注意点
この作品は「幸せは灯台下暗し」の結末部分とそれに至るまでを変えてみたものです。
よって読んでない方にはよくわからない内容となっておりますのでお時間が許すのであれば先にそちらをお読みください。
あと、多少グロ要素もございますので注意してください。
開始地点は「幸せは灯台下暗し」で「お燐がさとりからこいしのことを聞き出した後、実際に捜しに出る前」の間です。
「おかえりなさい、あなた」
「ただいま、おまえ」
「ごはんにする?おふろにする?それともわたし?」
虫たちが待ってましたと言わんばかりに土から、空から這い回り飛び回る。
気温が高くって汗をかいて気持ち悪い、でもそんな不快感を吹き飛ばすように時折吹き抜ける風が心地よい季節。
私は人間の子供たちとおままごとっていう遊びをしている。
といっても私はペットの役をもらってから一向に出番がなくて見てるだけなんだけど。
「うん、うまい!おまえのりょうりをたべるためにまいにちがんばってるようなものだよ」
「まあ、そんな」
照れくさいのか子供達の頬は少し赤く染まっているけどちゃんと役を演じている。
いまいち私には何をしているのか分からないんだけど、どうもこの子達は自分たちのお家を再現しているみたい。
……お家、かあ。
昔はお姉ちゃんと住んでたんだけど、今はとある事情で離れてる私にとって家があったころの生活なんてもうとっくに忘れちゃっていた。
少なくともこんな会話はしてなかったと思うけど。
人間はおもしろい。
私達妖怪には理解不能な感情や行動を起こすことがあって、それは時折力の弱い人間が妖怪を退治してしまう程になる。
私は彼らのそんなところに惹かれていた。
過去形なのは今の私はそう思っていないから。
いや、もしかしたら今もまだ思っているのかもしれない。
私にもわからない私の感情、無意識。
そう、私は覚り妖怪の象徴である第三の眼を閉ざしちゃって無意識に私のほとんどを支配されている。
だから他人どころか自分の心すらうまく読み解けなくなっちゃった。
でも無意識に人間の子供たちと接してるところを見るとやっぱりまだ好きなのかも。
子供たちと遊んで、子供たちを通して大人のことを聞いて。
そういう時私は何となく胸が躍るような、体が熱くなるような感じがする。
たぶん、私は彼らの、私たちにはない一挙一動が楽しいと感じているのだろう。
だからいまだに私は彼らから離れていないのかもしれない。
そういえば前回この子たちとこの遊びをしたときの場面も面白かった。
この子たちの親が……えっと、なんだっけ?
あ、そうだ! ぷろぽーず、だ!
どうやら人間たちは好きになった人と共になるときぷろぽーずという行動に出るらしい。
覚り妖怪(厳密には元)の私にはそんなことしなくても勝手に相手に好意が伝わるから珍しくて頭に残ってた。
(きみさえいればぼくはほかになにもいらない。だから、ぼくとけっこんしてください!)
(わ、わたしも、あなたがいればなによりもしあわせです。こちらこそ、よろしくおねがいします!)
……確かこんな感じだったかな。
「あ、もうこんなじかん。そろそろかえらないと」
「ほんとだ、それじゃまたあした」
「うん、またあした」
いつの間にか透き通るような青から真逆の赤に衣替えをした空を見上げて、子供たちは荷物を手早く片付け互いに手を振りあって帰っていった。
どうやら私は思った以上に長い時間自分の世界に居座ってしまっていたらしい。
そして同時に、私はこちらの世界では誰にも意識されなかったらしい。
まあ、いつものことだけども。
もうすでに影すら見えなくなった子供たちはこれから家にいる親と今日のことについて話でもするのだろうか。
……私はどうしよっかな。
今日は雨も降ってないし適当でいっか。
数少ない意識でそう判断すると、私は立ち上がって空を見上げた。
立ち上がった私に夏の、火照った体を冷ます冷たい風が吹き抜けた。
頬を伝う汗がぽたりと落ち、風によって自由を得たように私の髪が思い切りなびいた。
「気持ちいい」
何となく、そう呟いてみた。
実際に思ったわけじゃなくて、なんとなく今この場にはこの言葉が合う、そう思ったから。
そういえば昔お姉ちゃんと暮らしていた時もこんなふうに自然の心地よさを感じてたなあ。
お姉ちゃん。名前は古明地さとり。
その名の通り覚り妖怪で、いろんな妖怪や人間から嫌われている。
私はあることがきっかけで第三の眼を閉ざしちゃったけど。
あることって?
……なんだっけ。
うそうそ、ちゃんと覚えてるよ。
あんなことしたんだもん。忘れるわけないよ。
私が、過去の記憶も様々な感情も忘れてしまった私が唯一忘れない出来事。
私の最も大きな罪。
大好きなお姉ちゃんを傷つけたことなんだから。
それがあって今も私はお姉ちゃんに会わないようにしてる。
お姉ちゃんから私が完全に消えることを願いながら毎日を過ごしている。
……まあ、それは今はいいや。
今はまた私の足が無意識に地霊殿に向かってしまう前に今日の寝床を決めないと。
私はその日暮らす場所を決めておかないと無意識にお姉ちゃんのいる地霊殿に足が向いてしまう。
なんでかは分かんない。
私が意識的にお姉ちゃんから遠ざかろうとしてるのに、なぜか私の無意識はお姉ちゃんへと向かってしまう。
あ、そうだ! 今日はこのことについて考えてみよう。
ちょうど適当にぶらぶらしてたらいい感じの大きな木があったからもう今日の寝床については考えなくてよくなったことだし。
寝るまでの暇つぶしにはきっとちょうどいいよね。
「……あ、朝だ」
瞼の裏に陽の明るさを、徐々に私の体を取り巻く気温が上がり始めていることを感じて私は目が覚めた。
私を一晩優しく受け止めてくれていた草花たちから体を離し、ん~、と体を伸ばす。
ぱき、ぽき、と子気味の良い音を耳にしながら私の頭は覚醒していった。
「え~と、昨日は何をしてたんだっけ」
少しの思案の後思い出したのは、寝るまでの間にまとめようとしていた私の無意識の行動の意味だった。
結論から言えば、私にとって寝る前に考え事をするという行為はただ気持ちよく睡眠導入するに過ぎないということだけだった。
う~ん。まさかここまで何も考えられずに寝てしまうなんて。
道理で今日は調子がいいわけだ。
「今日は何しよっかな」
起こした体を再び草花たちに押し付け、木に隠れそのほとんどが見えない空を見上げながら独りごちた。
私の一日はその日何をするのかを決めることから始まる。
特に目的意識をもって日々を生きてるわけじゃないから「何かをする」っていうのをちゃんと決めないと自分でもどこに行くのか分からなくなってしまう。
一度寝不足気味で何も考えずにいたら、気付いた時には雲の上で桃をかじってたりしてたからなあ。
その後桃を付けた不思議な帽子をかぶったおねーさんと遊んでから地上に戻ったんだけどさすがにあの時はちょっとびっくりした。
「う~ん、何にも思いつかないなあ」
数日前か、数ヵ月前かわからない記憶を呼び覚ましつつ考えていた私は結局何も思いつかなくて、ごろん、と寝返りを打った。
顔の右半分が草に覆われ、少しくすぐったかった。
こんな日も別段珍しいということはない。
いつもなんとなくふらふらして、誰かと遊んで、それでまたふらふらとする。
そんな感じで狭い幻想郷を軽く数十週を超える回数周った私にとってもはや今さら何か真新しいものなんてなかなか見つからなかったのだ。
自然の香り、少し鼻に来るけど嫌な感じはしない、むしろどこか優しさを感じる香りに包まれて、覚めたばかりだというのに私の瞼が閉じ始めた。
今日はもうこのまま寝て過ごしちゃおうかなあ。
なんて考えが頭を飛び回って意識が支配されそうになった。
けれど、私は今まさに眠らんとしている中、一つ思い出したことがあった。
……なんでこう、眠たいときとか水浴びしてるときとか、そういう時に限って何か思いついたりするんだろう。
とにかく、私はこういう時「あとで思い出せばいいや」と思い後回しにしたときにおこる結果を知っていた。
だから無理やり体を起こし何とかもう一度頭を覚醒させる。
今思い浮かんだこと―――無意識の行動―――についての手がかりを忘れないよう頭の隅っこにひっかけながら。
あれはいつだったかな。
少し前のようなかなり前のような、そんなあいまいな記憶を思い出そうとしていた。
内容は「無意識」について。
私は以前、どこかで「無意識は本能と似ている」っていう話を聞いたことがあった。
その時は特に何も思わなかったんだろうけど、よく考えれば私ってよく無意識に行動してることが多い。
そもそも人間と遊んでるのだってほとんど無意識で、気付いたらいつの間にか仲間に加わってた、なんてことがよくある。
ということは私が勝手に動いてるときっていうのは本能的に私がしたいと願っていることってことになるのかな。
私はこの瞳が開いていた時は確かいろんな動物が大好きでいつも一緒に遊んでいたはず。
その好きの中には昨日思っていた通り人間も入っていたんだけど、当時の私は嫌われ者だったから一緒にいられなかった。
だから今の私が無意識に子供たちと遊んでいる、というのは理解できた。
じゃあ私がお姉ちゃんの屋敷に行こうとしてしまうあの現象は?
私が本能的にお姉ちゃんに会いたいって思ってるってこと?
でも、なんでだろう?
私は私の罪の償いのため、お姉ちゃんを救うために会わないように決めた。
それに後悔なんてなく、むしろ生きる目的のなくなった私にとっては心の支えにさえなっていることだ。
私が我慢すればお姉ちゃんを救えるんだって……?
我慢? 私、我慢をしてるの?
お姉ちゃんに会えないことは私にとって苦痛だったの?
あれ? 私、自分の考えてることがわかんなくなってきちゃった。
……ちょ、ちょっと落ち着こうか私。
いっぺんにいろんなことを考えるから頭がこんがらがってきたんだ。
ちょうどいい機会だし、今までのことを最初から考え直してよう。
と、思い至ったところですでにかなり高い位置まで昇ってきたいた太陽が私の、すでに知恵熱が出てあたたまった頭をさらに熱くしようと企ててきたから、私はコソコソと木陰に避難した。
「上手に焼けましたー」とどこかから聞こえてきそうなほど暑い太陽光線から逃れて私は今までの私をまとめてみる。
今までお姉ちゃんに会いにいかないようにしていたことに私は一抹の希望を持っていたはず。
お姉ちゃんに抱えさせてしまったトラウマを消せるんだって、そう考えてたのに間違いはない。
うん、確かにそうだ。
じゃあ私はお姉ちゃんに会えないことを苦痛、不満を抱いているの?
……私はお姉ちゃんが大好きなんだ。
少なくとも瞳を閉じるまでは。
だからこそ私はお姉ちゃんに幸せになってもらいたかった。
私が奪った幸せを、何とか取り戻せるようにと思って。
でも、大好きだからこそ私はお姉ちゃんと離れることが苦痛になっている……のかもしれない。
実際そうなのか、心を閉ざしてしまった私には分かりかねていた。
でも、違うのだとしたらこの胸のもやもやがすっきりしない。
でも、会いに行ってお姉ちゃんにばれたら困るし。
……だめだ、分かんない。
いつの間にか空で燃える星がまた私の肌を黒く染めるために傾きだしていた。
どの季節、時間帯よりも殺人的な日差しを木を身代わりにして逃れて、青々とした草花たちの上に全身を預ける。
結局今日はずっと考え事して終わっちゃった。
しかもうまくまとまらなかったし。
これからどうしよっかなあ。
この胸のもやもやを抱えたままで今まで通り過ごせるとは思えない。
下手したら今日あれこれ考えたせいで明日私は地霊殿に行ってしまっているかもしれない。
……でも、それもいいかもしれない。
私は心を閉ざしたからお姉ちゃんですら私の心を読むことはできないし、無意識の私を見つけられる人なんてめったにいない。
だからお姉ちゃんにすらばれずに地霊殿に入り込むことだってできる。
でも、お姉ちゃんが好きなのであろう私ははたしてお姉ちゃんに会っても大丈夫かな?
さすがの私でも他人と物理的干渉をしてしまうと存在を気取られてしまう。
ましてお姉ちゃんは勘も鋭いから、私が下手なことしてしまうとばれる恐れがかなり高い。
でも今のこのもやもやしてる状態だとそのうち私は勝手に行ってしまうだろうし。
……あーもう! めんどくさい!
こんなにあれこれ考えたって結局何も進んでないじゃんか!
