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地球は少し軽くなり、月は数百キログラム重くなった。
Our earth has now become somewhat lighter, and the moon several hundred kilograms heavier.
ニキータ・フルシチョフ
初夏の幻想郷。
あれほど煩い蝉の声がかき消されていく。
「3…… 2…… 1…… メインエンジンスタート。アンドリフトオフ!」
八卦路・メインエンジン点火。
メインエンジンの始動とともに、側面につけられたブースターロケットが作動する。
ブースターロケット内のダブルベース火薬――ニトロセルロースとニトログリセリンを基材とした固形燃料だ――が燃焼を始める。
ブースターロケットの燃料は1秒にも満たない僅かな時間で燃え尽きてしまう。だが、その僅かな時間をもって十数キログラムのロケットを持ち上げる。
ブースターロケットの助けを受けて重力から解き放たれたロケットは、メインエンジンの唸り声とともに天高く飛んでいく。
ギラギラと輝く太陽に向かって轟音を立てながら華々しく打ち上がり、ロケットは怪しげな黄色い煙の軌跡を残しながら斜めに進んでいき、見えなくなった。
日本晴れの初夏。空高く昇っていくロケットを見上げるにはやや眩しい時期だ。
「うおっし! 無事飛んだぜ!」
「観測データがうまく取れてればいいんだけどねえ」
幻想郷には珍しい、ビデオカメラを――それも、旧式ながらハイスピードビデオカメラだ!――を覗きこむ作業着の河童と、黒ずくめの山高帽をかぶった魔女が一人。
「今回の発煙剤は悪くないね。しっかり軌跡が見える。前のはひどかったからなあ」
「いい具合に魔力が詰まってるキノコを集めてうまいこと混ぜただけだから、再現性皆無なのが難点だな」
作業着の河童――河城にとりが口をへの字に曲げる。
「あれ、そんな作り方してたのかい。興味なかったから聞いてなかったけど」
「それが”魔理沙”の伝統ってやつだぜ」
「まったく、余計な部分まで一代目を引き継いじゃって。なんたって科学の粋を集め、理論の結晶であるロケットの打ち上げだよ? 支配するべき科学と理論は、魔理沙の伝統に――いや、幻想郷流に跳ね除けられたと聞いちゃあさすがにちょっとへこむかな」
「まあ、発煙剤ぐらい細かいことだぜ。軌跡が見えりゃいいのさ」
「まあね」
黒ずくめの魔女は、霧雨魔理沙によく似た、いやよく真似た少女だ。
名前はマリサで通している。
「さて、そろそろ落ちてるかね。データ回収といくか」
「速度はどうかなあ。音速はいってないと思うけど」
「射命丸に並走してもらいたいところだな」
「うーん、さすがにうちのロケットが負けるとは思わないけれど ……本気出されたらどうかなあ。抜かれたらちょっと悲しいな」
「違いない」
なんていっても精度は全く期待出来ないのが現状だ。煙による軌道を利用して空から追いかけて回収する。
幸いにして、幻想郷では全長数メートルのもうもうと煙を吐く物体はよく目立つ――別に幻想郷に限らないだろうか。
数十センチの小型のロケットを飛ばしていた頃と違う。すぐに墜落地点をみつけることが出来るだろう。
マリサとにとりは箒に乗り、おおよその落下予測地点である竹林へと飛んだ。
鬱蒼とした竹林においても、やはりロケットの落下地点と煙の軌跡はよく目立つ。
「うむ、人死にが出ていないようでなにより」
「ちょっと! またあんたら!」
煙をもうもうとたてているロケットだったものが刺さっている墜落地点にいたのは竹林の妖怪兎、鈴仙・優曇華院・イナバだ。
「発射の時刻は知らせてあるだろ」
「当日の朝方に来て『今日の12時頃にロケットを飛ばすから、竹林には入るなよー』って言い捨てていくあれのこと?」
「おうとも、それのことだ」
はあ、と鈴仙はため息をつく。
「まったく、ヨソのところでやってくれないかしら」
「いやあ、1キロメートルくらい誤差出してもおおむね安全な場所なんてそうそうなくてなあ。ここじゃほっとけば竹でさえ勝手に生え戻ってるし。途中で分離しちゃった部品の回収が困難なのは欠点だが」
「全部の部品に追跡装置載っけるわけにもいかないしねえ」
「あんたら、こっちの意見を聞く気はないわけね」
いやあ、とにとりが頬を掻く。
「マリサのいう通りでなかなか場所の確保が難しくてねえ。まあ、弾幕ごっこの先制攻撃と思って……」
「十数キログラムの物体が轟音をたてて突然飛んでくるのが弾幕ごっこ?」
「違うと否定は出来ない気がするぜ。 ……お、にとり。速度、加速度、高度データ、全部オッケーっぽいぞ」
「これで駄目ならテレメータ作らなきゃいけないと思ったけど、無事だったか」
「あ、でも噴射部撮影用カメラは駄目だな。丸焦げみたいなもんだぜ」
「そりゃ残念。断熱が甘かったなあ。また一工夫考えないと」
「あんたたち、もうすでに自分らの世界入っちゃったわけ?」
「おう。回収観測員、ご苦労ご苦労。もう仕事は終わったから帰っていいぞ」
「誰が回収観測員よ」
それにしても、と鈴仙がつぶやく。
「あんたたち月にでも行くわけ? 月面戦争は勘弁してよね」
「なんだそりゃ」
「あれ、知らないでやってたの? ちょっと前――あなたにしてみればだいぶ前かもしれないけど――の話よ。冗談みたいなロケットで、月までいったアレを」
「幻想郷のロケットが月まで到達しただって? ちょっと、詳しく聞かせろ」
「そんな聞かれても私は大して詳しくないわ、あなたのほうが詳しいと思ってたくらいよ。なんたって、あなたの敬愛するはた迷惑な一代目も噛んでたんだから」
* * *
幻想郷は少しばかり退屈になったと、人よりも少しだけ長命な妖怪は言う。
外界から幻想郷にかかる圧力が増している、とかの幻想郷の管理人は言った。
外界では探査機が太陽系を飛び回り、難病は克服されていき、争いは無くならないまでも、調停システムが機能し”良き時代”を迎えていると。そして、それと反比例するように幻想が失われている、と。
いつの日か、ごくわずかに幻想郷に入りこんでいた外界の人、物、文化が失われ、あらゆるものがシャットダウンされた。外界で失われた、幻想となったものさえ、流れ着くことはなくなった。それと同時に、幻想郷から外の世界に行くことも、ほとんど不可能になった。大きな力を持つ妖怪、神、もちろん人間も。
幻想郷は少しばかり楽園になったと、少しだけ長命な妖怪よりも、もう少しだけ長命な妖怪は言う。
進歩し、研鑽し、知恵を集積する人類、文明は強大すぎる。
妖怪にとって、いや幻想郷にとって外界との交流はごくわずかであっても危険が伴う。科学は魔法を取り込み体系化してしまうし、文明は原野を開発してしまうだろう。
今は外界からの圧力が弱まるのを待つべきだ。やがて耐え切れず崩壊してしまうとしても、それをわざわざ前倒しする必要はない、と。
いつの日か、外界を幻想郷は忘れつつあった。
「おーっす、ノーレッジさん。ちょっと聞きたいことがあるんだが」
「……ああ、マリサね。そんな呼び方するのはあなただけだもの」
「忙しくはなさそうだな。ちょっと聞きたいことがあってな」
第二次月面戦争に使われた月行きのロケットの設計者を探す場合、大図書館以外を探すのは彼女を知らないか、探すという名目で紅魔館に侵入しているかのどちらかだ。
「なんでも、ロケット愛好家の偉大なる前例らしいじゃないか」
「違うわよ。あんなのは余技よ、余技。魔法使いが本業よ」
「余技で月まで行かれちゃ面目が立たんなあ」
「言っておくけど、今行けなんて言われても無理よ。あれはあなたたちのやっているロケットと違って、純粋な幻想の産物だから」
「なんだそりゃ。適当いって煙に巻こうとしてないか?」
「状況が変わったのよ」
いつの間に頼んでいたのか、かの魔女を今も支える小悪魔が、当時のロケットに関する資料を運んできていた。
「まず一つ。あの時に頼っていた動力は稀代の天才、博麗霊夢が担っていた」
「ああ、あの」
「あれを再現するのは不可能であることが一つ。そして、外界と幻想郷を隔てる結界が、当時よりも厳しくなっていること」
「八雲紫がなんかやったっつーのは知ってるが、なんか違うのか」
「その八雲紫が結界の外に出るあらゆるものを監視しているというのが一つ。そして、それを振り切れたとしても今や幻想は幻想郷から出られない」
「……?」
