Coolier - 新生・東方創想話

妖怪道中一六奇譚~飯屋に打ち上がるフライの怪~

2015/02/15 01:28:19
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 往来を行きかう人々の喧騒に目を覚ます。

「なんじゃ、昨日はちと飲みすぎたかのう」

 布団から体を起こすと部屋の中はまだ寒く、肌を刺すような冷気に満ちておった。着替えもせねばならんというに、これでは億劫じゃ。ひゅうと息を吸い込み3秒。腹の中でほんのひとかけの妖力と、昨晩の酒の残りを燃やし、ぶぉおと吐きだすと、部屋の温度は概ね20度くらいになる。身体の芯に染み込むような冬の朝の空気は、それはそれで風情があっていいもんじゃが、表へ出れば嫌と言うほど体感できるのじゃから、今は快適が第一である。

 「ふわあ」

 とあくびにまだ熱が残るうち、布団から抜け出して箪笥から着物を漁る。
 ここは命蓮寺、ではない。あの寺にも儂が自由に使える私室が一部屋あるにはあるんじゃが、今日のところは人里の別邸に目を覚ました。別邸とはゆうても、一軒家なんぞではなく―――里の中に一軒屋など目立ってしょうがない―――、目抜き通りに面した小間物屋の2階に借りておる一間の部屋である。決して命蓮寺にある私室が気に入らんというわけではないが、どうにも拠点を複数持っておかんと安心できんという性分が祟って、ここのほかに里の中にもう一部屋、里の外に庵が一軒ある。維持費については何も心配することは無い。庵は勝手に立てたもの。里の二部屋はどちらも借金の担保に押さえておるものじゃからな。
 長襦袢を着た上から若草色の長着を茜色の帯で締める。何時もならこの上に羽織を着るところであるが、呉服屋に注文していたトンビ―――いわゆるインバネスコート―――が仕上がっておったので、今日はそちらを着ることにする。呉服屋には、多くは男性が着用するものですが、と粋でないことを言われたので、横におったご婦人の客に「儂と店主とどちらが男前かのう?」と聞いてやったら、参りましたと頭を下げおった。
 合わせて普段はかぶらない帽子をかぶる。こちらもどちらかといえば男性モノのボーラーハット。横にあったディアストーカーもなかなか魅力的だったんじゃが、インバネスと合わせてはミーハーのシャーロキアンにしか見えんかったもんで諦めた。

 先日出先で、偶然―――じゃと思いたい―――はち合わせた古本屋の小鈴嬢に選んでもらったブーツをはいて、外に出る。木製の階段をコツコツと降りるうち、肌に触れる冷気が本領を示し始める。今日の寒さは思った以上のようじゃ。通りを見渡すと、さすがに里の目抜き通り、人の往来は相当なものであった。懐から懐中時計―――佐渡におったころ融資の礼にというて人間から貰ったもの―――を取り出すと針は10時5分を指しておった。里の基準で言えば十分に遅い目覚めじゃろう。ちなみに今日は2月の16日で休日。幻想郷の人里においては古くからの名残りで、1日、6日、11日と、いわゆるイチロク日―――1の位が1か6の日―――が休日となっておる。七曜日はそこそこ教養のあるものが知識として知っているにとどまり、普段から意識しているモノがおるとすれば、紅魔館お抱えの魔術師ぐらいのものじゃろう。
 まあ休みとはゆうても、第一次産業従事者の割合が5割を超える人里においては、イチロク日も商店や飯屋が定休日を決める際の基準ぐらいにしかなっておらん。皆めいめいに仕事の都合で休んでおって、イチロク日が確実に休みになるのは、役所にあたる臣寮(おみりょう)の職員と、その動きに連動する番所の本部ぐらいなものじゃろう。

