・ タグにも書きましたが、レミリアやフランでは無くルナサとレイラの話です。色々悩んだ結果の題名ですので、ご了承ください。
・ 東方の設定や幽霊の概念等に俺設定、自己解釈あり。
亡き歌姫のためのパヴァーヌ
私はヴァイオリンが大好きだ。この音も、演奏することも、聞いてもらうことも大好きである。それは紛れもない事実だし、これからもずっとそうあり続けたいと私は思う。だというのに不思議とヴァイオリンを弾くと心が痛くなるときがある。もう随分昔に死んだはずのレイラが、亡霊のように頭から離れない。ちらちらと出てきては、私の心を締め付ける。最近になってそれが一層強くなってきた。
今は、少しヴァイオリンが怖い。
1、 影を追う話への序曲
それは丁度一年前くらいから始まった。
もうすっかり秋も過ぎ去って冬になってしまい、人間には少々生活し辛い季節となってしまったが、騒霊である私達には特にこれといった変化も無い。幽霊だから寒さや暑さは感じないし、積雪の処理等も所謂ポルターガイスト現象の力で楽ができる。
その年も見事に積もった雪を、除雪を手伝わせるたびに遊び始めて毎回家が崩壊の危機にさらされる妹達が寝ている間に一人で全部片付けた後、家に戻り朝食を作る。
朝食を作っている間に三女が起きてきた。
「おっはー、ルナ姉。血圧低そうなのに朝から元気そうだねぇ」
「おはよう、リリカ。左、寝癖」
「んー、あぁ」
リリカは頭の左側を抑えながら椅子に座り、呆けている。朝食が胃に入るまではリリカはいたって静かで、朝食が出来上がるまでは大体ソファで寝そべっているか、こうして自分のテーブルの位置について呆けているかだ。
それから少しして、朝食が出来上がった。ごはんに味噌汁、ちょっとした和え物といったいたって質素な朝食だ。私も妹達も幽霊であるから食事という行為にさほど意味を見出さない。空腹を満たせれば、栄養は取らなくとも同じということだ。ただ一応味噌汁を作ったりする理由は、人間であるレイラが一緒に住んでいたときの習慣だったから、それがずっと続いているだけの話。
丁度並べ終えたころ、二階からガチャン。キィィィ、ガチャン。という音が聞こえてきた。メルランが起きてきたのだろう。
「おはよー、姉さん、そして我が妹よ」
「おはよう、メルラン。頭全体、寝癖」
「あははははー。姉さんもすっごい寝癖ー」
そんなはずはないと、私は慌てて頭を触ると、「嘘よー」と上機嫌そうにメルランが言ってきた。
朝のメルランは本当に雲のように掴めないので、私は無視をしていただきます、といった。
朝食を食べ終えると、プリズムリバー姉妹は稼動し始める。
各々練習したり、楽器の手入れをしたりするのが日課だ。私は、その日はなんとなく自分の家の庭で演奏することにした。基本的に外での演奏が好きな私は、家の周りで演奏したり、空の上で演奏したり、湖で演奏したりする。その日は、ただ何となく庭でやろうと思っただけ。
庭と言ってもたいしたものは何も無く、小さい面積をぼろぼろの柵で囲まれた中には古い物干しと、雑草、一面に積もった雪、そして質素なレイラのお墓くらいしか無い。我が家を庭の外から客観視すれば、まさにお化け屋敷といったところであろう。私達が住むにはうってつけだ。
私はチューニングを確認すると、ヴァイオリンを構えた。何を弾くか迷ったときは、気の向くままに演奏してみるに限る。弦に弓をかけた。少しの沈黙。
弓を引くと無音の空間に、高く、そして綺麗な私の音が広がった。音は途切れることなく続いていく。耳を澄まして、どこまでも広がっていく自分の音を聞く。そうして捕らえた音で次の音を判断して演奏していく。緩やかな曲調から急に激しくしたり、そしてまた緩やかにしたり。どこまでも澄んだ気持ちで弾いていく。
どれくらい弾いていただろうか。気づけば大分弾いていた気がするし、まだ全然弾いていない気もする。私は何となく辺りを見回した。すると、目の前の石に少女が一人座って、拍手をしているのが目に入った。私は驚いた。その少女は、見間違えるはずも無い、レイラ・プリズムリバーだった。
レイラは満面の笑顔で拍手をしている。私はそんなはずは無いと目を疑い、そして次には目を瞑って頭を振った。目を開けると、やはりそこにはレイラがいる。私は演奏を止めた。
するとレイラは少し残念そうな顔をして、すうっと姿が消えたのだった。当たり前である。幽々子から聞くところによると、レイラは既に輪廻の輪に戻って、魂も残っていないそうだ。だから、この幻想郷においても、もう二度と会えるなどということは無いと説明されたこともある。きっと先ほどのレイラは、私が見た幻影。私が会いたいと強く願ったから見えてしまっただけに違いない。
私は気を取り直してヴァイオリンを構えた。演奏を始めると、やはりレイラが現れた。今度はあろうことか、レイラが話しかけてきたのだった。
「やっぱりルナサは上手だね!」
「レイラッ……!」
私は演奏を止めていた。
石の上を見ると、やはりレイラの姿は無い。あるはずが無い。今日の私は疲れているに違いない。そう思いながらも、今度は目を瞑りながらヴァイオリンを弾き始めた。
しかし、目を瞑っても、まぶたの裏にレイラが出てくる。同じように優しく笑って、「ルナサ上手」と拍手をしてくれる。
私はそれを振り払うように激しく演奏した。レイラは居るはず無いと自分に強く言い聞かせながら。いくら曲に集中しようとしても、レイラがまとわり付いて離れない。私の大好きな綺麗な音が支配していた静寂は、もはや荒々しい複雑な色の風景となってしまった。
ブツンッ。
「あっ」
演奏中に弦が切れた。別段珍しいことではなく、いつもなら用意しておいた予備の弦に張り替えて、チューニングを調整し、演奏を再開するのだが、そのときばかりはそんな気分にはなれず家に戻ることにした。
そこにはもうレイラの姿は見えなくなっていた。
2、 永遠の主題による夜想曲
また今年も冬がやってきた。毎年恒例の除雪作業を一人で行い、朝食を姉妹全員で朝食をとって、午前中の練習をする。あれからと言うもの、ソロで演奏すると必ずレイラが出てくる。一人でヴァイオリンを弾くことがすっかり怖くなってしまった私は、午前中のソロ練習をごまかしてやるようになっていた。私が外で演奏することは日課になっていたので、なるべく家から遠いところに行って、何となく時間を過ごす。もしも今の状況を妹達に知れてしまったら、心配をかけてしまうから。一番お姉さんだし、レイラからも妹達を頼まれた身なのだから、そんな真似は絶対に出来ない。
しかし家に戻った私は、妹達に心配されてしまった。どうやらここ最近になって様子が一段とおかしかったらしい。「お姉ちゃんなんか大丈夫? 私達お姉ちゃん居ないと家事成立しないんだから、ゆっくり休んで早く良くなったほうがいいんじゃない? 私達のために」とメルランが言えば、「いやそこは素直に心配してあげる空気だろ! にしても、本当に大丈夫? 休むよりも、永遠亭の医者のところに行ったほうがいいんじゃない? 顔色悪いよ」とリリカが言う。全く、幽霊が医者に診てもらったなんてことが幽々子とかに知れたら笑いものもいいところだ。それに恐らくこれは私の精神的な部分から来るもの。医者に診てもらったところで、どうにもならないだろう。だがしかし、今はとりあえず相談だけでも永遠亭に行くというのが一番の手だと私も思う。一年間もほったらかしにしていた所為か、今はもうノイローゼに近い現象になっており、夜もいまいち眠れない。誰かに相談した方がいいかもしれない。
思い立ったら行動は早いほうがいい。と言いつつも、私はゆっくりと景色を眺めながら飛ぶのが好きだから余りスピードは出さずに永遠亭へと向かう。暫くゆっくりと飛んでいると、迷いの竹林が見えてきた。私は高度を下げて、竹林の入り口に足を付ける。何故態々ここまで来て歩くのかと言われれば、ここは竹が育ちすぎて、竹が永遠亭を覆ってしまうため上からでは確認できないほどだからだ。それに、少し歩けばどこに居ようと兎が迎えに来てくれる。兎が案内をしてくれるので、迷いの竹林といわれながらも、結局迷う人は居ないと聞く。これも永遠亭が出来てからの話ではあるのだが。
案の定十分ほど右も左も分からないまま歩いていると、目の前に小さい兎の妖怪が飛び出してきた。
「やぁやぁやぁ、プリズムリバーのヴァイオリニストだね。久しぶり。因幡てゐだよ。今日は永遠亭に用事?」
因幡てゐ。あぁ、思い出した。あの花の異変のとき、その辺を飛び回っていた兎だ。知っている人が出てきて助かった。いや、それともこの兎が私を見かけたから来てくれたのかな。
「こんにちは。改めて、ルナサ・プリズムリバーだ。今日は、診療してもらいに」
「幽霊なのに?」
「えっと、多分」
「ふーん。まぁ、いいや。案内するから付いてきてね。あ、いたずらはしないよ。お客さんに何かすると後が怖いからね」
てゐさんの道案内のお陰で、すぐに永遠亭へと到着することが出来た。見れば見るほど大きな屋敷で、庭や外壁などにも手入れが行き届いている。白い小石を基盤とした白玉楼の庭とはまた一味違う日本庭園だ。雪が降り積もっていてもその庭全体はバランスもよく、まるで雪が降ることまでもが想定内だったかのような綺麗な庭だった。白玉楼の庭にくらべるといくらか派手で、まさに見るための庭園といったところであろう。ここに来るのは初めてではないのだが、やはり毎回驚かされてしまう。我が家も今から頑張ればこのように美しくなるのだろうか。
門前に立つと、今度は少し背の高い兎の妖怪が迎えてくれた。こちらの方は同じく花が咲き乱れる異変のときに会ったことがあるのだが、どうやらてゐさんとは少し違ったタイプの兎妖怪らしい。よくは知らないが、目の前の彼女は月の兎なんだとか聞いたことがある。
「あーっ、有名人! あ、失礼しましたっ! 今日はどういったご用件ですか?」
「医者に見て欲しいんだ」
「あぁ、師匠ですね。付いてきてください。師匠は医者ではなく薬師ですので、一応」
「これは申し訳ない」
この寒空の中、態々こんなところまで足を運ぶ人は居ないのか、それとも幻想郷の住人が基本的に丈夫なのかは分からないが、幸運にも待合室なるところに人影は無かった。
静かな待合室で、何を話せば良いかを考える。体調不良といえるのかどうかも定かではなく、またその原因も分からない。身体の不調だったのなら、向こうも診察しようがあるだろうが。
少しして、八意永琳が奥から私を呼んだ。
中に入るとそこはまるで何かの研究室のようだった。いや、もしかしたら研究室なのだろう。みるからに妖しい液体ばっかりが、細い入れ物に入ったものが沢山並べられている。
その部屋の端っこに永琳は座っていた。その目の前には、恐らく患者用の椅子。私はその椅子に腰をかけた。
「珍しいというか、初めてね。貴女が患者としてここにくるなんて」
「まぁ、患者というか、患者かどうかも分からないけどね」
永琳とは永夜異変のころから面識があった。異変後に開かれた宴会でご一緒していらいどうも話が合うので、その後の宴会等でもよく一緒に飲むのだった。意外と思う人も沢山いるかもしれないが、一番驚いているのは私自身だ。社交的で、幻想郷内でも指折りの強さを持つ永琳と、内向的で、どう見ても強い部類には入りえない私とでよく仲良くなったものだ。この話を永琳にもしたことがある。永琳には、「お酒の席でそういうことを気にするなんて、可愛いわぁ。私の物にしちゃいたい」と抱きついてきて、酔っているフリで逃げられてしまった。
「で、今日はどんな症状なのかしら?」
「よく分からないのだが、死んだはずの人間が現れる」
「現れる? 見えるってことかしら。幽霊じゃなくて? その人が亡霊とか、妖怪になったとか」
普通ならそう考えるのが筋であろう。ここは幻想郷で、死んだ人間が幽霊として白玉楼に現れることは珍しいことではないし、一定以上の力を持った人間が死んだ場合、そのままそこに亡霊や妖怪として出ることもあるのだから。
「いや。昔幽々子に聞いたことなのだが、レイラは既に輪廻に入ったそうだ」
「貴女の妹さんね」
「そう」
永琳にはレイラのことについては既に語りつくしている。永琳もレイラがどういう人間だったのかは分かっていると思う。
「どんな風に現れて、具体的に何が起こるの? そしていつから見るようになったのかしら」
「ヴァイオリンを弾くと現れる。目を瞑っても、まぶたの暗い中にレイラだけが映りこむ。そして、何も起こらない。何も起こらないから、逆に怖いというのもある。見え始めは一年前くらいからだ」