考えがまとまらず、矛先のないイライラをとりあえず近くにあった草を思い切り引き抜くことで発散して、結論を出した。
どれだけ考えてもまとまらないなら、会いに行ってみよう、と。
油断しなければばれることなんてないのだし、一度会えばこのもやもやもすっきりすると思うし。
根拠なんて全くないけど。
まあいいや。
そうと決まったら今日はさっさと寝て明日に備えよう。
空には勤めを全うした太陽が消え、代わりにきれいな青白い光を放つお月様と、小さく輝くお星さまがたくさん散りばめられていた。
少し明るすぎて寝づらいけど、明日を思って無理やりに寝ることにした。
この光が私の迷いを照らす光になってくれたらいいけど。
なんて、どこかから聞いたような言葉を思い浮かべながら私は眠りの世界へと足を向けた。
「ほえ~。相変わらずでっかいなあ」
今朝、私はいまいち覚醒しきらない頭を振り上げて地底に降りてきた。
何となく記憶にあった地霊殿までの道のりを、多少迷いながらもこの馬鹿でかい建物を見つけてここまで来れたのがお昼前。
地底には地上のように風が吹き抜けることも、太陽が明るく照らすこともなく、だからお昼前ってのも実際そうかはちょっとわかんないけど別に重要でもないからいいや。
太陽のないこの地底は決して真っ暗というわけじゃないけど、薄暗い明かりーーーちょうど夜寝る前にオレンジ色の明かりの電気を付けたみたいなーーーそんな光が旧都のあたりには途切れることなく付いてるだけ。
地霊殿もその例にもれず薄暗い、というわけではなく、灼熱地獄跡の熱エネルギーを利用しているのか旧都に比べれば格段に明るい。
ただ光が灯っている場所は点々としているのか、私の身長ほどもある窓ガラスから漏れる光の数はそこまで多くなかった。
「こんな中からお姉ちゃんを捜すのか……」
そう考えるとため息が漏れるのも仕方ないと思う。
多分光がついている部屋が今使われてる部屋ってことだろうから、そこだけ探せばいいと予想できるだけまだまし……かなぁ?
まあ考えていても仕方ないし、せっかくここまで来たのだから目的を果たしておかないと。
何とか前向きに考えて私は足を地霊殿に向けた。
「お邪魔しま~す」
誰に言うでもなく、誰に聞こえるでもなく、私はそう言いながら扉を開け中に入った。
地霊殿は、濃い赤紫色と黒色のタイル、カラス柄のステンドグラスが張り巡らされた床に、藤色の壁といった暗めで落ち着いた色合いで、お姉ちゃんの住む館としては抜群な相性をしている。
「ほんと、お姉ちゃんの為に建てられたみたいだなあ」
侵入しているというのに何とものんきな感想が私の口を衝いていた。
幸いなことにエントランスには今は誰もいないらしく、喧噪はもっとどこか遠くで聞こえてくるから誰かに聞かれたということもないだろう。
聞かれたって誰も気に留められないだろうけどね。
さて、こんなところで足を止めてたってしょうがない。
外から見た館の様子を思い出しながら私は歩みを進めることにした。
確か光ってたのは右側が多かったはずだから、と頭の中の地霊殿を眺めながら何匹かの動物たちとすれ違って、いくつかのドアを開けた。
でもそこに私の目当てはなく、そこにもまた何匹かの動物がいたり無人だったりしていただけだった。
そうして十個ぐらいの部屋を開けては閉じて、すれ違う動物を避けて地霊殿内を歩くこと十数分。
ひたすら右に向かって歩いていた私の足が止まった。
特別理由はなく、ただ壁にぶち当たったから。
「あれ~? もう行き止まり?」
はあ~、とため息一つ吐いて今度は左側へとくるっと回れ右……した私は何か違和感を感じた。
感じたのは突き当りの右側にある壁。
地霊殿のドアは木でできた模様のない、いわゆる普通のドアが等間隔に並べられていた。
そして、私が見た最後のドアからこの壁までの間はドアがあるはずの間隔だった。
でもここには壁しかない。
他と同じ藤色の壁が。
突き当りだから部屋を作らなかった。
その可能性だってもちろんある。
でも疑いかかってよく見てみると、少しだけこの壁の色は他よりも濃いような気がした。
まるでここだけ後で塗りなおした……そんな感じ。
気になりだすと止まらないのは人間も妖怪も同じなのかな、なんて思いながらその壁を軽く押してみた。
ぎぃっ、とここに来てから何回も聞いた、ドアのきしむ音が聞こえた。
今度はもうちょっと強く押してみた。
みしみしっ、と周りの壁からはがれるような音が聞こえた。
今度は助走たっぷり思いっきり体当たりしてみた……ていうのはさすがに冗談だけどもう少し力を入れて押してみた。
すると、さっきまで壁だったその部分がまるで壊れたブリキ人形のように音を立てて内側に動き出し、壁からドアへと役割を変えていた。
「……何があるんだろう?」
もやはお姉ちゃんとは関わりなさそうなことだけど、今の私にはこっちの方が気になっていた。
だから、ドアが開いたその瞬間、猫の鳴き声とともに走り去っていく人影には全く気付くことができなかった。
「お、お邪魔しま~す」
胸のどきどきを感じながら部屋の中に入った私を迎えたのは、さっき感じたような違和感と、何かよくわからない感情だった。
まず、違和感ってのはこの部屋が今まで見てきたどの部屋とも似つかわしくない、という点。
他の部屋は床には薄赤紫の色をしたカーペットが敷かれていて、壁も藤色といった館のイメージのそれと同じものだった。
置かれている物もどこか暗く、落ち着くような色合いの机やベッドとかがほとんどだった。
でも今私の目の前に広がっているこの光景はそれとは正反対で、カーペットは薄い黄色と緑のストライプ、壁は桜色をしていてとても地霊殿の部屋の一つだとは思えない。
置かれている家具をとってもそれは同じことで、ベッドに掛けられている布団は薄い緑色、枕は桜色といった風にどこを見ても明るいイメージを見せていた。
そして一番私が目についたのは箪笥の上や机の周りなんかに置かれている動物のぬいぐるみたちだった。
他の部屋には当然なかったこの異質な物たちに私は何か違和感以上のものを感じていた。
「薄赤紫のカーペットに桜色のベッドに緑の毛布。猫に犬、トラにライオン、ゾウやキリンのぬいぐるみ。これって……」
「誰もいないようだけど。本当に見たの、お燐?」
「えっ!!!?」
慌てて手に持ってた猫のぬいぐるみを元の場所に戻して声のした方へと視線を向けると、そこには一番会いたかったけど会いたくなかった人が部屋の入り口に入ってきていた。
「あたいは嘘なんかついてませんよさとり様。本当に何かがここの壁を壊してたんですって!」
「まあ、そうですよね」
とっさに上げてしまった声には気付かれなかったようで少しだけ安心できたけど、状況は一向に良くなってない。
最初に入ってきた人はすでに部屋の中心まで来てしまっているし、後の人は入り口で待機してるせいで出ようにも出られない。
そしてそれ以上に不味いことにいま私のすぐ近くにいる人を私は知っている。
薄い紫色のちょっとぼさっとした髪、私と似たような背丈で、美人とも幼さの残るかわいらしさとも取れる綺麗に整った顔立ち。
私が今まで一度も忘れたことのなかった、自慢の、私のお姉ちゃん、古明地さとりだった。
ここにきて意図せず目的を果たせてしまった私だけど、今はそんなことどうだっていい。
「しかしこの部屋に誰もいないことは確かですしここに来るまでにすれ違った子たちも怪しい人物を見ていなかったんですよね」
胸元の第三の眼を両手で包み込むようにしながら入り口にいる赤髪の少女―――お燐と呼ばれていた―――に見せるお姉ちゃん。
「でも、あなたが嘘をついていないということも私にはわかっている……どういうことでしょうね?」
「あたいには分かりかねますが、さとり様の能力外の妖怪がいるとかですかね?」
「そんな妖怪聞いたことも見たこともありませんけどね……ただ一人を除いて」
「……ああ、そうですね」
お姉ちゃんたちは勝手な推測を話し出していくけれど私はそっちに意識を向けられるような状態じゃなかった。
私の想いはお姉ちゃんに会ってみればすっきりする、なんてそんな甘くはなかった。
むしろ真逆で、お姉ちゃんに会ってしまったばっかりに私は今「お姉ちゃんに思いっきり抱き付いて頭をなでなでしてほしい!」という欲望と必死な攻防戦を開始するしかなかった。
一刻も早くここから離れないと、でも入り口はお燐が邪魔で通れない。
ああ、ほんと、なんで私はここに来ちゃったのかなあ。
「う~ん。分かりませんね。果たして誰がどのように……」
お姉ちゃんは部屋の中をぐるっと一周してまた中央に戻ってきた。
うぅ……お姉ちゃんが動くたびに揺れ動く髪とそれに従い香るいい匂いが私の鼻と欲望を刺激する!
ふと目を向けるとそこにはお姉ちゃんの体を抱きしめようとという浅ましい想いに突き動かされた哀れな右腕があった。
私は何とか強固な意志をもって私の両腕を第三の眼のコードをぐるぐるに巻き付けてなんとか抑えた。
多少腕が痛いけどこの際そんなことはどうだっていい。
逆に痛みで少し頭が冷えてきた。
「あ、あのさとり様。聞いてもいいでしょうか」
「なにを……ああ、やっぱり気になりますか」
お燐が言いづらそうに、遠回しにした質問をお姉ちゃんは読み取って応答する。
この娘はどうやらお姉ちゃんに対して恐怖心や嫌悪感なんかは持っていないみたい。
頭の猫耳に二又の尻尾から多分この娘はもともと動物だったころにお姉ちゃんに拾われて、それから猫又か何かに妖怪化したってところかな。
全ての人妖に嫌われる覚り妖怪でも動物だけは好いてくれるから。
「す、すいません! その、だめでしたら無理には……」
「謝ることないわ。この状況なら気にならない方がおかしいもの」
お燐の必死の謝罪にも先に心を読んでていたお姉ちゃんは怯むことなく話を続けた。
両腕がまだ痛い。まだ意識は冷静でいられている。
このまま隙を見て部屋から出ないと!
私は決意を新たにし部屋の出入り口近くで待機しようと動き出した。
「この部屋は……私の妹、古明地こいしの部屋よ」
「へ?」
ぐるっと一瞬のうちに視線が私の方に集まる。
慌てて口をふさいでも時すでに遅し。お姉ちゃんたちは訝しげな表情でこちらを窺っていた。
「……今何か言った、お燐?」
「いえ、何も……」
その後二人がまた話し出すまでこの小さな部屋に、重苦しい沈黙がながれた。
その間に二人の視線に耐えられなくなった私は逃れるように反対側へと移動した。
何が決意新たに、よ。お姉ちゃんの一言で思いっきり揺らいじゃったじゃない!
声に出さず愚痴り、何とか冷静さを取り戻そうと努めた。
「気のせいかしら? ……ああ、この部屋の話でしたね」
「え、ええそうです」
そうして流れた時間は十秒か十分か十時間か。
私には時間の感覚がわからなくなるぐらいの苦しい時間が過ぎてから、お姉ちゃんたちはまた話し始めた。
私の心臓はまだバクバクと大きな音を立てている。
もしかしたらこの音で気づかれるんじゃないかな、なんて疑ってしまうほどに大きく。
いっそこの心臓がそのまま破裂してしまえばいいのに。このまま脱出もできずいつばれるともしれない空間にいるよりはそっちの方が……
そんな馬鹿な考えが頭をよぎるほど私には余裕がなかった。
「こいしの部屋といってもこいしがこの部屋にいるのかと言われれば当然そうではないわ。ここは、もともと地上で住んでいたとき……こいしと一緒だったときのこいしの部屋を再現しているだけなの」
ああやっぱり。
私がこの部屋にきて感じたもう一つの感情。それが何なのかはっきりとした。
既視感、というか安心感かな。とにかくこの部屋はそれを感じさせていた。
カーペットにベッドの布団、壁の色やぬいぐるみたちはみんな私が地上でお姉ちゃんから与えられていた、お気に入りの物たちだった。
あ、あとごめんお姉ちゃん。今私この部屋にいるよ。気付かれたら困るから言わないけど。
「ではこの部屋はすべてさとり様一人で作ったということですか? 全然気づきませんでしたけど」
「あなたが最初地霊殿に来たとき窓ガラスを割ったでしょ? あれの修理の時についでにこの部屋の仕掛けも頼んだのよ。その時から作り出したから、あなたがまだ人化するほどの力もなかった頃の話だし気付かなくて当然よ」
「あ、あはは。そうなんですか」
居心地悪そうに指で頬をかきながら目をそらして乾いた笑みを浮かべるお燐。
まるで思い出したくなかった過去を思い出してしまった、そんな感じの反応だ。
ていうかその通りなんだろうけど。
「そ、それにしてもこんなかわいいものがよく旧都に売ってましたね。それにずいぶんきれいな仕上がで作り手の愛情が伝わってくるというか」
照れ隠しの為に、お燐が近くにあった犬のぬいぐるみを持ち上げて言った。
「……それ、私の手作りよ」
「え? これさとり様が作ったんですか!?」
少し照れたように頬を薄く赤に染めるお姉ちゃん。
かわいい。
さっきお燐がやったように、いやそれ以上露骨に顔自体を背けてしまって照れた顔を隠そうとするお姉ちゃん。
でもそこまで広くない部屋だからそっぽを向いた程度じゃほとんど意味がなく、火照った頬がちらりとこちらを覗かせている。
そもそもそっぽを向いたことで、こちらに正面を向ける形になってしまったかわいらしいお耳が赤く染まってる時点で丸解りだ。
うん、かわいい。
大事なことだから二回言った。
……あ、そういえばいま脱出のチャンスなんじゃ。
でも、かわいいお姉ちゃんをもっと堪能したいっていう気持ちが邪魔をしてくる。
具体的には、お姉ちゃんの両腕を私のサードアイのコードで頭の後ろに縛ってそれからお姉ちゃんの脇、鎖骨、首筋、耳、顔、といったところを余すことなくペロペロしたい!
