夕暮れ過ぎて夜の帳が下りる頃、森のどこかの少し開けた一角にある、どこか懐かしさを感じさせる温かみのある明かりを灯らせた赤い提灯が目印の一軒の屋台。
八目鰻の蒲焼と、それに合うお酒。後はかわいい女将の綺麗な歌声が売りのミスティア・ローレライの屋台。
これだけの条件は揃っているが、屋台の営業している場所が場所だけに大繁盛する程お客は来ない。
夜の森は力を持たない人間にはまだまだ危険で、お客として来るのは夜の森に来ても自分の身を守る事の出来る人間か、または妖怪がほとんど。
しかし女将であるミスティアは、お店が繁盛してたくさんのお客の相手をするよりも長く一人二人のお客と接している方が好きだった。
それは商売としては有益とは言えないが、なんとなくミスティアの性格にはそっちのが合っているのである。
今日もそんな屋台にお客が一人。女将の作る八目鰻の蒲焼をちびちび食べながら、酒を飲みにここに来ていた。
「私はですね、多くを望んでいる訳では無いのです」
八目鰻を箸で器用にちょびっと摘まむ。
「船頭死神をする立場、それじゃなくても仕事をするのにもそれなりの態度があるでしょう」
摘まんだ鰻を口の中へ。
「そう、今日なんかは何度目でしょう――――」
ぐいっとコップに少し残った冷酒を一気に呷った。
「・・・何度目でしょうか、もう私も覚えてませんよ・・・小町のサボッて昼寝してた所に居合わせた回数なんて」
今日のミスティアの屋台のお客は四季映姫・ヤマザナドゥ。
楽園の最高裁判官――――幻想郷でも最もお堅い地獄の裁判長ともっぱら噂の人だった。
ミスティアが炭火の上の八目鰻を引っ繰り返しながら言う。
「フフ、そうですね。でも私も昼間寝なくちゃいけないのに起きてて、夜仕事中にお客さんがいない時なんかはつい眠くて居眠りしちゃったりする時もありますけど」
「もう一杯どうですか?」と聞くと映姫はコップを差し出した。
映姫は注がれた冷酒をくいっと一口呷る。
そして眼光が鋭くなったかと思うと。
「それではいけませんね。居眠りなど、立派な職務怠慢。立派な罪です。すぐに改めるべきですね。いいですか、そもそも・・・・・・・」
始まってしまった。ミスティアの小町へのフォローのつもりで言った言葉がこの人のセンサーに触れてしまった。
こうなるとこの人は長い。ミスティアに取れる仕草と言えば、神妙にはい、はい、とただ頷き続けるしか無い。逃げる術は無いのである。
「・・・で、あるからして居眠りなどしてはいけないのです」
「はい・・・」
「私が地獄で裁く事について私の独断で裁定を下す様な印象がありますが、そんな事は無いのです。全ては生前の自分が為したことに対する判決であり、故に然るべき結果なのです。ですから、生ある内は出来るだけ善行を積み、輪廻の先の転生の為に生かすのです。死んでからでは遅いのです。それを忘れぬ様、これからも善行を積んで行くのですよ」
「はい・・・」
30分は続いただろうか。閻魔の説教がやっと終わった。
焼いていた八目鰻は焦げてしまった。
酒が入っているせいもあり、映姫にはミスティアの焼いていた鰻の事など思案の外なのである。
鰻が・・・と踏んだり蹴ったりのミスティアだったが、説教中に八目鰻に気が行っていれば「聞いているのですか!」と更に話が長くなってしまうだろう。
ああなってしまった映姫が誰にも止められないのは有名な話。諦めるしか無い。
そんなミスティアの心中は露知らずのアルコールでほんのり頬を桜色にした閻魔がふっと微笑む。
「ふふ、でもね、この話の内容も、言っている私も話し過ぎて身に染み付いてしまいましたよ」
寂しそうな、何か諦めた様な映姫の顔。
ここにいない部下の事を思っているのだろうか。
そしてぐっと一気に冷酒を呷る。