「うーん。幽霊じゃなければ、体を調べてみることも出来るけど。流石に幽霊の身体異変に関する知識は持ち合わせていないわね」
永琳は左手で右肘を押さえ、右手は口元に持っていき、まさに今考えていますという体制をとった。彼女は本当にこのポーズが似合う。
「貴女今日ヴァイオリンは持ってきた?」
突然永琳がこんなことを聞いてきた。
「常に持ち歩いている」
「そんなことも言ってたわね。とりあえず、辛いだろうけど演奏してみてくれない? 実際に貴女がどうなるのか観察したほうが分かりやすいというのもあるし、思考をするのにも貴方の音楽は適しているわ」
永琳は演奏してくれと要求してきた。演奏すれば、レイラがまた現れる。何をされるわけでも、何かなるわけでもないのに、やはり私には少し怖かった。私は立ち上がり、ヴァイオリンを握る。しかし、中々弾き出すことが出来ずに居た。
「辛いようね。他の方法を探しましょう」
そう言って永琳は立ち上がって、部屋の奥で本を探し始めた。恐らく私を見て気を使ってくれたのだろう。
だが、私も逃げてばっかりいてはラチが空かないことくらい理解していた。
「永琳」
私は一言だけ声をかけて、ヴァイオリンを弾き始めた。
永琳が真剣な表情で見ている。
こんな気分が暗くなってしまうようなときは、慰めてくれるような優しい音楽がいいだろう。本来はリリカが好んで演奏するような曲を、私はヴァイオリンで再現していく。非常に装飾的で、それでも流れ行く川のように美しい旋律を奏でていく。色の無いこの部屋を、優雅で夢想的な音色が支配していく。
曲の中間部に差し掛かったところで、目の前にレイラが現れた。先ほどまで永琳が座っていた椅子に、レイラは腰をかけている。優しい微笑で、とっても満足そうに聞いていた。
「ルナサまた上手になったね」
不意に声をかけられる。レイラの、優しい声だ。思わず私は演奏を止めてしまった。
「どうしたの? 妹さんあらわれた?」
私は黙って頷いた。
「そう。やっぱり私には見えなかったわね。ルナサにしか見えてない、つまりルナサの心の問題ね。ないしは脳の可能性もあるかしら。……どのくらいはっきりと見えるの?」
「どのくらい? まるで本当にそこに居るように、実体化しているように見える。触れてしまえそうなほどにリアルなんだ。声も聞こえる」
実際にまじまじと観察したことは無いが、私の感じたとおりに素直に話すなら今ので間違いは無い。ぼんやりあらわれるわけでも無く、声もかすれているわけでも無い。本当に、レイラ本人なのだ。
「ルナサは視覚や聴覚、つまりは五感がどうやって物事を識別するかは知ってるかしら?」
唐突に永琳はこんなことを聞いてきた。
「よくは分からないが、それぞれの部位がそれぞれの役目を果たすからだろう。例えば、見るなら目が働く。目が働いて、物を見て、そして映像を作るんじゃないのか?」
永琳は先ほどまでレイラが座っていた椅子に座りなおす。私も、それに従って椅子に座りなおした。
「それだと少し足りないわね。簡単に説明すると、それぞれの部位が物事を感知して、それに関する信号を脳に送るの。送られてきた信号を受信して、脳がそれを映像なり熱なり音なりに変えるってことなのよ。視覚なら目の水晶体と呼ばれるレンズに映った信号を、網膜が読み取って、それを神経系に通して脳に伝えるってわけ」
貴女は幽霊だから確証は持てないけど、多分ベースは人間のハズだから同じだとは思うけど、と永琳は付け足した。
「つまり、私にしかレイラが見えないということは、脳に何らかの異常がある可能性が高い、と」
「そういうことになるわね。精神的な問題もあるかもしれないけどね。最近ストレスを感じるような出来事は?」
「この一件だな」
「それもそうね」
なんてクスクスと笑う。
永琳は困ったわねぇ、といかにも悩みながら、椅子で左右に体を揺らしている。気づけば自分の椅子も、腰をかける所が回る造りらしい。意外とこれが面白く、永琳に「楽しそうね」と言われ、我に返るまでくるくると回って遊んでしまった。恥ずかしさのあまり顔が火照っているのがわかる。
「やっぱりルナサかわいいわねー」
なんて言うから余計に体が熱くなった。
私が膨れていると、永琳が何か思いついたように手を叩いた。
「そうだわ。私には体の中身を見ることが出来ないけど、幻想郷にそういうのできそうな人居るじゃない。ホラ、あの紅魔の所に居る地味な魔女。えーっと、パチュリー・ノーレッジよ。あの子ならそんなこと造作も無いはずだわ。私が見た中で、幻想郷で最も器用に魔法を使いこなす魔女よ。私よりも脳の構造とかも詳しいだろうし、きっと助けになると思うわ」
なるほど。それは名案かもしれない。私もよく紅魔館の図書館から本を借りるときパチュリーとも話をするが、彼女は大変頭がキレるのが分かる。沢山の知識を持ち合わせているようだし、魔法も使えるとあればもしかしたらこの現状を打破できるかもしれない、と永琳は考えたのだろう。
「心得た。今日はもう遅いから、明日にでも会いに行ってみることにする」
私の言葉に永琳が反応する。
「あら、気づけば部屋の中ずっと真っ暗だったのね。夢中で気づかなかったわ」
なんて。
冬は暗くなるのが早い。部屋の隅に置いてある大きな行灯のいくつかに火を灯す永琳。すると部屋は行灯のお陰で大分明るくなった。
「では、今日はこれで失礼する。助かった、ありがとう」
「結局全然力になれなかったわ。竹林の外まで送っていくわね」
竹林の入り口まで来てくれた永琳に礼を言って別れを告げた後、私は呼び止められた。
「ルナサ、私は貴女の演奏が好きよ。でも今日の貴女の演奏は、よく分からなかったわ。早く、またいつもの貴女のような、素直な演奏を聞かせて頂戴な」
永琳は時々言う言葉が難しい。大体言いたいことは分かったものの、その真意は掴めないまま、
「ああ」
「死して尚貴女にそんなに思われるなんて、レイラちゃんは幸せね」
「だといいが」
と曖昧な返事だけをして背を向けた。
永琳と別れた後、私は真っ暗な夜の中、家を目指して一人飛んでいく。辺りはどんどん暗くなって、冬の所為か人気も全く無い。気を抜けば方向を見失いそうになる夜道を、それでも私は真っ直ぐに家を目指して飛んでいった。
3、 紅の戯れ
朝、いつものように三人一緒に食事を取る。メルランの覇気の無いボケに、リリカも覇気の無いツッコミを返す。二人とも朝のテンションなのだろう。それでも黙って食事をしない辺り、流石騒霊と言ったところか。
不意にリリカが私を凝視する。
「ん?」
「ルナ姉、今日のゲリラライブの予定どうする? 無理そうならどうせゲリラライブだし、中止にしようって昨日メル姉と話してたんだけど」
「あぁ、そうか。すまない。今日は紅魔館のパチュリーのところに行って、ちょっと身体の様子を見てもらおうと思っている」
「あぁ、なるほどね。あの万能そうな魔女なら、何か分かるかもしれないしね」
私としたことが、ライブの日を忘れているなんて。いくら自分が少し良くない体調だからといって、音楽のことまで忘れてしまうとは思わなかった。それだけ追い込まれているのか、或いは焦っているのか。
昨日なんて夢にもレイラが出てきた。いや、正確には夢の中の私はずっと墓を見ていたと言った方が正しいか。記憶に残る限りでは、レイラの墓の前に呆然と立ち尽くす夢だった。
朝食を食べ終えると、私は支度をした。支度といっても、着替えてヴァイオリンを持つだけなのだが。
先ほどからメルランがリビングでトランペットを吹いていて、とても清々しくなる音楽が流れている。私が玄関に向かうためにリビングを横切ると、メルランが演奏を止めた。
「姉さん、早くよくなって、まったライブやろうね」
その一言だけを言って、またメルランはトランペットを吹き出してしまう。
どうやら私は妹達に多大な心配をかけさせてしまっているらしい。これでは、リリカとメルランのことをよろしくねと、言い残して死んでいったレイラに怒られてしまう。
メルランはトランペットに集中してもう聞こえないだろうけど、「心得た」と私は言って、家を出た。
紅魔館。幻想郷の端っこにそびえたつ、巨大な洋館。巨大な洋館は、その大きさにふさわしいだけの庭を持っており、遠くから見ても近くから見ても大変美しいと感じる建物だ。
庭の前に建てられた門の近くまで来ると、毎回幻想郷に居るということを忘れてしまうほど、その辺りの空気だけ違うということを実感させられる。流石西洋の妖怪の巣窟と言ったところか、基本的には和風の風景ばかり広がるここ幻想郷に置いて、これほど目立つ存在もあるまい。夏に来るとそれが一層良く分かる。巨大な石造りの館の前ではきちっと手入れされた沢山の花々が咲き乱れ、さらにその前にある湖では妖精達が遊んでいる。それはまるでパチュリーに借りて読む、西洋文学の童話に出てくるような景色とよく似ていた。
紅魔館の特徴はそれだけではない。何より、その館自体の色であろう。一言で片付けてしまうなら、紅い。禍々しいまでに紅いその館は、しかしその紅さがこの風景に不釣合いということは不思議と無かった。それはもう見慣れてしまった所為ということもあるだろうが、個人的には庭に咲く、不思議と冬になっても葉を落さない植物のお陰で、緑とのバランスが取れているからだと思う。
これだけ強烈な色を並べても庭も館も映えて見えるということは、ここの管理者は相当なセンスの持ち主なのだろう。主が命じてここまでの庭を造り上げたのか、従者がやったのかは私の知るところでは無いが。
……やはり我が家も庭の手入れをすべきだろうか。
館の美しさを堪能しながら門に近づいた私に、門の前に立っていた美鈴が気づく。
「あ、ルナサさんこんにちはー。またライブしてもらえるんですかー?」
ここの館の人とは大体面識がある。主がパーティ好きで、よくそのパーティを盛り上げる演奏者役として呼んでもらえるからだ。妖精メイドとだって仲が良いほどだ。図書館だって、料理の本、音楽の本、文学作品等をよく借りに来ることもある。恐らく私達姉妹は幻想郷内でここ紅魔館を利用する回数は、白玉楼に行く回数よりも上かもしれないというほどよく来る場所だ。
「こんにちは。今日は図書館に用があって……。ん? 違うな。パチュリーに用があって来た」
「うぃ。分かりましたー。ではどうぞー」
なんて二つ返事で通してもらえてしまうほどだ。
図書館に向かう廊下の途中、目の前に咲夜が現れてスカートの両端を少し摘んでお辞儀をする。
「お出迎えが遅くなって申し訳ありませんわ」
「いや、いい。もう十分妖精メイド達からいらっしゃいとか言われたし」
「あら、妖精メイドもたまには気の効くことが出来るのね。まぁ、来た客人が貴女だったから何でしょうけど。あの子達皆あなた達姉妹の大ファンなのよ。失礼は無かったかしら?」
「ああ」
熱烈な歓迎というか、熱烈すぎた歓迎のお陰で中々前に進めなかったという困った事態は起こったが、今こうして中に入っているんだから問題はあるまいと思い、そのことは伏せておく。それにこのメイド長のお叱りは相当キツイ物と聞く。態々私が事を荒立てる必要性も見当たらない。
「今日は図書館をご利用なされるのですか?」
「ん? まぁ、正確にはパチュリーに用があって」
「かしこまりました」
そう言って完全で瀟洒なメイドは一礼し、姿を消してしまった。
暫く歩を進め、図書館に到着すると小悪魔が淡い光と共に現れた。表現の通り、何も無い場所から咲夜みたいに現れた。
「いらっしゃい、ルナサさん」
小悪魔はいたっていつものように振舞っている。
「小悪魔、その、なんというか、すごいな」
それくらいの感想しか持てない私に小悪魔は丁寧に説明してくれた。
「これはですねー、実はこの図書館内のポイントというポイントに魔方陣を設置しました。すっごく簡単に説明しますと、その魔方陣は私とパチュリー様の魔力でつながれていて、私達の魔力を介せば魔方陣から魔方陣へ瞬間移動できるということです。もっと驚いてもらえると思ったんですけどねー」
「十分驚いているよ」
こういうことなら、リリカを連れてくればよかったか。リリカならこういうものは好きそうだし、反応もよかったと思う。少なくとも私よりは。
「あぁ、そうでした。今日はどのような本をお探しですか? もしよろしければ、お探しの本の近くまでお送りいたしますが」
小悪魔が聞いてくる。
「いや、今日はパチュリーに用があってきた。用というよりは、頼みごとだな。今もし忙しいなら、文学のところまで送って欲しい。そこで時間を潰したいからな」
「少々お待ちください」
そう言い残して子悪魔は再び淡い光と共に消えてしまう。