 とりあえずは飯にしよう、ということで歩きだす。後ろから、がっちゃがっちゃという音が近づいてきて、しめたっと通りの中央、軌道に近づく。タイミング良く馬車鉄道が通りかかり、飛び乗ることができた。ブーツを履いてきたのは正解じゃったな。
 こいつは読んで字のごとく、レールを走る鉄道であり、馬で曳いて走る馬車である。一両建ての車体が鮮やかな緑色をしていることから、里では専らアオガエル鉄道と呼ばれておる。里のど真ん中を貫く単線で、両端と真ん中の3つしか駅が無い。その他の場所では今儂がやったように、走って飛び乗るのが定石じゃ。どれだけのっても一律料金で格安。明治の時代、東京で馬車鉄道が走り始めたころは、とても庶民が乗ることができない超高級移動手段であったと記憶しておるが、ここでは事情が違う。
 この鉄道は臣寮がアウトソーシングした運営を民間が手掛ける形式で運営されておる、公共交通機関である。主眼は荷物の運搬におかれており、物流のために敷設された路線じゃ。遊ばせておくのはもったいないから、それ以外の時間帯には人間を運んでおる。東西に走る運河と南北に走るこの線路が、人里の物流の大動脈というわけじゃ。今は南門方向に南下中で、暫くは暇になる。

 そう言えば昨夜はぬえと小傘を連れて飲んでおったのじゃが、たまさか臣寮の話になった。何で人里の行政府は臣寮などという珍妙な名前なんかのう、さあなんででしょうねえ、なんてやっておったところ隣の席で飲んでいた妙齢の女性―――どエライ美女じゃったが、なんで頭に弁当箱を乗せておったんじゃろうか―――がそれはこうこうこういう理由ですよ、と解説をしてくれた。寺子屋の教師じゃというとった割にはあまり上手くなかったその解説を要約すると、臣寮は陰陽寮(おんみょうりょう)が訛ったものじゃということじゃった。陰陽寮といえば平安の昔、暦や天文学、占術などを司っていた省庁のひとつ。今で言う…なんじゃろう、流石に相当するものが無いが、例えば気象庁みたいな組織と考えればよかろう。で、なんでその陰陽寮が出てくるかというと、これは幻想郷の成り立ちの話になってくる。

 強大な妖怪があらわれた集落に、都から陰陽師が派遣される、強大な妖怪の影響で長期戦になり、そこへ雑多な退治屋や野武士などが集まった。更に商人が後追いしてくる。帰還命令が下るも、陰陽師は戦いを続行、戦闘は激しくも戦況は膠着し、この間に今の人里に当たる集落が形成される。このとき主導的な立場にあったのが学のある都のエリートであった陰陽師たちであり、彼らは自らを所属である陰陽寮と名乗ったわけじゃ。長い年月の中でこうした経緯は忘れられていき、おんみ寮、おみ寮という言葉だけが残った。明治17年、幻想郷が隔離された際、改めてその設立について語られるにあたって、大臣の臣を当てて臣寮と正式に決めた。
 陰陽寮と聞いてぬえが露骨に嫌そうな顔をしておったのはなかなか愉快じゃった。あれは平安の昔には随分人間とやりあったようじゃしな。とにかく臣寮は唯一公的に徴税権を認められとるし、実質的には政府そのものと思ってよい。公共事業に熱心な連中が1年かけて作ったのがこのアオガエル鉄道である。

 10分ほども走ったころじゃろうか。
 ふと見ると、出入り口のところで立ち往生している女がおった。車掌に運賃を渡して―――乗務員は車掌と御者の2人―――ほんの少しスピードを緩めた列車から飛び降りようと、身構えておるが一向に飛び出す気配が無い。大した目的地があるでなし、はあと一つため息をつき、儂も車掌に運賃を渡す。
 女は、歳のころ14~5といったところか。風呂敷を背負っているが、服の仕立ては良く、どこぞの大店の娘といった風体である。馬車鉄道には乗りなれていない様子。

 「ちょいと失礼」

 「ふわあ!」

 という驚きの声も無視。彼女を抱き抱え飛び降りる。ととっとと、とスピードを緩め、抱えた娘を下ろしてやる。娘は振り返ると驚きが収まらないといった表情のまま

 「あ、ありがとう」

 と言った。すぐに礼が出てくるとは教育の行き届いた娘じゃ。

 「アオガエルは初めてかい、お嬢さん」

 儂の発言に僅かな揶揄を感じ取ったか

 「なっ、違います!いつもならお供が手を取ってくれるのに…」

 と憤慨した様子である。なかなか強気なお嬢さんじゃ。こういう娘ほど押し切ると弱いもので…とと、いかんいかん。

 「今日はお供はどうしたんじゃ。家人に言えぬ秘密の相手にでも会いに行くところか?」

 まあ男のところじゃろう、とあたりをつける。お供もつけずにで歩くにしては、その身なりは良すぎたのである。
 結婚に対する意識は家によっては相当に開きがあるが、伝統と格式ある名家と、野心尽きぬ大商人の家ほどその自由度は低くなる。前者は血によって、後者は金によって。

