「あっ」
幻想郷全域が今にも落ちてきそうな重い曇天に包まれた日の事。
簡潔に事実だけを言うならば、美鈴の解雇は最早秒読みであった。
紅魔館の玄関にはしばらく前から、フランとレミリアの胸像が並んでいる。
それが置いてある台に、美鈴は不注意の為にぶつかってしまった。
結果、そのうちフランをかたどった方だけが床に落ちて壊れてしまう。
盛大な破壊。特に麗しい顔面部分が二つに割れているのはまさに致命的。
痛々しい断面部分は玄関の、やわらかなあかりに照らされて。
美鈴は小さく呟いた。
参ったなあ。
それはただ単に妹様の似姿を破壊してしまった不敬と言うにとどまらない。
姉妹は、特にレミリアはこれをとても大事にしていたのだ。
以前パチュリーが文献を参考に窯を作ったのである。
紅魔館で本格的な陶磁器を焼けるようにだ。
他に武器防具の加工・強化も出来るようになったかもしれない。
ところがパチュリーは散々な出来の湯飲みを一個作って、それで満足したのか諦めたのかすぐに創作行為はやめてしまった。しかしてこの活動はむしろ館の主、レミリア・フランドールの吸血鬼姉妹を強く魅了した。
一週間ほど前になるか。その暇潰しのほとんど集大成として、お互いに相手の胸から上をかたどった白磁の像を作って贈り合ったのは。
美鈴は思い出す。これを贈られたフランドールが満更でもなさそうに微笑んでいたのを。
何故レミリアの作った方だけが壊れたのであろう。この説明には依然数行を要する。
フランの作品たるレミリアの胸像は優雅さの上に気品すら纏い、しかも実物ともよく似た芸術的なシロモノに仕上がっていた。
破壊のツボを心得た作り手はこれを応用して全てに共通する創造の骨をも会得する事ができたのであろうか。
一方レミリアが作った方はそれに比べれば少しばかり不恰好であった。
即ち……こう言ってしまってはなんだが、出来が良くない分不安定であるのが災いしたのだ。
……美鈴は思い出す。これを贈られたフランドールが満更でもなさそうに微笑んでいたのを。
あまつさえ
「素敵な像をありがとうお姉さま」
などとかわいくお礼まで言ったのを。
レミリアは妹が陰で自分の事を『あいつ』などと呼んでいる事を知っていたが、それでも妹に対する愛情は並々ならぬものが有った。
このお世辞にも上手いとは言えない作品とはいえ、いやむしろ下手な作品であるからこそ、素直に喜んで受け入れられた、その感動が有っただろうと、美鈴には簡単に推察できた。
それこそ、門番風情がバラバラに割って壊したとなれば即刻解雇、いや解雇ならばまだ良い、あのお嬢様方の手すがらに首から上を破壊される事まであり得ると考えなければならぬ。
……例えば胸から上を、この像が砕けたのと同じ様相にされる事まで考えなければならぬ。美鈴は戦慄した。
そこで慌てず騒がず探し出してきたのが接着剤だった。
チューブの接着剤を使えば大抵のものは修理できるとは日曜大工イストたる美鈴の持論だった。
接着剤の扱いに長けていたのが幸いした。
ある程度の悪戦苦闘の末に、多少ずれて前と形は変わったが修復する事ができた。
「う、まあ大丈夫。遠目に見ればわからない。きっとわからないレベル」
苦しげな声を上げる。
最高の出来とは言い難かったが、やり直すとはもう一回破壊するという事であるからしてできるわけが無い。見つかるリスクも有るのだ。
現状これ以上の処置も出来ないのだ。
接着剤でなんとかなるのはつまるところ、実用品だけだった。
美鈴の接着剤万能論が覆された瞬間であった。
同日の事。万年引きこもりのパチュリーが玄関に近寄る事は普段まず無いのだが、その日は不思議な巡り合わせと言おうか、小悪魔を伴って魔理沙の所へ貸した本を取り立てに行くと前々から決めていた日であった。
たいていの本は放っておくのだが、今度のはやりかけの実験にどうしても必要な内容が記載されているものだったから。
ところが外出は不慣れであった。あろうことか、紅魔館を出る前、玄関でもうけつまづいたのだ。けつまづいたとは物理的な意味である。つまりは玄関の所で、靴をよそゆきに履き替えて立ち上がった時に自分の長いローブを思い切り踏んづけてしまい、件の像の乗った台座の方に思い切り突っ込んだ。
