幻想闇市を未読の方は、そちらを先に読むことを強く薦めます。そうすれば世界観がつかみ易いと思います。
守矢神社の秋祭りが終わったから
暗くなったらかえってこいと
あちこちで言われるようになるのに
みーちゃんとあそんでいるのが楽しくて
ついつい時間を忘れて
かくれんぼを続けてしまって
僕が鬼の役だから
大きな木の幹に顔を伏せ
30まで数える。
「もーいーかい」
(まーだだよ)
みーちゃんはとてもいい子。
みーちゃんはとても優しい。
僕はついさっき、ドジって転んで、膝小僧から血を出してしまったけれど、みーちゃんはすかさずハンカチを取りだして、血を拭ってくれた。せっかく綺麗に洗濯されたハンカチだったのに、汚れてしまうのに、躊躇いもせず。
みーちゃん、大好き。
いつも一緒で、いつも仲良し。
これからもずっと一緒にいるんだ。
「もーいーかい」
(まーだだよ)
そろそろだろうか。
声を張り上げる。
「もーいーかい」
(もーいいよ……)
顔を上げて木から離れ、走り出す。
みーちゃんを見つけるために。
楽しくて僕は一人でくすくす笑う。
みーちゃんをさがして、あちこちを覗いて回る。
草むら。
木の影。
箱の中。
でもみーちゃんは見つからない。
みーちゃん。
みーちゃん。
どこにいるの?
だんだん、不安になってきた。
道の真ん中で立ち止まった。
夕陽で染まる道に黒々とした影が長く伸びていた。
ふと振り返る。
辻の真ん中に、見知らぬ少女が立っていた。
猫のような少女だった。紅い髪をおさげにして、子ども一人くらい入るような手押し車を押していた。
少女が妖しく微笑んで、こちらにぬっと身を乗り出した。
いけない遊びをしている
いけない子は
悪い妖怪にさらわれて
妖怪の市に売られるよ
急に怖くなった。
その瞬間、かくれんぼのこともみーちゃんのことも忘れた。
帰らなくちゃ。
帰らなくちゃ。帰らなくちゃ。家に帰らなくちゃ。
きびすを返して走り出した。
家に向かって。
夢中で。
偽善は醜悪だが偽悪は無様だ。
己の悪意を吹聴することは、己がいかに無知であるかを声高に主張していることと同じだから。
過去に自分が犯した悪事を自慢する姿は滑稽だ。可愛らしくさえある。見え透いた悪意など悪意ではないというのに。
真の悪意は、己が悪意であることを決して明かさない。常に悪意以外のなにものかに見せかけている。そして、悪意を悪意たらしめる恐るべき事象を、本能のままに引き起こす。
そいつが悪意であることに気づいた時には、もう手遅れなのだ。
ああ、すみません。
話が逸れてしまいましたね。
ええ、みーちゃんがいなくなったときのことは、よく覚えています。忘れようったって忘れられるものではありません。だって、僕はみーちゃんのことが大好きでした。
ねえ。
あのね。
あなたには教えてあげますね。
あなたは僕の話をちゃんと聞いてくれそうだから。
みーちゃんがいなくなってから、ちょうど一年後。僕、妖怪の市へ、みーちゃんを探しに行ったんです。ええ、一人で。
みーちゃんが消えた年の大晦日から、つまりその年の市の最終日から、僕は心に決めていたのです。
みーちゃんを探しに行こうって。
みーちゃんが消えてしまった一年後。再び妖怪の市が立つ季節になりました。例年通りです。もちろんあなたも知ってますよね?
市は、日の入りから始まって、日の出とともに終わります。
覚えています。
森の道を歩いていると、太い泣き声がふってきました。ずいぶん近くから聞こえました。ぎょっとして顔をあげると、頭上で幾重にも交差する太い枝の一本に、大きな梟が一羽、留まっていました。
梟は警戒する素振りもみせず、ピカピカ光る大きな目玉で、悠然と僕を見下ろしていました。梟は胸を膨らませるともう一度ほうと鳴きました。
少し歩くと、坂がきつくなり、林は途切れ、灰色に干からびた廃屋がぎっしりと立ち並ぶ廃村に出ました。建物のボロさはひどいものでした。しかし、不思議と生活感がありました。廃村なのに生活感があるというのもおかしな話ですが、でもたしかに、何者かの気配がしたのです。かすかに食べ物のにおいもした気がします。それに……今にも崩れ落ちてきそうな壁に挟まれた、鼠の通り道のような細い路地のむこうには、大勢の妖怪が行き交う喧騒が溢れていました。
何度も何度も階段にぶち当たりました。斜面沿って作られた村なのでしょうね。坂や階段がやたらに多かった。
足元ばかりを見て歩きました。路地や階段は、じめじめ湿っぽいばかりか、とても歩きにくいものだったのです。
ふと顔をあげると、それまで全く気づかなかったのですが、僕の少しばかり前方を、大陸風の衣装を纏った少女が、独特の足運びで歩いていました。桶をさげた天秤棒を、肩に担いでいます。
なんだろう、金魚屋さんだろうか。好奇心に駆られて僕は少女に駆け寄りました。僕に気づいた少女は立ち止まってくれました。正面から見て気づいたのですが、少女はド派手な湖畔の紅い館の門番でした。遠目から見たことがあったのです。
天秤棒の両端から下がる桶には、つんとすえたにおいのする水が張られており、中に金魚は一匹も泳いでおらず、ただ、底の方で目玉が何十個もゆらゆらと揺れているばかりなのでした。
僕は口を半開きにして、ぽかんとこれを見つめました。
瞳の色は、意外なほど多彩でした。青色、水色、緑色。珍しいところでは赤色なんてのもありました。茶色一つにしてもいろいろあるのですね。薄い茶色。金色みたいに見える茶色。ほとんど黒に近い茶色。
門番の少女が口を開きました。
「何をお探しですか」
彼女は笑顔で言いました。
「どうです、綺麗でしょう。お嬢様が外の世界からつれてきた人間のものなんですよ。紅魔館には人肉を好むひとは居ないので、いつも捨てられてしまうのですが、もしかして売れるんじゃないかと思って」
彼女は聞いてもいないのによくしゃべりました。私は最初の質問に答えました。
「……みーちゃん」
多分、動揺していたのでしょうねえ。僕は、とても素直に答えてしまいました。