とか考えてるうちにいつの間にか自由になってしまっていた私の腕とサードアイのコードがお姉ちゃんを捕まえようと画策していた。
ぎりぎり、本当あと数センチぐらいってところで何とか私の理性が勝利してくれたおかげでまた私の腕は縛られてしまった。
やばい。そろそろ本格的に逃げ出さないとほんとやばい。
棒のように動こうとしない足をなんとか進ませようと悪戦苦闘している内にも話は進む。
「どうりで見覚えがないと」
持っていたぬいぐるみを元の位置に戻し、お燐はお姉ちゃんに向かい合った。
「それで、えーと……あー」
頭を無造作にかいて気を紛らわし気まずそうにしていたお燐だけど、お姉ちゃんの第三の眼と目が合ったとき観念したようにため息をついた。
「大丈夫よお燐。むしろここまで話しておいて最後まで言えないという方がつらいもの」
お姉ちゃんはまだ少し赤い顔、でもさっきまでのようなあどけないかわいらしさはもうその表情にはなくいたって冷静ないつものお姉ちゃんの顔でお燐に向き合った。
「えっと、それじゃあ遠慮なく。この部屋は何のために作ったのですか?」
重たい足を縛り上げた腕も使って一歩、また一歩と進み、扉まであと二、三歩といったところでまた私は足を止めた。
お姉ちゃんは少し考え込むように黙りこくり、そして話し出した。
「ここは私がこいしに会いたいという許されない欲望に支配されたとき、それを仮に満たす為に創られた部屋です」
お燐はお姉ちゃんの方へ移動しお姉ちゃんは動いてない。
今なら簡単に逃げ出せる。のに、私の足は今度こそ棒に変貌してしまった。
「あなたにはこいしのことを話したわよね。なら、こいしがなぜいなくなって、私の前に今も現れてくれないかも知ってるわよね」
「こいし様の前で人間を殺し、それを許されていないから……ですか」
「そうね、確認は取れないけれどきっとあってるわ。いくら捜してもあの娘は出てきてくれなかった。それは仕方のないことだと理解しているけど、それでも私はこいしが居ないとだめなのよ。あなたが言い当てたようにね」
今私の胸を、どんな時よりも――さっきお姉ちゃんたちにばれそうになった時よりも――ドクン、ドクン、と高鳴らせるこの感情はいったい何だというのだろう。
瞳を閉ざしたから分からないのかな。いや、違う気がする。こんないろいろな激情が混ざり合った複雑怪奇なもの、私は知らない。なんとなくそう確信させられた。
「だからこの部屋を創った。こいしを感じる為に。こいしの怒りを踏みにじる浅ましい考えだとはわかっていても止められなかった」
「この部屋の存在を隠していた理由は二つあるわ。一つが単純に恥ずかしかったから。こんな私の一番の弱みを誰かに見せるということが……」
「そのもう一つの理由がさとり様をひどく傷つけるものなんですか」
少し黙ってしまったお姉ちゃんを促すようにお燐が言った。
もう私の腕には何にも縛られていない。もう、それどころではなくなっていた。
「あなたは本当にいい娘ね」
「この部屋に入るたび私はこいしを感じられた。それと同時にこいしを捜すことをあきらめてしまった私が、こんな卑怯な手段で欲望を満たす自分が何よりも嫌に感じられた。どんな苦痛よりも、どんな声よりも辛かった」
「今まで黙っていてごめんなさいお燐」
「!? 頭なんか下げないでくださいさとり様!」
少しの間気まずい沈黙が流れ、お燐がそれを無理に壊した。
「そ、そういえば結局誰がこの部屋を開けたんでしょうね」
「誰でしょうね。あなたでもなく他のだれでもないなんて。まあ、もう用もないし出ましょうか」
そうですね、とお燐とお姉ちゃんが外へと足を向けた。
当然その先にいるのは、
「お姉ちゃん!」
「え? きゃっ!」
いまだ渦巻く激情に悩まされていた私が居た。
その私は無意識か意識か、とにかくお姉ちゃんに抱き付いていた。
いくら私の能力でもこんな事したらばれちゃう。
でも、止められなかった。止められるわけがなかった。
激情の中で一番を占めていたのは、喜びだったんだから。
「こ、こいし!? いったいどこから、というか、なぜここに?」
「ごめんなさいお姉ちゃんごめんなさい……ありがとう!」
倒れたお姉ちゃんをそのまま抱きしめて私は泣いた。
お姉ちゃんごめんなさい、私のやってたことは間違ってたんだね。
お姉ちゃんありがとう、私をずっと忘れずに想っていてくれて。
やっぱり私はお姉ちゃんが大好きだ。
お姉ちゃんに会えないのが我慢ならないくらいに大大大好きなんだ。
「……おかえりなさい、こいし」
懐かしい感触が私の頭を支配した。
お姉ちゃんの手が私の頭を優しく撫でてくれている。
なでなで、気持ちいい。
ずっとこうしていてほしい。
ギュッとお姉ちゃんを抱きしめる力を強くする。
お姉ちゃんは少し苦しそうに身じろぎしたけど、なでなでをやめずにいてくれた。
「ただいま、お姉ちゃん!」
お姉ちゃんは私が帰らないことを、私が怒っていると勘違いをして自分を責め続けていた。
私はお姉ちゃんを傷つけた責任としてお姉ちゃんに会わないよう我慢していた。
私たちはお互い相手を想っていたのに、なぜかその実相手を傷つける形で幾年も過ごし続けるという、とんだ茶番劇を繰り広げていたみたい。
記憶の底に沈むほど久しぶりの姉妹二人の話し合いでそのことが分かった時はあまりの馬鹿らしさに二人で乾いた笑いを浮かべてしまった。
あーあ。この何年も思い悩んできたことっていったい何だったのかなあ。
こんなことなら瞳閉じなければよかったなあ。まあそれだったらそもそもこんなことにもならなかったけど。
結局私がお姉ちゃんの気持ちを考えず閉ざしちゃったからいけなかったんだし。
とお姉ちゃんに言ったらお姉ちゃんは黙って私を抱きしめてなでなでしてくれた。
どうやらこの姉は私が心の内でしてほしいことをしっかりと読み取れる、サードアイ以外の何かを持っているらしい。
まったくやっかいだな。こんなんじゃお姉ちゃんの狙い通り、自分を責め続けることもできなくなっちゃったじゃないの。
そう思いながらもこの姉の胸を借り続ける私も、大概お姉ちゃん大好きっ子で姉想いの妹だね。
「というわけで、、今日からお姉ちゃんと一緒に住むことになった妹のこいしです」
姉妹水入らずの時間も過ぎて今はお食事の時間。
大食堂でお姉ちゃんと、たくさんの動物、さっき見たお燐やもう一人烏の妖怪も集まった席で軽く自己紹介を済ませた。
実はこんな大勢の注目を浴びる機会って全然なかったから緊張したけど何とかなったかな?
「お疲れ様こいし。なかなか良かったわよ」
相変わらずこの姉は私の心を読んだかのような絶妙なタイミングで言ってほしいことを言ってくれるなあ。
実は本当に私の心も読めてるんじゃないの? なんて冗談めいた疑問が頭をよぎったけどそれはまあいったん置いとくとしよう。
「私は霊烏路 空です。よろしくお願いしますこいし様!」
「あたいは火焔猫 燐と申します。お気軽にお燐とでも呼んでくださればうれしいです。改めましてよろしくお願いしますこいし様」
その二人の声を皮切りに、ワンワン、ニャーニャー、カーカー、ガウガウ、と一斉に食堂内の動物たちが鳴き出した。
「みんなあなたを歓迎しているわ。よかったわね」
お姉ちゃんが嬉しそうに笑みを浮かべている。
私のことなのに自分のことのように、いや、それ以上に喜んだ様子を見せてくれるお姉ちゃん。
思わず抱き付きそうになったけど椅子の足に足をぶつけて止められた。
まったくお姉ちゃんはかわいいなあ。
「うん。……たべちゃいたいなあ」
「え? ああそうね。そろそろいただきましょうか」
「分かりました。では、いただきます!」
(いただきます!)
お姉ちゃんの目配せを受けたお空の合図でみんな一斉に食事に着き始めた。
もしかして私、口に出してたのかな? だとしたら危なかった。お姉ちゃんが都合よく解釈してくれてよかった。
今は前みたいに一人というわけじゃないんだから気を付けていかないと。
夕食が済みみんなそれぞれの部屋に戻り思い思いに地底の夜を過ごしている。
お空はすでに就寝して、お燐は多少の雑務を済ますまでは起きているらしい。
たくさんのペットたちも少数のまだ野生での生活が染みついている夜行性の動物たちを残して皆寝入ってしまっていた。
そんな中私はというと、お姉ちゃんの部屋の前に来ていた。
勿論部屋をもらってないから、なんてそんな受動的な理由ではなく私は私の意思でここにきている。
理由は、まあ、単純で、もうやることもないからお姉ちゃんと一緒に居たいなあって思ったから。
ドアに手をかける前に、ちょっと身だしなみをチェック。
……うん。大丈夫そう。
いちよう念入りにお風呂に入ったからどこを見られても恥ずかしくない。
やっぱり匂いとか髪型とか気になっちゃうもんね。女の子だし。
少し高鳴る胸を感じながらガチャリとドアを開ける。
「!? ……こ、こいしですか。どうしたんですか?」
一瞬ビクッと体を震わせたお姉ちゃんは突然の来客が私だと気づいて少しまごつきながらもいつものような温和で優しい笑顔をうがべていた。
お姉ちゃんがあんな風に驚くのってなかなか見れないからちょっと得した気分。
ああ、不安におびえるお姉ちゃんもかわいいなあ。
いつもは頼りになるお姉ちゃんの数少ない動揺した様を満足いくまで堪能してから安心させるようにギュッと抱きしめてあげる。そうして私の胸の中で不安に震えるお姉ちゃんを優しく撫でて慰めてあげる。
ふふふ、なかなかいいシチュエーションじゃないかな。今度機会があったら試してみよっと。
「えーと、なんでそんないい笑顔を浮かべたまま立ち尽くしているのかしら?」
「え、あ、ごめんなんでもないよ。別に用ってほどでもないんだけど、お姉ちゃんと一緒に居たくて」
しまったしまった。ちょっと妄想に気を使いすぎてお姉ちゃんに不信な思いをさせちゃった。
今は妄想のお姉ちゃんを愛でるより目の前のお姉ちゃんを愛でる方が先決だもんね。
妄想はいつでもできるけど今のお姉ちゃんは今しか堪能できないんだから。
「そうなの? 別にいいけれどお姉ちゃんはまだ少し仕事があるわよ」
「え、こんな時間にまだするの? もう寝ないと明日起きられないよ」
壁に掛けられた時計が指示している時刻はすでに丑の刻を四半刻過ぎたあたり、良い子が眠る時刻を過ぎたなんてもんじゃない。
まあ私たちが良い子かは知らないけど。
「あら、もうそんな時刻なのね。それじゃあこれを書き上げたら終わるので少し待ってください」
そう言いまた机に体を向けて何かをかき始めるお姉ちゃん。
どうやら今はもう私にかまってくれる気はないみたい。
少し残念だけどもう終わるみたいだしおとなしく待っとくことにしようっと。
この思いのほかふかふかで、何よりお姉ちゃんの匂いがいっぱいするベッドで寝ころびながらお姉ちゃんを眺めるっていうのもなかなか乙なものだしね。
「はあ~終わった」
そんなこんなで半刻後、やっとお仕事の終わったらしいお姉ちゃんは思いっきり伸びをした。
そのままくるっと私の方を向くとあっ、と声を漏らして顔を背けちゃった。
代わりに正面を向いた真っ赤なお耳が、どうやら私が居ることをすっかり忘れていて油断していたということを物語っていた。
そんなの気にしなくてもいいのに、ほんと一々かわいいなあお姉ちゃんは。
「お疲れさまお姉ちゃん。それじゃ寝よっか」
「え、ええ。そうしましょう」
まだ少し赤い顔で目線を合わせずにお姉ちゃんは椅子から降りて私の方まで歩み寄ってきた。
このままベッドに押し倒して堪能行くまでペロペロしようって思ったけど、いい感じの眠気に襲われてちょっと体が自由に動いてくれなかったからしぶしぶ断念した。
くそう、昨日もっと寝ておくべきだった。
「て、あなたもここで寝るの?」
「え、そのつもりだけど……ダメ?」
「え、あいやその……いいわよ」
「やった、ありがとお姉ちゃん」
「ええ……」
お姉ちゃんいきなり当然の質問しないでよね。思いっきり甘えるように、上目遣いでお姉ちゃんに答えたらまた顔を真っ赤にしてかわいい照れ顔を見せてくれたから許しちゃうけど、今さら一人で寝ろなんて言ってきたら私怒っちゃうからね。
ここまで待たせておきながら一人で寝るなんて絶対ヤだからね。
「それじゃ、今度こそ寝よっか」
「あ、寝間着に着替えるからちょっと待ってちょうだい」
「あ、そっかそうだね」
確かに言われてみればお姉ちゃんはいつものふりふりした白い襟に澄んだ水色の服、薄い薔薇の刺繍が施されたピンクのスカートといった普段着に身を包んでいる。
……あれ? お姉ちゃんお風呂は?