 娘は唇を噛んで俯いた。図星か、少なくとも歓迎はされておらん相手じゃな。そして空腹の儂の腹を刺激する香りがほんの僅か、人間では気付かぬ程度に風呂敷から流れてくる。ほうほう。なるほどの。

 「それでは儂はもう行くが…」

 そういって懐から1枚の名刺を出す。

 「そいつをお嬢さんの想い人に渡してやってくれ。一旗あげる気になったら力を貸すというてな」

                            ふたついわ あさみ
 [ ツーロックファイナンス(株) 代表取締役  二ッ岩 麻美 ]

 
 「ま、嘆くだけでは幸せはやってこん。世の中は、まあ、金じゃ」










 首をかしげて歩み去る娘を見送る町角。
 降りた場所が職人町で、食うに困るとなれば恐らく相手は若い職人見習いじゃろう。店と取引のある工房の下働きが、使い走りに屋敷へ出入りして、娘と出会い…あとは流れじゃな。職人見習いというのは、殆ど親方の家に下宿して生活する。毎日3食飯も出るが、育ち盛りの若いモンには足りぬことも多かろう。一軒の工房に多ければ10人以上の見習いがおることも珍しくない。何時も腹をすかしておる彼らに、外を飲み歩く金のあろうはずもなく。箱入り娘の慣れぬ手作り弁当にも、しっぽを振ってむさぼりつく野良犬は、まあ可愛かろう。何時か関係が明るみに出て、互いに小さな火傷、人生の勉強に少々高くついた授業料となるのが関の山じゃろうが、乗り越えて添い遂げるもまた一興。それを為すのは愛と天運と、懐具合じゃ。

 思わぬ場所で降りてしまったもんで、飯屋を探すのに難儀する。このあたりは普段あんまり足を運ばんからのう。ま、らっきーじゃと思うておこう。機会を与えてくれた娘にひとかけの感謝を覚えつつ、路地を見て歩く。これまでは生活苦の個人消費者か、規模拡大を狙う中堅商人ばかりを相手に商売してきたが、一発逆転を狙う貧乏職人もいいかもしれん。
 儂の金貸しは半分趣味じゃから、採算はあまり考えておらん。里では古くから続く銭屋一家という金貸しが幅を利かせておるので、本格的に取り組むにはまだ備えがいる。気に食わんことに連中は頭取の銭屋銀次郎をはじめ一門殆どがみな妖狐。バックに八雲がついとるという信憑性の高い噂付きじゃ。相手するのはまだ早い。

 儂が金貸しをやっておるのは、七転八倒あがきながら、幸せになろうとする債務者の輝きを見るためじゃ。結果的に貸した相手が幸せになるかどうかには、実はあんまり興味が無い。満たされたものより満たされぬものが魅力的に映るのはどうしてじゃろうな。過程に興味があるだけで、上手くいったあと、完済者となった客に礼を言われても、もう興味はない。無論、礼はありがたく受け取るが。良かったのうとは言いながら、心は既に次へと移っておる。夢破れて地に沈む連中もなかなか好みじゃが、再起を図る気力が切れておれば、これもまた興味は薄れる。後は金貸しを続けるために、淡々と資金を回収するだけのこと。
 無一文の人間でも、完全に破滅させると約2千万円ほど回収できる。適当な買い手がつけば億になることもあるし、1千万に届かない奴もおるが、儂の経験から言って、大体2千万絞りとれる。幻想郷に来てからはまだ日が浅く、その辺のルートがまだ構築できておらんが、此方でも同じくらいは回収できるじゃろうと思う。

 …いかんな。風体や身形を見て咄嗟に金額に換算する癖はもう抜けんじゃろうと思う。貸本屋の娘なんか、随分儂のことを慕ってくれているようじゃが、楽しげに話しかけておる相手の脳内で、自分がどんな有様になっているか、知らぬが花じゃろう。無垢な少女の頭を撫でながら、この娘が輝き、弾け、泡と消えるとき、いくらの金を吐きだすじゃろうと考えておる儂は、やはり妖怪に相違ない。
 ふむ、自嘲のつもりの想像じゃったのに、むしろ興奮を覚えるとは、なかなか業が深いな。