「あなたがどれだけ魔法に頼っているかは知らないけれど、幻想郷で作られたあらゆる幻想は、結界の外に出た途端力を失うようになってしまった」
「マジかよ! おいおい、メインエンジンからして使えないのか」
「まあ、今やっているように結界内で飛ばすならなにも制約はないわ。別にそれでもいいと思うわよ。月以外にも目的はあるでしょう?」
「そりゃああるけどなあ。だが、研究ってのは前例を越えるのが醍醐味だろう?」
「越えるだけでなく、別の分野を掘り進めるのも研究よ」
「だが、まるで勝てないみたいじゃないか」
「誰によ。私に? いっておくけど、今の状況で同じことをやろうとしたらあなたのほうが遥かに進んで――」
「違うぜ。外の世界に、だ」
* * *
「やれやれ、通り雨に当たっちまったかね」
ざあざあ、と雨が地面を打つ。
第二次月面戦争時の資料を箒に括りつけたマリサが降り立つ。
竹林の近くの、ロケットのために建てた掘っ立て小屋だ。
資料、部品、データ、ロケットの残骸……あらゆるものが集積されている。
「おう、にとり。今の状況じゃほとんど使えないらしいけど、いっぱい資料を――」
「お邪魔してますわ、二代目さん」
扉を開けて待っていたのは、河城にとりではなかった。
幻想郷の管理人、八雲紫だ。
「噂をすれば影がさす? それとも影がさしたから噂をしたのかね」
「こちらはあなたがたの噂を聞きまして、影をさしてみることにしましたの。にとりさんは既に帰途につきましたわ」
「ほう、お忙しい管理人様が趣味人たちにいったいなんの用だぜ」
「少しばかり、話をしにね。幻想郷は、今や全てを受け入れるわけではなくなった……そんな話をね」
「歴史は苦手なんだがな」
八雲紫が小屋の中の、手製の椅子に腰掛けている。
長居の気配を感じ取ったマリサはため息をつきながら、タオルで体を吹きながら自分も手近に椅子を取り寄せ腰掛けた。
雨音が響く。
「外の世界は、あなたが思っているよりも今は進んでいる。幻想郷は小さく、弱く、儚いものになってしまった。外の世界に比べればね。幻想郷を守るには結界を強化し、孤立を深める必要があった。でもね……質量保存の法則はご存知かしら?」
「そりゃあ、まあ」
「外からの流入を拒んだ以上、内からの逃散を認めれば…… 幻想郷は少しずつ力が失われていってしまう。幻想郷が必要な者もを受け入れることも、幻想郷が不要になった者が出て行くことも認められない。残酷なことにそれが今の、私の力の限界ですわ」
「……つまり、何が言いたいんだぜ」
「あなたにとって幻想郷は狭すぎるんじゃないかと思ってね」
「狭すぎる……だって?私は、そんなこと思ったことは一度もないぜ」
「ええ、そうかもしれない。でもね、破天荒に飛び回り、あらゆる人や妖怪と酒を飲み交わし、ところ狭しと暴れまわった――」
「それは私、ではないだろう」
「……そうだったわね。でも、幻想郷もずいぶん狭くなってしまったわ。あなたが、あるいは次の誰かが外に突き破ろうとするかもしれない。それが成功しそうになったとき私は――」
「さっきから聞いてれば、まったく幻想郷の管理人が聞いて呆れるぜ」
マリサは帽子のつばを掴んで、かぶり直した。
「もっと信頼してくれよ、幻想郷の住人を」
「信頼……?」
「そうさ、幻想郷は弱いだの、力が失われるだの……私らはそんなヤワじゃないだろう」
「あなたは外界の現状を知らないから……!」
「そうだ、ほとんど知らない。だがね、外の人間は怨霊の管理が出来るのか? 十数体の人形を操り、料理させながらもう編み物がさせられるのか? 星空のように美しい弾幕を撃てるのか? 私達には、私達の強みがあるだろう」
「……外界の文明は強大よ。今は出来なくとも、いつの日か幻想郷を呑み込んだ時には、おそらく私達よりもうまくやってしまうでしょう」
「それがいけないんだ。なんで私らが呑み込む側に回れると思わん? 外界が幻想郷を呑み込むんじゃない。鉄の鳥がなんだ。遥か彼方と一瞬で連絡が出来る式がなんだ。そんなもの、私達が呑み込んでやるさ」
それに、と付け加える。
「私らはロケットも打ち上げられる。そのうち月までだってな。外界でもまだ大事業だろ、これは?」
雨は少し、弱まっただろうか。
* * *
「にとりー! やっちまったー!」
「な、なに……? 八雲紫に喧嘩でも売ったの?」
「いやまあそうじゃないが……広く取るとそうかも」
「うおおおおい! なにやってんのマリサ!」
八雲紫と対談した次の日。
妖怪の山の、河童の居住区にマリサは来ていた。未だに人間の入出をはっきりと天狗が認めたわけではない。だが、少なくともマリサのここへの出入りに関しては黙認されている。
「直接的な妨害はないとは思うがね。外界の資料、燃料の調達、その他諸々の入手ルートが一気に細くなった」
「なにそれ! 超怖いんだけど!」
「あと、大言壮語を吐いたので、なんか早い所成果をあげないと私がものすごく恥ずかしいぐらい」
「まあ、そっちはいいかな……私じゃないし……」
「おい」
慣れた様子で、にとりの部屋の座敷に座り込む。
「だいたいなー、『突き破ろうとするかもしれない』『それが成功しそうになったとき』ってのがなー。まるで今の私らじゃまだ突き破れないみたいじゃないか。ちょっとムカついた。というわけで突き破るぞ、にとり」
「あの、巻き込まないでくださいます」
「というわけで、目標は……幻想郷初の人工衛星だ」
「ハードル上げすぎな感じがするけど……もしかして、月行きの資料ってのが結構使えそうだったの?」
「いやそれがなー。聞いた話では全然使えなさそうで……」
「まったくもう……まずは課題設定かね。やれるだけはやらないとね」
「おう!」
にとりとマリサは大図書館で手に入れた資料だけでなく、あらゆるロケットや宇宙開発の資料を傍らに、課題を挙げていく。
「まず、えー。課題設定といいましたが、課題じゃない部分のほうが少ないよ」
「だよなあ」
「そもそも現時点のロケットでさえ上げたことのある高度はせいぜい数キロメートルだからなあ。地球周回軌道は低めに見積もって200キロメートルでしょ?まずこれどうするかだよねえ」
「メインエンジンに魔法由来の代物が使えないのが痛いよなあ」
「大結界の限界高度とか知ってる?」
「いや、全く知らん」
「だよねー」
「……いや、待て」
マリサは幻想郷の地図を引っ張り出してきた。
「これを見りゃわかるが、幻想郷はおおむね円形状だ」
「そだね。それは知ってる」
「この形は、大結界の形に依存してるのは間違いないだろう。では高さはというと……おそらく結界自体が半球、ドーム状になってるんじゃないか?」
「有力な仮説だね。調べるのもそんな難しくない ……もしそうなら、つまり」
「ああ、幻想郷の半径がおおむね20キロメートルだから……幻想郷の中央に位置する霧の湖あたりなら、同じく高度は20キロメートル程度あると見込めるだろう」
「なるほど。とはいえ、ある程度正確な数値を知っておきたいね。第一の目標は幻想郷の高さの限界に挑む、ってとこかね」
「おう。とはいえ課題は他にもいっぱいある。並行して進めていかんとな」
「気になってるのは制御機構だなあ。軌道に乗せる以上、水平方向に姿勢変える必要あるけど、この辺手付かずだよね」
「それについてはちょっと有力なアドバイザーに心当たりがあってね」
「そりゃいい。じゃあマリサはそっちをお願い。こっちはロケットの出力強化と、うまいこと結界出た瞬間の高度を測れる仕組みを考えておくよ」
「わかったぜ」
* * *
「はあ、やれやれ。それで、よりにもよって私のところに来るのか」
「おうとも。幻想郷の制御機構の第一人者といったらここだろ?」
マヨヒガで猫と戯れる橙を探しに来たのだろう。
式神を操る程度の能力の持ち主――八雲藍だ。
「ずいぶん紫様をやり込めてくれたらしいな」
「そんなつもりはなかったんだがね」
マヨヒガの縁側に藍は腰掛ける。
「紫様も悩み続けている。かなり長い間な」
「まあ、私みたいに簡単に割り切れない立場だってのはわかるがね」
「ある程度割り切ってはいる。だが、それでも悩ましいから辛いのだ」
「別にそんな話をしに来たわけじゃないんだがね」
「昨日の今日で、技術の交換の話だけで済むとも思っていないだろうに」
藍は懐から煙管を取り出し、雁首に手をかざした。
煙管の先に火が付き、煙が立つ。
「吸うのか」
「ああ、最近な」
マヨヒガの縁側に、煙が漂う。