美鈴の時と同じだった。台座の揺れは二つの像両方に伝播したものの、倒れて壊れたのは安定の悪いフランドールの像の方だった。
小悪魔は身を呈して守ろうとしたが間に合わなかった。赤絨毯の床にダイブしてキスする結果になった。
「ああ、まずいわ。レミィはこれをとても大事にしていたし。どうしようどうしよう……」
パチュリー・ノーレッジは己の失態にひとしきり焦った後。やはり流石は百年を生きた、賢明で狡猾な魔女である。小悪魔以外の誰にも見られていなかった事を確認すると、常識的かつ速攻の方法が正しい回答と思うに至った。
小悪魔に言って接着剤を探して来させたのだ。
彼女の賢明さと狡猾さが導き出した至高の回答が、接着剤であった。
やがて。
「レミィの作った時点でもともとちょっと変な形だったもの、このくらいわかりはしないわ」
修理をしたのも小悪魔である。あまり精度は高くなかったようで、所々粗が見え隠れするが、そんな事にかかずらわって時間を使っている場合ではないとばかり、自分の無二の友人に対して微妙に失礼な事を呟いては出発したのだった。
その日魔理沙は留守であった。そして、日が沈むまで待っても帰ってこなかった。
家をぶち抜いて捜索してやろうかとも思ったが、魔法を唱えようとすると急に体調の悪化を感じた。
喘息の身に魔法植物の花粉、胞子や、瘴気に満ちた魔法の森の空気は良くなかったのだ。
紅魔館に帰るなり自室のベッドにもぐりこみ、それから一週間ほど起き上がれず過ごした。
罰があたったのかもしれないとパチュリーは密かに思ったが、自分が一日した多くの行為のどれに対する罰かは判然としなかった。
魔女とは存在しているだけで罪を背負っているようなものだから……。
パチュリーの持論であった。
氷嚢の情緒無き冷たさが、脳幹を貫通して降りてゆき、奥歯にまで染みた。
完璧なメイドたる十六夜咲夜は普通なら掃除の最中にその胸像を落としたりなんかしなかっただろう。
2人による連続的な破壊と修理、魔改造が胸像の安定性を更に著しく失わせていたのだ。
ガシャン、と音が響き渡るのは空間を操って止めたが肝心の崩壊には間に合わなかった。
時を戻す事はできない。肝心な所で用をなさない能力である。
一瞬『自分は重用されているから正直に話せば罰されないかもしれない』と思ったが、『いずれにせよお嬢様は悲しまれるだろう。むしろお嬢様の精神衛生上壊れたという事実自体無い方が望ましい』と言い訳じみた事が心に浮かんだので従う事にした。
時間を操るなんて常識を外れて便利な能力を持っていれば失敗を認めたがらない咲夜の気質も当然かもしれない。
まずは時を止める。
次に、困った時の接着剤だ。
接着剤を取ってきて、ぐるぐると最後まで捻りだして使う。
咲夜の仕事はほとんど完璧であったが、それでも少しいびつになった。変化は蓄積したのだ。
「お嬢様には失礼かもしれないけれど、もともとだいぶ変な形だったわ。このくらいわかりはしないでしょう」
時が止まったままの世界で独り言を言った。
そして時が動き出したのだった。
……変わらず美しいままの胸像一つと、隣に前より少し形の歪んだ胸像一つとを残して、十六夜咲夜の姿は消えていた。彼女が白磁の像を割ってしまったとしても依然変わらず回り続ける、あの紅魔館ののんびりとした生活のリズムの中へと戻っていったのだ。
ガシャン。
……刹那の急ブレーキ。
……やかましい種類の音が響き渡ったのに誰もすぐにはこなかったので、彼女は胸を撫で下ろした。嗚呼そうかそういえば今は咲夜は買い出しに出ていて留守だったか、とか思いながら。
今度、像を壊してしまったのはあろう事かレミリア自身であった。暇を持て余して館内を歩いている途中、玄関のあたりをぎゅん、とほとんど最高速で飛んで行ったら、風圧でごとんと像が倒れたのだ。
まあ主観的に見てさえ完全に自分の過失である。流石に「どうしてもっとしっかり固定しなかったの、咲夜」などと責める事はできない。
この像は私が作り、フランが気に入った物。
