突然現れるなり言葉をまくし立ててきた来訪者を前にした時、どう対応するのが普通なのだろうか?
人前に出るようになってそれなりに経験を積んできた私でも、今回のケースはちょっと難しいような気がする。
「や、やあやあ、突然失礼して申し訳ないねぇ。もしかして寝起きだったのかい? そりゃ悪いことをした。
こっちは別段急ぎの用事ってわけでもなかったんだけどさ。でもでも、今から出直すってのも二度手間だし、ここは一つ大目に見てやってくれんかい?
それにしても前衛的な寝床だねぇ。や、人形のあんたなら確かに相応しいかもしれないけどさ、トランクケースってのは。
この鈴蘭しかない丘で雨露を凌ぐにゃもってこいだね」
そう、ちょうどトランクの蓋を開けて身体を伸ばしていたところで、横からこの不審人物に声をかけられたのだ。
以降私は誰何の問いを発することすらできず、一方的に聞き役を押し付けられている。
「ちょっとにとり、いい加減にしておきなさいよ。まずは自分の素性を明かすのが筋でしょう?
まったく、貴女も普段から知らない誰かと接する機会を持っておいた方がいいわよ」
そんな、いつ終わるとも知れない無駄話はそいつの同行者によって止められたのだが、しかし私は安心するどころかさらなる混乱を抱くことになる。
何しろ少女の声音で横槍を入れてきたその同行者は、私と同じくらいのサイズの宙に浮かぶ鉄球だったのだから。
ただ、この声はどこか聴き覚えがあるような気がする。まるで知っている誰かが全く異なる口調で喋っているような、そんな印象を受けた。
「う、うるさいなぁ、分かってるよ。挨拶がちょっと長くなっただけじゃんか。
いやはや、自己紹介が遅れて申し訳ないねぇ。私は河城にとり。妖怪の山に住む谷カッパのにとりさ、よろしく」
相変わらず絶句し続けている私に向けて、にとりというらしい訪問者は恥ずかしそうにしながら手を差し伸べてきた。
しかし私がその手と顔とを見比べるだけで握手する気配を見せないでいると、にとりは次第に落ち着きをなくしていく。
そんなにとりに、鉄球はすっかり呆れかえった声を投げつけた。
「……まずはそのガスマスクを取りなさい。今の貴女は妖怪よりも化け物じみているわ」
~ 正しいマンドレイクの採掘法 ~
「で、貴女達は私に一体何の用があるっていうの?」
ようやく言葉を発することができた私は、とりあえずマスクを外したにとりに据わった視線を向けることにする。
ちなみにその直前に鈴蘭の毒霧を遠ざけてやると、目を見開きながらお礼を言われた。
なんでも河童の身体能力は人間とそんなに変わらないそうだ。人間にとって致死量の毒を受けた場合、死ぬことはないものの動けなくなるらしい。
そのにとりは私の視線を受けて少したじろぎながらも、一つ咳払いをしてから語り始めた。
「そ、ええっと、それはだね……いきなりだけど、あんた金に興味はないかい?」
「きん?」
「そそ、金。ゴールド。両生類の神様曰く、元素記号Au。
展性・延性に優れ、ほとんど腐食することなく、熱や電気をよく伝導させるから色々と工業的にも利用できて――」
「ああもう、貴女が手に入れた時のメリットばかり喋ってどうするの! 一般的な金の魅力はそういうところじゃないでしょ」
復たしても燃え上がりそうになったにとりの説明を鉄球が遮り、それから間に割って入ってくる。
起伏というものが全くない球面を眼前に持ってこられたため、今度は私がたじろぐことになった。
一方の鉄球はそんな私に気を使ってか、声音を柔らかいものにして言葉を続けた。
「どうして金がどうこうっていう話を持ちかけてきたのか、順を追って説明するわね。最近妖怪の山の麓で間欠泉が活発に起きているのはご存知?」
「え? ああ、うん。まぁ」
妖怪の山とここ鈴蘭の丘とはかなり離れているものの、そっちの方で高い水柱が上がっているのは私も見たことがあった。
とはいえ別に近付いてその正体を確かめようと思ったことはない。そもそも、あれは間欠泉だったのかと今初めて理解が追いついたところだ。
「その原因は地底に住む妖怪達の仕業だったんだけど、それとは無関係にある事実が明るみに出たのよ。
というのも、間欠泉を生むほどの高熱を利用する施設の建造に際して、私達河童が地質調査をやった結果分かったのだけど」
「そう。坂好きの神様に言われて色々調べている途中、あのあたりから金塊がごろごろと掘り出されたんだ」
「ふぅん、そうなんだ」
ようやく金の話に筋が戻ってきて、私は一応納得したような返事を放った。
ただ、やはり興味は薄い。金はたしかにキラキラ光って綺麗だと思うし、人里では色々な物を手に入れる手段になりうると聞いたことがある。
しかしそれが私の人形解放活動に果たしてどれだけ貢献してくれるものか、いまいち想像ができない。
それとも物を掴むだけでなく、他者の心まで掴むことができるのだろうか。そうだとしたらちょっとだけ、私も心を動かされるのだが。
「しかし残念なことに、その金塊には厄介な物も一緒に纏わりついていたの。
砒素、水銀、鉛、アンチモン――生き物にとって極めて有害な重金属が、ね」
「え!?」
鉄球が苦々しく列挙していった物質の名前を聞いて、対照的に私の声は上擦る。
たしかに今耳にしたものは普通の生き物にとっては余計なお荷物だろう。でも毒とともに生きる私にとっては、それらは極めて有益な貴金属と言ってもいいくらいだ。
さらに、図らずも私の気持ちに同調したのか、にとりも鉄球に異を唱える。
「いやぁ、私としてはそいつらだって宝の山だけどね。鉛はハンダや電池に使えるし、水銀だって――」
「どちらにせよちゃんと分離しなければ、それぞれの役割を最大限に発揮することはできないわ。
そこで私達から貴女にお願いがあるのよ、メディスン=メランコリー。毒を自在に操る、新進気鋭の妖怪人形殿」
にとりの異論をねじ伏せてから鉄球は真摯な声を私に向け、それから横に退いた。
あとに残ったのは瞳に不安と期待の色をたたえたにとりの、少しためらっているような仕草。
けどどこかで意を決したのか、にとりはもう一度私に向けて震える腕を伸ばしてきた。
「その能力で、金塊からそういった有毒性の重金属を分離してくれないかい?
さっきあんたが毒霧を自由に動かしているところを見せてもらったけど、たいしたもんだと本当に感心したよ。
あんたが協力してくれれば百人力だと心の底から思ったね。だからお願いだ、私達に力を貸してよ」
私は再度、差し出された手と露わになったにとりの顔とを交互に見つめる。
しばらくそうしていると、やがて目をちらちらと反らすようになってきた。
だけど、それでも可能な限り私と視線を合わせようと懸命に顔の筋肉を動かしている。
――ああ、人見知りする方なんだな、この妖怪は。
私はなんだかにとりに対して親近感を抱いた。
閻魔様に説教されて以来、戸惑いながらも人前に出て相手の心を掴もうと頑張っている私には、今のにとりの姿が他人事とは思えない。
だから自分が同じことをする時もそうなればいいなと淡い期待を抱きながら、にとりの手をそっと握り、直後に目にした表情をしっかりと頭に焼き付けた。
そんな、少しの間この場を支配した暖かい静寂を、やや気後れした様子の鉄球の声が破る。
「えっと……勿論、重要な仕事をお願いするのだからそれなりの報酬は用意させてもらうわ。貴女、どうも金への興味はそれほどでもないみたいね……
なら、分離した重金属は全部持って帰ってもらうというのでどうかしら?」
「わぁ、いいの?」
「ひゅい!? ちょっとま――ってよ。私だって抽出したそいつらも欲しいもん。さすがに全部持ってかれるのはヤだよ」
「贅沢言わないの。二兎を追う者は、って言うでしょ。だいたい一番の重労働を行うのは彼女なんだから、それに見合うだけの量と質を支払うのは当然の義務よ」
「う、だ、だけど……」
「ちょっと、二人とも落ち着いて!」
目の前で口論を始めたにとりと鉄球をなだめようと、私は慌てて口を挟む。
「別に全部もらわなくってもいいよ、少しだったら分けてあげるから。にとりは毒を毛嫌いしてないし、ちゃんと有効利用してくれそうだもんね」
「えっ? や、その……」
ただ、私の提案を聞いたにとりは急に尻込みしだした。
私としては同好の士と喜びを分かち合おうと思ったのだけれど、何かおかしかっただろうか。
さらに不思議なことに、首を傾げる私を見てばつが悪そうに帽子をあれこれといじり始める。
「……うん、やっぱりフェアじゃないかもしれん。だ、だからさメディスン。私からも報酬を支払うよ、分けてもらった毒と等価の」
「そう?」
「ええっと、何か作って欲しい物はないかい? 我々河童はこう見えても腕利きのエンジニアでね。
生活に役立つ物から娯楽のための嗜好品まで、何でも揃えてみせるよ。高い防水性のおまけつきでね」
「うーん、いきなり言われても特に思いつかないなぁ」
「そうかい。まぁ急かしはしないよ。仕事が完了するまでに答えを用意しといてくれればね」
「わかった」
私が大きく頷いてみせると、にとりも笑顔を返してきた。心なしか、にとりの喋り方からヘンな焦りが消えてきたような気がする。
「話はまとまったかしら? それじゃあ行きましょ――」
「待って!」
鉄球が率先してどこかへ向かおうとしたのを、私は思うところがあって呼び止めた。
そして近寄ってきた鉄球に据わった視線を向けて、やや強い口調で詰問する。
「ところで、さっきからずっと気になっていたんだけど……鉄球、あんたの名前は?
河童とは言っていたけど、にとりには素性を明かすように言っておいて、あんたの正体は伏せたままってのはおかしくない?」
「ええ、もっともだわ。そうね、まずは名乗るとしましょうか。私は博――ックシュッ!」
と、名前を言いかけたところで鉄球は上下しながら一度くしゃみをした。それをどうにか落ち着かせてから、改めてさらりと名を告げる。
「……失礼。私はフロレンツ=ナハティガル。看護婦よ」
「ブフッ!? ゲホッ、ゴホッ!」
今度はにとりがむせた。なんだろう、二人とも風邪でもひいているのだろうか。
早速行動を開始した私とにとり、そして看護婦を自称する、えっと……なんか長ったらしい名前の鉄球。
ひとまず私達は鉄球に従って、妖怪の山に向かう前に別の場所を目指すことになった。
その道すがら、鉄球は私に追加の説明を伝えてくる。
「金が採掘されたあたりには毒ガスが漂っていて危険なのよ。実際、調査に携わっていた仲間達の幾人かがやられてしまってね。
恥ずかしながらその治療をやるはずだった私も被害者ってわけ。
だから動けないこの身に代わって、自作のオプションに通信機能をつけて、にとりに同行させているの。
あのとおり、一人じゃまともに初対面の相手と交渉できない奴だったから心配でね」
「そうだったんだ。怪我や病気を治す人達って、誰も彼も永琳みたいに頑丈じゃないんだね」
「……アレは例外中の例外よ。ゴホッ、と、とにかく毒ガスのせいでまだ咳やくしゃみが治っていないのよね、私もにとりも」
さっきのアレはそういうことだったらしい。
ふと、私はにとりのことが気になったので、視線をそちらに向ける。すると、にとりが丸くなった口と目を鉄球に向けている様子が映ってきた。
「にとり、大丈夫? なんかボーッとしてるよ。まだ調子悪いんじゃないの?」
「へ? いやいや、私は全然大丈夫だよ! 別に有毒ガスを吸ったわけじゃないし」
「不完全な物とはいえ、常にガスマスクを持ち歩いていたから軽症で済んだのよ、こいつの場合」
「おん? 別にいつもじゃなくて今回は毒を操る奴をてなず――」
「ゲホゴホッ! あーもう煩わしいわね。もしも自分が人間だったら重度の喘息に罹っていたかと思うとゾッとするわ」
にとりの言葉の途中で鉄球は激しく咳き込み、それから愚痴を混ぜつつ身震いした。
私はにとりが言いかけたことが気になったが、問いを口にする前に先手を取られてしまう。
「一応訊いておくけど、メディスン。貴女は硫化水素や二酸化硫黄ガスを吸っても平気なのかしら?」
「もちろん! 私は生き物じゃないから毒は一切効かないわ。それどころか呪文一つ唱えるだけで、自由自在に操ることもできるよ」
「うわぁ、そいつは羨ましいねぇ。自分が毒の影響を一切受けることなく、必要に応じて利用できるんだから便利だよなぁ」
「本当、その能力、私も欲しいくらいだわ。まさに今回の仕事にはうってつけの人材ね」
「えへへ」
二人が心底感心したように褒めてくるのを聞いて、私は気分よく胸を反らした。
すると鉄球が私の行く先に移動してきて、期待だけでなく不安も含めた声で話しかけてくる。
「ただ、怖いのは有毒ガスだけじゃないのよ。でも貴女ならその脅威をも克服してしまえるんじゃないかって考えているの。
今から向かう先で、それが証明されることを期待しているわ」
「脅威って?」
何度見ても慣れないズームアップしてきた鉄球に向かって、私はちょっと眉をひそめながら尋ねる。
「精神汚染の源泉――怨霊がね、あのあたりをうろついているのよ」
博麗神社の裏には森林が広がっていて、その中には妖精の棲む大木があったり、最近では間欠泉が噴き出した――と、鉄球がやけに詳しく説明してくれた。
その深い森までたどり着いた私達のうち、にとりがまず周囲の茂みを探り出す。しばらく待っていると、得体の知れない四つの塊を手にして戻ってきた。
そこへ鉄球が真っ先に近付いていって、何事かを尋ね始める。
「監視の結果はどう?」
「ああ、件の火車がこのあたりを決まった時間――今くらいに通るってことは、ここ数日の観察から間違いないよ」
「そう、都合がいいわね。こんな森の奥なら私達の面白い計画が巫女にバレることもないでしょうから」
「ちなみに霊夢が最近この辺まで来たことは一度もなかったよ」
どうやらにとり達は巫女と何かの動向を気にしているようだ。
そういえば巫女は妖怪に容赦ないことで有名だった。なら、もしもこうして妖怪が集団で動いているのを見咎められた場合、問答無用で退治されてしまうのかもしれない。
と、私が顔を青くして考え込んでいると、見かねたにとりが説明してきた。
「えっとね、この森は火車が通り道にしているんだ。そいつ、神社にもよく顔を出すらしいんだけど、霊夢も金塊を狙っているからあんまりそこで接触したくなかったんだよ。
だからこの遠隔操作可能なオプションを監視カメラとして森の中に泳がせておいて、そいつの通る確率の高い時間と場所を探っていたの」
「え? 巫女の前に普通に妖怪が顔出して大丈夫なの? 出会い頭に退治されちゃうんじゃないの?」
「え? いや、霊夢がそこまで妖怪退治に躍起になるのは異変の時くらいだよ。知らない?