考えてみれば夕食の後お姉ちゃんの姿を見てなかった気がするけど。
……まあ、それはそれであり、かな。
「あの、こいし? いつからあなたはそんなにいい笑顔を何もないときにもうかべるようになったのかしら?」
「え、ああ、いや別に何も……お姉ちゃんと久しぶりに一緒に入れるから嬉しくって」
やばいやばい、幾年も一人で誰にも見つからずに過ごした日々は私が思った以上に深い爪跡を残したみたい。
「そうね。確かにずいぶんと久しぶりね」
お姉ちゃんは少し寂しそうに、私に言っているのか独り言なのかの区別がつかないくらいの小さな声で寂しそうにつぶやいた。
とりあえずごまかせたのは良かったけどお姉ちゃんに悲しい思いをさせちゃったみたいであんまり喜べない。
っと、いつの間にかお姉ちゃんが寝間着らしきものを持ってる。
そして、ゆっくりと上の服の裾を掴んで上に持ち上げて、お姉ちゃんの日に当たることのない不健康そうな白い肌がだんだんと……
「あの、こいし。気のせいだったら悪いのだけど、その、じっと見つめられるのはちょっと恥ずかしいから止めてほしいのだけど」
「うぇ!? ご、ごめんごめん」
持ち上げた裾をまた降ろして、紅潮して困ったような恥ずかしいような表情を浮かべてお姉ちゃんが言ってきた。
慌ててあやまって目線をそらしたら、少ししてまた着替えを開始しだした。
あー、くっそ。ちょっと凝視しすぎちゃったなあ。今度から気を付けないと。
あ~でもさっきのお姉ちゃんもかわいかったなあ。
今日はお姉ちゃんがすっごくかわいい良い日。
いや、もともとかわいいんだし久しぶりだからそう感じるだけかな。
まあどっちにしても、ごちそうさまな日でこいしちゃん大満足。
「じゃあ寝ましょうか」
着替え終えたお姉ちゃんがゆっくりとこっちに向かって歩いてくる。
さっきまでの普段着とは真逆で上が黄色、下が緑と、まるで私のような色合いの寝間着だった。
「あれ? お姉ちゃんパジャマ替えたんだ」
確か昔は普段着のお姉ちゃんと同じ色合いだったはず。
これはこれでとってもかわいいんだけど何があったんだろう。
結構時間たってるからお姉ちゃんが成長して着れなくなった……は、ないかな。
「……その、これは、あの」
どうにも歯切れが悪いなあ。何か言いたくないことなのかな。
「ふ~ん、まあいいや。早くお姉ちゃんも入って入って」
「え、ええ」
まだ少し調子悪そうにしながらもすでに布団に包まれて待機している私の隣に入ってくるお姉ちゃん。
すると、その瞬間さっきまでよりもいっそう香り豊かな匂いが私の鼻腔を刺激した。
ふぁ~、いい匂い。
なんて言えばいいのかな? 家の香りというか落ち着く香りというか、とにかく、「私の居場所はここだ」と示しているような安心できる香り。
「お姉ちゃん大好き!」
「きゃあッ!?」
えへへ、思わず抱き付いちゃった。
隣にあるお姉ちゃんの髪から、さっきよりもさらにいい匂いに加え、お姉ちゃんと接している体から伝わる温かな体温に私は一瞬で包まれてしまった。
「もう、本当いつも急なんだから」
そういって頭を撫でてくれるお姉ちゃん。
やっぱりお姉ちゃんのなでなで気持ちいい。
こんなに環境が整っちゃったらもうやれることは一つしかないじゃない。
というわけで、さっきから付きまとっていた眠気が私の中で膨れ上がってきた。
ちょうど明日は早いし今日はもう寝ちゃおうかな。
ちょっともったいない気も、する、け、ど。
「おやすみ、こいし」
おや、す、み……おね、え、ちゃん
暗い部屋、何の光源もない、光の射さない真っ暗な。
私は私を包む腕をゆっくりと、慎重に外して、起き上がった。
いくら夏と言えど、地底には陽の光がない影響か、単に真夜中だからか、心地よいぬくもりから離れた私の体は肌寒さを感じた。
「お姉ちゃん」
起こさないように隣ですー、すー、と寝息を立てているお姉ちゃんに語りかける。
「お姉ちゃんはこいしのこと、好き? 愛してる?」
お姉ちゃんには語りかけず、でも、お姉ちゃんに話しかける。
「……大好き、愛してるわこいし」
「そっか、ありがと。私も大好き、愛してるよお姉ちゃん」
寝ている時、人(妖怪)は夢を見る。
夢はその人の沈んでしまった、頭の片隅の片隅に残る記憶から形成される。
それは意識化で作られるものではなく無意識によって作られる。
私の能力は「無意識を操る程度の能力」
と言ってもさすがに夢に入ったり私が勝手に作り替えたりはできないけど、ちょっとだけ、単純な質問ぐらい答えさせれるんだ。
まあ、たまに変な奴に邪魔されるんだけど。
青い髪に瞳、赤いナイトキャップ、そして変な球体と本を持ってるよくわかんない奴。
今日は大丈夫だったみたいだからよかったけど。
そいつ曰く「勝手に人の夢に立ち入られると困る」とか言ってたけど、どういう意味なんだか。
まあいっか、重要なのは昨日聞きそびれちゃったお姉ちゃんの本音を聞き出すことなんだから。
さあ、あとは仕上げにかかるだけ。お姉ちゃんが寝てる間に片づけちゃおう。
うふふ、大好きだよお姉ちゃん。
「ん、う~ん」
起き上がり大きく伸びをする。
ぱきぽきと相変わらず不健康な音が聞こえて、少し運動でもしてみようかしらなんて柄にもないことを考えていると少しづつ頭がさえてきた。
日差しが差し込むことのない地底。だけど体が覚えているのか毎日同じ時間に起きてしまう。
時刻は虎の刻を半刻ばかり過ぎたころ。地上ならそろそろ太陽が顔を出す頃かしら。
そして鳥たちの囀りなんかも聞こえたり。
でも、こっちでも私の周りにはたくさんのペットがいるからこれに関しては同じように聞こえる、はずなのだけど……
今日はなぜか誰の声も聞こえない。
この時刻お燐はいつも挨拶に来るのにそれもない。
それにこの異常な静かさは一体何なのかしら。
鳴き声どころか心の声すら少しも聞こえないなんてどういうこと?
「何となく嫌な予感がするわ」
着替えることもせずとりあえずハンガーにかけてあった上着にそでを通して外に出てみる。
……やはり「声」が聞こえない。
(………と…様、……げ……)
いや、幽かに何か聞こえる?
「……と……!……に……て…」
聞こえた。本当に幽かだけど右の方から。
今のは、お燐の声? でも一体何が……
「さとり様! 逃げてください!」
声の聞こえたほうに眼を向けるとそこには確かにお燐の姿があった。
ただし、私の知るいつものお燐とはかけ離れていた。
「お、お燐。その姿は……」
「さとり様! 逃げて!」
お燐の右腕は無数の刺し跡があり血が流れ続けている。
それをかばう左腕には切り傷があり、足にも体にも全身に刺し傷と切り傷が、そこから流れ出る血が見えた。
「お燐! どうしたの、何があったの!」
走り寄ってくるお燐に私の方からも走ってお燐に近づいた。
何があったのか分からない。でも、何にせよ今やることはお燐の治療だということだけは分かった。
しかしそれは間違いだった。
「こっちに来ては駄目ですさとり様! 今すぐにげ……て………」
お燐まであと数メートル、もう手が届くまでの距離に来た私に、お燐の腹部から突き出された青いコードが顔をかすめた。
お燐を貫いたそのコードは私のすぐ後ろで折り返し、お燐の頭を貫いた。
「ッ!? さ、とり、さ……」
その声を最後にお燐は廊下の赤い海に倒れこみ、声も「声」もださなくなった。
穴をあけられた頭部からドロドロと押し出されるように「なにか」が流れ出てきていた。
腹部からも、血とともに「なにか」、が赤い海を泳いでいた。
それが「なにか」私にはわからなかった。分かろうとしなかった。
ただ、分かったことは、お燐はもう死んだのだ、という事実だけだった。
「あ、お姉ちゃんもう起きちゃったの? いつもこんな時間に起きてるの? ダメだよもっとちゃんと寝てないと」
奥からこいしが現れた。
ああ。私は夢を見ているの? 何が起こったというの?
どうしてこいしは血まみれの包丁を握りしめ、藍色のサードアイを赤黒く染めているの?
訳が分からないわけが分からない。
「もうちょっと待ってね、もう終わるから」
笑顔で、昨日たくさん見せてくれたあのかわいらしい無邪気な笑顔でこいしは私に話しかけてきた。
「あ、あなたは。何を、しているの」
恐怖と混乱で呂律が回らない。体も動いてくれない。
今目の前にいるのは本当にあのこいしなの?
「え? 後処理だけど?」
「後、処理……?」
「そ、後処理。お姉ちゃんと私は両想いなんでしょ? だから今まではこの娘達がお姉ちゃんを支えてたんだろうけど、これからはもういらないでしょ。だから処理してるの。実は昨日の夜に大体やってたんだけどね、まだ寝てない子たちは後回しにしてたら意外に結構いてさ」
「どういう、意味……?」
分からない。こいつが何を言っているのか分からない。
処理ってなに? 両想い? いらない? 何を言っているの?
「地上の人間たちはね、両想い、お互いに愛しあう関係になると、その相手さえいれば他に何もいらなくなるんだって。だから私たちも同じでしょ?」
近づいてくる。あの笑みを携えて。
ぐちゃっ。
なんのおと? もう頭が動いてない……
「ん? あ、ごめんお燐。ふんじゃった」
「ひ、いやああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
「あ、待ってよお姉ちゃん」
いやだいやだしにたくないしにたくないおりんおくうだれかたすけてたすけてえ!
バタンッ!
エントランスまで走り続けドアを思いっきり閉めた。
そのままの勢いでそこらにある家具をすべてドアに叩き込んだ。
「はあ、はあ、はあ、はあ……」
日ごろの運動不足に体が悲鳴を上げ叫び続けたのどももう限界だった。
最後に目に映ったものを叩き込んで、そのままペタンと座り込んでしまった。
「何が、何が起こったの?」
少しの休憩で何とか余裕が生まれた私は、しかし今のこの状況を飲み込めずにいた。
ただ、こいしの言っていたことが本気であることは、嘘なんかではないということだけが身に染みて理解させられた。
ここまで走り逃げる最中、誰も異変に気づかないどころか「声」も聞こえなかった。
もう、誰もここにはいないということなの?
もう、あの娘たちには二度と会えないの?
(さ、さとり様?)
え? 今の「声」は……
柱の陰から右前脚を引きずった猫が私の方に怯えながら出てきていた。
私も痛む体を無理やり動かしてその子に近づく。
弱弱しく飛びついたこの子を私もまた弱弱しく抱きしめる。
(さとり様! さとり様! さとり様!!)
「大丈夫、もう、大丈夫よ……!」
震えるこの子を震える私が抱きしめる。
この子は少し前にこのお燐が拾ってきた子でまだ夜行性の気が抜けてない子だったはず。
だから、運よくあの娘の殺戮から逃れられたってことか。
……やっぱり、あれはこいし、なのね。
何があったのか分からないけれど、とにかく今はこの子を、この子だけでも何とか守りきらないと……
ドン!
「あ、お姉ちゃんみっけ♪」
ドアと置いてあった家具が音を立てて壊れ、こいしが現れた。
「いきなり走りだすからびっくりしたよ。て、あれその子……なんだ、お姉ちゃんも協力してくれてるの?」
「こ、こいし……」
こいしが私に近よってくる。私の腕で震えるこの子を、殺すために。
逃げたい、今すぐここから走り去りたい。
のに、さっきの疲労に加え、私の頭がまたこいしへの恐怖で塗りつぶされて動けない。
逃げなきゃ。来ないで。早く立たなきゃ。動けない。
(ああああああああああああああ!)
