ここは、とある素敵な場所にある真っ赤な館。
私はその館にある、大きな図書館で生活しています。
……いえ、させていただいている、が正確な表現ですね。
実は、ご主人様に仕えさせていただいてるんです。
私のような矮小な存在を拾っていただいたばかりか、生活と仕事の場まで与えていただいて……
もう、頭が上がりません。とにかく偉い人なんです。
この方に拾われていなかったらどうなっていたんでしょう……考えるのが嫌になります。
「小悪魔」
ご主人様の美しい声が、私を呼んでいる気がします。……が、気のせいでしょう。
そういえば、今日はずいぶんと早いお目覚めです。まだお茶の用意が出来てません。
これは、呼ばれて行ったら折檻されてしまうのではないでしょうか?
「小悪魔。……小悪魔ー」
そもそも、この声は本当のご主人様のものでしょうか?
いつもなら、一度呼んでも現れなかったらサボりとみなされ、折檻部屋に送られる、のです、がっ……
はぁ、床に積んであった本に足をとられて転んでしまいました。
この上さらに折檻だなんて、散々な扱いです。
「小悪魔ー、返事しないとおしおきよー」
少し返事が遅れただけでこれです。
結構派手な音を出して転んだはずなんですけど、聞こえなかったんでしょうか?
いつもなら金属の刃やらきれいな宝石や氷の結晶が飛んでくるのですが……
ますます本物か疑わしいので、本棚の影にじっと身を潜めます。
持久戦になるかもしれません。水分補給をしておきましょう。
ちょうどすぐ横に、見事な香りを放つ程よい温度の飲み物がありますから。
「小悪魔ー、いるのはわかってるのよー」
そんなはずありません。ただの脅しです。
これは、私が動くまで姿を現さないかもしれません。
うかつな行動が死につながるでしょう、食糧補給も今のうちに。
一口サイズで食べやすく、さくっとした歯ごたえに程よい甘みをもつこの物体は絶品です。
「……そこにいるのは誰かしら」
私以外に人が……?
まさかの刺客登場です。
これは緊張します、のどが渇いてしまいました。
あ、中身がありませんね……また注ぎなおしましょう。
「…………」
しかし、これは非常に美味しいですね。
里の人達もなかなか、分かってきてるじゃないですか。
初めて飲んだ時はあまりの不味さに絶望しましたけど、そんな過去も笑い話になりそうな美味しさです。
そういえば、刺客はいったい誰なんで……
「私を差し置いてお茶を楽しむなんて、いいご身分ね」
目の前に、紫色のご主人様がいらっしゃいました。
刺客はどうしたんでしょうか?
「それはもう、こんなに楽をさせていただいてるんですから、最高の身分だと思いますよ?」
「そう、それはよかったわ。ところで、何で返事をしないのかしら?」
「パチュリー様を狙った刺客がいるんですよね? 私に害が及ばないよう、身を潜めていたんです」
この紫色のお方は、パチュリー様です。
先ほどお伝えしたとおり、とてもすごい人です。
ちょっとインドアが過ぎる気はありますが、とても愛おしい人です。
「……あなたって子は、本当にもう……」
あ、頭を下げました。降伏したんでしょうか?
となると、次に相手をしないといけないのは……メイド長の咲夜さん?
相手が初月で突破してきていることを切に願います。
……作品、違いましたか?
「あ、お茶いります? 里で買ったんですけど、なかなか美味しいですよ」
「刺客がいるかもしれないのに、お茶を飲ませようっていうの?」
「今、真正面で話しかけてるじゃないですか。敵に背中を見せるわけ無いですし」
「…………」
「このお菓子も絶品ですよ。まぁ、これは咲夜さんの差し入れですけど」
「……これはもう、何を言っても無駄かしらね」
あ、大きくため息をしました。今の言葉を要約すると、きっと次のとおり。
刺客はすでに葬った。いまさら機嫌をとっても無駄だ。
次は、主である私に面倒ごとを押し付けた、貴様の番だ。覚悟は出来ているか?
言い訳は聞かん。
「頼みたいことがあるから、外出の準備をして」
死ぬがよ……褒美をくれてやろう。
あれ?
「外出ですか?」
「大事な用事が出来てしまってね。あと、私の分も淹れて頂戴」
パチュリー様公認の外出です。こんなの数十年に一度あるかないかのお祭りです。
気が変わらないうちに外出してしまいましょう。
「じゃ、早速用意してきますね。外出、外出ー」
はぁ、一緒に外に出るなんて何年振りでしょうか。
もしかしたら、初めてかもしれません。
生まれて十七年とヒミツヶ月、初めてパチュリー様とお出かけです!