ああ、そういやメディスンを神社の宴会で見たことはなかったっけ。んでもたしか、いつぞやの紅魔館パーティーには来てたような……」
「……人間主催か妖怪主催か、その違いでしょう」
この時、何故かぽつりと呟かれた鉄球の言葉が強く印象に残った。同時に、ある些細な記憶が頭をよぎる――
それがいつのことだったが思い出せないけど、たしか雨がしとしとと降っていた日のことだったと思う。
とある理由から雨の苦手な私はその日、メランコリックな気分を抱えて分厚い毛布に包まり、恨めしげに空を見上げていた。
その誰にとっても最悪のタイミングで、人間の魔法使い――霧雨魔理沙だっけ?――が、博麗神社で開かれる宴会の誘いを持って丘に現れたのだ。
しかも私とは対照的に、悩みなんか何もないと言わんばかりの笑顔を伴って、憂さ晴らしには酒と喧騒が一番だとか脳天気なことを言いながら。
でもその時心までもが毒で満たされていた私は、それを吐き出すことであの人間の笑顔を曇らせ、そのまま追い返してしまった。
後になって、随分とひどい八つ当たりをやってしまったのだと反省した。
これでは閻魔様に指摘されたとおり、自分は大抵の人間と同じように小さな心しか持ち合わせていないことになってしまう。
いけない、私は他者の悩みを考慮できるほどの豊かな心を養うことで、人間を超えてやると誓ったのに。
何かが地面を絶え間なく削る音を聞いて、私はいつの間にか下がっていた視線を上げる。
そのまま音のする方を向くと、木々の合間に人影を見つけた。
次第に輪郭が露わになってくるそいつは、まだ距離のあるところからはっきりとよく通る声で話しかけてきた。
「あらららら、こりゃ珍しいねぇ。くたびれだけが今日の稼ぎかと思っていたけど、帰り道に至ってようやく面白いことになりそうじゃないか。
何、待ち伏せかい? 久しぶりに地上の連中と一戦やらかすことができるのかい?」
続いて姿の方もはっきりと目に映るようになってくる。
初めて会うその妖怪は、猫車を押して歩いている、燃えるような赤い髪が特徴的な化け猫だった。こいつがクダンの火車なのだろうか。
何やら嬉しそうに片腕を回し始めた火車を見て、にとりは慌てて無抵抗であることを示すように両手を振る。
「物騒なこと言うんじゃないよ、お燐……だっけ。私達はお前に用事があって、こうやって待っていただけだ」
「や、河童のお姉さんか。最近は山の神様と一緒に何やらおくうと会っているみたいだけど、核融合炉がどうとかいう話は順調かい?」
「ん~、建設前で足止めだよ。間欠泉周りの怨霊を片付けんことには進まないって感じだね。
ただ、私はやる気なんだけど、どうも他の皆の興味が薄くてねぇ……」
「そうかい。あたいも地上に送った怨霊を回収しているんだけどねぇ。思うように集まらないわ、妙ちきりんな仙人のお姉さんに絡まれるわでてんてこ舞いよ」
にとりとのやり取りを傍で見ている限り、火車というものはよく喋り、ころころと笑顔の絶えない妖怪だと思った。
このある意味なれなれしいくらいの態度はちょっと羨ましいかもしれない。
と思っていた矢先、突然火車――お燐が笑顔を崩し、自重するように口元に手をやった。
「おおっと、話の腰を折っちゃった。それで、あたいに何の用なのさ?」
「ええっと……なんだったっけ……その、ローレンツ?」
「フロレンツ、よ。友達の名前を言い間違えるなんてどうかしているわね。
で、怨霊がメディスンに影響するかどうかを試すつもりだったんでしょ?」
「そうだった。って、言い出したのはお前の方でしょ!」
急に、にとりと鉄球はぎこちなく言い争いを始める。
そんな二人を少々呆れた眼差しで見つめながら、お燐は猫車を地面に降ろして両手を空けた。
「……なんだかよく分からないけど、そこの人形のお嬢さんに怨霊をぶつけろってことなのかい?」
「ぶつけるって……まぁだいたいそんなところだけど、出来ればお手柔らかに頼む」
「お安い御用さ。そういうことなら大人しめの奴を呼ぼうかね。
ほらおいで、あたいの可愛い怨霊ども」
そう呼びかけてからお燐が左手を上げると、何もなかったはずのてのひらに青白い炎を纏った頭蓋骨が現れた。そいつが手から離れるやいなや、さらに二体の怨霊が次々と出現する。
私の目の前でそいつらはくるくると回り始め、そのままゆっくりと近付いてきた。そしてついに一体がお腹のあたりにぶつかろうとする。
しかしそいつは結局身体をすり抜けて、背中側に移動しただけで終わった。
「あらま!?」
「こりゃ驚いた、すり抜けたよ!」
目を丸くして驚くお燐とにとり。
でも私にとってこの事態は別に意外でもなんでもないことだった。
いつだったか、花が咲き乱れていた時に大量の鳥形幽霊が飛び交っていたけど、そいつらが身体をすり抜けていく様子を何度も確認しているのだ。
「思ったとおりだったわ。人形が怨霊のせいで狂わされるって話を聞いたことがあったから一応調べてみたけど、やはり怨霊もすり抜けるみたいね」
ところが鉄球も私同様驚くことはなく、それどころか何かを納得したように呟いていた。
「ちょっと、なんであんたは私のことをそんなに詳しく知ってるのよ。今日が初対面のはずでしょ?」
「まぁそうなのだけどね、射命丸様をご存知かしら? あの方に訊けば大抵の妖怪の情報が手に入るのよ。
貴女が肉体と魂を持ち、そのおかげで妖精や霊の入り込む隙間がない人形だということも知っているわ」
あの風と態度が鬱陶しい天狗と知り合いなんだ。そういえばあいつとは花の異変の時に一戦やらかしたことがあったっけ。
しかもこの鉄球、永琳から聞いたことのある人形の肉体と魂の話まで知っているらしい。
急に、私は鉄球の向こう側にいる河童に寒気を覚えた。
そんな私の心の内などつゆも知らない様子で、鉄球は柔らかく尋ねてくる。
「さて、これで現地で遭遇するであろう脅威は全て克服できることを検証し終えたわけだけど……
メディスン、貴女の方から何か訊いておきたいことはあるかしら? もしも他に苦手な物があるのなら、出来るだけ取り除くように努力するわよ」
おそらく親切心から生まれたのだろうその問いかけに、しかしすぐに答えることができない。
この沈黙を不思議に思われる前に破ったのは、何かに驚いたお燐の悲鳴だった。
「わぷ! ありゃ、雨が降ってきたよ。やだねぇ、朝は晴れていたはずなのに」
「ふむ、でもまぁ森の中にいる限りは大したことにならないと思うけどね」
にとりの言うとおり、たしかに雨が木の葉を打つ音は聴こえるものの、落ちてくる雫はまばらなものだった。
これなら全身濡れ鼠になってしまうような事態にはならないだろう。
私は一つ安堵の溜息を吐くと、すぐさまにとりの方を向いて、たった今思いついたことを告げる。
「あ、そうだ! にとり、報酬が決まったよ。この仕事が終わったらレインコートを作ってくれない?」
「へ? ああ、合羽ね。そんなんでいいの? というか、今も持ってるからとりあえず貸してあげようか?
あとでもっと上等な新品を作ってあげるけどさ」
「じゃあお願い」
私の言葉に応じて、にとりはリュックから一着のレインコートを取り出してくれた。
今すぐ着る必要はないように感じられたけど、とりあえずサイズを確認するつもりでそれを身に纏う。そしてあつらえたようにぴったりだということがわかった。
そんな慌しく見える私に向けて、お燐が何やら笑顔で話しかけてくる。
「おや、お嬢さんも雨は苦手なタチかい? 気が合うねぇ、あたいも雨は好きじゃないんだよね」
「……ええ。湿気でトランクの中が蒸れるのに、蓋を開けてしまうと降り込んでくるんだもん。嫌になっちゃう。
それに何より、髪やお洋服にも良くないし」
「あはは、毛並みのことを一番問題にするなんて、ますます気が合うじゃないか。
遅くなったけど、あたいは火焔猫燐……って長ったらしい名前も好きじゃないから、気軽にお燐って呼んでよ。
もしもお嬢さんが何かの縁で地底に来ることがあれば、その時はあたいが歓迎するよ。これでも地底のツアーコンダクターだからね。
観光名所から快適なホテル、おいしいお店までなんでもござれ、さ」
お燐は私にウィンクをよこすと、猫車を持ち上げてからにとりに訊いた。
「さて、用事はこれで終わりかい? あんまり雨に降られたくないから、そろそろ帰りたいんだけど」
「ああ。ご苦労さん、仕事帰りに呼び止めて悪かったね。
そうそう、地霊殿に帰ったらうつほに伝えてくれ。次に降りる時には新しい銘酒・河童の里を持って行くから、みんなで味わってってさ」
「本当かい!? くー、そりゃいいねぇ! ちょうど今日もおくうと夜通し飲み明かそうって思ってたから、土産話にゃもってこいだよお姉さん。
じゃ、また今度だね。こっちも未練がましい緊縛霊特産の岩塩・業火ミネラルをお返しに用意して待ってるさ」
そして上機嫌になりながら、お燐は猫車を押して森の奥へ消えていった。
結局、雨は森を出る前に止んだため、にとりに借りたレインコートは出番のないまま終わってしまった。
でも空は相変わらず鈍色のままだったので、実際に作業を行うのは次の日ということにして、私達はそこで一度解散した。
そして今私は鈴蘭畑に戻ってきて、下着だけになって身体に白いペースト状のものを塗りつけている。
「明日雨が降らなければこれも必要ないんだけどね。ベタベタするからあんまり付けたくないし」
これは木蝋というもので、渡してくれた永琳によれば軟膏や口紅の材料に使われているのだとか。
そして油紙のように水を弾くことが出来るらしい。私はこれを、体内に過剰な水分が浸透するのを防ぐ為に使っていた。
身体を自由自在に動かす為には、体内の毒濃度が極端に薄まらないようにしなければならない――前々から自覚はあったが、それを詳しく説明してくれたのは永琳だった。
「雨に打たれ続けていると身体が動かなくなったが、乾くと再び問題なく動けるようになった、と」
「他にも鼻先に雨が当たると必ずくしゃみ・鼻水が出るのよ」
その時もいつものように、私は毒を支払って何かを得る――毒物交換をする為に永遠亭を訪れていた。
永琳とはその頃もうかなり打ち解けていたので、普段感じている身体の悩みなんかも気軽に相談できていた。
「成る程ね。そういうことなら前に貴女の身体を調べて分かったことと、今話してくれた異常との間に辻褄が合うわ」
「どういうことなの?」
私の問いにすぐには答えず、永琳は作業机の上にあった二つの脱脂綿をシャーレに入れ、その上に紫色の液体をかけた。
すると瞬く間にそれらから白さが失われていく。
「貴女の素体そのものは植物性――木や布といった素材で作り上げられているのよ。そこに何種類もの毒が適量の水分と混ざり、それらを霊力が循環させている。
でも貴女の体表には水分の行き来を遮る障壁がないみたいなのよね。ねぇメディスン、逆に太陽に照らされ続けるとかして、身体に異常が起きたことはないかしら?」
「ううん。鈴蘭畑はあんまり日当たりがよくないし、風通しもいいから暑い思いをしたことはないよ」
私の言葉に頷く傍ら、永琳は染まった脱脂綿のうちの一つを別のシャーレに移し、その上からただの水を垂らす。
その結果脱脂綿は水を吸って軽く膨らみ、同時に紫色が少しだけ薄くなった。
「そうなの、羨ましいわね。まぁとにかく、貴女の素体は水分を吸収しやすいのに、それを制限する機能はついていない。
だから雨に打たれたり川に落ちたままでいると、大量の水分が身体に取り込まれてしまい、結果として毒が薄まって思うように身体を動かせなくなるのよ。
そうね……貴女には分かりにくい例えだけど、酷暑で汗を流し続けた人間が水分だけを補充した場合、体内の塩分濃度が極端に薄まって危険な状態になるようなもの、かしら」
「ふぅん、じゃあやっぱり雨の日はあんまり動けないんだね。やだなぁ」