「あ、待って! 」
突然震えていた猫が、恐怖に負け、痛みも忘れて私の腕から零れ落ちて行ってしまった。
「大丈夫だよお姉ちゃん。私がやるから」
「ま、まってこいし!」
私の制止を求める声にこいしは答えずただ行動だけが私への返答として帰ってきた。
走ったといってもまだ子猫。しかも足には怪我もある。
そんな猫は私と数十メートルも離れることなく足を止めてしまった。
体を紫色したものがつらぬいてしまっていたから……
「お姉ちゃん」
何がいけなかったのだろう。
どうしてこうなってしまったのだろう。
どこで間違えてしまったのだろう。
「お姉ちゃん」
きっと最初から。私がこいしをあきらめて、捜すことをやめてしまったから。
だからこいしは狂った。いや、壊れた。
きっと私が見つけておけば、彼女は元の彼女に戻ってくれたのだろう。
そう、すべて私の責任。
ペットたちが死んだのも、お燐が死んだのも、こいしが壊れたのも。
「お姉ちゃん」
ぜんぶゼンブワタシノせい
「お姉ちゃん」
だから
「こいし、愛してるわ」
「うん私もだよ」
セメテコイシダケハ、ワタシガズットイッショニイテ……
「お姉ちゃん」
「こいし」
二人の覚り、覚りだったものは地霊殿、だったもので日がな一日愛し合っていた。
食事もとらず、睡眠もせず、誰とも話さず、ただ、二人は二人の世界、閉じられた世界を二人で過ごしていた。
幸せそうに。
まるで何も知らぬ幼子のように二人は幸せに過ごしていた。
……それがいつか終わる仮初の楽園であることも知らずに。
まもなく地霊殿からの報告が途絶えたことに気づいた閻魔が彼女たちのもとに訪れる。
その時、偽りの楽園は砕かれ、彼女たちは裁きを受けることになるだろう。
しかし、そんなことには気づかない。
眼を閉ざした彼女たちは今日もまた二人で愛を語り、示している。
「「だいすき」」
この作品は「幸せは灯台下暗し」の結末部分とそれに至るまでを変えてみたものです。
よって読んでない方にはよくわからない内容となっておりますのでお時間が許すのであれば先にそちらをお読みください。
あと、多少グロ要素もございますので注意してください。
開始地点は「幸せは灯台下暗し」で「お燐がさとりからこいしのことを聞き出した後、実際に捜しに出る前」の間です。
「おかえりなさい、あなた」
「ただいま、おまえ」
「ごはんにする?おふろにする?それともわたし?」
虫たちが待ってましたと言わんばかりに土から、空から這い回り飛び回る。
気温が高くって汗をかいて気持ち悪い、でもそんな不快感を吹き飛ばすように時折吹き抜ける風が心地よい季節。
私は人間の子供たちとおままごとっていう遊びをしている。
といっても私はペットの役をもらってから一向に出番がなくて見てるだけなんだけど。
「うん、うまい!おまえのりょうりをたべるためにまいにちがんばってるようなものだよ」
「まあ、そんな」
照れくさいのか子供達の頬は少し赤く染まっているけどちゃんと役を演じている。
いまいち私には何をしているのか分からないんだけど、どうもこの子達は自分たちのお家を再現しているみたい。
……お家、かあ。
昔はお姉ちゃんと住んでたんだけど、今はとある事情で離れてる私にとって家があったころの生活なんてもうとっくに忘れちゃっていた。
少なくともこんな会話はしてなかったと思うけど。
人間はおもしろい。
私達妖怪には理解不能な感情や行動を起こすことがあって、それは時折力の弱い人間が妖怪を退治してしまう程になる。
私は彼らのそんなところに惹かれていた。
過去形なのは今の私はそう思っていないから。
いや、もしかしたら今もまだ思っているのかもしれない。
私にもわからない私の感情、無意識。
そう、私は覚り妖怪の象徴である第三の眼を閉ざしちゃって無意識に私のほとんどを支配されている。
だから他人どころか自分の心すらうまく読み解けなくなっちゃった。
でも無意識に人間の子供たちと接してるところを見るとやっぱりまだ好きなのかも。
子供たちと遊んで、子供たちを通して大人のことを聞いて。
そういう時私は何となく胸が躍るような、体が熱くなるような感じがする。
たぶん、私は彼らの、私たちにはない一挙一動が楽しいと感じているのだろう。
だからいまだに私は彼らから離れていないのかもしれない。
そういえば前回この子たちとこの遊びをしたときの場面も面白かった。
この子たちの親が……えっと、なんだっけ?
あ、そうだ! ぷろぽーず、だ!
どうやら人間たちは好きになった人と共になるときぷろぽーずという行動に出るらしい。
覚り妖怪(厳密には元)の私にはそんなことしなくても勝手に相手に好意が伝わるから珍しくて頭に残ってた。
(きみさえいればぼくはほかになにもいらない。だから、ぼくとけっこんしてください!)
(わ、わたしも、あなたがいればなによりもしあわせです。こちらこそ、よろしくおねがいします!)
……確かこんな感じだったかな。
「あ、もうこんなじかん。そろそろかえらないと」
「ほんとだ、それじゃまたあした」
「うん、またあした」
いつの間にか透き通るような青から真逆の赤に衣替えをした空を見上げて、子供たちは荷物を手早く片付け互いに手を振りあって帰っていった。
どうやら私は思った以上に長い時間自分の世界に居座ってしまっていたらしい。
そして同時に、私はこちらの世界では誰にも意識されなかったらしい。
まあ、いつものことだけども。
もうすでに影すら見えなくなった子供たちはこれから家にいる親と今日のことについて話でもするのだろうか。
……私はどうしよっかな。
今日は雨も降ってないし適当でいっか。
数少ない意識でそう判断すると、私は立ち上がって空を見上げた。
立ち上がった私に夏の、火照った体を冷ます冷たい風が吹き抜けた。
頬を伝う汗がぽたりと落ち、風によって自由を得たように私の髪が思い切りなびいた。
「気持ちいい」
何となく、そう呟いてみた。
実際に思ったわけじゃなくて、なんとなく今この場にはこの言葉が合う、そう思ったから。
そういえば昔お姉ちゃんと暮らしていた時もこんなふうに自然の心地よさを感じてたなあ。
お姉ちゃん。名前は古明地さとり。
その名の通り覚り妖怪で、いろんな妖怪や人間から嫌われている。
私はあることがきっかけで第三の眼を閉ざしちゃったけど。
あることって?
……なんだっけ。
うそうそ、ちゃんと覚えてるよ。
あんなことしたんだもん。忘れるわけないよ。
私が、過去の記憶も様々な感情も忘れてしまった私が唯一忘れない出来事。
私の最も大きな罪。
大好きなお姉ちゃんを傷つけたことなんだから。
それがあって今も私はお姉ちゃんに会わないようにしてる。
お姉ちゃんから私が完全に消えることを願いながら毎日を過ごしている。
……まあ、それは今はいいや。
今はまた私の足が無意識に地霊殿に向かってしまう前に今日の寝床を決めないと。
私はその日暮らす場所を決めておかないと無意識にお姉ちゃんのいる地霊殿に足が向いてしまう。
なんでかは分かんない。
私が意識的にお姉ちゃんから遠ざかろうとしてるのに、なぜか私の無意識はお姉ちゃんへと向かってしまう。
あ、そうだ! 今日はこのことについて考えてみよう。
ちょうど適当にぶらぶらしてたらいい感じの大きな木があったからもう今日の寝床については考えなくてよくなったことだし。
寝るまでの暇つぶしにはきっとちょうどいいよね。
「……あ、朝だ」
瞼の裏に陽の明るさを、徐々に私の体を取り巻く気温が上がり始めていることを感じて私は目が覚めた。
私を一晩優しく受け止めてくれていた草花たちから体を離し、ん~、と体を伸ばす。
ぱき、ぽき、と子気味の良い音を耳にしながら私の頭は覚醒していった。
「え~と、昨日は何をしてたんだっけ」
少しの思案の後思い出したのは、寝るまでの間にまとめようとしていた私の無意識の行動の意味だった。
結論から言えば、私にとって寝る前に考え事をするという行為はただ気持ちよく睡眠導入するに過ぎないということだけだった。
う~ん。まさかここまで何も考えられずに寝てしまうなんて。
道理で今日は調子がいいわけだ。
「今日は何しよっかな」
起こした体を再び草花たちに押し付け、木に隠れそのほとんどが見えない空を見上げながら独りごちた。
私の一日はその日何をするのかを決めることから始まる。
特に目的意識をもって日々を生きてるわけじゃないから「何かをする」っていうのをちゃんと決めないと自分でもどこに行くのか分からなくなってしまう。
一度寝不足気味で何も考えずにいたら、気付いた時には雲の上で桃をかじってたりしてたからなあ。
その後桃を付けた不思議な帽子をかぶったおねーさんと遊んでから地上に戻ったんだけどさすがにあの時はちょっとびっくりした。
「う~ん、何にも思いつかないなあ」
数日前か、数ヵ月前かわからない記憶を呼び覚ましつつ考えていた私は結局何も思いつかなくて、ごろん、と寝返りを打った。
顔の右半分が草に覆われ、少しくすぐったかった。
こんな日も別段珍しいということはない。
いつもなんとなくふらふらして、誰かと遊んで、それでまたふらふらとする。
そんな感じで狭い幻想郷を軽く数十週を超える回数周った私にとってもはや今さら何か真新しいものなんてなかなか見つからなかったのだ。
自然の香り、少し鼻に来るけど嫌な感じはしない、むしろどこか優しさを感じる香りに包まれて、覚めたばかりだというのに私の瞼が閉じ始めた。
今日はもうこのまま寝て過ごしちゃおうかなあ。
なんて考えが頭を飛び回って意識が支配されそうになった。
けれど、私は今まさに眠らんとしている中、一つ思い出したことがあった。
……なんでこう、眠たいときとか水浴びしてるときとか、そういう時に限って何か思いついたりするんだろう。
とにかく、私はこういう時「あとで思い出せばいいや」と思い後回しにしたときにおこる結果を知っていた。
だから無理やり体を起こし何とかもう一度頭を覚醒させる。
今思い浮かんだこと―――無意識の行動―――についての手がかりを忘れないよう頭の隅っこにひっかけながら。
あれはいつだったかな。
少し前のようなかなり前のような、そんなあいまいな記憶を思い出そうとしていた。
内容は「無意識」について。
私は以前、どこかで「無意識は本能と似ている」っていう話を聞いたことがあった。
その時は特に何も思わなかったんだろうけど、よく考えれば私ってよく無意識に行動してることが多い。
そもそも人間と遊んでるのだってほとんど無意識で、気付いたらいつの間にか仲間に加わってた、なんてことがよくある。
ということは私が勝手に動いてるときっていうのは本能的に私がしたいと願っていることってことになるのかな。
私はこの瞳が開いていた時は確かいろんな動物が大好きでいつも一緒に遊んでいたはず。
その好きの中には昨日思っていた通り人間も入っていたんだけど、当時の私は嫌われ者だったから一緒にいられなかった。
だから今の私が無意識に子供たちと遊んでいる、というのは理解できた。
じゃあ私がお姉ちゃんの屋敷に行こうとしてしまうあの現象は?
私が本能的にお姉ちゃんに会いたいって思ってるってこと?
でも、なんでだろう?
私は私の罪の償いのため、お姉ちゃんを救うために会わないように決めた。
それに後悔なんてなく、むしろ生きる目的のなくなった私にとっては心の支えにさえなっていることだ。
私が我慢すればお姉ちゃんを救えるんだって……?
我慢? 私、我慢をしてるの?
お姉ちゃんに会えないことは私にとって苦痛だったの?
あれ? 私、自分の考えてることがわかんなくなってきちゃった。
……ちょ、ちょっと落ち着こうか私。
いっぺんにいろんなことを考えるから頭がこんがらがってきたんだ。
ちょうどいい機会だし、今までのことを最初から考え直してよう。
と、思い至ったところですでにかなり高い位置まで昇ってきたいた太陽が私の、すでに知恵熱が出てあたたまった頭をさらに熱くしようと企ててきたから、私はコソコソと木陰に避難した。
「上手に焼けましたー」とどこかから聞こえてきそうなほど暑い太陽光線から逃れて私は今までの私をまとめてみる。
今までお姉ちゃんに会いにいかないようにしていたことに私は一抹の希望を持っていたはず。
お姉ちゃんに抱えさせてしまったトラウマを消せるんだって、そう考えてたのに間違いはない。
うん、確かにそうだ。
じゃあ私はお姉ちゃんに会えないことを苦痛、不満を抱いているの?
……私はお姉ちゃんが大好きなんだ。
少なくとも瞳を閉じるまでは。
だからこそ私はお姉ちゃんに幸せになってもらいたかった。
私が奪った幸せを、何とか取り戻せるようにと思って。
でも、大好きだからこそ私はお姉ちゃんと離れることが苦痛になっている……のかもしれない。
実際そうなのか、心を閉ざしてしまった私には分かりかねていた。
でも、違うのだとしたらこの胸のもやもやがすっきりしない。
でも、会いに行ってお姉ちゃんにばれたら困るし。
……だめだ、分かんない。
いつの間にか空で燃える星がまた私の肌を黒く染めるために傾きだしていた。
どの季節、時間帯よりも殺人的な日差しを木を身代わりにして逃れて、青々とした草花たちの上に全身を預ける。
結局今日はずっと考え事して終わっちゃった。
しかもうまくまとまらなかったし。
これからどうしよっかなあ。
この胸のもやもやを抱えたままで今まで通り過ごせるとは思えない。
下手したら今日あれこれ考えたせいで明日私は地霊殿に行ってしまっているかもしれない。
……でも、それもいいかもしれない。
私は心を閉ざしたからお姉ちゃんですら私の心を読むことはできないし、無意識の私を見つけられる人なんてめったにいない。
だからお姉ちゃんにすらばれずに地霊殿に入り込むことだってできる。
でも、お姉ちゃんが好きなのであろう私ははたしてお姉ちゃんに会っても大丈夫かな?
さすがの私でも他人と物理的干渉をしてしまうと存在を気取られてしまう。
ましてお姉ちゃんは勘も鋭いから、私が下手なことしてしまうとばれる恐れがかなり高い。
でも今のこのもやもやしてる状態だとそのうち私は勝手に行ってしまうだろうし。
……あーもう! めんどくさい!
こんなにあれこれ考えたって結局何も進んでないじゃんか!
