Coolier - 新生・東方創想話

絶唱石

2016/07/02 21:11:03
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「姉さん、早く早く」

森の奥深い道を、足早に少女が歩く。

「急かすなっての。転ぶわよ」

数歩遅れて、少女がもう一人。
雨上がりの森の中、柔らかくなった地面の上では、足を滑らせやすい。
だが前を歩く少女――九十九八橋は、後を歩く姉・弁々が止めるのも聞かず、急ぎ足でぬかるんだ土を踏むのだった。

「平気だよー」

森の空気は、真夏とは思えないほどひんやりと涼しく、通り雨が残して行った湿気にも、不快な肌触りはない。
八橋はそんな森の中を、踊るように歩く。
面白いものがある、と言って自分をここまで連れ出して来た妹は、余程それを早く見せたい様子だった。

「……ったく」

その生来の無鉄砲な性格にいつものように呆れつつも、心底楽しそうな表情を見せる八橋を見ていると、弁々の口元も自然と緩んでしまう。
やがて視線の先に木々が開け、八橋がその先を指差す。

その空間には、池があった。

湖と呼ぶには狭いが、水面には魚の影もあり、睡蓮や葦も多く自生する立派な池である。
水面から少し高い空間を、青や緑に光る、何匹もの糸蜻蛉が飛び交っては、時折水の中へ卵を落としていく。
雨上がりの空はまだどんよりと曇っており、水面の色も特別に綺麗というわけではないが、
調和がとれた自然の水場の風景は、見ているだけで不思議と心が落ち着く。

景観そのものが、涼しい風を運んでくるようであった。

「なるほどねぇ」

池の前で足を止めた妹の傍に並び、弁々は言った。

「あんたにしちゃ、風流な場所を見つけたじゃない」

そう言って栗毛色の髪を撫でようとした弁々の手をすり抜けるように、八橋は向き直った。

「あれだよ、姉さん!」
「……あれ?」
「そうそう。ほら、こっちこっち」

八橋は弁々の手を取ると、ある一点――畔から桟橋のように池へ突き出た、大きな一枚岩の下へと歩き出した。
近づくまでもなく、岩は平たく、その上で立ったり座ったりできるような形状をしていることが分かる。
岸に向かう先端は尖り、反対側が丸く広がった、見ようによっては琵琶によく似た岩でもあった。

弁々は過去に幾度か、池や湖の上にせり出す形で作られた舞台や神楽殿を目にしたことがあるが、
この岩はまさに、それらと似た構図で畔に鎮座しているのであった。

「まさか、この岩が」
「そうだよ!この上で合奏もできちゃうよね」

やや手狭だが、奏者――たとえば笙、鼓、そして琵琶や琴などの和楽器の――を数人並べて合奏するくらいなら、一応は可能に見える。
縁のあちこちが苔むしてはいるが、大部分は裸の岩肌で、上に座っても服が汚れることはなさそうであった。
この風流な池の上で、天然の舞台に上って音を奏でる。
直情型で、演奏においても侘・寂・雅といった概念よりも、場の盛り上がり、
いわゆる「ノリ」を優先しがちな妹にしては、弁々好みなステージチョイスであると言えた。

「いいじゃないか。今度ここで演奏してみよう」
「……今度?違うの姉さん。ほら、こっち来て」

八橋は弁々の手を引き、二人で岩の舞台に上がった。

「ほーら、始めるよ」

広げられた手の中から、赤い妖力の琴糸が伸びる。

「今、やるの?」
「ここからが面白いんだから」

同じく赤い琴爪を嵌めた指先で、弁々を招く。
八橋の意図がよくわからなかったが、ひとまず弁々も自身の演奏の準備をした。

「んじゃ、いつもので」

音合わせの際、手始めの肩慣らしに使う短い練習曲。
弁々は妹に急かされるまま、撥を手に取った。


※ ※ ※


最初は、いつも通りの演奏であった。
水場の涼しい空気の上、音の通りは確かに悪くないが、取り立てて特別なものを、弁々は感じていなかった。
そこに、その音は不意に響いた。
弁々の琵琶でも八橋の琴でもない、別の楽器の音色が、練習曲の旋律に、いつの間にか加わっていたのだ。

龍笛――笛の音であった。

弁々の耳がそれを捉えた時には既に、他にもいくつかの楽器の音がそこに響いていた。
同じく笛である笙、篳篥。
楽太鼓、鉦鼓、羯鼓といった、打楽器。
琴と琵琶だけがあるはずの岩の上で、笛と鼓の音が、楽器も奏者もないのに、鳴っている。