言い方を変えれば、デート……愛の告白なんてものがあるかもしれません。
「あ、ちょっと。お茶も……」
そうですね、お茶を飲んでから近所の花畑をゆっくり散策。
手をつないで、スキップしながらでしょうか。
それでそれで、勢いあまって転んでしまって……
あぁ、ごめんなさい! 私も体が滑って!
すみません、すぐにどきますね。あぁ、でもでも、手が滑って足が滑って――
「…………」
「外出するのがそんなにうれしいのかしら……」
「髪は痛むし、肌は痛むし、目も痛むし。何もいいこと無いでしょうに」
「まぁ、私は出ないからいいんだけど……」
「……邪魔するのは少しかわいそうね」
「……はぁ、自分で淹れるのは面倒ね。全く、もう少し気を利かせてくれると……」
「……本当に美味しいわね。追加で買ってきてもらいましょう」
「お気をつけて。今日は絶好の外出日和なので、野良妖怪にも注意を払ってくださいね」
「はい、いってきます……」
門番をしている美鈴さんの笑顔が眩しいです。後光をさして輝いてる気がします。
私のような日陰者には少し強すぎるみたいで、気力をそがれます。
なんでそんなに明るく笑えるのか、そこらの妖精に聞いてみたいです。
とっ捕まえて、お尻をぺしぺし叩きつつ、全身をむさぼるように撫でまわして……
……八つ当たりはいけませんね。反省です。
そもそも、近所のお花畑にはロマンスと同じくらいの危険が混ざりこんでいます。
きれいな花にはとげがある。これは過去の偉人達が残した最高の言葉の一つですよ。
……ということは……とげを持てば、こんな私でもきれいに……?
…………。はぁ、日差しが心地いい。
夏もこのくらいの強さならうれしいんですけど。
さてさて。気を取り直して、今回のお使いの概要を確認します。
まず、お買い物。メモを渡されたものを買って来いとのことです。
これは簡単、いつもどおり軽くこなしておきました。
門を抜ける前にメモを落としておけば、他の誰かがやってくれます。多分、咲夜さんあたりが。
いつものことなので、どんなに気が塞がっていても自然とこなせます。
次に、先ほどの葉っぱの追加購入。
発破と聞こえて気を失いかけたのですが、葉っぱだったようです。さすがに危ないですよね。
これも簡単、答えはすでに出ています。
店にあった分は私が買い占めましたから、余ってるはずがありません。
あの美味しさのものをほいほい作れるわけ無いじゃないですか。
パチュリー様ったら、少し時代の流れに乗り遅れてます。
知識を蓄えるだけでなく、しっかり使って消化してほしいものです。
最後に、これはあなたにしか頼めないといわれた用事。
細かいことは覚えていませんが、なんでも妹様絡みのものだとか。
何か不祥事が起こったら、私を生け贄にするつもりでしょうか?
最近は昔ほど暴れることはなくなったのですが、寝付くまで面倒を見るのはなかなか苦痛です。
だって、頬ずりしたくなるくらい可愛いんですもの。頭を撫でるだけでがまんしてますけど。
ちなみに、館のみんながみんな、妹様には甘いんですよ?
この前は図書館の本を破いてしまったのに、パチュリー様、微笑みながら頭を撫でてましたし。
どこかで見た絵画のような見事な微笑みは、悪魔である私にものすごい悪寒を感じさせました。
ちなみに私が同じことをしたら、一週間ほど寝込みました。ひどいと思いませんか?
まぁ、後ろ半分は起きたくなかっただけですけど。
だって……ねぇ?
あんまりじゃないですか。
そんな過去はすっぱり忘れて、厳重に封をされた封筒を開きます。
と思ったら、なかなか開きません。裏面をよくよく見てみると、蝋がべっとり付いてます。
蝋の封印なんて、ここでしか使われていないんじゃないでしょうか?
さて、肝心の内容は……
"私が読んだこと無い本を持ってきて
P.S. 忘れたら一週間お仕置き"
……私というのは誰を指しているのでしょうか?
妹様ならとにかく、パチュリー様だったら大変です。
あの方の読んだことない本なんて、この狭い幻想郷に存在するんでしょうか?