すぐに小悪魔は帰ってきた。やはりこの魔方陣のお陰で移動に時間がかからないことが大きいのだろう。少し前にパチュリーに用事があって来たときは、かなりの時間ここで待たされたのを覚えている。
「今は手が空いているみたいなので、パチュリー様のところまでお送りします。私の手を、そしてこちらに」
私は恐る恐る手を差し伸べると、小悪魔は私の手を掴んだ。そのまま私を魔方陣の中へと連れ込む。足元の魔方陣が力を帯びていくのを感じる。
「いきますよー。あっ、ヴァイオリン! 浮かせたままじゃなくて、手に掴んでください! 早く!」
世界が瞬間的に動いた。ぎりぎりのところでヴァイオリンを手にした私は、いつの間にか図書館のほぼ中央に位置する場所まで来ていた。
ここは、普段パチュリーが一日の大半を過ごすスペースで、白い大きな円卓が三つ並んでいる。パチュリーはその真ん中のテーブルに座り、本を閉じて紅茶を啜っていた。ちなみに図書館内ではこのスペースでのみ飲食が許されている。
「いらっしゃい、会えて嬉しいわ。私に頼みがあるそうだけど、何かしら? 本も返すし良質な音楽も聞かせてくれる貴方の頼みなら、出来る限り協力するわ」
そう言って差し出してきた右手を、私は受け取り軽く握手を交わした。パチュリー・ノーレッジという魔女は、一見すると私みたいに内向的で人付き合いの悪いイメージを持つが、決してそのようなことは無い。確かに他人に対してはあまり喋らないものの、一度友と認めた存在はとても大切にするような人だ。それはパチュリーだけに言えることではなく、この館の住人全員に言えることなので、結構私はここの館の人妖達を気に入っている。なんというか、友として迎え入れられているという感じが気持ち良い。
「私こそ会えて嬉しい。手短に言う。私の身体を診て欲しいんだ」
「なんて卑猥な」
パチュリーとはもう長い付き合いなので、どういう人かも知っているし、一々反応するのも面倒くさいので無視することにした。それに、軽口の叩きあいで勝てるような相手では無い。
「……冗談よ」
割りとすんなり諦めてくれたみたいで安心だ。
「もう少し長く、というか詳しく言うと最近幻覚が見えるんだ。死んだはずの、もう魂もこの世に残ってないはずの人が、私の前に現れる。既に永琳に診てもらった後なんだが、どうも幽霊の診断となると事が難しくなってくるらしく、パチュリーなら出来るのではないかと永琳からの案で此処に来た」
「あの薬師がねぇ。いいわ、分かった。具体的に何を調べればいいのかしらね」
パチュリーは私を椅子に促した。丁度良いタイミングで咲夜が紅茶とクッキーを持って来る。この完全で瀟洒な従者はどこで私達を監視しているのかと、本気で悩んだこともある程、いつでもタイミングが最高だ。
紅茶を一口啜ってから、話をしよう。熱いうちに一口。一番状態が良いときを味わうのがマナーだと思う。うん、やっぱり美味しい。
「よくは分からないが永琳が言うには脳か心なんだそうだ」
パチュリーが何か言いかけたそのとき、紅魔館の主であるレミリア・スカーレットが、小悪魔とともに近くの魔方陣に現れた。
「我が館へようこそ、ルナサ。でも此処に来たのなら、主である私に一言あってもいいんじゃない? フラれちゃったかと思ったわ」
「すまない。少し焦っていた」
レミリアも軽口が大好きである。というか、この館全員が基本的に人を試すような話し方をする。一々構っていては大変だということも、既に学び済みだった。
「珍しいわね。貴女でも焦ることがあるなんて、ますます好きになっちゃう」
「私だって普段結構焦っているぞ。それが表情に出にくいだけ。感情の表現下手だから」
「そんなこと無いわよ。ねぇ、パチェ。今だっていかにも面倒くさいですって顔してるじゃない」
此処の館は基本的に会話が面倒くさい。此処の住人と気負いせず互角に会話が出来るのなんて、幻想郷でもごく一部だと思う。
レミリアが私達のテーブルに着くと、すかさず咲夜が現れて紅茶を注ぐ。
「今日は本を借りに来たの?」
「いや、パチュリーに身体を診てもらいに。以下省略で」
「なんて卑猥な。そんな濁さなくても大丈夫よ。こう見えても私、その手の話題には耐性ちゃんとあるから」
私は深くため息をついた。
パチュリーとレミリアは、
「やっぱりレミィと私は気が合うみたいね」
「私と気が合わない奴なんて、この館から追い出すわ」
なんて、大して美しくもない友情を見せ付けてくれた。
「さて、私の我侭な友人の所為でマナーの守れる友人を待たせてしまったわね。それじゃそろそろ始めるわ。とりあえず、脳を診てみるってことでいいのよね。あぁ、でもどうせだから全部診てみるわ」
「なんか私だけ除け者じゃない? 結局何するのよ」
「レミィには難しいと思うから、そこで眺めてなさい」
自分の一番大切であろう友人を適当にあしらって、私の方に近づいてくる。
「ルナサ、始めるわ」
私は無言で頷いた。
パチュリーは立ち上がって私に近づき、椅子に座っている私の頭に右手をかざした。少しだけ、緊張する。
黄緑色の透明感溢れる色が、手を中心に渦巻き始めた。次第にその光は大きくなっていき、私を椅子ごと包み込む。パチュリーは目を瞑ったまま動かなくなってしまった。私は視線のやり場に困り、色々な場所をキョロキョロする。レミリアと目が合ったり、後ろに控えていた咲夜と目が合ったり。
少しするとパチュリーが口を開いた。
「今多分脳から神経、筋肉や臓器まで全部診たけど、異常は特に見付からないわね。信号も正常に送れているし、血液だって問題なく流れているわ。というか、幽霊って人間と本当に変わらない創りしてるのね。これは勉強になるわね」
などと言いながら、パチュリーは手を妖しく光らせて唸っている。「もう少し見せてもらってもいいかしら? その間動かないでもらえると助かるのだけれど」と聞かれたので、「別に構わない」と答えた。私には動けと命ぜられる方が辛い。というか、幽霊の身体がそんなに面白いのか。きっと私には理解出来ない面白さに違い無い。
普段からボーっとしていることが好きな私にはどのくらい時間が経ったのか分からないが、レミリアが大きな欠伸を漏らしていることからかなりの時間が経ったに違いない。パチュリーは未だに唸りながら手をかざしている。そこに等々痺れを切らしたレミリアが話しかけた。
「パチェー、ねぇパチェってばー。この場に私、パチェ、ルナサ、咲夜が居て、今楽しんでるのはパチェ一人だけよ。この状況どうにかならないのかしら」
「む……。レミィだけならともかく、ルナサも居るのにそれは悪いことをしたわね」
パチュリーが魔法を解く。
「私達親友だよね?」
レミリアの問い掛けを無視して、私にお礼を述べてきた。
「調べたいのなら、またいつかここに来たときにでも調べてもらって構わない。それで、結果は……?」
パチュリーは歩いて自分の座っていた椅子に戻った。相変わらず退屈そうなレミリアが空になったカップを揺らせば、瞬間的に新しい紅茶が入る。
しばしの沈黙。
やっとのことでパチュリーはその口を開いてくれた。
「言い辛いのだけれど、あまり良い状態とは言えないわね。少々血流がよくないけれど、身体はいたって健康的だと思うわ。それが貴女達幽霊や亡霊にとっては危険な証拠なの。身体は健康なのに何か問題があるということは、やはり思想や思考、心に問題があるんだわ。幽霊や亡霊っていうのは、もう知ってると思うけど、想いの力で生きているようなものなの。精神力とはまたちょっと変わってくるけど、大体の幽霊はまだ死ぬわけにはいかないという想いの力で生きているわね。それは貴女だろうが、あの亡霊嬢だろうが同じだと思うわ」
パチュリーはやや早口気味ですらすらと見解を述べる。私は少し集中が欠けていた所為か、いくつかの言葉を取りこぼしてしまったが、おおむね何が言いたいのかは理解出来た。
「つまり今の私には何らかの形で想いの力とやらが弱くなっていると」
「そう。もしくは、存在意義みたいな物が間違った方向に働いてしまっているのかもしれないわね。貴女は元々音楽を弾いて妹さんを楽しませる為に創られた騒霊。貴女が音楽を嫌いになれば、存在の力も弱くなるのは必死だわ」
存在の力が弱くなる。もしも幽霊である私の存在が弱くなったのなら、私は多分消えてしまうということだろう。今は楽器を鳴らすとレイラが現れるというのにも慣れてきた。もう怖くは無い。怖くは無いのだが、それでもあんまりいい気分はしない。レイラが現れるからなのか分からないけど、今は楽器を演奏しても楽しいとは思えないで居る。楽器を弾くこと自体に、今は少し距離を置いてしまっている自分が分かる。
「私は消えるのか?」
何となく、そんな気がしてしまった。このまま負の連鎖が続いたら、きっと私は消えてしまうだろうと何となく思った。
「まだ大丈夫なんじゃない? まだ、だけどね」
声は意外なところから発せられていた。声の主はレミリア。どうやら私達が何をしているのかが何となく分かってきたらしい。
「ルナサはまだその辺の雑魚と比べたら、強い力を感じるわ。少なくとも、うちに居る妖精メイドよりは強いわね。それでもいつもの貴女よりは遥かに弱い。だから、まだって言ってるの。まだ、間に合う。けれども手遅れになると、どうしようも無くなるでしょうね」
「そういうこと。とりあえず、精霊達の力を借りた簡単な加護の魔法はかけておくわ。これはあくまで応急処置的なものよ。貴女の起こすアクションによって消耗する余分な力の放出を、少しだけ抑えることが出来るもの。これで少しは時間が延びるはずだわ」
パチュリーが手をかざすと、私の体全体が群青色の淡い光に包まれたと思うと、その光は消え、なんだか体が軽くなった気がした。
「これでいいわ。身体に異常が無いということは心に問題があるってさっき言ったわね。私には心はどうにも出来ないけど、その原因くらいは探れそうな友人を私は持ってるわ。ルナサ、明日にでも地底の地霊殿という所を訪ねなさい。そこにいる古明地さとりという妖怪が、貴女をきっと解決の方向へ向かわせてくれると思うわ。口と性格は悪いけど、別に貴女なら気にしない程度だろうし、私が数少ない友人に認めるくらいだからいい奴よ」
古明地とは確か地底の偉い人だったという記憶がある。少し前に間欠泉騒動の後の宴会で一度見かけたきりであって、話をしたことは無いのだが。
パチュリーは「結局大した力になれなかったわね」と言って深いため息をついた。恐らくかなりの量の魔力を消費したのだろう。その額には汗がにじみ出ている。
「それよりルナサ、今日はヴァイオリン弾いてくれないの?」
レミリアが言う。
「話を聞いてなかったの? 今ルナサはなるべく力を温存したいの。分かる?」
パチュリーは私を気遣ってくれたのだが、私は別に構わないと答えた。これだけ色々してもらったからには、自分も何かを返さなくてはなるまい。私には提供出来る物と言えば、音楽くらいしかない。私も存在が薄れていつ音楽を奏でることが出来なくなるか分からないなら、私の音を聞いてもらえる人が居るこのときを大切にしようとも思った。
「大丈夫だ、パチュリー。私達にとって演奏することは、それこそ吸血鬼が血を飲むことと同じくらいの行為だと思う。それに私達は騒霊。もしかしたら音楽を奏でることによって存在意義も見出せるかもしれない」
どうやらパチュリーも納得してくれたらしい。
私は立ち上がり、ヴァイオリンを手に取った。何を弾けば良いだろう。
やっぱりこの紅魔館の人達は美しい友情を大切にする人達だから、優美な曲の方がいいだろう。
弦を弾く。そうするとたちまち広い図書館に美しい音色が広がった。広さが丁度いいのか、図書館の形がいいのかは分からないが音が良く響いた。
どこまでも優雅に、美しく、この館の人達を思って弾いていく。この館の人達は皆優しい。悪魔の館を名乗っていて恐れられているし、私もこの館の存在を知った当初は怖くて仕方が無かったが、そこにはとても美しい人間関係があった。姉妹の絆、従者の絆、古き良き友との絆、使い魔としての絆、長きに渡り尽くしてきた者の絆。私のように姉妹しか普段生活の中に関わりが無い人から見れば、この館がどれだけ眩しいことか。
美しさに浸っていると、目の前にレイラが現れた。
しかしもう惑わされない。いい加減慣れてきたというのもあるだろう。私の演奏が止まることは無かった。
「ルナサ、もっと私に音楽を聞かせてよ」
そう言ってくるレイラの表情はどこまでも澄んでいた。
演奏が止まることは無くても、いつの間にか音楽は私がコントロール出来ない程に、落ち着きを失っていた。やたらと高音が目立つ。慌てて私は軌道修正をしようとした。高音に合わせて曲を構成し、徐々に曲を落ち着かせて行く。
