「パチュリー様、紅茶をお持ちしました」
「あら、ありがとう咲夜」
ここは紅魔館にある地下図書館。
紅魔館のメイド長である十六夜咲夜が地下図書館の主であるパチュリー・ノーレッジの為に紅茶を淹れていた。
パチュリーは椅子に座りながら大きく伸びをする。
食事や睡眠が不要な魔女にも当然のことながら疲労は生じる。
現にパチュリーは休憩をとることなく研究に没頭していた為、頭と体が悲鳴を訴えていた。
「咲夜が紅茶を持ってきてくれたことだし、そろそろ休憩にしようかしら」
「なんだか今回は随分と入れ込んでるみたいですわね。図書館から出てこないのはいつものことですけれど」
「ちょっとね。長年研究していたものに取っ掛かりが掴めそうなのよ」
「それは良かったですね」
咲夜はパチュリーの言葉ににっこりと笑う。
咲夜にとってパチュリーは仕えるべき主人ではない。
しかし、主人の大切な親友であり、紅魔館で育った咲夜にとっては家族同然でもある。
だから咲夜もパチュリーには主人には劣るものの相応の敬意を払っていた。
「まだ上手く行くか分からないけれど、これが形になればもしかしたら私の夢に大きく近付けるかもしれない」
「夢…ですか?」
夢と聞いて、咲夜は不思議そうな顔をする。
「あら、意外そうな顔をするのね」
「正直に言うと意外でした」
咲夜の目の前にいる少女は寿命の制限をも乗り越えた魔女。
いわば人間とは別次元にいる存在なのだ。
そんな魔女が自分達人間と同じように夢に焦がれるとは思わなかった。
「魔女にだって夢…というか目標はあるわ。まだまだ叶いそうもないかもしれないけど」
「パチュリー様にもそのようなものがあったのですね。てっきり本のことばかり考えているのかと」
「貴女もなかなか言うわね。否定はしないけど」
パチュリーは咲夜の言葉に苦笑する。
一見咲夜の言葉は失礼に聞こえたかも知れないが、パチュリーは気にした様子はない。
むしろパチュリーは何事もはっきりと言う咲夜に好意を感じていた。
「寿命の制限が無くなった存在となったからこそ逆にそういうものが必要なのかもしれないわ。刺激がないと停滞して行く一方ですもの」
「だからお嬢様はあのように活発に動き回られるのでしょうか?」
「レミィには寿命はあるでしょうけど…まあ、そういうことね。巻き込まれる身としてはもう少しおとなしくしてほしいとも思うけれど」
咲夜とパチュリーは揃って苦笑する。
紅魔館の主レミリア・スカーレットが紅魔館を舞台に退屈しのぎを考えるのはいつものことだ。
パチュリーも咲夜もその退屈しのぎに振り回されるのだが、それは彼女達にとっても良い刺激となっているのかもしれない。
「夢に一歩一歩近づいていると感じれば意欲は増して疲労も吹き飛ぶ。結果的に上手く行かないかもしれないけど、達成感というものは大事だと実感できるわね」
「パチュリー様は今そのような状態という事なのでしょうか?」
咲夜の問いにパチュリーは大きく頷く。
普段から無愛想なパチュリーがこのようなリアクションを見せる事も非常に珍しいことだった。
咲夜にもパチュリーが夢を叶えることをどれだけ熱望しているかが理解できた。
「パチュリー様がそこまで仰る夢というものを是非とも拝聴してみたいものですわ」
「あら、聞きたいのかしら?」
パチュリーが微かに笑いながら咲夜に問いかける。
本来なら、咲夜が主人や家族の領域に踏み込むことはない。
そのようなものは侵すべからずと咲夜が考えているからだ。
しかし、今だけは例外だった。
何故なら…
「そこまで聞きたいというのなら仕方ないわね」
パチュリーがどう見ても自身の夢について尋ねてほしそうにしていたからだ。
勿論、瀟洒な従者である咲夜はそのようなことは決して口には出さないが。
「ええ、お願いいたしますわ」
咲夜はにっこりと返事をする。
それを聞いてパチュリーはゆっくりと口を開いた。
「レミィが欲しいのよ」
「は…?」
咲夜は一瞬唖然としてしまう。
今、目の前にいる魔女は何と言ったのか?
咲夜は自身の聴力を疑う。
聞き間違いではなかったのか、と。
「聞こえなかったのなら何度でも言うわ。レミィが欲しいのよ。あの強く美しく誇り高い悪魔を私の物にしたいの」
咲夜の聴力は正常に機能していた。
ただ、目の前の魔女の言葉について思考することを脳が拒否しただけであった。
「お嬢様をパチュリー様の物にするとは一体どういう…?」
「あら、簡単な話よ。私がレミィを使役する。それが私の夢であり、生涯を賭けてでも達成したい目標よ」
咲夜は無表情のままだ。
決して顔色が変化した訳ではない。
しかし、胸中は驚きで占められていた。
パチュリー様が?
