ぬえが、怒っておる。
これ以上ないくらいに、怒っておる。
「ぬえや、おはよう」
さきほど、廊下で擦れ違ったのじゃがな。
儂が笑顔で朝の挨拶をしたというのに、
「……」
無言で。
頬ぷくぅ~で。
細目でむすっときたもんじゃ。
最後には、ぷいっと。儂の方すら見ずに朝食の場へと行く始末。
挨拶を返さぬのは無礼じゃぞ。
などと説教する余裕すらなかったのじゃて。
食事の際も一切無言でな。
儂の横で座って食べるのが普通なのじゃが……
「ナズーリン、醤油とって」
「え? あ、いや……、しかしだね」
「ナズーリン」
「ああ、わかったよ」
あきらかに儂の方が近いというのに、あえてその次に近い相手にお願いする始末。
ナズーリンも儂に対し気まずそうに目配せしてくる。
何かあったのか? とな。
ナズーリンは最近別なところで寝泊まりしておるから、寺で騒動が起きていないか不安だったんじゃろうな。
儂は片目だけ閉じて、問題ない。と、首を振るだけで答えたが。
ぬえが元気がないと寺の雰囲気も悪くなってしまうのも確かじゃ。
このままでは不味いというわけで、儂は朝食後に部屋へ戻り、一人作戦会議じゃよ。
「……はてさて、どうしたものかいな」
事件のきっかけとなった、一冊の本をコタツの上に置きながら。
あれは、儂がここに居候になってすぐの頃。
手持ち無沙汰で、毎日退屈して過ごしておったときのことじゃ。
「のぅのぅ、ぬえや。何か時間をつぶせる本か何かはないかいの?」
もうすぐ梅雨という時期じゃったから、この客間にもコタツはなく。
座布団の上で横になり、欠伸をする毎日。
これではいかんと、ぬえに求めてみたわけじゃが。
「そうだね、こいしちゃんからこんな本貰ったんだ。それなりに面白かったからマミゾウも読んでみれば?」
それなり、とか言いながらじゃ。
ぬえが妙な期待の眼差しで儂を見下ろし、ずいっずいっと本を押しつけてくるところを見ると。
こいしというのが誰かはよく知らぬが、かなりお気に入りの一品には間違いなかろう。
儂が問いかけてすぐ出てきたと言うことは、持ち歩いておったは明らか。
いやしかし、こんな文庫サイズのを持ち歩くとかどれほど好きなのかと。
「おうおう、ならば読んでみるとするかいのぅ。終わったら感想もしっかり伝えてやるわい」
まあ、そういう趣味を共有できる仲間もおらなんだのだろうし。
儂は二つ返事で本を預かった。
仕事の合間にでも少しずつ、読んでいこうと。
そう決意したんじゃ。
うん、決意したんじゃよ?
誰も、読まぬとは言うておらんのじゃよ?
しかし、な……
ぬえが部屋から出て行った後でな、うつ伏せになり。
上半身だけ起こしつつ、おもむろにページを開いて、
「どーれ、ど――」
ぱたんっと。
儂は閉じた。
躊躇うことなく、表紙を閉じた。
いやしかし、うむ、しかしじゃ。
もしかしたら今のは見間違いかもしれんからのぅ。
ほれ、こうやって気をつけて、ゆっくり捲ってやればじゃ。
ぱたん。
うむ、一緒じゃ。
さっきと同じ物体に間違いなし。
ぱたん。
仰向けにして開いても、
ぱたん。
眼鏡を外してから覗いてみても。
ぱたん。
尻尾で、おそるおそる開いてみても……
ぬえや?
どうして1枚目から、裸のオナゴが2人ほど絡んでおるのかのぅ?
うむ、知っておるよ?
外界では小説にも挿絵を多く用いるのはよくあったからのぅ。
それくらい儂にもわかる。
しかし、しかしじゃ。
これは他人に勧めてはいかん形式の本ではなかろうか?
ぬふふ、とか言いながら、布団の中で一人楽しむような本ではないか?
