皆さん、始めまして。
ああ、ここで言う皆さんというのは、今こうして私の思考、意識をなんらかの形、例えば小説やアニメといった娯楽媒体、もしくは皆さんの中にふと湧き上がった妄想でもいい、読み取っているであろう方々の事を指しています。
いや、別におかしくなったわけじゃありません。ほら、あれ、パラレルワールドとかそういう話があるじゃないですか。いろんな世界があって、どこかで繋がっているみたいな話は、創作物では割とよく見かけますよね。これまで私はそういう類の話をフィクションとしてのみ受け入れていたのですが、ここ数時間ほどで私が認識していた常識の一切が覆されてしまうという状況に直面してしまいました。
結果として古今東西、流布されている超常現象の大部分を信じることができるようになりました。おそらく今の私なら目の前に金星人の住民票を出されてもその真偽について疑うことはないでしょう。
まあそんなことはどうでもいいんです。
今私はグレームレイク空軍基地に全裸で正面突入するよりも危険な状態に陥っているんです。
それは見て分かるとおりだとは思いますが、ひょっとしたら挿絵も何もないただの文だけを見ている方もいるかもしれないので手短に、かつ正確に私が置かれている状況をご説明しましょう。
実は簀巻きにされてます。ええ、それはそれははっきりと、某教育出版社が送ってくる漫画の2ページほど先の展開を予想するよりも容易に、簀巻きにされているんですよ。
おそらくは麻と思われる黄土色の細長い線が幾重にも渡って私の身体に巻きついていて、さらにはその両端が硬く結ばれてしまっているので身動き一つ取れません。
加えて、私が監禁されているこの建物は全体、それも外だけではなく内側まで赤一色で塗られていて、それだけならまだしも異様に窓が少ないんです。
もう私の網膜は赤という色を判別していません。たぶん何を見ても赤としてしまうでしょう。これはまさしく地獄の一丁目でしょうか、色のゲシュタルトがベルリンの壁のように崩れ去っていきます。
私をこんな風にしたのはミニスカートとフリルが良く似合うメイドでした。なんというかオーラが違いましたね。秋葉原辺りで外見だけ取り繕ってるなんちゃって連中とはまったく違う、日常着慣れた雰囲気がいたるところから漂ってきまして、私は男なんですがもう一瞬で虜にされてしまいました。
……そのせいで逃げることもできずつかまった挙句、簀巻き状態で放置プレイという屈辱を受けることになってしまったのは言うまでもないことです。情けないことですが、それもしかたがない話なんです。
なんというか、そのプロのメイドというのが、もう目からして常人とは違っていました。あれはまるでM16でありとあらゆる要人を狙撃する東洋人のそれでした。
それからしばらく経ちますが未だ変わった様子はありません。おかしいですね。こういった場面だと普通なら尋問の一つでもするとは思うんですが。
まあ私は尋問対策なんて受けたことはないし、就活用に面接練習は何度かやりましたが、まったく用途が違いますね。
それに、いくら日本経済がリーマンショックのせいで第三次大戦並みの惨状になっているとしても、あいにくこんなところに就職する気は毛頭ありません。
私にはなんとなく分かるんですが、ここの待遇はまず間違いなくブラックです。なんといっても赤いですからね。どう考えてもレーニン級の独裁体制が敷かれているような気がします。
あ、そうそう、言い忘れていましたがここは紅魔館っていうんですよ。英語ではスカーレットマンション、ドイツ語だとローゼンハウゼ、とでも言うんでしょうか。
え?なんで名前を知っているかって?
そんなのは簡単です。こう見えて私は東方プロジェクト関連、ゲームはもとより書籍に至るまで、公式作品はすべて購入し、細部に至るまで読み解いていますから。今まで起きた異変で使用されたスペルカードは全て空で言えます。
そんな私がこうして紅魔館で囚われの身になっているのには深いわけがあるんですが、そのきっかけとなったのはやはり東方という作品に触れ精神の全てを感化されたことです。
私は東方という作品に頭頂部まで浸かり、そのすばらしさを心行くまで堪能した上で、これら一連の作品群を製作している作者の生まれ故郷周辺部を旅してみようと思い立ったんです。
訪れて正解でしたね。何より景色がすばらしい。私は日ごろ都会で生活していますから高層ビルは見慣れていますが、それらが霞んで見えるほどの雄大さ、スケール感が私の視覚情報を埋め尽くしていきます。
時期は初夏といったところですがこの辺りは元から山間なので蒸し暑さは一切感じられません。
時折吹く風に身をゆだねると、水泳の授業対策として事前に海パンを穿いていったのはよかったのだが、代えのパンツを忘れてしまい午後の授業はノーパンで過ごさなくてはならなかった若かりしあの頃感じた開放感が全身を包み込み、なんとも清清しい気分になります。
そして景色を眺めていると、こう、分かるんですよね。ああ、ここが幻想郷なんだな、という感じで。
東方そのものは創作ですがその根底に流れているものは、この大自然ではないでしょうか。そんな気分になります。
そうして、大自然を堪能した私ですが、それからしばらくして道に迷ってしまいました。
そのときは頭をひねりました。何しろ遭難対策としてコンパス6個、地図3枚、山でも使える携帯と、幼い頃から私の冒険心をくすぐった偉大なるヘンゼル・グレーテル兄妹にならって光る石を複数個用意し、活用したにも関わらず一歩進むごとに無限の闇に嵌っていくようで、一歩戻るたびに底なし沼に吸い込まれていくようで、いつの間にか進むべき道も戻るべき道も見失ってしまいました。
それから何時間も歩きましたが何の道しるべも見つけることができずその場に座り込んで、東方、違う、途方にくれました。
ああ、私はとうとう遭難したんだな、と絶望に包まれました。頼みの綱はネットオークションで手に入れた米軍払い下げのMREのみです。
ああ、これが戦闘糧食Ⅰ型ならばどんなによかったことか。僅か数千円をケチったばかりにエチオピア人さえ拒否したとまで揶揄される食料を腹に入れなければならないのです。
いや、他にも嘆くことは多量にあるのですが、人間の持つ三大欲求のうちの一つが食欲です。あとの二つはこんな山奥でも八割ほどは満たすことはできますが、食事に関しては自力確保が極めて厳しく、できたとしてもそれは味、食感、清潔性といった普段なら守られて当然である要素が不足した最低限度のものでしかありません。
ならば事前に用意できるものだけでも普段の環境にできるだけ近づける必要はあったのですが、頭では理解していたとしても思考と行動がまったく追従せず自業自得という形で、他でもない私自身に降りかかってきたのです。
こんな大事なことを軽んじていた数十時間前の私を非常に恨めしく思います。生還したら復讐してやりたいですが、残念ながら私の先祖、友人に発明家はおらず、私自身も自分の会社を花火で丸焼きにするほどの馬鹿ではないと思うので、過ぎたことを心に留めつつ、この山奥から未来へ向けて脱出したいです。
まあ、そんなことを考えながら頭を抱えることしかできませんでした。
実を言うと少しではあるんですが、ヤベー、幻想郷に来ちまったかもしれない。どうしよう、まず射命丸と写真撮ろう。などと淡い期待を持っていました。
実際こんなシチュエーションになったら誰でも考えると思うので生理現象でしょう。周りから憎まれても平然とできる人間こそ世にはばかるものですから。
そういったポジティブな考え方ができれば人生、波乱万丈でも大胆、重ねて大胆、追加で大胆になれますし、日輪の輝きなんて恐れるに足らなくなります。
そうしているうちに、なにやら異様な気配を察知しました。ちょうど髪が一本逆立つみたいに、もしくは額の辺りで白い稲妻が閃くように、今まで感じたことのないような力のようなものを感じたんです。
はじめに言っておきますが私は常人とまったく変わりない普遍的能力しか持ち合わせていません。幼い頃にそういった類の能力を一つ練習したことはありましたが当然のことながら実を結んではいません。
なので、手が伸びたり、背後霊的なものを行使したり、指先から霊力の弾丸を打ち出したりといった、でたらめなことはできないのですが、このときばかりは第六感のようなものが何食わぬ顔をして私の意識上に現れた感じがありました。
ふと振り返ると、そこには一人の少女がいました。おおよそ十代中盤ほどの幼さがどことなく残る顔つきで、青緑色のショートカットヘアーと赤と水からなるオッドアイが目に付きました。
装いこそ西洋、それもポルトガルやスペイン、オランダといった南蛮風とでも言いますか、そんな感じなんですが足元はまるで不倫は文化だとでも言わんばかりに裸足で、下駄を履いていました。といっても彼女のスカート丈はどちらかと言えば短かったのでニーソックス、ストッキング辺りじゃないとかえっておかしな格好になってしまうので、まあ無難といえば無難です。
でもニーソックス姿なら見てみたいかな。ついでにヘッドセットマイクを付けてスカートもタイトに代えてしまえば年齢不詳のリトルバードが完成します。
そしてなによりも彼女が手に持っている一本の古びた傘が特徴的でした。コンビニやそこらのスーパーにおいて500円ほどで売っている、ファッション性とはかけ離れた、ごくありふれた傘なんですが、その手元には少女が履いている物とまったく同じ形をした下駄が付いていました。
分かる人はスーパー上海人形でも賭けて下さい。はい、そうです。どう見ても多々良小傘です。モノクロ新宿で音ゲーでもやっているかのような気分です。本当に、本当にありがとうございました。
正解の方、どこを取りますか?……なぜ、角を取らない!?
背後から近づいてきたのは妖怪です。はっきりと言って妖怪です。見紛う事なき妖怪の姿がそこにありました。
私の身体に張り巡らされている全ての神経が、たった一言、逃げろ、と、そよ風のように囁き、やんちゃな子供を躾ける母親のように語りかけ、岐阜県が生んだ赤色装甲鬼の如く叫びます。
目の前に現れた不可思議な事実が嵐となって私の意識と常識を掻き乱し、頭の中は本田の荒い運転のせいで見るも無残な姿となったタコスのように大混乱していました。ですが、私は元来臆病な人間です。腰が引けるよりも前に足が動き、危険から逃れたいという一心のみによって突き動かされるように走りました。
どれぐらい時間が経ったのか、どれほど走ったのかは分かりませんが、普段歩きなれない険しい道のりを一度も転ぶことなく走り抜けたことに驚きを隠せません。何度か後ろを振り向きましたが、そこに怪奇!唐傘お化け!の姿を見ることはありませんでした。撒いたか、と思うたびに、見えていないだけで追って来ているのではないか、と不安になり足を止めることができませんでした。
今にして思えば相手は小傘です。彼女は妖怪なので当然人間を食料としていますが、物理的な血肉ではなく精神的な人間が発する恐怖、驚きの感情を糧にする、と、おまけ.txtに書いてあった気がします。つまりその場にへたり込んだとしても大して問題はなく、むしろそうして満腹になってもらったところで、博霊神社の場所でも聞いた方が良かったのではないか、などと少し後悔しています。
というか、まず疑問に思うのは自分の置かれた状況のはずなんですが、まあそれは緊急事態だったのでしょうがないでしょう。適当に走った後で目の前に何か特徴的な建物でもなければ、とりあえず一息ついて自身を落ち着かせ、その後いろいろ考えを巡らせるはずだったのですがそうはいきませんでした。
ひとしきり走った後でようやく足を止め、呼吸を一段と荒くして体力回復を図っていた私の目の前には真っ赤な屋敷がありました。
紅魔館です。いつ見ても、といっても萃夢想や緋想天辺りでしか見たことはありませんが、赤いですね。周囲は高い塀に囲まれていましたが、私はちょうど正面に出ていたようで目の前に立派な門がありました。
中には身も凍るほどの力を持つ吸血鬼が二人とその他妖精、魔女、悪魔、人間等がいるので、普通の人間なら気づかれる前に逃げるのですが、そもそもこの状況が私にとって普通ではありません。
先ほどは溢れんばかりの恐怖に支配され、そこから完全に立ち直ることなく紅魔館の姿を目にしてしまい、そのせいで人間が持ち合わせるはずの常識の大部分を失なっていました。目の前には紅魔郷をプレイするたびに一度は訪れてみたいと思っていた真紅の屋敷が、一つ存在する入り口を無用心に開け放っているのです。
今度は好奇心によって私の頭は支配されてしまいました。私はエスタ大統領の一人息子のように冷静にはなれない性質ではなく、むしろ敵を一発殴るためだけに地球一周するほどの、その場の勢いに任せて万事動く性格なんです。
なにより低級とはいえ妖怪から逃れきったという何の保証もない自信が込み上げてきて、私の愚かな気まぐれを後押ししていきます。まるでS極に引かれていくN極のように開け放たれている門へと近づいていきました。
足元で目を回している緑色の春麗を踏まないよう気をつけながら、さらに一歩ずつ慎重に、そしてしっかりと進み、ついに恐怖の入り口へと足を踏み入れてしまいました。
屋敷内部に潜入してまず思ったのが、いやはや赤いなあ、ということです。まあ内部まで赤いというのは今日日ウィキペディアにも載っている事なんですが、それでもいざ目にしてみると、おじいちゃんから貰ったうっすらと塩味のあるキャンディーのように一段と違った特別なものを感じました。
そして、そんなところに気を捕られていてしまっていたので、背後から接近する、そうまたしても背後なんですが、一人のメイドに気づくのが遅れてしまいました。小傘との一件で超自然的特殊能力に目覚めた、と勝手に思い込んでいましたがそううまいこと話が進むことはなかったようでした。
そして、こんなことになっているんです。さて、私はどうすればいいんでしょうか。このままではじきに……、
「何、一人でぶつぶつ言ってるの?」
「へ!?」
気がつきませんでしたが、いつの間にか目の前にメイドがいます。十六夜咲夜です。非常に恐ろしいです。あれはジト目とでも言うんでしょうか、なにやら私を見下したような目で見ています。
頭に罪と書かれた布袋を被っている連中なら昇天しそうな一幕ですが、私にMっ気なんて微塵にも存在していないので、はっきりいって狂気の沙汰です。
「ま、まて、お、俺はこう見えて、他人と比べて著しく味が落ちている人間だから食べてもうまくはないぞ!むしろ、食べたら死ぬぞ!だから、諦めろ!そうだ諦めろ。ほら、あれだ、ローマは一日にして成らず、というがロマノフ王朝最後の秘宝は日本に何故か立てられていた西洋風古城に隠されていたみたいな感じだ。ほら、やばいだろ?おちこうぜ、な?」
こうなってしまってはもうやけになるしかありません。滑舌が乱れようが気にする余裕はかけらもありません。
未だ混乱からは抜け切れていない頭の隅々まで動かして、思い浮かぶだけの言葉を並べます。母親のぬくもりが欲しかったから抱きついたけど、間違って首絞めちゃった級の意味不明さになってしまいましたが、とりあえず私の言いたいことは伝わったと信じたい。
できれば伝わるだけじゃなくて、その願いを汲み取って私に生き延びるチャンスを与えて欲しいのですが、何とかなりませんか、何とかなるなら何とかしてもらいたいです。
だめですか?
そうですか、もう、おしまいですか、もう、もう、だめだぁ。仕舞われた方がまだ幾分ましです。
きっとあと僅かで、私の意識は肉体という概念から解き放たれるでしょう。ここが幻想郷ならば、おそらくは無縁塚のほとりに辿りつき、そこで日課のサボタージュに励んでいる時代錯誤の死神と対面することになるはずです。もしも私が愛される人間だったならば、古ぼけた小銭を彼女に渡し古びた小船に乗って三途の川を現世とは真逆の方向に進むでしょう。
身を乗り出して水面を覗けば、そこには太古に死に絶えた海を制する生命が命と躍動感を持って生き続け、その力強さと神秘的な姿に止むことのない震えと寒気が電流のように私のいたるところを走っていきます。
私は船頭の決して止むことの無い、それでいてレクイエムのような壮厳さとノクターンのような物悲しさが感じられる言葉の数々を耳にしながら、断罪へと進んでいきます。
ああ、もうあと数メートルほど進めば岸です。そして、そこにたどり着いた私は小船から音もなく降り立ち、その地にいる別の死神に促されるように進み、今まで見たこともない異様な建築物を目にし、その中へと入ってゆくのです。
そこには公私共に口うるさいことで知られる閻魔、四季映姫が一切の表情を消し去った、機械然とした顔でもって私を静かに迎え入れるのです。私はそこで映姫が読み上げるこの私自身の短い来歴を、ある時は胸を張って誇り、またある時はうなだれながら耳にします。その地獄の責め苦にも似た屈辱を受けながら、自分自身がいかに愚かで、卑劣で、情けない存在なのかいやおうなしに理解させられるのです。
全てを見透かされ、それでもなお弁明しようと言葉を紡ぎだすものの、そうして出来上がった悪あがきの産物を自らの意志で外へと吐き出す手段はとうの昔に失われていました。けれどもそうした一連の思考とその成果は超然とする裁判長に向かって水俣工場が生み出したメチル水銀入り廃液の如く垂れ流されていて、それだけではなく彼女はその事実と内容すらはっきりと口にします。
私が持つプライドと尊厳の全てが粉微塵になったところで、ようやく判決が下ります。
それがいかなる結果なのか、私をはじめその場にいる者は、判決を下す映姫自身を除いて、誰一人いません。ある筈のない心臓の鼓動音が一拍事に大きくなっていって、そのうちサングラスをかけたヒマワリが踊り出すほどの大音量になっていきます。
よく耳を澄まさないと聞こえない映姫の声が、いつの間にか消えていました。己の中から鳴り響く騒音に意識が吸い寄せられていて、肝心の聞き取るべき言葉、私の今後を知らしめる最後の判決を聞き取ることができませんでした。
もう一度言ってくれ、と心の中で念じても、それはもう届くことはありません。目の前から映姫は去っていき、その代わり私の両隣にいた死神が私の身体をしっかりと掴みます。
私は自らに下された判決を知らぬまま連れて行かれます。それは一体どこなのか、冥界で咲き乱れる可憐な桜の花々を目で味わい、騒霊たちの奏でる音色に心を躍らせながら転生を待つのか、地獄で天よりも高い後悔を生み続け、海よりも深い苦しみを味わうのか、いったいどちらなのか、分かりません。
私が連れられていく先に何かが見えます。あれが私の判決です。そこは、そこは、そこは……。
そこまで妄想して、我に返ることが出来ました。こんな状況で暢気に妄想に耽っている場合ではありません。悪夢を見た子供のように呼吸は荒く、全身から来年度の予算全額がつぎ込まれたほどの冷たい汗が流れていました。
たかが妄想、されど、あと僅かで現実となり得る悪夢が迫ってきています。
ですが、この国は神の国なので一柱ぐらい私の危機を無償で救う物好きがいてもおかしくはないと思います。自慢ではありませんが以前一度だけ六月に伊勢神宮へ参拝したことがあるので、少なくとも八百万ほどの神々には信仰した事になっているでしょう。
なので、神よ、我を助けたまえ!助けてくれたら賽銭奮発します。というか本当にもし私の窮状に気づいてくれたのなら、加奈子、諏訪子、最悪秋のどっちかでもいいから助けに来てくれ。マジで。
「あらそう。……外の世界の生きた人間なんてめったに取れないから、お嬢様も大変喜ぶわね。」
私一人が長い長い妄想と想像と願望の世界へデッキブラシに跨って飛び込んでいた時間はほんの数ミリ秒のようです。とはいっても先ほど咲夜さんに投げかけた言葉の数々は長期記憶に収納される前に短期記憶から一掃されてしまっていたので、会話が成り立つかどうか心配でしたが、それは完全に杞憂でした。
咲夜さんは私の話のすべてを五文字で切捨て、私にとって最悪の方向へと話を進めていきます。
どうやら私の説得はあの雪のように白い耳には届いていないようでした。困った、非常に困った、困り果ててしまいました。私には趣味の悪いスーツを着た検事を逆転させるほどの弁護力なんて持ち合わせておらず、かといってショォォーーー、タイム!!!なんて叫んでもメガデウスどころか五歳児っぽい声の王女様が飛んでくることもありません。
もはや絶対絶命真っ最中。どうしよう。諦めるか?いや、そんなのはいやだ。涙はこぼしたくない、俺は死にたくない!!まだやりたいことが残ってるんだ!!!NOォォーー散らす、この命!!!!
