「パチュリーさまー、朝ですよー」
ノックと共に、中の主に声をかける。
パチュリーの使い魔、名も無き小悪魔の朝一番の仕事である。
返事はない。いつもの事ながら。
パチュリーは寝起きが非常に悪い。
生来の低血圧に加えて、夜更かしがすぎるためだ。
なのでノックはあくまで形式的なものにすぎない。扉を開ける。
「パチュリー様」
入ってすぐの書斎を見渡す。壁が見えぬほどに本棚が並び、足の踏み場がないほどに本が積まれている。
いつも彼女が使っている机に、その姿はない。
パチュリーはしばしば、その机に突っ伏して一夜を明かすことがあるのだ。その翌日は大抵体調をくずしているので、小悪魔の心労もひとしおである。
今日はきちんとベッドでお休みになっているようだ。ほっと息をつく彼女。
寝室の扉の前に立つ。
「パチュリー様」
悪魔らしからぬ誠実な物腰でノックし、声をかける。
やはり、返事はない。
軽く息をつき、扉を開ける。
寝室。
書斎とはうってかわって、綺麗に整頓された室内。
塵一つなく、本の一冊もない。
そんな彼女に気付いた様子もなく、部屋の主はベッドで寝入っている。
今にも床に落ちてしまいそうな、あられもない寝相だった。
「パチュリー様」
パチュリーの傍らまで足を進め、もう一度声をかける。
彼女は目を開かない。
……妙な違和感に、小悪魔は眉をひそめた。
「……パチュリー様?」
重ねて呼びかける。彼女の体をゆする。
その振動に、パチュリーの手がベッドから滑り落ちた。
力無く垂れ下がる、彼女の腕。
「パチュリー様?」
三度の呼びかけは、悲鳴じみていた。
心中で非礼を侘びつつ、彼女の頬に手を当てる。
生者にあらざる冷たさに、弾かれたように手を離した。
「パチュリー様!」
四度目の声は、ついに悲鳴となる。
上を下への大騒ぎとなった。
地の底は割れ、紅魔湖の水がまるで排水溝の如く吸い込まれ、別の割れ目から地熱で沸騰したそれが噴水のように吹き上がり、まるで魔女の大釜のような有り様。
天は枯れ果てんばかりに雨を、雷をまき散らす。
図書館勤務のメイドたちはただひたすら右往左往し、パチュリーファンクラブの面々は片っ端からぶっ倒れる。
あらゆる意味で一番すごかったのは彼女の無二の友人にして紅魔館の主、レミリア・スカーレットだった。
咲夜からその凶報を聞くやいなや、寝室の扉を発泡スチロールか何かのように蹴り砕き、飛べることすら忘れて全力疾走。彼女の通り過ぎたあとの壁は蜘蛛の巣のようにひび割れ、窓ガラスは尽くが砕け散った。巻き込まれたメイドの中には、全治三日の大怪我を負うものさえいた。
パチュリーの体に取りすがるレミリアの様子は、それはすさまじいものだった。そのまま彼女の体をぶっ壊してしまうんじゃなかろうかと小悪魔ははらはらしっぱなしだったが、一応冷静な部分は残っていたようで事なきを得た。
何とか落ち着きを取り戻したレミリアが、咲夜に命じる。彼女はすぐさま、飛び出していった。
「あら」
「む」
ばったりと顔を合わせた八意永琳と上白沢慧音は、そろって声をあげた。
「お久しぶりね、慧音さん」
「久方ぶりの邂逅が、こんな地獄の底のような場所になるとは思ってもみなかったがな」
慧音の言葉通り、今彼女らがいる場所は煉獄の如き様相を呈していた。
湖は煮えたぎり、雨と雷は親の敵のように降り注いでいる。防御結界がなければ、まともに飛行もできない。
湖に関しては氷精ががんばっていたが、焼け石に水のようだった。
「貴女も、あのメイド長に?」
「ああ、こちらが返事をする間もなく、言いたいことだけ言って去っていったよ」
「私の方も似たようなものね」
咲夜曰く、最大戦速にて紅魔館に来られたし。それだけ言って目の前から消えていくのだから、いそがしいことこの上ない。