学術書や辞書の類ならあるかもしれませんけど、持って行ったらその本の角で滅多打ちです。
本を読む魔女がそんなことしていいんでしょうか? いつも思います。
うーん、なかなか困った用事です。
私一人で決めるには難しすぎます……
「とりあえず、困ったときは先生に聞かないとですよねー」
「いや、突然言われても困るんだが……」
ここは里にある寺子屋。……のすぐ裏にある、慧音先生のお宅。
寺子屋に行ったら誰もいなかったので、直接お宅訪問してしまいました。
突然の訪問だったからでしょうか、非常に困った顔をしてます。
「ふむ、そうだな……」
「教科書ならいくらでもあるぞ。一式持って行くか?」
ほら、どんなに困っていても相談に乗ってくれるんです。
だからみんなに「先生」って呼ばれてるんでしょうね。
けど、教科書は謹んで遠慮させていただきます。
「そんなの渡した瞬間滅多打ちですよ。その教科書で、私の頭が」
「む、そうか……。香霖堂に行けば、何かあるんじゃないか?」
「店主が気まぐれですからね。それに、つい先日メイド長が買い物に行ったそうなので」
「山のほうの神社はどうだ? 最近、外の世界から越してきたらしいが」
「神様がいるんでしたっけ。私は悪魔なので、出来れば神様は避けたいところです」
「そんなことを気にするようには見えないが……」
「気にしたら負けですよ」
「ふむ、そうか……」
「「…………」」
……先生が真面目に考えてくれて……いえ、下さるのはうれしいんですけど……
読む本も無いのにこの沈黙は、はたから見ると変ですよね……
チョロチョロチョロ……カコン。
竹が石にぶつかって響く、素敵な音。
日の本の国、特に裕福だった層の屋敷に見られるという、不思議な装置。
あんなものを庭に置くなんて、完全な静寂を良しとしなかったんでしょうか。
私は大歓迎ですけど……あ、今のような状況では助かりますね。なるほどー。
と、今はそんなことを気にしている場合じゃありません。
私が考えてもたどり着かない答えに期待してましたが、やはりだめだったでしょうか。
「そうだ、御阿礼の子を知っているか? 彼女なら確実にその本を持っている」
「どこかで聞いた覚えはあります」
「命を懸けて書いているものだから、貸してもらえるかは分からないがな」
「でも、このまま帰ってしまうと……私の命が危ないです」
本当に危ないです。一週間ぶっ続けでお仕置きとかありえないです。
パチュリー様の実験の披見体にされてしまうのかもしれません。
私がこっそり集めている希少価値の高い薄めの本も燃やされてしまうかもしれません。
「互いに命がかかっているということで何とかならないものでしょうか?」
「ふむ、なかなか難しそうだな……」
「「「せんせー」」」
とても元気な声が、表の方から聞こえてきました。
生徒さんでしょうか?
けど、授業ならこんなにのんびりしていないはずですし……
「すぐいくぞー。……すまない、少し席をはずすぞ」
そういえば、先生という職業の方は、子供の扱いに長けているんじゃないでしょうか。
紅魔館には妖精メイドをはじめとして、妹様に三人組妖精に氷精に、子供っぽいのが非常に多いですね。
うまく扱えるようになれば、楽が出来るんじゃ……?
「差し支えなければ私も……」
「あぁいや、すぐに終わる。そこの棚にお茶菓子が入っているから、好きなだけ食べていてくれ」
やんわりとですが、明らかに拒絶の意ですよね……
やっぱり、人外を子供に会わせるのはよくないんでしょうか?
少しというか、かなり落ち込みます。
「すまないな。退屈だったら、教科書でも読んでいてくれ」
「わかりました」
とは言ったものの、なかなか時間をつぶせそうにありませんし……
人様の戸棚を開けるわけにも行きませんし……教科書を読んでみましょう。
はぁ、子供に言うことを聞かせるには、どうすればいいんでしょうか……
足し算に引き算に、架け算に割り算……あれ?
……橋の架け方に……薪割り算……?
これは興味深い…………――
あの後も慧音先生に助言を求めましたが、結局収穫は得られませんでした。
ちょっとした事件のようなものも起きましたけど、里では日常茶飯事らしいので触れないでおきます。
おかげで、里の子供たちに捕まえられた妖精に懐かれはしましたけど……今は本のほうが大事です。
普段は人外というだけで門前払いらしいこのお屋敷、なぜか入れちゃいました。二人とも。
里の中でも一、二を争う大きさのお屋敷。かなりのお偉いさんなんじゃないでしょうか?
もしかして、その人の一生をつづったエッセイなんじゃ……うわぁ、どうしましょう。
そんなの持って帰ったら、博麗神社の賽銭箱に本のしおりを大量に入れに行かされてしまいます。
パチュリー様の笑み、いっぱい。巫女の怒り、いっぱい。私の命、プライスレス。
「…………?」
微妙な心境の変化を感じてくれたのか、首をかしげながら心配そうに見つめてくれます。
この妖精、私の部屋に来てくれないかなぁ……
なんていうか、見ていると心が安らぎます。髪が緑色だからでしょうか?