 さておき、職人町を10分そこそこ散策すると、うらぶれた通りにうらぶれた暖簾を出している飯屋を見つけた。元は鮮やかな茜色だったであろう暖簾は、もう何回洗濯しても焼け石に水といったふうに黒ずんでいる。近づいて目を凝らすと、長崎屋と読め、どうやらそれが店名らしいと知る。しかしこの店にはオーラがあった。いや魔術的な意味合いでなく、あくまでも雰囲気のはなしじゃ。
 この手の汚い店には2種類ある。本当にまずくてさびれているだけの店と、提供する料理の味以外に全く興味のない職人派の店主が営んでいる店じゃ。この地域は里の内部で働いている人間も多く―――働き盛りの男の多くは日の出から昼過ぎまで里の外で農作業じゃ―――少々味に難があっても客が減らない立地じゃが、その割には汚すぎるように思う。もう少し気を使える程度に経営は安定しておるはずじゃ。逆にそんな気も回らないほど流行らない店なら、暖簾が“こう”なるまで続いておらんじゃろう。つまり、…あたりの可能性大、じゃ。
 儂は若い衆―――命蓮寺だけでなく、世話しておる九十九神連中や、普段金貸し業を任せておる狸たち―――を連れて飯や酒を奢るのが趣味じゃ。連れていくからには美味い店であることは第一条件じゃが、次いで大事なのが穴場感である。誰もが知っている名店に連れていくのも忠誠や評判を高めるのに都合がいいが、ただの金持ちに見えるという弊害もある。特に儂なんかはこの幻想郷では新参者じゃから、そのあたりには気を使っておる。

 里の外食事情は昨今激化しておるようで、リサーチもなかなか大変じゃ。もともと酒飲みの多い土地じゃから、飲み屋の数は多かったが、外来人が目抜き通りの一番街に開いた洋食屋、リストランテ・サイゼリヤ―――元ネタ通りドリアが美味い―――の人気が火付け役となり、いろんな料理を提供する新規店が乱立、さながら戦国時代状態じゃ。


 油を吸ったか、見た目以上に重い暖簾をくぐり、引き戸を開けて店内へ入る。なんか外におったころ、こういうバラエティ番組を見た覚えがあるのう。きたなうまい店とかいって。
 ランチにはやや早いせいか、店内に客はおらんかった。

 「店主、まだ開いとらんじゃったか?」

 営業時間前かとも疑ったが、40前半の作務衣の男が奥から出てきて

 「いらっしゃい、もうやっております」

 と言った。
 案内されて席に座る。下ろしたてを掛けておくにはやや不安のある、ぐらぐらした木製の外套掛けにトンビとハットをかけると、ようやく落ち着いた。

 「とりあえず熱めの燗をくれ。飯は何かお勧めはあるか?」

 「日替わり定食を頼まれるお客さんが多ございます」

 「ではそいつをもらおう」

 来店一回目では奇をてらわず、店一番の料理を頼むのが良いというのが儂の持論である。

 「熱燗は『山清水』と『あきのしずく』がございます。あと昨日偶然手に入れた『あさねがらす』という地底産の泡盛もございますがいかがいたしましょう」

 なんと

 「熱燗はやめじゃ。そのあさねがらすをお湯割りでもらおう」

 「かしこまりました」

 こいつは運が良い。地底には鬼が多く住んでいるからか、いい酒が多いと一輪から聞いて、長らく飲んでみたいと思うとったところじゃ。例の間欠泉デタント以前から一部闇ルートで出回っておったとも聞いたが、今でも地底の酒は希少じゃ。
 暫く経つと店主が小さな甕と鉄瓶、陶製のグラスを持ってきた。グラスは何というか、風情があるという表現のカバーする範囲を半歩踏み出した古さで、鉄瓶も、下手したらそのへんの妖怪より年季が入っていそうな有様である。じゃがまあ今はおいておこう。
 甕には紙の封がされていて、そこに書かれた年代を見てギョッとする。記載が正しければ、この泡盛は60年熟成されておる。古酒(クース)にしても大名品ではなかろうか。幻想郷の時間感覚は妖怪のせいで狂ってはいるが、それにしても十分な長さじゃろう。思わず懐の財布を確認しそうになる。いつもそれなりの大金を持ち歩いておるから、足りないなんてことは万に一つもあり得ないが、まあそのぐらい値が張っていいような酒じゃろう。紙には遊女らしき絵が添えられていて、つまり酒名の由来は「三千世界のカラスを殺し、主と朝寝がしてみたい」という有名な都都逸らしい。
 作者とされる高杉晋作とは、彼が東洋一狂生を名乗っておる頃に一度だけ会うたことがあったが、才気煥発という言葉に服を着せたような利発な男じゃった。件の都都逸は夜=妖怪の時間、が続いて欲しい、という解釈をくわえられて妖怪の宴席でも人気がある。それにあやかって酒の名前にしたのじゃろう。

