Coolier - 新生・東方創想話

或る人形の話

2010/01/20 05:38:40
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 私は人形である。
 心はまだ無い。



 私は今日も、テーブルの上から主の姿を見つめている。
 同じ人形の仲間たちと、びいどろの瞳で主を見守る。
 眠りはない。心のない人形に睡眠という概念はない。
 私たちはいつも、そのびいどろに主と、主の部屋の景色を映している。

 主が目を覚ます。
 寝台から身体を起こした主は、その柔らかな金色の髪に寝癖の跡を残したまま、私たちのもとへ歩み寄る。
 そして私を抱き上げて、何かを囁く。
 言葉は聞こえない。私たちに聴覚はない。
 けれどそれが、主が私にかけてくれるあたたかなものであると、私は知っている。
 主の手が、私のナイロンの髪を梳く。
 抱き上げられた私は、主の顔をびいどろの瞳で見上げている。

 主は人形師であり、魔法使い。
 人形を作り、人形を売ることで日々の糧を得ながら、魔法の研究を続けている。
 私も、そんな主に作り出された人形の一体である。

 主は人形師であるが、商人ではない。
 人形を売るのは、生活と研究に必要なだけの収入のため。
 だから気に入った人形は、自分の部屋に飾っている。
 私はその、お気に入りの一体。

 主が私の髪を撫でる手は、いつも優しい。
 主の指先が縫い上げる色とりどりの服が、私の身体を着飾る。それを見つめる主の眼差しはいつも楽しげ。
 私は主の人形。主の傍らにあり、主を楽しませ、安らがせるもの。
 私はそれを知っている。
 私はそのためにここにある。

 ある時、主は安楽椅子に腰を下ろし、静かに本を読みふけっている。
 私は主の膝の上に抱かれ、主の顔を見上げている。
 主にとって心安らかな一時に、主の傍らにあれる。
 それが私である。

 またある時、主は私を連れて外へ出る。
 森を抜け、人里へ出ると、そこで主は、糸に繋がれた私の身体をその指で操る。
 両手両足を滑稽に踊らせる私の姿に、通りすがる子供が、大人が足を止める。
 これもまた主の生業。人形劇で人を楽しませること。それもまた、主の収入源である。
 私はときに陽気に踊り、ときに呆然と立ちつくし、またときに飾りの刃物を手にして勇敢に戦う。そうして、主の紡ぐ物語を演じる。
 主を取り囲む視線は、その手元で踊る私に注がれる。
 私は糸に操られながら、その視線をびいどろの瞳で受け止めている。
 やがて主の指は止まり、私の動作も止まる。
 主がぺこりと一礼すると、拍手があがり、足元の籠に小銭が投げ込まれる。
 それが、主の人形劇に人々が満足した証であることを、私は知っている。
 子供のひとりが、私に手を伸ばす。
 主は器用に糸を引いて、私を抱き寄せる。
 不満げな顔の子供に、主は微笑んで何かを言い聞かせている。
 そして鞄から別の小さな人形を取り出し、子供に差し出す。
 貰われていく私のきょうだいを、私はびいどろの瞳で見送る。
 ああして、いくつものきょうだいたちが売られていった。
 けれど私は、主の腕の中にある。
 私は主とともにある。



 されど、ここのところ。
 主が私に触れる時間が、少しずつ減っていることを、私は知っている。
 今も、主は私をテーブルの上に置いたまま、椅子の上で本を読んでいる。
 けれど主の目は、本の上の文字を追っていないことを、私は知っている。
 主はそわそわと待ちわびている。何を待ちわびているのか、私は知っている。
 私はそれを黙って見つめている。
 ほどなく、主が顔を上げる。その顔が一瞬、幸せそうな笑みを浮かべる。
 けれど主はすぐに、何でもないような顔を取り繕って、立ち上がる。
 主が扉を開ける。扉の向こうから、別の人影が現れる。
 それは黒い帽子に黒い服、主と同じ金色の髪をした人間。
 主は迷惑そうな顔をして、その人間を出迎えている。
 人間は図々しい笑みを浮かべて、私の置かれたテーブルの傍らの椅子に腰を下ろす。
 そして人間は、私の額を突いてみたりする。
 すると主は、私を抱き上げて人間を睨んでみせる。
 肩を竦めて苦笑する人間と、私を抱き上げ髪を撫でる主。
 されど私は解っている。
 主の目は、私ではなく、その人間を見ているのだと。

 その人間は、毎日のように主の元に現れる。
 主はその度に、迷惑そうな顔をして出迎える。
 しかし主は、その人間に背を向けるとき、幸せそうな微笑みを浮かべている。
 私はそれを見つめている。
 テーブルの上から、幸せそうな主を見つめている。

