いつものブレザースカート姿、ただし頭にほっかむり。無理矢理曲げた独創的な耳が、ぴょんと後ろに飛び出している。
狂気操る月兎、鈴仙・優曇華院・イナバである。
輝夜や永琳の命令で西へ東へ駆け飛ぶ彼女だが、本日のこの格好もそのせいだ。輝夜からの御命令。
眼前には彼女の因縁のお相手、藤原妹紅の邸宅が。
オーダーはオンリーワン。妹紅の密着取材。それも求められる情報は、天狗が新聞のネタにするようななまっちょろい内容ではない。
近くの茂みに身を伏せ、ずりずりと匍匐前進。
なぜこんなスニークミッションをこなすこととなったのか?
元をたどれば長くなるのだが……
輝夜は兎達をイナバとしか呼ばない。
しかし呼ぶときの声の波長が全員僅かに違うために、それで何とか各人判断できている。
しかし。
こと鈴仙に限っては、そんな微妙な違いを聞き分ける必要はなかった。
「へにょりイナバー」
「…………」
鈴仙のことである。
「……へにょりはやめて下さい、姫。私には鈴仙という名前が……」
一兎の分際で輝夜に抗議などとは烏滸がましい限りだが、これなら普通にイナバと呼ばれた方がましだ。
「成る程。あなたはそう主張するのね」
「はい」
「でも」
「?」
「どう見てもへにょりです。本当にありがとうございました」
「私に解ることを言って下さい!」
輝夜はたまに、どこで仕入れてきたのか不明なボキャブラリーでもって永遠亭の住人達を困惑させる。
「まあそんなことはどうでもいいのよ」
よくないです、とぼそぼそと言うが、輝夜の耳には届いていないようだ。
「ちょっとやって欲しいことがあるの」
「はあ」
鈴仙は目をしばたたかせた。こういう場合、輝夜は大抵永琳を通すので、直接言ってくるのは珍しい。
「ちょっと妹紅のところに行ってきてほしいのよ」
「……はい?」
ある種、死刑宣告にも等しい彼女の言葉に絶句する。
「あ、あの……まさか当たって砕けてこいというんじゃあ……」
勘弁してほしい。逆立ちどころか耳で空を飛んでも敵うような相手ではない。
「そんなこと言わないわよ。情報収集してきて欲しいの」
「情報収集?」
想定外の一言に、鈴仙は思わず鸚鵡返した。
「そう。この間永琳が古道具屋で買ってきた本に、『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』っていうのがあったのよ」
当たり前と言えば当たり前のことなのだが、妹紅戦における輝夜の勝率は非常に悪い。
永遠と須臾を操る力があるとはいえ、月ではお姫様、地上に堕ちてはお嬢様、幻想郷では隠居人。
戦う機会という物が少なかったのも確かだが、そもそも本来戦うような身の上でもないのである。
それに対して妹紅はといえば、蓬莱の薬を飲む前はただの人だったにもかかわらず、今や火を吹く超常能力者。踏んだ場数も、くぐった修羅場も尋常な量ではない。倒れるたび傷つくたびもこを強くする、と夜雀も歌っていた。
輝夜も永遠亭に流れ着く前は自ら力をふるうこともあったが、さすがにこの経験差はいかんともしがたい。
となると、その差を埋めるためには戦い方に工夫をこらすしかない。敵を知る、という案は理にかなった、納得のいくものではあるのだが。
「……姫と妹紅さんって、もう百年近いお付き合いですよね。今さら私が行ったところで、新しい情報が手に入るとも思えないんですけど……」
「そうでもないわよ」
彼女のもっともな発言に、輝夜は否と頭を振った。
「以前地上を密室にした時にここに来た連中を、妹紅にけしかけたでしょう? 彼女たちは私に新情報を知らせてくれたわ」
「へえ」
それは興味深い話だ。未だに新たな発見が出てくるとは。
