少女は早苗の友達である、名前はまだ無い。
ご自由にAとでもBとでも置いてやってください(えー
それではごゆるりと
*
真っ白な世界で誰かが泣いている。知っているのに知らない、そんな奇妙な感覚に私は襲われていた。無性に懐かしいのに、でも記憶がない。泣いている声色が高いので少女で合っているのは間違いないことは確かなのだが。
「あの」
勇気を振り絞って声をかけるが、少女は変わらず泣いている。その態度に少しばかりムカッとしたが、夢の中で怒っても仕方がない。ここで声をかけても聞えないのなら、自分で近づけばいいだけのこと。
「ねぇ」
一歩踏み出したのと同時にピシリと言う音を立てて真っ白な世界にひびが入る。ひびの隙間からは黒が見えていて、少しばかりぞっとさせた。少女はそんなものに目もくれずにただただ泣いている。
「そこは危ないわ」
そして、もう一歩踏み出した。それが間違いだったと気が付いたのはすぐだ。自分が進むべき床がなく、黒い世界へ真っ逆さまに落ちていく。
落ちる、落ちる、落ちていく。
髪は揺れ、服も揺れ、身体も揺れ、心も揺れ、落ちていく。
ただ一つ、少女がいる場所だけが白い部屋に取り残されていた。
*
「――――」
目が覚めた。見慣れた天井、古めかしい蛍光灯。白の世界も黒の世界もなく、自分がいる場所は自分の部屋だ。
「ふぅ……」
気分が優れない。そして理由は分かってる、そう、あの夢のせいだ。
真っ白な世界というだけで非現実的なのに、突然部屋がひび割れて落ちるなんてそうそう体験できることではない。長く息を吐いてから、現実味を帯びた部屋の空気を肺に入れる。何回か吐いて吸ってを繰り返したところで少しだけ気分が良くなる。
――あんな夢、もうごめんだ。
ふと、耳を澄ますと下の階から何かが聞こえる。ごにょごにょとしてよく聞き取れないので自分で頬を叩き、耳に神経を傾けると最後の方だけ聞こえた。
「――遅刻するわよ」
はて遅刻とはなんぞや。今日は目覚ましが鳴る前に夢で起こされたのだから遅刻するはずがない。
半信半疑で枕の隣に置いてある時計に目をやる。いつもは六時半に起きる。長針は五の位置、二十五分。短針は二の位置だ、ほれ見たことか。まだ二時、余裕で学校に行け……る?
「やばい!」
止まっていると確信したと同時に睨みつけるが、時間は戻ってくれない。パジャマを剥いで、急いで着替える。
「いや、待てよ……」
母親は自分が決まった時間に起きるのを知っている。もしかしたら決まった時間に起きていないので心配して声をかけたのかもしれない。
――それなら六時四十分ぐらいだろう。
一縷の希望を背負った携帯の時刻。どうか六時四十分ぐらいでありますように、と淡い希望を込めて覗いてみる。
「ふぅ」
携帯をパタリと閉じ、バッグの中にぶち込む。
「遅刻だぁー」
嘗てないほどの速さで支度をする自分に惚れてしまいそうだ。
――全部夢のせい。
時計が止まったのがそもそもの原因だが、なんとなく夢のせいに仕立てあげたかった。
「自転車の鍵、どこだっけ」
ポッケというポッケを隈なく探す。自転車の鍵は胸ポッケの中で眠っていた。
*
「……」
無言のまま、アルバムをめくる。少し変色してしまったが、それでも見るには十分だ。
――戻れないから美しい、だから人は過去を美しく残したがる。
神奈子様の口癖だ。
その通りだと思う。現に私は美しい過去を見てる。まだ、人として生きていた過去。
アルバムに載っている友達を見て懐かしく思い、鳴らないとわかっている携帯を手に取ってしまう。
「……元気かな」
意味のないアドレス、意味のない電話番号。無機質の箱に閉じこめられた哀れな情報。二度と使われないと知ったら、携帯はどう思うのだろうか。
幾ら思ったところで、もう二度と会えないのに。
「戻れないから美しい、だから人は過去を美しく残したがる」
「神奈子様」
「悲しいかい?早苗」
「いえ……大丈夫です」
悲しくないはずがない。
「ここに来るときに」
気持ちを整理する。
「全てを無くしてきましたから」
そして、私は醜い笑いを浮かべる。
*
「掃除しろ……か」
学校から帰ってくるなり、そんなことを母親から言われて地味に機嫌が悪い。なぁにが、あんた、掃除しないと小遣い減らすわよ、だ。そんなことしなくたって元々少ないくせに。