曲も落ち着いてきて軌道に乗ったころ、途端に目の前のレイラが崩れ落ちていく。目の前のレイラが死んでいく。死んでいくレイラが、
「ありがとう、ルナサ」
なんて口にする。私にはその言葉を受け取る資格は無い。結局何もしてやれなかったじゃないか。私を生み出してくれたレイラに、私は何もしてやれなかった。レイラから楽器を貰い、レイラから音楽を教わり、レイラからとにかく沢山の物を貰った。私は何もしてやれなかった。自分の無力さを噛み締め、それでも音楽しかない私はレイラの前で音楽を奏でた。安らかな音楽の中、朽ち逝く彼女を見届けて。
気づけば私の演奏は終わっていて、周りからは乾いた拍手が送られていた。
「相変わらず美しい音色だったわ。だけど、無理はしないで頂戴。今貴女の音楽が聞けないよりも、これから貴女が消滅してしまって、一生聞けなくなってしまう方が断然辛いから。私は貴女の音楽が好きよ。だから精々私のために必死にいきなさいな。あ、今のは幽霊である貴女に『逝きなさい』と『生きなさい』をかけた、『粋な』ジョークだったんだけど、分かった?」
と、三段構えのギャグを咄嗟に言えたのが嬉しかったのだろう、にやりと口が釣りあがっているパチュリー。相変わらずの減らず口だ。でもやっぱり、パチュリーは優しかった。本当は言うのは恥ずかしい言葉だろうに、面と向かってちゃんと言ってくれた言葉が、今は何と暖かい言葉だろうか。恐らくパチュリーは見抜いている。この演奏中に私がどういう状態だったのかを。
今まで無言を決め込んでいた咲夜からも、言葉が発せられる。
「本当に美しい曲でしたわ。途中何度かあった転調も、違和感無くて素敵でしたわ。また聞かせてくださいな」
恐らくは咲夜も気づいている。いつもの私じゃないことに。
そして、レミリア。
「貴女は誰のために演奏したのかしら? 音楽ってのはね、常に音楽のベクトルってものがあるのよ。そのベクトルに指された人は、その音楽をより楽しめる。音楽家はその人のためにその曲を作った訳だからね。それは私よりも、貴女の方が良く分かっているはずだけど。今の音楽のベクトルは明らかに私達に向けられたものでは無いわ。此処には私達しか居ないはずなのに、一体貴女は誰のために演奏していたのかしらね」
目を瞑ったままで紡がれた言葉は、私に色々なことを気づかせてくれる。確かに今私はレミリア達を殆ど意識出来ないまま、音を奏でてしまった。それを、レミリアはしっかりと見抜いている。レミリアはこの館の誰よりも優しい。人に対して本当に心から思ったことを言えるのは、とてもすごいことだと思うし、そしてそれも、その人を良い方向に導くだろう内容だ。普通の人なら、一歩留まってしまう。レミリアは何も隠さず、面と向かってしっかりと言ってくれる。本当に優しい。
まだ、私の音楽に期待してくれている人が居ることがとても嬉しい。私の音楽を好きで居てくれる人が居ることが、何よりも嬉しいはずなのに、今日私はその期待を裏切ってしまった。それでもこの人達は次を待ってくれている。次こそは、また素晴らしい音楽を聞けると、期待してくれている。
「次こそは、本当に素晴らしい音楽を奏でることを約束する。今日はありがとう」
私は優しい館の住人達に、礼を言ってから別れを告げた。
4、 寂しがりやのメヌエット
常に夜の世界。これが地底に入って真っ先に思ったことだった。外は晴れていたのに、地底に入った瞬間、辺りは暗くなって、まるで夜みたいになってしまった。
しかし旧都と呼ばれる所に入ってしまえばとても明るかった。街道沿いには両脇に沢山の店が並び、その玄関口には明るい提灯。店の中からも明かりが漏れており、道行く妖怪達は皆浮かれていて、なんとも楽しそうだ。地底はもっと暗くてじめじめした所と思っていたのだが。
そんな少し抱いていたイメージと違った地底を、道を尋ねながら歩くこと暫し、やっとのことで地霊殿についた。
地霊殿も紅魔館と同じように洋風の建物で、やっぱりこの和風の風景からは幾分か浮いている。それに紅魔館のように、庭が手入れされているという訳ではない。沢山の種類の花が咲き乱れている様子から、人の手が加わっていることは伺える。しかし花を植えていたり、門等に飾っているのはいいのだが、統一性は見られず、まるで複数の人物によって飾られた庭の様だった。庭の隅にマタタビが生えているのが気になる。色鮮やかではあるが、本当に混沌としていた。賑やかな地底の中で、これでは余計に目立っていた。
門は開けっ放しだし、門番も居ないので、無断で庭に入る。そして玄関口まで歩いて行き、困った私は恐る恐る大きな扉をノックした。
「映姫? 入れば? 開いてるわ」
中から抑揚の少ない、それでもよく響く高い声であの閻魔の名前を呼ぶのが聞こえてきた。
「えっと、初めまして。ルナサ・プリズムリバーです」
どうしていいか分からなかった私は、とりあえず名乗るという行動をした後、完全にフリーズしてしまった。中からは何も返事が返ってこない。これはどうしたものか。暫く思案していると、扉が少しだけ開いた。本当に少しだけ。中から開けている人物がこちらから見えないくらいだった。多分中からもこちらは見えていないと思う。
中にいる人物が声をかけてくる。
「あら、間違えて悪かったわね。それで、ルナサさん。ここには何が居るか知って来てるの? それとも興味本位かしら」
すぐに否定の言葉を返す。
「違う。少々頼み事があって、ここへ来た。ここへは、初めて来る」
「そう。私は覚り妖怪の古明地さとり。ここの主よ。見ればその人の考えている事が読めてしまう能力。だから、私が貴女を見れば貴方のプライベートは全て筒抜けってことね。加えて私は物事をはっきり述べる性格だから、貴女を平気で傷つけると思うわ。……多少の配慮はするけれど。それでも頼み事をしたいというのだったら、入りなさい」
長い台詞を言い残して、声の主の気配は扉から遠ざかって行く。成る程。パチュリーが言っていた通り、これは少々性格に難があるかもしれない。しかしどうやら、もう一つパチュリーが言っていた事も本当のようだ。考えることが読める妖怪である彼女に見てもらえば、この原因が分かることは間違い無いだろう。
私は大きな扉を開けた。
広がるのは悪魔の館よりも遥かに暗く、幻想的な空間。異常な量の色が暗い中で光っており、それは本当に不気味だった。この床の素材はなんだろうか。紅魔館のよりも遥かに光り、表面もつるつるしている。一歩踏み出す毎に、靴が床に当って大きな音を出す。
奥からぺたぺたと不思議な音を鳴らして人が歩いてきた。
「改めて地霊殿へようこそ。私はここの主の古明地さとりよ。よろしく。それで、今日は何の用かしら?」
目の前には、私よりも一回り小さい少女が立っていた。部屋着なのであろうか、少しだぼっとした服に、動きを制限されなさそうな大きいスカート。そして足に至っては裸足で暖かそうなスリッパを履いているだけである。
「さっきは間違えて悪かったわね。それとこの格好についてだけど、ここに来る物好きなんて、ここの住人と閻魔と橋姫と、後は魔女くらいなものだから。知り合いばかりだし、私も外に出ないしで、人に気を使うような服持ってないのよ」
どうやら本当に心を読まれているらしい。
「いや、そんな意味では……」
私が慌てて心で思っていたことを弁明しようとすると、「冗談よ」なんて言ってくる。何て面倒な性格だ。いや、幻想郷に住んでいる人妖は大体面倒な性格をしているか。
「あら、皆に言いふらすわよ?」
「ごめんなさい」
「これも冗談。貴女素直すぎてからかうのが面白いわね」
「なっ……」
これは本当に厄介だ。
中に通されると、ソファに座らされ、少し待っているように言われた。
周りを見回せば見回すほど、不気味な館だ。色は統一性が無いし、基本的に暗いのに所々は明るい。神秘的な雰囲気を出しているかと思えば、烏と猫が追いかけっこをしている。音に例えるなら、不協和音といったところか。うん、今私はすごくいい例えをしたと思う。
そんな割かし失礼なことを考えて待っていると、奥からトレーを持ったさとりさんが出てきた。トレーの上には二つのカップに注がれた何だか少しとろみのある茶色の液体と、チョコやクッキーから羊羹まで多種多様なお菓子を載せた皿が置かれている。お菓子は、和洋は混ざっていれど、どれも甘い物ばかりだった。この辺から何となくさとりさんの味覚が伺える。
「さっきも言ったけど、人を迎える対応って慣れてないの。とりあえず好みが分からないから色々持ってきたんだけど。適当に摘んでもらって構わないわ」
なんて言う。
「あぁ、これはどうも」
私はカップに手を伸ばして、何だかよく分からない液体の香りを嗅いだ。甘い匂いがする。
「ココアは初めてかしら? でも私と妹の趣味の関係上、それしかないの。我慢して頂戴。ちなみにそれはチョコレートを溶かした液体みたいなものよ」
心を読んだのだろう。私が思った疑問に、問いかけずとも答えをくれる。これは楽だ。本来なら今の場面で初対面の人間にもてなしてもらっていて、「これ何ですか?」とは聞き辛いものがある。しかし彼女は心が読めるから、そんな気を遣う必要は無いのか。何て楽なんだ。
「はぁ。最近の人妖は考え方が変わってきて、私も話しやすくなったというか、単に図々しくなっただけというか。妹まで最近は図々しくなって来たし……」
さとりさんは何かをぶつぶつと呟いている。あ、ココア美味しい。
「妹さんがいるのですか」
私は何となくそう話しかけた。
「いるわ。もう本当に可愛くていい子で不良な妹がね」
「いい子なのに不良なのか」
「家に三日に一回程度しか帰ってこないの」
それは大変だ。一瞬フランドールみたいに凶暴なのかと思ってしまった。妹を愛しているのなら、その妹にたまにしか会えないというのは相当辛いだろう。私も、レイラが死んでしまって暫くは会いたいと常に願っていたものだった。
「あら、そのフランドールさんとやらとうちの妹は友達だそうよ。よく弾幕ごっことかをして遊んでくるらしくて、同じくらいの実力で楽しいとか言ってるわ。こいしと対等なんて、フランドールさん余程強いのね」
フランドールと弾幕友達? それはそれはまた。確かにフランドールはいい子で、私も普通に会話するという面で友達と見てもらえているようだが、もし私がフランドールと弾幕ごっこなんてやったら、ごっこ遊びにすらならない一方的な展開になるだろう。あんな弾幕化物と弾幕友達になるということは、相手も化物級でなくては成り立たない。成る程、さとりさんからはかなりの大物オーラが出ていたが、妹さんは化物だったらしい。
「ちなみに貴女の妹の、ええっと……メルラン? という子もよく話から聞くわね」
「はい?」
メルランが友達? あぁ、思い出した。確か少し前に、メルランが妖怪を家に呼んできた事があった。たしかあの時来たのは、メルランと髪も性格も良く似た女の子で、二人で大騒ぎしていたのを覚えている。私も二人からの容赦ない毒舌のターゲットになって大変だった。でもその人だろうか。あんまりさとりさんとは似てない気がする。
「それは迷惑かけたわね。間違いなくうちの妹だと思う。こんなのの黒いのが付いてなかった?」
そう言ってさとりさんは胸に取り付けられた、管の伸びる大きな眼を手で持ち上げた。
「あぁ、確かについていた」
「でしょう。それよりもまさかとは思っていたけれど、人様の家に行ってまで図々しかったのね。何か問題は起こさなかったかしら」
暫くここへきた目的もすっかり忘れ、さとりさんとお互いの妹に関する話で盛り上がった。
二杯目のココアが空になったころ、ようやく本来のここへ来た目的を思い出せた。思い出せれば後はさとりさんが勝手に心を読んで、話を進めてくれる。
「あら、なんだか話し込んじゃって悪かったわね」
さとりさんは四杯目のココアを飲み干すと、嬉しそうに五杯目を継ぎ足し、チョコレートを軽く摘んで口に運んでいく。相変わらずの薄い笑顔で美味しそうに食べている。私はといえば、もう口の中が甘ったるくて甘ったるくて。
「これは失礼したわ。でも基本的に私と妹の趣味の関係上、甘いものばっかりなのよ。あっ、確か少し苦いものがお台所にあったはずだわ。ちょっと取ってくるわね」
さとりさんはぺたぺたと奥へと消えてしまう。別に頼んだわけでは無いのに、優しい人だと思う。最初は厄介な性格をしていると思っていたが、今となっては幻想郷中の誰よりも気が利く妖怪だと思う。
さとりさんが戻ってきた。なにやら大きなカップが二つトレーに乗っている。これは……かき氷?