「女将、もう一杯」
ミスティアがはい、と冷酒を注いで。
映姫はくいっ、と飲み干し。
「もう一杯もらえますか」
コップを差し出し。
冷酒を注いで。
映姫はくいっ、と飲み干し。
「もう一杯もらえますか」
と。少しペースが速いんじゃないか?と思ったが、ミスティアは言われた通り注ぎ直し。
するとまた同じようにくいっと空にし、
「もう一杯」
さすがに飲み過ぎだろう。映姫の顔もみるみる赤い。
「え、閻魔様?ちょっと飲みすぎですよ」
「いいから・・・」
女将の制止も構わず酒をねだる。
映姫にしては珍しい深酒にミスティアも少し心配になる。
よくよく見ればこれは酒に呑まれている顔。これを注いでもまたすぐに飲んでしまいそうだ。何か映姫の気を紛らわす様な物は無いか考える。
そうだ、歌を歌おう。その間に少し時間を稼ごう。とミスティアは閃く。
ミスティアの歌は上手い。お客の前で歌う事はそう珍しい事でも無く、ミスティアが歌っている間それを聞くお客は静かに歌声に身を委ねて聞いてくれる事が多い。
「あ、そうだ、歌!ちょうど新しい歌を覚えたんですよ。良かったら閻魔様、聞いてくれませんか?」
うん、我ながら機転を利かせたぞ。とミスティアは思う。
「そうなんですか・・・どんな歌なんです?」
映姫は真っ赤な顔で問う。
しまった・・・新しい歌なんて流れで言ってしまったが何を歌うか考えて無かった。
いざ歌え、と言われてもすぐに歌を歌う事くらいミスティアは出来る。しかし新しい歌なんて用意して無かった。
「そ、そうですね、それは聞いてからのお楽しみってことで・・・」
「ふふ、なら期待しますね」
まずい。どうしようか。ミスティアは脳をフル回転させ考える。
そして思考の闇に一筋の光が。
あ、そういえばこの間聞いた歌が・・・これなら誰にも歌って無い。よし、これにしよう!とミスティアの目が輝く。
「では、聞いて下さい・・・」
すぅ、と息を吸い、目を瞑る。記憶を手繰りながらミスティアは歌い始めた。
途中で歌詞を忘れてしまうんじゃないか、と思ったが余計な考えを挟んではいけない。今はこの歌をなんとか最後まで歌わねばならない。
懸命に記憶を辿り、しかしたどたどしい感じは出さずミスティアは歌い続ける。
夜の森に綺麗な歌声が響く。静寂の中、屋台から聞こえる夜雀の歌声に木々も花も聞き入っている様に見えた。
そして歌も終盤に差し掛かり、なんとか歌詞を忘れずに歌い切れそうだぞ、と歌に集中し閉じた目を開ける。
その瞬間見た物に、ミスティアは思わず驚嘆し声を詰まらせてしまった。
映姫が震えながら大粒の涙をぼろぼろと、それはもうぼろぼろと溢れ返らせていた。
一体どうして?と考えるミスティア。
すると映姫が嗚咽を漏らしながらミスティアを見て口を開く。
「みすちーひどいよぉ、いじわるだよぉ~」
「ええぇ!?」
真っ赤な顔で泣きながら訴える映姫。
歌の力で酔いが回り過ぎたのか?いやいやいや、それよりこの人こんな人だったっけ?と言う感想のがでかい。それより「みすちー」って!って言うツッコミも入れられない。
「だって、だってその歌で、『遥か遠くに行くから』って。まるで、こ、小町がっ、小町が帰らない、みたいなんだもん・・・うあぁ~!」
ついに決壊してカウンターに突っ伏してしまった。
どうゆう事だろう、何か触れてはいけない物に触れてしまったのだろうか。いや、触れてしまったのだろう。
「ちょ、ちょっと閻魔様、大丈夫ですか!?」
気遣うミスティアだったがその声も映姫に聞こえているのか定かでは無い。
カウンターに齧り付く様に泣きっ放しだった映姫がふっと顔を上げてミスティアを睨む。
「ぐすっ・・・みすちー私のこと嫌いなんでしょ?だからそうやっていじわるするんでしょ!?」