裏表紙に、全年齢と書かれておるのは何かの罠か?
確かに、大事なところは髪やそれっぽいので隠れておったりはするが、じゃよ?
「……良いのかコレは?」
あーるじゅーごしてぇ、とかそういうのではないか?
下手すると飛び越えておるのではないか?
虚瞑璽satori(著者)、一体何者何じゃ……
しかも、ぬえや寺にこのような不潔なものを持ち込むなどと、
この絵からして同性愛とかそういうもののはずで、
ん?
いや、同性だから寺でも良いのか?
なーんじゃ、儂のうっかりさん♪
「って、いいわけあるかぁっ!」
いかん、いかんぞ!
儂がおらなんだ間に、ぬえがおかしな友達を作って。その友達と一緒に進んではいけない道にぱいるだぁ~おぉ~んじゃ。
コレは不味い。
しかも、儂。
さっき大変なことを口走ったような……
と、本を正面に置きながら、記憶を辿っておったら
す~~~、ぱんっと。
いきなり入り口のふすまが勢い良く開いたと思ったらじゃな。
ぬえがまたやってきて。
儂と、開かれた本を満足そうに眺め。
「感想、楽しみに待ってるからね♪」
「お……おぅ……」
死刑宣告を残して、去っていったのじゃ。
それから、まあ。
なんとか会話をはぐらかし、はぐらかし。
読書の秋という危険なきぃわぁどもぬえの前で回避。
そしてやっと、ぬえがすべてを忘れかけた冬が訪れた頃じゃったよ。
悪魔が蘇ったのは……
「マミゾウ! アレの二巻が出たよ!!」
「二巻っ!?」
いやいやいや、あれ、続くような代物じゃないじゃろ?
明らかに読み切りじゃろ?
まだ読んでないけど絶対にそう。
その前に、あんまりにも絵が濃厚過ぎて儂の精神をだぃれくとあたっくしてくるんじゃが。
「ほらー、読み終わったら貸してあげるから~。一巻の感想聞かせてよ~」
「……え、えっと、じゃな」
しかし、期待に目を輝かせるぬえの心をどう裏切れようか。
読んでないなどと正直に語れるはずもない。
虚瞑璽satori(著者『作画含む』)、恐ろしい子……
「そうじゃなぁ、面白かったぞ」
「あ、やっぱり! マミゾウもそう思う? 主人公がほら、昔の女からプレゼントを贈られるシーンとか凄かったよね!」
「お、おうよ」
主人公?
あの表紙捲った先のどっちかか?
しかも、昔の女とか対象年齢いくつなんじゃあの本は。
「でね、マミゾウ。ちゃーんと何貰ったか覚えてるよね?」
く、しもた。
面白いと単純に伝えたせいで、面白かった部分の議論が始まってしもうた。しかし、そういう場合は、じゃ。
こうな、随分前に読んだから記憶がないとか言いながらじゃな、自信なく答えればいいんじゃよ。
「……あれじゃろ、思い出の品とかそういうやつ」
当たり範囲を大きく拡げて、ぬえの方から答えを言わせる。
それが儂の奥義で、
「違うよ?」
「え?」
うん、無理じゃった。
あっさり破られてしもうたよ、奥義。
いや、しかし……
昔の恋人が、橋の上。
という場面から推測するに、
① 復縁を求める。
② 私のことは忘れて新しい恋を。
③ あなたを殺して私も死ぬっ!
とりあえず、③の選択肢以外で女が出すモノといったら楽しい思い出の品くらいしか……
「『カイワレ大根』だよ」
「何があったっ!?」
くそう、何じゃ。どういうことじゃ。
どうなったらカイワレ大根がきぃあいてむになるというんじゃ。
ん?
あ、そうか、はは~ん。そういうことじゃな?
「いやいや、ぬえや? カイワレなどとは、おかしな冗談を。
カイワレだなんて、なめとんかいわれぇ~っと」
あれじゃな?
これは、突っ込みを所望じゃな? そうであろう?
