに顔を上げる。第三者は居た、線で話を進めるつもりらしい。

「スキャンダラスね、易者は大喜びしそうだわ。お堀のそばなら目にも止まりやすそうだし」
「でしょう?」
「でも、この死体が出る前から易者の出番は多かったんじゃないかしら? その前からも怪異は出ていたわけでしょう?」
「いや、だからこそ、ってのもあるかもよ。易経として利用できる最高潮の時にって」

「ま、それも考えに入れておきましょう。私としてはこの――」

 周囲を見渡す。眼に映る空間は全て白く薄もやのようなもので包まれている。

「結界の方が気になるわね。こうもあからさまに視界を覆われると、どうしても意識しちゃう」

 城内に入ってからも変わらず残り続けるそれは、およそ敷地の、隅の隅にまで行き渡っているのではないかと思われた。
 どこに行ってもある。しかし結界があるという事は、逆に怪異の存在する余地を残しているとも言えるのではないかと思った。少なくとも科学では無い、その代表をメリーの眼は捉え続けている。

「結界ね……。そっちの方は、大きすぎて取っ掛かりも掴めないって感じかな。入ってからずっと見えてるんでしょう?」
「もう、散々ね。見えにくいったらないわ。ただ、そうねえ、多分なんだけど、この結界全く手入れされてないと思う」

 それは、建物を回ったときに確信したことだった。やはりこの城には人為的な結界が施されていて、そしてそれが、殆ど無造作に放っておかれている。
 結界の揺らぎが、そこここ、どうも中途半端な場所に見えるのだ。同じ霊都でも京都とは違う。京都は、まだ人通りの少ない所とか、そう、人目を避けて結界が見えた。この城は空間のど真ん中にそれがある。
 また、濃淡にバラつきがある。他よりも一層、切れ目の差が激しいのだ。とても粗雑に思えた。それでもなお、力尽くで結界を押さえ込んでいるのだと感じた。

「つまりは、相当に強力……なのかどうかは知らないけど、大規模な結界だって事よ」
「確かに、まだ残存し続けるのは凄いわね。建物が残されてるからかな? 東京は文化財が多いから」

 そしてもう一つ。この結界は、実は単一の物ではないのではという疑念があった。
 今までの結界と比べて、そう、濃いのに緩いのだ。斥力が働いている、とは思ったがこうも全体的に、はっきりと知覚できるほど張られていてこれだけの力で済む物だろうか。
 幾つかの結界の複合体。あるいは重なり合う場、としてこの城は存在しているのではないか。だから丈夫なのか、だから切れ目が出るのか、そこまでは分からなかったが。

 無駄に目障りな所に結界の切れ端を確認しながら、メリーは展示の中を歩いていく。
 時々ショーケースの中にまで見えたりするとたまった物ではない。そんな時は蓮子に読み上げて貰ったり、解説を頼んだりする。
 蓮子が、またも腕を組んでいる。

「今度は何?」
「いやね、もし怪異が本当だったとして」
「それ、オカルトじみた話の範囲が一気に広がるわよ?」
「ま、そこの所は置いておいてさ、この動物は関係していたと思う?」
「そうねえ、年老いた動物が妖怪化なんてのは割とメジャーな所だものね。でも推論が多くなり過ぎて好きじゃないわ」
「逆に関係していなかったら? 怪異自体はあったとして」
「その場合は怪異を聞きつけた人間が人為的に用意したとか、その辺りに落ち着くんじゃないかしら」
「怪異は本当にあったのかしら」
「少なくとも、信ずるに足る程度には何かあったんでしょうね。でなければ今更そんな記事に取り上げられたりしないもの」

 一応はそこで納得したようだった。蓮子は二の句を継がず、メリーは展示の閲覧に戻った。
 また外に出た。庭は一部を除いて全面的に開放されており、流石長らく天皇家の居城だった事もあって景観は目を見張る物がある。
 所々に係員の姿が見える。庭園が荒らされないようにしているのだろう。そして、一部の禁止区域に人が入らないようにも。
 暫く歩くと、建物と建物を繋ぐ道のような場所、そこにぽつんとロープの張ってあるのが見えた。近くの木陰に係員が佇んでいる。向こうは藪に隠れてしまって見えない。