……あら?
「……あの、なにをなさっているのでございましょうか?」
またしても我を忘れて、今度は潜水艦にでも乗り込んでいたような気分でしたが、その間、目の前に立っていた咲夜さんは懐からナイフを一本取り出していました。それで何をするかといえば、幼稚園のお遊戯にはどう見ても場違いであるリアルな姿をしたキジのごとく私のはらわたを抉り出す、というわけではなく、その点でのみまずは胸をなでおろしました。彼女は恐るべき凶行に至るのではなく、それとは真逆の行為を行いました。
私の身体を今まで拘束していた縄が切られ、するすると床に落ちていき、僅か数刻ながら奪われていた自由を再び手にすることができたのです。。
きつく縛られていたせいで体中に痛みが残っていますが、それでも枷がなくなった開放感の方が強くバイクでも盗んで走り出したい気分です。多分ここにはないと思いますが。
「私にできるのはここまでよ。あとはあなたの好きにすればいいわ。」
そう言うと、咲夜さんは銀色に輝くナイフを仕舞い、私に背を向けました。その後姿がなんとも神々しく見えるのはどうしてなんでしょうか。
「いったいどうして?……あんたの主は俺みたいな人間が食糧なんだろ?」
そのまま立ち去ろうとする咲夜さんに私は半ば反射的に声をかけました。いくら目の前の危機が一時的だとは思いますが去ったとはいえ、未だ致命的状況下であることに変わりありません。さっさと紅魔館から逃げ出すべきなんですが、どうしても聞きたいことがありました。
彼女は何ゆえ私を助けたのか、ということです。
「食料なら間に合ってるから。それにお嬢様もまだこのことは承知じゃない。」
「それはどういう……。」
「あなたは外の人間でしょう?それならお嬢様は何の制限もなくあなたの胸にご自身の爪を突き立てるわ。……そうならないうちに逃げたらどう?」
咲夜さんはこちらに身体を向けず、淡々とそう言いました。確かこの紅魔館の主であるレミリア・スカーレットは幻想郷の妖怪と、人間を襲わない、という約束をしたはずです。ただその人間というのが幻想郷の住人だけを指しているのか、それとも私のような外の世界の人間も含まれているのか、それについては文化帳、求聞史紀にも正確な記述はなかったのですが、どうやら襲われるようです。
ならどうして、咲夜さんは私を逃がすのでしょうか。あれですか、レミリアのやつ、リアル鬼ごっこでもする気ですか?そうだとしたら悪趣味な話ですが、それならあいつ自身が私の目の前に現れて、自分の口でそのことを伝えるでしょう。
やはり、これは咲夜さんの好意なんでしょうか。それならば願ってもないことなんですがそうなると後々彼女は大変なことになるのではないでしょうか。
妖々夢ではeasyからextraまで散々世話になったので、今ここで私を逃がしたばっかりに、その責務を追求されるなんてことになったら非常に忍びないですし、今後咲夜さんが自機に復活しても申し訳が立たなくてとてもじゃないですが使えません。
「いや、でも、あれだ、レミリアは他人の運命とか読めるんだろ?ひょっとしたらこの事だって既に知ってるんじゃ……。」
私は不安になって聞いてみました。私のせいで一人の少女が命を落すなんて事態にでもなればとてもじゃないですが耐えられません。
……あ……。
……しまった……。
……レミリアって名前を出しちまった……。
……やばい、…やばい、非常にやばいし、非常にまずい!!ドクターペッパーとノニジュースと百味ビーンズのゲロ味を混ぜ合わせて、常温で20年ぐらい寝かせた飲料よりもまずい。
少なくとも咲夜さんの視点から見てみると、私のようなどこをどう見ても外の世界から流れ着いてきた人間がレミリアの名前を知っていることはおかしいはずです。こんなところに囚われることとなった一連の流れからして、咲夜さんとの接触前にレミリアの名前を知る機会はないでしょうし、今この場で頭を動かしてもそれらしい文字は見つかりません。
どう考えても私の大きなミスです。これはまずいでしょう。ひょっとしたらいろいろ尋問されるかもしれません。なにしろ咲夜さんはそれなりにナイフを所持しているので拷問辺りもやり慣れているようなイメージがあります。
それにこのことが幻想郷中に広まれば、あまねく妖怪連中が私を責め立て脳の全てを搾り出すように東方について追求されてしまうかもしれません。その後の幻想郷、外の世界、その他がいかなる状態に陥るかは私の預かりの知らぬところですが、私の進む先も知りようがありません。
なんて俺は馬鹿なんだ!と今更ながら嘆いています。
まてよ……。そういえば私は小傘から逃げて、ここにたどり着いたんです。それならば、小傘から事前に名前を聞いたってことにするのはどうでしょう。それなら何の問題もなく理不尽な点も見当たりません。
ただ、小傘がレミリアの名前を知っているのかどうかについてかなり不安です。今のところ小傘とレミリアの接触は私が知る限りありませんし、幻想郷は狭いようで意外と広いので、もしかしたら知らないのかもしれません。
それならば、別の妖怪に襲われたということにでもしておきましょうか。いや、それだともし万が一その妖怪を探されて、聞き込みでもされてしまえば嘘がばれてしまうし、そうなったらあとが恐ろしい。
……なら、妖精、そう、妖精なんてどうでしょう。基本的に単純なやつらばっかりなので、追及されても、この連中もう忘れてやがる、とか言っておけばそれで話は丸く収まるんじゃないでしょうか。
じゃあどの妖精にすればいいのか、いや、この際、羽の生えたチビ、って言っておけばいいかな。妖精なんて大概そんな感じの背格好ですし、そもそも私は外の世界からやってきた異邦人、渡来人なので幻想郷の知識は内部の存在からもたらされない限り知る術がないのです。
うん、私はこういうときにこそ力を発揮する主人公タイプですね。
よーし、さあ、ミス・咲夜・十六夜、何をためらっているんですか?聞きなさい、己の心に浮かび上がる疑問を、湧き上がる疑念を、異質であるはずの問いを!
そうだ、吸血鬼に仕え、人知を超えた時間操作の秘術を会得したとしても、お前の本質は人間であり、決してそれを超えることはできない。例え長きに渡る生と力の放浪が自身の心と身体を醜い妖怪へと誘っても、あるときには不意にかつて人間だった頃の感性が総天然の鮮やかさを持って蘇り、それが心に宿るたびに人間であった自分に振り回されて鬱の極地へと至るのだ。
さあ、さあ、さあ、さあ!!
「……そう、あなたは東方を知っているのね。」
「はい?」
咲夜さんは静かに言いました。なんかとんでもないことが聞こえてきた気がします。この人はっきりと東方って言ったような。
私がどんな顔をしているのか、ここには鏡がないのでさっぱりですが、おそらくとんでもない顔になっていることでしょう。なにしろ他でもない、東方のキャラである咲夜さんから、はっきりと東方なんて単語が聞こえてきたのですから。
「な、なんで、あんたそのことを……?」
「パッケージとか、立ち絵ぐらいなら見せてもらったことがあるわ。」
「だれに!?」
「神主さん。」
「どこの!?」
「博霊神社。」
「いるの!?」
「いるわよ。年始ぐらいしか帰ってこないみたいだけど。」
「はい!?」
「最近は、げーむ以外にも小説とか漫画とかやってて忙しいみたいね。」
「あの人、幻想郷出身なの!?!?」
……私はとんでもないことを聞いてしまったようです。咲夜さんの言う博霊神社の神主というのは、その、つまりは、あの人なんでしょうか。一度例大祭で見かけたことがありましたが、まさか幻想郷とマジで繋がりがある人物だったとは、流石の私でも驚きを隠せません。
……なるほど、すべての話が繋がりました。私はてっきり、平行世界にでも飛ばされたのかと思いましたが、なんのことはない、ただ東方プロジェクトという一連の作品群において描写されていた幻想郷という楽園がノンフィクションだったという、ただそれだけの話でした。
よくよく考えてみれば幻想郷に迷い込んで定住化した人間の存在は仄めかされていますが、そうした人たちは表舞台に一切現れていません。いても一人だけ、早苗さんぐらいですが、あの人は東方を含めたいわゆるオタク産業の大部分を知らずに育ってきた純粋な少女だったのではないでしょうか。
個人名がはっきりとしていればあれですが、そういうことにはなっていないので、誰も幻想郷という世界が、まさか実在しているなんて夢にも思っていなかったということなんですね。わかります。
幻想郷は文字通り幻想と化したあらゆる存在を呼び込む世界ですし、守矢神社あたりも現在社会が忘れてしまった神聖なる神の御座す諏訪大社という概念が大結界を抜け妖怪の山に降り立ち、改めて守矢神社として成り立った、みたいなことになっているのでしょう。完全に私の妄想ですが。
そういうことなんですね。つまりすべては隙間の向こう側でほくそ笑んでいる紫ババアの仕組んだ茶番だったというわけです。おのれ、八雲め。
そんな事を言っておいて実はすべて私が見ていた夢だった、みたいな話になってしまうかもしれませんが、そんなありきたりな展開は三流未満の文士気取りが三流になって読者に叩かれるためにのみ存在しているわけで、私の今までの幻想郷における大冒険の数々を見ればどう考えても、より高尚な結末を迎えるはずなので、まあ大丈夫でしょう。
これっていわゆる幻想入りってやつですね。まあでもこれを私や射命丸、アリスなどがいる世界とはまた別の世界の人間が創作作品として見ているならば、この辺りで、なんだよ、メタ発言かよ、作者もうちょっと頭使えよ(笑)、などと揶揄されているのかもしれません。
そうならば、その世界における作者の方には申し訳ない気持ちでいっぱいです。関わることはないですからどうでもいいことなんですが。
「……この先お嬢様があなたを殺せ、と私に命じることがあれば私はまず間違いなくあなたを殺す。でも命令されるまでは何をしても、そして、しなくても特に問題はないわ。」
暫しの沈黙を挟んで咲夜さんは言いました。
途中衝撃的な事実が入り込みましたが、私の拘束を解き脱出を手引きすることは咲夜さんの手厚いご好意のようです。
なんということでしょう。まだまだ私も捨てたものじゃないかもしれないという思いが身体中を駆け巡っていきます。
完全絶命の中心点から思いがけず外れることとなった私は、自らの悪運の強さに驚嘆を隠すことができません。
今の私なら大出力加粒子砲を本官さんの如く撃ちまくる大怪獣ブルースクウェアの懐に突っ込んでキューブ込みのパイルバンカーを外装ごと打ち貫ける気さえします。
なんとなくここですべての運を使い果たしてしまいそうな勢いですが、命あっての未来であってこの際、細かいことは気にしないことにします。
あと、どうせ助けてくれるなら、わざわざ簀巻きにしなくても良かったような気もしますが、指摘するとあとが怖いような気がしたので私の頭からは綺麗に消しておくことにします。
「ありがとう。あなたのことは一生忘れません。できればお別れのキスでも、あがっ!?」
私は咲夜さんに対しての謝辞を言い終わることはできませんでした。
目の前の危険がとりあえず去ってしまうと、とたんに気が緩んでしまうのは私の悪い癖です。咲夜さんの理想的な肉付きをした麗しく美しい脚線美からの一撃が私の顔面を横一直線に吹き飛ばしました。
幸いラクーンシティの住人やサイレントヒル訪問者ほどの力はなかったようなので首と身体は引き離されることはありませんでしたが、そのせいで一緒に吹き飛ばされてしまいました。
赤い壁面に全身を叩きつけられてしまい、余りの激痛に思わず涙が流れてしまいます。
悲しみの海は愛で漕ぐことによって前に進むのですが、漕ぎ過ぎれば船ごと転覆という事態になるということですか。I See.
私が体勢を立て直したときには既に咲夜さんの姿はどこにもなく、真夜中の田舎道に降り注ぐ重厚な静寂さのみが私を取り囲んでいました。
瀟洒なお嬢さん、それも命の恩人でもある咲夜さんに不快感を与えてしまったことは弁解できることではありませんが、とりあえず礼そのものは伝えることができたと思うので、さっさとこの恐怖の吸血屋敷から逃げることにします。
私は監禁されていた部屋からなるべく音を立てないよう、慎重に身体を出します。身動きこそ取れるようになったものの未だ脅威は取り払われておらず、この先誰かに見つかろうものならば、最後、屋敷の外へ出る間もなく再び囚われの身となってしまうでしょう。
獅子舞面した弟もオカメ面した従妹もいない私にとって、それは逃れることのできない終幕を意味します。というわけで音を立てず、静かに逃げようと思います。
こんなことは想定していませんでしたが、私は今までに、核兵器廃棄所、海上除染施設、旧ソ連領ツェルノリヤルスクにおいて、VR訓練とはいえ潜入、破壊工作を行った経験があり、また、マレット島、デュマーリ島、テメンニグルでは悪魔相手に大立ち回りを演じたので何の問題もないでしょう。
武器装備の調達は期待できませんが何とかなることを祈って、無限の赤色世界へさあ、行くぞ。と意気込みます。
部屋から首だけ出して左右、ついでに上下を確認します。
どうやら周囲には誰もいないようです。幸先がいいことこの上ないので、どうかこのまま逃げ延びることができますように、と願掛けしつつ進みます。
先ほどの部屋はその内装や周辺に置かれていた小道具類から物置として使われていたようですが、あの薄暗さはそこだけのものではないようでした。
私が今歩いている廊下も決して現代建築特有の白色を強調した明朗さは無く、点在する数少ない窓から注ぎ込まれる陽光と内部の赤色が混ざり合ったロウソクのか細い明かりのような橙赤光が、壁、床、天井に散ってゴシック調の色彩を浮かび上がらせていました。
捕まる前にエントランスだけは見ましたが、そこは天井から下げられた大げさなシャンデリアの煌々とする輝きが一面を照らしていたので、余計にこの辺りの薄暗さが目に付いてしまいます。
おそらくは数十体ほどいる妖精メイドと咲夜さんの働きにより床には塵一つ落ちていません。跪き命乞いをしても手足が汚れる心配は無いようですし、エリート情報将校も一目見ただけで気に入るほどの清潔感溢れる廊下です。
見回してみると壁一面にはこれまたゴシック調の細かい装飾が施されていて、まるで美術館にでも迷い込んだ気分になります。夜な夜な怪盗紳士淑女から予告状が売れっ子アイドルへのファンレターの如く殺到している様が私の脳裏によぎりました。
そういえば、ここは”怪”かどうかは知りませんが、泥棒にしょっちゅう侵入されてましたね。
もし運良く魔理沙と出くわすことができれば頼み込んで博霊神社まで送ってもらうことにしましょう。
さて、だんだん気が緩み始めてきました。いけません。先ほどと同じように何か失敗でもしたら今度こそまずいです。
なんといっても紅魔館内部ですからレミリアやフランドールに遭遇する危険性があります。
レミリアは、当然危険ですが、彼女の場合はある程度の常識そのものは持ち合わせているでしょうし、交渉次第では見逃してもらえるかもしれません。
問題はフランドールで、やつにはそもそも私の言葉が通じるかどうかすら定かではありません。
ラダトームを旅立って周辺でスライムやドラキーを狩り続けようやくレベル5になったと思ったら、直後にオメガウェポンとエンカウントしてしまった勇者のように、出会っただけで致命確定となってしまいます。
抑えていた足音も気がつくと大きく響いていました。いけません。慎重に行かないと……、うわっ!!
