Coolier - 新生・東方創想話

ひななゐロック 【悉皆成狒】

2014/07/25 17:53:50
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 自分に子供が出来ない事を、生まれた時から知ってます。

 天壌無窮の合間に、たった一人で生きていけるほど強くも無くて。
永遠と須臾の狭間を、誰かと共に居られるほど頑なでも無くて。
世界に無数に存在し、ただ一個体しか観察出来ない「わたし」は、ふわふわと漂いながら確率の何処かで暮らしています。

 生でも無く、死でも無い在り方で、しばらくの時間を過ごし。
ふと、「わたし」を必要とした人間たちが、新しい術を研究して居るのを見つけています。
腹を使って子を産むのでは無く、己のミームを外付けで記録する。それは、文字と呼ばれる物です。
「わたし」は、ひょっとすればそれで「わたし」を増やせるかも知れないと考えています。
寂しかったのかも知れません。あるいは単に、出来ない事があるのが気に食わなかったのかも。



 文字の研究を始めた事で、わたしは「過去」と「未来」を手に入れました。

 一つの事を、出来るわたしと出来ないわたしが居る。時間平面上に一人となった事で、わたしは今に生きるようになりました。
ただ、誰かにわたしを伝える事は非常に難航していて、その辺の生き物に試してみても簡単に発狂して死ぬのが当然でした。
こうなったら手っ取り早く賢そうな奴に伝えてみようと思い立ち、空狐を捕まえて試してみる事に。
我ながら、当時は無鉄砲だったと思います。挑発されたと受け取って、それに乗ってくる狐も狐だと思うけれど。

 わたしを伝えられた空狐は三日三晩熱を出して寝込み、目覚めた後一ヶ月間地面に意味の分からない絵を書き続けていたので、一度はああこいつも駄目だったかと思ったのですが、その後暫くして一枚の木簡を叩き付けるように差し出してきました。
そこには、無数の数式と図と証明完了の合図、そして最後に一文が書かれていました。

 「従って、彼の者を『隙間』と証明する」

 わたしが、客観性を手に入れた瞬間でした。



 そこからの生き方は、今とあまり変わった物では無いでしょう。

 鬼と友誼を結んでみたり、件の空狐が死する際、九尾になりたての若造を一人預かってみたり。
あるいは、明確な個人となった事で、死神や閻魔といった存在がこちらを付け狙うようになったり。
酒と友とを適度に楽しみながら、物騒ながらも充実した日々を過ごしたと思っています。

 ある日、死神の一団が「取引がある」と言って、私と九尾の暮らす庵へ出向いて来ました。

 塩をくれてやっても良かったのですが、まぁわんらわんらと湧く奴ら。
仕事を一つ手伝う位で今後友好的な挨拶を交わせるのなら、悪く無いかと思ったのです。
相手は死神すら死に誘うという特定エントロピー増大系の能力者で、確かに私とは非常に相性が宜しい物でした。
しかし、桜に取り憑かれ無数の死出の蝶を舞わせる娘を前に、あらゆるエネルギーもまた「殺されて」しまったのです。

 どうにかこちらの手勢も減っては居ないが、相手に届く攻撃も無い。
一日経ち、二日経ち、千日手になる覚悟もしていた所で、ふと人間の青年が紛れ込んできました。

 ……変わった事と言えば、その位。だけどあの時、急に娘は正気を取り戻して、己の首を小柄で突いた。
お陰でずいぶんあっさりと終ったわ。駄賃に死に惹かれた青年の魂を結び直してやって、さようなら。

 ただ、理解出来ないの事だけが"しゃく"だった。



 あの時はまだ、感情や欲望を「種の存続の為に進化させた機能」としてしか見ていなかったのよね。

 いや、ひょっとしたら、私はまだ本当に感情を理解している訳ではないのかも知れないけれど。
だって、種が個人である私には、本来必要のない機能だもの。
あの時なんじゃない? 私が、「子供」を……自分のミームを受け継ぐものを、作ってみたいと考えるようになったのは。
式は所詮、式だから。私が死んだ後には残らないしね。

 ……うん。幽々子と妖忌は、本当に良い観察対象だったわ。

 別に、それだけで付き合ってた訳でも無いと思うんだけど。そういう部分も、あったって話。
彼らを通して、私は人の不器用さを知っていった。感情が機能として不完全だって事もね。
それは多少煩わしくはあったけど、不愉快だとは決して思わなかったわ。今にして思えば、私も九尾も論理的過ぎたから。
感情のゆらぎを手に入れて、意見を衝突させる事も増えたけど……変化し続ける日々は一段と楽しくなった。



 そして、遂に私は「母」になるの。

 行き場をなくした妖怪達の世話をする代わり、私のミームをたっぷりと垂らして。
海の揺らめきから生命の誕生を待つように。結界を子宮代わりに、私は孕む。
そう、この幻想郷こそが私の胎盤。子供こそが、命の生まれてくる理由。
だから私は、命に代えてもこの幻想郷を守るの。だって私は、お母さんなんだから。

 子供は私が守るの、幻想郷を。絶対に、これが私の命だもの。
私は論理的だけど感情が分からないほど愚かじゃないわ。
母になるってこう言う事なのね、きっと。私の子は私が守る。私こそが。誰にも渡さない。
ええ、大好きよ、あなた達。だって私の子供たちでしょ?
私の子はどこ? 守らなければならないのに。
ねえ、あなたは私の子供?
守るべき子供はどこ?
ねえ、それは私の子よね。

 ちょうだい。





 ちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだいちょうだい。

 今度こそ私が、しっかり守るんだから。



 ◆◆ ◆◆


  1:ただ一本の剣のように ~ Defenders of the Faith


 虚空に穴が開いた時、凡その者がどのような反応をするだろうか。
心に巣食いだした怨霊塊をどうにか散らされ、虚ろながらもこの先の日々を暮らす為に動き出した誰彼の前。ぼどり、と粘ついた音を立てて「それ」は溢れ出す。

 「D……AM、N」
 「なんだ?」

 何にせよ、音が覆い尽くす中である。声を上げた事等、気付きもしなかった。
黒くぶよぶよした何かを灰か何かの塊であると勘違いして素通り出来たなら、それはそれで幸せだったろう。
だが彼は、突如空間から「滲み出した」それに興味をもって近づいてしまったのだ。

 「どうなってんだ、これ」

 まるで天井に出来た雨漏りの滲みを、空間に直接持ってきたような。
言語に表すのが難しいが、強いて言うならそんな感じだろうか。一度興味を持ってしまうと、不思議と目が離せない。これはヤバいと理性が言っているのに、完全に引き込まれてしまう。

 「あっ」

 気が付けば、自分でも何故そうしたのか分からない内に、虚空へと腕を伸ばしてしまった。
プチンとシャボン玉の膜が割れるような感触がして、空間に線が走ったと思ったのも束の間。

 「「「「「DAAAAAAAAAAAAAM!!」」」」」

 押し寄せるように噴き出してきた悪意の奔流に、彼は悲鳴を上げる事すら出来ず飲み込まれた。



 「DDD「DAAAA「AAAAMMMM!」MAAA「「AAM」AAAA!!」MM「MAAAAANM!」N「MAAAANMAAA!!」MMA「「AAAANN」MMMMAAAA!」AAADD「「DDAAAAA」AAAAAM」AAAA「MAAAAAMM!」NNNNN」」



 「何、がッ……起きている……!」

 突如、と言う他無いだろう。
何の前触れもなく、何の対策もなく。唐突に起きた「死者の津波」は、再び穢れし赤子の姿を取って、地底の街を押し潰した。
先程まで無邪気に再会を喜び合っていた母子が、今度こそ離すまいと手を繋ぎ逃げている。
何かを亡くしてぼんやりと佇むだけだった男が、迫り来る死の恐怖に感情を蘇らせて泣き叫ぶ。
聞くだけで脳が焼きそうな金切り声を上げ、我が物顔で這いずる数の十か、二十か。いいや、虚空に開いた穴のもっと奥を見れば、ひしめくように入り口を奪い合う姿が見て取れるようだ。
この数ですら、ほんの氷山の一角。尖兵でしか、ないという事実に、藍の平静も剥がれ落ちる。

 「終わったんじゃ無かったのか……!? 霊夢! おい、霊夢!」
 「……認めるしかないでしょう。カミが生じてから数百年。
  流された水子の魂を溜めに溜めて……たった『あれっぽっち』じゃあ、無かったって事を」
 「その通りです。そもそもが、龍神様が目を覚ます程の怨霊の塊。
  この数が本当の『ドレス』だとすれば、納得も出来ます」

 通りの向こう角から、憔悴した表情の永江衣玖が現れた。
体に巻き付けた羽衣は痛々しく破れ、もはや飛行具としての意味は成していないようである。
痛ましげな顔を浮かべるだけだった霊夢が、ほんの僅かに表情を変えた。

 「……その羽衣……」
 「少し、汚されてしまいまして」
 「今はそんな事は良い! カミの本隊にしては少ない事も、分かりきっていた!
  当然だ! 紫様が止めていたのだから! ……その、紫様はどうした!?」
 「失踪しました」
 「……ッ!」

 衣玖のボロになった襟元を、グイイと藍が引き寄せる。
顔を上げさせたその瞳に、堪えきれぬほどの涙がたたえられていて、ハッと息が止まる。

 「カミを抑えきる事に失敗し、幻想郷への侵攻を許さざるを得なかった、と。死神から閻魔様の伝言を聞いてきました」
 「……ぐ、う……本当、なのか……本当に、紫様が……」
 「幸い、カミの至上目的はある娘の魂。それが天に登った今、幻想郷中を脅かすような自体には成らないでしょう」
 「だが、それでは今の状況は……?」

 藍自身、尊敬し信頼する八雲紫が何らかの危機に晒されている事を、薄々分かってはいた。
そして……状況がこうなった以上、その安否は言うまでも無く。悲しみに暮れる時間すらも残されては居ないのだろう。

 「あの、赤子どもが地上に出る事は無い。怨念による汚染が酷いとして、地底全土は封鎖し幻想郷から切り離す。
  生き残っている地底の妖怪を連れ出せるだけ連れ出して、私達は避難……それで、いいのね」

 地底の太陽は既に消え、あれ程までに熱されていた筈の空気も、今はひやりとした物が漂っている。
そう呟いた霊夢の貌も、表情が消えた寒々しいものだった。
勇儀や萃香と言った鬼達は既に、救出できる者の救出に回っているだろう。幸いと言っていいものか、赤子達の動きは単調で、即座に命ある者を取り込もうと言う訳でも無いらしい。
だが、それが何時まで続くかも分からない。そんな最中、空を飛べる者すらどれだけ残っているかも分からない状況で、非戦闘員や負傷者を抱えての撤退戦……

 「……絶望的な道行きになるかもね」

 霊夢の冷たく細めた眼が、この先の道筋を暗示しているようですらあった。





 「ー――――……コホッ、ゴホッ!」
 「ヤマメちゃんッ!」

 カラカラに乾いた喉の奥から、悲鳴のような咳が出る。
ほのかに血の匂いすら混じる唾ごと水を飲みきって、ヤマメは空の水筒をバックヤードに投げ捨てた。

 「やめよう、もう十分だよ!」

 緑髪の釣瓶落としがベースの演奏もそこそこにヤマメへと駆け寄っていく。
無数の赤子から垂れ流される死気は容赦なく大気を汚染し、その下で叫び続けるとなれば、ヤマメの気力もまた普段のライブの何倍も削りとられているに違いない。

 「……演奏を、止めないで」
 「どうして、そんな……」
 「付き合わせて悪いけどさ。ここで止めたら、駄目なんだ。羨ましいって思ったんだよ」
 「何の事なのさ」

 黒谷ヤマメに、戦う力は無い。無論、人間や妖精と言った存在よりは強いとしても、一般妖怪の範疇でしか無い。
地底に太陽をぶち上げるような、デタラメな力があれば。こんなに足掻かなくても、済むかもしれないけれど。

 「私達は、ロックバンドだろ! 格好つけないで何するんだよ!
  Roll!(回せ!) Roll!(揺らせ!) Roll!(歌え!) そう、守るのさ!」
 「何を……街を!?」
 「『掟』だ! 『私達の掟』だ!」

 機械的な音と叫びを掠れさせ、再び音の渦の中にヤマメは飛び込む。

 ♪(全部の注目をあつめるんだ、残虐さに線を引いて)
 ♪(世界中に証明してやれ、我らが大地を支配する!)

 その中にこそ、自らの全てが有るんだと言わんばかりに。だが地底全てに響かせるほどには声量は足りず、理想には程遠い。
限界と言う名の化物が顔を覗かせて、こちらの意思を凍りつかせるべく視線を送る。その全てを跳ね除けるような強さは、ヤマメには無いとしても。

 ――歌うことは出来る。

 ♪(私達ゃ本気だ)

 ――歩くことは出来る!

 ♪(どんなモンにだって耐え切ってやる)

 ――私達はまだ、"そいつ"の足元にすら辿り着いちゃ居ないんだから……!

 ♪(私達は――)





 「「「「「D――――――AAAAAMMMNNN」」」」」

 「ヤマメェー――ッ!!」


 ゾクリ、と全身が怖気だって。ちっぽけな背中を押し潰す為に、再び化け物が立ち上がったのが見えた。





 「馬鹿め、と言ってやれ」
 「……馬鹿?」
 「ちょ、私に言うのかよ! 違うでしょ、あっち、あっち!」
 「ふざけてる場合じゃ無いって事よ! ったく、そっちの調子はどう?」
 「はい、充填完了! 落としても失くしても居ませんよ、フルパワーで打てます!」
 「当たり前だご主人様。この状況で宝塔を落としてみろ、説教程度じゃ済まされないぞ」
 「オーキードーキー! 何時でもやれますよ、姐さん!」
 「ええ……理解されず、地底に押し込められていた妖怪達を救う事こそ我らが本懐。
  最初は手を結べずとも、きたる時の対話の為に! いざ、レイディアントトレジャーキャノン、発射――!」
 「往、生、しやがれぇー――ッ!!」



 「やれやれ、あっちは賑やかだねぇ」
 「ご心配要りませんぞ太子様! この我が三人分は騒いで見せますゆえ!」
 「うるさい、気持ち悪い、地獄に落ちろ」
 「そんな、ひどい……」
 「まあまあ、焦るものではないさ。その様が美しくあれば、人は自ずと付いてくるものだ」
 「妖怪ですけどね」
 「やかましいぞ大根足! 太子様が話をしておるのだ、大人しく静聴せんか!」
 「誰のせいだと思ってんだ茄子頭! 烏帽子ごと浅漬けっぞ!」
 「はっはっは……まぁ、とは言え今回我らは端役だ。そう悲観する物では無いとは言え、多少は目立たなくてはな。
  さて、行くわよ二人共! 徳の心にて、悪しき空間を断つ――名付けて、承詔必慎剣!」
 「やぁぁぁってやんよッ!」
 「我におまかせを!」





 光条。
加速する爆発的圧力をもって場を制圧した二つの法の光は、その輝きで地底のあまねくを照らし穢れを貫いた。
ヤマメの目の前に零れ落ちた三階大の赤子から、上半身を消し飛ばされて断末魔が上がる。

 「こん……どは、何さッ……」

 風圧に負けてたたらを踏み、ヤマメは悔しげに腕で目を覆った。
宝塔と宝刀、それぞれの宝から生み出された偉大なる聖徳が、絡みあうように直進し穢れの中に道を拓く。

 「鳥か……?」
 「妖怪か?」
 「いや、宝船だ!」

 その道の中を、ゴウンゴウンと煮え立つような動力音を立てて悠々と往くのは、ガヤの叫ぶ通り飛行する船であった。
キラキラと小判の如き黄金の輝きを残し、中央のなるべく平坦な場所に着陸した聖輦船から、尼僧と道士が競い合って降りてくる。

 「あんた達……!」

 今度こそ、霊夢の表情が――ぽかんとした――驚愕の物に変わった。

 「やあ、苦戦しているようだね」
 「一人でも多くの命を救うために、容れ物が居るのでしょう? この通り、少し手狭では有りますけどね」
 「いったい何時の間に、あいのりする程仲良くなったのよ……
  うん、でも正直助かったわ。聖輦船なら怪我人も老人や子供も運び出せる!」

 眼前にそびえ立つ帆船を見上げ、次第に喜色へと変わっていく。
寺兼宝船及び仏宝戦艦「聖輦船」の主である金紫髪の尼僧――聖白蓮がにこやかに、己の頬に手を当てる。

 「ふふ、まさか霊夢さんからお礼を言われる日が来るなんて……ああ、これも御仏のお導きですわ」
 「やれやれ、そんな揺り籠を守る苦労もいたわって貰いたい物だが」
 「……来てくれと頼んだ覚えはございませんけど……そうですね、お茶漬け位なら食べていかれます?」
 「おいおい、この寺じゃ客人にそんな料理を食べさせるのかい? 穀物は要らないよ、代わりに鯛を乗せよう」
 「……あーはいはい、あんた達変わってないわ」

 幻想郷における道教の支配者、豊聡耳神子と笑顔のままで火花を散らし合っているのを見て、霊夢は呆れて溜め息を吐いた。
そして、再び表情を険しい物へと変える。

 「有り難いんだけど、根本的状況は変わってないわ。
  今のですらここに居る奴らの三分の一をトバしただけに過ぎないし、全体からすれば微々たる量よ」
 「それは困ったな。それなりに全力のつもりだったんだが」
 「乗せられるだけを聖輦船に詰め込んで、まずは撤退。……ほんとに、苦々しいけどね。
  しかし、どうしてここに来ようと思ったの? あれだけの地震、地上だって混乱してるでしょうに」
 「地の底から怨霊を含んだ煙が吐き出されて、既に地上では地下で何かが起こった……と想定されて居たのですよ。
  元より地底はムラサや一輪達が世話になった土地……その一大事を、見逃せる筈もございません」
 「それだけじゃないでしょ? それじゃ疑心は抱いても確信は持てないわ。
  下手したら全て地底の仕業だと疑われてもおかしく無い」

 言い方は悪いが、地底で何かが起きていると発想出来ても、地上をほっぽり出して向かっては里の人々からの心象は悪いだろう。
下手に信用が有るだけに、自分たちも余裕が無い時に別の相手を優先されただけで人は「裏切られた」と思いを抱くものだ。

 霊夢の質問に聖は答えず、そっと視線を聖輦船の帆先へと向けた。
その先端に足を掛けるようにして、一人の男が燃えたつ街を見下ろしている。
いや、正確には乾いた血の黒に染まり、呆けたように少女の死体を抱き続ける古明地さとりを。その腕の中を。

 「見える……」

 周囲を飛行する半霊の表面に、黒々しい末期の顔が浮かび上がっては消えていく。その度に半霊は痛々しくのたうち回るのだが、当の男はまるで気にしていないようであった。
奇妙といえば、その両眼も奇妙である。右目は普段通りの白眼黒瞳で有るにも関わらず、左目は暗紫の眼に白色の瞳を浮かび上がらせて、その眼で腸の零れた死体を睨み続ける。

 「見えるぞ、比那名居天子。貴様にこびりついた因果の糸だ。
  所詮己れ達は定命に非ず、死で全てが分かたれるならば己れがこの場に居る筈もない。
  這い上がって来い、娘。貴様の役はまだ終わっておらん。道化のように死んでいる場合では無いぞ――!」

 誰とも無しに呟いて、人鬼はくるりと踵を返した。
名を囁かれた天子の骸は、顔を青白く染めて眠るように目を閉じる。
さとりの涙が一粒落ちて、唇の隙間にするりと入り込んだ。


 ◆


 ――バシッ。


 両側から照らされる光束を浴びて、天子は眩しそうに目を細めた。
左右にはフードで顔を隠したいけ好かない書記官が控え、せっかちに筆を動かしている。
目の前を木の柵に塞がれたこの場所は、証言台の上だろうか?

 「こんばんは、閻魔様」
 「……」

 返事は無い。嗚呼、此処は冥府の裁判所。
弁護席は無く、検察席も必要無く、その全てを裁判長が暴き白黒付ける。そういう所だ。
正面に構える四季映姫は、まさしく仏頂面で冗談から天子の事を睨みつけていた。
上段に座る四季映姫は動かない。小槌を振るう事も無く、ただ天子に冷たい瞳を向けていた。

 「……早く始めないの?」
 「……」
 「……」

 空間を満たす沈黙に、天子の表情に苛立ちが募る。若干だが、書記官達も戸惑っているようであった。
不意に、映姫が剣先の如き眼を閉じる。その重い口を開いて、墨のような言葉が漏れた。

 「先ず、私人としての言葉をお詫びしたい」
 「……」
 「比那名居天子。貴方は、これで満足しているのですか」

 天子の眉が苦々しく歪む。

 「……満足して無かったら、どうだって言うの」
 「……いえ……」
 「"ごっこ遊び"は、終わりなんでしょ」

 フン、と鼻を鳴らして、天子は柵の手すりに肘をついた。
背もたれの長い、裁判長の椅子に座る四季映姫を、不機嫌さを隠そうともせずに見上げる。

 「それとも、駄々をこねれば生き返らせてくれるのかしら?」
 「いいえ、そんな事は出来かねます」
 「でしょうとも」

 それっきり、天子は改めて姿勢を正して、何かを言うつもりは無いようだった。
四季映姫もまた、暫くの間沈黙し、やがてゆっくりと小槌を持ち上げる。

 「それでは、比那名居天子の審議を初めます」

 甲高い槌の音が法廷の中に響く。やや小柄な閻魔の身体から真っ直ぐな声が伸び、鼓膜を震わせた。
沙汰は既に分かっている。罪も罰も磔にされて、まだ何か必要なのかと天子は皮肉気に笑う――





 「助けは来てる! 走れ! 飛べる奴は歩けないのを背負え!」

 悲痛な声で母を探しながら、地底の建物をなぎ倒す赤子達。
その足元で、星熊勇儀が持ち前の大声を轟かせながら、逃げ惑う地底の民を誘導する。

 「おかーさん! 痛いよおかーさぁん!」
 「我慢しなさい! 早く走って!」

 恐怖に表情を歪めた母と、引かれる腕の痛みに泣く子供が赤子の目の前をすり抜けて通る。
燃え燻った家屋の一つが音を立てて崩れ、先程来たばかりの道を塞いだ。
運悪く目に止まったのか、それとも他に何か惹かれる物があったのかは分からないが、穢れの赤子はふと、この何処にでも居る親子に目を付けたようであった。

 「あうっ」

 運悪く、手を引かれていた子供の草履の尾が切れたのだろう、灰が散る大地の上にこてりと転ぶ。
母親が掴んでいた腕を離してしまった事に気付き、とっさに子供の方を振り返って――向かってくる赤子に、絶望の目を向けた。

 「あ……」

 何と声を出そうとしたのだろうか。喉に突っかかったまま出て来なかった言葉は、永遠に放つタイミングを逸してしまった。
灰で顔を汚して泣きべそをかく子供を押し潰そうと、赤子の掌の影が重なる。
ぶじゅり。低級の魂ならば一瞬で穢し壊す怨念の塊の下、土煙が上がった。


 「「「MAAAAAAM!! MAAAッ……」」」


 涙で滲んだ視界が晴れる。命を摘み取る掌の下、金色のオーラに身を包み、尼僧が一人立っていた。
手首を切り落とされ、うめき声を上げる赤子の額に金のエネルギー光を放つ独鈷杵が突き刺さる。
それを握る者は、掌を支えていたはずの件の尼僧であった。いつの間に分身をしたのかと、母親が目を擦り再びその尼を見る。

 「……汝らの魂、最早涅槃へは行き難し。せめて閻魔の裁きを受け、輪廻転生へと戻りなさい」

 冷たい言葉とは裏腹に、慈愛に満ちた口調で尼僧は赤子に向かい、声をかけた。
その声からは、本気で哀れみ悲しんでいるだろう事が伺える。街を、民を破壊し尽くす魂に向かってさえも。

 「いざ、南無三――!」

 そこからの動きは、とても母親の目に追える物ではなかった。
ほんの数瞬の内に幾重にも金閃が煌き、気付いた時には赤子は十七に分割された状態で声ならぬ声を上げていた。
その尽くが、黒い霧となって周囲に霧散していく。母子には知る由もないが、これこそが聖白蓮である。

 「……あ、ありがとうございます……! 本当に、なんとお礼を言ったらいいか……」

 独鈷杵を構え、残心を行っていた聖へ、母親が腰を深く折り頭を下げる。

 「いえ……知慧の手本を見せる者として、当然の事をしたまでです。
  何より、危険の全てを排除できた訳では有りません。聖輦船まで、どうかお気をつけて」
 「はい……ほら、お前も手を合わせて!」
 「……ぐすっ」

 地べたから這い上がりぐずる子供に向かって、聖はしゃがみ込み、優しく目線を合わせた。

 「ねえ……おねえさん」
 「はい、どうかしました?」
 「街、なくなっちゃうの? わたしたち、どうなっちゃうの……?」

 そう嘆く顔は、妖怪である事を差し引いても幼い。きっとこの街で生まれ育った子なのだろう。
だとすれば故郷を失う恐怖は……初めてのものに違いない。故郷。その言葉は、聖白蓮にすら苦い響きをもって沈む。

 「……大丈夫よ。星熊さんも、あなたのお母さんも皆、一度故郷を失って――そして、新しくやり直せたんだから。
  きっと貴方にだって、何時か立ち上がって……新しい芽を育てる時が来るわ」
 「みんな、ないの……?」
 「そう……幻想郷に住まう者は、皆」

 柔らかな頬に伝う涙を拭い、やがて背を押して進ませる。
走る母子を見送って、聖は比較的しっかりとした塀と屋根を蹴り飛び、再び聖輦船の甲板へと戻った。
聖白蓮には家族が居た。そして今は居ない。代わりに、自分を慕う者達がそこに居る。
誰も彼も、癖のある人物ではあるが――だからこそ、日々は楽しい。本当は、そう思っても行けないのかも知れないけれど。


 「「「DAAAAAAA――M」」」


 また一つ、虚空から穢れの胚が零れ落ち、産声を上げる。
深く地底に巣食っていた者よりも多少は散らしやすいとは言え、こうも数があっては……と、聖が逡巡した時であった。

 「どういう事だッ!!」

 地を唸らせるような怒りの声が上がり、壁が酷く音を鳴らす。
ビリビリと周囲を震わせる怒気を身に浴びて、聖は首を軽くかしげた。
声の主――あの九尾の八雲藍が、これ程までに声を荒げる事態が想像できなかったからである。


 ◆


 ――比那名居天子の裁判は、ただ粛々と進んでいた。

 「己の無知のままに緋想の剣を盗み、自からの死を企んだ罪を認めますか」
 「はい」
 「仏宝を相応しくない相手に向け、乱用した罪を認めますか」
 「はい」

 書記官が綴る筆記の音、そして時折混ざる小槌の音以外は、四季映姫の声と天子の返答だけがその場の全てである。

 「……では」

 コホン、と笏の裏で小さく咳をして、裁判長は天子に視線を向ける。

 「徒に世に執着し、三宝を……仏を蔑ろにしたと、ご自分で認めますか」
 「……」

 即答は、しない。

 「神を崇めず、仏に祈らず。天人の世で、法を悟る努力をせず生きてきた……その、罪を認めますか」

 閻魔の声は、極めて事務的で平坦であった。その双眸の裏に何を隠していようと、書記官如きに悟られない程度には。
天子は、暫くの間その黒く輝く瞳で四季映姫を睨み付け。そして、初めて反抗的とも取れる言葉を発す。

 「……認めない」
 「では、貴方なりに仏を敬い立てていたと、そう言うのですね」
 「いいえ。苦しみから仏法を学ばなければいけない事、その義務を私は認めない。
  人の世で、人が苦しみを除こうと行動したさまを、積み重ねの結果を罪だなんて言われたくない!」

 先程まで大人しかった比那名居天子が、急に唾を飛ばして喚き散らす。その豹変ぶりに、書記官達がざわめいた。

 「御仏は確かに色即是空であると言ったわ。だけどそれは慰めの言葉だった筈!
  死を悼んで動けなくなってしまった人への、お許しの言葉だった筈でしょう!?
  色即是空『と考えなければならない』なんて、アンタ達の勝手な理屈じゃない!
  人の執着を叱る程、恋い焦がれた思いを罪だと断じれる程、いつからそんなに偉くなったッ!」

 「静粛に! 審議中ですよ、比那名居天子!」

 「天で暮らし、地に落ちて、私はそれを確信した。
  アンタ達が語る快楽よりも、苦しみに塗れて探す事の方がずっと面白かった!
  仏様が言っていた言葉は、今生の楽しみを捨て来世に備えろと言う命令じゃない。
  『今が苦しくて堪らないのなら、良い事をして来世に期待するのも良いですよ』と道を教えるだけの言葉だったのよ!」

 閻魔の静止の言葉すら、虚しく響く。怒髪天となった天子が、腕を振り回して叫び続ける。

 「私は認めない。例え何を言われようと、執着という罪だけは認めない。
  人には己の信念を定める自由がある! 法の光に縛られぬ自由がッ! それが、"己を決める"と言う事でしょう!?」

 カン、カン、カン。甲高い小槌の音が三回響いて、ざわめく裁判所内を黙らせる。
一気に肺の空気を吐き出した事で荒く息を吸う天子を、地獄の閻魔が冷たい眼光で見下ろす。

 「……さとりの小娘から受けた好意が、それ程までに大事ですか」
 「るっさいわね。どうせ転生なんてしないんだから、言いたい事ぶちまけただけよ」
 「その件についてですが……場合によっては、意味が無いかも知れません」
 「なんですって?」

 裁判長の椅子を降り、つかつかと笏を構えて四季映姫が段を降りる。
あからさまに声こそ上げないが、異例の所業に書記官達も混乱している様子であった。
と、天子が考えた時――ほんの一瞬の出来事である。映姫が構えていた笏が書記官二人の後頭部にめり込んで、書記官達はフードの下でくぐもった声を上げ白目を剥く。

 「ちょっ……!?」
 「……悔悟の棒は罪に応じて威力が上がる物。
  一瞬で昏倒させる程の威力があるとすれば、それだけ私腹を肥やしてきたのでしょう。嘆かわしい事に」

 涼しい表情で、映姫は驚愕する天子の方へと振り向いた。

 「腐敗は我々が把握していたよりも遥かに早く、根深く進行している。認めなければなりませんね」
 「あ、アンタ、一体何を……」
 「ついて来て下さい。貴方に会いたがっている人物が居ます」――





 聖輦船、船内。

 「お前……お前が付いていながら……何故そうも、みすみすと……!」

 金色の九尾が、ざわりと揺らめく。
蜃気楼のように周囲の光すらも歪めながら、藍は牙を剥いて怒鳴った。

 「紫様がカミに呑まれたとはどういう事だ! 人鬼ッ!」
 「どうもこうも無いわい。そのままの意味だ」

 暗紫の眼をギョロつかせ、面倒そうに壮年の剣士は答える。

 「幾万の怨霊を飲み込み、さしもの八雲紫も悪食が過ぎた所を狙い打たれた。
  あっさり意思が混濁した所を見ると、存外、同族嫌悪だったと見える」
 「分かっているぞ、貴様のその左目! 他ならぬ紫様の力だろう!?
  それで何だ!? なんだその言い草はぁッ!」

 人鬼は胸元を捻り上げる手を面倒臭そうに一瞥し、激昂し牙を見せる藍にゾッとするような目を向けた。

 「何だ、だと?
  八雲紫は常人の手に届かぬ位置で思考を重ねこの世全てを測る賢者である、とでも答えれば満足なのか?」
 「貴様……」
 「馬鹿な事を。アレは所詮、生命の股から産まれなかったと言うだけの女だ。
  で、あれば失敗の一つや二つ、してもなんらおかしい事もあるまい」
 「だがお前は、その時の為に連れて行かれた式だろうが!」
 「式は道具だ」

 藍の顔が痛みに歪む。掴みかかった手首を、万力のような握力で握り返されているのだ。
生半可な妖怪では傷も付けられぬ腕がミシミシと軋み、握りしめた拳が段々と解けていく。

 「それとも、我らが主は己の失敗を道具に押し付けるような俗物か?」
 「……ぐ……あっ……」
 「……退け。お前の自尊心に付き合ってやれる時間はそう無い」

 そして遂に、指が男の襟元から離れる。
跳ね除けられて低い姿勢を取る藍の視線が、立ち去ろうとする人鬼の背中を見送った。
その途中、ふと、一呼吸する内だけ足が止まる。乾いた唇が、僅かに動く。

 「何? ……何を考えている。お前は、紫様は、何を」
 「……寝ても覚めても女の事よ。いみじくも、浅ましくも」

 ――DAAAAAAAAAAAAAAMMMMMMMMMMMMMMN!!

 壁の向こう、僅かに離れた空間から、新たな嘆き声がビリビリと轟いた。
自らを嘲り笑いながら、人で在りつつも鬼の道を行く者は新しく産み落とされた穢れの方へと気を向けた。

 「だが……人鬼としてでは無く、魂魄妖忌としての責任を取る時は……来たのかも知れん」


 ◆


 怨嗟と大喝、時折悲鳴も混じった声が遠く聞こえる暗い空間に一人。
じっとりと冷え湿った空気の中、壁際で座り込む少女が居た。
それはかつて、地底の恐怖の中心であった者。今はただ、真新しい肉袋を抱えて苔のように光なき瞳で佇んでいる。

 自分を慕うペット達は、皆渋りながらも避難者をかき集める方へ回っていった。
そうさせたのは自分自身。本当は、分かっているのだ。こうしていてもどうにも成らない事くらい。本当は、本当は……
ただ、救いのない思考渦の中で、足が竦んでしまっただけで。動けなくなってしまっただけで。
もう少しだけ、こうして悲しみにだけ浸っていたい。その「もう少し」で、命が尽きるかも知れないとしても――


 「やぁ、お困りかな?」


 ふと、光が人影を映し出す。暗闇に切れ込みを入れ、さとりは目を細めて闖入者の方を向いた。

 「……何か御用ですか、聖徳の神子」
 「レディが一人沈んでいるのを放って置けるほど人で無くなったつもりも無い。
  どうかねお嬢さん、あちらでお茶でも――ああ、ああ失礼。冗談よ」

 胡乱な印象を与える中性的な声を使い分け、三つの目で強く睨まれながらも怯む様子すら無く、道士は古明地さとりの前に立つ。

 「まぁ、お節介を焼きに来たのは本当だ。君のペット達から、どうにも出来ないと頼まれてね……いやあ、愛されている」

 そう言って、含み笑いを漏らす道士には、決して悪しき感情が有るようでは無かったが――「人を信用させる事」を意識した立ち振る舞いは、過剰に行うと逆に胡散臭く見える物で。

 「……結構です。いえ、分かっています。分かっているので、放っておいて……」
 「『分かっている』? 何を?」

 耳のように突き立った特徴的な髪型がざわりと揺れて、その下に意地の悪い笑みが浮かんだ。
さとりの心に澱として溜まった憎しみが、瞳孔からこぼれ神子を貫く。

 「分かっていないだろう? 死者の魂が何処へ逝くのか、そしてどうなるのか。
  何故そうならなければ成らないのか。魂とは一体何なのか。死者はどうすれば安らぐのか。
  仏陀は何を祈り、阿弥陀如来は何を告げ、非想非非想天は何者の思想で、天の娘は何処へ帰依するのか……

  "分かってないから、死者を弔う事も出来ず膝を抱えて座っているしか無い"
  ……違うかい?」

 「……ッ!」

 さとりにとって、それは予想していない所からの図星であった。
さとりは、神仏を信じていない。当たり前ではある。己は妖怪であり、そして立場上多くの怨霊に触れていた。
己を悪人だと自覚していた内は「ああ、死んだらこの怨霊の一つに成り果てるのだろう」と薄々思っていただけに過ぎず……そしてその"経験則"は、現状木っ端微塵に砕かれてしまっているのである。
死者を弔う事は、死者と別れると言う事でも有る。離別が上手く出来ず引きずられた先に起きる痛ましい事件に、さとりは強い心当たりがあった。

 「でも……だからといって、何故、それを、貴方に」

 「それは勿論、"死と生を結び安心を与える為の道具"こそが宗教だからだ。
  死と言う暗闇に法の光を浴びせ、道を作り、別れの心構えをさせる事こそが原始に求められた宗教の役割だからだ!
  ……と、言う生臭い発言の方が君の好みに合うだろうしね。まぁ、尼僧には口が裂けても言えない言葉さ。
  その点私は"使う側"の理屈を心得ている……まさしく適材適所と言うわけ」

 妖しく悠々と笑いながら、豊聡耳神子は恐れる事無く古明地さとりの目を覗く。

 「道士の身とは言え、仮にも私は日ノ本に仏教を定着させた者だよ?
  そんじょそこらの僧ならば、仏教の土俵で説破してみせようじゃないか……
  さ、何でも聞いてみなさい?」
 「う……あ……」

 いざ質問をしようとすれば、「死者」と言う存在をどれほど理解していなかったのか思い知る。
どこか遠く、自分を客観視する自分が、これじゃあ動けなくなって当然だ、と毒を吐いた。
……ただ、怨霊に恐れられていたと言うだけで、何を分かった気になっていたのだろうか。
さとりは一つ呼吸をして、表に出る事無く荒ぶり続けていた心の内を、するすると解く。

 「……『彼女』は……無理を通して、私の元へ来たのです。
  そうすれば死ぬと解っていて……私の思いに、応えを告げる為だけに。

  『彼女』は、救われるのでしょうか。自ら死を選んだ事で、責め苦にあったりはしないのでしょうか。
  もし、私のせいなのだとしたら……私は、自分の愚かな心が許せなくなりそうで……」

 結局、それだけが気がかりなのだ。
唯でさえ、自らの為に死を選ばざるを得なかった天子が、さらにその事で罪に問われるのだとしたら?
さとりにとって、憎しみなど長年付き合ってきた友にも等しい。今、荒々しくこの心を苛んで居ても、いずれは消化され、鎮まっていく事が分かっている。
だけど、後悔だけは。後悔に塗り潰された心は、何年経とうが同じ色のままなのだ。
古明地さとりが比那名居天子を弔えぬとしたら、醜い後悔の行く果てが恐ろしいからだろう。

 「ふむ……ま、状況を全て知っている訳じゃないが……
  そう、それは言うなれば、焚き火に飛び込んだ兎の話に似ているな。
  本生譚……あるいは今昔物語集にも乗った、月の兎の話だ」

 曰く、有る所に猿、狐、カワウソ、兎が仲良く暮らしていたと言う。
彼らは「前世の行いが悪かったから今は畜生として生きているので、人の為に善行を積もう」としきりに話し合っていた。
ある時、乞食に扮した帝釈天に、カワウソは魚を、狐は人が食べ残した肉とチーズを、猿はマンゴーをもいで差し出した。
何も差し出す物の無い兎は、火をおこして貰い自ら飛び込んでいった、と言う話。

 「伝わるにつれて微妙な差異は有るけれど、まぁ概ねこのような物語だな。
  この兎は釈尊の前世であり、かように徳の高い因果があったからこそ偉大な人になれたのだ、と言う説法も有るくらいだ。
  もっとも、それは流石に仏陀と言う存在を『分かりやすい英雄』の偶像に置き換え過ぎだと思うが」
 「因果、応報……」
 「皮肉だね、『誰でも彼のようになれる』と言うのが仏の教えの根本だった筈なのに、
  教えを広く知らしめるため、様々な神を仏として取り込みながら仏陀は超人的な伝説をどんどん付与されていった。
  仏教などと一言で表しては居るが、内情は各々が好き勝手に解釈を組み立てていった理論のカオス塊だ。
  そう、ちょうどこの街のように」

 仏の教えを裏切り、不老不死を求めた聖徳道士はくつくつと笑う。
いや、彼女の言葉を借りれば、正しく「道具」として使い捨てた、と言う事なのだろうか。
最初から外交と内政の手札であり、信じてなど居なかった。であれば、裏切ったなどと言う言葉は相応しくない。

 「仏教的には自殺もまた殺生の内に入るだろうが、他者の為に自らの肉体を捨てるならば、それは"捨身"だ。
  自らを死に追いやるような苦行や即身仏といった行為も有るだろう?
  ま、私には理解できない文化だし、それにしては随分穢れた……あー失礼、血生臭い死に方の様だが」
 「……彼女は、仏になれたのですか……?」
 「閻魔の裁きなんて、結局は仏教の中に組み込まれた"システム"さ。
  あれこそ、死んでからの流れを分り易くし安心と信仰を蒐める為の、効率と利便さに囚われた『道具』に過ぎない。
  ……つまり、生者が何を信じるのも自由って事」

 説法と言うには、あまりに無責任な。だけど深い知識量に裏打ちされた、確かな言葉。
さとりは、先程まで一歩も動かなかった足が、不思議と軽くなっているのを感じた。
弔う事を、別れる事を、今なら出来そうだ、と。

 「……ありがとうございました」
 「なに、礼を言われるような事はしてないさ……さぁ、飛べるだけの体力は有るかい?
  無理なら無理と言っておくべきだよ。女の尊厳に関わる事だが……ひどい顔色なんでね」
 「いえ……大丈夫です。いざとなれば、ペット達も居ますから……」

 首を振り、血の巡りを取り戻した足でさとりは天子の遺体を抱えてて立ち上がった。
そのまま、歩き出そうと踏み出して……ふと、神子が眉を顰めているのに、気が付く。



 「おいおい、"それ"は置いていけよ。載せる場所なんて無いぞ」



 暖かさを取り戻したはずの身体が、再び凍り付いた。

 「……え?」
 「聖輦船は確かに大きいし、魔術的な要素で中はさらに広々としているけどね。流石に街一つを乗せるようには出来てない。
  ……船の中に死体置き場なんて用意されてるわけが無いだろう?」

 哀れそうに肩をすくめる神子を、さとりは淀んだ目で睨めつける。
冗談を言っている風では無い。ああ、そうだ、そんな事を冗談で言われてたまるものか。

 「現時点で既に、船の中は一杯一杯だ。五体満足で飛べる者はなるべく外に出して、少しでも隙間を整理してる状況だよ。
  ……そう、飛べる者なら誰でも外に出してる状況なんだ。
  それが例え、『本当に飛べるだけの襲いかかる怨霊に何の対処も出来ないような子供』であってもね」
 「……ッ!」

 光弾の一つも飛ばせないような子供が、船の中に居る怪我人を守るために、身を挺して怨霊から船をかばう。
あるいは船の中に、足をくじいた弟妹が居るのかも知れない。同じように身を盾にした母が居るのかも知れない。
だけどそれは、死の行軍だ。聖輦船無しよりは余程ましかも知れないが、絶望的である事に代わりはない。

 「……一度外に出た後、戻ってこれるのですよね?
  彼女の遺体を、陽の光の当たる場所に、戻してあげれるのですよね……?」

 震える声で、さとりは尋ねる。せめて、一抹の希望を託して。
だが無情にも神子は首を振った。沈痛な面持ちのまま、先程決まった事を告げる。

 「聖輦船が抱えられるだけ抱えて地上に戻った後。博麗の巫女の手により、急ぎ旧地獄は幻想郷から切り離される。
  ……こればかりは、決定事項だそうだ。私達も、幻想郷全土を危機に晒す事は出来ない」
 「そんなっ……置き去りにしろと言うんですか!?
  こんな、暗い、穢れに染まった場所に……彼女は、元は地底の住人ですら無いのに!
  たった一人……たった一人の身体を持って行くくらい……!」

 「死んだ骸が一人だけだと思っているのかッ!!」

 ビリビリと、喝を受けてさとりは肌を震わせる。
渦巻いていた憤りの火が消えて、冷えきった悲しみが頬を伝っていった。
ああ、そうだ、当然だ。自分がそう思うように……縁を弔ってやりたいと考える者が、いったいどれ程居るか。

 「でも、それでも……いいじゃ無いですか。今まで、ずっと嫌われ者をやってやって、その上でお空も、お燐も出したんだ。
  この位、ワガママを言う権利……私には有ったって……」
 「……ふむ。まぁ、それもそうかも知れないな。地霊殿の主なのだから、その位の権力はあって然るべきかもしれん。
  あまり良くは思われないだろうが……どうしてもと言うなら、交渉くらいはしてみたらどうだろう?」

 神子は、権力の使い方、使われ方を知っている。渋々とでは有るが、権利を振りかざすのならやむを得ないと認めたようだった。
熱くなった目頭を抑え、さとりは安堵の息を吐く。そして一際強く、天子の遺体を抱きしめて――


 ――『好きな人が出来たので、"怨霊も恐れ怯む少女"を辞めようと思います』

 ――『……人は皆、死んでからも何かを残す。死とは決して、全てが断絶された終わりではない』

 ――『アンタのこういう部分、全部ひっくるめて私が持って行ってあげるから……"今日"を無駄にしちゃ、駄目よ』



 ――『だから、また、人を好きになってね』


 「……あ」

 駄目、だ。
それでは何も変わらないと、気付いてしまった。
"地霊殿の主"として立場を利用していては、また、元に戻ってしまうのだと。

 比那名居天子なら、何と言うのだろう。
冷たい肌は、まるで陶器のようで。固く凍り付いて、もう何も言葉を放つ事は無い。
だけどさとりは、笑って「馬鹿ね、私に気を使ってどうすんのよ」と背中を叩く天子の声をハッキリと聞き取った。

 ドサリ、と。火焔猫燐の手で繕われた骸が、再び土の上に置かれる。

 「……一つだけ、聞かせて下さい。彼女の魂は……もう、此処には残っていないのですね?」
 「ああ、其処に有るのはただの肉体だ。眼であり、耳であり、鼻であり、舌と身体でしかない」
 「なら、良いです。……私が恋をしたのは、紛れも無く、あの人の思いだった筈だから」

 そんな彼女が、さとりを一人の女の子として扱ってくれたから。
古明地さとりは、他の何者でもない「古明地さとり」として生きていく事を決めたのだ。


 「さようなら、比那名居天子。……さよう、なら……ッ!」


 詰まる息を整えて、涙を払うように古明地さとりは振り向いた。
最早、弔いは済んだのだ。今、此処に至るまでに。


 ◆


 「怪我人の乗り込みは!?」
 「大分終わった! そろそろエンジンを温めといて!」

 甲板や船内を、命蓮寺住み込みの尼妖怪達がパタパタと駆けまわる。
尼と言っても袈裟を着ている訳でも無く、ただ単に「寺に住んで住職の修行に協力している」と言った程度では有るが。
それでも、聖の求心力は確かな物なのだろう。緊迫した状況下、混乱した住人達との間に大きなトラブルを起こす事も無く良く纏まっている。
その背景には、地霊異変が起きるまで地底に封じられていた者が、数人命蓮寺の中心人物として居るのも大きいのだろう。

 黒谷ヤマメは、その中の一室で仰向けに横たわっていた。顔色は悪く、しきりに小さな咳をしては隣に居る釣瓶落としに物憂げな視線を向けられる。
彼女が言うには、結局あの後緊張の糸が切れた事で気を失った所を運び込んだのだそうだ。そうでなければ、ヤマメは今でも歌い続けていただろう。地底の住人から穢れに魂引かれる「病」の糸を回収した事で、相当な負担がかかっているにも関わらず。

 「ヤマメちゃん、大丈夫?」
 「ゲホッ……こふ……あーうん、大丈夫。遥かに良いよ……」

 瘴気の中歌い続けていたせいか、脳内麻薬が切れれば後に残るのは引き裂かれたような喉の痛みであった。
実際無理をしすぎたかな、とヤマメは自分でも思う。後遺症が残らなければ良いのだが……しかし、彼処で引いてしまえば、自分は最早ロックンロールである事は出来ないだろう。
呼吸ですら苦しげにするヤマメの横に、簡素な使い捨てコップが差し出される。

 「やぁ、大変だったようだな。君達もこれを飲むといい」
 「こほ……ありがとう。これは?」
 「生姜湯だ。身体を冷やした者が多いからな。今、鍋を総出にして作っている」
 「……ん、おいし……」

 痛みに朦朧とした意識に、生姜の薬効と蜂蜜の甘さが有り難く染みた。
ふと気づけば、確かに随分と身体が冷えきっている。火事の熱気で汗が吹き出す程だったのに、これがシケの恐ろしさか。
呆けた視界の隅で、湯を配る灰色の小柄な背中が人混みに溶けていく。女中でも無いだろうにと考えた所で、急に意識が覚醒した。

 「あ! ……ゲホッ、ケホッ……!」
 「ヤ、ヤマメちゃん!? 駄目だよ、いきなり身体起こしたら。何、どうかしたの?」
 「……いや、やっぱ良い。忙しそうだし……」

 辺りを見回せば、自分と同じように簡素な寝床の上に何人も寝かされている。
見て分かる怪我人も居れば、精神が摩耗して動けなくなった者も居て、かの人物はその一人一人に丁寧に声をかける。
其処に割って入るのは、あまり行儀の良い事では無いだろう。

 「……あんまり無理しないでよ。ヤマメちゃんはもっと、こう、お気楽してた方がそれらしいんだから」
 「ひっどいなぁ。……うん、でも、そうする。私は私らしくで行くよ。私なりの『ロック』でさ」

 くすり、と笑いあった所で、部屋の外からバタバタと慌ただしい掛け声が聞こえた。

 「怪我人、また増えたよ! そっちの部屋開いてる!?」
 「ちょっと待ってくれ……最初、適当に放り込んだのが響いてるな、しまった……」

 どうも、空いた場所を探して駆け回っているらしい音を聞き、見舞い人は苦い笑みを浮かべる

 「……やっぱり、どこも大変みたい。それじゃあ私行くね?」
 「え、行くって……何処に?」
 「場所が足りないから……五体満足で飛べる奴は、外に出ないと。飛べない奴は、船の中で住職さん達の手伝い」
 「外って……あの化け物共、まだ増えてるんだろ!?」
 「だ、大丈夫だよ。聖って人も神子って人も、化け物みたいに強いんだから。ヤマメちゃんは安心して寝てて」
 「……気をつけてよ。あんた、そんなに戦闘力有る方じゃ無いんだし……」
 「まぁ、いざとなったら守ってもらうよ。じゃ、おやすみ」

 緑髪のツインテールを揺らし、釣瓶落としは退室していく。
ヤマメは急に周りが静かになった気がして、息を呑んだ。同室に寝かされた者のうめき声や啜り泣きが、嫌でも耳に入ってくる。

 「……安心して寝てて、か」

 とてもじゃないが、そんな気分にはなれそうにない。
パルスィやタロはどうなったのだろうか。今、船の何処かに居るのだろうか? あるいは、ひょっとして……?
何も出来る事が無いままに一度不安になると、思考を止める手段が無いのはどうしてだろう。
苦しい事、悲しい事を、歴史はどうやって乗り越えていったのか。

 「……"渇愛"を捨てれば苦しくなくなる、色即是空、か……」

 丁度この寺で一度だけ聞かされた、住職による説法は確かそんな内容だった筈だ。
だとすれば、知り合いの安否が気にかかるこの苦しみも、渇愛の中に入るのだろうか?


