Coolier - 新生・東方創想話

メリー「幻想郷から拉致してきた先代巫女に拉致られて幻想郷京都支部に滞在する事になった」後篇

2013/07/29 03:02:58
最終更新
サイズ
98.8KB
ページ数
1
閲覧数
2750
評価数
5/21
POINT
1090
Rate
10.14

分類タグ

■ちょっと、京都支部編つまらなくない? 速く先に進んでよ! な方へ。

当作品を開いてくださってありがとうございます。
あとがきに、簡単ですが本話の要約をまとめてみました。
紆余曲折を経ることになりますが、この要約さえ分かっていれば、本話は最低限網羅できております。
どうぞよろしくお願いします。


注意! シリーズものです!
以下の作品を先にご覧いただくことをお勧めいたします。

1.メリー「蓮子を待ってたら金髪美女が声をかけてきた」(作品集183)
2.蓮子「メリーを待ってたら常識的なOLが声をかけてきた」(作品集183)
3.蓮子「10年ぶりくらいにメリーから連絡が来たから会いに行ってみた」(作品集183)
4.蓮子「紫に対するあいつらの変態的な視線が日に日に増している」(作品集184)
5.メリー「泊まりに来た蓮子に深夜起こされて大学卒業後のことを質問された」(作品集184)
6.メリー「蓮子と紫が私に隠れて活動しているから独自に調査することにした」(作品集184)
7.メリー「蓮子とご飯を食べていたら金髪幼女が認知しろと迫ってきた」(作品集184)
8.魔理沙「霊夢が眠りっぱなしだから起きるまで縁側に座って待ってみた」(作品集184)
9.メリー「未来パラレルから来た蓮子が結界省から私を救い出すために弾幕勝負を始めた」(作品集185)
10.メリー「蓮子と教授たちと八雲邸を捜索していたら大変な資料を見つけてしまった」 (作品集185)
11.魔理沙「蓮子とメリーのちゅっちゅで私の鬱がヤバい」(作品集185)
12.メリー「幻想郷から拉致してきた先代巫女に拉致られて幻想郷京都支部に滞在する事になった」前篇(作品集186)
13.メリー「幻想郷から拉致してきた先代巫女に拉致られて幻想郷京都支部に滞在する事になった」中篇(作品集186)
14.メリー「幻想郷から拉致してきた先代巫女に拉致られて幻想郷京都支部に滞在する事になった」後篇(作品集187)(←今ここ!)
15.メリー「結界資源を奪い合って魔理沙と結界省たちが弾幕勝負を始めた」(作品集187)
16.メリー「霊夢を信じた私がバカだった」前篇(作品集187)
17.メリー「霊夢を信じた私がバカだった」中篇(作品集188)





起きると、蓮子がデッキチェアの上で尺取虫ロボットをこねくり回していた。
焚火は消えている。ユディは物干し台の上で眠っているし、アマゴの土のふくらみもそのままだ。
地下洞窟であるため、時間は分からない。

「あんた、どんだけそのロボット好きなのよ」
「あ、おはようメリー。二番起床おめでとう」
「おはよ、蓮子いまの時間分かる?」
「お風呂場に時計があったよ。朝の8時過ぎだってさ」
「ん? お風呂入ったんだ」
「昨日は入れなかったから。メリーも入ったら?」
「よし、頂くことにしよう」
「風呂と言えばそうそう、多分ぶったまげるよ」
「? なにが?」
「行ってみればわかる」

焚火で乾かした服は乾いていた。回収して扉へ入り、左手の扉をそっと覗きこむ。
脱衣場が見えた。中へ進入。洗濯機と洗面台、その脇にタオルが置いてある。
洗濯機の中は、蓮子が使ったであろうタオルと、パジャマのスウェットが入っていた。

服を脱いで風呂へ進む。

手足を大の字に広げて浸かれる広さの風呂釜に、お湯が張ってある。
保温は切ってあるけれど、そっと触れたらまだ温かかった。蓮子が入ったからだ。

そして風呂釜の四方に噴射口の様な金具が見える。
風呂って言うか、ジャグジーだこれ。

操作盤を操作し、色々と試してみる。
開始を押下すると、風呂釜が水泡に包まれた。

生まれて初めて見た! ジャグジーだこれ!
一度オフにして、体を洗った。

泡をシャワーで洗い流して、ジャグジーをオン。
そっと浸かって、ぶったまげた。全身に鳥肌が立った。

「すげぇ」
「すごかったでしょ」
「うん、すげぇ」
「語彙が足りないのが悩ましいけれど、すごかったよね」
「うん、ジャグジーやべぇ」

服を着替えてデッキチェアに戻ってくる。
蓮子がドライバー片手に尺取虫ロボットを改造した。
スイッチを入れると、尻尾の部分だけが激しく動き、びったんびったんと机を叩いた。

「ぷ、っくくくく」

蓮子がそれを見て笑いをこらえている。
なんか蓮子、沸点低くない?

そのままびったんびったん30秒ほど動いて、急に動きを止める。
ピーと警告音。温度異常を知らせるLEDが赤点灯。

「ぶっ、ぶふ、わはははは!」
「わははははは!」

これには私も笑ってしまった。シュールだ。

「おはよーお二人さん。って、なに笑ってんの」

ウエヤブが水路から上がってきた。
目を手の甲で擦りながらこちらを訝しんでいる。

「あ、ウエヤブ、お風呂借りたわ。ジャグジーすごいね」
「使ったタオルと借りたパジャマは、洗濯機の中に入れておいたから」
「あいよ了解。ユディとアマゴは、――まだ寝てるのか。私も風呂に入って来ようかな」

ウエヤブが風呂から上がってくるまで、私と蓮子は将棋で遊ぶことにした。
素人将棋である。私も蓮子も、矢倉囲い居飛車棒銀くらいしか戦法を知らない。
駒が人型で自立行動する為、いちいち手に持つ必要はなく、口頭で「3七銀行け!」と指示を出すのだ。

時々駒が「それは悪手だ」とか「一手損だぞばかもん」とか愚痴を吐いてくる。
ついには駒が勝手に動きだし、私と蓮子は観戦するだけになった。
ドラマ仕立てになっていることに気付く。これがなかなか面白い。

実は私の歩の内の一つは、蓮子の金将の実の子供で、複雑な事情で敵対しているとか。
金将が私の持ち駒になると、戦場で再会した金と歩が会話を始めたり。

金を貼って王手。銀が金を取り、その銀の死角へ歩が滑り込む、敵陣侵入成功、成り。
一兵卒の雑兵が、金将と同等の力を得た瞬間である。
と金により王手、竜王の遠距離射程内である。蓮子の玉は逃げる一手。

「行け我が息子! 私の代わりに玉を討ち取ってくれ!」
「なに? 囮だと!? 小癪な真似を!」
「ここは危険です! お逃げください! ぐあっ!」

金を討った銀は、角の遠距離攻撃で沈む。成り、竜馬。さらに王手。
玉が逃げる。ひぃひぃと絶え絶えの息をしながら、奥へ走る。

「――竜馬殿、――私は、――父を失った私は、一体どうすれば良いのでしょう?」

父の亡骸を抱きながら、傍らに立つ竜馬を見上げると金。
彼は、玉の下で戦果を上げる父を討つために、この戦に参加したのだった。
それがいつしか父の背中を見ながら戦うことになり、今はその父に庇われて命がある。

彼にとって父はあらゆる行動の原理で、目標であり、同時に目的だったのだ。
それを失ったと金は、いわば大海原で羅針盤を失い漂流する船の様な物だった。

「行先を見失った時は、一度原点へ帰るのだ」

竜馬はと金を見下ろしたまま、一言そう言った。
その言葉は、父が息子へ教えた教訓でもあった。

はっと、と金の双眸に光が灯った。
ゆっくりと、優しく父の亡骸をおろし、そして二本の足で立ち上がる。

「玉を討ちまする」

燃え盛る城門を背景に、と金がゆっくりと前へ進んだ。
鉄鞘から抜き放つ白銀の刃。闇夜に輝く白刃は一寸の曇りもない業物。
父が死に際に息子へ託した、一振りの名刀だった。

「待て! ここで私を逃がしてくれれば、相当の地位を与えてやろう! どうだ!?」
「地位などいらぬ。富もいらぬ。ただ今は亡き父の使命を形にするのみ」

邪知暴虐の限りを尽くした玉が父の斬撃により深手を負い、田で腰砕けになっている。
鍛え抜かれた鋼鉄の鎧が、今は泥に汚れ、燃え盛る城門の炎を鈍く反射させている。

玉へ静かに接近すると金の決意が可視化されているようであった。
そして、玉を捉えた死の恐怖が、その首に向かって手を伸ばしているようでもあった。

「お前の父には悪い事をした! すまなかった! だから命だけは!」
「我が使命のためお命頂戴仕る! うおおおおおおおお!」
『シナリオ番号83番、146手にて詰み、先手勝利です』
「…………」「…………」

私と蓮子は物言わなくなった駒を見詰め続けた。

そこで、ウエヤブが風呂から上がってくる。
首にハンドタオルをかけ、ボクサーパンツに黒のタンクトップ一枚という格好。

「よっし、お風呂出たよー。お? 将棋やってるの? 今はどんな局面?」
「終わったわ」
「終わったの? どっちの勝ち?」
「と金の勝ちだわ」
「え? と金の勝ち?」
「父から初めて自立したのよ」
「え? 父? 自立って?」
「144手目の竜馬さんのセリフが、良かったわ」
「ああ、シナリオ83番? あれ私が作ったんだ。劇的な棋譜にセリフをつけて、」
「あなたが神か!」「神シナリオだったわ! そう、いわゆるGodよ!」

私と蓮子に手を握られたウエヤブが、私たちの顔を見て言った。

「いや泣くのは流石に大袈裟だろ!?」



ウエヤブに焼うどんを作って貰った。
ニンジン、キャベツ、もやしを炒め、うどんを醤油で味付けする。

食堂があるらしいが、人間を連れていくと確実にパニックになると言う。
黄さんと話している時の、妖怪達の垣根を思い出した。

ここでは人間が珍しいんだね。
落ち着いてご飯を食べるどころではなくなると、容易に想像できる。

そう話すウエヤブ。焚火の上に鉄板を敷いて調理していたのだが、火力が弱すぎるとぼやき。
奥からガスボンベを持ってきて点火。中華コンロ顔負けの火力だったので、笑ってしまった。

調理をしていたら、匂いで気付いたのかユディとアマゴが起きてきた。
完璧なタイミングである。それで、五人で朝食にした。

食後は緑茶を煎れてもらった。
私は、ユディがお茶を吐息で冷ます様を見ながら言った。

「ねえユディ、歌の練習って具体的に、どんなことやってるの?」
「ん? 別に、ただ好きな歌を歌ってるだけだよ?」
「声楽の練習法とかあるじゃん」
「なにそれ」

ユディは首をかしげるだけだった。

「え? 発声練習とかあるよ? 知らないの?」
「知らないわ。音楽好きで集まってセッションとかはするけれど」
「セッションじゃなくてさ。声を出す方法にも色々あるのよ?」
「へえそうなんだ。知らなかったわ」

私は呆れてしまった。
こんなにも綺麗な声と発声能力を持つ子が、声楽の練習方法を知らないとは!
私はユディを連れマシンルームへ。ウエヤブに頼み、グラボスを起動。

「グラボス、カロミオベンの楽譜を印刷したいんだけど」
「隣人が鶏を絞めていると勘違いしますよメリー様、よろしいので?」
「あとは、コンコーネの7、8、9番の楽譜もよろしく」
「おや? 何か訳ありですね。どうかしました?」
「ユディが声楽の練習法を知らないって言うからさ、教えてあげようと思って」
「なるほど。京都支部にも環境基本法を定め、騒音の定義が必要になるかと思いましたが、杞憂でした」
「ねえユディ、単細胞生物だけを完全に死滅させる歌って知ってる?」

ウエヤブに印刷機を出してもらい、楽譜を印刷。
とりあえずコンコーネ7番の楽譜をユディに手渡す。

「とりあえずアカペラで、はいどうぞ」
「はいどうぞって、なにが?」
「歌うのよ。楽譜を見て、できるでしょ?」
「楽譜の読み方、わからない」
「え? ドレミファソラシドって知ってる?」
「知らない」
「マジで!?」

もう一度グラボス前へ戻る。

ドの音を出してもらい、次に1オクターブ上のド。
これを七等分するのよ、と口で説明すると。

「この音であってる?」発声してみせる。喉が開き、美しい声だった。
「……ちょっとまって、あなたもしかして、絶対音感持ってる?」
「絶対音感ってなあに?」
「グラボス? ちょっと協力して欲しいんだけど」
「はい。ユディ様、先ほどの七等分した言い方で、今から出す音を当ててください」

絶対音感は、先天的な能力であるように言われているが。
実は生後3歳から6歳までの間に訓練をすれば、ほぼ確実に身につけることができる。
ただ絶対音感は、相対音感の習得の妨げになるから、一概に良いとは言えないのだが。

「では次に、次に出す二つの音階が、いくつ離れているか答えてください」

相対音感のテストである。ユディはこれもばっちりクリア。
指で音階を数えたりせず、ノータイムで答えている。

「楽譜の読み方は覚えましたね? ではこちらの楽譜を見てください。
 1分後に1度だけ、この譜を流します。その次に歌ってもらうので、覚えられるだけ覚えてくださいね」

読譜のテスト。これは絶対音感と相対音感を合わせた能力を見極めるものである。
ユディは1分にも及ぶ練習曲を、たった1回聞いただけで完全に覚えてしまった。

「面白いわ。案外覚えられるものなんだね」
「3.14159265358979、はいっ!」
「3.141、…………はいっ!」
「あなた、すごくステキよ」

どうやら音感に特化した能力を持っているらしい。
音大生でもここまでの感覚を身につけている人は、そうそう居ないだろう。
ちなみに音大生の絶対音感習得率は大体3割5分くらいとなっている。

(2013年統計です。気になった人はリサーチしてね!)

一般人から見たら超能力者みたいに見られるけど、業界内ではそんなでもないってこと、結構あるよね。
例えば卓上で鍵盤を叩くイメトレとか。ピアノやってない人からしたら超人様に見えるそうである。

ユディと一緒に砂浜で発声練習からはじめる。
ウエヤブが延長コードを用意して、グラボスにも聞いてもらった。

ちなみにイタリア練習歌曲を練習する際、日本人は有利だとよく言われる。
イタリア語は日本語の発音に似ているからだ。
他の言語の修得者よりも少ない時間で自習に移れるのである。

「喉元の発声と、鼻の奥からの発声。ユディ様は使い分けられますか?」

しかし日本人には悪い癖がある。喉から発声する癖である。
声楽においてこれは喉に声がこもってしまい、遠くまで響かない。
海外の実力がある歌手などは、鼻から出す発声方法を身につけている。

一度どちらかが身についてしまうと、直すのは難しい。
早い段階からの修練が必要なのだ。
それがユディはどちらもマスターしているから大したものである。

「ユディ様の音感能力は極めて高度な水準です」
「なんだか知らずのうちに身に付いてたわ。そんな技術的なものだったんだね」
「そんなに簡単なことだったかしら? 読譜と言い、かなりの実力だと思うんだけど」
「すっと同じ歌い方をしてると飽きてくるからね。たまに変えるんだよ」
「え? 何時間? 一日どれくらい練習してるの?」
「練習とか、意識したことないなぁ。歌なら一日中歌ってるわ」
「ねえグラボス、この子にもっと高度な教育を受けさせてあげたいわ」
「八雲黄様に交渉してみます。不肖グラボス、妖怪の皆さんに世界を知ってもらわなければと、使命感を得ました」

夜雀の歌声は人を狂わすって言うけれど、それって努力に裏付けられた実力なのかもしれないね。
私も死ぬ気で練習したら、歌を歌っただけでそこらの人を夜目に出来たりするのかしら?