よろける身体を両足で支え、何とか体勢を立て直します。……どうやら慎重になるのが半歩ほど遅かったようで、何かにぶつかってしまいました。
私がそれまで歩いていたのは廊下のちょうど真ん中なので柱や壁にぶつかるということはありえません。
廊下の幅はずいぶん広く取られているので例え扉を限界まで開け放しても私に触れることは無いでしょう。また、先ほどから歩いていましたが進行を妨げるようなオブジェが配置されてはいるわけでもなかったので、さて、私は何とぶつかってしまったんでしょうか。
目の前を見ると、その場にうずくまるようにしている人影がありました。全体像は分かりませんが見たところ薄紅色のドレスを着飾り、頭には同じ色をした特徴的な形の帽子をかぶっています。いわゆるZUN帽というやつですか。それには一本鮮血のように濃く鮮やかなリボンが巻かれていました。ZUN帽から流れ出るように水色の髪がなびいていて、血の気が余り感じられない白く透き通った肌と共にアクセントとなっていました。
そして、それら最西洋の要素とはまったく共通項の無い二枚の羽が背中から生えていました。その形状は英雄叙情詩において、主格の勇者の前に立ちふさがるドラゴンの力強い翼に酷似しています。
紅魔館にいてもおかしくなく、なおかつ先一連の特徴を持ち合わせる存在といえば、思いつくのは一人、……そう、たった一人、だけです。
ただ、あくまで東方公式作品中に登場した者しか私は知らないので、もしかしたら、思いついた存在とは違う人畜無害の心優しい……、
「……うー。」
はい、うー、とか言いました。だめですね。間違いありませんね。
どこをどう見てもあれですね。レミリアですね。
オメガウェポンとの遭遇は避けられましたが、ガルバランを引っ掛けてしまったようです。なんということでしょう。あんなにもバラ色だった幸先が血によって穢れ果ててしまいました。
なにやら視線を感じます。レミリアは私を随分いぶかしく見つめています。あらやだ、いい男、みたいなことを考えているような目ではないことは分かりきっています。
私はまたしても危機的状況下に置かれてしまいました。
炒った豆なり紫外線照射装置なり持っていれば何とかなるのかもしれませんが、そんなものを都合よく持ち合わせているはずがありません。
あるのはこの大して鍛え上げられていない肉体とジャスコで揃えた衣服のみで、それが一体なんの役に立つというのか、私にはまったく分かりませんでした。
幻想郷に迷い込んでから、二度、臨死の境地に陥っていた私は、この最悪の状況において今までとは違い、静かに、その場に立っていました。
以前なら真っ先に足が動いてしまうのですが、地獄の沙汰が見えすぎたせいでしょうか、私は大樹のように立ち尽くして目の前の幼い容貌を身に纏う吸血鬼に視線を向けていました。
先ほどと非常に類似した展開でありながら絶望感の違いが大きすぎます。
意識が吹き飛び狂気のみによって精神の全てが支配されそうになりながら、水際で持ちこたえています。考えることをやめれば楽になるのに何ゆえ私は力を込め続けるのか。
泣き叫んで無様に命乞いをしてでも生きながらえたいのに、そうした方向に身体は動きません。
目の前の悪魔は、未だにこちらの方を見ています。その瞳にはなにやら恐ろしく邪悪なものが読み取れていまい、それを認識するたびに私の神経はズタズタに切り裂かれたような痛みと衝撃を放ちます。
相手が吸血鬼なら走って逃げたところで、それはなんの意味もない無駄な行為でしかありません。
すぐに追いつき私を鷲づかみにするでしょう。私が怯える様を見て悦に入る、おぞましい光景が浮かんできました。
レミリアに目立った動きはありませんが私のほうは耐え難い恐怖に包み込まれて、心が砕けそうで、なにより恐怖に駆られて、目を閉じてしまいました。
視界は黒一色で何も見えず、今は視覚を止めたためにかえって研ぎ澄まされてしまった耳だけが外の様子を拾い集めていました。
特に目立った音は聞こえてこないものの、もしかしたらレミリアは静かに、そしてゆっくりと、自らの鋭利な爪を用意して、今にも私に襲いかかろうとしているのかも知れません。
そう思うとなおさら目を開けることができません。反射的に閉じてしまったこの目を今この場、この状況、この窮地において再び見開くには多大な精神を必要としますが、それだけの力が私の中に宿っているとはとても思えません。
……ずっと、目を閉じると深い暗闇の中になにか見出せるものがありました。それは……。
それは、私をここまで生み育ててくれた両親の変わりない穏やかな顔です。日ごろ大学で顔を会わせるたびにくだらない冗談を言い合う友人達の笑顔です。そして金閣寺の写真を七枚撮り集め喜ぶ射命丸の太陽のように明るく眩しい笑顔でした。
それらが私の押しつぶれそうな魂にそっと寄りかかります。それはいつしか力のこもったものとなり、ついにははっきりと押し支えていることが分かります。
始めのうちは、取るに足らない、無視しても何の問題もないような小さな力です。しかし、それは確かに折れそうな私を支えていました。
この力、これについては、おそらく誰にも、妖怪、神、あるいはそれ以外の存在であっても分からないでしょう。
この、……この私自身の震え上がっている体が、刹那、動きを止め、……再び震え出します。
その再開した震えの中からは恐怖の感情に混じって、それとはまったく違う熱を持ったものが、始めのうちはごく僅か、それもゆっくりと、しかし時が経つにつれて、確実に湧き上がってきます。
イギリス軍に立ち向かうアメリカ独立軍の兵達やバスティーユ牢獄に襲い掛かったフランス市民が共通して持ち合わせていた、感情と酷似しているような気がします。
それは次第に大きくなります。それでいて私自身を押しつぶすようなことはありません。その積もり積もった大いなるものが私自身と一体化していきます。
その感情、その力、そしてこの私、そのものが唯の一つたぎることのでき、魑魅魍魎と並び立つことのできる力となっていきます。
……それは、それは、意志の力です。
力はなく知識も到底足りず、そして人知を超えた魔力なんて持ち合わせてはいない私ですが、命の限り生き抜こうとする心の力ならば、例え片足、片手、片目と言語中枢の機能を失っても、決して消え果てることは無いでしょう。
相手が500余年の歳月を生きる紅き吸血の悪魔だとしても!……生きていたいという、単純な、それでいて人間の欲望、願望、本能の最高位に位置する意志が私の心の中にしっかりと響き渡り、それが精神の力となって私の身体を駆け巡っていきます。
確かにこの状況は、ただの人間が覆すには実現不可能な奇跡を幾重にも渡って引き起こす必要があり、それがすべて起きたとしても生き残るかどうか分からないほどの極地です。
すべての駒を取られ、四角すべて押さえられ、あげく、王手とチェックメイトを同時にかけられた王将の顛末と私の未来は、X、Y、Z軸の全てにおいて一致しているでしょう。
だとしても、いえ、だからこそ、諦めることのできない闘志と勇気をたぎらせる必要があるのです。
先の小傘や咲夜さんとの一幕ではそんな簡単な事実に気づくことすらできず、醜悪な己をこれでもかというほどさらけ出していましたが、三度、断崖絶壁に立つことで、ようやく我々現代社会の人間達が失った、古来から最も尊ぶべきものを理解することができました。
そう、日頃、ありきたりな少年漫画の王道こそが人間の力の根源だったのです。
私は覚悟を決めます。目の前にいる最大の脅威を前に決して、心はもちろん、身体も引かず突き進み奇跡の概念を打ち砕きます!!
そうすることでのみ、私は生きることができる!!!!!
「……ねえ?」
「はい、お嬢様。いかがいたしましたか?私は見てくれこそ無様な人間の姿ですが、本来はお嬢様に敬意と尊敬と多大なる畏怖を持って御使えする矮小な妖精のうちの一匹です。すべての元凶はあの忌々しき黒白の盗人、霧雨が仕組んだ罠なのです。やつは私に悪夢のような魔法を仕掛け、その効果は私を愚かなる人間に変えただけでなく、数年前の雪辱のためだけに残り数刻でこの雄雄しき我らが紅魔館ごとお嬢様を消滅させる時間、空間、運命、さらには物体の目から完全に解き離れてしまった、核熱の中枢体と化してしまいました。気づくのがあと僅かでも早ければパチュリー様の御力によって愚かなる姦計の全てを無に帰することもできたのですが私は余りに愚かで、もはやすべてが手遅れでございます。残る最後の手段はせめて、この幾千もの記憶が宿り生まれ続ける紅魔のすべてから離れ、何一つ被害が及ばぬよう一人命を果てることで、敬愛なるお嬢様へのヒヒイロカネすらも凌駕する堅く厚き忠誠心を示したいと思います。もしも私の享受に僅か一滴でも思うところがあるならば、この紅魔館、その中心にして天高くそびえ立つ時計台の文字盤に、この私の顔を刻み込んでください。時間です。今までありがとうございました。それでは。」
「待ちなさい。遭難者。」
「……な!」
なぜそのことを!?
「あなたのこれまでの運命を読み、経緯を知りえたわ。……このレミリア・スカーレット、あなたのようなただの人間にたぶらかされるほど単純じゃないのよ。」
やはり人間の浅知恵ではいかんともしがたいということのようです。なす術はありません。
勇ましく思考を連ねても怖いものは怖いんです。はたから見ればプリティーでも会ってみれば、漂うのは500年以上にわたって熟成された高貴な風格と成人が一生のうちに摂取するパンの総量をはるかに上回る吸血によって洗練された血の香りなんです。
「咲夜が何かしてると思ったら、まさかこんなことになってた、なんてね。」
幼い少女そのものである、可愛らしい声としぐさが耳と目に付きますが、恐ろしいほどの威圧感が感じられます。
「いや、ま、まあ、あれですよ。俺はただの闖入者で、なんの変哲も無い人畜無害な人間なんですよ。」
「ふふ、外の世界の人間なんてどれも似たり寄ったり。分かりきったことよ。」
「そ、そうですか、ははは……。」
「生きた人間から血を吸うなんて、幻想郷に来てから随分とご無沙汰ね。」
「い、いや、もっと待った方がいいですよ。ほら、ワインなんて高級になるほど7,80年寝かせてるじゃないですか。まだ紅魔館の皆さんが幻想郷に来てから10年も経っていないことですし、待ちましょう、そうしましょう。それがいい。」
「血は寝かせば寝かせるほど、酸味が増していく。でもその酸味が、一番の不快味。八雲紫がもたらすものは、確かに新鮮だけど、所詮”死んだばかり”。最も美味なのは、生き血なのよ?」
「ごめんなさい。私は吸血癖なんて持ち合わせていませんから、分かりません!」
「人間は愚かよ。本来ならば自分たちが消費するはずの牛から抉り、切り出した肉と骨を、他ならない牛達に食べさせたのだから。それが自分たちの首、いえ、首より上を絞めてしまった。」
繋がっているのかどうか、あまりに分かりづらいことを口にするレミリアでした。私がいくら言葉を並べ取り繕っても彼女の中では吸血という行為が既に規定事項として出来上がっており、その対象はこの私でした。
人間の人生とはいかに儚く脆いものなのか理解しました。思い残すことは数多くあります。父上様、母上様、送っていただいたお米、大変美味しゅうございました。
諦めて首筋をさらけ出し、蜂針のように鋭く尖る二本の犬歯が皮膚と肉を貫き血管を引き千切る、絶命にこそ程遠くそれでも力を入れなければ耐えられそうにない痛みを甘受し、流れ出る我が鮮血が吸い尽くされ漏れこぼれる様を視覚以外の全五感で味わい、その苦行に快楽を見出しながら命の果てへと向かうのも悪くはないのかもしれません。
なんと、吸血鬼は恐ろしい存在なのでしょう。ですがこれほどの存在ならば、わざわざ不気味な仮面を付けてまでなりたがるのも頷けます。
……ん?。
……。
……。
……。
……、もしや!
ここは幻想郷、幻想と化したあらゆる事象が引き込まれ存続する楽園。それならば、”初めから幻想であっても”この地において成り立つのでは。
魔法という力が実在し、妖怪という存在が永住し、忘れ去られ幻想と化したものが形を成すならば、外の世界の人間があくなき欲求をぶつけ創作という形で生み出した秘術、技術、能力の数々が、この地で実在の二文字と共に私が目にした姿以外の身として発現するのではないか。
もしそうなら、いや、まて、それはあくまでこの幻想郷に迷い込んだ私の自分勝手な理想に過ぎない。それが外れ目の前のレミリアの不評を買えば問答無用で、吸血すらされずに悪夢を延々と見せられ続けてしまうことにすらなりかねない。
まだ私はこうして生きている。おそらくは、……一秒先もそうであるはずだ。
……だが、それが一分先、一時間先の話になれば見当も付かない。その頃には肉体から魂のみが剥がれ落ちているのかもしれない。
……そうか、……レミリアという存在と遭遇した時点で、……私のロウソクは爪ほどの量も残っていなかったのか……。
そう考えると、……なんだか、必死に命乞いする自分自身があまりに滑稽で、あまりに愚かに思えてくる。
なにをやっても、もう遅く、これ以上は私という一人の尊厳を著しく削ぎ落としあの世で裁判長に読み上げながら、周囲の者達に笑い声を漏らされるだけの無意味な行動でしかないのか……。
……、私は、……私は、……進むときなのかもしれない。
……私は決めました。
どうせ死ぬなら、最後に一暴れして盛大に死んでやりましょう。
それが後の世まで馬鹿にされてもかまいません。なにしろ、私は死ぬんですから!!!
見せてやります。追い詰められたジャッカルの恐ろしさを、手負いの狐の獰猛さを、追い詰められた人間が何をしでかすか、思い知らせてあげましょう。
人間を侮ったことを、肉の一片まで、後悔させてあげます!!!!!!
かつて!私が小学生を半分過ぎた頃の、あの懐かしい過去の果て!
級友たちがこぞって、波動拳やヨガテレポートや、サイコクラッシャー、さらにはカメハメ波に至るまで、誰もが憧れていた強烈無比、派手さを持ち合わせた必殺技の特訓をしていた頃!!
私一人だけが、校庭の隅で、プールサイドで、自宅のリビングで、毎朝、毎晩欠かさず続け、それでもなお会得できなかった、超絶技巧の道、理にかなっていると幼心に納得した、力を、今こそ、ここに放つとき!!!
そう、それは!!!
水に波紋を作るように、呼吸法によって、身体に波紋を作り出し、エネルギーを生み出すッ!!!!!!!
名づけてッ!!、コォォォォォ、
「紅魔館の壁の赤色の波紋疾走ッ!!!(スカーレットマンションウォールズレッドオーバードライブ)」
で、出たーーーー!!
出ました!!出ました!波紋が出ました。すごいです。人類二番目の快挙ですよ、これは。プロデューサーさん、波紋ですよ、波紋!!
奇跡です。奇跡が起きました。そうこれはどう考えても奇跡としか形容できない現実です。
さすがは私です。今まで妖怪一人、超人間一人から生き延びただけのことはあります。
拳と共に放たれた波紋は、そのままレミリアに直撃するのは良心がキリキリと痛むので真横の壁にぶつけました。すると当たったところから天井に向かって波紋とヒビが入っていき、さらに天井全体にまで波及します。
そして、ちょうどレミリアの頭上部分が綺麗な円形で切り抜かれ、その円がレミリアの頭部に、金ダライの如く落下しました。
紅魔館の建材が何なのかは知りませんが、少なくともアルファゲルのような衝撃吸収性はなさそうです。レミリアは再びそこにうずくまりピクリとだけしか動きません。
彼女には気の毒ですが、これはチャンスでしょう。今のうちに、逃げます!