そっと近づけば頭を撫でさせてくれるし、もう可愛すぎです。
そのまま抱きついて頬ずりもしたいけど、人様の家でそのような情事……ではなく、可愛がりをすることは出来ません。
ほら、誰かの足音が近づいてきましたし……危ない危ない。
「お待たせしてしまい、申し訳ありません」
どんな人物が出てくるか……緊張に昂ぶった気持ちが、そのまま驚きになりました。
だってこの子、新聞で見たことあります。
たしか、一度だけ記事になってました。
数百年に一度にしかあえない、珍しくて可愛くて賢くて可愛らしい女の子だったと思います。
……私達人外から見ても、やっぱり数百年置きに会えるって珍しいですし。
「わざわざ紅魔館から、どのようなご用件でしょうか?」
「いや、大したことはないんですけど……」
……さすがに数百年に一度の書き物を借りるのは……無理でしょうねぇ。
けど、このままだと私の貞操も危ないですし……
次の日に返せればなんとか……でもやっぱり、その一日が大切でしょうし……
うーん、可愛い……じゃなくて……
どうしたものかと悩んでいるのを察してくれたんでしょうか。
相手の女の子は、つーと視線を横にずらして、おとなしく座っている妖精の子を目に留めました。
「ところで、そちらの妖精さんは?」
「寺子屋の子供たちに捕まった、可愛そうな子です。可愛いでしょう?」
「ふーん。見たところ、霧の湖でよく見かける子のようですが」
「……そうでしたっけ?」
「ほら、このチルノっていう妖精の近くです。見たことありませんか?」
さっと本を開いて、チルノという妖精の挿絵を見せてくれました。
なるほど、これは非常に分かりやすい本ですね。
よくよく思い出してみると、図書館に入る妖精なんてそう滅多にいるものじゃないことを思い出しました。
ねずみ捕りの罠はもちろん、静寂と程よい暗闇に包まれた図書館では、妖精もはしゃげないようです。
「この子、図書館が主な活動場所なんでしょうか。図書館に平気で出入りするのは珍しいですよ」
「さぁ。私が聞いても答えてくれないでしょうし」
「本の位置をずらす程度の悪戯ですから、大して困ったりはしてませんけど」
「あれ、悪戯もするんですか?」
「えぇ。本棚が丸ごと移動してて驚いたこともありました」
「……結構大胆なことをするんですね。てっきりチルノの保護者役でもしてるのかと……」
「抑えはしてるみたいですよ。美鈴さんがシエスタしてる時、氷をぶつけようとしてるのを止めてました」
「なるほど。行き過ぎた悪戯にならないように気にかけているといったところですか」
今私が言ったことをさらさら紙に書きながら、妖精さんのほうを優しい目で見つめてます。
見た目の幼さと違って、なかなか母性に年季が入っているような気がします。
……御阿礼の子っていうのはみんなこうなんでしょうか?
「あなたは優しいんですね。私とお話しませんか?」
「…………」
相変わらず無言の妖精さん。
心なしか腕が震えているように見えるのは、人間が苦手だからでしょうか?
それとも、この御阿礼の子が特殊だから……?
「ポニーテールっていうんでしたっけ。可愛いですね」
「…………」
ポニーではなく、サイドじゃないでしょうか。
確かに、見た目以上に強い力は秘めてそうです。
けど、それは妖精であるあなたも同じことですし……
などと考えていると、御阿礼の子の娘、着物の裾に手を入れて、ごそごそしだしました!?
あれ、もしかして私、邪魔者?