「ご名答。この間地底に住んでる橋姫から大量に貰った宇治金時よ。貴女にとっては少し時期的に寒いかも知れないけれど、地底の私から見れば知ったこっちゃないわ」
はい、どうぞ。と言ってスプーンを渡してくる。
私はまたもや本題を忘れて、宇治金時とやらにスプーンを入れる。そこで私はある重大なことに気がついた。
「餡子が」
そう、餡子だ。少し苦いものを持ってきたはずなのに、そこにはしっかりと餡子が乗っている。
「食べて御覧なさい。美味しいと思うわ。いつもなら茶にもっと砂糖とか混ぜて作るんだけど、今回は苦いままかけたから」
どう食べていいのか分からなかったから、とりあえず氷の緑色の部分と、餡子を一緒に食べる。
「おいしい」
素直に出た感想はそれだった。本当に美味しい。
ざくざくと大雑把に砕かれた氷に、緑色のとっても苦い液体がよく合う。これは確か、永琳から昔ご馳走になった抹茶というものの味だと思う。そして勿論苦いだけでは断じて無い。丁寧に炒ってあるのだろう、とても上品な甘さの粒餡が、苦くなった口内を甘くしてくれる。しかしそれが甘くなりすぎるということも無かった。それでもやっぱり甘ったるいのだけれど。
何口か食べ進める内に、とても良い方法を発見した。まず、餡子だけを食べる。次に抹茶のかかった氷も食べる。勿論苦い。しかしここで少々下品な気もするが、舌を自分の口の上の部分に強くつける。そうするとさっき食べた餡子の味がそこに残っていて、丁度良い甘さになる。歯の裏とかでもいい。
黙々と宇治金時を食べ進めていると、さとりさんが何やら白い紙を差し出してきた。それは、宇治金時のレシピの様だった。
「もう造り方は身についたし、レシピ上げるわ。そんなに喜んでもらえるとは思わなかったから、何だか嬉しいわね」
私はレシピを目に通す。成る程。これなら幻想郷にある材料でも作れそうだ。
「ありがとう」
「いいえ、その言葉を受け取るのは早いわ。私も甘味の素晴らしさを広めたくて熱くなっちゃって忘れてたのがいけないのだけれど、貴女何か忘れてない?」
「あっ……」
私はさとりさんに状況の説明をした。説明をしたと言っても、ほとんどは彼女が心を読んでくれたので、口下手な私からでも十分に伝わったようだ。
「それは大変ね。初めて私の力が人の役に立つ気配がするわ」
何だか少し嬉しそうである。
「まずはそのレイラのことを、彼女の生前はどう思っていたの?」
さとりさんのカウンセリングが始まった。
「レイラは大切な妹だった。でも本当の妹では無いんだ。私達上三人はレイラから創られた本当の妹だけど、レイラはやっぱり人間で。だから私達は少しでもそういう気遣いをさせちゃいけなかったんだ」
そう。私達はレイラが寂しくならないように、独りぼっちということを忘れられるようにしてあげなきゃいけなかったんだ。なのに、やっぱりレイラは独りで歳を取って、独りで居なくなってしまった。今でも覚えている、あの少し悲しげな笑顔。やっぱり私達では満たしてやれなかったんだと思う。
さとりさんは軽くため息をつく。
「はぁ。パチュリーが私を薦めた理由が分かったわ。貴女、ちゃんと大事な部分を口で言わないんだもの。自分で溜め込むタイプでしょう? ストレスとか。それじゃあ良くないわ」
むぅ。昔永琳にもそんなことを言われたが、決してそういう訳では無いと思うのだが。
「まぁいいわ。じゃあ、彼女が死んだ後のことを話してみて」
死んだ直後のことはよく覚えていない。とにかく、その後暫く私は何にもする気が起きなくて、音楽活動も妹二人だけでやっていた。半年くらいだっただろうか。それくらいの間、私は家に引き篭もった。レイラが死ぬとき、妹達を頼みますと言われたのを思い出して、私は我に帰ったのを覚えている。今は妹達を面倒見るのが私の役目だ。
「よくは覚えていないが、レイラが死んだ日はレイラの誕生日で、私達の誕生日でもあるんだ。だから毎年その日にはレイラのために姉妹全員で演奏をすることになっている」
今度はさとりさんに大きなため息をつかれた。
「はぁ。やっぱり確信部分を言わないじゃない。これは私じゃなきゃ無理ね」
心が読めるから問題ないだろうに。
「はいはい。能力褒められるのは嬉しいけれど、貴女ももっと協力的になっても良いと思うけど」
「それは悪かった」
「彼女の幻影が現れ始めたのは最近なのよね? 何でかしら。そのとき、初めて現れたときの状況を教えてくれる?」
「初めて……確か、一年前くらいだった。一年前の昼前、いつもの日課通りにヴァイオリンの練習をしていたんだ。毎日やっている。音楽が好きで、少しでも上手くなりたいと思っているから。その日は庭で。そしたら、現れた」
さとりさんは私を睨みつけている。どうしたのだろうか。
「よく一年もほったらかしにしておいたわね。何か変わったことは?」
私は黙って首を振る。
「嘘偽りは無いようね」
うーんなんて唸りながら、
「それじゃあ原因はいまいち分からないままよねぇ」
と、ごちている。
そのとき、何かを思いついたらしく立ち上がって部屋の奥の方を見つめるさとりさん。
「こういうのは私よりも詳しそうなのが地霊殿に居るのよ。お燐ー、お燐ー?」
さとりさんは今までの会話からは考えられない大声で、「おりん」という人を呼んでいる。お燐さんも幽霊か何かなのだろうか。
すると、一匹の黒猫が奥から走ってきた。先ほど烏と追いかけっこをしてじゃれていた猫だった。気配から察するに、妖怪の様だ。
走ってきて、きゅっとブレーキ。さとりさんに飛びついて一鳴き。するとさとりさん、猫を受け止めるやいなや、すぐに地面に下ろしてしまった。
「お燐、とりあえず人型になって喋って頂戴。この人にも分かるように」
成る程。さとりさんの心を読む能力は人以外にも有効なのかと感心する。
感心していると、猫がみるみるうちに人型に変身した。そこには、何やら派手な格好の赤髪の女の子が立っている。
「これでいいですか、さとり様?」
「よろしい。実はですね……」
驚いている私を尻目に、さとりさんは状況の説明を始めた。
「んー、なるほどなるほど。あたいがこのルナサさんの置かれている状況を見抜けば良いのですね? あたいにかかれば楽勝ですよ。あたい何年間幽霊、亡霊、怨霊と友達やってると思っているんですか」
自信満々に燐さんが答える。彼女の名前は燐さんと言って、皆はお燐と呼んでいるらしい。私はどうもお燐と呼ぶのは悪い気がしたし、お燐さんと呼ぶのも何か変な感じがするので、燐さんで落ち着いたというわけだ。
聞けば専門は幽霊等ではなく、どちらかと言えば死体の方だと聞いた。死体を操るのが得意だとか。その関係で、幽霊等と接する機会も多いのだと言う。
「聞いた感じだとねー、ルナサのお姉さんはブレブレだね。うん、ブレブレ」
「ブレブレ?」
「そう。軸がぶれてるってこと」
軸がぶれているということを聞いて、私は反射的に背筋を伸ばす。私もそんな意味では無い事は判っていたのだが、反射的にそうしてしまった。それを見て、さとりさんと燐さんが笑う。
「ちがう、ちがうよお姉さん。それにしてもお姉さん面白い幽霊だね。是非コレクションに欲しい」
思いのほか告白されてしまった。などと少々下らないことを考えていると、さとりさんがくすくすと笑う。私が恥ずかしくて顔を赤く染めると、さとりさんはもっと笑った。
「話を戻すとね」
燐さんが続ける。
「さっきあたいが死体を使うっていったでしょ。死体を使って強くなるってことは、強い死体に強い精神を宿すことによって、より強いゾンビを作って戦うってこと。だから私は死体回収と同時に、なるべく強い死んだ妖精とかを見つけてはスカウトするんだけど、そういう強い精神ってのは、何がしたいかがはっきりしている者がそれなんだ」
成る程。強い死体に弱い精神が宿っていても、折角の身体を宝の持ち腐れしてしまう。逆に弱い死体に強い精神が宿っていても、その精神が思ったとおりの力は発揮されないだろう。
「お姉さんの場合、聞いた感じだと、死んだレイラさんに依存しすぎてる。レイラさんも大事だし、妹達も大事。お姉さんはどこに入ってくるの? お姉さんの大好きな音楽は、今はどうしてるのさ」
「それは、まぁ、問題は無い。妹達と三人で演奏すればレイラの幻影は出てこないし、普通に演奏も出来るんだ」
「そりゃまた不思議な話だね」
燐さんは少し考え込む。
「でもやっぱり、お姉さんからは全然強いって気配を感じない。器が強いことはすっごく伝わってくるのに、お姉さん自身はすっごく弱そうだ。なんというか、満たせてない感じというか。やっぱりそれは、お姉さんの中でのお姉さんの優先順位が低すぎて、簡単に言えば自我が無さ過ぎるってことかな。うん、それだ。自我が無い変わりに、妹達という未練があるからとりあえず存在出来てるって感じ。欲が無いとも言えるかもね」
得意げに話す燐さんに、私は返す言葉の一つも見付からなかった。わざわざ見ず知らずの私のためなんかに説明をしてくれたというのに、お礼の言葉すら言えずに、呆然と座っている。
「どうやら真相が見えてきたみたいね」
これまで横で無表情で居たさとりさんが口を開く。
「貴女の心からも、燐の言葉を否定する感情はほとんど見られなかったわ。大方、心当る節も多かったんでしょう? それにしても燐、ありがとう」
さとりさんにそう言われると、猫の姿に戻ってしまう。その姿のままさとりさんの膝に飛び乗って頭を撫でてもらっている。
「後で遊んであげますから」
猫の姿の燐さんはとっても満足そうに地霊殿の奥へと消えた。
さとりさんと目が合う。
「どうしたの? お燐の話がそんなに衝撃的でしたか?」
「いや、そういうわけでは」
ただ、欲とか自我とか言われても、結局のところ何をすれば良いのか分からない。屁理屈をこねてしまえば、レイラの残した願いを叶えたくて、レイラに言われた通り妹達のことを面倒見ているわけだし、それに大好きな音楽だってやっている。音楽は元々レイラに薦められて始めたことだけど、今は私自身が大好きだ。
「成る程ね。でもそこまで分かったのなら、後は貴女次第では無いの? もしくは貴女の幽霊としての存在について相談できるような人が居れば、その人に相談してみるのも手だと思うけど」
自分で何をしたらいいのか分からず、少々弱気になってしまっていた私は幽々子の姿を思い浮かべた。
「……そう。そんな人が居るの。その人のところに行ってみるのもいいんじゃない?」
さとりさんはそう言って、すっかり溶けてしまったさとりさんの宇治金時を啜る。
「苦っ」
そう言って慌ててココアを啜るさとりさんは面白かった。抹茶を飲んだようなものなのに、その直後にココアを啜る。すごいことだと思う。
私もつられて宇治金時の汁を啜る。
「苦い」
「今日は色々と時間をとらせてすまなかった」
「いえいえ。地底地獄の管理なんてほとんどやること無いので」
「本当に、ありがとう」
「いえいえ。まぁでも、出来るなら、貴女が万全の時に出会って、ヴァイオリンの一つでも披露して欲しかったわ。楽器とやらに興味があるしね」
私は紅魔館でのこともあったし、少し考えたが、ここでヴァイオリンを弾くことを決意した。それはやっぱり万全の曲じゃないし、万全じゃないのに音楽を聞かせるのはどうかとは思うけれども、やっぱり私にはヴァイオリンしかないし、こうして聞きたいと言っている人が目の前にいる。こういうときに弾けなくては、音楽家としては一番駄目なんだと思う。
「あら、駄目元で言ってみたのに、弾いてくれるの?」
「ふふ、本当は私の性格なんか熟知していて、そう言ってみれば弾いてもらえるのを分かっていたくせに」
何となくそう思ったから口にしてみれば、