この恐怖の屋敷からついに生還するときが来たのです。涙がこぼれそうです。幾度となく命の危機に陥りその都度、天寿を諦めかけ、それでも一片の生存という名の願望に明かりを灯し続けた結果が、今エントランスまで駆け込んだ私自身なのです。
あと少し、とにかく屋敷を抜け出ればひとまず安息をつくことができます。そう、あと少し、あと少し。
私は生きて外の世界に戻ったら、あの子に、いつもサークルで顔を会わせるあの子に私自身の思いをぶつけてみようと思います。それが実るかどうかはまったく分かりませんが、今の私なら大概のことができる気がします。そんな勇気が湧き上がってきています。
……そういえば、しっかりと確認していませんでしたがレミリアを無力化できたのでしょうか。確認のために戻るべきなのかもしれませんが、こんな危険なところにいつまでも居られません。私は外へ、外の世界へ帰らせてもらいます。
「ふふ、フラグを立てたわね。」
「な……。」
レミリア……。
「まさか、まさか、ただの人間が、あんなことまでしでかすなんてね。」
「……あ、ああ。」
「あいにく、吸血鬼が日光に弱いというのは、致命的な弱点ではないのよ?創作とは違って。」
「そ、そんな……。」
「あの娘、いえ、あなたにとっては”彼”とするべきかしら?まあ、どちらにしろ書いていたでしょう?それ以上の弱点を隠すためのカモフラージュではないか、ってね。」
「……化け物。」
「そうよ。私は人間がおののく怪物、それもとびきりのね。向かって来たのは褒めてあげるけれど、そのせいで痛い思いをしたわ。どう、責任を取るつもり?」
「じ、自分はまだ結婚とか真剣に考えたことはないので、ちょっと……。」
「減らず口は、何を置いても不快なものね。」
「……あ、し、失礼。」
起死回生の一打がレミリアを怒らせてしまったようです。
「ここまで、一方的に人間を虐殺できるのも、おおよそ四半世紀ぶり。……さぁ、どういたぶれば私の加虐心は満ち足りるのかしら?」
「……あ、あ。」
「ふふふふ……、往生際が、ずいぶんと悪そうね?もっと、涙を流しなさい、もっと、鼻水を垂れ流しなさい、もっと、顔を引きつらせなさい。……そうすれば、その無様な顔に免じて、二秒ぐらい延命させてあげるかもしれないわよ?」
二次界隈ではカリスマブレイクと揶揄され、公式作品でも扱いがひどいことに定評のあるレミリアですが現実はそうもいきません。腐っても鯛といいますが相手はやはり吸血鬼ということです。
先ほどは勢いで波紋が使えましたが、じゃあもう一回というわけにもいきません。理由は多々ありますがそもそも波紋が直撃した状態にもかかわらず、あれほどまで元気であるという時点で決定打とはなりえないということがはっきりしました。
もしかすると、あの場で何もせず地べたに這いつくばって、靴でも舐めたほうがよっぽど安全だったのかもしれません。
「さて、遊びは今終わったわ。……あなたはこの私に勇ましくも向かってきたのだから、私自身もそれに応えないといけないわね?先のあなたの攻撃、あれは、あれがあなたの最大の力なら、私も私の持つ最大の力を使わなければ、フェアとはとても言えないわね?」
「い、いいえ、滅相もない。あれはほんの出来心、もしくは悪戯心が、どこで道を踏み間違えたか、よりにもよって目の前に転び落ちてきたようなもので、とても、とても、攻撃の概念で括るに足らないものなんですよ。だから、ここはひとまず停戦という形で互いにしましょう、ね。」
「いい加減諦めたら?私の前に現れた時点であなたの命運は……。」
そこまで言いながら、レミリアは口を閉じてしまいました。一体どうしたのでしょうか、これ以上の問応がわずらわしくなったのでしょうか。
だとしたら、それ即ち私の命運が底を突いたということと同義です。
……果たして私はどのような最期を遂げるのでしょうか。少なくとも吸血なんて生ぬるい仕打ちであるはずがありません。
もっとおぞましい悪夢が私に降りかかるのです。両手足を切り取られ達磨と化した私がエントランスに生きたまま飾られ、来訪する悪趣味な妖怪達の目を和ませることになるのでしょうか。
あるいは紅魔館の深遠、地下室に閉じ込められ、そこに生きるもう一人の吸血鬼フランドール・スカーレットの遊び相手兼人間襲撃練習用人間として延々となぶられ、果てに粉微塵になってしまうのでしょうか。
好奇心は猫ではなく、自分自身を無慈悲にも殺すのです。物事は深く慎重に考え行動するべきだということが、今更、いえ、今一度身にしみてきます。
もしも私が半分だけでも吸血鬼だったのなら、この巡りめくる冒険の後、自身の運命を書き換えるために時間を飛び越えることになったのかもしれませんが、今の私は臨時波紋の戦士程度の身分でしかなく、そのうち波紋の戦死にジョブチェンジすることができるとはいえ、三途の川渡りは目前まで迫っています。
……レミリアはまだ動きません。ひょっとするとこの沈黙に耐えられなくなった私が再び襲い掛かるまで待っているのかもしれません。
そうして私の矮小な一撃を、自身の強大な一閃を持って打ち砕き、絶望という名の杯に満たされた生き血を飲み干し、それによって吸血鬼という夜を支配する絶対的な権力者としての自尊心をほんの僅かに満たそうとしているのかもしれません。
私とレミリアの間には長い沈黙が流れ続けます。その長さは今やバベルの塔よりもはるかに長いような気がしてなりません。
沈黙が続けば続くほど、そして相手が動かなければ動かないほど、私の頭は整然さを取り戻していきます。
……そういえば、レミリアはその小食さのせいで、吸血されてもたいてい貧血程度の被害しか被らないとか、おまけ.txtに書いてあったような気がしてきました。
……それが事実だったならば私は生か死か、という意味では人畜無害である可能性のあったレミリアを、自ら挑発した挙句その窮地に地獄を見ているということになってしまいます。
……やぶへびとはこのことですね。
ははは……、なんだか涙すら流れてきません。私はとんだ大馬鹿者です。これでは仮に映姫の元にたどり着けたとしても地獄行き決定じゃないですか、いっそのこと霊としてその辺りを適当にうろついていた方が楽なのかもしれません。
こんなんじゃ例え生きて外の世界に戻っても、近いうちに人生が破滅するのが落ちです。
なんかもう生きていくのが非常につらいです。
「ねぇ?」
「はい!?」
自らの未来に悲観していると、突然レミリアに話しかけられました。てっきり有無を言わさず攻撃が来るものと思っていたので、少し拍子抜けしてしまいましたが、一体どうしたのでしょうか。
「どうしたい?」
「え、え?」
「だから、これからどうしたい?」
「それは、いったいどういう……?」
どういうことなんでしょうか。
「簡単なことよ。あなたがこの先どうしたいか、それを聞いているのよ。」
あれですか、銃殺直前に何かいいたいことがあるなら遠慮なく言え、と言われる映画や漫画で良くあるあれですか。
言いたいことをいったところでそれが、自身になんの効果もない最後の悪あがきのようなものですか。
どうしたいか、と聞かれれば当然、望みは今現在一つだけです。そう、一つだけ。この紅魔館にうっかり入り込んでから何度となく考え、そのために大量の無茶までした、私の最後の願いです。
「……生きて、ここから出たい、ことですか。」
「……ふふ。」
レミリアは気味悪く笑いました。私の最後の悪あがきがそんなに滑稽に見えたのでしょうか。
「なら、出て行っていいわよ。」
「はい?」
「たしか、魔理沙が来てたわよね?咲夜。」
レミリアは横を向きつつ言います。そこには何もない、ただ空間のみが広がっているだけのはずでしたが、いつの間にか咲夜さんが立っていました。
時間を操れるのだからこれぐらいの芸当できて当然なんですが、いざ目の前でそれを目撃するとやはり驚いてしまいます。
「はい、まだ図書館に居るのではないでしょうか。」
少し前、私に向けていた鋭い声が聞こえてきます。ついさっき出会ったばかりだというのに、なんとも懐かしく思えるのは、それだけ私が大変な思いをしてきた証拠なんでしょうか。
まあそんなことより、レミリアは私に向かってはっきりと、出て行っていい、と言いました。私の聞き間違いでしょうか。
もしくはただ、たぶらかされているだけでしょうか。
確認してみたいのですが、もし私をぬか喜びさせるためだけに口にしたのだとすれば、それはあまりに残酷な話であり、その可能性がとても否定できません。
私は何も口にすることができず、その場に立っていました。
「いいの?多分、頼めば博霊神社までなら送ってくれるんじゃないかしら?」
レミリアは言います。先ほどまでの恐ろしさが今では影も形も見えないような気がします。ひょっとしたら彼女の言葉、それは私を地獄に突き落とす悪魔の一言ではなく、チャンスを与える天使の様に白く輝いたものなのかもしれません。
「ほ、本当に、見逃して、見逃してくれるのか!?」
「ええ、気が変わるまでは。……ふふふ。」
「え、気……?」
「咲夜。図書館まで案内してあげて。」
「かしこまりました。……こちらです。」
「あ、ああ、はい……。」
思っていたよりも、存外図書館は近くにありました。地下にもかかわらず上階よりも明るく感じられるのは、天井から下げられているシャンデリアのせいだろうと思います。
以前訪れたときは、ああ、紅魔郷の話なんですが、余りの薄暗さにパチュリーの健康具合を幾分危惧したものですが、こうして見てみるとそれはまったく無意味なものだということが分かりました。
そういえば緋想天でも結構明るかった気がします。きっと紅魔郷ではパチュリーのキャラ付けのためにあえて薄暗くしていたのでしょう。よく考えれば喘息設定も公式作品では余り見かけませんし、ひょっとしたら私の想像よりもはるかに頑強な人なのかもしれません。
おおよそ300体ほどの小悪魔が使役されているともありましたが、今のところ遭遇したのは10体ほどでしょうか。
大まかな形は全員同じですが、細かいところまで見ると、個体ごとに違いが見受けられます。これなら見分ける際にたいした労力を咲く必要はないでしょう。
身の危険がなくなったことで落ち着いて観察ができるようになりましたが、まだ完全に気が抜ける状況でないことも確かです。
例えばこれがすべて罠で、私が進んだ先に文字通り悪魔のような笑みを浮かべているフランドールが待ち構えていることも十二分にありうる話ではあります。
まあ、そうだとしても私には抵抗する手段がほとんどないといっていいので、心配するだけ無駄足なのかもしれません。ただ、生きてここから抜け出られるだけではなく、生きてあの懐かしい私の世界にたどり着くことができるかもしれない、という希望がある限り進み続けたいというのが私の気持ちです。
「この辺りかしら。」
入り口から大分、奥まったところまで連れてこられた私と連れてきた咲夜さん。
ここは私の背よりも何倍もの高さがある本棚が周囲にそびえ立っていて、その圧迫感は想像以上のものです。まあここの住人は全員空を飛ぶことができるので支障はないでしょうが、整理整頓は大変そうです。だからあんなにも小悪魔が必要になるというわけなんですね。
私達がいるのは大図書館のちょうど中心部辺り、立ち並ぶ本棚が一区画だけ場所を開けていて、机や椅子が並んでいます。
「ん?」
誰かがこちらの存在に気がついたようです。といってもここには小悪魔連中の他はパチュリー、レミリアいわく魔理沙がいるだけなので、まあどちらかなんでしょう。
声の方へ顔を向けると、そこには見慣れた少女がいて、物珍しそうな顔をしてこちらを見ています。多分物珍しいのは私なんでしょうね。
見覚えのある黒と白、世界的に有名なねずみが師匠に黙って使いそうな円錐状の帽子と混じり気のまったくない、少しウェーブがかった金髪、そう、どう見ても、どう見ても、レミリアは決して嘘を言っていなかったということが今はっきりとするほどどう見ても、霧雨魔理沙が、そこに、私の目の前に居ました。
「た、助かったーーーー!!!」
「わ、な、何だ!?」
ついに命の危険から逃れることができる、そう、何度も何度も死に掛けた甲斐がありました。魔理沙の姿を認めるや否や我を忘れて飛び出し、半ば反射的に抱きついてしまいました。
外の世界ではセクハラ、もしくは痴漢行為ですが、ここは幻想郷なので……。
「はぐっ!?」
……幻想郷でも犯罪のようです。よく考えたら少し前に咲夜さんに豪快に蹴り飛ばされたばかりです。私はなんと学習能力のない人間でしょう。
とても十代の少女が繰り出したとは思えないほど力の入った鉄拳が胴体に直撃し、そのまま本棚まで吹っ飛ばされてしまいました。
胸部装甲をべりべりとめくって放たれた二本の極太光線に晒されたほどの痛みが主に腹部を中心として全身に広がっていますが、吐血、嘔吐、といった症状がないことから内臓にまでダメージが入ったわけではないことが分かりました。
あいにくこれはギャグでもなんでもない現実なので、魔理沙が手加減してくれたということなんでしょうね。
「……なんなんだ、こいつは。」
「説明するわ。実は……。」
私が痛みをこらえて立ち上がり、体勢を整えている間に咲夜さんは魔理沙に事情を説明しています。咲夜さんの話を聞いている魔理沙はことあるごとにこちらを向いては驚いたような表情をしています。
無理もないでしょう。波紋は出たけれど、何の力もない、外の世界の、まあ、東方についてある程度知識を持っているとはいえ、貧弱な人間が紅魔館に潜入し、その後、咲夜さん、レミリアと対峙して無事生き延びたなんて話は、私が幻想郷に住む人間だったとしたらにわかには信じがたいことです。
でも現実にこうして生きているわけなので、魔理沙も信じざるを得ないでしょう。
少し経って話は終わったようです。
「えー、あのー、そのー……。」
殴られたこともあり、うやうやしく声を掛ける自分があまりにもみっともないように思われます。
「話は分かった。」
「それはよかった。頼む、もう命のやり取りは御免だ、神社まで、博霊神社までつれてってくれ!頼む、なんとか。」
感極まって、またしても抱きつきそうになった私ですが、また本棚に叩きつけられてしまえば、今度こそ肉体が耐えられません。
水泳中の事故で溺れたり、変身するたびにダメージを受けても、なお、戦い続けるほどのしぶとさを持ち合わせていないので、さすがに自重しました。
「わ、分かった、分かったから、とにかく落ち着け。」
「ああ、ごめん。いや、申し訳ない……。」
とにかく、ここは冷静になる必要があります。私の精神と肉体は度重なる戦闘で磨耗しきりクローンでも作らないといけないほどのような気さえします。
これでも今まで周囲に気を配り、いつ何時なんらかの危機が訪れても問題ないようにしていましたが、ようやく気を抜くことができそうです。
幸いなことに魔理沙は私の窮状に理解を示したようで、博霊神社まで送ってもらえることになりました。
遠目でこちらを見ていた、おそらくはパチュリーもなんだかそれを望んでいるかのようでした。同然でしょうね。私を博霊神社まで送るということは、魔理沙がここから去るということにもなるのですから。おそらくはレミリアもこれを狙って私を見逃したのでしょうか。
なんと私は運がいいのやら。本当に運を使い切りそうな気がしてきました。
それはそれで後々困ったことにでもなりそうですが、まあ今は生還の喜びを噛み締めることにしましょう。
-----------------------------------------------------------------------
「うっ。」
「ああ、大丈夫か?」
「……死にそう……。」
「そんな、大げさな。」
紅魔館から無事脱出できたことは良かったんです。ただ、魔理沙の飛行はどう考えても荒すぎて死ぬかと思いました。
神社までは空を飛んでいくということだったので、魔理沙愛用の箒にタンデムしたのですがどうやら魔理沙自身誰かを乗せて飛んだ経験がないみたいでした。
おかしいですね。旧作のいずれかで靈夢を乗せていたような気がしますが。
とにかく人を乗せたことがない魔理沙の後ろに乗って飛ぶわけなので、非常に危険です。諦めて歩きにしましょう、と提案しては見ましたが、一言、面倒だ、で話を済ませてしまい、結局私は何度も振り落とされそうになりながら、必死にしがみついてここまで、この博霊神社までたどり着いたのです。
それにしても、なんと神々しい鳥居でしょうか、なんと神々しい社でしょうか。
伊勢や熱田といった有名どころとは比べるまでもないですが、それでも境内から発せられる荘厳さは、アームゼロの状態で捕鯨をするような緊張感を引き出すようです。
神社そのものが広くないということもあって、箒を抱えた紅白の少女を見つけることは簡単でした。
私の中の博霊霊夢のイメージは、縁側で一日の大半をお茶を飲んで過ごす倦怠感溢れる、ある意味猫のようなものでしたので、まじめに箒を動かしている姿が新鮮に映ります。
「だれ?」
霊夢は低い声でこちらに声を掛けてきました。一人は見慣れている魔法使いですが、もう一人は怪しげな、装いを見れば明らかに、外の人間だと分かる、私がいるので無理もないでしょう。
魔理沙は前に踏み出しながら、咲夜さんから説明されたことを霊夢に説明しています。
もう何の心配もありません。あとはこのまま、結界の境を通れば、それで私は晴れて生存となります。
……ただ、いざこのまま幻想郷を離れるという事態になって、少し勿体無いような気持ちが湧き上がってきます。
かつて東方をプレイするたびに憧れた土地に、こうして立つことは、根幹が最初で最後になると思います。そう考えると少しさびしく思えてくるのです。
一方、実際に幻想郷を訪れて、私が幻想郷に抱いていたものが一部崩れてしまったのも事実です。
私が知っている幻想郷の住民は、そのほとんどが妖怪です。今まではゲーム、小説、あるいは漫画という形で、それも住民同士の問答という形で接してきましたが、いざこうして生身で接すれば今回のような地獄を診る羽目になってしまうということがはっきりと分かりました。
……それなら、外の世界で、おそらくは毎年のように公開される東方作品を通して幻想郷と触れ合うのが、私のような人間にとっては安全ですし、妖怪達にとっては気楽なのかもしれません。
……若干後ろ髪は惹かれますが、私は外の世界に帰ろうと思います。
ちょうど魔理沙と霊夢の話が終わったようです。
「えーと、外に帰りたいの?」
「え、ええ。」
「そう。」
霊夢の言葉を聞いて安心しました。私の決して長くはない、それでいて衝撃の連続した大冒険はようやくフィナーレを迎えることになるようです。
この分だと、バッドエンドを迎えることがなく、うれしい限りです。
「あの?」
「何かしら?」
「その手招きにも似た、なぞの行動はなんですか?」
「手招きよ?」
「なんの!?」
「あんた、まさか、賽銭も入れずに帰るつもりなの?」
「え、いや、そんな話、聞いてもいないし、読んだこともないんですけど……。」
「なら、今覚えなさい。」
……賽銭ぐらい入れないと、流石に罰が当たるか。ご利益なさそうだけど。
霊夢といえば賽銭、その他の収入がないのに何故か優雅な生活を送っていることで有名ですが、もしや、その収入源というのは私のような外の世界の人間から巻き上げた金品なのではないでしょうか。
……なるほど、つまりそういうことですか、外の世界の人間から金品とその他、先進的道具を巻き上げて、金品はそのまま換金し、物品は詳細な説明を聞いたうえで、多分、香霖堂にでも卸しているんでしょう。
なるほど、だからあれだけ理不尽なことをされても森近霖之助は余り文句も言わないんですね。……ちがうかな?
というわけで、結局賽銭箱に財布に入っていた金額の半分を収めさせられ、さらには持ち物も一部提供することになりました。
……なんか二次創作よりもさらに守銭奴っぽいような気がする。きっと、それに耐えられなくなって、ここの神主は外の世界に居つくようになったんですね。
まあ、いいです。おいしいですよ。そのMRE。
ついでに有料でおみくじを引けるらしいです。神社なので当然といえば当然なんですが。
私としては今更そんなものを引く必要性はないと思うのですが、霊夢はしきりに一回引いていくよう薦めてきます。……きっと引かないと動いてくれないんだろうなあ、と的中率99.9999999%の予想、名づけるならナインナインシステムを立てながら、一本引くことにしました。
手渡されたくじは折り曲げられていて、そのままでは中が見えません。さて、なにが出たのでしょう。
「確か、今日は吉しか入れてないから、吉ね。」
……そうですか。
本来なら境内のご神木にでも巻きつけておくべきだとは思いますが、せっかくの幻想郷にきたのに何も持ち帰れないというのも少しさびしいので、このおみくじを持って帰ることにしましょう。
「じゃあ、今”開ける”から。」
神社裏手に連れてこられた私に向かって霊夢はそう言いました。そこはなんだか空間が僅かに歪んだような気味悪い光景が広がっています。
霊夢いわく結界の境目とのことですが、そのあまりの気味悪さはしばらく夢枕にでも出てきそうなほどでした。
霊夢がなにか動作をすると、その境目に、稲妻のようなものが走り、次の瞬間にはぱっくりと大きな、穴が広がっていました。
「ええと、ここを抜けると、そのまま外の世界よ。確か外の世界にも博霊神社があるから、そこに出るはず。出たあとのことは、私は知らないから自分で何とかしなさい。」
「あ、ああ。ありがとう。」
私は霊夢に一言礼を言うと、一度後ろへ振り向きました。
そこには幻想郷が広がっています。
もう二度とこの目で見ることのできない、楽園の姿を両目にしっかり焼き付けて、私は外の世界、私の世界へと帰りました。
-----------------------------------------------------------------------
「よかったのですか?あのまま行かせて。」
「よく言うわ。先に逃がそうとしたのは咲夜の方でしょう?」
「それは、確かにそうですが……。」
「いいのよ。別に。あれはちょっとした賭けみたいなものよ。」
「賭け……、ですか?」
「そう。生きるか死ぬか、あの人間がどちらを選ぶか、見てみたくてね。」
「……どう見ても生きるほうでしたが?」
「肝心なことに、まあ気づくことができるのは私だけなんだけど、気づいていなかったわ。」
「……と、言いますと?」
「あの人間、幻想郷からはちゃんと生きて出られるのよ。」
「……?」
「……それで、……限界。ふふふ……。」
わ、たし、は、……最後、の、ちからで、ぽ、ケット、に、いれた、お、みく、じを取り出、しました
おりた、たまれ、た、か、みをひろげ、ると、そこ、に、は、、、、、、、、
……”凶”、と、かい、てありま、し、た………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………、……。
ああ、ここで言う皆さんというのは、今こうして私の思考、意識をなんらかの形、例えば小説やアニメといった娯楽媒体、もしくは皆さんの中にふと湧き上がった妄想でもいい、読み取っているであろう方々の事を指しています。
いや、別におかしくなったわけじゃありません。ほら、あれ、パラレルワールドとかそういう話があるじゃないですか。いろんな世界があって、どこかで繋がっているみたいな話は、創作物では割とよく見かけますよね。これまで私はそういう類の話をフィクションとしてのみ受け入れていたのですが、ここ数時間ほどで私が認識していた常識の一切が覆されてしまうという状況に直面してしまいました。
結果として古今東西、流布されている超常現象の大部分を信じることができるようになりました。おそらく今の私なら目の前に金星人の住民票を出されてもその真偽について疑うことはないでしょう。
まあそんなことはどうでもいいんです。
今私はグレームレイク空軍基地に全裸で正面突入するよりも危険な状態に陥っているんです。
それは見て分かるとおりだとは思いますが、ひょっとしたら挿絵も何もないただの文だけを見ている方もいるかもしれないので手短に、かつ正確に私が置かれている状況をご説明しましょう。
実は簀巻きにされてます。ええ、それはそれははっきりと、某教育出版社が送ってくる漫画の2ページほど先の展開を予想するよりも容易に、簀巻きにされているんですよ。
おそらくは麻と思われる黄土色の細長い線が幾重にも渡って私の身体に巻きついていて、さらにはその両端が硬く結ばれてしまっているので身動き一つ取れません。
加えて、私が監禁されているこの建物は全体、それも外だけではなく内側まで赤一色で塗られていて、それだけならまだしも異様に窓が少ないんです。
もう私の網膜は赤という色を判別していません。たぶん何を見ても赤としてしまうでしょう。これはまさしく地獄の一丁目でしょうか、色のゲシュタルトがベルリンの壁のように崩れ去っていきます。
私をこんな風にしたのはミニスカートとフリルが良く似合うメイドでした。なんというかオーラが違いましたね。秋葉原辺りで外見だけ取り繕ってるなんちゃって連中とはまったく違う、日常着慣れた雰囲気がいたるところから漂ってきまして、私は男なんですがもう一瞬で虜にされてしまいました。
……そのせいで逃げることもできずつかまった挙句、簀巻き状態で放置プレイという屈辱を受けることになってしまったのは言うまでもないことです。情けないことですが、それもしかたがない話なんです。
なんというか、そのプロのメイドというのが、もう目からして常人とは違っていました。あれはまるでM16でありとあらゆる要人を狙撃する東洋人のそれでした。
それからしばらく経ちますが未だ変わった様子はありません。おかしいですね。こういった場面だと普通なら尋問の一つでもするとは思うんですが。
まあ私は尋問対策なんて受けたことはないし、就活用に面接練習は何度かやりましたが、まったく用途が違いますね。
それに、いくら日本経済がリーマンショックのせいで第三次大戦並みの惨状になっているとしても、あいにくこんなところに就職する気は毛頭ありません。
私にはなんとなく分かるんですが、ここの待遇はまず間違いなくブラックです。なんといっても赤いですからね。どう考えてもレーニン級の独裁体制が敷かれているような気がします。
あ、そうそう、言い忘れていましたがここは紅魔館っていうんですよ。英語ではスカーレットマンション、ドイツ語だとローゼンハウゼ、とでも言うんでしょうか。
え?なんで名前を知っているかって?