「ほら、ここにきゃんでぃがありますよ。こっちにいらっしゃいな」
「! ……」
私のあっち方面の心配は杞憂に終わりました。よかったです。
なるほど、子供にはこういう物欲方面で揺さぶるのが効果的というわけですね。
これを妖精メイドにも……うーん、量的に無理がありますね……
「……いらないんですか?」
「…………」
妹様は甘味より弾幕のほうを好みますし、実践するのは難しそうです。
それよりもこの妖精さん、今はあさっての方向を向いてますけど、明らかにキャンディーを意識しています。
ちら、ちらっと目が動いてしまってるのが可愛いです。
大体、急に変な方向を向いた時点で意識してるのがバレバレです。
……ということは、目の前のお菓子に飛びつかない程度の理性があるんでしょうか。
妖精って、何も考えずに突撃するものだと思ってたんですけど……
「美味しいんですけど、残念ですね。では、私が戴いてしまいましょう」
「!!」
手の平に乗っているキャンディーを畳に降ろし、わざとらしく口にしています。
妖精さんの目は、キャンディーの山に釘付け。瞬き一つしてません。
そんな様子を見つつ、一つを手にとって、包装をわざとらしくゆっくりはがし……
「んー、美味しそうです。いただきま――」
「――!」
「あ……ふふ、ゆっくり食べてくださいね」
ついに強奪してしまいました。
人のものを盗ったら泥棒ですけど、この妖精さんは頑張ったから良しとしましょう。
そして、妖精さんが口の中に広がる味に酔いしれているところへ、後ろからこっそりと近づく影が……
「……そんなことしなくても、そっと手を近づければ触れますよ?」
「ふふふ、私の楽しみの一つなんですよ。ところで、ご用件は?」
獲物を追う猫のような姿勢でそんなことを言うのはどうなんでしょうか。
あまりほめられた趣味じゃありませんけど、私も同じようなものですね。
こういう可愛い子の頭を撫でるのは、ケーキをお腹いっぱい食べるのと同じくらいの幸せを私にもたらします。
頬ずりまでできようものなら、意識が軽く天界まで飛んでしまいます。
パチュリー様の話では、天界は静かで過ごしやすそうだとのこと。引越しを考えたこともあるそうです。
けれども、そこはやはり天界。地上の者を受け入れてくれるわけありませんでした。
あ、桃の人はお呼びじゃないです。向こうで宴会をしている鬼のところにでも帰ってください。
……おっと、今は本のことに集中しましょう。
さて、どうやって交渉すればいいんでしょうか……
「えーっとですね……その、ここにしかない本を貸していただきたいのですが……」
「本をですか? たいした本は無いと思いますけど、それでもよろしければ」
社交辞令っていう奴でしょうか。やっぱり、いい立場の人はそういうのをしっかり使うんですね。
……今、その手に持ってるその本とか、ものすごく貴重な代物だと思うんですけど……
はぁ、とりあえず頼んでみましょう。だめで元々、追い払われたら自分の不幸を恨みましょう。
「たとえば、手に持っているそれとか……あ、無理ならいいんですけど……」
「かまいませんよ。はい、どうぞ」
……あまりの出来事に、一瞬思考が止まってしまいました。
え、借りれちゃった?
あなたの命、そんなに軽いものだったんですか?
「え、いいんですか?」
「えぇ。これは外の世界の本ですから」
「……そうだったんですか。てっきり、命をかけて書いている本かと……」
「私が書いている幻想郷縁起とほぼ同じ内容なので、重宝してるんですよ。本物は……」
「ほら、本物はこちらです。ちゃんとあなたの項もあるんですよ?」
そう言って、正式名称不明の項をわざとらしく見せてから、私のページを開いてくれました。
これはもしかして、あなたの本当のお名前を教えてください、と言ってるんでしょうか?
パチュリー様が言わなかったのを、私が言ってしまうのはいけませんよねぇ……
「……あれ、この子もこの項に書いてあるんですね。大妖精?」
「妖精の中でも力の強い子を、そう呼ぶんだそうです。結構昔からいるみたいですよ」
「それでも里の子供に捕まっちゃうんですね」
「まぁ、妖精ですから。強くても里の子供たち程度のはずですよ。もちろん例外も――」
「…………」
何かに気づいたのか、会話を途中で止めてしまいました。
大妖精ちゃんがじーっと、御阿礼の子……九代目の阿求さんを見つめているからでしょうけど。
それにしてもこの本、便利ですねぇ……
あ、パチュリー様だ。
「あら、食べ終わってしまいましたか。こっちにおいでー」
「……?」
「はぁ……どうしてあなたたちは、こんなにやわらかい髪を持ってるんでしょうね」
「……」
「……あ、こんなところに枝毛が。女の子なんですから、ちゃんと手入れしないと駄目ですよ」
「……!」
慧音先生に……あ、レミリアお嬢様。
こうやって文章で読むと、強いのか弱いのかよく分からないですね……
この友好度だって、咲夜さんの例もありますし、もう少しよくなると思うんですけど……
「ん、リボンも緩んでますね。ちょっと外しますねー」
「!!」
「ああぁ、暴れないでください。わかりました、リボンは外しませんから」
「……――!」
わ、どうしたんですか?