 「でも、そう……実際に何も出来る事が無いのに、苦しいだけなら……それは、祈る対象が欲しくなるかもなぁ……」


 この事件が一息ついたら、今度は少しだけ真面目に話を聞いても良いかもしれない、と。
再び痛みに朦朧としていく思考の中で、黒谷ヤマメはぽつぽつと考えた。





 消毒用アルコールと膿んだ血、そして様々な妖怪の臭いが混在する甲板の一角で、タロは膝を抱えていた。
弱視である彼女が誰の手も借りず動けるのは、住み慣れた地が精々である。
全く知らない場所、ましてや縦横無尽に人が行き来する混みあった室内を動き回る事など、出来る筈もない。
それでも犬神憑きである以上、病人扱いで船室に寝かせておく訳にも行かず、今は親代わりの水橋パルスィと一緒に甲板で聖輦船の再発進を待っていた。

 「……おかしいな、ジロ、どうしたんだろ……」

 タロと共に地底に流れ着いた、元盲導犬――数奇な運命から今は犬神となった相棒の事を考え、タロは深くため息を吐く。
どうも、あの穢れの赤子達が再び地底の街を襲いはじめてから、彼の存在が希薄なのだ。あの化け物のような獣性は鳴りを潜め、今はタロの意識の奥深くで眠るように牙を休めている。
今にも消えそうと言う訳では無いが、怨霊に取り憑かれ操られた地底の住人を荒々しく追い払った頃の力は出せそうに無い。

 「単純に、霊力不足なのよ。貴方は、特にそういった修行をしてきた訳でも無いのだし」

 白くフワフワな髪を撫で付けて、水橋パルスィは優しく笑みを浮かべた。
暖かな掌の感触に、タロも思わず目を細める。

 「むしろ、良いことだわ。変に力が有るから前に出て行く、なんて馬鹿な事をするのだもの」
 「……けど、お姉ちゃん。あたし……」
 「お願い。もう、私を安心させてよ」

 ぎゅっ、と少し痛みを感じる位にパルスィはタロを抱きしめた。
あるいは、ジロを調伏する時に付いた傷の幻痛を、思い出したのかもしれない。
初めて故郷を失う子供が、びいびいと泣いている。自分が思ったよりも悲しくならない事に、タロは僅かな痛みを覚える。

 「……お姉ちゃんは、良いの?」
 「どうせ、何処に行ったって鼻つまみものだもの。……どこか他人から離れた所に暮らすのは変わらないわ」
 「そうじゃなくて……空、飛べるから。離れ離れになっちゃうなって」
 「勿論、ワガママを言えるなら言いたいけれど……嫉妬するのは好きでも、嫉妬されるのは慣れてないわ」

 タロを我が子のように掻き抱いたまま、パルスィは地底の街に我が物顔で居座る穢れの赤子達を眺める。
大分、足元を通る生存者も居なくなったのか。殆どが呆けて無人の廃墟を見回し、中にはどっかりと腰を下ろした個体も居る。
もともと、問題は大きさと数である。今もまた、虚空に穴が開いたと思うとそこから這い出るように新たな赤子が生まれた。

 「それに……どうせアレは、力でどうにかなるような物じゃないもの。
  捧げ物をして、なんとか『どうにかなって貰う』よう頼み込む類の……そういう、もの」

 即ち、それこそがカミの原型。一度散らしたように見えても、それこそ未練を断たない限り他の赤子にくっついて産まれるだけでしか無い。
パルスィが、いや、例え他の誰であれ何をした所で、向こうは構いすらしないのだ。それこそ、神や仏で無い限り。
その赤子も、中枢からの命令が無ければ精々嫉妬のままに生命ある他者を襲うくらいの知能しか無いだろう。
勿論、その行動が脅威な訳でも有るが……

 「MAAAAAANMAAAAAA――……」

 虚空を見上げて泣き出す赤子を見れば、その動作だけは相応の物に思えるかもしれない。
絶対的なスケールの大きさと、肌の表面に浮かび上がる苦悶の顔という禍々しさの問題さえ無ければだが。

 「DAAAA――」「MAAAAAM」「NNNN」「AAA――N」

 声が、聞こえる。地底の天と地に反響し、禍々しい詞歌(チャント)となって響く。
彼らは……見た通りの、赤子なのだろう。善も悪も、その元となる言葉も、概念すらも学ばないまま、死んでしまった。
ただ自分も"生きて"みたかったと、無垢なままに、嫉妬を抱えて肥大化した……

 「……あたしも、もしお姉ちゃんに拾われなかったら、ああなったのかな」
 「聞いちゃ駄目よ。共感しちゃ駄目。あなたは今、こうやって生きているんだから」
 「あたし、今まで自分の事を『どうして自分だけ弱いまま生まれたんだろう』ってずっと思ってました。
  それでも、『生まれなかった』よりは良い事なのかも知れないって……嫌な話だけど、あの子達を見て初めてそう思ってる」

 また一人、虚空が割れて、そこから穢れに塗れた赤子が生まれ落ちる。
けれど、汚れなかった赤子など、生まれた時から母の血を浴びなかった赤子など、果たして何処に居ると言うのか?
血と垢に塗れて泣きじゃくるから、赤子は「赤子」だと言うのに。


 「『生まれた』事と『生まれなかった』事の紙一重に理由が有るとしたら……
  それって一体、誰のせいなのかな」


 その答えが、帰ってくる事は無かった。代わりに、チリリとタロのこめかみに痛みが奔る。
一呼吸の後、突如上下に揺れ動く地の底に沢山の者が慄いた。
地底を騒がす"なゐ"は、まるで槌に叩かれた時のようにその上下震動を段々と大きくしていく。

 「これ……自然の揺れじゃないわ……!」
 「……ひょっとして、また……?」

 ぐらぐらと言う言葉すら生温く、吊るし丸太が揺れてゴンゴンと辺りを打ちのめす。
トラウマを負った多くが喚き立てる混乱の中、それを鎮めるために正気を保つ者が駆けまわる。
すわ最悪の事態まで想像していたが、幸いにもある程度の所で揺れは収まり再びシンと冷え切った空間へと戻っていった。

 「……しんどいわね、これは。皆の心が死んでいくのが分かる。正気の者も、いつまで正気でいれるか。
  下手に狭い所に纏まった分……弱気は、一気に伝播するわ」
 「お姉ちゃん……」
 「私は元々悪心に関する妖怪だもの。なに、まだ大丈夫よ……まだ、ね」

 現在の状況は、ほぼ動きの中心人物達のカリスマだけでもっていると言ってもいい。
尼僧の言葉から安心を、道士の言葉から勇気を、そして二人の鬼の言葉からは誇りを受け取って、どうにか地底の住人達は精神の均衡を保っている。

 保っている? いいや、他者からの恩恵を当てにしている時点で、それは保っているとなど言わない筈だ。
穴の空いた盆に水を注ぎ続ければ、盆に入っている水量は変わらないと言っていい物だろうか?
より大きな穴が開けば。あるいは、注ぎ込む水が止まってしまえば……?

 「ねえ、タロ。地上に付いたら、美味しいお茶とお団子でも食べましょう?」
 「お茶? ……蒲公英の奴?」
 「いいえ、透き通った緑の、ちゃんとお茶の葉で入れたお茶よ……」

 気にした所で、自分に何が出来る訳でもない。パルスィは首をふり、なるべく明るい事を口に出した。
要らぬ心配で恐怖するなど、それこそ盆に穴を開ける行為であるからして。

 「……ねえ、お姉ちゃん」
 「なあに、タロ?」
 「あいつらの事が、怖く無いの? 妬ましく無いの? お姉ちゃん、嫉妬の妖怪なんでしょう?」
 「そうね。はっきり言って、そんな気持ちは一切無いわ。あなたの事が、心配ではあるけれど」
 「どうして?」

 震える手が、背中に回る。
パルスィは、数秒の間言うべき事を考え、笑みを浮かべてこう告げた。


 「既に、こちらを妬むしか無い奴を妬み返したって、ちっとも勝った気がしないでしょう?」


 ◆


 「今すぐ出発するべきだな」

 わざとらしく笏を口元に寄せ、豊聡耳神子は目を伏せる。
その後片目を開き、大仰な仕草でその場に居る全員の面子に順番に目を合わせた。
博麗の巫女、九尾の狐、超人尼僧、二人の鬼、そして半霊剣士。古明地さとりは辞退。とりあえずは、これが現在の代表者といって良いか。

 「以前の例から言って、先程起こった"なゐ"はカミが本格的に雪崩れ込みにかかる前兆だろう。
  で、あればこそ、我々は危険に呑まれる前に民達を脱出させねばならない義務がある。
  怪我人や飛べない者はおおかた収容したのだろう?」
 「『おおかた』です! 全てでは無い!」

 急遽用意された卓を叩き、尼僧――聖白蓮が反論の声を上げた。

 「後少し……後少しで良いんです、せめて、今集まってきた者達を全て収容するまで」
 「君にも分かりやすい喩え話をして上げよう。我々は何だ? そう、『蜘蛛の糸』だ。
  細い希望を辿るカンダタが、後ろを振り返って大量のお荷物をぶら下げてるのを見た時、どうしたかね?
  ……あれと同じだ、他人の力に縋って助かるしか無い者は、逆に自分以外の『荷物』には減って貰う方が良い。
  耳を閉じていても聞こえてくるようだよ、船に乗った者の『早くしろ、早くしろ』と言う欲が……ね」
 「しかし、此処には私が居る、貴方が居る、霊夢さんまで居るのでしょう? ならば早々千切れるような糸では無い。
  救いを求めて手を伸ばした者の手を振り払ったとあっては、永遠に信頼など得られるわけが……!」
 「そう信じさせられるだけの積み重ねが我々には無いんだ!」

 気炎を吐く聖に対し、神子は冷めた目で首を振る。これに関しては、両者のスタンスの違いがハッキリと分かれていた。
「これを機に地底の妖怪達とも融和を進めたい」聖に対し、神子の目的は「分かりやすい美談作り」である。
神子の目的の方が俗に聞こえるかも知れないが、聖もまた、正しく現実を見据えては居ない。
呉越同舟。船頭多くして船山に登る。彼女達のどちらかを一方的に非難する事は簡単だ。だが、どちらが正しいと言う事もない。どちらも打算的と言えばそうであるし、人道に基づいた考えでもある。

 とにかく、場は地震を凶兆と見て即刻退避を勧める神子と、怪我人全員の収容が終了するまでは船を出したく無いと主張する聖で真っ二つに分かれているのが現状だ。
純粋に政治的な立ち回りと話術では聖は神子に一つ二つ空けられて然るべきなのだが、あくまで聖輦船は寺の物である以上神子も強引に話を進める事は出来ない。故の硬直状態であった。


 「……良いよ、もう良い。十分だ」


 その裂け目に、どぷんと水が掛けられる。
腕を組み、目を閉じて。たった一言で、その場を"鬼"が支配した。

 「勘違いして貰っちゃ困る。今、この場で責任を追うべき奴は誰だ? 一番、皆を背負うべき奴は誰だ?
  ……私だ。この街の治安をしょってきた星熊勇儀様だ。
  よそ者にケツまで持って貰おうってのが、そもそも間違ってんだよ」

 苦しみを、怒りを、不甲斐なさを噛み締め……地の底から響く、鬼の声。
星熊勇儀は、奮える目で口角泡を飛ばす二人をギロリと睨めつけた。

 「違います、決してそんなつもりでは……」
 「ああ、いいさ、分かってる。こんなとこまで船持ってきてくれてな、感謝もしてる……
  だが、これに関しちゃ私達の街、私達の仲間の事だ。私が決める、私が責任を取る、それだけのことさ。
  ……おい、文句は有るか?」

 特に長く目を合わせられ、神子は軽く肩をすくめる。
そのまま上品な仕草でゆっくりと腰を下ろすと、またぞろわざとらしく心配そうな顔をして、勇儀に問う。

 「その、『責任を負う』と言うのは……
  当然、地底の民から吹き上がる不満不平を、一身に背負ってくれると言う事で良いだろうね?」
 「ああそうさ。あいつらの行く末を、上の奴等なんかに任せちゃおけねえ、いや、任せちゃいけねえ。
  だから私が全て受け取るさ。慣れちゃ居ないが言葉を尽くすし、殴らせろってんなら黙って殴られてやる」

 小さく溜息。

 「経験則からの忠告だが……『誰にも不満が出ないよう上手くやれる』と言う幻想を抱いているなら、捨てた方がいい。
  民は皆当然のように、不満をぶつける権利が自分にはあると考えているよ?」
 「それこそ、舐めんじゃねえよ。『不向きだ』って事が分かる位には、私だってやってんだ。
  ああそうさ、私ゃ確かに政治ってタマじゃ無いだろう。
  事実、誰か一人に『嫌われ役』を全部任せてどうにかこうにかやれていた程度の三流だ。

  そいつが、自分から頭を下げて『もう辞めたい』って言ってきたんだよ。頭を下げるべきはこっちだってのにな。
  だったら! そいつがやって来た事の一つや二つくらい背負ってやんなきゃ、女が廃るだろうが!」

 ドン、と机が大きくしなり、上に置かれた簡易茶碗が大きく宙に浮いた。星熊勇儀が、無造作に拳を叩きつけたのだ。

 「良いな!? 私が決めるぞ。例えどうなろうと文句は私に向けて持ってこい。
  ……じゃあ、二人以外も意見を出してくれ。無いなら無いで構わない。決めるのは私だからな」

 勇儀は改めて周囲を見回し、急ごしらえの椅子の上にどっかりと座り込む。
そして宗教家同士で舌戦する中、一人片肘をついていた博麗の巫女に話を投げた。

 「霊夢はどうだ。お得意の勘とやらは」
 「あのねえ、博霊の勘は別に万能の予知能力でも無ければ占術でも無いわけ。わかる?
  でもまぁ、そうね。ざわざわするのは治まらないけど、地震の前と後で特別変わったって事は無いわよ」
 「個人的にはどっちの話を支持するんだ?」
 「別に、どっちでも。こんな場所でちんたらしていたくは無いけど、何もかも放り投げて一目散なのもどうかと思うし?」

 平たく言えば中道だと言外に滲ませ、霊夢は再び目を閉じる。
細く開いた口からは、深い呼吸の音が漏れ聞こえた。彼女自身、熱気にかなり当てられた上での大立ち回りを幾つもこなしたのだ。
単純に、悩むのも面倒な程に疲れているのかも知れない。幾ら加護が有るとはいえ、肉体はただの少女のそれである。

 「まあ、分かった。八雲の、あんたはどうだい」
 「……基本的に霊夢と同じで構いません。必要な事なら彼女は間違えないので」

 要は、霊夢がどっちでも良いと言っている内はどちらでも対して変わりはないだろう、と言う意見。
八雲藍は普段ならば自分から積極的に方針を打ち出す者であるため、これはかなり意外であった。
ならば、先程から話を取り繕う事すらせず考えているのは、何か別の事であると言う事か。
内容をこちらに明かしてくれるかはともかく、どうせ面倒臭い事なのだろうと勇儀は顔を顰める。

 「……ですが」
 「何か?」
 「ですが、そう。恐慌を起こした民に喰われたくないなら、ある程度『先』を見せて置く事です。
  そう、少なくとも、貴方がこれから為政者の真似事を始めるのであれば」
 「……ありがたくて涙が出るね」

 要は、自分が責任を負うと宣言するまではままごと程度にも見られてなかったという事だ。
勇儀はそれもそうか、と自嘲した。今まで自分がやってきた事と言えば対処療法が精々であり、言うなれば人望のある現場責任者レベルでしか無かったのだろう。どれだけ鬼が強かろうと、それが自警団という組織の限界だ。

 「翁はどうだい」
 「興味が無いな」
 「……また、ばっさりだねえ」

 まあ勇儀自身、最初から当てにはしていなかったが……それにしても。

 「己れはどうせこの地底に残る。やり残した用事が有るんでな。
  ……つまり、貴様達がいつこの場を飛び立とうが、己れには一切関係が無い」
 「あーはいはい」

 まあ、足ついでとは言え救援を連れて来てくれたのだから、十分過ぎるだろう。
溜め息をつき、勇儀は最後に己の隣に座るもう一人の鬼へと視線を向ける。

 「どうする、助けたいか」
 「……」
 「四半刻だ。……多分、その位が限度だろうな」
 「では?」
 「四半刻で、出来る限りの怪我人や女子供をかき入れてくれ。
  ……私達も、出来る限り助けたい。助かりたいんだ」
 「分かりました。寺の者全てに伝えます。ここぞ、功徳を積むべき場所であると」

 結論が出たのならば、最早一刻も惜しいと言わんばかりに聖が席を立つ。
背もたれに身体を乗せ、星熊勇儀は重く息を吐く。

 「先を見せるってのは……こう言う事で良いんだろうかね」
 「ま、妥当な所だろう。そうと決まったのなら、微力を尽くすよ」

 相も変わらず、胡散臭い程に爽やかな笑みを浮かべ、聖徳道士もまた退室していった。
不機嫌そうに鼻を鳴らし、人鬼が。眠そうな霊夢を支えながら、藍もまた去っていく。
後には、二人だけが残る。二本の角と、一本の角。

 「……助けたい、なぁ」
 「ああ」
 「だが、助ける為に、見捨てなきゃならんかも知れん」
 「そうだな……」
 「今更になって、思い知るよ。あんな小さな背中に、一体何を放り投げてたのか。
  どれだけの事を、無責任に思い続けてたのか」

 肩を怒らせ、青筋が立つ程に拳を握りしめたその背中の、なんと小さい事だろう。
自分で「柄じゃ無い」と笑う友人の背を、萃香はそっと撫でる。

 「どっかに庵立てて、隠居でもしなきゃならなくなるかもなぁ。……そん時は」
 「私が、代わりに背負うよ。代わりばんこになって、背負って行こう」

 どちらかが疲れたのなら、どちらかがおぶってやればいい。
自然に、そう思える友人が戻ってきてくれた。だからこそ、正しいと思う事が出来る。


 「ああ、それだけで、私は幸せ者だ。たったそれだけで、私のなんと恵まれている事か」


 古明地さとりがそっと下ろした荷物は、自分達でも運ぶ事が出来る。
だが、その古明地さとり自身を、誰が運ぶ事が出来るのだろう。さとりを慕うペットの誰かか?
あるいは……あんなにも熱く恋を囁いた、名も知らぬ誰かなのだろうか。


 ◆


 窓は無く、壁際を僅かに照らしているだけの薄暗い廊下に足音を響かせ、四季映姫は進んでいく。
僅かに居心地が悪そうに、天子は辺りを見渡した。行き来する者に露見するのではないか(そもそも閻魔の指示だとしても)と思い怯えたが、どうやらここを通る者は、二人の他に居ないらしい。
映姫は、「会いたがっている人物がいる」と言っていた。是非曲直庁での顔見知りと言えば思い当たる所が蹴散らしてきた死神達くらいしか居ないので、さてはお礼参りかと不安げに視線を揺らす。

 「ねえ、ちょっと。何処まで歩くのよ」
 「さて。私もあまり、こちらまでは来ないので」
 「な、なにそれ。大丈夫な訳? こんな場所で迷子とか、ほんと洒落にならないわよ」
 「仮にも職場ですから、そこまで心配される謂れは有りませんよ」

 四季映姫イコール閻魔大王があまり足を運ばない場所。はたして、一体どこに連れて行かれるのだろう。
何にせよ、裁判中に法廷を抜け出すと言うのは天子の知識から外れた事態だ。まったく、マニュアルなんぞ現実には役に立たないと思い知らせてくれる。

 「私、輪廻から外されちゃうのよね」
 「そうなるかどうかは定かでは有りません。これから決まります」
 「……」

 なんだかこう、妙に投げやりになってるかのような言いっぷり。
そう言えば、法廷を離れてずんずん奥へと進んでいっている気がするのだけれど。

 「ひょっとして、これから会う人がそれを決めるわけ?」
 「そうです」
 「……なに、ほんと誰と会うのよ。閻魔様より決定権を持ってるですって?
  一審飛び越して最高裁じゃ無いの、どういう事なの……」

 口に出してみた所で、嫌な予感しかしない。
天子が苦々しく眉を顰めた時、ふと、前を行く四季映姫が足を止めた。

 「そうも気が乗らないならば、心の準備をしておきますか」
 「……準備、ね。一体何を準備すればいいのかしら」
 「これから、幾つかの質問を投げようと思います。判決に影響の有る事では有りませんが、少し考えてみれば宜しいかと」

 質問? 天子は首を傾げる。罪人を裁く閻魔であれば、心の内などお見通しである筈なのに。
だとすればさては、今まで考えた事も無いような突飛な質問が飛んでくるのだろうか。
考えた事が無いならば、幾ら心の内を覗こうと答えが帰ってくる理由がない。答えの予測ならば出来るかもしれないとしても。

 「……よし、良いわよ。お願いするわ」
 「では、先ず……『貴方は何故、仏教に帰依したのですか?』」
 「……は?」

 一体どんな禅問答めいた問いが出されるのだろうと構えていただけに、肩透かしを食らったような気分だった。
それこそ、聞くまでも無く鏡に映せば終わる話だろうに。嫌な事を掘り返されて、天子はごしごしと側頭部を擦る。

 「決まってんでしょ。家の都合よ。親が天人になったから」
 「それは『天人になった理由』です。『仏の言葉を信条に置いた理由』では無い」
 「うっ……」
 「確かに、天界に住むには良く徳を積み厳しい修行を乗り越える必要がある、と言われています。
  けれどその実態は貴方も知る通り。であれば、天人だからと言って仏の教えに帰依する必然なんてどこにもない。
  そのまま、放蕩天人としてぶらぶらとしていれば良いのです。
  『だけど貴方は、挫折したにしろ一度は仏道を良く学んだ』……さて、その心は?」

 心ときたか。天子は自らの心の内に爪をつきたて、その内を探る。
痛みこそ伴うものの、その程度ならば自問自答した範疇だ。伊達に心の内を読んでくる相手と関係を築いては居ない。

 「……そうすれば、仲間に入れて貰えると思ったから」
 「ほう?」
 「そうよ、寂しかったの。周りは皆大人ばかりで、お父様も構ってくれなくて。
  勉強をすれば、褒めてもらえると思った。いずれはあの輪の中に入れて貰えると思った。……それだけよ」

 今にして思えば、苦い思い違いだ。
結局私は馬鹿にされる立場から動くことは出来ず、新参者の、不良の小娘であり続ける内にぽっきりと折れてしまった。
天界を見限った事に後悔は無い。だが、あんなでも愛してくれていたと知った父親へ何も伝えられなかった事だけは、僅かな心残りとして残っている。

 「成る程成る程。ですが、回答としては零点です」
 「……はあ!?」
 「私が質問したのは、『仏教に帰依した理由』だ。『仏の事を学び始めた理由』じゃない。
  幾ら知識としてあった所で、それを実践しようとしなければ言葉は所詮言葉のまま、知恵にはならぬ。
  もっと言うならば、貴方は『天人を見限ってからも仏教徒であった』。
  何時でも諳んじる事が出来るほどに心に戒を握りしめ、仏の言葉こそ宝であると信じていた。
  さあ、考えろ比那名居天子。貴方は仏教の『何』を信じたのか?」
 「何、を……」

 天人になったのは、家の都合があったから。
仏の言葉を学び始めたのは、天の輪の中に入りたかったから。
……閻魔が問うのは、その先。廃墟となった思い出の奥に眠る、一本の柱。
「今まで考えもしなかった」と言うのは決して間違いでは無かった。瓦礫の痛みに顔をしかめ、知らず知らずのうちに避けていた道の根本へと。


 「…………『犀の角のようにただ独り歩め』」


 「スッタニパータの特徴的な句ですね。それが?」
 「『一人でも構わない』と、そう言って貰えたのよ。はっきり言って、それ以外の言葉なんてその時はどうでも良かった。
  ただ、彼処に乗っている言葉が『友を見つけ歩むべし』だったなら……私は、その時点で諦めていたと思う」

 話す相手が欲しかった。溢れかえる思いを、こぼさないように歩く事はとても辛い事だった。
ましてや、未だ子供だったのだ。甘える事も泣く事も許されず、感情を悪として否定される毎日は嫌だった。

 「書物を読んでいれば、時間が過ぎた。少しでも、辛い事を忘れていられた。
  心の中の、未熟な妄想だとしても構わない。あの時の私には、私に向かって声をかけてくれる存在が必要だったの!」
 「……それが、釈迦牟尼仏であった、と?」
 「そう、なんだと思う。……自分でも、呆れるような理由だけど。
  一人でいる苦しみを、孤独である悲しみを、『仕方のない事だ』と……そう、受け止めてもらえた」

 信仰が芽生えたとすれば、きっとそこからだ。
燻るような永い孤独に、狂わずに居られたのも「あんな物は苦しみだから」と……そう、言い聞かせて来れたからだろう。

 「『友が居る事こそ最高である』と言いたいのならば、貴方はその救いを否定しなければならない」

 四季映姫の言う事は、最もである。さとりとの縁は、散々苦しんだ先に掴み取った、確かに価値のある物だ。
だが、今は捨てた仏の言葉にも……自分でも意識しない内に確かに一度救われている。

 「考える事です。今の貴方ならば、その時の貴方にどんな言葉を送るのか」
 「……今の、私なら……」
 「さあ、心の準備は出来ましたね? 着きましたよ。答えは、彼の人に向かって告げればいい」

 考えながら歩いている内に、いつの間にか目的地へと到着したようだった。
ゴクリ、と天子は思わずつばを飲む。どういうつもりで、閻魔は「心の準備」をつけさせたのか。それも良く分からない。
ぎいいと軋んだ音を立てて扉が開く。思わず、眩しさに目を細める――





 「……?」

 何も、無い。
床も、壁も、空も、果ても……一切が感じられない"白"の世界。
四季映姫に促されるままに、天子は部屋とも言えぬような空間に一歩踏み出す。

 「何かしら、ここ」

 不思議と、不安は感じられない。むしろ安らぎすら感じると言うか……禅めいた心地の良い虚無感が有る。

 「三昧(瞑想)の為の部屋かしら」

 景観的には似ても似つかないが、感覚的には天界のそれと近い気がするのだ。

 「そのような物です。もっとも、ここで止観(心を乱さず己の心の内を観察する事)するべきなのは貴方ですが」
 「はぁ? ちょっと、何よ……反省房って事? 誰か居るんじゃなかったの?」
 「居ますよ。今も"其処"に」

 真顔で語る閻魔からは、嘘を言ったような気配もない。
まあ、この公明正大が服を着た女が嘘を付く、と言うのも想像しがたくは有るが。

 「まあ、語りかけて貰う為にも色々と手続きが必要な訳です」
 「"手続き"ねえ……」
 「それとも、しっぺいが要りますか?」
 「馬鹿にしないでよ。腐っても元天人……だなんて、あんまり言いたくないけどさ」

 適当に扉から数歩進んだところで、どっしりと天子は腰を据えた。
流石はと言うべきか、四季映姫の目から見ても堂に入った常坐である。

 ――心を、静めて……

 禅を組む等、何年ぶりだろうか。
此処に至るまでに千切れきった思考は、収めようと思ってすぐに収まるものでもない。
焦らず、「空」である事にすら執着せず。息を吸い、吐くがままに、一つ一つ受け入れていく。

 ――昔っから、こういうのは苦手だったのよね。

 神秘に生きながら、神秘を得ず。ああ、矢張り私は不良に過ぎないのだと幾度思ったことか。
その焦りが無意識に邪魔をしていたのだと、今更になって気付く。
目を閉じれば、後悔が私を殺しに来る。それもまた、受け入れなければならないのだろう。

 ――さて、一体誰が待っているのかしら……

 それは恐らくは、本来「こうでもしなければ会えないお人」なのだ。
元とは言え非想非非想天の住人が、心を静めなければ会う事も許されないようなお方。
予想がつかない訳では無い。だが、会ってどうすれば良い……?


 そして目を瞑り、口をへの字に縫い付けてしばらく。

 「見えたわ、ぼんやりとだけど」

 不意に、姿勢を崩さないまま天子は呟いた。
成る程、確かに閻魔の言う通り、部屋の中心……木の影に一人、淡く輝く"光明ある方"が座しているのが分かる。

 「怒りも喜びもしていませんね……まあ、そうで無くては困るのですが」
 「……そりゃあ、言いたい事は沢山有りますけど」

 坐によるものか、それともこの空間がもたらす影響か。
ある程度は予想していたと言うのも有り、不思議と驚きは起こらない。
ただ、さざめく湖の如く、畏れ多いと言う気持ちだけが、波を作り出す。

 「その前に、お話とは何なのですか。この、穢れ尽くした不出来な身に、何をお説きになるつもりですか」

 そう問いかける先は、どれ程離れているのだろうか。
ほんの数歩のような気もするし、百里進んでもなお届かない気も起きる。
黙しながら待っていると、ようやくかのお方より声が聞こえてきた。

 『……そなたが比那名居天子であるか』
 「はい。光明の方よ、一体いかなる理由で、この身をお呼びなされたのか」
 『成る程。十分である』
 「は?」

 何の答えにもなっていない気がして、天子は瞼を開き、眉を潜める。

 「十分とは」
 『六道よりの解脱を許す。先ずは預流向となるが良い』
 「なっ……」
 『何を驚いている? 最早六道輪廻に戻らぬ、と言う話はされていたのだろう。
  仏教において六道に戻らぬとは、つまり解脱に他なるまい』

 預流向(よるこう)。預流果、つまり至れば確実に涅槃へ不退転を得る境地を目指す、"権利を持つ"者。言ってしまえば、天人より一つ上の位だ。
だが預流向となっても、すぐに六界から去れる訳ではない。ならば普通の人間や天人と何も違わないかと言えば、そうでも無い。
天子の記憶では、預流向となった者からは全ての因縁が断たれ、真っ白となった状態で生まれ直す事になる筈。
それでも仏の道を志し、入滅を疑問に思う事無ければ預流果を得ていずれは涅槃入りが確約される訳だ。

 だが、魂滅の、あるいは事態解決まで封印される覚悟すら決めていたと言うのに、まさか解脱とは。
だから、わざわざ一見しに来たのか? 本当に自分にそんな資格が? 様々な疑問符が、天子の上に点灯する。

 「……どうして、今更になって」
 『推挙があった故である』
 「どうして、私なのですか。何故、天に顔を出してくれなかったのですか。
  最早自分たちは見捨てられたのだ、と仏に祈る事すら忘れた彼らを、何故――!」
 『六道に生まれた以上、末期には死の苦しみから逃れられぬ』

 下へ向いた顔を歪める天子に、動じる事無く"光明ある方"は話す。

 『どうあっても苦しみから逃れられぬと分かれば、いずれ思い出すであろう』

 そう言い切る声に、一切の感情は無い。
血の滲む程に下唇を噛み締めて、天子は涙を堪える。肌の色が際立った膝に、己の爪が食い込んでいく。

 「ッ……!」
 『迷っておるのか。よい、そなたが背負いし葛藤、ここで下ろして行く事を許す』

 "光明ある方"はそうとだけ言い残し、今にもこの場から消え失せるようであった。
すう、と遠のいて行く感覚に、慌てて天子が手を伸ばす。

 「待って下さい! 葛藤を……因縁を置いていけと!?」
 『何か?』
 「因果は必ず帰ってくる筈! 私がここで悪因を置いて行ったら、悪果は……報いは、誰が受けると言うのですか!?」

 そう、因果は「切り離され」るのだ。それは消滅する訳ではなく、別の何処かで結びつき、応える。
その結果は地底の全てだけでは無く、幻想郷中が受ける事になるのかも知れない。
あるいは……天子の脳裏に、一人の少女が浮かぶ。互いに唾を交わした、あの濃紫の髪が。

 『そなたの気にするべき事では非ず』
 「違うッ! 私は、全て片付けに来たんだ! その為なら七度地獄道に落とされようと、この魂が消えようと!
  私と、私の家族の問題を、これ以上迷惑をかけない内に終わらせるために来たんだッ!
  私一人のうのうと助かりに来たのでは無いッ!!」

 ぐっと拳を握り込み、天子は立ち上がる。
無限にも遠く感じられた距離は、踏み出してみれば四季映姫の静止もかからぬ内に肉薄できる程度であった。


 「馬鹿に、するなぁッ!!」


 あらん限りの力を込めて、ぼんやりと輝くヒトガタを殴りつける。
やってしまった、と言う気持ちと共に、自分を取り戻したかのようなどこかスッとした感覚がある。

 『何をしている?』
 「……私はやっぱり、怒りもすれば悲しみもする、天人落伍の不良娘よ。
  馬鹿にした奴はぶん殴ると、アイツの前で言ったのよ!」

 じんじんと痛む拳を、緩く開いて、もう一度握り締めた。

 「延々ハンコを押すだけの機械に、『上手にできました』なんて花丸貰って喜ぶような性根もしていないッ!」
 『だが、既に決まった事であるぞ』
 「……やっぱりアンタ別モンだわ。権限の上に雰囲気だけ乗せたハリボテよ。
  私が一度信じた"光明"は、決まりきった事を言うだけしか能の無い奴じゃない。
  渇愛を捨てる事を悟りながら、誰かに話しかけるのを止められなかった血の通った人間だった筈!
  自分の業を誰かに押し付ける事を良しとするようなお人じゃあ、無い!」

 吐き捨てて、天子は空間の出口へと踵を返す。
やや焦ったような口調で、ヒトガタは口も開かずに居た映姫に指示を出した。

 『おい、止めぬのか。悪行である』
 「……さて、戒に逆らえぬ身の上、どうしようか悩んでいたのです。
  なにせ、解脱を断った挙句殴りつけるなど前代未聞過ぎて、記憶するどのような戒律にも記されていないので」

 仕方ない仕方ないと首を振り、ようやっと映姫も立ち上がる。
人影が白の空間ごと溶けるようにして消えていく。本当に、ここまでやるとは思わなかったと、暗闇の中独りごちた。





 走れ、走れ、走れ。
無人の廊下に風を切り、あらん限りに走れと天子は自らに命ずる。
死神たちが追いついて来れば、この身はあっさりと取り押さえられてしまうだろう。
いや、死神を待つ必要も無い。あの場で直接凶行を見ていた四季映姫が来れば、それで終わりだ。

 「でもッ……!」

 逃げて行く場所が有るわけでもない。
それでも、がむしゃらに何処かへ向かうのを止められなかった。
この胸に刻まれた失望を、涙を、誰かに見られるなど耐えられた物ではない。


 「おぉーいッ! 誰か来てくれ! 乱心者だ!」


 向こうから男の声が響いてきて、驚いて天子は足を止めた。
だが、よくよく観察すると自分の事では無いらしい。喧騒は、数区画先の方から聞こえてくる。
辺りに気取られぬよう気を付けながら角に隠れて聞くに、一人の男が局員の静止を振り払って乗り込んできたらしい。

 「えぇい、退けいッ! 娘に会わせろと言っている!」
 「そ、それは出来ん! この先は、関係者以外立ち入り禁止……ぐおっ!」

 騒ぎはずんずんと近づいて、遂に角を挟んで向こうまで辿り着いたようだった。
男は三人の死神に囲まれ、流石に苦労しているらしい。道は一つしか無いので、これでは迂回する事も出来ない。
少しだけ顔を出して見てみれば、こちらに向かって着ている鼠顔の男に、どこと無く見覚えが有る気がした。
いや、どこと無くどころでは無い。何ということか、もう二度と見る事も無いだろうと思っていたのに。

 「お父様……!?」

 どうしてこんな所に、と驚く暇も無い様だ。
一人をなんとか振り払う男の背中へ、死神が鎌を振りかぶる。
調度良く、振りかぶっている死神は天子に背中を向けている格好で。
やれるのかと逡巡する間もなく、要石を伸ばす要領で天子は手に石刀を作り出す。
幸いというべきか、先程の瞑想でこの程度に使えるくらいには霊力も補われていた。

 「せいっ!」
 「がッ……」

 油断していた後頭部を、石刀で力いっぱいに殴りつけられ死神は白目を剥く。
男も、そして最後の一人も驚きに目を見張っているが、天子は混乱から立ち直る暇を与えず死神の脇腹に石刀を叩き込んだ。
ついでに顎を思い切り蹴り上げてやれば、流石にひとたまりもない。大の字にひっくり返って、そのまま動かなくなった。

 「おお、天子……!」
 「お父様、こっちよ!」

 とにかく、こんな場所では落ち着いて話す事も出来ない。
久しぶりに握る父の手を引っ張りながら、天子と男は是非曲直庁を駆ける。

 「まったく、どうしてこんな所に!」
 「……西行寺のお嬢さんから、お前が彼岸で裁きを受けると聞いて、居ても立っても居られず……。
  ああ、だが、なんだ……予想していたより、ずっと元気で……」
 「……心配かけてごめん。お母様の事も、聞いたわ。私が、なんで天に連れて行かれたのかも」

 良く顔を見ると、全体的に記憶より痩せこけていた。
それだけ、心労をかけたのだろう。苦しみが無い筈の天界で、こんなにも。愛されていない訳が無かったのだ。

 「……憎くは、無いのか」
 「お父様の事? 馬鹿言わないで!」
 「違う、人間達の事だ。繰り返すなゐを誰かの仕業にし続けて、お前の母を化け物にした奴等の事だ。
  私は忘れられぬ。我々がどれ程手を差し伸べようと不平を鳴らし、文句を吐き、遂には……
  遂にはお前を、『祟り神への人柱』に捧げようとした奴等の事だ」
 「……そうね……だからお母様は、あんなにも苦しんで……」

 その憎しみを、恨みを、この男は生涯忘れられぬのであろう。
天人になってもなお。だから、天子を愛すると同時に恐れていた。天に有るまじき、苦しみを想起する者として。
今なら、その理屈が分かる。

 「……それでも、彼らもいずれ涅槃に入る身なのよ」
 「ああ……お前は、優しいなぁ……それに、美しい笑顔をするようになった。
  せめてこっちでは良い暮らしをさせてやろうと、その為に努力していた筈なのに、私は……」

 涙を流す父の背中を、天子は労る。
結局、そうやってすれ違い続けて居たのだろう。口に出してしまえば陳腐でしかない言葉。

 「預流向になれって言われてさ。ついぶん殴って、逃げて来ちゃった。
  私の家族の事を、私以外にひっかぶせて菩薩になれなんて……出来る訳が、無いもんね」
 「少々乱暴な所も、変わった訳では無いのだな……。
  しかし、預流向を……そうか」

 ふと、髪の天辺を掌で押さえつけられた。頭を撫でられる擽ったさに、天子は肩を竦める。
久しぶりにしっかりと見た父の背は、思い出よりも大分縮んで見えたが。

 「お前が、どんな道を選ぶにしろ……このくらいしか、私には用意してやれなかったが」

 そう言って父は、懐から飾り尾の付いた剣柄を取り出した。
天子には馴染みの深い、緋色の光を産む剣の柄。八雲紫に回収されたと思っていたけれど……

 「緋想の剣! どうして、お父様が」
 「天界に戻ってきたは良いものの、お前の事もあって流石に警備をしない訳にもいかんとなってな……
  丁度当番だったものだから、引っ掴んで持ってきてしまったよ。ハハ、これでお前と同罪と言う訳だ」
 「なんて事を……そんな事したら、お父様が」
 「良いんだ。元より、お前を守る為に天に入ったのだ。そこにお前が居ないのでは、私に未練も無い」
 「調子の良い事を言って、小心者の癖に」
 「手厳しいなあ、天子」

 差し出された黒い柄を、天子はぎゅっと握りしめる。
刃が出てくる訳では無いが、半身を取り戻したかのような不思議な安心感がある。

 「母さんの事に決着を付けるつもりなんだろう?」
 「そうだけど……具体的には、全然」
 「祈ると良い。お前は嫌がるかもしれんが、子供は大人の力を借りる事も必要なんだよ。
  お前の祈りが本当の物で有るなら、その剣はきっと……」
 「待ってお父様。……広い場所に出るわ」

 走っている内に随分と入り口付近まで戻ってきたようだ。
それでも誰かとすれ違いすらしないのは、やはり戒厳令下にあるからか。
だが、こっちには戻ってきた緋想の剣が有る。今の自分に使えるかはともかく、脅しとしてなら……

 決心し、剣の柄を握り、是非曲直庁のホールへと躍り出る。
予想通り進行方向を数人の死神が出てくるが、あえて方向転換なんぞ行わない。勢いのままに押し通る――!

 「どぉけぇぇぇッ!!」

 そのつもりだったのに、十歩踏み込んでもまるで死神達へ近寄る気配が無かった。
向こうが同じスピードで遠ざかっているのかと言えば、そうでもないのだ。確かに地を蹴っている筈なのに、まるで進めない。

 「これは……」

 この感触には思い至るものが有る。だが、そうこうしている間に、あっという間に周囲八方を取り囲まれてしまった。
辺りの死神集団からは、こちらを傷つける意思はまるで感じない。付かず離れずで、皆一様に「距離を保っている」。

 「……どうしましょうお父様。完全に"距離を取られた"わ」
 「こ、これが噂に聞く『距離を操る程度の能力』かい? なんとまあ……」

 せめて向こうが攻め気を見せてくれれば、それに乗じて近寄る事も出来るのだろうが。
追いかけてくる人数が居なかったのも、能力持ちの死神をこの場所に集めるためか。
今の天子には、一瞬で地球全土を回り切るようなインドファンタジー攻撃は無い。天子のように荒れていた訳でもなく、ゴマをすりながら暮らしていた父親にも、戦闘を期待するのは酷だろう。

 「名付けて、仙人掌の陣と言った所でしょうか」

 コツ、コツと足音が響き、天子達の後から四季映姫が追って来る。
天子は悔し気に表情を歪めたが、完全に八方を塞がれた「距離の牢獄」の前にはいかんともしがたく。

 「まあ釈迦如来様のそれほど規格外でも無いんで、筋斗雲とかあれば簡単に脱出出来るでしょうけど」
 「上手いこと言ったつもり? 結局拘束するために一度開放しなきゃならないんだから、まだワンチャン有るわよ」
 「私が此処に来た時点でかなり苦しいのは、わかっているでしょう?
  緋想の剣頼みにしても、貴方がそれを振るえないのは私が知っている」
 「馬鹿にして。アンタも一発要る?」
 「冷静な知識と正しい見解でしょうに」

 まるで氷のように怜悧な眼差しが、天子を突き刺した。周囲を取り囲む中に小町は居るのだろうか?
あわよくばサボってて欲しいと思いつつ、流石に其処までの間抜けでも無いか。

 「……アンタ、何が狙いなワケ? けしかけたかと思えば、こうして取り囲んだりなんかして」
 「私は私の仕事をするだけですよ。戒律に基づき、死者の罪を裁く」
 「そんで休日は説教旅って? 潤いの無い毎日だわ、婚期大丈夫?」
 「生憎、仏教徒は結婚しないんですよ。日本は色々例外だけど」

 言葉遊びにかまけながらも、天子の頭脳は逆転の策を探す。
だが、どれも没。思いつく物も、今の自分には出来るはずもない事ばかり。

 「まあ……貴方が自身の魂滅を願うと言うのなら、そう沙汰を出すのもやぶさかではありません。
  何せ、この是非曲直庁でお偉いさんを殴りつけたんですからね。それ一つで、ゲット不敬罪です」
 「それは……ッ」
 「それとも、祈りの時間くらい必要ですか?」
 「……祈れ。祈れですって? この私に?」

 三宝にではなく、剣にでは有るが。祈り、信じて都合の良い事が起きるなら、私はこんな風にはならなかっただろうに。

 「あるいは、偶然、都合良く、是非曲直庁を脱出できたとして――」

 けれど、もし応えてくれるのならば。築いてきた因果が、たった一つ奇跡を起こすのなら――



 「『貴方は、何をする気ですか?』」



 四季映姫の声に、一つ。何か別の声が、重なって聞こえてきた気がした。
そう。もし、全てが上手く行くのならば、私は。

 「……助けたいの」

 反射的に、口ずさむ。

 「全ての闇を照らすなんて言わない。自らを燃やし尽くして、無限に届く光になんかなりたくもない。
  ただ、夜道を静かに照らすような。道に迷った時に、目印にして戻ってこれるような。そんな"灯火"になりたい」

 我こそが英雄である、なんて思い切ってるわけじゃなく。
ただ隣に居る友の助けになりたいと言うのは、こうも大層な望みだったのだろうか。

 「日の光に照らされるのが気に入らないと言う奴は居る。
  夜の闇に包まれた方が安らぐと言う奴等は、確かに居るわ。
  でもそれは、全くの無明の中で生きていけると言う訳じゃない!
  ただ、疑り深くならざるを得なかったってだけの、普通の生命なのよ!」

 周囲の死神だけで無く、隣にいる父親までもがポカンと呆気にとられている。
関係無い。ほんの僅かな地底の"生"で、自分が学び取った全てをぶつければ良いだけだ。
救いたい物を救いに行くと、胸を張って告げるだけではないか。

 「例え私との縁がもう無かろうと、私がとても世話になった街があるの。
  例え記憶が奪われていようと、助けてやりたい奴等が居るの!
  それにッ! 子供の頃助けてやれなかった、お母様が来てるのよッ!!」

 別の生を始めるとしたら、己の因縁を片付けてからだと。
たったそれだけの話なのに、どうしてこうも大騒ぎしなければならないのだろう。


 「あいつら、絶対『自分で助かる』って言って聞かないから!
  だから、私も手助けしに行くのッ!!」


 祈りを込めて、緋想の剣を握りしめる。
これで何が変わるのかと、諦観しながら。これで何かが変わるだろうと、期待しながら。
大声を出しすぎたせいか、軽く喉が痛い。四季映姫が腕を組む。口を開く。

 「では、かつての貴方に何と声をかける?」

 来た。先程は答えられなかった問いに、今なら答えが出せる。

 「何も」
 「なんですって?」
 「知ったこっちゃ無いわよ! 私は別に、アンタ達自体を否定したい訳じゃない。
  『効率よく人を救うためのシステム』がどれだけ働いているかと言う事だって、ちゃんと分かってる。
  誰かの手で助かりたい誰かが居るんなら、そのままアンタ達が助けてやれば良いじゃない!」

 ただ、認めて欲しいだけなのだ。見ないふりをして、気付かないふりで黙認されたいのでは無く。
「お前達のやり方では私達が救われない」と声を上げた事を、無かった事には、して欲しくない。

 「『善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや』ッ!」
 「……ッ」
 「だったら私は、自ら望んで悪となろう。悪の中で、悪を救おう!
  あんた達が効率の為に切り捨てた、"手を伸ばさない者"の為に!


