※はじめに
東方でサスペンス劇場的なものを目指しています。
なので作中殺人事件が発生します。
誰が犯人で誰が被害者でも構わないという覚悟のある方だけ読んでください。
紅魔館には一人の使い魔がいる。
その名を小悪魔。だが小悪魔とは彼女の種族の名前であり決して彼女の名前では無い。普通小悪魔は魔界より召喚された時に主人から名前を与えられるものである。そしてまた、名前を与える事によって使役の儀式は完了をするものでもある。
しかしこの小悪魔、どういうわけか主人のパチュリー・ノーレッジから名前を与えられる事は無かった。つまり厳密には彼女は使役されてはいないのだが、両親に立派な使い魔となると言い残して魔界を出たためすんなり帰るわけにもいかない。かといって他に食い扶持の当てがあるわけでもなく、しかたなく図書館で司書の真似ごとをしながらずるずると過ごして現在に至る。今では使い魔がすっかり板についていた。
そんな小悪魔にとって幻想郷での生活は少しだけ魅力的なものだった。魔界という都会で育ったためか田舎暮らしに妙なロマンを感じている。
今日も小悪魔は図書館の仕事を早々に切り上げると釣り具片手に山の中に入って行った。いつもは湖で釣りを楽しむのだが折角の田舎暮らし、川釣りも楽しもうという算段だ。
季節は暦の上では春になったが未だに肌寒い天候が続く。かつて起きた異変を思いながら小悪魔は雪融けの水をバケツに汲み、最近新しく買ったばかりの釣り竿をしっかりと握りしめて急流に糸を垂らす。
川べりの手近な岩に腰かけて水の上で足をぶらぶらとすること十数分、何者かの手が小悪魔の足首を掴んだ。
「きゃっ!」
突然の事に驚いて足を引こうとするが足首を掴んだ腕は簡単にはそうさせてくれなかった。小悪魔は恐怖のあまり腰を抜かしてしまったがこのまま何もせずに川の中に引きずり込まれるのは御免だ。
きっと川の中で死んだ怨霊が仲間を求めている。思いつく限りの悪霊払いの言葉を口にして見よう見まねの十字架を切る。そのどれもが無駄だとわかるのにそれほど時間は必要無かった。
新品の釣り竿は握りしめたまま小悪魔は体ごと後ろに下がろうと試みた。足を掴んでいる腕はなおも放す気配がない。と、川中からもう一本の腕が出てきてそれは小悪魔が座っていた岩を掴んだ。グッと力を込めると水中の悪霊は水しぶきと共に姿を現した。小悪魔の恐怖は最高潮に達する。
「ふ~、やっぱり水の中は最高ね」
水の中から現れた人影、村紗水蜜は濡れた黒髪を掻きあげて帽子を整えた。
「って、命蓮寺の村紗さんじゃないですか」
腰を抜かしていた小悪魔は目をパチクリさせた。もさっきまでの恐怖などどこ吹く風で心が落ち着いてくる。おばけも正体さえわかればどうということはない無害な船幽霊だ。
「ええっと、紅魔館の小悪魔だっけ?」
「そうですよ。それより足を放してください」
「あっ!ごめん」
村紗は慌てて掴んでいた小悪魔の足から手を放した。小悪魔は立ちあがってスカートについた砂埃を払う。
「ごめんね。真っ当な船幽霊してた頃の癖で」
「水の中に引きずり込まれるかと思いましたよ」
「本当にごめんね。引きずり込んでいいんなら引きずり込んだんだけど」
この冗談には流石の小悪魔も顔をしかめた。この間読んだ本では外の世界には『慰謝料』というシステムが存在するようだが今ならふんだくれそうだ。
「村紗さんは何をしてたんですか?まさか本当に水中に引きずり込む相手を探してたんじゃないでしょうね?ちなみに私は釣りをしていました」
そう言って小悪魔は釣り針をもう一度川の中に投げ入れた。
「そんな事もうしてないよ。ただ水の中は落ち着くから川を溯って来たってわけ」
「溯上ですか。まるでマグロですね」
「えっ!マグロって溯上するの?」
「?」
村紗がなぜ驚いているのか理解できなかったが小悪魔は特段気にする事も無く釣り竿を上下に揺らした。ただ待っているよりそうしたほうが川釣りっぽいと思ったからである。
村紗も村紗でマグロの事など忘れてしまい小悪魔の釣りに興味を示す。
「何か釣れた?」
訊ねながら傍らのバケツの中を覗く。先程の亡霊騒動でも横転しなかったバケツの中には川の清らかな水が張られ、魚は一匹たりとも泳いでなかった。
「まだ何も釣れてないようだけど」
「見ててください。今に釣れますから」
小悪魔が強がると村紗は「お手並み拝見」と石の上に座った。
それから十数分。糸は小悪魔と激流が揺らす以外に全くと言っていい程微動だにしない。
「釣れませんね~」
厭味ったらしく言う村紗。
きっと村紗が川を遡上なんてするから魚がみんな逃げたんだ!そう言い訳をしようと振り向いた時、釣り糸に違和感を覚えた小悪魔は咄嗟に力を込めた。次の瞬間にはものすごい力で引っ張られて危うく川の中に落ちる所だった。
これはでかい獲物だ!
日頃本の整理で培った力を生かして引き揚げようとする。だが、そう容易くは行かない。
「お、手伝おうか?」
見かねた村紗が申し出る。小悪魔としては自力で釣りあげて村紗の鼻を明かしてやりたい所だったが四の五の言っていては新品の釣り竿を魚に取られてしまう危機感を抱いていた。
「お願いします!」
「よし来た!」
村紗は釣り竿を握った。そして村紗自身も今まで釣りあげた事のない大物の予感を感じた。
これは昔海で見たクジラという奴の子供かもしれない!
未だ見ぬ獲物の影が水面に現れる。
「もう少しね。せーので引っ張るよ!」
「はい!」
小悪魔は返事をすると腰に力を入れた。
「せーのっ!」
あらん限りの力で引き上げる。獲物の影が水面から離れると途端に糸を引く力は軽くなってはずみで2人とも後ろに倒れた。
そして釣りあげた大物が小悪魔の上に覆いかぶさる。
次の瞬間、2人は悲鳴をあげた。
紅魔館の地下図書館ではいつもと同じくパチュリー・ノーレッジが読書に勤しんでいた。
ふと、喉の渇きを覚えたパチュリーは休憩がてら紅茶を飲もうと思い立つ。
「小悪魔、紅茶を持ってきて頂戴」
いつものように本人としては努めて大声を出す。しかしいつもなら返って来る返事は無く、紅茶を持った使い魔も顔を見せない。
パチュリーは再度深く息をして先ほどよりも本人としては大声を出す。
「小悪魔、紅茶を頂戴」
だがやはり返事は無く、代わりに図書館の扉が開いてメイド長の十六夜咲夜が顔を覗かせた。
この際咲夜でもいいか。というより咲夜の方が上手に紅茶を淹れてくれるのだ。
「丁度いいところに来たわ。紅茶を淹れて頂戴。小悪魔がいないのよ」
すると咲夜は恭しく
「パチュリー様も丁度いいところにいましたわ。先程里から連絡がありまして、小悪魔が厄介事に巻き込まれたようなので身元引受に来てほしいと」
「は?」
咲夜の言う里とは故郷、親元という意味では無い。妖怪が跋扈する幻想郷において数少ない人間が住まう集落、人間の里の事だ。
そんな場所で一体何をやらかしたというんだ。
パチュリーがため息をつくとテーブルの上にはいつの間にか紅茶が準備されていた。
これを飲んで早く紅魔館の恥さらしを引きとってきてくれ。咲夜がそう言っているようでパチュリーはますますため息が出た。
人里に来たパチュリーは具体的にどこに行けばいいのか知らされていなかった。しかしこういう場合は上白沢慧音の家を訪ねればいい。人里で人外の輩が起こした厄介事に対応できるのは慧音ぐらいだ。
慧音宅の戸を開けるとそこには小悪魔ともう1人、命蓮寺の村紗水蜜が正座で慧音の前に座っていた。
「パチュリー様!」
主の姿を見つけて小悪魔の顔はパッと華やいだ。パチュリーは嫌そうな顔をしてやった。
「うちの小悪魔が何かしたのかしら?」
慧音に訊ねる。
「ん、ああ、何かしたのかな?正確には何かしたかもだが、したことは事実だな」
「どういうことよ?」
慧音の言った事が要領を得ずにパチュリーは顔をしかめる。
「私達死体を釣りあげたんですよ」
「死体?」
パチュリーはますます顔をしかめた。
「ああ、こいつらは川で釣りをしていて死体を釣りあげたんだが、その死体が里の長老だったんだ」
「それはまた大層な大物を釣り上げたわね」
「……パチュリー」
慧音は窘めるように言った。
「それで小悪魔とそこの船幽霊はなんで拘束されてるわけ?」
「疑う訳じゃないが、長老が水死体で発見された現場にいたんだ。事情を聞かない訳にはいかないだろう。特に村紗は」
すると村紗は口ごたえを試みた。
「疑う訳じゃない?いいや、慧音さんは私を疑ってるね」
パチュリーが小悪魔の側についたからか村紗は正座を解いて胡坐をかくと強気にでた。
「私は仏門の身。いくら昔の血が騒ごうが人殺しなんてしないよ。あ、葬儀の御相談は命蓮寺にどうぞ」
そう言って挑発的な視線を慧音に送る。ところが小悪魔は
「どうですかね~。村紗さんは私を水中から脅かしましたし、その前に長老さんを川に引きずり込んだ可能性だってありますよ」
「ちょっと小悪魔ちゃん、そんな誤解を招くような事言わないでよ」
「小悪魔様と言ったら許してあげましょう」
「調子に乗るなよコイツ」
村紗は高飛車な小悪魔を羽交い絞めにする。
「ギャー!これが村紗さんの本性です」
「いや、これは違うの!」
慌てて解放する。そして今度はパチュリーに対して
「ね、パチュリーさん、私の無実を証明して。私とあなたの仲でしょ」
「私達一体いつから仲良しになったのかしら?」
「まぁそう言わずに」
「何か見返りがあるのかしら?」
「私の自慢のアンカーを一つ」
「……」
「あと何かあげるからさ」
懇願する村紗にパチュリーは折れた。
「いいわ。丁度いい暇つぶしにもなるし」
「本当に!流石パチュリー。話が分かる!」
しかし慧音は嫌な顔をしていた。
「暇つぶしとはあんまりな言いようだな。人が1人死んでるんだぞ」
「そう角を立てないで。真犯人がわかればあなただって助かるでしょ」
「まぁそうだがな。だが村紗が犯人という可能性だって消えたわけじゃないぞ」
そう言って村紗に一瞥をする。村紗は慧音に舌を出した。
パチュリーは首を横に振った。
「それは無いと思うわよ」
「なぜだ?」
「自分で水中に引きずり込んだ死体を自分で釣りあげる間抜けな犯人がいる?」
それもそうだが村紗は何だか複雑な気分になった。
パチュリーは慧音立ち会いのもとまずは死んだ長老の遺体と対面することにした。小悪魔、村紗も後に続いて長老の住んでいた家へと歩くが里の人々からの視線は厳しい。
「私達が釣りあげなければ長老さんはもっと流されていたわけですから感謝されるべきです」
小悪魔はぼやいた。
水死体で発見された里の長老とされる男は人間の里では有力な地主の家長だった。家も他より一回りも大きい。もっとも紅魔館には遠く及ばない。
長老の遺体は真っ白な死に装束に着替えさせられて畳の間に寝かされていた。白髪がまだほんのりと湿っている。
慧音は遺族を刺激しないように部屋の外に出して自分達だけ残った。戸が閉められるとパチュリーは早速魔法で遺体を浮かせた。流石に死体に手で触れるような事はしない。
角度を変えながらまじまじと眺める。川を流される時にできたものだろうか全身傷だらけだ。その中でも特に目立つ傷痕にパチュリーは注目する。
「後頭部に大きな傷があるけど、後ろから殴られたんじゃないかしら?」
「どうだろうな。流れの激しい川だから岩にぶつかったものだとも思うが」
簡単には結論は出ないだろう。
「それと、これを見てくれ」
慧音は遺体の指先を示した。
「爪が剥がれている。川に引きずり込まれるのに抵抗した跡にも見えるが」
「慧音さんは余程私を犯人にしたいようですね」
「そういうわけではないが、何者も疑ってかからなければな」
パチュリーはその流れを絶つように小悪魔に問いかける。
「流れの急な川というと妖怪の山にでも登ったのかしら」
「はい。そうですよ」
小悪魔が明瞭な声で答えるとパチュリーの視線は慧音へと向けられた。
「人間の里の長老が妖怪の山に一体何の用だったのかしら?釣りあげられたということは少なくともさらに上流で川に落ちたはずよね」
小悪魔も頷いた。
「そうですねマグロのように溯上したりしませんもんね。何があったんです?」
慧音は答える。
「ああ、一週間後の里の奉納祭の招待状を出しに今朝山の方に行った」
「奉納祭?」
「そうだ。種蒔きのこの季節に秋の豊作を願って行うんだ」
「ということは秋穣子を?」
「あぁ、だが穣子だけじゃない。神奈子と諏訪子も呼んでいるぞ。大地と雨風は作物にとっては重要だからな」
「わかりました!」
突然小悪魔が声を上げた。
「わかりましたよ。犯人は穣子さんのお姉さんの静葉さんか早苗さんです!」
「あら、どうしてそう思うのかしら?」
訊ねると小悪魔は得意げに推理する。
「簡単です。静葉さんは穣子さんが呼ばれるのに自分が呼ばれないのは不満があったはずです。早苗さんだって神奈子さんと諏訪子さんがお祭りに行ってるのに1人だけお留守番なんて我慢できなかったに違いありません!その怒りがついに爆発して――」
「あー、悪いんだが小悪魔」
慧音は小悪魔の推理を遮るように声を出す。
「早苗も静葉も招待こそしていないが祭には来るぞ。主賓でこそないが彼女達も神々だ。みな感謝しているはずだし。動機には成りえない」
「あれー?そうなんですか?」
小悪魔は頭を掻いた。「では次は~」とまたも頭を捻り始める。
「あなたは少しばかり短絡的過ぎるのよ。でも、招待状を渡しに行って事件に遭ったとすればその可能性は十分にあるわね。まずはその線から当たってみましょうか」
すると慧音はため息をついた。
「神様を疑うっていうのは少々バチ当たりな気がするが、……念のため、持っていくといい」
そう言って部屋の神棚から手紙のようなものを三つ取り出した。
「奉納祭で3人に奉納する品の目録だ。何かの役にたつかもしれない」
折りたたまれた目録にはそれぞれ『八坂神奈子』『洩矢諏訪子』『秋稔子』の名前がでかでかと書かれ、続いて奉納品が続いている。
「祭当日に使うから後で返してくれよ」
パチュリーは受け取った目録を小悪魔に渡した。
パチュリーは妖怪の山に足を踏み入れた。小悪魔は本日二度目となる山だ。仮初の自由を手に入れた村紗は悠々と命蓮寺に帰って行ったが有罪か無罪かをパチュリーに託しているならせめて手伝いでもしたらどうかと小悪魔は思ってしまう。
長老の遺留品には奉納祭への招待状は無かった。つまり全員に招待状を渡した後に川で流れた、もしくは招待状が遺棄された可能性がある。もし1枚でも残っていれば死亡する直前の足取りは簡単に特定できるのだが。どちらにしろ長老が立ち寄った可能性があるのは守矢神社と秋穣子の所。そしてその両方ともが小悪魔と村紗が死体を釣りあげた箇所より上流だった。
最初に訪れたのは静葉と穣子が祀られているという小さな祠だ。
神社のような鳥居は無く洞穴の入口にしめ縄が垂れ下がっている。人々から絶大な信仰を得ているはずの豊作の神にしては質素にすぎる気がした。
「そういえば、あなたは悪魔なのにこういう場所平気ね」
しめ縄の下をくぐりながらパチュリー。小悪魔は主を笑った。
「そんなの迷信ですよ。十字架や聖水は見ると不愉快になりますけどね」
明るい声が洞穴の壁に反響して響く。
「誰かいるの?」
その声は背後から聞こえて2人は振り返る。祠の入口の所に立っていたのは秋静葉であった。
「あぁ、おでかけでしたか?」
小悪魔が声をかけると静葉は「おでかけ?」と首を傾げた。そしてすぐに意味を悟って口元を緩める。
「ここは家ではないわ」
「あれ?ここに住んでるんじゃないんですか?」
「洞窟になんか住まないわよ」
「あら?じゃあここは何かしら?私達はあなたがここに祀られてると聞いて来たのだけど」
パチュリーの疑問はもっともなものだった。静葉は目の前の神様初心者に一つ説いてやる事にした。
「神様は必ずしも祀られるものではないのよ。信仰心さえあれば存在は維持できるの。私の場合は秋の紅葉を美しいと思い感謝される気持ちが信仰となるのよ。だから私はここに居ようが里に住もうが、たとえ紅魔館に住んでいても秋さえ迎えてくれれば平気なの」
「じゃあこの祠は何なんですか?」
「私はどこにいても大丈夫だけど、信仰を効率よく集めるには祀るための場所があると便利でね。何も無いよりは有難味があるでしょ?だから試しに建ててみたの。神社があるともっといいんだけど……」
「失敗してる神社もあるものね」
パチュリーが言うと静葉は苦笑いした。
神様の世界も意外と神聖などという言葉とは程遠い下世話なものだなぁ。小悪魔の素直な感想だ。
静葉は祠の壁に手を当て自分で編んだしめ縄を見上げた。
「今みたいな季節は、たまにでもいいから手を合わせてくれる人がいると助かるの。自分の場所だから誰かが来たらすぐに分かるしね」