そんなのは簡単です。こう見えて私は東方プロジェクト関連、ゲームはもとより書籍に至るまで、公式作品はすべて購入し、細部に至るまで読み解いていますから。今まで起きた異変で使用されたスペルカードは全て空で言えます。
そんな私がこうして紅魔館で囚われの身になっているのには深いわけがあるんですが、そのきっかけとなったのはやはり東方という作品に触れ精神の全てを感化されたことです。
私は東方という作品に頭頂部まで浸かり、そのすばらしさを心行くまで堪能した上で、これら一連の作品群を製作している作者の生まれ故郷周辺部を旅してみようと思い立ったんです。
訪れて正解でしたね。何より景色がすばらしい。私は日ごろ都会で生活していますから高層ビルは見慣れていますが、それらが霞んで見えるほどの雄大さ、スケール感が私の視覚情報を埋め尽くしていきます。
時期は初夏といったところですがこの辺りは元から山間なので蒸し暑さは一切感じられません。
時折吹く風に身をゆだねると、水泳の授業対策として事前に海パンを穿いていったのはよかったのだが、代えのパンツを忘れてしまい午後の授業はノーパンで過ごさなくてはならなかった若かりしあの頃感じた開放感が全身を包み込み、なんとも清清しい気分になります。
そして景色を眺めていると、こう、分かるんですよね。ああ、ここが幻想郷なんだな、という感じで。
東方そのものは創作ですがその根底に流れているものは、この大自然ではないでしょうか。そんな気分になります。
そうして、大自然を堪能した私ですが、それからしばらくして道に迷ってしまいました。
そのときは頭をひねりました。何しろ遭難対策としてコンパス6個、地図3枚、山でも使える携帯と、幼い頃から私の冒険心をくすぐった偉大なるヘンゼル・グレーテル兄妹にならって光る石を複数個用意し、活用したにも関わらず一歩進むごとに無限の闇に嵌っていくようで、一歩戻るたびに底なし沼に吸い込まれていくようで、いつの間にか進むべき道も戻るべき道も見失ってしまいました。
それから何時間も歩きましたが何の道しるべも見つけることができずその場に座り込んで、東方、違う、途方にくれました。
ああ、私はとうとう遭難したんだな、と絶望に包まれました。頼みの綱はネットオークションで手に入れた米軍払い下げのMREのみです。
ああ、これが戦闘糧食Ⅰ型ならばどんなによかったことか。僅か数千円をケチったばかりにエチオピア人さえ拒否したとまで揶揄される食料を腹に入れなければならないのです。
いや、他にも嘆くことは多量にあるのですが、人間の持つ三大欲求のうちの一つが食欲です。あとの二つはこんな山奥でも八割ほどは満たすことはできますが、食事に関しては自力確保が極めて厳しく、できたとしてもそれは味、食感、清潔性といった普段なら守られて当然である要素が不足した最低限度のものでしかありません。
ならば事前に用意できるものだけでも普段の環境にできるだけ近づける必要はあったのですが、頭では理解していたとしても思考と行動がまったく追従せず自業自得という形で、他でもない私自身に降りかかってきたのです。
こんな大事なことを軽んじていた数十時間前の私を非常に恨めしく思います。生還したら復讐してやりたいですが、残念ながら私の先祖、友人に発明家はおらず、私自身も自分の会社を花火で丸焼きにするほどの馬鹿ではないと思うので、過ぎたことを心に留めつつ、この山奥から未来へ向けて脱出したいです。
まあ、そんなことを考えながら頭を抱えることしかできませんでした。
実を言うと少しではあるんですが、ヤベー、幻想郷に来ちまったかもしれない。どうしよう、まず射命丸と写真撮ろう。などと淡い期待を持っていました。
実際こんなシチュエーションになったら誰でも考えると思うので生理現象でしょう。周りから憎まれても平然とできる人間こそ世にはばかるものですから。
そういったポジティブな考え方ができれば人生、波乱万丈でも大胆、重ねて大胆、追加で大胆になれますし、日輪の輝きなんて恐れるに足らなくなります。
そうしているうちに、なにやら異様な気配を察知しました。ちょうど髪が一本逆立つみたいに、もしくは額の辺りで白い稲妻が閃くように、今まで感じたことのないような力のようなものを感じたんです。
はじめに言っておきますが私は常人とまったく変わりない普遍的能力しか持ち合わせていません。幼い頃にそういった類の能力を一つ練習したことはありましたが当然のことながら実を結んではいません。
なので、手が伸びたり、背後霊的なものを行使したり、指先から霊力の弾丸を打ち出したりといった、でたらめなことはできないのですが、このときばかりは第六感のようなものが何食わぬ顔をして私の意識上に現れた感じがありました。
ふと振り返ると、そこには一人の少女がいました。おおよそ十代中盤ほどの幼さがどことなく残る顔つきで、青緑色のショートカットヘアーと赤と水からなるオッドアイが目に付きました。
装いこそ西洋、それもポルトガルやスペイン、オランダといった南蛮風とでも言いますか、そんな感じなんですが足元はまるで不倫は文化だとでも言わんばかりに裸足で、下駄を履いていました。といっても彼女のスカート丈はどちらかと言えば短かったのでニーソックス、ストッキング辺りじゃないとかえっておかしな格好になってしまうので、まあ無難といえば無難です。
でもニーソックス姿なら見てみたいかな。ついでにヘッドセットマイクを付けてスカートもタイトに代えてしまえば年齢不詳のリトルバードが完成します。
そしてなによりも彼女が手に持っている一本の古びた傘が特徴的でした。コンビニやそこらのスーパーにおいて500円ほどで売っている、ファッション性とはかけ離れた、ごくありふれた傘なんですが、その手元には少女が履いている物とまったく同じ形をした下駄が付いていました。
分かる人はスーパー上海人形でも賭けて下さい。はい、そうです。どう見ても多々良小傘です。モノクロ新宿で音ゲーでもやっているかのような気分です。本当に、本当にありがとうございました。
正解の方、どこを取りますか?……なぜ、角を取らない!?
背後から近づいてきたのは妖怪です。はっきりと言って妖怪です。見紛う事なき妖怪の姿がそこにありました。
私の身体に張り巡らされている全ての神経が、たった一言、逃げろ、と、そよ風のように囁き、やんちゃな子供を躾ける母親のように語りかけ、岐阜県が生んだ赤色装甲鬼の如く叫びます。
目の前に現れた不可思議な事実が嵐となって私の意識と常識を掻き乱し、頭の中は本田の荒い運転のせいで見るも無残な姿となったタコスのように大混乱していました。ですが、私は元来臆病な人間です。腰が引けるよりも前に足が動き、危険から逃れたいという一心のみによって突き動かされるように走りました。
どれぐらい時間が経ったのか、どれほど走ったのかは分かりませんが、普段歩きなれない険しい道のりを一度も転ぶことなく走り抜けたことに驚きを隠せません。何度か後ろを振り向きましたが、そこに怪奇!唐傘お化け!の姿を見ることはありませんでした。撒いたか、と思うたびに、見えていないだけで追って来ているのではないか、と不安になり足を止めることができませんでした。
今にして思えば相手は小傘です。彼女は妖怪なので当然人間を食料としていますが、物理的な血肉ではなく精神的な人間が発する恐怖、驚きの感情を糧にする、と、おまけ.txtに書いてあった気がします。つまりその場にへたり込んだとしても大して問題はなく、むしろそうして満腹になってもらったところで、博霊神社の場所でも聞いた方が良かったのではないか、などと少し後悔しています。
というか、まず疑問に思うのは自分の置かれた状況のはずなんですが、まあそれは緊急事態だったのでしょうがないでしょう。適当に走った後で目の前に何か特徴的な建物でもなければ、とりあえず一息ついて自身を落ち着かせ、その後いろいろ考えを巡らせるはずだったのですがそうはいきませんでした。
ひとしきり走った後でようやく足を止め、呼吸を一段と荒くして体力回復を図っていた私の目の前には真っ赤な屋敷がありました。
紅魔館です。いつ見ても、といっても萃夢想や緋想天辺りでしか見たことはありませんが、赤いですね。周囲は高い塀に囲まれていましたが、私はちょうど正面に出ていたようで目の前に立派な門がありました。
中には身も凍るほどの力を持つ吸血鬼が二人とその他妖精、魔女、悪魔、人間等がいるので、普通の人間なら気づかれる前に逃げるのですが、そもそもこの状況が私にとって普通ではありません。
先ほどは溢れんばかりの恐怖に支配され、そこから完全に立ち直ることなく紅魔館の姿を目にしてしまい、そのせいで人間が持ち合わせるはずの常識の大部分を失なっていました。目の前には紅魔郷をプレイするたびに一度は訪れてみたいと思っていた真紅の屋敷が、一つ存在する入り口を無用心に開け放っているのです。
今度は好奇心によって私の頭は支配されてしまいました。私はエスタ大統領の一人息子のように冷静にはなれない性質ではなく、むしろ敵を一発殴るためだけに地球一周するほどの、その場の勢いに任せて万事動く性格なんです。
なにより低級とはいえ妖怪から逃れきったという何の保証もない自信が込み上げてきて、私の愚かな気まぐれを後押ししていきます。まるでS極に引かれていくN極のように開け放たれている門へと近づいていきました。
足元で目を回している緑色の春麗を踏まないよう気をつけながら、さらに一歩ずつ慎重に、そしてしっかりと進み、ついに恐怖の入り口へと足を踏み入れてしまいました。
屋敷内部に潜入してまず思ったのが、いやはや赤いなあ、ということです。まあ内部まで赤いというのは今日日ウィキペディアにも載っている事なんですが、それでもいざ目にしてみると、おじいちゃんから貰ったうっすらと塩味のあるキャンディーのように一段と違った特別なものを感じました。
そして、そんなところに気を捕られていてしまっていたので、背後から接近する、そうまたしても背後なんですが、一人のメイドに気づくのが遅れてしまいました。小傘との一件で超自然的特殊能力に目覚めた、と勝手に思い込んでいましたがそううまいこと話が進むことはなかったようでした。
そして、こんなことになっているんです。さて、私はどうすればいいんでしょうか。このままではじきに……、
「何、一人でぶつぶつ言ってるの?」
「へ!?」
気がつきませんでしたが、いつの間にか目の前にメイドがいます。十六夜咲夜です。非常に恐ろしいです。あれはジト目とでも言うんでしょうか、なにやら私を見下したような目で見ています。
頭に罪と書かれた布袋を被っている連中なら昇天しそうな一幕ですが、私にMっ気なんて微塵にも存在していないので、はっきりいって狂気の沙汰です。
「ま、まて、お、俺はこう見えて、他人と比べて著しく味が落ちている人間だから食べてもうまくはないぞ!むしろ、食べたら死ぬぞ!だから、諦めろ!そうだ諦めろ。ほら、あれだ、ローマは一日にして成らず、というがロマノフ王朝最後の秘宝は日本に何故か立てられていた西洋風古城に隠されていたみたいな感じだ。ほら、やばいだろ?おちこうぜ、な?」
こうなってしまってはもうやけになるしかありません。滑舌が乱れようが気にする余裕はかけらもありません。
未だ混乱からは抜け切れていない頭の隅々まで動かして、思い浮かぶだけの言葉を並べます。母親のぬくもりが欲しかったから抱きついたけど、間違って首絞めちゃった級の意味不明さになってしまいましたが、とりあえず私の言いたいことは伝わったと信じたい。
できれば伝わるだけじゃなくて、その願いを汲み取って私に生き延びるチャンスを与えて欲しいのですが、何とかなりませんか、何とかなるなら何とかしてもらいたいです。
だめですか?
そうですか、もう、おしまいですか、もう、もう、だめだぁ。仕舞われた方がまだ幾分ましです。
きっとあと僅かで、私の意識は肉体という概念から解き放たれるでしょう。ここが幻想郷ならば、おそらくは無縁塚のほとりに辿りつき、そこで日課のサボタージュに励んでいる時代錯誤の死神と対面することになるはずです。もしも私が愛される人間だったならば、古ぼけた小銭を彼女に渡し古びた小船に乗って三途の川を現世とは真逆の方向に進むでしょう。
身を乗り出して水面を覗けば、そこには太古に死に絶えた海を制する生命が命と躍動感を持って生き続け、その力強さと神秘的な姿に止むことのない震えと寒気が電流のように私のいたるところを走っていきます。
私は船頭の決して止むことの無い、それでいてレクイエムのような壮厳さとノクターンのような物悲しさが感じられる言葉の数々を耳にしながら、断罪へと進んでいきます。
ああ、もうあと数メートルほど進めば岸です。そして、そこにたどり着いた私は小船から音もなく降り立ち、その地にいる別の死神に促されるように進み、今まで見たこともない異様な建築物を目にし、その中へと入ってゆくのです。
そこには公私共に口うるさいことで知られる閻魔、四季映姫が一切の表情を消し去った、機械然とした顔でもって私を静かに迎え入れるのです。私はそこで映姫が読み上げるこの私自身の短い来歴を、ある時は胸を張って誇り、またある時はうなだれながら耳にします。その地獄の責め苦にも似た屈辱を受けながら、自分自身がいかに愚かで、卑劣で、情けない存在なのかいやおうなしに理解させられるのです。
全てを見透かされ、それでもなお弁明しようと言葉を紡ぎだすものの、そうして出来上がった悪あがきの産物を自らの意志で外へと吐き出す手段はとうの昔に失われていました。けれどもそうした一連の思考とその成果は超然とする裁判長に向かって水俣工場が生み出したメチル水銀入り廃液の如く垂れ流されていて、それだけではなく彼女はその事実と内容すらはっきりと口にします。
私が持つプライドと尊厳の全てが粉微塵になったところで、ようやく判決が下ります。
それがいかなる結果なのか、私をはじめその場にいる者は、判決を下す映姫自身を除いて、誰一人いません。ある筈のない心臓の鼓動音が一拍事に大きくなっていって、そのうちサングラスをかけたヒマワリが踊り出すほどの大音量になっていきます。
よく耳を澄まさないと聞こえない映姫の声が、いつの間にか消えていました。己の中から鳴り響く騒音に意識が吸い寄せられていて、肝心の聞き取るべき言葉、私の今後を知らしめる最後の判決を聞き取ることができませんでした。
もう一度言ってくれ、と心の中で念じても、それはもう届くことはありません。目の前から映姫は去っていき、その代わり私の両隣にいた死神が私の身体をしっかりと掴みます。
私は自らに下された判決を知らぬまま連れて行かれます。それは一体どこなのか、冥界で咲き乱れる可憐な桜の花々を目で味わい、騒霊たちの奏でる音色に心を躍らせながら転生を待つのか、地獄で天よりも高い後悔を生み続け、海よりも深い苦しみを味わうのか、いったいどちらなのか、分かりません。
私が連れられていく先に何かが見えます。あれが私の判決です。そこは、そこは、そこは……。
そこまで妄想して、我に返ることが出来ました。こんな状況で暢気に妄想に耽っている場合ではありません。悪夢を見た子供のように呼吸は荒く、全身から来年度の予算全額がつぎ込まれたほどの冷たい汗が流れていました。
たかが妄想、されど、あと僅かで現実となり得る悪夢が迫ってきています。
ですが、この国は神の国なので一柱ぐらい私の危機を無償で救う物好きがいてもおかしくはないと思います。自慢ではありませんが以前一度だけ六月に伊勢神宮へ参拝したことがあるので、少なくとも八百万ほどの神々には信仰した事になっているでしょう。
なので、神よ、我を助けたまえ!助けてくれたら賽銭奮発します。というか本当にもし私の窮状に気づいてくれたのなら、加奈子、諏訪子、最悪秋のどっちかでもいいから助けに来てくれ。マジで。
「あらそう。……外の世界の生きた人間なんてめったに取れないから、お嬢様も大変喜ぶわね。」
私一人が長い長い妄想と想像と願望の世界へデッキブラシに跨って飛び込んでいた時間はほんの数ミリ秒のようです。とはいっても先ほど咲夜さんに投げかけた言葉の数々は長期記憶に収納される前に短期記憶から一掃されてしまっていたので、会話が成り立つかどうか心配でしたが、それは完全に杞憂でした。
咲夜さんは私の話のすべてを五文字で切捨て、私にとって最悪の方向へと話を進めていきます。
どうやら私の説得はあの雪のように白い耳には届いていないようでした。困った、非常に困った、困り果ててしまいました。私には趣味の悪いスーツを着た検事を逆転させるほどの弁護力なんて持ち合わせておらず、かといってショォォーーー、タイム!!!なんて叫んでもメガデウスどころか五歳児っぽい声の王女様が飛んでくることもありません。
もはや絶対絶命真っ最中。どうしよう。諦めるか?いや、そんなのはいやだ。涙はこぼしたくない、俺は死にたくない!!まだやりたいことが残ってるんだ!!!NOォォーー散らす、この命!!!!