 店主が裏に戻ったのを確認してから、鉄瓶に指を突っ込んで湯の温度を確かめる。この方法が一番確実じゃ。寒さを加味してかやや熱めじゃったので、少し待ってからグラスに注ぐ。暖まりたくもあるが、それ以上にこんないい酒はベストの楽しみ方をしたい。甕の封を切る。それだけで独特の芳香が店内に広がった。ああ、これはいい酒じゃ。グラスに注いで一度だけ弱く振る。
 ひと口、舐めるように飲むと、ジブリのアニメーションのように―――外におるときはよく見たものじゃ―――、全身の毛がぶわぁっと逆立つような感覚を覚えた。強すぎないがハッキリとした甘み、一瞬舌をさすように刺激があり、かと思えば次の瞬間には蜂蜜のようなまろやかさを感じる。それと同時に脳に直接霧吹きで吹きかけられたのかと錯覚するほど、芳醇な香りが五感を包む。ひと口に時代を感じるような深みが…ええい、これ以上語っても安っぽくしかならんな。こういうときは

 「ぅうまいッ!」

 この一言でよい。
 もうなんか今日はここで終わってもいいな。もう良い一日じゃったって締めてよくない?終っとこ?あと儂一人で飲んでるから。




 
 そうもいかんかのう。
 そうしてしばらくやっておると、店の奥からはじぶじぶと油で何かを揚げる音が聞こえてくる。このぐらいのタイミングで空腹がピークになると、コンディションとしては完璧で、今がそうじゃ。空腹というのはある一定を超えると逆に味がどうでもよくなってしまうようなところがあって、匙加減が難しい。料理の出来と同じくらい、食す側の状態も味に影響するものじゃ。既に空腹の状態でありながら、鰻を食いに行ったりするのは、だから間違いであって、そういう場合に限れば、すぐに食せる十人並みの料理が、待たされる高級料理に勝ることもある。

 揚げ物と言えば、最近は外でアジが減って高くなっておるそうじゃが、幻想郷ではアジフライが流行りつつある。この辺が幻想郷の難しいところで、そのシステムを儂も完璧には把握できておらん。八雲と錬金術師組合が運営する渉外購買部の領域じゃ。
 儂は幻想郷に来て新たにツーロックファイナンスを立ち上げるにあたって、錬金術師組合には話を通した。その辺蔑ろにするとあとあと面倒じゃしな。元手にする金塊をそうとう持ち込んだんじゃが、正直そのまま市場に流すと、ごく軽微ながらインフレを起こしかねなかったため、その辺管轄する組合に換金を依頼したかったのもある。邪険な対応も予想しておったが、現実には魔法使い教会会長も兼任する組合長のヨハン・ファウストが直々に出てきて驚かされた。あれはあまり里にも出てこんから伝えづらいが、まあ八雲紫や天魔に比肩する程度には大物じゃ。

 実は幻想郷の外にも怪異の類はまだまだおる。しかしコミュニティを保てておるような種族は少数で、まあ魔法使いと錬金術師ぐらいのものじゃった。錬金術師組合―――以下錬組(れんそ)と呼ぶ―――が八雲と並び渉外購買部、渉外販売部を運営できておるのは、この外のコミュニティと繋がっておるからじゃ。渉外販売部は外部錬組のネットワークを通じて、幻想郷の物資、主に農産物を外界で売りさばき、発生した利益を元に渉外購買部が、外界の物資を買い込んで里や妖怪の山に卸売する、半閉鎖空間の幻想郷経済はこうやって僅かに外部と繋がっておる。里の食卓に朝、メザシが並ぶのは渉外部のおかげ、というわけじゃ。
 その際どうしてか外で供給不足になったものが多く輸入されることがある。明らかに辻褄が合わんことじゃが、結界が悪さしておるという話じゃ。外の新聞―――渉外部につてがあれば幻想郷でも購入できる。超高額じゃ―――によれば日本周辺でマアシの漁獲高がかなり落ちとるということじゃから、最近のアジフライブームもその辺が関連しとるんじゃろう。
 フライと言えば海老フライも悪くない。東南アジア産のブラックタイガーは幻想郷にも輸入されておる。渉外部は嘘か誠か、丸紅やJA全農とも取引があるというから、驚くには値せんのかもしれんが。