「ちなみにどんな内容だったんですか?」
「なんとね……」
少し身を引いて、輝夜はもったいつけるように言葉をきる。
「妹紅の名字は『藤原』だったのよ!」
…………
「……え?」
「だから、妹紅の名字は『藤原』なのよ」
鈴仙の呟きを聞こえなかったと勘違いしたのか、彼女はおそれ多くももう一度繰り返してあげた。
…………
…………
「……ええええええええええええええええ?!」
「どう?! 驚きでしょ?!」
「そりゃ驚きですよ! いや妹紅さんの名字のことじゃなくて! それを知らなかった姫に驚きですよ!」
何を勘違いしたのか胸を張る輝夜に、鈴仙は無闇に手を振りつつ突っ込む。
「え?! へにょりは知ってたの?」
「へにょりはやめてください! いや知ってましたよもちろん! 当たり前じゃないですか!」
「なんで教えてくれなかったのよ?!」
「姫が知らないなんて思うわけないじゃないですか! ていうか、本名すら知らない相手を殺そうとしてたんですか?!」
「うっ……」
言葉に詰まった。
本当にびっくりだ。この百年という時はなんだったのだろうか。
「……え、えーっと……ともかく今の私は前の私より妹紅を知っている! ちょっと行ってくるわ!」
冷たい視線に耐えかねたのか、止める暇もなく輝夜はいずこかへ飛んでいった。
三十分後。
焦げた輝夜が帰ってきた。
「ダメだったわ」
「……そうですか」
「ちなみに妹紅は私のフルネームを知っていたわ。情報戦では向こうに一日の長があるようね」
「……」
先ほどの出来事を既に忘れているのか、彼女はやたらと重々しく言葉を紡ぐ。
……師匠……あなたは何故この方に仕えているのですか……?
滲む視界で空を見上げた。
笑顔の永琳が手を振っている。
光が、流れた……
とまあこういうわけなのだが。
正直なところやりたくないが、命令とあらば仕方ない。
それに今の輝夜の情報量を考えれば、彼女にとっては新たな情報となる物が入手できる可能性もある。
……よし! ちょっとやる気でてきたぞ! 不毛の中に黄金の輝きを見出すのが私の生き方!
などと考えているうちに、外壁に到達した。そのまま壁に張り付くように立ち上がる。
そろりそろりと窓際まで近づく。幾ら早朝とはいえ、直接覗き込むような愚は犯さない。懐から取り出した手鏡で、室内を覗く。
上半身を寝台から起こした妹紅が見えた。咄嗟に手鏡を引っ込める。
もう一度、慎重に慎重に手鏡を起こすと、やはり妹紅の姿が見えた。
しかし、こちらの様子には全く気付いていない……どころか天井を呆然と見上げ、禄に動きもしない。
……そういえば寝起きが悪いとか何とか言っていたような気がする。
これなら直接のぞき込んでも問題ないだろう。鈴仙は手鏡をしまうと、窓から頭を覗かせた。
茫洋と、視線を首ごと漂わせている彼女。こちらに気付いた様子もない。
これ幸いと、鈴仙は室内を観察する。
雑然としていた。
寝台に椅子。囲炉裏に卓袱台。流しに水瓶……
普通の生活用品はきちんとあるのだが、いかんせんその他のものが多すぎる。そちこちに、むやみやたらとものが置かれているのだ。
特に目を引くある一角。
そこは他と比べて、明らかに異質な空間が広がっていた。
竹細工。
いや、単に竹の篭やらが置いてあるだけなら、驚くには値しない。あちらこちらに散らばって、雑然とした室内を演出しているのも、その竹細工なのだから。
問題はそこにある量である。
篭、笊、箸、匙、杯、盆、弁当箱、枕、手提げ、竹炭……
種類もさることながら、明らかに個人で使うような数ではなかった。ついでに言うなら、使用された形跡もない。