ここでパチュリーは本題に入る事にした。
「ところであなたの妹の所に里の長老が訪ねてきたと思うのだけど」
「長老さんが?あぁ、そろそろ春の奉納祭ね」
楽しみの一つが近づいてる嬉しさかにこやかに答える静葉。
「その長老が昼過ぎに水死体となって発見されたわ」
「え!水死体って、じゃあ亡くなったの?」
パチュリーは黙って頷いた。静葉も神妙な面持ちとなる。
「そう。人間としてはもう結構なお歳だったから……」
「その長老が今朝奉納祭の招待状を出しに山に登っているわ。あなたの妹の所にも来なかったかしら?」
静葉はちょっとだけ考える仕草をとった。
「穣子ちゃんの事まではちょっとわからないわね」
「あなた自身は長老には会っていないのね」
「えぇ、春の奉納祭には私はお呼ばれしないから……」
「でも静葉さんもお祭りに来るって聞きましたよ」
小悪魔が割って入る。
「穣子ちゃんのおまけでね」
答えると小悪魔は静葉を真っ直ぐに見つめて確認をする。
「おまけですか」
小悪魔は言葉の裏に潜む真意を掴もうと神経を集中させる。
「おまけよ……」
自分を見つめる小悪魔に気おされながら答える静葉。フイッと視線を外す小悪魔に思わずホッとため息が漏れる。
「じゃあ穣子に会うにはどこに行けばいいのかしら?」
「え?」
「穣子もあなたのように祠を持っているんじゃないのかしら?」
「え、ああ、穣子ちゃんはそういったもの無くても大丈夫な子だから祠は持っていないわ。それにさっき家を出たからどこに行けば会えるかというのはちょっとわからないなぁ。明日また来てくれれば必ず会えるようにするけど」
その答えに小悪魔は一つため息をついた。
「しょうがないですね。では先に守矢神社に行きましょうか」
主に申し入れる。
「そうね」
そう言うと静葉にお礼を告げて踵を返す。
守矢神社の方へ去って行くパチュリーと小悪魔を静葉は見送った。
守矢神社は妖怪の山の山腹にある湖をさらに一望できる場所に建っていた。この辺りまで登ると4月を迎えても肌寒く、雪かきで集められた雪が融けずに残っている。
「小悪魔?何してるの」
鳥居をくぐったパチュリー。小悪魔は泥にまみれた残雪を未練がましく眺めていた。茶色く汚れた雪ではもう遊ぶ事もできない。
本殿の方を覗くと出迎えに早苗が現れた。
「あら、パチュリーさんじゃないですか。どうされたんです?入信ですか?それとも退治されに来たんですか?」
一気にまくしたてる。すると小悪魔も悪のりして
「早苗さん、退治ではなく魔女狩りですよ」
などと宣始末だ。
パチュリーは流石に不機嫌になった。空を飛んで来たとしても山登りだ。出不精の身には堪える。
いつも以上に眉間にしわを寄せながら睨むと2人とも流石に察した。
「……ごめんなさい。こちらにどうぞ」
案内されたのは神社の方ではなく普段から住んでいる母屋だった。
神奈子と諏訪子の二柱が来る間パチュリーは出されたお茶で一服する。出されたのは緑茶だったが、いつもの紅茶の癖で音を立てずに啜った。一方で小悪魔は、緑茶は音を出すのが粋だと思っていたためワザとらしく大音量でズズズズと茶を啜る。
しばらくして神奈子が部屋に入って来た。
「待たせたな」
「いえ、ちょうどいい休憩になったわ」
パチュリーは持っていた湯呑をテーブルに置いた。
小悪魔は最後に自分の粋を見せようと茶を啜ったが下品なくらいの大きな音に神奈子も顔をしかめる。
神奈子に続いて早苗が部屋に入るとそこで戸を閉めた。
「あら?諏訪子は?」
守矢神社のもう一柱、洩矢諏訪子が不在だ。
「ああ、あいつはまだ冬眠……って言っても起こせば起きるんだがな。本人は眠そうだからそっとしてやってくれ」
「そんなんでいいんですか?神様なんですよね」
「守矢神社は神奈子様を祀った神社ですから問題はありませんよ」
とは早苗だ。
「じゃあ諏訪子さんは居候みたいなものなんですか?」
小悪魔が訊ねると神奈子は豪快に笑った。
「居候か。まぁ確かにそんなようなものかもしれないな」
「その点はパチュリー様も一緒ですねー」
指摘されてパチュリーは咳払いを一つして本題に入る。
「昼前に人里の長老が来たと思うのだけど」
すると神奈子は静葉の時とは対称的に
「来たぞ。奉納祭の目録を持ってな」
「目録?」
それは今小悪魔が持っているはずだ。
「あぁ、祭で私達に奉納する品を一覧にしたものだ。招待状みたいなもんさ」
ならば目録と招待状は同じものなのだろう。
「残念だったな。目録を受け取る時は諏訪子も起きてたぞ」
「そうなの?」
「一応神事だからな。本人不在じゃ締りが無いだろ。で、それがどうしたんだ?」
神奈子が訊ねたのでパチュリーは事件の事を告げる事にした。
「人里の長老が死んだわ」
「何!?」
それまで朗らかだった神奈子の顔が険しくなる。早苗も口元に手を当てて驚きを露わにした。朝出会ったばかりの相手ならば当然の反応だ。しかも里の長老となれば神社とも馴染みが深いだろう。
「朝はあんなに元気でしたのに」
「参拝道ができたとは言えこんな山奥だからな。早く若い者に譲れと言ったがまさか今日の今日とは……。で、なんで死んだんだ?」
「多分水死です」
小悪魔が答えた。
「水死……。帰りに川にでも落ちたか」
「それを調べてるのよ」
「パチュリーがか?何故だ?里の者でもないのに?」
「まぁ色々事情があってね」
その死体を釣りあげたのがここにいる小悪魔だとは中々口に出せない。
「わざわざ調べるという事は何かあるんだろうな。いいぞ、真相がわかるまでは協力しよう」
「察してもらって助かるわ」
「で、私達は何をすればいい?何が助けになる?」
「そうね。じゃあ亡くなった長老がどんな人物だったか教えてもらえるかしら?私達とは面識が無かったから」
そう言って神奈子へと返事を求めた。
「どんな人物だったか……か、何分中々会う機会が無いからな」
「あら?そうなの」
パチュリーは意外そうに呟いた。神奈子はすぐにその呟きに反応する。
「祭では会うには会うが酒の席だし、長年の付き合いがあるわけでもない。滅多な事が無いと神社にも来ないからな。早苗の方が詳しいだろ」
早苗へと話を振られてパチュリーもそちらに視線を移した。
神社の庶務全般を受け持っていた早苗は人間の里とも関わりが深い。しかしその早苗も首をかしげながら
「うーん、好きにはなれないタイプ……でしたね。やる事なす事いいかげんな感じでしたし」
「酷い言われようですね」
はっきりとは言わないが辛辣な言葉が飛び出た。里の長老で、しかも故人によくもここまで言えるものだとも思うが早苗は少し常識が欠如している嫌いがある。その事をパチュリーは思い出す。
横で聞いていた神奈子は笑った。
「老人なんてみんなそんなもんだろうな。特に長老ともなれば。早苗は向こうにいた時から年寄りには苦労しているし」
幻想郷に入って来る前の事を思い出す。
守矢の奇跡の子として周囲から期待された早苗は、望むと望まざるとに関わらず周りの老人からは『特別』な扱いを受けていた。それが早苗本人を苦しめていた事を誰よりも気にかけていたのは諏訪子であったが、神奈子は早苗がそんな苦労を笑い飛ばすような強い子に育ってほしいと願っていた。
「だいたいの人となりはわかったわ。じゃあ目録を受け取った時の事も詳しく教えてもらえるかしら」
パチュリーは質問を変えた。
神奈子と早苗は顔を見合わせる。
「ああ、その時か、何も変わった事は無かったな。なあ早苗」
「ええ、私も見てましたけどいつもと同じ口上でいつも通り行ってましたよ。諏訪子様が眠そうにしてましたけど」
流石に眠たかったのを起こされたから殺したなんてことはないだろう。小悪魔もそんな馬鹿みたいな事は考えていなかった。ただ、小悪魔の中ではもっと別の可能性が首を擡げていたのだが。
「目録をもらった後は?どこに行くとか言ってなかったかしら?」
訊ねると早苗が思いだそうとこめかみに人差し指を当てた。
「えっと、確か穣子様の所に行くって言ってましたね。湖の所までお見送りして、その後はずっと神社のお仕事してましたからわかりませんけど」
パチュリーは視線を神奈子に移した。
「ああ、私も受け取りの神事が終わった後の事は知らないな」
「あなたも何かしていたの?」
「祭用に豊作祈願のお札作りをしていた。これが中々売れるんでね。今日は本殿の外にはほとんど出てないよ」
「諏訪子はどうかしら?」
「諏訪子?」
「目録受け取りの神事を終えた後はどうしたのかしらということよ」
すると神奈子と早苗はまたも顔を見合わせた。
「布団の中に潜ったんじゃないのか?」
「でも2人ともそれを確認したわけじゃないでしょう。死んだ長老と何か話していたとかは?」
「……さぁな」
パチュリーがさらに深く訊こうと口を開くと早苗が不満そうな声を漏らす。
「まるで諏訪子様が疑われているみたい……」
その言葉にパチュリーは普段からは思わせないような俊敏な反応を見せた。
「疑われてる?今早苗は疑われてると口にしたわね」
「えっ、えぇ……」
不意に向けられた言葉に早苗は驚きながら頷いた。
「私は長老が水死したとは言ったけどそれが『何者かの仕業』だとは言っていないわ。それなのに疑う疑わないという話の流れに感じたのはどういう事かしら?」
「それは!パチュリーさんがあんまりしつこく諏訪子様の事を訊ねるから……」
「神事の後の事と、長老と会話したかどうかの質問よ。神経質に過ぎると思うのだけど」
「ですから、それは……」
パチュリーは息つく間もなく捲し立てる。早苗の言葉の端と様子に何かしらの手ごたえを感じた。だがそれもつかの間、神奈子が風祝に助け船を出す。
「里の者でもない、紅魔館の賢人であるパチュリーが動いているとなれば誰でも事件だと直感的に疑うだろう。少しぐらい神経質になるのは仕方がないんじゃあないのか」
流石に守矢神社を預かる神は聡明であった。
冷静な反論にパチュリーは前のめりになっていた姿勢を元に戻す。
「一理あるわね」
神奈子も決して激昂することなくパチュリーを見据える。
「何でも疑わなければならないあんたの立場もわかる。誰を疑おうが構わないし責めもしない。二言なく協力は惜しまないよ」
「神奈子様!」
早苗は何か言いたげに神奈子の方を見た。パチュリーも小悪魔も今すぐにでも追い出して欲しいに違いなかった。だが、神奈子はそんな早苗を制しながら続ける。
「それに私は早苗も諏訪子も馬鹿な事はしないと信じている。これは心からの声さ。この言葉はちゃんと受け止めてもらうよ」
パチュリーは静かに頷いた。
神奈子にここまで言わせて、これ以上この場で追及を続けるわけにもいかない。何よりも神奈子の言葉で早苗がすっかり冷静さを取り戻していた。絶大な信仰を集める神は思慮深くパチュリーの矛先をかわしてしまった。
守矢神社から退散をしたパチュリーは紅魔館への帰路についた。
日が傾けばまだ冷たい風の吹く季節だ。特に今年の冬は長く、春が訪れても中々桜の蕾が花開かない。
完全に暗くなる前にとパチュリーと小悪魔は空を飛ぶ。
「パチュリー様は諏訪子さんを怪しいと思ってるんですか?」
「どうかしらね」
小悪魔の問いにパチュリーはそっけなく答える。
「でも私思うんですけどいいですか?」
「何かしら」
「長老さんが死んだのって、事件じゃなくてただの事故で川に落ちただけって事は考えられませんか?確かに神様達の中で一番水に関係しているのは諏訪子さんですから、もし殺人だとしたらそりゃあ断然怪しいのは諏訪子さんですよ。でも川に転んで落ちただけって可能性もありますし」
「あなたは水に関係しているという理由で諏訪子を怪しんでるの?」
返って来た問いかけに小悪魔は驚いた。
「そうじゃないんですか?」
パチュリーは飛翔するスピードを緩めることなく話す。
「私が引っかかるのは死体の後頭部にあった打撲の傷」
「え、でもあれは川で石にぶつかったものだって……」
「それはあくまで一つの可能性にすぎないわ。でもあの傷だけ他よりも明らかに大きくて目立っていた。それに後頭部の打撲よ。人間にとって致命傷になる傷が偶々ついたのかそれとも意図的につけられたものかと問われれば私はまず後者から疑ってかかるんだけど?」
抑揚の無い調子で諭され小悪魔は、もう主に何を言っても聞かないだろうと覚った。
パチュリーはさらに続ける。
「それに私が疑っているのは早苗の方よ」
「早苗さんを?」
「早苗は明らかに私に何か隠し事をしているような風だったわ。揺さ振りをかけたら動揺していた。後頭部を殴って川に投げ入れたとしたら水の中で活動できなくても問題はないし、事件の当事者でなくとも何かを知っていたわね。あれは」
せめて神様の怒りにだけは触れないでもらいたいものだ。小悪魔はそう祈るしかなかった。
翌日。
パチュリーと小悪魔の2人は前日言われたとおりに秋穣子に会うため再び静葉所有の祠へと向かった。
前日守矢神社まで行った事もあり小悪魔には秋姉妹の住まう場所がとても人里に近いと感じられた。それでも妖怪の山を半分とまでは言わないが登らなければならないのだからお手頃とまでは言えない。小悪魔が釣りをしたのは山への入り口付近で、こんな所まで来て釣りをしようとは思わなかった。
今日は昨日とは違い祠を訪れても静葉はすぐには現れなかった。
待つ事になるなら本をもってこればよかった。パチュリーは後悔する。小悪魔はというと
「パチュリー様、見てください。カエルですよー」
冬眠から起きたばかりなのか眠そうな顔をしたカエルが抵抗もしないで小悪魔に握られていた。
それを目の前に掲げられてパチュリーは嫌な顔をした。
小悪魔はこのカエルをチルノに贈れば喜ぶだろうと思いスカートのポケットに入れる。自称都会っ子の小悪魔だったが悪魔なだけにカエルを扱うことは平気だった。
「可哀そうに」
パチュリーがカエルに同情の言葉をかけていると、今日は秋穣子が現れた。
「あら、妹の方が来たわ」
「お姉ちゃんから私に用があるって聞いていたので」
穣子は間髪いれずに答えた。
「じゃあ人里の長老が死んだ件についてはもう聞いているわね」
「はい。ここでは何なので家まで来ます?」
「いいえ、ここで結構よ」
「ここはお姉ちゃんの祠なので」
そう言われてパチュリーは小悪魔と顔を見合わせるもお互いに回答を聞く事なく穣子へと向き直った。
「では案内してもらうわ」
「どうぞ」
穣子は手で示しながらパチュリー達を連れ立って山の木立の中へと入って行った。
穣子と静葉の住む家は祠からさらに山奥へと入った場所にあった。冬の間雪の下で押しつぶされた枯れ草の上を歩き、まるで獣道かと思うような木々の間を掻い潜った先に立つ小さな小屋。やはり豊作の神の居住まいとしては相応しくないように思える建物だった。
室内に入ると穣子は早速お湯を沸かし始めた。最近の河童の技術でお湯を簡単に沸かす『ケトル』なる道具と電気は通っているようだった。それも建物に対して不釣り合いで小悪魔は妙な気分になった。
「どうしてこんな山奥に家を?」
パチュリーはケトルから立ち上る湯気を眺めながら質問する。
「山奥かしら?守矢神社よりかは山奥でないと思ってるけど」
「そうじゃなくて、どうしてこんな人が立ち入らないような場所に?もっと道を整備して神社のような社を立てれば信仰が集まるんじゃなくて?」
「ああ」
と、穣子が頷いた時、パチンという何かを弾いた音がした。それがお湯が沸いたという合図だったようで穣子は急須にお茶っ葉とお湯を注いだ。
「緑茶は嫌いじゃない?」
「いいえ」
パチュリーが答え小悪魔は首を振る。紅茶の方が好きではあったが何よりも電気ケトルというもので沸かしたお茶を飲んでみたいという好奇心が先行する。
穣子は2人の前に湯気の立つ湯呑を置いて向かい側に座った。
「えっと家の話だったかな。まぁ、気分かしら」
「気分?」
聞き返す。湯呑の温度はまだまだ高かった。
「冗談。本当はね、人気者だからよ」
穣子はそう言って冗談めかして笑った。そして湯呑に手を当てて温度を確かめながら続きをパチュリーに話す。
「信仰は欲しいけれど、豊作祈願って昼夜構わず来られても困るでしょ。それに凶作の時なんて石を投げ込まれた時だってあるのよ。もう随分と昔の話だけど」
「それでこんな人の寄りつかない場所に。神様も大変なものね」
「その点お姉ちゃんは羨ましい。紅葉が中々色づかなくてもなじられたりしないんだから」
言い終わると穣子は茶を啜った。
「同じ姉妹なのに大変なんですね。そういえば今日は静葉さんは?」
小悪魔は辺りを見渡しながら訊ねる。今日は姉、静葉の姿を見ていない。
「さあ?どこかに出かけたと思うけど」