 あの人間は客ではない。
 主の人形を買い求めるわけでもなく、人形劇を見物するわけでもない。
 おそらくは魔法使い仲間であろう。主と同じ、魔法を研究する者。
 だが、主の幸せそうな笑みの理由は、それだけであろうか。
 主の笑みはただ、同好の志といるという理由だけであろうか。
 主は――あの笑みを、あの人間のために浮かべている。
 私のためではなく。



 また、私はテーブルの上。
 主の膝の上に抱かれることは、最近めっきり減っている。
 主は今、泣いている。
 静かにはらはらと、肩を震わせて泣いている。
 その肩を抱いているのは、あの黒い服の人間。
 私ではない。
 私はテーブルの上から、それを見つめている。
 私はびいどろの瞳で、それを見つめている。
 主の肩を抱く人間の姿を。
 肩を抱かれ、人間の胸に頬を寄せてすがりつく主の姿を。



 私は。
 私は、主に触れられない。
 私は主の肩を抱けない。
 私は主に抱かれるだけの人形。
 私は主に操られるだけの人形。
 私は――主に。
 主に、――



 主は幸せそうに、黒い人間を出迎える。
 私はテーブルの上で、それを見つめている。
 私の服は、もう幾月も同じものを着せられたまま。
 私の身体には、うっすらと埃が積もっている。
 されど私は動かない。
 私は動けない。
 私は主を見つめている。
 黒い人間と抱き合う主を、見つめている。

 主は私をもう見ない。
 主は私をもう抱かない。
 主は私をもう、愛おしんではくれない。
 私はもう、主の特別なものではない。
 私はもう、主の大切なお人形ではない。
 主の心には、私ではなく、あの人間がいる。
 あの黒い服の人間が。

 私は主を見つめている。
 私は主を見つめている。
 私は、――主を、――……。



 その日、主は私を抱き上げる。
 私の身体は埃をかぶり、服は色褪せ、びいどろの瞳は曇っている。
 主はそんな私を抱き上げ、小さく微笑む。
 私はそれを、曇ったびいどろの瞳で見上げる。
 主は私を抱いたまま、静かに家を出る。
 森を抜け、人里を歩く。
 されど、人形劇は始まらない。
 私の身体に、糸は繋がっていない。

 人里を通り抜け、主はさらに歩く。
 私は主に抱かれ、その道程をただ見つめている。
 やがて主は、その場所にたどり着き、足を止める。
 私のびいどろの瞳が、その景色を映し出す。
 一面の鈴蘭畑が、広がっている。

 主は私を、差し出すように両手で胸から離し。
 次に主の両手が、私の身体から離れた。
 支えを失った私は、鈴蘭畑の中に沈む。
 身体が地面に打ち据えられて、手足が変な方向へ折れ曲がる。
 主はそれを、黙って見下ろしている。

 そして主は、くるりと踵を返す。
 私を拾い上げないまま、主は歩き去っていく。
 私はそれを見送っている。
 びいどろの瞳で、見送っている。



 私は人形。
 主の人形。
 では、私はなぜここにいる?
 なぜ主は、私をこんなところへ置いていく?

 日が照る。
 主は私を拾い上げには来ない。
 雨が降る。
 主は私を拾い上げには来ない。
 風が吹く。
 主は私を拾い上げには来ない。
 雪が積もる。
 主は――。



 繰り返す。
 鈴蘭の花に囲まれて、幾度も幾度もそれを繰り返す。
 日が照り、雨が降り、風が吹き、雪が積もる。
 私はただそこにある。
 鈴蘭の毒に埋もれて、びいどろの瞳でそれを見つめている。