はいはい、泣かないでー。女の子は簡単に泣いちゃだめですよー。
ほら、暴れないで、落ち着いて……
「はぁ、嫌われてしまいました」
「何かしたんですか?」
「頭のリボンを直そうとしただけですよ。やましいことは何もしてません」
「……自分で言うのはどうかと思います」
「……はぁ、私にも懐いてほしいです」
そう言って大妖精ちゃんのほうを向き、手を振って追い返します。
そんなことしたら余計に嫌われちゃいそうですけど……妖精だから気にしないでしょうか。
「ほら、こっちにもおいでー」
「!!」
あっかんべーをして、私の後ろに隠れる大妖精ちゃん。
はたから見てる分には可愛いんですけど、やられた本人は気が気じゃないでしょうね……
ほら、私を睨んできてます。
「…………」
「……」
重たい無言。遠くの方から聞こえる、水や竹の音が聞こえるの空間。
阿求さんは、私の背中からひょっこり顔を出した大妖精ちゃんと、無言の睨み合いをしています。
間に挟まれている私が動くと、大妖精ちゃんも動き、それを追って阿求さんも……百日戦争状態です。
あ、今度は胸元からキャンディーを取り出して、また大妖精ちゃんにあっちいけと手を振りました。
大妖精ちゃんを呼ぼうとしたみたいですけど……肝心の子は、私の羽で遊んでます。
力が弱いからどうってことありませんけど、くすぐったいです。頬ずりしちゃいますよ?
大妖精ちゃんのほうに向き直り、優しく抱き上げて座らせます。
ついでに、寺子屋で見てしまった、慧音先生流子供の叱り方を真似してみます。
あんまり強くやると私も痛いので、そっと近づけてこつんとぶつかる程度に留めて、「ダーメ」と叱りつけました。
けれども先生のときのような効果は無く、抱きついて余計にじゃれてきます。はぁ、どうしましょう。
助けを求めて振り返ると、目に涙をためた、年相応の可愛らしい女の子が目の前にいました。
……本当に妖精が好きなんですね……
「ほら、この子は妖精ですから……。しばらくしたら今日のことも忘れてますよ」
「……私は稗田阿求ですよ。そんな小さい、名無しの大妖精なんか、なんとも思ってません」
「…………」
見栄を張っているのがもろ分かりです。
楽しそうにじゃれている大妖精ちゃんから視線を外せていません。
ちなみに私は座っている状態、阿求さん……今は阿求ちゃんでしょうか?
阿求ちゃんは膝で立っている状態なので、視線の先の大妖精ちゃんは一部が隠れて見えないはずです。
どこでとは言いませんが、阿求ちゃんが男性だった場合、訴えられてもおかしくないとだけは言えます。
私はとりあえず暴力に訴えますけども。
「その気になれば、いくらでも捕まえて好きなだけ愛でる事が出来ます。えぇ、できますとも」
そんなに妖精が好きなのに、捕まえるなんて乱暴なことが出来るんでしょうか?
あぁでも、猫なんかはマタタビを嗅がせればイチコロですし、そういった手法があるんでしょうか。
その方法がなんにせよ、そんな目で言われても――わ、急に私を睨んできました。
この目つきには覚えがあるような……あ、咲夜さんが美鈴さんを本気で妬んでいるときの視線です。
そのときは私も同じ意見だったので、はっきり覚えてます。私も美鈴さんはズルイと思います。
た、確かに比べられたら大きいですけど、それは生きてきた年月が違うというか、生活スタイルが違うというか……
……種族の差とか、経験の差とかなんでしょうか?
「私なんてまだまだ。私の周りにはもっとすごい人が……」
「何の話ですか? もしかして、私が体の一部にコンプレックスを抱いているとでも言うんですか?」
「いえ、なんでもないです。ほんとです」
触らぬ神に、祟り無し……そう思った矢先、大妖精ちゃんが阿求さんのすぐ横に!
「……」
「! よ、妖精なんかに頭を撫でられても嬉しくありません。止めてください」
大妖精さん、自分から地雷を踏みに行ってはいけません!