「もしかして静葉さんとあまり仲良くないですか?」
先程の発言といい、小悪魔は些か勘ぐってしまう。しかし期待とは裏腹に穣子は笑い飛ばした。
「別に仲悪くなんてないわよ。いつも一緒にいたら疲れちゃうでしょ?」
「そうですか?私はいつもパチュリー様と一緒ですよ」
「私に黙って勝手に釣りに行くけどね」
食い下がろうとする小悪魔だったがパチュリーから思わぬ横やりが入り思わずたじろいだ。
パチュリーは再び話を戻す。
「さっきあなたが言っていたような、信仰がある故のデメリットって他の神様にもあるものかしら?」
穣子は少し考えてから答えた。
「あるんじゃないかしら」
「具体的な例があれば教えてほしいのだけど」
「それはそれぞれ違うからわからないけど……お姉ちゃんみたいな人の心に関係した信仰じゃなくて、何か物が貰えるとか実利のある信仰だと逆恨みもされやすいんじゃないのかしら」
「あなたのような?」
問いかけると穣子は一拍置いて「……えぇ」と、答えた。
「あとは、実害が無くても怖がられてる神様とか」
今度は小悪魔が食いついた。
「怖がられてる?神様って怖がられるものなんですか?」
「ほら、八坂様って蛇を象っているでしょ?だから蛇が嫌いな人には怖がられてるかもしれない。そういうことよ」
小悪魔は手を叩いて納得をした。
「なら諏訪子さんは得しましたね。蛙ってすごく愛くるしいですもの」
それは人の好みだろうな。パチュリーはお茶を啜りながら思った。穣子もその意見には苦笑いを浮かべる。
「それで本題に入るのだけど」
と、パチュリーは切り出した。
「昨日死んだ人里の長老は最期に奉納祭の目録を渡していたようなの。そのことは静葉から聞いていた?」
すると穣子はゆっくりと首を横に振った。
「いいえ、そこまでは。お姉ちゃんも長老さんが死んだって事で驚いていたみたいだから」
「そう。それであなたの所にも長老は来たのかしら?それだけ確認したかったの」
穣子はやや困ったように首を傾げた。
「私の所には来てないわ」
パチュリーは驚く。
「あら、でも見つかった長老はあなたの分の目録を持っていなかったわ」
「どういうこと?」
穣子もまた眉を顰める。
「あなたの所に来ていないのにあなたへの目録が無い。誰かが抜き取ったのかしら」
「でも誰が?」
怯えたような瞳で訊ねる穣子に小悪魔が主に代わって聞き返す。
「心当たりはないんですか?」
しかし稔りの神は首を横に振った。
「ないわね」
これ以上は現段階では推測するしか手はない。パチュリーは手もとのお茶を飲み干した。それを見ていた小悪魔も残ったお茶を喉に流し込む。
「ありがとう。中々おいしかったわ。そろそろおいとましようかしら」
「いえいえ、お粗末さまでした」
立ち上がるパチュリーと小悪魔。穣子も席を立つ。と、パチュリーが再び静葉の方へと振り返った。
「最後にもう一つ」
「な、何かしら」
穣子は少し驚いていた。パチュリーは立ったまま質問を繰り出す。
「みんなに聞いている事だけど、亡くなった長老はどんな人だったか教えてもらえる?」
「みんなに?お姉ちゃんには聞いてなかったみたいだけど……」
「そうだったかしら?」
横の小悪魔に確認すると小悪魔は「聞いてませんよ」と主に教える。
「それは失礼」
そのやり取りのうちに穣子は答えを考えていたようだ。
「よく言えば豪放磊落、悪く言えば軽率でいいかげん。って所かしらね。……つまらない冗談で失笑を買うような人間だった」
「早苗さんと同じ事言うんですね」
小悪魔が驚いてパチュリーの方を見遣る。
「やっぱりそういう人物だったようね」
「早苗もそんな風に思ってたのね……」
穣子は苦笑した。
幻想郷に来てまだそう長い付き合いでない早苗にまで酷く言われるようでは、長い付き合いであろう穣子の苦労は慮れる。
最後に小悪魔は同情的に頷いた。
「これで死亡する前の足取りはわかりましたね」
秋姉妹の邸宅を後にすると小悪魔はパチュリーに耳打ちした。
「守矢神社には確かに行ったのに穣子さんの所には行っていない。長老さんはまず守矢神社に行き、その足で穣子さんの所に行こうとした。その途中で事件に巻き込まれたんでしょうね」
守矢神社と共に幻想郷に来た風神の湖。その畔に洩矢諏訪子は立っていた。
何をするともなく広い湖を眺める。
「冬眠はもういいの?」
声をかけられて振り向くとそこにはパチュリーとその使い魔が立っていた。
「神奈子に聞いたの?冬眠のこと」
「えぇ」
諏訪子は帽子の鍔をいじりながら小声で
「あんなのは怠けたいための口実よ。この辺のカエルが目覚めるまではそう言って神事は全部神奈子に押し付けるのさ。内緒だよ」
すると小悪魔は秘密共有の嬉しさにニヤリと笑った。
「それで、カエルは目覚めたかしら?」
「いいや。今年は変に寒かったからまだだね。もっと下の方では起きてる奴もいるみたいだけど。帰ってもう一眠りしようかな」
パチュリー達に背中を向けて神社の方に足を向ける諏訪子。小悪魔は慌てて
「じゃあそのまえに色々と聞く事があります」
と、呼びとめる。
諏訪子は振り返った。
「聞く事ってなんだい?」
小悪魔はパチュリーの方を窺った。
「亡くなった長老の人となりを聞かせてもらおうかしら」
「それは昨日早苗から聞いただろう」
「何故その事を?」
訊ねると諏訪子は笑った。
「神だから」
パチュリーはムッとして笑う神様のタネを暴きにかかる。
「人里の長老が死んだ事も、私達が調べ回っている事も、全部早苗から聞いたのでしょう」
「それもまた神徳というやつなのだわ」
ケロケロと笑う諏訪子。このままのらりくらりとかわすのかと思っていた矢先
「ま、悪人との評価は免れえぬ事情はあったんだろうがね」
だしぬけに放った言葉に小悪魔はさらなる追求を試みる。
「長老さんは悪い人だったんですか?」
「人間なんて罪作りな生き物だからね。もっとも、罰を下すのも神の成す業なれば許すもまた神なり」
諏訪子は再びケロケロ笑う。
「諏訪子さん、難しい事言って雲に巻こうとしてませんか?」
「そう?いい奴じゃないけど私は許していたということよ。畏れ慄く人間に罰を下すのは神様のすることじゃないと思うがどうだい?」
「確かにそうですけど……」
答えながら小悪魔は主を見た。諏訪子もまたパチュリーへと視線を移す。
パチュリーは2人の視線に応えるように諏訪子へと問いかける。
「あなたは死んだ長老について何か知っているようね」
「知ってるけどそれは事件とは関係ないよ」
「それは私が決める事よ」
「言ったら私を疑うのを止めるかい?」
試すような瞳でパチュリーを見る。
「それも私が決める事よ」
パチュリーの答えを聞いて神はつまらなさそうに
「昨日早苗から聞いたよ。私は疑われてもやましい事などないんだけど、あんまり早苗を苛めないであげてね。最近ちょっとおかしいけど優しい子なんだから」
「疑わしきは早苗ということかしら?」
諏訪子の口元から一瞬笑みが消えた。しかしまたすぐに元の調子に戻す。
「あーうー、そんな風に聞こえた?」
「何でも疑ってかかるのが私の役目なのよね」
「私も神奈子と同じで早苗を信じているのよ」
「えぇ」
諏訪子はしばし黙ってパチュリーの顔を見ていたが、愛想の無い顔を見あきたかのように
「いいわ。話す」
と、切り出した。このままでは埒があかない。
「まぁ端的に言うとあの男は祟られていたのよ」
「祟られていた?」
「そう。あんなのは私ぐらいしかわからないよ。昔悪い事してたんだろうね」
「じゃあ、事件の裏には祟りがあったということですか?」
小悪魔は震え上がった。
「いやいや、関係ないってさっき言ったからね。祟り殺されるような呪いならわかるから」
「あくまで関係ないという事ね」
パチュリーが確認する。
「私はそう思うけどね。おっと、それとも祟りのせいにしとけばよかったかな?恨みに口なし、事件は丸く収まってたなら、勿体ない事したなぁ」
おどけて笑う諏訪子。パチュリーはそんな神の言動に眉をひそめたくなる。
と、諏訪子は神社へと続く石段へ不意に目を向けた。吊られてパチュリーもそちらに視線を送る。
そこには参拝に訪れたであろう人間と、見送りに出てきた早苗の姿。諏訪子は「あちゃー」という表情を浮かべた。そしてその通り早苗はパチュリーの姿を認めると途端に不機嫌になったようだった。
参拝客を送り出すとツカツカとパチュリーに歩み寄る。
「また来たんですか?」
強い調子で咎める。
「諏訪子からはまだ話が聞けていなかったから」
「迷惑です」
「それは重々承知の上よ」
「諏訪子様に近づかないでください。退治しますよ」
2人の間に諏訪子が割って入る。
「よしなって早苗。私は何とも無いからさ」
それでも早苗はパチュリーへの敵視を止めない。この探偵気取りを早く諏訪子から引き離したかった。
「さ、諏訪子様どうぞこちらへ」
と、神社の方へと招き、自分は諏訪子を守るように後ろに立ってパチュリーと諏訪子を遮る。最後に諏訪子は訪問者2人に申し訳なさそうに愛想笑いを浮かべて去って行った。
「私は随分嫌われたようね」
パチュリーは早苗に見つかった時から自分の背後に隠れていた小悪魔に語りかける。
「パチュリー様も悪いですよ。あれじゃ聞ける事も聞けなくなっちゃいます」
「肝に銘じておくわ」
しばらく石段を登る早苗の背中を眺めていたパチュリー。
「これからどうするんですか?」
「そうね……今日はもう帰ろうかしら」
頷いた小悪魔は飛び立つために背中の羽を広げた。
「あ、今日は歩いて帰るわよ」
「えっ!」
小悪魔は驚く。
「里の長老が辿ったのと同じ道を歩いてみるのよ」
「でも歩いて帰るってパチュリー様、大丈夫ですか?喘息の発作は起こさないで下さいよ」
「心配いらないわ」
そう言うとパチュリーは魔法で小さな上昇気流を起こすとその上に乗った。
「あ、ずるいです」
「さあ行くわよ」
パチュリーはゆっくりと漂いながら参拝道を下り始めた。小悪魔もその後に歩いて続く。自分の羽で飛んでいる小悪魔にはパチュリーに合わせてゆっくり飛ぶのはとても億劫なのだ。
「パチュリー様は早苗さんが怪しいと思ってるんですか?」
道すがら小悪魔は気になっていた質問をした。前方には先程早苗が見送った人間の参拝客が歩いている。そこまで届かないように声を絞る。
「あなたはどう思うの?」
逆に返されて小悪魔は少し戸惑うように
「確かに怪しいのかもしれません。でも何か違う気がするんですよ」
「何かって?」
「なんと言えばいいんでしょうか……、早苗さんは諏訪子さんと私達を引き離したいように思えるんですよ。もし自分が犯人ならわざわざそんな事しますか?自分が疑われないんだったらそれでいいと思うんじゃないですか?」
「あなたはそれでもいいかもしれないわね。いえ、あなたに限らず普通の犯人ならそれで構わないでしょう。もっと言ってしまえば何もやましい事が無いのであればいくら疑われようが構わないはずよ。それを嫌がるというのは、そもそも私達が嫌いなのか、何か知られたくない事実があったからのどちらかじゃないかしら?」
自分達が嫌われているとは思いたくない。
「やっぱり早苗さんは何か隠しているということですか?」
「それも、諏訪子が知っている何かよ。それを私達に知られたくないからあんなにも目くじら立てて遠ざけた」
「でも諏訪子さんが早苗さんに不利になるような事なんて言いますか?昨日散々警戒させちゃったみたいですし、今日だって特に何か手掛かりがあったとは……」
小悪魔が言うとパチュリーは人差し指を小悪魔の目の前に立てて不敵に微笑んだ。
「だからこそ早苗にとっては都合が悪かったのよ」
「?」
「早苗にとって知られたくない事は早苗自身に関する事ではなかったとしたら?諏訪子が意図せず口にしてしまう可能性があった。私達はすでに重要な何かを聞いていたかもしれないわ」
そう語るパチュリーの視線は前を歩く人間の肩に乗った一匹のカエルに注がれていた。
小悪魔は主が何かに気付いたと覚った。
人間の里まで辿りついたパチュリーは真っ直ぐに慧音の所を訪ねた。
慧音は祭の準備のため倉庫から数人がかりで巨大な看板を取り出していた。看板には奉納祭で奉る三柱の名前が刻まれていた。豊作を祈願する祭のためか秋穣子という名前が真っ先に並んでいる。
「ん?パチュリー殿か。どうだ。何かわかったか」
あとを里の若い男衆に任せて慧音は手についた埃を払った。
「あの板はお祭りで使うのかしら?」
「あれか?立派なもんだろう。あいつの遺品の一つだな。去年作り変えたんだ」
「『あいつ』って長老さんの事ですか?」
小悪魔が訊ねる。
「そうだ。私はあいつを小さい頃から知っているが昔は手に負えない悪ガキだったさ。ま、年をとってもひょうきんなお調子者に変わりは無かったがな」
普通の人間よりも長い時を生きる慧音だからこそ出てくる言葉だった、
「その悪ガキが昔どんな事をしていたのか教えてもらえるかしら?」
「そんな事を聞いてどうするんだ?お前達が調べている事と何か関係があるのか?」
思い出話ならばやぶさかではないがパチュリーに人の過去を話す事には気が引けた。
「えぇ、関係あると私は推測しているわ。特にカエルに関する事を聞かせてちょうだい」
そう言った瞬間慧音の顔に驚きの色が浮かぶ。
「なぜ、その事を知ってるんだ!?」
やはりそうか。と、パチュリーの表情が語る。小悪魔は何がどうなっているのか理解できず主が説明するのを待った。
「妖怪の山の中腹には『大蝦蟇の池』と呼ばれる池があるわ。そこにお供え物をすれば一匹のカエルが使わされ道中の危険から身を守ってくれると言われている。さっき見た守矢神社への参拝客の肩にはちゃんとカエルがとまっていた。なのに、死んだ長老は山で見事に死んだわ。それも水に関係して死んだ。長老は何かしらの理由があって大蝦蟇にお供え物をしなかったんじゃないかしら」
日頃の喘息を思わせない流暢な喋りで慧音に問いかける。慧音は渋々と言った様子で。
「ああそうだ。あいつは子供の頃田んぼに出るカエルに悪さばかりしていた。十匹やそこらじゃないはずだ」
「やっぱりね。だから自分から大蝦蟇の池には近づきたくなかった。祟りを恐れてね」
パチュリーの言葉を聞いて小悪魔はハッとした。諏訪子が語った『祟られている』という言葉の意味が理解できた。そしてそれを『私しか気付かない』と言った意味も。
「長老さんはカエルに祟られていた。そしてカエルを象った諏訪子さんを過度に恐れていたはずです!」
その事がきっと事件に関係しているはずだ。小悪魔は確信する。
「いや、だがそんな事が関係してるのか……だとしたら……」
一方で慧音は何かもっと重大な事に気付いたように思いを巡らせているようだった。
慧音の動揺を見たパチュリーはさらに一つの推理を繰り出す。
「小悪魔が言った通り諏訪子を恐れていたとしたら、その事に気付く事ができるのが1名」
そう言って慧音を見据える。
「2人を一番近くで最も長い時間観察できた早苗よ」
慧音は頷く。
「お前達と同じ事を先日早苗にも聞かれた。その事が関係しているとしたら私が早苗に話したばっかりに……」
事件の全貌が見えてきた。小悪魔にはそう思えた。ポケットの中にカエルを入れている事などすっかり忘れていた。
パチュリー達は再び守矢神社へ。
「また何しに来たんですか?」
玄関先に出迎えに出た早苗は露骨に嫌な顔をした。
「客人としては迎え入れてくれないのかしら?」
「客人?」
だったら招かれざる客人だ。なんとか適当な理由をつけて追い返したい。
しかし、廊下の奥より諏訪子がパチュリーの姿を見つけた。
「いいじゃないの、入れてあげなよ」
「諏訪子様!」
「まあまあ、日に何度もこんな山奥まで来てくれたんだから無碍に返すわけにもいかないでしょ」
「でも……」
と、まだ何か言いたそうではあったが早苗は言葉をのみ込んで招かれざる客を招き入れる事にした。
「もしも諏訪子様や神奈子様に失礼な事を言ったら承知しませんからね」
「えぇ、弁えておくわ」
パチュリーはそう一言添えて中に入る。パチュリーと小悪魔が屋敷の中に入り早苗がその後ろに、諏訪子に案内される形で奥へと通される。小悪魔は背中に寒気を感じて気がきではなかった。
奥の座敷へと通され神奈子も含めた全員が揃うまで時間はかからなかった。
「一体これは何事だ?」
中央に座った神奈子が質問すると小悪魔が答える。
「長老さんの水死事件について謎解きをします」
そう言ってパチュリーを窺う。
テーブルを挟んで居並ぶ神々を前にパチュリーは口を開く。
「人間の里の長老は祟られていたわ」
諏訪子の顔を真っ直ぐに捉えながらパチュリーは言う。
「彼が昔、多くの蛙の命を奪った事でね」
バン!