「蓮子、あれ」
「気を逸らせないかって?」

 さすがに相方は話が早かった。蓮子も同じような事を考えていたのかもしれない。
 建物の中に目ぼしい物は無かった。案内板を見ても、この先に変わり映えはない。ならば残りは、少々虎穴に臨む事も考えなければならないだろう。
 禁止区域は一般に公開されていない庭園が主であったが、あの縄の向こうにあるのは庭ではない。城内見取り図ではこの辺りに庭らしき物を作れる空間は無かった。あくまで通路の一角のはずだ。
 それが、封鎖されている。後は、それを怪しいと思う勘と言うほか無かった。秘封倶楽部の活動は、少しの勘とひたすらの総当たりで構成されている。
 それでも例えば鎮護のための祠や、要石でもあれば上々だと思った。

 暫し考え込んだあと、蓮子が駆けていく。
 さて何をしでかすのかと思いきや、少し走った後また立ち止まって、今度は普通に係員に向けて歩き出した。メリーはそれを横目に見ながら音を立てずロープの方に寄っていく。
 蓮子が話しかけ係員の目がそちらを向いた。その瞬間、メリーは素早くロープを潜り抜けその向こうへと走っていく。
 走りながら、メリーは少しヒヤリとした。あれは多分、普通に世間話で気を引く類の物だ。合図も無しに走り出してしまったが、早まったかもしれないと。
 しかし後ろから呼び止める声は聞こえない。蓮子はうまくやっているようだ。さしたる難も無くメリーは藪を抜け、その陰に身を隠した。

 少し息を整え、辺りを見る。どうもこの場所は完全に城の機能としては外れているらしい。
 草しかない。その中を、音を立てないように気を付けながら、メリーが奥へと進んでいく。すぐに地面が途切れた。
 石垣と石垣に挟まれて、少し広い溝のようになっている。降りようと思えば降りられる高さ。下もやはり草で覆われている。他にめぼしい所も無いので飛び降りた。
 石垣がそびえている。
 メリーはなぜここが出入り禁止になっているのか分からなかった。石も祠も、およそ価値のありそうな物は何も見付からないのだ。
 草を足でよけてみる。やはり何も無い。目の前の石垣を、じっと眺めてみたりする。
 よく、石だけで積めるものだと感心する。この辺り、石垣に関する素養があればまた色々と感動もあるのだろうが、メリーは修学旅行に来ているわけではなかった。
 一つ一つ、確かめるようにして手でなぞっていく。少し汚いかもしれない。手袋をはめる。
 一箇所、見ていくうちに妙な所を見つけた。遠目には分かりにくいが、どうも石の不揃いな所がある。近くで見るとよく分かる、長さが違うのだ。江戸城は比較的石垣が均等に作られているため、こうも、言うならばリズムの崩れた、置き方はされない筈なのであるが。
 石に触れてみる。石である。叩いてみる。石だ。
 埒が明かない。これ以上ここに居るのは無駄だと考え、一応の写真だけ撮り、メリーはその場を後にした。
 藪から適当に道へと出て、元居た場所へと向かう。暫く歩いていると、蓮子が向こうからやって来た。

「メリー、何処まで行ってたの? 私結構歩いたわよ」
「多分、向こう側の道に出たんだと思う。直線距離ではそこまででもなかったから」
「それよりあの縄の向こう、何かあったの? 私も聞いてみたんだけど要領を得なくて」
「うーん、どうだろう。一つだけこれかなと思ったのはあるけど」