きっと従者たちとて細心の注意を払っていた筈。自分で、しかもこんなくだらない失敗で壊してしまったとなっては本当に格好がつかない。カリスマ崩壊の危機ではないか。
なんとか隠すか、他人のせいにするか、しなきゃあならないわね。
物理的に隠すには無理が有ろう。それでは結局消滅する事になって、きっと盗人の仕業という事になる。他人に押し付ける事の危険には、どれだけうまくやっても本人は否定するだろうという事、そして破壊者をきっと、フランドールは許さず破壊してしまうだろうし、私も面子上、許す訳にはいかなくなる、という事。
……自分のこんなくだらないミスを隠す為に、人を陥れるのは流石に躊躇われた。
仕方ない。修理するのが一番だ。
気付かれぬうちに作り直すという案が一瞬頭をよぎったけれども、これとて相当うまくいった部類であった。同じ手間をかけたとて同じものができるかはわからないし、否、きっとできないだろう。
それに。とりあえずは当座をしのがねばどうにもならぬ。
道具を探して咲夜の部屋に忍び込む。
今従者は外出中であったから安心だ。
紅魔館で唯一赤があしらわれず紺色、青、銀、白黒だけでコーディネイトされた、スタイリッシュな風情の有る部屋。
奥の棚に光沢の有る黄色いチューブに入った、新品の接着剤を見つけた。
律儀なメイド長が、先日切らしてしまったのでと買ってきたものだ。手にとって、思う。誰にもばれずに先程の場所まで戻れるだろうか。とりあえず隠した破片は見つかっていやしないだろうな。静まり返った紅魔館で、レミリアの心臓は高鳴った。
レミリアは、音とは心音の事だけではないかという錯覚さえ覚えた。
結局誰にも見られず修理は完了した。
継ぎ目が見えていた。既にかなりいびつな様相である。まだまだフランの像であることはよくわかるのだが。
それでもレミリアは腕を組むと、満足げに言ったのだ。
「完璧に修復できたわ。うーん、我ながら良い出来ね」
……畢竟彼女には芸術的センスというものが足りていなかったのかもしれない。しかも彼女らの修理の累積は見た目より、安定性に齎すマイナスの影響が甚大であった。
その後もフランドールの像は安定性を欠き、ほとんど近くを通っただけでグラリと傾いてはガシャンと砕けた。
通りがかった人は皆修理、接着剤による修理を強いられるのであった。
修理する人は小悪魔であったり、妖精メイドであったり門番隊のメンバーであったり、あるいはまた再びレミリアであったりした。
やけに接着剤の減りが早いなと誰もが思ったけれど、それを言うのは大抵の場合自分で自分の首を絞める事になるから、誰も沈黙を守っていた。それにそのうちに気にならなくなるものである。
今やメイド長などは何も言わず高性能の接着剤を箱で仕入れていた。
来訪者の霧雨魔理沙が突入の衝撃によって粉々に割ってしまって、キノコで作ったお手製の接着剤で修復した頃には組み替わりすら発生し、本格的に何だかよくわからないものになった。
何だかわからないならば更に変わってもどうせ何だかわからない。
ここに白磁は益々自由に変化を始め、すなわち一日ごと、短くて半日ごとには変容し破滅し、合体し、伸縮し、おどり上がり。
住人たちは見るたびに形の変わる彫像をしかし、眺め、腕を組んで頷いては満足げに溜め息を漏らすのである。
いくらかの時を経て。
玄関に並んでいるのは白磁でできた二つの像。
白磁の像に変わりは無いが、片方はレミリアをかたどる美しい胸像。隣に並んだもう一個は最早謎の物体となって何をかたどったものか、胸像であるのか、像、であるかどうかすらも全く不明である。
ただ、白磁の欠片と接着剤との癒合物であるのだった。
レミリアは見てふと、ひょっとするとこれはもうフランではないかもしれぬと思った。
振りかえると窓に、晴れた日の太陽が徐々に夕焼けを展開して暮れつつあった。
離れた所で妖精メイドが立てる、乾いた足音がぱたぱたと響いた。
この間ずっと地下の寝床に伏していたフランドールがある時気紛れに起き出す迄には、更に数日の時を待たなければならなかった。
まあ、元から変だから仕方ないか
文体も相俟って寧ろホラーっぽいです
引き込まれる文章は純粋に感嘆モノなんだけど、無駄遣いしてないかい?
