空を飛ぶ列車の中で、私は妹紅殿との来週の約束について考え直していた。
うーん、次の釣りは、いっそのこと橙も慧音殿も連れてピクニックにしようか。
それとも妹紅殿と二人っきりで会って、ちゃんと確かめてみようか。
しかし、当たっているのならともかく、全くの誤解だったら、私がこれからどんな目で見られるかわかったものではない。
難しいなこれは……。
「そろそろ時間が無くなってきたから、次は魔法の森に行きましょう」
「魔法の森……魔理沙ですか?」
「そうね。それともう一人」
「もう一人……ああ」
そう言えば、あそこにはもう一人魔法使いが住んでいた。
※※※※※
やがて列車は、森の奥にある、アリス・マーガトロイドの家に着いた。
この家に、一人で暮らしているのか。
オフホワイトの壁にインディゴブルーの屋根、円筒形の別館がついているのがしゃれている。
「それじゃ、お邪魔しますか」
「……今さらながら、犯罪ですよねこれ」
「本当に今さらね、藍」
「やっぱり、ここらでやめませんか?」
「主の罪を共有するのも、式の役目よ」
「……犯行に走る主を止めるのも、式の役目だと思っているんですが」
私の呟きは、あっさり無視された。
人形つかいであるアリス女史の家は、予想通りといえば予想通りだったが、人形だらけだった。
部屋の一つ一つに、サイズも様式も違う人形が飾られている。
おそらく、倉庫の方にもあるのだろう。全部で何体いるのだろうか。
彼女の寝室も人形でいっぱいだった。
顔を左に傾けて、アリスは眠っている。
主は寝顔を見ながら、静かに呟いた。
「他人に興味を示さず、人形を作り続ける魔法使い。……貴方はどう思う?」
「そういう妖怪は珍しくないんじゃないでしょうか」
基本的に妖怪というのは同族意識が強い。
身内には強い愛情を示すが、他の妖怪にはそっけない、あるいは敵外視するものも多い。
思い出してみれば、昔の私にもそういう所があった。
当代の博霊の巫女になってからかもしれないな、ここまで妖怪同士の付き合いが増えたのは。
もっとも、私の式である橙は、どの妖怪とも仲良くしているし、人間にも友人がいる。
あれは私には無い才能だ。主としては、それが少し誇らしかった。
しかし、この魔法使いは……
「彼女はあまり宴会にも参加しませんし……やはり、他人と付き合うのが好きではないんじゃないでしょうか」
「そうかしら? よく見てごらんなさい」
紫様はそう言って、布団をそっとずらした。
「あっ」
思わず声が出た。
彼女の布団の中には、いくつもの人形があったのだ。
紅白の服を着た巫女の人形、
白のエプロンドレスに黒の帽子をかぶった金髪の人形、
紫色の髪をしたネグリジェのような服の人形、
緑がかった髪の毛の、こちらも巫女服の人形もある。
どれも、彼女の腕に大切に抱かれていた。
「………………」
「ね?」
「はい」
何だか嬉しくなって、顔がほころんでしまう。
よく見ると、棚の方にも、私の良く知る人妖の人形が、きちんと整頓されていた。
その中には、私そっくりの人形もあった。
思わず手にとって、じっくり眺めてみることにする。
「よくできているな~」
いつ観察されていたのか、服の色まで正確だ。
いい仕事に感心してしまう。
隣にあった式の人形も見事な出来だ。
「これは、橙に見せたら喜ぶでしょうね。後で頼んで、もう1つ作ってもらうのもいいかも。
ね? 紫様」
振り向くと、主は難しい顔をして、人形の1つを手にとっていた。
紫様にそっくりの人形だ。
「あ、それも可愛いですね」
「…………駄目ね」
「はい?」
主はいやみったらしい評論家のような目つきで、
「私の目はもっとぱっちりしていて、鼻も形が良いわ。ウェストももっと細いし、脚もすらっと長い。
服の生地も良くないし、装飾も甘い。まだまだ、といったところね」
「……デフォルメの人形にそこまで難癖つけるのも、どうかと思いますよ」
素直に誉めて喜べないんだろうか、この方は。
「まあ、私の人形なら、これくらいのものじゃなくてはね」
主は奇術師めいた手つきで、懐から一体の人形を取り出した。
それは、八雲紫の姿を正確に模写した、実に精巧に作られた人形だった。
「どう? 藍。いい人形でしょ」
「怖っ! 何それ! リアルすぎますよ!」
姿は小さいが、体格のバランスといい表情といい、それはどう見ても紫様だった。
動いたり喋ったりしても不思議ではないほどの作りである。
ぞぞぞっ、と背筋に何かが走る。
「しまってください! 夜の間に髪の毛が伸びたりするんじゃないですかそれ!」
「失礼ね。呪いの市松人形じゃあるまいし。……暗闇で目が光る程度よ」
「やめて! こっち向けないで! マジで怖いから!」
「他には……夜寝る前に小さな声で『ねんねんころりよ』を歌う程度の能力」
「ひいいいいいい!」
あな恐ろしや。
一人でさえ手に負えないのに、ミニ紫まで出られたら、式の私はおしまいだ。
うっすらと笑いながら目を光らせる人形に、肝が縮こまってしまう。
「じゃあ、こっちのアリスの人形と取り替えてあげましょう」
「な、何てことを!」
これら人形達の状態を見るだけで、どれだけアリスが自分の人形を大切にしているかがわかる。
その内の一つが失われてしまったら、ましてや気味の悪い紫ドールに変わってしまっていたら。
彼女がどれほどのショックを受けることか!
「絶対に許せません!」
「どこに置こうかしらねえ」
「持って帰ってください! そして封印してください!」
「そうねえ。棚から見下ろさせましょう。この位置の、この角度がいいわね」
『ネ~ンネ~ン~コロ~リ~ヨ~♪(ニヤニヤ)』
「わわわっ、こっち見てる! 笑ってる! なんか歌ってる!」
「朝起きたらびっくりすわよ、この子」
「悲鳴をあげますよ間違いなく! 夜に目覚めたのなら気絶します!」
「そして、こっちの人形は私がもーらい」
「ゆっ、紫ざま。やめでぐださい。わだじがらのおねがいでず」
「ちょ、ちょっと藍。何も泣くことはないでしょ」
「ううっ、ぐすん。うぇーん」
「どうしちゃったのよ。おお、よしよし。いい子いい子」
「ず、ずみません。ちょっと取り乱しました。あ、アリスがあまりに可哀想で」
「やあねえ。冗談に決まっているでしょ。そんなに可哀想だったの? あなたも優しすぎる式ねー」
「ぐすっ、それと……自分が同じ状況になったのを想像したら、怖くて……本当に怖くて」
「……………………」
ああ、よかった。
アリス・マーガトロイドの未来は守られたのだ。
妖夢は救えなかったが、彼女は救うことができた。
今度出会ったら、彼女を抱きしめてあげたい。
そして、マヨヒガの品と引き換えに、人形を三つ所望しよう。幸せな八雲一家を表現した、素晴らしい人形らを。
特に、紫様の人形は、思いっきりデフォルメしてもらおう。この際、アンパンマンみたいなのでも構いません。
「何か失礼なこと考えてるわね貴方」
めっそうもない。
なんでもいいから、その魔の人形はさっさとしまってください。
記憶から永遠に消し去りたいのです私は。
とにかく良かった。もう大丈夫だ。
「そうね。じゃあ、この美しい人形は、マヨヒガの藍と橙の寝室に飾りましょう」
ざけんな速攻で結界の外に捨てるわボケェ!!
※※※※※
次に私達が来たのは、霧雨魔理沙の家だった。
一人暮らしにしては大きな家だ。
蔦や木々に囲まれており、魔女の家のイメージにぴったしだった。
そう言えば外見も魔女っぽいな、あの人間。
私は普通の魔法使いだぜー、とか言っていたけど。
「じゃあ、藍。玄関の扉を開けてちょうだい」
「? かしこまりました」
言われたとおりに、私は扉へと向かう。
ほう。魔法で施錠してあるな。
だが、私にかかればこの程度。
「さささのほいっと。では開けますよ」
私は魔理沙亭のドアを開けて、
すぐ閉めた。
「……………………」
「……………………」
「………………えーと」
「…………困ったわねぇ」
私はもう一度、ゆっくりと扉を開けた。
玄関の向こうは魔窟だった。
廊下が見えない。床が散らかっているというより、あらゆる物の下に埋もれている。
蒐集家だとは聞いていたが、整理という言葉を知らんのか、あやつは。
「どうします?」
「仕方ないわね。ルール違反だけど、スキマで直接部屋へと向かうとしましょう」
「ですね」
玄関から入るのは諦めて、私は扉を閉めた。
魔理沙の寝室は二階にあった。
ここは下の階ほど散らかってはいなかった。
しかし、本人の姿はベッドの上にない
彼女は机に突っ伏した状態で寝ていた。
「風邪を引いてしまうわね、これじゃあ」
「術がかけられたときは、勉強していたということでしょうか」
「そうね。そして、この机で寝るのも珍しくないんでしょ」
魔理沙の机には、開かれっぱなしの本や、散乱した紙、そしてアイテムが転がっている。
魔法の研究をしていたのだろう。手には羽ペンが握られたままだ。
机の下の影になっていて、寝顔を見ることはできない。
「努力家なのね」
「そうですね」
「何に追いつこうと、何を見返してやろうと、何を目標にこの子は頑張っているのかしらね」
「うーん、同じライバル魔法使いのアリスや、パチュリー……いや、同じ人間と言う事で博麗の巫女か……」
「ひょっとしたら家族かもよ」
家族?
「そう。この子、実家と絶縁状態なのよ。魔法を認めてもらえず、家を飛び出してきた」
「………………」
「いずれにせよ、無駄なことだと思わない? 藍」
「思いません」
私はキッパリと言った。
「あら、ずいぶんはっきり言うわね。その根拠は?」
「私も修行でこの力を手に入れたから……です」
「そうね。でも、この人間の努力と貴方の努力は同じものかしら」
「………………」
「努力を努力として頑張る者には限界があるのよ」
知っている。
なぜなら一時期の私がそうだったからだ。
「この人間はどうかしらね」
「紫様はともかく……」
私は魔理沙の手からペンを抜いてやり、その体をそっと持ち上げた。
そのままベッドへと運び、布団をかけてやる、
魔理沙の寝顔は、幸せそうだった。
「……私は頑張っている者を、見て見ぬふりはできませんよ」
「じゃあ、そこにある問題を解いてやったら?」
「ご冗談を。それこそ彼女のためになりません。怒られますよ」
私は思わず苦笑した。
「紫様。いつかは私も、貴方に追いついてみせますよ」
私の言葉に、主は笑みを見せるだけで、何も言わなかった。
※※※※※
魔理沙の家を出て車両に乗り込むと、主は急にニヤニヤしはじめた。
「どうなされたのですか?」
「ついにメインイベントだもの」
「メインイベント?」
紫様は鼻歌を歌いながら、ハンドルを握った。
「ふっふっふ。大トリと言えば、あいつしかいないでしょ」
「ああ……なるほど」
私は納得した。
車両が猛スタートを切る。
向かう先は、幻想郷の東の果て。
博麗神社だった。
※※※※※
博麗神社。
幻想郷のバランスを保つために存在する、博麗の巫女が代々住まう場所。
当代では昼夜を問わず妖怪が跋扈するキワモノ神社と化しているような気がするが。
その博麗神社の母屋にて、巫女の霊夢は布団ですやすやと眠っていた。
こうして見ると、純真無垢な顔だ。
いつもの感情的な暴れん坊の姿からは想像ができない。
「ふふふ。間抜け面~」
紫様は扇子でパタパタと風を送ったり、毛虫に悪戯するようにして細枝で鼻をつついてる。
起きないと分かっていても、見ているこっちがヒヤヒヤしてくるな。
それにしても、このお方は霊夢相手になると何でこんなに子供っぽくなるんだか。
「紫様。もういい加減にしましょうよ」
「もうちょっとだけ」
「霊夢は勘が鋭いから、やめておいた方がいいですよ」
「こんな寝ている状態で、勘も何もないでしょ」
ついには顔の近くでコサックダンスを踊りだす主。
処置なし、と私は庭を眺めて待っていることにした。
しばし紫様がロシア民謡を踊る足音が続いていた。
だが、やがて静かになっていた。
少し気になって振り向いてみると、
「なっ! 紫様!?」
何と、我が主は、妖しく目を閉じて霊夢の顔に近付いていた。
「ちょっと! 何しようとしているんですか、あんたは!」
「何って、おやすみのチューよ。」
「やめてください! 変態じゃないですか!」
さすがに痴漢行為は見逃せない。
「何言ってるのよ。昔は貴方にもよくしてあげたでしょ」
「身内以外にするのはルール違反です! 気が狂ってるとしか思えません!」
「……そうよ。私は夢を結んだ麗しの巫女に狂ってしまった、憐れな妖怪なの」
「わけわかりません!」
「……んー」
「ちょっとちょっと!」
嗚呼!
紫様の顔が降りていく。
霊夢の唇が奪われようとしている。
私にここから止める術はない。
あわれ、ケガレ無き博麗の巫女はスキマ妖怪に汚されてしまうのか。
しかし、次の瞬間、私の目に信じられない光景が飛び込んできた。
何と、布団の中からシュバッと鋭く伸びた霊夢の手刀が、紫様の喉に突き刺さったのだ!
「ごふぅ!」
見事な地獄突きをまともに食らって、紫様は仰向けに倒れ伏した。
そのまま、ひっくり返った昆虫のように、床をのた打ち回る。
慌てて私は、霊夢の布団へと駆け寄った。
しかし、巫女は規則正しい寝息をたてたままだ。起きている様子は無い。
「まさか……」
寝相か?
