曖昧な態度に業を煮やして叫んだ。
彼女のその声音は、静寂の帳が下りる世界に硝子の破片が砕けて落ちたような、融けて壊れたような音がした。
澄んでいる。
脆い音。
視界がぼやける。
「魔理沙の馬鹿ァ……ッ」
とうとう堪え切れずに、アリスが泣き出した。
数瞬だけ口を"へ"の字にして耐えていたが、目尻からみるみる大粒の雫が溢れ出して、指で拭う間も無く頬から頤への線をなぞった。アリス自身にも度し難く、手で覆い隠すようにして力ない啜り泣きだけが漏れた。
――大仰な名前がついていた酒を肴にし、その、いつになく奇妙な光景に目を細めた。
当の魔理沙はというと、これまたこちらが不愉快になるほど愚鈍そうな声で「あー」とか「うー」とか呻いているだけだった。
彼女の象徴たる黒帽子を脱ぎ、いかにも困ったというように"ががが"と頭を掻く。「どうしよう」とでも言いたげに対面のアリスから私に目を向けてきたので、早くしなさい、となじるように視線に力をこめた。
私の叱咤にどれほどの力があったかは定かではないが、ようやく魔理沙も腹を括ったらしい。いつもの不敵さはどこへやら、滑稽なほど力んで震える指先と、対照的に蒼白に近い顔。
それでも、鈍牛の歩のような速度ではあったが、伸ばされた手がアリスの肩に触れて、
「ア――アリス」
「…………ぅ」
触れ合った瞬間、二人とも大袈裟に体が竦む。何だこいつらは。
「ち、ちがっちがくて。えーっといや、その、全然っ。嫌じゃないっていうか、あ……アリスの事」
今度は耳まで真っ赤になっている。目が完全に泳いでいて、相手の反応を窺う余裕もないらしい。気恥ずかしさからか、目深に被って顔を隠そうというのか、右手が先ほど置いた帽子を探して。
アリスがその手を掴んだ。
相変わらず、いつかの異変の震源地かと思うほどに震えてはいたけれど。
「アリ」
「……って」
「アリス――や」
俯いたアリスを金の紗幕みたいな髪が遮って、肝心のところを聞きそびれた。
直後。
未だ眼には涙が溜まり、視線がどこか熱に犯されているみたいに“茫”としているが、割合はっきりした口調で、囁くように
「好きって――言って」
「なっ――なな」
「……魔理沙ァ」
叫んで、アリスが魔理沙の胸元に顔を埋める。
――静かに酒を啜って、これはアリスの一人勝ちねー、なんて気分で何度も何度も頷いた。魔理沙の狼狽っぷりは後々まで語り継がれていくべきね、と。
初々しい親友らのやりとりに、ついにはニヤけてしまうのも仕方がない。しばらくの間は話題に困る事はなさそうだった。
――見せ付けてくれてんじゃねーよ。
「へっ?」
と、そこで、早苗が何か呟いたように聞こえた。
左手の方、視界からはぎりぎり外れた辺りから、諏訪子の祟りに似た剣呑な気配、様相に、首だけで振り向いた。
早苗と眼が合う。
「あ、あやややや霊」
「文がどうかした?」
なぜかうろたえたように声を上げる彼女につられて室内を見回すが、もちろんここにあのブン屋はいない。すっかり出来上がってしまった者達の間隙間に埋もれるようにして、空の酒瓶、徳利、杯。宴もたけなわである。ついでに諏訪子は向こう側でしぶとく意識を保っている者らと高笑いしていた。
「……なんだか、すっかり酔っちゃってるみたいで」
「そーお?」
早苗の言に、何となく反意のような声を返したが、多分もう酒精のないのは私ぐらいだろう。アリスと魔理沙は言わずもがな。おそらくは早苗も“相当”だ。
「霊夢さあん……」
「やっぱりあんたもかい」
紫がたまにつれてくる黒猫がごろごろと喉の奥から出すような、ついついかまってしまいたくなる甘えた響き。早苗が腕に顔を摺り寄せてくる。
少しはだけた肩口に感じる彼女の翡翠色の柔らかさに、いつぞやの橙を思い出すものだから、残った右腕も彼女に伸ばした。
猫のように頭を撫でる。ほのかなぬくもりと、無作法に動く手のひらにつられたようにいじましく揺れる頭とには、いつまでも撫で続けていたくなるだけの魅力があった。猫にも引けを取らぬとは。恐るべし、東風谷早苗。
そのまま飲み込まれてしまいそうなぼおっとした危機感を感じて、適当に手を引っ込める(それほどの良さだった。流石は奇跡の現人神)。
早苗が、下から見上げてきた。
瑞々しい唇と、渟名の川底にあるという宝石のように美しく澄んだ瞳。髪は長い。白い肌には若さゆえの精気と艶やかさが同居し、それでいてどこかあどけない。
綺麗だな、と素直に思った。
夜空の星を思わせる、どこか浮世離れした、単純に『綺麗』としか感慨を抱けない幽玄美。平素の彼女からは想像しづらくて、でも今ならすんなりそう思える。神々しいというのかもしれない。