里一つまかなえるのではないか、と思わせる竹細工の数々は、ただ部屋の隅に無理矢理山と積まれているのだった。
鈴仙が首を傾げる。何となく彼女らしくない気がするのだ、輝夜との争いを鑑みると。
蓬莱人同士の戦いに、無駄はない。ちまちま傷をつけたところで、永遠に勝負がつかないからだ。
必要なのは、回避不能の一撃必殺。それ以外の全ては布石。
故に彼女らに無駄はないのである。竹林を燃やしたり、屋敷を吹っ飛ばしたりするのもあくまで過程であって、無駄ではないのだ。本当だ。嘘ではない。
まあ、弾幕と実生活は結びつかないものなのかもしれない。
それに、輝夜の時だけ特別対応している可能性もある。というのも、まれに妹紅にけしかけた妖怪が逃げ戻ってくることがあるのだが、彼らは口を揃えてこう言うのだ。
『あんな化け物だなんて聞いてないぞ』
輝夜との戦いを見るだに、およそ彼女を化け物と評するような要素はない。
いや、不死人というだけで、十分に化け物なのかもしれないが……
ただ、そういった輩は、にっこり笑って労って、玉の枝で吹っ飛ばしてしまうので詳細は不明なのだが。
などと考えているうちに、妹紅が覚醒したようだ。
んー、と一つ伸びをして、水瓶の水を柄杓ですくって顔を洗う。
軽く頬を叩いて、ぃよし! と気合いを入れると、そのままござの上に胡座をかく。
傍らに置いてあった竹片を手に取り、彼女はそれを編み始めた。
室内を、彼女の作業音だけが響く。
あれからどれくらい経過しただろう。おそらく数時間は過ぎているのだろうが、妹紅はただ黙々と手を動かし続けている。
いい加減、鈴仙が退屈してきた頃。
ノックの音がした。
「あーいてーるよー」
振り向きもせず確認もせず、手も止めずに妹紅は応じる。
彼女の様子に、鈴仙も訪問客を確信した。
「邪魔するぞ」
そんな一言と共に入ってきたのは人間好きの里の守護者、知識と歴史の半獣、上白沢慧音。
まあこんな辺鄙な場所をわざわざ尋ねてくるような物好きは、彼女か輝夜くらいのものだ。
さてその慧音だが、奇妙な風体をしていた。服装こそいつもの通りだが、両手には袋を下げ、全身になにやら荷物をくくりつけている。
それをどさりと床に置き、
「今月分だ」
「ありがと」
その時になって、ようやく妹紅は振り返った。
「数は揃ってるから」
言って彼女は、件の竹細工の山を指差した。一つ頷き、慧音がそれに歩み寄る。ついでにその辺に落ちている竹細工を拾い集めながら。
……成る程。
ようやく合点がいったとばかりに、蚊帳の外から鈴仙は手を打った。
つまりあの大量の作品群は内職だったのだろう。それと引き替えに、彼女は慧音から生活品を得ているのだ。
「……別にお前一人くらい食い扶持が増えたところで、私は一向に困らんのだが」
一通りの確認をすませた彼女が、ぼやくように言う。
「駄目よ! 痩せても枯れてもこの身は貴族! そんなヒモみたいな生活、プライドが許さないわ!」
だんっ、と立ち上がり、腕を振り上げる妹紅。
「……貴族の娘というのは存在していることに意義があるのであって、行動なんぞ求められていないんじゃないか?」
貴き身分の娘は政略の道具である、という認識をしていた慧音が、純粋に疑問そうに首を傾げた。
「……え?」
腕を掲げたまま、妹紅が凍りつく。
「じゃ、じゃあ、輝夜の方が正しいの?! 貴族的には?!」
なぜか妙に必死な彼女に、慧音はあっさりと頷いてみせる。
「そうだな。彼女も無能ではないが、それ以上に有能な部下がいるんだ。その提案を唯々諾々するような、君臨すれども統治せず、という態度は、下につく者達にしてみれば理想的な君主像なんじゃないか」
「がーん!」