無意識にあの攻撃を繰り出したのだろうか。
何という恐るべき巫女の勘か。
紫様は、げほげほと咳をしながら、恨めしげにこちらを見てくる。
ついには涙目になってうつむき、うめいた。
「うううう……ひどい。ひどすぎるわ。とても悔しい」
「大丈夫ですか紫様」
「大丈夫じゃないわよ! あんまりじゃない! ちょっとチューしようとしただけで!」
「いや、正しい行動ですよ。悪い妖怪を退治するのは博麗の巫女の役目じゃないですか」
「だからって! 弾幕ごっこならまだしも、地獄突きはないでしょ!」
よほど意外で悔しかったのだろう。ここまで取り乱す紫様も珍しい。
さすがは、眠っても霊夢といったところか。
「ふん! 何が楽園の素敵な巫女よ! 似合わないわ! 今度から楽園の素敵なブッチャーと呼んでやる!」
「すごいブッチャーですね」
フォークを片手に空から急襲する巫女とは。
針による飛び道具が食器による格闘に変わるだけで、どうしてこんなに恐ろしくなるのか。
世界は絶妙なバランスで保たれているのだな。
ちなみに巫女服のブッチャーは却下だ。素敵でも何でもない。
わざとらしくハンカチを噛みながら、主はきっと、遠くを見た。
「こうなったら、目指すは、もう一人よ」
「は? もう一人?」
「そう! こっちの巫女がダメなら、もう一人の巫女!」
「巫女なら何でもいいんですか貴方は」
「アンコールステージは守矢神社! 今すぐ妖怪の山へと向かうわよ」
妖怪の山にも馴染んできたあの一家か。
さすがに神様から恨みは買いたくないなー。
※※※※※
守矢神社が諏訪湖ごと妖怪の山に引っ越してきたのは、昨年のことである。
そこで祀られている神様が、外の世界では信仰が集まらないため、ここ幻想郷で集めることにしたそうだ。
信仰を失い、かつての力は失えど、神は神である。
幻想郷のパワーバランスに大きく影響するだろうし、事実引っ越してきた際には、一悶着があった。
そう言えば、この前も核融合の実験で異変を起こしていた。
こちらに来てから、守矢の巫女共々、精力的に活動しているようだ。
列車が静かに守矢神社に到着する。
私は黙って車両から降りる。
と、前を行く紫様にぶつかりかけた。
「?」
「…………」
紫様が守矢神社を見ながら、私の口を人差し指で押さえる。
――藍、隠行の術。
――あ、はい。
――ただし、永遠亭で見せたものじゃなくて、私を出し抜こうとするレベルでやりなさい。
――?
突然、伝心術を使うのも奇妙だし、隠行のレベルを上げろというのも不思議な話だった。
姿気配を消すというのは、簡単な術に見えて奥が深い。
完全に消えるというのは、それはすなわち無に帰すということ。
つまり、術者には必ず限界が存在するのだ。
私も隠行だけなら、かなり自信はあるが、全力で行えば他の術は一切使えなくなるし、行動も制限される。
もちろん紫様はそれを分かった上で言っているのだろうけど。
と、紫様の姿が消える。
私もそれに合わせて姿を消した。
前にいるであろう主から、弱い力で引っ張られる。
それに逆らわず、我々は守矢神社へと侵入した。
母屋に入ってすぐに、私は異常に気がついた。
奥から声が聞こえてくるのだ。
まさか……起きている?
廊下を無音で進む。
声は寝室らしき扉から聞こえてきた。
私はそこで耳をすませた。
(…………見ていて飽きないなー)
(…………諏訪子。ほどほどにしておきなさいね)
(…………神奈子も何だかんだいって起きてるじゃないの)
(…………まあ、久しぶりに拝めるわけだし)
(…………私の子孫だけあって可愛い寝顔ね)
(…………何言ってんの。あんたなんて大口開けてへそ出して眠ってるだけじゃないの)
(…………なによー。神奈子だって酒飲んだ日にはいびきかいてるくせに)
(…………蛙のあんたは夏中かいてるでしょうが)
(…………私のいびきは可愛いからいいの)
(…………どこがよ。絞め殺してやろうかと思うほどうるさいのに)
(…………神奈子だって顔を踏みたくなるほどうるさいよ)
(…………あ! この前踏んだな! 何かおかしいと思ったんだ!)
(…………神奈子だって実際に首締めたでしょうが!)
(…………このお!)
(…………やるかこらあ!)
……バリバリ起きてますね、二人とも。
――藍。術を解きなさい。
――はい。
言われて私は、隠行を解く。
途端に、部屋の中の話し声がピタリとやんだ。
ついで、ごそごそと慌てるような物音がして……静かになった。
紫様は黙って扉を開け、中に入る。
私も後に続いた。
そこでは、川の字になって仲良く眠る一家の姿があった。
中央に風祝の……東風谷早苗と言ったか。
その右には守矢神社の表向きの神様、八坂神奈子。
左には、守矢神社の実質的な神様、洩矢諏訪子。
紫様は洩矢神の顔の近くに立って、見下ろした。
私も八坂神の顔を見下ろす。
そのまま、じっとしていると、諏訪子様の頬がピクピクと動きはじめた。
神奈子様の眉も、ピクピクと動いている。
私と主は顔を見合わせた。
――あれをやるわよ、藍。
――了解しました。
目だけで会話した私達は、眠る神様の足元へ移動し、同時にしゃがみ込む。
そして、その四つの無防備な足を、思いっきりくすぐった。
「「ぎゃはははははははははは!!」
神様二柱が同時に笑い声を上げる。
だが、私達はくすぐるのをやめない。
指先で撫でるようにアキレス腱を撫でながら、ふうっ、と指に息をかける。
「ぎゃははははうひゃっ! うひゃひゃひゃひゃやめてやめて!」
「ぎゃははははひゃっ! こ、降参するからひゃひゃあーうー!」
これぞ、八雲一家に伝わる秘伝。
狸寝入りする者に対するお仕置き、奥義『看破寝太陽神(かんぱねるらー)』である。
神をも屈服させるこの威力。
いずれは橙にも伝授してやらなきゃね。
くすぐりはその後五分ほど続き、終わったときには神様達はぐったりしていた。
「全く……ここは空気を読んで眠っていてほしいところですわ」
「いやいや、すまなかった。ご期待に添えず、申し訳ない」
「早苗の寝顔を見てるとついねー。でも凄い技だったよ。今度教えて。神奈子に試してみるから」
「……………………」
予想してなかった展開に、私は面食らっていた。
東風谷早苗が寝ている横で、四人で座って会話しているのだが……。
神様二柱が紫様に、空気を読まなかったことについて謝っている。
それどころか『看破寝太陽神』を教えてもらいたがっている。
幻想郷ならではの珍妙な光景だな。
「まあ、お二柱なら術が効かないとは思っていましたけど」
「いや、諏訪子は眠った」
「神奈子だってちょっと眠ったでしょ」
「どんなもんかなー、と試してみたのよ。あんたとは違う」
ふん、と鼻で笑った八坂神に対し、洩矢神は頬を膨らませている。
二人とも、なんとも人間臭い表情だ。
フランクな神様だとは聞いていたけど、これほどとは。
「残念ながら、あれ以上威力を強めると、人には強すぎるので」
「なんの、大したものだよ。私がやっても力技にしかならない。
流石は強力な妖怪ぞろいの幻想郷の親玉といったところか」
「光栄な話ですわ」
「…………」
と、一人だけ浮いていた私に、諏訪子様が話を振ってきた。
「そっちの狐さんは?」
「私の式で、藍といいます。挨拶しなさい、藍」
「はい。八雲藍と申します。先ほどは失礼しました。以後お見知りおきを」
私は丁重に挨拶をした。
「私は八坂神奈子。いい面構えしてるわね」
「洩矢諏訪子よ。カッコいいね。よろしく、藍」
「は……ありがとうございます」
神から誉めてもらい、少し嬉しかった。
しかも、カッコいいとはな。
ただし、主の前で顔をゆるめぬよう、口元を引き締める。
神奈子様がそこで、紫様に視線を戻した。
「その様子だと、もうあらかた見回ったの?」
「ええ。ここが最後となります」
「そうか。それはお疲れ様」
「いや、感謝しているよ。ここんとこ本当に心配していたんで」
「いえいえ、これは幻想郷全体のことですから」
「…………?」
急に会話の流れが分からなくなって、私は心の中で首をかしげた。
「私たちもすでに幻想の神よ。だから感謝するのも当然」
「そして、早苗の家族としても、心からお礼を言います」
洩矢神が、あははと笑って手を合わせる。
八坂神は敬語となり、眠る風祝の髪を優しい手つきで撫でた。
「これほど気持ち良さそうに眠る早苗の姿を見るのは久しぶりです。ここに来てから、だいぶ心労が貯まっていたようで」
雷に打たれたようだった。
私はそこで、ようやく気がついたのだ、今夜かけられた術の真意に。
動揺を抑えて横目で見るも、主は知らん顔をしていた。
八坂神と洩矢神が言葉を続ける。
「心配かけまいと頑張っている姿が、見ていて辛かった」
「私達が言っても聞かないし、心を傷つけてしまうかもしれない」
「壊れてしまう前に、こうして休むことができた」
「幸せそうな寝顔が戻った」
そこで、二柱はこちらを向き、にっこり笑った。
「「おかげで家族を失わずにすみました。ありがとうございます。八雲紫」」
飾らない言葉。
だからこそ、その一言は、神としての力強さと、感謝の気持ちが十分にこめられていた。
畏敬の念が、私の全身を痺れさせていく。
だけど私の主、八雲紫は、ひるむことなく悠然と、その言葉を受け止めていた。
「もったいないお言葉ですわ。これからも幻想郷をよろしくお願いします」
その言葉には、神にも劣らぬ実力と、親愛の念がこめられていた。
そこからは、たわいも無い世間話が続いた。
私は何も言えなかった。
※※※※※
幻想列車は、あてもなく空を飛んでいた。
私は窓の外を見ていたが、ただ目に映しているだけだった。
運転する主は何も言わない。
それが逆に、私には辛かった。
先ほどの談笑を思い出す。
あの時、動転する自分の、横に立つ主が誇らしくてたまらなかった。
自分はこの方に仕えているんだぞ、という喜びが、私を奮い立たせた。
だが、それはすぐに自戒の気持ちへと変わり、ついには気分がどん底へと落ちていった。
私は結局、今回も気がつけなかったのだ。
と、電車が何もない空中止まった。
「着いたわ、藍」
「え?」
主は運転席から立ち上がった。
車掌服のまま、日傘を手にして、微笑んでいる。
「外に出ましょう。気分転換に」
「いい光景でしょ」
「…………」
夜空に浮かんだ列車の上から見下ろす幻想郷は、確かに不思議な感じがした。
雲に覆われた山頂で、三日月が休憩している。
その近くには守矢神社。麓には迷いの竹林。永遠亭の明かりは消えていた。
魔法の森から、湖の岬の紅魔館、東の果ての博麗神社。
この高さから、幻想郷がちょうど一望できる。
しかし、私はその光景を楽しむ余裕は無かった。
「立ってないで、座ったらどう?」
「……座れませんよ」
列車の屋根に腰をかける主の誘いを、私は断った。
「私はまだ、貴方の隣にはいられません」
「いいから座りなさい。命令よ」
「……はい」
私は遠慮がちに、その隣に座った。
「出発前に貴方は言ったわよね。幻想郷が眠っているって」
「……? はい」
予期せぬ一言に、私は首をかしげながらも、肯定した。
そう言えば、そんなふうに言ったような気がする。
「大正解よ」
「…………?」
「藍。この幻想郷は生きてるのよ」
主は幻想郷全体を包み込むように、両腕を広げた。
「幻想郷は生きている。息をして、活動し、成長しているの。だからこそ……たまには休まなくてはいけない。
放っておけば、いずれは無理が祟って歪みが大きくなり、崩壊することになるわ
だから私は、こうして眠らせる時間を作っている」
「…………」
横に座る主は、ぽん、と私の頭に手を置いた。
「貴方はすぐに気がついた。幻想郷が眠っていること。この世界が生きていることに気がついたのよ。さすがは私の式ね」
「紫様……」
しかし、滅多に無い主の誉め言葉にも、私は喜べなかった。
頭に載せられた、その手の温もりに耐えられなかった。
「それは、慰めですよね」
「………………」
「眠っていただなんて、ただの表現の問題ですよ。
結局何もわかってなかったんです。主の真意に気がつけなかったんですよ。
そんな式なんて、意味がありますか!?」
私は頭を振って、主の手を払った。
「成長していたと思っていたのに、私はちっとも成長していなかったんです」
情けなかった。
昔の私は、努力しなきゃと頑張り続け、いつかは努力に追われるようになってしまい、
ついには目的を見失ってしまって、闇雲に前に進もうとした。
あの時は紫様に冷たくされた。途中でこれはいけないと気がつき、その努力を楽しんで……、
いつかは努力なんて言葉はいらなくなっていた。
しかし、今になってそのことを後悔してしまいそうになる。
もっと頑張れたかもしれないのに、もっと成長できたかもしれないのに、
そう考えるのが無意味だと分かっていても、私にはやめることはできなかった。
「……本当は……本当はずっと見返したかったのに。貴方のあの言葉を聞いてから」
「……………………」
ついに私は、心のずっと深いところで眠っていた、その言葉を起こした。
「式は道具。貴方にそう言われても、仕方がありません」
口にしてから、寂しくて泣きたくなった。
この方の隣に立って戦うに相応しい存在になろうと思っていたのに。いつまで経っても、自分は未熟なままだ。
私は、もっとちゃんと認めてもらいたいのに。
式として……いや、本当は努力して、式以上の存在として。
主はふわりと立ち上がった。
「藍。中に入りなさい」
「……………………」
「メインイベントが来るわ」
「……え?」
私は顔を上げて、主の方を見る。
主は細めた目で、ずっと遠くを見ている。
「早く入りなさい。忙しくなるわよ」
「メインイベントは霊夢の寝顔だったんじゃないんですか?」
「あれは嘘。本当のショーはこれから始まる」
凄絶な笑みを見せて言ってくる。
釈然としないままだったが、私は大人しく列車の中に入った。
主も運転席に座る。
「どういうことですか?」
「弾幕戦よ」
「はい?」
「ごっこ遊びじゃない、ということよ」
何を言っているのか。
…………と、
「!?」
血が沸騰するほどのプレッシャーを感じて、私は身を固くした。
だがそれは、前の運転席に座る主のものではない。
遥か遠くから浴びせ掛けられているものだった。
しかも、どんどんと近付いてくる。
それにつれて、その気配も強大になっていく。
「な、なんですか、これ!?」
「怖いお方よ」
主はそっけなく返した。
さらに問いただそうとした私は、奇妙な音を聞いて口をつぐんだ。
風音のような、何かの叫び声のような。
そして、その強烈な気配の主が、飛んでくるのが見えた。
「…………ゆ、紫様。あれって、もしかして」
「その通り」
全身から冷や汗が出てきた。
私は主の側に立ちながら、その存在を食い入るように見た。
「やあああくうううもおおおおゆううううかあああありいいいいいい!!!!」
術が解けて幻想郷が一斉に起きるのではないか、というほどの轟音が、車両を揺らした。
あまりの迫力に、尻尾の毛が逆立つ。
空中で仁王立ちしているのは、紫様が大の苦手だと言っていたあの方だった。
蓮の花をかたどった大きな帽子に制服、握り締められた笏。
幻想郷を担当する閻魔様。
四季映姫・ヤマザナドゥだ。
しかしその様子は、いつもの閻魔様とは別人のようだった。
厳しくも柔らかい口調、落ち着いた物腰、理知的な表情。
そうしたものが全て失われている。
目はギラギラと輝き、口からは牙まで生えている。
そして、何よりこの威圧感。
冗談抜きで膝が震えてしまうのだ。
間違いなく、閻魔様は怒っている。
というか、キレている。
しかし、何故あれほど怒っているのか?