ほれ、やっぱり正解じゃ。
ぬえの肩が笑いでわなわなと震え始めて、
「カイワレさん馬鹿にする気っ! じゃあもうマミゾウなんか死んじゃえ! カイワレさんはね! カイワレさんはっ!! 一時期の地底で大切な栄養源だったんだよ! 光の届かない地底で、それでも僅かな光量で育ってくれる。そんなカイワレさん。 それを、それを相手に差し出すってことはっ! 命を差し出しても良いってことなんだよっ! なんでそんな大事なことわかんないかなっ!! 地底での生活を経験した人なら、もう、涙なしには語れない場面だよ!」
……怒られた。
もう、すっごい剣幕で怒られた。
ぬえの背中に一瞬鬼が見えた気がしたのじゃよ。
こたつ越しに前のめりになったぬえから身を引き、儂は怯えることしかできなんだ。
うん、世界初じゃろこれ。
カイワレ大根でマジ切れされる狸妖怪って。
「マミゾウ! 正直に言って! まだ読んでないんでしょ!」
「……」
「読んでないんでしょ!」
「はい、すみません……」
「じゃあ、来月までに絶対一巻を読み終えること! いいね! わかったっ!」
それで儂は、ぬえの威圧感に押されるまま。
何度も首を縦に振ったというわけじゃ。
で、そんな、嫌な事件があったのは……確か11月1日、
それで今日が28日。
猶予はあと3日。今日を抜くと2日
それであの朝食時の機嫌の悪さなのだから、これ以上遅らせるとどうなることか。
「しかし、ここまでとは……」
加えて、ぬえはいたずら好きじゃからな。
一週間ほど前から儂に困った化かしを繰り返してくる。
まあ、それが、なんというかな。
このコタツの上に置いてある煎餅なのじゃがな?
ほれ、この深い茶色の物体。
普通だとあれじゃ、香ばしい醤油の香りが漂う、甘辛の逸品なのじゃが。
こう、ばりっと。
口に入れた瞬間な?
「さらだ味じゃこれ……」
予想以上にあっさりとした味に、うへぇっとなる。
くそう、ただ塩が掛かっただけでさらだ、などとっ!
美味しいが、美味しいが……
焼き醤油味と思って食べたときのこの落胆感が半端ないのじゃよ。
「ほれ、さっさと主人の元に戻るが良いわ」
とりあえず、煎餅入れの盆の裏側に隠れて追った正体不明の種を追い払えば解決するのであるが、毎日このような小さな悪戯が続くようでは、儂も精神的にきつい。
まあ、その原因が儂じゃからな。
読んだと嘘をついて感想を言うのが不味かったのではあろうが。
さらにまた一ヶ月読まなかったという事実を残すと、ぬえの機嫌が修復不可能領域に突入しかねん。
悪戯が煎餅だけで済むかも怪しいところじゃ。
それゆえ、儂も少しずつ読もうとはおもっておったのじゃが。
まあ、居候として良い意味で友好を図ったせいか。
「年末に向けた準備が忙しくなり始める頃なので、マミゾウさんも家事等ご協力をお願い致します」
などと、聖殿から言われてはどうしようもない。
タダで住まわせて貰っておる身の上で、ぬえのことを優先したいから嫌、などとは言えるはずもない。
おかげさまで、朝から晩まで寺仕事。
「年末の会計も重なったからのぅ……」
そして、空いた時間に年末に向けた金貸しの精算準備。
それに片が付いたら読もう、読もうと思っていたわけで、それが結局期日の3日前。
今日明日と、まとまった時間を取れるようにはしたが……
「……短時間で読むと、何か精神をやられそうなきがするんじゃが」
やはり、儂はあの濃ゆい一枚目の挿絵で足踏みしておった。
それでも先に進まねば未来がない。
追いつめられた儂には、この魔の教典に手を出す以外の選択肢はない。
じゃからな、っと。
肩を落としながら息を吐いて、コタツの上のみかんを片づけ。
眼鏡も近視用のものに入れ替え。
万全の臨戦態勢で、本に挑む。
「まあ、考えすぎではあろうが……な?」
いくら挿絵がアレだと言っても。
さすがに1頁目からおかしいと言うことはあるまい。
カイワレの繋がりが佐渡の常識から逸脱してはおるモノの、それと同性愛っぽさを除けばきっとまともな恋愛小説なのであろう。
儂はそう言い聞かせ、色つきの挿絵を乗り越え、とうとう始まりの一文を。
「――宝石のように透きとおる肌の上で流麗な指先が動くたび、白いシーツの上にいくつもの陰影が生まれる。薄絹よりも繊細で滑らかな彼女のふとももの内側――」
ぱたん。
うん、これ、絶対アレじゃろ。
あうとじゃろ?