しかしまあ……館のこの有り様をみれば、彼女の様子にも納得がいくというものだ。風雲、とかつけたくなる。
「しかし、一体何なのだろうな、この様子は」
「さあ……この状況をどうにかしろってことなら、あいにく専門外なんだけど」
「それは私も同じ事……うん?」
目前に迫ってきた紅魔館。それだけなら慧音も疑問符など浮かべはしなかっただろう。
彼女を唸らせたのは、門前の少女の存在だ。
この天変地異の中、何でもないように空を見上げている門番。どう見ても自殺行為なのに、この天候は彼女には何らの損害ももたらしていないようだ。
こちらに気付いたのか、門番はほっとしたように腕を振る。
「いらっしゃいませ、紅魔館にようこそ……なんて悠長なことを言ってる場合でもないですね。お待ちしておりました、八意永琳殿に上白沢慧音殿ですね」
降り立った二人に、美鈴がそれでも挨拶をした。
「ご丁寧にどうも……貴女は大丈夫なの?」
純粋に疑問そうに、永琳が首を傾げた。下手をすれば妖怪でも死にかねない環境にも関わらず、彼女の様子はあまりにも無防備だ。
「ええ。水気も電気も熱気も、私の体を損傷できませんから。それよりもお早く」
「一つ聞いておきたい」
先へと促す彼女に待ったをかけたのは、慧音だ。
「この有り様は一体なんだ? 術の暴走か何かか?」
「いえ。この館には相当数の妖怪がいるんですが、彼女らの漏らす妖気があたりを汚染してしまっているんです。普段ならどうにかして下さる方がいらっしゃるんですが……」
そこまで言ってうなだれた彼女を見て、慧音はわかったと答えると、隣の永琳と顔を見合わせた。
頷きあい、館へと歩を進める。
その背に向けて、美鈴は深々と腰を折った。
「なるほどな」
一通り話を聞いた慧音が頷く。
場所はパチュリーの書斎だ。所狭しと並んでいた本を無理矢理壁際、というか本棚際に積み重ねてスペースを作った。空間操作なら咲夜の本領だが、彼女は二人を呼び出すのに時を止めすぎたためグロッキー状態。
勝手に書斎の本を動かすとパチュリーが怒るのだが、今はそれどころではない。
永琳は既に寝室の彼女の診察中だ。
書斎にいるのはレミリア、慧音、小悪魔、加えて咲夜の四名だ。侍女長の矜持か、疲れをかけらも見せずに直立不動する彼女の様子は涙をさそう。
「まあ、心配はいらんだろう。少なくとも彼女は死んではいない」
憔悴したレミリアを安心させるように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「……どうしてそんなことが言えるのよ」
いまいち効果は発揮しなかったようだ。暗い口調で言う彼女に、慧音は視線を移した。
その先に映るのは、先ほどから寝室の扉を食い入るように見つめている小悪魔の姿。
「彼女はその、ノーレッジ殿の使い魔なのだろう? 契約者が死んだならば契約は白紙だ。彼女は幻想郷にはいられまい。彼女がここにいるということが、ノーレッジ殿が死んでいないということの証明だよ」
「あ……」
小悪魔自身、その事に思い至っていなかったようだ。今さらのように声をあげ、慧音を見る。
「それに永琳殿は、死んだ人間も生き返らせるような薬師だ。何の問題もなかろうよ。私の出る幕もないだろう」
小悪魔の様子と慧音の重ねての言葉に、ようやくレミリアは安堵の表情を見せた。
咲夜も荷が下りたように肩の力をぬく。
タイミングを見計らったかのように、寝室の扉が開かれた。
喜色を浮かべてそちらを見る二人。
しかしでてきた人物の様子に、彼女らの顔色が曇る。
「どうされた?」
厳しい顔色の永琳に、表情を同じくした慧音が尋ねた。
「……私の手には負えないわ」
「どういうことよ!」
首を振る彼女に、レミリアが獅子吼す。