  『揺さぶれ、転がせ、他ならぬ自らの手で。誰かの救いを当てにして、それで苦しむ位なら』と!
  道標(かなめいし)になりに行こうじゃないッ!」


 それが、それこそが、"比那名居天子のロックンロール"で有るが故に。
天子は天に緋想の剣を突きつけて、獅子の如く吼えたてた。

 「さあ、私は望みを告げたぞ、緋想の剣よ!
  この想念、喰らい尽くしても構わない。何かが起きると言うなら、起こして見せろォォォッ!!」



 そしてその時。ほのかに雲が散る蒼穹の向こう、天高く登った日の光から、緋色の龍が降りてきた。



 ◆


 「ええい者ども、粘るのだ! 奴等を船に近づかせてはならん!」
 「わかってる! ……分かっちゃいるけど、こいつらっ……」

 押し寄せる穢れの波の圧力を受け、ジリジリと前線が後退していく。
空間に開いた隙間から産まれる怨念達は、いよいよ不定形の流れとなって地底全土を覆い尽くそうとせんばかりであった。
それを保たせる為に前へ人を出せば、それだけ内で走り回れる司令塔を減らす事になる。

 「……後、幾つ……?」

 件の四半刻へ、針は刻一刻と近づいていく。巻き戻る事の無い絶対の流れに、聖白蓮は冷や汗を一筋垂らした。


 「……覚悟はしておく事だ、星熊殿」

 船室は全て寝転んだ怪我人や心神喪失者で埋め尽くされ、現状トップ集団となった鬼達も、今は甲板へと出てきている。
歯が砕ける程に食いしばり、じっと戦線を見つめる勇儀に対し、紫の外套をたなびかせた神子が檄を飛ばす。

 「覚悟ってのは、なんだい。あんた達お得意の『見殺しにする覚悟』ってえ奴かい?」
 「いいや。もし、仮に、奇跡的に何も見殺さずに済んだとしても……
  唇を噛み切るほどに耐え抜いて、全て上手く行こうとしていた所を、守ろうとした"民"その物にひっくり返される覚悟だ」

 語りかけながら、神子の瞳は何処か遠い所を映していた。
その眼光に宿る感情を、勇儀は知らない。鬼は、自分本位が故に鬼なのだ。
力で勝負する事しか能が無かった者に、そんな目が出来る訳がない。

 「恨んではいけないよ。民とはそういう物……為政者とは、そういう物らしいからな」
 「そいつぁ、どうも」

 言い方からするに、かなり皆の不満が溜まってきて居るのか。
もともとが、「社会」を嫌った不適格者共の集まりだ。
上から落ちてきた命令をこなすと言う役割にすら文句を言う輩が、必ず居るだろうとは思っていたが。

 「あと、五分」

 八咫烏がやたらと燃え立つビームでなぎ払う。
個々の力が大した事の無い者達も、お空と言う大砲が万全の機能を発揮するように火焔猫燐が良く取りまとめている。

 「四分」

 赤子の掌に押しつぶされ、風水師がばら撒いていた皿が数枚砕け散った。
結界に穴が開いた箇所から染み出してきた怨霊を、亜空穴から飛び出した霊夢が咄嗟に消し飛ばす。

 「三分」

 皆、本当に良くやっているのだ。その働きを、抗いを見るだけで、涙が滲み出す程に。
だが、現実は悲しい程に多勢に無勢であり、防衛線はじわじわ押し下げられていく。
勇儀は、この戦いの大将だ。戦局を俯瞰し、大声で合図するのがその役目だ。この場から動く事など許される筈も無い。
私が居れば。私が居れば。私が居れば……? 燃え立つ思いが臓物を焼く。甲板に向かう階段に、足音が響く――


 「要介護者、全員収容出来ました! 聖輦船、飛べますッ!」
 「……よォしッ、良くやってくれた! 宝塔とやらは使えるんだろうな、前衛を船に戻すぞォ!」


 待ちわびた一報とほぼ同時に、カン、と強い光が暗闇を照らす。
お空のような目に痛いような代物では無く、こんなにも遠くまでその輝きが分かるにも関わらず、目を覆わずとも光源を直視できる不思議な光。
それこそが命蓮寺本尊の法の光であり、本能に突き動かされて生者の集まりに惹かれる穢れの赤子達を怯ませるには、これ以上無い物である。

 「宝塔が輝く……ついに、船が出るのね」

 甲板の隅、小さく足を組んで座り込んだタロを、庇うように抱きしめながらパルスィが呟く。
白い髪がくしゃりと手の平の中でうねる。慣れない光の刺激に、タロが身を捩ったのだ。
そして怨霊たちが怯んだ隙に、船を守っていた者達が船の周辺へと戻ってくる。

 「あ……」

 甲板に人が増えてくるにつれ身を縮こまらせていたタロが、ふと顔を上げた。
永江衣玖に手を貸され、甲板上へと古明地さとりがよろめきながら現れたのだ。

 「さとり……? 貴方、動いて大丈夫なの?」
 「流石に、自分の居場所だった土地くらいもう一度見送っておきたいと……ペット達も心配らしいですし」

 目を伏せて黙り込むさとりの代わりに答えたのは、特徴的な衣装を失い誰だか判断しにくくなった永江衣玖であった。
さとりが見送りたいのは街と言うより天子なのだが、ペット達が心配なのは本当の事である。
ズゥンと足元で響く低い震動。聖輦船が浮上を開始し、街の明かりが眼下へと遠のいて行く。

 「その……そうだ、さとりさん。助けてくれて、ありがとうございました。あたし、本当に……」

 パルスィが衣玖との会話に意識を集中させた合間に、改めてタロはお礼を告げた。
さとりの濁った目にほんの僅かな感情の光が灯る。苦しげに息を吐き、指が弱々しく肩を掴む。

 「……あの……さとりさん?」

 戸惑うタロの瞳には映らぬのだろう。さとりの表情に込められた情、あるいは細い首に伸びる指が。
力の入った親指が、傾げた小首に近づいて行く。水橋パルスィは、永江衣玖との会話に集中しているのを"眼"は捉えている。
しばらく、触れるか触れないかの所で震え続けて、そして離れた。

 「悔いたって仕方がないじゃない。……もう一度だけ、会えた。それに、感謝すべきなのよ……」
 「えっと……?」
 「……ごめんなさい。何でも無いの。貴方も、無事で良かったわ、本当に……それに、助けてもらったしね」
 「いえ、あたしは、そんな」

 謙遜する白狼の子を、さとりは強く抱きしめる。

 「……私、友人が欲しいの。やっと、肩の荷が下りたのだから……」
 「あ、あたしが……ですか?」
 「いけない?」
 「でも、あたし、誰かに迷惑かけちゃうし……」
 「掛ければ良いのよ、そんな物は」

 話に割り込んで、そう言い切るのは嫉妬の橋姫で有る。

 「私なんか、自分から掛けに行ってるんだから。妖怪なんて、迷惑でなんぼの存在でしょ」
 「それは、そうかも知れませんけれど」

 タロが、黒々とした瞳を閉じて苦笑した。
甲板の上から、ついに橙色の街の貌を見渡せるようになる。あちこちが黒く焼け爛れた、その無惨さを隠す事も出来なかったと、多くの者が溜め息をついた。
虚空から汚泥のような姿で怨霊が吐き出され、街を埋め尽くしていく。
幾つの亡骸があの波に飲み込まれていくのだろう。死者との別れが生者の為に有るとするなら、どれだけの者が"別れ"も満足に出来ずにトラウマを抱えて行かねばならぬのか。


 「……これで、やっと今日が終わるんですね」


 それぞれが胸中に様々な物を抱え、船は大空洞を行く。
誰が呟いたとも言わず、あるいは皆がそう思った、その時であった。





     ――何処ヘ行クノ?――





 ゾクリ、と肌が怖気立つ。
この声は何か「いけない物」だと、脊髄が、本能が理解した。
誰も彼もが戸惑い、顔を上げたのを、さとり達は呆然と眺めていた。


     ――行カナイデ、私ノ子供タチ――


 穢れが、波を打つようにざわめく。赤子達の泣き声が、頭が痛くなる程に響き渡る。
母を呼ぶ声が。親に一目会いたいと、嘆く声が。極限状況に圧縮された、妖怪達の精神を酷く揺さぶっている。


     ――行カナイデ――


 嫌だ、と誰かが口走った。自分は生きる、ここを出て新しく街を作りなおすと。
シン、と急激に辺りが静まり返る。一転して、付近の者が唾を飲む音すら分かる静寂。無論終わった訳では無い。
むしろ……ここから始まるのだ。





 「「「「「「「DDDDDDDAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMNNNNNNNN!!」」」」」」」





 ビリビリと、地底が振るえる。音の大きさだけではない、実際に地底が大きく揺れ動いている。

 「ッ! 急速旋かぁぁぁいッ!!」

 星熊勇儀の怒声が、負けじと空を震わせた。聖輦船のクルー達は、急な注文に即座に答えてくれる程度には優秀であった。
ぐるりと回頭した聖輦船の横を、巨大な鍾乳石が掠めて落ちていく。

 「うおおおッ!」

 げに恐ろしきは、純然たる質量が持つ力と言うべきか。僅かに掠めただけなのに、聖輦船の船体が大きくぐらつく。
幸いにも投げ出された者こそ居なかったが、これが長く、そして何度も続けばどうなるかは明白だ。


 「「「「「「「AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMM!!」」」」」」」


 大地が揺れる。みしり、と大きく何かがひび割れる音がした。
命蓮寺の尼達が急ぎ損傷箇所のチェックに回る。幸いにも、船に大きな傷は無い様だが……では何が裂けたのか?
甲板の上に居る誰かが一人、眼下を指さして叫んでいた。
……果たしてそれは、地面であった。地霊殿の中庭を中心に大地が真っ二つに避け、黒く濁った海が赤い瞳を覗かせた。


     ――胎ノ中ニ、オ戻リナサイ?――


 「この声……やはり……」

 呆然と呟く八雲藍の襟首を、博麗霊夢が引っ掴む。

 「んな事言ってる場合じゃないでしょ! 見なさい、このままじゃ挟み撃ちよッ!?」

 旧地獄、それも地底の街が有る箇所は広い。地下と言えど、こうして聖輦船が悠々と空を飛べる位には。
だが、地上から降りてくるまでの道で船が空を飛べるサイズとなるとそう多くは無い。
入ってこれた以上出れない訳が無いが、その唯一とも言える道を怨霊達が塞ぎ始めているのが見えた。

 ……あるいは、この場にヤマメが居たら思い出していたかも知れぬ。
かつて、太古の地を鎮守していた要石。その裂け目もまた、旧灼熱地獄跡と同じく幻想郷の外に通じていた事を。

 「何よ、あれ……突っ込めるの!?」
 「聖輦船自体は、聖人が残した飛倉に幾つもの魔術要素を加えた飛ぶ要塞です。
  怨霊の侵食だけなら、悠々と耐えられますが……」

 全ての者が、聖輦船の中に居る訳では無い。甲板の上に、あるいは追随して飛行している者。
彼らは生身なのだ。末端とはいえカミに触れて、良い事など有るわけが無い。

 「でもこのままじゃ、皆纏めて飲み込まれるぞ……?」
 「……さて、参ったね。どうしようか……」

 上の不安は、簡単に下の者にも伝播する。状況を見通せぬ分、それもずっと攻撃的に。

 「ど、どうするのよ、だから私言ったじゃない、助からない人なんて早く諦めて行けばいいって言ったじゃ無いの!
  責任取るって言ったんでしょ! 私の子供を守ってよぉ!」

 女の一人が、突如錯乱して勇儀に掴みかかった。
それは限りなく独善的な主張であったが、この状況に至ってはそれすらも説得力を持った剥き出しの意思。

 「落ち着けッ! 確かに私は責任を取るって言ったさ、鬼は嘘はつかねえ、不満でもなんでもぶつけりゃいいさ。
  だがそれは皆まとめて助かってからだ! こんな所で騒いでたって、何の益にもなりゃしないだろう!」

 場の雰囲気が悪くなりつつ有る事を察し、勇儀が大声を出して宣言する。
この、有無を言わせぬ迫力を持った大音声だけは、為政者としての勇儀の才かも知れない。
だがそれでも、混乱は完全には収まらなかった。すぐに皆が暴れ出す訳では無いが、淀んだざわめきが広がっていく。

 「……責任、か」
 「萃香?」
 「そうだな……。もしこういう状況になったらと、心を決めていた事だ。
  大空洞への入り口は、私が蓋をするよ。皆はその間に通り抜ければいい」
 「馬ッ鹿野郎……何言ってんだ、お前!」

 据わった目で、突如宣言する伊吹萃香に、勇儀は焦り顔を向ける。

 「お前が居なくなったら、私の後釜は誰が座ってくれんだよ、考えなおせ!」
 「……別に、さ。私達で有る必要性なんてなんも無いんだ。今の幻想郷に出て行けば、聖も居るし、神子の奴も居る。
  なんなら八坂の神に庇護を頼めば、妖怪の山も大きな口は叩けないだろう。
  魂の在処なんてモンは、そいつ自身で決めれば良い。鬼の生き様は、強制してやらせるもんじゃない」
 「私は妖怪は守備範囲外なんだがね」
 「そこはなんとか頼むよ、ここまで来たよしみだと思ってさあ。……だから、後を託すのに不安なんかねーんだ」

 そう言って、萃香はぐびりと瓢箪をあおった。

 「やめろ萃香、お前が居なくなったら、私は」
 「それとも、他にあれだけの穴を塞げる身体を持った奴が居るのかい。
  居るなら、是非教えて欲しいもんだねえ」
 「萃香ぁ!」
 「女々しいぜ、勇儀。だがまあ、そいつもお前さんだ。図体ばかりでかくなって、相談された事もあったねえ。
  ……何、こんな所で死ぬ気なんざさらさらねえよ。鬼の意地ってもんを、見せてやるさ」

 絶対に帰る、とは言わない。言えば、嘘になってしまうから。
勇儀は、ふざけるな、と言ってやりたい気分だった。言ってやる事しか出来なかった。

 ズガン、と落ちてきた鍾乳石が再び船体を掠めて、甲板の上を大きく揺らす。

 「ああッ!」

 端の方で事態を見ていた母親が、急に大きく声を上げた。
胸の内に抱いていた筈の合間からするりと子供が抜け落ちて、船外へと身を投げ出そうとしている。

 「危ないッ!」

 その腕の一方を、身を乗り出して咄嗟に掴んだ者が居た。

 「ひっ、覚り妖怪……」
 「今、そんな場合ですか!? 貴方のお子さんなんでしょう!」

 子が懸命に伸ばしたもう片方の腕を、遅れて母親が掴む。
周りの者達が二人を支えた事もあり、あわやと思われた子供はなんとか再び甲板へと戻った。
感極まって礼と謝罪を口にする母親をなんとか宥め、下唇を噛んで涙を堪える男の子に、さとりは手を当てる。

 「……良く、泣き出しませんでしたね。偉い子」
 「本来『空気を読む能力』と言うのは……自分の身を守れない、弱い動物にこそ強く備わっている能力です」

 独り言のように呟いた言葉を後を紡ぐのは、さとりの腰を抑えていた永江衣玖であった。

 「子供達は子供達で、分かっているのですよ。今ここで、自分達が泣き出したら、それこそ一巻の終わりであると。
  自分たちが泣き叫ぶ声には、張り詰めた空気を破壊するだけの威力があると。
  ……だから、必死に我慢しているのです。口を開けば、涙を流してしまいそうだから」

 よく見わたせば、こんなにも赤子が泣き声を上げていると言うのにそれに続く声が無い。
母、あるいは父の胸に抱かれ、居なければ欄干に齧りついてでも子供達は涙を流して叫ぶのを必死に堪えている。
今泣いてしまえば、自分達を守る大人まで巻き込んで沈んでしまうからと、知っているかのように。

 恐ろしいだろうに。
不安にしか、なれないだろうに。

 「……だけどそんなの、何時まで続けられるか分からない」

 あっという間に街の灯りを飲み尽くした穢れを見ながら、タロは言う。

 「あたし、弱いから分かります。……きっと、誰か一人でも泣きだしてしまえばもう無理だ。
  なんとか出来るなら、その前になんとかしなくちゃ……なんとか」
 「タロ……? 大丈夫よ、貴方は私が……ううん、他の子供たちもそう。きっと、愛してくれる者が居る筈だから」
 「そうじゃ無いんです。耐えるだけじゃ、我慢してるだけじゃ戦いなんて言えないんだ。
  あたし達は弱いけど、弱いから、戦わなくちゃいけないんだ……」

 タロと名付けられた白狼の子に、牙は無い。
共に育ち、今はイヌガミとなったジロは、精神の奥で休んでいる。
それでも真似が出来る戦い方があるとすれば。それは、背中を見続けてきた先人の物――

 出来るのだろうか。自信は無い。恥ずかしいと言う気持ちも有る。
それでも、戦いたいと思ったのだ。胸を張って、息を吸った。


 ♪(私達の、『掟』を守れ)


 怒号と嘆きに挟まれて。最初はあまりにも頼りない、か細い声であった。
吃っているし、舌も回りきっていない。異国語の発音なんか、出来るはずもない。

 ♪(私達の『掟』を守れ)

 メロディなんて、一フレーズ分覚えるのが精一杯で。
ただ知っている曲の、一番印象に残った部分を延々と回しているだけの。

 ♪「(私達の『掟』を守れ)」

 だけど、それでも。どれ程拙くても、音程など取れていなくても。
紛れも無い、それは『歌』であった。戦うために立ち上がった『声』であった。

 ♪「「(私達の! 『掟』を守れッ!)」」

 次第に声は重なって行く。
まるで、狼が遠吠えのやり方を子に教えるかのように、咆哮は輪となって広がって行く。
声が涙でぐずぐずに成りながらも、一つの合唱として。


 「「「「「「「(私達は――『信念の守護者』だッ!!)」」」」」」」


 それはまさしく、穢れと拮抗する清らかな祈りであった。
ただ泣く筈だった声を歌として、子供達が見せた純然たる誇りであった。
自分たちは負けたくないのだ。守るのだ。戦うのだ。と、ただそれだけを歌に込めて、延々とフレーズを繰り返す。

 「……聞こえるだろ、あいつらの声が。やっぱり、お前の言う事は只の自暴自棄だよ、萃香。
  他の助けになる為に自分が犠牲になる所を、ガキどもに見せるつもりかい」
 「じゃあ、どうするってんだい。そうは言ったって、このままじゃ状況は変わらないんだぞ!?」
 「それは……」

 鬼達の言い争いは、星熊勇儀が言葉を止める。

 「「「「「「「DAAAAAAAAAAAAAAMMMMMMMMMMMMMMN!!」」」」」」」

 怨霊の勢いは止まらず、街だけでなく聖輦船まで飲み込もうと波を高める。


 ――これでは、足りない。


 さとりはいつしか、そう気付いてしまった。
子供達が、理不尽へ抗い始めた、勇気を見せた。それは良い。
だが、それだけだ。何も変わらない。震えながら歌い始めたところで、奇跡など宿りはしない。

 「……そんなの、あんまりだ」

 古明地さとりには、その事が堪らなく悔しかった。
理由は分からない。ただ急に、胸が千切れんばかりに苦しくなったのだ。

 力が無かったからだろうか。
誰かの都合に振り回されて、死んでいく者を見たからだろうか。
あるいは、自分が振り絞ったちっぽけな勇気を、踏み躙られた気がしたからか。

 「嫌だ。私は、生きるんだ。
  誰を踏み台にしてでも無い、今度こそ、自分だけの生を」

 いつの間にか、ボロボロと涙が溢れていた。
悪である事に疲れ果て、やっとの思いで肩の荷を下ろせば、今度はただの少女としては不釣り合いな力が必要になる。
何がいけないのか。自分の命に執着し、苦しむ事が悪ならば、我々には最初から救いへの道など存在しては居ないのか?
ぐしゃぐしゃになった濃紫の髪を掻き乱し、吐き出せなかった恨み事が、臓腑の奥から溢れて来る。

 「いやよ、約束、守りなさいよ」

 我らこそ信念の守護者だと、子供達が真っ白な願いを歌い上げている横だと言うのに。
もう、どうにも止める事が出来なくて。

 「どうして死んじゃうのよ。どうして、わざわざフっていくのよ。
  ひ、人を、こんなになるまで惚れさせておいて、そんなの、あまりに勝手じゃないの」

 悔しかった。結局こっちに与えるだけ与えて、激流のように置き去りにされた事が。
せめて、向こうもこうやってグズグズにしてやりたかったのに。仕返しすら、させて貰えなかった。

 「ホントもう、格好つけた事ばっかり言って。
  し、知ってるんだからね、あなた、内心怯えてばっかりだったじゃない。
  しかも時々素に戻って、やべー私何言ってんだみたいに考えてたの、私には丸わかりなんだから」

 格好良く死を恐れない瞬間も、本心では悲鳴を上げてばっかりで。
虚勢張って、ハッタリかまして、「ごっこ」だった英雄遊びを、結局最後までやり通していって。

 「……だから、ちょっとくらい何とかしてみなさいよ」

 ロックなヒーローになると、目の前で宣言していったのだ。
死んだ? そんな事が理由になるのか。その程度英雄譚じゃあよく有る事だろう。
ほら、「助けて」と泣き叫びたい子供達が、それでも抗い続ける子供達が、今此処に大量に居るんだぞ。

 「ヒーローならこのくらい助けてみなさいよ、馬鹿ァ――ッ!」










 『だぁぁぁれが馬鹿だぁぁぁ――ッ!!』











 「え」

 誰にも届かない言葉だった筈だ。
ただ、苦しくて堪らない胸の内を、吐き出しただけに過ぎない筈だ。
求めるあまり幻聴でも聞こえたのかと、さとりは首をすくめて辺りを見回す。

 全ての者が、呆けたように、地の一点を見つめていた。
紅い雲が渦を巻き、黒き穢れを押し流している。そう、台風を遥か天上から見れば、このように見えるのではないかとさとりは思う。
 ジィン、と胸の奥が熱くなる。駄目だ、泣くにはまだ早すぎる。早すぎるだろう?


 『                         ――――ッ!!!』


 緋色の龍が昇り雄叫びを上げた。そう、多分咆哮だったはずだ。
あまりの大きさに前半を音として認識出来ず、「痛み」として感じる事が無ければ、恐らくは。
雷を何十本にも束ねたような轟砲を喰らい、よろめきながら立ち上がれば、地底を真っ二つに引き裂いていた割れ目へと巨大な石剣が突き立てられていた。

 「あれは、誰だ……?」

 甲板の上に居る誰かが、呆然と呟いた。
体中に開いた傷口から緋色の霧を翼の如く吹き出して、巨人が持つような剣の柄に、少女が一人立っている。


 「――例え、縁もゆかりも無くそうと」


 散らばった髪が、蒼く染まっていく姿が見えた。
身体に纏わり付く緋の衣が、服を、霊気を形作っていく。


 「救い難きが衆生なら、さらって見せよう地獄道」


 地底の民が永らく忘れた蒼天を、その下衣の中に顕し。
穏やかな雲のようにたゆたう前掛けに、鮮やかに虹がかかる。


 「指折り数えた中指を!」


 役目を終えた緋色の霧が、剣の形に収束していく。
最後に、指で回していた黒い小帽子を流れる蒼髪に乗せると、生命の証とも言える仙桃がその上に実り誇った。


 「空に突き立て己を示せ――!」


 剣を振り上げる。風が弾け、霧が晴れ、空気が裂けた衝撃波に揺すられて聖輦船が少し傾いた。
昇竜が如く立ち上った刃は炎のように揺らめき、必死に声を上げるばかりだった子供達の頬を暖かな橙で照らす。
タロが不意に後ろに倒れて、パルスィに背を支えられた。すし詰めの甲板を押し分けて、声の少しでも近くへとさとりが向かう。



 「気質発現――『極光』!」



 煌々と輝く炎刃を、少女は地を滑るように振り回す。
穢れた悪霊たちが切り裂かれ、爆轟にはじけ飛び、断末魔の叫びを上げて「色」へと還る。
昏い波に呑まれていた地底の街が、後には穏やかな虹のヴェールに包まれた。

 ――……嗚呼、龍神様。

 天地を繋ぐ緋の柱を見上げ、両手を胸の前で合わせ永江衣玖は感極まって呟いた。
上を向き呆然とする者の垣を掻き分け、さとりは船の端へと躍り出る。
その、地底にあるまじき「空」の逆光を背負い、目前に緋想を突き立てて。



 「地に這いずれば飛んで見ろ! 天に近けりゃ落ちて聞け!

  これが私だッ! 比那名居天子だァァァッ!!」



 天を、海を、雲をその身に映し出し、一人の少女が高らかに名乗りを上げる様を見ていた。


 ◆


 「さとりぃー!」

 誰もが呆気に取られ、口も出せないような状況下で。
件の少女は大地の裂け目に突き刺さった剣柄の上から何かを抱え上げると、緋の光を纏って船の最後尾へ飛翔した。

 「ごめん、この人預かって!」
 「え? きゃっ!」

 堪らぬのは、居ても立っても居られず前に出てきたと言うのに人一人を投げつけられたさとりの方である。やすやすと受け取る事も出来ず、後ろに支えられるような形で倒れこんでしまう。
見れば、鼠顔の小男が完全に目を回して気絶していた。こちらには色々と言葉に出来ない感情が渦巻いて、未だ消化仕切れていないと言うのに。
感嘆と、驚愕と、望外の喜びが喉に引っかかり、何故か心配よりも先に用事を済ませられた事に無性に腹が立って、さとりは少しむくれた。

 「ちょっと、誰ですかこの人」
 「あー、まあ……彼岸で色々あってさ。うん、色々言いたい事有ると思うけど……ごめんね、後で聞くわ」
 「……この温かい光……そう、気質の力ですね。緋想の剣も。
  どうやってかは知りませんけど、天人の力も戻ってきた……いや、それ以上だと。ふーん」
 「怒ってる? そう、そりゃそうよね。でも出来れば話はゆっくりと……え、いや、マジ?
  罰ってその、私にも事情……うん、はい、ごめんなさい……いやちょっと、もう少し格好付けさせてよ!」
 「どうぞご自由に、つければ良いじゃ無いですか。ほら、腕組んで」
 「意地悪!」

 口の端を引っ張り、イーっと表情を作る少女に向かい、地底の住人達は戸惑いを新たにする。
彼女こそが、覚り妖怪の言う恋しき相手なのか? しかし、地底に天人なんて目立つ存在が居れば、流石に気付かぬ訳がない。

 「……あんな奴、どこで……イタッ」

 パルスィは、不意にはしった頭の痛みに顔を顰めた。
何か、何かがおかしい気がする。金の髪の上に、手の平が乗る。

 「……無理に考える事は、無いかと」
 「永江さん?」
 「これからまた、長く付き合う事が出来ます。その内、フッと納得の行く時が有りますよ」
 「……天人が仲良く出来ると言うの? 橋姫と?」
 「現に今、覚り妖怪と仲良くしているのでは?」
 「そうね……」

 喧々諤々と、だが仲睦まじく喧嘩する覚り妖怪を見て、パルスィは溜息を吐いた。

 「まあ、女が秘密の全てを知りたがるのは、無粋よね」

 永江衣玖程の女が全てを明かすつもりがないなら、それに付き合った方がきっと良いのだろう。
とりあえずそれで納得しようとした時、後ろから緑色の鎌鼬が駆け抜けた。


 「比ィ那名居天子ィィィ!!」


 顔を喜悦に歪ませた剣鬼が、大上段から刃を振り下ろす。咄嗟に逆袈裟に切り上げた緋想の剣と、白楼剣とが打ち鳴らされる。
要石を蹴り、天子は空を描くスカートをはためかせ一回転すると、人鬼の二太刀目と合わせるように切り下ろした。
鍔迫り合う刃と刃が、甲高く共鳴するかのような音を立てる。

 「……これは……?」
 「ク、カ、やはり、やはり間違いでは無かったか。そして満足に振るえるだけの格を! 一度死に損なって取り戻してきたか!」
 「ぐっ……そういうアンタこそ、何よその左目。イメチェン?」

 キィンと響く共振音に合わせ、天に輝く極光が揺らめく。地霊殿を二つに分断した裂け目から流入する穢れは、剣の如く突き立てた大要石が抑えている。が、性質上長くは持つまい。
天子はさとりに目線を送り、父を連れて下がらせた。さとりが何かを言いたそうに手を伸ばすが、ニッと笑いかけてやると仕方無さそうにその手を引き戻した。言葉にすると陳腐になる。

 「馬に蹴られる覚悟位はしてるんでしょうね」
 「ハ……その程度。馬だ地獄だ如きが怖くて、剣客がやれるかよ」
 「それで、何のつもり? まさかまだ私の邪魔をするべきだ、とか思ってるんじゃないでしょう?」

 刃を受け流した勢いで空中を滑りながら、天子は人鬼に問いかけた。
緋想の剣が、吼えている。油断すると己の気ごと暴発しそうになる剣の柄をしっかりと抑え、口角を釣り上げる。
追いかけてくる殺気は間違いなく本物だと、滲む空気が言っていた。汗はもう、額を濡らさないけれど。



 「おいおい、何のつもりだあの爺さん」

 何が起こったのか、そして何が起きているかも分からないまま、勇儀は呆然と船を飛び出して行く人鬼の軌跡を見つめる。
身を乗り出す勇儀に囁くようにして、一人の少女が声をかけた。

 「さて、何を考えているんだろうね……だが、大切な事はもう一つある。
  私達はこの機を逃す術はない、と言う事だよ」
 「っ……わかってらぁ! 最大船速! あの嬢ちゃんが悪霊共を抑えてくれる内に大空洞に入るぞ!」

 立ち往生しかけていた聖輦船が、勇儀の号令によって再び帆を張り進む。
また、虚空から声が響くような事が起こらないのを確認して、勇儀は驚愕に瞳孔を狭める友人の方を向いた。

 「バカな……なんで、あいつ……」
 「よぉ、萃香。……お前さんが、何を知ってるのかは聞かねえよ」
 「違う……違うんだ、勇儀。本来お前も……」
 「だから、良いんだよ! 細けぇ事は気にすんな!
  カァーッ、畜生! なんだってんだ、あのヤロウは。最後の最後で良いところ持って行きやがった」

 呵々大笑する勇儀の声。さっきまで誰を見殺し誰を生かすかでキリキリしていたと言うのに、今は見せ場だ何だで冗句を飛ばせる余裕がある。一瞬の内にそれを為したのがあの蒼天の娘だと思うと、萃香の眼に熱く込み上げてくる物があった。
今の彼女には、友がある。意思がある。辛い運命に引きあわせてしまったとばかり思っていたけれど、夢幻の如く消えない縁をあの娘が築いていた事が、意外な程に嬉しい。

 「さぁねえ、何にせよ……」

 七色の帳を逆光に、遠ざかって行く影を見ながら伊吹萃香は穏やかに口を開く。
思い出すのは、約束とも言えないようなかつての戯言。

 「鬼にも仏にも出来なかった事を、やっちまおうとしているんだね、奴さんは」

 混沌となった地底を背景に、幻想の賢者の力を宿す半人半霊と、三つの天をその身に映した不良天人が火花を散らしていた。


 ◆


 「……んで、アンタはなんなのよジジイ。周りの状況見え無いわけ?
  私様の活躍を百歩譲ったとしても、ここは力を合わせて共闘する場面でしょう?
  どういう思考回路してたらここで私に切りかかろうなんて思うのよ」

 時折ぼうと揺らめく炎の刃を掲げ、天子は油断無く八相に構える。
呆れたように唇が釣り上がって居るが、決して目は笑っていない。相手が本気で有る事を察知して居るのだ。

 「ハッ、ここまで来てなお常識と状況を語るか、比那名居天子。
  我を貫いて還った割には、半端に過ぎる……が、理由なら有る」

 対する人鬼は、白刃に桜色の霊気を纏わせ二刀を構えた。
何の変哲も無い白鞘の刀は下段に、刀身の短い白楼剣で急所を庇いながら肩に構える。


 「貴様の緋想剣と己れの白楼剣。元は一つだ」
 「……は?」


 呆気に取られたその一瞬の隙を突き、人鬼は雷光の如く斬りかかった。
予備動作の少ない研ぎ澄ました突きが天子の腹を食い破る刹那、ギリギリの所で後ろに飛び要石を挟み込む。
刃を身体に通す事は無かったが、代わりにベクトルを保った石が鳩尾に食い込んで来る。

 「うごっ……かっ、ごほっ……! く、クソジジイ! 自分で話し出した事くらい最後まで説明せんかい!」
 「チッ、まあ良い。疑問に思った事は無いか? "天界の宝剣"と明らかにされている割には、出自のわからぬその剣」

 ひしゃげて使い物にならなくなった刀を捨て、人鬼は改めて睨め付ける。
その剣、とは天子の持つ緋想の剣の事であろう。天子は口に溜まった唾を吐き出した。

 「貴様なら判っていよう? どのような経典を探そうと、『気質を導く剣』など何処にも記されては居ない」
 「それは……」
 「そして、この白楼剣も同じ」

 白楼剣。切られた物の迷いを断つと言われる、使い方を選べば「輪廻」すら狙って断てる剣。
そんな物が、どんな教えにも記されず「半人半霊の家」なんぞにポツンと置いてある。
それがおかしいと、人鬼は問いかけているのだ。確かに言われてみればその通り。
やりようによっては天人を切り殺す事すら可能な剣が、なぜ何の伝説も残していないのか?

 「……だから、元は一つだったって事?」
 「当然だ。緋想の剣も白楼剣も、『八雲紫が分けるまでは只一つの物だった』
  故に千年、二千年前の経典に載っている訳が無いのだ。たった百余年前まで、二つは一つの名で呼ばれていたのだから」
 「なんで、そんな事」

 したのか。それとも、知っているのか? どちらを問うべきなのか、天子には分からない。
だが、そこまで語る気は人鬼にも無いようで、虚空に開いたスキマから再び刀を取り出すと、みしりと四肢に力を込める。

 「……さぁ、最早語る必要も無かろう。貴様の一つと己れの一つ、合わせて一つになる。
  八雲紫に取りついた妄念を払うには、それ相応の霊格が必要となるのは言うまでもない。
  剣士が二人に刀が一つだ。これはもう、切って取り合うしか無いだろうよ」
 「こっちの都合も意見もガン無視だけど……まあらしいっちゃらしいわね。
  ……ま、良いわ。そっちがその気なら、軽く肩慣らしに付き合ってやろうじゃない」

 天子は自らの母親の為に。人鬼は、仮にも自らの主である女と、その先の懸想の為に。
二人は刀を構え直し、再び相手を睨め付ける。聖輦船が空を往き、七色の帳がその影を包む。
大地の裂け目に突き立った大要石が、消しきれぬ震動にグラグラと揺れた。

 「最後に一つ聞かせなさい! 元が一つだってんなら、そのあるべき銘は!?」
 「……その名も、薄片『倶利伽羅剣』!」





 「ほう、倶利伽羅剣――」

 聖輦船の甲板にて、耳をそばだてていた豊聡耳神子が頭を上げる。

 「うわっ、何よ、危ないわねぇ。狭いんだから急に動かないでよ」

 たまたま近くに居たのであろう霊夢が、その勢いで顎を打ちそうになり文句を告げた。

 「それで……何? くりからけん? なんなの、それは」
 「炎を纏う龍が剣を飲み込んだ、三毒を破る利剣です。不動明王が持つとも、まさに不動明王の化身だとも言われています」

 神妙な顔で答えるのは、神子では無く聖輦船の尼僧、聖白蓮である。
霊夢は怪訝な顔で振り向くと、裂け目に突き刺さった要石をじっと見つめる聖に声をかける。

 「凄いの?」
 「龍の吐息は二万億の雷が一度に鳴り響き、それを聞いた魔性の物はたちまち滅びる、と伝えられておりますわ」
 「……そんな物があるわけ? ここに?」
 「流石に、それその物では無いだろうさ」

 胡散臭そうに眉を歪める霊夢に対し、神子が頭を振った。

 「そもそも、倶利伽羅剣の高さはおよそ数百万里ほども有ると言う。
  まさしく如来の宝剣であり、いかに八雲紫と言えど扱えるような物じゃないよ。スケールが違う」
 「じゃ、何なのよ。あんたが口にした事じゃない」
 「文字通り『薄片』なのだろう。何千万分の一かも分からないけれどね」

 進む聖輦船は、今の所何か障害に遮られていると言う事も無い。
天井を包む七色の帳は、暖かな光となって妖怪達の傷を癒している。これを一瞬で作り上げたのは、間違いなくあの緋想の龍だ。
それだけの奇跡を含む大霊力、只のパチ物と言う事も無さそうでは有るが。

 「『他者の気質を自らの元に導き』『強制的にでも迷いを断つ』剣か……確かに、組み合わせてみるとしっくりくる」
 「そうですね、左手に縄を、右手に剣を持つ南無不動明王尊らしいと言えます」
 「毘沙門天信仰としては歯がゆかったりしないのかい?」
 「あなたこそ、英雄に成り損ねましたね」
 「はいはい、煽んないの」

 ふふふ、おほほと笑い合う神子と聖の合間に呆れ顔の霊夢が割って入った。
この面子で集まると、自然少し前の面霊気の騒ぎを思い出す。この二人は非常に仲がよろしくないと言うか、当の面霊気の情緒を教育するに辺り方針が反発しあう事が多かったのが後を引いているらしい。
何にせよ、まるで自分は眼中に無いかのようで面白く無いのは霊夢である。

 「……そう言えば、元の希望の面を持っていったと言う少女とは、結局会わなかったな」

 ふと、唐突に思い出したかの如く神子が言う。

 「あぁ、古明地んとこの妹が持ってたんだっけ? そう言えば、一時期良く地上で見かけてたわね」
 「今はもう、私をモチーフにした真・希望の面が有るのだし、機会があれば回収しようかと思っていたが……
  まぁ、良いか。どうせしばらくしたら、力を失う物だ」
 「あら、そうなのですか? そう言えばあの子、しばらく見かけないから家の方に戻っているのかと思っていたのに」

 にわかに視線が交じり合い、きょとんと三人で目を瞬かせた。

 「……妙な感じがするわね。こう、しっくり来ないと言うか」
 「霊夢さん?」

 打ち合い、刃金を散らし、拡散する緋蒼の光を霊夢は見る。
希望。地底。気質。何かのピースが一つ足りないような、そんな具合の悪さ。

 「……そうよね、暫くすれば力を失う。"何事も無ければ"」

 だが、常に何かが起こっているのが幻想郷だ。
……もし仮に、これが新しい何かの前兆だとしたら?
力を失っていくだけの器に注がれる、別の何かがあったとしたら?

 だから。

 それは。

 つまり。










 「不動明王……大日如来か。それってつまり、アマテラスよね?」
 「おいおい、何言ってるんだ。そんな説、根っから出任せに決まっているだろう」
 「いけしゃあしゃあとこの人は……ですが、それがどうかしましたか?」
 「あれ……? おかしいな、何か閃いたと思ったんだけど……」

 首を捻る霊夢であったが、一度手の平から滑り落ちて行った物は、二度と戻る事は無かった。
無意識と意識の間に挟まれて、永遠に浮かび上がる事も無く忘れ去られていく。

 やがて幻想郷中を騒がす異変の兆候は、未だ、誰にも気付かれず。巫女が携えたお祓い棒がピクリと震えたのみであった。


 ◆


 落下の衝撃で土煙がたつ。元は家であった建材の、柱を蹴り飛ばして天子は広場へと躍り出る。
斬撃が霊波となり、真っ直ぐに飛んでくる。天子は飛翔しながら身を捩り、緋想の剣で受けて逸らした。
不規則な軌道を描きながら吶喊を繰り返す半霊には、要石を飛ばし楔を打ち込んでおく。

 ――で、本命は……

 頭上。注がれる七色の光が、不意に曇る。

 「そこかっ!?」

 咄嗟に切り上げた感触を、実に軽い物であった。
緋想の剣に切り裂かれ、その正体がひらひらと踊る。

 「しまった、外套――?」
 「甘いな」

 悲鳴を吐き出す暇も無い。直前まで殺気を抑えた鍔撃が、天子の脇腹に突き刺さる。
重い打撃に肺から息が吐き出される。ぎっ、と食いしばった歯が音を立て、身体の芯が揺れたことで視界がブレた。
だが、こんなものは致命傷でも何でもない。鞘から刀が抜かれる気配がする。身を、よじる。

 「う、が、あぁぁぁー――ッ!!」

 怒髪天、振り切られる腕に無理矢理手をねじ込み、手首を掴み、力任せに引き抜いた。
流石に虚を突かれたのか、さしたる抵抗も無く持ち上がる。
そのまま体ごと回転させて、先程飛ばした要石へと半霊ごと折り重なるように叩きつけてやった。

 「げっほ、ごほっ……」

 衝撃を流しもせず無茶な機動をしたせいか、髄が染みわたるように痛い。
天子は滲んだ嘔吐感を、唾に貯めるようにして吐き捨てた。

 「やれやれ、とても女とは思えん」

 呆れたように、しかし油断無く構え直し、人鬼は言う。

 「やはり、身体の出力では叶わぬか。だが良い、それで良い。
  貴様を切り倒し、ようやっと人間を止められるかと思えば心も踊る」
 「さっきから切り倒すだの何だの、人を生木か何かみたいに……おう誰が丸太ボディだこの野郎」
 「言っとらんじゃろ」

 同じく緋想の剣を再び構え、天子は人鬼と共に睨み合った。

 「つーかさ、剣を一本にするって言ってもどうするつもりよ。所有権を認めれば勝手に戻る訳でも無いでしょうに」
 「そりゃ、当然な。元より二つに分けたのは、それを安全装置とする為。
  八雲紫の力無くして元に戻る事など、ありえんようになっておる」

 当たり前のように告げる人鬼に向けて、天子は渋い顔をする。
八雲紫を天子の母親から引き剥がす為に倶利伽羅剣が必要なのに、件の倶利伽羅剣を手に入れるのに八雲紫が必要だとは。

 「詰んでない?」

 端的な感想であった。

 「案ずる事は無い。奴は居ないが、奴の力なら此処に有る」

 そう言って人鬼は、自らの左こめかみをトントンと叩く。
人ならざる暗紫の瞳に白金の瞳孔が、ギョロリと蠢いて天子を捉えた。
自然と想起されるトラウマが、無意識の内に天子を一歩引かせる。指を一つ一つ動かして緋想の剣を握り、下唇を舐める。


 「……勝てんなぁ」


 ポツリ、と。それまでの声色とは打って変わり、寂寥感の滲む透明な声を上げたのが誰か、天子には一瞬分からなかった。

 「千年の研鑽を積み、非才の身で出来うる限りの剣を磨き、剣客の誇りすらも置き捨てて。
  それでもなお、人外の"人で無し"を殺しきれんか」

 くつくつと嗤う声には、緑の目をした化け物が潜む。

 「八雲紫なぞは、力の一端をあらわしただけでこうも怯えさせられると言うに」

 銀光放つ白刃の先端が、誘うように揺らめく。風はないが、空気に当たる肌が嫌に冷えた。

 「だが、それでも己れは勝たねばならん。あの方を、お救いせねばならんのだ。
  例え外道と誹られようと、この思いだけは誰にも負ける訳にはいかんのだッ!
  比那名居天子! 貴様の剣と血潮、我が牙にて嚥下されるが良い!」

 渾身の霊気を込めた刃を、地面に向かい振り下ろす。何の妖的素養の無いバネ刀は、猛々しい桜吹雪の柱となって散り咲いた。
微細な鉄片が空を映す天子の服を切り裂き、柔らかな目も庇わざるを得ない。
視界が晴れた時には、人鬼の姿は忽然とその場から消え失せていた。

 「移動した気配はなかった、けれど……」

 驚き、視線を巡らす天子の首後ろ、頚椎を狙える箇所にぱっくりとスキマが開く。
間髪入れず、そこから真っ直ぐに突き出された刃を、天子は咄嗟に身を捩らなければ回避出来なかったであろう。
手応えが無い事を確信したのか、その場に緋想の剣が振るわれる前にはあっさり刃が引っ込んでいく。
戦い方を変えてきた。自らの勝利の為に、躊躇無く紫の力を利用する戦法に。

 「――ッ、何時から暗殺者に仕事を変えたわけ!?」
 「何とでも言うが良い。誇りなぞ、気概なぞ、所詮は前に進むための理由に過ぎん。
  この八雲紫の力と倶利伽羅剣さえ有れば、幽々子様を解放するには十分な力となる。
  後はこの身に満ちる懸想さえ残れば、己れが生きてきた意味は有るのだッ!!」
 「とうとう自ら培ってきた剣技すらも信じれなくなったかッ!!」

 流石に、喉首狙いだけで決着が付けられるとも思っては居ないのだろう。
天子の目前に亜空穴が五つ開く。ブラフか、いや全て本物か。天子はその方に向かい要石を蹴り飛ばす。

 「天人らしく説法でもするつもりか、小娘。だが己れは安らぎなぞ求めては居ない!
  貴様らが悪の根源とする渇愛を! 死にゆく時に見た、あの舞いを再び見る為だけに己れは生きていた!」

 五つの穴から桜の霊光が溢れ出る。その全ては要の盾に防がれて、ビリビリと空間を揺るがした。
次に備えるために後ろを向こうとして、視線が目を食い破らんとする短刀の切っ先と合った。

 「美しいと思ったのだ! この世にある全てのものより、彼女が美しいと!
  貴様のようにただ答えあぐねて居るのとは違う、これこそが恋なのだ、比那名居天子!」

 氷雪を削るような音を立て、元は一つだったと言う剣同士が軋みあう。
緋想の剣が間に合ったのは、半ば以上偶然で有る。天子はその場から素早く三度バク転して、新たに出した要石の上に着地した。

 「遥か古代よりヒトが受け継いだ毒を救う格が! 道理が! 権能がッ!
  キサマに生えたかあああぁぁぁッ!?」

 途端、ぐらりと足場が傾く。斜めにズレた要石から、鏡のような切り口が顔を出す。
切られている。切られていた。捉えられぬような早さで、既に。
ごぼり。天子は視線を下に動かす。腹から生えた刃の閃きが、血塗れで妖しく輝いていた。



 「うっ……さいのよ、クソジジイ」



 良い。好都合だ。天子は腹に力を込める。顔なんぞ見なくとも、「そこに居る」のは空気で分かる。

 「いつまでも童貞こじらせてんじゃねぇぇぇぞぉぉぉッ!!」

 腹筋で刃をへし折るようにして体を捻じり、天子は自らを中心に要石で"リング"を造る。
刀を振り回す隙間すらない一寸の石檻で、緑の着流しを掴みあげた。

 「んなに説法が欲しいってんならくれてやるッ! 泥臭い殴り合いでどぉだぁッ!」

 ごしゃり。鉄のよりも硬い天人の右拳が人鬼の頬を捉える。
めきり。鳩尾を抉る左拳が、人鬼を石柱に縫い付ける。
距離を置く事無く、嵐のような打撃を加え続ければ幾らスキマが使えようと脱出不可。右拳! そして、左拳!

 「恋だ! 肉欲のように言うなッ!」
 「知るか! 女子の立場から言うとな、純愛だの浪漫だのの前に、ヒくわ!」

 二人の間は一尺も無く、天子は要石の壁に肉体を打ち込み続けた。
対する人鬼切れた唇を尖らし、血の溜まった唾を天子の目に吐きかける。

 「汚ねッ」

 反射的に顔を逸らす天子だが、そこに一瞬の隙が生まれる。
口から血を垂らしたまま翁が笑う。剣を振り回す事は出来なくとも、引き抜くくらいは出来た。
スキマと言う鞘から抜かれた刀身が、桜色の光を纏い膨張した。

 KA……BOOOOM!!

 鉄片混じりの爆砕が、石の檻の一方向を吹き飛ばす。
破れた箇所から土煙に塗れ、全身から緋色の霧を吹き出した天子が弾き出される。
血肉を輝きに代え、緋想の剣を片手に構える。同じく吹き飛んできた半人半霊が、短刀でその輝きを絡め取った。
片腕が切り開かれ、握り締めた手を蹴り飛ばされる。口角を狂気に釣り上がらせ、大上段に振り被った。
目を見張る。嗤った。叫ぶ。見下ろした。もう片手の石刀で、剣ごと小手を打つ。指が開き、刀が飛んだ。


 「――――ぁぁあああッ!!」


 肺から呼気の吹き出るままに、喉を振るわせ天子は猛る。
振り切った身体の動きに合わせて、剣に向かって駆け出していく。
同様に、人鬼も口惜しそうに歯を噛み締め、そのまま前方にある獲物に向かった。

 ――後方に飛んだ己が剣では無く、目の前に有る相手の剣へ、それぞれが。

 かくして、天子が白楼剣を持ち、人鬼が緋想の剣を構える、あべこべな状況が発生する。


 「……はぁっ、ああ、くそっ! 詰んだでしょ、これで!」


 未だ立ち込める砂埃の向こうに向かって、天子は言葉を飛ばす。

 「ほう? 何故そう思う」
 「何故って……白楼剣は、半人半霊のアンタには特攻でしょ。
  逆に緋想の剣は天人じゃなきゃ扱えないわ。アンタのそれは只の棒切れよ」
 「くく、そうかも知れん」

 影の向こうから発せられる言葉は、苦しげではあったが焦りの有る物では無かった。

 「だがな……使えるのだよ、己れは。何せ天人と半人半霊は、"本質的には何も変わらん"」
 「なんですって?」
 「カッ、まあ己れは半人半霊でも特殊な生い立ち故、賭けではあったが……どうだ。この通りだ、結果は」

 緋色の閃きが、間に挟まった土煙を切り飛ばす。
その向こうには、確かに人鬼が、緋想の剣を振り構えていた。煌々と光る刃を以って。
剣客の瞳が、少女の愕然とした表情を映す。

 「……どうして」
 「言ったろう、『魂魄家は半人半霊』なのではない。『半人半霊が魂魄』なのだと……いや、お前には伝えてなかったか?」

 まあいい、と人鬼は言葉を続けた。

 「だが、何故そんな家を残しておく必要がある?
  千年経って己れと血の繋がらぬ孫が一人。そんな『入れ物』をどうして是非曲直庁が用意しておかねばならない?

  ……半霊と言うのは言葉が悪い。ただの霊に人との子など残せるはずが無い。
  より正確に言うならば、『肉体を脱ぎ去った存在』と人とのハーフと言うべきなのだ」
 「それじゃあ、まさか」

 顔が、醜悪に歪む。


 「『魂魄家』とは! 『半人半霊』とは!
  是非曲直庁が拵えた『天人と人の間に出来た不義の子』を受け取る為の受け皿に過ぎんッ!!」

 「ふ、ざ、けんなぁぁぁッ!!」


 穢れに染められた地底の底で、緋と蒼はなおも激突を続ける。
意味も、力も、二転三転に流れ回って。色が空に変わるように――


 ◆


 景色が、変わっていく。
岩ばかりの暗闇で何を、と思うかも知れないが、数百年の間地底で暮らしていたのだ。
僅かな違いでも、新鮮味がまるで違う。

 例えば、苔むした岩影。例えば、小さく蠢く虫の音。例えば、ほんの僅かな隙間から顔を覗かせる小さい茸。
少しずつ、少しずつ、小さな者から順に生命がその姿を現していく。
橋を、川を越え、既に強い風が吹き付ける大空洞に聖輦船は至っていた。

 曰く、風に含まれる匂いがまるで違う。物珍しそうに鼻をひくつかせ、目を輝かせる子供達を、母親は細い腕で抱きしめる。
「ここまでくれば大丈夫」と言う思いと、そこから生まれる新たな不安が、その腕を微かに震わせていた。

 「……ああすまない、迷惑を掛けたね」

 気を取り戻した鼠顔の男――永江衣玖が言うには、比那名居の総領である――が、小さく咳き込んだ。

 「総領様」
 「永江にも、随分あの子が迷惑を掛けたようだ」
 「構いません。あ、でも羽衣代の請求分は領収書切らせて下さい」
 「……変わらないな、君は」

 多少、呆れ笑いを滲ませて呟く比那名居総領に、衣玖は眉を顰める。
男の小じんまりとした身体が、ゆっくりとさとりの方を振り向いた。

 「貴方が、天子さんのお父様」

 なるだけ平坦に声を出そうと務めても、やはり情念が篭ってしまっただろう。

 「あ、あ……申し訳ない、我々の」
 「その先は言われない方が良いですよ。良からぬ意味に取られます。
  ……古明地さとり、名は体を表す覚り妖怪です」
 「そうか、君が」

 どこか、納得がいったように男は頷いた。天子と話す機会があったわけでも無い様だが……。
男は身体を起こし一息つくと、辺りに視線を巡らせる。

 「天子は、何処に」
 「まだ地底です。やり残している事が有ると、私に気絶した貴方の身を任せて」
 「そうか。……そうだろうな、その為に戻ってきた」

 頑固な子だもの、と憂う心は、子を抱きしめる母親達とまるで変わりがなく。
豊聡耳神子が謳う「仙人」のような立ち振舞いとはとても思えず、その背中が嫌に小さく見えた。

 「失礼ですが……あまり、『らしく』は無いんですね」
 「はは……天子は私を、どのように言っていたのかな。私も所詮天人くずれだと、そう言う事なのだろう。
  すまないと、謝って済む事でも無いのだろうが」

 天人だからだろうか。心が読まれると分かっても、すぐさま嫌悪感を表に出したりはしない。
だからこそ、僅かに心の底に溜まる汚泥が、さとりには少し辛かった。

 「子のある者は子について憂い、また牛ある者は牛について憂う。分かっては居るのだがね」
 「では、蓄財をしてはならないと? それはなんとも、馬鹿げているように聞こえますが」
 「ああそうだ。どうしたって誰かが子を為さなければ国は滅びるし、牛を飼わなければ畑が作れない。
  ……私の勝手な考えだが、この言葉はきっとそんな意味じゃ無かったんだろうな」

 男は言う。

 「南無釈迦牟尼仏の言葉は、対機説法だった。決して、万人に付ける薬では無いんだ。
  風邪の薬は風邪を引いた者にだけ渡すように、この言葉も『子を持つ苦しみに悩む人』への言葉であって、
  若者や未婚の苦しみに向けた言葉では無かった筈だ。

  だがお釈迦様は入滅し、仏陀如来となった。
  そしてその頃にはもう、『我々にもその薬を寄越せ』と言う人間が、あまりにも増えていた」
 「……増えると、どうなるんですか?」
 「お釈迦様の言葉に従いたくても従えない人間が出てくる。やるやらないでは無く、『出来ない』人間がね。
  それは文化や気候の違い等でもある。つまり、それらが大きく変わる程に『仏の教え』は広まり、それだけ問題も起こった」

 それらをスラスラと噛み砕ける程度には、学んでいる。
流石天人と言うべきなのだろうかと思って、さとりは一瞬躊躇した。彼が後悔しているように見えたが為に。

 「結論から言えば、『仏の言葉を、広く布教するべき』と謳う者達の手で、仏陀如来はどんどん超人化していった。
  強大な神々を従え、時には罰を与える存在となって行くのも、より分り易く教えを広める為の事だ。
  一方、『仏が直接おっしゃった言葉が絶対である』と謳う者達の手で、何の変哲も無い薬は絶対の万能薬と化した。
  『この言葉通りに生きてなお苦しいなら、それはこの言葉通りに生きる事が出来ていないからだ』と言うように。

  ……確かに、『仏の教え』は広く、大きくなった。だが同時に、理想だった筈の物も歪めてしまった気がするんだ。
  その歪みに、あの子は挟み込まれた。……私はそれを、放って置くしか出来なかった」

 燃え盛っていた理想が、次第に冷たいシステムへと置き換わっていく。それ自体は、何にでも起こりえる事なのだろう。
社会であれ、人であれ。それは時折少なくない犠牲を強いて、やがて歯車は腐り落ち新しい芽が生まれる。

 「どうか、助けになってやってくれ。あの子が冷ややかな機械になっていく自分に苦しむ前に」

 下敷きとなった者達の、悲鳴のような祈りの一つがロックンロールだとするならば。
比那名居天子は今、まさしく歌っている最中なのだ。伴奏も無く、音程も無く、足掻いて、藻掻いて、叫んで居るのだ。
私は頑丈だ、心配いらないと、ただひたすらに嘯きながら。

 「……もちろん、です」

 ゴトリと物音。頷いて後ろを振り向けば、お燐とお空が微笑みながら戦闘準備を行っていた。

 「当然、あたい達も行きますよ」
 「置いてったりしないよね? さとり様」
 「……ええ。家族ですものね」

 聖輦船はじきに地上に出る。此処から再び地霊殿まで戻ろうとすれば、一人ではかなりの時間が掛かるだろう。
申し訳ない、とは思わなかった。力を借りる事に、貸す事に、古明地さとりは最早何の後ろめたさも感じる事は無い。
色々あった分、地獄へ道連れだ。

 「素敵な淑女となった貴方に、一言だけ」

 永江衣玖。

 「総領娘様をよろしくお願いしますね。きっと、同年代の友達なんか出来た事ないと思いますので」
 「……その一言、前に聞いた気がするんですけど」
 「あの時はご返答頂けませんでしたから」

 なんともまあ、前の話を覚えている物だ。それに、意地悪な事を言う。
さとりは苦笑しながらも、お燐達の方へ歩みを進める。その途中、一度だけ振り返り、犬歯を見せて笑った。


 「"友達"で収まるつもりなんて、有りませんよ!」


 ああ、何度だってアプローチしてやろうじゃないか。
こんな面倒臭い女を惚れさせた事、後悔させる位に好き過ぎてやる。

 目を白黒とさせる天子の父親を置き、ロケットが一筋、船から飛び出していった。


 ◆


 「ちぃぃ……ッ」

 体を後ろに捻りながら蹴り飛ばした要石が、空を走り向かってくる人鬼の切っ先を弾く。
ジャイロ回転を保ちながら飛んで行く要石は、一度当たればその場に滞空し多少なり動きを縛ってくれる優れものだ。
だが、今回に限っては、それは悪手だと言わざるを得なかった。

 「悪し魂ッ!」

 刀身で回転を捌きながらも、人鬼は己の半身に向かって一括する。
着地際の天子にえぐり込むように、所々が黒く濁った半霊が飛び込んでいく。多少なり、穢れの影響を受けているのだ。

 「か、ふ……」

 水の塊に打ち付けられたような重い衝撃。地の底を二転三転しながら、天子は事実を噛み締めざるを得ない。
弾幕戦ならばともかく、刀が届く範囲の殴り合いでならば、やはり向こうの方が巧者である、と。
こちらを叩きつけてきた半霊は既に白楼剣の届く範囲を脱している。半霊を盾にするにはこちらの持っている物が致命的であると、ちゃんと理解はしているのだろう。
それで前に出さずに引っ込めてくれるような相手なら、まだ楽なのだが。

 ――ああくそ、肺の中身を吐き出した……!