蛙という単語を口にした瞬間、早苗はテーブルを叩いて立ち上がった。
諏訪子が落ち着いた口調で早苗へと座るよう促した。
「早苗、落ち着きなよ。私は平気だから」
早苗は諏訪子の顔を何度か見てから座った。それを待って諏訪子が
「確かにそうさ。あの男は蛙をたくさん殺してきたようだった。恨まれていた。蛙の恨みは私にはよくわかったよ。でもそれは関係ないって言ったでしょ」
「蛙の祟り自体は害を及ぼす程強くは無かったようね。それ自体は無害だった」
「じゃあ、私が復讐したとでも言う?」
そんな諏訪子を早苗は不安げに見つめる。
「いいえ、復讐なんて無かった。あなたは蛙の恨みを知っていたけれどそれを許したのよ」
「ああ、あの男は過去の過ちを忘れてなんていなかった。馬鹿みたいな話だけど私を怖がっていたのよ。それだけで十分だった」
神奈子が驚いたように聞いていた。きっと諏訪子しかその事を知らなかったはずだ。
「そうよ。だけど長老があなたを恐れていた事には早苗も気付いていた。そうでしょう?」
「早苗が?」
諏訪子は眉を顰める。早苗は俯いてその質問には答えない。
今度は小悪魔が
「慧音さんに聞きました。早苗さんが長老と蛙の因縁を聞きに来たと」
「早苗、知ってたの?」
諏訪子に訊ねられ、早苗はようやく頷く。
「でもなんでそんな事調べたりしたの?」
「……だって、あんまりにも諏訪子様によそよそしいんですよ……何かあるって思うじゃないですか」
早苗が認めた所で小悪魔は続ける。
「そして、その事を知った早苗さんは怒りに震え長老さんを――」
「殺したとでも言うのか!」
声を荒げたのは神奈子だった。小悪魔はヒッと、驚く。
「そんな事で早苗が人殺しなんてするわけないだろ!」
激昂する神奈子を諏訪子が宥める。
「神奈子も落ち着きなよ。もっとドーンと構えてなきゃ」
「早苗が殺人鬼呼ばわりされてるんだぞ!」
「誤解はすぐに解けるさ」
そう言って小悪魔の方に視線を送る。小悪魔はすっかり委縮してしまった。パチュリーはため息を一つ。
「そうね。今のは小悪魔の早とちりよ。早苗は犯人じゃないわ」
「え?」と一番驚いたのは小悪魔だった。パチュリーは続ける。
「早苗は終始諏訪子の事を気にかけていたわ。早苗は諏訪子こそが犯人ではないかと心配していた。そして諏訪子が嘘を塗り固めるほど曲がった神様でないことも良く知っていた。だから、私達を諏訪子から遠ざけたかったのね」
「本当に?早苗、私を心配して?」
早苗は頷く。
「私がそんな事するわけないじゃないの。変な事心配して」
「すみません。でも……」
伏せ目がちに諏訪子の様子を窺う早苗に諏訪子は呆れながらも優しげに微笑む。それを見て早苗は心からの安心をしたようだった。強張っていた肩から力が抜ける。
「動機としては早苗が長老に怒るよりも、諏訪子が怒りに感じるという方が動機になりえるのだからしょうがないわね。でも、隠しだてする理由はそれだけじゃないでしょ?」
パチュリーは再び早苗に訊ねた。
しばらく沈黙を守っていた早苗だったが、やがて怒りに任せるように
「だって、あのエロ爺私のおしり触るんですよ!」
パチュリーを除く一同が驚きを露わにする。早苗はさらに声を大に
「セクハラですよ!セクハラ!妖怪だったらチリにしてやるところです!」
「早苗、セクハラに会ってたのかい?」
神奈子が問うと早苗は大きく息を吐いて頷いた。神奈子の表情が怒りの色を帯び始める。
「……よくも早苗にそんなことを!」
押し殺すように声を出す。
諏訪子はというと神奈子の反応に呆れている様子だった。尻を触られたぐらいで。と、言いたそうだ。
「わかりました!」
小悪魔が声を上げる。
「セクハラで殺意を抱いて――」
「だから違うわよ。でもまさかセクハラだなんてね。それで早苗、あなたは長老の弱みを探していたのね。そして蛙恐怖症に辿りついた」
早苗はもう開き直ったように頷く。
「はい。『諏訪子様は女の敵が大嫌いでセクハラなんて言語道断』と伝えておきました。おかげで相当怖がってもう何もしてこなくなりましたよ」
「いや早苗、私セクハラぐらいでそんなに怒らない……」
「諏訪子!早苗の危機だったんだぞ!」
神奈子は大げさに騒ぎ立てる。
「早苗!他に何かされなかったか?」
早苗は神奈子の迫力にやや気圧されながら
「いえ、お尻をちょっとタッチするぐらいでしたけど」
「ほら、可愛いもんじゃないか。それくらい私達の時代でもいただろ」
諏訪子が宥めようとするが神奈子の怒りは未だ冷めやらぬようだ。セクハラの犯人はもう故人だが。
小悪魔はふと疑問を抱いた。
長老がセクハラを止めたのだとしたら早苗には動機がなくなる。だが、早苗が嘘をついている可能性だってあるわけで……。
「で、結局犯人は誰なんですか?」
小悪魔にはとんと答えが見つからない。
「これで犯行にまで繋がる流れが解明されたわ。あとは何か物証が……」
と、その時。小悪魔のスカートのポケットからカエルが這いでてきた。冬眠ガエルは小悪魔の体温ですっかり目が覚めたようで諏訪子の方にピョンピョン跳ねて行った。
「もしかしたらこれでわかるかもしれないわね」
祠に誰かが来た事を感知して静葉が向かうと、パチュリーと小悪魔が草むらの方を向いて背中を向けて立っていた。
「……またあなた達?今度こそ参拝の人だと思ったのに」
小言を交えながら声をかけると2人は振り返った。
「穣子ちゃんには会ったんでしょ?」
「犯行現場がわかりました」
だしぬけに小悪魔が放った言葉に静葉は目を大きく見開いた。
「ここです」
そう言って小悪魔は地面を指さす。そこには不自然な窪みができており、掘り返したような褐色の土が露わになっていた。
静葉はそれが何なのかすぐに覚った。
「きっかけは小悪魔が捕まえたカエルよ。あのカエルは未だ冬眠のまどろみの中にいたわ。そんなカエルが地上にいたのはつい最近寝ていた所を無理やりに起こされたから。小悪魔の捕まえたカエルはここにあったはずの石の下で眠っていたのよ」
すると今度は小悪魔
「ではこの窪みにあったはずの石は一体どこにいったのでしょう?長老さんの後頭部には鈍器で殴ったような痕がありました」
「だからって!その石が凶器だとは限らないでしょ!」
「では石はどこに行ったんですか?」
「そんなの知るはずないでしょ」
「そうかしら?」
とはパチュリー。
「ここはあなたの祠よ。誰かがここに来たらわかると言ったのはあなたじゃない。ここにあった石は凶器の可能性があるの。誰が来たのか教えてもらえれば調べようがあるわ」
静葉は咄嗟に答えが見つからなかった。
パチュリーがたたみかける。
「あなたたち姉妹は実に巧みだったわ。常に2人で行動しながらも私達の前には1人しか現れない。どんな嘘を言っても後で口裏を合わせれば矛盾は生じないもの。予め決めた事を別々に口にしていたらいつかボロがでるものだもの。そうよね」
最後の呼び掛けは静葉の背後の木立へと向けられた。
「……どうして、わかったの?」
静葉が弱々しい声を出す。自白ともとれる言葉に木の陰に隠れていた穣子が思わず飛び出す。
「お姉ちゃん!」
パチュリーは2人の顔を見比べてから
「この祠は静葉を祀っているもので穣子は祀っていない。それが失言だったわ。私達が穣子に会いに来た時に静葉ではなく穣子が直接来た事であなた達の発言に矛盾が生じたのよ。ボロを出さないように本当の事を言ったのが災いしたわね。この祠は静葉を呼び出す事しかできない」
パチュリーがそう言った瞬間、静葉の脳裏にあの時の事が過る。
『あ、祠に誰か来たみたい』
『こんな季節にお姉ちゃんにお参り?また長老様じゃないの?』
『……そうかもね。もうすぐ春のお祭りだもんね』
『じゃあ、私見てくるね』
『待って……私も念のため見に行くよ』
『ガッカリしても知らないよ』
『おお、穣子様に静葉様。お待ちしておりましたよ』
『長老様、ここはお姉ちゃんの祠ですよ。長老様には家の場所教えてるじゃないですか』
『いやはやこの歳になると山道は応えます。穣子様の家は少し険しくて』
『……長老様、だからって私の祠をそんな風に使わないで下さい……』
『ハハハハ、これは失礼しました。つい呼び鈴の代わりに』
『!!!!!!』
「私の祠は私の物なのよ!」
怒りが蘇り静葉は怒鳴った。あの時静葉は目の前にあった石を掴み、背中を向けて穣子と談笑している長老の頭部へと振りおろしていた。静葉は倒れた男の手から奉納品の目録を取ると、すっかり怯えきった妹にそれを渡したのだった。その時、その空間は確かに静葉だけの物になっていた。
「あいつを殺したのは私よ!私の事を呼び鈴みたいに呼んだあいつを殺したのは私!」
静葉は殺してもなお消えぬ怒りを声に出して訴えた。怯える小悪魔をみると胸の空くような気分が体の中をかけめぐる。
「お姉ちゃんやめて!」
「放しなさいよ!」
半ば半狂乱の姉を落ち着かせようとする穣子を静葉は突き飛ばした。
「穣子ちゃんはいいよね。いっつも里のみんなにちやほやされて。この時期に私のとこにくる人なんていないもんね。祠に来る人みんな穣子ちゃんに会いに来るんだもんね。お姉ちゃん羨ましかったなぁ」
「やめてよお姉ちゃん!そんな事言わないで……」
「昔、凶作だった時石投げられたよね。私まで石投げられた。痛かったな。なんで私まで投げられたんだろ?私達が姉妹だから?違う!」
あらん限りの声で静葉は叫ぶ。
「私はいつも秋穣子のおまけだったのよ!」
静葉と穣子の間に小悪魔が飛び込んだ。
「止めてください!静葉さんはそれでも神様ですか!神様は誰からも崇められて感謝されて生きてるんじゃないんですか?」
「神様だよ?私は秋の神様」
静かに答える。そしてまるで舞台の上にいるかのように手を広げた。
「紅葉の神は命を枯らす神!私はちゃんと役目をやり遂げたのよ。穣子ちゃんにはできない事を私はやった。枯れた葉を落として新しい葉を育てるのよ!私にしかできない私の役目!」
「でもあなたはその後の事を穣子にも協力させたじゃない」
パチュリーが問いかけると静葉は嬉々として語った。
「そうよ。私は穣子ちゃんを利用したわ。一緒にあいつを川に捨てた。凶器も一緒にね。でも私が利用したのよ。ということは、おまけは穣子ちゃんでしょ?主役は私なのよ」
静葉はうっとりとした瞳で自分の祠を眺めていた。
小悪魔に支えられて立ち上がった穣子はそんな姉の姿が見ていられずに逃げるように木立の中に消えた。
パチュリーは小悪魔に静葉を任せて自分は穣子を追った。
穣子は泣いていた。
姉の豹変に涙を流さずにはいられなかった。全ては自分のせいなのだから。
「これでよかったのかしら?」
追いついたパチュリーが声をかける。
「いいわけ無いじゃない……」
穣子は背を向けたまま答えた。
「そうよね。遺体の手、爪が剥がれていたわ。あれは川に流される時何かに掴まろうとした跡。もしも頭を殴られて死んだのだとしたらそんな跡が残るはずはないわ」
「お姉ちゃんが言った事は……事実です」
「でもその時は長老は生きていた。川に投げ込まれる前に息を吹き返したのよ。気付かなかった?」
「そんなの!想像でしょ!」
穣子は振り返ってパチュリーを睨んだ。
「殺意はあなたも持っていた。動機は……これね」
パチュリーは慧音から預かった奉納品の目録を取り出した。
そこには宛先が記されていた『秋稔子様』と。
「どうしてそれを……」
「祭の当日に渡される目録と同じものを招待状の代わりに配っていた。片方に誤字があればもう片方にも誤字があるはずよね。事件を解く鍵は初めから私達の手元にあったのよ」
穣子は動揺しているようだった。俯き、一言も発しない。
「あなたのお姉さんはあなたを庇ってあんな事を言った。あくまでもあなたは利用されただけなのだと、私達に訴えていたわ。その事はわかるでしょ?」
しばしの沈黙。やがて穣子はポツリと
「……私にも殺意はあった」
「認めるのね?」
「川岸の岩にしがみついた長老様を蹴落としたのは……私の方だから」
そして穣子も静葉と同じく怒りに肩を震わせた。
「だって!もう何年尽してると思ってるの?それなのに漢字を間違えるなんて……」
「身から出た錆というやつかしら。その長老という男、あなたも早苗もすっかり酷評していたけど本当にそんな人物だったのかしら?」
「え?」
「慧音は彼を『ひょうきんなお調子者』と言っていたわ。彼はつい最近まで早苗にお尻を触るなんていうちょっかいを出していた。でもそれができなくなったとしたら彼はいったいどうするかしら?新しいイタズラのターゲットにあなたを選んで、わざと名前を間違えたとしたら」
「そんな!イタズラ?イタズラだったって言うの!?」
「その証拠に目録以外の人目に付く所には、ちゃんと正しい字で書かれていたわよ」
自らの殺意が誤解だったと知った時、穣子はその場に泣き崩れた。
小悪魔には事件解決の達成感を感じる事はできなかった。
全ての事実をパチュリーは慧音と村紗に報告する。黙って話を聞き終わると慧音は唸った。
「パチュリーの言葉の通り……身から出た錆ではあるな」
小悪魔は心配そうに慧音の顔を窺っていた。
「あの……静葉さんと穣子さん、この後どうなるんですか?」
慧音は一つため息をついた。
「それはあいつらが決める事だ。私達の方も非礼を詫びに行かなければならない。誰が悪いとは決められないな」
村紗も頷きこそしなかったが静かに話を聞いていた。かつて、呪われた海で多くの命を奪った船幽霊には何か思うところがあったのだろう。
結局パチュリーは事実だけを話すと謝礼は受け取らずに帰路についた。
その背中を手ぶらで追いかける小悪魔。
「どんな行動の裏にも何かしらの気持ちがある。それが相手を慕っての事なのか、蔑んでの事なのか、言葉に出さないと伝わらないのかしらね」
不意に発せられた言葉に小悪魔は思わず足を止める。
それでもまたすぐに歩き出して主の横に並んだ。
「私は気にしてませんよ。その……名無しの小悪魔でも、パチュリー様の使い魔ですから」
夕暮れの暗闇に響く小悪魔の声。
綻んだ口元をパチュリーは固く結んで、それからもう一度口を開いた。
「ああ、そうそう。あなたに言いたい事があったのよ。あなたはもう忘れているかもしれないけど、溯上するのはマグロじゃなくて鮭よ」
キョトンとする小悪魔。しだいに何の事だかわかってその顔は赤面していった。
東方でサスペンス劇場的なものを目指しています。
なので作中殺人事件が発生します。
誰が犯人で誰が被害者でも構わないという覚悟のある方だけ読んでください。
紅魔館には一人の使い魔がいる。
その名を小悪魔。だが小悪魔とは彼女の種族の名前であり決して彼女の名前では無い。普通小悪魔は魔界より召喚された時に主人から名前を与えられるものである。そしてまた、名前を与える事によって使役の儀式は完了をするものでもある。
しかしこの小悪魔、どういうわけか主人のパチュリー・ノーレッジから名前を与えられる事は無かった。つまり厳密には彼女は使役されてはいないのだが、両親に立派な使い魔となると言い残して魔界を出たためすんなり帰るわけにもいかない。かといって他に食い扶持の当てがあるわけでもなく、しかたなく図書館で司書の真似ごとをしながらずるずると過ごして現在に至る。今では使い魔がすっかり板についていた。
そんな小悪魔にとって幻想郷での生活は少しだけ魅力的なものだった。魔界という都会で育ったためか田舎暮らしに妙なロマンを感じている。
今日も小悪魔は図書館の仕事を早々に切り上げると釣り具片手に山の中に入って行った。いつもは湖で釣りを楽しむのだが折角の田舎暮らし、川釣りも楽しもうという算段だ。
季節は暦の上では春になったが未だに肌寒い天候が続く。かつて起きた異変を思いながら小悪魔は雪融けの水をバケツに汲み、最近新しく買ったばかりの釣り竿をしっかりと握りしめて急流に糸を垂らす。
川べりの手近な岩に腰かけて水の上で足をぶらぶらとすること十数分、何者かの手が小悪魔の足首を掴んだ。
「きゃっ!」
突然の事に驚いて足を引こうとするが足首を掴んだ腕は簡単にはそうさせてくれなかった。小悪魔は恐怖のあまり腰を抜かしてしまったがこのまま何もせずに川の中に引きずり込まれるのは御免だ。
きっと川の中で死んだ怨霊が仲間を求めている。思いつく限りの悪霊払いの言葉を口にして見よう見まねの十字架を切る。そのどれもが無駄だとわかるのにそれほど時間は必要無かった。
新品の釣り竿は握りしめたまま小悪魔は体ごと後ろに下がろうと試みた。足を掴んでいる腕はなおも放す気配がない。と、川中からもう一本の腕が出てきてそれは小悪魔が座っていた岩を掴んだ。グッと力を込めると水中の悪霊は水しぶきと共に姿を現した。小悪魔の恐怖は最高潮に達する。
「ふ~、やっぱり水の中は最高ね」
水の中から現れた人影、村紗水蜜は濡れた黒髪を掻きあげて帽子を整えた。
「って、命蓮寺の村紗さんじゃないですか」
腰を抜かしていた小悪魔は目をパチクリさせた。もさっきまでの恐怖などどこ吹く風で心が落ち着いてくる。おばけも正体さえわかればどうということはない無害な船幽霊だ。
「ええっと、紅魔館の小悪魔だっけ?」
「そうですよ。それより足を放してください」
「あっ!ごめん」
村紗は慌てて掴んでいた小悪魔の足から手を放した。小悪魔は立ちあがってスカートについた砂埃を払う。
「ごめんね。真っ当な船幽霊してた頃の癖で」
「水の中に引きずり込まれるかと思いましたよ」
「本当にごめんね。引きずり込んでいいんなら引きずり込んだんだけど」
この冗談には流石の小悪魔も顔をしかめた。この間読んだ本では外の世界には『慰謝料』というシステムが存在するようだが今ならふんだくれそうだ。
「村紗さんは何をしてたんですか?まさか本当に水中に引きずり込む相手を探してたんじゃないでしょうね?ちなみに私は釣りをしていました」
そう言って小悪魔は釣り針をもう一度川の中に投げ入れた。
「そんな事もうしてないよ。ただ水の中は落ち着くから川を溯って来たってわけ」
「溯上ですか。まるでマグロですね」
「えっ!マグロって溯上するの?」
「?」
村紗がなぜ驚いているのか理解できなかったが小悪魔は特段気にする事も無く釣り竿を上下に揺らした。ただ待っているよりそうしたほうが川釣りっぽいと思ったからである。
村紗も村紗でマグロの事など忘れてしまい小悪魔の釣りに興味を示す。
「何か釣れた?」
訊ねながら傍らのバケツの中を覗く。先程の亡霊騒動でも横転しなかったバケツの中には川の清らかな水が張られ、魚は一匹たりとも泳いでなかった。
「まだ何も釣れてないようだけど」
「見ててください。今に釣れますから」
小悪魔が強がると村紗は「お手並み拝見」と石の上に座った。
それから十数分。糸は小悪魔と激流が揺らす以外に全くと言っていい程微動だにしない。
「釣れませんね~」
厭味ったらしく言う村紗。
きっと村紗が川を遡上なんてするから魚がみんな逃げたんだ!そう言い訳をしようと振り向いた時、釣り糸に違和感を覚えた小悪魔は咄嗟に力を込めた。次の瞬間にはものすごい力で引っ張られて危うく川の中に落ちる所だった。
これはでかい獲物だ!