驚いて妹を見ると、得意げな顔でウインクをしてきた。
八橋が見せたいと思っていたものは、これであったと、弁々は理解した。
正確には、聞かせたい、だろうか。
どのような原理でこの音が鳴っているのかはわからないが、その演奏の腕は、決して悪いものではない。
乱れることのない音色からは、聞く者を高揚させる「楽しさ」が確かに伝わって来るのであった。
思えば、付喪神として幻想郷で目覚めてこの方、これほど多くの楽器と「合わせ」を行ったのは初めてであった。

面白い――。

姿の見えぬ楽器と奏者に感謝こそすれ、気味悪がって演奏を止めることなど、弁々には有り得ないことだった。


※ ※ ※



「……わたしたちにしか、聞こえない?」

演奏を終え、二人は寄り添って、琵琶型の岩の縁に腰かけていた。
澄んだ水に素足を晒すことで、突然の合奏で大いに盛り上がり、火照った心身をクールダウンしていたところである。

「そうなんだよー。この岩の上じゃないと、あのたくさんの楽器の音は聞こえないの」

八橋は最初にこの岩を見つけ、どんな曲にも加わって来る、姿なき楽器群の存在に気付いた。
だが偶然近くを通りがかったという妖精に話を聞くと、八橋が一人で演奏している音しか聞こえなかったという。

「へぇ……勿体ないね」

それが弁々の、素直な感想であった。

「相当な手練れなのに。この岩、誰か高名な奏者の霊でも取り憑いてるんじゃない?」
「かもね。もしくは――覚えているんじゃないかな」

八橋がぽつりと言った。

「覚えている?」
「そう。遠い昔に、この岩の上で、たくさんの奏者が集まって、皆で楽しく曲を奏でた――その記憶を、今でもこの岩は覚えているんじゃないかな」

八橋は優しい手つきで、岩肌を撫でた。

「だから、あんなに嬉しそうで、楽しそうな音を聞かせてくれるんじゃないかなって」

この岩を「舞台」と見るのならば、それは楽器と同じくらい、音楽には欠かすことができない「道具」である。
楽器である自分たちが遠い昔の音楽を忘れられずに妖怪となったように、
かつて舞台であったこの岩が、音楽への想いを同じように強く持っていたとしても、おかしくはない。

「……ふふ、なるほど」

岩は何も語らない。
あの音の正体がなんであるか、簡単には分からないが、弁々にとってそれは些末なことであるように感じた。

「あんたもなかなか、わかってきたんじゃない?」

弁々は言いながら、足を組んだ。

「わかってきたって、何がよ」
「道具のこと、付喪神のこと……あとは、音楽のこと」

単純で無鉄砲だとばかり思っていた妹が、目の前の怪異と音楽をあのように解釈し、表現したことが、弁々は妙に嬉しかった。

「今の気持ちを忘れないことね。物や自然、そのどこからでも感情の音色を見出すことができれば、あんたの琴糸はどんな曲だって奏でられる」
「……偉そーに」
「褒めてるんだよ」

とはいえ、少しばかり上から目線が過ぎたか、と弁々は心の中で自嘲した。
今更謝るのも気恥ずかしく、弁々は手近な小石を手に取り、その尖った先で、苔が広がる一角に記号を刻んだ。

「ほら、これ」

弁々が苔の上に刻み付けたのは、大きな花丸であった。

「いい練習場じゃないか。……ありがと、八橋」
あかねども岩にぞかふる色見えぬ
心を見せむよしのなければ

――伊勢物語 第七十八段 「山科の宮」より


今年も本格的に暑くなってまいりましたね。
真夏でも涼しい森の中の、さらに涼しい水辺の空気が伝われば幸いです。

元人間、元動物の妖怪とは違う「元道具」の妖怪である付喪神の、
独特の感情表現は、考えたり、書いたりするのが本当に楽しいです。
皆も書こうぜ、付喪ガールズ。

それではまた、どこかの幻想郷で。

Twitter ID: @tailfinslap
ぐい井戸・御簾田
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コメント



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6.100名前が無い程度の能力削除
 楽しませて頂きました。
 涼しげな雰囲気、確かに感じられました。
7.90名前が無い程度の能力削除
とてもいい
8.90名前が無い程度の能力削除
ええ掌編やこれは……