羽交い絞めにされて、あんなことやこんなことをされてしまいま……
「……?」
「……さっきあげたきゃんでぃじゃないですか。そんなのいりません」
あぁ、嫉妬溢れる戦場に優しさが満ちる……
バサバサと舞い降りた黒い天使のような優しさ。
たまにカッと後光が差し、ジージーと何かを巻く音が聞こえます。
天使は私の視線に気づいたのか、片目を閉じて唇に人差し指を当てています。
了解の意を片目を閉じて返しつつ、自称凄腕記者の働きに期待します。
「……」
「……くれるんですか? あなたは本当に優しいんですね」
「! ……」
あ、大妖精ちゃんに抱きつきました。
大妖精ちゃんは一瞬逃げようとしたみたいですけど、何かを思ったのかじっとしてます。
妖精なのに、相手のことを思いやれるなんて……また頭を撫でてあげたいです。
「はぁ、温かい……。はっ」
あ、大嫌いなご主人様に鉢合わせした猫のようにはじけ飛びました。
烏天狗さんに、今の写真を焼き増ししていただきましょう。
もちろん、抱きつかれて緊張している大妖精ちゃんのほうです。
「お見苦しいところをお見せしました……」
「これでまた、私のコレクションが増えそうです」
「その話をもう少し詳しく――」
「お取り込み中、失礼いたします」
突然、けど慎ましく、大きな女の人が入ってきました。
前触れも無く急にだったので、かなり驚きました。
大妖精ちゃんもポカーンと見つめてます。
「構いません。何かありました?」
「まもなく食事の用意が……」
「あ、もうそんな時間でしたか。食事はどうなされますか?」
しゃべり方が咲夜さんに似ているあたり、メイド長さんでしょうか。
周りがやかましいのに微動だにしないあたり、かなりできるようです。
なお、やかましい原因は大妖精ちゃん。
あまりにも突然の来訪者にどうしていいかわからないのか、部屋中を飛び回ってます。
「私は館に帰ります。そろそろ忙しくなる頃合ですので」
「そうですか。……えいっ」
見事に大妖精ちゃんを抱きとめました。
抱きつかれると一層暴れだしましたが、すかさず私が頭を撫でます。
はぁ、毎日陽に当たってるのはずなのにやわらかい髪。うらやましいです。
しばらくすると落ち着いたのか、私たちを交互に、せわしなく顔を動かして見つめてきます。
様子をうかがってるんでしょうか?
「……あなたはごはん、食べていきますか?」
「……」
「私はお家で食べるんです。あなたはどうするんですか?」
落ち着かせるように問いかけると、またじーっと見つめています。
……不思議そうな顔をしてます。妖精って、ご飯を食べないんでしょうか?
しばらくして、首を静かに振りました。横に。
「そう、残念です。私の分だけで。いつものようにお願いします」
「かしこまりました」
すーっと音も無く扉……ショウジというんでしたっけ?
同じような見かけなのに、違う名前のものが多いんですよねー……と、見た感想を述べつつ、思いを馳せます。
ショウジ、フスマ、アマド、スシ、サシミ、テンプラ、ゲイシャ、フジヤマ。
日の本の国の代表的な文化には、独特の名前がついていて、覚えるのが大変です。
撃墜される妖精みんなに名前があると思ってください。覚えるのがとても面倒でしょう?
うちの妖精メイド達は名前で呼ばなくても反応してくれるので、そんなに苦労しないんですけど。
それにしても、先ほどの動きは洗練されていて無駄が無く、紅魔館のメイド長である咲夜さんを彷彿とさせましたね。
「ここにもメイドがいるんですか?」
「厳密には違いますけど、似たような方々が勤めてます」
この大きなお屋敷にも、紅魔館のように大勢のメイドが……
「え、今の方はメイド長か何かですか?」
「ただの給仕係です。他のメイドも、妖精ではなく人間ですよ。みんなよく働いてくれてます」
……咲夜さんのような普通の人間メイドがたくさんということは、咲夜さんがたくさんということでしょうか?
うらやましい限りです……
「……分けていただく――」
「もちろん不可能ですよ。それに、今の紅魔館は今のままが一番ですよ」
「……だめですか?」
「そもそも、紅魔館はすでに十分な人手があるじゃないですか」
「うぅ、いけずな当主ですね……」
「いけずで結構です。……ふふ、また遊びに来て下さいな」
「はい、必ず。今度くるときは、美味しい紅茶の葉を持ってきますね」
「本当ですか? では、そのときは里一番の洋菓子を買いに行きましょう」
「あ、楽しそうです。じゃあ、多めに持ってきますね」
「えぇ、お願いします」
里の偉い人は、妖怪の偉い人と違って親しみやすい方のようです。
……次の外出が楽しみになりました。
そういえばついさっき気づいたんですけど、ショウジのちょっと奥に例の物体があったようなんです。
「そういえば、あれってなんていう名前なんですか?」
「あれ……とは?」
「水と竹と石の楽器みたいなあれです」
「あぁ、鹿威しですか」
「シシオドシ?」
「竹が石を叩く音に動物が驚くそうですよ」
なるほど。小鳥をはじめ、ねずみのような小動物も近づかなくなるということですか。
大妖精ちゃんはあんなに近づいてますから、妖精には効果がないみたいです。
あんなに近づいて大丈夫でしょうか?