 主は来ない。
 主は私を拾い上げてくれない。
 主は私を抱いてはくれない。
 主は――。

 私は、




 私は人形である。
 心はまだ無い。



 心は、まだ、無い。
「なあ、アリス。こんな話、知ってるか?」
「何よ?」
「魔法使いをやめた人間の話だ」
「……逆じゃなくて?」
「ああ。その魔法使いは、森に引きこもってひとりで暮らしていた。人形を作って、人里で売ることで生計を立てながら、静かに魔法の研究をしていた」
「…………」
「ところが、その魔法使いはあるとき、人里の人間に恋をした。けれどそれは人間と妖怪の恋。結ばれたところで、寿命があまりに違いすぎる」
「……当たり前じゃない」
「だからその魔法使いは、魔法使いであることを止めた」
「どういうこと?」
「魔法を捨て、人形を捨て、人間として生きようとしたんだ」
「そんなこと――」
「出来ないと思うか?」
「……思うわ」
「だけど、人間を捨てて魔法使いになる術があるのに、逆は無いなんてのもおかしな話だぜ」
「……それで、何が言いたいわけ?」
「いや、実はまだ続きがあるんだぜ」
「もったいぶらなくていいわよ」
「その魔法使いは、魔法を捨て、人形を捨て、恋をした人間と幸せに暮らし始めた。ところがしばらくしてから――何かがゆっくり、自分たちの家に近付いてくるのを感じ始めた」
「何かって……」
「それは夜毎静かに、しかしゆっくりと確実に、家へと近付いてくる。夜のたび魔法使いは目を覚まし、近付いてくるその気配にひとりで怯えた」
「…………」
「そしてついに、その気配は魔法使いと人間の家のすぐ近くまでやって来た。魔法使いは意を決して、その気配を確かめようと、カーテンを開けた。――すると、そこには、」
「そこには……?」

「――窓一面にびっしりと、彼女が捨てた人形達が!」

「…………」
「どうだ、驚いたか?」
「――――何よ、その出来の悪い怪談」
「ありゃ、不発か……。ち、面白味に欠ける奴だぜ」
「面白味とかいりませんから」
「まあ、何だ。つまりだな」
「なによ?」
「もう少し人形は大事に扱ってやれよ。爆発とかさせずにさ」
「五月蠅いわね。……あら?」
「ん、どうした?」
「今何か、窓の外に気配が」
「おいおい、止めろって」
「何かしらね? ちょっとカーテンを――」
「おいこら馬鹿止めろってば!」
浅木原忍
[email protected]
http://r-f21.jugem.jp/
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コメント



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6.80名前が無い程度の能力削除
アリス嬢が人形をほいほい捨てるイメージはあんまり無いかなぁ…
でもなかなか面白かったです、はい。
7.80名前が無い程度の能力削除
視点の設定が巧かった。
11.90名前が無い程度の能力削除
アリスかと思った。
そうか、メディさんの制作者か。

うーん、アリスの人形はやはり使い捨てかなぁ
13.90名前が無い程度の能力削除
今日を人形の日にしよう
15.90名前が無い程度の能力削除
まあ、アリスは九十九神を作りたい訳ではないでしょうしね。
人形を人に見立てる必要はない以上、人形はあくまでも人形として扱うのが使い方なんでしょう。

人形を大事にしろって言う魔理沙の考え方が、女の子らしくてちょっと可愛いですね。
16.100名前が無い程度の能力削除
びいどろって響きは素敵よね。ガラスでなくびいどろ。

窓の向こうにはなんと…元気に走り回るゴリアテの姿が!
17.100奇声を発する程度の能力削除
今日を人形の日にしよう。そうしましょう。

アリスの話じゃ無いんだ!!>11さんのおかげで分かったw
メディを作った人も色々大変だったんだろうなぁ。
24.100削除
正直、巧い、やられたって感じの話です。
短いながらも面白かったですね。
こういう話は正直好みです。
27.100名前が無い程度の能力削除
せつなさとやられた感と怖さが入り混じってどう反応してやら……。
31.90名前が無い程度の能力削除
メディの製作者…をイメージして書かれたのは確かだろうけど、本当にアリスと言う可能性も捨て切る事は出来ない……そして何よりどんなに『出来の悪い』結末だとしても単に「作り話」である可能性(もしかして一番高いか?)の存在によって巧みな物語へと終着する……いやぁ浅木原さんは毎度考えさせてくれる…!!
39.100名前が無い程度の能力削除
アリスの爆弾人形って形変わらないまま真っ黒になって画面外に飛んでくんだけど、もしかして再利用可能なのか?
実は爆薬じゃなくて魔力を全放出して動けなくなるだけとか?
まぁ、いちいち人形を壊すよりそっちの方が(私の心情的に)いい気がする。
45.90ずわいがに削除
……ぅわお、人形には本当にまだ心は無かったのでしょうか。
せつないなぁ。しかしあとがきで落ち込んだ雰囲気のフォローも忘れないのは流石です。
47.90名前が無い程度の能力削除
あー、コメ読んでやっと気付いた
そうか、アリスじゃなかったのかこれ
54.100名前が無い程度の能力削除
初めはてっきりアリスかと思っていた
56.80名前が無い程度の能力削除
メディの誕生秘話ですか。
恋に生きるために人形を捨てた魔法使い、悲しいですね。
黒い人間と抱き合うところで、「マリアリひゃっほう!」とか思った僕は汚れているよ。
62.100令和の時代からこんにちは削除
結局誰なのかわからないところがいいです。ー