私が愚痴を零すと、永琳は悪戯っぽく微笑みながら薬箪笥に備わっている、たくさんの小さな引き出しのうちの一つを開ける。
「あら、工夫次第でなんとでもなるわよ。貴女、毒を操れるんでしょう? それなら……例えば漆を全身に塗って水を弾くというのはどうかしら?」
「ええ~、あれって色がきついし、乾いたらパリパリしてくるんだよ。そんなの身体に塗りたくない」
人間の皮膚をかぶれさせる毒として、漆を自由に操ることができるのは確かだ。それを自分に塗って湿気を防ぐという発想はなかったけど。
と、私が文句を返している間に永琳は平たくて円い容器を取り出し、その中身を残った色付き脱脂綿にまんべんなく塗りつけている。
その上でさらに別のシャーレに移して水を流すと、今度はその表面を水がただ滑っていくだけで、全く色が褪せることはなかった。
「そうねぇ、じゃあ舶来の人形らしく、身体に蝋でも塗ってみる?」
「これが、さっきの現象を起こしたの? なんなの一体」
「木蝋っていってね、ハゼの木から抽出した植物性の蝋よ。これなら多少ベタつくかもしれないけど、色は薄いし乾燥してはがれてしまうこともないわ。
試しにこれを塗って、水に触れてみなさい」
「ありがと……」
「ん? 何かしら、私の顔に何かついている?」
容器を受け取る前から私がずっと顔を見続けていたのを不思議に思ったのだろう、永琳が首を傾げて尋ねてくる。
それに向けて私は思っていたことを率直にぶつけた。
「なんか、いつもよりも説明が丁寧で分かりやすかったよね」
「……そう。まぁ姫に文句を言われたからねぇ。
『永琳の説明は分かりにくい。身内に向けているうちは構わないけど、せめて外来の患者には分かりやすく話してあげなさい』って。
だからその努力が実ったのだとしたら、素直に嬉しいわ」
そう言って永琳は今まで見たこともないような、無邪気な笑顔を浮かべた。
永琳特製の木蝋の効果は抜群だった。
試しに片足にくまなく塗りつけて、そのまま水たまりの中に突っ込んでみたのだけど、何のしびれを感じることもなく普通に動かせたのだ。
足を引き上げてみると、水が玉のようになって零れ落ちていく様子が印象的だった。
以来私は雨の日や水辺の傍を通るような時には、この木蝋を全身に塗りつけるようにしている。
「間欠泉が噴き出すって言ってたけど、それで温泉が出来る程度の熱さだっていうんなら、蝋が融けることもないよね」
実際の間欠泉がどこで起きているのか、その温度がどれくらいなのかを鉄球に訊きたかったけど、そうすると自分の弱点について何か勘繰られてしまうかもしれない。
あの得体の知れない鉄球にこれ以上私のことを知られてしまうのが何か怖かった。
だから私はあの時口ごもり、そしてうやむやのうちに鉄球とのやり取りを流したのだ。
「さて、準備は完了。明日に備えてもう寝ようかしら」
木蝋を塗り終えた私は服を納めているトランクをあけて、中に入っていたネグリジェを身につける。
最近永遠亭で洗濯したばかりなので、まだまだ石鹸の香りが残ったままだ。
私はそれを大きく吸い込むと、穏やかな気分のままベッド用のトランクの中に横たわった。
翌日――
結局昨日の夜までずっと空に居座り続けていた雲は、朝になるとすっかり見えなくなっていた。
これではせっかく頑張って塗った木蝋も全く無駄に終わったようなものである。
「……メディスン、なんだか気分が悪そうだね、大丈夫かい?」
と、にとりが声をかけずにはいられないような表情を、起きたときからずっと浮かべ続けている。
いけない、もう採掘場所は目の前、つまり宝の山の傍に来ているのだから、もっとやる気をださないと。
そう思った私は両手で頬を一度ぴしゃりと打った。
「なんでもない! さぁ、これからたくさん鉛や砒素を採掘するんだよね。どこらへんに埋まってるの?」
「目的はあくまで金なのだけれど……まぁせっかくのやる気を削ぐような無粋はやめておきましょうか。
あそこ、瓦礫が散らばっているのが見えるかしら?」
言葉と同時に鉄球が放った色の薄いレーザーを目で追うと、そう遠くないところに地面が抉られている場所があった。
「ちょっと窪んでいる地形だからね、あそこは有毒ガスの溜まり場になっているんだ。
実際何人もの友達がダウンしていったよ。なまじ一番たくさん金塊が見つかったから、その分犠牲も多くなっちゃったのさ」
「そうなんだ。まぁでも私なら大丈夫だもんね。じゃ、ちょっと行ってくる」
そう言って私はにとりから借り受けたピッケルを片手に、地面の割れ目に向かっていく。
近づいていくにつれて、 確かに鼻で感じられるとおり、そこは火山性ガスの刺激臭で満ちていた。
でも私はそれに取り巻かれても体調を崩すことはなく、割れ目に向けて力いっぱいピッケルを振り下ろす。
「わっ! ピッケルが……」
たったの一発で壊れたピッケルを見て、私は毒がこっちに影響しているのかと心配になる。
ただ、ちょうど削ったところに光る塊を見つけたため、ひとまずそれを拾って戻ることにした。
「ごめん、壊しちゃった。一応金塊らしいものは見つかったんだけど」
「ああ、気にしないでいいよ。代わりはまだまだたくさんあるからね。それよりも随分とでかいのを拾ってきたねぇ。ちょっと見せてよ」
言われるままにてのひらサイズのそれをにとりの前に差し出す。
それは鉛色と銀白色と黄金色がだいたい六対三対一くらいで混ざっている、なんとも奇妙な合金だった。
私はいまだかつてこれほどヘンな物体を目にしたことがない。
「この合金は怨霊を地獄の釜で熔かすことによって生み出されるらしいわ。怨霊の抱く様々な欲望がそれぞれ異なる鉱物の形で現れるのよ」
「……ふぅん」
「へぇ、そこらへんは知らなかった」
鉄球は相変わらず色んなことを知っている。やはり底が知れなくて怖い。
でも自分に累が及ばない限りなら、その知識はむしろ頼りになるのだろう。
あるいは鉄球の向こう側にいる河童と通じ合うことができれば、自分のことを自分以上に理解されてしまってもそれほど恐ろしくは感じないのだろうか。
そう、ちょうど永琳のように――などと、私があれこれと考えている間にも鉄球の言葉は続く。
「私達にとって厄介だったのは、有毒な重金属に変わる欲望の方が遥かに多種多様だったこと。
でも貴女の能力があればその問題も克服できるはず。さぁメディスン、今から試しに金とそれ以外とを分離してくれないかしら?」
「わかった。マキュリ、アルセニ、毒よ散らばれ」
鉄球の求めに応じて、私は合金を地面に置いて毒を操る呪文を唱えた。すると自分でもびっくりするような現象が目の前で繰り広げられていく。
まず、合金の銀白色の部分から小さな黄金色の塊がいくつか弾き出されていく。
そして次に銀白色の液体が零れ落ちていき、鉛の大陸や金の小島を浮かべる水銀の海を作る。
全てが終わった後になっても、しばらくは誰も口を開けなかった。それを最初に破ったのは、興奮したにとりの叫び声だった。
「こりゃ凄い! キレイに金属元素を分離できるんだねぇ」
「本当、惚れ惚れするわ。欲を言えば金には集合して欲しかったところだけど、今まで手も足も出なかったことを考えれば贅沢は言えないわよね」
「えへん。毒を操ることにかけては、幻想郷において私の右に出る者はいないわ!」
にとりも鉄球も私の能力を大いに賞賛してくれる。それは素直に嬉しく、鼻が高くなることだった。
妖怪にとっての至上の喜びは、妖異によって他者の心を正負様々に動かすこと――そう教えてくれたのは永琳だったっけ。
それ以降はガスマスクをつけたにとりやレーザーを使う鉄球も採掘に加わり、金塊が実際に発掘された場所を次々と掘り進めていく。
ただあまりマスクの性能が良くないのかにとりは時折咳き込み、鉄球も操り手が不調なのかたまに破壊力のないレーザーが出ることがあった。
結局、作業の大半は私が担うことになる。
しかも途中でにとりにはドクターストップがかかり、鉄球に担ぎ上げられながら作業場から離脱することになった。
「ふぅ……」
それを見送っていた私も、疲労のせいでその場に崩れるように座り込む。
さすがに採掘と毒操作を何度も繰り返していると、体力的にも霊力的にも辛いものがあった。
そこで私は鉄球から渡された『マジックポーション』を飲んで霊力を癒し、『病気平癒守』を貼って転んだ時に出来た傷を治す。
最近はこんなカードが出回っているのか、と渡された時にはびっくりした。やはり永遠亭だけでなく、もっと他の場所にも行ってみるべきなのかもしれない。
「メディスーン! 今日ーはここまでにしましょー!」
と、鉄球が私に向けて大声で呼びかけてきた。まだ日は高いけど、これで作業はおしまいらしい。
正直肉体労働がこんなにきついものになると思っていなかった私にとって、その言葉は実にありがたかった。
重くなった腰をなんとか持ち上げ、にとり達のいる方へ歩き出そうとする。
「っわ!?」
足を上げたところで地面が大きく揺れ、私はバランスを崩して再び腰を落とす。
地震だろうか、そう考えたところで後ろの方から正体不明の轟音と衝撃に襲われた。
「何――熱っ!」
振り返ると同時に熱湯が頭に降り注いでくる。
しかも途切れることがない――顔を粘っこいものが流れる――湯とは違う――木蝋が融けている!?
「あ……どこ!?」
慌ててその場を離れようとするが、いつの間にか周囲はおびただしいほどの湯気で覆われていた。
と、突然視界がぼやける。
「目が機能し、な……」
続いて舌と喉が痺れてきた。間違いない、頭の毒濃度が急速に薄められて――
「っ!?」
転んだ。足が石にでもぶつかったのか。そして熱い。地面にたまった湯がとんでもなく熱い。
焦げる臭いがする。しなくなった。足が動かない。手で這うこともできない。でも意識だけは失うことはなかった。
間欠泉……まさかここまで熱いとは。さっき焦げる臭いがした。このままだと妖怪でも危険なのだろうか。
白んだ視界に黒っぽい何かが見える。私の手だろうか。本当に熱だけでここまでなるのか。
失敗、した。ちゃんと打ち明けて対策してもらうべきだったか。少なくともあいつはこちらの体調を気遣ってはいた。
「た、す……」
言えない。動けない。見えない。やだ、耳も……
「『――ぷち――もふ――』」
何か聴こえた。視界が少し良くなる。灼熱の嵐が止んだ。遠くにぼんやり青色と緑色と、白黒金?
また嵐に飲まれる。熱い。その感覚も鈍ってきた。おかしいな、なんだか涼しい――
「――スン! メディスン! ゲホッ、しっかりしろー!」
「脱水乾燥だ、にとり!」
「そ、そか! 酸を除去しないと」
間近で聴こえた声の後、急に視界が鮮明になり、自分や周囲の地面から水が除かれていくのが見えた。
続いて浮遊感を覚える頃には、青色の服が視界に飛び込んでくる。
「に、とり……?」
「メディスン! 良かった、意識はあるね?」
「あ、喋れる……」
そこで私は、自分がにとりに抱き上げられていることに気付いた。
慌てて身体を動かそうとするが、今の自分の有様を見て思考が凍りつく。
服はボロボロ、髪の毛はちぢれ、手足は炭化して崩れかけている。ここまで危なかったんだ。
「迂闊だったぜ。二酸化硫黄ガスは水に溶けると亜硫酸になるんだ。しかもこの高熱で普通よりも遥かに強力になっちまってる」
青ざめている私に説明してくれたのは――ああ、やはり見間違いなどではなく、白黒の魔法使いにして人間、霧雨魔理沙だった。
しかしどうしてここにいるのか、さっぱり分からない。
しかも、なんだか色々なことを承知の上でにとりと自然に会話している。
「それにしてもォホン、こんな大規模な間欠泉が噴き出すなんて……ここらじゃ全然起こらなかったのに」
「しかもやたらと熱いな。うつほのやつ、今日に限ってなんでこんなに……まさか昨日お燐が言ってたアレのせいで、酔っ払って暴走し回っているのか?