「少し前と比べて、幻想郷は様変わりした。トラブルバスターは――いや、博麗霊夢も、東風谷早苗も、十六夜咲夜も――霧雨魔理沙も。いなくなってしまった。お前も似たような屋号を掲げてはいるが、ずいぶん性質が違ったものだろう」
「ああ。少なくとも私は、弾幕ごっこでさえもちょっとした妖怪に敵うとは思えん」
「違う。そうではない。必要としなかっただけだ。かの日の彼女たちは必要に応じて弾幕ごっこにリソースを注いだのだ。影に日向に、な。その努力は実を結んだ。人間と妖怪の交流は幻想郷の歴史においても深いレベルになり、もはや相互依存の域に達した。100年後どうなっているかはわからないが、10年、20年で崩れるようなものではなくなった。お前は、そうした新しい形の幻想郷に適応した英雄、というわけだ」
「英雄なんてよせ。私は好き勝手やってるだけだよ」
「だが、あの一代目ではない」
「そうだ。私は私だ。 ……そう認めるのには少しかかったのは、承知だろうが」
「彼女たちのような少女はもう現れないのではないか、と。そうして出来上がった奇跡のような、繊細な幻想郷を少しでも荒れ狂う風から守ろうと。 ……それが今の紫様の願いだ」
「まったく、お前らはいったい幻想郷をどう見てるんだ? それなりに気の利いたつまみか酒でも抱えて人里を数時間も歩けば、繊細なんて感想出てくるはずもないだろうに」
「それも含めて、築いたものが余りにも愛しく思えるのだろう。事実、今の幻想郷は栄光の時代、と言ってもいいだろう。特に、北の伊藤屋の油揚げなど素晴らしい。絶品だ」
「そうか? 貸本屋の質は落ちたし、銭湯のおっちゃんの愛想は悪いし、去年の大豆の出来はあまり良くなかったぜ」
はっきりと赤く、美しい夕日。マヨヒガの影長く伸びていく。
「お前らがそんなに立ち止まりたいってなら言っておくが、彗星、ブレイジングスターにブレーキはないんだ! ボヤボヤしてる奴らを拾う余裕はない。博麗霊夢が、霧雨魔理沙がいないからなんだ? 胡散臭い管理者の八雲紫に、うちのロケットに追い付きかねねえ天狗に、エイリアンでマッドサイエンティストで過保護な薬師に、課題を与えりゃほっといてもかき回しに来そうな吸血鬼に。いくらでもいるぞ、両手両足でも足りない! 八雲藍だって、八雲紫の単なるバックアップじゃなかろうに。私はロケットの制御機構について八雲紫ではなく八雲藍に聞きに来たんだ。幻想郷で一番詳しいと見込んでな」
縁側にも夕日が差し込み、紅い煙がゆらゆら揺れる。
「ああ、そうだな。そうとも。いいだろう。エンジンと燃料はお前らの仕事だ。それさえあれば月にだって飛ばしてやろう」
「残念ながら、まだないんだなあ。困ったもんだ」
「ふふっ、しっかり頼むぞ」
「おうとも ……たぶんにとりがやってくれるはずだ。たぶん」
* * *
「制御の計算装置についてはなんとかなりそうだぜ。ちとズルっこい抜け道っぽいが」
もはや夕日も落ち、月の光も雲に覆われて差さない。
小さな、ロケットのための小屋の灯りだけが辺りを照らす。
「そりゃよかった。エンジンの方はまだまだ改良がいるかなあ。ただ、高度に関しては資料があった。細かい部分に関してはこれから調べるそうだけど」
「調べる? 誰が? どこの資料なんだ、それ」
「射命丸様さ。妖怪の山で調べてるところを捕まって、高度計で調べておくから取材対象よろしく、って」
「高度20キロメートルを?」
「高度20キロメートルを。猛毒のオゾンが広がり空気も薄い成層圏を」
「なんだあいつ、化け物かね。ちょっとうちのロケットに対する自信がなくなってきたよ」
「とはいえ、結界は出れないけどね。単なる物体であるロケットはそうではないけど。で、次は機器だ。制御装置にデータを送るための加速度計と高度計に加えて、ロケットの角度を検出するジャイロは作成した。高度計と加速度計のほうは何度もつくってるだけあって自信あるけど、ジャイロのほうの精度は正直なんとも言えない」
「まあ初めてだしな」
「加えて、少なくとも二段式にしようと思ってる」
「マジか。複雑になりすぎやしないか?」
カリカリと双方の発言をノートに走り書きしていく。
思いついたアイデアも混ぜ入れながら。
「そうだね。ただ、考えとしては……そもそも外の技術をそのまま再現しようとしたら絶対無理だよね。2人で数十トンクラスのロケットは現実的に難しい。となると、その分を補うのは……」
「やはり、”幻想の技術”ってわけか」
「そうだね。というわけで考えとしては……まず、結界内、八卦炉エンジンが使える高度20キロメートルまでで出来る限り速度を稼ぐ。そして、結界を出たあたりでもう不要になったその部分を切り離す」
「上段のほうは……かなり難しいけど、ヒドラジンを燃料、硝酸を酸化剤としたハイパーゴリック推進剤を使ったものに挑戦したいと思う。周回軌道に乗せる上で、今まで使ってた固体燃料だと微調整が難しいから」
「オーケー。ヒドラジンと硝酸の入手は任せな」
「ヒドラジンは猛毒だかんね。注意してよ。それに加えて……八卦炉エンジンの効率、3倍に出来ないかな」
「……!? 3倍! 1.3倍の間違いじゃなくてか!」
「難しいのはわかるけど、それぐらいの無茶しないと現実的なサイズに小型化は難しそうだからね……上段の効率次第ではもうちょい抑えれるかもしれないけど、現状のオーダーとしては3倍でお願い」
「くっそ、しゃーねーな。機体の方は任せたからな!」
「こっちも出来る限り効率化しようと思うけど、そもそも初挑戦の部分が大きいからね……やりがいはあるんだけどね」
「ただ、道筋は見えてきたな」
「そうだね、やってやろうじゃんか」
月が雲間に現れ、少しの間地上を照らした。
* * *
夏は終わりを告げようとしている。
残暑は厳しいながらも、秋の気配は近づいてきていた。
「ずいぶん派手な色使いだな、マリサ」
打ち上げの当日、真紅に輝く巨大なロケットに藍は目を丸くしていた。
「スポンサー様のご意向でね」
「……ああ、なるほど」
「実際、気前よく出してくれたよ。要求した額の倍をキャッシュで投げ込んできた。まあ、それでもギリギリだったんだが。というか、幾分か持ち出しもしたし」
ロケットの下にはこれまた紅い絨毯。”赤道”だ。
「なるほど、前に月に行った経験も活かしているわけか」
「ああ。こういうのが以外と馬鹿にならん」
外界のロケットにおいては、遠心力によって重力が小さくなる赤道に近い地点の方が有利とされている。
そのために赤道を模した赤い絨毯を引いてある。第二次月面戦争の時に使われていた技術だ。
調整を終えたにとりは飛翔後のロケットのデータを観測するためのテレメータをまとめた小屋から出てくる。
「おう、どうだった」
「いやあ。手直しした部分はいっぱいあるけどね。まあ、妥協点としては悪く無いかなあ」
「なんだそれ、不安にさせんなよ」
「なに、モノづくりなんてのはそんなもんだよ、予算と日程と体力と、その他諸々とにらめっこして作るんだ」
「わかってるけどさあ」
発射の観測のために敷かれたござに座り込む。
「ところでさ、今更なんだけど……藍さんが設計した制御装置の仕組み、よくわかってないんだけど」
「今更すぎるぞ、にとり」
「いやあ、私はハード専門だから」
「ふむ。では少し説明しておこうか。まず初期の上昇時においては仮想で上空に設定した目標に対して飛行をし、ズレが生じた際に順次修正を――」
「あー、まってまって。全然わかんない」
「……早い話が自機狙い弾で、狙う自機の位置を適時設定している」
「なるほど」
「逆にハードの方はわからないぞ、私は」
「ああ、そっちは任せてよ。結界を抜けた先で慣性誘導を行えるように、制御装置によって演算されたデータを受けて順次修正を加えるために第二段においてはサイドジェットによる姿勢制御を採用したのが今回のロケットの新しい試みで――」
「だから、わからないって」
藍が苦笑する。
「外部の藍はともかく、にとりはわかっておけよ」
「なんだとう、マリサもわかってないくせに」
「私は設計担当じゃないからいいんだ」
「あっ、ズルい」
「しかし、調整に時間をかけすぎちまったかね。日が落ちるとまずいなあ」
「そうだね。明るいうちに上げないとね。不安材料はあるにせよ」
「やはり第一段と第二段の分離だなあ」
第一段と第二段の分離、及び分離した後の第二段の始動。
それが今回の技術的ネックだ。
高度20キロメートル――結界を脱出した後に、不要になった魔法を利用している部分を分離する。