「紫様、どういうことですか!?」
「どうもこうも、私が悪戯で幻想郷を眠らせたことを怒っているんでしょ」
「なるほど…………って悪戯ぁ!? 大事な儀式じゃなかったんですか!?」
「趣味と実益をかねているのよ。で、何であの方がここまで怒っているかというと」
そこで再び、外からの一喝が車両を震わせた。
「どうして!! どうして貴方は!! いつも! いっつも!! 私が珍しく仕事で忙しい時に限ってこういうことをやるんですか!!
これで何度目だと思っているんですか!! いい加減にしなさああああい!!」
…………。
私はジト目で主の顔を見た。
「……仕事が大変だと思って、特に強力な術で眠らせてあげようとしてるんだけど、全然眠ってくれないのよね、毎回」
曇りなき笑顔で言う主に、私は呆れるしかなかった。
「今日という今日は許せません!! ブラックコーヒー十杯に、目の下に湿布、鼻にワサビ!
最近手に入れたえーりんZうどんげ印! ここまでしなきゃ意識も保っていられないのです!
私の苦しみを味わえ!! 物理的に地獄の底に叩き込んでやるから、そう思いなさい!! それが私にできる善行よ!!」
私は呆れるのを通り越して、頭を抱えてうずくまった。
「藍。始まるわよ。摑まってなさい」
「って何が始まるんですか!?」
「言ったでしょ。弾幕戦よ。この車両から離れたらダメよ、ルール違反だから。いいわね」
「命の危険を感じるんですけど!! あんな閻魔様初めて見ましたよ!?」
「そりゃそうよ。だって本気だもの」
そう言いつつ、主は指で印を結んだ。
車両全体が、防御結界に包まれる。
閻魔様が目をむいて、手にした笏を上に構えた。
と、窓ガラスがけたたましい音を立てた。
「なっ! 紫様の結界越しにこの威力!?」
「言っておくけど、今のは弾幕でも何でもない。ただの『威圧』よ」
「げぇー!! 死にますよマジで!!」
「だから、貴方が成長するまで待っていたんでしょ」
主は舌なめずりしながら、ハンドルを握った。
「行くわよ藍。貴方の成長っぷりを見せてもらおうかしら」
「すみません!! 修行しなおしてきたいんですけど、いいですか!?」
「却下」
その言葉と同時に、列車が急降下を始めた。
後ろから、万を越える数の虎のような吠え声がした。
「さあ! 楽しい弾幕戦の始まりよ!!」
「助けてええええええ!!」
私の叫びは、やっぱり届かなかった。
※※※※※
一方その頃、
「いやあ、凄い眺めだね」
「そうだね。外の世界では見られなかったわね」
守矢神社の上で、神様二人が酒を飲みながら、のんびりとその光景を見ていた。
「血が騒いでこない?」
「まあ、邪魔しちゃ悪いでしょ。また今度の機会ということで」
杯を傾けて、神奈子は不敵に笑った。
諏訪子は額に手をかざして遠くを見ながら、歓声をあげる。
「うひゃーすげー。本当に愉快ね。こっちに来て良かったよ」
「あら。最初は勝手なことしてって威張ってたくせに」
「……そんなこと言ったっけ?」
「言ったじゃないの。博霊のが来た時に。私のことを、『あんな女は敵だ』とか言って」
「あれは本気でムカついてたんだよ! 神奈子が悪いんでしょ!」
「何が悪いのよ」
「早苗のコロッケ一個多く食べたくせに!」
「なっ! その前日の唐揚げは諏訪子が殆ど食べたんじゃないの!」
「いいでしょ!! 私はずっと食べられなかったんだから!!」
「そんな理屈があってたまるか!!」
「やるかこの!!」
「おう!! やってやろうじゃないの!!」
神社の屋根の上で、神様二人は仲良く取っ組み合いを始めた。
※※※※※
二人の大妖怪の弾幕戦。
主が運転する車両の中で、私は倒れぬようバランスを保つのが精一杯だった。
上下左右、時には後ろにまで進む操縦は、子供が振り回す玩具よりも無節操だった。
「っていうか……酔うかもしれない私」
「しゃべっていると舌を噛むわよ。……あらまずい」
主がハンドルを急旋廻。
車両は傾きながら、左前方へと落ちていく。
同時に右に並んだ窓が
ズドン!!
という音ともに振動する。外を白い光弾が過ぎていくのがわかった。
間近で大玉の花火が炸裂したかのようだ。
かすってすらいない弾幕なのにこの衝撃。
尋常ではない。
「あまり暴れられると、後が大変なのよね」
あくまで軽い口調で、主はハンドルを捌く。
右手に見える紅魔館が遠ざかっていく。
黒い影が高速で時計台を通り過ぎて、追って来るのが分かる。
そしてまた、閃光を確認。
「くっ!」
私は印を結び、外に防御結界を増やした。
感覚が外気に触れて、圧倒的な質量が近付いてくるのが分かる。
そしてまた、
ズガガン!!
「ぐわっ!!」
防御結界を通り越して、両手が痺れた。
数こそ普通の弾幕だったが、弾の一つ一つが大砲のようだ。
私の即席の結界など、紙の盾にしかならない。
列車は魔法の森の上を走り出す。
後ろから襲い掛かる光弾を、列車は尻を振りながら軽やかにかわす。
主のハンドル捌きは絶妙だった。
「……って、それで動かしているわけじゃないでしょうに!」
「気分が大事。スリルがあるでしょ」
と、前方に弾幕が出現した。
「紫様!」
「………………」
主はその真ん中を突っ切った。
台風に突っ込んだようにして、列車が凄まじい振動にさらされる。
歯を食いしばって、床に頭を打ちつけないようにするのが精一杯だった。
やっと抜けた先では、先回りしていた四季映姫が浮かんでいた。
長い笏を振りかぶっている。
「藍! 右へ!」
「はい!」
すぐさま私は左から『車両に』念動力を叩きつけた。
その力を受けて、列車が水平に吹き飛ばされ、軸をずらす。
そして、その後を、笏が過ぎて……。
その巻き起こした風だけで、車両が空中を横転した。
「うわあ!!」
悲鳴を上げて、椅子にしがみつく。
主は座席に座ったままだ。
しかし、その顔には汗こそ浮かんでいなくとも、厳しい表情だった。
たまらず私は怒鳴った。
「これっていつ終わるんですか!」
「列車が大破するか、あちらさんが戦闘不能になるか。まあ弾幕ごっこと大して変わらないわね」
ってちょっと待て!
「この列車って、当たり判定でかすぎじゃないですか!?」
「霊夢の3000倍ってところかしら」
「計算してる場合ですか! 圧倒的に不利でしょ!」
「文句言う前にスペルカードでも放ちなさい。攻撃は最大の防御よ」
言われて私は気がつき、慌ててカードを取り出した。
『四面楚歌チャーミング』。
名前とは裏腹に凶悪な性能を持ち、特に相手を包囲するのに優れている。
私は列車の最後尾へと走り、後ろから迫る閻魔に向かって、カードを投げつけた。
スペルカードが発動する。
水色の光弾がいくつもの列を無し、糸のようになって四季映姫を絡め取ろうとする。
それを確認して、私は両手から赤い大きな弾幕を放った。
この2パターンをかわせるか!?
しかし、相手の対応は想像の斜め上を言っていた。
加速と急停止を繰り返し、弾を引きつけながら直角にかわしていく。
飛んだ後の軌跡が、複雑な光の多角形を描いた。
私はあくまで大玉を放ち続ける。
しかし、近付くスピードは落ちない。
ついにはその表情が確認できる程度まで近付いてきて、
急に姿を消した。
「!? 紫様! 閻魔様が消えました!」
「…………ちゃんといるわよ」
「えっ」
ズガン!
突如、車両の天井から、巨大な笏が突き破って出てきた。
「ひっ」
笏はすぐに引っ込む。
そしてまた、別の場所から突き出てくる。
列車の上か!
直接紫様の防御結界を貫いてくるとは!
再び、笏が突き破ってきた。
だが今度は様子が違う。
その表面に、無数の光弾がついている。
「危ない!」
私は床に伏せながら、全力で防御の結界を張った。
笏が破裂する。
車内中に光弾が飛び交う。
石のあられを思わせるその攻撃に、私は立ち上がることはできない。
と、車両の中央にスキマが開いた。
同時に、暴れまくっていた光弾らが、それに吸収されていく。
後には粉々に散らばった座席が残った。
列車が急降下していく。
真下の湖が見える。
墜落する直前に、車両はぐぐっと上へと向き、
「藍。ジャンプしなさい」
「は」
い、と返事する前に、車両が上下逆さまに横転した。
一瞬先に跳んでいた私は、天井だった床へと降り立つ。
運転席の主は、天井になった席に座ったまま、運転していた。
先ほど外から笏によって開けられた穴から、水が漏れてきた。
湖に着水したのだ。
そのまま列車は、湖を高速で滑りながら回遊しはじめた。
「これで剥がれ落ちてくれるといいんだけどね」
「その前に溺れてしまうんじゃないでしょうか」
「…………あら困った」
ザスッ!
下から黒い笏が突きあがった。
水滴を垂らしながら、表面に書かれた楊震の四知の文字が光り出す。
急上昇していく列車の中、腰を抜かした私の前で、笏は丸く床を切り取っていく。
そして、円形の床が跳ね上がった。
下から現れたのは、恐怖の権化だった。
目は赤く爛々と輝き、べたりと濡れた髪の先がざわざわと蠢いている。
般若のごとき表情で私を見つめる四季映姫。
歯の根が合わない。
紫ドールの百倍怖かった。
「…………八雲藍」
「はははははい!」
「返事はしなくてもいい……ソコヲウゴクナ」
金縛りの術でも何でもない。
ただの脅しの筈なのに、私は指先一つ動かせなくなる。
四季映姫はそこで背を向けて、笏を構えながら運転席の方を向く。
そこでは、逆さまになった主が、いまだに運転し続けていた。
車両はすでにかなりの高度に達している。
何もできない私の前で、映姫は主に向けて笏を振りかぶった。
――伏せて何かにしがみつけ!
神経パルスより速く、主からの命令が伝わる。
私の体はそれに従って床に伏せ、つり革のついた鉄パイプに摑まった。
瞬間、
「!?」
重力が逆転した。
足が宙に投げ出されそうになるのを、必死で耐える。
車両全体が、凄まじいスピードで急降下したと気がついたときには、不意をつかれたらしき閻魔が天井をぶち破って消えていた。
すぐに電車の天地が元に戻り、ひっくり返った私は床に投げ出された。
と同時に急発進。私は後部車両の隅まで飛ばされた。
背中から叩きつけられて、息が止まりそうになった。
「………………」
「生きてる? 藍」
「……死にそうです」
大穴の開いた床を、這うようにして私は運転席まで近寄った。
「まだ死んでもらっちゃ困るわよ。終わってないんだから」
「……閻魔様は吹っ飛んでいきましたよ」
「あの程度でくたばるなら閻魔様とは言えないわよ」
「…………」
もはや言葉も出ない。
と、遥か向こうに、確かに閻魔様の姿を見つけた。
ここから距離はかなり離れているので、追いつくのも時間がかかるだろう。
弾幕も届くとは思えない。
「藍。何ぼけっとしているの。来るわよ」
「……はい?」
「スペルカードよ」
そこで、黄色の神々しい光が、左の窓から差し込んできた。
夜の星を見失ってしまうほどの光源、それはまさしく、四季映姫のスペルカード宣言だった。
紫様がハンドルから手を離し、複雑な印を結びはじめる。
これは……四重結界か?