おっとにとり、もっと私の傍に寄らないと危ないぞ」
「あ、うん。魔理沙、コールドインフェルノの調子はどう?」
「心配するな。お前も知っているだろうが、こいつは射程は短いけど霊力を送り続けている限り絶対に途切れることはないんだ」
私は首をなんとか回すと、周囲にあの鉄球が何故か四つも浮かんでいて、それぞれ上空に向けて青白い冷気を噴射していることに気付いた。
では、鉄球の向こう側で喋っていたのは魔理沙だったのか。にとりと一緒に来て、私の協力を取り付けるために素性を偽って行動していたのか。
騙された――けれど、どうして魔理沙がこんなことをしたのか、なんとなく理解してしまった。
「そっか……私の人間嫌いを知っていたから、あんたは姿を隠して妖怪のふりをしていたのね。あと、前に宴会の誘いを断ったのも気にしていたのかしら?」
「……本当は姿を見せるつもりはなかったんだけどな。そうすれば誰も損した気分にはならなかったはずなんだが。
苦情は後でいくらでも受け――」
「賢者の嘘ってやつ? てゐがそんなことを言ってたっけ。
でもお生憎様、苦情なんてないわ。あんたの誘導とかは関係なく、私はにとりに面と向かって頼まれたから、自分の意志でその手を掴んだの」
それに、この人間に一方的に使われたという意識がなかったから、私は怒る気になれなかった。
フェアな取引になるように調節してくれていたし、こちらが働きやすいよう環境を整えてくれていたとも思う。
今の危険な状況を招いてしまったのは、魔理沙が胡散臭さを誤魔化しきれなかったせいでもあり、私が魔理沙を信用できなかったせいでもあり……多分、お互いに責任があるのだろう。
「ゴホッ、ごめん、メディスン。私だけが交渉に行けば、騙すようなことにもならなかったんだけど――」
「にとり」
にとりがマスクを外して頭を下げようとするのを私は遮り、それからなんとか柔らかい笑顔を作る。
せっかく得た同好の士に、変な罪悪感など残したくなかった。
「レインコート、耐熱性と耐腐食性もつけてくれると嬉しいな。そうすれば今後の作業がやりやすくなるでしょ?」
「っ! わ、分かったよ。作るよ、溶岩を浴びても酸性雨に降られても絶対に破れないようなやつを――」
「三人分、ね?」
真摯にこちらを見つめてくるにとりに、私は悪戯っぽく笑って答える。
よく見ると二人とも、ところどころ服が焦げているのに気付いた。きっと我が身を省みず、あの熱亜硫酸の中を駆け抜けてきたのだろう。
「そいつは出来れば今すぐ作って欲しいところだな」
「魔理沙、きついのかい?」
「いや、霊力の無駄な消費はこれ以上したくないってだけだ」
「そ、ゴホン、そだね。さっさと引き上げようか。不幸中の幸い、有毒ガスは全部お湯に溶けてくれているみたいだし、足元の亜硫酸も浮いて避ければ――」
「飛べるのか? 今のお前が」
「う……」
魔理沙に訊き返されたにとりは言葉を詰まらせる。そういえばさっきは自分で歩くことすらままならない感じだったっけ。
時折咳き込むにとりを見ているうちに、私はすり傷程度で『病気平癒守』を自分に使ってしまったことを後悔する。
その間にも、帽子に手を添えながら考え込んでいる魔理沙の言葉が続く。
「さすがにお前達二人を運びながらコールドインフェルノを絶やさないとなると、スピードが出ない上に途中で力尽きてしまいそうだな。
……それならいっそ、間欠泉を止める方に霊力を注いだ方がいいかもしれん。せっかく懐に飛び込んだわけだし」
「ゲッホ! しょ、しょぅ……算はあるの?」
にとりが目をむいて叫んだ質問に、魔理沙は不敵に口元を釣り上げて答えた。
「ああ。こいつが上手くいけば、今後いつ起こるか分からない間欠泉に悩まされることもないだろう」
その笑顔は本当に自信に満ち溢れていて、実際に目の当たりにした私は、こいつならきっと何とかしてくれるという期待を抱かされてしまう。
多分、毒にまみれた合金から黄金だけを回収しようという試みを考えついたのは、色々な情報を握っていたことから魔理沙の方だろう。
それと同じように、この苦境をひっくり返してしまうだけの何かを、すでに手の中に収めているのかもしれない。
私はこの、多少の荒を含みつつも様々な妖怪の力をまとめあげた魔理沙の手腕を、参考までに最後まで見ておきたいと思った。
そんな思惑を胸に秘めて私が注視しているのには気付かず、魔理沙はにとりに質問する。
「にとり、お前はあと何回遠隔霊撃を使える?」
「ゴホッ……一回、かな。思っていたよりも調子悪いみたい」
「足りんな、圧倒的に。それじゃあ、ほれ」
にとりの弱々しい申告を聞いて、魔理沙は帽子の中からガラス瓶を取り出す。それはさっき私も飲んだ『マジックポーション』だった。
「あ、ありがと……? でも魔理沙、これがあるんならお前が飲んで脱出に力を注いだ方がいいんじゃないの?」
「それでも足りそうにないからお前に託したんだよ。これから私達が無傷でことを済ますためには、お前だけが頼りなんだ。
任せたぜ、にとり」
「う、うん!」
にとりが大きく頷いたのを満足そうに見つめると、魔理沙は四方に配置した鉄球オプションの一つ一つに、見たこともない絵柄のカードを貼り付けていく。
ちらっと見た限り、それは凍らされたカエルだったと思う。
その準備が終わるや、『マジックポーション』を飲み終えたにとりが右腕を上げて霊力を集中させ始めた。
「じゃ、いくよ。『オプティカルカモフラージュ』」
どこか聞き覚えのある宣言の後、魔理沙の周囲に青い半透明の蜂の巣が組み立てられていく。
それと同時にコールドインフェルノが解除され、今まで風圧によって遮られていた熱水が私達に襲い掛かってくる。
だがその脅威にも臆さず、箒に乗った魔理沙が真正面から立ち向かう。
「吹っ飛べ!」
言葉どおり、蜂の巣が熱水に触れると同時に間欠泉の撒いた弾幕全てが消し飛ばされた。
この隙を逃さず、魔理沙は手前に鉄球四つを集結させて上昇し、噴出口の真上まで迫っていく。
だがその直後、再び地鳴りと共に間欠泉が噴き出し、進行方向上にいた魔理沙を飲み込もうとする。
しかし魔理沙は焦ることなく両腕を広げ、溜めていた霊力を『冷凍カエル』のカードに流し込んだ。
「技を借りるぜチルノ、『アイスバリア』」
宣言の後、鉄球からコールドインフェルノ以上の凄まじい冷気が湧き起こり、襲ってきた灼熱の奔流を一瞬で氷結させる。
ただ凍りついたのは鉄球近くの熱水だけで、噴出口に近いものはその勢いを失ってはいなかった。
それらは魔理沙の作り上げた氷壁に散らされながらも、一部は私達のところへ降り注ごうとしてくる。
「『オプティカルカモフラージュ』」
この灼熱の雨はにとりが自分の周りに作り上げた蜂の巣によって防がれ、間欠泉はまたも完全に打ち消される。
再び生まれた隙を活用して、魔理沙は自前のデッキからスペルカードを取り出す。
その背へ、にとりと私は図らずも同じタイミングで叫んだ。
「やっちまいな、魔理ゴホッ!」
「魔理沙、やっちまいな!」
応じて、魔理沙は握っているカードの表面に親指を軽く触れさせ、一方的に与えた比喩と名前を宣言する。
「太陽を喰らい尽くせ氷精!
魔弾『テストスレイブ Ver.9』」
そして魔理沙は冷気と氷を纏った四の鉄球を射出した。
青白い尾を引く彗星のごとく、それらは遮るものの無くなった噴出口に狙いを定めて飛んでいく。
最終的に三たび立ち上り始めた奔流と衝突した瞬間、真っ白な爆風があたり一帯を飲み込んだ。
あまりの眩さに私は目を閉じ、寒気が通り過ぎた後で開けると――
「わぁ……」
そこにはうっすらと雪化粧の施された、一面の銀世界が広がっていた。
その中にあって一際異彩を放つ存在が寒さで全身を震わせているのを見つけ、私は口元を緩めて溜息を吐いた。
「これは無理ね」
「なっ!?」
「嘘でしょ!?」
間欠泉を閉塞させた後、私はにとりに抱えられたまま魔理沙の箒に乗り、可能な限りの速さで永遠亭に運ばれていった。
そして永琳が私を二、三確認してから告げた言葉は、魔理沙とにとりに絶望と後悔をもたらす。
しかし、普段から永琳を見慣れていれば――
「だって、畑違いだもの。私が修復できるのはあくまで生き物に限るわ。
人形の治療なら他にもっと適役がいるじゃない。そちらに任せれば完全な復元は充分可能でしょう」
思ったとおり、わざとらしいまでの無表情を作っていた永琳は、急にニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべて言葉を続けた。
それを聞いた魔理沙とにとりは、脱力してその場に座り込む。
「なんだよっ、医者のくせに心臓に悪いなんてどうかしてるぜ」
「ふふふ、ご免なさいね。でも可愛い取引相手をこんなにされたんだもの。少しは肝を冷やしてもらわないと、貴女達の危機管理意識が引き締まらないじゃない」
「い、以後注意させていただきます!」
笑顔で軽く青筋を作った永琳を見て、にとりは両手を挙げて誓いの言葉を叫んだ。
それを確認した永琳は血圧を鎮め、私の髪を手と櫛で整え始める。後で替えの服もくれるらしい。
もう体調自体には異常のない私がその綺麗な指先を堪能していると、なにやら指折り数えている魔理沙の姿が目に入る。
「くそっ、こいつのところで治療できれば安く済むと思ったんだがな。アリスに頼むとなると……今日の稼ぎが吹っ飛ぶかもしれん」
「げげっ、あれだけみんなで頑張ったってのに、骨折り損のくたびれ儲けはヤだよぉ」
「あらあら、そんな悲観することないじゃない。最初の授業料は高くついたみたいだけど、今後はそれを補って余りある利益が確約されたも同じなんでしょう?
それと魔理沙。多分私に直す技術があったとしても、腹立ち紛れに値段を釣り上げていたと思うわ」
目先のことで愚痴を零す二人を見かねたのか、永琳が前向きな言葉を贈る。ついでに魔理沙の甘い目論見はばっさりと切り捨てた。
「……まぁそうなんですけどね。色々と課題も見つかったからなぁ。まずは採掘の負担を減らせるようにピッケルを強化せんと。
外の本によれば、孔雀石(マラカイト)でピッケルをグレードアップさせられるとか何とか、書いてあったっけ」
「今日使った『マジックポーション』や『冷凍カエル』、『病気平癒守』も補充しないとなぁ。
しばらくはキノコ採集やチルノ・早苗狩りに明け暮れることになりそうだぜ」
しかしそれを聞いても二人の顔色は晴れず、今後のことで悩み始める。
一応当事者である私は、そんな二人を見て慌てて口を開いた。
「えっと……私も何か手伝おうか?」
「うにゃ、お前はいいから身体を直すことに専念してくれ。お前も実際に体験したとおり、採掘ってのは結構体力使うからな」
「あ、うん。そうだね」
「まぁ今はどうせ下準備で忙しくなるだろうから、休む時間はたっぷりあるだろう」
「じゃあその間に両生類の神様と地底に下りて、うつほには色々言い含めておこうかねぇ。
うわぁ、私達にゃ休みはないかも」
「あんまり無理はしないでよ? 私が直るのだって結構かかると思うから」
会話を交わすうち、自分達は最初に比べて随分とフランクになったなぁ、と改めて思った。
すると黙って私達のやり取りを聞いていた永琳が魔理沙に話を振ってくる。
「そうそう。魔理沙、この前貴女に頼まれていたことだけど」
「ん? 何かあったっけ」
「ほら、私達を次の宴会に誘うついでに言ったじゃないの」
「……あー」
すると急に魔理沙は後頭部をわしゃわしゃと掻きむしり、目線をあちこちへ動かし始めた。
その落ち着きのなくなった魔理沙に、永琳は満面の笑顔で容赦なく告げる。
「その件、きっぱりとお断りするわ」
「あーっ!?」
「ちゃんと自分で伝えなさい。きっと大丈夫だから」
そして櫛を止めた後、私の両肩に手を置いた。
不思議に思って後ろを振り返ろうとしたが、その前に魔理沙が咳払いをしながら近付いてくる。
しかし目の前で立ち止まった後は私の顔を見つめ続けるだけで、一向に何かを口にする気配が見られない。
と、そんな魔理沙をにとりが茶化した。
「おい魔理沙、何をためらっているんだ? いつもみたいにさっさと言いなよ」
「うるさいな、改めて言うのは緊張するんだよ」
文句を返すことで弾みがついたのか、ようやく魔理沙は手を差し出しながら用件を伝えてきた。
「あーメディスン。今度博麗神社に妖怪を集めて宴会を開こうと思っていたんだが、どうだ? たまにはお前も顔を出してみないか?」
そういうことか。魔理沙は私に手ひどく断られた経験があったから、私と付き合いの深い永琳に宴会への招待を任せることにしたんだ。
本当にこの人間は、目的を果たすためなら諦めるということを知らず、あらゆる手段を利用し尽くすようだ。
呆れつつ、私は笑顔を曇らせた魔理沙の姿を思い出す。
そして自分の心の狭さが生み出してしまったその過ちを打ち消すために、今は精一杯の笑顔を浮かべて崩れかけの手を魔理沙の手と合わせる。
「いいわよ」
そして目の前に現れた表情を、しっかりと記憶に焼き付けた。
人前に出るようになってそれなりに経験を積んできた私でも、今回のケースはちょっと難しいような気がする。
「や、やあやあ、突然失礼して申し訳ないねぇ。もしかして寝起きだったのかい? そりゃ悪いことをした。
こっちは別段急ぎの用事ってわけでもなかったんだけどさ。でもでも、今から出直すってのも二度手間だし、ここは一つ大目に見てやってくれんかい?