蓮子はアマゴとタッグを組み、ウエヤブと将棋をしていた。
ウエヤブは飛車落ちで相手していたが、連戦蓮子が投了して終わっているようだ。

「く、くそう、勝てない! 完全な受けを想定する蓮子システムが、なぜこうも簡単にっ!」
「ふっ、次は飛車角落ちで相手してやろう」

蓮子たちのやりとりを尻目に、コンコーネ、コールユーブンゲン、カロミオベン。
声というのは、低い音程は先天的な能力であるが、高い音程は訓練で出せるようになる。
ユディは、やばい。もうお前それ楽器かと言うくらいまで高音を出す。

「昨日のグッバイハピネスはどこへやらって感じね。こんな身を捩じらせてさ」
「三角帽子を口に付けるってアドバイスが的確だったよメリー、ありがとう」
「うん私、ちょっと休むわ、疲れた」
「じゃあそこで聞いててよ。なんだか楽しくなってきたわ」

グラボスの伴奏でカロミオベンを歌い始めるユディ。うますぎワロタ。
私は、デッキチェアを蓮子たちが対局の傍まで引きずってゆき、そこにどさりと腰掛けた。

「人柱がどうなるか分かるまでは、ここにいるんだろう?」ウエヤブが聞いてくる。
「そうね、今日の昼ごろ分かるって言ってたけど、どうなるんだろう」
「部屋はあてがわれてるのかい?」
「うん、自由に使っていいって言われてる部屋ならあるよ」
「ん? 私が寝てたあの部屋でいいんだね?」
「そうだね。メリーは寝てたから聞いてないだろうけど」
「昼食はなににしようか?」

私と蓮子は、顔を見合った。
ここは、遠慮するべきだろうと思う。

「お昼ご飯まではご馳走になる訳にはいかないわ」
「遠慮してるのかい? こっちは一向に構わないよ」
「いやでもメリー、他にご飯食べさせてくれるあてはないし」
「むむむ、それもそうか。先代のところに転がり込むのは?」
「先代に会えるって言う確証もないよ。仕事で外に出払ってるかも」

確かに、その通りだなと思った。

「そうだろう? それに、昨日そっちの文化の話を全く聞けなかったし」
「ほんとうに、いいの? そこまで親切にしてもらっていいの?」
「むしろ大歓迎さ。生まれて初めて人間に会えたんだ。ここで話をしなくていつするんだい?」
「それじゃあメリー、ここはお言葉に甘えておこうかね」
「そう、ね。ありがとうウエヤブ」
「どういたしまして。寛いで行ってよ」
「私とユディの部屋もあるよ!」
「じゃあ今日の夜は部屋を変えようかしら?」
「いや、あの二人の部屋は辞めた方が良い」
「どうして?」
「考えてごらんよ。土蜘蛛と夜雀だよ? 人間が住める環境じゃあないよ」
「そんな失礼な! 部屋中に糸を張り巡らせているから、それをよじ登って貰うだけだ!」
「そんな失礼な! 部屋中に高木を植えまくってるから、枝から枝に飛び移って貰うだけよ!」
「うん、よく分かった。頼りにさせてもらうわウエヤブ」

全員でわははははと笑った。

「ところで私は部屋に引き籠る予定だけど、今日はどうするつもりだい?」
「うん、蓮子とメリーと一緒に、そこらへんぶらぶらしてこようかな」
「そうだね。黄さんに、ユディと一緒にここを案内しろって言われちゃったし」
「よし分かった。それじゃあ昼過ぎに来てくれ。みんなで昼飯にしよう」

結局、飛車角落ちでも蓮子アマゴペアはウエヤブに勝てなかった。

それから少し話してから、先代を探しに行くことにした。
例の超漲水スプレーを貸してもらう。全身くまなく噴射する。

当然服だけではいけないので、全裸になって噴射する必要がある。
背中とか手が届かない位置もしっかり掛ける。
こういう時、肌を見せ合った人がいると便利だよね。

「ダメだよメリー、先代探しに行くんでしょ、またあとでね」

うむ、詳しい描写は省略しよう。
水路は、往路と同じくウエヤブに引っ張って貰って移動。
出口がある方の砂浜へ上がる。びっくりだ、一滴も濡れていない。

「それじゃあ、行って来るね」
「うん行ってらっしゃい。待ってるよ」

蓮子、ユディ、アマゴ。四人で通路へ出て移動する。
監視ルームに行くため、階段を上って行く。

途中アマゴが階段上に向かって伸縮性のある糸を撃ち、逆バンジーの様に打ち上がって飛んだ。
スパイダーマンの場合は、位置エネルギーから運動エネルギーに変換する必要があるけれど。
アマゴの場合はその必要が無いのだ。便利なものである。

ユディがズルいと抗議の声を上げたので、私と蓮子も便乗する事にした。
アマゴから糸を受け取る。物凄い伸縮性だ。
気を抜くと階段に摩り下ろされ、メリーおろしになってしまいそうである。

助走をつけて跳躍。糸に掴まり体を上方へ飛ばす。
階段を10段近くジャンプすることが出来る。

しかしやはり妖怪は運動神経が違う。
幅跳びの様に助走をつけて踏み切り、ロケットの様に飛んでいくのだ。
50段近くもある長い階段をひとっとびである。偶に転んで全身を打っていた。
ユディが手の平をすりむく怪我をしていたが、あれ人間だったら間違いなく即死だ。

糸はアマゴが撫でると取り除けるようである。
やっぱり便利この上ない。



監視ルームの部屋の前に着いた。
アマゴがびしりと気を付けをして、扉をノックして、開けた。

「失礼します。土蜘蛛のアマゴです」
「失礼します。夜雀のユディータです。蓮子とメリーを連れてきました」
「入りなさい」

黄はこちらに目もくれず、機器を忙しなく操作していた。
監視カメラの映像を切り替えて、黄が時計を見る。

あと10秒で10時30分になるところだ。
4,3,2,1、――電話が鳴るのと同時に受話器を持ち上げる。

「こちら統合監視室。はいお疲れ様です。ジョブ3A完了了解しました。
 それでは3B開始をお願いします。はい失礼します」

受話器を置く。黄がモニタを指差し確認する。
巨大なコンテナがクレーンに持ち上げられ、列車に乗せられるところだった。
蛍光ベルトを身に付けた男性が、こちらへ向かって赤色にピカピカ光る棒をバッテンにしている。

どうやらオペレーションに近い事をやっているようだ。
三つも四つも同時並行して作業する。マルチタスクで働く黄さんかっけい。

「用件は何かしら?」
「明日に知楽結界が割れる時刻が知りたくて、先代を探してるの」

蓮子が簡潔に答えた。
アマゴとユディがピンと背筋を伸ばしている。
この緊張の具合。黄がいかに偉いかが良く分かると言うものだ。

そんな人に、私は指をしゃぶらせてとか言ったんだね。
メリーは少し反省します。少しだけねっ!

「先代は、夕方にここに戻ってくるわ。16時にもう一度来てくれるかしら」
「分かった。出直すね。16時にもう一度来る」
「人柱の調査は、もう少しかかるみたい。16時の時に教えるわ」
「うん、ありがとう。よろしくお願いするわ」
「ところで蓮子とメリー、昨日の夜はどうだった?」
「底窟ウエヤブの部屋に泊めて貰った。アマゴとユディと一緒に、ご飯を食べた」
「それは良かったわ。自室に帰って寝ただけとか言ったらどうしようかと」
「最初はちょっと驚いたけれど、今は快適だよ。歓迎してくれてありがとう」
「どういたしまして」

そこで、傍らに置かれた固定電話が再び呼び出し音を鳴らした。
黄は手に取り応答しながら、私たちに向かって手を振ってきた。
一礼して部屋から出ることにした。



「16時まで、何してようか」
「京都支部は広いよ。適当にぐるっと回ったら、16時なんてすぐだね」
「ふぅん、案内もいいんだけれど、ね」

駅構内の一般用通路まで出て、作戦会議にする。
ぐるりと見回すと、ここら辺はそこそこに人通りがあるように見える。
ここから分かるだけでも、こちらに歩いてくるのが一人、向こうへ歩くのが二人。

まあ人間は先代と私達だけである。それ以外はみんな妖怪なのだ。
ぱっと見は普通の人間の様に見える。妖怪と人間の見分けがつかない。

アマゴ曰く「妖怪から見れば、一目で二人が人間と分かる」だそうで。
人間からは妖怪か分からないのに、面白い話である。

「っくくく」蓮子が、笑った。
蓮子がこういう風に笑う時は、何か物凄く面白い事を思いついた時だ。

「ちょっとアマゴの糸でやってみたいことがあってね。協力してくれる?」

蓮子の指示で、クモの巣状に廊下へ糸を張った。
縦に一本、斜めに二本。その縦糸の間を埋める様に、横糸を通す。

蓮子が助走をつけて、タックルするように巣へ飛び付く。
流石は土蜘蛛の糸である。ものともせず蓮子を受け止め、ぐわんと跳ね返した。
横8メートル、縦3メートルの通路を塞ぐように、巨大なクモの巣が完成した。

「完璧だわ!」
「いやあんた、これをどうするつもり? 通行妨害よ」
「まあ、ここはそんなに人通りが多くない通路だから、いいけどさ」
「それじゃあアマゴ、一度この巣は撤去!」
「えええ? まあ、了解」
「さっきと同じ巣を、今度は人が飛びついても壊れない強度で、くっつく糸で!」

巣を作り直し、完成。
次に巣から15メートルほど距離を開けた所に蓮子が指を指す。
左右の壁にかなり強力な伸縮性の糸を渡すようにと指示する。

「ちょっと待ってよ蓮子、何をするつもりなのか先に教えてくれないと」
「まあ、そうね。それじゃあアマゴ、ちょっと耳を貸しなさい」

蓮子がアマゴへ耳打ちをする。
何言がこそこそとして、途端にアマゴが乗り気になった。

「なるほど! よっしゃ、じゃあ曲線を描くようにするために、ちょっと高い位置へ?」
「そうね、150センチくらいの高さに糸を渡して」

30センチ程度のベルト状の糸が、通路を横断して設置された。
蓮子が指を指して言う。

「まあ簡単に言うと、パチンコみたいなものよ」
「ああー! なるほど! このベルトで人を打ち出して、あの巣にくっつける訳か!」
「真ん中に近いほど高得点。さあまずは試射としましょうかね。実験台になりたい人!」

私、蓮子、アマゴ、ユディが一斉に手を挙げた。
じゃんけんをすることになった。

私はズルをした。能力を使って、じゃんけんに勝った。
ちなみに蓮子が最下位だった。

「よっしゃああああ! さあ蓮子罰ゲームよ! 王者である私を撃ち出しなさい!」

私がベルトに腰掛け、蓮子が後ろへ引っ張る。
思いっきり引っ張ろうとする蓮子へ、アマゴが待ったをかけた。

「あ、蓮子、あまり強い力で弾き飛ばすと、天井に衝突する危険があるから」
「え? ほんとに? 今これくらいでどう?」
「うん、丁度いいくらいかな」
「えええ? ちょっと蓮子待って。これ激突したら死ぬよね? ねえ蓮子?」
「短い間だったけれど、あなたとは楽しかったわメリー」
「えええ!? 待って! 心のじゅんびっ!」

蓮子が手を放した。巨大な力が体にかかる。急加速。そして、浮遊感。
舌をかむのが怖いので顎をしっかりとかみ締める。

上と下が逆になる。軽い回転が掛かった。山なりに飛んでいるのが分かる。
頭が下になっている。当然、飛んでいく方向の様子が分からない。

長い長い滞空時間。背中が蜘蛛の巣にかかった。
伸縮性の糸は私を捕まえ、大きく揺れた。ぐわりぐわりと波打つ。

私は頭を下にして、手足を大の字に広げた状態でくっついた。
蜘蛛の巣にかかった蝶よろしく、捕縛された。

スカートが垂れ下がり、顎のすぐ近くまで来ていた。
太腿がすーすーする。ああこりゃやべぇ。

「大成功だわ!」

蓮子が歓声を上げた。ユディが飛び跳ねて喜んだ。アマゴが指笛を吹いていた。
私は、頭に血が上って行くのを感じながら、この蜘蛛の巣の致命的な欠陥に気付いていた。

「メリー、その巣が丈夫なのは分かったから、早く降りて来なさい。青色パンツ丸見えよ」
「うん、私も降りたいんだけど、無理なのよ。パンツはサービス」
「なんで? もしかして漏らしちゃった?」
「違う。糸の吸着力が強すぎて、手足が全く動かせない」

そうなのだ。私は大の字上下逆さまの状態で貼り付けにされている訳だが。
糸が頑丈で、しかも吸着が強力で、身動きが取れないのだ。

パンツ丸見え。手足はくっつき、動かせるのは指先だけ。
私は全てを諦めて、全身を脱力させた。

「ヘルプミー蓮子」
「うん、じゃんけんでズルをした罰ね」

やっぱり、気付いてたんだ。くそう。



蜘蛛の巣を実物どおりに再現してみよう、という蓮子の意見である。

まず中心より放射線に延びた糸を、縦糸と言う。
縦糸は太く丈夫で、くっつかない。
蜘蛛自身も基本的には、この縦糸の上しか移動しない。

縦糸同士を渡す糸を、横糸と言う。
横糸は細く切れやすく、粘着性がある。
掛かった獲物はこの横糸に絡まり、動けなくなるのだ。

「蓮子、蜘蛛の巣に詳しいんだね」
「小学校の頃に夏休みの自由研究でやったのよ」

これを再現して巣を再構築。テストでアマゴを飛ばしてみる。
見事くっ付く。しかし横糸が千切れ、服に付着してしまった。
それにこれでは巣に衝突した直後に糸が千切れた場合、下に落下して危険である。

「変形網を作りましょう。今までのが、円網。これから作るのが、受け皿網」

的にしている巣の下に、ネットを張る要領で、受け皿状の糸を張った。
これは簡単。落下防止用のネットをそのまま作っただけである。
円網の方は粘着性を無くした。

その結果、円網に跳ね返されネットに受け止められる、という形が完成した。

「蓮子凄いね、こんな発想、今までになかったよ。完成だね」
「いや、まだよ。これだけじゃ、ゲーム性が無い」

また蓮子の凝り性が始まった。遊びの要素が加わるとすぐこれである。
曰く、中心に近ければ近いほど高得点の的当てゲームにしたいのだ。
その為には円網の方に粘着性が無ければならない。

「アマゴ、横糸だけに粘着性を持たせてみましょう」
「強度はどうする? 千切れちゃダメだよね?」
「縦糸と同じにして、全ての糸の量を二倍にする。それでどうだろう」

巣をもう一度作り直している頃になると、周囲に妖怪が集まり始めていた。
きっと通行した際に私と蓮子を目撃して、人間が居るぞと口コミで広がったんだろうね。
でも向こうに悪意が無いってのは分かってても、沢山の視線に晒されると、やっぱりちょっと怖い。

ユディに接近。そっと小声で話しかける。

「ねえユディ、ちょっと妖怪が集まり始めてるんだけど、大丈夫かな?」
「大丈夫だよ。今は蓮子たちが作業中で、声を掛けあぐねてるだけ。完成したら話しかけてくると思うよ」

ここで、野次馬たちが「おおおおお!」と歓声を上げた。
「完璧だ! 完璧だよ蓮子! まさに完成形だ! さすがは蓮子だよ!」
「いいえ、あなたの才能のおかげよ。これで完成ね」

自分が作った巣に引っかかり、手を振っているアマゴ。
手足を引っ張ると巣の粘着から解放され、下に張られたネットに落下。
あとはこちらに戻ってくるだけだ。安全である。

「さあ! そこのやじ馬たちもどうぞ一緒に!」

円網の糸は白一色だったが、それでは分かりにくいと蓮子が言った。
中心は赤色。外側に向けて徐々に色を薄くしていく。

首が引っかかった位置を得点とすることにした。
中央が10点。一番外側が1点。
両側の壁と天井にもネットを張り、激突の危険を回避した。

白色と赤色だけじゃ趣向が足りないという事で、様々な色の糸を噴射。
いよいよもって廊下は豪華なアトラクションのステージと化した。

環境が整ってしまえば、あとはノリを上げるだけだ。

「おおおおお!」「9点! 高得点!」「蓮子アマゴコンビまさに敵なし!」
「蓮子いえーい! ナイスショット! ハイターッチ!」
「アマゴもさっきの空中スタント、綺麗だったわ」

妖怪達は各々に机を持って来て、そこで酒を飲み始めたり。
拡声器まで持ってきて実況を始めたり。
ついにはトーナメント表まで制作を始めている。

私とユディは遊びの1セットで疲れてしまった。
傍らに用意されたバーチェアに腰掛け、観戦する事にする。

蓮子とアマゴのペアは向かうところまさに無敵。決勝まで進出した。
決勝は5回交互にショットを行い、合計した得点で勝敗を決めるらしい。

対戦相手は、小柄な男女ペアだ。恋人同士であるらしい。リア充爆発しろ。
茶髪でネコミミが頭に生えているから、猫科の妖怪なんだろうね。
流石ネコである、体が細くしなやかで柔らかく、空中の姿勢が美しい。

「膝抱え込み前方2回宙返り! ビューティフル!」
「芸術点9.5点!」
「9.5点!」「9.6点!」「9.4点!」「9.5点!」

観客が勝手に芸術面を評価し、点数をつけてたりする。
っていうかこれ、そういうスポーツじゃねぇから!
それに命中した位置は6点じゃん! スタントばっかりに力入れてんじゃねぇよ!