そう長い間見つめていたつもりはなかったけれど、徐々に徐々に彼女の頬に朱が差してきた。
早苗がそんなに飲んでいた記憶はないのだが、存外酒に弱い性質だったのだろうか。
「れ、いむ、さん……」
鼻先に感じる幽かに酒臭さが混じった吐息と、今にも消え入りそうな声。
「ちょっと早苗、大丈夫? 顔赤いわよ、熱でもあるんじゃない?」
「――え」
額に当てた手からはさほど熱を感じない。
「あ。あの霊夢さ」
「ほら」
言いかけた早苗を遮って、正座に組み直した足を示した。
「少し横になってれば楽になるわよ」
「うあ――や、やややや」
一瞬惚けたような顔を見せたが、すぐ音を立てるほどの勢いで首を激しく左右に振る。彼女の髪がつられて宙を何度も行き来した。
「変な意地張んないでいいわよ、別に。誰も見てやしないわ」
再度膝を叩いて催促すると、「で、では……失礼します……」と言って早苗が今や真っ赤になった頭を乗せた。
しばらくは横たわってもなおがちがちに身を縮こませていたが、やがて観念したように、長々と息を一つ吐いた。
「ほら、やっぱり疲れてたんじゃない。――しょうがない事ではあるけどさ。あんまり無理しないようにね」
ふっと、赤い早苗が唇で苦笑を形作った。
「霊夢さんには、敵わないです」
「うん? まあ、伊達に楽園の素敵な巫女やってないからね」
褒められた理由はいまいち不明瞭だが、素直に受け取っておく。
眠るように、早苗が目を閉じた。
手持ち無沙汰から、彼女の透き通るような翡翠に手櫛を通していると、はにかむように「くすぐったいです」と言ってくる。
「少しは楽になった?」
「そう――ですね」
――なんだかいろんな事がもう、どうでもよくなっちゃいました。
「もう少し―ーこのままでいていいですか」
答える代わりに、また髪を撫で付け始めて返事にした。
時間さえもが停滞しているようだった。
アリスと魔理沙は手を取り合ったまま、静かに見つめ合って睦言を交わしている。
宴会も潮時だろう。当初は威勢よく仕切っていた早苗も、目を閉じたまま、撫でられるがままになっていた。
――酔い逃し。
ただ何となく、酔えない夜もある。酒が回っていくのは確かだが、頭の中のどこかが冷めたままなのだ。無理に酔おうとしても酔えず、周りの連中の勢いとの差にますます醒めてしまうような、そんな乾いてしまった気分。
「――お疲れ様」
だから。
そんな日には、酔えないなりの楽しみ方があるものだ。
「守矢がここに来て、異変があって。いろいろあったでしょうけど、これで一段落よ、早苗」
「……霊夢、さん」
だから――お疲れ様。
別に、たいした事をしているわけじゃない。彼女と視線を合わせるでもなく、手を止めるでもなく。
膝の上で、僅かに身動ぎした。
「――霊夢さん」
「今度は、うちでまた飲みましょう?」
何気ない声で、今思いついたという風に、早苗が言った。
「私が最初に出したお酒、どうしました?」
「――そういえば、魔理沙とアリスに飲ませたわね」
後日。
正気に戻ったアリスと魔理沙は、お互いの状況を魔法使いらしく冷静に分析し、たっぷり数十秒ほど見つめ合って拳での弾幕ごっこを始めた。
……あ、すみません ちょっと、足が痺れ あぅぅ
がんばれ早苗さん。
ああ、足が痺れるぅ…
≫1様
偶然ですが、七夕は六日から七日の早朝にかけて行われるそうですね。多分宴会もそれにかこつけてたんですよ。きっと。
とりあえず、座布団をどうぞ。
≫2様
曖昧に濁しましたが、ちゃんと惚れ薬的なブツを仕込みましたよ。
努力は報われるものです。小さな事でも、本人には大きな奇跡。方向性が間違っていたとしても。
≫4様
実はアリスと魔理沙の描写は少し削りました。これ以上は「マリアリ」のタグが必要かなーと。何気ない日常の一幕が書けていたらいいなー。
とりあえず、座布団をどうぞ。
≫奇声を発する程度の能力様
宴会がしらけてきて、隅っこの方でちょっとだけ友情が深まる話(少なくとも霊夢は)。
日常からちょっとだけ綺麗な場面を切り取ってきた、そんな風に書けているといいんですが……。
≫11様
極端なキャラづけはあまり好きではないので、純粋な部分と黒い部分とがちらちらと。
薬は盛るけれど、膝枕に赤面する程度の黒さが、個人的には丁度いいかなーと思います。
次は薬に頼ろうとせずに頑張れw
なんだか久しぶりに正座した。
≫14様
霊夢を落とすには薬くらい必要かなーと思い、ちょっと早苗さんに実行してもらいました。その結果がこれだよ!!! 元々橙のロマンスだったはずなのに、どうしてこうなったんだろう。
正座すると(よくない方向に)脳が活性化するという噂が。