お嬢様を?
自分の物にする?
二人は親友ではなかったの?
咲夜の頭の中にいくつもの思考の渦が生まれる。
それは決して外面からわかるものではない。
しかし、咲夜の目の前の魔女は現状の咲夜の様子を正確に理解できていた。
「そこまで驚くとは思わなかったわ。魔女が最高の悪魔を使役したいと考えることなど本来当たり前だというのに。随分と珍しい物が見れたわね」
「パチュリー様…本気なんですか?」
魔女は咲夜の言葉に微かに笑う。
今更何を言っているんだというように。
「本気も本気よ。私が80年以上前から願っていた夢よ。貴女との付き合いよりもこの夢との付き合いは長い。口が裂けても嘘ですなんて言えないわ」
「…お二人は親友なのではなかったのですか?」
咲夜は先程生まれた疑問を目の前の魔女にぶつける。
パチュリーは咲夜の言葉ににっこりと笑って頷いた。
「ええ、勿論親友よ。レミィは私の唯一無二にして大切な親友。私はそれ以上になりたいとも思っているけれど」
「それ以上、ですか?」
「あら、貴女だって日頃から考えていることではないのかしら?」
「何を…」
何を言ってるのかこの魔女は。
咲夜は心の中に微かな怒りを覚える。
そのような咲夜を見て魔女はまたも微かに笑う。
「あら、今のレミィの一番近くにいる貴女がそのようなことを考えた事が無い筈ないでしょう?」
「そのようなこと…?」
「レミィを自分の物にしたい。自分だけが独占出来れば。そんな風に考えたことはないと言える?」
「そんなことは…」
ない、と咲夜は言えなかった。
お嬢様に抱きつきたい、お嬢様と一緒のベッドで寝たい、お嬢様と一緒にお風呂に入りたい…というようなことを考えた事があるからだ。
勿論、それは二人きりが前提の話。
咲夜はレミリアを独占したいと考えたことがあったのだ。
押し黙る咲夜に魔女がクスクスと満足そうに笑う。
「だったら貴女と私はどうる…」
パチュリーの言葉が途中でかき消される。
地下図書館の扉が大きな音を立てて開いたからだ。
そして、開かれた扉の向こうから現れる一つの影。
「咲夜さん!」
そこに現れたのは紅魔館門番である紅色の長い髪をした中国人風妖怪の紅美鈴であった。
美鈴は一直線に咲夜に向かって走っている。
「咲夜さん!お嬢様がお呼びですよ!」
「え、お嬢様が…?」
「紅茶が欲しいそうです。すぐに行ってあげて下さい!」
「わかったわ!ありがとう!美鈴!」
そう言うと咲夜の姿がその場から忽然と消えた。
恐らく時間を止めて移動したのだろう。
それは美鈴にもパチュリーにも察することが出来た。
美鈴は咲夜がいなくなったことを確認すると、憮然とした表情でパチュリーの元へと歩いて行く。
「パチュリー様、一言言わせていただいてもよろしいでしょうか」
「予想は出来るけど、構わないわ」
「パチュリー様は咲夜さんを苛めすぎです」
パチュリーは美鈴の言葉に苦笑する。
「苛めるつもりはなかったのだけれどね」
「程々にお願いします」
美鈴はそれだけを言うと踵を返す。
彼女の仕事場である紅魔館の門へと戻るつもりなのだろう。
が、美鈴は地下図書館の入口まで歩を進めると、突然振り返った。
「パチュリー様、もう一言言わせていただいてもよろしいでしょうか」
「…何?」
「絶対にあり得ないとは思いますが…もし、お嬢様が貴女に屈した場合」
「絶対に、は余計よ」
呆れたように言うパチュリー。
美鈴はそんなパチュリーの言葉を無視し、意を決したように口を開いた。
「貴女は私が倒します」
それは誓約と言っても良いのかもしれない。
美鈴の言葉には微塵の迷いもなかった。
パチュリーはそんな美鈴の言葉に無表情のまま口を開く。
「レミィを使役することが出来た場合の私に貴女がどうこう出来るとでも?」
「私とお嬢様との付き合いは、パチュリー様とお嬢様の付き合いより長いですから」
「付き合いの長さは関係ないと思うけれど」
「私は貴女よりお嬢様のことを理解できている、ということですよ」
「非論理的ね」
「それに何より、誰かに使役されているお嬢様など私は見たくありませんから」
「…そうね。私以外の誰かに使役されてるレミィなんて私も御免だわ」
パチュリーはそう言うと休憩は終わりだと言わんばかりに本に目を移す。
一方の美鈴も言いたいことは言ったと言わんばかりに再び踵を返し、図書館を出て行った。
「遅いよ、咲夜」
「お嬢様、申し訳ございません。只今お持ちいたしました」