「……みーちゃん?のは、ありませんねえ」
そういうと、門番の少女は会釈をしてさくさくと立ち去ってしまいました。
階段を登り切った先には広場がありました。
様々な露店が立ち、いたるところに赤々と燃える篝火が組まれていました。行き交う妖怪たちは、妖しい市の雰囲気にはそぐわない、あどけない少女がほとんどでした。
広場の隅にぼうっと立ち尽くしていると、声が聞こえてきました。
こっちにおいでよ。
空耳かと思いました。
しかし。
こっちにおいでよ。
こっちにおいでよ。
やはり聞こえます。
僕はいざなわれるように歩き始めました。広場の隅を進んで、また路地に入り、路地の横道に入り、横道のさらに横道に入りました。声に導かれるまま。
やがてたどり着いた袋小路は、じめじめと暗く、酒粕に似た重々しく甘ったるいにおいに満ちていました。
小さな焚き火がまるで手を振るようにひらひらとささやかに燃えており、その周りを、色とりどりの妖精たちが輪になって踊っていました。どんな歌だったかはどうしても思い出せません。でもたしかに歌っていました。朽ちかけた木の壁に映る無数の影が、妖精たちの動きに合わせて伸びたり縮んだりしていました。
「何やってるの」
僕は訊きました。しかし妖精たちは足を止めずに踊り続けます。目だけを少し動かして、僕をちらちら見ています。
僕は質問を繰り返しました。
何やってるの。
「踊っているのよ」
「冬に死に春に再び生きるため」
「あたいは死なないけどね」
「あなたも踊りましょう」
僕が返事をする前に、妖精の一人が僕の手をとり、強引に踊りの輪に引き込みました。驚いている間に反対の手も別の妖精に握られ、半ば引きずられるように、無理やり踊らされる羽目になりました。
輪の回転は傍から見ているよりずっと速く、僕は足をもつれさせながら、それでもなんとか転ばずに踊りについていきました。
「あなたどうして市に来たの」
「何しにきたの」
みーちゃんをさがしにきました。僕はぼんやり答えます。回転が速すぎて、周囲の風景が横線になって見えました。妖精たちの顔もはっきり見えません。
「みーちゃんだって」
「みーちゃんねえ」
僕は尋ねました、知ってるの?
風を切る音がびゅんびゅん聞こえます。もはや自分が足を動かしているかどうかさえわかりません。
「知らないやら」
「踊ればわかるよ」
「踊りましょう」
花の香りにも似た濃厚な臭気と、ちいさな焚き火のあかり、そして妖精たちのくすぐるような笑い声だけが、やけに鮮明で。
くすくすくす
そう。
なんだか、
とても幸福でした……
「そのへんにしておけ」
襟首を掴まれ、強い力でぐんと後ろに引っ張られました。襟が喉に喰い込み、一瞬、生きが詰まりました。
振り返ると、僕の傍に白髪の少女が立っていました。赤いモンペ姿の変わった少女です。
「あ、妹紅さん」
「もこーだ」
「どうかしたのかー?」
妹紅と呼ばれた少女はめんどくさそうに言いました。
「お前らなあ、その踊りに誰彼構わず引き込むのはやめろっていっただろ」
「でも楽しいよー」
「お前らはそうかもしれんが、こいつにとっちゃ迷惑なんだよ」
「そーなのかー」
「ほら、散れ」
妖精達は、抗議することもなく、くすくす笑いながら素直に袋小路を後にしました。
においも高揚も風さえも、すっかり鳴りを潜めてしまいました。残された焚き火だけがパチパチと音を立てて揺れる中、妹紅と呼ばれた少女は、僕を見下ろして言いました。
「お前、市は初めてか?」
「あ……はい」
「何か目的があって来たのか?」
ぶっきらぼうな態度をとっていても、この少女は面倒見がいいようです。
妹紅を味方につけることは、みーちゃんを見つけたい僕にとって、この上ない有利になるのではないか。
そう考えました。
「僕、みーちゃんを探しにきたんだよ」
「みーちゃん?」
「女の子、一年前、突然いなくなったの」
「どこから」
「人間の里」
「一年前に人間の里で消えた女の子が、なぜ今この市にいると思うんだ?」
「みーちゃんを連れ去った奴を見たんだ。奴はここにいる」
「里で起こった不可解な出来事をなんでもかんでも市のせいにしないでもらいたいねえ」
「でもきっとみーちゃんはこの市にいるよ。きっといるよ。ねえお願い。僕、みーちゃんを探したいの」
「みーちゃんはこの市のことを知っているのか?」
「え?ううん。そんなことないと思う」
「なら迷い子になっているはずだ。迷い子なら私のような者が保護する。私達に見つけられなかった場合は、商品になっているだろうな。商品になっていたら、私にも手は出せない」
妹紅はさらに言いました。
「みーちゃんがいなくなったのは一年前なんだろう」
「そうだよ」
「だったら、今年この市をさがしても、見つからないだろう」
「どうして」
「仮に、みーちゃんが本当に去年の市に入り込んでいたとする。しかし、私達は去年、みーちゃんという女の子を迷い子として保護していない。ということは、みーちゃんは商品として市にいた、ということになるな」
「……」
「だが、この市において、前の年に売れ残った商品が次の年にまた並べられるということは、あまり考えられん。その商品というのが人間で、しかも若い女なら、なおのこと。若い女はレアだから、大概売れ残らないんだ。わかるか?」
「……わかんない」
妹紅は、ふうっと短く息を吐き出しました。
「もしお前の言う通り本当にみーちゃんがこの市に入ったのだとしたら、みーちゃんは間違いなくどこかの店の商品になっている。商品になっているということはその店の所有物になっているということだ。首に値札を下げられている以上、お前にも私にも、連れ出すことはできない」
僕はもう半泣きになって抗議しました。
「そんなのおかしいよ」
「おかしくなんかないさ。それがこの市のルールだ」
「人なんだよ」
「値札を下げられたら商品だ」
「どうにかならないの」
「……すまんな。無理だ」
僕は足を止め、頭を抱えました。泣きたい気持ちでした。