バッグをそこら辺に投げ捨て、カーテンを開ける。夕暮れ時よりも少し早い時間だからか、まだ空は赤くない。
「掃除……した方が良いか」
観念したように部屋を見渡す。どう見ても汚いのは明白だ。
ふと、どれくらい掃除していないかを計算してみる。正月は絶対にしなくちゃいけないので正月に一回……10月に入るまで掃除を一回もしてないな、私。
流石に不味い気がする。そこらへんにキノコが生えている可能性だってある。
そう思うと、嫌でもやる気が起きる。
「お母さん、ゴミ袋ー」
声を上げながら、台所へと向かう。ゴミ袋を出してくれる母親は台所だ。
「っと、その前に自転車の鍵を……」
胸ポッケに手を突っ込み、自転車の鍵を拾い上げる。キーの部分が光を帯びていて、まるで星のよう。
鍵をしまうために引き出しの取っ手を握り、ほんの僅かに力を入れて引っ張る。しかし、引き出しはうんともすんとも言わず、堂々としていたまま。
「んー」
今度はさっきよりも力を込めて引っ張る。が、やはりうんともすんとも言わない。中で何かが詰まっていると確信を持って、更に力を込めて引っ張る。片手で机を押さえて、片手で取っ手を掴んで。
「ふんごぉぉおおおぉおおおお」
両足で踏ん張って引っ張ると、何事もなかったかのように引き出しが開き、勢い余って汚い部屋の地面に叩きつけられた。
――背中、ちょー痛い。
詰まってたやつ、出てきやがれと思いながら、立ち上がる。辺りには引き出しに入っていたと思われる物が幾つか散乱している。あと、元々落ちてた物が幾つか。
「ん?」
その汚らしい床の上で、きらりと輝きを放つ物がいた。
「月の――ペンダント」
汚い床から拾い上げ、まじまじと見つめる。
ペンダントが月を象った物だと分かったのは何故だろうか。その月は、満月と言うわけでも三日月と言うわけでもなく、奇妙な半月だった。
何処か惹かれた。何の変哲もない、分度器のような半月のペンダントを見続ける。
私は記憶を穿った。
このペンダントは、貰いものだった気がする。
フィルターがかかったようで、何も思い出せない。
「――――」
*
――半分ずつ持とうよ、はい。
誰?
――私、神様と住んでるんだ。
何で顔が黒いの?
――これで、もう会えないよ。
どうして、後ろ姿が夢で出てきた少女と同じなの?
*
「貴女は――――誰?」
そう口に出したと同時にゴミ袋がが顔面に直撃した。
「さっさと掃除しなさい」
母親だ。少しバツが悪くなって掃除をし始める。
思考はペンダントのことでいっぱいだった。
*
――幻想郷に入るためには他の人が持つ早苗の記憶を消さなきゃいけない。
辺りは闇に包まれて何も見えない。
――早苗が来る必要はないよ、早苗は自分の人生を歩みな、ね?
闇の中で二つだけ光がある。
――いいえ、私は神に仕える巫女ですから。
そして笑いながら、私は光を発した。
*
夢で見た物は幻想郷に入る前の記憶。
なんで今更になってこんな夢を見たのか、世界中のどこを探したって答えはない。あるとしたら、自身の頭の奥底か。
長く息を吐いて、自分の中の淀みを無くす。寝ていた畳からは仄かな寒気が感じられ、少し肌寒い。横には携帯が寝ていた。相変わらず無機質さを前面に押し出して、寡黙に座っている。そんな携帯を手に取り、画面を開く。
「……」
何もない。メールも、電話も、何一つとして、そこにはない。あるのは、1人で光る画面のみ。
寂しい、そう思うのも自然だ。
ぱたりと閉じ、そのまま携帯を抱えて立ち上がり、携帯をしまいに箪笥へと足を延ばす。
「……これは」
引き出しの中に、きらりと輝きを放つ物がいた。
半月のペンダントだ。色褪せることなく、半月のペンダントが眠っている。懐かしさを孕んだペンダント。幼かった自分が満月のペンダントを折って作った――仲良しの印のペンダント。唯一無二のそのペンダントは、自分以外にもう一人持っている、はずだ。捨ててさえいなければ。
「っ……」
くらりと、世界は黒く染まる。立ちくらみだ。