……あら?
「……あの、なにをなさっているのでございましょうか?」
またしても我を忘れて、今度は潜水艦にでも乗り込んでいたような気分でしたが、その間、目の前に立っていた咲夜さんは懐からナイフを一本取り出していました。それで何をするかといえば、幼稚園のお遊戯にはどう見ても場違いであるリアルな姿をしたキジのごとく私のはらわたを抉り出す、というわけではなく、その点でのみまずは胸をなでおろしました。彼女は恐るべき凶行に至るのではなく、それとは真逆の行為を行いました。
私の身体を今まで拘束していた縄が切られ、するすると床に落ちていき、僅か数刻ながら奪われていた自由を再び手にすることができたのです。。
きつく縛られていたせいで体中に痛みが残っていますが、それでも枷がなくなった開放感の方が強くバイクでも盗んで走り出したい気分です。多分ここにはないと思いますが。
「私にできるのはここまでよ。あとはあなたの好きにすればいいわ。」
そう言うと、咲夜さんは銀色に輝くナイフを仕舞い、私に背を向けました。その後姿がなんとも神々しく見えるのはどうしてなんでしょうか。
「いったいどうして?……あんたの主は俺みたいな人間が食糧なんだろ?」
そのまま立ち去ろうとする咲夜さんに私は半ば反射的に声をかけました。いくら目の前の危機が一時的だとは思いますが去ったとはいえ、未だ致命的状況下であることに変わりありません。さっさと紅魔館から逃げ出すべきなんですが、どうしても聞きたいことがありました。
彼女は何ゆえ私を助けたのか、ということです。
「食料なら間に合ってるから。それにお嬢様もまだこのことは承知じゃない。」
「それはどういう……。」
「あなたは外の人間でしょう?それならお嬢様は何の制限もなくあなたの胸にご自身の爪を突き立てるわ。……そうならないうちに逃げたらどう?」
咲夜さんはこちらに身体を向けず、淡々とそう言いました。確かこの紅魔館の主であるレミリア・スカーレットは幻想郷の妖怪と、人間を襲わない、という約束をしたはずです。ただその人間というのが幻想郷の住人だけを指しているのか、それとも私のような外の世界の人間も含まれているのか、それについては文化帳、求聞史紀にも正確な記述はなかったのですが、どうやら襲われるようです。
ならどうして、咲夜さんは私を逃がすのでしょうか。あれですか、レミリアのやつ、リアル鬼ごっこでもする気ですか?そうだとしたら悪趣味な話ですが、それならあいつ自身が私の目の前に現れて、自分の口でそのことを伝えるでしょう。
やはり、これは咲夜さんの好意なんでしょうか。それならば願ってもないことなんですがそうなると後々彼女は大変なことになるのではないでしょうか。
妖々夢ではeasyからextraまで散々世話になったので、今ここで私を逃がしたばっかりに、その責務を追求されるなんてことになったら非常に忍びないですし、今後咲夜さんが自機に復活しても申し訳が立たなくてとてもじゃないですが使えません。
「いや、でも、あれだ、レミリアは他人の運命とか読めるんだろ?ひょっとしたらこの事だって既に知ってるんじゃ……。」
私は不安になって聞いてみました。私のせいで一人の少女が命を落すなんて事態にでもなればとてもじゃないですが耐えられません。
……あ……。
……しまった……。
……レミリアって名前を出しちまった……。
……やばい、…やばい、非常にやばいし、非常にまずい!!ドクターペッパーとノニジュースと百味ビーンズのゲロ味を混ぜ合わせて、常温で20年ぐらい寝かせた飲料よりもまずい。
少なくとも咲夜さんの視点から見てみると、私のようなどこをどう見ても外の世界から流れ着いてきた人間がレミリアの名前を知っていることはおかしいはずです。こんなところに囚われることとなった一連の流れからして、咲夜さんとの接触前にレミリアの名前を知る機会はないでしょうし、今この場で頭を動かしてもそれらしい文字は見つかりません。
どう考えても私の大きなミスです。これはまずいでしょう。ひょっとしたらいろいろ尋問されるかもしれません。なにしろ咲夜さんはそれなりにナイフを所持しているので拷問辺りもやり慣れているようなイメージがあります。
それにこのことが幻想郷中に広まれば、あまねく妖怪連中が私を責め立て脳の全てを搾り出すように東方について追求されてしまうかもしれません。その後の幻想郷、外の世界、その他がいかなる状態に陥るかは私の預かりの知らぬところですが、私の進む先も知りようがありません。
なんて俺は馬鹿なんだ!と今更ながら嘆いています。
まてよ……。そういえば私は小傘から逃げて、ここにたどり着いたんです。それならば、小傘から事前に名前を聞いたってことにするのはどうでしょう。それなら何の問題もなく理不尽な点も見当たりません。
ただ、小傘がレミリアの名前を知っているのかどうかについてかなり不安です。今のところ小傘とレミリアの接触は私が知る限りありませんし、幻想郷は狭いようで意外と広いので、もしかしたら知らないのかもしれません。
それならば、別の妖怪に襲われたということにでもしておきましょうか。いや、それだともし万が一その妖怪を探されて、聞き込みでもされてしまえば嘘がばれてしまうし、そうなったらあとが恐ろしい。
……なら、妖精、そう、妖精なんてどうでしょう。基本的に単純なやつらばっかりなので、追及されても、この連中もう忘れてやがる、とか言っておけばそれで話は丸く収まるんじゃないでしょうか。
じゃあどの妖精にすればいいのか、いや、この際、羽の生えたチビ、って言っておけばいいかな。妖精なんて大概そんな感じの背格好ですし、そもそも私は外の世界からやってきた異邦人、渡来人なので幻想郷の知識は内部の存在からもたらされない限り知る術がないのです。
うん、私はこういうときにこそ力を発揮する主人公タイプですね。
よーし、さあ、ミス・咲夜・十六夜、何をためらっているんですか?聞きなさい、己の心に浮かび上がる疑問を、湧き上がる疑念を、異質であるはずの問いを!
そうだ、吸血鬼に仕え、人知を超えた時間操作の秘術を会得したとしても、お前の本質は人間であり、決してそれを超えることはできない。例え長きに渡る生と力の放浪が自身の心と身体を醜い妖怪へと誘っても、あるときには不意にかつて人間だった頃の感性が総天然の鮮やかさを持って蘇り、それが心に宿るたびに人間であった自分に振り回されて鬱の極地へと至るのだ。
さあ、さあ、さあ、さあ!!
「……そう、あなたは東方を知っているのね。」
「はい?」
咲夜さんは静かに言いました。なんかとんでもないことが聞こえてきた気がします。この人はっきりと東方って言ったような。
私がどんな顔をしているのか、ここには鏡がないのでさっぱりですが、おそらくとんでもない顔になっていることでしょう。なにしろ他でもない、東方のキャラである咲夜さんから、はっきりと東方なんて単語が聞こえてきたのですから。
「な、なんで、あんたそのことを……?」
「パッケージとか、立ち絵ぐらいなら見せてもらったことがあるわ。」
「だれに!?」
「神主さん。」
「どこの!?」
「博霊神社。」
「いるの!?」
「いるわよ。年始ぐらいしか帰ってこないみたいだけど。」
「はい!?」
「最近は、げーむ以外にも小説とか漫画とかやってて忙しいみたいね。」
「あの人、幻想郷出身なの!?!?」
……私はとんでもないことを聞いてしまったようです。咲夜さんの言う博霊神社の神主というのは、その、つまりは、あの人なんでしょうか。一度例大祭で見かけたことがありましたが、まさか幻想郷とマジで繋がりがある人物だったとは、流石の私でも驚きを隠せません。
……なるほど、すべての話が繋がりました。私はてっきり、平行世界にでも飛ばされたのかと思いましたが、なんのことはない、ただ東方プロジェクトという一連の作品群において描写されていた幻想郷という楽園がノンフィクションだったという、ただそれだけの話でした。
よくよく考えてみれば幻想郷に迷い込んで定住化した人間の存在は仄めかされていますが、そうした人たちは表舞台に一切現れていません。いても一人だけ、早苗さんぐらいですが、あの人は東方を含めたいわゆるオタク産業の大部分を知らずに育ってきた純粋な少女だったのではないでしょうか。
個人名がはっきりとしていればあれですが、そういうことにはなっていないので、誰も幻想郷という世界が、まさか実在しているなんて夢にも思っていなかったということなんですね。わかります。
幻想郷は文字通り幻想と化したあらゆる存在を呼び込む世界ですし、守矢神社あたりも現在社会が忘れてしまった神聖なる神の御座す諏訪大社という概念が大結界を抜け妖怪の山に降り立ち、改めて守矢神社として成り立った、みたいなことになっているのでしょう。完全に私の妄想ですが。
そういうことなんですね。つまりすべては隙間の向こう側でほくそ笑んでいる紫ババアの仕組んだ茶番だったというわけです。おのれ、八雲め。
そんな事を言っておいて実はすべて私が見ていた夢だった、みたいな話になってしまうかもしれませんが、そんなありきたりな展開は三流未満の文士気取りが三流になって読者に叩かれるためにのみ存在しているわけで、私の今までの幻想郷における大冒険の数々を見ればどう考えても、より高尚な結末を迎えるはずなので、まあ大丈夫でしょう。
これっていわゆる幻想入りってやつですね。まあでもこれを私や射命丸、アリスなどがいる世界とはまた別の世界の人間が創作作品として見ているならば、この辺りで、なんだよ、メタ発言かよ、作者もうちょっと頭使えよ(笑)、などと揶揄されているのかもしれません。
そうならば、その世界における作者の方には申し訳ない気持ちでいっぱいです。関わることはないですからどうでもいいことなんですが。
「……この先お嬢様があなたを殺せ、と私に命じることがあれば私はまず間違いなくあなたを殺す。でも命令されるまでは何をしても、そして、しなくても特に問題はないわ。」
暫しの沈黙を挟んで咲夜さんは言いました。
途中衝撃的な事実が入り込みましたが、私の拘束を解き脱出を手引きすることは咲夜さんの手厚いご好意のようです。
なんということでしょう。まだまだ私も捨てたものじゃないかもしれないという思いが身体中を駆け巡っていきます。
完全絶命の中心点から思いがけず外れることとなった私は、自らの悪運の強さに驚嘆を隠すことができません。
今の私なら大出力加粒子砲を本官さんの如く撃ちまくる大怪獣ブルースクウェアの懐に突っ込んでキューブ込みのパイルバンカーを外装ごと打ち貫ける気さえします。
なんとなくここですべての運を使い果たしてしまいそうな勢いですが、命あっての未来であってこの際、細かいことは気にしないことにします。
あと、どうせ助けてくれるなら、わざわざ簀巻きにしなくても良かったような気もしますが、指摘するとあとが怖いような気がしたので私の頭からは綺麗に消しておくことにします。
「ありがとう。あなたのことは一生忘れません。できればお別れのキスでも、あがっ!?」
私は咲夜さんに対しての謝辞を言い終わることはできませんでした。
目の前の危険がとりあえず去ってしまうと、とたんに気が緩んでしまうのは私の悪い癖です。咲夜さんの理想的な肉付きをした麗しく美しい脚線美からの一撃が私の顔面を横一直線に吹き飛ばしました。
幸いラクーンシティの住人やサイレントヒル訪問者ほどの力はなかったようなので首と身体は引き離されることはありませんでしたが、そのせいで一緒に吹き飛ばされてしまいました。
赤い壁面に全身を叩きつけられてしまい、余りの激痛に思わず涙が流れてしまいます。
悲しみの海は愛で漕ぐことによって前に進むのですが、漕ぎ過ぎれば船ごと転覆という事態になるということですか。I See.
私が体勢を立て直したときには既に咲夜さんの姿はどこにもなく、真夜中の田舎道に降り注ぐ重厚な静寂さのみが私を取り囲んでいました。
瀟洒なお嬢さん、それも命の恩人でもある咲夜さんに不快感を与えてしまったことは弁解できることではありませんが、とりあえず礼そのものは伝えることができたと思うので、さっさとこの恐怖の吸血屋敷から逃げることにします。
私は監禁されていた部屋からなるべく音を立てないよう、慎重に身体を出します。身動きこそ取れるようになったものの未だ脅威は取り払われておらず、この先誰かに見つかろうものならば、最後、屋敷の外へ出る間もなく再び囚われの身となってしまうでしょう。
獅子舞面した弟もオカメ面した従妹もいない私にとって、それは逃れることのできない終幕を意味します。というわけで音を立てず、静かに逃げようと思います。
こんなことは想定していませんでしたが、私は今までに、核兵器廃棄所、海上除染施設、旧ソ連領ツェルノリヤルスクにおいて、VR訓練とはいえ潜入、破壊工作を行った経験があり、また、マレット島、デュマーリ島、テメンニグルでは悪魔相手に大立ち回りを演じたので何の問題もないでしょう。
武器装備の調達は期待できませんが何とかなることを祈って、無限の赤色世界へさあ、行くぞ。と意気込みます。
部屋から首だけ出して左右、ついでに上下を確認します。
どうやら周囲には誰もいないようです。幸先がいいことこの上ないので、どうかこのまま逃げ延びることができますように、と願掛けしつつ進みます。
先ほどの部屋はその内装や周辺に置かれていた小道具類から物置として使われていたようですが、あの薄暗さはそこだけのものではないようでした。
私が今歩いている廊下も決して現代建築特有の白色を強調した明朗さは無く、点在する数少ない窓から注ぎ込まれる陽光と内部の赤色が混ざり合ったロウソクのか細い明かりのような橙赤光が、壁、床、天井に散ってゴシック調の色彩を浮かび上がらせていました。
捕まる前にエントランスだけは見ましたが、そこは天井から下げられた大げさなシャンデリアの煌々とする輝きが一面を照らしていたので、余計にこの辺りの薄暗さが目に付いてしまいます。
おそらくは数十体ほどいる妖精メイドと咲夜さんの働きにより床には塵一つ落ちていません。跪き命乞いをしても手足が汚れる心配は無いようですし、エリート情報将校も一目見ただけで気に入るほどの清潔感溢れる廊下です。
見回してみると壁一面にはこれまたゴシック調の細かい装飾が施されていて、まるで美術館にでも迷い込んだ気分になります。夜な夜な怪盗紳士淑女から予告状が売れっ子アイドルへのファンレターの如く殺到している様が私の脳裏によぎりました。
そういえば、ここは”怪”かどうかは知りませんが、泥棒にしょっちゅう侵入されてましたね。
もし運良く魔理沙と出くわすことができれば頼み込んで博霊神社まで送ってもらうことにしましょう。
さて、だんだん気が緩み始めてきました。いけません。先ほどと同じように何か失敗でもしたら今度こそまずいです。
なんといっても紅魔館内部ですからレミリアやフランドールに遭遇する危険性があります。
レミリアは、当然危険ですが、彼女の場合はある程度の常識そのものは持ち合わせているでしょうし、交渉次第では見逃してもらえるかもしれません。
問題はフランドールで、やつにはそもそも私の言葉が通じるかどうかすら定かではありません。
ラダトームを旅立って周辺でスライムやドラキーを狩り続けようやくレベル5になったと思ったら、直後にオメガウェポンとエンカウントしてしまった勇者のように、出会っただけで致命確定となってしまいます。
抑えていた足音も気がつくと大きく響いていました。いけません。慎重に行かないと……、うわっ!!