「素晴らしい空中姿勢だ! 美しい!」
「華麗な放物線!」
「回転を加えたにもかかわらず的にくっつくタイミングもばっちり!」
「正面に来る位置でネットにかかっていますね。体幹が優秀なんですね」
「まあ土蜘蛛はパワーはありますが体が硬いですからね、仕方ないとは思いますねぇ」

拡声器を使った勝手な実況。
蓮子がむっとする。アマゴは口を尖らせた仏頂面。

「さあアマゴ選手のラストショットです! 正確に10点を取ることが出来るか!?」

蓮子がアマゴに向かって、そっと何かを耳打ちした。
アマゴ、驚いた様子で蓮子を振り返り、そして頷いて見せる。

「おっと? これはどういう事だ? 方向が逆ではないか?」

アマゴがベルトから身を離し向きを反転。
なんと蓮子と向かい合う形で射出姿勢を取る。

的に背を向ける。これでは着地地点が見えないのではないか?
訝しむ観客一同を無視して、蓮子がベルトを後方へ引っ張る。

五歩。手を放すタイミング。
その緊張の一瞬。蓮子、わずかに腰を落し、上方へ軌道修正。

「飛べ、アマゴ」
「任せろ」

射出。ベルトが収縮しアマゴの体を宙へ浮かす。
彼女はそこで両手を胸につけ両足を伸ばし――。

空中でなんと前方1回宙返り、半分ひねり。
観客がどよりとざわめいた。

さらに前方1回宙返り、半分ひねり。
背中から美しく巣へくっつく。

一瞬の出来事。
一瞬の静寂。

直後、――爆発的な歓声!
――空間を圧倒する賞賛の嵐!

「ムーンサルトオオオオォォォォオオオ! 伸身の新月面だああああぁぁぁああ!」実況が叫ぶ。
「10点! 命中個所は10点! 完全な空中姿勢! 制度抜群! なんてことだ! 美しすぎる!」
「後ろ向きで! 着地地点を見ずに離陸して! なんという信頼! なんというコンビネーション!」

自称評価審判達は涙を流しながら総立ち。手が千切れんばかりに拍手をしている。
実況も興奮してなにがなにやら。アマゴは飛び跳ねて蓮子に飛びついた。

猫ペアが笑顔で近づいてきて、蓮子とアマゴの腕を掴み、掲げた。
どこからともなく紙吹雪が舞った。ファンファーレも鳴った。

「Bravo!!!」「Bravi!!!」
拍手と歓声。指笛のヤジが鳴り響く。

それが決勝最後のショットだった。劇的である。
最終的なポイントは、蓮子タッグが50点、猫タッグが32点。
いやっていうか、ラストショットの時点であんたらの優勝決まってたけれどね?



「よしアマゴ、この的を改良しよう。協力するよ」
「おお! イサザ、コペラ、それにトミヨ! 来てくれたのか!」
「アマゴが人間と一緒にすごい事やってるって聞いてね」

喝采が一息つき、なんか良く分からん表彰式が済んだ後。
四人コーラで祝勝会を上げていると、三人組の妖怪が声を掛けてきた。
アマゴが私達へ紹介してくれる。土蜘蛛の仕事仲間だそうだ。

「凄いねあのセット。アマゴが一人で作ったの?」
「いや違うよ。アイディアは蓮子。私は言われたとおりにやっただけ」
「違うって、建築者はアマゴ一人だよ。あ、私、宇佐見蓮子。蓮子でいいわ。そっちはメリー」
「よろしくメリー、えっと、握手でいいんだよね?」
「はい握手。どうぞよろしく」
「よろしく蓮子。昨日は一日どこで過ごしたの?」
「ウエヤブの部屋に泊めて貰ったわ」
「蓮子ね、ウエヤブと意気投合しちゃって。珍しいよね」
「ウエヤブもそうだけど河童連中は頭が良いから。土蜘蛛とは中々あわないんだよ」
「わたすらは所謂ガテン系だからさ。肉体労働しか能が無いんだ」
「河童連中は頭脳派、座りっぱなしで手先しか動かなさい」
「羨ましい限りだよね。わたすらは重い荷物運んでるのにさ」
「へえそうなんだ。でも土蜘蛛だって負けてないよ。これだけの物を作れるんだもの」
「おおおおお!」「言うねぇ!」「照れるぜ人間!」
「河童に、これだけの人を集められる物を作れる? 無理でしょ!」
「蓮子いいね!」「あんた最高だよ!」「気に入ったわ!」
「よっしそれじゃあ蓮子、デザインは任せるよ。私たちは言われたとおりに作るから」
「アイディアは山ほどあるんだよね。よっしゃ、それじゃあいっちょやりますか!」

そんな蓮子と土蜘蛛たちのやりとり。
色取り取りの糸が一斉に発射され、観客を沸かせた。

いつの間にかぐるりと野次馬に囲まれ、どこからともなく音楽も聞こえてくる。
何人いるだろうとざっと見渡し、100人近い妖怪達に囲まれているらしいと分かり、数えるのをやめた。

「あ! 黄さんだ! こんにちはー!」
「こんにちはー!」

ユディの声を聞いた妖怪達が一斉に振り返る。
三尾の妖狐、黄がこちらに歩いてくるところだった。

「あらあら、カメラで見た通り、凄いセットを作ってるわね。何ができるのかしら?」
「はい完成! 伸縮性の強化糸を使ったカタパルトです!」
「蓮子の指揮監督で作りました!」
「今から試射です! どうぞそこでごらんください!」
「それじゃあ記念すべき初弾は、アマゴ建築長に任命しよう!」
「お任せください宇佐見監督!」

と、アマゴがパチンコ装置に付き、座席へ深く腰を下ろした。
ゴーグルを装着し、ヘルメットを身に付け、両腕を胸の前で交差して肩を窄める、耐Gの姿勢。
土蜘蛛三人は、離れた所にあるハンドルを力一杯こめて回している。

「三回転だ! それで十分!」
「イエッサー!」

なるほど、高い強度と伸縮率である糸を利用して射出するのだ。
しかしあのハンドル、妖怪三人がかりでやっととは、ものすごく硬そうである。

「あと一回転!」
「イエ、ッサー!」

ぎりぎりと不穏な音が聞こえてくる。

「ここらへんの廊下をぐるりと通したメインワイヤーを巻いて、一気に開放するの」
「さっきから変な音がしているけれど、強度計算はしたのかしら?」
「もちろん。蜘蛛の糸は鋼鉄よりも強靭、土蜘蛛の糸はさらに強力。
 ハンドルを八回転しても耐えられる計算よ」
「それは、どこの部分の強度計算?」
「? それって、どういうこと?」
「あと、半回転!」
「うおおおお! 硬いぜー!」

縛り上げる音が確実に大きくなり、ついにメキメキと何かが剥がれ始める音に変わった。
周囲の観客たちも不審を抱き始めたようだ。ざわめきが大きくなり、後退りする者も出てきた。

「カタパルトの、強度計算はしたのね?」
「ええ、そうよ?」
「土台の強度計算は?」
「ドダイ?」
「数十トンの張力を支える土台の強度計算は?」
「ありゃ、してないや」

黄の顔がさっと青くなり、手を大きく振って叫んだ。

「射出実験中止! ハンドル操作も中止! 全員伏せ――、」

ユディが私の頭を押さえ、無理やりに伏せさせた。
次の瞬間、黄の声をかき消すようにぶちんと断裂音。
一切合切が崩れて落ちる倒壊音。

ここは地下だ。しかもこの世のものとは思えない崩落音が続いている。
私は直感的に、生き埋めになることを覚悟した。でも一人で死ぬのは、イヤだ。

立って蓮子の元へ走りだそうとするが、ユディに力ずくで抑え込まれ、身動きが取れなかった。
ああ蓮子、無事かしら。怪我したらどうしよう。そのことばっかりを考えていた。

音がやんだ。目を開けて、自分が地面に伏せていることを理解した。
右頬がコンクリートに着いている。ひんやりと冷たい。
そして私を庇うように、ユディが上に覆いかぶさっている。

「全員静かに! 自分が怪我をしていないか確認しなさい!」

黄の声。しんと静まり返る。誰も、喋らない。

「自分の周りに負傷者がいるか確認しなさい!」

ユディが私の上から退いた。頭を上げ、辺りを観察する。
厚さ数センチ程度の板が割れ、そこらじゅうに散乱している。
細かいほこりが辺りを漂い、廊下に霧がかかったような様子だ。

ユディを見ると、頭に乗った残骸を払いのけるところだった。
怪我はない? と聞かれたので、自分の体を見下ろす。
紫色のドレスが埃で真っ白になっていた。
だけど、どこも怪我をしていない。擦り傷切り傷さえも、全くだ。

頭上を見上げると廊下の天井に穴が開き、フレームがひしゃげている。
カタパルト糸の張力に耐えきれずに天井材が崩落したのだと分かった。

崩壊の程度が一番酷い場所、――即ちカタパルトのパチンコ部分。
割れた天井材が折り重なるように堆積している。

その小山がもぞもぞと動き出したと思ったら、中から蓮子とアマゴが顔を出した。
どうやらアマゴが蓮子を守る様に、糸のシールドを張ったらしかった。

二人の頭上を守る半球上の盾は、シリコン素材の器のような感じ。
蓮子もアマゴも埃で真っ白になっているが、それだけのようだ。私は心底安心した。
ガラガラと建材が落ちる音の後、やはり静寂。一帯はしんと静まり返る。

「ああ良かった。怪我人はいないようね。それじゃあ――」

私がふうと一息つく方が早いか、いきなりユディが私の体を抱えた。
そのまま全力疾走。現場から離れようとする。

「――全員で後片付けよ! 一人たりとも逃さないわ!」

ユディの目の前に突如、結界壁が発生した。
徹の物とは違う、クッションの様に柔らかい壁だった。
ユディが結界に衝突、跳ね返され尻餅をつく。私も腕から落ちた。いてぇ。

「後片付けはいやだあああぁぁぁああ!」
「ここから出してくれえええええ!」
「わたしは見てただけだあああ!」
「部屋に帰らせてくれええ! うわああああ!」

清掃作業から逃れようとする魑魅魍魎により、通路はまさに阿鼻叫喚の巷と化した。
先ほどの倒壊音よりはるかに悲惨な様相である。

数多の拳が結界を叩くが、もちろんそれしきの事で割れる強度ではなかった。
黄の結界で一網打尽にされていたのだった。



穴の開いた天井材は、また今度修理するとの事。
ぽっかり空いた穴から銀幕が張られたパイプが観察できる。

落下して散らかった建材はほんの20分程度で片付いた。
もとより人手があったのだ。それに加え、黄の指揮分担は的確だった。

後片付けが終了。
全員が整列したのを確認し、黄がパンと手を打つ。

「はい、再度確認。けが人はいないのね?」
「いませーん!」と一同が声を揃えて言う。
「もしここで言いだしにくい人は、あとで私の所へ来るように」

こうやって自主的に整列して指導者の話を聞くのって、高校の体育以来かしら。
大学に入ると誰もこんなことはしなくなるし、やれと言っても整列の順番さえ決まっていまい。
懐かしんでいると、黄がこちらを向いた。ぎくりとした。

「宇佐見蓮子、こちらにきなさい」

はいと大きな声で返事をする蓮子。
列から一人抜け出し前進してゆく。

私も蓮子の腕を取り、一緒に前に出た。
黄の前へ二人で気を付けする。

「私の瑕疵で周囲へ危険を及ぼすことになり、反省しています! すいませんでしたぁ!」
「私が止めるべきでした! すいませんでしたぁ!」

黄が何かを言い出すより早く、二人で詫びる。
これは正直な気持ちである。

「いえ、結果的には失敗はしましたが、妖怪の体は人間よりもよっぽど頑丈です。
 たとえワイヤーで体の一部が損壊しても、元に戻す手段は山ほどあります。
 だから、危険を及ぼした点に関しての責任は、そこまで重く受け止める必要はありません」

黄の言葉を聞きながら、へえそうなんだと内心思った。
運動神経もあり、筋力もあり、肉体的に丈夫ならば、羨ましいな。

「ところで蓮子、もうすべて片づけてしまいましたが、解体の様子を見させてもらいました。
 即席であそこまでの機能を実装する点、感服します。今度話を聞かせてください」
「あざぁす!」
「それとメリー、あなたはもう少し、自分の身を案じた方が良いわよ。友人のことよりも、ね」
「あ、あざぁす……」

あの短い間でばっちり観察されていたようだった。



黄が立ち去り、カタパルト騒動が落着する。
まだ遊び足りない一同が所在無げに辺りをうろうろとしだした。

私と蓮子と、アマゴとユディ。おなじみの四人で集合。再び作戦会議。

「さて、これからどうする?」
「どうするも何も、もうそろそろお昼だよね?」

アマゴの質問に、ユディが突っ込んだ。
その通りだった。ユディ曰く、もう13時を過ぎていた。
3時間近くも的あてゲームで遊んでいた計算になる。

「ああそうか、人間って大変だね。こんなにこまめに食事をとらなきゃなんだから」
「じゃあ、一度ウエヤブのところに戻ろうか」
「うん。ちょっと動きっぱなしで疲れたわ」
「あんたは端っこでユディと座ってただけでしょうに」
「よう蓮子、これからどうする予定?」

アマゴの友人の、土蜘蛛三人娘だった。
蓮子へ声を掛けてくる。

「私たちはウエヤブの部屋に行って昼食にするつもりだけど」
「昼食? そうか人間は大変だな。なんならわたすたちのところに来るかい? 歓迎するよ?」

今更だけれども、土蜘蛛って自分のことを“わたす”って言うのね。
ユディにこそりと聞いたら、土蜘蛛の間での流行らしい。

「いやぁ、嬉しいんだけど、ウエヤブの方へ行くって約束しちゃったからね」
「ふむそうか。――なあアマゴ、ウエヤブの部屋ってかなり広めの海岸スペースがあったよな?」
「そうだね。砂浜が用意されてあって、適当に暴れられるよ」

テニスコートくらいの広さがある。
それなりの人数を収容できるはずだ。

「ほら周りを見てみろよ、午後も丸ごと遊ぶつもりでいたんだろ、手持無沙汰にしてるのが大半だ」
「そうだね、どうやって時間潰すか、暇人ばっかりに見える」
「こいつら全員ウエヤブの部屋に呼んだらどうかな?」
「お? ウエヤブの部屋に? む、むむむ、なんかすっごく迷惑がられそうな」
「迷惑がる? そうかな。こいつら今日は休みだから、金と乗り気ならいくらでもある」
「あ、ウエヤブが迷惑がるっていう発想は無いんだ!?」
「あいつ部屋に引き籠るけれど、別に人と接するのが嫌だって訳じゃないだろ?」

私がすかさず突っ込んだが、土蜘蛛娘から自然に返されてしまった。
アマゴが大きくうなずく。

「まあそうだね。酒持って飲もうぜって誘えば、嫌な顔しないし」
「いつも頭ん中に発明のモヤモヤがあって、それが解消されたらすぐに手を付けたいだけなんだな」
「うん、そんな風に見えるね」
「じゃ、決定だな」
「いやぁ、なんだか凄い事になりそうだぞ」
「はーい! ちゅーもーく!」