 更に待つこと数分、店主が盆を持って現れた。こちらに来るまでのわずかな間にも香ばしいいい匂いが炸裂しておる。もう辛抱たまらん。

 「お待たせいたしました」

 目の前に出されたのはどうやら定食で、白飯に味噌汁、ほうれん草の御浸しに、メインの揚げ物がデンと乗っている。なかなかのボリュームだ。そして店主がメニューを告げる。




 「ファウルフライ定食でございます」




 「………なんじゃと?」

 ファウルフライ…?ファウルフライって言うと、あの、ファウルフライか?

 「ファウルフライ定食でございます」

 「聞こえんかったわけではない」

 改めてメインの揚げ物をよく見てみる。
 こぶし大の、球体の揚げ物。
 …球体?

 「これは、なんじゃ?」

 揚げ物を指差して改めて問う。

 「ファウルのフライでございます」

 店主はそういうと、裏に戻っていった。
 あんまり自然に言うものじゃから、呼び止め損ねてしもうた。

 「これがファウルのフライ…。初めて食うのう」

 口に出して言ってみたが、違和感が酷い。

 じゃって、じゃってアレじゃろ?
 ファウルフライって言ったら、のう?あれじゃよのう?
 野球の、…あれじゃろ?

 「うむむ」

 里の飯屋じゃから、人間が食えんものを出すはずが無いし、ここは食べてみるしか無かろう。とはいえ、皿に鎮座する球体が、ちょうど野球の硬式球ぐらいのサイズなのが気になって仕方が無い。違うよな、ファウルラインを割った飛球を拾ってきて揚げたわけじゃないよな。
 いつまでも唸っていても仕方ない、これがなにかのフライである以上は揚げたてを食すべきじゃ。これは曲げられない。
 箸を使ってえいやとファウル―――でいいんじゃよな?―――を持ち上げようと試みるが、サイズもあってか重い。グラグラしてしまう。少々行儀が悪いがここは、

 ザクッ

 っと箸がファウル、まあ、うん、推定ファウルに突き刺さる。よかった、突き刺さるということは少なくともこれはボールではない。まあ当たり前なんじゃが。なんじゃボールではないって、定食に対する感想ではないぞ…。
 重い云々の前にそれが確かめたかったというのもあって突き刺したわけだが、こうすれば後は齧りつくだけじゃ。そんなに気になるなら二つに割って中を見ればいいじゃないかという向きもあるかも知れんが、それは儂的にはなんか違うのじゃ。それは負けじゃと思う。ファウルに負けたような気がする。
 まあファウルに負けるというのも相当意味不明な言い回しじゃけども。

 口元に運ぶと、綺麗な球体ゆえに何処から食うていいのか迷うが、逆に言えば何処から食っても同じということ。覚悟を決めて齧り付く。


 ザク、ジュワ

 外殻はフライだけあって香ばしいが、中身は想像よりずっと柔らかく、噛んだ瞬間熱い液体が、染み出した。たぶん儂が妖怪じゃなかったら火傷しとるぞコレ。汁が出るとは思いもよらず、思わずこぼしそうになって下品に啜る。口の中に出汁の味がなだれ込む。啜ったことによって霧状になった出汁は鼻腔にも満ち、魚の旨みを丁寧に凝縮したような、品のいい香りがあふれた。

 「んん?」

 全く想像だにしていなかった方向からの攻撃に思わず声が漏れる。
 咀嚼、咀嚼。
 …咀嚼。

 ゴクリと喉が鳴って、

 「…うまい」

 と賞賛がこぼれた。
 これは何じゃろうという疑問への答えより優先されて、その感想が割り込んできたのである。口に残る後味も含め、想像をめぐらす。

 「がんもどき?」

 にしては歯ごたえがあったし、それに魚の香り。

 どうやらファウルは、魚のすり身と豆腐、そして何らかのつなぎ―――恐らくは山芋―――を昆布で取っただし汁で伸ばし、球状に成形したもののようだ。魚は奇しくも先ほど思案していたマアジらしい。つみれとがんもどきの相の子のようなもんじゃろう。
 もう一口、今度は熱い汁に気をつけて齧りつく。