「楽器じゃないんですか……」
「まぁ、驚かないのもいるみたいですけど。……鴉とか」
「?」
「あ、近づいちゃだめですよ。竹で指を――」
「!!!!」
思い切り竹で指を打たれて、ものすごい勢いで阿求さんのほうに飛びついていきました。
……私じゃなかったのが、少し残念です。
「ああぁ、大丈夫ですか?」
「――! ――!!」
「あれは悪くありませんよ。悪いのは、近づいたあなたです」
涙目でシシオドシを指差し、何かを訴える大妖精ちゃん。
もう、可愛いから何をしても許されるんじゃないでしょうか?
天狗さんに写真を焼き増ししていただきたいところです。
「あのお姉さんも言ってたでしょう。女の子は簡単に泣いてはいけません」
「――!」
「いたいのいたいの、とんでけー」
そんなので飛んでいったらお医者さんなんていらないですよ……
と思いきや案外効いているようで、急に泣き止みました。
これではお医者さんが泣いて喜んじゃうじゃないですか。
「泣き止みましたか、えらいえらい」
「……」
あぁ、阿求さんにもしっかり懐いてるじゃないですか。
背中に上って首に抱きついてます。うらやましい。
空気になっている私は、抱き合っているその隙間に頭から入り込みたいです。
「案内が遅れてしまいましたね。こちらです」
満面の笑みで、心なしか頬もつやつやの様子で案内を再開しました。
私もあとで、可愛い娘達コレクションを眺めなおそうと思います。
「じゃあ、名残惜しいですけど……」
「はい、今日はお疲れ様でした。気をつけてお帰りください」
「あはは、私たちはこれからが本当の戦いですけどね」
「そういえば、そうでしたね」
レミリアお嬢様は生粋の吸血鬼ですので、朝遅くに寝て夜早く……
平たく言えば、陽が出ていない時間帯に活動します。
もしくは、とっても楽しそうな出来事が起きそうな時間。
運命を操る程度の能力って、こういう面では便利そうですね。
都合のいい時間に、まるでそれが当たり前であるように、自分や他人を動かせるわけですから。
帰ったら大変ですねぇ。収穫があったので、少しだけ休んでしまいましょう。
パチュリー様はきっと、紅茶とお茶菓子を要求してくるでしょう。
お茶は大量に買い込んであるので、いくらでも淹れて差し上げます。
お茶菓子は咲夜さんにお願いすれば、ものの数秒で出来るはずです。
レミリアお嬢様の場合は頼まれた瞬間なので、この数秒が扱いの差なんでしょうね。
あんまり変わらない気はしますが……
「あ、言い忘れてました。その本は余分に保管してありますので、駄目になっても――」
そうですね、だめになったら茶葉が悲しみますね。
レミリアお嬢様が起きている時間は確か、妹様の起きている時間……
特製のジャムとは合わないのであまり気は向きませんが、妹様にも紅茶をお届けしましょう。
今日の出来事を話せば、妹様の興味は紅茶ではなく外に向くはず。まぁ、何とかなるでしょう。
その後で一悶着おきそうですが、私は頑張ったと言い張れば大丈夫でしょう。
えぇ、きっと大丈夫です。
いざとなったら、茶葉を弾幕に見立てて妹様に投げつければいいんですから。
食べ物で遊ぶとどうなるのか、妹様の目の前で実演して……
……あれ、本当に大丈夫でしょうか……?
「行ってしまいましたか。まぁ、大丈夫でしょう」
「……」
「あなたもそろそろ帰りますか?」
「……」
「そう。また遊びに来てくださいね」
「!」
「……今日も楽しい一日を過ごせました。毎日がこうだといいのですが……」
「そうも言ってられませんね。早速書き足しましょう」
「明日もまた、より良い一日が過ごせるといいのですが……」
おまけ:妖精のたまり場
「ただいまー。弱い妖精のふりって大変だねー」
「大ちゃ……大妖精ー!」
「チルノー、今日は里にって、ぶつかる! きゃっ、冷たい!」
「よかったー、大……妖精、無事でよかったー……」
「え、何でそんなに……もしかして、心配してくれたの?」
「んぐ……違うよ! このアヤクマのせい!」
「わ、いつのまに写真を……『文々』をそうやって読むのは斬新だなぁ」
「え、大妖精はこれ読めるの?」
「うーん、妖精にも読める記事にしてほしいなぁ……こんなの読んであげられない……」
「大ちゃん、聞いてる?」
「え、大ちゃん?」
「わ、わ……なんでもないー!」
「大ちゃん……いいなぁ、今度からそう呼んでもらおうかなぁ。
じゃなくて、暗いのに外に出たら迷子になっちゃうよー!」
めでたしめでたし(?)