 空中で身を翻し、天子は毒づく。自分が正規の天人なら呼吸なんてしなくても済むのだが。
あの人鬼が、何の気なしに発した一言。たったそれだけで、己の芯がぶれてしまっていた。
肉体の檻を残した半端者では、力を込めるためにどうしても一呼吸必要になる。人の体は、息を吸いながら力が入るようには出来ていない。その間が、どうしても隙として残る。
見逃す程、甘くは無い。絶対に。

 ――イチか、バチか!

 逡巡する時間は、一度の脈拍さえも無かった。
「多分ここだ」と思うがまま、空を蹴り飛ばす。着地姿勢を捨てての蹴撃だ、外れればこのまま屍を晒すだろう。
果たして、手応えはあった。みしり、と軋む感覚と共に足裏が物体を捉える。
合算するベクトル量が、天子の体を大きく吹き飛ばす。

 「ハァーッ、ハッ……」

 地面を踏みしめ改めて見れば、憎々しげな表情で人鬼が膝を付けていた。
肩を押さえ、暗い眼差しでこちらを睨んでいる。

 「ざまぁみろ、よ。私が何回アンタにボコられたと思ってる」
 「……なるほど、その程度には剣を教えた意味は有ったか」

 だが、蹴りに力は殆ど込められなかった。怯ませる程度はしても、ダメージは殆ど無いと見て良いだろう。
表情に滲む物も、どちらかと言えばとどめを刺しきれなかった事への怒りか。

 「だが、正直な所期待はずれだな。相も変わらずの喧嘩殺法」
 「うっ……」
 「まぁ、殺す側としては楽で良い。己の身体の性能を活かしきる前に、再び閻魔の元に送り返してやる。
  それが嫌なら、精々学んだ事の一つでも活かしてみよ」

 言われて気付いたが、向こうはこちらの剣を殺して奪えば良いのに対し、こっちは殺すと倶利伽羅剣が合成出来なくて詰む。
どうにも酷く、不公平だ。もちろん殺してやりたい訳ではないが、釈然としない。

 「どうしても生き足掻くなら、今ここで剣を捨てろ。
  女の幸せもあると分かったろう。天からも地からも離れ、子を育んで暮らす道も悪くはあるまい?」
 「言ってろッ!」

 片手を払い、要石を飛ばすが当然の如く切り払われる。全く、こんな物では牽制にすら成りはしないか……

 「くそっ、人間の身体と差があり過ぎるのよ」

 身体の馬力があり過ぎて、力が無い時に鋼を振り回していたのとは全く別の感覚なのだ。
最初の時は木の枝が鉄刀になった事で混乱したが、どうやら鉄刀が木の枝になっても身体はついてこないらしい。
重みも感覚も全く違う……とまで考えて、脳裏に閃く物がある。

 「ちょっとタイム!」
 「良いだろう」

 認めて貰えるのか、と言った側が驚いた。
まあ良い、それなら精々試させてもらうまでと天子は舌なめずりをする。
白楼剣を腰に括りつけ、裂け目に突き刺した物と同じデザインの石剣を、要石と同じ要領で作り出す。
まずは身の丈、五尺程か。

 「……まだ、ちょっと軽いかな」

 人の身では最早持てないだろう塊も、天人の身でなら軽々と片手で振り回せた。
ならば、といっそ大胆に八尺までその刀身を伸ばさせる。

 「よし、こんなもん」

 両手でしっかりと握りしめ、上から下へ振り下ろす。
同時に大きく踏み出した右足が、ドンと大地を鳴らして天蓋にも響いた。
人鬼へと突き出した切っ先はどう見ても切れ味の良い物では無いが、この重さ、この大きさの石棒で有れば例え円柱であっても十分な凶器となるに違いない。

 「良いわよ、お待たせ」
 「……ほう、成る程。いささかマシな構えにはなったか」

 つまりは、身体が変わったのなら刀も作りなおせば良い。
天子の目的はこの身体でもしっくりくる重さの贋刀を用意する事であった。
それを何故わざわざ待ったかまでは分からないが、ひょっとしたら、恋に狂う剣鬼の最後の「剣道」で有ったのかも知れぬ。

 何にせよ、仕切り直しだ。天子は八尺の石剣を肩に構える。
このリーチ差である。人鬼は、後の先を取るつもりだろう。それでいい。どうせ細かい事など、教えられては居ないのだ。

 「――――ッメェェェー――ンッ!!」

 腹の底から声を出しきり、一目散に疾り向かう。
この豪剣をまともに受けるつもりも無いはずだ。力押しとなれば明確に身体能力の差が出てくる。だからまずは「受けさせる」。

 斜めに突き出た石柱に押され、最後の一歩だけがやたらと伸びた。

 人鬼の目が変わる。振り下ろす。天人の気で練った石剣も、緋想の剣と切り結んではひとたまりもない。
根本からへし折れた剣をあっさりと手放し、身体の勢いだけはそのままに、たたらを踏む人鬼へと組み付いた。

 「ぐおっ……」
 「捕まえたぁッ!!」

 相手の懐に入ったまま、手の甲ごと緋想の剣を捻り取り、地面へと向けさせる。
吹き出す緋色の輝きに包まれて、二人はロケットの如く高度を上げた。
とにかく、体勢を立て直す前に畳み掛ける事。それだけを天子は考える。
腰に組み付いていた手を離し、踵で肩から袈裟に叩き落とす。浮力を失い、急速に人鬼の身体が地面へと落ちていくのを尻目に、天子は胸元から素早く一枚の札を抜くと高々とそれを掲げた。


 「要石『天地開闢プレス』ッ!」


 七色の光で照らされる天蓋の下に、巨大な影が現れる。
人鬼は仰向けに叩きつけられた身体を起こしながら、ゆっくりと落ちてくる天を見上げた。
走馬灯のように、あの空を覆い尽くす桜吹雪を想起する。大日如来にも正当に認められた天人と、所詮紛い物の半人半霊。分かっては居たものの、これが圧倒的な基礎性能の違いか。

 「……いや……」

 圧倒的な物に挑んでいる事は、最初から理解していたつもりだ。
剣でも無く、想いでも無く、ただ時間だけが己の味方であった。その時間すらも、尽きようとする時が着ている。

 「いいや……!」

 落下する巨大要石は、最早岩と言うよりも山と呼ぶべきだ。
刀は、山を切るように出来ているだろうか。人は、山を切れるように出来ているだろうか。
馬鹿な事を、と笑われるだろう。そんな事出来るわけが無い、と感情が告げている。

 「いいやッ! 山が切れるなら、カミくらい切れようぞッ!
  カミが切れるなら、縁くらい切れようぞッ!
  ならば! 縁が切れるなら――」

 老いた身体に、霊気が宿る。紫の中に浮かぶ白の眼が、金の輪を作り輝いた。
鈍化した時間の中、自らの身体のみが思うがままに動く。世界が、灰色に染まっていく。


 「未来永劫、切って見せようぞ――!!」


 憂いも、迷いも、全てを肉の檻に置き去りにして、心無き心が法悦を味わっている。
真っ白い宇宙に一つ、線を引くような気持ちで一刀。倶利伽羅の「龍」を宿す炎の剣は、呆気無く山の一欠片を削ってみせる。

 ――切れる。

 それは最早、確信であった。要の山がこの身を押しつぶすまで、心の臓の一拍か、二拍か。
つまり雲耀の速さで有れば、一万も二万も切れると言う事。
常識を逆しまに肉体を逆しまに現象を逆しまに、切る、切る、切る、切る。

 十刀。腕が軋みを上げ、噛み締めた歯から血飛沫が飛ぶ。
 百刀。切り飛ばした筈の薄片が、未だ滞空して見える。
 千刀。たった一つの岩で出来た山に亀裂が刻まれ、暗い隙間を覗かせる。

 「退けぇぇぇー――いッ!!」

 万刀。揺るぐ筈の無い「道理」が、甲高い末期の悲鳴を上げ、勝者に道を開けるが如く割れ裂けた。

 ――我、大悟を得たり。

 最後の一刀を振り切った後、人鬼は残心の姿勢を取る。
成し遂げられるかどうかは半信半疑で有った。潰れて負けるならば、それも実力だと思っていた。
だが、この老身は為した。為したのだ。多くの者が信じられぬと言い、馬鹿馬鹿しいと吐き捨てる剣一本での「山崩し」。


 ……最初から最後まで信じ抜いていたのは、恐らくこの世でたった一人。


 「でしょうね、やっぱりアンタなら……」

 いかな天人と言えど、このまま岩盤にぶつかったらただでは済まぬと言う速度で。

 「このくらい割れると思ってたわよ、ジジィィィッ!」

 切り開かれた"道"を、本人よりも早く蒼い稲妻が通る。



 「――ッ、比那名居、天、子……」
 「ハッ……初めてアンタから一本取ったわよ、『お師匠様』」


 己の腹に、己の短剣を深々と突き立てた女の名を、掠れた声で呼びながら。
今は遠き、桜の花枝を見上げるように、半人半霊の剣士は仰向けに倒れていく。


 ◆


 極光に照らされる地底に、地鳴りが響いた。
奔る霊気と勢いに任せて穢れを吐き出す裂け目は封じたが、決してカミをどうにか出来た訳じゃない。
剣を模した大要石も、所々ヒビが入ってきている。

 「…………何故、己れは負けた」

 たっぷりの沈黙の後、何処かせいせいとした声で、人鬼が言った。

 「さあね。別に、アンタに教えてやれる事なんて何一つ無さそうだけど。
  強いて言うなら、アンタが信じなかった物を私は信じた。それだけなんじゃないの」

 大きく息をしながら、天子は答える。流石の天人にも、雲耀の隙間に潜り込んだあの吶喊は辛いものが有ったのだろう。

 「信じる心が力になったとでも、そう言うのか」
 「馬鹿げてる。賭けに勝っただけでしょ」

 それ以上でも以下でも無い、と天子は肩をすくめた。

 「何を学んだって聞かれても、こちとら散々ボコられた記憶しか無い訳だし。それを活かそうと思えば、ああもなるわよ」
 「……成る程。その発想は無かったな」

 くつくつくつ、と暗い笑いが穢れの痕を残す大地に染み渡った。
地の揺れは益々激しくなり、まるで巨大な怪物がほんの一枚下から突き上げてきているかの様。

 「時間は無さそうね」

 片手で握っていた白楼剣を、天子はぞんざいに投げ渡す。

 「とりあえず、これで倶利伽羅剣になるって言うんなら早くしてくれるかしら?」
 「……良いだろう」

 どんなもんだと思っていたが、剣を一つにする作業その物はさっぱりとした物であった。
柄を二つ合わせ、八雲の紫眼が妖しく光ると、緋想の剣の炎刃が龍を形作り白楼剣の刃を呑み込んでいく。
ついには黄金の輝きを放つ剣に緋色の龍が巻きつくと、絢爛たるオーラを放つ一本の直剣となった。

 「これが、その」

 幻想郷でも随一のふてぶてしさを誇る天子でも、流石に一歩たじろぐ程の。
いかに薄片と言えど、虚空にあまねく存在する万物の慈母、その決意の化身。
魅入られたかのようにふらふらと、天子が手を伸ばす。

 ピシャリ、と。
首筋に突きつけられた剣先によって、その手は強くたしなめられた。
老人の瞳がギラつく。魂魄を傷付けられ、突きつけた剣すらもふらふらと揺らぎながらも、未だ。

 「……何のつもりよ」
 「言ったはずだぞ、『奪い合うしか無い』と」

 天人でないその額からは、脂汗が垂れる。

 「はあ……? さっき負けを認めたじゃん。そんな身体でまだやれると思ってんの? 往生際の悪い……」
 「一目見た瞬間判ってしまったのだ、『この剣ならば為せる』と。あの妖怪桜を縁ごと切るに十分な格だと。
  往生際だと? ああ、死に時なら幾らでも有ったろうよ、諦める事なら何時だろうと出来たろうよ。
  その全てをフイにした時点で、己れは縋り続けなければいかんのだ」

 舌打ちを一つ、若干の苛立ちを含んだ視線で、天子は人鬼の剣呑な眼差しを睨み返す。
負けじと男は血混じりの唾を吐く。それはすぐに乾き、地にこびりついたカスとなった。

 「負けを認めたからなんだ、身体如きが満足に動かぬからなんだ!
  最初から勝てば譲るなどとは言っとらん、腕の一本でも動く限り、いや、腕が無ければ口ででも振ってみせるッ!

  ――蜘蛛の糸をよじ登る為に、他人を踏み台にするとはこういう事だ、比那名居天子ッ!!」

 千年の時を踏み台にした慟哭が、天子を一歩下がらせる。
天子とて、六百は生きた天人だ。眼の前の男と比べて一方的に言われねばならぬ程、子供と言うわけでは無い。
だが、しかし。鍛錬が違う。濃度が違う。一歩一歩に積み重ねてきた、想いの数がまるで。

 ……それが例え、拗れ切った道の果てだとしても、血と汗の重さまでは変わらない。

 「例え状況がどうであろうと、"今この剣は己れの手元に有る"。
  永く側に居た女の、幾重もの想いを踏みにじった先が、今己れの手元に有るのだ!

  ……己れとて木石の股から生まれてきたのでは無い。
  判っておるさ、西行寺幽々子が己れに向けて居た感情がどう言う類の物であったかくらい。
  特別強くも無い半人半霊だと言うだけの己れを、わざわざ手元に置いていた八雲紫の感情が
  『どういう物』であったかくらいな」

 女に応えられぬ痛ましさを、それを憐れまれる惨めさを。
全身が張り裂けるような意地に変えて。それでも剣士は、膝を上げるのが限界だった。

 「……嘘になるのだ。自分から手を離してしまえば、その全てが……」

 血の滲んだ声でそれだけを告げる。
天子は、それに言葉を返せずに居た。男と女の情に口を挟めるだけの経験が、天子には無い。
だがそれ以上に、この男もまた自らが助けたいと謳った者の範疇だと、気付いてしまっていた。
どれ程辛くても声を上げず、歯車の間に挟まれて、呻く事すらせずにあがき続けている人物だと。
それが例え、自ら作り上げた信念(システム)だったとしても、誰が自業自得だと笑えよう。

 ――だけど同時に、彼は「悪」だ。

 愛に渇く事の。執念を持ち続ける事の。……間違いなく、これは「悪しき」だ。
こうなってはいけない。こうあってはならない。だけど何故? それに答える言葉がない。だから、言葉が返せない。
ぐらぐらと、足元が揺れた。

 「どうした? 奪ってみろよ、天部の女。それとも、貴様が折れてくれるとでも?
  カミを殺すんだろう? 己の決着の為に。貴様に、死人の懸想を切って捨てれるかッ!?」

 剣先が揺れる。刀のような眼光が、突きつけられている。
カチリ。奥の歯が鳴った。震えているのだろうか。握り締めた拳が、嫌に痛い。

 「それと同じ事だ。違う事など、肉体が有るか無いか程度の物だ。やれよ」

 老人はきっと、心の芯を鍛えすぎたのだ。曲がる事も折れる事も無い未練は、悪霊と何が違うと言うのか。
裁かれねば救われぬ事を、きっと、彼が一番理解している。

 「殺せ!」

 ――それに、その剣は、比那名居天子にも、必要なのだ。





 「駄目えええぇぇぇー――ッ!!」





 帳を割り、まばゆく光る彗星が、要石を掲げる天子の顔に激甚な影を刻む。
軌跡から振り落とされた一つの"もの"が、殺意を振り下ろそうとした天子の身体に吸い込まれていった。

 「――っ!? さとぐっふぁ」

 慣性を叩きつけられた比那名居天子が、恐らく名を呼びたかったのであろう闖入者ごと真横にすっ飛んだ。
即座に、倶利伽羅剣を杖にして剣の鬼が立ち上がる。瞳の奥で不屈の炎が白く輝く。

 「貴方も!」

 その目を睨み返すのは、天の緋色ではない。

 「いい加減にしなさいッ!」

 朝焼けのような紫を見たのも束の間、視界の全てがライトグリーンに塗り潰された。
まるで脳を掴まれたかのような衝撃に、あっさりと老人は倒れ込む。

 「ア、ンタ」

 くらくらと首を揺らしながら、天子は己にのしかかる姿を見た。
分からない訳が無い。濃紫の髪、ハート型の髪飾り。表情までは、伺う事が出来ないが。

 「なんで、戻って」


 パァンッ――


 問い質そうとした矢先、右頬に鋭い痛みが奔る。
黒ずんだ岩に染み入る、乾いた音。天子が目を白黒させて戸惑って居ると、ぐい、と胸ぐらが掴み上げられた。

 「また……」

 滲む涙に、紫の眼が歪んで映る。

 「また、勝手に遠くに行こうとしたぁっ……!」

 その慟哭の意味を、天子は最初察する事が出来なかった。
またと言うのは、何時の事だろう。いや、心当たりは沢山有るけれど、この場合は当てはまるのか?
混乱する天子の思考を読み取ったのか、胸板に顔を押し付け、さとりが囁く。

 「……誰かが、誰かを裁くなんて。そんなの、まるで神様よっ……」

 ストン、と腑に落ちた。
ああ、そうか。自分はあの男を、修羅に為りたがっていた人間を、勝手に裁こうとしていたのか。
それが救いだと押し付けて。成る程それは何様のつもりだ、と天子は自戒する。

 ……焦って、居たのだろうか。なんともらしくない、格好の付かない話だ。


 「結局……これが、分相応、か」


 地に倒れ伏していた老人が、乾ききった声で呟く。
袖から除く腕は、とても先ほど山すら断ったような物には見えぬ、枯れ木のような姿であった。

 「特別な剣を握った所で……凡人が、天賦の才を得る訳でも無し……
  結局ここでも、切れもしなけりゃ死にもせなんだ……」

 諦めるのか、と天子が尋ねると、掠れた笑いが洞に響く。

 「まさか。……だが、この場では最早、得る物も無いだろう。
  天人一人ならともかく、覚り妖怪、貴様が居てはな」

 地に転がる、黄金の炎を纏う竜剣から目を背け、老人は鼻を鳴らして嘯いた。

 「……持っていけ。気が変わらん内に」
 「良いの?」
 「そこの覚り妖怪が気を失わせた事で、自ずと手から離れたのだ。儂が手放した訳ではない」
 「……それ有りなんだ。判定的に」

 まあ、そう言うのであれば遠慮無く貰って行くけれど。
天子は身を起こし、倶利伽羅剣の薄片と謳われた、天道の血を引く剣を握りしめる。
揺らめく炎が魅せる、血が湧き上がるが如き法悦感と万能感。思えば先程も、これにやられたような――

 「まやかしの涅槃、非想非非想、即ち魔境……」

 竜を、刀身を睨みつけるようにして、天子は吐き捨てた。
天界に居た頃の恨み辛み、地底で人として生きた妬み嫉みを、思い出しながら奥歯を噛む。

 「私は救わない。所詮、うたかたの身で人を支えるなど出来る筈がない。
  私は救われない。憧れに身をやつす事は出来ても、憧れに成り代わるなど出来る筈がない」

 天に住んで居ると言ったって、欲に悩まされる人間だ。
多少身体が頑丈で、人より長生きしたとしても、誰かを裁く資格など持つ訳が無い。
比那名居天子は「博麗霊夢」にはなれない。歪んだ満月に浮かぶあの影に、一生届く事はない。


 「――――ファッキンファックだ、くそったれッ」


 滲んだ幻影を切り払うように、天子は水平に一文字を刻む。
金色の炎が、火の粉と散って蒼天の髪を照らす。正体の見えない苛立ちが、光の筋を描いて消えていった。

 「何分かったような事言ってんのよ、私馬鹿みたい!
  そんな事言ったら坊さんも尼さんも天も菩薩もみーんな、『最初の人』の影を追いかける阿呆じゃ無いの。
  あまつさえ酒は呑むし! 偉ぶるし! 天人は子供こさえてるとか言うし! あーもう、あーもう……」

 そのまま両手で柄を持ちビッタンビッタンと、鍬でも振るうかのように有り難い剣の平を叩きつける。
一生懸命刀身に巻き付く竜の姿が、心なし涙目に見えるのは気のせいか。


 「ほんっと、大人ってズルいッ!!」


 ひとしきり叫んだ後。肩で息を吐き、荒ぶる心を押さえてゆけば、不思議と曇りのない心が天子の前に広がった。

 「馬鹿正直が美徳って、絶対嘘よ。思えばお釈迦様も言わなくて良いと思った事は言ってなかったもの。
  だったら私だって、折り合いつけさせて貰うわよ。どーせ理屈なんて後から付けられるんだから」

 ズルい大人の仲間入りだ、と天子は鼻を鳴らして息巻く。
こんな子供じみた、青々とした言葉すら言い出せなくて数百年。
天界の賢人を気取る奴らに、大人げないのはどっちだと言ってやりたくなる。

 「ロックンロールよ。セーシュンを取り返すんだわ。反省なんて閻魔様の前ですれば十分!
  どうせジジイも、許さないとか許されないとか色々退路塞いでるのかも知れないけど。
  いざ顔を出してみれば二、三発頬を叩かれるだけで済むわよ。女の言葉なんてそんなもんでしょ?」

 その言葉は、求めるがままに、求められるがままに人の域を出ようとしていた男にどう響いただろう。
無責任な、上から押し付けるような言葉か。あるいは、乱暴ながらも心を縛る針を抜くような思い切った忠告か。
何にせよ、老人は一度鼻で笑うと、膝を叩いて天子達に背を向け立ち上がる。

 その背中に、古明地さとりが声を掛けた。

 「また、雲隠れするおつもりで?」
 「地底も随分、窮屈になったのでな。鬼への勝ち分で庵をぶんどった事だし、天界で鍛え直すのも悪くない」
 「ちょ、来んな」

 老年の身体に、何処まで桃が効くかも分からないが。
半人半霊の正体が事実ならば、老いてなおもう二千年位は軽く生きていそうで天子は冷や汗を垂らす。

 「……カミから八雲紫を引き剥がすのには、一つ手がある」

 振り向く事も無く、ただ、土産を置き忘れたかの用に翁は言った。

 「奴は、自分がどれだけ非論理的存在に陥ったのかを理解しておらん。
  せいぜい、奴の『女』を指摘してやれ。瞬く間に怒り出すだろうよ」
 「……『女』ぁ?」

 天子は眉を顰めて、半信半疑で呟いた。胡散で冷酷なあの妖怪が、そんな事で怒るとも思えないのだが。
二度は答える事無く、身体を引き摺り去っていく。消耗しきった状態で地底から脱しきれるのか不安では有るが、まあ、飛翔出来れば大丈夫だろう。





 その、地上への道の途中。
天子達から十分に離れた所で、裂け目に突き立つ大要が崩れ落ちていく音を聞き、剣士が一度だけ視線を上げた。

 「花に染む 心のいかでのこりけむ……
  捨て果ててきと 思ふわが身に、か」

 男の内から零れ出た一句が、誰にも聞かれる事無く天を覆う帳へと登った同時刻。
白砂の布かれた庭園を眺めつつ、家人の居ない屋敷の縁側で歌集を読む女の目が、ふと一頁に止まる。

 「あくがるる心はさても 山桜
  散りなんのちや 身にかえるべき――」

 白魚のような指が筆をなぞり、瑞々しい唇が歌を編んだ時。
乾いた桜の花びらが一つ、頬を伝う涙のように紙の余白を滑り落ちていった。


 ◆



 ……地が軋みを上げ、甲高い空間の割れる音が鳴る。

 概念的な事を言えば、本来幻想郷を包む結界は"柔らかい"結界である。
柔らかいがゆえに壊れにくく、中身が膨らもうと破れにくい。小まめに手入れする事は必要だが、維持にあまり経費が掛からないのも重要である。
そこに、比那名居天子は「要」を突き刺した。それによって外敵からこれ以上の侵入を阻んでいるので有るが、同時に「排他」に頑なになった結界は、いつか誰かに破られる、という特性も背負ってしまう。
本来有り得ない空間の軋む音は、そういう物なのだと言っていたのは、巫女だっただろうか。

 「止水弁、閉めた! 隔壁!」
 「はーい隔壁! 閉じるよ、どいてどいてー!」

 間欠泉管理センター内部、二人の妖怪が、先程から頻繁に砂埃の落ちてくる施設内で作業を行っていた。
鉛入りの複層鋼で作られた巨大な観音扉が、一人の少女の手で閉じようとしている。
件の少女が、背中に生えた翼から火柱の如きロケット推進を行っていなければ、もう少し驚くべきニュースだと言えただろう。
だが、地底でも一、二を争う……幻想郷でも五指には入る馬力を持つの霊烏路空に掛ければ、少しは歯を食いしばる必要が有る程度の仕事であった。
ズズン、と重い音をたてて扉が閉じる。更に重量の有りそうな閂を四つ程掛けても、額に汗すら滲ませない。

 TLLLL、TLLLL!

 場にそぐわぬ清涼な機械音が、一仕事を終えた二人に緊張感を引き戻した。
お空は谷間の開いたシャツから微かに震える陰陽玉を取り出すと、少し悩んでお燐に手渡す。

 『こちらでも排気口の封鎖を確認した。済まなかったな、二人共』
 「あー、まー、構いませんよ。どうせ、さとり様のついでですし。
  そっちはどうです、藍さん? 地上には出れました?」

 地底の街にて、古明地さとりを落としたあの彗星。分かりきった事だが、その正体こそこの二匹である。

 『幻想郷から、地底を切り離す為の準備段階……内蓋、とでも言えば良いのか。その仕切いはもう完了している。
  流石に、今代の博霊の巫女は優秀だ。早くしないと戻って来れなくなるぞ』
 「あたい達はさとり様と一緒ですから」
 『その忠義は、分かってはいるが』

 八雲藍もまた、式が剥げたとは言え心情的に彼女達に近しい物がある。
今は隣に居ない己の主を仰ぎながら、藍は怜悧な口調で地底の後輩達に指示を送った。

 『……分かった。とにかく合流を急いでくれ。
  幻想郷から弾き出されるタイミングについては、追って連絡を入れるが……気を付けてな』

 実際、地底から地上まではお空の火力であれば数分で駆け抜けられる距離だ。
彼女自身、外の世界でもそれなりの霊格を保つ八咫烏を内に居ているのだから、心配ないとは思っているが。
だが、急にあの蛮勇を見せた古明地さとりと……もう一人。指先から冷たく置き換わっていく感覚に苛立ちながら、藍は陰陽玉型通信機の通話を、切った。





 「――と、いう状況な訳だけど」

 皺の寄った眉間を揉み、天子は呆れた顔で残った顔を見回す。

 「あんた達、やっぱ帰った方が良いんじゃないの?」
 「嫌です」
 「さとり様がダメって言うならダメ」
 「同じくー」

 逡巡する様子も無いと来れば、もうお手上げである。
そもそも天子からして相当無茶をして来ているので、説得力と言う物が微塵もない。
天井にぶら下がっていたのであろう、巨大な鍾乳洞が一つ落ちてきて、不意に砕け散る音を轟かせた。
天子は一瞬驚いて振り返り、改めてでかい方のペットを見上げた。地霊殿跡に突き刺した、大要の根本がグラついてきている。

 「……まあ、アンタは確か八咫烏だったわね。居ないよりは、居る方が頼もしい、か。
  けどいいの? 主人をこんな、見ず知らずの女に命賭けさせて」
 「うん? んー、まぁ、大丈夫だよ。さとり様の言う事だし」
 「アンタねぇ……」
 「それに、何か良く分からないけど、おねーさんなら多分心配要らないよ!」

 お空はそう言い、向日葵の如く笑顔を咲かせた。
まったく、あの恐ろしいカミの叫び声すら響いて来たこの場所で、頼もしい事極まりない。
天子は瞳を縮め、腹から込み上げてくる笑いを噛み殺す。腰に差した倶利伽羅剣が、チリチリと熱を持った。

 「あ、もしかして何処かで会った事ある? ごめんね、私忘れっぽいから」

 小首をかしげる仕草が、またおかしい。天子は二度首を振って、「気にするな」とだけ意思を伝える。

 「……連絡、来たよ。大要の崩壊を合図に、三○○秒。その間なら、待ってやれるって」
 「たった、三○○」

 地の揺れ響く音に影響されないよう、少し遠くで装置を動かしていたお燐が告げる。通信機の向こうは、すました巫女の顔か。
三○○秒。たったそれだけの時間で、ここに居る者達の運命が決まるのか。刻が過ぎれば、地底は幻想郷から切り離され、新しく流れる龍脈に押し潰されて、崩落する岩ごと仲良く海の底と言う訳だ。
いくら妖怪の身でも、厳しいだろう。辛うじて、お空が生き残れるかどうか。

 「やってやれますよ。ね?」

 信じて疑いもしていない、と言う風体で、さとりが微笑んだ。
「責任が持てないから」とフッたばかりであるのに、どうにも良い女過ぎて戸惑う程である。
根は、むしろ臆病な方だろうに。こんな風にしてしまったのは、自分か、恋慕か。

 ――けれど、やっと母様に会える。

 例えそれが、変わり果てた恐ろしい化け物であったとしても。
伝えたい言葉がある。伝えきれなかった思いが。八雲紫も、まあ、サクっと助けてやるとして。

 ――他に抱える物があったとはいえ、まあ随分と回り道をしたものよね。

 怒りに震え、冷たいものを流し込まれて。天界で一人涙した夜に、こうなる事を予測出来ただろうか。
もちろん、否。出来るとすれば、それは超人に他ならぬ。比那名居天子は凡人だ。多少、状況に恵まれたとしても、全てを導けるような器ではないし、導こうと信念を保ち続けられる者でも無い。
責任を取るだけだ。自分の手が、少し背伸びすれば届くくらいのものに。

 ……只の不良天人だった頃に比べれば、少したくましくなった腕が、剣の柄を握る。

 「ラン・アンド・ガン。とにかく、近づかなきゃ話にならないわ。
  十秒で接敵して、十秒で紫を切り離して、十秒でカミサマぺちんして二七○秒私を褒め称える。完璧な作戦。わかる?」
 「つまり、全力でぶっこみながら臨機応変に対応って事だね?」
 「そんな感じ」

 四人、犬歯を剥いて笑った。あの古明地さとりさえも。

 「大要が崩れれば、地上の奴らにもわかるのね?」
 「その辺は、上手くやってるんじゃないかな。私には良くわかんないし」
 「ごもっとも。さ、行くってんなら構えなさい。着いてこれないなら、置いてくわよ」

 ここしばらく、幻想郷を騒がせた大異変も、もう間もなく終わるだろう。
地底の住人達は、どうするだろうか。荒れ果てた街の再建か。ひょっとしたら、幾分かは太陽の下に戻るのかも知れぬ。
終わり方の心配など居るものか。無色だった自分はもう居ない。


 「っしゃあ、行くわよ! ガキの我が儘貫き通して、大団円と行こうじゃないの!」

 「「「応ッ!!」」」


 号令一括。倶利伽羅の剣が、核の光が、大要を縦に割る。
崩れ落ちる石塊が地に落ちるのも待たぬまま、四人は地底の裂け目……灼熱地獄の底へと、飛び込んでいった。

 ……地底崩壊まで、後、三○○秒。


 ◆


 幻想郷の空に、黒々とした煙の柱がそびえ立つ。
人も、妖も――神ですら、少しの憂いを秘めてそれを見上げていた。

 「見ろ、太陽が」

 何処かで誰かが、隣人の肩を叩いて指さした。
まるで月に朧雲が掛かるかのように、東から昇り来る太陽を、黒い"もや"が包みこんでいく。
日食にしては、余りに歪。だがそれが、文字通り「日を貪っている」とすれば。
そんな絵空事を考えてしまう程、その煙は異様であった。

 「また、何か異変か」
 「だがもう博麗の巫女は動いていると聞いたぞ。しばらく前から、地底に行っていると」
 「戻ってきたんじゃ無かったのか? ほれ、今日の明け方頃に船が」
 「何にせよ、ちゃんと働いて欲しいね……」

 されど。されど幻想郷の住人には、"その程度"の事でもあった。
地震で崩れた家屋を立て直し。博麗の巫女の怠慢を嘆き。明日の為に田畑を耕す。
いつか戻って来る日常とて、何もせずに暮らして行けるほど甘くは無い。

 黒く濁りきった太陽に照らされ、天が藤紫に染まるのを見上げ、いつもとは「何か」が決定的に違っていると……そしてそれが、幻想郷を見守る賢者の存在であると気付くのは。皮肉にも、言葉も介せぬ妖精達ばかりであった。





 後方で、轟く衝突音が一つ。天子達が飛び込んだ裂穴は、ついに隙間から入る光も無くなり完全な闇と化した。
こうなっては、光り輝く核融合と、倶利伽羅剣だけが頼りである。影を切るように、自然と二人が前に出る。
いいや実際、生半可な怨霊では、神性が滲む強い光を前に近寄る事も出来ぬ。
光の繭に守られて、穢れひしめく地底の最深部を、四人は照らしつつ進んでいた。

 「……視界が悪いわね。不意打ちには注意しなさいよ」
 「地鳴りも止まりましたね。心配の種が無くなって、楽な事ですが」

 怨霊達もどうやら、無理に手を出してこようとは思っていないらしい。
シンと静まり返った、けれど決定的致死圏に何かが潜んでいる、チリチリとした感覚。
本能が、この先は危険だと告げている。だからと言って、のうのうと帰る道など最早残されては居ないのだが。

 「――止まって」

 一番前に出ていたお空が、大きく腕を広げて一同に静止の合図を送った。
天子達からは見えないが、その瞳孔は既に金色に縁取られている。
腕の制御棒に力を込め、お空はその場に静止する大きな光球を撃ち出した。
肥大する光量に合わせ、怨霊たちもまた押しのけられ、身を縮こまらせていく。


 「……ッ」


 誰かが、或いは一斉に、息を呑んだ。
穢れ共が渦を巻くようにして黒き蛇となり、鎌首をもたげる。天子達の足を止め、ギラついて光る赤い目が……三対。
そして三つ首の中心に、白黒のドレスを着た女が磔になっていた。

 「八雲紫……?」

 遠目だが、恐らくは間違いないだろう。中身の方はともかく、肉体的には相違ない筈だ。
後はあれを、単純に切り離せば良いのかと言う問題だが。

 「……何か聞こえる」

 お空が表情を澄ませて、そう呟く。


     ――もっと、私を知るべきよ――
     ――もっと、私を褒めなさい――
     ――私の事を、愛してよ――


 声、だろうか。低く轟く怨嗟の中、場違いな程小さく高く聞こえる声。
陸の魚が酸素を求めるように、パクパクと。必死に口を開けて、"それ"は欲していた。

 「……嫌な感じですね。あの三匹、あたりの怨霊よりずっと方向性の強い思念を持ってる」

 下手に思考に触れられるからであろうか。少し顔色を悪くした様子で、さとりは言う。

 「無視できれば良いけど」
 「あー、そう上手くも行きそうに無いですねえ。
  少なくともあの三匹、こっちを食う気マンマンって目をしてるよ」

 こちらを睨め付ける穢れの蛇を睨み返し、お燐が告げる。


     ――私が一番、貴方を分かってる――
     ――私が一番、求めているのに!――
     ――なんでそれに答えないの?――


 「勝手な事言ってる。あれが八雲の本音って奴なのかな」
 「……勘だけど、違うと思うわ。もっとこう……人としての、根っこの部分と言うか」

 天子は、声が訴えるのは万人に共通する事だと説明した。人格の中に、誰しも持つ心だと。
そこに否やは無い。更に天子は、それが戯画めいて「見せつけられている」ように感じると言う。

 「地の底に、三匹の毒竜。ならさしずめ、貪・瞋・癡(とん・じん・ち)ね」
 「と言うと?」
 「『運用されてる』って事よ。少なくとも、有象無象の怨霊が塊になっただけよりは、ずっと厄介」

 曰く、万人とは虎の脅威から逃げ出し、崖の松から垂れ下がる藤蔓にぶら下がる旅人だという。
崖の下で口を開けているのが貪・瞋・癡の三毒竜であり、藤蔓を齧り千切る存在が昼と夜の鼠という話だ。
その逸話を見立てているのであれば、あれこそ万の怨霊から生み出した三毒の竜か。


     ――愛していると示しなさい――
     ――必要なのだと求めなさい――
     ――どうして私だけが苦労する?――


 理不尽な怒り。嫉み。自分だけが貶められていると言う、誤った思考。
説法するならしてみせろ、と言う事だろうか? 説き伏せ、邪を祓い、此処まで来てみろ、と。

 「気に入らないわね。任せていい?」
 「そうですね、時間も無いですし」

 己が、人を説くに値しない存在である事など最初から分かっている。
いくら「そうなりたい」と思っても、躓くばかりで進めなかった。
故に。比那名居天子が目指すべきは、竜の調伏ではない。

 「迂遠なのよ、相変わらず。まるで『自分はそんな事言っていない』みたいな顔して……」

 そんなに、自分の言葉で語るのが嫌なのか。どうせ、大した理由などありはしないのだ。
蟻の巣穴が堤を崩すように、逆を言えば、どんなに大きな城も砕いていけば砂粒一つでしか無いのだから。
「私が一番愛してる」? そんな事は分かってる。楽園に暮らすものなら、妖精ですらその存在を知っているのに。

 知らんぷりしてるのは、奴だけだ。


 「……悪いけど、アンタに付き合う余裕も無いから。
  そのツンと尖った冷たいお口で、『愛してる』って叫ばせてやるわ」


 ……地底崩壊まで、後、二四八秒。


 ◆


 ――いつの話だったっけ。

 残暑のきつい、夏と秋の間の日だったと思う。真っ盛りは過ぎて、少しづつ、日の入りが早くなっていた。
蝉の声も少しずつもの寂しくなっていって……私は久しぶりに、冥界の屋敷に顔を出して。

 『忘れちゃったの? もう、紫ったら意外とぬけてるんだから』

 薄桜色の髪をふわりと揺らして、亡霊の親友はおかしそうに微笑む。
……私は、どうだったかな。笑い返した顔が、少しぎこちなかったかも知れない。

 『忙しさに一段落したら、二人でお団子でも食べに行きましょうって。私、結構楽しみにしてたのよ?』
 ――ああ、そう。そうだったわね。

 別に、忘れていた訳じゃない。ただ、そんな気分は消え失せていた。
爆音と、閃光と、炎の中、燃え尽きた営み。最後の現人神は人に堕ち、科学による破壊は、あっさりと幻想を飛び越えていく。
……今にして思えば、慰めて欲しかったのかも知れない。妖怪も信仰も……全てを守れると、自惚れていて。

 ――ねえ、幽々子

 だけど、そんな機会は。やっぱり私には、訪れなかった。



 おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ



 『あらあら、まあまあ』

 ぱたぱたと、少し困り顔で……けれどどこか幸せそうに、幽々子が縁側を駆けて行く。
ふすまを開けた先には、老齢の剣士が疲れた顔で眉間にしわを寄せ唸っていた。

 『……いや、幽々子様。お手を煩わせる事では……』
 『なに言ってるの、妖忌ったら。あなたじゃろくにあやす事も出来ないじゃない』
 『む……』

 何が気に入らないのだろう、泣き喚く赤子を男の手から胸に抱き、良い子良い子と慈しむ。
……まるで、母のような顔で。その時の私が、知らない顔で……

 ――その子、どうしたの?
 『是非曲直庁の人が連れてきたの。新しい"魂魄"の子ですって』

 嗚呼、その名は知っている。堕落しきった天界の、望まれぬ子か。
それが、親友と、付き人の男の間に収まって、笑顔を向けられている。

 おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ

 『うーん、ごはんかしら? 妖忌、重湯を温め直してくれる?』
 『……畏まりました』

 泣き声が、妙に頭に響く。あの嫌な光景を想起させる。
……焼け焦げた母の下、子供が死体を揺すって呼んでいた。この世の地獄で、ママ、ママ、ママと泣いていた。
皆が涙を流しながら頭をすりつけ。この日の本で最も尊き幻想が、地に落ちるのを耳にしていた。

 『そういえば、遮っちゃったけど……何のお話だったの?』
 ――大丈夫。大した話じゃ無いわ。

 ……私の作った楽園は、全てを受け入れる。自分の足で辿り着ける者しか、助けはしない。





 -○-◯--◯◯-◯---◯--





 「ゆゥゥゥかりィィィッ!!」

 噛み締められた奥歯が音を鳴らし、唇が裏返る程の速度で踏み込んで行く。
牙を剥き猛る天子の喉を、白い女の腕が鷲掴みにした。

 「がッ……だァ!」

 首から上が千切れ飛びそうに成りながらも、少女は剣を離しはしない。
愚直に重ねてきた無意識の動きが、散りかけた意識の中で剣閃を走らせる。

 『――ッ』

 このまま首を握り潰そうとしていた八雲紫が、すんでの所で身を引いた。
お陰で首がねじ切られなくて済んだと言うべきか、腕の一本を持っていけ無くて残念だと言うべきか。
後者ね、と天子は唾を吐く。何処までも、何処までも。何処までも!

 「天にまで引っ掛けてやるってのよ……ッ」

 背負う伊達は、もはや形骸となった虚栄ではない。
理屈と、利益と、理性の坩堝の中で、見る者全てに向け高々と掲げた狼煙である。
比那名居地子と比那名居天子は別人では無く、「天子」の名は、自分の居場所を自分で作る信念の証で有った。

 『-○○ひ--○な-ない、てんし』

 赤黒く濁った瞳が、不快な虫を見るかのように見下ろす。
ゾッとするほどの美貌は、僅かな歪みでたやすく人を恐れさせる物に変わっていた。

 『気に、いらないわ』
 「同感ね。そういう所ばっかり馬が合う」

 例え、緋想の異変を天子が起こさなくとも。この女とだけは反りが合わなかっただろうな、と言う確信が有った。
或いは本当に、同族嫌悪なのかも知れない。曲がりなりにも、幻想を救おうと立ち上がった女なのだから。

 「とは言え、アンタなら大抵の事は自力でなんとかなるでしょうに。何がそんなに気に入らないんだか。
  怨霊共の中に魂を溶かしてまで、一体――」
 『あなたには分からないわ、分かるはずも無い。
  天人と言えど、所詮、子を持つ女の肉に埋もれているようじゃ……』

 天子の言葉を遮るように、八雲紫は大きく手を広げた。
腕からは真っ白な肉が振り袖のように腐り落ち、やがて黒ずんで空間に溶けて行く。
豊かな金色の髪は枯れ果てた白髪に変わり、血の気の無い頬に瞳孔の広がった赤い目が本能的な恐れを揺り動かす。

 『聞こえないかしら? あの「人」の想念から成り立つ毒蛇共の愚かな声が』

 無機質なノイズ混じりだった声が、聞き覚えの有る皮肉気なそれに整えられていく。
鋭く尖った指先が示す先、さとり、お燐、お空の三人がそれぞれの毒蛇を引き付ける。

 『より多く。より深く。そしてそれに見合う以上の共感を。
  本来、誰にでも有るはずの欲望を、言葉が「女」と定義した』

 故に女は決して、この三毒から逃れる事は出来ないと。
襟の高い衣に邪魔されて口元を伺えないが……八雲紫は、嗤ったようであった。

 『けれど私は違うわ? 私は八雲紫。あらゆる認識の外に巣食うもの。
  天人と言えど人である限り、私と理解し合える筈もない』
 「ご高説どーも。なるほど、大した増上慢ね。……でも私はそんな物には縛られない。
  辞書に載せる単語も! 意味も! 私の分は、私が決めるッ!」

 金色の炎を纏った剣を気高く突き上げ、比那名居天子は獅子の如く吠える。
袈裟懸けに切り落とす一閃を、異形となった紫は瘴気を纏った腕で弾いた。

 「言葉とやらに縛られた限界なんぞ、理解してやるもんかぁ!」

 逆袈裟。水平。弾かれ、避けられ、もう一度切りつけた刃を、異質な怪力に寄って握り止められる。
くすくす、くすくすくす。焼けただれる音と共に手の平から黒煙が上がるが、八雲紫の表情から嘲笑が消える事は無い。

 『その言葉。"母"になってもそう言えるのか』

 倶利伽羅剣を抑えるのとは逆の貫手が、天子の下腹部に突き刺さった。
血が溢れるのでは無く、まるで水面に流木が突き立つかのように。天子の顔が異物感に歪められる。



 『すぐに分かるわ』



 ごぶり、とはらわたが膨れ上がるような感触があった。
白く冷たい指が、腹の内側を優しくなぞる。ぞくぞくと身体を逆流する奇妙な感覚に、天子は太股をよじり身を震わせる。

 「くっ、ふぁっ……な、何これ……」
 『初心な反応。染めてあげるよ』

 やがて、どくん、と何かが弾けた。頭の裏を雷で打たれ、瞳孔が小さく縮む。
体内に、己の体温とはまた違った生暖かい物が広がっていく。ああ、これは、これは。

 『半人半霊の成り立ちを、あなたも聞いたでしょう?』
 「ひっ……やぁっ、やだっ、これやだぁ!」
 『自分にも子が為せると聞いて……悦んだのね、この"腹"で』
 「あぁぁ……!」

 掻き回される。撹拌される。指が這いまわり、「誰か」と「私」が混ざりゆく。
痙攣が広がる。息が苦しい。……なのに、それが、何処か嬉しい。

 『覚り妖怪が恋慕の情を抱いているのは分かっているでしょうに。ひどい人ね』
 「や、め……」
 『やめて欲しいようには、見えないけれど』

 ひんやりとした唇が、首筋に吸い付いた。
火照った身体の熱が吸い上げられていくようで、また恐ろしいのに感覚が白く弾ける。
パチパチと明滅する意識の裏に、女の夢が刷り込まれていく。

 ――赤子が泣いた。疲れきった身体に笑みを乗せ、涙の筋を残しながらその子を抱く。

 ――幼子が、初めて自らの名前を口にした喜び。抱き上げ、頭よりも高く持ち上げてやると、実に嬉しそうに笑う。

 ――歩けるようになった子の、手を引いて散策する。小さな指が、懸命に伸ばした指先を握る。

 その全ての隣に、自分が居た。今よりも幾分か成長した姿で、花が咲くように笑っている。
……それが幸せな事だと、理解してしまう。幻視に過ぎないと分かっていても、どうしようも無い程に。


 愛したい。

 愛した分だけ、返して欲しい。

 愛されているのか、それが知りたい。


 痺れるように身体が跳ね、仮初の思い出が、稲光に打たれ焼き付いていく。

 『女は他人に愛を要求する。それが当然の権利であると信じて。
  ……だから永遠に満たされない。故に、涅槃には辿りつけない。それが「彼の者」も語る真実である。
  ああ、オスかメスかの話じゃないのよ? 「女」と名付けられた精神がどうあるか、と言う事』
 「ひっ……うあっ!」
 『母が子を見捨てられないのは、愛を取り立てなければいけないから。
  それでもあなたは会いに行くの? その行いが、貴重な友人まで殺すと分かっていて』

 くすくす。くすくすくす。笑い声に、脳が溶けそうで。


 「く、そったれ……」

 口元から涎をたらし、焦点の合わぬ瞳で、それでも天子は柄を握りしめた。
冷えた感触が微かに正気を取り戻させる。今必要なのは、断じて恋人同士の愛撫などでは無い。

 ――剣だ! 切り拓け! 切り進め! ……後にどうあろうと、今は"それ"が私だッ!