彼女の言葉に、妹紅は口で驚愕を表現しつつ倒れた。
今まで輝夜に浴びせかけてきた罵詈雑言は、全くの的外れだったというのか。そのわりには彼女も本気で怒っていたように見えたが。
「しかしまあ、一個人としてみるなら、妹紅のほうに好感が持てるぞ。要は立場の違いだ」
そもそも部下に向かってよきにはからえ、といえる立場の人妖は、輝夜を除けば紅魔館のレミリア・スカーレットくらいのものだ。
言って慧音は、床に伏した彼女に手を伸ばす。
ちらりと上目使いで彼女を見、
「……そーね。私は百人召使いがいるより、一人友達がいたほうがいいわ」
そして笑って、彼女は彼女の手を掴んだ。
そして笑って、彼女は彼女の手を引く。
「昼食にしよう。どうせ朝から何も食べていないんだろう?」
弁当箱を広げて楽しそうに談笑する二人を、鈴仙は羨ましそうに見ていた。
確かに永遠亭での生活は楽しい。日々の糧は保証されているし、永琳に師事し、彼女の手伝いをする毎日は充実している。今日のような輝夜からの用命も、平和な日常のスパイスといえるだろう。
しかし、今目の前に広がるものは、彼女の日常にはない。
永琳、輝夜は上司だし、イナバ達は部下だ。あまり言うことを聞いてくれないが。
強いてあげるならてゐなのだろうが、彼女を友達と称すには、語尾にクエスチョンマークを付けざるを得ない感じだ。
今のところ友といえる存在は、遙か空の彼方。それにすら負い目があるし、そもそも二度と会うことはないだろう。
……私ももう少し、外に出たほうがいいのかしら……
何となく沈んだ気分で、彼女は溜息をつく。ぐう。
気落ちしてても腹は減る。
鈴仙は懐から包みを取り出した。
中身は人参饅頭だった。
輝夜が持たせてくれたもので、隠密活動中に食べても音が立たないようにという、彼女の気遣いが見て取れた。
潰れていたが。
懐に入れて匍匐前進なぞしたのだから、当然のことではあるのだが。
無論迂闊だったのは鈴仙であり、輝夜に非はない。
この上ないやるせなさを感じつつ、彼女はそれを口に放り込んだ。
おいしかった。
どうやら、本日慧音はオフのようだった。このまま夜までいるつもりらしい。
彼女らの談笑は続く。
やたらと特徴を強調した輝夜の似顔絵に、慧音が腹を抱えて大爆笑したこととか。
いつぞやの魔法使い達がリベンジに来たのだが、あんまりしつこいので本格的な死んだ振りをしたところ、逆に大事になったとか。
夜雀が屋台のツケを取り立てに来たのだが、無い袖は振れないので炭火のかわりに燃えてきたとか。それが妙に職人気質の夜雀にウケたとか。
今年は気候にも恵まれ、農作物は豊作だったとか。
ヤスキチに三人目の子供が産まれたとか。
なんか私の話は普通なのばかりだなとか。
だがそれがいいとか。
「もうこんな時間か……そうだ、散歩にでも行ってきたらどうだ? お前のことだ、禄に外を出歩いてないだろう」
少し会話が途切れたところで、ふと思いついたように言う慧音。
「あー、一応昨日は外に出たわよ。なんか輝夜が珍しく考えなしに突っ込んできたから、一撃で伸したけど。日も高かったし、あっさりカタついたのはありがたかったかな」
妹紅は肩をすくめた。
時は夕刻。この時季ともなると、もはや日も沈み、竹林は黄昏る。
そして、光ある世界は、彼女の世界ではない。
「そういうのは外出とは言わん」
「……そーね。じゃ、ちょっと行ってこようかな」
「ああ、行ってこい。その間に夕食の準備をしておくから」
「ありがと。期待してるよん」
「まかせろ」
嬉しそうに言う彼女に、慧音は胸を叩いてみせた。
ぐっぱと手をやる。
そして妹紅は、彼女の世界に踏み出した。
赤目白髪白い肌。