「い、いやそんな事は決して・・・」
「嘘、嘘ぉ。うぅ・・・黒だ、絶対黒だよぉ~」
「黒じゃないですって!」
「わかるもん!私にはわかるんだもん!みすちーは、く、黒・・・うわぁ~!」
また突っ伏してしまった。
もちろん黒では無い。いや、この場合何が黒で何が白なのかも良く分からないのだが。そもそも映姫がこんな状態なので白黒はっきり付ける事も出来てないのだが。
この後も、やれ自分はいつも誰彼構わず説教をするからきっとみんな私の事が嫌いなんだとか、お堅いお役所仕事人は会話のノリが合わないと思われているとか、そんな事を散々ミスティアに愚痴りに愚痴った。
最初はさすがの変貌っぷりに驚きを隠せ無いミスティアだったが、段々と冷静になるにつれて色々と整理出来てきた。
映姫が泥酔しているとは言え、こんな事を悩んでいたと言う事。意外にも酔い潰れるとこんな面があると言う事。
お説教は確かに嫌だし、映姫の事を少し誤解していた節もあったけど、ほんとはこんな事を考えてたんだな、と思うと何だか微笑ましい。
「ほら、映姫様。元気出して下さい。今度は元気が出る様な歌を歌いましょうか?」
親しみから思わず「映姫様」なんて言ってしまったりして。
「うん・・・でもやだ、みすちーいじわるするつもりだもん・・・そう言えば異変の時に私が言った・・・」
あちゃ。歌は禁句か。しかも歌と聞いて花の異変の時の説教までまた始まりそうだ。
「いやいや、そんなつもりは無いですよ!で、でも何でさっきの歌が?」
慌てて説教されない様に話題を修正しようとする。でも、この状態でどんな風に説教するか少し聞いてみたい気もしたが。
するとまたみるみる涙が映姫の瞳に滲んで。
「小町が・・・小町が今日いなかったの・・・どこにも・・・」
ああ、そう言う事か。確かにあの歌の歌詞は自分と親しい人が遠くに離れて行ってしまう歌だった。
でも、あの歌は――――
「私に何も言わずいなくなるなんて、きっと説教し過ぎでもう嫌になっちゃったんだ・・・だからきっと、もう、もう小町はどこかに・・・」
考えるより早く映姫がまた決壊しそうに。思うや否ややはりまた突っ伏して泣いてしまった。
そしてまた散々自分にも非があったと思う事や、小町がどれだけ自分にとって必要なのかと言う事、いつもサボッている様に見える小町だが、小町の船で地獄に来た霊の中には今から裁判を受ける緊張、死んでしまった事への絶望などがあったが、船で気さくに接してくれる小町のおかげでいくらか救われた、と言っていた霊も少なく無い事など。それらを言って泣き明かした。
最後の方は睡魔に負けてしまった様で、言うだけ言いながら寝てしまったのだが。
ふふ、とその姿を見て仕様が無いな、と優しく微笑むミスティア。
だが、ん?寝てしまってはまずいぞ。もうそろそろ夜空も白んで来る。店を閉めないといけない事に気付く。
ミスティアが映姫をやんわり起こそうとした所で。
「まだやってるかい?」と暖簾を開ける者が一人。そしてカウンターで寝息を立てる映姫を見つけるや否や。
「げっ!四季様!?」
と。何てタイミング。二つに縛ったお下げ頭と豊満すぎるボディ。件の渦中の中心人物、小野塚小町である。
「ちょっと用事を思い出したよ・・・」
そのままくるっと後ろを向いて、そそくさと帰ろうとしたので、急いで屋台を出て引き止める。
「小町さん!ちょっと待って下さい!」
「止めないでくれ・・・あたいは行かなきゃならない」
「もう、何カッコつけて言ってるんですか!そんな嘘バレバレですよ!」
う、バレたか。と小町が観念した様に向き直る。
「いや、分かっておくれよミスティア。今日休んだばかりでこんな所に来てるのがバレたら、またどんな説教をされちまうかわかったもんじゃないよ」
え?休んだ・・・?