せぇふに限りなく遠いあぅとじゃろ?
最初の1頁から儂を殺しに掛かってくるとか、難易度るなてぃっくじゃろ?
くそう、くそう……なめとんかいわれぇ……
こうなったら、こうなったらっ!
「……うん、無理じゃ♪」
開始、1頁。
いや、開始1行で儂の決意は無惨にも消滅した。
この入り方とあの挿絵からして、もう、儂には限界じゃった。
あれじゃな。
昔は油ぎとぎとの肉料理が大好物じゃったが、最近はあっさりした白身の方が好み。
うむ、そんな感じじゃ。
こんな恥ずかしい小説をどうしてこんな真っ昼間から読みふけらねばならんのじゃ。
……断っておくが、夜ならいいわけでもないぞ?
「しかし、そうなると……、ぬえの方が問題かのぅ」
ぬえは儂の感想を求めておるわけじゃし。
また中途半端なことを言うても玉砕するだけじゃろうし。
しかし、飛ばし飛ばし読むにしても……、もう考えるだけで儂の頭沸騰しそうじゃし。
なんとかこの恥ずかしさを克服……
「ん?」
恥ずかしさ?
「ふふ、そうじゃ。その手があったわい」
儂は読書用の近視眼鏡を片づけ、ぬえ宛のメモを作成したのじゃった。
「読書会?」
「うむ、読書会じゃ」
儂がメモをぬえの部屋に置いた次の日。
期日まであとわずかと迫った中。
儂は自室である命蓮寺の客間にぬえを招いておった。
「ほれ、少し前に二巻を手に入れたと言うておったじゃろ?」
「うん。最近聖の手伝いばっかで、まだ全部読んでないけど」
「ならば丁度良かった。ほれ、儂も最近寺の仕事が忙しく読書の時間が取れなかったからな。儂が一巻を読み、ぬえが二巻を読む。そういうのを一緒の部屋でやってもよいかと思うてな?」
「……? そういうのって同じ巻とかじゃないと意味ないんじゃない?」
「いやいや、ぬえは儂がちゃんと読んでいるか気になっておった。一緒に読みふければそういった不満も解消できよう。それに、その方がすぐ感想の言い合いもできるぞい」
「まあ、確かに」
うむ、久しぶりにぬえの生声を聞いた気がする。
そんな感慨は置いておくとして、やはりこの本をダシにして、
『明日昼からまとまった時間が取れるから、読書会でもせぬか?』
と、誘ってみたわけじゃ。
その結果は見てのとおり。
ぬえが自ら口を開いてきおった。
ほれ、長期戦用に煎餅も新調したし、読書用の眼鏡もコタツの上。
やる気もしっかりとあぴぃるできたのも大きいかもしれん。
「ああ、そうじゃった。その前に茶を準備するからゆっくりしておるといい」
儂がこたつから出て、廊下に行こうとする中。
こそりっ、と。
気配を消したまま顔だけ振り返れば。
また、こたつの上の煎餅に正体不明の種を仕掛けようと手を伸ばしておった。まあ、その辺は大目に見てやるか。
そうして、数分後。
「ほれ、茶じゃ」
「はいはい」
台所から戻り、ぬえの前に一つ。
そして、儂の前に一つ。
対面に茶を置き、
「さて、それでは読むとするか」
腰を据え、眼鏡を机の上のモノと入れ替えるために手を伸ばしたとき、じゃて。
ごつん、とな。
儂の肘に、湯飲みが当たってのぅ。
「お?」
気付いたときにはもう、遅い。
儂の方に向けて茶が倒れたからな。
なんとか本は無事じゃったのだが、
「あつっ!」
当然、儂は大慌てじゃ。
眼鏡を掴んだ手を急に引っ込めて、こたつを出て立ち上がる。
布巾を持ってこようと、部屋の隅へ素早く移動しようとしたところで、
めきり、
足の裏に違和感じゃ。