日頃本の整理で培った力を生かして引き揚げようとする。だが、そう容易くは行かない。
「お、手伝おうか?」
見かねた村紗が申し出る。小悪魔としては自力で釣りあげて村紗の鼻を明かしてやりたい所だったが四の五の言っていては新品の釣り竿を魚に取られてしまう危機感を抱いていた。
「お願いします!」
「よし来た!」
村紗は釣り竿を握った。そして村紗自身も今まで釣りあげた事のない大物の予感を感じた。
これは昔海で見たクジラという奴の子供かもしれない!
未だ見ぬ獲物の影が水面に現れる。
「もう少しね。せーので引っ張るよ!」
「はい!」
小悪魔は返事をすると腰に力を入れた。
「せーのっ!」
あらん限りの力で引き上げる。獲物の影が水面から離れると途端に糸を引く力は軽くなってはずみで2人とも後ろに倒れた。
そして釣りあげた大物が小悪魔の上に覆いかぶさる。
次の瞬間、2人は悲鳴をあげた。
紅魔館の地下図書館ではいつもと同じくパチュリー・ノーレッジが読書に勤しんでいた。
ふと、喉の渇きを覚えたパチュリーは休憩がてら紅茶を飲もうと思い立つ。
「小悪魔、紅茶を持ってきて頂戴」
いつものように本人としては努めて大声を出す。しかしいつもなら返って来る返事は無く、紅茶を持った使い魔も顔を見せない。
パチュリーは再度深く息をして先ほどよりも本人としては大声を出す。
「小悪魔、紅茶を頂戴」
だがやはり返事は無く、代わりに図書館の扉が開いてメイド長の十六夜咲夜が顔を覗かせた。
この際咲夜でもいいか。というより咲夜の方が上手に紅茶を淹れてくれるのだ。
「丁度いいところに来たわ。紅茶を淹れて頂戴。小悪魔がいないのよ」
すると咲夜は恭しく
「パチュリー様も丁度いいところにいましたわ。先程里から連絡がありまして、小悪魔が厄介事に巻き込まれたようなので身元引受に来てほしいと」
「は?」
咲夜の言う里とは故郷、親元という意味では無い。妖怪が跋扈する幻想郷において数少ない人間が住まう集落、人間の里の事だ。
そんな場所で一体何をやらかしたというんだ。
パチュリーがため息をつくとテーブルの上にはいつの間にか紅茶が準備されていた。
これを飲んで早く紅魔館の恥さらしを引きとってきてくれ。咲夜がそう言っているようでパチュリーはますますため息が出た。
人里に来たパチュリーは具体的にどこに行けばいいのか知らされていなかった。しかしこういう場合は上白沢慧音の家を訪ねればいい。人里で人外の輩が起こした厄介事に対応できるのは慧音ぐらいだ。
慧音宅の戸を開けるとそこには小悪魔ともう1人、命蓮寺の村紗水蜜が正座で慧音の前に座っていた。
「パチュリー様!」
主の姿を見つけて小悪魔の顔はパッと華やいだ。パチュリーは嫌そうな顔をしてやった。
「うちの小悪魔が何かしたのかしら?」
慧音に訊ねる。
「ん、ああ、何かしたのかな?正確には何かしたかもだが、したことは事実だな」
「どういうことよ?」
慧音の言った事が要領を得ずにパチュリーは顔をしかめる。
「私達死体を釣りあげたんですよ」
「死体?」
パチュリーはますます顔をしかめた。
「ああ、こいつらは川で釣りをしていて死体を釣りあげたんだが、その死体が里の長老だったんだ」
「それはまた大層な大物を釣り上げたわね」
「……パチュリー」
慧音は窘めるように言った。
「それで小悪魔とそこの船幽霊はなんで拘束されてるわけ?」
「疑う訳じゃないが、長老が水死体で発見された現場にいたんだ。事情を聞かない訳にはいかないだろう。特に村紗は」
すると村紗は口ごたえを試みた。
「疑う訳じゃない?いいや、慧音さんは私を疑ってるね」
パチュリーが小悪魔の側についたからか村紗は正座を解いて胡坐をかくと強気にでた。
「私は仏門の身。いくら昔の血が騒ごうが人殺しなんてしないよ。あ、葬儀の御相談は命蓮寺にどうぞ」
そう言って挑発的な視線を慧音に送る。ところが小悪魔は
「どうですかね~。村紗さんは私を水中から脅かしましたし、その前に長老さんを川に引きずり込んだ可能性だってありますよ」
「ちょっと小悪魔ちゃん、そんな誤解を招くような事言わないでよ」
「小悪魔様と言ったら許してあげましょう」
「調子に乗るなよコイツ」
村紗は高飛車な小悪魔を羽交い絞めにする。
「ギャー!これが村紗さんの本性です」
「いや、これは違うの!」
慌てて解放する。そして今度はパチュリーに対して
「ね、パチュリーさん、私の無実を証明して。私とあなたの仲でしょ」
「私達一体いつから仲良しになったのかしら?」
「まぁそう言わずに」
「何か見返りがあるのかしら?」
「私の自慢のアンカーを一つ」
「……」
「あと何かあげるからさ」
懇願する村紗にパチュリーは折れた。
「いいわ。丁度いい暇つぶしにもなるし」
「本当に!流石パチュリー。話が分かる!」
しかし慧音は嫌な顔をしていた。
「暇つぶしとはあんまりな言いようだな。人が1人死んでるんだぞ」
「そう角を立てないで。真犯人がわかればあなただって助かるでしょ」
「まぁそうだがな。だが村紗が犯人という可能性だって消えたわけじゃないぞ」
そう言って村紗に一瞥をする。村紗は慧音に舌を出した。
パチュリーは首を横に振った。
「それは無いと思うわよ」
「なぜだ?」
「自分で水中に引きずり込んだ死体を自分で釣りあげる間抜けな犯人がいる?」
それもそうだが村紗は何だか複雑な気分になった。
パチュリーは慧音立ち会いのもとまずは死んだ長老の遺体と対面することにした。小悪魔、村紗も後に続いて長老の住んでいた家へと歩くが里の人々からの視線は厳しい。
「私達が釣りあげなければ長老さんはもっと流されていたわけですから感謝されるべきです」
小悪魔はぼやいた。
水死体で発見された里の長老とされる男は人間の里では有力な地主の家長だった。家も他より一回りも大きい。もっとも紅魔館には遠く及ばない。
長老の遺体は真っ白な死に装束に着替えさせられて畳の間に寝かされていた。白髪がまだほんのりと湿っている。
慧音は遺族を刺激しないように部屋の外に出して自分達だけ残った。戸が閉められるとパチュリーは早速魔法で遺体を浮かせた。流石に死体に手で触れるような事はしない。
角度を変えながらまじまじと眺める。川を流される時にできたものだろうか全身傷だらけだ。その中でも特に目立つ傷痕にパチュリーは注目する。
「後頭部に大きな傷があるけど、後ろから殴られたんじゃないかしら?」
「どうだろうな。流れの激しい川だから岩にぶつかったものだとも思うが」
簡単には結論は出ないだろう。
「それと、これを見てくれ」
慧音は遺体の指先を示した。
「爪が剥がれている。川に引きずり込まれるのに抵抗した跡にも見えるが」
「慧音さんは余程私を犯人にしたいようですね」
「そういうわけではないが、何者も疑ってかからなければな」
パチュリーはその流れを絶つように小悪魔に問いかける。
「流れの急な川というと妖怪の山にでも登ったのかしら」
「はい。そうですよ」
小悪魔が明瞭な声で答えるとパチュリーの視線は慧音へと向けられた。
「人間の里の長老が妖怪の山に一体何の用だったのかしら?釣りあげられたということは少なくともさらに上流で川に落ちたはずよね」
小悪魔も頷いた。
「そうですねマグロのように溯上したりしませんもんね。何があったんです?」
慧音は答える。
「ああ、一週間後の里の奉納祭の招待状を出しに今朝山の方に行った」
「奉納祭?」
「そうだ。種蒔きのこの季節に秋の豊作を願って行うんだ」
「ということは秋穣子を?」
「あぁ、だが穣子だけじゃない。神奈子と諏訪子も呼んでいるぞ。大地と雨風は作物にとっては重要だからな」
「わかりました!」
突然小悪魔が声を上げた。
「わかりましたよ。犯人は穣子さんのお姉さんの静葉さんか早苗さんです!」
「あら、どうしてそう思うのかしら?」
訊ねると小悪魔は得意げに推理する。
「簡単です。静葉さんは穣子さんが呼ばれるのに自分が呼ばれないのは不満があったはずです。早苗さんだって神奈子さんと諏訪子さんがお祭りに行ってるのに1人だけお留守番なんて我慢できなかったに違いありません!その怒りがついに爆発して――」
「あー、悪いんだが小悪魔」
慧音は小悪魔の推理を遮るように声を出す。
「早苗も静葉も招待こそしていないが祭には来るぞ。主賓でこそないが彼女達も神々だ。みな感謝しているはずだし。動機には成りえない」
「あれー?そうなんですか?」
小悪魔は頭を掻いた。「では次は~」とまたも頭を捻り始める。
「あなたは少しばかり短絡的過ぎるのよ。でも、招待状を渡しに行って事件に遭ったとすればその可能性は十分にあるわね。まずはその線から当たってみましょうか」
すると慧音はため息をついた。
「神様を疑うっていうのは少々バチ当たりな気がするが、……念のため、持っていくといい」
そう言って部屋の神棚から手紙のようなものを三つ取り出した。
「奉納祭で3人に奉納する品の目録だ。何かの役にたつかもしれない」
折りたたまれた目録にはそれぞれ『八坂神奈子』『洩矢諏訪子』『秋稔子』の名前がでかでかと書かれ、続いて奉納品が続いている。
「祭当日に使うから後で返してくれよ」
パチュリーは受け取った目録を小悪魔に渡した。
パチュリーは妖怪の山に足を踏み入れた。小悪魔は本日二度目となる山だ。仮初の自由を手に入れた村紗は悠々と命蓮寺に帰って行ったが有罪か無罪かをパチュリーに託しているならせめて手伝いでもしたらどうかと小悪魔は思ってしまう。
長老の遺留品には奉納祭への招待状は無かった。つまり全員に招待状を渡した後に川で流れた、もしくは招待状が遺棄された可能性がある。もし1枚でも残っていれば死亡する直前の足取りは簡単に特定できるのだが。どちらにしろ長老が立ち寄った可能性があるのは守矢神社と秋穣子の所。そしてその両方ともが小悪魔と村紗が死体を釣りあげた箇所より上流だった。
最初に訪れたのは静葉と穣子が祀られているという小さな祠だ。
神社のような鳥居は無く洞穴の入口にしめ縄が垂れ下がっている。人々から絶大な信仰を得ているはずの豊作の神にしては質素にすぎる気がした。
「そういえば、あなたは悪魔なのにこういう場所平気ね」
しめ縄の下をくぐりながらパチュリー。小悪魔は主を笑った。
「そんなの迷信ですよ。十字架や聖水は見ると不愉快になりますけどね」
明るい声が洞穴の壁に反響して響く。
「誰かいるの?」
その声は背後から聞こえて2人は振り返る。祠の入口の所に立っていたのは秋静葉であった。
「あぁ、おでかけでしたか?」
小悪魔が声をかけると静葉は「おでかけ?」と首を傾げた。そしてすぐに意味を悟って口元を緩める。
「ここは家ではないわ」
「あれ?ここに住んでるんじゃないんですか?」
「洞窟になんか住まないわよ」
「あら?じゃあここは何かしら?私達はあなたがここに祀られてると聞いて来たのだけど」
パチュリーの疑問はもっともなものだった。静葉は目の前の神様初心者に一つ説いてやる事にした。
「神様は必ずしも祀られるものではないのよ。信仰心さえあれば存在は維持できるの。私の場合は秋の紅葉を美しいと思い感謝される気持ちが信仰となるのよ。だから私はここに居ようが里に住もうが、たとえ紅魔館に住んでいても秋さえ迎えてくれれば平気なの」
「じゃあこの祠は何なんですか?」
「私はどこにいても大丈夫だけど、信仰を効率よく集めるには祀るための場所があると便利でね。何も無いよりは有難味があるでしょ?だから試しに建ててみたの。神社があるともっといいんだけど……」
「失敗してる神社もあるものね」
パチュリーが言うと静葉は苦笑いした。
神様の世界も意外と神聖などという言葉とは程遠い下世話なものだなぁ。小悪魔の素直な感想だ。
静葉は祠の壁に手を当て自分で編んだしめ縄を見上げた。
「今みたいな季節は、たまにでもいいから手を合わせてくれる人がいると助かるの。自分の場所だから誰かが来たらすぐに分かるしね」
ここでパチュリーは本題に入る事にした。
「ところであなたの妹の所に里の長老が訪ねてきたと思うのだけど」
「長老さんが?あぁ、そろそろ春の奉納祭ね」
楽しみの一つが近づいてる嬉しさかにこやかに答える静葉。
「その長老が昼過ぎに水死体となって発見されたわ」
「え!水死体って、じゃあ亡くなったの?」
パチュリーは黙って頷いた。静葉も神妙な面持ちとなる。
「そう。人間としてはもう結構なお歳だったから……」
「その長老が今朝奉納祭の招待状を出しに山に登っているわ。あなたの妹の所にも来なかったかしら?」
静葉はちょっとだけ考える仕草をとった。
「穣子ちゃんの事まではちょっとわからないわね」
「あなた自身は長老には会っていないのね」
「えぇ、春の奉納祭には私はお呼ばれしないから……」
「でも静葉さんもお祭りに来るって聞きましたよ」
小悪魔が割って入る。
「穣子ちゃんのおまけでね」
答えると小悪魔は静葉を真っ直ぐに見つめて確認をする。
「おまけですか」
小悪魔は言葉の裏に潜む真意を掴もうと神経を集中させる。
「おまけよ……」
自分を見つめる小悪魔に気おされながら答える静葉。フイッと視線を外す小悪魔に思わずホッとため息が漏れる。
「じゃあ穣子に会うにはどこに行けばいいのかしら?」
「え?」
「穣子もあなたのように祠を持っているんじゃないのかしら?」
「え、ああ、穣子ちゃんはそういったもの無くても大丈夫な子だから祠は持っていないわ。それにさっき家を出たからどこに行けば会えるかというのはちょっとわからないなぁ。明日また来てくれれば必ず会えるようにするけど」
その答えに小悪魔は一つため息をついた。
「しょうがないですね。では先に守矢神社に行きましょうか」
主に申し入れる。
「そうね」
そう言うと静葉にお礼を告げて踵を返す。
守矢神社の方へ去って行くパチュリーと小悪魔を静葉は見送った。
守矢神社は妖怪の山の山腹にある湖をさらに一望できる場所に建っていた。この辺りまで登ると4月を迎えても肌寒く、雪かきで集められた雪が融けずに残っている。
「小悪魔?何してるの」
鳥居をくぐったパチュリー。小悪魔は泥にまみれた残雪を未練がましく眺めていた。茶色く汚れた雪ではもう遊ぶ事もできない。
本殿の方を覗くと出迎えに早苗が現れた。
「あら、パチュリーさんじゃないですか。どうされたんです?入信ですか?それとも退治されに来たんですか?」
一気にまくしたてる。すると小悪魔も悪のりして
「早苗さん、退治ではなく魔女狩りですよ」
などと宣始末だ。
パチュリーは流石に不機嫌になった。空を飛んで来たとしても山登りだ。出不精の身には堪える。
いつも以上に眉間にしわを寄せながら睨むと2人とも流石に察した。
「……ごめんなさい。こちらにどうぞ」
案内されたのは神社の方ではなく普段から住んでいる母屋だった。
神奈子と諏訪子の二柱が来る間パチュリーは出されたお茶で一服する。出されたのは緑茶だったが、いつもの紅茶の癖で音を立てずに啜った。一方で小悪魔は、緑茶は音を出すのが粋だと思っていたためワザとらしく大音量でズズズズと茶を啜る。