アマゴには背を向けて、土蜘蛛娘が手を叩き大声を上げる。
こちらに注目が集まったのを確認してから、後を続ける。

「人間二人はウエヤブの部屋に世話になってるそうだ。わたすらもウエヤブの部屋に行こうと思う。
 それであいつの部屋はかなりの余裕があるから、この人数で行っても十分入れるんだ。
 まだまだ遊び足りないやつ。酒でも食べ物でも適当な物を持参して、ウエヤブの部屋に集合しよう」

おおおおお! と勝手に拍手が起き、にわかに活気付く面々。
きっとこの連中は、先ほどの的あてゲームみたいな企画があると予想しているんだろう。
全くノープランなんだけどね! 困ったなこりゃ! ま、いっか、私はしーらねっと。

「それじゃあ私たちも一度部屋に戻って、適当に用意していくよ。またあとで、ね」

それで一先ず解散になった。
アマゴとユディに連れられて、一度部屋に戻り、食べ物を取りに行くことにした。

まずはアマゴの部屋である。扉を開けた瞬間、あ蜘蛛の部屋だ、と思った。
ウエヤブの言っていた通り、とても人間が住める環境ではない。

三階分程度の部屋を吹き抜けにした、縦に細長い空間。
あらゆる方向へ糸が渡されている。そりゃもう部屋中ぎっしりに。
棚とかテーブルとかも、壁に括り付けられて空中に浮いているように見える。

アマゴは入り口近くの糸に掴まり、器用に素早くするすると上って行く。
糸の陰にあっと言う間に見えなくなる。

次に降りてきたときには、背中を丸々隠すくらいに膨らんだ袋を担いでいた。
曰く、乾麺であるそうだ。ソース焼きそばにしようとのこと。

次はユディの部屋。扉を開けると、屋外へ出てしまったのかと錯覚した。
背の高い木々が繁茂し、ちょっとした雑木林の様相を呈していた。

昆虫を放しているようだ。心地よい虫の鳴き声が聞こえる。
倶楽部活動で野山へ上った際にくらいにしか聞けない、鈴虫の鳴き声だ。

ユディは袖を捲り器用に木へ上ると、枝から枝へ飛び移って上って行った。
和服なのによくぞまああんなに動けるものだ。身軽な身のこなしである。

程なくして降りてきたユディは、人間の上半身はあろうかという肉塊を持っていた。
牛肉の燻製だそうだ。すごい大きさである。相当な量があるだろう。

えっちらおっちら食材を運ぶ二人に着いて行き、ウエヤブの部屋に到着。
水面から顔を出したウエヤブが眼を真ん丸に見開いた。

「そんな食べ物を持ってきて、五人でしょ? 食べきれるわけないじゃん」
「あー、人数の話なんだけどね、ちょっと聞いて欲しい事があるんだ」

アマゴが経緯を説明し、そしてこの部屋にこれから100人近い人数が押し掛けることを宣言した。
ウエヤブは話を聞き終えると、嬉しそうに「今日はパーティーだ!」と反応した。
邪険にされることを恐れた私だったが、どうやら杞憂に終わった様だった。

水路の向こう側から次々と備品を持ってきて、準備を始めた。
バーテーブルが10台ちょっと。どうやら立食会のような形にするらしい。

大型のバーベキューコンロが2台。炭が丁度切れているようだ。
ウエヤブが、アマゴとユディへ、炭を買ってくるように指示したところで。

「おいっすウエヤブ、はいこれ選別。使ってくれ」

件の土蜘蛛三人娘が到着。
大量の野菜。大量の肉。そして45リットルの袋に満載した、炭。

ナイスタイミングだった。さっそく点火。
火力が安定するまで炭をゴロゴロとさせておく。

料理を盛り付ける用の皿と箸がいるな、とウエヤブが呟いた所で、またもや入口が開く。
次の差し入れは紙皿と割り箸と、ソース塩胡椒などの調味料である。

いよいよ人数が増えてきた。各々が勝手に酒をあけ、飲み始めた。
ウエヤブがバーベキューコンロをさらに二つ追加した。
盛り上がっている机近くにドスンと起き、炭は着火済みだから自由にやってくれと言う。

妖怪達はもう幾度となくこんなことをやっているのだろう。
私と蓮子は呼ばれるがまま机を移動して、色んな妖怪達と話をした。
外の世界の様子も色々と聞かれた。

今の外界はどんなふうになってるんだい。
川は綺麗かい。水は綺麗かい。空気はおいしいかい。
人工衛星が出来たって本当かい。新幹線が出来たって本当かい。

病気で人は苦しんでないかい。物は足りているかい。
食べ物は十分にあるかい。飢えてないかい。
社会に子供はいるかい。若い衆はきちんと社会に進出しているかい。
国は金に困ってないかい。政治家が私腹を肥やし過ぎてないかい。

黄さんはあえて、外の情報を中に入れない様にしているのだろうか。
妖怪達の外の世界に対する知識が、あまりにも時代にずれているように感じた。
とくに科学技術の分野である。そう言われてみれば、ウエヤブも電子コンピュータを使っていた。

段々と妖怪達も出来上がって来ていた。一発芸を始める妖怪も出てきた。
夜雀の妖怪が何人か現れた。驚くほど綺麗な声で歌った。
場は静まり返り、私も含めて全員が聞き入っている。

そして、ユディが出てきた。やはり彼女が一番うまかった。
贔屓目があるかも知れないけれどね。

私は妖怪達の芸を楽しんでいて、蓮子に今何時ごろかと聞かれても、わからないと答えただけだった。

「違うよメリー、ほら先代に会いに行くんでしょ。16時、忘れてない?」
「ああ、完全に忘れてたわ」
「そろそろだと思うから、時間を調べないと。ウエヤブのところに行こう」
「蓮子、これ飲んでからね」とグラスを軽く持ち上げる。
「これ凄く美味しいわ。外ではなかなか飲めないわよ」

日本酒の水割りが半分以上残っていた。
蓮子にグラスを腕力で奪われた。
ぐいと景気よく傾け、残っていた水割りを飲み干されてしまう。蓮子かっこいい。

腕を引かれ、ウエヤブのところへ行き、時間を聞く。
15時35分だそうである。時間に余裕はある。

「ねえウエヤブ、酔い覚ましの発明品とかある?」
「水ぶっかけてほっぺ叩くのが良いよ」
「ねえ蓮子、キスしようキス」

私はマジだった。
周囲の妖怪が、おおおと色めきだった。

「いいわよ。メリー、目を瞑って息を止めて」
「えへへ、あい、いいよん」

シューと何かを吹きかけられたと思ったら、次には大量の水が顔にぶつけられた。
ばっしゃあ! 冷たい! っていうか顔面に硬い物がごつごつぶつかるし。これ氷だよね?

「ちょっと蓮子、げっほ、鼻に入った。いきなりなにを、」
「おらぁ目ぇくいしばれ!」

ぱぁん! 頬に衝撃。よろよろとよろめく。痛みは全く無い。
ああ秘封ビンタされたんだと、それからやっと理解した。
頭が、覚醒した。夢見の状態から現実に引き戻された。

「メリー、先代のところに、行くのよ。オーケー?」
「お、おーけー。いやあ私、酔っぱらってたね。不覚だわ」
「分かればよろしい。ありがとうウエヤブ。効いたみたいだわ。流石よ」
「どういたしまして。場所は分かる? 二人だけでいい?」
「大丈夫。覚えちゃったよ。じゃ、行ってくる」
「あいよ。それじゃあ待ってるね」

蓮子がウエヤブへ超漲水スプレーを返していた。
ビンタの前に吹きかけられたのはあれだったのだと分かった。

「キスはどうしたー!」「キッス! キッス!」
「あんたらでやってなさい。ほら行くよメリー」


妖怪達の煽りを無視してウエヤブ室から出る。
線路の上を歩き、ホームをよじ登る。

私は唐突に、この背中が頼もしいもののように見えてきていた。
エスカレーターを上り切った所で、私は蓮子を呼び止めた。

「ねえ、蓮子蓮子蓮子」
「なに? 忘れ物?」
「うん、忘れ物」
「ありゃ、マジで? 何を忘れたの?」
「ここならだれもいないし、ね?」
「うん、それがどうしたの? 忘れ物はなに?」
「チューし忘れてたよ。はいチュー」
「目ぇくいしばれ!」

ぱぁん! 秘封ビンタが追加された。



「知楽結界へ一緒に来るか来ないか、好きな方を選べ」
「行く」「行くわ」

15時55分、監視ルーム、挨拶もそこそこに先代から聞かれたので、答える。
黄は困ったような笑ったような、複雑な顔をする。

「ほらね、やっぱりこう言うわよ」
「なんでそんなことを聞くの? 連れて行きたくないの?」
「連れて行ったところで意味が無い」
「危険なのよ。結界省と戦闘になるからね」
「確実に?」
「うん、確実に」
「何で戦闘になるの? 話し合えばいいじゃん」
「話し合うですって? 何を話し合うの?」
「誤解を解くのよ。結界省と」
「誤解があるのかしら?」
「妖怪が人間を滅ぼしに来るって、人間たちは信じてる。でもそんな事無いんでしょ?」
「ええ、この数日間であなた達が感じた通りよ。妖怪達は友好的だったでしょ」
「だから、話し合えば分かってくれるよ。人間は妖怪の事をもっと知るべきだわ」
「っていうか黄さん、そのために妖怪達と一緒に居ろって言ったんじゃないの?」

黄がふぅとため息をついた。

「あなた達、どうして先代が知楽結界崩壊に合わせて行くのか、分かってる?」
「いんやわからん」
「知楽結界の中に何があるのか、分かる?」
「それは知ってる」

蓮子が言った。

「昔の妖怪と結界師が一緒に立てこもって、そのまま死んだ結界でしょ」
「ええその通り。結界の中には、妖怪と人間の白骨がある」
「それを回収しに行く」
「結界省の目的は、違うわよ。徹は結界そのものに用があるって」
「結界そのもの? どういうことだ」
「結界に封印された妖怪の遺体が幻想郷に吸い込まれなかったのは、結界のお蔭でしょ。
 博麗大結界の吸収作用に抗う力が結界にはあるのよ。
 その技術を使えば、私の人柱が回避できるって言ってた」
「ああそうか、このことを先に話しておかなければならなかったな」

先代が意味ありげに両手を後ろへ回した。
そうして取り出したのが、一枚の紙。筆で文字が書かれている。

「人柱の調査依頼の結果が出た。返答は――、」
「NOよ。博麗の巫女は健在。人柱は必要ないみたいね」
「え、それってどういうこと? ――それじゃあ?」
「良かったなメリー、家に帰れるぞ」
「明日からは元の生活に戻りなさい」

何の前振りも無く、私の行動の根幹を崩されてしまった。
もう、結界省へ関わる必要も無ければ、幻想郷京都支部に居る理由も無くなってしまった。
へえそうなんだ。私ったらもう普通の生活に戻れるのね――。

私は視線を感じて、先代の目を見た。前髪が降りて蔭っている、切れ長の目。
視線が言っている。降りるなら今だと。ここからは野次馬以外の何物でもないぞと。

「一緒に来るか来ないか、選べ」

私は、蓮子を見た。
部長の判断に任せることにした。

「ねえあのさ、プレッシャーをくれるのは結構なんだけれど、リスクが分からないのよね」

蓮子が暢気な声を出した。
全く臆していない様子だ。

「一大イベントなんでしょ? それだったら、見に行きたいわ。そうよねメリー?」
「まあ、うん。1300年ぶりに割れる結界なんだもの。見れるのならば是非とも」
「そこにどんな危険があるの? 白骨遺体があるだけ、って表現はあれだけどさ。
 それがそんなショッキングな事なの? 人間の骨なら、葬式で見たことあるわ。
 それどころか、人間の死体なんて数えきれないほど見て来てるし」

野ざらしにされた人間の遺体くらい、外国の旅行に行って沢山見てるよね。
今更白骨を見ても、別段驚くことはあるまい。

「先代、こりゃ正直に言わないとかもね」
「ふむ。――このパラレルの秘封は、結界省に内定を貰ったのだろう?」
「ええ、大学卒業したら晴れて結界省に就職ね」
「結界省に入りたいんだろう?」

私も蓮子も、頷いた。

「成り行きで内定貰っちゃったけど、そうね」
「結界省で働きたいならば、来ない方が良い」
「? なんで?」
「結界省の汚い面を、きっと見ることになるわね」
「それって、結界省で働き始めたら、遅かれ早かれ知ることになるんでしょ?」
「いいえ、きっと結界省の人たちでも、知ってるのはごく一部」
「わお、じゃあ尚更知りたいわ。トップシークレットじゃん」

黄は、やれやれと言ったふうに、首を振った。

「ならば事前に現場を下見しに行こう。それでいいな黄?」
「ええ、もうあなたに任せるわ」

先代が壁に札を四枚貼る。
両手で印を結ぶと、コンクリート壁が空間に変わり、貫通した。

その間わずか2秒。亜空穴である。
圭が30分かかった術を、先代は数秒で終わらせてしまったのだ。

「ここを通れば知楽結界だ。下見に行くぞ」



先代に防護結界を張って貰い、亜空穴をくぐる。
灯りはある。照明が設置されて、十分な明るさ。

広さは、サッカーのフィールドがすっぽり入ってしまうくらい。
天井は3階吹き抜け程度。コンクリート打ちっぱなしの無機質な空間。
直径5メートルはある巨大な柱が、一定の間隔をあけて、ずっと向こうまで規則的に並んでいる。

「こっちだ」

先代に促され、歩く。
柱の陰から出ると、すぐに見つけた。

「蓮子、さあ」

私は蓮子の手を握り、右目に触れさせた。
蓮子が左隣でほほうと唸った。

2メートル四方ほどの立方体。青色の防護壁。
その中に、人影が二人、並んで横になっている。
先代が全く遠慮せずにつかつかと接近するので、私たちもそれに倣う。

「防護壁には触れるな」

手が届く位置まで近づき、結界の中を観察する。

成人の男女が二人、着物を着て眠っている。
胎児の様に体を丸め、顔を向かい合わせて、目を瞑っている。

男性は濃い青色、女性は薄い桃色の着物を着ている。
共に手を握って体を寄せ合い、静かに呼吸をしていた。

「先代、この二人、呼吸してるよ。生きてるの?」
「もう死んでいる。よく見てみろ」

もう一度観察して、気付いた。

男女の体は、透けていた。透けている肉体に、白骨が見えている。
白骨の見た目も、眠っている形そのまま。
手を握り合って眠る姿勢のまま、透ける体に重なって、骨が転がっている。

シュレディンガーの猫だ。量子論の基礎である。
結界の中で、生きている二人と死んでいる二人が、同時に存在しているのだ。

「結界が割れれば、肉体の見た目は消える。白骨化した亡骸だけがここに残る。
 この遺体は本来、幻想郷のものだ。私は骨を回収し、幻想郷へ持ち帰る」

先代は冷静に、感情を感じさせない無骨な声で言う。
先代が顔を上げて、私たちを見た。

「ショックだったか?」
「ショックはショックだけれど」蓮子が首を振った。
「尊い亡骸よ。それ以上でも以下でもない」
「そうか。メリーはどうだ」
「私は、凄く神聖なものに見える。だけど、考えていた物よりも――、なんて言うのかしら」
「結界が素っ気ない? もっと何重にも囲われた強力な結界だと思ったって感じ?」
「ええ、八雲邸で捕獲された時の二重大結界の方が、まだそれっぽいわ」
「恋が原動力の結界は、内部の式が単純で高硬度、しかし長持ちはしないのが特徴だ」

二人が知っている通りだと、先代が付け足す。

「不思議な結界だ。どうやったらこれほどの硬度を1300年も保ち続けられるのだ」
「先代でもこの結界を作るのは?」
「他の高性能な触媒を使えば可能だが、これと同じ材料ではとても無理だ」

先代は踵を返し、もう用事は済んだとばかりに、向こうへ歩いて行ってしまう。
知楽結界の前に私と蓮子、二人だけが残された。

「向こうで待つ。飽きたら戻れ。結界には触れるな」

気が済むまで自由にしろという事だろう。
と言ってもただ男女が眠っているのみである。

他に観察のしようが無い。
ただその様子が、少し切ないだけだ。

「1300年、か。どんな夢を見たのかな」
「この顔だとうなされてはいないようだから、安心ね」
「メリー、この二人はね、幻想郷の人里が見下ろせる丘の上に埋めるらしいわ」
「ふうん、そうなんだ。良い事だね」
「八雲蓮子は、別パラレルの私みたいなの」
「へえ、それは初耳」
「世界中に残ってる、こういう結界を保護して回ってるんだってさ」
「私は、どうなってるの?」
「多分、一緒だよ。ゆかりっていう名前に改名して、私を補佐してるみたい」
「そうなんだ」
「その話を、クラバリで聞いたんだ」