妹紅はそんな僕を見かねたのか、一つの案を提示してきました。
「一つだけ、すんなり商品を手にいれる方法がある」
「え、何、それは何」
「お前、金は?」
「かね?」
「商品をどうしても手にいれたいなら、値札に書かれた通りの額を提示して、商店主取引することだ」
僕は愕然としてしまいました。
「市とは基本的にそういうものだ。お前も普段からやっているはずだ。店に行く、欲しい商品を見つける、その商品につけられた値段を支払う。そうやって、物を手にいれるだろ。普通、欲しい商品を手にいれるために、いちいち店にいちゃもんをつけたりしないだろ」
「……」
「この市だって、その辺りのことは人里となんら変わりない。わかったな?」
僕はもうすでに、物を言う気力もなくなっていました。さっさと歩き出した妹紅の後を、とぼとぼついていくばかりでした。
僕達は賑わしい市から離れ、廃屋が隙間なくみっちりと立ち並ぶ廃村を、黙って歩きました。
前を歩く妹紅が静かに言いました。
「しかし、そもそもの話として、みーちゃんが市にいる、あるいは連れ込まれた、という、確たる証拠はないんだろ?」
「……」
「だったら市以外の場所をさがせ、諦めるのは全てさがしつくしてからにしろよ」
「……うん」
「ところで、私からも一ついいか?」
「なあに」
「お前は、そのみーちゃんと、どういう関係だったんだ」
「どうって、お友達だよ」
「お友達か」
「そう。里でみーちゃんを最後に見たのが、僕なの。みーちゃんが消えてしまう直前まで、僕とみーちゃんは、かくれんぼをして遊んでいたから」
「ふうん。かくれんぼね」
ゆるやかな坂になっている道をだらだらと下っていると、背後で茂みが鳴りました。森の中から何かが出てきたのです。僕は反射的に振り返りました。
道を、見覚えのあるシルエットが横切ろうとしていました。
赤いおさげ、手押し車。
僕は足を止め、小声で妹紅を引き止めました。
「ねえ。あいつだ。あいつだよ」
「何が」
「みーちゃんをさらっていった奴。間違いないよ。僕、みーちゃんがいなくなったとき、近くであいつを見たんだ」
妹紅は、僕が指さした先を見ました。
「あいつは違うだろうな」
「どうして!」
「あいつは生きている者には興味がない。死体専門だ」
僕はひそかに歯噛みしました。
あいつだ。
あいつなんだ。
あいつに決まってる。
そのときでした。
声が聞こえてきました。
追えばいいわ。
追いなさい。
そっちの方がおもしろそう。
追うのよ。
ああ、惨劇がみたいわ。
妹紅が鋭く囁きました。
「こいつの声に耳を貸すな」
そんな妹紅の背後で、人の形をした影が揺らめきました。つばの広い帽子をかぶった、銀髪の少女です。胸のあたりの閉じられた瞳が印象的でした。妹紅はまったく気づいていないようでしたが、僕は凝視していました。
妹紅は僕の視線の先を見、「そこにいるのか、こいし!」と言いました。そう言いながらも、定まらない妹紅の視線から、彼女にこいしと呼ばれた少女が見えていないことが分かりました。
「ねえ、君。こんなところでぼんやりしてていいの。お燐、行っちゃうよ。追いかけなくていいの。みーちゃんを取り戻すんでしょ」
そうだった。
追わなくては。
見えないこいしに翻弄される妹紅を後に、僕は森に飛び込みました。濃密な暗がりが続くのかと思いきや、奇妙に開けていました。一本道に並行するようにして、獣道のような細い道があったのです。あの男は、闇雲に森に入った訳ではなかったのです。この獣道のどこかにあの少女がいるにちがいない。僕は道なりに駆けました。非常に狭い道でした。
どこからか少女の囁く声が聞こえます。
こっちよ。
こっちよ。
ほらほら。
あとちょっとよ。
あるいはそれは、単に、葉のこすれあう音がそう聞こえただけだったのかもしれませんが。
そして僕は、悪夢の中の登場人物のように延々と駆け、ようやく奴の背中に追いついたのです。
「おい!」
僕に呼び止められて、遠くの篝火のもたらす赤い闇の中、少女は影絵のように揺らめきました。
「なんの用だい」
その声。
僕は覚えていました。
いけない遊びをしている
いけない子は
悪い妖怪にさらわれて
妖怪の市に売られるよ
間違いありません。
あのときと同じ声です。
「みーちゃんを返せ」
駆け寄るや否や、僕は手にしていた石で、少女の顔面を殴り付けました。獣道の途中に落ちていた手頃な奴を目敏く拾っておいたのです。少女は声も上げずにその場に倒れました。
僕は石を振り上げ、さらに少女を殴り付けました。何度も。何度も。何度も。
「おい。みーちゃんを返せ。おい。聞いてんのか。おい。みーちゃんだよみーちゃん。わかってんだろ。お前が去年、人間の里から連れ去った女の子だよ」
やがて僕の興奮が収まってきた頃、少女はゆっくりと起き上がりました。
「いたいわねえ。何しやがんのよ」
あれだけ殴ったのに、少女は全く堪えていないようでした。
「あら」
少女は、僕の顔を見て笑いました。
「あんた、どっかで見たことある気がするねえ」
こいつはだめだ。
放っておいてはだめだ。
僕は悲鳴を上げました。ひゃああ~。我ながら情けない声だったと思います。ひゃああ~。ひゃああ~。足元に落ちていた太い枝を掴み、少女に殴りかかりました。
「おっと」
少女はひらりと身をかわしました。
空振りで地面に叩きつけられた枝は、中程でぼきりと折れました。
「頭がおかしい」
僕はもう一度殴りかかろうとしました。
しかし、そんな僕の肘を掴んで止めた者がありました。
妹紅です。
「よせ」
こいしを振り切ってきたのですね。
「お燐、大丈夫か」
「妹紅か、そいつをどうにかしてくれ。完全にいかれてる」
「お燐、みーちゃんという女の子に一体何をしたんだ」
妹紅がお燐と呼ばれた少女に訊きました。
「みーちゃん?」
「一年前、人間の里から消えた女の子だ」
「みーちゃん、みーちゃん……いや、知らない。そんな子はしらないよ」
「ならなぜあいつはあんなに怒ってる」