 いやらしく笑う紫の身体を蹴り飛ばし、距離を離す。どぷりと言う音がして、腕が下腹から抜けた。
腹を押さえて剣を構えると、黄金の炎がパチパチと揺れ、邪悪を滅せと獲物を見定める。
八雲紫から離れた事で、あの妙な幻覚は見なくなったが。

 「ご大層な事言いやがって。女に宗教をやらせないのは、当時の政治的な理由でしょうが。
  『女も子を残すな』なんて言い出したら邪教認定一直線だもの。男だけの物にしたって、仕方がないわ」

 そういう"ズルさ"のような物は、以前の天子であれば受け入れられ無かったであろう。
だが、やっと分かった。経典に乗るどんな言葉でも、その当時に生きる人々が居て、彼らに向かって語りかけているのだ。
無論、未来を見据えた言葉が無い訳ではない。だが、今よりずっと遠い未来を重視する者に、本当に人はついてくるだろうか。

 「女は……母は。私の、お母様は。そんなに無様な存在では無いと、私は信じる!」
 『ならば人は、女は! 子宮で考えているのでは無いと、証明してみるがいい!』
 「言われなくともぉぉぉー――ッ!」

 八雲紫の胸を縫い止めるかの如く、天子は倶利伽羅竜の剣を突き込もうとした。



 ――おぎゃあ。おぎゃあ。おぎゃあ。



 その切っ先が、ピタリと止まる。
嗚呼、八雲の胸の中で赤子が泣く。炎を纏った剣先を向けられて、母に縋るように泣き喚く。
強く睨み付けながらも、歯の付け根がカチカチと鳴った。踏み込んだ前足の小指が、後一歩踏み込みきれずに中敷きを噛む。
焼け付いた記憶が、チリチリと頭の裏を叩く。

 『ざーんねん』

 次の瞬間、赤子の顔がどろりと穢れに溶けて行き。
割れた虚空から突き出た光の槍に幾重にも貫かれ、比那名居天子の口から紅い血が漏れた。


 ……地底崩壊まで、後、一七六秒。


 ◆


 「こっちだ、すっとろいの!」

 闇を切り裂くように、赤いおさげが螺旋の軌跡を描く。気炎を上げそれを追うのは、長い首を伸ばした嫉妬の蛇。
ゆっくりと舞う薔薇の花びらが、機雷のように蛇の身体に触れては爆発を起こした。
その度に、身体の表面に怨霊が現れては苦しげな呻きを上げる。

 「病み上がりなんですから、無理せんで下さいよ」
 「大丈夫。"天気"に照らされていたから、随分調子がいいのよ」

 先程から霊気の薔薇を撒き散らしていたさとりが、心配そうなお燐の言葉にガッツポーズを見せた。
別方向から、愚痴の蛇がその華奢な体躯を飲み込もうと突進を仕掛ける。

 「それも、私には見えている」

 差し出した掌が鮮烈に光ると、巨体が悲鳴を上げて仰け反った。
この毒蛇達に目という器官があるかは分からないが、古明地さとりの放つ光は心を照らしだす為のもの。
正しさの名で誤魔化せば誤魔化す程、光は己の醜さを浮き彫りにするとあれば、"彼女"らにはさぞかし効いたであろう。


     ――AAAAhhh!!――


 「全く、可愛らしくない喘ぎ声ね。天子さんとは似ても似つかない」

 はぁ、と溜め息一つ。これこそが覚り妖怪の強み、怨霊共に怯え疎まれる理由であった。
怨霊であると言う事は、魂に欠損があると言う事。そこに触れてやれば、その痛みは傷口に塩水をかけるようなものであろう。
塊だろうと蛇であろうと、「怨霊である」ただそれだけで古明地さとりには叶わない。
実際には何かに憑依されていると大分やり辛かったり、さとり自身のスタミナの無さなど様々な問題は有るのだが。

 だが、この場に限ればそのような問題は些細と言ってよかった。

 「触れられたく無ければ大人しく頭を垂らしなさい、人の醜きよ。
  このまま私に蹂躙されるか、地底の太陽に焼きつくされるか。好きな方を選ばせてあげる」

 二つの蛇を打ちのめし、痛みに悶えさせながら、もう一つの毒蛇に向かってさとりは問う。

     ――ア、アア……――

 恐怖に身を強張らせてか、憤怒の蛇の身がふつふつと泡立つ。
いや、あれは怨霊の顔が随所に出て来ているのか。遂に、芯を通した感情を保つことすら難しくなったらしい。

     ――何故……何故邪魔をするの?――

     ――お前たちさえ邪魔しなければ!――

     ――悔しい! 憎い!――

     ――何が悪いの? 世界はもっと平等に、私を愛するべきなのに!――

     ――あなただって、返ってこない愛が辛い筈でしょう!?――

 鱗のように生えた顔から、非難の声が好き勝手に上げられる。
さとりはそれを涼しい顔で聞き流し、パチリと指を一つだけ鳴らした。


 「お空。答えて上げなさい」
 「うむ! 私にそんな難しい事を聞くなァー――ッ!!」


 CAUTION! CAUTION! CAUTION! CAUTION!

 核エネルギーの充填に努めていたお空が、遂にその火力を全て解放し薙ぎ払う。
神性すら内包した圧倒的な熱量に、悪徳を取り纏めた毒蛇と言えど纏めて消し飛んで逝く。後には、断末魔すら残らない。

 「説明しよう、馬鹿は話を聞かないのだ」
 「何か言った? お燐」

 ボソリと口を滑らせたお燐へ、にこやかに銃口が向けられた。
ぶんぶかと首を振った後、急に真面目な顔つきに戻りお燐は言う。

 「さて、あっちもまずい感じ……まぁ正直、あたいにゃあまり効果的な手段も無いんですが」
 「あら、後悔してる?」
 「まさかですよ。さとり様とお空にはあたいが付いてないと、ねぇ?」

 そう尋ねながら振り向いて、お燐は目を瞬いた。
相方であるお空の瞳が、先程放出したばかりだというのに爛々と金色に輝いて居たからだ。

 「お空?」
 「……駄目、あれは、不味い」

 お燐の問いに答えもせず、お空はどこか虚ろな声で一言呟くと、光る尾を描いて飛んで行く。

 「あ、あの馬鹿ッ!」

 一息付く事すら許されず、お燐は慌ててさとりの腕を掴むと、きらめく軌跡を追いかけ走り出した。





 ……肩口から。脇腹から、腿から、体中から、血が抜けていく。
不思議と痛みは無い。剣の輝きが恐れを消し去っているのか、それとも単に未だ剣が握れるからだろうか。
天子は一言呟こうとして、ゴボゴボと口の中で血が泡だった。

 「女……所詮、私も女だって……?」

 ドス黒さも含んだ、女の情念。暖かな母としての悦び。
無意識の内に目を背けていたそれらを、無理矢理に瞼をこじ開けて突き付けられた。
自分でも"母"になれると考える度に、一番隣に居て欲しい者の思いを裏切るのでは、と鋭い痛みを覚える。

 折角この手に戻ったはずの仏性が、またこぼれ落ちていく。

 「くそったれ」

 粘着く液体を吐き捨て、改めて悪態をつく。体がだるい。思考がブレる。紫は何処だ。後何秒有る?

 『あははっ……あははははは!』

 八雲紫の高笑いが狂ったように響く。意識が離れそうだ。やめろ。思考を離すな。

 『無様ね、比那名居天子……初めて会った時、あなたの眼の前で、神社を壊してやった時の事を思い出す』

 嗜虐的な声を歪ませ、紫は天子を見下ろした。
いやはや、この体勢はどうにも嫌な記憶を呼び覚ます。天子は起き上がろうと膝に力を込めるが、思ったように力が入らない。

 「答えを出せっての?」

 生涯で、三度目のキスの光景が頭によぎる。
誠実だのなんだの言いながら、知っていて、分かっていて、甘えてきた事へのツケだろうか。
死ぬ以外に道が無かったから一度は振った。では、今は? 次に恋を伝えられた時、何と答えればいい?

 母に、なってみたいと。答えられるか?


 「――比那名居天子ッ!」


 あるまじき奴の、怒鳴り声が聞こえた。

 「人をッ! 言い訳に、使うなッ!」

 濃紫の髪を、上下に揺らし。
恐らく、天子がこの地底に来て……いや、ペット達ですら初めて聞くような、古明地さとりの大音声。

 「……ええ、そうね。そのとおりよね」

 揺らいでいた炎が、再び金雲を纏い燃え上がる。


 「私の答えは、私が出したい時に出す! お前如きにどうこう言われる理由は、無いッ!」


 そうだ。どいつもこいつも、余計なお世話なのだ。
いいや、感謝はしてやろう。"母"と言う道があると教えてくれた事、その悦びを教えてくれた事には。
だが、選ぶのは自分だ。責任を取るのも。責めているのは、自分自身なのだ。さとりではない。
いつか、衝突する事があるとしても。今でも無ければ、こいつとでも無い!



 『……気に入らない顔ね』

 起き上がった天子を見て、紫は苦々しく吐き捨てた。

 『悔しさを噛み殺し、諦めの笑みを浮かべなさい。
  去ね、天人! 私の幻想郷に、貴様の居場所は有りはしないのよ』

 「……なら、アンタの居場所は有るのかしら?」

 すう、と天子は、力の抜けた身体で呟いた。嫌味ったらしい音は無く、ただ純粋に胸の内から湧いた疑問を。

 「有るとして、それは人なの? 土地なの? それとももっと、別の何か?」
 『……お黙りなさい』
 「答えらんない? 難しく考え過ぎなんじゃないの、アンタ」
 『黙れと言った!』

 更に虚空から一匹、輝く飛行虫が飛び出し、天子の肩を穿つ。
それでも、天子は止めようとは思わなかった。まるで何か大勢のものに背を押されるかの如く、口から言葉が飛び立つ。

 「ねえ。それって多分、最終的には子供を安心して育てられる場所の事よ。
  安心して眠れて、安心して弱れる。弱い存在が庇護して貰える、だから生物には"居場所"が必要なのよ。
  そうでしょう? 境界の狭間に潜むもの。スキマはアンタの居場所じゃないのかしら!?」
 『……ッ』

 八雲紫が、目に見えて狼狽える。

 「相談してみなさいよ、胡乱の妖怪! なんなら説法の一つでもお説きしましょうか」
 『誰が、お前なんぞに……ええ、それに最早必要もない。私の願いはもうすぐ成就するのだから!』

 紫の歪められていた口角が、再び三日月の如く持ち上がった。
紅く輝く瞳が、再びここでは無い何処かを見つめだす。掌から迸る雷光が、地揺れをより一層激しくしているようでもあった。

 TLLLL、TLLLL!

 空気を裂く受信音。乱暴な仕草で、天子は通話機のスイッチをオンにする。
途端、焦りを募らせた声がノイズ混じりで溢れ出て。

 『……ザリ……ちょっ……と! ……ザリ……がどうな……るの!?』
 「霊夢?」
 『空が歪んで……ザリザリ……日の出と日の入りが……ザリ……同時に……?』

 世にも珍しい、博麗の巫女の動転した声。しかしそれを楽しむ余裕は今の天子には無かった。
八雲紫の行動が、地上にも異変を起こしていると言う事か? この場から大結界に干渉して?

 『何を不思議がる必要がある? 現界こそ私の子宮。幻想こそ私の羊水。
  なれば、それを繋ぐ博麗大結界こそが胎盤と成るべきもの。

  さぁ、私の色に染まりなさい幻想の空よ!
  細工は弄してあるようだけど……小賢しい。親には逆らえないわ』

 パキン! と高い音が鳴って、紫の操る稲妻が八角の方陣に姿を変えた。
その表面には小さな光点が目まぐるしく阿弥陀を描き、何かしらの所作を表している。
何かがマズい。頼りにならない感覚を総動員して、天子の指が倶利伽羅剣の柄を探す。

 『嗚呼、そう、そうよ! 数多の犠牲さえ、心の葛藤さえ無視すれば、望みを叶えるなんてこんなにも簡単な事!
  本当に、どうして今までやらなかったのかしら……!』
 「……馬鹿ね、アンタ。いや、馬鹿になったと言うべきかしら。
  物事は心に基づき、心を主とし、心によって作られる。その心を無視して何が叶うってのよ……」

 白く染まりそうな視界に力を込め、天子は倶利伽羅剣を構える。
バラモンよ、流れを断て。勇敢であれ。悔しいが、"彼"が残した言葉の力は本物だ。
ヘタりかけた身体に、喝を入れてくれる。

 「何をする気か知らんが、そんな短絡的な力で目的にショートカットなんざ出来る訳が無いでしょうが!
  きちんと周り、見てみなさいよ! それがアンタの本当の望みか!? それで満たされるのか、アンタの渇愛が!」
 『小娘が。何も知らないくせに、分からないくせに、知ろうともしなかったくせに!』
 「だから今教えろって言ったぁ!」

 我武者羅に振るった剣が、紫の方陣の一角を削り取った。
行き場を無くした霊力が、微かな雷光を伴って爆発を起こす。

 『――貴様ッ!』

 己の邪魔をされ激昂した紫が、振り切った姿勢のまま体勢の整わぬ天子の首へ手を伸ばす。
今度こそ、この生意気な小娘をへし折ってやる為に。暗い想念混じりの爪が、頚椎へ迫る。


 「とまれぇー――ッ!」


 それは彼女が全身に纏っていた干渉力ごと、八雲紫の左肩を千切り飛ばした。
天子には強烈な一瞬の閃光として目に焼き付いた、実際には霊烏路空が放った高熱白球プラズマ弾は、二人の間に割って入ると天子の毛先をチリチリと焦がし八雲紫の身体を大きくぐらつかせる。
判断する時間は無い。師匠譲りの、獣の如き勝負勘。天子は更に一歩を踏み出し、剣を掲げる。

 「倶利伽羅竜よおぉぉぉ!!」

 構えた剣が、傷痕から漏れ出る緋色の気想を喰らう。
その牙は天子の傷からも容赦無く奪っていくが、剣から逆流する霊気で何とか膝を落とさず堪える事が出来た。
八雲紫の悲鳴が地に響く。光届かぬ周囲の悉くが軋んでいるのが、音で分かった。

 『……ザリザリ今……よ、ザリザリ……術式を再掌握……ザリ……』

 循環する気象の渦にあてられたか。
聞き取れない程に酷くなったノイズの向こうで、博麗の巫女が懸命に何かを叫ぶ。

 『聞こザリ……える? ザリザリ、ザリもう待てな……ザリザリ……今しか……』
 「分かんない。でも良いわ、好きにやって!」
 『ごめ……ザリ……』

 ああ、そこで謝ってくれるのか。天子にはそれが、笑えるほどに嬉しくて。
絶望的な状況だと言うのに、歯を食いしばって、犬歯を見せた。

 博麗霊夢。憧れの背中だった。


 「歯を食いしばっておきなさい、アンタ達!」

 苦々しく肩を抑える紫に踵を返し、天子は空を追いかけて来たさとりの胸に向かって翔ぶ。
ペットごと、三人の身体を纏めて抱きかかえ、青い髪をたなびかせて再び八雲紫へと向き直り。


 ―― 三。


 「こっちに来い、八雲紫!」


 ―― 二。


 「どうせ馬鹿になるならこっちにきなさいッ!
  歌え! 叫べッ! 自分で役割に錠前付けて、苦しい苦しいと藻掻くよりはよっぽど楽しいはずよ!」
 『……私はそんなちっぽけじゃない!』


 ―― 一。


 『いつか現れる! こうしてミームを垂らし、フラスコを揺さぶっていれば、いつか!
  私を完璧に理解してくれる者が! 私を完全に受け継いだ者が! 私の隣に立ってくれる者が!
  いつか! いつか! いつか……いつかッ!!』
 「手を伸ばせぇぇぇー――ッ!!」


 ―― ○。


 岩壁を突き破る真っ暗な水の流れが、大きな龍の如く旧灼熱地獄跡を一飲みにした。
他ならぬ天子達もまた、水と土石の中に呑み込まれ、揉みくちゃにされ、懸命に離されぬようにとお互いを掴む。
唯一救いなのは、一寸先の状況すら分からない中で未だ力強く前を照らす龕灯が有る事か。
天子の目を掠めるように、濃紫の髪が振り返る。朝焼けの空のような瞳を、まっすぐにこちらに向けて。

 苦手意識は無くなりましたか? さとりの目が問う。
そんなもの元から無いと、天子が頬をふくらませて豪語する。
三対七個の瞳がジッと天子を見つめ、天子は視線をふいと逸らして首を縦に振った。
ならば行きましょう、と。荒れ狂う渦の中、さとりは天子の伸ばされたままの手に指を絡め、握り込む。

 ――二人で。四人で。……全員で。貴方の作った世界は、素晴らしい物ですと。
貴方の望むものは手に入らなかったとしても、私達は貴方が居てくれて良かったと思っているのだ、と。
天子さんが私にしてくれたように。さあ、あの人の隣へ――

 ……天子が頷き、黒い海の中に金色の羽根が翻った。


 ドォンッ


 核エネルギーの作る衝撃派で波を蹴り、天子達は剣を握って、龍に嚥下される八雲紫の元へと奔る。
握りしめた紅白の通信機を、身悶えする胸元に向かい、投げつけた。

 ――届けッ!

 流れと泡、一と○の世界の中で、その言葉もまた無数の泡の中に溶け込む物でしか無かったが。
四つの手に支えられた倶利伽羅龍王剣は、その切っ先をしっかりと前に向け、陰陽通信機を縦に割り――残滓ごと八雲紫の胸へと、深く突き立って行った。


 ◆



 ……波に溶けるように、"私"が流れ出ていく。



 凝り固まった鎧に守られた、自分でも分からない、熱と、淀みが……穏やかな湖面に、血が広がるかのように。
それは八雲紫という内燃機関に注がれた、仄かに橙色に輝く燃料の成り果て。
熱して、燃やして行くうちに、どろりと黒ずんでしまったけれど。

 まったく、何をしているのだろうと自嘲が浮かぶ。
幻想郷を守る守護者であったのに。素人じゃあるまいし、悪霊に共感なんてしてしまって。

 『我が子のように愛した事は、我が子を引きずり込む呪いに変わる』

 そういうカミだと、分かっていた筈。ならば分かっていなかったのは、自分自身の心の方か。
報われない事が。望まれない事が。理解されない事が……こんなにも、苦しい事だと、目を背けて。


 ――西行寺幽々子の事が、好きだった。


 最初は、珍しい能力を持つと言うだけの、なんとなく見つけた子供だったけれど。
いつの間にか、己の式よりも長く向かい合う存在になっていた。

 思えば、子供と言う存在に確りと向き合ったのは、それが初めてだったのだ。
その純真さと天真爛漫さに何時しか惚れ込んでしまうのは、「化け物」のお約束である。。
何よりも彼女は、"言葉にしない"事が上手で有った。その感動を、心情を、余す事無く私にも分け与えようとしてくれた。

 ……そんな彼女の喪失と亡霊化は、今の私を形作るのに、避けて通れぬ事だったのだろう。

 「………………い」


 ――魂魄妖忌の事が、好きだった。


 間違っても、恋患いの類ではない、筈だ。観察対象として、或いはお互いに遠い所で、ある程度理解し合える存在として……
言わば、お伽話の登場人物を好むような。そんな「好き」だったけれど。

 西行寺幽々子一筋の、面倒くさい半霊剣士……そんな存在に、私は面白みを感じていて。
ああ、やっぱり。その程度には、彼の事を、好んではいた。

 「…………でも……いい」

 長い間、三人だった。勿論当時にも藍は居たし、修行を積ませては居たが。
白玉楼と言う空間の中には、私と、幽々子と、妖忌だけがいた。
そして私達は、正三角形の如くお互いと向き合っていた筈なのに……いつの間にか歪んでいたのは、どうしてだろう?
妖忌の目が、段々と今の幽々子を映すようになり。幽々子が、何時しか無邪気の裏に言葉を潜ませるようになり。

 私は、いつの間にか、そんな二人から、距離を取るようになって――








 「どうでも良いのよ、そんな事はッ!」








 微睡みの泡を突き破るようにして、セピア色の空に、蒼穹の天人が現れる。
雲を映したスカートと共に、七色の飾り布をはためかせ。色の抜けた記憶の中、そこだけを彩り鮮やかに染める。


 「訴えろ! 表現しろ! じゃなきゃ誰もお前の事なんか分かってやれるもんか!
  それともお前は、土壇場になって『実はこれこれこういう理由が有ります』と丁寧に説明されれば諦められるのか!
  『昔はこうだったんだよ』なんて聞かされれば、今の不自由に納得できるってのか!?

  違うだろ、八雲紫!
  過去より先に! 未来より前にッ!
  現のアンタが言うべき言葉があるでしょうがぁぁぁー――ッ!!」


 金色の龕灯を持った烏が、観客席だった場所を照らす。
舞台の書割の向こうから碧色の瞳が浮かび上がって、夜の月の如く小さなコンサート・ホールを俯瞰した。
遠くから猫の鳴き声が響く。怒りに燃えた青い蝋燭の火が、ただそこに佇み。
真っ黒な人形劇に囚われた、一人の少女を照らし出す。

 「ザマァ無いじゃないの、ええ?」
 「……大きなお世話よ」

 巨大な虫の脚に口を掻き回されたような不快感を吐き捨てて、八雲紫は比那名居天子を睨め付けた。
その四肢は影のような客席に埋められ、所々を黒点が蠢き、それにあわせて金の髪が揺れる。

 「ハン、なるほど」

 その様子をためつすがめつ眺め、比那名居天子が、ニヤリと笑った。

 「こうして見たら、アンタもあんまり身長変わらないんじゃない?」

 思えば、平時から見下されている印象は、その殆どスキマから身を乗り出している時であった気がする。
おまけにブーツはハイヒールだ。随分と、可愛らしい見栄をはってるものねと天子は鼻を鳴らす。
わざと聞こえるように舌打ちを鳴らし、紫は気まずそうに目を背けた。

 「……自分が犯したミスの事は判ってるわ。よりによって、怨霊なんぞに表層意識を乗っ取られるなんて……
  けれど、こうしてギリギリの所でまだ"私"は残ってる。早く、この黒いのを切り離してくれないかしら?
  力の核は手近に居た式に移植してあるし、心は此処にある。体のコントロールさえ取り戻せばそれで全てが……」
 「ふうん、つまりこう言いたいわけ。『助けてくれ!』と」

 天子は剣の腹で肩を叩きながら、余裕を含んだ言い回しで口角を釣り上げる。

 「『いやだね』」
 「な……」

 こうまでハッキリと否定される事は流石に予想外だったのか、それとも処理能力も相応に喰われて居るからか。
紫は珍しく口をパクパクと開閉し、何を言おうか迷ったようであった。

 「何を言っているの、分かってる!?
  このままじゃ本当に、外の私は幻想郷を使い潰すわ。それこそ、妖怪に代わる新しい概念を生み出すエネルギーとして!
  そうなったら、結界の中に居る何もかも……!」
 「――でも、そうはならない」

 緑の太陽に照らされながら、一段と低い声で天子が告げる。

 「私がどうにかするからじゃ無い。地上には鬼が居る。宗教家達が居る。九尾の狐が居る。
  魔法使いも、吸血鬼も、月人も――そして何より、『博麗の巫女』が居る。アンタの理想に、一番近しい人間が。
  それで。力も格もごっそりこそげ落として、怨霊ブーストだけでなお圧倒できるほど"私は強くて凄いです"ってか?

  ……舐めんなよ、スキマ妖怪」

 「それは……いえ、そうじゃなくて……」

 強い輝きを受けて、緋想の瞳がギラギラと光った。まるでインクをこぼしたかのように、柔い頬にハッキリと影が刻まれる。

 「何が気に入らない? 結界の維持か? 博麗の巫女が居るでしょう。
  それとも政? だったら聖徳太子とか言う奴が居るわ。正直に言って、アンタの何倍も上手。
  だってアンタ、えこ贔屓とかが露骨だもん。底を見せない事に必死で結局内憂抱え込みまくってるし」

 そもそも向いてないんじゃない? と首をすくめられ、紫は完全に沈黙した。
色々と思い当たる節もある。ホフゴブリンさんにごめんなさいしとけよと言われたのも、割と記憶に新しい。


 「……だけど、"皆がアンタを信じてる"」


 ハッ、と紫が顔を上げた。
悔しそうな、僅かに涙を堪えた声で、天子は構えた足を踏み出す。

 「自分の味方にならずとも、正義の味方に非ずとも、最期まで幻想郷の味方では居続けるのだろうと。
  きっと、この地に住まう誰もがアンタの愛を分かってる。……ええ、やっぱり私、アンタの事嫌いよ。
  だって、こんなに、羨ましいんですもの」

 荒く肩を上下に揺らし、逆光に照らされた影が、八雲紫にかかる。

 「私なんか、たまたま此処に来ただけの一人に過ぎないのよ。
  ハッキリ言って、私にとっちゃお前なんか前座だ。私は母様に会いに来たんだ。
  お前に一言くれてやる権利は、本来誰だって持っている。

  ……でも、今回はチケットを私が握った。だから言ってやろうじゃない」

 倶利伽羅剣を肩に乗せ、一歩一歩と前に。踏み下ろした足から、龍の遠吠えの如き雷の音が鳴り響く。

 「孤独になるな! 卑屈になるな! お前は、お前が思っている程特別でも無ければ無二でも無い!
  『私達』は、お前の良き理解者だぞッ! お前が他人を察するように、お前を想像するくらい他愛もないんだッ!
  感情など捨てれる物か! 機械になぞなれる物か!

  ――嗚呼、確かに『本当の自分』なんぞ分かっちゃいないさ。
  この世の誰にも……アンタを含めて。けど」

 翡翠の太陽が蒼天に掲げられ、金色の炎が黒い穢れを焼く。
緋色が紫の女をじっと見つめ、煌々と輝く瞳の中に緋想天が有る。

 「私はもう、無知を恥じない! 人助けなど出来ない!
  ただ少し、視野が広がっただけの小娘は、英雄なんぞでありはしないッ!!」

 雷光を纏った足が、黒い靄を踏み荒らす。一歩、一歩、一歩、一歩!
剣が纏う黄金に負けぬ程、蒼く燃え盛る炎が穢れ共を追い散らした。虹のように色を変える極光が、刃金に映り込み――



 「それでも今、こうして! "比那名居天子"は動いてらぁぁぁー――ッ!!」



 ヴゥンと風を切り、額に張り付いていた金色の前髪を吹き分ける。
紫自身は、己を捉えていたものが怨霊であると思っていたが、それは違う。
倶利伽羅の吐息によって闇が払われた後、そこに残っていたのは、紛れも無く己と同じ八雲紫であった。

 知らぬ間に溜まっていた涙が、空気の流れと共に後ろへ零れて行く。
固まっていた身体は、驚くほど簡単に前へ動いた。"八雲紫"は、もう抵抗しないようだった。

 「……わたし、が」

 微かに戸惑いを見せて、紫は――天子と同じ程の背丈の少女は――背後を振り返る。
光の中に消えて行く前に、名残惜しそうな指先だけが残り、すぐに消えた。


 ◆


 酷い水音の中、目が覚める。


 四肢を揺さぶり押し流そうとする水圧と、繰り返し岩盤に叩きつけられる衝撃。
いつ終わるとも分からぬ激流の中、揉みくちゃになった五人の身体が、徐々に、徐々に解けていく。
気絶したのだろう。力の抜けた八雲紫の身体が、刀身から離れるとあっという間に渦に呑み込まれ見えなくなった。

 それに気を取られたのか、龕灯の照らす先を変えようとして――ガツンと言う音を残し霊烏路空が大きく弾かれる。
慌てて飛びついた火焔猫燐と共に、彗星のように消えていき……辺りは、光無き真黒へ。
血に滑る手で握り続ける倶利伽羅剣だけが、ぼんやりと天子とさとりの二人を照らし出していた。

 いや、二人だけでは無いか。


 『CHIIIIKOOOOO……』


 黒ずんだ襤褸のような、辛うじて人型だと理解できる影が、目の前に。
瞳の無い、赤く光る目のような"うろ"からぼろぼろと魂の欠片をこぼし、枯れ木の如き腕をのばそうとしては、剣の炎に阻まれる。
依代であった八雲紫も、同化した幾万の怨霊も失って、なお巨大な体躯……ただしもう、微塵も凄みを感じる事は無い。

 「……お久しぶりです、お母様」

 苦しみに擦り切れて、妬みにくたびれ果てて。それでもたった一人の娘を、探し続けてくれていた。
最早その理由を覚えているかも怪しい程に、歪んでいたとしても。

 「生きていますよ、私は」

 だから。それだけは、伝えたかった。
暗い闇の中に踏み出す為に。己に見出した心の灯を、見失わぬように。
荒ぶるカミとなってまで、比那名居地子を気にしてくれた母に、お別れを。

 「ちゃんと、生きてますよ」

 本当なら、本当ならその体を抱きしめて、今すぐにでも泣き出したかった。
魂の穢れなど問題になりはしない。今となっては彼女がこちらを傷つけるかも知れない事など、どうでも良い。
ただ、それでは格好良く無いのだ。そんな事では、向こうも安心して彼岸に行く事など出来はしない。

 血の抜けた身体が、がくりと崩れ落ちそうになる。
なんて事だ。シャンとしろ。礼服で着飾った時のように、ずっと凛々しく胸を張れ。
何か温かい物が腰から背中に回されて、天子の背を支えた。それは、さとりの手であった。
震える歯を噛み合わせ、笑顔を作る。

 『AAAAHHHHHHH……!!』
 「母様!」

 ざぶり、ざぶり。押し寄せてくる波が、骨皮のよりも細い母の身体を圧し、苦しげな呻き声が上がった。
心的外傷も有るのだろう。水流に翻弄される度に、黒い靄でできた身体がさざめき立つ。
無残な姿に、堪えようと思っていた涙が頬を伝いだした。――救う事など出来ない。そんな力は、自分には無い。

 「…………っ」

 ……せめて、少しでも良い道に戻れますように、と。
祈りを込め、背筋をピンと伸ばし、大上段に振りかぶった。
指を動かし、柄の握り心地を確かめる。赤く灯る二つの目を、真っ直ぐに見つめ返す。
倶利伽羅の剣は、不動明王の化身。畏れ、叩き、戻してくれる。

 長く息を吸って。
 吐いた。



 「『全人類のッ! 緋想ぉぉぉてぇぇぇんッ!!』」



 喰らえ、喰らえ、倶利伽羅の龍よ。
私の意気を喰らい、蹂躙する気脈を喰らい、母の苦しみを喰らい尽くせ!
ああ、緋色の奔流の中に母の姿が消える。奔流! 結局、私は母を流れの中に消し去る事しか出来ないのか!
悔しい! 苦しい! 涙を振り払う事も出来ず、視界が光の中に滲んでいく。
剣先を突きつけた震える指に、温かい手の平が重なった。

 「……さよなら」

 歯の根の奥から、自然と言葉が溢れだす。
黄金の炎を纏った緋色の龍は、母の穢れも力に変えてさらに勢を増す。

 『CHIIIIIIIIIKKKKKOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOッ!!』

 断末魔は止むこと無く。身の竦むような悲鳴を上げて、その身を藻掻く。

 「さよならッ!」

 気がつけば、叫びだしていた。
言い聞かせるように。懇願するように。それ以上、苦しまないでくれと。
剣を持ちながら、勝手な理屈。

 「お母様ぁッ!!」

 喰らう、喰らう、倶利伽羅の龍が喰らう!
想いも! 穢れも! 何もかもを切り離し、母を、天子の手の届かぬ所へと……!



 ――元気、で、やって、いますか?



 「え?」

 それは、奇跡だったのだろうか。
それとも傍らに寄り添った古明地さとりの、もしくは倶利伽羅剣の、或いはその相乗効果による……
縁の積み重ねの上にぽつりと置かれた、尊い物なのだろうか。

 ――お父様と喧嘩したり、していませんか?

 何にせよその暖かな声は、倶利伽羅剣から流れこむ気に紛れて、天子の心の内へ、染み入るように響いた。
最早、思い出の彼方にしか残っていない、懐かしい声色。

 「あ、うぁっ……」

 もう、取り繕う事すら出来ない。こんな声を聞いて、こんな願いを聞いては。
真珠のように大粒の涙が緋色の輝きを反射して、泡のように流れて溶ける。
こんな、こんな当たり前の事を聞くが為に! 母が、子供に尋ねる為に!



 六百年の時の中で……こんなにも擦り切れて!



 「私は……天子は……地子は。あなたの、子供は」

 思うように回らない舌に、むせびながら。

 「元気でやっています……お父様と、ちょっとすれ違ったりもしたけれど……
  最近、仲直り、したよ……。ちゃんと、仲直りできたよ……!」

 ただがむしゃらに、声を投げかけた。
届け、涅槃まで届け。あの方の居らっしゃる悟りの彼岸まで、安心して旅立てるように。
……即ち、羯諦、羯諦と。

 「あのね、友達が出来たのよ? 好きな事も、やってみたい夢も!
  ……勿論それは、私と全く一緒なんかじゃなくて……これからも喧嘩したり、挫けたり、するかも知れないけど」

 挫折も、すれ違いも、生きていく上で仕方の無い事だ。人との付き合いの上で、避けられぬ事だってあるだろう。
そこから生まれる苦しみに、囚われる事がなければ。盲信では無く、妬み嫉むのでも無く、掛け替えの無い友と出来るなら。
隣人はきっと、ただ一本の剣のように歩む同士となる。

 「だから、もう大丈夫です、お母様! 地子はもう、比那名居天子だから!
  私は今を、楽しんでるよ……生きてて幸せって、思ってるよ!」

 ああ、緋色の光に溶けていく。
母が、掛け替えの無い人が、淡雪のように消えて行く。
龍脈も、濁流も、己の天気すら蟒蛇の如く飲み尽くし、一つへ。私の、中へ。


 ――ああ……よかった……


 穢れが剥がれ切り、かさかさに乾いた、けれど温かい母の指が。
赤みがかった涙の跡に、そっと触れて拭っていった。


 「お母様ッ! お母様……お、かあ、さまぁッ」


 父と母で、ご縁があって。
 生きる楽しみを、与えてくれて。
 私と言う存在を、この世に産み落としてくれて。
 本当に。ああ、本当に――



 「ありがとう、ございました……っあ、ぁぁ……!」










 ……泣き疲れ、気を失った少女が二人。
水脈の中を、黄金の光に包まれて、抱き合いながら流れていた。
やがて、虚空から伸びた血みどろの手が、二人の襟首を引っ掴み。
投げるようにして、裂け目の中に連れ込んだ――





 ◆◆ ◆◆





 ……そして、七日後。





 ぬちゃり、ぬちゃりと後を引く足音を立て、火焔猫燐はゲンナリとため息を吐いた。
そもそも、七日前にもろもろ無茶した代償は未だ己の身体を痛め付けており、回復しきっていないのだ。
猫車で運んでいるのも、新鮮な死体等では無く黒く煤けた石となれば、どうにもやる気が失せていく。

 「理屈は散々説明されたから判ってるけどねえ……」

 この間は氷漬けだったものが、今度は水浸しときた。
地獄に火を入れなおす最短期間の記録があれば、きっとトップに躍り出ることだろう。
本格的な危機の前では高ぶっていたテンションも、一山乗り越え地道で面倒な作業が中心になってくると、揺り戻しもあってガクンと急降下である。
雨の降り始めのような、湿った土の臭いが充満した灼熱地獄跡など、許容したくないのも確かではあるが。

 「まあ、そう言うな。結局、地霊殿は鬼が修理してくれる事になったんだろう?」
 「藍さん」

 音も無く後ろから声をかけられて、お燐は特に驚いた様子も見せずに振り返った。

 「感謝しているよ。私も無事、これからも紫様の式としてお仕えできるしな」


 結局。
海の底に投げ出される手前で、四人とも八雲紫に救助され、巫女の手によりその時点で地底の崩壊は食い止められたので、地底もどうにか原型を留めている。
街は大荒れだが、多少手入れをした後積極的に地上に出る気が無い妖怪はまた穴蔵の中へと戻って行くのだろう。
何だかんだ言いつつも、ここが第二、第三の故郷である妖怪は沢山居るのだ。
……真っ二つにされた地霊殿も、近々改装の予定である。これは、鬼の棟梁が直々に請け負ってくれた。

 ――『何だかんだ、こうやって大人に尻拭いされるのよね』

 と、特に悔しがる素振りもなく、天人の娘は淡々と述べていたが。


 「万事解決って事で良いんですかねえ」
 「それは私達の働きぶりに掛かっているさ。また怨霊共が貯まる前に、しっかりと火を入れねばな」

 すっかり気の抜けた様子のお燐を、藍はパタパタと尻尾を振って諌める。
灼熱地獄は、言わばお構い無しに物が投げ込まれる焼却炉だ。
再び火を点けるのにも一苦労だが、放置して怨霊の溜まり場になるのもぞっとしない。

 「それに、今日は宴会だろう? なおさら、早く済ませないと」

 ――てんぷらーっ

 ドォォン

 ――ゆでたまごーっ

 ドォォン

 「……君の相棒は、どうやら待ちきれないようだぞ?」

 空洞の奥から聞こえてくる爆音と叫び声に、藍は少々呆れた様子で肩を竦めた。
仄かに顔を赤らめたお燐が、眉間を揉み、大きく息を吐く。
恥ずかしさからかやや早歩きとなりつつ、猫車に載せた燃料と共に音が鳴る方へと身体を向け、会話を続ける。

 「あたいとしては、むしろ地上のさとり様の方が心配ですけどね。
  ああ、大丈夫かな、急に太陽の光を浴びて縮んだりしてないかな……」
 「ふふ、お互い手のかかる主人を持つと大変だな」

 そわそわと動く二股の尻尾を眺め、八雲藍は微笑んだ。
いかに役目を捨てると言ったって、彼女が覚り妖怪で有る事実は変えようが無い。
嫌われる事も、疎まれる事も、むしろこれからの方が、多くなるのかも知れないが。

 「……まぁ心配要らないさ。彼女はもう、誰かの心の中に有る『古明地さとりの像』を追いかける事は有るまい」

 ただ少し、他人より良く視えるが故の問題は……きっともう、起こらないのだろう。

 「自分で自分を決められる、一人の女性になったのだからな」





 ……かくして、幻想郷は全てを受け入れる。無慈悲に全てを洗い流す、刻の流れもまた同様に。





 「どわぁー――ッ!!」

 天高く登った太陽の下、裏池に面した石蔵の中から、轟くような悲鳴が響く。
震える空気を感じてか、岩影で虫をつついていたスズメ達が一斉に飛び去っていった。
池の底から、亀が一匹顔を覗かせる。しばらく冷たい石壁を眺め、呆れ顔で再度水の中に沈んだ。

 「……どわぁってお前、巫女の上げる悲鳴じゃ無いぜ」
 「るっさいわね! な、何よこれ!」

 ひっくり返った尻をさすり、酒瓶を探しに来た霊夢が重い扉の奥を指差す。
留守の間に薄暗い倉の壁面にびっしりと面が飾られていれば、流石の博麗の巫女と言えど腰を抜かすか。

 「珍しいもん見れたな、はは」

 三つ編みを片方に垂らした黒白の友人が、金の髪を揺らして笑う。
うららかな午後の日差しにそぐわぬ、周囲の景色をもゆらめかせる怒気がブワリと立ち上がった。

 「あ、ん、た、ねぇ……」
 「あー……私は知らんぞ? 妖精共が勝手にやったんだ、うん」
 「嘘おっしゃい! 妖精にこんなきっちりと配置する頭脳なんて無いわよ!
  どうせ、やってる内に途中から楽しくなってきたんでしょう!?」
 「はっはっは、流石だ明智くん、よく分かってるじゃないか」
 「分からいでか、気味の悪い事してくれて……」

 霊夢の口角が吊り上がり、金髪の友人の足が一歩、後ずさる。一目散に逃げ出さないのは、挑発も含んでいたからだろう。
何だかんだ言いつつ、巫女はかなりの期間地上から離れて居たのだから。

 ……そんな一触即発の空気の中、割り込んでくる影が一つ。


 「我が仲間で有るお面達に、気味が悪いとはなんたる言い様。
  たとえ月が許しても、この私が許しはしないぞ」


 長い桃色の髪が、ふわりと広がった。面霊気……その名の通り、六十六の面からなる感情を司る『面』の妖怪。
かつてその内の一つ『希望の面』が欠けた事により、人間たちの感情のバランスが崩れ、異変を引き起こした事もあった。
最終的に豊聡耳神子の手により新たな希望の面が作られ解決に至ったのだが、自身の感情に乏しい彼女はその後も宗教家たちの手で情操教育を続けられている。

 誰が何を吹き込んだのか、最近めっきりと反抗期なのが困りものではあったが。

 「まぁそれはそれとして、舞台を設置する場所の事で鬼が呼んでいた。
  宴会の主催がこんな所で道草食ってるととても困る。そう、これは閉口の表情」
 「ちぇっ、しかたないな。お楽しみは夜まで取っておくとするか」
 「あのね。一応、地底の奴らの慰藉と言うか……いつものノリじゃ無いんだから。わきまえなさいよ」

 地底大災害――昇神異変から続く幻想郷の未曾有の危機であった物は、八雲紫がカミに呑まれ、最終的に博霊大結界の捻じ曲げまで行われたその規模に比べ、奇跡的に少ない被害で収まっている。
そう「少ない被害」だ。ゼロではない。聖輦船の救助活動、そして乱入した謎の天人によって随分と減ったものの、家を、宝を……あるいは子や親を失った者はゼロではないのだ。

 「久しぶりに、舞や歌の奉納もするし。ただ無軌道に騒げば良いってもんじゃ無いから」
 「はぁー、それでらしく無く落ち込んでるのか」
 「別に、落ち込んでなんかっ……!」

 語気が荒くなりかけた身体が、ピタリと止まった。
喉までこみ上げた物を飲み下すように息を吸い、そしてゆっくりと吐き出す。

 「いや、落ち込んでるか。『そう見える』のよね。あんたには……」
 「……なんだ、本当にらしく無いな。地底で何食って来たんだ?」

 霊夢は首を振りながら、あの街の事を思う。
凹んでいると言えば、恐らく自分以上に凹んで居るであろう、彼女の事も。
……まぁ、向こうから顔を出さない以上、亡霊の方と共に居るのだろうが。

 「別に? ただ、二の舞になるのは流石に情けないな、ってだけよ。
  それより、あんたちゃんと倉の中片付けてよね。そうそう、お米出そうとしてたんだった。それも持ってきて」
 「ぐぇ、マジかよ……ちぇー、藪蛇だあ」

 自業自得ではあるものの、親友に肉体労働を押し付けつつ、霊夢は先程呼ばれた通りに鬼達の元へと向かった。
ふと見上げた空では、青く高い天に薄い雲のヴェールが引かれ、冷たい風を吹き付けている。

 「……もう、すっかり秋ねー……」

 暑い夏の間を涼しい地下で過ごせたのも、今となっては良かったのか。
木の葉が散り、冬が来る頃には、とっくに「いつもの自分」に戻っているのだろう。
博麗霊夢とはそう言う人物であり、博麗の巫女とはそう言う存在であるのだから。
今回ばかりは、それが勿体無いような気がするのは、きっと、気の迷いで……

 「……ねえ、今の私の表情って、どんなのかな?」

 面霊気の紫の瞳に、そう聞いた自分の貌がどう映ったのか、知る由はない。










 落ち葉混じりの乾いた風が、滑らかな石の表面を撫で、花を揺らした。
小さな、真新しい墓石の前に一人、白い影がしゃがみ込んで手を合わせる。

 「ジロ……」

 短く切った白髪を揺らし、作法は分からなくとも精一杯の祈りをそこに。
骸も何も残って無いが、かつて彼が自分を導く時に使っていた鈴を埋め、魂の在処として祀る。
数奇な縁に翻弄され、犬神憑きとなった自分をどう扱うか――地底の脅威が去った事で、タロは改めてそれに向き合った。
即ち、そのまま犬神の助けを借りて暮らすか、時間を掛けてゆっくりとジロの魂に安らいで貰うか……

 「……今まで、ありがとね」

 このまま犬神憑きとして生きるならば、彼の存在は強き助けとなるだろう。
自らを押し通す為の力。相手を害する手段。あるいは無意識に、弱いからと理由をつけて諦めてきた物。
全てとは言わずとも、その多くを手に入れられるかも知れない。それは、そう言う選択肢だ。

 ……しかし。

 しかし、そこに彼への敬意は生まれるだろうか。
生まれ付き目が弱かった故に、幼い頃から手を引かれ、姉弟のようにして過ごしてきた。
自分にとって彼は、道具でもペットでもなく、紛れも無い家族だった筈だ。
……その道を、何者かに歪められたのだとしたら。戻してやるのが、務めだと思った。


 「ご供養ですか?」


 手を合わせる背中へと、甘い、優しい声が掛けられる。
命蓮寺の尼僧、聖白蓮である。

 「熱心なのですね。ここの所、続けて来られて」
 「早く、安らいで欲しいですから。……犬を仏様として祀るなんて、変かも知れませんけど」
 「変なものですか。動物霊を供養する文化は、それこそ昔から有りましたよ」

 ふんわりと柔らかい香の匂いからも、雰囲気と相まってどこか重みが有る。
タロにはきっと、この人は沢山の別れを経験してきたのだろうと思えた。自分よりも、はるかに多く。

 「たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、わが名号を聞きて、念をわが国に係け、
  もろもろの徳本を植ゑて、至心回向してわが国に生ぜんと欲せん。果遂せずは、正覚を取らじ――」
 「それは?」

 タロに取って、その文言は聞きなれぬ不思議な文であった。
顔に疑問符を浮かべて聞くと、聖もまたタロの隣にしゃがみ込み、手を合わせる。

 「かつて、あらゆる生命の光になろうとした、尊いお方が立てた誓いの一つ。
  あらゆる全てが涅槃へ生まれられぬのならば、決して自らは悟りを開かぬとまで心に決めて、私達の為に誓って下さった。

  だから私達は感謝を込めて、毎日毎日唱えるの。
  ――南無阿弥陀仏、と」

 「なむ、あみだぶつ」

 言葉の響きだけならば、タロにも聞いたことが有る。
そんな意味だとは、つゆ知らなかったが……。

 「私は長く生きてきて、衆生が人間だけでは無いと知りました。
  動物も、妖怪も、全て等しく衆生で有ると――故に私は、人間以外もまた救われるべきだと思うのです」

 幼いタロに、聖白蓮の来歴なぞ分かる筈もない。
だが、いかに目が悪くとも、言葉の裏に隠された影は読み取ることが出来た。
優しげなその佇まいの裏に、幾つの苦労を重ねてきたのだろう。きっと、想像もつかない程に。

 「なんて、困るわよね、突然そんな事を言われても。
  ……さぁ、祈りましょう。彼の口から発せられないのなら、私達が代わりとなって。
  南無阿弥陀仏」
 「……南無阿弥陀仏」

 それから数度、聖の後に続きタロは念仏を唱える。
そしてふと顔を上げると、辺りの眩しさに目を細めながら尋ねた。

 「これで、救われるのですか。たったこれだけで、ジロは安らぎを得られるのでしょうか
  ……やっぱり、あたしには良く分からないかも知れません」

 こんな事を聞くなど失礼な事だ、と思って居るのだろう。少し沈みがちな顔で、目を逸らす。

 「あら、難しく考える事なんて有りませんよ」
 「難しく、ですか?」
 「大変な修行に、厳しい戒律。それらを全て守らなければ救われぬのでは、あまりに"救いにならない"。
  徳を積めるほど生きていない子供にも、老人になって初めて教えを知った者にも、救いの手は等しく差し伸べられるべき。
  ですから、こんなに簡単な教えなのです。勿論、修行をする事に意味は有りますけどね」

 ちょっとした事でも救われて良いのだと、聖は言った。
より多くの者を、命を、導くために、そうなっているのだと。

 「弱い事が、諦めて良い理由にならないように」

 口の中だけで掻き消えたタロの呟きが、聖の耳に届くことは無く。


 ……聖が去った後。タロはもう暫くの間、墓の前に残り続けていた。
やがて木陰に佇む人物に気が付くと、立ち上がり、覚束ない足取りでよろめきながら翡翠の輝きへ飛び込んだ。
その途中、白い影がするりとタロの身体から離れ、今きた道を引き返す。
それが分かったのだろう。義理の姉に手を引かれながら、タロは一度だけ、墓石を振り返り手を降った。

 彼等が初めて見る本物の空は、妬ましい程に美しい晴れ晴れとした青であった。










 「Ah――、Ah――、Ah――♪ ……よし」

 ドラスティックな金属音が、辛うじて一定の纏まりに束ねられてぶつかって来る。
黒谷ヤマメが聞き、感動し、そして目指した物はそう言った音楽だ。
音楽性の細かい分類も、なぜ外の世界で思想活動に結びついたのかも、ヤマメには分からぬ。
だが、パワーは要る。それだけは分かる。爆音を束ねる為に、観客を煽る為に、目指す為に、丹田から漲らせた力が必要なのだ。

 「Ah――――――……えほっ、けほっ」

 舞台付きの宴会だ。それはつまり、ステージがあると言う事でもある。
勿論、客のメインは地底の住人達だ。だがきっと、それだけでは収まらぬだろう。
入場制限をしている訳でもない。いや、仮にしていたとして、アルコールの坩堝となった後の場では機能する訳もない。

 ――ぶちかましてやるんだ。

 そんな気持ちだけが、どうにも焦っている。

 「くっそー、病み上がりじゃ無ければなあ」

 地底で瘴気に蝕まれた影響は、未だ抜けきっていない。
船で大空洞を抜ける途中、急に楽になったあの感覚が無ければ、今もまだ寝込んで居ただろう。
後から聞いた話では、ちょうどその時、地底に極光が降り注いだらしいが。

 「揺さぶれ、動かせ」

 聞いた瞬間、直感的に分かった。これは同族の歌。
"多数の人"を幸せにする支配機構に踏みつけられた者への、解放の歌。
だからこそ地の底で歌おうと考えたのだが、同時にもっとやれるんじゃないかと言う忸怩たる思いもある。
ロックンロールに込められた思想を、願いを、自分はどれだけ表現出来ているのだろうか。
突き上げた手は、果たして何処まで高く伸びている? 分からない。分からない……


 「やっぱ、これじゃ駄目だ。せめてもう少し、声が張れないと」
 「どうしてですか? いい声だと思うのですが」


 声は、背後の方から掛けられた。
周りに誰も居ないと思い込んでいたヤマメが、慌てて振り返る。
朝焼けに照らされる雲を煮詰めたような、麗しく流れる緋色の羽衣。
本来、一生接点も無かっただろう相手との奇縁と言えば、まさにこの事か。

 「揺さぶれ、動かせ。それはその通り、一つの欲求でしょう。
  けれど泰山産気づいて生まれたのが鼠一匹の時もあれば、蝶々の羽ばたきが竜巻を起こすこともある。
  結局、力の大小なんて些細な物ですよ。大事なのは、結果の大小に過ぎない」