なにか、壊れやすいモノを踏んでしまったような音。
それに気付いておそるおそる右脚を上げればな。
「……」
さっき触れた読書用の眼鏡が、ぐにゃりとひん曲がった姿で転がっておったよ。
枠も硝子部分も、もうバラバラでな。
これでは、使い物にならん。
「……すまぬ、ぬえ」
せっかく、せっかく本を読もうと気分を盛り上げたのに。
自ら駄目にしてしまった。
儂は肩を下げながら、布巾を持ってきて無言のままごしごしとコタツの上と布団を拭く。
尻尾もだらしなく、畳の上に転がして。
「マミゾウ」
「あ、ああ、大丈夫じゃ。大丈夫じゃよ、ぬえ。
近視の眼鏡がなくとも、顔を近づければある程度は読めるからのぅ。ほれほれ、ぬえも気にせず、な?」
作り笑いを浮かべて、わざとらしく咳払い。
すると、ぬえは何故かむすっとした顔をしてきおってな。
一度は手に取りかけた二巻を、コタツの上に置いて。
ぽんぽんっと。
「マミゾウ」
「ん?」
ぬえのすぐ横。
一人分ほど空いたコタツ布団のところを、いきなり叩き始める。
わけがわからず儂が首を傾げていると。
「ほら、こっち」
余計に不機嫌そうに、早く来いと儂を急かす。
仕方なく儂がそっちに移動すると。
「……濡れた場所で読むなんて、気持ち悪くて物語に入り込めないでしょ?」
細い目で、ちらりっと。
すぐ横に座った儂を気にしてきおる。
ふむ、と。
儂はそのぬえの言葉に首振りだけで応じ、本を開いた。
しかし字を見るには、目を細めて、本をかなり近づけなければならんわけで、
「ああもう!」
そうやって、文字をよもうとしたら、じゃ。
何故かぬえが、儂の手から本を奪い去っていく。
なんのつもりか。
と、問いかけるよりも早く。
「……言っとくけどね。私、二巻を読む前にもう一度一巻読みたかっただけ」
よくわからぬことを、何故か頬を染めながら言い始めて。
「……そのついでにマミゾウに読み聞かせてあげてもいいかなって。そう思っただけだから」
「ぬえ……」
「ああもう、気持ち悪い声出してないで、ほら、もうちょっと寄りなさいよ。そんな遠くちゃ私の声聞こえないでしょ!」
儂の服を掴んで、引っ張り。
肩がぶつかるほどの距離までくっついてきた。
うむ。
そうじゃな。
「何? 不満?」
「いやいや、こうやって隣で座るのも悪くないと思うてな」
「ふーん、今更私のご機嫌立てようとしても遅いからね?」
「そうか。じゃあこれは儂の独り言にするかの」
儂はこたつと同じくらい暖かいぬえの身体に寄りかかって。
「儂はな、ぬえ。いらぬ意地で昔からの大切な仲間に寂しい思いをさせてしもうた。同じ時代に生きられる今に感謝し、もっとその友人とおる時間を大切にするべきなのに、儂はとんだ愚か者じゃった」
「……」
「のう、ぬえ? こんな儂でも、その友人は許してくれるじゃろうか?」
顔を寄せて、そう尋ねてみると。
ぬえは、ぷいっと。
顔を背けてしもうて……
「……ふん、馬鹿じゃないの」
耳を真っ赤にしながら、応えてくれた。
「友達なら、そんなこと気にしないに決まってるじゃん」
ああ、そうじゃな。
最初からこうして素直に謝っておればよかったんじゃろうな、儂は。
「そうか、なら安心じゃ」
「ほら、読むから。いらないことしゃべらないようにっ!」
「おうおう」
そうして儂は、ぬえの持つ本からちらり、と。視線を外し。
この舞台を作り出してくれたバラバラの眼鏡に、浅く頭を下げたのじゃった。
まあ、本物の眼鏡は儂の懐の中じゃがな?