実際のロケットにおいても使い終わったタンクなどを捨てることで軽量化を図るために行われ、必須と言っていい技術ではあるが、結界内での打ち上げに終始していたマリサ達にとっては初めての試みだ。
最下段、第一段のロケットは今までの経験の延長線上にある。
やや大型化しているが、打ち上げのコスト、及び作業量を鑑みてサイズは比較的小型に保ったままだ。
第一段のメインエンジンは八卦炉エンジンの改良型。3倍の効率は惜しくも達成出来なかったものの、従来型の約2.5倍の効率でロケットを上昇させる。足りない出力は、補助用として固体燃料であるダブルベース火薬を用いたブースターエンジン6基によって補っている。
問題は第二段だ。
最初のハードルが分離。高度計のデータが21キロメートルを指し示したときに出される信号によって、固定部を火薬で破壊して分離する。
ただ、そもそもこうしたロケットに載せた検出装置のデータを実際の動きに反映させること自体が初の試みだ。
外の計算機についても明るい藍が多くを手がけているとはいえ、ハードの部分でも、ソフトの部分でも不安は残っている。
続いて、エンジンそのもの。結界の外での運用を想定しているため魔法燃料も、第二段は姿勢制御のために、点火したら出力の調整が難しい固定燃料も使わなかった。使われているのは液体燃料。燃料と、酸素がない宇宙でも燃焼反応が起きるよう酸化剤の2種類の液体を燃焼室で混合させて用いる。
用いているヒドラジンは酸化剤――今回使用しているのは硝酸だ――と混ぜあわせた時点で点火する自己着火性(ハイパーゴリック)を持つ”ハイパーゴリック推進剤”だ。有毒で、腐食性が強いなどの難点はあるものの、常温で保存が可能なこと、混ぜあわせただけで点火することから点火器が不要なこと、そうしたメリットから採用に踏み切った。
だが、混ぜあわせただけで点火するということは事故にも繋がりやすい。
漏れなどはないか入念に調べてはあるものの、打ち上げや分離の衝撃――そもそもロケットは時速20,000キロメートルの飛翔物なのだ――など障害は多い。
「失敗しても、超音速と超高温で高空を吹っ飛ぶロケットなんてスキマでも拾えないわよ。せいぜい外をごまかせるくらい」
「お、なんか不吉っぽい奴が来たぜ」
「まったく失礼ね」
いつのまにか現れていたのは八雲紫だ。
「それよりももういい時間よ。日が暮れてから飛ばすのかしら」
「おおう、もうこんな時間か。焦るよりはいいが、もう確認も終わったしな」
「じゃあ……飛ばそうか、マリサ」
「飛べばいいけどな」
「飛ぶさ。どこまで行くかは保証外だけど」
「河童の製品はサポート悪いなあ」
* * *
「姿勢制御装置電源オン、テレメータ接続良好!」
「トーチ点火スタート!」
「機体フレーム冷却スタート!」
「水幕散水スタート!」
にとりとマリサの声が交互に響く。
「全システムレディー!」
「了解、メインエンジン……スタート!」
エンジンが点火し、辺りのあらゆる音をかき消し始める。
ロケットを支える支持アームを持ち上げる。
「支持アーム分離!」
「ロケットブースタースタート! リフトオフ!」
リフトオフ。
轟音をたて、ロケットは昇り始める。
「頼む、無事打ち上がってくれ……」
ロケットのデータを表示するモニターを睨みつける。
「ロケットブースター燃焼終了」
「了解、ロケットブースター分離」
順調に飛行を続け、真上に昇るロケットは小さくなっていく。
「メインエンジン、制御系、共に良好だね」
「うおっし、最初の山は超えたぜ!」
「浮かれてもいられないけどね、もうすぐ高度20キロメートルだ」
最大の山、第一段と第二段の分離が近づいている。
「といっても、もうやることもないぜ、私らには」
「祈るだけだねえ」
高度20キロメートル。幻想郷と外界、いや宇宙を隔てる地点へ近づいていく。
「メインエンジン停止。結界を超えたね」
「そうか、何か異常は?」
「今のところは。さあ、分離シークエンスだ」
実際にロケットが見えるわけではない。
高度と加速度と姿勢と、あとわかるのはせいぜい温度か何か。
それでもなお、二人はロケットの息遣いを感じ取れた。
「頼む、頼むぜ」
「うん……」
第一段と第二段の分離シークエンスに入る。
「固定部……破壊成功。分離は……うん、第二段と第一段の高度がズレてきてる。成功だ!」
「まだだ、まだエンジン点火がある」
分離はどうやら成功したようだ。だが、まだわからない。分離した部品の一部がロケットに衝突することもある。
慣性で飛んでいる限り、切り離した部分も遠くは離れない。エンジン点火までは……
「第二段……エンジン……スタート! 無事点火!」
「うおっしゃあ!」
「やや姿勢がズレたけれど、これなら制御システムで……」
エンジンは無事点火。加速度を増した第二段ロケットは高度を増していく。
「あとは周回軌道に載れば……いや……これは……」
「どうした、にとり」
「燃料の消費速度がおかしい。姿勢制御もうまくいっていない」
「なんだと、何が起きてる」
「ああっ、スピンし始めた! 何が起きてるんだ!」
「燃料の消費が異常……まさか! 漏れてるんじゃないか!」
「なんてこった! となると……ああ、やっぱりだ! 温度がどんどん上がっていく!」
制御出来なくなったロケットが見えなくなったわけでもない。轟音が聞こえたわけでもない。
だが、二人にはわかった。
外に漏れた燃料に着火し、予想外の爆発が起きたと。
おそらくそれは、エンジンや燃料と推進剤タンクを巻き込んでしまった、と。
つまり、打ち上げは失敗だと。
美しい夕日は、もう沈み始めていた。
「失敗……したのね」
八雲紫は沈んだ顔でそう呟いた。
「もしかしたらとは思っていたけれど……やっぱり、まだ幻想郷は」
「ああ、そうだな。残念会だぜ、今夜は」
「スポンサー様をお呼びしてだねえ。”レミリア様”の機嫌取るのやだなあ」
だが、二人は落胆はしていない。沈んだ顔さえ、一瞬だった。
「……辛くないの!? 予算を使いきって! 貴重な部品も失って! まるで今までやってきたことが否定されたようには思わないの!」
八雲紫は自分でも気づいていなかったが、期待していたのだ。新しい英雄の誕生に。
だからこそ、落胆が大きい。おそらく、この場で最も。
「そんなものは付き物さ。なあにとり」
「予算は使うためにあるんだもん、まあ、調達は面倒だけど」
「しかし第二段の分離で失敗か。なにがいけなかった?」
「おそらくだけど……燃料の密閉がうまくいってなくて、漏れたとっから爆発したんだろうなあ。第一段と第二段を分離するデカップラも、ハイパーゴリック推進剤を使ったエンジンも初めてだったからなあ」
「ショックだったりはしないの……? あれだけの力を注いで」
失敗はしたが、マリサもにとりも前を見ている。
「だから失敗は付き物だって。成功も、失敗もその時の出目次第さ。成功に満足するのも、あるいは失敗を恐れるのも、前に進まない原因にはならない」
「悔しくはあるけどね。うまくいってる部分に新しい試みを投入するのはリスキーだ。でも、そのためにエンジニアやってるようなもんさ」
「美しく、機能美に溢れ、技術的に成熟したロケットに、醜くて、不安定で、未成熟な技術をつっこんで、なんとか回すのも醍醐味なんだぜ。わからんかな。そりゃ、失敗は悔しい。でも何も得られない失敗ではないし、失敗からなにか得る準備もしてある。何度でも飛ばせばいい」
太陽は沈み始める。
再び昇るために沈むのだ。
「……そうね。成功に満足して取り残されるなんて、阿呆もいいところよね」
「おうとも」
「……もし、もしだけど……大結界がなくなって、技術的な制約がなくなったら……あなたがたはどこまでいけるかしら?」
「そりゃあ、月でもと言いたいところだが」
「だけど?」
「スポンサーは、どうも紅い火星のほうがお気に入りらしい」
「……ふふ、言ったわね」
「ああ、言ったぜ。何度でも失敗と成功を重ねてやる」
「いいわ。幻想郷が門戸を開くとき。火星行きのロケットを飛ばせるのなら――幻想郷が外と張り合えることを見せつけるには最高ね。やってもらおうじゃない」
「まったく、私ら二人にそんな重荷を背負わせるのか」
「いえいえ、幻想郷の遍く人妖達に働いてもらわないとね、ふふ」
宇宙には、国境も結界もない。
地球は少し軽くなり、月は数百キログラム重くなった。
Our earth has now become somewhat lighter, and the moon several hundred kilograms heavier.