「貴女、死んだ人間でも生き返らせることができるんでしょう?! それなのにどうして……!」
「死んでいたのなら、生き返らせもするわ」
叫ぶ彼女に、永琳は苦々しく呻いた。
「彼女は死んでいるんじゃない。生きていないのよ」
「……どういうこと?」
意味深長な彼女の言葉に、主よりは幾分冷静な咲夜が尋ねる。
「低い体温、遅い脈拍。代謝こそ極端に落ちているけど、外傷も異常もないのよ。私の見立てでは、眠っているだけ。なのに、何をやっても目を覚まさない」
だから死んではいないが生きてもいない、と永琳は続けた。
「永琳殿の薬が効かないとは、妙だな」
口惜しそうに爪を噛む彼女を見、慧音が唸る。それほど親しい間柄ではないが、そう言える程度にはつきあいがあった。
「私が視よう」
彼女の歴史をたどれば、原因がつかめるかもしれない。
慧音が寝室へと入る。今度はレミリアらも続いた。
発見当時とは変わって、整った寝姿の彼女の傍らに立つ。意識を集中し、彼女の歴史に触れる……
「……何?」
「どうしたのよ」
奇妙な声をあげる彼女に、レミリアが訝しげに問う。
「……彼女の歴史がない」
「……え?」
「生命の営みたる歴史がない、魂がない……ありえん、どういうことだ?」
足りない。欠けている。
「彼女はいつもこうなのか?」
振り向き、慧音は紅魔館の住人たちに訊く。
「こう……とは?」
曖昧な物言いに、小悪魔が首を傾げた。
「彼女が彼女であるための、パーツが足りない……何が足りない?」
自問するような彼女の言葉に、三人が顔を見合わせた。そして、図らずとも声が揃う。
「「「本」」」
「本?」
面食らったように、永琳が言う。
「はい。パチュリー様は無類の本好きなのです」
「それは、ここを見ればわかるけど」
「食事を摂られるときも、お茶の席でも、入浴の時にもお休みになるときにも、片時も本を手放されません……あれ?」
違和感が蘇る。
そう。彼女は本を手放さないのだ。眠るときですら、本を抱いて眠る。
しかし今の彼女の胸には、組まれた両手があるばかり。
「まさか……」
今朝、パチュリーを起こしに来たときの様子を思い出す。
今にもベッドからずり落ちそうな、そんな寝姿。
他一同の視線が集中する中、小悪魔が慌ててベッドの反対側に回り、しゃがみ込む。
一冊の、図鑑の如きやや古びた大判の本。
おそるおそるそれを取り上げ、小悪魔は眠るパチュリーの胸元にそれを乗せた。
かちり。
慧音の脳裏に、最後のピースが埋められたような、そんな情景が閃いた。
ややあって、むずがるように、彼女の瞼が動く。
「パチェ?!」
彼女の変化に、レミリアが真っ先に取りついた。
うっすらと、瞳が開く。
「パチェ!」
レミリアの呼びかけに、パチュリーは呟いた。
「……何よもう……せっかくいい気持ちで寝てたのに……」
彼女の額に手刀が落ちた。
「つまり、自分の魂を別の何かに移すことによって、肉体のかわりに移行先の物体を劣化させる術なのね」
「そう。事実上の不老ね。ただ、それを手放すと、死体並に何もできなくなるけれど」
「ならば、本などという扱いにくいものに込める必要もないだろうに」
「私がいつも持っていて、不自然でないのは本だけだもの」
「ああ、なるほどな」
「…………」
所及び時間かわっての談話。
血の泡を吹いて気絶したパチュリーを癒したり、外の天変地異を慰撫したり、あわてふためくメイドたちを一喝したりというひと騒動終わってからのお茶の席である。
識者三名の会話を、紅魔館の主はふてくされたように聞いていた。
足をぶらつかせそっぽを向く彼女には、いつもの威厳がかけらもない。
まあ無理もあるまい。自らの常ならぬ有り様を、従者どころか部外者にまでさらしたあげく、その原因といえばのほほんといつも通りなのだから。