 生成された写真を取り出す。

「お? ふーんどれどれ、ちょっとかしてみなさい」
「ね、蓮子、それなんだと思う?」
「どう見ても石壁にしか見えないんだけど、何、配置がおかしいって言いたいの?」
「お、ご明察。やっぱり蓮子もそう思うでしょ? 直感で分かるならやっぱりそうなのよ」
「そらこれ見よがしに出されれば誰だって注視するわよ。んで、ズバリこの奥に隠し通路でもあるんじゃないかと、メリーさんはそう言いたいわけね?」
「流石にそこまでは言ってないけど、でもまあ、それ以外は無いかもね。ほかに作るべきものも思い当たらないし」
「でも、江戸城の抜け穴って入り口はもっと奥よ? 建物の中から直通してる筈だもの。書いてあったじゃない、展示に」
「そこは、ホラ、第二の出入り口とか。むしろ一つだけの方が何かと不便よ」
「不便だからこそ抜け穴として機能するんでしょうが。それにただ単純に、壊れたのを改装しただけだったりして。んで危険だから近づかないようにと」
「むう」
「でも何かが埋められたって発想は良いかもね。展示にも載ってなかったし、隠された物があるのかも。それより」
「ん?」
「眼の方は、どうだったのよ」

 言われてみればその通りだ。この活動はメリーの眼がこそ重要なのだ。というより、言われるまで気付かなかった。言われるまで気付かなかったという事は、

「つまりは、そういう事よ」
「印象にも残らないほど変化ナシですか。さいで」
「他の所も見て回ってみる?」

 他の所とは、つまり他の禁止区域だ。歩けばすぐに、そこかしこに入ることの禁じられている場所はある。尤もそれが本当に文化財保護の観点からであることも有り得るのだが。

「いいかもしれないけど、止めておきましょう。他も面積的には似たり寄ったりよ。何度もやって、見つかりでもしたら面倒だわ」
「面積的に同じなら、やっぱり抜け穴なんじゃない?」
「だったらこそよ。私達は結界の云々が欲しいのであって、別に江戸城の抜け穴の場所が知りたいんじゃないからね。それに、ある事自体は最初から分かってるんだし」
「となると……」

 手詰まりではないのか。大体見ては回ったし、それ以上、立ち入り禁止区域にまで手を出してする事が無いのでは。蓮子が重い声を発する。

「最終手段よ」
「はい」
「夜中、忍び込むわ」

 何を言うか。思わずメリーが蓮子の顔を見た。自信満々に笑みを浮かべていたらどうしようかと懸念がよぎったが、裏腹、蓮子は今まさに悲壮な決断をした後のような顔をしていた。
 果たしてこれは悲壮な決断に当たる物事なのだろうか。やる事はこそ泥未満である。呆れながらに眺めていると、気付いた蓮子に力の無い笑みを返された。

「自信が無いならやめましょうよ」
「ばかっ、ここで退いて何になるって言うの。せめて昼夜を観測してからよ」
「でも……」

 江戸城は、当然の如く重要文化財である。番付があるとして、まず間違いなく一番上の位に位置する。

「刑務所は無いにしろ、退学は十分あるわよ……?」

 不法侵入だけでも、十分に厳しいというのに。予想もしていなかったのか、聞いて一気に蓮子の顔が青ざめた。

「それは、その」
「やっぱり無謀よ。別の方法を探しましょう」
「じゃあ他の方法がことごとく失敗に終わったら、その時は忍び込むのね」
「なに蓮子、本当はやりたいの?」
「まさか」

 蓮子は否定したが、メリーは知っている。実際の所蓮子がそういった活動を好んでいる事を。そういった方向に進まないよう、メリーは率先して他の方法を探した。
 だが、結果として別の方法はことごとく失敗に終わった。端から手は残されていないのだ。二人して虱潰し、城内を回っては見たがこれといって目ぼしい物は無く、禁止域にも一つ当たってみたがさして変わりは無かった。強いて言うなら今度は壁の埋め立てが分かりやすく、抜け穴の線が濃くなったという事くらいか。そうこうしている内に閉館時間が訪れた。はたからは、さぞかし熱心な見学者に見えたことだろう。
 今、二人は再びあの展望レストランで食事をしている。既に店は混み始めていたが、運良く窓際席へ座る事が出来た。今度は三番席、江戸城はライトアップされていて、