 ザク、ザク、ジュワ

 「うむ」

 やっぱり美味い。
 歯ごたえを意識してか、キクラゲや刻んだ筍が入っている。それから生姜。魚の臭み消しを意図したものだろうが、味のいいアクセントとなっている。

 咀嚼、咀嚼。

 美味いぞ?美味いぞファウル、やるじゃないか。
 フライの割にソースも醤油もついてこなかったから、卓上の醤油を掛けようか掛けまいか迷っておったが、必要なかったのう。だし汁の味で十分じゃ。何より衣にも味がしっかりついておる。卵ではなく、こちらも下地は山芋じゃろう。淡白な方向性を邪魔せず、そのうえで滋味を与えるよい仕事ぶりじゃ。

 ファウルへの警戒心も解け、ようやく食事に楽しみが戻ってくる。
 そう言えばあさねがらすのお湯割りもほったらかしじゃった。

 ちびりと飲む。

 「くぅぅー」

 これはイカン。最強じゃ。お湯割りとファウル、最強。
 ほうれん草の御浸しも、よく見ると茗荷がのっておったり、オクラが入っていたりで面白そうじゃ。これもちょっと下品じゃが、持ち上げた小鉢から直接、ずずっと掻きこむ。オクラの粘り気で、ほうれん草、刻んだ茗荷が口になだれ込む。

 「おっ」

 茗荷はキーアイテムじゃな。RPGなら捨てたり売ったりできない奴じゃ。これはいい。ファウルとかぶらないようにか、此方は椎茸を中心にした出汁で構成されておる。椎茸と茗荷のコンボは開幕10割平気で飛ばしてくる。美味い。

 ちびりとお湯割り。

 「くぅぁあー」

 最強。




 味噌汁はなめこの入った赤出汁で、これもワンパンKO級。まっさらな白米とファウルでローテーションを組み、お湯割り、赤出汁でリセットからの御浸しリスタート。完全に術中にはまっておるが、後悔は無い。誰を連れてきてやろうかなどという食前の考えは既になく、ここは暫くは儂一人の穴場としておこう。






 「ごっそうさん!」

 と声をかけると、裏手からへーいという店主の声がする。トンビを羽織り、ハットをかぶる。財布を出しながら、ふと忘れていたことを思い出した。

 「お待たせいたしました」

 店主の示した金額は、通常大衆食堂で昼食に払う金額を大幅に超えておったが、古酒のことを考えれば、むしろ破格の安値であった。

 「あさねがらすはこの値段で採算が取れるのか?」

 と、ついつい差し出がましいことを言ってしまうのも無理からぬことと思ってくれ。

 「売りに出てるのを見て、つい慌てて買っちまったんですがね、これこの通り。この辺には貧乏ヒマなしの職人ばかりでございますから、高い酒なぞいつまで経ったって売れっこない。失礼ながらお客さんのように身なりが良くって味の分かる方が来た時に出しとかねえと、採算がとれませんもんで」

 「ははは、なるほどの」

 なかなか口も上手い。それよりも、だ。

 「ところで店主、何であのがんもどきもどきがファウルなんじゃ?」

 これを聞かずに帰ってしまうと、気になって夜も眠れず昼寝する羽目になる。
 ファウルフライとはなんなんじゃ。にんじゃにんじゃ。

 「あれは普段はボールフライという名前でお出ししておりますもので」

 「なんじゃ、ストライクゾーンに入らんかったか」

 「ああいえ、ボールの形のフライなもんで、ボールフライと」

 なるほど、ボールフライならばまあ、あり得る名前じゃ。料理としてあっておかしくない。

 「ではなぜ今日に限ってファウルのフライと言ってだしたんじゃ」

 「ああ、あれは…」

 

 そして語られた真相は…

 「具材にキクラゲを入れてるんですが、お恥ずかしい話、成形するときにはみ出しちまったもんで」




 ………。
 ……。
 …。

 つまりはみ出し(ファウルし)たわけじゃ。

 言われてみれば箸を突き刺した裏側あたりに、なんかちらっと出とったけども。
 出とったけどもじゃ。


 真面目に悩んだ儂がバカじゃった。

 「失敗作を客に出すんがそもそもファウル(反則)じゃろうが!バカタレ!」

 そのファウルは野球じゃなくてサッカーじゃ。


 「次来るときには、ホームランか、せめて犠牲フライぐらいにしとけよ、よいな?」

 「へえ。またのお越しを、お待ちしております」

また来たくなった時点で儂の負けじゃったな。










妖怪道中一六奇譚~飯屋に打ち上がるフライの怪~
              
                                       完
同一作品集内に3作揚げるのは…じゃなかった、上げるのはこれが初!