それにしても前衛的な寝床だねぇ。や、人形のあんたなら確かに相応しいかもしれないけどさ、トランクケースってのは。
この鈴蘭しかない丘で雨露を凌ぐにゃもってこいだね」
そう、ちょうどトランクの蓋を開けて身体を伸ばしていたところで、横からこの不審人物に声をかけられたのだ。
以降私は誰何の問いを発することすらできず、一方的に聞き役を押し付けられている。
「ちょっとにとり、いい加減にしておきなさいよ。まずは自分の素性を明かすのが筋でしょう?
まったく、貴女も普段から知らない誰かと接する機会を持っておいた方がいいわよ」
そんな、いつ終わるとも知れない無駄話はそいつの同行者によって止められたのだが、しかし私は安心するどころかさらなる混乱を抱くことになる。
何しろ少女の声音で横槍を入れてきたその同行者は、私と同じくらいのサイズの宙に浮かぶ鉄球だったのだから。
ただ、この声はどこか聴き覚えがあるような気がする。まるで知っている誰かが全く異なる口調で喋っているような、そんな印象を受けた。
「う、うるさいなぁ、分かってるよ。挨拶がちょっと長くなっただけじゃんか。
いやはや、自己紹介が遅れて申し訳ないねぇ。私は河城にとり。妖怪の山に住む谷カッパのにとりさ、よろしく」
相変わらず絶句し続けている私に向けて、にとりというらしい訪問者は恥ずかしそうにしながら手を差し伸べてきた。
しかし私がその手と顔とを見比べるだけで握手する気配を見せないでいると、にとりは次第に落ち着きをなくしていく。
そんなにとりに、鉄球はすっかり呆れかえった声を投げつけた。
「……まずはそのガスマスクを取りなさい。今の貴女は妖怪よりも化け物じみているわ」
~ 正しいマンドレイクの採掘法 ~
「で、貴女達は私に一体何の用があるっていうの?」
ようやく言葉を発することができた私は、とりあえずマスクを外したにとりに据わった視線を向けることにする。
ちなみにその直前に鈴蘭の毒霧を遠ざけてやると、目を見開きながらお礼を言われた。
なんでも河童の身体能力は人間とそんなに変わらないそうだ。人間にとって致死量の毒を受けた場合、死ぬことはないものの動けなくなるらしい。
そのにとりは私の視線を受けて少したじろぎながらも、一つ咳払いをしてから語り始めた。
「そ、ええっと、それはだね……いきなりだけど、あんた金に興味はないかい?」
「きん?」
「そそ、金。ゴールド。両生類の神様曰く、元素記号Au。
展性・延性に優れ、ほとんど腐食することなく、熱や電気をよく伝導させるから色々と工業的にも利用できて――」
「ああもう、貴女が手に入れた時のメリットばかり喋ってどうするの! 一般的な金の魅力はそういうところじゃないでしょ」
復たしても燃え上がりそうになったにとりの説明を鉄球が遮り、それから間に割って入ってくる。
起伏というものが全くない球面を眼前に持ってこられたため、今度は私がたじろぐことになった。
一方の鉄球はそんな私に気を使ってか、声音を柔らかいものにして言葉を続けた。
「どうして金がどうこうっていう話を持ちかけてきたのか、順を追って説明するわね。最近妖怪の山の麓で間欠泉が活発に起きているのはご存知?」
「え? ああ、うん。まぁ」
妖怪の山とここ鈴蘭の丘とはかなり離れているものの、そっちの方で高い水柱が上がっているのは私も見たことがあった。
とはいえ別に近付いてその正体を確かめようと思ったことはない。そもそも、あれは間欠泉だったのかと今初めて理解が追いついたところだ。
「その原因は地底に住む妖怪達の仕業だったんだけど、それとは無関係にある事実が明るみに出たのよ。
というのも、間欠泉を生むほどの高熱を利用する施設の建造に際して、私達河童が地質調査をやった結果分かったのだけど」
「そう。坂好きの神様に言われて色々調べている途中、あのあたりから金塊がごろごろと掘り出されたんだ」
「ふぅん、そうなんだ」
ようやく金の話に筋が戻ってきて、私は一応納得したような返事を放った。
ただ、やはり興味は薄い。金はたしかにキラキラ光って綺麗だと思うし、人里では色々な物を手に入れる手段になりうると聞いたことがある。
しかしそれが私の人形解放活動に果たしてどれだけ貢献してくれるものか、いまいち想像ができない。
それとも物を掴むだけでなく、他者の心まで掴むことができるのだろうか。そうだとしたらちょっとだけ、私も心を動かされるのだが。
「しかし残念なことに、その金塊には厄介な物も一緒に纏わりついていたの。
砒素、水銀、鉛、アンチモン――生き物にとって極めて有害な重金属が、ね」
「え!?」
鉄球が苦々しく列挙していった物質の名前を聞いて、対照的に私の声は上擦る。
たしかに今耳にしたものは普通の生き物にとっては余計なお荷物だろう。でも毒とともに生きる私にとっては、それらは極めて有益な貴金属と言ってもいいくらいだ。
さらに、図らずも私の気持ちに同調したのか、にとりも鉄球に異を唱える。
「いやぁ、私としてはそいつらだって宝の山だけどね。鉛はハンダや電池に使えるし、水銀だって――」
「どちらにせよちゃんと分離しなければ、それぞれの役割を最大限に発揮することはできないわ。
そこで私達から貴女にお願いがあるのよ、メディスン=メランコリー。毒を自在に操る、新進気鋭の妖怪人形殿」
にとりの異論をねじ伏せてから鉄球は真摯な声を私に向け、それから横に退いた。
あとに残ったのは瞳に不安と期待の色をたたえたにとりの、少しためらっているような仕草。
けどどこかで意を決したのか、にとりはもう一度私に向けて震える腕を伸ばしてきた。
「その能力で、金塊からそういった有毒性の重金属を分離してくれないかい?
さっきあんたが毒霧を自由に動かしているところを見せてもらったけど、たいしたもんだと本当に感心したよ。
あんたが協力してくれれば百人力だと心の底から思ったね。だからお願いだ、私達に力を貸してよ」
私は再度、差し出された手と露わになったにとりの顔とを交互に見つめる。
しばらくそうしていると、やがて目をちらちらと反らすようになってきた。
だけど、それでも可能な限り私と視線を合わせようと懸命に顔の筋肉を動かしている。
――ああ、人見知りする方なんだな、この妖怪は。
私はなんだかにとりに対して親近感を抱いた。
閻魔様に説教されて以来、戸惑いながらも人前に出て相手の心を掴もうと頑張っている私には、今のにとりの姿が他人事とは思えない。
だから自分が同じことをする時もそうなればいいなと淡い期待を抱きながら、にとりの手をそっと握り、直後に目にした表情をしっかりと頭に焼き付けた。
そんな、少しの間この場を支配した暖かい静寂を、やや気後れした様子の鉄球の声が破る。
「えっと……勿論、重要な仕事をお願いするのだからそれなりの報酬は用意させてもらうわ。貴女、どうも金への興味はそれほどでもないみたいね……
なら、分離した重金属は全部持って帰ってもらうというのでどうかしら?」
「わぁ、いいの?」
「ひゅい!? ちょっとま――ってよ。私だって抽出したそいつらも欲しいもん。さすがに全部持ってかれるのはヤだよ」
「贅沢言わないの。二兎を追う者は、って言うでしょ。だいたい一番の重労働を行うのは彼女なんだから、それに見合うだけの量と質を支払うのは当然の義務よ」
「う、だ、だけど……」
「ちょっと、二人とも落ち着いて!」
目の前で口論を始めたにとりと鉄球をなだめようと、私は慌てて口を挟む。
「別に全部もらわなくってもいいよ、少しだったら分けてあげるから。にとりは毒を毛嫌いしてないし、ちゃんと有効利用してくれそうだもんね」
「えっ? や、その……」
ただ、私の提案を聞いたにとりは急に尻込みしだした。
私としては同好の士と喜びを分かち合おうと思ったのだけれど、何かおかしかっただろうか。
さらに不思議なことに、首を傾げる私を見てばつが悪そうに帽子をあれこれといじり始める。
「……うん、やっぱりフェアじゃないかもしれん。だ、だからさメディスン。私からも報酬を支払うよ、分けてもらった毒と等価の」
「そう?」
「ええっと、何か作って欲しい物はないかい? 我々河童はこう見えても腕利きのエンジニアでね。
生活に役立つ物から娯楽のための嗜好品まで、何でも揃えてみせるよ。高い防水性のおまけつきでね」
「うーん、いきなり言われても特に思いつかないなぁ」
「そうかい。まぁ急かしはしないよ。仕事が完了するまでに答えを用意しといてくれればね」
「わかった」
私が大きく頷いてみせると、にとりも笑顔を返してきた。心なしか、にとりの喋り方からヘンな焦りが消えてきたような気がする。
「話はまとまったかしら? それじゃあ行きましょ――」
「待って!」
鉄球が率先してどこかへ向かおうとしたのを、私は思うところがあって呼び止めた。
そして近寄ってきた鉄球に据わった視線を向けて、やや強い口調で詰問する。
「ところで、さっきからずっと気になっていたんだけど……鉄球、あんたの名前は?
河童とは言っていたけど、にとりには素性を明かすように言っておいて、あんたの正体は伏せたままってのはおかしくない?」
「ええ、もっともだわ。そうね、まずは名乗るとしましょうか。私は博――ックシュッ!」
と、名前を言いかけたところで鉄球は上下しながら一度くしゃみをした。それをどうにか落ち着かせてから、改めてさらりと名を告げる。
「……失礼。私はフロレンツ=ナハティガル。看護婦よ」
「ブフッ!? ゲホッ、ゴホッ!」
今度はにとりがむせた。なんだろう、二人とも風邪でもひいているのだろうか。
早速行動を開始した私とにとり、そして看護婦を自称する、えっと……なんか長ったらしい名前の鉄球。
ひとまず私達は鉄球に従って、妖怪の山に向かう前に別の場所を目指すことになった。
その道すがら、鉄球は私に追加の説明を伝えてくる。
「金が採掘されたあたりには毒ガスが漂っていて危険なのよ。実際、調査に携わっていた仲間達の幾人かがやられてしまってね。
恥ずかしながらその治療をやるはずだった私も被害者ってわけ。
だから動けないこの身に代わって、自作のオプションに通信機能をつけて、にとりに同行させているの。
あのとおり、一人じゃまともに初対面の相手と交渉できない奴だったから心配でね」
「そうだったんだ。怪我や病気を治す人達って、誰も彼も永琳みたいに頑丈じゃないんだね」
「……アレは例外中の例外よ。ゴホッ、と、とにかく毒ガスのせいでまだ咳やくしゃみが治っていないのよね、私もにとりも」
さっきのアレはそういうことだったらしい。
ふと、私はにとりのことが気になったので、視線をそちらに向ける。すると、にとりが丸くなった口と目を鉄球に向けている様子が映ってきた。
「にとり、大丈夫? なんかボーッとしてるよ。まだ調子悪いんじゃないの?」
「へ? いやいや、私は全然大丈夫だよ! 別に有毒ガスを吸ったわけじゃないし」
「不完全な物とはいえ、常にガスマスクを持ち歩いていたから軽症で済んだのよ、こいつの場合」
「おん? 別にいつもじゃなくて今回は毒を操る奴をてなず――」
「ゲホゴホッ! あーもう煩わしいわね。もしも自分が人間だったら重度の喘息に罹っていたかと思うとゾッとするわ」
にとりの言葉の途中で鉄球は激しく咳き込み、それから愚痴を混ぜつつ身震いした。
私はにとりが言いかけたことが気になったが、問いを口にする前に先手を取られてしまう。
「一応訊いておくけど、メディスン。貴女は硫化水素や二酸化硫黄ガスを吸っても平気なのかしら?」
「もちろん! 私は生き物じゃないから毒は一切効かないわ。それどころか呪文一つ唱えるだけで、自由自在に操ることもできるよ」
「うわぁ、そいつは羨ましいねぇ。自分が毒の影響を一切受けることなく、必要に応じて利用できるんだから便利だよなぁ」
「本当、その能力、私も欲しいくらいだわ。まさに今回の仕事にはうってつけの人材ね」
「えへへ」
二人が心底感心したように褒めてくるのを聞いて、私は気分よく胸を反らした。
すると鉄球が私の行く先に移動してきて、期待だけでなく不安も含めた声で話しかけてくる。
「ただ、怖いのは有毒ガスだけじゃないのよ。でも貴女ならその脅威をも克服してしまえるんじゃないかって考えているの。
今から向かう先で、それが証明されることを期待しているわ」
「脅威って?」
何度見ても慣れないズームアップしてきた鉄球に向かって、私はちょっと眉をひそめながら尋ねる。
「精神汚染の源泉――怨霊がね、あのあたりをうろついているのよ」
博麗神社の裏には森林が広がっていて、その中には妖精の棲む大木があったり、最近では間欠泉が噴き出した――と、鉄球がやけに詳しく説明してくれた。
その深い森までたどり着いた私達のうち、にとりがまず周囲の茂みを探り出す。しばらく待っていると、得体の知れない四つの塊を手にして戻ってきた。
そこへ鉄球が真っ先に近付いていって、何事かを尋ね始める。
「監視の結果はどう?」
「ああ、件の火車がこのあたりを決まった時間――今くらいに通るってことは、ここ数日の観察から間違いないよ」
「そう、都合がいいわね。こんな森の奥なら私達の面白い計画が巫女にバレることもないでしょうから」
「ちなみに霊夢が最近この辺まで来たことは一度もなかったよ」
どうやらにとり達は巫女と何かの動向を気にしているようだ。
そういえば巫女は妖怪に容赦ないことで有名だった。なら、もしもこうして妖怪が集団で動いているのを見咎められた場合、問答無用で退治されてしまうのかもしれない。
と、私が顔を青くして考え込んでいると、見かねたにとりが説明してきた。
「えっとね、この森は火車が通り道にしているんだ。そいつ、神社にもよく顔を出すらしいんだけど、霊夢も金塊を狙っているからあんまりそこで接触したくなかったんだよ。
だからこの遠隔操作可能なオプションを監視カメラとして森の中に泳がせておいて、そいつの通る確率の高い時間と場所を探っていたの」
「え? 巫女の前に普通に妖怪が顔出して大丈夫なの? 出会い頭に退治されちゃうんじゃないの?」
「え? いや、霊夢がそこまで妖怪退治に躍起になるのは異変の時くらいだよ。知らない?