 同時にそれが龍魚の心得でもあると、永江衣玖は豊かな胸を張った。

 「それでも、力を求めますか? だとすれば、何のために」

 かと思えば、可愛らしく小首をかしげて聞いてくる。
まったく、天に暮らすと言う割には卑怯で捉えがたい友人であった。

 「……子供達が、私の歌を歌ったって言うんだ」

 だからこそ、ヤマメもまた真っ直ぐに答えを返す事が出来る。

 「だったらさ、背中を見せなきゃいけないじゃないか。立派な背中をさ」

 目標になるような。後の世代が、追い付き、追い越してくれるような。
そんな存在になりたいんだと、ヤマメは語る。

 「揺さぶれ、動かせ。それは"正義"の庇護から、一歩踏み出すための力だよ。
  ……私は、文化になりたかった。私が消えた後も、地底に黒谷ヤマメが残る。そういう存在になりたかった」

 子供達が正義の庇護からはみ出せば、世の中には迷惑がかかるだろう。子供自身、しこたま怒られて後悔する事もある筈だ。
あるいは無残に踏み潰されて、多くの者が眉を顰め……それでも、何かが手に入るかも知れない。
そしてまた手に入れた者が、次の次の世代へと繋げていくならば。

 「私の音楽は、少しでもその助けになる。なりたいんだ」

 "力こそ正義"の時代に、だからこそ"悪"に成りたいと願った。
土蜘蛛の、天の威光に敗れ去った者達のミームは、そうやって受け継がれている。

 「なんて、まぁ。やっぱり焦ってるのかなぁ? 最近、何だか気ばかり昂ってさ」
 「……素敵な音楽に成る事を期待していますよ。流されるばかりの身としては耳が痛いですが」
 「またまたぁ、そういう衣玖さんこそ、何か大きな選択をこなしてなきゃそんな態度は取れないよ」

 まぁヤマメとて、衣玖の事なので「あえて風に流される立場を選択した」としてもおかしくないな、とは思っているが。
永江衣玖は――かつて無色の龍神を呼び出すため、八雲紫が"三つに裂いた"剣の一片を宝物庫に放り込んだ女は、やや悪戯っぽく舌を出してはにかんだ。

 「さて……私としては、そろそろ一発殴りに来てくれるんじゃないかと期待して居るんですけどね?」











 【鬼に道教!? 宗教戦争に新たな動き?】

 最近、妖怪の山を賑わせているうわさが一つある。
先の地震により一時的に地底から地上へと住処を移した鬼の棟梁が、頻繁に神霊廟へと出入りする姿が目撃されていると言うのだ。
今まで力を求める人間達を中心に信仰を集めていた豊聡耳神子であるが、救出隊に加わったのを奇貨として地底の者達にも説法を始めるつもりなのだろうか。
我々取材班は、この先も密なる情報を求め――





 「それで、実際の所どうなの~?」

 畳まれた半紙が、くしゃりと音を立てる。甘えるような、けれどしっかりと芯の有る声が耳をくすぐった。

 「どうって……何が?」
 「地底の人たちの話。せっかくの機会だもの、ちゃんと聞いてみたいわ」

 良いでしょう? と柔らかい微笑み。薄桜色の髪が揺れて、肩を撫でる。
西行寺幽々子の眼差しは、とても素直で神秘的だ。立ち振舞、唇の動かし方一つから、吸い込まれて行きそうな魅力がある。

 「星熊勇儀は、道教なんて興味は無いわ。儒教的な年功序列なんて肌に合わないでしょうし……
  おおかた、政治的な講義でも受けているのでしょう。何か思う所があったようだから」

 秘密裏に済まそうとしていただけ有り、八雲の失態に付いては明確になった訳ではない。
だが敏い宗教家連中は薄々感づいているだろうし、そもそも当事者に口封じをした訳でもない。
近くに藍をやってはいるものの、戸に口を立てられるかどうかは期待しないほうがいいだろう。

 「ふぅん、紫は聞かなくていいの?」
 「……貴女、結構キツい事言うわね……」

 盆に乗せられたティーカップを口に運ぼうとして、八雲紫はぴくりと口角を釣り上げた。
とは言え、現状では何も言い返せない事は良く分かっている。ただでさえ、散々に突きつけられた後なのだ。

 「だってぇ、分かってる癖に、紫ったら真面目に答えてくれないんだもの。
  ふ~……あら? 代用こぉひぃってのも結構美味しいわねぇ」

 蒲公英の根を煎じたものを溶かした、黒い湯を飲みながら幽々子は言う。

 「地底は、揚げ物屋さんが美味しいんだっけ? 楽しみだわ~」

 こっちの思考を知ってか知らずか、とぼけた口調で拍子を打つ。
この友人は、亡霊の癖に本当に食べることが好きだ。
この屋敷も厨房を除けば、半透明の料理人達があくせくと働いているのだろう。

 「ウチの料理人はあんまり揚げるとか炒めるとかしてくれないのよねえ」
 「良いじゃない、健康的で」
 「そうかしらねぇ。私はともかく、妖夢はまだ育ち盛りなんだし」

 ふぅ、と唇を尖らせため息を吐く仕草すら色っぽく。

 「せっかく、女の子なんだから。もうちょっとこう、脂肪を付けた方が殿方に好まれるんじゃない?」
 「別に良いでしょその位。極端に背が低い訳でも無いんだし、スレンダー路線でも……」


 「……ってなんで私の体型を批評する流れになってるんですかッ!」


 スパーン、とふすまが開かれて、緑衣の従者が顔を出した。

 「あら妖夢、居たの」
 「ずっと居ました! あ、いたたた」

 ふくれっ面で手を振ろうとした妖夢が、急に顔を顰めて腹を抑える。
普通に動くには支障がない筈だが、激しい運動に答えるにはまだ治りきっていないのだろう。

 「大体なんですか、やる事の無い布団の上で、リベンジの機会に燃えていたのに。
  こうもあっさりと白楼剣が返ってきては、この振り上げた拳は何処へやれば良いのか」
 「あら、なあに? 紫、貴女に文句があるらしいわよ」
 「いえ決してそう言う訳じゃないですけど! ううう」

 いつものようにじゃれ合う主従へ生暖かい視線を向けながら、紫はカップに口を付けた。
香ばしさと苦味の入り交じる香りが、鼻孔へと抜けていく。

 「だいたい私は、幽々子様の従者なんですから殿方の評価なんて気にしませんよ。
  ええ気にしてませんとも、筋肉はちゃんと付いてるんですから」

 どこか拗ねた口調で、妖夢はそっぽを向いた。
気にしないと言ってはいるが、強がりもあるだろう。何しろ、なにかにつけ主の豊かな双弓が目に入る。

 「あらあら、そうとも限らないわよ妖夢」

 そんな従者の背に周り、幽々子は淡く微笑み肩を掴む。


 「なにしろ、恋に手綱は付けられないもの。ねえ?」


 こちらに向けられた眼差しの色は、妖夢からでは分かるまい。
こういう時。八雲紫の心は、ちろりと炎であぶられる。向こうもそれを、きっと分かっているのだろうけれど。

 「さあね。私にも、分からない物は有るわ」

 八雲の元に、人鬼は帰ってきていない。隙間の力だけを返して、何処かへと消え失せた。

 「……何か紫様、感じ変わりました?」
 「駄目よ、妖夢。女の子なんだから、自分から変わっていかなくちゃ」

 枯山水に雪がつもり、それが溶ければまた、素晴らしい桜吹雪が見れるのだろう。
未だ熟しきらぬ庭師で有るものの、今はただ、変わっていくものに期待しようと思えた。
ちょうど、風が冬を運んでくるように。八雲紫のフラスコは、緩やかに揺れる。










 しゃり、しゃり、と落ち葉が音を立てている。
一陣、風が吹き抜けて、慌ただしくござだの酒瓶だのを準備していた者達が、皆一様に身を竦めた。
慣れぬ大気の感触に、地底の妖怪たちは口々に何か言葉を交わしては元の作業へ戻っていく。

 博麗神社にほど近い木の上で、ぼんやりとその様子を眺める少女が居た。
大木の枝に腰掛けて、ほろ苦いデジャヴを噛み締めるかのように、一人佇む。
大空よりも蒼い髪は、彼女が天上の存在である証左だろうか。

 「また、ここに居るんですか?」

 下方、樹の根元から不意に言葉が掛けられた。
比那名居天子は視点を下げて、古明地さとりが飛び上がって来るのを見る。
葉も落ちきった枝の間を縫い、さとりは天子の隣に腰をおろす。

 「眺めが良いから」
 「……そうですね。落ちていく夕日が、とても綺麗で」

 紅く染まった雲を眺めながら、さとりは天子の心に視線を這わしていく。
天子もそれをまた、当然の事として受け止めていた。今更隠すような事は、考えていない。

 「天子さんのお母さんも、いつかまた、人に生まれてくるんですよね」
 「ええ……そういう事になってる」
 「その時にもまだ、天子さん現世に居るかも知れない……何か、不思議な感じがします」
 「そうね。預流向に転生する道、蹴っちゃったし」

 勿論、その事に付いては欠片の後悔も無いとは言え、それで一つの道が閉ざされてしまった事は事実である。
もっとも、あんな上辺だけの存在に導かれるなど、天が許してもこの比那名居天子が許しはしないのだが。
さとりがなんだか自らを責めるような顔をしているのを見て、天子は強引に話を切り出した。

 「こうしてると、天上から人の営みを覗いてたのを思い出すのよ」
 「それは……ええと、緋想の剣を手に入れるより前、ですね」
 「そう。経典を読むのにも疲れて、一人ぼっちだった頃」

 天子にとってそれは、決していい思い出と言う訳ではない。
けれど、家族の事に決着を付けて、天人としても復帰した今。なぜだか不思議と、苦しみを伴わずに思い出せる。

 「良かったんですか。彼等の記憶を呼び覚まさなくて。
  あんなに戦い抜いたのに、街の皆さんと縁を繋ぎ直さなくて」

 色々な事情が重なりあい、一度、比那名居天子が築いた人の縁は泡と消えた。
八雲紫との話し合いも出来る今、それらを元に戻す事は、難しいが決して不可能なことでは無い。

 しかし、天子はそうしようとはしなかった。
思い出される事も、無理に顔を会わす事も無く、こうして遠くから眺め続けている。

 「構わないわ。色即是空も含めて、人との縁よ。
  夢幻の泡に消えるなら、それもまたそういう縁だった」

 迷いの無い瞳で、天子は言う。

 「……それに、これ以上貰っても、きっと持ち帰れないでしょうから」

 言葉に反応するように、ぴくりとさとりの身体が震えた。
彼女が何を考えていたのは分かっている。それが決して、悲しませるだけのものでは無い事も。

 「別に、永遠の別れって訳じゃないわよ?」

 さとりが複雑な顔をしているのを見て、天子は苦笑する。

 「ま、折角いろいろと片付いたんだしね。
  アンタ達がこっちに居るうちに、ショッピングして、甘いもの食べて、珍しいもの探して。
  それからね。こっちに降りる時、逃げ出したものにケリを付けないと」
 「……これで終わり、ですか」

 胡乱に呟いた言葉は、何処までを意味していたのだろう。

 「ん……そうね。幻想郷は、危機を脱し。博麗霊夢は地上に戻り。
  八雲紫は助けられ、地底の妖怪達は前を見据え、私達は自由を手にして――」

 天子は沈みゆく太陽に向けて、手を伸ばす。奔る緋想を、指で掴むかのように。

 「めでたし、めでたし。……冒険の終わり」

 強く、握り込んだ。

 「まだ、半年経ってないんですね……貴方がふらりと現れてから、随分時間が濃密だった気がします」
 「んな事言ったら、私だって。未遂含めれば三、四回は死んでた気がするんだけど」
 「自業自得でしょう? まったく私にどれだけ心配をかけたか、やはり言葉だけでは伝わらないんじゃ無いですか」
 「はーい、すいませんでしたー」

 憮然と抗議するさとりに向けて、天子はおどけるように手を上げた。
隙を見せた両脇腹に、小さな両手が伸びる。

 「ひゃあ! ちょっこら、危なっ、くふふっ」
 「反省、してませんよね、もう!」
 「だ、だまってやられると思うなよ!」

 無防備な腹をさとりの小器用にうねる指が擦り上げ、天子を身悶えさせた。
やがて腕を弾く事を諦めたのか、絡み合いながら手を伸ばす。少女二人がくすぐりあう身体の動きに合わせ、葉の無い枝が揺れる。
しかし、少女の腿よりも太いしっかりとした物とは言え、不安定な枝の上でそのようにじゃれ合っていたらどうなるか?

 ――バサバサバサッ!

 「ぉうっ!」
 「きゃっ!」

 山と積もっていた落ち葉の上に、重なるように二人が落ちる。
薄い胸でさとりの事を抱きしめながら、天子はようよう星空に変わりつつある紫の空を見上げた。

 「……"揺さぶれ、動かせ"」

 この、身体の上にのしかかる重みが、暖かさが、心地良さが、私の手に入れたものだ。
私に自由を。そう求め続けるだけの立場からは離れ、大人になる時がやってくる。

 「私の春も、カーテンコールを残すのみ、か」

 口に出した事の責任を取らなければ、比那名居天子は何時だって、少女のままだ。
無論、それは望ましくない意味で……そんな風にはならないと、何度も誓った。


 「さとり、覚えてる? 私がアンタにむかって、最初に約束した言葉」
 「ええ、春になれば、桜を一緒に……」
 「あー、ごめん。もっと前よ、そんなにロマンチックじゃない……こっちが一方的に言ったんだっけ?」


 はてなを浮かべる古明地さとりを脇に下ろし、天子は落ち葉を払って立ち上がる。
ロックンロールは。比那名居天子が「比那名居天子」に至るための物語は、ここで終わりだ。
此処から先に、成長は無い。自由の獲得は無い。眼を見張るような冒険は、もう無い。



 「全部の幕が閉じきる前に、脚本家気取りの大根役者を引きずり出してくるわ」

 ただただ、格好付けたい女の意地が有るだけだ。



 ――地平線の向こうへ、日が落ちた。







  Extra Stage:ザ・ローリング・ストーンズ







 その道を行く少女は、終始上機嫌であった。
突き出た岩を足場に鼻歌交じりに飛び越えては登り、怯えるどころか足元を見下ろすそぶりすら無く、やがて雲よりも高くへ。
霧の中、桃の木が所々に生えた地を歩み進むのを、満天の星空が見下ろしている。

 全てが順調だった。
長い間、頭を悩ませ続けてきた「問題」に解を出し、最早、道を阻む物は何もないと言っていい。
仮にこの桃林が恐ろしい化獣の住む異形の森だったとしても、少女には何も問題が無いのである。
命ある限り、本気で見つからない事を願った少女の姿を観測出来る者は居らず。
故に、少女の道を阻める者など、存在しない。

 それこそ。

 "少女以外の道も全て阻むように、地に石柱を隙間なくギッチリと突き立てる"と言う無茶苦茶を、やらかされない限り。


 「なぁに、これ?」


 宙に浮かぶ岩が形作る階段の先、目の前に突如現れた異様な光景に少女は小首を傾げる。
視線を上に向けてみれば、先が霞む程に石柱の背が高いのが分かった。
いくら少女でも、物理法則を無視して柱を通り抜ける事は出来ぬ。

 そしてその中央に、誰かを待ち詫びるかのように仁王立ちとなって鎮座する娘が居た。
目を閉じ、腕を組む娘の前で、緋色の霊剣が煌々と輝いている。

 「……草を踏む音がした」

 その娘は、ぴくりと眉を動かす事なく訥々と語りだす。
長い蒼の髪に緋の輝きが反射して、極光のように揺らめいた。

 「良く注視しなければ気付かないが……ほんの僅かに、大地の響きが感じられる。
  来たわね? ま、姿は見えないからそこに居ると言う前提で話させてもらうのだけれど……」

 桃を乗せた丸帽子の鍔を押し上げ、目を開いてニヤリと笑う。
その娘は、自信に満ち溢れた態度で、当然のように其処に居る。

 「さぁ、『答え合わせ』を始めようじゃないの」
 「……くすっ」

 少女の唇から、こらえ切れずに吐息が漏れた。

 「あは、あはは。あなた、可笑しいねえ……あーあ、気付かれちゃった」
 「そんな棒読みで言われても嘘くさいけど。ま、いいわ」
 「うん、嘘だよ。でも本当かも。笑うって気持ちも、だいぶ分かってきたし」

 天子の目には桃の木の影としか映らなかった場所から、突如として少女が現れた。
その額に、魚の白子に表情を付けたような面をかぶり、ニコニコと天子の姿を伺っている。

 「でも、答え合わせって何のこと? 私、あなたと会った事あったかな?」
 「さてね。直接言葉を交わすのは、これが初めてじゃない?
  とは言え、随分薄情じゃないの。"一時期はピッタリ私の後ろを付いて来てた"癖にさ」

 緋想の剣を抜き、比那名居天子が構えを取る。
だぼついた袖を後ろ手に、未だ少女は貼り付けたような笑顔を浮かべていた。

 「布と言うのは案外匂いが染み付くもんよ。
  地霊殿以外の場所で、長い間何処を寝床にしていたかを考えれば、
  私の通った後でちょくちょく感じられてた『抹香の匂い』はお前のものだ。

  『比那名居天子の後ろに居る自身の匂い』は無意識の中に誤魔化せても、
  時間が経過して、とっくに誰のものか分からなくなった匂いはもう『古明地こいしの匂い』じゃ無いものね」

 反応は無い。緩やかに笑みを浮かべた唇は、未だ沈黙を保っている。

 「火焔猫燐の背中に枕を投げた。
  比那名居天子を『動物園』に連れ込んだ。
  私をかたどったヒトガタを、白刃の前に押し出した。
  さてね、まだまだある気はするけれど」

 比那名居天子の手元で、ヴン、と緋想の剣の炎がたなびく。

 「でも、最初は、そうね。黒谷ヤマメを呼んできたのはあなた?」
 「……」

 少女の虚ろな、藻に覆われた様に淀んだ目の色が、ほんの僅かに変わった。

 「『上からのよそ者が居るって呼ばれて来てみれば』って台詞、よくよく考えてみれば変なのよね。
  だってそれって、わざわざ呼んだ奴がいるって事でしょう?
  ……狭く入り組んだ洞窟の中で探知出来る程近くに居れば、あの時の私に分からないはず無いのに」

 それは比那名居天子が天界から落ち、地底に潜る最中の話だ。
当然天子もまだ天人としての力を十分に残している時であるし、慧眼に近しい物を持つ天人であれば、その辺の妖怪に探知力で負けるはずも無い。
だが、肝心の誰に呼ばれたかをヤマメに聞いた時、彼女は「覚えてない」と言ったのであった。

 「これっておかしいわよね?
  あの時は疑問にも思わなかったけど、地上と地底を繋げる穴に陣取るような妖怪って他にほとんど居ないのよ。
  つまりヤマメにとって、あの穴には見知った者しか居ないはず。
 
  だけどアイツははっきり、『覚えてない』と言った。それでアンタの事を思い出したのよ。
  先の信仰騒ぎの時、ああこんな奴居たなってね」

 思い返してみれば、あの時は他にもおかしな事があった。
例えば、慣れている筈の要石の操縦で、妙に壁や床にぶつけたり等である。
けれどそれも、"一人分だと思いこんでいた荷重が二人分だったとしたら"?

 比那名居天子の眼をも上回る能力を持ち、黒谷ヤマメの知人に非ず、それでいてあの大空洞を良く通る者。
例えその姿を見れずとも、冷静に考えれば絞り込む事は出来る。
……出来た所で、普通は即座に忘れてしまうのだが。


 「なんべんも殺されれば、流石に覚えてるもんじゃない? ねえ、古明地こいし」


 ギラリと突きつけられた炎刃が、無意識の少女の頬や鼻先を赤く照らす。
雲ひとつ無い――雲より上に位置するのだから当然だが――星空の下、ふわりと銀髪が月光を跳ね返した。


 「……それだけ?」


 声は、不意に後方から聞こえた。
背後から脊椎に向かって伸ばされた手が、咄嗟に差し出された石刀を掴む。
天子は、肩をぐるりと背後に回した状態で、一つ息を吐く。

 落ち着いてしまえばなんて事は無い。
こいしがやった事は『ただ真っ直ぐ歩き、背後で振り向いて、手を伸ばした』と言うだけの事だ。
直前まで、それを認識できなかったと言うだけの。

 「……"無意識を操る能力"」
 「うん」
 「それに確信したわ。アンタ、能動的に使えるようになってるわね」

 文献やさとりの話では、むしろ能力に振り回されている、と言う印象だったが。
まぁ、人は変化するものだ。妖怪はそうでもないと言う話だが、何より彼女が覚り妖怪からの突然変異種である。

 けれど、もしかしたら。思い違いなんじゃ無いかとも考えていた。
見えている点と点を繋いだら、「たまたま」そういう絵になったと言うだけ、と。
格好つけたのが馬鹿らしくなるくらいに下らない結末だったら、どんなに良かったかと。
そう、期待していたのだけれど。

 「一つだけ、訊かせてもらおうじゃない」

 絡み合う背中越しに尋ねた、声のトーンが一段と落ちる。



 「今回の異変、"何処までがアンタの仕業"?」



 軋みを上げていた石刀が、音を立てて折れた。
体勢の崩れたこいしへ、天子は振り返りざまにもう片方の腕を振り下ろす。
その脇を無防備に通り抜け、背中を向き合わせるように古明地こいしはお月様に向かい手を広げていた。

 「うふ、うふ、うふふふ」

 小気味の良い笑い声が、不相応な程によく響く。

 「ねえ。"希望"に必要な条件って、何だと思う?」

 月の光に照らされて、くるりくるりと少女が踊る。
両手の糸を巻くように、時計が針を進めるように、腕を広げて回り出す。

 「……質問に」
 「答えはー、『遍在性』……って言うんだっけ? あらゆる場所に、あまねく存在すること。
  八雲紫が他の妖怪と一線を画するのも、へんざいせーが有るから。
  何処に居たって、おかしくない。何を知っていたって、不思議じゃない。

  『だから自分も見られてる』

  ……人間は、そういう風に思わなかったらズルっこしちゃうんだよね?
  ただの人間に過ぎなかったお坊さんも、人類の"希望"によって人を超えてしまった」

 天子の声を遮って、おかしいねー、と無意識の少女は笑う。

 「とある、女の子の話をしましょ?
  その子はなんの変哲も無い、ちょっと心が分かるだけの妖怪でした。
  けれどある日、家族に不幸があってから、女の子の日常は変わりました。
  無意識に操られるようになってから、一人残ったお姉ちゃん以外、誰にも気付いて貰えなくなってしまいました」

 口の中に、知らず知らずの内に唾が溜まっている事に気付き。
何をされている訳でも無いのに、身体の芯がズンと重く感じる。

 「だけどある日、お寺の偉い人が来て言いました。
  なんと女の子は、全ての人間や妖怪を救うことの出来る"希望"だったのです」

 やったー、すごーいと拍手が響く。
遮る物のない星空の下で、それはとても空虚に聞こえ。

 「誰にも気付かれないから、"あなたの隣に居るかもしれない"。
  無意識を操る事が出来るから、"あなたのココロも変えれるかもしれない"
  なんとビックリ、変わり者の女の子はへんざいせーを持った"希望のタマゴ"だったのでした!」

 「それで」

 カラカラに乾いた口から、何とか一つ、言葉が出せた。

 「それで、結局なんだって言うの。"希望"だなんて言うなら、なんで私の後なんかつけてたのよ」
 「……女の子にはね、一つだけ問題があったの。
  それは、『救いとは何なのか』が分からなかったこと。
  人はどうなったら救われるのかを、知らなかったこと」

 きらきらと光る世界の中で、彼女の瞳だけが、淀んで見える。



 「だから、とりあえず沢山の人が不幸になって、
  その中で"救われた人"と"救われなかった人"を見比べれば、分かるんじゃ無いかなと思ったの!」

 「――巫山戯るなッ!!」



 自分でも信じられないほどに、大きな声が出た。
大音声をぶつけられた古明地こいしが、耳をふさいで身を竦ませる。
天子は、荒々しく息を吸い、こいしに向かって剣を突きつけた。

 「人それぞれに行うべき説法は違う。そんな事で……そんなやり方で、救いを見出だせる訳が無いでしょうが!
  アンタは、そんな事の為に地底を、アンタの家族も住んでる街を――!?」










 「"分かった"よ?」










 きょとん、と目を丸くして。古明地こいしは、小首を傾げた。

 「何、言ってんの、よ」
 「だから、分かったんだってば。救われたココロが、どうなるか。
  『ヒトのココロをどういう風にイジれば、そのヒトは救われるのか』

  ……うーん、さては信じてないねー?」

 何一つ邪気のない笑顔で。仕方ないな、とでも言う風に。

 「じゃあはいっ、まずはあなたから『救って』あげる!」

 "希望"になれると主張する少女は、青い髪の天人に向かい、手を差し伸べた。


 「……う、あ」


 比那名居天子の目蓋から、暖かい涙が溢れ出す。
こんな事を、こんな救いを、認める訳には行かないのに。許せる筈が無いのに。
"希望"を信じようと言う気持ちになれる。誰かを許そうと思えてしまう。

 意地だの、誇りだの、そんなもの。もういいじゃ無いかと、"心が訴えかけてくる"――

 「嫌だ」

 口から出た言葉と反するように、自然と膝が地面につく。
歯を食いしばり、涙をこらえようとする天子の緩んだ指の隙間から。
刃の消えた緋想の剣が、音も無く転がり落ちた。



 「わーいっ、だーいせーいこーう」



 くるくる、くるくる。目を弧のように細めて少女が廻る。
崩れ落ちた膝の下から、地面の冷たい感触が天子の体の芯に染み渡っていく。

 ――戦え。

 自然と溢れる涙の下、口角を緩ませながら、天子はただ己を叱咤する。
喜悦のうねる身体が、熱く自らの心を融かす。それこそ、今すぐに駆け寄って、あの華奢な身体を抱きしめたい程に。

 ――戦え……!

 だがそれも、要はベクトルが真逆なだけだ。
理不尽に押さえ付けられ、涙も流せず、粛々と天人らしくあれと強制されていたあの頃と。
理不尽に解き放たれ、涙を流し、人の如く救われろと強制される事の、何が違う?

 ――戦え! 戦え! 戦え! 戦えッ!!

 認識を変えろ。誇りも、意地も、敵に回った。
歪められた物に固執して居ては、あっという間に乱れた麻のように絡め取られてしまうだろう。
……ならば。今、比那名居天子をよって立たせる土台は。怒りでは無い何かとして背中を突き動かす物は。


 「しかし、随分と痛烈な皮肉じゃないの……」


 幸か不幸か、どうにも成らない現実の中で人形のように耐え抜く術を「比那名居天子」は心得ていた。
還俗し、地に落ちて。感情で抗い抜いてきた最後の最後に、その感情に裏切られ嫌っていた己の一部と共に戦い果てろと。
実に、実に不愉快極まりなく、そして不愉快であるが故に悦びの渦の中で戦意を失わずに居る。

 冷たい氷のように表情を失いながら、天子は地面に手をついた。


 「『念仏申し候へども、踊躍歓喜の心疎かにに候ふこと、
   またいそぎ浄土へ参りたき心の候はぬは、いかにと候ふべきことにて候ふやらん』」


 一瞬、問いかけられたとは思い至らなかったのだろうか。
こいしは数歩遅れて緩やかに回転を止め、不思議そうな顔でこちらを見る。


 「この気持ちが、こんな物が救いですって? ……そんな訳があるものか。
  ええ、確かに人は仏の御心に触れた時、あるいはこのような気持ちになるかも知れないわね。それで?

  悦びに触れ、どれだけの感動が起こったとしても、それはただ『感動しただけ』よ。
  何度も何度も思い起こして、擦り切れるほどに振り返り続ければ、やがてそんな感情も風化してしまうわ」

 歓喜と脳内麻薬に揺さぶられながら、それでも比那名居天子は立ち上がる。
知識を盾に、経典を鉾に。涙をこぼす自らの肉体を、論理の力で押さえ付け。

 「かつての興奮から醒め、『気の迷いだ』と決めつけて、それで元の道に引き返してしまえば……
  どんな神秘体験だって、意味を成すはずがないのよ。

  ましてやこんな、紛い物の奇跡が何になるって言うの? 何の救いだっての?
  人に思考させない、与えられただけの感動が、何を導けるってのよ」

 とある僧が「ありがたいはずの念仏を唱えても、心の喜びも悟りを開こうという思いも湧かなくなった」と言う悩みを持った時、さる聖人は「それは悟りを開きたいと言う煩悩が無くなったからで、喜ばしいことだ」という意を返したと言う。
共感出来るかはともかく、天子はそれが信仰の、悟りへの向かい方だと知っている。
こんな物は間違いだと、言えるだけの根拠がある。

 「……うるさいなあ」

 ほんの、僅かに。貼り付けた笑みを浮かべていたこいしの眉が、不愉快そうに歪んだ。
それで良い。歯牙にも掛けられていないままでは、こちらも思うように身体が動かせない。
こいしが何をしようとしているかは知らないが、むざむざと天界へ入れさせる訳には行かないと、天子は考えていた。

 「いいんだよ、そんなの。そういう頭でっかちな言葉より、みーんな気持ちよくなりたいって思ってるんだから。
  これこそがヒトの本当の"希望"なんだから、わたし、間違ってなんかないもん。ホラ!」

 こいしが苔のように濁った視線を向ける。さらなる法悦が身体の芯を奔り、天子は声ならぬ嬌声を上げた。
脊椎を稲妻が駆け上がり、頭蓋の裏をコンコンと叩いては、頭のなかを白く染め上げる。
意識も無意識も混ぜこぜになった耳の奥に、甘い糖蜜のような声が入り込む。

 「気持ちいいでしょ? 難しく考えなくたっていいじゃない。
  これが、苦しみの一切無い状態。あなた達が語る、涅槃の岸辺。みんな『こう在りたい』って思ってる"希望"!
  わたしが見つけたんだよ? わたしのおかげなんだ。ねえ、偉いでしょ!」
 「わたしゃ……頼んだ覚えは、ねぇぞ……」

 舌先がしびれ、思ったとおりに声が出たかは分からなかった。
どうにかしてやらなきゃいけない。この、勘違いした小娘に教えてやらなければ。

 「もー、なんで嫌がるのかなぁ」

 こいしもこいしで、一向に折れる気配の無い天子に焦れているようだ。
わざとらしく頬を膨らませ、天子の顔の前にしゃがみ込む。

 「……ヒトが何かを選択する時って、一体どこから選択肢が出てくると思う?
  後から考えてみれば、ああ、あの時はまるで"取り憑かれた"ような選択をしたなぁ、って思うこと、なーい?」

 にこにことした笑顔のままで、こいしは囁き続ける。
天子の蒼い髪を撫でつけ、横髪を引き上げ丸っこい耳を露出させては、そこに蜜を流し入れるかのように。


 「ね? ほら、よく考えてみてよ。

  あなたが行き先に地霊殿を選んだのも。
  お姉ちゃんがあなたとお爺ちゃんを引きあわせたのも。
  あなたの五衰が始まったのも。

  お姉ちゃんがおかしくなったのも。
  お爺ちゃんがおかしくなったのも。
  八雲紫が簡単に捕まっちゃったのも。

  あなたのお母さんを幻想郷に呼んだのも。
  地底で地震が起こったのも。
  その結果、色んな物が失われて、色んなヒトが助かったのも――

  全部、わたしの仕業 "かも知れない" じゃない?」


 ……藻掻く天子の動きが、ピタリと止まった。
その内には何が渦巻いているのだろう。一切を伺わせないまま、満開の花のような笑顔で無意識の少女は微笑む。



 「だから、さあ――"わたしを、信じて"?」

 「……――~~ッ!!」



 悔しいと、感じる事すら出来なかった。
人の行動が、あらゆる言葉が、すべて無意識から意識へ濾し出されるというのなら。
そして、誰しもの隣に無意識の少女が潜むと言うのなら。

 "無意識だから仕方無い"。

 それはきっと、とても楽になれる魔法の言葉。
たった一人にすべての悪を押し付けて、誰もを許し、誰もが許される"希望"足りえる存在。


 ……つい先程まで、比那名居天子が行おうとしていた事と、一体どれほどの差がある?


 「苦しいんだよね? 自分の我が儘で、地底の街を大災害に巻き込んだんじゃないかって」

 「やめて……」

 「怖いんだよね? 大切な物を失った人達が、いつか自分のせいだって責め立ててくるんじゃないかって」

 「やめて」

 「不安なんでしょう? 次はいつまで、一人ぼっちにならずに居られるのか!」

 「やめてよッ!」





 「――大丈夫! ぜーんぶわたしの、せいでしたっ!」





 あは、あはは、あははははははっ。
月の光を逆光に、表情の見えない影の下。口だけが莞爾として歪む。
崩れ落ちた天人の側で、無意識の少女がいつまでも笑っていた。永く、永く。

 ――……土の中に、黒くゆっくりと沈んでいくよう。

 苦しみは無い。そんな感情、とうに自分の中から排されて、別の何かに置き換わっている。
視界と、意識が、滴り落ちる涙で濁っていく。

 勝てない。いや、そもそも、"戦えてすらいない"。

 その事実が、決して辛くはない。
見せつけられた格の違いが、あるいは尊敬や崇拝の念すら沸き起こらせるのは、間違いではない。

 けれど。


 ――なぜ、私はまだ、考え続けている……?


 比那名居天子は、聡明だ。
遥か上を仰ぎ、自らの下を鑑み、己の何たるかを知った才女は、地に伏せてなお思考をし続ける。
感情は犯されている。魂魄は屈服させられた。ならば今、自分が、考え巡らせているのは果たして人体の"何処"なのか。

 ――アイツが操作出来るのは「無意識」だから、私の「意識」までは手が出ない?

 まるで禅問答のようだ、と天子は思った。七十五法に依って見れば、その答えも出るのだろうか。
普段、硬いが脆い感情を表に出しては居るが、その実天子の奥底に有るのは冷たく柔らかい知識の鋼である。
古明地こいしも紛れも無く天才と呼ばれる類であるが、であるが故に最後の一歩を押しきれないでいた。

 ――とにかく、戦いにならなきゃ仕方がないわ。

 古明地こいしに「敵」と認識されない限り、自分はこのまま地を這い続けているだろう。
幸いその芽は――いわば、相手のこちらに対する興味のようなものが――あるように思える。
だが、その為に何が出来るか。身体はもはや浅い呼吸を繰り返すばかりで、言葉を発せるかどうかすら危うい。
考えれば考えるほどに、思考が感情に侵食されていく。

 ――私は。

 なんで、抗っているんだろう。
なんのために、刃を向けるのだろう。
今、どこに居るのだろう。それすらも。


 「わかんない?」


 緑のワイヤーフレームに囲まれた面の上、赤子のように真っ黒なお面を付けた、銀の髪の少女が笑う。
世界は白く、星々は黒く。細い芯だけとなった天子の目の前に、剣の柄が転がる。
何度か見た世界だ。その度に印象は違うが、訳の分からなさだけは何時も共通している。
何もない世界。何もかもがある世界。

 「わからないなら、しょうが無いよねぇ。
  ……あなたとわたしじゃあ、見えている世界が違うんだから」

 くすくす、くすくすと笑い声が響く。本来、誰の物でもあるこの世界の、仮初の主こそが彼女なのだろう。
そして今、彼女を見送れば。天に届いた彼女は、その時こそ「ここ」の本当の主になるのだろう。

 未だ"科学"と言う信仰の手が届かぬ、遥かな幻想の大地の主に。

 「じゃあ、さようなら」

 振り向いて、明るい方へと歩き出す。
その背中を、比那名居天子は呆然と見送っていた。独りきりに成り行く様を、じっと。



 ――『だが、どんな名刀であれ、一度に切れるのは六胴かそこら。』
 ――『六人ならば、この刀が六本有れば切れる。十本ならば十人切れる。』
 ――『剣の上手い者なら、五本で十人切る。分かるか?』

 不意に、シナプスが弾けた。



 ――『だから千人ならば千本持てって? 無理でしょ、物理的に』
 ――『そうか? 相手の刀を奪えば二本だ。次を奪えば三本。そうやって足していけば、千位すぐだろう』
 ――『それは……でも、机上の空論でしょ』

 これは、刀について元師匠に聞いた時の言葉。
数ある思い出の中で、なぜ今になってこの場面を思い出したのか?
すでに、辛うじて薄く意識だけを繋いでいる天子には分からない、分かるはずも無いが。

 ――『そうだな。子供のような理屈じゃよ。「出来なくは無い」という程度の』

 色狂いの世界、薄暗く聳え立った柱の向こうに、背中が消えて行く。
彼女の世界の中で反転した少女は、成る程、良く見知った姿ととても似ている。
赤黒い髪を掻き分けて、比那名居天子は大地に爪を立てた。爪と肉の間に、砂利が交じる。



 ――『言葉遊びのような物だ』



 嗚呼、それが、「言うべき事」か。





 「……例えば、アンタが悩みを『切って捨てる』刀だとしましょう」

 意識の先が定まれば、総身に血が巡っていくのが分かる。
剣を持ち、剣を振る。指先の一本に至るまで「意識」を回す訓練を、あれだけ繰り返していた事を何故忘れていたのか。
緑に縁取られた空の下で、黒い貌が、ゆっくりと振り返りこちらを向く。

 「アンタの言う救いが、果たして確かに"あらゆる人が羨む"名刀であるとして――
  ええ、果たして一日に何人、救うことが出来るのか」
 「……しつこいなあ」

 虚ろな笑顔に、表情は無い。無いが、その声、様相に辟易とした感情が見えたのは、決して間違いでは無いだろう。

 「私が救われた? ああそうかい、それがどうした。
  同じ事を何人に出来る? 十は行けるか、百も出来るか、ならば千は、万はどう?
  あまつさえ"億"を救えるか? 一々ちまちま心を弄って? ああ、なんて途方も無い」

 こいしの冷め切った目を見ては、天子はいつかの名居守の男を思い出す。
何が出来る、と男は嘆いた。その心の一片、凍りついた悲嘆の針は、未だ天子に突き刺さっている。

 ――『何も出来んのだよ、神にも御仏にもなれぬ我々では』

 そう、自分も含めて、きっと皆勘違いしていたのだ。優れた存在だから。大きな力を持つから。
だって、その言葉は、まるで。


 "神や御仏になれれば、何もかもが出来るかのようではないか"。


 「――馬鹿言ってんじゃないわよ。世の中そんなに、甘くねーっつの」

 偉大な存在だから、多くの事が出来るのか。多くの事が出来るから、偉大な存在なのか。
ふざけたパラドックスだ。下らない言葉遊びだ。虫の振る舞い一つから道理を学ぶことも有れば、バラモンの言葉から何一つ見い出せない事も有るだろうに。

 「代わりの利かない刀一つで、一体どんだけ切れるってのよ。
  アンタ一人にしか出来ない事で、一体何が変わるってのよ」

 八雲紫はきっと、誰よりもそれが分かっていたに違いない。
だからこそあんなにも、「残す」事に拘っていた。
なんとまあ、賢き存在だ。ともすれば幾らでも、幸せな勘違いが出来た筈なのに。
奴の事は心底嫌いだが、成る程、偉大な賢者だと言うのは間違って居ないのかもしれない。

 「千人を切りたいのなら、まず千人に『刀』を持たせなきゃいけないのよ……!」

 あの老人には、それが分かって居たのだろうか。
救いも、悟りすらも捨て、ただ己の愛にのみ走り切った彼には。
……どうでも良い事だ、と天子は首を振った。
翁がどのようなつもりでこの言葉を言ったかは知らないが、今、天子の心に有る物こそが、天子にとって必要な物なのだから。


 「『是れ風の動くに非ず、是れ旗の動くに非ず、見た者の心こそ動いたのだ』。
  貴様に受け止めて貰う必要など有りはしない。
  我ら衆生、"総ての器"は既に胸の内にあり、むしろ"覆い"を取り払う事こそが涅槃への道なれば。

  去りなさい、魔羅(マーラー)! 全ての者の心の内から!
  天が見ようと、人が見ようと。お前であろうと、私であろうと!」


 一度、言葉を切る。
黒白の反転した世界の中で、天子は、再び緋想の剣を握りしめる。



 「"色即是空也(せかいは、おんなじだ)"ッ!」



 否定をしたいのだ。弱いから出来ないとか、強いから出来るとか。
比那名居天子はそんな世の中のルールに、否を叩きつけてやりたくて堪らないのだ。

 彼女の刃として、たなびく炎の色は。
一切の変わらぬ、緋色であった。


 ◆


 バチバチと、さあ、反撃の火花が燃える。
盤に乗る為に、奮い立つ為に並び立てた言葉の数々は、どうやら効果があるようであった。
相変わらず真っ白な星空の下、輝く黒星に照らされて、古明地こいしは手で顔を覆っていた。

 「魔羅……わたしが、魔羅……」

 言われた事に衝撃を受けたか。あるいは、あれだけの「救い」を与えて、なお立ち上がられた事へのショックか。
ふらふらと後ずさりながら、何事かを呟いている。

 「違うよ……わたしは、"希望"だもん……。ヒトのココロを……照らして上げなきゃ……」

 手の平の下で、口角が上がる。
いよいよ仮面じみてきたこいしの顔を前に、天子には一つ思い当たる所があった。

 「はぁん、成る程。なんか変だと思ったら、その不気味な面から妙な力がビリビリきてるわ」

 視線を前に向け良く見れば、すぐにその禍々しさに気付く。そして、その正体も。

 「夏頃に下界を騒がせた面霊気の欠けた面……そうか、あんたが拾ったって話だったわね」

 確か「地蔵を彷彿とさせる真っ白い子供の面」だったか。天子には目の付いた白子か何かのようにしか見えないが……
何にせよ、ようやくこの巫山戯た救世主の正体、その一端を掴んだらしい。

 「『希望の面』……新しいのが出来た以上、いずれ力を失うって話だったけども。
  最後の灯火か、何かの拍子に霊力が再生したか。あるいは」

 語りながらも、どちらも恐らく違うだろうと天子はあたりを付ける。
下界に湧いた面霊気の礎は、永く積み重なったとは言え人の感情からなる「霊力」だったはず。
だが、首筋にじっとりと、貼り付くように感じるこの力は。

 「この『魔力』。なにかしら、別の供給口"から注がれたか……」

 口に混じっていた砂を吐き出し、地面に唾を一つ。黒い地面に呑み込まれ、そのまま消えた。
何にせよ、今考える事では無いか。だが、"あの面が鍵を握っている"。それ自体は、有効な情報である。


 「まあ良いわ、帰るわよ家出娘。地獄でお姉ちゃんにたっぷり怒られなさい」


 言い終えて「何か姉まで地獄に送った後みたいな台詞だな」と天子は首を傾げたが、こいしの耳には入って無いようであった。
ならばとりあえず邪魔な面から片付ければ良いと、緋想の剣を振り上げ そのまま尻もちをつく。

 「……?」

 無意識を揺さぶられた後遺症が、未だ抜けきって居なかっただろうか。
体幹を崩し仰向けにひっくり返った尻をおさえ、天子は四隅に意識を行き渡らせる。
……肩、腕、指、腿、爪先。その全てに気が回っているのを確認して、起き上が る為に支えた手首が、ぐるんと回った。

 「づぁっ……!」

 無茶な捩じれと掛けられた体重で、健が甲高い悲鳴を上げる。
どうやら捻ってこそいないものの、後を引く痛みに天子は渋く顔を歪めた。

 ――なにか、妙な攻撃をされている。

 気張っては居るものの、相手の行動の正体は掴めないままだ。……少なくともさとりのように、催眠術の類ではないらしい。
こちらの肉体に直接何らかの作用を及ぼしていて、それが違和感の正体であるのは、間違いないだろうが。

 「あは、は」

 仮面の奥に張り付いていた古明地こいしの笑顔から、今度こそ本物の笑い声が漏れた。

 「なーんだ、全然だいじょーぶじゃない」

 草原を、丘を形作っていた蛍光ワイヤーのフレームが、不規則に波を打ち始め。
ゆらゆら、ゆらゆらと覚束ない足元を強く踏み付けて、天子は少女を睨んだ。

 「手を跳ね除けられたのにはビックリしたけど、諦めるには早かったかも!
  だって、あなたにはまだ"信じるココロ"があるものね」

 ひときわ高く打ち上げた緑色の線に合わせるように、長い袖を振り回しながらこいしは跳ぶ。


 「けれど、もっとしっかり観察してみたいわ、あなたのココロ! 抉り取ればよく見えるかしら!?」


 そのまま落下してくる体躯に合わせ天子が緋想の剣を切り上げると、くるりと一回転して 姿を消した。

 「チッ!」

 再び意識の裏に隠れられたか。ままならぬ状況に、天子は焦りを露わにする。
幸いな事に、このまま放置されない程度には敵愾心を稼げたらしい。
翁に鍛えられた剣士の勘が、無邪気さの内に漂う殺気を察知する。

 「簡単にどうにか出来ると思われるのも、しゃくだわね……」

 居ると分かれば、天子の行動は早い。
刃を消した緋想の剣を素早く懐にしまうと、その両手で持てる限界の大きさの要石を作り出す。
ただし、「出来る限り薄く広く」……まるで板のように広がったそれを、身体全体を使って回転速度を上げる。
どこぞの新聞記者のトラウマになったと噂の、流石の古明地さとりも閉口した超パワープレイの模倣であった。


 「き、ん、かぁ、くぅ……じぃッ!!」


 歯を食いしばって巨大な岩盤をぶん投げる様は、とても可憐と枕詞を付けられる物では無いが、小細工は大雑把に踏み潰す物と相場が決まってるのだから仕方がない。
暴風の音を残して飛んで行く板の向こうから、確かに小さく悲鳴が聞こえたのだからまぁ間違いでは無かったのだろう。

 「よーっし」

 まぁ、死にはしてない筈、と力んだ手をはた こうとして、天子は違和感に眉を顰める。
肩が外れた感触も無かったが、右腕がピクリとも動こうとしなかったのだ。

 「ん? おかしいわね、何で」

 唇を尖らせ、左手で腕の感触を確かめようとし――ビキリ、と背筋が凍りついた。
岩よりも硬い肌を引き裂き、今にも心の臓を鷲掴みにしようとしていた 細腕を、天子はギリギリの所で引き止める。


 「……ちぇ、あと少しだったのに」


 眼と鼻の先、薄暗い藻のような瞳を向けて、古明地こいしが残念そうに笑っていた。
白い手首に青筋を奔らせ、爪の先から青白い血が垂れた。今もなお、爪を肉に押し込もうとする力は、強い。
ともすれば、天子の両腕を使っていても止めきれないかも知れないほどに。

 「幻聴? ……いえ、確かに巻き込んだ筈」
 「ほんとよ、もう。危ないことするんだから。おかげでお手手が痛いのよ?」

 他人の心臓に爪をつきたてかけている事も、力の限り腕を握りしめられている事も、まるで些細な事であるようにこいしの表情には陰りが無い。
天子は、この無意識の娘から視線を外す危険を承知の上で、先ほど投げた岩盤に一瞬の間目を向けた。
蜘蛛の巣状に砕けたとおぼしき残骸が、真っ黒な大地の上に転がっている。

 「拳でかち割った? 薄いとは言え、要石よ? ただのさとり妖怪じゃあ」
 「"ただの"じゃないもーん」

 それは明らかに、「覚り妖怪」というスペックからはみ出した光景だ。いくら目の前の少女が枠外とは言っても限度が有る。
押して駄目ならと言わんばかりに、天子は相手の力に合わせるよう、掴んだ腕を引っ張った。
思わずたたらを踏む隣接距離のこいしへと、天子は迷う事無くその石頭を叩きつける。
ごつんと鈍い音が響いて、星が瞬いた。合わせて顎を狙う膝蹴りを踏み台に、両者の距離が再び離れる。

 「……アンタの力。ただ無意識だからってだけじゃないわよね」
 「ふふ、聞きたい? ねぇ聞きたい?」

 思い切り頭に衝撃を加えてやったつもりであったが、こいしに堪える様子は無い。
額から血を流しながら、相も変わらずにこにことした顔を貼り付けている。
むしろ、予想以上の硬さに天子の方が参り気味と言えた。天人とタメを張るほどの身体の硬さ。
これもまぁ、覚り妖怪の性質では無い。

 「わたしに色々と教えてくれた"お寺の偉い人"にね、お名前を貸してもらったのよ?
  "自己"の不確かなわたしの為に、もう使わない名前をくれたの。
  お陰で世界がハッキリ見えるわ! 身体が軽いの。空気が美味しい!」
 「そりゃ、良い空気吸ってるようで何よりですこと。
  しかし、名前? アンタに仏の道を教えたのは、聖白蓮じゃ無かったかしら」

 珍しく純粋に、きょとんとした表情でこいしは首を傾げた。

 「だあれ、それ? ……あ、あぁ。思い出した。住職さんだっけ。
  まぁ、わたしが言われるまで忘れてると言うことは、向こうも"言われたら思い出す"位よ、きっと」

 そしてまた、すぐに忘れるの。と、こいしは悪びれもせずにくすくすと笑う。

 「ひどいひどい。そんな簡単に誑かされる程、わたし、安いオンナじゃないし」
 「……アンタの言ってる事は、無根拠な妄想よ。
  頭に付けたその面が、"役割(ロール)"を勝手に名乗ってるだけに過ぎない」

 じっとりと額に滲む血が、まるで汗のようであった。
呆れた怪力、岩のように硬い身体、そして、わざわざ遥か天界まで何をしに来たのか。
符丁は有る。仮に組み合わさるならば、ただの「嫌な予感」では済まされない符丁が。

 「信じてよぅ」

 古明地こいしが唇をとがらす。深淵のような目が、上目遣いにこちらを向いた。

 「教えても良いのよ? 聞かせてあげる、わたしの目的。
  あなたが引き起こした混乱のお陰で、閻魔帳の頁を千切るのも簡単だったし」
 「天界の桃に、閻魔帳……んなら、その次は永遠亭にでも行くつもり?」
 「やっぱりあなた、頭がいいのね!
  千の為、万の為、億の為。長く生きるに越したことは無いんだって、あなたが言ったのよ?」

 げらげら、げらげら。笑い声を間近で聞いて、随分と頭が痛い。
世界が広げられていく気がした。何かが、痛みを伴いながら剥がれ落ちていっているような。
逆に、目から何かが覆い隠されていくような。

 「"古き『ち』を明らかにする"なんて黴臭いし、希望の象徴には似合わないもんねー?
  救いも裁きも、全部わたしの手にあるの。きっと、何もかもが変わるわ」

 額を覆うその本能が、人物を冠る事を求めるのか。
土台となる自己を失ったまま、巨大な感情の塔を建てようとする弊害か。
緋色の剣と対になるように、青白い人の祖霊が渦を巻いて、白天の夜の下に集おうとする。

 秦河勝の残した面霊気は、先の異変で「申楽憑依(モンキーポゼッション)」と謳ったらしい。
ああ、その裏で、この誰にも見られぬ演目が進んでいたとすれば……なんと言う皮肉だろうか。

 「我こそは、人々に信仰されるべき"天にも斉しき大聖者"。
  そう、音に聞こえし"斉天大聖"なのです」

 "いし"から生まれた"さる"の少女が、その役目に身を焦がすかのように、一際強く輝いた。





 斉天大聖。

 かつてそう名乗りを上げた石猿の、他の名は多い。
美猴王、孫行者、闘戦勝仏。だが、やはり日本において有名なのは「孫悟空」の名であろう。
やがて三蔵法師と共に天竺へ旅する孫悟空も、五行山に封印されるまでに一幕あった。
何よりも決定的だったのは、閻魔帳から自分の名を消し、天界の桃を貪り、金丹を盗み取る事で手に入れた――



 「――不老、不死。アンタ、本気で狙ってるんじゃ無いでしょうね」
 「ほんき? 本気って何かな、あなた」

 姿を消したこいしの影が、不意に天子と重なった。

 「本気じゃなかったら狙ってもいいの? 本気じゃなかったら嗤ってもいいの?
  本気であることと本気でない事は、いったい何が違うのかしら」

 目にかかる影の眩しさに、刹那、天子は目を細める。
石柱が並び立つ戦闘空間へ、こいしの声が溶け込んでいく。

 「人は選択。命は禊ぎ。ゆらゆらふるへし夢は影。
  落ちて戻れぬあなたはだあれ? 右か左か、頭か足か」

 嘲笑に構うな。意識を絶やすな。分かってはいても、反転世界を凝視すればするほど視界はブレていく。
右か左か。頭か足か。こうなってしまえば、便りになるのは剣士の勘か。
……おそらく[右]だと、剣を構える。


 「はーずれっ」


 無邪気な声と共に、左腕ごと吹き飛ばされた。
衝撃で散ったのか、黄金色の花びらが舞う。地を跳ねる側転を脚で押さえ込み、天子は軋む骨を庇う。
対するこいしの歩みは遅い。だが、決して攻撃の手が緩んだ訳ではない事は嫌というほどにわかった。
一歩踏み込む毎に、不可視の環が広がっていく。それはまるで、獣が鳥を狙うために腰を落とすような間合いの幅。
ゆらゆらと手を広げ誘っている。右か、左か。喉が焼け付く唾を飲む。

 ……ならば次は、[左]か?