「あら、貴女優しいのね。それとも私みたいに心を読めるようになったのかしら」
何て言う。
私は少し笑いながら立ち上がって、ヴァイオリンを手に取った。
何を弾けば良いだろう。こんなに色々な色が混ざったような地霊殿だから、楽しげな音楽にしよう。
ダンスを踊るようなイメージで、アクセントもはっきりさせて弾く。それでもさとりさんのように心の余裕を忘れてはいけない。ゆっくり、ゆっくりとしたリズムの中で、しかしアクセントは強調してつけていく。
これが、私が思う地霊殿の雰囲気。
燐さんの言うとおり私はレイラに依存しすぎているのだろうか。やはりここでもレイラが現れる。目の前に映るレイラは、本当に本物みたいで、手を伸ばせば触れてしまいそうな程に存在感があった。出来ることならもう一度会いたい。会って、謝りたい。私では役不足だったこと、死ぬ間際も気の利いた言葉も言えず、ただ演奏することしか出来なかったこと。そして妹達を頼まれた身なのに、今こうして妹達から心配されてしまっていること。
いけない。これではまたあの紅魔館のときの二の舞になってしまう。レイラのことを振り切るようにさとりさん達のことを考えようとする。さとりさんを見ると、静かに目を瞑って、少しだけ体を揺らして聞き入ってくれている。膝に手を当て、気分良さそうに。
まるでそれは、レイラのような暖かさを持っていた。
どんなにさとりさんのことを考えようとしても、どんなに演奏に集中しようとしても、結局はレイラが出てきてしまう。レイラが私の思考を掴んで放さない。いや、もしかしたら私がレイラを掴んで放せずにいるのかもしれない。レイラから離れなければ、レイラから離れなければ、レイラから離れなければ。
レイラから、離れなければ。
そう思えば思うほど、私の思考は混乱していく。もはや自分でコントロールなど出来ない。ゆったりとした、まるで何かのダンス曲のようだった私の演奏は、今は荒々しくなってしまっている。修正しなくては。
曲を丁寧に修正していこうとした私に、レイラが語りかけてくる。
「ルナサ、ありがとう」
なんて、いつのまにかすっかり歳を取った姿になっていたレイラが泣きながら言う。
私はレイラに何もしてやれなかった。レイラに何をしてやれた、今ならレイラに何をしてやれる。今日だけでも何度目か分からない自問自答に追い込まれる。
そのとき。
「熱っ……!」
カシャン。
さとりさんが手に持っていたココアのカップを落とし、割ってしまった。驚いた私は、演奏を止める。いや、正確にはこの期を逃すまいとしがみ付いたと、言った方が正しいかもしれない。私は出来るなら演奏を止めたかった。カップの割れた音は、私に演奏を止める最高のチャンスをくれた。あぁ、私は今音楽家として最低のことを考えてしまっている。
床に茶色のどろどろとした液体が広がっていく。
「演奏中にごめんなさいね。あんまりにもいい音楽だから、聞き入っちゃって注意力が散漫になってたのね」
なんて言う。
「いや」
分かっている。さとりさんは心が読める。私が演奏中に止まらなくなってしまったのを、止めてくれたんだ。私はその行為に対して礼を述べるべきなのか、それともここは礼を言わない方が良い物か。
暫く少々気まずい沈黙が流れた。お互いに目を合わせられずに居ると、さとりさんが慌てた様子で話を切り出す。
「あのっ、ごめんなさい。私、他人とどう接したらいいかよく分からなくて、こんなときどうしてあげたらいいのか分からなくて、それであんな回りくどい方法を……」
「いや、さとりさん、貴女はお優しい人だ。謝るべきは私の方。こんな演奏しか出来なくて、本当にすまない」
さとりさんが謝ることなんて何にも無い。お願いだから、そんな悲しい顔をしないで欲しい。私はその顔を知っている。寂しいときに人が見せる顔だ。さとりさんは何にも悪くない。お願いだから、笑って欲しい。
私の思いを読み取ったのだろう、さとりさんは難しい顔をして笑ってくれた。でもそれは、決して気まずさ等からくる笑いには感じられず、ありがとうと言っているような薄い笑いだった。
「おや、本当に心が読めるようになったのですか? 不思議ですね」
「当ってたのか」
「まぁ、大体」
少し照れくさそうに目を逸らす。
さとりさんがチョコレートを摘みながら話を切り出した。
「貴女はさっきの音楽をあんな風に言ったけど、私は好きだったわ。心が読めるとかじゃなくて、ちゃんと音楽で貴女の考えていることが伝わって来たもの。あんな感覚は初めてよ」
「ありがとう」
二人で笑いあう。どちらも薄い笑い。それでも、どちらもとてもいい笑顔だったと思う。
「今度ヴァイオリンがちゃんと弾けるように戻ったら、ライブに呼ぶよ」
「それは素敵なお誘いね。楽しみにしているわ」
ライブに呼ぶ約束を交わした私は、さて、と言って立ち上がった。
「今日は色々とありがとう。じゃあ、また今度」
「あ、ルナサ」
帰ろうとした私を、さとりさんが引き止める。
「その、えっと、私と友達になってもらえませんか? 貴女と話せて今日はとっても楽しかった。だから、その、友達に……」
もじもじと手を動かしながらさとりさんがそんなことを言う。同姓の私から見ても今の彼女はかなり可愛い。
心を読んだのだろう、もじもじしていたさとりさんは、すっかり真っ赤になってあたふたし始めた。
「何を言っている。音楽家が自分からライブに呼ぶのは友達だけだ」
自分でも柄じゃないことを言ってしまって、少し恥ずかしくなる。まぁ、さとりさんが嬉しそうだったから、よしとしよう。
今度こそ私は寂しがりやの妖怪に別れを告げ、地底を後にした。
5、 亡き歌姫のためのパヴァーヌ
雪が深々と降る朝早くから、私は白玉楼に来ていた。妖夢に幽々子と話がしたいという趣旨を伝えると、ここで待っているようにと客間に通された。
私は何となく庭を眺めて時間を過ごしていた。今こそ雪が降っているから当然のように庭は白く見えるが、夏場でも地面に敷き詰められている石が白いため、同じような風景に見えるのが白玉楼の庭だ。白い絨毯から、ちょこちょこと灰色の大きな石が顔を出している。そして庭の端っこには沢山の桜の木が埋められていた。飾り気は無いがその質素でバランスが取れた庭は、同じ和風の庭でも色鮮やかに飾られた永遠亭とはまた違った美しさを持っていた。
暫く呆けていると、妖夢が起きたばかりの幽々子をつれて部屋へと入ってくる。
「朝早くからすまない。でもどうしても急ぎたかったんだ」
今朝から体が上手く動かない。だから急いできた。本当なら家の家事を済ましてから来ようと思っていたのだが、妹達に頼んで家を出てきてしまった。今頃家は大変な状態になっているかもしれない。腹を空かしてのた打ち回るメルランと、ソファに横たわり続けるリリカの構図が簡単に思い描ける。早く帰らなければ。
「そうよー。朝は寝るものだわー」
「そんなこと言ってないで、しゃきっとしてください。幽々子様は寝すぎな方です。まったく、最近来た寺の主を見習ってください。私は彼女達が現れるまでは、幻想郷のありとあらゆるところの主を見る限り、主という者は皆ぐうたらなものだと思っていました。ですが、白蓮殿を見てそれは私達従者達が騙されていたに過ぎないということを学んだのです。だから幽々子様にももう少し生活を改めて頂きます。今日は丁度その機会が得れたというのに全く……」
妖夢は彼女の癖となりつつある、説教からの独り言モードへと突入してしまった。幽々子を見れば、
「あらー。私の世話を焼いて、私を守るのが貴女の生き甲斐でしょう。それを私が取るのは悪いわー」
などと、全く反省していない様子で、私の前に正座する。
さて、そろそろこちらも話を始めたい。座ってじっとしているだけでも辛くなってきた。頭が痛い。視界が揺れて、ふらふらする。
「幽々子、今日は聞いてもらいたい事が……」
「あらぁ?」
話を切り出そうとした私に幽々子は不思議そうな顔をして、体をずりながら近づいてきた。右手で体を支えて、左手を私の額に当てる。
「すごい熱ね。妖夢、氷と水、コップとタオルを持ってきなさい」
どうやら私は熱があるらしい。幽霊が熱などと、自分でも笑ってしまう。あ、でもパチュリーが人間と大差無いとか言ってたっけ。
「えっ!? 幽霊は熱にかからないんじゃ?」
妖夢が驚いて硬直してしまっている。
「勿論。これは菌による熱なんかじゃないわ。そうよね? ルナサ」
幽々子は全てお見通しといったように、私に答えを催促する。私は頷くことしかできなかった。
「妖夢、早く準備なさい」
「で、ですが今の時期が時期なので氷なんて無いですよ」
「庭で雪を集めなさい。氷より早く溶けそうだから、沢山必要ね。そうねぇ、倉に大きな桶があったでしょう。あれ一杯になるくらい必要かしらね。後、廊下に水はこぼさないで頂戴。染みになったら苦労するのは貴女でしょう? ルナサなら大丈夫だから、ゆっくり来なさいな」
「分かりました」
妖夢は直ぐに立ち上がると静かに部屋を出た。部屋を出るまでは私と幽々子に気を遣ったのだろう、ひとたび部屋から出れば、ものすごい速度で部屋を離れていくのが分かる。妖夢が爆ぜるのに使ったのであろう霊力の飽和を、部屋の内からでも感じ取ることが出来る。
「さて、あの子は貴女が大好きだし、真面目だから大して時間もかからずに戻ってきてしまうわ。話しましょうか。貴女がそんなに小さく、ぼろぼろになってしまっている理由を。その事なのでしょう?」
どんなときでもいつでも幽々子は何でもお見通しだ。今だって、私はまだ何も話をしていないというのに。大将というのには条件といくつかのタイプがある。条件は、やはり強者であること。タイプというのは例えば紅魔のように絶対的な信頼と尊敬を集め、強大な軍事力を誇るタイプ。例えば永遠亭の姫のように存在そのものに意義があり、優秀な部下に戦や政治をやらせるタイプ。そして幽々子は城に籠もりながらも、少ない情報から圧倒的な読みで自ら采配を切り開き、そして部下に行動だけをさせるタイプ。
幽々子は強い読みの力と深い思考を有しているのにも関わらず、常にその表情から読み取れることは楽観的なことのみというのが恐ろしい。仮面を被っているようにも見える。猫被っているようにも見える。さとりさんと宴会で飲み交わしているのを見たことあるが(一方的に幽々子が嫌がるさとりさんに酌をするばっかりだった)、心の読めるさとりさんですら波長が合わないようだったのを覚えている。
私自身も幽々子は時折何を考えているか分からなさ過ぎて、恐ろしいと思ってしまうことすらあるのだが、虫のいい話ではあるが今はその妖しささえもが頼りになる気がする。
「実は……」
私はすがる様に幽々子に話をしだした。
妖夢を部屋から追い出さなくても良かったのではないか、とも途中で思ったが、それは恐らく幽々子の私に対する配慮なのだろうと思い、それを無碍にするのも悪い気がしたので手短に内容を伝えた。
すると幽々子も手短に返してきた。
「貴女は今何が一番やりたいの? それが解決への道よ」
幽々子は私の期待していた通り、道を示してくれた。でも、内容がよく分からない。
「それは、どういう」
「言葉のままよ。貴女は今何が一番やりたいのって。音楽活動? 妹達のお世話? レイラと決別すること?」
音楽はやりたいけれど、今はレイラが現れて集中できない。家の家事だって今日は妹達に任せてしまった。これでは、レイラに顔向けできない。じゃあやっぱりレイラと決別したいのだろうか。死者とはある程度決別しなければならないと、前に幽々子から言われたことはあるけれど、むしろ私は決別なんて嫌だと思っている。そこがいけないのだろうか。
「それとも、貴女はレイラのために何かをしてあげたいと思っているのではなくて?」