蓮子が、私の右目から手を放した。
そうして私の左隣に立ったまま、手を握ってきた。

「私が大学をやめた本当の理由は、そっちのパラレルへ方針転換したいからだったんだ」
「宇宙の研究は、どうでも良くなったって訳じゃなくて」
「そう、諦めただけなの。世界中の結界保護と結界暴きをしようって決断したのよ」
「なるほど。それを悩んでいて、あんな弱ってたのね」
「今の所は、全てが上手く行ってる。メリーの人柱の心配も無くなったし」
「幻想郷のコネも作れたし、妖怪達とも仲良くなれたし」
「おまけに、明日は結界省の秘密を知ることが出来る」
「かも知れない、だけどね」

蓮子が、私の手を引く。
私の手を引いて、歩き出す。

「私は、死ぬまで、メリーと一緒に、幻想の研究をすることに決めたわ」
「えー? 死んだらどうすんの?」
「死んだら研究なんてできないでしょ」
「死んでも一緒にやろうよ」
「死んでも一緒に?」
「そう。ずっと一緒よ」
「分かった。じゃあメリーが死んでも研究は続けるわ」
「ちょ? それどういうことよ?」
「どうもこうも、言葉の通りよ。だから安心して死んでねメリー」
「安心できないわ! 全然安心できない!」
「さっきあんた、死んでもやろうって言ったじゃん」
「言ったけれど、そういう意味じゃないし!」
「うん、じゃあ、私が死んでも、メリーは研究を続けてね」
「だからそういう意味じゃないって!」

ひとしきり笑ってから、蓮子が私の隣につき、腰に手を回して抱きしめてくれた。



亜空穴から京都支部へ戻る。先代が再度印を結び、穴を閉じた。
それから私と蓮子の防護結界を解除し、一度頷く。

「一緒に来るか来ないか好きな方を、」
「行く!」「行くわ!」
「分かった。結界が破けるのは、明日の10時30分だ」
「何時に待ち合わせ?」
「10時にここへ来い。そうしたら亜空穴で移動する」

全く抑揚の無い先代の声。
蓮子が、10時に監視ルームと手帳に記入した。
マメなことである。

「了解。忘れないようにしないとね。後はなにかある?」
「特に、無いな。注意事項は明日話す」
「あいよ。それじゃあ明日10時にまた」



監視ルームを出て、ウエヤブの部屋に戻る。
中はまだまだ宴の真っ最中だった。

さて空いてるテーブルないかなと蓮子とうろうろする。
そうしたらウエヤブに呼び止められた。

「あ、ねえお二人さん。奥の部屋に寝室を用意したから、使っていいよ」
「あらありがとう。昨日みたいにデッキチェアとタオルケットでもいいんだけどね」
「まあそう言わずに使ってくれ。二つの部屋を用意したから、どっちがどっちを使うかは任せるよ」
「わかった、それじゃあ休みたくなったら、あなたに声かけるわね」
「ああそうしてくれ。よろしく頼むよ」

そこまで話して、蓮子が私を見た。
私は頷いた。言うべきことは言わなければならない。

「それでねウエヤブ、私と蓮子、明日の10時になったら外の世界に戻るね」
「あ、そうなんだ。もう人柱の話は大丈夫なのかい?」
「誤解だってことが分かったわ。結局ウエヤブの言った通りだった」
「そうか! それはめでたいね! よっしゃ!」

ウエヤブが立ち上がって両手を口に当て、ぴゅーいと指笛を吹いた。

「一同注目! もうみなさんご周知の通り! この度人間二人が幻想郷京都支部を訪れました!
 蓮子とメリーです! 京都の大学生! ぴっちぴちやぞ! 羨ましいね!」

おおおおおお! 拍手が鳴った。

「黄色い方がメリー、黒い方が蓮子。え? 分からない?
 紫色の方がメリー、白黒の方が蓮子。これでも分からない? 知るか!
 二人は明日朝10時にここを去ります! メリーは、妖怪よりも妖怪っぽい人間です!
 でも一目見てわかるとおり、人間です! 取って喰うなよ! 大事な客人だからな!」
「齧るのはOKか?」
「齧るのもNGだばかもん!」
「舐めるのはー?」
「メリーは妖怪の肉を食べてみたいそうです! お前喰われるぞ!」
「わははははははは!」

ウエヤブがビールを一口。

「貴重な外の世界の話を聞くチャンスだぞ! 倍率高いけど、バシバシ絡んでね! 以上!
 あ、あと一つ! このペースだとお前らが持って来た食材を消化し切るのに、3日はかかるよ!
 もっと遠慮なく喰いまくってくれ! 余ったら私が全部貰うからな! 以上!」

わああああと拍手が入った。

「蓮子! メリー! こっちこっち! はいお前あとな! 私らが先だ!」

混雑から中ジョッキ片手にこちらへ接近してくる影が二つ。
アマゴとユディだった。アマゴは、既に出来上がってるようだ。
眼が半分閉じて、ふらふらしている。それに比べてユディはケロッとしている。

「アマゴあんた、大丈夫? 相当酔ってない?」
「えへへへへ、わたすはまだ大丈夫。ちょっと酔っぱらってるだけさ」
「ところで、先代はどうだったの?」ユディが聞く。
「うん、人柱は誤解だってことが分かった。そんな予定は無いってさ」
「誤解か! それは良かった! それで、明日10時に帰るんだね?」
「そういうこと。まあここで喋るのもあれだから、そっちに行こうか」
「ああそうだね。こっちだよ」

アマゴの案内で押し合いへし合いの中を進む。
進みながらいろんなものを受け取った。

まず空の中ジョッキ。歩いてるうちに、いつの間にかビールが注がれる。
次に、空の紙皿と箸。こちらも歩いているうちに、焼いた肉野菜が盛り付けられる。

なるほど、妖怪連中は運動神経が良いから。
肉野菜とかを盛り付けた紙皿を、投げて渡すのだ。
頭上を絶えず料理が往来している。

これが全くこぼさずにやり取りできるのだからすごい話だ。
いや流石に中ジョッキは危ないだろう。当たったら痛いってレベルじゃねぇぞ?

「おう蓮子とメリー、お帰りなさいませ」

土蜘蛛三人娘に加え、さらに三人見慣れない子がいる。
自己紹介を受けて、端から順に私は指を指していく。

「イサザ、コペラ、トミヨ、モツゴ、カネヒラ、ギバチね。全員合ってる?」
「すげぇ! いつの間に覚えたんだ!?」
「いやね、一回聞けば覚えるわよ」
「一回聞いただけだろ!?」「妖怪よりも妖怪っぽいな!」「いや妖怪だろこれ!」
「あ、バレた? 実は妖怪なんだ。対妖怪用の妖怪。妖怪肉を食らうのが私の仕事」
「こええええ! マジかよ!」「やめてくれぇ! 体はわたすらの資本なんだ!」
「ごめん冗談。私は蓮子の妖怪。蓮子の肉を食らうのが仕事」
「ひゅー!」「激アツだぜ!」「やけどするよ!」

あ、この人たちのノリ、面白いかも知れない。
河童は普通に会話をするけれど、こっちの人たちは思いついたことから喋ればいい感じね。

「蓮子の二の腕が一番おいしいんだよ。腹の肉もいいけれどね」
「わお、もう知ってるのか!」「味をしめたね!」「え? どうやって食べるのがいいんだ!?」
「そりゃあんた、生でしょ。逃げられない様に押さえつけて、生のままかぶりつくのよ。がぶり」
「きゃー!」「聞いた!? 聞いたかこれ!」「やべぇ!」「こりゃガチだ!」「ガチ勢だ!」

蓮子に頭を叩かれた。

「あんた、悪乗りしすぎ。ほらとりあえず座ろうか」

着席。このままではまずいと思ったのか、蓮子が真っ先に話題を出した。

「ちょっとさっきので気になったんだけどさ、あなた達って歳いくつなの?」
「んー? 何歳に見える? こう聞かれたらさ、ちょっと若く言うのがコツだぜ」
「私たちと同じくらいに見えるよね。10後半から、20前半?」
「わはははは!」「蓮子、それは若すぎる!」「お世辞でもありがとう!」
「え? 本当は何歳なの?」
「こんなかでは、アマゴが一番年下かな?」
「おいアマゴ、お前何歳だっけ?」
「わたす? わたすは、今年で63かな」

びっくりした。3倍以上だ。

「へえすごーい。やっぱり人間と違って、歳をとるのが遅いんだね」
「人間の寿命は、80くらいだろう?」
「最近は100を超えるけどね」
「妖怪で長生きなやつは、1000とか2000とか平気でいるからな」
「まあ土蜘蛛の寿命は、大体300くらいかな。3倍だね」
「じゃあやっぱり、寿命を顧みると同い年くらいなんだ」
「なるほど。確かにそうだね」
「でも土蜘蛛でも長生きなやつはもっと長生きだ。500とか生きるやつもいる」
「一概には言えないって事か。なんだか色々と興味深いなぁ」
「人間は、すぐ死ぬよな。体も脆いし、寿命も短いし、病気になったらすぐぽっくりだ」
「でも子供が大きくなると生き写しみたいになるから、不思議だよな?」
「ああそうだね。性格も喋り方もそっくり。やっぱり人間は子供を産んでなんぼだよ」

私は肉を食べようとして、――ちょっと躊躇した。

「ん? この肉って、牛だよね?」
「牛だよ心配すんな」
「メリー、この肉は牛よ。美味しい牛肉ね」

蓮子は倶楽部の旅行先で人肉を齧ったことがあるのだ。
だから蓮子は、人の肉の味を知っている。もちろん私は辞退したけれどね。

どちらにせよきちんと火を通せば大丈夫、らしい。
たとえこれが人肉でもきちんと火を通せば大丈夫、らしい。
大事なことなので二回言いました。もう一回言ってもいいぞ?

「ちょっとこの場には相応しくないかもしれないけれど、後学のために聞きたいわ」
「無礼講の場だ。気に掛けることは無いわな。何でも聞いてくれ」
「妖怪って死んだらどうなるの? まずは文化的には、火葬するんでしょ?」
「妖怪によって違うかな。腐って骨になるやつもいるし、煙みたいに消える奴もいる」
「土蜘蛛はどうなの?」
「腐って土に帰るな。だから、有性生殖だ」
「いやーん、本当にエッチだなイサザは」
「後学のためにって蓮子が言ってるだろ。ピンク脳なのはギバチの方だ」
「なるほど、有性生殖の妖怪は、骨になるのか」
「でも知っての通り、これだけ身体の強い妖怪だから、出産数もなぜか少ないんだよな」
「男女関係が長く続くのなんてほんの一握りだよな。性欲が無い訳じゃないのに妙な話だ」
「全体母数とのバランスは、本当に不思議なことよね。まだ解明されてない研究科目よ」

話題が逸れたね、と蓮子。

「幻想郷京都支部に墓地ってあるの?」
「もちろんある。家系ごとに葬る墓地がある」
「でも最近の一番人気は、ちょっと変わった場所に埋めるんだ」
「っていうか最近は、あっちに埋めるのが大半だよな」
「人が来なくて、さびしい場所だ。だけどなぜか魅力的なんだ」
「変わった場所? 墓地じゃないの?」
「墓地は墓地だが、京都支部からはずっと離れた場所にある」
「っていうか、あたすらも良く分かってないんだよな。あそこ」
「外の世界なんだ?」
「まあそうだな。――そうだよな?」
「京都支部の中にあるのかな? 博麗大結界の中だとは思うが、よくわからん」
「うむ、一度博麗の巫女さんに案内されただけだし」
「いや、あそこは確かに、博麗大結界があった。だから幻想郷だ」
「まあとにかく、最近の遺骨はそこに埋めるのがブームだ」

どうやら妖怪の葬式で“そこ”を訪れたことがあるらしい。
ここ最近の埋葬は“そこ”に埋めるのがブームだと言う。
本人の選択で、“そこ”に埋まるか、幻想郷京都支部の墓地に埋められるか、決めるらしい。
博麗の巫女の亜空穴で移動すると言う。だからここからの位置関係は分からないのだ。

やっぱりすこしこの話題はしんみりしちまうな、とアマゴが言う。
まあそうだろうね。死んだあとの話なんて、飲み会でするべきじゃないわ。

「妖怪達は人間が大好きだからな。蓮子とメリー、子供を産む予定は?」
「無い。子供を作る気はあるけれど、まだ実感がわかないのよね」
「うん、メリーは子供が欲しいって言ってるね」
「子孫を残すのは、良い事だ。はやくつくった方が良いぞ」
「うーん、この人となら作ってもいいかな、ってのならいるんだけどね」
「ちょ、ちょっとメリー、なんで私を見るの!?」
「ひゅー!」「アッツアツ!」「火傷するぜ!」「チューしろチュー!」
「よし蓮子、見せつけてやりましょう」
「なに乗り気になってんのよ!」

お預けらしい。またあとでとのことだ。
秘封はちゅっちゅしていればいいのだと、神が言った気がした。

土蜘蛛娘たちの席は一度外れ、ウエヤブのところへ行った。
呆れたことに、酒を飲みながら将棋をやっていた。

ウエヤブの相手をしているのも河童らしい。
ポケットが沢山ついた作業着に、なんかいろいろと工具が突っ込まれている。
そっと近づき局面を除き見る。うん、駒が複雑に作用し合っていて、どっちが優勢か分からないね。

「やあ人間、将棋は出来るのかい?」
「ウエヤブに飛車角落ちで勝てなかったわ」

観戦する他の河童が話しかけてきた。
蓮子の答えを聞いて、うむと頷く。

「ウエヤブはここいらの河童の中でも屈指の強さだ。誰もかなわない」
「へえ、どうりで。何連勝中なの?」
「98連勝中だよ」
「ぐはっ、ウエヤブ強すぎだよ、――負けました!」
「99連勝中だね」

ウエヤブは息を吐き、上半身の服を脱ぐ。
腰で結び、黒いタンクトップ一枚になった。

座り仕事が多いからだろうか、ウエヤブはなで肩だ。首が長く見える。
白い肌と細い腕、Y字型の鎖骨。扇情的、エロティックだ。

「ウエヤブ、エロいわ」
「いきなりなに言ってるんだいメリー!?」
「鎖骨触らせてほしいなあ」
「メリー怖い! 目が怖い!」
「ひと撫でだけ! いいでしょ?」
「いやだよ! こわいよ!」
「じゃあこうしましょう。私と将棋で勝負して、勝ったら撫でさせてよ」

おお? とざわめく河童一同。

「メリーって言ったっけ? 君って将棋できるの?」
「いいえ、素人よ。駒の動かし方をまともに知ってるくらいね」
「どう思うウエヤブ?」
「どうもこうも、メリーは蓮子と普通に将棋やってたからね。いいんじゃないかな」
「でもお前、これで100連勝なんだろ? その相手が素人でいいのか?」
「この中で指したことないのメリーなんだよ。むしろ良いと思うけどね」
「じゃあメリー側は合議制で、ウエヤブは一人ってどうよ」
「ナイスアイディア蓮子、それ面白そうだわ! どう思う河童の皆さん?」
「多人数で手を考えると棋力は落ちるって言うんだけどね。じゃあ、ハンデはどうする?」
「必要無いわ。こっちには4人のスタンドがいるもの」
「新手のスタンド使いかッ!」
「ドドドドドド!」