よろける身体を両足で支え、何とか体勢を立て直します。……どうやら慎重になるのが半歩ほど遅かったようで、何かにぶつかってしまいました。
私がそれまで歩いていたのは廊下のちょうど真ん中なので柱や壁にぶつかるということはありえません。
廊下の幅はずいぶん広く取られているので例え扉を限界まで開け放しても私に触れることは無いでしょう。また、先ほどから歩いていましたが進行を妨げるようなオブジェが配置されてはいるわけでもなかったので、さて、私は何とぶつかってしまったんでしょうか。
目の前を見ると、その場にうずくまるようにしている人影がありました。全体像は分かりませんが見たところ薄紅色のドレスを着飾り、頭には同じ色をした特徴的な形の帽子をかぶっています。いわゆるZUN帽というやつですか。それには一本鮮血のように濃く鮮やかなリボンが巻かれていました。ZUN帽から流れ出るように水色の髪がなびいていて、血の気が余り感じられない白く透き通った肌と共にアクセントとなっていました。
そして、それら最西洋の要素とはまったく共通項の無い二枚の羽が背中から生えていました。その形状は英雄叙情詩において、主格の勇者の前に立ちふさがるドラゴンの力強い翼に酷似しています。
紅魔館にいてもおかしくなく、なおかつ先一連の特徴を持ち合わせる存在といえば、思いつくのは一人、……そう、たった一人、だけです。
ただ、あくまで東方公式作品中に登場した者しか私は知らないので、もしかしたら、思いついた存在とは違う人畜無害の心優しい……、
「……うー。」
はい、うー、とか言いました。だめですね。間違いありませんね。
どこをどう見てもあれですね。レミリアですね。
オメガウェポンとの遭遇は避けられましたが、ガルバランを引っ掛けてしまったようです。なんということでしょう。あんなにもバラ色だった幸先が血によって穢れ果ててしまいました。
なにやら視線を感じます。レミリアは私を随分いぶかしく見つめています。あらやだ、いい男、みたいなことを考えているような目ではないことは分かりきっています。
私はまたしても危機的状況下に置かれてしまいました。
炒った豆なり紫外線照射装置なり持っていれば何とかなるのかもしれませんが、そんなものを都合よく持ち合わせているはずがありません。
あるのはこの大して鍛え上げられていない肉体とジャスコで揃えた衣服のみで、それが一体なんの役に立つというのか、私にはまったく分かりませんでした。
幻想郷に迷い込んでから、二度、臨死の境地に陥っていた私は、この最悪の状況において今までとは違い、静かに、その場に立っていました。
以前なら真っ先に足が動いてしまうのですが、地獄の沙汰が見えすぎたせいでしょうか、私は大樹のように立ち尽くして目の前の幼い容貌を身に纏う吸血鬼に視線を向けていました。
先ほどと非常に類似した展開でありながら絶望感の違いが大きすぎます。
意識が吹き飛び狂気のみによって精神の全てが支配されそうになりながら、水際で持ちこたえています。考えることをやめれば楽になるのに何ゆえ私は力を込め続けるのか。
泣き叫んで無様に命乞いをしてでも生きながらえたいのに、そうした方向に身体は動きません。
目の前の悪魔は、未だにこちらの方を見ています。その瞳にはなにやら恐ろしく邪悪なものが読み取れていまい、それを認識するたびに私の神経はズタズタに切り裂かれたような痛みと衝撃を放ちます。
相手が吸血鬼なら走って逃げたところで、それはなんの意味もない無駄な行為でしかありません。
すぐに追いつき私を鷲づかみにするでしょう。私が怯える様を見て悦に入る、おぞましい光景が浮かんできました。
レミリアに目立った動きはありませんが私のほうは耐え難い恐怖に包み込まれて、心が砕けそうで、なにより恐怖に駆られて、目を閉じてしまいました。
視界は黒一色で何も見えず、今は視覚を止めたためにかえって研ぎ澄まされてしまった耳だけが外の様子を拾い集めていました。
特に目立った音は聞こえてこないものの、もしかしたらレミリアは静かに、そしてゆっくりと、自らの鋭利な爪を用意して、今にも私に襲いかかろうとしているのかも知れません。
そう思うとなおさら目を開けることができません。反射的に閉じてしまったこの目を今この場、この状況、この窮地において再び見開くには多大な精神を必要としますが、それだけの力が私の中に宿っているとはとても思えません。
……ずっと、目を閉じると深い暗闇の中になにか見出せるものがありました。それは……。
それは、私をここまで生み育ててくれた両親の変わりない穏やかな顔です。日ごろ大学で顔を会わせるたびにくだらない冗談を言い合う友人達の笑顔です。そして金閣寺の写真を七枚撮り集め喜ぶ射命丸の太陽のように明るく眩しい笑顔でした。
それらが私の押しつぶれそうな魂にそっと寄りかかります。それはいつしか力のこもったものとなり、ついにははっきりと押し支えていることが分かります。
始めのうちは、取るに足らない、無視しても何の問題もないような小さな力です。しかし、それは確かに折れそうな私を支えていました。
この力、これについては、おそらく誰にも、妖怪、神、あるいはそれ以外の存在であっても分からないでしょう。
この、……この私自身の震え上がっている体が、刹那、動きを止め、……再び震え出します。
その再開した震えの中からは恐怖の感情に混じって、それとはまったく違う熱を持ったものが、始めのうちはごく僅か、それもゆっくりと、しかし時が経つにつれて、確実に湧き上がってきます。
イギリス軍に立ち向かうアメリカ独立軍の兵達やバスティーユ牢獄に襲い掛かったフランス市民が共通して持ち合わせていた、感情と酷似しているような気がします。
それは次第に大きくなります。それでいて私自身を押しつぶすようなことはありません。その積もり積もった大いなるものが私自身と一体化していきます。
その感情、その力、そしてこの私、そのものが唯の一つたぎることのでき、魑魅魍魎と並び立つことのできる力となっていきます。
……それは、それは、意志の力です。
力はなく知識も到底足りず、そして人知を超えた魔力なんて持ち合わせてはいない私ですが、命の限り生き抜こうとする心の力ならば、例え片足、片手、片目と言語中枢の機能を失っても、決して消え果てることは無いでしょう。
相手が500余年の歳月を生きる紅き吸血の悪魔だとしても!……生きていたいという、単純な、それでいて人間の欲望、願望、本能の最高位に位置する意志が私の心の中にしっかりと響き渡り、それが精神の力となって私の身体を駆け巡っていきます。
確かにこの状況は、ただの人間が覆すには実現不可能な奇跡を幾重にも渡って引き起こす必要があり、それがすべて起きたとしても生き残るかどうか分からないほどの極地です。
すべての駒を取られ、四角すべて押さえられ、あげく、王手とチェックメイトを同時にかけられた王将の顛末と私の未来は、X、Y、Z軸の全てにおいて一致しているでしょう。
だとしても、いえ、だからこそ、諦めることのできない闘志と勇気をたぎらせる必要があるのです。
先の小傘や咲夜さんとの一幕ではそんな簡単な事実に気づくことすらできず、醜悪な己をこれでもかというほどさらけ出していましたが、三度、断崖絶壁に立つことで、ようやく我々現代社会の人間達が失った、古来から最も尊ぶべきものを理解することができました。
そう、日頃、ありきたりな少年漫画の王道こそが人間の力の根源だったのです。
私は覚悟を決めます。目の前にいる最大の脅威を前に決して、心はもちろん、身体も引かず突き進み奇跡の概念を打ち砕きます!!
そうすることでのみ、私は生きることができる!!!!!
「……ねえ?」
「はい、お嬢様。いかがいたしましたか?私は見てくれこそ無様な人間の姿ですが、本来はお嬢様に敬意と尊敬と多大なる畏怖を持って御使えする矮小な妖精のうちの一匹です。すべての元凶はあの忌々しき黒白の盗人、霧雨が仕組んだ罠なのです。やつは私に悪夢のような魔法を仕掛け、その効果は私を愚かなる人間に変えただけでなく、数年前の雪辱のためだけに残り数刻でこの雄雄しき我らが紅魔館ごとお嬢様を消滅させる時間、空間、運命、さらには物体の目から完全に解き離れてしまった、核熱の中枢体と化してしまいました。気づくのがあと僅かでも早ければパチュリー様の御力によって愚かなる姦計の全てを無に帰することもできたのですが私は余りに愚かで、もはやすべてが手遅れでございます。残る最後の手段はせめて、この幾千もの記憶が宿り生まれ続ける紅魔のすべてから離れ、何一つ被害が及ばぬよう一人命を果てることで、敬愛なるお嬢様へのヒヒイロカネすらも凌駕する堅く厚き忠誠心を示したいと思います。もしも私の享受に僅か一滴でも思うところがあるならば、この紅魔館、その中心にして天高くそびえ立つ時計台の文字盤に、この私の顔を刻み込んでください。時間です。今までありがとうございました。それでは。」
「待ちなさい。遭難者。」
「……な!」
なぜそのことを!?
「あなたのこれまでの運命を読み、経緯を知りえたわ。……このレミリア・スカーレット、あなたのようなただの人間にたぶらかされるほど単純じゃないのよ。」
やはり人間の浅知恵ではいかんともしがたいということのようです。なす術はありません。
勇ましく思考を連ねても怖いものは怖いんです。はたから見ればプリティーでも会ってみれば、漂うのは500年以上にわたって熟成された高貴な風格と成人が一生のうちに摂取するパンの総量をはるかに上回る吸血によって洗練された血の香りなんです。
「咲夜が何かしてると思ったら、まさかこんなことになってた、なんてね。」
幼い少女そのものである、可愛らしい声としぐさが耳と目に付きますが、恐ろしいほどの威圧感が感じられます。
「いや、ま、まあ、あれですよ。俺はただの闖入者で、なんの変哲も無い人畜無害な人間なんですよ。」
「ふふ、外の世界の人間なんてどれも似たり寄ったり。分かりきったことよ。」
「そ、そうですか、ははは……。」
「生きた人間から血を吸うなんて、幻想郷に来てから随分とご無沙汰ね。」
「い、いや、もっと待った方がいいですよ。ほら、ワインなんて高級になるほど7,80年寝かせてるじゃないですか。まだ紅魔館の皆さんが幻想郷に来てから10年も経っていないことですし、待ちましょう、そうしましょう。それがいい。」
「血は寝かせば寝かせるほど、酸味が増していく。でもその酸味が、一番の不快味。八雲紫がもたらすものは、確かに新鮮だけど、所詮”死んだばかり”。最も美味なのは、生き血なのよ?」
「ごめんなさい。私は吸血癖なんて持ち合わせていませんから、分かりません!」
「人間は愚かよ。本来ならば自分たちが消費するはずの牛から抉り、切り出した肉と骨を、他ならない牛達に食べさせたのだから。それが自分たちの首、いえ、首より上を絞めてしまった。」
繋がっているのかどうか、あまりに分かりづらいことを口にするレミリアでした。私がいくら言葉を並べ取り繕っても彼女の中では吸血という行為が既に規定事項として出来上がっており、その対象はこの私でした。
人間の人生とはいかに儚く脆いものなのか理解しました。思い残すことは数多くあります。父上様、母上様、送っていただいたお米、大変美味しゅうございました。
諦めて首筋をさらけ出し、蜂針のように鋭く尖る二本の犬歯が皮膚と肉を貫き血管を引き千切る、絶命にこそ程遠くそれでも力を入れなければ耐えられそうにない痛みを甘受し、流れ出る我が鮮血が吸い尽くされ漏れこぼれる様を視覚以外の全五感で味わい、その苦行に快楽を見出しながら命の果てへと向かうのも悪くはないのかもしれません。
なんと、吸血鬼は恐ろしい存在なのでしょう。ですがこれほどの存在ならば、わざわざ不気味な仮面を付けてまでなりたがるのも頷けます。
……ん?。
……。
……。
……。
……、もしや!
ここは幻想郷、幻想と化したあらゆる事象が引き込まれ存続する楽園。それならば、”初めから幻想であっても”この地において成り立つのでは。
魔法という力が実在し、妖怪という存在が永住し、忘れ去られ幻想と化したものが形を成すならば、外の世界の人間があくなき欲求をぶつけ創作という形で生み出した秘術、技術、能力の数々が、この地で実在の二文字と共に私が目にした姿以外の身として発現するのではないか。
もしそうなら、いや、まて、それはあくまでこの幻想郷に迷い込んだ私の自分勝手な理想に過ぎない。それが外れ目の前のレミリアの不評を買えば問答無用で、吸血すらされずに悪夢を延々と見せられ続けてしまうことにすらなりかねない。
まだ私はこうして生きている。おそらくは、……一秒先もそうであるはずだ。
……だが、それが一分先、一時間先の話になれば見当も付かない。その頃には肉体から魂のみが剥がれ落ちているのかもしれない。
……そうか、……レミリアという存在と遭遇した時点で、……私のロウソクは爪ほどの量も残っていなかったのか……。
そう考えると、……なんだか、必死に命乞いする自分自身があまりに滑稽で、あまりに愚かに思えてくる。
なにをやっても、もう遅く、これ以上は私という一人の尊厳を著しく削ぎ落としあの世で裁判長に読み上げながら、周囲の者達に笑い声を漏らされるだけの無意味な行動でしかないのか……。
……、私は、……私は、……進むときなのかもしれない。
……私は決めました。
どうせ死ぬなら、最後に一暴れして盛大に死んでやりましょう。
それが後の世まで馬鹿にされてもかまいません。なにしろ、私は死ぬんですから!!!
見せてやります。追い詰められたジャッカルの恐ろしさを、手負いの狐の獰猛さを、追い詰められた人間が何をしでかすか、思い知らせてあげましょう。
人間を侮ったことを、肉の一片まで、後悔させてあげます!!!!!!
かつて!私が小学生を半分過ぎた頃の、あの懐かしい過去の果て!
級友たちがこぞって、波動拳やヨガテレポートや、サイコクラッシャー、さらにはカメハメ波に至るまで、誰もが憧れていた強烈無比、派手さを持ち合わせた必殺技の特訓をしていた頃!!
私一人だけが、校庭の隅で、プールサイドで、自宅のリビングで、毎朝、毎晩欠かさず続け、それでもなお会得できなかった、超絶技巧の道、理にかなっていると幼心に納得した、力を、今こそ、ここに放つとき!!!
そう、それは!!!
水に波紋を作るように、呼吸法によって、身体に波紋を作り出し、エネルギーを生み出すッ!!!!!!!
名づけてッ!!、コォォォォォ、
「紅魔館の壁の赤色の波紋疾走ッ!!!(スカーレットマンションウォールズレッドオーバードライブ)」
で、出たーーーー!!
出ました!!出ました!波紋が出ました。すごいです。人類二番目の快挙ですよ、これは。プロデューサーさん、波紋ですよ、波紋!!
奇跡です。奇跡が起きました。そうこれはどう考えても奇跡としか形容できない現実です。
さすがは私です。今まで妖怪一人、超人間一人から生き延びただけのことはあります。
拳と共に放たれた波紋は、そのままレミリアに直撃するのは良心がキリキリと痛むので真横の壁にぶつけました。すると当たったところから天井に向かって波紋とヒビが入っていき、さらに天井全体にまで波及します。
そして、ちょうどレミリアの頭上部分が綺麗な円形で切り抜かれ、その円がレミリアの頭部に、金ダライの如く落下しました。
紅魔館の建材が何なのかは知りませんが、少なくともアルファゲルのような衝撃吸収性はなさそうです。レミリアは再びそこにうずくまりピクリとだけしか動きません。
彼女には気の毒ですが、これはチャンスでしょう。今のうちに、逃げます!