レイラのためにとはどういうことだろう。いや、むしろそうではなくて、今は決別をしなければならないのではないのだろうか。
私が幽々子の言わんとすることを考えていると、幽々子がまた少しだけ道を示してくれる。
「貴女はレイラに何もしてやれなかった、だからもっと何かしてやりたい。そう思っているのではなくて?」
確かに私はレイラに何もしてやれなかったことを後悔している。レイラのために何かしてやりたいのも事実だ。だけどレイラはもう居ない。居ない人間に、死んで幽霊となって幻想郷に留まるでもなく、輪廻の輪に入ってしまったレイラに、何をしてやれるというのだろうか。
「レイラは、もう居ない」
「そうね。貴女は今まで彼女が死んでから、彼女のためにしてあげたことはある?」
私がレイラにしてあげたこと。死んでからしてあげたこと。泣いた……というのは別にレイラのためではないか。
「幽々子も知っていると思うが、レイラが死んだその日から毎年、姉妹全員で音楽をささげている。それと墓を作ってあげたくらいだろうか」
「墓は妹さん達と作ったの?」
「あぁ」
「それじゃ、貴女一人の意思でレイラにしてやったことは何にもないのね」
脳を駆ける衝撃。波。私、私は。
死んだあの日、泣いて、泣いて、泣き崩れている私に、演奏しようと言ってくれたのはメルラン。
その後部屋に籠もってやっぱり泣いている私に、お墓を作ろうと言ってくれたのはリリカ。
私は? 私は何にもしてやっていない。
レイラのことをいつまでも引きずって、何年も経った今でさえ引きずって。それでいて何にもしてやっていない。
さらに性質の悪いことに、ただ引きずって離れられないだけだというのに、私が一番レイラのことを想っているという勘違いまで始まってしまっている。
メルランが、レイラの話題が出ても明るいのは忘れてしまったからではない。メルランはとっても強いんだ。
リリカが、レイラの話題が出てもいつもの調子を崩さないのはふざけているからではない。リリカはとっても賢いからだ。
私は、レイラの話題が出るといつも落ち込んでしまう。何かにきゅうっと胸を締め付けられる気分になる。
想っているのではなくて、弱いから、引きずっているだけ。人はもう還って来ない。
弱かったのは、私。
気がついたら私の頬からは涙が零れ落ちていた。つぅっと頬を伝って、一滴、また一滴と正座をしている膝の上に乗せた、手の甲に落ちる。
「私は、何をすれば……?」
急に視界が暗くなる。私は幽々子の腕の中だった。普段なら恥ずかしくて、赤面してあたふたするのだろうけれど、今は素直に幽々子の暖かさに甘えていたかった。
「泣くことなんか無いわ。誰でも大切な人を亡くすのは辛いもの。何年も昔の話だろうと、亡くしてしまった人は、還らないのに、心にだけはいつでも出てくる。亡霊をやっているんだもの、その気持ちは十二分に分かっているつもりよ。私も残してきてしまった側の人間としてね。何をやったらいいか。それは貴女が考えることだわ。だってそうでしょう。そうしないと、貴女が彼女のためにやってあげたことにならないもの」
幽々子が腕を放して、元の位置に座りなおす。
「さて、妖夢が来たみたいよ」
そういい終えたと同時くらいに、襖が開き、妖夢が現れた。手には大きな桶を抱えており、タオルを肩にかけ、起用に桶を抱えた手の中指と人差し指の間とでコップを持っている。
「失礼します。遅くなって申し訳ありません」
よたよたと妖夢が部屋に入ってきた。私は妖夢からコップを受け取ってやると、妖夢はやっとのことで桶を下ろせて安心したのか、溜め息をついた。
「妖夢、妖夢には悪いけれど、ルナサはもう帰るらしいわ。何でもやることがあるらしいの」
「え、あ、はい」
幽々子と目が合う。妖しい幽々子特有の笑みを返される。
「私は少し休むわ。妖夢、ルナサは体調が良い訳じゃないから、白玉楼の入り口までは一緒についていってあげなさい。でも、その後はさっさと帰ってきて私のご飯を作っておくこと。お腹ぺこぺこなの。それじゃあ、よろしくね」
幽々子はすらすらと用件を言って部屋を出ていった。私は焦って幽々子を呼び止める。
「幽々子、ありがとう」
その背中からは今は妖しさではなく、満開の桜のような、全てを包み込んでもらえる優しさに思えた。
「どういたしまして」
幽々子は屋敷の奥の部屋へと消えていった。
白玉楼の階段を下りている途中、私は考える。
果たして私に何が出来るだろうか。果たして私に、レイラのために何かをしてやれる資格があるのだろうか。今までレイラに何もしてやらずに、今更になって何かをしたいなんて、ただのエゴではないのだろうか。
もし、この場にレイラが居るとしたら迷惑とは思わないだろうか。
そんなことを考えていると、横を飛んでいた妖夢に声をかけられる。
「ルナサ、申し訳ないのですが、先ほどの話襖の奥で聞き耳を立ててしまいました。雪が沢山あって、思いのほか早く終わってしまったので。ごめんなさい」
妖夢が本当に申し訳無さそうに話す。
「いや、そんな別に謝られることでは。でもまぁ、泣いているところを聞かれてたとしたら、恥ずかしいな。いつから?」
「紅魔館についての話を幽々子様にしているところ辺りからですね」
本当に早い段階から居たな。
妖夢が私の前に立つ。その主とは正反対とも言える真っ直ぐな瞳からは、何か強い意志を感じる。本当に真っ直ぐに、私の目を見ている。
「昔、私の師匠が居なくなったとき、私も今のルナサと同じような感じになりました。そのときに幽々子様はおっしゃいました。妖忌が貴女に何をして欲しいのか、妖忌のために考えなさい、と」
昔を懐かしむように、とても哀しい目をして語り始める。
「私は、幽々子様をお守りすること、剣をもっと磨くことをして欲しいと思いますと答えると、幽々様は、ではそれを全力でこなして見せなさいとおっしゃったのです。それは当然のことと思いました。しかし、私はどうも納得がいかなかったのです。それは果たして師匠のためになるのだろうかと。私はそれを幽々子様に聞きました。幽々子様は、少なくとも貴女のためにはなるわ、とおっしゃったのです。そのとき私はからかわれたのだと思いました。しかし、今では、私にとっても師匠にとってもそれが一番良かったのだと思っています。居なくなってしまった人のための行動は、同時にそれを想えば想う程に、私のために繋がっていたのです」
妖夢の言葉はそこで途切れる。
「だから、今回も、きっと……」
「あ、ありがとう。でもどうした、急に」
妖夢がこのように強く出ることは珍しかった。普段から自分の意見はしっかりと持っている人ではあるが、このように言われることは今までにも無かったのではないかとも思う。
「いや、ルナサが神妙そうな顔をしてたから、てっきり幽々子様のおっしゃったことを疑ってるんじゃないかって」
成る程。そういうことだったか。確かに幽々子の言ったことは、妖しくて妖しくて仕方が無いが、そんなことは微塵も思っていない。
「むしろ幽々子に相談しに来てよかったと思っているんだが」
「え、ああ。そうですか。では、何故そのような……。あっ、いえ。何でもないです」
妖夢は私に気を遣ったのであろう、それ以上問うことは無く、また階段を下りるためにその身を翻してしまった。
「妖夢」
でも私はなんとなく、妖夢に話したい気分でいた。心につっかえていることを。
「さっきは、考え事をしていた。レイラに何をしてあげるかってことではなくて、私がレイラに何かをしてあげる資格があるのかな、と悩んでしまった」
妖夢は黙って私を見る。真っ直ぐに。
「今まで私は何にもしてやれなかった。引きずって、本当にただ引きずるだけで、何にもしてやらなかったんだ。貰うばっかりで、何にもあげられなかった。ヴァイオリンを貰った、演奏の仕方を教えてもらった。そして何より、私という存在を貰った。だけど、だけど私は何にもあげていない。目の前で老いるレイラを気遣っただけ。医療知識の無い私達は、朽ちるレイラをただ見てることしか出来なかったんだ。なのに、なのに私は妹達とは違って、死んだ後も何か行動を起こした訳ではなかった。そんな私が数年経った今更、レイラのために何かをしていいものだろうかと」
私は言ってしまってから反省した。これでは、妖夢に相談しているという訳ではなく、ただ一人愚痴をこぼしているだけではないか。何て情け無いんだ。
「何て情け無いんですか!」
急に出された大声にびっくりする。
「貴女、本気でそんなことを思っているのですか。レイラさんが死んだとき、一度白玉楼にも顔を出しました。あのときは本当に幸せそうな顔で消えていったんですよ! 幽々子様が亡霊となって幻想郷に居てもいいとおっしゃっても、彼女は優しく笑いながら消えたんですよ! そんなに思われていたのに、そんなにも彼女は貴女達姉妹に思われて幸せそうだったのに、貴女は何ですか! 妹達はきっと分かっていると思いますよ。彼女が幸せだったことを。貴女はそう思って無いのですか? 独りよがりにも程があります!」
息を荒立てて妖夢はこちらを睨む。変わらない、真っ直ぐな目で。痛い程見つめられる。
暫く私が面食らっていると、妖夢が初めて私から目を逸らす。大声を出してしまって気まずかったのだろう、下を向いてしまった。
「あ、あの、ごめんなさい」
「妖夢が謝ることなんて何も無い。顔を上げて欲しい」
顔を上げた妖夢の鋭い視線は、また私の弱い視線を貫く。
「レイラさんは本当に幸せそうでした。だから……」
私はこの次に続く言葉を知っている。知っていて、ずうっと今まで逃げてきただけ。
「レイラさんにとっては、貴女が何かをしてもらえるというだけで幸せなんです」
私はこの言葉を知っていながら、確証が無いというだけで怖気づいていた。ただ私はこの言葉を他人から言って欲しかった、それだけなのかもしれない。
何かをしてしまって、それがレイラにとって不快な思いをさせてしまうのではないか、とか考えてしまっていた。私の起こす行動により、レイラが迷惑するのではないか、とか考えてしまっていた。
私には何がレイラのためか分からなかった。
それは、私が今まで一度たりとも一対一でレイラと向き合ったことが無いからだろう。妹達がいるから、という大きな盾を間に挟むことでしか、レイラと向き合えていなかったからだろう。
あぁ、そうか。私はレイラと向き合うことを逃げていたんだ。その癖に、レイラを想っていた。これでは独りよがりと言われてもしょうがない。
「ありがとう。何をするかはまだこれからだが、決意はついた」
私がそう言うと、妖夢は嬉しそうに頷く。他人の事まで真剣に悩んでくれる妖夢の真っ直ぐさが、本当に嬉しかった。
「では、今日は朝早くにお邪魔して悪かった。これで失礼する」
白玉楼の入り口で私は妖夢に別れを告げる。
「いえいえ、こちらこそ何のお構いも出来ずに。また来てくださいね」
私は白玉楼を後にした。
何をしたら良いのか分からなかった私は、とりあえずレイラの墓がある庭を飾ることにした。今まで色々な所を見てきたが、どこもかしこも庭は大切にしているようだ。ましてや自分の大切な人が眠っている庭だ。何故今まで放置していたのか、今更ながらに不思議に思う。下手でもいい。とにかく、自分の手で飾ってみようと思った。
帰る途中、向日葵畑に寄って花の妖怪から種を貰ってくる。話しかけるのは怖かったけど、種が欲しいとその趣旨を伝えると嬉しそうに袋一杯にくれた。
貰った種を持って家の扉を開ける。
「おかえりー」
「おかえり、ルナ姉」
メルランとリリカに迎え入れられた私は、ただいまと言ってすぐにスコップのある場所を知らないか聞いた。もうずっと昔に使って以来だから、何処にあるのか定かでは無かった。しかし不思議とメルランが覚えていた様で、すぐにスコップが出てくる。