「それにしても……」
紅茶のカップに口をつけ、永琳がおっとりと言う。
「どうしてわざわざそんな術を?」
「蓬莱人が言うことかしら」
パチュリーの返しに苦笑する。是非もない。
それで終わりかとも思われたが、言うことにしたようだ。彼女はほんの少し意味ありげに息を吐く。
「まあ折角……」
知識と日陰の少女は、何気ない仕草で永遠に紅い幼き月を見た。
「珍しい観察対象とお近づきになれたのだもの。あっさり逝くのは勿体ないでしょう?」
内容にそぐわぬ暖かな口調に、レミリアは思わず彼女を見返した。
「ならば彼女の眷属の仲間入りしたらどうだ?一石二鳥だろう」
悟ったような表情で、慧音が言う。永琳も同じ顔で頷いた。
「一度頼んだこともあったのだけれどね、レミィったらさみしんむぐっ」
パチュリーの語りが、口にねじ込まれたドーナッツに遮られた。
怒っているわけではなさそうだが、唇を尖らしているレミリア。
そんな二人の戯れに、知識と歴史の半獣と月の頭脳は顔を見合わせ、忍び笑う。
「……何よ」
「いや」
「何でもないわ」
お世辞にも好意的とは言い難い視線の彼女に、二人は揃って首を振った。
そして同じく立ち上がり、
「ではそろそろお暇させてもらうが」
「手、離したほうがいいわよ」
視線の先。
呼吸困難に顔を真っ青にした友人の姿。
慌てて手を引っ込めると、その背を叩く。
忙しない彼女の様子をしっかりと目に焼き付け、二人の客人は出ていった。
咲夜は自室で眠っており、小悪魔は図書館に戻っている。
残されて、二人。
「……死ぬかと思ったわ」
ようやく息を整えたパチュリーが、恨めしげにレミリアを見る。
「不慮の事故ね」
「明らかに人為的だったけど」
「自業自得ね」
そう言われてしまえば立つ瀬はない。確かにおおっぴらに宣伝することでもないのだから。
沈黙する。
例えば。
例えば、咲夜なら。
彼女は、従者である。単に従者と称するには、随分と自分の中で占める割合が大きくもあるが、それでもやはり、彼女は従者なのである。
だから彼女が望むなら、悠久に近い時の中で、主従たり続けるのもいいだろう。
だが。
だが、パチュリーは。
彼女は、友人だ。愛想がいいとは言えないし、滅多に図書館から出てくることもない、共に過ごす時間はさして長くない。それでも彼女は、伸ばした手を握り返してくれた、無二の友。
彼女には、隣に立っていてほしかった。だから彼女を夜の道に誘うことを拒んだ。
限りある時でいい。並んで立っていたかったから。
だというのに。
この節介焼きは……!
「レミィ」
彼女の言葉に、レミリアははっと我に返る。
もう、いつものように、本に視線を落としている彼女。
「必要なくなったら、言って。本を閉じるから」
でも彼女は、自分を向いていた。
不覚にも、視界がぼやける。
天井を見上げ、これ以上ないほどに瞼を見開き、殊更何でもないように言葉を紡ぐ。
「……そうね。私も日向で微睡む日が来るかもしれない。そうしたら一緒に眠ってくれる、パチェ?」
友人の問いかけに、その友人は一言で応えた。
「ええ、勿論」
案を採用してくださってありがとうございます。
しかも、レミパチェ!
も、もう思い残すことはない、ちょっと掘られてくr(caved!!!!
ああもうああ、パチェ萌えー!
巧っ。
具体的にあれが良かったこれが良かったというような感想を書くのは難しいのですが、この空気でなんとも胸いっぱいになれたので。
それはともかくよくまとまってて面白かったです。
人間だとちょっとやそっとでは築けそうにない二人の関係が素敵です
全治三日を負った名も無きメイドが不憫でならないけど(笑)
↓ⅠCOですかw
紅魔館はいいですね。