「知らない。あたいはちゃんとルールを守ってるよ。あたいが死体しか拾わないのは妹紅も知ってるでしょ。去年人間の里で拾った女の子だって、あたいが見つけた時には、もう死んでたよ」
「なんだと?」
「ホントだよ。あたいはいつだって死体しか拾わないもの。生きてる人間になんか、用はないもの」
湿り気のする生ぬるい誰かの息みたいな風が吹いて、周囲のうら枯れた木々をなぶるように揺すりました。葉のこすれあう音が、女のひそやかな笑い声に聞こえます。あるいは、実際に女の笑い声が混ざっていたのかもしれません。僕には分かりません。
「お前、さっき、私に言ったな。みーちゃんが消えてしまう直前まで一緒にいた、かくれんぼをしていた、と。そういったな」
「言ったよ」
僕は堂々と頷きました。
やましいところなどないのですから。
「だが、お燐が見つけたときには、みーちゃんは既に死んでいたという」
妹紅は音もなく立ち上がると、正面から僕を見据えました。
「お前、みーちゃんを殺したな」
ちがうんだよ。
だってさあ。
聞いて。
だって。
僕はみーちゃんが大好きだったから。
みーちゃんってね、すごくいい子なんだよ。
とっても優しいんだ。
嫌われ者だった僕にも、優しかった。
ずっとそばにいてほしいと思った。でもみーちゃんは、人の子でしょ。暗くなったら、おうちに帰らないといけない。でも僕はみーちゃんにおうちに帰ってほしくなかったから、ちょっとね、ちょっとだけ、引き止めたんだ。そしたらみーちゃんは「おうちに帰る」って言って、しくしく泣き出した。今にも大声で泣き出しそうな様子だった。このままじゃ誰かに見つかっちゃう、僕達一緒にいられなくなっちゃうと思って、みーちゃんの口をぎゅーって押さえつけてたら、そのうちみーちゃんは静かになっちゃった。
妹紅は何も言いませんでした。
しかし僕はしゃべり続けました。
事情をちゃんとわかってほしかったのです。
みーちゃんはね、動かなくなったよ。それでも僕、みーちゃんが大好きだから、みーちゃんと遊ぼうと思ったの。だから、かくれんぼをすることにしました。まず僕がみーちゃんを隠してね、そんでね僕が三十数えてからね、隠れてるみーちゃんをさがすんだよ。面白いでしょう。隠したのは僕なんだけどね。そんなの隠した場所を忘れたらいいだけの話だからね。でもみーちゃんは動けないから、僕がいつまでも鬼の役なんだけどね。
「もういい。わかった。黙れ」
妹紅は目を伏せて言いました。
ですが黙るわけにはいきません。
ここで黙ったら誤解されてしまいます。
僕が悪いと思われてしまいます。
僕ねみーちゃんをさがしてね、一生懸命さがしてね、さがしてるフリなんだけどね、それでね、みーちゃんを隠したところを、ばあーって覗いたら、みーちゃんがいなくなってたんだ。いなくなってた。僕が隠したのに。間違いなくそこに隠しておいたのに。僕の隠した場所からいなくなってた。これは大変だと思って、あたりをさがしまわったよ。そうしたら、あの猫妖怪にばったり会ったんだ。あいつ、子供が一人入るような手押し車を押してたよ。そのときはまさかそこにみーちゃんが入ってるとは思わなかったけど……。
「黙れ!」
「うわあ、うわあ、嫌だなあ怒鳴らないでくださいよ。こわーい。……でね、僕はね、あの猫妖怪が怪しいと思ったので、こうしてわざわざ市にまで探りに来たわけですよ。そう、そうなんですよ。それでね、妹紅さんの話を聞いて、あいつが死体専門だっていうあの話ね。確信しちゃいましたよね。あいつが、僕からみーちゃんを奪っていったんだって。許せないですよねそれって。みーちゃんは僕のものなのに。だから僕は、」
ふと顔をあげると、妹紅が目の前まで迫ってきていました。こっちに手のひらを向けていた。すると炎が僕に向かってきてね。避ける暇などありませんでした。僕は意識を失っていました。
人の話を最後まで聞かずに、暴力で黙らせるなんてね、あんまりですよね。
あなたはそんなことしませんよね。
最後まで僕の話を聞いてくれますよね。
目を覚ましたときには、僕は林道の真ん中に転がされていました。
空は既に白んでいました。
今宵の市はもうとっくに閉じてしまっているだろう。
そう思って、とりあえず寝床に帰ることにしました。
そうしたらね。
いたんですよ。博麗の巫女がね。
妹紅が連絡したんでしょう。つくづくムカつくやつですよね。
思いました。僕はこれから死ぬんだ。巫女に退治されるんだってね。
でも未練はありませんでした。みーちゃんのいない世になんてね。
そして僕は、この通りですよ。
小町さん。
向こう岸にはまだつかないんですか?そんなに色んなことをしたんですか、僕は。
それにしても楽しみだなあ。たった一年前死んだばかりなんだ、みーちゃんにはすぐに会えるよなあ。でしょう?小町さん。
楽しみだなあ。どんなことをして遊ぼうかなあ……。
守矢神社の秋祭りが終わったから
暗くなったらかえってこいと
あちこちで言われるようになるのに
みーちゃんとあそんでいるのが楽しくて
ついつい時間を忘れて
かくれんぼを続けてしまって
僕が鬼の役だから
大きな木の幹に顔を伏せ
30まで数える。
「もーいーかい」
(まーだだよ)
みーちゃんはとてもいい子。
みーちゃんはとても優しい。
僕はついさっき、ドジって転んで、膝小僧から血を出してしまったけれど、みーちゃんはすかさずハンカチを取りだして、血を拭ってくれた。せっかく綺麗に洗濯されたハンカチだったのに、汚れてしまうのに、躊躇いもせず。
みーちゃん、大好き。
いつも一緒で、いつも仲良し。
これからもずっと一緒にいるんだ。
「もーいーかい」
(まーだだよ)
そろそろだろうか。
声を張り上げる。
「もーいーかい」
(もーいいよ……)
顔を上げて木から離れ、走り出す。
みーちゃんを見つけるために。
楽しくて僕は一人でくすくす笑う。
みーちゃんをさがして、あちこちを覗いて回る。
草むら。
木の影。
箱の中。
でもみーちゃんは見つからない。
みーちゃん。
みーちゃん。
どこにいるの?