「少なくとも、風情は無いわね」
「そこはまあ、宿命よね。一気に停電させれば少しはそれっぽいのが見えるかもしれないけど」

 それはそれで、ただ暗いだけの城が出来上がるのではないか。それとも結界の存在感が一際増すのか。メリーの眼には、変わらずドーム上の白いもやが視え続けている。
 思えば光量にかかわらず視えるというのは奇妙な物だ。いや、そもそもあの結界は、空間を覆うというより満たすといった感じだ。切片状の物なら何度も視た事はあるが、満たす形の物はあっただろうか。
 蓮子が燃える目付きで見取り図と眼下の実物を見比べている。進入経路を調べているのか。見張りの配置が分からなければどうしようもないと思うのだが。

「蓮子」
「なに」
「その前に一つ、あれ使ってみましょう。爆弾」
「えっ」

 蓮子が嫌そうな顔をして固まった。無理もない、あれは戦利品として飾っておくつもりだったのだろうから。数少ない、マジックアイテムのような物。

「消耗品は使ってこそなんぼよ。ちょっと、試したい事があるの」
「や、やだ」
「ほんのちょっとよ。それであの城の秘密が分かるかもしれないのよ?」
「あれは、永久保存するんだもん。活動の記録として、すごいアイテムで」
「それで劣化しちゃったら元も子もないわ。それに」
「……それに?」
「使わなきゃ本物かどうか分からないじゃない、それ」

 ぐうと唸って蓮子が押し黙った。だがその手は無意識だろう、未練がましくしっかと鞄の口を押さえている。

「本物よ、きっと」
「はいはい、次はもっと良い感じのが手に入るといいね」

 そうこうしている内に料理が運ばれてきた。蓮子は、恨みがましそうに料理を見つめ、口へ運んでいく。
 そして、堀へ来た。閉ざされた正門からは幾分離れ、辺りに人影はまばらである。堀は広く、先の城壁も高い。

「ほら、蓮子」
「ううーっ」

 渋るその手をむりやり引っぺがして、メリーが爆弾を奪い取った。

「どうやって使うのよお、こんな所で」
「ふむ、そうね。まずはこの辺りが私にどう視えているかから説明しましょうか」

 不満げに足元を蹴っていた蓮子が顔を上げた。

「ここは堀からちょっと出た辺りだけど、大体そうだな、この道をずーっと離れて行ったくらいまでは結界に囲まれている。城の敷地は円形じゃないから当然外周部にはムラが出るんだけど、城全体はとにかく覆われてるみたいかな」
「はい」
「はいなんでしょう蓮子さん」
「爆弾は妖力が出るものだと聞きました。それを爆発させるとどうなるのでしょう」
「いい質問です。私の予想では結界と妖気が干渉しあい、一時的に結界がほどけるのではないかと思います」
「はい」
「はいなんでしょう」
「それは、わざわざやる必要があるのでしょうか」
「ええい女々しいわね」

 別にこれと言った意味は無い。結界を抜けた先にあるものは物理的な壁でしかないため、結界があろうがなかろうが、江戸城がその姿を変える事は無いだろう。
 メリーがそう吐き捨てると同時、一瞬の隙を突いて蓮子がまた爆弾をその手に奪い返した。

「あっ!」
「そんな不確かな物に貴重な爆弾を預けられるものですか。これは私のよ!」
「蓮子! それは秘封倶楽部分裂の危機よ! 内紛よ!」
「いやだ! 絶対やだ!」

 奪い、奪われ、取っ組み合い。爆弾が宙を舞う。夜の薄暗がりで女が二人、奇怪な動きをふり撒いている。

「あっ」
「あっ!」

 爆弾が、飛んだ。手がかち合い、はじかれて、誰も居ない方向へ。蓮子が咄嗟に手を伸ばす。爆弾が落ちる方がずっと速い。落ちて、転がって、暗い水面へ吸い込まれていく……。
 二人は立ち尽くしていた。爆弾が沈んでいく。泣きそうな顔をして、蓮子がメリーの方を向く。 
 瞬間、爆音がした。耳に、直接響くような音。皮膚の全体を揺らすような。次いで、軋むような音が聞こえた。すぐ前、眼の前から。