考えがまとまらず、矛先のないイライラをとりあえず近くにあった草を思い切り引き抜くことで発散して、結論を出した。
どれだけ考えてもまとまらないなら、会いに行ってみよう、と。
油断しなければばれることなんてないのだし、一度会えばこのもやもやもすっきりすると思うし。
根拠なんて全くないけど。
まあいいや。
そうと決まったら今日はさっさと寝て明日に備えよう。
空には勤めを全うした太陽が消え、代わりにきれいな青白い光を放つお月様と、小さく輝くお星さまがたくさん散りばめられていた。
少し明るすぎて寝づらいけど、明日を思って無理やりに寝ることにした。
この光が私の迷いを照らす光になってくれたらいいけど。
なんて、どこかから聞いたような言葉を思い浮かべながら私は眠りの世界へと足を向けた。
「ほえ~。相変わらずでっかいなあ」
今朝、私はいまいち覚醒しきらない頭を振り上げて地底に降りてきた。
何となく記憶にあった地霊殿までの道のりを、多少迷いながらもこの馬鹿でかい建物を見つけてここまで来れたのがお昼前。
地底には地上のように風が吹き抜けることも、太陽が明るく照らすこともなく、だからお昼前ってのも実際そうかはちょっとわかんないけど別に重要でもないからいいや。
太陽のないこの地底は決して真っ暗というわけじゃないけど、薄暗い明かりーーーちょうど夜寝る前にオレンジ色の明かりの電気を付けたみたいなーーーそんな光が旧都のあたりには途切れることなく付いてるだけ。
地霊殿もその例にもれず薄暗い、というわけではなく、灼熱地獄跡の熱エネルギーを利用しているのか旧都に比べれば格段に明るい。
ただ光が灯っている場所は点々としているのか、私の身長ほどもある窓ガラスから漏れる光の数はそこまで多くなかった。
「こんな中からお姉ちゃんを捜すのか……」
そう考えるとため息が漏れるのも仕方ないと思う。
多分光がついている部屋が今使われてる部屋ってことだろうから、そこだけ探せばいいと予想できるだけまだまし……かなぁ?
まあ考えていても仕方ないし、せっかくここまで来たのだから目的を果たしておかないと。
何とか前向きに考えて私は足を地霊殿に向けた。
「お邪魔しま~す」
誰に言うでもなく、誰に聞こえるでもなく、私はそう言いながら扉を開け中に入った。
地霊殿は、濃い赤紫色と黒色のタイル、カラス柄のステンドグラスが張り巡らされた床に、藤色の壁といった暗めで落ち着いた色合いで、お姉ちゃんの住む館としては抜群な相性をしている。
「ほんと、お姉ちゃんの為に建てられたみたいだなあ」
侵入しているというのに何とものんきな感想が私の口を衝いていた。
幸いなことにエントランスには今は誰もいないらしく、喧噪はもっとどこか遠くで聞こえてくるから誰かに聞かれたということもないだろう。
聞かれたって誰も気に留められないだろうけどね。
さて、こんなところで足を止めてたってしょうがない。
外から見た館の様子を思い出しながら私は歩みを進めることにした。
確か光ってたのは右側が多かったはずだから、と頭の中の地霊殿を眺めながら何匹かの動物たちとすれ違って、いくつかのドアを開けた。
でもそこに私の目当てはなく、そこにもまた何匹かの動物がいたり無人だったりしていただけだった。
そうして十個ぐらいの部屋を開けては閉じて、すれ違う動物を避けて地霊殿内を歩くこと十数分。
ひたすら右に向かって歩いていた私の足が止まった。
特別理由はなく、ただ壁にぶち当たったから。
「あれ~? もう行き止まり?」
はあ~、とため息一つ吐いて今度は左側へとくるっと回れ右……した私は何か違和感を感じた。
感じたのは突き当りの右側にある壁。
地霊殿のドアは木でできた模様のない、いわゆる普通のドアが等間隔に並べられていた。
そして、私が見た最後のドアからこの壁までの間はドアがあるはずの間隔だった。
でもここには壁しかない。
他と同じ藤色の壁が。
突き当りだから部屋を作らなかった。
その可能性だってもちろんある。
でも疑いかかってよく見てみると、少しだけこの壁の色は他よりも濃いような気がした。
まるでここだけ後で塗りなおした……そんな感じ。
気になりだすと止まらないのは人間も妖怪も同じなのかな、なんて思いながらその壁を軽く押してみた。
ぎぃっ、とここに来てから何回も聞いた、ドアのきしむ音が聞こえた。
今度はもうちょっと強く押してみた。
みしみしっ、と周りの壁からはがれるような音が聞こえた。
今度は助走たっぷり思いっきり体当たりしてみた……ていうのはさすがに冗談だけどもう少し力を入れて押してみた。
すると、さっきまで壁だったその部分がまるで壊れたブリキ人形のように音を立てて内側に動き出し、壁からドアへと役割を変えていた。
「……何があるんだろう?」
もやはお姉ちゃんとは関わりなさそうなことだけど、今の私にはこっちの方が気になっていた。
だから、ドアが開いたその瞬間、猫の鳴き声とともに走り去っていく人影には全く気付くことができなかった。
「お、お邪魔しま~す」
胸のどきどきを感じながら部屋の中に入った私を迎えたのは、さっき感じたような違和感と、何かよくわからない感情だった。
まず、違和感ってのはこの部屋が今まで見てきたどの部屋とも似つかわしくない、という点。
他の部屋は床には薄赤紫の色をしたカーペットが敷かれていて、壁も藤色といった館のイメージのそれと同じものだった。
置かれている物もどこか暗く、落ち着くような色合いの机やベッドとかがほとんどだった。
でも今私の目の前に広がっているこの光景はそれとは正反対で、カーペットは薄い黄色と緑のストライプ、壁は桜色をしていてとても地霊殿の部屋の一つだとは思えない。
置かれている家具をとってもそれは同じことで、ベッドに掛けられている布団は薄い緑色、枕は桜色といった風にどこを見ても明るいイメージを見せていた。
そして一番私が目についたのは箪笥の上や机の周りなんかに置かれている動物のぬいぐるみたちだった。
他の部屋には当然なかったこの異質な物たちに私は何か違和感以上のものを感じていた。
「薄赤紫のカーペットに桜色のベッドに緑の毛布。猫に犬、トラにライオン、ゾウやキリンのぬいぐるみ。これって……」
「誰もいないようだけど。本当に見たの、お燐?」
「えっ!!!?」
慌てて手に持ってた猫のぬいぐるみを元の場所に戻して声のした方へと視線を向けると、そこには一番会いたかったけど会いたくなかった人が部屋の入り口に入ってきていた。
「あたいは嘘なんかついてませんよさとり様。本当に何かがここの壁を壊してたんですって!」
「まあ、そうですよね」
とっさに上げてしまった声には気付かれなかったようで少しだけ安心できたけど、状況は一向に良くなってない。
最初に入ってきた人はすでに部屋の中心まで来てしまっているし、後の人は入り口で待機してるせいで出ようにも出られない。
そしてそれ以上に不味いことにいま私のすぐ近くにいる人を私は知っている。
薄い紫色のちょっとぼさっとした髪、私と似たような背丈で、美人とも幼さの残るかわいらしさとも取れる綺麗に整った顔立ち。
私が今まで一度も忘れたことのなかった、自慢の、私のお姉ちゃん、古明地さとりだった。
ここにきて意図せず目的を果たせてしまった私だけど、今はそんなことどうだっていい。
「しかしこの部屋に誰もいないことは確かですしここに来るまでにすれ違った子たちも怪しい人物を見ていなかったんですよね」
胸元の第三の眼を両手で包み込むようにしながら入り口にいる赤髪の少女―――お燐と呼ばれていた―――に見せるお姉ちゃん。
「でも、あなたが嘘をついていないということも私にはわかっている……どういうことでしょうね?」
「あたいには分かりかねますが、さとり様の能力外の妖怪がいるとかですかね?」
「そんな妖怪聞いたことも見たこともありませんけどね……ただ一人を除いて」
「……ああ、そうですね」
お姉ちゃんたちは勝手な推測を話し出していくけれど私はそっちに意識を向けられるような状態じゃなかった。
私の想いはお姉ちゃんに会ってみればすっきりする、なんてそんな甘くはなかった。
むしろ真逆で、お姉ちゃんに会ってしまったばっかりに私は今「お姉ちゃんに思いっきり抱き付いて頭をなでなでしてほしい!」という欲望と必死な攻防戦を開始するしかなかった。
一刻も早くここから離れないと、でも入り口はお燐が邪魔で通れない。
ああ、ほんと、なんで私はここに来ちゃったのかなあ。
「う~ん。分かりませんね。果たして誰がどのように……」
お姉ちゃんは部屋の中をぐるっと一周してまた中央に戻ってきた。
うぅ……お姉ちゃんが動くたびに揺れ動く髪とそれに従い香るいい匂いが私の鼻と欲望を刺激する!
ふと目を向けるとそこにはお姉ちゃんの体を抱きしめようとという浅ましい想いに突き動かされた哀れな右腕があった。
私は何とか強固な意志をもって私の両腕を第三の眼のコードをぐるぐるに巻き付けてなんとか抑えた。
多少腕が痛いけどこの際そんなことはどうだっていい。
逆に痛みで少し頭が冷えてきた。
「あ、あのさとり様。聞いてもいいでしょうか」
「なにを……ああ、やっぱり気になりますか」
お燐が言いづらそうに、遠回しにした質問をお姉ちゃんは読み取って応答する。
この娘はどうやらお姉ちゃんに対して恐怖心や嫌悪感なんかは持っていないみたい。
頭の猫耳に二又の尻尾から多分この娘はもともと動物だったころにお姉ちゃんに拾われて、それから猫又か何かに妖怪化したってところかな。
全ての人妖に嫌われる覚り妖怪でも動物だけは好いてくれるから。
「す、すいません! その、だめでしたら無理には……」
「謝ることないわ。この状況なら気にならない方がおかしいもの」
お燐の必死の謝罪にも先に心を読んでていたお姉ちゃんは怯むことなく話を続けた。
両腕がまだ痛い。まだ意識は冷静でいられている。
このまま隙を見て部屋から出ないと!
私は決意を新たにし部屋の出入り口近くで待機しようと動き出した。
「この部屋は……私の妹、古明地こいしの部屋よ」
「へ?」
ぐるっと一瞬のうちに視線が私の方に集まる。
慌てて口をふさいでも時すでに遅し。お姉ちゃんたちは訝しげな表情でこちらを窺っていた。
「……今何か言った、お燐?」
「いえ、何も……」
その後二人がまた話し出すまでこの小さな部屋に、重苦しい沈黙がながれた。
その間に二人の視線に耐えられなくなった私は逃れるように反対側へと移動した。
何が決意新たに、よ。お姉ちゃんの一言で思いっきり揺らいじゃったじゃない!
声に出さず愚痴り、何とか冷静さを取り戻そうと努めた。
「気のせいかしら? ……ああ、この部屋の話でしたね」
「え、ええそうです」
そうして流れた時間は十秒か十分か十時間か。
私には時間の感覚がわからなくなるぐらいの苦しい時間が過ぎてから、お姉ちゃんたちはまた話し始めた。
私の心臓はまだバクバクと大きな音を立てている。
もしかしたらこの音で気づかれるんじゃないかな、なんて疑ってしまうほどに大きく。
いっそこの心臓がそのまま破裂してしまえばいいのに。このまま脱出もできずいつばれるともしれない空間にいるよりはそっちの方が……
そんな馬鹿な考えが頭をよぎるほど私には余裕がなかった。
「こいしの部屋といってもこいしがこの部屋にいるのかと言われれば当然そうではないわ。ここは、もともと地上で住んでいたとき……こいしと一緒だったときのこいしの部屋を再現しているだけなの」
ああやっぱり。
私がこの部屋にきて感じたもう一つの感情。それが何なのかはっきりとした。
既視感、というか安心感かな。とにかくこの部屋はそれを感じさせていた。
カーペットにベッドの布団、壁の色やぬいぐるみたちはみんな私が地上でお姉ちゃんから与えられていた、お気に入りの物たちだった。
あ、あとごめんお姉ちゃん。今私この部屋にいるよ。気付かれたら困るから言わないけど。
「ではこの部屋はすべてさとり様一人で作ったということですか? 全然気づきませんでしたけど」
「あなたが最初地霊殿に来たとき窓ガラスを割ったでしょ? あれの修理の時についでにこの部屋の仕掛けも頼んだのよ。その時から作り出したから、あなたがまだ人化するほどの力もなかった頃の話だし気付かなくて当然よ」
「あ、あはは。そうなんですか」
居心地悪そうに指で頬をかきながら目をそらして乾いた笑みを浮かべるお燐。
まるで思い出したくなかった過去を思い出してしまった、そんな感じの反応だ。
ていうかその通りなんだろうけど。
「そ、それにしてもこんなかわいいものがよく旧都に売ってましたね。それにずいぶんきれいな仕上がで作り手の愛情が伝わってくるというか」
照れ隠しの為に、お燐が近くにあった犬のぬいぐるみを持ち上げて言った。
「……それ、私の手作りよ」
「え? これさとり様が作ったんですか!?」
少し照れたように頬を薄く赤に染めるお姉ちゃん。
かわいい。
さっきお燐がやったように、いやそれ以上露骨に顔自体を背けてしまって照れた顔を隠そうとするお姉ちゃん。
でもそこまで広くない部屋だからそっぽを向いた程度じゃほとんど意味がなく、火照った頬がちらりとこちらを覗かせている。
そもそもそっぽを向いたことで、こちらに正面を向ける形になってしまったかわいらしいお耳が赤く染まってる時点で丸解りだ。
うん、かわいい。
大事なことだから二回言った。
……あ、そういえばいま脱出のチャンスなんじゃ。
でも、かわいいお姉ちゃんをもっと堪能したいっていう気持ちが邪魔をしてくる。
具体的には、お姉ちゃんの両腕を私のサードアイのコードで頭の後ろに縛ってそれからお姉ちゃんの脇、鎖骨、首筋、耳、顔、といったところを余すことなくペロペロしたい!