ニキータ・フルシチョフ
初夏の幻想郷。
あれほど煩い蝉の声がかき消されていく。
「3…… 2…… 1…… メインエンジンスタート。アンドリフトオフ!」
八卦路・メインエンジン点火。
メインエンジンの始動とともに、側面につけられたブースターロケットが作動する。
ブースターロケット内のダブルベース火薬――ニトロセルロースとニトログリセリンを基材とした固形燃料だ――が燃焼を始める。
ブースターロケットの燃料は1秒にも満たない僅かな時間で燃え尽きてしまう。だが、その僅かな時間をもって十数キログラムのロケットを持ち上げる。
ブースターロケットの助けを受けて重力から解き放たれたロケットは、メインエンジンの唸り声とともに天高く飛んでいく。
ギラギラと輝く太陽に向かって轟音を立てながら華々しく打ち上がり、ロケットは怪しげな黄色い煙の軌跡を残しながら斜めに進んでいき、見えなくなった。
日本晴れの初夏。空高く昇っていくロケットを見上げるにはやや眩しい時期だ。
「うおっし! 無事飛んだぜ!」
「観測データがうまく取れてればいいんだけどねえ」
幻想郷には珍しい、ビデオカメラを――それも、旧式ながらハイスピードビデオカメラだ!――を覗きこむ作業着の河童と、黒ずくめの山高帽をかぶった魔女が一人。
「今回の発煙剤は悪くないね。しっかり軌跡が見える。前のはひどかったからなあ」
「いい具合に魔力が詰まってるキノコを集めてうまいこと混ぜただけだから、再現性皆無なのが難点だな」
作業着の河童――河城にとりが口をへの字に曲げる。
「あれ、そんな作り方してたのかい。興味なかったから聞いてなかったけど」
「それが”魔理沙”の伝統ってやつだぜ」
「まったく、余計な部分まで一代目を引き継いじゃって。なんたって科学の粋を集め、理論の結晶であるロケットの打ち上げだよ? 支配するべき科学と理論は、魔理沙の伝統に――いや、幻想郷流に跳ね除けられたと聞いちゃあさすがにちょっとへこむかな」
「まあ、発煙剤ぐらい細かいことだぜ。軌跡が見えりゃいいのさ」
「まあね」
黒ずくめの魔女は、霧雨魔理沙によく似た、いやよく真似た少女だ。
名前はマリサで通している。
「さて、そろそろ落ちてるかね。データ回収といくか」
「速度はどうかなあ。音速はいってないと思うけど」
「射命丸に並走してもらいたいところだな」
「うーん、さすがにうちのロケットが負けるとは思わないけれど ……本気出されたらどうかなあ。抜かれたらちょっと悲しいな」
「違いない」
なんていっても精度は全く期待出来ないのが現状だ。煙による軌道を利用して空から追いかけて回収する。
幸いにして、幻想郷では全長数メートルのもうもうと煙を吐く物体はよく目立つ――別に幻想郷に限らないだろうか。
数十センチの小型のロケットを飛ばしていた頃と違う。すぐに墜落地点をみつけることが出来るだろう。
マリサとにとりは箒に乗り、おおよその落下予測地点である竹林へと飛んだ。
鬱蒼とした竹林においても、やはりロケットの落下地点と煙の軌跡はよく目立つ。
「うむ、人死にが出ていないようでなにより」
「ちょっと! またあんたら!」
煙をもうもうとたてているロケットだったものが刺さっている墜落地点にいたのは竹林の妖怪兎、鈴仙・優曇華院・イナバだ。
「発射の時刻は知らせてあるだろ」
「当日の朝方に来て『今日の12時頃にロケットを飛ばすから、竹林には入るなよー』って言い捨てていくあれのこと?」
「おうとも、それのことだ」
はあ、と鈴仙はため息をつく。
「まったく、ヨソのところでやってくれないかしら」
「いやあ、1キロメートルくらい誤差出してもおおむね安全な場所なんてそうそうなくてなあ。ここじゃほっとけば竹でさえ勝手に生え戻ってるし。途中で分離しちゃった部品の回収が困難なのは欠点だが」
「全部の部品に追跡装置載っけるわけにもいかないしねえ」
「あんたら、こっちの意見を聞く気はないわけね」
いやあ、とにとりが頬を掻く。
「マリサのいう通りでなかなか場所の確保が難しくてねえ。まあ、弾幕ごっこの先制攻撃と思って……」
「十数キログラムの物体が轟音をたてて突然飛んでくるのが弾幕ごっこ?」
「違うと否定は出来ない気がするぜ。 ……お、にとり。速度、加速度、高度データ、全部オッケーっぽいぞ」
「これで駄目ならテレメータ作らなきゃいけないと思ったけど、無事だったか」
「あ、でも噴射部撮影用カメラは駄目だな。丸焦げみたいなもんだぜ」
「そりゃ残念。断熱が甘かったなあ。また一工夫考えないと」
「あんたたち、もうすでに自分らの世界入っちゃったわけ?」
「おう。回収観測員、ご苦労ご苦労。もう仕事は終わったから帰っていいぞ」
「誰が回収観測員よ」
それにしても、と鈴仙がつぶやく。
「あんたたち月にでも行くわけ? 月面戦争は勘弁してよね」
「なんだそりゃ」
「あれ、知らないでやってたの? ちょっと前――あなたにしてみればだいぶ前かもしれないけど――の話よ。冗談みたいなロケットで、月までいったアレを」
「幻想郷のロケットが月まで到達しただって? ちょっと、詳しく聞かせろ」
「そんな聞かれても私は大して詳しくないわ、あなたのほうが詳しいと思ってたくらいよ。なんたって、あなたの敬愛するはた迷惑な一代目も噛んでたんだから」
* * *
幻想郷は少しばかり退屈になったと、人よりも少しだけ長命な妖怪は言う。
外界から幻想郷にかかる圧力が増している、とかの幻想郷の管理人は言った。
外界では探査機が太陽系を飛び回り、難病は克服されていき、争いは無くならないまでも、調停システムが機能し”良き時代”を迎えていると。そして、それと反比例するように幻想が失われている、と。
いつの日か、ごくわずかに幻想郷に入りこんでいた外界の人、物、文化が失われ、あらゆるものがシャットダウンされた。外界で失われた、幻想となったものさえ、流れ着くことはなくなった。それと同時に、幻想郷から外の世界に行くことも、ほとんど不可能になった。大きな力を持つ妖怪、神、もちろん人間も。
幻想郷は少しばかり楽園になったと、少しだけ長命な妖怪よりも、もう少しだけ長命な妖怪は言う。
進歩し、研鑽し、知恵を集積する人類、文明は強大すぎる。
妖怪にとって、いや幻想郷にとって外界との交流はごくわずかであっても危険が伴う。科学は魔法を取り込み体系化してしまうし、文明は原野を開発してしまうだろう。
今は外界からの圧力が弱まるのを待つべきだ。やがて耐え切れず崩壊してしまうとしても、それをわざわざ前倒しする必要はない、と。
いつの日か、外界を幻想郷は忘れつつあった。
「おーっす、ノーレッジさん。ちょっと聞きたいことがあるんだが」
「……ああ、マリサね。そんな呼び方するのはあなただけだもの」
「忙しくはなさそうだな。ちょっと聞きたいことがあってな」
第二次月面戦争に使われた月行きのロケットの設計者を探す場合、大図書館以外を探すのは彼女を知らないか、探すという名目で紅魔館に侵入しているかのどちらかだ。
「なんでも、ロケット愛好家の偉大なる前例らしいじゃないか」
「違うわよ。あんなのは余技よ、余技。魔法使いが本業よ」
「余技で月まで行かれちゃ面目が立たんなあ」
「言っておくけど、今行けなんて言われても無理よ。あれはあなたたちのやっているロケットと違って、純粋な幻想の産物だから」
「なんだそりゃ。適当いって煙に巻こうとしてないか?」
「状況が変わったのよ」
いつの間に頼んでいたのか、かの魔女を今も支える小悪魔が、当時のロケットに関する資料を運んできていた。
「まず一つ。あの時に頼っていた動力は稀代の天才、博麗霊夢が担っていた」
「ああ、あの」
「あれを再現するのは不可能であることが一つ。そして、外界と幻想郷を隔てる結界が、当時よりも厳しくなっていること」
「八雲紫がなんかやったっつーのは知ってるが、なんか違うのか」
「その八雲紫が結界の外に出るあらゆるものを監視しているというのが一つ。そして、それを振り切れたとしても今や幻想は幻想郷から出られない」
「……?」
「あなたがどれだけ魔法に頼っているかは知らないけれど、幻想郷で作られたあらゆる幻想は、結界の外に出た途端力を失うようになってしまった」
「マジかよ! おいおい、メインエンジンからして使えないのか」
「まあ、今やっているように結界内で飛ばすならなにも制約はないわ。別にそれでもいいと思うわよ。月以外にも目的はあるでしょう?」
「そりゃああるけどなあ。だが、研究ってのは前例を越えるのが醍醐味だろう?」