「うわぁっ!」

 メリーが後ずさる。その眼には、堀を発端として今まさに形作られていく白く厚い壁が視えていた。堀のふちに沿って、みるみるうちにその壁は上へ上へと伸びていく。

「こ、これ、これ」
「なに、何が視えてるの!?」
「お前達、何をやってる!」

 それは、あれだけ大きかったのだ。音を聞きつけ警備員がやって来た。蓮子がメリーの手を引く。後ろに怒声を聞きながら、二人は走った。
 一度だけ、メリーは振り返った。白い壁は、堀の幅のままに、城壁で止まって上へと伸びていた。警備員は、それに目もくれず音の出所を探している。
 そのまま駆け抜けて、電車に飛び乗った。すぐに離れて、知らん顔を決め込むのだ。

「あれは」

 息を落ち着かせつつ、情報を整理した。

「あれは、結界じゃ、ない」

 蓮子が訝しげな表情を作る。
 正確には、視えているものが結界ではなかったのだと思う。結界自体はそこにあったのだ。だが、視えていたのはその瑕だった。
 あんなにも満たされている、城中が白いもやで覆われている中、何の抵抗も受けないのはおかしいと思っていた。あれは、実の所結界の干渉痕だったのではないか。
 だとすれば辻褄も合う。爆弾が、まさか水にも反応するとは予想外だったが、爆発したのち結界は大いに影響を受け揺らいでしまう、筈であった。
 それが妖気は、強引とも言える形で結界の色を濃くし、そして固めてしまった。妖力の爆発が結界に干渉したのだ。あの白いもやは、数多の瑕の集合体。それを押さえ込む、視えない結界が上にある。
 それが薄くて視えていないのか、それとももやに紛れて覆い隠されてしまっているのかまでは分からなかった。とにかくあの場所には、視える以上の何か、結界が存在している。
 蓮子は、憮然としている。

「どうしたの、蓮子?」
「私は、なんも見えてないんだけど」

「ずるいよ。私なんか、結局音聞いただけだよ。一人で納得しちゃってさ。何だったのよあの城は」
「ま、まあ、私の貴重な証言が取れたって事で」

 そういえば、あの壁はまっすぐ上へと伸びていた。城壁を回っていかなかったのだ。本当なら爆発したあと球形に妖気は波及していくと予想していたのだが。

「あ」
「何よ、間抜けな声出して。忘れ物?」

 城壁を、通り抜けられないのか。それどころか、密度の高い物、すべて。

「いや、何かこう、もう少しで出てきそうなものが」

 蓮子が、また奇妙な表情を作った。


――


 あ、と、間の抜けた呟きが漏れる。蓮子だ。
 傍で寝ていたメリーが上体を起こす。

「あれ、すっかり忘れてた。依頼」
「あのボロ家のこと? そう言えばそんな話もあったわね」
「なに呑気にしてるのよ。せめてあれ位は何か解決しないと、日誌に残せないわ。東京行きは闇に葬られる事になるのよ」
「また大げさな……。それに、収穫ならあったじゃない。あの女の子、多分会えただけでめっけものの類よ。江戸城の謎だって解いたし」
「あれは、あれだけどさあ。でもやっぱり、活動として何かは欲しいのよ。実績という名の、何かが」

 蓮子が誰かに連絡している。足を呼ぶらしい。あの廃屋へは、車が無ければ一時間ほどかかるのだと言われた。
 程なくして外から排気音が聞こえてきた。窓から覗いてみる。四角い。ワンボックスカーと言うらしい。蓮子の交友関係には舌を巻くばかりだ。何せこのご時世にあの車の持ち主は、各所から部品を漁って組み込んでいると言うのだから。そしてそれを嬉々として語っている蓮子が居る。