十二度めまして図書屋he-sukeでござい。
短編とは何だったのか、相も変わらずグダグダと垂れ流しておりますがいかがお過ごしですか。
私はお酒も大好きで、料理も大好きです。
しかしながら和食は食べる専門。
似たものは食べたことがありますが、ファウルのフライは架空の食べ物です。

泡盛は友人といつも飲む沖縄料理屋で惚れこみました。
いろいろ種類もありますから、お酒が飲める読者諸兄は、一度お試しあそばせ。

※2/15 16:45 
本SSは私のリサーチ不足のため、既存の児童文学作品とタイトルがかぶっておりました。
本作はあかね書房様の妖怪道中膝栗毛シリーズとは何の関係もなく、パロディでもオマージュでもございません。
タイトルからそのような作品を期待してクリックされる方がいないよう、投降後ではありますがタイトルを変更させていただきました。
ご了承ください。

回答を要する問い合わせはツイッタで受け付けております https://twitter.com/toshoya731
図書屋he-suke
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コメント



0.990簡易評価
1.80奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
2.50名前が無い程度の能力削除
独自設定である幻想郷の社会構造について筆を割き過ぎてる気がする
3.80名前が青い程度の能力削除
マミゾウさんの気ままな暮らしぶりが面白かったです。飯屋に入ってからの部分がお気に入りですね。ジブリのアニメの用にっていう表現がなんだかマミゾウさんのキャラにぴったりでイメージしやすくて好き。ただ、もう少し設定の描写は梳いた方が纏りがあって良かったかも?
4.100名前が無い程度の能力削除
くそっ、こんな時間に読むんじゃなかった。
5.100名前が無い程度の能力削除
あー面白かった
6.100名前が無い程度の能力削除
飯テロ!こんな時間に腹が空いちまったじゃないか!
7.100アーム削除
面白かった
だがメシテロ許すまじ
8.100泡盛を愛飲する程度の能力削除
いいですねぇこの世界観。私は好きです
うちの町にも昔は馬車鉄が通ってたそうで今でも博物館に当時の馬車鉄の客車が展示されてるのですが
頭の中でその展示品が走ってるとこをイメージしながら読ませてもらいました。
あと泡盛。美味しいですよねぇ。

>もうなんか今日はここで終わってもいいな。もう良い一日じゃったって締めてよくない?終っとこ?あと儂一人で飲んでるから。

酒飲みならマミゾウさんのこの台詞に共感しない奴はいないでしょうなw
件のファウルフライはちょっと自作してみたくなりました。
ええ、もちろん酒の肴に。
10.100名前が無い程度の能力削除
背景に奥行きがあって好き
11.100名前が無い程度の能力削除
面白かった
13.90絶望を司る程度の能力削除
名前の由来がw
14.100名前が無い程度の能力削除
魔法使い教会

馬車鉄道でPPP!地底で間欠泉デタント!丸紅!この、忘れ去られた昔の要素に現代フレーバーを加える感じが、東方らしくって良かったです。
…「あきのしずく」、製作者がわかるような気がします。さりげなく登場させる感じがナイス。
16.100名前が無い程度の能力削除
ああ、夜中に読むんじゃなかった
22.100名前を忘れた程度の能力削除
ちくしょう、いいメシテロだった!

個人的には、むしろ下手に名前変えるよりそのままファウルフライでいくべきだろう、と思う
>作中の料理
23.100名前が無い程度の能力削除
いい飯テロだったw
27.90名前が無い程度の能力削除
すごいなぁ。
完全に一つの幻想郷を作り出している。
一時創作と二時創作のあいだみたいな感じでしょうか。
堪能させていただきました。
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はらがへった…
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ファウルフライってそういうことかよ!と思わず突っ込みたくなりました
でもファウルもボールも両方食べてみたいですねぇ
マミゾウさんの食事を演出する世界観も素晴らしかったです
31.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい!
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いいね
43.90名前が無い程度の能力削除
ファウルフライ食べたい