しばらくして神奈子が部屋に入って来た。
「待たせたな」
「いえ、ちょうどいい休憩になったわ」
パチュリーは持っていた湯呑をテーブルに置いた。
小悪魔は最後に自分の粋を見せようと茶を啜ったが下品なくらいの大きな音に神奈子も顔をしかめる。
神奈子に続いて早苗が部屋に入るとそこで戸を閉めた。
「あら?諏訪子は?」
守矢神社のもう一柱、洩矢諏訪子が不在だ。
「ああ、あいつはまだ冬眠……って言っても起こせば起きるんだがな。本人は眠そうだからそっとしてやってくれ」
「そんなんでいいんですか?神様なんですよね」
「守矢神社は神奈子様を祀った神社ですから問題はありませんよ」
とは早苗だ。
「じゃあ諏訪子さんは居候みたいなものなんですか?」
小悪魔が訊ねると神奈子は豪快に笑った。
「居候か。まぁ確かにそんなようなものかもしれないな」
「その点はパチュリー様も一緒ですねー」
指摘されてパチュリーは咳払いを一つして本題に入る。
「昼前に人里の長老が来たと思うのだけど」
すると神奈子は静葉の時とは対称的に
「来たぞ。奉納祭の目録を持ってな」
「目録?」
それは今小悪魔が持っているはずだ。
「あぁ、祭で私達に奉納する品を一覧にしたものだ。招待状みたいなもんさ」
ならば目録と招待状は同じものなのだろう。
「残念だったな。目録を受け取る時は諏訪子も起きてたぞ」
「そうなの?」
「一応神事だからな。本人不在じゃ締りが無いだろ。で、それがどうしたんだ?」
神奈子が訊ねたのでパチュリーは事件の事を告げる事にした。
「人里の長老が死んだわ」
「何!?」
それまで朗らかだった神奈子の顔が険しくなる。早苗も口元に手を当てて驚きを露わにした。朝出会ったばかりの相手ならば当然の反応だ。しかも里の長老となれば神社とも馴染みが深いだろう。
「朝はあんなに元気でしたのに」
「参拝道ができたとは言えこんな山奥だからな。早く若い者に譲れと言ったがまさか今日の今日とは……。で、なんで死んだんだ?」
「多分水死です」
小悪魔が答えた。
「水死……。帰りに川にでも落ちたか」
「それを調べてるのよ」
「パチュリーがか?何故だ?里の者でもないのに?」
「まぁ色々事情があってね」
その死体を釣りあげたのがここにいる小悪魔だとは中々口に出せない。
「わざわざ調べるという事は何かあるんだろうな。いいぞ、真相がわかるまでは協力しよう」
「察してもらって助かるわ」
「で、私達は何をすればいい?何が助けになる?」
「そうね。じゃあ亡くなった長老がどんな人物だったか教えてもらえるかしら?私達とは面識が無かったから」
そう言って神奈子へと返事を求めた。
「どんな人物だったか……か、何分中々会う機会が無いからな」
「あら?そうなの」
パチュリーは意外そうに呟いた。神奈子はすぐにその呟きに反応する。
「祭では会うには会うが酒の席だし、長年の付き合いがあるわけでもない。滅多な事が無いと神社にも来ないからな。早苗の方が詳しいだろ」
早苗へと話を振られてパチュリーもそちらに視線を移した。
神社の庶務全般を受け持っていた早苗は人間の里とも関わりが深い。しかしその早苗も首をかしげながら
「うーん、好きにはなれないタイプ……でしたね。やる事なす事いいかげんな感じでしたし」
「酷い言われようですね」
はっきりとは言わないが辛辣な言葉が飛び出た。里の長老で、しかも故人によくもここまで言えるものだとも思うが早苗は少し常識が欠如している嫌いがある。その事をパチュリーは思い出す。
横で聞いていた神奈子は笑った。
「老人なんてみんなそんなもんだろうな。特に長老ともなれば。早苗は向こうにいた時から年寄りには苦労しているし」
幻想郷に入って来る前の事を思い出す。
守矢の奇跡の子として周囲から期待された早苗は、望むと望まざるとに関わらず周りの老人からは『特別』な扱いを受けていた。それが早苗本人を苦しめていた事を誰よりも気にかけていたのは諏訪子であったが、神奈子は早苗がそんな苦労を笑い飛ばすような強い子に育ってほしいと願っていた。
「だいたいの人となりはわかったわ。じゃあ目録を受け取った時の事も詳しく教えてもらえるかしら」
パチュリーは質問を変えた。
神奈子と早苗は顔を見合わせる。
「ああ、その時か、何も変わった事は無かったな。なあ早苗」
「ええ、私も見てましたけどいつもと同じ口上でいつも通り行ってましたよ。諏訪子様が眠そうにしてましたけど」
流石に眠たかったのを起こされたから殺したなんてことはないだろう。小悪魔もそんな馬鹿みたいな事は考えていなかった。ただ、小悪魔の中ではもっと別の可能性が首を擡げていたのだが。
「目録をもらった後は?どこに行くとか言ってなかったかしら?」
訊ねると早苗が思いだそうとこめかみに人差し指を当てた。
「えっと、確か穣子様の所に行くって言ってましたね。湖の所までお見送りして、その後はずっと神社のお仕事してましたからわかりませんけど」
パチュリーは視線を神奈子に移した。
「ああ、私も受け取りの神事が終わった後の事は知らないな」
「あなたも何かしていたの?」
「祭用に豊作祈願のお札作りをしていた。これが中々売れるんでね。今日は本殿の外にはほとんど出てないよ」
「諏訪子はどうかしら?」
「諏訪子?」
「目録受け取りの神事を終えた後はどうしたのかしらということよ」
すると神奈子と早苗はまたも顔を見合わせた。
「布団の中に潜ったんじゃないのか?」
「でも2人ともそれを確認したわけじゃないでしょう。死んだ長老と何か話していたとかは?」
「……さぁな」
パチュリーがさらに深く訊こうと口を開くと早苗が不満そうな声を漏らす。
「まるで諏訪子様が疑われているみたい……」
その言葉にパチュリーは普段からは思わせないような俊敏な反応を見せた。
「疑われてる?今早苗は疑われてると口にしたわね」
「えっ、えぇ……」
不意に向けられた言葉に早苗は驚きながら頷いた。
「私は長老が水死したとは言ったけどそれが『何者かの仕業』だとは言っていないわ。それなのに疑う疑わないという話の流れに感じたのはどういう事かしら?」
「それは!パチュリーさんがあんまりしつこく諏訪子様の事を訊ねるから……」
「神事の後の事と、長老と会話したかどうかの質問よ。神経質に過ぎると思うのだけど」
「ですから、それは……」
パチュリーは息つく間もなく捲し立てる。早苗の言葉の端と様子に何かしらの手ごたえを感じた。だがそれもつかの間、神奈子が風祝に助け船を出す。
「里の者でもない、紅魔館の賢人であるパチュリーが動いているとなれば誰でも事件だと直感的に疑うだろう。少しぐらい神経質になるのは仕方がないんじゃあないのか」
流石に守矢神社を預かる神は聡明であった。
冷静な反論にパチュリーは前のめりになっていた姿勢を元に戻す。
「一理あるわね」
神奈子も決して激昂することなくパチュリーを見据える。
「何でも疑わなければならないあんたの立場もわかる。誰を疑おうが構わないし責めもしない。二言なく協力は惜しまないよ」
「神奈子様!」
早苗は何か言いたげに神奈子の方を見た。パチュリーも小悪魔も今すぐにでも追い出して欲しいに違いなかった。だが、神奈子はそんな早苗を制しながら続ける。
「それに私は早苗も諏訪子も馬鹿な事はしないと信じている。これは心からの声さ。この言葉はちゃんと受け止めてもらうよ」
パチュリーは静かに頷いた。
神奈子にここまで言わせて、これ以上この場で追及を続けるわけにもいかない。何よりも神奈子の言葉で早苗がすっかり冷静さを取り戻していた。絶大な信仰を集める神は思慮深くパチュリーの矛先をかわしてしまった。
守矢神社から退散をしたパチュリーは紅魔館への帰路についた。
日が傾けばまだ冷たい風の吹く季節だ。特に今年の冬は長く、春が訪れても中々桜の蕾が花開かない。
完全に暗くなる前にとパチュリーと小悪魔は空を飛ぶ。
「パチュリー様は諏訪子さんを怪しいと思ってるんですか?」
「どうかしらね」
小悪魔の問いにパチュリーはそっけなく答える。
「でも私思うんですけどいいですか?」
「何かしら」
「長老さんが死んだのって、事件じゃなくてただの事故で川に落ちただけって事は考えられませんか?確かに神様達の中で一番水に関係しているのは諏訪子さんですから、もし殺人だとしたらそりゃあ断然怪しいのは諏訪子さんですよ。でも川に転んで落ちただけって可能性もありますし」
「あなたは水に関係しているという理由で諏訪子を怪しんでるの?」
返って来た問いかけに小悪魔は驚いた。
「そうじゃないんですか?」
パチュリーは飛翔するスピードを緩めることなく話す。
「私が引っかかるのは死体の後頭部にあった打撲の傷」
「え、でもあれは川で石にぶつかったものだって……」
「それはあくまで一つの可能性にすぎないわ。でもあの傷だけ他よりも明らかに大きくて目立っていた。それに後頭部の打撲よ。人間にとって致命傷になる傷が偶々ついたのかそれとも意図的につけられたものかと問われれば私はまず後者から疑ってかかるんだけど?」
抑揚の無い調子で諭され小悪魔は、もう主に何を言っても聞かないだろうと覚った。
パチュリーはさらに続ける。
「それに私が疑っているのは早苗の方よ」
「早苗さんを?」
「早苗は明らかに私に何か隠し事をしているような風だったわ。揺さ振りをかけたら動揺していた。後頭部を殴って川に投げ入れたとしたら水の中で活動できなくても問題はないし、事件の当事者でなくとも何かを知っていたわね。あれは」
せめて神様の怒りにだけは触れないでもらいたいものだ。小悪魔はそう祈るしかなかった。
翌日。
パチュリーと小悪魔の2人は前日言われたとおりに秋穣子に会うため再び静葉所有の祠へと向かった。
前日守矢神社まで行った事もあり小悪魔には秋姉妹の住まう場所がとても人里に近いと感じられた。それでも妖怪の山を半分とまでは言わないが登らなければならないのだからお手頃とまでは言えない。小悪魔が釣りをしたのは山への入り口付近で、こんな所まで来て釣りをしようとは思わなかった。
今日は昨日とは違い祠を訪れても静葉はすぐには現れなかった。
待つ事になるなら本をもってこればよかった。パチュリーは後悔する。小悪魔はというと
「パチュリー様、見てください。カエルですよー」
冬眠から起きたばかりなのか眠そうな顔をしたカエルが抵抗もしないで小悪魔に握られていた。
それを目の前に掲げられてパチュリーは嫌な顔をした。
小悪魔はこのカエルをチルノに贈れば喜ぶだろうと思いスカートのポケットに入れる。自称都会っ子の小悪魔だったが悪魔なだけにカエルを扱うことは平気だった。
「可哀そうに」
パチュリーがカエルに同情の言葉をかけていると、今日は秋穣子が現れた。
「あら、妹の方が来たわ」
「お姉ちゃんから私に用があるって聞いていたので」
穣子は間髪いれずに答えた。
「じゃあ人里の長老が死んだ件についてはもう聞いているわね」
「はい。ここでは何なので家まで来ます?」
「いいえ、ここで結構よ」
「ここはお姉ちゃんの祠なので」
そう言われてパチュリーは小悪魔と顔を見合わせるもお互いに回答を聞く事なく穣子へと向き直った。
「では案内してもらうわ」
「どうぞ」
穣子は手で示しながらパチュリー達を連れ立って山の木立の中へと入って行った。
穣子と静葉の住む家は祠からさらに山奥へと入った場所にあった。冬の間雪の下で押しつぶされた枯れ草の上を歩き、まるで獣道かと思うような木々の間を掻い潜った先に立つ小さな小屋。やはり豊作の神の居住まいとしては相応しくないように思える建物だった。
室内に入ると穣子は早速お湯を沸かし始めた。最近の河童の技術でお湯を簡単に沸かす『ケトル』なる道具と電気は通っているようだった。それも建物に対して不釣り合いで小悪魔は妙な気分になった。
「どうしてこんな山奥に家を?」
パチュリーはケトルから立ち上る湯気を眺めながら質問する。
「山奥かしら?守矢神社よりかは山奥でないと思ってるけど」
「そうじゃなくて、どうしてこんな人が立ち入らないような場所に?もっと道を整備して神社のような社を立てれば信仰が集まるんじゃなくて?」
「ああ」
と、穣子が頷いた時、パチンという何かを弾いた音がした。それがお湯が沸いたという合図だったようで穣子は急須にお茶っ葉とお湯を注いだ。
「緑茶は嫌いじゃない?」
「いいえ」
パチュリーが答え小悪魔は首を振る。紅茶の方が好きではあったが何よりも電気ケトルというもので沸かしたお茶を飲んでみたいという好奇心が先行する。
穣子は2人の前に湯気の立つ湯呑を置いて向かい側に座った。
「えっと家の話だったかな。まぁ、気分かしら」
「気分?」
聞き返す。湯呑の温度はまだまだ高かった。
「冗談。本当はね、人気者だからよ」
穣子はそう言って冗談めかして笑った。そして湯呑に手を当てて温度を確かめながら続きをパチュリーに話す。
「信仰は欲しいけれど、豊作祈願って昼夜構わず来られても困るでしょ。それに凶作の時なんて石を投げ込まれた時だってあるのよ。もう随分と昔の話だけど」
「それでこんな人の寄りつかない場所に。神様も大変なものね」
「その点お姉ちゃんは羨ましい。紅葉が中々色づかなくてもなじられたりしないんだから」
言い終わると穣子は茶を啜った。
「同じ姉妹なのに大変なんですね。そういえば今日は静葉さんは?」
小悪魔は辺りを見渡しながら訊ねる。今日は姉、静葉の姿を見ていない。
「さあ?どこかに出かけたと思うけど」
「もしかして静葉さんとあまり仲良くないですか?」
先程の発言といい、小悪魔は些か勘ぐってしまう。しかし期待とは裏腹に穣子は笑い飛ばした。
「別に仲悪くなんてないわよ。いつも一緒にいたら疲れちゃうでしょ?」
「そうですか?私はいつもパチュリー様と一緒ですよ」
「私に黙って勝手に釣りに行くけどね」
食い下がろうとする小悪魔だったがパチュリーから思わぬ横やりが入り思わずたじろいだ。
パチュリーは再び話を戻す。
「さっきあなたが言っていたような、信仰がある故のデメリットって他の神様にもあるものかしら?」
穣子は少し考えてから答えた。
「あるんじゃないかしら」
「具体的な例があれば教えてほしいのだけど」
「それはそれぞれ違うからわからないけど……お姉ちゃんみたいな人の心に関係した信仰じゃなくて、何か物が貰えるとか実利のある信仰だと逆恨みもされやすいんじゃないのかしら」
「あなたのような?」
問いかけると穣子は一拍置いて「……えぇ」と、答えた。
「あとは、実害が無くても怖がられてる神様とか」
今度は小悪魔が食いついた。
「怖がられてる?神様って怖がられるものなんですか?」
「ほら、八坂様って蛇を象っているでしょ?だから蛇が嫌いな人には怖がられてるかもしれない。そういうことよ」
小悪魔は手を叩いて納得をした。
「なら諏訪子さんは得しましたね。蛙ってすごく愛くるしいですもの」
それは人の好みだろうな。パチュリーはお茶を啜りながら思った。穣子もその意見には苦笑いを浮かべる。
「それで本題に入るのだけど」
と、パチュリーは切り出した。