藤原妹紅は白子である。
貴族の娘でありながら、異形の子と忌み嫌われ、隠されたのも当然のことといえた。
それでも、彼女を愛した人がいた。彼女の父だ。
日の光を浴びることが出来ず、お世辞にも頑強とは言えない……どころか普通の人間よりも明らかに病弱で寝込みがちだった彼女の見舞いに度々訪れ、そうでなくとも足繁く彼女の元へ通う。
そんな人間は、彼だけだった。
妹紅も父を、愛していた。
そんな愛する父親が、成り上がりの貴族に求婚し、あろう事かはねつけられ、挙げ句の果てに行方知れずとなる。
彼女がその娘を恨むのも、無理のない話ではあった。
まあ、と、久しぶりの散策にも関わらず暗くなってきた思考を振り払うように、妹紅は頭を振った。
今なら理解は出来る。輝夜がただの人間と契りを結ぶことなど、出来るわけがなかったということは。
だが、もう少し角の立たない断り方が出来ただろう、とも思う。色々角が立つであろうことを、そもそも考えていなかっただけかもしれないが。
いきなり「私の名前を言ってみろー!」と叫びながら襲いかかってくるような奴なので、思考形態が根本から違っている可能性もある。
なんにせよ。
父は戻らず、この復讐劇で残ったのは死なない体だけだった。
厭わしく思うこと幾星霜。しかしこの身にも利点はある。日の光に傷んだ体を、幾らでも替えることができるのだ。
そんなことを口にすると、渋い顔をする友人もできた。向こう千年くらいは、退屈しないですむだろう。
これも、タネだ。暇潰しの。
「……まぁだあの莫迦に雇われるようなのがいんのね」
深く溜息をつきつつ、嘆かわしげに首を振る。
視線の先には妖が一人。不遜に笑う女性の上半身に、蜘蛛の下半身。女郎蜘蛛、というやつだ。
……姫の差し金ね。
あとをつけていた鈴仙が、そうひとりごちる。
彼女がついているのをいいことに、妹紅の戦う様を観察させようという腹だろう。これで先の疑問も解決するかもしれない。
「で? あんただ」
無造作に近寄りつつの彼女の誰何は、横に薙ぎ払われた糸の一閃に阻まれた。
首が、飛ぶ。
「こんな……」
「れ……ってひっどいことするわね、あんた」
嘲笑とともに吐き出されたそれの呟きは、緊迫感のない少女の声に阻まれた。
それの表情が、驚愕に引き歪む。
確かに首を落としたはずの少女。しかし彼女は首をさすりながらも、何ら変わりなく歩を進めてくる。
いや、変化はあった。
彼女の髪を括っていたリボンが無くなり、一房となった髪がざあと風に流れる。
その背に、幾つものリボンが舞い落ちた。
「どうしたの、妖怪さん?」
にっこりと、場違いなほどに穏やかな笑顔を浮かべ、しかし彼女の歩みは止まらない。
反射的に、それは動いた。禄に狙いも定めず、滅茶苦茶に両手の糸を振るう。
右腕を切り裂き、左足を吹き飛ばす。頭部が割れ、胸をずたずたに切り裂き、胴を両
断する――
「どうかしたの、妖怪さん?」
変わらぬ口調で優しげに。
彼女はそれの目の前で、足を止めた。
「こっ……のぉ?!」
引きつった声をあげ、それは三度糸を振るい、無数の針を吹きつける。
一歩身を退き仰け反るように糸をかわし、体を捻って針弾を捌く。
「なっ……」
明らかに先ほどまでと異なる彼女の動きに、それの動きが止まった。
「なんであたってあげてたのか。どうして殺されてあげてたのか。……教えてあげよっか」
無邪気な笑顔で彼女は言う。邪気はない。
「それはね」
邪気はない。
蕩けるように、笑顔を浮かべ。
蕩かすように、微笑んで。
「余裕と自信の表情が、恐怖と絶望に塗り替えられていく様を、見たいがためだよ」
あまりにも凄絶な、笑み。