私の傍で河童の皆さんが気迫を滾らせ、思い思いのジョジョ立ちをする。
人間の文化に詳しくて嬉しい限りである。

こうして、蓮子メリー河童さん四人チーム対ウエヤブで将棋をすることになった。
先手を貰った。序盤こそ矢倉くらいしか知らない私なので、河童の皆さんの助言で指す。

中盤からはやはりと言うか、話し合いが長くなって長考が多くなった。
なので一手一手を解説してもらい、私の好みで指してゆくことにする。

「ちょっとメリー、あんた」
「ん? どうかした?」

段々と布陣が完成し、いよいよ開戦。
駒の応酬が始まったタイミングで、蓮子が私に耳打ちをして来る。

「能力使ってるでしょ」
「あは、バレた?」
「いきなり良い手が多くなったもん」
「良し悪しは分かるんだ蓮子」
「え? 分からないの? 分からないで指してるの?」
「駒を持つとね、能力でマスの色が変わって見えるの」
「で、そこに向かって動かすだけか」
「そんな感じ。だから、これが好手なのか悪手なのか分からない」
「だからさっきからあっちこっち触ってるんだ?」
「これって反則っぽいかな?」
「うーん、最終的な手の判断って自分でやってるの?」
「10割が勘だね。これ動かすと良さそうだなーって」
「じゃあ、いいんじゃないかな」
「いいのか」
「この手にどういう意味があるのか、分からないでやってるんだね?」
「そうだね。ここに打つと綺麗だなーって感じで」
「感覚で指す棋士さんもいるのよ。だから、良いかと思う」

美しいか美しくないか、全体の整合性が取れているか否か、それで指すとかなんとか。
でもそれは、蓮子並みかそれ以上の頭脳を持つ人たちの次元の話だから、私は知ったこっちゃない。

棋士を輩出する血筋の親は言いました。
次男は、頭の出来がそこそこだったので、東大に行かせました。
長男は、頭の出来が良かったので、棋士にさせました、とか。有名な話である。
そんな人たちの話をされてもメリーさんはさっぱりお手上げ、わっかりませーん。

「なんだ、いきなり強くなったな。ビギナーズラックか?」
「スタンドが優秀なのよ。メリーったら河童さん達が提示した選択肢から、感覚で手を選んでるみたいだから」
「こちとら100連勝がかかってるんだ。おいそれと負けるわけにはいかないね、と言いたいところだが」

取って張ってを繰り返し、中々攻めが通らない応酬が続く。
ぴしっ! とウエヤブが桂馬を跳ねさせたところで、スタンドさんが言う。

「千日手だなウエヤブ?」
「おう流石よく見てるな」
「よしやり直すか」

千日手、ご存じの通り、同じ局面が4回起こることである。
潔く駒を崩すウエヤブ。私の側も、スタンドが素早く並べ始める。
ルール通り先手後手を入れ替えて、最初からやり直すが――。

「また千日手だ」
「おいどういうことだ?」
「どうもこうも無いよ。私は普通に指してるだけだ」
「ウエヤブが受けてばっかりだからだろ?」
「私は受けてから攻めるクチだから」
「とにかく、もう一度やり直そう」

さらに千日手!

「ウエヤブ、あたしゃちょっと恐ろしくなってきたよ」
「人間の前で何を言ってるんだい。ただの千日手だろうに」
「でも、普通にやってたらありえないだろ。呪われてるんじゃないか?」
「ほらほら、やり直しやり直し。下らない発言で時間を潰さない」
「ウエヤブお前、まさか狙ってやってるのか?」
「だから、100連勝がかかってるって言ってるだろ。それにそんな将棋を深くは知っていないから安心しろ」

次も千日手が起きて、ついに河童たちが恐怖に慄き始めた。

「もうこの将棋、辞めた方が良いんじゃないのか?」
「ここで辞める? 勝負ってのは勝敗がつくまで辞めちゃいけないんだろ?」
「そうか、勝敗が決まるまで続けなきゃ、厄を貰うかもしれないな。続けよう」

千日手、千日手。
河童たちはもはや無言で指示を出しては来ず、私もひたすらに指すのみである。

そして千日手。

「――ウエヤブ、もうこの将棋、やめた方が良い」
「――奇遇だね、私もそう思ってたんだ」

ついにウエヤブの心が折れたようで、初手5二王という暴挙に出た。
陣地から一人抜け出し単身突っ込んで来る。私の駒が完全包囲して終局。

「これからお前は、99連勝したら一度負ける事にしよう。な?」
「そうしよう。ちょっと寒気がするよ。熱燗でも作ろうか。ああくわばらくわばら」
「蓮子、わたし勝ったわ」
「それはちょっと違う気がする」
「でもこれなら、絶対に負けないよね?」
「それもちょっと違う気がする」

しかし、とりあえず私は安心した。
この能力で鬼将会に目をつけられることは無さそうだからだ。

「あ、そうだ。ねえウエヤブ、約束だよ、鎖骨撫でさせてよ」

蓮子に秘封ビンタを食らった。



それからは散々妖怪達にいじられ、あっと言う間に時間が経った。
色んな人と様々な話をしていて、気分が高揚してしまう。
疲労は蓄積しているのに意識は覚醒しているという、妙な感じになった。

「メリー、そろそろ寝ないと、明日に疲れを残しちゃうよ」

蓮子に言われて、もう休むことにした。

宴会はまだまだ続くようだ。
明日は早いから、今日はそろそろ寝ますと宣言する。
会場中が盛大に見送ってくれた。
ウエヤブに引っ張って貰って水路を超える。

向こうに着くと、着替えを用意してくれた。
パッケージされた新品の下着と、清潔なスウェットの上下。
洗濯物は乾燥機能付きの洗濯機に放り込んだ。

二人で風呂に入る。全身を洗い清めた。
浴槽に入ってゆっくりしても、意識は覚醒したままだった。
髪を乾かし、歯を磨き、冷蔵庫の中の飲料水を飲みながら。

「だめだ蓮子、眼が冴えちゃって、とても眠れそうにないわ。体は疲れてるのに」
「慣れない場所で沢山の人と喋ったからね。エンジンが掛かっちゃってるんだ」
「蓮子はどう?」
「くそねむい」
「おい?」

暴動を目の当たりにした時とか、銃撃戦が突然目の前で起こった後とか。
蓮子と一緒に学術会へ行って、沢山の異邦人の会話を通訳した時とか。
身体は疲れているのに脳が興奮状態で眠れなくなることは、今までにも何度かあった。

そういう時はベッドへ横になり、目を瞑って体を休ませるくらいしか、休息の手段が無い。
もちろん翌日には疲労が解消されておらず、ヘトヘトの状態になってしまう。

「困ったね。なにか良い手ない? 睡眠薬とかある?」
「あるよ」
「あるのかよ!」

蓮子が手帳に挟んでいた何かを取り出した。
ティッシュの包みだが、それを広げると。――2かけらの睡眠薬だ。

「八雲邸の小間使いさんが用意してくれた睡眠薬、持って来たんだ」
「いつの間に? ベッドのサイドテーブルの引き出しに入れたはずなんだけれど」
「あなた、私のほっぺにキスして、すぐに寝付いたじゃん。その後即座に」
「やっぱり狸寝入りだったんじゃん! くそう騙された!」
「でもさ、先代を連れてくる前夜、勝手に睡眠薬飲んだでしょ?」
「だって、ちょっと眠れなかったから……」
「常用性があるから危険だって言ったじゃん」
「ごめん。ついつい」
「まあ責めるつもりはないけどさ。だから没収したんだ」
「それで、偶然あんなことになって」
「ここまで持ってきちゃったってこと」

蓮子が一かけら抓み、私に差し出してくる。

「偶然も必然。これ飲んじゃいなさい」
「でも今までの経験則で行くと、睡眠薬を飲むと夢でどっか行っちゃうんだよね」
「明日に疲れを持ち越しちゃうよりはマシだよ」
「ねえ蓮子」
「うん?」
「あのさ」
「はいよ?」
「少しだけ、怖いかも知れない」
「うん」
「一緒に寝よ?」
「っていうか、別々に寝るつもりだったの?」

睡眠薬を飲料水で嚥下し、蓮子の隣にもぐりこむ。
蓮子が私の肩に手を伸ばしてきた。少しこそばゆくて身を捩った。
お返しにこちょこちょをしてやろうとしたら、さっと掛布団で壁を作ってくる。

「あんたいつか覚えてなさいよおやすみなさい」
「ぷっくくく、はいおやすみ」

仰向けに寝返りを打ち、眼を閉じ、念じた。
私は、睡眠薬を飲んだ。だから、眠くなるのだ。

強く強く、自己暗示をかけた。
心地よい眠気が体を脱力させて行く感覚。よかった、眠れそうである。



案の定、夢を見た。



神社境内裏手、先代が眠っていた居間。
今回もそこに布団を敷き、誰かが眠っている。

ただその後ろ頭、赤色のリボンをつけている。
かなり大きい。頭をすっぽり覆えるほどの大きさがある。

この巫女さんは何代目の巫女さんかな?
浮遊し接近。居間に上がり、顔を見るために掛布団を持ち上げようとして――。

――その腕を掴まれた!

「捕まえたわ」

巫女が、布団から起き上がる!
腕が、掴まれている!

痛いほどに握りしめてくる。ぎりぎりと締め上げられる。
握力が強い訳ではない。痛いツボを押さえているのだ。

「マエリベリー・ハーンね? さあ私を未来に連れて行きなさい」

有無言わさぬ口調。
痛みで視界がちかちかする。

思いっきり腕の肉をつねられているみたいだ。
手の指が痛みに痙攣している。

「い、いたい! 手を放して! あなただれ? どうして私を知ってるの!?」
「13代目博麗の巫女、博麗霊夢。きっとそのうち、知ることになる。
 だから今のうちに覚えておきなさい、秘封倶楽部の片割れ」
「私は、あなたなんて、知らないわ!」
「知ったこっちゃない。さあここで死ぬか、私を連れて未来へ戻るか、選びなさい」

状況が、理解できない。
なぜ13代目が私を知ってる? なぜ私は暴力を受けているんだ?
一斉に浮かんで脳をかき混ぜる疑問はすべて破棄。

「手を放して!」

一番に働いたのは、防衛本能だった。
掴まれて痛む手を振り払おうと、思い切り引いた。
ただ私の腕力は想像以上に強く、霊夢の体が軽々と宙に浮く。

怪我させちゃうかも。ごめん。そう思ったのは束の間。
霊夢は空中で体をくの字に曲げ、私の後方にあった柱に、“両足で着地”した。
本来だったら凄まじい速度で叩きつけられ骨折し、重傷を負うはずだ。

たった瞬き一回分。驚きで硬直した私。
その隙を霊夢は見逃さなかった。

柱を蹴りひらりと身を翻すと、大上段から回転しながらの踵落とし。
脳天に強烈なダメージ。視界が暗転する。

気付くと、畳へ仰向けに倒れていた。
ほんの短い間だけ気を失っていたようだ。

腕は、掴まれたままだ。立ち上がろうとして畳を掴む。めきりと音がして気付く。
掴んだ五指が畳を穿っている。人間を超越した筋力が、今の私には備わっている。

そして、右腕の痛みと脳天のダメージ。
私は、霊夢を傷付ける準備が、出来た。

「わあああああぁああぁああぁあああ!」

掴んで締め上げる霊夢の腕へ手刀を繰り出した。
滅茶苦茶に叫びながら、全力で、霊夢の腕を切断するつもりで。

少女の腕を断ち切る様子は見たくない。眼は逸らした。
硬い手ごたえがした。なぜ?

霊夢の腕が、ティッシュ箱程度の大きさの結界に守られて、私の手刀を防いでいた。
同時にその結界は、私の両手を巻き込み、霊夢の腕に固定されている。

結界壁が私の腕を貫通するように展開されている。
例えるならば、手を繋いだままコンクリートブロックで固められてしまった感じだ。
完全に固定されびくともしない。このままでは、まずい。

渾身の蹴りを繰り出す。霊夢が腕の結界で受ける。
膝辺りを結界に阻まれ、そして取り込まれた。接着、固定。

私は畳に仰向けで寝転がったまま、両手と右足を、霊夢の腕の結界に接着される形になった。
私を見おろす霊夢。自由な片手の指を揃え、貫手の形にする。

「メリー、この攻撃で私は、あんたの喉を潰すわ。それがどういう事か、分かる?」
「い、いやだ。痛いのはイヤだ。わたし、そんなことされたら、死んじゃうよ」
「妖怪はこれくらいじゃ死なない。ただ喉を潰され呼吸が出来ず、地獄の苦しみを味わうだけ」
「私は人間よ!」
「今は、妖怪」
「そ、そんな――」
「ゆっくり刺してやろうかしら。こうやって、じっくり、じっくりね」

霊夢が、私の首下――、喉頭の位置に貫手の指先をつけ、徐々に力を加えてくる。
痛みに顔が歪む。息が詰まる。喉を圧迫され、悲鳴さえ上げられない。
ただ潰されたカエルの様な声が出た。気管が潰されている。激痛。呼吸が出来ない。

「どう? 痛い? こんなのは序の口よ。声帯がつぶれたら、痛みはこんなものじゃないわ。
 さあどうするの? 未来へ戻るの? それともこのままでいるの? 痛いわよ? それでもいいの?」

冷徹な声。私は痛みと恐怖に、声も出せず泣いていた。
蓮子、助けて、私を助けて蓮子! 誰か助けて!
いやこの際蓮子じゃなくてもいい! 教授でもいい! 誰か! 誰かっ!!

はっとする。

景色が変わっていた。
京都支部の、監視ルームの前だ。

背中の感触も畳ではない。コンクリートの床。冷たくて硬い感触。
激しく咳き込む。酸欠の状態。喉の痛みは本物。

「メリーか。どうした、大丈夫か」

扉が開かれた。先代が立っていた。
こちらに近づいてくる。私は先代へ縋り付いた。

「た、助けて先代! 襲われた! 殺されそうになった!」
「ここは安全だ。まずは落ち着いて呼吸しろ」
「なぁに? 辛そうね。あら、賢者様?」
「違う、メリーだ。時々夢であちこちを飛び回る癖がある」
「それは難儀な癖ね……。震えてるじゃない、かわいそうに」
「慣れない場所に来て不安定になったんだな。さあもう大丈夫だ」
「喉を潰されそうになった!」
「誰にだ?」
「13代目博麗の巫女、博麗霊夢にっ!」
「…………とりあえず、中に入れ。話を聞こう。立てるか?」

監視ルームの中へ。夜間深夜、テレビの殆どがOFFになっている。
写っているのも人気の無い廊下とか列車脇の様子で、静かな感じだ。

パイプ椅子に座らせられる。その場で少しの間安静にする。
5分もじっとしていたら、だいぶ落ち着いてきた。

「もう大丈夫か?」
「落ち着いたわ。ありがとう」

私は頷いた。精神的にも落ち着きを取り戻せた。
先代はそうかと相槌を打ち、左手のグローブの留め具へ手を掛ける。
金属のボタン状になっている。バチンと外す。

「診てやる。上を向け」

先代が片手のグローブを外した。
その手を見てぎょっとした。
皮膚の色が違う。手首から先の皮膚だけが黄褐色に変色している。

「あ、それ、どうしたの? 大丈夫?」
「ただの火傷の跡だ。上を向け」

再度先代に言われ、私は上を向く。
私の首を撫でてくる。気管に触れ、顎舌に触れ、
声を出せと言われ、あーと発声。

「問題ない。圧迫されただけだ」

グローブを付け直す先代。

「圧迫するだけ以外に、何があるの?」
「あらゆることが出来るわよ。首は急所だから、呪いとか色々。聞きたい?」
「いや、やっぱり遠慮しとく」
「喉に結界を張れれば仮死状態に出来る。指一本でな」
「だから聞かなくていいって。もう素人を脅かすのは十分でしょ」
「喉以外には? 攻撃された個所はどこがある?」

私は事の経緯を説明した。
そうして霊夢に触れられたすべての個所を診察してもらった。
異常はないらしい。安心した。

「それで、どうだった?」

先代が私の眼をしかとみて質問してくる。

「どうだったって、なにが?」
「霊夢だ。立派だったか?」
「コワかった」
「他には?」
「体術が凄かったわ」
「どんなふうに?」
「柱を蹴って跳躍して、踵落としをしてきた」
「それは聞いた。他には?」
「凄く素早く結界を張ってきた」
「どれくらい素早かった?」
「私のチョップを防いだわ」
「ちょっと振ってみろ」