 「――ぅ、げっ……!」

 意識を僅かに偏らせた瞬間、再び薔薇の花びらが散った。
天子の右側から構えの隙間を縫い下腹に食い込んだ爪先が、二人の距離を大きく引き剥がす。
今度こそ天子は、受け身も取れずに大地に転がり倒れた。

 「……、ほっ、げほっ……!」
 「ひゃー、かったーい……」

 荒く息を吐きながら、こいしが呆れ声で足を揺らす様を見上げて咽る。
相手がざく、ざくと地を踏み鳴らして近づいて来る音が、妙に遠く聞こえる。

 「でもまた、はずれ。ふふっ、そろそろ何かおかしいなー、って思ってる? 思ってるでしょ?」

 顎を持ち上げられ、にこやかな笑顔と目が合った。
景色が泡立つ中、こいしの銀の髪がふわりと踊る。表情の見えない笑みの上で、無表情の赤子が嗤っていた。

 「もう少しやってみよっか! 右から叩くのか左から叩くのか、当ててみてもいいよ!」

 言うが早いか、平手に広げたこいしの腕が奔る――

 [右。]左からの衝撃が頬を染める。
 [左。]右の奥歯に痛みが奔った。
 [左。]右から叩かれる。
 [右。]左から叩かれる。
 [右。]左。[左。]右。
 [右。]左。[左。]右。
 [左。]
 [左。]



 「ぐ、あ……」

 ガンガンに割れそうな頭を抑えて、天子は三度、地に倒れ伏した。
岩をも粉砕する腕で殴り付けられた顔が、熱く痛む。
丹念に刻みつけられた痛みが、天子から思考力を削ぎ落とす。

 「おっかしいねぇ! 変だねぇ!
  右か左かの二つだけなのに、まさか『一回も当たらない』なんて!」

 声に出した訳でも無いのに、まるでこちらの思念が見えてるかのようにこいしが叫んだ。
最後の方は手で防ごうとする事すらせずに、打たれるがままであったが。

 「まるで、"何かに操られてる"みたい、だねっ!」

 意識が遠のいて行くのを、天子は唇を噛んで堪える、
単純に半々として計算しても、四千九六分の一か。偶然にしては高すぎるが、奇跡と言うには安すぎるだろうに。
ましてや、そこに種や仕掛けがあったのでは……。

 「……うふふ。そうよね、きっとそう。わたしに何かされたのよね?
  何かは分からないけれど。どうしてかは知らないけれど。
  『たぶん何かをされたんだ』って、わたしを"信じて"くれるんだよね。」

 例えそれを告げても、こいしの笑みは止まらない。
それどころか、いよいよ歓喜の声を上げて、崩れる頬に手を当てているようであった。

 「嬉しいなあ、こんなにも誰かに信じて貰えるなんて!
  こんなにも、わたしを見てくれるなんて! 本当素敵。暖かくて、ふわっとして、気持ちいいの!」

 はしゃぎ回る子供のような表情が、新しい玩具で遊ぶ時の無邪気な殺戮性が。
ほんの一瞬、無表情の下に引っ込んで、雪の如き冷たい視線が天子を見下ろした。



 「――だから言ったじゃない。『見えてる世界が違うんだ』って」



 ついさっきまでの鈴を転がした物とはまるで違う、突き放した声。
耳を疑う間も無く、また蜜で花を煮たような柔らかい響きに戻っていく。
天子の指に、力がこもる。こいしの目が、円弧を描いて細く狭められた。

 「違う、だぁ? ……一体、何が違うってのよ」

 切れた頬の内側から血が滲み、青白い唾を天子は勢い良く吐き出した。
口の中がじんじんと痛む。頭を支える首も、繰り返し筋が伸び切った事で鈍痛が抜け切らない。

 「家に帰れば賑やかな声でペットが出迎えにきて、食卓の前で姉ちゃんがあったかい椀を注いでくれる。
  わいわい言いながら風呂に入って、橙色のかがり火をぼーっと眺めながら二人一緒に寝床に潜る。
  ……何も、違わないでしょうよ。何が違ってるって言うの」

 「たかが一家の団欒」に、何の意味があるかなぞ天子には図れる筈もない。
それが有るのも苦しみと言われ、それが無いのもまた、苦しかった。
例え、父を許せても、母を許せても。比那名居天子の「家族」と言う関係は、きっと二度と戻ってはこない。

 「うだうだ言ってないで戻りなさいよ。あの家には、アンタが要るんだから」

 未だ意思の揺るがぬ瞳でこいしを睨め付け、天子は膝に力を込めて立ち上が[れなかった。]
……バランスを崩して地に肩を付ける天子を見下ろし、こいしは構えた手の平を腰に戻す。
影色に輝く月の下で、少女の唇が一文字に引き締められる。

 「ウソ言わないで」
 「嘘なんか、言ってないわよ」
 「お姉ちゃんにはもう、あなたが居るじゃない。今更、わたしなんて必要としてないんだから」
 「……いいえ、私じゃ駄目よ。私一人じゃあ、"両方"は無理」

 古明地さとりは、比那名居天子を求めている。
そんな事、人の心を覗けない天子にだって分かっている事だ。
それがともすれば只の依存にもなり得る、危ういバランスの上に成り立っている事も。

 ……古明地さとりは比那名居天子を求めている。
一つは恋人として。もう一つは、たった一人の家族の代替として。
本来交錯しない二つの望みは、いずれ彼女の身に無視できない歪みを生む。

 「例えアンタが何を見てようと、さとりは確かに泣いてたわ。
  『お姉ちゃんでいたかったんだ』と、確かに姉で在りたいのだと、気持ちに嘘をついて居ない事に涙を流した」

 強い意思の篭った瞳がこいしを縫い止める。天子は膝に力を込めて、今度こそ立ち上が[れなかった。]
……バランスを崩して地に肩を付ける天子を見下ろし、こいしは手の平を構え続ける。

 「救世主ぶるなら好きにするがいい。
  幾ら私を"救った"所で、私は絶対に"満たされない"

  ……あいつ、頑張ってんのよ。毎日、アンタが帰ってくるかもしれないと夜遅くまで待って。
  何時帰ってきていても良いように、一食多くご飯を作って。
  掃除して、洗濯して、そんな当たり前の事ばかりだけど――」

 天子とて、努力は必ず報われ無ければならないと無邪気に信じている訳ではない。
だがそれは、努力は無駄だと嘲笑うニヒリズムでは決してないのだ。
社会なんてそんな物だと、足を止めるような理由になりはしないのだ。


 「――頑張った分は、報われた方が良いに決まってんじゃないのッ!」


 跳ねるように身体を起こし、剣を杖に立ち上が[れなかった。]
急に刀身の消えた緋想の剣ごと前転し、勢いを殺さぬまま起き上が[れなかった。]
顔をぶつけ、足を捻り、体中に痣を作りながら[立ち上がる事一つさえ出来ず]、天子は無様に地を這うように踊る。

 「……どうして」

 しかし、それでも。
道を示す比那名居天子の灯火は、紅く煌々と燃え盛っていた。

 「どうして、邪魔をするの。そんなに、わたしの邪魔をしたいの?」

 黒い地面に大の字に転がり、白天の中で輝く暗赤の月を見上げる。
地面を格子状に切り分ける緑の線が、こいしを震源として波打っていた。

 「みんな……みんな救われるのに。みんな救われたいと思ってるのに。
  あなたにはそれを否定する資格があるのかしら?」
 「知らねェよ」

 イドの中の少女は、笑い声一つ上げず微笑んでいる。まるでそれしか表情を知らぬかのように。

 「私に資格も許可も必要あるものか。うんざりなのよ、雰囲気だの総意だの言われて潰されるのは。
  ここにいる事が、手が届く事が。唯一つの権利で、私が手に入れた自由だ」

 月は既に天頂を過ぎ、地平の方へと傾きかけている。
そろそろ宴もたけなわだろう。始める前に間に合わせる事は、流石に出来なかったが。


 「さぁ、もう少しやってみましょうか」


 赤く腫らした頬を庇いすらせず、天子もまた、ふてぶてしく笑った。

 「本当、面白いのね。あなたって」

 目を細め、レースのついた袖で口元を隠し。
こいしは、まるで柔らかなシフォンケーキをつつきながら談笑する少女のように微笑む。

 「知ってたろ? 散々私を見てたんならさぁ」

 天子もまた、豊かな草原に寝そべり、隣に友人を迎えるような態度で膝を立てる。
近付いて来るこいしに向かって笑みを送り、[無抵抗のままに蹴り飛ばされた。]
……ぐり、と硬い靴裏が心の臓の真上を踏みにじる。それでも天子は――内心はともかく――動揺した素振りも見せず、逆光で顔の覗けぬこいしの影を見上げていた。

 「でもやっぱり、特別扱いは駄目よ。……人も妖怪も、死ぬ時は死なないと」
 「全くだわ」

 載せた足に、こいしが体重をかけていく。
[天人の頑強な身体すら、トマトのように爆ぜ]る事も無く、真っ黒のブラウスに、白い靴跡が残った。

 「……?」

 違和感を感じたのか、初めてこいしの表情に困惑の色が映る。
二度、三度と胸板に叩きつけても、靴底は天子の臓腑を穿つ働きをしない。

 「だけどそれは今じゃないし、アンタによってでもない。
  最近、あまりに死に損ない過ぎたからね。もうしばらくは閻魔様の顔も見たくないし」
 「なんで」
 「私はアンタほど"ここ"を知っているわけじゃないけど、それでも何回か"ここ"に来た事はある。
  ……やっと、思い出してきたわ」

 薄い胸を踏みつける足首を、天子は[力の入らぬ]腕で緩く掴んだ。
簡単に振り払う事は出来るはずなのに、どうしてか、こいしにはそれが出来ずにいた。

 「確かに、誰かを連れてこれる程の扉を開けるのはアンタ位でしょう。けれど"ここ"は最初からここにあったのよ。
  『例えアンタ一人しか知らないとしても、それは、アンタのために在るわけじゃない』」

 それは、土地の所有権のようなもの。
契約で縛り付けたとしても、それは法や社会の上で初めて機能するものであり、土地はただ最初からそこにあったに過ぎぬ。
よほど太古から在る神話でも無い限り、幻想現実の区別なく、大地は誰の手にも渡らない。
そして"ここ"も。

 「何が、いいたいの?」
 「殴られても良いかな、と思う程度には負い目もあったけどね。アンタの姉ちゃん、取っちゃった事には変わりないし。
  それに、こう言うと不謹慎かも知れないけれど、感謝もしてる。
  アンタのやった事は、決して許せない事だ。でも今回の異変が無ければ、私は母様に会う事も、思い出す事さえ無かった」

 今、自分は比那名居天子を見下ろしている筈だとこいしは思った。
反撃の糸口を見つけた素振りも無い。何をされているのかさえ、理解してる筈もないのに。

 「だからって、『殺される』事まで許せるかって言うと、別の話」

 天子の右腕に、力が篭もる。[象の踏み付けより重い]筈の足が、次第に浮き上がっていく。

 「そう、私はアンタ程分かっているわけじゃないが……以前一つだけ、ルールを聞いた。
  『"ここ"で分かっただけ、"むこう"で分からなくなって行く』、それが"ここ"のルールだと。
  それは逆説的に、『"むこう"で分からなかった事が、"ここ"でなら分かる』かも知れないと言う事でもある。

  知りたかったのよね、アンタは。誰よりも、何よりも深く、家族の事を」

 「……知らないよ。そんなの、覚えてない」

 決して、その場しのぎの嘘では無い。
何を知りたかったのか、何が分からなかったのか。それを思い出すには、古明地こいしは長く居すぎた。
目蓋の裏に、ほんの微かに残ったイメージが再生される。姉に手を引かれ、夜の山を走っていく。

 「だけど、アンタは間違えた道に行ってしまった。
  人に感覚は無く、その対象も無く、それらを受け止めるあらゆる意識も無い(無限界乃至無意識界)。
  されど悟りを知らぬという事は無く、故に無知が無くなるという事も無かったのに(無無明、亦無無明尽)」

 その言葉は、般若心経の一節だ。
知るも知らぬも無いのだから、無知を尽く照らすことなど出来ないと説く言葉。
あなたは既に知っているのだから、無闇に知ろうとする事などないと、諌める為の。

 「こんな所まで来る必要なんか、無かったのよ。
  アンタの知りたかった事は、全部ちゃんと"むこう"にあるんだから」
 「分かったふうなこと……!」

 淀んだ水面のように何も映さなかったこいしの目が、いつの間にか煌々と輝き、憎々しげに天子を見ていた。

 「分かってないとも。それに、分からなくていい!」

 そしてついに、天子は重々しく伸し掛かっていたくびきを払いのけ、半身を起こし緋想の剣の炎を振り起す。

 「かくて心には何のさまたげもなく(故心無圭礙)
  さまたげが無いから恐れもない(無圭礙故無有恐怖)」

 その、緋色の炎が。
紅黒に彩られた天子へと逆流し、身体を這うように燃やし尽くした。
火はやがて総身に巡り、色を移し、黄金の流体へと姿を変える。

 光り輝く天子の姿に、こいしが手を伸ばした。
光があまりにも眩しかったのか、それとも何かに干渉しようとしたのか、定かではないが。
こいしが何かするよりも早く、蒼色は空を映していた。

 「――私の天は、私の内に。あなたの天はあなたの内にこそある。
  わざわざ外に出すまでも無い。『緋想の剣は天気を操る』これが証拠よ、"古明地"こいし」
 「ッ、わたしは、もう」
 「たった二人の家族の名だろうがッ!!」

 膝を立てる。足の裏で、地を踏みしめる。倒れない。倒れない。
比那名居天子が立ち上がる。歩み寄る。


 「来いッ――私を、信じろ!」
 「う……く、あ、あああぁぁぁー――ッ!」


 手を伸ばしたその瞬間、たたらを踏んで後ずさっていたこいしが、頭を抑えて苦しみだした。
前触れ無く激変した状況に、流石の天子も眉根を寄せる。

 「痛いっ……痛いよぉ、おとうさぁん……」
 「何?」

 痛みに耐え切れず、身体をくねらせるその姿は、まるで緊箍呪に苦しむかのよう。
質の悪い冗句だと毒づいて、天子はこいしの額で妖しく脈動する希望の面を見た。

 「分かった。今、その面を……」

 割ってやる、と言おうとして。天子は咄嗟に剣で防ぐ。
[岩をも軽く貫く腕が、炎刃をものともせずに握り締める。]


 「……駄目だよ。わたしは、"希望"なんだから。ここで諦めちゃったら、みんなを救えない」


 頬に仄かに涙の跡を残し、こいしが薄ら笑っていた。
目の輝きは再び緑青が覆い尽くし、寒々しい言葉で自らを鼓舞していた。

 「"わたし"をここまで揺らがすなんて。さてはあなたこそ悪魔ね?
  ああ、いけないわ。魔はきちんと、殺して払わないと」

 地面を交差する緑色のグリッドが[隆起して数本の線の束になり、天子の腕を絡めとる。]
暴れるようなこともせず、天子は[あっさりと壁に磔にされて、胸部を晒した。]

 「悪魔なんだもの。救えなくても仕方ない? ねえ、次に生まれてくる時はきっと善き人になって――」





 「――……黙れよ、くそったれ」





 その、拘束の糸を。黒色の大地を。何もかもを。
空色の髪の一本一本から溢れた緋想の炎が、全て燃やし尽くした。

 「ええ、もううんざりよ。やっぱり慣れない説法なんてするもんじゃ無いわね」

 台風のように荒れる心の内に目が出来て、妙に静かな気持ちになるというのが今の天子には良く理解出来る。
言いたいことは全部、言い終わったのだ。それで靡かぬとなれば、"いつもの手段"しかないでは無いか。

 「さて、私の言いたいこと、分かって貰えるかしら」

 月の光を反射し、蒼に輝く髪が散らばった。
前掛けが嵐のように唸り、天を現す衣の奥に緋想の気質が荒れ狂っているのが、紅い眼光から伺い知れた。

 ああ、結局の所、つまり。


 「私の大事な妹分に、これ以上口からクソ垂れさせるんじゃねえッ!」


 比那名居天子は、猛烈に怒っているのだ――


 ◆


 緋色の炎に照らされて、"そこ"には僅かな空隙が生まれていた。
蛍光色に輝くワイヤーフレームで彩られた石柱が、火に炙られ白い石肌を取り戻す。
世界の境界は互いに浸食を繰り返し、まるで写真が焼け爛れる様を巻き戻しては繰り返し見ているようであった。

 炎の中心には、天人が。
つるつるとした漆黒ではなく、草の感触を取り戻した足元を確かめるように一歩一歩踏み出していく。
アルカイックな笑みを浮かべたこいしが、おどけるように指を拳銃の形に握り、天子へと向けた。
突き付けられた指先が、視界の端に滲むようにブレる。天子の歩む速度が、一歩毎に早く、速くなる。

 不意に、石柱の隙間を縫って、強い風の音がした。

 星空をつんざく鬨の声を上げ、天子がジグザグに駆ける。
松明の如く炎刃を立て、一気呵成に少女の額を狙う。
[その足へ緑のワイヤーを束ねた紐が襲いかかり]、緋の灯に照らされ焼け消えた。


 「ばーん」


 こいしが引き金を引く。[一瞬止まった隙を見て、不可視の衝撃波が叩きつけられる。]
剣を振るう手への衝撃は肩で受け流し、天子は己の中に流れる"気質"を組み替える。

 「気質発現――『台風』」

 [華奢な身体を吹き飛ばす]筈であった衝撃も、身体の内に満ちる暴風雨にかき消され。
引き裂かれた不可視の壁が黒い流体に変わっては、炎に溶けるように消えていった。
飛行機雲の如き線を引き、天子が緋色を宿した拳を握り込む。

 しかし、それを振り切っても期待した衝撃は起きなかった。
拳を包むようにこいしの手の平が添えられて、渾身の力を込めても[ピクリとも動かない。]
天子の端正な顔が僅かに歪んだ。光と世界がせめぎ合い、黄昏色の縁を生む。
腕の影から覗きこむ、こいしの顔が現れる。[その瞳と口腔から、黄金の薔薇が飛び散った。]

 「『花曇』」

 天子は素早く腕を払い、霞む雲の如く身を翻す。
仄かに残る蒼の残滓へ、[爆散する薔薇の衝撃が襲いかかる。]
チリチリと髪に掠る音だけを立て、花びらは暗空に紛れて消え去った。背中で結んだ前掛けの七色が、独楽のように翻る。

 「『疎雨』」

 風を切る長い髪が、サア、と涼やかな雨の音を立てた。身体を回しながらも、天子の手はこいしを捉える。
一瞬の内に現れた要石――それも、天子と同様に緋想の火を纏っている――が、天地から少女の体躯を挟み込む。
[グシャリと潰れた体が、緑色と桃色の線にほどけて消えた。]

 「はーずれっ」

 [再び、背後から声。天人の身体を貫くのに十分な威力の拳が、無防備な背中に迫る。]
振り向きざまの返し刀で、天子は一閃切り上げた。振り切られた炎の残滓が、頬や鼻筋を僅かに照らす。
切り落とされた腕が、[ゴムのように柔らかく伸びて戻り、元の位置に収まった。]
とっとっとっ、と軽い足音を残してこいしが後ずさる。表情を崩さずに、にんまりと笑う。天子の目が細まる。

 「無駄だってばぁ。手品のタネも分かってない、あなたなんかじゃ何をしたって」
 「要らないわよ、そんな物。どうせ切ればわかるんだから」

 嘲る声を遮って、切っ先よりも鋭く視線が刺さる。
緋色の剣が振るわれた。[切られた身体が影と共に消え、こいしが離れた位置に現れた。]

 「"何の笑いがあるか。何の悦びがあるか。汝らは暗闇に覆われている"」

 視界の端から[赤紫の触角が、天子に触れようと群がる。]
天子は左手に巨大な石刀を作り出し、それを薙ぐ。[千切れた触角が蛇となり、地面の上を這い進んだ。]

 「うん! だから誰かが遍く照らしてあげないといけないんだよね」
 「見解が違うわね。それでも人が到れるから、涅槃は救いなのよ」

 天子の呟きに対し、こいしはしみじみと言葉を返す。
緋を纏う杭に頭部を潰され、ついに蛇は息絶えた。

 「いくら立派なお天道さまも、たった一つじゃ照らしきれない。だからわたしが、皆を救ってあげるの。
  この"表じゃない世界"から皆を照らす『もう一つの太陽(サブタレイニアン・サン)』として!」

 斉天大聖。天に斉しき大聖者。太陽と並ぶべき者。

 「なのに、ねぇ、どうして認めてくれないの?
  ここにわたし意外の光なんて要らないのに。あなたって、本当にいつもいつも……」
 「いつも?」

 けれど。"空"ならば此処にもう一つ。
蒼く在り。緋に染まり。極光を身に束ねる空が……もう、一つ。



 「いつも――わたしの気に障ることばかり言う!」

 「そうね、私もいつも、アンタのような奴が気に入らないのよねッ!」


 ◆


 宴会の喧騒から離れた、神社の離れ。
神楽と言うには随分乱暴なヤマメのステージも終わり、一転して後の祭りを想起させるこの場所で、さとりは杯を傾けていた。

 あたりに人影はない。賑やかなペット達も、今は思い思いに宴を楽しませている。
さとりは、覚りだ。いくら地底の責任者としての地位を殴り捨てたとて、すぐに人混みが得意になるわけでも無い。
これでも、今日はかなり努力をした方なのである。

 「『私の手で、私の意思で、私を動かす』」

 最初に、比那名居天子と言う存在を強く意識するようになった夜に言われた言葉。
その言葉のままに、彼女は行く。時折、古明地さとりを置き去りにしてまでも。

 「……それでもたまには、手の平の中に帰ってきてほしいと思うのは……」

 喉から漏れかけた言葉を、さとりは酒と共に呑み込んだ。
言ってしまえば、毒にしかならぬ。酒精の香りが鼻につんと染みこんでいく。
久しぶりに見上げる月は、こんなにも綺麗なのに。分かち合える誰かが隣に居ない事が、残念だった。


 ◇


 狭間に流れる暁色の雲が、二人の間を彩った。
輝く薔薇の花びらが、緋想の光を反射し黒い大地を照らす。

 純粋な戦闘練度で言えば、天子の方が数段上と言える。
石猿の名を借り、いくら天人に対しても致命的な破壊力もつ攻撃であろうと、ただ腕力に任せるだけでは天子の敵ではない。
しかし天子の剣がこいしの影を捉えたと思う度に、[こいしは奇妙な回避を行い平然と天子の視野外に現れる。]


 比那名居天子は、聡明だ。
普通と称する飛び抜けた馬鹿でも無ければ、人の理解できぬ道筋を以って辿り着く天才でも無い。
ただ、そういう「異常」に憧れただけの、社会と言う枷を理解出来ただけの少女であった。
月夜の晩に醒めぬ夢を見た、ただの少女。

 古明地こいしは、優秀だ。
誰より優れた覚であり、誰よりも深く心を覗き、故に心の奥底に囚われた。
「普通」であれば見つける事も出来ただろう幸せも、異常であるが故に壊してしまった。
人の夢の合間にのみ手を伸ばせる、ただの少女。


 [束ねられた緑のフレームと紫色の触角が、郡をなし天子に襲いかかった。]
手足や腰に絡み付くのを焼き切りながら、天子は緋想の剣を掲げ高く跳んだ。
[こいしの姿が薔薇の花びらの中に溶ける。破裂寸前のエネルギーを抱えながら、飛翔する天子の、更に上へ。]

 「なんども」

 [一瞬で現れたこいしが、天子に向かい青赤に弧を描く弾幕を叩き付けた。
緋色のオーラを食い破られ、直撃を受けた天子の身体が、力を失いうなだれる。]

 「なんどもなんどもなんどもなんども、消えそうになって」

 落ちる天子を、迫り上がってきた石柱が受け止める。
緋想の剣を突き立て、天子は転がり落ちそうになった身体を石柱へ縫い止めた。
月が沈んでいく。こいしの影が逆光を受ける。

 「なーんでっ、居なくならないのかなぁ!」
 「知らないわよ!」

 石柱に膝を付け、共に上がっていきながら、天子は胸元に収めていた一枚の札を指に挟み掲げ。
[まるでババ抜きでするかのように、ひょいと横からつまんだ手がそれを持っていった。]
天子の目が丸く見開かれる。くすくすと笑い声を残し、こいしが飛び退く。

 「なっ、それ私の」
 「ちゃんと使うよ、もったいないもの!」

 黒のフリルに覆われた手が、ふわりと踊った。[力を込められた事で、スペルカードが蒼い霊光を発する。]
他人の物で有るとは思えないほどに、起動はすんなりと行われた。
白天の星空に突き上げた腕を見上げ、こいしは宣言する。


 「「『世界を見下ろす遥かなる大地よ』!」……んぅ?」


 何故か重なった声に唇を尖らせ、こいしは天子を見た。
帽子の鍔の奥にニヤけた笑みを浮かべ、いつの間に取り出したのかもう一枚の札をひらひらと振っている。

 「切り札ってのは、常に二枚は用意しておくもの……ってね」
 「……使えたから別にいいモン」

 静謐な筈の天界を、激しい地響きが揺り動かした。
既に下に見える地面から、天子が乗っている物と同じ石柱が何本も迫り上がり、二人を追う。
ただしその一方は白く、緋色の火を灯し、もう一方は蛍光緑のグリッドに囲まれた、空洞の如き黒であった。

 「それにね、違うんだよ?」

 夜の中に鈍い音が響き、天子の足元の石柱が唸り声を上げて崩れていく。
天子が慌てて姿勢をたてなおすと、[黒い石柱がまるで自らを棍棒のように振るい、白い石柱を打ち倒していくのが見えた。]
不意に、こいしの身体から浮力が消える。オセロを彷彿とさせるの黒と白の盤の中へ、誘いながら落ちて行く。

 「"ここ"を自由に使えるわたしとあなたじゃ、やれることが全然違うの!」

 崩れる足場を蹴り、天子はこいしを追いかける。
[黒い石柱がその身を振るい、緋に燃える体躯を叩き落とさんと迫った。]
己に迫る緑のグリッドを蹴り、その勢いで天子はさらに飛ぶ。

 「まだまだ!」

 白と黒の間を縫い、こいしへと迫る天子[の前に黒い石柱が急に伸び、立ちはだかる。
更に後ろ、前後の左右に合計六本。檻のように天子を囲み、髪に映る空を見下ろした。]

 「ハンバーグになーれっ」

 [天子を閉じ込める六柱が、一斉に竹めいてしなる。]
獣が飛びかかる前の事前動作にも見えるその動きからは、簡単に肉を骨ごとミンチに変える致命的衝撃の予感が読み取れた。
だが、比那名居天子に逃げ場無し。仮にこの場を切り抜けられたとしても、更に上空ではこいしが笑みを浮かべ待ち構える。
[十分に反動の付いた石柱が、ゆっくりと迫り――


 ◇


 ドドォン、と空気を打ち鳴らす音が、さとりの鼓膜を揺らす。
鬼が花火でも投げたのだろう。騒がしい宴の中心部が、より一層熱を持って騒いでいた。

 「……浮かない顔してるじゃない」

 くらくらと揺れる頭に、冷ややかな声が飛び込む。
心を読まぬ程度に離れれば寄って来るのはペットだけだと思って居たが、そうでも無いようだ。

 「霊夢さん」
 「地底じゃ色々あったけど、あんたと正面切って話した事ってあんまなかったわよね」

 流石に酔いが回ったのだろう、少し顔を赤らめた博霊の巫女が、すとん、と隣に腰を落とした。


 ◇


 「あれ?」

 こいしが、軽く首を振る。
視線の先には、お互いにお互いを砕き、蛍光色のワイヤーもバラバラに崩れ落ちていく石柱が六本。
伸びる白柱の先端が空中に佇むこいしを叩き、空へと弾いて飛ばす。

 回る視界の中で、こいしは柱を蹴り大上段から緋想の剣を振り下ろす天子の姿を見た。
緋色の剣閃がこいしの姿を袈裟に切り裂き、[ポップコーンやカラーテープが弾けて飛び散る。]

 「なんで、今……」

 すべすべとした黒い柱の頂上に座り、首の後ろでざわめく不快感に、こいしは首をかしげた。

 「よそ見? 余裕かましてくれるじゃない」

 うざったそうに絡まるテープを振り解き、天子は剣を肩に担ぐ。
しかし、それすら既にこいしには聞こえていないようで、虚空に唇を尖らせ何かを言わんとしていた。

 「集めた絆が勝利に繋がるとか? なにそれ、ちょっと陳腐すぎ……」
 「……何言ってんのか分からないんだけど。とっととこっちを向きなさい、よっ!」

 こいしは何かを訝しんでいるようであったが、天子にとってはお構い無しである。
緋想の剣が[黒いレース状の袖を纏う手の平に握り潰され]、薄暗い緑の目が天子を見つめた。
飛び散る炎が、二人の瞳の奥を照らす。
こいしの瞳の中に、つい先程まであったはずの自分へ相対する激情などといった物が失せ果てていて、天子は僅かに鼻白んだ。


 「……いいよ。お話、しよっか」


 まるで酸素を燃やしきった火が一斉に消えるかの如く、こいしの表情から熱が消え失せていた。
六角柱の天辺にペタンと座り、目を瞬かせて天子を見上げる。
こいしの急激な態度の変化に、ついていけないのはむしろ天子の方であった。

 「どういうつもりよ、急に」
 「べっつにー? どうせここまで来たら、ちゃんと戦ったって"行き着くまで決着つくわけない"もん。
  だったら、あなたとお話する方がちょっと面白いじゃない?」
 「決着が、つかない?」

 つい先程までやり合っていた戦いを、まるで他人ごとみたく話す仕草もそうだ。
まるで子供が遊んでる最中に親から咎められた時のような、"すねた"感じ。
[天子の目の前に、取り合いもしていなかった「見ている世界が違う」という言葉が急に現実味を帯びて現れる。]
自身が「よそ見」と断じたあの一瞬に、こいしは何を見ていた?

 「まぁ、良いわ。私だって殴ってでも止めに来ただけで、別にどうしてもぶん殴らなきゃいけない訳じゃないし。
  ……ただ、その仮面は割るけど」
 「ふふっ……よかった」

 天子が剣を収め、柱の上に胡座をかくとこいしが目を細めて笑う。
向かい合った白と黒の柱の上で、少女たちは遠い地響きの音を聞く。

 「さぁ、お話しましょう兎さん。お茶やお菓子はどこかしら?」
 「あのねぇ、いくら何でもそんな用意が出来てるわけ……」

 そう返す天子[の目の前に銀色のトレイが置かれ、カップの中から香りをはらんだ湯気が立ち上る。]
目蓋をこすってこいしを見れば、バターをたっぷり含んだクッキーを頬に詰め込んでサクサクと音を鳴らしていた。

 「要らないの?」
 「……遠慮しとく。アンタの姉ちゃんに薬盛られた思い出もあるし」
 「ふーん」

 天子はため息を吐き、警戒を外さないまま、銀のトレイを避けるように改めて周囲を見渡した。
二人の乗った足場は高速で伸長し、視界を塞ぐほどに密集していた他の柱を追い抜いて伸びている。
時折擦れてぶつかり合った柱が崩れ、細かい破片として落ちてくる物を弾くと、黒白の隙間から星の光を受けた雲海が幽かに色をもって揺らめいているのが見えた。

 「それで、どういう意味なのよ」
 「んー? なにがー?」
 「"決着が付かない"と言い切る理由。多少は、話す気も出来たんでしょ?
  別に私としてはアンタが何を見てようが関係無く連れ戻すけど、話したいってんなら聞いてやるわ」
 「……作られキャラだろうとなんだろうと、自然にそういう態度ができる時点でキマってるよねー、あなた……」

 呆れ気味に呟いた一瞬だけ、かなり素に近い真顔であった。
が、それもまたすぐに仮面の如く貼り付いた笑みに掻き消される。まるで、その笑顔こそが彼女の鎧であるかのように。

 「手品のネタにも関係してくる事?」

 天子は腕を組み、目を半にしてこいしを睨む。
こいしの輝くスプーンでかき混ぜられたティーカップが、カチャリと音を立てた。

 「ねえ、あなたにとって、世界はどんな形だった?」
 「形ぃ?」
 「わたしの居た世界はね、小さいけれど、綺麗に纏まっていて――
  "そして、わたしが生まれたその日に欠けた"」

 ティースプーンが、水面から抜き取られる。
僅かに残った水分が、少しして雫として落ちて小さな波を作った。

 「だから、わたしはその欠けた場所に、ぴったり埋まるように育つはずだったの。
  何もおかしな話じゃ無いでしょう?」
 「……あぁ、そういう話」

 曲面に歪んだスプーンの窪みに、同じく歪んだ世界が映る。
顔も、空も、面が一つ歪むだけで、逆らえない。

 「そうね、世界を構成してる奴らは美しい美しいと褒め称えてたけど……
  私にとっては、ただの歪んだ像にしか見えなかったわね。
  おまけに、構成するパーツでも無かったから居心地が悪いったら無かった……これで満足?」

 いつのまにやら、随分と高い所まで登って居たらしい。
丸みの分かる雲の地平線の向こう側に、仄かに明るい太陽の兆しが見える。
こいしの口元で、口角が上がった。天子は、空を眺めていた。

 「分かるよ。世界って、綺麗だよね」

 そんな、話を聞いているのか聞いていないのか分からない台詞を吐いて。

 「悲劇も喜劇も、夢も現も、エログロだって関係ない。
  だって、綺麗な『あるべき形』にするために頑張ってる人たちが居るんだから」
 「……それは、宗教家達の事?」
 「"まさか"」

 少女は、嗤う。


 「シュレディンガーの猫の結末を知るように、世界は見られる事によって存在する。
  そして、より綺麗に見せるために人の心の奥に"こんな場所"が用意されてるの。

  上手くいく時のために。上手くいかない時のために。悲しい話のために。楽しい話のために。
  あるべき形に収める時に、誰かが"ここ"に手を伸ばす。
  だって、『綺麗な世界じゃなければ見たくない』もんね?」

 こいしの、深い緑色をした瞳がこちらを捉える。
丸い縁の向こうから、朝焼けが空を灼いた。降りていく月を中心にして、緋色と蒼がせめぎ合っている。
彼方を見るこいしに、天子が声にならぬ言葉をかけた。

 「あなたの言うとおりなの。"ここ"はわたしの為に用意された場所じゃない。
  わたしは、ほんのちょっぴり[弄って]いるだけだもの。
  "ここ"はもっと凄いことが出来る場所。意識よりも、無意識よりも、もっと奥。

  ヒトに取り付けられた、『素敵な楽園に行くための場所』」


 いつの間にか、地響きが止んでいて。
眼下を見れば、霧がかった雲の海の中にぽつんと幻想郷の地面が見える。
黒の石柱と、白の石柱が入り混じって頭を並べ、まるでゲームのマスにも見える盤面を作っていた。

 「……分からないわ。アンタが言ってる事、私にはサッパリよ」
 「そっかー。まぁ、しょうがないよね」

 石柱の頂上で出来た盤を、[埋め尽くさんとばかりに小さな花が咲いた。]
色とりどりの蒲公英が咲き乱れ、風も無いのに微かに揺れる。
天子の表情が歪んだ。踏み潰す花の感触は、少しずつ天子の清らを削りとっていた。

 「だけど、一つだけ覚えて欲しいな。表と裏があるように、『下』があるなら『上』もある。
  あなたが信じる光の人も、間違いなく"ここ"に手を入れる者の一人なんだってこと」
 「だからなんだって?」
 「手の平の上に自由なんて無いわ。"ここ"にシステムがある限り、揺さぶれも動かせもしない」

 くすっ、と少女の唇から笑い声が漏れた。
石の柱が伸びた先の有頂天で。白と黒が、緋と蒼がぶつかる場所に、七色の極光が良く透ける布のようにはためいている。
天子はこいしの瞳を見続けた。じっと、長く見つめていた。

 「あなたたちはみーんな、筋書きの上に縛られてる。誰かの為に転がされる」

 何時の間にか、口の中がカラカラに乾いていた。
横に置いていたティーカップは、既にトレイごと影も形も無い。
緋想の剣に火を点けて、天子は何時でも駆け出せるように、八相に構える。



 「『転がる小石』に過ぎないの」



 ◆


 「……頂上に、付いたわよ」

 遥か高く、水平線の向こうに流れる雲の様子すら観察出来る天上の地にて。
有頂天の少女は、挑発じみた言葉に返す事無く問いかけた。

 「アンタ、まだ話す事あるの?」
 「ある! あるよ」

 視線の向こうでぴょんっと跳びはね、こいしは、まるで無邪気に問いかける子供のように挙手を行う。

 「あなた、お母さんを殺したんでしょ? ねえ、どうだった?」

 流石に無視しきる事が出来ず、天子の顔が苦虫を噛み潰したかの如く歪んだ。
[蒲公英の他にも、百合や鈴蘭、赤や青の薔薇、石柱を束ねた頂上で、花々はますます咲き誇っている。]

 「すでに、死んだ存在よ。あれは放っておけば害をもたらす祀られぬカミだった。
  善行をしたなんて言えないけれど、私の手で決着をつけることがせめてものけじめだったのよ」
 「……そういうことが聞きたいんじゃないなぁ。
  あなただって、ちゃんと"残っていた母の意思を何処にも残さず消し去った"って思ってるんでしょ?」

 半目になりながら絞り出した天子の答えは、どうやらこいしには不服なようであった。
深緑のスカートを翻し、こいしは後方に――柱で出来た足場の縁に向かって――数歩進む。
[そして天子は、既に地に生える花びらを踏み潰し、無防備な背中に向かって駆け出していた。]
脳裏に微かなデジャヴがよぎるが、踏み出した足は止まらない。

 「ねえ、苦しかった? 悲しかった?
  まぁ、あなたのお母さんの肉体がとっくに亡くなってたのは確かだけど。
  それでも、"手応え"みたいなのはあったと思うの」

 丁度振り向いた体の袈裟懸けに、緋い線がはしる。[こいしの姿が真っ二つに裂けて、粉々に砕けて消えた。
けれど未だ、耳に息がかかる距離で、注ぎこみながら声は囁く。]

 「教えてちょうだい? わたし、わたしじゃない人のヒトゴロシの感想、聞いてみたかったのよ」

 花畑の上で笑いながら舞う少女の姿は、どこまでも無邪気で。
[地面に散らばって咲く黄金の薔薇が、ギョロリと天子に目玉を向けた。
チリリ、と肌が焼ける感触に、天子は舌打ちを一つ行う。朱色の視線を向けられて、服が焦げ黒いシミを残していた。]


 「あのね、あのねっ? わたしもお父さんを殺したんだ。いっしょでしょ?」


 だぶついた袖に包まれた両の手の平を合わせ、拍手の音が一つ鳴った。
まるで、たまたまお揃いになったシャツの柄を自慢するかのようにこいしは語り続ける。

 「怖かったなあ。お父さん、とっても苦しそうで。
  背中に突き刺した包丁を押しこむたび、獣のように吠えてたわ」

 対する天子に、悠長に返答する余裕はない。
白色の柱の一つを更に伸ばし、影を利用して薔薇の視線をやり過ごした。
ばら撒いた要石のファンネルが目玉薔薇に向かって緋色のレーザーを放ち、徐々にその数を減らしていく。

 「わたし、包丁で肉を抉りながらつい恐ろしくなったの。
  わたしもいつか、こんな風に苦しまなくちゃいけないのかしらって。ねぇ、"苦しみ"ってどこから来るの?
  偉い人はそれが愛から生まれるって言ったらしいけれど、それってほんとにホントの話?」

 首を傾げながら、虚空を見据えてけたけたと笑う声が響く。
[刺の付いたツタが二重螺旋を描き、別れた先の所々に青や赤の薔薇を咲かせる。
花の内の一つが飛び回るカナメファンネルを捉えると、食虫植物のように花弁を閉じ、あっという間に咀嚼した。]
その様子を見ていた天子から、思わず辟易した声が漏れる。

 「ねえ、怖いってなに? 苦しいってなに? 悲しいって、なんなのかしら。
  こんなのじゃダメよ! もっと、あなたのココロをさらけ出して!」
 「注文の多いお嬢様ね」

 直径が胴ほどもあろうかと言う要石が、掘削機のように回転しながら道を削り進む。
その後を追い、茨の壁を切り裂いて天子が駆けた。
剣の柄を握りしめ、星の光も届かぬほどに緋想の雲で天を覆う。

 「借りるわよ、お空」

 薔薇の棘が作る細かい傷も霧に変え、天子は夢幻の如き世界に旗を掲げる。
圧し潰す重力にどれほどの力があろうと、想いを謳い続ける灯火の旗を。

 「気質発現――『烈日』」

 地平を越え差し込む太陽の赤熱光が、何ら守るものの無い天上に位置する二人の身を焼く。
厳しい熱に当てられて、柱を覆い尽くしていた植物達も急速に萎れていった。

 「『風雨』」

 激しい雨風の勢いに乗り、天子は一気呵成にこいしへと攻めこんだ。
目を細めて太陽を眩しがっていたこいしは、[くるりと身を翻して黒い柱の中に沈む。]

 「『晴嵐』」

 そのはずだったのだろうが、目測を誤ったのか緋の炎を纏う石柱の上に体を投げ出して、ぺちゃりと潰れた。
ぶつけた鼻頭を擦りながら涙目になるこいしへ、無情に剣が振り下ろされる。
[スライスした箇所からバターが溶けて、熱したパンの上に広がった。]

 「うーん、それズルい!」
 「……アンタに言われる筋合いは金輪際無いわ」

 刀身に付いたドロリとした油を払い、天子はややげんなりと言葉を返す。


 「父親を、殺したのよね」


 重い、静かな声だった。

 「それは結局……何のためだったの?
  自分の身を守るためか、姉ちゃんを守るためか。あるいは……」
 「"忘れちゃった"よ、そんなこと」

 コキリ、と首が傾いて。赤光を受け、薄暗い黄昏のような色合いになった瞳が、天子を見据える。

 「わたしの感情なんて。わたしの想念なんて。
  そんなもの、あってもなくても変わらないんだもの」

 [ギリ、ギリ、ギリと音が鳴る。古びたゼンマイを巻くように、身体と世界を捻じりあげる。]
滔々と語る口調が、まるで他人の事を囁くかの如く。

 「わたしはただ、怖かったの。何がなんて、覚えてないわ?
  怖くて怖くて、だから知ろうと思った。探せばこの恐怖の源が、きっと見つかると思ったの。
  見つかったなら、それはもう怖くないって。子供みたいに信じて――」

 さぞ、優秀だったのだろう。さとりよりもずっと、心の深い所まで探れるほどに。
自惚れもあったのだろう。狭い世界の中で、己の知らぬ心など無いと慢心できるだけの能力は持っていた。
柔らかい笑みを作りながら、こいしは過去の自身を見る。
子供に微笑みかけるための笑顔で、優しげに、目を細め。



 「……見つけて、しまった」



 崩れて、壊れた。



 [天子の視界が真っ白に染まる。視野の端から世界がひび割れて、その奥から青や金の薔薇が染み出た。まるで人の意思を体現しているかのように、ゆっくりと渦を巻きながら、薔薇はうずくまって動かないこいしへと向かっていく。天子もまた、彼女の元へふらふらと近寄って行きたくなる気持ちを、制して抑えていた。後ろから背中を押す薔薇の数は、幸いそれほどの数でも無い。ザラリとじりつく焦りを感じながら、天子は剣を構え直す。]

 「あああ! あああああッ!! 見たわ、見てしまったわ!
  ヒトの心に手を伸ばすことの出来る"隙間"! 誰かの心に自由に書き加えられる"余白"!
  ヒトの誰かを手の平で感じる機能を神経が持つ機能を頭が変換する機能を心が受け取って己にする機能をッ!
  世界を"そう"だと感じてしまえば、否定する権利なんか持っていないのにッ!!」

 [眼子を手で抑え、数瞬前まで笑っていたのと同じ顔で、こいしは泣き叫んでいた。幼子のように。気狂いのように。薔薇の花びらが、そんな彼女の姿を覆い隠す。]

 「こんな場所があるんじゃあ……書かれた事を思うしか無いんじゃ……
  受け取ることに意味なんて無い。誰が何を思ったかなんて、ぜんぶ無駄じゃない!
  恐怖も、歓喜も、悲哀も、憤怒も! そこから生まれたわたし達妖怪もッ!
  全部まとめて、『空』っぽだったんだわ!」

 [そして、こいしが身をふり悶える度に、世界のひびは大きくなり。そこから溢れだす薔薇の数もまた、加速度的に増えていく。天子には既に、何が起きているのかは計り知れない。こいしが叫んでいることの、本当の意味も。]


 「"余白"に書かれたことはそのヒトの目に見えること。
  "余白"で感じたことはそのヒトが本当に考えたこと。
  意識を生み出す無意識の奥に、わたし達は皆、隙間があった。
  山川草木悉皆成仏、『救いの手を差し伸べる』ための隙間が。

  わたし達の"綺麗な結末"には、たった一行だけ書いてあったわ。
  『――姉妹で手を取り合って、末永く仲良く暮らしましたとさ』!」


 [例え声を荒らげようとしても、呼吸音の一つすら漏れ出ず。古明地こいしの世界には、既に他人の声などと言うものは存在していなかった。彼女が造り出した心象世界には、ただ世界が壊れていく想起だけが刻まれている。天子は緋想の剣を振り、纏わり付く薔薇を少しでも切り払う。それはまるで、雨を切るような姿ではあったが。]


 「……嫌よ」


 [薔薇が埋め尽くす。天子の身体すらも押し流して、少女の元へと集う。]


 「嫌よ、そんなの嫌よッ!
  じゃあ何? そんな結末にするために、お姉ちゃんはわたしを庇ったの?
  あなた達が感動するだけのために、わたしはお父さんを殺したの!?
  わたしも、わたしのふるさとも、わたしの家族も! みんなわたし達のための物じゃ無かったのッ!?

  ――ふざけないでッ!!