壊れておるようにみえるのは、煎餅を儂が変化させたものじゃて。
なんのためにやったかなどとは、語るほどでもない。
本当に単純な理屈じゃ。
ほれ、儂がちょっと恥ずかしい台詞を口にしただけで赤くなるぬえが、じゃよ。それっぽい小説を音読するという超々難関に耐えられるはずがないからのぅ。
一人で、ならばその恥ずかしさに打ち勝てたかもしれんが……
「……」
ほれ、ぬえも本を開いたまま、固まっておる。
やっと、己がどんな選択をしたか悔やんでおるのじゃろう。
これが儂の、魔の教典を回避する秘策。
ぬえにこの本がどれだけ恥ずかしい内容かを自覚させ、本を読ませるのを諦めさせるついでに、いけない道から足を洗わせる。
名付けて『ぬえ更生大作戦』じゃ。
「ねえ、マミゾウ……?」
おうおう、わかっておるよ。
そうやって恥ずかしさに耐えなくても良いぞ。
やっぱりこの本はやめとこう、とかその一言で終わるのじゃから。
そうやって耳まで赤くならんでも、儂の作戦どおりに、
「マミゾウ……このね、主人公のヒロイン役ね……」
ああ、なんじゃぬえや?
本など捲って。
ふむ、その眼鏡を掛けたオナゴがどうかしたのか?
無理をせずに素直に言えば――
「……この子の部分、マミゾウの名前で読んで良い?」
ん?
え? あ、いや?
ぬえ、いったい何の話を?
「あ、うん! 嫌ならいいんだけどさ! そういう方が、マミゾウも話しに入りやすい叶って思って……」
うん、待て。
落ち着け、ぬえ。
その赤い顔は本の恥ずかしさに耐えてのものではないのか?
まさか、最初からそのような狂気を持ち合わせていたわけでは……
「ねえ、駄目かな?」
駄目じゃ。
当然であろう、何故儂が逆にそのような辱めを、
「駄目……?」
……ああもう。
そうやって、瞳を潤ませても駄目じゃからな。
儂はあくまでも、ぬえを、こう、まともな道にじゃな。
「ねえ、マミゾウ……」
「あーーもうっ! わかった、わかったから好きにせいっ!」
……儂の阿呆。
どうして、こう。
最後の最後に甘さが出るのじゃ。
「うん! わかった、ちょっとやってみるね!」
しかし、アレじゃな。
ぬえが満足そうに笑っておるのを見ると、こう。
あながち間違いでもなかったような。
そんな気が……
「――宝石のように透きとおる肌の上で流麗な指先が動くたび、白いシーツの上にいくつもの陰影が生まれる。薄絹よりも繊細で滑らかな『マミゾウ』のふとももの内側――」
瞬間、儂の思考は停止した。
後日――
「……あのあと、何があったんじゃろう」
儂の記憶にはまるっきり残っておらんのじゃが……
『楽しかったね、マミゾウ♪』
などと、ぬえが楽しげに言うておったから。
別な意味で試みが成功したのは確かなのじゃろう。
儂が相づちを打ちながら聞いていたというておったが、
絶対呻き声の部類じゃろうな。
そんな声と、あのおかしな文面が合わさると少々危険な光景を想像させかねんが、まあ二人だけであったからな。その辺は問題なかろう。
おかげさまでぬえがどんどん行ってはいけない方向にむかいつつあることが大問題な気はするが。
とりあえず『虚瞑璽satori』という輩をなんとかせねば、儂の未来が危うい。
などと自室で考えておったら。
「マミゾウ、ちょっと……」
「ん?」
と、星がいきなりやってきて、星の部屋まで来いという。
また手伝いかと思って、ついていくとな。
星の部屋にはナズーリンが先に座っておって、その横に星がつく。
で、儂はその二人の正面に正座するわけじゃが。
なんでかのぅ。二人の顔が艶っぽく見えるのは。
頬が薄紅に染まっておるからか?