私は椅子に座ったまま横を向き、腕を振り上げ、下ろす。
びゅん! あら、風切音が鳴ったわ。

「中々だ。それを結界で防いだのか」
「結界壁に巻き込まれて拘束された」
「当たる寸前に結界を張る高等技術だ。同時に相手を拘束できる。成長したんだな霊夢」

“成長したんだな霊夢”の言い方があまりにも慈愛に満ちており、怪訝に思う。
しかし私が先代を観察するよりも早く、矢継ぎ早に質問が飛んでくる。

「背は伸びていたか。髪の毛は伸ばしていたか。栄養状態はどうだった」
「ちょ、ちょっと、先代?」
「部屋の掃除はしていたか。自堕落にしていないか。食事はきちんと摂っていたか。健康そうだったか」
「おーい?」
「友達はいたか。幸せにしていたか。さあ全部答えてくれ」
「無理よ」
「なぜだ」
「さっき話したでしょ。向こうに行った2分ちょっとで、そこまでは観察できないわ」
「ならばもう一度行って来い」
「なんて!?」

傍らに座る黄が声を上げて笑った。

「記録の通りね。12代目博麗の巫女は、13代目巫女が大好きなのよ」
「霊夢、次にあったら、とりあえず食事だな。好きなものをお腹いっぱい食べさせるのだ」
「へ、へえー、……霊夢ってどんな食べ物が好きなの?」
「箸の使い方は、私が教えるまでも無く覚えた。箸を初めてもった瞬間にだ」
「何歳の頃? 小さい子ってスプーンが良いって言うわよね」
「器用な子なのだ。そして修得が速いのだ。小豆だって落としたことはない」
「ちょっと黄さん、なんか先代が変なスイッチ入っちゃってるんだけど?」
「ご飯を食べたら次は風呂に入れよう。体中隅々まで洗ってやるのだ。髪を梳かそう。あの絹糸のような髪を!」
「大丈夫、少ししたら元に戻るから、放っておくのが良いわ」
「髪油は何が良いだろうか。馬油だろうか。いや外の世界の物の方が喜ぶだろうか」
「これ何分くらい続くの? いつもはどれくらいで終わる? 喋りすぎで怖いんだけど」
「爪も切ってやらねば。眉毛も、綺麗に切り揃えよう。そうだ香水もつけよう。何が良いだろうか」
「程度に寄るわ。この間は1時間続いたわね」
「霊夢は、オリエンタルよりもフローラルが良いかも知れない。華の様な子だからな」
「え? これが1時間もずっと? こんな感じに独り言を?」
「霊夢は桜が好きだと言っていたな、決定だ。目に入っても大丈夫なものにしなければ」
「うん、ずっとこんな感じ。1時間で終われば短い方ね」
「霊夢に桜。とっても似合うじゃないか。桜の髪飾りも用意して行こう。ああ、素敵だぞ霊夢」
「ちょっと病的じゃない? 目が明らかに明後日の方向を見てるわよ? 大丈夫?」
「香水をつけて化粧を済ませたら、一緒に縁側に座り、茶を飲むのだ。茶菓子も用意しなければ」
「うん、これもいつも通りだから大丈夫」
「お茶の温度で火傷しないように気をつけなければ。何の話をしよう。霊夢、どんな話が聞きたい?」
「今回は愛でたい撫でたいが無い、いわゆる軽い表現だからね」
「針の投げ方、札の投げ方、霊撃の打ち方。いや修行に関係ない方が良いか?」
「もう終わる? っていうかこれで軽い表現なの? 完全にトリップしてるけど?」
「お茶が美味しいな霊夢。今日はいい天気だ。髪飾り、似合ってるぞ。霊夢の為に用意したんだ」
「まあ、異常っちゃあ異常だけど、私は見慣れちゃったから」
「そうだメリー、聞いてくれ」
「わ!? な、なによ」
「霊夢は緑茶が好きなんだ」
「あ、そう、なんだ」
「霊夢は醤油煎餅が好きなんだ」
「へ、へぇー、ところで、先代?」
「なんだ、霊夢の良さならばいくらでも聞かせるぞ」
「霊夢と先代って、どっちが強いの?」
「霊夢だな。私の何十倍、いや何百倍も、強い」
「いやそれは先代の先入観かと」
「13代目博麗の巫女は神童だったと記録があるわよ」

黄が会話に割り込んでくる。

「ここら辺は、先代の苦労話を聞いた方が速いと思うけれど」
「そうなんだ先代?」
「私は生まれつきの能力で八雲の賢者に目をつけられ、博麗の巫女に任命されただけだ。
 だからこの体術も、修行で身に付けたものなのだ。もとはタダの人間。しかし、霊夢は違う」
「どう違うの?」
「神童だ」
「それはさっき聞いた」
「赤子の時、霊夢の癇癪で地震が起きた」
「え? 地震? それって偶然じゃ?」
「怒ると竜巻、悲しむと豪雨、空腹になると雷が落ちる。そして――」

先代は組んだ両腕を見おろし、まるでそこに赤子を抱いているかのように柔和な笑みを浮かべて。

「眠っている時は、突き抜けるような晴天になった。
 あの寝顔を見るだけで、たったそれだけで、全ての苦労を忘れたよ。
 悲しい事ではあるが、気分を押し殺すように教育するのは、つらい事だった」

顔を上げる。笑みから一転、引き締まった顔になる。

「もう気づいているだろうが、私は三百年以上前の博麗の巫女だ」
「え? そうなの?」

私は知らないふりをした。
私がこっちの世界に連れて来ちゃったとは言えないからね!

「そうだ。だから今の時代の幻想郷は、霊夢も死んでいないだろうな。
 私が未来に飛んで師の責務を全うし、霊夢は一人前になったのだ」
「先代は未来に来て、何だか驚いていないようだけれど」
「たびたび、時間を跳躍して外界へ出てくることがあった。だから黄とも顔見知りなのだ」
「じゃあ今回も元の時代に戻れるんじゃないの?」
「今回は違う。いつもは八雲の賢者の誘導があるのだが、今回は無いからな」

私が連れて来ちゃったからだね!

「きっとこの知楽結界の為に、私は飛ばされたのだろう」
「さあ何が起こるのやらという感じなのよ」
「こういう、昔から続いてる結界が破けることは今までにもあったんでしょ?」
「ああ、もう何十と経験してきてる事だ」
「今回と今までを比べて、何か違いは?」
「無いな。強いて言えば結界省と秘封倶楽部が関わっている事くらいだが」
「それがそこまで重大かと聞かれれば、そうでもないのよね」
「ただ亡骸は幻想郷へ回収する。それだけは絶対だ」

ピピピピ、ピピピピ、どこかから目覚ましの音が聞こえてくる。
先代と黄を見ても、アラームの電子音は聞こえていない様子。

「先代、今なんじか分かる?」
「深夜の3時過ぎだ」
「あ、やっぱり夢の私は時間のねじれがあるのね。自室の目覚まし音が聞こえるわ」
「そうか、ならばもう向こうへ戻るのか」

カチッ、目覚ましが止められる音。
蓮子が止めたんだろうな、と思った。

「最後にあのさ、今聞いた話を蓮子にも話してもいい?」
「別に良いと思うが、」

身体が、揺さぶられる。
メリー起きて朝だよと、蓮子が呼んでいる。
あ、どさくさに紛れて蓮子、私の頬にキスしやがった。
起きてる時はあんなに言っても応じてくれなかったのに!

「夢の中の出来事は詳細まで覚えてられないと、幻想郷のお前から聞いているぞ」
「え、それマジか」



そこで、眼が覚めた。



疲労感は感じなかった。よく眠れた。
朝の7時だった。蓮子が隣にいて、私を揺さぶっていた。

「朝だよメリー」
「むにゃ、朝か」
「ほっぺやわらかい」
「おはよ蓮子。腕貸して」
「おはよ。はいどうぞ」

うーんと伸びをして、とりあえず蓮子の腕を掴んで甘える。
そのまま手の甲に頬擦りをして、――氷が解ける様に、何か大事な記憶が失われていくのを感じた。

「ありゃ?」
「ん? どうかした?」
「夢でどこかに行ったのは間違いないみたいなんだけど」
「ふむ。睡眠薬を飲むと飛ぶんだね。それで、どこに行ったの?」
「なんかそれ、忘れちゃったわ」
「まあ忘れちゃうタイプの夢だったなら仕方ないね」
「先代と話していたような違うような、むむむ、思い出せない」
「忘れたほうが良い記憶もあるよ。悪夢とか特にね。あなた、うなされてたから」



二人で風呂に入り、漲水スプレーを掛け、服を着替えて、部屋から出る。
プールにざぶざぶと腰までつかり、水中に向かって言う。

「ウエヤブー! おはよー!」

程なくしてウエヤブが現れる。
ゴーグルを外すと、くっきりとクマが出来ている。

「おはよお二人さん」と、あくびをしてみせる。
「え? 寝てないの? ずっと飲んでたの?」
「寝たり起きたり、飲んだり飲まなかったりだよ」
「まだ続いてるの?」
「まあ、見ればわかる。スプレーは掛けたね? じゃあいくよ」

ウエヤブに手を引かれて水路を超える。
この光景もこれで最後なんだなと思ったら、少し感慨深くなった。

プールから上がって見えた光景は、まさに混沌といった具合。
80人近い妖怪達が、ウエヤブの説明通り、眠ったり起きたり飲んだり飲まなかったりしている。

完全にハイに行っているらしく、砂を抓んで落として、けらけら笑っている集団もある。
大いびきをかいて眠っている妖怪の隣で、まだまだこれからだぜと言った様子で飲んでいる二人が居たりもする。

「なにこれ? 妖怪の飲み会ってこんな風になるの?」
「まあ大体は、最終的にはこんな感じだね。人間とは違うだろう?」
「体力が続かないわよ。っていうか死人とか出ないよねこれ」
「いつも通りだから大丈夫。炭は生きてるだろうから、適当に焼いて食べてくれ。すまんが私もヘトヘトだ」

お言葉に甘えることにした。
私が種火に火をつけている間、蓮子はクーラーから材料を用意する。

肉野菜と焼きそばを作り、パンに挟んで食べる。
これが凄く美味い。食材が新鮮なのだ。

寝ている妖怪を起こしてはまずいと思って、特に会話は無かった。
妖怪達も疲労で視野が狭くなっているのか、私たちに絡んでくることも無かった。
食べ終わり一休みをしてからウエヤブに時間を聞くと、9時30分だった。

「ウエヤブ、ねえウエヤブ、起きて」
「んにゃ? なんだい?」
「二日間、本当にありがとう」
「私達、そろそろ行くね」
「ああ、行くのかい?」
「うん。それじゃあ」
「ちょっと待って。これで別れるとは質素すぎる。よっこいしょっと」

ウエヤブが立ち上がり、指を口に挟む。
二度ほど上手く鳴らなかった。三度目で、力強い指笛が出た。
ただ疲労しきった妖怪達はそれだけでは起きず、更に三度ほど鳴らすことになった。

「ほら起きろー! 幻想郷京都支部妖怪だろー! 最後の根性見せろおらー!」

そう叫ぶウエヤブも頭がぐらぐらとしている。
注目が十分に集まってから、一層に声を張り上げた。

「人間二人が、外の世界に帰る! 感謝の言葉があるそうだ! どうぞ!」
「いやウエヤブ、みんな疲れてるみたいだし、いいよ」
「うん、あんまり時間かけてもあれだしさ」

どっと笑いが起こった。ウエヤブは後ろ頭を掻く。

「え? あ、そう? いやでもほら、一言ずつくらい欲しいなぁってね」
「ふむ、それじゃあメリー、あんまり湿っぽくなってもあれだから、さくっと終わらせよう」
「そうだね。――ユディ! ちょっと短い間だったけれど、どうもありがとう!」
「ういー、歌はきちんと練習するよ。こちらこそ元気貰ったわ、ありがとうね」

四肢累々の様相を呈する砂浜の奥の方で、ユディが手を上げて言った。
と、はっとした様子でその場に立ちあがり、すぅと息を吸う。
二日前に歌えなかったフレーズである。しっかり音程を取り、高音も出しきった。

「あら? 出せたわ」と、これには本人も苦笑い。
「練習でそれより遥かに高い音を出してたじゃん」
「今度はオラトリオを用意しておくよ。J-POPじゃなくてね」
「よし、楽しみにしておこう」
「また会おうね」
「うん。また、かならず、ね」
「あ、アマゴ連中は寝てるよ。起こす?」
「いや寝てるのならいいよ。寝かしておこう」
「起きろオラァ!」

ユディがアマゴを蹴っ飛ばした。
ぐへっと声をだし、飛び起きる。

「いきなり何するんだい!?」
「蓮子とメリーが帰るって。挨拶しなさい」
「あ、そう? ああそうか。もう帰っちゃうんだね」

天井に糸を撃ち、ユディを抱えてこちらまで飛んでくる。
そうして私にひしと抱きついて来た。
驚きと照れくささで面食らってしまった。

ああ、折角ユディが気を聞かせてドライに終わらそうとしたのに、台無しである。
目の奥が熱くなる。だけど、ぐっと堪えた。ここで泣いたらダメだ。

「二日間ありがとう。最初は黄さんの罰って形だったけれど、二人に会えて本当によかったよ」
「うん、私も、アマゴとユディに案内してもらって、良かったわ」

アマゴが私を離す。すると、ユディがタックルに近い勢いで、私に抱きついて来た。
なにも会話は無く、ぎゅっと抱擁される。わずかに、鼻を啜る音が聞こえた。

ユディが、私を痛いくらいに抱きしめてくる。
私は目を瞑り、ユディの柔らかい頭髪へ顔をうずめた。

シャンプーと汗が混ざった匂いと、――ほんの少しだけ、獣の匂いがした。
やっぱり、妖怪なんだ。間違いなく、人外なんだ。
こんなにも、人間そっくりな感情を持っているのに。
人ではないのに、別れを惜しんでくれるんだ。

「泣いちゃダメよユディ。私だって、我慢してるんだから」
「うん、分かってる」

その声が既に涙混じりである。
アマゴが蓮子とハグを交わす。

「カタパルトは残念だった。土台の強度不足。立地を選ぶべきだった。ごめんよ蓮子」
「だけど、的当てのトーナメントは優勝したじゃん」
「そうだね。私らが向かう先に敵なしだ」
「伸身の新月面、綺麗だったわ」
「次はあれにもう2ヒネリ加えたやつを見せるよ。余力があるんだ」

最後に、ウエヤブ、ユディ、アマゴ、蓮子も混ぜて全員を抱きしめた。

「ああここで分かれるのは残念だ。もう蓮子もメリーも、私の部屋に住めよ」
「だめだよ。私たちは、外の世界の住人だからね」
「もっと練習して上手くなった歌を、たくさん聞かせたいわ」
「あなたが練習していればどこに居たって分かるから。大丈夫よ」
「蓮子と一緒に、もっといろんなものを作りたかったよ。アイディアは、あるんだろ?」
「ええ、必ず狙った位置に飛んでいく投石器、数百トンを昇降できる大型エレベーター、いくらでもあるわよ」
「そりゃすごいな。土蜘蛛の力は偉大だ」
「あら残念。河童と力を合わせなきゃ、実装は難しいの」
「な、なんだって!?」
「だからこの先、仲良くしてね」
「ぐ、ぐぬぬぬぬ、――分かったよ」
「ウエヤブもよろしくね」
「えへへ、物創りを一緒にできるのならば大歓迎だ」

背後で、扉が開いた。
「すまんな、時間だ」と無骨な声が聞こえた。

迎えが来てしまった。凄く、凄く残念だ。
名残惜しく抱擁をやめ、一筋だけ溢れてしまった涙を、袖で拭った。

意識して笑顔を作る。
お別れである。

「じゃあね、また、必ず会いましょう」
「幻想郷京都支部、ステキな場所だったわ」
「ありがとう蓮子!」
「ありがとうメリー!」
「また、また会おうね! 絶対だよ!」

ユディが嗚咽をかみ殺しきれず、ついに声を上げて泣き出した。
アマゴがユディの頭をぐしゃぐしゃにする。ウエヤブが、手を振った。
三人の後ろで、数多の妖怪達が一斉に「さらば人間!」と杯を掲げた。

その光景が、まぶたに焼き付いた。
妖怪達の屈託のない笑顔が、鮮明に、細部まで、余すことなく脳に記憶された。
きっと死ぬときはこの映像をもう一度見ることになるだろうと、場違いに考えた。