立ってから遅くきた立ちくらみに違和感を覚えながら、大人しく数を数える。静かに大人しくしていれば、自然と止まる。視界はぼやけながら、徐々に戻っていく。幾つかの時が過ぎ、視界が鮮明になったので、眠っているペンダントを揺り起こす。光を浴びて、より一層輝いたペンダントを胸に当て、目を瞑る。
――本当に懐かしい。
そして、目を開く。
「――ぇ」
手の中にあるペンダントが見えている。踏んでいる畳が見えている。手が透けている。足が透けている。
「神奈子様!諏訪子様!」
駆ける。自身の身が透明になり切る前に、原因を解決しなければ――自分は何処に行くのか。不安を胸の奥深くに沈め、駆ける。きっと何とかなると自分を励まして、駆ける。騒がしい音を自分の足が立てる度にこの世界にまだ居れているという安心感が私を包む。透ける足はまだ力強さを残している。
ばたん、と障子が勢い良く音を放ったと同時に飛び込んだ部屋の畳がみしり、と鳴る。神奈子様と諏訪子様はそこに居た。
「早苗、その身体は――」
入った瞬間に神奈子様はそう言い、諏訪子様は目を丸くしている。
「早苗を――思い出そうとしている子がいるんだね」
冷静に諏訪子様が言った言葉が、自分の耳の中で反響する。思いだそうとしている子がいる、記憶を消したのにも関わらずそれでも思い出そうとしている人がいる。
それが可能なのか、と考えるよりも速く、もう一度友達に会えると思った自分を少しだけ戒める。
ここに来たのは、自分の意志だ。友達を捨て、新たな信仰を求めて、ここに来たのは自分だ。今更戻りたくはない、戻ったら――私は幻想郷に帰りたくなくなるかもしれない。
「どうすればいいんでしょうか?」
私は台本のような台詞を吐く。ペンダントはきらりと笑う。
「私は」
一旦区切り、瞳を閉ざす。
*
頭を捻りながら、公園を行く。何か思い出そうとするときは必ずこの公園を歩くことに決めている。誰かが、教えてくれたこの公園。その誰かは、今自分が探そうとしている人だというのは何処かで分かっている。
髪の色が少し変わった子だった気がする。漠然とだけど、何処か普通の人とは違った雰囲気を持った子だった気がする。
どうしても、思い出せない。
「―――――」
細く長い息を出すと同時に風が舞った。特別に強い風と言うわけでもなかったが、体を凍えさせるには十分な風だった。ひらり、ひらりと紅葉が舞う。
公園のベンチに座って、一人考える。どうしてここまで気になるのかが分からないけど、それでも思い出さないといけない気がする。上手くは、言えない。
考えが詰まったのでふと横目をしてみると、そこには空虚な田圃があった。刈り取られて何もない、本当に空虚な田圃がそこには居た。秋も終わりに近づいているから、なんら不思議に感じない。
稲は苗代から田へ移し植えられる。この時期の稲の苗を早苗と言うことを教わった。
――誰だろう、教えてくれたのは。
早苗のことを教えてくれた人は誰だ。
早苗、早苗。
何かが引っかかりを見せる。何でもないようで、何でもある。頭の中で幾つも波紋を生み、反芻している。奇妙な感覚に溺れそうになり、知らず知らずに考え事の根底にあるペンダントを力強く握っていた。
指がペンダントの裏をなぞると、そこにはぼんやりとした感覚があるのに気がつき、裏を見る。どこかいびつな、今の私のような、文字が刻まれている。
半分に折られているために完璧には読みとれないが、確かにそこには小さく、さなえ、と刻まれている。
「――――」
また細く長い息を出してから意識を集中させる。早苗、という答えを求めて、瞳を閉じる。
*
自分は夢の中にいた。
夢の中というと語弊が生まれるかもしれない。正確には今朝見た夢に意識が行っていたというべきか。夢の中と同じように、真っ白な世界の中に少女はいた。
「ねぇ」
夢での会話を繰り返す、足は踏み出さない。
「貴方が、早苗?」
問う。足は踏み出さない。
少女は泣くのを止める。そして、こっちを見る。
笑った。
「うん」
*
瞳を開け、ペンダントを撫でる。
小さく、
早苗
と呼んでみた。
*
「神奈子様と諏訪子様から離れたくはありません」
そう言いきって瞳を開いた先には、夕暮れで綺麗な朱色に染まった――田圃があった。
稲刈りが終わったばかりらしく、稲が数本落ちている。
――ここは、私が居た町だ。