「越えるだけでなく、別の分野を掘り進めるのも研究よ」
「だが、まるで勝てないみたいじゃないか」
「誰によ。私に? いっておくけど、今の状況で同じことをやろうとしたらあなたのほうが遥かに進んで――」
「違うぜ。外の世界に、だ」
* * *
「やれやれ、通り雨に当たっちまったかね」
ざあざあ、と雨が地面を打つ。
第二次月面戦争時の資料を箒に括りつけたマリサが降り立つ。
竹林の近くの、ロケットのために建てた掘っ立て小屋だ。
資料、部品、データ、ロケットの残骸……あらゆるものが集積されている。
「おう、にとり。今の状況じゃほとんど使えないらしいけど、いっぱい資料を――」
「お邪魔してますわ、二代目さん」
扉を開けて待っていたのは、河城にとりではなかった。
幻想郷の管理人、八雲紫だ。
「噂をすれば影がさす? それとも影がさしたから噂をしたのかね」
「こちらはあなたがたの噂を聞きまして、影をさしてみることにしましたの。にとりさんは既に帰途につきましたわ」
「ほう、お忙しい管理人様が趣味人たちにいったいなんの用だぜ」
「少しばかり、話をしにね。幻想郷は、今や全てを受け入れるわけではなくなった……そんな話をね」
「歴史は苦手なんだがな」
八雲紫が小屋の中の、手製の椅子に腰掛けている。
長居の気配を感じ取ったマリサはため息をつきながら、タオルで体を吹きながら自分も手近に椅子を取り寄せ腰掛けた。
雨音が響く。
「外の世界は、あなたが思っているよりも今は進んでいる。幻想郷は小さく、弱く、儚いものになってしまった。外の世界に比べればね。幻想郷を守るには結界を強化し、孤立を深める必要があった。でもね……質量保存の法則はご存知かしら?」
「そりゃあ、まあ」
「外からの流入を拒んだ以上、内からの逃散を認めれば…… 幻想郷は少しずつ力が失われていってしまう。幻想郷が必要な者もを受け入れることも、幻想郷が不要になった者が出て行くことも認められない。残酷なことにそれが今の、私の力の限界ですわ」
「……つまり、何が言いたいんだぜ」
「あなたにとって幻想郷は狭すぎるんじゃないかと思ってね」
「狭すぎる……だって?私は、そんなこと思ったことは一度もないぜ」
「ええ、そうかもしれない。でもね、破天荒に飛び回り、あらゆる人や妖怪と酒を飲み交わし、ところ狭しと暴れまわった――」
「それは私、ではないだろう」
「……そうだったわね。でも、幻想郷もずいぶん狭くなってしまったわ。あなたが、あるいは次の誰かが外に突き破ろうとするかもしれない。それが成功しそうになったとき私は――」
「さっきから聞いてれば、まったく幻想郷の管理人が聞いて呆れるぜ」
マリサは帽子のつばを掴んで、かぶり直した。
「もっと信頼してくれよ、幻想郷の住人を」
「信頼……?」
「そうさ、幻想郷は弱いだの、力が失われるだの……私らはそんなヤワじゃないだろう」
「あなたは外界の現状を知らないから……!」
「そうだ、ほとんど知らない。だがね、外の人間は怨霊の管理が出来るのか? 十数体の人形を操り、料理させながらもう編み物がさせられるのか? 星空のように美しい弾幕を撃てるのか? 私達には、私達の強みがあるだろう」
「……外界の文明は強大よ。今は出来なくとも、いつの日か幻想郷を呑み込んだ時には、おそらく私達よりもうまくやってしまうでしょう」
「それがいけないんだ。なんで私らが呑み込む側に回れると思わん? 外界が幻想郷を呑み込むんじゃない。鉄の鳥がなんだ。遥か彼方と一瞬で連絡が出来る式がなんだ。そんなもの、私達が呑み込んでやるさ」
それに、と付け加える。
「私らはロケットも打ち上げられる。そのうち月までだってな。外界でもまだ大事業だろ、これは?」
雨は少し、弱まっただろうか。
* * *
「にとりー! やっちまったー!」
「な、なに……? 八雲紫に喧嘩でも売ったの?」
「いやまあそうじゃないが……広く取るとそうかも」
「うおおおおい! なにやってんのマリサ!」
八雲紫と対談した次の日。
妖怪の山の、河童の居住区にマリサは来ていた。未だに人間の入出をはっきりと天狗が認めたわけではない。だが、少なくともマリサのここへの出入りに関しては黙認されている。
「直接的な妨害はないとは思うがね。外界の資料、燃料の調達、その他諸々の入手ルートが一気に細くなった」
「なにそれ! 超怖いんだけど!」
「あと、大言壮語を吐いたので、なんか早い所成果をあげないと私がものすごく恥ずかしいぐらい」
「まあ、そっちはいいかな……私じゃないし……」
「おい」
慣れた様子で、にとりの部屋の座敷に座り込む。
「だいたいなー、『突き破ろうとするかもしれない』『それが成功しそうになったとき』ってのがなー。まるで今の私らじゃまだ突き破れないみたいじゃないか。ちょっとムカついた。というわけで突き破るぞ、にとり」
「あの、巻き込まないでくださいます」
「というわけで、目標は……幻想郷初の人工衛星だ」
「ハードル上げすぎな感じがするけど……もしかして、月行きの資料ってのが結構使えそうだったの?」
「いやそれがなー。聞いた話では全然使えなさそうで……」
「まったくもう……まずは課題設定かね。やれるだけはやらないとね」
「おう!」
にとりとマリサは大図書館で手に入れた資料だけでなく、あらゆるロケットや宇宙開発の資料を傍らに、課題を挙げていく。
「まず、えー。課題設定といいましたが、課題じゃない部分のほうが少ないよ」
「だよなあ」
「そもそも現時点のロケットでさえ上げたことのある高度はせいぜい数キロメートルだからなあ。地球周回軌道は低めに見積もって200キロメートルでしょ?まずこれどうするかだよねえ」
「メインエンジンに魔法由来の代物が使えないのが痛いよなあ」
「大結界の限界高度とか知ってる?」
「いや、全く知らん」
「だよねー」
「……いや、待て」
マリサは幻想郷の地図を引っ張り出してきた。
「これを見りゃわかるが、幻想郷はおおむね円形状だ」
「そだね。それは知ってる」
「この形は、大結界の形に依存してるのは間違いないだろう。では高さはというと……おそらく結界自体が半球、ドーム状になってるんじゃないか?」
「有力な仮説だね。調べるのもそんな難しくない ……もしそうなら、つまり」
「ああ、幻想郷の半径がおおむね20キロメートルだから……幻想郷の中央に位置する霧の湖あたりなら、同じく高度は20キロメートル程度あると見込めるだろう」
「なるほど。とはいえ、ある程度正確な数値を知っておきたいね。第一の目標は幻想郷の高さの限界に挑む、ってとこかね」
「おう。とはいえ課題は他にもいっぱいある。並行して進めていかんとな」
「気になってるのは制御機構だなあ。軌道に乗せる以上、水平方向に姿勢変える必要あるけど、この辺手付かずだよね」
「それについてはちょっと有力なアドバイザーに心当たりがあってね」
「そりゃいい。じゃあマリサはそっちをお願い。こっちはロケットの出力強化と、うまいこと結界出た瞬間の高度を測れる仕組みを考えておくよ」
「わかったぜ」
* * *
「はあ、やれやれ。それで、よりにもよって私のところに来るのか」
「おうとも。幻想郷の制御機構の第一人者といったらここだろ?」
マヨヒガで猫と戯れる橙を探しに来たのだろう。
式神を操る程度の能力の持ち主――八雲藍だ。
「ずいぶん紫様をやり込めてくれたらしいな」
「そんなつもりはなかったんだがね」
マヨヒガの縁側に藍は腰掛ける。
「紫様も悩み続けている。かなり長い間な」
「まあ、私みたいに簡単に割り切れない立場だってのはわかるがね」
「ある程度割り切ってはいる。だが、それでも悩ましいから辛いのだ」
「別にそんな話をしに来たわけじゃないんだがね」
「昨日の今日で、技術の交換の話だけで済むとも思っていないだろうに」
藍は懐から煙管を取り出し、雁首に手をかざした。
煙管の先に火が付き、煙が立つ。
「吸うのか」
「ああ、最近な」
マヨヒガの縁側に、煙が漂う。
「少し前と比べて、幻想郷は様変わりした。トラブルバスターは――いや、博麗霊夢も、東風谷早苗も、十六夜咲夜も――霧雨魔理沙も。いなくなってしまった。お前も似たような屋号を掲げてはいるが、ずいぶん性質が違ったものだろう」
「ああ。少なくとも私は、弾幕ごっこでさえもちょっとした妖怪に敵うとは思えん」