それを贅沢と言いきってしまったら良いんだけど。
しかしコメディー系の軽い文体にせずに、あえて真面目な文体にしたことでシュールさが際立ってると思います。
接着剤で固めたような歪さがレミリアやフランを、そして直そうとした面々の努力の後が紅魔館の温かさを象徴しているかもと思いました。いわばこの像は縮図かも。そう考えると隠れた本当のテーマは愛なのかも、と邪知。
おもしろかったです。
これだけやってて修理中に誰かに目撃されることがなかったのかww
いっそのこと影から誰かが壊すのを待っててすかさず罪を擦り付けるとかww
ほぼ全員が犯人だけど。最初に手を挙げてしまったら負けというゲームかw
いっそ全体を接着剤で固めるべきだろwww
つうか、誰一人倒れる原因に対策しないで、倒れて壊れることを前提で行動しているというのが、気が合ってる証拠かw
フランが見たら「やだ...なにこれ?」状態だろうなw
ハライテーwww
社会の縮図を見ているようだw
>台座に接着剤
ですよねーw
ツッコミきれないwwwww
文体の良さを生かしたオチとも言えるが、えっここで終わり?と、なった。
作中で高めた物を解放していない
奇才発見その発想はなかった(某お嬢様)
全員知らんぷりしてることと真面目な文体が組み合わさって、不思議と面白かったです。
ただ個人的にはフランの反応が見れるオチが欲しかったかなと。
下手な胸像であったからこそ、素直に喜んでくれたフランがどう感じるのか。序盤にレミリアに対するフランの心情が表れてる描写があったので、そこだけがほんの少しだけ残念でした。
としみじみ思い出してみたり。
「…グスッ…ごめんなさいお姉様…」
と、涙まじりに正直に謝るフランに「違います!私が悪いんです!」と贖罪する皆さん!
温かい気持ちに包まれる紅魔館…!
いや、今の展開は普通過ぎました、ごめんなさい
私はてっきりフランちゃんが像を能力で思いっきり壊して
「あ、壊しちゃった。でもどうでもいいものだしね。お姉さまも本当に喜んだと思っていたのかしら」
的なオチだと思ってました。
我ながら発想が黒いなぁ
つまり笑い所とは、このお話の全部だったんだよ!じわじわくるってこういうことを言うんだなーと一つ勉強になりました。
ところどころの短い言い回しが妙に面白く、作者さんのセンスを感じさせる。
でも他のギャグ作品と比べると押しが弱いかなあ。独特の文章センスを、きちんとギャグに転用できていない気がする。
笑いどころもオチも、今一つパンチ力不足に感じました。
誤字?
>かかずらわって
かかずらって、でしょうか? 済みません私自身普段使わない表現なので、どちらが正しいのかわかりませぬ。
楽しかったです。感謝。