咲夜はレミリアの前に到着すると、いそいそとレミリアのティーカップに紅茶を淹れ始める。
温度はきっちり95度だ。
完璧で瀟洒な従者は例え精神が少々不安定になっても抜かりはなかった。
レミリアは眼を閉じて咲夜の淹れた紅茶を口にする。
「うん、美味しい」
「ありがとうございます、お嬢様」
咲夜はそう言って一礼する。
レミリアはしばし満足そうに紅茶を嗜んでいた。
そして紅魔館の外にある湖を見ながら呟いた。
「咲夜、お前が心配することはないよ」
「お嬢様?」
咲夜は不思議そうな顔をする。
突然のレミリアの言葉が理解できなかったからだ。
そんな咲夜を尻目にレミリアは言葉を続ける。
「私は誰にも縛られない。それは霊夢にだってそうだしパチェにだってそうさ」
咲夜は思った。
自身の主は何でもお見通しなのだ、と。
「それに…」
レミリアの一点の曇りも無い深紅の瞳が咲夜に向けられた。
「お前が私を守ってくれるんだろう?」
咲夜は跪き、レミリアの右手を赤子の手を握るかのように優しく手に取った。
そのままその手の甲に口づけをする。
そして誓った。
「貴女は私の命を賭けてお守りいたします」
※おまけという名の後日談
「パチェ、漫画の続きを借りにきたよ」
パチュリーはレミリアの声を聞くと笑顔で本から顔を上げた。
「あら、レミィいらっしゃい」
レミリアは地下図書館にパチュリーから借りている漫画の続きを借りに来たのだった。
パチュリーはすでに用意していた本を取り出し始める。
「ほら、これよ」
「ありがとね、パチェ」
レミリアはパチュリーから受け取った本を満足そうに小脇に抱える。
「あ、そうそう」
「どうしたの?」
「パチェ、あまり咲夜を苛めないでよ」
「…美鈴にも言われたわ」
パチュリーはげんなりとした表情で答える。
そんなパチュリーの顔が面白いのかレミリアはケタケタと笑いだした。
「やっぱり聞いてたのかしら?」
「美鈴と一緒にね。咲夜がお茶の時間に遅れるなんて珍しかったからねぇ。最初は私が行こうと思ったんだけど、美鈴に止められたのさ」
「へぇ、美鈴は何て?」
「『お嬢様は何時も通りでいてください。その方が咲夜さんも安心します』ってさ」
「さすが年の功と言うべきなのかしら」
「伝えておくよ」
笑い合うレミリアとパチュリー。
しばしそのような和やかな時間が続いたが、やがてレミリアが難しい顔をして呟いた。
「咲夜は私の自慢の子さ。誠実で優しくて仕事も完璧。でもね…それでも咲夜はまだ子供なのさ。どんなに仕事が完璧でもまだまだ子供。まだ自分自身すら素直に受け入れられない」
「あら、よくわかっているのね」
「そりゃそうさ。私はあの子のことをずっと見てきたんだから。だから私はあの子がこわ~い魔女に苛められないかいつまで経っても心配なのさ」
「わかったわよ、レミィ。もう咲夜にあんなこと言わないわ」
パチュリーは両手を上げて降参のポーズを示す。
レミリアはそれを笑いながらも満足そうに見つめる。
「じゃあね、パチェ」
レミリアはそう言うと踵を返した。
「またねレミィ。いつでも歓迎するわ」
パチュリーはそれを笑顔で見送る。
普段無愛想な魔女らしからぬ言葉。
この言葉だけでもどれだけこの親友を大切に思っているかがわかるだろう。
「あ、そうそう。もう一つ言い忘れてた事があったよ」
「何?」
図書館から出て行こうとしていたレミリアが突然振り返った。
パチュリーはレミリアの言葉に再び本から顔を上げる。
「いつでも挑戦は受けるからね、パチェ」
「あら、それは嬉しいわね」
「だから…あの、ローカルフレア…だっけ?あの日光の魔法だけで私を倒せると思ってはいけないよ。光があるところには必ず影が出来るんだからね」
「ロイヤルフレア。肝に銘じておくわ。もう思いっきり蹴飛ばされたくはないもの」
「それだけさ。またね、パチェ」
レミリアはそう言うと再びパチュリーに背を向けて歩き出した。
パチュリーは遠くなっていくレミリアの後ろ姿を見つめる。
彼女の親友は普段は子供臭いくせに、たまに実年齢通りの大人っぽくもなるのだ。
パチュリーにとってはそこもまたレミリアの魅力だとも思うのだが。
「まだまだ先は長そうね…」
パチュリーは親友の底の知れなさに溜息をつくのであった。
申し訳ありませんでした。
ほんわかしました。
さすが悪魔の館やでぇ
誰かに使役されるお嬢様というのも少し見たくなったり ンフフ