「違う。そうではない。必要としなかっただけだ。かの日の彼女たちは必要に応じて弾幕ごっこにリソースを注いだのだ。影に日向に、な。その努力は実を結んだ。人間と妖怪の交流は幻想郷の歴史においても深いレベルになり、もはや相互依存の域に達した。100年後どうなっているかはわからないが、10年、20年で崩れるようなものではなくなった。お前は、そうした新しい形の幻想郷に適応した英雄、というわけだ」
「英雄なんてよせ。私は好き勝手やってるだけだよ」
「だが、あの一代目ではない」
「そうだ。私は私だ。 ……そう認めるのには少しかかったのは、承知だろうが」
「彼女たちのような少女はもう現れないのではないか、と。そうして出来上がった奇跡のような、繊細な幻想郷を少しでも荒れ狂う風から守ろうと。 ……それが今の紫様の願いだ」
「まったく、お前らはいったい幻想郷をどう見てるんだ? それなりに気の利いたつまみか酒でも抱えて人里を数時間も歩けば、繊細なんて感想出てくるはずもないだろうに」
「それも含めて、築いたものが余りにも愛しく思えるのだろう。事実、今の幻想郷は栄光の時代、と言ってもいいだろう。特に、北の伊藤屋の油揚げなど素晴らしい。絶品だ」
「そうか? 貸本屋の質は落ちたし、銭湯のおっちゃんの愛想は悪いし、去年の大豆の出来はあまり良くなかったぜ」
はっきりと赤く、美しい夕日。マヨヒガの影長く伸びていく。
「お前らがそんなに立ち止まりたいってなら言っておくが、彗星、ブレイジングスターにブレーキはないんだ! ボヤボヤしてる奴らを拾う余裕はない。博麗霊夢が、霧雨魔理沙がいないからなんだ? 胡散臭い管理者の八雲紫に、うちのロケットに追い付きかねねえ天狗に、エイリアンでマッドサイエンティストで過保護な薬師に、課題を与えりゃほっといてもかき回しに来そうな吸血鬼に。いくらでもいるぞ、両手両足でも足りない! 八雲藍だって、八雲紫の単なるバックアップじゃなかろうに。私はロケットの制御機構について八雲紫ではなく八雲藍に聞きに来たんだ。幻想郷で一番詳しいと見込んでな」
縁側にも夕日が差し込み、紅い煙がゆらゆら揺れる。
「ああ、そうだな。そうとも。いいだろう。エンジンと燃料はお前らの仕事だ。それさえあれば月にだって飛ばしてやろう」
「残念ながら、まだないんだなあ。困ったもんだ」
「ふふっ、しっかり頼むぞ」
「おうとも ……たぶんにとりがやってくれるはずだ。たぶん」
* * *
「制御の計算装置についてはなんとかなりそうだぜ。ちとズルっこい抜け道っぽいが」
もはや夕日も落ち、月の光も雲に覆われて差さない。
小さな、ロケットのための小屋の灯りだけが辺りを照らす。
「そりゃよかった。エンジンの方はまだまだ改良がいるかなあ。ただ、高度に関しては資料があった。細かい部分に関してはこれから調べるそうだけど」
「調べる? 誰が? どこの資料なんだ、それ」
「射命丸様さ。妖怪の山で調べてるところを捕まって、高度計で調べておくから取材対象よろしく、って」
「高度20キロメートルを?」
「高度20キロメートルを。猛毒のオゾンが広がり空気も薄い成層圏を」
「なんだあいつ、化け物かね。ちょっとうちのロケットに対する自信がなくなってきたよ」
「とはいえ、結界は出れないけどね。単なる物体であるロケットはそうではないけど。で、次は機器だ。制御装置にデータを送るための加速度計と高度計に加えて、ロケットの角度を検出するジャイロは作成した。高度計と加速度計のほうは何度もつくってるだけあって自信あるけど、ジャイロのほうの精度は正直なんとも言えない」
「まあ初めてだしな」
「加えて、少なくとも二段式にしようと思ってる」
「マジか。複雑になりすぎやしないか?」
カリカリと双方の発言をノートに走り書きしていく。
思いついたアイデアも混ぜ入れながら。
「そうだね。ただ、考えとしては……そもそも外の技術をそのまま再現しようとしたら絶対無理だよね。2人で数十トンクラスのロケットは現実的に難しい。となると、その分を補うのは……」
「やはり、”幻想の技術”ってわけか」
「そうだね。というわけで考えとしては……まず、結界内、八卦炉エンジンが使える高度20キロメートルまでで出来る限り速度を稼ぐ。そして、結界を出たあたりでもう不要になったその部分を切り離す」
「上段のほうは……かなり難しいけど、ヒドラジンを燃料、硝酸を酸化剤としたハイパーゴリック推進剤を使ったものに挑戦したいと思う。周回軌道に乗せる上で、今まで使ってた固体燃料だと微調整が難しいから」
「オーケー。ヒドラジンと硝酸の入手は任せな」
「ヒドラジンは猛毒だかんね。注意してよ。それに加えて……八卦炉エンジンの効率、3倍に出来ないかな」
「……!? 3倍! 1.3倍の間違いじゃなくてか!」
「難しいのはわかるけど、それぐらいの無茶しないと現実的なサイズに小型化は難しそうだからね……上段の効率次第ではもうちょい抑えれるかもしれないけど、現状のオーダーとしては3倍でお願い」
「くっそ、しゃーねーな。機体の方は任せたからな!」
「こっちも出来る限り効率化しようと思うけど、そもそも初挑戦の部分が大きいからね……やりがいはあるんだけどね」
「ただ、道筋は見えてきたな」
「そうだね、やってやろうじゃんか」
月が雲間に現れ、少しの間地上を照らした。
* * *
夏は終わりを告げようとしている。
残暑は厳しいながらも、秋の気配は近づいてきていた。
「ずいぶん派手な色使いだな、マリサ」
打ち上げの当日、真紅に輝く巨大なロケットに藍は目を丸くしていた。
「スポンサー様のご意向でね」
「……ああ、なるほど」
「実際、気前よく出してくれたよ。要求した額の倍をキャッシュで投げ込んできた。まあ、それでもギリギリだったんだが。というか、幾分か持ち出しもしたし」
ロケットの下にはこれまた紅い絨毯。”赤道”だ。
「なるほど、前に月に行った経験も活かしているわけか」
「ああ。こういうのが以外と馬鹿にならん」
外界のロケットにおいては、遠心力によって重力が小さくなる赤道に近い地点の方が有利とされている。
そのために赤道を模した赤い絨毯を引いてある。第二次月面戦争の時に使われていた技術だ。
調整を終えたにとりは飛翔後のロケットのデータを観測するためのテレメータをまとめた小屋から出てくる。
「おう、どうだった」
「いやあ。手直しした部分はいっぱいあるけどね。まあ、妥協点としては悪く無いかなあ」
「なんだそれ、不安にさせんなよ」
「なに、モノづくりなんてのはそんなもんだよ、予算と日程と体力と、その他諸々とにらめっこして作るんだ」
「わかってるけどさあ」
発射の観測のために敷かれたござに座り込む。
「ところでさ、今更なんだけど……藍さんが設計した制御装置の仕組み、よくわかってないんだけど」
「今更すぎるぞ、にとり」
「いやあ、私はハード専門だから」
「ふむ。では少し説明しておこうか。まず初期の上昇時においては仮想で上空に設定した目標に対して飛行をし、ズレが生じた際に順次修正を――」
「あー、まってまって。全然わかんない」
「……早い話が自機狙い弾で、狙う自機の位置を適時設定している」
「なるほど」
「逆にハードの方はわからないぞ、私は」
「ああ、そっちは任せてよ。結界を抜けた先で慣性誘導を行えるように、制御装置によって演算されたデータを受けて順次修正を加えるために第二段においてはサイドジェットによる姿勢制御を採用したのが今回のロケットの新しい試みで――」
「だから、わからないって」
藍が苦笑する。
「外部の藍はともかく、にとりはわかっておけよ」
「なんだとう、マリサもわかってないくせに」
「私は設計担当じゃないからいいんだ」
「あっ、ズルい」
「しかし、調整に時間をかけすぎちまったかね。日が落ちるとまずいなあ」
「そうだね。明るいうちに上げないとね。不安材料はあるにせよ」
「やはり第一段と第二段の分離だなあ」
第一段と第二段の分離、及び分離した後の第二段の始動。
それが今回の技術的ネックだ。
高度20キロメートル――結界を脱出した後に、不要になった魔法を利用している部分を分離する。
実際のロケットにおいても使い終わったタンクなどを捨てることで軽量化を図るために行われ、必須と言っていい技術ではあるが、結界内での打ち上げに終始していたマリサ達にとっては初めての試みだ。
最下段、第一段のロケットは今までの経験の延長線上にある。
やや大型化しているが、打ち上げのコスト、及び作業量を鑑みてサイズは比較的小型に保ったままだ。