  そんな事、わたしは知りたくなかった。
  世界がそんな風にできているなら、覗きたくなんて無かったッ!
  わたしは……わたしは、ただ」


 [狂った嬌笑が"世界"に轟く。奔るひび割れは最早、孵化する直前の卵の如きものだった。両の目から止め処なく金の涙を流し、薔薇の目潰しで何もかも見えなくなれば良いと願った。神の域を覗こうとして、深い後悔に苛まれる。痛む棘が二度と外れぬ、荊死者の茨の園(ブランブリーローズガーデン)。]



 「"怖かった"だけなのに――!!」



 パキン、と、砕ける音だけが残った。


 ◆


 競うようにそびえ立っていた柱の頂上が、幾つもの条痕を残し抉れて欠けていた。
あるいはその傷跡こそが、古明地こいしと言う少女の心象に刻まれた、消えない外傷だったのかも知れぬ。
朝焼けが差しこんで、ワイヤーフレームで現された大地に陰影を付けた。

 「……もう、何も見れない」

 両手で顔を覆うこいしの口元は、覗く事が出来ない。
笑っているのか、泣いているのかすらも読み取れないほどに、彼女の声は平坦だった。

 「あんなに恐ろしい事実を、知らんぷりして心だけ読むなんて生活、わたしには出来なかった。
  だからって、恐怖を克服するためにこれ以上あの場所を知ろうとする事も出来なかった。
  ……わたしという存在に意味を感じることが出来なくて、あの時のわたしは『諦めた』の」

 「そして、ただ無意識に流されるだけの存在に成り果てた。そういう事」

 抉れた石柱の隙間から、女の声が漏れる。
見れば柱の側面に要の楔を打ち込んで、即席の指掛けとして天子がぶら下がっていた。
蒼い髪を翻し、再び荒れた石柱の上へと躍り出る。

 「今なら、違うわ。今のわたしなら、もう諦めなくても良い。
  斉天大聖の名がついて、菩薩の階でも上がれるのならば、私が書き込む側に成れるのだもの。
  ……真っ黒に塗りつぶして、誰も書き加えられないようにも出来るのだもの。

  わたしがやらなきゃいけないの。いけとしいける、悲しい衆生を。
  こんな意味の無い世界から開放する事を、気付いた私だけが出来るの!」

 「……頼んでねーっつのよ、悪いけどさ」

 白く、滑るようだった肌には無数の細かい傷がつき、赤黒い染みが、服のあちこちについていた。
自慢の長い髪も何房かが千切れ飛び、柱上に散らばる事で痕跡の生々しさを増している。
燃料の足りないバーナーのように緋想の剣の刀身が時折途絶える様子は、まさに満身創痍であった。

 「例えばアンタの言う通り、人の心は『自由に書き加える』事が出来たとしよう」

 それでも、いや、だからこそ。

 「親が子供に言い聞かせて。周囲が一人を押しつぶして。
  個人が大衆を感化して。誰かが誰かの影響を受ける」

 腕をだらんと下げて、所々が破けた帽子のつばを直し、一歩一歩進む姿の中の。

 「雁字搦めになる感情の中で、問題に関わった奴ら全てが『出来れば綺麗に片付きますように』って願ってる。
  ――あぁ、何よ。人の心ってのは、そもそもそう言うモンじゃないの」

 ふてぶてしい笑みだけは消えず、比那名居天子を表している――


 「何を怖がる事があるっての。アンタ一人で、勝手に悩んで、勝手に抱え込んで。
  影も形も無い『上』の奴らなんかに、一切合切投げ渡して満足か?」
 「……そんなんじゃ、ない」
 「いいや、そんなんね。まあそりゃあ、悪魔の証明なんて出来ないけれど。
  自分で言った通り、アンタは諦めたの。『下から上には流れない』と、己の誇りから逃げ出した」

 それは、今も変わって無いと、強い口調で断じて。
緋想の気を纏い、蒼に空を映し。朝焼けと同じ色の瞳が、力強く輝いていた。


 「何度だって言うわ!
  ぶつかって、喧嘩して、話してみて、仲良くなって。
  例えいつか辿り着く場所が同じだろうと、その過程に意味が無いなんてありえない。

  なぜなら"それ"は私の道だ。世界でただ一人、私だけが歩む道に、意味が無いなんて私が認めない。
  例え誰かが介入してようが、惨めだ無様だと笑っていようが!
  偉いのは今、ここに居る『私』だッ!」


 それは、その言葉だけでは何の根拠も明示していない妄言である。
緑眼の怪物が、天子をジロリと睨め付け、嘲笑った。

 「……まるで逃避ね。劇の舞台に乗せられて、首を落とされる事が分かっていない王様の言葉」
 「逃げてるのは、どっちよ」

 天子には、こいしが語る『世界』を否定するだけの理由を持っていない。
分かるのは、彼女がたった一つの物の見方に執着していると言うこと。
ならば、全ての言葉が正しい必要なんて無いのだ。
自分が放つ言葉の中に、揺さぶり、動かすだけのミームがあれば。


 「未来でも過去でも無い。私達は今を生きている。アンタはそれを投げ捨てたのよ。
  自らの歩みを止めて、誰かに期待するだけで何もやっちゃいない。何も変えちゃいない」

 だから何処にも居ない、と天子が告げた時。
こいしの瞳の奥に確かな光が灯り、憎々しげに目の前の天人を見据えていた。

 「私の行き先が地霊殿だったのも、私とさとりが仲良くなったのも、五衰の果てに剣の道を見たのも。
  お母様に感謝を捧げた気持ちも、その過程で一度死んだのも、色んな物が失われて、色んな奴が生きていくのも……

  全て、全て『私の道』だ。私が通ってきた道だ。アンタは、何処にも居なかったッ!
  誰かに解釈を委ねてしか仏になれないのなら、私はアンタなんざ見ちゃいない!」

 「違うッ! "わたし"は居るんだ……そこに、居るんだ!」

 緋想の剣が。あらゆる闇を照らし、魔を祓う剣の片割れが。
天人の手で構えられ、熱い光の渦として波打っていた。
こいしは、視点の揃わぬ目でゆらゆらと振るえる炎刃の剣先を見ていた。
気質と言う名で集められる、感覚によって切り分けられた世界の残滓が、煌々と燃え盛っている。



 「『転がり落ちる石』は……アンタのことよ、"希望"」



 風を切るが如く踏み込んで、うずくまるこいしの上段から逆袈裟に。
[切り分けた筈の傷口からどろりと黒い泥がこぼれ落ちて、もう一度こいしを形作った。]

 「無駄だって言ってるじゃない! 何も分かってない、何も知らないのに!」

 ややヒステリックなこいしの声に、天子は何の言葉も返さない。
代わりに、こめかみへ打ち下ろすように剣を振るった。


 ◇


 「無意識とは、何なのでしょう。夢想天生の間、霊夢さんの意識は何処に?」
 「……難しい事聞くわねぇ。んー……考えたこと無かったけど……」

 特徴的な白い袖を外して膝の上に畳み、霊夢はよそってきた椀を啜る。
味噌を溶いた汁に猪の油が絡み、コキコキとした根菜の歯ごたえが嬉しく、旨い。

 「なんつーのかな、大きな所に居る」
 「大きな所?」
 「遺伝子が身体の設計図なら、あんたの言うミームってのは多分、精神の設計図なのよ。
  紫が確か、それを模倣して式のシステムを作ったって言ってたし」
 「では、大きな所とは」
 「設計図を引いた奴の所なんじゃないかな……分かんないけど」


 ◇


 視界が戻り、こいしは自らの身体から上がる緋想の霧を、呆然と眺めた。

 「あ」

 身体から吹き出る霧は、一度辺りを漂い、そして緋想の剣へと流れていった。
一度断つ事で剣は気質を知り、自らその弱点となる性質を纏う。
決着となるべき一閃が、凝縮された時間の中で緩やかに近づいていた。

 「あぁ」

 古明地こいしは、拒絶する。
"何故今になって剣閃が当たったのか"すら、比那名居天子には理解が及ばない事象であろう。
そんな輩に、良く知りもされないままで「都合良く」倒される。それは、我慢のならない事であった。

 「ふざけるな」

 剣が迫る。
躱さなければ。逃げなければ。鈍化した時間感覚は、悔しいけれど不幸中の幸いだ。
例え指の一本も動かせなくても、心さえ動けば何の問題も無いのだから。

 「ふざけ、るなっ」

 自分でも気付かぬ間に、歯が軋んでいた。
長く凍り付いていた心に、僅かな灯火がともる。
身を焼き焦がすような怒りが、喜にのみ偏っていた感情の天秤を傾けた。

 もっと。もっと深く。もっと奥へ。誰の手も届かない、遥かな世界へ――



 「わたしを、連れて行けぇぇぇー――ッ!!」



 怒りに震え、誰に祈ったのかすら分からぬその言葉こそが。

 新たなカミの、産声であった。



 ◆



 ……次に目が覚めた時、こいしの視界に映る物は何もなくなっていた。
辺りを見回しても、何の光も帰って来ない。真っ黒のようでもあるし、真っ白のようでもある。
ならば真っ赤、あるいは真っ青だと言っても構わないであろう。不思議な気分であった。

 「……そっかぁ、ここが……」

 なんだか分からないが、何もかも分かる気がする。
神秘的、と言う言葉すら相応しいのか分からない、澄み切った、静謐な空間。

 「案外、なにもないのね」

 そう考えるのもまた、一つの受け取り方ではあったが。



 天も地も感じられないが、足元を意識すればしっかりと立つことは出来るようだった。
あるいは、この場所に入った事で「意識」そのもののランクが一つ上がった、と言えるのかもしれないが。
こいしは自らの世界観を切り取って、目印となる花を飾る。
茎を斜めに鋭く切った薔薇は、花瓶も何も用意していない空間の中にするりと収まる。
それならば、とこいしは座板が有ると意識をして何もない場所に腰をかけた。
柔らかくも硬くもない奇妙な感触ではあったが、やはり問題なく座ることが出来た。

 「お姉ちゃんも見えるかしら?」

 ふと、思いがよぎると同時に、小さな枠のような物が目に入った。
その中では、さとりと霊夢が宴会の外れでゆっくりと会話を続けている。

 「……すぐにお姉ちゃんに触れられるわけじゃないか」

 何度か枠の中のさとりを動かそうとして、ややガッカリしたふうにこいしは呟く。
さとり達は、一旦会話を小休止し、お互いの杯に残った液体を飲み干した。
二人の会話する声が、視界ごしにこいしにも聞こえてくる。


 ◇


 『妹の事が心配?』
 『そうですね、やはり地底での騒動も、こうしてひと通り収まる所に収まり。
  "日常"とでも言うべき風景に戻ると、どうしても考えてしまって』
 『異変に巻き込まれた、とかは考えないのかしら』

 霊夢の何気ない問いに、さとりは言葉を濁らせた。
語るべきか語らざるべきかを、深く思案して。深い森の中で道を探しているかの如く。

 『仮に……あの異変に、こいしが関わっていたとして。
  それは巻き込まれたと言うよりも……』
 『"巻き込んだ"方に近いんじゃないか、と?』
 『……はい』

 霊夢の鋭い視線が、さとりの胸を刺した。
こいしは、あの目を閉じてしまった妹は、今頃何処に居るのだろうか。
もう三ヶ月以上顔を見ていない事を思い出し、「思い出さなければならない」恐怖で、さとりは僅かに身を竦ませた。


 ◇


 「ここに居るのになー」

 小窓から顔を離し、こいしは唇を尖らせてぼやく。
本当なら、すぐにでも安心させてあげたい所なのだが、自分の力では未だ枠を超えて書き込む事は出来ないらしい。
頬をふくらませていると、別の枠線が視界に入り込んでくる。

 「こっちは何かしら」

 興味のままに覗いてみれば、どうやら、さとりの側を離れたペット達の様子のようだった。


 ◇


 『お空? どうしたのさ』

 急に辺りを伺いだした親友に、お燐は訝しげに声をかける。

 『うにゅ、なんかこいし様が近くに居る気がして』
 『こいし様が?』

 緑色のリボンと大きな胸部を揺らして、お空はあちこちに視線を彷徨わせた。
季節も随分と秋めいて、肌寒くなって来ているものの、宴の熱気に当てられれば汗もかく。
酒の酔いもあり、今のお空は八咫の赤眼が埋め込まれた肌をあけすけに晒している。
……まぁ、それでも地霊殿のペットに声をかける度胸を持った下卑た男はそう居ないのであるが。

 『うーん、分かんないや』

 結局、目当ての物は見つからなかったのだろう。
残念そうに首を振って、お空は宴の最中へと戻る。

 『まぁ、あれだけ大騒ぎしても出てこなかったんだ。
  こいし様もきっと最初から、しばらく地底には帰ってきてなかったんだよ』
 『そうなのかなぁ……』

 納得はいっていないようだが、不承不承と言う体でお空は頷いた。
かと思うとコロリと表情を変えて、飲み比べの挑戦者に志願する。
どうやら、地平から太陽を覗くにはもうしばしの時間がかかるらしい。空はまだ、暁前の闇に包まれていた。


 ◇


 「うーん、さすが。龕灯の烏は馬鹿にできないなぁ」

 どこか感心した口調でこいしが呟く。
大日如来と習合された天照の眷属なだけはあると言うことだろうか。
天子の視た内にも、彼女がしっかりと"余白"にまで根を落としていた描写はあった。

 「その内どうにかしないとかもねー」

 まぁ、急ぐものでは無いのだが。今のままでは、"枠"の向こう側へ働きかける事も出来ぬようであるし。
しかし何が足りないのだろう? と考えて、こいしは首を傾げた。
"ここ"から全てにつながっているのは、恐らく間違いない筈なのに。


 ◇


 『それは、井戸の底を覗き見る者はすべからく井戸の底に「覗かれている」からよ』


 ◇


 ――不意な言葉に、心臓が跳ねた。



 ……よくよく聞いてみれば、それは八雲紫が友人との雑談の中で何気なく言った言葉の一つで有るらしい。
そんな事で驚かせるなんて、とこいしは段々にじんでくる怒りに任せ、枠の向こうに耳を傾ける。
せめて、どのような状況からそんな言葉が出てきたのかを知らなければ、収まるものでも無い。


 ◇


 『果たして、井戸の奥から返ってきた像は光を反射しただけの虚像だったかも知れない。
  「けれど、もしかしたら」? そんな想像に取り憑かれた者ほど、井戸の底を暴きたがる。
  でも、鏡は鏡。鏡を覗くのは自分自身でしか無いわ』

 茶で口を湿らせながら語る紫の隣で、幽々子が蒸し饅頭を口に放り込んだ。

 『気にしない人は気にしない、ってのもその通りよねぇ』
 『そう、けれど地底の民は井戸の底を恐れた。鏡に映る自分自身の姿にね。
  『監視される』のは抑圧だけど、あくまで『見る』事が自分達の責任として有るなら、それは恐怖だもの。
  後は彼女の扱いだけ見ていれば、自然と地底の状態が分かる……あれ? そのお饅頭、最後の一個』
 『覚り妖怪を地底の要としたのは、そういう事なのね~』
 『ねえ、最後の一個……』

 名残惜しそうに呟く紫の目の前で、こげ茶色の饅頭が嚥下されていく。
最近人里を賑わせている黒糖で滑らかに溶かした餡を使用したもので、薄皮の口当たりが非常に良いのだとかなんとか。
まぁ、概ね買いに行くのは藍であり、列に並ぶとボリュームのある尻尾が周囲から大変不評らしい。がんばれ。

 ふと、二人の間で会話が止まる。
しばらくの間、風の音だけが白玉楼の縁側で鳴っていた。

 『あの子、普通の女の子に戻れるかしら』

 己の能力故に死した女は、己を殺した女に、それを尋ねた。
少しの逡巡の後、八雲紫は


 ◇


 「聞きたくない」

 咄嗟に覗き窓から離れ、こいしは憎々しげに呟いた。

 「お姉ちゃんをあの家に縛り付けた奴が、今更どの口でそんなこと……!」

 カッとあつく熱した喉を抑え、息を吐く。ここに来てからと言うもの、随分と感情の揺れ幅が大きくなった気がする。
我慢しきれず拳の腹を何度か小窓に叩きつけるが、勿論干渉出来るはずも無く。
怒りのままに視界から外そうとして、妙なことに気がついた。


 「……あれ……消えない?」


 さとりと霊夢が話している窓も。
お燐がお空の後を追っている窓も。
消えて無くなった訳では無く、依然としてそこに漂っている。
……心の底を、ひやりとした風が撫でた。

 ◇

 『はぁー……ったく、慣れぬ事するとくたびれるねぇ』
 『まぁ、仕方ないさ。私らが選んだ道だ。言った事のケツは持たにゃ』

 ◇

 『そうなんですよ、幽々子様ったら。酷いと思いませんか』
 『まぁ、なんだ。奢ってやるから、偶には従者同士甘い物でも食べるか』

 ◇

 『ちょ、ちょっとサニー、本当に大丈夫なの?』
 『大丈夫大丈夫、これだけ妖怪が居るんだもの。ちょっとくらい料理をちょろまかしてもバレないよ』

 ◇

 『だからぁ、ここで客席に麦酒をぶちまける』
 『下品。だからこそ良し。これは期待の表情』

 ◇

 窓が、開く。開く。開く。
近くにあるものから、遠くにあるものへ。すべて。

 「……」

 知らず知らずの内に、一歩、後ずさっていた。
ここにいてはいけないと、本能が警鐘を上げる。逃げ場など、もう何処にもないのに。


 ◇
『ちょっと、そっちの薬棚あけないでよ』 ◇ 焼けた醤油の匂いが鼻孔を擽り、空きっ腹を刺激する ◇ 『ああ君か。今度は何が壊れたんだい?』 ◇ 湖を一望出来る位置で、明けの紫に染まりつつある空を眺め ◇ 目を瞬いて風景に溶けて消えた少女の姿を探した ◇ 『うわっなんだ? こんな所に転がっていると踏んじまうぞ』 ◇ 『おはよう』『おーう、おはよう』
 ◇


 何でも無い会話、少しだけ変化した日常。走馬灯のように見る特別な風景。その全てに、"こいし"は在る。
……そうあろうと望んだのは自分の筈だったが。なぜだか、身が凍りついていくような恐怖感が拭えない。


 ◇
『……あー、もう朝……』 ◇ 『ぼちぼち冬支度だな、獣の何匹かでも捕れるといいが』 ◇ 何羽かの仲間が既に目覚め、甲高くさえずり声を上げていた ◇ 一日じゅう晴れ間がのぞくでしょう。では、次のニュース―― ◇ 『おはようございますー』『おはようございます』 ◇ 未明、内陸部で小規模な地震が発生し…… ◇ 『あら、丁度いい所に。水を汲んで貰えますか?』
 ◇


 十を超え、百を超え、なおも広がり続ける枠の向こう側に、こいしだけが居た。
それでも情報が混線し理解出来ぬと言う事はなく、ああ、その全てを理解することが出来る。

 "何百何千とある『一秒』の全てを理解するまで、何秒でも、何分でも。ゆっくりと時間をかけて"。

 ……それが、どんなに恐ろしい事か、分かるはずも無かった。

 ◇

 『"見る"事は、それだけの力がかかると言う事でもある。観測者のジレンマと言うものね』
 『ああ……シュレディンガーの猫とか、そういう』
 『あれは厳密にはふさわしく無いんだけど。まぁそうね……』

 ◇


 八雲紫の声が、窓の一つから漏れ聞こえる。


 ◇

 『同じような理屈で、多くの者から「望まれる」と言うのは、その者のあり方を変える大きなパワーになる。
  なまじ、誰かに望まれている事が分かるなら余計にね』
 『みんな、そういう事で悩んでるのね~』
 『社会に参加していると言う証でもあるから、一概に悪いとは言えないけれど。
  覚り妖怪は恐ろしい化け物として望まれて。不良天人は、不良で在る以外の生き方を許されなかった。
  信仰とは、決してカミだけに係るものではない』

 ◇


 全ての者が、自信への期待を認識した時変容するのだと八雲は語る。
カミでさえも、和御魂・荒御魂の両側面からは決して離れられないのだから。
だとしたら、わたしが「全ての者の望み」を認識した時、自分という存在はどうなってしまうのか?

 窓に、声に、世界に圧され、数千分の一に。数万分の一へ。
数億の、数万億の、那由多の衆生の中へ。たった、自分一人が。


 ――それはまるで、大洋にたかだか一滴の血液を垂らすかのような。


 「ひっ……」

 短く切った悲鳴が出た。出て、しまった。
一度認識してしまえば、「自分」という認識が溶けて消えていく恐怖に耐え切れず。
"意識の中の無意識"でも、"無意識の中の無意識"には届かない。

 「あ、や、嫌――」

 怖気づいた哀れな少女を、世界は緩めること無く飲み込んでいく。
一度勢いが付いてしまえば、例え「世界」自身に意思があったとしても、止められはしないのだろう。
世界と言うのはそれだけ大きく、生命と言うのはそれだけ多く……希望と言うのは、それだけ重い。

 「お姉ちゃん」

 ばら撒かれたビーズのように散らかった"枠"の中から、こいしは必死で姉の姿を探した。
救いを求めるには、あまりに身勝手と言えるかもしれない。
けれど、最早こいしは心の内から噴き出してきた衝動に抗う事が出来なかった。

 「お姉ちゃん、助けてよぅ、お姉ちゃん!」

 恐慌すら滲ませて、圧し潰れそうになる世界の中を藻掻く。
一秒、いや、一瞬毎に、視点の数が増えていく。全ての生へ、自分が希釈されていく。

 藻掻いて、藻掻いて。聞こえてきた筈の、姉の声の元に届けよと。
既に窓は大結界の枠を超え、見知らぬ外の世界へも広がっていた。
それを楽しむ暇も、余裕も、今のこいしには無い。けれど窓が一つ開くたび、指先の動く速度が遅くなっていった。
心が、溶け出し始めたのを感じる。そこにあった筈の恐怖でさえ、段々と、鈍く。

 「いや◇ぁ」

 足首から先が細い糸のように解けて消えて行き、"足元"を失くしてこいしは倒れた。
受け止める地面も、立ち上がる力も無く、ボロボロと目元から頬に熱い線が引かれる。
数百年ぶりに流す涙は、悔しいほどに暖かかった。

 ◇
 『こいしは、まだ帰ってこないのでしょうか。
  ひょっとしたら、帰り辛くなるような事があったのでしょうか』
 ◇

 諦めが心を覆い尽くそうとしていた時、一つの声が耳に入る。
聞き間違えるはずのない、憂いを含めた姉の声。

 「◇おね◇えちゃ◇

 力の抜けた四肢に、再び熱が篭もる。
余計な音が姉の声を掻き消そうとする中で、こいしは必死に聞き取った。

 ◇
 『一連の事件で、私も色々思うことがありました。
  ……私にとってあの子は、かけがえの無い家族であると同時に、もう分かり合えない存在だと決めつけていた』
 ◇

 「◇たし、ここにいるよ、おねえ◇ゃん。
  ……ね◇、どうして探し◇くれないの」

 最早、自分が何を見ているかも分からない――なのにしっかりと"理解"だけは出来る、光に満ちた闇の中。
声の聞こえる方向に、弱々しく手を伸ばす。
だが、いくら声をかけても、窓枠の外へこいしの声が伝わる事は無い。
何処にも辿り着く事は無く、"世界"の中に紛れて消えてしまうのだ。
そしてまた、こいし自身も。

 ◇
 『あの子が帰ってきたら。もう一度、ゆっくりとおしゃべりをしてみようと思います。
  例え、心が読めなくたって。普通の家族は、そうやって暮らしているのですから』
 ◇

 衆生の中に、己が消えていく。
こんな筈じゃ無かったのにと思う苦しみすら、全ての者が見上げる光に塗りつぶされる。

 ああ、わたしは酷い思い違いをしていたのだと、この時になって初めて分かった。
全てはわたしの物ではなかった。わたしの物でなくて当然であった。
意識であれ、無意識であれ。そんな事は、皆知っていて当然だったのに。



 ◇ 『どうか、どうか元気に――』 ◇



 ……だから、こうして消えていく事も、当たり前の事。
わたしは間違えていた。間違えたまま、間違えを重ねた。
だからこれは、当然の罰。生きていく事が間違いだった、わたしへの罰。





◇ 『お散歩中ですか?』『わんっ』 ◇ 『この時間ならもう、寝ない方がいいなぁ』 ◇ ぼんやりと滲む視点の先で、扉が閉まる ◇ 最後に叫んだ祈りを元に、不可解な状況を組み立て ◇ 『まぁ、私らが考えかたを知らないってのは確かだ』 ◇ 『愛してるわ、あなた』 ◇ 『ねえ、ラーメン食べたい』 ◇ きらきらと輝く水面が、暁を反射した。 ◇ 『もう明るくなってきてる』 ◇ 『稲刈りも終わったし、そろそろ脱穀かねぇ』 ◇ 『博霊の神社は今、近寄らん方が』 ◇ 黒い石柱が崩壊を始め、それに白い柱も巻き込まれて ◇ 『うーん、やっぱり居る気がする』 ◇ 『水垢離ですか? 私も一緒に』 ◇



 ……嫌だ。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、消えたくない消えたくない消えたくな◇消えたくない
誰か、誰かたす◇て。誰でも◇いの、わたしに気付いて!◇◇



◇ 『眠い』 ◇ バッと手が伸びて鈴付きの時計を叩く。 ◇ 『コーヒー』『ミルク入れる?』 ◇ 『師匠も酷いわよね、ほんと』 ◇ 崩れ落ちていく足場を踏みしめ ◇ 『ちょいと丸くなったかい?』 ◇ 『へへっ、ちょろいちょろい』 ◇ 『だって、あなたの友人だもの』 ◇ 『朝焼けだ、日が昇るよ』 ◇ 『今日は随分と眩しいな』 ◇ 『赤い』 ◇ 『空が赤いぞ』 ◇ 少女の消えた虚空を見据え、剣を構えた ◇ 『ほら、見てみてよ』 ◇ 『なんだろな、ありゃあ』 ◇ 『写メっとかないと』 ◇ 『なんて鮮やかな』 ◇ 『朝焼け?』 ◇



 わ◇しは◇◇に居ま◇。みんなから◇見え◇◇ころに◇ます。
た◇けて◇◇さい。たす◇◇◇だ◇い。ああ――



 ◇『うん、綺麗』 ◇たす◇ 『真っ赤だ』 ◇ 『すげぇ』 ◇ 『なんまんだぶ』 ◇ 赤い空を、呆然と皆が見上げている ◇ 『異常気象かな』 ◇ 『空が赤ぇぞ』 ◇け◇ 『巫女は何してるんだ』 ◇ 『わぁ、素敵』 ◇ 『真紅の空ってあったね』 ◇て◇ 緋想の霧が煌々と渦を巻き、 ◇ 『まっかっか』 ◇ 『火事じゃないよな?』 ◇ 『雲でしょ』 ◇お姉◇ 『ほら、起きて、凄いよ』 ◇ 『うわ、ホントに赤い』 ◇ 『ニュースでやってる?』 ◇ 『トレンド乗るかな』 ◇ちゃ◇ 『……天子さん?』


 ◇ 昂ぶる剣を、振り下ろした。 ◇










 「ひそぉぉぉおおおてええええええええええー――ッ!!!」

 轟音。

 信じられないほど乱暴な声と共に、世界を緋色に切り裂いた少女をこいしは呆然と見上げた。
蒼い髪を揺らし、青い星を背に、緋色の剣を携えて、少女は牙を見せるように笑う。

 「……ハァーッ、ハッ……やれるじゃない。やれるじゃないのよ、クソッ……」

 とにかく、色々な事を問わなければと思って、こいしは思い通りに声の出ない自分に気付いた。
反応が帰らないのを良い事に、比那名居天子はこいしの手を加減の無い力で引く。

 「ほらっ、何ボサッとしてるの! とっととこんなトコおさらばするわよ」
 「あ、痛っ……」

 頭の中で、プチプチプチと何かが切れる音がした。
恐らく、何処かからの接続とでも言うべきなにか。接続の切れた今は、非常に曖昧な言い方しか出来ないけれど。
天子が開けた緋想の切れ込みは、既に世界に修復され閉じ始めている。

 「だぁもう、走れ走れ走れぇッ!!」

 よろけた身体で、必死に足を動かす。
こいしはふと、そういえば姉にもこうやって手を引かれ、逃げて走った事を思い出した。
……あの時の自分が何を考えて居たのか、ようやく、思い出したのだ。



 ――『だいじょうぶ。みんなは、まかせて』

 「っ!?」



 優しげに微笑む翠銀髪とすれ違った気がして、引き裂かれた空間の奥へ振り返る。
その姿を確かめる前に、天子の手の平が背中を押した。
絞り出されるようにして、どうにか二人が崩れ落ちる石の塔の上に帰ってきた時。
既に亀裂は、赤子の頭ほどに閉じた後であった。

 「どーだ、やってやったわ、やってやったわよ」

 ほうほうの体で膝を付き、何度も何度も毒づいて、それでもなお空を映す少女は笑う。

 「ハァーッ……くそったれめ、ふざけやがって」

 肩で息をしながら、朝焼けで赤く染まった雲の中へ天子達は落ちて行く。
その姿が完全に隠れる直前、比那名居天子は"こちら"を睨みつけ、吐き捨てるように言葉を繋げた。



 「私の敵は、私の物だ! 二度と勝手に手ぇ出すなッ!

  例えこの笑いやこの怒りが、私の物じゃなかろうとも! 思い通りになんて、ならなくても!

  "揺さぶり動かす"この力は、私が手に入れた自由だぁッ!!」



 傲岸不遜な表情で、緋想の剣を突き付けて。
次の瞬間、支えを失ったかのごとく要石の破片へ仰向けに崩れ落ちた。

 二人を乗せた、緋炎を灯した要石が雲の中を突っ切って、やがて姿を消す。
しばらくの間、倒壊する二色の塔だけが、水平線の影から昇る光明を見続けていた。










 ◆



 ……ならば今しばらく、思うがままに生きなさい。



 ◆










 いっとき辺りを騒がせた日の出も収まり、ようよう明るくなっていく空を見上げる。
日が昇り始めた事で、流石に酒宴もそろそろお開きであろう。何処か倦怠としたムードが、周囲を包んでいた。

 「……結局、戻って来れませんでした、か」

 仄かに桜色に染まった頬を膨らませ、さとりは杯の中に不機嫌を滲ませるように呟いた。
先程まで隣に居た霊夢は、今は泥酔した者達を叩き起こす為の水を桶に汲んでいる所だろう。
まぁ、あれだけの輝きがあったのだ。良きにしろ悪きにしろ、何らかの決着は着いたのであろうが。

 「良くも、悪くも、か……それはどちらがどちらなのでしょうね」

 滔々と流れる自分の思考に、一人で相槌を打つ。
比那名居天子と古明地こいしに、古明地さとりは、どうなって欲しいのか。
ついに答えは出ないまま、祭りが終わろうとしている。


 ――「なんだ、ありゃ」「流れ星か?」


 ざわざわ、ざわざわと、不意に辺りが騒ぎ出した。
どよめく思念から視線を切って、さとりは再び空を見上げる。
紫闇の天に、緋色の破片がいくつも尾を引いていては消えていく様子が見て取れた。


 「……ちょっと、遅刻ですよ」


 いの一番に、何から語るべきだろうか。
また、心にも無いヒステリックな言葉を吐きだしてはしまわないだろうか。
いざその時を前すると、どうしても心配せずには居られない。
言いたい事。言うべき事。言われなければならない事。
胸の内で一つ一つ確かめながら、さとりは落ちてくる星を眺めた。


 ◆


 緋色に燃える要石の破片の上、天子は大の字に転がって、雲海を突き抜け落ちて行く。
二人が乗った以外の破片は、石柱の崩壊と共に風化し始め、僅かな軌跡を残して塵に還っていった。

 「負けちゃった、かぁ」

 横向きに倒れたこいしが、ポツリと呟いた。
文面から感じられるほど、その台詞に批難の響きは無い。ただ、微かに感じられる寂しさだけがある。
天子が手を伸ばしかけた時、白い狒々のような顔をした希望の面が、力を使い果たしパキリと割れた。
途端、途方も無い量の魔力が溢れ出し、雲の中へと潜って行く。

 「なによ、アレ」

 雲が覆い隠し、魔力の輝きが照らす中に、天子は幽かに逆向きに立つ城らしき影を見た気がした。
希望の面から溢れでた魔力は城の周囲を少しの間旋回し、雨のような細かな粒となって幻想郷中に散っていく。
休む暇無く吹き出した新たな問題を、天子はしばらくの間身体を起こして呆け続け、再び倒れこみながら両腕を広げた。


 「もーやだ! もー知らない! 流石にもう、アレは本業に任せましょう。
  私はしばらく天人らしくグータラするんだから!」


 きっとまた、何か新しい異変の予兆なのだろう。
まったく次から次へと幻想郷は本当に退屈させない場所であり、いくら刺激的なテーマパークだって、ぶっ通しで動き続けていれば今度はあの退屈だった何もない日々が恋しくなってくる物なのだ。
天子は地上に居る巫女や魔法使いに思いを馳せて、異変は異変らしく奴らが解決すれば良いと鼻を鳴らした。
それよりも今は、このきかん坊の事を考えるべきな訳で。

 「……また、意識が滲んでくや」
 「なんですって?」

 雲に隠れていく星々を仰ぎ、ポツリとこいしが呟いた。
あの空間からの干渉は引き裂いたはずだと思っていたが、やはり手段に乱暴が過ぎただろうか。
肝がキュウと冷えていくのを感じる。この辺り、なかなか超然としきれない天子である。

 「あはは、勘違いしないでよ。単に、『いつものわたし』に戻るって事だもの」

 それは、つまり。再び無意識の海に囚われて、漂うだけの妖怪に成り下がるという事。
仕方のない事であったとはいえ、僅かに表情を曇らせる天子に向けて、こいしは笑う。

 「怖くなんて無いわ。残念では……少し、あるけれど。
  あーぁ、せめて今ここに居るのが、お姉ちゃんだったら良かったのになぁ」
 「そりゃあ悪うござんしたわね」
 「べつにー? まぁ、しょうが無いから、あなたに見せてあげるよ」

 残った霊力で浮力を作っているのか、天子達の乗ったこの破片だけは他の物より落ちる速度が遅い。
それでも、雲海を抜けるのにさほどの時間は掛からないだろうが。

 「見せるって、何を……」
 「博麗大結界は認識の結界。それは外から中が覗けないようにでもあるけれど、中から外に出れないようにでもある。
  けれど、認識とはあくまで意識の世界の話。偶にすり抜ける人も居るのよ……夢遊病とか、ね」

 そう呟いて、「無意識を操る少女」はさっと天子の目元を拭うように、手を払う。

 「見せてあげる、わたしが見た"世界"」



 そして――雲海の雲が、晴れた。



 ……その世界は、地上だと言うのに星の輝きを返すかの如くキラキラと瞬いていた。
今の自分達より大分上の高度を尾を引いて飛んで行く影は、信じられぬ事に鉄の塊で出来ているのだろうか。
遥か遠くに見える湾に掛かる橋や、見紛うほどに高い建造物が、僅かに顔を出した太陽の光を浴びる。

 そして信じられぬ事に、恐らく人が暮らしているのであろう街が、広く、ただひたすらに広く作られていた。
街と街の境界線すら、上から見下ろすだけの天子には分からない程に。
外の人間達は、ついに天の川を自らの物にしたのだと言われても信じてしまいそうだった。

 「――これが」

 全身を打ち据える震えが、唇にまで浸透し、強く揺さぶる。

 「これが、一億の人の営み」

 天子には最早想像も付かないほどの、人の数が生み出した科学の螺旋。
素晴らしいだけでは、おそらく無い。外から見ただけでは分からない歪みも、きっと有るはずだ。
けれど、けれど比那名居天子には、ただただこう思えた。


 「……なんて、綺麗」


 こんな夢のような世界に、本当に億を超える人が生きているのだろうか。
だとしたらそれは、本当に素敵で、残酷な事。

 「あなたも、そう思う?」

 貼り付いたような、ではない。本物の微笑みを浮かべて、こいしは頷いた。
太陽の光を受け、翡翠色に輝く瞳が眼下の世界を見据える。

 「……ホントはね、お姉ちゃんと一緒に見に行きたかったんだ。
  綺麗で汚らわしい、あの世界を」

 けれど、肝心の姉は地底の最奥に引きこもり通しで。
そういう事なのだろうかと、天子は考えた。地霊殿を嫌って居たのも、地底から叩き出されるように異変が起きた事も。
……いいや、それらはきっと、偶然だ。少なくとも、天子はそう"信じる"事に決めたのだ。



 ――世界は何も変わらない。だが、景色は変わる。それを見る者の手によって、どうとでも……



 それからしばらく、二人は黙って朝日に照らされゆく世界を眺め続けていた。
やがて足場にしていた破片も砕け散り。揃って、幻想郷の空へと投げ出された。
地表で、古明地さとりが手を振り何かを叫んでいる。
残念な事に、声の中身を聞き取るよりも博麗神社の裏池で大きな水柱が二本ふき上がる方が先であったという。



 ◆



 「……何が残念かって、お陰で畳にまで飛沫がとんだとかで、霊夢がそりゃもうカンカンだったのよね」
 「こっちだって、びっくりでしたよ。まさか空から真っ逆さまに降ってくるなんて。
  飛翔だって出来たでしょうに」
 「その辺は察してよ、もう。アンタの妹の相手、本当に大変だったんだから」

 あの空を真紅に染め上げた朝焼けを、多くの者が見た日からさらに三日。
話題の発展性が無い故に新聞の一面が去って久しく、あの朝の事は既に多くの者が記憶へと移しつつある。
古明地こいしは、希望の面を失った事でまたふらりと居なくなっては思い出したように顔を出す存在へと戻っていった。
それでも、以前より大分幸せそうな雰囲気を見せるようになった気がするのは、さとりの受け取り方が変わったからだろうか?

 そうだったらいいな、とさとりは思う。
人との縁によって自分が変わると言う事は、何時かはあの子も変われると言う事なのだから。

 「おりんくうの頑張りで、ぼちぼち地底に戻れそうなんだっけ?」
 「はい。とは言え、倒壊してしまった建物など……まだまだ直すべき物は、多くありますが」
 「ま、鬼と土蜘蛛が居るならちゃちゃっと済むでしょ。私は、どうしよっかなぁ」

 地底で暮らし、五衰を越え。何の因果か一度死んだ上で天人として生きる事を許された。
父の処遇がどうなるかも心配ではある。まさか地上に堕とされるなんて事は無いと思うが、風当たりは強まるだろう。

 「天に居る理由が無くなったと言えばそうだし、天を拒む理由が無くなったとも言えるのよね」

 なんだかんだと言って、長く暮らしてきた場所なのだ。
例え不良天人扱いされるとしても、天子の父は天に残る方を選ぶだろう。
天子に、己の事は気にするなと言い残して。あのヘタレにそこまで言わせるのは、それはそれでシャクではある。

 「……まぁ、私も数ヶ月間色々やってきたわけだけど。おかげで一つ、気付けた事があるわ」
 「ほう、と言いますと?」
 「世の中全てに牙を剥いて戦いながら生きるのは、格好良いけど滅茶苦茶疲れるって事よ。
  やっぱり、どっかで社会に『折り合い』とか『妥協』とかするのって必要になってくるのね」
 「え、えぇー……」

 かなりがっくりと来た様子で、さとりはテーブルに肘を付いた。
まぁ、この数ヶ月を盛大にうっちゃった発言なので仕方が無い所もあるだろう。天子なりに、考えた末の結論ではあるのだが。

 「博霊の巫女なら、きっとたった一人でそう言うシステムとも戦えるんだろうけどさ。
  私、ずっとその背中を追いかけてきた訳だけど。追いかけすぎてあのジジイみたいになるのも、違うかなって」

 二人の脳裏に、あの半人半霊の翁の背が浮かぶ。
八雲紫の下からも行方をくらまして、今はまた行方知れずだと言う彼。
その想念をぶつけられ、切り結び、殺しあった経験は、今なお天子の記憶に根強く残っている。

 「ま、反抗期の終わりってとこね」
 「……寂しくなりますね」
 「何言ってんの。ちょくちょく顔を出すに決まってんでしょ?
  アンタはもう、私にとっても……あー」

 天子はしばし、言葉を探すように視線を彷徨わせ。
そうこうしている内に、和服にフリル付きの腰エプロンを合わせた制服の店員がトレイを持ってやって来る。

 「あんみつのお客様ー」
 「あ、はい」

 タイミング良く来てくれた事を仄かに安堵して、そう言えばこの思考も筒抜けであった事を思い出した。
テーブルの向かい側で、さとりがにんまりとほくそ笑んでいる。天子はたまらず、頬を指で掻いた。
生暖かい視線はひとまず無視して、テーブルに置かれた一皿を眺める。
寒天、白玉、赤豆の上にこんもりと乗った餡、それに何よりシロップ漬けの杏が嬉しい。
いかんせん、地底は実りの少ない地である。果物系の爽やかな酸味とはしばらく縁遠かったのだ。

 さとりはさとりで、地上で流行の安道名津を興味深そうに頬張っている。
どうせまた、守矢の風祝あたりが幻想入りさせたのだろう。それにしても、食が細いように見えて意外と揚げ物が好きな妖怪だ。
太るぞ、と思念を送ると薄暗い感情の篭った視線で睨みつけられた。

 甘味処に体重の話は持ち込まないのが淑女連盟の掟であり、禁を破れば死刑すらありうる物騒な物らしい。
なお、天子は太った事が無いので連盟には未加入である。衣玖にまで翡翠色の瞳で睨みつけられた時は流石に死を覚悟したが。


 「――まぁ、あれよ。私にとっても貴重な関係なんだから、さ」


 あんみつを咀嚼しながら選び抜いた言葉で、天子はさとりを安心させるように笑いかけた。
具体的な関係性が示されていないのは、慮って頂きたい。

 「……もう寝所には入れないけど」
 「とか言いつつ、戸をこじ開けられたら抵抗出来ないんですよね、天子さんは」
 「断固阻止するわよ、今は」

 今は。その一言にどれだけの意味が込められているのかは、相手の推測に任せるしか無いが。
過去についてか、未来についてか。正直ちょっと、癖になるのが怖いとも

 慮って頂きたい。



 「……あー、それと関係する事かどうか分からないけれど、旅行行きましょうよ、旅行」

 皿の半分ほどを崩した所で、不意に天子がそう言い出した。

 「旅行、ですか? ええと、それは……守矢神社にもお邪魔してみるとか? それとも……」
 「そんな幻想郷内なんてちゃちな事言わないでさ。外の世界よ、外の世界」

 ふん、と鼻を鳴らして語る言葉は、さとりにはとてつもない夢物語のように聞こえたが。

 「それは無理でしょう? 八雲紫が許すはずは……」
 「いいえ、なんたって怨霊に囚われそうになった紫を開放して、幻想郷の危機を救ったんだもの。
  とんでもない事をしようってんじゃないわ。ちょっと見聞を広めてくるくらいの便宜、はかるべきじゃない?」

 ……確かに、ちょっとした命の恩人くらいの働きはしてきたかも知れない。
その報奨として、外の世界へ出る権利と能力を貰う事は、交渉の仕方によっては不可能では無いかも知れないが。

 「アンタの妹と、お燐お空も加えてやって、ちょちょいと行ってみましょうよ。
  紫の奴だって、五体投地で感謝の言葉を述べるのとどっちが良いか選ばせればきっと頷くはずだわ」
 「まぁ、確かにあの人プライドは高いですけどね」

 それにしたって、覚り妖怪である事を抜かしてもさとりは生粋のインドア派である。
いくら天子の誘いであるとは言え、いきなりそんな難易度の高い挑戦は勘弁して貰いたい。

 「行き先は……そうねー、斉天大聖で思い出したから、軽く天竺って事にしておくわ。
  あの、鉄の筋斗雲に乗って空を飛ぶのも体験してみたいしね」
 「いやいやいや、しかもこの上外国ですか。流石にちょっとそれは、無茶ではないでしょうか」
 「そうかしら? 私達にはお似合いだと思うけど。
  ほら、私とペット達と、まぁ猿枠が姉妹セットだけど……西遊記よ西遊記」
 「ははあ成る程、犬では無くて猫ですが、猿に、鳥に……桃太郎! 桃太郎ですそれッ!」

 少し聞いただけではあるが、計画とも言えないような無理な内容だ。
旅行と言うのならば、約束もした花見旅行でも良いだろうに……それはそれか。それはそれなのだろうな。
天子のキラキラした瞳で見据えられ、さとりはしばし、頭を抱える。
彼女の辞書から「折り合い」や「妥協」は何処に消えてしまったのか。つい先程、話をしたばかりだと言うのに。


 「ほら、一緒に行きましょう?」


 テーブルから身を乗り出して、手が差し伸べられる。
一つ深いため息をついて、さとりはそっと、目を細め――





























 ◆◆ ◆◆ ◆◆ ◆◆



 「ぴぎゃぁー――!」

 突如、居間から絹を裂くような悲鳴が聞こえてきた。
台所で米を洗っていた霊夢は、慌てて袖を引っ掴んだ勢いのままにふすまを開き、目を丸くした。

 「うわぁーん、霊夢さん、許してくださーい!」

 なんと、恐らくまた何かの悪戯でも企んでいたのだろう三妖精を、お祓い棒が独りでに動いては蹴散らしていたのである。

 「……な、なにこれ、異変?」

 すわ出番かと視線を鋭くした霊夢であったが、よくよく考えてみるとこれはこれで便利なもので。
なにせ新聞の押し売りも隙間からの盗み食いも、全自動で対応してははたき落としてくれる。
慣れてしまえば、むしろ箒や雑巾といった類も独りでに動いてくれないかと思うほどだった……






 [――そしてまた、次の異変が動き出す。]

 ひななゐロック、めでたし、めでたし。
 読了お疲れ様でした。
求聞口授を見て天子とこいしを絡めようと思いたっただけの話が、いつの間にやらこんな事に。
メインの絡みはさとりとになってるし、プロット無しで風呂敷広げると大変な事になってしまうのがよく分かりました。
流石に畳む時には多少なり筋道を用意せざるをえませんでしたが、それもキャラクタに無視される事は多々あり……

まぁ格好良い天子とか、面倒可愛いさとりとか、個人的に表現したいポイントは大体押し込めたのでは無いかなと思います。
自分自身、中盤から仏教について調べる事も多く(結局話の展開の為にぶっ飛んだ解釈に落ち着く事も多かったですが)なかなか貴重な経験となりました。

ちなみに、一番プロットを無視する事が多かったのは水橋パルスィさん。
東方はネームドの時点である程度の力が保証されているので、弱者の言葉が言えるオリキャラを用意したのですが
その結果ただ嫉妬を煽るキャラの筈が妙に母性に目覚めるとは。場面によってはメイン以上に存在感がありました。
自由がこの話の表テーマなら、嫉妬は裏テーマ。皆ギンギラギンにグリーンアイしてます。
まぁ、その御蔭でタロまで死なずに済んだのですが。

反省点としては、改稿とか慣れてないなと思ったり。
誤字脱字? 正直探しきれません、はい。温かいご指摘をお待ちしています。

では、こんな長い話に最後までお付き合いいただき本当にありがとうございました。
はまちや
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コメント



0.950簡易評価
4.80名前が無い程度の能力削除
何はなくとも、最初は文章量に拍手を送りませう
よう収拾つけられたな、と…
しかし話は事件とか登場人物の葛藤が同時多発的に起きすぎて、読んでる最中に訳がわからなくなる事が多々ありました
喋るか戦うかはっきりしろとか、或いは考え事は後にしろとか、いくら独自設定有りとは言え基本的な設定までハズして欲しくないとか、まあ色々とあったのですが、作品としてのパワーはかなりあると思います
それもロックなんですかね好きなキャラはペースを崩さないイクさん、元為政者としての忠言が多かった神子です
5.70名前が無い程度の能力削除
タグにあるこいしの名のお蔭で、
冒頭の登場人物紹介欄に「こいつが犯人」と
落書きされたミステリを読んでいる気分を味わえました
そこを利用した魔球が飛んでくると期待していたのですが、案外直球でした
これはこれでよいと思います
作品の評価とは別に単純に気になったのは、一部キャラクタの名が伏せられたままな点
三妖精はともかく、キスメや魔理沙はそれなりにしゃべってたのに何でだろう
何か理由があるならお聞きしたいなぁ
9.90絶望を司る程度の能力削除
面白かったです。是非これは書籍として読んでみたいと思いました。
10.80奇声を発する程度の能力削除
大ボリュームでとても面白かったです
11.80名前が無い程度の能力削除
大ボリュームパワーはあった
文章とかも悪い所なかったけどちょっと詰め込みすぎな感じもしたかな
今度は短編とかみてみたいです
12.100名前が無い程度の能力削除
天子が出自に抱いたコンプレックスを切り払っていく姿に引き込まれて一気に読ませていただきました。
メインもサブもオリもみんな魅力的で素敵でした。
でも個人的に一番印象に残ったのは決戦の場で妖忌がタイムを認めたシーンかもしれない、シリアスの中に絶妙にギャグが割り込んできた意味で。
大長編は創想話の華、文句無しの100点で。
14.100dai削除
ボリューミー過ぎてお腹いっぱいです。
15.80名前が無い程度の能力削除
文量がすさまじく情報量もハンパないので、読み進める毎に疲労が蓄積される感覚でした
それでもなお読み切る事が出来たのは、圧倒的な展開とそこに生きているキャラクターが魅力的だったからだと思います
お疲れ様でした

誤字報告
「○○様」と思われる部分に「○○よう」と変換ミスされている部分が1、2か所ありました
16.100名前が無い程度の能力削除
面白かったけど後半テンションあげっぱなしだったのがちょっとメリハリなかったかな
連続したぶん熱のあるセリフの一つ一つの印象が薄くなってしまった印象です
ただ作品としてはとても面白く読めました
17.100名前が無い程度の能力削除
濃ゆいキャラ達が次々と自分の見せ場を主張してくる様は非常に…疲れたけど楽しかったです
常にガムシャラ天子は一体何回死んだのか…さとり健気すぎる…
パルスィの嫉妬パワーは明らかに役に立ちまくってるような
衣玖さんはもうちょい天子と距離が縮まるのかなと思ったけど、そこは流される立場を選んだ故か…ちと残念
嫉妬が裏テーマというのは納得。自分に無いもの得られなかったものを他人なりどこかに
求めて悪戦苦闘しているキャラが多かったですからね…でもそれが各自の魅力を引き立てていたと思います
19.100名前が無い程度の能力削除
誰か漫画にしてくれませんか。
20.100名前が無い程度の能力削除
こういう「自分の考えた幻想郷」を本気で見せてくれる作品に出会えるのが創想話の素晴らしいところ。
多少の粗はあっても、このパワーには最大限の評価を。
26.90名前が無い程度の能力削除
ここまで読むのに3日かかりました でも いい3日間だった
27.90名前が無い程度の能力削除
これだけの長い物語を書けることにただただ尊敬します。
面白かったです。
29.30名前が無い程度の能力削除
長かった...丸1日くらいかかったかも。
特に後半は衒学的な部分が鼻につき過ぎてちょっと、いやかなり辛かった。
西洋哲学も仏教も密教もチャンポンかい!とツッコミつつ、
筋が通ってるようで矛盾しまくる登場人物達をまあロックらしいからと
生暖かい目で見守って来ましたけど流石にこいしの下りはガックリ来ました。
作者さんが一番書きたかった部分なのかもしれないですが、まさに蛇足...
しかも結局さとりとこいしはすれ違ったままで会話すらないとか本当になんのために
つけたんだっていう。
他にも首きられたジロですがそこでこいしが腹に人参やお菓子詰め込んだり
脳みそがどうたら言ってた伏線は回収されましたっけ?
タロがさとりに見つかるまで見廻組になにさせられてたのかよくわからないまま...
妖忌と西行桜の関係も結局はくりからのつるぎのための伏線でしかなかったし。
大吟醸を料理酒がわりに使ってるような感じで設定の無駄な豪華さがなんの効果も
産んでいません。
伏線の張り方も次から次へと真相が明らかになっていくのは最初は
宝箱を開けてるようでワクワクもしましたが何度も開けてるうちに
これ宝箱じゃなくて中身からっぽなマトリョーシカなんじゃないのと
思ってたら不安が的中しました。
作者さんがここまでの大作を書き上げられたことには素直に称賛を
送りたいですが、一つの作品として評価をくだすならただ冗長で
無駄に贅肉がついてしまった残念な作品としか思えませんでした...
もっと推敲して矛盾点や不必要な伏線はばっさりきって再構成しなおしたならば
名作になれただろうに本当におしい。
本作は天子が迷いの中で道を見つける話でしたが作者さん自身が迷いに迷って
結局当初の目的地にたどり着けなかったようなのが皮肉というかなんというか。
31.100名前が無い程度の能力削除
この長い文章の中で、よくも此処まで上手くまとめられたと、感動致します。その文章も、物語もただ長いだけではなく、見せ場の作り方や、読者に悟らせてはいけない肝心なところも完璧に抑えて行って、それでいて登場人物に素晴らしい魅力も感じます。
これを批評する言葉が正直見つかりません。
ですので、自分はこの物語に満点を付けさせて頂きました。どうか、また他の物語も書いて見てください。
36.100名前が無い程度の能力削除
すごい内容の濃さで一度読んだだけじゃ把握しきれないほどのボリュームでした。
キャラも凄い魅力で凄く面白かった、今後の天子とさとりが見たくなる素晴らしい作品でした。