だんだん、不安になってきた。
道の真ん中で立ち止まった。
夕陽で染まる道に黒々とした影が長く伸びていた。
ふと振り返る。
辻の真ん中に、見知らぬ少女が立っていた。
猫のような少女だった。紅い髪をおさげにして、子ども一人くらい入るような手押し車を押していた。
少女が妖しく微笑んで、こちらにぬっと身を乗り出した。
いけない遊びをしている
いけない子は
悪い妖怪にさらわれて
妖怪の市に売られるよ
急に怖くなった。
その瞬間、かくれんぼのこともみーちゃんのことも忘れた。
帰らなくちゃ。
帰らなくちゃ。帰らなくちゃ。家に帰らなくちゃ。
きびすを返して走り出した。
家に向かって。
夢中で。
偽善は醜悪だが偽悪は無様だ。
己の悪意を吹聴することは、己がいかに無知であるかを声高に主張していることと同じだから。
過去に自分が犯した悪事を自慢する姿は滑稽だ。可愛らしくさえある。見え透いた悪意など悪意ではないというのに。
真の悪意は、己が悪意であることを決して明かさない。常に悪意以外のなにものかに見せかけている。そして、悪意を悪意たらしめる恐るべき事象を、本能のままに引き起こす。
そいつが悪意であることに気づいた時には、もう手遅れなのだ。
ああ、すみません。
話が逸れてしまいましたね。
ええ、みーちゃんがいなくなったときのことは、よく覚えています。忘れようったって忘れられるものではありません。だって、僕はみーちゃんのことが大好きでした。
ねえ。
あのね。
あなたには教えてあげますね。
あなたは僕の話をちゃんと聞いてくれそうだから。
みーちゃんがいなくなってから、ちょうど一年後。僕、妖怪の市へ、みーちゃんを探しに行ったんです。ええ、一人で。
みーちゃんが消えた年の大晦日から、つまりその年の市の最終日から、僕は心に決めていたのです。
みーちゃんを探しに行こうって。
みーちゃんが消えてしまった一年後。再び妖怪の市が立つ季節になりました。例年通りです。もちろんあなたも知ってますよね?
市は、日の入りから始まって、日の出とともに終わります。
覚えています。
森の道を歩いていると、太い泣き声がふってきました。ずいぶん近くから聞こえました。ぎょっとして顔をあげると、頭上で幾重にも交差する太い枝の一本に、大きな梟が一羽、留まっていました。
梟は警戒する素振りもみせず、ピカピカ光る大きな目玉で、悠然と僕を見下ろしていました。梟は胸を膨らませるともう一度ほうと鳴きました。
少し歩くと、坂がきつくなり、林は途切れ、灰色に干からびた廃屋がぎっしりと立ち並ぶ廃村に出ました。建物のボロさはひどいものでした。しかし、不思議と生活感がありました。廃村なのに生活感があるというのもおかしな話ですが、でもたしかに、何者かの気配がしたのです。かすかに食べ物のにおいもした気がします。それに……今にも崩れ落ちてきそうな壁に挟まれた、鼠の通り道のような細い路地のむこうには、大勢の妖怪が行き交う喧騒が溢れていました。
何度も何度も階段にぶち当たりました。斜面沿って作られた村なのでしょうね。坂や階段がやたらに多かった。
足元ばかりを見て歩きました。路地や階段は、じめじめ湿っぽいばかりか、とても歩きにくいものだったのです。
ふと顔をあげると、それまで全く気づかなかったのですが、僕の少しばかり前方を、大陸風の衣装を纏った少女が、独特の足運びで歩いていました。桶をさげた天秤棒を、肩に担いでいます。
なんだろう、金魚屋さんだろうか。好奇心に駆られて僕は少女に駆け寄りました。僕に気づいた少女は立ち止まってくれました。正面から見て気づいたのですが、少女はド派手な湖畔の紅い館の門番でした。遠目から見たことがあったのです。
天秤棒の両端から下がる桶には、つんとすえたにおいのする水が張られており、中に金魚は一匹も泳いでおらず、ただ、底の方で目玉が何十個もゆらゆらと揺れているばかりなのでした。
僕は口を半開きにして、ぽかんとこれを見つめました。
瞳の色は、意外なほど多彩でした。青色、水色、緑色。珍しいところでは赤色なんてのもありました。茶色一つにしてもいろいろあるのですね。薄い茶色。金色みたいに見える茶色。ほとんど黒に近い茶色。
門番の少女が口を開きました。
「何をお探しですか」
彼女は笑顔で言いました。
「どうです、綺麗でしょう。お嬢様が外の世界からつれてきた人間のものなんですよ。紅魔館には人肉を好むひとは居ないので、いつも捨てられてしまうのですが、もしかして売れるんじゃないかと思って」
彼女は聞いてもいないのによくしゃべりました。私は最初の質問に答えました。
「……みーちゃん」
多分、動揺していたのでしょうねえ。僕は、とても素直に答えてしまいました。
「……みーちゃん?のは、ありませんねえ」
そういうと、門番の少女は会釈をしてさくさくと立ち去ってしまいました。
階段を登り切った先には広場がありました。
様々な露店が立ち、いたるところに赤々と燃える篝火が組まれていました。行き交う妖怪たちは、妖しい市の雰囲気にはそぐわない、あどけない少女がほとんどでした。
広場の隅にぼうっと立ち尽くしていると、声が聞こえてきました。
こっちにおいでよ。
空耳かと思いました。
しかし。
こっちにおいでよ。
こっちにおいでよ。
やはり聞こえます。
僕はいざなわれるように歩き始めました。広場の隅を進んで、また路地に入り、路地の横道に入り、横道のさらに横道に入りました。声に導かれるまま。
やがてたどり着いた袋小路は、じめじめと暗く、酒粕に似た重々しく甘ったるいにおいに満ちていました。