懐かしい匂いを嗅いで、懐かしい風に包まれて――嘗て自分が居た世界に戻ってきたことを知った。身体は透けていない。
空に星はまだ見えない。
懐かしい風に当てられて、知らず知らずの内に私は歩いていた。風のように、目的もなしにふらふらと。それが何だか妙に気持ち良くて、一人歩きしていると考えると何処か寂しくて。
――どうやって戻ろうか。
思いだしてくれた友達に会いに行って、記憶を消すのは酷だ。頼りになるのは、神奈子様と諏訪子様だけだ。考えたって仕方がない、そう思ってまた足を進める。ある程度歩いて気が付く。
自分は、この公園を知っている。小さいころから好き好んでいた場所だ。ウォークラリーでも出来そうなくらい大きな公園、田圃も所々にある変な公園。
そんな奇妙さが自分のようで、幼いころから好きだったこの公園。今はとても小さく見える。公園は、姿を変えない。だから、自分が大きくなったと気付ける。
小さく息を吐いて、空を見上げる。夕暮れの中に少しだけ黒が混じりだした。今がちょうど黄昏時なのだろう。幻想的な風景は、どこにでもあるらしい。
空を見るのを止め、一歩踏み出そうとしたと同時に、早苗と声をかけられた。後ろを振り向くとそこには、ペンダントを分けた友達が立っていた。
空に一番星が輝いていた。
*
「早苗……だよね」
か細い声だと言うのが分かる。記憶の奥に閉じ込められていた早苗が突如現れたことに対して驚きが隠せない。何で今まで忘れていたのだろうか。
「久しぶり」
「久しぶり」
そんな他愛もなさすぎる会話をして、少し笑う。そんな私につられてか、早苗も少しだけ笑う。帰る途中で会うとは思っていなくて、どうしていいかが分からない。
「早苗、今帰り?」
「うん」
「良かったらだけど、一緒に帰らない?」
「ええ」
早苗は笑ってそう言った。どこか寂しそうに、儚げに――それでも幸せそうな顔を浮かべて笑っていた。そんな笑顔を見て、私も笑った。
一歩踏み出す。それに合わせて早苗も一歩踏み出す。二人三脚のようにぴったりと同じ歩幅で、同じ速度で歩く。小学生の頃もこんな感じだった気がする。
――遠い昔だからよく覚えているわけでもないけど。
「昔、こうやってよく歩いたよね」
早苗が私の心を見透かした。
「……うん」
さっきまで早苗のことを思い出せなかった自分を責める。記憶力が特別良いわけではないが、特別に悪いわけでもない。普通の記憶力で人を忘れるなんてあって良いことじゃない。
――何で、早苗の部分だけが消されていたんだろう。
「覚えてない?」
「い、いや、覚えてる」
核心を突かれて、焦りながらも嘘をつく。相手を傷つけないための嘘。
「そっか」
頷く早苗に安堵を覚えながら、一歩一歩と家へと向かっていく。街灯があるから、互いの顔が分かるが、街灯が無ければたちまち辺りは闇に帰すだろう。
「今って黄昏時だね」
「黄昏時、だねぇ」
早苗が空を見上げたのに倣って、自分も空を見上げる。黄色く染まった雲の前に黒の雲が居座っている。雲と雲の間から水色の空が幽かに見えるが、インパクトがない。
「……黄昏の由来って知ってる?」
「そんなのあるの?」
「うん。昔はね、この時間帯って人の顔が見づらくなる時間帯でね」
「昔は街灯がないもんね」
「そう。それで昔の人は、貴方は誰?という意味を込めて、たそかれと言ったの」
たそかれ、たそがれ。
「ね、似てるでしょ?」
「確かに」
何で、この話を出したのかが分からなかったけど、深い意味なんてないんだと思う。偶々教えてくれただけ。
「……」
静かにまた空を見上げると冬の匂いが仄かに香った。風が吹く、微弱な風が。数少ない葉が散って頭に降りかかる。それに合わせてか、月が雲に隠れた。
「私、引っ越しをしたの」
早苗は偽物の明かり、街灯に照らされながら笑う。
「どこ?」
「遠い、遠い場所。携帯も通じない遥か遠くの場所」
月が雲の中から脱出し、再び世界に月の明かりが満ちる。そこにいるのは笑っている早苗ではなくて――泣いている、泣いているように見える早苗がいた。
「もう、会えないかもしれないの」
続けてそう早苗は言った。笑っているのに――笑っていない、薄っぺらい表情を穏やかに浮かべながら早苗はまた続ける。
「これを貴女に」