この恐怖の屋敷からついに生還するときが来たのです。涙がこぼれそうです。幾度となく命の危機に陥りその都度、天寿を諦めかけ、それでも一片の生存という名の願望に明かりを灯し続けた結果が、今エントランスまで駆け込んだ私自身なのです。
あと少し、とにかく屋敷を抜け出ればひとまず安息をつくことができます。そう、あと少し、あと少し。
私は生きて外の世界に戻ったら、あの子に、いつもサークルで顔を会わせるあの子に私自身の思いをぶつけてみようと思います。それが実るかどうかはまったく分かりませんが、今の私なら大概のことができる気がします。そんな勇気が湧き上がってきています。
……そういえば、しっかりと確認していませんでしたがレミリアを無力化できたのでしょうか。確認のために戻るべきなのかもしれませんが、こんな危険なところにいつまでも居られません。私は外へ、外の世界へ帰らせてもらいます。
「ふふ、フラグを立てたわね。」
「な……。」
レミリア……。
「まさか、まさか、ただの人間が、あんなことまでしでかすなんてね。」
「……あ、ああ。」
「あいにく、吸血鬼が日光に弱いというのは、致命的な弱点ではないのよ?創作とは違って。」
「そ、そんな……。」
「あの娘、いえ、あなたにとっては”彼”とするべきかしら?まあ、どちらにしろ書いていたでしょう?それ以上の弱点を隠すためのカモフラージュではないか、ってね。」
「……化け物。」
「そうよ。私は人間がおののく怪物、それもとびきりのね。向かって来たのは褒めてあげるけれど、そのせいで痛い思いをしたわ。どう、責任を取るつもり?」
「じ、自分はまだ結婚とか真剣に考えたことはないので、ちょっと……。」
「減らず口は、何を置いても不快なものね。」
「……あ、し、失礼。」
起死回生の一打がレミリアを怒らせてしまったようです。
「ここまで、一方的に人間を虐殺できるのも、おおよそ四半世紀ぶり。……さぁ、どういたぶれば私の加虐心は満ち足りるのかしら?」
「……あ、あ。」
「ふふふふ……、往生際が、ずいぶんと悪そうね?もっと、涙を流しなさい、もっと、鼻水を垂れ流しなさい、もっと、顔を引きつらせなさい。……そうすれば、その無様な顔に免じて、二秒ぐらい延命させてあげるかもしれないわよ?」
二次界隈ではカリスマブレイクと揶揄され、公式作品でも扱いがひどいことに定評のあるレミリアですが現実はそうもいきません。腐っても鯛といいますが相手はやはり吸血鬼ということです。
先ほどは勢いで波紋が使えましたが、じゃあもう一回というわけにもいきません。理由は多々ありますがそもそも波紋が直撃した状態にもかかわらず、あれほどまで元気であるという時点で決定打とはなりえないということがはっきりしました。
もしかすると、あの場で何もせず地べたに這いつくばって、靴でも舐めたほうがよっぽど安全だったのかもしれません。
「さて、遊びは今終わったわ。……あなたはこの私に勇ましくも向かってきたのだから、私自身もそれに応えないといけないわね?先のあなたの攻撃、あれは、あれがあなたの最大の力なら、私も私の持つ最大の力を使わなければ、フェアとはとても言えないわね?」
「い、いいえ、滅相もない。あれはほんの出来心、もしくは悪戯心が、どこで道を踏み間違えたか、よりにもよって目の前に転び落ちてきたようなもので、とても、とても、攻撃の概念で括るに足らないものなんですよ。だから、ここはひとまず停戦という形で互いにしましょう、ね。」
「いい加減諦めたら?私の前に現れた時点であなたの命運は……。」
そこまで言いながら、レミリアは口を閉じてしまいました。一体どうしたのでしょうか、これ以上の問応がわずらわしくなったのでしょうか。
だとしたら、それ即ち私の命運が底を突いたということと同義です。
……果たして私はどのような最期を遂げるのでしょうか。少なくとも吸血なんて生ぬるい仕打ちであるはずがありません。
もっとおぞましい悪夢が私に降りかかるのです。両手足を切り取られ達磨と化した私がエントランスに生きたまま飾られ、来訪する悪趣味な妖怪達の目を和ませることになるのでしょうか。
あるいは紅魔館の深遠、地下室に閉じ込められ、そこに生きるもう一人の吸血鬼フランドール・スカーレットの遊び相手兼人間襲撃練習用人間として延々となぶられ、果てに粉微塵になってしまうのでしょうか。
好奇心は猫ではなく、自分自身を無慈悲にも殺すのです。物事は深く慎重に考え行動するべきだということが、今更、いえ、今一度身にしみてきます。
もしも私が半分だけでも吸血鬼だったのなら、この巡りめくる冒険の後、自身の運命を書き換えるために時間を飛び越えることになったのかもしれませんが、今の私は臨時波紋の戦士程度の身分でしかなく、そのうち波紋の戦死にジョブチェンジすることができるとはいえ、三途の川渡りは目前まで迫っています。
……レミリアはまだ動きません。ひょっとするとこの沈黙に耐えられなくなった私が再び襲い掛かるまで待っているのかもしれません。
そうして私の矮小な一撃を、自身の強大な一閃を持って打ち砕き、絶望という名の杯に満たされた生き血を飲み干し、それによって吸血鬼という夜を支配する絶対的な権力者としての自尊心をほんの僅かに満たそうとしているのかもしれません。
私とレミリアの間には長い沈黙が流れ続けます。その長さは今やバベルの塔よりもはるかに長いような気がしてなりません。
沈黙が続けば続くほど、そして相手が動かなければ動かないほど、私の頭は整然さを取り戻していきます。
……そういえば、レミリアはその小食さのせいで、吸血されてもたいてい貧血程度の被害しか被らないとか、おまけ.txtに書いてあったような気がしてきました。
……それが事実だったならば私は生か死か、という意味では人畜無害である可能性のあったレミリアを、自ら挑発した挙句その窮地に地獄を見ているということになってしまいます。
……やぶへびとはこのことですね。
ははは……、なんだか涙すら流れてきません。私はとんだ大馬鹿者です。これでは仮に映姫の元にたどり着けたとしても地獄行き決定じゃないですか、いっそのこと霊としてその辺りを適当にうろついていた方が楽なのかもしれません。
こんなんじゃ例え生きて外の世界に戻っても、近いうちに人生が破滅するのが落ちです。
なんかもう生きていくのが非常につらいです。
「ねぇ?」
「はい!?」
自らの未来に悲観していると、突然レミリアに話しかけられました。てっきり有無を言わさず攻撃が来るものと思っていたので、少し拍子抜けしてしまいましたが、一体どうしたのでしょうか。
「どうしたい?」
「え、え?」
「だから、これからどうしたい?」
「それは、いったいどういう……?」
どういうことなんでしょうか。
「簡単なことよ。あなたがこの先どうしたいか、それを聞いているのよ。」
あれですか、銃殺直前に何かいいたいことがあるなら遠慮なく言え、と言われる映画や漫画で良くあるあれですか。
言いたいことをいったところでそれが、自身になんの効果もない最後の悪あがきのようなものですか。
どうしたいか、と聞かれれば当然、望みは今現在一つだけです。そう、一つだけ。この紅魔館にうっかり入り込んでから何度となく考え、そのために大量の無茶までした、私の最後の願いです。
「……生きて、ここから出たい、ことですか。」
「……ふふ。」
レミリアは気味悪く笑いました。私の最後の悪あがきがそんなに滑稽に見えたのでしょうか。
「なら、出て行っていいわよ。」
「はい?」
「たしか、魔理沙が来てたわよね?咲夜。」
レミリアは横を向きつつ言います。そこには何もない、ただ空間のみが広がっているだけのはずでしたが、いつの間にか咲夜さんが立っていました。
時間を操れるのだからこれぐらいの芸当できて当然なんですが、いざ目の前でそれを目撃するとやはり驚いてしまいます。
「はい、まだ図書館に居るのではないでしょうか。」
少し前、私に向けていた鋭い声が聞こえてきます。ついさっき出会ったばかりだというのに、なんとも懐かしく思えるのは、それだけ私が大変な思いをしてきた証拠なんでしょうか。
まあそんなことより、レミリアは私に向かってはっきりと、出て行っていい、と言いました。私の聞き間違いでしょうか。
もしくはただ、たぶらかされているだけでしょうか。
確認してみたいのですが、もし私をぬか喜びさせるためだけに口にしたのだとすれば、それはあまりに残酷な話であり、その可能性がとても否定できません。
私は何も口にすることができず、その場に立っていました。
「いいの?多分、頼めば博霊神社までなら送ってくれるんじゃないかしら?」
レミリアは言います。先ほどまでの恐ろしさが今では影も形も見えないような気がします。ひょっとしたら彼女の言葉、それは私を地獄に突き落とす悪魔の一言ではなく、チャンスを与える天使の様に白く輝いたものなのかもしれません。
「ほ、本当に、見逃して、見逃してくれるのか!?」
「ええ、気が変わるまでは。……ふふふ。」
「え、気……?」
「咲夜。図書館まで案内してあげて。」
「かしこまりました。……こちらです。」
「あ、ああ、はい……。」
思っていたよりも、存外図書館は近くにありました。地下にもかかわらず上階よりも明るく感じられるのは、天井から下げられているシャンデリアのせいだろうと思います。
以前訪れたときは、ああ、紅魔郷の話なんですが、余りの薄暗さにパチュリーの健康具合を幾分危惧したものですが、こうして見てみるとそれはまったく無意味なものだということが分かりました。
そういえば緋想天でも結構明るかった気がします。きっと紅魔郷ではパチュリーのキャラ付けのためにあえて薄暗くしていたのでしょう。よく考えれば喘息設定も公式作品では余り見かけませんし、ひょっとしたら私の想像よりもはるかに頑強な人なのかもしれません。
おおよそ300体ほどの小悪魔が使役されているともありましたが、今のところ遭遇したのは10体ほどでしょうか。
大まかな形は全員同じですが、細かいところまで見ると、個体ごとに違いが見受けられます。これなら見分ける際にたいした労力を咲く必要はないでしょう。
身の危険がなくなったことで落ち着いて観察ができるようになりましたが、まだ完全に気が抜ける状況でないことも確かです。
例えばこれがすべて罠で、私が進んだ先に文字通り悪魔のような笑みを浮かべているフランドールが待ち構えていることも十二分にありうる話ではあります。
まあ、そうだとしても私には抵抗する手段がほとんどないといっていいので、心配するだけ無駄足なのかもしれません。ただ、生きてここから抜け出られるだけではなく、生きてあの懐かしい私の世界にたどり着くことができるかもしれない、という希望がある限り進み続けたいというのが私の気持ちです。
「この辺りかしら。」
入り口から大分、奥まったところまで連れてこられた私と連れてきた咲夜さん。
ここは私の背よりも何倍もの高さがある本棚が周囲にそびえ立っていて、その圧迫感は想像以上のものです。まあここの住人は全員空を飛ぶことができるので支障はないでしょうが、整理整頓は大変そうです。だからあんなにも小悪魔が必要になるというわけなんですね。
私達がいるのは大図書館のちょうど中心部辺り、立ち並ぶ本棚が一区画だけ場所を開けていて、机や椅子が並んでいます。
「ん?」
誰かがこちらの存在に気がついたようです。といってもここには小悪魔連中の他はパチュリー、レミリアいわく魔理沙がいるだけなので、まあどちらかなんでしょう。
声の方へ顔を向けると、そこには見慣れた少女がいて、物珍しそうな顔をしてこちらを見ています。多分物珍しいのは私なんでしょうね。
見覚えのある黒と白、世界的に有名なねずみが師匠に黙って使いそうな円錐状の帽子と混じり気のまったくない、少しウェーブがかった金髪、そう、どう見ても、どう見ても、レミリアは決して嘘を言っていなかったということが今はっきりとするほどどう見ても、霧雨魔理沙が、そこに、私の目の前に居ました。
「た、助かったーーーー!!!」
「わ、な、何だ!?」
ついに命の危険から逃れることができる、そう、何度も何度も死に掛けた甲斐がありました。魔理沙の姿を認めるや否や我を忘れて飛び出し、半ば反射的に抱きついてしまいました。
外の世界ではセクハラ、もしくは痴漢行為ですが、ここは幻想郷なので……。
「はぐっ!?」
……幻想郷でも犯罪のようです。よく考えたら少し前に咲夜さんに豪快に蹴り飛ばされたばかりです。私はなんと学習能力のない人間でしょう。
とても十代の少女が繰り出したとは思えないほど力の入った鉄拳が胴体に直撃し、そのまま本棚まで吹っ飛ばされてしまいました。
胸部装甲をべりべりとめくって放たれた二本の極太光線に晒されたほどの痛みが主に腹部を中心として全身に広がっていますが、吐血、嘔吐、といった症状がないことから内臓にまでダメージが入ったわけではないことが分かりました。
あいにくこれはギャグでもなんでもない現実なので、魔理沙が手加減してくれたということなんでしょうね。
「……なんなんだ、こいつは。」
「説明するわ。実は……。」
私が痛みをこらえて立ち上がり、体勢を整えている間に咲夜さんは魔理沙に事情を説明しています。咲夜さんの話を聞いている魔理沙はことあるごとにこちらを向いては驚いたような表情をしています。
無理もないでしょう。波紋は出たけれど、何の力もない、外の世界の、まあ、東方についてある程度知識を持っているとはいえ、貧弱な人間が紅魔館に潜入し、その後、咲夜さん、レミリアと対峙して無事生き延びたなんて話は、私が幻想郷に住む人間だったとしたらにわかには信じがたいことです。
でも現実にこうして生きているわけなので、魔理沙も信じざるを得ないでしょう。
少し経って話は終わったようです。
「えー、あのー、そのー……。」
殴られたこともあり、うやうやしく声を掛ける自分があまりにもみっともないように思われます。
「話は分かった。」
「それはよかった。頼む、もう命のやり取りは御免だ、神社まで、博霊神社までつれてってくれ!頼む、なんとか。」
感極まって、またしても抱きつきそうになった私ですが、また本棚に叩きつけられてしまえば、今度こそ肉体が耐えられません。
水泳中の事故で溺れたり、変身するたびにダメージを受けても、なお、戦い続けるほどのしぶとさを持ち合わせていないので、さすがに自重しました。
「わ、分かった、分かったから、とにかく落ち着け。」
「ああ、ごめん。いや、申し訳ない……。」
とにかく、ここは冷静になる必要があります。私の精神と肉体は度重なる戦闘で磨耗しきりクローンでも作らないといけないほどのような気さえします。
これでも今まで周囲に気を配り、いつ何時なんらかの危機が訪れても問題ないようにしていましたが、ようやく気を抜くことができそうです。
幸いなことに魔理沙は私の窮状に理解を示したようで、博霊神社まで送ってもらえることになりました。
遠目でこちらを見ていた、おそらくはパチュリーもなんだかそれを望んでいるかのようでした。同然でしょうね。私を博霊神社まで送るということは、魔理沙がここから去るということにもなるのですから。おそらくはレミリアもこれを狙って私を見逃したのでしょうか。
なんと私は運がいいのやら。本当に運を使い切りそうな気がしてきました。
それはそれで後々困ったことにでもなりそうですが、まあ今は生還の喜びを噛み締めることにしましょう。
-----------------------------------------------------------------------
「うっ。」
「ああ、大丈夫か?」
「……死にそう……。」
「そんな、大げさな。」
紅魔館から無事脱出できたことは良かったんです。ただ、魔理沙の飛行はどう考えても荒すぎて死ぬかと思いました。
神社までは空を飛んでいくということだったので、魔理沙愛用の箒にタンデムしたのですがどうやら魔理沙自身誰かを乗せて飛んだ経験がないみたいでした。
おかしいですね。旧作のいずれかで靈夢を乗せていたような気がしますが。
とにかく人を乗せたことがない魔理沙の後ろに乗って飛ぶわけなので、非常に危険です。諦めて歩きにしましょう、と提案しては見ましたが、一言、面倒だ、で話を済ませてしまい、結局私は何度も振り落とされそうになりながら、必死にしがみついてここまで、この博霊神社までたどり着いたのです。
それにしても、なんと神々しい鳥居でしょうか、なんと神々しい社でしょうか。
伊勢や熱田といった有名どころとは比べるまでもないですが、それでも境内から発せられる荘厳さは、アームゼロの状態で捕鯨をするような緊張感を引き出すようです。
神社そのものが広くないということもあって、箒を抱えた紅白の少女を見つけることは簡単でした。
私の中の博霊霊夢のイメージは、縁側で一日の大半をお茶を飲んで過ごす倦怠感溢れる、ある意味猫のようなものでしたので、まじめに箒を動かしている姿が新鮮に映ります。
「だれ?」
霊夢は低い声でこちらに声を掛けてきました。一人は見慣れている魔法使いですが、もう一人は怪しげな、装いを見れば明らかに、外の人間だと分かる、私がいるので無理もないでしょう。
魔理沙は前に踏み出しながら、咲夜さんから説明されたことを霊夢に説明しています。
もう何の心配もありません。あとはこのまま、結界の境を通れば、それで私は晴れて生存となります。
……ただ、いざこのまま幻想郷を離れるという事態になって、少し勿体無いような気持ちが湧き上がってきます。
かつて東方をプレイするたびに憧れた土地に、こうして立つことは、根幹が最初で最後になると思います。そう考えると少しさびしく思えてくるのです。
一方、実際に幻想郷を訪れて、私が幻想郷に抱いていたものが一部崩れてしまったのも事実です。
私が知っている幻想郷の住民は、そのほとんどが妖怪です。今まではゲーム、小説、あるいは漫画という形で、それも住民同士の問答という形で接してきましたが、いざこうして生身で接すれば今回のような地獄を診る羽目になってしまうということがはっきりと分かりました。
……それなら、外の世界で、おそらくは毎年のように公開される東方作品を通して幻想郷と触れ合うのが、私のような人間にとっては安全ですし、妖怪達にとっては気楽なのかもしれません。
……若干後ろ髪は惹かれますが、私は外の世界に帰ろうと思います。
ちょうど魔理沙と霊夢の話が終わったようです。
「えーと、外に帰りたいの?」
「え、ええ。」
「そう。」
霊夢の言葉を聞いて安心しました。私の決して長くはない、それでいて衝撃の連続した大冒険はようやくフィナーレを迎えることになるようです。
この分だと、バッドエンドを迎えることがなく、うれしい限りです。
「あの?」
「何かしら?」
「その手招きにも似た、なぞの行動はなんですか?」
「手招きよ?」
「なんの!?」
「あんた、まさか、賽銭も入れずに帰るつもりなの?」
「え、いや、そんな話、聞いてもいないし、読んだこともないんですけど……。」
「なら、今覚えなさい。」
……賽銭ぐらい入れないと、流石に罰が当たるか。ご利益なさそうだけど。
霊夢といえば賽銭、その他の収入がないのに何故か優雅な生活を送っていることで有名ですが、もしや、その収入源というのは私のような外の世界の人間から巻き上げた金品なのではないでしょうか。
……なるほど、つまりそういうことですか、外の世界の人間から金品とその他、先進的道具を巻き上げて、金品はそのまま換金し、物品は詳細な説明を聞いたうえで、多分、香霖堂にでも卸しているんでしょう。
なるほど、だからあれだけ理不尽なことをされても森近霖之助は余り文句も言わないんですね。……ちがうかな?
というわけで、結局賽銭箱に財布に入っていた金額の半分を収めさせられ、さらには持ち物も一部提供することになりました。
……なんか二次創作よりもさらに守銭奴っぽいような気がする。きっと、それに耐えられなくなって、ここの神主は外の世界に居つくようになったんですね。
まあ、いいです。おいしいですよ。そのMRE。
ついでに有料でおみくじを引けるらしいです。神社なので当然といえば当然なんですが。
私としては今更そんなものを引く必要性はないと思うのですが、霊夢はしきりに一回引いていくよう薦めてきます。……きっと引かないと動いてくれないんだろうなあ、と的中率99.9999999%の予想、名づけるならナインナインシステムを立てながら、一本引くことにしました。
手渡されたくじは折り曲げられていて、そのままでは中が見えません。さて、なにが出たのでしょう。
「確か、今日は吉しか入れてないから、吉ね。」
……そうですか。
本来なら境内のご神木にでも巻きつけておくべきだとは思いますが、せっかくの幻想郷にきたのに何も持ち帰れないというのも少しさびしいので、このおみくじを持って帰ることにしましょう。
「じゃあ、今”開ける”から。」
神社裏手に連れてこられた私に向かって霊夢はそう言いました。そこはなんだか空間が僅かに歪んだような気味悪い光景が広がっています。
霊夢いわく結界の境目とのことですが、そのあまりの気味悪さはしばらく夢枕にでも出てきそうなほどでした。
霊夢がなにか動作をすると、その境目に、稲妻のようなものが走り、次の瞬間にはぱっくりと大きな、穴が広がっていました。
「ええと、ここを抜けると、そのまま外の世界よ。確か外の世界にも博霊神社があるから、そこに出るはず。出たあとのことは、私は知らないから自分で何とかしなさい。」
「あ、ああ。ありがとう。」
私は霊夢に一言礼を言うと、一度後ろへ振り向きました。
そこには幻想郷が広がっています。
もう二度とこの目で見ることのできない、楽園の姿を両目にしっかり焼き付けて、私は外の世界、私の世界へと帰りました。
-----------------------------------------------------------------------
「よかったのですか?あのまま行かせて。」
「よく言うわ。先に逃がそうとしたのは咲夜の方でしょう?」
「それは、確かにそうですが……。」
「いいのよ。別に。あれはちょっとした賭けみたいなものよ。」
「賭け……、ですか?」
「そう。生きるか死ぬか、あの人間がどちらを選ぶか、見てみたくてね。」
「……どう見ても生きるほうでしたが?」
「肝心なことに、まあ気づくことができるのは私だけなんだけど、気づいていなかったわ。」
「……と、言いますと?」
「あの人間、幻想郷からはちゃんと生きて出られるのよ。」
「……?」
「……それで、……限界。ふふふ……。」
わ、たし、は、……最後、の、ちからで、ぽ、ケット、に、いれた、お、みく、じを取り出、しました
おりた、たまれ、た、か、みをひろげ、ると、そこ、に、は、、、、、、、、
……”凶”、と、かい、てありま、し、た………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………、……。
あと博霊はいけない。博麗神社、博麗霊夢。
若干空回りしてるのではないかと。
最後なんで死んだの?
話を纏めたらプチレベルの長さですから色々省いて
プチに載せた方が良かったと思います。
題と絡めたのは良いと思いますが、ちょっと弱いです。
量よりも質を良くして下さい。
スペカ空読みできる人が、博麗を全部誤字というのは見てて悲しいです。
文学少女がこの話を食べたらどうなるでしょうか。米軍のMRE全部混ぜた味ですかね。
スイスのレーションのような方が理想だと思いますので、頑張ってください。
あと改行が多すぎです、特に最後のオチまでの改行でイライラするくらい多い。
公開した作品は人が読むものです、他人が読んで苦痛を感じないか、読みやすいかを完成後にチェックしてみるといいのではないでしょうか。
内容自体は悪くはないんでしょうが、もう少し移動の道中などでキャラを絡ませ、話を膨らませたほうがいいのではないでしょうか。
ネタが豊富過ぎるwwツッコミどころ満載www
読んでて楽しいSSで、それ故に最後のオチには「えっ」という衝撃を受けましたね。
話の雰囲気とかも、なんとなく芥川龍之介の『河童』を彷彿とさせられましたよ、ええ。