小さな焚き火がまるで手を振るようにひらひらとささやかに燃えており、その周りを、色とりどりの妖精たちが輪になって踊っていました。どんな歌だったかはどうしても思い出せません。でもたしかに歌っていました。朽ちかけた木の壁に映る無数の影が、妖精たちの動きに合わせて伸びたり縮んだりしていました。
「何やってるの」
僕は訊きました。しかし妖精たちは足を止めずに踊り続けます。目だけを少し動かして、僕をちらちら見ています。
僕は質問を繰り返しました。
何やってるの。
「踊っているのよ」
「冬に死に春に再び生きるため」
「あたいは死なないけどね」
「あなたも踊りましょう」
僕が返事をする前に、妖精の一人が僕の手をとり、強引に踊りの輪に引き込みました。驚いている間に反対の手も別の妖精に握られ、半ば引きずられるように、無理やり踊らされる羽目になりました。
輪の回転は傍から見ているよりずっと速く、僕は足をもつれさせながら、それでもなんとか転ばずに踊りについていきました。
「あなたどうして市に来たの」
「何しにきたの」
みーちゃんをさがしにきました。僕はぼんやり答えます。回転が速すぎて、周囲の風景が横線になって見えました。妖精たちの顔もはっきり見えません。
「みーちゃんだって」
「みーちゃんねえ」
僕は尋ねました、知ってるの?
風を切る音がびゅんびゅん聞こえます。もはや自分が足を動かしているかどうかさえわかりません。
「知らないやら」
「踊ればわかるよ」
「踊りましょう」
花の香りにも似た濃厚な臭気と、ちいさな焚き火のあかり、そして妖精たちのくすぐるような笑い声だけが、やけに鮮明で。
くすくすくす
そう。
なんだか、
とても幸福でした……
「そのへんにしておけ」
襟首を掴まれ、強い力でぐんと後ろに引っ張られました。襟が喉に喰い込み、一瞬、生きが詰まりました。
振り返ると、僕の傍に白髪の少女が立っていました。赤いモンペ姿の変わった少女です。
「あ、妹紅さん」
「もこーだ」
「どうかしたのかー?」
妹紅と呼ばれた少女はめんどくさそうに言いました。
「お前らなあ、その踊りに誰彼構わず引き込むのはやめろっていっただろ」
「でも楽しいよー」
「お前らはそうかもしれんが、こいつにとっちゃ迷惑なんだよ」
「そーなのかー」
「ほら、散れ」
妖精達は、抗議することもなく、くすくす笑いながら素直に袋小路を後にしました。
においも高揚も風さえも、すっかり鳴りを潜めてしまいました。残された焚き火だけがパチパチと音を立てて揺れる中、妹紅と呼ばれた少女は、僕を見下ろして言いました。
「お前、市は初めてか?」
「あ……はい」
「何か目的があって来たのか?」
ぶっきらぼうな態度をとっていても、この少女は面倒見がいいようです。
妹紅を味方につけることは、みーちゃんを見つけたい僕にとって、この上ない有利になるのではないか。
そう考えました。
「僕、みーちゃんを探しにきたんだよ」
「みーちゃん?」
「女の子、一年前、突然いなくなったの」
「どこから」
「人間の里」
「一年前に人間の里で消えた女の子が、なぜ今この市にいると思うんだ?」
「みーちゃんを連れ去った奴を見たんだ。奴はここにいる」
「里で起こった不可解な出来事をなんでもかんでも市のせいにしないでもらいたいねえ」
「でもきっとみーちゃんはこの市にいるよ。きっといるよ。ねえお願い。僕、みーちゃんを探したいの」
「みーちゃんはこの市のことを知っているのか?」
「え?ううん。そんなことないと思う」
「なら迷い子になっているはずだ。迷い子なら私のような者が保護する。私達に見つけられなかった場合は、商品になっているだろうな。商品になっていたら、私にも手は出せない」
妹紅はさらに言いました。
「みーちゃんがいなくなったのは一年前なんだろう」
「そうだよ」
「だったら、今年この市をさがしても、見つからないだろう」
「どうして」
「仮に、みーちゃんが本当に去年の市に入り込んでいたとする。しかし、私達は去年、みーちゃんという女の子を迷い子として保護していない。ということは、みーちゃんは商品として市にいた、ということになるな」
「……」
「だが、この市において、前の年に売れ残った商品が次の年にまた並べられるということは、あまり考えられん。その商品というのが人間で、しかも若い女なら、なおのこと。若い女はレアだから、大概売れ残らないんだ。わかるか?」
「……わかんない」
妹紅は、ふうっと短く息を吐き出しました。
「もしお前の言う通り本当にみーちゃんがこの市に入ったのだとしたら、みーちゃんは間違いなくどこかの店の商品になっている。商品になっているということはその店の所有物になっているということだ。首に値札を下げられている以上、お前にも私にも、連れ出すことはできない」
僕はもう半泣きになって抗議しました。
「そんなのおかしいよ」
「おかしくなんかないさ。それがこの市のルールだ」
「人なんだよ」
「値札を下げられたら商品だ」
「どうにかならないの」
「……すまんな。無理だ」
僕は足を止め、頭を抱えました。泣きたい気持ちでした。
妹紅はそんな僕を見かねたのか、一つの案を提示してきました。
「一つだけ、すんなり商品を手にいれる方法がある」
「え、何、それは何」
「お前、金は?」
「かね?」
「商品をどうしても手にいれたいなら、値札に書かれた通りの額を提示して、商店主取引することだ」
僕は愕然としてしまいました。