手の中に零れ落ちたのは綺麗な半月だった。淡い黄色が月明かりに当たってより一層淡々しさを増した半月。それは今自身のポッケに入っている半月の片割れなのだと気付く。
ポッケから半月を取り出し、手に乗せる。別れ離れになった月を寄り添うようにくっつけると、早苗が人差し指で月をなぞった。その瞬間、二つの月は何事もなかったように一つの月に戻った。折れていたことなんてなかったことにされている。
「今のは……?」
「おまじない」
教えないとばかりに意地悪い顔を浮かべる早苗をまじまじと見てから、再度完全になった月を見る。本物のように光ってる気がした。
「……ちょっと待ってね」
早苗に対抗するように、ポッケから携帯を取りだす。キーホルダーたちがジャラジャラと騒がしい音を辺りに撒き散らす。その中から一つ選んで早苗の手の中に押し込む。
「これ、あげる」
小さな星のアクセサリー、薄い光を放って闇の中に佇むアクセサリーは、一番星そのものだ。弱々しく光る星は早苗の手の中で寝ている。
早苗はそれを握ったまま、胸に手をおく。愛おしそうに、目を瞑る姿はまるで神様のようで、やっぱり寂しそうだった。
「それじゃあ、ね」
「うん」
早苗が後ろ姿を見せる。泣いてる子どものように小さくて、泣いてることを隠す大人のように大きくて。
ひっく――と泣く声が聞こえた気がした。
「早苗」
彼女の背中がびくりと震えた。
「また、ね」
早苗は何も言わず――手だけを後ろに持っていき、手を振るってくれた。
そんな些細なことに私は満足して、家へと足を進めた。
*
次の日から一切早苗を見なくなった。遠くに引っ越したと言っていたから、電車に乗って今の家まで帰ったのだろう。
だが、謎なのが、周りに聞いても早苗のことを聞いても、決まってように皆こう言う。
「早苗、誰それ?」
驚いたことに、私以外は誰も早苗を知らない。いや、覚えてない。自分がそうだったように、誰一人として早苗に関する記憶が丸ごと消えているのだ。
公園で、早苗と久し振りに出会った公園でコーヒーを飲みながら、そっと息を吐いた。外の寒気に当てられて、息は白く染まる。ベンチの近くの木は禿げている。
――静かで、死んでるようだ。
皆の記憶の早苗が死んでいるように、皆の記憶の早苗が奥底で静かにしているように、公園は死んでいて静かだ。
早苗と会った最後の夜。
早苗は、またねという言葉に言葉を返してくれなかった。それが意味するところが、もう二度と会えないという意思表示だったのか、それとも早苗の気紛れなのかは分からない。ただ胸を張って言えるのは、早苗がもう既にここには居ないということ。
「また、会おうね」
*
あの夜、私は紫様に連れられて幻想郷に帰ってきた。直々に結界を開いてきてくださった――紫様曰く、貴女のところの神様二人に泣いて頼まれた、と。
白い息を吐く。白の息は急速に透明を得て世界に還元される。透明を考えると、どうしてもあの身体が透けていく感覚を思い出してしまう。それと同時にあの夜を思い出す。
友達と会った最後の夜。
またね、と言ってくれて、私は言葉を返せなかった。それが意味するのは、私自身が会う勇気を持てなかったからのか、それともこのまま忘れて貰おうとしたのかは分からない。ただ胸を張って言えるのは、もう二度と会うことは出来ないということ。
「また、会おうね」
*
そう言ってから、学校の鞄の中で寝ていた携帯を引っ張りだして、月のペンダントを括りつける、月は光っていた。
*
そう言ってから、引き出しの中で寝ていた携帯を引っ張りだして、星のキーホルダーを括りつける、星は光っていた。
とっても良かったです。
儚い、というかそういった雰囲気がしっかりと出ていると思いました。
あと、二作品目でこのレベルが書けるのもびっくり。
これからどう成長していくのか、期待が高まる(えらそーな自分
二つの視点を行き来する構成も良かったと思います。ばらばらだった二つの視点が、月のキーホルダーというキーワードによって徐々に交差していく感覚が面白い。
最後に早苗の記憶を消しませんでしたね。
これはまた会いたいという意思の表れなのでしょうか?
雰囲気が柔らかくとてもいい作品だと思いました。
記憶を消さなかったところが色々考えられて好きです