などと儂が考えておったら、星が何か言いにくそうに咳払いをして、
「マミゾウ、あまりこういったことは立ち入らない方がいいのかもしれませんが、寺という神聖な場所であのような行いは……」
「あのような行い、ああ、なるほど」
つまりは金貸しの件、じゃな。そうであろう。
確かに欲まみれの金貸しが寺の中に堂々と住んでおったら、こやつらも落ち着いてはおられぬに違いない。
いつか注意されかねんとは思っておったが、年末じゃし。
ちょうど良い頃合いかと思って話題を切り出したんじゃろうな。
「わかった、来年から貸す金を下げていくとしよう」
急にというのは無理じゃからな。
徐々に少なくして、最後はゼロにする。
そういった筋道を立てるのが好ましい。
そう思って提案したわけじゃが、
「いや、そういうことではなくてですね」
星が苦笑しながら、頬を掻いておった。
「金貸しは別に個人の自由ですから、それよりえーっとその、先日そちらの部屋の近くで、あの、ナズーリンが、ですね」
「ふむ、ナズーリンがどうかしたか?」
「ええまあ、少々羨まし……、で、ではなくてっ! 少々良くない様子だったということでしたので、さすがに昼には控えていただければなと……」
言うたびに何故かナズーリンと星が赤くなっていくのじゃが。
はて?
いったい何のことか?
と、儂が首を傾げていると、とうとうしびれを切らしたナズーリンが口を開き。
「つまりだね、君の部屋の天井裏にいたネズミが聞いたんだよ」
「なにをじゃ?」
「えと、その、なんだ……」
やはりナズーリンもどこか躊躇いがちに儂を見て、
ぽつり、と消え入りそうな声でつぶやいた。
「ぬえとマミゾウの、艶っぽい声が聞こえてきた、と……」
「……は?」
あ~、なるほど。
わかったわかった。
あのとき、儂の部屋の天井裏にこやつの同朋のネズミがおって。
儂の呻きとか、危ういぬえの台詞を聞いて、はは~ん、ならば仕方な――
「仕方ないことあるかぁっ!
うん、違うんじゃよ? 本当に違うっ!」
「わかってる! 君の言いたいことはわかる! そういったことは覗き見のようなことをしてはいけないことくらい私もご主人もわかってる! でも、でもだよ? さすがに昼夜問わずというのは節操なさすぎではないかなと……」
「いやいやいやいや、だから、そうじゃなくてじゃなっ!」
「……同性ばかりの仏門では裏で仕方のないこととされていますからね。私もナズーリンと同じ意見です。久しぶりに合った二人が、情熱的なことを我慢していたことはわかります。最近のぬえの不機嫌もおそらくは溜め込んだ感情に合ったというわけですね」
「だから違うというておるじゃろうがっ!」
師走という、師すら走り回るほど忙しい季節の中で。
儂は誤解を解くのに寺を駆け回ることになったのじゃった。
めでたくなし、めでたくなし。
「あ、マミゾウ。二巻がまだ」
「いやん……」
なにはともあれ、マミゾウ頑張れw
誤字ほうこくー
>そういう方が、マミゾウも話に入りやすい叶って思って……
“叶って”は“かなって”ですかね?
それだけなら60~80点くらいなんですが、後書きにノックアウトされたので満点持ってけ泥棒!
確かにぬえマミではないなぁ……。
面白かった。
この設定が漫画でも拾われるといいなあ