ああ、そういやメディスンを神社の宴会で見たことはなかったっけ。んでもたしか、いつぞやの紅魔館パーティーには来てたような……」
「……人間主催か妖怪主催か、その違いでしょう」
この時、何故かぽつりと呟かれた鉄球の言葉が強く印象に残った。同時に、ある些細な記憶が頭をよぎる――
それがいつのことだったが思い出せないけど、たしか雨がしとしとと降っていた日のことだったと思う。
とある理由から雨の苦手な私はその日、メランコリックな気分を抱えて分厚い毛布に包まり、恨めしげに空を見上げていた。
その誰にとっても最悪のタイミングで、人間の魔法使い――霧雨魔理沙だっけ?――が、博麗神社で開かれる宴会の誘いを持って丘に現れたのだ。
しかも私とは対照的に、悩みなんか何もないと言わんばかりの笑顔を伴って、憂さ晴らしには酒と喧騒が一番だとか脳天気なことを言いながら。
でもその時心までもが毒で満たされていた私は、それを吐き出すことであの人間の笑顔を曇らせ、そのまま追い返してしまった。
後になって、随分とひどい八つ当たりをやってしまったのだと反省した。
これでは閻魔様に指摘されたとおり、自分は大抵の人間と同じように小さな心しか持ち合わせていないことになってしまう。
いけない、私は他者の悩みを考慮できるほどの豊かな心を養うことで、人間を超えてやると誓ったのに。
何かが地面を絶え間なく削る音を聞いて、私はいつの間にか下がっていた視線を上げる。
そのまま音のする方を向くと、木々の合間に人影を見つけた。
次第に輪郭が露わになってくるそいつは、まだ距離のあるところからはっきりとよく通る声で話しかけてきた。
「あらららら、こりゃ珍しいねぇ。くたびれだけが今日の稼ぎかと思っていたけど、帰り道に至ってようやく面白いことになりそうじゃないか。
何、待ち伏せかい? 久しぶりに地上の連中と一戦やらかすことができるのかい?」
続いて姿の方もはっきりと目に映るようになってくる。
初めて会うその妖怪は、猫車を押して歩いている、燃えるような赤い髪が特徴的な化け猫だった。こいつがクダンの火車なのだろうか。
何やら嬉しそうに片腕を回し始めた火車を見て、にとりは慌てて無抵抗であることを示すように両手を振る。
「物騒なこと言うんじゃないよ、お燐……だっけ。私達はお前に用事があって、こうやって待っていただけだ」
「や、河童のお姉さんか。最近は山の神様と一緒に何やらおくうと会っているみたいだけど、核融合炉がどうとかいう話は順調かい?」
「ん~、建設前で足止めだよ。間欠泉周りの怨霊を片付けんことには進まないって感じだね。
ただ、私はやる気なんだけど、どうも他の皆の興味が薄くてねぇ……」
「そうかい。あたいも地上に送った怨霊を回収しているんだけどねぇ。思うように集まらないわ、妙ちきりんな仙人のお姉さんに絡まれるわでてんてこ舞いよ」
にとりとのやり取りを傍で見ている限り、火車というものはよく喋り、ころころと笑顔の絶えない妖怪だと思った。
このある意味なれなれしいくらいの態度はちょっと羨ましいかもしれない。
と思っていた矢先、突然火車――お燐が笑顔を崩し、自重するように口元に手をやった。
「おおっと、話の腰を折っちゃった。それで、あたいに何の用なのさ?」
「ええっと……なんだったっけ……その、ローレンツ?」
「フロレンツ、よ。友達の名前を言い間違えるなんてどうかしているわね。
で、怨霊がメディスンに影響するかどうかを試すつもりだったんでしょ?」
「そうだった。って、言い出したのはお前の方でしょ!」
急に、にとりと鉄球はぎこちなく言い争いを始める。
そんな二人を少々呆れた眼差しで見つめながら、お燐は猫車を地面に降ろして両手を空けた。
「……なんだかよく分からないけど、そこの人形のお嬢さんに怨霊をぶつけろってことなのかい?」
「ぶつけるって……まぁだいたいそんなところだけど、出来ればお手柔らかに頼む」
「お安い御用さ。そういうことなら大人しめの奴を呼ぼうかね。
ほらおいで、あたいの可愛い怨霊ども」
そう呼びかけてからお燐が左手を上げると、何もなかったはずのてのひらに青白い炎を纏った頭蓋骨が現れた。そいつが手から離れるやいなや、さらに二体の怨霊が次々と出現する。
私の目の前でそいつらはくるくると回り始め、そのままゆっくりと近付いてきた。そしてついに一体がお腹のあたりにぶつかろうとする。
しかしそいつは結局身体をすり抜けて、背中側に移動しただけで終わった。
「あらま!?」
「こりゃ驚いた、すり抜けたよ!」
目を丸くして驚くお燐とにとり。
でも私にとってこの事態は別に意外でもなんでもないことだった。
いつだったか、花が咲き乱れていた時に大量の鳥形幽霊が飛び交っていたけど、そいつらが身体をすり抜けていく様子を何度も確認しているのだ。
「思ったとおりだったわ。人形が怨霊のせいで狂わされるって話を聞いたことがあったから一応調べてみたけど、やはり怨霊もすり抜けるみたいね」
ところが鉄球も私同様驚くことはなく、それどころか何かを納得したように呟いていた。
「ちょっと、なんであんたは私のことをそんなに詳しく知ってるのよ。今日が初対面のはずでしょ?」
「まぁそうなのだけどね、射命丸様をご存知かしら? あの方に訊けば大抵の妖怪の情報が手に入るのよ。
貴女が肉体と魂を持ち、そのおかげで妖精や霊の入り込む隙間がない人形だということも知っているわ」
あの風と態度が鬱陶しい天狗と知り合いなんだ。そういえばあいつとは花の異変の時に一戦やらかしたことがあったっけ。
しかもこの鉄球、永琳から聞いたことのある人形の肉体と魂の話まで知っているらしい。
急に、私は鉄球の向こう側にいる河童に寒気を覚えた。
そんな私の心の内などつゆも知らない様子で、鉄球は柔らかく尋ねてくる。
「さて、これで現地で遭遇するであろう脅威は全て克服できることを検証し終えたわけだけど……
メディスン、貴女の方から何か訊いておきたいことはあるかしら? もしも他に苦手な物があるのなら、出来るだけ取り除くように努力するわよ」
おそらく親切心から生まれたのだろうその問いかけに、しかしすぐに答えることができない。
この沈黙を不思議に思われる前に破ったのは、何かに驚いたお燐の悲鳴だった。
「わぷ! ありゃ、雨が降ってきたよ。やだねぇ、朝は晴れていたはずなのに」
「ふむ、でもまぁ森の中にいる限りは大したことにならないと思うけどね」
にとりの言うとおり、たしかに雨が木の葉を打つ音は聴こえるものの、落ちてくる雫はまばらなものだった。
これなら全身濡れ鼠になってしまうような事態にはならないだろう。
私は一つ安堵の溜息を吐くと、すぐさまにとりの方を向いて、たった今思いついたことを告げる。
「あ、そうだ! にとり、報酬が決まったよ。この仕事が終わったらレインコートを作ってくれない?」
「へ? ああ、合羽ね。そんなんでいいの? というか、今も持ってるからとりあえず貸してあげようか?
あとでもっと上等な新品を作ってあげるけどさ」
「じゃあお願い」
私の言葉に応じて、にとりはリュックから一着のレインコートを取り出してくれた。
今すぐ着る必要はないように感じられたけど、とりあえずサイズを確認するつもりでそれを身に纏う。そしてあつらえたようにぴったりだということがわかった。
そんな慌しく見える私に向けて、お燐が何やら笑顔で話しかけてくる。
「おや、お嬢さんも雨は苦手なタチかい? 気が合うねぇ、あたいも雨は好きじゃないんだよね」
「……ええ。湿気でトランクの中が蒸れるのに、蓋を開けてしまうと降り込んでくるんだもん。嫌になっちゃう。
それに何より、髪やお洋服にも良くないし」
「あはは、毛並みのことを一番問題にするなんて、ますます気が合うじゃないか。
遅くなったけど、あたいは火焔猫燐……って長ったらしい名前も好きじゃないから、気軽にお燐って呼んでよ。
もしもお嬢さんが何かの縁で地底に来ることがあれば、その時はあたいが歓迎するよ。これでも地底のツアーコンダクターだからね。
観光名所から快適なホテル、おいしいお店までなんでもござれ、さ」
お燐は私にウィンクをよこすと、猫車を持ち上げてからにとりに訊いた。
「さて、用事はこれで終わりかい? あんまり雨に降られたくないから、そろそろ帰りたいんだけど」
「ああ。ご苦労さん、仕事帰りに呼び止めて悪かったね。
そうそう、地霊殿に帰ったらうつほに伝えてくれ。次に降りる時には新しい銘酒・河童の里を持って行くから、みんなで味わってってさ」
「本当かい!? くー、そりゃいいねぇ! ちょうど今日もおくうと夜通し飲み明かそうって思ってたから、土産話にゃもってこいだよお姉さん。
じゃ、また今度だね。こっちも未練がましい緊縛霊特産の岩塩・業火ミネラルをお返しに用意して待ってるさ」
そして上機嫌になりながら、お燐は猫車を押して森の奥へ消えていった。
結局、雨は森を出る前に止んだため、にとりに借りたレインコートは出番のないまま終わってしまった。
でも空は相変わらず鈍色のままだったので、実際に作業を行うのは次の日ということにして、私達はそこで一度解散した。
そして今私は鈴蘭畑に戻ってきて、下着だけになって身体に白いペースト状のものを塗りつけている。
「明日雨が降らなければこれも必要ないんだけどね。ベタベタするからあんまり付けたくないし」
これは木蝋というもので、渡してくれた永琳によれば軟膏や口紅の材料に使われているのだとか。
そして油紙のように水を弾くことが出来るらしい。私はこれを、体内に過剰な水分が浸透するのを防ぐ為に使っていた。
身体を自由自在に動かす為には、体内の毒濃度が極端に薄まらないようにしなければならない――前々から自覚はあったが、それを詳しく説明してくれたのは永琳だった。
「雨に打たれ続けていると身体が動かなくなったが、乾くと再び問題なく動けるようになった、と」
「他にも鼻先に雨が当たると必ずくしゃみ・鼻水が出るのよ」
その時もいつものように、私は毒を支払って何かを得る――毒物交換をする為に永遠亭を訪れていた。
永琳とはその頃もうかなり打ち解けていたので、普段感じている身体の悩みなんかも気軽に相談できていた。
「成る程ね。そういうことなら前に貴女の身体を調べて分かったことと、今話してくれた異常との間に辻褄が合うわ」
「どういうことなの?」
私の問いにすぐには答えず、永琳は作業机の上にあった二つの脱脂綿をシャーレに入れ、その上に紫色の液体をかけた。
すると瞬く間にそれらから白さが失われていく。
「貴女の素体そのものは植物性――木や布といった素材で作り上げられているのよ。そこに何種類もの毒が適量の水分と混ざり、それらを霊力が循環させている。
でも貴女の体表には水分の行き来を遮る障壁がないみたいなのよね。ねぇメディスン、逆に太陽に照らされ続けるとかして、身体に異常が起きたことはないかしら?」
「ううん。鈴蘭畑はあんまり日当たりがよくないし、風通しもいいから暑い思いをしたことはないよ」
私の言葉に頷く傍ら、永琳は染まった脱脂綿のうちの一つを別のシャーレに移し、その上からただの水を垂らす。
その結果脱脂綿は水を吸って軽く膨らみ、同時に紫色が少しだけ薄くなった。
「そうなの、羨ましいわね。まぁとにかく、貴女の素体は水分を吸収しやすいのに、それを制限する機能はついていない。
だから雨に打たれたり川に落ちたままでいると、大量の水分が身体に取り込まれてしまい、結果として毒が薄まって思うように身体を動かせなくなるのよ。
そうね……貴女には分かりにくい例えだけど、酷暑で汗を流し続けた人間が水分だけを補充した場合、体内の塩分濃度が極端に薄まって危険な状態になるようなもの、かしら」
「ふぅん、じゃあやっぱり雨の日はあんまり動けないんだね。やだなぁ」