もう二度と会うことはないだろう。だけど、また会いたい。
素晴らしい出会いだった。名残惜しいけれど、また会う時まで、お別れである。

「魑魅魍魎の人外諸君! どうぞ達者で!」
「次に会う時までお元気で!」

壁にできた亜空穴をくぐる。





「良い友人が出来たみたいね。羨ましいわ」

黄が私と蓮子の顔を見て、そう言った。

亜空穴の向こうは監視ルームだった。
先代が最後に穴をくぐってこちらに来ると、亜空穴を閉鎖。
元のコンクリートの壁に、四枚の札が貼られているだけとなった。

「さて、あなた達は知楽結界に出発するわけだけれども、心残りはない?」
「ええ、しっかり別れは言ったもの。大丈夫よ」
「こっちに住むこともできるわ。そうしたら外の生活は捨てることになるけれどね」
「私も蓮子も、外界の生まれ、外界の人間だから。幻想郷には住めないわ」
「そうだね。あくまでも私たちは、常識側の人間よ。幻想郷に来るとしたら――」
「非常識になった時、かな? ん? 妖怪と宴会をした私たちはすでに非常識かしら」

蓮子と二人で笑った。

「うん、吹っ切れているようで良かったわ」

黄がずらりと並んでいるモニタへ視線を向けた。
傍らのスピーカーから、低く抑揚の無い声が聞こえてくる。

「第3リフト、A6タスク終了」
「統合監視室、A6タスク終了了解、A7タスク開始を願います」
「第3リフト了解。A7タスク開始」

ツマミを操作した黄が、マイクに向けて喋る。

「仕事中なの。ごめんなさいね」と黄が言う。
「最初にも言ったけれど、よもつへぐいの心配は無いわ。食べ物は美味しかった?」
「ええ、とっても美味しかった。妖怪のみんなも、とっても親切だった」
「そう、楽しんでもらえたようで何より」
「あ、心残りで一つ思い出したんだけど」
「なにかしら?」
「グラボスが、妖怪達の教育に力を貸したいって言ってたわ」
「うん、その件で黄さんと話がしたいって」
「あらあら、近々妖怪達の教育をグラボスにお願いしようと思ってた所なの。話が速くて助かるわ」

この言葉を聞いて、私はとてもうれしくなった。
ユディが声楽の教育を受けることが出来る。
それに、妖怪達が外の世界を知るきっかけにもなるだろう。

「それじゃあ、先代」
「出発だな。注意事項がいくつかある」
「難しい事じゃないならばいくらでも」

背筋を伸ばし、緊張する。

「お前たちは、ただの学生だ。戦闘には参加するな。
 物言わぬ石ころになれ。何もするな。柱の陰から出るな。
 喋るな、動くな。見るだけだ。誰かの盾になろうとか、庇おうとかするな」
「集約すると?」
「私が指示するまでは、見るだけだ」
「分かり易い」

先代が、壁に張られた御札へ印を結ぶ。
昨日と同じ、壁に穴が開き、知楽地下の様子が見えた。

先代が私と蓮子へ、防護結界を張った。
身体に密着する透明な袋みたいだ。視界を阻害しない。

「いってらっしゃい。無事に帰って来てね」

黄が不吉なことを言いながら、手を振ってくれた。
先に先代、蓮子、私がくぐる。



向こう側に着地。
亜空穴を締めると亜空穴の札を剥がす。

三人で柱の陰に腰を下ろした。
そうして懐から別の札を取出し、足元へ四枚、貼って見せる。

「ここから出るな。喋るな。お前たちはここから、石ころだ」
「さっき聞いたわよ。小説のヒロインみたいに飛び出さない、盾になったりしない」
「口を挟まない、変なちょっかいを出さない」
「よし、もう喋るな。今から結界に隠密術を付与する」
「え? それってこの間みたいにぶっ倒れるやつ?」
「今回は札を媒介にしているから大丈夫だ。もう喋るな」

コンクリートの床へぺたりと腰を下ろす。
座布団を持ってくればよかったなと、すぐに後悔した。
お尻が、痛い。あと、冷たい。

10分ほど経っただろうか。
遠くから、女性の話し声が聞こえてくる。
どうやら雑談をしながらこちらに歩いてくるようだ。

「ここに来るの、何回目?」
「20回目くらいか」
「思い出した。27回目だ」
「おいちゃんと数えてるんじゃねぇか」
「なんだかあんなに怖がってたのがバカみたい。流石に慣れちゃったわ」
「おいおい緊張しろ。結界省が居るかもしれんぞ」
「ぱっと見て人の気配がしないから大丈夫よ」
「ぱっと見てって、お前結界省のこと舐めすぎだろ」
「コワいのは、私がオーバーキルしちゃうって事だから。あとは、先代?」
「まあ、今の所いないみたいだな。大丈夫そうか」
「もし先代が居たら何を話そうかな。うふふ、まずは頭なでなでしてもらおう」
「おいおい大丈夫かよ。敵かもしれないんだぞ?」
「うん、大丈夫よ。敵でも味方でも、今までの事沢山話して、膝枕してもらうんだぁ」
「いやあ、それにしても、ついに知楽結界が割れるんだな。1300年持ったんだろ? 凄い話だよな」
「この結界って博麗式なのよね。しかもここって300年くらい未来なんでしょ?」
「まあそうらしいな。地下だから、外がどうなってるかは知らんが」
「私が13代目の巫女だから、丁度初代が張った結界かも知れないのよね」
「なるほど。という事はあの結界を解けなきゃ博麗の巫女失格ってか?」
「いやまあ、そうは言わないけれどね?」

先代がぴくりと反応した。
私達には手の平を向け、柱の陰からそっと身を乗り出している。

「へえ、お前あの式を理解できるのか?」
「うーん、立てこもってる間は、準不老不死になろうとしてたみたいなんだよね。
 結界の中でイチャイチャしたかったみたいなんだけど、結界が不完全だったの。
 それで結界の反動と疲労で死んじゃったみたいなんだよね。
 強力な結界なだけに、消耗も大きかったって感じかしら」
「おい質問に答えてないぞ。理解できるのか? お前はあの博麗式結界を作れるのか?」
「似たような物なら作れるかも」
「1300年は持つのか?」
「豪華な材料を用意すれば可能。でもこれだけじゃ、無理ね。
 第一に、二人の寿命だけじゃなく、思念さえも燃料にして維持し続けたわけだし。
 いやでもそれを含めても、1300年続くってのはすごい事なのよ? 燃費良すぎってやつ」
「ああ分かったって。お前喋りすぎだ。緊張しろ緊張」

女二人が、知楽結界の前まで来て立ち止まる。
そうして先代が、そんな馬鹿な、と呟いた。

「博麗の巫女、霊夢様でも無理となれば、相当なオーバーテクノロジーなんだな」
「それを言うならオーパーツだと思うんだけど、――うん、魔理沙?」
「ああ、おいでなすったな。おい出てこいよ! ばれてるぜ!」

先代が、ふらふらと柱の陰から出て行く。
構えも警戒も無い。両手をだらりと下げ、無防備な姿勢で。

「おうなんだお前。巫女みたいな格好しやがって、名を名乗れ」
「霊夢、大きくなったね。霊力も付いた。私が居なくなってから、何年が経ったの?」
「無視すんなてめぇ、はっきり喋れ、質問を質問で返すなと習わなかったのか?」
「魔理沙、この人が、――12代目の巫女様よ」

しんと、静まり返る。
耳が痛くなるほどの、静寂。

「私の、師匠。私の、――育ての親」

一歩、足音。
霊夢が前へ出たのだと思った。

「巫女様、どうして、歳をとってないの?」
「どうやら紫の仕業らしいの。時間を超えて、起きたらこの時代に飛ばされていて」

先代の喋り方が、まるで別人だ。
無骨で無愛想な発音ではなく、実の愛娘へ話しかける様に、温かく優しい。

「いつもは紫がエスコートしてくれるのに、ここに来てから音信不通なのよ」
「実は私もそうなの。紫と連絡が取れなくて、元の時代に帰れなくて、ごめんなさい霊夢」
「巫女様もそうなの? どうやってこの時代に来たの?」
「起きたら、未来の外の世界にいて、ただ時代は良く知っていたから」
「紫は一言もそんなこと、…………教えてくれなかったわ」
「霊夢、ここにはもう少ししたら、結界省が来るの。ここは私が引き受けるから――、」
「ねえ巫女様、どうして元の時代に戻らないの? 私、待ってたんだよ?」
「それは、私にとっては未来のことなのよ。分からない。それよりも霊夢――、」
「私はずっと神社で一人、頑張ったんだよ? 寂しくても、頑張ったんだよ? 巫女様に褒めて貰う為だけに!」

霊夢が先代の言葉を遮り、絶叫を上げた。悲痛な叫び声だった。
きっと堪えていたのだろう。堰を切ったように続ける。

「どうして巫女様は私を捨てたの!? 未熟な私を一人置いてどこかに行ってしまったの!?
 それだけを今まで、ずっと、ずっと悩んできた! それだけがひたすらに不幸だった!
 親友が出来て、妖怪の友人が出来て、色んなことで満たされても、ただそれだけが不幸だった!」
「霊夢、落ち着いて。ここに居ては危険だから、」
「近づくな!」

ぴんと、プレッシャーが流れた。
霊夢が武器を構えたのだと、分かった。

「あなた、怪しいわ。本当に巫女様? あなた、私と同等くらいの力しかないじゃない。
 巫女様はもっと、私なんかよりも、もっともっとすごかったわ。私なんかよりもよっぽどよ。
 どうして私程度なの? おかしいよ。巫女様みたいになれないって諦めた私なのに」

いきなりぱたぱたと、大勢の足音が響く。
闖入者が柱の陰から飛び出した。

「動くな! 結界省だ!」

蓮子が、そっと柱の陰から目を出した。
私もそれを真似して、観察する。

人数を数えた。16人いる。結界省の人たちだ。
その人垣が、先代の後方から辺りを包囲している。
そして知楽結界の傍らに、霊夢と魔理沙。

私は、昨夜の夢で会った霊夢を、ここで思い出した。しかし、とても別人だ。
服装が巫女服ではなく現代の服だってことは差し引いても、全く違う。
雰囲気が別なのだ。なんというか、垢抜けていない。

未熟、である。覇気がない。
学生と社会人の違いの様な感じ。
いわゆる、オーラが足りない。

あれは本当に、夢の中で私を襲った霊夢か?

「ああ、分かったわ」

霊夢が結界省の包囲を無視して言った。
片手に持った細い木の棒の先端を、先代へ向けて剣の様に突き出した。

「巫女様。――いいえ、あなた、偽物ね? 結界省の人間なんだ。
 どうやってその力を得たかは知らないけれど。見た目だけは良く似せたものね。
 だけど巫女様の格好を真似した事は、後悔させてやる。私の、大事な人を、よくも、よくも!」

全身を戦慄かせ、怒りを体現している。
歯を食いしばり、双眸へ驚くほどの憤怒を込めて、先代を睨んでいる。

霊夢が素早く両手を動かした。霊夢と先代が、一つの結界に閉じ込められた。
魔理沙が飛びずさり範囲から外れる。もとより、入っていないようだった。

「その化けの皮を剥がしてやる。私の、全身全霊を込めて」

魔理沙はふうと息をつき、両手を背中に回して、言った。

「と、いうことだモブ結界省ども。お前らの相手は私が引き受けた。
 おっと、お前らってのは、なんか変な穴開けてこっち見てるガキンチョとその保護者に――。
 柱に隠れてるいちゃいちゃ妖怪二人組も含めてだぜ?」

紫と教授が来ているらしいという事は分かったが。
――いちゃいちゃ妖怪って誰の事だ?







コンピュータウィルスで円盤のバリアを無効化し。
梅干しのメイクをしたジェダイをやっつけ。
900人仲間を連れて魔王をぶっ飛ばし。
宇宙に漂う巨大なリング状の建築物を爆破し。
空間を繋げる銃を使って密室パズルを攻略し。
Kの遺書を読み。激怒して邪知暴虐の王を討ち取らんと決意し。
雨にも負けず風にも負けず、強い人間になり。
羅生門の下で雨やみを待ち。トンネルを抜けた先は雪国で。
ついでに500通りの秘封のバッドエンドを回避させ。

そしてついに滅びの山の火口に、私は辿り着いていた。
この11次元宇宙に存在する全てを無へ帰す可能性を秘めた、絶大な、物。

私はそれを、火口へ投げ込んだ。
ジュラルミンケースの施錠は、私のリモコンの電波で開錠。
蓋が開き、中身が溶岩に溶けて無に帰すのを見届ける。

これで、良かったのだ。全てが、終わったのだ。
あれは、この世に存在してはならないのだ。

蓮子のキャミソール。

「ご主人様、旅が、終わりましたね」
「ああ、終わったよ。さあ帰ろう」

ザムと共に私は帰路についた。
ガンタルフに礼を言ったら、元のパラレルに戻ろう。

後の下着物語である。

私は本部から残業手当を貰った。
勲章は貰えなかった。
■幼少霊夢「おなか減ったあああああ!」雷どっかあん! これすごく可愛いと思う。
■淡水魚の名前はググったけど、家具店の名前は無理でした。
■聞きました奥さん? 前中後、これを纏めて一度に投稿しようとしたんですって。
 あらいやだ、三つに分けて良かったわね。世間知らずにもほどがあるわ。友人さんに感謝しなきゃ。
■本話の要約!
 支部管理人「人柱、やっぱり間違いみたいっすね。もう帰ってOKっす」
 蓮子「外界に帰るついで、1300年ぶりに割れる結界を見に行くわ、よろしく12代目巫女」
 12代目巫女「なんか知らんが13代目巫女の愛弟子霊夢と居合わせてケンカになった」
 結界省「よしお前らとりあえず全員逮捕な、話はあとで聞く」
 魔理沙「カオスすぎワロタとりあえず結界省ぶっ飛ばす」
■あと3話で完結予定です。延びたり縮んだりするかもしれません。
初級者が撃つ基本的に間に合わないボム
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.600簡易評価
6.100名前が無い程度の能力削除
京都支部編終幕。幸せな時間だった。
あまり本編には関わってこない話だったのかもしれないが、これは良いものだったよ。
京都支部の素敵な妖怪たちと秘封倶楽部の二人に乾杯。
8.100名前が無い程度の能力削除
前に霊夢は「先代が出てきたら勝てない」と言ってたが、結局あれは昔の霊夢と先代の実力差を今の霊夢にそのまま当て嵌めてしまった霊夢の思い込みだったということかね。まあ、小さい頃に見た景色を大きくなってから見ると「こんなに小さかったっけ?」と思うことは割とあるわな。
先代が戻らなかった理由が偽者と思い込んだ霊夢にどうにかされたからじゃない事を祈る。
9.無評価名前が無い程度の能力削除
なんというか、うまく言い表せないけれど、「これじゃない」感がすごい……
とても面白いことは面白いのですが、中編でコメントを書いていた方の言うとおりのことを思っています。
今までは話が進み続けていたのに今回はずっと停滞していて、ワクワク感があまりしてきませんでした。
きつい言い方かもしれませんが、番外編としては大満足です。しかし、本編というには脱線し過ぎて拍子抜け、という気持ちです。
しかし、脱線の要因となったオリキャラのキャラが立っており、本編のワクワクとは別の楽しみがあって、そこはとても良かったと思います。
オリキャラを好きになれるような作品は大好きです。
評価については面白いけど面白くない、という微妙なもやもやがあるので無評価で……
12.100名前が無い程度の能力削除
はいこれ選別

いよいよ物語が佳境に入って、将棋の千日手やら再登場の睡眠薬やら気になる伏線が舞い踊り、グイグイ引き込まれる物語でした。
相変わらず小道具と設定が丁寧で素晴らしい。妖怪たちの暢気で高度な暮らしぶり、いかにも河童な「無駄な」発明品、何時間も遊びに夢中になる童心、幻想郷支部なのにまさに幻想郷でした。
…キャミソールがバッドエンドのフラグ?
14.90名前が無い程度の能力削除
モブっ娘達とのふれあいも楽しかったですが本筋に関係しそうなのが要約の5行だけなのがある意味残念。
あとそろそろ登場人物が多すぎて分からなくなってきました。
21.100幻想の電子蒼龍削除
語彙力が無いせいで、あまり上手いこと言えませんが、
本編から少し逸れて
馬鹿騒ぎやってるのも、読んでてすごく楽しいです。