「昨日死んだ人里の長老は最期に奉納祭の目録を渡していたようなの。そのことは静葉から聞いていた?」
すると穣子はゆっくりと首を横に振った。
「いいえ、そこまでは。お姉ちゃんも長老さんが死んだって事で驚いていたみたいだから」
「そう。それであなたの所にも長老は来たのかしら?それだけ確認したかったの」
穣子はやや困ったように首を傾げた。
「私の所には来てないわ」
パチュリーは驚く。
「あら、でも見つかった長老はあなたの分の目録を持っていなかったわ」
「どういうこと?」
穣子もまた眉を顰める。
「あなたの所に来ていないのにあなたへの目録が無い。誰かが抜き取ったのかしら」
「でも誰が?」
怯えたような瞳で訊ねる穣子に小悪魔が主に代わって聞き返す。
「心当たりはないんですか?」
しかし稔りの神は首を横に振った。
「ないわね」
これ以上は現段階では推測するしか手はない。パチュリーは手もとのお茶を飲み干した。それを見ていた小悪魔も残ったお茶を喉に流し込む。
「ありがとう。中々おいしかったわ。そろそろおいとましようかしら」
「いえいえ、お粗末さまでした」
立ち上がるパチュリーと小悪魔。穣子も席を立つ。と、パチュリーが再び静葉の方へと振り返った。
「最後にもう一つ」
「な、何かしら」
穣子は少し驚いていた。パチュリーは立ったまま質問を繰り出す。
「みんなに聞いている事だけど、亡くなった長老はどんな人だったか教えてもらえる?」
「みんなに?お姉ちゃんには聞いてなかったみたいだけど……」
「そうだったかしら?」
横の小悪魔に確認すると小悪魔は「聞いてませんよ」と主に教える。
「それは失礼」
そのやり取りのうちに穣子は答えを考えていたようだ。
「よく言えば豪放磊落、悪く言えば軽率でいいかげん。って所かしらね。……つまらない冗談で失笑を買うような人間だった」
「早苗さんと同じ事言うんですね」
小悪魔が驚いてパチュリーの方を見遣る。
「やっぱりそういう人物だったようね」
「早苗もそんな風に思ってたのね……」
穣子は苦笑した。
幻想郷に来てまだそう長い付き合いでない早苗にまで酷く言われるようでは、長い付き合いであろう穣子の苦労は慮れる。
最後に小悪魔は同情的に頷いた。
「これで死亡する前の足取りはわかりましたね」
秋姉妹の邸宅を後にすると小悪魔はパチュリーに耳打ちした。
「守矢神社には確かに行ったのに穣子さんの所には行っていない。長老さんはまず守矢神社に行き、その足で穣子さんの所に行こうとした。その途中で事件に巻き込まれたんでしょうね」
守矢神社と共に幻想郷に来た風神の湖。その畔に洩矢諏訪子は立っていた。
何をするともなく広い湖を眺める。
「冬眠はもういいの?」
声をかけられて振り向くとそこにはパチュリーとその使い魔が立っていた。
「神奈子に聞いたの?冬眠のこと」
「えぇ」
諏訪子は帽子の鍔をいじりながら小声で
「あんなのは怠けたいための口実よ。この辺のカエルが目覚めるまではそう言って神事は全部神奈子に押し付けるのさ。内緒だよ」
すると小悪魔は秘密共有の嬉しさにニヤリと笑った。
「それで、カエルは目覚めたかしら?」
「いいや。今年は変に寒かったからまだだね。もっと下の方では起きてる奴もいるみたいだけど。帰ってもう一眠りしようかな」
パチュリー達に背中を向けて神社の方に足を向ける諏訪子。小悪魔は慌てて
「じゃあそのまえに色々と聞く事があります」
と、呼びとめる。
諏訪子は振り返った。
「聞く事ってなんだい?」
小悪魔はパチュリーの方を窺った。
「亡くなった長老の人となりを聞かせてもらおうかしら」
「それは昨日早苗から聞いただろう」
「何故その事を?」
訊ねると諏訪子は笑った。
「神だから」
パチュリーはムッとして笑う神様のタネを暴きにかかる。
「人里の長老が死んだ事も、私達が調べ回っている事も、全部早苗から聞いたのでしょう」
「それもまた神徳というやつなのだわ」
ケロケロと笑う諏訪子。このままのらりくらりとかわすのかと思っていた矢先
「ま、悪人との評価は免れえぬ事情はあったんだろうがね」
だしぬけに放った言葉に小悪魔はさらなる追求を試みる。
「長老さんは悪い人だったんですか?」
「人間なんて罪作りな生き物だからね。もっとも、罰を下すのも神の成す業なれば許すもまた神なり」
諏訪子は再びケロケロ笑う。
「諏訪子さん、難しい事言って雲に巻こうとしてませんか?」
「そう?いい奴じゃないけど私は許していたということよ。畏れ慄く人間に罰を下すのは神様のすることじゃないと思うがどうだい?」
「確かにそうですけど……」
答えながら小悪魔は主を見た。諏訪子もまたパチュリーへと視線を移す。
パチュリーは2人の視線に応えるように諏訪子へと問いかける。
「あなたは死んだ長老について何か知っているようね」
「知ってるけどそれは事件とは関係ないよ」
「それは私が決める事よ」
「言ったら私を疑うのを止めるかい?」
試すような瞳でパチュリーを見る。
「それも私が決める事よ」
パチュリーの答えを聞いて神はつまらなさそうに
「昨日早苗から聞いたよ。私は疑われてもやましい事などないんだけど、あんまり早苗を苛めないであげてね。最近ちょっとおかしいけど優しい子なんだから」
「疑わしきは早苗ということかしら?」
諏訪子の口元から一瞬笑みが消えた。しかしまたすぐに元の調子に戻す。
「あーうー、そんな風に聞こえた?」
「何でも疑ってかかるのが私の役目なのよね」
「私も神奈子と同じで早苗を信じているのよ」
「えぇ」
諏訪子はしばし黙ってパチュリーの顔を見ていたが、愛想の無い顔を見あきたかのように
「いいわ。話す」
と、切り出した。このままでは埒があかない。
「まぁ端的に言うとあの男は祟られていたのよ」
「祟られていた?」
「そう。あんなのは私ぐらいしかわからないよ。昔悪い事してたんだろうね」
「じゃあ、事件の裏には祟りがあったということですか?」
小悪魔は震え上がった。
「いやいや、関係ないってさっき言ったからね。祟り殺されるような呪いならわかるから」
「あくまで関係ないという事ね」
パチュリーが確認する。
「私はそう思うけどね。おっと、それとも祟りのせいにしとけばよかったかな?恨みに口なし、事件は丸く収まってたなら、勿体ない事したなぁ」
おどけて笑う諏訪子。パチュリーはそんな神の言動に眉をひそめたくなる。
と、諏訪子は神社へと続く石段へ不意に目を向けた。吊られてパチュリーもそちらに視線を送る。
そこには参拝に訪れたであろう人間と、見送りに出てきた早苗の姿。諏訪子は「あちゃー」という表情を浮かべた。そしてその通り早苗はパチュリーの姿を認めると途端に不機嫌になったようだった。
参拝客を送り出すとツカツカとパチュリーに歩み寄る。
「また来たんですか?」
強い調子で咎める。
「諏訪子からはまだ話が聞けていなかったから」
「迷惑です」
「それは重々承知の上よ」
「諏訪子様に近づかないでください。退治しますよ」
2人の間に諏訪子が割って入る。
「よしなって早苗。私は何とも無いからさ」
それでも早苗はパチュリーへの敵視を止めない。この探偵気取りを早く諏訪子から引き離したかった。
「さ、諏訪子様どうぞこちらへ」
と、神社の方へと招き、自分は諏訪子を守るように後ろに立ってパチュリーと諏訪子を遮る。最後に諏訪子は訪問者2人に申し訳なさそうに愛想笑いを浮かべて去って行った。
「私は随分嫌われたようね」
パチュリーは早苗に見つかった時から自分の背後に隠れていた小悪魔に語りかける。
「パチュリー様も悪いですよ。あれじゃ聞ける事も聞けなくなっちゃいます」
「肝に銘じておくわ」
しばらく石段を登る早苗の背中を眺めていたパチュリー。
「これからどうするんですか?」
「そうね……今日はもう帰ろうかしら」
頷いた小悪魔は飛び立つために背中の羽を広げた。
「あ、今日は歩いて帰るわよ」
「えっ!」
小悪魔は驚く。
「里の長老が辿ったのと同じ道を歩いてみるのよ」
「でも歩いて帰るってパチュリー様、大丈夫ですか?喘息の発作は起こさないで下さいよ」
「心配いらないわ」
そう言うとパチュリーは魔法で小さな上昇気流を起こすとその上に乗った。
「あ、ずるいです」
「さあ行くわよ」
パチュリーはゆっくりと漂いながら参拝道を下り始めた。小悪魔もその後に歩いて続く。自分の羽で飛んでいる小悪魔にはパチュリーに合わせてゆっくり飛ぶのはとても億劫なのだ。
「パチュリー様は早苗さんが怪しいと思ってるんですか?」
道すがら小悪魔は気になっていた質問をした。前方には先程早苗が見送った人間の参拝客が歩いている。そこまで届かないように声を絞る。
「あなたはどう思うの?」
逆に返されて小悪魔は少し戸惑うように
「確かに怪しいのかもしれません。でも何か違う気がするんですよ」
「何かって?」
「なんと言えばいいんでしょうか……、早苗さんは諏訪子さんと私達を引き離したいように思えるんですよ。もし自分が犯人ならわざわざそんな事しますか?自分が疑われないんだったらそれでいいと思うんじゃないですか?」
「あなたはそれでもいいかもしれないわね。いえ、あなたに限らず普通の犯人ならそれで構わないでしょう。もっと言ってしまえば何もやましい事が無いのであればいくら疑われようが構わないはずよ。それを嫌がるというのは、そもそも私達が嫌いなのか、何か知られたくない事実があったからのどちらかじゃないかしら?」
自分達が嫌われているとは思いたくない。
「やっぱり早苗さんは何か隠しているということですか?」
「それも、諏訪子が知っている何かよ。それを私達に知られたくないからあんなにも目くじら立てて遠ざけた」
「でも諏訪子さんが早苗さんに不利になるような事なんて言いますか?昨日散々警戒させちゃったみたいですし、今日だって特に何か手掛かりがあったとは……」
小悪魔が言うとパチュリーは人差し指を小悪魔の目の前に立てて不敵に微笑んだ。
「だからこそ早苗にとっては都合が悪かったのよ」
「?」
「早苗にとって知られたくない事は早苗自身に関する事ではなかったとしたら?諏訪子が意図せず口にしてしまう可能性があった。私達はすでに重要な何かを聞いていたかもしれないわ」
そう語るパチュリーの視線は前を歩く人間の肩に乗った一匹のカエルに注がれていた。
小悪魔は主が何かに気付いたと覚った。
人間の里まで辿りついたパチュリーは真っ直ぐに慧音の所を訪ねた。
慧音は祭の準備のため倉庫から数人がかりで巨大な看板を取り出していた。看板には奉納祭で奉る三柱の名前が刻まれていた。豊作を祈願する祭のためか秋穣子という名前が真っ先に並んでいる。
「ん?パチュリー殿か。どうだ。何かわかったか」
あとを里の若い男衆に任せて慧音は手についた埃を払った。
「あの板はお祭りで使うのかしら?」
「あれか?立派なもんだろう。あいつの遺品の一つだな。去年作り変えたんだ」
「『あいつ』って長老さんの事ですか?」
小悪魔が訊ねる。
「そうだ。私はあいつを小さい頃から知っているが昔は手に負えない悪ガキだったさ。ま、年をとってもひょうきんなお調子者に変わりは無かったがな」
普通の人間よりも長い時を生きる慧音だからこそ出てくる言葉だった、
「その悪ガキが昔どんな事をしていたのか教えてもらえるかしら?」
「そんな事を聞いてどうするんだ?お前達が調べている事と何か関係があるのか?」
思い出話ならばやぶさかではないがパチュリーに人の過去を話す事には気が引けた。
「えぇ、関係あると私は推測しているわ。特にカエルに関する事を聞かせてちょうだい」
そう言った瞬間慧音の顔に驚きの色が浮かぶ。
「なぜ、その事を知ってるんだ!?」
やはりそうか。と、パチュリーの表情が語る。小悪魔は何がどうなっているのか理解できず主が説明するのを待った。
「妖怪の山の中腹には『大蝦蟇の池』と呼ばれる池があるわ。そこにお供え物をすれば一匹のカエルが使わされ道中の危険から身を守ってくれると言われている。さっき見た守矢神社への参拝客の肩にはちゃんとカエルがとまっていた。なのに、死んだ長老は山で見事に死んだわ。それも水に関係して死んだ。長老は何かしらの理由があって大蝦蟇にお供え物をしなかったんじゃないかしら」
日頃の喘息を思わせない流暢な喋りで慧音に問いかける。慧音は渋々と言った様子で。
「ああそうだ。あいつは子供の頃田んぼに出るカエルに悪さばかりしていた。十匹やそこらじゃないはずだ」
「やっぱりね。だから自分から大蝦蟇の池には近づきたくなかった。祟りを恐れてね」
パチュリーの言葉を聞いて小悪魔はハッとした。諏訪子が語った『祟られている』という言葉の意味が理解できた。そしてそれを『私しか気付かない』と言った意味も。
「長老さんはカエルに祟られていた。そしてカエルを象った諏訪子さんを過度に恐れていたはずです!」
その事がきっと事件に関係しているはずだ。小悪魔は確信する。
「いや、だがそんな事が関係してるのか……だとしたら……」
一方で慧音は何かもっと重大な事に気付いたように思いを巡らせているようだった。
慧音の動揺を見たパチュリーはさらに一つの推理を繰り出す。
「小悪魔が言った通り諏訪子を恐れていたとしたら、その事に気付く事ができるのが1名」
そう言って慧音を見据える。
「2人を一番近くで最も長い時間観察できた早苗よ」
慧音は頷く。
「お前達と同じ事を先日早苗にも聞かれた。その事が関係しているとしたら私が早苗に話したばっかりに……」
事件の全貌が見えてきた。小悪魔にはそう思えた。ポケットの中にカエルを入れている事などすっかり忘れていた。
パチュリー達は再び守矢神社へ。
「また何しに来たんですか?」
玄関先に出迎えに出た早苗は露骨に嫌な顔をした。
「客人としては迎え入れてくれないのかしら?」
「客人?」
だったら招かれざる客人だ。なんとか適当な理由をつけて追い返したい。
しかし、廊下の奥より諏訪子がパチュリーの姿を見つけた。
「いいじゃないの、入れてあげなよ」
「諏訪子様!」
「まあまあ、日に何度もこんな山奥まで来てくれたんだから無碍に返すわけにもいかないでしょ」
「でも……」
と、まだ何か言いたそうではあったが早苗は言葉をのみ込んで招かれざる客を招き入れる事にした。
「もしも諏訪子様や神奈子様に失礼な事を言ったら承知しませんからね」
「えぇ、弁えておくわ」
パチュリーはそう一言添えて中に入る。パチュリーと小悪魔が屋敷の中に入り早苗がその後ろに、諏訪子に案内される形で奥へと通される。小悪魔は背中に寒気を感じて気がきではなかった。
奥の座敷へと通され神奈子も含めた全員が揃うまで時間はかからなかった。
「一体これは何事だ?」
中央に座った神奈子が質問すると小悪魔が答える。
「長老さんの水死事件について謎解きをします」
そう言ってパチュリーを窺う。
テーブルを挟んで居並ぶ神々を前にパチュリーは口を開く。
「人間の里の長老は祟られていたわ」
諏訪子の顔を真っ直ぐに捉えながらパチュリーは言う。
「彼が昔、多くの蛙の命を奪った事でね」
バン!