確か映姫の話ではどこかに行ってしまった様に言っていた気がしたが。ミスティアが不思議そうにしていると小町が続ける。
「あー、いや、あたいさ、今日風邪引いて休んじまってねぇ。いや、これはサボリとかじゃなくて本当なんだよ?普段昼寝は・・・ちょっとしちゃうけど。さすがにそんなズル休みみたいな真似あたいはしないさ」
頬を人差し指で掻きながら小町が言う。
「風邪の方もさ、竹林の永遠亭でもらった薬のおかげですこぶる調子が良くなっちゃってね。で、さらに一日中寝てたせいか変な時間に起きちゃってねぇ」
「で、お店に来たんですね」
「そうゆう事さ。でもお酒はさすがにまずいから、鰻で精力付けてから仕事に勤しもうかってね。ほら、船の仕事ってさ、結構体力使うんだよ」
ああそうだったのか。しかしこれでは何か話に食い違いがあると思い、屋台で一人眠る映姫について事の成り行きを説明する。
「そんな事が・・・。でもおかしいね、あたいはちゃんと休むって仲間の死神に・・・」
と、ここまで言った所で小町の動きがピタッと止まったかと思うと、顔がみるみる蒼くなる。
「い・・・言ってない」
「えええ!?」
「言ってなかったよ!忘れてたよ、どうしよう、どうしようみすちー!」
「そんな、知りませんよ!って、小町さんまでみすちーですか!」
凄い勢いで涙目になりながら小町がミスティアに縋り付く。まったくこの人は。と思う。でも今度は突っ込めたぞ。とも思ったりして。
一人焦り、どうしようどうしようと喚く小町。後ろの方で聞こえるそんな喧騒に眠りを妨げられたのか、屋台に一人置き去りだった映姫が目を覚ました。
「ん・・・女将、どうしましたか?」
カウンターの向こうにいないミスティアに気付き、眠そうな目で暖簾の外に顔を出し、こちらを見る映姫。
小町と目が合う。
「四、四季様、こんばんは、じゃなかった、おはようございます・・・?」
小町から目を離さず、暖簾からふらりと体を出す映姫。
「あ、あのですね、あたい――――」
咄嗟に何か弁解しようとする小町。しかし言うよりも早く。
「小町ぃ!」
屋台を飛び出し駆け寄る映姫。小町が「ひっ!」と目を堅く瞑り、肩を縮める。
しかし小町の予想とは全く違う事に、映姫は駆け寄る勢いそのままに、小町に抱き付いて。
「もう、馬鹿、馬鹿。どこに行っていたの」
小町の胸で泣きじゃくる映姫。小町は驚き目を丸くしている。
自分の胸で震える映姫に気付き、我に返った小町は宙ぶらりんだった両手を片方は映姫の背中に廻し、片方は手の平を映姫の頭に乗せ、優しく撫でた。
「あたいは、何処にも行きませんよ――――」
小町の優しい抱擁に、腕の中の映姫は、また一層泣き出してしまった。
「んーっ、今日も一日働いたなあ」
屋台の女将が伸びを一つ。
「・・・はぁ、でも疲れたなぁ・・・」
あの後、泣きじゃくる映姫を宥める為に色々と小町が説明したのだが、それにつれ段々表情が変わっていく映姫を思い出す。
全て理解した映姫に何とかフォローしようとして大変だったなぁ。でも色々と逆効果だった気がしなくも無いけど。
「女将、迷惑を掛けました。さあ、帰りましょうか、小町」と言って去っていった時の顔は私の手前、笑っている様に見えたけど青筋が凄かったなぁ・・・
小町さんの顔は――――止めよう、気の毒過ぎる。でも自業自得・・・だよね。
本日のミスティアの屋台の営業もこれにて終わり。
夜が明けようとして雀が活動を始める頃、それと反対に夜雀の屋台は今日の営業を終わらせる。
そしてまた夜の帳が下りる頃、森のどこかで赤い提灯を目印に、屋台は幻想郷の誰かの為に店を開けてお客を待つのだ。
八目鰻の蒲焼と、それに合うお酒。後はかわいい女将の綺麗な歌声で持て成して。
あ、そう言えば映姫様。あの歌の最後の歌詞は、『またすぐに戻って来るよ』ですよ――――
二人の去っていった空に向けて言った言葉は、昇り始めた朝日だけが知っている。
貴方の作品好きです!
頑張って下さい!
あとあのテンションの映姫と小町オンリーでのSSを淡く期待
映姫も色々と苦労してるんだなーと思いました。
みすちー屋台面白かったです。他のキャラも御客として出してシリーズものにしたら面白いと思いました。
次の作品も期待しています。がんばってください^^
>みすちー屋台シリーズもの
うわ、それすげぇ見てぇ!!!
つか、初めてでコレですか!?またもや期待の新人様ですか!?
四季様がかわいすぎて生きるのが楽しい。
ところで、みすちーはもちろん和服ですよね?女将なのですから。
とても読みやすく、飲みたくなりました。次も期待してます!
御馳走様でした。面白かったです。