私が愚痴を零すと、永琳は悪戯っぽく微笑みながら薬箪笥に備わっている、たくさんの小さな引き出しのうちの一つを開ける。
「あら、工夫次第でなんとでもなるわよ。貴女、毒を操れるんでしょう? それなら……例えば漆を全身に塗って水を弾くというのはどうかしら?」
「ええ~、あれって色がきついし、乾いたらパリパリしてくるんだよ。そんなの身体に塗りたくない」
人間の皮膚をかぶれさせる毒として、漆を自由に操ることができるのは確かだ。それを自分に塗って湿気を防ぐという発想はなかったけど。
と、私が文句を返している間に永琳は平たくて円い容器を取り出し、その中身を残った色付き脱脂綿にまんべんなく塗りつけている。
その上でさらに別のシャーレに移して水を流すと、今度はその表面を水がただ滑っていくだけで、全く色が褪せることはなかった。
「そうねぇ、じゃあ舶来の人形らしく、身体に蝋でも塗ってみる?」
「これが、さっきの現象を起こしたの? なんなの一体」
「木蝋っていってね、ハゼの木から抽出した植物性の蝋よ。これなら多少ベタつくかもしれないけど、色は薄いし乾燥してはがれてしまうこともないわ。
試しにこれを塗って、水に触れてみなさい」
「ありがと……」
「ん? 何かしら、私の顔に何かついている?」
容器を受け取る前から私がずっと顔を見続けていたのを不思議に思ったのだろう、永琳が首を傾げて尋ねてくる。
それに向けて私は思っていたことを率直にぶつけた。
「なんか、いつもよりも説明が丁寧で分かりやすかったよね」
「……そう。まぁ姫に文句を言われたからねぇ。
『永琳の説明は分かりにくい。身内に向けているうちは構わないけど、せめて外来の患者には分かりやすく話してあげなさい』って。
だからその努力が実ったのだとしたら、素直に嬉しいわ」
そう言って永琳は今まで見たこともないような、無邪気な笑顔を浮かべた。
永琳特製の木蝋の効果は抜群だった。
試しに片足にくまなく塗りつけて、そのまま水たまりの中に突っ込んでみたのだけど、何のしびれを感じることもなく普通に動かせたのだ。
足を引き上げてみると、水が玉のようになって零れ落ちていく様子が印象的だった。
以来私は雨の日や水辺の傍を通るような時には、この木蝋を全身に塗りつけるようにしている。
「間欠泉が噴き出すって言ってたけど、それで温泉が出来る程度の熱さだっていうんなら、蝋が融けることもないよね」
実際の間欠泉がどこで起きているのか、その温度がどれくらいなのかを鉄球に訊きたかったけど、そうすると自分の弱点について何か勘繰られてしまうかもしれない。
あの得体の知れない鉄球にこれ以上私のことを知られてしまうのが何か怖かった。
だから私はあの時口ごもり、そしてうやむやのうちに鉄球とのやり取りを流したのだ。
「さて、準備は完了。明日に備えてもう寝ようかしら」
木蝋を塗り終えた私は服を納めているトランクをあけて、中に入っていたネグリジェを身につける。
最近永遠亭で洗濯したばかりなので、まだまだ石鹸の香りが残ったままだ。
私はそれを大きく吸い込むと、穏やかな気分のままベッド用のトランクの中に横たわった。
翌日――
結局昨日の夜までずっと空に居座り続けていた雲は、朝になるとすっかり見えなくなっていた。
これではせっかく頑張って塗った木蝋も全く無駄に終わったようなものである。
「……メディスン、なんだか気分が悪そうだね、大丈夫かい?」
と、にとりが声をかけずにはいられないような表情を、起きたときからずっと浮かべ続けている。
いけない、もう採掘場所は目の前、つまり宝の山の傍に来ているのだから、もっとやる気をださないと。
そう思った私は両手で頬を一度ぴしゃりと打った。
「なんでもない! さぁ、これからたくさん鉛や砒素を採掘するんだよね。どこらへんに埋まってるの?」
「目的はあくまで金なのだけれど……まぁせっかくのやる気を削ぐような無粋はやめておきましょうか。
あそこ、瓦礫が散らばっているのが見えるかしら?」
言葉と同時に鉄球が放った色の薄いレーザーを目で追うと、そう遠くないところに地面が抉られている場所があった。
「ちょっと窪んでいる地形だからね、あそこは有毒ガスの溜まり場になっているんだ。
実際何人もの友達がダウンしていったよ。なまじ一番たくさん金塊が見つかったから、その分犠牲も多くなっちゃったのさ」
「そうなんだ。まぁでも私なら大丈夫だもんね。じゃ、ちょっと行ってくる」
そう言って私はにとりから借り受けたピッケルを片手に、地面の割れ目に向かっていく。
近づいていくにつれて、 確かに鼻で感じられるとおり、そこは火山性ガスの刺激臭で満ちていた。
でも私はそれに取り巻かれても体調を崩すことはなく、割れ目に向けて力いっぱいピッケルを振り下ろす。
「わっ! ピッケルが……」
たったの一発で壊れたピッケルを見て、私は毒がこっちに影響しているのかと心配になる。
ただ、ちょうど削ったところに光る塊を見つけたため、ひとまずそれを拾って戻ることにした。
「ごめん、壊しちゃった。一応金塊らしいものは見つかったんだけど」
「ああ、気にしないでいいよ。代わりはまだまだたくさんあるからね。それよりも随分とでかいのを拾ってきたねぇ。ちょっと見せてよ」
言われるままにてのひらサイズのそれをにとりの前に差し出す。
それは鉛色と銀白色と黄金色がだいたい六対三対一くらいで混ざっている、なんとも奇妙な合金だった。
私はいまだかつてこれほどヘンな物体を目にしたことがない。
「この合金は怨霊を地獄の釜で熔かすことによって生み出されるらしいわ。怨霊の抱く様々な欲望がそれぞれ異なる鉱物の形で現れるのよ」
「……ふぅん」
「へぇ、そこらへんは知らなかった」
鉄球は相変わらず色んなことを知っている。やはり底が知れなくて怖い。
でも自分に累が及ばない限りなら、その知識はむしろ頼りになるのだろう。
あるいは鉄球の向こう側にいる河童と通じ合うことができれば、自分のことを自分以上に理解されてしまってもそれほど恐ろしくは感じないのだろうか。
そう、ちょうど永琳のように――などと、私があれこれと考えている間にも鉄球の言葉は続く。
「私達にとって厄介だったのは、有毒な重金属に変わる欲望の方が遥かに多種多様だったこと。
でも貴女の能力があればその問題も克服できるはず。さぁメディスン、今から試しに金とそれ以外とを分離してくれないかしら?」
「わかった。マキュリ、アルセニ、毒よ散らばれ」
鉄球の求めに応じて、私は合金を地面に置いて毒を操る呪文を唱えた。すると自分でもびっくりするような現象が目の前で繰り広げられていく。
まず、合金の銀白色の部分から小さな黄金色の塊がいくつか弾き出されていく。
そして次に銀白色の液体が零れ落ちていき、鉛の大陸や金の小島を浮かべる水銀の海を作る。
全てが終わった後になっても、しばらくは誰も口を開けなかった。それを最初に破ったのは、興奮したにとりの叫び声だった。
「こりゃ凄い! キレイに金属元素を分離できるんだねぇ」
「本当、惚れ惚れするわ。欲を言えば金には集合して欲しかったところだけど、今まで手も足も出なかったことを考えれば贅沢は言えないわよね」
「えへん。毒を操ることにかけては、幻想郷において私の右に出る者はいないわ!」
にとりも鉄球も私の能力を大いに賞賛してくれる。それは素直に嬉しく、鼻が高くなることだった。
妖怪にとっての至上の喜びは、妖異によって他者の心を正負様々に動かすこと――そう教えてくれたのは永琳だったっけ。
それ以降はガスマスクをつけたにとりやレーザーを使う鉄球も採掘に加わり、金塊が実際に発掘された場所を次々と掘り進めていく。
ただあまりマスクの性能が良くないのかにとりは時折咳き込み、鉄球も操り手が不調なのかたまに破壊力のないレーザーが出ることがあった。
結局、作業の大半は私が担うことになる。
しかも途中でにとりにはドクターストップがかかり、鉄球に担ぎ上げられながら作業場から離脱することになった。
「ふぅ……」
それを見送っていた私も、疲労のせいでその場に崩れるように座り込む。
さすがに採掘と毒操作を何度も繰り返していると、体力的にも霊力的にも辛いものがあった。
そこで私は鉄球から渡された『マジックポーション』を飲んで霊力を癒し、『病気平癒守』を貼って転んだ時に出来た傷を治す。
最近はこんなカードが出回っているのか、と渡された時にはびっくりした。やはり永遠亭だけでなく、もっと他の場所にも行ってみるべきなのかもしれない。
「メディスーン! 今日ーはここまでにしましょー!」
と、鉄球が私に向けて大声で呼びかけてきた。まだ日は高いけど、これで作業はおしまいらしい。
正直肉体労働がこんなにきついものになると思っていなかった私にとって、その言葉は実にありがたかった。
重くなった腰をなんとか持ち上げ、にとり達のいる方へ歩き出そうとする。
「っわ!?」
足を上げたところで地面が大きく揺れ、私はバランスを崩して再び腰を落とす。
地震だろうか、そう考えたところで後ろの方から正体不明の轟音と衝撃に襲われた。
「何――熱っ!」
振り返ると同時に熱湯が頭に降り注いでくる。
しかも途切れることがない――顔を粘っこいものが流れる――湯とは違う――木蝋が融けている!?
「あ……どこ!?」
慌ててその場を離れようとするが、いつの間にか周囲はおびただしいほどの湯気で覆われていた。
と、突然視界がぼやける。
「目が機能し、な……」
続いて舌と喉が痺れてきた。間違いない、頭の毒濃度が急速に薄められて――
「っ!?」
転んだ。足が石にでもぶつかったのか。そして熱い。地面にたまった湯がとんでもなく熱い。
焦げる臭いがする。しなくなった。足が動かない。手で這うこともできない。でも意識だけは失うことはなかった。
間欠泉……まさかここまで熱いとは。さっき焦げる臭いがした。このままだと妖怪でも危険なのだろうか。
白んだ視界に黒っぽい何かが見える。私の手だろうか。本当に熱だけでここまでなるのか。
失敗、した。ちゃんと打ち明けて対策してもらうべきだったか。少なくともあいつはこちらの体調を気遣ってはいた。
「た、す……」
言えない。動けない。見えない。やだ、耳も……
「『――ぷち――もふ――』」
何か聴こえた。視界が少し良くなる。灼熱の嵐が止んだ。遠くにぼんやり青色と緑色と、白黒金?
また嵐に飲まれる。熱い。その感覚も鈍ってきた。おかしいな、なんだか涼しい――
「――スン! メディスン! ゲホッ、しっかりしろー!」
「脱水乾燥だ、にとり!」
「そ、そか! 酸を除去しないと」
間近で聴こえた声の後、急に視界が鮮明になり、自分や周囲の地面から水が除かれていくのが見えた。
続いて浮遊感を覚える頃には、青色の服が視界に飛び込んでくる。
「に、とり……?」
「メディスン! 良かった、意識はあるね?」
「あ、喋れる……」
そこで私は、自分がにとりに抱き上げられていることに気付いた。
慌てて身体を動かそうとするが、今の自分の有様を見て思考が凍りつく。
服はボロボロ、髪の毛はちぢれ、手足は炭化して崩れかけている。ここまで危なかったんだ。
「迂闊だったぜ。二酸化硫黄ガスは水に溶けると亜硫酸になるんだ。しかもこの高熱で普通よりも遥かに強力になっちまってる」
青ざめている私に説明してくれたのは――ああ、やはり見間違いなどではなく、白黒の魔法使いにして人間、霧雨魔理沙だった。
しかしどうしてここにいるのか、さっぱり分からない。
しかも、なんだか色々なことを承知の上でにとりと自然に会話している。
「それにしてもォホン、こんな大規模な間欠泉が噴き出すなんて……ここらじゃ全然起こらなかったのに」
「しかもやたらと熱いな。うつほのやつ、今日に限ってなんでこんなに……まさか昨日お燐が言ってたアレのせいで、酔っ払って暴走し回っているのか?