蛙という単語を口にした瞬間、早苗はテーブルを叩いて立ち上がった。
諏訪子が落ち着いた口調で早苗へと座るよう促した。
「早苗、落ち着きなよ。私は平気だから」
早苗は諏訪子の顔を何度か見てから座った。それを待って諏訪子が
「確かにそうさ。あの男は蛙をたくさん殺してきたようだった。恨まれていた。蛙の恨みは私にはよくわかったよ。でもそれは関係ないって言ったでしょ」
「蛙の祟り自体は害を及ぼす程強くは無かったようね。それ自体は無害だった」
「じゃあ、私が復讐したとでも言う?」
そんな諏訪子を早苗は不安げに見つめる。
「いいえ、復讐なんて無かった。あなたは蛙の恨みを知っていたけれどそれを許したのよ」
「ああ、あの男は過去の過ちを忘れてなんていなかった。馬鹿みたいな話だけど私を怖がっていたのよ。それだけで十分だった」
神奈子が驚いたように聞いていた。きっと諏訪子しかその事を知らなかったはずだ。
「そうよ。だけど長老があなたを恐れていた事には早苗も気付いていた。そうでしょう?」
「早苗が?」
諏訪子は眉を顰める。早苗は俯いてその質問には答えない。
今度は小悪魔が
「慧音さんに聞きました。早苗さんが長老と蛙の因縁を聞きに来たと」
「早苗、知ってたの?」
諏訪子に訊ねられ、早苗はようやく頷く。
「でもなんでそんな事調べたりしたの?」
「……だって、あんまりにも諏訪子様によそよそしいんですよ……何かあるって思うじゃないですか」
早苗が認めた所で小悪魔は続ける。
「そして、その事を知った早苗さんは怒りに震え長老さんを――」
「殺したとでも言うのか!」
声を荒げたのは神奈子だった。小悪魔はヒッと、驚く。
「そんな事で早苗が人殺しなんてするわけないだろ!」
激昂する神奈子を諏訪子が宥める。
「神奈子も落ち着きなよ。もっとドーンと構えてなきゃ」
「早苗が殺人鬼呼ばわりされてるんだぞ!」
「誤解はすぐに解けるさ」
そう言って小悪魔の方に視線を送る。小悪魔はすっかり委縮してしまった。パチュリーはため息を一つ。
「そうね。今のは小悪魔の早とちりよ。早苗は犯人じゃないわ」
「え?」と一番驚いたのは小悪魔だった。パチュリーは続ける。
「早苗は終始諏訪子の事を気にかけていたわ。早苗は諏訪子こそが犯人ではないかと心配していた。そして諏訪子が嘘を塗り固めるほど曲がった神様でないことも良く知っていた。だから、私達を諏訪子から遠ざけたかったのね」
「本当に?早苗、私を心配して?」
早苗は頷く。
「私がそんな事するわけないじゃないの。変な事心配して」
「すみません。でも……」
伏せ目がちに諏訪子の様子を窺う早苗に諏訪子は呆れながらも優しげに微笑む。それを見て早苗は心からの安心をしたようだった。強張っていた肩から力が抜ける。
「動機としては早苗が長老に怒るよりも、諏訪子が怒りに感じるという方が動機になりえるのだからしょうがないわね。でも、隠しだてする理由はそれだけじゃないでしょ?」
パチュリーは再び早苗に訊ねた。
しばらく沈黙を守っていた早苗だったが、やがて怒りに任せるように
「だって、あのエロ爺私のおしり触るんですよ!」
パチュリーを除く一同が驚きを露わにする。早苗はさらに声を大に
「セクハラですよ!セクハラ!妖怪だったらチリにしてやるところです!」
「早苗、セクハラに会ってたのかい?」
神奈子が問うと早苗は大きく息を吐いて頷いた。神奈子の表情が怒りの色を帯び始める。
「……よくも早苗にそんなことを!」
押し殺すように声を出す。
諏訪子はというと神奈子の反応に呆れている様子だった。尻を触られたぐらいで。と、言いたそうだ。
「わかりました!」
小悪魔が声を上げる。
「セクハラで殺意を抱いて――」
「だから違うわよ。でもまさかセクハラだなんてね。それで早苗、あなたは長老の弱みを探していたのね。そして蛙恐怖症に辿りついた」
早苗はもう開き直ったように頷く。
「はい。『諏訪子様は女の敵が大嫌いでセクハラなんて言語道断』と伝えておきました。おかげで相当怖がってもう何もしてこなくなりましたよ」
「いや早苗、私セクハラぐらいでそんなに怒らない……」
「諏訪子!早苗の危機だったんだぞ!」
神奈子は大げさに騒ぎ立てる。
「早苗!他に何かされなかったか?」
早苗は神奈子の迫力にやや気圧されながら
「いえ、お尻をちょっとタッチするぐらいでしたけど」
「ほら、可愛いもんじゃないか。それくらい私達の時代でもいただろ」
諏訪子が宥めようとするが神奈子の怒りは未だ冷めやらぬようだ。セクハラの犯人はもう故人だが。
小悪魔はふと疑問を抱いた。
長老がセクハラを止めたのだとしたら早苗には動機がなくなる。だが、早苗が嘘をついている可能性だってあるわけで……。
「で、結局犯人は誰なんですか?」
小悪魔にはとんと答えが見つからない。
「これで犯行にまで繋がる流れが解明されたわ。あとは何か物証が……」
と、その時。小悪魔のスカートのポケットからカエルが這いでてきた。冬眠ガエルは小悪魔の体温ですっかり目が覚めたようで諏訪子の方にピョンピョン跳ねて行った。
「もしかしたらこれでわかるかもしれないわね」
祠に誰かが来た事を感知して静葉が向かうと、パチュリーと小悪魔が草むらの方を向いて背中を向けて立っていた。
「……またあなた達?今度こそ参拝の人だと思ったのに」
小言を交えながら声をかけると2人は振り返った。
「穣子ちゃんには会ったんでしょ?」
「犯行現場がわかりました」
だしぬけに小悪魔が放った言葉に静葉は目を大きく見開いた。
「ここです」
そう言って小悪魔は地面を指さす。そこには不自然な窪みができており、掘り返したような褐色の土が露わになっていた。
静葉はそれが何なのかすぐに覚った。
「きっかけは小悪魔が捕まえたカエルよ。あのカエルは未だ冬眠のまどろみの中にいたわ。そんなカエルが地上にいたのはつい最近寝ていた所を無理やりに起こされたから。小悪魔の捕まえたカエルはここにあったはずの石の下で眠っていたのよ」
すると今度は小悪魔
「ではこの窪みにあったはずの石は一体どこにいったのでしょう?長老さんの後頭部には鈍器で殴ったような痕がありました」
「だからって!その石が凶器だとは限らないでしょ!」
「では石はどこに行ったんですか?」
「そんなの知るはずないでしょ」
「そうかしら?」
とはパチュリー。
「ここはあなたの祠よ。誰かがここに来たらわかると言ったのはあなたじゃない。ここにあった石は凶器の可能性があるの。誰が来たのか教えてもらえれば調べようがあるわ」
静葉は咄嗟に答えが見つからなかった。
パチュリーがたたみかける。
「あなたたち姉妹は実に巧みだったわ。常に2人で行動しながらも私達の前には1人しか現れない。どんな嘘を言っても後で口裏を合わせれば矛盾は生じないもの。予め決めた事を別々に口にしていたらいつかボロがでるものだもの。そうよね」
最後の呼び掛けは静葉の背後の木立へと向けられた。
「……どうして、わかったの?」
静葉が弱々しい声を出す。自白ともとれる言葉に木の陰に隠れていた穣子が思わず飛び出す。
「お姉ちゃん!」
パチュリーは2人の顔を見比べてから
「この祠は静葉を祀っているもので穣子は祀っていない。それが失言だったわ。私達が穣子に会いに来た時に静葉ではなく穣子が直接来た事であなた達の発言に矛盾が生じたのよ。ボロを出さないように本当の事を言ったのが災いしたわね。この祠は静葉を呼び出す事しかできない」
パチュリーがそう言った瞬間、静葉の脳裏にあの時の事が過る。
『あ、祠に誰か来たみたい』
『こんな季節にお姉ちゃんにお参り?また長老様じゃないの?』
『……そうかもね。もうすぐ春のお祭りだもんね』
『じゃあ、私見てくるね』
『待って……私も念のため見に行くよ』
『ガッカリしても知らないよ』
『おお、穣子様に静葉様。お待ちしておりましたよ』
『長老様、ここはお姉ちゃんの祠ですよ。長老様には家の場所教えてるじゃないですか』
『いやはやこの歳になると山道は応えます。穣子様の家は少し険しくて』
『……長老様、だからって私の祠をそんな風に使わないで下さい……』
『ハハハハ、これは失礼しました。つい呼び鈴の代わりに』
『!!!!!!』
「私の祠は私の物なのよ!」
怒りが蘇り静葉は怒鳴った。あの時静葉は目の前にあった石を掴み、背中を向けて穣子と談笑している長老の頭部へと振りおろしていた。静葉は倒れた男の手から奉納品の目録を取ると、すっかり怯えきった妹にそれを渡したのだった。その時、その空間は確かに静葉だけの物になっていた。
「あいつを殺したのは私よ!私の事を呼び鈴みたいに呼んだあいつを殺したのは私!」
静葉は殺してもなお消えぬ怒りを声に出して訴えた。怯える小悪魔をみると胸の空くような気分が体の中をかけめぐる。
「お姉ちゃんやめて!」
「放しなさいよ!」
半ば半狂乱の姉を落ち着かせようとする穣子を静葉は突き飛ばした。
「穣子ちゃんはいいよね。いっつも里のみんなにちやほやされて。この時期に私のとこにくる人なんていないもんね。祠に来る人みんな穣子ちゃんに会いに来るんだもんね。お姉ちゃん羨ましかったなぁ」
「やめてよお姉ちゃん!そんな事言わないで……」
「昔、凶作だった時石投げられたよね。私まで石投げられた。痛かったな。なんで私まで投げられたんだろ?私達が姉妹だから?違う!」
あらん限りの声で静葉は叫ぶ。
「私はいつも秋穣子のおまけだったのよ!」
静葉と穣子の間に小悪魔が飛び込んだ。
「止めてください!静葉さんはそれでも神様ですか!神様は誰からも崇められて感謝されて生きてるんじゃないんですか?」
「神様だよ?私は秋の神様」
静かに答える。そしてまるで舞台の上にいるかのように手を広げた。
「紅葉の神は命を枯らす神!私はちゃんと役目をやり遂げたのよ。穣子ちゃんにはできない事を私はやった。枯れた葉を落として新しい葉を育てるのよ!私にしかできない私の役目!」
「でもあなたはその後の事を穣子にも協力させたじゃない」
パチュリーが問いかけると静葉は嬉々として語った。
「そうよ。私は穣子ちゃんを利用したわ。一緒にあいつを川に捨てた。凶器も一緒にね。でも私が利用したのよ。ということは、おまけは穣子ちゃんでしょ?主役は私なのよ」
静葉はうっとりとした瞳で自分の祠を眺めていた。
小悪魔に支えられて立ち上がった穣子はそんな姉の姿が見ていられずに逃げるように木立の中に消えた。
パチュリーは小悪魔に静葉を任せて自分は穣子を追った。
穣子は泣いていた。
姉の豹変に涙を流さずにはいられなかった。全ては自分のせいなのだから。
「これでよかったのかしら?」
追いついたパチュリーが声をかける。
「いいわけ無いじゃない……」
穣子は背を向けたまま答えた。
「そうよね。遺体の手、爪が剥がれていたわ。あれは川に流される時何かに掴まろうとした跡。もしも頭を殴られて死んだのだとしたらそんな跡が残るはずはないわ」
「お姉ちゃんが言った事は……事実です」
「でもその時は長老は生きていた。川に投げ込まれる前に息を吹き返したのよ。気付かなかった?」
「そんなの!想像でしょ!」
穣子は振り返ってパチュリーを睨んだ。
「殺意はあなたも持っていた。動機は……これね」
パチュリーは慧音から預かった奉納品の目録を取り出した。
そこには宛先が記されていた『秋稔子様』と。
「どうしてそれを……」
「祭の当日に渡される目録と同じものを招待状の代わりに配っていた。片方に誤字があればもう片方にも誤字があるはずよね。事件を解く鍵は初めから私達の手元にあったのよ」
穣子は動揺しているようだった。俯き、一言も発しない。
「あなたのお姉さんはあなたを庇ってあんな事を言った。あくまでもあなたは利用されただけなのだと、私達に訴えていたわ。その事はわかるでしょ?」
しばしの沈黙。やがて穣子はポツリと
「……私にも殺意はあった」
「認めるのね?」
「川岸の岩にしがみついた長老様を蹴落としたのは……私の方だから」
そして穣子も静葉と同じく怒りに肩を震わせた。
「だって!もう何年尽してると思ってるの?それなのに漢字を間違えるなんて……」
「身から出た錆というやつかしら。その長老という男、あなたも早苗もすっかり酷評していたけど本当にそんな人物だったのかしら?」
「え?」
「慧音は彼を『ひょうきんなお調子者』と言っていたわ。彼はつい最近まで早苗にお尻を触るなんていうちょっかいを出していた。でもそれができなくなったとしたら彼はいったいどうするかしら?新しいイタズラのターゲットにあなたを選んで、わざと名前を間違えたとしたら」
「そんな!イタズラ?イタズラだったって言うの!?」
「その証拠に目録以外の人目に付く所には、ちゃんと正しい字で書かれていたわよ」
自らの殺意が誤解だったと知った時、穣子はその場に泣き崩れた。
小悪魔には事件解決の達成感を感じる事はできなかった。
全ての事実をパチュリーは慧音と村紗に報告する。黙って話を聞き終わると慧音は唸った。
「パチュリーの言葉の通り……身から出た錆ではあるな」
小悪魔は心配そうに慧音の顔を窺っていた。
「あの……静葉さんと穣子さん、この後どうなるんですか?」
慧音は一つため息をついた。
「それはあいつらが決める事だ。私達の方も非礼を詫びに行かなければならない。誰が悪いとは決められないな」
村紗も頷きこそしなかったが静かに話を聞いていた。かつて、呪われた海で多くの命を奪った船幽霊には何か思うところがあったのだろう。
結局パチュリーは事実だけを話すと謝礼は受け取らずに帰路についた。
その背中を手ぶらで追いかける小悪魔。
「どんな行動の裏にも何かしらの気持ちがある。それが相手を慕っての事なのか、蔑んでの事なのか、言葉に出さないと伝わらないのかしらね」
不意に発せられた言葉に小悪魔は思わず足を止める。
それでもまたすぐに歩き出して主の横に並んだ。
「私は気にしてませんよ。その……名無しの小悪魔でも、パチュリー様の使い魔ですから」
夕暮れの暗闇に響く小悪魔の声。
綻んだ口元をパチュリーは固く結んで、それからもう一度口を開いた。
「ああ、そうそう。あなたに言いたい事があったのよ。あなたはもう忘れているかもしれないけど、溯上するのはマグロじゃなくて鮭よ」
キョトンとする小悪魔。しだいに何の事だかわかってその顔は赤面していった。
完全に里長が悪いだけだと思う。
酷く感情的で荒と和の二面を使い分けるのが神道に類する神様だと思っていたが。
だからきちんと敬い崇めずに怒らせれば、祟られ殺されるのは当たり前な気がする。
寧ろ里も巻き込んで不作続きにしたりしないだけ温厚な神様たちだと思うな。
個人的にはこれ完全に神罰が下ったという事で納得できる
解決部分の大根なチープさがとってもサスペンス劇場でした
このドラマ幻想郷で放送されてるだろ
立ち位置的にしょうがないとはいえ、小悪魔は色んな人を殺人鬼呼ばわりして恨み買いそうですね。外の世界の『慰謝料』というシステムがあったら、ふんだくられるでしょうか。それ以前に激発して攻撃されるでしょうか。
ですが、最後の動機がちょっと弱く、説得力を欠いている気がいたします。
ぱちぇさんの「最後にもう一つ」でニヤリとしたのは僕だけかな?
東方で推理?需要ないな~と思いつつ読んだら動機とかいかにも東方くさくて素敵なことになってました。早苗が疑われるところとか何気に面白い。尻の件もいい話(?)だ。
ミステリといっても基本的に異変解決と同じですよね。人死になしならもっと気楽に読めるかなというのは感じました。
そんな無礼を働いたらこの結果でも文句は言えないよ
そして慧音や、これ完全に人間のせいだろw
事件じゃなくて、ただの推理ゲームになってしまってるのが惜しい
宣う始末ではないでしょうか?
読み終わったけれども。んん?よくわかんないな…。なんか変。なにか変なんだけど、よくわからない