「市とは基本的にそういうものだ。お前も普段からやっているはずだ。店に行く、欲しい商品を見つける、その商品につけられた値段を支払う。そうやって、物を手にいれるだろ。普通、欲しい商品を手にいれるために、いちいち店にいちゃもんをつけたりしないだろ」
「……」
「この市だって、その辺りのことは人里となんら変わりない。わかったな?」
僕はもうすでに、物を言う気力もなくなっていました。さっさと歩き出した妹紅の後を、とぼとぼついていくばかりでした。
僕達は賑わしい市から離れ、廃屋が隙間なくみっちりと立ち並ぶ廃村を、黙って歩きました。
前を歩く妹紅が静かに言いました。
「しかし、そもそもの話として、みーちゃんが市にいる、あるいは連れ込まれた、という、確たる証拠はないんだろ?」
「……」
「だったら市以外の場所をさがせ、諦めるのは全てさがしつくしてからにしろよ」
「……うん」
「ところで、私からも一ついいか?」
「なあに」
「お前は、そのみーちゃんと、どういう関係だったんだ」
「どうって、お友達だよ」
「お友達か」
「そう。里でみーちゃんを最後に見たのが、僕なの。みーちゃんが消えてしまう直前まで、僕とみーちゃんは、かくれんぼをして遊んでいたから」
「ふうん。かくれんぼね」
ゆるやかな坂になっている道をだらだらと下っていると、背後で茂みが鳴りました。森の中から何かが出てきたのです。僕は反射的に振り返りました。
道を、見覚えのあるシルエットが横切ろうとしていました。
赤いおさげ、手押し車。
僕は足を止め、小声で妹紅を引き止めました。
「ねえ。あいつだ。あいつだよ」
「何が」
「みーちゃんをさらっていった奴。間違いないよ。僕、みーちゃんがいなくなったとき、近くであいつを見たんだ」
妹紅は、僕が指さした先を見ました。
「あいつは違うだろうな」
「どうして!」
「あいつは生きている者には興味がない。死体専門だ」
僕はひそかに歯噛みしました。
あいつだ。
あいつなんだ。
あいつに決まってる。
そのときでした。
声が聞こえてきました。
追えばいいわ。
追いなさい。
そっちの方がおもしろそう。
追うのよ。
ああ、惨劇がみたいわ。
妹紅が鋭く囁きました。
「こいつの声に耳を貸すな」
そんな妹紅の背後で、人の形をした影が揺らめきました。つばの広い帽子をかぶった、銀髪の少女です。胸のあたりの閉じられた瞳が印象的でした。妹紅はまったく気づいていないようでしたが、僕は凝視していました。
妹紅は僕の視線の先を見、「そこにいるのか、こいし!」と言いました。そう言いながらも、定まらない妹紅の視線から、彼女にこいしと呼ばれた少女が見えていないことが分かりました。
「ねえ、君。こんなところでぼんやりしてていいの。お燐、行っちゃうよ。追いかけなくていいの。みーちゃんを取り戻すんでしょ」
そうだった。
追わなくては。
見えないこいしに翻弄される妹紅を後に、僕は森に飛び込みました。濃密な暗がりが続くのかと思いきや、奇妙に開けていました。一本道に並行するようにして、獣道のような細い道があったのです。あの男は、闇雲に森に入った訳ではなかったのです。この獣道のどこかにあの少女がいるにちがいない。僕は道なりに駆けました。非常に狭い道でした。
どこからか少女の囁く声が聞こえます。
こっちよ。
こっちよ。
ほらほら。
あとちょっとよ。
あるいはそれは、単に、葉のこすれあう音がそう聞こえただけだったのかもしれませんが。
そして僕は、悪夢の中の登場人物のように延々と駆け、ようやく奴の背中に追いついたのです。
「おい!」
僕に呼び止められて、遠くの篝火のもたらす赤い闇の中、少女は影絵のように揺らめきました。
「なんの用だい」
その声。
僕は覚えていました。
いけない遊びをしている
いけない子は
悪い妖怪にさらわれて
妖怪の市に売られるよ
間違いありません。
あのときと同じ声です。
「みーちゃんを返せ」
駆け寄るや否や、僕は手にしていた石で、少女の顔面を殴り付けました。獣道の途中に落ちていた手頃な奴を目敏く拾っておいたのです。少女は声も上げずにその場に倒れました。
僕は石を振り上げ、さらに少女を殴り付けました。何度も。何度も。何度も。
「おい。みーちゃんを返せ。おい。聞いてんのか。おい。みーちゃんだよみーちゃん。わかってんだろ。お前が去年、人間の里から連れ去った女の子だよ」
やがて僕の興奮が収まってきた頃、少女はゆっくりと起き上がりました。
「いたいわねえ。何しやがんのよ」
あれだけ殴ったのに、少女は全く堪えていないようでした。
「あら」
少女は、僕の顔を見て笑いました。
「あんた、どっかで見たことある気がするねえ」
こいつはだめだ。
放っておいてはだめだ。
僕は悲鳴を上げました。ひゃああ~。我ながら情けない声だったと思います。ひゃああ~。ひゃああ~。足元に落ちていた太い枝を掴み、少女に殴りかかりました。
「おっと」
少女はひらりと身をかわしました。
空振りで地面に叩きつけられた枝は、中程でぼきりと折れました。
「頭がおかしい」
僕はもう一度殴りかかろうとしました。
しかし、そんな僕の肘を掴んで止めた者がありました。
妹紅です。
「よせ」
こいしを振り切ってきたのですね。
「お燐、大丈夫か」
「妹紅か、そいつをどうにかしてくれ。完全にいかれてる」
「お燐、みーちゃんという女の子に一体何をしたんだ」
妹紅がお燐と呼ばれた少女に訊きました。
「みーちゃん?」
「一年前、人間の里から消えた女の子だ」
「みーちゃん、みーちゃん……いや、知らない。そんな子はしらないよ」
「ならなぜあいつはあんなに怒ってる」