「姉さん、でも何でスコップなんか」
「レイラが眠っている庭を綺麗に飾ろうと思って」
そういって私は貰ってきた袋一杯の種を見せる。おおーという歓声が二人から上がり、結局姉妹三人でやることになった。
スコップを持って庭に立つ。さぁ、まずはこの荒れ果てた庭の掃除からだ。
私達姉妹は手分けをして雑草取りを始めた。もう何年もほったらかしにしていた庭だから、その分草木も伸びてしまっている。私達は降り積もった雪をどかしながら、除草作業を進めていった。
雑草を取り除くという作業がこんなにも疲れ、こんなにも時間のかかるものだとは思わなかった。時刻は既に夕刻を迎えてしまっている。
やっとのことで一通りの雑草を取り終え、庭の端に掘った穴に取った雑草を埋めた私達は、とうとう庭を飾る作業へと入った。
情け無いことに姉妹全員が庭を弄ったことの無い私達は、それぞれ案を出し合って簡単な設計図みたいなものを描いた。
リリカとメルランは庭を取り囲むように作る予定の柵作りと、小さいアーケードの作成と装飾。私は庭の中の飾りつけ。
慣れない手つきで作った設計図を見ながら種を植えていく。大変な作業でも、完成をイメージするととたんに楽しみの方が大きくなってくるから不思議だ。
実はプリズムリバー邸は過去に綺麗な庭を持っていたことがあった。
それは、レイラが一人で飾っていたもの。ちょっとした水遣りくらいなら手伝ったことはあるのだが、基本的にはレイラが毎日こまめに手入れをしていたのを覚えている。それは本当に、小さいながらも綺麗な庭だった。
よくレイラはそこで私達の演奏に合わせて綺麗な声で歌いながら踊ったものだ。とても嬉しそうに歌っていた。とても楽しそうに踊っていた。
また、あのような庭になるように願いをこめて植えていく。
三人全員の作業が終わると私達はちょっと遅めの夕食をとった。
今日の料理は焼き魚。私が疲れていたということもあって、少々サボらせてもらった。
魚が焼きあがったのを確認して、ご飯を盛る。そのとき、私は今まで忘れていたことを思い出した。
「そういえば二人昼飯はどうした?」
二人に家事の能力などほとんど無い。昼過ぎまで私は出かけていたから、当然腹を空かしてのた打ち回っているものだと思っていた。しかし実際は帰ってきたらぴんぴんしていたのを覚えている。まるで何事も無かったかのように。
「んーとね、作ったよ。味噌汁。それをご飯にかけて食べました」
「メル姉、あと私の作った卵焼きもあったでしょ」
「あぁ、あの不味かったやつね。あったあった」
これは驚いた。まさか二人だけで出来るとは思わなかった。今思えば、食器だって洗われている。なんだ、ちゃんと自分達で生活出来るんじゃないか。
私はちょっと嬉しかった。
翌朝目を覚ますと、強い気配が庭を去っていくのを感じ取った。
何事かと思い急いで外に出てみると、庭一面の花という花が咲き乱れている。冬だというのに、それはそれは綺麗な庭になっていた。地面は花畑のように花が敷き詰められ、柵やアーケードにも絡まった植物から綺麗な花が咲いている。
しかし何でこんなことになっているのだろう。そんなことを考えながら家に戻ろうとすると、家の扉に「少しの時間だけよ」と文字の書かれた張り紙が張ってあった。あの花の妖怪が来てくれたのかと、納得する。もうどんなに気配を探しても見つけられないくらい遠くに行ってしまったようなので、後日改めてお礼に向かうことにした。
私は思い立って急いで部屋に戻り、ヴァイオリンを手に取る。そして急いで庭へと出て行った。永遠亭のように整った美しさではないけれど、紅魔館のように壮大な美しさではないけれど、白玉楼のように静かに美しいというわけでも無いけれど。どれかといったら、地霊殿のような雑多な美しさなのだけれども、それでも前と比べると生まれ変わったこの庭で思い浮かべる光景は一つしかない。
よくレイラは綺麗だったこの庭で、演奏に合わせて歌いながら踊っていた。
今までレイラの幻影が現れては怖がって逃げていたけど、今度はそのレイラのために演奏しよう。もうここには居ないのだけれど、レイラが歌って踊れるように。
幽々子と妖夢の言葉を思い出す。私は、私からレイラのために何をするのかを決めた。レイラのためにヴァイオリンを弾こう。鎮魂歌を弾くのではなく、悲しみを曲にするのでは無く、楽しく歌って踊れるような曲を弾こう。あの美しい声を思い出しながら、あの優美な踊りを思い浮かべながら曲を演奏しようと思う。
紅魔の吸血鬼は音楽にはベクトルが存在すると言った。誰に向けられた曲かが重要であると。私は今までちゃんとそれを意識していたつもりでいたけれど、最近ではそれがぶれていたのかもしれない。今は、レイラにそのベクトルを向けよう。
ヴァイオリンに弓をかける。ゆっくりと弦を引いていく。少し演奏していると、やっとのことでレイラが現れた。今目の前にいるレイラは、ただの私のイメージではなくて、音から創られたイメージ。この音を聞いた人がそこに居ると考えれば、レイラはそこに居る。
暫くは聞いているだけだったレイラも、立ち上がり、声を上げ、踊りだし始める。ゆったりとした曲に美しい声を乗せて、小さくて綺麗な庭をくるくると回る。
美しくて、どこまでも届きそうな歌声を私に聞かせてくれる。私はそれを聞いて曲を紡いでいく。ヴァイオリンを演奏しているのに、聞こえない歌声が聞こえてくるというのは変な表現だけど、今の私にはレイラが嬉しそうに歌っているのが分かる。
気分が晴れていく。今までどんよりしていた何かが急に晴れた気分だった。
暫く演奏をしていると、家の中からメルランとリリカが出てきた。起きて庭からの音を聞いたのだろう、二人の手は各々の最も得意とする楽器を持っていた。
ヴァイオリンと歌声だけだった音楽が、厚みを増して賑やかで私達らしいコンチェルトになる。
あぁ、昔の風景のままだなと思う。私達が演奏して、レイラが庭の真ん中で歌って踊る。今が冬だということを忘れてしまうくらい綺麗なこの庭で、今まさに同じ光景が繰り広げられていた。それを懐かしく思う。
妹達は今何を思って演奏しているだろう。私はさとりさんの様に心は読めないけれど、多分同じようなことを考えているのではないか。
妖夢に見せてあげたかった。これが私の出した答えだということを。
私が初めてレイラと正面から向き合ったのは、彼女が死んで数年後の今だった。初めて自分からレイラのために起こした行動は、何てことは無い、ただの演奏だった。いつも通り弾いている様にも感じる。ただ、そのベクトルがレイラに向けられているというだけで、音から浮かび上がるレイラは、どこまでも嬉しそうに歌い、どこまでも楽しそうにくるくると踊るのだった。
雪の降る寒い朝、射命丸はその身を震わせながら自身の発行する新聞のネタを捜すため飛び回っていた。
ある森を通過しようとしたとき、何やら楽しげな音楽が耳に入ってくる。この音はプリズムリバー姉妹のものだとすぐに思い立った射命丸は、ネタが無いなら練習風景のインタビューにすればいいと思い音のする方へと急いだ。
プリズムリバー邸の上まで来た彼女は大層驚いたと言う。あたり一面見回せば見回す程雪だというのに、プリズムリバー邸の庭だけは季節はずれの花が咲き乱れていたのだ。射命丸は首をかしげる。記憶が正しければここの庭は荒れ果ててまさに幽霊屋敷そのものの様ではなかったかと。
目を凝らせば庭でいつもの三姉妹が楽しげに演奏している。スローなテンポの優雅な音楽。暫く聞き入っていると、不思議と声も入ってきた。誰かが歌っている。また夜雀がプリズムリバーのライブに参加するその練習かと一瞬思ったが、どうも彼女よりは幾分か声が大人びている。とても、透明感のある優しい声。
声の主は何処かと、目を凝らす。するとさっきまでは三人しか居なかったと思った庭に、もう一人影があるではないか。可愛らしい女の子がプリズムリバー姉妹に囲まれて嬉しそうに歌い、楽しそうにくるくると踊っている。声は彼女から出ているものだった。
次のライブのヴォーカルはその女の子がやると思った射命丸は、これは大スクープと思い写真を撮った。
急いで家へと戻り新聞を作り、幻想郷中に配る。最速を名乗るだけあって、仕事も速い。
記事の内容はこうだった。
「プリズムリバーライブ、次回のヴォーカルは美人少女?」
撮った写真を大きく飾り、透き通った声の少女のこと、季節はずれの花のことを詳しく書いた。
その翌日、幻想郷の人妖は射命丸の書く新聞はやっぱり嘘ばっかりだと悪態をついていた。興味を持ってプリズムリバー邸に行ってみた人妖は皆口を揃えてこういう。
「確かに庭は綺麗に手入れされていたが、あの写真のような花など咲いていない。合成だろう」
さらに決定的だったのが、そもそも写真にもう一人の少女など写っていなかったのだった。
射命丸は不思議に思う。写真には写っていないが、確かに私は見たのだと主張したが、部下である椛にまで疲れていたのではと言われてしまう始末。
そんな新聞を見て、優しい笑顔を浮かべる家もあった。プリズムリバー姉妹である。
「写真を介してじゃ、音なんて伝わらないから見えるわけ無いのに」
タイトルも別に紛らわしくないですよw
モーリス・ラヴェル?の亡き王女のためのパヴァーヌ、これっぽいなーとは思いましたが。
セプテットもこれがモチーフらしいので気にしなくてもいいと思いますw
三人のメロディーによって形作られる歌姫――感動しました。
ラヴェルの曲はどれも素晴らしい曲です。ピアノ曲が多いですが、管弦も名曲ばっかりです。ほとんどの題名がラヴェルをモチーフにした曲になっております。
>13様
ルナ姉は私も愛しております。この愛は譲れません。
>17様
大切なものが無くなってしまったとき、それは物だったり、人だったり、趣味だったり。それらを思い出しては涙腺が震えてくる。ルナ姉にとってそれはレイラだったようです。
>ずわいがに様
例えば原曲をとっても、もしミスチーが歌姫だったらと、考えると楽しそうな曲ですね。
この話のようにレイラが歌っているところを想像しながら聞いてみると、何だか悲しい曲に聞こえてしまいます。
この姉妹には本当は楽しくあって欲しいのですがね……。
その上で物語がどんどん押されていくような感覚。なんというか、駆け足気味な気がします。もっと間に一拍一拍休符を置くような感じで、余韻を味わいたかったです。
しかし、全体の落ち着いた雰囲気は好みです。文章自体がルナサ本人を表しているような印象。オチも綺麗に締まっていて、長編に相応しい一文だな、と思えました。
プリリバはヴォーカルがないんですね
そして、レイラの生んだ3姉妹がレイラの歌を生むのか…
姉の見えないところで行動し、成長してる妹たちもよかったです
本当に嬉しかったです。ありがとうございます。
>22様
成る程。確かに書いていて常に終わりを意識してしまっていました。多分、その辺りが走ってしまった原因かと思います。コメントでこういうのがもらえるのも、とてもありがたいです。今後も何かあったらどんどん言ってくださると助かります。フリーレスでも構わないので、教えてください。
いつか100点を入れたくなるような作品を作れるように頑張りますので。
褒めていただくのもとっても嬉しいです。ありがとうございます。
>23
レイラは姉妹の中では歌姫だと思います。ちょっと可愛いドレスを着て、両手を広げて好きな歌を歌ったんだと思います。
多分ですが、歌が好きだったからこそ、ルナサ達を生み出したのかと。そういう自己解釈です。
ありがとうございました。