とか考えてるうちにいつの間にか自由になってしまっていた私の腕とサードアイのコードがお姉ちゃんを捕まえようと画策していた。
ぎりぎり、本当あと数センチぐらいってところで何とか私の理性が勝利してくれたおかげでまた私の腕は縛られてしまった。
やばい。そろそろ本格的に逃げ出さないとほんとやばい。
棒のように動こうとしない足をなんとか進ませようと悪戦苦闘している内にも話は進む。
「どうりで見覚えがないと」
持っていたぬいぐるみを元の位置に戻し、お燐はお姉ちゃんに向かい合った。
「それで、えーと……あー」
頭を無造作にかいて気を紛らわし気まずそうにしていたお燐だけど、お姉ちゃんの第三の眼と目が合ったとき観念したようにため息をついた。
「大丈夫よお燐。むしろここまで話しておいて最後まで言えないという方がつらいもの」
お姉ちゃんはまだ少し赤い顔、でもさっきまでのようなあどけないかわいらしさはもうその表情にはなくいたって冷静ないつものお姉ちゃんの顔でお燐に向き合った。
「えっと、それじゃあ遠慮なく。この部屋は何のために作ったのですか?」
重たい足を縛り上げた腕も使って一歩、また一歩と進み、扉まであと二、三歩といったところでまた私は足を止めた。
お姉ちゃんは少し考え込むように黙りこくり、そして話し出した。
「ここは私がこいしに会いたいという許されない欲望に支配されたとき、それを仮に満たす為に創られた部屋です」
お燐はお姉ちゃんの方へ移動しお姉ちゃんは動いてない。
今なら簡単に逃げ出せる。のに、私の足は今度こそ棒に変貌してしまった。
「あなたにはこいしのことを話したわよね。なら、こいしがなぜいなくなって、私の前に今も現れてくれないかも知ってるわよね」
「こいし様の前で人間を殺し、それを許されていないから……ですか」
「そうね、確認は取れないけれどきっとあってるわ。いくら捜してもあの娘は出てきてくれなかった。それは仕方のないことだと理解しているけど、それでも私はこいしが居ないとだめなのよ。あなたが言い当てたようにね」
今私の胸を、どんな時よりも――さっきお姉ちゃんたちにばれそうになった時よりも――ドクン、ドクン、と高鳴らせるこの感情はいったい何だというのだろう。
瞳を閉ざしたから分からないのかな。いや、違う気がする。こんないろいろな激情が混ざり合った複雑怪奇なもの、私は知らない。なんとなくそう確信させられた。
「だからこの部屋を創った。こいしを感じる為に。こいしの怒りを踏みにじる浅ましい考えだとはわかっていても止められなかった」
「この部屋の存在を隠していた理由は二つあるわ。一つが単純に恥ずかしかったから。こんな私の一番の弱みを誰かに見せるということが……」
「そのもう一つの理由がさとり様をひどく傷つけるものなんですか」
少し黙ってしまったお姉ちゃんを促すようにお燐が言った。
もう私の腕には何にも縛られていない。もう、それどころではなくなっていた。
「あなたは本当にいい娘ね」
「この部屋に入るたび私はこいしを感じられた。それと同時にこいしを捜すことをあきらめてしまった私が、こんな卑怯な手段で欲望を満たす自分が何よりも嫌に感じられた。どんな苦痛よりも、どんな声よりも辛かった」
「今まで黙っていてごめんなさいお燐」
「!? 頭なんか下げないでくださいさとり様!」
少しの間気まずい沈黙が流れ、お燐がそれを無理に壊した。
「そ、そういえば結局誰がこの部屋を開けたんでしょうね」
「誰でしょうね。あなたでもなく他のだれでもないなんて。まあ、もう用もないし出ましょうか」
そうですね、とお燐とお姉ちゃんが外へと足を向けた。
当然その先にいるのは、
「お姉ちゃん!」
「え? きゃっ!」
いまだ渦巻く激情に悩まされていた私が居た。
その私は無意識か意識か、とにかくお姉ちゃんに抱き付いていた。
いくら私の能力でもこんな事したらばれちゃう。
でも、止められなかった。止められるわけがなかった。
激情の中で一番を占めていたのは、喜びだったんだから。
「こ、こいし!? いったいどこから、というか、なぜここに?」
「ごめんなさいお姉ちゃんごめんなさい……ありがとう!」
倒れたお姉ちゃんをそのまま抱きしめて私は泣いた。
お姉ちゃんごめんなさい、私のやってたことは間違ってたんだね。
お姉ちゃんありがとう、私をずっと忘れずに想っていてくれて。
やっぱり私はお姉ちゃんが大好きだ。
お姉ちゃんに会えないのが我慢ならないくらいに大大大好きなんだ。
「……おかえりなさい、こいし」
懐かしい感触が私の頭を支配した。
お姉ちゃんの手が私の頭を優しく撫でてくれている。
なでなで、気持ちいい。
ずっとこうしていてほしい。
ギュッとお姉ちゃんを抱きしめる力を強くする。
お姉ちゃんは少し苦しそうに身じろぎしたけど、なでなでをやめずにいてくれた。
「ただいま、お姉ちゃん!」
お姉ちゃんは私が帰らないことを、私が怒っていると勘違いをして自分を責め続けていた。
私はお姉ちゃんを傷つけた責任としてお姉ちゃんに会わないよう我慢していた。
私たちはお互い相手を想っていたのに、なぜかその実相手を傷つける形で幾年も過ごし続けるという、とんだ茶番劇を繰り広げていたみたい。
記憶の底に沈むほど久しぶりの姉妹二人の話し合いでそのことが分かった時はあまりの馬鹿らしさに二人で乾いた笑いを浮かべてしまった。
あーあ。この何年も思い悩んできたことっていったい何だったのかなあ。
こんなことなら瞳閉じなければよかったなあ。まあそれだったらそもそもこんなことにもならなかったけど。
結局私がお姉ちゃんの気持ちを考えず閉ざしちゃったからいけなかったんだし。
とお姉ちゃんに言ったらお姉ちゃんは黙って私を抱きしめてなでなでしてくれた。
どうやらこの姉は私が心の内でしてほしいことをしっかりと読み取れる、サードアイ以外の何かを持っているらしい。
まったくやっかいだな。こんなんじゃお姉ちゃんの狙い通り、自分を責め続けることもできなくなっちゃったじゃないの。
そう思いながらもこの姉の胸を借り続ける私も、大概お姉ちゃん大好きっ子で姉想いの妹だね。
「というわけで、、今日からお姉ちゃんと一緒に住むことになった妹のこいしです」
姉妹水入らずの時間も過ぎて今はお食事の時間。
大食堂でお姉ちゃんと、たくさんの動物、さっき見たお燐やもう一人烏の妖怪も集まった席で軽く自己紹介を済ませた。
実はこんな大勢の注目を浴びる機会って全然なかったから緊張したけど何とかなったかな?
「お疲れ様こいし。なかなか良かったわよ」
相変わらずこの姉は私の心を読んだかのような絶妙なタイミングで言ってほしいことを言ってくれるなあ。
実は本当に私の心も読めてるんじゃないの? なんて冗談めいた疑問が頭をよぎったけどそれはまあいったん置いとくとしよう。
「私は霊烏路 空です。よろしくお願いしますこいし様!」
「あたいは火焔猫 燐と申します。お気軽にお燐とでも呼んでくださればうれしいです。改めましてよろしくお願いしますこいし様」
その二人の声を皮切りに、ワンワン、ニャーニャー、カーカー、ガウガウ、と一斉に食堂内の動物たちが鳴き出した。
「みんなあなたを歓迎しているわ。よかったわね」
お姉ちゃんが嬉しそうに笑みを浮かべている。
私のことなのに自分のことのように、いや、それ以上に喜んだ様子を見せてくれるお姉ちゃん。
思わず抱き付きそうになったけど椅子の足に足をぶつけて止められた。
まったくお姉ちゃんはかわいいなあ。
「うん。……たべちゃいたいなあ」
「え? ああそうね。そろそろいただきましょうか」
「分かりました。では、いただきます!」
(いただきます!)
お姉ちゃんの目配せを受けたお空の合図でみんな一斉に食事に着き始めた。
もしかして私、口に出してたのかな? だとしたら危なかった。お姉ちゃんが都合よく解釈してくれてよかった。
今は前みたいに一人というわけじゃないんだから気を付けていかないと。
夕食が済みみんなそれぞれの部屋に戻り思い思いに地底の夜を過ごしている。
お空はすでに就寝して、お燐は多少の雑務を済ますまでは起きているらしい。
たくさんのペットたちも少数のまだ野生での生活が染みついている夜行性の動物たちを残して皆寝入ってしまっていた。
そんな中私はというと、お姉ちゃんの部屋の前に来ていた。
勿論部屋をもらってないから、なんてそんな受動的な理由ではなく私は私の意思でここにきている。
理由は、まあ、単純で、もうやることもないからお姉ちゃんと一緒に居たいなあって思ったから。
ドアに手をかける前に、ちょっと身だしなみをチェック。
……うん。大丈夫そう。
いちよう念入りにお風呂に入ったからどこを見られても恥ずかしくない。
やっぱり匂いとか髪型とか気になっちゃうもんね。女の子だし。
少し高鳴る胸を感じながらガチャリとドアを開ける。
「!? ……こ、こいしですか。どうしたんですか?」
一瞬ビクッと体を震わせたお姉ちゃんは突然の来客が私だと気づいて少しまごつきながらもいつものような温和で優しい笑顔をうがべていた。
お姉ちゃんがあんな風に驚くのってなかなか見れないからちょっと得した気分。
ああ、不安におびえるお姉ちゃんもかわいいなあ。
いつもは頼りになるお姉ちゃんの数少ない動揺した様を満足いくまで堪能してから安心させるようにギュッと抱きしめてあげる。そうして私の胸の中で不安に震えるお姉ちゃんを優しく撫でて慰めてあげる。
ふふふ、なかなかいいシチュエーションじゃないかな。今度機会があったら試してみよっと。
「えーと、なんでそんないい笑顔を浮かべたまま立ち尽くしているのかしら?」
「え、あ、ごめんなんでもないよ。別に用ってほどでもないんだけど、お姉ちゃんと一緒に居たくて」
しまったしまった。ちょっと妄想に気を使いすぎてお姉ちゃんに不信な思いをさせちゃった。
今は妄想のお姉ちゃんを愛でるより目の前のお姉ちゃんを愛でる方が先決だもんね。
妄想はいつでもできるけど今のお姉ちゃんは今しか堪能できないんだから。
「そうなの? 別にいいけれどお姉ちゃんはまだ少し仕事があるわよ」
「え、こんな時間にまだするの? もう寝ないと明日起きられないよ」
壁に掛けられた時計が指示している時刻はすでに丑の刻を四半刻過ぎたあたり、良い子が眠る時刻を過ぎたなんてもんじゃない。
まあ私たちが良い子かは知らないけど。
「あら、もうそんな時刻なのね。それじゃあこれを書き上げたら終わるので少し待ってください」
そう言いまた机に体を向けて何かをかき始めるお姉ちゃん。
どうやら今はもう私にかまってくれる気はないみたい。
少し残念だけどもう終わるみたいだしおとなしく待っとくことにしようっと。
この思いのほかふかふかで、何よりお姉ちゃんの匂いがいっぱいするベッドで寝ころびながらお姉ちゃんを眺めるっていうのもなかなか乙なものだしね。
「はあ~終わった」
そんなこんなで半刻後、やっとお仕事の終わったらしいお姉ちゃんは思いっきり伸びをした。
そのままくるっと私の方を向くとあっ、と声を漏らして顔を背けちゃった。
代わりに正面を向いた真っ赤なお耳が、どうやら私が居ることをすっかり忘れていて油断していたということを物語っていた。
そんなの気にしなくてもいいのに、ほんと一々かわいいなあお姉ちゃんは。
「お疲れさまお姉ちゃん。それじゃ寝よっか」
「え、ええ。そうしましょう」
まだ少し赤い顔で目線を合わせずにお姉ちゃんは椅子から降りて私の方まで歩み寄ってきた。
このままベッドに押し倒して堪能行くまでペロペロしようって思ったけど、いい感じの眠気に襲われてちょっと体が自由に動いてくれなかったからしぶしぶ断念した。
くそう、昨日もっと寝ておくべきだった。
「て、あなたもここで寝るの?」
「え、そのつもりだけど……ダメ?」
「え、あいやその……いいわよ」
「やった、ありがとお姉ちゃん」
「ええ……」
お姉ちゃんいきなり当然の質問しないでよね。思いっきり甘えるように、上目遣いでお姉ちゃんに答えたらまた顔を真っ赤にしてかわいい照れ顔を見せてくれたから許しちゃうけど、今さら一人で寝ろなんて言ってきたら私怒っちゃうからね。
ここまで待たせておきながら一人で寝るなんて絶対ヤだからね。
「それじゃ、今度こそ寝よっか」
「あ、寝間着に着替えるからちょっと待ってちょうだい」
「あ、そっかそうだね」
確かに言われてみればお姉ちゃんはいつものふりふりした白い襟に澄んだ水色の服、薄い薔薇の刺繍が施されたピンクのスカートといった普段着に身を包んでいる。
……あれ? お姉ちゃんお風呂は?