列車の周りを紋様が取り囲む。
四季映姫の放つ光が小さくなっていく。
そして……、
轟音とともに赤い光が私の目を焼いた。
強烈な熱波に吹き飛ばされそうになる。
目をつむった私は何とかこらえながら、必死で主を防御した。
光が消えて、薄く目を開けた時には、
前車両と後部車両のつなぎ目、その上半分が消えていた。
開いた穴から外の風景が流れていく。
穴の縁はドロドロに溶けていた。
再び閻魔の一撃が飛んでくる。
今度は視認できた。
赤い光芒が列車の後部車両を根こそぎ消し飛ばした。
焼かれた空気が突風となって服をはためかせる中で、私は驚嘆した。
「な、な、な、な、なっ!!」
「さすがね、四季映姫。即席の結界じゃ抑えられないか」
「何ですかあれ!!」
鳥肌が立つ。
角度次第では、山に風穴が開くほどの攻撃だ。
しかも、放つ気配も感じられない距離から、高速で動く車両一瞬で捉えて、紫様の結界を吹き飛ばすなんて。
これでは防御も何もあったものではない。
「スペルカード!? 兵器か何かじゃないんですか!?」
「『罪無罪』よ。千里の彼方まで逃げた罪人を、瞬時に地獄の業火で焼く。
お遊びとは違う本物の攻撃ね。ふふふ、やっぱり怒ってらっしゃる」
「信じられない。ここは幻想郷ですよ。妖怪大戦の時代じゃあるまいし」
「実戦から遠ざかっているのはお互い様ね。本気の本気はここからよ」
「あっ!」
遠くの四季映姫の身体から、輪光があふれ出ている。
それは鳥が一斉に巣立つかのように、幻想郷の空へと広がった。
さらに、こちらをじわじわと囲むように移動してくる。
このままでは進退窮まってしまう。
「こうして逃げ場を無くしてから、一撃で仕留めるのが本来の使い方なのよ」
「どうするんですか!」
「逃げ場が無いなら、逃げなきゃいいじゃない」
縦横無尽に弾幕から逃げ回っていた列車が停止し、反転する。
そして、一直線に襲撃者の元へと走り出した。
「ゆ、紫様!」
「藍。私は上に出るわ。貴方はここに座って」
「ええっ!」
「結界を前方に張りながら、電車をとにかく加速させなさい。いいわね」
「そんな無茶な……!」
「やれるわよね?」
「…………はい! まかせてください!」
返事と同時に主が消えた。
私は正面を向いた。
ひびの入った前の窓を、拳で叩き割る。
その先に、わずかに見える姿。
再び光が集まっている。
それに向かって、私は全速力で車両を進めた。
間の距離がみるみる縮まっていく。
前方に結界を張りながら、私はスペルカードを取り出した。
攻撃は最大の防御なり。
主の教えを実践する。
間合いを捉えた私は、スペルカードを宣言した。
「『狐狗狸さんの契約』!!」
四季映姫の周囲を、梵字が回り出す。
十二神将の力を借りた光が弾を放ちながら、周囲のエネルギーを収束させようとする閻魔を邪魔し出した。
目的は相手を仕留めることではない。
攻撃に必要な溜めの時間を長引かせる、時間稼ぎであった。
あとは、とにかく列車を進めることを考えるだけだ。
車両の上に立っているであろう、主を信じて。
そして、ついに閻魔の手の光が収束しきった。
「開」
それより早く、頭上の主から、莫大な力が放たれた。
行く手に『二つの』巨大なスキマが開いた。
表裏にぴったり重なるようにして口を開けている。
それに向けて『罪無罪』の光線が走った。
向こう側のスキマが、それを受け止める。
同時に私たちが乗る3500系は、こちら側のスキマへと飛び込んだ。
すぐに視界が開けた。
空間を飛び越えて出現した先は、閻魔の後方だった。
閻魔は、自らが放ち、スキマに飲み込まれた赤い光線が、別のスキマから跳ね返ってくるのをギリギリでかわしている。
その背中に、決定的な隙が生まれた。
列車が音速を超える勢いで突進する。
虚をつかれた閻魔が振り向きながら、悔しげな表情を浮かべる。
入り口と出口、防御用と反射用、合計四つの大スキマを開く荒業にはまったのだ。
主の計算どおり、車両は狙いたがわず、四季映姫と正面衝突した。
きりもみしながら飛んで行った閻魔様を見送りながら、天井に立つ主は敬礼してポツリと言った。
「さよなら……プリンセス善行」
「…………よく冗談を言う余裕がありますね」
疲れ果てた声で、私は何とかツッコミを入れた。
列車は二割を残して全壊していた。
もはやかつての面影は無い。残った天井も穴だらけだだし、運転席の窓もすでに出口といった感じである。
車両の正面は、クレーターのように陥没していた。
だが、電車以上に私の精神はボロボロだった。
「これで私は地獄行き決定ですよ。毎日頑張っていたのになぁ」
「大丈夫よ。あの方もストレス解消になったでしょうし」
「って本気で言ってるんですか?」
「日頃の仕事で貯まる鬱憤を、こうして晴らしているのよ。お互いにね」
……そうか。閻魔様は怖い人だとは聞いていたけど、普段はむしろ物凄く優しい映姫様なんだな。
今日の姿を公衆の面前で披露すれば、彼女は死に物狂いで働き続ける部下を得ることができるだろうに。
「ふふふ。これで11勝13敗23引き分け」
「あ、実は負け越しているんですね」
「藍が手伝ってくれるようになったので、これから勝ち星を稼げますわ」
「もうこりごりですよ。帰りましょうマヨヒガに」
「そうね、帰りましょう我が家に」
紫様が天井から降りてくる。
戦いを終えた3500系が、終点駅へと走り出した。
※※※※※
「はい、到着。お疲れ様」
東の空が明るい紫色に染まりだす頃、私達はマヨヒガに帰ってきた。
列車を降りてから、主はスキマへと車両を仕舞う。
私は感慨深く我が家を見上げた
なんだか数十年ぶりに帰ってきた気がしたのだ。
寝室では、橙が変わらずに眠っていた。
それを見ると、ようやく心の底から安堵できた。
一晩中他の場所を見回って、最後には死闘まで経験したのだ。
いつものマヨヒガの空気がとても有り難かった。
「……生きててよかった」
「大げさね、藍」
盛大なため息をついた私に対して、紫様は欠伸を一つしただけだった。
いつの間に着替えたのか、すでに車掌服から戻っている。
「そろそろ術が解けるころね。今回はあまり寝顔が拝めなかったけど」
「もういいです。疲れました私は。寝ます」
「あら、誰のせいだと思っているの?」
「私のせいじゃないことは確かでしょう」
「貴方のせいよ。出発が遅れたのは」
出発が遅れた?
何の話だろうか。
今夜は起きてからすぐに出かけたように記憶しているけど。
「実はもっと早くに貴方を起こそうと思ったんだけどね。できなかったのよ」
「どうしてですか」
「だって、藍の寝顔が可愛かったから」
布団を用意する私の手が止まってしまう。
ふふふと笑いながら、後ろから紫様が、私に抱きついた。
「一番最初の藍の寝顔が、一番可愛かったわ。だから、つい見とれちゃって」
「なっ! か、からかわないでください」
振りほどこうにも、主は離してくれない。
「本当よー。見ていて飽きなかったわ」
「ちょっと紫様!」
「子供の頃から変わってないんだもの貴方」
「そんなわけないでしょう……」
「起きている時も可愛いけどね」
耳もとで甘く囁かれる。
思わず力が抜けて座り込んでしまう。
「ゆ、紫様。橙が見ていますって」
「見てるわけないでしょ。寝ているんだから。だから、たっぷり甘えなさいな」
「そ、そんなあ」
「ほれほれ、ここはどうじゃ」
「どこ触っているんですか! やめてください!」
「親子のスキンシップに境界なんてないのよ」
「…………私は道具だったんじゃないんですか?」
思わず、むっとして、私は言葉を返した。
「そうね。貴方は道具で、私の手足。だから、両手両足を切り落とされたって、惜しくないわ」
見事なカウンターだった。
主はあごを私の頭に乗せながら続ける。
私は為されるがままだった。
「聞きなさい、藍。私は幻想郷の守護者。幻想郷の守り手。いかなる犠牲を払ってでも、この地を守らなくてはいけない存在。
私心や、えこひいきは、絶対に許されない存在」
「………………」
「だから、私には家族なんて、いてはならない。なぜならそれこそが、幻想郷にひびを入れてしまうから。
私を縛るものが幻想郷のルール以外にあってはならない。私は幻想郷の奴隷として生きなければならない。
貴方なら、言っていることがわかるわよね」
「…………はい、紫様」
その通りだ。
これほど幻想郷のために尽くしている人が、式を家族になんてことを許すはずがない。
愚かな私は、単に甘えていただけなのだ。
「だから……一度しか言わないから、よく聞きなさいね」
「えっ?」
見上げようとした顔が、胸に押し付けられた。
主の体温と柔らかさに心臓を鳴らしながら、私はじっと待った。
「誰よりも愛しているわ。わが娘よ」
夢にまでみた福音が、私を包みこむ。
その一言が聞きたかったのだ私は。
我慢できずに、私も主の体を抱きしめ返した。
「私もです……! お母さん」
抱きしめてくる手が強くなる。
記憶に埋もれていた匂いが、まぶたを重くする。
私はそのまま、紫様の懐で眠りについた。
「はい。サービスタイム終了」
「ぶめぎゃ」
急に足を払われて、私は受身も取れずに転んだ。
主はパタパタと服を払って、
「じゃ、私は疲れたから寝るわ。貴方も寝ておきなさい」
「紫様」
私は起き上がりながら、寝室へと向かう主の背中を、声で引き止めた。
「次にこの術をかけるときは、あらかじめ伝えてください。私がやりますから」
「あら。貴方にできるかしら」
「三日でやってみせますよ」
「それは大変ね。努力しなさいな」
「努力なんて言葉は要りませんよ。だって、好きでやるんですから。楽しくて仕方がないんです」
自信たっぷりに言ってやった。
主が振り向いて、微笑する。
生意気だけど誇らしい。そんな笑みを見せてくれた。
「そうね。じゃあ好きにしなさい」
「はい!」
私は子供のように、元気な返事をした。
主が寝室へと消える。
私は準備しかけていた布団を、しまいなおした。
さっきまで物凄く疲れていたはずなのに、今は動きたくてたまらない。
このまま徹夜で朝を迎えることになりそうだ。だが、構わなかった。
「よおし! じゃあ始めるか!」
気合の声を入れる。
まずは朝ごはんの準備をしようか。
いや、その前に冷たい水で顔を洗うか。
恐らく寝不足でひどい顔をしているだろう。
「朝の洗顔は一日の始まりってね」
私は先に洗面所へと足を運ぶ。
さて、と笑顔を作って、鏡を向いた。
凍りついた。
歌舞伎がいた。
顔が紅一色で塗られている。
さらにその上から、藍色の太い線が怒りの表情を作っている。
頬には黄色い絵の具で『九 尾』と書かれている。
荒々しいその笑みは、正義と悪を内に秘めた大妖怪を思わせる迫力だ。
そして、断じて信じたくなかったが、それは鏡に映った自分の顔だった。
………………。
誰の仕業かは火を見るよりも明らかだ。
問題は、いつから私はこの顔だったか、ということだ。
硬直する中、台詞が頭の中を駆け巡っていく。
「藍ちゃんも幸せそうな顔をしているわよ」
「こんな時間に何のご用かしら、怖い顔の妖怪さん」
「って、心配してどうするのよ。そんな怖い顔で」
「私は八坂神奈子。いい面構えしてるわね」
「洩矢諏訪子よ。カッコいいね。よろしく、藍」
ひょっとして、自分は起きたときから、ずっとこの顔で?