「ハロー、愛車の調子は良さそうね」
「おう、そりゃあな。こいつの調子が悪かったら、俺じゃねえよ。んで、そっちが噂の……」
「マエリベリー・ハーンです、よろしく」
「ああ、よろしく。ううん、しかし、蓮子お前よくもまあ」
「色目使ったら許さないわよ?」
「おお、そう睨むなって。分かってるから。んじゃ怒られない内にぼちぼち出発するかね。適当に座ってくれ」

 さすが常日頃から整備を怠っていないと言うだけあって、目的地までの道のりは非常に快適だった。荷台に揺られているのとは訳が違う。私達は、人間なのだ。
 例の廃屋は変わらずそこにあった。周囲に似合わず小奇麗な外観は、やはり変わらず何の変哲も感じさせない。
 車の彼は、手伝おうとしてくれたようだが、すぐに蓮子に帰されてしまった。ここから先は、秘封倶楽部の管轄なのだと言う。

「さーてぼちぼち調べますか。気合入れていくわよ、メリー」

 などと腕まくりをして見せる。

「でも、何か上手い案でも思いついたの? このままただ調べても、前回の二の舞になるだけだと思うけど」
「うん、そこで、ちょっとまた思いついた事があるんだけどさ」
「あれ、あるんだ」
「今思いついた。要は、何か気配がするのが問題なわけでしょ」
「まあ、そうよね。でもそれをどうしようもないのが問題なんじゃない」
「この家丸ごと燻しましょう」
「はい?」
「丁度良いじゃない。周りは誰も住んでないし、現実的で。何より安上がり」
「効果があるかどうかの方が重要な気がするけど」
「大丈夫よ、私がその潜んでる何かだったとして、煙だらけの家に居たいと思わないもの。最終手段は煙攻め、定番よね」
「煙を起こすものは?」
「買いに行くしかないでしょう」
「足は?」
「流石に何度も呼んだら怒られちゃうから、歩きと電車?」
「じゃあこれ完全に無駄足じゃないの……」
「う、ま、まあ、この無駄を楽しむのも活動の醍醐味と言う事でどうか一つ」

 燻す元は何が良いかという話になった。人体への影響を考えるとあまり科学的なものは使いたくない。
 街に出ると運良く香辛料のセールがやっていたので、粉末状の唐辛子を数箱買った。それとうちわ。火をつける物は常に持ち歩いている。
 あとは、蓮子が鎌を買った。延焼を防ぐために周りの草を刈らなければならない。
 戻って草を刈る。黙々と。刈ったものは脇へと積んでおく。庭はそれほど広くなく、一時間もすると大体刈り終える事が出来た。

「んじゃ、点火するわよ。最終チェック」
「水よーし、火種よーし、風向きよーし。グッド、やっちゃって良いよ」
「それ点火っ」

 着火剤と、添えられた草がかすかな音を立てて燃える。上々だった。少しずつ唐辛子を火にくべ、うちわで家の中へと送り込む。
 地味な作業だった。また、存外に効率が悪い。煙の量が少なすぎる。
 もう一つ火をつけ、二手に別れ二箇所から煙を送り込んだ。それでもまだ心もとない。
 扇ぎ続ける。扇がなければ家に入らないというのもあるのだが、何より、手を止めると自分達に煙が流れてくるのだ。唐辛子の煙は想像以上に刺激的だった。

「ねえ、メリー」
「なによ」
「不毛だわ、これ」

 黙々と火を扇ぎ続けて、数十分が経過していた。春の日差しが眠気を誘う。腹の虫が鳴り始めていた。

「あんた達何やってんの?」

 門の外から声がした。振り向くと三人ほど立っている。メリーには見覚えがあった。先日空き地で飲み交わした、蓮子の友人連中だ。

「そりゃこっちの台詞よ、あんた達こそ何でここに。まだ除霊は終わってないんだけど」
「や、なんかお二人さんがこっちで頑張ってるみたいだしね。頼んだ手前、ちょいとばかり差し入れを」

 見ると、手に提げた袋から瓶が覗いている。残りはつまむ物だろう。思い思いに草の刈られた庭へと置くと、そのまま座り込んだ。

「後からまた何人か来るってさ。……しかしそれ、本当に何やってんの? 芋でも焼いてんの?」
「失敬な、れっきとした倶楽部活動よ。暇ならあんたも手伝ってよ、火種なら貸すから」
「は、火を?」
「そ、火を。今のままじゃ終わりそうにないのよ」