しかし邪気はなく。
「ひぃ?!」
彼女の宣告したとおりの色に顔を染め、それはみっともない悲鳴をあげ、後ずさる。
「ああ……いいわねあんたの反応。最近ご無沙汰だったからなぁ」
恍惚とした表情で、酒精でも入っているかのように、ゆらりゆらりと歩み寄る。
「こないだのやつらといい輝夜といい……あ、輝夜はいいのか……。張り合いがないったらないわ。死に甲斐がないっていうか。少しは驚けっての」
その表情が一転して不機嫌そうになり、ぶつぶつと零しだす。
「その点あんたは素晴らしいわ。不平も不満も文句すらもない、完全無欠のその態度!」
またも一転、彼女は満面の笑みを浮かべ、両手を広げる。
「でも」
一転。
また変わる。
「もう、見飽きた」
無くなった。
「ばっ、化け物……!」
いやいやと首を振りながらの、それの言葉。
「化け物?」
まるで初めて聞いた言葉のように、彼女は驚いた様子でそう繰り返した。
「まあ、化け物も妖怪も同じ様なもんよね」
「貴様なぞと、一緒に……っ!」
じりじりと下がりながら、それは言う。
「ん? 違うの? 私は化け物。あんたはそうじゃない。……じゃああんたは人間か! なら化け物に襲われなくっちゃあ、ねえ?」
「ちっ……!」
それは悟った。何を言っても無駄なのだと。
何をやっても、無駄なのだと。
邪気はない。
「それじゃあ」
あるのは。
「さ」
熱風に、髪が逆巻く。
「よ」
逃げる。目の前に立つ、火の柱。
「な」
振り返る。目の前に翳される、手の平。
「ら」
炎。
煙が燻り、きな臭い匂いが竹林を漂う。
もはや原形すら留めていない黒い残骸を見下ろし、彼女は肩をふるわせる。
泣いているのか?
自らのその行為に。
命を奪うことの罪深さに。
哭いているのか?
くぱぁ。
天を見上げて、口を開く。
ただそれだけのことが、何故か鈴仙には、とてつもなくおぞましいことのように思えた。
「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!」
両の手の指先を猛禽の爪の如くねじ曲げ。
折れんばかりに背を仰け反らせ。
月を見上げて高笑を、哄笑を、狂笑をあげる、彼女。
怖い。
そんな言葉しか思い浮かばない。
あれが人間などで、あるはずがない。
人の形をした、何かだ。
正に、蓬莱の人の形。
あまりにも禍々しい。
禍々しい。
禍々しい……
「おーい妹紅ー、夕食の準備ができたぞー」
禍々……
「はーい!」
…………
魔王の如き狂笑は、霞の如く消え失せて。
しゅたと手を挙げ半回転。
視線の先にはおさんどん。お玉片手に前掛け姿。
「また派手にやったものだな……」
竹林の奥から現れた慧音が、溜息をつきつつ妹紅を見やる。
「えー、大したことないよ。全然延焼とかしてないし」
対して妹紅は、けろりとした表情で辺りを見回した。
「いや、私が言っているのは竹林のことではなくて、お前のことだよ。服、服」
自身を見下ろす。
「あ」
今さらのように呟く彼女。体はいくらでも元に戻るが、破れた衣服はそうはいかない。ぼろ布となって辺りに散乱している。
「お前もいい年なんだし、もう少し文明人としての自覚を持ってだな……」
「あーもーわーかーっーたー、わーかーりーまーしーたー。いーごーきーをーつーけーまーすー。ごーめーんーなーさーいーぶー」
軽く目を瞑り、お玉を振りつつ説教を始めた慧音に、妹紅はふてくされた子供のように唇を尖らせ、ぶーたれた。
「……全く」
あきれたように苦笑し、指を鳴らす。それだけで服もリボンも元通りになるあたり、歴史喰いの面目躍如だ。
「ま、せっかく作った夕食をまずくすることもあるまい。戻ろう」