おっとにとり、もっと私の傍に寄らないと危ないぞ」
「あ、うん。魔理沙、コールドインフェルノの調子はどう?」
「心配するな。お前も知っているだろうが、こいつは射程は短いけど霊力を送り続けている限り絶対に途切れることはないんだ」
私は首をなんとか回すと、周囲にあの鉄球が何故か四つも浮かんでいて、それぞれ上空に向けて青白い冷気を噴射していることに気付いた。
では、鉄球の向こう側で喋っていたのは魔理沙だったのか。にとりと一緒に来て、私の協力を取り付けるために素性を偽って行動していたのか。
騙された――けれど、どうして魔理沙がこんなことをしたのか、なんとなく理解してしまった。
「そっか……私の人間嫌いを知っていたから、あんたは姿を隠して妖怪のふりをしていたのね。あと、前に宴会の誘いを断ったのも気にしていたのかしら?」
「……本当は姿を見せるつもりはなかったんだけどな。そうすれば誰も損した気分にはならなかったはずなんだが。
苦情は後でいくらでも受け――」
「賢者の嘘ってやつ? てゐがそんなことを言ってたっけ。
でもお生憎様、苦情なんてないわ。あんたの誘導とかは関係なく、私はにとりに面と向かって頼まれたから、自分の意志でその手を掴んだの」
それに、この人間に一方的に使われたという意識がなかったから、私は怒る気になれなかった。
フェアな取引になるように調節してくれていたし、こちらが働きやすいよう環境を整えてくれていたとも思う。
今の危険な状況を招いてしまったのは、魔理沙が胡散臭さを誤魔化しきれなかったせいでもあり、私が魔理沙を信用できなかったせいでもあり……多分、お互いに責任があるのだろう。
「ゴホッ、ごめん、メディスン。私だけが交渉に行けば、騙すようなことにもならなかったんだけど――」
「にとり」
にとりがマスクを外して頭を下げようとするのを私は遮り、それからなんとか柔らかい笑顔を作る。
せっかく得た同好の士に、変な罪悪感など残したくなかった。
「レインコート、耐熱性と耐腐食性もつけてくれると嬉しいな。そうすれば今後の作業がやりやすくなるでしょ?」
「っ! わ、分かったよ。作るよ、溶岩を浴びても酸性雨に降られても絶対に破れないようなやつを――」
「三人分、ね?」
真摯にこちらを見つめてくるにとりに、私は悪戯っぽく笑って答える。
よく見ると二人とも、ところどころ服が焦げているのに気付いた。きっと我が身を省みず、あの熱亜硫酸の中を駆け抜けてきたのだろう。
「そいつは出来れば今すぐ作って欲しいところだな」
「魔理沙、きついのかい?」
「いや、霊力の無駄な消費はこれ以上したくないってだけだ」
「そ、ゴホン、そだね。さっさと引き上げようか。不幸中の幸い、有毒ガスは全部お湯に溶けてくれているみたいだし、足元の亜硫酸も浮いて避ければ――」
「飛べるのか? 今のお前が」
「う……」
魔理沙に訊き返されたにとりは言葉を詰まらせる。そういえばさっきは自分で歩くことすらままならない感じだったっけ。
時折咳き込むにとりを見ているうちに、私はすり傷程度で『病気平癒守』を自分に使ってしまったことを後悔する。
その間にも、帽子に手を添えながら考え込んでいる魔理沙の言葉が続く。
「さすがにお前達二人を運びながらコールドインフェルノを絶やさないとなると、スピードが出ない上に途中で力尽きてしまいそうだな。
……それならいっそ、間欠泉を止める方に霊力を注いだ方がいいかもしれん。せっかく懐に飛び込んだわけだし」
「ゲッホ! しょ、しょぅ……算はあるの?」
にとりが目をむいて叫んだ質問に、魔理沙は不敵に口元を釣り上げて答えた。
「ああ。こいつが上手くいけば、今後いつ起こるか分からない間欠泉に悩まされることもないだろう」
その笑顔は本当に自信に満ち溢れていて、実際に目の当たりにした私は、こいつならきっと何とかしてくれるという期待を抱かされてしまう。
多分、毒にまみれた合金から黄金だけを回収しようという試みを考えついたのは、色々な情報を握っていたことから魔理沙の方だろう。
それと同じように、この苦境をひっくり返してしまうだけの何かを、すでに手の中に収めているのかもしれない。
私はこの、多少の荒を含みつつも様々な妖怪の力をまとめあげた魔理沙の手腕を、参考までに最後まで見ておきたいと思った。
そんな思惑を胸に秘めて私が注視しているのには気付かず、魔理沙はにとりに質問する。
「にとり、お前はあと何回遠隔霊撃を使える?」
「ゴホッ……一回、かな。思っていたよりも調子悪いみたい」
「足りんな、圧倒的に。それじゃあ、ほれ」
にとりの弱々しい申告を聞いて、魔理沙は帽子の中からガラス瓶を取り出す。それはさっき私も飲んだ『マジックポーション』だった。
「あ、ありがと……? でも魔理沙、これがあるんならお前が飲んで脱出に力を注いだ方がいいんじゃないの?」
「それでも足りそうにないからお前に託したんだよ。これから私達が無傷でことを済ますためには、お前だけが頼りなんだ。
任せたぜ、にとり」
「う、うん!」
にとりが大きく頷いたのを満足そうに見つめると、魔理沙は四方に配置した鉄球オプションの一つ一つに、見たこともない絵柄のカードを貼り付けていく。
ちらっと見た限り、それは凍らされたカエルだったと思う。
その準備が終わるや、『マジックポーション』を飲み終えたにとりが右腕を上げて霊力を集中させ始めた。
「じゃ、いくよ。『オプティカルカモフラージュ』」
どこか聞き覚えのある宣言の後、魔理沙の周囲に青い半透明の蜂の巣が組み立てられていく。
それと同時にコールドインフェルノが解除され、今まで風圧によって遮られていた熱水が私達に襲い掛かってくる。
だがその脅威にも臆さず、箒に乗った魔理沙が真正面から立ち向かう。
「吹っ飛べ!」
言葉どおり、蜂の巣が熱水に触れると同時に間欠泉の撒いた弾幕全てが消し飛ばされた。
この隙を逃さず、魔理沙は手前に鉄球四つを集結させて上昇し、噴出口の真上まで迫っていく。
だがその直後、再び地鳴りと共に間欠泉が噴き出し、進行方向上にいた魔理沙を飲み込もうとする。
しかし魔理沙は焦ることなく両腕を広げ、溜めていた霊力を『冷凍カエル』のカードに流し込んだ。
「技を借りるぜチルノ、『アイスバリア』」
宣言の後、鉄球からコールドインフェルノ以上の凄まじい冷気が湧き起こり、襲ってきた灼熱の奔流を一瞬で氷結させる。
ただ凍りついたのは鉄球近くの熱水だけで、噴出口に近いものはその勢いを失ってはいなかった。
それらは魔理沙の作り上げた氷壁に散らされながらも、一部は私達のところへ降り注ごうとしてくる。
「『オプティカルカモフラージュ』」
この灼熱の雨はにとりが自分の周りに作り上げた蜂の巣によって防がれ、間欠泉はまたも完全に打ち消される。
再び生まれた隙を活用して、魔理沙は自前のデッキからスペルカードを取り出す。
その背へ、にとりと私は図らずも同じタイミングで叫んだ。
「やっちまいな、魔理ゴホッ!」
「魔理沙、やっちまいな!」
応じて、魔理沙は握っているカードの表面に親指を軽く触れさせ、一方的に与えた比喩と名前を宣言する。
「太陽を喰らい尽くせ氷精!
魔弾『テストスレイブ Ver.9』」
そして魔理沙は冷気と氷を纏った四の鉄球を射出した。
青白い尾を引く彗星のごとく、それらは遮るものの無くなった噴出口に狙いを定めて飛んでいく。
最終的に三たび立ち上り始めた奔流と衝突した瞬間、真っ白な爆風があたり一帯を飲み込んだ。
あまりの眩さに私は目を閉じ、寒気が通り過ぎた後で開けると――
「わぁ……」
そこにはうっすらと雪化粧の施された、一面の銀世界が広がっていた。
その中にあって一際異彩を放つ存在が寒さで全身を震わせているのを見つけ、私は口元を緩めて溜息を吐いた。
「これは無理ね」
「なっ!?」
「嘘でしょ!?」
間欠泉を閉塞させた後、私はにとりに抱えられたまま魔理沙の箒に乗り、可能な限りの速さで永遠亭に運ばれていった。
そして永琳が私を二、三確認してから告げた言葉は、魔理沙とにとりに絶望と後悔をもたらす。
しかし、普段から永琳を見慣れていれば――
「だって、畑違いだもの。私が修復できるのはあくまで生き物に限るわ。
人形の治療なら他にもっと適役がいるじゃない。そちらに任せれば完全な復元は充分可能でしょう」
思ったとおり、わざとらしいまでの無表情を作っていた永琳は、急にニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべて言葉を続けた。
それを聞いた魔理沙とにとりは、脱力してその場に座り込む。
「なんだよっ、医者のくせに心臓に悪いなんてどうかしてるぜ」
「ふふふ、ご免なさいね。でも可愛い取引相手をこんなにされたんだもの。少しは肝を冷やしてもらわないと、貴女達の危機管理意識が引き締まらないじゃない」
「い、以後注意させていただきます!」
笑顔で軽く青筋を作った永琳を見て、にとりは両手を挙げて誓いの言葉を叫んだ。
それを確認した永琳は血圧を鎮め、私の髪を手と櫛で整え始める。後で替えの服もくれるらしい。
もう体調自体には異常のない私がその綺麗な指先を堪能していると、なにやら指折り数えている魔理沙の姿が目に入る。
「くそっ、こいつのところで治療できれば安く済むと思ったんだがな。アリスに頼むとなると……今日の稼ぎが吹っ飛ぶかもしれん」
「げげっ、あれだけみんなで頑張ったってのに、骨折り損のくたびれ儲けはヤだよぉ」
「あらあら、そんな悲観することないじゃない。最初の授業料は高くついたみたいだけど、今後はそれを補って余りある利益が確約されたも同じなんでしょう?
それと魔理沙。多分私に直す技術があったとしても、腹立ち紛れに値段を釣り上げていたと思うわ」
目先のことで愚痴を零す二人を見かねたのか、永琳が前向きな言葉を贈る。ついでに魔理沙の甘い目論見はばっさりと切り捨てた。
「……まぁそうなんですけどね。色々と課題も見つかったからなぁ。まずは採掘の負担を減らせるようにピッケルを強化せんと。
外の本によれば、孔雀石(マラカイト)でピッケルをグレードアップさせられるとか何とか、書いてあったっけ」
「今日使った『マジックポーション』や『冷凍カエル』、『病気平癒守』も補充しないとなぁ。
しばらくはキノコ採集やチルノ・早苗狩りに明け暮れることになりそうだぜ」
しかしそれを聞いても二人の顔色は晴れず、今後のことで悩み始める。
一応当事者である私は、そんな二人を見て慌てて口を開いた。
「えっと……私も何か手伝おうか?」
「うにゃ、お前はいいから身体を直すことに専念してくれ。お前も実際に体験したとおり、採掘ってのは結構体力使うからな」
「あ、うん。そうだね」
「まぁ今はどうせ下準備で忙しくなるだろうから、休む時間はたっぷりあるだろう」
「じゃあその間に両生類の神様と地底に下りて、うつほには色々言い含めておこうかねぇ。
うわぁ、私達にゃ休みはないかも」
「あんまり無理はしないでよ? 私が直るのだって結構かかると思うから」
会話を交わすうち、自分達は最初に比べて随分とフランクになったなぁ、と改めて思った。
すると黙って私達のやり取りを聞いていた永琳が魔理沙に話を振ってくる。
「そうそう。魔理沙、この前貴女に頼まれていたことだけど」
「ん? 何かあったっけ」
「ほら、私達を次の宴会に誘うついでに言ったじゃないの」
「……あー」
すると急に魔理沙は後頭部をわしゃわしゃと掻きむしり、目線をあちこちへ動かし始めた。
その落ち着きのなくなった魔理沙に、永琳は満面の笑顔で容赦なく告げる。
「その件、きっぱりとお断りするわ」
「あーっ!?」
「ちゃんと自分で伝えなさい。きっと大丈夫だから」
そして櫛を止めた後、私の両肩に手を置いた。
不思議に思って後ろを振り返ろうとしたが、その前に魔理沙が咳払いをしながら近付いてくる。
しかし目の前で立ち止まった後は私の顔を見つめ続けるだけで、一向に何かを口にする気配が見られない。
と、そんな魔理沙をにとりが茶化した。
「おい魔理沙、何をためらっているんだ? いつもみたいにさっさと言いなよ」
「うるさいな、改めて言うのは緊張するんだよ」
文句を返すことで弾みがついたのか、ようやく魔理沙は手を差し出しながら用件を伝えてきた。
「あーメディスン。今度博麗神社に妖怪を集めて宴会を開こうと思っていたんだが、どうだ? たまにはお前も顔を出してみないか?」
そういうことか。魔理沙は私に手ひどく断られた経験があったから、私と付き合いの深い永琳に宴会への招待を任せることにしたんだ。
本当にこの人間は、目的を果たすためなら諦めるということを知らず、あらゆる手段を利用し尽くすようだ。
呆れつつ、私は笑顔を曇らせた魔理沙の姿を思い出す。
そして自分の心の狭さが生み出してしまったその過ちを打ち消すために、今は精一杯の笑顔を浮かべて崩れかけの手を魔理沙の手と合わせる。
「いいわよ」
そして目の前に現れた表情を、しっかりと記憶に焼き付けた。
メディスンの能力解釈を、非常に分かり易く、スマートに見せて頂きました。
えーりんもしれっと可愛く、とても満足でした。
メディスンはもっと目立ってもいいのに……。
とても楽しく読ませて貰いました
ピッケルで採掘ってアレみたいだなーと思っていたらまさかのグレートw
お見事でした!
ワクワクしながら読み進めていきました。所々のアイテムにニヤニヤしてしまう。
メディスンをはじめ、各キャラがえらく輝いてますね。とても楽しかったです。
体に蝋を塗って雨をしのぐメディ・・・
官能的だ。
確かに毒ならメディスンの出番だよなぁ