 また扇ぎ続けた。持って来られたイカを食む。それなりに美味しいと思った。干したイカの良し悪しなど分かりはしない舌だが。
 幾分か日も翳ってきた頃、後続が到着した。この廃屋は余程重宝されていたのだろう、十数人がぞろぞろとこの広くもない庭に集まる様は、形容しがたい物があった。何人かは入りきらずに外に出ている。
 それなりの量の食材が持ち寄られていた。扇ぎ手を交代すると申し出があったので、ありがたく譲り渡し他を回る。いつの間にか、庭は立食会の様相を呈していた。いや、立ち飲み会か。
 何人か家の中のガスコンロを当てにしていた者が取りに行けないと嘆いている。あの中に入れば無事では済まないだろう。既に唐辛子は四箱空けられていた。
 仕方が無いので、蓮子が火を別に用意した。蓮子の鞄には色々なものが入っている。着火剤もその一つだ。一緒に居ると大体の事が出来るため、逆にメリーの荷物は少ない。

「メリー、飲んでるぅー?」

 蓮子が絡み付いてきた。酒の臭いがする。

「うわっ、蓮子、もう出来上がってるの」
「空きっ腹にはキツイやねこの酒。やっぱりメリーにも私は酔ってるように見えますか」
「十二分に酔ってるわよ。何飲んだらそうなるの」
「いや、なんなんだろうねぇー、ほんと」

 手渡された缶に少し口をつける。家の方へと目を向けた。煙が、窓から漏れ出ている。
 ふいに、玄関前が騒がしくなった。慌てる声。それらを掻い潜り、何か灰色の物が二人の足元をすり抜けて行った。

「あれは……」
「ねずみ? まさかあれが気配の正体だったって言うの?」

 苦笑が漏れる。怪奇現象でも何でもなかったのだ。至って単純、家が汚いからねずみが湧いた。居心地が良かったのだろう、煙攻めにも耐えていたがとうとう堪らなくなって逃げ出してきた。
 周囲がざわつく。蓮子が手を叩いて、衆目を自分に向ける。

「はい、注目! 今まさに我が秘封倶楽部によって異変の元凶は暴かれました! 同時に解決策も! これからは掃除をこまめにすれば、もうこんな事は起きないでしょう! では皆の衆、私に、感謝!」

 歓声が上がる。蓮子は手を振ってそれに応えている。鳴り止まない歓声に少し呆れながら、ああこれが蓮子を育てたのだなと思い、メリーもそれに加わった。


終わり
 蓮子の朝は早い。
 と言っても通常の大学生と比べれば、の話だが。午前七時にセットした目覚ましが鳴る前に手探りで叩き落し、もぞもぞと布団から這い出して洗面所へ向かう。
 メリーは未だ夢の中だ。寝顔を見るにそう悪い夢は見ていないらしい。一時期は毎日のように行なわれていたカウンセリングも、最近では滅多にやらなくなった。周囲が変わったのか。それともメリー自身に変化があったのか。この相関関係も、目下蓮子の興味の一つとなっている。
 顔を洗って戻ってくると、メリーも起き出していた。身だしなみを整え、朝食の席へ付く。

 早かったな、と思った。もう一週間経っている。彼岸の入りにこちらへ来た筈が、もう終わってしまっていた。実家も、元々こちらでの仮拠点としてしか見ていなかったが、思い返せば殆ど滞在していなかった様に感じる。
 食べ終わり一息入れた所で、蓮子がすっくと立ち上がる。出発の合図だ。メリーも体を伸ばしながら重い腰を上げる。
 玄関には花束が置いてあった。
 彼岸の、墓参りのための花だ。ヒロシゲの車内ではすぐに行くなどと言っておきながら、結局初日は探索に費やされ、丸一日以上も追いやられてしまった墓参り。