「スキマァアアアアアアアッ!!」
私はすぐさま犯人の寝室へと駆けた。
襖を開け放つ。
すでに布団にくるまっていた主の顔に向けて、問答無用で口に含んだ毒霧を吹きかけた。
八雲紫の麗しい寝顔が緑色に染まる。
主は突然の攻撃に目を覚まし、罵声を上げながら飛びかかって来た。
布団の上での、反則攻撃ありのガチンコバトル。
それは、お腹が空いた橙が起きるまで続いた。
(おしまい)
うーん、次の釣りは、いっそのこと橙も慧音殿も連れてピクニックにしようか。
それとも妹紅殿と二人っきりで会って、ちゃんと確かめてみようか。
しかし、当たっているのならともかく、全くの誤解だったら、私がこれからどんな目で見られるかわかったものではない。
難しいなこれは……。
「そろそろ時間が無くなってきたから、次は魔法の森に行きましょう」
「魔法の森……魔理沙ですか?」
「そうね。それともう一人」
「もう一人……ああ」
そう言えば、あそこにはもう一人魔法使いが住んでいた。
※※※※※
やがて列車は、森の奥にある、アリス・マーガトロイドの家に着いた。
この家に、一人で暮らしているのか。
オフホワイトの壁にインディゴブルーの屋根、円筒形の別館がついているのがしゃれている。
「それじゃ、お邪魔しますか」
「……今さらながら、犯罪ですよねこれ」
「本当に今さらね、藍」
「やっぱり、ここらでやめませんか?」
「主の罪を共有するのも、式の役目よ」
「……犯行に走る主を止めるのも、式の役目だと思っているんですが」
私の呟きは、あっさり無視された。
人形つかいであるアリス女史の家は、予想通りといえば予想通りだったが、人形だらけだった。
部屋の一つ一つに、サイズも様式も違う人形が飾られている。
おそらく、倉庫の方にもあるのだろう。全部で何体いるのだろうか。
彼女の寝室も人形でいっぱいだった。
顔を左に傾けて、アリスは眠っている。
主は寝顔を見ながら、静かに呟いた。
「他人に興味を示さず、人形を作り続ける魔法使い。……貴方はどう思う?」
「そういう妖怪は珍しくないんじゃないでしょうか」
基本的に妖怪というのは同族意識が強い。
身内には強い愛情を示すが、他の妖怪にはそっけない、あるいは敵外視するものも多い。
思い出してみれば、昔の私にもそういう所があった。
当代の博霊の巫女になってからかもしれないな、ここまで妖怪同士の付き合いが増えたのは。
もっとも、私の式である橙は、どの妖怪とも仲良くしているし、人間にも友人がいる。
あれは私には無い才能だ。主としては、それが少し誇らしかった。
しかし、この魔法使いは……
「彼女はあまり宴会にも参加しませんし……やはり、他人と付き合うのが好きではないんじゃないでしょうか」
「そうかしら? よく見てごらんなさい」
紫様はそう言って、布団をそっとずらした。
「あっ」
思わず声が出た。
彼女の布団の中には、いくつもの人形があったのだ。
紅白の服を着た巫女の人形、
白のエプロンドレスに黒の帽子をかぶった金髪の人形、
紫色の髪をしたネグリジェのような服の人形、
緑がかった髪の毛の、こちらも巫女服の人形もある。
どれも、彼女の腕に大切に抱かれていた。
「………………」
「ね?」
「はい」
何だか嬉しくなって、顔がほころんでしまう。
よく見ると、棚の方にも、私の良く知る人妖の人形が、きちんと整頓されていた。
その中には、私そっくりの人形もあった。
思わず手にとって、じっくり眺めてみることにする。
「よくできているな~」
いつ観察されていたのか、服の色まで正確だ。
いい仕事に感心してしまう。
隣にあった式の人形も見事な出来だ。
「これは、橙に見せたら喜ぶでしょうね。後で頼んで、もう1つ作ってもらうのもいいかも。
ね? 紫様」
振り向くと、主は難しい顔をして、人形の1つを手にとっていた。
紫様にそっくりの人形だ。
「あ、それも可愛いですね」
「…………駄目ね」
「はい?」
主はいやみったらしい評論家のような目つきで、
「私の目はもっとぱっちりしていて、鼻も形が良いわ。ウェストももっと細いし、脚もすらっと長い。
服の生地も良くないし、装飾も甘い。まだまだ、といったところね」
「……デフォルメの人形にそこまで難癖つけるのも、どうかと思いますよ」
素直に誉めて喜べないんだろうか、この方は。
「まあ、私の人形なら、これくらいのものじゃなくてはね」
主は奇術師めいた手つきで、懐から一体の人形を取り出した。
それは、八雲紫の姿を正確に模写した、実に精巧に作られた人形だった。
「どう? 藍。いい人形でしょ」
「怖っ! 何それ! リアルすぎますよ!」
姿は小さいが、体格のバランスといい表情といい、それはどう見ても紫様だった。
動いたり喋ったりしても不思議ではないほどの作りである。
ぞぞぞっ、と背筋に何かが走る。
「しまってください! 夜の間に髪の毛が伸びたりするんじゃないですかそれ!」
「失礼ね。呪いの市松人形じゃあるまいし。……暗闇で目が光る程度よ」
「やめて! こっち向けないで! マジで怖いから!」
「他には……夜寝る前に小さな声で『ねんねんころりよ』を歌う程度の能力」
「ひいいいいいい!」
あな恐ろしや。
一人でさえ手に負えないのに、ミニ紫まで出られたら、式の私はおしまいだ。
うっすらと笑いながら目を光らせる人形に、肝が縮こまってしまう。
「じゃあ、こっちのアリスの人形と取り替えてあげましょう」
「な、何てことを!」
これら人形達の状態を見るだけで、どれだけアリスが自分の人形を大切にしているかがわかる。
その内の一つが失われてしまったら、ましてや気味の悪い紫ドールに変わってしまっていたら。
彼女がどれほどのショックを受けることか!
「絶対に許せません!」
「どこに置こうかしらねえ」
「持って帰ってください! そして封印してください!」
「そうねえ。棚から見下ろさせましょう。この位置の、この角度がいいわね」
『ネ~ンネ~ン~コロ~リ~ヨ~♪(ニヤニヤ)』
「わわわっ、こっち見てる! 笑ってる! なんか歌ってる!」
「朝起きたらびっくりすわよ、この子」
「悲鳴をあげますよ間違いなく! 夜に目覚めたのなら気絶します!」
「そして、こっちの人形は私がもーらい」
「ゆっ、紫ざま。やめでぐださい。わだじがらのおねがいでず」
「ちょ、ちょっと藍。何も泣くことはないでしょ」
「ううっ、ぐすん。うぇーん」
「どうしちゃったのよ。おお、よしよし。いい子いい子」
「ず、ずみません。ちょっと取り乱しました。あ、アリスがあまりに可哀想で」
「やあねえ。冗談に決まっているでしょ。そんなに可哀想だったの? あなたも優しすぎる式ねー」
「ぐすっ、それと……自分が同じ状況になったのを想像したら、怖くて……本当に怖くて」
「……………………」
ああ、よかった。
アリス・マーガトロイドの未来は守られたのだ。
妖夢は救えなかったが、彼女は救うことができた。
今度出会ったら、彼女を抱きしめてあげたい。
そして、マヨヒガの品と引き換えに、人形を三つ所望しよう。幸せな八雲一家を表現した、素晴らしい人形らを。
特に、紫様の人形は、思いっきりデフォルメしてもらおう。この際、アンパンマンみたいなのでも構いません。
「何か失礼なこと考えてるわね貴方」
めっそうもない。
なんでもいいから、その魔の人形はさっさとしまってください。
記憶から永遠に消し去りたいのです私は。
とにかく良かった。もう大丈夫だ。
「そうね。じゃあ、この美しい人形は、マヨヒガの藍と橙の寝室に飾りましょう」
ざけんな速攻で結界の外に捨てるわボケェ!!
※※※※※
次に私達が来たのは、霧雨魔理沙の家だった。
一人暮らしにしては大きな家だ。
蔦や木々に囲まれており、魔女の家のイメージにぴったしだった。
そう言えば外見も魔女っぽいな、あの人間。
私は普通の魔法使いだぜー、とか言っていたけど。
「じゃあ、藍。玄関の扉を開けてちょうだい」
「? かしこまりました」
言われたとおりに、私は扉へと向かう。
ほう。魔法で施錠してあるな。
だが、私にかかればこの程度。
「さささのほいっと。では開けますよ」
私は魔理沙亭のドアを開けて、
すぐ閉めた。
「……………………」
「……………………」
「………………えーと」
「…………困ったわねぇ」
私はもう一度、ゆっくりと扉を開けた。
玄関の向こうは魔窟だった。
廊下が見えない。床が散らかっているというより、あらゆる物の下に埋もれている。
蒐集家だとは聞いていたが、整理という言葉を知らんのか、あやつは。
「どうします?」
「仕方ないわね。ルール違反だけど、スキマで直接部屋へと向かうとしましょう」
「ですね」
玄関から入るのは諦めて、私は扉を閉めた。
魔理沙の寝室は二階にあった。
ここは下の階ほど散らかってはいなかった。
しかし、本人の姿はベッドの上にない
彼女は机に突っ伏した状態で寝ていた。
「風邪を引いてしまうわね、これじゃあ」
「術がかけられたときは、勉強していたということでしょうか」
「そうね。そして、この机で寝るのも珍しくないんでしょ」
魔理沙の机には、開かれっぱなしの本や、散乱した紙、そしてアイテムが転がっている。
魔法の研究をしていたのだろう。手には羽ペンが握られたままだ。
机の下の影になっていて、寝顔を見ることはできない。
「努力家なのね」
「そうですね」
「何に追いつこうと、何を見返してやろうと、何を目標にこの子は頑張っているのかしらね」
「うーん、同じライバル魔法使いのアリスや、パチュリー……いや、同じ人間と言う事で博麗の巫女か……」
「ひょっとしたら家族かもよ」
家族?
「そう。この子、実家と絶縁状態なのよ。魔法を認めてもらえず、家を飛び出してきた」
「………………」
「いずれにせよ、無駄なことだと思わない? 藍」
「思いません」
私はキッパリと言った。
「あら、ずいぶんはっきり言うわね。その根拠は?」
「私も修行でこの力を手に入れたから……です」
「そうね。でも、この人間の努力と貴方の努力は同じものかしら」
「………………」
「努力を努力として頑張る者には限界があるのよ」
知っている。
なぜなら一時期の私がそうだったからだ。
「この人間はどうかしらね」
「紫様はともかく……」
私は魔理沙の手からペンを抜いてやり、その体をそっと持ち上げた。
そのままベッドへと運び、布団をかけてやる、
魔理沙の寝顔は、幸せそうだった。
「……私は頑張っている者を、見て見ぬふりはできませんよ」
「じゃあ、そこにある問題を解いてやったら?」
「ご冗談を。それこそ彼女のためになりません。怒られますよ」
私は思わず苦笑した。
「紫様。いつかは私も、貴方に追いついてみせますよ」
私の言葉に、主は笑みを見せるだけで、何も言わなかった。
※※※※※
魔理沙の家を出て車両に乗り込むと、主は急にニヤニヤしはじめた。
「どうなされたのですか?」
「ついにメインイベントだもの」
「メインイベント?」
紫様は鼻歌を歌いながら、ハンドルを握った。
「ふっふっふ。大トリと言えば、あいつしかいないでしょ」
「ああ……なるほど」
私は納得した。
車両が猛スタートを切る。
向かう先は、幻想郷の東の果て。
博麗神社だった。
※※※※※
博麗神社。
幻想郷のバランスを保つために存在する、博麗の巫女が代々住まう場所。
当代では昼夜を問わず妖怪が跋扈するキワモノ神社と化しているような気がするが。
その博麗神社の母屋にて、巫女の霊夢は布団ですやすやと眠っていた。
こうして見ると、純真無垢な顔だ。
いつもの感情的な暴れん坊の姿からは想像ができない。
「ふふふ。間抜け面~」
紫様は扇子でパタパタと風を送ったり、毛虫に悪戯するようにして細枝で鼻をつついてる。
起きないと分かっていても、見ているこっちがヒヤヒヤしてくるな。
それにしても、このお方は霊夢相手になると何でこんなに子供っぽくなるんだか。
「紫様。もういい加減にしましょうよ」
「もうちょっとだけ」
「霊夢は勘が鋭いから、やめておいた方がいいですよ」
「こんな寝ている状態で、勘も何もないでしょ」
ついには顔の近くでコサックダンスを踊りだす主。
処置なし、と私は庭を眺めて待っていることにした。
しばし紫様がロシア民謡を踊る足音が続いていた。
だが、やがて静かになっていた。
少し気になって振り向いてみると、
「なっ! 紫様!?」
何と、我が主は、妖しく目を閉じて霊夢の顔に近付いていた。
「ちょっと! 何しようとしているんですか、あんたは!」
「何って、おやすみのチューよ。」
「やめてください! 変態じゃないですか!」
さすがに痴漢行為は見逃せない。
「何言ってるのよ。昔は貴方にもよくしてあげたでしょ」
「身内以外にするのはルール違反です! 気が狂ってるとしか思えません!」
「……そうよ。私は夢を結んだ麗しの巫女に狂ってしまった、憐れな妖怪なの」
「わけわかりません!」
「……んー」
「ちょっとちょっと!」
嗚呼!
紫様の顔が降りていく。
霊夢の唇が奪われようとしている。
私にここから止める術はない。
あわれ、ケガレ無き博麗の巫女はスキマ妖怪に汚されてしまうのか。
しかし、次の瞬間、私の目に信じられない光景が飛び込んできた。
何と、布団の中からシュバッと鋭く伸びた霊夢の手刀が、紫様の喉に突き刺さったのだ!
「ごふぅ!」
見事な地獄突きをまともに食らって、紫様は仰向けに倒れ伏した。
そのまま、ひっくり返った昆虫のように、床をのた打ち回る。
慌てて私は、霊夢の布団へと駆け寄った。
しかし、巫女は規則正しい寝息をたてたままだ。起きている様子は無い。
「まさか……」
寝相か?
無意識にあの攻撃を繰り出したのだろうか。
何という恐るべき巫女の勘か。
紫様は、げほげほと咳をしながら、恨めしげにこちらを見てくる。
ついには涙目になってうつむき、うめいた。
「うううう……ひどい。ひどすぎるわ。とても悔しい」
「大丈夫ですか紫様」
「大丈夫じゃないわよ! あんまりじゃない! ちょっとチューしようとしただけで!」
「いや、正しい行動ですよ。悪い妖怪を退治するのは博麗の巫女の役目じゃないですか」
「だからって! 弾幕ごっこならまだしも、地獄突きはないでしょ!」
よほど意外で悔しかったのだろう。ここまで取り乱す紫様も珍しい。
さすがは、眠っても霊夢といったところか。
「ふん! 何が楽園の素敵な巫女よ! 似合わないわ! 今度から楽園の素敵なブッチャーと呼んでやる!」
「すごいブッチャーですね」
フォークを片手に空から急襲する巫女とは。
針による飛び道具が食器による格闘に変わるだけで、どうしてこんなに恐ろしくなるのか。
世界は絶妙なバランスで保たれているのだな。
ちなみに巫女服のブッチャーは却下だ。素敵でも何でもない。
わざとらしくハンカチを噛みながら、主はきっと、遠くを見た。
「こうなったら、目指すは、もう一人よ」
「は? もう一人?」
「そう! こっちの巫女がダメなら、もう一人の巫女!」
「巫女なら何でもいいんですか貴方は」
「アンコールステージは守矢神社! 今すぐ妖怪の山へと向かうわよ」
妖怪の山にも馴染んできたあの一家か。
さすがに神様から恨みは買いたくないなー。
※※※※※
守矢神社が諏訪湖ごと妖怪の山に引っ越してきたのは、昨年のことである。
そこで祀られている神様が、外の世界では信仰が集まらないため、ここ幻想郷で集めることにしたそうだ。
信仰を失い、かつての力は失えど、神は神である。
幻想郷のパワーバランスに大きく影響するだろうし、事実引っ越してきた際には、一悶着があった。
そう言えば、この前も核融合の実験で異変を起こしていた。
こちらに来てから、守矢の巫女共々、精力的に活動しているようだ。
列車が静かに守矢神社に到着する。
私は黙って車両から降りる。
と、前を行く紫様にぶつかりかけた。
「?」
「…………」
紫様が守矢神社を見ながら、私の口を人差し指で押さえる。
――藍、隠行の術。
――あ、はい。
――ただし、永遠亭で見せたものじゃなくて、私を出し抜こうとするレベルでやりなさい。
――?