考えてみれば夕食の後お姉ちゃんの姿を見てなかった気がするけど。
……まあ、それはそれであり、かな。
「あの、こいし? いつからあなたはそんなにいい笑顔を何もないときにもうかべるようになったのかしら?」
「え、ああ、いや別に何も……お姉ちゃんと久しぶりに一緒に入れるから嬉しくって」
やばいやばい、幾年も一人で誰にも見つからずに過ごした日々は私が思った以上に深い爪跡を残したみたい。
「そうね。確かにずいぶんと久しぶりね」
お姉ちゃんは少し寂しそうに、私に言っているのか独り言なのかの区別がつかないくらいの小さな声で寂しそうにつぶやいた。
とりあえずごまかせたのは良かったけどお姉ちゃんに悲しい思いをさせちゃったみたいであんまり喜べない。
っと、いつの間にかお姉ちゃんが寝間着らしきものを持ってる。
そして、ゆっくりと上の服の裾を掴んで上に持ち上げて、お姉ちゃんの日に当たることのない不健康そうな白い肌がだんだんと……
「あの、こいし。気のせいだったら悪いのだけど、その、じっと見つめられるのはちょっと恥ずかしいから止めてほしいのだけど」
「うぇ!? ご、ごめんごめん」
持ち上げた裾をまた降ろして、紅潮して困ったような恥ずかしいような表情を浮かべてお姉ちゃんが言ってきた。
慌ててあやまって目線をそらしたら、少ししてまた着替えを開始しだした。
あー、くっそ。ちょっと凝視しすぎちゃったなあ。今度から気を付けないと。
あ~でもさっきのお姉ちゃんもかわいかったなあ。
今日はお姉ちゃんがすっごくかわいい良い日。
いや、もともとかわいいんだし久しぶりだからそう感じるだけかな。
まあどっちにしても、ごちそうさまな日でこいしちゃん大満足。
「じゃあ寝ましょうか」
着替え終えたお姉ちゃんがゆっくりとこっちに向かって歩いてくる。
さっきまでの普段着とは真逆で上が黄色、下が緑と、まるで私のような色合いの寝間着だった。
「あれ? お姉ちゃんパジャマ替えたんだ」
確か昔は普段着のお姉ちゃんと同じ色合いだったはず。
これはこれでとってもかわいいんだけど何があったんだろう。
結構時間たってるからお姉ちゃんが成長して着れなくなった……は、ないかな。
「……その、これは、あの」
どうにも歯切れが悪いなあ。何か言いたくないことなのかな。
「ふ~ん、まあいいや。早くお姉ちゃんも入って入って」
「え、ええ」
まだ少し調子悪そうにしながらもすでに布団に包まれて待機している私の隣に入ってくるお姉ちゃん。
すると、その瞬間さっきまでよりもいっそう香り豊かな匂いが私の鼻腔を刺激した。
ふぁ~、いい匂い。
なんて言えばいいのかな? 家の香りというか落ち着く香りというか、とにかく、「私の居場所はここだ」と示しているような安心できる香り。
「お姉ちゃん大好き!」
「きゃあッ!?」
えへへ、思わず抱き付いちゃった。
隣にあるお姉ちゃんの髪から、さっきよりもさらにいい匂いに加え、お姉ちゃんと接している体から伝わる温かな体温に私は一瞬で包まれてしまった。
「もう、本当いつも急なんだから」
そういって頭を撫でてくれるお姉ちゃん。
やっぱりお姉ちゃんのなでなで気持ちいい。
こんなに環境が整っちゃったらもうやれることは一つしかないじゃない。
というわけで、さっきから付きまとっていた眠気が私の中で膨れ上がってきた。
ちょうど明日は早いし今日はもう寝ちゃおうかな。
ちょっともったいない気も、する、け、ど。
「おやすみ、こいし」
おや、す、み……おね、え、ちゃん
暗い部屋、何の光源もない、光の射さない真っ暗な。
私は私を包む腕をゆっくりと、慎重に外して、起き上がった。
いくら夏と言えど、地底には陽の光がない影響か、単に真夜中だからか、心地よいぬくもりから離れた私の体は肌寒さを感じた。
「お姉ちゃん」
起こさないように隣ですー、すー、と寝息を立てているお姉ちゃんに語りかける。
「お姉ちゃんはこいしのこと、好き? 愛してる?」
お姉ちゃんには語りかけず、でも、お姉ちゃんに話しかける。
「……大好き、愛してるわこいし」
「そっか、ありがと。私も大好き、愛してるよお姉ちゃん」
寝ている時、人(妖怪)は夢を見る。
夢はその人の沈んでしまった、頭の片隅の片隅に残る記憶から形成される。
それは意識化で作られるものではなく無意識によって作られる。
私の能力は「無意識を操る程度の能力」
と言ってもさすがに夢に入ったり私が勝手に作り替えたりはできないけど、ちょっとだけ、単純な質問ぐらい答えさせれるんだ。
まあ、たまに変な奴に邪魔されるんだけど。
青い髪に瞳、赤いナイトキャップ、そして変な球体と本を持ってるよくわかんない奴。
今日は大丈夫だったみたいだからよかったけど。
そいつ曰く「勝手に人の夢に立ち入られると困る」とか言ってたけど、どういう意味なんだか。
まあいっか、重要なのは昨日聞きそびれちゃったお姉ちゃんの本音を聞き出すことなんだから。
さあ、あとは仕上げにかかるだけ。お姉ちゃんが寝てる間に片づけちゃおう。
うふふ、大好きだよお姉ちゃん。
「ん、う~ん」
起き上がり大きく伸びをする。
ぱきぽきと相変わらず不健康な音が聞こえて、少し運動でもしてみようかしらなんて柄にもないことを考えていると少しづつ頭がさえてきた。
日差しが差し込むことのない地底。だけど体が覚えているのか毎日同じ時間に起きてしまう。
時刻は虎の刻を半刻ばかり過ぎたころ。地上ならそろそろ太陽が顔を出す頃かしら。
そして鳥たちの囀りなんかも聞こえたり。
でも、こっちでも私の周りにはたくさんのペットがいるからこれに関しては同じように聞こえる、はずなのだけど……
今日はなぜか誰の声も聞こえない。
この時刻お燐はいつも挨拶に来るのにそれもない。
それにこの異常な静かさは一体何なのかしら。
鳴き声どころか心の声すら少しも聞こえないなんてどういうこと?
「何となく嫌な予感がするわ」
着替えることもせずとりあえずハンガーにかけてあった上着にそでを通して外に出てみる。
……やはり「声」が聞こえない。
(………と…様、……げ……)
いや、幽かに何か聞こえる?
「……と……!……に……て…」
聞こえた。本当に幽かだけど右の方から。
今のは、お燐の声? でも一体何が……
「さとり様! 逃げてください!」
声の聞こえたほうに眼を向けるとそこには確かにお燐の姿があった。
ただし、私の知るいつものお燐とはかけ離れていた。
「お、お燐。その姿は……」
「さとり様! 逃げて!」
お燐の右腕は無数の刺し跡があり血が流れ続けている。
それをかばう左腕には切り傷があり、足にも体にも全身に刺し傷と切り傷が、そこから流れ出る血が見えた。
「お燐! どうしたの、何があったの!」
走り寄ってくるお燐に私の方からも走ってお燐に近づいた。
何があったのか分からない。でも、何にせよ今やることはお燐の治療だということだけは分かった。
しかしそれは間違いだった。
「こっちに来ては駄目ですさとり様! 今すぐにげ……て………」
お燐まであと数メートル、もう手が届くまでの距離に来た私に、お燐の腹部から突き出された青いコードが顔をかすめた。
お燐を貫いたそのコードは私のすぐ後ろで折り返し、お燐の頭を貫いた。
「ッ!? さ、とり、さ……」
その声を最後にお燐は廊下の赤い海に倒れこみ、声も「声」もださなくなった。
穴をあけられた頭部からドロドロと押し出されるように「なにか」が流れ出てきていた。
腹部からも、血とともに「なにか」、が赤い海を泳いでいた。
それが「なにか」私にはわからなかった。分かろうとしなかった。
ただ、分かったことは、お燐はもう死んだのだ、という事実だけだった。
「あ、お姉ちゃんもう起きちゃったの? いつもこんな時間に起きてるの? ダメだよもっとちゃんと寝てないと」
奥からこいしが現れた。
ああ。私は夢を見ているの? 何が起こったというの?
どうしてこいしは血まみれの包丁を握りしめ、藍色のサードアイを赤黒く染めているの?
訳が分からないわけが分からない。
「もうちょっと待ってね、もう終わるから」
笑顔で、昨日たくさん見せてくれたあのかわいらしい無邪気な笑顔でこいしは私に話しかけてきた。
「あ、あなたは。何を、しているの」
恐怖と混乱で呂律が回らない。体も動いてくれない。
今目の前にいるのは本当にあのこいしなの?
「え? 後処理だけど?」
「後、処理……?」
「そ、後処理。お姉ちゃんと私は両想いなんでしょ? だから今まではこの娘達がお姉ちゃんを支えてたんだろうけど、これからはもういらないでしょ。だから処理してるの。実は昨日の夜に大体やってたんだけどね、まだ寝てない子たちは後回しにしてたら意外に結構いてさ」
「どういう、意味……?」
分からない。こいつが何を言っているのか分からない。
処理ってなに? 両想い? いらない? 何を言っているの?
「地上の人間たちはね、両想い、お互いに愛しあう関係になると、その相手さえいれば他に何もいらなくなるんだって。だから私たちも同じでしょ?」
近づいてくる。あの笑みを携えて。
ぐちゃっ。
なんのおと? もう頭が動いてない……
「ん? あ、ごめんお燐。ふんじゃった」
「ひ、いやああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
「あ、待ってよお姉ちゃん」
いやだいやだしにたくないしにたくないおりんおくうだれかたすけてたすけてえ!
バタンッ!
エントランスまで走り続けドアを思いっきり閉めた。
そのままの勢いでそこらにある家具をすべてドアに叩き込んだ。
「はあ、はあ、はあ、はあ……」
日ごろの運動不足に体が悲鳴を上げ叫び続けたのどももう限界だった。
最後に目に映ったものを叩き込んで、そのままペタンと座り込んでしまった。
「何が、何が起こったの?」
少しの休憩で何とか余裕が生まれた私は、しかし今のこの状況を飲み込めずにいた。
ただ、こいしの言っていたことが本気であることは、嘘なんかではないということだけが身に染みて理解させられた。
ここまで走り逃げる最中、誰も異変に気づかないどころか「声」も聞こえなかった。
もう、誰もここにはいないということなの?
もう、あの娘たちには二度と会えないの?
(さ、さとり様?)
え? 今の「声」は……
柱の陰から右前脚を引きずった猫が私の方に怯えながら出てきていた。
私も痛む体を無理やり動かしてその子に近づく。
弱弱しく飛びついたこの子を私もまた弱弱しく抱きしめる。
(さとり様! さとり様! さとり様!!)
「大丈夫、もう、大丈夫よ……!」
震えるこの子を震える私が抱きしめる。
この子は少し前にこのお燐が拾ってきた子でまだ夜行性の気が抜けてない子だったはず。
だから、運よくあの娘の殺戮から逃れられたってことか。
……やっぱり、あれはこいし、なのね。
何があったのか分からないけれど、とにかく今はこの子を、この子だけでも何とか守りきらないと……
ドン!
「あ、お姉ちゃんみっけ♪」
ドアと置いてあった家具が音を立てて壊れ、こいしが現れた。
「いきなり走りだすからびっくりしたよ。て、あれその子……なんだ、お姉ちゃんも協力してくれてるの?」
「こ、こいし……」
こいしが私に近よってくる。私の腕で震えるこの子を、殺すために。
逃げたい、今すぐここから走り去りたい。
のに、さっきの疲労に加え、私の頭がまたこいしへの恐怖で塗りつぶされて動けない。
逃げなきゃ。来ないで。早く立たなきゃ。動けない。
(ああああああああああああああ!)
「あ、待って! 」
突然震えていた猫が、恐怖に負け、痛みも忘れて私の腕から零れ落ちて行ってしまった。
「大丈夫だよお姉ちゃん。私がやるから」
「ま、まってこいし!」
私の制止を求める声にこいしは答えずただ行動だけが私への返答として帰ってきた。
走ったといってもまだ子猫。しかも足には怪我もある。
そんな猫は私と数十メートルも離れることなく足を止めてしまった。
体を紫色したものがつらぬいてしまっていたから……
「お姉ちゃん」
何がいけなかったのだろう。
どうしてこうなってしまったのだろう。
どこで間違えてしまったのだろう。
「お姉ちゃん」
きっと最初から。私がこいしをあきらめて、捜すことをやめてしまったから。
だからこいしは狂った。いや、壊れた。
きっと私が見つけておけば、彼女は元の彼女に戻ってくれたのだろう。
そう、すべて私の責任。
ペットたちが死んだのも、お燐が死んだのも、こいしが壊れたのも。
「お姉ちゃん」
ぜんぶゼンブワタシノせい
「お姉ちゃん」
だから
「こいし、愛してるわ」
「うん私もだよ」
セメテコイシダケハ、ワタシガズットイッショニイテ……
「お姉ちゃん」
「こいし」
二人の覚り、覚りだったものは地霊殿、だったもので日がな一日愛し合っていた。
食事もとらず、睡眠もせず、誰とも話さず、ただ、二人は二人の世界、閉じられた世界を二人で過ごしていた。
幸せそうに。
まるで何も知らぬ幼子のように二人は幸せに過ごしていた。
……それがいつか終わる仮初の楽園であることも知らずに。
まもなく地霊殿からの報告が途絶えたことに気づいた閻魔が彼女たちのもとに訪れる。
その時、偽りの楽園は砕かれ、彼女たちは裁きを受けることになるだろう。
しかし、そんなことには気づかない。
眼を閉ざした彼女たちは今日もまた二人で愛を語り、示している。
「「だいすき」」
もう少し知識を詰め込んでから投稿してください。