 墓は、家からだと少し遠い。小高い丘に作られている。徒歩で約一時間。移動手段は特に無かったが、腹ごなしに丁度良いと二人して歩いていった。

 程なくして目的地へと着いた。言うほど時間はかからなかった気がした。まあ、当然だろう。元々秘封倶楽部はフィールドワークを活動の主としているため、普段からあちらこちらを歩き回っている。言うなれば、二人とも健脚なのだ。
 麓で桶と水を貸し出して貰い、坂を上る。割と傾斜はあったが、苦も無くのぼる事が出来た。この年頃の、一般的な学生の体力からすれば、二人は上位に位置する。横に入る。宇佐見家の墓。小奇麗に清められている。
 一年ぶりだろうか。盆は帰らなかった。

 墓参りの作法は、実はそんなに覚えているわけでもなかった。記憶を頼りに、墓石に水をかけ花を供える。一通り済ませ手を合わせた所で、相方が、さりげなく四方に眼を配っているのが分かった。
 ヒロシゲの中で言った事を覚えていたのだ。墓参りと一緒に、結界も探す。律儀な物だと思った。それとも、癖になっているのか。

「どう、何か見付かった?」

 片付けた桶を手に取り、一応ながら聞いてみる。そうは言って、結局普通の墓だ。何がある訳でも無いのだが。

「いやあ、何も無い。至って普通の墓ね。ただ……」
「ただ?」
「こうやって、いざ何も無いとして見ると、この風景も情緒がある物だなあって」

 斜面に並ぶ、決して整然とは言えない石の群れ。そのすぐ下に眠るものも加味すれば、確かにそう思う事もあるのかもしれない。
 蓮子も、少しだけその景色を眺めてみることにした。
 風が吹いている。
 まあ、アリかな、と思った。


――

例えば全部で、そうですね、四十話くらいあったとして、十三話目辺りをイメージして書きました。伝わるだろうか、これ。
要はたくさんあるお話の中の一つという意味です。前にも、後ろにも、秘封倶楽部の活動は続きます。その中には、失敗した活動も当然あっただろうなあと。
だからこの話の中で完結していない部分もあるかも知れませんが、そこはもう、そう言うもんだと許してやってください。
ね、謎の金髪美少女とは、一体何者なんだーって。あれ、隠す気全く無いのに「でもわざわざ自己紹介もしないだろう・・・」って名前出す機会が無くなっちゃったんですよ。
楽しんで頂けたら幸いです。おー、こんな秘封、俺も好きだよ。喜びます。
では。
11/26追記 ちょっとリ書き換えしました。
ごまポン
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コメント



0.360簡易評価
1.100名前が正体不明である程度の能力削除
秘封は大好きだ。
2.90奇声を発する程度の能力削除
ワクワクしながら読ませて貰いました
とても面白かったです
5.90過剰削除
面白かった
これはいい秘封
8.100名前が無い程度の能力削除
いい
9.無評価名前が無い程度の能力削除
○お嬢さん
×お譲さん

本当に、3,4クールものの作品における一話という感じでそれらしかったと思います。
10.100名前が無い程度の能力削除
続きを書く作業に戻るんだ!
11.30名前が無い程度の能力削除
蓮子とメリーのグダグダを見るには良い作品
しかし、小説として楽しめたかというと、いまいちな面も多かった
14.70楽郷 陸削除
謎の金髪美少女、最後まで謎だったけど、謎すぎてもう少し情報開示してもよかったかなーって思いました。そこら辺のさじ加減は難しいところですが。
原作では京都に遷都してから寂れた東京はどういうところかわかりにくかったので、この作品ではこの作者さんの寂れた東京はこんなかんじなのかー、と見ていて楽しかったです。
15.90名前が無い程度の能力削除
ボリュームある秘封だった
謎の金髪美少女は、種族魔法使い霧雨魔理沙かなぁ……?とか、捻っていろいろ考えてしまった
16.100名前が無い程度の能力削除
読んでで楽しかった。
旅先で色々騒いだりトラぶったりした大学時代を思い出しました。