突然、伝心術を使うのも奇妙だし、隠行のレベルを上げろというのも不思議な話だった。
姿気配を消すというのは、簡単な術に見えて奥が深い。
完全に消えるというのは、それはすなわち無に帰すということ。
つまり、術者には必ず限界が存在するのだ。
私も隠行だけなら、かなり自信はあるが、全力で行えば他の術は一切使えなくなるし、行動も制限される。
もちろん紫様はそれを分かった上で言っているのだろうけど。
と、紫様の姿が消える。
私もそれに合わせて姿を消した。
前にいるであろう主から、弱い力で引っ張られる。
それに逆らわず、我々は守矢神社へと侵入した。
母屋に入ってすぐに、私は異常に気がついた。
奥から声が聞こえてくるのだ。
まさか……起きている?
廊下を無音で進む。
声は寝室らしき扉から聞こえてきた。
私はそこで耳をすませた。
(…………見ていて飽きないなー)
(…………諏訪子。ほどほどにしておきなさいね)
(…………神奈子も何だかんだいって起きてるじゃないの)
(…………まあ、久しぶりに拝めるわけだし)
(…………私の子孫だけあって可愛い寝顔ね)
(…………何言ってんの。あんたなんて大口開けてへそ出して眠ってるだけじゃないの)
(…………なによー。神奈子だって酒飲んだ日にはいびきかいてるくせに)
(…………蛙のあんたは夏中かいてるでしょうが)
(…………私のいびきは可愛いからいいの)
(…………どこがよ。絞め殺してやろうかと思うほどうるさいのに)
(…………神奈子だって顔を踏みたくなるほどうるさいよ)
(…………あ! この前踏んだな! 何かおかしいと思ったんだ!)
(…………神奈子だって実際に首締めたでしょうが!)
(…………このお!)
(…………やるかこらあ!)
……バリバリ起きてますね、二人とも。
――藍。術を解きなさい。
――はい。
言われて私は、隠行を解く。
途端に、部屋の中の話し声がピタリとやんだ。
ついで、ごそごそと慌てるような物音がして……静かになった。
紫様は黙って扉を開け、中に入る。
私も後に続いた。
そこでは、川の字になって仲良く眠る一家の姿があった。
中央に風祝の……東風谷早苗と言ったか。
その右には守矢神社の表向きの神様、八坂神奈子。
左には、守矢神社の実質的な神様、洩矢諏訪子。
紫様は洩矢神の顔の近くに立って、見下ろした。
私も八坂神の顔を見下ろす。
そのまま、じっとしていると、諏訪子様の頬がピクピクと動きはじめた。
神奈子様の眉も、ピクピクと動いている。
私と主は顔を見合わせた。
――あれをやるわよ、藍。
――了解しました。
目だけで会話した私達は、眠る神様の足元へ移動し、同時にしゃがみ込む。
そして、その四つの無防備な足を、思いっきりくすぐった。
「「ぎゃはははははははははは!!」
神様二柱が同時に笑い声を上げる。
だが、私達はくすぐるのをやめない。
指先で撫でるようにアキレス腱を撫でながら、ふうっ、と指に息をかける。
「ぎゃははははうひゃっ! うひゃひゃひゃひゃやめてやめて!」
「ぎゃははははひゃっ! こ、降参するからひゃひゃあーうー!」
これぞ、八雲一家に伝わる秘伝。
狸寝入りする者に対するお仕置き、奥義『看破寝太陽神(かんぱねるらー)』である。
神をも屈服させるこの威力。
いずれは橙にも伝授してやらなきゃね。
くすぐりはその後五分ほど続き、終わったときには神様達はぐったりしていた。
「全く……ここは空気を読んで眠っていてほしいところですわ」
「いやいや、すまなかった。ご期待に添えず、申し訳ない」
「早苗の寝顔を見てるとついねー。でも凄い技だったよ。今度教えて。神奈子に試してみるから」
「……………………」
予想してなかった展開に、私は面食らっていた。
東風谷早苗が寝ている横で、四人で座って会話しているのだが……。
神様二柱が紫様に、空気を読まなかったことについて謝っている。
それどころか『看破寝太陽神』を教えてもらいたがっている。
幻想郷ならではの珍妙な光景だな。
「まあ、お二柱なら術が効かないとは思っていましたけど」
「いや、諏訪子は眠った」
「神奈子だってちょっと眠ったでしょ」
「どんなもんかなー、と試してみたのよ。あんたとは違う」
ふん、と鼻で笑った八坂神に対し、洩矢神は頬を膨らませている。
二人とも、なんとも人間臭い表情だ。
フランクな神様だとは聞いていたけど、これほどとは。
「残念ながら、あれ以上威力を強めると、人には強すぎるので」
「なんの、大したものだよ。私がやっても力技にしかならない。
流石は強力な妖怪ぞろいの幻想郷の親玉といったところか」
「光栄な話ですわ」
「…………」
と、一人だけ浮いていた私に、諏訪子様が話を振ってきた。
「そっちの狐さんは?」
「私の式で、藍といいます。挨拶しなさい、藍」
「はい。八雲藍と申します。先ほどは失礼しました。以後お見知りおきを」
私は丁重に挨拶をした。
「私は八坂神奈子。いい面構えしてるわね」
「洩矢諏訪子よ。カッコいいね。よろしく、藍」
「は……ありがとうございます」
神から誉めてもらい、少し嬉しかった。
しかも、カッコいいとはな。
ただし、主の前で顔をゆるめぬよう、口元を引き締める。
神奈子様がそこで、紫様に視線を戻した。
「その様子だと、もうあらかた見回ったの?」
「ええ。ここが最後となります」
「そうか。それはお疲れ様」
「いや、感謝しているよ。ここんとこ本当に心配していたんで」
「いえいえ、これは幻想郷全体のことですから」
「…………?」
急に会話の流れが分からなくなって、私は心の中で首をかしげた。
「私たちもすでに幻想の神よ。だから感謝するのも当然」
「そして、早苗の家族としても、心からお礼を言います」
洩矢神が、あははと笑って手を合わせる。
八坂神は敬語となり、眠る風祝の髪を優しい手つきで撫でた。
「これほど気持ち良さそうに眠る早苗の姿を見るのは久しぶりです。ここに来てから、だいぶ心労が貯まっていたようで」
雷に打たれたようだった。
私はそこで、ようやく気がついたのだ、今夜かけられた術の真意に。
動揺を抑えて横目で見るも、主は知らん顔をしていた。
八坂神と洩矢神が言葉を続ける。
「心配かけまいと頑張っている姿が、見ていて辛かった」
「私達が言っても聞かないし、心を傷つけてしまうかもしれない」
「壊れてしまう前に、こうして休むことができた」
「幸せそうな寝顔が戻った」
そこで、二柱はこちらを向き、にっこり笑った。
「「おかげで家族を失わずにすみました。ありがとうございます。八雲紫」」
飾らない言葉。
だからこそ、その一言は、神としての力強さと、感謝の気持ちが十分にこめられていた。
畏敬の念が、私の全身を痺れさせていく。
だけど私の主、八雲紫は、ひるむことなく悠然と、その言葉を受け止めていた。
「もったいないお言葉ですわ。これからも幻想郷をよろしくお願いします」
その言葉には、神にも劣らぬ実力と、親愛の念がこめられていた。
そこからは、たわいも無い世間話が続いた。
私は何も言えなかった。
※※※※※
幻想列車は、あてもなく空を飛んでいた。
私は窓の外を見ていたが、ただ目に映しているだけだった。
運転する主は何も言わない。
それが逆に、私には辛かった。
先ほどの談笑を思い出す。
あの時、動転する自分の、横に立つ主が誇らしくてたまらなかった。
自分はこの方に仕えているんだぞ、という喜びが、私を奮い立たせた。
だが、それはすぐに自戒の気持ちへと変わり、ついには気分がどん底へと落ちていった。
私は結局、今回も気がつけなかったのだ。
と、電車が何もない空中止まった。
「着いたわ、藍」
「え?」
主は運転席から立ち上がった。
車掌服のまま、日傘を手にして、微笑んでいる。
「外に出ましょう。気分転換に」
「いい光景でしょ」
「…………」
夜空に浮かんだ列車の上から見下ろす幻想郷は、確かに不思議な感じがした。
雲に覆われた山頂で、三日月が休憩している。
その近くには守矢神社。麓には迷いの竹林。永遠亭の明かりは消えていた。
魔法の森から、湖の岬の紅魔館、東の果ての博麗神社。
この高さから、幻想郷がちょうど一望できる。
しかし、私はその光景を楽しむ余裕は無かった。
「立ってないで、座ったらどう?」
「……座れませんよ」
列車の屋根に腰をかける主の誘いを、私は断った。
「私はまだ、貴方の隣にはいられません」
「いいから座りなさい。命令よ」
「……はい」
私は遠慮がちに、その隣に座った。
「出発前に貴方は言ったわよね。幻想郷が眠っているって」
「……? はい」
予期せぬ一言に、私は首をかしげながらも、肯定した。
そう言えば、そんなふうに言ったような気がする。
「大正解よ」
「…………?」
「藍。この幻想郷は生きてるのよ」
主は幻想郷全体を包み込むように、両腕を広げた。
「幻想郷は生きている。息をして、活動し、成長しているの。だからこそ……たまには休まなくてはいけない。
放っておけば、いずれは無理が祟って歪みが大きくなり、崩壊することになるわ
だから私は、こうして眠らせる時間を作っている」
「…………」
横に座る主は、ぽん、と私の頭に手を置いた。
「貴方はすぐに気がついた。幻想郷が眠っていること。この世界が生きていることに気がついたのよ。さすがは私の式ね」
「紫様……」
しかし、滅多に無い主の誉め言葉にも、私は喜べなかった。
頭に載せられた、その手の温もりに耐えられなかった。
「それは、慰めですよね」
「………………」
「眠っていただなんて、ただの表現の問題ですよ。
結局何もわかってなかったんです。主の真意に気がつけなかったんですよ。
そんな式なんて、意味がありますか!?」
私は頭を振って、主の手を払った。
「成長していたと思っていたのに、私はちっとも成長していなかったんです」
情けなかった。
昔の私は、努力しなきゃと頑張り続け、いつかは努力に追われるようになってしまい、
ついには目的を見失ってしまって、闇雲に前に進もうとした。
あの時は紫様に冷たくされた。途中でこれはいけないと気がつき、その努力を楽しんで……、
いつかは努力なんて言葉はいらなくなっていた。
しかし、今になってそのことを後悔してしまいそうになる。
もっと頑張れたかもしれないのに、もっと成長できたかもしれないのに、
そう考えるのが無意味だと分かっていても、私にはやめることはできなかった。
「……本当は……本当はずっと見返したかったのに。貴方のあの言葉を聞いてから」
「……………………」
ついに私は、心のずっと深いところで眠っていた、その言葉を起こした。
「式は道具。貴方にそう言われても、仕方がありません」
口にしてから、寂しくて泣きたくなった。
この方の隣に立って戦うに相応しい存在になろうと思っていたのに。いつまで経っても、自分は未熟なままだ。
私は、もっとちゃんと認めてもらいたいのに。
式として……いや、本当は努力して、式以上の存在として。
主はふわりと立ち上がった。
「藍。中に入りなさい」
「……………………」
「メインイベントが来るわ」
「……え?」
私は顔を上げて、主の方を見る。
主は細めた目で、ずっと遠くを見ている。
「早く入りなさい。忙しくなるわよ」
「メインイベントは霊夢の寝顔だったんじゃないんですか?」
「あれは嘘。本当のショーはこれから始まる」
凄絶な笑みを見せて言ってくる。
釈然としないままだったが、私は大人しく列車の中に入った。
主も運転席に座る。
「どういうことですか?」
「弾幕戦よ」
「はい?」
「ごっこ遊びじゃない、ということよ」
何を言っているのか。
…………と、
「!?」
血が沸騰するほどのプレッシャーを感じて、私は身を固くした。
だがそれは、前の運転席に座る主のものではない。
遥か遠くから浴びせ掛けられているものだった。
しかも、どんどんと近付いてくる。
それにつれて、その気配も強大になっていく。
「な、なんですか、これ!?」
「怖いお方よ」
主はそっけなく返した。
さらに問いただそうとした私は、奇妙な音を聞いて口をつぐんだ。
風音のような、何かの叫び声のような。
そして、その強烈な気配の主が、飛んでくるのが見えた。
「…………ゆ、紫様。あれって、もしかして」
「その通り」
全身から冷や汗が出てきた。
私は主の側に立ちながら、その存在を食い入るように見た。
「やあああくうううもおおおおゆううううかあああありいいいいいい!!!!」
術が解けて幻想郷が一斉に起きるのではないか、というほどの轟音が、車両を揺らした。
あまりの迫力に、尻尾の毛が逆立つ。
空中で仁王立ちしているのは、紫様が大の苦手だと言っていたあの方だった。
蓮の花をかたどった大きな帽子に制服、握り締められた笏。
幻想郷を担当する閻魔様。
四季映姫・ヤマザナドゥだ。
しかしその様子は、いつもの閻魔様とは別人のようだった。
厳しくも柔らかい口調、落ち着いた物腰、理知的な表情。
そうしたものが全て失われている。
目はギラギラと輝き、口からは牙まで生えている。
そして、何よりこの威圧感。
冗談抜きで膝が震えてしまうのだ。
間違いなく、閻魔様は怒っている。
というか、キレている。
しかし、何故あれほど怒っているのか?
「紫様、どういうことですか!?」
「どうもこうも、私が悪戯で幻想郷を眠らせたことを怒っているんでしょ」
「なるほど…………って悪戯ぁ!? 大事な儀式じゃなかったんですか!?」
「趣味と実益をかねているのよ。で、何であの方がここまで怒っているかというと」
そこで再び、外からの一喝が車両を震わせた。
「どうして!! どうして貴方は!! いつも! いっつも!! 私が珍しく仕事で忙しい時に限ってこういうことをやるんですか!!