第一段のメインエンジンは八卦炉エンジンの改良型。3倍の効率は惜しくも達成出来なかったものの、従来型の約2.5倍の効率でロケットを上昇させる。足りない出力は、補助用として固体燃料であるダブルベース火薬を用いたブースターエンジン6基によって補っている。
問題は第二段だ。
最初のハードルが分離。高度計のデータが21キロメートルを指し示したときに出される信号によって、固定部を火薬で破壊して分離する。
ただ、そもそもこうしたロケットに載せた検出装置のデータを実際の動きに反映させること自体が初の試みだ。
外の計算機についても明るい藍が多くを手がけているとはいえ、ハードの部分でも、ソフトの部分でも不安は残っている。
続いて、エンジンそのもの。結界の外での運用を想定しているため魔法燃料も、第二段は姿勢制御のために、点火したら出力の調整が難しい固定燃料も使わなかった。使われているのは液体燃料。燃料と、酸素がない宇宙でも燃焼反応が起きるよう酸化剤の2種類の液体を燃焼室で混合させて用いる。
用いているヒドラジンは酸化剤――今回使用しているのは硝酸だ――と混ぜあわせた時点で点火する自己着火性(ハイパーゴリック)を持つ”ハイパーゴリック推進剤”だ。有毒で、腐食性が強いなどの難点はあるものの、常温で保存が可能なこと、混ぜあわせただけで点火することから点火器が不要なこと、そうしたメリットから採用に踏み切った。
だが、混ぜあわせただけで点火するということは事故にも繋がりやすい。
漏れなどはないか入念に調べてはあるものの、打ち上げや分離の衝撃――そもそもロケットは時速20,000キロメートルの飛翔物なのだ――など障害は多い。
「失敗しても、超音速と超高温で高空を吹っ飛ぶロケットなんてスキマでも拾えないわよ。せいぜい外をごまかせるくらい」
「お、なんか不吉っぽい奴が来たぜ」
「まったく失礼ね」
いつのまにか現れていたのは八雲紫だ。
「それよりももういい時間よ。日が暮れてから飛ばすのかしら」
「おおう、もうこんな時間か。焦るよりはいいが、もう確認も終わったしな」
「じゃあ……飛ばそうか、マリサ」
「飛べばいいけどな」
「飛ぶさ。どこまで行くかは保証外だけど」
「河童の製品はサポート悪いなあ」
* * *
「姿勢制御装置電源オン、テレメータ接続良好!」
「トーチ点火スタート!」
「機体フレーム冷却スタート!」
「水幕散水スタート!」
にとりとマリサの声が交互に響く。
「全システムレディー!」
「了解、メインエンジン……スタート!」
エンジンが点火し、辺りのあらゆる音をかき消し始める。
ロケットを支える支持アームを持ち上げる。
「支持アーム分離!」
「ロケットブースタースタート! リフトオフ!」
リフトオフ。
轟音をたて、ロケットは昇り始める。
「頼む、無事打ち上がってくれ……」
ロケットのデータを表示するモニターを睨みつける。
「ロケットブースター燃焼終了」
「了解、ロケットブースター分離」
順調に飛行を続け、真上に昇るロケットは小さくなっていく。
「メインエンジン、制御系、共に良好だね」
「うおっし、最初の山は超えたぜ!」
「浮かれてもいられないけどね、もうすぐ高度20キロメートルだ」
最大の山、第一段と第二段の分離が近づいている。
「といっても、もうやることもないぜ、私らには」
「祈るだけだねえ」
高度20キロメートル。幻想郷と外界、いや宇宙を隔てる地点へ近づいていく。
「メインエンジン停止。結界を超えたね」
「そうか、何か異常は?」
「今のところは。さあ、分離シークエンスだ」
実際にロケットが見えるわけではない。
高度と加速度と姿勢と、あとわかるのはせいぜい温度か何か。
それでもなお、二人はロケットの息遣いを感じ取れた。
「頼む、頼むぜ」
「うん……」
第一段と第二段の分離シークエンスに入る。
「固定部……破壊成功。分離は……うん、第二段と第一段の高度がズレてきてる。成功だ!」
「まだだ、まだエンジン点火がある」
分離はどうやら成功したようだ。だが、まだわからない。分離した部品の一部がロケットに衝突することもある。
慣性で飛んでいる限り、切り離した部分も遠くは離れない。エンジン点火までは……
「第二段……エンジン……スタート! 無事点火!」
「うおっしゃあ!」
「やや姿勢がズレたけれど、これなら制御システムで……」
エンジンは無事点火。加速度を増した第二段ロケットは高度を増していく。
「あとは周回軌道に載れば……いや……これは……」
「どうした、にとり」
「燃料の消費速度がおかしい。姿勢制御もうまくいっていない」
「なんだと、何が起きてる」
「ああっ、スピンし始めた! 何が起きてるんだ!」
「燃料の消費が異常……まさか! 漏れてるんじゃないか!」
「なんてこった! となると……ああ、やっぱりだ! 温度がどんどん上がっていく!」
制御出来なくなったロケットが見えなくなったわけでもない。轟音が聞こえたわけでもない。
だが、二人にはわかった。
外に漏れた燃料に着火し、予想外の爆発が起きたと。
おそらくそれは、エンジンや燃料と推進剤タンクを巻き込んでしまった、と。
つまり、打ち上げは失敗だと。
美しい夕日は、もう沈み始めていた。
「失敗……したのね」
八雲紫は沈んだ顔でそう呟いた。
「もしかしたらとは思っていたけれど……やっぱり、まだ幻想郷は」
「ああ、そうだな。残念会だぜ、今夜は」
「スポンサー様をお呼びしてだねえ。”レミリア様”の機嫌取るのやだなあ」
だが、二人は落胆はしていない。沈んだ顔さえ、一瞬だった。
「……辛くないの!? 予算を使いきって! 貴重な部品も失って! まるで今までやってきたことが否定されたようには思わないの!」
八雲紫は自分でも気づいていなかったが、期待していたのだ。新しい英雄の誕生に。
だからこそ、落胆が大きい。おそらく、この場で最も。
「そんなものは付き物さ。なあにとり」
「予算は使うためにあるんだもん、まあ、調達は面倒だけど」
「しかし第二段の分離で失敗か。なにがいけなかった?」
「おそらくだけど……燃料の密閉がうまくいってなくて、漏れたとっから爆発したんだろうなあ。第一段と第二段を分離するデカップラも、ハイパーゴリック推進剤を使ったエンジンも初めてだったからなあ」
「ショックだったりはしないの……? あれだけの力を注いで」
失敗はしたが、マリサもにとりも前を見ている。
「だから失敗は付き物だって。成功も、失敗もその時の出目次第さ。成功に満足するのも、あるいは失敗を恐れるのも、前に進まない原因にはならない」
「悔しくはあるけどね。うまくいってる部分に新しい試みを投入するのはリスキーだ。でも、そのためにエンジニアやってるようなもんさ」
「美しく、機能美に溢れ、技術的に成熟したロケットに、醜くて、不安定で、未成熟な技術をつっこんで、なんとか回すのも醍醐味なんだぜ。わからんかな。そりゃ、失敗は悔しい。でも何も得られない失敗ではないし、失敗からなにか得る準備もしてある。何度でも飛ばせばいい」
太陽は沈み始める。
再び昇るために沈むのだ。
「……そうね。成功に満足して取り残されるなんて、阿呆もいいところよね」
「おうとも」
「……もし、もしだけど……大結界がなくなって、技術的な制約がなくなったら……あなたがたはどこまでいけるかしら?」
「そりゃあ、月でもと言いたいところだが」
「だけど?」
「スポンサーは、どうも紅い火星のほうがお気に入りらしい」
「……ふふ、言ったわね」
「ああ、言ったぜ。何度でも失敗と成功を重ねてやる」
「いいわ。幻想郷が門戸を開くとき。火星行きのロケットを飛ばせるのなら――幻想郷が外と張り合えることを見せつけるには最高ね。やってもらおうじゃない」
「まったく、私ら二人にそんな重荷を背負わせるのか」
「いえいえ、幻想郷の遍く人妖達に働いてもらわないとね、ふふ」
宇宙には、国境も結界もない。
頼んだ数時間後にこんなのが投げ込まれていて相当にビビった。
ttp://www.geocities.jp/taku1531jp/WS000274.JPG
できれば二代目マリサがなぜロケット飛ばすようになったのかも描いて欲しかったかな。
面白かったです
こういうのがニトリとマリサの幸せなんでしょう
凹まない向上心と前向きさは場合によっては人を敵に回しかねないですが
やはり本来は素晴らしいものですね
この世界の行方を行方をもっと見てみたいと思いました。
どこかジュブナイルなにおいがして、もうちょっとだけこの世界を覗いてみたくなりました。