「今日のご飯はなに?」
「お前の好きなチーズカレーだ」
「わあ! チーズカレー!」
「大量に作っておいたから、余ったら温めて食べてくれ」
「わかった! ボンして食べる」
「……いや、もう少し火力は落とせ」
「それは火炎使いとしての矜持が……」
「そんな矜持は地獄の劫火に……」
「腹を切って……」
「…………」
「……」
少女二人は楽しげに軽口を叩きながら、帰路へとついた。
ずっこけたままの、一羽の兎には気付かずに。
「……帰ろ」
「……とまあ、こんな具合です」
「なるほど……」
鈴仙からの報告を聞いた輝夜は、それを吟味するかのように瞑目する。
ややあって彼女は眼を開き、
「ご苦労だったわね、イナバ。もういいわ。以降は別のイナバに任せるから」
「え?! な、何か問題ありましたでしょうか」
役立たず宣言ともとれる輝夜の言葉に、鈴仙は不安そうな面もちとなる。
だが彼女は首を振り、
「違うわ。問題がないから、別のイナバに任せるの。ほら、妹紅に絡まれても逃げ切れそうなイナバって、あなたしかいないでしょう? でもあなたの報告を聞く限り、そんな心配はしなくてよさそうだから」
……実は結構もの考えてたんですね、姫! さりげにへにょりも消えてるし!
口にしていたらかなりギリギリ、というかどちらかというとアウトな内容を、脳内で叫ぶ鈴仙。
「それでね、イナバ。あなたには別のことを頼みたいのよ」
「なんでしょうか」
そんな内心をかけらも見せず、居住まいを正して返事をする。
「『敵を知り』はとりあえず置いておいて、次は『己を知る』を実践しようと思うの。でも、自分のことは自分が一番よく知っている、ていうのも案外当てにならないものよね」
「そうですね。近すぎて逆に気付かないってこともあるでしょうし」
「だから、今から私のことについて質問するから、あなたにはそれに答えてほしいの」
「なるほど、わかりました」
「では……」
こほんと一つ、咳払い。
「私の名字ってなんだったっけ?」
「ボケ老人じゃねえか!」
保存っと。
再投稿ありがとうございました!(敬礼
どこかで見たなと十分ほど探してしまいました。
二度読んでも面白かった…良いものは良い。
六千点越えのコメントが失われたのが痛いなぁ。
前に入れた点数をいれときますね。
やっぱりいいなぁ、ボンして食べる……。
だからまた新たな気持ちで感想を……
痺れる程に勇ましい妹紅、呆れる程にボケボケの輝夜。
どちらも心から楽しませて頂きました。
改めて読ませて頂きありがとうございました!
いやそれでも十分いいんですよこの作品。
妹紅、お前は一体何なんだ?ひとなのか。あやかしなのか。
……それは問われても答えの無いまさに難題。
久々に読んだら体の奥底からぞくりと来ました。妹紅像がこれで定着するかも……
そしててるよ。……やっぱ部下にまかせっきりはいかんな。脳が凍りつく。
(5分後)
抱腹絶倒がぶり返しましたwww
いつ見てもええわ~
ウドンゲ、大変だろうがボケ老人の世話頑張れ~
やはりいいですね~。
・・レイセン・・老人介護ガンバ・・・w
某幽霊も某スキマも輝夜もNEETっぷりがすさまじぃ。・・・あ、幽霊嬢はNEETではないかw
火を吹くような激辛の妹紅が前後の鈴仙と輝夜のボケという甘さでしっかりカバーされてて、いい具合ですねぇ。
前のコメントでも述べましたが、妹紅のぞっとするようなあのシーンが印象に残っています。狂気と、だけれど少女らしさが同居する。ひどく危なっかしくて、だけれど……と。お見事でした。
永夜組と虹川姉妹の話はそんなに見ないけど、この話はイイね。
もこたんのギャップがいいなぁ