これで何度目だと思っているんですか!! いい加減にしなさああああい!!」
…………。
私はジト目で主の顔を見た。
「……仕事が大変だと思って、特に強力な術で眠らせてあげようとしてるんだけど、全然眠ってくれないのよね、毎回」
曇りなき笑顔で言う主に、私は呆れるしかなかった。
「今日という今日は許せません!! ブラックコーヒー十杯に、目の下に湿布、鼻にワサビ!
最近手に入れたえーりんZうどんげ印! ここまでしなきゃ意識も保っていられないのです!
私の苦しみを味わえ!! 物理的に地獄の底に叩き込んでやるから、そう思いなさい!! それが私にできる善行よ!!」
私は呆れるのを通り越して、頭を抱えてうずくまった。
「藍。始まるわよ。摑まってなさい」
「って何が始まるんですか!?」
「言ったでしょ。弾幕戦よ。この車両から離れたらダメよ、ルール違反だから。いいわね」
「命の危険を感じるんですけど!! あんな閻魔様初めて見ましたよ!?」
「そりゃそうよ。だって本気だもの」
そう言いつつ、主は指で印を結んだ。
車両全体が、防御結界に包まれる。
閻魔様が目をむいて、手にした笏を上に構えた。
と、窓ガラスがけたたましい音を立てた。
「なっ! 紫様の結界越しにこの威力!?」
「言っておくけど、今のは弾幕でも何でもない。ただの『威圧』よ」
「げぇー!! 死にますよマジで!!」
「だから、貴方が成長するまで待っていたんでしょ」
主は舌なめずりしながら、ハンドルを握った。
「行くわよ藍。貴方の成長っぷりを見せてもらおうかしら」
「すみません!! 修行しなおしてきたいんですけど、いいですか!?」
「却下」
その言葉と同時に、列車が急降下を始めた。
後ろから、万を越える数の虎のような吠え声がした。
「さあ! 楽しい弾幕戦の始まりよ!!」
「助けてええええええ!!」
私の叫びは、やっぱり届かなかった。
※※※※※
一方その頃、
「いやあ、凄い眺めだね」
「そうだね。外の世界では見られなかったわね」
守矢神社の上で、神様二人が酒を飲みながら、のんびりとその光景を見ていた。
「血が騒いでこない?」
「まあ、邪魔しちゃ悪いでしょ。また今度の機会ということで」
杯を傾けて、神奈子は不敵に笑った。
諏訪子は額に手をかざして遠くを見ながら、歓声をあげる。
「うひゃーすげー。本当に愉快ね。こっちに来て良かったよ」
「あら。最初は勝手なことしてって威張ってたくせに」
「……そんなこと言ったっけ?」
「言ったじゃないの。博霊のが来た時に。私のことを、『あんな女は敵だ』とか言って」
「あれは本気でムカついてたんだよ! 神奈子が悪いんでしょ!」
「何が悪いのよ」
「早苗のコロッケ一個多く食べたくせに!」
「なっ! その前日の唐揚げは諏訪子が殆ど食べたんじゃないの!」
「いいでしょ!! 私はずっと食べられなかったんだから!!」
「そんな理屈があってたまるか!!」
「やるかこの!!」
「おう!! やってやろうじゃないの!!」
神社の屋根の上で、神様二人は仲良く取っ組み合いを始めた。
※※※※※
二人の大妖怪の弾幕戦。
主が運転する車両の中で、私は倒れぬようバランスを保つのが精一杯だった。
上下左右、時には後ろにまで進む操縦は、子供が振り回す玩具よりも無節操だった。
「っていうか……酔うかもしれない私」
「しゃべっていると舌を噛むわよ。……あらまずい」
主がハンドルを急旋廻。
車両は傾きながら、左前方へと落ちていく。
同時に右に並んだ窓が
ズドン!!
という音ともに振動する。外を白い光弾が過ぎていくのがわかった。
間近で大玉の花火が炸裂したかのようだ。
かすってすらいない弾幕なのにこの衝撃。
尋常ではない。
「あまり暴れられると、後が大変なのよね」
あくまで軽い口調で、主はハンドルを捌く。
右手に見える紅魔館が遠ざかっていく。
黒い影が高速で時計台を通り過ぎて、追って来るのが分かる。
そしてまた、閃光を確認。
「くっ!」
私は印を結び、外に防御結界を増やした。
感覚が外気に触れて、圧倒的な質量が近付いてくるのが分かる。
そしてまた、
ズガガン!!
「ぐわっ!!」
防御結界を通り越して、両手が痺れた。
数こそ普通の弾幕だったが、弾の一つ一つが大砲のようだ。
私の即席の結界など、紙の盾にしかならない。
列車は魔法の森の上を走り出す。
後ろから襲い掛かる光弾を、列車は尻を振りながら軽やかにかわす。
主のハンドル捌きは絶妙だった。
「……って、それで動かしているわけじゃないでしょうに!」
「気分が大事。スリルがあるでしょ」
と、前方に弾幕が出現した。
「紫様!」
「………………」
主はその真ん中を突っ切った。
台風に突っ込んだようにして、列車が凄まじい振動にさらされる。
歯を食いしばって、床に頭を打ちつけないようにするのが精一杯だった。
やっと抜けた先では、先回りしていた四季映姫が浮かんでいた。
長い笏を振りかぶっている。
「藍! 右へ!」
「はい!」
すぐさま私は左から『車両に』念動力を叩きつけた。
その力を受けて、列車が水平に吹き飛ばされ、軸をずらす。
そして、その後を、笏が過ぎて……。
その巻き起こした風だけで、車両が空中を横転した。
「うわあ!!」
悲鳴を上げて、椅子にしがみつく。
主は座席に座ったままだ。
しかし、その顔には汗こそ浮かんでいなくとも、厳しい表情だった。
たまらず私は怒鳴った。
「これっていつ終わるんですか!」
「列車が大破するか、あちらさんが戦闘不能になるか。まあ弾幕ごっこと大して変わらないわね」
ってちょっと待て!
「この列車って、当たり判定でかすぎじゃないですか!?」
「霊夢の3000倍ってところかしら」
「計算してる場合ですか! 圧倒的に不利でしょ!」
「文句言う前にスペルカードでも放ちなさい。攻撃は最大の防御よ」
言われて私は気がつき、慌ててカードを取り出した。
『四面楚歌チャーミング』。
名前とは裏腹に凶悪な性能を持ち、特に相手を包囲するのに優れている。
私は列車の最後尾へと走り、後ろから迫る閻魔に向かって、カードを投げつけた。
スペルカードが発動する。
水色の光弾がいくつもの列を無し、糸のようになって四季映姫を絡め取ろうとする。
それを確認して、私は両手から赤い大きな弾幕を放った。
この2パターンをかわせるか!?
しかし、相手の対応は想像の斜め上を言っていた。
加速と急停止を繰り返し、弾を引きつけながら直角にかわしていく。
飛んだ後の軌跡が、複雑な光の多角形を描いた。
私はあくまで大玉を放ち続ける。
しかし、近付くスピードは落ちない。
ついにはその表情が確認できる程度まで近付いてきて、
急に姿を消した。
「!? 紫様! 閻魔様が消えました!」
「…………ちゃんといるわよ」
「えっ」
ズガン!
突如、車両の天井から、巨大な笏が突き破って出てきた。
「ひっ」
笏はすぐに引っ込む。
そしてまた、別の場所から突き出てくる。
列車の上か!
直接紫様の防御結界を貫いてくるとは!
再び、笏が突き破ってきた。
だが今度は様子が違う。
その表面に、無数の光弾がついている。
「危ない!」
私は床に伏せながら、全力で防御の結界を張った。
笏が破裂する。
車内中に光弾が飛び交う。
石のあられを思わせるその攻撃に、私は立ち上がることはできない。
と、車両の中央にスキマが開いた。
同時に、暴れまくっていた光弾らが、それに吸収されていく。
後には粉々に散らばった座席が残った。
列車が急降下していく。
真下の湖が見える。
墜落する直前に、車両はぐぐっと上へと向き、
「藍。ジャンプしなさい」
「は」
い、と返事する前に、車両が上下逆さまに横転した。
一瞬先に跳んでいた私は、天井だった床へと降り立つ。
運転席の主は、天井になった席に座ったまま、運転していた。
先ほど外から笏によって開けられた穴から、水が漏れてきた。
湖に着水したのだ。
そのまま列車は、湖を高速で滑りながら回遊しはじめた。
「これで剥がれ落ちてくれるといいんだけどね」
「その前に溺れてしまうんじゃないでしょうか」
「…………あら困った」
ザスッ!
下から黒い笏が突きあがった。
水滴を垂らしながら、表面に書かれた楊震の四知の文字が光り出す。
急上昇していく列車の中、腰を抜かした私の前で、笏は丸く床を切り取っていく。
そして、円形の床が跳ね上がった。
下から現れたのは、恐怖の権化だった。
目は赤く爛々と輝き、べたりと濡れた髪の先がざわざわと蠢いている。
般若のごとき表情で私を見つめる四季映姫。
歯の根が合わない。
紫ドールの百倍怖かった。
「…………八雲藍」
「はははははい!」
「返事はしなくてもいい……ソコヲウゴクナ」
金縛りの術でも何でもない。
ただの脅しの筈なのに、私は指先一つ動かせなくなる。
四季映姫はそこで背を向けて、笏を構えながら運転席の方を向く。
そこでは、逆さまになった主が、いまだに運転し続けていた。
車両はすでにかなりの高度に達している。
何もできない私の前で、映姫は主に向けて笏を振りかぶった。
――伏せて何かにしがみつけ!
神経パルスより速く、主からの命令が伝わる。
私の体はそれに従って床に伏せ、つり革のついた鉄パイプに摑まった。
瞬間、
「!?」
重力が逆転した。
足が宙に投げ出されそうになるのを、必死で耐える。
車両全体が、凄まじいスピードで急降下したと気がついたときには、不意をつかれたらしき閻魔が天井をぶち破って消えていた。
すぐに電車の天地が元に戻り、ひっくり返った私は床に投げ出された。
と同時に急発進。私は後部車両の隅まで飛ばされた。
背中から叩きつけられて、息が止まりそうになった。
「………………」
「生きてる? 藍」
「……死にそうです」
大穴の開いた床を、這うようにして私は運転席まで近寄った。
「まだ死んでもらっちゃ困るわよ。終わってないんだから」
「……閻魔様は吹っ飛んでいきましたよ」
「あの程度でくたばるなら閻魔様とは言えないわよ」
「…………」
もはや言葉も出ない。
と、遥か向こうに、確かに閻魔様の姿を見つけた。
ここから距離はかなり離れているので、追いつくのも時間がかかるだろう。
弾幕も届くとは思えない。
「藍。何ぼけっとしているの。来るわよ」
「……はい?」
「スペルカードよ」
そこで、黄色の神々しい光が、左の窓から差し込んできた。
夜の星を見失ってしまうほどの光源、それはまさしく、四季映姫のスペルカード宣言だった。
紫様がハンドルから手を離し、複雑な印を結びはじめる。
これは……四重結界か?