「知らない。あたいはちゃんとルールを守ってるよ。あたいが死体しか拾わないのは妹紅も知ってるでしょ。去年人間の里で拾った女の子だって、あたいが見つけた時には、もう死んでたよ」
「なんだと?」
「ホントだよ。あたいはいつだって死体しか拾わないもの。生きてる人間になんか、用はないもの」
湿り気のする生ぬるい誰かの息みたいな風が吹いて、周囲のうら枯れた木々をなぶるように揺すりました。葉のこすれあう音が、女のひそやかな笑い声に聞こえます。あるいは、実際に女の笑い声が混ざっていたのかもしれません。僕には分かりません。
「お前、さっき、私に言ったな。みーちゃんが消えてしまう直前まで一緒にいた、かくれんぼをしていた、と。そういったな」
「言ったよ」
僕は堂々と頷きました。
やましいところなどないのですから。
「だが、お燐が見つけたときには、みーちゃんは既に死んでいたという」
妹紅は音もなく立ち上がると、正面から僕を見据えました。
「お前、みーちゃんを殺したな」
ちがうんだよ。
だってさあ。
聞いて。
だって。
僕はみーちゃんが大好きだったから。
みーちゃんってね、すごくいい子なんだよ。
とっても優しいんだ。
嫌われ者だった僕にも、優しかった。
ずっとそばにいてほしいと思った。でもみーちゃんは、人の子でしょ。暗くなったら、おうちに帰らないといけない。でも僕はみーちゃんにおうちに帰ってほしくなかったから、ちょっとね、ちょっとだけ、引き止めたんだ。そしたらみーちゃんは「おうちに帰る」って言って、しくしく泣き出した。今にも大声で泣き出しそうな様子だった。このままじゃ誰かに見つかっちゃう、僕達一緒にいられなくなっちゃうと思って、みーちゃんの口をぎゅーって押さえつけてたら、そのうちみーちゃんは静かになっちゃった。
妹紅は何も言いませんでした。
しかし僕はしゃべり続けました。
事情をちゃんとわかってほしかったのです。
みーちゃんはね、動かなくなったよ。それでも僕、みーちゃんが大好きだから、みーちゃんと遊ぼうと思ったの。だから、かくれんぼをすることにしました。まず僕がみーちゃんを隠してね、そんでね僕が三十数えてからね、隠れてるみーちゃんをさがすんだよ。面白いでしょう。隠したのは僕なんだけどね。そんなの隠した場所を忘れたらいいだけの話だからね。でもみーちゃんは動けないから、僕がいつまでも鬼の役なんだけどね。
「もういい。わかった。黙れ」
妹紅は目を伏せて言いました。
ですが黙るわけにはいきません。
ここで黙ったら誤解されてしまいます。
僕が悪いと思われてしまいます。
僕ねみーちゃんをさがしてね、一生懸命さがしてね、さがしてるフリなんだけどね、それでね、みーちゃんを隠したところを、ばあーって覗いたら、みーちゃんがいなくなってたんだ。いなくなってた。僕が隠したのに。間違いなくそこに隠しておいたのに。僕の隠した場所からいなくなってた。これは大変だと思って、あたりをさがしまわったよ。そうしたら、あの猫妖怪にばったり会ったんだ。あいつ、子供が一人入るような手押し車を押してたよ。そのときはまさかそこにみーちゃんが入ってるとは思わなかったけど……。
「黙れ!」
「うわあ、うわあ、嫌だなあ怒鳴らないでくださいよ。こわーい。……でね、僕はね、あの猫妖怪が怪しいと思ったので、こうしてわざわざ市にまで探りに来たわけですよ。そう、そうなんですよ。それでね、妹紅さんの話を聞いて、あいつが死体専門だっていうあの話ね。確信しちゃいましたよね。あいつが、僕からみーちゃんを奪っていったんだって。許せないですよねそれって。みーちゃんは僕のものなのに。だから僕は、」
ふと顔をあげると、妹紅が目の前まで迫ってきていました。こっちに手のひらを向けていた。すると炎が僕に向かってきてね。避ける暇などありませんでした。僕は意識を失っていました。
人の話を最後まで聞かずに、暴力で黙らせるなんてね、あんまりですよね。
あなたはそんなことしませんよね。
最後まで僕の話を聞いてくれますよね。
目を覚ましたときには、僕は林道の真ん中に転がされていました。
空は既に白んでいました。
今宵の市はもうとっくに閉じてしまっているだろう。
そう思って、とりあえず寝床に帰ることにしました。
そうしたらね。
いたんですよ。博麗の巫女がね。
妹紅が連絡したんでしょう。つくづくムカつくやつですよね。
思いました。僕はこれから死ぬんだ。巫女に退治されるんだってね。
でも未練はありませんでした。みーちゃんのいない世になんてね。
そして僕は、この通りですよ。
小町さん。
向こう岸にはまだつかないんですか?そんなに色んなことをしたんですか、僕は。
それにしても楽しみだなあ。たった一年前死んだばかりなんだ、みーちゃんにはすぐに会えるよなあ。でしょう?小町さん。
楽しみだなあ。どんなことをして遊ぼうかなあ……。
あとは主人公視点の目線の流れが結構ぶっとんでるのが気になりました
雰囲気は抜群なのに勿体ない
あと、ちゃんと推敲しなさいよ、誤字多すぎ・・・
タグですら誤字ありますもん
そらあきませんよ
安っぽいしオタをやめられない幼稚な大人が子供見下してプライドを保とうとしてるようにしか見えん
最近のオタ界全体が
どうにも俺はこの作品から物語性というものを感じなかった。ただただ、頭のおかしい奴の陳情を聞かされるだけでは、とても空虚な作品という印象しか受けない。
今回はこういう感想しか出てこなかったが、作者の表現力はとても高いと思うから、次回の作品に期待してる。