列車の周りを紋様が取り囲む。
四季映姫の放つ光が小さくなっていく。
そして……、
轟音とともに赤い光が私の目を焼いた。
強烈な熱波に吹き飛ばされそうになる。
目をつむった私は何とかこらえながら、必死で主を防御した。
光が消えて、薄く目を開けた時には、
前車両と後部車両のつなぎ目、その上半分が消えていた。
開いた穴から外の風景が流れていく。
穴の縁はドロドロに溶けていた。
再び閻魔の一撃が飛んでくる。
今度は視認できた。
赤い光芒が列車の後部車両を根こそぎ消し飛ばした。
焼かれた空気が突風となって服をはためかせる中で、私は驚嘆した。
「な、な、な、な、なっ!!」
「さすがね、四季映姫。即席の結界じゃ抑えられないか」
「何ですかあれ!!」
鳥肌が立つ。
角度次第では、山に風穴が開くほどの攻撃だ。
しかも、放つ気配も感じられない距離から、高速で動く車両一瞬で捉えて、紫様の結界を吹き飛ばすなんて。
これでは防御も何もあったものではない。
「スペルカード!? 兵器か何かじゃないんですか!?」
「『罪無罪』よ。千里の彼方まで逃げた罪人を、瞬時に地獄の業火で焼く。
お遊びとは違う本物の攻撃ね。ふふふ、やっぱり怒ってらっしゃる」
「信じられない。ここは幻想郷ですよ。妖怪大戦の時代じゃあるまいし」
「実戦から遠ざかっているのはお互い様ね。本気の本気はここからよ」
「あっ!」
遠くの四季映姫の身体から、輪光があふれ出ている。
それは鳥が一斉に巣立つかのように、幻想郷の空へと広がった。
さらに、こちらをじわじわと囲むように移動してくる。
このままでは進退窮まってしまう。
「こうして逃げ場を無くしてから、一撃で仕留めるのが本来の使い方なのよ」
「どうするんですか!」
「逃げ場が無いなら、逃げなきゃいいじゃない」
縦横無尽に弾幕から逃げ回っていた列車が停止し、反転する。
そして、一直線に襲撃者の元へと走り出した。
「ゆ、紫様!」
「藍。私は上に出るわ。貴方はここに座って」
「ええっ!」
「結界を前方に張りながら、電車をとにかく加速させなさい。いいわね」
「そんな無茶な……!」
「やれるわよね?」
「…………はい! まかせてください!」
返事と同時に主が消えた。
私は正面を向いた。
ひびの入った前の窓を、拳で叩き割る。
その先に、わずかに見える姿。
再び光が集まっている。
それに向かって、私は全速力で車両を進めた。
間の距離がみるみる縮まっていく。
前方に結界を張りながら、私はスペルカードを取り出した。
攻撃は最大の防御なり。
主の教えを実践する。
間合いを捉えた私は、スペルカードを宣言した。
「『狐狗狸さんの契約』!!」
四季映姫の周囲を、梵字が回り出す。
十二神将の力を借りた光が弾を放ちながら、周囲のエネルギーを収束させようとする閻魔を邪魔し出した。
目的は相手を仕留めることではない。
攻撃に必要な溜めの時間を長引かせる、時間稼ぎであった。
あとは、とにかく列車を進めることを考えるだけだ。
車両の上に立っているであろう、主を信じて。
そして、ついに閻魔の手の光が収束しきった。
「開」
それより早く、頭上の主から、莫大な力が放たれた。
行く手に『二つの』巨大なスキマが開いた。
表裏にぴったり重なるようにして口を開けている。
それに向けて『罪無罪』の光線が走った。
向こう側のスキマが、それを受け止める。
同時に私たちが乗る3500系は、こちら側のスキマへと飛び込んだ。
すぐに視界が開けた。
空間を飛び越えて出現した先は、閻魔の後方だった。
閻魔は、自らが放ち、スキマに飲み込まれた赤い光線が、別のスキマから跳ね返ってくるのをギリギリでかわしている。
その背中に、決定的な隙が生まれた。
列車が音速を超える勢いで突進する。
虚をつかれた閻魔が振り向きながら、悔しげな表情を浮かべる。
入り口と出口、防御用と反射用、合計四つの大スキマを開く荒業にはまったのだ。
主の計算どおり、車両は狙いたがわず、四季映姫と正面衝突した。
きりもみしながら飛んで行った閻魔様を見送りながら、天井に立つ主は敬礼してポツリと言った。
「さよなら……プリンセス善行」
「…………よく冗談を言う余裕がありますね」
疲れ果てた声で、私は何とかツッコミを入れた。
列車は二割を残して全壊していた。
もはやかつての面影は無い。残った天井も穴だらけだだし、運転席の窓もすでに出口といった感じである。
車両の正面は、クレーターのように陥没していた。
だが、電車以上に私の精神はボロボロだった。
「これで私は地獄行き決定ですよ。毎日頑張っていたのになぁ」
「大丈夫よ。あの方もストレス解消になったでしょうし」
「って本気で言ってるんですか?」
「日頃の仕事で貯まる鬱憤を、こうして晴らしているのよ。お互いにね」
……そうか。閻魔様は怖い人だとは聞いていたけど、普段はむしろ物凄く優しい映姫様なんだな。
今日の姿を公衆の面前で披露すれば、彼女は死に物狂いで働き続ける部下を得ることができるだろうに。
「ふふふ。これで11勝13敗23引き分け」
「あ、実は負け越しているんですね」
「藍が手伝ってくれるようになったので、これから勝ち星を稼げますわ」
「もうこりごりですよ。帰りましょうマヨヒガに」
「そうね、帰りましょう我が家に」
紫様が天井から降りてくる。
戦いを終えた3500系が、終点駅へと走り出した。
※※※※※
「はい、到着。お疲れ様」
東の空が明るい紫色に染まりだす頃、私達はマヨヒガに帰ってきた。
列車を降りてから、主はスキマへと車両を仕舞う。
私は感慨深く我が家を見上げた
なんだか数十年ぶりに帰ってきた気がしたのだ。
寝室では、橙が変わらずに眠っていた。
それを見ると、ようやく心の底から安堵できた。
一晩中他の場所を見回って、最後には死闘まで経験したのだ。
いつものマヨヒガの空気がとても有り難かった。
「……生きててよかった」
「大げさね、藍」
盛大なため息をついた私に対して、紫様は欠伸を一つしただけだった。
いつの間に着替えたのか、すでに車掌服から戻っている。
「そろそろ術が解けるころね。今回はあまり寝顔が拝めなかったけど」
「もういいです。疲れました私は。寝ます」
「あら、誰のせいだと思っているの?」
「私のせいじゃないことは確かでしょう」
「貴方のせいよ。出発が遅れたのは」
出発が遅れた?
何の話だろうか。
今夜は起きてからすぐに出かけたように記憶しているけど。
「実はもっと早くに貴方を起こそうと思ったんだけどね。できなかったのよ」
「どうしてですか」
「だって、藍の寝顔が可愛かったから」
布団を用意する私の手が止まってしまう。
ふふふと笑いながら、後ろから紫様が、私に抱きついた。
「一番最初の藍の寝顔が、一番可愛かったわ。だから、つい見とれちゃって」
「なっ! か、からかわないでください」
振りほどこうにも、主は離してくれない。
「本当よー。見ていて飽きなかったわ」
「ちょっと紫様!」
「子供の頃から変わってないんだもの貴方」
「そんなわけないでしょう……」
「起きている時も可愛いけどね」
耳もとで甘く囁かれる。
思わず力が抜けて座り込んでしまう。
「ゆ、紫様。橙が見ていますって」
「見てるわけないでしょ。寝ているんだから。だから、たっぷり甘えなさいな」
「そ、そんなあ」
「ほれほれ、ここはどうじゃ」
「どこ触っているんですか! やめてください!」
「親子のスキンシップに境界なんてないのよ」
「…………私は道具だったんじゃないんですか?」
思わず、むっとして、私は言葉を返した。
「そうね。貴方は道具で、私の手足。だから、両手両足を切り落とされたって、惜しくないわ」
見事なカウンターだった。
主はあごを私の頭に乗せながら続ける。
私は為されるがままだった。
「聞きなさい、藍。私は幻想郷の守護者。幻想郷の守り手。いかなる犠牲を払ってでも、この地を守らなくてはいけない存在。
私心や、えこひいきは、絶対に許されない存在」
「………………」
「だから、私には家族なんて、いてはならない。なぜならそれこそが、幻想郷にひびを入れてしまうから。
私を縛るものが幻想郷のルール以外にあってはならない。私は幻想郷の奴隷として生きなければならない。
貴方なら、言っていることがわかるわよね」
「…………はい、紫様」
その通りだ。
これほど幻想郷のために尽くしている人が、式を家族になんてことを許すはずがない。
愚かな私は、単に甘えていただけなのだ。
「だから……一度しか言わないから、よく聞きなさいね」
「えっ?」
見上げようとした顔が、胸に押し付けられた。
主の体温と柔らかさに心臓を鳴らしながら、私はじっと待った。
「誰よりも愛しているわ。わが娘よ」
夢にまでみた福音が、私を包みこむ。
その一言が聞きたかったのだ私は。
我慢できずに、私も主の体を抱きしめ返した。
「私もです……! お母さん」
抱きしめてくる手が強くなる。
記憶に埋もれていた匂いが、まぶたを重くする。
私はそのまま、紫様の懐で眠りについた。
「はい。サービスタイム終了」
「ぶめぎゃ」
急に足を払われて、私は受身も取れずに転んだ。
主はパタパタと服を払って、
「じゃ、私は疲れたから寝るわ。貴方も寝ておきなさい」
「紫様」
私は起き上がりながら、寝室へと向かう主の背中を、声で引き止めた。
「次にこの術をかけるときは、あらかじめ伝えてください。私がやりますから」
「あら。貴方にできるかしら」
「三日でやってみせますよ」
「それは大変ね。努力しなさいな」
「努力なんて言葉は要りませんよ。だって、好きでやるんですから。楽しくて仕方がないんです」
自信たっぷりに言ってやった。
主が振り向いて、微笑する。
生意気だけど誇らしい。そんな笑みを見せてくれた。
「そうね。じゃあ好きにしなさい」
「はい!」
私は子供のように、元気な返事をした。
主が寝室へと消える。
私は準備しかけていた布団を、しまいなおした。
さっきまで物凄く疲れていたはずなのに、今は動きたくてたまらない。
このまま徹夜で朝を迎えることになりそうだ。だが、構わなかった。
「よおし! じゃあ始めるか!」
気合の声を入れる。
まずは朝ごはんの準備をしようか。
いや、その前に冷たい水で顔を洗うか。
恐らく寝不足でひどい顔をしているだろう。
「朝の洗顔は一日の始まりってね」
私は先に洗面所へと足を運ぶ。
さて、と笑顔を作って、鏡を向いた。
凍りついた。
歌舞伎がいた。
顔が紅一色で塗られている。
さらにその上から、藍色の太い線が怒りの表情を作っている。
頬には黄色い絵の具で『九 尾』と書かれている。
荒々しいその笑みは、正義と悪を内に秘めた大妖怪を思わせる迫力だ。
そして、断じて信じたくなかったが、それは鏡に映った自分の顔だった。
………………。
誰の仕業かは火を見るよりも明らかだ。
問題は、いつから私はこの顔だったか、ということだ。
硬直する中、台詞が頭の中を駆け巡っていく。
「藍ちゃんも幸せそうな顔をしているわよ」
「こんな時間に何のご用かしら、怖い顔の妖怪さん」
「って、心配してどうするのよ。そんな怖い顔で」
「私は八坂神奈子。いい面構えしてるわね」
「洩矢諏訪子よ。カッコいいね。よろしく、藍」
ひょっとして、自分は起きたときから、ずっとこの顔で?
「スキマァアアアアアアアッ!!」
私はすぐさま犯人の寝室へと駆けた。
襖を開け放つ。
すでに布団にくるまっていた主の顔に向けて、問答無用で口に含んだ毒霧を吹きかけた。
八雲紫の麗しい寝顔が緑色に染まる。
主は突然の攻撃に目を覚まし、罵声を上げながら飛びかかって来た。
布団の上での、反則攻撃ありのガチンコバトル。
それは、お腹が空いた橙が起きるまで続いた。
(おしまい)
毎度毎度オチが酷いですがwwww(褒め言葉
次もお待ちしてます。
しかし誰も藍の顔を見て「大爆笑」という反応をしなかった辺り、やっぱり幻想郷の住人はいろんな意味で凄いッスw
一瞬ホロリと来たあとで、すぐに爆笑させられる、テンポの良いSSでした。
ところで、結界の外に捨てられた紫人形はもらっていきますね。
>誰よりも愛しているわ。わが娘よ
でも、歌舞伎だったんですね。このときもww
面白くて一気に読みました!
次回作も期待してます!
紫と映姫のバトルもいい感じでした。
映姫が本気になると紫をも凌駕するんですねw
さすがは閻魔様と言ったところですか。
上のほうの方も仰られてますが、貴方の書く八雲一家は本当に素晴らしい。
また是非、八雲でお話を作って下さいませ。
くそぅ・・・その前はちょっとしんみり来る話だったのに、やられた。
あれからどんなバトルを繰り広げたんでしょうねぇ。
オチが・・・!
最高でした
これが一瞬「それが私にできる暴行よ」に見えてしまいました。
それぐらい文章からでも気迫が伝わってきました。良いお話でした。
後半でいい話っぽくなってるけど、紅魔館や魔理沙のエピソードでの、
あからさまな上から目線が鼻につきました。
何様だ、余計なお世話だっつーの。とか思ったりしました。すいません。
なんという主だ!!
今後藍がどんな目で見られるのかと思うと涙が・・・。
よし。いい話でオチた!
…と思っていたらww
楽しませていただきました♪
えーきさまも大変だなw
紫と幻想郷と藍の関係は実にお見事。道具なら、いくら愛情を注いでもえこひいきにならないですよね。
次回作も期待してます
この親娘の話をもっと見たいです
あとオチも笑わせてもらいましたw
藍と紫の関係が暗示されてすごく楽しかったです
藍のツッコミにも紫様への愛情が感じられてあったかい気持ちになりました
楽しく読めたSSでした。
あと霊夢の地獄突きで吹きました
今回もお見事でした
自信かと。
ゆかりん最高。
藍しゃまの言うとおり四季映姫様はこの怒髪天モードの片鱗を小町っちゃんに見せたら多分未来永劫sabotageはナッスィング。
でも色々大事なモノを失っちゃうかもかも。
真面目にギャグオチお見事なりて。
創想話で長編といえる長さですが、しっかりとしたテンポところころ変わる場面に押されて読むことができました。
オチも、これはウマイ!と思えるオチがついて、読んだ後非常に満足しました。
おもしろかったです!
修正しました。ご指摘ありがとうございます。
布団をめくったら、友人を象った人形ってこれは見た瞬間惚れてしまうじゃないですか!!
というより、登場人物の中で一番レベル高いのは紫さまですね!
藍さまがかっこいい顔(歌舞伎)でシリアスしてるのにピクリとも表情変えないで付き合ってるんですもんね!!
とてもボリューム満点で、満腹になれたお話でした。
八雲一家は良い一家。
(*´ω`)
楽園の素敵なブッチャーでかなり笑いました。
面白すぎますよ
蛙の分際で・・・・そいや神奈子さまにもヘソあるのかなぁ。
――――どうでもいいですね。ともかく楽しませていただきました~
あの顔で幻想郷中回ってたのかよww
良い話で締められる所にさらにオチを付けるあたりお見事としか言えません。
紫らしさが出ててよかったです。
ただ四季とのバトルが、ちと間延びしたかなーって思えます。
まあ、妖々夢ゆかりん好きの戯言だと一蹴してください。
いいぞもっとやれwww単純にイイハナシダナーで終らないあたりが大好き
なんだかんだで仲のいい紫と藍が見れて大満足です
話がテンポよく、オチも最高です。
いいお話をありがとうございました。
・・・が。
う~ん。
ちょっと『八雲』の上から目線が気になりました。
カムパネルラ(看破寝太陽神・かんぱねるらー)のとこで「ああ、そういや銀河鉄道のパクr・・・インスパイアだったな・・・」と、思いだしました。
墜落したプリンセス善行は貰っていきますね?
親方!空から女の子が!
ただ、私も映姫様との戦闘描写はちょっと冗長だったかな、と感じました。
ほのぼの心がそこでちょこっと挫けちゃいましたので。
閻魔様のところは、もっとやりすぎなくらい閻魔様の幽鬼的な怖さが伝わるよう心理描写など力を入れると更に良かったと思います。悩ましいところですが、逆に冗長さが抜けるかなと
そして映姫怖すぎた
ノリノリじゃねぇかwwwww
あなたはそれでもお地蔵様の権化なのでせうか。
あと藍はやっぱり健気だ。
次回も期待してます
これやべえよww
いいシーンも歌舞伎姿藍にさせたらもうただのギャグwww
紫ドール怖いww 突込みどころがおおくていちいち素敵過ぎるww
あっちこっちで笑いすぎてしかもちょっといい話で参ったわw